たまには諸葛亮のことをけなしてみよう

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475無名武将@お腹せっぷく
劉玄徳様へ

 秋も深まり、紅葉が美しい季節になりました。荊州はさぞかしお寒いでしょうが、お体の方は大丈夫ですか?江南は暖かくてすごしやすいです。
 ところで今天下の情勢を察するに官渡以降、かの曹操はますます力を増し、その勢いはとどまるところを知りません。我が殿は魯子敬の天下二分の計に従い、国力を蓄えていますが、このままでは曹操を倒すのは厳しくなって居るように思われます。
そこで会議の結果、天下二分は諦め、天下三分とし、とりあえず曹操に天下を取らせないことを目標に残り二勢力間である種の協力体制を取って行こうと言うことに決まりました。
 そこで、我々は貴公の徳と才を見込んで、もう一勢力の指揮を執って貰いたいと思います。かの劉景升は名君なれど乱世においては甚だ無能でありとても曹操には対抗できますまい。そこで貴公にとって代わって貰いたいものと存じ上げます。
その際我々は如何なる援助も惜しまないつもりです。
どうでしょうか、玄徳様だって何時までも髀肉を蓄えてそれに甘んじるような人物ではありますまい。

 なお、この契約には一つ条件がございます。まことに恥ずかしいことのですが、私には元服して6,7年にもなるのに未だに仕官していない出来の悪い弟がございます。名を亮、字を孔明と申す物ですがいつも悪友どもと机上の空論を繰り広げては無駄に日々を過ごしております。
兄として非常に見ていて苦しい上に周りにも「伏龍」などと揶揄されていて諸葛家の恥さらしなのですが、出来れば彼を臣下に加えていただけないものでしょうか、そちらに弟が居りますと相互連絡も取りやすくてよろしいのではないでしょうか。

 どうぞお考えになってください。お返事お待ちしております。

                                                             諸葛謹
476無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 00:17:44
>>475
名文だ!
477無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 01:19:23
>>475
弟想いの驢馬イイ
劉備は荊州奪ろうと思ったけど孔明を臣下にしたくないと逡巡してるうちに
乗っ取りのタイミングを逃してしまったわけですね
478無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 01:53:28
で、迷った挙句、孔明を臣下に迎えたと・・・。
でもそれが大きなミステイク
479無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 03:11:48
>>475
諸葛瑾いいヤツだな!
それでしぶしぶ孔明ん家行ったら二度も留守だったわけか
孔明はダメだな
480無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 06:32:07
引き篭もりがいきなり初対面の人と合うのは抵抗あるからな。
二度ほど心の準備が必要だったんだろう。
481無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 08:15:17
反日チョンうぜーよ!
482無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 12:18:15
驢馬なしの亮だったら、こんなに高い評価も残らなかったかも。
483魏延の中の人:05/02/02 21:20:18
>>475
自分の名前の字を間違えるとは流石孔明の兄弟(藁
484無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 22:17:12
謹んで申し上げますとかけてんだよ
485無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 22:41:24
そんな事も分からないようじゃまだまだ素人だな
孔明の事笑えないぞ
486無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 23:07:34
>>482
成る程。結局の所世の中コネというわけですか。

…中国のことわざの『三人よれば諸葛の知恵」って
瑾のことなんだね。
487魏延の中の人:05/02/02 23:11:43
>>484-485
正直すまんかった
488無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 23:16:11
つか、いじめっこチャンピオンシップにおいては
曹丕と孫権は双璧の二強だから孔明はどっちの分野でも半端者
489無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 23:18:17
いやあれは三人の「臭皮匠」、つまりボロ靴屋
まぁ昔じゃ字も読めない層だな

だから亮でいいの、靴屋三人分
490無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 00:33:26
魏延かわいそうだ。
何の根拠も無くジングスで不当に悪口言われ、
何もしてないのに殺されかけられるし。
あれだけイジメられてれば裏切りもするよ。

塚、魏延の主君は諸葛亮じゃないし。
そもそも諸葛亮は魏延より位が上だし。
491無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 00:58:21
無能は人間ほと能力のある人間を妬む傾向にあるからなあ。
孔明はその典型的な例
劉備配下の優秀な人材はことごとく孔明によって粛清された分けだしなw
492諸葛孔明:05/02/03 01:01:11
国家に忠誠 叫ぶ僕 国民年金 滞納中
企業の倒産 喜ぶ僕は 就職活動 不戦敗
イラク人質 叩いた僕は 自分で自分を 監禁中
マスコミ嫌いな 僕の口癖 新聞ネタも 俺調べ
日本の伝統 褒めてる僕に 今では来ない 年賀状
韓国けなす 僕の自慢は 日本国籍 保有それだけ 
親戚うざいと 言ってる僕は 未だに要求 お年玉
市民活動 嫌いな僕は ネットで 思想の言論活動
日本の過去を 賛美する僕 自分の現在 ほぼ終わり
弱肉強食 説いてる僕は 何をやっても いつも負け
個人主義とか 叫ぶ僕 一人で出来る ことは自慰だけ
女をくさす 僕に今まで まともに彼女 いたことなし
板の自治 好きな僕 生徒会とか 町内会は 参加せず
左翼を叩く 僕にとっては 社会の助け もっとも必要
集団主義を 説いてる僕は 体育の時間じゃ いつもカス
主婦を攻撃 している僕は 家事手伝わない パラサイト
高卒けなす 僕の年収 納税額 彼らに比べて 低すぎる
ボランティア 見下す僕と 付き合うことは ボランティア
他人に説教 している僕は 自動車教習 一回怒られ 不登校
靖国神社 参拝する僕 クリスマス 元旦 空白スケジュール
ネットじゃ強気で 威張る僕 面接とかでは いつもオドオド
同人女が 嫌いな僕は ネットでブログで チャットも大好き
暴走族とは 違う僕 働きもせず ネットで日の丸 振り回し
公務員 リストラしろと 要求する僕 親が相談 それは保健所
氏ねとか言ってる 僕には聞こえる 家族みんなの 同じ台詞が
田舎が嫌いと 言う僕は うわさ話や 足を引っ張る ことが大好き
少年犯罪 厳罰要求 している僕は ウィニーやって ゲームコピー
女子高生の 援助交際 むかつく僕は エロゲー内で 幼女をレイプ
銀行員の 給料下げろと 言ってる僕は 借りたものとか 返してない
電車のケータイ にらむ僕 老人いても 席を譲らず ずっと寝たふり
障害者 嫌いな僕は 人生の 障害物走 いきなりこけて 以来そのまま
日本の技術 誇りにする僕 単純作業の バイトですらも まともにできず
493無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 01:04:57
ギエンも可哀想にな。
劉備には高く評価され、張飛よりも厚遇されてたのに
諸葛亮の「人相占い」で叛骨扱いされてあの末路。ナム(-∧-;)
494無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 01:10:55
魏延って実際会ってみたらたいしたことなかったよ。
495無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 02:17:30
>>493
演義の話しで孔明をけなすのは300レス前くらいに通過してるので他の方法でけなそう
496無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 02:41:26
孔明みたいな屁理屈言っちゃだめ!ってママから言われなかった?
497無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 02:44:01
孔明のような立派な人間になりなさい!って言われましたが何か?
498無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 02:47:43
キミのママは簡単に騙されそうだから気をつけて!
499無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 02:57:09
>>497
劉禅ハケーン!!
500無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 06:05:26
>>491
……?
501無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 15:06:42
実は劉禅は劉備にこっそりと『とても適わないと思ったら、暗愚の振る舞いをしていい。
もし丞相の独裁に反抗できる力が備えれば、彼をやつけて権力をとってもいい』って
言われたかもしれない。

502無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 15:51:04
劉禅の馬鹿の振り、実は孔明の目をごまかすためだったんだね
503無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 18:04:28
優秀だと消されるかもしれないもんな。
504無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 01:05:39
孔明はめでたいよなぁ。
赤壁で呉の主流が非戦論を訴えたのは
孔明が開戦を主張する事を見越して、敗戦の場合の責任を取らせて
呉の体面を保つための生贄にするためだったなんて
孔明はまんまと気付かず悦に入ってる抜け作君なんだもんなぁ。
505無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 03:39:08
流れ豚切りスマソ。
>>1のままで、劉備がやってこなかったら、一生ニートのままでいる気だったのかな?
それとも、遅い就職活動始めたのかのう。
弟も働く気はなかったのか?

マンセー派は良く「清流派の系譜を引く名士…云々」みたいな事言うけど、
清流系の名士の見本って荀ケ・鐘ヨウ・張昭、変化球で孔融、自立が袁紹・劉表
とかでないかと思うんだが。
それなりに理想と現実の折り合いや葛藤なんかが見えるけど、孔明ってあんまりそういうのが
読み取れない…。

あとやっぱ、早いうちから社会にでないと対人関係の基本が身に付かないような希ガス。


506無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 18:15:11
赤壁

諸葛亮「さて、そろそろ十万本の矢を頂きに行きましょうか」

兵士「曹操様、諸葛亮の船団です!」
曹操「血迷ったか孔明。矢だ、矢を放て!」
兵士「御意!」
曹操「・・・・待て。」
兵士「はい?」
曹操「火矢にしよう。」

この後、何が起きたのか、歴史は沈黙している……
 ただ、それから諸葛亮の姿を見たものはいないという……
507無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 18:42:27
禰衡の使い道(黄祖に切らせて大義名文)を進言したの誰だっけ?
孔明にはああいうクリーンヒットが思い当たらない
508魏延の中の人:05/02/04 21:25:35
孔明の才能は曹爽に1.5倍すw
509無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 23:05:53
孔明は「俺がちょっとでも何かをすれば天下が動くぜ!」
「適当に大臣クラスになってみんなに注目されてやる」と考えるやつ…とも思える
510無名武将@お腹せっぷく:05/02/04 23:58:58
劉禅と小泉総理の違いが分からない。
511無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 00:11:26
稀代の名君劉禅たんを子鼠ごときと比較するとは
512無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 00:15:31
孔明と小泉の方が近い気がする
壮大な理想をぶち上げて中途半端なところとか独裁的なところとか
20代後半まで無職なところとか

個人的なイメージなんで突っ込まないでくれ
513無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 00:27:43
孔明ほど最初から的外ししている軍師も珍しい
天下3分の計以外の計略はほぼ外しているではないか
今はリアルで時間無いから説明は後日
514無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 00:32:04
天下三分の計が成功してると>>513が勘違いしている件について
515無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 00:47:42
関羽が暴走するまでは成功していたんじゃね?
516無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 01:34:16
そんなこと言い出したら
「伏兵がばれるまでは俺の十面埋伏は成功してたぞ」とか言う話に
517無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 01:35:02
曹操に荊州北部奪られた時点で失敗でしょ
518無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 02:02:49
成功云々以前にその発想自体間違ってる気もするが。
519無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 05:31:49
忠臣っぷりから見ても荀ケのが上
520無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 07:04:36
荀ケのような完璧なお方と比べないでください
521無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 09:48:30
孔明って出来もしないくせに大言壮語吐きまくりだな
堅実に今やれることをコツコツと実行していった荀ケとは大違いだ
522魏延の中の人:05/02/05 14:45:48
>>519-520
荀ケと孔明を比較するなど月と提灯を比較するようなものだ(藁)
良いスレ発見
524無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 15:09:35
荀ケってそんな凄いか?
奴のしたことって、仕えるべき人物を見抜き、有能な人材を沢山推挙し、
見事な戦略眼で度々曹操の危機を救ったことぐらい。
結果的に万民を救い漢王朝の寿命を20年以上も伸ばしただけじゃん。

それに比べ孔明のしたことは自称皇族に仕え、人を見る目がなく己の意のままに従う人材ばかりを推挙し
大風呂敷ばかり広げて無駄な戦争を繰り返した。
結果的に無意味に民を苦しめ漢王朝に対して何もしなかった。

比べれば差は歴然。
525無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 15:28:49
結果的に有意義な侵略戦争なんてかつてあったか?
526無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 15:30:33
有意義ってのが誰にとってどういう風に有意義かを規定するかによる
527無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 15:39:38
侵略戦争の定義が不明だが、
「結果的に有意義な侵略戦争」=攻め込んだ側に利益をもたらした戦争であると仮定すると、
その答えは「時と状況により様々であるが、多々存在する」という答えになるな。
バビロニア、ローマ、モンゴル等、いくらでも挙げられると思うぞ。
528無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 16:34:00
そろそろけなすのもネタ切れかな、と思ってたが
なるほど他の人を褒めつつときどき思い出したように孔明をけなしてやれば
まだまだネタは尽きないわけか
OKOK

賈詡は絶妙のタイミングで曹操にくだったから
最期まで無意味な抵抗を繰り返してた孔明より上
529無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 18:56:53
というか比較するのも失礼かと
530魏延の中の人:05/02/06 00:09:32
孔明は野菜が嫌い
531無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 00:13:42
諸葛匹夫、何者ぞ
532無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 00:46:54
正直、諸葛亮史上最高の策は魏延殺し(正史)ではないかと思った。
533無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 00:52:17
書庫の管理という発想が良く分からない。
検索して落として開いて読んで削除すればいいだけだし。
534無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 01:06:23
535無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 03:20:43
馬謖殺しも捨てがたいな
536無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 04:15:08
諸葛亮の人物眼の無さは素晴しいな。
自分好みの書生を集めてイイコイイコしてるだけw
537無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 11:55:04
劉備殺しも良いな
538無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 12:35:16
無益な戦争を繰り返したため、諸郡から集める人員や物資が欠如しまくったって話は秘密。
南蛮征伐も諸葛亮&馬謖の馬鹿師弟は机上論ばっかりで、張ギの方が具体的な記述が
やたらに多くて説得力があるのも秘密。
539無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 12:41:57
同じようなけなしネタばかりでツマラソ
540無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 12:46:25
>>539
つまり、叩くならそこら辺しか無い という事だな
541無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 14:15:23
だいたい顔が不細工だ
542魏延の中の人:05/02/06 14:28:37
性格がいじけている。
自分だけが優秀だと思い込み他人を信用せず、個人プレーに走り過ぎ。
度量が狭い。
543無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 14:29:53
>>541 馬鹿かお前
       見たことあんのかよ
544魏延の中の人:05/02/06 14:51:09
>>543
馬鹿とか言わないでやってくれ。
>>541の素晴らしい想像力を寧ろ誉めてやって欲しい。
545無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 14:56:04
諸葛亮は内政だけやってりゃいいんだよ。
こいつ戦争弱すぎ。
546魏延の中の人:05/02/06 14:58:54
>>545
勘違いしてテレビに出てしまい不興を買ってしまう放送作家みたい
なもんんだな(藁)
547無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 15:04:57
龐統が流矢に当たって死んだのも孔明の策略
548無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 17:23:01
関羽が死んだのも結果的に孔明のせい。
張飛が死んだのも関羽が死んだからでつまり孔明のせい。
趙雲が死んだのも孔明がこき使ったせい。
馬超が死んだのも黄忠が死んだのも無名の帥を起こした孔明のせい。

