蜀将討議スレッド7

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蜀将討議スレッド7

蜀の人物の戦争における実力功績を討議するスレ。
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。

<前スレ>
蜀将討議スレッド6
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089022105/

<過去スレ>
蜀でNO.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085319730/
蜀将討議スレッド2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086111941/
蜀将討議スレッド3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086376565/
蜀将討議スレッド4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086984613/
蜀将討議スレッド5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088188865/

姉妹スレ及び暫定順位は>>2-5辺り
<姉妹スレ>
蜀で孔明に次ぐNO.2の参謀は誰か?2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085741405/
劉備は本当に英雄なのか?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083494337/
「関羽討伐について…」のまとめ二考
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083844807/
魏の名将・良将を語るスレ 其の三
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089982929/
呉の名将ベスト10を決めよう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085994293/
魏呉蜀黄巾以外の名将ベスト10を決めるスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086309791/
暫定順位

1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽
4〜5位 姜維 魏延
6位 張飛
7位 王平
8位 黄忠
9位 張嶷
10位 趙雲
根本的なことだが劉備は蜀将にはいるのか?
1乙
6ゲト
前スレのランクからなんだけど、現時点で
>4〜5位 姜維 魏延
は姜維信者の願望入りすぎてる気がするな。
ちょっと前まで魏延>姜維と張飛のどっちが上?
だったわけだし。
>>7
別になってないと思うが。
前スレのどの辺りからそう思ったんだ?

それと、姜維と魏延の上下はまだ決まってないんだから、
そう思うなら自分で論拠立てて主張してみりゃ良いんじゃないか?
>>8
別に姜維、魏延、張飛の辺りは自分で考察するつもりは無いんだがな。
最近は見てただけだし。関羽姜維が絡んだら基本的にROMってる。
ただ、それまでが魏延>姜維と張飛議論になってて、
姜維>張飛の流れになった直後にいきなり魏延=姜維>張飛になってたので
違和感があるだけだ。
その間に魏延と姜維の比較なんてほとんど無かったしな。
>>9
確かに,そんな流れだった。
まぁ,どうせ暫定順位だから魏延と姜維の比較も一度やっといてもいいかな,と思っていたが。
>>8
まあ、>>9の言う通りだと思うし、むしろ現状こそが論拠立てて主張なんか
されずにまかり通ってる状況だよね。
暫定4〜7位:魏延>姜維>張飛>王平?
って感じで,各人の比較をしてみる段階,でどうよ。

ちなみに王平入れたのは,魏延>姜維and張飛だったのが,姜維>張飛となったら魏延=姜維となったので。
王平>黄忠となってたから,それならば同じ理論で王平も段上に立たせるのが理屈かと思った。
何でも良いが、ここよりまずは前スレを使うべきじゃないか?
14無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 01:45
場所がわからんのでage
王平と張飛はどうなんだ?
王平の曹爽の大軍防ぐのを評価すると
王平>張飛になりかねないような・・・
張飛は漢中で曹休に負けてるというマイナスもあるからなあ。
張飛の場合は、放浪時代の功績をどれだけ大きく見るかで変わってくるかもな。
17無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:12
張飛は蜀建国に尽くしたことで、蜀になってからは
あまり目立つ活躍というのは思いつかない。
とは言っても、彼はどっちかっていうと守備的位置に配置されていたから
しょうがないといえばしょうがない。
張飛がパトロンていう説はかなり異説だしな
ていうかはじめてここで知ったんだけどほんとなのかな?
19無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:15
それよりも、猛核が孔明の馬番だったという事のほうが分からない。

簡ヨウが殺し屋だってのもわかんない
気持ち的に王平>張飛は嫌なので
張飛のいいトコ探すことにするw
22無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:22
張飛のいいとこは、正義感溢れ官職にとらわれなかった所
>>21
どれ程優れた防御であろうと、敵の戦術行動の破綻は出来ても敵の撃破には至らない。
即ち、攻撃なき防御は敗北である。

王平は防衛戦においてしか活躍した事はなく、張飛には攻勢における強さがある。
よって、張飛>王平とするのが妥当と思われる。

という感じでどうだろうか?無理矢理か?
>>22正史では督郵を半殺しにしたのは劉備だぞ?
25無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:39
>>24
いや別にそういう意味じゃなく、自分よりも身分が下の人でも
良く対処したことがあったでしょ。
26無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 02:49
将ではないな、一勢力の頭領
まあでもチンジュの評価とか見ると正義感の強さは感じ取れるね
民間伝承でもほとんどがそういう評価なので正義感の強い勇猛な武人というのは
的を得てると思う。

>>23
相当苦しいな 王平もそこそこ北伐で攻撃に参加してるし・・
わからないでもないが。その理屈。
厳顔を降らせた時の様子は節義をわきまえて立派だったぞ張飛
張飛を表す言葉として

「粗中に細ある英雄」

という言葉がある これは相当的を得てないか?
張飛の当陽での殿軍はどう評価する?
演義と違って曹操軍の総数は精鋭騎兵とはいえ5千程度だったらしいが
それでも張飛が劉備に与えられた手勢は僅か二十だったわけだし
オレなら泣くぞw
・張飛があまりに哀れだった
・20人に5000人で立ち向かってもかえって曹軍の名折れだった
ため兵を退いた。すべては諸葛亮の策略。
>>30
俺なら絶対に死んだふりでやりすごすだろう。

たしかにそういったエピソードは名将(英雄かな?)
としてプラスにはなるかもしれん
ただそういうのを考えはじめると趙雲も評価せねばならず
キモなま暖かい雰囲気がスレを覆うことだろうw
蜀はもう7スレ目かよ
呉スレはどうして伸びないんだorz

蜀なんかよりよっぽど名将粒ぞろいなのに…
呉スレは
俺はリクソン推す
俺はリョモウだな
いや俺はシュウユだ
と名前の列挙で満足して考察に話が進まないからな
きっとまんどくさいのが嫌いな南人気質が
ファンの気質にもなってるのだろうw
35無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 03:15
まあ、ぶっちゃけ。張飛だったら、5000人相手でも
楽勝だっただろうけれどもね。


まじめな話、合戦になっても武将が兵士を殺す数なんて
10人ぐらいがいいところだよな?
>>32
足軽とは鎧が違うので、すぐに気づかれ恩賞にあとであずかる為に
絶対に首を持っていかれると思う。
>>35
一騎当千だからな。5千くらい片手で十分だな。
>>33
(・∀・)ニヤニヤ
>>36
じゃあ脱いでその辺の死体の足軽の装備に着替えて
死んだふりするよw

最低の将だなw
40無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 03:23
>>39
いや、ばれないからOKだと思う。
>>33
ぶっちゃけ人気。
関羽、姜維、魏延、張飛>徐晃、曹仁、張郃、張遼>(壁)>呉将全部
悲しいけどこれ現実なのよね。
42無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 03:28
>>33
呉って 暮れと読めるからね。。。
張飛は鬼教官だったんだろう
練兵とか担当してたようだし
軍にそういう存在は必ず必要ではあるな
いいんじゃねえ?何かに特化した将ってのも、
全てが及第点以上であることが求められる名将ではないにしても。
合戦だと軍勢が一回ぶつかった時に一人で十数人殺すのがせいぜいだろうな。
けど別に殺しまくる必要はないんだよな。そうした武勇が敵味方の兵士の感情に
影響すればいいわけだから。
ま、自軍が勝っても自分が死んだり傷ついたら元も子もないしな、兵卒にしてみれば
指揮官と違って責任なんてないしな〜
>>33
呉は演義から正史のリバウンドで過大評価されてる面もある。
実際呉で名将に値するのは孫堅、呉の基盤を築き上げた孫策、孫策を助け曹操軍を退けた周瑜、関羽から荊州を鮮やかに奪取した呂蒙、劉備の侵攻を完膚なきまでに阻止した陸遜、晋の侵攻を防いだ陸抗くらいじゃないか?
まあ、これだけいれば充分過ぎると思うけどね。

あとは有能であってもいわば局地戦で活躍はしたが大勢にはあまり影響ないというケースが多いんじゃない?
反乱鎮圧や山越討伐を除く。
48無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 05:08
廖化は議論対象になりませんか?
>>48
凡将、経験やらを加味しても良将どまりじゃないかなぁ
ギエンの死に関して、出身地による派閥は関係なかっただろうか?
ギエン死後は荊州派閥の者がいなくなってたと思うんだが。
政治は益州派閥に皇族、軍はキョウイ・馬岱・王平等の外様に。
こういうのは考慮されるのかな?
51無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 07:57
そりゃないよ。ギエンも外様ではある。孔明に嫌われたbQだったか
らってだけ。孔明もヨウギもショウエンも出身は荊州。孔明自身が北
伐は自分以外には無理だと思いあがってただけ。少なくてもギエンが
孔明に軍人として劣る要素はネー。奴の人を見
52無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 07:58
る目はあてにならん。
>>51,52
孔明に嫌われたって?
54無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 09:47
呉はヒールだからな。
>>41
蜀将はそれぞれに論議できる固定ファンが何人かついてる感じだね。
蜀将の魅力ってなに?

人材の質では魏>呉>>>蜀なのに
なんで人気は蜀>魏>>>呉なんだろう…。

なんだかんだいって演義の影響大なのか?
>>55
人材の質では魏>呉>>>蜀なのに

断定がうざい
ともかく蜀将討議の場だからそれする気がないなら
よそへいこうな
>>56
人材の質では魏>呉>>>蜀

別にまちがっちゃいないと思うが、
俺は呉に魅力を感じない。
>>53
演義準拠で話てるんじゃないのか?
じゃなかったら・・・・

>>56
断定するのは確かにイクナイがやっぱり武将の質も魏>呉>蜀って
感じになると思う。
おれはむしろ>>55がうざい。
お前ら蜀将の話しろよ
とりあえず暫定順位はあくまで「暫定」
ケチをつけるならはっきりとした根拠を持って発言しよう。
あとできれば過去ログも少しは読んで欲しい。
せめて一通りの順位が一度決まるまでは同じ議論を何度もしたくない。
関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲!
魏延に姜維!王平に馬忠!張翼に廖化!ケ芝に張嶷!
呉懿!霍峻!呉班!陳到!李厳!羅憲!尚寵!高翔!
傅僉!王嗣!王含!蒋斌!霍弋!李球!黄嵩!胡済!

・・・どうだ、豪華すぎて鼻血が出てしまいそうだろ
孔明は風向きを変えることができるのでNo,1でよろしいでしょうか
>>62
演義厨なら帰れ。ネタでも笑えない。
64無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 14:20
ほとんどの蜀オタは演義厨出身。
ネタで将
>>61
馬タイがいない・・・
孔明が2位とかって時点で演義厨。
正史著者・陳寿に「臨機応変な戦術は得意じゃねーよ」って言われてるのに。

名将って基準で選んでるなら、1位の劉備もおかしいだろ。
彼がどんな戦略で功績を残した?夷陵でボロ負けしてるのに1位か。
その人物の名前で決めてるとしたら、単なるミーハーとしか思えん。

オマエラ、演義で誇張されて、冒されちまったとしか考えられん。
68無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 14:47
素直に張嶷一位にしろ。
>>67
過去スレを手間惜しまず嫁。以上
67は演義厨だな
67にとって蜀の1位と2位は誰になるんだろうな…
むしろ蜀オタは演技から入り正史など一通り見て回帰した連中が多いはず。
演技(漫画)→ゲーム→とんでも演技(反三国志)なんていう純粋にやばい奴もいるだろうが。
だいたい演義厨なら
一位 孔明
二位 趙雲
とかになるはず
劉備なんてランク外
74無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 16:26
まあ連休中だからいろいろあるのさ
いちいち気にせんでも・・
75無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 16:32
正史厨うざい
76無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 16:35
議論厨うざい
蜀 厨 は よ く 釣 れ ま す ね
78無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 16:45
張嶷を一位にしてくれよぉぉぉ。
釣り宣言で逃げか
芸がないヴァカが湧いたな
80無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 16:55
うじゃうじゃ
正直な話〜厨とか言ってる香具師が一番ch(ry
いまだに「香具師」なんて使っちゃう低脳いるんですね
正直、笑っちゃいました
もうこのスレ自体が厨
>>32
趙雲の場合は、乱軍中に非戦闘員を保護したのであって将帥に求められる素養を示したとはいいがたい
張飛の場合は、殿軍だから小勢とはいえ軍事行動じゃ?
厨認定厨が一番うざい
うざいっていうやつが一番厨
その手の雑談なら,前スレでやって埋めてこい。
88無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 21:03
連休中っていうのはこういうもんだよなあ
89変質社:04/07/19 21:13
>>67
・・・・シバイに奇才ってゆわれてるだろうが
90無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 21:14
>趙雲の場合は、乱軍中に非戦闘員を保護したのであって将帥に求められる素養を示したとはいいがたい

記録が少なすぎて何とも言いようがないけどな。実際何してたのかよくわからないが、赤壁まで劉備軍自体
兵数が少ないし、兵士達も入れ替わり立ち替わりで、調練も落ち着いて出来なかっただろうから、なかなか
将才をあらわすのも難しかったと思うよ。

実績があるとすれば、その後南郡を取ったときだけど、何にも書いてないしなあ・・・。
事跡がはっきりしてないからなぁ・・・。
今のところは黄忠、王平>>趙雲で良いんじゃないだろうか?
将というよりも部隊長っぽいし。

武勇に関してだったらだいぶ上位に食い込みそうだけど。
前スレでは黄忠も部隊長と考えられてたように思えるが。
ただ、その部隊長としての功績や実力は群を抜いていたようだが。
張飛と王平はどうすればいいのかな
>>90
南郡を取ったことは無かったと思うけど…
>>94
恐らく、荊州南部四郡の事でしょ。
略しすぎて分かりづらくなってるけど。
9690:04/07/20 00:32
>>95
あ、それもそうか。
>>96の名前は94ね。
他人の振りしてしまった・・・orz
90氏スマネェ。
初代スレが5/23で、もういつのまにか7スレ目か。
新作ゲームのスレでもないのに異例の早さだな。
蜀将はやはり人気先行か
正史記述が多くない分想像をかき立てる隙間が多いのかもしれんが
まあ
正史記述が多くない分想像をかき立てる隙間が多いのは事実だと思うが

蜀将が他国に劣るというのはどうかな
そもそも劉備、関羽、張飛は曹操と同じく中原の乱世の生え抜きであって
小さな世界(蜀)の中からのみ勝ち上がってきたわけではない。
孔明もそれは言えるだろう
しかし三国が形成されそれぞれの国が独自の運営をなされはじめたあたりからの人材は
蜀は他国に劣る部分はあるかもしれない。(単純な人口比で)

それと人材の質について思うに魏は曹操の方針で唯才を尊ぶ人材登用を行おうとしたが
曹操の極近辺ではそれはなされたが、曹操の知らぬところの大半の人材は最低限の必要条件
(家柄や素行など)をクリアしてる平均以上な人間(いわゆるまともな人間)が登用されてたと思う。
それは魏がまともな土地にまともに建国されているからである

他方蜀は劉備自身の出目からも人物眼は自然と唯才でありそのブレーンもあまり家柄云々
にこだわらない出目が多かったことから集まる人間は全体的に唯才の人物が多かったように思う。
どこか欠けてるがある面において抜きんでてるタイプが多かった。
しかし孔明の時代になると孔明はまともなので最低限の能力やら条件を満たした者から人材を選別
したように思うので蜀の少ない人口とあいまって小粒なのが多くなってしまった。

え?呉?うーん考えるの面倒なのでどうでもいいっすw
101無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 05:47
ちゅーか九品中正自体クソ制度だからな。
だれか益州出身で有力な蜀将の名前挙げてみて。
呉懿。
呉の人物も能力はあるが、人格面に問題ある奴が多いな、そういや
104無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 07:26
>102
益州出身だと、黄権、馬忠、王平。張疑もか。そんなトコか。
後は有力か解らんが、張表(後将軍・ライ降都督)、李福(尚書僕射から前監・揚威将軍)、句扶(左将軍)、柳隠(黄金囲督)ってとこか。
地味だが王詞(西安囲督)も異民族に人望があったようだな。
ほとんど荊州組が荊州出身だからそんなとこかな。
105無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 10:21
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
>>105
いや、一番ワリ食ったのは諸葛亮だろ。
>>100
やはりなんだかんだ言っても、孔明がいなければ蜀は成り立たなかっただろう。
人材の質というのは、良い家柄をどれだけそろえるかと言っても過言ではない。
呉の人材が意外に多いのは、曹操が徐州で虐殺を行ったためその地方の士族が
呉の方面に流れたため。(極端に言えば徐州虐殺が統一を逃させたと言ってもいいのでは)
劉備の飛躍は孔明により荊州士族が集まりだしてから始まったもの。
これを考えると関羽・張飛は年功序列で重用された部分が大きく・・・
関羽・張飛の功績は怪しいものとなってくる。
>>105
前スレ埋めたら帰れよ。

>>107
関羽・張飛の功績は、劉備が傭兵隊みたいに活動していた
時期からのものが多いからだろ。
そりゃこんな武官だけで国は建てられない。
建国の経緯だけを取り出して両者を年功序列と評するのはおかしい。
109107:04/07/20 10:59
>>108
それでは、関羽・張飛が荊州時代に入ってきてもあの地位に就けるような
人物だったのか?
建国の功績に関しては、関羽・張飛がいなければこれこれができなかった
と言えるものがあるのか?
しかも、両人共に守成時にはおらず、守成すら行っていない。(片方はあっさり守成に失敗)
それが、無い以上年功序列か劉備との関係という事で評価するしかないと思うのだが。
110107:04/07/20 11:01
あと、勘違いさせているかもしれないが、
これは関羽・張飛が無能だと言っているのではなくて。
当時、家柄がどれほど活躍に影響するか、という観点から論じているだけ。
それだけに、劉備の凄さがわかるが
豪族連合に頼らず国家運営しようって試みは、曹操と孔明がやったらしい
私有地・私有民を官籍に入れたりなど
その施策によって、他の勢力より支配力の一元化を推し進められた
だけど完全に豪族の勢力を削ぐなんてことは不可能で
結局司馬氏という豪族が最後の勝利者になったのは皮肉というかなんというか
112無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 11:43
蜀将討議だ。
113100:04/07/20 11:51
まあまともな人間が求められる時代と
特殊な人間が求め得られる時代
それぞれあるということだ。
関羽、張飛、劉備のような人間が乱世で活躍できたからといって
平和なときに活躍できるもんでもなく
平均的で無難な人間が乱世で頭角あらわせるかというとこれまた難しい。
しかし、いつの時代でも活躍できそうな曹操みたいなのもいる。
治世の能臣、乱世の奸雄とはよくいったもんだ。
傭兵隊の幹部というか隊長としては、
関羽・張飛が出世できる下地があったんだろう。
劉備との関係をことさら強調する必要はないと思う。
まあ、その時代の記録が少ないから
具体的功績を挙げろといわれても困るが。

>>109

荊州時代に入ってきた武官というと
黄忠・魏延あたりだろうけど、
これと関羽・張飛を比較しても、
それなりの地位には就けるんじゃない?
115無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 12:12
食傷気味・・・
しょうがないでしょ。
今更2スレ目のコピペが跋扈したりしてんだから。
もし現代に関劉張がいたら・・

劉備..........意外とただの女たらしで人生終える
関羽..........会社とかの組織は上手くなじめず陶芸とか職人の世界でいきる
       当然三國志のような活躍は無理
張飛..........愛嬌があるので目上に可愛がられ出世する。
       徐々に知恵もつけていき、会社設立、結構うまくいく。
       出る杭はキッチリつぶしていくので
       最後まで自分の地位を守り通すことに成功。
張飛は
>愛嬌があるので目上に可愛がられ出世する。
>徐々に知恵もつけていき、会社設立、結構うまくいく。
ところが部下に厳しく当たるため、腹心の幹部が人心を得て
会社を乗っ取り。一転して無職の身に。
だろ。
ちょっと一息。
>>115、蜀将気味……って蜀将討議スレだから
あたりまえかw

いや、失礼。さあ、気分を変えて爽やかにかつ熱く
蜀将を討議してくだされい!
120117:04/07/20 12:34
>>118
職を失った張飛はプライドデビューでヒョードル撲殺。
無敵のチャンプとして400戦無敗の英雄となった。
ってところだな
張飛パトロン説(資産家)+美男説を取ると
現代においてかなり無敵な男な気がする。
張飛が現代に居たとしたら、
交番のお巡りさんがぴったりだと思うがな・・・。
趙雲とかニューヨーク支店とか逝きそうな勢いだな
124無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 13:03
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
>>122

部下・目下の者に容赦ない性格だから
両津勘吉みたいなやつになるかもな。
両津勘吉=張飛
ワロタ
127無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 13:09
関羽に荊州の統治を一任した劉備も悪いな。なんで外交権もたせてるんだ
よ!
黄権なんて転職しても元の会社から扶養手当が出そうだな
>>127
いちいち病気の姜維ファンに反応するなよ
>>124はスレッド2の頃からの変態だぞw
世の中黄権みたいな世渡り上手もいるからなあ
上手いことやったよ彼は..
131無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 13:18
ゴミーン。
建国の功とはちょっと違うが、関張がいなければ劉備はとっくの昔に暗殺されていたと思うので、歴史的な影響度は非常に高いと思う。
黄権は世渡りの前に能力があるじゃん。
能力があって、真面目というか至誠を尽くすタイプなら
どこへ行っても評価されるだろう。
134無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 13:24
黄権は能力があるにも関わらず世渡りを試みなかったから高い評価をうけたんじゃないのかな?
魏帝の前で堂々と劉備への信頼を述べるなど、硬骨ぶりで
もっとも見る目のない人間の元に行ってたら干されるか疑われて謀殺されるかだっただろうが
暗殺って・・・・連休は終わったんじゃなかったか?
>>134
俺は何となくだがそれを計算尽くでやってたような気がする
もしほんとに劉備への信頼や忠誠が本物なら死ぬか劉備の元へ戻るか
してもいいような気が...
あと魏でかなり出世してるでしょ。
隠居生活とか送ればまだわかるがもの凄い出世ぶりだからなあ。
なんか計算感じます。
姜維はヘッドハントされて行ってみれば恵まれない職場で、
周りが難色示してる中空気に馴染めないで嫌われ支社に飛ばされ、
デカイプロジェクトに一人で燃えて成功したり失敗したりしてる内に本社倒産
138不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 13:32
どんな時代もクレバーな男が一番得をするものです
>>137
倒産の原因にそのプロジェクトの多大な損害による赤字が...
しかし劉備崩御後、よく蜀は瓦解しなかったな。
袁紹死後のように分裂することなく、劉表死後のように早々と曹操に降伏するでなく。
孫策の後を継いでおよそ10年になる孫権ですら曹操が荊州まで進出してくると降伏論を唱える家臣がいたのに。
夷陵の敗戦で多くの将帥が死に、それ以前には荊州失陥で国力が落ちているのにな。
>>136

黄権は夷陵で帰れなくなってやむなく魏に降ったんだよ。
これで恩を忘れてほとぼり冷めてから蜀の元に帰ったら
魏への背信行為も甚だしい。
大体、魏で出世したからといって蜀への忠誠心がないことに
直結するわけがないだろ。
>>139
+本社の内部腐敗と本社・支社間の仲の悪さと連絡不備
>>141
于禁もやむなくつかまってるな...
なのにこの扱いの違いって...
>>140
その辺をまとめてしまう政治手腕こそが諸葛亮の真価なのだろう。
>>137
その後中絶したプロジェクトを吸収先の会社に持ち込んでみるも
実現のために行った強攻策がたたり、逆に追放され路頭に迷う
>>136
魏が降伏者を優遇するのはお約束のパターンかと。関羽、張コウ、劉綜、張魯などなど。
自分は優遇されてる立場にあることを理解してる上で、劉備への忠誠心を語ってるんだろうけど。
>>140
その為の北伐ですよ。
譲禅が行われていたのが不幸中の幸い
148不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 13:45
>>144
確かに諸葛亮が死んでから組織としてガタがきてるんだな
まあトップがアレだからってのもあるが
さすがに曹丕まで、漢室を擁立したままならば(ありえないが)
諸葛亮でも無理だっただろう。
>>140
袁家の場合、優秀で後を継げるほどの年齢の息子が複数いた上に、曹操が内部分裂を煽っていた。
劉表死後直後や赤壁直前には曹操が大軍で目と鼻の先に迫ってた。
彼等と蜀を比べるには、状況が違いすぎるかと。
劉エンが死んだ時だって劉ショウへの引継ぎに大きな混乱は無かった。
>>148
ガタは来てないよ。ガタが来るのは、もっと後。
152不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 13:59
>>151
上意下達のシステムとしてガタがきてたっぽくないか
国家としてはまだしばらく後だが
>>152
皇帝劉禅に政治軍事の実権は無く、諸葛亮のような絶対的な指導力を持った人材はいない、丞相は空席。
上意下達の「上意」部分が無くなってるな。
そういう意味では上意下達のシステムは確かにガタきてるね。
154不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:13
漢中と中央が別個の意志を持ちはじめたのも諸葛亮没後
イリョウからわずか数年で全体を束ねて軍事行動を行なえた諸葛亮は確かに非常に希少な才能の持ち主
155無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 14:14
上意下達のシステム。そんなもの孔明の時からない。劉禅の意思で北伐
行ったわけじゃない。孔明の意思そのものだったじゃん。
156不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:16
>>155
いや、要は命令系統として全体をコントロールし、目標に向かって蜀全体を動かすシステムの能力減退ということ
157不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:22
無論それには国家全体を把握して、計画的に軍事行動を起こせる、
しかも他の人物と連携を行なえる人材が、絶対的にかなり近い権力を持ってなければ困難
姜維に欠けていたのは全体把握と連携するための人望+権力+立場
その上国家として魏に圧倒的に不利だったわけだし
要するに皇帝を遊ばせただけの孔明が悪い。自分に権力が集中するのではなく、皇帝に権力が集中するような中央集権システムを確立しておけばよかったんだ。
劉禅に権力が集中した場合の一例

