董承の曹操暗殺が成功していたら

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董承の曹操暗殺が成功したらどうなってた
でしょうか。
考察してみましょう。
2
3無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 18:39
7
2ゲトズサー
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧ ∧
⊂(゚Д゚⊂⌒^つ≡3
5ゲトー
6ひょっとこ斎:04/07/07 20:26
ひょっとこ斎が6げっつ
じゃ7
8無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 21:03
8ゲトズサー
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧ ∧
⊂(゚Д゚⊂⌒^つ≡3
9無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 21:08
荊 車可 の始皇帝暗殺が成功していたら?
>>1
第二、第三の曹操が出てくる。
袁紹が中原を飲み込むだろ
1リーグ制になる
曹操の能力値が下がる
141:04/07/08 14:44
自分はおそらく献帝が西涼に逃れて
袁紹が中原を取り、献帝が南征を成功させて、
孫権・袁紹・献帝の天下三分になると思う。
15無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 16:02
劉備ちゃんは?
16無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 16:38
袁紹はいずれにしても消えゆく運命だと思うが。
>>16
理由は?かなり磐石な領土基盤を築くタイプだろ袁紹は。
天下統一できますか?っていわれたらなんともいえんけど
とりあえず河北から中原にかけて支配するくらいの力はあるよ。
トントン拍子に物事が進めばかなり凄いとこまでいくような人なんだろうな。
そのためにコツコツ力を蓄えるし。
でも大きなつまづきに弱いから、やはり中原までで満足すれば器にぴったりな
気もする。
19無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 16:56
劉備ちゃんは?
20無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 16:58
劉備ちゃんは?
仮に磐石な領土基盤を築くのに成功したとしても、
袁紹自身が高齢のため、逢紀や郭図などの家臣が加わって後継者争いが起きるだろう。
曹操が居ないにしても、他の勢力が曹操と同じように袁譚、袁尚のどちらかを利用して勢力拡大を図るだろう。
袁譚、袁尚とも大した指導力もなく、家臣に恵まれているかというとそうでもない。
そこへ遼東の公孫康や匈奴が北から圧迫し、南からは孫権、劉表、あるいは張繍が進出してきたら
勝ち目は無いだろう。と思う。
とりあえず袁紹とて後継を定めるだろうし、内部分裂の規模を押さえこめば
なんとかなるかな。大敗しなければ意外に長生きしたかもしれんし
劉備は・・とりあえず袁紹からどこかの勢力への討伐に狩り出される
なら、そこで勝利を収めて反旗を翻すとかもありかもしれんけど
飼い殺しで終わるような気もするな。
袁家が内部分裂するようなら間違いなくつけこむな
しかし曹操が死んで袁紹に敗れたとはいえ曹家の残党も侮れんな。
袁紹はそういう芽をつぶすのは得意なんだろうか。
25無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 18:09
1)劉備の功績が認められ、左将軍からさらに格上げ(衛将軍とか。)
2)董承・劉備は帝に勅命を出させ、諸侯に呼びかけ残曹操勢力の征討を始める。
3)袁紹をはじめとするほとんどの諸勢力は、それに参加。
4)袁紹軍の独壇場により征討軍の勝利。
5)袁紹は旧曹操勢力の大半を手に入れ、斉王となる。
6)董承と劉備による帝の専横が始まる。
7)斉王は「君側の奸を討つ」という名目により、関中に進軍。
間もなく董承は、宮中にて謀殺される。
劉備は第二勢力に成長していた呉へ逃亡。
8)斉王は、禅譲の機会を伺う。
9)斉王の病死。
10)斉国にて、長子袁タンと、末子袁尚による権力抗争が始まる。
11)呉の北上開始。
12)蜀の劉ショウは動かず。
13)・・・・う〜ん誰か止めて。
それやるなら妄想でもいいから年表かいた方がいいな、
問題は呉だから。孫策が死んでからどの程度経っているかで
行動が変わってくる。
董承と劉備は相容れない。外部の力が作用するまでもなく必ず両者は争う。
董承は自分こそが曹操暗殺の最大の殊勲者、漢室にとって救国の英雄であるという自負があるのに
人脈、声望、あらゆる面で自分を凌ぐ劉備の下風に立たされ、次第に不満を募らせていたところを暗殺される。
劉備も献帝は傀儡化する。曹操から首がすげ変わるだけ。

曹操の残党が劉備に帰順するとは思えない。曹一族の誰かを立ててどこかの地に拠り、
董卓死後の李イ寉・郭のような勢力となる。しかしその結束は李イ寉・郭らとは比べ物にならないほど強く、
劉備を大いに手こずらせる。ともに中央をうかがうという利害の一致から、
一時的に袁紹との共闘体制をとる可能性も考えられる。

袁紹VS劉備では袁紹の勝ち。劉備は呉よりはやはり荊州へ向けて都落ちしていくと思う。
都で専横をおこなった劉備を劉表が受け入れるか微妙だが、袁紹と対決するためにも
劉備は必要、と考えてもおかしくないと思う。その後はちょっと想像つかない。

…見直してみると、なんだか当たり前のことばっかりだな。
28無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 18:47
董承の曹操暗殺が成功していたら?






このスレはなかっただろう・・・
それをいったらお仕舞いね

劉表と袁紹は同盟結んで長いからねえ、もし袁紹が他の追随を許さない
最大勢力になったら臣従する可能性もあるかと。荊州の統治と引き換えに。
涼州勢力が出てくると面白いんだが、遠望癖がある奴らだからなあ。
キーマンは劉備なのか・・アレ?この董承が暗殺に成功してたらってのは
何時の事なのよ?劉備が離反してから?さらにいえば劉備が曹操に敗れる
前?後?
32CCA ◆N//NY/QBto :04/07/08 19:01
袁紹は、名族という旗を持ってるから全国から人が集まるんだよ!多分。
袁紹は、少しプライドさえけずれば、曹操に勝てたのにな。
>>31
今のところ・・まだ劉備は許昌にいるような感じで話してるのかな
34CCA ◆N//NY/QBto :04/07/08 19:07
>>33
そしたら、帝さんが喜んで宴会開いて糸冬 了
351:04/07/08 20:23
劉備が許昌にいる時でお願いします。
同じ漢帝擁立でも
劉性を持ってるか否かでずいぶん違うだろうな
しかし曹操を殺した後劉備が帝に信任されたとて、
王允よろしく曹操軍に抹殺される可能性が高いのでは?
実質的な兵力を劉備が擁していれば別なのだが。
>>34
それでは軍師・董承より一言

「軍師を代表してお祝い申し上げます。
できましたらお暇をいただき、山野に遊
びたいものです。」

続いて侍中・劉備より一言







                             「 だ ま ら っ し ゃ い ! 」 
40無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 13:02
曹操配下の優秀な連中がどう動くかだな
董卓配下の比じゃないし
袁紹(後継者未定の不安あり 最大勢力)
呉 (孫策が亡くなったためすぐには動けない 孫権次第)
劉備(一応朝廷の実権を握ったが実質的な兵力が乏しい、元曹操配下を取り込めるか?)
曹操軍残党(四分五裂する可能性もあるが、もともと結束が高く優秀な人材が多い、求心力さえあれば・・)
劉表(中原に勢力を伸ばすチャンス、袁紹と構える覚悟さえあれば。なければ呉と構えることになる)
劉ショウ(多分動かない)
涼州勢力(これも動く可能性は低いが、混乱に乗じるかも)
42無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 13:44
袁紹と孫権で天下を二分する南北朝時代が到来か?
袁紹 対 劉備(朝廷)軍または故曹操軍
孫権 対 劉表
劉備は外交次第だな。
とにかくどこぞと同盟くまないとやってられない。
呉か劉表が候補か。
45無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 13:53
>>41
曹操=項梁 新頭領=項羽
みたいになるんじゃないの?
(曹仁や夏候淵から誰が代表になるかが知らないけど)
とりあえず、
呉は「劉表および劉表と組む勢力」
馬騰は「旧曹操および旧曹操勢力と組む勢力」

とは組まないって事だけは間違いないか?
劉璋は漢室うんぬんより、正史でも演義でも
「強いほうについていれば問題ない」って考えの持ち主だと思うけど。
471:04/07/10 17:03
曹操が死んだら曹昴が継ぐのかな?
その人の能力次第ですべてが決まる。
>>40
少なくともゲームの能力値は結果論(もしくはそれ以下)
天下を取った曹操の一族だから、重臣だからっていう後付けに
勝者の側の一方的で御都合な人物評、演技を中心とした物語
の人気とかを多分に加味したもの。

あてにならん。
董卓だって天下取ってりゃ、活躍する場を与えられた
有名無名の配下達が列伝されて、有能さをアピールしたことだろう。
袁紹だって同様だ。
50無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 17:21
劉備や孫権だって同じだろう?
最大でも二三千の兵を率いるのがやっとの個人武野郎の趙雲が万能の名将
だったり、将軍達と対立しがちの独断宰相孔明の魅力が90超だったり。

いい加減にしろ肥
董卓…暗殺された。部下は一時は結集したが、落ち着いてくると互いに争った。
孫策…暗殺された。子ではなく弟が立ったが、部下も彼をもりたて、大きな乱れはなかった。
(孫策には男子がいたのかな?孫権が後を継ぐと小規模な反乱があったのは知っているけど)

袁紹…病死した。存命中に後継者を長男か三男にするか迷っていたため、
    彼の死後、陣営は真っ二つに割れ、互いに争った。
曹操…病死した。存命中に後継者を長男か三男にするか迷っていたが、
    陣営が真っ二つになることはなく、争いはごく小規模だった。