五虎将軍は全て孔明に殺された。
549無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 18:40:28
魔王 孔明ってやつだね。
550無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 18:54:44
神曹操伝きたー
551無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 21:03:50
欠点も魅力ってタイプの人間ではないよなあ。
戦下手ってかなーり致命的。
成績の悪い子を努力と真面目さで内申点上げてるって評価に近いと思うぞ。
552無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:30:40
そういえば諸葛亮は政治の天才みたいにいわれるけど実際そんなに凄かったのか?
蜀科だって一人で作ったわけじゃないし・・・
553無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:32:39
ビ竺の方が名臣で忠臣さ
554無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:42:51
>>551
孔明は戦うまいし行政手腕は天才的だよ
555無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:53:08
よ〜するに批判の骨子は
諸葛亮の能力の10倍困難な蜀による統一を
成し遂げられなかったから糞ということなんだろ。






糞はお前らだヽ(´∀`)9 ビシ!!
556無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:58:21
自分の能力の10倍困難なことをあえてやろうとした諸葛亮ってよっぽど自信過剰か天下の情勢を見る目が無いんだね
557無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 00:10:42
ニート君ですから
558無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 00:56:06
>>545
政策もどうかと思うぞ・・・・
明らかに無理に魏を攻めるより南征して植民地拡大したほうが・・・・
559無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 00:57:36
刑罰は絶対自分が立ち会ったらしいね
相当なサドだったようだ
560無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 00:59:02
>>551
「ったく、しょうがねえなあ。俺が助けてやんないと(笑)」←とか言いながら楽しんでいる。
周りにそんな気持ちを起こさせないタイプだな。
561無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 01:09:20
清廉潔白高潔って評価高いけど、それでいっぱいいっぱいってイメージ。
そういうのは他に取柄がない奴か、他のこともこなしてさらっと付加価値でないとな。
陳羣みたいなのは別として。

陳羣とタッグ組んだら手におえなさそう。恐怖の清潔国家が誕生しそう。
562無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 01:33:34
>>561
しょうがないじゃん。そこしか褒めるところないんだから。

街亭の件は馬謖が自らスケープゴートを買って出たという説もあるが、
俺は諸葛亮がスケープゴートにしたと思う。
そもそも先鋒が敗れる→即撤退って話も変。魏延の策を危険だと判断して退けたのに
一回負けたら終わりの戦略を自分がとっているんじゃ意味がない。
563無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 02:05:27
>>562は痛いな
564無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 02:10:48
>>561
清廉潔白でもないと思う
劉封の件はよく出されるけど廖立なんかも
自分の都合で処分してるようにしか思えない
565無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 02:14:01
つかさ、あんま詳しくスレ読んでないから憶測だが、ここのコテの魏延の中の人って孔明好きなんじゃないの?
なんかそんな気がした。
566無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 04:51:06
つか、空気読めない妄信的ヲタが勘違いしてるだけ
567無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 09:38:56
馬謖に関しては説もなにも蜀書にしっかりと
「馬謖は逃げたが捕まった」と書かれてるんで異説がわく筈もない
>>562が自分で考えた馬謖スケープゴート買って出た説は普通に正史読んだら出るわけもなく

つーか馬謖は逃げなかったら降格程度で済んだかも知れないな
568無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 12:52:48
俺が拾ったデスノートをよく読み返してみたら
諸葛亮の名前が書いてあったから
孔明は身近な誰かに暗殺されたんだな。
これが真実  m9(・∀・)ビシッ!!
569無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 13:28:53
そもそもほうとうが出した蜀獲りの三つの策のうち劉備が上の策をとらなかった時点で天下三分も、劉備の天下も消えたわけでしょ。
しかも権力握ったころにはすでに天下はこのまま三つの国に分かれたままでいいや的な流れになってたのにむりやり戦起こして
蜀だけでなく魏の民も苦しめた。この点で亮は黄皓にも劣るかもね

570無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 13:54:47
>>569は痛いな
571無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 14:24:10
>>561
実は孔明が清廉潔白じゃなければ、
蜀の民や官僚たちはとっくに暴動に走っていたに違いない。

中国禅宗の有名な公案なんだけど、
ある皇帝が一人の和尚と一緒に長江を眺めていたが、
和尚に『川を往来している船の数はいくら』って聴いたら、和尚が
『ただ二艘、名と利だ』と答えた。

つまり人間は『名声』か、『利益』かどちらかを求める。
孔明も或いは単なる『利益』(個人の物欲)を捨てて、
『名声』(独裁の権力)を求めているだけかもしれない。
572無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 16:19:11
馬超が長安進出したときに、劉備は荊州から北上すりゃよかったんじゃないのか?
573無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 16:34:26
できるかボケ
574無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 16:43:26
俺なら新野に踏みとどまって曹軍削りまくって
相手が弱ったところで洛陽に突撃かましてたけどな。
575無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 16:57:40
>>572
孔明が反対して出来なかった
576無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 17:21:28
>>574
ゲームのやりすぎ。

>>575
孫権との関係とやはり底力の違いを配慮してか。
577無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 17:24:00
>>576
明らかなネタレスにマジレス
578無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 18:40:13
でもあのころの洛陽ってもう都じゃないんだろ。落とす価値あんまないような。
579無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 20:04:16
落とすなら許晶だろ
580無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 20:21:22
なにいってんの?北京にきまってんじゃん
581無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 20:48:41
桃園だろが
582無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:27:10
ばーか、南蛮だよ
583無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:40:16
いい加減に理解しろよ、天竺だろが
584無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:41:39
ギリシャを攻めずにどこ攻める
585無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 23:44:25
オーストラリア
586魏延の中の人:05/02/07 23:51:44
>>565
嫌いだよ。あんなブス(藁)
587無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 12:57:14
幼稚な男って好きな女の子いじめるじゃん

余計嫌われるとも知らずに……( ´,_ゝ`)
588無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 16:26:39
なんで信者はこんなに必死なんですか( ´,_ゝ`)
589無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 18:35:53
孔明様をけなすやつは非国民
590無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 18:59:34
>>589
どこの国の人ですか?
591無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 21:06:28
魏延の中の人って、
趙雲スレで、魏延をさんざん貶しながら趙雲マンセーしてたよね。
キモかったーw
592魏延の中の人:05/02/08 22:44:19
>>591
してねえよ!ボケ!
593無名武将@お腹せっぷく:05/02/08 23:45:19
ファッションセンスは悪いと思います。
周瑜や荀ケのほうがセンスは上だと思います。
594魏延の中の人:05/02/08 23:57:23
孔明には女装趣味があり、司馬懿にも勧めたがあっさり拒絶されたらしい。
595無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 00:00:43
きっと、それがショックで病気になったんだね
596無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 01:00:13
これはまた素敵なオナニースレですね
597無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 01:01:35
諸葛亮








アッー!
598無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 11:13:16
孔明って度重なる軍事行動で国を疲弊させただけでしょ
曹丕と孫権と同程度の軍事能力しかなかったんだろうな
599無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 11:22:30
冗談じゃない。丕と権より較べ物にならないくらい下だよ亮は。
600無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 11:29:06
いいや机上では優れた指揮官だろ、
だから、実戦関係なしに語るだけの名士サロンで評価されてたけど
実戦では刻一刻と変化する状況についていけないくそ指揮官だったってことだよ
所詮語るだけの今の学者と同じ
601無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 12:00:45
趙括と同程度の人物か
臆病な分、孔明の方が救いがあったが
602無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 20:54:42
孔明はリュウビの入蜀のときに一方面軍を指揮してたと思うが
名指揮官だったかどうかはしらね
603無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:07:57
諸葛亮が全土を統一していたら今の下品な中国はなかっただろうに
604無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 22:45:00
日朝戦見て思ったけど、格下との対戦はどれだけ大変なのかと。
司馬懿は常に勝って当たり前で孔明は勝ったら儲けもの、なわけで。
やっぱ司馬懿は偉大過ぎるな。
孔明は司馬懿と語ってもらえるだけ幸せな奴だ。
605無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 23:39:15
シバイは過小評価されてるからな
606無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 23:42:42
司馬の八達や馬氏の五常は孔明のせいでろくでもない目にばかり遭う。
607無名武将@お腹せっぷく:05/02/09 23:49:16
>>605
さえない図書館員がどうかしたのか?
608無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 00:02:18
てかシバイって誰?小説家の名前パクった人?
609無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 01:04:33
むむむ
610無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 10:43:04
まだあった
611魏延の中の人:05/02/10 22:37:03
軍事費の拡大で財政を逼迫させ、無益な戦役に人民を駆り立てた
偉大なる政治家諸葛亮萎え〜
奴はどの面さげてあの世で劉備様に再会したのだろう?
612無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:54:00
さすがにけなすネタが尽きたようだな
つーか途中から既出ネタ繰り返して貼ってるだけだったしな
やっぱり諸葛孔明大先生を馬鹿にすることなど誰にもできないのだ
613無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 20:56:20
叩く側も張飛並の知力しかないしな。
614無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 21:39:56
武力は魏延並だし
615無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 22:05:21
>諸葛孔明大先生
>諸葛孔明大先生
>諸葛孔明大先生
>諸葛孔明大先生

大爆笑wwwwwwwwwwwwwww
616無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 22:06:48
>>615
人間的魅力は韓玄並だし
617無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 22:19:45
>>612
燃料投下乙
618無名武将@お腹せっぷく:05/02/11 23:48:50
>>616
韓玄の人間的魅力は孔明以上ですよ。舐めんな
619魏延の中の人:05/02/12 08:39:26
諸葛亮は民を恐喝し、権力を濫用し蜀の者で彼を恐れない者は魏延以外には
いなかった。
連年のように兵を動かしながら勝てなかったのは、孔明の能力・人間性に
問題があったからといしかいいようがない。
(民明書房刊 陳々寿著「行列の出来る丞相府」より)
620無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 10:12:02
慎重なくせに戦争大好き
ブス専で馬にも乗れない
621無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:40:24
諸葛亮が劉関張のホモ関係に割って入ったのは勇気ある戦いだった。
622無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 14:17:30
>>620
デブだったんだからしょうがないだろ
623無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 14:25:06
対姜維戦でボコボコにされたとき馬に乗って必死に逃げてたな。
624無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 14:33:42
ああ、デブで短足だったから馬に乗れなかったんだよな
625無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 14:42:24
>>624
短足は孫権
626無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 14:46:59
チビ→曹操
デブ→劉備
短足→孫権
??→諸葛亮
627無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:04:07
はげ?
628無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:06:22
ガリ勉
629無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:09:22
のび太
「月英〜道具作ってよ〜」
630無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:14:50
チビ→曹操
デブ→劉備
短足→孫権
(-_-)→諸葛亮
631無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:27:09
孔明先生が長身イメメソだったことも知らない
もぐりが大量発生しているスレはここですか?
632無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 15:28:27
無双厨を装ったアンチ孔明の司馬懿ファン(ややこしいな・・・)乙
633魏延の中の人:05/02/12 15:50:46
孔明は逆上がり出来なかったらしい
634孟達の中の人:05/02/12 15:58:53
孔明は「ネコ踏んじゃった」だけが弾けなかったらしい
635魏延の中の人:05/02/12 16:03:20
孔明は牛乳が飲めなかったらしい
636曹植 ◆nuwPGOWwK2 :05/02/12 16:07:42
トリップワカンナイ
ていうか俺より孔明は不細工
637無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 16:37:09
魏延の中の人
    ↑
コイツあほだなw小学生かよ
638無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 17:20:15
孔明はサンタを信じていた。
トナカイも信じていた。
639魏延の中の人:05/02/12 17:48:19
>>637
アホだけど小学生ではありません。
大学出てますが何か?

>>638
毎年孔明の靴下にプレゼントを入れてやったワシ乙(藁)
640無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:00:49
孔明って戦に負けてばかりの田舎の政治家だろ
641無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:04:18
孔明のお気に入りは
楊儀、馬ショク、姜維の3馬鹿
642魏延の中の人:05/02/12 18:10:19
孔明の実像に一番近いのは「蒼天航路」の孔明
643無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:22:29
第一次北伐 大失敗
第二次北伐 大失敗
第三次北伐 魏のとって全く戦略的価値のない2群を攻略
第四次北伐 大失敗
第五次北伐 大失敗

臨機応変の軍略は得意じゃないもん
644無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:25:44
孔明の実像に一番近いのはsweet三国志の孔明
645無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:27:37
たまには諸葛亮のことを褒めてみよう

背が高い
646魏延の中の人:05/02/12 18:29:32
孔明が迷惑をかけた人

馬謖(無茶な抜擢されたあげく死刑)
李厳(無茶な軍事行動につきあわされた挙句敗戦の責任を
なすりつけられて失職)
劉禅(天下三分の計の駄作ぶりの責任をなすりつけられて
後世アホ扱い)
ワシ(臆病者という率直な批判をしたばかりに羅貫中に無茶苦茶な
扱いを受ける)

647無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:32:10
演義の話で孔明けなしてどうすんの?
648無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:32:24
>>645
うんこがでかい
649無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:33:51
孔明先生をいじめるな
650無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:35:15
チビ→曹操
デブ→劉備
短足→孫権
臨機応変の軍略が得意じゃない→諸葛亮
651魏延の中の人:05/02/12 18:39:57
遠回しに主君を莫迦にしている「出師の表」
652無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 19:09:03
孔明は、危ないから心配して魏延のこと止めてたんだよ。
なのに、自分の手柄に焦るあまり「臆病だ」などと恨みがましく思われては
孔明もいい気しなかっただろうな。
楊儀との対立を見てても、やっぱり魏延はちょっとダメな子に思えたんだろう。
653無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 19:12:26
スレ違い
654無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 19:15:53
たまには諸葛亮のことを憐れんでみよう。
655無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 20:10:03
>>646
関羽、張飛(劉備と閨を共にできなくなった)
ホウ統(諸葛亮が頼りにならないので仕方がなく蜀攻めに随行するも死亡)
諸葛キン(出来の悪い弟の尻拭いばっかり)
劉封(無茶苦茶な口実で死刑)
趙雲(第一次北伐はおとりだから負けて当前なのに位を下げられる)
法正にボコられた人たち(諸葛亮が法正の暴走を見逃した)
蝋燭(迷信のため変な使われ方をしたあげく意味なしに終わる)
656無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 20:19:04
>>654
嫁がブサイクでかわいそう
657魏延の中の人:05/02/12 21:32:07
>>654
戦争が下手で可哀想(藁)
658無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 21:37:39
>>650
この時代短足は騎乗時に安定するのでいい意味です
659無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 23:43:12
>>654
あなたに趙雲並の武力があれば・・・
660無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 00:22:39
>>656
まあ、美人は三日で飽きるっていう人もいるし…。
ブス専だったのかも知れないし…。

