1 :
無名武将@お腹せっぷく :
05/01/10 01:21:37
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y .,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ ,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/ l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _>< 《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` { \《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ } \ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕 .゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .} ゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト ゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ 〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙ l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ | ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ, | ノ′ ヽ 〔 ミ } } ′ } { .| .ミ .< 〔 〕 .{ \,_ _》、 .{ .} { ¨^^¨′¨'ー-v-r《
4 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 01:27:32
なんで信長厨で下品なんだろうね 人間として終わってるね
5 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 01:27:57
,r' `' 、 / ヽ . / , ヽ ,,' ; ,、、,_ ニニ ,、」、 l. :;;;i ´ .._`ー ‐''"....| l:,:'"`'、, . ,;rc, . ,rェ;〈 . ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン .., .:::'''"゙, l;゙、',.::l;;;i r ヽ. l, l;;;;`‐;;;;;ヽ . './'ー'''ー‐' ', l;;;,, . ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:' :.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、 :.:.:.| l.l '';;;;;;;;;;;;;;' ,イ l''' l ` ウホッ!!! :.:.:.:| ','、 ''''''''' , ‐---,ェr'".l.| | | :.:.:.:| ゙、゙、 `''''''''"",ノ l l .| | :.:.:.:.| ヽヽ `'---‐'" .// ! |
見苦しく信玄厨が喚いてるな 高みの見物といくかw
相手の誹謗中傷しか出来なくなった時点で信玄厨の負け
ここだけの話 信玄厨と信長厨と謙信厨の壮絶な戦い
過去スレから発掘 44 名前: 事実から真実を想起せよ 投稿日: 01/12/05 08:09 1.主家が危機に陥ったときの対応 織田=本能寺では逃亡無し全員討ち死 桶狭間でも脱落者無し 武田=滅亡時は家臣一門衆、兵隊のほとんど全部が寝返る。勝頼は逃げ回ったあげく殺された 徳川=今川や織田に寝返る者多数、ついに今川傘下に。桶狭間後は織田傘下に。 三方が原では武田に大敗。長篠では存在感ゼロ。真田にはこてんぱんにされる。 関ヶ原でも家臣のはたらきに目立ったものは無い。大阪の陣でも本陣が危うくなると 家康より先に逃げ出す譜代の旗本たち 2.獲得領土 織田=尾張半国よりスタート30余年で日本の3分の一獲得 武田=信虎が甲斐統一し信濃侵攻。信玄は甲斐一国より信濃駿河+遠江の一部 勝頼はさらに上州獲得し三河遠江に攻勢かけるも失敗し滅亡 徳川=家康は人質よりスタート。桶狭間のどさくさに三河の一部で独立。ほぼ自力で三河統一 武田と図って遠江獲得。武田滅亡にさいして駿河を恩賞として信長より拝領。 本能寺のどさくさに甲斐信濃を獲得。秀吉の命で関東へ国替え石高は大幅に増加・・・後略
>>9 発掘してきた当人だが
>長篠では存在感ゼロ
は間違いだな。長篠で武田の死命を制したのは三河武士主体(酒井隊)の夜襲
落ち着いたみたいなので、 信長が信玄を恐れたことについて聞きたい。 定説だと思っていたのだがどうなんですか?違いますか?
定説ですが 信長厨はその事を認められない心の狭い人ばかりです
>>11 恐れていたからこそ、対処を怠らなかった。
時期が違えば確かに恐れられる存在だったかもしれんが、あの状況ではな・・・ 最大の難敵だった浅井・朝倉が弱体化したときまで動かなかったのが悪かったな
>>11 実際には、信玄を恐れても、「上洛してくる武田軍」は恐れていなかった、ってとこかね。
>>15 信玄を弁護すれば、動けなかったというのが正しい。
甲相同盟の復活が72年1月。この後もしばらく駿河、遠江で戦い、遠征しようとしたら
病にたおれて夏がすぎ、小康状態になって10月に出陣。
72年の段階ですでに朝倉・浅井は追い込まれているし。
>>17 確かに動けなかったが正しい
同盟の復活の時期が信長と信玄の明暗を分けたな
あまりの織田軍の弱さに上杉謙信は呆れ返ってしまったと云う 手取川の合戦での話
信玄厨は論点をズラすのが好きだな
ドキっ
22 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 04:27:35
まあ、おまいらみんな厨だがな
23 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 04:31:41
三戦は痛い厨の集まりだな
1.主家が危機に陥ったときの対応 織田=本能寺では逃亡無し全員討ち死 桶狭間でも脱落者無し あの状況じゃ逃亡は無理なんじゃ…。 本能寺後のことは語らんのだな 家臣造反一門衆対立
女性器はイヤラシイ形をしているが、個人的にはもっともっとイヤラシイ形をしてい てほしかったと思う。一例を挙げると性的に興奮したら女性器から最長3mぐらいま で伸びるような触手を出して男性器に絡み付き、膣内に引き込むといった機能が備 わっていてもよかったのではなかろうか。 もし実際に女性器にそうした機能があったとしたら、私は小学6年生ぐらいの色白で 髪が長くて大人しい、赤いリボンとフリフリフリルの可愛い服がトレードマークの学 校一の人気者の美少女小学生に生まれ変わりたい。 そして学校で授業中エッチなことを考えたために、自分の意に反して膣内から触手が うねうね出てきて、最初はスカートの上から膣口を手で押さえ込もうとするが、押さ えつけようとしている手の脇から触手がはみ出してきて、ついにはスカートの裾まで 進出し恥ずかしい粘液まみれの触手が生々しい臭気を周囲に漂わせながら斜め前 の席に座っている好きな男子の股間に伸びてゆく場面をクラスメイト全員に見られて しまい、赤面した顔を両手で押さえて泣きじゃくったあげく、遠い街の学校に転校したい。
うん、病院いけ
27 :
信長厨 ◆ktDBU7IU.k :05/01/10 09:18:50
>>10 いつも思うのだが
その奇襲部隊の半数は織田兵であるし
装備の質も織田が勝っており(鉄砲500を増強)
信長公記の記述でも鉄砲での先制攻撃が
効果を発揮したようで
徳川兵の役割は結局道案内では。
オタもアンチもアホばっかやなw
29 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 09:43:50
>>27 突込みどころ満載で何処からつっこんでよいものやら。
>>9 織田家は今川への離反者や謀反者が続出し
本能寺の変でも多数の逃走者出したわけだが
その事実を棚上げした書き込みを笑う為にわざわざ4年以上前の書き込みもってきたのか?
それともなんか良い事書いてあるとおもっちゃったとか?w
>>27 夜襲を発案し士気を取ったのは三河方だから夜襲成功の手柄は間違い無く三河方のものだな。
ついでに一番槍も三河武士だった。
姉川の戦いがそうだけど、 「徳川のおかげで勝てた(=織田が天下人となれたのは徳川のおかげ)」 という主張多いよな
徳川の活躍の全てを後世の創作にしたがる主張って多いよな。
数少ない例を挙げて織田の活躍が徳川のおかげということにしたいやつが多いよな
37 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 10:57:26
ところで、前々スレあたりでやってた、兵力試算って 残しておいたほうがよくね?
武田信玄が、判断ミスしたのが悪いんでしょ 今川氏真を攻撃して南方に進出しようとして、北条と本格対立してしまった これだけならまぁそのリスクは当然だから仕方ないとしても その最中に「今川領を分け合おうね」と約束した徳川まで攻撃してしまった 怒った徳川は上杉と同盟 結果、武田は駿河を手に入れる時期が大幅に遅れ三方に敵を作って時間も国力も消耗 信玄に時間がなかったのは自業自得
>>38 前スレの御館の乱を思い出す。
親子揃って同じことをしているな。
発掘 まず勢力が 石高(万石)/1万石あたり250人の動員兵力 で 甲斐(22.8/5700)、信濃(40.8/10200)、飛騨(3.8/950)、越中(38.3/9500)、 上野(49.6/12400)、駿河(15/3750)、遠江(25.5/6375)、三河(29/7275)、 尾張(57.2/14300)、美濃(54/13500)、伊勢(56.7/14175)、志摩(1.8/450)、 近江(77.5/19375)、
次に武田 時期は1572年9月まで(山県昌景が9月29日、信玄は10月3日の出立)。計算の数字は>12 甲斐…100%(5700) ・異論はないでしょう。 信濃…100%(10200) ・これもないか。 上野…40%(4960) ・倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど山間部なのがネック。 駿河…100%(3750) 飛騨…10%(95) ・72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。 越中…? ・68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年には加賀まで攻め寄せているから、 その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか? 遠江…20%(1275) ・遠征前ならこんなものか?武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半以降(正式な復活は71年12月)。 三河…10%(727) ・やはりこんなものか。足助城などを落としているが、北部の山間部だからなあ。 美濃…10%(1350) ・秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 総計28057
次に織田が。 ・尾張…100%(14300) ・美濃…90%(12150) ・志摩…100%(450) ・近江…70%(13563) 伊香郡と高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しかのこっていない浅井。鯰江で 逼塞中の六角。野洲郡で、すぐに鎮圧されるけどいつ反乱起すか判らない一揆衆。 合計で30% ・伊勢70%(9923) 桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡し内部から乗っ取り進行 中の北畠を除いて。 三河…10%(728) 水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。 総計51114
おまけ 徳川 三河…80%(5820) 遠江…80%(5100) 合計10920 三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。
畿内の反織田勢力 浅井…領地の半分以上奪われ小谷城に篭城中。すぐ目の前に虎御前山砦あり。 朝倉…詳細不明。ただ、前年に陣中から寝返り者を何人も出したり、後年の景鏡の 言動をみると結構領地、軍の疲弊は進んでいたと見られる。 六角…無力化。 三好…もともと一枚岩ではない上に、長年争ってきた連中との抗争も続いているので どれほどの事が出来るか。四国の方も不穏な情勢(篠原長房)。淡路の安宅氏が織田 についたとも。 松永…筒井と抗争中。 本願寺・長嶋…健在。ただし遠征能力はないので、戦力としてはどれほどのものか。 (もともと一揆というものは上からの支配を跳ね除けるために戦うのであり、土地を 離れて戦う性質はない)
この情勢をもとにした推測。 織田は 近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど。 江南の抑えと京へのにらみに八千ほど。 美濃では岩村への抑えに三千ほど。 (基本的な任務は守備、現状維持) 後は全スレの最後の方で、織田は伊勢への抑えが、武田は上杉への抑えがどれほどかが 議論の対象だった。 忘れていた前提条件。 石高は太閤検地より。 「万石あたり250人」の動員率で出された兵…外征軍 「動員率をさらに上げることで出される兵」…各地の通常の守備軍
>>32 信長公はこのように武田勢と指呼の距離に相対したことを天佑ととらえ、
敵勢をことごとく討ち果たすことを決意した。
さらには味方を一人として失わぬようさまざまに叡智を働かせた。
まず信長公は酒井忠次を召し寄せ、彼を大将として徳川勢のうち
弓・鉄砲の精兵二千と信長公馬廻の鉄砲五百挺、それに検使として
金森長近・佐藤六左衛門・青山新七子息・賀藤市左衛門らを添えた
都合四千ばかりの軍勢を率いさせた。
信長公の命を受けたこの軍勢は20日戌刻に大野川を越え、
南の深山を迂回し、翌5月21日辰刻長篠東南の鳶の巣山に攻めかかった。
>>40-45 論破された情報を何度も持ってくるなよ
それとも、その程度しか知識(やる事)が無いのかな?
>>48 ではもう一度論破してみせてくれ。
ちゃんと根拠も挙げてな。
論破されてもないことを「論破した」とは おめでたいやつだ
武田信玄は、朝倉義景の陣払いを聞いて、病状を悪化させ没したという つまり朝倉公が信玄を倒したのだ! 新定説・名将朝倉義景公>信玄!
>>52 どこのスレの?
わかりやすいように発掘して示してくれ
54 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 18:06:29
>>32 織田側は『信長公記』で信長が味方の損害を防ぐ為に
考えたと言っているな。~~~~~~~~
手柄の奪い合いw
でまあ、
>>33 ではないが徳川家ってのは
「徳川家のおかげで織田信長が勝てた」理論大好きだからねw
>>38 家康は氏真に対して「駿府を返還する」という約束で掛川城を開城させている。
これって氏真のために信玄にとられた駿府を奪還するという意味だぞw
家康からしてこんなんだから、攻められてもしょうがないな・・・・
六角はまだ甲賀衆の大部分と結託しているから 無力ってことはないと思う。 甲賀衆と言えば1574年に信長に煮え湯を飲ませてるしな。
そういえば六角も織田軍が留守の時なら観音寺山に進出するぐらいの事は やってるね。 甲賀衆の兵力がどれぐらいなのかは知らないけど。
>>51 踏ん張るべきとこで踏ん張らなかったから
浅井長政より先に滅亡しちゃうんでしょう?w
>>54 つまり家康に出し抜かれた上、自分から先に手を出したという救いがたい失敗かましたってことになるな
ちなみに武田が徳川を攻撃したのは永禄12年(1569) 1月 秋山信友に遠江を攻撃させた >家康は氏真に対して「駿府を返還する」という約束で掛川城を開城させている。 これは同年4月のこと やっぱり信玄が盟約破りしたせいじゃん
>>57 だね〜。
武田信玄が駒場で没したのが1573年4月
朝倉滅亡が同年8月、浅井が9月。
武田の圧力が消えたとたん、たった5ヶ月で滅ぼされちゃった。
いつの間にこんな弱体化してたのかね〜。
朝倉は織田と3年間も戦ってたんだぞ! 弱体化しても仕方ないだろ! 徳川みたいな弱小を相手にしてた信玄とは違うんだよ!
62 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 18:50:45
>>36 わろた
鳶が巣山の夜襲はどうかなえても徳川の活躍だろ。低能織田厨。
織田の手柄とか徳川の手柄とか… 共同作戦だったんだから手柄は共同に決まってるだろう
64 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 18:59:41
夜襲に関しては100%徳川だろうな。
鳶ノ巣山攻撃の時、信長軍が出した兵約二千は、鉄砲五百を揃えていた(信長公記) 当然、酒井忠次指揮下の部隊も鉄砲を備えていただろう この時点で、信玄が使った最大の鉄砲数(旭山城攻撃時の三百)をはるかに上回っているな 勝頼が鉄砲を重視しだすのは長篠敗戦後だから。火力の差はもう手の施しようがなかったんだな
すまんが鳶ヶ巣砦の攻撃は、いつから夜襲になったの? 信長公記読んだら、朝駆けというよりも時間的には遅いのですが。
>>66 奇襲時間の記述はまちまちだが、多くの文章資料では夜襲とされるな。
『信長公記』だと、開戦二時間ぐらい後だよね>鳶の巣山攻撃 これだと、主力激突の隙をついての長篠城解囲もしくは横槍という基本的戦術の一環になるね 『当代記』などでは真夜中となっているけど…
>>55 その件は知らなかったな。具体的にどう煮え湯を飲ませたのか教えてくれないか。
>>56 六角氏が攻勢に出たのは1572年3月が最後で、その後はもう鯰江城に逼塞状態
だったらしい。
70 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 20:19:49
六角が大人しく上洛軍の通行を許した方が、織田家が近江に領地をもてずに かえって織田家の領地拡張が遅れたんじゃないか、と今日ダイエーで買い物 しながらふと思った。
>>70 ……それ、あるかも。
仮定の積み重ねになるが、もし信長上洛時に六角が織田について本領安堵され、
後に浅井が離反した時に六角も一緒に同調していたら(両家の経緯をみると可能性は
低いが)、信長は京への連絡路を一気に遮断されていたわけで。
ようやくスレが元通りになってきた 昨日は信玄厨が暴れて大変なことになってたからな
>>70 むしろ、信長は最初から六角はつぶすつもりだったんじゃないかね。
信長は美濃を支配する以前から浅井と婚姻関係を持ち、さらに東は武田・徳川と
結んでいる。美濃の次に進む方向は西(近江)しかない。
六角からすれば、浅井との同盟は対六角のものとしか考えられなかっただろうし。
「浅井と結んでおきながら、さらにうちとも結ぼうだと?何を企んでいる」
こう思っても無理はない。
>>73 浅井長政から信長への最初の書状は
信長が美濃を落とした後という事に
最近はなってるけどな。
75 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 21:21:18
>>62 盲信徳川厨めが。
信長の発案で金森長近及び旗本鉄砲衆が主力であると見て相違無い。
徳川幕府期の作り話など信じている奴は幸せ者だなw
>>65 実数の把握しやすい旗本鉄砲の動員と
実数の掴みづらい軍役によって各部隊が装備してくる鉄砲とを
混同しているんだなw
武田家は信玄時代から鉄砲重視だよ。
1555年の信玄の旗本鉄砲300と
1575年の信長の旗本鉄砲500を
比べても比較にならんだろ。
鳶巣山にはせいぜい1000程度しかおらんかった上に
長篠城側を正面とする砦だったから
4倍の敵(+鉄砲増強)に攻められたら普通に負けるわな。
>>67 多くの史料って?
信長公記や当代記や松平記は早朝であるし
後世に寛永諸家系図伝に収められた奥平家や酒井家の
家伝でも「あかつき」であると書いてあるぞ?
夜襲を主張する史料を挙げられよ。
67じゃないが、文章資料とあるから二次三次資料って事では?
で、信玄の寿命が尽きて上洛戦の時間が無かったのは 駿河進攻の時、欲をかいて北条のみならず徳川まで敵に回した結果当然だったってことでFA?
史料ではなく資料って事で、一般書店で売られてるような 一般向けには夜襲と書かれてるって意味かと思われ 漏れは見た事無いから知らんけど
>>78 実際問題として徳川相手には高天神城をちょっと囲んでみたぐらいで
駿河攻めの最大の敵は結局北条だったし、徳川が出てきたから
スケジュールが遅れたつうもんじゃないとは思うが。
北条早雲ならこれから活躍するぞって歳だったし
まあ寿命はままならんけどね。
強いて挙げるなら上杉謙信でしょ。
「時間はまちまちだが夜襲」ってのは珍しい意見やね。 「時間はまちまちだが朝駆」なら納得だが。 夜討ち朝駆けは釣りの基本。 これは釣りじゃないかね?