劉禅「え?経済に問題?じゃあ貨幣を思い切り発行しよう」

トウタクの二の舞
人材はいないし皇帝はボンクラだしどうやったって失敗ですか・・・蜀だめぽorz
じゃあ上意下達のシステムなんて無いほうがいいよ。
162不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:29
それを烏合の衆という
じゃあ劉禅を頂点にした上意下達システムは必要だな。
ただの豪族連合ですな
一つずつ潰されて終わり
>>163
やっぱり諸葛亮に代わる人材が・・・・
166不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:37
袋小路
>>154
全体といっても、漢中と成都だけじゃん。
それくらい纏められる人材は三国志に複数いるかと。
蜀にはいないけど。
168無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 14:38
ショウエン、ヒイが生きてるうちはうまくいってたろ?2人が死んで
から漢中の将軍達を抑えられなくなっておかしくなった。
169不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:41
>>167
うんにゃ
イリョウでの敗戦後の南への軍事行動は漢中というよりも蜀全域への統制
あれだけ人材と軍を失ったら、軍自体を再編しなければならない
そんなんを数年で出来る人材などそうそういない
170無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 14:44
三年で軍を再編できるところが怪しいけどね。
>>169
蜀にはいないって言ってるのに。
それとも何?
そんなこと出きるほどの天才的人物は漢末から三国時代にかけてでは
偉大なる諸葛武候のみ、中国史を通じてもそうそういない、とでも言えば納得するわけ?
172無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 14:49
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
173不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:49
>>168
そんなに問題らしい問題は起きなかったが、注目すべきは「別個の意志を持つ」ということ
なだめすかしてる内はまだいいが、なだめる人間がいなくなったらもう抑えられない
ヒイなんかはガス抜きに一万以下の兵を姜維に与えてたようだが
諸葛亮の驚くべき点は、強烈な敗戦後も国家として運営を続け、
南征北伐において中央と末端の意志を分裂させなかった事だと思う

>>170
それでも大変
まず戸籍の整理と人材の補充・移転、新規の兵の整理・管理・練兵
それから失った物資の補充、足りない分は新しい財源の作成
ちょっと思いつくだけでもこれだけある
174不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:51
>>171
んなこたーない
魏にはざっくざっくいるだろうさ
魏将スレ見てみれば分かるが層が違う
でも蜀なんて辺境にいる人材としては驚異的に優秀と
175無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 14:54
まーそうなんじゃないか?三年で戦争できるようにするのは普通無理
だろ?
176不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 14:54
>>171
俺が違うっつってんのは
諸葛亮没後とイリョウ後の、「全体」についてな
言葉が足りんかったな
177無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 14:58
実際魏の人間が孔明の仕事をしてないんだからなんともいえないだろ
う。層がちがうかもしれんが政治家として孔明レベルの奴はいないだろ
>>173
それに人心の安定と人口増加の促進、殖産の促進、対呉国境への強化、外交関係の修復、
豪族の人心をまとめる、魏がつけいってくるのを防ぐために漢中も強化
数えればきりがない
漢中と中央で齟齬をきたし始めたのは費い没後だよ。
費いまではちゃんと中央も統制できてた。
>>177
なんだその改行は
181不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:06
>>179
いや、だからその頃には主戦派と厭戦派に明確に分かれてはじめてる
諸葛亮在世時は反対派もいたんだろうが、それを表面化させず、反対派で結託させず、ってところが違う
むしろ魏の方が司馬氏が台頭してくると曹家の国としてはがたが来ているといえる。
183無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:07
魏の代表的な政治家だれだ?
しかしヒイの政策ってその場しのぎにはいいかもしれんが
長期的に見ると評価できなくないか?
キョーイに中途半端な北伐させたり全てが中途半端。
その場を丸く収めるのだけが目的な気が・・
>>181
> いや、だからその頃には主戦派と厭戦派に明確に分かれてはじめてる

意味不明。
漢中を任されていた将帥たちは一様に主戦派で中央の厭戦派とそれぞれ対立していたか?
個々人をみれば考え方は別々だろうが国の方針としてはとういつがとれてたろ?
それのどこに問題があるんだ?
186不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:11
>>183
ジュンイクたんなんかは人材ホイホイとして優秀なの推挙してたな
人材眼については諸葛亮を上回る
カクカは戦略眼で上回る感じがするし
ヒイ在職のころから国論はまっぷたつでは?
>>184
まるでヒイが北伐させたみたいな言い方だな。
姜維がどうしても兵を動かしたがるから
国を破綻させない程度の1万を自由にさせただけだろ。
つまり暗に外征するな、と言ってるのに。
姜維が勝手に攻撃して勝手に敗れただけ。
本当は姜維なんかが軍を動かさないほうがよかったのだが。
189無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:16
そんとき死んでる。カクカ、早く逝き過ぎてわからん。それに兵は神速
を尊ぶの意味がわからん。当たり前じゃねーのか?国の危機的状況を
救える手腕があるとはいいがたいぞ。
190不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:17
>>185
いいや、方針として統一がとれてない
どう見ても中央は建前だけで本気で北伐する気などないのに対して、漢中との意見の齟齬が起きてる
俺が言いたいのは、つまり「既に芽が出ている」ということ
>>186
諸葛亮が人材配置を間違えたのは街亭における馬謖ぐらいなもんだろ。
自分の後釜として推薦したショウエンやヒイはよくその任に堪えたし、他にもその抜擢にこたえた人材は多数いる。
あと荀ケが多くの人材を推薦できたのは人材眼ももちろんのこと名門荀家のコネの部分も大きかろう。
例えば荀ケが後期の蜀にいたら同じように人材を見出せたか疑問。
>>183
曹操自身が政治力最高クラスだから・・・
強いて臣下から代表を挙げるなら陳グンかなぁ?
193不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:21
>>191
ううむ確かに
コネ以外にもそもそも数が多いってのもあるしな
194不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:22
>>189
まあぶっちゃけ分からんな
魏じゃ宰相格が潰れそうになった国家をって状況はないわけだし
ただ地方行政レベルでの成果はかなり凄まじいものがあるぞ
>>190
既に芽が出ていてもそれを問題化させなかったという点でショウエンやヒイの功績は大だろ。
>>186
悪いがジュンイクのほうが人材眼が上なんて言ってる時点で、
信憑性のある意見を出せる人間とは思えないな。
彼が諸葛亮を圧倒的に上回っているのは彼の名声からくる人脈。
ジュンイクも諸葛亮も基本的に重用している出もとは似通っている
197無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:24
地方行政って?
>>191
清流派知識人の総まとめ役みたいなもんだからな、ジュンイクは
199不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:25
>>195
そう、大なる功績
彼らもかなり高レベルの政治家であると思う
その上で、表面化さえさせなかった諸葛亮は優秀だと思う、ということですよ
>>192
てかぶっちゃけ魏の有能な政治家なんて数が多すぎて
とてもじゃないが挙げられん。
魏書の記述量のおかげでもあるが、蜀なんかとは比べるのも
憚られるくらいだ。後漢から引き継いだ王朝でもあるから
そういう点では人材の厚みからして違うし。

まだ将や武官の質の方が比較対象にはなるな。
それでも数段劣っているのは否めないが。
>>190
「芽が出ている」ことでその国にがたが来ているというなら魏なんか建国時からがたが来ていることになる。
なにしろ王室の力を弱める政策を取り数代後には司馬氏に簒奪されることになるわけだからな。
202不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:27
>>196
ううむそうだな確かに
203無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:27
優秀な奴三人あげてみて
>>195
後々のキョーイの無茶な北伐の芽を完全につみ取るべきだったんじゃないか?
少ない兵力で北伐してる時点で無駄だし北伐の意志自体が消えていない

もしくはキョーイに最初からがつんと大権与えて北伐させまくるか。ふたつにひとつ。
国論を統一せずどちらの意見もくむからどちらも効果が出ない。
>>203
三人じゃ挙げきれんだろ
206無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:29
魏の政治家トップ3あげればいいだけじゃん
とりあえず、ジュンイクは入るね
208無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:31
キョーイの戦闘指揮官としての能力はすてがたかったんじゃないのか?
209無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:32
ジュンイクの擁護してみて。
>>209
おまえがしろw
211不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:34
とりあえず俺は無理
今手元にあるのは魏書三巻のみ
あとは知人に貸し出し中・・・
212無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:35
ねーもんほめるところが。
213不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 15:37
>>212
カクカたんはあるんだがジュンイクたんは・・・
214無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:38
カクカ政治家?
陳羣は魏の政治代表として外せないだろう
人材登用・任官システムを既存のものから改めることは孔明でも実施できなかったわけで
科挙が採用されるまではこれが中国の官吏登用の基本になったわけだから意義も大きい
216無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:39
兵は神速を尊ぶって誰だっけ?
そろそろスレ違いを指摘する奴はいないのか
>>196
その意見も信憑性のある意見とは思えない。
確かにジュンイクの人脈を重要だが、それが優秀な人材を選び出す能力と直接関連してはいまい。
沢山いる名士の中から、さらに任務に適した人材を選出するジュンイクの人材眼は確か。
寥立や李厳を称賛してしまった諸葛亮よりも上といっても構わないと思うぞ
>>216
カクカだよ
だからスレ違いだと何度言えば・・・
>>217
一部スレ違いが混ざっているのは認めるが、
その当時の人物評価に儒教に基づく名声が大きな影響受けることくらい認めないと
話にならんでしょ
カクカは純粋な戦略参謀でしょう

しかしジュンイクに関してもこれ以上はスレ違い
223無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:43
「上品に寒門なく,下品に勢族なし。」になるわけだ。
孔明の局所戦略ってこうしてみると見劣りするね
225無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:45
どうやって見ると?
演義だと袁紹がいってた
兵は迅速を尊ぶ









おまえが言うなw
>>225
手堅くいきすぎって感じ
ひらめきがない
228196:04/07/20 15:48
>>218
「上と言い切れない」という点は覆し切れないぞ、
ジュンイクが集めることの出来る清流派の数を考えると特にそう。
さらに言えば、唯才と口でいうだけでなく欠点を持っている人物でも使いこなしてしまう
上司を持っていた。
一方諸葛亮は、集めることの出来る人材が荊州に逃げてきた清流派に限られること、
また、寥立や李厳が無能な人材とは言えない、
曹操の下なら(他にも人材がいるので)違う仕事を与えることが出来たかも知れない
という事を考えたとき一方的に人材眼の比較はできない。
229無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:50
手堅い戦略ってそんなにいけない?
>>228
人材眼の比較で一概にどちらが上かなんて事はわからない。

俺にわかるのはお前がスレ違いの話題に拘ってるということだ。
>>229
べつにいいんだけど
どうせなら賭けなら賭けに徹さないと
>>230
まぁ、そう思っておけばいい。
あの当時の士族の影響力を考慮せずに議論して関羽の武勇でも誉めておけばよいさ
>>230
しかしここのスレでもたびたび孔明の将としての人物眼で議論が交わされていた
スレ違いとは言えないぞ
>>228は孔明に人物眼はあると主張してるわけで。
234無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:57
戦争に関してはたしかにうまいとは思えないけど。特に攻めはね。
守りに関しては問題なさそうだったけど。
235無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 15:58
234って数字はだめだー
236不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 16:00
>>232
影響力というかほとんど士族の思惑で構成されてないか
初期の蜀はアレだけど・・・
初期って傭兵団の時か
238無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 16:02
士族って・・・
しかし士族士族いうやつは昔からよくいるが
彼等に言わせれば三國志なんてそもそも存在せず
豪族がおのおの近隣と和平を結んだにすぎず
力の均衡による平和的群雄割拠とでもいうべき時代が三國志時代だという意見は
あまりにも国を無視しすぎてるような気がする。
240無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 16:08
なにがいーてーんだ?
>>236
魏→重用しすぎて乗っ取られる
呉→弾圧して国が壊滅
蜀→初期は古株を重用・後主の時代には実権を握られる

だもんな
242239:04/07/20 16:11
>>240
いやようは
豪族の影響力の強さを考慮しすぎるのもどうかという意見でした。
243無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 16:13
そもそも豪族って誰のことを言うんだ?
最後は近隣の異民族に乗っ取られる

三国志・完
>>228
理論が推測に推測を繋ぎ合わせて、そういう結論に持って行ってるだけだな。
それならなんとでも言えるつーの。
>>239
陳登・潘濬を代表とした敵に対して降伏すること、孫権と張昭との関係
など、時に”国”よりも影響力を持っていると考えられる事例があると思うのだが。
247228:04/07/20 16:22
>>245
それなら、自分が推測に推測を繋ぎ合わせてでも良いから反論を示してくれ。
ちなみに、諸葛亮は許靖が大したことがないと分かっていても用いるように進言したからな。
単純に能力主義で人材を置いて収められる時代ではなかった。
248228:04/07/20 16:25
それと、やっぱりジュンイクの持っている人脈と諸葛亮の持っている人脈の差を
過小評価しているのではないか?
あの当時、ジュンイクの名声と諸葛亮の名声の差を考えれば当然理解できるものだと
思うんだが。
>>247
やってもいいけど、水掛け論だろ?
まあ、この議論続けてもいいけど、別スレに移動しようや。どこかいい場所あるかね?
次からはここで

【天才】諸葛亮って【凡才】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086439266/l50
>>246
そりゃ影響力はあるけども
それが全てみたいな意見がでてたから
そりゃちがうだろといったまでね
あくまで彼等は支配されてたわけだし
支配力が弱まったときだけ(国が弱まったとき)
具体的にその力が作用しうるわけだけども。

袁紹みたいな豪族中の第一人者的な支配の仕方をしてるとこれまた話は別だが
魏にしろ蜀にしろ呉にしろ中盤まではそこまで支配力が弱かったとは
思えないな
じゃあソコの二人臨時IDつけて
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086439266/l50

で議論してくれよ
別にスレ違いでもないからここでもいいけど
>>248
そっちはそっちでジュンイクの名声を過大評価し、孔明の名声を過小評価してるぞ。
劉備が蜀獲りの時期ですでに、魏の文官の中に孔明は政治に明るい英傑だという評価があったし、
初期のジュンイクの名声も名家ジュン氏の一人という程度の名声だった。頴川の名士ジュン氏とロウヤの名士諸葛氏で、名声に大きな隔たりがあるとは思えないぞ。
魏延に「反骨の相が・・」とか言ってる時点で選り好みの感が
>>251
>魏にしろ蜀にしろ呉にしろ中盤まではそこまで支配力が弱かったとは
>思えないな
曹操には早くから士族に強い影響力を持っていたジュンイクが就いていた。
その点では、当初ジュンイクが国を纏めたと言ってもいいのでは?
孫策・孫権も周瑜という超名門の力で国を纏めることができた。
劉備も諸葛亮を得てから基盤を持てるようになった。
自分はやはり、支配力を持つためにどうしても必要不可欠な存在だったと思うが
君主だってある意味一種の士族だしなぁ
>>250、252
では、そこで。今は仕事中なので、夜になったら書き込むわ。
そもそも当時の知識層のほとんどが名士・豪族階級だったわけだし
>>255
支配力を持つためには必要だったかもしれないが
支配力を持ってからは豪族士族の意のままに国が動いたと言うことは
ないと思うぞ。支配力が弱まらない限り。
あくまで建国に豪族の力が必要不可欠なだけで。
>>256
君主は元は士族だかなんだかだが君主になったら君主だろう(わけわからないけどw)
>>257
逃げたっぽい

で逃げたと言われたら
暇じゃないんだと定番レスぽい
261不運 ◆SEVENyXMKQ :04/07/20 16:50
>>259
確かにその通りだが
あんまり豪族の意向を無視しすぎても支配力が弱まるという点は見逃せないんじゃないだろうか
>>259
委任された地方行政においてはその限りではないだろう
>>261
うんだから士族に考慮しての人事はもちろんある
しかしまったく関係のない人事(例えば才能だけで登用したり)
ということも同じくらいあると思うわけさ
全てが士族の思惑を考慮してというわけではないと言うこと。
まだ出来上がったばかりの国で最初からそこまで腐敗はしてないと思う
乱世の実力主義的気風もまだあったと思うわけ。
>>255
魏は確かに曹操の政治力と荀ケによって纏まってたといえる
でも、呉の場合、周瑜ではなく張昭の名声と指導力によって纏まっていた
呉主伝や、張昭伝を読めば明らかだろう
蜀の場合、劉備のカリスマ。諸葛亮の指導力。許靖の名声。これらが重要な要素と思う。
265無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 16:57
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
俺は姜維弁護論者なんだが・・
>>265のしつこさと気持ち悪さには閉口する
俺は豪族
268無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 17:00
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
そろそろ荒らし認定するか・・・
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
すまん実は俺、姜維の歌に一枚噛んでましたorz
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
荊州を取られただめな人のせい
273無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 17:06
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
>>271
姜維があの世で泣いてるぞ?
・荊州を取られただめな人のせい
・関羽のせい 半分蜀 死んだ
・姜維がんばったのにかわいそう

NGワード推奨
あとこれについて「これだから姜維厨は」なんて煽るのも
できればやめて欲しい。荒らし、粘着はひたすらスルーで。
自治厨キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
>>276
本日より登場の夏厨です
これからしばらく彼らの季節です。皆様、生暖かく見守ってください。
自治厨っていうか・・・
普通にマナーでしょw
>>277
それは>>276が夏厨って意味だよな?w
ママーン!!3匹も釣れてるー!!

从リ ゚д゚ノリ アラヤダ!!
>>280
といわせる二重釣りなんだがな・・
かかったな。実は三重釣りだ。
んじゃ、遅レスで流れを切るよ

「兵は神速(迅速)を尊ぶ」を、誰かが↑で(あたりまえだろ、と)言ってたけど、
もとは「兵は拙速を尊ぶ」じゃないの?

つまり、たとえ少々の拙さがあっても事を起こすには早い方がいい、ってことで、
中身は立派でもぐずついてれば遅れをとる、ってこと。

的を得る、とか、ふいんき、とか、役不足、とかを思い出すよ。
>>283
「孫子」だね。「作戦篇」にある。
285無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 18:12
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
>>283
細かいようだが、正確には、「兵は拙速を聞く」だな。
>>284>>286
レスすまない。正しくは、そうだね。
貴ぶの方は、蝦夷征伐軍に対する桓武天皇の勅書にあったはず。
「兵は拙速を貴ぶ。いまだ巧遅なるを聞かず」だったかな。
289無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 18:49
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
せっかくの蜀スレなのに、入蜀戦での詳細な検証がそれほどはされていないね。

俺は、このスレで関羽や張飛・趙雲を推す人の多くが主張する「記述の少なさ」を
補完する意味も含めて、劉備・ホウ統サイドと、諸葛亮・張飛・趙雲の後続サイドの
両方を資料から追ってみますたよ。

そこで気づいた事がひとつあるんだけど、
劉備が白水を降して葭萌から反転して成都へ進撃に移った際、劉璋は別軍を
(おそらく広漢から巴西へ)迂回させて一万もの軍勢を葭萌に派遣している。
このとき、霍峻が数百で一年もの間を篭城したというけど、この間、劉備は綿竹
を降したもののラク城で一年も対陣に及んで、完全に停滞している。
おそらく葭萌とラク城の攻囲期間は重なると思うんだけど、この隙に葭萌の守備
軍を拘束できる程度の軍勢を残して南下させて劉備の背後を衝かせれば、
もしかしたら劉備の本隊が瓦解したかもしれないと思う。
しかも、この時、葭萌と綿竹の中間に位置する梓潼は、太守の王連が降伏を
拒んでいて成都の陥落まで開城していないから、葭萌の攻撃軍は割合と楽に
南下して劉備の背後を襲えた気がする。

大勢への影響はともかく、劉備が成都を落とすまでには僥倖も手伝ったんじゃ
ないかと思うし、この件をホウ統が看過してたのか、それとも楽観視してたのかも
気になった。
後者だと、ホウ統の評価も少なからず変わってきそう。
望山賦(山を望んでの詩)

         御中将軍 姜維

山閑閑たり 深川は営営たり
鳥声を崖下谺に聞く
続車は三千里に列し
奉火は四方の岸を照らし
兵の声は益益と高らかに響く
後塵の国営は急時に向かい
前屹しる賊の進むは甚だ急
我甚だ非才なれどただ武侯の息を望みつつ
又山に見るは郷邑の祭雄叫
山を望んでの詩(北伐の時の桟道を行く心境)

     御中将軍 姜維

山は静まりかえり、深い河は激しく流れている
鳥の声ががけの下にこだましている

私の連れている戦車は三千里連なっている
兵の士気はさかんである

うしろの祖国は非常に危ない状況だ
前にかまえる敵はどんどんやってくる
自分は無能だが諸葛武侯の遺志を継ぐのみだ
故郷の祭りのようなやる気を出して山を行こう
293無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 19:07
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
姜維がんばったのにかわいそう
>>290
ラクを包囲していた頃は、既に諸葛亮らが増援として益州入りしていたはず。
そうなると、劉備軍はこの頃はある程度大きな兵力をもっていたと考えられる。

そんな中で葭萌を包囲していた軍勢が迫ってきても、劉備の方でも兵を分けて
それを抑えつつ、ラクの包囲を続行する事ができたんじゃないか?
>>294
諸葛亮らの支隊は長江を遡上して入蜀し、分進しつつ北上してるから、
距離と位置・時間をみてもラク城で合流できたとは思えない。

たしか劉備がラク城を攻囲していた時期、張飛は南方のケン為、資中、徳陽の
方面から分進合撃を試みつつ北上していたはず。
趙雲はより南西部の制圧にかかってて、合流は難しいようにもみえるし。
>>295
そもそも、合流前にどの程度の兵力を有していたかというのもある。
最初の三万に、李厳の合流や劉璋に借りた四千の兵などを加えると、
諸葛亮らと合流なんかしなくてもかなりの兵力だったんじゃないか?

葭萌の軍が兵を分けて数千で迫ってこようと、対処できる余裕はあったと思うが。
>>283
それは郭嘉の言ってる兵は神速を尊ぶとは別かと。
郭嘉の作戦はせっかく準備した武装を置いてでも機動力を上げ、敵を奇襲しろ、というもの。孫子は孫子、郭嘉は郭嘉かと。
>>296
それ以前の広漢郡諸県の攻略にも兵力は投じてるし、降兵に信は置けないし、
一年以上もの対陣で生じる人的疲労と物的消耗はかなり大きいと思う。

それに、攻城戦を経つつ解囲軍を背後にうけて戦うのは、単純な兵力勘定では
計りきれない部分もあるしね。

早々に葭萌の攻囲軍が南下に移っていれば面白かったかも、と思ったわけ。
>>297
孫子の方は、
「長く戦争を続けても国家が疲弊するだけだから、長期戦は避けて短期決戦を狙え。
 徒に戦争を長引かせては、他国に付け入る隙を与えるだけだ」
って意味だな。
>>298
どれだけの兵を包囲に置き、どれだけの兵で援軍に対処するかの匙加減は難しいからな。
鍾会は、漢・楽に籠もる五千に対し、倍の一万で包囲させつつ先を急いだが、
城兵五千に対し、包囲軍一万では、下手すると包囲軍が破られる場合がある。

包囲軍と敵の増援が拮抗している場合は、陸抗の様な方法を取らなければ、
結局包囲を解除する羽目になる。
姜維が狄道を包囲した時、陳泰の援軍に兵を分けて対処したが、
抑えきれずに包囲を解除して撤退したのと同様にね。

確かに、葭萌の軍が来ていれば面白かったかもね。
劉王章軍に戦術的柔軟性があったのかどうか、だなぁ(結果としてなかった)
戦争に自信があるならわざわざ劉備軍団を招き入れる真似をしないだろうし
内乱や防御戦の経験は多少あっても積極攻勢は苦手っぽい
>>300
そう、そういうことかな。
この時期の劉備本隊は広漢一群すら完全には平定していないから、
長期の攻城戦のさなかで後背に敵を迎えた場合の危険性は相当に大きかった
と思ったわけ。
葭萌の守備軍が数百なら、一万の過半を分派できるしね。
ただ、葭萌攻囲軍の将領の名が無名に近いせいもあるし、数十倍の戦力で
一年近くも攻略できていないし、それほど優秀な指揮官じゃなかったんだろうけど。
>>302
攻略できないどころか、隙を見て出撃してきた霍峻に討ち取られてるからなあ。
霍峻も優秀だったんだろうが、それ以上に相手が無能だったのかもな。
漢中王に劉備がなったときの前後左右将軍に益州出身武将はいない
益州組みと、他の連中との積んできた実戦経験の差は大きいな
>>304
当時の益州出身者に、名の通った将っていたっけ?
そもそも荊州から随行して入蜀した人材が多いし、益州の人士は諸郡の太守や
長・令に任命されてる感じかな。

そういえば、劉備は益州太守をみずから兼任しているし、魏延を督漢中として
いるわきで、張飛には自身の官職・司隷校尉を譲ってるね。
このあたり、劉備も気をつかったんかね。
307無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 22:03
>306
こまかいようだが、劉備は「益州牧」。
張飛が司隷校尉になったのは221年に劉備が即位した時。魏延は219年に劉備が漢中王になった時から督漢中。
308無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 22:41
>>304
>益州組みと、他の連中との積んできた実戦経験の差は大きいな
はぁ?
文>武の時代に田舎国家で前・後・左・右になるより、文官(または武官職の
文官)となるほうがはるかに上なんだが。
309無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 22:50
先主伝の入蜀戦の記述に出てる卓ヨウってどのくらいの地位だったんだろう?
ここでの記述以外に見た記憶ないし。
劉備軍の有力な将軍だっけど、この戦で戦死でもしたのか?
>>308
ええと。文官のほうが身分として偉いのと、実戦経験の話がなぜ関係あるの?
まあ、荊州の武将が益州の武将よりも強かったから、
あっさり益州が奪われたわけだし。
>>309
たしかその武将も夷陵で戦死したはず
黄祖・黄射親子の弩に長けた部曲を引き継いだのが黄忠。
>>311
成都の喉首ともいえる広漢郡で突然に敵対されたうえに別隊が長江を遡上して
南方から侵攻してきたのでは防ぐのも困難。

