1 :
魏延の中の人:
27歳まで就職しなかった自称「管仲・楽毅」wの諸葛亮を
けなしてみよう。
2 :
魏延の中の人:05/01/10 15:54:39
2ゲット
3 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 15:55:48
けなしてみようというか孔明オタが死ねばそれで満足
5 :
魏延の中の人:05/01/10 16:09:54
>>4 その程度で満足せず、孔明の汚点・悪行を書き込んでくだされ。
劉備の遺命を無視して馬謖を街亭へ総大将として出した事。
7 :
魏延の中の人:05/01/10 16:12:24
孟達をうまく活用して北伐を優位に進められなかったこと
8 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 16:16:28
魏延の首をさっさと首を刎ねなかったこと
9 :
魏延の中の人:05/01/10 16:17:40
>>8 そんなことをすれば北伐を遂行するにあたって自分の首を
絞めるだけだ。
10 :
魏延の中の人:05/01/10 16:29:07
>>6 孔明が口で言うほど劉備様に忠実でなかったことがよく
わかるエピソードだな(藁)
夷陵で劉備を諌めなかったくせにいざ負けて帰ってくると
『法正がいたらこんなことにはならなかったのに』
責任転嫁マンセー
12 :
魏延の中の人:05/01/10 16:50:59
>>11 まあ、「漏れがついてけば勝てたのに」と言わなかっただけ
奴にしてはマシな方かw
魏延と司馬懿を燃やし損ねた事。
これは天候をチェックしなかった孔明の責任
14 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/10 17:04:06
15 :
魏延の中の人:05/01/10 20:09:44
>>13 演義限定の話だけどな。
周瑜の死を聞いて笑う孔明残酷過ぎ。(演義限定)
将来の禍根になるという理由で、劉封を殺すように劉備に讒言した
正史の諸葛亮もかなり冷酷非情。
17 :
魏延の中の人:05/01/10 20:29:49
>>16 演義の孔明は更に劉封の死を悲しむ劉備様に向かって、
「小僧一人の死を悲しむな」とか残酷さに拍車をかけてるぞ。
南蛮で大量殺戮をしている孔明怖すぎ。
赤壁で曹操を殺せなかったこと
関羽にケイシュウ攻めを進めたこと。結果関羽を殺したから
19 :
魏延の中の人:05/01/10 21:31:46
>>18 それは演義限定だ。
演義の孔明は呉の歩シツの思惑通りの行動をとってるわけだがw
劉封を殺す事で禍根を断ちながら、後主を立てる事にも失敗した。
養子を殺す「子殺し」の罪を劉備に犯させ、
後事を託されながら、専断で後主の政治意欲を失わせた。
結果、蜀漢という国の国体は有名無実化し、孔明死後の混乱を招いた。
以上の事から、孔明は、社稷の臣として二重の罪を犯した。
と、言ってみる。
>>13 それ以前に、「こいつ反骨ついてますよ、使っちゃダメ」とか本人の前で言ったのが良くない。
あれがなければ、魏延ももうちょっと素直だったと、俺は固く信じている。
浅はか過ぎる行動だったな。
奴も人間だったということか。
23 :
魏延の中の人:05/01/11 17:18:12
>>20 もっと色々語ってくだされ(藁)
>>21 まあ、見方を変えればそんな讒言を無視した劉備様の偉大さが偲ばれる。
>>22 電波入った人間だな(藁)
所詮蜀漢と言う中企業にしか勤められなかった
大企業魏に勤めた司馬懿の勝ち
強いものが勝つんじゃない。勝ったものが強いんだということですね
26 :
魏延の中の人:05/01/11 18:52:45
>>25 正義が力じゃない。力が正義だってことだな。
28 :
魏延の中の人:05/01/11 19:04:14
>>24 正確に言うと、大国魏を三代で乗っ取った司馬懿は勝ち組
29 :
司馬懿:05/01/11 19:12:36
負け組の魏延に勝ち組と言われても…
ちょっと待て
晋の後に中原を制した異民族こそ真の勝ち組み
於夫羅とか軻比能とか
31 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 19:20:13
てかそもそも、しょっちゅうけなされてないか、孔明
32 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 19:20:55
魔王となって復活するし。世界の敵だな。
ほかならぬ陳寿が批判してるしな
34 :
魏延の中の人:05/01/11 19:25:05
三戦板はへそ曲がりが多いからこんな糞スレが通用する
世間でこんなこと言っていたら馬鹿扱いされるのがおち
36 :
魏延の中の人:05/01/11 19:29:19
>>35 そうでもない。
本場中国でも孔明批判する歴史家が増えてるらしい。
孔明けなすなんて10年くらい前に流行った事
やはり孔明凄かったというのが今評だろ
まあ、批判されるのも凄さを表すパラメータの1つだな。
箸にも棒にも掛からん無名な奴のなんとも多いことよ・・・
孔明は三度も劉備を待たせるなんて失礼
即答せずに仕官をもったいぶるのはなお更失礼な奴だ。
39 :
魏延の中の人:05/01/11 19:46:55
>>38 もっと言ってやれ(藁)
>>37 そんな話は聞かん。カクコゾウ辺りに毒されてないか?
劉禅の無能っぷりに見切りを付けて
蜀の皇帝を継がなかったから滅亡したんだよ。
でもあの司馬懿相手に負けなかっただけでも孔明は凄いww
けなしながらもどことなく孔明愛が感じられるこのスレ。
43 :
魏延の中の人:05/01/11 21:10:08
44 :
魏延の中の人:05/01/11 21:14:03
一つ忘れてた。
孔明の嫁は酷いブス(藁)
ブス専かよ!
45 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 21:17:55
>>44に補足するけど一応ブス(藁)と偽っていたそうだよ
まぁ表向きブスだから結局いまになってなんと言おうとブスなんだろうけどね
46 :
魏延の中の人:05/01/11 21:21:40
>>45 その手の噂を尚寵や郭ユウシに流させたのだろう。
つまんない所に芸の細かい香具師だ(藁)。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/11 21:48:12
孔明なんて、27歳までヒッキーでニートじゃねぇかよ
48 :
魏延の中の人:05/01/11 21:51:43
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
/": : : : : : : : \
/-─-,,,_: : : : : : : : :\
/ '''-,,,: : : : : : : :i
/、 /: : : : : : : : i ________
r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i /
L_, , 、 \: : : : : : : : :i / 働いたら
/●) (●> |: :__,=-、: / < 負けかなと思ってる
l イ '- |:/ tbノノ \
l ,`-=-'\ `l ι';/ \ 一農夫(27・男性)
ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ=-' / /
____ヽ::::... / ::::|
/ ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::|
なんか今更な話しかしてないな。
諸葛亮のダメなところは、真面目すぎることと、運と度胸がないこと。
50 :
魏延の中の人:05/01/11 22:23:32
>>49 司馬懿の評
理想は大きいが優柔不断。謀を好むが決断力なし。
劉表や袁紹と同じような欠点の持ち主って訳だ。
つまり曹操より劣るってことですね
給料安すぎて愛人もろくに養えなかった甲斐性なし
54 :
魏延の中の人:05/01/11 22:42:00
>>52 そういうこと
>>53 という記録は無いが、記録官を置かなかったのは自分の所業のまずいことを
記録に残さない為だったという可能性も有る訳だ。
れんねんよくしゅうをうごかし せいするあたわず けだしじゅうおうのぐんりゃくは
そのちょうずるところにあらざるか。
かんじがわかりません。
baaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaka
57 :
魏延の中の人:05/01/15 21:32:23
>>55 なんか昔のファミコンの三国志のゲームに出てきそうな文章でワラタ
諸葛亮って引き篭もりでしょ?
孔明が推挙した香具師はハズレが多い。
馬謖しかり楊儀しかり。
向寵なんて軍事に通暁したとかいうがほぼ名前だけの登場だし
郭攸之にいたっては付和雷同しか能がない。
アタリは蔣琬・費禕くらい、姜維がそこそこ使えるくらい。
孔明には人材眼が絶望的。
60 :
魏延の中の人:05/01/15 21:46:44
こいつがいなかったら戦乱が長引く事もなく
曹操によって平和な世の中が築かれたはず。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 22:06:38
蜀漢には史官がいなかったて聞いたが‥
63 :
魏延の中の人:05/01/15 22:10:55
>>59 李厳とか有能な人物を上手く活用できてないしな
劉琰をも更迭しているし…。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 22:18:57
三顧の礼に気を良くして、のこのこ劉備についていった先見の明ないアフォ。
曹操の所へ就職しなかった負け組みケテーイ。
諸葛誕「分家の分際ででかい顔するからだ。いい気味じゃ!」
…の嘲い声が聞こえてきそう。
劉琰は日頃から酒飲みで品行が悪いからしょうがないな。
ただ、彼が妻の胡氏に暴力を振るっただけで処刑になるのかね?
68 :
魏延の中の人:05/01/15 22:48:09
>>67 その辺の話題は「劉琰討議スレ」でやってくれ。
OK!悪いな。兎に角、処刑したのが悪い=更迭した諸葛亮が悪い(?)
70 :
魏延の中の人:05/01/15 22:55:45
>>69 孔明が悪いということにしておけば全て丸く収まる(藁)
孟達が戦死したのも孔明が禍を呼んだから。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 23:02:42
戦争の強さ
曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>諸葛亮
天下三分の計とか言いながら荊州を陸遜と呂蒙に騙し取られ関羽を死なす。
街亭の戦いでは人選ミスでボロ負け、馬謖を死刑にして責任逃れ。
魏延の奇襲攻撃作戦を無視してカッタルイ迂回作戦で補給路が伸びまくり、
結局北伐は全て失敗、五丈原で過労死ww
姜維も孔明ではなく鮮卑に頼ればあんな
無惨な最期を迎えることはなかった。
全て孔明の存在自体が悪の権化?
諸葛亮って韓国人なんだってな(プゲラ
2ちゃんで何度もそういうスレが立っているから間違いないだろ。
ぷっぷっぷぷぷぷぷぷぷ!
腹イテー!
チョンだってよ。チョンが天才軍師だってよ。
恥ずかしいな。俺が中国人で諸葛って姓だったら役所に大金払って改姓するぜ。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 23:31:12
弱小企業の劉備についた時点で負け組み。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 23:34:09
よくよく考えると、実兄の僅のほうが優秀だと思われ。
劉備が死んだ後魏に下ってれば無駄な血は流れなかった。
そういう意味では
劉禅>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>諸葛亮
>呂蒙に騙し取られ関羽を死なす。
これはホウ統が悪い
79 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 00:12:33
ホウ統すでに死んでるじゃん
法正が悪いなら少しは解るが
奴が死んだから孔明が荊州空けなくちゃならなくなって
関羽と荊州を失って劉備が夷陵で惨敗して死んで
張飛も殺されてしまったんだよ。奴が全部悪い。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 05:41:37
魏延に対する扱いがひどすぎ。
コロロクなんかそうだけど。魏延を裏切るように仕向けたのは諸葛亮
82 :
魏延の中の人:05/01/16 08:47:04
>>80 続きは「ホウ統の死を恨むスレ」だやってくれ
>>81 演義の創作とは言えむかつく話だ。
孔明は非人道的だ陰惨な性格だということがよくわかる。
馬岱に罪を着せるのは悪だと思う
劉備を呉に攻めさせて蜀をのっとった
魏書に記載されている諸葛亮への批判がご尤もだと思う。
86 :
魏延の中の人:05/01/16 15:15:38
>>86 明帝紀に注解される魏略から
「・・・(略)・・諸葛亮は父母の国を棄てて仁義にもとる逆賊の一派に
おもねった。その害毒は被害を被ったが、その悪行の功績の累積により劉備は
身を滅ぼすに至った。諸葛亮は表向きは孤児(劉禅)を擁立するという名分を大切に
する振りをしながら、その内実では貪欲に権力を独り占めにしている。
(中略)・・諸葛亮はまた益州を侮りその民衆を残虐に取り扱った為、利狼・定渠・高定・青羌は
全て土崩瓦解し、諸葛亮の仇敵となった・・・・(略)・・・」
下手な癖に無理して司令官として各地を飛び回って・・・
戦争は他の奴に任せて阿斗の育成係でもやってりゃ良かったのに・・・
下手ではないが国を疲弊させたのは間違いない
放蕩が生きてればこんな事には・・・
91 :
魏延の中の人:05/01/16 18:16:35
>>87 諸葛亮が必死に隠蔽しようとした悪行ばかりだな(藁)
>>88 育成に自信が無く責任を転嫁した南陽のニート萎え〜
>>89 戦争程歳出が多く国を疲弊させるものは無いからな。
>>90 その当て字で書かれると同意出来んな(藁)
現実問題守りに入って過労だか寿命であぼーんしたら結局負けてたわけで。
最初から蜀漢建国が無謀な訳で勝算ありと建国させて戦乱を泥沼化させた池沼が悪い訳で
94 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/16 19:49:57
南陽の者なら祖国の為に袁術陛下に仕えて才能を示すべきだった。
劉備に仕えたのがそもそもの間違い。
>>94 えっ?山東でしょ?
ならば陶謙か袁紹に仕えるべきじゃないの?
漢に使えるべきだろ
>>96 諸葛亮の叔父の諸葛玄が死んで襄陽郊外に移り住んでから20歳までは
弟の面倒で忙しかったろうに。
劉表→曹操か、初めから北に赴いて曹操に仕えるべきだったな。
曹操のところにいっても上にはいけないとわかってたし……。
こういうところでも腹黒いとか言われるのか。
適当に隠者になってればいいものを・・・
101 :
魏延の中の人:05/01/16 20:36:04
>>100 隠者か・・・。
ニートにも自称「隠者」とかいそうだな(藁)
働いたら負けだと思っているby孔明
このスレいいな。
たしかに公明も見方を変えりゃ
悪人になるわな。
これというのも曹操が悪じゃないから。
天下の形勢が曹操(魏)へと変わるなかで、漢室復興という過去に囚われて
中華の民衆を貧困と混乱に陥れた。この罪は後世の人々に伝わり
そして今、我々が諸葛亮の罪と後世への影響を暴き、その偽善に満ちた
彼の正体を悪に満ちた中華史上最悪の人物にするのだ!
106 :
魏延の中の人:05/01/16 22:32:17
>>103 曹操は「非常の人」だからな。
孔明は「非情な人」だけどね(藁)
>>104 平和な益州を軍事費捻出の為民衆を搾り取り、きつい労役を課し民を
苦しめ、益州南部の異民族との対立を深刻化させた罪は2メートルプール
より深い。
107 :
魏延の中の人:05/01/16 23:21:13
魏の胡昭。字孔明はいい人だったらしい。
どこかの孔明と違って。
おまえ実在しないじゃん
竹中半兵衛重治。自称“今孔明”。
諸葛亮と同様に引き籠もり『ニート』。
就職したら負けだと思い込んでる男。
秀吉に仕えて賢明だったな。家康だったら破滅だ。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/17 04:14:50
諸葛(所轄)の出る幕じゃないのよ!!
信長(曹操)は「非常の人」。
半兵衛(諸葛亮)は「非情な人」。
112 :
魏延の中の人:05/01/17 21:17:45
悪いことは皆弟の諸葛均がやったことにしてたらしい。
(民明書房月光著「兵・平・丙!」参考)
演技では天下三分の計を実現させるために、曹操を逃がすという自己中ぶり
演義で孔明が配した伏兵は全部方角が違っているのに、なぜか曹操の
行く手に伏兵が現れるいい加減さ。
諸葛謹の馬面は孫権よりも前に諸葛亮が世間に広めていたらしい。
南蛮人燃やして大虐殺が極悪過ぎ
挙げ句の果てに泣いて誤魔化そうとして最悪
泣けば済まされる問題じゃないぞ。孔明!
出師の表書いてる時に泣いてるんだったら北伐やめれ!
118 :
魏延の中の人:05/01/17 21:57:52
>>115 ワラタ
>>116 その後何事もなかったかのように「出師の表」で北伐の為に食事を1回
減らして南蛮平定しますたとかイケシャーシャーと抜かしてる(藁)
>>117 鼻くそをほじくって笑いながら「出師の表」書いてたらしい。
魏延らしくて好きだ
120 :
魏延の中の人:05/01/17 22:38:35
孟獲を心服させる為とはいえ
阿会ナンと董ト那を見殺しにした事
横光三国志を読んでてここで孔明が嫌いになった
>>121 徐庶が劉備に仕えたらどうよって言いに来たときに
冷たい態度取ったの見て孔明嫌いになった
劉碕を見捨てろと助言したのを見て孔明嫌いになった
魏延と司馬懿をまとめて丸焼きにしようとしたの見て
孔明嫌いになった
125 :
魏延の中の人:05/01/18 21:14:53
>>121 貴殿はまっとうな人間だ
>>122 そのときの孔明の心情は「けっ!この人殺しが!寝言は寝て言え!」
に間違いない。
>>123 そうは言ってないだろ。幽閉して酒浸りにさせて寿命を縮めさせたかも
しれんが(藁)
>>124 その展開になるまで孔明を許容していた貴殿の度量の広さに脱帽
126 :
mooncutter:05/01/18 21:19:48
でも結局は諸葛亮のせいで蜀滅亡が早まったんだよね(ワラ
127 :
魏延の中の人:05/01/18 21:27:18
128 :
mooncutter:05/01/18 21:38:51
う〜ん・・・・・
45まで生きてたからなぁ。。。
尚書令・護軍将軍に任命された翌年死んだから・・・・・
でも諸葛亮の発言力の方が何倍も強いからなんとなく変化なさそう(/--)/
>>127 難癖つけられて処刑されるに1000孝直
130 :
魏延の中の人:05/01/18 21:59:11
>>128-129 案外法正殿は孔明に暗殺されたのかもしれない。
奴を脅かす存在は皆失脚するか早死にしてるが、皆
陰謀の匂いがする・・・と言っておく。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 22:45:33
吉川も言ってたが、孔明は人を近寄らせない気風があったのかな。
とことんエリート思想って言うか。
劉封に関しては可哀想としか胃炎。
132 :
法正:05/01/18 22:48:53
>>128 劉備様の信頼なら私の方が上ですよ!だから、奴は私なら夷稜の戦いを止めれたのに言ったワケで。魏延殿の扱いもそうだが、劉備様は奴と違って人を見る目がある!!
133 :
魏延の中の人:05/01/18 22:49:39
>>131 正史読むと劉封は「孟達の言う通りにして魏に降っておけば
良かった」と死ぬ前に泣き言言ってるドキュソ。
134 :
魏延の中の人:05/01/18 22:52:05
>>132 法正殿が健在で従軍していたらその軍略から呉との大敗を
防げたとも解釈できる。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/18 22:52:22
>>133 ほう。そんな記述があったとは知らなんだ・・・
>>133 いやそんな泣き言も言いたくなるだろ
処刑されるほどの問題を起こしたわけでもないのに・・・
137 :
魏延の中の人:05/01/18 23:09:37
>>136 孟達の楽隊を奪ったりして孟達離反の原因ともとられるような
馬鹿をしでかしてる。上庸失陥してるし。
>>137 クソ孔明のおかげで首チョンパなんだから
ちっとは泣き言いわせろよバーヤバーヤ
孟達の離反を招いた←関羽の責任も有る←荊州に副官も置かずに関羽一人で守らせた孔明が悪い。
>>137 上庸を落とした功績を無視して処刑されるほどか?
そんなこといったら張飛はどうなる
しかも理由が諸葛亮が制御しがたいと思ったからだぞ?
141 :
魏延の中の人:05/01/18 23:28:06
スマン。劉封を悪く言い過ぎた。
取敢えず孔明は非道!
孔明はニート!
孔明はブス専!
142 :
法正:05/01/18 23:32:39
>>134 そうか!そういう解釈もあるな。いや、そっちがいいw
孔明は、劉禅様になるまでは基本的に扱いにくい連中は見てみぬふりだったからな・・。私もか?
143 :
魏延の中の人:05/01/19 21:14:02
孔明痛すぎ
孔明擁護派が必死になってるのを見ると痛いな。真に孔明が好きなら
彼の失策とかの人間面をしっかり見てから言って欲しいね。
ブス専は間違いない
147 :
奇蹟の人・陳式:05/01/20 17:57:21
な ん で お れ だ け !
アンチ孔明が必死になってるのを見ると痛いな。真にアンチ孔明なら
彼がそれでも何故評価されるのかを見極めてから言って欲しいね。
>>148 演義で活躍を捏造。失敗を隠蔽したから。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/20 19:44:52
演義で活躍を模造ゆうてもそれは羅漢中のせいだからねwしかし羅漢中は孔明を良く書けてるとは思えん、演義の孔明は悪魔みたいなやつだ
>>150 現代的な感性で見ると悪魔的に見えるだけだろ
>>150 個人的には同意できるが世間では神扱いだからなあ
諸葛亮の評価が高いのは中原を追われた東晋の影響が大きいでしょ
正史でも凄い人物だったとは思うが公正誠実な人柄ってのは違和感を感じるんだよね
有能な独裁者という表現がはすんなりくる
まあ漏れがひねくれ者なだけだが・・・
153 :
魏延の中の人:05/01/20 21:52:47
>>152 個人レイプ。いや個人プレイに走る自己陶酔型政治家とも言える。
とりあえずお前らよりはセクースの回数は多そうだな
155 :
魏延の中の人:05/01/20 22:05:31
>>154 三度の食事を二度に減らしてまで励んだらしい(藁
五丈原で過労死したのは政務の過労ではなく性務のためらしい
157 :
魏延の中の人:05/01/20 23:06:10
足し算は得意だったが、割り算が苦手だったのだろうか?
世界史版で諸葛亮は実在しなかったことになってますが、なにか?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/20 23:14:22
じゃあ諸葛亮の直系である俺の存在はどう説明してくれるんだ?
