1 :
無名武将@お腹せっぷく:
もし、チンギス=ハーンらモンゴル帝国の中国侵攻軍を迎え撃ったのが、タイムスリップした蜀の面々だったら?
もう死にたい
たぶん簡単に蹂躙されると思う。
モンゴル軽騎兵の強さは半端じゃない。
無停止攻撃、軽騎兵の射撃による撹乱と、その隙を突いた重騎兵の突撃。
野戦じゃ勝ち目は無いね
山岳地帯に立て篭もってのゲリラ戦術ぐらいしか対処のしようがないかな?
モンゴル帝国が戦術的に敗れた事ってあったっけ?
勝負にならんだろ・・・。
騎馬障害物を大量に配置した強固な野戦陣地と、強力な火器の大量配備で何とかするしかないか
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 16:41:44
これの戦国時代スレ立てれ
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 16:49:50
蜀の地の確保ってだけなら蒙古の騎兵に対しても何とかなるんじゃない?
関とか要害で粘れば。
蜀はゲリラ戦か、剣閣みたいなとこで連弩かましまくるしか勝ち目ないと思われ
12 :
おでんマン:04/09/13 20:30:38
演義基準なら孔明や五虎将の活躍で
勝てそうだね。
たしかモンゴルは雲南ルートから南を攻略していったような・・・
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 21:12:35
みんなで海軍作らないか?
>>14 確かに緒戦は勝利と呼べるが、その大半は高麗軍だろ。
それに、本隊が来てこれから総攻撃と言うところで、嵐が起こって引き揚げちゃったじゃん。
嵐で敵の船団が壊滅した事が戦術的な勝利になるのか?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 01:33:13
>>18 ならないな。
話を蜀漢対モンゴルに戻すとだ。
面倒だから蜀漢側がタイムスリップしたときに物資も豊富だったと仮定しておこう。
結論から言えば、どんな状況でも蜀漢は勝てないだろうと言える。
なぜならば、1000年以上も技術に隔たりがあるから。
戦国自衛隊を思い出してくれ。蜀漢の武器はモンゴル帝国に通用するとは思えない。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 01:34:48
>>18 「戦術的な」勝利にはならないだろう。
ただ元軍が壊滅的な打撃を受けて退散したという事実があるだけ。
>>18 なるだろ。嵐が来るまで敵を船上にとどめることができたのは
まさに戦術的な要因があってこそだ。
>>21 海岸線に沿った長大な防塁の建設や、幕府軍の奮闘によって先発隊の上陸を阻んだのは事実だ。
だが嵐が来ずに、10万余の大軍で総攻撃を掛けられたらどうなったかは分からんよ。
それと、あれは先発隊が高麗、主力が南宋軍じゃなかったか?
モンゴル軍自体は渡海して無いと思ったが。
>>19 戦国自衛隊とは比べられないと思うが。
あれは間に内燃機関の発明という大変革を挟んでるんだし。
モンゴルの強さは、その戦闘教義の優秀さが大部分を占めてるように思える。
モンゴル軍は、重騎兵は人馬に皮革製の鎧を着せ、兜を被り、槍を持っていた。
軽騎兵は兜のみで鎧は着用しておらず、武器は弓、投槍、投縄の三種。
確かに弓は、速射性と威力に優れ、当時の蜀の弓より遥かに優秀だろう。
だが他の装備に絶望的なほど技術力に差があるとも思えないが。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 05:22:42
良スレage
>>23 短弓だけで充分すぎる程有利だと思うが。
遊牧民は中国では常に脅威の対象となってきた訳で。
古代の戦争において騎兵の優位性は圧倒的!
それが弓を使うとなればなおさらの事。
>>23 リーグニッツの戦いでは全身金属鎧を来た重騎士団に対して
短弓を使ったヒットアンドアウェイ戦術で一方的な虐殺をしてるわけで
技術力に差がなければ逆に蜀のほうが圧倒的に不利だろ?
27 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:04:36
状況次第では勝負になるんじゃね?
確か3次か4次の北伐で、司馬懿の大軍を待ち受けた諸葛亮が大勝した事があったな。この当時は魏の軽騎兵に諸葛亮は重歩兵にて対抗するドクトリンを画いていたと思われる。
割と機動力が生きる地域で騎兵を破れるなら、本拠地の山岳地帯に誘い込んだら尚更戦えるんじゃねぇの?
魏と元じゃ装備の質が違うだろうが、機動力を発揮しにくい険阻な地形を生かせば十分戦えると思うが。
待ち受ける分にゃ連弩(横光三国志60巻のイメージ)のような兵器が威力を発揮するだろうし。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:11:16
加工技術の発達を舐めすぎだな
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:14:02
無双乱舞使えないと無理だな
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:20:08
最大の違いは、鐙の有無だろ。
三国時代には鐙は開発されていないため、
騎兵そのものに対する認識が根本的に違うかと
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:30:22
つーか、>1はゲームとか演義の関係で蜀漢の武将を鬼神と勘違いしてるんじゃないのか?
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 11:34:31
>>27 険阻な地に立て篭ったとしても
補給路断たれて干殺しにされるのがオチだとおもうが
それに重歩兵だと普通の騎兵には効果的かもしれないが
モンゴルの軽弓騎兵が相手だと
>>26のリーグニッツみたいに一方的に殺される。
正直勝つためには自然現象や疫病にたよるしかないかも。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 12:21:38
蜀なんて南宋に手をつけるときに速攻で落とされている訳だが。
金の時代もそう
南北朝時代もそう
南の政権は蜀の部分を落とされて襄陽〜長江ラインで踏ん張るのばっかり
蜀は天下の険なんてのは大嘘
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 12:29:23
大丈夫だよ。 べらぼうな強国の魏が蜀には指一本触れさせない。
魏の強さってどのくらいなのかね
ヘタレで名高い南宋よりかはかなり戦えると思うのだが…。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 13:03:09
>>31 そもそも「信長の野望」(特にPS系のパワーアップキット)にタイムスリップシナリオ作りすぎ。
モンゴルが破った頃のヨーロッパは、歩兵や弓、兵站が消え、戦闘教義も退化してた。
ガチガチに固めた重騎兵を突撃させるだけという単純な戦闘教義だからね。
モンゴルに大敗し続けたのは当然の結果だな。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 14:56:50
関羽が突撃してジンギスカン討ち取って蜀の勝ち
39 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/14 15:35:06
ワー
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 18:34:55
近くの村を襲って得た捕虜を
軍の最前列で盾にして戦意を挫いたり、
同じく戦いで得た捕虜を
最前列で戦わせたりそういう部分も重要では?
それと中国の兵って個々が異常に弱いんだよね・・・。
南中からもーかく呼んでこい!
そして象引っ張ってきてケチらせ!
42 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 20:58:29
諸葛亮がいるなら蒙古短弓取ってくれば簡単に作ってくれそうだがな。
防衛戦の観点で言えば、やはり蒙古軍の騎兵を考えると山岳戦は蜀軍が圧倒的に有利だと思う。
蒙古軍は常時代え馬を率いてるわけで、山岳を越えるなら代え馬は反って統率面や罠にかかる確率から考えて不利。
三国時代なら南中を押さえれば侵入は一層困難になる点から見て、蜀軍は防衛できる。
まぁ野戦では足元にも及ばんだろうがな。蒙古帝国を滅亡させることは不可能だろう。
あるいは北方三国志で曹操が対呂布戦で使った足元から槍が飛び出す罠でも使うか。
ところでさぁ。
こないだバイトしてる塾の中学生用テキスト見て思ったんだけど、
「成吉思汗」ってどう発音する?
ジンギスカン?チンギスハーン?
アルファベットのスペルを見ると「ジンギスカン」が正確なように思うんだけど。
あと、「クビライ」か「フビライ」か、とか。
スレ違いだが百年戦争時のイギリス軍とモンゴル帝国軍が戦ったらどっちが勝つんだろうか?