家康より先に信長と結んでいるから 信長の目が西に向いている間はよほどヤバく ならない限り信長から信玄に仕掛けては来ない。 とすれば家康相手には家康の本拠地である西三河を 攻めるような事さえしなければ、結構無茶やっても 大丈夫という事になるね。 家康の方から信玄に本格的に攻撃を始めるというのも やはり信長との関係から難しいとなるし。 北条の出方次第では最初から駿遠二国獲りが目標だったのでは。 しかし北条氏康相手に事前の根回しが無かったとは思えないのだが・・・・
>>80 家康が武田の盟約破りに対して取った処置が上杉との同盟なんだけどね
なんで信玄はわざわざ戦略正面を増やす真似したんだろ
>>83 そもそも南に向かい始めたって事は
上杉の脅威が以前ほど無くなってるって
事だと思うけど。
実際信濃に攻め込まれる事は無くなったし。
むしろ北条と上杉の同盟が機能してたら困ったんじゃないかな。
上杉の脅威が以前ほどではなくなったのではなく、 上杉は相変わらず、いや以前より強大化し北上はほぼ無理 南の今川は、妹返せと言い出すわ、上杉と結ぶわ、そのくせ急激に弱体化するわで 水は低きに流れるってなもんで
きっと信玄は上洛病に取り付かれはじめたんだよ だから長男で北進東進派の義信を殺し、駿河を落した後(まだ占領地の支配が磐石じゃないのに)家康が取った遠江に速攻ちょっかいかけた それが北条・徳川から激烈な反作用を招いたわけだが、ある程度は覚悟してたんじゃないだろうか 速くしないと織田につけられた差が取り戻せなくなるって
>>85 越後に攻め込んで倒そうとかは無理だろうけど
関東でも以前ほど勢い無いし
信濃に出て来る事も無くなったし
北陸で勢力伸ばすのは後のことだし
そもそも本当に強大化してたら信長に喧嘩売れないのでは。
88 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 22:04:04
上洛したいだけなら信長のお友達として堂々上洛すればw
>>88 そしたら勝頼も滅亡せずに信長の天下における
東山道の支配者として君臨したかもしれないな。
しかしそれじゃあ武田信玄の人気も頭打ちだなw
大河ドラマのラストは上洛軍を興さないと盛り上がらないね。確かに。 毛利元就みたいに強敵がいなくなって尻すぼみってのはイカンよ。
>>87 関東には毎年のように出てますですよ
北信濃に大掛かりな出兵こそないものの、北信濃奪還は上杉にとっては
防衛戦争に等しいぐらいなんで、出て来ないとは(武田からすれば)考え難い
勢力伸ばさないと今度は自分が滅ぼされる側になる訳で
でも越後方面には厳しい、でも美濃へも難しい、となればやっぱ(r
>>91 出るはいいけど
10万集めて小田原囲んだ頃がピークやねw
西上野もちゃっかり頂いたしね。
関東における北条・武田の支配は年々強固になってます。
謙信が信濃侵攻を考えようにも 善光寺や横山城や旭山城や若槻山城や 髻山城や押田城といったかつて前線の拠点とした 場所は全て取られてしまって飯山城やらを 必死こいて守ってるだけだしな。 三方に反対勢力があるからじっくり時間をかけて 攻める事もできないし例えそうしいようとしても そんな事すりゃ信玄との対峙になって無駄な時間過ごすだけだし。
94 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/10 22:26:17
謙信がその気になりゃば信玄も氏康も信長も ビビッてイチコロだよ。
各大名とも昨日の敵と今日同盟結んだり、その逆だったり忙しいな ただそうなると、やっぱり北条・徳川との同盟を一度に切った信玄の下手さが目立つ… しかも自分から手ぇだして、だからねぇ
氏康どんとの密約では 娘は無事に送り届けるはずだったのに 裸足で逃げるような事態になったので オヤジ逆上しちゃったんだよ。
信玄も勝頼も、ここぞというところで自分のミスで外交を失敗させているよな。
>>95 もっとも、今川を打倒して、なおかつ北条を敵に回さない手段というと、
どんなもんがあるかね?
まあそれでも、まだ完全に事が終わっていないうちに遠江に手を出して
徳川を敵に回したのは完全にミスだが
今川に合力する、とかいって上手い事攻撃拠点を遠江に借りて、後は美濃・三河へ攻撃かければよかったんだよ 北条は上杉の相手をしてもらって 落ち目の今川は飛びついてくるだろうし、北条だって利害が大幅に変更にならなきゃ敵対はしないだろう
徳川と手を切ったのは確かに信玄だが、いずれは戦わなければならないのは明白だしねぇ
信玄が天下なんて望まなければよかったんだよ 織田の有力同盟者として、天下布武に付き合うのが一番だった 元亀の苦しい時期に信長に恩を売りまくれば、地位安泰。後には上杉を挟撃して念願の打倒が叶ったかもしれない 後世の人気なんか、あの悲惨な末路と引き換えにはできないよ
>>99 信玄は、まだ上杉と構想中の1560年代前半に美濃に手を出しているので、
あながち無理な話ではないんだよな。
もっともこの時は上杉と上野及び越中方面で色々とやっているうちに、信長が美濃に
進出してきたので中座してしまったが。
しかし岩村の遠山氏の帰属に関して信玄と信長は水面下でやりあっている。この時は
信長が手を引き、遠山氏は両属状態でおちつき、西へのルートも塞がれた信玄が南を
狙うことになるのだが、もし信玄があくあで西を狙って美濃を攻めていたらどうなって
いたかな。(これだと三国同盟は健在だし)
もっとも史実の信玄は新興の織田を敵にするより落ち目の今川を狙った方がいいと判断
したわけだが。
新興の織田を選んでたらまだ話は違ったかもな
>>103 信玄の戦略って、その時一番弱いヤツを狙う、だから無理じゃないかな。
今川よりは諏訪。上杉より織田よりも今川。その後は周辺で最弱になる徳川。
弱い奴を狙ったつもりが、強い奴をひっぱりだしたって失敗が多いけどな 村上倒してたら上杉、今川食おうとしてたら北条
織田は必死に武田に貢物をしていた そういう意味じゃ信長はなかなか賢い男だ
信玄だって千里眼持ちじゃない 信長のひととなりや能力だって伝聞で推測するしかなかったんだろう ひたすら平身低頭だった信長なんて、いざとなったら一捻りさ、とか思ってたんじゃないの? だから同盟を継続させ続けて、晩年まで決定的に敵対しなかった
うつけと言われるけど信長はなかなか賢い男だと言える
>>99 甲陽軍鑑によればそのような案は氏真に拒否されました。
「徳川攻めに助力するから三河半国くれない?」という提案だったようですが。
これに対し氏真は謙信と連絡を取るという行動に出たようです。
>>104 甲斐一国の時代に今川に噛み付いてどうするんだよ・・・・
>>110 >104 は、弱小国ではなく強国を相手にするべきだ、なんて言っていないと思うが?
つまり、今川よりもさらに小さい徳川を攻めようとしたが同意が得られなかったので
次善に二番目に弱い今川にしたってことだろう。
テストプレイしてるとは思えないほどの完成度だしな
所詮、武田なんて最強織田常備軍鉄砲隊にはかなわなかったんだよね
クマ
>>81 仏暁は時間的に朝だが、朝駆けは普通夜襲と呼ばれる。
117 :
116 :05/01/11 06:42:55
ひょっとして、釣りにマジレスしたか? 過去ログみると夜襲じゃないと主張しているやつらが複数いるが、朝に奇襲してもでも夜襲だぞ。
118 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 07:35:44
>>75 激しく笑った。
おまえは自分で作った作り話を妄信する基地害じゃねーかw
どう考えても夜襲は酒井軍の手柄だろ。
信玄スレで織田厨vs徳川厨
珍しいといえば珍しいが、振り返れば江戸時代からとも言える。 徳川をマンセーするには、その上に立った今川・織田を引き摺り下ろす必要があるからな。 秀吉に対しては小牧・長久手の戦いで強弁できるんだが。
ここは信玄を上洛させるスレッドです。
頼まれてウェルカムボードを作った。 お礼に貰ったのは実費でなく百円ショップであるようなカップと 食べ物が入っていたがなぜかお腹を壊したので 慌てて捨てた包装紙をみると賞味期限が3ヶ月も前に切れていたものだった。 ありがとうの言葉だけでよかったのだが念のためと連絡すると 「中身何でした?貰った人に言いますから教えてください」といわれた。 新婦の職場退職時の同僚からの品を中身も見ずにつかいまわしたらしい。 それでも付き合いなので会費8000円を払い二次会に出た。 後日、新婚旅行から帰ってきたとの電話で言われたのは 「確認したら祝電がなかったのですが〜 まぁ二次会来てくれたから別にいいですけど」 ・・・ちなみにボードを渡すときにお祝いを一万円包んだが お返しの内祝いは2ヶ月経過した今も届いていない。
>>122 マジメに考えると、>102で言っているような、つまり織田が出てくる前に
美濃を獲るくらいしか可能性はないと思う。
もっとも、それで上洛は出来るだろうが、その後の京の支配権を握りつづける事
が出来るかというと、かなり心もとないが。
125 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 13:32:20
武田には上洛軍と領国双方を同時に支える兵力も財力もありませんから…
126 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 15:39:58
信玄は、68年に氏真に共同軍で三河に攻め込むように提案したが プライドだけは一人前の氏真が「三河はウチの領土。徳川は今川1人で やっつけるから武田は来なくて結構。それより喪前が織田と縁組したのは けしからん」と返答して、さらに謙信と結ぶ動きを見せたので信玄は 仕方なく家康との同盟に切り替えたらしい。 愚かな隣国と同盟結ぶとやがて我が身も滅ぼすって典型例だな
127 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 16:50:12
信玄は織田忍軍「饗談」に暗殺されたんだ 今川義元の本陣探知、斎藤義竜の突然死、信玄そして謙信が本格的に織田と戦おう、というところでの急逝… これらは実は信長配下の秘密部隊の暗殺ないし工作が関わっているのだろう
68年当時の今川家が果たして独力で徳川を潰せたかねえ・・・ 濃尾二州に拡大した織田がどこかで介入してくるだろうな。 かといって、武田の力を借りて三河制圧となると、 次第に今川家は武田の下風に立つ可能性があるな 丁度その後の徳川・織田の関係に近くなる。 今川・徳川を挟んでの、織田・武田の代理戦争。 これはこれで妄想をかき立てる状況ではあるな
129 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 17:02:54
今日は「塩の日」
>>107 信玄、謙信にもかなり「俺あんたがたをびびってますよ」というポーズをしたよね、信長
しかし信長は、自分の部下達には「あの二人超アホだなw」とけなしまくり
このあたりは、完全に外交負けしてるな、信玄&謙信
131 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 18:38:47
>>124 美濃取るにしてもすぐにはとれまい。
ああ見えて斉藤家の規模はなかなかでかい
それに桶狭間以後の信長なら、武田軍だけに美濃の権利を取らせることを許すはずもなく、
色々介入してくるだろう
132 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 18:44:56
桶狭間以前ならどうだろうか(この際、信玄の関東や北陸との外交状況は置いとく) それにしてもそう簡単に取れる規模の勢力ではないし、道三時代なら、織田と斉藤の二軍を相手にすることになる・・ といってもその頃は信長は国内統一に忙しく、たいした戦力にはならんだろうが じゃあ義龍時代はどうだろう 道三よりは義龍の方がまだやりやすそうだな。とはいえ、楽勝でもない
133 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 18:50:31
義元が織田、信玄が斉藤と、同時に西へ攻めていってたら 信玄→時間をかけてなんとか美濃制覇? 義元→義元西上はもともと史実なので、とりあえずあぼーんで ネックはやっぱり謙信と、美濃制覇にかかる時間。正直かなりかかると思う
俺は〜武田信玄♪ 甲斐の虎、武田信玄♪ 信長なんて怖くな〜いって・・ 言うじゃなーい♪ でもあんた、 弱小相手にしか勝ちきれてませんからーーー!! 残念! 侵略すること、ミミズの如し、切り!
135 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 19:47:38
>>128 >次第に今川家は武田の下風に立つ可能性があるな
>丁度その後の徳川・織田の関係に近くなる。
68当時の氏真はこんなプライドに拘ってる場合ではないと思うんだが・・・
そもそも信玄が美濃攻撃するためのは、信濃を安定させないと でも、小笠原だの村上だのを撃破するのも大変(甲斐一国支配では彼らに対して優位では会っても圧倒的差は無い) それに史実のように上杉に泣きつかれたら、やっぱり拘束されるからな 美濃攻めはかなり難航するだろう
>>135 もちろん。政治軍事よりもプライドを優先させて家を滅ぼしたからこそ、氏真は
バカ殿扱いされている。
しかしそれを言ったら勝頼も同じ。
御館の乱の時、景虎が勝てば上杉が北条傘下となり、武田は北条の下風に立つこと
になる。それを避けるために景勝に味方したというのが勝頼弁護の意見だが、これ
はこれは見方を変えれば氏真と同じ。織田の軍門に降りたくはなく、北条の下風に
立つのもいや。それで結果織田北条を敵に回して家を滅ぼした。
>>136 実際に、史実でも信玄が美濃に手を出したのは川中島のあと、武田の信濃支配が
ほぼ確立してから。それ以前に美濃を攻めるのなら、相手が道三であれ義龍であれ
容易くはすまないだろうし、なにより小笠原だか村上だかが黙って見ていないだろう。
そういえば、木曾氏が武田に服属したのはいつ頃だったか?
139 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:11:00
1555くらいじゃなかったっけ<木曽従属 最後に従って最初に裏切った木曽
名門・今川家が武田風情の下風に立てるわけないだろう! 足利・吉良家が滅んだ後だったら将軍家は今川なんだぞ! ……とか思ってたんだろうかね
141 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:15:38
>>62-64 ワロタ
徳川厨って性格がセコイよなwww
共同作戦で徳川の功績とか
マジで言っちゃってて恥ずかしいと思わないのかあ?
家康自身がセコイから家康好きも
セコイのが集まっちゃうってわけか?w
142 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:20:20
斉藤家の美濃の早期攻略も難しいか・・ しかし美濃奪取時の早期織田との対決も難しいし、 その上頭下げられたらなんとなく、じゃあ落ち目の今川でってなるよな ・・if起こせる時がなくなってしまうな ほかになんかある?
144 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:21:14
>>139 対織田・徳川の最前線に立った木曾、穴山がいち早く離脱して、対北条だった
小山田が遅れたってことか
145 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:26:25
>>141 人様の手柄を盗むような真似は辞めたらどうだ?カス織田厨。
146 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:27:15
じえん
147 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:28:27
当分織田系のネタやめて武田勢に入力してやるかな。
148 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:29:21
入 力 ?
149 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:31:43
何々厨とかっていいから冷静に考えていこうぜ
>>142 義信が駿河侵攻に反対することなく、武田家は一枚岩のまま今川領に攻め込んだら
どうだろう?
大幅な期間短縮に……やっぱ無駄か?
義信って勝頼と比べてどうなのよ
152 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:35:25
>>150 せいぜい跡継ぎが変わるぐらいじゃないの?
と思ったが、それってけっこうでかいか
153 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:39:42
手柄、手柄ってセコイねえ〜♪ 徳川厨のイナカ者はw
今川家を抱き込んで保護国化は可能だったか・・・ 信虎が「クーデターしたろか?」と書状送るぐらいだからなあ いっそ上手く実行してしまえばそれも面白かったが
155 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:41:35
>>154 それおもしろいなw
しかし信虎はすげー性格してんな
156 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:41:54
やあ、みなさんこんばんは。私は2ちゃんに生息する厨房を採集している、厨博士です。 サッカー板だと代表厨、海外厨、国内厨が対立していて、 音楽板だとヒップホップ厨、トランス厨、ハウス厨なんかがいたりします。 ここには織田厨、徳川厨がいるらしいですね。これは私の知るかぎり新種の厨房です。 ぜひ一匹捕獲して私のコレクションに加えたいです。
義信は妻の実家・今川家に大分肩入れしてたからなぁ 今川侵攻にうんというか? なんだか勝頼以上に大名に向かない性格っぽいな
158 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:44:45
>>155 信虎って、追放されてからの人生の方が面白いぐらいだよw
よかったらググって見て。伝記読んだらほんと面白いよ。
むかしはガキだったから、大名として成功する生き方ばっかり、
共感していたけれど、ああいう蹉跌のある人生がさいきん面白い。
160 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:46:36
161 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:46:44
まぁ「畜生にすら嫌われた」っていわれるぐらいだからねぇ>信虎
163 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:48:29
徳川厨って頭の悪いガキそのものだなwwww
164 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:48:50
三国同盟を破棄したのがわからんな 氏真が変なプライドを捨てて、信玄に三河を取らせれば、信玄は三河から尾張を 脅かせるというメリットがあるし、氏真は武田と北条に保護されて心置きなく 和歌に専念できるし、北条にとっても謙信を牽制すれば織田と争う信玄とも 利害が一致する。 氏真さえ、うんと言っておけば、二俣や高天神などそもそも戦場になる必要が なかったし、長篠・野田も信玄が元気なうちに取れた。 浅井・朝倉も病死できただろう。
165 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:50:21
>>164 対徳川を名目に、今川領を侵攻することを恐れたんじゃないの?
「道を借りて草を枯らす」っていう計略をやられたらたまらん、と
戦国時代なら当たり前の警戒だと思うし、信玄ならやりかねんと思ったんじゃない?
何しろ諏訪潰しのときの実績があるから…
167 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:54:38
やあ、みなさんこんばんは。私は厨博士。 さっそく厨房がつれましたね。うれしいかぎりです。
168 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 20:55:52
さっきから必死にあおってるやつがいるな 何厨でもない、ただの煽りだろ
∧_∧ ゴミ ( ´∀` ) この知障、焼却でいいよな? /⌒ `ヽ / / ノ.\_M ( /ヽ |\___E) \ / | / \ ( _ノ | / 167)| ツレタ、ツレタヨー・・・ | / / |ノ *'д ソ│アウ・・アウ・・ | / / │つ つ/ ( ) )  ̄ ̄ ̄ | | / | | |. / |\\ ∠/
武田は上洛するのが遅すぎだろ
171 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:05:59
信玄を贔屓目に見る→うまいこと信長の口にのせられちゃって、出足遅かったんだよな、信玄 信玄を批判的に見る→信玄はそんなチャンスを作ることも出来ないし、作ったとしてもどうせ信玄が勝てるわけない
武田が信濃でヒーヒーいってる間に 織田は美濃を制圧。さらに伊勢も 速度が違いすぎるからなぁ
173 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:12:33
なんでこんなに速度が違うのだろうね? やっぱり信長と信玄の頭の良さの違いかな?
174 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:16:57
戦略の差
対戦相手の違いか? 信玄は甲斐一国から信濃の中小豪族たち。 信長は尾張の対等勢力から、尾張一国を支配した後は同じく美濃一国を抑える 大国斉藤。 ………おや?
176 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:20:00
>>173 信玄と信長の違いというか、
それが他の大名と信長の違い
信長と信玄の差は、外交能力か? 信長は清洲同盟をはじめとする政策で、信長包囲網と呼ばれる苦境の時期を除けば、常に戦略正面を限定していた 対して信玄は、大敵を同時に敵に回す、とかいうミスやったりしてる
178 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:21:41
179 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:21:47
他の大名と1羽一からげに言い切っているが 早い大名は早いよ 島津とか伊達とか一期に拡大したよね
180 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:24:07
今日は上杉が武田に塩を送った日 だから今日は「塩の日」になった
181 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:24:11
>>177 戦略に関する比較を語るなら、確かに外交方針と上手さは欠かせないな
それに関して言えば、はっきりと信玄陣営は劣っているな
182 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:25:46
信玄は、家臣団の力を借りてオヤジを追放して甲斐の国主になった 対して信長は、自分に不満を持つ連中を実力で組み敷いて尾張を制圧した 両者の家臣団に対する統制力にかなり差があったという点も見るべきだろうな
184 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:29:06
秀吉や家康は除外するとして、 信長の次に大きな領地をもったのって島津か?
185 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:30:32
>>182 信長と島津、伊達の違いは能力とか戦略ではなくて
拡大時期の違いが大きいだろ
天下人の存在した時に拡大時期を迎えたか
群雄割拠の真っ只中で拡大時期を迎えたかの違いだと思うぞ
186 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:32:09
信玄の遠征努力って何だったんだ 信玄が苦労して支配した木曽は信濃侵攻の案内役となるし、 諏訪を調略したり小笠原と敵対して取った上原城は 勝頼が南信濃の落城状況を聞く場所になり、 信玄が精魂こめてつくった高遠城は一日で落ちるし、 板垣ら重臣を犠牲にして取った北信は労せずして 織田家に取られるし、海津城は織田の対上杉の出城になっちゃうし、 西上野もいつのまにか滝川の領地になってるし、 義信犠牲にして取った駿河も徳川の無血占領を許すし、 躑躅が崎館は信長の本陣にされちゃうし
187 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:34:54
>>185 政宗はともかく、島津は時期的には遅くないと思うが
それに違うのは時期ではなく、それこそ場所だと思うがな
よりにもよって日本の東端と西端。
どんなにがんばっても天下に関しては相手にされない
しかし逆に言えば、東端と西端ゆえに伸ばせたのかもな
188 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:36:47
>>187 対外拡張を始めた時期だよ
島津は家中の争いが長引いて対外拡張は遅れていたはず
189 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:37:23
>>家中の争いが長引いて 長引かせたのが悪い、つったら怒る?
