諸葛亮って本当はいい人じゃないか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
59無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 16:07:15
そんな趣味ないです..
60無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 16:38:41
司馬懿に送ったセーラームーンのコスチュームは孔明の染みが股間に付いていた為に
気に入らなかっただけ..あれが新品だったら..孔明に「ありがとう..同士よ!」って
返事を書く予定だった..
61無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 16:50:10
中共の滅亡を予言!
http://www.epochtimes.jp/jp/2005/05/html/d42010.html


すげーよコーメー
62無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 16:57:30
途中から見るのがばかばかしくなった
63無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 17:09:54
孔明クオリティー下げる馬鹿が居るもんだな
64無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 17:21:56
>>1
いい人と思う根拠が何も書かれていない。
まして魏延の中の人が諸葛亮をいい人と思うわけがない。
65魏延の中の人:2005/05/25(水) 22:00:18
諸葛亮は忠義の司馬懿
司馬懿は不真面目な諸葛亮
66魏延の中の人:2005/05/25(水) 22:23:44
諸葛亮があと30万人いたら蜀は涼州を取れていたかもしれない。
67魏延の中の人:2005/05/25(水) 22:33:24
諸葛は治世の陳震。
乱世の孔融です。
68無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 22:36:10
演義の孔明は正直性格を改悪してるとしか思えん
69無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 22:42:40
         _,,..,,,,_
        ./ ,' 3  `ヽーっ 
        l   ⊃ ⌒_つ
         `'ー---‐'''''"

ああ・・・丞相・・・
70魏延の中の人:2005/05/25(水) 22:44:03
諸葛亮は治世の紳々
乱世のあびる優です。
71無名武将@お腹せっぷく:2005/05/25(水) 23:29:09
ここまで読んだ
72無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 08:17:00
本当は孔明は劉備とアンジャッシュみたいなお笑いコンビを組みたかった..
73無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 10:09:38
魏延と陳式に謝れ!
74:2005/05/26(木) 18:10:23
孔明が趙雲と馬ショクが好きだったのは、
頭の形が良かったからだろうか?
奥さんにも、顔より頭の形で惚れたんだろか?
75無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 18:12:59
誰でも自分の言うことちゃんと聞く素直な部下は大好きです。
76無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 19:03:30
奥さんはガングロ茶髪なだけでブスじゃありません。
当時の美意識が遅れてただけです。
77無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 19:14:49
孔明が魏延のこと嫌いなのは頭の形が変で反抗的だったから
魏延が孔明に反抗的なのは孔明の顔が変で言動がおかしかったから
78無名武将@お腹せっぷく:2005/05/26(木) 19:39:52
違うよ
ある風の強い日に
下に何も履いてなかった孔明の
ぶらぶらしたものを
みせられちゃったからだよ

誰だって自分より雄大にぶらぶらしているのは嫌いです。
79尚書令ドラミちゃん ◆rXXEdmnrEc :2005/05/28(土) 18:05:35
孔明が民に慕われる理由って何だ?
・本人が高位なのに質素
・不正役人の摘発
・治安の向上
しかし
・納税、軍役は減っていない
・大義なき戦争(民衆からみれば劉備なんて騙して国を盗ったヨソ者)
・国力が倍以上ある相手に度々、出兵しては兵糧切れで撤退

魏延も李厳も民衆の不満による反映の結果なのかもしれない
80無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 19:34:21
>納税、軍役は減っていない
減ってはいないが経済は諸葛亮の経済政策で安定したので国民は豊かになかった
軍役は減っていないが諸葛亮はリスクがある事は避けるタイプなので生きて帰ることができた
>大義なき戦争(民衆からみれば劉備なんて騙して国を盗ったヨソ者)
劉二牧も余所者
大義もない
つまりは力さえあれば認められる世の中だった
非難するポイントがずれてる
>国力が倍以上ある相手に度々、出兵しては兵糧切れで撤退
兵糧が切れたのは第二次、第四時のみ
第二次は呉の石亭の勝利を受けた準備不足の出兵なため
でもこれはカク昭の防衛力を褒め称える場所
普通数万の軍勢を1000そこそこで防衛なんぞできん
第四次は後方支援役李厳がさぼったせい
これがなければ北伐は成功できた可能性がかなり高い

基本的にお前さんの指摘はピントがずれてる
81無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 21:02:21
>>80
>第二次は呉の石亭の勝利を受けた準備不足の出兵なため
こんな話あった?

