1 :
無名武将@お腹せっぷく:
曹操のファンて、なんで曹操の事を、
「実は高潔な人格者だった」等、訳のわからん事を言って、
無理に正当化しようとするの?
曹操はアウトローだからこそ魅力的なんじゃないの?
韓非子の魅力ってことか?
ふむ。そんな訳で引き続き曹操を語ろう!
善・悪の二元論でしか歴史を楽しめない厨房が立てたスレッド
う〜ん。盛り上がってないなぁ〜
少なくとも多くの面で劉備より秀でているのは真理だもの。
まあ、前スレみたくまたーり行きましょう。
結局曹植の虱食いのクセの詳細は判らずじまいですね。
しかしあんな小さいものつまんで食えるのかな。
てか美味しいんだろうか
誰かリアルでやってくれる勇者は居ないかな?
悪の魅力とか言っても、いまどきそんなのもキモいし。
>>13 冷静な突っ込みワロタ
ところで曹彰って曹丕に殺されたんだろうか
>>14 一説にはそういう事が有ったらしいな。
30代で急死。しかも、洛陽に帰還してからすぐだし・・・
16 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 19:06:25
「天草四郎は秀吉の孫だった・・・ 」
のスレに、典型的な奴がいたよ↓
392 :無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 04:57:54
>>389 曹操側の立場からとかアホみたいだな
正確には晋王朝、魏に関しては正統を認めつつも
司馬氏による曹魏簒奪も正当化するための補正も入らざるをえない
演義に比べれば事実性は高いだろうし、殷周の頃の話と違い、事実の捏造は少ない。
むしろ徐州の虐殺なんかは曹操にとって都合の悪い誇張の可能性は高いしな
略奪や虐殺そのものはあったとしてもその数が現実的な話ではないという意味な
むしろ、晋王朝からすればならずもの国家として見られてもおかしくない蜀の評価が必要以上に高いことのほうがおかしい
中学生が歴史は政権を握ったものの改竄の歴史だって話を聞いて熱弁を振りたくなったのかなw
17 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/12 19:28:33
前スレ以来の住人はどうしたんだ?
>>17 (・∀・)ノ
なかなかゆっくり語れる感じでもないので静観してました
曹操より曹家の人々を語るスレだったからな
結構、スレ違いの事を話してたからあのスレは埋まったんだな。
じゃあ曹操の実母が誰かとか父の実家の財産状況がどうかとかを語ろう。
実家の財産状況って曹騰の遺産で結構なもんだったんだろ
いや養子になる以前の。
曹嵩は乞食説があるわけだが。
あと曹操の実母は丁氏でいいのか?
どこかに実母だと明記しているところあったっけ?
董卓討伐軍の兵を挙げた時、曹操は五千の兵を集めている。
五千の兵+五千人分の日数にあわせた食糧の調達と購入には相当の
金が必要だったはずだ。
>>25 実家って夏侯家のことか
そりゃ、夏侯嬰の末裔として考えれば凋落してたかも知れんが、
実際は乞食ってほどではないと思う。劉備の実家と同じぐらいじゃね
謎1
三国志本文では曹嵩の実家が夏侯氏だと明言していない。
謎2
曹操の実母が誰かも明言されていない。
謎3
陳琳の檄文で曹嵩が乞食だと言われた時、曹操は否定してはいない。
曹騰を宦官として出す以前は曹・夏侯両氏は譙県で部曲を養ったり、
耕作をやってたのか?
謎4
なぜ曹騰は兄たちの子を養子に迎えずに曹嵩を養子にしたのか。
謎5
そもそもなぜ曹騰は宦官になったのか。
>>28 > 謎1
> 三国志本文では曹嵩の実家が夏侯氏だと明言していない。
これは異姓の養子をもらうことがタブーだったからって説を聞いたことがあるよ。
結構納得できる理由だと思った。
>>28 本文になくても、世語には曹嵩の出自が夏侯氏だとなってるだろ
陳寿以外は絶対に認めない狂った正史厨の方ですか?
>>32 >>28ではないけど、何故本文に夏侯氏の出自と書いてないんだろうって聞いているのでは?
>>30 4:占いが盛んだった時代なにかの卦があったのかもしれない。相を見て人を知る時代。
もしくは、曹嵩の親父あたりになにか義理があったとかしか考えられんな
5:出世するため
暗に書かない事で曹氏の出自も怪しいと陳寿は言いたかったのかもな。
>>33 いかにも。32のレスみて驚いたよ。こんな反応あるとは思わなかった。
夏侯氏が実家なら、なんで本文には出てこないか不思議には思わない?
>謎2>謎4
曹操の実母が兄の娘で、娘だけを残して死んでしまった。
兄の家系を絶やさぬ為、養女として育て、夏侯氏の養子を貰った。
さまざまなタブーを犯しているので一般に公表できなかった
・・・てなところだろうか?
夏侯淵が飢饉のときに自分の息子を捨てて、兄弟の娘を救った話を聞くと
なんとなく、こんな妄想ができる。
>>36 それ以前に曹嵩のことを主眼に置いた伝ってあったけか?
謎6
曹操の母が丁氏だとして、なぜここまで関係記事が少ないのか。
謎7
曹操の最初の正妻丁氏と母?丁氏は関係あるのか。
謎7は蒼天だと親戚として出てきてたな。丁婦人
一気に話題増えすぎだろ
でも曹嵩が夏侯家の人間じゃなかったら、
夏侯一族が総出で曹操をバックアップした理由が
わからなくなる気がするんだが。
惇の厚遇&信頼ぶりを考えると、
やっぱ何らかの血のつながりがあったんじゃないかな
>>42 心配しなくても皆曹嵩が夏侯家の出自だって事を前提に話してると思うよ。
レスを良く読んでみると分かるね。
曹操もしくはその子孫たちは曹操の父、父の実家、母、妻(丁氏)に関して何かあまり明らかにしておきたくない事情があったんだろうか。
劉備も父母親戚の記録が少ないけど、劉備は流れ者だしな。祖父や父が高官にあった曹操とは比較できない。
一族が総出で曹操を助けたなら、そこには母や妻の一族も入っていそうなものなのだが。
劉備の妻の甘夫人の一族の者が出てこなかったのは甘氏が
平民レベルの人間だったからか?
>>45 甘夫人は元は妾で正室が次々と亡くなった為、彼女が奥向きの担当を
担ったと正史にある。だから劉備のお気に入りな存在だったから
甘夫人は平民レベル〜農民だと思う。
あと、名無しにしておけよ。
あくまで曹騰の家をついで曹氏の廟を祭る立場の人間ですから
一度、姓を捨てた以上、夏侯氏とは無関係。
曹操が頓丘県の令を免官された際の理由が従妹の嫁ぎ先の一族が謀叛の罪で
一族共々処刑されたからだ。
曹操と従妹は血縁関係では近い存在だったのか?
>>48 曹操の従姉妹が嫁いだのって宋皇后の兄弟だっけ。
ところで、宮城谷三国志に、
まだ曹操が曹一族の総帥と決まったわけじゃないし、、って理由で
曹仁が呼び出しに応じないなんて流れがあったんだけど(後に合流する)
最初から曹操が一族の上に立ってたわけじゃないのかね
小説関係はよく分からんが・・・
曹仁の親の血統が曹騰の兄たちだったら長子制度に則れば
曹仁が曹家のトップになるとか・・・分からん!!!