190 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:38:01
信長は斎藤さえ倒せば西には自分より大きな相手はいなかったし。 信濃取得後の信玄もそうなる予定だったら、織田が表れたからね。
191 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:39:56
まぁIfの話しをしても仕方が無いけどね
192 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:40:33
東には信玄がいたけどね その信玄は、斉藤より大きかったんだけどね
193 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:41:14
>>191 それを言ったらこのスレや、この板に多くあるスレの存在意義をなくしてしまう
194 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:42:10
>>189 長引いたという言い方は誤りがあるな
いつごろから家中の争いが起こったのかを調べて、比べてみないと
家中の争いが長引いたかどうかがわからないからな
こう言い直そう、家中の争いが治まった時期が比較的遅かったはず
195 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:43:17
>>188 確かに時期は悪かったな
ま、天下狙うんでなけりゃ、ある程度でかくなっといてお家安泰となったんだから、
まあ良かったんじゃないかと思う・・論点ずれてるか
196 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:48:19
徳川話の次は島津話か・・
197 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:49:33
関係ないけど、信玄が死んだ後も甲斐に帰らずに勝頼を大将にしてそのまま 上洛するってできなかったの?
>>194 そうなんだ。
ところで島津に詳しいようだけど、たとえば島津が九州とったあたりで、まだ本能寺前ぐらいだったら、
どうなってたと思う?
スレ違いにつきsage
199 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:51:14
戦略のイフならともかく年数のイフは・・・ キリがなくなってこないか・・?
信玄が目先の弱敵ばかりを狙ったのって、やっぱり当主になるとき親父を追放するのに家臣団の力を借りたため、あんまり過酷な軍役を課せなかったのが原因じゃないかな? 対して信長は反対勢力は自力で撃破あるいは降伏させた後だから、美濃攻略に手間取って主攻軸を西から東にわざわざ変えたりする間も、家臣達は諾々と従った その差が領土伸張速度差に繋がったと
202 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:53:04
>>199 そうだな
これ以降は、元の武田のifに戻ろう
203 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:53:17
>>198 織田と同盟して毛利を挟撃作戦に出ていた時に
本能寺が起こり、毛利と単独で戦うことになるのかな?
204 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:53:57
信玄も中信と南信取るまでは早かったよ きちんと義清・長時を捕縛すべきだったね
>>197 信玄健在、と喧伝しつつ実質勝頼が指揮をとって続行か?
う〜ん、それは武田家中を統制しきれないんじゃ…
情報の完璧な隠匿と、家臣団一致を両立させるのは難しいだろう
>>187 勃興期の天下人と直接ぶつかった武田と、
天下の趨勢が確定して、中央政府に対して「中原に鹿を逐う」のではなく「自家安泰」
つまりいかにできるだけ多くの利権を認めさせた上で降伏するかが政治命題となった
家の違い、でないかな。
成功したのが毛利・徳川。部分的成功が島津・伊達。失敗が北条。
>>203 つまり当面は島津対毛利
すげー長期戦になりそう
208 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:55:40
それこそ信玄がもう10年早く生まれていればとか 信長がもう10年遅く生まれていればとか 義元嫁が氏真を流産していればとか キリがなくなってくるしな・・・
209 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:56:42
>>205 信玄の死を隠さずに西上するって無理かな
210 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:57:18
>>208 そうだな
それにそういうifって、ひとつだけでスレ立てられるしな
211 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:58:05
>>207 逆に織田と同盟結んでいた長宗我部を攻めていたら
本能寺は島津にとってはすごいラッキーだな
>>209 信玄死去を広めたら、まず屈服させたばかりの三河国人が動揺するし
徳川も失地回復を狙って建て直し次第猛攻かけてくるだろう
難しいだろうなぁ
213 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 21:59:16
>>209 他家に対してはともかく、家中ではみんな知ってるだろう
やっぱ信玄の時より落ちるだろうし、ただでさえ賭けのような戦に、
ますます勝てる要素がなくなる
実際、信玄の死後、人質をとられたままにも関わらず山家三方衆の奥平家は織田徳川方に寝返ってるからねぇ…
>>211 しかし長宗我部だってそんなによわかないだろうし、
長宗我部が弱るのは信長にとって損はない。
むしろ、島津が毛利に助力される方が遥かに嫌だろうな
ああ、スレ違いだよなこの話。そろそろやめよう
216 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:04:24
>>201 俺は信玄は敵を減らしすぎたと思っている。三国同盟のせい(おかげ?)で攻
め込めるのは信濃だけ。同盟破棄しようにも塩が無い。信長とも同盟結んでい
たし、仮に結んでいなかったとしても美濃は地形的に大軍が投入できない、三
河はなんか今川担当みたいな感じだし。そんで信濃にいったら謙信いるしw。
信長は割りと手ごろな敵は豊富だったしね。やっぱ甲斐に生まれたのが悪かっ
たよ。
>>175 信濃は山地の間に小さな平野が混在している土地で、
一気に制圧ってことが難しいのよ。
信玄さえ死ななければ勝ってたなんてことはとても言えないが、 少なくともあんな惨めな武田にはならんかったよな
>>197 この時代の武士には江戸以降のような観念的な主従関係はない。
あくまで契約関係、それも個人対個人に近く、例え代々の配下でも代替わりをすれば
改めて契約しなおす必要がある(これが上手くいかないと、主君の権力基盤が崩れる)。
この契約はいつでもどちらからでも破棄可能で、それゆえに朝倉や武田が滅びる時は
配下たちは一斉に契約を捨てた。
信玄が死ねば、当然勝頼は新たに契約更新を配下たちと行わなくてはならない(この
時に勝頼から高坂昌信宛の書状が残されている)。この再契約がなされない限り、信玄
に従った武田軍の面々には、勝頼に従う理由はない。もちろん、遠征軍中の武将だけで
なく、国内に残っている者たちとも。とても遠征中に行えることではないな。
220 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:06:52
>>216 おいおい、場所のせいにすんな。して良いのは伊達とか島津ぐらい
謙信を倒せば良いだろうが!
221 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:06:56
>>217 なるほどね
一国を支配している大名を倒す方が大変そうだけど
信濃のような豪族点在の地を一つ一つ片付ける方が
確かに手間隙がかかりそうだな
信玄も貧乏くじ引いた感じだな
224 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:08:55
>>216 >割りと手ごろな敵→信玄の初期、信長の後期
225 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:09:57
>謙信を倒せば良いだろうが! これが信玄のすべて
武田は割拠を目指すべきだったな 天下なんかを狙ったばっかりに悲惨な最期を 勝頼って切腹したとかいわれてるけど、討った当人が残した文書によると飢餓と疲労でロクに手向かいできずに討たれたそうだね…
群小の豪族が割拠する地域と、統一勢力に支配された地域では、 前者の方が征服は難しいと思うがなあ マキャベリもそんな話をしていたな
228 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:11:19
六角が信長の通行を許していればな 南近江を取れなければ畿内に攻め込めないし 六角父子も無職にならないで済んだ
229 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:12:45
武田と言えば川中島・上杉というのが一般の認識だけど 武田厨によればこの2つが後の滅亡への汚点だったんじゃ ないかと言われている
230 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:13:03
>>228 それを言うなら朝倉も、素直に従っとけばな
とはいえどちらも、一度信長に従ってしまうと後に家来のように使われる危険性があったんじゃないか?
231 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:14:15
>>226 上洛を目指した男が、最後には都とは反対側の山中で野宿するんだからねえ・・
大名なら屋内で自害してほしかったな・・
232 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:15:08
>>229 武田ファンはいつも、信玄があの大きさで止まったのは謙信のせいと言うよな
しかし勢力的に言えば大して変わらない相手なのにな
>>217 に加えて言うと、
甲斐信濃はなんと言っても国が貧しい、
信玄は甲斐一国を信虎からそのまま奪い、
信長は跡目を継いだ時点では尾張一国も平定されていなかったというが、
ぶっちゃけ、甲斐一国より尾張の半分の方が石高は高い。
恐らくスタート時点の石高は信長のほうが高かったと思う。
もっとも、信長の場合相続直後の謀反を自力でたいらげたという点があるから、
それを考えれば、スタート時点はそこまで高くなかった、
あるいは、自力でそのスタートラインを手に入れたと言えるのだろうが。
信長はこき使うが、代わりに成果を上げれば直臣以上に取り立ててくれる 真田幸隆がどれだけ功績を上げても先方衆止りだったのに対し、荒木村重なんかは従属大名の家臣にしか過ぎなかったのに摂津一職支配にまで取り立てられている でも、裏切ったら…(ガクガク
235 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:16:27
信長は家格が低いのが幸いして、上手い具合に相手が敵になってくれたね 朝倉家なんて織田家と同じ斯波氏の守護代だけど 将軍を擁した信長の言う事を聞かずに上洛しなかったからな
236 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:16:35
六角は三好三人衆と結んでいたし、信長に責められていた北伊勢の豪族にも 山越に援助していたらしいから、どっちみち信長とは対立する運命だった
237 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:18:12
>>233 >恐らくスタート時点の石高は信長のほうが高かったと思う。
そこまで言うかと思うがそれは置いといても、
大名になってからすぐは、敵の状況を見ればあきらかに信長のが辛いだろ
238 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:19:00
今川を破ったのは凄いよな
239 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:19:11
北の湖と輪島がライバル争いをしてるうちに千代の富士の台頭を 許したようなもんだな
240 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:19:27
>>236 >どっちみち信長とは対立する運命だった
じゃあ仕方ないね
242 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:21:10
>>238 内乱収めてるうちに頼りにしてた北の道三は死んで斉藤家とは敵対するし、
東には義元がいて、しかも険悪だし・・
確かに辛いこと続きだな
243 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:22:12
美濃取ったすぐに信長と信玄ぶつかってたらどうよ
244 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:22:46
秀吉時代の検地って、旧織田領に高めに出るんじゃないか 尾張・美濃は直接外的の侵入を受けることはなかったから 戦場で荒らされる事や収奪されることも無く、篭城攻めのために 田んぼを燃やされること無く、農業生産力の伸びが 上がったし、信長の経済政策もよかったんじゃないか 信長家督相続当時の尾張がそこまで信濃に優位があったかは疑問
>>243 背後に上杉を抱えた武田不利、
石高でも負けてるし。
桶狭間の時は、2千5百程度の野戦軍しか動かせなかったぐらいだからなぁ>当時の尾張
247 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:25:17
>>244 確かに、後に言われてる石高よりは少なめと数えた方が良いかもな
どのみち肥沃な土地だったとは思うがね
日本じゃあ農民層の流動は少ないからそれほど大きな差は出ないよ。
249 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:26:23
信長は兵の分散のメリハリがうまいな 東が安全なら、濃尾の兵を根こそぎ上洛戦や大河内攻めに 持っていってるし 思い切った兵の集中運用が早い作戦につながったんじゃないか
250 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:28:06
>>246 内乱のダメージと、尾張の一部を義元にとられていたせいと、度重なる小競り合いのせい、かな
>>245 でもこの時に勝てないと、信玄単体で勝てるところないよな
251 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:28:37
さながら第二次大戦で攻撃を受けなかった米本土がボロボロにされた欧州に 決定的な経済格差がついたのと似てはいまいか 兵を出すだけなら、兵糧の需要が増えたりしてかえって経済発展につながるし
252 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:30:14
>>249 それはあるかもな
大軍で時間をかけずに一気にってのが多い
253 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:30:38
信長になってから濃尾の生産力が上がったというより 本来持っている濃尾の生産力が信長によって発揮されるようになった と言った方がいいかもな
天下統一を一代でやろうとしたかどうかの違いじゃね? 自分が死んでも子供が後を継いでくれるって考えてた まあ信玄に限らずだが 少なくとも信長や家康は自分の代で、と考えたと思う
255 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:33:08
>>249 島津かとが一気に拡大できたのは、一方向にのみ戦力を集中できたからってのがでかいと思う
信長はそれを外交努力によって、そういう状況を作った、と言えるかも
信玄もそういう状況作ってんだけどな
取り分が小さいだけで
兵力の集中という点でも、 ひとつの広大な平野である濃尾平野は有利ではある。
258 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:38:38
>>254 信長→よっし、俺が生きている間に絶対天下取ってやる!
信玄→ゆっくりでもとにかく拡張
家康→ゆっくりでもとにかく拡張・・あれ、もう天下しかねーや
秀吉→よっし、俺が生きている間に出世しまくってやる!→え?殿が謀反にあったと!?
・・こうなったら有り得ないぐらい最強に出世したる!
謙信→戦争、増強、拡張、戦争、拡張、戦争、戦争、戦争・・・
259 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:41:16
外交を重視するって、やっぱりかなりのリアリストだよな
>>222 そりゃあいくらなんでも動員兵力が違いすぎますがな。
261 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:43:33
大名にとって大事なのはやっぱり、 戦略>外交努力>戦術 なんだな
262 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:43:39
ところで、信長の同盟って嘘が多い、かならず破られる、裏切られる、とアンチから はよく言われるが実際にはどうだったんだ? 比較として、信玄の場合は?
264 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:45:36
>>262 少しずつ拡大していく信玄と、急激に拡大する信長とでは、比べても仕方ねーんじゃね?
あんだけノンストップででかくなっていのを見れば、誰でも切りたくなると思うぞ
その点家康は大したもんだな
>>262 浅井との同盟破りは微妙。朝倉攻めには相談をまずするって約定があったっていう説もあるけどね
武田上杉との同盟は、相手と抜き差しなら無い関係になるまで続いてるし
徳川との清洲同盟は信長死ぬまで磐石
実は信長の方から破棄した外交関係は実に少ない 相手から売られた喧嘩が多い
>>261 信玄も三国同盟などで気を払っているんだが…どうも領土欲が外交努力を
裏切っているような。よく言われるが、謙信との妥協は不可能だったのか?
駿河侵攻の時の対北条・徳川は?織田とは同盟関係にあったのに、開戦は
不可避だったのか?
268 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:47:40
>>262 たとえば何?有名な浅井の場合、あれは明らかに浅井方の裏切りだよな
いくら一声かけると言うのがあったとしても
>>265 家康ちゃんは信長の事実上の家臣になる覚悟はあったんじゃあないかなあ。
>>262 それも徳川のプロパガンダ臭いがな。
「そんな信長公も、徳川との同盟は重視したのだ!」
271 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:50:14
>>266 確かに、同盟国にも有力家臣にも裏切られているな信長は
その一方で、かなりの忠臣もいるけどな
273 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 22:55:16
>>269 あったかもな
しかし家康のが若いから、いずれ秀頼の時のように・・・・・
でも信忠相手だとそれも難しいか。まあ下手に逆らってつぶされるより良いんじゃねーか、家の党首の判断としてはさ
とはいえ、チャンスがあればなんかやりそうだな
事実上、信長の外様大名だったはずだが>徳川
そもそも天下をとる気がなかったんだろ
>>272 勝家とか秀吉とか長秀とか。前田池田金森なんかも、信長包囲網下でも裏切らず奮戦してたし
佐久間・林などの後に追放される層だって裏切ったかという点においては、ノー
勝てば二倍、負ければ0のハイ&ローをする度胸だろ ましてや掛け金が大きくなればなるほど尻込みする
278 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:03:40
>>272 権六とか・・かな
秀吉や光秀(光秀は実際裏切ったし)あたりは、かなり使えるけど欲が強すぎるしな
その点勝家あたりは、領土拡張的にも忠臣としても、なかなかぴったしだったんじゃないかな
信勝時代に勝家は確かに信勝側についているが、その信勝の謀反を知らせたのも、また勝家といわれてる(・・よな?)
多分その辺りから信長は、勝家をそうとう信用していたんじゃないかと思うし、死後の清洲会議でも、
勝家は、傀儡ではなくわりと正当な後継者を押してる
まあ秀吉の根回しと光秀討ち取り手柄の前で、結局丸め込まれてはいるが
279 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:05:11
>>275 欲はあったろうが、信長存命時はそれを大きく出すことはなさそうだよな
松平から、新田源氏の傍流である徳川の姓にわざわざ変えた(徳川にいわせれば復姓)あたり、野望はあったと思うけどね
281 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:10:17
野望 信長>秀吉=家康>=信玄>謙信 ぐらいか、やっぱ
>>276 確かに逆臣ではないと思うが。
信長包囲網なんていっても、滅亡の危機とかいうレベルでもないし、
裏切る方が当たり前ってほど追い詰められてないでしょ?
まあ、言葉のイメージの問題に過ぎないわけだけど、
かなりの忠臣と聞いて私は山中鹿之助クラスを想像したからさ。
信長死後雪崩を打って秀吉につく姿を見ると「かなりの忠臣」とは思えんな、
個人的には。
283 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:12:06
戦略性 信長>>>>>家康=信玄>秀吉>謙信
284 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:13:27
>>282 じゃあ最盛期なのに信長を裏切った村重や光秀は・・
>>282 戦国武士が盲目的忠誠なんてもってたら死期を早めるだけ
げこくじょうの戦国時代なのに忠臣なんて言うほうがナンセンスだろ
>>272 佐久間信盛も。彼は信長が尾張の一勢力の時代から裏切ることなく従っている。
朝倉攻めの時の口答えや、比叡山焼き討ちの時の諫言も忠心からだろう。
忠義の面でも能力的にも(元亀年間の畿内でもっとも活躍したのは彼)柴田勝家
と並ぶ双璧だ。
288 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:16:18
>>285 そらそうだな。忠臣は良いが、自分で考えないような、信者になったら駄目だろうな
欲望 信玄>秀吉>>>>>信長>家康>>謙信
>>284 逆臣、というか野心が強すぎるタイプ。
あるいはよほど信長に対して腹に据えかねるところがあったんでしょう。
まあ、信長は向上心のあるものを外様であっても積極的に登用し、
重用したから、ある意味当然の結果、当然とまでは言えなくとも、
ありえる話ではなる。
291 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:20:47
>>287 信盛はなー、確かに切り捨てるにもったいなかったな。
あの頃の信長は、忠義よりも領土的な結果がほしかったんだろうし、なにより、自分に文句言えるような権力をもった家臣が、
けむったくなってたんだろうな。
あるいは、以前から性格などの麺で気に入らなくて仕方なかったが、切るタイミングがなかなかなくて、
結局あの時期になった、とかな
勝家はその点、忠義もあるし結果も出してると、文句つけられないようなやつだし、
一番理想的だったんじゃないかと思う
>>285 そりゃあ戦国武士としてはそうだろうが、
それは普通の戦国武将であって特別忠臣と称するほどのもんでもないわな。
293 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:21:43
そろそろ武田の話をしようか 同じ裏切りなら勝頼さんのほうがネタは尽きないよ
294 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:22:23
295 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:24:51
>>293 勝頼の場合、落ち目になった途端、一気にサーッとみんな行ってしまったって感じだからなあ
戦国らしいと言えば戦国らしいが、人望厚かったと一般で言われてる武田家が、
実は信長の家来達よりドライなんだからなあ
>>293 弟・盛信とか、土屋とかの少数を除けばぼろぼろだからな
297 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:26:49
勝頼じゃなくても、信玄でも落ち目になりゃあどうだったかな 勝頼よりは、多少ましかなって程度だと思うがどうよ
信長も本能寺の後はみんな織田家から去って行ったじゃない
299 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:28:33
>>298 去っていったって、家臣達は一応の義を通してるぞ
>>291 いや、信長の折檻状を詳しくみると、はっきりと追放を命じていない。
あくまで本願寺攻囲時の怠慢をあげ(たしかにこれは難癖にちかいが)、光秀や秀吉
を挙げて、「往年のお前はどこへいった、彼らのようにさらに発奮してみせろ。それが
出来ないのなら軍団長なぞ任せられない、いっそ引退してしまえ」と渇を入れているよう
に読める。
たしかに織田家の最上級にして最大規模の軍団を率いるものが、年中茶の湯を開いていた
なんて事実だったら一喝されても無理はない。信長としては、むしろ信盛が高野山に行って
しまって、期待していただけにがっくりきたのではなかろうか。
301 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:31:04
おい、なんかすげー話ずれてきてないか? このスレは、どこでどうすれば武田はもっと良い結果を出せたか、を考えるスレだろ?