それでも憐れんでしまうな。  
661無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 00:55:46
お前らも出世のためなら手段を選ばない孔明を見習え
662無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 02:58:54
>>657
某三国志やおい小説でホウ統に監禁された亮の口に
あなたがちんこ突っ込んでいる件について。
>>662
お前そんなもの見ているのかよ…
664無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 04:38:05
名前欄訂正。
665魏延の中の人:05/02/13 19:51:38
諸葛亮は魏で喩えれば、華キン・王朗といったところか?
666無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 19:58:33
魏でいえば徐庶クラス
667無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 20:45:12
>>663-664
匿名掲示板のデフォルト名無しだから名前欄は空欄でいいんだぞm9(^Д^)プギャーーーッ
668魏延の中の人:05/02/13 20:53:16
孔明は法正を暗殺したのではないだろうか?
669無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 20:57:41
>>665-666
けなしスレなのに誉めてどうする。
670無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 20:59:59
呉で言えば諸葛亮は張昭だろうな
内政官といういみで
北伐は張昭がやったと考えれば失敗したのもうなずけるしね
671無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:09:39
劉備すら孔明が殺してるんじゃないか
白帝城で死ぬってのも胡散臭い物がある
実際劉備が死ねば自分の独裁体制が気づけるわけだし
あのまま生かしといたらそのまま呉との抗争が続いた可能性は高い
劉備の毒殺。孔明なら十分に考えられる


672無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:16:37
『三国志』でここまでけなすことができる人物も珍しいですねw
673無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:20:14
張飛の訳の分からん死に方には100%諸葛亮がやってるだろ
ロクでもない部下をつけて張飛を暗殺
張飛程の武将があんな死に方するなんて不自然すぎ
あれは暗殺だったとすれば説明がつく
そもそも蜀は不自然な死に方をする武将が多すぎ
それも全て諸葛亮の権力が増大するほうに作用している
出世の為に同僚を謀略によって殺していった
コレが諸葛亮の真実
674無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:22:00
>>671
国を奪え云々は、趙高よろしく捏造したと推測。
675無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:26:13
>>674
白帝城は諸葛亮の謀略の館だったんだろ
劉備死後の自身の権力を確実にする為
何でも捏造しただろ
大体、戦に負けたショックで死ぬか?
白帝城で諸葛亮が毒殺したんだろ
劉備が生きてたら呉と和睦できないから
676魏延の中の人:05/02/13 22:07:11
>>670
張昭に失礼だ。
張昭の前で同じこと言ってみな。
「黙らっしゃい!」って怒られるぞ(藁)
677無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:25:52
>>670
張昭:公孫淵の時に面を冒して諫言連発。孫権が刀を掴んでも全く動ぜず。
諸葛亮:夷稜の時に全く意見を出さず。終わったら愚痴るだけ。
678無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:35:49
賢臣は主により心を変え、主の御心に沿い主の人格を満足させるもの。
奸臣は二心を持たず、真心から直言を吐き、主を不快にさせるもの。
679無名武将@お腹せっぷく :05/02/13 22:39:54
やっとで全部読んだ〜
ゲームネタがないね、100を最高にすると 孔明君の能力値どうよ?
統率 武力 知力 政治 魅力 だとさ?
50 10 80 90 80 くらい?
三国志]では 93 37 100 98 92 だってさ高すぎw
680無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:41:04
イリョウの時点ではまだ文官その一に過ぎなかった諸葛量が、
軍事面にあれこれ口出しできたと考えるほうがおかしい。
昔の人間って感情のコントロールが下手糞だったそうだから、
敗戦のショックで死ぬのも別におかしかぁないよ。
なんでも諸葛量の責任に結び付けようとするからそんな珍論をぶつことになると知るがいい。
681679:05/02/13 22:42:16
ちなみに、孔明好きだったけど、このスレ見て嫌いになった
682魏延の中の人:05/02/13 22:43:15
ハイ少子は「張昭は孫権の器の無さを看過し、戦乱を終わらせることを
優先して曹操に降ることを進言した。張魯が漢中を差し出しただけで優遇
されたことを考えると、孫権はもっと優遇されただろうし、世の中の平和が
もっと早く訪れたであろう」というような見解を示している。
張昭>=張コウ>諸葛亮=曹ヒ×10
こんな感じか?
683魏延の中の人:05/02/13 22:44:39
>>679
君の反応は正しい。が、孔明に対してまだ甘すぎる。
もっと精進せよ。
684無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:45:21
なんで裴松之の見解を示した後自分の勝手なランキングを示したんだ?
裴松之ランクなら諸葛亮が断然一位になっちゃって意味ないからか?
685679:05/02/13 22:47:19
>>683
まだ、孔明ファンから抜け出せない自分が悔しい(爆

686無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:49:20
>>680
丞相が文官その一???
687無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:55:05
>>680
仮節が文官その一???
688魏延の中の人:05/02/13 23:03:42
>>684
張昭殿よりドキュン(孔明)の方が上で、その張昭殿には同格で
「二張」の張コウがいるといいたかっただけ。

「二張」って演義の創作だっけ?
689魏延の中の人:05/02/13 23:05:25
>>688
ドキュンの方が下の間違え。
スマソ。
鬱だ。馬岱に斬られよう・・・
690無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 23:07:21
>>689
頭に角が生えたようですな。ハハハ。
691無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 23:09:34
魏延脂肪により孔明復活
692無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 23:14:32
曹丕に10倍…曹丕様に失礼ですよねえ。
曹丕は人の上に立つお方なので比較の対象ではないのです。
27歳までニートだった人と比べるなんて…。
司馬懿の頭を抑えられるのは彼のお方のみ。
693無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 23:29:12
別に張昭と張紘が同じくらいの能力の持ち主ではないだろ
立場は同格だったろうけど

ってそれは別にどうでもいいか、孔明をけなすスレだし
694無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 00:37:29
万民の救済と漢王室を守ることを己の使命と信じていた張昭と筍イクは本当に素晴らしい。
勇気ある生き方だったと思う。
単に天下獲りゲームがやりたかった誰かさんとは大違い。
695無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 01:47:56
>>692
文才は認めるが君に徳はなさそうだね
696無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 01:50:05
張角に弟子入りしてあとを継がなかったのが全ての間違いの元
697無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 02:41:48
張角死んだとき孔明3歳だし!
698無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 02:46:06
ん?
俺1歳2ヶ月だけどもう2ちゃんねら語ペラペラだぞ
夜更かしだってOKさ
699無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 02:49:24
きさまぁ!

どうこたえればいいのかなやむなおい
700無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 03:29:54
案ずるな
こういうときは
大人しく

700げっと
701無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 16:07:00
ふと思ったのだが、就職するまでどうやって食ってたんだろ?
嫁さんから支援あったのか?
702無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 17:44:01
孔明は晴読雨耕が好きだったようだな
703魏延の中の人:05/02/14 21:17:26
孔明は年金未納w
704無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 21:19:56
705無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 22:27:58
>>703
年金はともかく、収入ないから他の税金は払わなくていいな。やったね!
706無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 22:36:03
けなしネタのレベルが明らかに下がってるんだが。
ちゃんと史実に基づいて批判しようぜ。
707無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 02:12:09
おまえらなんだかんだいって、
孔明に会ったらサインねだるんだろう(´,_ゝ`)?
708無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 02:16:32
どっちかっていうと魏に仕えて孔明が捕らえられたら拷問したい
709無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 08:50:03
諸葛亮なんかより曹操とかからねだりたいよ。
710無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 09:36:05
>>708
歪んだ愛
アンチ孔明ってこんな性格異常者ばかりなんだろうな(´,_ゝ`)
711無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 10:54:20
>>710
ネタスレにマジレスするあなたはいったい?
712無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 17:55:34
孔明擁護者のカキコに反応する形でしかレスがつかないな。
おまえらもうネタ切れなんだろ、白状しろ(´,_ゝ`)
713無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 20:39:17
けなすネタも思いつかないほど孔明なんでどうでもいいと思う
孔明好きな人は、孔明の何がそんなにいいのか分からない…
714魏延の中の人:05/02/15 21:02:03
孔明は性格破綻者。
悲観論者。
カナヅチ。
715無名武将@お腹せっぷく:05/02/15 21:47:24
孔明って戦弱いね
716無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 01:11:52
>>714
でたらめ言うな。泳ぎは達者。
中身がないから良く浮く。
717無名武将@お腹せっぷく:05/02/16 06:56:05
まるでピーマンのような奴ですね。<中身が
718魏延の中の人:05/02/16 21:46:54
孔明は腋臭。
孔明はひどい歯軋りをする香具師。
孔明は酒乱。
孔明は層化w
719無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 01:24:24
孔明は四大紙はもちろん、東スポやナイガイ、赤旗、聖教新聞など、
ほとんどの新聞を熟読している偉大な引きこもり。
でも、日経は難しいから読まない。
720無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 02:12:52
関羽を無駄死にさせた罪は重すぎ。
721無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 16:53:27
孔明発狂死
722無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 23:17:57
劉備様はちゃんと孔明の戦さ下手を知ってたから
生前は戦をさせなかったのね
723無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 01:00:26
正史で十二分にケチョンケチョンにけなされている訳だが・・・


まあ、あえて言うなら陳寿の親父をハガショクのせいで孔明が連座で殺したこと
724無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 01:37:16
>>723
喪前の知識は中途半端な上に間違ってるぞ
725無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 02:24:28
陳寿のお父さんは頭ジョリジョリで済んだんだっけ?
726無名武将@お腹せっぷく:05/02/20 02:31:59
蘇東坡文集の訳を載せてるページ(ttp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/soto.htm)
に蘇東坡の諸葛亮論の訳が掲載されてるのを見つけたので
張ってみますね

諸葛亮論
ttp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/ronnkou.htm

仁義を以て国を興し、仁義を以て国を治めたのが、周である。
(中略)
そして、仁義と権謀を取り混ぜて天下を奪おうとした、それが孔明が失敗した原因である。
(中略)
だが、魏と蜀と、どちらが大きかったのか?
力もないくせに、魏に仕えるのを肯らない。
それでどうして魏を誅することができるのか?
そんな虚言で、どうして天下を動かせようか!
これは書生の理論である。現実的ではない。


どうですかね? オレは面白いと思った

魏武帝(曹操)論の訳もあるみたいなんでついでにリンク
ttp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/gibu.htm
727無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 19:43:23
流石に貶し疲れたな・・・
728無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 20:53:07
変なのがいたし、無理ないぽ
729無名武将@お腹せっぷく:05/02/25 20:54:53
しまた。sage忘れた・・・
730魏延の中の人:05/02/27 21:11:41
南陽一農夫の諸葛亮
五日で五里
十日で八里w
731無名武将@お腹せっぷく:05/02/27 21:13:18
要は能天気で怠け者ってか?
732魏延の中の人:05/02/27 22:17:44
生きる孔明
死せる周瑜に藁われる
733無名武将@お腹せっぷく:05/02/28 23:49:37
このスレ見てると戦や外交戦略に関しては孔明のすごさが分かんなくなって来た
軍事的には有ったか無かったか微妙な赤壁までの人だよな?この人
734無名武将@お腹せっぷく:05/03/03 02:02:50
>>733
魯粛と周瑜が赤壁開戦時を初に利用することに決めた
自分の派閥以外の人だよw
735魏延の中の人:05/03/06 18:15:15
孔明美化は三国志の数多くの孔明以外の功績を孔明の功績であるかのよう
に捏造した羅貫中の努力の結晶(藁)
736無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 21:27:05
>>733
孔明は赤壁で何をしたのですか?
737無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 21:53:51
諸葛亮は敵国の領土で敵国の数分の一の兵力で戦って負けなかったんだから
司馬イよりは軍事はできたと思うがな
二人が逆の立場なら諸葛亮がショクを制圧できたとまでは言えないが
司馬イは北伐なんてできなかったと思うぞ
まあ司馬イなら魏延の子午谷奇襲策を採用する決断力はあったと思う
まあ三国志だから名将対決扱いだけど
諸葛亮は不利な立場から勝ち上がった英雄のすごさはないし
司馬イも他の時代で言えばただ単に異民族を撃退した程度のことをしたにすぎない
738魏延の中の人:05/03/07 22:54:31
孔明は三顧の礼を尽くされてもTシャツ姿で劉備様と対面するような香具師w
739可児:05/03/07 22:59:50
孔明は軍師というより、優れた政治家だと思うがな
740無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 23:18:52
>>736
本来なら呉の独占となるはずの赤壁での戦果の上前をはねた
741魏延の中の人:05/03/07 23:30:13
>>739
孔明は天才というより天然だと思うがな
742無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 23:34:05
>>737
机上で戦するぶんには孔明の方が上だろうけど
実戦は運の要素も絡むし、不測の事態が多かれ少なかれ起こる
そんな時への対応は司馬懿の方が上
その不測の事態がどれ程のものかでこの二人の勝敗は決まるだろうし
どっちが上とは決められないだろ
743無名武将@お腹せっぷく:05/03/07 23:36:21
>実戦は運の要素も絡むし、不測の事態が多かれ少なかれ起こる
>そんな時への対応は司馬懿の方が上
この根拠は?
まさか司馬懿自身の孔明への評じゃないだろうな
744無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 08:57:31
>>737
>ただ単に異民族を撃退した程度のことをしたにすぎない

異民族の撃退こそ、一番困難な仕事なんだが。
まともに戦ったら勝ち目ないわけだし。
そういう意味じゃ孔明も評価せざるえないんだよね。
実際に七縦七擒があったのかどうかはともかく、きっちりと和平結べたのは、地道な外交努力があってこそ。
才能は無いが人一倍努力する。実際はそんな感じだったんじゃない?
745無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 12:23:17
>>744
じゃあ、呉将の評価はうなぎのぼりですね
というか、南征は作り話
>>737はそんな主旨の書き込みは全くしてないけど
746無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 18:23:33
孔明の異民族融和策はその後の五胡十六国時代以降の異民族問題の
先鞭といった感じはあるね(七縦七擒はさすがに作り話だろうけど)
実際漢人と異民族の混合政権をどう統治するかは困難な問題だと思うよ
747無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 20:51:24
地方弱小政権の蜀が曲がりなりにもやっていけたのは、異民族との交易があったからこそ。
ってここ孔明をけなすスレじゃん。褒めちゃだめだろ褒めちゃ。
748魏延の中の人:05/03/08 23:06:22
孔明は戦地に赴いても自分の護衛に万の兵をつけないと落ち着かない
臆病者w
749無名武将@お腹せっぷく:05/03/08 23:07:44
>>748
それは武将にとって最高の褒め言葉だぞ…
750無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 00:20:26
>>745
魏も呉も異民族対策には相当悩まされてるよ
それを解決した孔明は相当の評価をされてもいいはず。
751無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 00:33:22
>>750
解決したのは孔明じゃないでしょ
口火を切っただけ
752無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 00:45:07
そもそも孔明の異民族対策(当地の自治に任せる。中央は介入しない)は、
孔明生存中に破綻しているのだが。
233年に反乱が起り、張翼に代わって都督になった馬忠が反乱を討伐して、
そのまま奥地へ駐留した。
753無名武将@お腹せっぷく:05/03/09 01:42:46
>>748
そんな主張をしては魏延の中の人は匹夫になってしまう…。
754無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 23:45:21
責任の重圧や仕事の難しさ、しかもそれが成功する確率はすごく低い…
劉備の所に仕官して孔明自身は幸せだったのだろうかと最近考える。