こういった事実を見てみると、董卓・袁紹よりも、孫策・曹操のほうが
地盤固めの能力と言えばいいのか、自身の求心力は優れていると言えるし、
忠実に後継ぎをもりたてた遺臣たちにも高い評価が反映されるのはごく自然なように(個人的には)思える。
後継問題が最もその国、その統治者の真価が問われる要素だと思うな。
曹操が暗殺されても曹一族はしぶとく生き残り、袁紹が長生きしても、病死した時点で袁一族はおしまいだと思う。
5352:04/07/10 18:17
あ、曹丕は次男で曹植は四男でしたね。すみません。内容を汲んで下さい。
>>52
それはリーダー死亡時の地盤の固さとか粛正達成度合いとか
そもそもの組織の在り方とか状況次第の問題がかなり大きいぞ。
リーダーや部下の能力に関係しないことはないが直結はしない。
死後ばらばらに崩壊した信長とその部下は無能の極みか?
呂布から首都を奪還した李カクや郭シ巳が本当に無能なのか?
>>47
名目上は曹昂、実権は曹仁って所では。小規模な乱なら起こりそうな予感
>>52
孫紹って男子がいたよ。曹操が「2紹のうちどちらを攻めようか?」
って袁紹との引き合いに出されてた(『秘本三国志』)反乱は孫輔と
かいう叔父さんが企んだらしい(『北方三国志』)。
董卓配下は普通に優秀っぽいな、ただなんつーか戦闘的な面でね。
政策能力や長期的戦略を持ってたかは疑問。
ただ彼らが本来は優秀だとて、曹操軍の連中が優秀なのは大して
変わらんのじゃないかね?
親族武将の評価が落ちるくらいだろうな
要するに今は曹操亡き後の曹操軍残党がどの程度の実力が
あるかが重要なわけだ。
まあ確かにまとまってさえくれればかなり手ごわそうだが・・
どの土地に拠るんだろうな?
6052:04/07/10 21:59
>>56
ありがとうございます。
611:04/07/11 17:04
>>59
エン州なのでは?
曹操の死後は親族部将(曹仁・夏侯惇など)
が主力となって戦うはず。
問題は軍師達が曹一族を離れるかどうか。
曹操と個人的な信義に拠った繋がりのある青州兵は地元に帰る。
李典などの私兵をもった有力豪族も離れるかもしれない。

曹操という人物がいない状況でその勢力がそのまま維持できるとは思えない。
孫堅−孫策の例から考えて、曹操死後は親族の夏侯惇らや
旗本の武将たちが、他勢力の庇護の下で曹操の息子を守り立てて、
地盤を形成しようとするだろう。

で、誰に庇護されるかとなれば、袁紹しかいない。曹操は元々袁紹勢力下で
働いていていたし、孫堅死後にも孫策が袁術配下として働いていたことを考えると、
そんなに不自然ではないはず。袁術がまだ生き残っているうちは、自勢力を
拡大する上でも積極的に旧曹操陣営を取り込もうとするだろう。

荀ケはとりあえず漢の臣だから、朝廷に残って董承・劉備と政争を繰り広げる
かもしれない。荀ケ主導の下、漢王室がその権威を回復し、後漢が存続する
ようなら面白い。曹操死後に袁紹が強引にでも献帝を業βに移すかどうかが、
情勢を大きく左右しそうだな。董承・劉備としてはなんとかして阻止したいところ。


なんて妄想は、どう?
都で政争をする劉備ってのは面白いよな。
641:04/07/11 17:57
>>62
結構いいかもしれない。
しかし袁紹に従うほど軟弱な勢力基盤ではないし、
夏侯惇などは袁紹に従わず、許昌、もしくは要害
を擁す長安などで抗争するであろう。
一方献帝は兵力に欠いているため袁紹の飲み込まれる可能性大
で、どれだけの兵力を擁せるかが問題。
政争をできるほどの政治的能力が董承・劉備にあるとは思えないがな。
>>62
まず青州兵が地元に帰るというのはあり得ないと思う。
どちらかといえば黄巾賊の残党なのに素直に地元に帰るわけはないと思う。
それと、張繍・ 賈[言羽] が離反するだろう
それから張燕も離反するだろうな。
この頃の袁紹と曹操の関係は、献帝問題などで揉めたものの、
それほど悪化しているわけではない。両者の関係が緊迫してくる
のは袁紹が公孫サンを滅ぼし、敵対勢力が曹操一人に絞られて
くる199年以降から。

旧曹操勢力が独立を保つとしても、当面は袁紹と協力するのが
ベターだろう。独力で篭るとジリ貧に陥る可能性があると思う。
求心力を落とした現段階で袁紹、袁術らと同等に渡り合うのは厳しい。

そうなると袁紹の業β遷都策を防ぐことができるとは思えないんだが。
董承らが長安に遷都してみるか?無理そうだ。


>>66
青州兵は賊徒と化す可能性があるね。少なくとも曹操陣営に残る可能性は低い。
張繍はこのころはまだ独立勢力のはず。曹操には従ってない。
張燕も同様。
青州兵を劉備らが取り込めたら・・・。
と想像してみるテスト。
>>68
どう考えても無理だろ
青州兵は曹操との個人的信義で従ってたわけだから、
曹操を殺した劉備・董承に付くわけがない。
劉備が帝の名の下に呼びかけてどの程度の兵を集められるか・・
無論、烏合の衆なのは仕方ないが徐州の時よりはましだろう。
はっきりいって地盤をきずけなければ献帝
はどうしようもない。
曹操残党が許昌を拠点に抵抗を続けるだろうから
献帝はなんとか長安を手に入れなければならない。
72無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 14:24
歴史にタラレバは禁句です。
>>72
それを言うては御終いよ・・・
空気嫁。
曹操死んだら二分で後漢
献帝の元で皆が仕事をし続ける。以上。
>>74
ワラタ
77無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 19:02
これは献帝が董承に命令させてやらせたことで、成功
していたら自然と献帝の政治への発言力が高まると思
う。
反乱は直接献帝への反乱になるので青州兵以外は従う
んじゃないかな。
78無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 19:18
董卓暗殺後みたいに曹操の残党が許昌を強襲、奪還して董承は打ち首、劉備は逃亡
するんじゃネーノ?
>>77
青州兵は曹操の報復のため、許昌に雪崩れこむぞ!
献帝のお命すら危うい。
>>78
ありそうだね。
北に公孫サンがいまだ健在な以上、袁紹は静観を決め込むかも知れないし。
でも、問題は、袁紹が公孫サンを打倒して、南下してきたとき、曹操なき曹操軍閥はこれを
撃破することが出来たのだろうかってこと。
青州兵も当てには出来ないし。
>>80
董承が劉備に曹操暗殺計画を打ち明けたあと、
劉備は曹操に呼び出され、世に言う「君と余だ」会談を行った。
後日、劉備はまた曹操に招かれ、そこへやって来た満寵の話で
公孫サン滅亡を知らされる。だからこの頃はもう公孫サンは
いなくなっていて、すでに河北は完全に袁紹のものになっているとみてよいと思う。
正史だとどうなのか知らないけど……。
もし正史をもとに話しているんだったらごめんなさいです。
したら袁紹は帝をお助け参らせるため、とかいって都に攻め上るかも。
ホラ以前董卓にまんまとやられちゃったときに、しまったーとか思うと同時に
畜生うまくやりやがったな、とか思ったんじゃないかなと。チャンスがあれば
俺もやってやるぞとか。
>>82
天下を取れるかどうかの大局より
四男の病気が心配で動こうとしなくなるような奴だから無理じゃない?
841:04/07/14 13:45
>>83
ごもっとも。
袁紹は曹操死後も幽州の地盤固めに走ってたりして。
日本で言う本能寺の変見たいに、
曹操の後継者が誕生するってことはありえませんか?
どうだろ。なんたって皇帝が直接指示してるわけだからね…。
よく読んだことないけど、むしろ太平記のような感じになるのかな?
あれも確か天皇が幕府から実権を取り戻そうとして結局失敗する話だったと思うけど。
曹操の後継者が現われるとしても、本能寺の変のような展開にはならないと思います。
871:04/07/29 18:15
皇帝派と曹操の後継者派に分かれて
争うってことか。
8885:04/07/29 21:05
劉表や張繍、馬騰なんかはどうでますかね?
89無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 20:22
>>81
時期的にはほぼ同時期だったはず。
【偉人?】その時、曹操は・・・【変人?】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085709120/
>>83
その話かなり怪しい気がするんだがなぁ
炎症の勢力は…、いや勢力築く前から天下の大局見て動いてるし。
反トウタクの兵を立ち上げたときは身内が殺されてなかった?
92無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 12:55
エンジュツが自分の立場を弁えられる人間だったら
暗殺無しでも炎症の天下だったんじゃない?
旧曹操勢力
曹昂が跡を継ぐ。曹仁が補佐。曹家の地、陳から東に勢力を維持。
袁家とは下位の同盟を結ぶ。
李典、程イク、郭嘉、于禁等の勢力内の豪族、士大夫層はそのまま。
夏侯淵を筆頭とし、徐晃、楽進らは曹操の仇討ちを望む急進派だが、とりあえず曹仁らが抑えて、勢力内の安定を急ぐ。
中央勢力
許都は不利。帝が「帰りたい」というので、洛陽による?
首魁は劉備、董承。
曹操勢力内における荀攸をはじめとした士大夫層を取り込む。
(荀イクの動向は予想できない。流れとしては劉備勢力になるのが自然だが、彼と曹操の結びつきを考えた場合、黙って隠居するかも)
曹操勢力を離反し、本拠地に戻った張繍、涼州軍閥をとりあえず容認、同盟を結ぶ。

まずこんなところか?
94無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 17:29
>>93
荀攸の方が、曹操に忠実だろう。
荀ケは劉備がきちんと献帝を立てるのならば、三顧の礼でもすれば出仕しそう。
(荀ケは漢室>>>曹操では? 自殺か病死かは別として最終的に曹操の簒奪の野心に精神的に追い詰められた経緯がある)
951♯heisei0806:04/08/30 18:01
トリップ付けました。
馬騰・張繍らがどう動くかが天下の趨勢を分けると思います。
961:04/08/30 18:02
間違えた・・・。
董承と劉備はリカクカクシの争いを再現しそうだなー。
献帝の発言力が増すといっても、二人を抑えつけられるほどとも思えないし。
曹操の旧臣は董承から指名手配でもされて都落ちせざるを得ないのでは。

許昌は董承にしろ劉備にしろ根拠地として不安定だが、彼等にそもそも根拠地
足り得るような土地があるだろうか?結局洛陽に拠るかな。
しかしあの当時の洛陽と言えばまだショウヨウによる復興も為されておらず
荒果てているしなあ。
かと言って長安に行けば馬騰がコワイ。
いっそのこと馬騰を大将軍にでもして取り込むか?
1001 ◆0CQYive1OE :04/08/30 20:38
トリップつけて修正。
馬騰は結構悪い事してるから懐柔したとて利はなく、
涼州兵が長安を荒らすのではないか。
結局袁紹の南下まで中原の安定はないだろうな。
孫策は曹操以前に陳登に阻まれてる上に自滅するし、
後を孫権が継いでも打倒黄祖で忙しい。
劉表、劉璋は動かないだろうし、
馬騰とかは降伏しないだけで涼州から出るかどうかすら怪しい。