>>295 人望が厚かったんじゃあなくて、
豪族の力が強くて当主が強権を振るえないから、
家臣の協力を得なければならなかっただけ。
それを称して「結束力がある」などと言っていただけってことだわな。
織田家の場合は、
信長個人への忠誠心はあっても、織田家への忠誠心をもっている者は、
極端に少なかったといったところか。
武田と織田の家臣の忠義を比べるのは無意味だろう 織田家は桶狭間の頃を除いて、滅亡の瀬戸際にまで追い詰められたことなんてないし
305 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:34:34
>>300 ああ、そうだったな。光秀の領地召し上げ&切り取り次第も、同じ理由だという話もあったっけ
でも信盛ぐらいの歳と地位になると、いまさら叱られたらまともに聞けないだろうなとも思うし、
実際それで終わってしまったしな
光秀は切れちゃったしな・・
306 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:35:29
桶狭間の織田家と織田侵攻時の武田家ってどっちがヤバかったの?
>>302 領土の拡張状況から仕方ないとはいえ、
信長に取り立てて出世した奴が多いからな、譜代・外様問わず。
信長の家臣であったという自覚は強いだろうが、
織田家の家臣であったという自覚が育つには時がもう少し必要だったのかな
308 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:37:21
上洛まで目指した武田軍が最後は山賊と互角だったからなあ
309 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:37:37
>>304 比べるとしたら、信長死亡後の反応を見るぐらいか
・・まあなかなかドライだけど、一応家臣ですってレベルの忠誠
>>302 >>219 が言っていることですね。
織田家の場合は、信長存命中に信忠を時期契約者として配下たちにも承認させていた。
それが両方いなくなって契約がわやくちゃになった隙を、秀吉につかれてしまったと。
311 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:38:48
遠州の何とかっていう豪族の娘が凄い美人で、穴山が狙っていたんだが 勝頼に取られたのを恨んでいたらしいね
>>306 そりゃあ武田でしょう。
内部が崩壊してからの侵攻だから、
下準備の規模が違うよ。
313 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:40:16
>>306 織田侵攻時って勝頼?
桶狭間時の信長のが辛いだろ。負けたら滅亡だし
勝頼の方は、まさか史実ほどのダメージは受けんと思ってるだろうし
314 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:41:59
高遠城なんて何であんな簡単に落ちちゃったの? 武田はそんなに兵が少ないの?
315 :
313 :05/01/11 23:42:16
あ、訂正。織田侵攻時って、「織田」が「武田」に攻めて行った時の話か なら・・武田のが辛いわ
316 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:44:51
桶狭間のときは尾張一国だったけど、 武田攻めのときは一応4国あったでしょ
317 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:45:01
実際、武田が完全に滅んだ時点で、すでに戦国は終わってたよな
318 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:45:45
信玄は織田に将来滅ぼされるという予想をしたことはあるのだろうか
>>316 戦力ってのは相対的なものだから。
数倍の敵を相手に、しかも戦略正面を限定できない戦いなんて、
どんな戦略家でもおそらく挽回不可能。
321 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:48:18
木曽が裏切った時点で当主が信玄に代わったとしたら?
322 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:48:42
>>316 しかし裏切り武将の多発と、敵と自軍との比率で言えば武田のが辛いんではないだろうか
桶狭間の時のような、今川方が織田に対してやろうとした、「瞬殺」はないだろうが、
絶望的なジリ貧による「圧死」は、一時的な戦術如何でどうこう出来るものではないだろ
323 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:50:09
織田の甲斐侵攻の総動員数を誰か計算してみてよ もしかして戦国史上最多? 大河内攻めの十万の方が多い?
325 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:52:52
もし信玄だったとしたら、あそこまで裏切られまくられなかった気もするけど
326 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:53:38
島津とか北条は20万の豊臣軍だろ?
>>323 数字の上では多分織田だけで10万は動員可能。
全部つぎ込んだとは思わないが、
加えて徳川軍、確か北条も同調していたよね?
まあ、絶望的だわな。
>>325 信玄でも同じだろう
信玄はそこまで追い込まれなかったから裏切られなかったに過ぎない
織田にも言えることだが、無償の忠誠なんていうのはまず期待できない時代
329 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:58:02
>>323 詳しく知らなかったので某漫画で数を確認したら織田10万、家康3万、北条2万の計15万・・・
ぽかーんとするな・・
まあ漫画の数字だけど
>>325 私だってそんな気はするわい、
気だけはな。
だが理屈で考えるとどうにもならんよ。
仮にあそこまで裏切られなくたって、結果は同じだろうし。
331 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/11 23:59:46
諏訪で欄干に頭ぶつかけられた人や 本能寺で欄干に片足乗せる人まで甲斐攻めに来たということは はるばる近江・丹波からも軍勢が集められたことになる。 それに信忠軍団の尾張・美濃勢が丸ごと来てるし、 伊勢の滝川や飛騨の金森、さらに徳川勢も含めれば凄い数になる ざっと計算して、近江1万・丹波1万・濃尾3万・伊勢5千・飛騨3千・ 徳川1万5千、計7万くらいか
逆にいうと、桶狭間の時の織田家はよく裏切り逃亡を出さなかったな。 砦に篭って玉砕した将兵も、信長に従って今川軍に突撃した連中も。 周囲の豪族たちだって、信長に臣従した期間の短さを思えば、さっさと今川について もおかしくないと思うのだが、はっきりと離反したのは当主交代時の山口氏くらいだし。
333 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:00:07
つうか信玄が生きていたら、織田信長が逆にアボーンされていたし
>>327 しかも東西南三方からの同時進行(北条は出遅れたらしいが)。
長大な国境を考えれば、完璧に飽和状態だな
335 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:01:52
岩殿にこもっていたらどうなってたんだろう
336 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:01:57
それにしても武田攻めのときの北条はパッとしないね 織田徳川に大分出遅れて、奪った領地って微々たるもんじゃないっけ?
338 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:03:17
裏切った木曾の討伐に勝頼が出したのが一万五千くらいだったかな? それが新府に戻った時には二千前後…
340 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:04:03
案外、尾張人気質は忠で 甲斐人気質はドライなのかな?
341 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:04:08
上野原城の何とかって城主は、北条に攻められて今の八高線の沿線で アボーンされた
342 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:04:13
>>332 今川軍と本格的にぶつかるまで、ずっと裏切り者や国内反乱分子をことごとく片付け、残った数少ない織田軍だからなあ
343 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:05:05
結局、新府城は勝頼と北条夫人がセク−スする場にすぎなかった・・
>>332 よく言われることだけど、
石高的には表面上の桶狭間の兵力差ほど圧倒的ではないし、
何より今川からの内応工作があまりなかったのではないかと思う。
その為の長い下準備が長篠の戦以降武田家滅亡までの時間でしょう。
345 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:05:44
チキン景勝が援軍を出さなかったのもあるな
347 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:07:26
山中に40人って武田騎馬軍団はどこに行ったのよ
桶狭間の時、織田を裏切る奴は既に裏切ってたんじゃ・・・ 尾張の一部は既に今川の手にあるわけだし そうなら勝頼と大差ない気も
>>348 裏切った面子みればとても大差ないとは言えないよ。
350 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:33:00
まあ信長と穴山もあと3ヶ月でアボーンされるわけだが・・
>>345 無理だろう。すでに北陸軍は加賀、能登を抑えて越中に侵攻中。
とても越後から信濃を縦断して駆けつける余裕はない。
もっとも、柴田軍の存在がなかったら景勝は救援できたかと言うと、距離的にも無理だろうが。
桶狭間の信長は、弟はじめとする反対派を撃滅して力量を示した直後・そして敵は大敵今川とはいえ戦略正面は一方 勝頼は明かに敵を三方に作っての落ち目 この差はでかいんじゃないか?
353 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:36:07
354 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:38:47
なんか急激に重い
355 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:39:18
356 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:41:28
しかし、逃亡途中の大善寺の本堂でもセク−スしたらしいからね
357 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:43:35
>>349 一族重臣は、信秀時代からも含めて一人も離脱者出していないからねえ。
勝頼の方は、「うちに来てくれ」と誘われた両者とも裏切ったわけだし。
360 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:43:32
362 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 00:50:02
新府城で1ヶ月くらい持ちこたえてから、勝頼が敦盛を舞って出陣、 信長の本陣近くの砦に移動、風雨の中を正面攻撃とかはできないの?
>>358 小山田はともかく、真田も裏切っていたっけ?
>>362 無理だろう。信忠軍・徳川軍を押したてた織田軍の懐は分厚すぎて、今川とは比べ物にならん
そもそも、桶狭間の時だって丸根・鷲津砦に入っていた今川軍がなぜか織田軍の背後を突かないでいてくれたから勝てた薄氷の勝利だし
>>349 真田が信長に降伏したのは、勝頼一行が討たれた後
だから事実としては真田が裏切ったというのは間違い
ただ、本当に勝頼が自分所にきたら小山田みたいな行動を取らなかった保証はないな
むしろ確実に討ち取って織田に首献上、とかあったかも
>>358 >>365 勝頼死亡以前に織田と連絡をとっている書状が発見された、という話を聞いた事が
あるが、信憑性はどうなのか?
一ついえるのは、昌幸には武田に殉じる気はなかったということだな。
そもそも落ちていく勝頼と行を共にしたわけでもないのだし。滅亡後はあっさり
織田に降ってお咎めもなく滝川の下に配されている。所領を守るために事前に接触
して交渉ずみだった、という方が昌幸の人物像には相応しい。
368 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 16:30:55
桶狭間は、信長が予め蜂須賀党を使って今川軍の進軍ルート情報を掴んでいた上で、重臣たちとの会議にすら本心を明かさず徹底した情報戦で勝利していたからこそやれた奇跡 もうボロボロの武田勝頼じゃ無理だろう 信長とは将器が違いすぎる。信玄ですら勝てないだろうな
>>367 ところで昌幸の進言、岩櫃城だかどこだか自分の城で保護するというのは実行可能
な策だったのか?
織田軍は信濃南部・中部を抑えた上で諏訪口から甲斐に侵入してきた。新府から岩櫃
までというのは、この進撃してくる織田軍を中央突破しなければならない。
それが出来るのならまだ他にやれそうな事があると思うんだが。
370 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 17:53:21
武田滅亡史マニアの俺に言わせると、新府から岩殿に出発する日の時点では、 未だ織田の先鋒は甲斐に侵入していなかったよ。 勝頼が海野口を通って上野に抜けることは可能だった。 岩殿に逃げる途中に滝川に捕まっちゃったのも、笹子峠の手前で 先に帰宅した小山田に4,5日待ってくれと言われたかららしい。 それにしても甲信捨ててまで勝頼を存命させるメリットとは何だろうね 上野に入った時点で、もう戦国大名としては終わってると思うけど
>>370 生き延びていれば逆転のチャンスもあっただろう
最終的に天下を定めた松平家(徳川)だって一時期は今川の完全属領化してたんだし
372 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 18:15:12
やっぱ信長に包囲されるのかね、岩櫃城も
勝頼が生き延びる道は、もう上杉に頼るしかないところだからね 岩櫃城に入っても越後へさらに逃げるハメになっただろう
勝頼は仕方ないとしても信勝、北条夫人には御旗楯無しとともに 逃げて欲しかった。 後付けになるけど三ヶ月逃げ切れば秀吉時代に大名としての 武田家が見れたかもね。
これも信玄が晩年無茶してくれたせいだな… さっさと引退すればよかったかも
>>371 さすがに、信長は勝頼の降伏か首級を見届けるまでは撤退はしないと思うが。
たしかに、完全に敵に回っている北条と挟み撃ちになる岩殿より、岩櫃の方が
同盟者上杉とも近いし、逃げられるのならその方がまだ先はあったかもしれない。
ただし、昌幸が裏切らない事が前提だが。(もう一つ、大名としては終わるな。
上杉であれどこであれ、亡命の客将としか扱われないだろう。信長の矛先が向かう
ことを思えば、喜んで向かえる家も無いだろうが)
377 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 19:29:11
小笠原・村上を越後へ追いやった武田が、今度は自ら越後へ逃げるとはな・・
これも信玄が志賀城を落した時、非道を働いた報いだよ 戦国時代は乱捕り人捕りは横行していたとはいえ、それを差し引いてもかなり厳しい処置をしたらしいからね 小山田も城主夫人を無理矢理側室にした身だし
>>369 >>370 調べてみた。
細かいところは除いて
二月
三・信長、武田総攻撃の指令。
二十五・穴山信君造反(二日後に勝頼に届く)。
二十八・勝頼、上原城より撤退。北条、駿河へ侵入。
三月
ニ・伊奈高遠城落城。仁科盛信戦死。新府城で最後の軍議。
三・勝頼、新府城に火をかけ岩殿目指して落ちる。信忠、諏訪社を焼く。深志城落城。
六・信忠、古府中占領。
九・小山田信茂造反。
十一・勝頼自刃。
380 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 20:24:38
信玄が信長に勝つには、大将同士の一騎打ちに持ち込むしかないねこれは
381 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 20:38:26
ありえねーw
382 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 20:43:02
てか、一騎打ちでも信玄負けそうだ
383 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:18:05
病弱病み上がりの信玄では、若い頃からあらゆる鍛錬をつんだ信長と タイマンはったところで瞬殺だよなあ
信長厨乙
385 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:23:30
信玄も自分が血の滲む思いで取った信濃を2週間で落とされて あの世でご立腹だろうね
386 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:24:54
長政・信長・勝頼・義景・氏政・義元・信玄 病死できた信玄は勝ち組
武田信虎が伝えたとされる合気術が、現代まで伝わっているそうだけど 信玄もそういうのに長けていたとすれば…?
病弱だからな、信玄
389 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:27:38
長けていたとしても、年も体格も、そして健康の面でも信長に勝てんだろ
390 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:30:06
信玄が信濃へ攻め込んだ頃、同じ道を30数年後に敵の大軍が信濃から甲斐に 攻め込んでくるとは夢にも思わなかっただろうな
じゃあ代理で信忠と勝頼を一騎打ちさせてみたら…
392 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:34:23
ああ、それならまだいけるかもな
393 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:37:24
>>375 いや、四方を敵に囲まれた武田では勝頼の外交下手ぶりが致命的
だったのだろう
394 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:38:25
長篠で負けた後に、信長から越後を攻めるよう書状が来たが勝頼は断った
395 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:42:26
最後の滅び方みてると、やっぱ義信の方がよかったんじゃね? 景勝くらいはやってくれたんじゃないかと
396 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:43:57
直に上杉も織田に滅ぼされるんだから 岩櫃に逃げても無意味じゃないの 今度は景勝と2人で芦名領まで逃げるの?
397 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 21:58:25
岩殿にこもった場合どうなってたんだろう あの山は攻めるの大変だぞ
398 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:01:43
かすかな延命
信忠も勝頼も、自ら陣頭に立って突っ込んだ経歴があるね 似たもの同士か
400 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:13:28
あの時代にヘリコプターがなかったのが勝頼の不運
401 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:15:56
武田滅亡時に直江は武田を見捨てて上杉が援軍を出すのを渋ったらしい ソースは井沢の小説
402 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:32:20
の豚だは何のために神聖なる諏訪大社を燃やしたんだ
>>401 そりゃ北陸方面で自分ところが織田と対峙中だからねぇ
404 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:38:55
何で織田は上杉・毛利を攻めつつ武田を滅ぼすなんて芸当ができたんだ 全然、包囲網が機能して無いじゃん
405 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:41:37
運が良かったから
>>404 動員力と、それを支える領国の力が圧倒的になったから
織田軍一方面軍=大大名
となったから
407 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:48:22
408 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 22:50:05
>>404 ただでさえ、元々言うほど機能してない包囲網だったし、
信玄死んでからはますます機能してないし
毛利・上杉・武田・本願寺等の第二次信長包囲網も、謙信死去をきっかけに崩れたしな
410 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:00:26
運が良かったから
411 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:00:33
南信の城主は織田勢の数の多さを見て逃げ出したことになってるけど 武田だって2万5千いるのに何で迎え撃たなかったのよ
>>411 駿河の穴山が裏切ったからだろう。勝頼の本軍がそのまま諏訪に留まったままだと、
参陣した北条も含めて南から本国甲斐が落される。それを阻止するために信濃の救援
を諦めて甲斐に戻ったら、信濃の諸将が見捨てられたと判断して次々と離脱した。
本隊の方もこれはもう駄目と判断して逃げ出して、勝頼が新府に戻った時は千ほどしか
従っていなかったらしい。
滅びるときは朝倉も武田も同じか。最後に気を吐いた浅井はまだマシだったんだなあ。
>>411 2万5千っつったって。織田軍は信忠軍だけでその二倍と言われているし
勝頼の叔父・武田信綱すら戦わず逃げてる状況じゃ踏ん張れってほうが無理でしょ
それに鳥居峠じゃ裏切り者の木曽軍にすらあっさり蹴散らされてるし
414 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:08:32
新府城の檜を運ぶ途中に塩尻で檜が滑って下で 休んでいて下敷きになった百姓11人に対して 勝頼はどう責任を取るつもりなんだろうな
415 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:12:50
嵐世紀的に考えると、信濃を失った時点で、重臣を抱えるだけの知行が 甲斐一国にはなく出奔が相次ぐのは仕方なかったんだろうな
416 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:14:57
>>410 /\___
ヽ/ ̄ ̄ ̄\ノヽヘ
/:::△ u 凵@ \:::::∫クマハハハ
/:::::::/エヽ: : ::: : ミ/ _____
ミ:::::/WWVヽ::: : :/ミ /おまえも
ミ:::::::\MMノ: : ::/ ミミ< クマったやつらだなぁ
ミ::::::::::::::::::::::::::/ミミミミ \_____
ミ::::::::::::::::ミミミミミミミミミ
ミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ミ
ミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ミ
ミ:::::::::|ゝ:::::::::::::/|:::: :: ::::ミ
417 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:15:51
信長、武田滅ぼした時は痛快だったろうな 散々ぺこぺこさせられた上で、一番厭な時同盟切ってくれた信玄の家を滅亡させたんだから まぁその後すぐ本能寺が起こるんだが 無常だなぁまさに
419 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:20:19
そうかな 落ち目になってからの武田家は、もう信長にとってそれほど気になる存在ですらなかったんじゃないか?
>>419 でも自分で出陣してるし
信忠に「油断するな。軽率に戦って負けたら命があっても顔二度と出すな」みたいな厳しい書状の注意を送ってるよ
421 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:27:38
穴山も小山田もさりげなく見方が原で活躍してるんだけどね
422 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:31:33
>>420 そりゃあ戦いとなりゃあそうだろうけど
戦略上では眼中にもうなかったんじゃないかと
423 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:35:04
>>421 三方が原の戦いでいつも気になるんだが、
信玄ってあの時、家康シカトして進もうとしてるじゃん?その進んだ先に一番近い城ってどこ?
>>420 長篠と、岩村奪還以後は完全に徳川と信忠に任せっきりで、その信忠も畿内や西国
にまで出張されているところをみると、やはり戦略正面としては考えてなかったの
だろうね。
信玄と戦ってたらって話はともかく、 信玄が死んだことで気がだいぶ楽になったのは確かだろうな そして長篠あたりで完全に安心、と
信玄の、戦いの前の病死 信長の、謀反による自害 どちらが無念だろうか
427 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:47:03
>>426 どっちも戦国大名としては滅んだも同然だからねえ
>>412 つっても完全包囲で逃亡不可能だから数百で特攻死ってのも・・・
>>413 木曽に向かったのは仁科盛信・武田信廉など一部だけなのに対して
木曽には織田の援軍が入っていて
しかも鳥居峠での戦いとなれば待ち受ける木曽軍が普通に高所に
陣を構えるだろうから勝つのは相当困難かと。
>>414 安土城を建てる途中、蛇石の下敷きになって死んだ数百人はw
>>420 武田に対する注意というより、慢心に対する注意のようなかんじだなあ。
川尻や滝川に対しても、「信忠が暴走しないように気をつけろ」なんて敵に対する
注意はないし。
「是非もなし」って本当に言ってたの?