馬防柵+落とし穴+熟練長弓兵による矢の弾幕のイギリス軍VS軽騎兵による機動戦術の蒙古軍
なんてはげしく燃える展開だと思うんだけど。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 22:30:45
クレーシーの戦いの時の英国軍の布陣。
なだらかな丘陵が平野に連なるところに布陣 兵力1万。
穴穴穴 穴穴穴 穴穴穴
弓 重騎兵 弓 歩兵 弓
弓 弓
森森森森森森森森森森森森森森
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 22:54:36
>>44 評価の基準が曖昧で答えが出んな
開戦から終戦までの戦略的な規模で比べるのか?
大規模な会戦に限定してか?それとももっと末端な遭遇戦とかか?
どれなんだ?
>>46 クレーシーの戦いのフランス軍がモンゴル軍だったら?
みたいに大規模会戦で激突したらってこと。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:07:47
>>47 会戦するんだな。
で、もう一つ重要な問題があるな
どの時期のモンゴル軍なんだ?
50 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:18:49
リーグニッツの時のモンゴル軍は15万なわけだがw
総指揮官がバトゥで副将がグユク、スブタイ
モンゴル騎兵5万、トルコ歩兵7万他
>>50 リーグニッツの時点のモンゴル軍の兵装でイギリス軍とほぼ同兵力ってことなら?
52 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:28:36
>>49 イングランド軍、モンゴル軍の誘導に引っ掛り
モード・アングレ破綻。イングランド壊滅
ってのは当たり前すぎてふまんかな?
ようするにロングボウ装備の歩兵中心の軍隊と
短弓装備の軽騎兵がやりあったらどうなるかってことじゃないの?
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:34:04
モンゴルは軽弓騎兵である。長弓に比べて短い時間に多く撃てる。毒矢である。
から、重装騎兵とクロスボウを持った歩兵からなるフランスよりはマシに戦えると思う。
まともに突っ込んで行く場合はね。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:36:45
↑イギリス軍相手に
56 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:45:27
クレーシーの戦いはイングランド軍がロングボウで相手主戦力の封じ込めることによる自軍主戦力の有機的運用にあるわけだ
相手主戦力はフランス騎士これが蒙古騎兵にかわったってことだろ
機動力のある蒙古騎兵に側面に回り込まれる可能性はないか?
>>51 あらゆる意味でモンゴル軍、
まずとてつもない機動力と恐ろしく整備された伝令網による戦術範囲が広すぎる。
堅牢な地形に防御陣をひいて待ち受けるなんて悠長なことをしていれば、
あっという間に後方に回り込まれ手薄な地域がずたぼろにされる。
それを制止するために陣から出てくればモンゴル軍のもっとも得意とする展開。
同数のイギリス軍ではリーグニッツの二の舞。勝ち目はない。
唯一勝機があるとしたら、ただひたすら籠城するのみ。
運良く何か変事が起これば撤退してくれるかもしれない。
もう既に三戦板で扱う話題ではなくなってるような気が
59 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:50:42
これを参考にして蜀の作戦を練ればいいじゃないかw
ということは火薬登場以前の戦術ではモンゴル軍相手に勝ち目は無いと言う事なのか?
ひたすら篭城してアクシデント(疫病、天災等)を待つ以外には。
unko
モンゴル軍の展開速度は、今日の機械化部隊の展開速度とそう変わらないらしいからな。
当時の陸軍にこの機動力の落差を補えるような方法があるとも思えないが。
モンゴルの将がよほどの愚将じゃなければ、機動戦に翻弄され簡単に撃破される可能性は高いと思う。
漢の武帝の時代には匈奴に勝ったりしてるから、全く勝ち目が無いというわけでもなさそう。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 23:57:29
確かに57の言う通りだな
イングランドがモード・アングレに固持すれば勝ち目はない
そもそも強引に兵数が同数って言う設定は比肩するに当たってナンセンスだな
強引に同数に合わせると根本的な時限でのモンゴル軍の強さの否定になりかねない
>>60 無いとほぼ断言できると思う。
もちろん100%勝つなどということは断言できないが、
モンゴルと同時代及びそれ以前のいかなる軍隊が相手でも、
同数でという条件下なら勝率で上回るのはほぼ間違いないかと。
>>63 鐙が無かった時代の匈奴とは比べ物にならないよ。
それに匈奴はモンゴルと比べて統制が取れていないし。
サマルカンドの戦いで、チンギス・ハーンの本隊はシル・ダリア河沿いに前進し河口まで来ると、
キジルクム砂漠を越えてサマルカンド西方のブハラに凄まじい速さで到達してる。
砂漠すらものともしない踏破力と機動力、これを蜀やイギリスが理解できるかどうか…
更に前進途上の徹底的な破壊と虐殺によって、戦意なんてすぐに消沈するだろう。
よほどの事が無いと勝てないよな、やっぱ。
私は軍事知識ゼロでさっぱり。
だがこれだけは言えるであろう。
モンゴルと言えども無敵ではあるまい。
例えば、孟キョウ将軍は四川から江南にかけての防禦線を一手に引き受け
優勢に戦を進めているであろう。三国志ゆかりの襄陽を奪い取っている(奪回)
将に人を得るだけで随分と違うであろう。
地勢の利用と統率と綿密な準備がなされれば(モンゴルより)寡勢でも互角には戦えるであろう。
つまりは蜀・孔明流の負けぬ戦。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:27:22
>>68 つまりこういうやつが高いポストにいると国を滅ぼす。
負けない戦いならできそうだけどね
騎兵じゃトウガイみたいに間道いけないだろうし。
演義の南蛮まで誘い込んで、沼に引きずり込んで始末しなさい。
モンゴル軍は戦術範囲が他の軍隊に比べて際立って広い。
機動力と伝令網に加えて驚異的な能力の哨戒範囲がある。
このモンゴル軍のシステムが健全に作動していると、
他の軍隊、とくに非遊牧民の軍隊が、
戦闘は数日後くらいに考えて戦場予想地へ行軍している時点で、
多くの場合モンゴル軍は既に敵の動きを察知しており、
それに対して戦術的に行動している。
つまり、これから戦場に向かうつもりの敵軍は実は既にモンゴル軍にとっての戦場の真っ只中におり、
そのことに気づいてすらいない。
また、戦闘の継続時間が段違い。
モンゴル軍の偽装撤退は有名だがこれは他の軍隊の想像を遥かに超えるものがある。
場合によっては数日に渡って撤退を続け、一見ただ無秩序に逃げ回っているだけのようだが、
その実その行動は極めて厳密な統制の元に置かれている。
ばらばらに逃げたモンゴル軍を追撃する為部隊を分けたりしようものなら、
無茶苦茶に逃げていたはずのモンゴル軍は瞬く間に集結、
これを各個撃破してしまう。
野戦でまともにモンゴル軍と戦う為には、
最低限遊牧民並みの機動力等を確保しなければ話にならない。
>>69 >国を滅ぼす
一概には言えない。
孟キョウ将軍は進士でないので高いポストといっても
たかが痴れている。
京湖制置は重責であるが、いわゆる宰相ではない。
少なくとも、彼に丞相的責任はないといえる。
>>70 提督よ。
これは常識中の常識であるが、彼らには「水」である。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:37:39
>モンゴル軍は戦術範囲が他の軍隊に比べて際立って広い。
>機動力と伝令網に加えて驚異的な能力の哨戒範囲がある。
もうちょっと実数を挙げて説明しないと理解できない人ゾクシュツ
76 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:37:41
>>73 国を滅ぼすのは孟キョウ将軍じゃなく、お前のことだよ
>>68 拠点攻略及び防御はモンゴル軍も比較的苦手とするところ。
また、大河が縦横に流れる地域はモンゴル得意の機動戦がもっとも展開しにくい地域。
実は山岳地帯の方がまだマシ。
実際フビライは対南宋戦で四川から雲南を攻略し南宋南からも攻撃するという、
とてつもない規模の包囲作戦を立てこれを実行、
且つ成功させ最終的に南宋を落とした。
結論からいうと、モンゴルと戦うなら蜀よりも呉の方がまだまし。
正直蜀では防衛線に徹しても太刀打ちできないだろう。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:42:56
>>73 勘違いもここまで来ると感心してしまうのは何故だ
80 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:43:55
>>77 お前の
>>66でのバカ発言に対しての感想だろ?
