1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 02:51
まろやかに2げっと
すかさずに
3げとのよかん
こうそんさん
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 03:17
日本の戦国時代って鉄砲ばかりクローズアップされてるけどさ、
弓矢ってその当時もう使い物にならなかったのかな?
鉄砲に比べて低コストだし、持ち運びも便利な上に天候にあまり左右されない便利な代物だと思うんだが。
威力は鉄砲よりも劣るのは間違いないが。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 03:22
>4
んなこたないとおもうけど?
火矢とか、用途も別にあるしね。
弓矢だって一発当たればたいてい戦力外になっちゃうから十分通用してたんじゃね?
たとえ鎧着てたって弓に狙われたくないし、貫通しなくても当たれば嫌だし。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 03:46
鉄砲を3000集めるのと、弓矢を3000集めるのなら弓矢を集めるほうが遥かに楽だよな。
弓矢も鉄砲もそれなりに熟練度を必要とするが、即射性は弓矢の方が高い気がするし。
和弓の飛距離が短いってのもどうやらネタらしいし。
鉄砲玉を雨あられと敵にブチ込むのと、矢を雨あられと敵にブチ込むのではどちらの方が効率的だったんだろうか?
やはり威力とスピードで勝る鉄砲玉の方がよかったのかな?
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 03:49
>7
弓矢の場合、水平射撃だけじゃないからね。
土塀越しに上空から振らせたりね。
明治維新の頃までのこっているから十分な戦力でしょう
ただ時代が下ると射程や殺傷能力、時間当たりの射撃数と
後はコストの低下により銃に比肩できなくなったと。
弓が種子島と威力で互角になるには弓側の射手によほどの
技量が求められ、合戦の大規模化と素人化が進む中では
そういった特別な技能が求められる武器が好まれなくなった
だけだとおもいます。
鉄砲の有効射程が正確に狙って50m、生身の状態で200m
当然初速は非常に速い
弓は熟練で100〜200、薄い鉄板ならば打ち抜くことも可能
ただ射撃から命中までタイムラグ、風にも強く影響
11 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:02
誰だっけ?弓一つで大名クラスまで行った人いなかったっけ?
12 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:02
李広
13 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:03
弓は素人が扱うと耳をそぎ落としたりして大変だからな。
あと火縄銃は体力にはさほど左右されずに撃てるだろうが、
当時の戦用の弓は、引くために50キロから70キロの
力が必要なぐらい強かったという。
体力自慢でなければ熟練の弓手にはなれなかったのだ。
ひ弱な奴では矢を放つこともできないのだ。
戦の大規模化に伴う農民の動員などに伴って、弓が敬遠される
ようになるのもうなずけるのだ。
弓は確かに矢がでかいだけあって、当てるの難しそうだね
放物線上にどんどん撃てるなど良いところもあるけど
しかし、今の弓道の弓でも、水を張ったアルミのバケツすら貫通するんだね。
テレビでやってた。
確かにあれなら十分刺さりそうだ
15 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:05
平家物語に出て来るような、五人張りの強弓を引く猛者などは、
現代人で言うとベンチプレスで200キロを上げるような感じの
人間だったに違いないな。
鉄砲を借り集めた農民が撃てるかというとそうでなく
やはり3〜5人ぐらいの指揮する小領主クラスか武士が
扱うものであった。
武田とかは鉄砲は嫌がって家臣に持たせたりするけど
織田のほうになると自身が射撃したようです。
鉄砲なんていつ暴発するかわからんものは怖そうだ
それで死んでる武将もいるしなぁ
弓はやはり時間にゆとりがある特権クラスの持ち物で、
生活に困るような農民には縁が無いものですな。
>>15 源義経が私の弓は弱弓で恥ずかしいといったくだりがありますね。
あと義経自身が奥羽のころから武技を習った点から、経験的に
習熟できなかったのでしょう
20 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:24
>武田とかは鉄砲は嫌がって家臣に持たせたりするけど
>織田のほうになると自身が射撃したようです。
ソース。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:26
武田家や北条家の軍役では、弓も鉄砲と同じぐらいの数を
指定されていますよ。
軍役を課せられたときに領主は
騎馬に乗ってその家臣が銃を扱ったのに比べ
織田は信長の命によって制度化されてたということ。
なんのためにソースがほしいの?
前のスレにもあるが否定のためにソースがほしいなら
逆説のソースを自分で見つけてください。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:44
>>22 >軍役を課せられたときに領主は
>騎馬に乗ってその家臣が銃を扱ったのに比べ
>織田は信長の命によって制度化されてたということ。
素晴らしい。制度化されていたのですか。
それなら尚更、そのことを示すソースが欲しいですね。
>前のスレにもあるが否定のためにソースがほしいなら
>逆説のソースを自分で見つけてください。
アホ?「否定のソース」なんてあるわけないじゃん。
世の中に存在するのはほとんどが「肯定のソース」ですよ。
だから君が自信を持ってその意見を言うのであれば、
その根拠を君が問われるのは当然ですね。
否定の証明というと、悪魔の証明と同じようなものだな。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:52
「肯定する材料が無い」ことは「否定の証明」には
ならないんだな。
だから「信長は宇宙人だったのであれだけのことができた」
と言ったとしても「信長は宇宙人だった」と記した史料が
無いからといって、「信長は宇宙人ではない」とは言えないんだな。
「信長は『人間に良く似た宇宙人』などではなく、人間である」
と記した史料が無い限り、「信長は宇宙人だった」説を明確に
否定することは出来ないんだな。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 04:54
肯定も否定もどっちも史料は出せないだろ?
日本史に於いて、史料として有用な文献が調い出すのは
元禄期以降なんだしさ。
戦国期に至っては、口伝と右筆の日記と、過去帳や勧進帳なんかの
記述しかないんだからさ。
武田が比較的多く語られるのは甲陽軍艦があるからだし、
織田や豊臣の場合、右筆の日記がものをいっているし、
そのいずれも、元禄期以降の戯作家による講談や演劇によって
大衆化し一般化しただけでさ。
ソースが出てきたらそっちの方がすごいよ。
(出した人の碩学も含めてね)
ソースはなくとも、どこから仕入れたとかうろ覚えとかあるじゃん。
それくらいは書いてよいと思うけど。。
しかし、ソースといえば、参謀本部の関ヶ原の荒れを今読んでいるけど、
最初に小説家が概説を書いていて、そこには
「これこれはよく言われるが間違いだ」「これこれは根拠もなく言われてる」
などと書かれつつ、いざ本文には普通にそれらを採用してたりするんだね。。
>>23 自分が信じる「肯定のソース」を持ってきてあなたの
言ってることとこれは矛盾するんじゃないですか?と
突き出せばいいでしょ。
何度同じ事繰り返すのよ、違うと思うのなら信じなければいいし
否定するなら別の説を立てればいいだけ。
これ以上の論議はしません。
>>26 口伝でも日記でも勧進帳でも、何らかの説を立てる場合の根拠には
十分になりますよ。
特に日記なんかは信頼性もかなり高い。
(口伝はいつの時代に公になったかが問題だが)
例え小説で読んだ話だって「誰某がこう言っていた」という、
自分が一つの考えを抱くに至った理由にはなります。
でも何も示さずに「否定したければ逆説のソースを探せ」では
妄想馬鹿と罵られてもしょうがない、となりますね。
つーか、ソースは当然書くべきものだろ。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:00
>>29 あなたの意見に「肯定のソース」があるなら、それを示せば
こんな議論は一発で終わりますよ。
俺だったら、
「ソースは特にない」「俺のカキコがソース」「しょうけんいんさまぐんきのうち」
とか簡単に言っちゃうけど、なんだか大変だね。。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:03
>30
でもさ、たとえ誤謬が一般化している事象でも、
否定しようとすると、あるいは新説を開陳しようとすると、
とうぜん否定の論拠は必要になると思うんだよね?
つーかむしろ仮説を立証する上で論拠となる新事実とか
新発見とか、あるいはそれらを構成する弁証とかがね。
先入観とかすり込みによる思い入れっていうのは
結構大きいものだから、納得できうる根拠が出てこないと、
なかなか人は聞く耳を持ってくれないと思うんだよね。
>>34 つまり、仮説を立てるためであっても根拠が必要、ということだな。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:07
>しょうけんいんさまぐんきのうち
イイ!!(・∀・)コレモラッタヨ!!
37 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:09
>35
うんうん。
あのさ、たとえば、すごく極端にさ
「武田信玄は女だった」
てような説を立てようとするでしょ?冗談だけどさ。
そしたらとうぜん
「ばっかじゃないの?」
ていう反応が最初に返ってくるわけ。
そういうのを一つ一つ片づけていくためには、やっぱり
論拠となりうるポイントを示していく必要が出てくるんだよな。
そういう手段の一つが、やっぱしソースだと思うし、
少なくとも、ソース出せ、って行ってくる人は、そういう説なんかに
好奇心や関心を持った人なんだよね。
そんなかんじ。くだらん話でゴメンね。
おれだったら
>>武田とかは鉄砲は嫌がって家臣に持たせたりするけど
>>織田のほうになると自身が射撃したようです。
>ソース。
というような偉そうなやつには知ってても教えたくない
39 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:15
>>34 従来の説に対して新説を打ち出す人間が提示するのは、大抵が
「別の事を肯定している史料」であって、「特定の事を否定する史料」
ってのは有り得ないんですね。
例えば、20年ぐらい前の本には「田楽狭間の迂回奇襲」なんて話が
当然のように書いてありましたけど、ここ10年ぐらいは、
「『信長公記』では正面攻撃のように書いてある」ということで
正面攻撃だったという話になってきたわけです。
でも「田楽狭間に迂回奇襲なんてしていない」と書いた史料なんて
有り得ませんよね?
仮に「特定の事を否定」しようと思ったなら、歴史学の場合は、
「その事が書いてある史料」を調べて、「史料の信頼性」を検討し、
「この史料は信頼するに値しない」という結論を出すしかないんです。
でもそれは決して「明確な否定」には成り得ないんですね。
例えば某教授が「発掘」した「旧石器時代の石器」が捏造だったと
分かったからって、「日本に旧石器時代がなかった」ことは
証明できませんよね。
でもしょうがないんですね。
物理学なら実験による再現性というのがありますが、歴史では
無理ですからね。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:24
>39
まぁね。
村おこしのために、根拠の曖昧な仮説に対して、
その地域の教育委員会が「新事実と認定」
みたいな事やっちゃってるわけだしさ。
おおよそ科学的とは言い難いものでも、史学では
まかり通ってしまったりするから。
>>36 すまん、ふと思ったが信長は 総見院だったな。。
>>41 いそうでいない、かと思うとやっぱりいそう・・・
そういうのが醍醐味なのですよ。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:33
長篠の合戦を武田の騎馬隊と織田の鉄砲隊をいう捉え方をする人って、
まだ結構多いみたい。
でも長篠に関しては「否定のソース」があったりする。
『甲陽軍鑑』に、「長篠なんて馬で乗り回せる場所じゃない、三方ヶ原
のような開けた場所でもいきなり馬で攻めたりしない、長篠では下馬して
戦ったんだ」みたいなことが書いてある。
これは恐らく、甫庵『信長記』が書かれたのより後で、『甲陽軍鑑』に
この一節が加わったってことなんじゃないかと思う。
年代的にもまだ当時の事を知ってる人が生きてた時代だと思うし。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:42
チーズじゃないかっていわれてるね。
でも、日本に酪農の歴史は無いんだよね。
だから純粋に概念としての言葉だけが入ってきたんだと思うよ。
漢文としてこの言葉にあたった当時の人、多分お坊さんだろうけど、
「どんなにおいしいものか食べてみたい」
って身もだえする気分だったろうね(笑)
47 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:43
とりあえず、仏教の本場であるインドの乳製品を調べてみれば
何かわかるんじゃないか。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:45
>45
長篠合戦絵図屏風が、設楽が原の合戦とセットで登場する事が多いけど、
この絵を見ちゃうとイメージ的に、騎馬隊対鉄砲隊って印象にならざるを得ないよね。
>>45 そこから武田騎馬軍団自体はいなかった
ということに発展するんだろうなぁ
50 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:46
>47
腹こわしそうで怖くて食えないよ、インドのモノは。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:49
というか牛はだめでは
ヤギか羊の乳かな
>>49 まあ『甲陽軍鑑』から始まる武田流軍学では、兵600人に対して
騎馬武者は50人ぽっち、しかも追撃と強襲以外の戦闘では
下馬して槍持って戦闘すると教えていたりするんだが・・・
「騎馬軍団」という表現からしておかしいというのは、あるな。
モンゴル軍じゃあるまいし。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 05:57
>53
まあでも、甲斐信濃は農耕馬としても供されていた
馬の数が、当時としては異様に多かったわけだし、
武田流や山鹿流の軍学は、後にその地方で有用に使えるような
内容に改められているからね。
普通の軍より騎馬数が多かったのは確かだとは思うよ。
もちろん、後の世の創作が大きいだろうけどね。
>>53 他の600の中に言われても無いけど馬に
乗ってくるやつはいなかったのかな
>>55 馬に乗るかどうかは身分や職制の問題がまず第一だから、
それやったら怒られるでしょう・・・
福沢諭吉は『学問のすすめ』の冒頭で、身分に関係なく馬に乗って良い
時代になったのだと言っていたな。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:11
>57
ソースはないよ?(笑)
吉田松陰が山鹿流の毛利家のお家流の軍師というか、
そういう家柄なんだけど、彼は日本中を歩いてけっこう
このあたりを研究し、その手記が残っていると思う。
そういう文献の中で出てきたような気がする。
いずれにしても武田家の起誓文とかで勘定すると、
異様に騎馬が多いのはわかるよ。
たとえば、馬場美濃一人で譜代家老衆120騎持だし、
典厩は親族衆騎馬200騎持、逍遥軒信廉でさえ、親族衆で
80騎持だからね。よその地域より騎馬が多かったと思うよ。
>>58 江戸時代は武士以外の乗馬を禁じていたからね
>>57 許されるならすべて銃器にしたんじゃないかな
そういう意味で騎馬とか槍の比率が変っていくにつれて
運用も変ると意味では?
61 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:16
>60
松浦家の山鹿流だと、馬の代わりに船が入っていたり、ね。
>>59 >たとえば、馬場美濃一人で譜代家老衆120騎持だし、
>典厩は親族衆騎馬200騎持、逍遥軒信廉でさえ、親族衆で
>80騎持だからね。よその地域より騎馬が多かったと思うよ。
それは『甲陽軍鑑』に載ってますな。起請文というよりも。
全部あわせると9000騎ですな。
でもそれは全部が全部馬というわけじゃないでしょうな。
徳川家の「旗本八万騎」も馬に乗ったのが8万人いるわけじゃ
ないですからな。
全軍の概数の計算として、三人掛けから五人掛けまでの計算も載って
おりますが、全軍で3万から5万程度という結果が書いてありますな。
軍役状では騎馬の割合は一割程ですな。
こちらの割合は、他と比べて高いという事は無いですな。
逆算すると武田軍の騎馬数(荷馬等は除きます)は3000から
5000程度、軍役状には軍中の戦闘要員しか載っていないとすると、
実際の騎馬数はさらに少なくなりますな。
以上の事から、わしは「武田法性院信玄公御代惣人数之事」にある
「○○騎」というのは、騎馬武者+徒歩武者の数、あるいはまた別な
慣例的な兵数の表現ではないかと考えておるんですな。
「騎」は騎馬兵という意味ではなかろう。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:31
山鹿流って、カタカナで書くとカッコイイね。
ヤマガリュー!!
なんかヒーローの名前か何かの必殺技みたいだ・・・
山羊流 ヤギリュー
66 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:42
>63
武田の場合、騎は騎馬の騎です。足軽100人持とかもあるし。
ただ、200騎持が、配下に騎乗200兵いるという意味か、
200頭持てるという意味かはわかりません(私には)。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:46
>62
徳川の旗本八万騎、という表現と、
武田の職制としてのそれは、ちょっと違うんでは?
旗本の場合、彼らは御徒衆ではなく、馬上の将という意味で
そう表現されてますし。
要するに石取りという意味ですね。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:46
>>66 「武田法性院信玄公御代惣人数之事」にある「足軽」とは、
身分の低い単騎駆けの武士の意味じゃありませんか?
いわゆる「歩兵」として見た場合、数が少なすぎますよ。
特に、〜騎がそのまま騎馬の事だとすると、騎馬武者よりも足軽が
少なくなってしまいます。
これでは軍役状の数字との整合性が取れなくなるでしょう・・・
>>68 少なくなっても馬がいたほうがいないより
便利だしいざとなればそれこそ下馬すれば
いいのでは?
臨機応変でやら無いと戦国は生き残れんて
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:52
軍役状って少なくともこれぐらいはもってきなさいよ
という最低ラインだったのでは?
それ以上のも持ってきて怒るやつはいないと思うがな
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:55
>70
そうだよ。
もっとも、実際の所は貧しくて、馬どころか家伝の
鎧や槍まで質屋に入っちゃってる有様で、
黒船が来たとき大変な騒ぎになったらしいよ?
・・・・・質屋がね。
八万というのは日本のとてもたくさんという意味で
実際の数字を指してる訳じゃないでしょ
74 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:57
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 06:57
あと、実際旗本が8万人もいたかどうかは結論出てるのか?
たくさんいる表現じゃないの?(笑)
徳川直轄領って400万石程度では?
100石4人程度の普通の動員ならば
16万か。ならば8万いてもおかしくは無いな
全国集めてだけど。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 07:06
江戸幕府自身が出した軍役では、元和二年の軍役で1万石あたり馬上14人、
寛永10年の軍役で1万石あたり馬上10人。
10万石で馬上150人。
天領が400万石あろうが800万石あろうが、騎馬武者が八万
というのは多すぎるだろうな。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 07:15
享保7年の記録では
旗本 5205人 知行合計264万1900石
御家人 17390人 知行合計55万3640石
平時体制と戦時体制の違いでしょ
平和時に戦時の動員を行うかな?
それと登録されてるのが八万であって
軍役で一万石に10人しかしてないから
八万はいないの証明にならないよね。
戦国の時代だって留守居するやつもいたろうし
81 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 07:23
わろた。
はたもとはちまんき、って語呂が良すぎるよね。
ものの比喩だと思うんだけどさ。
>>80 言い返せないなら書き込むな
八万騎いた事になるだろうがバカ
織田の話しろよ・・・
織田はメジャーだから今までいろんなスレで話し尽くされてるからな。
いまさらってこった。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 14:13
じゃもうこのスレいらないじゃん おれが荒そうか?
信長に関する資料って、他の武将に関する物よりも客観的なものが多いよね。なんで?
例)宣教師の手記とか。信長公記も負け戦満載だし。
甲陽軍艦等は古き良き時代の思いでいっぱい、脚色いっぱいって感じでしょ?
これってやっぱ、時の権力者秀吉、家康が敬意を表していたってことかな?
