>>375 レスサンクス
要するに実戦では気にするなということですな
>>381 補足しとくと、
必要な知識は地位とともに異なる
戦争に必要な知識ははなはだ単純であるが、その習得はかならずしも容易ではない
だそうな 同じく「戦争論」より
いまある専門家がいて、暗黒の対象をあますところなく究明しようとして半生を費やすとする。
このような専門家の知識は、短時日でこれを会得しようとする人に比べて、ずっと豊富であるにちがいない。
これを要するに、後人が改めて事物をひねくりまわすまでもなく、ちゃんと整理整頓した事物を提供するのが、理論の任務である。
それは未来の指揮官の精神を養うものである。
というよりはむしろ、その自習独学を指導する役目をもつ。
「戦争論」より
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 17:20:11
兵法書って現代においてなんか役立つんですか?
386 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/06(金) 19:04:17
>>385 単なる娯楽として楽しむ人もいれば、色んな勝負事に役立ててる人もいるんジャマイカ?
何の役にも立たない人もいるだろうから、その人次第と言っとく
ビジネス書で孫子とかよくあるでしょ。
戦国武将の話をビジネス面でうんぬんみたいなのもそうなんだけど
俺あーいうのは壮大な話がシュシュシューとちっこくなってくみたいで少し情けなくて嫌いだけどね・・・・
>>387 ビジネス書として孫子が売れてるんだったら、出版社の戦略は正しいと言う事かな
でも、気持ちはよく分かる
フラーの提唱した戦いの9原則は知っておいて損は無いと思う
リデルハートの「戦略論」の和訳って復刊されないのかな?
原書房が復刊しなくても良いから、何処かの出版社がまた和訳を出して欲しいもんだ。
391 :
無名武将@お腹せっぷく :2005/05/17(火) 23:21:52
俺は、>299の言うような、最小公倍数ってのに賛同するけどな。
まぁ、孫武その他の人物からすれば、当時の群雄割拠の時代を上手く生き残る方法論を
著しただけであろうけど。
全ての、争いと定義され得る事象の最も普遍的な共通点、と難しく言えばこうか。
つまり結果として孫子なんかの兵法はこれを述べてるんじゃないの?
だから軍事一偏に留まらず様々な分野での活用が期待できる。
言い方を換えれば争いそのものと、それとよく付き合い打克つ方法論を述べているのでは。
極端に言えば人の人生も他者との折り合い、つまり争いが根底にあるし、
だから人生哲学の一端としても活用の余地があると。
文章の中で戦争を述べていたのは、当時が戦争をモチーフに表現するのが
一番分かりやすかったからで結局それが「戦争や軍事、用兵についての本」と
後世に伝わっただけではないのか。
もし孫武が近代に生まれ、別の事象にて論じていたなら彼の本は「政治学」とか
「経済学」なんかと名を変えて世に出てたのではなかろうか。
純粋に軍事や戦略、用兵だとかを知りたい人にはあまり面白くない本だろうね。
当たり前のことばっかりで具体的な論議がなされていないから。
(特に軍事や戦略を語りたい人はとかく難しい文章や考察、論議を好む傾向があるし。)
で、一つ疑問が出てくるのだが、兵法と軍事とはイコールではないのか。
イコールでないのなら、戦争や軍事のみを語りたい者にとって
このスレッドは何の価値も無いということになる。
ペンギンを見に北極へ行く、鯛を釣りに河へ行く、鶏卵が欲しくて牛を育てるようなもの。
孫子の兵法書は、もはや
兵法書という分野を越えて
非常にためになる事が書いてある
役に立たないと思う人もいるかもしれないが
俺はかなり感心する事が多かった
たとえば、地形や状況に応じて
常に臨機応変に対応する事、
戦争とは、上から下までが心を一つにしてこそ
勝てるという事、
戦わぬ事こそが上策なのであり
戦うならば短期で、極力被害を少なくして勝ち目のある戦いをする事
これらは単純に戦争でなくとも、
思想として非常に感嘆する所がある
>>391 具体的な議論に入っていかないのなら、このスレで話す事って何なんだ?
