滅ぼさなかったのか、滅ぼせなかったのか。
外征には莫大な金が掛かるから止めたのかな
蜀は滅ぼしましたが
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:00
姜維の驚異の胸囲が魏の脅威だったから。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:04
孔明ってやっぱすごいな
脅威大嫌い
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:20
全員氏ね
10 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:30
11 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:33
とゆうか陸遜合肥攻めろよ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:37
まあ合肥攻めで呉2回イタイ目に逢ってるからな。
なにより孫権がマジビビリ
呉水軍が無敵だったから
14 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:41
日本の連合艦隊と呉の水軍はどっちが強いのでしょうか?
15 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:41
(・ω・)僕ちょうりょう怖いモン
16 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:42
張梁なら怖くないだろ
17 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:43
遼来来。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:46
(・ω・)僕妖術怖いモン
髭
19 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:48
張良なら怖くないだろ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 20:50
曹爽が実権握ってた時期があったからな
22 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 21:06
天下3分の計の賜物!!!!
蜀は山でめんどい上に獲るメリットも大して無いド田舎だからじゃねーの
毎年のように攻めてこられるのウザイから攻め滅ぼそうとか思わなかったのかよ
24 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 21:20
呂布饅頭って何?
右府がなぜ即座に甲州に入らなかったのかというとだな・・・
22の後半に同意
蜀攻めなんか金かかるだけで大した利がない。
けっこう面白いスレだと思ったけど全く伸びてないでつね。
>>26 蜀を制すれば長江上流を扼せるうえ、軍船の建造も容易になる。
魏が呉を伐つ際に、長江がどれだけ桎梏になっていたか御存知ない?
それはそうとして……実際問題、魏は数値上のうえでは呉蜀を圧倒してる
ようにもみえるけど、現実には魏も内情ではそれほど余裕がなかったと
考える方が妥当に思える。
後漢末の混乱で人口も生産力も激減した中原が三国の鼎立で漸く復興
した矢先、って時代だろうし、人口分布の面で江南一帯は増加してるし。
それに曹丕、曹叡の時代に大規模な遠征を試みようとしても、大抵は
現実的な認識を弁えた人物の上奏による諌止が目につく。
高堂隆は自分が好きな人物だけど、彼の上奏文には具体的な数字が
(誇張・縮小はあるだろうけども)記されていて、実に興味深い。
ということは魏は蜀を得ない限り呉を得ることは出来なかったと言い切っちゃって良いのれすかね?
29 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 03:27
そうでもない
30 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 03:48
蜀犬日に吠ゆ。
あの辺は晴れの日が少ないそうですね。
おまけに平地も少ないし、農耕には向かないのでしょうか。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 03:51
>>27 中国できちっと米の取れる地域は呉に押さえられてるからね。
その意味では、魏だって広いから単純に国力あるとは言えない。
ただ人口となると俄然魏は強い。
呉の人狩り失敗は有名。
いろんな要素を考えうるよね。
呉にしろ蜀にしろ、国が滅んだ時は中央の腐敗や国力の疲弊があった。
それまでは険阻な地形や長江に阻まれていた。それだけ地の利の存在が
大きかったんだろう。魏は一度蜀討伐を行ったが、長雨で撤退したし。
スレ違いだが、蜀や呉の国力低下や腐敗が三国の統一の要因として決して小さくは
ないのに、司馬炎は実力だと勘違いして中国全土統一後の政治を怠ったんだろうか。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 04:46
低能な意見乙
34 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 04:50
>>32 逆に、城壁に囲まれて生きてると研鑚を怠るようになるのかもしれませんね。
>>33 おまえもな。
自己擁護乙
36 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 10:14
>>31 三国時代の呉の農業力は、まだ低かったんじゃないかな。
江南の開発が進んで大穀倉地帯となり、
「江浙熟すれば天下足る」と言われるのは宋代以降。
魏は黄土高原を背景にした、麦の栽培が盛んだったはず。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 11:07
もっとも、唐の頃まではメインの穀物は粟米だった筈。(故日野開三郎氏の著書より)
38 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 11:38
三国時代の米の生産ってどんな方式だろ?
まさか適当な浅さの沼沢に種籾をばらまいて
ちょくちょく除草しつつ収穫を待つレベル?
曹操は屯田制を開発したらしいけどあれはどうなの?
改めて三戦板ってヴァカだなー、って思った。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 12:28
( ´_ゝ`)だから何?
おまえら俺以下だよ
43 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 12:39
>>39 三国の魏は屯田制を実施した。
屯田制は国家が耕作者の集団をおいて官有地を耕作させる制度で、
軍屯と民屯がある。軍屯はおもに辺境の軍隊が食糧を自給するために、
兵士とその家族が耕作する方法であり、民屯は農民に官有地を耕作させる方法である。
魏の曹操は一般の農民をまねいて耕作させ、収穫の5〜6割を納めさせた。
これは魏の有力な財源となり、魏の経済力を増大させた。
以上、
ttp://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/52-china12.html からコピペ。
おそらく、戦乱で逃散した農民を呼び戻して、
納税させる意図があったんじゃないかな。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 12:46
昨今なにかっちゅーと決まり文句のように
国力の差と言って思考停止してたきらいがありますんで、
このスレッドは実に有益な一石だとおもいす。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 12:59
三国志をゲーム等でなんとなくしか知らない人間が、必ず持つ疑問だな
>>45 文句をだらだら言う割には自分では全く意見を述べようとする気が全くないお前に発言権は無い
知識があろうが外に出さず自分だけで満足するお前は腐れ儒者
失せろ
嫌なら語って見せろ
>>47 返す前にお前の書いて見せてみろ
言い訳はするなよ腐れ儒者
滅ぼさなかったていうーか、滅ぼせなかったていうだけでは
姜維がちょこちょこ攻めてくるし、蜀にかかると呉がもしかした
せめてくるかもっていうオチ、でも結局蓋を開けてみれば
たいした事なかったってだけ
>>32 司馬炎は別に有能ではないだろ、晋は外戚に悩まされ八王の乱を
招くひどいありさま
軍師の才はあっても
王の才は無かったって事だ。
腐れ儒者をレスに組み込むとは怖ろしい才略よ
>>51 勘違いだったらスマンが、俺は47ではないぞ。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 16:53
>>43 屯田って韓浩が言い出したんじゃなかったっけ?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 16:54
儒者の濡れ襦袢・・・・・プッ
>>56 さすが楊修言葉が巧みだな。まぁ鶏肋だが
>>55 司馬炎は実力だと勘違いして中国全土統一後の政治を怠ったんだろうか?
政治をおこたったかどうかは別にし晋が自壊する要素を含んでいた
と俺はいいたい
それより、そろそろ本題に戻ろうぜ
>>1よろ〜
むしろ蜀と呉が手をぬいて、魏を生かしといてやった。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 19:38
>>59 いや うん バレバレ 色々とバレバレ
ちゃんと名乗ろうよ45ってさ
違ったら違ったでそのレスはどうかと思う
見事俺の中で厨認定
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ < みんな
>>59さんにニヤニヤしる。
(・∀・) \_____________
_(つ__つ_∬_ ∧∧
∧∧ ∬ 目∬\(・∀・) ニヤニヤ
(・∀・)\ 目 目 \ ヽ
./ |\ \ \ )〜
〜(__) \| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄| ̄|
∧  ̄  ̄(・∀・)ニヤニヤ
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|ゾーさん、ゾーさん、オラはいなかもの〜♪ ニヤニヤ
\_______________
いなかをばかにすんな!
当時の中国で中央の地方蔑視ってどれくらいあったんだ?