他国の軍勢を不用意に自領深くに招き入れた事で不利な戦いを強いられた
ためであって、なにも益州の武官連が弱かったとも思えない。
士卒の練度では劣っていたとは思うけど。
劉焉・劉璋が益州出身なら劉備も防げたかもね。
他所からやってきて支配してるだけだから地元豪族からの受けは悪かったろうし。
劉備勢にあっさり降伏してる面々は、無用な戦火を恐れた益州出身者ばかりだったりしてね。
>>315
受けが悪いどころか印象は確か最悪といっていいほどだったと思う。
劉璋が採用した東州兵というのが居て、こいつ等が民衆を迫害して劉璋は取り締まれなかった、
とあるし、益州って内乱あり張魯あり、であんまりちゃんと治めてるとは言い難い状況。
ただ一部群臣には受けが良かったかもしれん。
ちょっと疑問なんだが
劉備一党は入蜀する際にどうしてあんな大軍になってたんだ?
入蜀の記述をみると蜀を大幅に上回る兵力みたいだが
どうやってその兵力手に入れたんだ?
でその兵力の維持にかかる費用はどうやってまかなってたんだろう?
318無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 07:16
>317
劉備が入蜀した際の兵力は正史では数万ってなってるけど、実際は1万人を越える程度かと。
そんで、劉璋と会見した時に援助を受けて3万人ほどになった。
その時に白水からシドウ郡辺りの監督権を授けられたので維持できたんでないかな。援助も膨大なものだったようだし。
赤壁時、江夏の劉gの兵を含めて約1万。
その後、武陵・長沙・桂陽・零陵の4郡を下し、廬江の雷緒が数万人を率いて帰順。
これで大体劉備の兵は10万くらい?
で、歩兵数万を率いて入蜀、張魯討伐には劉璋から兵を借りて全軍あわせて3万。
その後関羽救援のために兵4千を借り受け大体3万5千。
ここから兵を成都に向け各所を下し関中・フ・緜竹の兵を吸収、さらに李厳が降伏したりでおそらくラクを包囲した時点で5〜6万の兵力に膨らんでいたんじゃなかろうか?
さらに長江をさかのぼって各郡を平定してきた諸葛亮らと合流してるので成都を包囲した時点ではもう少し増えており、一方この時成都の兵は3万前後だったらしい。

兵力の変動はこんな感じかな。
>>318
総兵力一万程度で蜀の様々な将を撃破しながら進軍したんであれば
寡兵での撃破、もしくは同兵力で蜀を撃破しまくったということなのか?
張飛が厳顔捕らえるときも「大軍が来たのにどうして降伏しないのか」
みたいなこと言ってるし、兵力において大差で、蜀<劉備に感じられるんだが・・
>>319
武陵・長沙・桂陽・零陵ということは
入蜀の際の劉備の土地基盤は荊州ということか。。なるほど納得
それにしても武陵・長沙・桂陽・零陵をあっさり手に入れてる劉備って
いったいなんなんだろうな?
322無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 07:41
>320
318だが、>>318にも書いたけど、入蜀した時は1万程度だったろうけど、援助を受けて3万人余りになってるから。
実際に、対劉璋戦を開始した時は白水関、フの兵力も併せてるだろうから3万〜4万人以上かな。
張飛の発言に関しては頑として頭を下げない(捕らわれても堂々としてる)厳願に対する恫喝のようなもんじゃないの?
法正が劉璋に送った手紙にも相当大げさなこと書いてあるし。
劉備軍が大兵力だったと思うのは劉備陣営の宣伝戦に拠るところが大きいと思う。
>>322
じゃあ実際には劉備3万、蜀3万ぐらいだけど劉備は自分の兵力を
より多く見せることに成功してその威で蜀将打ち破って
入蜀がうまくいく流れになったということでいいのだろうか。。
敵兵力を吸収していけば、ある程度のところで止まらなくなるし
それともう一個疑問
劉備が赤壁で曹操破ってるのは
いわゆる呉と連合しての赤壁の戦いなのか
それともそれとは別に劉備軍単体で赤壁で曹操と戦い打ち破ってるのか
このへんもよくわからないんですが・・
クールな蜀ファンのどなたかおしえてくらさい
劉備郡自体がどう戦ったのか不明。つうか戦ったかどうかも不明。

おまいら当時の推定人口忘れるな。荊州>益州だぞ。
ただ、南部は人口は多くなかったから、10万の軍は無理。そんなにあれば呉と一戦できるし、
まず北部を取るだろう。赤壁でも魏軍は20万と言われている。

まあ諸説あるが、大体3万ぐらいが多いね>入蜀時の劉備
>>321
なんなんだろうなって…
それは呉が頑張って南郡の曹仁を抑えてたから、曹操軍が荊州4郡に援軍を出せなかったせいっしょ。呉は呉で曹仁との戦いに全力投球だから劉備の軍事行動を横目で眺めるしかできなかったし。
328無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 09:51
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
このクソコピペ魏スレで于禁擁護に改変されてるなw
というかキモイよね
331無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 13:06
曹仁のせい 七軍 沈んだ
樊城 どうしようもない
于禁 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

于禁のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな曹丕のせい 墓 降伏の絵なければ
呉蜀を追い詰めた大国 魏で
于禁は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
曹仁のせい 七軍 沈んだ
樊城 どうしようもない
于禁 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

于禁のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな曹丕のせい 墓 降伏の絵なければ
呉蜀を追い詰めた大国 魏で
于禁は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
つまり于禁とキョーイは同レベルということが言いたいのかな?


・・・とついかまってみたくなるw
334無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 13:40
個人的イメージでは将才、人生後半の苦労さは同等。人気は月と鼈だが。
誰かあのコピペの呉バージョン作って呉スレに貼ってやれw
周瑜と孫策あたり?<呉バージョン
魯粛や陸遜でも面白そう
338変質社:04/07/21 15:16
おれ がんばったのに 精液 半分 出た
339変質社:04/07/21 15:26
りっくんのせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
関羽 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

りっくんのこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな周倉のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
周倉は自分の能力 最大限 周倉
周倉の完成を できたはずなのに・・・

>>330->>335
ま、好きな人物を推したい気持ちなんかは理解できるけど、
ここまで御粗末な落ち方はしたくはないな
周倉の完成ってなんなんだ
帽子の完成
起動戦士周倉



ちなみに呉には長江ロボダイウンガーがいる
夏厨の季節
暑いね〜
赤壁の曹軍は13万。死んだひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ
ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ爺さんが言っていたから間違いない。
>>348
マジで?俺の曾じじいも言ってたから間違いないな
おれの爺さんもそういってたから確実だな。
俺もたまに小言でいうから真実だべ。
タイムマシンで見てきたよ。13万56人だった。
>>352
スゲー グジョブ
>>352
演義厨が妄想かよ









で、劉備軍ちゃんと戦ってた?
>>348-354
ハゲワラ
自演じゃねーとしたら最高w
356無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 03:00
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
どこぞの議論での負け犬がコピペ荒らしに転じたのか
粘着ご苦労(プ
折れも友達の友達から聞いたよ。劉備軍はなんもしなかったってよ。
>>357
お前の反応は遅すぎる
漁夫の利を狙って何が悪い
呂布の利を狙って何が悪い
362無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 17:34
なんでわざわざ呉と一緒に戦う必要があるんだ?自分はかわいいよー。
孔明のせい 親人質 捕まった
親 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 親 人質にならなければ
蜀を追い詰めた大国 魏で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
アホコピペが跋扈しているようだが
そもそも関羽が失敗しなければわざわざ蜀は極端に西寄りの単独進攻なんぞする必要は無かったわけで
必然的に蜀将・姜維は出現しない公算になるんだが
せいぜい中央の激戦を横目に地方官やってるぐらいが関の山
>孔明のせい 親人質 捕まった

よく考えれば酷い話だな…
>>364
いや、そもそも徐州で張飛が呂布に城を取られてなければ…
>>366
そういう話じゃないよ
徐州に本拠地を置いたところで、曹操により滅ぼされるのが関の山。
徐州が奪われて、むしろ正解。
劉備が皇帝になれたのは張飛のお陰

つうことで蜀将1位ははれて張飛様!
370無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:12
>>366
陶謙時代主流派は、親袁術・公孫サンだった。それが劉備
に変わって親袁紹・曹操になってしまい反主流派になった
んじゃないだろうか。裏切られたのは、張飛の責任という
よりそこに原因があったりして。
>>370
そういうや公孫サンの世話になっておきながら、袁紹に歩み寄ってんだよな、劉備って。
まさに三国一の梟雄よのう…
372無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 01:31
1.張飛
2.諸葛亮
3.徐庶
4.関羽
5.超雲
一風変わった釣り師だな…。
魏の文官が混じってますな。
突っ込みどころ満載ですね
みんなぞっこんじゃないか
>>372
大食い大会の順位か?
諸葛亮「御馳走を用意しました お召し上がりください(キーとボタンを目一杯動かしてね)」
379無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 23:14
孔明のせい 親人質 捕まった
親 どうしようもない
姜維 考えた でも 一人だけ どうしようもなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 親 人質にならなければ
蜀を追い詰めた大国 魏で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
なんかもうグダグダだな。
なぁ、みんな、このゴミコピペを憚って書き込みを止めてるのかもしれないけど、
完全に無視して議論をすすめてもよいのではないか?

いまは暑い季節ではあるが、こちらまで熱くなったら負けだよ。
負けだとか言ってる時点でおまいも同類だよ
きたよ、きましたよ
コピペ厨はゴミみたいなもんだからすぐ引っかかる(藁
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

この部分がツボなのは俺だけか
于禁版は結構ワロタ
387386:04/07/24 00:51
于禁版じゃなくて周倉版の間違い・・

周倉の完成とかいってておもしろかったw
しかし孔明バージョンの

>だめな人のせい

って諸葛亮の事なのかな?
親人質にされてんだから、どっちかというと姜維の方がだめな人な気するが…。
>だめな人のせい 親 人質にならなければ
こう書いてあるんだから、だめな人=姜維でしょw
>>381
賢いやつはとうの昔にNGワードにしてる
391無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 10:07
孔明のせい 親人質 捕まった
親 どうしようもない
姜維 考えた でも 一人だけ どうしようもなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 親 人質にならなければ
蜀を追い詰めた大国 魏で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
392無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 10:09
張飛のせい 劉備 徐州から逃げた
劉備 どうしようもない
関羽 考えた でも 一人だけ どうしようもなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 劉備 徐州から逃げななければ
中原を平定した大国 蜀漢で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
393無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 10:41
トウガイのせい 劉禅 蜀から逃げた
姜維 どうしようもない
姜維 考えた でも 一人だけ どうしようもなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 魏に降伏しなければ
トウガイを挟撃して 残った 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
北伐の継続を できたはずなのに・・・
望山賦(山を望んでの詩)

         御中将軍 姜維

山閑閑たり 深川は営営たり
鳥声を崖下谺に聞く
続車は三千里に列し
奉火は四方の岸を照らし
兵の声は益益と高らかに響く
後塵の国営は急時に向かい
前屹しる賊の進むは甚だ急
我甚だ非才なれどただ武侯の息を望みつつ
又山に見るは郷邑の祭雄叫
395変質社:04/07/24 10:44
周倉のせい 半分ホウトク 死んだ
ホウトク 泳げない
関羽 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

りっくんのこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな周倉のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
周倉は自分の能力 最大限 周倉
周倉の完成を できたはずなのに・・・
劉備のせい 劉璋 太守首になった
劉璋 どうしようもない
馬超 送った でも 一人だけ どうしようもなかった ・・・

劉璋のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな劉璋のせい 劉備 巴蜀に入れなければ
人材豊富な巴蜀 併合
私の五斗米道 大成長
覇業の完成を できたはずなのに・・・
397変質社:04/07/24 10:49
>>396
牧じゃないのと言ってみる
>>397 訂正
劉備のせい 劉璋 牧首になった
劉璋 どうしようもない
馬超 送った でも 一人だけ どうしようもなかった ・・・

劉璋のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな劉璋のせい 劉備 巴蜀に入れなければ
人材豊富な楽園 巴蜀で
五斗米道 大成長
覇業の完成を できたはずなのに・・・
孔明のせい 李厳 平民になった
長雨 どうしようもない
李厳 弁明した でも一人だけ どうしようもなかった ・・・

李厳のこと思うたび
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな劉璋のせい 劉備 蜀にいれなくても
張魯とガチンコ 漢中 奪って
李厳は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
ほんと屑だね、このコピペも、書いてるやつの程度も

あぁ? 李厳だ? 李平だろ?
>>400 訂正
孔明のせい 李平 平民になった
長雨 どうしようもない
李平 弁明した でも一人だけ どうしようもなかった ・・・

李平のこと思うたび
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな劉璋のせい 劉備 蜀にいれなくても
張魯とガチンコ 漢中 奪って
李平は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
望山賦(山を望んでの詩)

         御中将軍 姜維

山閑閑たり 深川は営営たり
鳥声を崖下谺に聞く
続車は三千里に列し
奉火は四方の岸を照らし
兵の声は益益と高らかに響く
後塵の国営は急時に向かい
前屹しる賊の進むは甚だ急
我甚だ非才なれどただ武侯の息を望みつつ
又山に見るは郷邑の祭雄叫
ネタスレになったな・・・
こんな状態じゃ正史片手に真面目に議論してた連中は撤退する罠
貼ってる内容も同じ事ばかりでセンスもないしね
これを荒らしといわずしてなんというのだろうか
コピペ厨のせい 半分スレ 死んだ
議論 どうしようもない
正史片手に 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

スレのこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい スレ ネタにならなければ
史板から隔離された過疎板 三戦板で
正史厨は自分の能力 最大限
蜀将順位の完成を できたはずなのに・・・
これって元ネタはどうなってるんだ?
>>105がそうじゃないよな?

そうだとしても痛すぎてセンスの欠片もないな。
自己陶酔にみえてキモすぎるんだが。
元ネタは分からんが、2スレ目辺りで現れて、それからずっと見なかったが、
前スレを埋める時にまた出現し、今はこのような状態になった。
もう我慢出来ない、白状させて下さい
実を言うと元ネタは俺が過去にMrポポ風に煽った事が全ての元凶です('A`)
ホントすまんかった・・・orz

                     ||
                     ||
              ∧_∧ ||
             ( ´Д`)_||_   
            /    //ヽ⊂)  
             (_二二⊃  ||     絞首で勘弁して下さい
            |   ヽ=='/      
Mrポポだったのか…
議論を再開するとしたらどこからやれば良いんだ?
王平と張飛、魏延と姜維の比較あたりからか?
>>412
1.半減と疲弊の論争白熱→途中から荒らし煽り参上
2.沈静化させるために暫定順位→下位武将に”地味”論争勃発
3.飛び火して孔明の人物評価能力に疑問が投げかけられる
  →劉備は名将なのか?と一瞬だけ疑問が投げかけられる

といった流れだから、次は”聖域” 国力半減司令官 と 国力疲弊司令官の話をする番だね
>>407
ワロタ
>>413はあおりっぽいのでスルーで。
>>412が流れ的にいいかと。
じゃ、>>412に従って、まずは王平と張飛を検証します

・王平の戦歴
まず、街亭の戦いに際し、敗勢必至のなかで寡兵を巧みに用い、全線の早期瓦解を
防いだ事がひとつ。
これは後の諸葛亮の論功行賞をみてもわかるように、蜀軍の将領のなかで賞された
唯一の人物である事からも、街亭での王平の状況分析と用兵が優れていた証左と
みてよい。
この戦いでの王平の能力は、限定された戦域での戦術レベルにおける部隊運用と
いうあたりでよいと思う。

次に、第四次北伐時における祁山での戦い
ここでは、王平は無当監として蜀軍最精鋭ともいうべき無当を直率し、緒戦では祁山
を守備する魏平・賈嗣の魏軍への攻撃に加わっていたと思われる。
祁山は四方に通じる要衝であり、ここを扼した魏軍を拘束することで、蜀軍本体の北進
を間接的に支援し、退路の確保にも寄与したと思われる。
司馬懿進出後の祁山での決戦では、南方の陣地に拠って魏の張コウ率いる支隊による
攻勢を阻み、これは張コウの(望んでいたと思われる)蜀軍の後方遮断ないし本体への
側面攻撃を無効化させる結果となったとみることもできる。

この戦いでの王平は、陣地戦で張コウの攻勢を阻止したという単純なものとみるよりは、
むしろ蜀軍本体への間接的な支援を成していたともいえ、王平が撃破された場合、
蜀軍が挟撃されるのみならず、魏軍の祁山解囲の成功にも繋がった可能性が高く、
無当監として精鋭部隊を預けられていた事と王平の能力が無関係とはいい難い。

魏延の挙兵に際してはこれを一蹴し、漢中太守、呉懿歿後は督漢中となった事実を
みても、王平が攻勢よりも守勢時にみせた実績と能力の確かな事の証左のはず。
長くてすまんですが、王平の続き

王平の(守勢面におけるたしかな)戦歴と督漢中という人事の是非は、興勢の戦役で
昇華され証明されるといっていい。
この時の史料にみえる漢中守備軍は三万程度とされ、魏軍の来援による動揺が大き
かったともみえる以上、魏軍の総兵力が少なくとも二,三倍以上には達したとみても
間違いではないと思われる。

常識的にみるなら、漢・楽の二城に拠って防衛する方針は妥当かもしれない。
が、王平は防衛線を後退させずに興勢囲で魏軍の攻勢を阻止。
結果として費イらの後続を得て魏軍は撤退するのだが、上記いずれの防衛方針も
後詰決戦である事には違いはないが、王平は蜀にとっての漢中の重要性と政治的
影響も視野に入れた作戦を考案し、見事な結果を生んだといえる。
仮に漢・楽の二城を利用していた場合、後に鍾会が採ったように、包囲拘束された
まま敵中に孤立し、戦力として機能しなかった可能性も捨てきれない。
(もっとも、王平が三万、滅亡時は各々五千という兵力差はあるのだが……)

総括すると、王平は人事の影響もあったろうが、攻勢時に能力を発揮する機会には
ほとんど縁は無いが、戦術レベルでの守勢に際しての用兵の手堅さ、更に、後には
戦略拠点の防衛にも秀でた作戦術を立案していることから、戦績を統合して総合的に
みるなら、部隊長レベルを脱した司令官としての能力を備えているともみれる。

ただし、戦場で主功正面に際しての実績に乏しいため、それが順位を決定する場合の
減点要因となる可能性は看過できない。
……と、贔屓目や推測もあるでしょうが、史料にみえる一片の記述を羅列したところで
正確な分析はできないと思い試みますた。

詳しいひとのツッコミや補足は覚悟してます。
続いて張飛もいくべきなんかな?
あと魏延の乱の時、撤退する楊儀軍を迎え撃とうとした魏延の先鋒を一喝して四散させたというのもあるね。
直接軍事能力とは関係ないかもしれないが、兵卒に対する影響力という点では結構大きいのではないかと思う。
比較対象も検証しないとまずいでしょうから、拙いながらも……

・張飛の戦歴
前半生は史料の記述に乏しく、ほとんど詳細な検証が行えないのが辛いところ。
戦歴が豊富であったのは事実としても、戦略レベルはおろか戦術レベルでの明確な
戦果すら不明であるのは、流浪する劉備の進退に起因するものなのか、関羽や張飛
らの麾下の人物の能力に問題があるのか、それさえも不明……。

徐州失陥と長坂での殿軍は、後者は見事ではあるものの、それだけで評価の大きな
基準とするには難しい。

張飛の確かな将才を計る点として、まず入蜀戦。
ここで張飛は、長江を遡上して巴東を制圧し、[牛建]為・資中・徳陽を攻略して成都へ
侵攻するという、分進合撃といえる作戦機動を展開し、徳陽では、太守・張裔を大破
しているのが史料から確認できる。

後に巴西に進入した張コウに対しては、隘路を利用して撃退。
漢中侵攻戦では、分隊として下弁へ派遣されるものの、曹洪に看破され、呉蘭・雷同を
撃破され、自身も馬超とともに敗退。
これはおそらく漢中へ西部から圧力をかけることで、南部から北進する劉備本隊への
支援を企図したものであったと思われるが、結果として南方からの正面攻勢のみに
絞った作戦となる。
曹洪率いる魏軍と戦力で隔絶していたとも思えず、ここまでの張飛の戦歴をみると、
寡兵ないし複数に分派した作戦を行う傾向にあり、ここでは不用意な戦力分散が
敗因ではないかと思われる。
またまた長くてすんませんですが、続きます。

後の、督漢中・魏延という劉備の人事も、これまでの張飛の軍事行動を鑑みたうえで、
戦略拠点の防衛よりは機動戦力による攻勢面での成果と働きを期待してのものかも
しれない。
また、劉備が東征を行うに際し、張飛を出征軍に加えたいがための人事とも思える。

王平と張飛の両者を比較すると、各々の役割も性向もまったく対極な印象をうける。
王平が攻勢時にどれだけの戦果を挙げられるか、また張飛が興勢の戦役のような
防衛戦に遭遇した場合にどういった作戦を展開するか、まったく未知数といわざるを
えない。
それぞれ一軍(一手)の将としてみれば及第点以上は間違いないが、多方面にわたる
作戦の立案や戦略レベルでの部隊運用を行えるまでの人物ではない。
そのあたり、諸葛亮や司馬懿・陸遜らと同次元では語れないし、語るのは酷。

王平には堅実さ、張飛には玉石混淆ではあるものの前半生を含めた豊富な戦歴、
という強みがあり、この両者を比較して順位を定めるのは誤りに思える。
殊に王平は蜀将の中でも(結果的なものではあるが)毛色が異なり、他者との比較が
かなり難しいといわざるをえない。

結論もだせない感じで、長くてすまんでした。
個人的には張飛を上位に置くのが無難ではあるかな、とは感じてますけど……。
>>419
仰るとおりで、「一蹴した」という書き方にとどめたんですが、深くみていけば
そういった見方もできますね。
しかしなぜにここまで張飛は伝承の中で英雄になっているのだろう
張飛を見る上で民族伝承などに何らかの根拠は見いだせないのであろうか?
正史のみによると、能力的な面で言うと王平のが若干上回るのかなあ
と思えてしまう。
望山賦(山を望んでの詩)

         御中将軍 姜維

山閑閑たり 深川は営営たり
鳥声を崖下谺に聞く
続車は三千里に列し
奉火は四方の岸を照らし
兵の声は益益と高らかに響く
後塵の国営は急時に向かい
前屹しる賊の進むは甚だ急
我甚だ非才なれどただ武侯の息を望みつつ
又山に見るは郷邑の祭雄叫
425無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 20:17
まあ張飛というのはある意味三国志の顔みたいなヤシだからなw
籠城戦て特に武官じゃなくても出来るんじゃないか?
それに漢中って普通に守ったらそうは陥ちない天然要塞でしょう。
特に長安からの侵攻に関しては鉄壁
長期間守ったわけでもないし。
それほど王平の将才の証明ではないような気がするなあ。
>>421
確かに比較は難しいが、その前の王平、黄忠比較の段階で両者はかなり違ってたからなあ。

個人的には張飛を上位に置きたい所だが、張飛は失点の多さが気になる。
王平は王平で、張飛より上と言い切るだけのものは無いように思える。
王平のチャームポイントはずばり負った責任の大きさだな
任せてもいいかなと思える
「安心感のある将」
王平=システムの中でそのシステムを生かした戦い方をした将
張飛=個人的な武勇・能力で功績を挙げた将

あくまでイメージ的なものだがこんな感じかな?
殿軍は張飛も王平もばっちり務めてるんだよなそういえば
『一人で犬の散歩中の幼女の連れている犬を殺し
ショック状態になっている幼女を草陰に連れこんで
一発殴り押し倒して無理やり深く深く深く深く挿入し
「ろれつの回りきらない小さな悲鳴は俺の脳髄を直撃した
俺は一匹のけだものになった
熱き血潮は花柄の小さなパンティーを真っ赤に染めた
細くもろいその中は極上のしめつけだった
天使を陵辱し破壊する極上の幸福」とし
大量に大量に大量に大量に精液をだし
何度も何度も何度も何度も精子尽きるまで
プッシュプッシュプッシュプッシュして
終わったら肛門にションベンを腸が破裂破裂破裂破裂するまでし
吹き出たウソコを幼女の口にティムポごと深く深く深く深く飲み込ませ
幼女が吐いたらゲロごとマソコに深く深く深く深く挿入し
全てが終わったら幼女の腹を動けなくなるまで
何度も何度も何度も何度も踏みつけて
そこから遠く遠く遠く遠く逃げよう』と考えている
鬼畜の中の鬼畜の中の鬼畜の中の鬼畜は地獄に逝ってもまだ報われないので
精神病院で注射を何発も何発も何発も何発も己が幼女にさらしたように打たれ
毎日毎日毎日毎日幼女が夢の中で「やめてやめてやめてやめて」言っていて
後ろから警報に激しく激しく激しく激しく耳をつんざかれ発狂死しやがれ。
そう言えば張飛も漢中争奪戦辺りで夏侯淵の娘だか姪だかを拉致ってたな。
丁度こんな感じだったんだろうか。
>>432
それは建安5年の事だから、漢中戦の時じゃないぞ。
カコウエンの娘との間に生まれた子供がかなりの美人で
美人の父親が美男じゃないわけがない、というのが
張飛=イケメン説の論拠らしいが

もの凄い顔の親父にして芽茶可愛い娘って現実に何人か知ってるぞw
張飛が王平より上と言える点は、決勝点を見極めて、そこに兵力を結集し勝利すると言う力。
王平には防御という役割しか与えられなかっただけで、実際にはそういう力もあるのかもしれないが、
王平には攻勢における勝利が一つも無いからそう判断するしかない。
王平は守りのプロ
ハーフは美形多いよな
外国の地が入ってるかもな
略奪婚は当時の常識。
張飛がヤバイ奴であると言う証明にはならない。
女性が断固拒否と言う例も有るので多分、和姦成立。
張飛みたいに目がくりっとしてて頬がゆたかな女の子は普通に可愛いと思われ
440名無しさん:04/07/25 16:59
>>439は張飛と面会できた貴重な人の証言です。凄い事です。
結論としては、張飛を王平の上に置くということでよろしいか?
いいとおもう 比べようがないから有名な張飛の勝ちで。
>>437
白人と黄色人のハーフならともかく、
黄色人同士のハーフならたいして変わらない。
望山賦(山を望んでの詩)