曹仁と曹純の兄弟も謎。
曹仁は廃嫡されたのか?
53 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/14 02:29:36
a
悪の魅力てスレタイだけどむしろ曹操って真っ直ぐにやった正統派なんじゃないか?
悪なのはむしろ劉備だと思う
裏切りまくるし
>>52 曹純は弟だが父の財産を受け継いでおり、18歳にして黄門侍郎になっているという。
曹仁はその兄だが曹操の下に入るまでは任官した形跡もない。
またこの兄弟(同母兄弟)は別居していた。
曹仁は家出でもしたか、父から廃嫡され追い出されたのではなかろうか。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/14 15:27:32
>>56 曹仁はヤクザを従えて好き勝手やっていて、家のことは弟に一任していた・・・という話を聞いたことがある。
ナニに書いてあったか忘れたが。
廃嫡された訳でもないと思う。確か、曹仁の父は早くに死んでいるから
ただ、曹仁がグレただけなのかも?
夏侯惇も敵討ちで人殺し→流浪
夏侯淵も一時期刑務所(曹操の身代わりだけど)
阿瞞も元不良だし
曹・夏侯一族ワルばっかだな
曹操は袁紹ともつるんで遊んでたからな。
ちょっとアウトロー的な感じだが、友好を深めるには最適だよな。
三国時代に前線とかで活躍した武将や君主は若い頃アウトローって奴が多いな
やっぱり肝が据わってるんだろうな
曹操の一族武将、劉備の関・張や孫堅のフロンティア勢力などは、特に目立つ存在だな。
陸遜も若い頃からならしてたらしいし
なんだ三国志はDQN列伝なのか
若い頃に人殺しとか騙しなんかをやった連中も多いよな。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 16:34:43
>>60 袁紹って金持ちのぼんぼんみたいに思われてるけど(実際そうだけど。ついでに曹操も)
妾腹で嫡男じゃなかったから、かなりぐれていた可能性もある。
超名門のゴクツブシと、宦官一族の跡取りという、カネも能力もあるのに客観的に評価してもらえない、
やや倒錯した環境に身を置く者同士、結構気があったんだろうな。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 16:38:14
一番凄いのは劉曄だな。母が死ぬ寸前に言った言葉を実行した孝行者であり、不孝者。
>>66 お互い、生い立ちに影を落ちている事があるぶん何か通ずるものが
あったんだな。
>>66 石井仁の「曹操 魏の武帝」っつー本では、
花嫁強奪事件は、袁紹と曹操の優劣を際だたせるための後世のフィクションで、
実際は仲が良かったにしろ、10歳近く年上と思われる袁紹が曹操の庇護者的な
関係だったのだろう、
と書いてた。
袁紹の方が年上か。官渡の後に袁紹は死んだけどその時の年齢は50代か?
71 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 11:23:43
>>70 大体そんな感じだな。
たぶん袁譚は30代だと思うのだが・・・
曹操も袁紹も、ついでに荀ケも、名門ではあっても清流の本流からは外れた存在だったようだしねえ。
魏晋南北朝時代は漢代に栄えた貴族が没落し、異民族の流入などと
動乱期にあたるが、三国時代は家柄が関係なくなってきた時期だな。
特に曹操が積極的に能力主義を推し進めたな。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 21:38:22
>>54 なんだよ、真っ直ぐって。
典型的なアンチ劉備の曹操信者だな。
>>72 荀イクも清流ではないの? バリバリの清流派だと思ってた…
>>73 結局曹丕時代から元の家柄重視に戻ったのかな
>>73 プ
曹操だけが能力主義すすめたんだろうが
魏晋南北朝時代とか覚えたての言葉使ってみてもダメよ?
>>76-
>>77 別に煽る程のことでもないと思うわけで。
曹操は既成の概念をことごとく壊してしまって
確かに、新しい観念の時代を一時期創造したんだよ。
その意味では、確かに「天才」なんだ。
ただ、これが、当時は誰もが理解すらできないコトだったので
だれも正当に評価できていないし、
さらに今に至るまで評価ができていない。
今に至るまで評価ができないわけは
曹操が打ち出した、その価値観や世界観が
結局は「歴史のおまけ」みたいにそのときだけで終息してしまったから。
曹操の事象を真理みたいなモノとして捉えるか
無理やり押さえ込んだ不自然な価値観だったと捉えるか。
だーれもまだ評価すらできていない。
ということに大きな意味がある。
評価すらできない「天才」なのか
はたまた「悪魔」のような人間なのか。
両極端になっちゃうんだよ。
>>77 奴までこっちのスレに来てたのか
たしかにナニナニだなと偉そうなトコがそうだな
>>80 あんたも「〜だな。」が語尾に付いているぞ。
つまり、誰も理解ができていないものを
誰が語るかという問題がだな・・・・・
誰が軍師のように語れといった?
と小一時間・・・・・・・・
>>1 >実は高潔な人格者だった
曹操愛好者の誰がこんな事を言ったんだ!?
なんだ。1が逃亡してその後に乗っ取ったスレなのか。
曹操の経歴を見ると裏切りってあんまりしてないなってことだよ
謀略とかはしてるけどね
劉備は不利と見るや寄宿先をコロコロと変える裏切りの大家じゃないか?
裏切りの果てに蜀は建国するし最後は自分を裏切った呉を討伐しようとして敗北して失意の内に病死だろ
常に組織のリーダーとして真っ直ぐに進んで来た曹操と
様々なところで下積みして紆余曲折の劉備
実に対照的じゃないか
似ているのはどっちもアウトローと付き合いがあったって事と戦略を観る鋭い視点を持っていたって事
87 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 22:19:13
人間の小さい奴ほど、人間の大きい奴に憧れる。
曹操のファンて、人間の小さい奴が多いんじゃないの?
曹操のいい所も悪い所も、全部ひっくるめて好きになるほどの
度量がなく、いい所しか見ない。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 22:21:34
曹操を正当化しようとする奴って、
なんでいつも劉備を悪く言うの?
一般大衆じゃないフリができるからかな?
言ってる意味はなんとなくわかるんだが、
「人間の小さい」とか「大きい」とかの言葉の定義がわかんない。
言い換えると、これを、どういう概念で使用してるかという問題がだな。
小さいっていうのは、測れるモノだと思うのだが。
その辺の曖昧さを無くさないと
>>87が他人に伝えたいモノの本質というのは理解されない。
まあ、コミュニケーションというのは難しく
自分の思考を言葉で完璧に表現するのも難しい。
で、「雰囲気」やそういうモノで判断をするのだが、
これは、仕草や声色、または、過去の行動から
その人物の本質をなんとか言葉だけよりは理解することができるからだ。
曹操は、当時あれだけ多士済々な人間を引きつれて
その「長」となっていた現実があって
それは評価しないといけないのだよ。
なげーな。
比較する事によって評価するものをより際立たせる事ができるからな。
>>87 要は、いい所も悪い所も魅力的な事に変わりないという事か
まあ、俺は横光読んだ時点で曹操好きになったわけで
つまり欠点も格好悪いところも魅力的ってこった
93 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 22:42:14
一般人向けの倫理・道徳とで帝王を語るのはおかしいと思います。
やはり「非常の人、超世の傑」だな。
>>75 荀ケは宦官の娘を妻にしていたので名士連中からはエンガチョされてたらしい。
曹操、袁紹は一族から宦官を出している。
意外な共通点。
曹操って実は前半と後半は別人だったと最近の研究で明らかになってきたよ
>>95 曹操は「宦官の孫」だってことで苦労してるけど、
袁紹と荀イクはそんな感じしないな
>>99 曹操がそれで苦労してるのって演義だけじゃなくて正史でもあるの?