兵法だろうが戦争術だろうが、戦争を語る事には変わりは無いのだから、
東洋の、所謂兵法書の内容のみで、それも抽象的なことしか語らないというのはおかしな話だと思う。
孫子は実に素晴らしい。リデルハートが手放しで賞賛するのも頷ける。
戦争における普遍とも言える原理を、実に分かりやすく説明してある。
しかしながら、孫子が入門書にしかならない事も事実だろう。
孫子を読んだだけで戦争の具体的な論議ができるという人間は稀であろう。
軍隊経験すらないのだから、孫子だけでなく古今東西の様々な軍事に関する名著を読み、
また、戦史を読み多くの戦例を知る事が必要になる。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 02:37:22
>>391 このスレは戦争について語るスレだったか?
あくまで兵法であったはずだが、まぁ軍事論も兵法の範疇内であるかもしれないから
軍事を論ずるのは構わないけど、狭義としての軍事論を語り、そこへ狭義としての
兵法を当てはめても2つとも違う概念だから語る人物の考えでどちらに優劣があるかなどは
決めかねるものであると思う。
だから極狭い概念の軍事論を片手に孫子などの兵法を照らし合わせ「役に立たない」と
論ずるのは結論を急ぎすぎだし、何より意味がない。
ではこのスレで話すことで妥当と思うのは事例(有名な戦い等)を元に兵法を代入していってその是非を
検証するとかじゃないの。それでこそ議論しながら既存の兵法の欠点を見出したり、
自らの兵法も磨いていくこともできる。ここで自分の知恵をさらけ出しても虚しいだけ。
>>394 孫子が入門書というのは分かる気がするけどどっちかというと「αでありΩである」ってカンジだな。
まぁ兵法の先駆け的存在は太公望だろうけど、体系化してさらに洗練したのが孫武ってとこかな。
あとの呉子以下のものは孫子を補足するものとしての存在ではないかな。
古今東西の書を読むのはいいけど、ヨーロッパには兵法書なんかあるのかな。
西洋のものはどれもこれも狭義の軍事論、戦争論っぽい気がするんだけどなぁ。
だから西洋の人物が著した書物と孫子など兵法を比べても
根本的な物の見方、考え方、研究材料が違うから比べようがないししょうがないということ。
孟徳新書が役に立ったのは、周ユが荊州に攻め入ったとき曹仁が使ったときの事しか
思い浮かびません。ほかの場面で孟徳新書は役にたったのでしょうか?
ってか、孟徳新書ってほんとにあったの?
それとも魏武注を笑い話に仕立てたものなのか?
孟徳新書っつうのは
曹操が孫子の兵法書を注釈・編纂した事を元にした
創作だよ
とても良い事をした功績を、曹操のあほさを強調する為に
嫌なアレンジの仕方をした典型
>>395 狭義の軍事論って一体なんだよ?
あと、東洋と西洋で考え方や根本的な見方が違うって根拠は何だ?
400
政治のための戦争 と、 戦争のための戦争 の違いじゃないかな?
>>401 そういう意味だというのなら、それこそ西洋のものを毛嫌いして読んでいないという事になる。
「戦争は政治の延長」という有名な言葉は、クラウセヴィッツの戦争論からの引用だしな。
>>401 全ての戦争は政治行動とみなされうる
いかなる事情のもとでも、戦争は独立したものと考えられるべきではなく、一つの政治的道具と考えられるべきである。
このような考え方に立ってのみ、我々は、もろもろの戦史を正しく理解する事が出来る。
「戦争論」より
「戦争論」以前に、例えば中世あたりで、
政治と戦争を一体化させた兵書って、西洋にあったのかな?