         御中将軍 姜維

山閑閑たり 深川は営営たり
鳥声を崖下谺に聞く
続車は三千里に列し
奉火は四方の岸を照らし
兵の声は益益と高らかに響く
後塵の国営は急時に向かい
前屹しる賊の進むは甚だ急
我甚だ非才なれどただ武侯の息を望みつつ
又山に見るは郷邑の祭雄叫
445無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 01:49
一位は范疆
張飛と王平は張飛上位で良いとして、次は魏延と姜維か。
この比較も厄介なように思えるな。
望山賦(山を望んでの詩)

         御中将軍 姜維

山閑閑たり 深川は営営たり
鳥声を崖下谺に聞く
続車は三千里に列し
奉火は四方の岸を照らし
兵の声は益益と高らかに響く
後塵の国営は急時に向かい
前屹しる賊の進むは甚だ急
我甚だ非才なれどただ武侯の息を望みつつ
又山に見るは郷邑の祭雄叫
拙いながら姜維について、

姜維の戦術の基本は、持ち前の機動力を活かした速攻であり、火力重視の諸葛亮とは対極にある。
更に、「陽動+迂回機動による奇襲」などの奇策も所々で弄していたと考えられる。
これはツボに嵌れば非常に強く、王経相手に万単位の戦果を挙げた事もある。

しかしながら、機動力を重視するために兵站を捨てた事で、作戦継続時間が短くなってしまい、
緒戦で強力な一撃を喰らわせた後、その勢いと武威で以って制圧に掛かるという方法しか取れなくなってしまった。
その事を敵に読まれて撤退に追い込まれる事も多く、この戦法は手放しで誉められるものではない事が分かる。
姜維の戦法は、十分な戦略予備と、それを支える太い兵站線があってこそその真価が発揮されるように思える。

功績面では、無理に外征を繰り返した事によって中央政府との信頼関係を失してしまった事の罪が大きい。
魏に対抗し得る将が自分しかいない中、本国と距離をおいてしまった事により、
相次ぐ北伐による疲弊もあって魏の大侵攻作戦を招いてしまった。
ただ、多数のイレギュラーがありながら、魏軍本隊を拘束し撤退寸前まで追い込んだ事は評価できる。

個人的な感想として、姜維は曹操のもとで働いた方がその能力を十分に活かせたように感じる。
魏延については自分には上手く考察を引き出せないので、どっちが上かどうかは判断できない。
そこは魏延好きの誰かが考察してからという事で。
449無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 09:13
それってあの本のコピペ?
>>448
冷静な意見乙
>>448
総司令官ってのは姜維には重荷なんだな。


それ言うと、蜀に総司令官が勤まりそうな将ってほとんど居ないんだがな。
魏延のせい 蜀の軍制 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀の軍 半分にならなければ
益州の豊かな国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
北伐の継続を できたはずなのに・・・
>>451
なにせ諸葛亮が総司令官を勤めなければならなかったぐらいですし。
彼が総司令官を勤めなければならない時点でかなりやばい状況だったように感じます。
夷陵で将校が軒並み戦死したのかねえ・・・
>>454
その上、諸葛亮が死んだ後に
蜀軍で最も戦歴の長いベテラン軍人を、
ほとんど内輪もめの形で殺してますから
・もともと劉備が来る前の蜀は戦争経験が浅い
・劉備と長年行動を共にした古参の武将は長いあいだ戦略を組む経験をしたことがない
・そのうえで夷陵のダメ押し

…つらすぎ。
お粗末ながら、>>448に付け加える感じで。

姜維の北伐は動員兵力も兵站も不足していたというほかないが、諸葛亮と較べれば
一長一短であったようにも思える。
諸葛亮は、出征に先立って斜谷路入口に邸閣を設け、事前に糧食を集積させて遠征の
長期化に備えるなど補給に十全の手を尽くしたが、常に兵站線の維持を優先した正攻法
の作戦であったために魏軍の早期対応と戦力の集中を許した事で持久戦を招いた。
対して姜維は諸葛亮と対極の作戦を用いたため、序盤こそは機動力を生かして戦果を
あげる反面、兵力と補給の不足により戦果を維持し拡大させていく事を困難としている。

つまり、機動力に欠けた大軍では長期の長躯侵攻は行えず、機動戦を行えば兵力と
兵站は常に不足の事態を招くといえ、これはもう人材の不足や能力に問題があるという
段階の話ではなく、険阻な地形と国力差が用いえる作戦を限定させたというべき。

魏延の子午道経由の電撃戦は魅力的だが、諸葛亮の展望とどこまで合致しえていた
のかは疑わしい。
また、魏延の戦績は素晴らしいが、あくまでも一軍の将というべき部隊運用のレベルで
あって、諸葛亮や姜維のような三軍を統帥した戦略レベルでの作戦立案に才能を発揮
したわけでも機会を得たわけでもないので、姜維・魏延の比較は難しい。

個人の成績でいえば魏延に軍配が挙がるが、鍾会の侵攻時に立案した防衛戦略や
王経を大破した用兵に絞ってみれば、遜色ないどころか魏延よりも上といってもいい。
要するに、評価基準を魏延と同等の線で考察すれば姜維に、滅亡までの総合的な
事績までもを含めてしまえば魏延に、ということになるんじゃないかと。
張飛・王平の最終的な(どこか抽象的な)根拠同様に、個人的には姜維でいいとも思う。
>要するに、評価基準を魏延と同等の線で考察すれば姜維に、滅亡までの総合的な
>事績までもを含めてしまえば魏延に、ということになるんじゃないかと。

ここの姜維と魏延は逆ですね、ごめんなさい……
>>283
夫兵貴拙速、未聞巧遅(続日本紀)
兵聞拙速、未睹巧久也(孫子)
魏延ってなんか敗戦ってあったっけ?
>>460
敗戦の記述は無かったと思う。
負け無しか。劉備が気に入るのもわかる。
なんで負け無し将軍の正確な情報に基づく
長安急襲 カコーボーやっちまいナー作戦採用しないんだろ。

非常に魅力的な作戦に見えます。
>>462
一般的な理由では危険性。
一万程度の兵力では長安を攻略できる確実性に欠けるし、よしんば陥落できたと
しても陸の孤島にすぎないため、恒久的な占領が不可能とも。

別の可能性として、諸葛亮の構想(真意)との相違。
北伐を行う事は先主の遺勅に基づいた義務にすぎず、諸葛亮自身は成功を視野に
入れているわけでも、長安を絶対的に陥落させようという意思も薄かった、というもの。
そのためには蜀軍の被害と国力の大きな低下は絶対的に阻止しなければならず、
そのために常に正攻法の安全策を採り続けた、という可能性。
撤退時の手際の見事さなどは、これに起因しているという見方もできる。
>>462
諸葛亮プラン
成功率40% 成功時の成果100 失敗時のリスク−10
 期待値 34

魏延プラン
成功率60% 成功時の成果200 失敗時のリスク−100
 期待値 80

この両者を比べて、失敗時のリスクが大きいのを避けるのが
孔明だったって事でしょ。
>>462
負けなし、と言っても劉備生前は軍を率いて〜に勝利した、という記述自体が無かったりする。
実は諸葛亮の下で軍を率いてる時が一番軍功を挙げてたりするし、あと一応王平に負けてる。

長安急襲はあんまり具体的な作戦じゃなかったみたいだからねぇ、
「俺の名前は聞けば臆病者のカコーボーは逃げるぜ」
とういう自尊心から来たような作戦だったらしい。
>>465
え 王平に負けてるのか。
魏延の敗戦探したけど見つからなくて。
いったいどこにその記述あるんですか?
>>466
諸葛亮の死後の話でオマケに内乱だけど、
魏延と楊儀の争いで、楊儀の先鋒の王平が魏延の部下を一喝したら、魏延の部下が逃亡し
魏延は敗北、漢中に逃げようとした所を魏延は馬岱に殺された。

王平伝とか魏延伝の最後の方にも載ってると思うよ。
他にもちらほら散見した気がする。
468無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 16:39
>>467
あーそれのことか
それは敗戦といえるのかな?
政争に敗れてく過程にすぎないのでは?
5期メンバーのせい 半分モー娘。 死んだ
モー娘 どうしようもない
ミキティ 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

ミキティのこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい モー娘 倍にならなければ
エイベッ糞を追い詰めたユニット モー娘で
ミキティは自分の能力 最大限
再浮上の完成を できたはずなのに・・・
今ふと見たら
「姜維がんばったのにかわいそう」
ってスレ発見しちったw
ワロタw
>>464
魏延のプランはそんなに成功率が高かったとも思えないんだが。
むしろ孔明のプランの方が成功率が高いような。
魏延最大の戦功は、呉班、高翔と共に諸葛亮の命で司馬懿を撃破したことか?
>>472
あとは呉懿とともに費耀を撃破した事も。
>>471
五十歩百歩

両方とも成功率10%も無いと思うぞ。
第一次はそれなりに勝算があったんじゃないか?
魏延の急襲策は、>>448の意見に従えば、機動戦が軍の基本にある魏軍に対して
非常に無謀な賭けということになるな。まあ、曹真ならどうなったかわからないが、
張コウや仲達が出てくれば、長安を取ったとしてもそのあと即死だろう。兵数1万とい
うのは、魏の動員兵力に比べていかにも少なすぎるし、関中緒郡がすぐになびく保
証がない。

もし法正やケ艾、或いは韓信やナポレオンなどの天才連中なら、どう判断したか知
りたい気がする。少なくとも地形的には狭隘な峡谷の連続で、危険な路であることは
疑いないし、韓信もそのルートは選ばなかったからな・・・。
やはり漢中から攻め込むのは無理か。
かと言って荊州は無いし、あったとしても呉との関係が冷え切ったままになってるから、
とてもじゃないけど魏に攻め込むなんてのは無理だろうな。

ところで、ここって北伐語るスレ?
魏延の奇襲は、だろうばっかりだけどな
・兵1万というが、実質は兵5千、輜重5千で漢中を発ち、10日以内に長安を急襲
・安西将軍は臆病なので逃げるだろう
・食料は長安の邸閣にあるだろう
・洛陽から魏の本体が来るまでに20日はかかるだろう
だろうで仕事するなと言われてるだろ

よしんば、魏延が長安オトしたとこで、カクワイが少しでも蜀本体の足止めしたら孤立だし
長安自体は守りやすい城ではないが、広いし、制圧後今度は防衛しなければならなくなる。
当然魏軍の方が壺を熟知しているわけだし、下手すれば全滅の憂き目にあうかもしれない。

5000というのが本当なら、長安制圧と治安維持に1000割けば残りは4000。よほどの名
将でない限り、魏の大軍を防ぐのは無理。もしそこまで可能な練度をもった強力な部隊なら
そんな奇襲策も不要で、普通に西から出てきて勝つことが出来ただろうしな。

それに、長安の民が蜀軍をどう迎えるのかと言うことも非常に重要な要素だが、それも読め
ない。魏が特別失政を犯したわけでもなく、董卓からこちら荒れ放題だった治安を回復した
わけだし。
魏延だけで魏本体を迎え撃つんじゃないよ?
孔明率いる本隊が長安に入ること前提
ただ、斜谷の桟道が崩れてたりしたら到着遅れたりするので不確定要素大きすぎる
守るのは潼関でするんじゃない?
まぁ、司馬懿が悠長な動員してるとは思えないがな
すると結局は平地での対峙になり、戦力差が出てきてしまう訳だが
涼州の魏軍も少数とはいえ、残ってるし
482無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 21:08
無茶をやらなきゃ勝てないと判断したんだろうな魏延は
でも孔明はまず西方から勢力を扶植し、少しずつ魏勢力を削って呉との連携を期待していたっぽい
この辺、戦略思想の不統一が見られるな
もっとも魏延は孔明死後以外は不満は言っても作戦が一度決まれば忠実勇猛に働いてたんだが
それに長安駐留の蜀軍が総員で一万の戦力では、西進してくるであろう魏軍を
拘束することすらできないと思う。
逆に包囲軍に自由を奪われれば無力化されたも同じで、戦略的意義を失う可能性も
でてくる。
484無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 21:12
祁山や旧道ルートは、関中の駐屯地からいったん西を回り道しなければならない。
だからこその魏延の急襲策。行軍の日数としても、西回りは防衛拠点を潰し、ろう西も平定してから
ようやく長安転進なので、下手をすると1ヶ月の差が出るかもしれない。

そんな長期間支えることが出来たら、これはもう三国一の名将と呼んであげるわけだが。
>>476
子午道は韓信の頃は無かったでな。選ぶわけない。
長安を一時的にでも蜀軍が陥落占領させたばあいの政治的効果ってどうなんだろう?
呉がこれはいける!としゃかりきになり北上、魏領で反魏勢力が反乱起こす程度までいくかな?
あくまでイフのイフだから意味ないかもしれないけど
>>476
ハンニバルなら異民族をとりこみながら遠征して、落とせ無そうな大規模拠点を無視しつつ
動きを悟られないように気を配りながら膨らんでいく自軍で、並み居る敵を野戦オンリーで打ち破り中原に突入。
略奪と交渉と体制に不満を持つ方々からの援護で1〜2万を維持しつづけて中央を釘付けに
ガンガレ本国ガンガレ呉軍、第三勢力達に檄を飛ばしながら待っているぞ。
ところで、時の御史と京兆太守は誰だ?
カコーボーがマヌケでも補佐が優秀なら駄目な訳で
彼女がオレのボウガチョウをころころと弄ぶと、オレのバチョウした
テツリキツがむくむくと大きくなる。ゴツトツコツ!といわんばかりに屹立した
オレのカコウボウはまさしくテイホウと呼ぶに相応しい。
彼女の舌がチョウギョクにゲンハクコと絡みつく。
そろそろか。オレは立ち上がると彼女のジュンユウなマンチョウに
チントウをソウショクする。
ガクシン、ギエン、ガクシン、ギエンとリズミカルに腰をふる。
彼女のホシツしたジュンウケイがカコウオンを奏で始める。
「シャ、シャマカになっちゃう!
 アカイナン!アカイナン!テイイク、テイイク、コウソンサァーーーンッッッ!!」
彼女はひときわ大きな声をあげる。そしてオレのチンブからは
トウトヌとエキトクが迸り、ぐにゃりとロシュクする。
490無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 22:58
長安落として呉に知らせるのに早くて3日、それからおもむろにいくさの準備をして
急いで長江を渡るまで1週間。それから合肥についていざ合戦・・・合わせて20日
あまり。

その間に魏延アボン
蜀軍が長安に達したっていう事自体は心理戦的には意味があるかもしれんがね
魏延伝には,長安を陥とす事は書かれているけど,その後の構想が書かれていないから,魏延を評価しづらいンだよな。
まぁ,潼関で諸葛亮軍と合流する旨は書かれているから,略奪→撤退ではなく,長安保持のつもりだったのかな。

まぁ,好意的に看れば,守勢に入っても魏との差は開くばかりだから,賭けに出るしかなかったとも思えるが,博打的な作戦ではあるな。
その博打を良しと看るか,否とするかで魏延の評価が変わるって感じか。

ナポレオンみたいに成功率6割でも実行するような英雄ならば良しと看れるかも知れないけど,一般人的には安全性を良しと評価したいよな。
おいおいまだ数値化できないことを主観的に考察してもめてんのかよ。
もめるとこまでいってないな
姜維と魏延の伝をそれぞれ読むと、結構似ているところが多い。
どちらも短期間に昇進して、末期には蜀随一の歴戦の将軍となっている。
どちらも主戦派で、慎重派の上司(魏延は孔明、姜維は費イ)に止められている。
ともに慎重派の上司がいなくなると同時に、無謀とも言える攻勢をかけている。(魏延は実施する前に謀殺されたが)
ともに部下の叛逆が滅亡の糸口となった。
その最後には、一族も被害を被っている。

魏延が死ななければ、大司馬魏延の下で前部都督を務める姜維のようなタッグがみれたかもしれないのが惜しい。
長安を落とすってのは相当の効果があるだろうな
実際、三国西晋の次の時代、歴代南朝における「長安落とし」の効果は絶大だし
皇帝になる為の条件みたいになってるしな。
一時的にも長安を落とすってことは、そのまま「英雄」の名を欲しいままにできるって事だから
万が一成功した場合を考えても孔明は反対だったろう。
魏延の発言力が増すのは、自分の立場、自分の戦略上も不味い
497無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 02:03
孔明が人の意見を取り入れることはまず無い。あいつきらーい。意見言わせ
ろ!
>>497
おまえは馬岱だろ。
そうだろ。
長安の城って城壁低いから落とすの簡単そうに見える。

500無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 02:28
>>499
あほか
キョウイって何が目的で外征してたのかね。
初めのうちは隴より西は渡さぬと言っているけど
やっているのは遠征と帰還だけだし。

ヒイの死後は積極的に攻めはじめるのかと思えば
やっているのはやはり遠征と帰還。
そのうちトウガイにやられて隴西の住民からも離反されるし。

勝敗は兵家の常としてしょうがないとはおもうけど
外征の目的ってのが見えてこなくて
戦略的な思想が判らない。
正史でようやく戦略性が見える記述ってのが
トウガイ・ショウカイからの蜀防衛戦で
結果は負け戦だからな。

戦略構想としては
魏延の短期決戦型長安獲得策とも
諸葛亮の長期戦型領土拡大策でもなく
攻勢型の防御策をとっていただけの様に思える。
そうだとすれば
段谷や諸葛誕の叛乱に乗じた攻撃も
負けとはいえ評価は出来るが
あくまでも劉備の遺志を継いで魏との決戦を望んだ
諸葛亮や魏延とは
戦略目的に違いが有りすぎて比較が出来ないのではないか。
たしかに。
姜維は戦術的には優れてるのに
その先のビジョンが見えない戦いが多いから不思議だよな。
取りあえず勝ちたかった
それ以外はどうでも良かった
見えない部分を推測するのは楽しいけど
このスレ的には、推測で姜維の評価を高めたり貶めたりしても仕方ないから
「戦略的な構想が見えない」って事で比較検討するしか無いのか。
俺、姜維嫌いだったんだが、
このスレ読んできてなんか段々哀れになってきた




決して例のコピペとは関係ないぞ
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
507諸葛亮:04/07/27 09:37
私のせい 北伐 失敗した
私 どうしようもない
私 降格した でも 一人だけ 降格の意味がなかった ・・・

先帝のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな臣下のせい 蜀漢  賊国を制していないけど
もう一度 北伐したい だめな臣下でなければ
先帝は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずだから・・・
>>507
お、今までと違うパターンか。健気でなんかいいな
>わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

せいぜい泣いてろって思うよ

しかもここだけは変わらないのな(って書くと変える必至さが間抜けなんだけど)
私のせいと言いつつ
駄目な臣下のせいと本音をいう諸葛亮が好きですw
駄目な臣下って孔明自身のこと指してるんじゃないの?
そこのくだりで出師の表思い出したけど。
自分を愚物のように表現するのは古代の常套句
諸葛亮は文句なく能臣だけど、>>507にはそこまでの考えなんかないだろうな。
>>501
姜維の構想は、魏から涼州を奪うってものだろ。
緒戦の大勝利で大きなインパクトを与えつつ、涼州諸郡に降伏を呼びかけ、
羌族と協力しながら関中からの援軍を撃退し、そのまま涼州を制圧・支配する、というものかと。

これが最も実現に近づいたのが、255年の洮西の戦い。
しかしながら、陳泰の優れた判断によってこの時も失敗してしまった。
更に翌年、陳泰の不在と魏の油断の隙を突き再侵攻を行うも、これはケ艾に看破され失敗。

遠征と帰還を繰り返していたのは作戦が失敗していたからであって、目的が無かったわけではない。
それに、そんな事を言ったら諸葛亮も遠征と帰還の繰り返しだというのは変わらない。
戦争の為の戦争
くっそー 魏延甦れっ
516森 且行:04/07/27 19:32
おれのせい 半分スマップ 死んだ
中居どうしようもない
木村 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

慎吾のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな吾郎のせい スマップ 半分にならなければ
光GENJIを追い詰めた大国 スマップで
姜維は自分の能力 最大限
剛の完成を できたはずなのに・・・
>>516 姜維をスマップ大国に残すな。
518無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 22:21
>513
涼州を取るって目標があっても、それに対する戦略性があまり感じられんでしょ、姜維は。
もし、君の言う通り、緒戦の大勝利を戦略の基本に置いていたとしたら、本質的に戦略ってものを理解してなかったことになる。
戦略ってのは、戦闘における勝利も含むものだけど、それだけじゃない。局地戦の積み重ねが戦略的な勝利につながるって訳でもない。
逆に戦略的に有利な状況を戦術的なミスで帳消しにする場面は多々あるが(例 街亭)。
姜維の北伐の場合、行き当たりばったり的な部分が多いような感じがする。
涼州奪取が目標だけど、その過程に計画性があまり感じられない。
兵は拙速を尊ぶにしても、兵は国の大事、って方が優先されるわけだしね。
糞コピペ改変は↓に逝け

姜維がんばったのにかわいそう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090806375/
>>518
兵站の繋がらない険阻な地形、圧倒的な国力・兵力差。
当時の蜀にあって、選択できる戦略なんて殆ど無いと思うが。
諸葛亮のやり方を踏襲した所で勝利はまず不可能だし、蔣琬の方法は既に反対にあっていた。
子午道からの長安奇襲も不可能だろう。
防衛に専念しようにも、放っておけば魏蜀の国力差は開く一方な上に、
自分や諸葛亮を超える人材が出てくる可能性も低い。
出てきたとしても、その頃にはもうどうしようもない状態になっているかもしれない。

では自分ができる事は何かと考えた時に、涼州の分断というものがあったわけだ。
しかしこの場合遠方へ長駆しなければならず、兵站を繋げながらでは到達前に防御態勢を取られてしまう。
それでは涼州攻略前に関中から大軍が到着し、結局勝利は不可能になる。
そこで補給は羌族と敵からの奪取に頼る事にし、機動力の向上を図った。
しかしこれによる作戦継続時間の減少が仇となり、敵を野戦に引きずり込む必要が生じてしまった。
堅固な城に籠もられれば、補給が続かない為に撤退せざるを得ないからね。

姜維は「敵の撃破による統治者と民の切り離し」という道に進むしかなかったんだと思う。

それと、本質的に戦略を理解してないと言うが、クラウセヴィッツは戦略を、
「個々の戦闘を組み合わせて会戦の目標を達成する芸術である」と言っている。
君は戦略の本質は何であると思ってるか聞きたい。
520は、物凄い姜維を贔屓目に見た場合の独自解釈ってやつだな。
羌の支持と協力が無くては成り立たない戦略なのに
略奪を行ったりする時点で、破綻してないか?
249年の時点で羌の不満をトウ艾に看破されてるし。
523無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 07:17
>520
ループになるんであまりくだくだ書かないけど、クラウセヴィッツの戦争論に対しては戦略を戦闘部分に限定しすぎている、と言うのがクラウセヴィッツ以後の戦略論者の公式見解。
って言うか、クラウセヴィッツ自身もその点について悟る部分があったらしく、晩年、戦争論の改定に着手してるよ。
諸葛亮の北伐について言うと、五丈原以外の諸戦役はそれなりの戦略が見える。特に第一次北伐は街亭の敗戦が無ければ、(少なくとも戦線を維持出来る程度の敗戦であれば)、ロウ西諸郡の恒久的支配が出来たかもしれん。
攻勢より守勢の方が有利、と言うのはクラウセヴィッツも語ってる事だが、第一次北伐の時、蜀漢軍は攻勢側であったにもかかわらず、街亭では守勢をとれる体制に持って行ってる。
本来、守備側である魏軍を攻撃側に回らなきゃならん立場に追い込んだわけだ。魏が攻撃して来なければ来ないで、蜀漢軍はロウ西〜涼州南東部を容易に確保できる、と。
そういった、戦闘が無くても有利、戦闘においても有利と言う、大局的に有利な立場に立つ手段が戦略だと思ってる。もちろん、国力全般に対する広い視野が必要なのは当然必要なわけだが。

姜維時代の蜀漢の国力が>520氏がおっしゃるように魏に対して相当な隔絶があったと思う。
そういった状況の中で戦争を仕掛ける場合、諸葛亮以上に周到な準備・計画が必要な訳で、そういったものが見えてこない上、戦闘と言う戦略における手段の一つでしかないものが目的化してるように見えるのはどうかと思う。

ものすごく単純化した戦略の概念で言うと、戦略的な成功が戦闘における大勝利につながる事は多々あるが、だからと言って、戦闘の大勝利を前提(あるいは目的)にするのは戦略とは言えないんじゃないかな。
524無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 07:25
すまん、続き。
当事の姜維が選択できたものに、自分が政権担当してる時期は蜀漢を維持する、ってのもアリだと思う。
自身の死後の事だって、自分の存命中にある程度の期間についての路線はひけるハズ。有能な人材が出てきていれば、その人物に任せれば良いし、出てなければ、なるべく社稷の維持が出来るような人材を後継者にする。
それで死去後、数年、あるいは数十年蜀漢が維持出来れば大成功で、その後に滅びたとしても姜維責任にはならん。そこまで求めるのは酷。
政権担当者には社稷の維持と言う政権の大前提の連続性を維持する事も当然大切であって、独善的に自分の後はアカンから戦争ってのは無責任と呼ばれても仕方ないと思う。
俺自身、姜維は好きだけどね。
長々申し訳ない。
大人の意見ですね。姜維厨に爪のあかでも(ry