755無名武将@お腹せっぷく:05/03/10 23:58:53
孔明は劉備の行動にため息をつきながらも全力を尽くしたんじゃねぇかなぁ。
それはそれで幸せっぽいような。
756無名武将@お腹せっぷく:05/03/13 12:04:52
>>752
お前バカだろ?その程度の反乱で「破綻」かよw
757無名武将@お腹せっぷく:05/03/14 15:19:30
空気嫁
758無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 01:42:23
俺は演義から入って正史見て演義でのあまりのマンセーぶりとか見て
アンチになったんだけど、改めて諸葛亮のやってきたこと振り返ると
諸葛亮は天才じゃなくとも普通にすごいな
759無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 01:48:56
劉備の遺言にそむいたのは許しがたい失態だな。
馬謖の起用どころの話じゃないよな。
760無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 22:17:27
孔明って内政方面での才能はあったかも知れんが、軍略家としては二流だろ?
理由はこのスレで散々語られてるから略す
761無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 06:32:14
二流でもないような
そもそも第一次北伐以外は内側に向けた政治的な意図あっての戦みたいだし
まあ本当のところは誰にもわからないけど
762無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 13:30:50
劉備の遺言に従わなかった事。
祈祷で魏延を入れて失敗した事
763無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 15:35:55
天性の引き籠もり。

引き籠もりぐせがあったから巴蜀みたいなところに引き籠もっちゃった。
本当は北伐もしたくなかった。嫌々やってるから、ちょっとでも目障りな事する奴が
いたら、すぐに怒って理屈付けて罰したし、なんでも自分の思い通りに
行かないと気が済まなかった。
そんなことやってるからストレスたまって若死にした。
764無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 17:03:34
ニートの希望の星
765無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 23:16:45
赤壁の戦いで孔明は東南の風が吹くことを知っていたみたいだけど、
その土地について誰よりも詳しいはずの孫権達が知らなかったのに
なんでよその土地から来た孔明がそのことを知ってたの?
766無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 23:20:24
>>765
蜀マンセーの演義エピソードだからだから
767無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 03:58:36
ギエンに対する子供みたいな陰湿なイジメ。最悪。
しかも理由が「頭の後ろの骨がでっぱってるから」
幼稚園児かお前は。
768無名武将@お腹せっぷく:05/03/19 15:07:42
>>761
軍事的成果ってある?
局地的な勝利じゃなくて戦略的成果

確かに、第一次北伐は大きな成果をあげる寸前までいったけど
これって、馬謖の献策による所が大きいわけだよね
だから、馬謖を斬った後は同様の可能性は得られなかった

ああ、
赤壁で東南の風を吹かせたなんてのは勘弁
769無名武将@お腹せっぷく:05/03/20 04:18:15
>>761
内なる不満を外征で紛らわすなんてことにしたら政治家として三流の証拠だと思うが
770無名武将@お腹せっぷく:2005/03/21(月) 21:50:16
>>769
中国
771無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 03:25:48
兄がロバ


しまった兄をけなしてどうする
772無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 05:52:33
>>769
国や民にとってはどうか知らんが一部の権力者が利権をむさぼり続けるの、権力争いのための政治力は持っているということだろ
773無名武将@お腹せっぷく:2005/03/22(火) 17:32:40
>>771
あやまれ!瑾兄ちゃんにあやまれ!
774無名武将@お腹せっぷく:2005/03/23(水) 16:52:25
あやまれ!瑾父ちゃんにあやまれ!
775無名武将@お腹せっぷく:2005/03/24(木) 01:24:58
>これって、馬謖の献策による所が大きいわけだよね

これは妄想の部分に拠るところが大きい
776無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 03:19:40
諸葛亮の阿呆がいたせいで統一が遅れて民衆は迷惑した
777無名武将@お腹せっぷく:2005/03/26(土) 06:22:53
馬氏の五常と呼ばれており荊州閥でもある馬謖が北伐の企画立案に参画していないとは考えられないけど
それを以って馬謖の献策が北伐の中でも大なりと言うのは些か短絡だと思う
778無名武将@お腹せっぷく:2005/04/05(火) 23:11:25
>>767
演義のことか
779魏延の中の人:2005/04/06(水) 22:57:27
孔明は馬良と穴兄弟だったらしいぞw
780無名武将@お腹せっぷく:2005/04/06(水) 22:58:57
>>778
正史もだが、そんなことを君に説明している暇は無い
781無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 00:45:12
>>781
お前は正史を百篇読み直したほうが良いけどな
782無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 00:47:31
・・・自分にレス?
783無名武将@お腹せっぷく:2005/04/07(木) 06:44:03
日々精進って事だろう、謙虚なやつだ
784無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 16:32:20
孔明タン・・・ハァハァ
785無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 17:52:47
ageるなよ
786魏延の中の人:2005/04/08(金) 21:41:51
孔明の「晴耕雨読」って言葉の前半はうそ臭い(藁)
787無名武将@お腹せっぷく:2005/04/09(土) 00:06:16
昼寝夜読でどうだ
788魏延の中の人:2005/04/10(日) 09:19:26
孔明の場合、実家に畑が無ければ絶対ニートだったな(藁)
789魏延の中の人:2005/04/12(火) 20:27:32
「出師の表」は便所の落書き
790poison human ◆TnKU.e66FE :2005/04/12(火) 21:58:39
「出師の表」の頃はもう全くのボケ老人だった孔明。
791魏延の中の人:2005/04/16(土) 18:31:43
孔明の一生
ひきこもり

地方政治家

軍事オタク
792無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 18:37:50
一連の反日運動の中枢は孔明の子孫の村
793魏延の中の人:2005/04/16(土) 21:56:15
水鉄砲を発明した孔明(藁)
794魏延の中の人:2005/04/16(土) 22:12:15
電波中年孔明
795無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:58:31
馬謖にやさしい孔明
796無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 09:50:31
115
踊る大捜査線ネタワロタww
天下三分の計後のあいつぐ敗戦…
司馬たん)諸葛の出る幕じゃないんだよ!
いかりや)これ以上、若いもんを傷つけないでやってくれ
諸葛)わくさん…
797無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 09:58:21
出師の表は書物等から抜粋して組み合わせただけだろ
798無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:42:34
孔明が目をかけた人物は国にとって害になった奴らばかり。
799無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 12:48:43
劉表が死んだ後、劉表の子供を殺すよう劉備に進言したの読んで嘔吐が出る思いだった
あれ以降、演義や横光読んでても絶対なんか裏があるに違いないとか思ってしまう
800無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 14:07:47
この法正が800getじゃ!
801魏延の中の人:2005/04/17(日) 14:42:46
他人の忠告を無視する孔明萎え
802魏延の中の人:2005/04/17(日) 14:45:29
現代に喩えれば竹中平蔵といったところか。
(民明書房刊 錦馬謖著「三国志人物評」より)
803無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 14:59:49
他人の手柄を歴史が進むごとに自分の手柄にできた運のいい孔明。
演義と史実の手柄ぢゃ差がありすぎだね。

所詮孔明は、戦下手、人物眼無し、独善者の三拍子揃った人物だったわけで。
蜀びいきの演義だと、どうしてもTOPの丞相が美化されますな。
804無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 17:09:24
こんなのにTOP立たれたら困るw
805魏延の中の人:2005/04/17(日) 17:20:35
>>803
他人の評価を貶める孔明とも言える

>>804
そうだよな、李厳(藁)
806無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 19:09:23
>>803は悪し様に言い過ぎて事実と異なる
戦下手>戦えば勝つ事が多い
下手なのはそれを戦略に結び付ける事
人物眼無し>人物眼は無しではなく平凡
普段から自分の側にいる人間は結構しっかりわかってる(例外もあるが)
むしろ劉備の人物眼が群を抜いて素晴らしいだけ
独善者>そりゃ丞相なんだから当たり前
丞相ってのはそう言う役職
807poison ◆TnKU.e66FE :2005/04/17(日) 19:26:43
今の時代では通用しない孔明。
808魏延の中の人:2005/04/17(日) 20:06:10
>>806
馬謖乙(藁)

>>807
いや、寧ろ今の時代ならニートの代表的な存在になれたかもしれん(藁)
809無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 20:14:19
晴耕雨読はどうやってもニートにはなれないぞ
810poison ◆TnKU.e66FE :2005/04/17(日) 20:21:34
今の時代に晴耕雨読やってたらどうなるかな?
811無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 20:22:53
農家になる
812無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 20:34:28
所詮支那人
大嘘つきで見栄っ張りのどうしようもないヤツ
813阿児@元文学従事 ◆sIE1iUZVwE :2005/04/17(日) 20:48:54
コウメイ様をけなすことなどわたしにはできません。
814無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 16:19:17
( ゚,_ゝ゚)
815無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 17:33:39
( ^,_ゝ^)ヌルプッ!!
816魏延の中の人:2005/04/18(月) 23:22:25
>>813
黄承彦乙
817無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 23:22:51
出っ歯
818月英:2005/04/19(火) 01:38:45
かぼちゃ
819無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 01:39:43
平目
820無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 02:00:48
a
821無名武将@お腹せっぷく:2005/04/20(水) 16:27:12
政治以外は微妙だよな、かなり
822魏延の中の人:2005/04/20(水) 21:09:16
>821
政治も微妙だろ(藁)
823無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 01:46:08
机上の論理は大したものだと思う
俗世に塗れてもう少し現実的な思考ができていれば有能な政治家にもなれたかもしれん
824無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 02:16:38
蕭何に匹敵する政治家じゃなかったのか
825無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 02:44:02
本当に政治家として有能だったらあそこまで北伐にこだわらないのでは?
冷静沈着なイメージが強いけど、実際は結構激しい人だったんじゃないかと思う。
826無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 03:09:07
>>824
充分匹敵してる
益州攻略戦、漢中争奪戦、夷陵と劉備が物資に困ったことはないだろ?
827鳳雛:2005/04/21(木) 03:21:09
全然、諸葛両をけなせてないじゃんって言う人がいるが、これだけ批判文でてれば十分だと思うが?
戦は三流
内政は二流
外交三流
人物眼三流
臨機応変に行動できず
あくまでも初期にたてた作戦にこだわる
夷稜で劉備を止めれず、なおかつ補佐を付けなかった
北伐を繰り返し
むだに物資・人材を浪費
偏見の持ち主
828無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 03:46:47
実際に自分が指揮をすれば当代一流だった
内政は当時類を見ないほどの倹約政治で国を建て直した一流
外交は最悪だった呉との関係を修復し魏と共同で当った一流
人物眼は自分の周囲にいる人間の事はわかっていたがそれ以上のところには目が向かない二流
臨機応変に行動はしていたが大事なところで臆病になった
初期にたてた作戦にこだわりはしたがそれを捨てる勇気もあった
(天下三分は荊州南部を蜀が所有する戦略だったが呉との関係で諦めた)
輔佐には黄権がついていたがそれでも敗れた
北伐を繰り返して積極的防衛を果たした
物資、人材を費やしたが多年の戦役にも蜀の財政は破綻せず民も疲弊させなかった
偏見を持っていない人間などいない
829無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 04:26:17
守っててもいつかやられるのは公孫述の例もあるから北伐は当然としても
呉との共同戦線がうまくいかなかったのは失敗だったな
連絡をとるのも難しいのだろうけど呉蜀共同で事に当たらないことには厳しい
戦の手腕は一流だとは思うがやっぱり結果を出せないとダメだ
830無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 08:27:16
>>826
それが、自分の戦のときには兵糧に苦労するんだからねえ。
831無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 08:56:11
自分並の補給役がいなかったからな
832無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 09:07:18
軍事は大人しく魏延あたりに指揮権委ねて自分は補佐に徹していれば良かったものを・・・
833無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 12:11:00
諸葛亮が三流なのは上に立つ物として三流なんだろうな
エンジニア気質というか全部自分でやっちゃう

人材がいなくてもある程度なら育てることができるからね
834無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 12:25:12
劉備のそば近くに仕えてたくせに主君から何も学ばなかったんだね
まあ、これは孔明に限ったことじゃないが・・・
835無名武将@お腹せっぷく:2005/04/21(木) 15:10:15
嫁さんの顔最悪だな
836無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 00:01:58
>実際に自分が指揮をすれば当代一流だった
兵卒を率いる部隊長じゃないんだから、そんなことでよろこんでちゃ駄目
戦略的な勝利を得られないなら、局地的勝利に意味は無い
>内政は当時類を見ないほどの倹約政治で国を建て直した一流
貧しいのに皇帝僭称させたのは亮様
>外交は最悪だった呉との関係を修復し魏と共同で当った一流
荊州が呉のものになったからな。
>人物眼は自分の周囲にいる人間の事はわかっていたがそれ以上のところには目が向かない二流
子飼いの馬謖の向き不向きも把握できてなかったのに?
>臨機応変に行動はしていたが大事なところで臆病になった
臨機応変は得意ではなかったとは陳寿の言
>初期にたてた作戦にこだわりはしたがそれを捨てる勇気もあった
>(天下三分は荊州南部を蜀が所有する戦略だったが呉との関係で諦めた)
天下三分は戦略。現実にあわせて修正されてるけど捨ててないね
>輔佐には黄権がついていたがそれでも敗れた
夷稜の時点では亮様は軍事に口出しする立場にない
>北伐を繰り返して積極的防衛を果たした
相手の進出意図を挫くタイミングでもないし、自らの損害は最小にして相手に大きなダメージ与えるものでもないから
積極的防衛とは言えない。
つーか、もはや北伐はお題目であるって認めてるよね?
>物資、人材を費やしたが多年の戦役にも蜀の財政は破綻せず民も疲弊させなかった
評価されるのはこの一点
>偏見を持っていない人間などいない
偏見云々より自分の派閥拡大に力を注いだからだな
つーか、先主の言葉無視し過ぎ。そんで忠臣面してんだから笑っちゃうよな
837無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 05:34:55
>兵卒を率いる部隊長じゃないんだから、そんなことでよろこんでちゃ駄目
>戦略的な勝利を得られないなら、局地的勝利に意味は無い
局地的勝利無しに戦略的勝利無し
>貧しいのに皇帝僭称させたのは亮様
帝位僭称をしなければ「皇帝」と言う権威に宣伝で敗北をし戦わずして敗北する(当時の広告戦甘く見すぎていないか?)
第一、帝位僭称と国の危機的状況は全く関係ない(劉備の夷陵での敗北と崩御が原因)
>荊州が呉のものになったからな
下手な支配者ならば荊州に拘泥して劣悪な関係のまま国家崩壊
>子飼いの馬謖の向き不向きも把握できてなかったのに?
馬謖の敗戦は本人の資質のみならず張コウと言う戦の達人のせいもあるので責任の所在は一所ではない
>臨機応変は得意ではなかったとは陳寿の言
陳寿はこう評価している
・(例を挙げて)諸葛亮がこれほど凄かった
・でも成功しなかったのは軍略は得意分野じゃなかったから「かも知れない」(他の要因かもしれない)
要するに諸葛亮様凄い凄い!でも運がなかった!としか言ってない
>天下三分は戦略。現実にあわせて修正されてるけど捨ててないね
天下三分の要は漢中、荊州からの二方向同時北上。それが叶わない以上捨てているも同然
>夷稜の時点では亮様は軍事に口出しする立場にない
国政を預かる丞相が軍事に参与しない訳が無いし少なくとも編成、兵站計画を立てる上で関わっている
>相手の進出意図を挫くタイミングでもないし、自らの損害は最小にして相手に大きなダメージ与えるものでもないから
>積極的防衛とは言えない
>つーか、もはや北伐はお題目であるって認めてるよね?
あの時に積極的に前に出なければアイデンティティーを失った蜀は内部分裂で崩壊していた
さらに北伐が成功していれば魏から広大な領土、安定した西域貿易を蜀は得ることができていた
名実を兼ね備えた立派な戦略だった
>評価されるのはこの一点
過労死するほど働いて屋台骨が自壊したら待っているのは確実な倒壊
>偏見云々より自分の派閥拡大に力を注いだからだな
>つーか、先主の言葉無視し過ぎ。そんで忠臣面してんだから笑っちゃうよな
孫子の言葉を思い出せ
838無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 10:11:09
一人で何でもかんでもやろうとする人は
国にとって只の癌だよ
さっさと排除すべきだったんだ
自信過剰過ぎ
839無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 11:38:24
内部分裂で崩壊していた