改竄をほとんどしなかったって点が。
>>78 319万石→120万石の手取り。100石=4人で4万8千の従者
に旗本御家人本人を加えると約7万。5人計算なら余裕だね♪
(4公6民、旗本御家人と従者も八万期の数にした場合)
実際はリストラや帰農、没落などで雇えないだろうが。
百人力といっても百人分は働けないのと一緒だな。
>87
仮にも天下人だから、できるだけ客観的な記述を残そうとしたとか。
・・・当時の史家がそんな使命に燃えていたのかどうかは分からんが。
脚色した時点で改竄の予感
>>89 天下人だったら、なおさらの事脚色してるじゃん。当時の風潮からして。秀吉なんて目も当てられない・・・。
でも信長に関する資料(有名どころしか読んだ事無いが)に至っては真実味を感じるんだよね。
もちろん100%じゃないけどさ。
細川家記も結構リアルなんだっけ?
>>91 「個人的に真実味を感じる」というだけではどうしょうもない。
秀吉の場合は、古くからつき従った家臣でメモ癖のあるようなのが
いなかったから前半生がよくわからないのはしょうがないだろ。
身分の低い頃じゃ他の連中も寺の坊主も注目なんてしないからな。
寄騎の騎は別に騎馬をさして言ってることでは無いし、
言葉をそのままの意味として捉えることは歴史を解する
うえで陥穽にはまるもとだ。
もっと柔軟かつ広域に捕らえたほうが良かろうよ。
>>95 過去レス嫁。
「騎」はそのまま馬か否かという話をしていたのだw
>>97 え?
>>67は
>>70で「全部馬か?」と聞いたら
>>72で「全部馬だ」と答えてますよ・・・
>>77は
>>72で「八万全てが騎馬武者だ」と言われたので
「軍役のあり方からしてそれは無い」と言いたくて書いたんですよ。
だから
>>77は「八万すべて単一の兵種」だなんて言ってるわけじゃ
ないですよ。
>98
>98
そんなこたいってないよ(笑)
「馬に乗る資格」が八万人だって話でさ。
つうか、俺になんのメリットがあって手取り足取り枝葉末節まで整えて
君だけのために回答を書かなきゃならないんだい?
少なくとも、君以外の人間がきちんとその文を読み下してるのに、
君が君の思いこみで勝手に言ってない事まで言ったように錯覚されても困るよ。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 20:31
>>99 「旗本」そのものは5000人しかいないのに、
あんたも「八万」を軸に話を進めるから話がおかしくなるのだろ。
「馬に乗る資格を有する者」も八万人も居ません。
これにて終了。
そして華麗に100げっと。
秀吉は身分詐称が激しいってことでは?>94
102 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 20:37
>100
単語反応型レスすんなよ。>75はおれだよ。
本当、なんで単語だけに反応する事を自分の恥と感じられないんだろう?
103 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 20:40
>>102 はあ?
>>75が誰でも関係ないよ?
どこから「馬に乗る資格が八万人」という話が出て来るのかという問題だろ。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 20:45
>103
そんなにぴーぴー泣くなよ。
アホくさ。空回りもたいがいにしろよw
糞スレだな
「旗本八万騎」-はたもとはちまんき
徳川家がその巨大な直轄領から動員できる兵を
対外宣伝をこめて八万騎と称した。→(類)平泉十七万騎
戦国時代の軍役状況と保有石高からその実情は誇張で
無いにしても、平和統治に移行した江戸期において、
武士の没落・リストラなどで、その戦力は八万騎と
言える程の質・量を兼ね備えた実力はなくなっていた。
この騎は騎馬に乗るものもいたが、騎馬そのものをあらわす
ものではなく、最小戦闘単位つまり武士一人と考えられ、
旗本八万騎には主従合わせた数といえるが、前述の通り
その数は少なかったと推測される。
騎を旗と置き換えれば分かりやすいと思う。
織田の話しろ
そうだね、朝倉攻めのときに浅井の裏切りが
あったというが果たしてどれくらいの損害を
受けたのだろうか?
よく言われる京都に単騎で逃げ帰ったといわれるが
もちろん誇張だとしても結構な損害と思われる
信長の良いところは、平気で逃げられるってところだよね。合理主義者っぽい。
当時の男としては珍しい部類だったんじゃないかな。もち一兵卒は除いて。
そして逃げてもまたくるしつこさがあるよね
一度思ったら初志貫徹で遣り通すところが。
その対辺に朝倉がいるような気がするんだが
もし朝倉が野望もって望めば早くから近畿か
少なくとも山陰・北陸方面に一大勢力圏が
築けたと思うがそんな力ないのかな。
すくなくとも守りは評価。
朝倉はスレ違い
浅井長政の評価は妥当なんだろうか?過大っぽいような気もするが。
信長が期待をかけていたってのは本当なのかね?でも蒲生氏郷の件もあるしな〜。
信長の対極が勝頼か・・・。
時たま○○はすれ違いって言うが、話の振りとか
信長を語る上で周辺大名に話が及ぶのは至極当然の
ことだ。そもそも話が大幅にずれてるなともかく
話の糸口でそういう風にとめれられるのはレスも
続かないし不快であり、話し合いをした事の無い人
ではと思ってしまうよ。
>>109 殿は相当に大変だったんじゃないかな、とは言えるがのう・・・
実際にどのくらいの損害かはわからんのう・・・
「しんがり」なのか「との」なのか、読んでて一瞬迷う事って、
ありませんか?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 01:56
>117
だから普通は理解してもらいやすくするために
殿軍、とあてる。
義龍と信玄の寿命がそれぞれ親父並だったらあぼーんだったろうな
つか信虎いつまでイキとんじゃいっ
まさに憎まれっ子世にはばかるを地でいくガイなやつだ
つか道三は尾張に限らず浅井にもこなかけてるんだよなぁ
勝てなかったのはやっぱ信長ほどの将才は無かったということかのゥ
信秀には勝ち越しだったが・・・
121 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 07:38
信虎は領民の生き胆を喰らったから(略
122 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:32
>>4 いーや、弓は時代遅れでも何でもない戦国期でもれっきとした主武器の一つだったよ。
ちなみに関ヶ原の戦いでも負傷原因として「矢傷」は「鉄砲傷」「槍傷」に次いで3位だ。
ずいぶんな亀レス(♥
124 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:38
だが、それがええ。それもええ。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:50
>>13 タクティクスオウガという名作ゲームではアーチャーは女性のクラスだが
実在のアーチャーは古今東西問わず、筋骨隆々の大男なんだよね。
むしろ女剣士とか女格闘家の方が女アーチャーより、よっぽどリアルな存在なんだな。
弓を引く力は格闘や剣術と違って技術でカバーでないからね。
鞍馬竹林流の宗家は女性だったけどな。
亀レスブーム!?(´Д`)
128 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 11:17
八万 は やよろず という意味もありまして、昔から日本で たくさん と
いう意味を持ちます。
現代人でいうと小学生などが大好きな 無量大数 という言葉が適切にはまる
かもしれません。
幕府はとてつもない軍隊持ってるよ、という誇大宣伝の一つです。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 11:23
>128
大江戸八百八町や八百屋もな。
最近の小学生は無量大数なんて知ってるのか?
ゼロが68個も・・・
131 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 17:56
>>110 下手すりゃ指導力疑われて失脚するからな
所詮豪族連合だし人間の集まりだし
あの敗戦で空中分解しなかった織田家の結束って意外と固いのかもな
132 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:27
長篠合戦屏風図がもう一枚存在するらしいが、知ってる人教えて。
何でも大将と幕僚は安全な山化要塞の中央のくぼみ部分に本陣を置く絵なんだとか・・・
鉄砲隊華々しい訳でもなく堆土に体を預託し射撃姿勢をとってるらしいが・・・
133 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:58
>>131 織田家には信長と同様の合理主義者が多かったのかな?
権六さんなんか嫌がりそうだけど。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:59
>>130 そもそももとは仏教用語だろ?
不可思議なんて単位もあるそうだが。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 20:03
人間五十年
136 :
無名武将@お腹せっぷく :03/12/05 20:08
魚鱗の陣
(・∀(・∀(・∀(・∀(・∀・)∀・)∀・)∀・)∀・)
137 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 20:11
鋒矢の陣
(・(・(・(・(・∀・)・)・)・)・)
139 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 21:54
>>131 ということはそれほどの敗戦でもなかったのかもね
鶴翼の陣
(・∀・)∀・)∀・)∀・)・∀・(・∀(・∀(・∀(・∀・)
陣形って統率がきちんとしてないと
うまく機能しない
上杉は陣形がきちんとしてたらしいが
織田はどうだったんだろう
142 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 23:26
>141
信長さんは怖いから(星野みたいに)結構、統率取れてたんじゃない?
恐怖支配もあったんだろう。普段の生活でも女中を手打ちにしたとか話が残ってるし。
(部屋に果物屑が落ちてたぐらいで)
143 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 23:28
>>142 バナナの皮踏んでこけたんじゃねーの?w
144 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 23:29
>143
それでカチンと・・・
じゃ、掃除係りがわるいな。
145 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 23:31
>>141 車懸かりというのは本当に有効だったんだろうか。
ぐるぐるぐるぐる回りながら近づいていって、相手と接触したところから雪崩れかかるんでしょ?
146 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 23:38
>145
ホントにこの陣形で戦えるの?
いつでもどこでもといる訳には行くまいが・・・
兵隊さんはキツかっただろうなぁ。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 23:41
ぐるぐる回ってるうちに真横から鉄砲で撃たれてアーメンということになりそうだが。
>145
あの陣形は一撃離脱が極意じゃないの?
文字どうり受け取る素直な気持ちは評価するが
□
■ ↓ ↑
■ ←□ □休憩
■ 攻 ↓ ↑
■ 撃 □
相手への絶え間ない攻撃によって疲労させ
自軍は交代制による疲労を軽減させる・・・じゃないのかな?
要は軍律
戦場での軍律は
上杉>>>織田
占領下での軍律は
織田>>>上杉
151 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 00:07
別名リヴォルバー戦法か・・・
しかし、クルマ係の戦法の出典元はなんという書物ですか?
後学のために是非・・・
車懸かりはありえなさそう。
相手がいないんならああいう動きもできるかも知らんけど相手がいるのにアレは無理っしょ。
>>153 そうともいえない
三段射ちとかちっと想像してもらって
玉込め→構え→射撃の動作順で列を入れ替えるとするよね?
これを機動的に敵前面を横切るように射撃を加えて
自軍後ろへ、また敵前面で弓矢をばら撒いて自軍後ろへ
のくりかえし 図にすると
ウテー←□ マタコウゲキカイナ
↓回↑
ウテー ←□ □休憩 アーシンドカッタ
攻 ↓転↑
撃 ← □
ウテー ゼェゼェろへ
こんなかんじかな
155 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:00
>>131 敗戦とは言うけれど、朝倉攻略を断念したってだけじゃない?
浅井こそ離反したけど、濃尾支配には何の問題も無いわけだし。
家が空中分解するような敗戦ってのは、自領深く攻め込まれて負けた時よ。
柵の後ろで撃ってるだけと突撃かますのではだいぶ違うと思うのだが?
157 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:04
>>149 相手は疲れるけど自分たちは交代で休憩できるって説明からすると、
相手は全員で戦闘に参加しているってことだよね。
とすると、相手の全員を一部の部隊で相手していこうって算段だろうか。
兵力が同数どころか、相手の方が少なくても、鶴翼に展開されて
押し込まれたら、ずるずる敗退しそうだね・・・・
なんつうか、相手の兵隊が一箇所にとどまって決して動かない時には
有効だけど、実際の戦場でそんなの有り得ないっていうか・・・
>>155 底意地悪いこというと
桶狭間以後自領深くまで踏み込まれていない
し、空中分解しなかった今川は敗戦じゃない!
すみません根が天邪鬼なもんで・・・
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:07
織田信長の最盛期は、いつ頃だったと思う?
160 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:15
>132
絵柄までは忘れたけど、武田の24将の死に様を描いた奴ね。
あれは武田ファンにとっては涙ものだよ。
牧野かだれか、お殿様の家にあるみたい。個人蔵で時々
美術展なんかに貸し出してるよ。
>>156 攻撃面がかわるという意味で援用したのですが
>>157 鶴翼の例でいうと動いた瞬間左右どちらかの
翼面を集中して突破し、側・背面からおいたてればいいのでは?
動いたら自分も変えればいいのですよ。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:16
>>158 もし信長が桶狭間に出て行って、あれで返り討ちに遭って逃げ帰ったり
していたら、織田家も崩壊していたであろう。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:17
>>161 当初の機動を変えたら、もう“車懸”じゃないのではw
164 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:18
>>161 それは可能なのかな?
環状の部隊配置では集中も難しそうだが。
戦争は自分の都合だけで展開するわけではありませんよ。
それこそ突出した部隊は包囲殲滅されるだけじゃないですか。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:20
>>154 「多段撃ち」みたいな戦術の場合、精密な機動と全体のタイミングの一致が
必要なので、押し込まれるとあっさり抜かれることしばしばだったらしい。
ヨーロッパのスネイルだのシュネッケだのいう戦術の場合だと。
図解1
敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
突撃
射撃
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 ↑
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 六
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 列
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 程
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 度
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 ↓
167 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:21
図解2
敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
突撃
→→前列全体が横に移動→銃銃 ↓
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 銃銃 ↓
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 銃銃 ↓
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 銃 ↓横に出たら後ろに回る
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 銃 ←
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 銃 ←
←銃 ←
図解3
敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
突撃
射撃
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 二列目が射撃
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃
銃銃銃銃銃銃銃銃銃銃 ←さっきまでの一列目
>>163 ゲームみたいに最初の陣形を変えてはだめとか
言うルールは無いですから。
相手の動きを誘う陣形やら防御に適した陣形から
移動に適した陣形に変えるとうこともしますので
>>164 あくまで想像ですので違う可能性はあります。
当然指揮能力が高く無ければ無理でしょう。
通常は横一列のような簡単な横隊が好まれたようですから
>鶴翼の例でいうと動いた瞬間左右どちらかの
>翼面を集中して突破し、側・背面からおいたてればいいのでは?
そんなに簡単に突破できるもんならわざわざ一部隊だけでやる必要はないでそ。
鋒矢組んで鶴翼ぶち破ってはいおわりってなもんでしょ。
そして鶴翼ってのは一枚しか戦列組んでないものなんかい?
車懸かりみたいなゲームみたいな動きは無理っしょ。
コーエーのゲームのように簡単には部隊は動かないよ。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:32
「車懸」は無駄な動きが多すぎるわな。
20キロ30キロの装備を付けたまま頻繁に部隊を移動させられる方が
たまらんだろう。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:33
>>171 俺は100`近い巨体ながら懸垂に挑みましたが何か?
その懸垂を戦の間中ずっと続けられるんならいいけどな。
>>169 集中というからには自軍の結構な割合で
さらに翼面の一点につけこめば、突破できる
可能性もあるし、鶴翼側がたとえ兵力が多くても
側面から進む場合は数的優位は消えると思います。
これは斜行戦術に移行したと思ってください
図1:戦闘開始
車車車 ↑
車 車 休
車 車 憩
車 車 ↓
車 車
車 車
車車車←この辺で攻撃する
×××
鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴鶴
図2:鶴翼側、側面包囲戦術開始
車車車
車 車
車 車
鶴 車 車 鶴
鶴 車 車 鶴
鶴 車 車 鶴
鶴 車車車 鶴 ↑
↑ 鶴 ××× 鶴 展
展 鶴鶴鶴鶴鶴鶴 開
開
176 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:39
運動会で騎馬戦やるときに鶴翼とかやっても勝てないというか
鶴翼とかいった陣形を取ること自体無理だろ。
大将の周りに数騎護衛つけて後は突撃ぐらいの作戦がせいぜい。
実際の戦場もそんなもん。接触したらあとはどうにもならない。
騎馬戦で全体の状況を把握して指示を出したり統率された動きが出来るか?
実際の戦場になるとさらに大規模なんだぞ。
図2の状態までなってしまうと、「戦闘していない部隊が休憩できる」
という利点が全てパアになりますね。
で、正面に投入する単位時間当たりの戦力が少なくなるという欠点が
ありますので、相手に十分な時間を与えてしまうと思うのです。
「回転しながら戦う、後方は休憩」という戦術を採ろうとする場合、
魚鱗のような「積極的に前進」ほどの前進力も見込めませんから、
どうにも中途半端だと思うのです。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:40
>>176 運動会レベルかよ・・・
ローマ時代の昔から側面包囲戦術が存在するというのに・・・
つうか鶴翼で無理なら車懸なんかはさらに無理ぽ・・・
戦いながら横移動するのは難しくないか?
■ @
■A C
■ B
■
鶴翼にうごいたら
■ C
■ @ B
■ A
■
4,3で敵左翼側面、1,2で右翼を防御
CB
■ @A
■
■ ■
部隊ごとの兵力を便宜上同一としますが
左翼で優位1,2で同等。敵中央転回中心部は
スポイルされるか左翼部分の援護へ。
左翼部分の崩壊が早ければ応援に来た
相手部隊も1−2の戦力差で戦う事を強要される
まぁ以上は上手くいけばですがとの仮定であり、
陣形自体勝利を約束するものでは無いし、
文字どうり机上の空論と踏まえてください。
「上手くいけば」なら何でもアリやね。
>>179流鏑馬みたいなもと戦場の一点に
留まるなということじゃないでしょう
鑓を合わせていた敵が、こっちが「じゃあ横移動して交代すっぺ」
と言ったところで大人しく待っていてくれるはずが無いちゅう意味。
>>175も上手くいけばでしょ
少なくとも何の将来予想図を持たないよりか
ましということ。
戦場なんて上手くいったほうの勝ちなんですよ。
やりじゃなく弓矢と書いてあるんですが
それにつられて前に出てくれば
>>180のように
もちこめればいいな♪ということですよ。
上杉軍は射撃戦ばかりしていたのか・・・
187 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 02:13
戦場で出せる命令なんて進めと戻れの二つぐらい
その二つでさえ徹底させるのは難しい。
待機という第三の命令が出せたらその軍団は勝率8割越える。
戦場の疵は弓や鉄砲がおおかったそうだ
>>187 だから指揮官が死ねば部隊が崩壊するんだね♪
だが車懸は射撃戦用の陣形とは言い難い気もするが・・・
射撃をメインとするなら、鶴翼のような、横隊戦術が最も適しておる。
火力をできるだけ集中させるための方策として。
おいらのいい太古と言い尽くしたので違うと思ったら
疑問点を挙げるんじゃなく、私より知識がある方々ばかり
だと思うので車懸りはこう使ったんでは?という
別案を上げてください。
そうすれば良スレ、出来なきゃレスが伸びないと思うので。
では楽しみにしてますよばいばーい♪
車懸自体が机上の空論だと思ってるので挙げようがありません・・・
だからわしも
ろけっとびーばーい♪
つうか織田スレなんだから車懸なんざスルーしても
スレ伸びるだろ・・・
車懸をスルーしようとしたのでこのスレは終了です。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
おわちゃったよバーカ(´Д`)
信長厨は織田のみ話題じゃないとご不満
>>192 おいらは八方美人なので訂正させていただくと
おいらの考えた車懸りの陣の論が机上の空論で
車懸り自体を否定してるわけじゃないです。
上杉ファンおよびその方面の方々に不快の念を
抱かせたことについて謝罪いたします。
じゃーねー
真性厨房の去った跡は虚しさが残るな
オマエモナー
200 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 06:05
上杉厨ヨワッ
上杉スレなら他にあるだろうに・・・
202 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 06:16
信長と権六は気質的に合ったんだろうかねぇ。
合わなかったんじゃないかと想像。
柴田勝家と羽柴秀吉が能登七尾城の救援に向かったときに喧嘩して、
秀吉が帰ったちゅう話があったよね。
勝家と秀吉じゃ考え方がちっとも合わんちゅうことやろ。これは。
でもって信長と秀吉ってのはさ、結構波長が合う主従だと思うんだよ。
とすると信長と勝家は合わないんだろうな、と。
まあ性格面ではどうあれ、信長は勝家の実力は認めていたんでしょう。
実力は認めていたから、最も早く方面軍を任された。
でもって、その後はほとんど放置プレイ。秀吉や光秀が任務の途中
だろうが何だろうが荒木村重攻めとかに集まってきたりしてるのに、
勝家だけは呼ばれていない。
きっと勝家の実力は認めていても顔をあわせるのは嫌だったのだとw
204 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 07:55
>>131 いや豪族連合というのは旧来の戦国大名の話しだよ。
武田、今川、大友、上杉などがそう。
彼らは主君と家臣の関係が対等に近い構造で主君はまとめ役でしかない。
しかし、織田家(というか信長)の場合は家臣に一方的に命令し転封させ時には
佐久間や宿老の林すら追放する程の権力を持った。
フロイスの記録では信長が大勢の家臣の前で手を振って合図するだけで、
家臣たちは大慌てで退去し混乱のあまりぶつかりあう者までいたと記している。
信長は欧米の王権のような絶対主義みたいなもみのだったらしい。
武田信虎なんて山県家や馬場家を断絶させ、内藤家を追放したぞw
まあそれはさておき、信長の権力はそんなに強固じゃないな。
信長自身は自分の権力を絶大なものにしたかったようだが。
その辺のギャップが本能寺後によく現れておる。
信長は制度的に家臣を絶対的支配下に置いたわけではなかった。
所詮は一個人のカリスマ性が拠り所であった。
彼を崇拝する部下たちの結束なくして、彼の支配力は有り得なかった。
主君と重臣が固く結束していれば末端の者など逆らいようが無い。
だがその前提が崩れた時――
208 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 08:16
>>206 清洲会議以降のことではないか?