>>428 >安土城を建てる途中、蛇石の下敷きになって死んだ数百人はw
当時はそんなに事故が多かったのか
>>387 上杉について会津にいった武田信清の末裔が武田惣角であり
武田家伝来の武術が大東流合気柔術の原型だという奴やね。
合気の技であるならばタイマンも余裕だな。
何しろ軍配にて刀を受け流すぐらいでw
>>423 浜松城シカトなら野田城じゃないのやっぱり?
次が吉田城かな
434 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:51:41
「是非もなし(仕方ない)」と言って槍を持って戦ったのは不自然だから 「なぜ」が正しいんじゃないかと誰かが書いてた
435 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:52:48
>>426 信玄は夢を見ながら死んだ
信長は夢の終わりを突きつけられて死んだ
よって信長
436 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:55:12
>>435 夢なんて本当に見てたかな信玄。むしろ夢を見られたのは信玄ファンでは
>>434 とりあえず、二行目の意味が分かりません
信長って個人的武勇はどうだったの? 仕事中に女性にふざけようとしてた足軽の首を一刀で飛ばしたとか、桶狭間の時自ら槍を振るって突撃したとか、そういう話はあるみたいだけど
>>434 誰が信長の最期を見届けた上で無事脱出したのか知らんけどw、
上に立つ奴を蹴散らして成り上がった信長が謀反で死ぬのもまた
是非も無しだろうな。
戦ったから不自然ってこたないでしょ。
439 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:57:22
信長は朝起きた途端に「俺ってもしかして死ぬ?」と 信じられない思いだったんじゃないか
440 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:57:48
>>437 十分じゃないか?
それに武勇伝もあるが、うつけぶり伝もあるぞ
どうでもいいよ、そんなの
>>437 「八人引きの馬に乗った」事で示せるな。
八人がかりで引かなければ言う事を聞かない荒馬を
乗りこなしたというのは当時で言う所の武勇の証明よ。
足軽を切り捨てただけで一刀でクビを撥ねたとはどこにも・・・・
443 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/12 23:58:56
>>434 「眠いのにめんどうくさいな〜、でも仕方ないか〜、攻められてるんだから
槍で突くかあ」って感じの仕方なしだったのかもよ
444 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:00:42
「うつけぶり伝」 ・家来の肩に頭を乗せてだらだら歩き ・家来二人の両肩に手を乗せ、つられ歩き ・親父の葬式に普段どおりの服でやってきて、焼香ぶっかけ
>>427 稲生の戦いのときの話。
戦陣が崩れて敵勢が信長のすぐそばまで迫った時、信長は大音声を上げて叱咤すると
敵は立ち止まり、恐れて逃げ出したとか。そのまま追撃に移り、林美作を自身で討ち取った
という。
446 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:01:19
>>434 戦国大名なんだから、そういう心の準備はある程度あったろ
当時の馬は去勢もされておらず しかも軍馬には特に荒馬が好まれたので 軍勢を整列させても騎馬武者というのはビシッと 整列することは困難で、馬が微妙に動くんだな。 だから騎馬武者がいた跡には馬の足跡がたくさん残る。 ところが豊臣秀頼がいた跡には、馬の蹄の跡が4つ あるだけだったという。つまり、馬を一歩も動かせないほどに 馬を服従させ乗りこなしていたという話。
448 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:05:09
>>445 だがそれには「身内のものだったので」というオマケが付くけどな。
上司が反乱起こしたからって部下までやる気があったわけじゃないのよ・・・・
一騎打ちでも信玄やべぇw
>>449 上杉謙信の刀を軍配で受け流す信玄に
武勇豪勇の類は通用せんぞw
451 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:07:20
まあ上杉軍に信玄に切りつけた(自称)奴もいるから 誰かには襲われたんだろうw
453 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:09:44
>>450 まじめな話、信玄って剣とか槍はどうだったの?
信長は砲術一巴流の使い手 軍配じゃ銃は防げんw
455 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:10:34
>>452 そしてなんとか凌いだってことか
ふむ、しかしひとつだけではなあ
ちなみに織田信忠も新当流の使い手 二条御所の最後の戦いのとき、切りまくったらしいね
>>453 知らん。
青貝の槍を使っていたが。
>>454 鉄が張ってあるので受け流しますw
あるいは武田惣角の弟子の植芝盛平は銃弾を躱していたから
多分武田信玄にもできるだろうw
ていうか、伊忍道のラスボス
>>453 これと言った記録やエピソードがない。
兵法からすれば、総大将が刀振るわなければならない状況というのは誉められ
たことではないから、それはいいのだが。
>>457 はぁ?信玄軍配ってふっくらして厚めの柔らかいクッキーの間にクリームとレーズンが挟まっているやつじゃn(ry
461 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:16:34
信長の場合、頭に血が上って先頭に立って 流れ弾に当たるんだから スナイパーを揃えておけばかなり高確率で倒せるな。 杉谷善住坊以外信長を狙わないんじゃ 戦国の奴も知恵が足りないな。
>>459 しかし、例えば信長や家康のように鷹狩を好んだという類の記録もないのよね。
父信虎が、病弱故に廃嫡しようとしたという説はよくわかる。
馬や乗馬に関するエピソードも、信玄にはないからな。
>>462 別に病弱だからなんて言ってないと思うが〜
信玄は敵が迫っても動かなかったのは腰がぬけてたからか? 槍で反撃したのは原某だからなぁ
465 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 00:21:49
>>464 騎馬武者を相手に動き回ったところで
ヒョードルを前にした永田さんのようにみっともないだけだろ!
一騎ぐらい余裕で戦える自信の表れだな!
病弱と言えば長尾晴景。
3回太刀を振っただけで信玄の軍配七箇所に傷をつけ、さらに本人にも手傷を負わせた謙信はどんな太刀筋を…
むしろ二刀流で回転剣舞六連だろ
そもそも旗本が誰もいないってどういう事よ?あの信玄が。
個人の武勇になっても、 ・記録を持ち出す ・想像で語る 構図は変わらないのね
勝頼の個人的武勇は?
>>470 戦況を把握し、きめ細かい指示を細部に行き渡らせるために
出払っていたのだよ。
>>472 デビュー戦にて一騎駆けを敢行し
一騎は討ち取ったが
力自慢のなんとかいう奴相手には苦戦した。
>>470 それをいったら馬廻りも連れずに敵主将に突撃する謙信も…
一応、信玄の部下は駆けつけたわけだし
>>476 謙信(もしくは荒川伊豆)だって最初は部隊を率いていたはずで
本陣外周の守りを突破できたのが一人だけなんだろう。
謙信だけに剣心ネタか。やっと気付いた。
信玄、余裕こいて座ってる間にいつかは斬り殺されそうな勢いだなw で、勝頼と信忠じゃやっぱり信忠のほうが上っぽいか だめだ、一騎打ちでも旗色悪い
意味不明
>>479 勝頼の鎧とされるものは胴の鉄板が二重。
鉄壁防御。そしてそれを身にまとうパワー。
「○○流だから強い」の類ほどあてにならんもんも無いが・・・・
>>456 少なくとも信長公記では外で戦ったのは部下だけだな。
信忠奮戦があるのは、『惟任謀反記』と『日本史』 か
信忠は高遠攻めでは一軍の将でありながら先頭に立っていたりするし 信長が心配して森と団に手紙を書いてしまうあたり、 信玄存命の頃城攻めで度々先頭に立っては力攻めを繰り返し 「粗忽だが何故か城が落とせてしまう」と信玄に言わしめた 勝頼と同タイプだな。 同じタイプ・・・・ 同じタイプのスタンド・・・・!!
織田と武田が同盟しっかり結んだりしてたら 信長と信玄は揃って頭を抱えて息子を見るハメになってたかw
信忠と言えば 岩村城を攻めて 山上に弓矢鉄砲を射掛けるも届かず城兵に笑われ 隣の水晶山から火矢を射掛けるもあっさり鎮火され 打つ手が無くなり 結局信長がやって来て一緒に兵糧攻めしたという・・・・
>>486 二重の義兄弟だな。
勝頼には信長の養女(姪)
信忠には信玄の娘(婚約で終わったが)
武田はどうしても織田に勝てないの? 一騎打ち(藁)でもダメポっぽいと…
場合によっては勝っただろうし 場合によっては負けただろうねw
信長の居城に隕石を落とせば勝てるよ
>>486 根本的な疑問。なんで信玄は義昭の誘いにのって、一応同盟相手の信長と戦う気になった
のだろう?
1572年の時点に限ったって、さほどメリットがあるとは思えないのだが。
(中央の大国相手に長期戦ではジリ貧になるだけ。やるなら一撃で滅ぼさねばならないが、
信玄は信長を短期間で滅ぼせると判断したのだろうか)
結核で焦ったから。 中央で着々と天下が決まっていくのに最強軍団擁しながら指を加えて見ていられるか って感じ。まあ最強なのは確かでも、信長の首を決戦で取らない限り面の確保は無理 なんで、京都に着いたところで東西に軍団を派遣、奔走して壊乱という、木曽義仲と同 様の末路を辿ったと思われる。 要するにあれだね、夢。
妄想厨めw
>>492 486ではないが、物凄い勢いで勢力拡大する信長
これを放置しとけば、次は我が身ってなことで、ある意味自衛も兼ねてるんでしょう
あの状況でしか、徳川を潰すチャンスなかっただろうしね
徳川潰して、後は他方面の外的圧迫と、織田勢力圏内での一揆や反乱扇動して
地道にやってく以外に手がなさげ
つか、武田家があの時に勢力拡大する場合は、信長と敵対する名目で徳川潰しとくか
北条or上杉だしなぁ
>>492 むしろそれほど大国で無いうちで無いと
戦いようがない。
1572年頃はまだ領国化できている範囲も
それほど広く無いし
諸勢力の牽制が効いているうちにある程度の
戦果が得られれば力関係を大きく改善し得る。
そうなれば反信長派諸勢力の寿命も延びるわけで
徐々に逆転も可能になってくるだろう。
497 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 08:15:21
それでも、国力差で倍はあるけどな。
織田となんとか戦える地盤が整ったのは駿河制圧後だろう 源氏の名門武田氏としては、平氏の織田の下風に立てるか!見たいな意地があったのかも
499 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 12:25:05
織田が圧倒的優位だったというのは後世の俺たちだから言えるのであって 72当時の織田はまだどうなるかわからん、ってのが当時の見方だったのでは。 三好のようにそのうち内部崩壊か別の勢力によって京から追い出される と思われていたのかもしれないし。
500 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 12:50:59
三好よりはどう見たってでかいだろ
信玄がどれだけ畿内情勢や織田の力を客観的に把握してたかはわからんが 本願寺辺りに敗北したというような話を聞けばつい食指が動いたんじゃなかろうか 尾張で燻っていた織田が一代であれだけでかくなれたのだから、武田も!と夢を見たと
502 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 16:10:00
信玄が引き上げたら 信長の本隊が動いて 反信長派をケチョンケチョンにしちゃって 結果 反信長派は一気に衰退し 信長は敵性勢力を吸収した事で一気に大きくなったけど 信玄が病死してなかったら・・・・?とは つい考えてしまうね。
信玄が病死しなくても、朝倉が退陣したことで信長に余力が生まれたから 浅井は朝倉とセットじゃなきゃ信長に反抗する力は無いし 一揆衆は数も多くて粘り強い戦いをするけど遠征能力に乏しい それに上杉はまだ織田寄りだからねぇ 信玄が生きてたら、三河辺りで決戦かな? 少なくとも長篠とかに比べれば武田に勝算ある戦いにはなっただろう
504 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 17:41:35
長篠に比べればな。 それでも織田優勢なのは変わらないが。 信玄が出てくる前に、反信長派は滅亡寸前に追い込まれているのだから。
505 :
足利義昭 :05/01/13 18:05:20
武田信玄がもうちょい生きていたら、西進しても織田にめっためったにやられたとでもいうのですか? そういいたいんだな?おう? まったく!このスレの住人達ときたら!? じゃあ信玄はどこでどうヤられたと思うんだよ?! ああん?
>>505 いや誰も言ってないってw
織田優位はまだ変わらん、ぐらいが共通認識じゃないの?
507 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 18:31:20
>>505 そんなこと思ってないって
信玄ほどの名将なら織田が大軍率いてきたら退くはずだからね
>>507 それじゃ、永遠に上洛は出来ないな。信玄らしいと言えばらしいが。
荒木村重の反乱の時のように、四方がまだ不安定にも関わらず一箇所に軍力を集中するという真似をした信長だ 信玄が西進続行すれば、浅井朝倉辺りは平気で打ち捨てて全力を集中させたかもな そうなると反織田側が息を吹き返す時間を与えることになったろうが、それは要するに武田さえぶちのめせばまた逼塞させられる程度 三河〜尾張あたりで大決戦か でもその場合信玄が兵を退くという可能性も高いだろうな
>>509 自分も退くと思う。思うが、その場合軍事的には成功だが政治的にはかなりまずい
ことになる。
まず、信玄は信長を前にして逃げた、といわれるのは必定だし、畿内の将軍や各勢力
が見捨てたと失望すれば、朝倉義景の撤退並みに批判が出るだろう。望みなしとして
信長に降伏する勢力も出る可能性だってある。それらは軍事的にも次戦に大きな悪影響
を及ぼすだろう。
511 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 19:57:23
>>510 ふむ。そうなると…
信玄に寿命健康不安がなかったと仮定して
やるとすれば、睨み合いに持ち込んで織田主力軍を拘束・その間に足利・本願寺(一向一揆)・浅井朝倉の尻を叩いて織田の急激に膨張した勢力圏を一気に食い荒らさせるという手かも
信玄西進の場合、決戦したいのはむしろ早いところ武田の脅威を排除したい信長の側
ただ、持久戦に持ち込むには武田軍の後背にはまだ徳川軍がいる・制圧したばかりの敵地で兵糧兵士の補充が難しいという難点がある
その点、織田が出張った場合は本領の尾張が背後だから、兵站は織田有利だからなぁ
>>511 持久戦できる国力が武田にあるか、という問題もあるがな。
もう一つ、武田も背後に上杉の脅威があること。この時期には北信濃は定まったが、
上野方面では毎年戦いが続いている。こちらなら北条の援軍も期待は出来るが、それ
でも危険(いざというときに本国からの救援が見込めない)なことには変わりない。
513 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 20:47:26
てんきがはれならてっぱうがいちばん さんだんうちがいちばん うまなんかおとしあなにおちろ ようちえんはたのしいよ
514 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 20:49:29
武田が美濃あたりまで来たら徳川も織田包囲網に加わるって可能性ないの?
ない
>>512 >上野方面では毎年戦いが続いている
秘蔵の資料でもお持ちか?
>>514 長年の敵対があるから徳川が武田に靡くとは
むしろ、美濃まで武田本軍がいったらすかさず三河遠江の失地回復に乗り出すだろう
>>515 >秘蔵の資料でもお持ちか?
すまん、実は一人占めにしたくて誰にも見せてないんだ・・・
又これからも見せるつもりはないし
だから疑うのも無理はないが、これが真実なんだよ
信長と信玄の本拠地はだいぶ差があるよなあ。信長は確かに尾張半分 からのスタートで、その後の平定戦で荒廃もしただろう。でも平野部 が多く、石高の伸びしろが多くある。甲斐は荒廃しなかったが伸びし ろがないもんなあ。そして石高以上に海があるかないかの差も大きい。 塩が取れるだけではなく、海運により経済活動が豊かになる。この本 拠地のもつ経済力の差は大きい。そして信玄は豊かではない所に勢力 を伸ばし、信長は当時の日本経済の中心部に向かって勢力を伸ばした。 もう三方ケ原の時は石高の面でも経済力の面でも武田は織田に到底及 ばなかった。でも軍事面だけは包囲網等によって対抗できなくもなか ったから撃ってでちゃったんだろうな。軍事面は個人能力(采配)に もかなり左右されるしな。
>>519 甲斐も荒廃しているよ。
まず信玄の父信虎が国内統一するまでは延々と内乱が続いていた国。さらにその後も
対外戦争続き。甲斐国人による信虎追放の動機には、これらの軍事活動による疲弊も
ある。
もう一つ、藤木久志氏の研究として、鎌倉から江戸初期までの日本における天災のデ
ータベースがある。これによると日本中世というのは毎年必ずどこかで飢饉が起きて
いるというとんでもない時代で、戦国期に限っても甲斐国は天災続きの悲惨な状況だ
ったらしい。
だからこそ、信玄が生産力を上げるために色々とやったのだが。
信長が主力率いて来たら、信玄は決戦したかな?
秘蔵の資料。。。みせろよ〜 俺も、今後ソース聞かれたら、秘蔵の資料云々 してみよう(w
>>521 どこかで決戦して打ち破らない限り、ジリ貧に追い込まれることになる。
信玄がそのことを認識していたら、いちかばちかであったかもしれない。
(著しく信玄に似合わない単語だが)
524 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 22:18:21
72当時の織田は完全な安全国がなかったよね。 82年なら近江・尾張・伊勢(紀伊と接してるけど攻め込まれる心配なし)・ 越前・若狭・丹波・丹後・山城・加賀・能登・大和と外的と接してない安全国が たくさんあったために、それらを兵の拠出と兵糧創出のための後方補給地に できたので圧倒的に優勢だったけど。 72当時では、完全な安全国って尾張くらいじゃないの。 経済力と兵力は安全国の数に比例すると思うから、領国が有する総石高ほどは 当時の織田は余裕無かったんじゃないの
信玄も自分に残された時間がない事は自覚してただろうから、一大決戦(野戦) を企図してのいちかばちかの上洛だったんじゃないかなあ。 武田の兵站は長期戦に耐えられない事ぐらいは信玄だってわかってるだろう。 長期戦はいうなれば国力戦にもなるだろうし。武田の国力じゃあ長期戦はでき ないよ。兵農分離だって進んでないし。 信玄が生きてても信長に堅固な城に籠城されたら幾ばくかの包囲の後、最終的 には撤退せざるを得ないだろう。そして武田軍撤退後、信長は反転して籠城中 に奪われた近畿地方を取り戻すだろうな。
>>524 んなことは、全員分かっててすっ呆けてるワケだが
つか、ココじゃまともな議論はできないぞ。
>>524 同じことが、武田にも上杉にも北条にも言えるって気付いてる?
528 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 22:27:20
第二次大戦のアメリカがいい例でしょ。 国土が戦場にならずに兵を出すだけ、物資を出すだけなら むしろ戦争によって飛躍的に経済が発展する。 当時のアメリカと1570から秀吉検地までの間に 尾張・美濃に起きたことは同じなんじゃないの。 この2国が他の国以上に経済発展が進んだとしても 不思議じゃない。 秀吉検地で圧倒的な国力があったとしても、60・70当時から そうだったのかは疑問だと思う
529 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 22:32:52
>>527 武田は織田ほど自国領で戦争起きないじゃん
織田>アメリカでいいよ、マンドクセェ
>>529 武田は信濃も上野も駿河も遠江も三河も敵性勢力と隣接していて、
仮にも安全といえるのは甲斐のみですが?
図書館で借りてきた本だったからタイトルも著者も失念したが、当時の 資料を色々調べてみた結果、信長の勢力伸長は尾張・伊勢の港湾を抑え たのが大きいと書いてあったよ。石高については確かに平野部ではあっ ても実際に伸びたのは安全地帯になってからだったかもしれん。でも港 湾は織田にはあっても武田にはなかった。これによる経済活動の差は大 きいだろ。駿河を抑えたくらいじゃそれまでの差は挽回できんよ。
将軍家にしたがっていた細川藤孝は勿論、後に裏切る荒木村重だって武田西進の時信長を裏切ってないからね やっぱり一代で勃興した織田の力はかなりの評判だったんじゃないだろうか そういう風聞が強いと、実質以上に力になった時代だからね
>>531 甲斐も北条領に接しているから、安全国じゃあないそうだあちらさんの理論に従えば。
>524は、尾張も安全国に入れていないからね。
535 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 23:02:55
536 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 23:06:08
この当時の経済力は農と商どっちが重要だったの? 商のほうが圧倒的な今では、美濃・伊勢は大きく地位が 低下したが
信長と信玄の商政策の違いもある
織田信秀は、まだ尾張一国も統一していない時代に 熱田港を抑えていたお陰で内裏に4000貫寄付とか平気でやれる財力をつけていた かなり交易の利益はあったんじゃないだろうか?