袁紹の南下で官位を盾にして曹家やらを動かしても
曹操なしで勝てるわけがない。
どう足掻いても袁紹の天下統一以外に展開が見えないなぁ。
102無名武将@お腹せっぷく:04/09/02 21:04
袁紹が皇帝になっても、劉備は劉表の元に逃げてと、したたか
に反抗しそう。
廷臣には、3公に楊彪・張喜・趙融、9卿に桓典・孔融・趙岐
陳紀、他に荀悦・鍾よう・趙温・伏完・董昭・司馬防・韓斌あ
たりか。
>>101
というか曹家の連中も劉備や董承に付くぐらいなら袁紹にすりよるだろ。
袁紹も曹操と友人だった事と劉備董承が暗殺という非常手段を用いた事を
利用して曹家だけでなく劉備や董承に反感を持つ官僚を味方に付けるだろうし。

個人的な妄想シナリオだと、
劉備は董承に政争で負けて劉表のトコまでエスケイプ。
董承は袁紹と曹残党を恐れて長安まで逃亡(できれば皇帝を連れて)
って感じかな。
妄想でもいいから
袁紹が史実通り亡くなって内部分裂が起きる、とかしないと
かなり袁家に有利な状態・・というかほぼ決まってるような感じだな。
孫策が生きてりゃ面白くなっただろうけど。
105無名武将@お腹せっぷく:04/09/02 23:04
曹操暗殺に成功したものの、今度は劉備と董承の争いが勃発する。
そして、董承の謀略で曹操に続いて劉備も暗殺されてしまう。
混乱状態になった洛陽に乗り込んだ袁紹が、そのまま中原を制圧する。
袁紹と曹残党と劉残党を恐れた董承が、献帝を連れ出して長安に逃亡する。
さらに、袁紹が皇帝に自称して漢帝国が分裂状態になってしまう。
こんなシナリオは、ありえないだろうか・・・?
>>104
孫策は生きてても江東から出ることはなかったでしょ。
数州にまたがった大勢力を築いた袁術と
信頼されているのをたてに隙うかがって独立したのはいいものの
無茶しすぎて反感買って殺された孫策じゃスケールが違う。

曹操以外に袁紹を阻める奴はいないだろ。
その曹操をして絶望的な状況まで追い込まれてたからな。

>>105
袁紹が河北・中原制覇した時点でもう終わりだよ。
奴が皇帝を名乗れば皆平伏して従ってただろう。
袁家のネームバリューはそれほどだった。
実際、袁術も後に皇帝僭称なんて真似してたけど、
曹操がいなければ中原は袁術のものだったから
案外うまくいったのかも。
袁家のネームバリューなんて漢王室あってのものじゃん
その結果集まってきた力は脅威だけど皇帝名乗ったら皆平伏なんてありえない
まあ、平伏は言いすぎかな。
少なくとも劉表、劉璋は新帝袁紹につくのは間違いないだろうから
分裂状態も長くは続くまい。

孫策or孫権は微妙だが、官渡がない以上、
8年かけた曹操の河北制圧もないわけで、
孫家陣営が抗戦を選ぶにしても
ろくな地盤も築けぬうちに決戦を強いられて
降伏するが攻められて滅ぶのか、どっちかだろう。
>>107
>袁家のネームバリューなんて漢王室あってのものじゃん
んな事無い。
当時は袁家が任命した太守や県令が機能して、漢が任命したそれは
まるで役に立たなかったそうで。
でも袁紹は内部の粛清に苦労しそうだ。
特に袁術は最大の頭痛の種だろ。(史実では逆の意味で頭痛の種だったとおもうが)
そらあくまで袁家の支配権の中でのこと
直属の配下とか仲が良かった連中とかね、例外もあるけど
少なくともきちんとした勢力を有してる連中は皆独自にやってることだし
>>111
そりゃそうだけど、袁紹にそれを済ませるだけの時間があるかどうかが問題。
多少史実より長生きしても粛清を十分にこなす前に死んでしまえば結局乱が
起きる。
>>112
官渡で信じられないような敗北を犯すまでは
河北を完璧に統治していたし、部下の統率もとれていた。
それがない以上、組織運営は滞りないとは思うが……。

しかし、袁譚も袁尚もかなりのDQNだからなぁ……。
さすがの袁紹もフォローしきれんレベルかも知れん。
あるいは彼らも袁家の没落で歪んでしまったのだろうか。
>>113
官途の敗北はそのまま袁家の天下取りプランの破綻だからねぇ。
しかし袁家には自分がトップじゃないと気に食わないからといって
勝手にしかもまだ早い時期に皇帝を名乗って一族の万全天下取りプラン
を大きく狂わせた強烈なDQNが。
>>114
袁術は曹操暗殺計画の時にはすでに死んでたんじゃ?

しかし、上にも書いた他愛もないIFだけど、
エン州謀反あたりで曹操が死んでいたらなし崩しに中原一帯は
袁術のものだったんだろうなぁ……。

本当に曹操は袁家キラーだ。
116無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 00:09
>>114
>官途の敗北はそのまま袁家の天下取りプランの破綻だからねぇ。
しかし、曹操暗殺が成功していたら官渡の戦いは袁紹が勝つだろう?
117無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 00:16
>>115
>エン州謀反あたりで曹操が死んでいたらなし崩しに中原一帯は
>袁術のものだったんだろうなぁ……。
中原を制圧した袁術と、河北を制圧した袁紹で争いになるよ。
最悪の場合、共倒れの可能性も十分にありえるね。
劉備、孫策、劉表、劉璋、張魯、馬騰などの動向が気になるところだが・・・?
このスレ曹操暗殺だけじゃなくてifもの全般扱えばいいのに
妄想語りたい人けっこういるでしょ
>>117
そうだね、俺もその展開になって三国時代以上の悲惨な泥沼展開に
なるんじゃないかと思う。でも、他の勢力は基本的に二袁のどっちにつくかで
忙しいんじゃないかな。

しかし、ひょっとしたら、その展開での二袁の争いは圧倒的に
袁術有利かも。何せ白馬将軍、公孫サンが北にいるからね。
むろん、袁紹とてただでやられるような奴じゃないが……。
まかり間違えばマジで簒奪王朝「成」の誕生!?
120無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 00:26
>>117
>劉備、孫策、劉表、劉璋、張魯、馬騰などの動向が気になるところだが・・・?

袁紹側:劉備、劉表、馬騰
袁術側:孫策、張魯、公孫讃
中立:劉璋
>>120
呂布のエン州謀反のあたりだと、劉備は公孫サン配下だね。
呂布の蜂起でびびった陶謙の要請で徐州に……という流れは一緒かな?

問題は、エン州の混乱に乗じて攻めてきた袁術を
呂布が倒せるかどうかだが……。
何だか袁術負けそうな気がしてきたな(笑)
122無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 00:39
呂布が中原を制圧して、呂布と袁紹が二大勢力になったら面白いね
でもそれ以上に劉備がうまく立ち回るであろう展開が愉しみでしかたない
124無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 01:14
袁術を打倒して中原を制圧した呂布が、袁紹も打倒して河北も制圧する。
しかし、董承の謀略で呂布が暗殺される。(王允の董卓暗殺に酷似)
混乱状態になった洛陽に乗り込んだ劉備が、そのまま中原を制圧する。
劉備と呂残党を恐れた董承が、長安に逃亡する。
さらに、劉備が献帝を傀儡して勅命を乱発するようになる。
こんな展開になったら、どうなるだろうか・・・?
いや、呂布の中原制覇は難しいぞ。
何が難しいって、

呂布の武に問題はない。奴は三国志最強の騎兵指揮官だ。
曹操自慢の青州兵すらものともしてない。

呂布の知に問題はない。軍師はあの陳宮だ。
油断のならぬ男だが、こと智謀にかけては天下一品だ。

呂布の部下に問題はない。
後に曹操配下で有名を轟かせた張遼、陥陣営の高順と、大物がゴロゴロいる。

呂布の人望に問題は(あまり)ない。
何だかんだで史上最悪の暴君董卓を倒したという大殊勲を持っているのだ。

だが……、呂布は基本的に野望がないんだよね。
人から命令されたり唆されたりうまい餌でちらつかされたりはするけど、
自発的に何かをしようとしたことがない。(劉備と袁術の仲裁くらい?)
確かな戦略をもって中原制圧などという大事業を営むことが出来るのかどうか…。
ぶっちゃけ呂布は故郷のあたりか涼州辺りの方がやりやすいと思う。
実際彼の軍の中核を為してたのはそこら辺出身の奴らだし。
徐州だと政治的に色々軋轢がある。文化や気風が違いすぎ。
127無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 02:01
劉備が中原か河北を制圧する展開には、ならないのかな?
>>127
今二つの前提が動いているよね。

・暗殺計画が実行されたら→献帝を要して洛陽で独立するかもしれないけど、
 袁紹相手に勝ち目はなし。

・呂布のエン州蜂起で曹操が死んだら→100%確実に陶謙と呂布は争いあう。
 袁術としては公孫サンに陶謙の助力を要請し、自身も南陽から攻めるだろう。
 ここで劉備が徐州にやって来る。袁術VS呂布を呂布の勝ちだと仮定し、
 (呂布が曹操ばりに袁術を猛追するかどうか疑問ですが、したことにしましょう)
 対呂布最前線に劉備は派遣されます。
 
 ここで呂布をたらしこんで陶謙に牙を剥くか、あるいは弟とでもへりくだって
 とりあえず友好な関係を保つか。ここからが劉備の本領発揮でしょうね。
 史実で呂布は劉備に好感を抱くので、それほど悪い関係にはならないはずです。
 (当初は……)
で、予想ですが呂布と劉備はそれなりに友好を保ったまま、
陶謙の寿命を迎えることになると思われます。とりあえず呂布の危機は
劉備が何とかしてますが、今度は寿春に敗走した袁術が何と奇跡のカムバック。
(袁術って、実は凄い奴ですよね、ほんと)
劉備が徐州牧になることは史実と同様の流れでしょう。
しかし、史実では呂布を部下にしていましたが、今度は隣国にいます。
隙見せたら襲ってくるかもしれません。(何せあの呂布ですからね)

史実でも苦戦を強いられた劉備VS袁術ですが、呂布の脅威に備えた上では
ちょっと勝ち目がなさそうです。しかも張飛の馬鹿のせいで下ヒ陥落。
徐州を追われ、エン州の呂布に頼らざるを得なくなります。
無論、呂布は快く援軍を送り、袁術軍を撃退。
めでたく徐州も呂布のものに。(劉備:あれ?)