>でもこれはカク昭の防衛力を褒め称える場所
>普通数万の軍勢を1000そこそこで防衛なんぞできん
20日くらいならそこまで難しくないでしょ。
褒めるべきは諸葛亮の狙いをよんで備を固めた曹真。

>第四次は後方支援役李厳がさぼったせい
>これがなければ北伐は成功できた可能性がかなり高い
李厳がさぼったのは演義。
兵糧切れがなかった3度の北伐で得たのは大した価値のない武都・陰平だけ
どうして成功できたと思うの?
82無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 21:31:02
普通1000そこそこの防衛を数万の軍勢で破れないなんぞできん
83無名武将@お腹せっぷく:2005/05/28(土) 22:29:45
>>81
>こんな話あった?
石亭での敗戦で魏の兵力が対呉に集中しており西方戦線へ回せる兵力が少なかった
その戦力的空白を突くべく出兵したわけ
>20日くらいならそこまで難しくないでしょ。
>褒めるべきは諸葛亮の狙いをよんで備を固めた曹真。
20日の防衛を数万の大軍相手に1000人そこそこでやり遂げるのは凄まじいぞ
いかに堅城でもね
孫子でも10倍いたら城攻めしても勝てると書かれているがこの時の彼我の戦力差は数十倍なわけだ
当然曹真も勿論誉められるべきだがカク昭を大した事がないと言う理由にはならんぞ

>李厳がさぼったのは演義。
九年春,亮軍祁山,平催督運事.
秋夏之際,値天霖雨,運糧不繼,平遣參軍狐忠、督軍成藩喩指,呼亮來還;亮承以退軍.
平聞軍退,乃更陽驚,説「軍糧饒足,何以便歸」
欲以解己不[幸力幸]之責,顯亮不進之愆也.
これ正史の李厳伝から抜粋
天災+サボリのコンボ

>兵糧切れがなかった3度の北伐で得たのは大した価値のない武都・陰平だけ
武都と陰平は涼州の人口の結構な割合が集まってる
人口と国力がほぼイコールで結べる古代で価値がないわけがない
と言うかかなり価値がある
84無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 02:00:47
>>83
> 石亭での敗戦で魏の兵力が対呉に集中しており西方戦線へ回せる兵力が少なかった
> その戦力的空白を突くべく出兵したわけ
>>81はそのソースを知りたいんじゃないか?

> 当然曹真も勿論誉められるべきだがカク昭を大した事がないと言う理由にはならんぞ
カク昭の凄さに異論はないが曹真は1000で十分だと思ったんだろうね

> 九年春,亮軍祁山,平催督運事.
> 秋夏之際,値天霖雨,運糧不繼,平遣參軍狐忠、督軍成藩喩指,呼亮來還;亮承以退軍.
> 平聞軍退,乃更陽驚,説「軍糧饒足,何以便歸」
> 欲以解己不[幸力幸]之責,顯亮不進之愆也.
どこにもサボリをほのめかす文はないように読めるが?
輸送が駄目だったのは雨のせい
責任転嫁は輸送の失敗後でそもそもサボリではないよ

> 武都と陰平は涼州の人口の結構な割合が集まってる
陰平は益州じゃないの?
あと人口のソースって何?
時期によってはあまり意味がないと思うので
85無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 02:11:10
諸葛亮が致命的に攻城戦苦手だったっていう考え方はないのか?
いやまあ、郝昭が凄いことに異論を挟むつもりはないんだが
86無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 04:48:23
致命的っつわれても、攻城なんてよほどうまい人か戦の素人以外はだいたいみな同じというイメージがある
87無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 21:03:24
どうでもいいが「泣いて馬謖を斬る」って誤用されるケースの多い
こと。(特に政治家ども)
88尚書令ドラミちゃん ◆rXXEdmnrEc :2005/05/29(日) 21:17:49
>>80
では、ピントを修正していたただきたいw
>国民は豊かになかった
根拠はあるのかい?
>リスクがある事は避けるタイプなので生きて帰ることができた
捕虜と斬られた者とは数万にのぼった←この記述は?
>劉二牧も余所者大義もない
名門に加えて正式に朝廷から益州牧として認められてるでしょう?
>これがなければ北伐は成功できた可能性がかなり高い
成功とは何を意味しているのかね?
89無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 07:00:24
>>81
劉エンは、一度益州牧に任命されてはいるが
朝廷からの独立を企み、天子が乗るような車を1千台作った
その後朝廷に反逆した馬騰と手を組んでいる
その為、劉エンの息子二人も馬騰の反乱に協力したが
反乱が失敗すると、馬騰は逃れ、劉エンの息子二人は殺害されている
これらは史書に載っている事であり
劉備ももちろん反逆者なんだが、その辺はうまくやったんだと思われる
90魏延の中の人:2005/05/30(月) 21:37:28
甘寧が劉二牧の忠臣だったら劉備の蜀取りはもっと苦しかっただろう。
91無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 22:14:38
忠臣だったとしても劉璋は甘寧を重用しないから問題ない
92無名武将@お腹せっぷく:2005/05/30(月) 22:38:17
甘寧が蜀に臣従してたら
一見いいようにみえて実はすごく大変だったろうな