>97
前曹操は董卓に殺されたらしい
後曹操は夏侯惇の兄
という議論がついこの前、北京大学の教授と九州大の教授の
共同研究で発表された
資料がでてきたらしいよ
>>101 うはは・・・夏侯惇贔屓も納得の話だなそれ!!
マジにしてもネタにしても面白すぎ!
>>99 曹操が「宦官の孫」で苦労したことなんてあったっけ?
陳琳の檄文で罵られただけじゃん。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 08:11:41
資料ソース待ち
>>103 大尉の息子が北部都尉から出発という異例とも言える抜擢だし、
当時の儒教社会のなかで宦官の孫(濁流派)だからって清流派に嫌われる訳もないしな
さすが陳琳の檄文なんて難しいこと知ってる人は言うことが違うな
かの孔子は宦官と同じ車に乗る事を拒否したそうだが・・・
>>106 馬鹿だな、所詮世の中は金だよ
金があれば出世できたんだよ
>>106 はじまりこそ北部都尉だけど、その後は異例とも言えるスピードで出世したじゃん。
濁流勢力にも睨まれてるし、位置付けとしては清流派に組してたといえる。(立場は微妙だが)
>>106 ??
何かいまいち言ってる意味が分からないので教えてちょ。
北部尉からの出発が凄いって言いたいの?逆?
そして曹操が北部都尉になった時って曹嵩は太尉じゃないよね?
まあそれなりの地位にはいたのだろうけど。
>>106 そんなねちっこいイヤミ言うなら、せめて官名くらいちゃんと調べとけよ。
北部尉な。都尉じゃないから。あと太尉。大尉じゃないから。
イヤミだったのか・・・
クマー警報発令中
/゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ
i ノ `ヽ'
/ `● ●´i、 ネコー!!
彡, ミ(__,▼_)彡ミ
,へ、, |∪| 、`\
_ / .___' ヽノ `/´> )
( (___) / (_/
ゝ.,__| /
| /\ \
| / ) ) ニャア
∪ ( \ ニャア
\_)
北部尉ってショボイ官職なんじゃないの?
数十年後に、推薦してくれた司馬郎に「今でも(私を)北部尉に推薦するかい?」って
曹操が聞いて、冗談通じない司馬郎が
「あの頃はあれが最適でしたので」って言ったというエピソードがあったような。
石井先生の曹操読んどけ
あと司馬防な。司馬懿のオヤジ
>>114 曹瞞伝に記載されてるな。
当時、尚書右丞であった司馬防によって、洛陽北部尉に推挙されたとあるな。
裴松之が言うには司馬防が尚書右丞になってるのかという議論にちゃんと証拠は
あると言ってるな。
>>116 東呉の民兵キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
>>118 キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!ってか、AA使ってまで表現するか?
曹瞞伝とかって眉唾物が多いからなぁ〜
120 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 21:31:48
>117 蒼天航路もばりおもろい
121 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 23:12:26
122 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/22 23:55:44
小説は人物描写もぜんぜん違ったりする
太ってる武将が痩せてたり
それは小説に限ったことじゃないと思うのだが
124 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 16:21:20
三国志の勉強ってどんな事する?
三国志ごっこ
126 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 02:42:32
悪の魅力なら断トツで蒼天董卓じゃないか?
127 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 13:21:54
漫画は色々と脚色できるからな。董卓にもそれなりの魅力があるのは当然だが
128 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 21:40:56
曹
操
ヵ
ッ
コ
ィ
ィ
''''''─- .....,,,_ __人_人,_从人_.人_从._,人_人_
 ̄"゙'"''''''─‐- ゙"ニ ─__ )
r──--- ...___ ) みんなどこへ行っちゃった
三 /レi ニ | ニ ≡ ) んだよ!!
.ニ ( ゚´Д)| ニ |!?U_ ろ
| / つ つ Lニ-‐′´ )/⌒Y⌒Y⌒l/⌒Y⌒Y⌒Y⌒
'''''゙゙゙゙゙ ̄ _,, -‐'''∧_∧ っ ゚
--─="゙ ̄ ⊂(Д´;) ゜
ニ─ _,.. ゝ、 O
_,.. -‐'" しへ ヽ
__,, -‐''" , ゙ー'
, ' /
いるよ(・∀・)
ここに常駐してるのは民兵ぐらいか・・・
で、曹操は悪の魅力なのか?
133 :
ハザマ:05/01/24 22:13:51
お前らに三国のスケールはわからん!!
あれはネタじゃなかったのか!?
136 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 18:28:42
陳宮の遺族に対する保護と張超一族らの三族皆殺しなど、対応の違いが
有るのはなんでだ?
137 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 18:58:50
ケースバイケース
138 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 19:00:01
>>126 蒼天董卓みたいなステレオタイプの悪役の、どこが魅力的なんだよ。
陳宮は曹操に才能を惜しまれた
曹操は陳宮を我が子のように扱ったと正史にも書かれている
だから反逆したとは言え陳宮の家族は大事に扱った
張バク張超らの家族は謀反の発起人
そんなもの生かしておくわけないだろう
140 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 20:34:53
三国志演義では、悪逆非道だが、実際、乱世の姦雄と言えるのは、中国史でも曹操ぐらいだろう。
ただ、戯王にはなったが、皇帝にはならなかった節度は、立派である。
>>140 どうした?もしかして噂の民兵さん・・?
乱世の姦雄っつったら石勒や朱全忠、朱元璋の方がよっぽどしっくりくるな
曹操は姦雄ってほど姦雄でもないし、乱世じゃなくても普通に(上司に恵まれれば)能吏として活躍できたろう
単に英雄といった方がしっくりくる。文人な面も含めて
「非常の人、超世の傑」の方が彼にぴったりだと思うがな
>>142 禿同。そいつらに較べて曹操は毒が薄い。
結構油断しがちで抜けてるところがあるせいかな。
あんま姦雄って感じじゃない。
特に詩人である所とかも特徴的だよな。
流れを読まずにカキコ
廖化
字は元倹。元の名は淳。魏書では惇につくる。
襄陽郡の人で関羽の主簿を務めていたが、荊州が陥落すると呉に降った。
劉備が夷陵の戦役をおこすと老母を連れて呉を出奔し帰参、宜都太守に任じられ一軍を率いる。
劉備没後、丞相参軍に。
223年、茂才に推挙されたショウエンが劉ヨウ・陰化・ホウ延・廖化に譲ったという記述がある。
後に督広武(広武は陰平郡に所属)に任じられるとあり、魏書には陰平太守ともあるので兼務だったのかも知れない。
魏書の記述により少なくとも238年〜248年の間はそうであったようだ。
中途の詳細は不明な点も多いが、最終的には右車騎将軍・仮節・領ヘイ州刺史・中郷侯まで昇る。
同時に左車騎将軍となった張翼がその前は征西大将軍であったことを考えると廖化もそれ以前は四征四鎮将軍クラスの将軍位を持っていたかもしれない。
鎮西将軍が胡斉であったので王平の後の鎮北将軍あたりの。
苛烈な人物として知られるが姜維を諌めるなどの冷静な面も持ち合わせてる。
238年、魏の守善羌侯宕蕈(魏についてた羌族?)の陣営を攻撃。郭淮の派遣した武将を撃破する。
248年、羌族の反乱に乗じ姜維とともに魏領に侵攻、要害を守り郭淮に抵抗するも利有らず撤退。
263年、鐘会らが侵攻してくると姜維の援軍として沓中へ向かうも諸葛諸の侵攻の知らせを聞き陰平で防御のために留まる。
(この時は既に陰平太守・督広武からは外れて中央にいたと思われる)
一月後、ケ艾に撃破され退却してきた姜維と合流。
鐘会が関城を抜いたという知らせを聞くと漢寿まで引き返すと董厥・張翼らと合流し、さらに剣閣まで引き退き鐘会の大軍を防ぐがケ艾の進軍により成都が陥落した為降伏。
翌264年、洛陽に向かう途中病没。宗預伝によると261年には70歳を超えていたらしい。享年75歳前後。
演義では黄巾賊の生き残りとされてるがその可能性は低いと思われる。
経歴から見て事務処理能力も買われてるようで、単に私の認識不足だっただけかもしれないが、意外と士大夫層の出身だったのかも知れない。
スマン。思いっきり誤爆した……
流れを読んでいないというよりもスレタイを読んでいないというべきだろうか
>>145 毛沢東も詩人だけど、曹操よりヤバイような。
もっと姦雄ぽい
毛さんはなんちゃって詩人だもん
孟徳は国語の資料集とかに載るくらい超一流の詩人
151 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 22:49:26
>>149 毛沢東は「独裁者」という言葉がぴったりだな。
むしろキチ○イ
153 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/27 23:55:15
>>139
我が子のようにということは二人とも年はなれていたのかね?