尾張が豊かな国だったのに斯波義統は何やってたのさ
平野と言えば、北条は織田どころじゃない経済力を有していたはずなんだが・・
541 :
義統 :05/01/13 23:26:20
スマソ。遊興にふけってますた。
しかも、北条は織田や豊臣より進んでたとも言われる、だそうだ 北条スレによると
内政に関してね
北条は小田原城に頼りすぎ 信玄と謙信を退けたんだからって自信を持ちすぎたんだよ まぁ秀吉みたいに二十万を動員し、その二十万に娯楽を与えつづけるほどの兵站まで備えた相手に他にどうしろと、とは思うが
>>540 何が言いたいのかわからないが、
農業生産力と経済力は関連はあるものの、別物。
ただ鶴ヶ丘八幡宮の再興やあっちゃこっちゃの城の増築・改修を結構やっている所から、
結構な経済力はあったと思う。
確か常陸だけで近江に匹敵する石高があったはずなんだが・・ 上総だけで三河と互角(記憶が曖昧 北条の石高・動員力は70頃の織田並みでもおかしくないような
>>540 関東平野に関していえば、今の東京、つまり武蔵南部は水の多い湿地帯でロクに
開発は行われていなかったとか。
武蔵とかは家康が頑張って開発するまでは伸びしろだけはあっても結構未開の 地だったらしいが・・・ 北条は出だしが伊豆で小田原が本拠地だったしな。 利根川の氾濫とかも多かったろう。兵農分離も進んでないから農繁期に攻め込 まれるとツライね。
武蔵を完全掌握するだけで武田を上回りそうな気もするが
北条が先進的と言われてたのは、税制のシステムとかであって 国土が豊かで商業的に先進的だったわけではない
>>548 結果論だけど、小田原本拠地ってのが先見の明がなかったのかも
まあ氏康が民政家として優秀なのは素直に認める所ではありますがね。
でも小田原が本拠地じゃなかったら謙信が各地から10万動員した時にアボン してた可能性大。むむむ・・・難しいのう。
武田・北条は地縁的な領主層との関係で大名側が上位と確定していなくて、思い切った行動とか改革はしにくかったんじゃないだろうか? 織田みたいに内戦かましたのは、実は大名統制力確保の近道だったのかも 織田の改革が言われているほど先駆的ではないにもかかわらず他大名を圧倒したのも実行率の問題かと
556 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/13 23:43:07
運が良かったからです
関東が日本でも有数な肥沃な土地なのは太閤検地でもわかるが 全部が全部、北条の直轄地ではないんだしね 多くの従属豪族による巨大な集合体にしか過ぎなかったんで 謙信の関東遠征の度に、 寝返る→謙信帰る→北条に戻る→謙信来る→謙信に寝返る(以下繰り返し 虱潰しに出来なかったんだろうか?上杉も北条も
信長が天下を取っていれば、いまだに関東が未開のまま置き去りにされて いたのかと思うとぞっとする
神流川の戦いで北条5万らしかったけど、やっぱ関東平野の大名だけあって 本気出せば凄いんだな
>>559 秀吉の北条遠征時の最大動員が約7万というから、当時のほぼ全軍だな
神流川の時に5万も居たかは疑問
意外にも上総+安房で近江を超えるのな 真面目に里見滅ぼしとけば10万動員も夢じゃ なかったのでは
何かいまさら兵農分離とか普通に言ってるのがいますが、 つりですか、それともかわいそうな子ですか?
兵農分離の話始めたら長くなるから触れぬが吉
武蔵が石高66で上野が石高50って随分差が小さいな 信玄が必死になって開墾したのか?
>>558 未開はないだろ
今みたいに日本の中心地となってるとは思わんけど
上野が当時豊かだったから係争の地になったんでしょうか みんな異様なほど上野に執着してるよね、信玄・謙信・北条・家康
569 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:10:53
秀吉22万に北条だけで7万か さすが関東だな
571 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:12:20
勝頼全盛期だってそれぐらい出せ・・なかったな
勝頼は少数精鋭好みだったんだよ!といってみるテスト
>>564 戦国時代に兵農分離なんてどこもやっていないと、
教えてあげればいいだけの話ではないか。
574 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:16:27
>>553 太閤検地のデータは、所詮天下が定まってからのデータ
575 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:18:42
わざとらしいやりとりやめい
576 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:24:39
かなりさかのぼって、 もし北条武田今川三国同盟がなかったら、どうだったろうか やはり武田の状況はますます悪くなっただろうか
>555 北条は一カ所にまとめて土地を与えることを嫌っている。 所領役帳からもわかるけれど、 一カ所の貫高を抑えて複数箇所から与えている。 こうして土地(百姓)と家臣の力を断って大名権力を比較的に上げようとしていたことはわかる。 他国衆はしょうがないとしてもね。
三国同盟なければ一番得するのは上杉 一番状況悪くなるのは武田 織田にとっては良いか悪いかは謎、いやむしろ桶狭間が無くなる可能性があるだけ悪化か?
桶狭間が無ければ、信長の一生は対今川に費やされていたかもね そうなると徳川が独立することもなく、戦国の結末は大分変わるな…
どんな些細な出来事でも後世にどんな影響与えるかわからないからね。 三国同盟なんて大きな出来事がなくなれば、影響はかなり大きい。
信長の性格考えると、今川とは戦わないんじゃないか?
三国同盟があろうと無かろうが、信玄に上洛は無理だったとさ。
とりあえず関東の人間は家康・・・イヤ信長を倒してくれた光秀に感謝しなけ ればならんかもな。信長が天下取ってればそのまま近畿が日本の中心だったろ うからなあ。
585 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:47:52
三国同盟がないとすると、その三国の関係はどうなっただろうか 武田は上杉も北条も注意せざるをえないし、今川も武田の動きが気になり、下手に西上も出来ないかも となると、これまた織田がその間に疲弊した自分の国の戦力確保をはかれるんじゃないか? それなら遥かに、対今川戦は楽だろう
信玄が病死しなかったら織田はゆらいでたかもしれないよ 混乱に乗じて謀反するやつが大量にでてきたり 松永久秀も武田上洛のスキをついて独立してるし
587 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:48:42
>>584 逆に言えば、光秀に感謝するのは関東の人間のみってことか
関西人ながら光秀が好きな人間としては辛いところ
589 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:50:54
>>586 もうひとつ過程が抜けてるよ
信玄が病死せず、なおかつ、効果的に攻めあがれ「たら」、
揺らぎはあったかもな
590 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 00:56:45
それでも挑発に乗って大軍を動かしてしまう義元
591 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 01:00:27
>>579 桶狭間がなければ信長はかなり戦力確保できるだろうし、今川はじわじわ崩されていくとは思うが、
一生はありえん。今川は大国だが、武田と北条のパワーバランスを考えれば、
一国とられただけでかなり崩れるだろ
三国同盟が無い場合 今川が武田を攻撃する可能性はあるな 豪族寄り合いの信濃が背後だから、甲斐さえ抑えれば北の不安は解消すると狙って
593 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 01:03:20
今川が北か東を向いたなら、信長はしばらくの停戦をもちかけるかもな あるいは義元側が。わざわざ自分のまわりすべてを敵だらけにしておくことはない
594 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 01:07:00
織田・今川同盟話に、ちょっと胸が躍るのは俺だけか
>>591 織田だって斎藤がいらっしゃいますですよ
今川がなく、東西からの侵攻がなかったから、攻める織田守る斎藤という構図だったわけで
596 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 01:09:24
>>595 ああそっか
今川さえ黙っとけば、最初から美濃攻めできるわけだしな信長
織田が今川を切り崩していくとか言ってるけど、後ろに斉藤も健在だしそう簡単にはいかんだろ
三国同盟がなかったら却って武田は上洛軍すら起せそうにない悪寒
599 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 01:18:51
>>597 もちろんそれはそうだが、三河さえとれば、戦況はそれほど停滞しないだろうって話
三河を取るのも至難の業
>>599 義元在命ならば松平も簡単には靡かない
最初の三河が至難の技
まず尾張をとれよと
織田厨、意気消沈しちゃったね。
今川は普通に戦えば強敵だからね 織田といえどそう容易くは ……あれ?武田はどこいった?
普通に戦えば強敵・・・・・・・・だからこそ氏真
>>504 信長が岐阜から動いたのは
信玄の撤退を確認してからでは。
>>509 将軍が京都で反信長を掲げている時に、
西の備えを切れるはずがなく。
それに荒木の時だって柴田らの備えは残してる。
国力が既に圧倒的だったというだけだよ。
>>531 自分の領土内を一揆勢に分断されてるよりはw
>>533 荒木村重はそもそもまだ信長に従っていないから
裏切れるはずがないのだが・・・・
>>546 常陸は北条が最後まで平定できなかった場所ではw
上総も里見を屈服はさせたが直接支配とは言い難いかと。
>>555 はっきり言って信長一代しかもっとらん
>>557 年々着実に寝返る者は減っている。
北条は戦国では最も進んだ検地を家臣の土地まで
敢行してるわけで相当の支配体制・支配力だと思うが。
>>567 普通に三者の接点にあったからでは
>>591 じわじわって・・・・
山口親子始め家臣の統制も危なくなってたのに?
桶狭間で義元本人を討ち取る事が出来なかったら
普通に尾張南東部を失って終わっただろうし。
関係無いが 結構前の方で「常陸と近江の石高がほぼ互角」とか「上総+安房で近江以上」とか言ってた奴等は 近江の石高をいくらだと思ってたんだ? 近江は77、5万石、それに対して常陸で53万、上総+安房なんて42、4万しかない
>>608 逆に言うと、山口親子くらいしか裏切っていないのだが。
しかも彼らは、信秀死後に離脱したのだから桶狭間まで結構な期間があったが、
その間に信長に離反はしても今川につこうとしたものはほとんどいない。
そして信長は、その離反した者たちを実力で再統合した。
近江ってなんでそんなに石高高いの?琵琶湖しかないじゃん
>>606 今堅田攻めの後に、細川と揃って荒木は信長に忠誠を顕すために逢坂まで軍勢率いて出張ってきてるよ
>>611 俺ものぞみで通るたびに近江の石高の高さを疑う
湖と山しかないじゃん
本能寺が無ければ、今ごろ安土はのぞみ停車駅になっていた
湖が多いってことは安定した水資源を田畑に使えるってことじゃん
616 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 14:16:03
信長は岐阜をあっさり見切った点は先見の明があったが 北条討伐後、安土から関東に移転すればもっと先見の明があった ともいえる
617 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 15:31:11
信濃の林業・牧畜業は経済力に入らないの?
>>616 そんなプランがあったとしてもその前に死んじゃったからなあw
>>617 江戸時代、林業だけで数万石の収入を得てウハウハしていた藩があったはず。
何処だったか忘れたけど、確か尾張徳川だったっけな?
ただ、林業が発達するには出荷する為のインフラが整っていないと駄目。
当時の中山道は難所も難所。
620 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 17:51:00
>>608 そもそも桶狭間は、内乱をなんとか終わらしたものの、
信長の兵力自体は疲弊しきっており、これから回復ってとこだったからこそ義元は動いたわけで。
(もちろんその中には、信長の挑戦的な態度に乗ってしまったってこともあるが)
一枚岩となった織田軍に戦力を確保する期間を与えてたら、それこそ義元もなかなか尾張を攻められん
検地・楽市楽座・馬廻り衆強化… 義元の政策って信長に大分影響を与えたんじゃないかな実は
622 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:04:14
義元というより道三じゃねーか?
623 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:08:21
信長は新政策もあるけど、それよりは、 使える既存政策を色々試したっていう大名だと思う
624 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:09:39
経済重視・親衛隊の強化などは 日野富子や足利義尚・義材も先駆け見たいな形でやってるね。 後北条もこの頃の幕府と関わっているし、今川も京とのパイプを持っている。 今川や北条の統治システムが進んでいるのはここら辺が関係があるかと。 そしてそれを採用できる器量があったと >信長
基本的に信長の政策に独自のものはそんなに多くない 他家の長所を吸収するのがうまかったということ
627 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:12:02
模倣、ね。そういう所は意外に日本人らしいか?
余所の物を上手く活用するのは、思うより難しい。 内的・外的要因が異なるのだからそのまま運用できる物でもないし。 上手く長所を吸収できるのは良い才能じゃね?
>>620 50年代半ばまではバラバラだった尾張が数年で今川派以外がほぼすべて信長のものになるとは
義元もビックリしただろう
商業活動の重視は信秀の政策を受け継いだし 信秀も信定(だっけ?)の政策を受け継いだわけだ
631 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:21:33
>>629 そういう意味じゃ、義元があのタイミングで動いたのは、
まさに今しかないというタイミングだったんかも
俺の中で、義元の株が上がった
本拠地の移転は信秀もやってるね 六角も楽市やっていたとか
633 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:24:36
信長は伝統的なものを何もかも嫌ってるように言われているが、 使えるものはしっかり使ってるよな
で、対して武田がやった政策は?
確かにあれ以上遅ければ戦力を回復されて尾張の拠点を落とされる羽目になる ただでさえ今川は駿河などの遠方から兵をかき集めなきゃならないのに 織田と今川の戦力比だって絶対的な差があるわけじゃないし。
637 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:28:14
こうなると、ますます義元の上洛話は有り得なくなるな どう見たって、隣国が力つける前につぶそうとしただけだな
638 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:35:13
戦力回復した信長と、(仮定として)挑発に乗らない慎重な義元なら中々状況は動かんかもな そんな中、勢力を伸ばしたい信玄だけど、結局美濃にも顔を出せず・・ じゃあ意外に北条が伸びられそうか?
鳴海と大高の救援と知多半島の織田勢力の駆逐に加えて可能なら織田勢主力の撃破といったところか? 鳴海と大高は付け城作られて包囲されていたからねー
今川の狙いは熱田港かも。そこさえ抑えれば、一カ国すら掌握しきれていない織田に今川に刃向う経済基盤はなくなる
>>639 しかも前年今川以外の敵対勢力を滅ぼした後、三河勢単独では救援は結構危険だろうな
642 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:42:14
戦力確保してしまった信長、そして西や北に不安材料を抱えている義元なら、 兵数に差はあまり生まれんかもな
644 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:46:42
桶狭間がおきなくても、そこら辺の利権における小競り合いは続いただろうな その一方で、斉藤みたいに少しずつ壊されていくか、あるいは大きな正面衝突が起きて、いきなり勝負がつくだろうか
>>642 いや信長も背後に不安材料抱えてるし、例えそれがなくても1560年の時点では知多半島を鳴海大高で
尾張南西部を蟹江城で分断されてる織田は兵数をそろえることは困難だろう。
ああ、どんどん武田が問題外になっていく…
桶狭間が起こらなかったら織田がジリ貧か そうなると最終的に今川が信長を下し、結果東海の覇を唱えた可能性も十分あるな と、いうことはその後武田が今川に食われる?
648 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:50:20
桶狭間がおきなければ信長は東の今川、北の斉藤に挟まれてジリ貧になった可能性の方が高くないか?
649 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:53:21
>>645 確かに、国内の敵勢力はなんとかしたいところだろうな
で、それを取ろうとする信長、それを義元は見捨てないだろうから、
やはり小競り合いがおきまくり、その成否次第か
桶狭間で信長が勝てなければジリ貧だろ ただ60年に義元が尾張への遠征を起こさなければ徐々に織田に有利な展開になる可能性があると いってるんだろ それでも今川のほうが有利だが
651 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 18:54:53
>>646 ああ、ここ武田スレだったな
今川と同盟しない武田なら、義元の西上をどうこうするだろうか?
義元もあと数年速ければあっさり勝ったんだろうな・・・ 信行が謀反起こした頃なんか絶好の機会だったのに
>>645 とはいえ、桶狭間時がいわば織田家最低の兵数だったわけで
内乱自体は統一されたわけだから、回復したとは思うぞ
>>653 642へのレスで今川に匹敵するような兵数をそろえることは困難という意味
一応尾張と今川の3国は石高ではほぼ一緒だが
>>652 言うまでもないことですが
桶狭間以前にも織田と今川は争い続けてますから
内乱時に下手に手を出すと、かえって団結される恐れがあった・・ ないか。その時義元は兵を動かす余裕あったよな? 判断力がなかっただけか
尾張兵は敵を見るとすぐに逃げる。
>>652 三国同盟成立が1554年
何やってるんだ義元
>>655 652は小競り合いではなく、大軍をってことじゃね?
まあ大軍を動かすってのは、わりとリスクがある行為だが
義元をかばってみるか。大軍動員が遅かった理由・・ @武田がまだ信用ならなかった A大儀名分がすくなかった B実は義元の方にも、知られていないような、内部でのごたごたがあった ・・駄目だ、思いつかん
>>661 武田とは結構前から同盟結んでたはず
信用できないのはむしろ北条だろう
だからといって動員が送れた理由にはならんと思うが
一族内の内乱平定直後でボロボロ・かつ政情不安な織田軍を、大兵力で叩き潰そうというのは至極卓見だったと思うぞ 信長の運と実力が異常だっただけで
C実は信行は義元と通じていて、信行が勝利したら、 尾張に一応信行を立てつつ、傀儡とし、実質的な4国支配するつもりだった しかし信行が負けてしまったので、自軍の被害を嫌がり、しばらくほっといた が、信長があまりに挑戦的で、力を集めそうな気配があったため、桶狭間となった
>>664 後の信長なら考えられないような、手間暇かけた、考えに考え抜いて勝利した戦だしな
D義元は信長の力を過小評価していたために、 内乱が終わって弱りきってからで十分と考えていた。 あるいは、過剰なほどの警戒心から動かなかった
>>661 単に三河を掌握するのに手間どっただけじゃないかな
669 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 19:19:29
武田も有能で人望がある義信を生かしておけば あそこまで悲惨な滅び方はしなかった
信行とやりあってた頃は信長の兵700とかだもんな
信勝謀反の時には道三も死んでいたし、後ろ盾もないしな 信長の人生において、最小の兵数だったかも
今川は54年三国同盟 55年せっさい死亡 蟹江城攻略 56年〜58年 三河国衆や松平庶家の平定 59年義元の忌み年かなんかで義元の出兵は出来ず及び桶狭間への準備期間 別に何もしてないわけではない
総合すると、義元は三国同盟したものの、 北条に対し、ちょっとトラウマに近い警戒心を抱いていたのかもしれない。 西の尾張では内乱が起きていたが、大軍を動かすにはいまだ心もとなく、 しばらくある程度の兵数で戦うことにした。もしそれでも落とせる相手なら、それはそれで良いし。 しかし思ったよりおちず、それどころか内乱を収めてしまったため、危機感を感じ、 また北条も大丈夫そうだと感じ、ようやく万を持して動いたのが、桶狭間だった、という感じでどうですか
>>672 55年のセッサイ死亡は、実は義元の動きに影響けっこうあったかもな
>>672 59年には大高城兵糧入れとかしてるしね
甲陽軍鑑のやつだから信憑性は怪しいけど 「今川は雪斎一人でもっているようなもの。彼が没したら危ない」 って山本勘助が武田信玄に今川家の内情を問われて返答したそうだ
桶狭間でせっさいが生きていたら、とか言うやつか
セッサイって家康の教育係だったっけ
信長は 55年に清州を奪う 今川以外の下4郡を手に入れる 56年に道三死亡信勝信広謀反鎮圧 57年信勝暗殺 59年岩倉織田家を滅ぼす 尾張上4郡を手に入れる
今川の動きに比べると信長は速いな
>>672 >義元の忌み年かなんかで義元の出兵は出来ず
をいをい、それは突っ込むところか
683 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 19:41:36
甲陽軍鑑のやつだから信憑性は怪しいけど 「武田は信玄一人でもっているようなもの。彼が没したら危ない」 って太原雪斎が今川義元に武田家の内情を問われて返答したそうだ
>>679 義元の教育係でもあったと思う
まあ戦の指揮や外交もこなすような人物だが
>>683 本当か?ネタのようにも見えるが案外ありそうな話しだ
686 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 19:42:55
雪斎は樹形2の彼氏という説もある
甲陽軍鑑のやつだから信憑性は怪しいけど 「石田は左近一人でもっているようなもの。幼女趣味がばれたら危ない」 って本多正信が徳川家康に石田家の内情を問われて返答したそうだ
ツマンネ
>>681 それこそ、本当に長々内乱やってたら義元も、もっとちょっかい出せたろうな
島左近が幼女趣味なわけないだろ!