>>76や他の人間が上に立つと滅びると考える理由は無いが、
お前は自分の発言で自分がバカですよって公言したようなもんなんだから
>>80 あ?
そもそも
68が「上に立つ」という発想がどこから出て来るのかという問題だろう。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:50:27
>>83 要するにお前みたいなバカはお呼びじゃないと言うことだな
>>78 三国志6における伝説の
南蛮→交趾→南海→山越→呉→建業ルートでの侵攻をガチでやったわけか。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 00:51:29
>>82 わざわざ答えてくれたのは大変頭が下がる
が、一般な他の軍とモンゴル軍の比較の数字を出したほうがわかりやすいかと
認めよう。確かに私のいる場ではない。
軽い場所と勘違いした私が悪かった。
しかし、このスレタイのようなことを真剣に論じているのか?
暫く様子を見たが何人もいる様子でもないし。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 01:02:03
>>68 またっく困ったチャンだな
つまりだな、要約すると
軍事関係の知識がゼロなのに
堂々と戦略を論じてるのが○○出しってわけだ。
理解してもらえてかな?
理解した。
ぶっちゃけ、ちょっとググっと戦略を練っただけなのさ。
ゆえに戦略を論じているという自覚に欠けていた。
>>90 つーか将が云々とか言い出した時点でバカ。
将は重要な要素だが蜀にしか将がいなく、モンゴルには将がいないとでも言うつもりか?
諸葛亮を神、絶対超えられない軍略家として捉えてるのが馬鹿過ぎ
ホントにそうだったら蜀は天下統一してたよ( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ
>>86 同時代のヨーロッパではまともな索敵部隊自体存在しないでしょう。
>>78 語弊がある。
幾らなんでも南から攻めたわけではないでしょう。
あくまで南宋と西の交通路を断ち南宋を孤立させるのが目的。
まあ、確かに雲南まで落としていたわけだが。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 01:15:20
当時のヨーロッパなぞ、
敵はあの街にいる、だから当然この道を通って行軍速度はどのくらいだから、
いつぐらいにここらへんにつくだろう。
ついたのが夕方過ぎ位なら一晩待って次の日に戦闘、といった、
お約束に従って戦争していたようなものだから。
>諸葛亮を神、絶対超えられない軍略家として捉えてるのが馬鹿過ぎ
指摘の趣旨とは違うかもしれませんがそれは聞き捨てなりません。
諸葛亮は神ではない己をしっているように思えるから神なのですよ。
奇策を用いて多勢を破る才は無かったかもしれません。
決して無能ではなかったと思いますよ。
自分は神では無いという自覚もあったように思います。それだけでも平凡ではないと思いますよ。
孔明の戦い方は正攻法を用いたと思います。事前に綿密な計画を立てて、負けない戦をする。
街亭では負けましたが統率を失うことはありませんでした。乾坤一擲の勝負はしませんでした。
(それに比べ、姜維などはどうでしょう。器量以上にの勝負に出、
王経には大勝しましたが、別の戦役でケガイに大惨敗し、統率を失って四散していますね。
姜維は一連の北伐で名将張嶷を失っています。)
なぜ偉大なる軍略を発揮できなかったのかと言うと、大きなハンディがあったからだと私は考えます。
なににせよ、諸葛亮は己も含め全てを見通していたと思われますので神ですよ。
魏・呉・蜀が全て連合したとしても勝ち目はないかな?ただの同盟でなく、三国を一国の軍と考えた場合
夏侯淵の軍なんかは行軍速度が異様に速かったらしいし・・・無理かな?
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 01:24:01
孔明以上の知将はモンゴルにはいない
関羽張飛以上の猛将はモンゴルにはいない
よって蜀の勝ち
純粋に蒙古の軍勢で山岳戦って出来るん?
元の蜀侵攻の際は漢人(金の漢民族)が中心だったんじゃないの?
>>96 自らを楽毅・管仲に並ぶ才と自負してた時点で駄目だと思うがな。なんにしろスレ違い
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 01:32:31
そもそも3オタと現実的な戦略議論をしようとするのが間違いだな
てか三戦だとまともな議論がいた違いな気もする
現実なんて無視して武将フェチの68に夢をみさせてあげよう
>>96 いくら地勢等の理由があったとしても
魏に対して最終的に戦略的勝利を得られなかった諸葛亮が
魏よりも遥かに強大なモンゴルに対して勝利を得られるとは思えない。
よく考えてみると自分から〜に匹敵するって言うとかっこわるかもなw
ハンカイと並ぶ武勇だと誇る許猪とか
自分は張良に匹敵するという筍イクや鐘会とか
>>102 そこで、孔明が恐るべき軍略を発揮できなかった理由を考えてみました。
第一に、孔明自身、北伐以前に軍勢を率いて戦った経験に乏しく、北伐は「初陣」に等しいです。
劉備は口ほどに孔明を重く用いませんでした。(死ぬ間際になってボロボロの国家を託しました)
第ニに国力不足(物資・兵装・兵力・人口・・・)。
そもそも、蜀は(実力あっても性格的に問題の多い)関羽を荊州に配して大失敗をし、
劉備自身も大敗北を喫し、数多の兵員、馬良や黄忠など(蜀にとって)一級の人材を多く失い、
ボロボロとなりました。戦える体では無かったのです。
(孔明はこれら一連の人事や戦に口を挟める立場に無く、麋竺といった人たちより身分は下でしょう)
その状態から、馬忠や張嶷、李恢といった人々を用いて、短期間で南中を治めることに成功しています。
物産や人員の安定的供給地を確保し、ようやく戦える状態にまで持っていったわけです。
それから第三に蜀そのものの存在意義が薄い。劉備集団はもともとは無節操な任侠集団・無頼者集団
でしょう。孔明としては、善良だが無為無策である劉禅の安全と将来を託され、
かといって北伐をしなければ蜀という国家そのものが無意味となる、
というジレンマに立たされていたと思います。劉備に内通した張松がいい例ですが、
蜀の豪族達の間では、柔弱で惰弱な者に統治されるより、
大いなる実力のある者に身分を保障してもらうべきだという意見が
根強かったのでしょうね。放置しておけば大勢力の魏の前にジリビンとなるばかりです。
北伐によって対決姿勢を明確にし、1つの目標を必要があったでしょう。
これらの足枷を取り除いてあげて、諸葛亮を恐るべき軍略を発揮できるような立場にしてあげてから
モンゴル軍と諸葛亮の蜀軍とを戦わせてあげてください。
すれ違いで申し訳ありません。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 01:41:18
確かに諸葛亮は管仲ではあっても
楽毅ではないわな
106 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 01:47:38
>>104 書き方が素人くさく感じるのは俺だけか
いや、あえてそうしているだけか
>>103 それは曹操の評だろ?
若い頃から自分の才を吹聴して調子にのり、
仕官してからも自分の器以上のことをやろうとして身を滅ぼした諸葛亮と一緒にするなよ
>>107 他人からの評だからかっこいいのであって
自称してたらカッコ悪いだろってことだよ。
孔明は非常に優秀な政治家で発明家。でも、それだけ。兵を率いて云々は大した事
無いはず。
まァ、蜀将が一人残らず三国無双並みのファンタジープァワー発揮してくれなきゃ勝てないな。
>>106 またそんな「それならお前はさぞかし」と返されるのがオチなレスして…
自分の器以上のことをやらなければいけないほど蜀の人材難は深刻だったってことだろ
諸葛亮だってやりたくてやってたわけじゃないと思われ。
劉備が「口だけ男」と評価して重用するなと言っていた
馬謖を重用して致命的な戦略的敗北をきっした孔明が優秀な戦略家だとは思えない
人を見る目が全然ないじゃないか
>>111 そうなるとモンゴルの猛将にはまったく歯が立たない罠
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:03:33
孔明サン人の和とか言ってたわりには、蜀って内訌がひどいよね
そりゃいっぱいいっぱいだよな。
専門外のこともやんなきゃなんない哀しさ。寝不足。過労。
よくやったよ孔明は。
では兵を率いて大したことのない人間が、
どうして司馬懿を打ち破る事ができるのかご教授ください。
八百長とか言うなよ、マジで。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:08:21
蜀は荊州派閥、益州派閥、それ以外の派閥の対立が酷すぎる。
モンゴル軍の弱点が山岳戦や攻城戦だとされてるようだけど、そりゃ野戦よりは得手では
ないものの別に苦手ってほどでもないぞ。
アサシン派の篭るアラムート山を完全包囲した上で殲滅してるし、南宋の襄陽は5年間の
包囲の末にイランからAoEで言うところの遠投投石器を運んできて落としてる。
そもそもモンゴルが攻城戦に失敗した例なんてあったっけ?