つーかお前ら、今から俺様のことを「現代の姦雄」って呼べや
雄って付いてる以上、誉め言葉でもあるからねー
姦雄って
結論、曹操は姦雄じゃない
あと「非常の人、超世の傑」
この称号って漢武とか煬帝とか唐太宗とか自己顕示激しい奴らが欲しがりそうではある
>>153 正史三国志呂布伝の中のハイ松註で英雄記にその旨が記されていたと書かれている
>>157 漢の武帝とか唐の太宗は曹操にみたいに人物を一言で表せるような言葉を
史書とかで貰ってないのか?
160 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 22:13:28
曹操は姦雄だよ。
人妻好きで、殺した敵武将の未亡人達を、食いまくってたらしい。
感情のエネルギーは三国志の人物の中で1番だと思う。
そのくせそれを押し殺せる怜悧さも1番持っている。
こちらが下として付き合うなら信頼できる人物だけど、
同格もしくは上として付き合うにはちょっと怖い。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:20:47
たしかに曹操と元同格だった人はやりづらそうだな。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:20:55
曹操は脳腫瘍で、前頭葉に異常があったから、
感情の起伏が異常に激しかったという説があるらしいよ。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:43:23
>人妻好きで、殺した敵武将の未亡人達を、食いまくってたらしい。
これは当時の武将なら誰でもやってるんじゃないか?
当時の人はどうやってセックスの仕方覚えたの??
166 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:47:22
漢の皇帝を保護して漢の権勢を保とうと奮闘した曹操の何処が悪?
悪いのは劉備とか孫権とかだろ!
>>164 多分それが征服欲ってやつなんだろう。
敵を殺しそして敵の大事なものを自分が汚すことによって真の勝利を味わう。
曹操はその征服欲が強い。
「人生の快楽は、敵国王の首を討ち、その馬に乗り、その妻妾を我が物とすることだ」
by チンギス・ハーン
しかし、曹操が殺した敵の人妻を我が物とした例って何がある?
曹丕に先を越されたのが残念でしたなぁ
>>169 張済の妻スウ氏ぐらいしか分からん。
息子もシン氏を娶ったりしてる。
臣下の家の妻妾を犯したり、美しい宮女の首を斬り、盤上に置いて眺めたり、
美しい比丘尼がいれば交わったあと殺して牛や羊の肉と一緒に煮て食べり
滅ぼした国の皇帝の娘(12才)に手をつけて子供を生ませたのも
全て強い征服欲がなせる技です
>>172 それは厳密に言うと性向からくるサディズムじゃないかな?
勝利の原動力となる征服欲とは何か違う気がする。
戦争に強けりゃ何でも出来る
>>171 それは未亡人んじゃね?
>>174 たしかに戦後奪ってるね、しかも、関羽が「俺にくれ」っていって約束したのに反故
にして。しかし、夫の秦宜禄はそのまま曹操に仕えているから、殺して、とは違うよな。
天下統一できなかったからな
あんま走狗煮てないから姦雄かどうかわかんないな
うわ、奥さん取られた相手に仕えるって・・・戦乱の世とはいえ、辛いねえ・・・
>>178 出世する為の献上品にしか過ぎないのかもしれない。
当時の女性の立場って相当酷そう。日本の戦国時代も然り。
ただ母に対しては忠孝を持って仕えるけど…。
>>178 そうゆう感覚があったかどうか。
当時の女性って飢饉になったら食料になる存在だからなあ。
劉備なんて人徳うたってるくせに、自分は逃げるとき妻子をほったらかしてる。
(それも一度じゃなくて三度も四度も)でも非難されてないわけで。。。
そう考えると、離婚危機の時、丁夫人迎えにわざわざ実家まで尋ねて
「許してくれるかな」と言いつつずっと戸口で待ってた曹操は
かなり愛情深い気がするんですが詩人だからかな。
しかし、曹操って未亡人との関係が多いような。
・イン氏 大将軍可進の息子の嫁。夫の死後、連れ子とともに曹操の側室に。
子は一緒に育てられた。後の可アン
・秦氏 夫は諸書によって異なるが、とにかく曹操の身代わりのような形で死んだ
らしい。曹操は妻子を引き取り、子は共に育てて曹姓を与えた。後の曹真。
家康も未亡人が好きだったみたいだな。
子供持ちの未亡人は比較的安産型の女性がいるのも一因にあるのでは?
そういや、劉備も蜀に入ってから、劉ショウの息子の嫁(呉氏だっけ?)を娶っているな。
これは政略の要素が強いが、これって未亡人だったっけ?
>>184 呉氏は未亡人だよ。呉懿・呉班の血族らしい
>>179 日本の戦国時代はそんなに酷くないっか、高い方でしょ
日本で女性の立場が低くなったのは
江戸時代に儒教を輸入して
明治時代に「女は男の陰も踏まずに後ろに控えてろ」っていう薩摩の気風が支配者になったから
最近の女性は強いって言うけど、元来、日本人女性の性質は
力強く行動的なものだったのだろうと思う。
それが徐々に戻ってきているんじゃないのかなぁ?
曹操の話じゃなくてゴメン。
戻ってきてるんじゃなくて
そもそも今叫ばれてる女性復権なんてもんはヨーロッパのそれの猿真似に過ぎず
真に下から上がってきたものじゃないから何か変に感じるよ
ヨーロッパの女性差別はそれは酷いものだったから、彼女らが叫んだことも、その過激さも反動と取れるけど
日本でそれをそのまま接ぎ木したって合わないなんてもんじゃなく……
曹操の話がいつの間にか女性問題になっている件について
衛星放送で中国ドラマの「三国演義」見てたけど、
官渡の戦いが1番感動した。
ドラマと言えば、関羽が主人公の変な中国ドラマ見たんだけど、
曹操が関羽大好きの女子中学生みたいなおっさんに成り果ててた_| ̄|○
192 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 20:39:12
>>189 前スレ知らないの?脱線は当たり前だったのよん
何年か前に香港に旅行した時、ガイドさんが「香港では劉備は人気が無く、
曹操の方が人気がある。」って教えてくれた。
香港の様に進取に富んだ都市には曹操みたいな人物が好まれるんだな。
つーかいまの女性ってすぐに感情的になって弱くなったと思うんだけど
また女性問題か!?