これって国を運営する人間が有能であれば外征なんかで内なる不満を逸らすなんてことしなくても
アイデンティティーを失う分裂するなんてことは起こらないと思うのだが…
840無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 11:46:05
有能であろうとなかろうと蜀は劉備の国だったからさ
仕方ない
841無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 13:06:43
だいたいどうやって劉備を皇帝にしたのかを考えると
軍事行動くらいとってないとまずいだろ
842無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 13:46:49
大義を民より優先しちゃうあたりに諸葛亮の思想が垣間見える
いや、当時はそれで普通だったのかもしれんけどね
843無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 18:22:27
民のためとか言うやつほど胡散臭いものはないよ。
844無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 20:17:12
しかし一庶民からすればそういう人が国動かしてくれないと困る
諸葛亮や姜維みたいに戦争繰り返されたら恨み言のひとつも言いたくなるわ
845無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 20:34:01
民の声なんて確かにいちいち聞いてらんね
でもそういうことができる奴が天下取ることが多い
846無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 20:48:27
なんだかんだ言っても国の礎は結局民衆だからな
天下を志すなら「綺麗事」ですませて逃げちゃ駄目だろうな、やっぱり
847無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 21:06:56
諸葛亮は民政から逃げたりしていないと思うが。
奴の北伐は国内をまとめてから行ったもの。姜維のように政治を放棄して
北伐を繰り返したのと一緒にできるものではないとだろう。
結果としては、それが独裁政権を作り、後人に引継ぐ体制を作れないまま
死んだのは諸葛亮の落ち度だけどね。
848無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 21:33:47
諸葛亮を批難するなら唯一つ
名実揃った本当の意味での後継者を育てずに死んだ事
これに尽きるな
849無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 21:50:22
呉でも陸遜の後継者は陸抗がいたが
顧擁の後継者がいなかったため国が滅びたようなものだからな
陸遜と顧擁を自分一人でRPGしてる諸葛亮はダメダメだ
850魏延の中の人:2005/04/22(金) 21:54:26
孔明は生前黄皓を知っていたのだろうか?
851無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 22:17:43
黄皓の生年っていつだろう?
黄皓が頭角露わしはじめたのって諸葛亮の死後20年以上経過してからだし、
存命中は宦官になってたかどうかも微妙なんじゃないか?
852無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 22:48:45
>847、848、849
蔣琬・費禕は無視ですか?
853無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:11:17
うん、みんな詳しいな。
俺も諸葛亮がダメダメとは言わんが評価されすぎに思う。
時代背景が違うからなんとも言えんが
例えば曹操とか信長とかは奇才にして非情、かなり強引な改革を進めて
賛否両論あるにしても失敗やニアミスのエピソードもあったりして
全体で見ると人間的に好感が持てる部分も多いが
諸葛亮の場合美辞麗句で彩られてばかりで隠されてる感じが嫌い。

んで最終的に俺は>>838>>848に同意するわけだが
それなりの能力もあったんだろうが一人相撲しすぎ。
能力におぼれる人間にありがちで集団の中では癌。
人間一人じゃ何もできないことをわからなさすぎ。過労死当然。

んで最後に言いたいんだが
しょっちゅうふらふらしてたっぽい諸葛亮はともかく
晴耕雨読はニートじゃねええええ。農業だって立派な職業だ!
しかし3度行って2度もいないような男が真面目に農業してたと思えんが。
昼寝は朝早い農家にとっては普通の習慣。
854無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:11:25
諸葛亮ってニートだったのか
855853:2005/04/22(金) 23:19:06
まあ実際には彼は彼なりに色々してたらしいけどね。
晴耕雨読して草庵で一人天下国家を妄想してました、
なんて気色悪い設定をなんでわざわざしたのかはよくわからん。
大体親が一緒にいなくて自活してる時点でニートではないわな。
856無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:27:43
>>853
信長は既存の事を誰よりも上手くやった
曹操は改革の切っ掛けは作ったが実際の改革は息子の曹丕の方がしっかりやってる
イメージだけで語るんじゃない
諸葛亮は諸葛亮独自の諸葛亮式丞相制で強引な改革を進めた
失敗やニアミスのエピソードもあったりするんだが好感は持てないのかね
それなりの才能どころか管、樂の器と評価されている
能力に溺れてはいない
でなければ[登β]芝の進言は入れないだろうし魏延は出世させない
結局問題は>>848に尽きる
857無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:42:09
まあ結局のところ南方統治やバショクなどから人事に関しては2流だったと
858無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:43:28
>853
諸葛亮の後継者というのは、諸葛亮が作り上げた独裁政権の後継者でもある。
それは政治面も軍事面も全て含めてのこと。
蒋エンに関してはかなりがんばった方だと思う。
諸葛亮死後の国力回復にもいそしんでいるし、諸葛亮とは違った北伐案を出している。
が、一度も北伐を施行できなかったことは大きい。
しかも北伐が阻止されたのは成都側の圧力によるもの。
この点から見て、蒋エンは国を完全にまとめ切れなかったと自分は思う。
それは彼の非ではない。諸葛亮の権限が蒋エンにそのままうまくスライドしなかったのが
一番大きな原因だろう。
諸葛亮が戦場で病死なんぞしなければ、蒋エンは正当な諸葛亮の後継者として権限を振るえただろうが、
蒋エンが後を継げたのは、諸葛亮が事前に劉禅に後継者を蒋エンに指名していたからで、
臨時的な側面がある。
前線には魏延・楊儀がいたわけで、この二人を費イがうまく片付けてくれなければ
蒋エンはさらに弱い立場に立たされていただろう。
そういう意味で、蒋エンは費イに遠慮があったともいえるし、それが
費イをトップに置く成都側への遠慮になっていたんじゃないかと。
費イに関しては、そもそも諸葛亮が本当に後継者として名を上げていたかかなり怪しい。

何にしても、諸葛亮が死んだ直後のごたごたと、漢中府と成都の対立は
諸葛亮に原因があることだけは確かだろう。
859無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:44:36
すまん、853ではなく852だ。
860無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:50:16
蒋エンのころには魏のほうで運河とか屯田で完全に迎撃態勢が整っちゃってるから諸葛亮と
同じ北伐案は採用しにくいのでは?
861無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:58:33
費禕は諸葛亮が指名したのではなくても姜維を掣肘し得たという点で、
ある意味蜀の延命に最も貢献した人物ということができると思う。
>>858の根拠はイマイチわからんが、もしそれが本当なら、
費禕の素養を見抜けなかったという点で諸葛亮を貶めるネタになるので
このスレ的にはウマー。
862無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:23:58
>858
>>諸葛亮が戦場で病死なんぞしなければ、蒋エンは正当な諸葛亮の後継者として権限を振るえただろうが、
蒋エンが後を継げたのは、諸葛亮が事前に劉禅に後継者を蒋エンに指名していたからで、
臨時的な側面がある。

この辺りよく理解出来ない。
諸葛亮が戦場で死去しなければ正統な後継者になってた、ってのはどういう意味?
どっちにしろ、諸葛亮の後継指名が無ければ蔣琬は政権を主催出来ないのでは?
863無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:36:41
>858
諸葛亮の作り上げた独裁制と言うものは、諸葛亮が存在していて機能するものなのでは?
諸葛亮死去後の政治体制は、その状況に合わせる方が良い訳で、諸葛亮が居なければ成り立たない国家体制を、諸葛亮以外の人物でも運営できる体制に持って行くのが趣旨だとすれば蔣琬・費禕は妥当な選択でしょう。
実際、蔣琬以降は漢中・江州(後に永安)・ライ降の都督の権限が大きくなっていて、諸葛亮時代に比べれば分権化が進んでる。
独裁から普通の体制って感じかね。
北伐を遂行するのなら独裁体制だろうけど、平時体制に移行するなら独裁制の必要は無い訳で。
蔣琬の北伐にしても、諸葛亮のそれとは性格が違うのは劉禅の詔勅を読んでも明らか。
864無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 01:29:44
蔣琬以降は劉禅自身も国政に参与してるしな
そう考えると、諸葛亮という巨人の死後、蜀の人々が必死にその穴を埋めようと頑張ったのだろうと思う
そして時代の流れについていけず諸葛亮の時代に停まろうとし続けた姜維
それとも姜維自身に諸葛亮超えてやろうという野望があったせいなのか
865853:2005/04/23(土) 01:57:39
>>856
あんま長々と書くと悪いと思ったんで割愛したが
別に曹操信長と諸葛亮を同列にして比較してるわけじゃない、
時代背景その他が違いすぎるとは断ったつもりだが?
第一これを言っちまうと議論が成り立たんが
三国志時代の資料はどこをどう信用するかで全然変わってくるので
イメージというか憶測に頼らざるを得ない部分も多々あると思うんだが。

んで俺が言いたかったのは諸葛亮は後事の整理をほとんどつけず
ぽっくり逝ったワンマン社長の会社が潰れた例にほぼ近い。
実際にはこれはどうかと思うが魏延対策など
自分の死後を全く考えてなかったわけではないだろうが
諸葛亮抜きにその後の蜀漢が立ち行かないのは自明であったし
彼の後をそっくり継げる能力や権力のある人間もいなかった。

劉禅があの様子であるのにそういった状態のまま
国力の疲弊もあったのに北伐を繰り返した諸葛亮は
やはり俺はどうしても評価できないし正直姜維は輪をかけて嫌い。

まあただ人の受け止め方はそれぞれだろうし
俺は諸葛亮が好きな人はそれでいいと思うが
忘れてならんのはここがどういうスレッドかってことさ。
866858:2005/04/23(土) 03:50:26
>862
>諸葛亮の後継指名が無ければ蔣琬は政権を主催出来ない
その通りだと思う。
これは逆に、蒋エンが後継者になりえたのは諸葛亮が事前に劉禅に言い置いていたからということでもある。
諸葛亮存命中の蒋エンの官位は丞相長史、楊儀も同様。
官位に関して二人の差はたいしてなく、楊儀は魏延を討ち取ったことからも自分が後継者になりえると思っていた。
それが蒋エンの方が後継者になりえたのは、諸葛亮の言葉があったから。この一点しかない。
しかもこの言葉を諸葛亮は内密に劉禅に上表していたとあるから、
周りも知らなかったことになる。
周りの出方次第では楊儀に立場を脅かされない。
そうならなかったのは、周りの費イらが蒋エンに協力したからだが、
それは同時に費イたちに借りを作ることにもなる。
蒋エンは周りの意見をある程度考慮しつつ体制作りをしていかなければならないわけで、
それだけ負担も大きくなるだろう。
>>諸葛亮が戦場で病死なんぞしなければ
てのは、諸葛亮が成都にいるときに死んだならば、もう少し蒋エンへの権力移譲も
スムーズに行ったのではないかという推論でしかないんで断定的に書くべきではなかったな
と反省してる。
867858:2005/04/23(土) 03:51:20
>863
確かに858の書き方だと、独裁政権以外蒋エンにとる道はなかったと断定しているようで
適切じゃなかった。スマン。
>諸葛亮が居なければ成り立たない国家体制を、諸葛亮以外の人物でも運営できる体制に持って行く
これには同意。これができれば一番良かった。
でも蒋エンがそういう体制に持っていくには、諸葛亮の残した形態はあまりにも大きすぎた。
前任者の影響が大きすぎる状態での新体制の確立はそうとうの負担になる。
内政を重視しようにも漢中府の人間は不満がるし、荊州方面への軍事行動にも
諸葛亮案と違うからと邪魔が入る。
諸葛亮が自分の死とともに独裁体制を解体しやすいように行動しておけば、蒋エンはこんな苦労はしなかったわけで、
もし、諸葛亮が自分の死後も北伐を強く望むなら、蒋エンが独裁体制を敷きやすいように
事前に体制を整えるべきだった。

でも諸葛亮はそのどちらもせずに死んだ。
これ以上重い責任放棄もないだろう。

あくまで諸葛亮が後任者のための体制を整えずに死んだことを非難しているわけで
蒋エンの政治手腕に問題があったといいたいわけじゃなかったんだ。
そういう風な書き方に見えたならスマン。

あと長文マジスマン。
868無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 04:48:12
ここ最近急にマジメな流れになったな

晋書の気持ち悪いぐらいスーパー超人な宣帝司馬懿に比べると三国志の諸葛亮の方が
完璧であろうとする人、という感じになっててそこに独特の人間味があっていいと思う
演義の諸葛亮はスーパー超人すぎる感があるから好みの分かれるところではないか
869853:2005/04/23(土) 06:40:20
そだな、ここ最近の流れで俺の言いたい事も他の人が言ってくれてる。
蒼天くさい言い方(と言ってもよく知らんが)で悪いが
やはり諸葛亮には人を見る目というか器というか、
人材を起用あるいは見出す点においては劉備に劣る気がするんだが
それは当時の名前の出て来ない人に関して俺らは知るわけもない。