160 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 11:35:44
中山靖王の直系である劉備に聞けば?
161 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 17:43:49
司馬懿の直系である俺が答えてあげましょうか?
引き篭もりで三顧の礼によってガスを止められた
俺もあるいは孔明の血が流れているのかもしれんな。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 19:21:28
なんだかんだ言ってみんな結構孔明を評価してるよな。
何でも孔明がしっかりやっていれば!という、蜀の政策は全て孔明が仕切ってたという結論だし。
アンチも結局は孔明の手の上か?
その論法でいくと将軍さまは評価されてることになるな
>>163いや、裸寒中の手の上だ!孔明は利用されたに過ぎん!!
166 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 20:41:15
そいつが比較対象に出てくるのが意味不明だ
167 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 20:46:41
ニートの一発逆転サクセスストーリーとして、大々的にキャンペーンをぶとう。
>蜀の政策は全て孔明が仕切ってたという結論
がどうして「公明を評価している」に繋がってくるのかも意味不明だ。
って、もしかして釣られてる?
劉備政権の首脳部を孔明一人で仕切ったみたいな印象持ってる奴が多いからだろ
曹操を支えたジュンイクに比べると、すべてにおいて劣ってるくせに、知名度だけ高いんだよなこいつ。
>170の意見は微妙だが、たかが書生一人であらゆる事が出来るほうが無理ぽ
172 :
魏延の中の人:05/01/21 21:14:29
孔明は自己宣伝が得意な香具師
2ちゃんねらの素質は充分w
荀ケは孔明と印象が似てるとかイメージがカブるとかよくいうよな。
確かにタイプでいえば同じ系統なのかもしれないが
荀ケとじゃ格が違いすぎると思う。
荀ケと孔明の立場が入れ替わっていたら一瞬にして魏が統一していたな。
つまりはそういうことだ。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 21:35:52
, -‐''''"´ ̄``ヽ、 ____
/ _ ヽ //´ __,,>、
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l _ィニニア二二二ニヽ、j._ /::::l/::::::::::::::::::::::::::::::::l
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レ:r、/ イ゚テ ピト`|::| l:::::::::/ rtテ、 .ィtq l::::::| マンコ
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ヽヽ、 r‐-, /' レリー 、 ,...., lノ/
lヽ、  ̄ / `ヽ、lヽ 、  ̄ /´
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l`ー‐‐'匸二l ̄ ̄l二フーイ /  ̄ `‐‐'´ ヽ |
(操 ・∀・)<荀イクと孔明なんて較べ者にならないよ
荀イクは潁川一帯の名士をどんどん推挙してくれたけど
孔明にそれが出来るか?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/21 21:46:42
荀ケ>>>>>>>>>>>>>>>>>>諸葛亮
孔明が徐庶冷たくあしらって劉備の元に呼び戻さなかったのは自分の軍師の地位を惜しんだから。
>>177 縁故も能力のうち
あるのと無いのでは大違い
>>178 落ち着け。荀ケと孔明を同じ尺で計るのは荀ケにとても失礼ですぞ。
縁故があるのは確かだがそれを生かせたのも
荀ケが人の才能を見抜く目があったからこそだ。
上に立つ人間にとってかなり重要なステータス。
孔明にはそれが備わってない。
諸葛だって潁川荀氏に比べれば劣るが、名士だろ
田舎で褒められて、舞い上がっちゃたのが失敗
井の中の蛙大海を知らずってやつだな
自分の才能が大したことないことを知ってれば魏に仕官してそこそこにはなれただろうに
そういう意味では孔明よりは美周朗の方がまだ比較になるのでは?縁故に加えて、周氏の名声にどれだけ孫策が助けられた事か。
一般的にイメージがかぶるってだけの理由で
孔明なんぞと比較される荀ケが気の毒。
周瑜の中の人もいろいろ言いたいことあるだろうな
>>161 司馬懿直系って事はやっぱりいかれた意見が聞けるのかしら?
個人的に妙につぼにはまった。
188 :
魏延の中の人:05/01/23 09:17:34
荀ケ殿の方が漢王室に対する忠義心は孔明より遥かに大だと思うぞ。
孔明は「漢王室」を大義名分に使ってるだけ。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 09:55:15
「泣き虫弱虫諸葛亮孔明」って本読みなね。
俺は読んでも孔明を神と慕ってるが。
逆に演義を熟読して読み終わった後に本を叩き破って棄てるって言う手も
ふん
先見の明なく曹操に降った元直は御史中丞止まり
それに引き換え忠臣の儂は天下の大漢帝国の諸葛丞相様よ
カーッカッカッカッカ
193 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/23 14:25:07
>>146 みんなブスブスっていうけど、控えめな美人だったよ。
孔明の罪はあんな美しい奥さんを独り占めしたこと。
ちなみにソースは三国志]の顔グラ。
194 :
魏延の中の人:05/01/23 15:40:22
195 :
魏延の中の人:05/01/23 19:58:28
>>192 学友に「君達も曹操に仕官すれば郡の太守くらいにはなれる」の
予言が外れてる孔明に藁
「天の時、地の利、人の和」
諸葛亮孔明は、その全てを欠く。
198 :
魏延の中の人:05/01/23 22:27:29
>>196 「人の輪」だろ
てゆーか、孔明は最初から天の時と地の利は捨ててた。
アンチ亮なんて、存在自体信じられない( ゚Д゚)…。
201 :
魏延の中の人:05/01/23 22:37:41
>>200 時代はアンチ諸葛だ。
走れ司馬懿!氏ね諸葛!
ってな。
実力としては、司馬懿>諸葛亮なんだろうが、
より強い魅力を感じるのは諸葛亮なんだよね。
こんなスレが建つのもむべなるかな。
203 :
魏延の中の人:05/01/23 22:45:06
>>202 アンチ司馬懿スレなんぞ立ててもすぐDAT落ちだ。
饅頭好きなんで孔明をけなせない
俺の友人が
「魏延って諸葛亮に逆ギレしてたヤツだろ?」
って言ってたYO
正史三国志の作者の陳寿も諸葛亮大好きだもんな
最後に「思うに臨機応変の軍略は苦手だったんじゃないかな」とひかえめにケチつけてるくらいで
ほとんどべた褒めだもんな
つまり、放蕩の代わりに孔明が死んでおけば良かったのではないか、と?
あの国力と人材の差を考えれば
孔明だろうが法統だろうが誰だって勝てないような気がする
ただ、孔明の生き様は美しかった。法統などでは到底及ぶまい
>>208 なのに後の蜀信者孔明信者に批判される陳寿タン……
孔明一人では限界が有る訳で
>>210 孔明の生き様が美しいか?なんかドス黒いものを感じるんだが
>>210がむかつくのは心が曲がっている証拠だろう。
ちなみに俺は
>>210ではないよ。IDが出せないのは残念だが。
216 :
魏延の中の人:05/01/24 21:14:35
>>210 法正殿が生きていれば最低でも涼州くらいは版図に加えることが
出来たであろう。
悲しいかな法正 痛ましいかな孝直
217 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 22:22:17
正史スキーは孔明嫌い。
演義スキーは孔明スキー。
正史は基本的に魏のための本だし、演義の8割は創作だからどちらとも言えないが、孔明は嫌い。
政治家らしく政治だけをしておけばよかったんだ。
もちろん人材不足もあるだろうが、自分にへつらう者ばかりを厚遇し、諫めてくる者を処刑、免疫してるんだから人材不足になるのも当たり前。
政治に専念し、権力を欲さなければもう少しマシな結果になったかも。
でも魏には勝てるはずもない。
218 :
魏延の中の人:05/01/24 22:24:31
>>217 浅いぞ。おまえ正史をちゃんと読んでないだろ。
知ったような口を訊くな!
拙!乳臭児!
歯を磨いて真の武人に面接せよ(藁)
219 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/24 22:38:06
>>218 そのまんまお前に返すよ。だから孔明ごときの策にハマるんだよ。
おとなしく焼かれてろ
221 :
魏延の中の人:05/01/24 22:44:16
おいおい釣られるなよ。痛いぞ。
>218は演義厨というよりもただの池沼だろ
224 :
魏延の中の人:05/01/24 23:05:27
>>223 誰が演義厨だ?
誰が演義厨だ?
誰が演義厨だ?
何厨なのかは知らんけどとにかく厨なのはよく分かった
226 :
魏延の中の人:05/01/24 23:12:15
すまん間違えた
>219が池沼
お詫びに
○
.∵ ● ノ
':. | ̄
_| ̄| / >
228 :
魏延の中の人:05/01/24 23:18:43
>>227 素でなんのAAかわからん。
てゆーか孔明のことけなしてくだされ。
正史読んで孔明嫌いになる奴の心境がよく分からん。
俺は演義→吉川三国志→横山三国志→正史の順に読んだけど、
ますます諸葛亮が好きになったけどなあ。
というか大尊敬してます。アンチ孔明氏ね。
230 :
魏延の中の人:05/01/24 23:31:34
>>229 そんな君には「蒼天航路」を読むことをお勧めする。
>>229 横山三国志の
☆魏延紛れて焼き討ち☆徐庶に冷たい仕打ち
あたり読んで嫌な奴だな、、、と漠然と思い、
演義読んでイカレた大活躍に('A`)と思い、
正史読んで、演義での過剰な優遇されっぷりを知り、
ますます嫌いに
というパターン
俺はどちらかといえば演義派だけど孔明大嫌いだよ。
>>231には激しく同意。
こいつが出てきてから面白くなくなったような気さえする。
どうせまた孔明大先生が何とかして下さるんでしょ、はいはい。
みたいな。
>>232 孔明大先生が活躍する前までに、度を超したアフォ行動をして
お膳台する奴等がまた可哀想でな。。。
周瑜とか魯粛とか曹仁とかあげればきりないが
234 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 00:29:07
不細工と結婚しといてそれを弟に押し付けてんじゃねえよ
>>233 演義では孔明と絡む奴のほとんどがアフォ化するからな。
哀れでならん。
中の人なんてフレーズが定着してるとでも思ってんのか。
なりきりヨソでやれ。
俺は演義&ゲーム派だけど、孔明はあまり好きじゃないな
まるでスーパーマンで全く面白み&人間味に欠けるから
>>237 曹操もスーパーマンって言えばそうなんだけど、
演義で悪役にされてるせいか、孔明に較べて人間らしいマヌケな
エピソードが満載で親しみ持てるっつーか、かわいい感じすらする。
好き好き関羽とか歯折られたりとか濮陽城で火傷脱出とか
孔明もちょっとアホなところとか頭悪いエピソードがあれば
よかったのかも
というか、法正ならまだ分かるが孔明やホウ統は魏と戦って結果を残してないんだが・・。結局、魏なら二人は劉曄ぐらいまでいけたら上出来じゃないかな。
孔明氏ね
張飛から草庵に放火されて焼死してたらマヌケエピソードになったかも
>>241 隆中の偏屈ヒッキーのまま終わりじゃねーか!
243 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 01:41:49
>>241 ワロタww
漏れは横山三国志からはいったクチなんだが、やはり孔明大嫌いになったな
孔明がでてきてハイ解決。まるで水戸黄門を見ているようなワンパターンで嫌気がさしたよ
つか横山ってある一人の人物を取り上げて過剰に神格化するパターンが多くない?
例えば項羽と劉邦でもホウ城での大敗では韓信は関わっていない事になって、「魏豹とかいうカスが指揮してたから負けた」
という書き方をしてたし。
「韓信や孔明は天才だからゼッタイに失敗などしない」という構図になってるんだよね
まあ、初めて読む人に韓信・孔明のスゴサをわからせるには都合よかったんだろうけど・・
244 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 03:36:26
諸葛亮は貶しようがない
演義の曹操は好きだったが蒼天の曹操はかなり嫌い
横山の劉備は好きじゃないが蒼天の劉備は好き
諸葛亮をけなすもくそも正史読めよ
逆に諸葛亮のどこを誉めれるんだ?
諸葛亮は、意外と小市民なところとか、失敗も結構してるところとか、
最初からダメだとわかってるのに死ぬまで頑張った悲劇的な面が好き。
人に優しくはないが、自らは清く正しくありたいと思っていたであろう
その志を評価したい。
権力持ってる偉い人に、こういうタイプは少ないんじゃないの?
>>249 失敗も結構してるくせに、それが神格化されて失敗とされていない
ところが嫌い
アンチ孔明って、ひがみなの?
>>250 漫画の読みすぎじゃねーの?
まあおまえ程度には横山三国志くらいがお似合いだが
スレタイ見て欲しいんだがー
た ま に は けなしたっていいじゃないか
信者は来ないでくれよ
横山三国志を読んでキョウイは好きになったけど
孔明はそんなに好きでなかった。
何でもできる分かる万能人すぎたから。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 13:42:30
アンチ孔明も孔明ファンだから、信者が来るのは正しい。
孔明バンザーイ━━━━ヽ(´д`*)ノ━━━━!!!!
256 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 14:59:09
孔明信者VSアンチ孔明
漢塾塾歌
一、昭烈帝の生き様は 色なし恋なし情けあり
漢の道をひたすらに 歩みて明日を魁る
嗚呼漢塾 漢意気 漢の道を魁よ
二、諸葛武侯の魂は 強く激しく暖かく
漢の夢をひたすらに 求めて明日を魁る
嗚呼漢塾 漢意気 忠臣の夢を魁よ
嗚呼漢帝国 漢意気 漢の夢を魁よ
嗚呼漢帝国 漢意気 忠臣の夢を魁よ
孔明VSメカ孔明
劉表の前でウンコしようとしたときズボンを上げてくれたのは
孔明だった。
曹操の前でウンコしようとしたとき、ズボンを上げてくれたのも
孔明だった。
祝融夫人の前でウンコしようとしたときもズボンを上げてくれたのは
孔明だった。
孔明!戻って来い!引きこもってる場合やないぞ!おまえがいないと駄目や!
早く戻って来い!三国志ブーム終わってまうぞ!
260 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:12:25
能力はともかく、人間としては素晴らしい生き様だと思う。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:19:27
正史で陳寿は孔明の政治的才能をベタ誉めしつつも軍事的才能には疑問を示しているが、
それはあくまで陳寿の個人的見解であって、
演義やそれに先立つ平話・講談以前から孔明の軍事的才能も認めてる人は多かったぞ。
陳寿の正史に注を付けた裴松之をはじめ、後世の歴史家はほとんどが高く評価してる。
戦術はともかく、戦略(天下三分の計)は間違いなく優れていたし、
北伐を悉く阻止されたのも相手(司馬懿)の戦術がそれ以上に優れていたというだけ。
政治家としては上の上、武将としては上の下といったところじゃないか、と。
もちろん曹操や司馬懿などより軍事的才能が上とは思わないが、
アンチ蜀のにわか正史厨が貶すほど劣ってるとも思わないということ。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:28:13
このスレは誉められまくってる孔明をたまにはけなそうっていうのが主旨なんだが
誉め殺しって言葉知ってる?
>>263 「けなす」ってよめる?
「 け な す 」
ちょっとむずしいかな?
>>261 うむ・・・・理論で語るだけなら天才なんだけどな・・・・
諸葛亮も馬謖同様、理論ばかりが先行してしまうタイプだったのだろう
しかし、諸葛亮最大の失敗は関羽の暴走を止められなかった事と、
関羽が殺された事に激怒した劉備の呉への攻撃を止められなかった事、
夷陵の戦いで劉備の下手糞な陣形を変える事ができなかった事だな
荊州を失った時点で天下三分の計は破綻してしまったからな
267 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 21:54:25
荊州、漢中が蜀側にあってこその天下三分だからな
269 :
魏延の中の人:05/01/25 22:19:41
孔明はいびきがうるさい
しかし、孔明が神格化されてすぎていることを批判することが、
孔明をけなすことになるのだろうか…?
>>261 >戦術はともかく、戦略(天下三分の計)は間違いなく優れていたし、
これは逆じゃないか?
北伐では戦術レベルでの成功はそれなりにあるけど戦略的には司馬懿に手も足も出なかった。
天下三分についてもスタートで既に躓いてる。
能力についてはほぼ同意(政治家として上の上は悪い意味も含め)。
ただ陳寿が疑問を呈してるのは軍事的才能全般ではなく
おそらくあなたが上の下と判断している根拠と同じだと思うよ。
天下三分はカイ通が考えたことだろ?
273 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 22:51:42
国を作るには一人の天才より多くの秀才。
孔明を一本釣りした時点で劉備は失敗だった。
孔明は人を手足のように使う点でダメ。
人間的な魅力で多くの秀才を従えた曹操の方が
優れる。曹操の部下はあくまで共同経営者的な
感じがして良い。個々の長所がきちんと発揮されている。
274 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 23:03:45
結局、司馬懿の方が優れてたんだよw
>>273 人使いがウマイんだよな、曹操は。
能力を最大限に発揮させてあげられる感じ。
曹操はまさしく将の将。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/25 23:38:47
孫子を注訳付け加えたんだよ。当たり前だ。
比較の対象が曹操とか司馬懿になっちゃってるところが、すでに……。
司馬懿と諸葛亮の立場そっくりそのまま入れ替えても北伐の結果は同じだった気がするな。
諸葛亮はもともと互角の立場で司馬懿とは戦えなかったしね・・・
互角の条件までもっていけなかった時点で負けてるともいえるけど。
つーか、司馬懿は諸葛亮みたいに劉備に肩入れするなんてあほな真似はしないから
その仮定は無意味
つーか司馬懿なら北伐なんてしないだろ
そこらへんがバカの壁
孔明なんて、劉表の下でゴチャゴチャとなんやかややってただけじゃん。
>>280のような話をよく聞くが
劉備に仕えることを選択したのは諸葛亮自身
だから国力差を嘆いても何の意味もない
なら、最初っから魏に仕官しろと言いたい。
至強に仕え、後に一族が帝位を簒奪せしめた司馬懿とは
人生の器量において比べるべくもない。
>>284 どうしても司馬イ>諸葛亮にしたいと思ってるみたいだけど
完全に互角ならどっちが勝ったと思う?
完全に互角なら先に動いた方の負けじゃね?
司馬懿だったら北伐などせずに蜀漢を簒奪しますから。
>>285 じゃ完全に互角な立場で
曹操VS諸葛亮
ならどっちが勝ったと思う?
お互い人生の円熟期で
>>285 生まれたときは両方、名士の家柄なので互角の出発点
互角の立場ってのがまず意味わからんし、勝った負けたの条件もわからん
曹操・司馬懿と較べられている時点でけなしてない気がするんだが
>>288 どう考えても曹操の圧勝
互角な立場とかってさ、少年漫画じゃないんだから。
互角な立場にすら立てなかったからダメってことだろ。
>>288 同兵数で戦った場合
攻城戦>攻めなら曹操の勝ち 守りは諸葛亮
曹操が攻めて諸葛亮が守る場合は多分曹操
野戦>諸葛亮の勝ち
戦闘規模が大きくなればなるほど諸葛亮が有利にはなると思う
>>291 諸葛亮の実力なんて魏なら20人並ってとこだが
弱国蜀では実質TOPだったわけだから、TOP同士で比べてるだけ
能力が同等だから比べてるわけじゃない
295 :
魏延の中の人:05/01/26 22:25:45
>>295 新説ではないよ
確かに(劉備に士官する前の)諸葛亮は劉表の(支配)下の(荊州)でゴチャゴチャやっていたよ
しかしまあ平均寿命が今よりはるかに低い時代に(40くらいか?)
27まで晴耕雨読というのは呆れを通り越して凄いような気もする。
大志があったからだろ。おまえらヒッキーがとりあえず引きこもってるのとはレベルが違う。
さすがは諸葛大先生だ。
魏の天下が嫌だったから劉備に仕えて中華を戦乱に巻き込んだ男、諸葛亮。
さすがは諸葛大先生だw
>>298 諸葛亮は引き篭もっていない
士官こそしていないが荊州名士の中で派閥争いをしてた
黄承彦の娘が不細工だけど権勢を広げるには有利だからと結婚するような男だ
正史の腹黒孔明と合わせて見るとしっくるくるぞ
孔明は蜀のためとかいってしなくてもいい仕事まで自分にしょいこんで過労死したので
魏の重鎮でありながらもクーデターを起こして晋王朝の礎を築いた司馬懿の方が結局は上
303 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 02:50:36
こ こ は 諸 葛 亮 を け な す ス レ で す
能力的にはともかく、人格的には完全無欠
それが諸葛クオリティ
清廉高潔な人格なんてのは周りに害悪しか及ぼさないんだがな。
煮ても焼いても食えないようなしたたかなヤツほど信頼できるし、魅力的だ。
>>305 清廉高潔な人格を装っていても隠しきれないほどの腹黒さ
喪前は未だ諸葛亮の魅力に気付いてないだけだ!!
確かに、人格は
孔明>きれいな松井
司馬懿>上原
法正>ノリ豚
2ちゃんねらー>言わずもがなw
くらいは差があるだろうな。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 14:51:29
意味がわからん
309 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 14:56:13
全部夢だったんだよ。いい加減目ェ覚ませよ。
諸葛亮<司馬懿なんだよ。諸葛亮は負け組みなんだ。
いやしかし、明帝記で曹叡がガチガチに諸葛亮をけなしていたな。
311 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 14:57:51
知力胆力は衆に群を抜き、しかも長身イケメソ。
清流派人士のメッカであったケイシュウにおいても名士として一目置かれた男。
放浪の皇孫・劉備に仕えて天下三分を成すも、志半ばにして戦陣で没する。
かっこよすぎておまえら嫉妬してるんだろ?