誰も織田家を維持していこうとはしなかった。
絶対王政は強烈なカリスマの信長一代限り、織田家世襲の天下は結局実現しなかった。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 08:18
>>205 だから信虎は追放された。
家臣たちが晴信を担いで信虎を追放した。
信長も荒木、松永、明智に背かれたが家臣総スカンの信虎とはレベルが違う。
210 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 08:19
>>209 息子がやったら優秀で、追い出した後すぐに担げる準備があったこともそれを促進しただろうけど。
>>208 それではカリスマでも何でも良いが権力が強固でなかったとかの話とは関係ないと思うが
>>209 何故家臣たちが叛かなかったか?を考えた時、信長の制度的な権力と
いうよりは、信長と重臣たちとの個人的なつながりに思いが至ります。
ヨーロッパで言う絶対王政は、王が最強最大の軍事力保有者であり、
誰も逆らえない状態を作ることで成り立っていた。
しかしながら、信長の場合、その直轄領を考えると、
秀吉・勝家・一益・光秀といった連中が結託して叛こうと考えたら、
とてもじゃないが支えられんでしょう。
結局、信長も秀吉も本人の権力は絶大だったかもしれないけど、
その権力を維持し続ける制度は整備されてなかったという話だろ。
これは信長や信虎がどのくれいの権力・威勢を持っていたかという話とはまた違うと思う。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 08:30
「信長の」権力は(いくつかの要因により)非常に強力だったが、
「織田家の」権力は普通の大名程度だったっぽいね。
何しろ重臣が会議して跡継ぎ決めちゃうんだもんな・・・
家臣に惚れられるのも才能のうち、実力のうち。
これだから信虎は(ry
>>214 織田家は嫡男さえ死んで、信長の相続人が絶えたからな。
絶対的権力を整備していた中国皇帝制だって、重臣が会議して決めるというのはあるし
信虎の場合、横暴云々もあるかも知れないけど、何十年もかけて
ろくに成果を上げていないってのが一番問題だったと思うね。
信虎は国内をまとめたところまでは見事だったけど、その後は
ずっと関東で北条と戦って、全く成果が上がっていない。
領地が増えていない。
もともと一年に二回も遠征すりゃヒイヒイ言う程度の貧しい所だから、
戦をするからには新しい領土が手に入らなきゃ全く割に合わない。
そんなことをずっとやっていたから家臣に完全に愛想を尽かされた。
最後の最後で佐久遠征をやってほんの少し領土を広げたけど、もはや
離れた心は戻ってこなかったと。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 08:39
>>216 漏れとしては、信雄と信孝がそれぞれ先頭に立って自分の派閥を従えて、
跡目争いの大戦争をやって欲しかったw
それが秀吉ごときに丸め込まれるんだから、ホント情けないよ。・゚・(ノД`)・゚・。
本能寺の時に京都所司代の兵は何やっていたのだろう
通常軍勢の市中乗り入れは規制するか入れさせても日中
ではないかしら?
>>219 それは流石に突き破られたんじゃないかな?
警備兵くらいか居ないだろうし、村井ですら信長のとこに集まってたくらいだし
しかし、信長の直轄領というか、兵権を委譲していない領土は、どのくらいあったのかな?
>>219 京都所司代は宮中の警護も行うが、大きな軍事力があったわけじゃない。
村井貞勝も朝廷や公家とのやり取りばかりだし。
一万数千の軍勢を食い止めることなど、彼には出来なかった。
馬廻衆も大兵を有していたわけじゃないし。
大兵が入ってきたのならまず異変を上申して
移動させないかな?
その対応が鈍いようなきがする
「事態の確認」にどれだけの時間と労力を費やすのか、
「上申」にどれだけの手間をかけるのか、
「防備のない寺の包囲殲滅」をどれだけスムーズに行おうとするのか、
常識的に考えれば判るだろ。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 10:50
陣形ネタついでに一言
騎馬戦に模した発言があったが、あれはなかなか真を捕らえているよ。
実際は飛び道具ありの騎馬戦、しかも士気低め。
それがどんどん発展していって、職業として騎馬戦をする人が出てきて戦術
なんかを研究して、というのが実際の戦。
サッカーだって学生の運動会レベルとJリーグや欧州のプロリーグのレベルが
違うように戦だってそんなものだよ。
中学生の素人集団に常にプレスをかけて行けといっても無理なように運動会
の騎馬戦で陣形揃えて規律よく戦えといってもムリポ。
しかも騎馬戦の人数程度なら一部隊での遭遇戦レベル、実戦でも進めと引け
くらいしか効かないレベルの戦闘だしね。
>>225 俺のところの騎馬戦はチーフがサインを出して陣形変えてたなぁ。
騎馬戦の癖にヘルプとかプレスで数的優位を作りだすとかあって、
策の読みあいになってた。
なんか横レスでスマソ。懐かしかったんだ。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 12:19
織田家の悲劇は当主と共に嫡子も死んでしまったことだろうね
もし信忠が生きていたらあそこまでむごい分裂はなかっただろうに
228 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 12:26
日本史板の司馬スレなみによく回転するスレはここでつか?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 12:33
俺もあっち見てるよー
>>228 最近のこの板で言えば、25000で上陸できっかよ、スレの方が凄かった。
>>230 やべ、上陸とか書いちゃった(ニガワラ
武田スレで、2万5千で上洛できっかよ、って名前のスレです。
>>223 怪しい軍勢がこちらに向かってきております、上様におかれましては
一時京をお出でなされては如何でしょうか?
位言う小才がいてもいいのになぁ
何にしろ万を越すような軍勢に取り囲まれるまで寺を脱出できなかった
というのは鈍感なことよ
233 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 15:59
>232
そういう警戒心が希薄だったんだろうね。
それに、関なんかも、家中の軍が動いている分には
疑問には思わないだろうし。
夜大軍で市中に入ろうとするのを怪しいと思わなければ危機感0
通常先触れなどで通達するとしても軍自体は郊外に駐屯だろうよ
大昔に日本史板で見た与太話
本能寺に置いてあった火薬が何かしらの理由で引火
↓
大爆発&大火事
↓
異変を察知した光秀軍が本能寺に急行
↓
(;´Д`)うわ・・・こりゃ一人も生き残ってないわ・・・
↓
(゚Д゚)ハッ!俺にも天下が取れるかも!
↓
二条城を襲えー!
↓
(゚д゚)ウマー
>>236 あー、なんか火を見ると人が変るって言うからな
238 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 16:54
>235
それを御注進する奴と同じ速度で進軍してるわけでさ。
武田の戦のろしみたいな機構が常時あれば別だけど、
無ければ無理でしょう?
夜、行軍すること自体奇異ということ。
今みたいに照明灯で照らされてれば別だが
真っ暗で松明便りにいくよりか夜寝て昼歩く
方がよほど効率的。
ここからはうろ覚えだが、街道というのは
支配者のもので家中といえども勝手に使用しては
駄目で、決められたスケジュールで動くよういわれ
そのために軍艦などがついている。
夜動くには逼迫した状況が考えられるけど、
家康に見物をさせてるような状況にさして急を
要すことは考えられないですね。
戦場でも夜の行軍が避けるのに、安全圏で行う
メリットが無さ過ぎますよ。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 17:24
>239
有名な合戦をちょっと思い浮かべただけでも、
夜の行軍は結構あるのだが?
それは必要性があってでしょ
京都付近で合戦予定があったの?
反対に信長支配下の安全圏で
昼間行軍しないで夜の行軍するメリット
をいってよ。
トリビア
昔の人はあまり肉とか食わないから、栄養素の
A,B系が不足する。すなわち鳥目になりやすい。とかなんとか
みんな、信長が光秀を急に呼びつけた、
くらいにしか思わなかったんじゃないの?
呼び出されたにしても必要以上に連れて行けば
謀反と疑われても仕方が無いし、光秀だから
何人連れてきてもいいという待遇はありえない
と思いますが。
美女「ああーん、誰か止まって〜」
車男「お嬢さん、一人でヒッチハイクですか?どぞどぞ」
美女「きゃー!乗せてくれるってよ!みんな乗せてもらおうよ!」
車男「げげっ、男どもは隠れていたのか。。(´-`).。oO( いまさら駄目って言いにくいなぁ)」
光秀「ああーん、関所開けて〜」
関男「光秀さま、こんな夜中に殿下に呼ばれたのですか?どぞどぞ」
光秀「きゃー!通っていいってよ!みんな急いでいくよ!」
関男「げげっ、兵士もこんなに連れてたのか。。(´-`).。oO( いまさら駄目って言いにくいなぁ)」
関男「しかし言ってしまった手前通さない訳にはいかないか」
光秀「どうした通らせてもらうぞ」
関男「(!)ではここに通る方のお名前をお書き願えますか?
決まりですので」
光秀「げげっ、一体何人分書かなきゃならないんだよ。。」
(´-`).。oO( いまさら通らないとは言いにくいな)
関男「光秀様も知ってのっ通り決まりを守らなければ
私どもの首が飛んでしまいますので」
光秀「わかったわかった」<トンカントンカン
関男「1万人分の署名お疲れ様でした、ところで
たったいまからあそこにも関所が新たに設けられました」
光秀「げげ、いつの間に!?。。」
(´-`).。oO( いまさら引き返すには遅すぎるな)
247 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 22:45
しばらくみないうちに桶狭間から本能寺に話題かわってんのかよ
俺が光秀だったら関所の番人くらい斬るけどな。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 23:48
>>232 普通に明智の旗だっただろうし、見かけていたら
「明智の軍勢だな」とはすぐ分かっただろう。
ただ事前に山崎ルートで行くと説明しておいて不自然無く京の近くまで
進み、さらに夜半に京に直行されたら、なんのリアクションも取れない
のでは?
明智光秀が裏切るとは思いもよらないだろうし、「あーなんか用事だべか」
でスルーしそうだ。
バカだなぁ。あれはやらせだって。
信長のジサクジエン。
実は大陸に渡って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・何になったことにしましょうか?
王大人
いいや!ジンギスカンだ!!
254 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 08:45
秀吉が信長を暗殺しようと別働隊を本能寺に送る。同時に光秀に何者かが襲うと連絡を入れる。
↓
光秀それを阻止せんと本能寺に急行。
↓
時既に遅く、信長自害し本能寺延焼。
↓
信長の弔い合戦をしようと二条城へ入ろうとする。
↓
秀吉は事前に信忠に「光秀謀反の疑いあり」と通達しておく。
↓
光秀、信忠を混乱の内に斬る。
↓
家中に対し弁解の余地無しの状況になる。
↓
間髪入れず秀吉が光秀を信長の仇として討つ。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 09:03
八切だな。
256 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 09:09
>>254 自分の考えは微妙に違う。
家康が暗殺企てる。本能寺付近に少数の部隊を送る。
この時、光秀に罪をかぶせる為にわざと襲撃がある事を察知したかのような密書を直前に送る。
↓
密書により光秀、本能寺に急行する。本能寺陥落前、信長は桔梗の紋を見る。
↓
二条城にも家康の部隊。光秀部隊急行するも信忠側は偽情報により敵と勘違いして、戦闘。
↓
家康は(有力武将が各方面を担当して動けない隙に)光秀討伐の準備をする為、三河に急ぎ戻る
↓
光秀、秀吉に信長が何者かによって殺されたと連絡し、近畿の守りを固める。
↓
黒田、家康の策を見抜き、秀吉に「天下が取れる」と進言
↓
秀吉、急遽引き返し、光秀を攻撃。(この時光秀は 信長を暗殺したのを秀吉と勘違いしてしまう)
↓
光秀、敗れて落ち延びる。
↓
光秀、家康に匿われ、名を天海と改める(家康の策は秀吉の光秀撃破により失敗。)
258 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 12:22
前スレで話題になってた石高とか米のお話の中で雑兵への米支給のお話が
あったと思うのですが
水1升、米6合、塩が1勺、味噌が2勺
雑兵物語の数字ですが、結構な費用になりませんか?
25000スレじゃないですが、それこそ織田家って中盤以降は年中軍隊を
動かしてる状態なわけで、これらの米をどこから調達したのでしょうね?
259 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 12:27
258のつづき
3万の兵を動員したとして
一人6合の米支給で、一日180石の米が必要になりますよね?
まあこの180石というのも単位が統一されていない当時だと違って
くるとは思いますが。
10日で1800石、1ヶ月で5400石の米が支給されるわけで。
味噌やら塩も合わせたら結構な活動費用ですね。
信長は堺や本願寺などから莫大な戦費を捻出したわけで。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 17:58
京における米の値段
天文 5年・・・1176文
天文 9年・・・1000文
天文16年・・・1235文
永禄 3年・・・1250文
永禄 7年・・・1000文
永禄10年・・・1667文
永禄12年・・・1053文
仮に米1石が1500文で買えるなら、
180石は270貫、仮に半年分なら3万2400石で4万8600貫。
まあ米なら年貢収入を転用すれば良い気もするが。
>>258-259を援用させてもらうと
織田家の最大領地が大体400万石ぐらいだったと思います
ここより収入が五分として200万石、四分六で160万石が
一年の収入(*ほかに港湾利用料、矢銭等)
また兵力として大体10万程度随時攻勢や防御用に使っていた
(*徳川や宇喜田の様に織田家とは収支が別の兵力の合力も
ありますのでそれ以上の兵が織田家側で働いた)と思いますので
259より1日約3.3倍で600石、10日6000石、100日6万石、一年約22万石
これに報奨金や貸し出し鎧、槍・鉄砲など武器類の整備、築城費用
諸種工作費用,人夫などの補助人員費等々が一年の収支として
本収入に比べほかに回せる金額が多いことで、織田家が相当有利な立場
だったのが解りますね。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 18:40
こう具体的に考えると、米が足りない場合などに銭で雇う兵もいたかも
と思わせるね
264 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 21:20
>>263 米が足りなきゃ銭で米を買えばいいんだよ。
商人から巻き上げてるんだから。
石高当たりの兵力がどこも同じ比率で、それ以外に収入が無いと仮定すると、
どこも継戦能力は同じになる。
すると継戦能力を伸ばすためには
・石高あたりの動員数を減らす
・年貢以外の収入をより多く確保する
という二点が重要になる。
>>265 紙一重
■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■
■ ■ ■ ■
■ ■ ■
266 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 22:06
>>263 銭で雇った兵士でも食料は支給しなきゃいけないはずなので、
米が足りなくて兵が興せないなら、とりあえず米を買うべきかと。
>>265 自己レス?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 00:54
>>258 いくら体を使ったとしても一日6合の白米は食べられない。
純粋に兵糧としてならもっと少なくてすむし、兵糧+給与と考えれば
別に日払いする必要もない。戦に勝てば収入増えるので問題ない。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 01:03
>>267 6合=だいたい茶碗9杯。
戦さをして、しかもそれしか食うものなければ、十分食える。
>>268 支給って水と米と塩と味噌だけだもんなあ
あとは野草か魚でもとって一緒にたべるかかな?
270 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 01:13
>>268 支給時は炊く前の量だろ。
3合を炊くとかなりあるよ。普通の炊飯器って3合くらいだし。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 01:23
>>271 それを炊くと2合でだいたい茶碗3杯というところ。
独り暮らしで毎日のようにやっている俺が言うんだから間違いない。
嘘だと思ったらやってみれ。
>>272 山盛り?
ググルとご飯(精白米)1杯分(150g)くらいだそうだが・・・
しかし、おかずがあっても塩とか味噌なんだから、
かなり食べることは食べるだろうな
3合で3食は持つだろう?
真田家は一汁一飯、供えの漬物も
別皿は禁止してたらしいが
織田の話しろ
277 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 02:07
日本陸軍も一日6合が基本でしたよ。
で、みんな普通に食ってました。
6合ぐらい食えます。
俺も食えますw
>>277 おまいは今の時代6合も食ってんのかと小一時間(ry
戦国時代ってもう1日3食だったの?
>>279 基本は2食でしょ。
そもそも日が沈んだら寝なきゃ。
現代の標準からいけば米のみでも多くて3合も食べないだろ
2食か1食じゃないかなー
俺はイギリス人なので
朝昼晩+アフタヌーンティですよ
イギリス人でも労働者階級だろw
284 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 02:23
>>278 一日六合ぐらい余裕よw
米なんて六合食っても3000キロカロリーぐらいだからね。
おかずも少ない時代で、戦場で20キロ30キロの装備つけて
一日活動したら、せめて米ぐらいそれぐらい食わないと死にます。
体格が現代と違う
腹いっぱい食いすぎるとその後の行動に支障がでる
286 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 02:40
ひとりのバカの大食い自慢と化してないか?