65 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 22:02
馬鹿ども晒しアゲ
人口&生産力について一言
確かに魏の誰かが「魏は九州を支配してるが、その人口は後漢末の一州にも満たず…」
とか言ってたはずだけど、この数字は鵜呑みにできないよん。
古代→中世に移行する際には、
どこの国でも各豪族が「荘園」を増やしてって、
そこで働く「賤民」って新たな階級が生まれてるから。
んで、支配組織はこの状況を把握する術を持たず。
だから、晋書の人口統計をそのまま信じちゃいけません
>67
そのとおり。だから逆に言えば、魏晋の調査能力=支配力は後漢当時の
(最低で)10分の1程度まで落ち込んでいた、と解釈すべきですな。
>>68 じゃあ、呉の支配力は後漢当時の数十分の一程度だったんだろうか。
魏や蜀にくらべ、呉の支配力は著しく低かったそうなんで。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 12:15
>68
安易すぎやしないか?
三戦板の恐ろしい所は、良レスのたった一つあとのレスに
なんの違和感もなく糞レスが書き込まれてしまうとこである
そして特筆すべきは、評価対象よりも評論家が多いことだ
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 12:51
魏の背後との関係はどうだったんですかね? 表面上和解してても匈奴の連中がおとなしく従ってるとは思えないし。
>>73 北方民族は混乱期に強力に力を発揮するのであって、魏ほどになれば国内に安定が始まっているので
部族ごとの独立性が高く戦略という思想の薄い彼らは逆らっても個別に撃破されてしまう
無論防備の兵が必要不可欠ではあるが、目に見える形で軍があれば大きな反乱は少ない筈
>>73 すっごく簡潔に説明すると…
南匈奴は既に内乱連発の国力弱まりまくりんぐの上に、
魏による五部分割という泣きっ面に蜂の状態だったから
当時はとても魏に対抗できる状態ではありませんでした。
その窮乏っぷりは匈奴の民が漢人の小作農や奴隷になるほどだったそうで。
鮮卑は檀石槐生存時は当時の北方騎馬民族最強の勢力を誇っていましたが、
檀石槐死後に一気に分裂弱体化ー。
そんな中、軻比能の率いる部族の勢力が徐々に強力になって、
魏にとってある程度の脅威となるほどまでになってきますが、
(実際、諸葛亮が北伐の際に軻比能との共同作戦を採るほど)
田豫、牽招、王雄らによって巧みに封じ込められ、
しまいにゃ王雄の刺客に暗殺喰らって軻比能あぼーん。
烏桓も降伏後でも骨進のように反発するのもいましたが、
これも田豫らによって抑えられ、結局烏桓復興はならずといったところ。
細かい部分をけっこう端折ってますが、大まかに言えばこんな感じの背景です。
詳しい部分は専用スレ等あればそちらで話しますー。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 20:35
>>58 そうでしょうな
どっちかが本気でやったら残った片方が漁夫の利で
まんま二虎競食の計ですから
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 20:37
>>76 そーなの?俺のイメージでは魏がめたくそに強いとおもってた。
>>74>>75 三国志の話は大まかにしっているが、匈奴の話は全然しらんので
俺も聞きたいがまぁ〜スレ違いか?
80 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 22:38
>>78 いや、
>>76>>77は、魏がめたくそ強いからこそ、弱者同士が争って傷つけあえば
ますます魏にやられる可能性が高い、ということを言いたかったんじゃ?
>>74、75 なるほど、ありがとうございます 匈奴もかなり弱ってた(魏にやられた)んですね
当時は地球規模での気候変動で何処もかしこも生産体制が崩壊してた…って話聞いた事ある
>>75 うーん…異民族連中が「弱体化」してたという言い方はちょと違うかもですよ。
前漢時代の匈奴がクソミソに強かったのは、単に破壊と略脱を目的としてた純粋な野蛮人だったから。
軍事力な脅威でなくても
農耕などの中国の文明を受け入れながら、
辺境で独立勢力として力を蓄えつつあったと言った方がいいかもですね。
定住を始めた彼らを「小作農へと堕ちてしまった」と断じてしまうのは一面的かも。
現に彼らは、1世紀後に、略奪でなく占領を目的として一斉に中原になだれこんで、
中国の北半分を自分のものにしてしまうわけですから、
取るもの取って帰ってった昔の匈奴よりもずっと恐るべき成果をあげたわけで。
軍事力な脅威=軍事的な脅威
略脱=略奪
突っ込まれる前にスマソ
>>84 えーと…、細かく書くとすっごく長くなるので、かなり内容端折りまくりで書いたものですが、
おおまかには
>>75に書いたとおりです…。
南匈奴についてもう少し話すと、
南匈奴は鮮卑の侵攻による北匈奴部民が南匈奴地域へ流入し、
それによる南匈奴組と移住組の内部対立、南匈奴単于の後漢への傀儡化などによって
日逐王逢侯の乱、句竜王斯車紐の乱など内乱が頻発し国力は失われ、
その内乱も後漢兵、烏桓兵などの支援を得てようやく鎮圧できたという有様。
さらに、部民による羌渠単于の殺害、さらにその後任として単于になった於夫羅まで
匈奴部民に南匈奴の地から追いやられてしまうなど、組織としての破綻まで見せる始末。
まあこの辺の事情は東方書店から出ている『匈奴』沢田勲 著
辺りが分かりやすく書かれていると思います。
そういった専門本などで匈奴の歴史を概観していただければ、
匈奴の内情はどのように推移していったか、どのように弱体化したか、
などがお分かりいただけると思いますので…。
専用スレがあればそちらで説明してもいいのですが…。
鮮卑、烏桓も含めて。専用スレがあるなら檀石槐とかについても熱く語りたいw
あと、定住=小作農ではなくて、経済的に自立できず、小作農や奴隷に
身を落とすしかなかった人もいたほど窮乏していた、という意味合いですので…。
↑
ぎゃー、かなり端折って書いたのに長文になってますね。スマソ(;´Д`)
どうぞスレタイ通りの話題をお続けください(;´Д`)
>>86 うん。この場はやめにしましょう。
こちらがふっかけといてなんだと怒られそうですが。
異民族スレが立ったら熱く語り合うとゆうことで
悪いと思うならこのスレの起動修正してくれ。
あんた等が白熱したおかげでスレタイどうりの話出来づらくなったんだから。
散々遊んどいて後はシラネは非道いぞ。
単に匈奴はめんどい漢なんかより、
西方の未開地(当時)に興味の対象が移ったジャネ?
91 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 17:23
92 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 17:38
>>92 人が下手に出れば図に乗って煽りですか。糞荒らしさん。
要は本当の意味で傑出した人物が登場しなかったから
統一出来きなかったんでしょ。
まあ、そういう時代だったからこそ英雄とか豪傑が
登場する事が出来たんだと思うけどね。
日本を例に例えれば戦国時代が正にその典型かな。
痴世の天才 ¥ジュツ
>>91 いまさら過ぎる。
それに、人口十分の一、って説も疑わしいわけだし。
>>94 そういった側面もあるだけ。
安易に「要は」なんてつけないでほしいもんだ。
>>93 お前が一人で騒いでるだけだろ。
お前の煽りの方がよっぽど書き込みにくくしてると思われ
>>99 そうやって人を煽って楽しいですか?私を煽っても
貴方達がこのスレを荒らしたと言う事実は変わらないんですよ。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 09:19
>>1 諸葛孔明が超天才だったからに決まってるだろ(ゲラゲラゲラ
>>101 バーカ。
ラクホウハで死んだと見せかけたホウトウが、
ひっそりと裏で実権をにぎりショカツリョウを操ってたんだよ。
>>102 漢字が出ないのか知らんのか解らないが
カタカナなのがカワイイ
所詮江南は未開人がすむ辺境地帯。
よほどの好機でもない限り中原の復興のほうを優先するべきでござる
呉にとってみれば、合肥城が移転したのは痛かっただろう。
水路による利点が薄れた分、呉の兵站にも影響を及ぼしたろうし、
長期の対陣に及べば後退も難しくなるはず。
孫権自身、満寵や田豫に痛い目にあわされてるくらいだし。
さらに魏は、荊州の陸軍と水軍の駐屯地も移転させてる。
陸水それぞれ宛と宣池だったのを、より呉との前線に近い南方の
新野と三州口に移してるし、江夏の政庁も呉領である夏口により
近い地に移してるんだな。
このあたり、地勢ってものの重要さがよくわかるんだけど、合肥城
以外は諸葛亮が歿してからの軍事政策で、暫く蜀が鳴りを潜める分、
呉は北伐がいままで以上に難しくなったと実感しただろうな。
ほ
し
の
ちょい、ageてみるかな
>>105 戦術面でのリスクを戦略・政略でくつがえす。
曹操さまの常套手段です。さすが!