世界史板だったかな、さるスレではこうも言われてたな
「本来男には男の、女には女の、仕事や立場や居場所があった。
それを女が男の居場所に来て、窮屈だから文句を言い始めた」
まぁ、蔑視があるような意見なんだが、一方では事実だわさ
南部藩の清尼仁の政治も、外の絶対権力者を男、内の絶対権力者を女にしてるし
三行半なんて女が男に突き付けるもんだしね
そもそも農耕民族で母系系の神様信仰の日本の本質に女性差別はないよ
江戸時代の侍って
夫「かあちゃん、俺今日も失敗しちまったよもうダメだ〜。」
妻「あんたがしっかりしないでどうするの!」
とかだったらしいけど
そういや江戸時代の男女関係つか夫婦関係は
ある意味平等だったってテレビで見たな。
平安時代なんて女が男をくわせてるしな
現在の中国では曹操はどう評価されてんだ?
曹操の話をするとと張遼が来て泣く子が黙るらしい
>>178 亀だが、そいつは張飛に「妻を奪ったヤツに仕えるのか?」と言われて一緒に出奔。
後悔して帰ろうとしたら怒った張飛に斬られた
>>204 そだよ。ちなみに曹操の下で県長をやってたそうだ
秦宜禄の妻の杜氏は最初、関羽が欲しがった女性だったのに曹操はそれを
奪ったんだよな。流石姦雄と言うべきか
おまい、姦の字を誤解してないか?
>>207 語弊があったすまん!
皮肉っぽく使ったのが大失敗だった・・・
奸雄と姦雄って同じと解釈していいんだないいんだないいn
秦伯南
当時忌み名は一文字が圧倒的だったのになんで秦姓の奴らだけ二文字なの?
釣りだよな
秦伯南は忌み名でなく字だし
秦宜禄は誤記が原因だし
両方、忌み名二文字ではないものな
伯仲叔季は字の基本だしな
戯志才は?
志才っていかにも字って感じだけど
基本的に二文字表記になってる人物で
忌み名と字がはっきりしていない場合は字だと思って間違いない
郭攸之とかは字が攸之なのか?
なんかの間違いじゃね?
後の時代に王義之とかいるから郭攸之もそういう名前なんじゃないか?
かなり時代を先取りだけど。
この時代の二字名は異民族や賊の通り名以外だと他には
馬日テイ (馬日[石單])、成公英くらいかなー。
これらも姓名かどうかよくわからんが。
公英は字ぽいな
曹安民は?
名に「之」があっても忌避しなくていいらしいのでたぶん「之」は例外扱いなんだろう
曹安民の「安民」は字なのか?
226 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 19:38:47
>>224 田中芳樹が、「之」って字はあんまし文字として認識さててなかったんじゃないかって書いてた。
日本では、家康の子が信康、信長の子が信忠みたいに親の名前を子供に一字つけるってのが多いけど、
中国は親子でそれはありえなくて、兄弟で同じ名前ってのが多いらしい。漢字出ないんでかけないけど、
宋の太祖と太宗みたいにね。ところが、「之」この字だけは親子で同じ字があるらしい。
ちゅーことで、224氏の解釈は正しいんでないかと思われ。
田中芳樹のいうことなんか(ry
田中くんは極度の光武帝厨で李靖最強厨で
狂ったように「日本人は三国志と史記しか読まないからねぇ(プ」と言い続け
「何度も言うようだけど、名と字は続けて読まないんですよエヘン」とお山の大将きどり
挙げ句の果てに「趙雲は三国時代を代表する名将ですね」と地金を晒すという
素晴らしいお方だよ
>>225 名だと思いますよ。
かといって字は知らないけど・・・
>229
根拠もなく断定かよ…
>>230 曹家の家系図見たら、安民になってたもので・・・
当時の本物の家系図か?
それなら俺も見たい
安民の父親は誰だ?曹操の弟なんだろうし名前ぐらい載ってても
弟子安民遇害
弟の子、安は民に害されたを勘違いしたに5ペソ
本当の名前は曹安
>231
せめて曹氏家系図って言おうな
そもそも安民は成人?
確か曹丕も従軍してたと思うから安民は十代後半から二十代前半だと思ったりする。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 17:10:03
三国志専攻の研究家ってのは居るのか?
>>239 三国志オンリーの人はちょっと分からないけど研究している人は居る。
ただ孔明の研究ははっきり言って食傷気味。あっても飛ばし読みしてしまう。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 05:38:32
松茸狩り
演義の研究家って存在するのか?三国志の本を読み漁ってたら
演義の解説書らしきものを発見したんだが
>>242 井波律子、小川環(中国文学全般)、金文京(関索伝が専門?)あたりが有名です。
吉川幸次郎(字あってる?)は演義よりは六朝で中国文学全般。
現在でも三国時代の武将の墓とかって発見されるのか?
孫権の墓とか劉備の墓とかは今でもあるけど
実際に葬られた墓としては朱然の墓
曹家の墓云々ってこないだみたな
曹家とか孔明の子孫ってやっぱ鼻高々って感じなのかな?
んなことはない
ただ、偉くなった奴が「俺の一族の先祖には○○がいたぞ!」とかはいうかも知れない
元で活躍した郭侃が「俺の先祖は郭子義です」なんて言ってるし
>>248 それこそ曹操だな。
「俺の一族の先祖には曹参がいたぞ!」
それは歴とした家系図が一応あるじゃん
逆に南北朝時代の宋の祖、劉裕なんかは「アンタの姓は劉。俺の姓は諸葛。アンタと俺で劉備と諸葛亮になりましょうぜ?」
って言われたのに対して「馬鹿、俺は貧農の子だよ。漢王室とは何の関係もない」って言い切った逸話があって清々しいな
いや曹操んとこも全然歴とした家系図じゃないだろ。
まぁ曹参自体かなりびみょーだよな
漢の血とか孫子とかと比べると
曹参自体は微妙とは思わないが、曹操との関係は全く信用できないし無意味だね。
曹参は前漢の二代目相国にして、相国の称号を最後にもらった偉大な人物だぞ
最後の相国ではないけどね。
孔明の子孫ならそれっぽい人いるじゃん。
書の大家みたいな人。まだご存命かわからんが…
>>255 じゃあ、漢帝国最後の相国は誰なんだよ。言ってみろやゴルァ
董卓
呂禄なんてのもいる
相国は元勲だからこそ与えられた称号じゃ、ぼけぇ
どうやって後漢末の人物が相国になれるんじゃ、ふぉーけぇ
つーかまじでふぉーけぇなのは董卓じゃないのか?
曹操って演義じゃ可哀相だよな。
特に赤壁のあの人殺し事件とか
演義は悪玉の曹操には容赦しないからな
まあそんな曹操も好きだがもうちょっとどうにかならんのか
小説だからな。要は売れれば何を書いてもいいんだろうな
しかしここの住人って何人いるんだ・・orz
二人しかいない気がする
>>266 ノ 最近書きこんでなかったけどずっと見てる
曹操大好きだ!!!!!!!