>>681 それこそ、本当に長々内乱やってたら義元も、もっとちょっかい出せたろうな
>>687 確かにのんびりやっていたらいつ滅ぼされるか分からんからな
しかし信勝の反乱や岩倉織田家と自分と大して変わらん勢力を相手によくやるな
それに対し今川は動きが遅いが武田の信濃進行はどうなんだ?
岩倉織田家と信長は国力的には武田と村上ぐらいなのに・・・
とやや煽り気味に武田を絡めてみる
2重すまんかった
信長の戦は、基本的にホント早いよな。まるで倍速。 上洛以後もほんと早い そんな信長だからこそ、美濃攻めにかけた時間が目立つな
>>695 長いといっても五年だぞ?
信玄はその二倍かけても信濃完全制圧できなかった
やっぱり異常
697 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/14 19:57:11
俺の学説によれば武田最大の失策 信玄姉が氏真を産んだことだよ
信玄君も中信・南信だけなら早かったよ 越後から変なのが出てきただけの話
村上が戦国随一の変態にして猛者・上杉に泣きつくのが1553年 信玄が諏訪に手をだして制圧事業に手をつけるのが1541年
信玄の信濃侵攻から謙信介入まで10年ちょい 信濃10郡で各郡4万石と考えるなら 村上が20万石 小笠原8万石程度木曽や諏訪は4万石他はそれ以下 弱小相手にずいぶん時間かけてるな
ちょっと待ってよ。甲斐一国時代の武田は諏訪に攻め込まれるほどの 弱小だったことを忘れちゃいかんでしょ
村上とやりあったときは甲斐22万石プラス諏訪佐久で30万石程度と考えるなら村上も格下だな
砥石崩れまでの武田軍は、たいして負け戦もなかったよな。 つまり順調に進んでいたわけだ。 …やっぱり遅いなあ。
それだけ時間かけて取った信濃を勝頼は(ry
1542年 諏訪侵攻。 1548年2月 上田原の戦い。 1553年 第一次川中島の戦い …微妙。10年かけて南・中信をとって、北信に手を出したら上杉がでてきたっと。 謙信に邪魔されるまでを見ても、やはり早いとは言えない。もっともこれはそれまでの 戦国大名の拡大スペースをみればそれほど遅いというほどではなく、やはり比較対照が おかしいということか。
地勢的なものもあったのかも。 基本的に山岳地形は攻めるに難く守るに易いから。
美濃に関しては歯が立たなかった義龍が死んだしな
義龍死亡後は実質的に氏真相手と変わらんでしょ
信玄の代で甲斐の石高が3倍近くあがったともいうし、 尾張と違い元々は貧しい国だから外征にも限界があったんじゃない?
>>709 そのぶん相手を分断させて各個撃破しやすいと思う
義龍生きていた時はそもそも、攻める兵力の余裕自体あんまなかったしな
桶狭間1560年 義龍病死1561年 確かに美濃どころじゃないな・・
信長は調略を根気よくやってたからな いずれ美濃は落ちただろう 対して信玄は強攻して村上にえらい逆襲喰らって停滞を余儀なくされている 真田幸隆が謀略を用いなかったらどうなっていたか…
今川と斎藤が連携すれば信長もやばかったんだが… なぜかそんな動きは全く無し
というか、信長と義龍って合戦していたっけ? 道三の死後、信長は尾張国内の統一で大忙し。 義龍はまだ尾張にちょっかいかけるくらいの余裕はあったが、それも唆すくらいで、 直接侵入したことはない。 さらに気付いた。義龍時代の斉藤家って、こちらから出て行く対外(侵略)戦争あったか?
今川だけで兵力的には十分余裕があったけどね
>>709 >>715 城攻めに関しては戸石城以外はあっさり落ちてるから平野部の城との違いはあまりないのでは?
ただ城の数はまるで違う気がする
>>720 義龍側から攻めたことはないな
道三かが死んだ年に、信長が攻めて行ったことはある
クーデーター起こしたばかりの義竜にそれを求めるのは辛くないか
クーデター起こしたばかりの義龍 内乱鎮圧に忙しい信長 セッサイが死んで不安定な義元 三国同盟後も謙信の相手をしなくちゃならない信玄 三国同盟を結んでほくほくの北条
雪斎の話は後世の評価じゃ… 死んだからって今川家中が混乱したわけでもないし
>>726 一応入れてみただけ
その頃の義元の話は上で散々したし
>>720 義龍が決起して美濃を支配したとき、美濃中の武士が義龍に味方して余所者道三と
戦った(例の逸話)というイメージがあるが、実際には道三は道三で自分の支持者を
美濃より作り出して支配したのだから、道三派性格には反土岐派とも言うべき勢力が
あった。
義龍は反道三派(旧土岐派?)を結集して道三を討ったが、それにより当然それまでの
主流派(旧道三派)だったものたちは隅においやられることになり、必然、反義龍派と
なる。代表なのが最後まで逆らって城を落とされた明智氏や居城に篭った稲葉一鉄。
さらに桶狭間以前から信長に従った美濃出身の武士(金森氏、森氏など)の存在は、義龍
の権力基盤の弱さというか小ささを示している。
信長のように表立って挙兵して反抗しないだけで、義龍もまた美濃の反対勢力を相手
にしていたのだ。
>>726 義元が死んでもそこまで混乱したわけでも無さそうだ罠
義元が死んだ時、家康なんかは敵討ちする気まんまんだった(ポーズともいわれているが) でも氏真君は何もしませんでしたから
義龍がクーデターを起こしたのは、己の病を知っていたからあせったゆえ、なんて話もあるが、 信憑性はどうなん?
>>730 敵討ちするなんて言っていた奴が、その敵相手とあっさり和解&同盟するわけない
>>750 家康個人に限れば義元へは恩義がありまくり。
…だが、やはりポーズだろうな。
塩野七生氏だったか誰だったか忘れたが書いていたのだが、この時代の「敵討ち」には
親の敵討ちはあっても主君の敵討ちはないそうだ。
主君が敵討ちの対象になるのは朱子学が説かれた江戸時代以降。それ以前は、「親の仇を
取ろうとしないなんて不幸者め」とは言われても「主君の敵討ちも出来ないとは不甲斐ない」
なんて言われなかったと。
たしかに、曽我兄弟やその他をみても、親の敵討ちはあっても主君の敵討ちはないんだよな。
山崎の合戦も、表向きは息子信孝による弔い合戦、秀吉は参戦者という立場だった。
でも氏真君は、家康が三河一向一揆と戦っている間すら動きが鈍かった 仇と同盟結んだ裏切り者が内乱してるのにろくに動かないとは…
家康はかなり義元に優遇されてるよな 娘をもらうわ、戦でも兵を任されるわ、セッサイを教育係りにしてもらうわ
>>735 そのうえ武田には強気な態度だしな
・・どう贔屓目に見ても、暗愚かも
>>730 氏真を試したんだと思うがな、松平を任せるに足る人物かどうか。
平時駄目でも、急場に力を発揮する人間もいるし。
まあ、結果は言わずもがなだけど。
>>732 義龍ってライ病だったっけ?
ライ病について詳しくないので、潜伏期間とか進行速度とか致死率とかわからないので
なんともいえない。
クーデターから死亡まで約五年。もしその説が正しければ病の自覚症状が出てから五年
闘病生活が続いたということだが…。
氏真クンは教養もあり、楽市楽座を信長の一年先に施行するなど決して無能ではない イメージに合わないが新当流剣術の使い手でもある でも戦が怖かったんだろうなあ 塩止めはしても兵は出した事無いし
平時も有事もだめ・・か その点、龍興はまだ同情のしどころはあるんじゃないか? クーデター後の斉藤家だし、 織田だけじゃなく浅井からもちょっかい出されたりしたし
あれ氏真って長篠の戦いに参加していなかったっけ
>>741 いや、むしろ平時にこそ、じゃあないか?
氏真は確か家康が独立した時武田信虎を派遣したと思ったが
氏真は内政面ではそれなりに有能 だが、乱世に向かない人物であったのは確か そのせいか肥の能力値でも内政だけは1桁じゃなしなw
氏真もかなり複雑な人生だ
>>746 仮に家康に、義元・氏真に対する忠義心なんてものがあったとしたら、
氏真の片腕として働き、今川家は生き残っただろうか
朝廷の資料(『おゆどののうえのにっき』だったかなー忘れた)に、今川と松平の 戦争で東海道が塞がれてしまったので、両者に調停の使者が派遣されたという記述 があった。 やるこたやってんだよな。ただ、結果が出せなかった。
>>749 その場合、家康が信長に対する防波堤としてどこまで務められたかによって変わってくるな
本来、中心を失った今川を継いだばかりの氏真に、多くを期待するのも酷な話なんだけどな 継いだばかりで、さあ結果出せなんてさ。 とはいえそれを出来る奴が、乱世で伸びていける奴なんだろう
>>749 順序が逆。
氏真が、松平の上に立つ戦国大名今川家を背負っていく意志と覚悟と気概を見せていれば、
家康は今川に尽くしただろう。
その意味で、家康の敵討ちへの打診は、試金石だったんだな。
>>753 確かに、氏真が「よしやろう」と息巻いてたらついていく気にもなったかもしれんね
とはいえ、見限り早い
>>744 信虎・・・そんなところで戦ってたとは、
ってことは信虎は家康に負けてしまったわけか?
しかし、信虎って信玄に、
氏真あいてなら駿河は簡単に落せる。
なんなら自分が呼応して反乱を起こし手助けする。
みたいな内容の書状を送ったりしたこともあったんだよね?
大名が戦場で討ち死にという事態はほとんど無いからそれが大名家にどれほどの影響を与えるのか分からんから 氏真が無能かは分からん、ただ竜造寺や織田のことを考えると仕方が無いのでは
確かに大名が討ち死にってのはほとんどないな やっぱり桶狭間の戦国に与えた影響はでかすぎる
>氏真あいてなら駿河は簡単に落せる。 氏真、悲しくなるほどなめられてるね・・
しかし自分を追放した息子にそんな手紙を送るとはな もしかして今川にもぐりこませ、今川の動向を探るための、偽装追放? と妄想してみる
親が偉大だったからな〜
やられたらやり返す姿勢をみせいないと 戦国武士は平気で離れていくよ 忠義なんかより、自分の命と所領と郎党の命運第一
親爺が死んでから御家滅亡まで7年。この期間は自力で差配したのだから、 彼に大名としての器量がなかったことは証明されてしまっている。(内政 能力とはまた別) 似たような存在に勝頼がいるんだよな。軍事は抜群だが政治が駄目。 そこでこの二人が組んでいたらと強引に武田を絡めつつ無茶苦茶な仮想戦記を 組んでみる。 …そもそもどうやって組ますかも思いつかん。
>>762 だから戦争に借り出す織田家に対し多くの国の国衆が一揆で対抗しようとしたわけか?
親が優秀・偉大で、その息子はもっと成功、なんてケースどんぐらいある? 信長と信玄はわりとそれだと思うんだが(信玄の親父は、色々問題はあったが)
義元はそうなり損ねたわけか
>>765 とういか、有名な戦国大名はたいてい父親の代に基礎が築かれ、息子がその遺産を
活用することで勢力を拡大していった。信玄しかし、謙信しかり。
たまにスタートに戻るで一からやり直すハメになったり(信長、家康、竜造寺隆信、
宇喜多直家)、一代で成し遂げる(毛利元就、北条早雲、尼子経久)ケースもあるが。
信長は先代の基盤を活用したパターンでは?
武田信虎 甲斐から追われたのに甲斐を取り戻して甲斐を統一滅茶苦茶優秀でしょう、一門や甲斐の諸勢力を武力で持って制する 大名としての権限を確立、それこそ信長のような専制体制に。ただせっかく支配体制を固めたのに息子がそれを すべて台無しに甲斐はただの国人連合の集まりに。あと10年国主の地位にあったら武田家がどの様になっていたか気になる。 織田信秀 織田家の奉行の一人でありながら今川から那古屋を分捕って松平清康死後は東尾張と西三河の一部も支配 さらには美濃の大垣城を奪う、ただ国内勢力との敵対は避けたのが仇に
先代の基盤は信長の場合、後継者争いを勝ち抜いて崩れかけたそれを自力でまた元に戻した そしてそれ以上に飛躍させたからな どちらかといえば、中間ぐらいか
>>768 だな、信秀が家督を継いだとき津島一帯の領主でしかないからな
信秀も二十歳前で家督継いだんだよな
>>769 甲斐を統一した実績は文句なしで素晴らしいが、国主になってからは・・・
専制であればいいってもんでもない
信虎は言われているほど酷い男だったのか? だったら甲斐統一前に放り出されるか殺されそうなものだが 信玄と家臣団が自己正当化のため悪口を意図的に流布したんじゃ?
>>774 あの悪評は中国の殷の最後の王様みたいな書かれかただよな
>>767 竜造寺隆信も、父の死後にひいじいさんが頑張って勢力盛り返して隆信に後を託した
のだから、先代の基盤を活用したグループに入れてよいのでは
>>774 >>775 「妊婦の腹を割いて云々」なんて記述があった段階で、捏造プロパガンダと決め付けて
いいと思う。
戦は強かったけど、それ以外がイマイチってことだろ?
時代を先取りし過ぎたんだろ 信玄も信虎から権力基盤をしっかりと継いでいたらなあ 現実は大名としての権力基盤をぶち壊す形で武田家の当主となったからなぁ
継いだらなぁって思わせるほどの基盤ならば、あんなクーデター起こせない気が駿河
信虎は2千の軍で1万8千の今川軍を破り大将の福島正成を討ち取ってるぐらい剛勇だったからな 軍事センスは文句なかったんだろうが…
竜造寺隆信並の統率だったのでは? 軍事も政治も
>>769 信虎時代の資料なんてたいしてないはずなのにあたかも事実であるかのように語らないで欲しいね。
信虎はせっかく小山田を下したのに、婚姻を結んで領土安堵するなど、かなり甘い処置をとっている 一門衆に加えたみたいな外見になったけど実質は武田末期のとおり 信長型、ではないと思うな
信虎と信秀って同じだと思う。 一族や他家とはなるべく争わず連合しながら、自家の力を蓄えていく。 そして将来的には相対的に他家の影響を小さくしていく。 息子の代で分かれちまったな。
信虎がどう蓄えたんだかw
788 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 00:12:00
信玄の信濃制圧が後に響くほど停滞したのは、名将村上義清がいたからだよ 信玄に二度も完勝した武将は他にいないんじゃない? そりゃ謀略にはすっげー弱かったけど
>>788 謀略でようやく排除したら、さらに輪をかけた謙信が出張ってきて。
上野に侵入したら長野業正がいて。
>>789 美濃を取ろうとしたら信長が出てきて。
駿河を落したら北条が出てきて。
791 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 00:31:42
信玄は意外と言うか、結構戦で負けてるよ。 ただ負けてもあの手この手で勝つまで頑張るねちっこさがある。 でもそのねちっこさが災いして頑張った割には勢力を広げられなかったのかも(w
792 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 01:41:06
軍神上杉謙信最強伝説
頑張れば頑張るほど、 関東や信濃の親上杉勢力が後退・離反していくけどな
>>788 その謀略もたしか真田の二代がかりの綿密なものでしょ?
案外信玄・謙信よりはるかにすぐれてるかも
村上長野真田連合
795 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 07:17:00
>>774 何が悪いかってえと、甲斐統一後の行動が悪い。
関東での争いに参入したりしてばかりで、政権末期の佐久攻め以外、
外征において領土の増加という明確な結果を残せていない。
つまり家臣はタダ働きばかり多くて不満が募ったということだな。
信虎は結局、守護大名の感覚で戦国大名の争いに参加してしまっていた。
>>779 777ではないが、徳川信康をはじめ「凶暴・残忍」の類の話の定番だから、かな。
>>782 今川の記録に福島正成など存在しないし
福島氏の一員だとしても1万8000など任される立場にない。
相手の数を誇張し過ぎってとこだよ。
>>788 そりゃ上野原と戸石崩れの時に勝っているが、それでも10年もってないんだが。
>>794 二代?無茶言うなw
内応工作・寝返り工作というのは寝返ったら安泰だという
国力差を背景にせにゃならんのであって
真田が弱小についたら強いかは別だし。
そもそも村上が真田を追い出して小県へ進出しているのに。
信玄にあと10年寿命があったら現在の日本人の半分くらいは 別人として生を受けてるんだろうな。
信玄があと10年生きていたら戦国時代がもう50年続いたかも(w
798 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 10:55:46
その末に天下統一するのはどこなんだ?
>>795 福島正成の息子が北条に亡命して、北条綱成となったと聞いたが、デマ?
では綱成の出身ってどうなの?
>>798 統一勢力が現れず、ドイツのような状態で近代を迎えるに一票。
>>791 負けてないが?
村上相手の二回以外は。
802 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 11:40:19
ということは〜 村上さまが1番最強だに!
実際砥石崩れの場合はともかく、 上田原は兵力的に劣勢で勝利をあげたんだから、相当に評価していいだろう。
>>796 俺は北陸だからほぼ間違いなく存在しないなorz
>>801 たしかに信玄の戦歴をみると村上以外に負けはないのだが、別の見方をすると
攻城戦ばかりやっていて、野戦が少ない。領土を得るという点ではとのかく、
大勢力と決着をつける、という点では非常に心もとない。
しかも、同じ城をなんども落している例がいくつか見られるところから、一進一退
の攻防が続いた時期も長かったりするのだろう。
賭けの要素の高い野戦決戦は出来る限り避けてじわじわと進んでいくというのは
間違いではないが、侵攻速度の遅さはどうしようもないよな。
攻城ばかりになるって、あたりまえだろ? 信長も謙信もその他全て、攻城戦の方がはるかに多い。
807 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 11:51:47
信玄が天下取ろうが 家康が天下取ろうが 日本人の9割にとってはあまり変わらない気が(^^;
とりあえず、 信長の人生が変わっていれば、 彼のジェノサイドの犠牲になった長嶋〜越前の人々の運命は変わっていたな。
そして日本の運命も変わっていたろうな。 今ごろは、一向宗原理主義過激派とかが世を騒がしていたかも。
>>797 信玄があと10年生きたら、信長の統一自体はやや遅れても、かえって本能寺みたいなことは起きずに、
織田の天下かもな
812 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 13:08:33
>>805 城攻めで落としきれずにショボショボ引き上げた例はいくらでもありますよ。
それ含めたら、実はけっこうな負け数になるんだよな
それで考えるとどこの大名も負けばかりだが・・・・
>>809 井沢元彦さん乙です。
一向宗の盛んな地域においてどの大名もその鎮圧平定に
手を焼いたように、誰が天下を取っても結局は何らかの手段で
うまく収めるしかないと思いますよ。
「信仰自体は認める」織田家と違って
「信仰自体も認めず、他宗派に改宗させた」大名も
結構おりますからな。
「信仰自体も認めず、他宗派に改宗させた」大名 マジ?
そういえば徳川家康は三河一向一揆を平定した後、 領内の門徒を浄土宗とかに改宗させてたな・・・
なんと それで母方が浄土宗なのね
義元が信玄姉と初めてフィニッシュした時点で30年後の今川滅亡は決した
どっちも血筋は良さそうなのだがね
両方源氏だからな
>>799 そう。
だから北条綱成の弟は福島(くしま)姓を名乗っている。
>>816 家康がそうしたのは知っているが、で、その他の例は?