だから日本陸軍でもそれぐらい食ってたってば・・・
軟弱な現代人の感覚で語りすぎや・・・
本当の大食いは「一升飯」いけるからね。
食う量からいったら現代人は軟弱じゃねーだろ
米もらっても金銭化してなんか安いもの買うか交換するなぁ
後はもう鍋物、おかゆとか。だから六合もらっても全部食べないに
一票。
おかずが無かったら茶碗4杯や6杯食えるっしょ。普通に。
確かに全部食べないはあり得るな
292 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 02:57
>290
一食3合は普通の人間じゃ無理
おれ一人暮しで一日二食だから、一食あたりは結構食べる方だけど、
チャーハンとか作っても一合使えば十分過ぎる量だよ
武田はそば粉じゃ?
294 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:03
こんな抜本的なところから疑問視してる奴がいるとは
思わなかった(笑)
織田の話しろよ、愚図ども
もはや織田スレではない・・・
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:15
>>292 戦場と言っても戦闘が無ければ朝・夕・夜食の三食もしくは
朝・昼・夕・夜食の四食である・・・
ご飯スレだなw
299 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:23
>>273 別に山盛りでも何でもない。ごく普通サイズの茶碗にごく普通に盛って、
2合はだいたい3杯分。これぐらいなら一食で余裕。
もしかするとうちの計量カップがおかしいのかもしれんが。
>>284 俺の読んだ本では、茶碗軽めに1杯のご飯は200キロカロリーぐらいだそうな。
6合ならすでに書いたように約9杯分→2000キロカロリー弱ってとこ。
3000キロカロリーもないと思うぞよ。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:25
>>293 何か蕎麦粉に湯を混ぜ、蕎麦団子というようなものを作って食ったという記述を見た覚えがある。
あまり美味そうなものではないな。
もさもさした蕎麦をぐちゃぐちゃに丸め、しかもツユなしで食うようなものだろう。
『雑兵物語』に一日6合と書いてあったからということで
こんな話になっているらしいが、その『雑兵物語』では
夜に合戦があったら米の分量が増えると言っておるのう。
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:28
>>292 チャーハンなら1合で足りるかもな。
それに空腹・満腹というのは感覚的なものもある。チャーハンとただの白米では、
おそらく満腹感にカナーリ差が出るであろう。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:29
>>301 だとすると夜勤の兵隊さんはもっと食うわけだのう。
そりゃ1日6合では足りんかも知れんのう。
つーか腹ふくれてきたわw
304 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:32
>>300 そば粉を湯でこねて食えばそれは「蕎麦掻」という立派な料理だ。
もちもちして普通にうまいですよ。ちゃんと作れば。
まあ戦国時代には醤油が広まってないから味噌で食うのだろうな。
今の蕎麦のような「蕎麦切」は天正年間以降に作られ始め、
広まったのは江戸時代。それまでは蕎麦掻が主流じゃよ。
しかもつなぎに小麦粉を入れて今のようにツルツル食えるように
なったのは江戸中期以降であろう・・・
それ以前は山芋などをつなぎに使い、蒸して出していたと。
茹でるにはちと強度が無い故な。
それゆえに蕎麦は今も蒸籠にのっておるのだ・・・
>米一合(150g)は炊くとだいたい360gになります。
>ググルとご飯(精白米)1杯分(150g)くらいだそうだが・・・
つーわけで、2合炊くと5杯弱ということになると思うけど、
一食700gと考えれば、十分食べれそうだ。
6合÷2=3合=1kgを一食で食べるのは大変かもしれないけど、
そもそも戦時では満足に炊くことも出来ずに、水に浸すくらいだろうから、
食べる量というのはそんなにないのかもしれないね。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:39
>>305 火が起こせない時は水に半日ほど浸して食うのだが、
まあ大雨でもなければ普通に炊いたようだ。
と言っても立派な釜が戦場にあるわけではないので、
水を多目にしてただの鍋で柔らかめに炊いていたようだ。
戦場では食あたりはマズイので、飯がやわらかくなってしまっても、
水を多目にして時間をかけてちゃんと火を通すのだそうだ・・・
307 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:41
>>304 美味いのか。
「そばがき」という名前は聞いたことがあるが、そういう字を書くのだのう。
さすがに何もつけずに食うのはイマイチかもしれぬが。
醤油の方が味噌より高級品だったそうじゃな。今は何とも言えぬが。
今でも山芋つなぎの蕎麦は少なくない。ただあれはアレルギー体質の者もいるからのう。
織田の話しろよ
309 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:42
漏れはチャーハンだけでは足りないので
ラーメンチャーハンで頼むわけだが・・・
ただし!半ライスだの半チャーハンだのは漢の恥と知れい!!
310 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:43
デブの会合ですか?
>>308 織田の話だろ
このような食料の支給は、遠征とかの時以外は出ないので、
織田=遠征頻発=食わせるの大変
ってな話だったんだろ
312 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:44
>>309 よく言った!俺はチャーシュー丼などつけたりする!
織田の話しろと横から怖い目で睨む者もおることだし、そろそろご飯ネタはやめるか。
いちばん身近で誰でも参加できる戦国時代の検証だと思うがw
313 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:45
>>307 新蕎麦の時期の蕎麦掻は何とも香りが良い。
茹でたりしない分、香りが飛ばぬというのだな。
それゆえシーズンになると蕎麦屋で蕎麦掻を頼む客が増えるとか・・・
314 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:45
315 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:46
>>313 今の蕎麦(蕎麦切りか)でも、通は最初の一口、
ツユをつけずに蕎麦の香りを楽しむと言うからのう。ははは。
食いたくなってきた。これから神田の老舗へでも行くか。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:47
172センチ84キロですか、そうですか
317 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:47
秀吉の九州征伐の時は、秀吉が全軍の兵糧を調達したのだが、
一人一日一升で計算していたらしいな。
しかし宣教師に言わせりゃ兵糧不足で撤退寸前だったのに
島津がとっとと降伏してしまったというのだから・・・
さしもの秀吉もまだ20万人分はつらかったか。
織田の話しろよ
319 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:48
深夜なのに凄い伸びだ・・・
321 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:49
>>316 いや、実は180センチ73キロです。
詐称申し訳ありませぬ。
いや、やっぱ1日ニ食、10時と5時ぐらいらしいぞ
三食に変ったのは江戸ぐらいから。
量も「雑兵物語」で6合から「籠城守禦之巻」によれば
四合五勺だそうな。
チャーハンといえば神楽坂の一升チャーハン(=10合)
東京にいる人はチャレンジ?
蕎麦屋はラーメン屋に押されてその勢力を減らしつつありますね。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:52
>321
詐称してる時点で信憑性ゼロだよ、おデブちゃん
織田の話しろよ
327 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:53
>>323 した。そして死んだ・・・友人を知っている。
そいつによれば「白い怪物」だそうな。見るだけで闘志を削がれるとか。
あの近くの大学なんで、たまに前を通ったりするが、
汚い店だぞ。俺はあまり入る気にならん。餃子百個とか鬼みたいなこと言ってるしな。
>>323 日常生活では二食だが、戦場では増えるのだ・・・
支給量については、食糧事情や経済事情や状況によって様々だと
思うのう。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:54
>>322 十合はさすがに辛いかもな。
俺の計算でいくと茶碗に約十五杯。食えん。
別に戦場に限らず、お城に待機する寝ずの番とかでも夜食が出るよ
331 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:55
>>323 篭城のときだから減ってる、とは考えられないか?
糧食の補給はできない、それに夜戦のときほど動き回るわけでもなかろうし。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:56
333 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 03:58
>>331 「夜戦」じゃなく「野戦」の間違いでござった。
戦場で腹減るのか食う気なくなるのか解らんが
まぁ食えないときもあるから食いだめするというのはあるかもね
>>327 死んだんですか・・・
織田の話しろよ
336 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:01
>>334 握り飯にしておくとか、いつでも(それこそ戦闘の合間でも)
食えるようにしておいただろうしね。
白米にすると微量元素の量がすっかり減るので、玄米を食うよりも
さらに多く食わねば栄養を維持できなさそうだな。
しかしあんまり長く戦場にいると脚気になりそうだ・・・
味噌が一日二勺も出りゃ大丈夫なのかのう・・・
織田の話しろよ
339 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:04
>>337 炭水化物ばっかりとってると中性脂肪の数値が上がるぞよ。
独り暮らしの学生などは要注意じゃ。
脚気・痛風などの恐れもあるしのう。
実際の戦国時代は、玄米どころか、稗粟入りの混ぜご飯だから大丈夫
織田の話しろよ
>>339 見るからにタンパク質が足りないので、腸内細菌が糖からタンパク質を
精製するための材料になっているに違いない。
織田の話しろよ
>織田の話しろよ
お前が率先して何かネタふれよ
荒らすなボケェ
346 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:08
>>346 なるほど
しかし朝鮮出兵とかじゃあるまいし、
数ヶ月程度なら栄養の偏りなどというのは出ないのではないかな?
>>347 その視点が素晴らしい。
人間の本質をしっかりと見据えておる。
褒めて取らすぞ。
織田の話しろよ
351 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:13
>>348 聞いてくれたまえ。
我輩は数ヶ月、うどんだの丼だのカレーだの(つまり炭水化物)ばかり食っていたところ、
たまたまやってみた健康診断の血液検査で医者に怒られてしもうたのだ。
何を食ってるんだ!と(泣)
352 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:14
うむ。西洋にも長らくトイレなどというものはなかったな。
パリの街では桶に溜めた排泄物を早朝窓から撒き散らし・・・
353 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:16
354 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:19
>>352 インドのガンジス川にもオブーツ垂れ流し。
そこでみなさん「体を清める」わけですが・・・清められるのかのう?
中世ヨーロッパ都市の不潔さは尋常じゃなかったらしいですな。
城にトイレはなくとも、厠の歴史は古いのでは
356 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:21
江戸の長屋には便所があったな。
農村なら糞尿は肥料になるんだからちゃんと溜めていたかもな。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:21
>>355 信玄はトイレでかがみながら軍略を練ったというのは本当でせうか?
358 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:22
>>356 鰯だか何だかが高級肥料として使われるようになったのは江戸の後期ごろ?
江戸期に入ると糞尿の売買も組織化されるくらいだし、溜めることは溜めてるでしょ
360 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:22
>>357 トイレといっても、座敷だったらしいからな。
>>355 アーなるほどトイレは明治頃からか・・ってばかー
もしも厠のようなトイレを作ると、外と直接繋がって、警備上の問題が出るということだろうか?
しかしたしか山中鹿助は便所から逃げなかったかな?
織田の話しろよ
364 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:27
トイレと言っても、どうせ汲み取り式になるんだから、
桶とかおまるとか携帯性の高いものの方が便利ってことでしょ。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:29
ベトナム戦争でベトコンが使った罠の一つに、
落とし穴の中に槍と糞尿ってのがある。
傷口から雑菌が入ってまず助からない。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:30
>>363 何か話題振れよ。そうやってるのも疲れるだろう。
荒らしだか煽りだかいう人種か?
367 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:31
>>365 な、なんて合理的かつ安上がりで手間いらずな・・・・w
話題がないなら書き込むな
スレ違いを延々やるヤツが荒し
織田の話しろ クズども
>>365 戦国期にもやってたらしいですよ
たぶん健康衛生なんて考えないで
経験則でやったのかな?
その割には病人に馬のくそとか
ションベン塗ったりのましたり
してたらしいが
370 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:34
>>369 出したてホカホカの尿は、むしろ滅菌された液体であると言える。
故に他に傷口を洗う手段がなければ、使えないことはない。
洗うというか、飲ませたりしてるんだよな・・・
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
おい
織田の話しろよ
まあ400年前の民間療法だしな・・・
374 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:43
>>371 蜂に刺されたときはアンモニア水というが、あれも実は眉唾だとか。
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
/.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',i
{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :}
{:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
{ : : : :| ,.、 |:: : : :;! |できるだけ織田の話
.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ _ノ
__,. -ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、
ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ
| ヽ く ! .>ーく / > / !
| | _> レ'-、 r‐/ <_ / !
.∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧
/ \ | \ ∨ ! / | / ハ
ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
/ \ | ヽ. | ./ / | // \
/ \ | \ ∨ / | /- ' ヽ
/, -──‐-ミ」 , ‐''二二⊃、 |/ / ̄ ̄`ヽ!
レ′  ̄ ̄ ̄`ー─---、_/ ′二ニヽ' \--──┴'' ̄ ̄ ヽ |
>>364 おまる持参の武将というのもしまらないなぁ
信長は洋式のおまるで秀吉は千成瓢箪かな?
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
/.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',
{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :} ________
{:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} /
. , 、 { : : : :| ,.、 |:: : : :;! < ここは織田スレ
ヽ ヽ. _ .ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ \織田の話しない奴は表へ出ろ
} >'´.-!、 ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐′  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| −! \` ー一'´丿 \
ノ ,二!\ \___/ /`丶、
/\ / \ /~ト、 / l \
/ 、 `ソ! \/l::::|ハ/ l-7 _ヽ
/\ ,へi ⊂ニ''ー-ゝ_`ヽ、 |_厂 _゙:、
∧  ̄ ,ト| >‐- ̄` \. | .r'´ ヽ、
,ヘ \_,. ' | | 丁二_ 7\、|イ _/ ̄ \
i \ ハ |::::|`''ー-、,_/ /\_ _/⌒ヽ
379 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:53
>>377 何を根拠に!?
まともに説明できたらマジで尊敬するぞw
380 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:54
__ノ | _
| | ウンコー! | ノ\__ヽ
ヽ二二 ヽ -―人 、 | \ノ(◎)
_____/ /'(__)ヽ____|
/ / _(__)∩ \
| |/ ( ・∀・ )ノ \
.\ヽ、∠___ノ\\ \
.\\::::::::::::::::: \\ \
トイレットペーパーなんて無いから 手で拭くのかな?
織田の話しろって奴のほうがなにもネタ振ってこないね
彼らだってウンコするのにね
383 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 04:59
江戸時代には再生紙が出来て紙で拭けるようになったけどな。
それ以前だと世界的にメジャーなのが葉っぱとか
インディアンだとトウモロコシのヒゲとか
まあいろいろあるさ。
ひもとかたけとかゆびとか
人差し指が多かったのでしょう、
だからそんな汚いもので人に
向けてはいけないとか
インドとかでは左手か不浄だっけ?
386 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 05:00
>>382 スレ違いの話を延々と続ける方が荒らしだそうだ。
織田の話題がないならカキコするなということらしい。
まあ一理あると言えばある。
しかし飯の話に始まって便所ネタに続くなんて、
専用スレの立てようが無いなw
信長は蘭丸のウンコ、口に含んだりしたのかな?
織田の話…
昔、肖像画から予測した骨格で信長の声をコンピュータで
再現したというのがあったけど聞いたことある人いる?
それをとめる方も荒らしまがいだしなぁ
というか戦国にまつわっているから
知識普及という点でかなりいい話だと思うがなぁ
そういうはなしについていけないだけなんじゃないかな
肖像画をそのまま3DCG化した楽市楽座のは無理がある
>>392 そーそー
その顔で、証券かなんかのマイナーCMで(声が)流れてたらしいよ
394 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 05:14
>>393 あったあった!
本当に肖像画から三次元の頭を作り出して声を再現したってやつ。
「みなの者、〇〇じゃあ!」とかいう台詞だったと思う。
何か神経質そうな高めの声だったよ。俺の記憶では。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 05:15
骨格が再現できれば声はかなりリアルに再現できるらしい。
整形外科医に聞いた話だと。
>390
最初にスレ違いな話題で荒してるのはおまえらだ、うんこちゃんよ
いい話と正当化する前に人並みの知能を持ち合わせているのなら専用スレたてれ
うっせハゲ
398 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 05:19
>>396 こんな時間までこのスレを守ってご苦労だのう。
高めの声だったよな!
骨格はわかってもさすがに口調まではわからんと思うが、
でも納得したのを覚えてる
で、あるか
高めの声ってのは宣教師が書き残したんだろ?
でもって宣教師の描いた信長像とやらは、野太い声を出しそうな太さ
信長の声が高いというのはフロイスも書いていること。
やっぱ神経質という先入観が入ってるんじゃ無いだろうか
しかし395の肖像でどんな頭蓋骨だ・・・
頼朝の時代は出っ歯が多かったらしいが
この時代の骨格はどうだったんだ? ん?
405 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 05:35
信長厨大活躍
406 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 05:50
当時、織田信長は『オダ ノブナガ』じゃなくて
『オタ ノブナガ』って読まれていた。
408 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:03
>>404 理由までは知らんが、義経もチビ出っ歯だったという説があるな。
腐女子が怒り狂いそうだが。
409 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:05
緒方直人の主演でやってた大河の信長では、
ナレーションも兼ねたルイス・フロイスがたどたどしいながらも濁音を発してたな。
「どぶだがどの」と聞こえて笑えたが。
ソレデハミナサン、アテブレーデ・オブリガード。
410 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:10
>>401 もしかしたらそのCM自体がその記録から適当な声を作っただけかもしれんが、
少なくとも流れた声はけっこう高い、鋭い声だったと思う。
俺も納得したw
411 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:11
412 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:13
>>411 ソースは平家物語だったのか。勉強になった。
まあ、平家主役の物語で、敵方の大将を「勇敢で知力にも優れたイケメン」
とか書きたかない罠。
ソースを聞いたらあまり信じられなくなってきたポン。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:17
うるせーヲタ
414 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:28
>>412 だが義経美形のソースは押しなべて義経主人公だからな。
新撰組主人公で沖田が美形なのと同じで、これまた信用できんw
415 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 06:29
現代ならいけめんとはかけ離れてるらしい
あくまでその時代の美男美女
>>417 ぬらりひょんと言っても信じるだろ
>>418 義仲はなかなか強そうではありますな
口がちょっとにへらってるの京都占領時か
服の柄が菊と57桐かな、
天皇家から下賜されたのでしょうか
420 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 07:44
平家物語では、源平どっちにも「美しき」て表現使ってるよ。
源氏びいきとは言い難い
421 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 07:54
まあいいじゃねえか。
曹操やナポレオンも、チビでも最強の軍略家だったしよ。
義経だってチビでも出っ歯でもいいじゃねえか。
彼女もいるんだしよ。
422 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 07:57
>>420 何でもかんでも「美しき」になってしまう可能性も。
義仲公の顎鬚や、ぴんぴんはねて美しや、とかw
>>421 しかし、そのメンツはあんまり男惚れはしないね
424 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 08:03
>>421 彼女はどうやって作ったんかいのう。
静御前・・・頼朝の目を釘付けにした美女。うーむ。ブサ専?
ところで「静御膳」という名前の定食セットをどう思うかね?
私は不賛成なんだが。
たしか洗濯機の名前にもあったような気がする
まあお多福顔の女に萌えてた連中の美意識がどこまで信用できるのか、と言う気もするけどね。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 10:51
飯の話に戻して申し訳ないが
米がないなら銭で買えという人がおったが
国内ですべての米をまかなわなければならない時代、いくらなんでも米の総量
だって限界があろうに
ゲームじゃないんだから金だせだせば買えるってもんでもないだろ
そりゃあ限界はあるだろうけど、
米市も建てば、鳥取城の例もあるわけで
429 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 12:37
米相場が比較的安定してた現実を見れば考えられるのは二つ
・米市場にはあまり依存しなかった
・恒常的に一定量を米市場から買っていた
さて、どっち?
