三国志武将っぽい漢字を武将にするスレ 

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馬刺(バサシ)???〜228
 魏の将。馬超の従兄弟。渭水の戦いで曹操に敗れた後、
曹操軍に降伏、馬超と袂を分かった。
諸葛亮の陳倉攻めの際、赫昭を矢の雨から守って戦死した。
2
3無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 17:10
陰部(インブ)160〜223

 字は剛毛。蜀将。その剛勇は天下に鳴り響くほどだったが、
異常な性癖があったとされ、不遇のまま永安で没する。
正史には登場しない。
>>3

>正史には登場しない。

当たり前だw
巨乳(キョニュウ)208〜241
 魏の将。主君の妻の乳を揉み、曹操に「巨乳は一身之胆也」と言わしめた。
その後、処刑される。
61:04/06/25 18:02
あげ
最後は「正史には登場しない」で締めるのが通だな。

通じゃねえよ。

(自作自演で2レス分を使うのが無駄なので1つにまとめました)

8無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 18:10
亜凡 (?〜208)

字は逝良。赤壁の戦いに従軍した荊州の少数民族の長。
曹操が陣中視察の際、あまりの隊伍の整然たるさまに
嫉妬を覚え、指揮下の100名の徒と共に長江へ流す。
『曹瞞伝』中にのみ記述がある。
来々(ライライ)195〜254
 蜀の将。厨房担当だったが張嶷に才を見出され、腹心となる。
「来々軒」なる中華料理屋は全て彼の子孫といわれる。
王甫に「杓子さばきはこれ来々にあり」とまで言わしめた。
于歩
魏の武将。字は良男
曹操の寝室に入ることを許された数少ない武将
そこで何があったかは正史・演技共に伝わっていない
11無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 18:59
男根(ダン コン)199〜240

 字は勃起。呉の文官。蜀漢との和議をまとめきれず、
また、横領も発覚。宦官にされた。これをこの上なく恥じ、憤死する。
異常な性欲でも有名。
12無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 19:05
夏侯門(カコウモン) ?〜?文武に優れ幼少の時には郭嘉の再来と言われた。だがあまりの体臭の臭さに曹丕は登用しなかったと言う。正史には登場してないが、真・三国無双2猛将伝の隠しキャラとして存在するが、今だ発見されずにいる。
13無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 20:47
落福祉(オチフクシ)198〜210 字は合 呉の名門、落家の長男 名門生まれで将来を約束されていたが、いかんせんわがままで、家のお手伝いさんに撲殺され短命に終わる。
>>13
オチフクシってなんだ?素で分からん・・・。
陳珍 字不明
若い頃、陰部と義兄弟の誓いをする。
陰部の参謀として活躍するも、陰部が亡くなると後を追うように病に倒れる。
16無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 20:59
>>14 たぶん落合の息子、ふくし君のネタじゃ?
これの事でしょ?これって言うかこの人。俺はすぐ分かったよ。
http://wn.31rsm.ne.jp/~kuriken/column/maturi/fukushi.jpg
>>11
直接的杉w
19無名武将@お腹せっぷく:04/06/25 21:19
>>17 ワラタ
直接的杉(チョクセツテキスギ)201―246

南蛮の洞主のひとり。孟獲に従い蜀の南蛮攻略軍と戦うが
馬岱に捕らえられた。諸葛亮に許され再び自軍に戻ると孟獲の尋問を受け、
「諸葛亮と違ってお前は細かいことにこだわるよな。」と
思っても誰も言わないことを口にしたため、その場で切られた。
陳菰 (チンユ)193〜226

字は不明
あの陳平の子孫。
しかし陳平よりもさらに素行が悪く捕まり処罰される。
22無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 00:27
受信(ジュシン) ??〜??

字な陪武(バイブ)。栄融郡の人。
その恐るべき情報収集力により、名立たる猛将達の尻ポケットをも震撼させた。
便意の戦にて曹操が脱衣した際に過って厠に転落し、死亡。
侯蘭(コウラン)??〜??

字は栖甜(セイテン)
魏の将、西域地方に勢力を張った『雁賦(カリフ)王国』の王子
祖国が魏に柵封を受け使者となり、そのまま客将として留まる
蜀伐に歴戦し魏の将と共に目覚しい活躍をし安西大将軍に昇進した
また進んだ魏の制度を学び、内政にも従事し、一時期漢中太守を勤めた
後に曹爽一派専横、司馬氏によるクーデターを経て祖国雁賦に帰郷し即位し
イブン・アラシード・コーラン4世となる
その後中国を統一した晋と国交を結ぶが五胡進入時はそれを無視し晋滅亡後
西域利権の為に諸王朝と争った
24無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 02:15
魔羅(マラ)198〜225
帯来洞主の一派。
孟獲に騙され諸葛亮へ単身突撃。
従軍慰安婦に踏み潰される。

少年時代は帯来の男娼
25無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 06:18
仮性(カセイ)???〜219

 字は包茎。後漢の臣。車騎将軍。霊帝の信頼厚く、
仮性もそれに答えよく助けたが、曹操の謀殺計画が露見し、
一族ともども皆殺しにされた。
 演義では陰部・陳珍の宿敵として描かれている。
なんか下半身多くね?w
陳琳(チンリン)214〜269

字はジョイトイ。程魯(ていろ)の配下。建安七子の一人である陳琳とは別人である。
正攻法の戦略よりも、機略に富んだ奇襲作戦を得意とした。
獲櫓(えろ)と呼ばれる松茸に良く似た形の武具を好んで用いたと言われる。
また、程魯の軍は黄巾族、五斗米教と同じく、宗教を母体とした
軍団であった。程魯のあまりに急進的で偏った考えに賛同した
武将が多く、彼らは闘いの場において相手の軍に酷く恐れられたと言う。
ちなみに、現在の「テロリスト」「テロリズム」という言葉は
この程魯軍が語源であるとする説もある。
なかでも陳琳は、獲櫓を振り回すその鬼神のような姿から、
獲櫓程魯同士(えろてろりすと)と呼ばれ、恐れられていた。
28無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 09:41
まあ・・・いいんじゃね?
29無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 11:33
円楽号(エンラクゴウ)
201〜?
魏の武将、楽太郎(ラクタロウ)の愛馬。二歳馬の時にスピ、スタ、根性のコメントが聞かれた。のちに骨折時、楽太郎自ら薬殺したと言われてる。
張子虎(チョウシコ) ??〜197

張繍配下の武将。容貌魁偉、身の丈六尺五寸の偉丈夫で、
その勇名は天下に轟いていたが、宛城の戦いで曹安民に一撃で葬られた。
以来、外見がいかめしいが内実が伴わないものの代名詞として「張子虎」が用いられるようになった。
毛沢東が「アメリカ帝国主義は張子虎である」と言ったことは有名。

                           『新明解三国志武将事典』(民明書房刊)
31無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 11:48
黄河(コウガ) ??〜??

黄忠の一族ともいわれるが定かではない。
たびたび反乱し、中国史に大きな影響を与えた。
阿修羅(あしゅら)???〜204

字は男爵。名医屁瑠(へる)の弟子の一人。
出来が悪く失敗ばかりであったが、屁瑠
には最も可愛がられたという。口癖に、
「申し訳ございません」「おゆるしください」
「おまかせください」「次こそはかならず」
「すでに手は打ってあります」
など多数。

後漢書「三戦伝」の204年3月の項に記載があるのが初見である。
数々の失敗にもへこたれず、屁瑠の元で医学の研鑚に努めた。
同年4月、曹操と袁兄弟の争いから身を避けて、「脱兎」村に
落ち延びたのを境に消息不明。屁瑠は嘆き悲しみ、食事も咽喉に
通らぬほどだったという。

民間伝承によると、両性具有であったとされる。
楊枝(ヨウジ) ??〜189

宦官。歯の間に詰まった食べかすを取る道具を改良した。
この道具は紙・火薬とともに中国三大発明の一つといわれる。
何進殺害後の政治的混乱の中で、袁紹率いる軍勢によって殺害された。
34無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 17:53
張喝 198〜???

字は山田。張遼の庶子。合肥で凌統・甘寧を切りつける。
手柄を鼻にかけ驕慢な態度をとることが常であった。
そのため父から「山田〜!勘当じゃぁぁ〜!!!」
と言われ放逐される。生涯許されることはなかった。
35無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 18:47
全地 字は全農 生年・没年ともに不明

出自は涼州らしい。若くして諸国を放浪して周り
壮年に達すると蜀の地でキノコの栽培を始める。
北伐を計画する孔明に請われ胞子兵器・和魯太茸の開発に成功する。
陳倉に赤β昭が篭城した際、彼の和魯太茸は用いられた。
魏軍の半数は笑い転げていたと言うが勝利に貢献することはなかった。
36無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 18:57
加工豚 肥育

夏侯惇の偽称。旗揚前、女郎買いによく使われた名前。
37無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 21:37
曙太郎(アケボノタロウ)?〜?
字は寿。乱世の関取として恐れられていたが、横綱をかけた赤壁場所にて、なんらかの戦乱に巻き込まれ火矢にて死亡。その日は南東の風が吹き荒れていたと言う。
泡 原様(ホウゲンヨウ) 生没年不詳

字は炎上。火計の第一人者であり、彼がやらねば誰がやるとまで言われた。
彼の火計は芸術の域にまで達していたが、ある時、将軍の堀内(クツダイ)の不興を買い、
前線より外された。その後、彼が戦場に出ることは二度と無かったという。

後、彼の肖像画を掲げると必ず火計が成功するという言い伝えが生まれている。

後世、彼の行動は炎の神三戒という三つの言葉にまとめられた。
一、勝敗への執着を捨てよ
一、燃え盛る炎すべてを讃えよ
一、たとえ愛する者が燃え尽きようとも

この言葉は戦場を見守る者達の戒めとして現在にも伝えられている。
39無名武将@お腹せっぷく:04/06/26 23:34
楊賢 字は零艘(236〜258)
魏の武将。荊州の生まれだと言われている。
知勇兼備の名将でをわずか2000の兵で蜀軍5万を撃破した。
だが若くして病に罹り、この世を去った。
後世の人々には「魏の霍去病だ」と言われた。
王羅瑠(オウラル)

字は口淫。南蛮王孟獲の側近。唯一、寝室に入る事を許可されていた。
孟獲が諸葛亮に捕らわれた際に諸葛亮の寝室に単身乗り込み、
孟獲の助命を成功させる。(この時に何をしたのかは分かっていない)
孟獲は「お主こそ口内天国の人である」としてますます重用したが、
諸葛亮に出会ってから数ヶ月後に喉の病気でこの世を去った。
41無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 09:31
何このアフォスレ・・・w
厳禁(げんきん)生没年不詳

厳白虎・厳與の弟。兄二人に反発し、自分の支配地域では略
奪・放火などを厳しく取り締まった。しかし、謀反を起こす
までには至らなかった。
孫策侵攻の際は中立を維持。兄らが討伐された後、孫策軍の
厳峻と遠い親戚にあたるため、彼を通じて降伏した。
許されて領地も安堵された。引き続き厳正な態度で民政にあ
たった。酒や賭博に厳しく制限をもうけたため、民の評判は
芳しくなかったという。子に厳罰・厳正がいる。孫の厳格は
「5年に1度しか笑わない県令」と噂された。
43無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 10:05
ここに書いてあるのって、皆さんひょっとして、
コーエー三国志の武将列伝を意識してる?
44無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 10:14
>>43、他にどのような表現法があるか、やってみぃ!面白くだぞ(−_−メ)
>>42はキチガイ
>>44
いや別に否定しているわけではないんだが気になった。
「正史には登場しない」とか、
コーエー三国志の武将列伝でよく見かけるので。
46無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 10:17
すまんキチガイは>>41だった。改めてキチガイは>>41キチガイは>>41キチガイは>>41キチガイは>>41
>>41は面白がってるだけだろう。
48無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 10:34
犬畜生以下

かわれな人、いや人じゃないキチガイ>>41の事。演義ではオタクとして書いてあったが、人々は破り捨てた。だってキチガイだからと
シモネタしか思い浮かばんオレはキモヲタでしょうか。
丁 黎微(テレビ)
字は放映。呉の臣。父は羅時夫(ラジオ)。情報収集が得意であった。
その速さは呉自慢の長江の情報網を上回り、孫権から
天下第一の間諜とまで呼ばれた。

壮年になってから益々その技に磨きをかけ、ますます情報の速さに加え、
その鮮明さもすばらしいものになっていったという。
死後、爵位は長男の出時多流に受け継がれた。
51無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 11:57
梨花担 

字は小裸。呉の孫策夫人大喬の侍女。
痩身であることを恥じ彼女の着る服のなかには鯉の浮き袋が入っていたと言う。
彼女は常にこのような人物であった。
52無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 12:47
寧芭柁(ネバダ)
字は興櫛(キョウシツ)

呉の臣。一瞬の隙をつき部屋を血の海にする暗殺者。
そのやり方は凄惨を極め、入ってきた教師をストレス性の精神疾患に追い込むほどと言う。
いつになっても12歳程度にしか見えず、かわいかった為、後世のファンも多い。
その美貌は陸遜、孫権の間に争いを起こし、孫権に寝盗られた陸遜は憤死した。
茶嘉(ちゃか)生没年不詳

字は保胡(ぽこ)。孟獲配下の洞主の一人。
蛮族の中でも1,2を争う酒好きであったという。酒宴で見せる派手
な踊りは彼独自の考案で、3日3晩踊り続けてなお酒樽を干したという。
蜀の南征の際は従軍したが、酒をあおってばかりでたいした働きはな
かった。講和の酒宴の際は、その踊りを披露し、両軍を楽しませたと
いう。子孫にも代々その踊りは受け継がれた。

日本の漫画『めぞん一刻』の「一の瀬のおばさん」がなぜその踊りの奥義を知っ
ていたかは不明である。


54無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 16:01
運孔(ウンコウ)   〜230

字は便座。魏将。亡き典韋を思わせる武勇で曹操に重宝されたが、
合戦の最中に便通が我慢出来なくなり遁走。そのまま行方不明に
なったと言う。
正史には登場しない。
55無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 16:23
脩 五郎

字は丼崎。蜀将。馬比べの予想家として劉備、劉禅2代に仕える。
予想が当たらないことを武器に珍重された。
しかし、あまりにも当たらなさ過ぎたため姜維に切られた。
一族は倭に逃亡。
なお、正史には登場しない。
日辺野(にっぺんの)???〜???

蜀の文官。字は美子(びし)。「野」が名である。
王平の主簿として、10字しか文字を知らない彼の秘書的役割を
こなした。日本でいう「祐筆」の走りといえるかもしれない。
当時としては異例中の異例だが、女性であった。

一説によると、かの「出師の表」を添削……いや、推敲したの
は美子であり、諸葛亮の原稿は誤字・脱字が多く、くどくどと
誤りを指摘し、諸葛亮も頭が上がらなかったという。

57無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 17:14
濡流歩(ぬるぽ)

字は雅ッ。後漢の臣。
董承らの曹操誅殺計画に加担したかどで投獄され、
曹操に頭をガッ とたたかれる。(礼儀として。)
なぜか死刑は免れる。
その後、呉に亡命し山越族討伐などで戦功をあげる。
彼は褒美の代わりに、孫権に頭を叩かれることを望んだという。
ぬるぽの中の人はマゾだったのか…
59無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 17:45
綾波(あやなみ)

字は黎(レイ)。孫権に仕える。
新型蒙衝艦の進水試験の折、船が転覆し重体となるが
一命を取り留める。戦場においては神事、惣流(どちらも呉将)らの
援護にまわることが多かったが堅実な働きで戦功を重ねる。
濡須の戦いでは董襲の副官を務め暴風雨の中、敵艦隊に突撃し
生死不明となる。
同僚には「俺が死んでも代わりがいる」と言い残していったという。
その後、平然と復帰。「たぶん俺、二人目だから」などと発言し
周囲を混乱させる。
孫権に寵愛され、寝所に入る事を許されていた。
中で何してたんだか。まったく・・・
演義には登場しない
60無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 18:40
円楽(えんらく)

建安七子から漏れた人物。理由は馬ツラだから。
っていうか馬。曹操の保有する名馬の一。
人語を理解し「ばぁ〜かだねぇ〜wお〜い山田くん(張遼)
孟さん(曹操)の座布団、一枚もってヶ!」
とか言う。
人形劇三国志には一切出てこない。
61無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 18:49
冷房(れいぼう)

劉 王章配下の武将 冷苞の子で蜀漢建国後、劉備に仕える。
常に冷静沈着で戦場では堅実な働きを見せるが
他人との付き合いにおいては冷たすぎる程であり
あまり好感を抱く者はなかった。
彼の放つ駄洒落は周りの人間のテンションを一気に下げたという。
劉禅に冷遇され失意のうちに自ら人生の電源を切る
62無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 18:51
>>57
ガッ
63無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 18:53
羅麺(ラーメン) 175〜231

字は棉磨(メンマ)。タク県の人。魏将。
呂布討伐の際、凍死者が続出の陣にて、茹だった塩味の湯に麺を入れて食す
ことを提案。曹操に認められた。

後匹夫により蜀にも伝えられたと言うが、これを食した諸葛亮が「魏、侮り
難し」と感嘆したのは有名。
尚、演義には記載がない。
全特(ゼントク) ??〜??

後漢末の政治家。

漢に帰服した匈奴の中には、その騎馬能力を買われて王朝の運輸・通信に携わる氏族もあった。
明帝代に臣従した前島密単于とその一族は、中華各地に定着し、津々浦々に駅逓を設けた。
かれらがいわゆる郵政族で、和帝から「全」姓を与えられた。

全特は、「郵便局」の制度を定め(「特、郵便局を定む」――『後漢書』郵政志)、
各地の豪族と結びついた。通信の独占する彼らは大きな権力を持つことになり、
外戚・宦官・郵政族三つ巴の権力抗争が繰り広げて政治に介入した。
黄巾の乱後、安喜県郵便局の貯金保険課長になっていた劉備が
勤務中の政治活動をめぐって督郵(地方の郵便局を監督する官吏)ともめたエピソードは有名である。

全特は郵政民営化を主張する曹操に反対し、袁紹を支援したが、
袁紹の滅亡後力を失い、郵便局は民営化された。
別解・三国志演義ができそうだね。
66無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 20:10
孫正義

字は嫌風。呉将。
呉の民衆にただで物品を配り、見返りに得た個人情報を
魏に売り渡していた。その金で多数の兵や組織を買占め
力を拡大したが、不慮の事故で死亡した。
なお、正史には登場しない。
出 仁威(デニイ)

字は友利(トモリ)、呉の将。
異人の父を持つ。幼少時代は、かなりの労苦を強いられた。
蜀によって登用されるが、その時は才能開かず、彼は新天地を求めた。
その後、彼は花開き、再び蜀によって登用される。

彼が蜀に戻ってきて初めての年、彼は前線で主に敵軍を食い止める役目を負っていた。
抑えるときは抑えていたが、時々派手に負け戦を喫するという成績であったが、
しかし、蜀帝劉禅は絶大な信頼を置いており、そのため彼は何度も戦場に立ち続けた。
素晴らしいスレだな。
どんどんレスがつくし、荒らしもほとんどない。
内容もおもしろ杉w

>>1が控えめなのがまたよい。簡潔にして明快な
手本を自ら示してもいる。
思いつきそうで実際にはなかったスレ、1の功績は
多大であるよ!
是非、ずーっと続いて欲しい。1よ、ありがd!

……というわけでそれがしも。

陳珍(ちんちん)生没年不詳

蜀の庶民。字は玉玉。>>15の陳珍とは同じ蜀だが別人である。
簡雍が劉備との散策の折り、禁酒政策についてうんぬんして機
知を示したきっかけとなった、あの通りすがりの一組の男女の
男のほうが、実はこの陳珍であった。
これがきっかけで劉備に名を問われ、庶民ながら史書に名を残
すこととなった。ただし、まったくそれだけである。その後、
どんな人生を送ったのか、「そのための道具」(詳しくは簡雍
伝を参照)をどう使ったかは不明である。
>>57の字にワラタ
美妙杉w
>>67
「劉禅とともに苦難を乗り越えるスレ」
のキョーイにしか見えないのだが
そこの出身の方ですか?(笑
71無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 22:34
アゲ
72無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 22:34
平凡(へいぼん) 字不明 生没年不明

劉表家臣常に危なげのない戦をしたのがめったに勝てないので
劉表から「軍止柵」と称される。
内政にいたっても可も無く不可もなく目立たない存在だった。
劉備尊敬者で劉表死後劉備配下となるしかし長坂の戦いの際劉備を逃がすため
敵陣に単騎突入その後の行方は知られていない。
魏に投降し目立たない内政官として一生を終えたとも単騎突入して討ち死にしたとも言われるが
真相は不明
現代ある平凡という言葉は彼が語源だとも伝えられている
正史には登場しない
劉損(りゅうそん)180(?)〜285(?)

幽州の人。字は不明。自分も劉姓で生家が貧しく出身地も
近かったことから、自分も劉備のようになってやろうと莚
を織りつづけた。

そのまま莚売りで一生を終えた。

                後漢書「民草拾遺伝」より



孫権(そんけん)

字は厨房。蜀の文官。
呉の皇帝と同名だが別人。
とにかく挙動が子供のようで
評定でも相手にされなかった
架空の人物作れってんじゃないんだよ

もっと下ネタだせヴぉけ
二張(にちゃん)

二張は字を博之(ひろゆき)といい、幽州魚陽郡の人である。
その先祖は倭から渡来してきたという。
彼は幼少の頃より人を惹きつける力があり、村中の人々が
競って二張と話そうとした。二張は一度に百人までの話を聞き取ること
ができたという。そのため彼は「豊耳児」と呼ばれた。
禿同(はげどう)生没年不詳

蜀の文官。字は不明。郭攸之の後任の侍中。
郭攸之に輪をかけておとなしい性質だった。
議論の際も他人に同意するばかりで、およそ
自分の意見を表に出すことがなかった。
わずか数ヶ月で罷免された。

弟の禿藁(はげわら)は武官として知られ、
軍を和さしめること、尚寵に次ぐものがある
と言われた。官位は笑軍中郎将にまで昇った。
金銭(キンセン) ??〜??

荊州の隠士。字は摩寧(マネイ)。金旋の叔父とも従兄とも言う。
若き日に天下を回ってその名を轟かし、群雄たちから仕官を渇望されたが、そのすべてを断った。

董卓は野に隠れた金銭を求めて捜索隊を派遣したといわれ、
王允は「漢朝に金銭あらばこのようなことにならなかったものを」と言って息絶えたといい、
袁紹は「なにをするにつけても、まず必要なものは金銭」と言ったという。
曹操も劉備に「天下の英雄は君と余だが、金銭がいなければ話にならない」と言ったとか。
劉備が、金銭を得られなかったことを嘆いた故事(金欠の嘆)はよく知られる。
諸葛亮も出師の表の末尾に「それにつけても金銭のほしさよ」と記し、
晩年の孫権は「金銭じゃ金銭じゃ、金銭を探せ」と喚いて、
「君主たるもの、これほどに金銭に執着するとは」と陸遜を憤死させたという。

死後は商業の神として祭られた。
79無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 06:38
宇世禿(ウッセーハゲ) ??〜203

字は頭羅(ズラ)。出生地不明。
一時期蜀で文官をしていたが、何の評定においても余計な口を叩いて
反感を買い、彼をひどく恨んだ同僚に斬られた。
頭髪がまるでなく、常に艶々と光っていたため「円光頭」ともあだ名された。
尚、演義に登場する呉将、育毛(イクモウ)の従兄弟であるとも伝えられる。
80無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 09:27
演義で育毛なんていねーじゃん・・・
「演義」「育毛」でググっちまったよ・・・w
横山光輝(170年−2004)
兵庫県出身。歴史家。漫画家。
185年、単身大陸にわたり、各国を渡り歩いた。
大陸で見聞きした内容を「音無しの剣」「鉄人28号」
「三国志」「魔法使いサリー」「バビル2世」
などの書物にまとめ、日本に伝えた。
82無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 09:59
>>81
光輝は焼け死にました
眼鏡(ガンキョウ)160〜204
 呉の将。湖族だったが、孫策の挙兵に呼応し恭順する。
常に異様な仮面をかぶり、魏に「鬼眼鏡」と恐れられた。
仮面に関しては、視力矯正のためとも、焼けどを隠すためとも言われている。
赤壁の戦いの際、楽進に討たれた。
陳宝(チンポウ)177〜200
満侯(マンコウ) 180〜201
魏の人。
陳宝は字を打性(ダセイ)といい、満侯は区性(クセイ)という。
二人は非常に仲が良かったため、周囲は彼らを称えてその字から「性の交わり」と褒め称えた。
建安5年、斥候を率いた際、流れ矢が陳宝の下腹部に当たりその傷がもとで死亡した。
陳宝の死を聞いた瞬間満侯は憤死した。
翌年2人は雲侯と諡された。
肩甲骨(ケンコウコツ)???〜???

 孟獲配下の将。大斧の使い手で、
馬岱と一騎討ちで五分の戦いを繰り広げた。
正史には登場しない。
>>85
 肩から腰にかけての筋骨が異常に発達していたという。
楽典(ガクテン)

魏の臣。曹操に重用され、音楽理論を纏めるなどの功績を残したが、
清廉で融通の利かない性格が憎まれ、讒言により殺された。
正史からも抹殺されたが、日本ではいまだに音楽の神様として崇拝
されている。
小泉(ショウセン)

後漢末期の臣。黄巾賊討伐を口実に軍備拡大を図り、私腹を肥やした。
冷酷で血を好む性格であったが、なぜか民には根強い人気があったようである。
何進殺害後の政治的混乱の中、髭が無かったため宦官と間違われて殺された。
陰毛(インモウ)195〜270
 陰部(>>3)の子。蜀の将だったが蜀が魏に併合されると隠遁する。
後、司馬氏が晋を建国すると見出され、治安維持などに貢献した。
 体毛が異常に発達していたという。
参菱(サンリョウ)155〜191
後漢末の馬車製作職人。相国董卓が乗るための馬車を製作したが、悪路にて車軸が
折れて董卓の怒りを買い、処刑された。

武将じゃないな、スマソ。
91無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 14:51
不沈(フチン)230〜294

 北方民族の長。おそらく「プーチン」の漢名。
 魏の時代は度々領土を侵したため、晋は柔和政策を取った。
 野心多く、晩年は再び晋に対して反乱を起こすが、
軍事力の差はすでに大きく開いており、奮戦もあえなく雪原に散った。
考えるの難しいのに、このスレ結構進行早いなw

っと礼拝の時間だ。
>>25
一騎討ちの名乗りの際に、
「我は仮性包茎也!」と叫ぶのか?w
なんかカワイそうだな…。
94無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 15:13
吉本(よしもと)

字は新喜劇。後漢の臣。乱を起こした人物と同じ名(吉本=きっぽん)
だが別人。冗談、駄洒落が得意であり、帝に気に入られる。
ピン芸人として一世を風靡するが魏が建国されたあたりから
彼の人気は下降、人々の記憶から消えて行き失意のうちに
道頓堀に身投げした。彼の死を悼む一部のコアなファンが
追随したという。
彼が身投げした日、阪神は甲子園で19年ぶりのリーグ優勝(略
95無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 15:36
怒武(どむ)

字を陸句(りっく)といい魏の武人で弓馬に優れていた。
曹操旗揚げ当時からの功臣であり騎馬を率いて
数多の戦場を駆けた。騎馬による奇襲攻撃を得意とし、
曹操をして「怒武是神速也」と評させたほどである。
赤壁の戦いの前年にその才を惜しまれつつ37歳で
逝去し黒三連侯と諡される。
彼の率いた騎馬隊は「慈怨」と呼ばれた精鋭騎馬隊として
下流(げる 字は愚愚)に受け継がれていった。
96無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 15:45


57 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/06/27 17:14
濡流歩(ぬるぽ)

字は雅ッ。後漢の臣。
董承らの曹操誅殺計画に加担したかどで投獄され、
曹操に頭をガッ とたたかれる。(礼儀として。)
なぜか死刑は免れる。
その後、呉に亡命し山越族討伐などで戦功をあげる。
彼は褒美の代わりに、孫権に頭を叩かれることを望んだという。

>>967
ガッ
98無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 18:56
窪洋介倍(クボヨウスケベ)
?〜215
魏の仙人。歌や詩に優れ、あの曹植までもが、彼の前ではひれ伏したと言う。彼の代表作『空も飛べるはず』は、彼の嫁ノン単の子供が自分の子じゃないと判明し発狂して遺書として書かれている詩である。彼は本当に空を飛んだが、すぐに落下したと目撃者は語る。
なんかホントにいそうなのがあるねw
幕度(マクド)???〜200
 曹操軍の幕下。官渡の戦い直前、袁紹軍に埋伏の毒として侵入。
食料に大量の毒を仕掛け、袁紹軍を大いに弱らせた。
それにより曹操軍は大勝を納めたが、行動が露見、処断された。
倭に移ったとの記述もあるが、定かではない。
101無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 20:06
>>100
幕度をマクドって発音するのは中国関西部なんだよね
関東部では「まっく」って発音するのが正しいんだって
102無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 20:14
マクドだって(´゚c_,゚` )プッ
お里が知れるとはこの事だな
103無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 20:32
これってもう知らない人の方が少ないよね。
104無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 20:39
孫悟空 ???〜???

孫策の頃から仕える老臣の1人。
元は捨て子であったが孫堅に仕えていた孫悟飯に拾われ、猛将と言われるまで成長。
学問には優れなかったがその絶大なカリスマ性と武術の腕から人に慕われた。
指揮官としての能力は皆無で自ら敵陣に突っ込むことでも有名な武将。愛馬は筋斗雲。
息子の孫悟飯(義父と同名)は文武両道の武将として、その弟の孫悟天は無類の女好きとしても有名。
孫悟空の率いた『絶斗(ゼット)戦士』部隊は呉軍最強の歩兵部隊として戦場で駆け回った。
演義、正史、ともに登場はしない。
韓国(かんこく) 生没年不明

字は半島。韓玄の従弟だったが公孫サンに仕えていた。
袁紹との戦いで主君を裏切って情報を横流しにして、袁紹の元に亡命する。
しかし重用されなかったので再び袁紹を裏切って曹操の元に袁紹から盗んだ技術を提供して亡命を許される。
この後、金の横領の疑いで尋問を受ける。
この時、言い逃れをしようとして曹操の怒りを買った為、雑兵に見を貶められる。
後にある程度出世して軍団長にまで再び上り詰めたが、戦で敵軍に罵声を浴びせられて憤死した。
細かいこという連中のためにも、100に代わって俺が修正してやるか

末玖(マック)、字は倫牧(リンボク) ???〜208
 幼少時、山越に誘拐され武将として育てられる。のち孫権に帰順。
自己を過大評価する癖があり、初陣時に「戦果は腐るほど挙げられるか
ら、今回は恩賞は要りません」と言ったが、過って味方に突撃し敗戦の
原因に。その後赤壁の戦いにて黄蓋の副将として随従したが、脱出に失
敗して豪快に炎上死。正史には一行、「辞退新人王者」との記述がある
のみである。
マックなんて気取りすぎ
略すんならマクドまでいれタレや by 松本人志
  /;;;;;;;;'''''''''''''''V''''''''';
  |;;;;;;;;」        !
  |;;;;;;|   ━、 , ━ i
  i 、'||  <・> < ・> |
  '; ' |]     ' i,.       マクドや しばくぞワレ
  ノーi ::::::   ._`ー'゙ ..! 
イ i  ゙t:::::::、'、v三ツ::;'   
   !.  ヽ,.:::::゙::::::::::::/ヽ、
   ヽ、  ':.、:::;;;;:/ |  ゙ヽ、

109無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 21:04
気取ってるとかじゃないんだけど・・・
110無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 21:21
>>109気にするな。厨房のたわごとさぁ。頭おかしいからマジで、あいつら。
111無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 21:22
清原(せいげん)

清原は字を番長といい、瀬李異郡巨人県の出身。
若いころから並外れた膂力で近隣の村にその名を知らしめていた。
彼は友人の桑田(そうでん)と共に侠者集団を取り仕切っていて
地方官吏からも一目置かれていた。
後に程cに推挙され桑田と共に曹操に仕えることになったが
孫権に母親を人質に取られ已む無く彼に仕えることに。
勤続10年で自由仕官権を取得、孫権の元を離れ
晴れて曹操の下へ仕官する。
10年ぶりに再会した桑田と清原は互いに涙を流し
再会を喜んだという。
彼らの友情を評して「竹馬の友」という言葉が生まれた
112無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 21:35
科蓄(しなちく) 180〜234

字は成斗(ナルト)。タク県の人。蜀将。
筍取りの名人であり、北伐で食糧不足に陥った際、
配下20人余りを連れて姿を消し、ものの半刻で10万本の
筍を持ってきて孔明を驚かせた。
尚、>>63の羅麺の従兄弟であると伝えられている。
間愚淮(まぐわい)生没年不詳

後漢の下吏。
後漢末期、自らは性行為を行えない宦官の代わりに、
彼らの妾と交わる下級の官吏がいた。宦官はその行為
を眺めて歪んだ性欲を満たした。また、養子を得るた
めに利用する場合もあったという。
その宦官の一族が任命されることが多かった。役職名
は残念ながら伝わらない。間愚淮はその下級官吏で唯
一記録にその名が残った人物である。中常侍・趙忠の
縁戚だったという。間愚淮のまぐわい振りは猛烈で、
趙忠は奇声を張り上げて喜んだという。十常侍誅戮後
の消息は不明である。
114無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 21:41
蓮池(れんち)

字は透(とおる)。甲信越郡新潟県の出身である。
魏の武人。対朝鮮半島の重鎮として遼東一帯を治める。
兄の薫が高句麗軍に拉致されるも自ら騎馬を駆り一軍を率い奪還してみせた
高句麗の使者と面会する際、自慢の仏頂面で相手を威圧し、
曹操に謁見する際ですら仏頂面は変わらなかったという。
あろうことか曹操の判断に対して「非常に不快」と言い放ったという。
のち、公孫淵の意に背き処断されるが死を前にしてなお
「非常に不快です」「共産党、社会党の方、何か言いたいことがあれば
行ってきてください」などと仏頂面で悪態をついていたという。
115無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 22:03
陰歩(いんぽ)

陰歩は字を天津(てんしん)といい、後漢の宦官である。
彼は勃起障害であったのを理由に男根を切り取られずして
宦官として認められた唯一の宦官といえる。
しかし数年後、後宮の女達をみて突如欲情し
彼の中の男が目覚めてしまった。
数年間の鬱憤を晴らすかのごとく、女という女に手をつけた彼は
車裂きの刑に処された。
死の際の言葉は「人生びんびん!」だという。
116無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 22:11
だれか武酒(ぶっしゅ)作って
偶倫(ぐうりん)

字は臨済(りんぜい)。魏の臣である。
異民族出身の将であり、遙か東方よりやってきた。
東方でもそこまで名の知られた将ではなかったが、無傷で城を守るという功績を
魏の士に目を付けられ、魏に推挙された。

その後は、常に前線に立ち続けた。
彼の得意とする戦いは敵を自陣へと引き込んで一気に殲滅するという戦いであり、
その戦法に敵はそのうち戦意を失ったという。
さらに、彼は攪乱の達人でもあり、非常に頭脳的な攻め方をした。
だが、見ている他の将は心臓に悪く、そのため曹操も頭を何度も痛めたという。

なお、正史には登場しない。
118無名武将@お腹せっぷく:04/06/28 22:56
甲羅(こうら)

字は古歌(こか)。魏の臣。元は従軍調理師だった。
官渡の戦いで淳于瓊の陣に潜入し、自ら開発した黒い飲み物を広めた。
その黒い飲み物は外見とは裏腹にとても美味で、また当時は貴重な甘味だった為、多いに流行ることとなる。
だがこれを飲んだものは中毒症状を起こしてそれ無しではいられなくなる。
やがては歯が黒ずんでボロボロになり、肥満症状をも引き起こす。
結果、ボロボロになった兵糧庫は曹操軍の手によりいとも簡単に陥落してしまった。
しかし、本人も中毒症状を起こして数年後に死んでしまう。
彼はこの飲み物の決してこの飲み物の製法を明かさなかったという。

なお、正史には登場しない。
魏志(ギシ) 189〜260

字は子安(シアン)。右扶風の人。魏の大鴻臚丞。
239年、卑弥呼から派遣された使節を応接したことで日本では知られている。
『三国志』魏書の彼の伝(「魏志・倭人伝」)に、邪馬台国が登場する。

しかしながら中国の大衆文化史上でかれが有名なのは
若い日に隣の若夫婦の夜の営みの声に苦しんだエピソードがあるためであり、
唐代に成立した艶笑譚『読嗚伝(ドクオデン)』『魏子安先生言行録』に主役として登場する。
銅鑼(ドラ)

字は江悶。二張>>76配下の猛将で、真世討伐で活躍。「静まれい、うつけ!」と叫びながら
敵将を討ち取ったことから「五月蝿馬鹿」と呼ばれ恐れられた。
後に二張の下を離れ永栄板の地に独自の勢力を築き、宿敵「波楚」と覇を争った。
しかし三国の闘争に介入することはなく、ある打楽器の名の由来になったのみと記される。
晩年は退廃し見境無く人を襲うが、死後に多那神と追尊された。
121無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 00:22
σ((=゚エ゚=)) ボクドラエモン
>>120肖像画
     ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | < 静まれい、うつけ!
   \|   \_/ /  \_____
      \____/
三国志のゲームやってると、2字熟語が三国武将っぽく
見えることがあるね。
参馬(ぜいば) 年齢不詳

字は鹿人質(かじんしつ)。呉の武将。
蜀の北伐に際し、呉では『魏国入国危険之理』と言われる注意が発布されていた。
だがその発布を合えて無視して魏へと潜入。民間人を通じて情報を得ようとする。
しかし、逆に魏の民兵組織に捉えられ、必死に助命を嘆願。
そのあまりの情けなさふりに、半ば呆れられつつ解放される。
呉に戻った彼に対し、呉の民衆や呉帝は大いに怒り、参馬は心痛を訴える。
精神的に衰弱し、数年のうちに憤死した。
尚、演戯では3人兄弟となり、馬鹿が名。人質が字となっている。
>>123
42だけど、あるある!「徐行」とか「陳謝」とか「厳重」とか
なんでも見えちゃうw
徐行はあるね(笑
イントネーションが違うので「は?」とか言われたことがある。

補習 休講 講義 などの武将が、
大学のころは脳内で活発に活動していたなあ・・・。
佛朱(フツシュ)232〜294

 おそらく「ブッシュ」の漢訳か。北方異民族の長で攻撃的な性格だったが、
なぜか大秦国(ローマ帝国)の高官に大抜擢された。不沈(>>91)とは同族だったが
シルクロードの利権などが絡み、争った。
 『後漢書』西域列伝の大秦国(ローマ帝国)の条にその存在が記されている。
放尿(ホウニョウ)???〜181

 黄巾党の将。豪勇を誇り、官軍による城攻めを受けた際は
小便をかけてこれを防いだ。顔良との一騎討ちで図らずもポロリしてしまい、
これをこの上なく恥じてその場で自決する。
>>127
ローマ帝国がなんで大秦国になったんだろうな・・・。
関係ねえな。スマソ
130無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 13:05
ついでにアゲ
徐行(ジョコウ) 生没年不詳

陶謙配下の将。軍の規律と威厳を重んじ、兵士たちに整列と行進の訓練を繰り返した。
「一糸乱れぬ行進」とは、彼の部隊の行軍を見て感歎した劉備の言葉に由来する故事である。
曹操が徐州に侵攻した際、徐行はゆっくり慎重に行軍することを命じた。
駆け足で行軍すると隊列が乱れ、またうっかり伏兵などに遭っては見苦しいからである。
そのため、曹操軍の徐州での殺戮を止めることが出来なかった。
この故事にちなんで「ゆっくり慎重に進むこと」を「徐行の歩み」というようになり、
のち「徐行」となった。かつては揶揄の言葉であったが、現在その意味合いはなくなっている。

孫子曰く、「兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを賭(み)ざるなり」。
徐行は兵法の基本以前の大切なものを忘れていたと言えるだろう。

                                『三國志人名事典』(民明書房刊)より
山下(サンカ) 生没年不詳

字は大輔(タイホ)。魏の将。
静岡郡清水県の出身。
郡内有数の商人の家に生まれ、幼少の頃より裕福な生活を送る。
名門と呼ばれた私塾の慶應義塾へと通い、そこで彼は武芸の腕を磨いた。

その後、登用された後彼は防衛の達人として遊撃将軍という将軍位を受ける。
彼の防衛には定評があり、失策を犯すこともなく、彼はそれで記録まで作った。

前線から離れた後は、後進の育成に務めていたが、彼が51歳の年、
彼は前線で主に指揮を行う合肥方面軍を統べる将となった。
そこからが、彼の苦難の始まりであった。
彼は戦術などの技術には素晴らしい物があったが、統帥する才能には欠けていた。
彼が合肥方面軍の将となり、一年目の年は散々な結果であり、
呉との小競り合いでさんざん負け続けた。百敗こそしなかったものの、年に九十四敗という
驚異的な負け方であった。また、彼の采配には数多くの誤りが見られ、それを見るたびに
周りの将は嘆いたという。
133無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 15:36
>>132

67 :無名武将@お腹せっぷく :04/06/27 21:36
出 仁威(デニイ)

字は友利(トモリ)、呉の将。
異人の父を持つ。幼少時代は、かなりの労苦を強いられた。
蜀によって登用されるが、その時は才能開かず、彼は新天地を求めた。
その後、彼は花開き、再び蜀によって登用される。

彼が蜀に戻ってきて初めての年、彼は前線で主に敵軍を食い止める役目を負っていた。
抑えるときは抑えていたが、時々派手に負け戦を喫するという成績であったが、
しかし、蜀帝劉禅は絶大な信頼を置いており、そのため彼は何度も戦場に立ち続けた。
134132:04/06/29 15:54
>>133
実を言うと、それも漏れが書いた。
弱冷(ジャクレイ) ??〜240

字は寒維(サムイ)。呉の稗将(ヒエショウ)。交州南海郡の人。
外交能力に優れ、各地に派遣されてはすぐれた成果を引き出した。

彼については次のようなエピソードがある。

呉では氷室を設け、氷を夏に切り出しては宮殿の一室に氷塊を置いたり、
房車(くるまの一種。気密性が高い)に氷を置いたりした。
涼を楽しめるのは皇帝たちだけだが、家臣たちに褒美として下されることもあった。

ある暑い夏、孫権から下賜された大きな氷で呉臣たちが涼んでいたが、
暑さに慣れている交州人にとってはかえって苦痛なことであった。
しかし皇帝からの下賜品であるので、これにあたらないことは不忠にあたる。
交州人は手足に痺れを感じながらも、無理してつきあっていた。
凍傷になって指を切り落とした交州出身の将軍もいたという。
剛毅な弱冷は孫権に直訴し、寒さに弱いもの向けに別の部屋に小さな氷を分けてもらうようにした。
それほど涼しくない彼の部屋を「弱冷房」といい交州人たちの憩いの場となった。

240年、弱冷は外交手腕を見込まれ、遠交近攻策のために烏丸への使者となったが、
交渉が長引いて冬を迎えてしまった。寒さに弱いが忠義に厚い彼は無理をして交渉を続け、
体調を崩して死んでしまった。

孫権は、それ以後房車の中に入れる氷を小さくし、寒がりだった忠臣を悼んだ。
これが「弱冷房車」の起源である。

                                『三國志人名事典』(民明書房刊)より
136無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 20:12
長文だとウザい
よまへん
137無名武将@お腹せっぷく:04/06/29 22:38
陰慶勃勃(いんけいぼつぼつ) ?〜315

西晋時代の匈奴の将。精管膨大部を統率。
頭は弱かったが剛勇で知られ、西晋、漢の双方に珍重せられる。
民心も掌握しており、「陰慶立つ」と聞くや数万の蛮人が集まった。
とにかく絶倫で、揮下の海綿(かいめん)、前立(ぜんりゅう)、射精(しゃせい)
曹入(そうにゅう)らを駆使して女陰山脈周辺を荒らしまわった。
しかし、歴戦の疲れか、農民軍の陰圃(いんほ)に一喝されて萎縮し、そのまま討たれた。
なお、子作り王としても知られ、「西晋春秋」の彼の伝には子百人の記載がある。
容貌は常に目が血走り、かつ息が荒かったという。

横山(オウザン) ?〜2004
字は光輝。蜀の武将。文人としても知られ「鉄人二拾八号」「馬蛭二世」など
多くの著書を残す。火計の天才で彼の赴く戦場には常に銅鑼の音が鳴り響いて
いたという。糖尿病を患いながらも動かない体を籠に乗せ采配を振るう姿には
多くの者が涙を流した。晩年、火計に失敗して自らの寝所に火種をまいてしまい
業火の中で焼死する。その姿を見た諸葛孔明は「策士、策におぼれる」と
天を仰いで涙を流したという。死後も彼の遺作である「陰臭伝説」は人々に
愛されている。
139無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 00:08
射精 ?〜?

字は中田氏 蜀将。
謝雄の弟だが、マイナー過ぎることを恥に思い、微妙に姓を改め、
>>24魔羅の元へ走る。
最後は魔羅と共に踏み潰されるが、最後の最後まで抵抗したという。

なお、正史には登場しない。

140無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 00:20
絶倫 ?〜?

字は猪口 呉将(後生)
強い。とにかくある意味強い。
あの祝融でさえ、彼の腕っぷしにはまるで歯がたたず、組み敷かれたという。
女性は近づくだけで妊娠するとまで言われた。

なお、精子には登場しない。

精巣 ?〜?

西晋の将。精管膨大部の出身。
文人との誉れも高く、彼が残した魔羅一党の武勇伝は『精子』として後世に残る。

なお、正史には登場しない。
上田(うえだ) 生没年不詳

字は便地魚間阿。魏の予備役の将軍。読売巨人郡出身。
前線に駆り出されることは殆どなく、いつも城内を暖め
ていたという。現在の読者には知らない人が多いかもし
れない。
君与余(キミトヨ) 生没年不詳

後漢末の群雄。字は二人。
曹操が劉備に「天下の英雄」として名を挙げた。
144無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 05:09
於夫羅優子
145無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 08:25
妊娠 ?〜?

字は中絶 蜀の文官
女性で初めて文官として登用されたことで有名。
いわゆる宦官ではなく、本物の女性。

但し劉備との不倫がばれ、孫尚香に暗殺された。
なお、正史には登場しない。


146無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 08:28
>>141
フォローサンクス
147無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 08:39
顔射 ?〜?

字は避妊 顔良の弟。
兄に劣らぬ武勇を誇っていたが、虎牢関にて関羽に切られる。
「肉棒」という武器を愛用していたが、周知のことなので説明は省略する。

なお、正史には登場しない。
>>143
うまいなあ
149無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 08:51
朝鮮(チョウセン) ?〜?

字は手歩丼 絶世の美女として名を残す。
ただしその人生は薄幸で、チョソを理由に虐待の日々だったという。
董卓・呂布の一連の女性とは別人。

なお、正史には登場しない。
150無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 09:05
槍満(ヤリマン) ?〜?

字は聖子 槍沈(ヤリチン)槍杉(ヤリスギ)とは本物の兄弟。
有名な桃尻の誓いは、後世まで伝わるも、
なぜか正史には登場していない。
茶葉 (ちゃば) ?〜?
出自は不明。都で娼婦として暮らしていたが、
都へ行商に来ていた青年、劉備に見初められ、身請けされる。
都を出、劉備の生家へと向かう旅路は、黄巾党に襲われたりと
苦難に満ちていたが、二人、力を合わせこれを乗り切る。
ようやく劉備邸へ到着し、婚姻の儀の準備を始めるも
半狂乱の劉備の母の手により河へ投げ込まれ溺死。
後に、有名な「桃園の誓い」の最中、
「本当なら此処で、私は夫になるはずだった」と
懐かしむよう、悼むよう、声を沈ませ劉備は呟いたという。
152無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 12:09
白濁液(ハクダクエキ) 202〜265

>>24魔羅の下に来た>>139射精の部下
同僚の我慢汁(ガマンジル)買派(カウパ)らも有名。
彼らが通った所は、床一面が雪面のように白くなったという。

精巣の名著「精子」に登場する。
153無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 12:38
満湖(マソコ) 211〜266

女陰山脈に住む洞主のひとり
亜濡酢(アヌス)・尿道(ニョウドウ)らと手を組んだが、
>>137陰慶勃勃の侵略を防ぎきれず、曹入に討たれた。

精子に登場する。
154無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 12:47
訓煮(クンニ) 233〜282

蜀の文人。
劉備の再三の誘いにも応じず、生涯をその書物にささげた。
主な著書:「栗盗(クリトリ)物語」「世界の中心でマソコを舐める」

なお、正史には登場しない。 
155無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 13:07
>>152
ワラタ

当て字でなく「白濁液」とか「顔射」とかまんまなのがスキだなw
殷歩(インポ) 165〜223

後漢末、三国魏の薬師。字は典津(テンツ)。薬師の家系であったが、成人しても不能
であったといわれている。薬師として曹操に仕え、強壮剤の開発に全精力をかたむ
けたといわれる。結局殷歩自身は子を生さなかったが、曹操が数多の子を生したの
は彼の功績であろう。
夏侯線(カコウセン)

麻雀でツキが落ちた時、仕事がうまくいかない時など、
運勢が下降線をたどっている時に、俺の脳内に登場する武将。
どうやら夏侯覇の弟で、夏侯覇が蜀に亡命した際に逃げ送れて殺されたらしい。
「ついてねぇ」「こんなはずじゃ無かった・・・」等ウザい愚痴をこぼすだけの役立たず。
ヒゲがキモい。
158無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 14:44
増掻(ますかき)単于

遼西烏丸の盟主的人物。
絶倫な精力を背景にに息子を量産し、その数は万に上った。
また、戦地に赴いても勇猛で烏丸突起物隊を率いて突きまくった。
烏丸突起物隊は彼の息子で構成され、さらには孫で構成された。
死の間際、後にトウトン単于となる精子を掻きこぼす。
159sage:04/06/30 15:59
自慰(ジイ) ???〜200

蓬莱山の仙人(見習)。房中術を極めるため山に篭る。
寝食を忘れしごいていたが、6日目に色々な意味で昇天。

演義の於南尼(オナニ)と同一人物。
160無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 16:42
乳輪(ニュウリン) 177〜231

字は敏感 魏将。
何事にも非常に影響を受けやすかったという。
阿斗を探す趙雲と遭遇した際も、
そのあまりの受性性ゆえに、そのまま一緒に探してしまったという。
いろんな意味で多くの者にもてあそばれたという。

なお、正史には登場しない。
勃奇(ボッキ)172〜?