モンゴル唯一の弱点は、帝位継承のシステムがなっちゃいない(最も強い者を!)ために
大ハーンが死ぬと将軍がクリルタイに気を取られて遠征が止まってしまうこと。
ヨーロッパもエジプトもそれで助かった。
>>116 そもそも司馬懿を打ち破ったと言えるのか?
モンゴルって攻城兵器はなにか持ってるのか?
121 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:16:05
>>116 司馬懿も初陣みたいなもんだろうに。
実際蜀軍の脆さがバレてからは局地戦の勝利もままならないし戦略的勝利なんて夢のまた夢だったじゃないか
>>118 最初に西夏を攻めてる辺りだと水攻めしようとして失敗してたりする。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:19:20
回回砲調べてみたが、もうテクノロジーの差だけでも押し切れそうだな。
ろくな刃物のすらない時代の蜀軍が勝てるとは思えん
そりゃ1000年時代が違うからw
劉ヨウが作った投石器とはどう違うのかな?
宋代に入ると中国には火槍(ロケット砲みたいなもの)や振天雷(炸裂弾)、猛火油櫃(火炎放射器)が登場して
元末期には銃身が青銅でできた大砲まででてくるし。
どこまで兵器を持ってくるかか。
鋳造や鍛造の技術は三国時代に揃えたら蒙古も兵器の質が下がるんじゃない?
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:45:19
>>127 それだと根本的な次元でモンゴルの強みが失われていくな
>>125 劉曄の投石器は射程距離が77m以上で飛ばせる石の重さがせいぜい1〜10kg程度だが
回回砲は射程距離は変わらないが飛ばせる石の重さが50kg〜90kgで宋代の投石器は火薬入りの砲弾も発射可能。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:53:27
>77m以上で
てことは77メートル以上は射程距離は∞か
それはすごいな…
>>127 技術の発達は経済や社会制度の発達と足並みを揃えているわけで、
技術だけが発達する/停滞するという状況はありえない。
よって完全に公平を期するためには、三国時代のモンゴルと蜀を戦わせてみればいい。
…三国時代のモンゴルは独立した存在であったかどうかすら疑わしいほどの
弱小部族であるため、蜀が勝つ。
満足いただけましたか?
132 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:56:07
133 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 02:57:13
>>127 一応>1ではモンゴル帝国の時代にタイムスリップしたことになってるから
両軍ともに南宋時代の技術力ってことでいいんじゃないの?
三国時代としても魏晋南北朝時代なら既に鐙や馬甲や軽弓は発明されてるからあまり影響は無いと思うが。
>>130 自分が参考にした本には最大射程がだいたい400mくらいまでなら余裕で届くらしいと書いてある
多分誰も正確に図ったことがないんじゃなかろうか。
タイムスリップした時、もともと居た勢力はどうなるんだ?
>>129 回回砲って漢水の対岸から襄陽に撃ち込んでるんだけど、現在の川幅は700〜800メートルくらい。
つまり射程はそれ以上。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 03:11:48
>>134 信憑性は出版社と著者によるってところだな
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 03:13:07
>>135 12世紀から13世紀あたりにかけて飛ばされるんだろ
139 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 05:13:38
日本は幸運だったね。嵐とかだけじゃなくて。
国内が幕府の元に統一されている状態だから撃退できた面も大きいし。
国内の戦乱から立ち直ったくらいの時だし、戦乱中に兵器の発達もあっただろうし。
元の兵士も当時の倭刀の切れ味に驚いたらしい。火薬兵器には悩まされたが。
学生の時に教師が言ってた。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 06:55:28
>>139 得宗専制バリバリの時期である意味たすかったね
>兵士も当時の倭刀の切れ味に驚いたらしい。
それ以外に特筆すべき利点がないともいえるな
141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 07:22:56
>>139 戦った場所も大きな要点。
平地での野戦が最大の戦闘力だった元に対して、水際で撃退する作戦を取ったのが勝因。
元は機動力を封じ込められたのだろう。
>>140 鎧を始めとする防具が軽装だった元の兵士にとっては、切れ味鋭い倭刀は脅威だったんだろうね。
兵器としてどちらが優れているかどうかじゃなくて、相性が良かったのかも。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 09:28:46
いや、そんなに撃退できた訳でも無いのだが。
日本もうだめぽ…と思ってたら嵐キターだろうな実際は。
>>143 全然違う
日本が強くて、元軍は海上で休まざるをえなかったから嵐に遭った
夜襲が怖かったから海上で休息してただけ
というより、被害が大きくて夜間の博多の占領維持ができなかったということ
147 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 21:56:41
ってか日本に攻めてきたのってほとんど高麗か旧南宋軍なんだろ?
>>147 だからかなり侵略軍自体がやる気なくてちょっと損害が出たから
悪天候にかこつけてさっさと国に帰ったって話を聞いたことがある。
落ち着けよ、スレの命題と違う方面向かってるぞ。
お前は空気読めよ
モンゴル帝国 蜀漢帝国
・テムジン ・劉備
・ムカリ ・関羽
・ボオルチュ ・張飛
・ボロクル ・趙雲
・スブタイ ・諸葛亮
・ジェベ ・魏延
・ジェルメ ・馬超
・クビライ ・[广龍]統
・耶律楚材 ・黄忠
・長春真人 ・姜維
・バヤン ・月英
なるほど、充分に対抗できるな。というか、これは蜀軍の圧勝だろ。
>>151 将だけで比べる意味が分からん
それに蜀将の方が強い理由もわからん。
演技では蜀武将は鬼神でも、実際にはちょこっと有能ってだけで
他の時代の将まで比較対象に入れれば凡将に過ぎない。
仮に稀代の名将だとしても役に立つとは限らんしな。
ニュートンと今の時代の平凡な科学者なら、後者の方が役に立つ。
これが噂に聞く、ネタにマジレスというやつですか。
四駿四狗でただ一人、チラウンだけが入ってないのは嫌がらせですね。
>>153 蜀のほうは無双キャラのみだから人数合わせにそうなったんだろ
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 02:05:00
時代がやや違うバヤンか宗教家の長春真人ぬかしてチラウンかな
156 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 18:11:30
☆まとめ☆
高麗の王は元に降伏した後、高麗人の地位を上げたくて日本侵略を進言した。
しかし高麗の兵は元に降伏したので
元の手先として嫌々出兵しなきゃいけない雰囲気だった。
元・高麗軍の日本での戦いは圧倒的集団戦術で大勝利を収めつつも
勝利を確信していた為に危険を冒さず、他人任せで命を惜しんだ。
その為に死を恐れず単騎で突っ込んでくる武士に対し
恐れをなし橋頭堡の確保がどうしても出来なかった。
結果としては日本本土へ侵略・船上へ撤退を繰り返し
戦闘時間をいたずらに長引かせ、予想外の抵抗を受け帰郷の志が強くなり
上陸地を確保できないまま船上で台風に合い壊滅し逃走した。
☆時代背景☆
平和だった日本の武士は、戦の恩賞が無く生活に困窮し
この度の戦争で恩賞をもらおうと昼夜問わず陣から抜け駆けし
忍び込んでは元・高麗軍の首を狩って持ち帰った。
朝になると首の無い死体がゴロついてる。これは相当な恐怖になりえたはず。
テムジンの強みは息子達が実戦経験豊富で使える所だな、
それに引き換え劉備の息子は・・・。
ただ皇太子を立てたのはフビライが初めてだったんだよね、
先に言ってる人がいるが、大ハーンが死んだらつけいる隙は充分ありそう。
>>157 一族が集まって会議で決めたんだが、オゴタイに決まろうがトゥルイに決まろうが
ジュチに決まらなければ結束は早いんじゃない?