劉備の死〜出師の表〜秋風五丈原 あたりの流れは俺も感動した。というか泣いた。
結果が出てない諸葛亮の軍事的才能に疑問符を付けるのはともかく、性格にケチを付ける奴の気が知れない。
ただ、演義の過剰な演出はかえって諸葛亮の魅力を損ねているように思う。義捐に対する態度はひどすぎw
>>311 でも27まで田舎で引きこもり農業青年したくない
>>312が感動してるのは劉備の死からだからそれ以前の諸葛亮は勘定に入ってません
316 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 17:45:31
>>312 ゴレンジャーみたいなもんで、勧善懲悪でわかりやすいから
たくさんの人に愛されたってのがあると思うんだ。
>>316 結果的に勧善懲悪じゃないから好かれるんだと思うんだ。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 17:52:19
判官びいきは日本人だけじゃないってことやね
319 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 17:54:15
そもそものターゲットは、文字も読めて、好奇心旺盛な藻前らみたいな現代のインテリゲンチャ
じゃなくて日銭稼ぐのに必死な、そこいらの庶民だからな。分かりやすいのがいいんだよ、分かりやすいのが。
演義の話してんの?
秋風五丈原なんて名前なのは演義だけだろう?
322 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 19:14:03
RYOは大人気だな
323 :
呂布:05/01/28 19:17:19
最強はおれやろ
324 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 19:35:46
彼は良き部下を殺している。
楊儀の一族楊ギョウは孔明に働きすぎだと言った。
孔明は適当に流し、過労死するまで働き続けた。
その結果、楊ギョウは孔明のことを心配するあまり心労によって
孔明より先に倒れてしまった。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 19:39:11
326 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/28 19:56:20
>>324 孔明先生の人望の厚さを物語るエピソードだな。
まあおまえら2ちゃんねらーには、おまえらのこと心配するあまり倒れてしまうような人はいないだろうがw
最近 魏延の中の人 いないな。
だんだんスレが糞化してきてる。
けなすスレなのにイチイチいちゃもんつけにくる
キモ孔明ヲタがいるからなあ。。。
春休みだから仕方ないかもしれないけど
>>328 君は大学生だね?俺の灰色の脳細胞がそう告げているよ。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 03:50:32
けなす点が見付かりません
たまにけなせばいいんだからいつもは誉めといてもいいんじゃない?
国力乏しいのに五度も北伐した。超えらい
戦争という政治の手段を繰り返し用いて成果(領土その他)を挙げられなかった
のだから、政治家としてもそう誉められてものではないような
334 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 13:38:37
それは価値観の違いじゃないの?
漢室の復興が国家の至上目的だったのなら、被害云々いってもね〜。
民はたびたびの出兵に文句も言わず諸葛亮の死を嘆いたんだから、それなりに納得してたんだと思うよ。
民が諸葛亮の死をどう思うかと、諸葛亮の政治・軍事の実績、成果は別だと思うが
例えば劉禅や献帝など。彼らは民に恨まれたりはしなかっただろうが、為政者として
実績は批判されてもしかたない
>>335 献帝は即位した瞬間から傀儡だからなぁ・・・民に恨んで貰う事すらできなかったんじゃないかと。
中華皇帝は君臨すれども統治せずが基本姿勢
アホな事いってんじゃね
338 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 14:39:18
俺はこういうスレだから貶すけど、別のスレなら褒めるよ。
>>337 初耳だ。たしかに後漢に関していえばその通りだが、あくまで結果としてだろ。
>>341 まあなんだ
一通り色々調べてから考え直す事をおすすめしとくよ
27歳まで引きこもりでも偉くなれるってことだ。
がんばれ、俺
君臨すれども統治せずが基本と思ってる人は、古くは始皇帝とか漢の武帝、宣帝とか魏の文帝とか、
凄く新しくは雍正帝とか色々勉強してみた方がいいな。
実権を臣下に奪われた皇帝は取り戻そうとするしな。
すくなくとも、後のイギリスや日本のように基本にはなっていないね。
時々親政皇帝いるけどそっちのが稀有
348 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:22:15
木牛流馬を発明して牛さん達の職場を奪った孔明はもっと非難されるべき。
「君臨すれども統治せず」の意味がわかっていないね。
この言葉は、日本の天皇機関説のように、権力(実権)は下部機関が保持し、上の
主君が権威でもって保障するというもの。
しかし中国においては異なる。権威も権力も皇帝のもとにあり、側近たちはその権力
を皇帝に代行するカタチで振るったのだ。つまり、あくまで権力の源泉は主君のもの。
「親政したかどうか」が見分けるポイントではないのだよ。
中国における政治史とは、皇帝と臣下の権力の綱引きといえる。
両者は権力をお互いに引き寄せようと様々な駆け引きをおこなった。皇帝が親政するのも
飾り物になるのもその結果であり、とても制度・伝統としての「君臨すれども統治せず」
とはいえないね。
350 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/29 23:28:04
皇帝でも初代や2代は親政がデフォじゃないのか?
351 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 00:44:28
結局天下三分の計って成功してたとしても魏は倒せなかったと思うんだがどうだろう
352 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 00:45:30
倒せなかったでFA
諸葛亮は夢見すぎ
たしかに夢見すぎだが、それがいいんじゃねーか。
ショウエンやヒイの生き様に感動するやつがいると思うか?
孔明のスレなんて普通に誉め系の流れが当然だしそれが孔明のいい所だけど
このスレでは敢えてそんな孔明を貶すのが面白かったのになぁ。
>>1の煽り文なんて最高だよ。
でも司馬懿道づれに消せるなら魏延の命なんか正直惜しくないよねw
南蛮人なんて、wwwですよねwwww
357 :
孔明:05/01/30 17:20:12
権力は蜜の味w
358 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/30 18:28:53
天下三分の計はカイトウのパクリ出師の表は楽毅のパクリ、孔明パクリだらけだね
啼いて馬謖を斬る?ふざけんな。
己の人物判断の無能さを棚に上げて、自己憐憫に浸ってるだけじゃねぇか。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 00:05:25
馬謖の才を恐れて、粛清したのでは
劉備が死ぬ間際に
息子に国を治める力が(ry
っていうことによって
孔明に蜀をのっとられるのを防いだっていう話がある、
(あんなふうにいわれたら君主やりますなんていえなくなる)
魏延、馬謖が殺されたのも孔明にとって邪魔だったから
と考えられるよね
魏延は諸葛亮に殺されてないぞ
ていうか蜀漢は君主が劉姓であっての蜀漢であって諸葛亮がのっとったらもはやなんの取り柄も無いの弱小国じゃん
ムリしてやったことのない戦争指揮なんかやんなきゃよかったのに
>>361 元から孔明に乗っ取る気があったなら、
「息子がダメなら乗っ取って」という遺言は、
乗っ取りの良い理由になってしまうじゃないか。実際公嗣にはやる気無い。
>あんなふうにいわれたら君主やりますなんていえなくなる
その程度で乗っ取る気をなくすくらいなら、元から乗っ取ることなど考えないだろう。
もうちょっとまじめにけなそう。
>>362 やったのはバタイだが指示出してたのは孔明だぞ
>>365 どっかの大学教授がおんなじことかいてた
図解雑学かいてる人
孔明の阿保な方針で魏なんて攻めないでどんどん南に植民地を広げてゆけば
無駄な国力消費なんてしなくてすんだのにな
あれだけ劉備に荊州乗っ取れとそそのかしといて
いざ自分が蜀を乗っ取るとなると躊躇するのはおかしい。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 01:05:37
所詮、国力ではどう足掻いても勝てないのだから、
兵を養いながら中央の変事を待つべきだった。
実際、曹丕→曹叡と短命の君主が続いた曹王朝を司馬氏が乗っ取ったが、
蜀がそこにつけこめた可能性も大きかったように思う。
孔明の下らないロマンチシズムが全てを台無しにしたんだよ。
事変を待ってたら先に滅亡するのは蜀
WW2の時、日本はアメリカの変事を待てば勝てたと言ってるようなものだ。
>>369-370 孔明信者乙。勝てない相手に立ち向かって玉砕するのは滑稽なだけだよ。
WW2の日本も同様にねw
>>371 ということは初めから降伏していれば良かったということだね
蜀は国是として中華統一があったからともかく、
日本はアメリカと勝てない戦争する必要性なんてほとんど無かったじゃん。
一緒にするのは、いくらなんでも孔明先生に失礼。
どうせいつか死ぬなら初めから(ry
>>372 戦争しないんだったら降伏する必要もないだろw
おまえ馬鹿か?
燃料乙
まさか本気じゃないだろうから
二元論でしか語れないコヴァが乱入したせいで
ますます糞な流れになってきてますね
振られるのを恐れて一生道程でいるタイプだな。
「一度も振られた事ない」と自慢するのか
付き合ったことないから振られた事ないに決まってる罠
振られるのは個人の問題、心の問題に過ぎんが
戦争して負けるのは国家の一大事だろうがw
例えとしては面白いが見当違いだな〜w
>>373 とりあえず日本が太平洋戦争に突入する経緯ぐらいは学んどけ
蜀の国是なんかよりはマシな理由があるから
孔明の北伐が蜀を滅ぼしたとは思わないし
王朝交代時につけこめるとも思わないが
北伐を繰り返すよりは足元を固めて変事を待つべきだったと思う
しばらく待てば異民族が勢力拡大してきたからね
まあこれは結果論でしかないけど
しかし、たまに入ってくるマジ安置とマジ儲が
かなりいい感じだ。 読む分だけではだが。
>>367 全くおかしくない。躊躇どころか、考えもしなかったはず。
関係ないけど、爆笑三国志の
「孔明が北伐くり返したのは甘いものが食べたかったから」
っていうのは笑った。
>とりあえず日本が太平洋戦争に突入する経緯ぐらいは学んどけ
>蜀の国是なんかよりはマシな理由があるから
でたw
なんだかんだ言って名家だからド田舎の蜀が肌にあわないんだな、これが
四川料理も口に合わなかったんだな
>>381 >とりあえず日本が太平洋戦争に突入する経緯ぐらいは学んどけ
いうに事欠いてそれかいw なんでそんなに自分の見識に自信を持てるんだwww
マジレスしとくと、
たぶん君とはハルノートの持つ意味について見解が分かれてるんだろう。
俺はそれも含めて日本外交の舵取りによっては回避できたし、かなりの妥協を強いられたとしても
敗戦よりはましだと思ってるくちだから。
だって考えてもご覧。ルーズヴェルトの急死による米ソとの対立、中国赤化、朝鮮特需、GHQ(に理想家が多く、日本に寛大だったこと)
これらのどのファクターが欠けても、たぶん日本は工業国家としては再生できなかったはず。
あまりアホな事言ってないで、もう少し歴史の勉強をした方がいいよ。
>>386 下三行とその前の文が繋がっていない件について
人柱の風習をやめさせるため、饅頭を発明して豚さんたちの命を奪った。
これは非常に重い罪である。
>>387 つながってるよ。ダメ元で戦争するには負けたときのリスクが大きすぎたって言ってるの。
アメリカは当初、日本を農業国家にしてアメリカに刃向かうような国力は二度と持てないようにする予定だったことくらい知っとけ。
今おれらはすごく豊かな生活をしてるけど、これは本当に幸運に恵まれてのことで、負けることが分かってる戦争は基本的にやっちゃいけない。
魏と蜀の国力差はそこまで圧倒的じゃなかったけど、それでも孔明はダメ宰相だな。負けはしなかったことがまだ救いか。
そうだな、豚さんは大事だもんな
あんまんにするべきだったよな。うんうん
諸葛亮の中途半端な活躍に関する不毛な議論で貴重なインターネットリソースが浪費されてしまっているな。
>>391 それが諸葛亮の罪かーΣ(´Д`lll)
三国志曹操伝の青シナリオの諸葛亮だけはガチ
>とりあえず日本が太平洋戦争に突入する経緯ぐらいは学んどけ
>蜀の国是なんかよりはマシな理由があるから
マジワロス 厨房かw
>>389 >アメリカは当初、日本を農業国家にしてアメリカに刃向かうような国力は二度と
持てないようにする予定だったことくらい知っとけ。
だからこそ、日本は無理を承知で戦ったのでは?
あの時代に、軍備を調うことの出来なくなる農業国化は、すなわち植民地として
大国の歯車の一つになること。
植民地が悪とされたのはそれこそWWU後。それ以前だったら、「植民地になれ」と
言っているような要求つきつけられたら、国家の独立を守るためにはやらざるを得ない。
だからこそ、戦後にパル検事は「ハルノートなんて突きつけられたら、ベルギーの
ような小国でも立ち上がっただろう。よって無罪」なんて言ったのだろうし。
スレに戻すと、戦いたくなかったのにアメリカから事実上の宣戦布告されて戦わざるを
得なかった日本と、理想のために自分から出て行った諸葛亮は同じには出来ない
と思う。
397 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 09:09:16
諸葛亮厨がウザイ
ここは数少ないアンチスレなんだから入ってくんな
398 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 10:34:08
>>386 別にどんな見解を持っていようと構わない。
それもひとつの見方だしな。
ただ自分と異なる意見=歴史を知らない馬鹿とか言ってる時点で
馬鹿なのはお前なんだよ。
2chってそういう奴が多い。
相手を貶める事で優位に立ちたい奴。
399 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 10:58:12
>>396 WW2の直前は民族自決の原則や国の主権についての意識があって、
単純に賊扱いされる蜀に比べたら、当時の日本のほうが
色々と交渉の余地があるよ。
>蜀の国是なんかよりはマシな理由があるから
なんて言ってる時点で、(少なくともこの板においては)馬鹿にされても仕方ないと思うぞ……。
空気読めよ。
>>396 あー、
>>389は戦勝国としての予定な。だから、
>だからこそ、日本は無理を承知で戦ったのでは?
は意味をなさない。少し分かりづらい書き方だったかも知れんが、
逆に言えば、この程度の知識もない奴が気軽にWW2を正当化すんな。
たぶんおまえはコヴァや2chの論調に影響された未成年だろうけど、
理想や正義はどちらの側にも存在するもので、そんなものを振りかざしても意味はないんだよ。
だからこそ、成果のない出兵を繰り返した諸葛亮は有罪なのさ。
無知のくせに知ったかしてるバカウヨandバカサヨが大漁に釣れるスレはここですか?
雲梯みたいな大道具を兵器として使おうと考える頭脳を神と言われてもねぇ・・・。
404 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 15:00:47
仲達>>>>>>>>>孔明
--------------------終了--------------------
公明(徐晃)>>>>孔明(諸葛亮)>>>>孔明(水滸伝)>>>>公明党
406 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 15:36:21
おれ(ニート)>>>>公明(徐晃)>>>>孔明(諸葛亮)>>>>孔明(水滸伝)>>>>公明党
67 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:05/01/26(水) 01:39:12
演義に出てくる、孔明が十万本の矢を集めるエピソードは
唐の張巡の故事に由来しているのだそうだ
滝沢馬琴が「八犬伝」の中で登場人物にこのことを言わせている
曰く、
張巡は唐の忠臣である。安禄山の乱の時ひとり孤城を守って屈せず
ついに矢種が尽きたので藁人形を約千体つくり黒い衣を着せて
夜、城壁からつり降ろすと賊兵が争ってこれを射たため矢十万本を得た、と。
とのこと。
>>407 とのことというか諸葛亮の手柄じゃないのは常識
で、唐の張巡の故事ではなく呉の孫権の故事に由来な
409 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 19:43:11
つか三国志演義の絵の中で登場する兵や将校たちの鎧や装備自体、
実際には明朝時代のモノらしいからな
諸葛亮が連弩を開発したのは紛れもない事実
では孔明のオリジナル手柄って何かあったっけ?
赤壁の孫劉同盟くらい_?
412 :
魏延の中の人:05/01/31 20:26:20
>>411 それは魯粛殿の功績。
悲しい哉魯粛
痛ましい哉子敬
413 :
魏延の中の人:05/01/31 20:34:21
>>410 ああ、あの結局1発も弓を飛ばせなかった玩具(藁)
糜竺より格下w
>益州が平定された後、糜竺は安漢将軍に任命された。
>これは軍師諸葛亮よりも上位であった。
>つまり劉備は、荊州奪取、そして入蜀に功績のあった諸葛亮の功績よりも、
>それまで盛り立ててくれた糜竺の功績を上だと判断したことになる。
415 :
魏延の中の人:05/01/31 20:52:16
甥っ子に「僕のおじちゃんは僕のパパより下」って言われちゃな(藁)
蜀はその龍を得、呉はその虎を得、魏はその狗を得たり
と、諸葛亮を龍にたとえてるのは
「名声だけはご立派だが、架空のもので実力が伴わない」という意味
417 :
魏延の中の人:05/01/31 21:01:53
孔明→天下三分の計をでっちあげ中国の戦乱を長引かせた
張昭→主君の力量を見て天下人としては度量が足りないことを
見切り、民を想い、これ以上の戦乱が続かないことを願い、
敢えて汚名を被ってでも孫権に降伏を勧めた。
識者にとっては張昭>>>>>>孔明は当然ぽ
識者にとってはというより、何をもって優れているとするかだろうに。
個々の民の命の価値なんて鼻糞程度でしかないからな。
420 :
魏延の中の人:05/01/31 21:28:34
>>398 反論できなくて悔しいのは分かるが、話をそらすのは良くないよw
おまけに
>>381はさしおいて人格攻撃とは救いがないな。
まあ、自分の馬鹿さ加減を自覚したところでとっととコヴァ板に帰ってくれw
>>414 そもそも入蜀にあたって諸葛亮って何か功績あげたか?
軽舟で留守番してただけだろ。
>>422 荊州を守りきっただろ。どこぞの鬚オヤジと違って。
424 :
魏延の中の人:05/01/31 21:40:05
>>422 その頃の孔明は領土の税収確保が本分だろう。
ホウ統殿が亡くなってそのおこぼれに預かれたというところか?
孔明ヲタが死ぬほどうざいことがよくわかった
426 :
通りすがりの剣豪:05/01/31 21:48:16
孔明ちんは、あの帽子がむかちゅく!!
427 :
魏延の中の人:05/01/31 21:50:21
一番鬱陶しいのは演義オリジナルエピソードとかハイショウシが「こんな
のガセネタ」と論理立てて説明している説を喜んで取り上げて
「孔明マンセー!」と叫んでる香具師。
代表例 加来耕B
429 :
魏延の中の人:05/01/31 21:59:45
お前らは小泉みたいなバカ殿を主に祭り上げて
ブッシュとかいうチンパンジーと同盟結んでおいて
孔明批判とはおめでてーな
431 :
魏延の中の人:05/01/31 22:17:07
>>430 誰が孔明の家にいた童子のように語れと言った?!
>>400 WWEUとかどうでもいいけど
蜀の国是をけなす=孔明をけなす
だから間違いはないんじゃないの。
もともとこのスレの意図は、
勝てる見込みのない戦をして蜀の民を疲弊させた孔明=悪
(しかも漢を復興させるとか言うつまらない理由で)
という感じなんだから。
板違いの議論を持ち込む=厨房扱いされるのは仕方ない罠。
つーか、いい感じで流れてたものをどうして今更蒸し返す?
434 :
魏延の中の人:05/01/31 22:58:04
連年のように兵を動かし国を疲弊させたのは能力の無さ故ではないだろうか?
(陳寿直廊の番人−独眼馬鉄談)
褒めるスレであれけなすスレであれ
曹操>司馬懿>諸葛亮
は確定。上二人はすごすぎる
で、オレの考えでは
諸葛亮>孫権>曹丕
だと思うがどうよ?
436 :
魏延の中の人:05/01/31 23:16:04
総費>損犬
だろ
損犬は疑い深く殺戮多かった暴君
孫権って史書によって評価が分かれるんだよな。
正史の記述は
>>436だっけ?
438 :
魏延の中の人:05/01/31 23:28:42
>>437 陳寿の評だ。
孫権は演義ではかなり美化(欠点を割愛されてる)されてる
孫権は若いうちは優秀な君主だとは思うんだけど
晩年の耄碌があまりにもひどくてなあ、、、
あんなに尽くした陸遜が浮かばれないよ
440 :
魏延の中の人:05/01/31 23:35:04
孫権に遠ざけられて憤死したのは誰だったかな。陸村でよかった?
日本人みたいだ>陸村
444 :
魏延の中の人:05/01/31 23:42:09
445 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/31 23:49:35
諸葛亮の戦略って、守るための攻めだってよく言うけど
実際どうだったの?逆に、魏の蜀に対する警戒心が増して、蜀が危険になりそうなもんだけど。
北伐をせずにただ衰えていくより、自分の存命中に
少しでも領土を広げておきたかったんじゃないかな。
武帝廟とつくってもらうために手柄を立てておきたかったに一票
軍隊を手元に置きたかったとか?
影響力を保ちたかったとか?
孔明は馬良を苦々しく思っていた
つっついて狭い漢中に攻め込ませて一網打尽が狙いだったんだよ
_,r'":::::::::::::::::::::::::::::\
\:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ ワイは豚や! プロゴルファー豚や!
|:::::::::::/ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄i ブフッ
|:::::::::::ゝ ミ■■ ■■彡 つむじ風舞う ロサンゼルスで
|:::::::::/ -・=- , 、-・=- 狙うはメジャーの ポスティング
|(6|::| ⌒ ) ・ ・)( ^ヽ 大地に沈む両脚と 札束掴む両腕に
|. |::| ┃ノヨョヨコョヨi┃ | ブランド賭けたこの一打
∧ ミ ┃|コュユコュ| ┃ | 白いボールよ 火と燃えよ
/\\ヽ ┃ヽニニニソ ┃ノ 寄越せ 厚く高く多く 寄越せ 厚く高く多く
__\ \ヽ. ┗━━┛/ヽ 牛を裂き 荒らしを呼んで 金を金を金を
____r‐-‐-‐/⌒ヽー '"_`、 金を勝ち取ろう
__.ヽ、|_,|_,|_,h( ̄.ノヽ_____ヽ
/Vvvノ| `~`".`´ ´"⌒⌒)___ヽ
/ ヽ_ 入_ノ´~ ̄_____ )
\ /________ |
\___/_________./
馬ショクを使ったり、楊儀を使ったり、孔明の見る目の無さは絶望的だな。
ループだな。もっと斬新なけなしネタきぼん
楊儀は劉備にも重用されてたんで優秀ではあったんだろ
よし、斬新な貶しを一つ。
孔明は臀部に出来物が72個ある。
孔明は納豆が嫌い
孔明は高名だ
458 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/01 17:19:09
>>386 >俺はそれも含めて日本外交の舵取りによっては回避できたし、かなりの妥協を強いられたとしても
>敗戦よりはましだと思ってるくちだから。
ちと質問
孔明のやった北伐は回避出来なかったの?