>あくまで諸葛亮が後任者のための体制を整えずに死んだことを非難しているわけで

結局俺の言いたいこともこれに尽き、その為には躍起になって北伐してる場合でもなかったろう、と。
劉禅のあの様子じゃ死後の体制をしっかり作っとかなきゃ打倒魏どころか
蜀漢の足元もおぼつかないわけで結局蜀は諸葛亮の死から完全に立ち直れないままに滅びた。
北伐が最終的に身を結ばなかった以上政治家あるいは戦略家として非難されるのは仕方ない。
まあこれはあくまで私見でしかないが結果で見るなら戦術的にも法正、ホウ統に及ばん気がするが。

ちなみに比較として司馬懿がよく引っ張り出されるが(当然だけど)
俺は個人的にはこいつも好きじゃないし(そこは完全な感情の問題)
能力的にどれほどのもんだったのかも俺の知識じゃ判断できんが
あの当時の実質的戦力差や蜀漢の必死さなどを考えると
持久戦に持ち込んだのはきわめて妥当な判断だったと思う。

まああんまり長くなると悪いんで適当に切るけど
↑の方でなんか日米開戦と諸葛亮の北伐を比較してるレスがあったが
(あんまりこういうのを持ち出すと荒れるのかも知れんけど)
もはや形骸化した大義名分みたいなものに固執して
最終的に補給線がネックになって敗北ってパターンは
俺は日本のシナ、東南アジア侵攻に似通った部分があった気がする。
諸葛亮が妙に人気あるのとなんか関係あるのかな〜とも思ったが
諸葛亮は中国本国でも大人気でしたね。
870無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:24:01
このスレの流れを見ると諸葛孔明の独裁体制は武田信玄みたいだな。
死んだ年齢もあまり変わらないし、その後継者は先代から受け継いだ
事業をうまく機能できないし、そのために結局お互いの国家体制が
滅んだわけだけど。例えば勝頼と姜維がわかりやすい見本だな。
また、後世ではその両人が戦の神様と崇拝してるところも似てるな。
871無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 19:50:15
>>869
違う時代のことを例に出すと蛸壺式に細分化して引き篭もってその時代調べてる人間からあそこが違うここが違うって突っ込まれるんだから
わかってるなら別の時代のことを話題にすんなよ、と
日米戦争に関しては大義名分とかそんなんじゃなくて日本としては切実に資源の確保のため
アメリカとしては中国のマーケットの確保、とどっちも経済的な理由で北伐とはまた全然違うだろ
>>870
だから違う時代をry
武田信玄は状況を最悪なところに持ってった状況で死んで勝頼に回してる
あの状況だと勝頼が神でもないとひっくり返せないぞ
諸葛亮は夷陵の敗戦後って最悪な状況で自分にお鉢が回ってきてるわけで比較にならん
全ての歴史は似た部分があったとしても独立した別々の歴史だから迂闊に同じと言うなよ

蜀漢って国家の成立から運営まで根本に関わって上位者に疑念を抱かせず下位者に翻意を芽生えさせない
そんな人物でないと蜀漢式丞相制のキーパーツは勤まらなかったわけだ
国の心臓は成都に、脳は漢中にそんな2つの政府って国家としちゃ異常で非常識極まりない状態を残したまま陣没ってのはアホだなぁ…
それでも引けない理由でもあったんだろうか

ここから先はトンデモだから取り合わなくていいが諸葛亮自身は死ぬ気全くなくて誰かに暗殺されたのだとしたら面白い
872無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 20:49:07
>諸葛亮自身は死ぬ気全くなくて誰かに暗殺されたのだとしたら

そんな小説があったな・・・・昔
873無名武将@お腹せっぷく:2005/04/24(日) 22:00:37
>867、869
諸葛亮死後の体制云々おっしゃるけど、蔣琬・費禕で20年程比較的平穏な時代があった訳で、この間をスルーして責任を問うのはどうかと思うけど。

ちなみに、よく「漢中府」とか言う言葉を聴くけど、そんなものはありません。漢中都督はあったけどね。
でもこれは漢中防衛の為の統帥機関であって、特別な権限や兵力を持っていた訳ではない。
それに費禕の死去までは成都と対立や不穏な情勢になった事もない。

費禕の死去後に姜維が兵権を専らにし、北伐を遂行した状況と混同しているようだ。
蜀漢が政治と軍事が分離した状況になったのは費禕の死去した253年以降であって、それ以前の蔣琬・費禕は政治・軍事ともに掌握している。
874魏延の中の人:2005/04/25(月) 21:19:36
孔明は甘い物しか食べない偏食家で蜀の辛い料理が苦手だったことが
北伐の動機だったらしいぞ
875無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 22:05:42
だったら南方からの貿易ルートを開発しる
876無名武将@お腹せっぷく:2005/04/25(月) 22:28:30
>>856
遅レスだが
>それなりの才能どころか管、樂の器と評価されている
これは、自称ではなかったか?

それと、魏延を出世させたのは劉備ですよ。
そういえば、諸葛亮が自ら低い身分からとりたてた武将ってロクにいなかったような。
877魏延の中の人:2005/04/25(月) 22:44:54
>>875
それが南征の理由だ。
ちなみに武都・陰平には甘い草が育つ畑が有ったらしい(藁)
878無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 02:28:23
>>876
そう評価したのは陳寿
879無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 06:59:50
陳寿は諸葛亮マンセーなので評価も多少さっぴいて考えたほうが・・・
880無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 09:35:13
マンセーだから評価してると言い切れる材料はどこに?
881無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 11:34:13
>>878
陳寿の評価は管仲、簫何
管仲、樂毅は自称
882無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 12:23:41
あ やべ
間違えて記憶してた
すまん
883無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 15:39:30
司馬懿の「天下の奇才である」なる評もあるな
884無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 16:44:15
内側を固め、幕僚や子飼を育て、時間をかけて百世の汚名を覚悟して
劉禅になりかわって実をとらなかった時点で偽善者。
最後まで貫いちまったから偽善者にはならなかったが、蜀を通じて天
下を目指そうとするなら自ら皇帝になるべき人間だった。
こう言ってしまうとニンゲンの生きざまの問題になるからけなしてること
にはならんかな?
まぁ、主君劉備に傾倒しすぎてたのだよ、彼は。
885無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 19:22:14
>>884
取って代わったら多分魏や呉が攻めてきて今まで以上に南中が離反してアボーンだと思う。
886無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 21:24:34
漢王朝再興を掲げてるから人も集まるし益州の豪族もそれなりに助けてくれるのに
それやっちまったら国が立ち行かないぞ
887無名武将@お腹せっぷく:2005/04/26(火) 22:05:58
管仲、簫何なら役割的にもわかるな。
さすがに楽毅に比すのは無理がある。
888無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 07:38:52
樂に比していたのはその忠義の部分であった チャンチャン
ってオチになりそうだな
889無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 08:52:00
>>883
奇才って必ずしも褒め言葉とは言い難い気が
三国志の時代の中国でどうだったかはちょっとわかんないけど
890無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 09:49:23
天下の奇才は天下にも希な才って意味な
誉め言葉以外の何者でもないぞ 今も昔も
891無名武将@お腹せっぷく:2005/04/27(水) 11:28:23
まあ、「奇才・荒木」とか使われてるの見ると微妙な意味かなーと思っちゃうのもわからないでもない。
892無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 00:44:45
>890
「奇」に’まれ’とかいう意味はなかったような。
893魏延の中の人:2005/04/29(金) 16:50:58
司馬懿の諸葛亮評は哀紹や劉表と同じ
894poison ◆TnKU.e66FE :2005/04/29(金) 16:53:57
諸葛亮を見ているとニートを思い出す
895無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:03:38
日本語の奇にはないが奇才という熟語の奇はマレという意味を内包している
896無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:21:18
あまり人を見る目が無い、馬謖や魏延が最たる例。
897無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:22:32
馬謖は兎も角魏延は重用しているだろうが。
898無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:28:41
>>897
>魏延は重用しているだろうが

という発言を平気でする>>897の基地外脳ミソにズームイン!!
m9(^Д^)プギャー
899無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:32:00
魏延の官職見ろよ…
北伐中別働隊任された数少ない将軍だぞ…
900無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:50:51
>>899
それを重用とは言わない。
901無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:55:21
重用しない場合、北伐を行う方面の軍権なんかもたせないから
902魏延の中の人:2005/04/29(金) 18:15:52
孟達をうまく活用出来なかった
先帝が重用した李厳の能力を発揮させることが出来なかった
903無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:22:48
>>901
重用じゃなくて利用と言うんだよタコ君。
904無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 18:23:57
なんだ
日本語がわからない荒らしか
905信玄:2005/04/30(土) 00:02:33
>>904
わしゃあ、荒らしではないわい。
906無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 02:18:50
北伐の際、常に孔明は魏延に数万の兵を持たせ別のルートに派遣したらしい
これって魏延がじゃまだったから?

あと益州系の派閥って方正のあとだれか継いだの?
907無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 02:42:26
逆に、別働隊の指揮を任せるほど信頼していたと見ることもできる。
実際、諸葛亮にとって北伐は重要な戦略行動だったはずだから、
気に入らない奴を死地に追いやって謀殺するなんて小細工する余裕はなかったんじゃないかと。
908無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 08:56:15
>>858
>しかも北伐が阻止されたのは成都側の圧力によるもの。

・呉と共同作戦をするはずだったが、呉の準備が整っていなかったため
それを待っている間に蔣琬死亡。
・呉の準備が整うのを待っている間に、攻め入る時機を逃してしまい
計画がウヤムヤになってしまった。
・共同作戦をするはずが、呉が後になって「わりぃ、やっぱやめた。」と言っってきたので、
蜀軍だけで攻めても無理ぽ。ってんで、あきらめた。

>>858にこういう説もあるよ。と、ここに書き記しておこう。
909無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 15:00:36
>908
呉書呉主伝244年の歩シツ・朱然らの上奏文
「蒋エンは漢中を守りながら、司馬懿が南に向ったと聞いても
兵を関中に進め、虚に乗じて魏をからめ手から責めようとはせず
かえって漢中をほったらかしにしたまま軍を成都のほうにかえしました」
ちくま学芸文庫より抜粋

この司馬懿が南方に向ったというのが
241年の4月から始まった呉の魏侵攻に対処するためのもの。
この時の呉の戦域は寿春方面全j・六安諸葛恪・樊を朱然・柤中を諸葛瑾が攻めた
かなり大々的なもの。
一方の蜀で蒋エンの北伐が中止されたのは241年の10月に費イが漢中にやってきて。

呉との共同戦線がうまく張れずに北伐ができなかったとするなら、
ちゃんと準備を整えなかったのは蜀のほうになる。

これも一つの見方に過ぎないので908の上げてくれた説もありえたかもしれないが
自分は納得できないな。

ついでに
>873
漢中府とは便宜上の言葉。
実際は諸葛亮が北伐に際して漢中にとどまった時に蜀の行政全般を行うように置いた
漢中の中の丞相府のこと。
問題は諸葛亮が死去した後、この丞相府がちゃんと解体されていたかどうか。
蜀は諸葛亮の後に丞相についた人間はいないから、残っている事はまずないはずだしあってはならない。
が、蜀書の張皇后伝に238年の皇后に任命する書の中で「行丞相事・左将軍向朗」とある。
これが丞相府の官職を指しているなら、丞相府は諸葛亮が死んでから4年経っても解体されきっていなかったことになる。
引き継ぐものもいなければ、解体もされていない組織が国家にとって害にならないはずはないと思うんだが?
910無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 20:54:17
>>909
>呉書呉主伝244年の歩シツ・朱然らの上奏文
>「蒋エンは漢中を守りながら、司馬懿が南に向ったと聞いても
>兵を関中に進め、虚に乗じて魏をからめ手から責めようとはせず
>かえって漢中をほったらかしにしたまま軍を成都のほうにかえしました」

そんなん呉の視点でもの言ってんだからあたりまえ
おまけに孫権は既に錯乱状態になりかけの時期だから、
うかつなこと言うと、何されっかわかんね
911無名武将@お腹せっぷく:2005/04/30(土) 22:34:28
>>908の説は初めて聞くんだが根拠が知りたい
912正史研究家:2005/05/02(月) 22:17:22
>>1
「隠遁」を「就職しようとしなかった」と解釈する>>1氏の見識を疑わざるを
得ません。東洋史上最も高潔な諸葛亮を汚すこのスレッドに即刻削除を要求
します。
913魏延の中の人:2005/05/02(月) 22:43:05
>>912
寧ろ、「就職しようとしないこと」を「働いたら負け」と解釈するのが
ニートだろうが(藁)
人にまみれて出直して来い(藁)
914正史研究家:2005/05/02(月) 22:56:26
>>1
他人の意見に耳を傾けず、あくまでも自説を押し通す愚昧な1さんのスレッドに
はもう来ません。
915魏延の中の人:2005/05/02(月) 23:19:29
>>914
早っ(藁)
916無名武将@お腹せっぷく:2005/05/02(月) 23:55:29
>909
諸葛亮が死んだ、あるいは蔣琬が尚書令になった段階で丞相「府」は廃止されたかと。
諸葛亮死去後に漢中に政府中枢があるのは、蔣琬が漢中に出征していた時のみ。
それ以外は成都なり、涪なりであるから、漢中に政権中枢が移ってたとは言えない。

向朗の場合「行丞相」になっただけで、開府の権限を与えられていない。
皇后を任命(?)すると言う宮中儀礼の重要事にあたって、年功・閲歴的に第一人者の左将軍・向朗を名目的に丞相の代行としただと考えた方が自然では?
何せ、丞相長史を罷免された後は政治的には引退していた人物ですから。
917916:2005/05/03(火) 06:39:56
>>916
一行目、間違え。
諸葛亮が死んだ、あるいは235年に蔣琬が大将軍になった段階で〜、に訂正。
918無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 14:29:26
姜維としては自分は軍人だから政治に口出しできない、したくないと思ってたんじゃないか?
919無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 14:48:35
諸葛亮生前の姜維は内政官じゃなかった?
920魏延の中の人:2005/05/03(火) 16:30:41
正史を読んだだけでは孔明が姜維を認めている記述はあっても、
姜維が孔明に心酔している記述は見当たらないな。
921無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 22:38:43
>916
向朗伝に「諸葛亮死後、左将軍に移ったが過去の功績をとりあげられ、
顕明亭侯に封じられ、特進の位を授かった」とある。
左将軍は前任者の呉壱が諸葛亮が死んだ直後に
車騎将軍・漢中都督になったのを引き継いで任命されたものだろうから、
234年に向朗は左将軍につき特進の位を授かった事になる。
「行丞相事」自体が向朗伝に存在しないから、絶対とはいえないが、
左将軍任命とともに授かった特進の位が、「行丞相事」なんじゃないか?