>99 と >100 あたりのレス関係がよくわからん レズ関係じゃないぞ
俺が煽りに失敗しただけ
あぼーん
孫堅が長生きし、孫策・孫権が順調に成長して父の手足となれていたら、蜀の台頭はなかっただろう
歴史にifはないけど、魏と呉の一騎撃ちってのもやって欲しかったって気はする
それはない。
彼は単なる腕っ節の強い私兵団のボスでしかない。
孫堅が当主だったら
呂布みたいに国取り合戦に負けるか
劉備みたいに根無し草でさ迷い歩くか
いずれにせよ孫呉は成立しない
孫権だから呉は成立した。孫堅と孫策では難しいものがる。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 13:48
孫堅が死んでいなければ、次に曹操対袁術の戦いに
参戦していた可能性がある。
そうしたら、俺的には孫堅>曹操で、曹操に天下の目
はなくなっていたと思う。
>>116 孫策がいなかったら呉は成立しなかったとも言えるような・・・
119 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 22:08
>>117 ハイ松之の推察通り、孫堅が漢王朝への忠義に篤い男であれば、
袁術が皇帝を僭称した時点で彼のもとを出て行ったかもしれない。
でも、それはそれで面白い展開になりそう・・・ってちとスレ違いの話題だが。
“群雄”と言うより、“大将”ってイメージの方が似合う感はあるね。<孫堅
なんにせよ孫策が力をつけてきたのは曹操がかなり強大になってからですし、
最初は力的にさほど変わらなかったのだから、そのまま行ってれば魏呉二大勢力になってたかも
確かに領土の面積では。
けど曹操領と孫策領じゃ人口も耕地面積も違いすぎまっせ。
呉は南だから結構肥沃なイメージがあるんだがな
あのころはまだ開墾されてなかったのかな?
人も別に多けりゃいいってもんでもないし
中原の戦乱を逃れて、江南へ行った人も多いんじゃないかなぁ。
ムチムチ
ふむふむ
ハムハム
127 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/07 10:07
隣国の君主が天下に名の知れたバカ殿ってのは美味しい設定だよね。 引き立て役の
存在って大事だってことが判ってたんだよ魏の君主は。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/07 11:52
魏は曹操死んだ後外に積極的に打って出るって時勢じゃなかったからだろ
司馬氏は外より内を手に入れる必要があったしね。
内側をほぼ掌握しきってから蜀→呉とほぼ規定通りで。
曹操も所詮その程度の人物だよ。
考えてみなよ。
あれだけの人材揃えて統一できないなんてただのアフォ。
人材も豊富の上に、7:3:1と言う国力差もあるのに
統一できないなんて・・・
所詮曹操もそれまでの男
馬鹿のお出ましです
マジレスしていいのか?
>人材も豊富の上に、7:3:1と言う国力差もあるのに
>統一できないなんて・・・
あの後漢末の群雄割拠の中、魏の一人勝ち状態まで持っていったことが評価されてるんだろうが。
詰めが甘いって言うのならまだ分からないでもないが。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/07 17:03
ここは蒼天航路が好きそうな人たちが集まるスレですね。
蒼天航路1巻買ったとき、こらダメかと思って続き買わなかったが
最近モーニングだっけか?週刊誌で見て見直したよ
>>129,
>>130 曹操は英雄だぞ、あれほどのものはなかなかおらんだろ
プロ野球やサッカーチームが他のチームを滅ぼして一チームに統一しない理由と一緒。
英雄っつーか奸雄やな。姦雄とも書くみたいだ。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/07 18:13
曹操誉めれば一人前って感じのスレですね^^
韓信>>>>>>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>>>>>>
曹操だけどな。
何かの本に傑出した人間が出なかったから統一できなかっと書いてあったな。
曹操がたいした人間じゃなかったと著者は言いたかったのか。
それとも孔明はじめ曹操に拮抗する人材が統一を阻めたと見るべきなのか。
>>140 かなり傑出した人材だと思うけどなぁ
諸葛亮なぞたった数年で国家を立て直すとか政治手腕は偉人クラスだが
政治家としては天才だったヒトラーとてドイツを泥沼状態から救うのに四年かかったし
孔明もなかなか凄いヤツだが、やはり張良には及ばないな。
呂布も項羽にも及ばない。
曹操の用兵も韓信に及ばず。
結局、楚漢が最強なんだよな。
世界史やってるやつはこれぐらい分かってるか。
>>138 一人前の意見をお聞かせ下さい。(スレタイでも曹操についても構いません)
>>139 戦争においては誰もかなわんやろうけど、戦争が終わったら煮られるだけ
明の徐達とかも同様かな
>>140 なんかみんな統一にこだわっているが、なにもないとこからあれだけの勢力
を持ちうる存在になっただけでも十分すげーよ
>143
いや、曹操は凄いよ。文学方面だけに限っても逸材ですよ。
ただし中国は統一した人間が何人もいる。明の朱元璋に至ってはスタートは乞食坊主ですから。
それなりに財産も地位もあった曹操が統一できなかったという事実は統一厨からしたら痛いのかも。
個人的には一人の人間としては曹操のほうが圧倒的に魅力的ですけどね。
まぁ、楚漢の人物が最強なのは否めないよな?
レス飛ばされているがw
劉邦も何もない貧乏亭長から漢つくったしな。
楚漢は伝承的な面が大き過ぎてなぁ
どうも現実性が薄くて馴染めないというか
楚漢の伝説を全部史実だと思ってる厨がいるスレはここですか?
おいおい話の腰を折るなよ。楚漢のみならず歴史がすべて史実だなんて
誰も思ってないだろ、思ってなくてもみんなその上で話してるんじゃないの?
そもそも楚漢って何千年前よその時から生きているやつなんて誰もおらんわけやし
ほんとのところなんて誰もわからんだろ、歴史書が史書あったとしても時代の変遷とともに
内容なんて時の為政者によって都合が悪ければかわる事もある よく正史がどうとか
演技がどうとかいうやつがいるが実に馬鹿馬鹿しいな
でました!馬鹿の論点ずらし
ははは
楚漢の伝説?
史記に書いてあるんですが?
( ´,_ゝ`)プッ
バカハケーン!!
煽る事しかできなヤツはどうしようもないなw
勝利宣言のつもりですか?
どう考えても、楚漢>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>三国志
なのは事実だろ。
正史三国志だろうが、史記だろうが当時の為政者の影響を受けたのは事実。
100%信頼できるものではない。
それをふまえた上でも、やはり実績とかみると、楚漢の方に軍配があがるが。
三国志ネタスレで楚漢を語るのが厨房っぽいのに気付くのはいつだらう
157 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 15:45
横山の史記読め!
すべて分かるぞ!