またそれをやる事にどれ程の意味があったの?
その辺り聞きたいんだけど
日本の開戦、結果的にはああなっちゃったけど、開戦当初はあんな方向に持っていくつもりなんてなかったんじゃない?
現状打開のため、少しでも外交的に有利な立場に立とうと苦心した挙句の選択と、何だか分からない孔明の北伐…。
うーん、日本の開戦の方がマシな理由があると思ってしまうんだが・・・。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/01 18:17:06
コヴァって何?
実は諸葛亮の行った良策は全て弟の諸葛均の策
(演義だと留守番させられてるけど、正史だと一緒に劉備に付き従ったらしい)
出師表は正直俺でも書ける駄文
演義の諸葛亮はアレだ
火攻め伏兵の一つ覚え
やばくなったら妖術
羅貫厨の限界が孔明の限界
演義は正直俺でも書ける駄文
正史は俺が書いた
どうりで下手糞なわけだ
468 :
魏延の中の人:05/02/01 21:02:11
出師の表って何気に孔明は劉禅様を莫迦にしてる気がするが、どうよ?
後出師の表は後世の偽作
出師の表が孔明の作じゃないって聞いたことあるけどほんと?
そもそも孔明って軍事面で何かしたことあったっけ?
・曹操荊州侵攻時には何もせず
・赤壁はシューユ
・益州攻略戦はホートー
・漢中攻略戦は法正
・南蛮平定は所詮益州内の反乱
・北伐は成功せず
少なくても戦略規模では何もしてないと思うんだが。
472 :
魏延の中の人:05/02/01 21:40:09
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
/": : : : : : : : \
/-─-,,,_: : : : : : : : :\
/ '''-,,,: : : : : : : :i
/、 /: : : : : : : : i ________
r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i /
L_, , 、 \: : : : : : : : :i / 働いたら
/●) (●> |: :__,=-、: / < 負けかなと思ってる
l イ '- |:/ tbノノ \
l ,`-=-'\ `l ι';/ \ 南陽の一農夫(27・男性)
ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ=-' / /
____ヽ::::... / ::::|
/ ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::|
戦略規模での行動があったかどうかと成功不成功は別で
北伐は重要な戦略行動だったと思うよ。
×戦略規模では何もしてない
○戦略規模では何も成果がない
劉玄徳様へ
秋も深まり、紅葉が美しい季節になりました。荊州はさぞかしお寒いでしょうが、お体の方は大丈夫ですか?江南は暖かくてすごしやすいです。
ところで今天下の情勢を察するに官渡以降、かの曹操はますます力を増し、その勢いはとどまるところを知りません。我が殿は魯子敬の天下二分の計に従い、国力を蓄えていますが、このままでは曹操を倒すのは厳しくなって居るように思われます。
そこで会議の結果、天下二分は諦め、天下三分とし、とりあえず曹操に天下を取らせないことを目標に残り二勢力間である種の協力体制を取って行こうと言うことに決まりました。
そこで、我々は貴公の徳と才を見込んで、もう一勢力の指揮を執って貰いたいと思います。かの劉景升は名君なれど乱世においては甚だ無能でありとても曹操には対抗できますまい。そこで貴公にとって代わって貰いたいものと存じ上げます。
その際我々は如何なる援助も惜しまないつもりです。
どうでしょうか、玄徳様だって何時までも髀肉を蓄えてそれに甘んじるような人物ではありますまい。
なお、この契約には一つ条件がございます。まことに恥ずかしいことのですが、私には元服して6,7年にもなるのに未だに仕官していない出来の悪い弟がございます。名を亮、字を孔明と申す物ですがいつも悪友どもと机上の空論を繰り広げては無駄に日々を過ごしております。
兄として非常に見ていて苦しい上に周りにも「伏龍」などと揶揄されていて諸葛家の恥さらしなのですが、出来れば彼を臣下に加えていただけないものでしょうか、そちらに弟が居りますと相互連絡も取りやすくてよろしいのではないでしょうか。
どうぞお考えになってください。お返事お待ちしております。
諸葛謹
>>475 弟想いの驢馬イイ
劉備は荊州奪ろうと思ったけど孔明を臣下にしたくないと逡巡してるうちに
乗っ取りのタイミングを逃してしまったわけですね
で、迷った挙句、孔明を臣下に迎えたと・・・。
でもそれが大きなミステイク
>>475 諸葛瑾いいヤツだな!
それでしぶしぶ孔明ん家行ったら二度も留守だったわけか
孔明はダメだな
引き篭もりがいきなり初対面の人と合うのは抵抗あるからな。
二度ほど心の準備が必要だったんだろう。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/02 08:15:17
反日チョンうぜーよ!
驢馬なしの亮だったら、こんなに高い評価も残らなかったかも。
483 :
魏延の中の人:05/02/02 21:20:18
>>475 自分の名前の字を間違えるとは流石孔明の兄弟(藁
謹んで申し上げますとかけてんだよ
そんな事も分からないようじゃまだまだ素人だな
孔明の事笑えないぞ
>>482 成る程。結局の所世の中コネというわけですか。
…中国のことわざの『三人よれば諸葛の知恵」って
瑾のことなんだね。
487 :
魏延の中の人:05/02/02 23:11:43
つか、いじめっこチャンピオンシップにおいては
曹丕と孫権は双璧の二強だから孔明はどっちの分野でも半端者
いやあれは三人の「臭皮匠」、つまりボロ靴屋
まぁ昔じゃ字も読めない層だな
だから亮でいいの、靴屋三人分
魏延かわいそうだ。
何の根拠も無くジングスで不当に悪口言われ、
何もしてないのに殺されかけられるし。
あれだけイジメられてれば裏切りもするよ。
塚、魏延の主君は諸葛亮じゃないし。
そもそも諸葛亮は魏延より位が上だし。
無能は人間ほと能力のある人間を妬む傾向にあるからなあ。
孔明はその典型的な例
劉備配下の優秀な人材はことごとく孔明によって粛清された分けだしなw
国家に忠誠 叫ぶ僕 国民年金 滞納中
企業の倒産 喜ぶ僕は 就職活動 不戦敗
イラク人質 叩いた僕は 自分で自分を 監禁中
マスコミ嫌いな 僕の口癖 新聞ネタも 俺調べ
日本の伝統 褒めてる僕に 今では来ない 年賀状
韓国けなす 僕の自慢は 日本国籍 保有それだけ
親戚うざいと 言ってる僕は 未だに要求 お年玉
市民活動 嫌いな僕は ネットで 思想の言論活動
日本の過去を 賛美する僕 自分の現在 ほぼ終わり
弱肉強食 説いてる僕は 何をやっても いつも負け
個人主義とか 叫ぶ僕 一人で出来る ことは自慰だけ
女をくさす 僕に今まで まともに彼女 いたことなし
板の自治 好きな僕 生徒会とか 町内会は 参加せず
左翼を叩く 僕にとっては 社会の助け もっとも必要
集団主義を 説いてる僕は 体育の時間じゃ いつもカス
主婦を攻撃 している僕は 家事手伝わない パラサイト
高卒けなす 僕の年収 納税額 彼らに比べて 低すぎる
ボランティア 見下す僕と 付き合うことは ボランティア
他人に説教 している僕は 自動車教習 一回怒られ 不登校
靖国神社 参拝する僕 クリスマス 元旦 空白スケジュール
ネットじゃ強気で 威張る僕 面接とかでは いつもオドオド
同人女が 嫌いな僕は ネットでブログで チャットも大好き
暴走族とは 違う僕 働きもせず ネットで日の丸 振り回し
公務員 リストラしろと 要求する僕 親が相談 それは保健所
氏ねとか言ってる 僕には聞こえる 家族みんなの 同じ台詞が
田舎が嫌いと 言う僕は うわさ話や 足を引っ張る ことが大好き
少年犯罪 厳罰要求 している僕は ウィニーやって ゲームコピー
女子高生の 援助交際 むかつく僕は エロゲー内で 幼女をレイプ
銀行員の 給料下げろと 言ってる僕は 借りたものとか 返してない
電車のケータイ にらむ僕 老人いても 席を譲らず ずっと寝たふり
障害者 嫌いな僕は 人生の 障害物走 いきなりこけて 以来そのまま
日本の技術 誇りにする僕 単純作業の バイトですらも まともにできず
493 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 01:04:57
ギエンも可哀想にな。
劉備には高く評価され、張飛よりも厚遇されてたのに
諸葛亮の「人相占い」で叛骨扱いされてあの末路。ナム(-∧-;)
494 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 01:10:55
魏延って実際会ってみたらたいしたことなかったよ。
>>493 演義の話しで孔明をけなすのは300レス前くらいに通過してるので他の方法でけなそう
孔明みたいな屁理屈言っちゃだめ!ってママから言われなかった?
孔明のような立派な人間になりなさい!って言われましたが何か?
キミのママは簡単に騙されそうだから気をつけて!
501 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/03 15:06:42
実は劉禅は劉備にこっそりと『とても適わないと思ったら、暗愚の振る舞いをしていい。
もし丞相の独裁に反抗できる力が備えれば、彼をやつけて権力をとってもいい』って
言われたかもしれない。
劉禅の馬鹿の振り、実は孔明の目をごまかすためだったんだね
優秀だと消されるかもしれないもんな。
孔明はめでたいよなぁ。
赤壁で呉の主流が非戦論を訴えたのは
孔明が開戦を主張する事を見越して、敗戦の場合の責任を取らせて
呉の体面を保つための生贄にするためだったなんて
孔明はまんまと気付かず悦に入ってる抜け作君なんだもんなぁ。
流れ豚切りスマソ。
>>1のままで、劉備がやってこなかったら、一生ニートのままでいる気だったのかな?
それとも、遅い就職活動始めたのかのう。
弟も働く気はなかったのか?
マンセー派は良く「清流派の系譜を引く名士…云々」みたいな事言うけど、
清流系の名士の見本って荀ケ・鐘ヨウ・張昭、変化球で孔融、自立が袁紹・劉表
とかでないかと思うんだが。
それなりに理想と現実の折り合いや葛藤なんかが見えるけど、孔明ってあんまりそういうのが
読み取れない…。
あとやっぱ、早いうちから社会にでないと対人関係の基本が身に付かないような希ガス。
赤壁
諸葛亮「さて、そろそろ十万本の矢を頂きに行きましょうか」
兵士「曹操様、諸葛亮の船団です!」
曹操「血迷ったか孔明。矢だ、矢を放て!」
兵士「御意!」
曹操「・・・・待て。」
兵士「はい?」
曹操「火矢にしよう。」
この後、何が起きたのか、歴史は沈黙している……
ただ、それから諸葛亮の姿を見たものはいないという……
禰衡の使い道(黄祖に切らせて大義名文)を進言したの誰だっけ?
孔明にはああいうクリーンヒットが思い当たらない
508 :
魏延の中の人:05/02/04 21:25:35
孔明の才能は曹爽に1.5倍すw
孔明は「俺がちょっとでも何かをすれば天下が動くぜ!」
「適当に大臣クラスになってみんなに注目されてやる」と考えるやつ…とも思える
劉禅と小泉総理の違いが分からない。
稀代の名君劉禅たんを子鼠ごときと比較するとは
孔明と小泉の方が近い気がする
壮大な理想をぶち上げて中途半端なところとか独裁的なところとか
20代後半まで無職なところとか
個人的なイメージなんで突っ込まないでくれ
孔明ほど最初から的外ししている軍師も珍しい
天下3分の計以外の計略はほぼ外しているではないか
今はリアルで時間無いから説明は後日
天下三分の計が成功してると
>>513が勘違いしている件について
関羽が暴走するまでは成功していたんじゃね?
そんなこと言い出したら
「伏兵がばれるまでは俺の十面埋伏は成功してたぞ」とか言う話に
曹操に荊州北部奪られた時点で失敗でしょ
成功云々以前にその発想自体間違ってる気もするが。
忠臣っぷりから見ても荀ケのが上
荀ケのような完璧なお方と比べないでください
孔明って出来もしないくせに大言壮語吐きまくりだな
堅実に今やれることをコツコツと実行していった荀ケとは大違いだ
522 :
魏延の中の人:05/02/05 14:45:48
良いスレ発見
524 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/05 15:09:35
荀ケってそんな凄いか?
奴のしたことって、仕えるべき人物を見抜き、有能な人材を沢山推挙し、
見事な戦略眼で度々曹操の危機を救ったことぐらい。
結果的に万民を救い漢王朝の寿命を20年以上も伸ばしただけじゃん。
それに比べ孔明のしたことは自称皇族に仕え、人を見る目がなく己の意のままに従う人材ばかりを推挙し
大風呂敷ばかり広げて無駄な戦争を繰り返した。
結果的に無意味に民を苦しめ漢王朝に対して何もしなかった。
比べれば差は歴然。
結果的に有意義な侵略戦争なんてかつてあったか?
有意義ってのが誰にとってどういう風に有意義かを規定するかによる
侵略戦争の定義が不明だが、
「結果的に有意義な侵略戦争」=攻め込んだ側に利益をもたらした戦争であると仮定すると、
その答えは「時と状況により様々であるが、多々存在する」という答えになるな。
バビロニア、ローマ、モンゴル等、いくらでも挙げられると思うぞ。
そろそろけなすのもネタ切れかな、と思ってたが
なるほど他の人を褒めつつときどき思い出したように孔明をけなしてやれば
まだまだネタは尽きないわけか
OKOK
賈詡は絶妙のタイミングで曹操にくだったから
最期まで無意味な抵抗を繰り返してた孔明より上
というか比較するのも失礼かと
530 :
魏延の中の人:05/02/06 00:09:32
孔明は野菜が嫌い
諸葛匹夫、何者ぞ
正直、諸葛亮史上最高の策は魏延殺し(正史)ではないかと思った。
書庫の管理という発想が良く分からない。
検索して落として開いて読んで削除すればいいだけだし。
?
馬謖殺しも捨てがたいな
諸葛亮の人物眼の無さは素晴しいな。
自分好みの書生を集めてイイコイイコしてるだけw
劉備殺しも良いな
無益な戦争を繰り返したため、諸郡から集める人員や物資が欠如しまくったって話は秘密。
南蛮征伐も諸葛亮&馬謖の馬鹿師弟は机上論ばっかりで、張ギの方が具体的な記述が
やたらに多くて説得力があるのも秘密。
同じようなけなしネタばかりでツマラソ
>>539 つまり、叩くならそこら辺しか無い という事だな
だいたい顔が不細工だ
542 :
魏延の中の人:05/02/06 14:28:37
性格がいじけている。
自分だけが優秀だと思い込み他人を信用せず、個人プレーに走り過ぎ。
度量が狭い。
543 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 14:29:53
544 :
魏延の中の人:05/02/06 14:51:09
諸葛亮は内政だけやってりゃいいんだよ。
こいつ戦争弱すぎ。
546 :
魏延の中の人:05/02/06 14:58:54
>>545 勘違いしてテレビに出てしまい不興を買ってしまう放送作家みたい
なもんんだな(藁)
龐統が流矢に当たって死んだのも孔明の策略
関羽が死んだのも結果的に孔明のせい。
張飛が死んだのも関羽が死んだからでつまり孔明のせい。
趙雲が死んだのも孔明がこき使ったせい。
馬超が死んだのも黄忠が死んだのも無名の帥を起こした孔明のせい。
五虎将軍は全て孔明に殺された。
魔王 孔明ってやつだね。
神曹操伝きたー
欠点も魅力ってタイプの人間ではないよなあ。
戦下手ってかなーり致命的。
成績の悪い子を努力と真面目さで内申点上げてるって評価に近いと思うぞ。
そういえば諸葛亮は政治の天才みたいにいわれるけど実際そんなに凄かったのか?
蜀科だって一人で作ったわけじゃないし・・・
553 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:32:39
ビ竺の方が名臣で忠臣さ
555 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/06 23:53:08
よ〜するに批判の骨子は
諸葛亮の能力の10倍困難な蜀による統一を
成し遂げられなかったから糞ということなんだろ。
糞はお前らだヽ(´∀`)9 ビシ!!
自分の能力の10倍困難なことをあえてやろうとした諸葛亮ってよっぽど自信過剰か天下の情勢を見る目が無いんだね
ニート君ですから
>>545 政策もどうかと思うぞ・・・・
明らかに無理に魏を攻めるより南征して植民地拡大したほうが・・・・
刑罰は絶対自分が立ち会ったらしいね
相当なサドだったようだ
560 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 00:59:02
>>551 「ったく、しょうがねえなあ。俺が助けてやんないと(笑)」←とか言いながら楽しんでいる。
周りにそんな気持ちを起こさせないタイプだな。
清廉潔白高潔って評価高いけど、それでいっぱいいっぱいってイメージ。
そういうのは他に取柄がない奴か、他のこともこなしてさらっと付加価値でないとな。
陳羣みたいなのは別として。
陳羣とタッグ組んだら手におえなさそう。恐怖の清潔国家が誕生しそう。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 01:33:34
>>561 しょうがないじゃん。そこしか褒めるところないんだから。
街亭の件は馬謖が自らスケープゴートを買って出たという説もあるが、
俺は諸葛亮がスケープゴートにしたと思う。
そもそも先鋒が敗れる→即撤退って話も変。魏延の策を危険だと判断して退けたのに
一回負けたら終わりの戦略を自分がとっているんじゃ意味がない。
>>561 清廉潔白でもないと思う
劉封の件はよく出されるけど廖立なんかも
自分の都合で処分してるようにしか思えない
つかさ、あんま詳しくスレ読んでないから憶測だが、ここのコテの魏延の中の人って孔明好きなんじゃないの?
なんかそんな気がした。
つか、空気読めない妄信的ヲタが勘違いしてるだけ
馬謖に関しては説もなにも蜀書にしっかりと
「馬謖は逃げたが捕まった」と書かれてるんで異説がわく筈もない
>>562が自分で考えた馬謖スケープゴート買って出た説は普通に正史読んだら出るわけもなく
つーか馬謖は逃げなかったら降格程度で済んだかも知れないな
568 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 12:52:48
俺が拾ったデスノートをよく読み返してみたら
諸葛亮の名前が書いてあったから
孔明は身近な誰かに暗殺されたんだな。
これが真実 m9(・∀・)ビシッ!!
569 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 13:28:53
そもそもほうとうが出した蜀獲りの三つの策のうち劉備が上の策をとらなかった時点で天下三分も、劉備の天下も消えたわけでしょ。
しかも権力握ったころにはすでに天下はこのまま三つの国に分かれたままでいいや的な流れになってたのにむりやり戦起こして
蜀だけでなく魏の民も苦しめた。この点で亮は黄皓にも劣るかもね
571 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/07 14:24:10
>>561 実は孔明が清廉潔白じゃなければ、
蜀の民や官僚たちはとっくに暴動に走っていたに違いない。
中国禅宗の有名な公案なんだけど、
ある皇帝が一人の和尚と一緒に長江を眺めていたが、
和尚に『川を往来している船の数はいくら』って聴いたら、和尚が
『ただ二艘、名と利だ』と答えた。
つまり人間は『名声』か、『利益』かどちらかを求める。
孔明も或いは単なる『利益』(個人の物欲)を捨てて、
『名声』(独裁の権力)を求めているだけかもしれない。
馬超が長安進出したときに、劉備は荊州から北上すりゃよかったんじゃないのか?
できるかボケ
俺なら新野に踏みとどまって曹軍削りまくって
相手が弱ったところで洛陽に突撃かましてたけどな。
でもあのころの洛陽ってもう都じゃないんだろ。落とす価値あんまないような。
落とすなら許晶だろ
なにいってんの?北京にきまってんじゃん
桃園だろが
ばーか、南蛮だよ
いい加減に理解しろよ、天竺だろが
ギリシャを攻めずにどこ攻める
オーストラリア
586 :
魏延の中の人:05/02/07 23:51:44
幼稚な男って好きな女の子いじめるじゃん
余計嫌われるとも知らずに……( ´,_ゝ`)
なんで信者はこんなに必死なんですか( ´,_ゝ`)
孔明様をけなすやつは非国民
魏延の中の人って、
趙雲スレで、魏延をさんざん貶しながら趙雲マンセーしてたよね。
キモかったーw
592 :
魏延の中の人:05/02/08 22:44:19
ファッションセンスは悪いと思います。
周瑜や荀ケのほうがセンスは上だと思います。
594 :
魏延の中の人:05/02/08 23:57:23
孔明には女装趣味があり、司馬懿にも勧めたがあっさり拒絶されたらしい。
きっと、それがショックで病気になったんだね
これはまた素敵なオナニースレですね
諸葛亮
アッー!