というわけでもっと盛り上げたいものだ
ageないでひたすらsage進行だもんな
じゃたまにageてみるよ
ついでに話題投下
優秀者揃いの曹・夏侯一族だが、
その中で最もボンクラ野郎は誰だと思う???
俺は夏侯楙に1000目玉
夏侯楙は武将じゃなくて官僚と結びつく商人で十分
曹嵩もそれなりにかしこい人だったのかな
太尉売官・デブい妾と共に惨殺 イメージ悪いけど
ぼんくらだと名前すら残ってない気が……
色々面白い人はいるんだけどね
自分で「魏書」書いたはいいけど陳寿の「魏書」をよんで破り捨てた人とか
夏侯氏はやっぱ準皇族だから、皇族と違って尤も忠勤な血縁として期待されたんだろうか色んな人がいる
逆に一番才能あったのは勿論曹操だよなおまいら!
曹沖
曹クマ
夏侯栄
そうゆうことだな
夏侯楙の弟二人も自分の兄を陥れようとした悪者だよな
>280
曹熊なよ
>>280 惇の息子たちは揃ってどうしようもないな。。。
淵の息子たちはあんなに優秀なのに。・゚・(ノД`)・゚・。
惇は実は曹操の実の姉。
惇の子供は実は曹操との間の子。
近親交配によって駄目な子供が
惇の子孫は爵位のみの継承だけど淵の子孫は晋朝の血統に関わったり
実力があったりして太守・刺史を歴任してるからな。
惇の子孫はどっかで遺伝子に傷が付いたな
元々敦だって、その人柄を慕われた訳で、才能らしい才能は……
息子にも太守レベルの能力があっていいだろ。
妻がよっぽどアレだったか
惇の教育がどうしようもなかったか
韓玄みたいな奴が家庭教師やってたか
なんで韓玄なんだ!?
自分の奥さんを見せびらかした
↓
ろくでもない奴が横恋慕
↓
むりやり襲う
↓
実は惇子ではない
>>290 惇は"見せびらかし未遂"で見せびらかしてないよw
惇は曹操の役に立とうと仕事ばっかしてて
家庭はほったらかしってイメージがある。
ところで>290の最後の行を「惇子」と続けて読んでしまってorz
曹昂って生年は不詳だけど、正史では20歳前後で孝廉に推挙されたと
記されてるから、多分孫策と周瑜や馬超と同年代だろう。
また異母弟の曹丕は187年(186年説あり)生まれだから、その間に、
同母弟の曹鑠が誕生したと思われるが。
随分な亀レスだな
295 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/23 19:19:20
という事は曹丕は三男!?
そうだと思う。
長兄の曹子脩とは10年くらいの年齢差があると思うが。
長男が曹昂で次男が曹鑠そんで三男が曹丕で四男が(ry
ってな流れですかね?そう言えば一番下の息子って誰だっけ?
確か、曹飛をパパって呼んだ逸話がある子じゃないかと
曹……幹?
よく曹丕が曹操の長子という文献が見かけるが、
それは兄二人が早世し、自然に嫡子となったこともあるし、
また、卞皇后の最初の男子ということでそういう感じになったのだろう。
李舜臣「300!!!」
朝鮮義民「世界三大提督の一人!」
朝鮮義民「朝鮮の至宝!」
曹丕って歴史人物の辞書に載るかな?
あまり著名じゃないか・・・
魏の初代皇帝だし(曹操とも言えるが)、隙間があれば乗るんじゃね?
歴史人物の辞書をろくに見たことがないヤツら発見
あれは恐ろしくどうでもいい人物まで網羅してるぞ
っていうか“三曹”って言葉は国語便覧にも載ってるし
曹丕の詩は漢文の問題に出たりするくらいなんだが……
詩人曹丕って、どうしてこんなに軽く見られるのか……
曹操・曹植の影に隠れてるからなぁ……
俺は曹丕の詩好きだけど
なんていうか、曹丕が一番のびのび詩を書いてる気がする
(曹操は軍を鼓舞したり、曹植は自分の保身の為に書いた部分があるから)
曹丕の書く詩って左脳使ってそう
漢詩なんて受験勉強でしか読んだことないけど
漢詩って言っても曹丕にとっては母国語だぞ?
確かに日本語が母国語の人間が漢詩を書こうとしたら左脳を使うことになるだろうが
日本語しかも現在の言語しか知らないお前の感性で捉えてどうするんだ?
だいたい左脳、右脳どっちを使ってるとかってお前いつの時代の人間だよ?
今時はやらねぇよ
おーい
はーい
曹操の身長はどれぐらい?
3日もレスが付いてない・・・
∧Ω∧
/ ・∀・ \ レスがなくても悪の魅力は廃れない
( )
\ /
(__)_) ――それが孟徳クオリティ
>>313 160か・・・・
日本の戦国時代だったら全然小さくないがな。
昔の中国人は170ぐらいあるからなぁ・・・。
ところでそれって正史に書かれているか?
野史にしか書かれていなかった気がするんだが。
具体的な数値については正史にも野史にも書かれていない。
演義で身長七尺(161cm)にされた。
演義かよ!
じゃぁデマかな・・・
いや待て、君主を体格の良いヤツに摩り替えたり、
袁紹にやせていることをからかわれたのは歴史書の記すところだよなぁ?
元ネタはあったのか。
世説新語の容姿編に書かれているらしい。
でも実際細身だったんだろ?
太史慈って腕も長いし背も高いし髭は美しいんだってな。
あっと、ここは曹操スレでした・・・スマソ
322 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 21:57:57
正史は基本的に魏贔屓で書かれてるから、
建国王が、貧相な冴えない容姿でした、とは書けないでしょ。
だから、あえて容姿については触れてないんだろう。
きっとヒトラーみたいな感じだったんじゃないの?
323 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 02:15:35
曹操は美丈夫だったけど、司馬一族がとんでもない容姿だったので
晋王朝に遠慮してかけなかった
袁紹は外面は良いが内面は駄目だって曹操が言ってたような。
お前ら熱く語ってますね。
吉川三国志読むと曹操好きになります。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 22:21:26
漏れは曹操ファンなのだが、炎症は実は、曹操以上に英雄としての資格をもっていたかもしれない。
炎家が完全に滅んだ後も、華北では『今もいいけど、炎家はもっとよかったなぁ』という声がいつまでもあったそうだ。
今に対する愚痴と過去の美化は何処でも誰でもどんな時でもどんな人にもあることだ
>>326 それ出展が献帝関連だから、袁紹にかこつけて、実は漢室を失った愚痴に過ぎないんだ罠・・・
329 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 20:11:41
魏=読売巨人軍
魏=曹操ライオンズ
331 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 20:33:28
魏=レアル
蒼天の曹操と横山の曹操ってよく似ていると思う。
ふだん理性的なのに、突然きれて残酷なことしちゃったり。
すごい智謀の持ち主なのに、ちょこちょこドジふんだり。
そしてなによりとがったひげと鋭い目つきが。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 21:46:53
>332
デーモン小暮閣下も似ている
我輩とも似ておる。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 22:42:16
>334
我輩の犬とも似ておる
我輩のムスコにも(ry
そんなところが好きだ
今更なレスだが
>>176 女の一人もくれてやらんとは、それほど関羽を欲しがってた訳じゃないのか?