私も、当時選択枝自体限られている中で、第一次北伐は戦略も戦術も最高峰と言っていいと思います。
結局魏軍を引きずり出さないと勝負にならないし、そのためには必然性が必要。もちろん戦術的には機
動要撃が魏軍の得意だが、それ以上に戦略的分散は大きな方ほど不利。関中西部、それに潰えたが
孟達が襄陽付近、それに連動して合肥付近の孫権、これらに北方の異民族が絡めば、蜀の勝つ可能
性はイーブンにまで跳ね上がる。そうなると、無理攻めでも決戦型の蜀とぶつからなければならず、蜀
軍の能力も最大限発揮できる。どうも、魏軍は大軍になると逆に弱いのではないかと思える戦績ですよ
ねw 曹操=魏軍という状態もどれだけ脱却できていたか、大きな戦が少なくよくわからない。つまり、司
馬懿は一人しかいない、と。
魏が大軍を率いるくらい大きくなってからは昔ほどの勝利はないのは確かだが、
だからといって「魏軍は大軍になると逆に弱い」などというのは、あまりにも
呉、蜀を過小評価していると思うぞ。
そもそも「大軍」というのがどの程度の規模を指してるのかが問題。
三国時代は十万も動員できればそうとうの大軍ですから。
姜維厨って俺の事か?まあ、そう呼ばれても仕方の無い部分はあるが。
>>523
戦略については見解の相違があるのかも。
自分は、戦略というのは、目的とそれを達成する目標、更にその目標を達成する為の方法だと思ってる。
姜維の場合、目的が「魏蜀の差を縮める」というもので、その為の目標が「涼州の切断」であり、
その方法が「敵の撃破による統治者と民の切り離し」となる。
「できる限り有利な場所での戦闘を整え、敵にとって不利な状況において敵に戦闘を強要する事」
というのは、自分は作戦の範疇じゃないかと思ってるので。
姜維にとってのそれは、「敵の一部を叩いて敵本隊を誘引すると共に、有利な場所で待ち構え撃破する」
という、王経撃破時に取った方法だと思う。
ただこれは、敵が誘引に引っかかる事が必要不可欠だし、引っかかっても成功するかは分からない、
作戦としては優れたものでは無いと思う。
続き

しかしながら、ループするが、当時の姜維が魏を攻める場合の選択肢はこれぐらいしかなく、
姜維のように自分の能力に自信を持っていた人間が、後進に期待しつつ政権の延命を図って
守勢に徹するという事ができるとは思えない。
姜維の場合、その自信に加えて、能力だけでその立場にいたようなものだから
何かしらの功績を挙げなければ失脚する危険性もあったんだしね。
政争によって権力を強化するなんてのは得意じゃないようだし。

それと、自分は姜維が優れた戦略家であるなんて思ってもいないし、そんな主張をする気も無い。
ただ上の方で、姜維の戦争には目的が無いとか、ビジョンが無いとか言われてたから
それについて反論したかっただけ。
530無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 16:05
芝居と陸孫お前らうっぜえんだよ
>>530
どした?
532sage:04/07/28 17:24
523だが、おそらく、>528=529氏がおっしゃってる「戦略」ってのは現在の戦略論の中ではリデル・ハートの言うところの「大戦略」にあたるモノかと。
その「大戦略」の部分は国政全般の安全保障政策にあたる部分と重なる。
その実施過程で戦略が必要であるが、姜維の場合、それが見えないと思ったんだな。
ただ、大戦略・戦略・作戦術・戦術の境界線は非常に曖昧なので個人的な見解の相違は仕方ないと思う。
まぁ、近代〜現代の体系的な戦略論を2000年近く前に当てはめるのも難しいトコなんだけどもw

ループになるが、後進に期待する事が自身の性向から出来ないとか、功績上げないと失脚する、って意見はよく見かけるんだが、それってすべて姜維の個人的事情であって、それをもって国政方針を定めるってのは論外。
大将軍に任命した蜀漢が悪いと言う反論もあるだろうが、その職務に向いてないからといって、自分が得意としている戦争関連の部分に職務を限定してしまうのも無責任。

俺、個人としては戦争を我慢すれば堅実に国政を指導出来たと思うけどね、姜維は。
∵∴∵∴\ )ノ
∴∵∴∵∴\   
∴∴,(・)(・)∴|  
∵/   ○ \|     
/  三 | 三 |    
|   __|__  |  
|   \_/ /..     
\____/(__ )     
===( i)==::::/   
:/     ヽ:::i    
降将なので戦争によってしか自分の地位を維持出来なかったと思う
ムネ○が金集めでアピールするしか出世しようがないのと同じで。

例えおかしい?気にすんなって 
>>532
仰るとおり、自分は大戦略に限定してますね。
そんなに詳しいわけじゃないから、現代の戦略論がどうなってるのかは分かりませんが、
あなたの言う戦略は、作戦との境界が非常に曖昧だと思うので、作戦とはっきり分けられる部分、
つまり大戦略を戦略とするのが良いと自分は思ってるのでそれを戦略とさせてもらいました。

それと、姜維が攻勢に拘った理由は姜維の個人的事情である、というのは同意です。
ただ、能力のある人間が何かを為したいと思うのは仕方ない事だと思うので、
その事で姜維の評価を、特に将としての評価を大きく下げたくはないと個人的には思います。
下げるのがこのスレの総意であれば逆らいはしませんが。
で、結局の所、魏延と姜維の序列はどうすべきか?
スレの総意は知らないけど、
個人的事情に起因する戦争は評価下がって当然だと思った。
(当たり前すぎてレスするのも憚られるけど)
魏延のほうが上に一票
終わりは悪いが、それまでは優秀だし人格面の欠点も(少なくとも諸葛亮存命中は)抑えられてきたし
何より純軍事的敗北が無いのは凄いと思うが
539535:04/07/28 20:27
>>537
いや、評価が下がるのは当然だと思うよ。
ただ、それを決定的な事のように扱いたくはないって事。
人格面も諸葛亮批判くらいでしょう。
それはある意味当然の意見だった面もあるしな。
自分も魏延に1票。
>>540
自分に遜らない人間を嫌うってのは、普通に人格面の欠点じゃないか?
行き過ぎな面はあったにせよ、諸葛亮批判は副将としては当然の行為だと思うけどね。
542無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:29
523だが、魏延、姜維に限っては非常に微妙だけど姜維を評価。
魏延の場合、彼の責任では無いが、大規模な作戦行動を行っていないので評価のしようがない。
姜維の場合は、無駄な運動が多いが、戦略性さえしっかりしたものがあれば・・・・。
それと、人間性で、魏延は傲慢な部分がある、とはっきり記載されてる。魏延の長所にして、短所でもある訳だが。
姜維はゲキ正の人物評が正しければ、自らを飾るような人物でなく、恬淡としていて魏延より上のような気がする。
543無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:33
魏延は君主の首切っちゃう人でしょう。臣下のやることではない。
それだけで胸囲の方がマシ。
>>541
美徳ではない、という程度には欠点だとは思うけど
人物評価でマイナスになるような欠点とは思わない

実際、その狭量な点で軍事行動で失敗したこともないわけだし
仕事とプライベートは分けることができる分別はあったってことだろう
>>544
どんなにもめても作戦が決まったら従うしな
546無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:38
馬鹿だな。先にケイシュウから出兵していれば良かったのだよ。
というか、人物を嫌うという点では楊戯の事例を看るかぎり
姜維の方がよほど問題ありだと思うが

魏延の傲慢は職務に影響していないが
姜維は表に出さないだけで、しっかり報復しているのだから
魏延と姜維なら俺は姜維に一票。
魏延の欠点は自分で企画した戦争が無いことだと思う、変な言い方だけど。
基本的に諸葛亮が企画した戦争で武功挙げた将なので、無敗といっても凄みは半減するし。
自身が発案した長安急襲作戦も個人的にイマイチだし。

諸葛亮批判も理論的だったら良いんだけど、ただ、臆病者、と罵るだけではなんとも…。
>542
キョウイを推す人は全員大規模な作戦が・・・というが
ただ行うだけなら誰でもできる。単にその立場にいたかどうかだけだ。
会社でいえば創始者の子供で生まれりゃ余程のアフォでなきゃ
社長になれる。孔明の下にいれば永久に指揮は取れない。
それは才能とかの問題じゃない。「運」だ。
魏延とかチョウ雲とかは殆ど劉備や孔明の直下で働いていたの
だから仕方がない事。それはマイナスとは言えない。
そこで結果を残した2人より独りで暴れて国力を疲弊させた
キョウイが上という評価はありえない。
戦も大半が負けだしね。どこにプラスがあるの?
550無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:45
>>549
馬鹿だな。孔明を負かしているじゃん。
魏延に孔明を負かすなんてことできないじゃん。
>ただ行うだけなら誰でもできる。
これを言った時点で考慮に値しない意見となったな。
関羽さんなんかたった一回程度の中規模軍事行動で亡くなりましたよ。
どこにプラスがあるんです?
っていうのと変わらない。
大規模な軍事行動は大規模な敗北の可能性がつきまとう(敵もノーガードでくることはあり得ない)
そこが全く考慮されていない
釣りか何かは知らないが、
さきからageてる馬鹿は黙れ

>>549
>戦も大半が負けだしね
度々勝利も治めているし、大勝利も治めたことはある。
まったく結果を残していないとはいえない。
553無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:49
>>552
論破できないと、無視扱いかよ
プケラッチョ
554540:04/07/28 22:51
>>548
 >自分で企画した戦争が無いことだと思う
これは同意。
姜侵攻は諸葛亮のその後の方針と路線が違うので魏延の発案かもしれないが
推測の域を出るものじゃないしな

 >諸葛亮が企画した戦争で武功挙げた将なので
これは異論蟻。
魏延の凄味は、建国したての蜀の最前線にあって
魏に攻め入る隙を与えなかったことだと思うので

 >長安急襲作戦も個人的にイマイチ
個人的感想レベルではなく判断基準も書いた方が
スレ住人の判断の助けになって良いと思われ

 >諸葛亮批判も理論的だったら良いんだけど
これに関しては、より冒険的な長安急襲策を採らない理由は
諸葛亮の慎重さなのだから、それ以上言いようもないと思うが
もっとも、正史では批判内容を要約しただけで
実際にはもっと言っていたと思うが、これも推測の域を出るものではないな
>>552
大勝利? 北伐なのに、まさか局地戦のことか?
>>552
まあ結果は残してるだろうが、それと比べて減点が大きい気もするんだよな。

姜維に政治をしろってのが酷だったのかもしれないが。
>>553
落ち着け
論破って言うか看破されてるぞ
悪い事は言わんからsageて潜伏しとけ
558無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:54
>549
>542だが、魏延の場合、姜維と比較する材料が無いんだよ。
魏延が姜維と同じ立場に立った場合の可能性は否定しないが、可能性だけであって、それってのは評価対象にはならん。
そういった場合、客観的な材料を多く提出してる方が評価しやすいかと。

姜維は>523や>542でも書いたけど、しっかりとした戦略があれば、もっと顕著な結果を上げた可能性を感じられる作戦運動を見いせてたかと。
敗戦が多いとおっしゃるけど、こと機動って部分では優秀だよ。


姜維がやった事は蜀滅亡を結果的には早めただけ。
魏延は蜀建国に貢献した。
この違いはでかい。
比べるのなら、孔明と姜維と方正
魏延は政争で負けて、トップになれなかったからなぁ
ぜひ活躍を見たかったよ
やっぱり姜維は一武将であるべきだったんだよな・・・。
一軍人としては悪くない。というか十分優秀。
>535
君は自分の脳内妄想押し付けすぎ。実際の才覚で言えば孔明より
遥かに劣る姜維がそこまで自信家だったかなんてどうしてわかる?
自分で勝手に人物像を創り上げて思い込み過ぎている。
実際そこまで姜維が凄いなんていう人は日本の一部オタだけだよ。
どうでもいいが討論すればするほど蜀の国力不足が分かってくるな…
名将の候補に挙げられるのはせいぜい張飛までで、残りは部将って気がする
>>564
関羽や魏延、王平、黄忠、などは名将でないとおっしゃられるのか?
>>563
落ち着け
俺から見るとおまへもだいぶ推測で物を語っている。
あほか 推測で語るしかないだろ
>>563は釣りなんだろか?
釣りだろ
>>565
なんていうか率いた兵力が少なすぎて…
関羽魏延はともかく黄忠は部将だと思ふ
571535:04/07/28 23:07
姜維伝に、西方の風俗に習熟してるという自信とか、軍事の才があると自負してる
ってあるから自信家だったのだろうと思ってるんだが。
そこまで妄想っぽく見えるのなら俺の意見は無視しても良いよ。
魏延が(張飛に先立ち)漢中太守に抜擢されたこと
それに対してさしたる異論も出ていないこと
魏との漢中抗争で蜀が勝利していること

いずれも魏延の非凡さを臭わせていると思われ。
彼の悲劇は蜀軍の中枢が書生チックな面々で占められてしまったことだろう。
この点魏の張コウと似ているといえなくもない。
>>554
>魏に攻め入る隙を与えなかったこと
これって具体的な話がないから評価に困る。
この時期は魏も別段蜀に対して何もしてきてないし、魏側の資料にも特に載ってない。
付け入る隙を与えない、というより魏が何もしてこなかっただけに思える。

>長安奇襲作戦
あんまり具体的な作戦じゃないと思うのがイマイチな理由。
自分の武名を聞けば、臆病者の夏候ボウは逃げるだろう、というあまりに楽観的というか、
自意識過剰な作戦に思える、長安占領後の展望どころか占領自体できるかどうかさえ疑問。

>>544
魏延の性格が職務に支障をきたさなかったのは諸葛亮の気配りのおかげな気がする、
色々気を配ったらしいし。それに諸葛亮の死後に楊儀と争って、あっさり自滅してるし。
>>570
なぜ王平をスルーする
奴は十分範疇に入るはず
>>570
名将は率いる兵力の数で決まるのではなく
戦術、統率、武力、知力など総合的に決めるものだと思うが?
>>575
「力」は使わないでくれよ
厨っぽいじゃないか
>540=554
>548じゃないけど、長安急襲策について。
1.諸葛亮が漢中に出張った段階で魏の中枢が対蜀対策を始めてるので、魏延の作戦が実行されていたとしても、すでに作戦の大前提である臆病司令官・夏侯ボウは曹真に替わってる可能性が大。
2.そうだとすると、曹真は優秀な指揮官であるので、長安周辺の防備をある程度固めていた可能性が高い。
3.仮の夏侯ボウが逃走したとしても、その他にも彼の指揮下の将領がいるハズで、代理司令官の方が夏侯ボウより優秀かもしれないw
4.5千からの軍勢が行動するとなると、ある程度の位置で発見される可能性が高く、子午谷の長安側を封鎖すれば、長安に辿りつけない。
成功の可能性は極めて薄い(と言うか無謀)と言わざるえない。
よく、長安奪取後の維持が云々されるけど、長安まで(って言うか、関中盆地まで)たどりつけないと思う。
>>575
とりあえず武力ってのはいらん
>>578
いる。5人ぐらい殺す力があったら、周りの兵士の士気もあがるというものよ。

まあ実際問題、戦闘に立って、敵に突っ込むなんてことはあまり無かったと思うが。
>>575
率いているとき、敵から××の軍勢だと名指しで出されるレベルならともかく
劉備や諸葛亮の軍勢とひとまとめで語られるようなのは「名」将では無いと思う
>>572
その時張飛は単独で呉に睨みを効かす役どころだったのでは?
>>579
そうか?
なんかそれはもう将軍っていうよりただの部隊長なんだが
>>582
喪前はラスト侍見ていないのか?このにわかめ。
>>582
将軍と大将軍を混同していないか?
>>582
横スレで失礼だが、名将とはいわなくとも呂布みたいな変人も中にはいた訳で、
この時代はまだ武勇というものが役に立った時代だと思う。
【名将】
(有能であることで)名のある将軍
【将軍】
全軍を指揮し率いる司令官
【部将】
一部隊の長

蜀レベルの国だと【将軍】の時点でかなり除外される。
反対に、Mrオクレみたいなのが戦術、統率、知力だけ持っていても名将となりえるのか?
そりゃ役には立つだろうが、古代の戦争って上がやられると下は四散するんだしメリットがほとんどないんでは
普通は将軍クラスは表に出ないんじゃないのか
呂布と同レベル以下の名将も沢山いるけどな
>>586
それは今の定義では?
>>584
大将軍は役職では
>>588
だからといって後方の安全なところから死んで来いって言うだけの奴にはついても来ないだろう。
ある程度目の届く位置たまには襲撃されるところで戦わないと
>>590
おまえは三国時代の辞書でも持っているのか
かんうは扁将軍だったが、一応顔料と文集のところまで出向いていったよな。
>>592
死んで来いって直接兵士に命令するのは部将やら部隊長やらなわけで
矢面に立つのはそいつらでは?
>>593
もっているわけねぇだろ。
脳みそ通してから、書き込め この低脳馬鹿
>>594
あの時は指揮下の部将だったわけだし
普通に考えて、今の軍隊の将軍とは異なるだろ。将軍が、中佐だったり少尉だったり
していたと思う。
位にも依るだろうけどな
>>597
それでも偏将軍という事実はなんら変わる所がない。
601540:04/07/28 23:41
>>573
 >魏が何もしてこなかっただけに思える
どうも具体的に書かれていない部分について、
魏延に関しては常に最悪の条件を課しているように見えるが
せっかく手に入れた領土を盗られた魏が、
7年間も無視していたという考えは無理がないか

 >諸葛亮の気配りのおかげ
漢中太守時代はヒイも諸葛亮もいない訳だが
楊儀伝と魏延伝を読み比べれば、魏延は楊儀以外とは揉めていないのに対して
楊儀は魏に叛き、劉巴と揉め、魏延と揉め、ショウワンと揉めた上に、朝廷誹謗だ
官職からして魏延が上の状態で諸葛亮が動いたとしたら、
楊儀援護に動いたと考えた方が自然ではないか



将軍という地位にいても、完全に安全な場所にいることは無いので武力は必要
将軍が簡単に討ち取られてしまったら、それこそ士気に与える影響は計り知れない。

>>602
そのための護衛じゃないのか
>>602
はじめから自分を無駄に危険に晒さないような、知のほうが圧倒的に重要だと思うが・・・
>>547>>601を読むかぎりでは人格面について......
魏延>姜維>楊儀
と謂っているみたいに読めるな。

正史では、魏延と楊儀を並べて、その末期は自分が招いたもので自業自得と評されているのに。
夏だねぇ・・・。
>>600
えーとなにかすれ違いがあるようだ
俺の言う将軍ってのは「全体指揮官」って意味な
部将やら部隊長ってのは「実際に突っ込んでく人」ってことだ
>>606
厨が現れて、それに「夏だな」と人々はいう
そのスレの情景そのものこそが俺に夏を感じさせる
松尾芭蕉も俳句を詠むわけだよな
>>604
重要なのは同意だが、そんな天才的な奴が実際いるのか?
論点は重要かという事ではなかったと思うぞ。
>>607
君の定義は分かったが、事実は変わらんよ。
>608、609
2Chにも文学が。
613無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 00:04
2chに一年中張り付いている引きこもりが『夏』といい始める
>>613
それで季節を感じ取るんだから、そうなんだろうな。
何気に演義厨が紛れ込んでるな
魏延が主君の首切ったとか
大規模軍事行動ってどれぐらいの兵力を動かす事をいうのさ?
例えば総兵力1万しかない勢力が8千動かせば大規模とか言えちゃうしさ
>>601
漢中戦後、魏は夏侯尚の発案で劉封が守備する上庸を攻め取っている。
そのことを考えると、魏延は魏軍に攻めいる隙を与えなかったとみてもいいのでは?
618540:04/07/29 00:25
>>577の作戦評価は最悪の自体を想定しすぎな気もするが、
デンパ混じりで魏延擁護の妄想をしてみると

1.諸葛亮の慎重策では魏と蜀の国力差は埋められず、出師の表で言った中原回復・漢室再興など到底無理と考えての無謀承知の乾坤一擲策なので、成功可能性は低くて当り前
2.(史実かは不明だけど)後出師の表でいう「今、民窮して兵疲れ、しかも事息むべからず」以降の内容に合致した、つまりは諸葛亮の意向に沿った作戦案を提示しているだけである
3.蜀国内が疲弊していたことは諸葛亮伝からもわかり、当然嫌戦論も出ている。これに対抗して北伐続行をするためには無理を承知で大戦果が必要
つまり姜維が権勢を維持するために戦果が欲しかったのと同様の情報戦略。しかもこれは諸葛亮が出師の表で言った内容のためで、魏延本人の為に必要な実績ではない
4.街亭を失ったことで、漢中での守備よりも登関での防備の方が有効と考えた

妄想もこの程度しか出ない
619540:04/07/29 00:27
>>615
きっと、劉備を討ったのは実は魏延、という新説だよ
>>601
別に最悪の条件を課してる訳じゃない。
事実魏が何もしてこなかったんだからそれ以上言いようが無い。
それに二回目の漢中攻撃は北伐開始後だから、かなりの期間が空いている。
オマケにそれも失敗してるから、漢中は要害で、敵は蜀だけじゃないから攻撃を控えただけでしょう。
それに魏延の漢中守備を評価してない訳ではなく、過大評価してると言ってるだけ、
あくまで7年間普通に治めただけに過ぎない。

それに楊儀に関して言えば、全てを一緒に考えすぎ。
劉巴はわざわざ訪ねて来た張飛を無碍に扱う偏狭な人物でもあるし、
折り合いが悪いから楊儀が左遷されただけ、どっちが悪いとかは書かれてない。
それに魏に叛いて蜀に味方したんだから、別段蜀にとっては悪いことではないだろう。
最後の蔣琬と揉めた上に、朝廷誹謗は、功績を挙げたのに実権の無い職に回された不満からきたもので、
楊儀だけに非があるわけじゃない。
魏延と楊儀の争いに関して言えば、他の人間は魏延に遜り、楊儀だけが頭を下げなかったと言う理由で諍いになってる。
楊儀だけが原因では無いと思うが、それに二人の諍いに頭を痛めたそうだから諸葛亮が気配りしたのは事実だろう。
どっちの擁護とかはあんまり関係ないのでは?
漢中時代は漢中で一番偉かったから問題を起さずにいたと思うが、言ってみれば小関羽みたいなもんじゃね。
>>619
そんなわけないだろ。だからおまえは馬鹿扱いされるんだよ
韓玄知らないとはアホだな ははは。
>>621
そんな餌で(AA略
623540:04/07/29 00:56
>>620
普通に治めただけというが
蜀の建国途上で、しかも獲得したばかりで安定していない土地だ
しかも、漢中は確かに要害だが、味方の援軍も来にくい場所
多少のことがあれば、そこを守備する兵に動揺する場所だ
そこを7年治めた事蹟を「普通に治めた」とするのは過小評価ではないか

漢中では初めからトップの地位にいたが
入蜀や漢中攻めではどちらかというと低い地位にいる
そこでも特に揉めた事蹟はないようだが
偉くなってから傲慢になったのかもしれないが、推測の域をでる話ではない

魏に叛いて蜀に味方したから、楊儀の人格に問題がなかったことにはならないが
これだけ人とのいざこざが頻発している人物と
その人としか諍いを起こしていない人物の争いを客観的に判断した場合
どちらに非があるかの印象は明らかに前者だろう
もともと記述の少ない蜀書から判断する際、この印象は大事だと思うが

そもそも、実戦部隊を率いる中将に対して補給部門の大佐が傲慢に接したら
怒るのは当り前だろう
それをして諸葛亮がとりなしたなら、大佐擁護と考えるのが普通ではないか
上司とは揉めていないことから、魏延は階級に厳格だっただけと思われる
そこで無礼な下級仕官と揉めたら、上官が擁護した
これについて魏延が批難されるいわれはないだろう
どちらかというと軍内の規律を乱すことは謹むべきと、苦言してもいいくらいだ
実際、諸葛亮は劉禅に動揺のことを言っているのだから
突然のだが名将は将軍には限らんぞ
兵卒をつかさどる者としての将であって
完全な戦略クラスの将軍には限ってないし
今までもそれで議論してきた。
なので暫定順位表には部隊長クラスも入ってるわけで。
その辺の基準は魏スレや呉スレと同じだよ
スレッド2あたりからその辺は明確に決めてました。
戦略級の将軍で勝利や貢献度が高ければ部隊長クラスより評価高いけど
将軍には限ってない。
>>623
だから魏がなんにもしてこなかったから、少なくとも魏絡みで多少の事は起きない。
これで統治を失敗すれば、その普通の評価さえ出来ない。
が、魏延は失敗しなかった、しかし特筆すべき統治を行った記録も無い、
だから普通に統治したと評価してる訳だが。

正史にはちゃんと、他の人間は魏延に遜ったが、楊儀だけが遜らなかった、
だから魏延と楊儀は憎みあった、と書かれている。
別に楊儀が傲慢に接した訳ではない、魏延を贔屓目に見過ぎだろう。
それに魏延は諸葛亮を、臆病者と罵りったり、諸葛亮が臆病だから自分の才能を発揮出来ないとか言っている、
別に階級に厳格な訳でもないし、むしろ軍内の規律を乱す発言を思いっきりしてる。
トラブルメーカーなのは両者ともに同じ、だから評でも両者の末路は身から出た錆と評されてる。
楊戯は、楊儀を狷介、魏延を協調性なしと評してるしな。
どちらの性格にも問題はあったんだろう。
627宮沢けんじ:04/07/29 01:37
デブにも萎えず
ブスにも萎えず
ババァにもマンコの臭さにも萎えぬ
丈夫なチンポを持ち
皮はなく  決してかぶらず
いつも静かに勃っている
一日にユンケル4本と
マムシと少しの亜鉛を飲み
あらゆる風俗掲示板で
自分から情報を出さずに
よく過去ログを見て分かり
そして煽らず
鴬谷の北口のみずほ銀行の前の
四つ角の送迎の待ち合わせ場所にいて
東に病気持ちのソープ嬢あれば
2chに行って晒してやり
西に疲れた人気姫あれば
行ってその重いマットを負い
南にイキそうな泡姫あれば
行って我慢しなくてもいいと言い
北にマグロ姫や地雷姫があれば
つまらないから帰ると言い
一人のときはカウパーを流し
寒さの冬はヘナヘナしぼみ
みんなにデカマラと呼ばれ
テクを褒められもせず
出入禁止にもされず
そういう者に
私はなりたい
628日本国憲法前文:04/07/29 01:38
われらは、正当に面接されたソープにおける姫を通じて性行為し、
われらとわれらの性欲の為に、警察・ヤクザとの協和によるソープと、
わが国全土にわたって風俗街のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって
再び赤線廃止の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、
ここに性欲が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも風俗営業は、国民の厳粛な欲望によるものであって、そのランクは総額に由来し、
本番行為は金を払った者がこれを行使し、そのサービス料は姫がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の条例、摘発及び営業停止を排除する。

われらは、個室内の恋愛を念願し、人類総員の行動を支配する原始的な欲望を深く
自覚するのであって、即フェラ即ハメを謳うソープ情報誌の構成と写真を信頼して、
海綿体の膨張と固さを保持しようと決意した。われらは、ソープを維持し、夢精と童貞、
地雷とマグロを地上から永遠に除去しようと努め、国際社会に対して、マットのある
プレイを誇りたいと思う。われらは、全世界のモテナイ君が、等しくオナニー漬けと
高齢童貞から免れ、本能のままに行動する権利を有することを確認する。

われらは、いづれのイケメンも、自分のことのみに専念してモテナイ君を無視しては
ならないのであって、陰茎勃起の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、
チンコの固さを維持し、老いてなお若人と対等に勃とうとする各自の責務であると信ずる。
われらは、勃起のチンコにかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
629モーニング娘。:04/07/29 01:40
オナニーじゃもったいない
あたしゃ本当 デカマラ マラマラ
自分で抜く位 タダじゃない!じゃない?
溜まれば出せばいい
淋しけりゃ 自慰 ドピュドピュドピュ
誰にもわからない
ザーメンっていつ発射するのか
カウパー 汁はカウパー

どんなに不景気だって
今夜はマスターベーション
こんなに激しく擦っちゃ 早漏

AV男優に 就職希望だわ

(そんな僕らにも!!)