字は度重(ドチョウ)魏将。
威風堂々とした人物で男性のあるべき姿として讃えられたが、
歩く際は常に前屈みであったと伝わっている

魏の薬師、殷歩(インポ)との折り合いが悪く、結果政戦に巻き込まれ
讒言により官職を失い平民に落とされ、不遇のうちに没したと伝えられている

なお、正史には登場しない。
162無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 17:06
羽目撮(ハメドリ) 134〜187

字は動画(エムペグ) 十常侍の黒幕
やりたい放題。
かの悪行は今更語るまでもない。

もちろん正史には登場しない。
魏将ヘンなのばっかだなw
真性(シンセイ)生没年不明

字は包茎。(ホウケイ)>>139の弟だったが体臭が酷かったので兄弟仲は悪かった。
だが武芸は達者だったので度々戦には出陣したという。
が、ある戦で頭に布が引っかかって引っ張っても取れなくなってしまい、
その隙に敵将「手術」に斬られてしまったという。

やっぱり正史には登場しない。
下ネタシリーズ禿藁w
譚尚(タンショウ)生没年不明

字は狆圃(チンポ)>>139>>164とは親戚だったという説がある。
背が低く、本人もそれにコンプレックスがあったらしく華陀に相談しに行った事がある。
戦場で敵将に「あ、小さい・・・(鬱」と言われ、それが原因で自害した。

正史には登場しない。
脱糞(ダップン)???〜181

 黄巾族の将。知勇兼備の人物で、官軍の侵攻に際しては
一夜にして   で砦を築き、官軍を撤退させている。
放尿(>>128)と親交が厚かったため、放尿が顔良に切られたときは
3日3晩何も出ず、4日目の朝に臓器が破裂した姿で発見された。
著部痢罵(チョベリバ) ???〜190

黄巾賊の頭目の一人。幽州で猛威を振るったが、部下の
于罪(ウザイ)・肝胃(キモイ)に暗殺された。
169無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 20:44
韓国(かんこく) 生没年不明

字は半島。韓玄の従弟だったが公孫サンに仕えていた。
袁紹との戦いで主君を裏切って情報を横流しにして、袁紹の元に亡命する。
しかし重用されなかったので再び袁紹を裏切って曹操の元に袁紹から盗んだ技術を提供して亡命を許される。
この後、金の横領の疑いで尋問を受ける。
この時、言い逃れをしようとして曹操の怒りを買った為、雑兵に見を貶められる。
後にある程度出世して軍団長にまで再び上り詰めたが、戦で敵軍に罵声を浴びせられて憤死した。
170無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 21:04
黄世腹(キヨハラ)???〜220

蜀将黄権の弟。一説には甥とも言われている。幼い頃から巨大な棒を振り
回し、数千人の子分を従えて蜀千里の彼方を暴れまわった。のち張飛に武
才を認められ配下になるが、張飛の娘を犯して逃亡。
後に魏将魔対(マツイ)の配下になるが馬が合わず毒殺したが、曹操に罪
を問われ斬首された。
羊餡(ヨウアン) 生年不明〜219年没

字は羹萬(カンマン)。魏の武将。
殺伐とした論戦をまとめ上げるなどの、まとめ役としての実力を持つ。
また、曹操の護衛も勤め、漢中の攻防では曹操の盾となって戦死。
後に曹操は彼の功績を称え「ありがとう、羊羹萬(ヨウカンマン)」との言葉を残したという。
波母(ハハハ) ???〜220

字は湖矢津目(コヤツメ)。
魏の文官。曹操の求賢令によって登用された士人である。
彼はその建築技術を買われて登用された。
彼の手がけた建築は当時でも一級とされ、もてはやされたという。

その後、魏王に就任した際に曹操が新しく楼台を造ることにし、
その造営を任される。
現場を司馬懿と共に訪れた曹操がその天にも届くような高さの楼台を見て、
こやつめ、波母!と思わず感嘆の言葉を洩らしたという。

その後は曹叡の宮殿造営を推し進めたとして、曹叡を諫言していた者らに影で暗殺されたと言うが、
よく伝わってはいない。
生没年ミスった・・・
まぁ、いいや。
万度(まんど)

字は臭(くせ)。蜀の不精。
175無名武将@お腹せっぷく:04/06/30 21:37
田森(でんしん)
?〜267?

袁紹配下の田豊の子といわれる。幼い頃両目を負傷し、その後黒い布で、
隠す。多彩な人物と交流し、絶妙な距離感と、類まれな話術で
人々を魅了したという。広い交流関係から曹操の人材収拾に一役買ったという。
現在、日本の東京都世田谷区にその子孫がいる。


青汁(あおじる) ?〜255

字はQ斎(キューサイ)
魏将。遼東省の人。曹操が病に倒れた際、青家に代々伝わると言う滋養強壮な汁を献上。
大層飲みにくい代物であったがたちまちに精力を取り戻すため、
かの曹操も毎度「不味、再一杯」と叫んだと言う。
呉の養命酒(ようめいしゅ)は従兄弟。

尚、正史には出てこない。
177無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 01:19
野糞(ノグソ) 166〜202

黄巾賊大頭目。
>>167脱糞・>>128放尿とあわせて「黄巾の3巨頭」と言われていた。
ただしあまりの汚さに、張角さえもその素顔を知ることはなかったという。

もちろん伝説化し、正史には登場しない。
178無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 01:31
濡流歩(ぬるぽ)

字は賀ッ。後漢の臣。
董承らの曹操誅殺計画に加担したかどで投獄され、
曹操に頭をガッ とたたかれる。(礼儀として。)
なぜか死刑は免れる。
その後、呉に亡命し山越族討伐などで戦功をあげる。
彼は褒美の代わりに、孫権に頭を叩かれることを望んだという。

179無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 01:33
粗珍(ソチン) 214〜277

字は短小 呉将
>>166真性が手術に切られた後、行方知れずに。
修行に出て自らを鍛え上げ、その後の立派な姿は主に風呂場で一目を置かれていた。
後世の人々はこれを称え、彼を「タケダ」と呼び、崇めていた。

なお、「稲中」という書物からの抜粋である。

180無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 01:45
手術(シュジュツ) ?〜?

字は皮膚科 魏の猛将
数々の戦果は誉れ高い。
陰歩・真性・譚尚・粗珍・殷歩・仮性などを切った。

ただし、切った将がしょぼすぎて、正史には登場しない。
181無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:07
上野(じょうや)

上野は字を栗肉(くりにっく)と言い本州関東郡埼玉県の出身である。
諸侯の勢力から独立し手術らを配下に収め独立勢力を
打ち立てる。彼の勢力の誇る技術力は凄まじく斬った後を残さなかった
という。その技術力を評して世の人は「栗肉是一歩上野男也」と言った。
彼らのスローガンは「有百害而無一利 包茎是男児六割也」
182無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:12
貴々(キキ)

呉の女武将。
文武両道とても男勝りで、かつて小覇王・孫策も一目置いていたと言う。また商売の方でも三国初の「宅急便」なる物を考案し莫大な富をえる。
その店の前に貴々の肖像画は有名であるhttp://c.pic.to/1th9g
183無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:15
182あっ、パン屋にしとけばよかった。まっいいや。
184無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:30
費乃(ぴの)

字は南無子(なむこ)。袁紹配下の武将。恐ろしい程の俊足の持ち主で
馬で走るよりも速かったという。挙句矢を放つよりも
槍を持って走ったほうが速いという始末。
もはや反則である。
後生の史家からは「バントでランニングホームランしてんじゃねぇよ」
とか「どうしてバックホームするより外野から走ってきたほうが速いんだ」
などとと突っ込まれた。
185無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:55
糞尿(ふんにょう)

字は汚物。曹操のもとで農政に携わる。
非常に体臭が臭く、人々に嫌われたが、ただ荊州の刑道栄だけが
親しく交際した。赤壁後、刑道栄が趙雲に切られた時、
これを悲しみ、自害する。
これが「糞刑の交わり」の故事の由来となる
186無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 02:59
>>185
お前はバカだ!
バカすぎる!
(最上級のほめ言葉
宇甫(ウホ、ウホツという説あり)

漢の高祖劉邦の家臣。大変な美男で彼が道を歩くたびに
「ウホツ、いい男」という声が上がった。
劉邦に寵愛され彼の肛門が渇きを覚えることはなかったという。
秦朝討伐の後、洛外で項羽の宴席に招かれた際に主君の危機を察して
項羽に肛門をささげて劉邦を逃がすことに成功する。
司馬遷はこの話を元に鴻門の会の逸話を作り、剣舞を舞った
呂伯のモデルは宇甫であるとする説が有力である。
呂伯→項伯
>>175
すぐには誰のことかわからなかったが、わかって感心すますた!
いやあ、みんなどんどん内容が洗練されていくなあ。
>>176以降もみんなおもしろいけど、>>185,俺もワラタよ!
>>187も「肛門が渇きを覚えることはなかった」とか
「項羽に肛門をささげて」とか表現がうまいね。

みんな下ネタ好きだなあw
190無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 08:32
肛門の会

項羽と劉邦は肛門で(略
191無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 09:03
早漏(ソウロウ) 189〜244

字は三擦(ミコスリ) 蜀将。
配下の根怒無(コンドム)を寵愛したという。
小さかったため、彼をいつも「財布」という入れ物の中で待機させていたという。

「精子」に登場する。

だいぶスレタイの主旨とズレたな
193無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 14:05
>>1はどういう展開を期待していたんだろうか?
俺は数多く下ネタを発射したが、これでよいと思っている。
194無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 16:41
>>1さぁ〜〜ん

出ておいで
君の理想とはかけ離れたかい
俺は必死でシモネタから離脱をはかったが3つほど投下してしまったぞ
195無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 17:21
牛乳(ぎゅうにゅう)178〜214

魏の将牛金の子。色白で、父と違い戦場に出ることは無かった。
主に内政面でその能力を遺憾なく発揮し、「雪印」「小岩井」「明治」
の三つの書物を記した。これらは彼が死んで後、世に出ることになる。
曹操(武帝)は「牛乳なくして朝を迎えず」と、牛乳の死を悼んだ。

後に、晋を建国した司馬炎が牛乳が戦場に出なかったことを罵った時
牛乳の霊が現れ司馬炎とその場にいた武将たち数十人に呪いをかけた。
司馬炎と武将たちは三日三晩下痢に苦しんだという・・・・
ー正史「牛乳伝」ー
196無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 19:02
袁画超(えんがちょう)生没不明

一説には袁術の第二子とも言われるが詳細は不明。
袁術が劉備の軍に追い詰められた際、自らの身体に馬糞を塗りつけて悪臭を放つことで
敵を追い払うという奇策を成功させた。
後に袁術は一斗もの血を吐いて死亡するが、袁画超の悪臭が原因だったとする説がある。
197無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 19:59
田代(デンダイ) 157〜234

字は盗撮 田豊の子。
親の能力を受け継ぎ、主に内政に従事していた。
とりわけ情報収集能力に秀でていたが、当時の女性の下着についての調査等、
徐々によからぬ方向へと走ってしまい、後にタイーホされたという。

「親不孝」という言葉は、ここから生まれたとする説もある。
なお、正史には登場しない。
1981:04/07/01 20:08
>>1です。
別にスレタイと違ってもいいのでは^^;
いつも楽しく拝見させていただいています。
まあスレ立てた当初の目的は三国志っぽく見える日常に使われている漢字
を武将にすることなのですが、当て字の武将も結構いるしね。南蛮とかw

しっかしどうでもいいことで憤死したり自決したりする
武将多いね(笑
199無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 20:08
難破(ナンパ) 166〜190

字は即羽目(ソクハメ) 呉将。
若年時代を謳歌し、酒・女にはめっぽう強かったとされる。
盟友の槍根(ヤリコン)との仲も有名。
しかし惜しくも24歳の若さで鋭頭(エイズ)に討たれ、この世を去った。

なお、正史には登場しない。
200無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 20:11
>>1
南蛮なんていたか?
ついでに200ゲト
ゴツトツコツとかアカイナンとかって、
あれって漢字を無理矢理当てはめただけじゃないの?
202無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 20:20
三菱(サンリョウ) 209〜265

字は脱輪 倭人。
諸葛亮亡き後、「木牛」に替わる運送手段として「狂魔(クルマ)」を伝えた。
ただしこれは欠陥だらけだったらしく、やがて当時の人は使用しなくなったという。

これをこの上なく恥じた三菱は自決して果てた。
なお、この行為を「身潰し」という。
正史には登場しない。
203無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 20:23
>>1
あ、そういうことか。
>>198では、いろいろ出てきた洞主達を総じて南蛮って言ったわけね。
それがおもろかったと。

204無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 20:24
>>197
うまい!
日産(ニッサン)???〜298

高句麗の単于。倭国支配への野心多く、策謀を巡らし、
三菱(サンリョウ・>>202)を自決へと追いやった。
一方で晋には臣下の礼を尽くすなど外交面でその才能を発揮した。
206無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 22:48
恥骨(チコツ) 200〜251

>>85肩甲骨と並び、允突骨の両腕として活躍。
やる時はやるという非常に頼もしい漢だったという。
諸葛亮の火攻めで焼死したと伝えられる。

なお、正史には登場しない。
207無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 23:13
ミコスリ=ハン 1226〜1266

元の時代のモンゴルの王。
万戸制という軍事・行政組織を整備した。

・・・。

すまん、どうしても書きたかった。
樹海(じゅかい)  ???〜???

南蛮青木ヶ原高地の猛将。目眩ましの妖術を使うとされた。
彼の術にかかると方向感覚を失い、深沈とした森然たる
杉林で為す術もなくなり、何千もの兵が命を落とした。
諸葛亮の南伐中に自ずから術に陥り、そのまま行方不明に
なったと伝えられている。
東尋坊、虹乃大橋というふたりの息子が後を継いだが、
彼らに神通力は無かったという。

尚、正史には登場しない。

植草(ショクソウ)

魏の内政官。もっぱら経済政策に手腕を発揮し、主君の無策を
罵るなど気骨溢れる人物である。また、戦場においても
常に高所に陣取り敵の状況を把握するとう兵法の常識を覆し
低所から手鏡で敵の内情を探る奇策を考案、実行する。
しかし、敵情視察の最中に破廉恥の疑いをかけられ投獄される。
無実を叫び続けるも、彼の実家から数多くの禁書が発見されたため
罪は動かぬものとなり、官籍を剥奪された上斬首された。
最後まで自身の潔白を叫び続けたという。
210無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 23:29
邪庵(ジャーン) 204〜267

字は蛇暗(ジャーン) 魏将
戦場に出るたびに、なぜか伏兵に出会っていたという。
彼を部下に持つこと、すなわち死を意味していた。

なお、正史には登場しない。
211無名武将@お腹せっぷく:04/07/01 23:54
廃土(はいど)

後漢の臣。音曲に秀で宮廷に仕えることとなる。
宮廷では「羅流玖」という音曲集団を束ね、数々の曲を生み出していく。
しかし素行に問題があり、霊帝の「お主らの容姿(ビジュアル)重視の楽団よのぅ」
という発言に憤慨し自刎した。

なお正史には登場しない
赤辺(あかぺん) ???〜???

字は鮮清。蜀の文官。学識をもって知られた。官民問わず
広く学問を教授したため「赤辺先生」と親しまれた。
>>56の日辺野も門弟に当たる。「美子ちゃん」と字で呼び
かわいがった。

一説によると、「出師の表」の添削……いや、推敲を担当
したのは日辺野ではなく赤辺だったという。日辺野は筆遣い
の指導が担当で、諸葛亮は実はけっこう悪筆であったという。
ビシビシ筆遣いの悪さを指摘され、さすがの丞相も閉口した
のは>>56の説と同じである。

赤辺のほうは、出師の表」の原稿に朱筆で温かいコメントを
加え、諸葛亮を大いに励ましたという。
213無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 00:05
穴流(あなる)

字は明日穴(あすほーる)。呉の武将。
戦時においては後方からの攻撃にめっぽう弱く
後方から突撃されると激しく悶えたという。

冷蔵(れいぞう)

>>61の弟であり、同じく蜀の臣だったが文武よりも内政に秀でていた。
兄同様冷徹な性格であまり信望のある人物ではなかったようである。
ある時、益州から荊州へ食料を輸送しようとしたが皆腐って駄目になってしまったことがあった。
その時に輸送車に屋根をつけ、氷を乗せて輸送する方法を考案し、見事に輸送を成功させる。

でも正史には登場しない。
215無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 00:11
苦狂(くっくる)

後漢末期の平原の太守。反董卓連合軍に名を連ね
虎牢関で呂布の軍に正面から当たる。彼の武勇はすさまじく
呂布の上に馬乗りになり、繰り返し繰り返し殴打したという。
呂布は命からがら逃亡したが苦狂は周辺の兵士をかたっぱしから
捕虜とし、自国へ連れ去っていったという。
彼の顔つきはまるで鳥のようであった。
216無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 00:18
牌刷(ぱいずり)

字は挟珍(きょうちん)。魏の将。
対異民族戦で活躍。敵を挟み込む戦術を得意とし
数多の蛮族をイかせた。
なぜか彼の戦術は相手に快感を与えたというが
原因は不明。
精子には発情しない
217無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 00:23
郭李(かくり)

阪神タイガースに所属した投手。
一時は中継ぎエースとしてチームを支えたが
ピッチャー返しが股間にヒットした事件以降
使い物にならなくなり(イチモツが使い物になったか否かは不明)
数年後退団する。

なお正史には登場しない
>>217
懐かしいな・・・w
鯨牟(げいむ)生没年不明

字は無双厨。蜀の将。
鯨布の子孫ともされているが、定かではない。
初めは魏に仕えていたが、先祖と同じく、劉性である劉備に仕えることに。
歴史を中途半端な知識で話したり、あることないこと脚色して話すので
歴史を重んじる者達からは疎まれ、遠ざけられていた。
だが、彼に賛同するものも多く、無双厨と歴史を重んじる者達の間では
限りなき派閥争いが繰り広げられていたと言われている。

なお正史には興味がない。
光衛(コウエイ)

三国時代の豪商。「団地妻の誘惑」「阿蘭陀妻は電気鰻の夢を見るか」
「夜の生活」などの風俗電子芸夢から身を起こすが、いつの間にか
三国時代や戦国時代を題材とした戦略電子芸夢を取り扱って巨万の富を
得るようになる。
彼が独自に編み出した光衛商法は、最初に高額商品を買わせた後、さらに
調整用の道具を売りつけて二重取りした挙句、内容の薄い指南書を何冊にも
渡って発売して、客の尻の穴の毛までむしりとることを旨としている。
221無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 10:50
age
せっかくの名スレ(1さん、本当にありがd)
なのでごく簡単にまとめてみました。他にも
身分別、下ネタ系のみなどいろいろな区分の
仕方があるでしょう。
1さんや各レス作成者の皆さんには了承を得
てはいないので、正式なものではもちろんあ
りません。ご不満があればお許しを。

とりあえず1〜50まで。
――――――――――――――――――――――
後漢             
    >>25 仮性(カセイ)[字:包茎] 車騎将軍
    >>33 楊枝(ヨウジ) 宦官/発明家

魏   
>>1 馬刺(バサシ) 馬超の従兄弟
>>5 巨乳(キョニュウ) 処刑される
>>10 于歩 [字:良男] 武将
>>22 受信(ジュシン)[字:陪武(バイブ)]栄融郡の人
>>23 侯蘭(コウラン) [字:栖甜(セイテン)] 『雁賦(カリフ)王国』の王子
>>34 張喝  [字は山田] 張遼の庶子
>>39 楊賢  [字は零艘] 魏の霍去病
呉・蜀
――――――――――――――――――――――

>>11男根(ダン コン)[字:勃起]:文官/宦官
>>13落福祉(オチフクシ)[字:合] :名門、落家の長男
>>42厳禁(ゲンキン) :厳白虎・厳與の弟
>>50丁 黎微(テレビ)[字:放映]:天下第一の間諜


>>3 陰部(インブ) [字:剛毛]:永安で没する
>>9 来々(ライライ) :張嶷の腹心
>>15陳珍  :陰部の義兄弟
>>35全地  [字:全農]:胞子兵器を開発
南蛮・群雄関係・宗教勢力・異民族・在野
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
南蛮
>>20直接的杉(チョクセツテキスギ) :洞主のひとり
>>24魔羅(マラ) :帯来洞主の一派
>>40王羅瑠(オウラル)[字:口淫] :孟獲の側近。      

群雄関係
>>30張子虎(チョウシコ) :張繍配下

宗教勢力
>>27陳琳(チンリン)[字:ジョイトイ] :程魯の配下

異民族(南蛮を除く)
>>8 亜凡    [字:逝良]  :荊州の少数民族の長

在野
>>12夏侯門(カコウモン) :郭嘉の再来と言われた
225無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 13:21
剥陳(はちん)
所属不明・その他
―――――――――――――――――――――――――――――
所属不明
>>21陳菰(チンユ) :陳平の子孫
>>31黄河(コウガ) :黄忠の一族とも
>>38泡 原様(ホウゲンヨウ)[字は炎上]:火計の第一人者

その他
>>29円楽号(エンラクゴウ) :魏の武将楽太郎の愛馬
>>32阿修羅(アシュラ) [字:男爵] :名医屁瑠の弟子の一人
>>36加工豚 [字?:肥育] :夏侯惇の偽称
>>37曙太郎(アケボノタロウ)[字:寿]:乱世の関取
227無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 13:53
珈琲(こうひ)146〜239?

字を無糖(むとう)江南に一勢力を築いた豪族。
孫策の江南出陣の際、いち早く降伏し大史慈を助けるよう進言した。
赤壁では長江流域で曹操軍とゲリラ戦を演じ、魏軍を誘導。
荊州では周喩軍の後詰として一万の兵を率いて曹仁の度重なる奇襲を冷静な判断で防いだ。
合肥では張遼の奇襲を察し孫権に進言するも聞き入られなかった。
夷陵では子の故仔亜(ココア)と供に私兵を率い劉備を迎え撃った。

晩年は薬の調合に没頭した。孫権が呉帝を名乗った時、珈琲を大司馬に任命しようとしたが
それを固辞、こういい残した「帝はこの江南の地に根を張る強大な大木ですその枝でさえ
太くたくましいことでしょう。だが私はどんなに小さく弱い小木であっても
この江南の地に根を張ることができればそれでいいのです」

色浅黒く、欲少なく、冷静沈着。ただ江南を愛し、守ってきた男、珈琲
後世彼の名は江南の地で深く根を張っている。
豊田(ポウデン)
字は荷歩(ニフ)。?〜231。
切れ者であり、周囲の評価も高かったが突如蜀に反旗を翻し帝位に付くと宣言。
しかし田村の戦いで歩兵を縦にならべるという失策の為敗戦、諸葛亮に処刑される。
荷歩帝の様にはなるなと後世まで揶揄される事となる。
229228:04/07/02 14:28
すまん、ちょっと趣旨を勘違いしてた
阿班(あはん)  205〜269

字は威安。魏の将。
若い頃その甘い声を司馬懿に大絶賛され、彼の下で校尉として徐々に頭角を現す。
司馬懿の死後はその息子である司馬師、司馬昭に仕えて重用された。
蜀攻略戦でも活躍し、剣閣においては58歳という高齢ながらも、
衰えぬその声で蜀将である姜維を釘付けにすることに成功、その間に魏軍は成都を陥落させる。
晩年には司馬炎が帝位に簒奪し、国号を晋と改める。
新しい司馬の世の夜明けには、甘く、美しい声が天下に響き渡ったと伝えられる。
231無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 15:08
楮虎(ちょこ)156〜223

字を駅弁(えきべん)という。荊州南陽の人。
幼少の頃から腕力があり、青年期には新日寺(しんにちじ)に
入門し、仏道修行の傍ら武術・組技を学ぶ。
しかしあまりの修行の厳しさから寺を抜け出し、その後は
しばらく各地を放浪する。
路銀を使い果たし困り果てた楮虎は、旅芸人集団・「栄武威」
に属する。
劇中の組技が人気を博し、楮虎はたちまち「栄武威」の看板役者に
上り詰め、役者仲間で同じく人気のあった何頭汰華と親交を深める。
この評判を聞きつけた曹操に銅雀台に招かれるが、そこで披露した
演技があまりに品を欠いていたため投獄された。
232無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 17:02
>>222


馬鹿(ばか) 205〜?

字は阿呆(あほう)。馬岱の弟で馬岱と共に劉備に仕えた。
武芸に秀でており、一度戦場に出れば屍は山を成し、血は河を作ったという。
彼が突撃する姿は正に飛ぶようで、かの馬超に「馬鹿の駆ける姿は山を駆ける鹿のようだ」と言わしめた。
が、あまりにも頭が悪く北伐であっけなく伏兵に掛かって死んでしまった。
三国時代なら既に馬鹿と名前付けたらまずいだろうな、やっぱり
とちょっと思った
冷房とか素で武将と間違えるね。いやネタじゃなくてマジに。
納涼(ノウリョウ) 153〜210

字は暑中(ショチュウ)。涼州の人。
毎年夏のあいだだけ劉表に仕え、長江に張り出した「床」の建設、
花火大会の開催、カキ氷の販売など、活発に活動した。
彼の開発した陣「伏魔殿」(通称「お化け屋敷」)は敵を震え上がらせたという。

冬は焼きいも屋をやっていたというが定かではない。
>>231
激ワロタ

潮吹(ちょうすい)158〜199

字は鷹(たか)。渤海の人。
幼少のころから手先の器用さと詩吟の才能を発揮し、渤海で名を馳せる。
一見稚拙とも思える言葉で愛について吟じ、女性はもちろんのこと、その
独特の表現を好む男性からもも絶大な人気を誇った。

部類の甘い物好きであり、そのために糖分を取りすぎであったことから
「過糖鷹」(かとうたか)の愛称でも親しまれていた。
後に呉に使えたが、二橋と賛否意(さんぴい)とよばれる遊戯に興じていた
ところを周瑜に見つかり、嫉妬により激怒した周瑜によって切り捨てられた。
楮虎とはいろんな意味で義兄弟であったと伝えられている。

代表的な著書に「過糖鷹秘技伝授」(舌・撫・吻・位・棒の全5巻)がある。
237記録官(仮):04/07/02 20:34
名前縮めました。奇をてらわず簡潔にw
>>232,ありがトン。
項目別に縦をそろえても、カキコするとずれていて難しいですな。
それはやめて、読み仮名・括弧の形式などを統一しました。
51〜100
後漢
―――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>>57濡流歩(ヌルポ)[字:雅ッ]:曹操誅殺計画に加担
>>64全特(ゼントク):「郵便局」の制度を定める
>>73劉損(リュウソン):幽州の莚売り
>>88小泉(ショウセン):後漢末期の臣
>>90参菱(サンリョウ):馬車製作職人
>>94吉本(ヨシモト)[字:新喜劇]:ピン芸人
238記録官(仮):04/07/02 20:38
51〜100

―――――――――――――――――――――――――――――――

>>54運孔(ウンコウ)[字:便座]:典韋を思わせる武勇
>>63羅麺(ラーメン)[字:棉磨(メンマ)]:タク県の人
>>84陳宝(チンポウ)[字:打性(ダセイ)]:流れ矢がもとで死亡
>>84満侯(マンコウ)[字:区性(クセイ)]:陳宝の死を聞き憤死
>>87楽典(ガクテン):音楽理論を纏める
>>95怒武(ドム)[字:陸句(リック)]:曹操旗揚げ当時からの功臣
>>98窪洋介倍(クボヨウスケベ):仙人
>>100幕度(マクド):袁紹軍を大いに弱らせた
239記録官(仮):04/07/02 20:53
小分けでスマソ。「>>が多すぎます!!」ってエラーになるので。
51〜100

―――――――――――――――――――――――――――――――

>>51梨花担[字:小裸]:大喬の侍女
>>52寧芭柁(ネバダ)[字:興櫛(キョウシツ):暗殺者
>>59綾波(アヤナミ)[字:黎(レイ)]:董襲の副官
>>66孫正義[字:嫌風]:不慮の事故で死亡
>>67出 仁威(デニイ)[字:友利(トモリ)]:異人の父を持つ
>>83眼鏡(ガンキョウ):湖族
240記録官(仮):04/07/02 21:14
51〜100

―――――――――――――――――――――――――――――――

>>55脩 五郎[字:丼崎]:劉備、劉禅2代に仕える
>>56日辺野(ニッペンノ)[字:美子(ビシ)]:王平の主簿
>>61冷房(レイボウ):冷苞の子
>>68陳珍(チンチン)[字:玉玉]:庶民
>>74孫権(ソンケン)[字:厨房]:文官
>>77禿同(ハゲドウ):郭攸之の後任
>>79宇世禿(ウッセーハゲ)[字:頭羅(ズラ)]:同僚に斬られた
>>89陰毛(インモウ):陰部(>>3)の子
241記録官(仮):04/07/02 21:27
51〜100
南蛮・群雄関係・異民族・所属不明・その他
―――――――――――――――――――――――――――――――
南蛮
>>53茶嘉(チャカ)[字:保胡(ポコ)]孟獲配下の洞主
>>85肩甲骨(ケンコウコツ):孟獲配下の将

群雄関係
>>72平凡(ヘイボン):劉表家臣

異民族(南蛮を除く)
>>91不沈(フチン):北方民族の長

所属不明
>>76二張(ニチャン)[字:博之(ヒロユキ)]:幽州魚陽郡の人

その他
>>60円楽(エンラク):曹操の保有する名馬
>>78金銭(キンセン)[字:摩寧(マネイ)]:荊州の隠士
>>81横山光輝:歴史家/漫画家
>>記録感殿

乙!
こうして見ると本当の武将のように思えてきたw
243無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 22:00
>>91不沈(フチン) おそらく「プーチン」の漢名。
>>127佛朱(フツシュ) おそらく「ブッシュ」の漢訳か。

なんか普通に武将列伝に載ってそうな書き方だ(笑

ついでにあげてみる。迷惑だったらスマソ
桧山(ヒザン)
字は進次郎(シンジロウ)。生没年不詳。呉の将である。
呉一筋で年二十一のときより、将として活躍した。

有能の士であり、彼の普段の様子は素晴らしいものであったが、
機会に弱く、ここを破れば戦況を逆転できるというときに限って
彼は失敗しつづけ、敵からも味方からも火消し役と呼ばれた。
また、彼の名前は機会に弱いということの代名詞にも当時使われていたらしい。

桧山キタワァ*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゚゚・* !!!!!と呉と関係のない孔明が
北伐時にしょっちゅう叫んでいたのは有名なことである。
摩邦瓶(まほうびん) 176〜208

字は象印(ぞういん)
魏の忠臣。真冬の行軍時、水袋を懐に掻き抱いて温かさを保ち、曹操に献上。
寒さに凍え上がっていた曹操はいたく感動したと言う。
赤壁の戦いにおいて潰走中、武勇で成らした部下の水筒(すいとう)が敵に討たれたのに
気力を失い、自刃した。
246無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 22:54
去勢(キョセイ) 145〜177

字は一物 呉の文官
三国最良にして、最高の宦官。
国を問わず、各国の文官は彼を見習い敬ったいう。

正史では彼の記述はなぜか切り取られていて、
いまだにその存在は議論の余地があると言われる。
247無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 22:57
>>記録官殿
乙です。
248無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:04
童貞(ドウテイ) 188〜240

字は未使用 蜀の猛将
生涯女関係を絶ち、ひたすら武芸に励んでいたという。
「絵呂本」という武器を片手で扱えるほどの達人だったといわれる。

なお、正史には登場しない。
249無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:13
全裸(ゼンラ) 199〜231

字は蛇尾出(ダビデ) 呉将
全綜の子。父に恥じない戦いぶりで知られる。
戦場では、よろいは一切装備しなかったが、
その肉体美に敵も味方も思わず戦うことを忘れたと言う。

恐れ多くも、正史には登場しない。
250無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:22
手淫(シュイン) 223〜264

字は襟獲(エリエール) 魏将>>180手術の子。
乱世に嫌気が差し、>>159自慰の元に修行に行ったという。
後に珍粕(チンカス)なる弟子もできたという。

もちろん、正史には登場しない。

251無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:30
前戯(ゼンギ) 175〜211

字は愛撫 蜀の豪将。
一騎打ちの前は、いろんな意味で敵将をなめていたという。
いざ試合う際は、なぜか必ず「入れるよ」と言う癖があったと伝えられている。

残念ながら、正史には登場しない。
無励句(ぶれいく) 158〜228

字は工業(こうぎょう)、幼名は解体(かいたい)
魏将。敵城を粉砕することに執念を燃やし続けた。
しかしその破壊癖がたたり、東へ西へ、城だけではなく民家や橋までをも
徹底的に破壊したため、曹操に疎まれ閑職に追いやられた。
晩年はもっぱら詩吟に興じ、「駄・駄・駄吟」などの名著を残した。

死後、破壊神とあがめられ、現在も世界各地に無励帝廟が存在する。
253無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:36
圃娑珂 158-没年不詳

字は尚輝。南蛮族。
黄巾の乱に乗じて挙兵し、巴蜀地方で略奪の限りを尽くした。
容姿端麗で弁舌も達者であったが、蜀では有名な美女「高美人」
を略奪し自分の妻としたことで住民だけでなく部下からも疎まれた。
自身も浮気癖があったが、面長で「馬歩鄭」の異名をとる詩家の歩鄭
に妻を寝取られ、歩鄭が高美人との愛を綴った詩『遊火抄』に激怒。
街の角々に事の顛末を書いた高札を立て歩鄭を激しく非難したが
誰にも見向きをされないばかりか、高札の噂を聞いた歩鄭は朝廷に
蜀の現状を訴えて対抗すると言った。その後圃娑珂が当地に太守として
派遣された劉焉の軍に蜀から追い払われ、混乱の中で高美人と別れる
ことになるが、圃娑珂は堂々と別の若い妻を得ることができることに喜び、
特にその別れを惜しまなかったという。

254無名武将@お腹せっぷく:04/07/02 23:41
蹂躙(ジュウリン) 198〜241

字は礼府(レイプ) 蜀将
大軍にも全く怯えず立ち向かい、そして多くの敵将を押し倒したという。
しかしなぜか人を殺めることはしなかった。
彼にやられた者は大概顔になぞの白い液体がついていたという。

「精子」に登場する。
255記録官(仮):04/07/02 23:47
>>242,>>247
ありがとうございます!
皆さんこそ、埋もれた名将・迷将、はては珍将・奇将・変将
等などの発掘、乙!でござる。

100レスまでで、

後漢:8人
魏:15人
呉:10人
蜀:12人
南蛮:5人
群雄関係:2人
宗教勢力:1人
異民族:2人
在野:1人
所属不明:4人
その他:7人
―――――――――
と、なっております。結構バランスとれてる気がw
256無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 00:05
馬耳(バジ) 177〜222

字は東風 蜀の文官。知られざる馬超の子。
文官だったが、誰の話も聞かなかったので、ある時
「この凡愚めが!」と一喝され、これをこの上もなく恥じ自害した。

なお、武侯祠には今も祭られていない。
密微視(ミツビシ) 196〜209 呉
字は傑漢(ケッカン) 

呉の将。若干12歳にして赤壁の戦いに参加する。
密微視の策により呉の船団は原因不明の火災に襲われる。
この炎上で弟の負葬(フソウ)を失ったと言われている。
火計のあまりの凄さに魏軍は撤退を開始した。
なお密微視は負葬の事を恥じて翌年憤死した。
258無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 00:13
陸自(りくじ)

字は衛隊(えいたい)。呉の俊英、陸遜の次子。
若くして軍才を発揮し、父亡き後都督を務め、対魏戦線を支える。
彼の基本方針は「専守防衛」であり、自ら攻め入ることは
決してしなかった。しかし防衛の才には秀でていたため
呉の領土が侵されることはなかった。
彼が都督であった時、その軍はすさまじい
勢力を誇っていたにも関らず一向に攻め入ろうとしないため
ついには左遷されることとなる。
海自、空自らが陸自の脇を固めていた。
259無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 00:19
>>139
>>213
>>231
>>236
おまいら天才だな。
呉港(ごこう)

呉の文官。造船技術に秀で数々の優れた艦を生み出す。
彼の作った蒙衝艦として「扶桑」「榛名」「金剛」「霧島」などがある。
後、彼の技術を恐れた魏が暗殺を謀り、刺客の手にかかり
命を落とす。
261無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 00:25
陸海(リクカイ)
字は防衛(防衛) 前頁>>258の弟、陸遜の第3子。
兄を助け対魏防衛の任に当たる。
彼の本領は陸と海の軍隊を巧みに連携させ相手を翻弄するところにあり、
魏にとって脅威であった。
なかでも魏将武取(ブッシュ)を討ち取った功績は大きい。
しかし、政治は文官がやればよいと考え、自らは政治に一切関わろうとしなかった
ため呉内で自身の勢力を築くことはなかった。
それが災いし、兄の左遷後、呉内の派閥闘争に巻き込まれ、謀反の嫌疑により
服毒自殺。
262記録官(仮):04/07/03 00:28
皆さん乙です。
※所属先に迷った人物は、原則として最終所属先
にしております。人じゃないのは原則その他ね。

101〜150
後漢・所属不明
―――――――――――――――――――――――
後漢

>>113間愚淮(マグワイ):中常侍・趙忠の縁戚
>>115陰歩(インポ)[字:天津(テンシン)]:宦官

所属不明

>>144於夫羅優子:他のスレで時折見かける
>>149朝鮮(チョウセン)[字:手歩丼]:美女
>>150槍満(ヤリマン)[字:聖子]:正史未登場
263無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 00:31
干単(ウータン)
匈奴の武将。サイエンの略奪を指揮した。
後に、領地から上がる税金の単于へ未納が発覚し、刑死。
常に人に高圧的な態度で接したため嫌われたとも言われる。
264無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 00:37
杜弧(とこ)
字は上手(じょうず)
呉の宦官
呉の後宮で皇后に取り入り、政治を壟断する。
魏より賂を受け取り陸海を皇帝に讒言する。
兎檻(ウォーリー)
字は性世(サガセ)
三国一の策略家。紅白の縞模様の服装がトレードマーク。
自分に合った君主を求めて各地を放浪。
曹操、劉備、孫権等が挙って探したが結局見つけられなかった。
266記録官(仮):04/07/03 00:50

―――――――――――――――――――――――


>>105韓国(カンコク)[字:半島]:韓玄の従弟
>>111清原(セイゲン)[字:番長]:瀬李異郡巨人県の出身
>>114蓮池(レンチ)[字:透(トオル)]:遼東一帯を治める
>>117偶倫(グウリン)[字:臨済(リンゼイ)]:異民族出身の将
>>118甲羅(コウラ)[字:古歌(コカ)]元従軍調理師
>>119魏志(ギシ)[字:子安(シアン)]:魏の大鴻臚丞
>>132山下(サンカ)[字:大輔(タイホ)]:魏の遊撃将軍
>>142上田(ウエダ)[字:便地魚間阿]:魏の予備役の将軍
下李(ゲリ) 生没年不詳
呉の将。苛烈な攻めで名を知られた猛将。
しかし堪え性が無い為失敗も多く、閑職に追いやられる。
晩年は居場所が無くなり出奔、数年後内臓疾患で世を去ったと言われる。

下斉(ゲザイ) 生没年不詳
下李の弟。兄とは対称的に敵を誘い出すのを最も得意とする知将。
堅城を謀略で落とすなどの活躍を見せ、一時権勢を振るうが
あまりにもなりふり構わないやり方が不興を買い追放される。

卞費(ベンピ) 189〜215
魏の将。主に後方支援を担当していた。
非常に臆病な性格で出撃命令が出ても出撃せず叱責される。
一方守りの戦は得意であり、何をしても投降しないと敵将に怖れられた。
篭城戦の最中、長期戦になるのを恐れた下斉により誘き寄せられ暗殺される。
卞所(べんじょ)

魏の将。字は苦崔(くさい)卞喜の弟。
異常な体臭のためにあえて彼に近づこうとする者はなかった。
曹操には「卞所是肥溜也 不近敢。」と評された。
体のくささはさておき軍才は上々であり数々の戦を歴戦し
戦功を立て二千戸を与えられた
269記録官(仮):04/07/03 01:15
101〜150(さっき入れ忘れちゃった。スマソ)

呉・蜀
―――――――――――――――――――――――


>>124 参馬(ゼイバ)[字:鹿人質(カジンシツ)]:魏の民兵組織に捉えられる
>>135 弱冷(ジャクレイ)[字:寒維(サムイ)]:呉の稗将
>>140 絶倫[字:猪口]:精子未登場



>>104 孫悟空 :孫策の頃から仕える老臣
>>106 末玖(マック)[字:倫牧(リンボク)]:赤壁で黄蓋の副将
>>112 科蓄(シナチク)[字:成斗(ナルト)]:>>63の羅麺の従兄弟
>>138 横山(オウザン)[字:光輝]:多くの著書を残す
>>139 射精[字:中田氏]:謝雄の弟
>>145 妊娠[字:中絶]:女性初の文官
270無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:21
気情意(キジョウイ) 199〜244

南蛮48傑のひとり。
騎乗の将を攻撃することを得意としていたため、自ら歩兵を志願していたという。
なお、彼の寝室ではよくギシギシという怪音が聞こえていたと言う。

「精子」に登場する。
271無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:26
松葉崩(ショウヨウホウ)199〜237

南蛮48傑のひとり。
非常に攻撃的な性格だったという。
横から攻めることを得意にしていたため、主に伏兵隊を任されていたという。

「精子」に登場する。

272無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:28
摩津馬苦頭師(まつばくずし)

南蛮48傑のひとり。
山上より駆け下り奇襲が得意先方。
ただ、猪突猛進するため、
一時的敵に打撃は与えるものの、決定的ダメージは与えられなかった。
なお、彼の寝室ではよく「おらおらおら!!」と絶叫が聞こえたという。
273無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:32
聖譲位(セイジョウイ) 190〜265

南蛮48傑のボス。
孟獲から王位を受け継ぎ、後の南蛮を大いに盛り立てたという。
また、文才も持ち合わせ、名著「武舞歌」を残す。

「精子」に登場する。

274無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:34
>>272
かぶった。
でもやっぱり猛将に変わりはないw
275無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:38
>>274
俺の法こそすまん。
276記録官(仮):04/07/03 01:39
101〜150

群雄関係・宗教勢力・異民族(南蛮を除く)・西普
――――――――――――――――――――――――――
群雄関係

>>120 銅鑼(ドラ)[字:江悶]:二張>>76配下の猛将
>>131 徐行(ジョコウ):陶謙配下の将
>>143 君与余(キミトヨ)[字:二人]:後漢末の群雄
>>147 顔射[字:避妊]:顔良の弟

※メモ:120により、76の「ニ張」が群雄の一人だったと判明

宗教勢力

>>128 放尿(ホウニョウ):黄巾党の将

異民族

>>127 佛朱(フツシュ):北方異民族の長/不沈(>>91)とは同族
>>137 陰慶勃勃(インケイボツボツ):西晋時代の匈奴の将

西普

>>141 精巣 :西晋の将/「精子」の著者
277無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:40
財(ザイ) 188〜255

南蛮48傑のひとり。
幼いころより商業に興味を持ち、内政にその力を遺憾なく発揮した。
後にその功績を高く評価され、巨万の富を得た。
なお、彼の寝室ではよく「あ〜奥にあたるぅ」という声が聞こえたという。

「精子」に登場する。
278無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:43
帯面坐異(たいめんざい)
南蛮48傑のひとり。
正面より攻めると同時に、外交交渉も行う。南蛮にありながら智謀の将と
して知られていた。
陣幕の中で1人になるとだれかに語りかけるような独り言を言っていたという。
279無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:45
よく考えたら「精子」は>>24魔羅一党の武勇伝との記述があるな。
48傑は魔羅の配下ということにしよう。

280無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:48
>>278
また微妙にかぶった。
貴様と漏れは似たもの同士なのだなw
281無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:49
南蛮48傑 その他候補
灰異(はいい)
拝綿律意(はいめんりつい)
甫掛武寝(ほかけぶね)
282無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:50
>>280
俺の法こそすまん。
283無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:51
>>280
俺の方は一応対面なんでまあ別人ということで
284無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 01:54
馬苦(バック) 166〜221

南蛮48傑のひとり。
背後からの奇襲を得意としていた。
なお、彼の寝室ではよく「もっと突いて!」という喜声が聞こえてたという。

こいつも「精子」に登場する
285無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 02:00
燕返(エンヘン) 198〜234

南蛮48傑のひとり。
有名ではないが、なかなか奥深い人物だったとされる。
なお、彼の寝室ではよく「OH YEAH!」という寄声が聞こえていたという。

「精子」に〜(以下略)
286無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 02:05
>>285
ワロタ
だんだんどうでもよくなってる感が見事に表現されている。
君達 体位ばっか書きすぎw

武将うんぬんの問題じゃねぇじゃねぇかw
288無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 02:33
>>244
字は連絡だろうが
>>840
誰が俺の股間を評価しろと言った
290記録官(仮):04/07/03 03:06
(´-`).。oO(南蛮勢、ハッスルハッスルだな)

151〜200
前漢・後漢・群雄関係・所属不明
―――――――――――――――――――――――――――――
前漢
>>187 宇甫(ウホ、ウホツという説あり):漢の高祖劉邦の家臣

後漢
>>162 羽目撮(ハメドリ)[字:動画(エムペグ)]:十常侍の黒幕

群雄関係
>>181 上野(ジョウヤ)[字:栗肉(クリニック)]:独立勢力を打ち立てる
>>184 費乃(ピノ)[字:南無子(ナムコ)]:袁紹配下の武将
>>196 袁画超(エンガチョウ):一説には袁術の第二子とも
>>197 田代(デンダイ)[字:盗撮]:田豊の子

所属不明
>>164 真性(シンセイ)[字:包茎(ホウケイ)]:139射精の弟
>>166 譚尚(タンショウ)[字:狆圃(チンポ)]:139射精、164真性とは親戚とも
>>289
誤爆スマソ
>>290
記録官乙。
293記録官(仮):04/07/03 03:25
151〜200

―――――――――――――――――――――――――――――

>>156 殷歩(インポ) [字:典津(テンツ)]:後漢末、魏の薬師
>>157 夏侯線(カコウセン):夏侯覇の弟らしい
>>160 乳輪(ニュウリン)[字:敏感]:阿斗を探す趙雲と遭遇
>>161 勃奇(ボッキ)[字:度重(ドチョウ)]:讒言により平民に落とされる
>>170 黄世腹(キヨハラ):蜀将黄権の弟。一説には甥とも
>>171 羊餡(ヨウアン)[字:羹萬(カンマン)]:漢中の攻防で戦死
>>172 波母(ハハハ)[字:湖矢津目(コヤツメ)]:曹操の求賢令により登用
>>175 田森(デンシン) :袁紹配下の田豊の子といわれる
>>176 青汁(アオジル)[字:Q斎(キューサイ)]:遼東省の人
294記録官(仮):04/07/03 03:48
(´-`).。oO(俺もひまだな。)

151〜200
魏(続き)・呉・蜀
―――――――――――――――――――――――――――――

>>180 手術(シュジュツ)[字:皮膚科]:魏の猛将
>>185 糞尿(フンニョウ)[字:汚物]:曹操のもとで農政に携わる
>>195 牛乳(ギュウニュウ):牛金の子


>>179 粗珍(ソチン)[字:短小]:>>164真性が切られた後、行方不明
>>182 貴々(キキ):呉の女武将
>>199 難破(ナンパ)[字:即羽目(ソクハメ)]:正史未登場の将


>>154 訓煮(クンニ):文人
>>174 万度(マンド)[字:臭(クセ)]:コメントスンノマンドクセ
>>191 早漏(ソウロウ)[字:三擦(ミコスリ)]:「精子」に登場する将
295記録官(仮):04/07/03 04:03
151〜200
南蛮・宗教勢力・異民族・その他
――――――――――――――――――――――――――――――
南蛮
>>152 白濁液(ハクダクエキ):>>24魔羅の下に来た>>139射精の部下

宗教勢力
>>167 脱糞(ダップン):知勇兼備の黄巾族の将
>>168 著部痢罵(チョベリバ):黄巾賊の頭目
>>177 野糞(ノグソ):黄巾賊大頭目

異民族
>>153 満湖(マソコ):女陰山脈に住む洞主
>>158 増掻(マスカキ)単于 :遼西烏丸の盟主的人物

その他
>>151 茶葉 (チャバ):劉備に見初められた娼婦
>>159 自慰(ジイ):蓬莱山の仙人(見習)
296記録官(仮):04/07/03 04:11
>>292,謝々!
さすがに皆さん寝たようですね。私も寝ますかな。
これから見る人・レスする人、270以降の深夜のや
りとり、おもしろかったですぞ♪
では、おやすみなさい。
297無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 07:13
アフォ過ぎる・・・(笑
于甫(うすけ)  192〜228

字は思(し)。于禁の三男、魏の文官。
清廉潔白で隠し事を嫌い、魏の内政を陰から支えた功臣。
名前をよく「ウホ」と勘違いされるが、うすけである。
父親である于禁が関羽に降伏し呉より帰国した後は、裏切り者の息子として罵声を浴び、
周囲からは侮蔑の念を込めて「ウホ」と呼ばれた。
蜀の北伐の際に王朗と共に参陣、諸葛亮に論戦を挑むが、
「不足聞于甫(うほ)之言也」と一蹴され、憤死する。
その死を惜しまれ、司馬懿に「清廉潔白にして美男なり」と評された。

299無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 08:54
顔醜

詳細はだれか考えてくれ
顔良と文醜がフュージョンした奴だろ。

セルに殺されたんだよな。
301無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 11:33
高松(こうしょう)    ?〜?