孔明って度重なる軍事行動で国を疲弊させただけでしょ
曹丕と孫権と同程度の軍事能力しかなかったんだろうな
冗談じゃない。丕と権より較べ物にならないくらい下だよ亮は。
いいや机上では優れた指揮官だろ、
だから、実戦関係なしに語るだけの名士サロンで評価されてたけど
実戦では刻一刻と変化する状況についていけないくそ指揮官だったってことだよ
所詮語るだけの今の学者と同じ
趙括と同程度の人物か
臆病な分、孔明の方が救いがあったが
孔明はリュウビの入蜀のときに一方面軍を指揮してたと思うが
名指揮官だったかどうかはしらね
諸葛亮が全土を統一していたら今の下品な中国はなかっただろうに
日朝戦見て思ったけど、格下との対戦はどれだけ大変なのかと。
司馬懿は常に勝って当たり前で孔明は勝ったら儲けもの、なわけで。
やっぱ司馬懿は偉大過ぎるな。
孔明は司馬懿と語ってもらえるだけ幸せな奴だ。
シバイは過小評価されてるからな
司馬の八達や馬氏の五常は孔明のせいでろくでもない目にばかり遭う。
てかシバイって誰?小説家の名前パクった人?
むむむ
610 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/10 10:43:04
まだあった
611 :
魏延の中の人:05/02/10 22:37:03
軍事費の拡大で財政を逼迫させ、無益な戦役に人民を駆り立てた
偉大なる政治家諸葛亮萎え〜
奴はどの面さげてあの世で劉備様に再会したのだろう?
さすがにけなすネタが尽きたようだな
つーか途中から既出ネタ繰り返して貼ってるだけだったしな
やっぱり諸葛孔明大先生を馬鹿にすることなど誰にもできないのだ
叩く側も張飛並の知力しかないしな。
武力は魏延並だし
>諸葛孔明大先生
>諸葛孔明大先生
>諸葛孔明大先生
>諸葛孔明大先生
大爆笑wwwwwwwwwwwwwww
>>616 韓玄の人間的魅力は孔明以上ですよ。舐めんな
619 :
魏延の中の人:05/02/12 08:39:26
諸葛亮は民を恐喝し、権力を濫用し蜀の者で彼を恐れない者は魏延以外には
いなかった。
連年のように兵を動かしながら勝てなかったのは、孔明の能力・人間性に
問題があったからといしかいいようがない。
(民明書房刊 陳々寿著「行列の出来る丞相府」より)
慎重なくせに戦争大好き
ブス専で馬にも乗れない
621 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 12:40:24
諸葛亮が劉関張のホモ関係に割って入ったのは勇気ある戦いだった。
対姜維戦でボコボコにされたとき馬に乗って必死に逃げてたな。
ああ、デブで短足だったから馬に乗れなかったんだよな
チビ→曹操
デブ→劉備
短足→孫権
??→諸葛亮
はげ?
ガリ勉
のび太
「月英〜道具作ってよ〜」
チビ→曹操
デブ→劉備
短足→孫権
(-_-)→諸葛亮
孔明先生が長身イメメソだったことも知らない
もぐりが大量発生しているスレはここですか?
無双厨を装ったアンチ孔明の司馬懿ファン(ややこしいな・・・)乙
633 :
魏延の中の人:05/02/12 15:50:46
孔明は逆上がり出来なかったらしい
孔明は「ネコ踏んじゃった」だけが弾けなかったらしい
635 :
魏延の中の人:05/02/12 16:03:20
孔明は牛乳が飲めなかったらしい
636 :
曹植 ◆nuwPGOWwK2 :05/02/12 16:07:42
トリップワカンナイ
ていうか俺より孔明は不細工
魏延の中の人
↑
コイツあほだなw小学生かよ
孔明はサンタを信じていた。
トナカイも信じていた。
639 :
魏延の中の人:05/02/12 17:48:19
>>637 アホだけど小学生ではありません。
大学出てますが何か?
>>638 毎年孔明の靴下にプレゼントを入れてやったワシ乙(藁)
孔明って戦に負けてばかりの田舎の政治家だろ
孔明のお気に入りは
楊儀、馬ショク、姜維の3馬鹿
642 :
魏延の中の人:05/02/12 18:10:19
孔明の実像に一番近いのは「蒼天航路」の孔明
第一次北伐 大失敗
第二次北伐 大失敗
第三次北伐 魏のとって全く戦略的価値のない2群を攻略
第四次北伐 大失敗
第五次北伐 大失敗
臨機応変の軍略は得意じゃないもん
孔明の実像に一番近いのはsweet三国志の孔明
たまには諸葛亮のことを褒めてみよう
背が高い
646 :
魏延の中の人:05/02/12 18:29:32
孔明が迷惑をかけた人
馬謖(無茶な抜擢されたあげく死刑)
李厳(無茶な軍事行動につきあわされた挙句敗戦の責任を
なすりつけられて失職)
劉禅(天下三分の計の駄作ぶりの責任をなすりつけられて
後世アホ扱い)
ワシ(臆病者という率直な批判をしたばかりに羅貫中に無茶苦茶な
扱いを受ける)
演義の話で孔明けなしてどうすんの?
649 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/12 18:33:51
孔明先生をいじめるな
チビ→曹操
デブ→劉備
短足→孫権
臨機応変の軍略が得意じゃない→諸葛亮
651 :
魏延の中の人:05/02/12 18:39:57
遠回しに主君を莫迦にしている「出師の表」
孔明は、危ないから心配して魏延のこと止めてたんだよ。
なのに、自分の手柄に焦るあまり「臆病だ」などと恨みがましく思われては
孔明もいい気しなかっただろうな。
楊儀との対立を見てても、やっぱり魏延はちょっとダメな子に思えたんだろう。
スレ違い
たまには諸葛亮のことを憐れんでみよう。
>>646 関羽、張飛(劉備と閨を共にできなくなった)
ホウ統(諸葛亮が頼りにならないので仕方がなく蜀攻めに随行するも死亡)
諸葛キン(出来の悪い弟の尻拭いばっかり)
劉封(無茶苦茶な口実で死刑)
趙雲(第一次北伐はおとりだから負けて当前なのに位を下げられる)
法正にボコられた人たち(諸葛亮が法正の暴走を見逃した)
蝋燭(迷信のため変な使われ方をしたあげく意味なしに終わる)
657 :
魏延の中の人:05/02/12 21:32:07
>>650 この時代短足は騎乗時に安定するのでいい意味です
>>656 まあ、美人は三日で飽きるっていう人もいるし…。
ブス専だったのかも知れないし…。
それでも憐れんでしまうな。
お前らも出世のためなら手段を選ばない孔明を見習え
>>657 某三国志やおい小説でホウ統に監禁された亮の口に
あなたがちんこ突っ込んでいる件について。
名前欄訂正。
665 :
魏延の中の人:05/02/13 19:51:38
諸葛亮は魏で喩えれば、華キン・王朗といったところか?
魏でいえば徐庶クラス
>>663-664 匿名掲示板のデフォルト名無しだから名前欄は空欄でいいんだぞm9(^Д^)プギャーーーッ
668 :
魏延の中の人:05/02/13 20:53:16
孔明は法正を暗殺したのではないだろうか?
呉で言えば諸葛亮は張昭だろうな
内政官といういみで
北伐は張昭がやったと考えれば失敗したのもうなずけるしね
671 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:09:39
劉備すら孔明が殺してるんじゃないか
白帝城で死ぬってのも胡散臭い物がある
実際劉備が死ねば自分の独裁体制が気づけるわけだし
あのまま生かしといたらそのまま呉との抗争が続いた可能性は高い
劉備の毒殺。孔明なら十分に考えられる
『三国志』でここまでけなすことができる人物も珍しいですねw
673 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:20:14
張飛の訳の分からん死に方には100%諸葛亮がやってるだろ
ロクでもない部下をつけて張飛を暗殺
張飛程の武将があんな死に方するなんて不自然すぎ
あれは暗殺だったとすれば説明がつく
そもそも蜀は不自然な死に方をする武将が多すぎ
それも全て諸葛亮の権力が増大するほうに作用している
出世の為に同僚を謀略によって殺していった
コレが諸葛亮の真実
>>671 国を奪え云々は、趙高よろしく捏造したと推測。
675 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 21:26:13
>>674 白帝城は諸葛亮の謀略の館だったんだろ
劉備死後の自身の権力を確実にする為
何でも捏造しただろ
大体、戦に負けたショックで死ぬか?
白帝城で諸葛亮が毒殺したんだろ
劉備が生きてたら呉と和睦できないから
676 :
魏延の中の人:05/02/13 22:07:11
>>670 張昭に失礼だ。
張昭の前で同じこと言ってみな。
「黙らっしゃい!」って怒られるぞ(藁)
>>670 張昭:公孫淵の時に面を冒して諫言連発。孫権が刀を掴んでも全く動ぜず。
諸葛亮:夷稜の時に全く意見を出さず。終わったら愚痴るだけ。
賢臣は主により心を変え、主の御心に沿い主の人格を満足させるもの。
奸臣は二心を持たず、真心から直言を吐き、主を不快にさせるもの。
679 :
無名武将@お腹せっぷく :05/02/13 22:39:54
やっとで全部読んだ〜
ゲームネタがないね、100を最高にすると 孔明君の能力値どうよ?
統率 武力 知力 政治 魅力 だとさ?
50 10 80 90 80 くらい?
三国志]では 93 37 100 98 92 だってさ高すぎw
イリョウの時点ではまだ文官その一に過ぎなかった諸葛量が、
軍事面にあれこれ口出しできたと考えるほうがおかしい。
昔の人間って感情のコントロールが下手糞だったそうだから、
敗戦のショックで死ぬのも別におかしかぁないよ。
なんでも諸葛量の責任に結び付けようとするからそんな珍論をぶつことになると知るがいい。
681 :
679:05/02/13 22:42:16
ちなみに、孔明好きだったけど、このスレ見て嫌いになった
682 :
魏延の中の人:05/02/13 22:43:15
ハイ少子は「張昭は孫権の器の無さを看過し、戦乱を終わらせることを
優先して曹操に降ることを進言した。張魯が漢中を差し出しただけで優遇
されたことを考えると、孫権はもっと優遇されただろうし、世の中の平和が
もっと早く訪れたであろう」というような見解を示している。
張昭>=張コウ>諸葛亮=曹ヒ×10
こんな感じか?
683 :
魏延の中の人:05/02/13 22:44:39
>>679 君の反応は正しい。が、孔明に対してまだ甘すぎる。
もっと精進せよ。
なんで裴松之の見解を示した後自分の勝手なランキングを示したんだ?
裴松之ランクなら諸葛亮が断然一位になっちゃって意味ないからか?
685 :
679:05/02/13 22:47:19
>>683 まだ、孔明ファンから抜け出せない自分が悔しい(爆
687 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/13 22:55:05
688 :
魏延の中の人:05/02/13 23:03:42
>>684 張昭殿よりドキュン(孔明)の方が上で、その張昭殿には同格で
「二張」の張コウがいるといいたかっただけ。
「二張」って演義の創作だっけ?
689 :
魏延の中の人:05/02/13 23:05:25
>>688 ドキュンの方が下の間違え。
スマソ。
鬱だ。馬岱に斬られよう・・・
魏延脂肪により孔明復活
曹丕に10倍…曹丕様に失礼ですよねえ。
曹丕は人の上に立つお方なので比較の対象ではないのです。
27歳までニートだった人と比べるなんて…。
司馬懿の頭を抑えられるのは彼のお方のみ。
別に張昭と張紘が同じくらいの能力の持ち主ではないだろ
立場は同格だったろうけど
ってそれは別にどうでもいいか、孔明をけなすスレだし
万民の救済と漢王室を守ることを己の使命と信じていた張昭と筍イクは本当に素晴らしい。
勇気ある生き方だったと思う。
単に天下獲りゲームがやりたかった誰かさんとは大違い。
張角に弟子入りしてあとを継がなかったのが全ての間違いの元
張角死んだとき孔明3歳だし!
ん?
俺1歳2ヶ月だけどもう2ちゃんねら語ペラペラだぞ
夜更かしだってOKさ
きさまぁ!
どうこたえればいいのかなやむなおい
案ずるな
こういうときは
大人しく
700げっと
ふと思ったのだが、就職するまでどうやって食ってたんだろ?
嫁さんから支援あったのか?
孔明は晴読雨耕が好きだったようだな
703 :
魏延の中の人:05/02/14 21:17:26
孔明は年金未納w
704 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 21:19:56
>>703 年金はともかく、収入ないから他の税金は払わなくていいな。やったね!
706 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/14 22:36:03
けなしネタのレベルが明らかに下がってるんだが。
ちゃんと史実に基づいて批判しようぜ。
おまえらなんだかんだいって、
孔明に会ったらサインねだるんだろう(´,_ゝ`)?
どっちかっていうと魏に仕えて孔明が捕らえられたら拷問したい
諸葛亮なんかより曹操とかからねだりたいよ。
>>708 歪んだ愛
アンチ孔明ってこんな性格異常者ばかりなんだろうな(´,_ゝ`)
>>710 ネタスレにマジレスするあなたはいったい?
孔明擁護者のカキコに反応する形でしかレスがつかないな。
おまえらもうネタ切れなんだろ、白状しろ(´,_ゝ`)
けなすネタも思いつかないほど孔明なんでどうでもいいと思う
孔明好きな人は、孔明の何がそんなにいいのか分からない…
714 :
魏延の中の人:05/02/15 21:02:03
孔明は性格破綻者。
悲観論者。
カナヅチ。
孔明って戦弱いね
>>714 でたらめ言うな。泳ぎは達者。
中身がないから良く浮く。
まるでピーマンのような奴ですね。<中身が
718 :
魏延の中の人:05/02/16 21:46:54
孔明は腋臭。
孔明はひどい歯軋りをする香具師。
孔明は酒乱。
孔明は層化w
孔明は四大紙はもちろん、東スポやナイガイ、赤旗、聖教新聞など、
ほとんどの新聞を熟読している偉大な引きこもり。
でも、日経は難しいから読まない。
720 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/17 02:12:52
関羽を無駄死にさせた罪は重すぎ。
721 :
無名武将@お腹せっぷく:05/02/19 16:53:27
孔明発狂死
劉備様はちゃんと孔明の戦さ下手を知ってたから
生前は戦をさせなかったのね
正史で十二分にケチョンケチョンにけなされている訳だが・・・
まあ、あえて言うなら陳寿の親父をハガショクのせいで孔明が連座で殺したこと
>>723 喪前の知識は中途半端な上に間違ってるぞ
陳寿のお父さんは頭ジョリジョリで済んだんだっけ?
流石に貶し疲れたな・・・
変なのがいたし、無理ないぽ
しまた。sage忘れた・・・
730 :
魏延の中の人:05/02/27 21:11:41
南陽一農夫の諸葛亮
五日で五里
十日で八里w
要は能天気で怠け者ってか?
732 :
魏延の中の人:05/02/27 22:17:44
生きる孔明
死せる周瑜に藁われる
このスレ見てると戦や外交戦略に関しては孔明のすごさが分かんなくなって来た
軍事的には有ったか無かったか微妙な赤壁までの人だよな?この人
>>733 魯粛と周瑜が赤壁開戦時を初に利用することに決めた
自分の派閥以外の人だよw
735 :
魏延の中の人:05/03/06 18:15:15
孔明美化は三国志の数多くの孔明以外の功績を孔明の功績であるかのよう
に捏造した羅貫中の努力の結晶(藁)
737 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/06 21:53:51
諸葛亮は敵国の領土で敵国の数分の一の兵力で戦って負けなかったんだから
司馬イよりは軍事はできたと思うがな
二人が逆の立場なら諸葛亮がショクを制圧できたとまでは言えないが
司馬イは北伐なんてできなかったと思うぞ
まあ司馬イなら魏延の子午谷奇襲策を採用する決断力はあったと思う
まあ三国志だから名将対決扱いだけど
諸葛亮は不利な立場から勝ち上がった英雄のすごさはないし
司馬イも他の時代で言えばただ単に異民族を撃退した程度のことをしたにすぎない
738 :
魏延の中の人:05/03/07 22:54:31
孔明は三顧の礼を尽くされてもTシャツ姿で劉備様と対面するような香具師w
739 :
可児:05/03/07 22:59:50
孔明は軍師というより、優れた政治家だと思うがな
>>736 本来なら呉の独占となるはずの赤壁での戦果の上前をはねた
741 :
魏延の中の人:05/03/07 23:30:13
>>737 机上で戦するぶんには孔明の方が上だろうけど
実戦は運の要素も絡むし、不測の事態が多かれ少なかれ起こる
そんな時への対応は司馬懿の方が上
その不測の事態がどれ程のものかでこの二人の勝敗は決まるだろうし
どっちが上とは決められないだろ
>実戦は運の要素も絡むし、不測の事態が多かれ少なかれ起こる
>そんな時への対応は司馬懿の方が上
この根拠は?
まさか司馬懿自身の孔明への評じゃないだろうな
>>737 >ただ単に異民族を撃退した程度のことをしたにすぎない
異民族の撃退こそ、一番困難な仕事なんだが。
まともに戦ったら勝ち目ないわけだし。
そういう意味じゃ孔明も評価せざるえないんだよね。
実際に七縦七擒があったのかどうかはともかく、きっちりと和平結べたのは、地道な外交努力があってこそ。
才能は無いが人一倍努力する。実際はそんな感じだったんじゃない?
>>744 じゃあ、呉将の評価はうなぎのぼりですね
というか、南征は作り話
>>737はそんな主旨の書き込みは全くしてないけど
孔明の異民族融和策はその後の五胡十六国時代以降の異民族問題の
先鞭といった感じはあるね(七縦七擒はさすがに作り話だろうけど)
実際漢人と異民族の混合政権をどう統治するかは困難な問題だと思うよ
地方弱小政権の蜀が曲がりなりにもやっていけたのは、異民族との交易があったからこそ。
ってここ孔明をけなすスレじゃん。褒めちゃだめだろ褒めちゃ。
748 :
魏延の中の人:05/03/08 23:06:22
孔明は戦地に赴いても自分の護衛に万の兵をつけないと落ち着かない
臆病者w
>>748 それは武将にとって最高の褒め言葉だぞ…
>>745 魏も呉も異民族対策には相当悩まされてるよ
それを解決した孔明は相当の評価をされてもいいはず。
>>750 解決したのは孔明じゃないでしょ
口火を切っただけ
そもそも孔明の異民族対策(当地の自治に任せる。中央は介入しない)は、
孔明生存中に破綻しているのだが。
233年に反乱が起り、張翼に代わって都督になった馬忠が反乱を討伐して、
そのまま奥地へ駐留した。
>>748 そんな主張をしては魏延の中の人は匹夫になってしまう…。
責任の重圧や仕事の難しさ、しかもそれが成功する確率はすごく低い…
劉備の所に仕官して孔明自身は幸せだったのだろうかと最近考える。
孔明は劉備の行動にため息をつきながらも全力を尽くしたんじゃねぇかなぁ。
それはそれで幸せっぽいような。
>>752 お前バカだろ?その程度の反乱で「破綻」かよw
空気嫁
俺は演義から入って正史見て演義でのあまりのマンセーぶりとか見て
アンチになったんだけど、改めて諸葛亮のやってきたこと振り返ると
諸葛亮は天才じゃなくとも普通にすごいな
759 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/17 01:48:56
劉備の遺言にそむいたのは許しがたい失態だな。
馬謖の起用どころの話じゃないよな。
孔明って内政方面での才能はあったかも知れんが、軍略家としては二流だろ?
理由はこのスレで散々語られてるから略す
二流でもないような
そもそも第一次北伐以外は内側に向けた政治的な意図あっての戦みたいだし
まあ本当のところは誰にもわからないけど
劉備の遺言に従わなかった事。
祈祷で魏延を入れて失敗した事
763 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 15:35:55
天性の引き籠もり。
引き籠もりぐせがあったから巴蜀みたいなところに引き籠もっちゃった。
本当は北伐もしたくなかった。嫌々やってるから、ちょっとでも目障りな事する奴が
いたら、すぐに怒って理屈付けて罰したし、なんでも自分の思い通りに
行かないと気が済まなかった。
そんなことやってるからストレスたまって若死にした。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:05/03/18 17:03:34
ニートの希望の星
赤壁の戦いで孔明は東南の風が吹くことを知っていたみたいだけど、
その土地について誰よりも詳しいはずの孫権達が知らなかったのに
なんでよその土地から来た孔明がそのことを知ってたの?
>>765 蜀マンセーの演義エピソードだからだから
ギエンに対する子供みたいな陰湿なイジメ。最悪。
しかも理由が「頭の後ろの骨がでっぱってるから」
幼稚園児かお前は。
>>761 軍事的成果ってある?
局地的な勝利じゃなくて戦略的成果
確かに、第一次北伐は大きな成果をあげる寸前までいったけど
これって、馬謖の献策による所が大きいわけだよね
だから、馬謖を斬った後は同様の可能性は得られなかった
ああ、
赤壁で東南の風を吹かせたなんてのは勘弁
>>761 内なる不満を外征で紛らわすなんてことにしたら政治家として三流の証拠だと思うが
兄がロバ
しまった兄をけなしてどうする
>>769 国や民にとってはどうか知らんが一部の権力者が利権をむさぼり続けるの、権力争いのための政治力は持っているということだろ
あやまれ!瑾父ちゃんにあやまれ!
>これって、馬謖の献策による所が大きいわけだよね
これは妄想の部分に拠るところが大きい
諸葛亮の阿呆がいたせいで統一が遅れて民衆は迷惑した
馬氏の五常と呼ばれており荊州閥でもある馬謖が北伐の企画立案に参画していないとは考えられないけど
それを以って馬謖の献策が北伐の中でも大なりと言うのは些か短絡だと思う
779 :
魏延の中の人:2005/04/06(水) 22:57:27
孔明は馬良と穴兄弟だったらしいぞw
>>778 正史もだが、そんなことを君に説明している暇は無い
>>781 お前は正史を百篇読み直したほうが良いけどな
・・・自分にレス?