日本のソープは (Awa Awa Awa Awa)
世界がうらやむ (Yeah Yeah Yeah Yeah)
本番しようじゃないか! (Awa Awa Awa Awa)
Dopyu! Dopyu all of the night
チンポはタダレだらけ 薬塗っても効き目がない
医者に行きたいけれど とにかく股間が小さい
マラが痛い しかもにおう カユミがとれたら
いつのまにかタダレも 赤いつもりが黒くなった
性病知識ばかり やたら詳しくなったもんだ
タダレたマラから間もなく 膿みが出て

おぞましいマラだ 膿みがあふれ 薬を塗って僕は生きてる
膿みが毒を出し尽くしたら その頃にはソープランドに行ける

ガキらしい皮も膿んだマラも 全てを治し僕は生きてる
それでも膿みを思い出せば そんな時はマスもかかず眠る眠る
朝も夜もしごきながら 時々はボンヤリ夢精する
君は膿みを忘れるから そうすればもうすぐに中出しでイける
631540:04/07/29 02:17
>>625
だから状況を把握しろと言っている

北伐軍中にあって魏延より高位は諸葛亮だけだ
他のものが避け下るのは当然だろう
楊儀だけがそれを許さなかったとあるが、
一人軍律を乱す行動をとれば魏延が怒るのは当然だろう
それとも、軍内で上下の関係を無視する者を罰せず放置した方がよいとでも

上官の諸葛亮が出師の表で自ら言っている持久戦否定論を
しかし諸葛亮は実践している
それを軍師たる魏延が苦言しないでどうする
これは役職的に妥当な発言だと思うが

それと諸葛亮を罵ったりはしていないな
悔しがっている愚痴だろう
三国志では天に向かって嘆き恨む、という記述はよくあり
魏延のこの部分の書き方もそれと同様だと思うが

でだ
魏延と姜維の比較だった筈だが
そこで魏延は人格面でマイナスがあるという話からこの流れと思い
>>547で姜維の人格面について書いたのだが
それについてはどう思うのか聞きたいが
632540:04/07/29 02:18
って
なんか急に荒れているのは何故
割り込みだが、姜維のは予定調和というか政争に強いってだけじゃ・・・?
魏延は楊儀にあっさり敗れたけど、姜維は楊戯を瞬殺できるってだけ。
634540:04/07/29 02:36
>>625への続き
 >特筆すべき統治を行った記録も無い
劉備の即位に際して鎮北将軍に昇進
その後、都亭候に封ぜられる
普通の統治しかしていない者に与える評価ではないと思うが
統治内容を細かく書いていないと評価出来ないとでも

魏延を贔屓目に見ているのは勿論そうだが
軍中での両者の立場等から正史を読んで
客観的に判断していると思うが

魏延の長安攻略策に対する意見のほうが
よほど逆贔屓ではないか
正直、私はこの策については
実行されなかったため評価出来ないと思っている
これについては>>554で魏延の企画した戦争が無いことで同意しているのだが
635540:04/07/29 02:41
>>633
それは同意
諸葛亮にしろヒイにしろ
楊儀擁護の立場だからな

そういう意味では楊戯の魏延評は的を射ているとは思う
派閥に入らないタイプだったのだろう
出自から入れてもらえなかっただけの可能性もあるが
>>631
まてまて、皆は魏延が高位だから遜った訳じゃない、人並み外れて勇猛で誇り高い性格だったから遜ったとある。
それになんで、遜らない=楊儀が軍律を乱す行動をとった、になるんだ?
上官だから礼節を持って接する必要はあるが、へりくだる必要はないし、
楊儀の行動が軍規に反しているという記述も無い。

臆病者、諸葛亮は臆病だから自分の才能が発揮できない、と言うのは全然苦言じゃないと思うが?
苦言というのは理路整然と主張するから苦言足りえるのあって、ただ臆病というだけではとても苦言足りえない。
それに、天では向かって〜、ではなく個人を名指しで発言してる。やはり魏延を贔屓目に見過ぎと思うよ。
魏延が貴方の言うとおりの人物なら、とてもじゃないが身から出た錆とは評されないだろう。

姜維に関して言えば、酒の席で姜維を嘲笑していた、と書かれてる楊戯に問題がある気がするが、
まあ、内心思ってることを表に出さず、速やかに政敵を排除しているからむしろ+評価なんじゃない?
魏延はいがみ合っていた相手に滅ぼされ、姜維は逆に滅ぼした、性格的には褒められたもんじゃないが、
それを表面化させなかった分姜維に軍配が上がる、ただ黄皓関連は政治的には褒められたもんじゃない。

後荒れてるのは無視するのが一番、どこも似たようなものだし。
637540:04/07/29 03:20
>>636
正史に書いてあるのは、皆が魏延を避け下った理由は
 >よく士卒を養い、勇猛人に過ぎ、また矜り高い人物であったため
だろう
一部省略して印象操作するのはイクナイ
ところで、避け下るのは遜ることではないだろう

楊儀が軍規違反をしている記述は確かにないが
それをいうなら諸葛亮死後のヒイと楊儀の軍令違反も書かれていない
少ない記述から当時の状況を鑑みながら行間を読むのは当然ではないか

魏延について身から出た錆と評しているのは陳壽くらいで
斐松之も魏略でも魏延擁護の論調だと思うが

魏延の立場や諸葛亮が死んだ際の状況から
負けたのはしょうがないと思うが
敵の目前の先鋒軍指揮官で居合わせられなかった時点で
政敵にイニシアティブを取られているからな

で、人格的な評価について
味方を陥れて高評価ってのは何故
>>634
出世は大抵の者はほぼ自動的にしてる。
姜維なんて軍権握るまで、大した記述も無いのに、トントン拍子で出世してるし。
諸葛亮に見初められ倉曹掾・奉義将軍・当陽亭侯に、諸葛亮が没すると右監軍・輔漢将軍に、
諸軍を統率し、平襄侯に、蔣琬に随行して漢中に駐留、彼が大司馬に昇進するとその司馬に、
一軍を率いてたびたび西方に進出し、鎮西大将軍・涼州刺史に、同年衛将軍・録尚書事。
奉義将軍〜司馬に出世する間の記述は殆ど無い、鎮西大将軍〜衛将軍までは西方に進出した、
蛮族の叛乱を鎮圧した、とだけしかない。
これを姜維は衛将軍に上り詰める程の活躍をした、とは評価出来ないだろう。

魏延の長安奇襲が逆贔屓か?夏候ボウは臆病だから逃げるだろう、という作戦を評価出来できる?

魏延と楊儀の諍いに関しても、
楊儀だけが魏延に無礼な行動をし、諸葛亮は楊儀の擁護側に立っている。
魏延は楊儀が軍中の規律を乱す行動をとってるから怒ってる。
魏延の諸葛亮に対する発言は苦言である。
これは流石に客観的とは言えないと思うが…。
>>637
味方でも政敵は存在する場合は、これを速やかに排除するのは政治手腕的には○でしょう。
だだ、性格的には褒められたモノではないとも書いている。

>よく士卒を養い、勇猛人に過ぎ、また矜り高い人物であったため
これについては正直スマンかった、かなり記憶がヤバイ事になってる、もう一回三国志熟読するわ。

楊儀が軍規違反してるなら流石に諸葛亮は取り締まるでしょう、どっちにも非があったからこそ
頭を痛ませたと思う、どっちも頼りにしてたしね。
横やりすまないが魏延が極めて強い将軍であったことは
魏延を使った局地戦で敗北がないことと当時のわかりやすい伝承
である石の馬の話において蜀の人々が強い将軍と評してること、
兵卒をよく育てたこと、正史にもはっきりと強いという表現があること
などから容易に推測できる。
かつ、漢中の守りを7年務め重責に堪えうる人材であることも証明している

マイナス要素といえば死に方と長安急襲が具体化してない点。
しかしながら死に方は政争に敗れただけであるし
長安急襲もよくこの当時の情報収集力としては敵の実情を分析しての
提案で戦略的な視野において無能ではないことを示してると思う。

他方姜維はといえば兵卒を束ねる統率力に非凡なところがうかがえるも
幾度にもわたる北伐による軍権の私物化と決定的な敗戦という大きなマイナスがあり
王経戦での勝利で並以上の将才はみせているが蜀の疲弊の罪を打ち消すほどの
ものではないように思う。
とはいえ孔明亡き後の軍人ではトップの能力を持っており、
重責に堪えうる人材でもあるので(その方向性は別として)
堂々のランキング5位が適当のように思う。
そして魏延は4位
>>637
それはそうとヒイと楊儀の軍令違反って何?
ちと記憶にないのだが、教えてもらえるとありがたい。
>640
長安急襲策については>>577を読んでみてくれ。
偏将軍が名誉職って知らない奴が居るとは・・・・流石関羽厨は違うな
>>577の論の穴
ギエンの行軍速度は考慮しながらギ軍の派兵速度は無視している所。
諸葛亮本隊を全く考慮していない所。
1、2スレ目で再評価され、三位
関羽厨との激戦の果て、関羽を隔離ということで三位を譲る
そしてまた、何故か魏延に追い落とされそう
やっぱ姜維かわいそう
>>577って穴だらけ
なんのための(急)襲なんだって話

まあでも落としたとしても長安の維持自体はほぼ不可能とおもうけどね
>>577の勘違いか、それとも俺の思い違いか、分からんのだが……

魏延の提案した長安急襲策ってさ、蜀軍の侵攻にほとんど警戒していなかった
第一次の北伐に際しての立案じゃなかった?
それでも俺は魏延の作戦には確実性に欠けると思うけどさ。
>642
577は逆贔屓な意見と他のレスで反論も出てる。
>640
全文マルっと同意。
とはいえ前日から徹夜で議論してたお二人は乙カレ
引くに引けなくなり寝れなくなる気持ちはよく分かりますw
>蜀軍の侵攻にほとんど警戒していなかった
  第一次の北伐に際しての立案じゃなかった?

すでに仲達に看過されてるわけだが
孟達の内応を看破することと
いきなり速攻で長安に攻め寄せられることを看破するのとでは
また違うだろ。
653540:04/07/29 09:49
>>645
もともと姜維は単独3位じゃね〜ぞ。
1スレ,2スレでは関羽と一緒に隔離同率3位だったのが,関羽厨の方が痛くなってきたので姜維はまともに評価してやろうと関羽のみ隔離になったンじゃん。
まともな評価が嫌なら,また関羽と一緒に隔離同率3位に戻すか?
いやもう5位決定だろ姜維
655540:04/07/29 10:01
まだ眠い。
つ〜か,仕事休んじまったよ。
魏延のためにせっかくの有給使っちまって,莫迦か漏れは。

>>639
たしかに政治家や謀臣としてなら政敵を排除するのは高評価でいいが
こと将を評する時には誠実さが無いと看做されマイナス評価でよかろう
尤もこれは日本人のメンタリティの問題で
中国では違うのだろうが
そもそも中国では、武人は謀を使わないから文民よりも地位が低いのだし

>>641
諸葛亮死後、魏延はヒイと共に残留部隊、諸葛亮の遺体搬送部隊をそれぞれ決め
ヒイがそれを文書化し、魏延と連名で諸将に布告している
軍師魏延と司馬ヒイの連名だから、これが正式な軍令
ところがヒイはこれを諸軍に通知せず
楊儀は権限なく勝手に軍を動かした
即ち軍令違反だ
魏延を推す連中は、なんでそう単純な結論になるのかね。

結局のところ、一部の人間を除けば、魏延の単純な勝率で4位にしようとしている
ように思えるんだけど?
>>656
>>640をどう解釈しても単純な勝率で
魏延推してるかのようには見えないでしょ
658540:04/07/29 10:13
私や640が一部の人間で
それ以外で魏延を推している人は単純って意味では?

なぜそう判断したのか不明だが
姜維は蜀への功績含めた名将定義では分が悪いのは仕方がないよ
魏延の勝率云々より
姜維に擁護しようの無いマイナスポイントが多いんだよ。
もまえらキョーイもギエンも泣ける将ってことで共通してんの忘れんな!
白熱の議論乙。
知識不足で傍観してたけど、興味深い内容で面白かったよ。

暫定順位
1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽
4位 魏延
------とりあえずここまで確定------

5位  姜維
6位 張飛
7位 王平
8位 黄忠
9位 張嶷
10位 趙雲

次は5位の姜維、6位の張飛を比較検討するか、
3位の関羽と4位の魏延を比較検討するだな。
>>662
姜維と張飛はすでに姜維>張飛で決着ついてるぞ
過去ログ嫁
>644,646,647
まず、644氏に対しての反論だが、魏延の行軍速度が早かったとしても、また漢中から長安までの最短ルートだとしても、長安から子午谷入り口までの距離の方が圧倒的に近く、魏延軍が子午谷中間辺りで察知されれば、封鎖は容易なはず。
諸葛亮本隊に関しても、魏延軍との合流は長安奪取後になってるので、魏延軍が関中盆地に侵入出来なきゃ本隊も進行も躊躇せざるえない。特に諸葛亮の性格ではな。
>646氏、穴の部分を語ってくれ。
>647氏、第一次北伐の時の話だよ。577でも書いたが、魏の中枢は諸葛亮が漢中に出てきた段階で、警戒をしている。
明帝自身が討伐を考慮してるくらいだ。蜀軍のロウ西方面への進出を警戒してなかったので、関中は動揺したんじゃないか。その点は諸葛亮の戦略が優れていた証明になるだろうな。
魏としては、長安が重要なので、蜀軍の関中盆地への侵入に対しては相当警戒していたと見る。
趙雲の陽動軍に対して、即座に曹真が対応している訳だし。逆にその分、ロウ西の警戒が薄くなったのかもしれん。
665540:04/07/29 10:51
反応漏れしてた。

>>638
 >出世は大抵の者はほぼ自動的にしてる
功績の記述が無いからといって自動で出世したわけではないだろう
姜維もついて
倉曹掾・奉義将軍・当陽亭侯にしたのは降将を厚遇するというプロパガンダだろうが
中監軍・征西将軍への昇進は、それだけの実績があったと評価していいとおもうぞ
諸葛亮死後は右監軍・輔漢将軍になっているが
これは単なる異動・部署換えだろ
それ以降の昇進についても、記述がないだけでそれだけの実績があった証明だと思うが

というか、姜維はこの昇進=記述が無い実績を評価したからこその上位入賞だろう
姜維には記述が無い実績を認めて、魏延には認めない理由が判らないが

 >魏延と楊儀の諍いに関しても
ヒイ伝の記述からも楊儀に非があると判ると思うが
いくらなんでも魏延が軍議中に刀振り回してお咎めなしなのは
魏延に非がないからと考える
単に仲が悪いだけの理由なら
軍議中に刀抜く魏延が確実に悪い訳で処罰の対象だろう
正史の記述でも、魏延は刀を抜いて楊儀に軍令に倣うように迫っている(延或挙刃擬儀)
それで泣いている楊儀と鬼軍曹よろしく武張る魏延の仲裁をヒイがしていることからも
そう判断するが
魏延が長安奇襲を考えた頃、司馬イは馬謖の計略により官職をはがれており
その迅速な判断力が長安守備のために働かない状況であった。
加えて7年にわたる漢中守備を務める魏延には孔明より現地の地理に詳しいことは
明らかだし、その案も練りに練ってたように思う。
第一次北伐の際の献策というよりも普段から練り込んでいて常々孔明にこの話を持ちかけたと
思われ、危険な作戦ではあるが成功がまるで見えない作戦とは言えない。
孔明がこの案を却下する根拠も十分に見えるがだからといってこの作戦に
価値がなかったとは言えまい。
>>664
>魏延の行軍速度が早かったとしても、また漢中から長安までの最短ルートだとしても、
>長安から子午谷入り口までの距離の方が圧倒的に近く、魏延軍が子午谷中間辺りで察知されれば、封鎖は容易なはず。
察知した伝令速度は?
また、封鎖するまでの魏軍の移動及び封鎖展開の速度は?

>諸葛亮本隊に関しても、魏延軍との合流は長安奪取後になってるので、
>魏延軍が関中盆地に侵入出来なきゃ本隊も進行も躊躇せざるえない。
>特に諸葛亮の性格ではな。
なんで即時合流になってるんだ?
二面作戦は有り得ないか?

後、長安攻撃は成功した場合、その地の保持よりもその成功に意味がある。
たとえ一時的でも要所陥落となれば中央は動揺する。
不満分子がゼロのはずはないから治安にも影響。
それに乗じた呉の進攻。
もっともこれは成功すれば、だが。
>>664
結局のところこの作戦の正否は魏延が長安を速やかに落とせるかどうかにかかってるだろう
落とした後は孔明との合流を東の魏の援軍が到着するであろう約15-20日の間にすませ
万全の状態でこれを迎え撃つというシナリオは決して悪くないし
そのような根拠ある冒険こそが蜀の逆転には必要不可欠に思う。
ただし危険な賭けにでれない孔明の気持ちもわかるが。
2面作戦にしろ、即時合流にしろ戦は生き物だからその場の状況にあわせて
臨機応変な対応が必要になろう。
670540:04/07/29 11:26
諸葛亮も相当魏延に頼むところが大きかったから
魏延が居なくなることを恐れたんだろうな
実際、魏延の策は失敗しても兵1万と魏延が死ぬだけ
諸葛亮本体は無傷で残る訳だから
北伐中止、蜀の滅亡に直結はしないのに

魏延を惜しむ諸葛亮の気持ちも判るし
自分を失うことを恐れるあまり積極策に出れない諸葛亮を叱咤する魏延の気持ちも判る

と,デンパ気味の妄想をしてみるテスト
>>670
そらちょっとキモなま暖かすぎる話だよw
子午道はあくまでも長安までの最短距離に過ぎなくて、桟道を伝っての距離では
四道で最も長いし最も険阻。
それに魏延の立案では本隊の侵攻口は斜谷であって、比較的長安までの距離が
近く、二正面作戦というほどのものではない。

>>667はこのあたりを念頭において言ってる?
673540:04/07/29 11:36
実際はこんなもんか

亮:これ以上魏延の野郎に手柄挙げさせたら漏れの地位危ないしぃ

延:慎重策なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
  戦場ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
  刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。
  文官供は、すっこんでろ。
>>540に訊いていいかな?

諸葛亮自身の展望なんかは、どうだったと思う?
本気で長安落として最終的には魏を倒潰させるなり、それに準じた決定的な
勝利なんかが構想にあったと思う? どうなのだろう?

俺は半ば義務感で始めて、それでいて蜀の国力低下は最小限で、ってあたりが
あったと思うんだけど。
675540:04/07/29 12:02
>>674
何故漏れに?
諸葛亮には大して思い入れは無いが

正直義務感だけなら出師の表、後出師の表まで書いて出征する意味はないと思う
「成敗利鈍に至りて、臣の明のよく逆観するところにあらざる也」なんて発言までしていて
北伐やったって実績だけなら後出師の表は要らないだろう

北伐を実行しなくても蜀内の最高権力者ではあったため
姜維のように地位安定のために実績が欲しくて北伐する必要はなかった訳だし
まして、諸葛亮自身は内政家だった訳で

呉の連携は不可欠としても
西方三群を奪取しての長期戦で兵力を貯え
最終的には魏を挟撃くらいは考えていたのではないか
西方さえ押さえれば国力を増強させる自信はあったろうし

もし諸葛亮が格好だけで攻める氣なしだったなら
出師の表の諸葛亮の決意を信じて、本気で長安攻める氣だった魏延が哀れだな
いま675が最後の2行でいいこといった!!
>>655
>たしかに政治家や謀臣としてなら政敵を排除するのは高評価でいいが
>こと将を評する時には誠実さが無いと看做されマイナス評価でよかろう
>尤もこれは日本人のメンタリティの問題で
>中国では違うのだろうが
>そもそも中国では、武人は謀を使わないから文民よりも地位が低いのだし

ちょっと待て
なぜ日本人全てが誠実さを重要視するように語るのだ
少なくとも俺は姜維のような戦略練る立場なら謀略使えるのは将としても評価するぞ
>>677
キョウイ擁護したいあまりにだいぶさかのぼってのカキコのあら探しにはしってないか?
679540:04/07/29 12:16
>>677
馬謖のように敵を失脚させるような謀略なら評価に値するが
政敵とはいえ自国の臣を陥れるような利敵行為をするのは評価すべきではない
という話
まして、謀略を使える才能の話ではなく
将としての人格面の話なのだから

才能の話なら
謀略に関しては姜維の方が魏延より上と判断するしかないだろう
魏延には謀略を使った事蹟が伝わってないから
>>655
誠実さだけで将はやっていけんでしょう、ましてや降将だし。
最も政治手腕としての評価で、あんまり将としての評価に関わってこない部分だとは思う。
+−ゼロで良いんじゃない?