……考えれば考えるほど泥沼にはまっていきます。
呂布の武を利用して呂布に天下を取らせるんだよ!
最後の最後に美味しいところをもってくんだ!
131無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 12:32
>>129
そこから>>124の展開に続けられますね?
なんか急に伸びてきたな。
みんなの予想には感服するよ。
133無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 21:31
袁紹と劉備で官渡の戦いになったら、袁紹が勝つ!?
134無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 21:35
劉備なんてただのDQN
>>133
あの当時の勢力から言って、
延焼に勝てる勢力と言えば曹操ぐらい。
ひょっとして長江の地の利を生かせば、
孫家勢力の赤壁再現も・・・程度。
136無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 22:35
袁紹と孫権で官渡の戦いになっても、孫権が勝つ!?
137無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 23:12
少なくとも官渡で戦うことはないな
138無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 23:38
袁紹と孫権で赤壁の戦いになっても、孫権が勝つ!?
>>133
強引なIFだが、もし、他の群雄が官渡で戦ったことになったら。

劉備:顔良と文醜は斬るでしょう。ですが、野戦で負けて官渡城に逃げ込んだ後
 遁走します。包囲される前に絶対逃げます。
孫策:高確率で本拠地の揚州で反乱がおきます。それにこの人、
 守りはそんなにうまくないのでは?袁紹はああ見えて城郭落としの第一人者ですし……。
呂布:野戦ではそれなりに活躍するでしょう。顔良と文醜は呂布一人でぶった切ります。
 ただし、圧倒的大軍が次々と渡ってきた時点で陳宮が裏切るものと予想されます。
 許攸はかつて親交があった曹操だから情報をリークしたのでしょうし、正直、
 尻ビンになって負けるのが関の山かと。呂布に袁紹と敵対して地盤を保てるほど
 政治力があるとも思えないし……。
孫権:周瑜などの反対に関わらず、降伏するのでは?孫権は孫家三代で最も侮れない
 男です。一時の屈辱に甘んじて今日を耐え忍ぶかもしれません。
袁術:袁術が中原を支配しているということは孫策は裏切ってないということでしょうか。
 二大勢力のガチ戦闘で後漢末最大の戦いが起こることは必至ですが、
 一応袁紹の辛勝となると予想します。
劉表:降伏するのではないでしょうか。同盟者ですし、劉表ほどの世渡りがあれば
 袁紹の粛清からも逃れられそうな気がします。
劉璋:部下が裏切って袁紹に味方するのでは?本人もビビってすぐ降伏でしょう。
140無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 23:51
公孫讃と曹操で官渡の戦いになっても、曹操が勝つ!?
141無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 23:56
>>139
もし、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康が官渡で戦ったことになったら。
>>140
かなりの高確率で公孫サンが負けると思うな。
はっきり言って、公孫サンと董卓を比べても
まだ董卓の方がマシな政治をしそうだ。
公孫サンの暴虐ぶりは話聞いているだけで酷い。

(董卓は最初の方は儒者を重んじてちゃんとした政治をしようとしてた。
 実際に大物の王允や蔡エン、袁隗が協力してたし。
 こう言っちゃなんだが、董卓の暴虐は袁紹の確信犯(今風に言うなら故意犯?)
 だろう。董卓がああなることを期待して袁紹は徹底的に董卓の邪魔をしたと思われる。
 叔父の袁隗を切り捨ててね)
143:04/09/04 00:19
>>125
>呂布の武に問題はない。奴は三国志最強の騎兵指揮官だ。

三国志呂布伝を読む限りにおいて、彼が大軍を統率する上での有能な指揮官であったとは思えない。
記述が事実であれば呂布本人の弓の腕前は取り合えず確かだし、
槍や戟を振り回す技術もおそらく優れていたのではないかと思う。

しかし、用兵面においてはどうだろうか?
彼は、董卓配下の武将として連合軍相手に何らかの功績を立てたという記録はないし
クーデターを成功させては見たものの、その後李隺・郭らに瞬く間に敗れてしまっている。
その後も、放浪するばかりでまともな軍閥相手に戦場で勝利を収めた記述は殆どなく
唯一あるのは、陳珪の助けを借りた袁術の侵攻撃退と袁紹の兵を借りての黒山賊撃破だけだ。

これだけでは、凡庸な将軍とは評価できても、優秀な将軍と考えるのはあまりにも根拠がなさ過ぎる。反対に反証材料は多すぎる。
>>143
まあ戦闘中に個人的怨恨で利敵行為をする奴だからな。奴は。
陳宮の策が成功してエン州を手に入れてもその後が続かないだろ。
侵攻してきた袁術に勝てるわけがない。
ありゃマジで曹操だから退けたようなもんだろ。
145無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 00:25
>>142
>董卓の暴虐は袁紹の確信犯
それ以前に、董卓が本当に暴虐だったかどうかも疑わしいですよ。
>>145
このスレでそこまで戻って検証してたらキリないわボケ
>>143
あれ書いたもんだけど、半ばネタだし、突っ込まれても仕方がないな(笑)
呂布に野心がないというのは本気だけど、
上4つで中原制覇は有り得ないだろうね。
148:04/09/04 00:31
>>145
陳寿が自分の記録をよほど嘘で塗り固めていない限り、
董卓の暴政はおそらく事実ではないかと思う。

凄いよ。三国志の記述は。
春祭を襲ってみたり、皇女を犯したり・・・

例えば、他の群雄についてさほどに悪いエピソードばかりが目立つわけでもないことから
三国志が晋による単純なプロパガンダ的歴史書であるとは、どうしても思えない。

当時の記録を、ある程度正確に伝えようとしているのではないか?
エピソードとして丁兄弟の話はあるけれども、筆者の基本姿勢としては。
149無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 00:37
三国志演義は、プロパガンダ的歴史書ですか?
150:04/09/04 00:41
>>149
あれは、小説。
現代本屋で見かけるノベルズの中世(近世?)版。
151無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 00:44
西涼の田舎からきた軍隊は都の人間には偏見もありかなり粗暴にみえた
のではないでしょうか?
152無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 00:48
曹操が荊州に侵攻したとき(赤壁の戦い直前)に、劉宗を殺した話は嘘ですよ。
>>151
粗暴に見えたとか言うより、実際粗暴だったんだろ。
李カクとかなんて酷かったし。

董卓は義侠的精神を持つ立派な漢だったから
「この国はワシが立て直しちゃる」とか本宮マンガのノリで
政策実行しようとしてた。実際、奴の漢気に
大物官僚も協力を納得してくれれた。

だが、現実では本宮のノリは通用せず、
袁紹の密かな根回しもあってボイコットされまくり、
とどめに曹操が反董卓連合プロデュースして関東諸侯蜂起。
まあ、ぶち切れるのも理解できなくもない。

こうして後世にも酷評される暴君董卓の誕生というわけだ
154:04/09/04 00:50
>>151
ここで並べてみようか?
董卓の悪行一覧を。

他の群雄には類がなく、ただ董卓にだけこのようなエピソードが並んでいるのはなぜだろうか?
ここまで酷評が並ぶのは、おそらく凄いことを実際に彼がやったからではないかと考える。
作為でわざわざ彼だけに沢山の記録捏造をするかな?当時の記録者は。

もっと他に評価を貶めるべき群雄は沢山いたろうに。
155:04/09/04 00:52
>>152
北海太守として左遷
156:04/09/04 00:54
青州刺吏だったっけ。
157無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 00:55
>>155
そうだよ、だから三国志演義に書かれている
曹操が劉宗を殺した話は嘘だと言ってるのだよ。
まあ董卓に関してはああなる以外の結末はなかっただろ。
殺したのが呂布かどうかであって。
もう袁紹たちは董卓どころじゃなく自勢力の拡大に忙しかったし。
159:04/09/04 01:04
154だけど多すぎてとても書けそうにない。
箇条書きにするだけで、一時間はかかりそう。

演義にどうか書かれているかは知らないが、三国志魏書や後漢書の記述はあまりに凄いから
興味があったら自分で調べてみて。
金正日のような人物が当時にありえてもおかしくないし、それが彼だったのではないかとしか思えない。
>>159
いやいいって。欝になるから。
161:04/09/04 01:11
>>158
董卓がああなったのは幸いでしたし、暗殺の成功は偶然的要素が強いと思います。
一歩間違えれば、今の北朝鮮のように馬鹿げた悪政が長安近辺でずるずると何年も継続した可能性はあります。
そうなる可能性の方が、むしろ高かったのではないでしょうか?
>>161
李カク、郭シも似たようなことしてるし、そのうち部下にも見捨てられて
内紛の挙句に自滅だろう。
ひょっとしたら献帝の脱出がなくなって動乱の中死亡し、
天下の声望は袁紹一色になってしまうことも考えられなくもない。
董卓一派のような純粋な実力派を北朝鮮正日を重ねるのは感心せんな
164無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 01:36
もし赤壁の戦いで曹操が戦死していたら?
165:04/09/04 01:38
>>162
李隺・郭には具体的描写はないような気がするけど。
ただ、献帝を自宅に軟禁したことと、政治ほったらかしで
睨み合いを続けたことくらいではないか。(当然その間兵士は乱暴狼藉はしたろうけど)
少なくとも積極的な変なことはやっていない。
>>164
曹丕が後継者となり、地盤固めに腐心。
その間に劉備が荊州南部を制圧し、周瑜が江陵攻略に乗り出す。
この辺は史実どおりに進み、周瑜の死や劉備の益州攻略の流れは健在。
だが、関中に軍を進めた曹丕は何と馬超の襲撃にあう。
ここで更に展開を二つに分けよう。

・曹丕戦死:曹真などが後見となって曹叡が後継者となるが、
 さすがに求心力がないので朝廷内では泥沼の権力争いに。
 その間に漢中を制した劉備が荊州の関羽と共に北上。
 さすがに戦争どころじゃない曹魏陣営は献帝を擁して河北のギョウへ。
 洛陽一帯は劉備のものになり、孫権も荊州に進軍し、時代は混迷の中に。