米は基本は大名は出すほうだろ。
商人職人に売って、それらを食わせて、工業品を買うということで。
ただしその仕組みから、他家の米も銭で買えると。
431 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 13:35
そう考えるとやはり他家からの米に頼っていては米価の問題などもあって
大規模な軍隊の運用に使うには現実的ではないね
大名が支給してた米はほぼ自国産と見るしかないのかもしれないね
いやむしろ当時の一合はどのくらいの量だったんだろう
現在と変わらないのか
433 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 14:34
当時の一合と一言にいっても各地でまったく違うからわかんねーよ
統一されたのって江戸時代に入ってしばらくしてからだったろ
435 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 15:48
上の方のリンクには
戦国時代の一升は八合程度 と書いてあるからその通りなんでないのか?
436 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 19:28
>>427 軍役に就く人間は人口の3%程度だと考えられるから、さほど問題になる
量じゃないのでは?
>>430 大名だけじゃなく、農民を現金を手に入れるために米を売るから、
商人から金を巻き上げてそれを買えば国内でも賄えるかもね。
>>431 畿内は日本最大の都市・京を始め、大都市が密集していたため、
全国から大量の米を輸入していたけどね。
>>433 秀吉が太閤検地のために京枡に統一したのでは。
>>434 別にそんな問題じゃない気もするが・・・一合が多めなら支給量の額面が
少なめになり、一合が多めなら支給量の額面が下がるだけでしょ。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 20:50
日本全体の石高って戦国期で1500万石とかって説がありますが
五公五民として750万石が当時の大名やら諸勢力に税金として入ってくるわけだ
さらに兵役やらなにやらでその米などで支払いもするわけで、かなりの量の米が
ダブついてたとしてもおかしくないわな
438 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 21:01
>>437 太閤検地を基にしたトータル出せるんじゃないの?
439 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 21:04
最近、このスレ見るのが結構楽しい
脱線しながら生活の役には全く立たない
事を罵りながら書き込むおまいらが好きだ
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
/.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',i
{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :}
{:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
{ : : : :| ,.、 |:: : : :;! |できるだけ織田の話
.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ _ノ
__,. -ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、
ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ
| ヽ く ! .>ーく / > / !
| | _> レ'-、 r‐/ <_ / !
.∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧
/ \ | \ ∨ ! / | / ハ
ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
/ \ | ヽ. | ./ / | // \
/ \ | \ ∨ / | /- ' ヽ
/, -──‐-ミ」 , ‐''二二⊃、 |/ / ̄ ̄`ヽ!
レ′  ̄ ̄ ̄`ー─---、_/ ′二ニヽ' \--──┴'' ̄ ̄ ヽ |
441 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 21:08
>>393 マイナーどころか、メジャーでした
(ニッセンのCMです)
坂本竜馬のバージョンもありました。
このCMが流れてたころは
よく「改革云々」といわれてた時代でしたね。
>>394 松本人志が似てるとのこと。声のことね。
ヒトラーにも似てたとの事らしい。
あと、「○○」の部分は「出陣」でしたよ。
>松本人志が似てるとのこと。声のことね
訂正
松本人志の声が、肖像画から予測した骨格をもとに
作られた信長の声にそっくり。(サイボーグ魂って言う番組でやってた)
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
/.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',i
{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :}
{:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
{ : : : :| ,.、 |:: : : :;! |できるだけ織田の話
.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ _ノ
__,. -ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、
ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ
| ヽ く ! .>ーく / > / !
| | _> レ'-、 r‐/ <_ / !
.∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧
/ \ | \ ∨ ! / | / ハ
ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
/ \ | ヽ. | ./ / | // \
/ \ | \ ∨ / | /- ' ヽ
/, -──‐-ミ」 , ‐''二二⊃、 |/ / ̄ ̄`ヽ!
レ′  ̄ ̄ ̄`ー─---、_/ ′二ニヽ' \--──┴'' ̄ ̄ ヽ |
俺も便乗してこのAA貼ろうかと思ったが、
荒らし認定されるの怖いからやめとく(笑)
松本人志が信長の役で時代劇やるのがリアルになるんかのう。
447 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 21:48
>>437 >>438 米「のみ」の石高じゃないからね。太閤検地も。
秀吉は田んぼも畑も家屋敷も石高で表示してるから。
まあそれは江戸時代も変わらないけどね。
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
/.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',i
{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :}
{:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
{ : : : :| ,.、 |:: : : :;! |できるだけ織田の話
.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ _ノ
__,. -ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐─- __ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ -‐ ''" \` ー一'´丿 !\  ゙̄ー- 、
ハ / |ヽ ̄ ̄// ヽ ハ
| ヽ く ! .>ーく / > / !
| | _> レ'-、 r‐/ <_ / !
.∧ ! ヽ | 厂L/ / i .∧
/ \ | \ ∨ ! / | / ハ
ハ ヽ | ヽ ! | / | /ヽ
/ \ | ヽ. | ./ / | // \
/ \ | \ ∨ / | /- ' ヽ
/, -──‐-ミ」 , ‐''二二⊃、 |/ / ̄ ̄`ヽ!
レ′  ̄ ̄ ̄`ー─---、_/ ′二ニヽ' \--──┴'' ̄ ̄ ヽ |
449 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 23:38
ちなみに太閤検地の総石高は1850万石くらいらしい
450 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 23:43
明石散人の二人の天魔王っていう本
読んだことある人いますか?
めちゃくちゃ笑ったんですが・・・
451 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 10:21
そして寂れていくスレ
これもわびさびの文化か
452 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 10:27
こんだけAA荒らしされればね。
これだけスレ違いネタで荒されればね。
454 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 11:32
>>453 自己正当化キター
お気に入りからこのスレ外しますた。
他のスレッドであいませう
荒しが何言ってんだか (´ー`)y─┛~~
456 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 12:46
スレ違いネタといいはるヤツはすげーな
>>456 そうか?織田の話をしろという奴と
織田の話の延長だから良いだろうと言う奴の意見は
激しくすれ違っているぞ
なんだかなあ
459 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 15:42
1850万石として先にも出てるが五公五民とすれば公の取り分が925万石
やはりかなりの米が流通に回るのは理解できるわな
まぁ正論ぶった荒らしのために大盛況だなぁ7-8日伸びに比べて
これだもの。
大方自分が作ったクソスレが伸びないのをねたんだ犯行だろう。
もともとネタ切れだったってこと
462 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/13 23:49
ぼちぼちやってけばいいんじゃないの?
必死にやるもんでもないし
そういえば日本の歴史って、武士に比べて商人は無視される傾向があるよな。
今米の流通について言い争っているように、
巨大な軍事組織である織田家には、かならず軍事物資の補給・資金集め・人材
収集の任を担う人間が必要になってくるのに、そこで活躍した人物はメジャー
になりにくい。
年貢だって、うまくさばかないと金にならない。
今、商人の小説が書きたくて調べてるんだけど、結構面白い奴が多い。
織田家に貢献した商人について調べるのも、結構重要じゃあないか?
信長の祖父がすでに商人の代表だろ
永楽銭を用いた鍔とかにみられるように、他の武将には不足がちな商才があったのかもね。
普通財政面は配下の者にやらせるべきところを信長は自分でもチェックしていたのかも。
もう言い争ってないよ
終了です
謙信の方が商才あったんじゃね?
海外と交易してたり。
斎藤義龍が死んだのが全て
470 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 21:52
それは、始まりに過ぎない
真田家の財力って対したこと無いじゃん!!
>466
たしか学校の教授に聞いたことがあるけど、「お金」というものは「国家に
対するある程度の経済的信用」があるから使えるらしい。
皆も普段お金を払って食べ物・着る物を買っている。お店の人は、「お金」
を貰うけど、それは「この紙を使えば、記載されている数字と同価値のものと
交換できる約束」があることを知っているからだ。そして、その約束は日本と
いう国家が大きな失敗をしない限り、守られること。もしこの約束を破るもの
が居たら、この「紙」の「発行者(国)」が強制力を発揮して、その者に罰則を与え
るという決まりが皆に「信用」されているからだ。
……と言っていた。この時代に「経済的信用」を保つのは至難の技だ。信長の
凄いところは、やっぱり信用を保ちつづけたことだろう。
教授に聞かないと判らんかったのか・・・
>>473 それは紙幣とかの場合で貴金属類にはあまり関係ない、永楽銭は紙じゃないだろう
もっとも為替手形(?)みたいなものは発行しているが
…う〜ん。常識的すぎることを書いてしまったかw
やっぱ丹羽長秀の業績や、織田と仲のいい商人について書いたほうが良かったか
な?
>475
たしかにそうだけどさ。でも織田って独自の貨幣も発行させてなかったっけ?
それだけの事をするには、それなりに、金よりは高い信用も必要だったんじゃ
ないかな。
あのな、皆が面白がってるのはあなたがそれ自体に価値のある貨幣と
流通のために信用のある裏付けが必要な兌換紙幣の違いを無視してる語ってるからだよ。
そしていまだに紙幣に価値を持たせるには金の保有と言う裏付けが必要なんですよ。
すいません。最初っから勉強しなおしてきます。…逝ってきます
> そしていまだに紙幣に価値を持たせるには金の保有と言う裏付けが必要なんですよ。
最後の最後に強烈なネタぶちかます478萌え。
今現在は不換紙幣やね。
>>480 確かに制度上はそうだけど、
米ドルが大きな信用を得ている根拠の一つは、
未だに、アメリカに保管されてる膨大な額の金塊でしょう、
実際には貨幣の発行量は金塊の価値をはるかに上回っているんで、
幻想の信用に過ぎないわけだけど。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 17:36
そろそろ本能寺についても雑談しないか?
関連スレでやれ
>>473 >>475 信長は残念ながら貨幣の信用を維持できていない。
高額取引における米の使用を撰銭令で禁じたことはあったが、
輸入銭の信用維持政策が伴わなかったので意味がなかった。
小額取引では銭は使われ続けたが、高額取引になると東国では金、
西国では米へとシフトした。
>>477 織田に独自貨幣は存在しない。
所詮は輸入銭をそのまま使う政策。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 17:55
日本で始めて、信用をベースとする計数貨幣(表示されている額面で
買い物ができる)を作ったのは武田信玄。
まず度量衡の統一によって領国内一円で通用する秤を定める。
次にその秤を用いて金を量って貨幣を鋳造すれば、
取引の度にいちいち金銀の重さを量ってから取引する必要が無くなり、
刻印されている額面でそのまますぐに使えるようになる。
それが甲州金。
甲州金の単位は
1両=4分=16朱=32朱中=64糸目=128小糸目=256小糸目中
であり、小額取引にも対応できるようになっていたことが分かる。
江戸幕府は自前で銅銭を作れたので、金貨と銅銭を組み合わせて
1両=4分=16朱=4000文
という甲州金の流れを汲む単位を採用していた。
『信長公記』の現代語訳でおすすめ本ってある?
とりあえず、角川のモノを俺は勧めよう。多少読みにくいけどね。
スーパー源氏でこんなんみつけました。
No.1744382 現代語訳、信長公記/上 B6、244頁
中川太古/新人物往来社/平成4発行/ \1,800
・・・上巻しかないみたいだが。
今、「現代語訳」本は市販ではでまわってなさそう。
角川のも含めて読み下し文の本がほとんど。確かに研究してる人以外には読みにくい。
大きな図書館とか行けば現代語訳の本があるかもしれない。
三国志のほうだと最近は「正史>小説」という流れがあるみたいだけど、
『信長公記』は戦国期では史料価値・信憑性の最も高い史料のひとつだと思うし、
小説的な記述もあって味気ない感じがしないから読んでて面白い。
最初の方だと信長の大うつけ関連の話はすごくまとまっている感じがする。
現代語訳本もバンバン出せば売れるんじゃないかなぁ。
しばらく歴史系出版界は、新撰組一色に染まるであろう。残念ながら。
盛り上がりませんね( ´,_ゝ`) >落ちないように頑張ってる人
別に信玄が多少長生きしようと、信長がどちらにしろ覇権を握るだろう、
信玄の能力じゃ信長には太刀打ちできまい
>492
禿同
信長ではスレイマン1世、セリム2世に勝てない
よって
織田軍<<<<オスマントルコ
495 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/25 12:17
>>494 水軍の規模装備、大筒の装備率では確かに勝てそうにない。
小銃なら互角ぐらいかもしれないが。
御三家
鬼宿丸>>>ガレー船
498 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/26 08:30
最末期の高野山攻めの布陣を教えてー
ぁゃιぃ文献では10万で囲んだって書いて有ったけどホントかよと
能力厨=ゲーム厨
500 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/27 22:29
フィギュアスケートの全日本選手権で27日、織田信長の末裔(まつえい)にあたる16歳の
織田信成(大阪ク)が男子シングルで5位に入った。
自由演技で3―3―2回転の連続ジャンプを決め、「会心の出来でした」。
今年の全日本ジュニア2位。来年3月の世界ジュニアへの出場も決まっている期待の星だ。
男系の名前に「信」が付いていて、「僕は17代目。名前が似ているのでよく(子孫かと)言われます」。
戦国武将のイメージとはかけ離れたフィギュアだが、織田は「来季(の演技)は人気映画の
『ラスト・サムライ』でチャレンジしてみたい」。
http://www.asahi.com/sports/etc/TKY200312270260.html
末裔と言ったって、有楽斎の末裔だろうに。
502 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/28 01:49
>>501は、織田の末裔は全部有楽斎系統だと思ってる馬鹿。
ついに来月CSのファミリー劇場で大河ドラマ信長が放映される……嬉しい。
age
506 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/02 01:18
>>498 信長公記に書いてあるので、少なくとも攻撃した事実は本当だろう。
ただ、十万というのは……。長島攻めで六万の兵力だったのだ。
あの長島でさえ六万だぞ。高野山如きに十万もの兵力を動員するとは思えない。
現実的に有り得ない。高野山の三万七千の軍勢というのも眉唾物。
比叡山三千という記述はどうした?(まあこれは死人の数だが、一万も居なかったと私は思う)
そもそも山岳地帯で三万なんて大軍で迎撃する事自体終わっている。邪魔なだけ。
敵を撹乱するなら数千、いや、数百で充分。数百のゲリラ兵に数万の大軍が惨敗するのは歴史上幾らでもあった。
よって、兵力の記述は完璧な誇張だと思う。話半分でも五万対一万九千五百。こんな合戦山岳地帯じゃ出来ません。
507 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/02 01:30
>>506 高野山は紀ノ川側から見たらそんな凄い山岳地帯でもないが・・・
秀吉の根来・雑賀攻めを考えりゃ3万対10万でも戦えるだろ。
実際にそんな数になったかどうかは別として。
1: 上杉謙信ってオナニーするの? (591)
2: 武田騎馬軍団vs森下千里♪♪♪ (4)
3: 【これで】織田信長総合スレッド【3スレ目】 (507)
いい位置キープ
高野山は門前まで含めると、一個の巨大都市ですよ。
西洋で教会が中心になった都市が成立したように、
日本では巨大寺院を中心とした都市が成立していた。
高野山・根来寺・東大寺・・・
どれも中世を代表する寺院であり、また中世を代表する都市でも
あったのです。
盛り上がりませんね( ´,_ゝ`) >落ちないように頑張ってる人
511 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/03 03:16
この人って故人だろ?
513 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 07:53
ちょいと、良いですか?。
よく、信長と秀吉と家康は比べられていますが、
信長は、独裁者! 秀吉は、ずる賢い! 家康は、ずる賢い!家康は、政事は立派。政権が260年も続いた。
私、思うんですが、信長が長男・秀吉が次男・家康が三男と思うんです。
小さい頃から、信長・秀吉のやり方を客観的に見ていますので「ここはまずいだろ。」「ここはいいな」
とか、感じていたと思うんですよ、家康はね。ですので、家康の政権が長続きしたと思うんです。
この意見、どうでしょうか? 体制を開いたのは、やはり長男にあたる信長の功労だと考えます
>>513 家康が学んだのは信玄。
死んだときも、「死んだことを悲しみこそすれ喜びはしない、
若いときから彼のようになりたいと思い励んで得たものが多い」といったらしい。
軍制でも武田滅亡後、甲州流の摂取に熱心で有望なやつを片端からスカウトした。
織田滅亡後に、その家臣団に家康が関心を抱いたとは聞いたことがない。
>>514 家康が天下を取れなかった信玄から学んだことなんて殆ど無いよ。
実際に天下をとって見せた信長から学んだ事は大きいけどな。
>>513 中央の掌握方法や決戦誘導主義、公家寺家を支配し武家による一元的な中央集権国家思想などは
全て信長からな学んだことだろうね。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 12:54
515 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:04/01/04 12:00
>>514 家康が天下を取れなかった信玄から学んだことなんて殆ど無いよ。
実際に天下をとって見せた信長から学んだ事は大きいけどな。
信長厨晒しage
軍制は甲州流。
貨幣制度は甲州金。
武家諸法度は甲州法度。
このあたりは明らかに信玄の影響。
519 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 14:08
信長がいつ天下をとったんですか?
520 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 14:27
軍制が甲州流なんて甲陽軍鑑の捏造もイイトコなんですがw
武家諸法度のどこが甲州法度なのかもわからん
貨幣制度が甲州金??????意味不明
521 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 15:10
信長がいつ天下をとったんですか?
>軍制が甲州流なんて甲陽軍鑑の捏造もイイトコなんですがw
なんでも甲陽軍鑑にする典型的な厨だな・・・
>武家諸法度のどこが甲州法度なのかもわからん
結構かぶる内容がある。
>貨幣制度が甲州金??????意味不明
甲州金
1両=4分=16朱=32朱中=64糸目=128小糸目=256小糸目中
江戸幕府
1両=4分=16朱=4000文
計数貨幣として使える四進法の金貨を発行したのは武田家が元祖。
523 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:18
>>522 >なんでも甲陽軍鑑にする典型的な厨だな・・・
で、どこが甲州流なんでつか?説明してみろよw
>結構かぶる内容がある
どこが被ってるんでつか?だったら甲州法度は完全オリジナルで他と被ってる内容がないとでも?
>計数貨幣として使える四進法の金貨を発行したのは武田家が元祖。
両・分・朱が武田が元なのは認める
が、武田が計数貨幣で四進法を採用していたかは、かなり疑問が残ってるんだが?
なぜなら、この説の元の 「甲金四倍増次第」は江戸期編纂の物だから
524 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:19
四進法だとよ 厨丸出しだね
今の世の中「十進法」 これって常識なのよね
525 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:23
524 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2004/01/04(日) 17:19
四進法だとよ 厨丸出しだね
今の世の中「十進法」 これって常識なのよね
526 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:32
信長がいつ天下をとったんですか?
527 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:35
朝廷は信長の天下と見ていた。
後は残敵の掃討作戦みたいなもん。
528 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:38
関が原の戦いで、意外に活躍した弟・有楽斎
その相手(西軍)戸田隊に信長の子がいて戦死したって本当?