楊儀は不問にされただけじゃない、実際罰されてもいないし?
どちらが是か非かは置いといて、皇帝が魏延は叛乱、と決めちゃったから、
記録的には楊儀は諸葛亮の命令で撤退した事になってるし、それを軍規違反とすれば、
皇帝の裁断にケチつける事になりかねないし。

>>665
姜維に関して言えば、漏れはあんまり昇進は将としては評価していない。
評価してるのは、軍権握った後、自分が企画した戦争でいくつかの大勝をおさめてる事。
最も大敗もして、国を滅亡させる原因の一つになってるのが大いなる−だが…。

漏れは魏延が軍中で刀振り回してる時点で、両者に問題があったと思うが?
それ程までに楊儀のみに問題があれば、いくらなんでも左遷されるし
楊儀が悪い、とか書かれるだろう。まあこれは見解の相違かな。

漏れは朝から大学のテストでしたよ、経営史勉強しなくてなんで三国志の勉強してんだよ漏れorz
>>675
俺は最後の二行が常に念頭にあるもんだからさ……
史どころか志ですよ
>>679
>馬謖のように敵を失脚させるような謀略なら評価に値する

これってあくまでも「演義」の話なんだけど、司馬懿の事を言ってる?
揚げ足とりとか、そういったつもりはないです。
しかし長安奇襲は結局どうなんだ?
+なのか−なのか
俺は−だと思うんだが
>>679
人格面が問題にされて評価対象になるなら
最後あれだけ周りが敵になった魏延もかなり問題あると見るべきじゃないのか
686540:04/07/29 12:26
>>680
 >皇帝が魏延は叛乱、と決めちゃったから
劉禅伝には「征西大将軍魏延、丞相長史楊儀と権を争いて和せず、挙兵し相争う。延敗走。延斬首。楊儀諸軍を率いて成都に還る。大赦される。」とあるが。
政争を起こしたことは諸葛亮の喪もあるための大赦でゆるされるが、名誉職に左遷することで罰したのではないかな
むしろここでカンヌを下げて魏延を3位にしてやりたい
なんか魏延凄い勢いになってるなおい
>>686
しかし楊儀伝を見ると、諸葛亮が生前から自身の後継者を蔣琬に定めていたが故に、
楊儀は仕事の無い官職に廻された様に思えるが?罰されたというよりは、ほされた?
なんていうか諸葛亮が死んだ時点で命運が決まっていた感じ、いと哀れ。
690540:04/07/29 12:35
>>683
単に例えです
実際にそういう謀略なら評価に値するって話

>>685
魏延のマイナス面に人格面が問題にされているので
ならば姜維もだろう、と謂っている訳でして

魏延の最後に関しては敵について者が多い件について
当事者ではなかったショウワンが近しい立場の楊儀を支持したのはしょうがないことと思う
あと楊儀を支持したのはヒイ、王平、馬岱か
軍令が下っていたことはどこまでの将軍が知っていたのかに拠ると思うが
ヒイと楊儀だけしか知らなかったのか
魏延伝を読むと諸葛亮の死に居合わせた者として姜維も挙げられているから
3人の共謀かもしれないが、それより下の将軍は魏延の軍令をしらないのではないか
なので王平は「汝が輩、なんぞ敢えてすなわちしかるや」なんて発言をしていると思うが
>>684
長安奇襲はハイリスクハイリターンの典型だろう
手堅い戦略との比較は+か-かだけでは一概にははかれまい
ただ一つ言えるのは一つの方法として充分考え得る作戦だったということだ
それに実行できたのは一度だけだろうし
>>690
人格はそれが元で軍事において問題を起こさなければ−評価とするには足りないのでは?
俺は魏延も姜維も将としての評価に関係しないと思うのだが

しかし誰も味方しないってのがなぁ
仮にその仮定通りだとしても、それほど好かれてたわけじゃないんだな
まあそれが俺が魏延好きな所だが
>>691
それにしても分の悪い、高すぎるリスクに対して返ってくるものが少ないのでは?
カコウボウがビビるって何その超がつくほど不確定要素は
>>690
その軍令を知らないというのはあくまで仮定にすぎない
>>695
いや、540は根拠を挙げてるんだからおまいも挙げろよ
697540:04/07/29 12:51
>>693
誰もってことはないだろう
魏延の配下にも王平、馬岱クラスの将軍はいただろうし
王平にしても対峙して魏延に問いかけるのが
「何でお前がこんなことを仕出かしたンだ」だろ
率先して敵対している感じじゃないが

>>695
もちろん何処までの将軍が荷担していたかは過程だが
「ヒイ、延をあざむきて曰く」とあるくらいだから
全軍に通知されなかったのは仮定じゃないぞ
返ってくるものはとてつもなくでかいだろう
>>694
長安陥落による魏の動揺は計り知れないし一気に姜やらが蜀になびくことも考えられる
呉との共闘は難しいかもしれないが呉に一考の余地を与えることにはなるだろう

三国時代の一つの変化を誘発することは必至とおもわれ。
長安をすぐに取り返されるかすら定かでない不確定な歴史の気運を呼び起こすと思うよ
>>698
動揺というのもまた不確定要素だろう
むしろ即鎮圧されて魏延あぼん・一万が消滅という可能性のほうが強い
それどころか長安陥落さえおぼつかないかもしれない
その点について姜維とかなり同レベルの発想ではないだろうか?小国としては仕方ないかもしれんが
その上で、具体的な作戦立案では姜維に軍配が上がると思う
700無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 13:11
姜維の作戦立案って、単にテメェが負けて兵力足りなくなったんで漢中の常備兵力を削りたいから防衛線下げさせるよう働きかけた程度にしか見えんが
魏延のは、「俺が行くよ。夏侯楙ビビって逃げるよ」
の時点で、「作戦」というか「妄想」の領域に入ってるように思う。

大体、魏延が知っているような、夏侯楙に対する風評を、
魏の首脳が知らない、或いは何の対策も打たないで、
長安という重地を任せる可能性は、相当薄いだろう。
>>700
要は現実性ってことだろ
703540:04/07/29 13:15
ついでに、王平が軍令が出ていることを知らなかったと考える根拠も
行間を読むしかないので妄想が入ることは勘弁してほしい

1.王平軍、魏延軍と対峙
2.王平「なんでこんな事をしでかした」発言
3.魏延配下、魏延が不正を働いたと誤解
4.魏延、軍令は正当と主張するも、配下は逃げ出す
5.一人残された魏延、息子たちを連れて漢中に逃げる
6.楊儀、馬岱を派遣して、魏延を捕らえ、斬る

正史の魏延伝はこう伝えている
でだ、なぜ魏延軍と対峙していた王平は5の時点で魏延を捕まえていないのか、だ
そこでこう推測した
王平は魏延が謀反を起こしたと聞き、魏延を詰問
ところが魏延は謀反を起こしたのは楊儀と王平に返答(4の主張がそれ)
しかし、動揺した配下は逃げ出してしまう
捕まえようと思えば捕まえれるが、王平は事の真偽を確かめるために楊儀の元へ
楊儀は王平は真実知ったら魏延逮捕をやらないと考え、馬岱を派遣
口封じに自軍に連れてくるまえに斬首

こうでも考えないと、辻褄が合わないので
そうでなければ、王平が魏延捕捉に漢中に行けばいいのだから
>>699
魏延が計画通りに長安落とすと魏の援軍くるまでにおよそ15-20日かかると思われ
その間に孔明と合流することは容易。
シバイが失脚気味なことからカコウボウの単独での防衛になることから落とすこと自体は
それほど不確定要素が強くないように思う。
魏延がカコウボウを逃げ出すと評価してたのはあくまで武将としての意気込みにすぎず
びびらして逃げ出させるという作戦ではないのは明らかだと思うが?
魏延の長安奇襲は、博打やっても魏に勝つにはそれぐらいしかねぇよ!って感じで考えたように思える
無茶に無茶を重ねなければどうにもなんね〜。それぐらいなら一挙に、と。真珠湾攻撃考えた日本軍人とダブるな(政治的効果を狙った点でも)
演義と時々ごっちゃになっている感じがする
第一次北伐時は、司馬イは宛方面にいて長安方面にはタッチしてないよ
>>706
つまり司馬イが速攻で対処するのは不可能ということだろう
曹真なめんな
宛方面にいたのは失脚が理由では?
まあそのおかげで孟達に対応できたのかもだが。
どう見ても対呉の方が重要だからだろ
姜維の作戦立案に比べれば
よほど現実味ある作戦に思えるがなあ
結局あのメチャメチャな北伐連発でほとんど魏の核心に触れてない。
戦略が見えないと言われても仕方ないと思うよ
結局のところこれだよ
   ↓
横やりすまないが魏延が極めて強い将軍であったことは
魏延を使った局地戦で敗北がないことと当時のわかりやすい伝承
である石の馬の話において蜀の人々が強い将軍と評してること、
兵卒をよく育てたこと、正史にもはっきりと強いという表現があること
などから容易に推測できる。
かつ、漢中の守りを7年務め重責に堪えうる人材であることも証明している
マイナス要素といえば死に方と長安急襲が具体化してない点。
しかしながら死に方は政争に敗れただけであるし
長安急襲もよくこの当時の情報収集力としては敵の実情を分析しての
提案で戦略的な視野において無能ではないことを示してると思う。
他方姜維はといえば兵卒を束ねる統率力に非凡なところがうかがえるも
幾度にもわたる北伐による軍権の私物化と決定的な敗戦という大きなマイナスがあり
王経戦での勝利で並以上の将才はみせているが蜀の疲弊の罪を打ち消すほどの
ものではないように思う。
とはいえ孔明亡き後の軍人ではトップの能力を持っており、
重責に堪えうる人材でもあるので(その方向性は別として)
堂々のランキング5位が適当のように思う。
そして魏延は4位
>>704
しかし奇襲と言っても、防御側に対して険阻な地形が長々と続く攻撃側は圧倒的に不利では
察知される危険大だと思うが
715540:04/07/29 13:38
どうも良くわからないが

結局のところ、魏延の長安奇襲策をマイナス評価としている住人の理由は
成功率が低い(若しくは全くない)からということでよいのか?

魏延の策を評価している住人も、成功率が低いことは同意していると思うが
しかし、諸葛亮の策では長安奪取は無理と考えての乾坤一擲の策だから評価している
これで駄目なら北伐無理でしょう、くらいの強い意思を持ってないと出来ない作戦ではあるが

マイナス評価の住民は、危険な策は戦略性がないとお考えか?



>>715
もちろん危険な策も戦略性があるとは思う
しかし俺はむしろ諸葛亮のほうを評価したい
あの確実性を考えた戦略は現実味がある
戦争の指揮をとるのは確実に確実に動かしていくべきであると思うから
>>716
しかし二つの魅力的な作戦のうちの一つを提案していた
魏延に戦略性がないとは言えなく無いかね?
>>717
姜維よりはよほどあるようにおもう
どう考えても、
長安奇襲策も死に様もマイナスにはならんだろ。
720540:04/07/29 13:54
>>718
姜維の策も、長安を獲るつもりがないならありとは思う

もしそうなら、攻める氣だった魏延と同列には論じれないが
長安奇襲案はプラス
死に様は悪く見てもややマイナス。よくみればプラスマイナスゼロ
>>717
戦略性がないと言った覚えはないぞ
しかしやはり姜維と同レベルなのではないだろうか、賭けに出るあたり癖が似ている
もしこの長安奇襲が実行されたとして、大敗していればおそらく諸葛亮は戦略において姜維と同程度の評価を受けたのではないだろうか
トップに立つものとしてはやはり確実性をとるべき
なんとなく俺は魏延粛清の理由の一つにこういう危なっかしさがあるんじゃなかろうかと思ったり

魏延も姜維も、本来は誰かのすぐ下に立つべき人物だと思ってる
その点魏延は、役割をよく果たしている
つまり魏延に戦略性を認めるのであれば
もはや姜維が魏延を上回る論拠は何もないということになるな。

もうあらかたの決着はついてるんじゃないかな
724540:04/07/29 14:03
>>722
基本的には同意だが

 >トップに立つものとしてはやはり確実性をとるべき
諸葛亮の策が確実だったなら確かにそのとおり
だが、諸葛亮の策は堅実なだけで、確実なわけではない
慎重策と冒険策の比較なら、優劣や採用の是非はトップの嗜好や、配下の適正によるのではないか

確実というのならば、(攻める氣が本当はなかったことが前提だが)姜維の策のほうがよほど有ると思う
そもそもの目的が領土獲得じゃ無いのだから、勝っても負けても、攻めている時点で目的は達成しているのだから(もちろん勝った方がよりいいわけだが)
しかし長安奇襲案についてなんだが、
北伐時にそのカコウボウが異民族の所へ脱走しちゃった事を
誰も触れないのはなぜ?
孔明がいっても逃げたのかw
魏延がいったら逃げ出すというのも
あながち意気込みだけじゃないかもしれんなw
カコウボウなんて漢字で書く気にすらならんのは
皆一致してるようだな
今までの流れを見て思ったのだが、やってもない策を評価に含めるのはおかしくないか?
>>725
知らんかった・・・・
>>728
評価すべき
が、成功したように評価するのはおかしいな
いや俺は実はキョーイと比べてるとは知らずにちゃちゃいれてたんだが
キョーイとならギエンのほうが上でいいとおもう
>>724
いや、防衛ならその目的の継続こそ確実性を見出すべきだろう?
733540:04/07/29 14:17
>>728
それは>>542とか>>554とかで既に謂われていることだったりする
なんかここ見ててすごく思ったんだが、魏延と関羽って魏延のほうが圧倒的に戦略ですぐrうわなにするやめ(ry
たしかに関羽より魏延のほうが三位にふさわsうわなにするやめdーct3f9
736540:04/07/29 14:22
>>734
それは謂わないお約束だ
評価すべきかどうかは、作戦の内容にも依るのでは?
そこら辺はじっくり議論すればいいんじゃない。

>>703
ただ単に捕まえられなかっただけでは?
王平の文句も、魏延ではなくその配下に言ってるニュアンスを受けるし、
知らなかったら知らなかったで、それなりの行動を取るだろうし、なんらかの記録は残るだろう。
だから司馬イが宛のいたのは別に失脚してのことじゃない
元々南部方面担当だったんだから当時は(蜀だけでなく呉とも接する可能性があるし)
演義を無視しろとはいわんがちょっとごっちゃにしすぎ
>>738
演義だと長安にいたのか?
>>739
演義だと馬ショクの策で失脚→宛に引きこもり→孟達の内応を察知して阻止→復権して西部方面の大都督へ返り咲き
こんなところ
ここで姜維を弁護する人にききたいのだが
ずばり姜維の北伐の目的はなんなんだろうか
○魏を本気で倒そうとしてた
○攻め続けることで蜀を守ろうとした
○それとも他の理由?








742540:04/07/29 14:31
>>737
 >なんらかの記録は残るだろう
いや、明らかに謀反ではないのに楊儀伝でも王平伝でも謀反と書かれているくらいだから
大将軍の失脚なんて大事件なのに、ショウワンやヒイ、当事者である筈の呉イの伝にすら載ってないからな
おそらく魏延の失脚は公然の秘密というか、闇歴史とされてたんだろう

>>740
正史でも失脚してなかったっけ?
744732:04/07/29 14:36
無視しないでくれよう・・・
>>741
姜維は恐らく、漢水下りの代替案としての、涼州侵攻とその分断を狙っていた。
蔣琬に聖旨を届けたのが費禕と姜維である事から、この涼州の分断という計画の立案に、
蔣琬、費禕に加え、姜維も深く関わっていたと考えられる。
>>743
してないはず
それどころか宛駐屯は隠遁じゃなくれっきとした驃騎将軍としての赴任
つまり大将軍に次ぐ大官
>>742
闇歴史というのはなんかくさい言葉なんであれだが
魏延に同調した人間もいてしかし人材喪失やらを防ぐために
魏延ひとりを悪者にして出来るだけ穏便な
ことの解決を図った可能性はあるね
748540:04/07/29 14:40
>>744
えっ、漏れか?

 >防衛ならその目的の継続こそ確実性を見出すべきだろう?
略奪→帰還を繰り返すだけにしとけばいいのに
段谷やらで攻めすぎたのはイクナイ、って意味か?

ごめん
ちと>>732の意図が読み取れないんだ
やってもない策を評価に入れたほうがいいと考えている方は、
どういう理由で評価に入れたほうがいいと考えているの?
>>742
いや、明らかに謀反でないと言っても、皇帝が謀反だと判断したんだから
正史では謀反扱いになるのは当然でしょう。
正史にもきっちり書かれてるし、闇歴史になってないとも思うが?
それにただの政争で失脚しただけだし、王平なんかは魏延討伐において功あり、
とされてるから、それなりに大きな事件ではあったんだろうけど、
諸葛亮の死のインパクトに喰われた感じ。
751540:04/07/29 14:45
>>749
軍師としての作戦立案能力は評価しようということではないか
「実績」だけを考えれば、魏延は戦場で遅れをとったことがほとんどない強力な将軍
キョウイは勝ちも負けもある普通の将軍(相手が悪すぎた、とオレは思うから必要以上に負けをマイナスにしたくないが)
やっぱり魏延のほうが上だと思うが
753540:04/07/29 14:47
>>750
あの、だから>>686でも書いたが、皇帝の判断も、公式にも政争なんだが
>>749
能力面での評価でしょう
魏延には戦略眼もあるという。
魏延は劉禅に上奏して自分の正当性を訴えてる
少なくとも魏延の感覚では蜀帝に弓引いたつもりはなかったんじゃないかな
>>753
皇帝は量りかねて董允・蔣琬に相談し、二人は魏延が疑わしいと言上した、ともある。
皇帝自身が量りかねたのは事実だが、配下の言を聞いて魏延を謀反だとしている。
二人の言葉が是か非かはともかく、皇帝がそういう決断を下したから、
魏延の三族は処刑された訳で、公式にはあくまで謀反扱い。
陳寿も755氏と同じ事を言っているよな。
758540:04/07/29 14:57
>>756
それはまだ魏延と楊儀が争っていた時点での話
帰還者からの事情聴取によって、あとの祭りではあるが
魏延は無実で、単なる政争だったと判断された

だから楊儀は大赦されている
魏延の謀反が最終的な公式見解なら、大赦される理由が無いのだから
>>755
まあ勝てば官軍の時代だし、司馬氏の専横を止めるために挙兵した諸葛延も謀反扱い。
本人の意向は関係なく、勝者だけが発言できる時代だし。
形式として謀反したと陥れるための工作全てが政争の過程なわけで
あきらかに魏延と楊儀の争いが認められるこの例においては
政争と言うしかないだろう
761540:04/07/29 15:00
失礼。訂正。

>>758の「大赦される理由が無い」は「大赦される罪状が無い」の間違いでした
謹んでおわびと訂正をいたします
>>761
了解 コムズカシソーな話なので普通に流してたけどなw
繰り返しますが・・・・

ここで姜維を弁護する人にききたいのだが
ずばり姜維の北伐の目的はなんなんだろうか
○魏を本気で倒そうとしてた
○攻め続けることで蜀を守ろうとした
○それとも他の理由?(例えば軍権維持)
>>763
正直どれを答えても陥れられそうなので答えたくありません泣
>>763
>>745でレスが返されてるが
楊儀に対して大赦がどうのってのは何処の記述なんだ?
767540:04/07/29 15:11
そう謂えば
>>756
 >二人の言葉が是か非かはともかく、皇帝がそういう決断を下したから、
 >魏延の三族は処刑された訳で、公式にはあくまで謀反扱い。

三族のうち一人でも残っていれば、国から手厚い保証でも出たんだろうけどね
処刑後に無実が判ってもどうしようもない
さすがに外聞が悪すぎて公式記録にあまり載せられないだろう
本当なら、董允、ショウワン、ヒイ、王平、馬岱あたりまで処罰対象だからな
768540:04/07/29 15:11
>>766
劉禅伝だよ
>>758
そういやそんな話もあったけ、これは失念していた、本当にすいません。

ただ無実とされた訳じゃないんじゃなかったけ、なんか放置プレイだった気が。
まあ、皇帝が政争だったと判断しているから別に隠そうとした訳じゃないんじゃない?
伝は伝の人物中心に書かれる物だから、楊儀伝でも王平伝謀反書かれるのもやむしかと、
…と悪あがきしてみるw
>>751
>>754
実行されない作戦が稚拙だったという理由でマイナス評価にされるのであれば、
実行されない作戦が優れているという理由でプラス評価になったりするわけ?
そういうのはおかしくないかな?
>>748
そうじゃなくて、姜維のほうが確実性が〜という話について
攻撃的防御の目的を達するには、自軍の疲弊をできる限り最小限にすべきなわけで
それは大きく兵力を失ってない諸葛亮のほうが確実に防衛の継続が可能じゃないかってこと
諸葛亮の確実堅実なやり方に比べれば、どっちが確実性に富んでいるか分かるはず
姜維のように権勢保全のための北伐の継続に関しても、諸葛亮のようなやり方にすべきだった、と
もまえらペースはやすぎ
>>768
後主伝には大赦が出されたとあるだけで、何の為の大赦かなんて書いてないが。
それと、何年の大赦の事を指してるんだかよく分からん
>>763
軍権維持にしては無理に賭けに出るし
防衛にしては堅実さがない
やっぱ本気だったんじゃん?
周りは引いてたけど
775540:04/07/29 15:19
>>771
なるほど

確かに諸葛亮も防御が主目的ならば同意
私は諸葛亮は攻める気だったと信じたいので
姜維と同列には考えていないのです
そのため、諸葛亮に対する評価が辛くなっているかも
でも、それは諸葛亮のやる気を信じてのことだから誤解なきよう

もし、諸葛亮が実は攻める気なんてなかったとしたら
それこそ魏延の長安奇襲策と比較なんて出来ないでしょう
そもそも戦略目的が違うのだから
776540:04/07/29 15:21
>>773
あの文脈で建興12年の大赦以外にあるとは思えんが
いや、諸葛亮も攻める気はあったと思うが、非常に堅実な攻めが出来たので、
それを実行しただけじゃない?
少なくとも姜維と比べれば、明らかに諸葛亮の方が上でしょう。
だた魏側もやり手だからそんなに上手くいかないのが常だからねぇ。
>>776
いや、恐らくそうだろうとは思ったが。
その大赦が、何故に楊儀の罪を許す為の大赦となるのかが理解できん。
779540:04/07/29 15:29
楊儀だけでは当然無いでしょう
事件に関わったものを処罰していたら人材不足となるのは目に見えている訳で
それら全員を引っくるめての大赦でしょう

楊儀が大赦の対象ではないとする理由がわからないが
魏延伝で事の顛末は書かれている
楊儀やヒイの行動はあきらかに同僚の失脚を狙ったもので蜀のためのものではない
にも関わらず名誉職とはいえ中軍師の役を貰えているのは大赦のおかげとしか思えないが



大赦って既に罪が確定した者への罰を取りやめあるいは軽減することでは?
781540:04/07/29 15:31
>>777 ←いいな
そういうはなしなら同意
魏延の策と自分の策を比べて、自分の策のほうが好みだからそちらを採ったのは判る
>>780
それと同時に、国の恩徳をしめす政治的な効果を狙ってというのもある
783540:04/07/29 15:33
>>780
公式見解が政争となった時点で罪は確定しているだろう
量刑はまだかもしれないが

ただ、実際の当時の蜀で大赦の方法がどういうものだったかはしらないが
結局のところ
キョウイは負けすぎ蜀ボロボロに象徴されちゃうので
いくら他将を貶める論理に集中しても弁解の余地無いよ
せいぜい言えるのはその手の論理にたいして
同じこと何回も言うな
って反撃で精一杯。
キョウイを支持しない人間からしたら真実だから何度も指摘するしかないわけでね
今までの議論を見てもキョウイ弁護派はキョウイの弁護ではなく
他将を貶めることしかできていない。
これは末期症状だろう
すこしは自分が推す将の弁護でもしてみろっての
540はすごいぞ
魏延を推す論理に終始しキョウイをそれほど貶めないで魏延>キョウイを主張できてる
あら探しばっかしてないで見習えよ
787540:04/07/29 15:40
要するに姜維のいいところを語ろうってことだな
賛成

そういうことならこれで魏延談義も終わりだろうから、コテハンやめてROMに戻るよ
つ〜か、本当に仕事休んで魏延弁護して終わった
自分でも厨だと思うよ
>>540
まじで乙カレ
粘着相手によく頑張ったよ
少し感動しちゃったよ
ほんと>>785のようなやつに根拠のたしかな自論なりを述べてもらいたいもんだ
ってか、このスレって議論じゃなくて順位を決める方が主目的なのか。
見てて、そんなに悪くない流れだと思ったんだけど。
まあ魏延の話はこれで終わり
勝負はついてるように思えるが
それでもキョーイが食いつきたいのなら
今度はキョーイの弁護を立派に論陣はって主張してくれよ
キョーイ派の楽しいあら探しタイムは終了。
安易な順位の決定自体、そもそも無理がありまくりなんだけどな
>>792
まあそれは言えてるんだが
もう順位があらかた決まってきてるからな
実は最後の戦いだったかも魏延VSキョーイ
前スレでも目に付いたんだが(時に全角か半角の違いはあるが)

>キョーイ

この表記する奴はいつも言うことが同じだな。
論拠も示さずに回りの同調者に便乗してくだらん煽り文句しか言えない。
順位なんてあくまで議論の肴で、本質じゃないだろ。
せっかく、魏延がどうこう言ってて面白かったのに。
>>794
まあそういう個人的あれはあれだからあれだよ
>>795
突っ込んでる方は面白いかもしれんが答えてる方は大変だぞ
昨日からの粘着に永遠応戦してほとんど全て論破してたからな
休ませてやれってことだ
それよりキョーイの論陣はどうすんのよ?
自分の好きな武将でしょ?
自分は初代スレからずっと姜維の弁護をし続けてきましたが、多将を貶めながら弁護した事はないつもりです。
そう感じてしまったのなら謝りますが。
因みに、このスレでは>>448と、>>513からの、>>518氏との戦略論議をしていた者です。
>>797
止めるなら止めりゃいいんじゃないの。義務じゃないんだから。
見てる限り お前以外に、粘着っぽい奴は見当たらないし。
反論する方が止めたら、自然他の話題になるだろ。

疑問を出してる奴 = 粘着
とか一人で決め付けて勝手にやめてどうすんだよ。
>>448>>513が798さんの意見てことですか?
>>799
まあまあ粘着呼ばわりしたのは悪かったよ
540氏も俺が止めるのと同時に体力尽きたように思えたから
ちょうどよかったとは思うが

それよりキョーイについての話はしないのかな?
>>800
そういう事になりますね。
>>800
あと、>>745でも書いたんですが、姜維の涼州侵攻は、もともと蔣琬、費禕と共に
漢水下りの代替案として纏めていた戦略であったんだと思います。

ただ涼州侵攻を実現する上では、兵站の問題などによって様々な制約を受けねばならず、
作戦案も陳泰やケ艾など、魏のトップクラスが出てきたら看破されてしまう様なものしか立案できなかった。
これは条件もそうだし、姜維の作戦立案能力が彼らを上回っていなかったのも理由の一つに挙げられるかと。
蜀を語るとどうしても出てくる、人材の不足っていう点が、やっぱり残念だ。
人がいないと自然、作戦の幅が狭まるし、その辺は姜維にとって不遇だった。
兵力も人材もない、じゃどうにもな。

諸葛亮の時代は、なんだかんだいっても、
ベスト10に入るくらいの連中は居たし。
ただ姜維の北伐の内、涼州方面への侵攻をしなかったものが一つだけあります。
諸葛誕の乱に乗じて、駱谷経由で秦川へ向かった時です。
この理由としては、段谷での敗戦の直後である事から、
・羌族の協力に期待する事が難しくなった
・新たに兵を組み込んだ為、訓練が足らず、兵が機動戦に対応しきれていない
などが考えられます。
恐らくこの時の姜維は、機動戦を捨て、重装備の陣容を整えての出撃だったと思います。
(恐らく)自信の到達前に、ケ艾の援軍に容易に長城まで到達されている事からそれが窺えます。
>>803
それら涼州侵攻の実現は費イ健在の頃の少ない兵力で可能であったと思います?
それとも費イ没後軍権掌握してからはじめて実現の可能性が出てきたとおもいますか?
>>805
段谷の翌年かなんかの遠征のことかw
そのときは重装備で遠征に臨んだというのは初耳だな
しかしよくあんなにボロボロの状態ですぐに北伐しようとおもったな
という感想持ってます。
このへんの理由については自軍がボロボロではあっても諸葛誕の乱
というチャンスを逃したくなかったからと考えて良さそうですね
>>806
費禕没後でしょうね。
雍州と涼州、それに関中からの援軍を含めれば10万程度の戦力は確実にあったしょうから。

涼州制圧は、一回だけ成功に近づいた時があります。
洮西で王経を破ってから段谷までの一連の軍事行動においてです。
王経を破った時点でかなりのインパクトがありました。
ケ艾ですら姜維との交戦を避けようと主張するくらいです。

その後に包囲を解かれて撤退しましたが、姜維は更なる会戦を試みます。
これは撤退によって敵が油断している所を侵攻し、更に胡済を援軍として投入する事で、
魏に突然の戦力増強を見せ付けて狼狽させる。
そしてこの第二回会戦において敵を撃破すれば、魏の雍州支配は確実に揺らいだでしょう。

と言っても、再侵攻どころか進軍ルートまでケ艾に読まれてしまった事で失敗しましたが。
>>808
そもそも段谷というのは結果的に敗戦の決定打にはなってしまったが
同時に実は最大のチャンスでもあったと思ってますよ
まあそれを結果的にはいかせなかったキョーイに
よい評価を加えることは出来ないが
可能性としては孔明の第一次北伐並に勝算あったように思う。
>>807
重装備というのは単なる自分の推測ですから。
ただ、当時長城の守備隊は少数であり、彼らは姜維の侵攻に恐れおののいてました。
しかしながら、姜維は到着しても陣を構築するだけで攻めようとしなかった。
これは、ケ艾の援軍が既に到達していて、力攻めできなくなっていたからなのではないかと。