・曹丕健在:ある程度は史実通りに進むが、漢中はもっとあっさり劉備のものになり、
 荊州の関羽侵攻もかなりの衝撃を持って曹魏では迎えられるはず。
 曹丕とてひとかどの男だが、曹操ですら顔面蒼白となったこの情勢下、
 許都を引き払う可能性もないとはいえない。
>>165
さっきから気になってたんだが。
董卓が残虐だということをことさらに主張されても困る。
残虐だろうがそうでなかろうが展開はそう変わらんだろ。
袁紹に敵視されて士大夫にボイコットされるのは間違いないんだから。
168:04/09/04 01:50
>>163
三国志等を読む限りでは、董卓はあまり純粋でも実力派とも言えず
将軍となってからは戦いにおいては、張カンの遠征従軍を除けば、
常に撤退か、敗北か、あるいは何もしないでいるか、いずれかしかない。
彼が大将として戦場で勝利した記録は、一度を除いて全くないみたいなんだけど。
ただ、その場その場で宦官に賄賂を贈ったり、あるいは頻繁に上書したり
ただ宮廷ロビーの外交が上手だった為に、出世街道を登ったという感じだ。

要するに、実務家よりも策謀に秀でていたという外観は、極めて金正日と似ているように思う。
洛陽への入場時も、その点が際立っているし。
>>168
だから、ここは董卓の本性を語るスレじゃない。
董承の暗殺計画が成功してたらというIFから始まり、
派生して全般的にIFを語るスレになっているわけだ。
董卓が残虐でないというIFはちょっと話になったレベルで、
それから展開が変わったという論もないし、
ぶっちゃけ関係ないんだよ。
董卓の暗殺が実行されなかったとしても天下には関係ないし。

もちろん、董卓関係で何か面白いIFがあるなら乗るよ。
170無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 01:57
>>166
中原の混乱に乗じて、劉備が中原に舞い戻るとか?
171:04/09/04 02:01
>>169
もし董卓が暗殺されていなかったら、
を連想するほうがずっと面白いと思うんだけど。
董承よりも、彼の方が(ある意味で)魅力的だし(というより目立つ)、
周囲の群雄はといえば、彼の暗殺時の方が董承の暗殺計画立案の時より
無数に散在して纏まりがなく、あらゆる可能性が考えられたと思う。
想像が膨らむという意味では、楽しさはあると思う。
>>171
でもスレ違いだし。。。
正史の記述を額面どおりにしか受け取れない奴が多いようだなw
ifスレなんだからもうちょっと想像働かせろよツマンネ
もう寝るぞ
175:04/09/04 02:04
>>173
演義を読んだことがないんです。
176無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 02:05
もし董卓が暗殺されていなかったら、董卓と袁紹の争いになったかもしれん
>>175
いやまあ、173の煽りもどうかと思うが演義のことは言ってないだろ
178:04/09/04 02:09
>>176
袁紹は当分の間、史実通り以上の展開はできなかったのでは?
また董卓側も、その戦略は退守的で計画性を持っておらず、
したがって、あらゆる群雄が決め手を書いたまま、無駄に十年くらいが流れたのでは。
>>178
董卓が暗殺されていなかったらどうなるか。
まず、献帝を絶対手放さない。これが董卓の生命線だから。
となると、曹操が唯一袁紹に持っていたアドバンテージ、「大義名分」がない。
これで曹操の力が大部分削がれる。
この時点でアウト。もう曹操は袁紹に勝てない。
袁紹に馬鹿にされて切れたジュンイクとかは曹操を立てるだろうが、
袁紹の名望にはかなわず、200年頃に袁紹が南下してきたら
降伏の可能性すらある。(というか、元々曹操は袁紹の部下だ)
この時点で袁紹は河北と中原を制覇し、完璧に統治し、
名望も漢王室を上回った超英雄とみなされる。

董卓に何が出来る?
奴は孫堅にボコにされてビビって長安行ったような奴だぞ。
「長安なら守り堅いし、ここなら俺の未来安泰じゃん」
これじゃ話にならん。
李カクとかも司隷近辺で略奪してただけだし、話になんない。
袁紹の勝ち以外の展開はないよ。
180無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 02:22
>>179
結局は、董卓も袁紹に降伏するのか?
それとも、李カクとかが袁紹に寝返るのか?
181:04/09/04 02:24
連合軍は董卓死去以前に瓦解してしまっていた。
いずれにせよ、時間をかけても袁紹は関東の北半分くらいを取れたかもね。
比べて曹操は、袁紹の隷下に立っていたろうか。
董卓勢力の分裂がなく、彼らによる妨害があることを考えると
史実通りの勢力を築けたとは考えにくい。

一方董卓側も、どちらかといえば作戦面では無能なので
長安近郊に籠もったまま、せいぜい変なことを繰り返して食糧難と戦っていたのではないか。
もはや分析に多分に自己の感情がはいっとるナ
劉備だって負け続けて最後に大成したんだし、いかなる戦略構想があったかも
わからんし、むしろそれを妄想しろと
183:04/09/04 02:29
孫堅や孫策が史実通りの活躍しかできなかった場合、
おそらく、関東を統一した勢力が董卓を倒す展開になったのではないだろうか。
その場合、袁紹は最有力候補ではないかと思う。

もし、官渡に従軍した袁紹軍+αが、長安の董卓を攻撃した場合、
董卓はおそらく勝てないだろうね。
>>180
反董卓連合が結成された時点で、董卓は

「もう袁紹か俺の死しか事態は解決できんのか」

と思ったんだろう。そんで切れて暴君化。
今更降伏するとは思えないが、進退窮まって献帝差し出すという
可能性もないとは言い切れない。

>>181
だから、史実で長安にこもってりゃ安心だろといってたんじゃないのか?>董卓
李カクらに略奪以外の気概があるとは思えんし、
曹操にボコられて終わりだよ。
奴は呂布の蜂起を覆し、袁術をガチで破った男だよ。
李カクらが勝てる相手じゃない。
そして最終的にはその曹操をして「もう駄目だ」とまで思わせた奴が
200年に南下して来るんだ。天下の流れはもう決まっているって。
185:04/09/04 02:36
>>182
董卓が凡庸というのは事実なんですよ。
彼は実際戦闘に勝っていない。キョウ族に敗れ、韓遂からは逃げ出し
黄巾賊には勝てず、五斗米道攻撃も何もしないまま皇輔崇に手柄を奪われる。
ただ、常に軍監には取り繕って朝廷からは好意的な評価を得ていた。
要するに将軍というよりは、むしろ、策謀家だ。
そういう前歴の人物ですから、史実の曹操や孫策のように積極的に展開できたとは考えにくいのですよ。
>>185
結局、天下の情勢にそれほど変化はない……、
というか逆に袁紹一人勝ちと言う結論に至らざるを得ないというのは
君も一致してないか?
何らかの要因で献帝が脱出に成功して曹操のところに行ったら
史実どおりの展開になるのがオチだろ。
>>185
正直なところ、あなたが何を言いたいのかが良く分からん。
董卓が暗殺されなかったら…・・・と自分で言って置いて、
結論が史実とそれほど大差ない代物だと自分で納得してるし。
董卓が初期に負けすぎなのはキョウ族らとの出来レースだったとかいう説
もかなりあるな。仲がいい奴ら(かつ重要な自己戦力になるうる)の
討伐負かされたからって本気で戦うわけないと。
189:04/09/04 02:49
でも、董卓打倒後に袁紹に天下が取れたかとなると、 
これはまた相当な時間とリスクを伴っていたかもしれない。

中原以南の勢力が史実通りに展開したとしても、
袁紹の中原制覇完了が205年位であれば、大陸統一はどうかな。
彼の軍団は、曹操軍ほど合理的に編成されてはいなかったようだし
彼の作戦能力は、曹操に比べて劣っていたようだし。
時期がもっと早ければともかくとして、その頃以降であれば
曹操になしえなかった事業を袁紹にできたか?と考えると疑わしい部分は残ると思う。
結局董卓その頃から戦略構想をもって勝敗うんぬんより実をとったっていうな
地方に董卓がいるのは危険だっていうので単独で都にこいっていう
朝廷からの令も押し問答でかわしてたらしいし
191:04/09/04 02:55
>>188
黄巾賊にも勝っていない。
陳倉攻撃にも失敗した。
連合軍にも、幕僚の反対を押し切って洛陽を不戦放棄。
その後も、戦術・戦略面でどう考えても自ずと不利になる行動ばかりを取っていて
積極的な遠征もなければ、勝利も無し。

戦死したりしないだけ、無能ではないのかもしれないけど、優秀とも言いかねる。
>>189
結果的に敗れたけど、袁紹の作戦能力は悪くないよ。
大軍擁して圧殺するなんてぶっちゃけ最強の兵法。
究極なこと言えば、兵が多い方が戦いには勝つんだし。
比べる奴(曹操)が悪すぎる。

で、袁紹に天下統一は可能かどうか?
そればかりはやってみないと分からないだろうが、
少なくとも劉表とは円満に解決。(奴は袁紹派の同盟者)
他の勢力も小粒。劉備、孫策は問題外。
孫権は名より実を取る傾向があるし、
仮に戦っても赤壁が起こるかどうかは微妙だろ。
曹操よりよっぽど早いのでは?
193無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 13:12
董承(外戚)も劉備(属尽)も漢王朝倒れたら特権喪失だから必死だな。
194無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 13:38
董承と劉備が争っている場合ではないわけか?
袁紹じゃあ、皇帝になるなんていう大それたことはできそうにないな。
家柄第一野郎だし、漢王室の功臣程度で終わるだろう。
196無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 14:11
>>195
何を根拠に?
彼ほどの野心満々の野心家なら、当然帝位についたでしょう。
一見清廉潔白で謙虚な(と思われていた)曹操でさえ、
王位に就き、息子は帝位に就いたのだから。
呂布はさほどに強くはない。
武将としても、兵士としても、
その能力は于禁と同レベルくらいではないか?
>>196
根拠はないに等しいんで(小説等での印象)、流してくれておk。(w