当時のモンゴルは末子相続の慣習があったからね、
クリルタイで決まってても時が経てば状況も変わってくるわけで、
2代目に移るときトゥルイを推す声もあったわけだし。
でもその後の継承程混乱しそうもないから逆転するのはやはり難しいか。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/17 21:36:53
つまり、どうあがいても勝てないわけか
161 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 00:31:34
魏呉蜀で闘っても勝てないような気さえする
162 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 01:45:52
>>161 魏とほぼ領域を支配していた金王朝も、呉+蜀の領域だった南宋も滅ぼされたからな
>>151 >蜀軍の圧勝だろ。
当然かもしれませんね。
左側の人的陣容には、何かが欠けているようです。
諸葛亮ほど才智・文治の才に長けた者が、左に列挙されている名前の中には見当たりませんね。
諸葛亮の役割を果たし得る人物も見当たりません。
>>163 釣りかと思うが、耶律楚材ってどんな人か知ってる、ボク?
知らなかったので、グググっとゴゴゴっと調べて見ました。
彼は、自分で「中書相公」「領中書」など、現実離れのした中国風の称号を
その時々の都合で名乗った。少しでも事情を知っている人がいると、その人の前では、
いくらか謙虚な「中書侍郎」を自称した。チンギス時代には、彼は「占師」の一人に
すぎなかった。オゴデイ時代になってモンゴルが華北経営に本式に乗り出すと、キタン
王族の末流に生まれた彼は、耶律阿海・耶律禿花・石抹也先・石抹明安などを初代とする、
有力なキタン系軍事集団と連絡をとりやすいこともあって、華北政策のうち、特に
河北・山西・山東方面の文教・税収事業を請け負うことになった。
物語やイメージはともかく、現実の耶律素材は、ややウソでもいいから虚栄の肩書を
好む、少しねじれた人格の持ち主であった。そうしたハッタリに近い言動や著述を
したがった。中国の伝統では、皇太子など、よほど特別な人が名目上の政府代表
となった時にしか与えられない「中書令」などと、華北の漢文化人からおもねられるのを、
ひどく喜んだ。また、みずからも仲間うちでは「中書相公」、すなわち「中書のお大臣」だと
粘合重山と共に二人して得々と自称したり、「位人臣を極む」などの表現をみずから
好んで用いた。しかし、本当は、特に漢文化圏の人に見せる倣岸・尊大な態度にひき比べ、
実際には哀れを誘うまでに、無力に近かった。彼の名が、『集史』をはじめとするペルシア
語の史書に現われないのは仕方がない。記すに値しなかったからである。前後10年ほどの
あいだ、華北の人間とモンゴルたちのあいだを、虎の威を借る狐のように、あれこれと
動き回った末、オゴデイ時代の末期とその死後には使い捨てられて、失意のうちに悶え死んだ
楚材の姿は、この時期のモンゴル書記局の実態をよく示すアイロニカルな存在であった。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:09:55
で、見事な釣りなわけだったが、おまいらどうよ
>>165 どこから引っ張ってきたんだよw
●耶律楚材 やりつそざい
1190〜1244(宋暦・紹煕1〜脱列哥那3)モンゴル帝国初期の政治家。遼(契丹族)の王族,東丹王突欲から8世の孫。
遼を滅ぼした金に仕えた父にならって進士に及第して仕官。若いころから学問を好み,儒・仏・道の3教を初め,天文・
暦法・地理・医薬・文学に通じていた最高級の知識人。1215年(太祖10),蒙古軍が金の燕京(北京)を占領したとき,
チンギス=ハン(太祖)に招かれて仕えることになった。太祖の信任は厚く,その西域遠征にも随行した。太祖が没する
と,3男のオゴタイを擁立して太宗とするのに功績があったため,中書令に任命された。蒙古が金の故地である華北を
支配するのにあたり,彼の中国的教養が大いに役立ち,政治・財政制度が整った。遊牧国家蒙古帝国が,いっそう安定
した基盤をもつにいたる要因の一つがここにある。太宗の晩年とその没後,皇后トラキナの摂政時代には,イスラーム
教徒アブデル=ラフマーンが重用されたため,彼は政局から遠ざけられ,憤激のうちに没した。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:12:59
169 :
166:04/09/18 02:13:38
×見事な釣りなわけだったが、
↓
○見え見えな釣りだったわけだが、
失礼しました。
>>168 御見事。ご明察。
御杉先生こと杉山正明先生の『モンゴル帝国の興亡 上』
ちなみに、先生の朱元璋評等も面白いですよね。
無理なさっている箇所も見受けられますが、もうこれでもかともうコテンパンです。
すっきりしますね。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:17:00
三国と比べるからダメだな
清、時代はヌルハチ辺りで遊牧民同士対決させよう
モンゴル帝国対後金でどうですか?
>>165 誤字が多いうえにググっても見つからなかった。一体、その文はなんなんだ?
173 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:23:24
後金の武将の名前も事績も知りませぬ
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:30:28
>>170 あ、やっぱり。「ペルシア語の…」でピンときた。
俺この人と岡田英弘を読んだせいで、もう…
>>172 日本でモンゴル史といえば杉山正明を抜きにしては語れない。
遊牧民好きが嵩じて電波扱いされたりもするけどさ。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:40:55
清の女真族は遊牧民族じゃないわけだが。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 02:42:24
>>163 耶律楚材を外した所で戦闘経験や指揮能力は
4駿4狗の一人一人のほうが諸葛亮より遥かに優秀なわけだが。
なるほど、要するに杉山説を披露したかったのか。
>>178 強いて言えば「蜀義援活動」ですね。
またまたここでも蜀が無理難題を強いられて、圧倒的不利な状況ですし、
苦境に立たされています。
蜀を率いる者もなかなか現われませんね。
一昨日本当に久しぶりに来てみたのですが
(時間帯を考慮しても)寂れているようですね。
一ゲリラの力では難しいことがわかりました。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 03:14:00
暇人だね。俺とおんなじ
耶律楚材を貶めたところで、蜀支援になるとは思えんがな。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 03:57:17
人物の能力や装備の優劣以前に
軍隊の組織力で蜀には勝ち目が無いと思うが・・・
>>1 天下を取った連中とそうでない連中を比較することにどんな意味が?
つーかこのまま話しててもつまらんから、お題を変えよう
蜀がモンゴル帝国に勝っている分野はあるか
185 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 07:51:58
演技のせいで異民族は弱いように思われすぎ。
南蛮・西羌なんか悲惨過ぎ。
実際はいつ首都まで攻め込んでくるか
冷や冷や物で小便ちびってたのにw
漢人の弱さは歴史が証明してるw
ベトナムの陳興道がモンゴル軍を退けているが、それでも首都を
落とされてるからなあ。
その陳興道でさえモンゴル(元)がじっくり攻めてきたら
速く攻めてこられるより厳しいと言ってるし、どうすりゃいいんだw
正直、三国一の弱小国・蜀でどうにかしようなんて不可能もいいところ
188 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 08:44:15
そもそも時代がずれ過ぎ。
どうせなら、「もし元寇に第三次派兵があったら?」とかだったら意見も出しやすいのに。
間に海があるって事は大きいなと改めて思う。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 09:11:18
日本武士強すぎ
海無くても楽勝
>>184 最悪の状態のモンゴル軍と最良の状態(猛将とか名軍師が全部生きてて、とか)の蜀漢と戦わすとか、
蜀漢が勝てる可能性を見出す、とかならまだ話す余地があるかな。
192 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 09:48:15
孔明がいればなんとか撃退できるんじゃないか
193 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 09:51:20
モンゴルは兵士一人一人の強さもさることながら、物量作戦も得意だぞ。
蜀はそれやられたらひとたまりもないんじゃ
>>192 演義厨?
