大坂の陣

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101無名武将@お腹せっぷく
<東軍→西軍に寝返った希少例>
神保出羽守
大坂冬の陣にて真田勢と戦い
何を思ったのか?突如矛先を変えて伊達勢に突撃を試みる。
しかし、伊達勢に銃弾の嵐を浴びせられて
あえなく壊滅的損害を受ける。

何故劣勢の大坂方に寝返り
精強な伊達勢に対して無謀な突撃を行ったかは未だに謎である。
102無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 23:38
春日昌憲(逃げ弾正の末裔)なんてのも。
103無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 06:58
>>101
んなアホな・・・・
それは伊達政宗のざん言だよ。
実際は伊達軍の前をさえぎったため怒った政宗が攻撃しただけだ。
それにそんな事は調べた徳川も薄々気づいていたが、伊達政宗に配慮して、
そういう事にしただけ。
104無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 07:12
ついでに言えば神保の息子は幼少だったが
ちゃんと幕臣に取り立てられて旗本として存続してる。
さすがに幕府も哀れに思ったんだろうな。
105無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 16:19
>>103
つうかバレバレでみんな知ってた
島津義弘は「伊達は天下の笑い者だ」と書いている
106無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 16:39
>>105
失笑ものだったらしいな、当時。
107無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 19:58
立花宗茂も従軍してるんだよね・・・あんまり目立ってないが・・・
>>105
義弘爺のぼやきのソースきぼんぬ

>>107
その頃は1万石の大名まで落ちていたからね
というか
柳川→関ヶ原の合戦で浪人→棚倉1万石の大名に復帰
つまり一度どん底まで落ちてから
少し光が見えかけていたところだった>宗茂
地味なのもしゃーないかも
1万の兵の前をさえぎった神保が見える政宗・・・片目なのにw
110無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 20:58

政宗…せこいよ。保身に必死だし。
前半生と後半生では別人だね。
111無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 21:06
>>108
漏れは、>>105じゃないが、レスしまつ。
私の読んだのは、津本陽の歴史小説「乾坤の夢(下)」。
神保勢への同士討ちが発生したのは、夏の陣。
惟新の爺様ではないが、島津家久が書状を残している、とある。

「伊達殿は、今度味方討ち申され候こと。
 然りといえども御前はよく候えども、諸大名衆笑いものにて、
 比興(卑怯)との由、御沙汰の由に候。
 味方討ちに逢われ候人は、大和の国衆神保長三郎と申すにて候。
 人数270人召し連れられ候を、7騎に政宗殿討ちなさるる由、
 その隠れなく候。」

だとさ。・・・ほぼ、壊滅だな、これ。出典はしらね。
112無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 21:10
強っ。
113 :03/12/09 21:15
東軍大名2人討ち取った毛利豊前は何気に西軍最強だと思うのだが。
114無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 22:10
滝口康彦の短編で「粟田口の狂女」というこの神保隊全滅をテーマにしたものがあったが
おもしろかった。
>>111
ありがとー
津本さんの小説なら元ネタが見つかりそうだね。
『旧記雑録』探してみるわ。

それにしても伊達。。。