太公望が載ってないが・・・
158 :
(・∀・)キター!!:04/02/08 16:00
age
160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 19:02
>>159 じゃあ、君の好きな比較対照を出してくれ。
んまあぶっちゃけどっちがより伝説的かって話だな
そら半神的な人物満載の楚漢に軍配が上がるのは当然の事で
同じく並べて比較する方がおかしいわな
素直に負けを認めればいいのに。楚漢>三国志って。
半神的な人物満載なのは、半神的な人物であったからと考えられないかな。
曹操なんか比較になんないんだyo
本物の馬鹿(・∀・)キター!!
( ´,_ゝ`)プッ
166 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 20:10
よーしパパageちゃうぞー
162 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/02/08 19:55
素直に負けを認めればいいのに。楚漢>三国志って。
半神的な人物満載なのは、半神的な人物であったからと考えられないかな。
曹操なんか比較になんないんだyo
釣りかね?
>世界史やってるやつはこれぐらい分かってるか。
>世界史やってるやつはこれぐらい分かってるか。
>世界史やってるやつはこれぐらい分かってるか。
世界史やってる香具師は皆そんな感じだそうです
169 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 20:41
あの・・このスレって魏が呉蜀を滅ぼさなかった
理由を考えてみるスレですよね?
>>169 このスレは楚漢VS三国志のスレに変わったようです。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 21:58
>>169 つかそんなもん比べてどうするの?
劉邦は相手が人材の使い方が下手だった項羽だったから天下取れたんで、
曹操は相手が劉備に孫権(ともに人材の使い方に長けた強敵)で
簡単にはいかなかっただけの話だろう。
実際天下の統一は蜀と呉がそれなりに国家の体裁を守ってる間は
ついにかなわなかったわけで。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/08 22:03
↑
>>169へのレスでも意味が通じるだけに
失礼さが際立つな
楚漢の何と三国の何を比べているんだろう?
>>174 馬鹿が三国志に対して人材がより優秀かを楚漢を全て現実だと妄想した上で熱く語った、という事
負け惜しみ厨必死なスレはここですか?
楚漢>三国志なのは事実。
妄想・厨房とか罵倒して逃げる事しかできないのが曹操厨や三国志厨
理屈をもって反論してくれないかな〜?
楚漢>三国志ではないという事をさw
177 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 18:26
司馬懿は魏首脳部からの粛清を恐れて、あえて戦いを長引かせたと思う。魏首脳にとっては敵がいなくなれば真っ先に消したい人物。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 18:38
>>177 孔明の北伐が、かえって司馬懿を助ける結果になってしまったわけですか?
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 21:12
三国志厨は反論ではなく
「馬鹿、死ね、アホ、低脳、低学歴、ヒキコモリ、○○必死だな」等の罵倒のみを返す。
陳舜臣の小説十八史略を読んでいたら、司馬懿が諸葛亮と対陣しているとき、
出陣したがった武将たちに対してしぶしぶ出陣を許したという形を取って、
後の競争相手を減らそうとしたみたいな記述を読んで一理あるなぁ。。。
と思った今日この頃。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 22:16
魏では、司馬懿暗殺計画は全く無かったのですか?
183 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 22:22
>>182 それは、孔明が死ぬ前ですか?
それとも、孔明が死んだあとですか?
>>183 諸葛亮死後
というか諸葛亮いた頃は司馬懿はまだ暗殺されるような立場じゃあないし
185 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 22:27
>>184 >諸葛亮いた頃は司馬懿はまだ暗殺されるような立場じゃあないし
なぜ?
>>185 司馬懿が最高権力者になるのは、諸葛亮を防いで、
公孫淵を破って、明帝がくたばって、
曹爽から実権を奪った後。
諸葛亮の時代の司馬懿は「対雍・涼州方面軍の総司令」であって、
魏としては殺さないといけないような理由は無いじゃん。
むしろ忠実な司令官って感じなんじゃない?
諸葛亮も呉も同様に暗殺する理由はない。別のヤツが代わりに司令官になるだけだし。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 22:46
司馬懿って、孔明北伐前に普通に疑われて失脚しかかってなかったっけ?やっぱり危険人物と思われてたんじゃない? 物語では孔明と馬稷の計略になってたけど。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/10 22:56
>>188 >実は左遷じゃなくて呉と戦ってただけ。
正史では、そうだったね
演義にしたって疑われて左遷はされても、いきなり殺せないって。
司馬懿は曹操みたいに実権握っていた訳じゃないんだから、あの時点では。
というよりも、「暗殺する利益が無い」ってとこかな。
曹操は暗殺しか排除する方法が無かったから暗殺計画が出てきたけど、
司馬懿は左遷すれば良かったんだし。
司馬懿を警戒していたのは曹操であって、曹丕・曹叡は重用してるよ。
曹操の死後、司馬懿は順調・順当に昇進していってるし、対呉戦線では
積極策も多く採ってて、それがまた魏帝からの信用を重ねてるし。
実際、司馬懿が警戒に値する人物としてみられるようになったのって、
曹叡の死後からと思う。
といっても、後に叛乱を起こした毋丘倹なんかは司馬懿を称揚してて、
弾劾したのは司馬師ただひとりだったりするから、司馬懿の処世の妙味が
覗えるきもする。
>>176 よーしパパ理屈をもって反論しちゃうぞ〜
その理屈で逝くとつまり史記が全て現実と見なされる訳だから無論他の史書も全て現実とするんだな?
とすると封神演技>スイコ伝≧史記>三国志になるな
古代の仙人の前では張良やら項羽やら韓信なぞポイよ
仙人とか妖術は駄目だとか言わんよな?人物は人物なのだから
>>193 賛成。
どんな史書も100%真実じゃないとか
権力による歪曲がどうのとかで全てを片付けてしまったら当然そういう話になる罠
まー史記は普通に面白いし、本当の歴史的真実を知りえない以上
史記の記述を一つの史実として受け入れるしかないのは確かだが
だからといって、どこまでが真実かを考えるのをやめるのは単なる逃避。
で、君らは
「張良は黄色い石が化けた老人から兵法書を授かった」とか
あのへんの記述も真実だと思ってるわけ?
だとしたら。歴史ファンじゃなく単なるカルト信者の類だと思うが。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:34
いや、いちいち違う時代を比べるなといってるだけなんだが・・・。
強いて言えば、自分の妄想で一つの時代の人間がある時代の人間よりも
優れているとか決め付けるなといっただけのつもりなんだが・・・。
148かいたのおれだけど史記が全て現実とみなせとなんてかいてないだろ
ただ147のなんでも厨でかたずける態度に極論を書いたまで
>どこまでが真実かを考えるのをやめるのは単なる逃避
おいおい勝手に妄想すんな
>>196 自分から名乗り出たか
ログ読み返すと、どう見ても荒れたのはお前が元凶だぞ
少し黙ってろお前
そーか、わるかったな
199 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/12 17:50
/iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiir、 ,/\,,ヘ/\,/\,/\
/liiiiiiiiiiiiiiiiiiiiリiトiiiiiiiハiil iil liiiハiiiiiiリiiiiiiiiiiiiiiii、 >劉禅なんか
" 'liiiiiiiiiiiiiiiiiii/iリiiiiハ/ lil il liii/liiiiトiiiiiiiiiiiiiiiil
/iiiiiiiiiiiiiiリii/--トiiii/ i _lil" liil liiiiiiiiiiiiiiiト > 急性アルコール中毒で死ねば良かったんだ!!