中世なら7世紀のビサンチン皇帝マウリスが、「Strategikon」という本を著したが、
和訳はされてないようなので、自分はその内容までは知らないな。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 22:28:13
まず、狭義の○○ってのは、追求しようとする価値が限られているってことだよ。
戦争論や軍事論は、国家もしくはそれに準ずるものが起こす戦争やその過程、
実際の戦闘行動における、これがもたらす状況や一連の動きの偏差の探求を目的としている。
それに対して孫子を代表とする兵法は、全ての争いに対して純粋に勝ちを収めるためだけの方法論を
とりあえず国家間の争いをモチーフにして説いている。
前者は「戦争とは何か?」を研究の対象とし、後者は「勝つにはどうしたらいいか」を論じている。
根本的な物の見方が違うってのは価値の対象が違うってことだよ。これで理解できなかったら100回読み直してくれ。
あと誤解しているようだが、クラウゼヴィッツ等を兵法より劣っているとか言ってるんじゃないからな。
で、結局何が言いたいかというとこのスレでクラウゼヴィッツなんかを引用して
兵法を語っても、兵法を分かりはしないのでしょうがないと。求めるものがノッケから違うんだから。
まぁ、ただ語りたいだけなら別にいいけど。
408 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 23:09:56
>>113 とりあえず
瞞天過海:「いくぞ!」と叫んで動かない を繰り返す
囲魏救趙:観客席に居る敵の親戚親友彼氏彼女等を攻撃する(反則なのでバレないように)
借刀殺人:押し倒して将棋倒しにする(反則なのでバレないように)
以逸待労:ひたすら逃げる
趁火打劫:開始の合図が鳴る前に倒す(反則なのでry)
声東撃西:これはそのまんま
無中生有:厚底靴を履いて威嚇する
暗渡陳倉:観客の中からいきなり伏兵が躍り出る(反則ry
隔岸観火:(3色対抗の場合)他の2クラス同士の試合の前に奴らの帽子に剃刀を仕込んで怪我させる
笑裏蔵刀:一騎討ちを申し出て大将が出てきた瞬間に全員で倒す
李代桃僵:雑兵に大将のハチマキの模造品を付けさせて逃げ回らせる
順手牽羊:すれ違いざまに足払い
打草驚蛇:試合前に体育館の裏で一名締め上げて作戦を聞きだす
借屍還魂:倒されたても「ゾンビーーー」とか言いつつ騎馬を組みなおして復帰する(反ry
調虎離山:敵大将の人格やプライベートを全校生徒の前で攻撃し、おびき出す
>>406 というかさ、そもそも孫氏すらろくに語れんだろお前。
ただ読んだだけで。
>>404 マキャべりの君主論なんかどうだろうか?
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/18(水) 23:46:14
敵対的買収
相手先の経営陣や親会社に事前の同意を得ないで株式を買い集めて買収
すること。経営権を支配できる議決権を取得するために発行済み株式数
の過半数か、株主総会で特別決議を拒否できる3分の1超の取得を目指す
ことが多い。その手段として通常TOB(株式の公開買い付け)が用いられ
る。日本では2003年に米系投資ファンドがユシロ化学工業と毛織物染色
のソトーに実施したのが有名だ。
戦争論は、「戦争に勝利する方法」を叙述したものではなく、
「戦争そのものに対する考察」だってのは実際に読めばすぐに分かる事なんだがな。
お前らそんな色々考えて本読んでるのに
なんで2chへ必死になって書き込みしてんの?
何事も必死になれないつまらん奴よりはいいね。
兵法を学ぼうとする人にとって、兵法書を教科書とすると、戦争論などは参考書になりうると思うがいかが?
なんで東洋と西洋を分離させたがるんだ?
東洋の兵法と、西洋の戦争術との間に具体的な違いがあるとでも言うのか?
クラウゼビッツは勝つ為の戦略、戦術を論じてるものではないから兵法ではないと言いたいんじゃね?