日々精進って事だろう、謙虚なやつだ
784 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/08(金) 16:32:20
孔明タン・・・ハァハァ
ageるなよ
786 :
魏延の中の人:2005/04/08(金) 21:41:51
孔明の「晴耕雨読」って言葉の前半はうそ臭い(藁)
昼寝夜読でどうだ
788 :
魏延の中の人:2005/04/10(日) 09:19:26
孔明の場合、実家に畑が無ければ絶対ニートだったな(藁)
789 :
魏延の中の人:2005/04/12(火) 20:27:32
「出師の表」は便所の落書き
「出師の表」の頃はもう全くのボケ老人だった孔明。
791 :
魏延の中の人:2005/04/16(土) 18:31:43
孔明の一生
ひきこもり
↓
地方政治家
↓
軍事オタク
一連の反日運動の中枢は孔明の子孫の村
793 :
魏延の中の人:2005/04/16(土) 21:56:15
水鉄砲を発明した孔明(藁)
794 :
魏延の中の人:2005/04/16(土) 22:12:15
電波中年孔明
795 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/16(土) 22:58:31
馬謖にやさしい孔明
796 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 09:50:31
115
踊る大捜査線ネタワロタww
天下三分の計後のあいつぐ敗戦…
司馬たん)諸葛の出る幕じゃないんだよ!
いかりや)これ以上、若いもんを傷つけないでやってくれ
諸葛)わくさん…
797 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 09:58:21
出師の表は書物等から抜粋して組み合わせただけだろ
孔明が目をかけた人物は国にとって害になった奴らばかり。
劉表が死んだ後、劉表の子供を殺すよう劉備に進言したの読んで嘔吐が出る思いだった
あれ以降、演義や横光読んでても絶対なんか裏があるに違いないとか思ってしまう
この法正が800getじゃ!
801 :
魏延の中の人:2005/04/17(日) 14:42:46
他人の忠告を無視する孔明萎え
802 :
魏延の中の人:2005/04/17(日) 14:45:29
現代に喩えれば竹中平蔵といったところか。
(民明書房刊 錦馬謖著「三国志人物評」より)
803 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 14:59:49
他人の手柄を歴史が進むごとに自分の手柄にできた運のいい孔明。
演義と史実の手柄ぢゃ差がありすぎだね。
所詮孔明は、戦下手、人物眼無し、独善者の三拍子揃った人物だったわけで。
蜀びいきの演義だと、どうしてもTOPの丞相が美化されますな。
こんなのにTOP立たれたら困るw
805 :
魏延の中の人:2005/04/17(日) 17:20:35
>>803は悪し様に言い過ぎて事実と異なる
戦下手>戦えば勝つ事が多い
下手なのはそれを戦略に結び付ける事
人物眼無し>人物眼は無しではなく平凡
普段から自分の側にいる人間は結構しっかりわかってる(例外もあるが)
むしろ劉備の人物眼が群を抜いて素晴らしいだけ
独善者>そりゃ丞相なんだから当たり前
丞相ってのはそう言う役職
今の時代では通用しない孔明。
808 :
魏延の中の人:2005/04/17(日) 20:06:10
>>806 馬謖乙(藁)
>>807 いや、寧ろ今の時代ならニートの代表的な存在になれたかもしれん(藁)
晴耕雨読はどうやってもニートにはなれないぞ
今の時代に晴耕雨読やってたらどうなるかな?
農家になる
812 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/17(日) 20:34:28
所詮支那人
大嘘つきで見栄っ張りのどうしようもないヤツ
コウメイ様をけなすことなどわたしにはできません。
( ゚,_ゝ゚)
( ^,_ゝ^)ヌルプッ!!
816 :
魏延の中の人:2005/04/18(月) 23:22:25
817 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/18(月) 23:22:51
出っ歯
818 :
月英:2005/04/19(火) 01:38:45
かぼちゃ
平目
820 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/19(火) 02:00:48
a
政治以外は微妙だよな、かなり
822 :
魏延の中の人:2005/04/20(水) 21:09:16
>821
政治も微妙だろ(藁)
机上の論理は大したものだと思う
俗世に塗れてもう少し現実的な思考ができていれば有能な政治家にもなれたかもしれん
蕭何に匹敵する政治家じゃなかったのか
本当に政治家として有能だったらあそこまで北伐にこだわらないのでは?
冷静沈着なイメージが強いけど、実際は結構激しい人だったんじゃないかと思う。
>>824 充分匹敵してる
益州攻略戦、漢中争奪戦、夷陵と劉備が物資に困ったことはないだろ?
827 :
鳳雛:2005/04/21(木) 03:21:09
全然、諸葛両をけなせてないじゃんって言う人がいるが、これだけ批判文でてれば十分だと思うが?
戦は三流
内政は二流
外交三流
人物眼三流
臨機応変に行動できず
あくまでも初期にたてた作戦にこだわる
夷稜で劉備を止めれず、なおかつ補佐を付けなかった
北伐を繰り返し
むだに物資・人材を浪費
偏見の持ち主
実際に自分が指揮をすれば当代一流だった
内政は当時類を見ないほどの倹約政治で国を建て直した一流
外交は最悪だった呉との関係を修復し魏と共同で当った一流
人物眼は自分の周囲にいる人間の事はわかっていたがそれ以上のところには目が向かない二流
臨機応変に行動はしていたが大事なところで臆病になった
初期にたてた作戦にこだわりはしたがそれを捨てる勇気もあった
(天下三分は荊州南部を蜀が所有する戦略だったが呉との関係で諦めた)
輔佐には黄権がついていたがそれでも敗れた
北伐を繰り返して積極的防衛を果たした
物資、人材を費やしたが多年の戦役にも蜀の財政は破綻せず民も疲弊させなかった
偏見を持っていない人間などいない
守っててもいつかやられるのは公孫述の例もあるから北伐は当然としても
呉との共同戦線がうまくいかなかったのは失敗だったな
連絡をとるのも難しいのだろうけど呉蜀共同で事に当たらないことには厳しい
戦の手腕は一流だとは思うがやっぱり結果を出せないとダメだ
>>826 それが、自分の戦のときには兵糧に苦労するんだからねえ。
自分並の補給役がいなかったからな
軍事は大人しく魏延あたりに指揮権委ねて自分は補佐に徹していれば良かったものを・・・
諸葛亮が三流なのは上に立つ物として三流なんだろうな
エンジニア気質というか全部自分でやっちゃう
人材がいなくてもある程度なら育てることができるからね
劉備のそば近くに仕えてたくせに主君から何も学ばなかったんだね
まあ、これは孔明に限ったことじゃないが・・・
嫁さんの顔最悪だな
>実際に自分が指揮をすれば当代一流だった
兵卒を率いる部隊長じゃないんだから、そんなことでよろこんでちゃ駄目
戦略的な勝利を得られないなら、局地的勝利に意味は無い
>内政は当時類を見ないほどの倹約政治で国を建て直した一流
貧しいのに皇帝僭称させたのは亮様
>外交は最悪だった呉との関係を修復し魏と共同で当った一流
荊州が呉のものになったからな。
>人物眼は自分の周囲にいる人間の事はわかっていたがそれ以上のところには目が向かない二流
子飼いの馬謖の向き不向きも把握できてなかったのに?
>臨機応変に行動はしていたが大事なところで臆病になった
臨機応変は得意ではなかったとは陳寿の言
>初期にたてた作戦にこだわりはしたがそれを捨てる勇気もあった
>(天下三分は荊州南部を蜀が所有する戦略だったが呉との関係で諦めた)
天下三分は戦略。現実にあわせて修正されてるけど捨ててないね
>輔佐には黄権がついていたがそれでも敗れた
夷稜の時点では亮様は軍事に口出しする立場にない
>北伐を繰り返して積極的防衛を果たした
相手の進出意図を挫くタイミングでもないし、自らの損害は最小にして相手に大きなダメージ与えるものでもないから
積極的防衛とは言えない。
つーか、もはや北伐はお題目であるって認めてるよね?
>物資、人材を費やしたが多年の戦役にも蜀の財政は破綻せず民も疲弊させなかった
評価されるのはこの一点
>偏見を持っていない人間などいない
偏見云々より自分の派閥拡大に力を注いだからだな
つーか、先主の言葉無視し過ぎ。そんで忠臣面してんだから笑っちゃうよな
>兵卒を率いる部隊長じゃないんだから、そんなことでよろこんでちゃ駄目
>戦略的な勝利を得られないなら、局地的勝利に意味は無い
局地的勝利無しに戦略的勝利無し
>貧しいのに皇帝僭称させたのは亮様
帝位僭称をしなければ「皇帝」と言う権威に宣伝で敗北をし戦わずして敗北する(当時の広告戦甘く見すぎていないか?)
第一、帝位僭称と国の危機的状況は全く関係ない(劉備の夷陵での敗北と崩御が原因)
>荊州が呉のものになったからな
下手な支配者ならば荊州に拘泥して劣悪な関係のまま国家崩壊
>子飼いの馬謖の向き不向きも把握できてなかったのに?
馬謖の敗戦は本人の資質のみならず張コウと言う戦の達人のせいもあるので責任の所在は一所ではない
>臨機応変は得意ではなかったとは陳寿の言
陳寿はこう評価している
・(例を挙げて)諸葛亮がこれほど凄かった
・でも成功しなかったのは軍略は得意分野じゃなかったから「かも知れない」(他の要因かもしれない)
要するに諸葛亮様凄い凄い!でも運がなかった!としか言ってない
>天下三分は戦略。現実にあわせて修正されてるけど捨ててないね
天下三分の要は漢中、荊州からの二方向同時北上。それが叶わない以上捨てているも同然
>夷稜の時点では亮様は軍事に口出しする立場にない
国政を預かる丞相が軍事に参与しない訳が無いし少なくとも編成、兵站計画を立てる上で関わっている
>相手の進出意図を挫くタイミングでもないし、自らの損害は最小にして相手に大きなダメージ与えるものでもないから
>積極的防衛とは言えない
>つーか、もはや北伐はお題目であるって認めてるよね?
あの時に積極的に前に出なければアイデンティティーを失った蜀は内部分裂で崩壊していた
さらに北伐が成功していれば魏から広大な領土、安定した西域貿易を蜀は得ることができていた
名実を兼ね備えた立派な戦略だった
>評価されるのはこの一点
過労死するほど働いて屋台骨が自壊したら待っているのは確実な倒壊
>偏見云々より自分の派閥拡大に力を注いだからだな
>つーか、先主の言葉無視し過ぎ。そんで忠臣面してんだから笑っちゃうよな
孫子の言葉を思い出せ
一人で何でもかんでもやろうとする人は
国にとって只の癌だよ
さっさと排除すべきだったんだ
自信過剰過ぎ
内部分裂で崩壊していた
これって国を運営する人間が有能であれば外征なんかで内なる不満を逸らすなんてことしなくても
アイデンティティーを失う分裂するなんてことは起こらないと思うのだが…
有能であろうとなかろうと蜀は劉備の国だったからさ
仕方ない
だいたいどうやって劉備を皇帝にしたのかを考えると
軍事行動くらいとってないとまずいだろ
大義を民より優先しちゃうあたりに諸葛亮の思想が垣間見える
いや、当時はそれで普通だったのかもしれんけどね
民のためとか言うやつほど胡散臭いものはないよ。
しかし一庶民からすればそういう人が国動かしてくれないと困る
諸葛亮や姜維みたいに戦争繰り返されたら恨み言のひとつも言いたくなるわ
民の声なんて確かにいちいち聞いてらんね
でもそういうことができる奴が天下取ることが多い
なんだかんだ言っても国の礎は結局民衆だからな
天下を志すなら「綺麗事」ですませて逃げちゃ駄目だろうな、やっぱり
諸葛亮は民政から逃げたりしていないと思うが。
奴の北伐は国内をまとめてから行ったもの。姜維のように政治を放棄して
北伐を繰り返したのと一緒にできるものではないとだろう。
結果としては、それが独裁政権を作り、後人に引継ぐ体制を作れないまま
死んだのは諸葛亮の落ち度だけどね。
諸葛亮を批難するなら唯一つ
名実揃った本当の意味での後継者を育てずに死んだ事
これに尽きるな
呉でも陸遜の後継者は陸抗がいたが
顧擁の後継者がいなかったため国が滅びたようなものだからな
陸遜と顧擁を自分一人でRPGしてる諸葛亮はダメダメだ
850 :
魏延の中の人:2005/04/22(金) 21:54:26
孔明は生前黄皓を知っていたのだろうか?
黄皓の生年っていつだろう?
黄皓が頭角露わしはじめたのって諸葛亮の死後20年以上経過してからだし、
存命中は宦官になってたかどうかも微妙なんじゃないか?
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 22:48:45
>847、848、849
蔣琬・費禕は無視ですか?
うん、みんな詳しいな。
俺も諸葛亮がダメダメとは言わんが評価されすぎに思う。
時代背景が違うからなんとも言えんが
例えば曹操とか信長とかは奇才にして非情、かなり強引な改革を進めて
賛否両論あるにしても失敗やニアミスのエピソードもあったりして
全体で見ると人間的に好感が持てる部分も多いが
諸葛亮の場合美辞麗句で彩られてばかりで隠されてる感じが嫌い。
んで最終的に俺は
>>838や
>>848に同意するわけだが
それなりの能力もあったんだろうが一人相撲しすぎ。
能力におぼれる人間にありがちで集団の中では癌。
人間一人じゃ何もできないことをわからなさすぎ。過労死当然。
んで最後に言いたいんだが
しょっちゅうふらふらしてたっぽい諸葛亮はともかく
晴耕雨読はニートじゃねええええ。農業だって立派な職業だ!
しかし3度行って2度もいないような男が真面目に農業してたと思えんが。
昼寝は朝早い農家にとっては普通の習慣。
854 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/22(金) 23:11:25
諸葛亮ってニートだったのか
855 :
853:2005/04/22(金) 23:19:06
まあ実際には彼は彼なりに色々してたらしいけどね。
晴耕雨読して草庵で一人天下国家を妄想してました、
なんて気色悪い設定をなんでわざわざしたのかはよくわからん。
大体親が一緒にいなくて自活してる時点でニートではないわな。
>>853 信長は既存の事を誰よりも上手くやった
曹操は改革の切っ掛けは作ったが実際の改革は息子の曹丕の方がしっかりやってる
イメージだけで語るんじゃない
諸葛亮は諸葛亮独自の諸葛亮式丞相制で強引な改革を進めた
失敗やニアミスのエピソードもあったりするんだが好感は持てないのかね
それなりの才能どころか管、樂の器と評価されている
能力に溺れてはいない
でなければ[登β]芝の進言は入れないだろうし魏延は出世させない
結局問題は
>>848に尽きる
まあ結局のところ南方統治やバショクなどから人事に関しては2流だったと
>853
諸葛亮の後継者というのは、諸葛亮が作り上げた独裁政権の後継者でもある。
それは政治面も軍事面も全て含めてのこと。
蒋エンに関してはかなりがんばった方だと思う。
諸葛亮死後の国力回復にもいそしんでいるし、諸葛亮とは違った北伐案を出している。
が、一度も北伐を施行できなかったことは大きい。
しかも北伐が阻止されたのは成都側の圧力によるもの。
この点から見て、蒋エンは国を完全にまとめ切れなかったと自分は思う。
それは彼の非ではない。諸葛亮の権限が蒋エンにそのままうまくスライドしなかったのが
一番大きな原因だろう。
諸葛亮が戦場で病死なんぞしなければ、蒋エンは正当な諸葛亮の後継者として権限を振るえただろうが、
蒋エンが後を継げたのは、諸葛亮が事前に劉禅に後継者を蒋エンに指名していたからで、
臨時的な側面がある。
前線には魏延・楊儀がいたわけで、この二人を費イがうまく片付けてくれなければ
蒋エンはさらに弱い立場に立たされていただろう。
そういう意味で、蒋エンは費イに遠慮があったともいえるし、それが
費イをトップに置く成都側への遠慮になっていたんじゃないかと。
費イに関しては、そもそも諸葛亮が本当に後継者として名を上げていたかかなり怪しい。
何にしても、諸葛亮が死んだ直後のごたごたと、漢中府と成都の対立は
諸葛亮に原因があることだけは確かだろう。
すまん、853ではなく852だ。
蒋エンのころには魏のほうで運河とか屯田で完全に迎撃態勢が整っちゃってるから諸葛亮と
同じ北伐案は採用しにくいのでは?
費禕は諸葛亮が指名したのではなくても姜維を掣肘し得たという点で、
ある意味蜀の延命に最も貢献した人物ということができると思う。
>>858の根拠はイマイチわからんが、もしそれが本当なら、
費禕の素養を見抜けなかったという点で諸葛亮を貶めるネタになるので
このスレ的にはウマー。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/23(土) 00:23:58
>858
>>諸葛亮が戦場で病死なんぞしなければ、蒋エンは正当な諸葛亮の後継者として権限を振るえただろうが、
蒋エンが後を継げたのは、諸葛亮が事前に劉禅に後継者を蒋エンに指名していたからで、
臨時的な側面がある。
この辺りよく理解出来ない。
諸葛亮が戦場で死去しなければ正統な後継者になってた、ってのはどういう意味?
どっちにしろ、諸葛亮の後継指名が無ければ蔣琬は政権を主催出来ないのでは?
>858
諸葛亮の作り上げた独裁制と言うものは、諸葛亮が存在していて機能するものなのでは?
諸葛亮死去後の政治体制は、その状況に合わせる方が良い訳で、諸葛亮が居なければ成り立たない国家体制を、諸葛亮以外の人物でも運営できる体制に持って行くのが趣旨だとすれば蔣琬・費禕は妥当な選択でしょう。
実際、蔣琬以降は漢中・江州(後に永安)・ライ降の都督の権限が大きくなっていて、諸葛亮時代に比べれば分権化が進んでる。
独裁から普通の体制って感じかね。
北伐を遂行するのなら独裁体制だろうけど、平時体制に移行するなら独裁制の必要は無い訳で。
蔣琬の北伐にしても、諸葛亮のそれとは性格が違うのは劉禅の詔勅を読んでも明らか。
蔣琬以降は劉禅自身も国政に参与してるしな
そう考えると、諸葛亮という巨人の死後、蜀の人々が必死にその穴を埋めようと頑張ったのだろうと思う
そして時代の流れについていけず諸葛亮の時代に停まろうとし続けた姜維
それとも姜維自身に諸葛亮超えてやろうという野望があったせいなのか
865 :
853:2005/04/23(土) 01:57:39
>>856 あんま長々と書くと悪いと思ったんで割愛したが
別に曹操信長と諸葛亮を同列にして比較してるわけじゃない、
時代背景その他が違いすぎるとは断ったつもりだが?