riハiiiiiiiiiiil ii ,,__"`'r、 ,i i, _,,/,, yrーir、 liハiiiiiiiiii〈 >
ii liiiiiiiiiil yr"~~`''y,^",‐` -''r''~,, “ liiiiiiiirヘ,, ^
/,liiiiiiiil 〈l,` "_,,/~ / "//ヘ/\,,^\,,/\
/⌒ヾ,i--l _,,....,,_ ,./ `r,,‐-、
ヽ , ヘr..,,_ ,,r-_''"- ー--丶、 / 〉
_,, 」 ヽ、 rl'" ゝj, ,/ l'~
l ヽ、 l" 'l l ヽ,, ヽ,
`''+, i, l ..... ,, ー ,. l, l ヘ ,r-"
r" , `、 l / ヾ,,.l / ヽ, l
ヽ,,_ / } lrv l.l ,r l/'"
,l / 〈 ヽヽ、_____ ,,,,,....// l i,
ヽ、/ lゝ、 `ー- ,,,...... -ー''" ,,/l 'i
/ /l `' 、 ,/ / l ヽ
面倒だから。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 09:59
芝居がヘタレだったから
荒れたのは
>>196のせいではない。
三国厨が楚漢の凄さを認めなかったからだ。
>>193 封神はともかく水滸伝は娯楽小説じゃあ・・・
封神演義も水滸伝も娯楽小説です。
>>204 あ、いや・・・
そーなんだけど、あ〜
まったくの創作の水滸伝と封神とでは・・・
いや・・・どっちも似たようなものか
あれぇ
水滸伝も全くの創作じゃないし。
とりあえず
>>193は史書と小説を一緒にするなということで。
楚漢の時代の人物エピソードなんてかなり怪しいものが多いじゃん
例え史書に載っててもウソッパチの英雄なら封神と一緒にされたって文句言えない
>>206 ほほう
では史記の仙人+もどき達は全て厳密な歴史的考察を備え、かつ現実のものとして見なす事が出来ると言うんだな?
そもそも拡大解釈大好き中国の書物をどこで史書と小説に分けるか?
>>210は、なにを必死になってるんだろうな。
>では史記の仙人+もどき達は全て厳密な歴史的考察を備え、
>かつ現実のものとして見なす事が出来ると言うんだな?
>そもそも拡大解釈大好き中国の書物をどこで史書と小説に分けるか?
幼稚な極論にはしってて、痛すぎてみてらんない。
>>210 わざとかどうか知らんけど、0か100かしかないのですか?
現代から見て少しでも誇張や怪しい記事が入っていれば全て小説だと?
もし本気で言っているなら、少し頭冷やしたほうがいいよ。
>>211 >>212 162 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 04/02/08 19:55
素直に負けを認めればいいのに。楚漢>三国志って。
半神的な人物満載なのは、半神的な人物であったからと考えられないかな。
曹操なんか比較になんないんだyo
↑
よく見ろ
OK?
>>213 自演コピペご苦労さん
でもそれね、考慮するに値しない意見だからスルーされただけだと思うぞ。
漏れも楚漢の方が人物のスケールは大きかったと思う。
が、「半神的」とか怪しげなこと言い出すんなら
議論の邪魔だからオカ板逝ってくれ
>>213 もういいよ。何言いたいのかワカランし。全然OKじゃないって。
そもそも楚漢の議論が邪魔だ。失せろクズども
>>215 だからさ
まず馬鹿が史記と三国志を比べただろ
んで史記で出てるそのままの人物が正しいというからそのままその理屈を他の事柄と結びつけたに過ぎん
>213でも挙げたがそれだと「幼稚な極論」つまり0か100かの話をせざるを得ない
それをおかしいと言われてもまず議論の立脚点から間違っている以上どうしようも無い訳だ
問題なのは史記の内容の空想性だ
無論大体はこれが空想でこれが現実などの判断を下す事は出来る
「これが一番現実っぽい」とかいった現代人の目で見た非常に感覚的な話になる
それは科学やら生物学やらの発展した現代人の目、それに完全とは言えないが歴史考証を加えれば
ある程度の想像はつく、と
しかし項劉の時代の場合資料の少なさ及び現在の研究成果ではどれが真に妥当であるか、と決定出来る範囲が広過ぎる
それにまず史記自体が中国の拡大解釈と相まって小説的空想的側面が強過ぎて小説と変わらない
つまり「これは小説だから」「これは史書だから」というだけで書物を分類し片方を廃絶した上で語れとは愚言なり
中国の書物は大なり小なり全てと言っていい程こういう類の現実ではあり得ない内容が存在する
史書の空想性を棚に上げ、例え僅かなりとも史実をモチーフにした小説だけ排せよとはそれこそ痛過ぎて見てられぬ
なんかここ最近20レスくらいって
どのレスが誰の味方なのかよく分かんなくて
叩き合う相手が混乱してるぞ
取りあえず近くにいる奴の胸倉つかんで
自論をわめいてるような感じだな
どうでもいいが、古事記も立派な史料じゃぞ。
古事記は資料だが史料ではないね
日本書紀というものもあるし
>>218 それはそれで面白い議論だと思ってしまった・・・・
ある意味殺伐としてて
222 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/18 21:07
2chの住人はひねくれてるから、こうゆう文句なしの名将韓信を素直に称えないんだな。
マイナーな武将ばっかり褒めやがって。
>>220 お前の脳内ではそうだが、古事記はれっきとした史料だが?
一度検索してみなよ。分類は「史料」だから。
信憑性はともかく。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/18 21:19
ところで長江沿いに長城を築けば、蜀と呉が勝手に潰しあうんじゃないか。
そうしておいて最終的に魏が攻め込めばいい。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/18 21:45
頑張る
>>226 頑張るか。
まぁ、逆を言うと呉も蜀も長城つくれば良かったって事になるが。
ちょっと最近のスレの流れと違うんだけどさ。
260〜270年代には河西鮮卑族(黄河のオルドス地方にいた)の
活動が盛んになってきて、晋朝はかなり手を焼いてたらしいよ。
討伐や迎撃に従事した雍・涼・秦州の刺史が何人も戦死してる。
これの鎮圧に手間取って、晋の呉討伐開始が遅れたって言われてるらしい。
>>228 でも、無理してでも呉滅ぼしといたおかげで
鮮卑その他五胡が攻めてきた時に
逃げ場所があったわけじゃん(w
229 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/02/18 23:45
>>228 でも、無理してでも呉滅ぼしといたおかげで
鮮卑その他五胡が攻めてきた時に
逃げ場所があったわけじゃん(w
厨発言の極み
231 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 19:36
曹操や司馬懿やケ艾が蜀の軍勢を率いても、魏の侵攻を防げなかった?
姜維でも防げたと思うよ。
クーデター成功させて劉備のように独裁政権化できれば。
即応性の問題がなくなるから。
逆にそれができなければ姜維の地位に曹操が居ても無理。
先に皇帝の方が降伏しちゃうんだし。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 19:45
>>232 あの時点で、もし曹操が蜀の皇帝だったら?
>>233 その場合は曹操を頂点とする体制が取られるので行けそうな気がする。
わかんねーけど、なんかもう魏から見たら蜀って時代錯誤の大義を掲げてわめいてる某国みたいなイメージだったんじゃないの? あーもうさっさと降伏してよ詰んでるっつーのこっちは文治やら禅譲の支度でマンドクセなのに。みたいな。
〉234
でも、もう、どのみち駄目でしょ。
中華の歴史をみても、ショクの地だけで天下を取った例はない(中華史上最大の動乱期の五代十国の王建ですら、一人じゃ諦めてる)。
例外といえば、漢祖・劉邦だが、成都に依らず漢中にいて常に中原を見てた上、期間も短いし、中原に支持者(味方)も多くいた。
他に基盤を持ってる上で、天賦の地・ショクを取るのが正しい在り方であって、戦国時代の秦や、南北朝時代の西魏〜周がその事を証明している。
曹操であっても、独立王朝の維持は可能でも(っても、あの地で二代以上持った試しがないが)中原進出は無理だろうし、結局ジリ貧
国力も軍事力も比較せずに、蜀が降伏したのは指導者が悪かっただけだと信じてる厨が集まるスレはここですか?