信高だったか、信好だったか
529 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:40
>>527 結果的に掃討されたのは織田家。
いつ天下をとったんですか?
>>523 秤の統一と連動しているので武田領内では計数貨幣として通用しただろう。
とりあえず自分で甲州法度と武家諸法度と今川仮名目録を見比べろよ。
531 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:41
>>529 天下=京なので信長は天下を取った。
三好長慶も松永久秀も天下人。
532 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:43
>>530 升は統一されてたのか?小山田は?
>とりあえず自分で甲州法度と武家諸法度と今川仮名目録を見比べろよ。
は?その3つだけ見比べての結論??
533 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:45
それと軍制が甲州流なのはどーしたん?嘘?都合が悪いと放置?
534 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:57
>>533 少しは自分で調べて、史料を論拠に否定してみたらどうだ?
ゲーム厨さんよ。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 17:57
536 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:07
>>534 だから、どこが同じなんだよ
自分が史料の名前だけ出して、同じと言えば史料を論拠に肯定してるとでも思ってんのか?
ちっとは武家諸法度と甲州法度を見比べてみろよ、アフォか
どこが真似てるとか、具体的説明全くなし、バカだな
>>536 >ちっとは武家諸法度と甲州法度を見比べてみろよ、アフォか
いやだから おまえがな。
>>526 後にも先にも、官位/役職、好きなのどぞ〜て言われたのは信長だけ。
盛り上がってますね >落ちないように頑張ってた人
武田・徳川ネタみたいだけど( ´,_ゝ`)
武田スレ逝けって感じだけどね( ´,_ゝ`)
まあ信長が貨幣の一つ分国法の一つも作っておけばよかったんだな。
541 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:16
542 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:19
543 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:20
>>542 あのねぇ レベル低すぎ
お前と俺じゃあ知識が違いすぎる
544 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:20
まるで武田の方が強かったような言い方だなw
545 :
最初の武家諸法度(1615年制定:04/01/04 18:21
一、 文武弓馬之道専可相嗜事。
一、 可制群飲佚遊事。
一、 背法度撃不可隠置於国々事。
一、 国々大名小名竝諸給人各相抱士卒有為叛逆殺害人告者速可追出事。
一、 自今以後国人之外不可交置他国者事。
一、 諸国居城雖為修補必可言上。況新儀之構営堅令停止事。
一、 於隣国企新儀結徒党者有之者速可致言上事。
一、 私不可締婚姻事。
一、 諸大名参観作法之事。
一、 衣裳之品不可混雑事。
一、 雑人恣不可乗輿事。
一、 諸国諸侍可被用倹約事。
一、 国守可選攻務之器用事。
右可相守此旨者也。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:21
>>543 逃げばかりで、説明なしか?
おれってカコイイな
547 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:22
>>546 あのね、俺は甲州軍艦から史記まで全部読んでるの
だから俺は詳しいの
甲州法度なんて江戸時代の偽造なんだよ
甲州軍艦って何ですか?
550 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:24
>>547 とりあえず頭は不自由っぽいけど、説明できるの?
いつ信長が天下とったんですか?
551 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:24
軍艦知らないのか ぷぷぷ
553 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:25
升だってw
554 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:25
>>549 甲州の軍艦だから河川砲艦のことだろ(藁
555 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:26
518 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/04 14:01
軍制は甲州流。
貨幣制度は甲州金。
武家諸法度は甲州法度。
このあたりは明らかに信玄の影響。
荒らして逃げるバカさらしトコ
556 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:26
それを言うなら今川家だろうに
557 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:27
レベル低いなw
558 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:28
油注いでやったのに、元気ないぞおまいら
もっと戦えよw
甲州軍艦から史記まで読んでるんだぞ?レベル低いわけないだろ!!
甲陽軍鑑
561 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:29
518 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/04 14:01
軍制は甲州流。
貨幣制度は甲州金。
武家諸法度は甲州法度。
このあたりは明らかに信玄の影響。
信玄厨晒しage
562 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:30
釣られまくりだね
563 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:32
大漁ですね。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:32
甲州軍艦
565 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:35
信玄厨は釣りと言って逃げしますたw
566 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:35
甲州軍艦
軍鑑も変換できん香具師はレベル高いな。
568 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:38
実際家康は、信玄を手本にしてるんだけどな。
そもそも、家康の治世になって、農本に逆行したんだし、
信長や秀吉の諸法度は、家康のメンタリティにはあってなかった。
569 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:40
信長がいつ天下をとったんですか?
>>515 「死んだことを悲しみこそすれ喜びはしない、若いときから彼のようになりたいと思い
励んで得たものが多い」は、確か出典が「武功夜話」だから信憑性が薄いけどね。
武田軍の軍制は石川出奔以降、軍制の変更に迫られほぼ完全に武田流を
採用したといわれる。
制度だけではなく人も熱心で、武田旧臣のなかから選りすぐって井伊の赤備えを
編成できるほどだっだ。
なんでここまでしたかといえば、当然秀吉への対抗があったはずでね。
逆に信長から何を学んだかと言われると具体性論拠がないですね。
家臣団統率、領国支配、、、反面教師にしたのかも知れませんが。
571 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 18:45
そりゃ信長に見習って家臣に寝首かかれたくないもんなw
>>516 > 中央の掌握方法や決戦誘導主義、公家寺家を支配し武家による一元的な中央集権国家思想などは
決戦誘導主義以外は東鏡を参考にしたんじゃないでしょうか。
関が原の決戦誘導は三方原の武田軍の誘引作戦を模倣したとも聞きます。
逆に信長の桶狭間は窮鼠猫をかむ、姉川は不測の正面衝突、長篠も後詰めの
正面にとびこんでくれたという感じです。家康が参考にした印象はないですね。
573 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:00
>>570 >武田軍の軍制は石川出奔以降、軍制の変更に迫られほぼ完全に武田流を
>採用したといわれる。
採用なんかしてない
「武徳編成集成」でも読め
574 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:03
それより甲州軍艦読むのが先
河川砲艦の本なんかよまねぇyo
576 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:05
結局518は逃げたとw
577 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:08
信長がいつ天下をとったんですか?
578 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:08
井伊に武田旧臣が多かったのは、井伊が新参だから。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:09
朝廷は天下取ったとみなしていた。
580 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:13
581 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:13
>>579 調停は禁裏前に軍馬並べられると、誰だって天下人扱いだったじゃん、昔から。
582 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:17
いえいえ、三職推任など天下人です
安国寺恵瓊>>>(超えられない壁)>>>朝廷
584 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:22
蓮成院記録なんかでも既に信長が「上様」と呼ばれていたのが確認できます
585 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:27
だから何なんだろう。天下とれなかったことに変わりはないのにw
586 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:28
当時の人々は信長が天下をとり、信長が天下人だと認識していた
587 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:32
588 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:33
で、518は?
589 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:34
九州や関東以北は辺境の一部分でしかなかったからね
当時の概念では
590 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:35
591 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:37
592 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:40
甲州軍鑑なんて講談まがいでマンセーしてる信玄厨だしなw
593 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:43
俺もいい加減武田好きになって二十年近いけど
未だに甲州軍艦なんて見たこともない。なにそれ?
594 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:46
595 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:46
かわいいねぇ 君は
596 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:47
ぶw
甲州軍艦と書いたのを人の所為にしてるw
さすが518w
597 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:50
話をそらすのに必死な信玄厨
598 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:52
信長厨は中学生しかいないようだなw
599 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:53
518 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/04 14:01
軍制は甲州流。
貨幣制度は甲州金。
武家諸法度は甲州法度。
このあたりは明らかに信玄の影響。
まだ〜?
600 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:55
信長厨は話にならんな
低脳しかおらん
601 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:55
武家諸法度と甲州法度→共通点なし、信玄厨の嘘
軍制→全くと言っていいほど影響無し、つか甲陽軍鑑の捏造
貨幣制度→貨幣単位の名前だけ
602 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:56
>>599 反論の論拠出してみろって。
端から見てれば、きみのほうが厨房にみえる。
603 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:58
>>601 甲陽軍鑑の何巻にでてくるの?
当然読んでから否定してるんだよね?
604 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:58
>>602 反論の論拠出す前に、肯定の論でてないけど?
どこに共通点やらあるんだ?
605 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:58
606 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 19:59
>>601 書き連ねていれば証明したと思い込んでいる厨は本当にうざいな
氏んで欲しいよ、マジで
607 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:00
608 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:01
609 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:02
610 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:02
信長厨ってマジで頭悪そうな奴しかいないから
氏んだ方が日本のためになると思います!
611 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:03
で、どこに肯定の論があるんでつか?
なに低次元な口論してんだ?
こんなことならまたドナルドが降臨してスレが廃墟になった方がまだマシ
613 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:09
>>608 『紀要』という本に「甲陽軍鑑末書について」という研究論文が載ってて
そこに該当する原文がある
持ってないから何ページかは知らん
614 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:10
ついでに甲陽軍鑑末書の翻刻本が存在するかは知らん
甲陽軍鑑と混同されがちだが、別物だしな
615 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:13
616 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:16
617 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:18
あ〜粘着信長厨ってヤダな〜
はっきり言ってキモイよ
618 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:19
信玄厨は煽りとのみ
>>618 内容の無い書き込みしか出来ない信長厨相手では
煽るくらいしか出来ないしな
620 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:23
621 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:24
>>619 518 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/04 14:01
軍制は甲州流。
貨幣制度は甲州金。
武家諸法度は甲州法度。
このあたりは明らかに信玄の影響。
まだ〜?
622 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:34
515 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:04/01/04 12:00
>>514 家康が天下を取れなかった信玄から学んだことなんて殆ど無いよ。
実際に天下をとって見せた信長から学んだ事は大きいけどな。
いつ信長が天下をとったんですか?
624 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:35
信長は近畿の地方大名
当時東京は北条家が占領していた
>>622 3色の話があるじゃん。
3色ってなんだっけ?関白、征夷大将軍、あとひとつは何だっけ。
太政大臣
627 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:43
管領、探題、守護・・・・じゃないの?
>>626 結局受けなかったんだよね。天下は目の前にあったけど、取らなかったということか。
人から貰う天下なんかいらないということなのかね。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:48
630 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:50
>>629 当時の人間の天下の概念では信長派天下人。
全然苦しくない。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 20:59
>>630 信長厨の都合のいい解釈でしかない
天下人って言葉自体が「実際に天下をとった人」という意味と
「近く天下をとるであろう人」いう意味がある
信長は間違い無く後者
少なくとも天下をとった家康の認識では「天下をとり損ねた人」だろ
632 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:03
>>631 家康の認識で語るなら、家康の認識が変わったと見るべき。
少なくとも信長在命中は信長を天下人とみなしていたし。
633 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:05
みなしてねーよ
どこにそんな証拠があるっつんだよ
じゃあ、滋賀県知事は総理大臣とでも?? ぷぷぷぷ
634 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:05
>>632 天下をとりそうな人→天下をとり損ねた人
こういう変化でいいですか?
635 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:09
>>634 「天下」はとってた。
全国平定すれば天下をとったとするのは、現代人の感覚。
朝廷のお墨付きで、日本中に号令できる権威は信長にはなかった。
武力制覇を終えていない以上、朝廷の権威を借りないとそんな権限はなかった。
だから三職受けなかった時点で、まだ天下人ではないことになる。
その意味では天下を取った秀吉、家康とは違う。連中はそのお墨付きを得ている。
・・・信長の野望のやりすぎ?朝廷から使者が来るとゲームーバーなんだけどな。
637 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:18
>>635 あれで「とってた」というのは信長厨の感覚
638 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:20
>>637 当時の史料から、天下人と認識できますが何か?
639 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:24
640 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:26
>>639 バカ?なんで歴史で織豊時代とか、安土桃山時代という素人でも明確な時代分けしたか理解できる?
ではなぜ室町と戦国は時代区分が分かれたのか。
将軍が足利から代わったのだっけか。
642 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:34
>>640 少なくとも信長が天下をとったからでないことは分かるよ
643 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:36
>>642 少なくとも信長が天下人と認識され、時代区分を分けてるのが明確に出てるって事だw
多聞院日記でも「信長ノ敵ハ一人モ無之」と書かれて、後は残党処理ってことやね
644 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:40
時代区分は後世の学者が便宜的につけただけでないか?
弥生時代とか縄文時代とか。
645 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:42
そう学者が便宜的につけただけ
でも学者が時代区分するって事の意味を考えよう
646 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:49
>>643 室町→江戸の間の区分分けはそこまで明確な認識のもとに設けられたわけじゃ
ないだろ。織田単体でなく豊臣とひとまとめだし。
あと戦国時代の終了をいつとするか、という議論にも信長の名前は全く出てこない。
信長が一度天下をとったという認識が主流ならそこで一度終了という説があっていい
もんだが。
それにいつの間にか現代の話混ぜてるけど、オマエさっきまで当時の人々の認識を
説いてなかったか? 現代の感覚でいけば天下とったことにならないと言ってただろw
647 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:53
>>646 学者が時代分けしたってのは、史学者が史学的見解で分けてるって事だ
史学的見解とは、当時の史料研究からの見地だ、理解できたか?
648 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:55
織田、豊臣時代に社会体制が著しく変化したからだろう。
例えば室町末期と戦国末期の国民総生産を比べたらえらい違い。三倍も増幅している。
時代区分は基本的に社会体制の大変動、或いは経済力の著しい増加で決める。
普通はそうする筈だ。ロシアの歴史なんかロシア人の中央集権が確立するまでモンゴル支配下の話は一切しないじゃない。
時代を区分するのは、文化や社会構造を象徴するものを分類するための便宜的なものだろう。
縄文と弥生なら土器、戦国と安土桃山なら美術の狩野派、城郭と城下町かな。織豊系とかいうね。
それが天下となんの関係があるのか。
というか、天下とはなんなのか定義してくれないと困る。
650 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:58
>戦国と安土桃山なら美術の狩野派、城郭と城下町かな
???????
651 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 21:59
因みに、自分の高等学校ではロシアの話はツァーリの話が来るまで全く無かった。
モンゴルの話に掠りもしない。
経済の授業だって、独占資本主義、修正資本主義、帝国主義……と時代を分けている。そんなもの。
信長と秀吉の時に中央集権の動きが具体化し、重商主義的な流れ、身分固定の動きが出来た。
これは否定しがたい事実だ。
天下の定義を
653 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:01
>>649 なんで安土大坂時代と言わないんでつか?
654 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:02
655 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:06
>>647 史学者の史学的見解として信長が戦国時代を終結させたというものはほとんどない。
つまりは時代区分として豊臣と合わせてなら組みこむに値するが、その実態は
戦国乱世のままってこと。室町末期の将軍とたいして変わらんポジションだなw
656 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:08
>>655 戦国時代は集結してるとしてる、これ史学的見解。
だから時代区分が変えられてる。
素人のおまいがどーわめこうと、これ事実。
史学上の戦国終結−安土桃山時代開始はいつですか
658 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:21
659 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:23
であれば、信長が天下を取ったのは天正元年〜天正八年の間ですか
660 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:26
>>656 ハァ??いつだよw
有力なのは秀吉の北条征伐完了時か関白になった時だろ。
661 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:30
662 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:35
663 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:36
武田攻めでさえ、「天下」に対して「悪逆造意」を為すことはその罪許し難いので「退治」するとなってる。
家成日記でも、信長の行動は「御成」、信長は「上様」と表記。
664 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:50
>>663 そんなん意味ないでしょ。徳川の家臣の著書なんだし。
秀吉病死直後には徳川の家臣は家康のことを「上様」とか呼んでるけど、端から
見れば関ヶ原に勝ってこその「上様」。
665 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 22:54
>>664 家成日記は、そのまんま日記。
家康家臣が、信長生前中に信長の行動を「御成」と呼び、「上様」と読んでいた事が重要。
御成の意味する事を調べるよろし。
666 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:02
>>665 徳川が織田の家臣同様になってからだろうし、たいして意味ないだろ。
日本中から「上様」と呼ばれるのが天下をとった人間。
当時信長を「上様」と呼ばない大名、もしくはその家臣が大勢いたのは事実。
御成の意味くらい知っとるっちゅーの。
他にも「蓮成院記録」「多聞院日記」が信長を「上様」と表記。
668 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:08
>>667 だからどうした?
毛利や上杉が信長を「上様」と呼んでたのか?
669 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:09
>>666 >日本中から「上様」と呼ばれるのが天下をとった人間。
はい?意味分かってんの?
つか、たいして意味ないだろ????
史学わかってんの?
670 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:12
668じゃないけど
>>669、「上様」は重要なのかそうでないのかどっちだ。
家成は重要で、謙信が重要でない理由は何だ。
671 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:13
敵対してたら呼ぶ訳ないじゃん。
しかし、上杉や毛利は、地方の反乱程度にしか見られてないよ。
毛利や上杉がどう呼んでたなんてのは、すでに問題外なんだよ。
672 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:19
>>670 家康家臣が「上様」「御成」と使うのは家康が信長をどう見ていたかに繋がる。
上杉や毛利がどう呼ぶかなんてのは
>>671参照。
すでに九条家文書にも「天下太平之時節」と書かれているように、
すでに天下はおさまって、残るは地方反乱のみという考えだったんだよ。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:21
>>671 九州や東北の大名、その家臣も「上様」とは呼ばんだろ。敵対してないけど。
同盟者ではあったが、北条あたりも信長を「上様」とは呼ばなかったろう。
上にも書いたけど、秀吉死亡直後に家臣筋にあたる連中が家康を「上様」と
呼んでもその時点で家康は天下をとってないわけだし、「上様」なんて言葉を
その定義を鵜呑みにして持ち出しても意味ない。
家康の家臣なら、家康が信長を上位に見てるのは分かるもんなあ・・・
>>672 京都が平穏なら天下太平だな。
>>672 信長と家康の主従関係は、天下とは関係があるのかな。
>>673も書いてるけど、誰が誰を「上様」と呼ぶかは相対的であって
根拠の浅い論拠ではないかな。
家成の言動は、それ自体としては天下掌握の論拠にはならない。
676 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:52
>>673-675 北条は右府と呼んでる。んで、家臣以外の人間も上様と呼んでるのは挙げた。
君は、どの史料に何て書いてあるのか全く書かないで「秀吉死亡直後に家臣筋にあたる連中が家康を「上様」」
と書いてあるが、史料名ぐらい挙げて欲しいし、家臣以外の武家以外の人間がそう呼んでる史料は挙げてないね。
で、当時の人間の概念では、信長が天下をとり、武田などは退治などという言葉に表されるように
地方反乱の征圧でしかないわけ。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/04 23:57
右府と呼ぶのはそれ以外に信長に役職が無いからだよな・・・
激論していまね。
私、あまり歴史はこの板の方見たいに詳しくないですが、
結局、現場で本当に天下取った人間 信長を見てきた
秀吉・家康が天下を取った。と言う事は、天下人の下で学ぶものは+も-も
非常に大きな影響を与える事になる。
現代で言えば、凄腕経営者の下で学べば、そこらの経済本を読むより非常にためになると言う事じゃないかな。
恐らく、天下人から 一番大きなモノは「運」を学んだと思います。
どんなに、強い武将も運がなくては朽ち果てる。
679 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:00
680 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:01
右大臣もらってるヤツを右府と呼んでも天下云々は関係ないだろ。
秀吉晩年に内府と呼ばれた家康は当時天下をとった人間か?