あくまでも袁紹は位階の高さに固執してて、自分より格下の曹操が重用されることを嫉妬していた気がする。
官位の高さにかける野心ならたしかに満々だったと思うが、それは漢王室あってこそのもの。
のちに皇帝になろうとしたとしても、それは格下の曹操が皇帝になろうとして、
あの小僧がなるのなら俺だって!ってな対抗心だと思う。
199無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 14:35
>その間に劉備が荊州南部を制圧し、周瑜が江陵攻略に乗り出す。

江陵どころか、一直線に許昌・洛陽攻略に乗り出すのではないか?
肥水の戦いの前秦のように、曹操軍は大崩壊。曹丕は処刑、または餓死。
200無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 14:44
>198
>根拠はないに等しいんで(小説等での印象)、流してくれておk。(w

なんで小説を持ち出すの?
イメージを描くにも、せめてもっとまともな記録に依拠するんだ。
魏書の袁紹伝とか袁術伝とか、後漢書とか。
袁紹は、玉璽を差し出そうとする際の袁術の帝位を仄めかすおべっかに
意味ありげに黙って頷いているぞ。

第一、相手が献帝にせよ、劉虞にせよ、あそこまで漢の皇室をぞんざいに扱った人間(袁紹)が
帝位を薦められて躊躇う筈がないだろう。
201無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 14:53
>>197
于禁と並べられては、于禁が可哀相では?
于禁伝を読む限りでは、于禁は曹操軍の歴戦の名将。
呂布が彼に匹敵する力を持っていたとしたら、それは相当なもの。
そのように想像できるかどうかは微妙なところ。
于禁は曹操の将軍の中でも筆頭といっても差し支えないからな
赤壁で曹操が死んだ場合だけど、曹丕が曹操の役割をこなすだけで大して変わりないと思う
曹叡でも同じ。曹家三代は優秀すぎる上、人材豊富な中原以北を制してるんだぜ?
ここにいる連中どうも過剰表現のきらいがある。
自分が優秀だと思ってるやつは他を押しのける形でもってくるし。
まあ、まともな分析ができるようなスレじゃないけどな。
誰かに何かしてもらわないと統一できない劉備っていうのもずいぶんマヌケな話だ。
まあ実際誰かに下って生き抜いてきた野朗だから仕方が無いか。
長所も短所も同時にみようとしない奴らの集まりだなw
もっともらしい理屈こねてるつもりだろうけど客観的に観てる奴が何人いるんだ?
愚痴いう暇あったら、主観的に見てる奴に反論の一つでもしたらどうだ?
207?:04/09/04 21:06
>>206
正史を呼んだこともない人間が、
208?:04/09/04 21:08
207は誤爆
209?:04/09/04 21:11
正史を読まれたこともない方が、漫画やゲームだけの知識であれやこれや言うものだから。
まともな議論がしたければ、世界史板にでも行くしかない。
あるいは何か想像する場合、逐一想像材料を明記することをスレッドのローカルルールとして義務付けるか。
210無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:13
>>206
>>198はその典型。小説がソースとは・・・
なんではじめから嘘と判っている物をシュミレーションの材料に使うんだろ。
211無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:15
正史を読んで董承の曹操暗殺計画は少し甘いなと思うのは俺だけ
212無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:28
>>198に至ってはもう滅茶苦茶。
科学でも分析でもない。
敢えて例えるならカルト宗教の類。
無根拠の権化。
213無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:42
>その間に劉備が荊州南部を制圧し、周瑜が江陵攻略に乗り出す。

江陵攻撃などは、曹操健在でも魏政権が健常な状態でもいつだってできること。
周瑜ほどの人間なら、そのような後でもできるようなことよりも、
曹操が倒れたその時しかできないことをしようと思うだろう。

曹操がもし赤壁で倒れたなら、後継者は明確には決まっておらず、
仮に誰かが立ったとしても、全ての軍隊が支持をするとは限らない、
第一献帝の周囲の後漢の遺臣達はどう動くか・・・など不安材料が急速に山積して
魏政権は非常に動揺するはず。
中央がそうなれば、あらゆる方面での対応に遅滞が生じたり、齟齬が出てくるだろうし、
そのような状態になれば、周瑜もその機会を最大限に活かそうとするだろう。

もし元首も不確定な時期の政権の首都を攻略できれば、その政権は崩壊だ。
ゆえに周瑜はもっとも還元率の高い投資、許昌攻撃を行うのではないか。
現実に、華北地方の徐州攻撃プランは常に当時の呉では議論されていたわけだから、
同様な遠距離・積極遠征プランが採択される可能性は十分に考えられたと思う。
214無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:47
赤壁で曹操が倒れれば、曹政権なんて崩壊。
215無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:54
光栄はガイドブックで結構嘘を紹介している。
シンコンは正史(呉書孫皓伝)でも宦官だ。
216無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 22:08
>赤壁で曹操が死んだ場合だけど、曹丕が曹操の役割をこなすだけで大して変わりないと思う
>曹叡でも同じ。曹家三代は優秀すぎる上、人材豊富な中原以北を制してるんだぜ?

優秀な・・・とはこのような時期にしかるべき果断で迅速な対応が出来る人物のことを言う。
果たして、曹丕や曹叡にそれができたか?

華北を完全に統一しておきながら、前秦は長江の肥水の戦いで敗北すると根本から瓦解してしまいます。
なぜでしょうか?
軍団の一部が数年前から十数年前までにかつての敵を降伏させて味方に組み込んだ
新参部隊、版図の一部にもそのような地域が多かったので、大敗して信用が失墜すると
部隊や城塞の多くが能力低下、以後悪循環が続き元首健在にもかかわらず、ついには国家は解体してしまったのです。
赤壁の時点での曹操政権は、苻堅の政権と共通する箇所が多くあります。
しかも、そのうえで元首が倒れて(苻堅は戦死はしていない)さらに外圧がかかったとなれば、政権は解体してしまう可能性が非常に高いはず。
217無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 22:11
どおしょー
218無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 22:13
多くの説では、曹操は赤壁では中規模の敗北をしたのであり
その損害は軽微ではなかったものの、壊走でもなかったという。
実際、曹操側の著名な武将で、赤壁で討ち取られた武将は殆どいない。
本当に赤壁が大敗ならば、敗走中に多くの部隊が壊滅、少なからぬ将軍が戦死していたはず。
219無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 22:21
あの戦に参戦してたのは曹操とその親衛隊、そして荊州の降伏兵。
曹操の配下の武将なんかは参戦したとしても陸上にいたのでは・・
しかも劉備・孫権連合軍も兵力は少なく、追撃はできただろうが敵の駆逐はできなかったのでは
>>219
確か一応劉備は曹操の逃げた道を火攻めにしたはず
もう曹操は逃げた後だったけど
曹操は付堅ほど馬鹿やってないし、
王猛の死んだ後の付堅の行動見て、その国家が崩れるのは当たり前。
付堅のやってることって、曹操が青州兵を青州から司レイに移すような事だぞ?
それに五胡十六国と三国じゃ気運が違う。殺伐としてるだろ?五代十国よりはマシだが
赤壁の頃の曹操勢力が曹操死んだぐらいで瓦解するほど脆いともあまり思えない。
何の後ろ盾も無い献帝に曹ヒを拒むことは出来ないだろう。
曹植が反乱でも起こすのか?・・・軽く潰されそう、
223無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 02:11
>>219
>あの戦に参戦してたのは曹操とその親衛隊、そして荊州の降伏兵。
曹操の配下の武将なんかは参戦したとしても陸上にいたのでは・・

とんでもない。曹操の一世一代の大遠征で、北方の主力部隊が
こぞって参加している。武帝本紀や先主伝でも読むといい。
荊州の新参部隊などはじめから曹操は当てにしてはいない。

というより、調べてから物を言え。
取りあえずsageてから物を言え
225無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 02:15
>>221
三国時代は中国史上稀に見るくらいの殺伐とした時代です。
下記スレを読みましょう。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877/
226無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 02:18
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877/

民族の世界史5 山川出版  「漢民族と中国社会」より
北族の時代 中国史の第一後期 (著者 岡田英弘)

184年の黄巾の乱とともに、秦の始皇帝で始まった前期が終わって後期が始まる。
後期の特徴は、古い漢族の事実上の絶滅と、北アジアからの新しい血液の流入による、新しい漢族の成長である。
黄巾の乱後、中国の人口は極端に少なくなった。
ことに河北の平野部ははなはだしく、千里、人煙を絶つという有様であったという。
黄巾の乱から50年を経た230年代に、当時の魏の高官三人が明帝に提出した意見書から、当時の魏の人口が推計できる。
杜怨は、「今、大魏は十州の地を奄有しているが、喪乱の幣を承けて、その戸口を計れば、往昔の一州の民にも満たない。」といっている。
十州というのは、後漢の十三州から、呉が支配する、揚州、交州、蜀が支配する益州を除いた数である。
後漢の中国の総人口は、140年の統計では、4915万220人だった。これから揚州、交州、益州の人口を差し引くと、残りの十州は3635万5210人となる。魏の人口はその十分の一にも足りないというのだから、360万人よりも少なかったわけである。
また、陳羣は「今は葬乱の後で、人民は至って少なく、漢の文帝、景帝の時に比べれば、一大郡に過ぎない」といい
蒋済も、「今は十二州あるけれども、民の数に至っては、漢のときの一大郡に過ぎない」といっている。
十二州というのは、魏が雍州から涼州、秦州をわけたからであって、杜怨のいう「十州」と同じ地域を意味する。
227無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 02:18
とにかく前漢の最大の郡は、紀元二年の統計では、汝南郡の259万6148人、それに次ぐのは頴川郡の221万923人であり、後漢では最大が南陽郡の243万961人、その次が汝南郡の210万788人となっている。
要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる。
華北を支配した魏に対して、長江中流の武漢を中心とした地方と、下流の南京を中心とした地方だけを支配した呉の人口は、
魏よりずっと少なく、約150万人というところであろう。
皇甫謐(215ー282)のいうところでは、244年に将軍朱照日が、呉の領するところの兵戸は13万2千であると魏に報告している。
兵戸というのは軍人の戸籍に登録されている家族のことで、一戸から一人が兵士になるとして、これをそのまま軍隊の定員と考えれば、
後に呉が晋に併合された280年の数字では、呉の全人口の9%が兵士となっている。
この比率を適用すると、三国時代初期の呉の人口は、約150万人になるのである。
四川盆地を支配した蜀については、90万人とも、100万人ともいわれているから、三国の合計は500万人ということになる。
これを傍証するように、皇甫謐は140年の後漢の南陽郡、汝南郡の戸口統計を引用して、
「これを今に比べるに、三帝(魏・呉・蜀)が鼎石して、二群を超えない」といっている。
これは、450万人以下、ということである。つまり、184年の黄巾の乱から半世紀の後、中国の人口は十分の一以下に激減したわけで、これは、事実上、漢族の絶滅である。
228無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 02:19
これより先、220年、後漢の最後の皇帝から帝位を禅られた魏の曹丕(文帝)はその翌年の221年、西は宣陽(河北省宣陽県、洛陽の西南)、
北は太行山脈、東北は陽平(河北省大名県、洛陽の西南)、南は魯陽(伏牛山脈)、東はタン(山東省タン城県、江蘇省との境)までの範囲を限って
石碑を立て、その内側を「中都の地」、すなわち「中国」として指定し、生き残った中国人をその中に移住させた。
これはほぼ河南省の全部と、山東省の西南部に当たる。
この狭い範囲に中国人が立てこもることになり、その外側は、軍隊の駐屯以外にはほとんど住民がいなくなったのである。
こうして真空状態となった中国の周辺地帯には、北方から鮮卑、匈奴、羯、氐、羌などの、いわゆる「五胡」が移住してきて定着した。
やがて、魏は蜀を併合し、魏をのっとった晋が呉を併合して、280年には黄巾の乱以来ほとんど100年にして中国の再統一が成り、
人口は一時、順調に回復し始めたが、わずか20年にして皇族の将軍たちの権力争いから八王の乱と呼ばれる全面内戦となり、人口は再び減少した。
それに乗じて、匈奴など、内地に定着した諸部族の軍閥もおこり、305年に匈奴の劉淵が漢王と称して独立してから、いわゆる16国の乱となり、
これは439年に隋が陳を滅ぼして中国を統一するまで150年続くわけだから、結局中国の分裂は、たった20年間の晋の統一をはさんで、
黄巾の乱から400年以上も回復できなかったわけだが、その原因は人口の過少によって、農業生産の復興がままならず、食糧の余剰がなくて、統一のための戦争の余力に乏しかったためであろう。
この人口過少が中国史の第一期の後期である。
229無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 02:20
中国人と中国語の変質