238 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 23:37
呉ががんばって司馬炎の時代を持ちこたえたら、けっこう面白くなったかも。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 23:39
それでも、何れ呉は滅亡の一途を辿ったよ
>234
いや、俺の知りうる限りで一つ、南北朝時代の北周の例がある。
正確には蜀+涼州となるけど、前例として挙げられなくない。
〉240の言ってる北周って〉234の言ってる西魏〜周〜隋のラインの周の事じゃないの?
呉が滅びなかった場合、東晋の悩みの種だった土着勢力の反乱が減るな。
周拠とかも、青史によい意味で名を残せるだろう。
祖逖・陶侃なんかは、大活躍!……出来る君主がいたらいいけど(孫呉の歴代皇帝をみると…)
ただ、バランス感覚に優れた王導が劉渕、聡父子あるいは石勒に味方したら面白くなるけど。
でも、呉の勢力範囲が淮河以南ではないんだよなぁ…。
中華が南北朝に別れる時は、最も富める地域を南が押さえてないと保たないんだが…
淮南が最も富める地域?
(゜Д゜)ハァ?何か悪いものでも食ったか?
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 22:59
>>243 どこが一番(当時?)富める地域ですか?
三国の時は、飢饉と袁術のアホが祟って、生産力落ちたけど、合肥城完成の頃から持ちなおしたんじゃなかったけ?〉淮南
だから、合肥城完成の前に、大軍勢で合肥を攻めたのに、張遼にしてやられたと。
俺的はこの後ガッチリ合肥を固められて、攻めにくくなったから、呉の中原制覇はありえなくなったと思ってる。
呉厨は呉スレに逝けよ。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 09:12
生産力の問題は三国全体にいえる。中原が壊滅的ともいえる状態の中で、相対的に蜀の重要性が
大きくなっていた。それが、三国鼎立の安定期に入ると国土の大きさがものを言って、再び魏の生産
や人口が回復してくると、蜀はもはや脅威でもなく、必要でもなくなっていた。ただ、やはり分裂状態の
影響は無視できず、大軍を西部戦線と南部戦線に貼り付ける必要はあったので、どうしても政治上は
三国問題が大きな軸になるというのは事実。だからその部分の記録や記述も多い。
食い付きいいねぇ
アンカつけないけどさ。。
史料と資料の意味も解らないと(歴史を語るのは)難しい
249 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 19:04
251 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 23:52
もし、呉が滅亡する前に先に司馬炎が死んでいたら?
呉を滅ぼすのが数年遅れるだけ。
杜預・王濬・王戎などの積極派の意見が結局司馬炎の時と同様に通り
王渾・賈充などの慎重派も動かざるを得なくなる。
なぜなら呉が末期症状を起こしてた事に変わりはないから。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 00:00
滅ぼしたじゃん
255 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 09:05
もし孫休が長生きで、かつ司馬炎が先に死んで
司馬炎の跡を継いだ晋の皇帝が孫皓のような暴君だったら?
>>255 というか、司馬炎の次が司馬衷だからな。
賈南風も大暴れするだろうし。。。
司馬一族がそのまま争ってそれに呉が介入。。。
面白いかも知れない?
257 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 09:20
>>256 >司馬一族がそのまま争ってそれに呉が介入。。。
司馬一族の内紛で、晋は諸侯の共倒れで自滅して
呉が漁夫の利を得て、反対に晋を滅ぼして天下を統一するかもしれないですね?
>呉が漁夫の利を得て、反対に晋を滅ぼして天下を統一するかもしれないですね?
さすがにそれはない。群雄割拠に戻るだけだろ?
259 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 13:22
群雄割拠に戻ったあと、呉が天下統一する可能性も否定できない
なぜなら、呉が群雄割拠を制する可能性があるから
260 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 13:23
あらゆる可能性を考えれていけばきりがない
たられば話ならいくらでも出来るがな
孔明の支持者だったんだよ。魏は。
>>261 そんなことは皆知ってる。
歴史家面してないでもっと楽しめ
264 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 15:26
265 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 20:05
中原は荒れ易いからねえ・・・
呉が長い事その安定を保ち、中原からの流民を受け入れていたら、やがては中国統一も可能だっただろう。
この時代の国家の不安定さはそれこそ異常。
ちょっとなんかあるとすぐ人口激減するし…
住民は土地捨てて流民になるし…
しかし、呉があの地域で安定してしまったら、
もはや全土を統一しようというモチベーションを維持できないんじゃないかな。
孫権の頃からそんな感じもするし。つーか元からそんなものあったのか?
結局最終的には華北を掌握した勢力に併呑される可能性のほうが高いような気がする。
そういえば、南から北へ統一した王朝は明しか無いんだよなぁ。。。
また孫策みたいなのが出てくりゃ問題なし
孫策程度では不可能
>>267 結局統一はできなかったが
国民党は頑張った方だと思う
271 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 23:55
華南が栄えたのって南宋以降だったけ?
金に華北占領されて、漢民族が南に逃げ込んできたと
その前ってどうだったの? 栄えてた?
すでに東晋の時代からかなりの数の難民が流れました
273 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 00:03
蜀は地形的に大軍が攻め込めなかったからだろ。
山岳地帯多いし。
呉は、豊かで国力的には相当だからな。
魏は正当な後継国家でもそんな贅沢な国じゃない
>>268 孫策じゃ無理?
孫策の戦術は官渡の戦いの頃の曹操と似てると思うんだけど。
>>274 戦術より戦略。すなわち経済力の方が重要
国家経営の能力が優れてないと天下統一は難しい
戦術も統一出きるほどじゃないし
農業に関しては、江南は宋代に排水工事技術が発展するまで華北に後れをとっていました。
水田として現在利用されている土地の多くが、湖沼地帯として漁業が営まれていたのです。
中世期の荘園領主による農地開発は、水捌けの良い、数の限られた高田の奪い合いに終止した、
と見るのが正しいと思われます、無論フロンティアゆえに相当な広さはありましたが。
しかし、当時の稲作が一年交代の休閑方式だったことは以外と知られてないなぁ。
田植えは江南では未だ普及してなかったし。
>>273 呉だって支配領域は広くても実際に生産力に寄与してる地域って
このころはまだそれほど広くもないでしょ。
それでいてさらに有力豪族の独立性が高かったから、
国としてその生産力を有効に活用しきれてなかったんじゃないかな。
>>277 それって膨大な土地が水没してたって事ですか・・・
瘴癘の地とはよく言ったものだね。中原とは似ても似つかぬ異世界だったんだ。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 11:58
281 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 13:07
オレの記憶が正しければ、蜀はコウメイが死ねばあとは勝手に滅んでいくと
シバイは考えてたとか。
なかなかって言っても結局最後には滅ぼしてるし
三国が鼎立してたのって実際そこまで長くないと思うが
三国時代がもの凄く長く感じるからそう感じるだけで
実際そこまで遅くは無かったように思う
まあその後すぐまた分裂してなかなか統一されなかったのは
北方異民族の台頭と戦乱による生産力の低下のせいだろうけどね
中国全体に統一するだけの力が無かった、ってところか
ちょうど春秋の頃みたいに
お前昨日のスーパー歌舞伎見ただろw
確かに俺は282=284だったが
281へのレスだったのか?
自意識過剰な方がいるスレはここですか?
288 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 23:14
魏って司馬居の孫に滅ぼされたが、
その後継国家を滅ぼしたのが誰なんだろう?
・・・側近とかだったらアレな感じだな( ゚д゚)ポカーン・・・・
>>288 側近どころか、貧しい下級官吏の家柄の人でつが、何か?