逆に、238年の皇后任命に際して臨時に任命されたのだとしたら、
向朗伝に諸葛亮の死の直後以降の加官が全く記されていないのは何故か
疑問が残る。
922無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 07:06:03
>921
その可能性も無くは無いだろうけど、皇后・皇太子任命に際し、丞相の職務を臨時に代行する「行丞相事」に任命されたと思うよ。
特進は特進で、ちゃんと意味(三公に次ぐと言う)が有る訳だし。

皇后・皇太子の任命に際しての一時的な臨時措置であったから、「行丞相事」に関する記述が向朗伝に記載されなかったのだと思う。

どちらにせよ、開府の権限は与えられていない訳だから、向朗が諸葛亮の丞相府を引き継ぐカタチで継続したと言う事は無いでしょう。
923無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 21:52:23
>922
確かに特進の位と「行丞相事」を一緒くたにしたのは
無知なこと言ったと思う。スマン。

>開府の権限は与えられていない訳だから、向朗が諸葛亮の丞相府を引き継ぐカタチで継続したと言う事は無いでしょう。

これなんだが、諸葛亮が第一次北伐に失敗した時、右将軍・行丞相事に降格されている。
向朗の行丞相事・左将軍と官職的な差はほとんどない。
確かに開府は許されていないから、向朗が完全に丞相府を統括する事は不可能だろうけど
丞相府の形態を留める事は可能だったんじゃないかと思うんだが。
924無名武将@お腹せっぷく:2005/05/04(水) 23:34:57
>923
丞相府の形態を残す理由が見つからないと思うよ。
向朗の「行丞相事」が何時の頃からかは不明だけど、おそらく238年頃で、238年ないし239年には蔣琬が開府しているわけだから。
儀礼的な分野での「丞相」の代わり、って言う役割はあっても「丞相府」は開府の権限があって初めて開かれるものだから、形態を留めるってのは無理があると思う。

諸葛亮の右将軍・行丞相事は開府の権限を得ているものが降格してなったモノで、向朗の場合と官職的には同等程度だろうけど、おそらく臨時的なモノで実質的な意味で全く違うからね。

諸葛亮死去直後の234年(年度)は諸葛亮死去の残務処理で丞相府は主無しで残ってたろうけど。
925無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 01:47:22
主無しの状態で残務処理がいつまで続いたかが問題だと思うんだが。
一個人が開いた幕府の権限が朝廷より弱ければ解体はたやすいだろうが、
諸葛亮の丞相府は実質的に朝廷を上回っていた。
だから李厳にそこまでするなら九錫を受けろとまで言われたんだし。
その丞相府の特質は北伐のための軍事政権だろ。
当然、漢中には相当数の兵力があったわけで、魏の侵攻を阻止するためにある程度の
兵力は必要でも、それが成都を凌駕していれば反逆されかねない怖れだってある。
実際にするかしないかではなく、それだけの脅威があるという意味でね。
解体するにしても、丞相府に属していた人間を朝廷に戻すのに、
下手に組み込めば、丞相府の頃より権限が減らされたものが不満を抱いたりするだろう。
楊儀などまさにその典型じゃないか?
まして、漢中の丞相府は北伐のための軍事政権なのだからそう簡単に兵権は手放さないだろう?
そういう危険な組織に急激に手をつけるより、現状だけ維持して徐々に朝廷に組み込んでいった方が安全じゃないだろうか。
「丞相府の形態を残す理由」については、自分はそう考えている。
残す必要があったんではなく解体できなかったんだろうと。

何も蜀が滅びるまで丞相府が健在だったとは思っていないし、言ってもいない。
形式面で言うなら、238年の蒋エンの開府とともに消えた可能性のほうが高い。
が、それは外面が大将軍(大司馬)府に変わっただけで、
その本質は北伐のための軍事政権に変わりはないんじゃないかな。
926無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 09:53:56
>>908
・出兵準備のため涪に駐留中に、蔣琬が病にかかった、
もしくは持病が悪化し、246年この策の実行を見ずに病没した。

>>908にこういう説もあるよ。と、ここに書き記しておこう。
927926:2005/05/05(木) 10:35:05
>>909
>漢中をほったらかしにしたまま軍を成都のほうにかえしました
蔣琬の病が重くなったため、との解釈もできる・・・けど魏を攻めるチャンスなのに
蔣琬が病だってだけで引き返すんだろうか?
総司令官が病に倒れたための兵の士気の喪失とか、権限とかの問題?わからん

>北伐が中止されたのは241年の10月に費イが漢中にやってきて。
この文からだと費褘も反対派のように受け取れるけど、(おれだけかもしれんが)
たしか費褘と姜維も計画立案者だったはず。
費褘に今後のことを相談するために漢中に呼んだのでは?

まあ反対派も多数いただろうけど、蔣琬・費褘などの権力を持っている人が計画したのに
「成都からの圧力によって」ってのがどんなもんなのか解んないので聞いてみました。
928無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 21:59:49
>>927
流れとしてはこんな感じだと思う

蒋琬が漢中に駐屯し上庸を狙う
    ↓
成都で反対派が大多数を占め費褘、姜維が劉禅の意思(漢水下り反対)を伝える為、漢中へ
    ↓
費褘、姜維らと協議し目標を河右に変更、漢水下りは頓挫し漢中から涪へ引き返す

費褘、姜維も含め反対派だったと思われる。
>>908の根拠は蒋琬の上奏だと思うが実際に呉が兵を動かしているからこの時に体調を崩したのかもしれない。
929無名武将@お腹せっぷく:2005/05/05(木) 22:34:25
>925
丞相府が朝廷の力を凌駕していた、と言うより蜀漢そのものだった、と言う方が適切では?
223年に後主が即位して以来、開府されているので、北伐のみの軍事政権とまでは言えない。
蜀漢が益州一州のみの小国のため、権限を集中する方が効率が良いと言う部分が大きいのではないかな。

北伐中は6,7万前後の兵力が漢中に駐屯していただろうし、蔣琬の時も同様だとは思うけど、後の興勢の役の時は漢中駐屯軍は3万に満たず、費禕が涪より主力を率いてる。
だから、漢中の兵力が平時に成都を凌駕していた事は無いはず。
楊儀の場合は諸葛亮の後継者を自負していたのが、後輩(と思ってる)蔣琬に抜かれた為に不満を持ったのであって、丞相府の権限云々では無いでしょう。
その他の人物については、正史に諸葛亮没後に不平・不満を持ったとする記述も無く、行間を読みすぎでしょう。
大体の人物は諸葛亮没後、昇進していますし。

漢中の丞相府と言うけど、開府の権限を持った人物が漢中に居なければ漢中に丞相府が残るはずもなく、その辺りの理解がちょっと・・・・。
形式面でも、235年の春人事で蔣琬が大将軍になってます。これは諸葛亮時代からの大幅な刷新で、この人事をもって、諸葛亮の丞相府は解体、あるいは消滅したと考えた方が自然です。
諸葛亮の死去直後は蔣琬が尚書令・益州刺史・行都護となって国務を総理しており、この間(大将軍になるまで)は諸葛亮時代の残務処理のための一時的な国務処理を行っていたのでしょう。
首相代理みたいな感じかな。
930無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 00:25:51
結局コイツの策略って、ほとんどが五虎大将軍クラスの猛将がいないと成り立たないヤツばっかでしょ?
4番バッターを集めないと何も出来ない某野球チームを連想しちゃうよね

で、自分がスカウトしてきた奴は自意識過剰ワンマンプレーの馬謖タンと戦争大好き経費垂れ流しの姜維タンですか?
931無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 00:52:22
>929
>丞相府が朝廷の力を凌駕していた、と言うより蜀漢そのものだった、と言う方が適切では?

実質はそうだが、形式上は諸葛亮は一国の丞相にすぎない。
それを蜀漢そのものといってしまっている時点で、朝廷の力を凌駕していることになるだろう。
権力を一点に集中させたのは、蜀のような小国でも北伐に耐えられるようにするためだよ。
ただ普通に運営するだけならそもそもあんな独裁をしく必要もない。
北伐のための軍事政権と言って差し支えないと思うんだが?

漢中の兵力に関しては、蒋エンが238年に開府を許され、翌年大司馬に昇進したことでその府に取り込まれたんだろう。王平や姜維が蒋エンの府内に入っている。その姜維が242年に一軍を涪に移動させている。
その時点で漢中軍自体は3万になったんじゃないか?
244年の魏の侵攻時、この涪の諸軍が動いたとあるから、本来は漢中の防衛軍だったんだろう。

>形式面でも、235年の春人事で蔣琬が大将軍になってます。これは諸葛亮時代からの大幅な刷新

これは蜀漢が丞相制から大将軍制に変わったといっているのでいいのかな?
だとしたら、なおさら蒋エンが大将軍になったあとも、向朗が「行丞相事」についているのがおかしいんじゃないか?
これが238年に皇后を任命するために臨時に置かれた職だとしても、なぜわざわざ丞相代行である必要があったんだ?宮中行事を丞相が必ず取り仕切る決まりなどないだろう。

大将軍性と丞相性を並立させていたのだとしたら、蒋エンの大将軍就任をもって丞相府は完全に消滅したとは言い切れないと思うが。
932無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 05:42:27
>>930
話題の流を読もう
それだけでスルーされる率が減るよ
933無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 19:40:38
>231
戦乱期の国家なんてのは、どこも軍事政権であって、蜀漢だけが特別って訳では無いよ。
それでも魏は中原国家であって、統一王朝に近い部分もあったけど。

漢中には漢中都督が居って、その指揮下兵力が3万未満な訳ですよ。
で、北伐時以外は漢中都督がほぼ存在しています。
都督・魏延→諸葛亮の北伐→蔣琬の出征→都督・王平→費禕→都督・胡済って感じ。
蔣琬が大司馬府を開くまでは漢中都督として呉懿がいますから、その指揮下の兵力も3万未満でしょう。
北伐を中止したのに、6,7万からの兵力を漢中に駐留させ続けるのは蜀漢の国力からして厳しいでしょうし。
大軍の駐留と言うのは戦時のみでなく、存在するだけで資源・資金を大量に費消するのです。

また、涪に居たのは蜀漢軍主力であって、漢中駐留と決まってる訳ではない。
北伐でもする時は当然、漢中に居るだろうけどね。

向朗が左将軍のまま、行丞相事として、宮中儀礼を行い、国務全般は蔣琬が行うと言う事ではないですか。
諸葛亮の時も宮中儀礼は、本来なら三公のトップとして行政全般を見るはずの許靖が行っていた様に。

向朗が行丞相事に何故なっかの理由は不明ですが、劉禅の立太子・呉氏の皇后任命には諸葛亮が丞相として使者の任にあたってますから、慣例になっていたのかもしれません。
諸王の劉永・劉理は若干格下の司徒の許靖が勤めてますし。
蜀漢の場合、丞相職は諸葛亮以外に居らず、かなりの特別扱いの様です。
皇太子・皇后の任命と言う国家儀礼の重要事では丞相の格式が必要と考えていたのではないでしょうか?

934933:2005/05/06(金) 19:45:40
今まで述べた理由から、向朗の行丞相事任命は皇太子・皇后任命のための臨時的措置と考えます。
だとすれば、238年頃の任命ですよね?
そうなると自ずと蔣琬の大将軍就任に伴い、蜀漢政府が刷新され諸葛亮時代の丞相府も廃止になったと思います。
並立制ってのは不自然でしょう。

長々、申し訳ありません。
935魏延の中の人:2005/05/06(金) 20:15:32
諸葛亮は三国志界の三振王です(藁)
936無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 02:28:32
冷静になってスレ読み返してみたよ。
自分は途中から話の筋がずれてしまっていた。
諸葛亮が漢中に置いた丞相府と北伐のための兵力は楊儀が成都に戻してるんだから
漢中に残っているはずはないよな。
漢中に丞相府が残っていたとする論考は完全に自分の間違いだ。スマンかった。


問題は成都に戻った連中が238年の蒋エンの開府までどういう状態になっていたかだよな。
諸葛亮死後に楊儀が中軍師、費イが後軍師・ケ芝が前軍師になっているから、
まだ、235年までは丞相府が存在していただろう事は推測できる。
925の楊儀の件はそういう意味でも大間違いだな。ヤツは丞相府の所属のままだ。スマン。

その後、楊儀が失脚して蒋エンが大将軍に就き、費イは尚書令になるわけだから
中軍師と後軍師はなくなるが、ケ芝は督江州になるまで前軍師だったのだら、
ケ芝が江州に赴くまでは確実に丞相府は健在だったと見ていいと思う。

そういう意味で、向朗の行丞相事は諸葛亮の死の直後についたものと自分は考えるな。
皇后任命には丞相クラスの格が必要だから臨時に置いたとするなら、
それだけ特殊な任命を向朗伝にも劉禅伝にも全く触れないのは不自然だと思う。
937無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 10:35:36
>936
ケ芝が督江州になったのが何時だか明確では無いけど、諸葛亮の死後「ほどなく」ってあるから蔣琬が大将軍になった235年頃でしょう。
なら235年春に蔣琬が大将軍になった段階で丞相府は廃止されてたと思うけど。
諸葛亮の死後も残務処理的のためケ芝・楊儀・費禕らが丞相府の幕僚を兼ねてたんだろうけど。
ただそれも、235年の春人事で刷新されて終了したと。

皇后・皇太子の任命には国家儀礼として丞相の格式や持節が必要だったようだけど、あくまで臨時措置である場合(一時的で期間限定の場合)は正史に記載されない模様。
諸葛亮の場合、丞相・仮節だけども、皇后・皇太子の任命に際しては使持節になってる。
でも、先主伝等には使持節になったとは記載されてないよね?
向朗の場合も、あくまで左将軍(正史で明記)であって、皇后・皇太子の任命のため、臨時に行丞相事・使持節になったとする方が自然ですよ。
皇后・皇太子の任命の時の一瞬、行丞相事・使持節だったと。

938魏延の中の人:2005/05/07(土) 15:45:20
周瑜の死を察知してニヤリと笑う孔明冷酷過ぎ(演義限定の話だけど)
939董ちゃん:2005/05/07(土) 16:28:55
たしかに魏延って別ルートのしかも後方支援的な布石だったから明らかに軽視してないか?
馬ショクより軽視するとはどうゆうことだねちみ。
940魏延の中の人:2005/05/07(土) 19:28:24
>>939
後方支援は決して価値の低いものでは無いが、孔明がそれを命じると
なんか評価が低く感じるから不思議だ。
李厳には或いはそういう心情があったやもしれん。
941無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 19:34:55
ショウカを第一の功としたのは劉邦だがあれはかなり特殊な事例だぞ
942魏延の中の人:2005/05/07(土) 19:46:09
>>941
曹操もジュンイクの後方支援の功績を誉めておるぞ
943無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 20:56:06
>937
使持節はそもそも使者の役目だろ。
皇后・皇太子任命のために一時的に置かれたのは当たり前だと思うんだが?
それと丞相代理を同一に見るのはちょっと無理があると思うぞ。
それに諸葛亮が丞相に任命された時の官だろう?
本来の職にあたる丞相を記して、一時官の使持節を書かないのはおかしなことじゃない。
向朗の行丞相時も左将軍任命と同時なら同じ事が言えると思う。
が、わざわざ、途中で任命しておいて書かないのはやはり不自然だよ。

234年から235年までに丞相府内で人事が移動しているのなら
丞相の代理が置かれたとしてもなんら不自然じゃないだろう。
諸葛亮死直後の官職も位的には蒋エンの尚書令が3品
費イ・楊儀・ケ芝の軍師職が5品、呉壱の車騎将軍が2品なのに対し
向朗の特進は三公(1品)の下、驃騎将軍(2品)より上に置かれている。
諸葛亮死後の主だった人物より幾段か高く実権は存在しない位を授けているのには
それなりの理由があったんじゃないかな。
まして、実質的にはもう政権から離れていた人物をわざわざ表に戻しているわけだから。

丞相府を現状より大きくさせずに徐々に解体していくにはいい位置・人物だと思うぞ。

というか、いい加減スレ違いになってきているな。
>1スマン。
944魏延の中の人:2005/05/07(土) 21:05:42
>>943
ちょっと位諸葛をけなしてくれよ
945無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 21:12:07
諸葛亮は大陸に大乱をもたらした張本人だぞ
天下三分はのちに、約300年間も
天下二分となってたんだからな
その間、何人が犠牲になったことだろうか。。。

たまにはこんな見方もいいんじゃ。。。
946ニセクロ:2005/05/07(土) 21:24:04
ここまで凄い読みごたえあった。おまいら大好きだ。
そこでおまいらが勘違いしていると思われる点を一個指摘したい。

丞 相 府 は 成 都 に あ っ た の で は ?