北伐から考えて孔明は戦下手だとは思わないが、演義ほどの鬼謀神算だったとも思えないんだけど。
いっその事、最強のモンゴル軍VS時を超えた演技蜀漢で戦ってみろよ。
物量VSdでも個人の対決だ。
…ゲームの世界だな…。
演義蜀漢でも足りない気がするから、都市対抗野球みたいに呂布や張遼あたりを補強選手wとして入れないと。
>>184 正面切って戦っても勝ち目はないからな
しかし勝ってる部分はある。
中国はその兵が弱いがゆえに兵法が発達した。
そしてこの場合、兵法に照らし合わせると・・・。
勝算が無ければ戦わないw
実際モンゴルは戦には勝ったが、文化的には逆に中国風に染まってしまった。
それでいいんじゃないだろうかと・・・。
あえてやるなら
国民党が日本軍に対して行ったみたいに
敗走を繰り返し、敵の兵站を伸びきらせ、ゲリラ戦を仕掛けつつ、長期戦に持ち込む。
その一方で外交政略を駆使し、内部分裂を誘う。
しかし当時の蜀軍にそこまで組織的な行動は無理っぽい。
それにモンゴル軍に兵站確保の必要性が有ったかどうだか・・・。
中国兵って何が弱いの?体格?技術?
士気が恐ろしく低いw
201 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 00:46:42
>>198 中国には「良い鉄は釘にならない。良い人は軍人にならない」という諺があり、
昔から軍隊には一番質の低い人材しか集まって来ない。
文人>商人>軍人って感じね。だから弱い。
それに対して、日本やヨーロッパは戦士階級による封建制が長く続いたために
軍人の地位が高いから、軍隊には優秀な人材が集まって来る。
遊牧民の場合は言わずもがな。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 01:22:30
勉強になるなあ
>>201 やっぱり儒教思想の影響なのかな。
王道>>>>>>覇道っていう感じで。
人を殺す仕事より人を活かす仕事の方が尊敬されてたわけね。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 10:45:28
205 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 11:05:07
>>201 昔の軍隊には流民対策と言う社会政策的な側面もあったから、まともに職がある人はいかないよ。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 11:08:29
207 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 12:15:03
>>207 多分、朝青龍とか好きなんだろ。きっと。
>>197 中国化した元軍は兵站で困ったりしていたようだけど。
モンゴル軍はなぁ、ロシア全土を平気で踏破してしまうような連中を相手に、
兵站が伸び切るまで待つなんてのはほとんど絶望的な挑戦だと思うが。
とりあえず、史実の元軍の行動範囲を参考にすれば、
史実の蜀の領域程度では全く無意味、
最低ビルマできればマレー半島くらいまで後方として確保しないと話にならないだろう。
相手は南宋を攻めた時のモンゴル軍か?
それでいいんじゃない?
そうなると南宋軍と蜀軍の比較から色々推定出来ると思うし。
孔明が南宋にいたら文天祥みたいになってたんじゃね
時の流れには逆らえないだろ
兵隊の強さ
蜀>>>>南宋
兵隊の強さ
モンゴル>>>>>>>>>>>>>蜀>南宋
>>213 あれ、蜀の方が強いの?
確かに宗は弱いと聞くけど
蜀の険阻で迎撃するか
ゲリラ戦するか
じゃないと迎撃できんな
>>215 実際には険阻な地形も余裕で踏破され、
ゲリラ戦も効果なかったわけだが。
大体蜀の堅牢な地形を利用してというが、
既に指摘されているが、蜀地域は史上何度も北からの侵攻に屈しており、
言うほど難攻不落というわけでもない。
まして相手のモンゴル軍は冬にコーカサス山脈越えを決行してしまうような規格外の怪物集団。
下手に、ここを攻めるにはこの道しかない、とかいった漢民族の常識に基づいて守りを固めていると、
思いもしないところから攻められて壊滅ということになりかねない。
もう虎戦車や連弩を増産して立ち向かうしかないな
兵の強さ
日本>蒙古>>>>>(越えられない壁)>>>>>支那
>>219 秀吉の軍勢と戦った明軍は日本の兵はさして強いわけではないと認識してるな。
「鉄砲」「日本刀」「駆け引きが異常に上手い」というのは
どんな本でも頻繁に出るが、個々の兵に驚嘆したような描写はない。
遊牧民相手だと必ず兵が鬼のように強いと明記するんだが。
>>218 虎戦車
(英訳)↓
tiger tank
(再和訳)↓
タイガ−戦車
,.ィ , - 、._ 、
. ,イ/ l/  ̄ ̄`ヽ!__
ト/ |' { `ヽ. ,ヘ
N│ ヽ. ` ヽ /ヽ / ∨
N.ヽ.ヽ、 , } l\/ `′
. ヽヽ.\ ,.ィイハ | _|
ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、 | \
.  ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ > つ ま り タ イ ガ ー 戦 車 を 量 産 す れ ば
. l  ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__ 蒙 古 軽 騎 兵 に も 勝 て る ん だ !!
゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ トr‐' /
l `___,.、 u ./│ /_
. ヽ. }z‐r--| / ト, | ,、
>、`ー-- ' ./ / |ヽ l/ ヽ ,ヘ
_,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´ ./ \、 \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ / :| ,ゝ=< / | `'''‐- 、.._
/ !./l;';';';';';';\ ./ │ _
_,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\ ./|._ , --、 | i´!⌒!l r:,=i
. | |:.l. /';';';';';|= ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」 ))
l. |:.:.l./';';';';';';'! /:.:.| i´|.ー‐' | / | |. ! l
. l. |:.:.:.!';';';';';';';'| /:.:.:.:!.|"'|. l' │-==:|. ! ==l ,. -‐;
l |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l | l. | | / //
l |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l l、 :| | } _|,.{:: 7 ))
l |:.:.:.:.:.:l;';';';';'/:.:.:.:.:.:.:.:| |__,.ヽ、__,. ヽ._」 ー=:::レ' ::::::|; 7
. l |:.:.:.:.:.:.l;';';'/:.:.:.:.:.:.:.:.:.|. \:::::\::::: ヽ ::::::!′ :::| .:
∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< なんだってーーーーーーーーーー!!!!! >
∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
,. -─- 、._ ,. -─v─- 、 _
,. ‐'´ `‐、 , ‐'´ `‐、, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ < ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 .....1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 .i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ / ̄l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 |
. |〃、!ミ: -─ゝ、 __ .l / ...レ二ヽ、 、__∠´_ |/ | ! | | ヾ ヾヘト、 !
!_ヒ; L(.:)_ `ー'"〈:)_,` /.|\ riヽ_(:)_i '_(:)_/ ! ‐;-、 、__,._-─‐ヽ. ,.-i、
/`゙i u ´ ヽ !..|(・) !{ ,! ` ( } ' (:)〉 ´(:.)~ヽ |//ニ !
_/:::::::! ,,..ゝ!...|⊂⌒.゙! ヽ ' i゙! 7  ̄ | トy'/
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 r'´~`''‐、 /....| |||||||||!、 ‐=ニ⊃ / ! `ヽ" u i-‐i
! \::::::::::::::ヽ `ー─ ' / ......\ ヘ_ ..ヽ ‐- / ヽ ` ̄二) /ヽト、
i、 \:::::::::::::::..、 ~" / .........\__..ヽ.__,./ //ヽ、 ー / ゝ
.! \ `‐、. `ー:--'´ ./ .//イ;;::::: //〃 \ __,. ‐' ./ / \
ヽ \ \ / ..⊂ ( ./ /i:::::. //  ̄ i:::: / /
224 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 20:52:16
>>208 そういえば、昔創作落語で某落語家氏が
「朝青龍は日本に過去の謝罪をすべきだ」とか、
「朝青龍はモンゴル兵の来襲を日本人に教えたモンゴル人の憎き宿敵・日蓮上人を崇拝する創価学会を信じるとは民族の裏切り者だ」
ととばしていたな。
『勿論、落語だがな』
227 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 02:09:34
明は蒙古族を追っ払って成立してたし、
女真族も明が自壊するまで長城を越えられなかったんだからそこそこ強かったと思われ
そりゃ勝てるわな。
何てったってナチスドイツの虎の子なんだもん(w
>>227 元が自壊したから明が成立できたというべきじゃないかい?