第一これを言っちまうと議論が成り立たんが
三国志時代の資料はどこをどう信用するかで全然変わってくるので
イメージというか憶測に頼らざるを得ない部分も多々あると思うんだが。
んで俺が言いたかったのは諸葛亮は後事の整理をほとんどつけず
ぽっくり逝ったワンマン社長の会社が潰れた例にほぼ近い。
実際にはこれはどうかと思うが魏延対策など
自分の死後を全く考えてなかったわけではないだろうが
諸葛亮抜きにその後の蜀漢が立ち行かないのは自明であったし
彼の後をそっくり継げる能力や権力のある人間もいなかった。
劉禅があの様子であるのにそういった状態のまま
国力の疲弊もあったのに北伐を繰り返した諸葛亮は
やはり俺はどうしても評価できないし正直姜維は輪をかけて嫌い。
まあただ人の受け止め方はそれぞれだろうし
俺は諸葛亮が好きな人はそれでいいと思うが
忘れてならんのはここがどういうスレッドかってことさ。
866 :
858:2005/04/23(土) 03:50:26
>862
>諸葛亮の後継指名が無ければ蔣琬は政権を主催出来ない
その通りだと思う。
これは逆に、蒋エンが後継者になりえたのは諸葛亮が事前に劉禅に言い置いていたからということでもある。
諸葛亮存命中の蒋エンの官位は丞相長史、楊儀も同様。
官位に関して二人の差はたいしてなく、楊儀は魏延を討ち取ったことからも自分が後継者になりえると思っていた。
それが蒋エンの方が後継者になりえたのは、諸葛亮の言葉があったから。この一点しかない。
しかもこの言葉を諸葛亮は内密に劉禅に上表していたとあるから、
周りも知らなかったことになる。
周りの出方次第では楊儀に立場を脅かされない。
そうならなかったのは、周りの費イらが蒋エンに協力したからだが、
それは同時に費イたちに借りを作ることにもなる。
蒋エンは周りの意見をある程度考慮しつつ体制作りをしていかなければならないわけで、
それだけ負担も大きくなるだろう。
>>諸葛亮が戦場で病死なんぞしなければ
てのは、諸葛亮が成都にいるときに死んだならば、もう少し蒋エンへの権力移譲も
スムーズに行ったのではないかという推論でしかないんで断定的に書くべきではなかったな
と反省してる。
867 :
858:2005/04/23(土) 03:51:20
>863
確かに858の書き方だと、独裁政権以外蒋エンにとる道はなかったと断定しているようで
適切じゃなかった。スマン。
>諸葛亮が居なければ成り立たない国家体制を、諸葛亮以外の人物でも運営できる体制に持って行く
これには同意。これができれば一番良かった。
でも蒋エンがそういう体制に持っていくには、諸葛亮の残した形態はあまりにも大きすぎた。
前任者の影響が大きすぎる状態での新体制の確立はそうとうの負担になる。
内政を重視しようにも漢中府の人間は不満がるし、荊州方面への軍事行動にも
諸葛亮案と違うからと邪魔が入る。
諸葛亮が自分の死とともに独裁体制を解体しやすいように行動しておけば、蒋エンはこんな苦労はしなかったわけで、
もし、諸葛亮が自分の死後も北伐を強く望むなら、蒋エンが独裁体制を敷きやすいように
事前に体制を整えるべきだった。
でも諸葛亮はそのどちらもせずに死んだ。
これ以上重い責任放棄もないだろう。
あくまで諸葛亮が後任者のための体制を整えずに死んだことを非難しているわけで
蒋エンの政治手腕に問題があったといいたいわけじゃなかったんだ。
そういう風な書き方に見えたならスマン。
あと長文マジスマン。
ここ最近急にマジメな流れになったな
晋書の気持ち悪いぐらいスーパー超人な宣帝司馬懿に比べると三国志の諸葛亮の方が
完璧であろうとする人、という感じになっててそこに独特の人間味があっていいと思う
演義の諸葛亮はスーパー超人すぎる感があるから好みの分かれるところではないか
869 :
853:2005/04/23(土) 06:40:20
そだな、ここ最近の流れで俺の言いたい事も他の人が言ってくれてる。
蒼天くさい言い方(と言ってもよく知らんが)で悪いが
やはり諸葛亮には人を見る目というか器というか、
人材を起用あるいは見出す点においては劉備に劣る気がするんだが
それは当時の名前の出て来ない人に関して俺らは知るわけもない。
>あくまで諸葛亮が後任者のための体制を整えずに死んだことを非難しているわけで
結局俺の言いたいこともこれに尽き、その為には躍起になって北伐してる場合でもなかったろう、と。
劉禅のあの様子じゃ死後の体制をしっかり作っとかなきゃ打倒魏どころか
蜀漢の足元もおぼつかないわけで結局蜀は諸葛亮の死から完全に立ち直れないままに滅びた。
北伐が最終的に身を結ばなかった以上政治家あるいは戦略家として非難されるのは仕方ない。
まあこれはあくまで私見でしかないが結果で見るなら戦術的にも法正、ホウ統に及ばん気がするが。
ちなみに比較として司馬懿がよく引っ張り出されるが(当然だけど)
俺は個人的にはこいつも好きじゃないし(そこは完全な感情の問題)
能力的にどれほどのもんだったのかも俺の知識じゃ判断できんが
あの当時の実質的戦力差や蜀漢の必死さなどを考えると
持久戦に持ち込んだのはきわめて妥当な判断だったと思う。
まああんまり長くなると悪いんで適当に切るけど
↑の方でなんか日米開戦と諸葛亮の北伐を比較してるレスがあったが
(あんまりこういうのを持ち出すと荒れるのかも知れんけど)
もはや形骸化した大義名分みたいなものに固執して
最終的に補給線がネックになって敗北ってパターンは
俺は日本のシナ、東南アジア侵攻に似通った部分があった気がする。
諸葛亮が妙に人気あるのとなんか関係あるのかな〜とも思ったが
諸葛亮は中国本国でも大人気でしたね。
このスレの流れを見ると諸葛孔明の独裁体制は武田信玄みたいだな。
死んだ年齢もあまり変わらないし、その後継者は先代から受け継いだ
事業をうまく機能できないし、そのために結局お互いの国家体制が
滅んだわけだけど。例えば勝頼と姜維がわかりやすい見本だな。
また、後世ではその両人が戦の神様と崇拝してるところも似てるな。
>>869 違う時代のことを例に出すと蛸壺式に細分化して引き篭もってその時代調べてる人間からあそこが違うここが違うって突っ込まれるんだから
わかってるなら別の時代のことを話題にすんなよ、と
日米戦争に関しては大義名分とかそんなんじゃなくて日本としては切実に資源の確保のため
アメリカとしては中国のマーケットの確保、とどっちも経済的な理由で北伐とはまた全然違うだろ
>>870 だから違う時代をry
武田信玄は状況を最悪なところに持ってった状況で死んで勝頼に回してる
あの状況だと勝頼が神でもないとひっくり返せないぞ
諸葛亮は夷陵の敗戦後って最悪な状況で自分にお鉢が回ってきてるわけで比較にならん
全ての歴史は似た部分があったとしても独立した別々の歴史だから迂闊に同じと言うなよ
蜀漢って国家の成立から運営まで根本に関わって上位者に疑念を抱かせず下位者に翻意を芽生えさせない
そんな人物でないと蜀漢式丞相制のキーパーツは勤まらなかったわけだ
国の心臓は成都に、脳は漢中にそんな2つの政府って国家としちゃ異常で非常識極まりない状態を残したまま陣没ってのはアホだなぁ…
それでも引けない理由でもあったんだろうか
ここから先はトンデモだから取り合わなくていいが諸葛亮自身は死ぬ気全くなくて誰かに暗殺されたのだとしたら面白い
>諸葛亮自身は死ぬ気全くなくて誰かに暗殺されたのだとしたら
そんな小説があったな・・・・昔
>867、869
諸葛亮死後の体制云々おっしゃるけど、蔣琬・費禕で20年程比較的平穏な時代があった訳で、この間をスルーして責任を問うのはどうかと思うけど。
ちなみに、よく「漢中府」とか言う言葉を聴くけど、そんなものはありません。漢中都督はあったけどね。
でもこれは漢中防衛の為の統帥機関であって、特別な権限や兵力を持っていた訳ではない。
それに費禕の死去までは成都と対立や不穏な情勢になった事もない。
費禕の死去後に姜維が兵権を専らにし、北伐を遂行した状況と混同しているようだ。
蜀漢が政治と軍事が分離した状況になったのは費禕の死去した253年以降であって、それ以前の蔣琬・費禕は政治・軍事ともに掌握している。
874 :
魏延の中の人:2005/04/25(月) 21:19:36
孔明は甘い物しか食べない偏食家で蜀の辛い料理が苦手だったことが
北伐の動機だったらしいぞ
だったら南方からの貿易ルートを開発しる
>>856 遅レスだが
>それなりの才能どころか管、樂の器と評価されている
これは、自称ではなかったか?
それと、魏延を出世させたのは劉備ですよ。
そういえば、諸葛亮が自ら低い身分からとりたてた武将ってロクにいなかったような。
877 :
魏延の中の人:2005/04/25(月) 22:44:54
>>875 それが南征の理由だ。
ちなみに武都・陰平には甘い草が育つ畑が有ったらしい(藁)
陳寿は諸葛亮マンセーなので評価も多少さっぴいて考えたほうが・・・
マンセーだから評価してると言い切れる材料はどこに?
>>878 陳寿の評価は管仲、簫何
管仲、樂毅は自称
あ やべ
間違えて記憶してた
すまん
司馬懿の「天下の奇才である」なる評もあるな
内側を固め、幕僚や子飼を育て、時間をかけて百世の汚名を覚悟して
劉禅になりかわって実をとらなかった時点で偽善者。
最後まで貫いちまったから偽善者にはならなかったが、蜀を通じて天
下を目指そうとするなら自ら皇帝になるべき人間だった。
こう言ってしまうとニンゲンの生きざまの問題になるからけなしてること
にはならんかな?
まぁ、主君劉備に傾倒しすぎてたのだよ、彼は。
>>884 取って代わったら多分魏や呉が攻めてきて今まで以上に南中が離反してアボーンだと思う。
漢王朝再興を掲げてるから人も集まるし益州の豪族もそれなりに助けてくれるのに
それやっちまったら国が立ち行かないぞ
管仲、簫何なら役割的にもわかるな。
さすがに楽毅に比すのは無理がある。
樂に比していたのはその忠義の部分であった チャンチャン
ってオチになりそうだな
>>883 奇才って必ずしも褒め言葉とは言い難い気が
三国志の時代の中国でどうだったかはちょっとわかんないけど
天下の奇才は天下にも希な才って意味な
誉め言葉以外の何者でもないぞ 今も昔も
まあ、「奇才・荒木」とか使われてるの見ると微妙な意味かなーと思っちゃうのもわからないでもない。
>890
「奇」に’まれ’とかいう意味はなかったような。
893 :
魏延の中の人:2005/04/29(金) 16:50:58
司馬懿の諸葛亮評は哀紹や劉表と同じ
諸葛亮を見ているとニートを思い出す
日本語の奇にはないが奇才という熟語の奇はマレという意味を内包している
896 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/04/29(金) 17:21:18
あまり人を見る目が無い、馬謖や魏延が最たる例。
馬謖は兎も角魏延は重用しているだろうが。
>>897 >魏延は重用しているだろうが
という発言を平気でする
>>897の基地外脳ミソにズームイン!!
m9(^Д^)プギャー
魏延の官職見ろよ…
北伐中別働隊任された数少ない将軍だぞ…
重用しない場合、北伐を行う方面の軍権なんかもたせないから
902 :
魏延の中の人:2005/04/29(金) 18:15:52
孟達をうまく活用出来なかった
先帝が重用した李厳の能力を発揮させることが出来なかった
>>901 重用じゃなくて利用と言うんだよタコ君。
なんだ
日本語がわからない荒らしか
905 :
信玄:2005/04/30(土) 00:02:33
北伐の際、常に孔明は魏延に数万の兵を持たせ別のルートに派遣したらしい
これって魏延がじゃまだったから?
あと益州系の派閥って方正のあとだれか継いだの?
逆に、別働隊の指揮を任せるほど信頼していたと見ることもできる。
実際、諸葛亮にとって北伐は重要な戦略行動だったはずだから、
気に入らない奴を死地に追いやって謀殺するなんて小細工する余裕はなかったんじゃないかと。
>>858の
>しかも北伐が阻止されたのは成都側の圧力によるもの。
・呉と共同作戦をするはずだったが、呉の準備が整っていなかったため
それを待っている間に蔣琬死亡。
・呉の準備が整うのを待っている間に、攻め入る時機を逃してしまい
計画がウヤムヤになってしまった。
・共同作戦をするはずが、呉が後になって「わりぃ、やっぱやめた。」と言っってきたので、
蜀軍だけで攻めても無理ぽ。ってんで、あきらめた。
>>858にこういう説もあるよ。と、ここに書き記しておこう。
>908
呉書呉主伝244年の歩シツ・朱然らの上奏文
「蒋エンは漢中を守りながら、司馬懿が南に向ったと聞いても
兵を関中に進め、虚に乗じて魏をからめ手から責めようとはせず
かえって漢中をほったらかしにしたまま軍を成都のほうにかえしました」
ちくま学芸文庫より抜粋
この司馬懿が南方に向ったというのが
241年の4月から始まった呉の魏侵攻に対処するためのもの。
この時の呉の戦域は寿春方面全j・六安諸葛恪・樊を朱然・柤中を諸葛瑾が攻めた
かなり大々的なもの。
一方の蜀で蒋エンの北伐が中止されたのは241年の10月に費イが漢中にやってきて。
呉との共同戦線がうまく張れずに北伐ができなかったとするなら、
ちゃんと準備を整えなかったのは蜀のほうになる。
これも一つの見方に過ぎないので908の上げてくれた説もありえたかもしれないが
自分は納得できないな。
ついでに
>873
漢中府とは便宜上の言葉。
実際は諸葛亮が北伐に際して漢中にとどまった時に蜀の行政全般を行うように置いた
漢中の中の丞相府のこと。
問題は諸葛亮が死去した後、この丞相府がちゃんと解体されていたかどうか。
蜀は諸葛亮の後に丞相についた人間はいないから、残っている事はまずないはずだしあってはならない。
が、蜀書の張皇后伝に238年の皇后に任命する書の中で「行丞相事・左将軍向朗」とある。
これが丞相府の官職を指しているなら、丞相府は諸葛亮が死んでから4年経っても解体されきっていなかったことになる。
引き継ぐものもいなければ、解体もされていない組織が国家にとって害にならないはずはないと思うんだが?
>>909 >呉書呉主伝244年の歩シツ・朱然らの上奏文
>「蒋エンは漢中を守りながら、司馬懿が南に向ったと聞いても
>兵を関中に進め、虚に乗じて魏をからめ手から責めようとはせず
>かえって漢中をほったらかしにしたまま軍を成都のほうにかえしました」
そんなん呉の視点でもの言ってんだからあたりまえ
おまけに孫権は既に錯乱状態になりかけの時期だから、
うかつなこと言うと、何されっかわかんね
912 :
正史研究家:2005/05/02(月) 22:17:22
>>1 「隠遁」を「就職しようとしなかった」と解釈する
>>1氏の見識を疑わざるを
得ません。東洋史上最も高潔な諸葛亮を汚すこのスレッドに即刻削除を要求
します。
913 :
魏延の中の人:2005/05/02(月) 22:43:05
>>912 寧ろ、「就職しようとしないこと」を「働いたら負け」と解釈するのが
ニートだろうが(藁)
人にまみれて出直して来い(藁)
914 :
正史研究家:2005/05/02(月) 22:56:26
>>1 他人の意見に耳を傾けず、あくまでも自説を押し通す愚昧な1さんのスレッドに
はもう来ません。
915 :
魏延の中の人:2005/05/02(月) 23:19:29
>909
諸葛亮が死んだ、あるいは蔣琬が尚書令になった段階で丞相「府」は廃止されたかと。
諸葛亮死去後に漢中に政府中枢があるのは、蔣琬が漢中に出征していた時のみ。
それ以外は成都なり、涪なりであるから、漢中に政権中枢が移ってたとは言えない。
向朗の場合「行丞相」になっただけで、開府の権限を与えられていない。
皇后を任命(?)すると言う宮中儀礼の重要事にあたって、年功・閲歴的に第一人者の左将軍・向朗を名目的に丞相の代行としただと考えた方が自然では?
何せ、丞相長史を罷免された後は政治的には引退していた人物ですから。
917 :
916:2005/05/03(火) 06:39:56
>>916 一行目、間違え。
諸葛亮が死んだ、あるいは235年に蔣琬が大将軍になった段階で〜、に訂正。
918 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/03(火) 14:29:26
姜維としては自分は軍人だから政治に口出しできない、したくないと思ってたんじゃないか?
諸葛亮生前の姜維は内政官じゃなかった?
920 :
魏延の中の人:2005/05/03(火) 16:30:41
正史を読んだだけでは孔明が姜維を認めている記述はあっても、
姜維が孔明に心酔している記述は見当たらないな。
>916
向朗伝に「諸葛亮死後、左将軍に移ったが過去の功績をとりあげられ、
顕明亭侯に封じられ、特進の位を授かった」とある。
左将軍は前任者の呉壱が諸葛亮が死んだ直後に
車騎将軍・漢中都督になったのを引き継いで任命されたものだろうから、
234年に向朗は左将軍につき特進の位を授かった事になる。
「行丞相事」自体が向朗伝に存在しないから、絶対とはいえないが、
左将軍任命とともに授かった特進の位が、「行丞相事」なんじゃないか?
逆に、238年の皇后任命に際して臨時に任命されたのだとしたら、
向朗伝に諸葛亮の死の直後以降の加官が全く記されていないのは何故か
疑問が残る。
>921
その可能性も無くは無いだろうけど、皇后・皇太子任命に際し、丞相の職務を臨時に代行する「行丞相事」に任命されたと思うよ。
特進は特進で、ちゃんと意味(三公に次ぐと言う)が有る訳だし。
皇后・皇太子の任命に際しての一時的な臨時措置であったから、「行丞相事」に関する記述が向朗伝に記載されなかったのだと思う。
どちらにせよ、開府の権限は与えられていない訳だから、向朗が諸葛亮の丞相府を引き継ぐカタチで継続したと言う事は無いでしょう。
>922
確かに特進の位と「行丞相事」を一緒くたにしたのは
無知なこと言ったと思う。スマン。
>開府の権限は与えられていない訳だから、向朗が諸葛亮の丞相府を引き継ぐカタチで継続したと言う事は無いでしょう。
これなんだが、諸葛亮が第一次北伐に失敗した時、右将軍・行丞相事に降格されている。
向朗の行丞相事・左将軍と官職的な差はほとんどない。
確かに開府は許されていないから、向朗が完全に丞相府を統括する事は不可能だろうけど
丞相府の形態を留める事は可能だったんじゃないかと思うんだが。
>923
丞相府の形態を残す理由が見つからないと思うよ。
向朗の「行丞相事」が何時の頃からかは不明だけど、おそらく238年頃で、238年ないし239年には蔣琬が開府しているわけだから。
儀礼的な分野での「丞相」の代わり、って言う役割はあっても「丞相府」は開府の権限があって初めて開かれるものだから、形態を留めるってのは無理があると思う。
諸葛亮の右将軍・行丞相事は開府の権限を得ているものが降格してなったモノで、向朗の場合と官職的には同等程度だろうけど、おそらく臨時的なモノで実質的な意味で全く違うからね。
諸葛亮死去直後の234年(年度)は諸葛亮死去の残務処理で丞相府は主無しで残ってたろうけど。
主無しの状態で残務処理がいつまで続いたかが問題だと思うんだが。
一個人が開いた幕府の権限が朝廷より弱ければ解体はたやすいだろうが、
諸葛亮の丞相府は実質的に朝廷を上回っていた。
だから李厳にそこまでするなら九錫を受けろとまで言われたんだし。
その丞相府の特質は北伐のための軍事政権だろ。
当然、漢中には相当数の兵力があったわけで、魏の侵攻を阻止するためにある程度の
兵力は必要でも、それが成都を凌駕していれば反逆されかねない怖れだってある。
実際にするかしないかではなく、それだけの脅威があるという意味でね。
解体するにしても、丞相府に属していた人間を朝廷に戻すのに、
下手に組み込めば、丞相府の頃より権限が減らされたものが不満を抱いたりするだろう。
楊儀などまさにその典型じゃないか?
まして、漢中の丞相府は北伐のための軍事政権なのだからそう簡単に兵権は手放さないだろう?
そういう危険な組織に急激に手をつけるより、現状だけ維持して徐々に朝廷に組み込んでいった方が安全じゃないだろうか。
「丞相府の形態を残す理由」については、自分はそう考えている。
残す必要があったんではなく解体できなかったんだろうと。
何も蜀が滅びるまで丞相府が健在だったとは思っていないし、言ってもいない。
形式面で言うなら、238年の蒋エンの開府とともに消えた可能性のほうが高い。
が、それは外面が大将軍(大司馬)府に変わっただけで、
その本質は北伐のための軍事政権に変わりはないんじゃないかな。
>>908 ・出兵準備のため涪に駐留中に、蔣琬が病にかかった、
もしくは持病が悪化し、246年この策の実行を見ずに病没した。
>>908にこういう説もあるよ。と、ここに書き記しておこう。
927 :
926:2005/05/05(木) 10:35:05
>>909の
>漢中をほったらかしにしたまま軍を成都のほうにかえしました
蔣琬の病が重くなったため、との解釈もできる・・・けど魏を攻めるチャンスなのに
蔣琬が病だってだけで引き返すんだろうか?
総司令官が病に倒れたための兵の士気の喪失とか、権限とかの問題?わからん
>北伐が中止されたのは241年の10月に費イが漢中にやってきて。
この文からだと費褘も反対派のように受け取れるけど、(おれだけかもしれんが)
たしか費褘と姜維も計画立案者だったはず。
費褘に今後のことを相談するために漢中に呼んだのでは?
まあ反対派も多数いただろうけど、蔣琬・費褘などの権力を持っている人が計画したのに
「成都からの圧力によって」ってのがどんなもんなのか解んないので聞いてみました。
>>927 流れとしてはこんな感じだと思う
蒋琬が漢中に駐屯し上庸を狙う
↓
成都で反対派が大多数を占め費褘、姜維が劉禅の意思(漢水下り反対)を伝える為、漢中へ
↓
費褘、姜維らと協議し目標を河右に変更、漢水下りは頓挫し漢中から涪へ引き返す
費褘、姜維も含め反対派だったと思われる。
>>908の根拠は蒋琬の上奏だと思うが実際に呉が兵を動かしているからこの時に体調を崩したのかもしれない。
>925
丞相府が朝廷の力を凌駕していた、と言うより蜀漢そのものだった、と言う方が適切では?
223年に後主が即位して以来、開府されているので、北伐のみの軍事政権とまでは言えない。
蜀漢が益州一州のみの小国のため、権限を集中する方が効率が良いと言う部分が大きいのではないかな。
北伐中は6,7万前後の兵力が漢中に駐屯していただろうし、蔣琬の時も同様だとは思うけど、後の興勢の役の時は漢中駐屯軍は3万に満たず、費禕が涪より主力を率いてる。
だから、漢中の兵力が平時に成都を凌駕していた事は無いはず。
楊儀の場合は諸葛亮の後継者を自負していたのが、後輩(と思ってる)蔣琬に抜かれた為に不満を持ったのであって、丞相府の権限云々では無いでしょう。
その他の人物については、正史に諸葛亮没後に不平・不満を持ったとする記述も無く、行間を読みすぎでしょう。
大体の人物は諸葛亮没後、昇進していますし。
漢中の丞相府と言うけど、開府の権限を持った人物が漢中に居なければ漢中に丞相府が残るはずもなく、その辺りの理解がちょっと・・・・。
形式面でも、235年の春人事で蔣琬が大将軍になってます。これは諸葛亮時代からの大幅な刷新で、この人事をもって、諸葛亮の丞相府は解体、あるいは消滅したと考えた方が自然です。
諸葛亮の死去直後は蔣琬が尚書令・益州刺史・行都護となって国務を総理しており、この間(大将軍になるまで)は諸葛亮時代の残務処理のための一時的な国務処理を行っていたのでしょう。
首相代理みたいな感じかな。
結局コイツの策略って、ほとんどが五虎大将軍クラスの猛将がいないと成り立たないヤツばっかでしょ?
4番バッターを集めないと何も出来ない某野球チームを連想しちゃうよね
で、自分がスカウトしてきた奴は自意識過剰ワンマンプレーの馬謖タンと戦争大好き経費垂れ流しの姜維タンですか?
>929
>丞相府が朝廷の力を凌駕していた、と言うより蜀漢そのものだった、と言う方が適切では?
実質はそうだが、形式上は諸葛亮は一国の丞相にすぎない。
それを蜀漢そのものといってしまっている時点で、朝廷の力を凌駕していることになるだろう。
権力を一点に集中させたのは、蜀のような小国でも北伐に耐えられるようにするためだよ。
ただ普通に運営するだけならそもそもあんな独裁をしく必要もない。
北伐のための軍事政権と言って差し支えないと思うんだが?