知ってる人は少ない高覧の子。
親父と一緒に曹操軍に帰順したが、親父が劉辟に斬られたときに怖くなって逃げだした。
そのあとの高松の姿を見た者はいない。
302銀走駆主:04/07/03 12:01
慈恩大君(ジオンダイクン)210〜268
西域の異民族の武将である。開明的な人物であり、258年に才度参の地に共和制国家
を築く。しかし10年後の268年に急進派の参謀出銀座備の手により暗殺される。
なお慈恩には二人の子がおり、彼の忠臣である陣馬羅瑠が逃がしたとされているが
その子らの消息は不明である。 





303記録官(仮):04/07/03 12:35
皆さん、乙です。ペース早いですねw

1〜200レスまでで、

前漢:1人
後漢:11人
魏:35人
呉:16人 (女性2人)
蜀:21人 (女性1人)
南蛮:6人
群雄関係:10人
宗教勢力:5人
異民族:6人
在野:1人
西普:1人
所属不明:9人(女性1人)※>>76のニ張はここのままにしてあります
その他:9人 (女性1人・人以外2頭w)
―――――――――――――――――――――
合計:131人(女性5人・人以外2頭w)
と、なっております(女性ははっきりそう明記
してある人物のみ)。
やはり、魏がやや多いですね。
304無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 13:01
又吉 家須(サキツ イエス) 生没不明

自らを唯一神と名乗る。
黄巾の乱に続き、民衆の蜂起を扇動するが失敗した。
その後も同じ事を続けたが、結局成功はしなかった。

正史には登場しない
正史には
305記録官(仮):04/07/03 13:58
201〜250
後漢・魏
―――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>>211 廃土(ハイド):後漢の宮廷音曲家


>>209 植草(ショクソウ):魏の気骨溢れる内政官
>>210 邪庵(ジャーン)[字:蛇暗(ジャーン)]:魏将
>>216 牌刷(パイズリ)[字:挟珍(キョウチン)]:対異民族戦で活躍
>>230 阿班(アハン)[字:威安]:司馬氏4代に仕える
>>245 摩邦瓶(マホウビン)[字:象印(ゾウイン)]:赤壁において自刃
306記録官(仮):04/07/03 13:59
201〜250
呉・群雄関係
―――――――――――――――――――――――――――――――

>>213 穴流(アナル)[字:明日穴(アスホール)]:呉の武将
>>227 珈琲(コウヒ)[字:無糖(ムトウ)]:大司馬の位を固辞した江南の豪族
>>236 潮吹(チョウスイ)[字:鷹(タカ)]:周瑜に切られる
>>244 桧山(ヒザン)[字:進次郎(シンジロウ)]:年二十一のときより呉一筋
>>246 去勢(キョセイ)[字:一物]:呉の文官/宦官
>>249 全裸(ゼンラ)[字:蛇尾出(ダビデ)]:全綜の子

群雄関係
>>215 苦狂(クックル):反董卓連合軍参加の平原太守
>>235 納涼(ノウリョウ)[字:暑中(ショチュウ)]:劉表に仕えた涼州人
307記録官(仮):04/07/03 14:00
201〜250
蜀・南蛮
―――――――――――――――――――――――――――――――

>>212 赤辺(アカペン)[字:鮮清]:学識で知られた蜀の文官
>>214 冷蔵(レイゾウ):>>61冷房の弟。内政に秀でる
>>219 鯨牟(ゲイム)[字:無双厨]:鯨布の子孫とも
>>228 豊田(ポウデン)[字:荷歩(ニフ)]:諸葛亮に処刑される
>>232 馬鹿(バカ)[字:阿呆(アホウ)]:馬岱の弟
>>248 童貞(ドウテイ)[字:未使用]:蜀の猛将

南蛮
>>206 恥骨(チコツ):>>85肩甲骨と並び、允突骨(孟獲の誤りか)の両腕
>>235 樹海(ジュカイ):南蛮青木ヶ原高地の猛将
308記録官(仮):04/07/03 14:01
201〜250
異民族・所属不明・その他
―――――――――――――――――――――――――――――――
異民族
>>202 三菱(サンリョウ)[字:脱輪]:倭人
>>205 日産(ニッサン):高句麗の単于

所属不明
>>225 剥陳(ハチン):名のみの登場

その他
>>207 ミコスリ=ハン :元の時代のモンゴルの王
>>217 郭李(カクリ):阪神タイガースに所属した投手
>>231 楮虎(チョコ)[字:駅弁(エキベン)]:曹操に銅雀台に招かれた旅芸人
>>250 手淫(シュイン)[字:襟獲(エリエール)]:魏将>>180手術の子
309無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 14:05
書文(ショ ブン)生没不明
字は鎮(チン)呉の武官
武辺一辺倒として名が知られる
書文曰く・「ただの鉄の塊」と評した武器で多くの戦場を暴れまわり
書文が戦う所にはかならず異様な音がでると言われた
赤壁の戦いで奮戦するも、自ら振るった武器が自分に当たって死ぬ

正史には登場しない
310無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 14:08
項勅(こうちょく) 153〜202
あの項羽の末裔といわれている。
しかし、その武勇・覇気は彼には全く伝わっておらず、愚味あふれる人物で
専ら、自邸で自慰に勤しむことが多かったという。
199年には自慰に勤しんでいる最中に、使者とはち合わせてしまい、
羞恥心にさいなまれた項勅はその使者に斬りかかったが、あえなく転倒し、
そのときの怪我がもとで、3年後失意のうちに逝去す。
袁如(えんじょ) 字 公才(こうさい) 生没不明

名門袁家の出、袁紹の従兄弟。
家財が豊かで、多くの民間の幼女に金を与えては色々な淫行をさせていた。
士人の間ではその荒淫な生活が不評であった。
なお、その行為があんまりにも有名なので、
一般民間人の女が金を貰って淫行を行うことを「袁公」と称する隠語が流行ったという。
関根(カンコン) 生没不明

字は勤  関羽の末子。
父から武勇は受け継がなかったが、それを補う為独自に開発した
カマキリ拳法は敵味方を問わず震撼させたという。
曹操からクドいと批判された。
313無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 17:59
陳鎮 独歩 (チンチンドクホ)
 
先に生殖器が魏に仕官したためやむなく魏に仕える。
都尉に成った時生殖器に異変が起こり枯死。
やむなく宦官となるも寵を得られず失意のうちに世を去る。
>>311
その名前、ホントに「らしく」聞こえるw
牛丼(ギュウドン) 187〜253

字は特盛。魏の将。襄陽の名門吉野家の出だが、牛家の養子となる。
牛金の叔父。

迅速・勇猛・聡明の三拍子揃った武将。
元は自信過剰な性格だったため、一度大敗を喫して死にかけた事が有る。
その後反省して安い給料で活躍したため、彼の有能さは人民の尊敬の的となった。
彼の敷居の低さは、特に仕事の無い貧乏な若者に親しまれた。
たまに親子連れの四人にも親しまれる事があった。Uの字テーブルを特に愛した。

最後は大尉まで上り詰めたが、謎の病気に脳味噌をやられて死んだ。
人民はイエスキリスト並みに彼の復活を熱望した。 正史には記載が無い。
316無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 21:06
失禁(しっきん) 163〜215

字は垂流(すいりゅう) 晋陽南部の土豪。
袁紹と公孫讃、さらに烏丸など北部の諸勢力と度重なる抗争を繰り広げる。
しかし、彼本人は極度の小心者でその気の小ささは、あの劉樟に勝るとも劣らないほど。
「外敵に攻め込まれた」と使者から報告を受けるや否や、
彼の着衣の下部が茶褐色に変色するのを、家臣は常に見逃さなかったという。
またその臭いもひどく、戦意の旺盛だった兵士が一瞬のうちに卒倒するほどで、
家臣は自軍の士気が低下するのを恐れて、彼を戦陣には1度も連れて行かなかったという。
そのせいか、敵側に対してもさほど悪印象はなかったらしく、
袁紹の腹心・高幹に敗戦後捕縛されるも、配下に暖かく迎えられたという。
その時、彼自身は命を永らえて余程安堵したのか、
そこでまた肛門が緩み、衣服の下部が茶褐色に変色したと伝えられている。

至極残念なことに、正史にはそのような記載はない。
317無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 21:41
胡紀(ごき) ???〜160

字は武李(ぶり)。その姓から、異民族の血筋とされる。
後漢末期に宦官を統率し、宮廷内の権力を一手に集めたと言われる悪の権化。
また好色家としても知られ、彼は次々と子をもうけ養子縁組で権力を拡大した。
宮廷内の人物からは忌み嫌われ、遂に捕えられた彼は靴で殴打され、絶命したと言われる。
なお、後漢の十常侍は皆彼の血筋を組んでいるとさえ言われている。
魔対(まつい)字:秀鬼    ?〜220

曹操陣営自称最強を誇る武人。
曹操から「呉児羅」とあだ名される。
配下の黄世腹に毒殺された。
于昧棒(ウマイボウ) 生没年不詳
字は野於金(ヤオキン)。魏の有名な料理家である。

彼は主に菓子を作り、街でその売り歩いたところ、これが評判となった。

彼は作っていたこの菓子に可能性を感じ、どんどんさまざまな味を作り出していった。
彼の作る菓子は非常に安く、庶民のおやつに最適であった。
そして、その菓子は彼の名をそのままとり、于味棒と呼ばれるようになった。

その味は魏王曹操も非常に愛し、彼の業βの宮殿にはそれぞれの味の名の付いた
宮殿が作られたという。

この菓子の調理法は「惇活爽須」「左羅味」「地異図」「弖利夜貴馬亜我亜」
「歩陀阿寿」「野菜鎖羅陀」「綿太」「蝦馬世寧図」「地世胡」「伽羅牝留」「蛸八騎」
「個個亜」「智金華麗」「嘉馬屋貴」全14篇の書物にまとめられた。
しかし、現在では全てが失われてしまい、その調理法は永遠にわからなくなってしまった。

当時の書物から、探り出してみるに、現在の駄菓子「うまい棒」に非常によく似ていると言われている。
魔対   ?〜?
字は和豆於。
蜀の将で一番脚が速かったと言われる。
劉備が呉との戦いで絶対絶命になったときには魔対が俊足で救出した。
魏将魔対との関係は一切なし。
321無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 22:13
楓琳(ふうりん) 185〜210
字は凛々
呉の人。彼は容姿端麗で女性も男性も夢中だったという
特に声が美しく喧嘩腰で熱くなった人の心も冷やし何度も喧嘩の仲裁をした
その音に勝る人無しといわれるほどだった
20の時才能を見出され登用されたが5年後に彼のことを
快く思っていなかった者に暗殺された。
現在ある風鈴は彼が発明した物とも言われている
なお正史には登場しない
馬連(ばれん) 196〜265

字は汰院(たいん)。
蜀将。街亭の布陣に失敗して失脚した馬稷の遠縁。
北伐での長い陣中生活に心身共に疲労の激しい孔明のために、
可可緒豆から作られた不可思議な黒い軍行食を発明した。
やや苦みの残る甘味に何とも言えぬ香気が漂うこの食物は、
後「貯古令糖」と名付けられ、蜀の名物にまでなった。
孔明も大層気に入り、「馬連は総身これ貯古なり」と絶賛したと言う。

尚、正史には登場しない。
黄文(こうもん)170〜192

字は孝節(こうせつ)。
後漢の将。董卓の専横を憂い、董卓、呂布の尻を掘り虜にした後、
仲違いさせる策の実行にあたった。
厠へ向かう呂布に男根を見せつけ声をかけるも呂布は逆上し、
黄文はその場で切り捨てられたため失敗に終わる。
これを見た王允は「男では無理であったか」と嘆き、義娘の貂蝉に彼の策を託したと言う。
尚、正史には登場しない。
憂夷愚琉(ウイグル)  ?〜222
字は獄長。モンゴル出身の大巨人。
魏軍が蜀に侵攻したときに魏に協力した。
得意の双鞭で蜀軍をことごとく討ち果たした。
蜀の険師朗と百合位打ち合う一騎討ちをするが、敗れた。
斬られた後も立ち上がって喋り続けたという。
このスレを参考にして「三国志」で新武将作れるかも
326無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 23:13
これはもとにして、ゲームが作れそうだな
327無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 23:21
矢羅名烏賊(ヤラナイカ)

字は良異男(イイオトコ)。>>187の同僚であった。彼と同様に劉邦に寵愛され、
本人とも繋がりがあったという。また類稀なる烏賊の愛好者であり烏賊を常食したという。
その為、彼の部屋は常に烏賊臭かったと言われるがどうやら原因は他にもあったらしい。
最後は烏賊を食べて食中毒をおこしてこの世を去る。正に始めから終わりまでイカ臭い人生であった。
張優(ちょうゆう)  ?〜?
なんとあの張達の息子である。
呉に仕えていたが親父を殺した張苞を殺すために蜀へ入る。
なんとか張苞に近付いたが逆に返り討ちにあった。
329記録官(仮):04/07/03 23:59
皆さん乙です。わっ、まただいぶレス伸びてますね。
下ネタから芸能・アニメ・生物・三戦ネタ・もちろん
元ネタのパロ、はては社会風刺まで題材が幅広いです
な。

251〜300
魏 ・蜀・異民族・在野・所属不明
――――――――――――――――――――――――――――――――

>>252 無励句(ブレイク)[字:工業(コウギョウ)]:幼名は解体(カイタイ)
>>268 卞所(ベンジョ)[字:苦崔(クサイ)]:卞喜の弟
>>298 于甫(ウスケ)[字:思(シ)]:于禁の三男、文官


>>251 前戯(ゼンギ)[字:愛撫]:蜀の豪将
>>254 蹂躙(ジュウリン)[字:礼府(レイプ)]:「精子」に登場する将
>>256 馬耳(バジ)[字:東風]:知られざる馬超の子

異民族
>>263 干単(ウータン):匈奴の武将

在野
>>265 兎檻(ウォーリー)[字:性世(サガセ)]:策略家。各地を放浪

所属不明
>>299 顔醜 :>>300の項を参照
330記録官(仮):04/07/04 00:00
251〜300
魏(追加)・ 呉
――――――――――――――――――――――――――――――――

>>267 卞費(ベンピ):後方支援を担当した将


>>257 密微視(ミツビシ)[字:傑漢(ケッカン)]:若干12歳で赤壁に参戦
>>258 陸自(リクジ)[字:衛隊(エイタイ)]:陸遜の次子
>>260 呉港(ゴコウ):文官。魏の刺客に暗殺される
>>261 陸海(リクカイ)[字:防衛(ボウエイ)]:>>258陸自の弟
>>264 杜弧(トコ)[字:上手(ジョウズ)]:呉の宦官
>>267 下李(ゲリ):苛烈な攻めで知られた猛将
>>267 下斉(ゲザイ):下李の弟。知将
331記録官(仮):04/07/04 00:03
251〜300
南蛮
――――――――――――――――――――――――――――――――
南蛮
>>253 圃娑珂 [字:尚輝]:黄巾の乱に乗じるも劉焉に追われる
>>270 気情意(キジョウイ):南蛮48傑のひとり/歩兵
>>271 松葉崩(ショウヨウホウ):南蛮48傑のひとり/伏兵
>>272 摩津馬苦頭師(マツバクズシ):南蛮48傑のひとり/奇襲
>>273 聖譲位(セイジョウイ):南蛮48傑のボス/文才
>>277 財(ザイ):南蛮48傑のひとり/内政
>>278 帯面坐異(タイメンザイ):南蛮48傑のひとり/智謀
>>285 燕返(エンヘン):南蛮48傑のひとり/奥深い人物

※メモ:南蛮48傑とは「精子」に登場する>>24魔羅配下の
精鋭部将達の総称であるらしい。「精子」は西普の将・精巣の
著書。詳しくは>>141を参照されたし。
332無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 00:20
谷川(ケイセン)194〜?

字は光速(コウソク)。魏の武将。その字を冠した「光速流」の異名を持つその行軍速度と
彼が得意とする不敗の陣「角換腰掛銀」で、次々と戦功を上げ、
史上最年少で最高位の官職である名人となる。
同僚の後輩羽生(ウショウ)に後事を託しこの世を去った。
衛星(192〜251)

後漢の将軍衛青の子孫。電波系のキャラで、常に城の周りをぐるぐると回っている。




許容(199〜232)

許チョの娘。父に似ず容姿淡麗だったが、どんな不細工にでも抱かれるというヤリマン。
衛青は劉徹の臣だから前漢じゃないか…_| ̄|〇

間違えた
田楽(172〜201)

田豊の子。食文化に明るく兵糧に味を付ける味噌を発明した。官渡の戦いで戦死。
336無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 00:55
周馬(シュウバ)???〜232

字は番陀霊(バンダレイ)。蜀の武将で五虎大将に勝るとも劣らぬと言われた猛将。
その勇猛ぶりを示すエピソードとして定軍山の戦いで魏の猛将、夏侯淵を相手に
武器を落としたにも関わらず、膝蹴りで互角の戦いを繰り広げたと言われる。
その後、南征に参加し、南蛮の豪傑である桜庭(オウテイ)を三度捕らえて三度解き放つが、ついに帰順させることはできなかった。
337無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 02:18
人妻(ジンサイ) 230〜274

字は不倫 呉の間諜。
ずば抜けた情報収集能力を持っており、
それを武器にあらゆる男といろんな意味で関係を持っていたという。

なお、家庭内は情事で混乱していたという。
正史には登場しない。
杜姫女母(トキメモ)

蓬莱山に住むといわれる妖女。彼女の魅力にとりつかれた者の身体は
みるみるうちに肥え太り、髭は伸び続け、悪臭を放ち、背中から筒状の突起が
何本も伸び出し、独り言を言いながら奇怪ないでたちで街中を徘徊したり
家の中にこもって全く外に出ることができなくなったといわれる。
当時殷の下太夫であった呂尚は、勅命を受けて苦心の末この妖女を退治する。
しかし彼女の死体からは童宮精(ドウキュウセイ)、香宮精(カキュウセイ)、出慈呼(デジコ)、
東鳩(トウハト)など100以上の魔性の化身が生まれて空のかなたへ散り、再び殷の
民衆や官吏に寄生しはじめた。妲己との関わりは不明だが、殷王朝の滅亡を早めた
一因が彼女にあったことは間違いない。
339無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 04:26
瑠班(ルパン)
乱世の泥棒・生没不明
中国全土を荒らし回った、コソ泥3人組のお頭。
七星の剣を盗み調子に乗った瑠班は次に二喬を狙った。しかし呉の小役人、銭硬(ゼニガタ)に阻まれる。その際に銭硬は玉璽(ギョクジ)を見つける。銭硬曰く「瑠班を追ってて、とんでもない物を見つけてしまったぁーどーしよ」
340無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 04:58
出部先(デブセン)
魏の兵卒・容姿端麗で勤務態度も至って真面目、兵馬訓練の行進でも彼の「右向け右」に勝る者はいなかった。
しかし、そんな彼は太った女性が大変に好みで、出世をかけた赤壁の戦い前夜もデブ女と枕を共にしていたが、
そのデブ女に『乗っかって!乗っかって!その重みがいいんだ!乗っかって!乗っかって!』と妙なプレイを強要、言われるままにデブ女が彼に乗っかると、予想だにしない重みが彼にかかり即死したと言う。
民明書房スレの様になってきたな
周期表(シュウキヒョウ) 生没年不詳

字は元素(ゲンソ)。後漢末の物理学者。
「遂平李米朴能溥寧〜」という歌をつくって物理学の知識を広めた。
著書に「科挙に出る物理学」「物理嫌いなんて言わせない」など。

一説に原子炉を開発したといわれるが、
群雄達の抗争に核が用いられるのを恐れて原子炉を破壊、みずからも命を絶ったという。
左翼(サヨク)183〜292?

左慈の子と言われる。非常に自虐的な人物で、生涯を父の被害に逢った人に対する賠償に捧げた。
しかし時折赤軍を率いて暴れるなどの二面性を持つ。
阿裸旨(あらし) 140〜184
黄巾賊が暴れまわってるのを良いことに。各地の州を荒らしまくった。
黄巾賊が阿裸旨が目障りだということで削除人(さくじょにん)に阿裸旨を倒すように命じられた。
結局、阿裸旨は削除人に殺された。
記録官殿、乙であります。


埜屡基那衛(やるきなえ) ?〜?

生没年不詳。南蛮の将。
とにかくやる気が無い。部下に首を刎ねられて死亡。
生前の彼は「やる気の無さは天下無双」と自負していたという。
>>345
お前さん静岡にいたことないかい?
スレと全く関係ないけどさ
ないですが・・・何故?
348無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 19:43
人大杉(ヒトオオスギ)???〜???
側近の人以外見れませんですです。。。
349無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 20:52
間夫常(まおとこ) 190〜250

字は仁駒耶(にくや)長安の豪商。汰句配と呼ばれる独自の流通手段を駆使し、中国全土を駆け回り交易を行う。
主に武将や参軍といった、ある程度裕福な階級を相手に交易を行うが、
その家を訪れるのは、何故か主人が遠征に随行している時だけだったと言われている。
尚、彼はその交易手段を一代限りとし、子にすらそれを終生明かす事はなかったという。
250年、成都の路上にて、全裸で悶死する所を目撃されている。
金  正日(かね  しょうひ)  195〜211
ウマクネ?
広辞苑(コウジエン)

字は字引(ジビキ)。蜀の文官。
幼少の頃より、言葉を覚えるのが得意であった。
その才能を買われて、劉備に取り立てられる。

劉備が言葉の意味が分からなかったとき、彼に聞くと、彼はよどみなくすぐさま答えたという。
ただ、最新の流行語や、新しい用法などには割と疎く、
そのため、十数年ごとに彼は懸命に勉強し、その時代の言葉を身につけていたという。
馬糞(ばふん) ???〜212

涼州の人。馬騰謀殺後に蜂起した涼州の豪族馬玩の庶子。
童関の戦いにおいては先陣を切り手柄をあげたが韓遂と馬超の離間に巻き込まれ流れ矢に当たり戦死した。
尚、正史には登場したとかしないとか。
王貞治(おうていじ) ??〜300
夷州の人。王双の末裔と言われている。
真剣の使い手で首をはねる時遠くまで飛ばし中華記録を保持していた。
彼は戦場において一本足で戦いに臨んでいた。後に彼を真似する者が後を絶たなかったという。
正史には登場しないが野球殿堂には今も奉られている。
354記録官(仮):04/07/04 23:00
おのおの方、乙でござる。>>345殿、かたじけのうござる。

ぶひゃひゃひゃと禿藁なネタあり、ほほう(にやり)!と
知的におもすろいレスありと、ますます充実の度合いを増
してござるな。

ご報告致す。
1〜300レスまでで、

前漢:1人
後漢:12人
魏:44人
呉:29人 (女性2人)
蜀:30人 (女性1人)
南蛮:16人
群雄関係:12人
宗教勢力:5人
異民族:9人
在野:2人
西普:1人
所属不明:14人(女性1人)※>>76のニ張はここのままにしてあります
その他:10人 (女性1人・人以外2頭w)
―――――――――――――――――――――
合計:185人(女性5人・人以外2頭w)
と、なっております。

呉が追い上げ申した。だいぶ三国志らしい勢力分布と
なって参りましたなw。南蛮勢のハッスル振りもなかなか。
355無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 00:56
素真居

字は中正。京口の宗教集団、蛇似頭の教祖。
身の丈は実に8寸を超えたと言う。
文字に暗く声帯の異常のため経文はいつも
一門の素真垣、素真村に唱えさせていた。
孫権が皇位に就くと邪教として攻撃を受ける。
後に特赦を以って呉に迎えられる。
彼の舞は人心を大いにひきつけたと言う。
南蛮勢ってヘンなのが多いな
まあ字的に南蛮にするんだろうが・・・(笑

そろそろネタも枯渇してきていい意味でまったりする円熟期を迎えたと
言うところか、このスレ。
357無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 03:08
漏れが知っていて、まだ紹介していない将が数人いる。
忙しいから、だれか代わりに頼む。

強姦(ゴウカン)・生理(セイリ)・美乳(ビニュウ)・節楠(セクース)・手古希(テコキ)
巨根(キョコン)・愛液(アイエキ)・露出(ロシュツ)・女尻(メジリ)

こいつら正史に登場しないからよろしくな。
358無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 03:15
>>357
厨房は寝てろ
359安城市民:04/07/05 06:20
>>355
とりあえず身長8寸はないだろ、と揚げ足をとる。
武来安(ブ ライアン) 生没年不詳

字は成田(セイデン)。武安国の子。
南井鞭(ナンショウベン)という武器を手に幾多の戦功を挙げた猛将。
戦に出る度に3、5、7と討ち取った敵将の数が増えていったという。
淫行(インコウ)???〜199

 後漢の変将軍。黄巾の乱に乗じ、略奪などを繰り返した。
少女趣味で、黄巾賊の家族にあたる6〜14歳の少女を拉致し
陵辱の限りを尽くした。後、それが明るみに出て投獄、獄死した。
362無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 12:42
車姦(しゃかん) 174〜194

徐州下ヒ出身車冑の末子。
父に似て平凡な武将であったという。
ただ変な性癖があり馬車の中でしか性行を行えず、呂布に攻められた際馬車の中で逃げ遅れ刺し殺された。
尚、正史には登場しない。
須磨楚(すまそ) 生没年不詳

魏の文官。官渡の戦いの際に袁紹から投降した一人。
例え身分が低い相手であっても、自分に不手際があった際は必ず謝罪をしたという。
控えめな人柄のため低い官職で終わったが、誰からも憎まれなかった。
その後、「須磨楚」の名を出すことで謝罪の意を表す習慣も一部で生まれたという。

なお、正史には何故か登場しない一人でもある。
狗卯(くぅ) ?〜?

字は智和倭。蜀の後主に仕えた。
軍事・政治にみるべき手腕はないが、主に取り入ることがうまく、
彼のつぶらな瞳に魅入られた主は借金をしてでも彼を召し抱えたという。
また、ある時主君の前から忽然と姿をくらまし、
再び現れたときは多くの親族を従えていた。
彼らを養うために主君はさらに大きな借財を背負うことになったという。
尚、正史には登場しない。
魏固(ギコ)  ?〜?

字は図沙。袁紹の配下で宝物を見つける度に「○○ゲトー」と言ったらしい。
きゃんとの戦いで必殺技の「ゲトズサー」で曹操軍をことごとく討ち果たしていた。
気が付いたら姿が見えなくなっている。
366無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 20:45
羅王(ラオウ) ???〜263

永安出身。羅憲の親族。
名馬黒王号に跨り拳一筋で敵をなぎ倒した。
263年剣閣の戦いにおいて降伏を潔しとせず
「わが生涯に一片の悔い無し!」
と言って自害して天に帰った。
尚、正史には登場しない。
蛇三洞王(ださんどうおう)  ?〜?

兀突骨の弟。
やはり兄似て全身には鱗がある。兀突骨と一緒に諸葛亮に焼き殺された。
出て来てすぐに死んだので結局何をしたのか分からない人物。現在調査中である。
368無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 21:00
虎舞竜(こぶりゅう) ???〜204
業βの出身。白馬の戦いに抜群の功をあげ名族の娘を嫁にもらう。
しかしそれからは鳴かず飛ばずで死に際の際
「何でもないようなことが幸せだったと思う。」
と手話で言ったという
尚、正史にもオリコンにも登場しない。
夫緒久須(フォックス)

字は狐。魏の文官。
彼は魏の中でもかなり中枢におり、人々の流れを規制したりした。
彼の権限は絶大であり、時々大規模な実験を行ったりした。

彼はよく魏に尽くしたが、魏の民からは憎まれていた。
彼の人民の規制は時々、不適切であったり大雑把であったりしたことがあり、
また、彼が試験的に導入した制度があまりに不評だったりしたためである。

彼は当時の魏の憎まれ者であり、
現在では魏の民の恨みのはけ口としての役割を担っていたのだろうと考えられている。
370無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 22:05
司馬の十達(しばのじゅったつ)

作者不明の説話集『世説珍語』に見える司馬氏の十人兄弟。いずれも有能であり、
世に司馬の十達として喧伝された。

すなわち、長兄の司馬熟達(しばじゅくたつ)はあらゆる技能に通暁しており、
次兄の発達(はったつ)は身体能力が極限まで高かった。
弟の通達(つうたつ)は情報を正しく伝え、到達(とうたつ)は軍を率いて
誰よりも早く目的地に赴き、珍達(ちんたつ)は子沢山で、上達(じょうたつ)は
その才能長兄に次ぎ、役達(やくたつ)は小才が効き重宝がられ、栄達(えいたつ)
は位人身を極め、末弟の配達(はいたつ)と速達(そくたつ)は物資を迅速確実に
輸送した。

しかし、彼らは『三国志』『晋書』のいずれにも登場せず、名も不明で、晋の王統に
連なる者かどうかは明らかではない。
371無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 01:46
小便(ショウベン)???〜???

 呉臣・便秘(ベンピ)の娘。姉は大便。個性的な美貌で名高く
姉・大便とともに「江東の洟の二便」とうたわれた。
 曹操が銅雀台を建造した際、「便家の二美人を迎え入れて愛でたい」と
歌ったほどその美貌は有名であったが、なぜか孫権はその申し出をあっさり
受諾し、2人を魏につかわせた。
 演義、正史ともにその後の記述はない。
賈懿(カイ)  (??〜280)

字は子傳(シデン)。蜀将。武威作戦で名を挙げた。
若き頃、成鑼(セイラ)に「軟弱者」と罵られる程の臆病者だった。
常に戦陣で戦っていたが、青葉宮の突入戦で新兵が先行し
爆死したとき、「臆病くらいがちょうどいい」というほどの皮肉屋で
あったという。
劉甫成(リュウホセイ)

字は不明。蜀将。後の突侯(トッコウ)。武威作戦で名を上げた。
身の丈六尺三寸。色が浅黒く、虎の様な腰回りを持つ。
面倒見が良く新兵に人気があった。
傷を得て床に伏せていたが、安室(アンシツ)が波紋(ハモン)の
伏兵に遭い苦戦しているところを聞き出撃。
寡兵で波紋軍に突撃し、刺し違えて安室を救出した。
イイネイイネー
学研(ガクケン) ??〜??

墨家。現在で言う自然科学を説いたと言われる。
五斗米道などの道家の影響も受けたと言われ、
少しの米を貰えばどんな家にも行って説を垂れた。

二百歳以上生きたと言われ、紙を発明した蔡倫や
三国時代の黄承彦・華佗・于吉などが門下生だとの説がある。

子供にやさしく、風車や車などの玩具を与え、文字を教えたため、
多くの子弟は「まだかな、まだかなぁ〜」と次の来訪を待ちわびたという。

諸葛亮の父と学研は交流があり、学研のもたらした玩具が木牛・流馬の
考案の元になったという説もある。
>>371
禿藁ww
妄想(モウソウ)???〜232

 字は炸裂。魏の文官。儒者だったが、類まれなる想像力を
曹操に「才」として買われた。著書に、彼の脳内で描かれたさまざまな
出来事をつづった「妄想新書」などが残されている。
378無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 18:34
既出(キシュツ)???〜223

 蜀の天文官で関羽の死兆などを予言した。死ぬまで「ガイシュツ」と呼ばれ否定しつづけるが、
ついに彼を正しく呼ぶ者はいなかったという。なぜか他の天文官の予言とことごとくダブったため、
蜀では「ガイシュッツ」といえば二番煎じであることを意味するようになった。
 白蹄城で劉備の臨終に立ち会い、そこでも正しく名前を呼ばれなかったことを嘆き、
その場で自決する。
>>368
コサキンリスナー発見
380無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 22:35
諸葛署(しょかつしょ) ???〜208

字は青島。諸葛氏の分流とされる。
劉備と共に行動するが身分が低いため常に現場で苦労し
「なぜ現場にばかり血が流れるんだ!」
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」

と当たり前の迷言を残した。
ちなみに長坂波で腹部に矢を受けたが生還し、
その時纏っていた緑の戦包を常に愛用したという。
尚、正史には登場しない。
長真(おさま) 169〜242?

字は備羅田(びらでん)。洛陽の富豪階級の出身。
一時期、黄布の乱にも参加し、民衆生活の実態と心理を知る。
そうして黄布の乱が沈静化した後、魏(当時は魏に非ず、曹操の領国)にて兵法を学ぶ。
兵法を学び、余力を持って経済や行政等も学ぶが、出奔。
その時学んだ学問を用いて地方反乱の首領となって、これを強大化、曹操へ執拗な攻撃を加えた。
討伐軍が現れれば、反乱軍は散開して潜伏し、隙あらば反乱を決行するという方法を用いた。
馬超の乱、袁ショウとの決戦時、呂布との戦い、様々な時に攻撃を行っている。

彼の軍勢は反乱軍ながら鉄の結束を持ち、更には軍紀が厳しい為整然としていたという。
主に奇襲を好み、排水の陣を敷いて自殺的な環境に置くことで兵を死兵とし、大いに戦わせる。
最後は生死不明となるが、この事で、逆に彼の存在を何時までも警戒するはめになってしまった。

一説に拠ると、曹操は彼の断続的な小規模反乱に大いに悩まされたという。

尚、黄布党に属する満保目処(まほめど)が書き残した『許欄』(こらん)にその記述は詳しい。
壱讃(イチサン)

字は気喪夷豫(キモイヨ)。呉の将である。
彼はその容貌や器量から皆に愛され、
特に同僚の八唐秦(ハットウシン)にとても好かれていたという。
しかし、その好かれ方はまさしく異常と呼ぶべきものであった。

八唐秦は神出鬼没であり、壱讃の行く先々で現れ、彼を追い続けた。
壱讃はそれに必死で逃げ回り、彼の愛情表現を拒否し続けたという。
また、しょっちゅう壱讃は自分の字を彼に見つかったときに叫ぶ癖があり、
その発音が現在のキモイという言葉の源流となったとも言われている。
383無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 22:58
関直人(カンチョクジン)

あの関羽の一族と言われているが、定かではない。
貝割れ大根が大好物という逸話のほうが有名。
彼を見た人は一様に「貝割れ大根を口に加えながら、微笑していた」と口を揃える。

宦官に賄賂を贈呈しなかった清廉派を「是、未納兄弟也」と痛烈に批判したが、
直後に、自らも未納であることが宦官に知られてしまい、
後日、自邸で貝割れ大根の栽培に勤しんでいるところを下僕に捕らえられ、
洛陽まで引きずられ、斬首された。









八唐(ハットウ)  ???〜???

字は秦(シン)。呉の同僚である壱讃(イチサン)に異常なまでの好意を寄せていた。
神出鬼没な行動で壱讃を追いまわしたが、壱讃には嫌われていた。
彼はその神出鬼没な自らの行動を軍事にも用い、大いに活躍したと言われているが、
実質的には敵方が長身の彼を見て逃げ出すからだとも言われる。

事実、彼は大いに派手な動きや、擬態が得意でもあった。
動きは華麗であったと言われているが、詳細はよく解っていない。

弟に八先生(ハツセンセイ)、親戚に明日欄 座覇(アスラン ザラ)が居る。
明日欄は男色の気があり、呉から蜀へ出奔したとも言われる。
385無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 23:39
泡姫(あわひめ) 生没年不詳

劉虞の娘。一説には養女とも言われている。類い希な美貌を持ち、近隣の群雄からは
傾国の美女とまで謳われる。多くの諸侯が彼女を求めたが、彼女は一人の男に縛られる
事をよしとせず、巨額の金銭と引き替えに、一夜限りの妙技をもってそれに応えた。
余りの妖艶さと、その閨の妙技に取り憑かれる高官、諸侯が続出し、中には私財を使い切る
者まで現れる有様だったという。併州という農産業の乏しい地域を支配する劉虞にとって、
彼女の存在は正に宝であったが、次第に美人局を行うようになり、周辺諸侯の妬み、嫉妬、
反感の対象ともなる。
ついに度重なる美人局に耐えかねた公孫讃の軍勢に攻められ、劉虞は自害。しかし彼女のその後の
消息はついに分からなかったという。その後、密かに彼女を思っていたエン紹が、公孫讃のこの行為
に激怒し、その後の公孫讃の滅亡に繋がった事は余りに有名である。まさに傾国の美女であった、と
エン紹は後々まで語っていたという。
尼陀(にだ) 字は藍剛(あいごー)

瓜楢(うりなら)居士とも号した。
蜀の文官。名前からして、西方から渡来した胡人だと思われる。
しかしながら、中原文化の源である炎帝の末裔だと自称していた。
外交を担当しており、強引な態度と歴史の偽造を武器に
他国から謝罪と賠償を要求し続けた。
荊州問題で呉にしつこくあたり、
あんまりにもしつこかったので呉が山賊を教唆して殺させた。

魯肉(ロニク) 生没年不詳。

魯粛の一族という。呉の料理人。
料理百般に秀でていたが、富貴や栄達よりも人民の中にいることを好んだ。
宮廷料理人になることを拒絶した魯肉は、孫権の怒りを買って兵士用の料理人に左遷された。
しかし、魯肉はむしろこれを喜んだという。
230年、衛温と諸葛直の夷州・亶州探索隊に料理人として同行。
魯肉はしだいに混迷を見せはじめる孫権治下の呉に帰ることを嫌い、夷州に残った。

魯肉は豚のクズ肉をつかって丼料理をつくって兵士に喜ばれた。
これが台湾の庶民料理・魯肉飯(ルーローファン)のはじまりである。

なお、正史には登場しない。
>>383
チョトワロタ
王八(オウハチ) ???〜219

字は蛋(タン)。王平の末弟で、兄と共に魏に仕えた。
「文字を六つしか知らない」と無学を揶揄されていた兄とは対照的な読書人あり、
初陣において巧みな戦術を駆使して味方を勝利に導いた。
しかし、何故か彼はその時用いた戦術をその後もしばしば採用し、何の応用も加えず
そのまま使おうとまでする場面も少なくなかった。
そのため敵に読まれて手痛い敗戦を喫する事が多くなり、次第に疎んじられるようになっていく。
219年の対蜀戦においてもかつての作戦に固執し、黄忠に裏をかかれて軍は壊滅。
また王平が蜀に投降した事もあり、処刑される。

一説には、後世の「ワンパターン」という言葉は彼の名がなまってできたものと言われている。


なお、正史には登場しない。
390無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 06:20
>>385
劉虞は幽州
391無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 06:59
次遠金素山
(ジエンキンスサン)

呉の猛将だったが、魏に下る。
そののち魏で、ショクから拉致されていた妃富(ヒトミ)と強制結婚させられる。
波乱はここから、拉致がバレ曹操やむなく妃富解放が魏に対し次遠金素山をも要求、それを曹操は承諾し次遠金素山を解放か!
と思いきや、呉が黙っていなかった。
呉では次遠金素山は脱走兵、平和条約してるショクに対し次遠金素山を要求。
次遠金素山もショクに行けば捕まるとショクには行けずにいた。そこで孔明の策で南蛮で二人を合わせそうとした。その後どうなったかわからない、オチもなくてスマン!つかれた。
392無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 09:26
たいむりーだね^^
393無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 14:01
剃毛(テイモウ)???−195

 徐州・陶兼の配下。陶兼の死後、劉備が徐州を治めた際は
その土地を知る彼が劉備をよく支えた。全身の毛をくまなく剃るなど
きれい好きで知られていたが、それを他人に求めたところから彼の悲劇が始まった。
 関羽に疎まれ、無実の罪を着せられて斬首される。
394無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 14:06
>>391
山はイランと思うが・・・
395無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 15:41
陰能

予州人。陰珪の父。
富豪の家に生まれ、青年より各地を放浪して名士の知己を得た。
党錮の禁に際して高玩・侯顔らを匿い、自らの股肱とした。

予州の黄巾の乱に乗じて汝陰を攻めるように息子に勧めたが、
陰珪が兵の訓練に時を費やすうちに波才軍は潰走してしまった。
これを知った父は、
「陰珪が世に立とうとしないのであれば私の蓄えも空しくなるばかりだ」
と叫び、養子を迎え入れて陰珪を追放した。
396無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 15:50
陰珪

予州人。身丈九尺の猛将と号して私兵を率い、のちに曹操に仕えた。
性格は優柔不断で、また実際には小男であったため、
「威張っている時は九尺あるそうだが、私はまだ四尺しか見たことが無い」
と孔融にからかわれた。

戦場に出ることは無く、もっぱら屯田兵の指導と訓練にあたった。
父に追放された事を恥じ、生涯独身だったという。
397無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 16:16
陰歩

予州人。陰珪の従兄弟。陰珪とは異なり、劉備に仕へ、劉備が予州を追われた
際も付き従った。
名士であるにもかかわらず、予州を離れ劉備に従った理由は、性的不能者である
ことが予州でうわさになりいたたまれなくなったという説があり。
彼も生涯独身を通した。
孔明の第二次北伐の直前に死去。孔明をして「彼を失ったことは余の一物に蹴りを入れられたに等しい」
と言わしめた名将。
>397
余?
着流費 愛巣

劉備が貧農時代からの部下であり友人でもある。
西域の血が混ざっているのか、赤い髪が特徴的な美男子だったと伝えられる。
常に冷静沈着で温厚だが、部下の規則違反には厳しい。
相是那覇に謀殺される。
最後の言葉は、意識が混濁したのか「銀河を手にお入れ下さい」という
訳の分からないものだったと伝えられる。


おいおいこのスレ400いっちまったよ
異常に早いペースだな。
菜葉 (なっぱ)

菜っ葉は字を禿頭といい、賽耶郡の出身。後漢の臣。
名家の出でいつも自分の出自を誇り
「俺は超エリートだぁぁぁぁ!」と言い回っていたという。
彼は出世街道を進み、後漢の中郎将まで進むが
黄巾の乱で敗死した。
彼を討ったのは孫姓を名乗る青年だったという。
琶児太   ?〜?

何故か字は伝わっていない。
黄巾の乱で配下の菜葉が孫姓を名乗る青年と戦ったが、菜葉は敗れ、琶児太は「弱者など配下にいらん」と言って菜葉を殺した。
後に青年とこの世とは思えない戦い劇を繰り広げる。
呉に仕えたが、孫皓に殺されたらしい。
あんた何歳ですか?

>>401
ナッパを殺したのはベジータですが何か?
403401:04/07/07 21:03
>>402
OK兄者
郭奕(かくえき)  ?〜?

郭李の長男。字は伯談。どこかの天才軍師の息子と名前が同じである。
優柔不断で性格最悪。はっきり言ってダメ人間。
魔対秀鬼に殺された。架空の人物の説あり。
長嶋(チョウトウ)

字は茂雄(モユウ)。魏の将である。>>353にある王貞治の同僚である。
とにかく機会があれば容赦はなく、次々と敵をなぎ倒したという。
魏帝の親征の時も、彼は劣性だった軍を一気に逆転する攻撃を行いその名を轟かせた。
>>353の王貞治とは共に恐れられ、その脅威の攻撃力は王長砲という異名まで付けられた。
また、彼は守りの将としても有名であり、その華麗な防衛は他国に知れ渡っていたという。
彼が現役を引退するときの言葉、「我が魏軍は永久に不滅です」は永遠の名台詞としてしられている。
406無名武将@お腹せっぷく:04/07/07 23:59
>>405
(・∀・)イイ!
てゆうか、記録官はどっか行ったか?
407無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 00:03
>>406
まとめるの大変そうだからね・・・^^;
ネタ作りに専念されるのでは(笑
408無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 06:57
冨樫(トガシ)???〜218

字は義博(ギハク)と言い。魏の軍師。
彼の才能を買われ魏の曹操に仕える。
彼は月の戦士達の武勇伝「女制服月戦友記」の著者、武内を奥方にむかえた
彼の残した兵書「幽々兵書(全19巻)」が有名である。
だが軍議には分けの分からん理由を付けて休んでしまう癖がひどく、時には半年近くもサボリ続けたと言う
魏の文官、周英社(シュウエイシャ)の「跳書」に曹操の唯一の悩みの種であったと書かれている

尚、正史には登場しない
409無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 07:59
裸本(ラホン) ???〜???

字は姦厨(カンチュウ)という。
裸本の書いた「三国志艶戯」は正史を下ネタ化したもので、「魏志・倭人伝」にある邪馬台国にのみ存在したが現存していない。
現在、裸本の子孫である当スレの「記録管」が民間に残る伝承を収集復元に着手している。
理知(リチ) 生没年不詳

中国・戦国時代の斉の宰相。
外交交渉や内政を重んじ、慎重な拡大路線をとった。
楚の宰相・好戦(コウセン)が軍事優先の急速な拡大策をとったのと比較される。

初代三国志以来、PCの思考パターンが理知的・好戦的とわかれているのも、
もちろんこのことをふまえている。
411無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 08:30
>>407
>>409
記録管は、裸岱(ラタイ)ってことで。
実は三国志艶戯という漫画があったりもする
良スレハケーン
俺も考えてみますた

不李坐(ふりーざ) 生没年未詳

呉の将。出身地は不明。子供の頃、父の凝留土(こるど)が仕えていた孫堅から武芸の才能を見いだされた。

そして時は流れ、孫権は父から伝えられていた不李坐を迎え入れた。そして部下として座凡(ざーぼん)と度々利唖(どどりあ)、擬柔(ぎにゅう)特戦隊が与えられた。彼の部隊は連戦連勝を続けといたという。

しかし、孫権の政治のやり方に疑問に持ったのと、同じ呉の武将>>104孫悟空の戦のやり方とあわないこともあり、ついに謀反を起こし菜滅区(なめっく)地方に拠点をおく。

しかし絶斗戦士の辺児板(べじーた)に座凡、度々裏唖が討ち取られてしまう。擬柔特戦隊の愚留°(ぐるど)も善戦するも挟み撃ちにあい戦死。

どうにか特戦隊の一人、陸矛(りくーむ)が絶斗戦士軍を崩壊させかけるも孫悟空自らの出陣で士気は回復し擬柔特戦隊は壊滅。

ついに自分が出陣し絶斗戦士の栗凛(くりりん)、辺児板を討ち取ったが孫悟空はそれに激昂し秘密兵器、超祭野人(すーぱーさいやじん)を使用し彼は命辛々落ち延びる。

その後の詳細は不明だが絶斗戦士の一人、斗卵楠(とらんくす)に父と共に暗殺されたというのが有力な説である。
>>413
もはや三国武将ではなくなってきているな(笑
まあおもろいからいいけどさw
仁下(ニゲ)???〜212

字は取、魏の偏将軍。速攻、強行を得意とし
常に戦場に、二番乗りをはたしていたという。
ある時、二番乗り出来なかった事を曹操に
指摘され、それを苦にし自害したという。
華美維(かびい)  ?〜?