黄巾の乱から400年間に目立った減少は、中国人と中国語の変質である。
既に述べたように、黄巾の乱に際して、中国の人口は十分の一以下に激減し、しかもその減少の大部分は、
それまで中国の都市文明の中心であった華北の平野部で起こった。そして、それに続いておこった五胡の移住と、
16国の乱、南北朝の時代を通じて、河北の支配者が多くアルタイ系の民族であったことから、
漢語を話す人々ももはや漢族ではなく、しかもその話す漢語も秦・漢時代の言語と同じではなくなった。
後期における漢語の発達史上、見逃す事の出来ない現象は、「反切」と「韻書」の出現である。
儒教が国教であり、その経典の知識に基づいて官吏が選ばれた後漢時代においては、漢字の読み方は公用のものが規定され、
洛陽の太学において伝授されていたはずである。ところが黄巾の乱後、洛陽が荒廃して無人の地となり、
しかも文人官僚の時代が去って軍閥の内戦時代となると、漢字とその読み方の知識は、危うく難を逃れて地方に亡命した、ごく少数の学者によって後世に伝えられなければならなかった。
そこでこれまで師から弟子へ口伝口授によって伝えられるだけであった漢字の伝統的な発音を記録し、知識の亡逸を防ぐ為に考案されたのが「反切」である。
これは例えば「東」の発音を「徳」と「紅」の組み合わせで示すやり方で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以後延々と人口減少が当時の中国文化に与えた影響についての説明が続く。
発言者の名前などソースが明示されていて判りやすいので、参考になればと、そのまま引用しました)
日本でいう戦国時代は「五代十国」
そもそも、人口と殺伐さは直接関連しない
まぁ、繰り返し言うがsageてからものを言え
やれやれ、どうやら知識と頭の良さも直接関連しないようだな
231無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 05:00
なんでも下げればいいってもんでもない
>>228
絶滅ときたか(笑)

魏の人口統計は国が直接税をとれる定住の自由民だけ。
当然に難民も居れば山合いにひっそりと暮らしている人も居る。
賊徒もいれば豪族の私民もいる。

その数字は国力を測るには良いが、人口変遷を語る上では
直接使うことは出来ない。

それと進入してきた五胡の数はおそらく五百万より少ないかと。
モンゴル高原なんて未だに内外合わせて五百万くらい。
二千年前にそこからどれぐらいの人数が捻出できるのか。
チベットや満州にしても五百万に比べて多い程の人口が存在
しえたか疑わしい。
233無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 14:51
>>232
そのスレッドを読め。
同じレスが山のように出ているよ。
対する反論も掲載済みだ。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877/
なんか歴史IFを楽しむスレなのに
その根底を否定してるバカばっかで萎え
235無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 14:54
>>230
あなたが頭が悪い、ということが言いたいの?

そもそも「殺伐さ」とは何?
誰がどうやって計るもの?
あなたが一二冊の漫画や小説でも読んで創り上げた勝手な感想でしょ。
それが歴史にどう関係するの?
説明してよ。
236無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 14:56
愚論百出だな。
237無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 14:57
世界史板と三国板では、住人の質に大学生と小学生ほどの違いがあるね。
238無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 15:07
>曹操が青州兵を青州から司レイに移すような事だぞ?

青州兵は曹操軍の主力部隊の一つだけど。
当然、司隷州はおろか、涼州にも荊州にも駐屯したろうし、中には
現地に移住した部隊もあったろう。
それがどうしたの?

曹操陣営の方が苻堅に比べて、創建されて間もない分、崩壊も早かったろう。
彼は晩年魏の基礎固めに尽力したが、もし彼が早死にした場合を想定するなら
そのような貴重なプロセスで得られたであろう利益も予め省いて計算しないといけない。
239無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 15:23
>>192
袁紹はその前歴を見るからに全く持って優柔不断な人物で
作戦能力では曹操などにはとても太刀打ちできない。

董卓攻撃の際には、軍事的にも政治的にも圧倒的に優位に立っていながら
董卓追撃を躊躇したし、曹操が呂布や劉備を攻撃している際には、
田豊の薦めにもかかわらず、子供の病気を理由にみすみす介入のチャンスを逸する。
官渡においても作戦開始当初から常に戦術的に負け続け。
投降者が続出し挙句の果てに兵糧まで焼かれてしまい、帰陣するや今度は自分の参謀を殺害。
これのどこに注目すれば、彼が傑出した指揮官と言えるのだろうか?

魏書の郭嘉伝に限ったことではないが、当時の袁紹下馬評は的を得ていると思うよ。
結果から言っても、前歴から言っても。
それではどうして一代で華北四州を制圧できたのですか?
241無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 16:57
袁紹も名将だったが、曹操のほうが上手だった
なぁ、さっきからウザいの
蒲生氏郷と孫権仲謀の共通性を語るスレのやつか?
変に中国史ふりかざすし、引用に他のHP使うし、ageるし、さっきみたら荒れてたしアノスレ
何はともあれ、最終的に覇権を握るのは司馬氏だろうな。
244無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 19:03
>>238
自身の主力である氏族と敗北した鮮卑族をの土地を入れ替えたり
漢人を寵愛しすぎて、氏族を蔑ろにした末期症状おこしてる符堅とくらべるな と言いたい
大体、「その中には定住したやつもいたかも知れない」は貴方の想像に過ぎない
245無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 20:53
何で呂布が強いのか、発言者にはそれを聞きたいです。
彼は戦うたびに負けてばかりじゃないですか。
「騎兵を率いたら呂布は最強」なんて何を根拠に言えるのですか?
もしかして斬られる前の本人の自賛から?

無駄なこと投稿する暇があったら、資料くらい読みなさい。
>>245
「人中の呂布、馬中の赤兎」という逸話をうんだ戦いの軌跡を追え
247無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 21:53
>>240
人材がいたから上手く使いこなせた時は勢いがあった。
ただ、その時期でも長安から逃げてきた献帝を保護すべきかどうかで家臣が割れて結局曹操に先を越された。
248無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 22:12
劉備が献帝を保護していたら、どうなったであろうか?
>>240
袁紹は気分屋だったんだと。
優柔不断な人によくあるよね。
247 の言うとおりたまたまうまく人を使いこなせたんだよ。

たぶん
袁紹 O型
曹操 B型
だと思う....
曹操はAB型
251無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 22:30
袁紹 B型
曹操 A型
劉備 O型
孫権 O型
劉表 AB型
劉障 O型
馬勝 B型
董卓 A型
252無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 22:35
袁紹 B型
曹操 B型
劉備 O型
孫権 A型
劉表 AB型
劉障 A型
馬勝 B型
董卓 O型
>>251
>>252
素人がぬけぬけと・・・
254無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 22:39

                _∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
     デケデケ      |                         |
        ドコドコ   <  劉備は逝ってよし曹操逝っち
      >
   ☆      ドムドム |_  _  _ _ _ _ _ _ _ _|
        ☆   ダダダダ! ∨  ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
  ドシャーン!  ヽ         オラオラッ!!    ♪
         =≡= ∧_∧     ☆
      ♪   / 〃(・∀・ #)    / シャンシャン
    ♪   〆  ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
         ||  γ ⌒ヽヽコ ノ   ||
         || ΣΣ  .|:::|∪〓  ||   ♪
        ./|\人 _.ノノ _||_. /|\
血液型なんか予想して楽しいのか?
>>255はO型
>>247
既に劉虞擁立を失敗しているのに今更献帝を擁護したって、
献帝は袁紹に素直に従わないし、袁紹は董卓の献帝擁立反対の
立場なんだから大義名分も成り立たない。

袁紹サイドから見れば先を越された云々以前の普通の選択なんだけどね。
まあここらへんから袁紹の戦略が狂い始めたってのは同意だが、
あくまで決定打は官途での戦術的敗退かと。
>>179
もし董卓が暗殺されなければ