諸葛亮が死んで魏延と楊儀の争いが成都に聞こえてきたとき、
後主劉禅は侍中の董允と丞相「留府」長史の蒋エンに相談してる。
蒋エンは成都にいたと思われるのだから丞相府は成都にあったろう。

蒋エン伝でも227年に諸葛亮が漢中に駐留したとき、
蒋エンは丞相府の留守を長史の張エイと共に預かっているから、
北伐の最初のときから丞相府は成都にあったと考えられる。

つまり諸葛亮の丞相府はあくまでも成都にあったままで、
諸葛亮は北伐にあたって必要な属官を引きつれて出征、
残りの属官は成都の丞相府で丞相留府長史に統率されて
政務をこなしていたのだろう。
947魏延の中の人:2005/05/07(土) 21:24:29
>>945
諸葛・・・。恐ろしい男・・・。
948946:2005/05/07(土) 21:45:32
それで、成都政権と漢中府のように二重政権のような様相を帯びてくるのは、
恐らく蒋エンの時代からではないか?
諸葛亮ほど権力を集中できたわけでない蒋エンの開府が許されると、
政務は成都の朝廷(尚書令)が、軍務は蒋エンの府が行うという
一種の役割分担のようなものができたのだろう。
加えて蒋エンはフに主力を移すまで漢中で軍務を仕切っていたのだから
蒋エンの府は238年から漢中にあったということになる。
949無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 22:29:24
第一の手柄とはしてないだろ。
950無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 22:38:25
諸葛の肖像画なんか見るとパタリロに似てる
951魏延の中の人:2005/05/08(日) 00:02:26
そろそろ誰か次スレ立ててくれ。スレタイは
「蜀で一番不細工な顔をした部将は誰?」
でよろしく。
952にいと:2005/05/08(日) 00:05:16
阿醜ちゃんで〜す
953董ちゃん:2005/05/08(日) 00:07:28
諸葛亮は実際、軍事的な手腕に乏しいと考えるものですが皆さんはどうですか?
954魏延の中の人:2005/05/08(日) 00:09:06
>>953
ここはそういう趣旨のことを語るスレだ。どんどん書き込んでくだされ。
955無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 06:23:03
いや、スレ的には理論的な批判のみならず
感情的あるいは偏向資料がソースの一方的人格攻撃もありかと。

まあ俺は諸葛亮はあんまり好きでもないがものすごく嫌いってほどでもない。
しかしそれにしても演義での虚弱体質の天才美形周瑜への苛めは悪辣非道すぎ。
羅漢中は諸葛亮マンセー過ぎて逆に諸葛亮を貶めてるのか
それとも天が二物も三物も与えた感じの周瑜へのやっかみだったのか。

ところで話は飛ぶんだが昨今の夏候惇凡将論などを見るに付け
俺は後方支援という作業はいい加減もうちょと見直されていいと思うんだが。
956無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 08:38:50
凡将だが非凡な能力の持ち主
これでいいだろ
957無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 14:05:20
>>953
しっかりスレタイに「けなしてみよう」って入ってるからね。
958魏延の中の人:2005/05/08(日) 14:15:06
次スレのスレタイは
「諸葛亮-ウンコして馬謖を斬る」で誰か立ててくれ。
959無名武将@お腹せっぷく:2005/05/08(日) 20:07:46
キセル諸葛JR西日本を走らす
960魏延の中の人:2005/05/08(日) 22:26:00
誰か「民明書房風に三国志を語るスレ」立ててくれ。
そいつを次スレにしようや。
961無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 07:11:46
>943
諸葛亮が死去して、次の執権も内定(蔣琬)している段階で、わざわざ廃止される部署の、しかも代理を置くってのはどうかと。
ケ芝・楊儀・費禕らは、元々丞相府の幕僚かそれに近い存在で残務処理のための異動でしょ。
その流れからすれば、向朗が234年の段階で行丞相事になる必要性は全く無い。

それと、もし234年の段階で行丞相事になってたとしたら、特進は正史に明記されているのに、より重要性の高い方が記載されない、って方が変。
丞相府の解体事態、235年春でしょ?
なら徐々って感じでないでしょう。翌年春に解体されてれば。


962無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 14:45:33
>944
だな。
自分が貶すべき点は「諸葛亮がちゃんと後継者に引継ぎを行わなかったこと」だよ。

>946
漢中に丞相府全てが移動していたという論点は明かに自分の間違いだよな。
ただ、丞相長史を基点に考えるなら、丞相府は成都にある蒋エンを中心とした内政側の府と
漢中にある楊儀を中心とした外征側の府に分かれていたと見る事はできないだろうか?

>961
トップのいなくなった部署に代理を置くのは当然のことだと思うが。
廃止される部署だから丞相ではなく代理にしたんだろう。
ただ、行丞相事はそれ単体では職務を行う事はできても位を保証する官ではない。
諸葛亮が就いていた時には彼の官位はあくまで右将軍だった。
だから、趙雲などは諸葛亮に合わせて官位を下げられている。
向朗の場合、彼の官位を保証するのは左将軍であり「特進」。行丞相事は職務にあたると自分は考える。
だから、同時に就いたものならば、記されていなくても不自然ではないと思うんだが。

>丞相府の解体事態、235年春でしょ?
向朗のことを議論するのはそれを議論するためだろう。
235年に丞相府が解体されている事がわかりきっていれば、
向朗が行丞相事に就いたのが234年か238年か議論する必要もない。
963無名武将@お腹せっぷく:2005/05/09(月) 18:41:08
>962
諸葛亮死去後の234年の、特に蔣琬が尚書令・益州刺史になった段階で諸葛亮の後任は蔣琬と言う事が確定した訳で、翌春に大規模な人事刷新が予想される状況下で、廃止が予定されている部署の代理を置くのは不自然ですよ。
それが元々その部署のNo.2的な人物が就くならある程度理解出来るけど、まったく全く関与していなかった人物が就任するってのはどうかと。
それに、諸葛亮没後に特別な職務である行丞相事を置くような状況だったか。
234年以降、向朗がずっと行丞相事であったなら、向朗伝や後主伝に明記されていておかしくない。
臨時で皇后・皇太子任命に際して、極端な話、任命に要する日にちのみの官であったから、正史に記載が無かったのでは無いか、と言う事です。

以上の点から向朗の行丞相事は238年の一時的なものだろうと。
仮に234年に行丞相事になっていたとしても、上記のことから、諸葛亮の幕府は解体されているか235年には廃止され、向朗の行丞相事とは関連性はなかったのではないか、と言う意見です。

>946
丞相府は成都にも残ってた、と言うべきかな。
ただ、蔣琬時代以降、二重政権的かどうかは微妙では?
後主伝には蔣琬・費禕共に外地にあったが、重要な問題では諮問を受けた、とあるから蔣琬時代は蔣琬の意向が尊重されていたのではないかな。
自分の考えでは、蔣琬時代は蔣琬・費禕の連立政権のようなものだったと考える。
ただ、あくまでも蔣琬主導のね。
費禕は尚書令になった段階で蔣琬の後継がはっきりしている訳だから、蔣琬と権力争いをする必要も無いだろう。
外征派・蔣琬、守勢派・費禕と言う反論が出るだろうが、費禕が一概に守勢派とは言えない。
蔣琬・費禕共に基本的には積極的では無いが、機会が有れば外征も可ってスタンスだろう。
964無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 23:04:21
千里の戦を興さんと請うて、その勇武を示そうとした。秦蜀の者は惰弱で、
魏軍の勇猛に及ぶべくもない。魏軍が平坦な道を楽々と進むことができる
一方、秦蜀の軍は険しい道にてこずらされる。このような状態で戦って功を
争うわけで、どちらに利が有るかは明らかである。それにもかかわらず、
退却し、守りを固めて立て篭もり、鉾を交えようとしない。敵が生きては目
の前の敵を恐れて前進せず、敵が死しては敵の偽計を懸念してなおも逃げた。
これが良将の道にかなうといえようか。
965魏延の中の人:2005/05/14(土) 22:11:42
966無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 22:54:38
浮上
967無名武将@お腹せっぷく:2005/05/21(土) 16:31:32
nas
968無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 08:12:40
日が経ちすぎたんで963氏が見ているかわからんが、次スレも立ったし書いとく

>諸葛亮死去後の234年の、特に蔣琬が尚書令・益州刺史になった段階で諸葛亮の後任は
>蔣琬と言う事が確定した訳で、翌春に大規模な人事刷新が予想される状況下で、
>廃止が予定されている部署の代理を置くのは不自然ですよ。

同時期の人事で楊儀は長史から中軍師、費イは司馬から後軍師に移っている。
これは官位的に見れば丞相府内の昇進人事になる。
廃止が予定されている部署で蜀の代表格のうち二人がその部署内での官位を上げているなら
事後処理のために代理が置かれることもそれほど不自然ではないと自分は考える。

>それが元々その部署のNo.2的な人物が就くならある程度理解出来るけど、
>まったく全く関与していなかった人物が就任するってのはどうかと

向朗は楊儀・蒋エンより先に丞相長史に就いている。
丞相長史は初代の王連と最初の諸葛亮の北伐で留府長史になった張裔は
234年の時点で既に死去している。
丞相府の長官経験者はこの時点で、楊儀・蒋エン・向朗だけになる。
楊儀伝にある諸葛亮の生前の言葉からして、諸葛亮の後継者候補としては長史の楊儀と蒋エンが上がっていた事が予想される。
蒋エンが諸葛亮亡き後の蜀をまとめていく上で、楊儀は下手に権限を与えたら自分に取って代わられる危険がある。
だから、代理を置くなら丞相長史として丞相府を取りまとめた事があり、
蒋エンのライバルになる可能性の低い向朗だったんだろう。
969963:2005/05/31(火) 19:18:44
>968
費禕・楊儀等の丞相府内での人事異動は、残務処理のための措置と言う意味合いが強い。
確かに軍師職の前任者は魏延・劉淡等で高位者が就いているけど、それはあくまで、魏延等の個人の格であって、軍師職が高位だった訳では無いでしょう。
つまり、昇進人事ではないですよ、と。

向朗自身は北伐当初まで丞相長史ではあったけど、その後更迭されて政治向きの事には携わってなかったのは正史に明記されてるから書いたんだけどね。

970968:2005/05/31(火) 22:52:36
>969
遅レスだったのに、レスありがとう。

で、軍師職が高位かどうかはどこを基点に見るかの問題だと思う。
国全体で大臣クラスと比較すれば必ずしも高官ではないが
丞相府の中で長史・司馬と比べれば軍師の方が官位は上だろう。
楊儀と費イは丞相府の長史・司馬から丞相府の中軍師・後軍師になったわけだから
昇進人事といって差し支えないと思うんだが。

向朗に関しては、自分はNO,2を行丞相事に付ける方が危険だと思うからこそ
彼が出てきた事に意味があると考えている。
No,2だから行丞相事になれたんではなく、丞相府を運営した経験を持ちつつ
実権からは離れていた人物だから(蒋エンのライバルになるという危険性が低いために)
就任できたんじゃないかと。
971963:2005/06/03(金) 06:49:03
>970
費禕・楊儀に関しては「昇進」と言う記述はないんだよね。任命された、ってだけで。
ケ芝の場合、前将軍に昇進してるから、併せて「昇進」って記述だけど。

前にも書いたけど、丞相府の官位以外の階級が高い魏延・劉淡が就任したため、結果的に席次が長史等より上になっただけかと。
例えば、費禕も司馬になってたけど、前任者は魏延。
費禕が司馬になった事で鎮北将軍の時の魏延と同格だった訳では無いでしょう。

諸葛亮の指名、益州刺史・尚書令・行都護就任って事で他者がライバルになる可能性はほぼ無いと思うけど。
逆に、行丞相なぞを設置した場合、蔣琬の後継路線があやふやな感じになるかもしれん。
対外的な部分でね。
972無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 02:53:29
自分は中軍師・後軍師と長史・司馬に関してはちくまの巻末に添えられている
官職表の品序列が軍師(5品)、長史・司馬(6品)となってることから
長史・司馬より軍師の方が官位は上だと判断した。
蜀は後漢の制度を引き継いでるから、魏の制度である九品で判断するのは
あまり正確じゃないとは思うんだが、6品から5品に職が移ってるのは
昇進に入るんじゃないか?

それと、比較の対象が楊儀・費イと魏延・劉淡なのがよくわからんのだが。
比較するなら長史・司馬と中軍師・後軍師ではどちらが上かであって
魏延・劉淡がもともと高官だっただけで軍師職は長史・司馬に比べて大した官じゃない
というのは比べる基準が違うんじゃないか?
973963
>972
ちくまのは官職表は詳しいけども、ちょっと合点がいかないトコも多いかと。
幕府の属僚に関して言うと、長吏が筆頭になるのでは?
例えば、劉備が左将軍府を開いた時、名目上筆頭臣僚の許靖が長史でしょう。
九品が影響しているであろう、ちくまの官職表は参考程度かと。


俺が言いたいのは、軍師の職務に就いた人物(劉淡・魏延)が高官であったから、結果的に軍師職も高官に見えてしまうのでは?と言う事です。

私見を言わせてもらえば、軍師職は閑職だったのかな、と。
劉淡の場合は当に定員を満たすのみだし、魏延の場合も破格の出世を遂げた将軍を丞相府に留めるための措置って感が強い。
楊儀も拗ねてますけどね。ケ芝・費禕は昇進あるいは後の展望が開けてたろうから不満は無かったのでしょうが。

許靖の例をとれば、長史の方が軍師よか上だし、実務内容を状況から察すると閑職のようだから、軍師に移るのは昇進とは言えないのではないかな。