>>288 藻前は話のレベル低杉
つーか知識なさ杉
「晋は誰が滅ぼしたんですかぁ?」とか真顔で聞くなや
実は290も馬鹿だと言う事実
劉裕
時は止まった
なんつーか大軍編成するための食い物がなかったんだろ
食料不足で中止になった合戦もいくつもあるし…
当時の中国は相当に荒れ果てていたみたいだからねえ
国に統一出来るだけのキャパがなかった
曹操が無能とか言ってる香具師は浅はかだよまったく
魏は晋になるべくしてなった
蜀・呉は滅ぼされるべくして滅ぼされた
悠久の時の流れの中のほんの一幕
>>288
取りあえず、田中芳樹みたいなイタい子でも読める
「小説十八史略」「中国五千年」(どちらも陳舜臣著)っていう良い本があるから読んでみ
三国志がいかに小さな時代か判るし、逆に三国志の良さも分かるだろうから
>>267 出身っーか、あの時代は南が北に勝のは必然で、問題は誰がその“南”になるか?だったと思う。
重農主義・儒家思想の中華を、重商主義・異民族が支配してた訳だから。(脱脱やココムテルは頑張ったが)
結果的に朱元璋、張士誠、陳友諒が残って、
豊かな淮南を征し、
劉基、徐達、常遇春等の宰相、名将、猛将を擁し、
自身も聖賢、豪傑、盗賊を兼ね揃えた狂気の人間だった朱元璋が勝ったと。
国民党にも勝って欲しかったけどな。
蒋介石もロクな奴じゃないが、毛沢東よりは……
朱元璋て粛清を派手にやったから狂気の人間てイメージがついてるのね
ん〜でも、理解できない事もないですけどね
最下層の出身ですから、知識階層に対するコンプレックスがあったでしょうし、
天涯孤独の人間ですから、子供の安全の為に粛正しまくるってのも。
尤も、劉基の死を利用し、徐達まで殺したのはいかんともしがたいが……
聖賢、豪傑、盗賊を兼ね揃えたってのは上手い表現だと思いますよ。実際決断力・戦略眼も確かで、農民に対しては良心的な政策をとってますし。(少しは見習えよ、毛沢東)
狂気……と言うより魔性の人か?誰でしたっけ?洪武帝を中華最高の皇帝といった清の皇帝は?
ちなみに、
朱元璋の功臣で生き残れた奴っているの?
>蒋介石もロクな奴じゃないが、毛沢東よりは……
おまい蒋介石がどんなヤシかしらねえだろ・・・。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 21:44
郭嘉さえ生きていれば・・・。
>>303 後継者の蒋経国が徐々に民主化して結果(゚д゚)ウマーとなる予感。
と言ってみるテスト。
中国が赤化しなかったらか…
中ソ国境はミサイル基地だらけですごいことになってただろな
つーか、共産陣営が弱すぎて力の均衡が働かずに
第3次世界大戦が起きてた気がする
ソ連が攻め滅ぼされて終わるんだろーが
その過程でユーラシアに5、6発水爆が落ちてたかもしらん
全て妄想に過ぎぬ。第三次世界大戦なんて想像だけで十分。
共産中国の圧力がなければアメリカが対中国戦で原爆を使用していた可能性、大。
もし中国本土でベトナム戦争のようになっていたら、結局は中国共産党が勝つにしても、あからさまに
資本主義陣営からは中共=悪、国民党=善という構図になってしまう。当然第3世界は逆なので、国連
中心主義は初めから崩壊してしまい、国際新秩序も全くの白紙。枢軸国どころではない世界的分裂状態。
これはきわめてマズーで、中ソが史実と比較にならないぐらい親密になり、米中ソどちらから仕掛けてもお
かしくない状態になる。従って、いわゆる第三次世界大戦も今とは比較にならないくらい可能性が高くなっ
ていたであろう。
長江が枯渇すれば楽勝
黄河は現在進行形で枯れてるらしいが
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)かなり明るい性格でおしゃべりですが
..|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|;;;;;;;;;;;;;;_;、 ' 少し秘密を守ることが苦手です。
.|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,、r'〈-‐‐'''" 理想が高く、金使いが大胆で出入りが激しいですが、
.├----------―'''''" ゝ';:::::::::;⊥, 大金を動かす力を秘めています。
|---.、 ,、-―― ゙;;;r'"ー 、', 運勢が強く、頭脳明晰で何に対しても積極的に
',,,,,,,,_ ', ,' ._,,,,,,,,,,__,、 - リ r ノ.ノ l 行動するので豪快なリーダー肌です。
. l┴'‐' i ; '┴'‐''", ' "´ ; ^r'ノ 非常に柔軟性と協調性があってサービス精神旺盛ですが、
. |、, ,ノ.l ' - ,.,.,.、- " / ' -' j 自身の主義だけはきっちり信念を貫くという頑固者です。
゙、ゝ、l 、 / 't‐" 喜怒哀楽が激しく情熱的で表現力が大きいので
゙、 L__ 、-ヽ l / .|ラ'it''"i、 他人の評価は大半良いです。
. ', _r;ニ;‐、,ゝ.ヽ、,, ., / ,、r',r" `''".\ が、同じタイプや素直でない人にはまず嫌われるでしょう。
゙fゝ、 ゙̄フ`'‐、, .,、r' ,r.',r'" / ` 芸術、美的感覚に恵まれ、人の考えを見抜くのが得意です
,,,,、、、、ヽiリ川ゞ、,,,、r'"_,,,,、レ' /| (↑腹黒い)
人リルr‐'  ̄ ,、 -''" | 循環器や内臓関係を壊しやすいです。
/ ヾリ'' ._,,,,、-''" | 基本的にお天気屋フィーバー。
/  ̄ ̄
>303
でも、どうしても毛沢東の事好きになれない。
周恩来や、ケ小平は評価できるんだけど(特にケ小平は)
313 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 13:03
そりゃあ滅ぼせるものなら滅ぼしてたさ
てなわけで終了
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. ガーン │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
禿
>>1 そんなの、私達のアイドルの孫策や周瑜や陸遜クン、あるいは、趙雲サマや
姜維ががんばって曹操のオヤジを撃退してたからに決まってんじゃない!!
>>317 無双厨を装った釣りだろうが、これだけは突っ込ませてくれ!
生姜繊維はどうやっても曹操とは戦えない!
>>318 無双厨を装った釣りへの突っ込みえお装った釣りだろうが、これだけは突っ込ませてくれ!
生姜繊維って誰?
確かに俺も姜維の姜はしょうがを変換して出すな。
323 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 22:23
姜維っていままでタイプしたことなかった。新たな発見。
ところで、魏はなぜなかなか呉蜀を滅ぼさなかったのか 考えようよ。
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. がんばれ │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
ずれ過ぎ
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌―─┴┴─―┐
/ つ. あれ? │
〜′ /´ └―─┬┬─―┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
>326
ずれてる
328 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 22:38
呉蜀が同盟(してなくてもいいけど)してるから隙を見せると
攻め入られて大ダメージを受けるからどうしても慎重になってしまう
じゃないかな?