字、生没年は共に不詳。呉の将。
小柄だが絶大な吸引力を誇り、合肥では魏兵1000人を丸飲みにした猛将。
数々の戦で戦功を挙げ、他国の将兵から恐れられた。
しかし彼の食欲は想像を絶するものであり、一晩で呉の兵糧を完食したため追放される。
その後の消息は不明であるが、遼東上空で飛んでいたとの目撃情報もある。
なお、正史には登場しない。
諸兄・諸姉にはご心配・お気遣いいただ
き感謝感激にございます。
1レス分消費して恐縮ですが、お許しを。

>>406ありがd
このスレの主役は、あくまで隠れた人物を
発掘なさる皆様方にござる。
300台のレス諸氏が技を競い合っておられる
最中に300台をまとめても、まとめの意味合
いが薄く、スレの流れを乱すことにもなるか
と存じ、控えてござった。
100レス遅れくらいで、前の100レスのまとめ
を上げていく所存にござる。

>>407ありがd
す、鋭いですな。それがしも皆さんのレスを
楽しく拝見しつつ、常にライバル心を燃やし
てもおり申す。実はコソーリすでに数名カキコして
たりなんかして。てへっ♪

>>409>>411ありがd
おおおお!
嬉しゅうござるぞ!記録官(仮)、
身に余る光栄に存じまする。
さっそくにお名前使わせていただきますぞ。
御先祖・裸姦厨に恥じぬよう、皆さんのお手
伝いをさせていただきまする。

ではまた近いうちに
              裸岱(ラタイ)
                  謹啓
419無名武将@お腹せっぷく:04/07/08 23:15
田萬(でんまん) ???〜200

字は吟児老 揚州に勢力を持った豪族。家臣や領民に高利貸しを行い、暴利を貪る。
その金利は余りにも高く、人々からは徒居智の吟児と恐れられる。尚、徒居智の意味は
伝わっていない。返済できない者には情け容赦のない処罰で挑んだため、人々の怨嗟の声は
周囲に満ちあふれていた。しかし、快進撃を続けていた孫策の侵攻により、家臣、領民が
相次いで離反。彼自身は大量の黄金と共に長江に身を投げたという。
420413:04/07/09 02:20
>>418あっΣ(゚д゚;)ベジータは既出だったんだ…まあ別人と言うことで(何

新しく考えてみますた

鳥山(ちょうざん) ?〜

字は明(みん)。幼少の頃から絵や記述がうまく、成人になった後に文官として諸葛亮を助ける。

彼は趣味でおとぎ話を書いており、代表作「龍玉」「霰」(あられ)は余りに有名。彼の息子は>>104の孫悟空で、絶斗戦士も彼の血筋。一説には>>413不李坐も血筋ではないかと言われる。

ショク滅亡後の彼の詳細は不明だが一説には倭国に逃げたと言われている。

彼の子孫は今、日本でマンガを書いているが彼本人との説もある。


正史にも演義にも登場しないが実際に存在する。
421無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 06:09
砂糖壱(サトウイチ)
?〜?
ショクの指圧士
だが、その正体は凄腕の剣術士、劉備の影武者、孔明からも絶大な信頼をも受けていた。
暗殺に対処する為に、人の心を中を読みたい!と彼は自ら盲目のフリをして暮らす。見えるものがすべてじゃない、そして彼は相手の考えてる事が完璧にわかるまでの域に達した。さらに劉備に立ちふさがる危機を回避してきた。
そんな劉備も病に倒れ、劉禅の事を孔明と砂糖壱に託した。砂糖壱も涙ながら、それにうなずき、それに答えようと誓った。国政などは孔明、砂糖壱は劉禅の教育、影武者に決まり、初めて劉禅の前に立った。
しかし、いつもの癖で砂糖壱は劉禅の心の中を読んでしまった!?
『あーうざいなぁ、しんどい、座りたいな〜、昨日、オナニー右手でしたから今日は左でしよかなぁ、あーってか、馬岱に町から若い女を調達させるかなぁグシェッシェ…、今日は久々に本番しよかなぁ〜(^O^)』
砂糖壱は劉禅の心の中が耐えきれなくなり、三日で姿を消したという。正史、演技には登場してないが、現在でも中国の山奥で三世帯ばかりに言い伝われている…
422無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 09:32
なんで他の何でもなく、ベジータがガイシュツになるんだよ(藁
423記録官・裸岱:04/07/09 11:43
皆さん乙です。
今年の夏は各地で猛暑ですな。
うだるような熱気でござるが、このスレはそん
な暑さもなんのその。快調にレスが伸び、同慶
の至りでござる。

301〜350
前漢・後漢・群雄関係・異民族
――――――――――――――――――――――――――――――――
前漢
>>327 矢羅名烏賊(ヤラナイカ)[字:良異男(イイオトコ)]:>>187宇甫の同僚。劉邦に寵愛される

後漢
>>317 胡紀(ゴキ)[字:武李(ブリ)]:宦官を統率。養子縁組で権力を拡大
>>323 黄文(コウモン)[字:孝節(コウセツ)]:連環の計を目論む
>>342 周期表(シュウキヒョウ)[字:元素(ゲンソ)]後漢末の物理学者

群雄関係
>>311 袁如(エンジョ)[字:公才(コウサイ)]:袁紹の従兄弟
>>316 失禁(シッキン)[字:垂流(スイリュウ)]:晋陽南部の土豪。袁紹に捕縛される
>>335 田楽 :袁紹の軍師の田豊の子

異民族
>>302 慈恩大君(ジオンダイクン):西域の異民族の武将
>>324 憂夷愚琉(ウイグル)[字:獄長]:モンゴル出身。魏に協力した
424記録官・裸岱:04/07/09 11:49
301〜350
魏・南蛮
―――――――――――――――――――――――――――――――

>>301 高松(コウショウ):袁紹配下高覧の子
>>313 陳鎮 独歩(チンチンドクホ):都尉から宦官に
>>315 牛丼(ギュウドン)[字:特盛]:太尉にまで上り詰めた、牛金の叔父
>>318 魔対(マツイ)[字:秀鬼]:曹操陣営自称最強を誇る武人
>>319 于昧棒(ウマイボウ)[字:野於金(ヤオキン)]:魏王曹操もその味を愛した料理家
>>332 谷川(ケイセン)[字:光速(コウソク)]:字を冠した「光速流」の異名を持つ
>>333 許容 :虎痴・許チョの娘
>>340 出部先(デブセン):魏の兵卒。赤壁の戦い前夜、死亡

南蛮
>>345 埜屡基那衛(ヤルキナエ):南蛮の将。部下に首を刎ねられる
425記録官・裸岱:04/07/09 11:51
301〜350
呉・蜀・宗教勢力
―――――――――――――――――――――――――――――――

>>309 書文(ショブン)[字:鎮(チン)]:武辺一辺倒として知られた武官
>>321 楓琳(フウリン)[字:凛々]:風鈴を発明したとも言われる
>>328 張優(チョウユウ):あの張達の息子
>>337 人妻(ジンサイ):[字:不倫]:呉の間諜


>>312 関根(カンコン)[字:勤]:関羽の末子
>>320 魔対[字:和豆於]:蜀将一の俊足
>>322 馬連(バレン):[字:汰院(タイン)]:馬稷の遠縁
>>336 周馬(シュウバ)[字:番陀霊(バンダレイ)]:夏侯淵と互角に戦った猛将

宗教勢力
>>303 又吉 家須(サキツ イエス):黄巾の乱に続き、民衆の蜂起を扇動
426記録官・裸岱:04/07/09 11:58
301〜350
所属不明・その他
―――――――――――――――――――――――――――――――
所属不明
>>310 項勅(コウチョク):項羽の末裔といわれる
>>333 衛星 :前漢の将軍衛青の子孫
>>348 人大杉(ヒトオオスギ):一説には、特殊な許可証があれば面会できたという
>>350 金 正日(カネ ショウヒ):何かがうまかったらしい

その他
>>338 杜姫女母(トキメモ):蓬莱山に住むといわれる妖女
>>339 瑠班(ルパン):乱世の泥棒。呉の二喬を狙った
>>343 左翼(サヨク):左慈の子と言われる
>>344 阿裸旨(アラシ):黄巾賊に乗じ各地の州を荒らしまくる
>>349 間夫常(マオトコ)[字:仁駒耶(ニクヤ)]:長安の豪商

末筆ながら、>>417の「謹啓」は手紙の初めに書く挨拶の言葉
でござった。締めくくりは「敬白」が正解でござる。
ふうっ、気取ってなれぬことをするものではござらんなw
お詫びして訂正致しまする。
一応お勉強のために・・・
手紙や文書などのはじめに「謹啓」がつくとそれに対応して「謹白」がつく。
はじめに「謹啓」がなければ終わりには「謹白」はいらないのですよね。
謹啓(キンケイ)???−???
 魏の文官。主に書記官として活躍する。
 礼儀正しく、また、魏書の編纂にも携わり、
歴史の捏造を要求する曹操の指示を毅然とした態度で断るなど、
その人物と歴史観は一目置かれていた。
429401:04/07/09 12:36
股間(こかん)

股間は字を一物(いちもつ)といい劉備に古くから仕えた臣である。
馬に乗ることを極度に嫌ったという。常に自分の股をいじっており
劉備入蜀後は疎んじられた。
「陰」姓が多いねw
シモネタスキねミナサン
訓読みの人名だと雰囲気が出ないと思うのは漏れだけか?
>>432
胴囲
>>433
姜維
昆布

雍ガイの腹心。
反乱を起こした事を弁明する使者として、李恢と面会した。
宴席で李恢に斬りかかったが、逆に捕えられ、煮殺される。
死体は酢漬けにされて成都に送られた。美味であったという。

この酢漬けの肉は、後に孔明の創案を加え蜀軍の携行食として用いられた。
現代の都こんぶである。

出典:『事物起源』
横槍を挟むようで申し訳ないのでつが「キョウイ」の「キョウ」や「ショク」の他の読み方を教えていただけませんでつか?携帯でショクとかキョウが変換できない…(´・ω・`)ショボーン
>>435
姜維は生姜で変換しれ(しょうが)

蜀はワカラヌ
>>301
今思えば高覧が劉辟を斬ったんだよな・・・吊ってきます。
438無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 21:55

暑杉(あつすぎ)?〜208

字は敷衍。魏将。
まれに見る晴れ男で、彼が行くところ雨天になることはほとんどなく、
梅の実がなる華北の雨季にも、彼の赴任した郡県は高温で日照りになった。

また、軍を率いるときは好天続きの上、鍛錬の為に行軍中は兵に水を飲ませなかったため、
倒れる者が続出した(一本によると「向こうに梅の林があるぞ」と兵に呼びかけたのは
彼だったという)。
郡太守のときは治下で死亡する老人が多かった。
建安十三年、南征の準備中に熱中症で死去した。

赤壁の戦いの折、急に東南の風が吹き出したため、暑杉が陣営にやって来たと誤解する者が
多かったという。

現代の気象学でも「敷衍(フエン)現象」として名をとどめている。

−出典『気候変動と文明の盛衰』−
439無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 23:17
神作(しんさく) 180−210

字は譲 説明はいらない程の鬼畜。カス、生ゴミ。
生まれてきた事自体がイレギュラ−だった人物。
圃茂(ホモ)

春秋戦国時代の秦の人。巨根で知られる当時の長信侯ロウアイと
交わりを持った男性がことごとく釜を破壊され死に到ったにも関わらず
彼の釜だけはロウアイの一物を受け入れて昇天させたと言われる。
この話が評判になると、彼の肛門は「黄金の釜」と呼ばれるようになり
戦国時代の諸侯たちはこぞってこの名器を求めたという。
自作(ジサク)
 董卓配下の武将で主に兵糧の輸送、管理に勤めた。
 私兵を用いて領地内の治安をわざと悪化させる、補給路の輸送兵を襲わせるなどして
 自分の担当する政務の難度を意図的に高いように装った。
 自演の兄。

自演(ジエン)
 自作の弟。
 兄の整えた舞台から悠々と登場し、民や輸送兵の危機を救って領民からカリスマ的支持を受ける。
 また自作のわざと落とした金をすぐに役所に届け「親族の金品といえど法に基づき申告す」と
 その誠実さをアピールする小技も用いた。

鯖缶(サバカン)
 両兄弟の不正を見抜き弾劾した。臣下の灰汁禁(アクキン)に支持し自作・自演を洛陽から廃し、
 二度と彼らに都の土を踏ませなかった。
442sage:04/07/10 12:03
字は八百一。呉の女流文人。
孫策、周瑜、諸葛亮、曹操、陸孫、姜維など有名武将を題材にした
多くの物語を世に送り出すが、それらは男同士の
余りにも不浄な関係を描いていたので、人々は皆、不浄子と呼んだ。
443sage:04/07/10 12:08
ちょいと書き直しますね

同人女(ドウジンジョ)

字は八百一。呉の女流文人。
孫策、周瑜、諸葛亮、曹操、陸孫、姜維など有名武将を題材にした
多くの物語を世に送り出すが、それらは男同士の
余りにも不浄な関係を描いていたので、人々は皆、不浄子と呼んだ。
魯理(ロリ)

呉将。魯粛の遠縁の甥。都で学問に励んだが大成せず、
郷里の月旦では「魯理は総身これキモッ」と評された。

夷陵の戦いで蜀将の楊徐に襲い掛かろうとしたが重症を負う。
臨終の際、「わが部屋を他人の目に晒さぬよう、屋敷ごと焼き捨てよ」
と友人に託した。
死後、臭侯と諡された。
445無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 23:04
典始 武裸

知られざる典韋の弟。胸囲は兄を上回ったと言う。
兄の率いる曹操警護隊に特殊な胸当て、即ち今で言う“ブラ”を着用させた。
隊での評判は「胸が大きくなった。」「自然な装着間。」と上々であった。
しかし宛での張繍戦では胸当ての劣化によるハミ乳をして乳隠ししているところを
間一髪のところで典韋に救われるが、逆に典韋は斬られてしまった。
心的外傷は鋭く彼の胸の突起を尖らせた。彼のブラははじけとんだ。
446無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 00:00
王牟(オウム)
張魯逃亡後の漢中を支配した真理党の首領。彰晃尊師を自称し、
信者を率いて魏に徹底抗戦する。
敗走し第6沙亭庵を潜伏中に捕らえられた。

左燐(サリン)
真理党の将。霞ヶ関の戦いでは一切の傷を負わずに
傘一本で次々と敵兵を殺害した事から「血が出ず左燐」と恐れられた。
つかみ所の無い人物だったという。

歩阿(ポア)
真理党の将。内通を疑われた者がいるとそれを悉く虐殺した。
447無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 00:21
鍋恒(ナベツネ)

字は金慾(カヨク)。「球界の奸雄」を自称した、球の豪将。
董卓転生と呼ばれ、「ファンも黙る鍋恒」として恐れられた。
自分の支配下にある軍(通称・巨人軍)の武力増強と私利私欲の為に
他の軍からの人材登用と、裏工作を幾度も繰り返した。
財力と権力を使い無数の武将を買収して球の国に長年君臨した。
しかしながら、野球に対して特に興味はなく、武将達の心を支配する事はできず、
諸武将達の叛乱とファンによる一揆で、球公を失脚させられる。
最期は悲惨だったと伝えられているが、詳細は不明。
また、相撲界でも猛威を振るっていたという。謎多き老将。
448413:04/07/11 07:25
>>436dクス!!

擬柔(ぎにゅう)175?〜?
呉の将で>>413不李坐の部下。出身地は不明だが南蛮人との説が強い。

後漢の政治に不満を持っていた彼は当時各地で蜂起していた黄巾族に参加。彼にはカリスマ性があり、それによって部隊をまとめあげ、黄巾の幹部にまでのぼった。

しかし孫堅率いる討伐軍の部隊によって部隊は壊滅。 後の擬柔特戦隊の一人、芭汰(ばーた)と共に捕らえられてしまう。しかし孫堅は擬柔を見て「擬柔之戦是見事也」「芭汰之速是天下一也」と絶賛して縄をほどき二人を部下に誘い、擬柔は恩返しのため仕えることになる。

そして同じようにして捕らえられた陸矛(りくーむ)、自慰栖(じーす)愚留°(ぐるど)の五人が中心となる「擬柔特戦隊」を結成。孫堅の死後も孫策の江東攻めの際に活躍。孫策の死後は不李坐の部下として連戦連勝を続ける。

しかし孫権の政治を気に入ることができず、不李坐が謀反を起こすとき「孫権是暗愚也。我無恩孫権」と言い残したという。
彼には相手と自分の魂を入れ替えるという超能力があったが、菜滅区の戦いでは逆に墓穴を掘り自分はカエルになってしまう。

その後は不明。カエルとして残りの人生を歩んだらしい。

尚、正史にも演技にも登場しない
県文緒(けんぶんしょ)

字は不明。後漢末期の女流文人。
その代表作、13歳の女中の物語『謝阿莉(しゃあり)伝』の人気は
晋の左思以前に「洛陽の紙価を高からしめた」と言われ、密かに曹操も
愛読していたと伝えられる。

なお、正史には登場しない。
450名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:47
王牟(オウム)

上雄(ジョウユウ)
真理党の将。字は史浩(シコウ)。心理党の首領、王牟の側近であり、
外交官としても活躍した。しかし、自分がいいこめられたすると、言い訳ばかりしたので
人々は彼のことを「ああいえば上雄」となじった。
一説によると、このことから「質問対して言い訳すること」から「言われたことをそのまま相手に返すこと」に転じ、
彼の所属する心理党首領の名前をもじって「オウムがえし」という言葉ができたという。
王牟が曹操に捕らえられた後、彼もまた捕らえられるが、釈放され、王牟亡き後の心理党首領となった。

尊井(ソンイ)
心理党の将。字は秀夫(シュウフ)元の姓を村といい、首領の王牟から日々の功労が認められ、「尊」の字を賜り、改姓した。
学問、特に物理学にたけており、その頭脳を生かして心理党の活動の首謀者となって数多くの功績を挙げた。
心理党の科学技術省大臣まで上り詰めたが、日頃の心理党の活動を不満に思う義侠の者によって刺殺される。
彼の死後、王牟は曹操に捕らえられてしまった。心理党の幹部や信者たちは「もし尊井がいたのなら」と、彼の死を惜しんだのであった。
451名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:57
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1089379203/

171 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[] 投稿日:04/07/11 10:33
今日中にこのスレ1000逝ったら
えっちなものupするね…

だそうです。記念カキコよろしくお願いします。
ついでに、他の板・スレッドに宣伝もお願い致します。
452名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 17:46
沮相(ソソウ)
洛陽の理髪師。曹操と容姿が似ていたことから影武者に抜擢されたが、
礼を欠いたことから禰衡に影武者である事を看破され、散々に罵しられた。

隆鼻(リュウビ)
元は劉 王章 配下。耳たぶが無く、鼻が高かった。(手も短かった)
劉備の影武者を務めるがベッドの下のブツを見つけてしまったばかりに
ブチ切れた劉備にその場で処刑された。

謙遜(ケンソン)
孫堅の隠し子。奢らない性格で孫策死後に後継者に抜擢されるが
正史に登場しない、という理由で拒否し、孫権に譲った。
執行(シッコウ)

字は島州(シマス)。公孫讃の配下。軍紀に厳しい人物だったと伝えられる。
しかし死刑を好み、些細な事でも死刑に処する為人望を失う。
その余りに残酷な行動から、最後は部下に背かれて切られた。
454記録官・裸岱:04/07/11 22:39
皆さん乙です。
まとめ報告の前にお詫びと訂正にござる。

425の宗教勢力の項目に誤りがありました。
「又吉 家須(サキツ イエス)」殿のリンク先は303ではなく、
304でした。304様、申し訳ありません。
再掲して訂正致します。

>>304 又吉 家須(サキツ イエス):黄巾の乱に続き、民衆の蜂起を扇動

気をつけていきたいと存じます。
では、351〜400のまとめでござる

後漢・魏
――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>>361 淫行(インコウ):後漢の変将軍


>>362 車姦(シャカン):徐州下ヒ出身。車冑の末子
>>363 須磨楚(スマソ):官渡の戦いの際に袁紹から投降した一人
>>369 夫緒久須(フォックス)[字:狐]:魏の文官。民からは憎まれていた
>>377 妄想(モウソウ)[字:炸裂]:儒者/魏の文官
>>389 王八(オウハチ)[字:蛋(タン)]:王平の末弟。兄とは対照的な読書人
>>391 次遠金素山(ジエンキンスサン):呉の猛将だったが、魏に下る。>>392の項も参照
>>396 陰珪 :予州人。身丈九尺の猛将と号して私兵を率い、のちに曹操に仕えた
455記録官・裸岱:04/07/11 22:42
351〜400
呉・群雄関係
――――――――――――――――――――――――――――――――

>>371 小便(ショウベン):呉臣・便秘(ベンピ)の娘。姉とともに魏に遣わされる
>>382 壱讃(イチサン)[字:気喪夷豫(キモイヨ)]:容貌や器量から皆に愛された将
>>384 八唐(ハットウ)[字:秦(シン)]:同僚である>>382壱讃(イチサン)に異常なまでの好意を寄せる
>>387 魯肉(ロニク):魯粛の一族という。宮廷料理人になることを拒絶した呉の料理人

群雄関係
>>352 馬糞(バフン):涼州の豪族・馬玩の庶子
>>360 武来安(ブ ライアン)[字:成田(セイデン)]:孔融配下・武安国の子
>>365 魏固(ギコ)[字:図沙]:袁紹の配下。曹操軍をことごとく討ち果たす
>>385 泡姫(アワヒメ):幽州牧・劉虞の娘。一説には養女。傾国の美女と謳われる
>>393 剃毛(テイモウ):徐州牧・陶兼の配下。陶兼の死後は劉備を支える
456記録官・裸岱:04/07/11 22:44
351〜400

――――――――――――――――――――――――――――――――

>>351 広辞苑(コウジエン)[字:字引(ジビキ)]:才能を買われ劉備に取り立てられた文官
>>364 狗卯(クゥ)[字:智和倭]:後主・劉禅に仕えた
>>366 羅王(ラオウ):永安出身。羅憲の親族
>>372 賈懿(カイ)[字:子傳(シデン)]:武威作戦で名を上げた将
>>373 劉甫成(リュウホセイ):後の突侯(トッコウ)。武威作戦で名を上げた将
>>378 既出(キシュツ):蜀の天文官。関羽の死兆などを予言した
>>380 諸葛署(ショカツショ)[字:青島]:諸葛氏の分流とされる
>>386 尼陀(ニダ)[字:藍剛(アイゴー)]:荊州問題を担当した蜀の文官
>>397 陰歩 :396陰珪の従兄弟。劉備に仕え、劉備が予州を追われた際も付き従う
>>399 着流費 愛巣 :劉備が貧農時代からの部下であり友人
457記録官・裸岱:04/07/11 22:47
351〜400
南蛮・宗教勢力・所属不明・その他
――――――――――――――――――――――――――――――――
南蛮
>>367 蛇三洞王(ダサンドウオウ):兀突骨の弟

宗教勢力
>>355 素真居[字:中正]:京口の宗教集団、蛇似頭の教祖

所属不明
>>368 虎舞竜(コブリュウ):業βの出身。白馬の戦いに功をあげ名族の娘を娶る
>>370 司馬の十達(シバノジュッタツ):作者不明の説話集『世説珍語』に見える司馬氏の十人兄弟
>>383 関直人(カンチョクジン):宦官に賄賂を贈呈しなかった清廉派を痛烈に批判した

その他
>>353 王貞治(オウテイジ):王双の末裔と言われる真剣の使い手
>>375 学研(ガクケン):墨家。黄承彦・華佗・于吉などが門下生との説あり
>>381 長真(オサマ)[字:備羅田(ビラデン)]:富豪階級出身の地方反乱の首領
>>395 陰能 :予州人。名士と交流した>>396陰珪の父
兪逵那(ゆきな)  ?〜?
羌族の王。越吉、俄何焼戈、蛾遮塞の親友。俄何焼戈が死亡したことに腹をたて、侵攻する。
郭淮と一騎討ちで相打ち。その後態勢を立て直し、再び郭淮に挑むが、突然現れた陳泰に首を取られた。
明日欄(アスラン)

字は座覇(ザラ)。男色の気有りと記される。
呉国の吉良 倭(キラ ヤマト)を追い求めて出奔した。
この吉良倭が女性であったか男性であったかは、専門家の意見が分かれる所である。

伝記によれば、本気を出すと梅干の種が割れたという。
陰茎・陰嚢って・・・w
脱脂綿(ダッシメン)???〜230

 朶思綿とも。朶思王(ダシオウ)の縁者という説が有力だが記述はない。
諸葛亮の南伐で一度捕らえられたが許される。朶思王に降伏を進言したが
入れられず、逆に叛心ありとされ処刑された。
 脱脂粉乳(ダッシフンニュウ)は弟。
妲馳(ダッチ)

董卓の涼州時代からの愛妾。出征先にも必ず同伴させた。
自在に姿を現したり消したりし、また食事も必要としなかったという。
周囲は怪しみ、あるいは神仙の類ではないかと噂された。

正史に登場した、演義の貂蝉のモデルともなった侍婢とは
この女性ではないかと言われている。(注)

出典:『猥婦列伝』


注…『布與卓侍婢私通、恐事發覺、心不自安』(呂布伝)
463無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 01:20
この400以上のレスの中で、私が評価するに値するのはほんの一握り、
>>311>>333>>440>>446
特に>>311は白眉。

他のレスは三国志とはまったく関係なく、ただ下ネタを漢字に当て字しているだけ。
そう、厨房のための厨房の自慰。

おっ。辛口批評家まで出てきたぞこのスレw
>>463

 ち ゃ ん と 全 部 読 ん で か ら 抜 か せ 

シモじゃないのもいろいろあったのに。
>>465
でもまあぶっちゃけ下ネタの方がオレは好きだけどなw
人それぞれってことで。好みの問題だろ。

ああいう批判批評するのが出てくるってのは栄えている証拠だよ。
気にくわんならスルーしてりゃいいんだし^^;
まったりしよー
辛口(シンコウ)

辛ピ(「辛批」と表記されることもある)・辛評の兄。
辛家の兄弟は歯に布着せず言いたい放題のことを言った。
直言の士と褒める者も多かったが、敵も多く作った。
468辛口:04/07/13 02:17
>>465のいうとおり、
下ネタ以外のものも確かにあったが、論ずるにおよび申さんレベル。
469辛口:04/07/13 03:15
構ってくれよ
470無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 04:07
辛口(シンコウ)

辛ピ・辛評の兄。
しかし、才無く、他を批判するだけなので誰からも疎んじられ、憎まれた。
宮中で私闘により殺害された
論ずるに術がござらん
絶叫(ゼッキョウ)

曹熊の愛馬の名。絶影の弟にあたる。
その速さは風の如く、起伏の激しい野山を激しく駆け上ったり駆け下りたりしたといい、
時には空中で宙返りまでしたという。

そのような過激な馬に好んで乗った曹熊は、よっぽどスリルとスピードを求めたのだろう。
病弱なるがゆえに生き急いだのだ、という演義の解釈には、どこか哀しささえただよう。

曹熊が若くして死んだ直後、絶叫はあとを追うように黄河の渡し場で死んだという。
その故事に因み、絶叫馬津(ゼッキョウマシン)という地名が残された。
473無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 09:35
>>463
何が君をそうさせたの?何か辛い事があったの?間違っても和田さんみたいにならないでね!みんなが君を攻めても君は悪くないから、だからお願い、もう来るな!シッ
474無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 09:52
ただ悲しいことは…
463の出現により、
板は荒れ果て、463の追放を心から願う一方
このような事態を、裸岱さんは悲しい眼差しで見てるのかと思うと心が痛い。ここでの白眉は裸岱さんだと思う。裸岱さん、ごめんね463の代わりにあやまります。463は、きっと病気なんだ。くすん、罪を憎んで463を憎まず。
呉免(ゴメン)
不服住民の洪明、洪進らと呉に謀反をおこした
後に賀斉の軍に洪明が斬られると、賀斉の軍に降伏した
伝説によると呉免は泣きながら「ごめん」と謝った









なお正史に登場する
匿名掲示板なんだし荒しが出たってそんなに騒ぐことではないだろう^^;
匿名(トクメイ)???〜???

 宦官。陰口をよく叩き、他人を貶めることばかりしていた。
そのため、時折まともな意見があったとしても、
「匿名の言うことだから」と軽んじられた。
 十常侍が誅殺されると身の危険を感じ、辺境へ逃れた。
>>475
呉免って本当にいるよ。
479無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 17:58
>>478
だから正史に登場するって書いてあんじゃん
呉免町(ゴメンチョウ)

呉免(>>475)の隣に住んでいた人物。
まぎらわしいので改名しようと思い、画家の柳瀬嵩(リュウライスウ)を訪ねたところ、
「ごめん」の隣に「ありがとう」があればいい、という理由で謝謝(シャシャ)という名を勧められた。

呉免町が正式に謝謝に改名したかどうかははっきりしない。

ttp://www.kochinews.co.jp/0406/040619headline04.htm
481無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 21:09
>絶叫馬津(ゼッキョウマシン)
ワラタ
龍角[王賛](リュウカクサン)生没年不詳

字は不明。蜀の武将。後主・劉禅に仕えた。
楚漢戦争時代、項羽配下の猛将として知られた
龍且の末裔といわれる。

さらっとした性格で、古風な容貌であったとい
う。趙統の後任として虎賁中郎将を務めた。立
派に職責を果たし、「虎賁といえば龍角[王賛]」
とまで称えられた。頑健な体質であったが、咽
喉だけは弱かったという。
景耀年間に逝去した。

なお、正史には登場しない。
和田讃(ワデンサン)

字は強姦。魏にあった私塾、早稲田に入塾したあと、彼は超自由という早稲田の会に入会する。
次第にその器量を見せ始め、彼はとうとう頭領となる。
だが、その会の行動内容はまさしく、凄惨そのものであり、
彼らは女性を手玉にとっては強姦、輪姦などを繰り返したという。

まさしくその行為は悪そのものであり、被害者の女性が
役所へ訴え出たところ、一気に役所は動き、芋蔓式に彼らを捕らえた。

彼の所行は鬼畜に劣るとまで言われ、数年後斬首されたという。
484無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 22:03
俺的には>>20が笑えた。

白尾身(ハクビシン)
異民族の出身で、動物のような容姿をしていたと言われる。
疫病が流行するとそれを流行らせたとの嫌疑をかけられて一族もろとも処刑された。

辛口である。私の列伝は>>467>>470を参照されたい。
2種類あるのは正史と演義の違いか。

>>472
才あり。今後貴様の思うままに綴るがよい。

>>475
感服することがまことに多い。






486記録官・裸岱:04/07/13 23:17
ご報告致す。1〜400レスまでで、

前漢:2人
後漢:16人
魏:59人 (女性1人)
呉:37人 (女性4人)※>>337の人妻は文脈から女性に入れました
蜀:44人 (女性1人)
南蛮:18人
群雄関係:20人(女性1人)
宗教勢力:7人
異民族:11人
在野:2人
西普:1人
所属不明:30人(女性1人)※>>76のニ張はここのままにしてあります
その他:19人 (女性2人・人以外2頭w)
―――――――――――――――――――――
合計:266人(女性10人・人以外2頭w)
と、なっております。

俗な言い方をすれば、実力の魏が順調に人数を伸ばし、人気の蜀がこれに続く状況と言えまし
ょうか。さはいえ、呉の女性比率が高いのも注目に値しましょう。かのニ喬、劉備の妻の孫夫人、全[王宗]
の妻・孫魯班、孫翊の妻・徐氏など著名な女性・女傑が多い呉の実態を見事に反映していてお
もしろいですな。近現代まで三国時代が続いていたら、最も早く女性にも参政権が与えられたのは呉だったやも
しれませんな。

末筆ながら、
>>427ありがd!前略・草々、拝啓・敬具などの組合せがござりましたな。いやはや、あらためて勉強になり申
した。ためにもなるスレでござりますな。

>>474ありがd!そのお気持ち、ありがたく頂戴つかまつった。それがしは皆さんのどのレスもおもしろく拝見
しており申す。お互い今後もこのスレを盛り立てていきましょうぞ♪
            
>>469>>470>>473>>474
これらはすべて、あなたのためのあなたの自演。
あなたの自演が絶頂に達するまでもなく、この良スレをageて、
荒らすことまかりならん。



美厳(ビゲン)180〜285

字は早染(ソウセン)。呉の整髪士。
若い頃は漁師であったが、イカ墨から独自の染料を
発明した。白髪を艶やかな黒髪に染めることができ
たという。

黄蓋や丁奉の髪を見事に染め上げ、老いてなお盛ん
と称えられた老将達を陰で支えた。蜀にも招かれた
ことがあり、黄忠や厳顔も美厳の技術に賛辞を惜し
まなかったという。
辛口である。私の列伝は>>467>>470を参照されたい。
2種類あるのは正史と演義の違いか。

>>483
このような下劣な書き込みは縛り首が相当でございましょう。

>>482
うむ。
夢仁君(ムジンクン)生没年不詳

本来の名は田重(デンジュウ)字を蔡権(サイケン)という。
青州の侠客で、戦国時代の田文の末裔を自称した。

代々富裕な商人であった。その財力を背景に、黄巾軍
により蹂躙された青州の地で、侠客仲間や無頼の徒・
流民・困窮した農民など数千人を食客として抱えた。

「夢仁君」と号し、彼らに資金を与えて生計が立つよ
うにしてやったが、あとで法外な利子を取り立てたと
いう。裸踊りが好きな陽気な一面があり、割と食客達
の評判はよかった。酒盛りが始まり田重が踊りだすと、
「裸・裸・裸・夢仁君、裸・裸・裸・夢仁君……」と
みなが囃したてた。評判を伝え聞き、ちょっと寄って
く異民族の食客も多かったという。

全盛は数年で、いつのまにか姿を消した。
>>490
なんか三国志っていうより封神演義に出てきそうな名前だなw
シモネタでスレを盛り立て、汚した我等に
一瞥もせぬてかッ
493無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 02:10
鬢裸人(ビンラジン)

西域富裕層出身のエロリスト。
鬢裸人は本名でなく、宗教上の理由により鬢を生やした彼が何時も裸でいたことから
そう呼ばれた。
裸人は自縛した裸の男が敵の陣営に飛び込む「自縛エロ」を好み、これを見てしまった将兵の士気は極端に低下し戦闘不能に陥ったという。
西暦201年9月11日の曹操軍に対する同時多発エロは裸人が指導したといわれる。
>>492
内容に優劣つけて喜んでるバカはほっとけ
tsGpSwX8moをNGワードにすると気楽にスレを読めるぞ
王将(オウショウ)

魏の武将。洛陽の人。字は子餃(シコウ)。
彼が赴任した幽州の果て、北方民族の土地では、
遼河の氾濫を鎮めるために金の入った財布を投げ込む風習があった。
王将は、無駄に人民の財産が失われることを憂い、
料理人に具を小麦粉で包んで財布に似せた食品をつくらせ、川に投げ込ませた。
これが餃子の起源であるとされる。

ちなみに、彼の従兄弟で、長安出身の同名の武将がいてまぎらわしい。
通は「洛陽王将(餃子の王将)」「長安王将」と呼び分けているとか。
496無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 06:01
>>420
鳥山(チョウザン)の代表作の題名は『霰』でなく『不調医』
497無名武将@お腹せっぷく :04/07/14 07:11
不定詞(ブテイシ)
>>491
ウム。十天君みたい。
金玉(キンギョク)

曹操配下の武将で金旋の異母弟。
袁紹との戦いの際に田豊の弟である田中(デンチュウ)に片腕を斬られる。
>>141の精巣の別名という説もある。
変なの住みついたな
501無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 12:12
↑貴方の事ですか?
>>493
ビンラディンはもう居たようなきが。
些事(サジ)
後漢末期の行政官。
完璧主義のその性格から、政務の処理は実に緻密で、特に法整備の面で能力を発揮した。
黄巾党の乱の後の対応で、
一般人が黄色い布を頭に付けて略奪を働いた場合と、
本物の黄巾党が略奪を働いた場合とで
どちらの罪を重くするかを延々議論し、国力の回復を妨げ、董卓の入城を招いた。
このように些細なことに労力を費やし、大事を見落としたことから、
たいしたことでないことを
「些事」と呼ぶようになった。





黄昏(コウコン) 202〜285

黄権の甥。蜀の臣。
風采の上がらない顔で、黙々と仕事をこなす文臣だったといわれる。
切れ者の年わかい上司には軽んじられ、仕事帰り、居酒屋の片隅で焼き鳥を食うのが唯一の楽しみ。
熱烈な恋愛をして駆け落ちまでしたという妻とも会話がなくなり、娘には嫌われるようになってしまった。
日が西に傾き、沈みきるまでの時間を愛し、役所の縁側に座って、よく物思いに耽っていたという。

彼は、蜀が滅び、魏が潰え、そして呉も消えていく時代の流れを見守った。
時代のたそがれに、彼はなにを思ったのだろうか。
505無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 01:43
夏休(カキュウ) 生没年不詳

呉の武将。交州蒼梧郡の人。字は叔題(シュクダイ)。
「虫取り網」よ呼ばれる特殊な矛を愛用し、薄装(シャツ・半ズボン・麦藁帽子)で戦場を往来した。
天真爛漫な人物でエピソードには事欠かないが、
ハイライトは魏軍に包囲された徐州の小都市・小岳巷(ショウガッコウ)の解放。
小岳巷の童子たちは「夏到来!夏到来!」と狂喜乱舞して夏休を迎えた。

晩年は慣れぬデスクワークに追われ、悲惨であった。
506張飛:04/07/15 01:45
このスレの住人って頭悪いんだかいいんだか
わかんねえw
名前はずし忘れたよ・・・。縦書きスレに書いてた。
しかもsage忘れ。吊る。止めないでくれ
>>507
生きろ。
ここからこのスレは3匹の龍が覇を争う大乱世。
前半を揺るがせた下ネタの乱も、所詮前兆に過ぎない。
>>507

近 く こ
寄 さ れ
る い こ
な   れ
林房(りんぼう)

林房は字を炎々と言い、永昌郡の出身である。
並外れた腹筋力、背筋力の持ち主であり
のけぞった状態での歩行を得意とした。
腐れコテハンがのさばってきたな・・・
満腹(マンプク)???〜???

 洛陽の名家の出身だったが、曹操に見出され、以後、心服し付き従う。
 無類の美食家で、そのため郭嘉と折り合いが悪く、ことあるごとに衝突したが、
次第にお互いを認め合うようになった。
 郭嘉の死を受け入れられず過食症となり、その数年後に病死したという。
>>497

定冠詞(テイカンシ)

曹植の詞文の名。曹丕が魏の冠の制度を定めたときにつくったもの。
読みようによっては批判ともとられなくない箇所があり、曹丕を不機嫌にさせた。
コテハンは構わないけど、つまらないのが致命的
辛口とか言ってる割に自分には甘いのな
516無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 16:43
ここですかぁ?腐れコテハンが一人でホラ吹くスレは。ここも終わったな、腐れのせいで。プッ(^.^)ノシ
2chの夏の風物詩
518ニセ辛口:04/07/15 17:32
袁怒 伸剛
(エンドノタケシ)
「ダンカンこのやろ!バカやろ、このやろ!辛口死ね!ダンカン、車回せっつってるだろが!コテハン辛口死ね!」
援義には登場している。
茶無戴(チャブタイ)生没年不詳

字は不明。涼州の蛮王・治無戴(チブタイ)の弟という。
戦場においては安定した陣構えを維持し、めったに崩れず
よく兄を支えた。戦で敗れたのはわずかに1回だったとい
う。

部族間では常勝将軍として評判だったが、なぜか蜀の人達
には、戦況を引っくり返されてばかりの、「出れば負け武
将」なイメージが定着していたという。
それというのも、蜀にも聞こえた「応腐任愚の戦い」の印
象があまりに鮮烈だったからではないかといわれている。
すなわち、蛮将同士の戦いだったが九分通り優勢であった
のを、威津徹(イッテツ)なる敵の蛮将によって戦況をひっく
り返されたのである。鎧兜も脱ぎ捨ててというよりぶちま
けて敗走する惨めな茶無戴軍のありさまは、蜀においては
後々まで語り草となった。

蜀の延熙10年、治無戴・白虎文らが劉禅に降伏した際、と
もに入蜀し、繁県に居住した。この時ともに降伏した同僚
の丁部留(テイブル)の子孫は栄えたが、茶無戴の子孫は衰
退し、現在ほとんどその姿は見ないという。
怒連(ドレン) 生没年不詳

字は不明。後漢末期の百官の一人。献帝が曹操の
元に逃れる際つき従った。

「赤備えの謝亜」といわれた名将が指揮する近衛
部隊において、謝亜の副将を務めた。年下の上官
をよく補佐し、おおらかで愛嬌もある性質は部下
からも慕われた。
呂布との戦いにおいて、赤兎馬で逃げる呂布を追
撃しようとする謝亜に対し、「追いつけますかな?」
と軽口をたたき、「私を誰だと思っている!」と
たしなめられたエピソードは有名(結局追いつけ
なかった)。

その後は謝亜の指揮下を離れ廷臣として出世、官
位は太尉にまで昇った。最期は務才(ムサイ)と名
づけた愛用の馬車から放り出されて戦死した。

ところで500レス達成おめでとうございます。
様々に楽しめる良スレだと思います。
違ってたら双方に申し訳ないのですが、>>352って
>>1さんの作品な気が……。なんだか作風が似てる
なと感じました。

しばらく1さんのお声を聞きませんが、せっかく
500にも達したのですし、たまには皆に声をかけ
にきてくれませんか?皆も励みになると思います。
このような楽しいスレを作ってくれて、1さん本当
にありがとう!
シャア板の内容にかぶるので却下。
羅天慶(ラテンケイ)

魏志の異本に記載がある。西方の異民族出身といわれるが定かではない。
とびきり陽気で、とてつもなく好色で、情熱的で、美食家で、音楽と芸術を愛したが、
戦争には滅法弱かった。
5231:04/07/15 19:24
>>521
いつも楽しくこのスレを拝見しております。
>>352は私ではありませんが、
私もたまに名無しでカキコしています^^
きょうは通勤中に「オフィス移転」の移転が三国志武将のように見えました。
ほら、そのう、李典にさ、響きが。すいません。
524辛口:04/07/15 19:39
まだまだ駄作ばかりだなぁ、勉強が足りないぞ。いつもながら論ずるに足らない作品ばかりだ。さぁ優秀な作品をみせてくれぃカス共よ
お前がカス
お前酸素吸うな>>524

窒素は許す。だから
い`
辛口殿に武将を作ってもらいたいもんです
窒素(チツソ) 生没年不詳

魏の文官である。名とわずかばかりの説明しか記述されてない。
彼は空気の大部分を構成していた。という記述があるのみである。
これから推測するに、彼は場の空気をよく作り出すムードメーカーな存在だったと思われる。

また、正史以外の書物にもその名が登場している。
その書に曰く、無色、無臭、まったくもって中性を保ち、また生物に欠かせない存在だったとある。

また推測で申し訳ないが、彼は中立、公正さを基本とし、また清潔さを保っていたと考えられる。

我々もこの窒素のような人物でありたいと思う。と裴松之は註したとかしなかったとか。
辛口(シンコウ)
クソコテ。流れ矢に当たって戦死。
辛口である。私の列伝は>>467>>470を参照されたい。
2種類あるのは正史と演義の違いか。

>>524
私の名前を騙るには、あなたの才では遠く及びません。

>>527
ご期待に応えたいが、私は列伝のとおりの人物。自ら創造することはありません。
名無しでは登場しています。大体100レスに一人書いています。
もはやシモネタの乱はほぼ鎮圧されたといってよい。
乱が鎮圧され、賊将が去り、ようやく良将と言える人材が育ってきているといえる。

あとは残党、私の評に耐え切れず荒らしとなった者たちが去るのを待つのみ。
まあ、残っているのは>>524の一連の携帯からの自演と、>>529のような偶発的な賊くらいか。

>>529
まさに流れ矢程度。
>>522
容易に列伝を予想させる凡将と思わせる。
陳腐な表現で数行を費やしたと見せかけ、最後の一行で将星が見え、
我に読む価値を与えた。
策士である。
うぜぇ・・・何様だよ・・・
誰がネタ出してきたと思ってんだ
534甘口♂51:04/07/15 23:52
私の列伝はない。これからは辛口のタコにかわり私が評価を下す。それに意義はないかな?
さっそく下ネタ系の評価だが
まさに
エク、エク、エク、エク、エク、

エクセレンッツ(^.^)b 辛口タコの戯言より、ぜんぜんいい!お願いだから辛口消えろ。たのむ本当に書き込みするな!おねがいね!
批評なんかいらねぇんだよ
俺らは褒められたり
けなされたりすんのが楽しみでやってんじゃねぇんだ
>>534
多くの者が素性を隠すこの戦乱の世において、
名前を名乗ったその豪胆は評価に値する。

>>535
このスレッドがそのような趣旨であるとは初耳だ。
深遠な考えをお聞かせ願いたい。
538濡流歩:04/07/16 00:06
濡流歩(ぬるぽ)

字は雅ッ。後漢の臣。
董承らの曹操誅殺計画に加担したかどで投獄され、
曹操に頭をガッ とたたかれる。(礼儀として。)
なぜか死刑は免れる。
その後、呉に亡命し山越族討伐などで戦功をあげる。
彼は褒美の代わりに、孫権に頭を叩かれることを望んだという。

>>537は撤回する。
>>535よ、無駄なレスは厳に慎むべし。
批評が嫌なら出ればよい。誰も君を追いはしない。
>>534
豪胆を評価し、書き込みどおり意義なしと認めよう。
541無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 03:31
こういうネタを披露するようなスレで批評家気取りの糞コテが登場すると、そのスレは例外なく荒れて糞スレ化する。
辛口とかいう糞コテはそういうスレを見てから出直してこないで消え失せろ
http://66.102.7.104/search?q=cache:yOsC-eaIV_MJ:www6.big.or.jp/~beyond/bbsnews/j2ch.cgi%3Fbbs%3Dbreak%26num%3D1041143473%26sub%3D%2583%2560%2583r%2582%25CD%2597%25F6%2588%25A4%2591%25CE%258F%25DB%258AO%2582%25A9%2582%25E6+%E2%97%86tsGpSwX8mo+&hl=ja

12 :1 :02/12/29 15:43
あっわりートリップの付け方教えてくれ。


13 :1 ◆d9iETxfY6c :02/12/29 15:44
#適当な英字、全部半角でな


14 :1 :02/12/29 15:44
自分より小さい女に告ッたらいかにもって感じだな。


15 :名無しさん :02/12/29 15:44
スレ立てても背は伸びね−ぞ


16 :31 :02/12/29 15:45
r


17 : ◆tsGpSwX8mo :02/12/29 15:47
jijiji


18 :1 ◆tsGpSwX8mo :02/12/29 15:47
やっとトリップつけれた産休!
19 :名無しさん :02/12/29 15:48
スレは伸びる、されど背は伸びず


20 :1 ◆tsGpSwX8mo :02/12/29 15:52
ま、身長に関してはあきらめた、もう29歳だし
だけどちびのせいで中身までガキみたいに思われて
まるで女は子供をあやすような話し方しやがる
スゲー馬鹿にされた気分だ。

↑のカキコから約1年半・・・・
30超えてなおこんな時間に2ch書き込みか(藁
ネタスレで他人を見下したようなカキコしてんじゃねぇよチビpgr
544無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 03:55
辛口をNG登録すればいいだけの話
辛口(シンコウ)

背が小さいことを馬鹿にされ悲惨な人生を送る。
流れ矢に当たり死亡。
>>542-543
辛口の使ってるトリップどっかで漏れてただろ・・・
同一人物だったら笑えるがw
辛口のトリップでググったら1700以上ヒットした
仮に全て同一人物だとしたら相当なヒッキーだぞ(藁
548無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 05:48
辛口とかいう糞コテはそういうスレを見てから出直してこないで消え失せろ

せっかくの良スレだったのにな・・・。
匿名掲示板でいちいちコテハン名乗って自己主張するやつって
頭がおかしいのではないかと思う。
辛口(シンコウ)???〜199

 才覚なく、どこにも仕官できずに失意のままこの世を去った。
 実際何もしていない。引きこもりのはしりという説が有力。
 正史、演義ともに登場しない(何もできなかったので)。
551無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 12:44
甘口(かんこう)

甘寧の弟。辛口を射殺してその首を挙げたが、
その際に辛口の悲惨な体臭が移ってしまったという。
後に適当に理由をつけられて暗殺される。
皆も辛口なんかに係るとロクな事が無いよ。
552甘口♂51:04/07/16 14:40
オヨヨ(*_*)私の名前が出てる!しかも死んでる。
まっしかたがないけどね。辛くっちん来なくなったなぁ。じゃあ、これからは裸岱さんと甘口評論家のツートップでいくかぁ!私はすでに五人ぐらいは武将出してるし。下系じゃないの。
今度は俺が怒られるんだろなぁ〜
553辛口(463〜) ◆tsGpSwX8mo :04/07/16 16:02
オマンコ
しかしまあ、なんというか必死だな。
ググって他人のトリップを検索して、関係ない人間の書き込みまで引っ張り出して。
いいかげん去れよ。
あんたらから武将のにおいがしてこねえんだよ
トリップもかえるか、簡単なやつだったからな。
近親相姦(キンシンソウカン)???−223

 南蛮の将。黄忠と戦い、一歩も引かなかったが、
孟獲が捕縛されると突撃を敢行、戦死した。
 演義ではキンカンサンケツと同族として描かれている。
 異常に親しい間柄だったというが、詳しい記載はない。
557無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 21:46
壇禰(ダンデイ)
字は坂野。始め黄色い戦衣を着用していたが
黄巾族と間違われた為に赤い服に差し替えた。
先陣にたって奇声を上げ、敵軍の士気を大いに下げたが
味方の士気まで下げたため殿軍に異動させられた。
特殊な退陣方法を編み出すが突然行方不明になる
我々はただネタを提供するのみ。

堀江(クツコウ)
字は貴文(キブン)。魏の商人である。
二十代半ばに旗揚げし、一躍新進気鋭の若手として名を知られるようになる。

財を成すようになった後、彼は軍を買い取ることに専念するようになる。
精強と言われていた猛牛軍と呼ばれる一軍が当時魏の内部にあったが、
そこは経営が上手く成り立たず、青波軍と合併することが決まった。
しかし、彼は前々から自らが買い取ると述べており、それを無視した動きに彼は憤りを感じた。

だが、彼の提案は>>447に登場する鍋恒により否定され、
彼の意見が浸透することは無かったが、鍋恒反対派と、猛牛軍の兵達は
彼を救いの神のように見ていたという。
辛口の狙い通りになってるな
560記録官・裸岱:04/07/16 23:25
皆さん、乙です。
早くも500レス到達ですね。>>1さん・皆さん、おめでと
うございます。

勢いでここまで来た感もあるこの良スレ。折り返し点を過ぎ
たこれからが正念場となりましょう。ネタが枯渇して廃れて
ゆくのか、はたまた前500スレに劣らぬ名将・迷将が見出
されてゆくのか!

さてさてさてさて♪
いざ、ゆかん、1000スレの高みへ!

では、401〜450のまとめにござる
後漢・魏
――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>>401 菜葉(ナッパ)[字:禿頭]:後漢の中郎将。黄巾の乱で敗死
>>449 県文緒(ケンブンショ):曹操も作品を愛読したという後漢末期の女流文人


>>405 長嶋(チョウトウ)[字:茂雄(モユウ)]:>>353王貞治の同僚
>>408 冨樫(トガシ)[字:義博(ギハク)]:才能を買われ曹操に仕えた魏の軍師
>>415 仁下(ニゲ)[字:取]:速攻、強行を得意とした魏の偏将軍
>>428 謹啓(キンケイ):魏書の編纂にも携わったという文官
>>438 暑杉(アツスギ)[字:敷衍]:兵士や領民を苦しめた魏の将・郡太守
>>445 典始 :字は武裸と思われる。知られざる典韋の弟
561記録官・裸岱:04/07/16 23:29
401〜450
呉・蜀
――――――――――――――――――――――――――――――――

>>402 琶児太 :黄巾の乱後呉に仕えたが、孫皓に殺されたという人物
>>413 不李坐(フリーザ):孫堅に才能を見いだされ、孫権にも仕えた呉の将
>>416 華美維(カビイ):合肥で魏兵1000人を倒した猛将
>>443 同人女(ドウジンジョ)[字:八百一]:有名武将を題材にした呉の女流文人
>>444 魯理(ロリ):魯粛の遠縁の甥。夷陵の戦いで重症を負う
>>448 擬柔(ギニュウ):>>413不李坐の部下。黄巾軍幹部から孫呉の将に


>>420 鳥山(チョウザン)[字:明(ミン)]:文官として諸葛亮を助ける
>>421 砂糖壱(サトウイチ):蜀の指圧士。孔明とともに、劉備に劉禅を託される
>>429 股間(コカン)[字:一物(イチモツ)]:劉備の古くからの臣。入蜀後は疎んじられた
562記録官・裸岱:04/07/16 23:31
401〜450
群雄関係・宗教勢力・その他
――――――――――――――――――――――――――――――――
群雄関係
>>419 田萬(デンマン)[字:吟児老]:揚州に勢力を持った豪族。孫策に侵攻される
>>434 昆布 :雍ガイの腹心。使者として蜀将・李恢と面会した
>>441 自作(ジサク):董卓配下。兵糧の輸送、管理に勤める。自演の兄
自演(ジエン):自作の弟。領民からカリスマ的支持を受ける
鯖缶(サバカン):自作・自演両兄弟の不正を見抜き弾劾した

宗教勢力
>>446 王牟(オウム):張魯逃亡後の漢中を支配した心理党の首領
左燐(サリン):心理党の将
歩阿(ポア):心理党の将
>>450 上雄(ジョウユウ)[字:史浩(シコウ)]:心理党の将。>>446王牟の側近
尊井(ソンイ)[字:秀夫(シュウフ)]:心理党の将

その他
>>410 理知(リチ):戦国時代の斉の宰相。外交や内政を重んじ、慎重な拡大路線をとった
>>440 圃茂(ホモ):春秋戦国時代の秦の人。諸侯に求められた人物
>>447 鍋恒(ナベツネ)[字:金慾(カヨク)]:「球」の国に長年君臨した謎多き老将
563記録官・裸岱:04/07/16 23:53
401〜450
所属不明
――――――――――――――――――――――――――――――――
所属不明
>>404 郭奕(カクエキ)[字:伯談]>>217郭李の長男。>>318魔対秀鬼に殺された
>>409 裸本(ラホン)[字:姦厨(カンチュウ)]:「三国志艶戯」の著者
>>439 神作(シンサク)[字:譲]:生没年180−210の人物

閑話休題
 1さんのコメントも久しぶりにいただけたことですし、
500スレ記念にいくつかコラムを載せようかと考えてい
ましたが、忙しくてなかなか叶いませぬ。

1.これまでに出てきた書物・出典資料の紹介(『精子』や『三国志艶戯』など)
2.おもしろい締めの言葉の紹介(「正史には関心がない」など)

他にもいろいろ出来そうですが、よかったらどなたかいかがですか?
それでは失礼致しました。m(_ _)m
>>561>>562乙華麗

虞瑠(ぐる) 201〜?

字は高橋(こうきょう)。劉備が入ショクしたあたりに成都に現れた仙人。

彼は主に病人の治療を行っていた。その治療法はかなり特殊なもので、頭を叩くだけというものだった。彼はこれを「酌亭発頭」(しゃくてぃぱっと)と呼んでいたという。不思議と病気もすぐ直り、彼を信仰する人はどんどん増えていった。

しかし意味不明な言動も多く、北方の仙人、崔婆(さいばば)を師と呼んでいたという(崔婆自身は弟子にした覚えはないらしい)。

最後には酌亭発頭のやりすぎによって死人を出し、それを隠蔽しようとしたことから犯罪者として斬られた。

尚、正史には登場しない。
暑杉(ショサン) 182〜

劉備の入蜀以前に蜀各地を荒らしまわっていた山賊の頭領。
主に夏の間に活動し、良民達を苦しめた。
槍の腕は凄まじく、討伐に来た劉備配下の豪傑空羅(クウラ)と数百合にもわたる一騎討ちを繰り広げたが
未だに決着はついていない。
新君主(シンクンシュ) 生没年不詳。

姓は新、名は君主。字は雄左(ユーザー)。
後漢末に割拠した群雄の一人。出自や事績は諸説あってはっきりしない。
参謀であり史官でもある溥礼冶(プレイヤー)の手によって、新たに歴史が記されていくであろう。
山田(サンデン) 生没年不詳。

字は太郎。早くに両親を失い、祖父のもとで育てられる。
若くしてその才を中原に轟かせ、孝廉に挙げられると、同僚・里中(リチュウ)とともに活躍した。
勇将として知られ、自軍を勝利に導く事は数知れず、自ら挙げた首級の数は数百にも達したという
(正確な数は不明。ある戦いでは、一度に四十以上の首級を挙げたという)。
その名声の故、その名を慕う者は多く、趙雲などは、自らを山田に比せられる事を好んだという。
実際、後世においては、趙雲はしばしば山田の姿を模して描かれている。
また、名将・伊東(イトウ)をして「山田殿は、余が幼き時から既に名を成しておられたが、余が不惑に
達した今もなお若々しくおられる」と述懐した様に、年を経ても衰える事がなかった。
現在では、架空の人物ではないかという説があるが、真偽のほどは定かではない。
石井(セキセイ)

姓は石、名は井、字は壽壱(ジュイツ。ただ、なぜか「ヒサイチ」と読まれる事が多い)。
太学在籍中に「陪都(バイト)」を著すと、その数年後には、勇将・田淵(デンエン)を題材にした
「田淵君」を著し、文人として脚光を浴びる。
文学史上における影響という点では建安七子をも凌ぐとさえ言われるが、早くから俗世との
関わりを断っているため、その事跡はよく分かっていない。

一説には、闇の実力者であった辺恒(447で既出の鍋恒(ナベツネ)と同一人物とされるが、
不明 )を揶揄し、その魔手から逃れる為に隠遁したのではないかといわれる。
569無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 20:39
侃侃諤諤(カンカンガクガク) ?〜?
南蛮議論洞の帥。孟穫らとともに捕らえられるが
処刑しようとした諸葛亮を小1時間問い詰め、
論破して孟穫を解放させることに成功する。
体を動かすよりも口を動かす事が得意で
孟穫が>>20直接的杉を斬った際に口論となり、斬られた。
山田(サンデン)

字は久志。567の山田とは同姓同名であるが、血縁関係はない。
辺境の沙漠地帯の警護にあたる勇軍の一員として、長く活躍した。

彼の名を知らしめたのは、その独特の弓術である。「行蛇主鹵(アンダスロ:蛇の如く行き、敵の主を奪う)」と呼ばれる
その術は、矢の軌道が読めず、突進する多くの敵将がその餌食になったという。
人々は彼の事を「沙武麻林(サブマリン:山田は沙漠に在り。その武は、敵を麻の林の如く見せる)」とた
570続き。

人々は彼の事を「沙武麻林(サブマリン:山田は沙漠に在り。その武は、敵を麻の林の如く見せる)」と称えた。

なお、「行蛇主鹵」の術は、その後しばらく使い手がいなかったが、後に渡辺(トヘン:字は俊介)という若者が
再興させたという。
572無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 21:31
↑みんなマジでおもろい?辛口、評価しろ!こればったかり君の味方た!まじ寒いって
573変質社:04/07/17 21:35
変質(ヘンシツ)165〜279
字を社(者とも言われている)
幼少のころよりポプリクラブ百万言を暗誦でき「漢の神才」とうたわれる
201年に2喬を嫁として迎える、快楽の日々であったとゆう
2喬没後途方にくれるが「倭に天子の気あり」と旅立つ 無頓着な性格だったとゆう 蜀漢 鎮陳大将軍
>こればったかり君の味方た!


・・・・・・。
575甘口♂51:04/07/18 02:25
入酢速邦
(ニュウスソクホウ)
魏の伝令。
町や村で何かしらあると、いち早く曹操に知らせたと言う。どのような内容を知らせたかと言うと、一部音声にしたので聞いてみるとよい。再生できなかったらすまん。
http://3gp.updoga.com/wtli4x/
↑聞けますかぁ?
土管(ドカン) ?〜204

後漢末の文人で、「漫画道場七子」の一人。洛陽の人。字は鈴木(レイボク)、号は義司(ギシ)。
ライバル・富永(フエイ)ともども、浮沈の激しい人生を送った。
乞食をしていた富永に富豪だった土管が金を恵んだこともあったし、
その逆に土管が住む家を失い路頭に迷ったこともあった。
悪態をつきながら互いの力を認めていた富永との往復書簡には心癒されるものがある。
>>576
ご冥福をお祈りします
578無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 20:13
>>577
なんのことを言っているのか、
分からないよカヲル君
遺言だよ
>>1(馬刺)の没年、列伝のとおり、
ちゃんと陳倉攻めの年だ・・・。
ディテールにこだわってるな(笑
581無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 20:25
武天将軍

天下一武道会で優勝。特技は遠矢、乱射、応射、騎射、火矢、仙術

コーエー三国志で>>248とか発掘してきたら素でイヤだな・・・。
583無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 21:05
阿部(アベ)?〜?

字 高和 蜀漢の将 劉備が蜀の地を手に入れたときに仕官したと言われているが出身地等は不明
呉の陸遜とは敵味方を超えた仲だったらしい
第一次北伐にて三輪車にて魏兵の前に現れて具足を脱ぎ捨て「やらないか?」や「おまえおれのけつの中でションベンしろ」と言い放ち数人を
波典場に拉致、当時の魏兵に恐れられたとゆう(曹ヒは遷都を考えたとゆう)
司馬ゐ曰く「古の名将たちも彼には遠く及ばないだろう」と評した
臨終に際して諸葛亮に「「腹の中がパンパンだ・・・」と言い残し死亡 蜀漢 尚書令 なお演義には一切登場しない
584甘口51:04/07/19 08:32
辛口最近こねぇなぁ〜
http://3gp.updoga.com/wtkkhk/
↑これもおもろかた
>>583
正史には出て来るのかYO(w
財前(ザイゼン) ?〜248

魏の武将。字は享寿(キョウジュ)。
安西都護に任じられ、トルコ系騎馬民族である癌族と激しい戦いを繰り広げた猛将。
旗本を連ねて突撃する総皆侵(ソウカイシン)と呼ばれる陣形は辺境の民に恐れられた。
癌族諸部の総攻撃に際して、シルクロードの要衝である白巨塔(ハクキョトウ)を守備。
敵の毒矢を受けながらも戦闘を指揮し、壮絶な戦死を遂げた。
ライバルであり親友であった里見(リケン)へ宛てた遺書は有名。
谷口(コクコウ) 生没年不詳

呉の武将。字は、孝夫・孝雄・高雄など諸説あり。
孫権の近習として活躍した谷利の一族ともいわれるが、詳細は不明。
はじめは平凡な一兵士に過ぎなかったが、磨心(マシン)との苛酷な鍛錬を経て、優れた武将へと成長する。
このことは、武を志す者には広く知られており、彼を真似る者が後を絶たなかったという。

なお、磨心(マシン)とは人名ではなく機具名とする説があり、その事から、谷口は墨家集団の残党が集住
したと伝えられる墨谷の人ではないかともいわれている。

赤壁の戦いの折、谷口は、黄蓋の別働隊として僅か九人で敵襲をかけ、見事勝利を収めた。この戦いの
折に重傷を負った為、しばらく前線から離れていたが、その後復帰し、再び活躍したという。

最近になって谷口の顕彰碑が発見されたとのニュ−スが伝えられたが、残念ながら、碑文の多くが
失われている為、解析は難しいとされている。
冷桓(レイカン)

魏の軍師。同僚の山桓・第六桓とともに、「三桓」と称された。
普段はさして目立つ事はなかったが、既存の情報のみでは十分な分析ができない時に的確な助言を為し、
曹操を助けたという。正史、演義ともに登場しない。
589無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 12:30
歴史書「精子」 精巣(>>141)の著作。
 絶倫(>>140)や白濁液(>>152)など多くの武将たちが活躍する歴史書。
晋の武将であり歴史家でもある精素が、正史、演義には描かれていない「真実の歴史」を記した。
 真実はあまりにも残酷かつ卑猥であることから、後の中国の歴史家は恥じ、
その内容は歴史から抹消された。近年、当時の権力者の性癖や
町民、農民の風俗を研究する資料として評価され始めている。
590無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 12:34
絶倫は精子には登場しないって書いてあったな・・・
吊って来る。
>>1-590
君らアフォだろw
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/3485/

武将制作の参考までに↑
>>591
えぇ、愛すべきアフォです。
アナタも如何ですか?
594記録官・裸岱:04/07/20 15:35
皆さん、乙です!
……前回の挨拶文で「スレ」と「レス」を2箇所混同してござった。
「1000スレの高みへ!」って、オイ!すげ−でござるなw
ハズカピ(⊃∀⊂)
しかし、1000スレ続くくらい繁栄してほしいという期待も無意識に
込められていたということで。申し訳ござりませぬ。

それでは451〜500のまとめでござる

後漢・魏・呉
――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>>477 匿名(トクメイ):宦官。十常侍が誅殺されると逃亡した


>>452 沮相(ソソウ):洛陽の理髪師/曹操の影武者
>>495 王将(オウショウ)[字:子餃(シコウ)]:北方民族対策として遼河の氾濫に対処した
>>499 金玉(キンギョク):金旋の異母弟。>>141の精巣の別名という説あり


>>452 謙遜(ケンソン):孫堅の隠し子。孫策死後の後継者に抜擢される
>>475 呉免(ゴメン):呉に謀反をおこした。正史にも登場する人物
>>480 呉免町(ゴメンチョウ):呉免(>>475)の隣に住んでいた人物
>>488 美厳(ビゲン)[字:早染(ソウセン)]:呉の整髪士。蜀の黄忠や厳顔にも称えられた
595記録官・裸岱:04/07/20 15:38
451〜500
蜀・南蛮・群雄関係・異民族
――――――――――――――――――――――――――――――――

>>452 隆鼻(リュウビ):元劉璋配下。劉備の影武者
>>482 龍角[王賛](リュウカクサン):趙統の後任の虎賁中郎将

南蛮
>>461 脱脂綿(ダッシメン):朶思綿とも。朶思王(ダシオウ)の縁者という

群雄関係
>>453 執行(シッコウ)[字:島州(シマス)]:公孫讃配下。軍紀に厳しい人物だったという
>>462 妲馳(ダッチ):董卓の愛妾。演義の貂蝉のモデルともいう
>>467,>>470 辛口(シンコウ):辛ピ・辛評の兄。兄弟同様直言の士。伝が2種類あるのは正史と演義の違いという

異民族
>>458 兪逵那(ユキナ):羌族の王。越吉、俄何焼戈、蛾遮塞の親友
>>484 白尾身(ハクビシン):異民族の出身。動物のような容姿をしていたという
>>493 鬢裸人(ビンラジン):西域富裕層出身。201年、曹操軍に対し各地で蜂起した
596記録官・裸岱:04/07/20 15:59
451〜500
所属不明・その他
――――――――――――――――――――――――――――――――
所属不明
>>459 明日欄(アスラン)[字:座覇(ザラ)]:呉国の吉良 倭(キラ ヤマト)を追い出奔した人物

その他
>>472 絶叫(ゼッキョウ):魏の曹熊の愛馬の名。絶影の弟。曹熊に殉じる
>>483 和田讃(ワデンサン):[字:強姦]:「超自由」という会の頭領。捕縛され斬首された
>>490 夢仁君(ムジンクン):本名は田重(デンジュウ)[字:蔡権(サイケン)]。青州の侠客で、戦国時代の田文の末裔を自称

----------------------------------------------------------------------------------------------------
>>564、ありがd
>>589、おおお!乙です♪いかにもありそうな書籍紹介風で巧みですね。グッジョブでござる!
>>593、同感でござる。アフォは「亜父」に通じますw。父に次ぐほどな存在という意味で、
歴史上も多くの人物がなぞらえられてござる。愛すべき亜父、それがこのスレの住人でござる♪
597520:04/07/20 16:57
馬累(マルイ) 生没年不詳

呉の武将。読みはバルイとも。>>587谷口の腹心。字は不明。
姓の読みは陳某の「秘本三国志」なる歴史書風という(例:馬岱マタイ)。
孫権の配下として活躍した馬忠の一族ともいわれるが、詳細は不明。

はじめは平凡どころか軍の足を引っ張る一兵士に過ぎなかった。しかし
谷口に憧れ、彼の懸命な将としての成長ぶりに心打たれ一念発起する。
部将として第2塁の砦を任されるようになるも、後進の部将、伍 拾嵐
(ゴ ジュウラン)に功績を追い越されて一時左遷の憂き目も見る。しかし、
赤壁の戦いで戦功を挙げ、谷口の全幅の信頼を得、信用も取り戻す。

いくつもの戦いを経て優れた武将へと成長し、ついには谷口の後任とし
て大都督に任命される。以前は控えめだったが本来激しい気性の持ち主
で、部下や同僚とのいざこざも多く、特に伍 拾嵐とは衝突が絶えなか
った。しかし私怨を乗り越え、その伍 拾嵐を後任の大都督に推挙するな
ど度量の大きさも成長した。私怨を越えた甘寧と凌統、また、成長ぶり
を刮目された呂蒙にも匹敵する名将であった。
引退後も後進の面倒をよくみたという。

>>587殿、すいません。あまりに懐かしく、かつ名レスでしたので、矢
も盾もたまらず便乗させていただきました。王芙人虞・艶出韻虞の歌が
大好きでしたよ。

>>523>>1殿、遅ればせながらレスありがとうございます。やはり名無
しでご投稿なさってましたか。「移転」が武将に見えるって、さすが
1殿。笑いました。徐行はともかく移転はさすがにw。あ、でも私も
「年金」がどうも…w

あと、>>391殿のおかげでジェンキンス氏がどうしても「ジエンキンスサン」と
脳内変換されちゃうよw。特に「素山」が頭から離れないw
山下(さんげ)199〜287(8)?
字は清(せい)。ショクの将で老後は画家。彼の服装はいつも薄着で戦にでるときも防具をつけなかった。しかし彼の働きは素晴らしいもので、彼の部隊が出陣するだけで戦況がひっくり返ることもしばしばあった。劉備は彼を「裸の大将」と呼び、たたえたという。

しかし五丈原の戦後、年老いたと悟った彼はショクを出て放浪の旅に出る。姜維はこれを非常に惜しく思ったという。

それから約一年、あるきっかけで自分は絵が上手いと知った彼は風景画を描きながら中華を旅する。そのときの服装も「裸の大将」のままだったという。しかし287年になってしばらくすると忽然と彼の情報は入らなくなる。

288年に彼とおぼしき死体が見つかったが断定はできない。

尚、正史には登場しない
田淵(デンエン) 生没年不詳

字は幸壱。洛陽の人。568石井の著した「田淵君」のモデルといわれている。

若い時は攻守に均衡のとれた武将であったが、ある戦の際に重傷を負ってからは、猛将となった。
その武勇たるや、一度の戦いで四十余りの首級を挙げる事もしばしばで、当時、彼を凌ぐ将軍は
中華広しといえども、数えるほどであった。

ただ、凄まじい武勇の一方で、愛嬌に富んだ人物でもあり、その事を伝えるエピソ−ドは多い。
それらは、上述の「田淵君」のみならず、その他の書物にも随所に記されている。

第一線を退いてからは後身の指導にあたったが、天才肌の為か、期待されたほどの成果は
挙げられなかったという。
山本(サンホン) 生没年不詳。

字は浩司(のち浩二)。599田淵とは、親友であり、また、ライバルであったという。

若い時は速攻・堅守を得意とし、田淵の影に隠れた存在であったが、中年に至り、
突如として猛将に変貌した。結局、引退するまでに挙げた首級の数は、田淵を大
幅に上回ったという。

腕力に任せるのではなく、敵の動きを読み、戦いの流れの中でいつの間にか敵の
首級を挙げるその技は「流打」と呼ばれるもので、通常は敵の体力を消耗させる
為の小技なのであるが、彼は、この技に独特の改良を加え、止めを刺す大技へと
変貌させた。

ただ、その後、この技を使う者は少ないという。
井口(セイコウ) 生没年不詳。

長江に出没した川賊、のち呉将。字は源次。

若い時は川賊として各地で暴れまわり、>>587谷口の征討を受ける。
巨躯・怪力の持ち主で、その強弓で谷口達を苦しめたが、伍拾嵐の
策(守りの薄い左翼からの攻撃)によって撃破された。

その後、再び勢力を盛り返すも、伍拾嵐との戦いに敗れ、呉に降った。
その後は、伍拾嵐とともに活躍したとされるが、その詳細は不明である。

その事跡の詳細については、「谷口碑」の解析待ちというところである。
野球ネタ秋田。
603甘口↑51:04/07/21 05:43
臥茶品(ガチャヒン)
武句(ムク)
南蛮の冠婚葬祭の道具
南蛮でなにかしら行事があると、それを着て三日三晩、踊り狂ったと言う。青は男子、赤は女子専用と分けられていた。
踊り明かす姿を描かれた画は今も高額で取引されているhttp://asp.pic.to/mt/c.pic.to/2grcy-1-e64f.jpg←これ
大団円(ダイダンエン)???〜280

晋の将。杜預に従って呉に攻め入った。
常勝無敗の将で勝利の後は必ず輪になって宴の音頭をとった。
あまりに伝説的すぎてその存在は疑わしい。
当然ながら正史に記述はない。


大円団(ダイエンダン)???〜???

すべてが謎に包まれていた謎の武将。
よく大団円と間違われる。
         | ̄〕         | ̄`―――――‐' ̄ >   | ̄`――――――‐' ̄ >
 ____|  |___,へ  | ┌‐─┐┌‐─┐ |   |  r――――――┐ |
 |____   ____〉 |  |     | |  . | |   |  | ____| ̄r__へ|  |
        |  |       | |___| |____|  |   |  | l_________   ______   |
        /  ヽ       |  _________  |   | | l⌒ヽ__|  |  | |
       / ∧ ヽ      | |         |  |   |  |  ` 、ノヽ__ノ    |  |
  ____/ /  ヽ \_ .  |  |       _|  |   |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   |
  |___/    \_____|   |__ノ       ヽ_ノ  . |_l  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |_|
士孫随(シソンズイ)生没年不詳

字は不明。蜀の大工。王允とともに董卓誅殺に参画した後漢の
士孫瑞の従弟という。王允の改革が破綻し、士孫瑞も死んだ後
は蜀に亡命した。州牧の劉焉には仕えず、在野にあって大工に
なった。

時が過ぎ、諸葛亮の北伐に際しその才を買われ、従軍大工とし
て臨時登用された。井楼や衝車の製作に当たったが、後にかの
木牛・流馬の作成にも従事した。ところが、である。名大工と
して名を馳せていた士孫随であったが、なぜかこの時は作るも
の作るもの仕損品ばかり。この時従軍した他の大工の中では、
随一の仕損率だったという。

このことを恥じて引退した。
董婁金(トウルキン) 192〜273

学者・文人。中国四大奇書の一つ『指輪記』の作者。牛津七子の一人。
古代文字・古代言語を研究するかたわら、創作を行った。
深い学識に裏付けられた創作はきわめて精緻であり、
みずから架空の言語や文字・神話をうみだした。中国幻想文学の祖と言われる。

『指輪記』は、すべてを支配する指輪を巡る物語。舞台は中国。
甫人(ホびと)の溥路度(フロド)が仲間とともに指輪を滅却して冥王左胡乱(サウロン)の野望を砕き、
人間の指導者・阿拉呉崙(アラゴルン)は帝位に就いて尭(ギョウ)となる。
物語の壮大さから映像化は不可能とされていたが、最近香港資本で映画化され、
美しい映像や華麗なワイヤーアクションもあいまって評判となった。
608無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 13:28
>>607
あの映画
ワイヤーアクションあったのかw
便秘(ベンピ)??〜??

 呉の臣。「江東の洟の二便」と名高い小便(>>371)、大便の父。
特に秀でた才覚があったわけではないが、娘を呉帝の後宮に送ることで地位を得た。
 物静かな性格で、何事も自分の中に溜め込む癖があり、
その度に友人の項辣駈(コウラック)が彼の仕事を補佐、処理した。
610変質社:04/07/21 20:30
空気嫁(?〜?)
荀攸と共に何進に招聘され、宦官の朝廷からの排除を計った。聡明で計略に長けていた一方で
男根を非常に好んだため誅札された。誰でも分け隔てなく愛する公明正大な性格だったとゆう。
611無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 20:36
(・∀・)!!!
ageとく
612記録官・裸岱:04/07/21 22:02
皆さん、乙です!
ご報告致します。1〜500レスまでで、

前漢:2人
後漢:19人(女性1人)
魏:68人 (女性1人)
呉:47人 (女性5人)※>>337の人妻は文脈から女性に入れました
蜀:49人 (女性1人)
南蛮:19人
群雄関係:28人(女性2人)
宗教勢力:12人
異民族:14人
在野:2人
西普:1人
所属不明:34人(女性1人)※>>76のニ張はここのままにしてあります
その他:25人 (女性2人・人以外3頭w)
―――――――――――――――――――――
合計:290人(女性13人・人以外3頭w)
と、なっております。
613記録官・裸岱:04/07/21 22:09
ゆとりが出来たので自分で書いてみました。
【500レス記念トピック】これまで(611レス現在)登場した主な締めの言葉

☆「なお、正史には登場しない。」:一番オーソドックスで登場回数も多いのがこれ。
 「なお」に換えて、「もちろん・やっぱり・でも・恐れ多くも・残念ながら
 ・なぜか」などのバリエーションもある。                
他に、
「演義には登場しない(尚、演義には記載がない。)」
「人形劇三国志には一切出てこない。」
「演義、正史、ともに登場はしない。」
「なお、精子には登場しない。」
『「精子」に登場する。』
「精子には発情しない 」
「なお正史には興味がない。」
「正史には登場しない
正史には 」
「尚、正史には登場したとかしないとか。」
「尚、正史にもオリコンにも登場しない。」
「正史にも演義にも登場しないが実際に存在する。」
「なお正史に登場する」
「援義には登場している。」
「と裴松之は註したとかしなかったとか。」
※類似はまとめたり割愛したものもあります。登場順。

以上などがありました。皆さん、状況に応じておもしろい文句も生み出して
ますねw。作成人物の内容に凝るほかに、このように締めの文句を工夫する
ことで、さらにレスに味を加えてますね。興味が湧いたら使ってみるのもよい
のではないでしょうか。

統計・分析、毎度乙です。
どっかのバカコテとは大違いだな。
616変質社:04/07/21 23:19
>>613
乙です!
孫益(ソンエキ)生没年不詳

字は分岐典(ブンキテン)。呉将ではなく、蜀の孫乾の養子。
劉巴・王連の元で財政活動にあたった文官。ある政策が、
どこまでが利益をあげる限界点かを慎重に見極めたという。

劉備が荊州南部四郡を支配した際、経理に長けた能力が目
に止まり、同姓だったこともあって、孫乾が養子にしたと
いう。

その事蹟が伝わっていないため、正史には伝を作らなかっ
たのである。なお、楊戯の『季漢輔臣賛』からも漏れた人
物である。『募記』という民間に伝わる書物の「壱級伝」
にその名が見える。

>>609
曹珍(ソウチン)曹操の妾の子。
背丈が大きく、肝っ玉の座った人物であったが、持っているあまりの武器の小ささに
曹植の短剣に一刀両断される。

伊伊島愛

伊籍の愛娘。実直な父伊籍とは正反対に、淫乱娘で、
長年いたる街で性交演技を開催していた。
しかし、父の推挙で後宮に仕えることができて、
昔の性交演技に関しては硬く口を閉ざしながらも
下の唇だけはいつも緩かった。

演技には登場していない。
孫大泉(ソンダイセン) 生没年不詳

江南の郷士。山形郡の人、字は逸郎(イツロウ)。孫堅の遠縁の一族という。
漢朝に仕えていたが官を辞めて帰農し、さくらんぼを栽培する傍ら詩文を創作した。
そんな中作られた漢詩「孫」は人口に膾炙し、一躍中国に孫大泉の文名を広めた。
世の人は飽きっぽいもので、流行も間もなく過ぎ去ってしまったが、
本人は飄々とさくらんぼを作りつづけ、好きな漢詩をつくったという。
こうした晴耕雨読の毎日は後世の江南文人たちの理想の姿となった。

孫大泉に憧れた陶淵明が、荒れかけた田園に帰ってさくらんぼを栽培したのは有名。
しかし孫大泉が孫のかわいさを詠ったのに対し
陶淵明は息子のできの悪さを嘆いているのが対照的
近頃人名ばっかじゃないか・・・・・・
精進せい!
悪禁(アクキン)

古くは悪来の子孫と言われている。
前漢の臣であったが、董卓の起こした混乱に乗じて金品を略奪し、山賊になった。
その後も近隣の村を荒らしまわるが>>76の二張が組織した軍に討伐され、中原から追放された。
625無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 17:44
。刑道狼 
 
刑道栄の一族。少年のころ「刑道栄が斬られたっ。」と触れ回り
周囲の信用を失う。成人したころ戦場で刑道栄が趙雲に斬られると、名誉挽回のため
「刑道栄が斬られたっ。」と陣の内外に触れ回る。士気は大いに落ちたと言う
626無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 17:52
騨禰(ダデイ) 生没年不詳

字は躯有留(クウル)。呉の武将。
特に家族を伴っての野戦をこの上なく愛した。
一方で、我が強く客人などへの細かな配慮にかける面もあり、
家族以外からはあまり好まれていなかったようだ。
肉食の大食漢と伝えられているが、詳細は不明である。
地域によっては父親として理想的な存在として語り継がれている。
627無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 18:41
↑上の四人。生き恥さらすな、非常につまらなくてムカつくほどだ
628変質社:04/07/22 19:08
624 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/07/22 17:34
悪禁(アクキン)

古くは悪来の子孫と言われている。
前漢の臣であったが、董卓の起こした混乱に乗じて金品を略奪し、山賊になった。
その後も近隣の村を荒らしまわるが>>76の二張が組織した軍に討伐され、中原から追放された。
625 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 04/07/22 17:44
。刑道狼 
 
刑道栄の一族。少年のころ「刑道栄が斬られたっ。」と触れ回り
周囲の信用を失う。成人したころ戦場で刑道栄が趙雲に斬られると、名誉挽回のため
「刑道栄が斬られたっ。」と陣の内外に触れ回る。士気は大いに落ちたと言う
626 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 04/07/22 17:52
騨禰(ダデイ) 生没年不詳

字は躯有留(クウル)。呉の武将。
特に家族を伴っての野戦をこの上なく愛した。
一方で、我が強く客人などへの細かな配慮にかける面もあり、
家族以外からはあまり好まれていなかったようだ。
肉食の大食漢と伝えられているが、詳細は不明である。
地域によっては父親として理想的な存在として語り継がれている

プゲラ
袁周率(エンシュウリツ)???〜314

字はΠ(ゴツ)。袁術の子、袁燿の孫という。
父は袁虞(エング)、字を羅普(ラフ)といった。袁燿が孫
策に引き取られたため、袁虞・袁周率父子も呉で成長し
た。父の袁虞は袁家の勢力を取り戻そうと、様々に統計
を取ったりしたが、結局不遇のまま捨扶持だけ与えられ
て没した。

子の袁周率は若いうちは割り切れないことが嫌いで、意
に染まぬことがあると、気持ちが割り切れるまでとこと
ん物事を追究したという。だが、齢を重ねるうちに角が
とれて人柄が円くなり、ほどよく物事も割り切って考え
られるようになった。

こんなエピソードがある。彼の妻が子どもが3人で止まり、
それ以上産まれなくなった。しかし袁周率は、「何を悩
むことがある。3人で十分だ。子は多いに越したことは
ないが、産むべき子どもの数に、正しい数などない。3
でも正解なのだ。」と平然として、側室も置かなかった
という。

彼の残した文章がある。
「妻子(よ)、以後(この)国で老後の見事さ約束(しよう)。
失くさず文(ふみは)読む。……以下略。」

文とは何を指したものかは不明だが、妻子を大事に考え
ていた袁周率の人柄が偲ばれよう。

牛飯(ぎゅうはん) 生没年不詳

字は大盛(だいせい)曹操に料理番として仕える。
彼の料理は材料費が安いのにそこそこ美味かったので評判が良かったが、
ある日を境にぷっつりと消息を絶ってしまう。

武将たちの間では、何か危険な病気にかかったせいだとか
殿の逆鱗に触れた為だとか色々な憶測がなされたが、結局真相はわからないままであった。

そのせいか、正史にも演義にも記述は無い。
梁理勝(リョウリショウ)

呉の将。
字を関口(カンコウ)という人物(173〜246)と、字を三宅(サンタク)という人物(175〜249)の二人がいる。
二人ともすぐれた才能をもち、一流の部下をそろえていたが、なにぶん同姓同名でまぎらわしく、
どっちの梁理勝を出陣させるかでいつも問題となった。
そのため、孫権は群臣の面前で二人の梁理勝にプレゼンテーションを行わせた上で
「今回の出陣はどっち!」と問い、人数が多いほうが出陣することにしたという。

正史にはどっちも登場しない。
隕石(いんせき)生没年不詳

字は衝突(しょうとつ)魏の武将。
戦場に巨大なすり鉢状の穴を掘るという特技を持つが、
何の役にも立たない上に行軍の邪魔になるので一度として従軍を許されなかった。

活躍しなかったので正史にも演義にも記述は無い。
貞操(テイソウ)???〜220

 蜀将。漢中で劉備が称帝した際、魏の文官・于甫(>>298)の謀略により
死す。謀を予見していた諸葛亮は劉備に「貞操の危機だ」と進言したが
聞き入れられなかった。于甫は満足し、その8年後に果てた。
634無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 22:45
虞留(グル)???〜215

字は高橋(コウキョウ)。当時張魯による五斗米道が盛んであった漢中近郊に生命空間という
新興宗教を立ち上げてその付近を統治していた。尺帝発怒という秘儀を使い、信者たちにその効力を示していたという。
しかし外部から見ればとても常識では考えられない言動等があり、それをすべて「定説」と言って表していた。
それにより、当時、わけのわからない言葉のことを「定説」と言うようになり、ここから現在われわれが使っている
「定説」と言う語句が成ったのだが、今では世間一般の通常説といった逆の意味で使われている。
曹操の漢中侵攻の際、夏侯惇の陣へと赴き、そこで夏侯惇の謁見を得るが、子供の描いた絵を当時では考えられないような金額で売りつけようとした。
そこで夏侯惇がなぜそのような金額で売りつけるのか?と問うと、「だからー、この絵を書いた子供の勝手なんですよ、これは定説です。」
などとのたまい、そのわけのわからない言動が夏侯惇の怒りを買い、その場で斬り殺された。

正史にのみ登場する。

635564:04/07/22 22:59
>>634
オメー…
636無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 23:21
亜吉礼(アキレ) 195〜219

魏の将 
字を浮須(ウス)
17歳のとき夏侯淵に登用される。
幼いころ、冥界の川にて沐浴をしたが、母親が掴んでいたかかと以外は無敵となった。
漢中攻防戦に参加したが、曹操に自分の恋人を取られたことで曹操との仲が悪化し、
その後漢中攻防戦から離脱した。

曹操は、自分の過ちを認めて彼に陳謝したが、関係は悪化したままだった。
しかし、定軍山の戦いで夏侯淵が戦死したと聞くや否や武器を持って、戦場に復帰した。
亜吉礼浮須の登場で一気に戦況は魏に傾いたと思ったら蜀将 平区(ヘク)・都留(トル)を討った直後
黄忠の弓をかかとに食らって死亡。

曹操は、その死を非常に惜しんだという。
また、ギリシャの英雄アキレスの子孫がシルクロードを通って来たらしい。

正史に彼の名はない。
637無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 00:46
阿呉 年代不明

字は異乃奇
魏の闘将○当山に仕える。
生死を共にした同僚の婆婆とはある日を境に決別。わが道を歩き始めた。
数多くの名言を残し、病気(痴呆)でこの世を去る。
後世の史書によると「アゴはとても長く(約1尺あったという説も?)鋼よりも硬くしなやかだった」


名前とそのまんまで、名前を掛けた逸話とか何も書いて無く
落ちがないのが沢山増えてきて、つまらなくなったな。




639無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 01:45
>>637
漏れも、君のを見てイイのを思いついたよ。

波名 

字は糞 鼻が一尺もあり、鋼より硬くしなやかだった。

面白いでしょう? ははは
640無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 08:07
耳糞
耳糞が、かたかった。てつみたいに、かたかた。
面白いだろ?ハハハ…



はぁー
他のヤツに自分の作った武将が引用されると
ちょっとうれしいな。
642甘口:04/07/23 11:49
燃焼系(ネンショウケイ)字は網
生没不明
呉の武将
ソク転しながら相手を斬り付ける「アミの斬り」がもっとも有名だが、正史までに書かれるほど有名じゃなかった。
伊良部 倉毛
(イラブクラゲ)
魏の猛将
あの許楮と互角に渡り合う。だがフテブテシイ態度が弱点。
案の定、曹操主催の御前試合で審判の判定に不服、持ってたヤリを審判に投げたうえ、唾まで吐きつけるという暴挙にでた。
最初は笑ってみてた曹操だが突風で伊良部の唾が顔にかかり、激怒して処刑した。真・三国無双2の雑魚キャラで少し太いのが彼だ
張続連(チョウゾクレン) ?〜263

能州の人。蜀に仕え、「七人幇」の一人として国政を指導した。
のち、七尾(シチビ)城の戦いで同僚に裏切られ殺害された。

正史には登場しない。別の時代の資料が紛れ込んだとの説もある。
俺も前々から張続連って中国人っぽい名前だと思ってたよ。
張連竜も張綱連も中国人みたいな名前だ。
高野連(コウヤレン) 生没年不詳

呉の名士である。彼は人材を育てるのが好きであり、
四海の十代の武勇の士を集めては今で言うトーナメント形式で争わせたという。

ある書によると、彼の開いた大会は甲子の年に建てられた彼の屋敷で行われたという。
そしてその屋敷は年にちなみ、甲子園と呼ばれたという。

数々の名勝負がそこで行われ、その大会は毎年行われて彼の死後も続けられ、
80回を越えたという。
楼麗籟(ロウレライ)?〜?

姓は楼、名は麗籟。字は不明。
揚子江に棲む神仙(人魚?)。のちの西洋の水精オンディネと同一視されている。
史実では赤壁の戦いの詳細(ディティル)が不明とされてきているが、実際は彼女によるものであった。呉の敗北が。
100間の大軍での水上要塞は、楼が櫛(くし)で梳(くしけず)るとき、楼の口をついて出る美麗なる歌声が、呉を敗北させたのであった。
また、呉の武帝(曹操)の氏因でもあり、武帝の夢枕に立った彼女は「涙で、貴方を頃しに来ました。」

尚、異国の正史に形を変えて伝わる。

堤鞘華(テイサヤカ)?〜?

安息(サーサーン朝ペルジャ)国王アルダシャル1世に仕え、その死後、シャプル1世に仕えた宮女。のち女将軍。
異民族として三国時代の中国に異動すると、親友の拿餓性愛(ナガセイアイ)と共に三国の将軍(男を)襲った。

その記録は今なお、高値で取り扱われる程の歴史記録だ。

擱奇長(オキナガ)?〜?

異民族であるテイ・キョウ族の首領。2部族間では、彼の一族による支配が長い間続いた。

氏羅場素(シラバス)に記載がある。
647無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 04:38
>>20
>>207
>>338
>>609
ハゲワラ
>>647の成し遂げた偉業に対して、私は最大級の賛辞を惜しまぬものである。
649無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 07:04
>>646
呉の武帝って…
650変質社:04/07/24 10:28
王将(?〜264)

字不明、益州で餃子屋を営む、成都陥落時どさくさにまぎれて死亡
大将

近所のラーメン屋。

ああ そういうスレじゃないのか
あぬさ、ここは「漢字でないものを無理やり漢字にするスレ」ではないよ
646とかその辺理解してくれ
安田(アンデン)

字は猛(この時代、一字の字は珍しく、諸説あり)。>>568石井の「田淵君」に登場する武将の一人。
弓の使い手であるが、短躯という事もあってか、その矢はお世辞にも強弓とはいえなかった。
しかし、その矢は奇妙極まりない軌道を描く事で知られ、名だたる猛将達を大いに苦しめたという。

第一線を退いた後は、人材の推挙にあたったり、兵の教練にあたったりしたが、その事跡の中でよく
知られているのは、尚書としてのものであろう。
何でも、乱世という事もあってか、起草される文書は誤字脱字が多かった為、その添削に追われて
いたのだという。
牛頸(ギュウケイ)
字は恐譚。鉅鹿郡の小村の出身。
容姿は鬼のようで、残虐な策を好んで用い、恐ろしい怪力の持ち主だったという。
彼の名が出るたび、英雄達は口を噤んだ。
その為、陳寿も伝の書きようがなく、正史には記述がない。
これは中国のとある地域に伝わる、彼の伝話からの抜粋である。

両親は黄巾党。幼き頃から武芸を好み、兵法書をよく読んだ。
長じて二十歳になった頃には、項羽の再来と言われるほどの大丈夫となる。
185年、廬植によって宮中に推され、董卓が相国に就いてからは彼に使える。
権謀は姜子牙に勝るとも劣らないと言われたが、奸策を使い、呂布をも恐れさうわなにすんだやm
空調(クウチョウ)

蜀の名士。穏やかな人格者で、彼が現れると、場の空気が一気に穏やかなものになったといわれる。
また、施しを好み、その恵みに預かった人々は数知れない。
史書には、その名・事跡ともに記されていないが、一説には、その名声に嫉妬した中原の名士達が、
彼の事を記載しないようにしたのだという。

なお、彼の孫には、豪傑・空羅(クウラ 字:涼風 >>565)、名行政官・費太(ヒタ 字:温風)がいる。
※費太は外孫にあたる。
656無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 07:16
楼麗籟ワラ
657無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 14:40
王将ワロタ かわいそうだなw
梅林(ばいりん) 生没年不詳

在野の人。資産家で、有名な酒好きであった。所蔵している酒も膨大な量であり、
「万人年内不干(万人、年内に干せず)」
つまり1万人が1年かかっても飲み干すことが出来ないほどとされる。
また、大変なもてなし好きで、訪れた人は身分を問わず、自慢の酒でもてなしたので人々の評判は大変良かった。
曹操が将兵の渇きを忘れさせる為に言った言葉である、
「この峠を過ぎれば梅林があるぞ」とは、
梅の林ではなくこの人物、梅林の屋敷がある、という意味だったとの意見もある。

また、有能な商人でもあり、匈奴や南越まで自ら商売に出かけるほどであり、
複数の言語を操れるほどだったが、たまにそれを鼻にかけて自慢することが唯一の欠点だったという。

現在のわが国でも、外国語に堪能な人がそれを自慢するありさまを「梅林がる」
と言って揶揄するのはその名残である。


民明書房「中国の酒豪たち」より一部抜粋
659記録官・裸岱:04/07/26 23:20
皆さん、乙です!

501〜550のまとめでござる。

後漢・魏・呉・蜀・異民族・所属不明
――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>>503 些事(サジ):後漢末期の行政官。黄巾の乱後の対応を誤り董卓の入城を招いた
>>520 怒連(ドレン):後漢末期の百官の一人。献帝の逃避行に従い、太尉に昇る


>>513 満腹(マンプク):洛陽の名家の出身。郭嘉と衝突するも、後に認め合う
>>522 羅天慶(ラテンケイ):魏志の異本に記載がある。西方の異民族出身といわれる
>>528 窒素(チツソ):正史以外の書物にもその名が登場する魏の文官


>>505 夏休(カキュウ)[字:叔題(シュクダイ)]:魏軍に包囲された徐州の小都市を解放した


>>504 黄昏(コウコン):黄権の甥。蜀の文臣。三国の滅亡を見守った

異民族
>>519 茶無戴(チャブタイ):涼州の蛮王・治無戴(チブタイ)の弟。延熙10年、劉禅に降伏

所属不明
>>510 林房(リンボウ)[字:炎々]:永昌郡の出身。特技をもって知られる
>>518 袁怒 伸剛 :姓が「エン」、名が「ド」字が「ノタケシ」と思われる。『援義』には登場する人物
660記録官・裸岱:04/07/27 00:06
501〜550
その他
――――――――――――――――――――――――――――――
その他
>>514 定冠詞(テイカンシ):曹植の詞文の名。曹丕を不機嫌にさせた

------------------------------------------------------------------
【500レス記念トピックスA】これまで登場した人物の姓氏ベスト10
多い姓のランキングです(658レスまでで)

☆第1位 「馬」と「陰」    :7人ずつ(同率首位)
 第3位 「陳」と「王」と「田」:6人ずつ(同率3位)
 第6位 「阿」と「孫」と「山」:5人ずつ(同率6位)
 第9位 「于」と「張」と「黄」
    と「牛」と「袁」    :4人ずつ(同率9位)
※特別賞 「司馬」       :兄弟で10人なのでランク外とさせていただきました

となりました。1字姓か2字姓か不明なものは「夏侯」「司馬」など著名な
2字姓を除いて1字姓でカウントしましたので厳密に正しくはないかもです。
なお、同率1位となった「陰」姓でございますが、なんと!本家『正史』
にも登場してござった!

陰溥(インホ)生没年不詳

「劉璋は曹公(曹操)が荊州を征討して、すでに漢中を
平定したと聞いて、河内の陰溥を派遣して曹公に敬意を
表させた。」と正史・蜀書「劉二牧伝」の「劉璋伝」に
記載がありました。『正史 三国志5』ちくま学芸文庫
の18P,7行目でござる。

もしかすると、彼の一族・子孫に、「陰〜」のこのスレ
で見かけた人物が連なっているかもしれませんなw
魚雷(ギョライ)

京兆の人。「魏略」等を著した魚豢の一族といわれるが、詳細は不明。

魏の武将には珍しく、水軍戦を得意とした。中でも、兵を水中に潜らせ、密かに船底を破壊するという
策を得意としたので、呉軍の将兵は常々「魚雷には気をつけろ」と言い合っていたという。
長門(チョウモン)

字は基監。魏の武将。曹操の護衛をつとめる。

もともとさして身分の高くなかった彼の武器は、路傍の石ころであった。素早くしゃがみ込んで石を拾うや、眼にも
留まらぬ速さで相手に投げ込むのである。
雑兵相手には小さい石を、武将相手には大きな石(というか岩)を投げ、多くの勝利に貢献したという。

赤壁の戦いにおいて曹操が危地に陥るや、彼はひとり殿を引き受け、呉の大軍の前に立ちはだかった。
名のある将と思わせる為、わざと豪奢な甲冑をまとった彼を見て、敵兵が殺到したが、彼の投じる石つぶての
前に一歩も進めなかったという。
火計により周囲が火焔に包まれる中、彼は主君を守るべく奮戦し続けたが、ついに力尽きた。しかし、その体は
崩れ落ちる事無く仁王立ちを続け、ついに、そのまま水中に没したという。
歯肉炎(シニクエン)???〜295

 晋の将軍。名家「歯家」の末弟。兄の歯茎(シケイ)を謀殺して
家督を相続するが、彼もまた同族の歯垢(シコウ)の裏切りにあい、失脚する。
 その後、辺境に遠ざけられ、北方異民族との戦いで命を落とす。
陣没した。
陣中で没した。

とかはまだないね。使いたいがなかなかそれらしき
漢字が見当たらぬわ。 こやつめハハハ。
665無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 02:28
陳珍主朱酒

陳寿の弟。精神的におかしく、身体障害者だったらしい。
理性がまるで無く、常に下ネタを連発していた。
女を見るとヨダレを垂らしながら、欲情していた。

チンチン シュッ シュッ シュッというフレーズがネットで多用されているが
この人物と関係あるかどうかは、明らかになっていない。
666大僑タンハァハァ:04/07/27 03:27
666とったどぉー!だれか大僑たんのパンツくりぃーパンツ!ハァハァ
>>666
俺が親切にもググってやったから適当に探して来いチンカス
http://www.google.com/search?q=%E5%A4%A7%E5%83%91&ie=UTF-8&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
668無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 04:30
めんどくさ、どうせなら画像UPしろ、めんどくさぁ、わざわざググれるか
田忠(デンチュウ)生没年不詳

田忠は字を茣蓙(ゴザ)といった。
謹厳実直な人柄をもって知られた。張飛が成都城内で
暴れると、「宮中でござる、宮中でござる!」と羽交
い締めにして諌めたという。蜀が滅亡すると晋に仕え
た。

詳しい事蹟が伝わらないため、正史には伝を立てられ
なかったのである。なお、『忠晋蔵』には登場する。
万詩(バンシ)237〜279

万詩は字を値素(チス)といい、呉将・万ケの従兄弟の子である。
詩文に才能を示し、世間に高く評価された。そのことを鼻にかけ、
謙虚なのはうわべだけであったという。

孫皓にあることを咎められ、「臣の罪は万死に値します。」と
口先だけは謝したところ、日ごろ万詩の不遜ぶりを根に持って
いた孫皓に、「では、死ね。」とあっさり言われてしまった。

「自分の口先からでた千言万語は、詩に限らず全て真実、嘘ま
でまことになる」と豪語していた万詩は、いまさら後には引け
なくなり、憤慨して本当に自刃してしまった。

なお、正史には登場しない。
粉飾(フンショク) 228〜?

呉の文臣。字は経理(ケイリ)。会稽の人。
詩文や書に秀で、美文を綴ることで知られた。また、数十人の筆跡を使い分けることが出来たといわれる。
印章も自ら制作して場合に応じて使い分けるなど、細かいところに気の行き届く人柄であった。

孫皓に認められ、会計官に就任。美しく整った決算報告書を提出した。
この故事に因み、一部の業界ではすぐれた会計処理を「粉飾決算」と呼ぶとか呼ばないとか。

なお、正史には登場しない。
電波(デムパ)189〜238

 呉の将。占術の心得があり、彼独特の言いまわしで数々の作戦を進言したが、
孫権はそれを気色悪く思い、あまり用いられなかった。
 「人類は火星から来た」「神の世界を造るのだ」などの彼の占いの言葉は、
今でもその真意は解明されていない。
 合肥の戦いでも占いに基づいた作戦立案を進言するがやはり用いられず、
「呉の命運は尽きた」と嘆き、失意のまま陣中で没する。
>>672
字は喩喩(ユンユン)
黄害(コウガイ)175〜?

呉の将。黄蓋の弟。曹操が南下してきた時、黄蓋らと共に交戦を訴えた。
彼は河に毒を流して敵の戦力を削いではどうかと献策したが、
文官連中に「いや、こっちが下流なんだけど・・・」
と言われて自噴した。彼の死体は兄にも呆れられて放置された為、
腐って悪臭を放ち、周囲を多いに不快にさせたという。
保険金(ホウクェンキン)Hou Quen Kinn 202〜255

字は詐欺(サギ)。魏の将であったが、従兄弟の料(リョウ、字は滞納(タイノウ))に唆され、
渤海で皇帝を僭称、「金」を建国。保険金の乱(ホウクェンキンのらん)である。
司馬視によって鎮圧されたが、同時期に司馬師が毋丘倹の乱を平定しており、
コチラの陰に隠れて分かり辛い。

なお、司馬視も保険金も正史には登場しましぇん(核爆)。
高木ブー(コウボクブー) 生没年不詳

袁紹に仕えた武将。高幹の一族。一説に名が「雷様(ライヨウ)」で字が「木ブー」であるともいう。
高幹の旗本衆として、曹操との戦闘で縦横無尽の活躍を見せた。
音曲に秀でており、右矩黎鈴(ウクレレ)と呼ばれる楽器で味方を鼓舞したという。

※「ブー」という字はJIS第三水準にもない漢字であるため、やむを得ずカタカナで代用した。
文福(ブンフク)

文醜の伯父といわれる。字は子狸(シリ)。
演義によれば、妖術を使ったことになっている。
張角との妖術合戦に負け、温泉に入ったつもりで肥溜めにつかってしまったエピソードがある。
木の葉を銭に替えて敵の経済を撹乱したり、月夜に酒盛りをして腹鼓を打ったりしたといわれる。
官渡の戦いの際に、曹操を破る策があるといって掌に「金玉八畳」と書いて示したが、却下された。
どのような秘策だったのかを知るすべはないが、これが発動されていたら歴史は変わっていたかもしれない。

なお、文福が使ったといわれる茶釜が群馬県館林市の茂林寺に伝えわっている。
678無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 22:04
入来投手 ?〜?
南蛮の将のはずだが、俺が野球に詳しくないので詳細が分かっていない。
ひょっとしたら帯来洞主の間違いじゃないかと言われる。
『正史』は登場しないが、スポーツ新聞には登場する。
679無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 14:08
岩鬼(ガンキ)生没年不明
字は、正美
暴れ者だった、あるとき村の者が数名戦いを挑んできて
暴れまわっていた所に山田(サンデン)が邪魔をしたので
以後彼を狙い付回す事となる
血縁関係がある影丸(エイガン)との決闘は有名
完全優勢な戦ではいつも敗退し
完全不利な戦ではいつも勝利を掴んだといわれる
守りの面でも優秀でいかなる強襲にも耐えたと言われる
しかし思わぬところで失策し自軍を窮地に追いやる事もあった
一時山田(サンデン)の妹との熱愛が噂されたが真偽は定かではない
680無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 23:03
>>676
いいな、コウボクブーw
>>365
なお、彼の妻は司(しぃ)夫人である。


「2ちゃん」という国を作ろうとしたがクックルとか既出だな・・・
682無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 13:54
>>681
俺の見た限り既出は
2ちゃん
スマソ
ぬるぽ
既出
荒らし
アク禁
2げと
ギコ
八頭身
1さん
空気読め
あぼーん
自作・自演(兄弟)
ニダ
匿名
位かな。ここの武将のシナリオでSRC作ると楽しそうだから記録してある。

自己中(ジコチュウ)
自作・自演の父。自作・自演が失脚すると
自己保身を図るが民の暴動を誘発してしまい、
南蛮に亡命し、我田引水と名乗った

我田引水(ガデンインスイ)
南蛮の将。Π突骨の軍勢が諸葛亮の火攻めに遭うと
その火を消すために川の水を誘導。
鉄砲水で跡形も無く押し流した。
683無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 15:34
連貼 複顔

呉国の軍医。夷稜で討ち取った武将たちのデスマスクを作った。
684無名武将@お腹せっぷく:04/07/30 15:52
竜子〔リュウシ〕
チョウウンの隠し子^^
蜀軍の兵士としてひそひそと活躍!!


劉駄々(りゅうだだ)
劉備が結婚して初めて生んだ子供だが、
可愛くないという理由で劉備に殺された。
殺されたのは生まれて三日目に死亡。
劉備は他の武将に未熟児で勝手に
死んだと言っているが、実はこういう理由で
死亡した。その後(1年後)劉禅を生んだが、
これまた可愛くないので、殺そうと思ったが、
嫁に止められ、ムカついた劉備は自殺した。
可愛くなくて三日目に死亡したのに、何故
名前があるのかは不明。
字はない。
金字(キンジ) 生没年不詳

金旋の一族といわれる。
子供のときに天にまで届く塔を夢に見、長沙郊外の山奥で一人塔を積み上げた。
かれが一生涯かけて打ち立てた塔は、非常に荘厳で美しい姿をしていたといわれる。
伝承によると、120歳で塔に最後の石を積み、そのまま仙人になって天に昇っていったとか。

「金字塔」は明末清初の動乱の中で崩壊し、現在は無い。
炎症(えんしょう)

炎症は字を痛杉(つうさん)といい、口内郡の人。
孫権が皇帝の座についた頃から呉に仕える。
いつも持病に悩まされていて、家でも宮中でも戦場でも
常に痛みに顔を歪めていたという。
それはまさに鬼のような形相であったため
呉国内では、泣き止まない子供に対して、親が「泣いてばっかりいる子のところには
炎症さんが来るぞ!」というと泣き止むほどであったという。
呉の滅亡直前まで戦線を支え続けたが夏口の陣中で没した。
死因は口内炎であった。
688無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 09:41
コーエー三国志の新武将エディットで

ここで紹介してる武将作ってみたら
それっぽくみえそうだな。あれって列伝も書けるんだっけ。
信長のは書けたの覚えてるんだが。
689681:04/07/31 12:27
>>682
ありがd。ちなみに俺の考えていたネタは・・・

2ちゃん⇒国号「板」首都「日安」
中華大陸のはずれにある独特の文化をもった豊かな国。首都は日安。武将は以下の通り
元ネタ   名前  字とその由来
ひろゆき⇒費路 字:瑜金(ひろゆき) ※この国の君主である
モナー ⇒蒙那 字:詞念(氏ね)
モララー⇒蒙羅 字:摩丹(マターリ)
誤爆   ⇒呉麦 字:須萬(スマソ)
既出   ⇒逵隲 字:凱出(ガイシュツ)
ギコ   ⇒魏興 字:呉羅(ゴルァ)
八頭身 ⇒撥淘o 字:阿派(姓の「撥」と繋げるとハァハァになる)
1さん ⇒逸讃 字:季網伊(キモイ)
削除   ⇒策叙 字:王盆(アボーン)
クックル⇒句勲 字不明
厨房   ⇒仲某 字:卯在(ウザイ)

だ。
690無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 17:09
暇なやつだw
691無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 17:33
どれも意味不明
692無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 17:40
ここは何のヲタの集まりでつかぁ?
693無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 17:50
陳琥(チンコ)177〜215

字は湿疹。かの陳平の末裔。性器に異様な発疹があり、それが常にかゆみ
と異臭を放ったため、彼は常に性器を掻き毟り続けていなければならず、
それゆえに人から嫌われ孝廉に推挙されることもなかった。
赤壁の戦いの後、劉備に仕えようとしたが諸葛亮に異臭を嫌われてしまい
仕官の機を逃している。劉備入蜀後、先の恨みを果たすため諸葛亮に論戦を
挑んだ。その際に陳琥は性器の異臭を漆を塗り誤魔化そうとしたことを
諸葛亮と簡雍に言われた。これを恥じた陳琥は発狂し、費観を絞殺しようと
したが足を滑らせて転倒、頭を打って脳漿を床に散らして死亡した。

なお、その性器ゆえに彼は性交ができず、子は居なかった。弟の陳宝は
交州へ移住して性器に塗る薬を開発し、兄の無念を晴らした。
694682:04/07/31 18:12
>>689
やるねぇ
695無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 19:09
女装

中国に伝わる神。
伏輝は男の姿、女禍は女の姿であったが、女装は中性的な容貌であったと伝えられる
武零駆(ブレイク) 生年没年不肖

字は弾素(ダンス)呉軍の猛将であり、超絶的な剛勇を誇る。
独自の格闘術で幾多もの武将を倒したという。
また晩年は道場を開き、数々の技を人々に伝授したと伝えられる。
有名な技には
「六歩」(ロッポ)
「智獲蛙」(チェア)
「有胤度御流」(ウインドミル)
「塔升」(トウマス)等が知られている。

兄弟に「六区」(ロック)
「匹夫歩布」(ヒップホップ)
「這州」(ハウス)
「馬零」(バレエ)等がいる。



>>696
尚、同姓同名で字が興仰(コウギョウ)という別人がいる。
>>693
先祖の淫行の罰があたったか
699記録官・裸岱:04/08/01 11:05
皆さん、乙です!
551〜600のまとめでござる
後漢・魏・呉・蜀・南蛮・群雄関係
――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>576 土管(ドカン)[字:鈴木(レイボク)]:後漢末の文人。号は義司(ギシ)


>558 堀江(クツコウ)[字:貴文(キブン)]:二十代半ばに旗揚げした魏の商人
>575 入酢速邦(ニュウスソクホウ):魏の伝令。何かあるといち早く曹操に知らせた
>586 財前(ザイゼン)[字:享寿(キョウジュ)]:安西都護。トルコ系騎馬民族と戦う
>588 冷桓(レイカン):魏の軍師。同僚ふたりとともに「三桓」と称された


>551 甘口(カンコウ):呉の鈴男・甘寧の弟
>587 谷口(コクコウ)[字:孝夫・孝雄・高雄など諸説]:谷利の一族とも。墨家説あり
>597 馬累(マルイ):>587谷口の腹心で後任の大都督。馬忠の一族とも


>573 変質(ヘンシツ)[字:社(者とも)]:「漢の神才」とうたわれた鎮陳大将軍
>583 阿部(アベ)[字:高和]:呉の陸遜とは敵味方を超えた仲だったという尚書令
>598 山下(サンゲ)[字:清(セイ)]:劉備に称えられ姜維に惜しまれた将・画家

南蛮
>556 近親相姦(キンシンソウカン):黄忠と互角に戦った南蛮の将
>569 侃侃諤諤(カンカンガクガク):諸葛亮を論破した南蛮議論洞の帥

群雄関係
>566 新君主(シンクンシュ):[字:雄左(ユーザー)]:後漢末に割拠した群雄の一人
700記録官・裸岱:04/08/01 11:07
551〜600のまとめ
所属不明・その他
――――――――――――――――――――――――――――――――
所属不明
>557 壇禰(ダンデイ)[字:坂野]:戦衣が黄巾族と間違われた人物
>567 山田(サンデン)[字:太郎]:趙雲が彼に比せられる事を好んだという勇将
>570>571 山田(サンデン)[字:久志]:辺境の沙漠地帯の警護にあたった勇軍の一員
>581 武天将軍:特技多数
>599 田淵(デンエン)[字:幸壱]:>568石井の著した「田淵君」のモデルといわれる
>600 山本(サンホン)[字:浩司(のち浩二)]:599田淵とは親友かつ好敵手であったという

その他
>564 虞瑠(グル)[字:高橋(コウキョウ)]:劉備入蜀のころ成都に現れた仙人
>565 暑杉(ショサン):劉備の入蜀以前に蜀各地を荒らしまわっていた山賊の頭領
>568 石井(セキセイ)[字:壽壱(ジュイツ)]:建安七子をも凌ぐとさえ言われた文人

メモ:
他スレで学んでリンクを「>>」ではなく「>」にしてみました。
1レスで、「>>」だと10人まで、「>」だと最大で(改行数の制
限もあるので)倍の20人まで紹介できるようです。「>>」と「>」
でメリットデメリットがあるんでしょうか?効果が同じなら「>」
のほうが特なので。どなたか知ってたら教えていただけませんか?

末筆ながらお礼が遅れました。すいません。
>614->616,ありがd

案内板(アンナイバン) 生没年不詳

字は不明
板の皇帝費路に仕えた。
彼は豊富な知識を駆使し、皇帝費路を助けた。
しかし、彼の故郷である羅雲慈(ラウンジ)が亜羅師賊(アラシゾク)によって、かなりの被害が出ている
と言うことを聞き遠征に赴いたが、余程恐ろしいことがあったのか、帰ってきたときには、廃人同然だったと言う。
そのため、案内板は役目を果たすことができなくなってしまい案内板の管轄域じは荒れ放題で雲子(ウンコ)賊や塗歩寝多(ヌルポネタ)賊が横行してしまった。

また、彼の子供は8人もいて 長子・案内羅 雲慈(アンナイラ ウンジ) 次子・案内鞍 四区(アンナイクラ シク)
三子・案内初 質問(アンナイショ シツモン) 四子・案内贔 椎初(アンナイピイ シイショ)
五子・案内沓 李州(アンナイグツ リス) 六子・案内賀 井土(アンナイガ イド)
七子・案内維 弁杜(アンナイイ ベント) 末子・案内統 票場(アンナイトウ ヒョウジョ)で、いずれも詳細は不明
運営板(ウンエイバン) 生没年不詳

字は削人(サクジン)
板の皇帝費路に仕えた。
彼はもっぱら、賊などを討っては名声を上げていった。
運営版は一般から広く賊の情報を集め、その賊を討ち滅ぼしたので
いつしか、賊の討伐以来が舞い込むようになった。
策叙(サクジョ)王盆(アボーン)と師弟関係があるといわれているが定かではない。

また、彼は精力的に子作りに励み、6人の男子と一人の女子ができ、いずれも賊討伐で活躍する。
長子・運用日 安報(ウンヨウニチ アンホウ) 次子・運用報 臨時(ウンヨウホウ リンジ)
三子・運用規 聖上(ウンヨウキ セイジョウ) 四子・運用制 議論(ウンシヨウセイ ギロン)
五子・運用削 庸生(ウンヨウサク ヨウセイ) 六子・運用除 成李(ウンヨウジョ セイリ)
末子・運用議論(ウンヨウギロン)
郭秦(カクシン)

魏秦(ギシン)とともに魏に仕えた。>588の「三桓」の直属の部下にあたる。

普段は三桓以上に目立たない存在で、直接諮問を受けるという事はなかった。
しかし、ひとたび彼らが口を開くと、その影響力は絶大であったという。

郭秦がよしとすれば、いかに困難であっても必ず成功し、逆に魏秦が疑念を
述べた場合は、いかに順調に見えても必ず失敗したというのである。

残念ながら、彼らの活躍を描いたという史書は、その殆どが散逸した為、その
実在自体がよく分かっていない状態である。
記録官殿、乙でございます。

先に、立て続けに野球ネタを投下した者です。秋田という声もありますが、まぁ「枯れ木も山の
賑わい」という事で。これでも、姓名、字がそれらしいのを選んでいるつもりです。

武末(ブマツ)

字は悉昌。武周の一族かという説もあるが、不明。

活躍期間こそ短かったものの、「行蛇主鹵(アンダスロ)」の考案者としてその名を残す。
他板でこんなの見つけた。
どこの板かは聞かないでくれ。恥ずかしいから。


842 :通常の名無しさんの3倍 :04/07/30 14:52 ID:???
釣りが横行しているな


843 :通常の名無しさんの3倍 :04/08/01 00:41 ID:mMels3p+
横行(オウコウ)???〜220

 蜀の文官。態度が大きく、その行動は他人を慮ることはなかった。
同僚の密告により投獄され、そのまま獄中で失意のまま没した。
嵩晏侯(スウアンコウ)240〜320

本来の名は姓を「満(マン)」名を「貫(ガン)」字を「四川弐戦」
(シセンニセン)といった。魏の満寵の孫である。

祖父に似て剛毅な性格で武勇にも優れた。銅鑼が鳴ると力をさらに
発揮したという。弟ふたりも猛将で、それぞれ「満顔」「満玩」と
いい、読みは「マンガン」で同じであった。兄弟そろうと2倍3倍の力
を発揮した。

最も強力なのは満貫の単騎特攻であった。普段のさらに4倍の力を発
揮し、飛んだ敵将の首は数知れないという。功績を称えられ、「嵩晏
県」に3200戸を与えられ、「嵩晏侯」の爵位を授けられた。名よりも
この称号のほうが有名になり、列伝にも「嵩晏侯」で記載された。

晩年は「晋」に仕え、『忠晋蔵』に伝を取り上げられている。

>>704殿、乙です。俺も野球ネタ作りました。いろんな分野の
ネタがあってよいと思います。ただし、そればっかりというの
もまずいでしょうけど。
一方、>>620殿のようなたまにある指摘も貴重だと思います。
コテハンの人に上からものを見る態度で批評されると、その内容云々
より先に反感の気持ちが立ちます。しかし、620殿のようにボソッ
と指摘されると、あ、そうか、気をつけなきゃっていう気に俺は
なりました。

まあ、杓子定規で進めると、将が小粒になってしまいます(ryので
清濁併せ呑む度量を持ちつつ、バランスも時々考えていきたいなと
思いました。長文スマソ。

707706:04/08/02 13:39
あ、チョト意味が違ってるな。満貫が4倍の力って内容が。トホホ。
708706:04/08/02 13:53
620じゃなくて>>602だった。重ね重ねスマソ。お詫びにもうひと武将。
レスがもったいないから。

波平(ハヘイ)生没年不詳

黄巾党の将・波才の甥。一軍を率いて暴れたが山頂に次第に追い詰め
られた。何度か撃退したが矢折れ刀尽き、残る味方も山際でかろうじ
て敵の侵食を防ぐありさまとなった。しかし波平は最後の一本に(刀が)
なっても戦った。最後は間道から下山し、舟に乗って脱出した。この
時、齢50歳前後だったという。
>706->708殿

はい。承知しております。>602殿の様な指摘だからこそ堪えまして…ちょっと
控えておりました。まぁ、野球ネタ以外にもちゃんと考えてはおりまして、他の
ネタも幾つか投下したのですが、個人的には野球ネタが一番考えやすいって
な具合です。
では、私も一ネタ。

役満(ヤクマン)

その名には異なる読みがあるといわれている。字はあるのだが、よく分かっていない。

文人として知られ、その作風は>568石井の影響を強く受けている。
また、多作な人で、毎日の様に詩賦を作ったといわれる。
石井と異なり社交的な性格で、当時の文壇においては石井よりも目立つ存在であった。
たが、その作品のうち、今日まで残っているものは殆ど無い。
皆さん、乙です!
ご報告致します。1〜600レスまでで、

前漢:2人
後漢:22人(女性1人)
魏:75人 (女性1人)
呉:51人 (女性5人)※>>337の人妻は文脈から女性に入れました
蜀:53人 (女性1人)
南蛮:21人
群雄関係:29人(女性2人)
宗教勢力:12人
異民族:15人
在野:2人
西普:1人
所属不明:42人(女性1人)※>>76のニ張はここのままにしてあります
その他:29人 (女性2人・人以外3頭wと1詩文)
――――――――――――――――――――――――
合計:354人(女性13人・人以外3頭wと1詩文)
と、なっております。

>>704,ありがd♪
裸岱です。

名無しでカキコしてしまいました(ry
「踊るさんま大御殿」見てました。
「あせりすぎて失敗した事」というテーマの時でした(苦笑)

すいません。
712無名武将@お腹せっぷく:04/08/03 22:56
可不可(カフカ)183〜224
附羅波郡の人。喩陀耶族出身で、魏の文官。
早起きで、宮廷の門が開くのを待っている最中に突然逮捕され、
実の父によって死刑を宣告され、処刑された。
異常世界を描いた小説が死後発表され、文人として名を残す。
一説には、巨大な毒虫に変化したとも言われる。
713無名武将@お腹せっぷく:04/08/04 00:13
壱杯 蕎麦

新野の極貧家庭に長男として生を受ける。
幼くして魏の荊州侵入に遭い家とも呼べない家を追われ、
母に抱かれ、露店で掛蕎麦を食べる。
そして戦火の中、母は井戸野傍らで一人の貴婦人と抱かれた子の姿を目にする。
母は何の躊躇も無く貴婦人に裏拳を見舞い気絶させ、子をすり替えたのであった。
目覚めた貴婦人は気付くことなく単騎走り寄った偉丈夫に子を託し井戸に消えた。

やがて肉体だけが成人し、凡庸な国主が誕生した。
人は彼を阿斗と呼んだ。

>>689
モナーはオマエ・モナーじゃないとおかしいだろ。
伊安芙(イアンフ)

魏の国の女傑。戦争が起こると売春をして日銭を稼ぎ
戦争が終わると強制連行されて強姦されたと国主を脅迫して
見舞金を巻き上げていたという。
曼固(マンコ) 132〜201

字は苦成(クセイ)。広陵郡の人。祖父虎(コ)は漢の尚書令。父帽(ボウ)は陳湖(チンコ)太守。
孝廉に推挙され郎となり、のちに精巣掾に招された。
そのとき、蕩壮掾だった毛茂(モウボ)とは旧知の仲で、ともに人材登用に優れ、曼毛と並び称された。
外に出て越恥(エツチ)太守となり、中央に戻り痔中となったが、
衛尉司馬理(シバリ)に讒言され、交趾太守に遷された。
当時、南方の風俗は乱れ、若い男女がともに入浴し、恥らう様子もないほどであった。
固はこれを禁止し、禁を犯したものは漏れなく捕らえて官舎に監禁したため、
民はおそれ、あえて禁を破るものはいなくなった。
のち、親族を監禁された豪族の薛屈(セツクツ)が起こした反乱に遭い、建安六年、子の著(チョ)とともに斬られた。
六十九歳だった。
なお、官舎には数百の女がおり、固と著の性奴とされていたという。
これ以降、南方の民族は性行為のことを「曼固を為す」と言うようになった。
>>716
久しぶりに気合の入ったシモ系の力作。
>精巣掾、イイヨイイヨー♪
718無名武将@お腹せっぷく:04/08/05 12:15
コーエー三国志の新武将エディットで、ここの武将らを作ったヤツいる?
PC版だと、列伝もかけたような気がするんだが。

造ったヤツがいたらうpキボンヌ
自慰守(ジイス) 165〜237

字は発斗(ポット)。曼固>>716の四男で、実名は曼曾(マンピイ)。
自慰>>159の元で房中術の修行をした。
彼の死後、自慰の教えを守る者「自慰守」という道号で呼ばれるようになる。
生涯の中で治療した女性は数千人とも言われ、
その中にはあの二喬や甄夫人等、天下に名高い美女達も含まれていた。
しかし、劉禅の妻・敬愛皇后を治療した際、
老いた彼の精力を全て彼女に吸い取られてしまい、あっけない最期を遂げる。
720689:04/08/06 10:31
>>714
スマソ
じゃあ蒙那の字は王銘ってことでいいか?


追加
 下統 字は図左 日安の人
戦では主に第二陣や後詰を担当し、自ら先陣をきるようなことは好まなかった。
突撃戦法を好み、「2げっと」「100ゲト」「1000」などさまざまな形態を編み出した。
現在は修行の為か、いろいろな板を旅してまわっている。


※板とは日安地方の方便で「県」「地方」という意味
721無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 14:50
三沢(サンタク)字は光晴(コウセイ)蜀「の亜」の人。
戦場では常に緑の甲冑をまとい、武器は使わず主に右肘だけを使ったと言われる。
第三者の戦場にも時々出かけていっては蜀「の亜」の底力を天下に示した。
必殺技「恵眼羅瑠怒浮浪磁四」は多くの猛者を葬った。正史には全然登場しない。
722無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 17:56
千摺(センズリ)158〜190
字は未詳。出身地不明。黄巾の乱の際に揚州で挙兵し、孫堅と戦う。

彼は三度の食事よりもオナニーを好み、一日中明け暮れていたため、
常に全身から烏賊の臭いを漂わせていた。孫堅の陣へ奇襲をかけようと
したが臭いによって感づかれで敗北、逐電した。のちに何進に召抱えられた
が、張譲に春画で買収され、宦官の何進暗殺に加担した。
董卓入城後、董卓の目の前でオナニーしてしまい、宮刑に処された上、
舌を抜かれて釜茹でにされ、洛陽の犬の餌になったというが、正史その他
の史書には名前が見られない。
紀凡奴(キボンヌ) 177ごろ〜290ごろ

紀凡奴は、姓を紀、名を凡奴、字を巴里自演奴(パリジェンヌ)と
いった。袁術配下の紀霊のハトコに当たるという。呉の諌議大夫。
一族と共に洛陽にあったが、幼少から聡明で慈悲深く、特に女性
擁護の念が非常に強かった。男尊女卑の風潮を嘆き、ことあるご
とに女性にも恩賞が与えられることを望んだ。また、若干発声に
難があり、会話の際、語尾に「ん」が入ってしまうという特徴が
あった。

例1:貂蝉が連環の計を用いて董卓と呂布の仲を裂くことに成功した
   紀凡奴、司徒王允に曰く、→「貂蝉の加増希望ン!」

紀凡奴は当時まだ13歳前後だったという。彼の女性擁護の念と聡
明さはこれほどのものであった。後、中原の争いを避けて江南に
疎開したが、彼の持論はいささかも変わることはなかった。

例2:ニ喬が孫策・周瑜にそれぞれ嫁ぐことを了承し、孫・周両
   家の結びつきを強めて江東の発展に寄与すること大であった
   紀凡奴曰く、「大喬と小喬の加増希望ン!」

このようなエピソードは枚挙にいとまがない。一方男性にはあまり
関心がなかったが、唯一魏の蒋済の才能は高く評価しており、国を
越え賓客として呉に招くことを常に望んでいたという。

「蒋済を希望ン!」

紀凡奴の思想は、当時にあってはまだ容易に世論には受け入れられ
なかった。若いころは>>610の空気嫁に批判され、呉に仕えるよう
になってからは虞翻の一族の虞愚令(ググレイ)と激しく対立した。
長命だったが虚弱体質で、生涯しょっちゅう息を切らしていたとい
う。ハアハア
724無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 23:59
顔喪字・カオモジ


( ̄□ ̄;)!!
※4人です。

荀出巣(ジュンデス):劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の1人らしい。
        突然おねえ言葉を話し、周囲を驚かせた。 

張策(チョウサク):字は出酢(デス)。劉備を漢中王に推挙した120人の群臣
      の1人らしい。寡黙な人柄だった。突然歌を吟じ、周囲を
      驚かせた。張裔の従兄弟。

南春雄(ナンシュンユウ):字は出茣蓙(デゴザ)。劉備を漢中王に推挙した
         120人の群臣の1人らしい。一説に偽名で、本名は
         よほど親しい者でないと知らなかったという。

伊升(イマス):伊籍の一族。劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の1人ら
     しい。

馬陳(バチン):馬氏の五常の誰かの子。劉備を漢中王に推挙した120人の
      群臣の1人らしい。同僚とよくもめたという。

4人とも正史には登場しない。
夏侯休(カコウキュウ) 生没年不詳

字は之友(シユウ)。魏の太子洗馬。
張飛にビビった夏侯傑の兄である。曹丕が魏の王太子に立てられると
太子舎人に抜擢され、曹丕の教育を担当した。魏の王子達は夏に1ヶ
月半ほど帝王学の講習を受ける義務があった。夏侯休は論語・術数・
兵科・面会(の際の儀礼)と、幅広い知識を曹丕に学ばせた。
曹丕はとてもこの講習を嫌がったという。

9月に入ると最初の王宮への出仕の際に、各王子はみなそれぞれの教
育係を伴う義務があった。ところが曹丕に敬遠されていた夏侯休は館
に置き去りにされる年も多かったという。
残念ながら、「蒼天」にいう「四友」には選ばれなかった。太子洗馬
には昇進したが、太傅が務まる才能がありながら、不遇のまま没した
という。

なお正史には登場しない。
727725:04/08/08 11:22
>>725 スマソ、5人でした。今度は2人です。
陳固と苞皮 ともに生没年不詳

陳固(チンコ)は幼名を萎縮(イシュク)といい、成人して字を怒張(ドチョウ)と
いった。鉅鹿郡の人である。

苞皮(ホウヒ)は字を被剥(ヒハク)といい、邯鄲の人である。

ふたりは幼馴染で、楚漢戦争時代の陳余と張耳にあこがれ、刎頚の交わり
を結んだ仲であった。ふたりでいつか趙の地で王と名宰相たらんと誓った
。陳固は苞皮に父子のごとく師事したという。
黄巾の乱が起こると官軍に志願し、討伐に功があった。ただし、元来陳固
は臆病で、戦場では逃げ回りいつも苞皮にかばってもらっていた。そのた
めか陳固は常に猫背であったという。
袁紹が趙の地にも勢力を広げると配下となった。陳固の臆病は直らず、い
つも苞皮の陰で縮こまっていた。そして運命の日は訪れる。

白馬の戦いにおいて曹操軍に包囲され、苞皮は陳固をかばって奮戦、その
身に無数の斬撃をあびた。そしてついに、しゃがみこんでおびえるばかり
の陳固におおい被さったまま、苞皮は瀕死になってしまった。
死の間際、苞皮は陳固の耳に口を寄せて囁いた。「わ、別れの時がきた。
君は本当は強い。優しさに隠れて気づかなかっただろうが、君は芯の強い
男だ。君の優しさに私は惹かれていた。今こうして君をかばって死ねるこ
とをうれしく思う。陳余と張耳は最後は仲違いしてしまったが、我々は最
後まで共に戦えた。思い残すことはない」と。

728725:04/08/08 11:25
>>727の続きです

その刹那、とどめの一撃が苞皮を見舞い、背中を斬られてついに苞皮は
絶命してしまった。その瞬間、異様な雄叫びをあげて陳固は立ちあがり
、猫背を初めてまっすぐに伸ばした。なんと実は現代の単位で6尺も背
丈があったのである。
顔面を引きつらせ、血管を浮かび上がらせて激怒した陳固はそのまま曹
軍に突進した。苞皮を切り殺した雑兵を瞬殺、群がる敵兵をなぎ倒し、
敵将張遼に迫った。気づいた張遼の突き出す矛を7度まで弾き返し、逆
に8度ピストン攻撃を見舞った。その8度目の攻撃が張遼を貫かんとし
た刹那、力尽きて昏倒してしまった。

陳固の武勇に感服し、苞皮との顛末に心打たれた張遼の推挙により、曹
操に仕えて将軍となった。冀州平定後、安平(旧信都)内に領地を与え
られて、後、戦功によって侯となった。王と名宰相とまではいかなかっ
たが、元趙の地で見事錦を飾ったのである。苞皮のために立派な廟を建
て、妻子を厚く遇したという。陳宝侯・陳珍将軍にまで昇った。
盟友・苞皮の死により一皮剥けて見事に大成した名将といえよう。
>>727-728
大作乙

しかし、会話にワラタ・・・いい話だが。
730無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 05:08
↑どこがおもろいの?教えてマジで。意味がわからん。
男なら黙って武将を挙げろ
732無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 07:49
男なら自作自演・自画自賛するな。
>>727>>728
ホントに少しだけ面白かった
734無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 10:03
長いと読むやつが限られてくるな。
面白いのかもしれないが。
めちゃくちゃ傑作だったよ。マジで作者天才!まだまだいっぱい書いてよぉー!
age
737725:04/08/09 22:52
皆さん、レスありがとうございます。感激です。
賛否両論あると思います。最近レスのペースが落ちてきた感じ
だったので、良くも悪くも起爆剤になればと思い、カキコしま
した。

そうですね。コンパクトで、なおかつ味のある作品は素敵だと
思います。私も頭を柔らかくして、またネタ作りにチャレンジ
してみます。皆さんも一緒にこのスレを盛り上げていきませんか?
738変質社:04/08/09 23:10
周倉 (?〜?)

勝手に関羽にくっついていく 正史には一切合切登場しない 忠武候
武豊

馬術に優れたにくいやつ
長瀬 愛

馬術に優れたにくいやつ
顔黒(がんこく)?〜200

顔良の遠縁の従弟。袁紹に仕える。
顔面は黒色で、その異様な容貌は物の怪にもたとえられるほどで、
さらにそれを強調する戦化粧と兜で敵兵を威圧し、戦意を失わせることで数々の手柄を立てた。
また、足が太いのを気にして、目立たなくなるようにだぶだぶのすね当てをつけていたと伝えられる。

官渡の戦いの際、顔良と共に出陣し、関羽の部隊に対して攻撃を仕掛けるが、
その容貌のあまりにも異様なありさまに怪しげな化け物として関羽に一刀のもとに斬られる。

武将として認識されない最後だったので正史には登場しないが、山海経には載っているかも知れない。
742無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 12:23
畑 正憲
字はムツゴロウ

犬術にすぐれたエロいやつ
法素(ホウス)183-207 字は伝わっていない

河北の袁紹に仕え庭師として才を発揮する。彼の発明した忠武(チューブ)のおかげで
遠くまで水を撒けるようになる。袁紹没後は袁尚に引き続き仕えるが
ギョウ陥落の際曹操に捕らえられる。
その才を惜しんだ曹操によって取りたてられるものの、旧主への恩を返そうと
曹操暗殺を企図。巻き添えを怖れた庭師仲間の呉務(ゴム)によって斬られる。

最近、つまらん
孔州(こうす)?〜?

父親の孔融とともに魏に仕える。
料理の才能が目覚しく、曹操のお気に入りとなる。

あるとき、曹操が「最高の料理を作ってくれ」と頼み、孔州は全力を上げて前菜かデザートまで作った。
この料理のあまりにも美味しかったので、中国ではいち早く前菜からデザートまである料理のことを「フルコース」と呼ばれるようになった

何故フル=全力というのがいち早く広まったのかは未だ謎のままである。
746辛口:04/08/10 13:33
なんだ、この駄作の荒らしは!駄作で荒らすぐらいなら書き込むな!
駄作(ダサク)138〜189

 後漢の臣。帝室の衰退憂い、多くの政策を次々と提言したが、
数ばかりで内容に乏しかったため、重用されなかった。
 辛口に疎まれ、「荒しだ」などと罵詈雑言を浴びせられて、
これをこの上なく恥じて自決した。
重用(チョウヨウ)158〜184

 黄巾の乱における方の指導者の一人で、重耳の子孫を名乗っていた。
 太平道が政治色を強めていく中、若くして張角の腹心として活躍したが、
張角の病死後、彼が黄巾軍の指導者となることを恐れた張宝、張梁により
暗殺される。 二人を失ったことで黄巾軍から離脱するものが続出し、黄巾
の乱は鎮圧されたが、重用の部下たちは、その後も蜂起を繰り返し、官軍
を苦しめたという。
749王牟:04/08/10 18:11
恐レスになったが
>>725
笑った。最後の一行は巧いと思った。
ただ下ネタで長文となるとかなり読み手が減ると思う
750無名武将@お腹せっぷく:04/08/11 05:56
最後の一行の決めゼリフはみんな一緒だと思うが
気野青果(キノセイカ)
自分は皇帝だと思っていた、野菜の元締め。のちに青果市場を開く。
751無名武将@お腹せっぷく:04/08/11 05:58
↑追伸・なお正史には登場しないが青果市場で語り継がれている。
752王牟:04/08/11 12:26
間違えた・・・・>>727-728だった・・・・orz
調印(チョウイン)149〜184

 後漢の臣。馬元義の口車に乗せられ、
黄巾賊蜂起の際は内部から決起するという誓約書に印を押してしまった。
 馬元義処刑に連座してその生涯を終えた。
754王牟:04/08/11 16:08
我女(ワレメ)
呉の巫女
巫女のくせに、エロティックで臭いフェロモンを醸し出していた。
>>754
けして良いネタではないのになぜか名前だけで笑ってしまったw
756王牟:04/08/11 22:23
我太(ワレタ)
呉の武将
>754の弟
幼少から多彩な才能を発揮していた。特に海戦に優れ美周朗の右腕とされていた、それはまだ若干15歳の頃だった。
そんな我太が、ある日誤って高所から転落した。
後日、我太が顔色を変えて孫権に言った『高いところ落ちて尻を打って、尻が二つになりましたぁ』
孫権は苦笑いしながら、これは釣りか?最初から尻は二つじゃ!と様々な考えが頭を過り馬鹿にされたと思い我太を処刑した。
以来、一つの物が二つになる事を【ワレタ】と言うようになった。
割れたの語源である・
なお、裏三国史には記載されている。
大豊

アジアの大砲の異名を持つイカしたナイスガイ。
758sage:04/08/11 23:32
下降豚

人気落ちまくりでTVでみなくなった
デブタレント。
>>750-751
おまい仕事場から何やってんだよ・・・
不如氏(フジョシ)

魏帝曹丕が蜀に放った女性間者の総称。趙雲、姜維、諸葛亮、馬超ら
蜀の重臣たちを同性愛者として描いた書物をばら撒き、心ある民衆を
大いに失望させ、家臣の間に不和を招いたという。
対策に窮した諸葛亮は、南蛮の地「幕張」で同人誌の即売会を行うと称して
彼女らを集め、そのまま穴に埋めて殺したという。殺害された不如氏の数は
10万人にのぼったと言われる。
また、日本の「甲陽軍艦」には、生き残った彼女らの子孫が日本に渡り
甲斐の国に流れ着き、真田幸村や高坂弾正、山県正景らを同性愛者として
吹聴してまわったため、武田信玄によって処刑されたとの記述がある。
761無名武将@お腹せっぷく:04/08/11 23:49
周納(シュウノウ)
周泰の弟。呉の文官。
帰順した時に兄とは違う文官の道を選んだ。
意外にも卓越した政治的手腕を持ち、細細した問題を次々と片付けていったという。
呉が大規模な遠征を行った際、武具兵糧に加えてあまりにも大量の兵糧を
持ち込もうとした為に輸送隊がとてつもない長蛇の態を成してしまった。
それを見た周納は次々と的確な指示を与えて、持ち込む兵糧の量を変えることなく
列を半分の長さにしてしまったという。これを見た孫権は大いによろこび
不豚厚宿服炉という倭から伝来した秘宝を賜ったという。

演義には登場す・・・るわけないね。
下降猿

人気落ちまくりでTVでみなくなった
ニホンザル。
763無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 01:18
王呂(オウロ) 生没年不明

字は那明(ナミン)。黄巾の残党。自身も武略に優れるほか、強靭衆と名付けた
九人の豪傑を従え、その力で大陸全土への影響力を強めていった。
「元奇初辣」という謎の口癖をもち、その言葉で軍の士気を高揚させたという。
李豊 備譚や李毛允らとの同族と争って敗れ、捉えられて処刑された。
彼の死後、明那明、美多明といった偽者が現れ、多少の混乱に陥った。
>>759
ワロタ。そういえば>>750-751、カキコ時間がw

>>761
うーむ、周納、陰の功労者よの。
「不豚厚宿服炉」ワラタ。

>>763
于叡兎(ウエイト)、字は阿矢(アヤ)が跡を継いで勢いを盛りかえしている。

あと、あくまで武将の中身でレスの質を集めて、スレの住人を増やしたり
盛り上げていこうぜ。ageれば人は集まるが、お粗末なレスも増えるよ。
sage推奨でいきましょ!
765辛口:04/08/12 16:26
本当に、つまらんのやけど。最近ヲタっぽい椰子増えすぎたな。前の椰子らが面白かった。
766王牟 ◆RZSssVQ.KQ :04/08/12 23:08
754、756は私の偽物だ!私は下ネタなど言わぬ!

王水
字不明。蜀の猛将。
常に軽装で戦場に赴き、法術を駆使して
敵将を溶かすようになで斬りにしたと言う
無血漢であったが銀に弱かったとされその名を化学大辞典に残した
767王牟 ◆RZSssVQ.KQ :04/08/12 23:10
ageげちまった・・・orz
こりゃこのスレの終わりも近いな
劉一色(リュウイーソー)生没年不詳

字は緑限(リョクゲン)。劉表の賓客の1人。怪しいながら漢室の
末裔を称した。

董卓追討の声があがると、劉姓の皇族主導で行うべしと主張した。
すなわち幽州牧の劉虞・エン州刺史の劉岱・益州牧の劉焉に参加を
呼びかけ、劉表が盟主となって董卓を討伐するというもの。他姓
の群雄の影響力拡大を未然に防止し、皇族が藩屏となって漢室を
復興せんとの策である。

しかし保守派の蔡瑁やカイ良・カイ越兄弟の反対にあい、肝心の
劉表は優柔不断炸裂!!!結局、支配して日が浅い荊州を固める
のが先決、と劉一色の計策は却下されてしまった。

実現していたら盟主の劉表は三公、いや相国の役職の願いすら満
たされたであろうにと、劉一色は天を仰いで嘆息した。
これを機に引退し、盆栽をいじり、草花をめでるなど園芸を趣味
として余生を送ったという。子に劉局(リュウキョク)、字は能典(ノー
テン)がいる。
樊文(ハンブン)生没年不詳

董卓配下の樊稠の甥である。献帝が李カクに、廷臣達が郭に拉致
されると、身の危険も顧みずこっそり衣食を差し入れした。
伯父の樊稠が謀殺されても、家臣達のために無念をこらえて李カク
・郭に従った。そのうえ二人が争うようになると身を呈してこれ
を諌め、仲を取り持とうとした。暴政で荒れた長安の復興にも尽力
し、民に慕われたという。
李カク・郭が曹操に撃破されると行方不明となった。

私生活では徐李射(ジョリー)という犬を飼っており、同じ布団で眠
り、食事も自分のものを分け与えるなど大層かわいがったという。
当時許子将と並ぶ人物評論家であった馬布(バフ)、字を亜倫(アリン)
はこう評した。

「樊文はやさしさでできている」

なお、正史には登場しない。
交尾(コウビ)

性交のこと。劉備(リュウビ)とは何の関係も無い。

早漏(ソウロウ)

精力が持続しないこと。曹操(ソウソウ)とは何の関係も無い。
772痴岱:04/08/13 05:41
裸岱さん、創作される皆さん。お疲れ様です、いつも楽しく拝見させていただいてます。
まとめサイトというほどでもありませんが、既出の武将をアイウエオ順に並べてみました。
http://sansen.channel2.s3p.net/naduke/
需要があるかはわかりませんが一応KOEI三国志シリーズの武将交換板も置いてます。

武将登録やまとめ記事の移植はちょっと大変でしたので今後お暇な方がいらっしゃったら適当に追加していってください。
とりあえず器だけ用意という感じで。
現時点で445人登録してあります。抜けてるのもあるかも・・・・
「シ」の読みの武将が多いのも三国志っぽいなと感じました。
ではでは、使えるかどうかもわかりませんが、既出武将の登録サイト公開でした。
773痴岱:04/08/13 05:43
追伸:この人物登録用スクリプトはWebPro板の丸投げスレで作って頂きました。多謝。
774辛口:04/08/13 08:31
>770
そうじゃ!そのような武将を待っておった。
オチもあり、尚且つ予想と違ったオチ、最後のお約束で完結とは、まさに絶妙。
そして武将一覧を作った方、乙です。あとはここの武将を使った小説出現を祈りつつ期待ホゲェ
>>772
GJ!
すごい・・・こんなのができるまでに発展したのか、このスレ(笑
777無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 09:30
>772ありがd
>770なるほどアニメ「走れジョリー?だったかな」とバファリンが巧み
778無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 09:31
>>772
GJ!
779725:04/08/13 10:02
まずは>>772痴岱さん、ありがとう!大変だったでしょう。素敵です♪
いいですね。ますますこのスレが「スレタイ」や「裏あるいは陰の三国志」
っぽくなりましたね。何度お礼を述べても足りませぬ。
表紙の壁紙は無双の武将達なのかな?このスレには合った雰囲気でほの
ぼのしました。

ところで質問があります。50音索引の「#」と人物横の☆印と(1)っ
て何ですか?それと、既出武将の修正もできるのでしょうか?例えば
そのサイトでは、>>727の苞皮の伝ではタイトルで読みが「チョウヒ」になってますw
それと、白馬で戦死なら没年は200年とわかるので訂正したいのですが。
どうでもいいことかもしれませんが、自分の作品には思い入れがあるもの
で…。

780725:04/08/13 10:12
>>774辛口さんへ、
トリップがないからご本人かは不明ですが、>>770をお褒めいただき嬉しい
です。ありがd。結構自信作でした。だけど、かなり切り札を投入しちゃ
ったのでストックがそろそろw

ところであなたもほめられると嬉しいでしょう?批評家を自認なさるな
ら、鳳雛・ホウ統のように「住人は褒めて育て、批判は思いやりのこも
った表現で」なさると士気も向上し、あなたへの皆の感じ方も変わると
思いますよ。

というわけで、私も下ネタ・オタ系ネタ(レッツゴー三匹や名犬ジョリーなんて
今の人あまり知らないでしょう)もたくさん作ってます。でも辛口さんに
褒めてもらえる作品も作れるのです。皆さんも海のごとく広々とした心と
頭で、清濁混ざってよいではありませんか、ただし質を高める努力をしつ
つ、スレを盛り立てていきましょう!
それと>>777さん、ありがd。

でしゃばってすいません。自己顕示欲は正直あるので。あとどうしても痴
岱さんや辛口さん、>>777さんにお礼述べたかったので。以降名無しに戻
ります。最後に、誰か痴岱さんの伝を立ててくださることを紀凡奴。
781無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 12:50
覇弐丸(ハニマル)
生没不明
お馬の貧米(ヒンベイ)と三国を放浪、聞けば倭の国の王子だとか…
そんな覇弐丸を人物収集家・曹操が見逃さなかった。まだ、あどけなさが残る覇弐丸、そして見事な鎧、短足、全身を肌色にカモフラージュした、その奇天烈ぶり、曹操は一目で覇弐丸を気に入り、丁重にもてなした。
ここに魏の武将・覇弐丸の誕生である。
数日後
戦が始まり、覇弐丸は出陣した…だが…
刀を抜いてもハニャフニャ、弓矢を引いてもハニャフニャ
まったくの素人だった。
そのうちに曹操と覇弐丸の頭と頭がゴッツンコして、曹操は涙がでた、それを見た覇弐丸は「涙が出たら空に投げよう、まーるい大きな虹が浮かぶよ」と言った。のち処刑されたのは言うまでもない。
なお正史には登場してないが教育三国志の人気武将だった。
>>1です。
>>772さんの五十音順のサイトを見て、驚いています。
まさかこんなサイトができるとは(笑
ミナサンが楽しんでくれていて、ちょっとうれしいです。
さて、であ潜ります。
783記録官・裸岱:04/08/13 14:44
皆さん、乙です! 痴岱殿、あなたはこのスレの中興の祖でござる―――!!!
>1殿、よかったですな。 では601〜650のまとめでござる
後漢・魏・呉・群雄関係
――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>610 空気嫁:何進に招聘され、荀攸と共に宦官排斥に尽力


>619 曹珍(ソウチン):曹操の妾の子。
>630 牛飯(ギュウハン)[字:大盛(ダイセイ)]:曹操の料理番
>632 隕石(インセキ)[字:衝突(ショウトツ)]:従軍を許されなかった武将
>636 亜吉礼(アキレ)[字:浮須(ウス)]:夏侯淵配下。無敵だったが黄忠に討たれる
>637 阿呉 [字:異乃奇]:魏の闘将○当山に仕える
>642 伊良部 倉毛(イラブクラゲ):あの許楮と互角に渡り合った猛将


>601 井口(セイコウ)[字:源次]:長江の川賊。>587谷口の征討により呉に降る
>609 便秘(ベンピ):「江東の洟の二便」と名高い>371小便、大便の父
>626 騨禰(ダデイ)[字:躯有留(クウル)]:野戦をこの上なく愛した武将
>629 袁周率(エンシュウリツ)[字:Π(ゴツ)]袁術の子、袁燿の孫。父は袁虞
>631 梁理勝(リョウリショウ)[字:関口(カンコウ)]:三宅と同姓同名で好敵手
>631 梁理勝(リョウリショウ)[字:三宅(サンタク)]:関口と同姓同名で好敵手
>642 燃焼系(ネンショウケイ)[字:網]:得意な斬り技を持つ呉の武将
>645 高野連(コウヤレン):呉の名士。人材育成を好んだ

群雄関係
>625 。刑道狼:劉度配下・刑道栄の一族。名前の前の「。」は誤記か「牛娘。」
        の「。」のような特殊な意味合いを持つのかは不明である。  
784記録官・裸岱:04/08/13 15:56
601〜650のまとめ(まとめサイトの記録板は私が更新するよう努力します)
蜀・宗教勢力・異民族・在野・西晋・所属不明・その他
――――――――――――――――――――――――――――――――

>606 士孫随(シソンズイ):後漢の士孫瑞の従弟。木牛流馬作成に従事した大工
>617 孫益(ソンエキ)[字:分岐典(ブンキテン)]:孫乾の養子。財政担当の文官
>620 伊伊島愛 :伊籍の愛娘。父の推挙で後宮に仕える
>633 貞操(テイソウ):劉備が称帝した際、魏の文官>298于甫の謀略により死す
>643 張続連(チョウゾクレン):蜀の「七人幇」の一人として国政を指導
宗教勢力
>634 虞留(グル)[字:高橋(コウキョウ)]:新興宗教を立ち上げるが夏侯惇に斬られる>564虞瑠と同一人物かは不明
異民族
>646 堤鞘華(テイサヤカ):安息(サーサーン朝ペルジャ)国王アルダシャル1世・シャプル1世に仕えた宮女
>646 擱奇長(オキナガ):異民族であるテイ・羌族の首領
在野
>621 孫大泉(ソンダイセン)[字:逸郎(イツロウ)]:江南の郷士。孫堅の遠縁の一族
西晋
>604 大団円(ダイダンエン):晋の将。杜預に従って呉に攻め入る
所属不明
>604 大円団(ダイエンダン):???……伝を参照
>607 董婁金(トウルキン):学者・文人。牛津七子の一人。中国幻想文学の祖
その他
>603 臥茶品(ガチャヒン)と武句(ムク):南蛮の冠婚葬祭の道具
>624 悪禁(アクキン):悪来の子孫という。董卓の起こした混乱に乗じて山賊になる
>639 波名 [字:糞]:伝を参照
>640 耳糞 :伝を参照
>646 楼麗籟(ロウレライ):揚子江に棲む神仙(人魚?)。赤壁曹軍敗北の一因とも
>650 王将:成都陥落時に死亡した人物
曹典(ソウテン)生没年不詳

魏の御用達商人・発明家。字は根太(ネタ)。
本来の姓は楊(ヨウ)といい、巻物や竹簡を束ねる際のひもを扱う商人で
あった。曹操陣営に出入りするうち、いちいちひもで縛るのはめんどく
さい点に目をつけた。
劉璋が曹操に修好を求めてきた時期に、南方由来のゴムの木が貢物の中
にあった。その樹液が特殊な素材になりうることに気づいた楊典は、研
究を重ねてついに伸び縮みする輪っか状の製品を発明した。これを用い
ると簡単に物を束ねることができたのである。楊典はこの製品に自分の
姓を冠して「楊把」と名づけ、曹操に献上した。合理主義者の曹操は、
文官の負担を軽くしたと大いに喜び、曹姓を名乗ることを許すという破
格の待遇を与えた。

ところがこの「楊把」、一月もすると劣化が起こり、たやすく切れてし
まうことが判明した。不良品だったのである。「楊把」はたちまち返品
され、文官達は商人の分際で曹姓を与えられた嫉妬も手伝って、口々に
「楊把でまとめるな」と曹典をからかい笑いの種にしたという。その後
魏が建国されても曹典は御用達商人として活躍したが、「楊把」を越え
る発明は後世の輪ゴムを待たねばならなかったとか。

なお、正史には登場しないが、「週刊朝」にも登場しない。
786記録官・裸岱:04/08/14 00:41
あらためて痴岱さん、この度は50音まとめサイト作成ありがとうございました。十分ま
とめサイトとおっしゃっていいと存じますぞ。それがしでは何年かかったことかw 活
用させていただきますとも。

>>780
何人かの武将と記録板の分を、痴岱さんのまとめサイトに更新してみました。50音索引
を推測するに、痴岱さん以外の人が更新した武将には☆がつくのではないでしょう
か?「#」はクリックしても何も起こりませんな。

武将名とその読みを新規登録すると索引が作成され、名前の横に(0)がつきます。
本文をカキコすると(1)となります。しかし、以降同じ武将に追加・修正事項を入れ
ようにもその方法はわかりませんでした。なお、苞皮の読みは直っておりましたぞ。
痴態殿が修正してくださったのでは?

>皆さんへ
記録板のほうは、No.16以降でそれがしが更新した分については、本スレか記録板で
言ってもらえれば、パスワード登録してあるので可能な限り訂正・追加致します。
787痴岱:04/08/14 01:40
裸岱殿、更新ご苦労様でございます。

あの武将辞書(CGI)の作りについて少し補足説明しておきますね。
 ・[新しい人物を記録]で武将名と読み仮名を登録(なのでスレ投稿時、武将名のフリガナあるとありがたいです)
 ・左フレームの一覧に新規登録した武将名が出るのでそこに説明を書く。投稿者名にはレス番号。
 ・投稿すると最大件数が1件なのでその武将には以下投稿ができなくなる。
 ・このため投稿は1回限り。訂正や追加は不可。
 ・#はフリガナが五十音以外のとき。「ー」「・」「数字」「スペース」とか。
 ・左メニューの最終更新時に24時間以内に投稿があった武将名は☆マークがつく。

こんな感じです。ご活用いただければ幸いです。

>>786 裸岱さん
労いのお言葉痛み入ります。実は前々からこのスレにぴったりだなと思っていたCGIがあったのですが、
複数行の書き込みが出来なかったのでスクリプトの改造を依頼していました。
そのスクリプトが先日改造して頂き完成したのであとはもうコピペコピペでした。お役に立てたら何よりです。

>>779 725さんそんなわけで、読み仮名は修正しましたが、残念ながら記事の追加や補正はできない設定になっています。
あとづけ出来ると荒れたり、キリがあくなったりするので。ご容赦ください。
788無名武将@お腹せっぷく:04/08/14 09:13
皆様、乙です。
裸岱様にお願いです。
>642の伊良部が一覧に居ません。見るかぎり、ここに1スレで二人パピコしたのが原因でしょうか。
が、裸岱さんの記録では、きちんと分けられていた事にはビックリしました。
一覧サイトの燃焼系のオマケ的、存在の伊良部をどうか。
裸岱です。ご先祖様のお墓参りに行き、>409裸本の墓を掃除したところ、棺から
ある資料を見つけました。
-------------------------------------------------------------------
法審(ホウシン)204〜313

晋の学者・典学従事。
法審は字を人漢(ジンカン)といい、蜀の尚書令・法正の庶子である。陳寿とは蜀
に仕えていたころから親交があり、晋にもともに仕えた。蜀で勧学従事であった
法審は魏呉からも書籍を取り寄せ研究し、ことに各地の人物には明るかった。そ
のため陳寿が三国志を編纂する際、取り上げるべき人物を法審に諮問した。

法審は記録書の類からだけでなく、広く官民からも情報を収集した。その結果、
現在の三国志の体裁が整えられたという。人物の中にはその「姓・名」の文字が
史書に相応しからずとして、いったんは採用されかけながら、結局は伝を削除さ
れてしまった者も多かったという(注1)。常識人であった法審と、1,300件以
上にも上った官民の意見が重視された結果であった。とはいえ、著名な人物を理
由ありとはいえあまた削除してしまった責任を感じた法審は、自分も伝を立てず
、他人の伝からも自分に関する記述は削除してくれるよう陳寿に要請した。陳寿
は涙ながらに了承したという。

法審は典学従事として学者を取りしきり、長命を保って314年8月13日没した。
>789の続きです

注1.私(裸姦厨)が調べるに、この時伝を削除された人物は以下の通りである。
なお、一次選抜として字(あざな)に関して不適当な人物は先に外されたとの記述
が「忠晋蔵」に記載されている。かなりな数に上ったと思われるが、資料が見つか
らないため姓名で除外された人物のみを下記に記す。今後他の人物についても民間
伝承を収集するなどして伝をまとめたいと思う。

>167脱糞、>177野糞、>185糞尿、>352馬糞、>640耳糞、>362車姦、>556近親相姦、
>250手淫、>361淫行、>429股間、>168著部痢罵、>393剃毛、>79宇世禿、>77禿同
-------------------------------------------------------------------
すでに皆さんの手で、現在は日の目を見るようになりつつある(?)人物ばかり
でしたが、ご先祖・裸本の遺作を目に出来て感慨ひとしおでござった。

>788甘口殿、伊良部を登録致しました。どなたが新規登録してもいいようですの
で、お暇があれば、また人物を作成なさった際、してみてはいかがでしょうか。
>>779です。
>>786,裸岱さん、>>787,痴岱さん、お答えありがとうございます。

痴岱さん、
>あとづけ出来ると荒れたり、キリがあくなったりするので。

ごもっともです。カキコする際に慎重に見なおしするべきですね。
反省しました。あと本当に何度もでしゃばってすいません。作者が
たびたびしゃしゃり出てくるのってみっとも良くないですよね。
私も潜ります。
屋良(やら)字内科(ないか)
呉の将 171〜253

黄巾の乱から孫堅に仕え、約70年にわたり孫家に仕えていた。
頭脳明晰、勇猛果敢な名将だったが、同性愛者で男を見つけると
「ウホッ、いい男」といって近づき「やらないか」といった。
また、彼の手によって調きょ・・・洗の・・・もとい教育された兵士達は
100万の兵にも恐れず突撃し、兵士を捕まえては「やらないか」といった
さすがの、劉備・曹操も恐れ、呉はなかなか攻めなかったという。
孫策・孫権と仕え、将軍職を歴任した。
孫権の死のショックで一年後に病死した。82歳という大往生だったが
彼は死ぬ間際まで性欲盛んで「ウホッ、いい男」「やらないか」
といっていた。彼の死によって呉は衰退の一途をたどるはずのなのだが
正史・演義とも登場していない。
出展・盧江の民族伝承
真理雄(マリオ) 生没年不明

呉の名将
赤い服と、奇妙な二股の服を着ていたという。
跳躍力は縦に2丈2尺、横に5丈飛ぶことができたという。
「跳将軍」とあだ名された。
さらに、彼が叩いた場所からは地面をすべるキノコが現れ、彼がそれを取って食べると
体の大きさが2倍になり、いかなる急所を突かれても一回だけは生き延びられたといわれている。
また、彼が大きい状態で壁を叩くと、木の葉や花、羽、さらには体色が赤青緑黄で鞍の付いた馬が出てきて
彼を強化したという。

さらに、何もないところを叩くとたまに出てくる緑色のキノコを採ったり、金の塊を100個とることで一度討たれても自然と生き返りひょっこり出てくるという。
最後は、彼が大亀を退治しに行くといって出て行ったきり消息は不明。

任天堂のスーパーマリオは彼がモチーフになっているという。
曹漏(ソウロウ)

字は短小。曹操の8男。戦場では常に抜け駆けをするも
実際に戦が始まると1分ほどでぐったりして戦場を離脱するため
「ものの役に立たぬ奴」と嘲笑を買っていたという。
後年、曹操から褒美として下賜された箱の中に小さいシメジが入っており
これをこの上なく恥じた曹漏は首を吊って自害した。
瑠維(ルイ) 字尉二(イジ) 生没年不明

蜀の名将
真理雄の義兄弟だったが、夷陵の戦いを境に真理雄は呉軍に捕らえらればらばらになってしまった。
義兄真理雄よりも背が高く跳躍力は縦に4丈、前に10丈跳べたという。
彼もまた、真理雄と同じく壁からキノコやら何やらを出して強くなるという。

また、魏王宮に単騎で忍び込んだときに数百人を踏み殺し、乗っていた馬に食い殺させたりして見事脱出したという逸話があり
「蜀に瑠維あり、魏にはなにもなし」と世間は笑いあった。

最後は、下野したところで大亀退治中の義兄と再会を果たした。

任天堂のルイージは彼がモデルになっているという。
費柯誅宇(ピカチュウ)

南蛮の将
身長40cm黄色い体にジグザグの尻尾、さらに真っ赤なほほと長い耳が特徴
体から電気を放出して感電死させる、雷を起こすこともでき彼を孟穫は重用した。
さらに、電光石火の進軍で有名にもなったが、落とし穴に落ちて捕らえられたところを
蜀将に気持ち悪がられて処刑された。
彼は「ピーカ、ピ〜カ〜ヂュ〜、チュ〜」としか言えなかった。
797無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 14:13
取批阿(トリビア)

取批阿は字を白水といい、荊州新野の人である。
若い頃は辺境の官吏をしていたが、その博識は遠く青州まで知られていた。
彼は自宅に名士を招いては諸国の珍しい説話を披露し、招かれた者たちは
卓を叩いて感嘆したという(一)。建安十八年、門下の張松の推挙で先主に
仕え、後主の太傅に任じられた(二)。太傅に任じられてからは次第に
本来の博識から外れ、奇をてらった説教のみを繰り返すようになり、
心ある人々は「御殿に出て行かねば良かったものを」と嘆いたという(三)。

(一)「巴蜀春秋」にいう。彼があるときたまたま道で行き会った老人に
非常に稀なる説話を披露したところ、その老人は思わずそこに卓がある
つもりでそのまま自分の膝を叩いてしまっていることに気付かなかった
という。この故事より「感心して膝を叩く」という言葉が生まれたという。
(二)「蜀記」にいう。後主は取批阿からいかに興味深い話を聞かされても
「丙詠」(益州の方言で感嘆の意を表す)と繰り返すのみで一切の見解を
述べなかったという。後主に近侍する官もまた、後主に倣い「丙詠」を
連呼したため、彼が訓話をすれば廟堂内が「丙詠」の声で溢れかえった
と言う。
(三)臣が考えるに、彼と同郷の狩戸休(かるときゅう)、菩伽典(ぼきゃてん)
もまた、新野で名をあげながら官に召しだされて後、その名を全うでき
なかった。彼もまた、新野の環境においてこそ実力を発揮できる者だった
のであろう。

「蜀書・劉二牧伝付記(異本)」より
798無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 14:16
>>793>>795
ワロタ
799無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 14:17
すみません、長すぎて省略されました。注のみ再上梓致します。

(一)「巴蜀春秋」にいう。彼があるときたまたま道で行き会った老人に
非常に稀なる説話を披露したところ、その老人は思わずそこに卓がある
つもりでそのまま自分の膝を叩いてしまっていることに気付かなかった
という。この故事より「感心して膝を叩く」という言葉が生まれたという。
(二)「蜀記」にいう。後主は取批阿からいかに興味深い話を聞かされても
「丙詠」(益州の方言で感嘆の意を表す)と繰り返すのみで一切の見解を
述べなかったという。後主に近侍する官もまた、後主に倣い「丙詠」を
連呼したため、彼が訓話をすれば廟堂内が「丙詠」の声で溢れかえった
と言う。
(三)臣が考えるに、彼と同郷の狩戸休(かるときゅう)、菩伽典(ぼきゃてん)
もまた、新野で名をあげながら官に召しだされて後、その名を全うでき
なかった。彼もまた、新野の環境においてこそ実力を発揮できる者だった
のであろう。

「蜀書・劉二牧伝付記(異本)」より


800無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 14:17
>>789
古代中国の人名の基礎も知らないのか?
忌避すべき漢字を字にWで使うな!!
801無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 15:26
本官(ホンカン)

本官は字を岱圃(タイホ)といい、呉郡の人である。身の丈四尺五寸の矮躯に
左右のつながった目、一つしかない鼻の孔という怪異な容貌であった。推挙
されて洛陽の右尉となった。彼は粗暴な性格で、目の前に庶人がきて拝礼
しないと、柔楠武(ニューナンブ)という連弩の一種を乱射し恐怖なさしめたと
いう。人々は彼の姿を見ると口々に「本官散」と叫び逃げ惑ったという(一)。
また、彼の守っていた門の周りには常に彼が射殺した人々の死体が積み上げ
られていた為、人は皆、(血に染まった塚として)赤塚と呼んだという。

(一)「三国志平話」に登場する夷の将、目玉繋がりの尾廻賛(オマワリサン)
は容姿や用いる武器からするに、おそらく本官を元にして語られていると
思われる。

「魏書・董二袁劉伝(転載・芭加本)」より
802辛口:04/08/15 20:42
どいつも、こいつも言いたい事言いやがって!字はWでもいいやんけ、タコ。
それにワラタだけの書き込みも無駄。ガキじゃないならワラタで武将作れ。
鼻糞共(ハナクソドモ)
この板の消防を差す。
803辛口:04/08/15 20:45
798と800だ。
おまんらは、乙武ぐらい罵声をあびるだろう。
屈覇大王(クッパダイオウ) 生没年不詳

真理雄・瑠維兄弟の好敵手
常に彼らと存亡を賭けた戦いを繰り広げている。
8つの城を持ち、各城には溶岩の池や人食い花のでる土管や火計の罠が仕掛けられている。
また、支城に自らの影武者を城主として配置した。
真理雄・瑠維兄弟と過去に何度も戦うがいずれも敗退して一向に勝てないが、子供は総計8人はいる・・・はず!
最近では、紙のように薄くなった屈覇大王を見つけたものもいる。
>>804追加

真理雄兄弟を一度だけ共同戦線を張ったこともある。
さらに、真理雄兄弟と共に闘技大会に出たり、西洋の球技をたしなんだりもした。

また、茸王国の王女桃姫を拉致誘拐するも常にあの兄弟に阻まれてしまう。
任天堂のクッパは彼がモデルになっているという
806無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 21:43
↑三国志と関係ない。ゲームヲタはウザいから来るな。
桃姫(ピーチヒメ) 生没年不詳

茸王国の王女で金髪で恐ろしく強い美姫
茸城で生活しているが、屈覇によく誘拐されてしまうという。
司馬昭曰く「彼女が住む茸城は、小高い岡上に立っているが
櫓や堀、城壁がなく敵に攻め込まれ放題という平和ボケした城に住んでいるといえよう、
さらに、見張りの兵は一人もいないうえに、謁見の間に屈覇が来たという警備の甘さが誘拐されるのは当たり前だ」とのこと

また、彼女は闘技大会において他の武将を完膚ないくらいに叩きのめして優勝したという。

任天堂のピーチ姫は彼女がモデルになったという
杉内(サンダイ) 生没年不詳

字を俊哉(シュンサイ)。>>353の王貞治の配下の将である。
十代に>>645の高野連の主催する武術大会で横浜郡の松坂(ショウハン)と
壮絶な勝負をし、その名を轟かせることとなった。

その後王貞治の配下となり、二年目、大活躍をする。
呉との天下を分ける戦で彼は二度も敵の攻撃を耐えて、軍の勝利に貢献した。

だが、その翌年は振るわず、彼は怒りにまかせて拳を椅子に殴りつけたところ、
怪我を負い、それが原因で彼は戦線を去った。

彼が拳を椅子に殴りつけたその時、同僚の城島(ジョウトウ)が「利き手はやめろ武留我理有!武留我理有」
と叫んだという。

この武留我理有とは「武を留めて我の理は有る」という彼の言葉で彼の異名ともなっていた。
この一件が惜しまれる将である。
809無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 23:28
呉の六松  生没年不詳
魏には司馬の八達、蜀には馬の四常といった優れた兄弟がいたように
呉にも六松という優れた兄弟がいた。現在まで姓、名は伝わっていな
いが、於祖松、一松、可裸松、瀦路松、砥弩松、十四松、という字で
あったと史書によっては記述されてある。姓、名を記した史書がない
ためにその実在が疑問視されていたが、今世紀の初頭に赤塚から四里
離れた湖沼の近くで六松のものだと思われる六つの墓が発見されたら
しい。今後の調査を期待したい。

阿会彗星
阿会喃の一族とされる。
仮面を着用し咥登呂と名乗り諸葛亮を欺こうとするが蜀軍には最初からばれており、最後は敵味方から罵られ憤死。

熊先生
先生は字。于禁配下。于禁曰く「俺の先生」と重宝されていた。于禁の死に際し
「ここはお前の日記帳じゃねえんだ
チラシの裏にでも書いてろ
な!」
と叫んだことは有名。
なお、于歩(>>10)は于禁の一族で熊先生の親友だったという。
811無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 00:23
太幸
字は喇叭(ラッパ)
華陀と並ぶ名医といわれる。
曹操の烏丸征伐に従軍し病に苦しむ多くの将兵を「征烏丸」という薬
で救ったといわれる。
金玉半結(キンタマハンケツ)  生没年不詳

名は金玉半尻とも。金環三結の叔父。
金環三結を褌姿で疎めるが、怒った金環三結に穴という穴を刺され死亡。
園田三国志に登場予定だった。
814無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 00:59
亀頭(キトウ) 168〜209

字は薄紅色(ウスベニイロ) 呉将
常に戦場では先頭に勃ち…
815無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 01:05
おいおいおい。
久々来てみたらすげーことになってんな。
前半、卑猥ネタ投下しまくった甲斐があったぜ。
816記録官・裸岱:04/08/16 02:56
皆さん、乙です。
651〜700のまとめです。
魏・呉・蜀・南蛮
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

>661 魚雷(ギョライ):「魏略」等を著した魚豢の一族といわれる
>662 長門(チョウモン)[字:基監]:曹操の護衛。赤壁戦でひとり殿を引き受けた
>675 保険金(ホウクェンキン)[字:詐欺(サギ)]:魏将だったが反乱、皇帝を僭称した


>670 万詩(バンシ)[字:値素(チス)]:万ケの従兄弟の子。詩文で評価されるも憤死
>671 粉飾(フンショク)[字:経理(ケイリ)]:孫皓に認められた会計官。詩文や書に秀でる
>672 電波(デムパ)[字:喩喩(ユンユン)]:占いに基づく進言をするも孫権に入れられず
>674 黄害(コウガイ):黄蓋の弟。曹操南下の際、兄らと共に交戦を訴えた
>683 連貼(レンバリか):字は複顔(フクガン)と思われる。呉の軍医
>687 炎症(エンショウ)[字:痛杉(ツウサン)]:孫権即位頃から滅亡間際まで呉に仕える
>696 武零駆(ブレイク)[字:弾素(ダンス)]:超絶的な剛勇を誇った猛将


>655 空調(クウチョウ):中原の名士に嫉妬された蜀の名士。>565空羅は孫
>684 竜子(リュウシ):趙雲の隠し子
>685 劉駄々(リュウダダ):劉禅より先に誕生するも、3日で死んだ劉備の子

南蛮
>678 入来投手:南蛮の将。詳細不明。帯来洞主の間違いとも
>682 自己中(ジコチュウ):>441自作・自演の父。南蛮に亡命、我田引水と改名する
817記録官・裸岱:04/08/16 03:51
651〜700のまとめ
群雄関係・在野・西晋・所属不明・その他
―――――――――――――――――――――――――――――――――
群雄関係
>654 牛頸(ギュウケイ)[字:恐譚]:怪力を誇り権謀に秀で、董卓に仕える
>676 高木ブー(コウボクブー):袁紹配下の高幹の一族でその旗本衆
>677 文福(ブンフク)[字:子狸(シリ)]:袁紹配下文醜の伯父。妖術を使ったという
>686 金字(キンジ):武陵太守金旋の一族という。伝承によると仙人になった

在野
>658 梅林(バイリン):資産家で商人、有名な酒好きでもあった人物

西晋
>663 歯肉炎(シニクエン):晋の将軍。名家「歯家」の末弟
>669 田忠(デンチュウ)[字:茣蓙(ゴザ)]:張飛を諌め、蜀滅亡後は晋に仕える

所属不明
>653 安田(アンデン)[字:猛]:>568石井の「田淵君」に登場する武将の一人
>665 陳珍主朱酒:主朱酒が字か。「三国志」を編纂した陳寿の弟
>679 岩鬼(ガンキ)[字:正美]:>567(の方か?)山田を追いまわした暴れ者

その他
>693 陳琥(チンコ)[字:湿疹]:かの陳平の末裔。孔明に劉備への仕官を阻まれる
>695 女装 :読みは「じょそう」か。中国に伝わる神
---------------------------------------------------------------------
>800殿。法審の字「人漢」のことでしょうか。「漢」という字は人名には遠慮すべ
き文字な感じはしますね。「人」もそうなのですか。知りませんでした。検索して
もなかなか調べきれません。まとめサイトに登録する際は、功によって「人漢」の字
を特別に与えられたとでも追加記載しておきます。
800殿は博識ですね。( ・∀・)つ〃∩ <丙詠♪丙詠♪丙詠♪(>797殿使わせてもらい
ましたw)
三井(ミショウ) 字は寿。
幼いころから弓の名手として戦場で名を馳せた「神童」。
一時期、怪我もあって表舞台からその姿を消し、山賊として生活をしていたが
かつての恩師や同僚の説得もあって戦列に復帰する。
その際の彼の言葉「戦争(バスケ)が・・・したいです・・・」は
名言として後世に語り継がれることとなる。
与津椎(ヨッシー) 生没年不詳

真理雄・瑠維兄弟が乗っていた稀代の名馬
とりあえず、馬に分類されているが二足歩行ができる上に体毛もなかったというので、
馬かどうか以前に生物であるがどうかも疑わしい。
彼らが壁を叩くと赤・青・黄・緑の卵の中から急に現れる。
舌が長く敵を飲み込み卵にして敵に投げつけるという攻撃もできる。
また、南蛮の果実を食べることで体色を変えたり、溶解液を発射することもできるようになった。
さらに、知能が非常に高く人語を喋ったりもする。
成長も早く、数日で成体となるが真理雄兄弟にしか乗れないので増やしても意味がない。

任天堂のヨッシーは彼(彼女?)がモデルになったという
黄能費雄(キノピオ)

桃姫の護衛兼召使
於李真(オリマー)

南蛮の将
無敵の軍勢費矩民(ピクミン)を操ることで有名
孟穫に登用されたが費矩民が火と水と毒と雷に弱いということを
諸葛亮い見破られ、罠にかかり死亡

任天堂のオリマーは彼がモデルになっているという。
真理雄ネタ、ワラタけど、そろそろ秋田
823記録官・裸岱:04/08/16 12:57
前漢:2人
後漢:23人(女性1人)
魏:84人 (女性1人)
呉:66人 (女性5人)※>>337の人妻は文脈から女性に入れました
蜀:61人 (女性2人)
南蛮:23人
群雄関係:34人(女性2人)
宗教勢力:13人
異民族:17人(女性1人)
在野:4人
西普:4人
所属不明:47人(女性1人)※>>76のニ張はここのままにしてあります
その他:37人 (女性2人、人以外含む)
――――――――――――――――――――――――――――――
合計:405人(女性15人、人以外含む)と、なっております。

とうとう、呉が蜀を人数で逆転!!三国志らしい勢力バランスとなってまいりまし
た。皆さん意図的に書き分けているのか、と思うくらいでござるw

なお、痴岱さんのまとめサイトの人物録、登録される方がいないようなので、821レス
まで登録致しました。こちらは伝が一行35文字仕様なようです。本スレでも一行35
文字以内に納めてもらえれば、まとめサイトにもバランス良く登録されます。
さすがに私も一行35文字以内に合わせてまで、まとめサイトにコピペはいちいちしま
せん。そこまでお人よしではありませんので、気になる方は各自本スレ投稿の際お
気をつけください。
費誅宇(ピチュー) 生没年不明

南蛮の将
費柯誅宇(ピカチュウ)の実子
黄色い体に長い耳は父親譲りだが彼には首がある。
電撃を放出するが、未熟なため自らが感電することもしばしば
父親が討たれたと聞いて出陣するも瑠維にアッパーを食らい死亡。
羅維誅宇(ライチュウ) 生没年不詳

南蛮の将 費柯誅宇(ピカチュウ)の父親で費誅宇(ピチュー)の祖父
三代そろって南蛮で頑張っていた。
電撃を自在に操ることができ、蜀兵を散々に打ちのめしたが
兀突骨とともに進軍中、火計にかかり死亡
まさに、親子三代南蛮で生まれ南蛮で死す運命にあったといえよう。
826無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 19:46
班駆(ハンク)
字は亞論(アロン)
西域 温宿の人。班超の曾孫と称しており、褐色の肌であったと言われている
抜刀の使い手で755の首を跳ね飛ばし>>353王貞治が現れるまで長らくその
記録が破られることはなかった。


摩米孰賀{名陰岳度王(マヨネーズガタリナインダケドォォ)

南蛮の将 摩米孰賀{名陰岳度が本名
多分三国志史上最も名前が長い人物
孟穫に愛想を尽かし蜀に投降した。
焼きそばが大好物でマヨネーズを多量にまぶして食べるという食べ方が特に好きだった。
暑い夜には怪談話がよいと建策して受け入れられた。それから毎夜全将参加で怪談大会が開催されたある夜のこと。
王平が怪談話をしているところで、「・・・そしたらその女ニヤッて笑ってさあ」
とクライマックスのところで背後から、「マヨネーズが足りないんだけどォォ!!!」といったら驚きのあまり諸葛亮は卒倒してしまった。
その後、武将のブーイングに対し「しるかァマヨネーズ買っとけっていっただろ焼きそば台無しだろーが!」とマヨネーズが山盛りになっている焼きそばを持っていたことは有名。
828826:04/08/16 19:49
班駆(ハンク)の生年の追加

134〜??
>>827追加

次の日、諸葛亮は「幼常・・・私は違うぞマヨネーズにやられた!」と必死に弁明していた。
しかし、彼の運命はそこまでだった。魏延が夜に丑の刻参りを行ったせいで彼は呪い殺された。
その夜中ずっと「死ねェ〜死ねよ〜摩米孰賀{名陰岳度〜お前頼むから死んでくれよぉ〜」と魏延の声が響いていた。
830無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 20:58
はぁ〜、自分の寒さにきずかねぇ椰子ばかりだな。北島かおまんら?出なおせ
831無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 21:10
於何(オナニ)
字は氏故(シコ)。
陸奥(リクオウ)

>662長門の義兄弟。長門とともに、曹操の護衛をつとめた。長門に先立って戦死。
黎戦(レイセン)

呉の武将。字は艦上。

呉の武将らしく水上戦を得意としたが、彼(及びその麾下の兵)の戦法は、他の将のそれとは
大きく異なっていた。
他の部隊は、主に蒙衝と呼ばれる小型艦に乗っていたのに対し、彼らは「母艦」と呼ばれる大型
艦に乗り、敵に接近すると驚異的な跳躍力で敵艦に乗り移って暴れまわったのである。
その機動性と破壊力は、敵にとっては一大脅威であり、彼らは「黎戦士」と呼ばれ、恐れられた。

その甲冑は、機動性を存分に発揮する為に極度に軽量化されていたので、ひとたび敵の攻撃を
受けると直ちに致命傷になった。
黎戦士になる事は、呉の若者にとっては、名誉であると同時に死の危険性を多分に含んだもので
あったという。

正史にも演義にも登場しない。
千葉(センヨウ)

呉の文人。並外れた文才の持ち主で、多くの作品を残したが、
幾つかの顕彰碑を除き、彼の作品は伝わっていない。

その対象は、高位高官よりも、むしろ下級将校や一般兵で
あった。代表作とされる「※※丈」碑(※※は欠損しており、
判読不能)に記された「丈」もまた、勇敢に戦い、若くしてこの
世を去った一兵士であったという。
また、>587谷口碑もその代表作の一つである。

なお、千葉二人説によると、「※※丈」碑の作者は兄(徹弥)、
谷口碑の作者は弟(亜喜生)であるという。
痴岱(チタイ)生没年不詳

東晋末から南北朝期の歴史・民俗学者。
字は大功(ダイコウ)。>>141精巣の『精子』、>>409裸姦厨の『三国志艶戯』
などの正史とは一線を画す資料を収集し、表舞台からは埋もれた人物に光を
当てた。そうして編纂された一大人物録が『真止目才登』(マトメサイト。真に才
能に目を留め登用すべき人物の意)である。痴岱は当時の学者達には高く評
価され、同時代人で正史・三国志に注釈を施したいわば表の歴史家・裴松之
とは竜虎と並び称されたという。

しかし当の痴岱は名誉・昇進には関心が無く、官から支給される物資で生活
を賄い、家には余財がなかったという。その謙虚にして献身的な研究態度は
>>467,=>>470の辛口でさえも高く評価したという。

ただし不可思議なのは、当時『三国志艶戯』は邪馬台国にしか存在しないと
されていた点である。入手経路については痴岱は口を閉ざして語らなかった
という。彼の出自・出身についても不明な点が多く、そのため、痴岱、もし
くは彼の先祖は倭人ではないかとの説もある。

残念ながら、彼自身も正史には登場しない。
836モケ:04/08/17 20:40
荊州が呂蒙に奪われた時、関羽に援軍を送らず魏に降った人って誰ですか
837無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 20:51
劉ホウ
838無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 20:52
りゅうほう
>800
漢ってまずいのか?
黄忠の字は漢升だけど。
840変質社:04/08/17 21:22
>>836
moutatu
841無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 21:52
甫醒

>>834「※※丈」碑にでてくる魏の武将
842記録官・裸岱:04/08/17 22:14
>836,>837,>838,>840
できれば↓のスレでお願いしたいのですが…。

雑談・質問スレッド其の29
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089786917/l50#tag490
m(_ _)m

>839
むっ、そういえばそうですな。それがしもお恥ずかしい。演義の劉璋配下の
馬漢くんなら思いついたのですが名前だし。黄忠殿の字を忘れるとは…。

(´-`).。oO(変質社さんって、プゲラって他の人を馬鹿にするかと思えば、
きちんと正解をレスしたり、わからぬお人だ。団体さんなのかな。)

※途中からこのスレをご覧の方へ。1殿が立て、皆さんが育てているこのスレに
まとめサイトができました。>>772痴岱殿が手がけてくださいました。是非ご覧
になってみてください。
http://sansen.channel2.s3p.net/naduke/
絶壁

絶影を失った曹操の為に配下の将がその弟を探し出し購入。
しかし後頭部がその名の通り絶壁というか首が高く、全く競走能力がなかったため即座に馬肉に。
よって正史はおろか血統書にもその名を残さない。
844無名武将@お腹せっぷく:04/08/18 04:59
張扇(チョウセン)

張扇は字を厚紙といい、蒼梧郡広信の人である。若い頃は無頼の徒であった
が孫策が呉郡を平定すると、その武威に感じ入り配下を引き連れて彼の郎党
となった。孫策の下で武功を立て、中郎将に任じられてからは学問に励み
特に新たなる兵器の開発に才を発揮した。彼は陣頭に立つとき自らが考えた
扇子状の武器(一)を好んで用い、彼がその武器を振るうと雷鳴の如き大音が
轟き、皆、恐怖したという(二)。

(一)「江表雑記」にいう。張厚紙はあるとき金に困り、佩刀を人に売って
しまった。容儀を整えるため已む無く束ねた大きな紙を鞘に入れて刀に
見せかけていた。後日彼が虎に襲われたとき、刀と誤って紙束を鞘から
抜いて虎を打ったところ、思いがけず大音が響き、驚いた虎は逃げ去って
いった。それからは、彼は常に刀の代わりに紙束を用い、その大音のみで
士卒を叱咤し、敵を追い払ったという。この故事より、聞こえは派手でも
実際には力が伴っていないさまを「張子の虎」と言う様になった。
(二)のちに彼の武器は広く普及し、武器そのものも張扇と呼ぶ様になった。
また、「漢紀」によると後漢の臣、吉本がよく似た道具を用いて芸を披露し
名声を得たとされている。

「呉書・孫破虜討逆伝(異本)」より







845無名武将@お腹せっぷく:04/08/19 00:06
星飛  生没年不詳
>>353王貞治、>>405長嶋の同僚
変幻自在の弓術は「魔弓」と呼ばれた。
「魔弓」の射ちすぎで利き腕を壊し、「魔弓」を射ることができなくなったので
人知れず姿を消したと伝えられている。
星飛には姉がいて虎豹騎の中で天才と謳われた華形の妻になったという。
なお唐の時代の流星剣で名高い天馬将軍星矢は星飛の末裔だといわれる。

やっぱり正史には登場しない。
>>845
星飛の字は、雄馬であるとする史書も存在するが信憑性は定かではない。
また、当初は弓を右手に弦を左手に持つ逆手の弓手であった星飛が、
順手に弓を持って復活したとする書もあるが、真偽の程は定かではない。
847無名武将@お腹せっぷく:04/08/19 08:10
阿未馬(アミバ) ?〜?

匈奴の将。
一度見た剣技や武闘は少しの時間でマスターできたという、自称天才。
討伐に来た晋を迎撃し拠点の城に帰還した途端、突然城壁へ向かって歩き出した。
だが、兵士は誰も気づかず城壁から飛び降りてしまった。
その際「うわらば」と絶叫したという記録がある。
また、戦場で「北斗神拳奥義 残悔積歩拳!」という叫びを聞いた兵もいたという。
848無名武将@お腹せっぷく:04/08/19 16:10
課長(カチョウ)
生没年月日不明
右の馬超、左の課長と称賛され馬トウに仕えていた。
しかし、なかなか出世しないので魏に下るも、スパイと思われ牢に入れられた。
849無名武将@お腹せっぷく:04/08/19 16:23
脳内革命(ノウナイカクメイ)
?〜?
孔明がもっとも恐れていた男それが革命だった。
孔明のように静かに田舎で晴耕雨読の生活をしていた。孔明が天下三分の計を唱える頃と同じ時期に、革命も、もんのすごい計を発表した。
「脳内でカクべー」手を使わず脳の中だけど想像し射精までイクと言うものだ。その後、彼を見たものはいない。正史には登場してないが援義には登場している。
>>848
字は?島耕作?
851修正すまん:04/08/19 16:27
脳内革命(ノウナイカクメイ)
?〜?
孔明がもっとも恐れていた男それが革命だった。
孔明のように静かに田舎で晴耕雨読の生活をしていた。孔明が天下三分の計を唱える頃と同じ時期に、革命も、もんのすごい計を発表した。
「脳内でカクべーの計」
手を使わず脳の中だけで想像し射精までイクと言うものだ。その後、彼を見たものはいない。正史には登場してないが援義には登場している。
852記録官・裸岱:04/08/20 00:05
皆さん、乙です。
701〜750のまとめです。
後漢・魏・呉・蜀・宗教勢力
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
後漢
>716 曼固(マンコ)[字:苦成(クセイ)]:交趾太守に左遷、南方の風俗を取り締まる
>722 千摺(センズリ):何進に仕えるも張譲に買収され、宦官の何進暗殺に加担
>747 駄作(ダサク):帝室を憂い多くの政策を提言するも、内容が乏しく重用されず


>703 郭秦(カクシン):魏秦(ギシン)とともに魏臣。>588の「三桓」の直属の部下
>712 可不可(カフカ):魏の文官。文人として名を残す
>715 伊安芙(イアンフ):魏の国の女傑
>726 夏侯休(カコウキュウ)[字:之友(シユウ)]:夏侯傑の兄で曹丕の教育係
>727-728 陳固(チンコ)[字:怒張(ドチョウ)]:盟友・苞皮の死で目覚めた名将
>745 孔州(コウス):父は孔融。料理の才能を曹操に買われる


>723 紀凡奴(キボンヌ)[字:巴里自演奴(パリジェンヌ)]:紀霊のハトコ。諌議大夫


>705 横行(オウコウ):蜀の文官。同僚の密告により投獄され獄中死
>721 三沢(サンタク)[字:光晴(コウセイ)]:常に緑の甲冑をまとい、主に右肘で戦った
>725 荀出巣(ジュンデス):劉備を漢中王に推挙した群臣の1人らしい
>725 張策(チョウサク)[字:出酢(デス)]:劉備を漢中王に推挙した群臣の1人らしい
>725 南春雄(ナンシュンユウ)[字:出茣蓙(デゴザ)]:劉備を漢中王に推挙した群臣の1人らしい
>725 伊升(イマス):伊籍の一族。劉備を漢中王に推挙した群臣の1人らしい
>725 馬陳(バチン):馬氏五常の誰かの子。劉備を漢中王に推挙した群臣の1人らしい

宗教勢力
>708 波平(ハヘイ):黄巾党の将・波才の甥
>748 重用(チョウヨウ):黄巾の乱における方の指導者の一人。重耳の子孫という
853記録官・裸岱:04/08/20 00:48
【お知らせ】レスも残り少なくなったので、レス節約のため以降1000までのまとめ
は、まとめサイトのほうにのみ掲載させていただきます。ご了承ください。
701〜750のまとめ、群雄関係・西晋・所属不明・その他
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
群雄関係
>701 案内板(アンナイバン):板の皇帝費路に仕え、豊富な知識を駆使して助けた
>702 運営板(ウンエイバン)[字:削人(サクジン)]:板の皇帝費路に仕え、賊等を討伐
>720 下統 字は図左:日安の人。戦では主に第二陣や後詰を担当した
>727-728 苞皮(ホウヒ)[字:被剥(ヒハク)]:白馬の戦いで盟友・陳固をかばって戦死
>741 顔黒(ガンコク):顔良の遠縁の従弟。白馬の戦いで関羽に斬られる
>743 法素(ホウス):袁紹・袁尚2代に仕える。曹操暗殺を計画

西晋
>706 嵩晏侯(スウアンコウ):本来の名は満貫(マンガン)、字は四川弐戦(シセンニセン)。魏の満寵の孫

所属不明
>704 武末(ブマツ)[字:悉昌]:魏の張遼の同僚・武周の一族という
>709 役満(ヤクマン):文人として知られ、その作風は>568石井の影響を強く受ける
>724 顔喪字(カオモジ):肖像画(?)は伝を参照
>739 武豊:伝を参照
>740 長瀬 愛:伝を参照
>742 畑 正憲[字:(ムツゴロウ)]:伝を参照

その他
>713 壱杯 蕎麦:新野の極貧家庭の長男。魏の荊州侵入に遭い家を追われる
>719 自慰守(ジイス)[字:発斗(ポット)]:曼固>716の四男。自慰>159の元で房中術を修行
>750-751 気野青果(キノセイカ):自分は皇帝だと思っていた、野菜の元締め
-----------------------------------------------------------------
メモ
738の周倉はさすがにそのまんまなので(演義には登場するし)、掲載しません
でした。他スレでも連呼されてたのでファンなのはわかりますが。ご了承ください。
854無名武将@お腹せっぷく:04/08/20 02:40
馬番 生没年不詳
>>845星飛の去った後、>>353王貞治、>>405長嶋を支えた「魔弓」の使い手
体に無理をして「魔弓」の多発したため、若くしてこの世を去る。
この時期、闘弓術を極めた「魔弓」を使うものは数多く現れたが、そのほと
んどが天寿を全しなかったという。
855無名武将@お腹せっぷく:04/08/20 14:26
馬糞(バフン) 177〜不明

知られざる馬超の養子。
生後まもなく拾われるが、余りに利用価値が低いと判断され、
道具屋に1Gで売られてしまった。

なお、正史には登場しない。
856記録官・裸岱:04/08/20 15:29
>>855
>>352にすでに「馬糞」という武将は既出でござる(こちらは馬玩の子)。
できれば同名別人な旨ひとこと加えてくださると、最初に同名の武将作成した方も
不快に感じられずよいと思うのですが、いかがでしょうか?

実際ニアミスやバッティングに近い事例は以前もありまして。大きな混乱にはならなかった
ようですが。皆さんが差し障りなければ、正史や演義ではないのでそこまでこだわ
る必要はないのかもしれませんが。

それとこの場を借りてひとこと。まとめサイトへの登録ですが、どなたもなさらないよう
うなので、現在は丸一日程度登録がなければ私がしております。たまってしまうと
大変なので。そのため、

@武将にふりがながない時は、こちらで読みをつけています。
Aふりがなは、まとめサイトの入力箇所の表示に合わせてひらがなにしています。
B伝は横が一行35文字までの仕様(もう少し入る場合もあるようだが)なような
 ので、本スレでもそれ以内に納めてカキコしていただければ、まとめサイトにもズ
 レなく登録されます。こちらでわざわざ直しはしません。
C荒らしや、キリがなくなる恐れがあるので、一度登録されると訂正不可能(記録
 板のNo.16以降には裸岱の出来る範囲で可能)。

以上、痴岱さんから既出の情報も含みますが、ご不満があれば、本スレにカキコす
る時にご自分でご登録くださるようお願い致します。登録して欲しくない時、あと
でどうしても自分で登録したい方も事前におっしゃってくださるようお願い致しま
す。
m(_ _)m
857無名武将@お腹せっぷく:04/08/20 22:48
青島 生没年不詳

張任の配下 ホウ統が益州攻略の先陣にいることを察知し伏兵をもって討つ
ことを進言し、張任は見事ホウ統を討ち取ることに成功している。
「士元は帷幄で謀っているんじゃない、戦場で指揮しているんだ」と言ったと
いう。青島は正史には出てこないが、同姓同名の別人が数多く存在していた
ようである。
張岬(チョウコウ)生没年不詳

蜀の武将。張翼と並んで北伐の先鋒ツートップ♪
趙雲に対する陳到のような存在。父は>>598山下清といわれるが不明。
若いころは父に従って各地を転々とした。その際苦労したせいか、魏延や
姜維など、他の将ともうまく呼吸を合わせることができる柔軟さを身につ
けていた。

張翼といえば、「防具は友達♪」の座右の銘で知られたとか知られていな
いとかいう逸話があるが、彼の名声の何割かは張岬の補佐があってこそで
あった。

陳到と違って正史にすら登場しない。
859無名武将@お腹せっぷく:04/08/21 23:27
古畑(コハタ) 181〜?

後漢の臣。禅譲後は魏に仕えた。
親友からは任三郎(ジンサンロウ)と呼ばれていた。
幼いころから独特のしゃべり方と髪型、そして群を抜いた知恵をもち、
事件が起こった際はどの人間よりも早く謎を解いた。

最大の功績は業βで反乱が起こった時であった。
様々な反乱分子の行動を徹底的にしらべあげ、
曹丕に首謀者は魏フウだと進言した。
その功績で業βの官吏を統括する役職に大抜擢された。

「畑」という字は古氏が創作した文字であり、
後にそれが日本へ伝わったという説がある。
860無名武将@お腹せっぷく:04/08/21 23:28
今泉(コンセン) 189〜?

古畑の親友であり部下である、数少ない人。
いつも少しひん曲がった推理をし、古畑に額を叩かれていた。
魏フウの乱の際、曹丕にオカシな推理を進言しようとして
古畑に額を叩かれた記録が残っている。
波厳(ハーゴン) 171?〜210?

 波才の子。太平道をもとに新たな宗教を興す。
至道という神をあがめ、一時は漢の皇族の一人を倒して一州を乗っ取ることに成功するが
最後には劉備に敗れて殺される。

なお、闘いの最中にとてつもなく恐ろしいものを呼び出しては逃げ出したり、
またある時は一騎討ちの最中に眠っていたという逸話が残されている。
>>861
波厳×
覇権○

至道×
死道○
金田一(キンデンイチ) 生没年不詳

荊州の人。字は耕介(コウカイ)。号は古谷(ココク)一行(イッコウ)など。
野に在って、明晰な頭脳で「八陵村」事件、「獄門嶼」事件などさまざまな事件を解決した。
匈奴の王族の内紛をめぐる「狗髪部の一族」事件も捨てがたい。

活動期間が建安年間から西晋炎帝代まで100年近くに及び、
一説に祖父と孫の事績が混同されているのではないかといわれている。

正史には登場しないが、横溝正史が書いている。
>>863
×耕介(コウカイ)
○耕助(コウジョ)
865無名武将@お腹せっぷく:04/08/21 23:52
南葛滝(ナンカツタキ)
生没年不明
ショクの武将
人並みはずれた俊足。
張翼と以前、先方ツートップを組んでいたが>858の張岬の突然の出現により、滝の存在はしだいに無くなった。滝の黄金時代には『タッキー&張翼』と絶賛されていたが張岬の出現と同時期に消息不明となる。
正史には記述はないが、飛ぶ三国史に記述がある。
>858殿、勝手にコラボして、すみません。ペコリ
866無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 01:44
曽我三(ソガサン)
董卓の妃。
正史には記述はない。
867無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 02:14
石松(セキショウ)

石松は字を岳津といい、南陽郡の人である。若い頃よりその武名は中原に
広く知れ渡っており、太祖に付き従い数々の武功をあげた(一)。彼は人並み
外れた膂力を持っており、常に武器を持たず素手で敵を撲殺したといい、
人々は彼のことを「撲佐」と呼んだ。武勇に優れる一方でその性行には奇矯
が目立ち、太祖が魏王に昇進したとき(二)、祝賀の辞として述べた「王慶、
王慶、王慶牧場」という言葉は未だその意味を解する者がない。

(一)「王人辞」にいう、彼が太祖に仕えて間もないころ太祖の宿営警護の
任についていた。あるとき太祖が出掛けようとして石松に沓を取りに行く
様命じたところ、石松は「それが人に物を頼む態度か」と太祖を殴り倒した
という。下士に殴り倒されたことを恥じた太祖がこの事を公にしなかった
ため、彼が咎められる事は無かったという。
(二)「風阿見通」にいう、彼は太祖の魏王昇進の宴席で余興として、赤く輝く
甲と黄色い腰巻を着けた猿を庭に放ち、また自らも猿の群れに混じると
猿のように振る舞い、客に大鎚を持って追わせたという。この余興は後に
「猿芸酎」「比捕猿」などの名前で民間に広く伝わった。

「魏書・武帝紀(偽書)」より
868無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 06:54
毛沢山

字は貫勉 毛カイの庶子という。頭髪の多さは尋常ではなく、その髪型は
山のようであったという。 
869858:04/08/22 07:10
>>865殿
とんでもない、むしろコラボしてもらってうれしいす。滝、いや南葛滝なんて
いましたなあ。すっかり忘れてましたよw

>>867
王慶牧場ワラタ。
870無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 08:37
風水(フウスイ) ?〜?

蜀の地に住んでいた男。左慈に弟子入りした。
朝に塩をなめ、昼に水を飲み、晩に房中術を行うという
修行をしていたが、空腹に耐え切れず5日で餓死した。
摂氏(セッシ) ?〜208

荊州の気象学者、摂爾思の娘。
父のあらゆる気象情報を数値化する学問体系に影響を受け、
儒学を専攻していた摂氏は人物評を始めた。
皇帝を百、異民族を零として行った人物評は細やかな特徴を数値化し偏らぬ
評価を続けた為に民衆に世の動静を人物評を通して伝えた。
劉表が倒れ曹操が荊州を平定した際に荊州の民に大きな混乱がなかったのは
摂氏の評によって曹操が理由無く民衆を圧迫するような人物ではないことが
伝わっていた為である。

曹操はこの噂を聞きつけ摂氏を宮中に迎えようとしたが彼女はこれを
「私は儒者です。いずれ私の計算においても丞相(曹操)の評価は百を超えるで
しょう。その事をこの目で傍で拝見するのは辛うございます」
として丁重に断った。
摂氏は己の研究が劉表の元での学業の都荊州でしか成らぬことと、稀代の英雄
曹操の出現でその規範の根幹が崩れていくことを感じていた。
同年彼女は自ら命を絶っている。その理由がどのようなものであったかは伝わ
っていない。謁見の折、曹操との逢瀬で子を身篭ったからからとも曹操の覇業
に儒者として絶えかねたとも云われているが定かではない。
華氏(カシ) 170〜191

華雄の従兄弟、華倫海の娘。
美貌に優れ幼少の頃よりその魅力で役人、野党、兵士を誑かしては騒ぎを起こ
して楽しんでいた。華氏に誑かされた男達はそれぞれの職場で所属する集団の
長を襲い殆どの者は失敗したが、処刑される際にも華氏の名を出すことは一度
も無かった。彼女は多くの男を狂わせる過程で人の業を操る術を学んでいく。
雄将の累系にして無能な父を軽蔑していた彼女は常に革命を求めていた。
華氏が16の春、董卓の元に侍女として侍る。
董卓は華氏の美しさと狂気を大いに気に入り黄巾討伐の挙兵や都に入る際にも
華氏を一日も離さず随行させた。当時の董卓思想に華氏は大きく影響していた。

やがて洛陽に入り王允の娘を迎えた董卓は華氏に興味を失い、彼女を寝所に呼
ぶことも無くなった。華氏は王允の娘を憎み呂布を弄して董卓から奪わせよう
としたが、呂布もまた王允の娘に心を奪われ華氏に振り向くことが無かった。
逆上した華氏は当時の董卓政権の欺瞞を暴露した巨大な絵巻物を描き、街で集
会を開き民衆に訴えたが狂女の言として誰も耳を傾けなかった。
彼女が画策し事実である董卓の悪行を糾弾し世間に受け入れられなかった華氏
はその後姿を消す。
董卓が洛陽を棄て火をかけた際、炎の中で自分に向けた高笑いをあげ、舞い続
ける華氏を見たとい話もあるが定かではない。
もし貂蝉がいなければ華氏は傾国の美女として後世に伝えられたであろうが
彼女の名は演義にも登場しない。
>>872
彼女の最期をドラマチックかつ描いた香港の牟于亜(マイケル・ムー)監督の映画『華氏191』は、
第53回漢中映画祭で最優秀作品賞を獲得した。
鈍鬼(ドンキー)字昆虞(コング) 生没年不詳

魏の猛将
呉の真理雄のライバル
たびたび、悪さをしては撃退された。
このごろでは、真理雄のからくり人形にほれて大量に盗むも足がつき捕らえられた。
体中、茶色の毛が生えていた。
首には真紅の首布がつけられていた。そこには、DKと書かれていた。
彼は、我家に伝わる紋章だと言っていた。
曹丕が没した頃から行方不明

呂矩(ロック)字真吽(マン) 生没年不詳
加付昂郡大阪府県の生まれ

手に奇妙な武器をつけた全身青の鎧をつけた将
呂布の弟で、虎狼関の戦いで討ち死に。
なんでも、壁に生えたとげにちょっとふれただけだったと言う
金田一(キンデンイチ) 生没年不詳

荊州の人。字は春彦(シュンゲン)、号は京助(キョウジョ)。
中国各地の言語に通じ、三国の方言をまとめた
『三国語大辞典』の著者として知られる。
>>863の金田一と同一視される場合もあるが、多く別人とされる。
ただ、この金田一も活躍期間が建安年間から西晋炎帝代まで100年近くに及び、
一説に父と子の事績が混同されているのではないかといわれている。

なお、正史にも登場しないし、横溝正史にも書かれていない。
王魯(オウロ)生没年不詳

字は英九(エイク)。蜀の叡地南侯。王平の叔父である。また、>>763王呂の
遠い親戚という。劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の1人らしい。

なお、正史には登場しない。

878無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 01:15
曹達
字は未詳。曹操の孫にあたり、幼いころから人並みはずれた言動、才能を誇ったが、
年をとってからは覇気を失い、酸の抜けたサイダーのようになってしまったため、
司馬昭の専横をとめることもできず、無為に過ごしていたが、司馬昭が都をあけた
隙を突き挙兵したが司馬昭は迅速に対応したため陳泰や夏侯荘らの兵に包囲
される。驚いた曹達は口から大量の泡をふきて病死した。

関空(カンクウ)
(227〜258)
字は快速。荊州西旅の人。
関羽の三男関索の子と伝わる。
幼い頃からその足の速さには定評があり、
成人してからは父の副官、のちに姜維の幕僚となる。
戦場にあってその脚力を生かし、先陣破りの軍を率いて活躍、
人々から「関一撞(一撃の関)」とまで評され、阪和将軍に任じられる。
258年、同僚の速鷹(ソクヨウ 字は特休)と語らい、諸葛誕の反乱に加勢するために
軍をおこすが、その陣中で没した。

一説によると速鷹とどちらが先に戦場へ着陣出来るかを争い、
関空の軍は1時間で到着したのに対し速鷹の軍はわずか45分で到着しており、
「所詮特休には敵わぬか!」と叫んで穴という穴から血を吹いて憤死したという。

正史・演義はもちろん「花関索伝」にすら登場しない。

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昔通勤に使っていた電車でつ。
構内アナウンスを聞くたびに武将っぽいと思ってました。
関西ローカルネタなので分かる人にしか分かりません。
ちなみに速鷹は私鉄のラピートがネタ。(どっちも関空へ行く電車)

字を開則とかにするとマジで居そう。
もう一匹。

斯餡-嘉(シアンカ)
(?〜196)
字は雁生(ガンショウ)。遼東の生まれ。
その身のこなしと毒物知識により陶謙の部下
曹豹に見出される。暗殺家業に精を出し、
主君に敵対する近所の野良犬や借金取りなどを
次々と暗殺する。彼は暗殺家業のことを
「狩り」と称しており、そのターゲットの凄惨な死に様は
一部の人間(曹豹にうとまれていた人間)に恐れられていた。

196年、張飛によって恥をかかされた主君の命により、
寝込みを襲うが、逆に枕元にあった徳利で殴りつけられて死亡する。

張飛は常に彼が撒き散らしていた落花生臭で目がさめたといわれている。

「精子」には登場しないが「栄光遊戯楽園」には登場する。
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曹豹なつかしいなぁ。
「光栄ゲームパラダイス」っていう投稿雑誌で妙にプッシュしてた人が居たのが
彼が注目を浴びるきっかけなのって有名な話なのかなぁ。

あと、水滸伝の馬万里とか。
陳代謝(チンタイシャ) 193〜222

蜀の武将。成都の儒者出身できわめて病弱だった。
張飛に「陳センセイは口先ばかりの徒ですな」と罵られて奮起し
体質改善・肉体改造に励み、武芸百般の修練を積んだ。

後日陳代謝に出会った張飛いわく、
「俺は君が文筆一辺倒の人物だと思っていたが、今では肉体も鋼鉄の如く、
 むかしの陳センセイとは見違えるようだ!」
陳代謝いわく、
「士たる者は、別れて三日もすれば大いに鍛え上げているものであって、
 次に会う時には上腕三頭筋をふるわせて迎えねばなりません。
 生まれ変わった新(ニュー)陳代謝をよろしく!」

武闘派・新陳代謝は夷陵の戦いで戦死する。
鬼神も哭く壮烈な死に様だったと伝えられている。

裴楊顧(ハイヨウコ)
董卓の料理番としてつかえる。
董卓死後は呂布袁術劉表曹操と主をかえながら
その舌を楽しませる。彼の発明した秘伝の特製調味料
(野菜や果物を酢や砂糖、塩、香辛料などで煮込んだ調味料)を
混ぜて炒める麺はそのまろやかな味が禁断症状を引き起こすまでに至った。
袁術は臨終の床で「もう一度裴楊顧の麺を」といって事切れた説もある。
そんな彼は晩年朝鮮半島へ渡り、天寿をまっとうした。
その禁断の味は1800年後に蓬莱の地で蘇ったらしい。

どうでもいいが韓国の俳優「裴勇俊」は彼の子孫かもしれない。

民間伝承「冬粗鉈」に登場。
正史には登場しない。

※中国語で読むとペ-ヤングゥ
駒大苫(クダイセン) ?〜248
駒小牧(クショウボク) 180〜233

北海国の兄弟。曹操に仕えた剛勇の士。
曹操の御前で毎年春と夏に行われる武闘大会では並み居る猛将たちが競い合っていたが、
青州出身者はいまひとつふるわなかった。
204年夏の大会では駒大苫・小牧の兄弟は苦心して決勝に進出、
予州の幻術使い済美(サイビ)と壮絶な戦いの末勝利し、深紅の大優勝旗をはじめて青州に持ち帰った。
駒大苫・小牧兄弟のこの快挙に、黄巾の乱以来いいことのない「試される大地」北海国の人々は
大いに喜んだと、唐代に成立した『旧事熱闘譜』に記されている。
安-室嶺(アン-シツレイ)
(??〜??)
荊州横質郡の人。
最初はしがない鍛冶職人見習だった。
曹操の南下政策により村が攻められるとひょんな事からその軍を撃退してしまう。
その後、劉備に従い共に江夏へと落ち延び、そこで武威作戦の中心的人物として
特殊部隊「十三開団」に組み込まれる。
隊長武-来兎(ブーライト360>武来安の弟)や同僚の372>賈-懿・鮠-杜(ガイト)らと
各地を転戦、373>劉甫成らの死を乗り越え、魏の520>謝亜と数々の名勝負を繰り広げる。
謝亜とは後に寸氏をめぐった三角関係にまでもつれこんでしまう。
青葉宮の突入戦で謝亜と痛み分けで終ったのち、不遇の時代を経て
再び前線に復帰、北伐戦で再び謝亜と合間見える。
渓谷を行軍中に謝亜の軍勢と激突、一騎打ちで謝亜を捕縛する。
だが、謝亜の計略による落石の計を受け、落石を押し戻すも
彼自身の体は崖下へと消えていった。その死体は見つからなかったという。

ちなみに拿捕されていた謝亜も共に崖下へと消えた。
余興(ヨキョウ) 生没年不詳

董卓に仕えた近臣。
身分は低かったと言うが、裸踊り、皿回し、小噺、手品、歌などの諸芸に秀でていた。
彼のバリエーション豊かな芸を見るために董卓は連日連夜宴会を開いたという。
そのために政治・軍事は軽んじられ、王允に美女連環の計でつけこまれる隙を生じた。
同僚の郭子芸(カクシゲイ)・袁海鯨(エンカイゲイ)らとともに董卓の滅亡を早めたと言われる。
886無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 21:03
爽健 (そうけん) 生没年不明
字は美茶 青州の賊 配下に毒陀身(どくだみ)らがいる
曹操によって討たれた
887無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 21:44
派洲汰(パスタ))???〜???
大秦国の人
>>63羅麺に師事し麺を学ぶ。その後大秦国に麺を広めたという。
しかし、ローマ・パスタ伝によると東方のラ・メンマという人物に
麺を教えたとある。正史にはでてこない。
麺の起源が古代中国か古代ローマかと同様に羅麺が派洲汰の師だった
のか派洲汰が羅麺の師だったのかという論争は今なお続いている。
888無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 22:06
趙休  字は季郎
桂陽太守趙範の弟
兄に従い郡内の県令を歴任、後に兄と共に趙雲に降伏したが、兄と逃走。
兄は捕らえられたが、趙休は遠く益州に逃げ込んだ。
劉備が益州に侵攻し、成都城を包囲した際、城壁を越えて劉備に降伏した。
化学辞典
人物録。後漢から晋までに渡る数多くの人物を収録した。
陳代謝、王水、周期表、窒素、斯餡-嘉などがこの書に
名を残し、特に周期表に関しては、他の人物が数行で
終わる所を冒頭で2ページものスペースを割いている。
>>880斯餡嘉って元ネタ青酸カリなのか
正式名称シアン化カリウムだっけ
891無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 23:05
自作自演で説明はいらないよ。野球ヲタ科学ヲタかよ。
公孫樹(コウソンジュ) ?〜238

字は維朝(イチョウ)。公孫淵の一族にあたる猛将。
旗下の部隊の軍装は黄色で統一され、突撃するさまあたかも黄葉した森が動くようであったという。
公孫淵が斬られた後もしばらく遼東奥地でゲリラ的な抗戦を続けた。
彼のゲリラ戦術のうち特に有名なのがギンナンの投擲で、
臭いやらかぶれるやらで司馬懿を多いに苦しめたという。

しかし、衆寡敵せず。遼東の野を黄金色に染めた公孫樹軍も秋の終わりには戦場に散り、
ギンナンは拾われ茶碗蒸しにされたと言う。
樗縁羽(チョベリバ) 生没年不明

字は不詳。 名門の出身でありながら放蕩しては
小悪事を働いていた為離縁される。
長安の民の若者の中では、そんな彼の境遇を知り
指を指してチョベリバ!と罵るのが一時期流行したらしい。
後漢拾違伝には双子の樗縁虞(チョベリグ)の方が人格者として
書かれているが、どちらもすぐに存在を忘れられていたらしい。
>>893
>>168
字が違うからいいのかな。
廃帝・積(セキ) 生没年不詳

諱は劉積。霊帝の数代前から分かれた皇族の末裔で、献帝と同世代に当た
る。彼の代には名のみの県侯となっていた。中原の混乱を避け、荊州の劉
表の食客となっていた。

>>769劉一色の献策が却下されると、漢室の復興を諦めきれない息子の劉
局は、劉積を皇帝に擁立して董卓政権に対抗せんと画策した。密かに袁術
の内諾を得ており、それなりに成算はあったものと思われる。実際、幼い
劉積をそそのかして、袁術を車騎将軍に任ずる詔勅を送らせている。わず
かな期間ながら、内輪では劉積は皇帝を僭称させられていたのである。

しかしたちまち計画は露見し、捕らえられて劉局は斬首、劉一色も計画は
知らなかったが連座して謹慎、そのまま引退した。劉積は皇族であり、こ
の時齢10歳前後であったことから、劉局に利用されていただけ、として死
一等は減ぜられた。平民に落され武陵に流された。

後年曹操が献帝を擁すると、武陵太守金旋の甥で主簿の金役(キンエキ)字は
壱翻(イーファン)が、劉積も皇族であるとして身柄を許都に送った。献帝は
喜び、金役に役職を一つ加えたという。劉積のその後は定かではない。な
お、廃帝・積の字は不明だが、撈月(ラオユエ)であったという説がある。

劉積・劉局・金役とも、正史には登場しない。
王子狐(オウシコ) 生没年不詳

江東の妖術使い。若い女性に姿を変えて、人々を騙していたという。
物陰で姿を変えていたところを見たのが孫堅。
王子狐を料理屋に誘い、さんざん飲み食いをした挙句、
酔いつぶした王子狐をほったらかしてトンズラ。
店の者に起こされた王子狐は勘定書きを見せられてビックリ。
思わず元の姿(貧乏くさい道士姿)に戻り、お店のお兄さんたちにボコボコにされ、
命からがら草庵に逃げ帰った。

孫堅は黄蓋にこのことを話したが、妖術使いを敵に回すとあとが怖いと言うので、
手土産の饅頭を持ってお詫びに行くのだが……

正史には登場しないが、『古典落語集成』に記載がある。
蒲公英(ホコウエイ) 生没年不詳

女性道士。冀州の出身という。
黄巾軍に身を投じ、綿毛を飛ばしたり川岸の土手に群生したりして人々を和ませた。
暴徒と化した黄巾軍に失望し、巨大な綿毛に乗って旅立ったと伝えられる。
張矩(チョウク) 217〜?

天水の人、字は白墨(ハクボク)。石礫を投げさせては百発百中であった。
もともとは寺子屋の教師だったというが、姜維に誘われて蜀に仕えた。
北伐には従っていないが、剣門関防衛戦では何人もの将を打ち殺すなど大活躍した。
字が暗示するように、墨者の流れを汲んでいたのかもしれない。
蜀滅亡後は再び寺子屋の教師に戻ったと伝えられる。
水滸伝の没羽箭張清のモデルは彼であろう。
899無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 19:33
田村亮(デンソンリョウ) 生没年不詳

字は矢藁(ヤワラ)倭の出身と伝えられる。魏に仕える。
無手の格闘戦に強く、若い時から才能を発揮し、各地を転戦する。美形との噂であった。
初めての大会戦であった米州の戦いでは惜しくも敗れるものの、
4年後の豪州の戦いでは見事に敵将を討ち取り、曹丕より金の印璽を授かる。
民衆からの人気も高く、矢藁茶雲(ヤワラチャン)の愛称で親しまれる。
後に青波州の名門谷家と血縁関係を結び、谷亮(コクリョウ)と名を改める。
再び4年後の欧州の戦いでも敵将を討ち取り、曹叡より金の印璽を授かるが、
その直後忽然と姿を消した。一説には後の柔然の始祖となった伝えられる。

(柔記より)
田村亮は情報操作に長けており、周囲に醜顔しかいないのを利用して、
あたかも自分が美顔であるように触れ回った。
また、必要以上に戦果を誇示し、実績以上の栄誉と民衆の人気を得た。
実質田村亮より戦果をあげていた野村(ヤソン)はこれに憤慨し、
失意の内に悶死したと伝えられる。
野村を哀れと思った一部の民衆は、田村亮を俵茶雲(タワラチャン)と呼び、
忌み嫌った。

(青波始末記より)
谷家の門地を狙っていた田村亮は、巧みな流言飛語により
あたかも谷家の当主、谷佳知(コクカチ)が田村亮との血縁を望んでいるという
世論を作り上げ、まんまとその座を射止めた。谷佳知は憤慨したが、
世論を覆す事が出来ず、大いに後悔したと伝えられる。
張三(チョウサン) 生没年不詳
 劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の一人として記録されている。
 それ以外の記録は残されておらず、事績は不明である。

李四(リシ) 生没年不詳
 劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の一人として記録されている。
 数合わせのために載せられた人物として、実在を疑う説もある。

漢中太郎(カンチュウタロウ) 生没年不詳
 劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の一人として記録されている。
 推挙書の氏名欄記入例が誤って載せられたのではないかという説がある。
田植(デンショク) 生没年不詳

呉に仕えた下級官僚。
農政に明るく、開墾や水利、疫病に強い米の新品種開発に功績があった。
時には自ら泥に塗れて農民とともに働き、農民の目線で施策を進めたので、大きな信頼を集めた。

農民を励ますために田植の作った歌は現在も歌い継がれているとか。
902無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 21:26
清水健(セイスイケン) ??〜232

字は太郎(タロウ)魏王宮の詩人
彼の作った詩「失恋食堂」は、当時の洛陽の若者に
大いにもてはやされたと伝えられる。
しかし、晩年は禁制の阿片吸引に手を染め3度捕縛されるが、
民衆の助命嘆願もあり3度とも釈放される。
だが、4度目に捕縛された時はさすがに周囲の目も冷ややかとなり、
そのまま洛陽の東市で斬首となる。

辞世の句は「おもしろき こともなき世を おもしろく」と伝えられてる。

なお、史書には彼が阿片を下着の中に隠し持って歩いたと記されているが、
これを行ったのは勝新(カツシン)であることが近年の調査で判明している。
字が同じ太郎であることから混同されたものと推測される。
>>900
漢中太郎、ウケましたw 数合わせって…やっぱ蜀は人材乏しいからねえ(ry
ところで張三っていうからドリフかと思ったら、次ぎは李四?李氏朝鮮とカケ
たんですか?それとも朝三暮四?いや、違うよなあ。元ネタキボンヌです。

>>902
>「おもしろき こともなき世を おもしろく」
おっ、高杉晋作ですな。でもまんまじゃ…。清水健(セイスイケン)って高杉
演じたことありましたっけ?
左籟(サライ) 184〜282

廬江の人。文人。曹操に仕えたこともあったが、後年は郷里で晴耕雨読の毎日を送った。
一族の左慈の影響で方術を学んだといい、当時としては珍しい長寿を誇った。
280年、晋が呉を併呑し、長かった三国志の動乱が終結したとき、かれは一編の詩を詠んだ。

「都に舞う桜吹雪の中に、戦乱の中で死んだ親友や強敵(とも)の顔が浮かんでくるようだ。
 (お前達のいる場所に)いつか帰る、きっと帰る、きっと帰るから――」

この詩を聴いた老将たちは、過ぎ去った辛い時代を思い起こして涙したという。
>>903
「張三李四」で四字熟語。意味は調べてちょ。
日常生活でも改まった文章でも使う機会のないムダ知識です。
>>905
903です。ありがd♪
調べてみました。張家の三男、李氏の四男ってことなんですね。
「どこにでもいる平凡な人々。猫も杓子も。熊公八公。」
ふむふむ、ためになりましたよ。
土淮(ドワイ) 生没年不詳

呉に仕えた文官。各地の地方官を歴任した。
赴任する先々で遭遇した殺人事件を明晰な頭脳で解決に導き、真犯人に崖の上で真相を告白させた。
その活躍ぶりはシリーズ化された『窓際県令土淮の名推理』で読むことができる。
彼の部下である賈成孚(カセイフ)が記した『賈成孚は見た!探偵県令の裏の顔』も併せて読むと面白い。
908無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 02:12
新山もんはヲタ大杉。締めの言葉もちゃんとせんかぁ!ゴラァァ
ヲタ書き込み禁止
>>906
>真犯人に崖の上で真相を告白させた。
土淮って名前じゃ最初わからなかったけど、この部分読んで吹き出したw

このスレ10年くらい経ってからまた読むと、当時はこんなことが流行って
たんだーとか、いたなあこんな人、なんて思い出せて楽しそう。
スマソ。>>909>>907へのレスです。

傅陰気(フインキ) 生没年不詳

字は不明。蜀の文官で、傅僉(フセン)の末弟という。文官ながら誤字脱字が
多かった。また、断絶した家系の土地を国に返還する手続きを担当したが、
勘違いが多く、なかなか返還がはかどらなかったという。

なお、正史には登場しない。

安康(アンコウ) 生没年不詳

後漢末の交趾の人。小役人の小男であったという。
やっと見つけた妻を離すまいとしがみついているうちに妻に寄生するようになり、
やがて同化してしまったという説話が、六朝宋代に記された『世説新語拾遺物語』に記されている。
五感を失い全身生殖器になるさまは、想像すると結構グロい。

正史には登場しないが、トリビアの泉に取り上げられた。
曹朗 ソウロウ
治朗 チロウ

陳到の部下で彼を補佐していた。
「二朗」と呼ばれたが、毎回両者の意見が食い違って陳到が十分に活躍できなかったので、褒め言葉ではない。
913無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 22:05
片氏 生没年不詳
>>906土淮の妻
914無名武将@お腹せっぷく:04/08/26 22:08
>>906>>907の間違いでした。
915 ◆5hlN8QSiZ6 :04/08/26 22:17
土灸云 生没年不詳

呂蒙配下の武将。
素行が悪く、髪を異国人のように染め、センスの悪い装飾を施した鎧を着て
馬に乗って、夜中に大声で叫びながら走り回ったという。
最後は、あちこちの城の外壁に落書きをした事を理由に処刑された。
不吉
道士。占術に長け、鏡の割れた形で災難を予言し、
更に董卓や孫堅が彼の予言どおりの死に方をしたため、
人々は鏡が割れる事を「不吉だ」と忌み嫌った。

不良
字は陳平。董卓配下の将で常に派手な長い戦衣を身に付け、
前頭部の突き出た異様な形をした兜「李蝉都」を愛用した。
長蛇をなした騎馬隊が暗夜に突撃する「武込み」の陣
による「集会」「特攻」「暴走」と呼ばれる戦法を得意としたが
敵襲が来ると必ず逃走し、出陣しなかった。
緊急警察二十四時に登場するがそこでも良く逃亡していて、
たまに捕まる。肖像画が多数残されているがそれらは何故か
ぼかされていて実像は不明。
917無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 12:23
朝出汁 

はじめ蜀将であったが早漏との対立から魏に下ることを決意する。
しかし魏の女・伊安芙に騙し抜きに遭い裁判にかけられ獄につながれる。
伊安芙との間に一子有りか?
918無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 17:48
乙武
ショクの身障
孔明が死んだ際に、車椅子に乗ってると言うだけで、孔明の代役に大抜擢される。みごと期待に答え、司馬イを驚かせ、魏軍を撤退させる。
が用無しになった乙武は魏延に谷底に捨てられたと、身障3国史に書かれてる。
台風(タイフウ) 175-228
呉の人。赤壁の戦いに参加。『三國志演義』では諸葛亮が東南の風を呼んだとされるが、
実は彼の功績だったという。

海戦では無類の武勇を誇った彼だが、曹操軍を深追いして陸に上がった後に急速に弱体化し、
曹操配下の温帯(オンタイ)に捕えられて降伏する。
その後、低気圧(テイキアツ)と名を変えたといわれる。
黄 進換 (239〜286)

字を連絡。 幽州の生まれだが半島人の子孫と伝わる。
286年の王貞治(>>353)との戦いの折り、退却の連絡がいき届かず、
敵将・衛布英に打ち取られる
費暮(ヒグラシ) 251-323

費イの一族。字は金哉(カナカナ)。晋に仕えた。
陳寿に師事し、かの「三国志」の編纂を助けた。
なお、正史(晋書)には登場しない。

彼が出てくると、そろそろアツかった時代も終わりだなあと思う。そんな夏の夕暮れ。
922無名武将@お腹せっぷく:04/08/28 01:34
砲奈阿(ホウナア) 生没年不詳

魏より独立した燕が異国より呼び寄せた助っ人。
わずか4日で6人の敵将の首を取るなど大暴れし、
その風貌から「赤鬼」と恐れられる。
だが、故障がちでまともに前線に出る回数は少なかった。
結局1年で母国へ帰り、彼がいなくなった後、燕は司馬懿に滅ぼされる。
923無名武将@お腹せっぷく:04/08/28 01:44
屋羅内科(やらないか) 生没年不詳

いつの世にも現れて美少年から
中年ノンケのケツを狙う奴
しかもイカシタナイスガイ
残義(192-?) 北方より現れ、魏に属す。飛んでくる矢を両手を使い
なぎはらう。また、ありえない間合を駆使し、一人ずつ投げて殺す
大漢。ついた異名は赤鬼最苦論
925無名武将@お腹せっぷく:04/08/28 23:11
(李馬)リバ
?〜?
李異の従兄
性的問題があり、主君には登用されなかった。
男子を好み、タチもネコもなんでもこいのエロいヤツ
926無名武将@お腹せっぷく:04/08/29 15:48
安田大左貸(ヤスダダイサカス)生没年不明
3人組の旅芸人
魏の銅雀台の完成披露会に呼ばれたが、劉備、関羽、張飛に間違われ斬られた。処刑時、劉備と思われたリーダーらしき人物の服が、まだ斬られてないのに、真っ二つに綺麗に破れクシャミをした。なお精子には記述はない。
927記録官・裸岱:04/08/29 21:01
皆さん、乙です。
痴岱さんのまとめサイトに924まで登録致しました。
http://sansen.channel2.s3p.net/naduke/(真止目才登)

いくつかお知らせとお願いがあります。

@918の武将は未登録です。といいますのも、私事ですが障害をもった方の
施設で勤務していたことがあります。ですので、この武将の伝の「身障」と
いう部分が私には受け入れられません。作成なさった方、まとめサイトへ登
録したい場合はご自分でしてくださるようお願いします。m(_ _)m

A>>917>>920も未登録です。
>>787>>856で痴岱さんやそれがしもお知らせしましたが、武将にふりがな
がないと登録に困ります。917と920はふりがなに迷いましたので、登録保
留に致します。作成した方、まとめサイトに直接登録くださるか、読み方
をお知らせください。1000レス到達か、次スレが立っても未登録な場合は
私のほうで適当にふりがな振って登録致します。ご了承ください。

B再周知になりますが、現在はこのスレへのカキコから丸1日以上登録がな
い場合は私がまとめサイトに登録しております。
9281:04/08/29 21:43
なんか900こえてるね・・・(笑
なんだかうれしいです。
929無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 22:21
age
李青洲(リブルス) 生没年不詳

字は不明。在野の豪傑。
若いころより鍛錬に励み、二十歳ごろから乱れた世を救わんと、
民を苦しめる山賊を退治に各地を放浪した。
その姿は、上半身には何も纏わず、また主着(ヌチャク)と呼ばれる武器を持ち、
戦う時には常に奇声を上げながら敵を殴り殺すという、少々変わったものだったという。

なお、青の字をブルと呼んでいるのは、編者の誤植という説が現在有力だが、
李青洲が意図的にブルと読んでいたという説もある。

『演技』に登場する。
馬星(バセイ) 生没年不詳

字は武練(ブレン)。馬星の読みは「マセイ」とも。
>>902清水健(セイスイケン)が吟じた詩に登場する人物。>>930の『演技』に
その名が見える。字は根衛(ネエイ)とする説もある。

後世『吉川三国志』なる小説が出版され、その中では関羽や趙雲を
「雲長関羽」、「子龍趙雲」と記述する場合があった。もし馬星が『吉川
三国志』に登場していたとしたら、

「寝衛馬星〜♪」 あるいは「武練馬星〜♪」

正史・演義には登場するはずもない。
932無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 23:51
電子(デンシ) 159-231
三国諸子百家の一。本名は電気(デンキ)
素粒子の弟子で『蓋し人は同じ電荷を持たむ』と妙な平等論を説いた。
陽子や中性子とは兄弟弟子であるが、殆ど都に留まっていた彼らと比べ、
電子は自由に各地を廻ったという。

なお、彼の子も優秀であり、長子の電灯(デントウ)は明るい性格で人々に慕われ、
次子の電撃(デンゲキ)は軍師として『電撃作戦』と呼ばれる戦法を得意とし、『電流』という流派が生まれた。
また、三男の電卓(デンタク)は計算の速さで他の追随を許さず、
四男の電話(デンワ)は伝令として活躍したという。
933無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 08:37
暴武殺布(ボブサップ) 生没年不詳

字は不明。南蛮の豪傑。
若い頃は南蛮国で蹴鞠もどきの運動に勤しみ、南蛮国王から寵愛されていたが、
いつのころか、武道家に転身した。持ち前のすさまじい馬鹿力でいかなるものの投げ飛ばし、
戦場では無敵であった。このため、その武勇を国王に賞賛され、益々寵愛を受けることになった。

そして相継ぐ合戦で功を重ね、将軍に昇進した。
しかし、諸葛亮の南征の際には一軍を率いて戦ったが、将軍として出陣はこれが初めてであり、
奇声や雄叫びをするだけで部下を統率することができず、自らは3桁に上る首を取ったが、
軍は壊滅してしまった。このため、南蛮王の怒りを恐れて逃亡し、海を越えて東の島に住みついたと言う。

尚、正史には登場しない。
934無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 09:14
於愚雄(オグユウ)生没年不詳

蝶蝉死後 呂布の前で踊りを披露するも
「蝶蝉とくらべたら泥じゃ」といわれ
処刑される。
935無名武将@お腹せっぷく:04/08/31 14:59
蛇懿兄済(ジャイアニズム) 生没年不詳

字は不明。倭国の兵法学者。治世にあっても常に乱を考え、それを憂いて盛んに議論したという。
だが、誰も彼を評価せず、基地害扱いされ、結局その言は取り上げられることがなかった。

晩年は刺客に襲われて一命はとりとめたものの、その後は酒に溺れて溺死したという。
>>879
伊丹(いたん)

伊籍の子。父の没後蜀に仕える。
若い頃から傑出した足の速さを讃えられていた。
戦場に於いては足の速さを生かした突撃が得意であった。
関空とは互いに刺激しあい戦功を競ったという。l
満庶(マンショ) 196〜?

魏の臣。満寵の甥。字は伊東(イトウ)。
210年、ローマ皇帝へ派遣される使節の正使として業βを出発し、
213年、軍人皇帝カラカラ(位211〜217)に謁見した。
「建安遣欧少年使節団」のその後の消息は不明である。
虐磐(ギャバン)

宇宙刑事を名乗り董卓に襲い掛かるが0.05秒以上解説したため殺される。
最後の言葉は「では蒸着プロセスをもう一度見てみよう」
939無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 10:30
蘇忽(ソコツ)

諸葛亮、除庶らの荊州時代の学友
うっかり者で様々な問題を起こし、さすがの水鏡先生も最初は「よいよい」
と笑っていたが、しまいには「いいかげんにしろ」とブチきれたという
940無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 10:49
武豊(ブホウ)

後漢末期の武将。字は不明
騎馬技術は卓越していたが、よく愛馬を怪我させては他の武将の
愛馬を強奪していた。呂布との一騎打ちでは敗れたものの「馬が
良ければ勝っていた」という名言を残す。
941無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:55
武豊は前にでとるやん、ちゃんとみれ。くそたれが
942無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 21:56
まったく、つまらん武将ばっかだすな!ヲ太どもが
>>941-942
能書き垂れるよりも、ネタを投下しるっ!
オレモナー
944無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 22:29
前に出た人物でも、ある史書によると とすれば
つじつまがあっていいじゃないの?
>>938
めちゃワロタ
>>938
シャイダーとかの解説も宜しく
947無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 18:03
ヲタはかえれ。
948無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 22:56
シャイダーってなんやねん。万人うけするヤツ言えや。
949無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 00:18
オレ知ってる。シャイダー。
しかしオレが子供んころだったからなあ・・・。
ここからだと、糞厨がまるみえじゃ
951無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 21:46
糞厨(クソチュウ)???〜???
 袁紹配下の将。宦官誅滅のため宮中になだれ込んだ袁紹に続き、
多くの宦官はもとより、女子供に至るまで皆殺しにした。
 その行為を咎められ、平民に落とされる。
952無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 22:19
シャイダーのヤツ、自画自賛しとるし。くそたれだなぁ
953無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 22:21
糞厨工科大学
クソチューコウカダイガク
関駄(カンダ)生没年不詳

劉備を漢中王に推挙した120人の群臣の1人。関羽の従兄弟の子。
字は弩漏(ドモル)。

出師の表を劉禅の御前で読み上げた文官であった。
ところが緊張のあまり、「ししし、臣亮言、先帝てへっ!」といきなり
かんでしまった。「ももも、もう一度やり直してよろしいでごすか?」
と、さらに呂律が回らなくなり恥をかいた。関羽の生前の功績に免じて
許されたが、蜀の資料からは抹消されてしまった。

ゆえに正史・演義とも登場しない。
955無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 00:56
馬快

字は晃肘。
蜀の将。虎牢閑の戦いで呂布を降伏させるほどの
武力と知力があり、劉備から慕われた。
関羽から堰月刀を譲り受けている。
劉備が定軍山を奇襲するとき主力の軍で参戦。
劉備死後、諸葛亮の北伐に協力したが
諸葛亮の居る本陣に矢が大量に浴びせられて
その矢から諸葛亮を守るために戦死。
諸葛亮はひどく悲しんだがその後諸葛亮も病死。
のちに息子である馬冥が蜀を守ろうとするが
魏に降伏。馬冥は結局蜀を守りきれず魏の将として活躍した。
馬超の義兄弟とのうわさも有る。

正史、演義にも登場しない。
>955
>>955
何これ?
飲茶(ヤムチャ)
字は屁垂。もと黄巾族の将。黄巾の乱の際、一時は曹操を退却に追い込むほどの活躍を見せるが、策略によって捕らえられてしまう。
以後は曹操の軍に属し各地を転戦するが、目立った活躍は伝えられていない。
赤壁の敗戦の折り、落ち込む曹操の心を和ませようとして「ハナクソの秘密をそっと話くそう」と語ったのは有名。
959無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 09:16
粗茶(ソチャ)
魏の茶人
まずい茶しか作れなかったゆえに曹操に「茶ゆえに、茶ゆえに!まずい茶ゆえに苦しまなければならぬ!そんな茶などいらぬわぁ!」とサウザーばりに怒られ、処刑された。
960記録官・裸岱:04/09/07 09:40
皆さんお世話様です。
そろそろ次スレの季節かと存じますが、1さん、他の住人の皆さんい
かがでしょう?
「なりきりスレ」などと違って進行はゆっくりなので、もう少し先で
よいかとも思われますし。

私はスレ立て人と記録者とは違うほうがよいと思っておりますので、
(1人が様々な役割を兼務すると、調子に乗って仕切り過ぎたり、柔
軟性に欠けてきたりする心配があるかと。)次スレを立てるのは控え
させていただきたいと存じます。m(_ _)m

>>955殿、武将にふりがながありませぬ。お知らせくださるか、または
>>927を参照くださると幸いです。要点のみ申せば、

「1000レス到達か、次スレが立っても御自分ではまとめサイトへ未登録
な場合は、私のほうで適当にふりがな振って登録致します。ご了承くだ
さい。」
かなり進行が早いと思うんだがw
ただ当て字にして漢字表記してるのは面白くねー
ストレート過ぎ ボブサップとかジャイアニズムとか( ゚Д゚)ハァ?
955は論外、飲茶粗茶も普通に使われてるし武将っぽくないし
まだ下の方がマシ
963テンプレ案:04/09/07 10:51
じゃーまーテンプレ案でも出しとこうか。

三国志武将っぽい漢字を武将にするスレ [二]

日常使う言葉の中で武将っぽい漢字に架空の列伝をつけて人物記にしていくスレ。
あて字もシモもダメとは言わないがヒネリの利いたものにすること。(※フリガナ必須)
-----------------------------------------------------
[初代1の良例]
馬刺(バサシ)???〜228
 魏の将。馬超の従兄弟。渭水の戦いで曹操に敗れた後、
曹操軍に降伏、馬超と袂を分かった。
諸葛亮の陳倉攻めの際、赫昭を矢の雨から守って戦死した
-----------------------------------------------------
[まとめサイト]http://s3p.net/~channel2/sansen/naduke/(by痴岱さん)
自分で記録するもよし、記録官の裸岱さん他ボランティア登録士に任せるもよし。
ネタがカブりたくない人はチェックしておこう。
964無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 10:57
>>995の者ですが
読み方はバカイ。以上
965テンプレ案 (改):04/09/07 10:58
ん。変になったな。修正。

三国志武将っぽい漢字を武将にするスレ [二]

日常使う言葉の中で武将っぽい漢字に架空の列伝をつけて人物記にしていくスレ。
あて字もシモもダメとは言わないがヒネリの利いたものにすること。(※フリガナ必須)

-----------------------------------------------------
[初代1の良例]
馬刺(バサシ)???〜228
 魏の将。馬超の従兄弟。渭水の戦いで曹操に敗れた後、
曹操軍に降伏、馬超と袂を分かった。
諸葛亮の陳倉攻めの際、赫昭を矢の雨から守って戦死した
-----------------------------------------------------

[まとめサイト(by痴岱さん)]
http://s3p.net/~channel2/sansen/naduke/
自分で記録するもよし、記録官の裸岱さん他ボランティア登録士に任せるもよし。
ネタがカブりたくない人はチェックしておこう。

前スレ:三国志武将っぽい漢字を武将にするスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088150424/
966記録官・裸岱:04/09/07 12:17
>>965殿、乙でございますm(_ _)m
それがしはその案に賛成でございます。1殿の良例を貼っておくのはイイですな。

>あて字もシモもダメとは言わないがヒネリの利いたものにすること。(※フリガナ必須)
   ↑
これも柔軟性があって、スレの幅を狭めない提示の仕方ですね。

>>961
確かにこの手のスレにしては結構早いですね。

>>955>>964殿、ありがとうございます。それがしのお願いが曖昧で失礼しま
した。名前より字のほうが不明でして。
晃肘=「コウチュウ」でよろしいでしょうか?
苗苗(ミャオミャオ)
蜀の武将。
魏の生まれであったが登用されなかったため蜀にくだるが
宛子(アテネ)の戦いで呉将福原(フクゲン)に斬られた。
968福原愛茶んフクハラアイタン:04/09/07 13:08
ハァハァ
969無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 13:11
万粉雌杉(マンコナメスギ)
小喬たんハァハァ
970無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 13:41
チャオミャオハァハァ
蒲公英(タンポポ) 167〜204

蜀の薬師。野草を煎じて独自の研究から良薬を数多く作り人々を救った。
「薬は心術」と公言し、当時は薬師それぞれが秘伝とするのを普通であった、
薬剤の調合法を公開し国全体の病との闘いを死ぬまで続けた。
当時の官吏に専属医になることを求められ断った蒲公英はその後妨害を
受けるが踏、何度みつけられてもその信条を曲げず草の根の活動を続けた。

孔明は南蛮を平定する際に毒、気候の変化に伴う消耗の激しさに
「もし薬師父・蒲公英が生きていれば兵の半数は死なせずすんだものを」
と嘆いたという。
その蒲公英の研鑽の成果も、やがて西洋の技術の波に埋もれていくことになる。
街路樹(ガイロジュ) 172〜212

袁紹幕下の豪将。
元は野党の長であったが、顔良に退治され一味が捕縛される。
街路樹は裁きの場でその首を率先して差しだし一味の減刑を申し出た。
これに心を動かされた顔良の推薦を経て袁紹軍の一員として従軍する。
顔良直属の遊撃部隊として多くの戦火をあげたが出自を重く見る袁紹軍では
むしろ白眼視され続けた。

やがて官渡で顔良が関羽に討たれ、街路樹は袁紹軍を去った。
後年僅かな手勢を率いて関羽の屋敷に夜襲をかけるが周倉に遮られ関羽と
対峙することすら叶わず斬り捨てられる。
その顛末の報告を受けた関羽は手厚く街路樹を埋葬し華北に向けて小高い
丘に慰霊塔を建立した。
「街路樹散るともその忠信久しく咲かん」と漏らし、自らもそれを貫くと誓った。
973無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 16:59
単本(タンポン)
?ー?
ジョ庶が最初に語っていた名前
974無名武将@お腹せっぷく:04/09/07 17:00
タンポンタン!ハァハァ
蕎麦(ソバ)

青州で酒屋を営みながら武芸を磨いていた蕎麦は、黄巾の乱に乗じて官軍と戦う。
兵糧不足で弱っていたとはいえ、劉備率いる義勇軍から3ヶ月にわたって砦を守り続けたこともある。

堅実な戦略を好んだがそのために張宝に疎まれ、試練と称して兵糧を断たれた。
ついに兵に餓死者が出始めやむを得ず投降した。
劉備は彼を許し放免した。蕎麦は青州に戻り家業を再開して細々とした。
やがて劉備は役人を懲らしめて県令を辞し、放浪する。
あてもなくさまよう劉備三兄弟を蕎麦はかくまう。
凶作で出稼ぎの労働で生計を立てていた蕎麦だが精一杯食料を求めてまわり、僅か一杯分の食材を得る。
戻って蕎麦は工夫を凝らして調理を行う。恐縮して差し出す蕎麦の料理を三兄弟は波ながらに感謝して食したという。
饂飩(ウドン)???〜???

 官軍の士官。黄巾の乱の際は、官軍を率いて劉備らとともに戦った。
 容貌は大きく肥満ではないが太めの体型だったという。
 蕎麦(>>975)は宿敵で、砦にこもる蕎麦を「か細く弱い、まるで歯ごたえがない」
などとののしった。
 正史には登場しない。
977無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 22:09
>>976 饂飩は後に孫堅の許に身をよせ、夷陵で劉備の配下となった
>>975蕎麦と戦ったとある。彼ら2人と曹操軍の>>63羅麺は、剣の
使い手であり三麺剣と呼ばれていた。
978無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 23:44
>>973
そうきたか。
漏れは下系を必死に考えているが、どれもガイシュツぽ。
979無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 00:14
李茂昆(リモコン) 143〜192
魏の将、李典の父。
政治32
統率43
武力22
知略99
半分機械だった。
>>979
字はとっても三国武将っぽくてGood!
いそうだよねw

でもさすがにお父ちゃんという設定は無理ぽ。叔父さんとか従兄弟
くらいがよいかと。
シモ系がことごとくガイシュツって面白いな(笑
愛液(アイエキ) 字不詳 生没年不詳

後漢の将で、性戯に長けていたといわれる。
彼が交わった後は、必ずジョセイの股間から液体が流れていたので
その液体のことを愛液とよぶようになった。

しかし、董卓に政権が移った後貂蝉に手を出したために処刑された。

董卓の恨みのために彼の事実は後漢の記録上から消されてしまった。
春水(シュンスイ) 字不詳 168〜208

蜀の将
愛液の偽名とも言われているが、生没年がはっきりしているので個人として扱われている。
活躍はほぼ0に等しい。
孔明の妻黄夫人に手を出して処刑された。

また、民間伝承では愛液の双子の弟で、愛液が処刑された後、難を避けるために名前を変えたといわれる。
さらに、彼は後世に邪運腐(ジャンプ)という民間伝承の本に無理夷痴(ブリーチ)という物語に京楽春水という名前で活躍している。
ちなみに、春水は愛液という意味だそうです。
985無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 17:50
愛液たんハァハァ
馬彰人(バショウジン)250〜263
マイナーだが蜀漢の将。
早くに両親を無くし、巫女である祖母に育てられた。
足が速く、人は彼を速馬彰人と呼んだ。
若干12歳にして北伐に参戦し、武功をあげる一方で
神の手の異名を持つ盗賊でもあったが
鍾会軍の精鋭部隊「編集部」に打ち切られた。享年13歳
ジャンプ→邪雲腐
ワロタ
希瑜(キユ) 字不詳 192〜222

蜀漢の将
乱世でのし上がった運のいい凡将
無双の剛勇と自称しているが実力はからきしダメ。
南馬亜貂(ナンバーテン)を得物とした。
戦いが終わった後、意味不明な言動を武将に質問しては困らせていた。
夷陵の戦いにて穂没酢瑠(ホモッスル)に一騎打ちをするものの逆に返り討たれた。

知障者との声が上がったために、正史演義ともに出ていないが、
邪運腐(ジャンプ)にわずかながら記載がある。
989無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 18:34:03
落合(ラクゴウ) 162〜234

字は博満(ハクマン)。
早くから才能の片鱗を窺わせていたが、上下関係を嫌って出奔。
黄巾の乱に際して袁紹に見出され、一軍を率いる将に抜擢された。
彼の下で勝率・一騎打ち勝利・獲得首級の3冠王に3度輝いた。
その後は曹操に仕え、彼の勢力拡大に貢献。
しかし官渡の戦いに際して劉備陣営に移籍する。
長く劉備軍中核を担ったが、晩年は南蛮の地にて行政任務を遂行。
その地で生涯を終えた。
990無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 20:09:57
武将化(ブショウカ) 生没年不詳

後漢末の文人。字は崇礼(スレ)。
同好の士たちとともに、同時代の人物について多くの記録を残したが、
書き溜めた記録があまりに多くなったので引っ越した。
引越し先は以下である。

三国志武将っぽい漢字を武将にするスレ [二]
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1094814507/l50
991記録官・裸岱
>>990
乙でございます!
武将化殿の伝も、なんか淡々としていて返ってウケましたぞ。引越し先
でもよろしくお願い致します。