曹操が無類の女好きってだけだ
戦争は女を得るためにやると豪語してたしな
チンギス・ハーンも同じようなこと言ってるから覇者ってのは案外皆女が欲しくて戦って夷いるのかもな
そうだな
シャアもララァが欲しくて隕石落としたもんな
女>>>>>>>>関羽
342 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 22:05:52
曹操は三国志では基本的に悪役扱いされ、
それに対し異を唱える者はあるが
自分は、冷徹にして非道な野心家の曹操こそ
曹操の真の魅力だと思うよ
劉備が完全な善人だと思うわけではないが、
曹操の魅力は悪であり、そこから来るたくましさ、強さだと思う
そして同時に、曹操が献帝をないがしろにする行為は
義に反する行為である事はわかりきった事だが
曹操に仕える武将たちには、
曹操こそ新時代の皇帝となるべきと思わせるカリスマ的魅力があったはず
それは必ずしも、仁義や優しさとは一致しない
漢を遵守しようとした荀ケは、晩年疎まれている
劉備は極端に善人繕うから半端な悪や矛盾が際立つ
でも本人は字の通り善人になろうとはしてたっぽいな
っていうか、曹操とかの詩って本当にあるんだ
高校の漢文じゃ杜甫とかしかやらなかった
曹操の詩って結構ひとりよがりだけどな
子供2人の詩の方がいい
1800年も前の詩が残っていることに素直に驚く俺。
国も時代も違うが3000年くらい前の老人のボヤキだって残っている
内容は「近頃の若い者は…」
3000年経っても変わらない人間の本質に心底驚く俺。
>>346 あの剛毅な感じが爽快で好きだけどな
息子ふたりは上手いんだけど、ちよっと技巧過ぎる
俺は曹丕の漢文をセンター対策の問題で読んで感動した覚えがある
元々曹丕好きの俺にとってはたまらんかった
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 14:20:54
曹操も織田信長のような放伐思想でいたのだろう。力ある者は力なき者に代わって当然だという自信と信念。それに目的意識が強い。劉備は綺麗事ばかりで目的意識も薄くブラブラして沢山の百姓を犠牲にした。その方がトップとして責任は重い
>>352 むしろ劉備のほうはつくってる部分が大きいからだろね>綺麗事
本人も曹操いるからその逆しないとだめだって言ってるし。
素と違うことしなきゃいけないからボロが出ると
ってか、何で演義基準ではなしてますか?
355 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 16:10:04
曹操の悪役っぷりも良いけど
正史もおすすめ!
曹操大好きだ
リア厨の頃は、三国志=劉備と仲間達の話ぐらいにしか思わなかったな
曹操に興味が出たのは北方読んでから
夏侯惇とか配下の視点?で曹操を見たら、強烈に引き付けられた
どういう人物だったのか、非常に気になる人だと思った
吉川読み終わったら正史読むわ
無双も借りてみたら楽しかった
曹操の詩を読むのにおすすめの本はある?
あまり訳者や編集者の考察がないものがいい
北方も相当偏ってると思うが
読むなら陳舜臣がいいと思うぞ
原文を辞書引きながら読め
>>352 曹操が放伐思想なら、なんで存命中に皇位に付かなかったんだよ?
曹操が詩の中で「俺は征西将軍にでもなれたら御の字だったのに、巡り巡ってこんなに栄達しちゃったよ」ってのは本心の様に思えるな
彼が良く行動を真似た光武帝も生き残るためには皇帝になるしか方法がなかったように
曹操も、そりゃ劉秀とは違って覇気に燃えていたんだろうけど、まさか漢を乗っ取るとこまでいってしまうとは思わなかったんじゃないか?
そしてそれが歴史の不思議と魅力なんじゃないかと俺は思う
どっかに、曹操が
「わしはこの三十年、やりたい事はやり
欲しいものは全て手に入れた…
この上、皇帝の位を望みなどはせぬ」って
言い残して死んでたなあ
そうなると晩年にジュンイクを疎んで自殺に追いやったてのも嘘っぽいね
荀ケは晩年、いらなかったんだよ
荀ケの件については蒼天の解釈が好きだ
興亡三国志も悪くない
孟徳タン「釜の中身抜いたのは、昔はよく一緒に同じ飯を食ったジャン。もう一緒に食えないのかよ、
もう一度二人で話し合おうよって意味だったのに……ショボーーン」
裴松之が言うには
当時漢は蹂躙され、滅亡寸前にあり
荀ケは、漢を一時的にでも延命させるには
曹操にすがる他はなかったとしている
これにより漢は蹂躙を逃れ、民衆は救われたのだと
ただやはり正史の記述によると
曹操が魏公になり、九錫を授かろうとすると
あくまでも漢への臣下の形を取るべきだと猛反対したらしい
また陳寿の書には、空箱を贈られて自害したとの記述はなく
孫権討伐の遠征に従ったとき、陣中で没したとあるので
空箱を贈られて自害したというのは裴松之が取り上げた諸説の中にあるものかも
もしかしたら、魏公の件で二人がけんかした事はあったかもしれないけど
荀ケの曹操への忠義がなくなったわけではなく、
曹操も荀ケの死は当然悲しんだのかもしれない
空箱を贈った演義ですら、取り返しのつかない事をしたと深く後悔している
でもその後荀攸を見るに本当に反省したのか疑問>演義曹操
「曹沖が死んだのはお前達にとっちゃ良いことだよ」
なんて言った曹操ですが、実際曹沖が生きていたらマジで後継者にしたのだろうか?
俺は違うと思う。曹丕の補佐として曹沖の地位固めをしたのじゃないかと。
明帝、章帝を二代にわたって補佐した劉蒼のポジションに曹沖を添えた方が、いい気がするし
肉親はNo2には絶対向かない。
いや、だから劉蒼が居るって
三国志の前の後漢の時代に
周公旦がいる。
曹操も彼を手本とした・・・
したっけ?
曹操が周公旦の故事を引いたことなんてあったかなぁ?
俺も周公旦みたいに来客があったら食ってる物吐き出しても即座に会おう
それ程に天下に人材を求めているのだよ フゥーハハハァーって感じの詩を残している
あぁ、詩の方か
現存する曹操と曹丕の詩が全部載ってるような詩集って、ないか
有名どころしか読んだことない
曹植は結構あるらしいが、親父と兄貴あんまり載ってなくね?
だって曹植は詩聖だぜ?
しかし改めて凄い親子だ
曹操と曹植はすごいと思うが、曹丕はあまりすごいようには思えない…
もちろん長男が後を継ぐのは当然だが
曹操があえて重用しなかった司馬懿を重用したり
曹植に七歩で詩を作れと無茶な注文を付けたりするところを見ると
あとの印象は、皇位を奪って四十歳で死んだとこくらい
曹丕は趣味で詩を作って曹操や曹植とともに健安の気風と称えられてる
伝説時代にしか行われていなかった禅定を有史上初めて行った
曹丕は次男だよ
司馬懿は曹操に煙たがられてたんじゃなくて司馬懿が曹操を嫌がってたんだよ
それを従わせるのはすごい事じゃないか
あと武芸の達人
急速に膨張した曹操の後を継いで政治的動乱を起こさせなかった手腕も素晴らしい
父親よりも政治的手腕は上だと思う
とりあえずお前はもう少し曹丕を調べ直した方がいい
下手をすると曹操を超える偉材かも知れんぞ
>>379 >>とりあえずお前はもう少し曹丕を調べ直した方がいい
オマエモナー
>>378は演義基準だから言及するに及ばんが、
おぬしの主張も正史の表面を撫でただけに過ぎんぞ。
そもそも曹操の晩年から司馬懿は政治の中枢に板じゃないか。
曹丕の四友(司馬懿や陳群など)は出世コースだったんだよ。
七歩の詩は創作だっつーに
なんだ?最近は演義で話すのがはやってんのか?