まぁ、何よりも読む価値無いのは、
ろくに書き込みを読めず、
中国の兵法に熱心=西洋毛嫌いと決め付ける文盲のレスだがな
戦争における戦略的、戦術的思考は、戦争のみに適用されるようなものではなく、
幅広い分野での闘争においても同様に適用される。
従って、「戦争論」が戦争自体に対する哲学的な考察であったにせよ、
それを読む事で得た様々な思考が、闘争において勝利する鍵となるのは確かである。
つまり、「戦争を題材に、勝利する方法を叙述した書」と言うのは、
「戦争そのものに対する考察を叙述した書」と、本質的には変わらないのである。
ただ、後者は前者に比し、詳細な行動を理解するのは容易であっても、
それを現実の闘争に応用するのは難解である。
ここにいる人なら知ってる事だろうが、「戦争論」は未完成のまま発表された
著者の序言にはこうある
本書にあっては、見たところ、体系などは全く見出されず、あるものは、それを組み立てる切り石だけである。
(中略)
しかし著者自身としては、その間に内的な連関のある事を信じている。
恐らくやがて偉大な頭脳が現れて、これらの断片的な発言をもとにして、混じり物の無い、純粋な金属で出来た全体をつくりあげるであろう。
孫子、呉子、六韜と読んでいるのだが、解からないことが一点ある。
何故、昔は戦車(馬車)一台が歩兵80人に匹敵すると六韜に記載がありながら、
三国時代には、戦車は不要となったのか?
本には、時代とともに必要なくなったっと記載されているが、どうすれば昔は
あれほど重要視されていた戦車が不要になるほど、騎馬、歩兵が重宝されたのか
理解が出来ん。
エロイ人教えて。
戦車が強かったのは人数少ない戦争だから
戦車を扱えるようにするには膨大な訓練が必要
それこそ子供の頃から仕込んでないと無理
しかも戦車が強いのは中原だけで少し山がちなところに行くとただの馬車と化す
汎用性もなく数もそろえられない上に機動力での攪乱ならば騎兵でもそれなりに出来る
騎兵の方が数が簡単にそろえられるし育成も楽
戦車がいらなくなるのは時代の趨勢
戦争が大規模化するに従って練度の低い部隊が増えれば戦車なんか扱ってられない
訓練の難しさもあっただろうけど、一番の理由は汎用性の低さじゃねえの?
山越え、河川の渡しでは足手まといだし、
平地であっても雨の後とかだと車輪が泥に沈んでしまう。
戦車中心の軍団が大規模化すると、メンテナスようの職人も沢山連れ行かねばならん。
歩兵・騎兵だけなら、平均行軍速度も計算しやすいし、
用具のメンテナスに掛かる手間も戦車と比べれば少ない。
戦場が中原、河北辺りに限定されていた春秋時代ならいざ知らず
戦国以降は戦術域にある地形が千差万別だからな
信陵君が連合組んで秦を函谷関まで追い遣った時もそれ以上は地形が悪くて進軍できなかっただろうし
まあ兵糧とかの問題もあったんだろうが戦車は中原でしか使えない特殊兵器でしかないって事だよな
中原の平野戦のみで運用できる物よりは多少山でも動ける騎兵に取って代わられても仕方ない
騎兵は騎兵で鐙の発明までは乗馬技術が特殊な技能で訓練が必要だったにしろ一人でも訓練できるからな
車を使う際の原則は「呉子」の応変の章に出てるぞ
およそ車を用うるには、陰湿なれば停まり、陽燥なれば起ち、高きを貴び、低きを賤しむ。
その強車を馳せ、もしくは進み、もしくは止まるには、必ずその道に従え。
敵人もし起たば必ずその跡を遂え。
426 :
ドキュン坊:2005/05/22(日) 20:09:44
大橋武夫を読みなさい「全て」が書いてある。
427 :
尚書令ドラミちゃん ◆rXXEdmnrEc :2005/05/29(日) 20:07:26
>>425 孔明が車椅子で悪路の中を進んでいた件について
そうかあの車椅子は子連れ狼みたいになにやら武器が仕込んであるのか!
まさに戦車だな!
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/01(水) 01:00:53
パトリオット2基積んでるだけ
パトラッシュ二匹で牽いてるのか。