呂布が長安から脱走しない
     ↓
呂布、陳宮による兗州乗っ取りが発生しない
     ↓
曹操が史実より早く勢力を拡大し、袁紹・袁術に実力で上回る

という可能性はないか?
>>258
陳宮が乗っ取りを起こさない理由は無いが。

っていうか徐州もギリギリの戦いだったよな。
戦略的には普通ならもう再起不能なぐらいなのに
そこを戦術で乗りきるのが曹操の凄みだな。
260無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 00:01
董卓暗殺後と同じように混乱が起こる
261無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 18:09
>>257
それを言ったら曹操も孫堅も連合軍には加わっていたわけだし…。
262無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 20:45
>>192
> >>189
> 結果的に敗れたけど、袁紹の作戦能力は悪くないよ。

悪くなければ、なんで壊滅的損害を出して敗れたの?
しかも、なんで作戦立案中に自分の参謀達を投獄したの?
帷幕の中で異論を唱えただけで投獄だの、将軍としての資質を疑わせるに足る事件だと思うが。

>大軍擁して圧殺するなんてぶっちゃけ最強の兵法。

最強でもなんでもなく非効率の代表。「大軍の方策無し」の典型。
当時は重火器の時代ではなく、槍や剣での接近戦がメインの時代なのだから
雲霞のごとき大軍を生かすには、多方面作戦を取るのがベストだった。
集中させて、同時に前線に注ぎ込んだところで、戦闘に参加可能なのは一部に過ぎず
残りは後続として待機、しかも当時の劣悪な輸送技術(馬は少なく人力車が過半)では
部隊が一箇所に集中すればするほど、食料や水の確保は難しくなり、補給の負担は増大。
当時が人口激減説があるほどに大食糧難だった時代であったことを考え合わせると
、これらの要素による士気低下の誘発を防止する為には、余程の合理的な補給プランが
必要だが、実際には記録によると袁紹の兵士達は泥水雑草の類を啜って飢えを凌いでいる有様だったという。
案の定、補給面での弱点を曹操は見事に衝いている。

当時の文献(三国志・後漢書・魏略・英雄記等)は、曹操のライバルや敵であった劉備も孫策も孫権も
非常に好意的な評価がされているが、袁紹に対してはどれも酷いよ。
私の知る限りにおいて一つとして袁紹を酷評しない文献はないくらいだ。

結果においても事前評価においても、袁紹は「凡庸な中の優秀」だったに違いない。
董卓が存命程度の条件くらいでは、大筋として史実同様何らかの形で袁紹は
曹操に圧倒される展開になったろう。
263無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 21:11
>>257
正史の「三国志」袁紹伝を読み返すと劉虞擁立に失敗後、冀州を手に入れた袁紹は沮授の策を良しとして「上奏を奉り監軍・奮威将軍に任じた」とある。
この上奏文は一体、誰宛てなのか?
ついでにその次の文は董卓が袁紹と公孫瓚との和解のために勅使として胡母班を派遣するのだが、董卓の死の前…西暦だと191年頃には袁紹が献帝即位を認めていたことになるのではないか?
だとすれば、献帝が長安を脱出した時点での袁紹が献帝を擁立出来ない制約は事実上存在しないし、逆に本来なら三世四公の袁氏だからこそ擁立の必要性もあったと思うのだが…。
>>262
>悪くなければ、なんで壊滅的損害を出して敗れたの?
曹操の大博打が当たったから。まぐれに近い許Uの裏切り無しに本当に勝てた?
因みに官途の負けの後もまだまだ余力はあったよ。八万生き埋めにしたとか
書いてるけど曹操の兵が一万とか書いてる時点で官途の兵数についてはアテに
ならん。
>作戦立案中に自分の参謀達を投獄したの?
臆病者はこうなるぞって見せしめるためだろ。それで士気が向上するなら最高じゃん。
見方を変えれば部下を殺す事も出来ないような弱体且つ意志薄弱な奴じゃないって事。
決戦に踏み切った事自体も間違いとは言えない。あのまま曹操をほっとけば袁紹は
後手に回らなきゃらなないんだから。
>多方面作戦を取るのがベスト
兵力の実数は倍も行かないのに多方面作戦じゃますます本陣や兵糧の護りが薄くなるが。
言ってる事矛盾してるぞ。大軍を集中する戦法は相手にとっては倒しても倒してもキリ
がない非常に嫌な戦法だしな。
>実際には記録によると袁紹の兵士達は泥水雑草の類を啜って飢えを凌いでいる有様
>だったという
どこの記録か知らないけど後漢書では兵糧難は曹操の方だが。
それとも烏巣燃やされた後の話?それは供給プランの問題じゃないぞ。
>袁紹を酷評しない文献はないくらいだ
袁紹宅には客人の車が満車状態で押し合い圧し合いするぐらいだったとか
身分に関係なく人に接して非常に人望があったとかそういう記述は無視?
一族の縁の無い土地で一代にして四州を統一したという実績も無視?
しかも河北といえば南陽と並び劉秀が拠点とした土地で、袁家の二人が
それを手にしている。この時点で曹操よりもかなり具体的な戦略があった
ように見えるのだがそれも無視?
>何らかの形で袁紹は曹操に圧倒される展開になったろう。
結果論を予定調和のように語るとは・・・せめて具体的な展開を想定して
言って欲しいもの。
劉備、孫策、権の三人を暗愚に書く訳にはいかんだろ
じゃあ、魏は暗愚が立てた国すら潰せなかったの?って話になるんだから
魏から禅嬢を受けた晋からしてみればさ
袁紹の人物評や事跡は始めのうちは結構評価良いのに曹操と対立した途端に全て
マイナスイメージで語られてる辺り、かなり作為的なものを感じる

戦術面とリーダーシップの強固さで曹操>袁紹というのは同意だが。
>>265
孫策は暗愚一歩手前って所じゃないの?
当人が死んだのも歴史上の必然だし、
孫権が有能じゃなきゃ早晩崩れてたでしょ、呉なんて。
268無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 12:45
>>267
戦バカだけど、暗愚ではないだろう。
必然ってのはつまり、人間長い目で見ればみんな死んでる
ってことか?
勇猛だが反面粗野ってことだろ。
若さゆえの強さと脆ささ・・・
>>268
だから一歩手前なんだよ。
273無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 21:11
>>267
>孫権が有能じゃなきゃ早晩崩れてたでしょ、呉なんて。
孫権より、周瑜などの配下が優秀だったのだろう?
配下が有能なだけじゃ、すぐに君主に発言力がなくなって、
一代持たずに禅譲ですよ…っていうか一部の孫堅に恩が有るとか
特に義理堅い奴で無い限り君主を立てとく必要が無い。
>>273
それも十分に考慮されるべきだが、
やはり孫権が一番だよ。
継承直後の動乱〜赤壁の戦い〜荊州争奪戦を経て
気が付いたらお飾りではないれっきとした君主になってるし。
あんな荒れ放題の土地を開拓して河南文化を広めた功績はでかい。
外交的にも手練手管で曹操、劉備の手玉をとったし。

まあ、晩年、その指導力も衰えが見えていたが。
後継者争いも在地豪族の影響力排除政策のための出来レースだった
という意見もある。(さすがにちょっと眉唾だけど)
周瑜は、孫堅に恩があって義理も堅かったそうだよ。
孫権は、周瑜から教育を受けて成長したらしい。
もし周瑜がいなければ、孫権は有能な配下に禅譲を迫られていたであろう。
凄い電波飛ばしてるな・・・。
らしい、そうだよ、もし、あろう
278無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 21:34
>>277
>らしい、そうだよ、もし、あろう
そういう言い方は、たしかに電波的だが
しかし、言ってることは正論だよ
孫氏は部下の呉の四氏(朱張陸顧)の方が家柄がはるかに上だから
孫策が死んだ時点で乗っ取られてもおかしくなかったし。
>>277
やたらと断定する奴も電波だしな
できれば適当に典拠を入れてくれた方が参照しやすいんだけどな。
282無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 21:49
>>279
>孫策が死んだ時点で乗っ取られてもおかしくなかったし。
乗っ取られずに済んだのは、周瑜の功績だよ。
283無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 21:57
そういえば、孫権が後を継いだ時、一族の反対があったのではなかったか?
284無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 22:05
もし孫策が死んだ時点で周瑜がいなかったら、呉はどうなったのだろう?
>>284
豪族が勝手に曹操と独自に同盟結んだり逆に袁招に付いたりで
統制とれなくて目茶目茶とか。
286無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 22:30
>>285
孫権の発言力がなくなって、数年しか持たずに禅譲だったとか?
>>282
一体なにを根拠にしてるのか判らんが、
呉の家中でもっとも発言力があり、権威があったのは張昭だ。
張昭がいたからこそ呉が纏まったとみるべきでは?
現に孫策死後、孫権を励まし続けたのは張昭だし。
>>287
乗っ取られずに済んだのは、張昭の功績ですか?
>>288
孫策死後は孫権、周瑜、張昭のどれか一人でも欠けていたら
そのうち瓦解していただろう。
290無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 23:55
曹袁対立が長期化したほうが、呉には有益だったはず
291無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 23:57
>>289
あと、魯粛がいなくても瓦解していただろう。
>>291
全くもってそうだな。
ほんとーに、呉は薄氷の上に乗っかっていたんだなぁ。
293無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 00:04
>>292
当時は、劉備軍だって似たようなものだよ。
>>293
ありゃ国というか、政権としての体裁すらないじゃんか。
295無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 00:50
劉備…個人商店の店主
孫権…株式会社の社長
曹操…独立国家の元首

現在に置き換えたら、こんな感じでしょう?
296無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 04:31
>>289
両方じゃないの?
周瑜が死んだ後、呉の最高責任者は張昭と(外部からは)見られていた。
(ソースは「文選」にも載っている建安七子の阮瑀が曹操のために書いた降伏勧告で孫権に対して「劉備と張昭が呉を(曹操との戦いという)誤った方向に進めている」と2人を処刑するように勧めている。
スレを読んで
孫策が戦バカぐらいにしか思われていないのに
真底びっくりした
>>295
曹操…大手のオーナー
劉備…大手の労組会長
孫堅…大手の部長
孫策…ベンチャー企業の社長
孫権…中小企業の二代目社長
戦馬鹿には間違いないと思うぞ
300無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 12:35
>>297
かのワシントンだって実は戦バカ。
暗愚手前って一つ書いてあるだけで過小評価はされてないでしょ孫策。
ただ戦馬鹿、軽率だったのは事実なわけで。
それに話は孫策死後だし。
まぁ、瓦解はありえたが、乗っ取りはありえないだろうと思う
東晋を迎え入れた顧栄をみるに
誰かに頭になってもらうのが彼らの基本方針だろう