司馬懿は曹丕に忠誠心もってたっぽいのにあんまりだ
>>379 ん?
正史の表面をざっと書くだけでも曹丕の凄さがわかると思うんだが
何か間違ってた?
>>382 普通に名君と思うが、曹操を超える偉材とは思えない。
武芸の達人ってーのも典論の自序からだから、自画自賛の可能性大。
歴史を論ずるには資料批判が必要ってコト。
だから下手をすると、と書いたんだけど変かな?
まあ達人は言い過ぎたかも
剣術マニアって事で一つ許して
誰も曹操を超えるなんて思っちゃいないだろうけど、
かなり有能なのは間違いない。性格の悪さも間違いない。
曹操と較べるのはいくら親子でもかわいそうだ。
単独で考えるとかなり優秀
蜀の跡継ぎよりよっぽど優秀
曹操と曹丕じゃ立場が違うだろ
皇帝って縛りが多い立場なんだから
三国志Xで、嬉々として皇帝の位を譲り受ける曹操が
新鮮に見えた
本来なら曹丕がやるイベントなんだが
病死せずに曹操が生きたままその年代になると
司馬懿や王朗とつるんで、曹操が魏の皇帝になるため
曹操「おお、ついに皇帝の座を譲り受ける事となったか」
司馬懿「二回辞退し、三回目に受けるのがよろしいかと思われます」
それと同様に、劉備が皇帝になるときに関羽が生きてると
関羽も祝福の言葉を述べるのも
新鮮に見えた
主な王朝の二代目(正確には三代目だったり、四代目だったりするが)
秦 胡亥 傀儡。酒飲み。馬鹿の語源
前漢 恵帝 ママンに逆らえない困ったちゃん。ロリロリな奥さんとHできなくて無念
後漢 明帝 賢君。臣下の意見もよく聞き、後漢の基礎を固めた。家族仲良好
西晋 武帝 まぁ始祖は司馬昭あたりと思えるので。前半は名君、後半は目標を失い暗君化
東晋 明帝 異民族とのハーフ。天才少年。でも即位三年で死んじゃ意味ねー
前趙 烈宗 名将、名皇帝にならず。晋皇帝を宴会のボーイにするなどのいじめっ子
後趙 太祖 ベストオブキチガイ。支離滅裂な発言、残虐な死刑方、12才の娘を孕ませる。でも滅法強い
前燕 太祖 燕を建国、文武両道。学生の試験に自分も受けちゃう
前秦 高祖 桓温を何とか撃退。内政面に優れる。優秀な弟に先立たれてガックリ
後燕 烈宗 戦には負け、法家が行き過ぎて人心離れるでイイトコ無し
北魏 明元帝 ママンをパパに殺されてショボーンだったが、漢人を重用し、劉裕の洛陽攻撃にも冷静に対処。
劉宋 文帝 元嘉の治と呼ばれる治世を作る。が、武官を粛正しすぎて敵が来たとき「檀将軍ドコー」「オメーが殺したんじゃボケ」
斉 武帝 臣下に実権を握られ、立てた皇太孫は廃されちゃうと死んだ後も散々
陳 武帝 父の配下として各地を転戦、皇帝になった後は倹約。父の代から続く反乱を平らげた。覇業を受け継いだと言える
北斉 文宣帝 父兄に及ばないと言われて最初は奮起、でも結局プレッシャーに負けてアル中で死亡
北周 武帝 自分を擁立した叔父さんを殺し、中央権力を固め、北斉を滅ぼしたところで夭折、残念
隋 煬帝 両親に阿って皇帝になる。派手好き。高句麗に三戦三敗、あとは転落人生。合掌
唐 太宗 稀代の名将。でも煬帝と性質はたいして変わらないかもしんない。史書改竄は問題アリ
後唐 荘宗 唐マニア。天下統一一歩手前で驕り初め、暴走、酒乱→悪政→部下に殺されるの黄金コンボ発動
後周 世宗 五代一の名君。世界最強のマスオさん
明 永楽帝 三代目ハァ?俺は二代目だっつの!俺が二代目ったら二代目なんだよ!滅十族すんぞゴラァ!
まぁ、曹丕は名君でしょ。酒乱じゃないしw後半堕落もしなかった(その前に寿命がきたのか)
あんまし詳しくないんだが、流石に唐宗の評価はどないやねんって希ガス。
ソウヒもソウエイも死ぬのが早すぎたな
一説によると、後漢後期の皇帝はほとんど四十歳かそれより前に早死にするという
ジンクスがあったらしい
劉協がソウヒに皇帝の座を譲ったのは
そのジンクスから逃れるためという説もあり
ソウヒは実際39歳、ソウエイは35歳で死に
劉協は長生きしている
そもそもマトモに成人して皇帝に就いた奴が1、2、3代のみじゃ>後漢
たしか生後何ヶ月かで即位、すぐ崩御という人もいた気がする
>>393 五代目皇帝殤帝ですね
生後百余日にして即位、在位八ヶ月で崩御
それから七代少帝
在位二百余日。生まれはハッキリしていない
さらに九代冲帝
二歳で即位、在位六ヶ月にして病死
続いて十代質帝
八歳で即位、在位1年半で毒殺
だめだ……後漢
豪族の寄り合い所帯な上に皇帝の威厳が軽いからな
そりゃあどんどんダメになっていくよな
後漢ほど皇帝の資質を問われる王朝はないってか?
だから魏は反面教師として九品官の制度を施行し、組織を造ろうとしたのかもな
魏〜隋にかけての歴史は中国王朝の組織制度の試行錯誤と完成への歴史かも知れん
三国時代で中国の古代は終わりってのも結構趣深いな
今さらだが、孫子とか詩とか読むと「本当にいたんだ」的感動を覚える
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 02:29:06
>>391 しかし劉協が長生きできて幸せだったかどうかを考えると微妙だな…
生きていれば何かいいことあるさ
>>401 やってみた
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/10(火) 00:44:19
ナポレオン・ボナパルトの前世が曹操だっていうのを
人づてに聞いたことある
実際、ナポレオンの特徴調べてみると、
曹操の業績と非常によく似てるから驚いた
曹操は皇帝になってないし島流しにもなってないけど?
同じチビだからってそんな珍説!
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 22:58:09
ナポレオン?遠島出身の砲兵が曹操と?
けっきょく官渡の戦いでの曹操軍の兵数はいくらぐらいなんだっけ?
>>403 それは間違い。
カダに治療されなくて曹操は死んだとなってるが、
実は完治して西に行き、ナポレオン・ボナパルトになった、
というのが正しい。
アレクサンドロス大王が実は始皇帝だってお前ら知ってる?
あれ?
始皇帝は確か、バクトリアの王であったディオトドス一世の
もろこしでの称号じゃなかったっけ?
つまり、始皇はギリシア系か?