>>824 高山右近などの切支丹大名は、武将領民にも改宗させてるケースが多いよ
信仰が昂じたのか、統制手段だったかは微妙だけど
>>825 それは、信長によって本願寺が(軍事的には)無力化された後の話ではないですか?
本願寺と一向宗が大名にも恐れられる軍事力を有していた時期に、家康のように
弾圧改宗を迫って成功させた例は?
1583年に家康は一向宗禁制を破棄してるけどな
信玄は自分を不動明王の化身、とアピールしはじめたね晩年辺りに 謙信といい、そういう言い回しは戦国大名は好きなんだろうか
「神は我と共にあり!」ってことじゃない。 ただ、日本では神は一つではなかったというだけで。 そういえば十字架を旗頭にした武将もいたな。
そういえば、信玄の宗教対策って何かやってたのか?
>>830 別に宗教勢力と戦ったことは無かったと思う
既存のそれを認めていたんじゃないか?
本願寺とも協力体制だったわけだし
>>830 甲斐国内では知らないが、信濃では諏訪社を保護したり、善光寺を甲斐に移して
その宗教的権威を経済利権を我が物にしたり、硬軟混ぜて色々とやってます。
ただ、信長や家康のように特定の教団と全面対決などはしていない。
833 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/15 21:33:00
信玄は甲斐一国すら実質は領していなかったんじゃないだろうか 小山田氏に代表される実質同盟者程度の連中がひしめていてい ただでさえ甲斐自体決して豊とはいえないのに… 信長家康のように内戦してでも完全支配を成し遂げておけばその後の行動の足場も整ったかも
>>833 その通りなんだけれど、
大名権力の絶対化が出来ていたのは織田・徳川・北条くらい。
妥協せず一族全てを敵に回すくらいの覚悟で地盤を堅めに入ったり(その結果大規模な内戦になる)
余所から入ってきて既存勢力を乗っ取らず、むしろ対決するなど稀なケースだからな。
武田を初め島津・毛利・長曾我部・上杉・伊達などは一揆構造を引きずっている。
燃えたのは 新宿ドンキ 凡愚めが!
>>834 いくつか該当しない大名が居るな、馬鹿丸出しw
うは、誤爆 すまん
>>836 該当しない大名とその根拠理由をあげて言ってくれ。
さあリピート。
>>838 836ではないが
長曾我部は違うかもだが、他はそうじゃない?
しかし彼曰く >いくつか該当しない、か836の意見が楽しみだ。
御旗楯無に誓えば、武田家中は誰も逆らえないんだから 「ご照覧あれ。みんな俺の支配下ね」って信玄がぶち上げれば…
長宗我部こと典型的な例じゃないの? 一領具足とか。
国人クラスならともかく、地侍はなあ…。 政治的影響力なんてこの際無視してもいい気がするが…。 しかし、土佐統一〜の詳細な貫高がわからないから 長曾我部はあまり大きいことはいえないな。
この場合は、大名の指揮権が豪族国人にどの程度通じるか、じゃないかな?
小山田氏は北条家からも「他国衆」扱いを受けていたとか
>>830 そうだなー対立という点なら
飛騨の千乗院というデカイ寺が敵対したからと
焼き討ちしたかな。
>>834 そこで織田徳川北条を挙げるのすら適当ではないと思うが。
戦国なんてそんなもんだ。
>>841 一領具足と言えば長宗我部として有名だけど
身代の小さい武士のありがちなパターンそのものです。
伊達はこのスレ的には輝宗と考えていいんだよな 尼子や六角は失敗したな、武田信虎も失敗したくちか?
息子に邪魔された口だな。伊達もか。
伊達は何処から何処までが伊達なのかよくわからん 伊達稙宗か見れば相馬や最上あたりも武田の穴山小山田、織田にとっての徳川みたいな感じだ
849 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/16 12:53:50
義信が生きていれば下総30万石の外様大名として幕末まで続いたのに
850 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/16 13:12:15
関係ないけど、信長や信玄って自分達の征服欲のために たくさんの領民兵が死んでることに罪悪感はなかったん?
現代の価値観を数百年前の人に当てはめても意味が無い。
神田千里氏曰く 「虐殺された民衆は侵略者を憎むのではない、 虐殺から守るちからのなかった領主を恨むのだ」 だったか。
853 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/16 14:19:55
攻城戦が多くなるのは 相手が野戦を嫌がってるからで 逆に信玄の野戦は上手いってことの証明 って言うのは思い違いかな? 何も相手の得意分野をわざわざ選んで 戦う相手もいないだろうし
854 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/16 14:25:41
>>853 信玄は相手よりも多すぎる兵力で攻めるから相手は篭城してしまうのだよ
島津みたいに相手よりも格段に寡兵で攻めれば相手は軽視して
野戦に出てくるんだよ
島津みたいにそこで快勝すれば「強い」という評価も上がるし
戦費もそれほどかからずに1石2鳥
>>853 で、得意な野戦でしかも相手より多い数そろえた上田原や川中島の結果は?
卜全戦死。
レアケースを挙げれば勝った気になれる人は幸せさ
858 :
鬼小島 :05/01/16 17:51:24
>>850 てか、何で信長と信玄?
自分が動かなけりゃ、自分の国の領民がやられるわけだが
そりゃ、現代の戦争なら先に軍を動かしたほうが悪だが
>>850 そんなちんけな罪悪感よりも皆生き残るのに必死なわけだが?
現代社会でも生活の為に誰からか搾取をしなければならないわけだが?
進学や出世する為には誰かを打ち負かし蹴落とさなくてはならないわけだが?
罪悪感以前にそうしない生きていけないわけだろが。
おめでてー小僧だな。
つうか信玄も信長も長年戦っているわりに犠牲者は多くない感じだな。 特に勝頼の長篠に比べたらな・・・w
すまんが、854はやっぱスルーか? 頭悪そうだし
>>861 少なくとも
>相手よりも多すぎる兵力で攻めるから相手は篭城してしまう
は正しいと思う、相手も勝算があると考えるか野戦をしなければならない状況でも無い限り
劣勢な側は野戦に応じないと思う
最近の説による姉川合戦みたいに主将自らが護衛を手薄にして敵をおびき寄せるとか 信玄のようにわざと後背をみせるとか そうでもしなければ、普通は数で勝る敵に決戦は挑まんよな やったらむしろ馬鹿だ
>>863 そういう馬鹿もそれなりにいますよ戦国には。
上田原の村上義清とか
川中島その他の上杉謙信とか
桶狭間、天正四年の本願寺攻撃の信長とか
厳島の毛利元就とか耳川・沖田畷の島津とか…
>>864 いや上田原の村上義清天正四年の本願寺攻撃の信長以外は野戦をしないと政治的にまずかったり
ジリ貧になるような例で馬鹿ではないだろ
ところで、現時点での話題って何?
867 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/16 23:01:06
>>867 姉川合戦の新説。
それによると、横山城を包囲した織田軍と救援に出撃した朝倉・浅井による後詰決戦
だったそうな。
わざとかどうかは知らないが、信長は本陣を包囲軍からは離れた小谷城よりの地点に
置いて敵が城から出てくるのを誘ったのだとか。
>>868 横山城救援に出てきた後詰決戦だったなんて
新説でも何でも無いと思うのだけど・・・・
信長が「誘った」かどうかはようワカランけど。
>>869 まあ信長公記なら浅井朝倉軍が一旦大依山上に布陣した後
いなくなったのを見て信長は「引き上げたな」と思ったが
翌朝姉川の向かいに布陣していてビックリって話だから
信長が主体的に誘ったと見るなら新説には違いないのでは。
871 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/17 18:00:30
三方ヶ原の戦いに関しても、 両者の兵が野次合戦していたら次第にエスカレートして投石合戦が始まって、 そのまま拡大して主力の激突に及んだ、なんて文書もあるしねえ。
じゃあ武田軍3万5千なら上洛できたか?
むり
じゃあ武田軍4万5千なら上洛できたか?
四万が五万だろうと、長期間長距離を遠征できる軍隊と それを支える兵站(国力)がなけりゃ、無理。
百万石強の石高で四万五千の兵站を支えるのは、長期ではまず無理だな。 というか領民の4.5%〜9%を一挙に動員、しかも遠征に、するって相当異常な社会だと思う。 人口の半分は女性、子供や老人などをかりに15%位だとすると、 労働人口の約1/7〜1/4を半年以上拘束し続けたら、 織田云々の前に、武田領国が破綻するよ。
四万五千で犠牲を覚悟で徳川を潰す。 死者3000負傷者10000。 徳川併合のちに死者・負傷者を帰還。 これにより石高200万前後・東海道からの補給が楽に 同盟国の北条より船団により兵糧輸送 無傷な3万余を率い尾張進行・・・・・・旧徳川領に5千の後詰 これならイケル!。。。。。。ゴメン ムリダナ
むしろ2万程度でいいから、信玄直下の軍団がいれば… 武田軍は寄り合いで、+北条軍や裏切ったばかりの三河土豪まで加わっていた 速やかに武田家当主に自然従属する兵力があれば…
.__ |風| |林| |火| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |山| | ヤタ!武田騎馬軍団が信濃げっとだ!! _∧ .∧(oノヘ| ̄ < (_・ |/(゚Д゚ )|\ | お前等お館様にひれ伏せ!クソ共が! <━━||\Ю ⊂)_|√ヽ \___________ (  ̄ ~∪ )^)ノ ;;;;⌒);;⌒) //\// \ ≡≡ ;;;;⌒);;⌒) '~ ~'~ '~ (´⌒(´⌒;;  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;; 武田騎馬軍団は神なり!武田騎馬軍団は神なり! 武田騎馬軍団は神なり!武田騎馬軍団は神なり! Takeda horseriding army corps IS GOD! Takeda horseriding army corps IS GOD! Takeda horseriding army corps IS GOD! Takeda horseriding army corps IS GOD! >>義清へ 城取られるなよ、氏ね(ププ >>政頼へ 泣きつくなよ(ププ >>謙信へ 一向衆が騒いでるぞ(ププ >>氏真へ 鞠でも蹴ってろ(ププ >>氏康へ 本拠地まで攻め寄せられてんじゃねーよ(ププ >>氏政へ 麦飯でも食ってろ(ププ >>業正へ 早く氏んでね(はぁと >>家康へ クサイぞ糞もらすな(ププ >>信長へ 家臣に頃されんなよ(ププ
>>信玄へ 自分が死んだ後のことをもう少し考えておけよ
信玄も可哀想に。 >880 みたいなヤツのせいで貶められて…
信長が上洛するとき率いていたのはどれくらいだっけ? 確か2,3万の兵を率いて出発して、途中で諸豪族が加わって数が増えたと記憶しているけど。 信玄が2.5万で進軍してきて尾張まで荒らし始めたら武田に寝返る諸豪族いっぱいで武田軍配増!! やっぱ無理だな。
884 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/19 01:22:15
>>883 織田の本格的な後詰が敗れれば、有り得た
それだけに信長も慎重だったろう
そうでなくとも脱糞公が出撃してなければ、三・遠にて近い現象が起きていたかも
糞も漏らしてみるもんだな
糞もらして家臣つなぎ止められるなら安いものよw
脱糞公て笑
脱糞幕府だな
>>883 信長と対戦したときの六角氏は、観音寺騒動によって大名と家来の契約関係が崩れて
いたから単純比較はできない。武田が侵入した時に今川もそうだが、歴代の重臣も含
めて一斉に離反したからな。旧六角の重臣たちは、信長に乗り換えた後は元亀年間に
も裏切っていない。
ただ、>884 の言うように家康がなんらかの軍事行動を起さなかった場合(部下の所領
を守る姿勢を見せない場合)は、そういった現象が起きていただろう(どれくらいの規模
になるかは判らないが)。
889 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/19 08:40:26
>>884 考えてみれば、家康が出陣→大失敗のコンボがなければ、信長側には何も問題なかったんだよなあ
890 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/19 11:21:35
891 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/19 12:17:04
>>888 今川は信玄の根回しあればこそ。
六角は箕作城を強攻し落城させたからこそ。
>>889 岡崎から石川数正、吉田から酒井忠次が兵を率いて
浜松までかけつけていたから、家康が出陣しないで
信玄の三河侵入を許すと手薄な三河をどないすねんって
問題になるが・・・・
結局三河に向かうのを何もしないで見てるという選択肢は無い。
大名家、宗家に直率ガ少ないのは信玄に限ったことじゃないでしょう と思うと信長みたいに自分の配下に広大な所領を持った家臣がいないって ことは理想的だったのかもね 所領与え始めて本能寺、しかも一番先に所領を与えた明智に謀反・弑逆 されたのは何の因果かな
家康みたいに、譜代で苦闘をともにした家臣にすら二十万石程度も与えない、みたいなのが家臣統制には一番なのかも でも、こんな扱いされたら三河武士以外じゃ絶対謀反起すような…
しかし考えてみれば、 秀吉にしたって直臣に対してはそこまで大盤振る舞いはしてないよ。 また、家康は自分や秀吉の経験から 政治に関わるには力(=国力)はない方が良いと思っていたのではなかろうか。
みなもと太郎氏の『風雲児たち』で書いていたのだが、それによると江戸幕府は 富と権力の分断、をしていたのだという。 つまり、5万石や10万石の小大名には幕府の役職(権力)と、高い身分(官職地位)。 20万30万の大大名は外様は長崎警備などの費用のかかる役割を与え、かつ身分は低め に抑える。 本当なら、見事だと思いますね。
秀吉は金を配りまくったらしいね 不動産ではなく動産で歓心を買おうとしたのかも
897 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/19 16:09:53
そもそも秀吉はその前に土地を大盤振る舞いして 与える土地が無くなったからだよ。
大盤振る舞いしなければ人がついてこない、というのもあると思うが。 旧織田諸将からすればもとは同僚という意識は常にあっただろうし。毛利や上杉、 徳川は軍事的に屈服したわけではないから領土を押さえこむこともできない。
信玄(武田家)の直轄の石高ってどれぐらい?
全領地の1/4から1/3ぐらいが妥当じゃねーかな。
武田家って、穴山、小山田を抜いた分ってこと? それとも家臣への支給分も除いた純粋な収入ってこと?
>>901 家臣の分を抜いた、当主の実力を測る目安としての石高ってことです
普通に蔵入地で通じるだろう 武田みたいな守護あがりは、蔵入地率が非常に低いと思われる
豪族の連合政権だからねえ。 甲斐国内には、平安以来の同族豪族がひしめいているし。 信虎が国人一揆によって追放されたこと。その時中心に動いた家が信玄・勝頼の時代に なっても没落せずに残っていることを見ると、武田本家の蔵入地は相当低いのではなかろうか。
ただでさえ武田家は信玄一代での膨張だし 軍役を課した家臣に所領を宛がわないといけなかっただろうから 直轄領となるとかなり苦しかったかもね 勝頼の代になると、重税をかけなければやっていけないほどになっちゃうし
>>905 そのための恩賞替りに碁石金、と聞いた事がある。
投資に使われたものではないらしいね、金は。
なんか武田信玄が信長を打倒するより、 今川義元が桶狭間で勝つ方が確実な気がするな、というかそっちのが間違いなく楽だな。
>>907 信長の生涯で最も危うかった瞬間ですからね。
あれこそ本当の「歴史が変わった瞬間」です。これに比べれば信玄の生死なんて
たいした意味はない。
,一-、 / ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ■■-っ < んなーこたーない ´∀`/ \__________ __/|Y/\. Ё|__ | / | | У.. |
桶狭間で義元が討たれなければ、武田滅亡はなかったかも
信玄があと10年長く生きるよりも斎藤義龍があと10年長く生きていれば武田が天下をとったのではなかろうか
>>903 信虎時代に甲斐の有力氏族を多く滅ぼしたし
信玄時代には小笠原氏や村上氏を追い出した後を
直轄地化しているのだが・・・・
信虎は別に軍事クーデターで負けたわけじゃないからな・・・・
確かに、いつの時代も軍事的政権においては 軍事力と発言力は比例するものだけど、 信虎の政策に不満があって国外に出た隙にクーデターってのは 信虎の権力、発言力が強い逆説的な証拠でもあるな。 つまり武田家の権力に軍事的裏付けがしっかりある証拠だ。 信虎にそういった裏付けが無かったなら、家臣は政策に不満があれば そもそも従わないという行動に出たはずで、信虎にも強制力は無いという 事になるはず。 信虎も若い頃に栗原だの上条だの大井だのと戦ったおかげで、 次第に国内での勢力を固めていったと見る事ができるかな。 まあ六角家も大変だなw
甲斐4郡のうち都留郡一つがほぼすべて小山田領 八代郡の過半が穴山領 武田家の中の人も大変だな
郡内にゃ小林だの加藤だの小山田氏と長年争った有力なのがいるのに・・・ 歴史から抹殺されるのか!?
>>915 郡内や八代に干渉できないという意味で、武田家からすれば別の国。
武田と小山田・穴山というのは現代のNATOのアメリカと欧州みたいなもので、
軍事指揮権として上位に位置しているが、国内統治には干渉できないのですよ。
郡内の住民も棟別銭は武田家に納めてますから・・・・ 柴辻俊六氏の研究など有名だが、 小山田氏は半独立みたいな解釈も 今となっては難しい気がする。
天下をとるつもりがないのに天下をとれるわけがない
最初そういうつもりが全くなくても いつの間にか天下に近い立場になる者もおる。 秀吉も家康もそうだろ。 信長ですら斎藤すら倒さんうちからそんな妄想してたら嫌だ・・・
考えていた可能性が全くないとはいえないけどね信長のことだから。 ただ、公言したのは美濃制覇以後ってことで。 昔の小説だと信玄は若い頃から天下への野望を抱いて、そのために信濃を侵略した との設定だが。 現実でいえば、信玄の天下への野望はあったとしても信長の影響だろうね。
921 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 00:01:28
ていうか、どの道信長も天下とれなかったし
それこそ信玄だって若い頃から何か理想に燃えてたかもしれんけどw、 どちらにしろ甲斐一国じゃどうしょうもないし 信濃取っても今川にも及ばんし 公言できるのはやっぱ晩年しかないよ。
京を天下と見る風潮があり 三好長慶も松永久秀も天下人と呼ばれた事がある。 信長も充分天下人だな。
924 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 00:28:39
よかったなw
925 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 11:16:10
>>921 信長はあのめちゃめちゃタイミングの良い謀反にあわなければ、とれてたろ
信玄は、あと10年生きようが何年生きようが、取ってない、という違い
ん?早雲ぐらい生きたら普通に取れただろw
927 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 12:34:20
信玄が何年生きようが、武田家は変わらん
928 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 12:40:10
だが…それがいい……
930 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 18:20:01
300年ぐらい生きてれば取れただろう
931 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 18:28:22
晴信−勝頼より信虎−義信の方が天下近かったかも
>931 その場合、俗説を取ると 信虎−信繁−信豊でやっぱり信豊で滅亡の予感
933 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 18:54:45
実は海野信親が武田家最強の当主説。
>>933 生まれつき盲目で僧侶になったんじゃなかったっけ?
信虎にはじつは早死にした長男がいて、だから信玄は嫡長男ではなかった という話を聞いたんですが真偽のほどは? そういえば徳川家光にもそんな話があったな。秀忠には赤ん坊の頃に死んだ長男が いて、だから二男になる家光には長子相続を主張することが出来ず、弟との家督争い が勃発したと。 どこまで本当なのやら
936 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/21 23:08:50
>>928 >どの道信長も
と書いてある。どの道というからには、謀反が起きずに寿命が延びる可能性も十分含まれる
ゆえに、928の言ってることはまるで違う話
そんな事より、もし勝頼が信長に従属して、その後に本能寺 となったら武田家は天下とれたかな?
938 :
無名武将@お腹せっぷく :05/01/22 00:35:42
あんな外交やってるようじゃ、即潰れそう 運にもよるけど
939 :
無名武将@お腹せっぷく :
05/01/22 00:42:32 さすがに天下は無理だと思うな 第一従属してたら本能寺は起きない気がするし