まあ、強さってのは相対的なものだから、
何と比べて強かったと言いたいのかによって大分変わってくると思うが。
とりあえず総合的国力って面では確かに同時代の周辺国と比べて弱かったってことはないでしょう。
しかし、兵士個々の強さという面では騎馬民族あたりとは全く比べ物にならない。
それこそ文字通りお話にならないくらい。
これは既出のとおり、戦うという行為、兵士という職業に対する感覚が正反対であること、
それに加えて、生活環境による根本的な身体能力の違いによるものだから、
全くどうしようもないことだわな。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 22:34:07
北元にも勝てん気がするのは気のせいじゃないな
>>231 明の皇帝が捕虜になったりしたもんね、
アレは別の奴が相手だったかな?
まあ、いずれにしろ遊牧民との戦いでのことだったわな。
>>228 貴様ゴリアテやマウスやEシリーズは馬鹿にされてもかまわんが
ティーガーを愚弄するとは許さん!
>>233 わっ!!そ、そんなに怒らないで下さいよ!!
私が
>>228のレスの最後でwをつけたは、
タイガー戦車の事を「虎の子」と表現した事に
我ながら笑えたからつけただけで、決してタイガー戦車
そのものへの愚弄と言う訳ではないんですよ・・・。
信じてくださいよ〜。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 08:30:48
>>220は鬼石曼頭とか聞いた事ないんだろうね(ワラ
この場合モンゴル騎兵1万(こんくらいならさすがに勝てるだろう)が
三国時代にタイムスリップしたらに条件を変えたほうがいいと思う。
>>236 指揮官がチンギス・ハーンならそれの兵力を元に北方民族を統一、
ユーラシアを席巻くらいはしてしまうだろう。
>>235 その「鬼」は幽霊とかモノノケの意味だよ。
鬼上官と呼ばれた清正も同様。
>>235それは日本軍(仮称)全体の評価でないのでは?
どのみち大差はない。
有利な状況で迎撃できたのを考慮すれば勇戦も当然だし。
68 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/03/03 19:20
つーか遊牧民族マジ強すぎ
金の講和使節団(17騎)を北宋軍が2000の歩兵で襲撃した事が有ったらしい。
ところがこの17騎は直ちに3隊にわかれ敵軍を攪乱し、蹂躙し、2000の歩兵隊は散々翻弄され、なすすべもなく潰走した。。
17騎は1騎も欠けることなく帰還したという…。
馬を自分の手足のように扱える遊牧民族にとって歩兵はただの雑魚だったんだね。
ココテムル>孔明
>>240 そだな。お家事情によって士気はバラバラ。
敵はどの日本軍が士気が旺盛かなんて裏事情まで考慮しないし。
強兵なのに活躍の場がなかった鍋島みたいな例もある。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 23:54:15
245 :
これすげーよ:04/09/23 23:58:24
630 :名無し三等兵 :04/07/25 01:16 ID:???
現在「倭城」といわれている城塞遺跡は、
秀吉政権が威信をかけて築造した「仕置きの城」である。
日本軍は開戦当初は朝鮮側の邑城(城塞都市)を一部日本式に改修して使っていたが、
明軍の重火器部隊の前で平壌邑城がもろくも潰え去った経験から、
永久要塞としての「仕置きの城」は純日本式のノウハウを結集した築城となった。
朝鮮の邑城は塁線を一周させただけの単純な構造なので、
巡らせた城壁の一部でも破られると全体が瓦解する脆さがあった。
倭城の大半は、江戸時代初期に多く見られる「平山城」の構造をとっている。
山城部分と平地の居館、港部分を長大な城壁(登り石垣)で連結し、
その城壁内に何万人にも上るであろう将兵を収容できるように、
段々畑のように加工し、たくさんの曲輪(防御された平坦地)をつくった。
防御面での空堀・竪堀の多用も倭城の特徴である。
織豊系城郭では石垣造りが基本であり、
中世城郭の防御施設である空堀・竪堀はあまり見られないが、
倭城では周囲が全て敵という極限の軍事的緊張下にあったため、仕える技術は全て用いた。
日本国内では石垣と竪堀の併用は見られないが、
倭城では石垣の外部に竪堀で二重三重の防御線を構築している。
このほか天守の位置も特徴的である。
日本国内では、城主の権勢の象徴又は司令塔として最後の根拠地となる位置にあるが、
ほとんどの倭城ではその天守が最前線に位置し、いわばトーチカの役割を担わされている。
以上、「秀吉の野望と誤算−文禄・慶長の役と関ヶ原合戦−」(文英堂)より抜粋。
246 :
>>14:04/09/24 00:49:09
>>14 文永の役、弘安の役とも、蒙古は日本に吹いた台風・強風(神風)にやられたわけで、
蒙古が日本軍に負けたわけではない。
ノモンハンではロシア・蒙古連合軍が日本に勝ちました。
>>245 日本はこういう技術が異様に得意だったんだね。
弘安の役で善戦できたのもわかる。
なんでここで日本マンセーしてんだよw
スレ違いだろ、まったくどこにでもわいてくるな。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/25 00:46:39
兵の強さは
トルコ≧モンゴル>ペルシア>>>ゲルマン≧日本>>ラテン>中国≧セム系
ぐらいだろうか。あくまで印象ですが。
つかこれペルシア以外ほとんど文明化が遅かった順なんだけど。
元寇を考察する事で、蜀がモンゴルの侵攻を防ぐ為の手段を引き出そうとする、
とかなら分かるが、単なる日本マンセーはスレ違いだな。
長江南岸に長大な防塁を建設し、更に街道の整備と伝令の充実で戦力の即時集中を可能にする。
そして何とか水際で防ぎ続けてモンゴルの自壊を待つとか…無理か。
元寇を考察するよりベトナムが元軍を撃退したのを考察した方が
蜀の戦い方への参考になりそう。
ベトナムというとゲリラ戦か。
そうすると、漢中や四川盆地は放棄して南方のジャングルまで退き、そこでゲリラ戦を展開するって事か?