つまり、この戦いでは姜維の軍の機動力は失われていたのではないか、と考えるのですが。
>>810
いやいや全くの同意見
キョーイ弁護の人と意見が合うなんてはじめてですw

つまり段谷の被害が大きすぎて馬やら物資やら指揮官やら兵卒やら様々な
不足が生じすぎて攻めようにも攻められなかった。
で、漢中の防衛部隊を解体して攻撃部隊に組み入れることを決意したんじゃないかと。
>>808
しかし費イ没後にはじめて現実味を帯びたキョーイの北伐は費イ存命中は
ほとんど意味のない無駄な戦争と言い換えられはしないでしょうか?
姜維が費偉存命中に1万程度の軍でちょこちょこ魏を刺激したんで
魏も防備を固めて後年の攻勢に対応される余地を作ってしまったんだろうか?
漢中の防衛部隊解体については、遠征兵力の充実以外に、
胡済の一件で中央に対する信頼を失った事、
更に、長年諸葛亮の戦闘教義に置かれていた蜀軍には、
迅速な作戦行動は不可能だ、という姜維の結論が大きいと考えます。

漢中には防衛部隊と言っても三万程度しかなく、これでは魏に多方面作戦を展開
されたら、中央軍の迅速な行動による要衝の防衛が必要不可欠になります。
しかしながら、自分の直轄部隊以外の蜀軍は迅速な行動が取れず、
更に中央との間に軋轢が生じてしまっていては姜維の思うように軍を動かしてくれるとは限らない。

こういった状況を鑑みて、遠征兵力の充実を兼ねつつ、有事の際に自身による機動防御が可能な
態勢を構築しようとしていたのではないかと。
>>812-813
これも推測で申し訳ないんですが、費禕存命中の軍事行動は、
自分の軍事的才能を費禕に見せ付ける事による、
大軍動員を取り付ける為のパフォーマンスだったんじゃないかと。
>>813
防衛が主目的なら
魏に防備を固めさせることで国費を使わせて
攻勢に出れないようにしていたことで意味はあったと思うが

もし西方の占領が目的だったとしたら
確かに意味はなかったと思うに同意だが
姜維の軍事行動は費イ没後もそれ以前もほぼ一貫して涼州の切り取りにあると思うけど?
姜維伝にもその旨記されてるし。
>>814さんの意見によると防衛システムの解体はより機動力のある臨機応変の
防御態勢の構築にその目的があるというふうに見えますが

ここはちょっと見識違いますね
その3年後かなんかにはまた今までのような遠征を繰り返し始め
無駄に兵やその他軍事物資等の損失が大きい。
大赦もまた連年のごとく行い治安の悪化も顧みずに逃亡兵すらも確保し
北伐を繰り返すあたりに機動力のある防御を重点的に考えてたと言えない点
があるように思います。
つまりあくまで攻撃あるのみってのがキョーイの基本方針に思え、
それが国力低下と防衛力低下に直結してると思うのですよ
>>818
遠征を行うというのは当然解体の理由ですよ。
ですが、それ以外に>>814のような理由もあったのではないかという事です。
>>817
方針は一貫してるかもしれないが現実味は一貫してないと言うこと
そしてヒイ存命中の一万程度で涼州の切り崩しが行えないことは多少なりとも
将才のあるキョーイは自覚してたであろうという話
821818:04/07/29 17:32
>>819
漢中の防衛軍解体の理由

遠征を再度行う       90%
機動力ある防衛システム構築 10%

幼稚で申し訳ないがこれぐらいの割合では?
費イ存命中の姜維の軍事行動に、魏がどう対処したかは
郭淮伝が詳しい。なんか軽くあしらわれている感じも
するけど。羌族との共同攻撃も個別撃破されてるし。
30年以上雍涼にいる郭淮のほうが姜維よりさらに西方に詳しかった
のも一因。
少なくとも兵一万程度でなんとかなる相手ではなかった。
益州だけの人員物資では到底魏に対抗できないから、涼州の軍閥や塞外民族と連携しようって戦略自体は至極妥当だと思う
だが実施段階では張翼などの制止を振り切って戦果拡大のほうに目がいったりと。自分の立てた戦略に忠実ではないような気がする
最終的には離反されちゃうし
>>821
割合で考える必要は無いと思いますが、どちらが主目的かと問われれば、遠征でしょう。
姜維の目的はあくまで涼州の分断ですから。
825無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 17:38
今週の蒼天。
黄忠最大の武功だった夏候淵斬りの功を孔明に取られてる。
黄忠いいところなし。
>>821 >>824
>機動力ある防衛システム構築 10%
10%もあるかね? ゼロだと思うんだが。そもそも現実にそんなシステムは構築されていないし、
国力低下を省みず北伐を繰り返す姜維の行動には防衛という発想が微塵にも感じられない。
>>823
涼州の分断が目的ならば、張翼の制止を振り切ったのは悪い判断では無いと思いますが。
王経撃破の段階では、涼・雍州諸郡を離反させるだけのインパクトまでは達していなかったでしょうから。
そこで追撃を掛ける事によって戦果を拡大して魏の支配の瓦解を狙う、というのは姜維にしてみれば当然かと。

魏の領土を蚕食する事を目的とした姜維と、そんな事よりも蜀の存続を願っていた張翼との違いですかね。
>>824
段谷後の防護システムの解体が遠征が主目的とすれば
段谷で深刻な被害を受けても翌年には遠征し
さらに防衛部隊から人員抜いて攻撃部隊に加え
連年のごとく遠征を繰り返し
国家の疲弊と防衛力の弱体化をまねいたと言えてしまうのでは?
キョーイを弁護する方としては認めたくないところと思うのですが・・
>>820
> そしてヒイ存命中の一万程度で涼州の切り崩しが行えないことは多少なりとも
> 将才のあるキョーイは自覚してたであろうという話

当然自覚してたからこそ大軍を要求していた。
ただ大軍を動かせないから全く軍事行動をせずというのも(ここからは術語の正確さにはやや欠くが)涼州の姜族らとの兼ね合いを考えると得策ともいえない。
だから姜維の一万程度の兵による軍事活動も無意味ではなかったし、たとえ上手くいかなくとも国家に与えるダメージもそれほど大きなものではないのでそれほど悪いものではなかったと思う。

>>828
姜維の行動が国家の疲弊と防衛力の低下に繋がった。
それは事実ですから否定してもしょうがないと自分は思いますが。
詭弁を弄してまで弁護しても意味はないでしょう。

ただ一つ言えるのは、263年の段階ではまだ魏を防ぎきるだけの力はあったろうという事です。
それが滅んでしまったのは、姜維と中央との間に既に信頼関係が失われ、
蜀政権は内部分裂を起こしてしまったからだと思います。
その責任も姜維にあると言えばあるのですが。
ところでキョーイを信じるこのスレの人たちは費イが最初からキョーイに大軍与えてれば
こんなことにならなかったと思います?
つまりキョーイは涼州の切り崩しというものに成功していたと?
>ところでキョーイを信じるこのスレの人たちは
正直な話、姜維なんてどうでもいいが
まともに話したいのか煽りたいのか、おまいが理解出来ない
>>831
与えないよりは良い結果になったとは思いますよ。
涼州の分断に成功していたかは分かりませんが。
言う事はほとんど同意できるのだがなぁ
無駄にカドの立つ物言いがウザくてしょうがないんですよ
>>833>>834
いやいや非常にまともに話がしたいんだが・・・
表現が悪かったのかな?
無駄に角立てて申し訳ないw

なんか皆さん丁寧に話してるのでこちらもそうしなきゃと思い
変な敬語になってしまってるわけですよw
逆に姜維を成都に縛り付けて、政務だの人脈の構築なんかを
させたほうが最終的に良くなるような気もする。
>>833
そうそう実は俺もそう思うんですよ
キョーイはとにかく将才は認められるんです
ヒイの半端な方針がキョーイを追いつめたと思ってるんですよ
>>835
とりあえずwを止めたらどうだ?
だいぶ印象が変わると思うぞ
しかし急に口調かえるのもどうよ
今までの口調が自分の脳内で固定された感もあるし
>>キョーイを追いつめた
何言ってんだ。費イの方針は知ってるだろ。結果論として見たら
費イのやり方の方が正しい。国の財政を圧迫するような
大規模な戦争をやらせてないんだから。
>>835見てちょっと見直したけど、
>>837見てゲンナリした。
君は暫くROMって議論の成り行きを見守っていたほうがいいと思う。
842798:04/07/29 18:06
控えめにいこうと思って丁寧な感じでやってたが、雰囲気にそぐわなかったかな?
諸葛亮の北伐で疲弊した軍で、さらに大軍を動かしても結果が出たとは思えん
魏の防備を叩けるだけの力が蜀にあったか?
ヒイの判断は妥当どころか、キョウイに下手に軍権を与えた時点で悪い判断だと思うが
どう見ても「慇懃無礼」に当たってたんじゃないか?
「馬鹿丁寧」でもあるな
いえ798さんは敬語が板に付いてるので問題ないと思います

俺が問題かも 飯食うしロムりますよ
>>843
孔明が結果を出せなかったのは消極的だったからでしょう?
孔明並みの軍勢で最初から姜維の機動作戦やってれば、
はっきりとした結果が出ると思いますよ。
大勝利か大敗北のどちらかという形でね。
ヒイはそれを嫌がったのではないでしょうか。
>>847
姜維ははじめて数万の軍勢で出陣した時、兵糧不足に陥って短期間で撤退している
蜀軍の宿阿といえる補給問題が手付かずのままで機動戦なんて展開できるのかな?
全てを掠奪に頼るならそれこそ博打以外何者でもないし
そもそも蜀軍の機動戦が、騎兵を多く抱える魏を相手にどこまで通用するやら
孔明の戦術的勝利もほとんどが敵を誘引して撃退する形だったし
姜維が抜群の移動力を見せた蜀最後の戦いは国内戦だし
>>847
軍権を握ってから何度も大軍率いて北伐して、それで一回も涼州
を切り取れなかったんだから、最初からやっても結局同じ。
やっぱ諸葛亮の北伐で屯田が実を結んでいたら・・・
なぜ魏のような開墾スペシャリストがいないんだorz
『軍人は有能か無能か、そして働き者か怠け者か、これらによって4種に分類できる。

有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。

無能な怠け者は…そうだな、連絡将校ぐらいならできるだろう。

無能な働き者? それは処刑するしかあるまい。(フォン・ゼークト)』

時代は違うが、この定義だと…
そういえば蜀って南以外に優秀な地方行政官っていないな
中央だけで事足りたんだろか?
蜀の南方は異民族統治も含むから必然的に優秀な人間しか勤まらなくなる
しかも単に優秀なだけではだめで柔軟性も必要(張翼なんか失敗した。厳格すぎて)
魏なんて雲霞の如く異民族統治のできる人材がいるしなあ
広いとはいえ益州一つだし。
十州以上ある魏は地方行政官の人数も半端じゃないから、
その中で史書に記録が残るほどの業績を残した人間も
蜀よりかなり多い。
>853
広漢他の太守を歴任した何シとかどうかね。
後は、最終的には中央に入って評判落としたが、呂乂とか。
具体的な記述の少なさもそう感じる一因だろうな
ところで、今の暫定順位は
1位 劉備
2位 諸葛亮
3位 関羽
4位 魏延
5位 姜維
6位 張飛
7位 王平
8位 黄忠
9位 張ギョク 
10位 趙雲

でいいんだっけ
あと議論してないのは?
もう、それで良いんじゃないの?ループに次ぐループだし。
>859
馬超入れてくれよ馬超。
やっぱり関羽と魏延じゃないか
あえてここは議論してみるのも一興だと俺はおmうわなにするやめ(ry
じゃあ能力のみランキングいくのか?
いっていいのでは?
つかもう名将定義はうんざりだろ
人格攻撃とかされるから思い入れの強い武将だと腰にくるよ
じゃあ行こう
一位 諸葛亮
二位 劉備
三位 魏延
四位 姜維
五位 王平
六位 張飛
七位 関羽
八位 黄忠
九位 張ギョク 
十位 趙雲

超適当叩き台(火薬入り)
なんとも夏向けな叩き台です
よし頑張れ
868無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 19:03
あげとこう
869無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 19:10
魏延3位は止めて
また議論始まったら体力続かない
関羽様には逆らいませんから四位でいいです
いやマジで
定義ランキングには三位に入ってるんだからさほど暴れはしないのでは?

ああ、混乱のないように一緒に並べとこう

能力ランク       定義ランク

一位 諸葛亮       1位 劉備
二位 劉備         2位 諸葛亮
三位 魏延         3位 関羽
四位 姜維         4位 魏延
五位 王平         5位 姜維
六位 張飛         6位 張飛
七位 関羽         7位 王平
八位 黄忠         8位 黄忠
九位 張ギョク       9位 張ギョク  
十位 趙雲         10位 趙雲
能力ってなんの能力?
法正とかも入れていいの?
そうそう能力の基準決めないと
そろそろ我ら来敏派の出番だな。
三国時代の前半から中盤までは
結構個人的武勇も重要
後半は純粋な将才や作戦能力が重要と思われます。
さあどんな基準にするんだよ!
声のでかさなら張飛ダントツ
>>875
公孫瓉・・・
やっぱ「将軍」なんだし、指揮官っぽい能力じゃないか?
参謀みたいなのも入れてもいいと思う
俺は純粋に将才のみでやりたい
動乱初期だって、指揮をとる将軍には個人的武勇なんていらないだろうし
「姜維の北伐は私的」って、マイナス要因にされてるが…
確かにそう言われても否定は出来んが、
「ショクに将たる人間は姜維一人」と思われてる現状で、強い政治基盤を持たない姜維が、ショクで重要な一角で在り続けるには軍功しかないだろう
もし姜維が失脚したり、政治基盤を作るのうつつをぬかしてたら「ショク、与し易し」と魏の連中に思われるだろうし
実際、呉を一人支え続けてた陸抗が死んだあと、「呉、攻めるべし」って羊コも言ってるし
国を思えばこそ、自分を大切にするって論理は成り立たないものか?
いや、魏延擁護に「魏延は、文句言いながらも、命令には忠実。姜維は北伐を私物化」って言われるんで
いや、順位とかはね、魏延の為に仕事休んだ漢がいる以上、スレの流れが四位魏延、五位姜維になるのはしゃーないけど
個人的には、やっぱ維〉延にしたい。維は何だかんだいって、司令官級だから。ただ、姜維は初代スレから論争の中心にいたから、もう語り尽くした感があるんだよな}
あと、黄忠がいいなら、羅憲も十位くらい狙いたい
魏延は諸葛亮が軍権を握っている以上、そして自分の死後は守勢路線を遺言などで確定していた以上どうやっても司令官級(?)にはなれなかった感じだ
キョウイみたく1万程度の兵で北伐の先遣として単独北上した際は魏軍の挟み撃ちを逆に撃破しているなど、将才は凄まじいんだが
所詮、劉備の私兵上がりだから出世の限界があるのかな
>>878
>>国を思えばこそ、自分を大切にするって論理は成り立たないものか?


国を思ってるんだったら、まずその大切な国の財政を傾けるほどの
頻繁な軍事行動を控えるべきだろ。
自分を大切にするあまり、守るべき国を疎かにしてると言われても文句は
言えないぞ。
魏延も姜維も闘志が強すぎる気がする。

仮に魏延が粛清されなかったとしたら、
諸葛亮の死後、魏延を抑えられる人物はいないので、
結局、姜維と同じように北伐を繰り返すと思うのだが。

魏延は名将だと思うが遠征条件がキツいので上手くいくとも思えない。

(個人的な感想&空想ですまん。)
姜維はいわゆる士大夫階級だったのかな?
父親は郡将を庇って名誉の戦死を遂げたそうだけど
>>878
>個人的には、やっぱ維〉延にしたい。維は何だかんだいって、司令官級だから。
逆にそれが姜維の評価にとって致命傷なんだよ。
蜀将の中である程度総司令官を任せられる人材は1位と2位の人だけ。
あとはみんな総司令官タイプではなく、優秀な総司令官の下で力を発揮するタイプ。
他の連中は総司令官やってないので「〜たら」「〜れば」の話で済んでいるけど、
姜維は実際に総司令官を務めて国を疲弊させてしまっているから…
劉備が魏延を抜擢したからというような理由もあるが、
三軍を統率できるような将だと思ったから抜擢したなんてこともない
あくまで一部帯を率いる部将として評価してただけかもしれないじゃーん
大将としてなら黄権の方を評価してたんだろうし
蜀漢の大将軍(軍最高位)についたことがあるのは
ショウエン・ヒイ・姜維・閻宇の四名(姜維・閻宇の代は左右に大将軍位が分割されてるが)
これだけなんだよねぇ
>>878
魏延の為に仕事休んだ漢

ワロタw
閻宇……、なんで仮にも大将軍級の男の記述が全く無いんだろう。
>>国を思えばこそ、自分を大切にするって論理は成り立たないものか?
なりたちません。
>878
当事の蜀の将領の中で姜維が突出してたのは確かだが、姜維が失脚したとしても「蜀、与し易し」なんて思わんだろな。
そもそも、魏側は蜀なんて眼中に無いのだから。
魏の重臣の総意は「蜀のような西南辺境の小国は獲るのを急ぐ必要はない」ってトコだ。

陸抗の場合、姜維と比べられん。陸抗は呉の現状認識を的確に捉えて、現状維持に傾注したが、姜維は現状を直視しなかったような感じだ。
あるいは、現状を踏まえたふりをして、(または現状の改善を理由として)結果的に悪化させてしまったのだし。
羅憲が陸抗の攻撃を防ぐなどしたのは、晋に降伏して後だから蜀将としての功績としていいんだろうか?
魏にとっちゃ当時の蜀なんて
異民族の一勢力と同じ程度の認識だろうしな。

陸抗は姜維の対極に位置する人間。
馬超は蜀前、羅憲は蜀後
食前食後かー。

でも蜀前の名声は蜀中も有効じゃないか?
劉璋降服においての馬超のウェイトってどのぐらいなんだろう。
それ次第では結構良い位置だと思うぞ
彭ヨウの謀反もきっちり上奏してるし。
キョウイは蜀の人物として軍事的に実績ってあったの?
まじいなかった方がよかったぽ
>887
閻宇 字は文平 荊州南郡の人。
馬忠伝に馬忠の後任者の1人として名が出てる。馬忠、張表の後を受け、長年に渡って南方地方を統治し、忠実に職務を遂行した、と。
馬忠が安南将軍から鎮南大将軍、張表が後将軍まで昇り、後任のカクシュンが安南将軍になってるから、閻宇の官位もライ降都督の時は安南将軍だった可能性は高い。
その後、右大将軍になり、ほどなく永安都督へ。当事の永安都督は対呉交渉の責任者を兼ねてたようなので、外交にも習熟してたかもしれん。
蜀漢滅亡時、成都から呼び戻されて以後、不明。

あと、劉備時代に巴西太守で228年頃、北伐に参加し、死去した閻芝と言う人物がいるんだが、関係は全く不明だが、もしかしたら縁戚かもしれない。
劉備時代太守で北伐時に指揮官級だとすると、蜀漢内ではかなり上。荊州組の可能性が結構ある。
初めてこのスレ見たんだけど何か
趙雲グダグダな評価だな。
どこが?
過去スレ全部読んでこい
趙雲はまっとうな評価受けてんだろ
姜維は費イが存命時と、費イが死んでから253年〜255年まで、大将軍の位に就くまでは
文句なしに素晴らしい功績を挙げている。
ここで止めときゃ、良かったのに…。
やはりバランス感覚の欠如だろうな
上司がバランスとってる間は良かったけど自分が上に立つともうグダグダ
>>899
うーん、姜維の擁護をするなら、勢いがありすぎて止める事が難しかった、
という面もあったと思う、256年に遠征先で大将軍に昇進している事から、
253年〜255年の連年の大勝利が、本国でもいかに喜ばれていたかというのが判る。
で、ここで胡済との手違いもあり、トウガイに敗北し見事に士気を挫かれた。
期待が頂点に達していた分失望も一押しだっただろう、けっこう戦死者出してかなり恨まれたようだし。
後はもう、信頼の回復にやっきになって出兵するも、悉く失敗、下がる一方だった、と。

まあ本人もノリノリだったのは間違いないと思うが。
ねずみのせい 半分ドラえもん 死んだ
ドラえもん どうしようもない
のび太 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

のび太のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめなネズミのせい ドラえもん 耳半分にならなければ
道具をおし詰めたポケット 猫型ロボットで
のび太は自分の能力 最大限
しずかとの結婚を できたはずなのに・・・
ねずみのせい 半分ドラえもん 死んだ
ドラえもん どうしようもない
のび太 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

のび太のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめなネズミのせい ドラえもん 耳半分にならなければ
道具をおし詰めたポケット 猫型ロボットで
のび太は自分の能力 最大限
しずかとの結婚を できたはずなのに・・・
気持ち悪いなあ…。
>847
根本的に間違っている。孔明でさえ不可能だった事が姜維に
できると思ってるところから。
戦術家としても戦略家としても孔明の足元にも及ばない。
自分より才覚が劣る男にヒイが大軍を与える訳が無い。
1万でも多すぎるくらい。それほどの才能は無い。
もてあましてしょうがなく小出しに与えたのだろうが、やっぱりだめなものはだめ
と、はっきり出兵を禁ずるべきだったな。

だから結局費イの死後調子に乗って、歯止めがかからなくなってしまった。
>>904

戦術家としても戦略家としても孔明の足元にも及ばない。

その根拠は?君の持論を展開してくれ。具体的にな。
>>905
いや、戦わないと兵士が経験を積めないから、完全に閉じこもるわけにもいかない。
たとえ一万程度でも、ある程度経験のある兵がいるといないのではだいぶ違うでしょ。
その観点からすればヒイの方針は当時の蜀にとってベターな選択肢だったのでは?

蜀にとっての悲劇はヒイの死後キョウイが実権を握ってしまったこと。
キョウイは少数の兵で荒らしているときは戦績いい(その功で彼は出世している)ので
文官がキョウイの首根っこを抑えている状態が継続されていれば、
キョウイのせいで蜀が激しく疲弊することはなかっただろうね。
費イにも押さえきれなくなっていたという説もあるがな。

はっ Σ (゚Д゚;)  もしかして費イの暗殺も・・・・・。
>>904
ただの煽り意見だとは思うが一応レスしてやる。
戦略に関しては諸葛亮が上だと思うが戦術レベルではどっちが
上か下かは判断しかねる、お互い得意な戦い方があってそれで
結果だしてるわけだし。
最後の二行は釣りと判断したんでスルー。

日本人の三国志好きは世界一。正史なんて本場中国でも
読んだ事もない人が大半だが、それは正史自体が「信頼性に欠ける」
という考えから教育の資料として採用されていないから、と聞いた。
姜維に関しては他の将と比べて記述が多いから過大評価しがちだが、
戦国時代に勝ち残って建国した孔明等とその後統治するだけの
姜維等が同等の難易度な訳はない。
その中で姜維の戦績の悪さは3国随一。これで擁護する香具師は
頭が暑さで壊れてるのだろうか・・・とても大将軍なんて恥かしくて
名乗れないと思う。
君が今から建国するのと現在ある(大統領になって)国を維持する、
どちらが容易か?なんて聞くまでもないだろう?
後者なんて君にだってできるかもよ?政治なんて周りにまかせたっていいし
(姜維はそうだね)才覚がなくてもできる。
前にも名前出てきたけど
陸抗あたりと比較しちゃうと、もうフォローの入れようが無いもんなぁ…。
国は興すより維持するほうが難しいです。
維持を前提として国を興すのは難しいだろうさ。
>>910
煽りだと思うけどマジレスすると、三国志は良史として高い評価を受けている。

教育の資料として採用されないのは、信憑性ではなく、
長い中国の歴史で、三国志だけ詳細に教えてもしかたないし、
簡素に概略だけ分れば良いからだと思うが?
そもそも正史とかを資料にするのは、大学に入るなり、研究の対象としてから。

三戦版的に言えば、日本でも信長公記などの書物を参考に歴史を教えてないし、
概略でしか学んで無いだろ?
一挙一動が2日3日で世界中に知れ渡り、
地球の反対から反対まで一月で攻撃をかけられる現在と比べてもなぁ・・・

劉備の建国法を今やったら、十中九八で米に攻撃される
孫盛によれば、姜維はいないほうがいいような人
917無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 18:31
>>916に一票
つまらん書き込みするのもいれば、それに同意がてらにageてるようなのもいるし……。

きっと余裕ないんだろうな。
>>916
でもまぁ、文献の量が多いから他の武将の判定基準に使えるし、
中間の5位くらいに入れとけばいいじゃん。
姜維より上か下かで武将判断するためにいるってのはどう?
>>919
いやもう姜維と魏延の順位が決まった時点で名将定義は終了だろう
あとはループするだけ。

能力基準での考察に移った方が面白そう
>>920
同意
でも能力だけ見る場合どういう能力みるかでいろいろ変わってくる
先にその能力についてしっかり決めといた方があとでもめないとおもうよ
じゃあ、定義ランクは終了って事だな。次スレのテンプレにいれなきゃな。

個人的には、姜維が魏延を抜き因縁の関姜対決に、という展開も見たかったが。
蜀将全員を剣一本でバトロワさせれば姜維vs関羽になるだろう
何を言ってるんだ?
>>922
それをやらせないように関羽は祭り上げているんだが。
キョーイも祭り上げられたいのか?
まあ暫定ってことでいいんではないか
■■■名将定義ランク 将才、名声、国への貢献度■■■
  1位 劉備
  2位 諸葛亮
  3位 関羽
  4位 魏延
  5位 姜維
  6位 張飛
  7位 王平
  8位 黄忠
  9位 張ギョク  
  10位 趙雲

ついに暫定順位でますた!!!!!!!

これ以上はループです。以後能力基準にうつりましょう。