蜀って豪傑が多いから、一見仲良さそうでも
義兄弟以外はプライドのぶつかりあいで
すごい殺伐としてそう。
それをすべていいように使ってた劉備ってやっぱすごいよな。

って、スレ違いだこりゃ。
93無名武将@お腹せっぷく:2005/05/31(火) 19:45:19
いいように使ってたのは諸葛亮では?
馬超が味方に付いた時、関羽に
いや、お前の方がすげぇって
言ったりとか
94無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 06:47:58
劉備の場合、自分と同じ属性の荒くれ者は手なづけて
賢人は敬う感じで扱ってた
荒くれ者たちは劉備を慕ったし
賢人たちは、謙虚な態度に感激して付いて行った

諸葛亮は荒くれ者を制御しにくかった
95無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 12:27:18
制御しにくいから荒くれ者
96無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 18:25:02
器量が桃園3兄弟なんかと比べて足りないのは間違いないけどな。
その器に収めきれる部下に対してのみいい人だったんだろ。

・・・ただの普通の人じゃん。
97無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:20:33
その普通の人間が背負ってしまった重責を考える
他人も自分も、過大評価してしまった自分
けれど最後まで逃げ出さずにその重責を背負い続けたことを考えると
やっぱり孔明ってスゴイなと思うよ。

98無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 20:51:20
人格的にはごく平凡だったからこそあそこまで能力を研ぎ澄ますことができたのではなかろうか
馬謖の件で失敗してからは人事でも大きな過誤はないみたいだし、凡夫なりに必死に成長しようと努力したんだろう


あ、凡夫ってのは諸葛亮が劉備たちと自分を比べてそう考えていたのではってことね
99魏延の中の人:2005/06/05(日) 14:48:23
孔明は何でも自分でやらないと気がすまない性格を直せば寿命があと
10年くらいは延びたかもしれぬ。
100無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 15:10:00
100
101無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 15:43:17
>>99
鞭打ち20以上の刑は全て目を通すことが、孔明の几帳面さの代名詞になっているけど、
本当は「微罪を犯した者への容赦のない鞭打ち刑」が真面目な彼の唯一のストレス解消法か、
あるいは単に性的嗜好のひとつだっただけじゃないのかね?
102無名武将@お腹せっぷく:2005/06/05(日) 16:17:08
自分で鞭打ちしたんじゃなくて鞭打ちの裁可下したって意味だろそれは
本当はそれ刑務官の裁可でやる仕事だからな
103魏延の中の人:2005/06/05(日) 16:57:30
>>101
このスレ的にその意見は却下する。
奴の趣味はSMでは無く女装趣味だ。

>>102
法を遵守することが国家運営にとって最重要という態度だろう。
104無名武将@お腹せっぷく:2005/06/09(木) 04:50:32
>>101 >>103
お前さんらワロス
ここは「諸葛亮って本当は変態じゃないか?」のスレだったのかよう
105魏延の中の人:2005/06/16(木) 22:14:08
「泣いて馬謖を斬る」
でも、「劉封はあっさり斬りますた」ってか?
106無名武将@お腹せっぷく:2005/06/17(金) 10:16:51
>>103
自分の趣味を司馬懿(他人)に押し付けるなんて最低だな諸葛亮は
107魏延の中の人:2005/06/19(日) 08:10:11
>>106
司馬懿は「孔明は天下の奇人」と言って呆れたらしい
108無名武将@お腹せっぷく
奇人変人さんマンセ〜