>>252 ベトナムの戦法は元々毛沢東のゲリラ戦から学んだものだよ。
そのゲリラ戦のノウハウは日本軍との戦いで培われて・・・。
すまんかなりの勘違いw
一瞬ポカーンとしちゃったじゃないかw
いや、しかし近現代のベトナム戦争や日中戦争で連想するようなゲリラ戦が有効になるのは、
民族意識に基づいた民衆レベルの抵抗が出来るようななってから。
ベトナムが元軍を撃退したのは元の渡河作戦を阻止したから。
また、元寇でも元軍は渡海からの上陸作戦を速やかに行えず敗退している。
それからモンゴルが攻略に手を焼いた南宋も大河によった防衛構想でどうにか命脈を保っていた。
以上の例を参考にすると、大河或いは海に頼った防御戦が有効だと思われる。
海を隔てれば特に有利だ。
以上を踏まえて蜀必勝の戦略を考えると、
スマトラ島かボルネオ島くらいまで後退して防御に徹すれば、
ほぼ確実にモンゴル軍を撃退できると思われる。
>>257 ワラタ
確かにモンゴルは水が苦手っぽいね
>>250 トルコ史とか全く分からないけどトルコ人そんなに強いの?教えてエロい人。
>>259 正直そんなに強いって感じはしないわな。
まあ、あくまで個人的な印象ってことらしいから、
まあ、だからいままで誰も突っ込まなかったんだと思うけど。
こらこら、俺は日本マンセーなんかしてないぞ。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:01:58
>>259 >>260 トルコ系王朝と言えば突厥(6〜8c)・セルジューク朝(11〜12c)・オスマン朝(13c〜20c)
だけど、どれも世界史上有数の強大な帝国でしょ。
あとトルコ人は軍人奴隷としても有名で、例えばモンゴルの中東遠征軍をアイン・ジャールート
の戦いで打ち破ったのはトルコ系クマン族のマムルーク騎兵。
遊牧民の中で比較すると、全盛期が長く火器に適応できた分、モンゴルより強いと思う。
モンゴルより強いのならば、世界史上最強の戦闘民族と言ってよいのでは。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:07:28
三国志がらみだと、烏桓はトルコ系またはモンゴル系と言われている。
つかあの辺の遊牧民はぐちゃぐちゃだからよく分からんのだけど。
>>262 世界史上有数の大帝国を打ち立てた回数なら中国人のほうが多いし。
中国人だってモンゴル軍を一度ならず撃退してるよ。
領土の広さもウマイヤ朝やアッバース朝に及ばないし。
正直、一気に中国から東ヨーロッパ・シリアまで席巻したモンゴルのスケールとは、
比べるべくも無いと思うな。
それに火器との適応とかいうのまで考慮したら最強はアメリカ軍だよ。
モンゴル軍は当時あったものとしては最高の火器等も所持していたし。
265 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:36:06
>>264 中国人が大帝国を作れたのは別に軍事力に頼ったわけじゃないでしょ。
アラブ人は全盛期が短すぎる。イスラム化から200年程度で打ち止め。
アメリカはここ100年なので問題外。
モンゴルの瞬発力はたしかに凄い。だからモンゴル最強でも文句ないよ。
>>265 軍事力に頼らない大帝国なんて存在しません。
あと、期間とか考慮に入れるならローマ人最強ですよ?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 22:49:55
>>266 頼るっつうのは程度の問題ね。トルコ人は内政がしょぼい。
あと
>>250からの流れはあくまで兵の強さの話だから。
>>267 オスマン・トルコとかは内政面も卓越したものを待っていたが。
確かにセルジュークとかはどうだかな〜って感じだけど、
だからあっという間に滅んだし。
つーか、単純に兵の強さってだけなら、
存続期間や火器との適応云々は関係ない、
支配領域の圧倒的な差でやはりモンゴルってものでは?
>>266 確かにローマ人は優秀だが
今のヘタリアのイメージがあるからなかなか納得できないな。
というか、
ただの印象の話なんだからそんなむきにならなくてもいいだろうよ。
>>250はそういう印象を持っただたそれだけのことでしょう。
ただし、他人に同意してもらうだけの説得力はなかったってだけ。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 23:14:58
>>268 オスマン朝は内政駄目だよ。トルコ人は軍隊にしか興味ない。
単に宗教政策が寛容で人材登用が柔軟だってだけで、インフラ整備とか全然やんないし。
この辺はローマとかとは比べ物にならないほどの差がある。
活動期間の長さはすげえ重要だと思うけどなあ。
>>271 あなたもいい加減止めとけ、
あなたの印象はもう良く分かったから。
>>264 >>世界史上有数の大帝国を打ち立てた回数なら中国人のほうが多いし。
漢と宋と明ぐらいしか無いよ。(宋は微妙だが)
>>275 秦:中原+αの上すぐ滅亡
隋:すぐ滅亡
唐:よくわからない。
唐について詳しい人降臨キボン
>>276 おいおい、
まさか、トルコ最強とか言ってたのと同一人物じゃあないよな?
もし同一人物なら、
セルジュークトルコは、すぐ滅亡でトルコ人の作った大帝国のリストからはずしとけ。
278 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 23:35:48
て、なわけでage
>>277 違うよ唐はともかく隋は強大って印象はないな
隋が有りなら西晋もありじゃないか?
280 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 23:37:46
>>273 唐を鮮卑系扱いするのはちょっとかわいそうな気が…
あと明は最近評価低いね。あんなの世界帝国じゃねーとか。
>>276 唐室の李氏は鮮卑系の貴族。
つか晋末以来、華北には遊牧民が大量に流入したため、純粋な中国人はほぼいなくなった。
>>277 違うよ。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 23:43:35
宋も明も微妙だね
こう考えると漢って結構安定した王朝って気がする
>>275 秦:胡系(ペルシア?)
隋:鮮卑系
唐:鮮卑系
中国に純粋な漢民族の王朝なんか、数えるほどしかない。
>>281 宋は世界的な文化大国ということで、可としてもいい。
蜀はどう見ても不利なので同時代のボーナス武将を3人まで認めてやろう。
そこで俺様の選択
麹義を投入することにします。
キョウドや公孫の騎馬よりモンゴル騎馬の方が強いのはわかるが
彼ならいい戦法考案してくれるはず!
残り二人はトウガイと董卓で。
トウガイには蜀の地勢を思いっきり利用した戦術を練って防衛戦を任せましょう。
総司令には董卓にドーンと構えて貰いましょう。
あ 蜀将いらないかも・・・
>>282 そんな事いったら純粋な民族国家なんか存在しないよ。
周王朝ですら西方系の異民族が混ざってるぞ。
そもそも純粋な〜民族っての自体が幻想に過ぎないわけだから。
>>286 文字通りの純粋な民族なんてのは幻想に過ぎないが、
少なくとも上記の王朝は明らかに漢族ではないので。
周王朝は西方系の異民族が混ざってるというより、
漢民族自体、西方系の出自のような気がする。
>>287 いや、「漢」王朝創始者劉邦は南方系。
そもそも「漢民族」自体が血脈に基づいた単一の部族ではなく、
同じ文化文明を共有する多部族の混合だから、
隋・唐は鮮卑族出身の漢民族と称して差し支えない。
そもそも、五胡十六国時代に多数の異民族が流入し、
漢民族が再構成されることになった、
それ以後の漢民族はそれ以前の漢民族とは別物と考えるべきだ。
って考え方もあるそうだからね。
この考え方に従えば、隋唐は再構成された漢民族による国家ということになる。
確かにそれ以前の漢民族とは別物だが、これを漢民族ではないとするなら、
それ以後の宋や明も漢民族ではないということになってしまう。
隋や唐は再構成後日が浅かったのでそれ以前も出自が明らかだっただけということだね。
また、確かに大規模な異民族の流入はあったが、
文明的には断絶せずそれ以前との継続性があるので、
侵入した異民族は中国文明を受容し漢民族に同化したという考え方もある。
この考えだと隋唐を起こしたのは鮮卑族から同化した漢民族ということになる。
>>288-289 それだとシュメール人もアモリ人もカルデア人も
バビロニア人って言ってるのと同義だぞ。
出自がハッキリしてる分、(それぞれの)民族は民族だろさ。
>>290 中国における「漢民族」なんてそんなもんだよ。
五族共和
漢の武帝の時代には匈奴に勝ったりしてるから、全く勝ち目が無いというわけでもなさそう。
>>293 騎馬民族は強力な指導者がいなければ強くないんだよ。
モンゴルだって、強力な指導者がいた時代は恐ろしく強かったが、
そうでないときはそれほどでもない。
だからこそ、元は明によって北へ追いやられたわけだ。
まあ、だから強力な指導者が全くいない状態のモンゴル軍を想定すれば、
なるほど勝ち目は大いにある。
しかし、スレの主旨だとチンギス・ハーンらの中国侵略軍が相手ということらしいから、
その条件では、まあ、ほぼ絶対的に勝ちめは無いわな。
例えるなら朝鮮から来た在日1代目は朝鮮人だが
帰化した後の4代目5代目は日本人ということですか?
>>295 日本は他民族との交流がそれほどないからね、中世以降は特に。
だからあまり例えに適さないが、
あえて例えるなら、飛鳥時代や大和時代の渡来人は、
最初はあくまでも渡来人だったがいつの間にか日本人になってしまっていた。
って感じでしょう。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 23:46:23
あげてみようか
298 :
無名武将@お腹せっぷく: