―春秋戦国時代―…それは中華の人々が初めて経験した大乱世
周の幽王の死から秦王政すなわち始皇帝の統一までの550年間
人々は戦乱に疲れ、何より平和と安寧を求めた
そしてこの弱肉強食の時代は、数々のドラマを生んだ
それらはあまりにも人間くさい その前の殷周時代よりも遥かに…
歴史に燦然と名を残す名君、国家を繁栄に導いた賢相、主君の覇業を援けた名将、忠に生き義に殉じた忠臣
世を憂えその思想を後世まで伝える哲人、口舌で乱世を乗り切った論客、そして傾城傾国の美姫…
そんな彼らが活躍した舞台、春秋戦国時代について語りましょう。
【春秋五覇】春秋戦国スレ【戦国七雄】(前スレ)
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1030716703/l50
4と言えば介4推。
この人も春秋戦国時代の人だよな?
5といえば、5子胥
5と言えば5起。この人は、ある意味、春秋戦国のヒーロー。
6といえば6う(老)子
うわ、先に5取られちゃった。
6めえぇぇえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!
part2までレスが伸びてるのにも拘わらず誘導とかに2getされてるし。
12史略
十三経
全然関係ないんだけど
三国志の地図見てから春秋戦国期の地図見ると「狭っ!」て思うね
三国志期と言うか後漢全盛の版図の右上の半分くらいしかないし
三国志の魏って戦国時代なら中華統一してるんだな
15でねえやは嫁に行き
>>14 単純な国土面積の比較で何をわけのわからんことを……
十六国と七雄は被る国号が多い
18 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:09
>>16 いや単純に秦漢時代で一気に中華世界が広がったんだなと言いたかっただけなんだ
言葉が足りなかったな
戦国期の中華世界と三国志の魏の版図が似たようなもんだってことは
やっぱり支配し易さとか何かあるのかね
そりゃ中原は発展していて南方の揚州とか荊州南郡とかは無人の荒野みたいなもんだったんだろうけどさ
>>17 三晋以外の国名は地名だったからじゃないかな
鎌倉とか室町とか江戸って感じ?
三晋は国名が地名になった珍しい例だし
江南は漢族が侵略するまで無人だった?
越が…
>>19 みたいなものって言ってるじゃん
極地や孤島以外で人間のいない場所は当時でさえほとんどなかったんじゃない?
アフリカの狩猟採集民族みたいなのがいたってあんまり国力にはなんないでしょ
農耕民族じゃないと国力つけるのって難しいしね
春秋時代に周辺諸国にどんな国があったかもわかれば面白いんだけどな
北は匈奴とかいるのわかってるから南
まあ楚や呉越は春秋期の最初は南蛮扱いなんだろうけどさ
戦国期とかは同化してるしさらにその南のベトナム辺りがどうなってたのか興味あったり
中華世界の周辺諸国って全然文章とかで残ってないんだよね
まあ高温多湿の環境だから木簡とか残らない環境だってのはわかるんだけど
銅器も錆びて腐るしな
楚漢抗争期には秦より版図狭くなってるみたいだし南にも何か国あったんだろうとは思うんだけどね
よくわからないんだよね
中華の世界ねぇ・・・・。
ちなみに漢の平帝の時代(西暦2年)に行った人口調査によると、漢の人口は
約五千九百五十九万人。ベトナムの交シは約七十四万人で、この数字は
洛陽・長安に匹敵する数字なんだけど。
>楚漢抗争期には秦より版図狭くなってるみたいだし南にも何か国あったんだろうとは思うんだけどね
>よくわからないんだよね
南越・東甌
>>22 どこまで正確な数字かはともかく
全然不自然じゃない人口だと思う。
つか、古代の「海のシルクロード」あまりに軽視され杉
記録に残ってる事だけが全てじゃないからな
中国は記録を残す習慣があったお陰で歴史においては得をしてると思う。
最近この時代に興味持ち始めた者なんで非常に助かる
皆ありがとう
史書色々読破してもっと高級な話をできるように頑張るよ
韓非子がどもりだと言われた理由は
慣れない秦の言葉で話そうとしたからかみまくりだったためである
…だったとしたらあまりにも不憫だ
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 15:44
>>27 韓非以外の思想家や将軍だって他国に行ったらカタコトだっただろうよ。
>>28 雄弁な縦横家連中の舌は、言語や方言をも凌駕するものだったかも知れないな
縦横家は話芸のプロで、上代の口承家の系譜をひくものであり、
新興の文字のプロである儒家のライバル。
・・・・といってみるテスト
それ、意外と本質を衝いてるかもよ。
田斉って結構いいところまでいってたんだな
ビン王の時代に周囲全部を敵に回すような真似さえしなければ天下統一してたのは斉かも
俺は何故か斉が好きだから残念でならん
前スレで1000取った香具師は、なかなか味のある真似をしてるな。
↑ 今、見てきた。確かに、ニヤリとさせられた。こういう感じの書き込みは、
趣向を凝らそうと思っていても、そのチャンスがなかなか得られないからなぁ。
「六芸に通じる」ちう言い方があるけど、六編の書物に通じてることなのか
弓矢や馬芸などの体術に秀でていることなのか、どっちよ。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 22:01
「礼、楽、射(弓)、馭(戦車)、書、数」だったかな?
2000年も昔から数学ができないとダメだったのね ◎| ̄|_
38 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 01:22
晋と楚の戦い(城僕や、泌、エンリョウ)が何げにカコ良い
多分、そんなに実践的な「芸」が要求されたのは古代だけ
それ以後の時代は
「君子に必要なのは正しい道徳観と、その具体的な表現としての文章力だけ」
ってことになっちゃってる
確か唐代に科挙が始まったときに
「明算科」って会計実務者のカテゴリーがあったけど、すぐ廃止されたはずだよ
計算ができるだけの君子でもない香具師をエリートにする必要はないってことらしい
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 14:59
宮城谷読み過ぎて目が悪くなった
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 15:47
>>39 そんなんだから日本でも算術が学問として認められんかったのか
42 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/15 21:12
なんとなく能力振りをしてみます。三戦っぽいことしてみたくなったんで。
商鞅
【政治】100 (商鞅の変法。後代までその政策が受け継がれた点で評価UP)
【兵略】42 (武勲ではそれほど目立たないが、魏の弱体化を図り秦の東進を説くなど戦略眼はあった)
【知略】81 (魏を攻めた際に、当時では許されないようなエゲツない策謀を展開)
【魅力】42 (変法運動のおかげで嫌われていたが、公叔座や孝公、景監らには認められている)
甘茂
【政治】73 (農地や軍路の開発に従事。左丞相として秦の強大化に一役買う。)
【兵略】72 (蜀攻略戦・韓攻略戦で武功を立てる)
【知略】76 (右丞相の樗里子と同じく、ウィットに富んだ男で窮地に陥っても身を滅ぼすことが無かった)
【魅力】64 (讒言によって秦を追われたのがマイナスだが、その実力はどこにいても認められた)
魏且(←「ゼン」を代用。穣公)
【政治】82 (姉のコネとはいえ秦国内で莫大な権力を握り、丞相を三度務め、その蓄財は王室を上回った。)
【兵略】76 (白起や胡傷ら猛将を束ね、芒卯や暴鳶ら各国を代表する武将を打ち破っている)
【知略】79 (謀略でのし上がり、三十年近く実権を握り、彼の所領は実質独立国のようだった)
【魅力】60 (私腹を肥やし秦王室を蔑ろにしたが、子飼いの猛将は後の昭王全盛期に活躍した)
まあ待て。
こういう時はまず能力のアレな奴から数値化すべきだ。趙括とか。
そういえば、魏ゼンの領地はその後どうなったのだろう?
孟嘗君のセツみたく潰されたのだろうか?
>>42 甘茂の知略76に対して、魏冉が79は低いんではない?
数値化か…
このスレ終わったな…
以前はゲーム化を望む別スレがあったな。
横山光輝が史記以上の細かい奴を漫画化すればゲーム化も可能か
三国志しか興味の無い香具師ばっかりだから現状では不可能だな
三国時代は離散から統一までが短いから、ゲームにしやすいんだよな…
かといって、「覇王になる」が勝利条件だと弱小国には絶対無理だし。
ゲームにするならCivっぽいのが相性いいかな(ゲーム化スレでも言ったかな)
この頃って領地が点の概念だし新技術・思想がじゃんじゃん出てくる時期だし
Civの外交と内政中心の勢力・文明進歩争いが似合う
三国志のスレは死ぬほどあるのに
三国志よりもずっと長く人も多い春秋戦国スレがなんでここだけなんだYO!
>50
俺が知ってるのはFreeCIVだけだけれど、
とりあえず、バーバリアンが怖そうだな。
あら中々不評ですね。
能力値や人選は適当です。秦が好きなのでその辺から本当に適当にチョイスしただけです。
で、別に能力値云々はどうでもよかった(?)んですが、春秋戦国時代のスレッドは世界史板に
同じようなものがあったので三戦板で同じようなアカデミックな話題ばかりでもどうかと思い、
なんとなく遊び心で数値化してみただけです。なんかここのところ話題が少なかったですし・・・。
でもやっぱりここはアカデミックな話題がしたい人が多いようで「三戦厨」みたいなノリは嫌われますね・・・
>>47 それは恐らく
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1050918788/のスレだと思います。
他にも同じようなスレッドが二三ありましたが、いずれも超短命・・・・
ちなみに、このスレッドをたてたのは私です。それと、今だから言えるんですけどスレの中で
ネタを振っているのは半分以上が私です・・・自作自演はしませんでしたが、こうでもしなきゃ閑古鳥が
鳴きっぱなしでしたね・・・
まぁ兎に角、ゲームやマンガが三国志ほど多くないので(というか少ないので)あまり知名度が少ない時代ですけど
その分私みたいな厨房がすくなくて良スレだと思います。
ゲームスレの話題があったのでうれしくなって出てきてしまいましたが、以後名無しに戻ります。ご迷惑をかけました。
ゲーム板に池
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 19:39
パラメごっこは昔はやったけど今はドキュンくさくてやだなぁ
武力が高そうなのはこいつとこいつとこいつ、知力が高そうなのは
こいつとこいつとこいつ、この特技を持ってるのはこいつとこいつ、
みたいに縦割りで話してくれれば解るんだが。
ありもしないゲームの能力値を百分率で振られても、コメントの
しようがない。
>でもやっぱりここはアカデミックな話題がしたい人が多いようで
そーじゃなくて、おまいのパラメごっこが普通につまんないんだYO!
とんだスレストッパーだな、こいつ・・・
>>57 もう構うなよ。
マターリ次の話題を待ちながら保守
じゃあとりあえずお題をひとつ。
春秋時代の貴族って時には粛清されたりもするけど、でもいくら粛清しても
公室のちからが回復しないのはやはり他の貴族がそのぶん勢力を広げて
いるってこと?晋の六卿なんて時代によって顔ぶれが違うけど常に「六卿」だし。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 14:02
>>59 なんというか、晋の場合は公室が粛清されまくって貴族を抑えることが出来なくなったから
>>59 春秋期といっても、晋や楚が台頭してくる以前の時代は、君主の威権が
貴族の勢威を凌いでいた。
そもそも、多くの国で卿に列する貴族というのは、元をたどれば公族から
派生して後(姓に代わって奉邑名や官名等を)氏として続いている場合が大半。
「鄭の七穆」、「斉の国・高二卿」、「衛の孫氏」、「魯の三桓」、「晋の六卿」、
「宋の華氏」、「楚の若敖氏や昭・景・屈の三氏」など、君主の子孫がほとんど。
当初は君主が信頼して顕職に就けていた上記に類される貴族も、代を重ねる
毎に君主への忠誠よりも自家の保全を優先する様になる。
これは、公族から派生した貴族が国政を裁断できる、という、いうなれば卿位に
昇れる条件を君主みずから作ってしまった結果ともいえる。
「鄭の七穆」や「魯の三桓」はその最たる例なんじゃないかと。
彼ら公族から派生した公族は、さらに分派していくことで政争に遭っても容易に
氏族全てが粛清されるわけでもなく、残った家が力を蓄え、時には亡命先から
同族のつてで復権をはたしたりと、徐々に勢力をのばしていったと思う。
晋に関しては、献公の時代に公族の大規模な粛清があり、更に時代が下り
成公の代に、卿位にある貴族の子弟を公族扱いとする官制を設けてしまい、
それが貴族の台頭を助長させてしまったともいえる特殊な例。
だからか、献、恵、懐、文、襄、霊公の代までは一度限りで卿位にある貴族の
名がよくみられる。
晋で残った大きな家といえば、欒・韓の二氏くらいになってしまったみたいだし。
>>53のパラメ厨がかわいそうなので少し擁護すると、
数値化じゃなくて武力ベストテンとかのランキング形式なら
おだやかな気分で見守ったと思う。
やさしい短レスのひとつくらい入れたかも。
晋の六卿が6人に固定されてたのは6軍の司令官を兼ねてたからだよね?
>>63 累年の政争で多くの貴族が淘汰され、とりわけ勢力の大きな家が
ほぼ六氏に限定されてしまったため。
ついでにいうと、「六軍」ではなくあくまで「卿」。
一時期は六軍の時代もあったけど、六卿時代では、いちおう晋の軍制は
三軍の形態であって、一軍二卿。
だから上位六人の卿位を、勢力の大きな六氏が占有するようになった。
>64
それが「趙氏」「魏氏」「韓氏」「士氏」「中行氏」「知氏」の六氏な訳ね。
かつては「三谷β」と呼ばれた「谷β(げき)氏」や「ラン氏」なんてのもいたけど
淘汰されてしまったと。
そういう時代をうけて韓非子が法治主義を説いたんだよな。
最近、韓非子を読み終わったので取り合えず触れてみたかったの。
>>66 昔古文の教師に
固有名詞の場合は韓非子ではなく韓非だ!
と言われたのを思い出したよ
固有名詞→人名
>>68 よくわかってる先生なんじゃないかと。
それなら、初めは韓子だったのが、唐の韓愈と区別するのに韓非子に
なった事も言ってたんじゃない?
韓非は韓の公室の中ではやはり傍流の出なのかな?
公仲や公叔といった名門貴族が国政を壟断して国体の改革が進まず、
秦の侵略に曝され続ける状況が歯痒かったんだろうね。過去には『申不害』
という模範的な政治家がいたし、隣国の秦が『商革央』の変法によって
強国化していく様子も知っていただけにね。
そういえば『張良』は韓の貴族の出だけど、彼の先祖あたりが韓非の言う
「君主の明を覆い隠す存在」だったのかも。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 23:59
>>71 『申不害』も『商革央』もそうだろうけど、最も直接的に影響を受けたのは『荀況』でしょうね
「鞅」の字、出ない?
>>64 戦国時代の秦より最盛期の知氏の方がでかかった。
たぶん公室の領地や中行氏・士氏の旧領は
ほとんど知氏の領地になってたんだろう。
知氏滅亡の直前まで趙・魏・韓はかなり小さかったらしい。
>74
そうなの?『戦国策』の中にそんな感じのセリフがあるけど、でも弁舌家の言うことは
ある程度差し引いて考えないといけないからなぁ。
それに趙は代と中山を、韓は鄭をそれぞれ併合しているから、三晋の領土=晋の旧領
とは限らないんじゃないかな?
>弁舌家の言うことは
晋の最盛期は戦国の秦より大きいんだからあり得ると思うよ
>それに趙は代と中山を、韓は鄭をそれぞれ併合しているから、
>三晋の領土=晋の旧領とは限らないんじゃないかな?
三晋の領土=晋の卿だった頃のもともとの封領+知氏を分割した分+晋以外から奪った分
でそ
弁舌家の発言じゃなくて丞相かなんかの発言じゃなかったか?
>>74 >>64だが、何故に自分へのレスなのかわからない。
>戦国時代の秦より最盛期の知氏の方がでかかった。
いくらなんでも誇張にすぎるんじゃない?
それに、戦国期の秦、といっても、いつ頃の秦を指していってるので?
少なくとも趙の版図は狭小でもないし、范・中行氏の領土は四氏で分割
したという記述もある。
それに六卿時代の初頭から、三氏が、滅んだ他の氏族の領土を加えたり
、邑を交換した、という記述もある。
戦国当初の秦はかなり小さいけど、
>>77の発言って
秦のいつごろのものだっけ?
そろそろ秦が強くなってきた頃で、
あんまり初期でもなかったような気がするが・・・
>79
昭襄王の時のもの。って50年近く在位期間があったんだよな。
ただ、孟嘗君や亡卯より後の時代で魏斉が魏の実権を握っていた頃だから、
ハンショが秦に行った直後ぐらいかな?
ちなみにその頃は楚の呈βがすでに陥落して南郡とされ、大梁も秦軍によって
包囲される事態に直面していたあたり。
あれ?レスが止まった?しょうがないな、話題を少し変えるか。
戦国期、最大勢力を誇った楚の凋落っぷりについて何か語ることはないかな?
三戸って三家or三軒?
>>81 楚が秦の侵攻に抗しえなかったのは、必然の結果だと思うよ。
楚の貴族階級が呉起の改革を拒んで旧態に復した結果、楚の軍制は
貴族の連合体にすぎないわけなんだろうし、変法以降、完全に組織的に
編制されたうえ軍功授爵を徹底した秦軍が相手じゃ、質的な面でもまったく
異なるだろうし。
また、司馬錯の提案によって、前年に巴蜀を併呑した事で、侵攻に際して
水路を併用できる利点を得たのも大きかったと思う。
それに、当時の楚が外交で孤立しかけていたのも敗因のひとつ。
懐王以降、楚の外交はあまりにお粗末で、今日、秦と結べば明日は斉と和する
っていう始末。
五カ国の侵攻によって斉が滅亡寸前の窮地の際には、楚は斉王を殺して
しまっているし、韓・魏は大きなアテにはならないどころか恨みを買ってる
といっていいし、三十数年の外交で積り積ったツケが一気に来た、って感じ。
名相・魏冉や名将・白起の活躍もあるけど、それは複次的なものかもね。
楚の対外政策のお粗末さには、腰の定まらない外交に加えて動きの鈍さが
あるんだよね。戦争での大敗や懐王の抑留といった未曾有の危機に見舞われ
ていたとはいえ、その後の一時期における鈍さはなんだったのだろう?
秦で武王が死んだ直後の混乱期にはなんの介入も出来ずに指を咥えて
見ていただけで、同じ時期に活発な動きを見せて中山を併合した趙の武霊王と
比較すると雲泥の差に感じられるんだけど。
それとも丹陽・濫田での戦役の痛手はやはり大きかったのかな?
>>85 >丹陽・濫田での戦役の痛手
『戦国策』では、杜陵の戦い、といわれている戦争だね。
信憑性の是非は別として、『史記』では楚兵の斬首八万、『戦国策』では
通侯執珪死者七十餘人、とあり、少なくとも執政・将軍クラスから奉邑を
所有する貴族まで合わせて七十人ほども戦死したということになる。
あわせて秦への橋頭堡ともいえる漢中を失っているうえ、韓・魏の軍勢も
敵に回して、さらに戦前の外交で張儀に躍らされ、斉とも断交してる。
この時期の楚はみてらんないほどに惨めというしかないね。
ケチのつきはじめ、とでもいうんだろうか……。
張儀には清々しいくらいの騙されっぷりだよな・・・
あれを見ると張儀(&蘇秦)フィクション説も頷ける
懲りずにまた騙されるなんて流石だよな
商・於、六百里の約束じゃ ∧_∧
なかったのかYO! ∧_∧ (´<_` )
. (;´_ゝ`) / ⌒i ←屈原
/ \ | |
懐王→ / / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
__(__ニつ/ by張儀. / .| .|____
\/____/ (u ⊃
屈原のファンタジーな詩は実にイカす。
直諫の士っていう硬骨漢なイメージとぜんぜん重ならないんだが、こういう
マルチな才能を持った人がこのへんの時代にはぽろぽろいて興味深いですな。
商人になった范蠡とかもそうだし。
張儀の憎まれっぷりは凄まじいな。樗里疾・甘茂・犀首・陳診(字あってたっけ?)等、
敵ばかりだ。しかも相手はいずれも第一級の大物ばかり。これで天寿を全うしたわけ
だからたいしたものだ。
飛徒追過(ひとおうすぎ)
戦国時代の中国。楚に飛徒(ひと)と呼ばれた軍団がいた。
読んで字のごとく、飛ぶように戦場を駆け巡る軍団である。
しかし、後先考えずに戦場を駆け回るため、敵の策にかかる事も多かったと言う。
そのため司令官は飛徒の行動に常に気を配らなければならず、飛徒が深追いをしようとすると
大声で「飛徒!追過!」と叫び、彼等を制止したと言う。
現代社会ではとある巨大掲示板群でまれに発生する「人大杉」という状態があるが、
これが「飛徒追過」が由来である事はあまり知られてない。
民明書房刊「鯖と板」より
↑このコピペつくったのは誰だ。正直に名乗り出なさい(w
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 11:23
↑
それってまじ?
なんか嘘っぽいんだけど。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 14:14
↑確かに時代考証はあっている。
しかし、由来なのかは不明だな
民明書房が嘘吐くわけないじゃん!
この板の住民は純粋な人が多いな。
ちなみに、斉にいた料理人の易牙は子供を調理して恒公の機嫌をとったことで有名だが、
彼は宮廷に出るとペコペコして遜るが、厨房に戻ると傲岸不遜になったために
小人が特定の場所で分をわきまえずに振舞うことを「厨房」と呼ぶようになった。
2chの「厨房」もここからきたという説もある。
それはアレか?太公望書林か?
さすが民明書房、素晴らしくグレートだな
194 名前:NPCさん :04/03/09 15:26
春秋戦国(同人)をプレイ。
本日の名言。
「ソンピン雇いたかったけどオアシがない」
・・・・・・偉い人にはわからんのですよ。
塚本氏の小説「田釐子・成子」にて、(恐らくフィクションでしょうが)晋を追われた六卿の二人、
中行寅と范吉射が田釐子(田乞)の私兵となっていたのを読み、ふと、「晋の六卿の出自ってどう
だっけ?」と疑問に思って調べてみました。
趙氏・・・祖は、周の穆王の御者「造父」
魏氏・・・祖は、周の武王の弟「畢公高」の子孫「畢万」
韓氏・・・祖は、曲沃の荘伯の弟「韓万」
范氏・・・祖は、周の将軍「杜伯」の子孫「士会」
で、ここまできて残りの「智氏」「中行氏」の出自がいまいち判りません(^^;
元は「荀氏」で、始めて「中行氏」を名乗ったのは晋の将軍「荀林父(中行桓子)」。
本家が「中行氏」、分家が「智氏」らしく、更に前の先祖に「晋の原氏」というのが出てくるよう
なのですが、この辺がハッキリしません。
どなたか詳しい方おられます?
中行氏と荀氏と范氏と士氏と知氏の関係を誰が整理してくれ
>>100 荀氏、中行氏、知氏については詳しいことは知らない
士氏については、先祖は
>>99にもあるように”杜伯”らしい
周の宣王の頃、将軍に任じられた杜伯は蛮夷征伐で活躍し、王朝の権威復興に一役かった
だが、後年、何故か宣王に無実の罪を着せられて死罪
この時、杜伯の息子”隰叔”が晋に亡命、そこで”士師(軍事のトップ?)”に任じられ
たため、この官職名をそのまま姓にしたらしい
その後、晋の文公、襄公の辺りで士会登場(祖父は晋の大司空、士蔿)
随を奉邑としたので、随会と呼ばれたりもする(史記には随会の記載あり)
士会はかなりの傑物で、後に上軍の将にもなり、新たに范も奉邑としたので、この地名を
姓としたようだ(士会=随会=范会)
士会は死後、范武子と諡されている
1)荀氏→中行氏&知氏
2)士氏→范氏
ということ?1と2の間に関係はないの?
>>99>>100>>102 まず、荀氏から。
荀氏の祖は晋武公に仕えた原黯で、武公によって滅ぼされた荀を与えられた
のがはじまり。
荀は周・晋と同じ姫姓の国で、少なくとも、前705年(武公11年)には虢に
率いられて芮、梁、賈の国々と晋を攻めているので、これ以降に滅ぼされたと
考えられる。
晋献公に仕えた荀息と原黯の関係は不明。
驪姫の乱の末に荀息が死に、晋文公の代に現れる荀林父と荀息の関係も不明。
荀林父は前633年に晋文公の御者となり、翌年に新設された三(中右左)行という
歩兵部隊のなかの中行に任じられ、それ以降、荀林父は中行林父とも中行伯とも
呼称される。
荀(中行)林父の弟が荀首で、おそらく荀首の子・荀罃から知氏を称したと思われ。
以降、中行氏は、庚 → 偃 → 呉 → 寅、と続き、寅の代で晋の中行氏が滅亡。
かわって知氏は、朔 → 盈 → 躒 → 申 → 瑤、と続き、瑤の代で滅び、晋は
三晋へと分裂。
また、荀氏は枝族が多かった模様で、家、會、賓、といった名もでてくる。
両氏の各代での事績は長くなるので省略。
次に士氏。
士氏の祖は
>>101の仰るとおり。
ただ、士蔿と士缼、士穀、士会の関係が断定できるほど確かではなく、通説では
士蔿の子が士缼で、士缼の子が士穀・士会、らしいものの、士穀と士会が兄弟で
ある確証はないらしい。
士氏は、士穀の家系と士会の家系に大別されるようで、順をおっていくと
穀 → 渥濁 → 弱 → 丐 → 弥牟、と続き、諡号をみても伯を冠しているため、
おそらくこちらが本家と思われ。次いで士会の方が、
会 → 燮 → 丐 → 鞅 → 吉射、と続き、更に燮の弟の家系も存在し、
魴 → 裘、と続いたらしい。
ちなみに、范氏を称したのは士会から士燮へと続いた家系のみで、他の家系も
渥濁の代に瓜衍という邑を授かり、魴の家系は彘という邑を授かっている事が
確認されているものの、魴が歿した時に裘は幼年であったらしく、裘より後が
どうなったかは不明。
両氏の各代での事績は長くなるので省略するものの、どうやら士会の定めた
「范武子の法」(爵禄などに関する法らしい)を晋君の命で渥濁が習得していて、
法官としての働きは渥濁の家系が担当していった模様。
かなり簡潔に綴ったけど、荀・士氏の系図はこんなところ。
あと、資料は、『春秋左氏伝』『史記』『竹書紀年』『国語』あたりによったけど、
詳しい方のツッコミを待ちます。
なかなかすごい解説だな
長いのがちとウザいが、
とりあえず神
前のスレでも同じような話題があったと記憶している。
前スレ見られる人は一度そちらも。
>>104 ちょっと重箱の隅をつつかせてもらうと、
>ただ、士蔿と士缺、士穀、士会の関係が断定できるほど確かではなく、通説では
>士蔿の子が士缺で、士缺の子が士穀・士会、らしいものの、士穀と士会が兄弟で
>ある確証はないらしい。
史料に見えるこの辺の士氏の血縁関係についての記述は以下のようなものがあります。
・文公二年の杜注:「士穀、士蔿子」
・僖公二十八年の杜注:「士會、隨武子、士蔿之孫」
・文公十三年の孔疏引く『世本』:「士蔿生士伯缺、缺生士會」
これを素直に読むと、士蔿の子が士缺と士穀、士缺の子が士会ということになります。
ただ、いくつかの理由から士穀を士蔿の子ではなく士缺の子・士会の兄弟と考える説も
あります。東大の平勢先生がそうですね。
>士氏は、士穀の家系と士会の家系に大別されるようで、順をおっていくと
>穀 → 渥濁 → 弱 → 丐 → 弥牟、と続き、
士穀の家系についてですが、実は士渥濁が士穀の子であるとする史料はありません。
士渥濁については、『国語』晋語七の韋昭注に「晋卿士穆子之子」とありますが、「士穆子」が
士穀であるという明白な記述もありません。
>>108 覚悟していたとおりのツッコミをいただいたようです。
『春秋左氏伝』の注に関しては、いちおう自分も目を通してますし、
東大・平勢氏の著書にも目を通し、氏の説である事も知ってます。
あえて長々と書くのもどうかな…と思ったもので、説明不足ですみません。
>「晋卿士穆子之子」
に関してですが、当時の晋で卿ないしそれに類似する人物は史料を見ても
士穀しか思いあたらず、そのために、士穆子=士穀、と解釈してしまい
ました。
断定的な書き方となってしまい、
>>99>>100>>102および
>>106>>107にも
誤解・迷惑をあたえてしまい、陳謝します。
しかし賄賂性についてはこれを否定するものであります。
沢山の書き込みを頂いたようで。
ありがとうございます。
とても勉強になりました。
私はどういう訳か春秋戦国時代が好きで、色んな書物を読み漁ってみてはいるのですが、
発行されてなかったり、絶版だったり、値段が高かったり…(^^;
まぁ、財布と相談の上、マイペースに買い集めていこうかと思ってます。
このスレ、これからも参考とさせて頂きますので、今後とも宜しくお願い致します。
それにしても、竹書紀年とか、普通に売ってるものなんだろうか…(^^;
>>111 少し脱線するけど、自分も『田釐子・成子』は読んでるよ。
彼の作品では、戦国時代を描いた『白起』はよかったけど、この春秋時代を
描いた『田釐子・成子』はあまり褒められた作品じゃないね。
最近に出た、春秋末期の晋の六卿の台頭から知氏の滅亡までを描いた
『裂果』も、あまり高い評価は下せない内容だったよ。
(主人公は趙鞅・撫恤の親子)
なんというか、春秋時代の特殊な雰囲気や用語・慣習なんかがあまり
作品内で反映されていないし、撞着もみられた。
たとえば、春秋時代で「将軍」といえば、卿位にあるものの戦場における
地位をあらわすんだけど、彼の作品では独立して軍勢を率いる人物の
ほとんど(たとえば陽虎など)が将軍になってしまっている。
また、知氏の系統は知礫の次は申、そしてその次に瑤がくるけど、彼は
知礫の子を知瑤にしてしまっているし、しかも廟議に加われるのは卿位
であっても当主に限るところを、父親である卿を大卿、子を小卿として
揃って列席させているところとか、違和感を感じまくる。
それに趙氏の家系も勘違いしているのか、大別して趙衰と趙夙の系統が
あるにも関わらず、趙夙の系統を全く無視し、趙午・謖の親子を趙朔の
遺児にしていたような気がする。
これも重箱の隅つつきかもしれないけど、どうにもこうにも………。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 01:08
杜伯の祖先は尭。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 07:53
がんがんやれ
郤成子について詳しく書かれた文献ってありますか?
>>115 郤缼の事だね。
『春秋左氏伝』と『国語』、たしか『竹書紀年』あたりも詳しいはず。
前二者でたぶん殆どをカバーできるよ。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 20:24
竹書紀年の邦語訳ってあるの?
>>117 ないんじゃない?
普通に原文で、なんとか理解できてる範囲を読んでるけど。
世本による、っていうのはどうなんでしょう?たしか逸書ですよね?
どうなんでしょうの意味がよく分からんけど。
諸書に引用された部分が多く残ってるから、それらを集めて輯本が作られている。
しかし引用している書によってその内容が食い違っていたりする。
ex.韓厥の家系について
『史記索隠』韓世家の引く『世本』
「萬生賕伯、賕伯生定伯簡、簡生輿、輿生獻子厥」
『春秋左傳正義』宣公十二年の引く『世本』
「桓叔生子萬、萬生求伯、求伯生子輿、子輿生獻子厥」
春秋公羊伝が手軽に読みたいのだが。
文庫本とかになってないんかいな。
>>121 >春秋公羊伝
これって「くようでん」って読むのか?
そう
公羊学派の人間からマークされる諸刃の剣
>>122 文庫どころか、まともに読めるものもなさそう……?
全部日本語訳して文庫化してもらわないと、
漢籍何も読めませんてか。
語るに落ちるとはこのことだな
?
手軽に読みたいのと簡単に読みたいのは違うだろうが
大変だなお前の中の人も
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 10:58
あげておこう
臭いレスはスルーが一番。誰の心にも響かない言葉を吐く輩というのは虚しいものだ。
アナダセヤ〜
>>68 >>69 >>70 >昔古文の教師に
>固有名詞の場合は韓非子ではなく韓非だ!
古い話を持ち出して悪いケド一つ質問
韓非子は韓の王族で、韓の国は周の縁戚の国なので
本当の苗字は『姫』となると本で読んだ記憶があり。
韓非子の『非』も現代とは意味が違い『縁戚』とか『類する』と書いてあった気がする。
つまり『韓』王族の『一族』の『先生』となると書いてあった気がする。
どっちが正しいの?
情報ソースはもう忘れたスマソ(==;
『韓』は氏で、『姫』が姓では?
>>133-134 姓は姫、氏は韓、名は非。子は敬称。
韓非子は「韓非先生」。転じて「韓非先生の著書」。
・・・・くらいの説明で比較的、正解に近いと思うがどうよ?
>>135 いいと思う。ただ、
>韓非先生
は、あくまでも三人称で、本人を前にした場合は「韓子」だろうね。
>>136 おっと、本人を目の前にして「韓非子」「韓非」はない罠。
ちなみに書物としての名はもともとは「韓子」でよかったんだけど、
詩経の注釈の「韓子」と区別するために「韓非子」と名前までいうように
なった、という理解で正解ですか?
>>137 どうだろう。
自分の認識では、後世の唐の韓愈と区別するために
それ以降は「韓”非”子」となった、という事になってるけど……。
あ、
>>70と
>>135は自分ね。
>>138 あ、韓愈ね・・・
とにかく韓子が他にもいろいろいるから韓非子として区別した、と。
漢書芸文志では韓非子は「韓子」
韓非って食邑はなかったの?
あったなら、それが氏とか族の名になったり・・・。どうなんでしょ?
>>140 それはそうでしょ。
>>141 無かったんじゃない?
というか、韓非が領邑していては、『韓非子』の説くところに
反するんじゃない?
それに、韓非の時代の韓は滅亡寸前で、領土なんて国都の新鄭と
その周辺しか残っていないはずだよ。
成皐とケイ陽を抜かれて、更に上党の全域が秦に奪われて、更に詳細は
分からないけど、その後も十数城が抜かれてるというから、無理っぽいよ。
>>142 そうなんですか。ありがとございます。
不勉強で申し訳ないですが、『韓非子』といえば秦王に愛されるくらいですから、
法治について書かれてるだろうことは想像がつくのですが、
>領邑していては、『韓非子』の説くところに反する
ところの根拠はどういったことなのでしょうか?
>>143 142じゃないけど簡単に。
秦は戦国期に力をつけたが、領土が拡大してもそれが宰相や将軍の食邑になっていた。
つまり将軍や宰相は秦の為に領土を拡張しているのではなく、
自らが裕福になるために戦争をし領土を拡張していると。
戦争で掛かる戦費・人は秦で負担しているんだから、これは宰相や将軍が寄生しているのと同じな訳だ。
だから、『韓非子』では部下を封じるのを諌めている。
大雑把に言うとそんな感じ。
わかりやすくご説明くださってありがとうございます。
なるほど。しかるべき地位の者には食邑でなく、それに応じた禄を与えるということですね。
ところで、その『韓非子』がいうところの教訓は、当時としては中原諸国君主に一般的に容認
されていたのでしょうか?
それとも、それを実践したのが秦だけで、それゆえに六国を滅ぼす国力を得られたと言えるでしょうか?
愚問ばかりで失礼します。
国家のために正しいことが個人の利益に合致するとは限らない。
わかりやすくいうと今の日本の構造改革が進まないのと同じ。
つまり、今の政治家&官僚は穴埋めと言うことだな。
>>145 『韓非子』の思想の特徴は一元化ということにあると思う。
命令は1箇所から出され、功罪は法によってのみ賞罰が下される。
他国ではある時は王から命令が出されるが、ある時には王の兄弟から出される。
功罪は規則によって賞罰が下される時もあるが、
王や王族の「斟酌」で賞罰がくだされる時もある。
つまり統治が多元的に行われ混乱している。
秦は法によって強国になり、権力の一元化によって中華統一を成し遂げたといえる。
要するに絶対王政による富国強兵策と解釈して問題ないですか?
とすると、春秋時代はともかく、戦国時代に王権が弱化して公族・宰相の
強権が著しくなったことを考えると、戦国末期に現れた『韓非子』というのは、
ある意味、「王政復古の提唱」といった性質があったのでしょうか?
秦は既に王政なんだが。
周のような政体を目指したという意味ならNO。
極端な天才や馬鹿君主のことは考えてもしゃあない、凡人基準でいこうや。
てなこといってるから。
官僚制の集権国家を目指してた様な雰囲気ではある。
韓非の不幸は、春秋戦国思想史の中に老・荘が先にきてしまったために
ついに「実存」の問題が明確化しなかったところ。
自分の栄華が国家あってのものだと自覚できない
つまり国家にアイデンティティファイできない
つまり実存が国家にない者に対しては、
韓非の言葉の切実さはぜんぜん届かない。
政治家や官僚がデタラメやってても、デモのひとつするでもなく
月曜の朝になればラッシュももまれて会社にいくような
日本人には、永遠に韓非を理解できない。
演説は止めてほしい。
>>149 >戦国時代に王権が弱化して公族・宰相の 強権が著しくなった
そう? 戦国期の君主の威権は春秋期以上と思えるけど?
154 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 13:21
秦と楚の決定的な違いは何だ? 勝敗を分けた差は?
食糧なんて何倍もとれたんでしょ、楚の方が
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 15:37
根性
>>154 少しは自分の見解を挙げるなり史料等から考察するなりしてくれないと、
質問の回答が広範になりすぎて、誰も答えてくれんぞ。
>>155 思わずワラタ。
でも楚の方が根性ありそうな感じがする。
楚あぼーんは、王が秦に連れ去られたりの非常事態だってのに、
実力者たちが権力争いばっかやってたから、ってとこ?
とりあえず屈原萌え。
制度が老朽化してたんじゃないの?
古い位とか残ってたみたいだし
経営のスリム化しないとだめってのは昔も今も一緒なんじゃないかね
>>159 経営のスリム化じゃなくて、権力の一元化が必要だったんだろ。
王以外の人間が権力を持ち始め、宰相やその食客が恣意的な政治を行った。
楚程質朴な勢力がスリム化できるわけがない。
>154
天命
>160
それをスリム化と言う。
スリム化なんて曖昧な言い方私は嫌いです。
経営学的にはスリム化なんて言葉は認められていない。
「経営のスリム化」なんて一般的に使われる表現でしょ。
誰も学術的な立場で経営について語ってないじゃない。
いっそムスリム化すれば秦も敵ではなかったかもしれない
しかし秦の滅亡の顛末を見る限りでは、
始皇帝も韓非子を完全には理解してなかったんだろうなぁ。
>>168 始皇帝って宦官の趙高を重用してたでしょ?
趙高が始皇帝の死後にやったことを考えれば
重用すべきじゃなかった。
韓非子の要諦は法律の「法」と部下を操る「術」が
2本の大きな柱のはずなので、
術を使いこなせてなかった始皇帝は
韓非子を完全に理解していたとは言えないだろうと思ったわけ。
自分を法の外においたのも失点。
なるほど。
誰かの解説で「法」「術」「勢」の3要素とかいってなかったかな?
秦王政
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 13:47
>>167 レーニンはマルクスを理解出来てなかったよね
礼仁
冷人
ひとりでもレーニン
>>176 (; ゚д゚)ザワ(;゚д゚;)ザワ(゚д゚ ;)
さんかくでもマルクス
この時代のゲームが無いのが残念だ。
>>179 つくればいいじゃない。おまいさんが。
そして印税ウハウハ生活へ。
紙面ゲームなら作れるかも。
さいころでCOMを操作して・・・(ry
いただきストリートみたいな感じでゲーム化
>>179 「孫子」という有名なシミュレーションゲームがあるでそ
もう何度もガイシュツだと思うけど・・・
>>181 食いつく奴がどの程度いるかはともかく、TCGとか…
>>179 史記英雄伝ってRPGがスーパーファミコンで出てたよ。
項劉記もあるし。
>>185 コーエーが見境なしに変なゲーム作ってた頃のゴミの一つじゃん
PSで『始皇帝』って作品もあったはずだ。
NEC98全盛時代に秦の始皇帝ってSLGがあった気がする。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/11 00:09
TGLで何か出てたハズ
春秋左氏伝が届いたんで、読んでおります。
やたら子産の記述が多いぽ。
春秋平勢伝の香りがちらほらと・・・
コーエーに期待出来・・・・るわきゃないか。
ちょいと伍子胥マニアの人に訊きたいんだが。
十八史略だと、太子建といっしょに鄭に逃げて、建が頃されて呉に走った、となってるのが、
左伝だと、建は宋に逃げて、伍子胥は呉に直行したようになってるわけだが、
このあたり、他の史書だとどうなってるんだろ。んで、真実はどれ?
>>195 十八史略と左伝だったら、とほどの矛盾とか無い限り普通は左伝の勝ち。
「呉越春秋」には載ってなかったっけ?
>>195 『史記』の伍子胥伝の話。
先に太子健が宋に逃げ、そこに伍胥も逃げてきた。
宋で華氏の乱が起きたので二人で鄭へ逃げた。
太子健が晋に出かけたら晋の頃公にたぶらかされ、
鄭の乗っ取りを計画するが子産に殺された。
身の危険を感じた伍胥は太子健の子である勝を連れて呉に逃げた。
しかし、『史記』楚世家では太子健は宋へ亡命し(その後についての記述はない)
伍胥は父と兄が殺された後に呉に亡命したとある。
列伝では個人の事象を丁寧に追っているが、
世家では個人の事象は途中が省かれる傾向がある。
司馬遷が記述するにあたって二つの見解を持っていたのか、
列伝で詳しく書いてあるので世家では途中を省いたのかは不明。
>>199 いいHPですな、そこ。途中までなのが惜しいけど。
安能務「春秋戦国誌」のタネ本のひとつはコレっぽいような希ガス。
>>199 いいHPですな、そこ。途中までなのが惜しいけど。
安能務「春秋戦国誌」のタネ本のひとつはコレっぽいような希ガス。
>>199 いいHPですな、そこ。途中までなのが惜しいけど。
安能務「春秋戦国誌」のタネ本のひとつはコレっぽいような希ガス。
>>199 いいHPですな、そこ。途中までなのが惜しいけど。
安能務「春秋戦国誌」のタネ本のひとつはコレっぽいような希ガス。
激しく重複スマソ_| ̄|○i|i|i
>>200-
>>203 dat落ち寸前だからって荒らすなよ…
だろうね
>>179 戦国史の改造シナリオに左氏伝があるが、国単位の武将数が・・・
209 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/30 19:42
戦国末期は秦王の前では各国は臣のように接していたの?
藺相如が居なかったら王である超王ですら秦王に対して臣のように
接してたって有名な逸話があるぐらいだからね。
藺が変換できて
なぜ趙が変換できんのだ!
面倒だからしなかったに璧玉100個
じゃ、違ったときには足斬りということで。
ああ、ぼうっとしてました。面倒だから変換しなかった訳じゃない。
趙ですね。璧玉100個賭けた人は足斬りの刑です。
横光スレに書いたのですが、ここに誘導されたので質問させてください。
横山光輝「史記」の巻末の年表に「東周が成立する」の後に「秦、諸侯に列する」と書いてあるのですが
秦というのは、異民族によって首都移転をよぎなくされた東周の旧領土を支配した諸侯なのでしょうか?
216 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 00:17
「刖」がケータイでは出せないんだよね。出典は和氏の璧ということで。
>>215 左伝では、鄭の子産も秦を指して「周が興った地」と言ってる。
秦は騎馬民族が形成した国家であって、周の封建を享けることで中華に染まっていった
国家なのだろう。周を駆逐したかまでは怪しいけどね。
>210
臣下にお前の宝物を差し出せなんて
平均点以上の君主は言わないと思う。
219 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 04:53
>>218 なに言ってるのかわからんよ
どういう意味だ?
秦王の評価論じゃないしな
平均点とかなに言ってるんだろ
では、218を車裂きの刑に…。
いえ、御代は結構です。
なりきりスレじゃないんですから
223 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/31 18:15
スマソ・・・間違えた上にガイシュツネタでしかもageちまった・・・ごめんなちい
むかしの人っつーのは、ちょっと憤激したり悲嘆に暮れたりしたら
簡単に自宮しちゃうよなー。どういう気持ちなんだろうか。
げ、久しぶりに覗いたら思いきりクソスレ化してる・・・・゚・(ノД`)・゚・
>>227 なら、おまいが流れを一気に変えるような、
高尚このうえないレスをつけろよ。人に頼るな。
>>224 昔の人はプライドが高かったんだろ
個人のプライドも尊重されてたと思うぞ
春秋戦国期の人物の血縁関係がハッキリ把握できてないので、
イマイチ話の因縁とかが分からん。
がんばって血縁図というか家系図を作ろうと思うんだけど、
WORDで作れるのかな?
>>230 春秋期の貴族なんて、ほとんどが君主の血筋から派生した家柄だよ。
冗談抜きで、まとめきれる?
みんなで資料持ち寄って一家ずつやればいいさ
どこからとりかかればいい?
>>232 魯と楚が特に王孫家の登場率高いのでそこから始めようと思ってる。
俺が考えてるのまとめ方の例
斉姜==========同(桓公)=======女
| | | |
| | | |
友(友季) 同(荘公) 慶父 牙
↓ | ↓ ↓
季孫氏 開(ビン公) 孟孫氏 叔孫氏
上は魯の家系図の一部。
桓公は魯を継いだので妻とその子を書いた。
桓公の後を継いだ荘公も同じように妻とその子を書く(この書き込みでは書いてないけど)。
友・慶父・牙は家を継がず別家を立てたので、
矢印をして別家「○○氏」を記入。
「○○氏」にハイパーリンクで「○○氏」の系図を貼り付ける。
「季孫氏」をクリックすると↓のような季孫氏の系図が見られるように。
友
|
?
|
行父(文子)
|
宿(武子)
俺はあんまり歴史の知識もないし、PCの知識も皆無に近いのでこんな考えしか浮かばない。
WORDの組織図を使えば取り合えず本家の親子関係だけは作れると思うけど、
婚姻関係やハイパーリンクで別家の系図にすぐに飛べるのかとか分からない。
おまけに「ビン公」の「ビン」の字も出せない。
そんなダメダメな俺。
一気に作るのはまず不可能だと思うので取り合えず、
簡単な系図が載っているサイトや本を参考に魯の本家と別家をまとめた系図を作ってみようかと思う。
>>233 母系までまとめると却って系図としては見にくいものになるよ。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/09 00:30
ぷらっとかあいいよぷらっと
WordよりVisioの方が良くないか?
個人で出来る作業じゃねーと思う。
550年分もあんだよ?
母系まではなんともいえんが、家系情報なら『世本』(輯本)とか陳厚耀『春秋世族譜』とか
顧棟高『春秋大事表』とか程發軔『春秋人譜』とか、先人の業績がすでにあるから
うまく利用すれば一から作る苦労は省ける。史料間の異同が結構あるからまとめるのは
それなりに大変だと思うけどね。おいらも昔に系図とか職位表とか自分でまとめたよ。
前スレでぷらっと氏に突っ込むのにずいぶん活用できたけど(w
>>237 そのソフト初めて知りますた。
wordの組織図で作るより見やすそうだけど、
残念ながら俺のPCには入ってねえ。
viewerとサンプルがマイクロソフトのHPにおいてあったけど、
俺のPCはOSがMEなので対応してないのでインストールできず。
しょっしょっしょぼぉおお。
>>238 厳密なものを作ろうというんじゃないんですが。
春秋戦国期の本として論語・孟子・荀子・春秋左伝・史記など文庫で手に入りやすい本を読むにしても、
それらの本には家系図がなかったり、あっても本文の横にちょこっとあったりで利用しにくいのでもう作っちゃおうと。
なので、サイトや本に掲載されている系図を参考にして作ろうと。
>>239 挙げられているもの全て初めて知るものばかりでう。
簡単に手頃な値段で入手できるものではなさそうでつね。
史料間で異なる部分についてどうするか全く考えてませんでした。
作業開始まえからかなり厳しい現実を突きつけられてしましましたな。
取り合えず、魯の系図の一部をwordの組織図で作って週末に一度UPしてみます。
それを見て頂いて表現の仕方、血縁関係の間違い等の系図作成手法に関するあらゆる
意見をもう一度伺おうと思います。
様々な点からのご指摘ありがとうごぜーます。
世界史版の方で批判が出ているようなので公開は控えます。
スレの本旨からずれた話題を長々と続け申し訳ない。
荒れるのを避ける為系図作成に関するレスは今後一切しません。
このレスも読むだけで流して下さい。
なんじゃい、帰ってきたら撤回してるし。世界史板も見たがあの程度で「批判」かね?
おいらも始めて岩波文庫左伝を手にとった十数年前はもちろん『世本』なんぞ知りも
しなかったよ。いいから好きなように作ればいいのに。
>>239氏
その節はどうも。左伝だけで知った気になってたオレとしてはホントに勉強になったです。
例のスレ、批判と言えばオレなんか直撃なのにね。
>>241 協力はするから一人でやらんでもいいでしょ。
立つ鳥後を濁さず、去る者追わず
アップしてくれることを期待しようか。
中国三大亡霊といえば介子推・伍子胥・屈原だそうだが(十八史略@陳舜臣)、
前二者の小説はあるのに屈原のがないわけよ。彼の詳細がわかるいい本ないかね。
ざっとamazon検索したんだが、よさそうなのが見あたらない。
天問でも出しとく?
>>246 複数の著者の短編を収録した文庫で、講談社からでてる。
介子推って亡霊呼ばわりされるような死に方したっけ?
たしか焼死
行方不明とあわせて二説
252 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/12 21:38
焼死は俗説だそうですね。詳しくは知らないけど。
介子推といえば「竜が昇って5匹の蛇が補佐した」ってのが史記に出てるけど、
どっかで「7匹の蛇」っていうのを見たことあるのですが、誰か知ってるひといないですか。
5匹の蛇って文公の取巻きじゃないの?
説を挙げるなら
後のレスでもめないようにソースを出せと言ってみるテスト
「介推は至忠なり、腿を割いて肉を君に食らわしむ」の件に関しては
宮城谷説を採って否定したいものだ。
当時は人肉食がまだそれほどタブーではなかったそうだけどね。
実際そんなことしたら歩くことも出来ないだろうから、
足のお肉がなくなるほど奔走した、という意味で採ってスッキリすると思う。
脾肉もなくなるほど。
陳舜臣氏の「中国の歴史」一巻の殷代あたりで、奴隷について当時の人に訊いたら
「えっ、あれ人間ですか?」
と答えられるだろう、なんていう記述があった。
完全に家畜としての観念が成立していたということを現しているのだろうか。
家畜ならば殺そうが食おうが自由だと。
人肉食がにわかに信じられないのなら
アステカ文明を調べて見てください。
いや、人肉食は否定しません。ただ日常食としてではありえないわけで。
非常食としてでも疚しさ後ろめたさがなければ記録に残さんでしょ。
中華だし。
籠城戦とかの描写では「人相食む」てのが常套句だな。
ふたつの家族が、お互いの子どもを交換して食う、とか。
そこで子供を喰らうとこがいかにも中国ですね
老人の肉が不味いのかどうか知らんけど、子孫繁栄よりまず我が身
怖い怖い(^_^;)
子供はまた産めばいい。
親を食うのは孝に反する
子を喰うのは慈に反するね。
それほど重要なことでもないだろうけど。
斉桓公に子供食わしたやつがいなかったけ
管仲?
易牙
易牙が子供を食わして、それを非難したのが管仲。
後に管の次の宰相を誰にするか公に問われたとき、
易牙はやめときなはれ、と言われている。
そこで衛の公子ですよ
>>267-268 thx
昔の人の名前ってみんな似てるからなあ
易牙って斉桓公と一緒に魯に逃げた家臣かと思ってたよ
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 00:31
易牙は料理の神様として祭られてる
孔子は易牙の舌の事を褒めてる。
孟子でないかい?
庖丁・易牙・孟子
じゅちょう、って漢字で出せる人いる?
手書きでも頑張ったのに...
豎刁
おお!ありがとうございます。
最悪「ヲ」あたりでごまかすか、ちょーせんのチョーあたりを使おうかと。
さっそく辞書登録します。
奴隷の話になってるけど、奴隷ってどうやったら奴隷の身分になるの?
戦争で負けた敵国の捕虜?
偉い人が「お前今日から奴隷」って言ったら奴隷
征服された部族、罪人、不具者、奴隷の子。
朱塗りの籍に姓名を書かれたら。
こんなとこだろか?
280 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/03 12:03
横光の殷周伝説がきっかけで、殷周の時代に興味を持つようになったんですが
殷周というのは宗教国家(卑弥呼みたいもの?)で宗教で諸侯を統率していた。
春秋・戦国時代になっていろんな思想家が生まれて、法によって国を統治するようになった。
この認識でいいんでしょうか?
周ははなから宗教は否定してんじゃね?
代わりに「天」の概念を持ち出したんだから。
「神を敬遠すべく遠い空に棚上げしてしまった」と書いたのは陳舜臣氏だったかな。
祖廟を祀る風習が目立ってくるのは周代になってからだけど、
天の概念が成立することとは何か関係があるのだろうか。
天を奉る宗教と思えば似たようなもんじゃん。
>>283 宗教の定義が良く分からんね。
天信仰、自然信仰とかそういうのも宗教なのか?
儒教は宗教か?
宗教と政治思想の違いは何よ?
儒教は宗教ではなく修身、あるいは礼法なのだろうか。
よく儒教に対して無為の思想として引き合いに出されるのが道教。
世俗に塗れやすく民間伝承にも溶け込んで、中原の国民性を体現している。
後世の宗教にも政治思想にも強く影響を及ぼしている得体の知れない自然思想。
宗教は崇拝する対象に信仰することだろうし、政治思想はイデオローグを除けば
古代中国では支配階級の正統性を示す後ろ盾なのだろうが・・・・・・
>>284氏の言う末行の答えは、道教の根付く古代中国では答えが出ない気がする。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 23:45
いつの時代の儒教かによってちがうでそ
287 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 23:53
夏は「忠」(質朴さ)によって治めた。忠のわるいところはややもすれば
物事が粗雑になることである。これをただすには「敬」にしくはない。
そこで殷は「敬」(信仰)によって治めた。敬のわるいところはややも
すれば物事が迷信に陥るところである。これをただすには「文」にしくはない。
そこで周は「文」(礼制)によって治めた。文の悪いところはややもすれば物事
が煩雑になりすぎることである。これをただすには「忠」にしくはない。
秦は、周の後をうけて「忠」に帰るべきであったのに文をもって文にかさね、
ますます複雑にして国を滅ぼした。高祖は法は三章のみとして忠の政治を行い
漢の世を安泰に導いた。
>>281 つか、周代の「天」の思想を宗教じゃないと断じるなら
一神教の宗教性を否定してることになるぞ
>>282 陳舜臣が本当にそんなこと言ったのか知らんけど
だとしたら随分バカなこと言ったもんだ
「自然界にはいろんな超自然的存在がいるので、それぞれの偶像を作って崇拝しとくべきだ」
↓
「自然も人間の運命も唯一の超越的存在が握っており、我々が崇拝すれば答えてくれる」
って感じで宗教観念が変わっただけでしょ
神を敬遠しただの棚上げしただのって発想になるのは
日本人が一神教的価値観を理解できてないだけかと
日本人じゃないし
商のころは「神=王」だったのが
周になって「神>王」に変わったんだろう
>>287 よく誤解されているが、漢帝国樹立後も法が三章だけだったわけではない
292 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/05 18:23
>>292 司馬遷がそんなこといってたのか?
びっくり。
関中に一番乗りした劉邦が、『自分たちは秦の悪政に悩まされていた関中の民を
救うための解放軍である』という立場を表明するために、秦の政治の根幹を為して
いた法を一時凍結することを表明しただけでしょ。所信表明演説みたいなものだよ。
>>291 わざとバカな振りをするのは感心しないな。
>>294 いや、そんなのは百も承知だが、
>>287氏は明らかに「法は三章のみとして忠の政治を行い」と書いてあるから、前記のような発言をしただけだ。
296 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/06 22:49
>>295 292 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/07/05 18:23
>>291 そんなことは司馬遷にry
…以下、永遠にくりかえし?
高祖本紀以外も読めってことで
せめて戦国時代まで時間を戻そう。
風林火山
項燕
>>287 なかなか面白い考え方だと思う。漢の初期はたしかに黄老思想に則った政治を
行って安定を保っていたからね。
中期に入ってからは外へ勢力を拡大したものの、国内では治安の悪化と風俗の
乱れが目につくようになった。酷吏列伝を読むと泥縄式に法令の厳罰化と煩雑化が
始まったように見える。
>>301 無意味な比較かもしれないけど、戦国初期あたりの方が庶民にとっては
良い時代だったのかも。
項羽と劉邦で、辛奇(シンキ)が韓信に
「祖父は周の代に仕え、父もまた周に仕えておりました。」
って言ってたんですが、これってどういう意味ですか?
周は秦の全国統一前後まで残ってた
いつの間にか公国に転落していたのは東周のほうだったかな?
東も西も統一前に滅ぼされてなかったっけ?
何故か衛が統一後もしばらく残ってた希ガス。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 07:55
>>306 西周も東周も最初から公国ですよ
はじめ考王の時、西周ができた時は周王(周の本国)と西周公があり、東周はなかった。
後に韓魏が介入して東周公ができ、周王の領土は東周公のものとされた。
そのため周王は領土をもたない君主となり西周に寄寓していた。
西周が秦に併合された時、周王の宝物は秦に接収されたばかりでなく一部(半分?)は
東周にも流れたと思われるが、周王は東周に亡命したりはせず、周王朝断絶。
たしか西周が併合されたとき人口が3万人しかいなかったそうだけど、本当にそんな少なかったのかな。
洛陽はどっちに帰属していたんだろう?
311 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/09 17:59
洛陽は西周じゃなかったかな。西周の首都ではないけど。
晋の租界地にはなってないでしょ?
で、周王はその後どうなったの?
まさか秦だって処刑はしないと思うけど……
楚のカイ王は幽閉されたけどな
夏の民を封じた 木己 ってのはどこにあって、いつごろなくなったん?
宋は商の末裔だよねぇ。
そういう、旧王朝を残すっていう風習は、秦で途絶えたのかな。
陳のすぐそばにあって、ほぼ同じ時期に滅んでいるよ。楚の恵王の時代だ。
漢の時代に周の子孫を封じて祭祀を続けさせているけど、この頃になると
過去の遺物の面倒までみきれなくなってきたんだろ。
杞くらい一文字で出せって。
「きゆう」で変換すれば出るってば。杞憂の語源なんだから。
317 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:48
杞憂 宋襄の仁 助長
亡国の人間はバカにされる例
320 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 18:37
西周の首都は「河南」、東周の首都は「鞏(に似た字。キョウ)
両者は「洛陽」を真ん中にはさんでほぼ等距離にあった。
周の本領がなくなって東周ができた時、洛陽は西周のものに。
洛陽は難攻不落という意味では河南よりも大きな都市だった
ので最終決戦は洛陽に。よって西周の滅亡が周王朝の滅亡と同時。
漢の時、周の祭祀を継続させられた「子南君」というのは東周の子孫かと。
322 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 15:52
そんな事よりお前、ちょいと聞いてくれよ。流れとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、楚の王宮行ったんですよ。王宮。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいなんです。
で、よく聞いたらなんか人が来てて、六百里謙譲するから他国攻めろ、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、秦の領地如きで普段仲悪い秦と仲良くするんじゃねーよ、ボケが。
六百里だよ、六百里。
なんか張儀とかもいるし。破壊工作かよ。おめでてーな。
よーし上手くいった、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、俺の身命掛けるからその交渉破棄しろと。
外交ってのはな、もっと考えてやるべきなんだよ。
秦と斉どちらかといつ喧嘩が始まってもおかしくない、
滅ぼすか滅ぼされるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ペテン師は、すっこんでろ。
で、やっと終わったと思ったら、王の奴が、では斉を攻めよう、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、斉を攻めるなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
満足げな顔して何が、約束どおり六百里で、だ。
お前は本当に楚の王なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、目先の六百里が欲しいだけちゃうんかと。
外交通の俺から言わせてもらえば今、外交通の間での最新流行はやっぱり、
合縦、これだね。
合縦。これが通の考え方。
合縦ってのは秦に対抗できる。そん代わり壊れやすい。これ最強。
しかしこれをすると次から張儀にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあ王は、斉と同盟しなさいってこった。
いまいち
そんな事より廉頗よ、ちょいと聞いてくれよ。流れに乗っかる形になるけどさ。
このあいだ、蛮国秦行ったんです。秦。
そしたらなんか人臣がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか奥のほうに秦王が座ってて、お役目ご苦労、とか言ってくるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。馬鹿ってどういう意味かと。
お前らな、和氏の璧如きでオレみたいな下役人と白々しい会話してんじゃねーよ、ボケが。
和氏の璧だよ、和氏の璧。本当に冷暖房装置が付いているとでも?
なんか妾どもとかもいるし。秦王室総出で和氏の璧見物ですか。おめでてーな。
よーし寡人、一人にプレゼントしちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、狐白裘やるからその璧返せと。
外交交渉ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
城の地図を持参してきた奴が、いきなり隠し持っていた匕首で切りかかってきてもおかしくない、
全面降伏か徹底抗戦か、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと取り戻せたかと思ったら、司馬錯の奴が、盟約違反でござるぞ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、盟約違反なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、盟約違反、だ。
お前は本当にこの御時世に盟約違反が悪いとでも思っているのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、今まで盟約違反しまっくてきたのはあなたがた大秦王国とちゃうんかと。
まぁ、外交通の俺から言わせてもらえば今、縦横家の間での最新流行はやっぱり、
恫喝外交、これだね。
大王と五歩の差まで迫って盆を鼓せる。これが通の外交。
恫喝ってのは開き直りの要素が多めに入ってる。そん代わり国のリスクが少なめ。これ。
で、五日後会ってみたら璧はもう無い。これ完璧。
しかしこれを実行すると次から外敵のみならず身内にもマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあ食客頼みの王侯将相は、俺達鶏鳴狗盗の輩でも使ってなさいってこった。
もういいよ。
懐王を小一時間問いつめたい。
>お前らな、狐白裘やるからその璧返せと。
なんでそこで狐白裘がでてくるんだよ。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 02:36
ぷらっとかあいいよぷらっと
>>322-324 漏れは面白かったよ。(面白くないという奴もいたけど気持ちは分かるw)
なつかしくてよかった。ありがとう。
>>327 突っ込むのはそこだけかよ!
ていうかもっとちゃんと読んでみろ。よく考えず偏見で発言した自分が恥ずかしくなるからw
オレなら最後は
「汨羅に身でも投げてなさいってこった」
で締めるかな。
どうでもいいけどここでネタは勘弁してよ。
このスレ、今後ぷらっとの出入り禁止名な。
荒れるから
何の私怨か知らないがつまらん争いは自治でも行ってやれよ
ところで始皇帝の話題もスレ違いかな?
>>333 きてもいいんじゃねーの?
相手しなければ無害なんだから。
>>324 この頃の秦って公(侯?)国じゃなかったっけ?
>>337 それであってるよ。
正しくは昭襄王だけどね。
薛公は極悪人で徳がなかったから、薛は滅んだんですか?
そうだよ。ぬすっとを飼ってるくらいだからねぇ。
親の悪業子に祟る。
欒盈にも当てはまるねそれ。
信陵君バンザイ 春申君は氏ね
靖郭君は嫡子選びを間違えたのかねぇ。
>>342 春申君はいいだろ。
四公子の中で、唯一王族出身者でもないのにあそこまで上り詰めた。しかも閉鎖的な楚で。
王室簒奪も実力相応の野心だったんだろ。李園如きの小才子に嵌められたのは激しくマイナスだが。
それよりも平原君の方がヘタレ
平原君の採点ってやっぱりどうしても辛くなるよな。
でも四公子としてくくられてるってことは、他よりもはるかにレベルが高いってこと?
他にもっとましなのはいなかったのかな?
田単、楽毅、范雎、呂不韋
実績で劣らないと思われる君号を持つ方々。
血統?
>>346 食客を集めたという共通点と、秦に対抗したという共通点かな?
呂不韋は2つ目で外れる。
公子じゃないんだから四公子に入れるわけがない。
春申君も王族じゃないってことは公子じゃないってことじゃない?
ふつうは戦国四君と言わないか?
楽毅は、その名前の格好良さと活躍ぶりからイケメンであったと推測される
355 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 00:21
>>355 劉邦と同じ顔、というか顔で判断できないんだが。
韓は弱小だからか封地がないからか、〜君という人物が見当たらないな
>>359 なんか
>>358は重箱レスみたいな感じになってて、少し悪い気もする。
韓にも安成君や山陽君といった人物がいるようなので、「いない」とは
断定できないかなとは思うよ。
史記読んだけど、秦の昭襄王の時代の時系列がこんがらがってわけわかめになった。
わかりやすいおすすめの本とかない?
他の国も含めた時系列ってこと?
それなら、わけわかめで当然。
戦国後期は矛盾の嵐だよ。
宮史が残ってた秦はともかく、
六国は事跡の順序どころか王の即位年すらで諸説(つーか諸憶測)がある。
わかりやすい本以前に
正しい時系列を誰も知らないわけで…
資治通鑑じゃだめなの?
支持継がんって一次史料じゃないじゃんw
>秦の昭襄王の時代の時系列がこんがらがってわけわかめになった。
>わかりやすいおすすめの本とかない?
に
>資治通鑑じゃだめなの?
というつもりだった。スマン
おんなじことだろw
>>365は放心演戯とかを熱心に読んで、
薀蓄語ろうとするレベルなんだろ。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 10:46
age
運がなかったなw
370 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 12:51
このスレ見てるとさぁ、
ぷらっとって横山史記見ただけの知識しかないと激しく思うんだが…
秦がいつから王を称するようになったとか知らないだろ?
横山史記だけとは言わないけど、「史記」「左伝」を通読してはいない気がするね。
前スレでしったかぶって粉砕されて「もうこねえよ」と捨て台詞かましていなくなるあたりの
流れを見ると。
>>370-371 前スレから消えたのは粘着が暴れたからだろうが。勝手な話を作らないように。
知ったかぶりもどこを指すのか知らんが、オレは左伝戦国策斜め読みの教わる側だから。
史記にも疎いし平瀬信者だし。
何にしろオレの話題は他でやってください。
>オレは左伝戦国策斜め読みの教わる側だから。
うーわ、開き直ったぞこいつ。
「教わる側」にしちゃ、さも分かったようにいろんなこと言ってた気がするが。
知ったかぶり
>683:月舟禅師 ◆2011TWOdso :03/09/01 23:40 ID:
>
>晋の卿を眺めていて、親も子も記述がないのは鞏朔だけです。納得以前に
>今一度手許の本を読み返してみますよ。
ツッコミ
>685:無名武将@お腹せっぷく :03/09/02 18:58 ID:
>
>>晋の卿を眺めていて、親も子も記述がないのは鞏朔だけです。
>
>「左伝」で晋の卿(軍の将佐)になった人物は総計50人以上、その中で血縁関係がはっきり
>しないのは鞏朔を含めて10人近くいますけど…。これもまた「自説では系図上の位置が
>決められないのは」って事じゃないんですか?
逃げ
>723: ◆2011TWOdso :03/10/20 00:47 ID:
>このスレ、書き込むのは今日で最後にします。
>バカな粘着連れてきてしまったみたいで。ホントごめんなさい。
>
>「宿題」ですが、郤穀・郤?は郤称、あるいは郤乞の子という推論は見出したものの
>確証までには至る史料がわかりませんでした。ではまた、どこかで。
ツッコミから逃げまでのぷらっとを煽るレス
-----------------------------------------------
712:無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 12:19 ID:
ぷらっとスレと認定
713:無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 20:53 ID:
宿題おっぽり出して三国志正史スレに逃げるぷらっと。
714:無名武将@お腹せっぷく:03/10/15 01:49 ID:
煽ろうと思ってきたら先客がいた。
コイツを見ててキモくなった。12時間もかけて必死に粘着。
ぷらっとは逃げたんだったら他で探せばいいのに。
715:713:03/10/15 09:39 ID:
ご本人ですか?ちなみに
>>711-712とは別人だよ。
-----------------------------------------------
たった4レス。つか事実上2レス。どうみても「粘着が暴れた」というには
無理があるね。ちょっとした煽りが入ったのを奇貨として逃げたとしか思えん。
奇貨居くべし。
で、戦国を概観するのに(・∀・)イイ!、初心者向けのものを教えてちょ。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/26 21:07
横山史記
直リンしてもいいんじゃないか?
>>370 まあ横から突っ込むが、秦が王を称するようになった年は一説ではないな。
考古文物からも研究されてるが。
>>379 2ちゃん内でも直リンしないのが周礼です。
またまた横からすまんが、『韓非子』姦劫弑臣では「楚荘王之弟春申君」って書いてあるな。
陳氏の注釈では「頃襄王」だろうって言ってるな。
『史記』にはそれらしき記述はないが。
>>382 それって単純に誤解か誤記だったと思うけど。
そうでなきゃ、荘王の弟の家系から発したか、って事かもしれないけど、それも
ありえない感じがするし。
『戦国策』でも、楚の人間で学を志した、って事しかわからなくて、春申君の出自は
いまいち釈然としないよ。
>>383 『戦国策』では、李園の言葉の中に、「如王弟」(というような)記述があるよ(笑)
「さながら王の弟のようだ」、つまり弟ではないと。
私が
>>382で言っているのは、「そういう記述もある」ということ。
>>単純に誤解か誤記
その根拠はどこに?
>>ありえない感じがするし。
その根拠はどこに?
>>383 あと、
>>荘王の弟の家系から発したか
っていう場合は、「楚荘王之弟」とは書かんだろ。
そういう用例ある?
>>386 噛み付いてるんじゃなくて、批判的なだけ。
「根拠がないんだろ?」って言ってるわけじゃなく、
ただ根拠があるなら知りたいだけ。
「用例ある?」ってのも同じ。
史料少ないんだからそんなに責めるのはどうかと。
ただでさえ人少ないのに。
そうだ、そうだ。漏れらは少数民族なんだから仲間割れしてる場合かよw
そう言いながら人の意見を悉く否定し
過疎化したのは誰か?
自分より知識のない者を貶し、自分より知識のある者を排除する。
自分と異なる意見は一切認めず、自分の意見を押し付ける。
このスレを過疎化させたのは誰か?
↑そこまで熱心なやつはいないだろ
脱線しすぎ
楚の王室と春申君は近い血縁とは認めにくい。
これでいいでしょ。
趙高?宦官かよ。
脱糞しすぎ
アナルとヴァギナの位置関係は暗闇では見極めにくい。
これでいいでしょ。
触ればわかると思うんだが・・・
見極めは・・・ つかないだろうが
では遠慮なくキリ番いただき
>>400 よく恥ずかしげもなくノコノコと顔を出せたものだな。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 00:57
402ゲット。
>>384は、厳密さを求めるあまりにきつい言い方になっている。
それでは知識のない人は書き込みたくなくなるだろう。
>>390は、過疎化させたこと=悪という、自分の考えにより、
>>384を悪の元凶としている(はっきりは言ってないけど)。
寛容じゃない
>>384に対し、寛容じゃない
>>390が突っ込んでる状態。
厳密さを追求する
>>384と、
たくさんの人に興味を持って参加してもらうことを追求する
>>390 これが両方できるといいんだろうけどねえ。
私のスタンスはどちらかといえば
>>384に近いかな。
せっかく興味を持ってここに来た人に対して、間違ったことを伝えるのは嫌だから。
ぬお、ageちまったぜぃ(;´Д`)
>>395にははげしく同意。
あと、
>>392は、
>>384が本当だとすると、
そうも断言できないよ。
私だったらこうまとめる。
「なんともいえない」とww
だめだ俺w
人少ないから盛り上げようと思っただけで、
俺は別にどうでも良いんだが。
まあ、スレ違い長文は糞のすることなんで。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 01:41
よし俺も参戦します
何でも来い
おまいらもちつけ。
>>390からはじまったスレ違いをひきずってるぞ。
>>405 よし、じゃあ晋が趙魏韓にわかれたゆえんを詳しく語ってくれ。
知氏と中行氏の行く末も。
>>409 漏れは晋公室の直轄領の変遷、非有力貴族がどのように六卿〜韓魏趙の家臣化されていったのかが知りたい。
>409
知氏と中行氏は滅亡。
思い切った趙は偉かった。
知→智
>>410 コウ[糸+降−こざとへん]と曲沃の2都市(とその周辺)だけになった
最末期の晋は萌える。三方が魏に囲まれて一部が韓に接していたと思うが。
魏と韓の国境地帯はただでさえフェチ心をくすぐるからな。
>>412 わざわざ訂正しなくてもいいと思う。
史料によってそのいずれか、ってことなのだし。
416 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 16:56
まだ国境などという輩がいるのかw
さすが三戦板ゲーム厨の巣窟ですね
417 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 17:12
春秋戦国時代で官能的な話は何かないか?
文姜
419 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 17:54
夏姫に決まってんだろぉぉ−−
時々思うけど、隠居するときに他国に行ったりする人がいるけど、軍事機密漏らしたりする危険は無いの?
最末期の晋ってどうなったの?
追放?一族皆殺し?それとも匿われたの?
昔から男は殺し、女は犯すと決まっている。
>>416 みっともないのはお前の方。
張禄先生の前で肌脱ぎになって土下座しなw
>>416 言っている事は完全な間違いではないんだが、その言い様は厨そのもの。
小物でも他人を見下したいのなら、少しは論理的な意見を吐こうね。
>>421 周の王室や晋・魯の公室一家は庶民になっただけで生き延びたんじゃなかったっけ?
そこそこの財産もちだしは認められて裕福な庶民として幸せに暮らしたと思いたい。
田斉と姜斉みたいなケースだと滅ぼした側も寝覚め悪いだろうし。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 08:37
「直接」晋を滅ぼしたのはだれ?
魏?趙?韓?
絳周辺を有していたのは魏だったと思うけど
>>419 夏姫いいよね
主従揃ってパンツ被って宴会してるとこ想像すると笑える
>>426 よくわからんが陥落させたのは三晋の連合軍だったような希ガスる。
領地は魏と韓で分け取りしたか、427のいうとおり魏のものに。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 15:53
、で晋公はどうなったの?
>428
パンツか?
単衣みたいなもんじゃないのかな。
中行呉だったかな「鄭甥」とかいう称号があったけど
夏徴舒はそう呼ばれた形跡ってあるかな?
433 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 22:10
庶民に落とされた晋の最後の君主が「静公」というちゃんとしたシ号を貰ってるこ
とから、やっぱり殺されたり追放されたりはせずに、庶民といっても誰かの庇護のもと裕福な生活は
送れたと考えるのが妥当。降伏した後の劉禅や豊臣秀吉から捨扶持もらった足利義昭みたいな感じ。
保守しつつ。
晋以外の話題が少ないような気が…
魯も周も虐殺なんかされずに庶民になったんだよ。
塚本青史は、このスレ的評価はどんなもん?
斉の田氏の小説書いてたようだけど。
などと保守ついでにネタ振り。。
>>436 最近になって文庫化されたから?
なんというか、春秋期特有の社会状況とか言語・風習・通俗的な面なんかが
いい加減な描写だね……。
一度でも「左伝」とか「礼記」に触れた事がある人間なら、俺の言う違和感が
分かってもらえると思う。
数ヶ月前に、趙簡子・襄子親子を主役にした「裂果」って作品もでたけど、これも
同様な感じだった。
このひとの作品だと、漢代の作品がいちばんいいんじゃないかな。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 16:13
趙簡子・襄子親子と言えば宮城谷氏の孟夏の太陽か
439 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/01 16:26
趙珍子
ちんすこう
439 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 04/09/01 16:26
趙珍子
440 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/09/02 17:22
ちんすこう
面白いと思ってるのかな……
ちんすこうって沖縄のお菓子か?
うまくないんだよな、あれ。
沖縄土産でちんすこう買ってこられると激しく萎える
北海道のわかさいもに匹敵するガッカリ銘菓
俺は結構好きだけど
孫武ってコウリョに仕えてたのか
知らなんだ
>>437 やっぱり、そういう評価にならざるをえんな。
「王莽」は楽しく読めた。漢が本領なんだろうな。
>>446 そうそう。
「凱歌の後」とか、漢楚戦争期の短編で読み易いと思うしね。
晏子燃える
「景公之時機、晏子請為民發粟、公不許、當為路寝之臺、
晏子令吏重其賃、遠其兆、徐其日、而不趨、三年臺成而民振」
ぶっちゃけた話
後漢って本当に面白くない国家だね
ところで虢が晋の献公に滅ぼされた後、一族はどうなったか知っている人居る?
よくわからんけど、多分苦労したと思うよ。
>>449 『春秋左氏伝』では「虢公醜、京師に奔る」とあるから、
一家眷族を率いて周都に逃げたのかも。
というかオモシロい国家ってどんなんだ…
南北朝みたいなやつ?
胡公満が建てたと言われるあの陳か…
陳々
456 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 09:42:42
ほしゅ
457 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 21:28:58
あげ
実際の太公望の活躍ってどんなもんなの?
まさか神算鬼謀で周を天下人にしたんじゃないでしょ?
いくら軍学に優れているからって、兵数の差が格段に違うんなら無理でしょ。
キョウの族長で、キョウ族全員を周に協力させたから?
レスを増やしたければ先ず隗より始めよ
ヒモ付き弓矢の腕だけで出世した奴がいるんだから、
釣りの腕だけで出世した奴がいてもいいはずだ
それなら料理の腕で、となるのがこのスレ的には妥当なんだろうが
料理というと俺には春秋戦国どころか殷周より前、伊インのことぐらいしか思い浮かばない(´・ω・`)
釣りの腕で出世する方が妥当だというなら、俺は止めはせん
チンコ車輪大回転 ウッホ巨根
467 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 03:30:44
このスレ的には
講談社から出ていた、台湾人が書いた漫画「東周英雄伝」
はどういう評価なんでしょうか?
マンガだからと言って無碍にするもんじゃない。
しかし、漏れは内容を知らんので何とも胃炎
なんなんだよw
わかりやすくて良いのではないかと。
テロ朝でHEROやってるぞー。見てるか?
見てなかったようだなw
このスレ住民的評価はどうなのよ、HERO。
……こんな過疎スレに来て
30分でレスがなかったら「HERO見てなかった」とか一人で騒いでるよ
どちらの2ch初心者さんですか?
475 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 00:47:37
04/10/10 22:51:58
04/10/13 23:28:16
>>475 ワロタ
だが今更、HEROでネタ振りするやつもどうかと思うがね
テレビでやったとは言えね
オレは何のことだか分かっていないが。
結構面白かったよ。俺はね。
宮殿が立派すぎるような気がするが。
あれじゃ明とか清代の王宮だ。
まあ映画だからいいけど。
宮殿も立派すぎたけど、弩から発せられる矢が飛びすぎだったり、
ほとんどの武器が明らかに鉄製だったり、ツッコミ所は多かったね。
でも、秦に攻められた趙の邑の守備兵が皆無って、どういうこと?
でもな、野球が延長してて途中で録画が切れてたんだよ………
>>480 ま、あきらかにそういうところを突っ込む類の映画ではないわけだが
このスレで語るのはビミョーにスレ違いだな
>>480 残念!いちばんの名シーンがとれてないんだな。
つーか、スレ違いとか言ってるヤシはなんかネタ振っていけ。
くさすだけなら蛆でもできる。
別にくさしてるわけじゃないと思うが。
くさすのがいいんだよ
マニアなんてそんなもんだろ
とりあえずHEROは古代に忠実でないとかオダあげときゃいいんだよ
そうすりゃ、自分が「分かってる人間」みたいに思えてくるじゃん
485 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 22:36:30
ところで、
『春秋の筆法』って
どういう意味?
どのように使うの?
教えてエロイ人
「ごめん、今日危険日なのわざと黙ってたの」←春秋の筆
「エッチなのはいけないと思います」←春秋の筆法
すごい例えだが正し過ぎるねあんたら。
>>486は礼に合していない。危険日の告知を怠ったからだ。告知することを
故意に怠ったのは不信であり、女が男を惑わすのは不貞である。不信にして
不貞であるのは淫乱のもとである。以上のことから君子は
>>486が終わりを
全うできないことを推察した。
右僕射より左僕射のほうが偉いのは何でだろう
>>490 右の方が偉いよ。中国では。
>>489 うまいね。漏れそういうの好き。春秋パロ、古文漢文板には昔あったけどまたフカーツしないかな。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 21:08:19
春秋左氏伝で心に残る名言「美人だ、しかも色っぽい」
間接的要因や些細な事を、
あたかも直接的要因であると
断定するような書き方・・・・・だっけ?
霊公弑逆時の趙盾と史とか。
>>493 それと「春秋の様に批判が中正で厳しいこと」 広辞苑
遠回しに表現することだよ
後付けで因果を強調して叩くことかと思った
隠喩だね
500 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 15:28:55
500ゲッツ
501 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 08:23:09
勢力図が10年毎くらいにわかるサイトってないかなぁ
502 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 21:07:27
499>>うん、そう、俺このセリフ読んでたら電車の中なのに吹いてしまったw
503 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 13:01:28
age
504 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 17:57:05
書き込み途絶えたので質問ですが、
管仲以前の春秋で有名な人いますか?
505 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 18:33:54
子産
宿無し犬
508 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 20:16:39
祭仲
鄭の祭仲、歴史的に評判悪いけど、おいら結構好きだな。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 21:54:01
512 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 22:37:18
周の幽王
晋の武候
幽王より前の春秋時代の人はさすがに存在しないだろうなw
515 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/04 02:16:02
その前は西周時代だからねw
516 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/05 21:34:45
伍子胥好き
管仲好き
全然関係ないが始皇帝の中国統一って楽毅が斉を叩いて
勢力均衡を壊したからだと思う
>>518 そこにいたるまでもいろんな要因があるわけでもう少し考えて発言してください
最初は魏がつよくて、魏→趙→楚(楚→趙?)→斉って流れですかね???
秦が頭一つ他国に抜きでたのがはっきりしたのは
なんの時からだろうね?
>>520 白起が隣国全てを大敗させたあたりじゃない?
>>520 趙の武霊王の印象が強烈なのかもしれないけど、少なくとも趙が有力諸侯として
中原への影響力を有したのは恵文王の時代じゃない?
>>522 恵文王の時代になるともう秦の圧力をかわすのに必死ってイメージしかないなぁ。
完璧の故事とかさ。
>>523 たぶんかん違いしてると思うけど、武霊王の治世ってのは中山を攻略する頃まで。
武霊王は中原に直接的な介入を行う前に歿してるよ。
その後の中原での諸国ことに秦との攻防は恵文王の時代。
>>524 その秦との攻防が中原への影響力とは言えないといいたいんじゃにのか
>>523 >完璧の故事とかさ。
その故事から史実を理解しようとしちゃいけません
戦国時代は1割の乏しい史料と、9割のすごく正確性に乏しくすごく魅力的な故事からできているんです
完璧の故事は俺も好きだけど、あくまで故事。
そこから恵文王時代の諸国の力関係を語るのは
「里美八犬伝」で戦国時代の力関係を語るのに等しいのです
とりあえず戦国期の初頭には魏が最強だったことでは一致?
じゃその後の展開は?
>>527 それぞれ
一つの国に覇権が集中した感じではない
戦国期の特徴として同盟相手が基本的にころころ変わるからね
>>527 >>528の言うとおりなんだけど、敢えて言えば、魏の次は秦・斉・楚の三国が
強盛だったんじゃない?
530 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/09 22:58:22
諸葛亮伝で、「簫何は韓信を推薦し、管仲は王子城父を推挙しました」って書いてるけど王子城父って誰?
管仲が推したのなら隰朋だよなあ。
>桓公曰:「甲兵大足矣,吾欲從事於諸侯.可乎?」
>管仲對曰:「未可,治内者未具也,為外者未備也.」
>故使鮑叔牙為大諫,王子城父為將,弦子旗為理,ィ戚為田.隰朋為行,
534 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/10 00:17:43
韓信と並べられてるから凄そうと考えたが、なんかしょぼそうだなぁ
(゚Д゚)ハァ?
537 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/10 08:40:41
>>530 「昔、蕭何は韓信を薦め、管仲は王子城父を舉げる」の王子城父ですが、彼は
『春秋左氏伝』や『韓非子』では王子(公子)成父とも書かれている斉の名臣です。
『春秋左氏伝』や『史記』の「世家」によると、春秋時代以前から中原を脅かして
いた狄の[叟β]瞞(しゅうまん)という族をほぼ壊滅させていますが、如何せん
記述が乏しく、名のわりに事績が残っていないのが実情ですが、他の書の中にも
そこそこに記述があります。
たとえば、『史記』の「律書」では、晋の咎犯(狐偃)、呉の孫武とともに軍事に秀で
君主を覇者たらしめた人物とあります。
『呂氏春秋』では、管仲が斉の桓公へ推挙した五人の有能な人物の一人とされ、
「平原廣(広)野に於いて、敗れて戦車が軌を交差する事なく、兵士が踵を旋(廻)
らさず、鼓をうてば三軍の兵士を死をみること家に帰るが如くあらしめる」
という様に評されていて、管仲が大司馬へ推挙しています。
『新序』にも王子成甫の名で記述がありますが、これは『呂氏春秋』とほぼ同じ
内容です。
>>531の方が挙げた隰朋もこの五人の中に含まれていて、彼は礼容や挙措進退に
秀でているので、大行(簡単にいえば外交官)へ推挙されてます。
長々と書いてしまいましたが、自分が知る限りではこんなところです。
540 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 22:13:05
あぁ、伝説の巨人族を倒したヤツなのか>王子城父
541 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/13 05:17:10
霍去病ってどんな人なのですか?
前漢の人物じゃん。
衛青の甥で騎兵戦術に優れた天才的用兵家ってポジションなのか?
543 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/17 18:57:56
春秋左氏伝見てたら子産って弱小国で頑張っててかなり凄いな。日本にもこんな人がいてくれたら・・・・
しかし、なぜ鄭の人物の字は楚のそれと付け方が同じなんだろう。
>>543 子産の何が好きかって、それは「いい訳させたら最強」ってとこ。
…それは冗談として、子産が鄭の政柄を握っていた22年間の間に
「獄に繋がれた者は三人、死刑に処せられた者は二人」というのが
事実だとしたら驚き。
ケ折と夫を殺した妻の二人もその中に含まれてるのかな?
>>544 要するに「子○」というかたちの字が多いって事?
春秋時代の公族出身者の字は概してその傾向にあるはずなんだが?
>>546 知ったかさんなんだからあんま突っ込んでやるな。
質問を投げた側が知ったかってのも何なんだが。
>>546 それもあるけど、楚って異民族でしょ?
そのわりには子文とか越椒とか、公子の子孫の名乗りがよく似てるから。
同じ周の枝分かれでも、晋や魯の公子には、「子○」がいても、
その「○」を姓にした公孫・公族があまり見当たらないんで。
そんなの魯にだって宋にだってあるよ。鄭は七穆がみんなそうだから目立つだけの話。
そういう疑問はせめて岩波左伝の系図を全部チェックしてからにしてくれ。
そのスタンスが拙いんだっての。
話題振るのは名無しでなきゃいかんのか?
それともニュアンス自体伝わってない?
伝わってないよ
解説キボンヌ
ここはうかつに質問すると罵倒される怖いスレですね
反論=罵倒とはレベルの低い認識ですこと
554 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/20 01:29:21
まぁマターリといこうよ別の話題ふるけど春秋時代の最高の君主は誰だと思う?自分は晋のトン公がいい線いってると思う
少数民族が仲間割れしてどうするw
「孟某、伯某、仲某、叔某、季某とつけるのは周の新制、
子某とつけるのは殷の古制」というけど、本当のところどおうなんだろうね?
春秋戦国の諸国によってやりかたに片寄りあるかな?
>>555 周王朝から優遇された国は前者、そうでないのは後者だと勝手に思ってるけど。
実際どうなん?
このスレは知識をひけらかす奴多いな
知ったかとか薄い知識とか。
たいへん博識な
>>558が降臨しますた
ただしい御解説をおながいします
一講義頼むですわ。
そのスタンスが拙いんだっての。
話題振るのは名無しでなきゃいかんのか?
それともニュアンス自体伝わってない?
おまいら釣られすぎ
質問なら余計に意見が返ってくるのは当たり前な気が
質問の根本が間違えてればそれについて反論するのも当然だし
566 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/26 01:29:11
まぁマターリとマターリと
>>561 世界史板っぽい雰囲気を持つこのスレにおいて
コテを名乗る以上他者を唸らせる知識学識の持ち主でないとウザいって思われるよ
質問が思い浮かんだらまず自分で調べてそれでわからなかったら質問しようよ
ネット上には春秋戦国関係のページ多いし簡単なことならそれでわかるからね
子某ってのに関する質問も春秋戦国時代の人物を(全部じゃないけど)網羅してデータベース化してるページとかもあるからね
それとか見て自分で考えた方がいいと思うよ
疑問を持てる姿勢は大事だけど考えればわかる事をわからないって言うような間抜けでもないでしょ?
この時代について語るならまず自分で考察して調べてそれから何かを言わないと罵倒も軽蔑も嘲笑もされるので要注意だ
ただでさえマニアックな事を語りたがる人間は重箱の隅を突付くような神経質な面があるってのにそこで適当なことを言っては無用の争いを招く
それじゃあ互いに面白くないよね
ここで何かを言う前にはとりあえず自分で調べて考えてそれから言おう
それがスレッドの流れだ
>>568 おまえがウザいぞ、クソコテ 奇嬌屋onぷらっと ◆QqQquqqauQ
568 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/11/26 14:45:09
>>567 ウザ
572 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 15:15:44
そういえば戦国時代は春秋時代と違い君主自身で軍を率いることがほとんど無くなったのは何故なんだろう?戦国時代では武霊王ぐらいかな
573 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/27 15:55:11
陳舜臣版「中国の歴史」では、干将莫邪や眉間尺の例を引いて
春秋⇔戦国の間に「分業制」の成立が見て取れる、なんて記述があったね。
王が戦わんのも、分業の一環だったのかね。
全然了解してねえし(w
ごめんよ。
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
______ /U ヽ___/ ヽ
| ____ / U :::::::::::U:\
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| | | | | U :::::::::::::| なにこのスレ……
| | .|U | | ::::::U::::|
| | | ├―-┤ U.....:::::::::::::::::::/
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└___/ ̄ ̄ :::::::::::::::::::::::::|
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春秋時代には王は少ししかいないな
周と楚、呉越くらいなもので
諸侯が王を名乗るようになったのが、戦国時代の始まりと言う人もいるぐらいだしな
581 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/28 22:23:16
さて、板違い糞スレをageるか
それで君の魂が安らぐと言うなら、どうぞ。
583 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/30 22:51:41
城僕の戦い燃え
城僕の戦いといえば、『呂氏春秋』や『韓非子』で書かれている、舅犯の献策した
策略って具体的になんのことだ?三舎退くことで義理を果たしたとみせかけて、
有利な地形に敵を誘き寄せたことか?
それ以外の読み方が思いつかない不勉強なオレ。
>>584 現代的な考えではそうだろうと思う。ただ、
「”三舎を退く”約束は生きている事」
「文公の帰国が叶ったのは成王の恩恵によるもの」
「約束を果たさずに楚に兵をむける事は信義に反する事」
「楚兵は長期の遠征にあるものの軍の兵站はよく機能して充実している事」
「恩に報いる前に楚と戦えば晋の正義が失われる事」
これらを踏まえて、狐偃は約束を果たして信義を立てた後に戦えば、楚軍は
卿が将帥であり、晋軍は君主が将帥であるから、晋の正義が立つ、と考えた。
また楚軍の陣中でも、三舎を退いた晋軍をこれ以上追撃すれば兵の疲労が
大きいという意見が挙がったにも関わらず、子玉はさらに進軍させて、兵の
疲労を蓄積させてる。
それが証拠か、戦後の勲功一位に、先軫を推す声があったにも関わらず、
文公は、先軫は軍事による一時の功、対して狐偃は信義を重んじた万世の功、
として狐偃を首位にしている。
これらは『春秋左氏伝』と『史記』にある事だけど、春秋期にとってみれば、
こういったあたりが当時の真情ではないかとは思える。
ふと気になっただけなんですが
春秋や戦国時代に貨幣が国によって大小姿形が違てましたが、国と国とを行
ききして貿易なり商売なりしてた行商人とかは国境越える時などに貨幣を両替
してたんでしょうか。
あとは為替レートみたいなものがあったんでしょうか。
それとも、国際(?)基準として周の物が利用されてたとか、そういう事について
わかる方がいましたら教えて下さい。
自然経済のほうが強い時代ですから。
公用通貨がなく補助通貨としての蟻鼻銭刀銭が通用していたという。
貨幣といっても、代替貨幣としての金属塊にすぎないというか。
燕だろうが越だろうが、銅十斤は銅十斤なわけで。
だいたい地域差はあるけど、布貨、刀貨、円銭が一般的に流通している
貨幣の形状でしょ。
基本的には銅製で、重量を目安に売買や両替がされてたらしいけど、
さほど流通してない貨幣を他国で使う場合、やはり不都合は生じたみたいだし。
金貨なんてものもあったらしいし、こちらは銅製貨幣よりも具合がよかった
とは聞くけど。
昔の商売人の基本的な道具として秤があったことを忘れてないか?
度量衡の単位統一、標準器の分配、厳格な管理
難しい議論しなくても
>>587や
>>593は「現代の貨幣経済の常識」で発言しているだけなのだから
そこを指摘すれば終わりだと思われ
日本だって、高橋是清が紙幣と金の兌換を停止したのは1931年
紙幣だけが通貨になって100年たってない
現代社会に生きてる以上、貴金属が通貨って実感がないのは仕方ないけど
その先入観で2000年以上前の中国経済を語るのはねえ…
と言う事で、博識な
>>596が全てを解説してくれるそうです。
もちろん逃げないよね?
燕と斉は塩を産出し、楚には良質の鉄と金があるから最終的にはこの三国の
どれかが天下を統一する、というようなことを言った人がいたような(うろおぼえ
少しマジメな話してるところ悪いんだが三戦板っぽい話題もしようか
この時代をゲーム化するんだったら君主制と全人物制のどっちがいいと思う?
俺は予譲になって暗殺者プレイとか重耳になって放浪とかしたいので
全人物を扱えるようにして欲しいんだが
それよりも根本的なところでいえばシステムの問題がある。
コーエーの三国志7や8の様な個人プレイとは全く別物にせねばならん。
維新の嵐(一作目)みたいに「統一」「現状維持」「その他」みたいな
3派各3人ずつぐらいから一人選んでプレイって感じがいいな
602 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/17 16:49:57
全人物制なんて無理だろう
三国志とかと違ってネタがなさ過ぎる
重耳や予譲とかのプレイは、シナリオこどの扱いとかそんな感じがいい
まー春秋戦国系の戦略ゲームは是非出して欲しいところだ
信やぼの全国版みたいになりそな悪寒
キャラ少ないし……
ネタがなさ過ぎ、とか、キャラ少ない、とか言ってる連中は文献を漁ってる?
まさか『史記』あたりを根拠に言ってたりしないよね?
>>606 知ったかに決まってるんだから、そっとしといてあげなさい
史記英雄伝(適当)というクソRPGがあった。
魔法なんてありません、と謳っていたが、
気孔と称して、魔法と同じ事した。
キャラ少ないってのは間違ってないでしょ。
時代も分散するわシナリオ少ないわでゲームにならない。
どうでもいいことだよ
611 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/18 01:28:50
春秋戦国全体ならエピソードも人物も多いが一部の期間となるとだいぶ限られてくるからなぁ、こういう場合キャンペーンごとのシミュレーションゲームの方がいいかもしれない
よく「同郷のよしみで・・・」とかいう台詞があるけど、この時代の同郷ってどれぐらいの範囲なの?
「大阪出身の同郷のよしみで・・」ならわかるんだけど、「関西出身の同郷のよしみで・・・」とかはどうなの?
わかりにくい質問ですまそ。
>>612 俺は中国で言うところの県くらいだとおもてる
下って三国志の時代だと「同郡」の絆がかなり強いみたいだけど
この時代はどーなんだろな
同姓、同族ってどうよ?
>>613 横山史記の中国の県は日本の県と郡と(r
との説明をすぐ連想してしまう駄目な自分
中国で同郷といえば同一方言圏内という意味。
言語学的な意味での同一方言ではなく、
「訛ったまま(母語で)会話して意味が通じる者同士」のこと。
>>617 俺もそんな感じで認識してる
けど三国志とかだと同郡って感じな文章だな
>>618 いや、同じ方言で意思疎通できる範囲っていうと
だいたい「郡」ってことになるんじゃないかな。
取りあえず春秋戦国スレなんだから
「後世で言う郡」「後世で言う県」だけで話を済まそうとするのはよそうぜ
じゃなんて言う?郡だろ?戦国時代でも。
郡県制は秦だけじゃなかろうか
>>621の発言にマジでひいた…
そのレベルの知識で話してたのか
いや、すまん。煽った俺が悪かった
俺に構わず話を続けてくれ。
>>623 お前の言いたいことはわかる
が、その言い方が既に煽りだから消えてくれ
時系列がよくわからないんだけど
春申君の食客だったという男が(名前忘れた)陳勝の乱で秦討伐の将軍になったけど
春申君死亡から陳勝の乱の間って何年ぐらいなの?
春秋戦国で時系列なんて
>>625 それは、陳の賢人で、春申君ではなく、項燕のもとで視日の官にあったという
周文(章)のこと?
たしかに周文なら陳渉によって将軍に叙せられてるけど。
いちおう言えば、春申君の歿年が後238年で、陳渉らが決起したのは秦の二世
皇帝の2年(後208年)だから、最低でも30年の間隔があるよ。
年号の”後”、じゃなくて”前”ですね…ごめん
629 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/24 14:52:36
そういや張耳も信陵君の食客だったな。戦国と楚漢の関係も調べると面白そうだな
まぁ、人物の年齢を調べると面白い罠
張良が劉邦より年上とわかったときはOTLだった
「邑」じゃないことは確かだが。
始皇帝暗殺企ててっからな。
18年ぐらい前に大阪に「ケンシロウラーメン」ゆう店あった。
俺は700円もするケンシロウラーメン(醤油)を頼んだ。
他には
トキラーメン(味噌)750円
ジャギラーメン(豚骨)750円
ラオウラーメン(チャーシューメン)900円
があった。
そこの店主あほや。
ラーメン作ってる時、「ウワッチャ〜!!」
湯切ってるとき、「ア〜タタタタタタタ・・・」わめいとる。
テーブルに出す時「北斗百裂拳!!完成です」ゆうて置いとる。
爆笑や。 食うた瞬間あまりのまずさに「あべし!!」とわめいた。
まさに「このラーメンは死んでいる」という、まずさや。
開店して1ヶ月で即行つぶれとる。
あのおっさん今何しとるんか気になるわ。
634 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/07 16:40:53
白起
勃起
世は韓流ブームだというに、いっこうに申不害や韓非子なんかが
取り沙汰されないのは如何なものか
そんな韓流で韓非子の生涯を映画化してくれるなら最高だな
最後に李斯に毒薬渡される解釈は横山史記の奴にしてくれれば言うことなしだ
あの死に方はマヌケすぎて嫌だなぁ
641 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 15:15:30
韓流ブームっつう事で晋の韓一族、韓蕨、韓起とかも語ろう
642 :
無名武将@お腹せっぷく:05/01/15 15:18:29
そういえば韓って三晋の中でゆういつ晋の血を継いでるね、滅びかけの晋を救おうとしなかったんだろうか。
三晋よりも三韓の方が興味深い。
未開の蛮族だった倭人に文明を与えてくれた国々だし。