どんどん言ってることが苦しくなってるぞw
681 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:04
>>679 敵対しても無い奴を呼び捨てにするなよw
682 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:04
>>680 あのなぁ、普通は他の大名を役職で、しかも自身より高い地位なら尚更役職で呼ばんよ。
バカ相手にすると疲れるわ。
683 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:05
>>681 敵対して無くても、自身の家臣やなんかには呼び捨て。
684 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:07
>>682 じゃあ、秀吉が生きてる間に家康がいろんな連中から内府と呼ばれてたのは
全部捏造なのか?
685 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:08
まず北条氏政が誰に対して信長を右府と呼んでいたのかを
教えてもらえないだろうか。
686 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:09
687 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:13
北条は対武田で同盟したし。「舎弟になる」とかいったんじゃなかったかな。どうだっけ。
謙信はプレゼントとか貰ったから文通してたはずだけど、なんて書いたのかな
688 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:14
>>686 バカを相手にすると・・と言ったと思えば、バカか?と聞いてみたり、よっぽどオマエの
方がムキになってるバカに見えるわけだが・・。
豊臣政権下だと何がどう違うか説明しような、バカじゃないなら。
従二位内大臣だから内府って呼ばれてるじゃん。
上杉景勝も会津中将ってよばれてるし
690 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:23
>>688 バカだけに説明せんとわからんのか?
豊臣政権で起きた権力闘争の延長で起きた関ヶ原と、戦乱の中で統一政権の成立過程での
外勢力の恭順の意味としての呼び名を混同するのかと聞いてるんだよ。
朝廷の官職だから下手に変えると朝廷を軽んじてることにならからねぇ
692 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:39
>>690 おちけつw
内府云々に関しては関ヶ原は関係ない。秀吉存命中から諸侯が家康の呼び名として
使ってたわけだが。
そもそもなぜ北条は「上様」と呼ばなかったか考えてみろよ。
地方の大名が「上様」と呼ばなかったこともロクに説明できてないし。
地方の反乱というが当時の織田陣営に「反乱」と捉える資格はない。
実力で圧倒しているだけで、地方の大名に忠誠を誓わせたわけでないから。
少なくとも天下をとった秀吉・家康は「上様」と呼ばせる権力者だったわけで。
693 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:39
それにしてもどうでもいい事で揉めるね。
694 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:42
公家にとっちゃ京都が平和なら天下泰平。
絶対権力の名のもとに敵対勢力を潰したかったんだろ?
上様と呼ばれてる人達は皆朝廷に認められてるし
696 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 00:45
>>692 地方の反乱と捉えたのは、朝廷や寺社関係。
そんな事も知らんのか?
つか
>地方の大名が「上様」と呼ばなかったこと
は?秀吉の時に皆が皆「上様」と表現したか?
重要なのは、信長家臣に宛てた書状でもないのに、家康家臣の日記や
寺社関係の書状に、信長の事を「上様」と書いてある事なんだよ。
あー、そっちのことね^^
上様と呼ばないと勘気をこおむるからね秀吉の時も呼んでたよ
関白になるまでだけど・・・
秀吉なら「皆が皆」で、信長なら皆じゃなくてもいいのかな。
とまれ、学校で教わった限りでは戦国の終了は小田原参陣で、全国すべての大名家に
号令できる権威を秀吉が手に入れた象徴的事件として、太閤検地や刀狩と並ぶ
エポックとされていたのだが。
時代は次々と新説を生んでいるように見える。
確かに。 残ってる記録もホントかどうかわかんないしな
700 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:01
秀吉を「上様」と表現したのは天正15年の福智長通が書いた書状が初見。
天正15年って西暦何年だっけ?
702 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:07
1587年
そんくらいか。ども^^
704 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:12
ついでに面白い事に、それまでは依然として信長が「上様」だった。
一応秀吉も織田家の家臣だしね。
それにしても信長の子は皆悲惨だねぇ
706 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:20
>>696 主語を省略しておいて「そんな事も知らんのか」とはねぇw (
>>671)
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
当時地方大名には織田に従う義理はないから。
一般的に「反乱」とみなせるのとみなせないのとでは大きな違いがある。
織田の武田征伐の際の「退治」なんかは織田とその勢力下でしか通用しない
言葉だし、まだ自ら「天下」を気取っていた段階。限りなく近づいていたのは事実だが。
とりあえず秀吉・家康は全国どこの勢力であっても従わなければ「反乱」とみなせる
体制を築いた。信長は(ry
秀吉のことを皆が皆上様と呼んだかなんて確認のしようがないだろw ガキみてぇw
それに徳川は織田の家臣、寺社にしてもバリバリ織田の勢力圏なんだから、
当時織田が天下をとったという事実を客観的に確定づける論拠にはなり得ない。
日記形式だとしても、自分だけが読むために書いたものではないだろうし。
とりあえず東北・九州などの寺社が信長を「上様」と呼んだとは思えない。
そして内府のことはもう有耶無耶ですか?
なぜ北条は「上様」と呼ばなかったのですか?? ていうか、明日早いからもう寝る。
>>698 例の人が勝手に天正説を一般論と断定してるだけかと。
706やるねぇ^^
708 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:23
>>706 >どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
は?何言ってんの、このバカは?
さぁねぇ
理論の無い煽りは荒らし同然
確かにm(__)m
で、ハンニバル。おまいは何をしたいのだ?w
713 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:32
客観的に見て、当時の人間は信長を天下人とみなし、それに逆らうから
朝廷は武田などを「退治」という表現したんだよ。
つか「征伐」という言葉も意味わかって使ってんのか?w
>とりあえず秀吉・家康は全国どこの勢力であっても従わなければ「反乱」とみなせる
>体制を築いた。信長は(ry
もうね、朝廷を否定したバカの書く内容が矛盾しまくってるので笑えるよ。
>日記形式だとしても、自分だけが読むために書いたものではないだろうし。
初耳、誰に見せる為に書いたんだ?家成日記の内容を知ってるのか???
「だろう」とか憶測だけで断定する厨にはほとほと(ry
>そして内府のことはもう有耶無耶ですか?
日本語も読めませんか、バカには何言っても無駄だな。
北条が右府と表現したのが不満か?皆が皆「上様」と書くとでも?
バカすぎ。
714 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:33
てゆうか信長の天下人なんて三好長慶と同じ意味の天下人だろ
秀吉・家康を指す、天下人とは全然違うし
715 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:35
716 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:35
713は苦しそうだな
いろいろな意見をきいてみたかった
718 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:37
719 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:39
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
どの道朝廷等であったとしても「反乱」とみなすのはお門違い。
720 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:46
最近やっと信長の限界が明かにされて嬉しい限り
721 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:46
518 :無名武将@お腹せっぷく :04/01/04 14:01
軍制は甲州流。
貨幣制度は甲州金。
武家諸法度は甲州法度。
このあたりは明らかに信玄の影響。
まだ〜?逃げっぱなし?
722 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:47
もう昨日のレスじゃん
723 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:54
信玄厨は言うだけ言って逃げっぱなし
信長厨は煽りにめげずに答えてくれる
結果は歴然だね♥
725 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 01:59
天正9年には「芸州征伐」の為、信長が「御朱印」で大友・島津に和睦を命じて、両氏ともそれに従ってる。
近衛前久も島津に勧告して、島津義久から大友義統へ豊薩和睦を祝う書状等が送られてる。
「大友家文書録」「島津家文書」で見られる事実。
信長はいつ天皇を安土に移す気だったのだろう?
>>721 少なくともそのうち二つは誰が調べてもすぐ分かることだろう。
729 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 02:55
>>726 清涼殿に似た建物の跡こそ発見されているが、天皇を移すとなれば
公家衆の屋敷から何から必要になるわけで、安土はそこまで整備
してない。故に天皇を移す計画は無かっただろう。
せいぜいイベント時に行幸いただくぐらいで。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 02:58
>>728 誰でもわかるんですが、518とは違う意見になるようでつがw
信長は公家を嫌っていたから公家そのものをなくしていたかも
嫌っていた? 何を理由にそんなことを?
まああれだ
「天下をとる」をどう定義するかを決めないと
「当時の民衆が天下人だと認める」だと信長・秀吉・家康全員が天下人だろうし
「当時の大名等多くの権力者が天下人だと認める(認めざるを得ない)」なら秀吉・家康は問題なしだが
信長は最有力ではあるが決定的という程ではないかと
また「ほぼ全土に強力な影響力を持つ」なら秀吉は体制的に微妙・家康は旧ロシアのような独裁ではないものの相当な力を持っている
「社会が安定している状態を持続出来る体制を築いている」なら家康だろう
735 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 15:52
だから「当時の民衆が天下人だと認める」だと三好長慶も天下人でしょ
736 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 15:54
>>735 民衆が三好長慶を天下人だと認めてたんですか。
どんな風に?
一人でずっと張りついて・・どうしても信長を天下人にしたいらしいな
まさに信長厨の鏡だw
自分意に添わないレスは1人なんです
739 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 21:07
741 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 23:01
甲州軍艦age
>>740 さすがに天下人ではないだろう。
天正初期、最も天下人に近かった男だとは思うが。
743 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 23:47
744 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 23:50
天下を取れずに横死。これが事実。
745 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 00:13
>>739のサイトで紹介されている鈴木眞哉氏の『天下人史観を疑う』は
わしも読んだが、「京を治めたという意味での天下人」として
三好長慶も松永久秀も天下人と当時呼ばれていたという事は、鈴木氏は
ちゃんと紹介しているわけで・・・・
変な感想を書く奴もいたものだな。
746 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 00:15
『天下人史観を疑う』では信長は「京を治めたという意味での天下人」でしたか?
>>745
>>735 書き忘れたが俺の中では三好の香具師も天下人の範疇に入る
ただ「当時の大名等多くの権力者が天下人だと認める(認めざるを得ない)」については三好はどうだろう
つーか天下人の定義決めようよ
748 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 00:29
>>747 狭義の天下人=京都を支配する
広義の天下人=日本全土に号令する
とするならば、
三好長慶も織田信長も京都を支配化に置いた狭義の天下人でしょう。
信長が号令しても東北・中国・四国・九州では実効力が無いわけだし。
仮にどこの誰が「信長が天下人であとは反乱勢力だ」と言ったところで、
実効支配できていない以上は広義の天下人では有り得ない。
>>748 九州で和睦の仲介をしたから天下人だとか言い出す奴が出る罠。
信長厨流の天下人(絶対定義)=信長
和睦の仲介なら今川義元タンだってやったよ!
やっぱり義元タンは天下人だったんだ!
752 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 00:39
九州で和睦の仲介?
和睦命令は出してるが?
信長が天下人ではないという奇妙奇天烈な論拠はなんだ?
定義から逃げるな
>>754 素人が定義付けしなくても、史学者の間では信長は天下人のよーですが
757 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:12
鈴木眞哉は何時から史学者になったんだよ?w
地元だった雑賀の研究には脱帽するが。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:24
今日も真性信長厨は健在なようで
甲州軍艦age
だいたい「素人が・・」といって一蹴するくらいなら、三戦板などに来るなよw
某スレでもアホ丸出しだったが、
甲陽軍鑑だぞ。 ヴォケにしても酷杉。
766 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:35
狭義の天下人=京都を支配する→三好長慶・織田信長
広義の天下人=日本全土に号令する→豊臣秀吉・徳川家康
これが真実
767 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:39
>>759 鈴木氏は史学の天下人史観で信長が天下人と言われてるのに疑問を持ったから
あの本書いたんだが?
768 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:41
>>767 史学者?具体的に誰よ?
与太本書いてる作家先生じゃないだろうなw
769 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:43
>>768 読めないの?信長が天下人だというのは史学上の定説
誰それなどと言う話じゃない
770 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:45
信長を天下人などと呼んでいるのは作家しか知らんよ。
史学上の定説であるならば、誰かがちゃんと書いてるんだろ。
れっきとした学者がよ。
で、誰よ?
771 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:46
定説なのに個人名あげる方が無理
772 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:47
素人が定説とわめいても説得力ないですよ( ´,_ゝ`)プッ
773 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:48
>>771 むしろ定説ならいくらでも上がるのでは?
774 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:51
>>772 史学でも天下人なのに、素人が違うと喚いても説得力ないですよ( ´,_ゝ`)プッ
775 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:52
>史学でも天下人なのに、
この根拠を求められたド素人が定説とわめいてる状態だろ?何開き直ってんだ?
776 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:54
ふーん、鈴木眞哉は定説でもない信長天下人史観に異議だして本出したんだ
777 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:54
「世間一般で天下人だと思われている」というのではなく、
「史学上の定説」と言い切ったからには、
誰か学術的ににそのように説明した人がいるのだろうよ。
で、それは誰よ?
778 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:55
779 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:57
>>776 世間一般ではそう言われているし、鈴木氏も学術書を出したのではない。
また『天下人史観を疑う』は信長批判本というわけではない。
780 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:57
>>775 噛み付いても史学では定説なんでw
頑張って学習してくださいw
781 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:58
ショボい天下人=京都を支配する→三好長慶・織田信長
本物の天下人=日本全土に号令する→豊臣秀吉・徳川家康
これが真実
782 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:58
>>779 信長批判本じゃないが、天下人史観批判の一環として信長が出てくるのは何故?
783 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:59
784 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:59
>>782 世間一般では信長・秀吉・家康を天下人と括るから。
だから「では天下人とは何か?」となる。
785 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 01:59
ト素人いわく史学では定説
ここから一歩も進まないな
DQNが煽るだけで
時間の無駄だな
おやすみなさい
786 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:00
で、「史学」を持ち出したからには学者の名前挙げてくれるんだよね?
787 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:02
788 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:03
789 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:05
790 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:07
>>789 どれも信長を「天下人」と呼んでいないのだが・・・
791 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:08
佐々木潤之介 「信長における『天下』と『外聞』について」 『新潟史学』8(1975)
高木傭太郎 「織田政権における『天下』について」 『名古屋大学文学研究科院生論集』9(1980)
石井洋一 「織田信長発給文書にみる『天下』‐天正年間を中心に‐」 『早稲田大学大学院文学研究科紀要』別冊10(1984)
792 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:09
西ヶ谷恭弘 「京都における足利氏政権・“織豊政権”の築城‐室町将軍と信長・秀吉の御所と築城‐」 『城郭史研究』16(1996)
793 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:10
単に「信長」と「天下」で検索しただけだろw
794 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:10
今井林太郎 「信長政権の歴史的意義」 『思想』282(1947)
795 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:12
永島福太郎 「信長政権の消長‐国衆と郷衆‐」 『日本史研究』50(1960)
脇田修 「近世封建制の成立‐信長政権を中心に‐」 『封建国家の権力構造』 創文社(1966)
奧野高広 「織田政権の基本路線」 『國史学』100(1976)
脇田修 『織田政権の基礎構造‐織豊政権の分析?T‐』 東京大学出版会(1975)
脇田修 「織田政権と室町幕府」 時野谷教授退官記念『日本史論集』(1975)
796 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:12
史学者にしても「信長は天下人」という昔からある認識の上に立って
書いてるだけで、学術的に「信長が天下人であること」を論証できた
人はどのぐらいいるのでしょうか。
797 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:14
藤木久志編 『織田政権の研究』戦国大名論集17 吉川弘文館(1985)
藤田達生 「織田政権から豊臣政権へ‐本能寺の変の歴史的背景‐」 『年報中世史研究』21(1996)
久野雅司 「織田政権の京都支配‐村井貞勝の職掌の検討を通して‐」 『白山史学』33(1997)
798 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:16
脇田修 「織田政権下の惣について」 小葉田淳教授退官『国史論集』(1970)
799 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:17
「織田政権」てのは変な表現だよね。
信長には全国に号令するような政治的権限は無いのに。
やっぱり秀吉が天下を統一したというのが「信長は天下人」の
根拠なんだろうね。
800 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:18
「だろう」と憶測で物語る阿呆
801 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:18
素朴な疑問。
天下人と天下統一をした人は、同じでなくてはならないのか。
信長は統一はしてないが、天下人だとは思うのだが。
802 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:20
>>801 三好長慶的に天下人ですね。統一はしていませんが。
>>800 何でも断言できるような奴は神しかおらん。
とりあえず、「天下人」と書いてあったのは
>>778だけか。
小島氏本人が「天下人」と書いたかどうか、及び、小島氏が民俗学者という点が争点になりそうだが。
805 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:24
ググると
「信長」337000件
「秀吉」204000件
「家康」186000件
「信長」「天下人」3880件
「秀吉」「天下人」4660件
「家康」「天下人」3670件
「織田政権」466件
「豊臣政権」10500件
「徳川政権」2200件
「織田の天下」34件
「豊臣の天下」145件
「徳川の天下」374件
806 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:25
>>805 「家康」「天下人」の方が「織田」「天下人」より少ないのか。・゚・(ノД`)・゚・。
807 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:26
808 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:27
全国に号令することもできない「織田政権」
809 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:28
三好長慶と決定的に違うのは、朝廷や寺社での扱いと、室町幕府下での権力
また五機内を制圧していない為
810 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:29
大友・島津を「芸州征伐」の為和睦させ
関東以降は「置目」などを指示して、全国へ指示出してますなw
>>807 手元に無いので読めないよ。マジすまん。
812 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:30
史学者が織田政権などという表現を使って、信長が天下人だと認めてるのがわかったねw
813 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:31
史学者ってエライ少ないんだなw
814 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:31
天下統一事業では、中国、四国、九州を平定し、1590年に小田原の北条氏を滅ぼし、
同年に東北を平定。
これと並行して、大名間の私戦を停止した「惣無事令(そうぶじれい)」、海賊停止令(1588年)、
刀狩令(同年)、喧嘩停止令、身分統制令(1592年)といった「豊臣平和令」ともいうべき法令を
あいついで発する。
「惣無事令」、これこそが天下統一という感じだな。
(ソース)
http://homepage2.nifty.com/mazzn/185189.htm
815 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:32
>>810 和睦とか指示出すだけなら義昭ですらやってるわけだが
816 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:35
>>815 和睦仲介でもないんだが?
毛利征伐に影響するから戦争止めろって言ってるんですが
817 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:37
信長による全国の統一が成っていないことは一目瞭然なのに、
必至な奴もいるもんですね。
818 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:37
で、素人さんの反論は?
819 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:38
>>817 全国の統一ってノブヤボやってればいいんじゃないの?(プゲラ
820 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:38
821 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:38
義昭は将軍じゃん・・・
822 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:39
823 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:40
824 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:41
島津も大友も、信長なんぞの命令でよく和睦するね。
826 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:43
>>825 じゃあ都合がよくなかったら和睦しなかったの?
827 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:45
島津は確か秀吉からの停戦命令は無視したことあったような・・
その時は都合良くなかったんだろうな
828 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:45
あのまま戦になった場合、秀吉は毛利に勝てたのだろうか ?