漢中の兵力に関しては、蒋エンが238年に開府を許され、翌年大司馬に昇進したことでその府に取り込まれたんだろう。王平や姜維が蒋エンの府内に入っている。その姜維が242年に一軍を涪に移動させている。
その時点で漢中軍自体は3万になったんじゃないか?
244年の魏の侵攻時、この涪の諸軍が動いたとあるから、本来は漢中の防衛軍だったんだろう。
>形式面でも、235年の春人事で蔣琬が大将軍になってます。これは諸葛亮時代からの大幅な刷新
これは蜀漢が丞相制から大将軍制に変わったといっているのでいいのかな?
だとしたら、なおさら蒋エンが大将軍になったあとも、向朗が「行丞相事」についているのがおかしいんじゃないか?
これが238年に皇后を任命するために臨時に置かれた職だとしても、なぜわざわざ丞相代行である必要があったんだ?宮中行事を丞相が必ず取り仕切る決まりなどないだろう。
大将軍性と丞相性を並立させていたのだとしたら、蒋エンの大将軍就任をもって丞相府は完全に消滅したとは言い切れないと思うが。
>>930 話題の流を読もう
それだけでスルーされる率が減るよ
>231
戦乱期の国家なんてのは、どこも軍事政権であって、蜀漢だけが特別って訳では無いよ。
それでも魏は中原国家であって、統一王朝に近い部分もあったけど。
漢中には漢中都督が居って、その指揮下兵力が3万未満な訳ですよ。
で、北伐時以外は漢中都督がほぼ存在しています。
都督・魏延→諸葛亮の北伐→蔣琬の出征→都督・王平→費禕→都督・胡済って感じ。
蔣琬が大司馬府を開くまでは漢中都督として呉懿がいますから、その指揮下の兵力も3万未満でしょう。
北伐を中止したのに、6,7万からの兵力を漢中に駐留させ続けるのは蜀漢の国力からして厳しいでしょうし。
大軍の駐留と言うのは戦時のみでなく、存在するだけで資源・資金を大量に費消するのです。
また、涪に居たのは蜀漢軍主力であって、漢中駐留と決まってる訳ではない。
北伐でもする時は当然、漢中に居るだろうけどね。
向朗が左将軍のまま、行丞相事として、宮中儀礼を行い、国務全般は蔣琬が行うと言う事ではないですか。
諸葛亮の時も宮中儀礼は、本来なら三公のトップとして行政全般を見るはずの許靖が行っていた様に。
向朗が行丞相事に何故なっかの理由は不明ですが、劉禅の立太子・呉氏の皇后任命には諸葛亮が丞相として使者の任にあたってますから、慣例になっていたのかもしれません。
諸王の劉永・劉理は若干格下の司徒の許靖が勤めてますし。
蜀漢の場合、丞相職は諸葛亮以外に居らず、かなりの特別扱いの様です。
皇太子・皇后の任命と言う国家儀礼の重要事では丞相の格式が必要と考えていたのではないでしょうか?
934 :
933:2005/05/06(金) 19:45:40
今まで述べた理由から、向朗の行丞相事任命は皇太子・皇后任命のための臨時的措置と考えます。
だとすれば、238年頃の任命ですよね?
そうなると自ずと蔣琬の大将軍就任に伴い、蜀漢政府が刷新され諸葛亮時代の丞相府も廃止になったと思います。
並立制ってのは不自然でしょう。
長々、申し訳ありません。
935 :
魏延の中の人:2005/05/06(金) 20:15:32
諸葛亮は三国志界の三振王です(藁)
冷静になってスレ読み返してみたよ。
自分は途中から話の筋がずれてしまっていた。
諸葛亮が漢中に置いた丞相府と北伐のための兵力は楊儀が成都に戻してるんだから
漢中に残っているはずはないよな。
漢中に丞相府が残っていたとする論考は完全に自分の間違いだ。スマンかった。
問題は成都に戻った連中が238年の蒋エンの開府までどういう状態になっていたかだよな。
諸葛亮死後に楊儀が中軍師、費イが後軍師・ケ芝が前軍師になっているから、
まだ、235年までは丞相府が存在していただろう事は推測できる。
925の楊儀の件はそういう意味でも大間違いだな。ヤツは丞相府の所属のままだ。スマン。
その後、楊儀が失脚して蒋エンが大将軍に就き、費イは尚書令になるわけだから
中軍師と後軍師はなくなるが、ケ芝は督江州になるまで前軍師だったのだら、
ケ芝が江州に赴くまでは確実に丞相府は健在だったと見ていいと思う。
そういう意味で、向朗の行丞相事は諸葛亮の死の直後についたものと自分は考えるな。
皇后任命には丞相クラスの格が必要だから臨時に置いたとするなら、
それだけ特殊な任命を向朗伝にも劉禅伝にも全く触れないのは不自然だと思う。
>936
ケ芝が督江州になったのが何時だか明確では無いけど、諸葛亮の死後「ほどなく」ってあるから蔣琬が大将軍になった235年頃でしょう。
なら235年春に蔣琬が大将軍になった段階で丞相府は廃止されてたと思うけど。
諸葛亮の死後も残務処理的のためケ芝・楊儀・費禕らが丞相府の幕僚を兼ねてたんだろうけど。
ただそれも、235年の春人事で刷新されて終了したと。
皇后・皇太子の任命には国家儀礼として丞相の格式や持節が必要だったようだけど、あくまで臨時措置である場合(一時的で期間限定の場合)は正史に記載されない模様。
諸葛亮の場合、丞相・仮節だけども、皇后・皇太子の任命に際しては使持節になってる。
でも、先主伝等には使持節になったとは記載されてないよね?
向朗の場合も、あくまで左将軍(正史で明記)であって、皇后・皇太子の任命のため、臨時に行丞相事・使持節になったとする方が自然ですよ。
皇后・皇太子の任命の時の一瞬、行丞相事・使持節だったと。
938 :
魏延の中の人:2005/05/07(土) 15:45:20
周瑜の死を察知してニヤリと笑う孔明冷酷過ぎ(演義限定の話だけど)
939 :
董ちゃん:2005/05/07(土) 16:28:55
たしかに魏延って別ルートのしかも後方支援的な布石だったから明らかに軽視してないか?
馬ショクより軽視するとはどうゆうことだねちみ。
940 :
魏延の中の人:2005/05/07(土) 19:28:24
>>939 後方支援は決して価値の低いものでは無いが、孔明がそれを命じると
なんか評価が低く感じるから不思議だ。
李厳には或いはそういう心情があったやもしれん。
ショウカを第一の功としたのは劉邦だがあれはかなり特殊な事例だぞ
942 :
魏延の中の人:2005/05/07(土) 19:46:09
>>941 曹操もジュンイクの後方支援の功績を誉めておるぞ
>937
使持節はそもそも使者の役目だろ。
皇后・皇太子任命のために一時的に置かれたのは当たり前だと思うんだが?
それと丞相代理を同一に見るのはちょっと無理があると思うぞ。
それに諸葛亮が丞相に任命された時の官だろう?
本来の職にあたる丞相を記して、一時官の使持節を書かないのはおかしなことじゃない。
向朗の行丞相時も左将軍任命と同時なら同じ事が言えると思う。
が、わざわざ、途中で任命しておいて書かないのはやはり不自然だよ。
234年から235年までに丞相府内で人事が移動しているのなら
丞相の代理が置かれたとしてもなんら不自然じゃないだろう。
諸葛亮死直後の官職も位的には蒋エンの尚書令が3品
費イ・楊儀・ケ芝の軍師職が5品、呉壱の車騎将軍が2品なのに対し
向朗の特進は三公(1品)の下、驃騎将軍(2品)より上に置かれている。
諸葛亮死後の主だった人物より幾段か高く実権は存在しない位を授けているのには
それなりの理由があったんじゃないかな。
まして、実質的にはもう政権から離れていた人物をわざわざ表に戻しているわけだから。
丞相府を現状より大きくさせずに徐々に解体していくにはいい位置・人物だと思うぞ。
というか、いい加減スレ違いになってきているな。
>1スマン。
944 :
魏延の中の人:2005/05/07(土) 21:05:42
945 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/07(土) 21:12:07
諸葛亮は大陸に大乱をもたらした張本人だぞ
天下三分はのちに、約300年間も
天下二分となってたんだからな
その間、何人が犠牲になったことだろうか。。。
たまにはこんな見方もいいんじゃ。。。
ここまで凄い読みごたえあった。おまいら大好きだ。
そこでおまいらが勘違いしていると思われる点を一個指摘したい。
丞 相 府 は 成 都 に あ っ た の で は ?
諸葛亮が死んで魏延と楊儀の争いが成都に聞こえてきたとき、
後主劉禅は侍中の董允と丞相「留府」長史の蒋エンに相談してる。
蒋エンは成都にいたと思われるのだから丞相府は成都にあったろう。
蒋エン伝でも227年に諸葛亮が漢中に駐留したとき、
蒋エンは丞相府の留守を長史の張エイと共に預かっているから、
北伐の最初のときから丞相府は成都にあったと考えられる。
つまり諸葛亮の丞相府はあくまでも成都にあったままで、
諸葛亮は北伐にあたって必要な属官を引きつれて出征、
残りの属官は成都の丞相府で丞相留府長史に統率されて
政務をこなしていたのだろう。
947 :
魏延の中の人:2005/05/07(土) 21:24:29
948 :
946:2005/05/07(土) 21:45:32
それで、成都政権と漢中府のように二重政権のような様相を帯びてくるのは、
恐らく蒋エンの時代からではないか?
諸葛亮ほど権力を集中できたわけでない蒋エンの開府が許されると、
政務は成都の朝廷(尚書令)が、軍務は蒋エンの府が行うという
一種の役割分担のようなものができたのだろう。
加えて蒋エンはフに主力を移すまで漢中で軍務を仕切っていたのだから
蒋エンの府は238年から漢中にあったということになる。
第一の手柄とはしてないだろ。
諸葛の肖像画なんか見るとパタリロに似てる
951 :
魏延の中の人:2005/05/08(日) 00:02:26
そろそろ誰か次スレ立ててくれ。スレタイは
「蜀で一番不細工な顔をした部将は誰?」
でよろしく。
952 :
にいと:2005/05/08(日) 00:05:16
阿醜ちゃんで〜す
953 :
董ちゃん:2005/05/08(日) 00:07:28
諸葛亮は実際、軍事的な手腕に乏しいと考えるものですが皆さんはどうですか?
954 :
魏延の中の人:2005/05/08(日) 00:09:06
>>953 ここはそういう趣旨のことを語るスレだ。どんどん書き込んでくだされ。
いや、スレ的には理論的な批判のみならず
感情的あるいは偏向資料がソースの一方的人格攻撃もありかと。
まあ俺は諸葛亮はあんまり好きでもないがものすごく嫌いってほどでもない。
しかしそれにしても演義での虚弱体質の天才美形周瑜への苛めは悪辣非道すぎ。
羅漢中は諸葛亮マンセー過ぎて逆に諸葛亮を貶めてるのか
それとも天が二物も三物も与えた感じの周瑜へのやっかみだったのか。
ところで話は飛ぶんだが昨今の夏候惇凡将論などを見るに付け
俺は後方支援という作業はいい加減もうちょと見直されていいと思うんだが。
凡将だが非凡な能力の持ち主
これでいいだろ
>>953 しっかりスレタイに「けなしてみよう」って入ってるからね。
958 :
魏延の中の人:2005/05/08(日) 14:15:06
次スレのスレタイは
「諸葛亮-ウンコして馬謖を斬る」で誰か立ててくれ。
キセル諸葛JR西日本を走らす
960 :
魏延の中の人:2005/05/08(日) 22:26:00
誰か「民明書房風に三国志を語るスレ」立ててくれ。
そいつを次スレにしようや。
>943
諸葛亮が死去して、次の執権も内定(蔣琬)している段階で、わざわざ廃止される部署の、しかも代理を置くってのはどうかと。
ケ芝・楊儀・費禕らは、元々丞相府の幕僚かそれに近い存在で残務処理のための異動でしょ。
その流れからすれば、向朗が234年の段階で行丞相事になる必要性は全く無い。
それと、もし234年の段階で行丞相事になってたとしたら、特進は正史に明記されているのに、より重要性の高い方が記載されない、って方が変。
丞相府の解体事態、235年春でしょ?
なら徐々って感じでないでしょう。翌年春に解体されてれば。
>944
だな。
自分が貶すべき点は「諸葛亮がちゃんと後継者に引継ぎを行わなかったこと」だよ。
>946
漢中に丞相府全てが移動していたという論点は明かに自分の間違いだよな。
ただ、丞相長史を基点に考えるなら、丞相府は成都にある蒋エンを中心とした内政側の府と
漢中にある楊儀を中心とした外征側の府に分かれていたと見る事はできないだろうか?
>961
トップのいなくなった部署に代理を置くのは当然のことだと思うが。
廃止される部署だから丞相ではなく代理にしたんだろう。
ただ、行丞相事はそれ単体では職務を行う事はできても位を保証する官ではない。
諸葛亮が就いていた時には彼の官位はあくまで右将軍だった。
だから、趙雲などは諸葛亮に合わせて官位を下げられている。
向朗の場合、彼の官位を保証するのは左将軍であり「特進」。行丞相事は職務にあたると自分は考える。
だから、同時に就いたものならば、記されていなくても不自然ではないと思うんだが。
>丞相府の解体事態、235年春でしょ?
向朗のことを議論するのはそれを議論するためだろう。
235年に丞相府が解体されている事がわかりきっていれば、
向朗が行丞相事に就いたのが234年か238年か議論する必要もない。
>962
諸葛亮死去後の234年の、特に蔣琬が尚書令・益州刺史になった段階で諸葛亮の後任は蔣琬と言う事が確定した訳で、翌春に大規模な人事刷新が予想される状況下で、廃止が予定されている部署の代理を置くのは不自然ですよ。
それが元々その部署のNo.2的な人物が就くならある程度理解出来るけど、まったく全く関与していなかった人物が就任するってのはどうかと。
それに、諸葛亮没後に特別な職務である行丞相事を置くような状況だったか。
234年以降、向朗がずっと行丞相事であったなら、向朗伝や後主伝に明記されていておかしくない。
臨時で皇后・皇太子任命に際して、極端な話、任命に要する日にちのみの官であったから、正史に記載が無かったのでは無いか、と言う事です。
以上の点から向朗の行丞相事は238年の一時的なものだろうと。
仮に234年に行丞相事になっていたとしても、上記のことから、諸葛亮の幕府は解体されているか235年には廃止され、向朗の行丞相事とは関連性はなかったのではないか、と言う意見です。
>946
丞相府は成都にも残ってた、と言うべきかな。
ただ、蔣琬時代以降、二重政権的かどうかは微妙では?
後主伝には蔣琬・費禕共に外地にあったが、重要な問題では諮問を受けた、とあるから蔣琬時代は蔣琬の意向が尊重されていたのではないかな。
自分の考えでは、蔣琬時代は蔣琬・費禕の連立政権のようなものだったと考える。
ただ、あくまでも蔣琬主導のね。
費禕は尚書令になった段階で蔣琬の後継がはっきりしている訳だから、蔣琬と権力争いをする必要も無いだろう。
外征派・蔣琬、守勢派・費禕と言う反論が出るだろうが、費禕が一概に守勢派とは言えない。
蔣琬・費禕共に基本的には積極的では無いが、機会が有れば外征も可ってスタンスだろう。
964 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/11(水) 23:04:21
千里の戦を興さんと請うて、その勇武を示そうとした。秦蜀の者は惰弱で、
魏軍の勇猛に及ぶべくもない。魏軍が平坦な道を楽々と進むことができる
一方、秦蜀の軍は険しい道にてこずらされる。このような状態で戦って功を
争うわけで、どちらに利が有るかは明らかである。それにもかかわらず、
退却し、守りを固めて立て篭もり、鉾を交えようとしない。敵が生きては目
の前の敵を恐れて前進せず、敵が死しては敵の偽計を懸念してなおも逃げた。
これが良将の道にかなうといえようか。
965 :
魏延の中の人:2005/05/14(土) 22:11:42
966 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/19(木) 22:54:38
浮上
nas
日が経ちすぎたんで963氏が見ているかわからんが、次スレも立ったし書いとく
>諸葛亮死去後の234年の、特に蔣琬が尚書令・益州刺史になった段階で諸葛亮の後任は
>蔣琬と言う事が確定した訳で、翌春に大規模な人事刷新が予想される状況下で、
>廃止が予定されている部署の代理を置くのは不自然ですよ。
同時期の人事で楊儀は長史から中軍師、費イは司馬から後軍師に移っている。
これは官位的に見れば丞相府内の昇進人事になる。
廃止が予定されている部署で蜀の代表格のうち二人がその部署内での官位を上げているなら
事後処理のために代理が置かれることもそれほど不自然ではないと自分は考える。
>それが元々その部署のNo.2的な人物が就くならある程度理解出来るけど、
>まったく全く関与していなかった人物が就任するってのはどうかと
向朗は楊儀・蒋エンより先に丞相長史に就いている。
丞相長史は初代の王連と最初の諸葛亮の北伐で留府長史になった張裔は
234年の時点で既に死去している。
丞相府の長官経験者はこの時点で、楊儀・蒋エン・向朗だけになる。
楊儀伝にある諸葛亮の生前の言葉からして、諸葛亮の後継者候補としては長史の楊儀と蒋エンが上がっていた事が予想される。
蒋エンが諸葛亮亡き後の蜀をまとめていく上で、楊儀は下手に権限を与えたら自分に取って代わられる危険がある。
だから、代理を置くなら丞相長史として丞相府を取りまとめた事があり、
蒋エンのライバルになる可能性の低い向朗だったんだろう。
969 :
963:2005/05/31(火) 19:18:44
>968
費禕・楊儀等の丞相府内での人事異動は、残務処理のための措置と言う意味合いが強い。
確かに軍師職の前任者は魏延・劉淡等で高位者が就いているけど、それはあくまで、魏延等の個人の格であって、軍師職が高位だった訳では無いでしょう。
つまり、昇進人事ではないですよ、と。
向朗自身は北伐当初まで丞相長史ではあったけど、その後更迭されて政治向きの事には携わってなかったのは正史に明記されてるから書いたんだけどね。
970 :
968:2005/05/31(火) 22:52:36
>969
遅レスだったのに、レスありがとう。
で、軍師職が高位かどうかはどこを基点に見るかの問題だと思う。
国全体で大臣クラスと比較すれば必ずしも高官ではないが
丞相府の中で長史・司馬と比べれば軍師の方が官位は上だろう。
楊儀と費イは丞相府の長史・司馬から丞相府の中軍師・後軍師になったわけだから
昇進人事といって差し支えないと思うんだが。
向朗に関しては、自分はNO,2を行丞相事に付ける方が危険だと思うからこそ
彼が出てきた事に意味があると考えている。
No,2だから行丞相事になれたんではなく、丞相府を運営した経験を持ちつつ
実権からは離れていた人物だから(蒋エンのライバルになるという危険性が低いために)
就任できたんじゃないかと。
971 :
963:2005/06/03(金) 06:49:03
>970
費禕・楊儀に関しては「昇進」と言う記述はないんだよね。任命された、ってだけで。
ケ芝の場合、前将軍に昇進してるから、併せて「昇進」って記述だけど。
前にも書いたけど、丞相府の官位以外の階級が高い魏延・劉淡が就任したため、結果的に席次が長史等より上になっただけかと。
例えば、費禕も司馬になってたけど、前任者は魏延。
費禕が司馬になった事で鎮北将軍の時の魏延と同格だった訳では無いでしょう。
諸葛亮の指名、益州刺史・尚書令・行都護就任って事で他者がライバルになる可能性はほぼ無いと思うけど。
逆に、行丞相なぞを設置した場合、蔣琬の後継路線があやふやな感じになるかもしれん。
対外的な部分でね。
自分は中軍師・後軍師と長史・司馬に関してはちくまの巻末に添えられている
官職表の品序列が軍師(5品)、長史・司馬(6品)となってることから
長史・司馬より軍師の方が官位は上だと判断した。
蜀は後漢の制度を引き継いでるから、魏の制度である九品で判断するのは
あまり正確じゃないとは思うんだが、6品から5品に職が移ってるのは
昇進に入るんじゃないか?
それと、比較の対象が楊儀・費イと魏延・劉淡なのがよくわからんのだが。
比較するなら長史・司馬と中軍師・後軍師ではどちらが上かであって
魏延・劉淡がもともと高官だっただけで軍師職は長史・司馬に比べて大した官じゃない
というのは比べる基準が違うんじゃないか?
973 :
963:
>972
ちくまのは官職表は詳しいけども、ちょっと合点がいかないトコも多いかと。
幕府の属僚に関して言うと、長吏が筆頭になるのでは?
例えば、劉備が左将軍府を開いた時、名目上筆頭臣僚の許靖が長史でしょう。
九品が影響しているであろう、ちくまの官職表は参考程度かと。
俺が言いたいのは、軍師の職務に就いた人物(劉淡・魏延)が高官であったから、結果的に軍師職も高官に見えてしまうのでは?と言う事です。
私見を言わせてもらえば、軍師職は閑職だったのかな、と。
劉淡の場合は当に定員を満たすのみだし、魏延の場合も破格の出世を遂げた将軍を丞相府に留めるための措置って感が強い。
楊儀も拗ねてますけどね。ケ芝・費禕は昇進あるいは後の展望が開けてたろうから不満は無かったのでしょうが。
許靖の例をとれば、長史の方が軍師よか上だし、実務内容を状況から察すると閑職のようだから、軍師に移るのは昇進とは言えないのではないかな。