勝たなくては信長の天下など、下天の屁みたいのもんだろ。
829 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:46
強制力の無い命令じゃ義昭in鞆幕府の御内書と変わらんのでは
830 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:48
>>823 毛利へ上洛援助の督促命令だしてるが、その結果は?
何回出されたとでも?
831 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:49
>>828 普通に秀吉が勝っただろ。
毛利なんざ、三人揃って援軍に来たものの、秀吉を蹴散らしに行くことも
できない兵力だったんだから。
もし毛利が本当に大軍でやって来てたら、秀吉があっという間に負けて
終わってたはず・・・
832 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:49
>>828 どっちにしても、今の話の流れとは関係ないので、後にしてくれるか?
834 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:50
>>831 それなのにわざわざ信長呼んだということは、本能寺の変は
光秀と秀吉の共謀だったんだね!
835 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:50
>>829 強制力なかったのに従ったのはなんでかな〜?
836 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:52
>>830 確かにそれは断られてるな。ていうか、無視か。
けど上杉・武田は一時的に命令に従い和睦したはずだが。
晩年の信長の命令ならば当時の地方の大名達が皆従ったと思ってる?
838 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:54
>>835 どうやったら毛利や長宗我部飛び越えて強制力を行使できるんだよw
839 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:56
>>836 御内書で、武田勝頼・上杉謙信・北条氏政が和睦するようでてるが、
北条は無視して、結果、武田と上杉が一時的に和睦
840 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:57
>>838 長宗我部なんて、この時は問題外もいいところですが?
841 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:58
>>840 これから征伐しに行くところだったのでは
842 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:58
秀吉の「惣無事令」も強大な軍事力があったればこそ。
家康の「元和偃武」にしてもしかり。
信長はあの時点ではまだ見透かされてるよ。
843 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:59
>>841 は?えっと、島津と大友を和睦させた時とか、そのときの長宗我部と織田の関係すら知らんの?
844 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 02:59
>>842 秀吉は従わなかった奴を滅ぼしに行ったけど、
信長は無理だもんなw
845 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:00
>>839 だから信長の命令が当時絶対だったとでもいうのか?
846 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:00
惣無事令は無視されてるじゃん
島津や北条、伊達にw
847 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:01
>>845 少なくとも従って、無視されなかった事実が残ってますが何か?
848 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:01
>>846 無視した奴を征伐したのが秀吉。
1580年の信長が、大友や島津をどうこうできますか?
849 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:02
>>847 それと「強制力があったかどうか」は別問題
850 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:03
>>849 だから強制力なかったのに、従ったのはどーして?
都合が良かったなら、どう都合良かったのか説明してくれよ
851 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:03
852 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:07
>>851 信長が島津に大友との和睦を勧告した年だからでしょ。
853 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:07
851 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:04/01/06 03:03
>>848 1580年?はい?
このバカはこういうムダなレスが多すぎると思うのは俺だけ?
854 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:08
>>850 毛利征伐に参加せいちゅう話は大友には都合が良いな。
少なくとも。
855 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:11
856 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:13
857 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:14
信長って島津義久相手に近衛前久を送り込んで和睦させるとか、
結局朝廷の権威をチラつかせてやってるわけでしょ。
本願寺とも朝廷引っ張り出して講和に持ち込んだし。
まあ一応は「政権」と呼べるんじゃないのかな。
朝廷の力をバックにあれこれやるってことは。
858 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:14
>>851 織田信長、大友義統へ正親町天皇「勅定」を受けて命令を通達する。その内容は、「関東」は残さず「奥州」の果てまで
正親町天皇「綸命」に任せて「天下静謐」となったが、「九州」については未だに「鉾楯」が継続していることは不当であり、
国境紛争について大友義統と島津義久の意見を聴取し、追って命令を下すこととし、先ず大友義統・島津義久間の「弓箭」を
停止すべきことは正親町天皇「叡慮」であるので、この旨を遵守しなければ急ぎ織田信長「御成敗」が行われることになって
おり、この通達に対する返答は各自にとって「一大事」であるから分別のある返答をするよう命令。
これね、で、和睦したのが1581年
で、島津大友をすぐにどうこう出来ないとは思うが、それを言えば
秀吉も島津への停戦和睦命令から、1年以上かかってるが?
859 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:17
860 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:17
信長も朝廷を利用して「俺が天下人だぞ〜」とやっていたのは
秀吉と同じだけど、
実際問題として従わない奴を全部潰す前に死んじゃったからね・・・
861 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:18
>>854 毛利征伐に参加しろって命令でてるんですかw
初耳ですよ
862 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:19
863 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:21
>>861 え?少なくとも島津にはそう言ってるよ?
864 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:24
>>863 1580〜81年にかけての豊薩和睦命令に関してみたが、毛利征伐に参加しろというのはなかったが、
いつ頃でた書状に書いてあるの?
というかマジでヤバいので寝る
866 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:28
867 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:28
横槍スマンが、信長が「出馬」するんじゃないの?
869 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:31
>>868 芸州に出馬するから、その時は奔走して忠義を示せよ〜
とかいう奴じゃなかったっけ。
870 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:33
>>866-867 もしかしてこれを毛利征伐へ参加と勘違いしたのか?
「来年芸州において出馬すべく候、その刻別して御入魂…」
871 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:34
違うってレスしてるだろ
リロードもできんのか、信長厨
872 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:35
その時は「奔走」して「天下」に対して忠義を尽せだな
>>870 すぐ前からのコピペはかっこわるい・・・
874 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:36
バカみたいにリロード繰り返してないんでねw
リロードしまくってるのか、このバカはw
875 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:37
876 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:38
書きこむ直前にリロードする人間はバカとは言わない。バカ以外は。
で、どう解釈したんだ?
878 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:38
で、どこが毛利征伐に参加しろという命令なんだ?
879 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:39
結局大友は毛利征伐に参加するの?しないの?
881 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:40
882 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:40
これは島津宛だから、バカの意見だと島津に毛利征伐に参加しろってことになるがw
883 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:40
884 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:41
>>883 それが
毛利征伐へ参加しろと言う命令なんですか?
885 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:43
886 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:43
>>882 させればいいじゃんw
秀吉もあちこちから集めて征伐するの好きだったしw
888 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:44
>>886 だからムダな煽りはいいから解釈とその根拠を説明しる
889 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:45
毛利征伐に際して、参加する命令じゃなくて、何らかの協力して誠意を見せろ程度だろ
どう読んでも
信長=天下人を盲信してる人、そーとー精神年齢低そうだな。
この板で目立つんだから凄い。
891 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:46
892 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:46
>>888 無駄な煽りはいいから、根拠と解釈よろ
>「奔走」して「天下」に忠義を尽せ
これが、毛利征伐へ参加しろという「命令」になるというな
島津と大友が和睦する
↓
島津が大友領を侵さない
↓
大友の目が北に向く
↓
毛利の兵力が西に割かれる
↓
織田(゚Д゚)ウマー------------!
894 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:48
>>893 実際問題として、毛利家は対大友に兵を割かれて、高松城への援軍は
一万ほどだったらしい。
>>889 酷く曖昧な解釈だな。根拠もないし。
「奔走して忠義を示す」に値し、かつ毛利征伐参加とは異なる
「何らかの協力」とはなんだ?
897 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:49
>>892 毛利は「天下」の反逆者なわけだから、
これの征伐に参加すれば「奔走」して「天下」に「忠義」を示せるじゃん。
898 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:49
ま、史学的にも天下人だしな、素人が何の史学的根拠を持っての解釈なしに喚いてもなw
>>891 兵ださない協力もありますが何か?
毛利と共闘してた竜造寺抑えても十分毛利征伐に対しての協力になるが?
899 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:50
>>895 燃料補給とか
物資輸送とか
復興支援とかじゃないかな。
900 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:51
>>895 おいおい、「奔走して忠義を示す」が毛利征伐に参加命令の方が曖昧で根拠なしだぞ
901 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:51
>>893 織田からみればそうなるし、そうさせるための近衛前久が行ったんだろう。
902 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:52
>>900 むしろ出兵以外に何とか「奔走」の内容を考えようとしてる方が強引
島津と大友で航路封鎖して南海交易封鎖するのもある
904 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:53
>>899 例の資料か補給や復興支援という解釈をする根拠は?
それ以前に補給が征伐参加に含まれないというのもおかしな意見だし。
905 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:54
島津と大友が和睦する
↓
大友が島津領を侵さない
↓
島津の対抗勢力が龍造寺だけになる
↓
龍造寺が島津・大友(立花含む)の二面戦略を強いられる
↓ ↓
島津(゚Д゚)ウマー----------! 龍造寺の大友に対する鋭鋒が弱まる
↓
織田(゚Д゚)ウマー----------!
907 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 03:55
大友が毛利後背を脅かすのを支援する為に竜造寺の抑えでも十分「奔走」に値するが?
908 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:00
>>907 毛利征伐の為に大友-島津の対立は認めないのに大友-竜造寺の対立を認めて
いたら説得力ない。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:01
結局島津は、一旦は兵を引いたわけか。
9月19日 近衛前久、島津義久へ薩摩在国以来約束であった「詠歌大概」を贈与、
島津義久から織田信長(「信長公」)に鷹を献上した。
と、なってるところをみると。
910 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:03
911 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:06
毛利にとっての龍造寺は、織田にとっての徳川と同じようなモノ。
一蓮托生だということくらい、織田も龍造寺も気付いていただろう。
だから、島津−大友の和睦が成った後、島津は龍造寺からの誘いを断って北上を推し進めた。
913 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:09
でも信長って秀吉家康よりは力の及ぼせる範囲狭いけど足利尊氏よりは
ましだと思う、ましてや足利家後半の将軍なんて三好長慶のほうがよっぽど
天下日人だと思う
914 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:24
足利尊氏だと、何となく「将軍になっただけ」って感じだけど、
やっぱり義満が凄いからなあ・・・・
逆算的な天下人かな?
信長も秀吉が天下を統一しなかったら、平清盛みたいな微妙な扱いで
終わったかも。
915 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:24
ここで尊氏登場は、いくらなんでもないだろう。
916 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:26
清盛はいくらなんでも天下人だろ。
天下人だから尊氏でもいいんでは?
いや、歴史は結果論なので>914の言ってる内容は頷けるモノがあると思うよ
919 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:28
>>916 奥州とか穴っぽくない?
その点で頼朝に負けそう。
920 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:32
尊氏なんて、まさしく御神輿ワッショッイの将軍だろ。
血筋と権威のほかに何かあったっけ。
頼朝も何だかんだで東国の領有と全国の警察権握っただけなんだよね…ほんとは
天下統一を事実上為しえたのは、秀吉が史上初めて。
923 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 04:46
天下という言葉は、地理じゃなくて概念。
925 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 06:45
上には上が居る。
隆慶一郎にとっての『天下人』の定義は
「天下を争うに足る器量の持ち主」だという。
だから信長も秀吉も勝家も家康も上杉謙信も武田信玄も前田利家も彼の観念によれば天下人になる。
926 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 06:57
隆慶一郎+原哲夫=漢の漫画
927 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 07:14
前田慶次郎はだめか・・・
自分=天下って感じだから、解釈によってはOKかも
>>925 どう贔屓目に見ても上杉謙信・柴田勝家・前田利家は
天下を争える器じゃないよ。
でも、人柄を否定しているわけじゃないよ。
自己の欲の為に悪に徹することが出来なさそうって意味で無理っぽい。
・・・ん?
天下人の天下盗りを邪魔をする人も「天下を争うに足る器量の持ち主」に
含むなら話は別だなw、失礼しまつた。
前田利家は腹黒そう・・・
>>930 柴田勝家を置き去りにして戦線離脱した事かい?
自分は前田利家に腹黒い狡猾さをあんまり感じないよ。
むしろ、四方八方を敵に回す覚悟がないので、
悪に徹する事ができないって風に感じる。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 08:46
全国統一できてなきゃ天下人じゃないって奴は池沼だろ。
源頼朝だって全国統一してねーのにな。まさか頼朝が天下人じゃないって言う気じゃないだろうな?w
933 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 09:31
勝家だけは除外したい
934 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 13:50
愛智十阿弥って山岡荘八の小説だと美少年にかかれてたけどほんとのとこどうなんですか?
935 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 19:04
936 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/06 23:32
前回隆慶一郎の思想を投下した者です。
隆慶一郎にしてみれば、天下取りレースに参加する資格がある者
が即ち天下人。個人的には謙信も信玄も勝家も利家も外したい。
しかし隆慶にとってみれば彼等は全員天下人なんだよね。
極論、石田三成さえ天下人という事になる。
例え道半ばで敗れ、野垂れ死にしても、天下を動かしたのは事実だから。
まああくまで一つの思想に過ぎないが、私がこれに強く心を動かされたのもまた事実なので投下しました。
>>932 時代によって定義も変わるだけでしょう・・・
頼朝の時代でなければ頼朝の定義での天下人は成り立たないわけで。
結局、定義だよな
俺としては
三好の場合:中央不完全制覇、京占領だけという狭義での天下
秀吉の場合:実質的・広義での天下
家康の場合:実質的・広義での天下、かつ強力な安定性も兼ねる
んで
信長の場合:中央制覇、しかし狭義での天下。実質的な天下取りに動き出した所で信長あぼーん
こんな感じだ
「広義」と「狭義」の意味を取り違えているような……
940 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/07 23:33
支配力は秀吉>家康と思われ
941 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/07 23:37
943 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/08 16:04
なんでそう思うの?
お気に入りの舞 一人舞ってみるの♪
敦盛は淋しい心 なぐさめてくれるから♪
蘭丸の鼓は 眠り誘う薬♪
私らしく一日を 終えたいこんな夜♪
出逢った頃は あんな日が♪
来るとは 思わずにいた♪
Making good things better♪
いいえ すんだこと うつけを演じただけ♪
疲れ果てたじいや 私の 幻を愛したの♪
945 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/09 00:34
立場的には「外様の有力大名」である連中に後の事を頼まなければ
ならなくなるというのは、単独及び譜代では十分な力が無い証拠。
直轄地を削ってまで恩賞を与えすぎ。
946 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/09 00:44
天下統一を急ぐと、外様をつぶしてばかりもいられない。
毛利、上杉、前田、島津、伊達といった大外様が生き残る。
家康は、力づくで徳川の広大な自前領土を手に入れた。
結果として、この差は大きいだろうね。
947 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/09 01:49
豊臣政権は徳川政権と比べると脆弱かもしれないが、秀吉が生きてた頃は別だろう
事実、家康は秀吉ほど諸大名に強権をふるえなかったし
まぁ信長が天下統一してたら秀吉以上の支配権を確立してただろうけど
強権をふるえなかった?
征伐もせずに領地を召し上げられるのは強権のような気がしないでもない。
950 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/09 01:56
江藤
秀吉以上に苛烈なような気がするが・・・
952 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/09 07:31
家康、『極悪将軍』秀忠、家光の代にどれだけ強引極まる改易が行われた事か。
暗殺まがいの急死も数多いのに。特に秀忠の治世では。
まあそうやってきたねえ手段を取ってでも
外様大名の力をそいだから
太平の世になった
でも結局幕府を倒したのは
外様の薩摩と長州だったが
954 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/11 22:29
しかし、大量改易と秀忠とではなんとなく印象がかみ合わないな。
実質的に指導したのは誰なんだ。
土井利勝?
956 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 23:14
突然で悪いんだが、ノブナガトーナメントってホントの話?
957 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/19 00:57
利家がもうちっと生きてたら関ヶ原の結果は変わってたかも知れないと思う
ちょっと質問
信長の肖像画で宣教師が描いたていうリアルなのあるらしいけど本当、本物なの?
信長がローマ法王に送ったていう屏風の行方は?
959 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 13:05
信長公記読もうと思っているんですけど、どこのがいいんですか?
960 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 13:24
おまいら『信長』八巻買ったよな?
まんがなら、ささきけいこの信長くんシリーズが最高だった。
965 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/26 00:45
でも、歴史板系はifがないともたないだろう。
史実の晒しあいじゃ、疲れるよ。
疲れてくれたまへ
968 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 03:34
坂口安吾の「信長」、辻邦夫の「安土往還記」、この2つの信長が良いな。
969 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 10:47
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
970 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 11:03
まもなくここは 乂1000取り合戦場乂 となります。
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 1000取り合戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
971 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 00:20
2万5千で上洛できっかよ
972 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 00:23
十分上洛できる人数だや。
973 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 21:32
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l |
|. ,' //
. ',. ,' , r'
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| |
. | | .l i / ./ | |
| | | l / ./ .| |
. | | | l / / | |
| | | ', / / l .l
【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
974 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 18:12
義昭「あ…あぐ…ぐ……」
信長「自業自得とはいえ きさまらしくないみじめな最期だったな………」
義昭「ち…ちくしょう…………ちく…しょう……」
信長「オレはなんとか天下布武を実現させてみせる
おまえはじぶんで自落させてしまった この城と運命を共にするんだ……」
義昭「う…うう………た…たの…む………た…たすけて……たす…たすけて…くれ……!
た…たすけてくれええ…!」
信長「かってなこといいやがって!!
きさまはそうやって命乞いしてからいったい何年後に再挙兵したんだっ!!!」
バッ ボウッ
信長「オレの禄を少しわけてやった…
きさまならたぶんその捨扶持でもじゅうぶん生きていけるはずだ…あとは勝手にしろ……!」
義昭「こ…こいつは意外だったな…オ…オレに禄を分け与えるとは……」
信長「きさまは中国の毛利を頼れば生きていけるんだろ?
だったらさっさとこの地を離れるんだな 生きのびて命のありがたさをおもいしるがいい!」
義昭「く…くっくっく…こ この都はもう攻め込まれる寸前だ…どこを居城にしようというのだ…
どうあがいても公家社会では生きられないきさまを待っているのは位攻めだけだ…」
信長「…たしかにオレは初上洛したときの弾上忠に戻るつもりはもうない…
こうなったらおまえの従兄弟を利用するつもりだ」
義昭「はっはっはっ…!!あの前久は薩摩に下っていて都にいるものか!!!
ヒニクだな 禄をめぐんだきさまは死んでオレは助かるんだ!!!」
信長「……………オレも武家の最高位にまで上り詰めてみせる」
バウッ
義昭「オ…オレは将軍なんだ……!!
だから…だからきさまはこのオレに天下の権をくれなければならない…!!!!!
オレに天下譲り状を持ってくるべきなんだ――――――――――――――――――――っ!!!!!」
信長「バカヤロ―――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!」
ブァオッ(村上水軍に預ける)
義昭「!!」(義昭追放)
975 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/17 17:55
なあ、烈風伝スレの新しいやつどこにあるんだ?
頭下げてやるから教えてくれ
976 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/17 18:02
なあ、これだけ頼んでんだからさっさと教えれや
まさかこれほど頭下げたのに無視かよ
978 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 19:31
お前ら血も涙もねーな
わかったよ自分で探すよ
さらば、冷酷人間
979 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 00:03
利家がもうちっと生きてたら、、、
う〜んこうなるとたしかに関ヶ原は変わってたかもしないな
う〜んこ