329 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 22:41
そもそも滅ぼすとかさ、子供すぎだってw
いきなり攻め込んでも民衆には占領軍にしか映らないし、
そんなんじゃまともな政治を行えないし、民も服さない
大義名分とか時期とか色々あるんだよ
お前らみたいなゲーム感覚の頭のヤツラにはワカランて
>>329の言い方は悪いが、内容にはだいたい同意。
時期を気定めなきゃ、いくら国力を傾注しても一朝一夕に、
仮にも鼎立状態にある中での一国の滅亡なんて不可能。
蜀の征討にしても、ぎりぎりまで是非が問われたんだし、
呉に至っては長い間にわたって派閥が形成されていたしね。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/13 00:06
いや、国家の大計つってもゲーム感覚なんだよ。
大義名分なんぞ後からついてくるって。
民なんぞアメとムチで踊らせときゃいいのよ。
細かい事は文官に任せときゃいい。
晋による統一後の流れを見ても
当時の国力での中華統一は極めて困難であったと思われる。
魏:呉:蜀 6:3:1の国力の差と何かで見たような・・・
国力では上回っていても呉の長江と蜀の要害で
攻め切れなかった。呉も蜀もどちらかというと
内部崩壊で滅んだのです。
孔明先生の当初もくろみでは、荊州全土と益州を確保することで荒廃した中原や
未開の江南よりもやや高い国力を確保できる計算だったのが天下三分の計だった
ってきいたことがあるんですが。
曹操が採用した屯田制がその目論見を崩すほど、中原の荒廃を抑えて回復を早めた
んですかね。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 05:03
age
336 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 03:54
>1
なかなか滅ぼせなかったから。
俺が呉を救ってやってたのさ
338 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 22:08
age
339 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 23:29
>>333 蜀の場合は内部崩壊とは言い難い。
鍾会の陰険な戦略眼とトウガイの非常識な作戦遂行能力があってこそだ。
蜀が滅びた原因。
・黄皓を筆頭とする奸臣が政治を壟断した。
・劉禅自体にやる気がかけていた。現実が見えてなかった。
・トウガイの剣閣無視での進撃。
・鐘会の戦略で姜維を中心とする主力が足止めされる。
いろんなファクターがあわさって蜀滅亡へ。
>>340 劉禅は逆に現実が見えてたんじゃない? 魏には勝てないけど、国是否定は国内の統一を危うくするとか
342 :
無名武将@お腹せっぷく :04/06/29 23:52
劉禅は、良くも悪くも自分というものがわかってたんじゃないかと思います。ハイ。
姜維は剣閣で蜀降伏聞いたときびびっただろうな?
「おい、これドッキリカメラだろ?鐘会隠れてんだろ?おい?でてこいよおい。」とか
思ったんだろうな。
中原って荒廃してたのか?
初耳なんだが
>>344 中原は、何十年も黄巾が董卓が呂布が袁紹が劉備が暴れてたんだから後漢中期とか
平和だった時代と比べりゃ確実に荒れてたでしょ。
ごめん、基本的なことを聞いていい?
「中原」ってどこ?黄河以北?黄河流域?黄河以南淮河以北?
基本的には、黄河と長江に挟まれた流域。
黄河以北は河北な。
>ちゅうげん 【中原】 〔広い野原の中央、の意〕
>(1)中国の黄河中流域を中心とした地域。殷(いん)・周など中国古代文明の発祥地。
> のち、漢民族の発展に伴い、華北一帯をさすようになる。
>(2)(辺境や蛮国に対して)天下の中央の地。
>(3)覇権を争う場。また、競争の場。
>(4)碁盤の、隅・辺を除いた天元周辺の広いところ。
曹ヒが短命だったせいでない?
351 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 16:39
age
蜀の山岳、呉の長江。大軍率いてのバクチしたら万単位の全滅もありえるしね
無理はできないですよ。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/28 19:46
age
>>347 >ちゅうげん 【厨原】 〔広いBBSの中央、の意〕
>(1)倭国の2ちゃんねる域を中心とした地域。巨大掲示板文化の発祥地。
> のち、夏厨民族の進入に伴い、『○○って××?』と
>尋ねる痛いカキコ一帯をさすようになる。それぐらいぐぐれやぼけぇ。
>(2)(辺境厨民や蛮国厨民が集う)天下の中央の地。
>(3)覇権を争う場。また、煽りの場。
>(4)碁盤の、隅・辺を除いた天元周辺の広いところ。
以上、ちゃんと『夏休みに友』に書き込むように!
_, ._
( ゚ A ゚;)・・・
356 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 11:58
なんで隋・唐・明・清は統一できたんだ?
隋は北周が統一するのを横から掠め取った
唐は隋の統一を受け継いだ
宋は周が統一するのを受け継いだ
元は北からやってきた
明は元が北に帰った
清も北からやってきた
ついでに言うと、統一の難易度はこんくらいだと思われ
難→後漢、明
並→漢、唐、宋
易→新、晋、隋、清
元は中華王朝の中じゃ異彩を放ちすぎてるので却下
清を新、晋、隋と同レベルにするのはどうかと・・・
いや、清は相当楽
国は三代目で、優秀な摂政もいるて、基盤は磐石
前の王朝は李自成が潰してくれたし
呉三桂をはじめとした漢人諸侯は味方だし
まぁ、豚の尻尾強要したあたりで、一時危なかったが
そうかな順治帝、康熙帝は親政するのに苦労していたような?
山海関は明が自滅しなければ抜けなかったし
三藩、台湾の乱も苦労してる。鄭成功は一時南京まで迫った。
魏の皇族も上手く司馬氏を追い出せてれば・・・
統治と建国は違うので
魏が呉ショクが残ってるのに有能な司馬氏を追い出せるかな?
363 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 05:41
age
364 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 06:19
魏は司馬懿が蜀軍を壊滅させたら粛清しようと思ってたけど、
司馬懿はそれがわかってたから、あえて蜀軍と積極的に戦わなかったんだよ。
韓信と同じ目にあいたくないしな。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 10:52
孔明のように過労死してまで忠義を立てる。
陸遜のように粛清される。
仲達のようにやられる前にクーデターを起こす。
どの生き方が正しいのか?
367 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 11:02
生きてる間の充実度なら
孔明≧司馬懿>陸遜
じゃないか?
過労死とはいえ、孔明には充実した人生だったろう
368 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 12:13
魏は権力闘争に明け暮れていたから呉蜀討伐どころではなかった。
369 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 14:17
>368
soreda!!!!!
370 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 18:40
鮮卑族が活発に活動していたと聞いたような。あと司馬懿の保身。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 19:35
黄皓は何気に有能だと思うのだが。
魏も赤壁の敗戦からはそう簡単に手は出せなかったのでは。
呉に攻めれば、呉は蜀と同盟を組むはずだ。横腹つかれたら痛いからな
劉蝉は使い方によっては悪も全も変わる万能タイプである。
だからうまく孔明が生きているうちは蜀も健全だった。
だが孔明の北伐にも無理がなかったか?
蜀滅亡の最大の理由
関羽が孫権に
「犬の子に虎の子はやれん!」
といったとこですでに蜀の天下は見えなくなったと思うが。
もう少し落ち着いて、文章を分かりやすくまとめてから書き込みましょう。
面白い文章だ。
「言うまでもない常識」と
「突拍子もない主観」が絶妙に混ざり合っている
374 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 02:55
関羽ってホントアホだよな。
「虎の子はやれん」とかキチガイにしか思えない…。
孫家は海賊上がりとは言え名士。それに対して関羽なんかただの盗賊集団の一員じゃねえか…。
成り上がりものの典型。
>「犬の子に虎の子はやれん!」
は演義じゃなかったっけ?
378 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/29 15:29
age
379 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/29 15:51
すいません、三国志のあらすじを「一行で」とはいいません、
「一レス」でうまいこと表すことできますでしょうか?
今から三国志読むのめんどくさいんで・・
昔大きな国があった。3つに割れた。まとまった。
魏と蜀の関係はトムとジェリーのようなイメージ。
なぜ滅ぼさなかったのかはこれを読め。
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした。
トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき、こっそりジェリーの前から姿を消しました。
ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです。
トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として生きつづけたかったのです。
トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみはしませんでしたが、退屈になるなと思いました。
トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから。胸の奥が不思議にチクチクはするのですが、
それが何なのか、ジェリーにはよくはわかりませんでした。トムの願い通り、
ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした。
そんなある日ジェリーの前に一匹の猫が現れました。トムよりのろまで体も小さい猫です。
喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは、今度はこの猫を喧嘩相手にしようと考えました。
そこでジェリーは、穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを利用して、その猫に罠をかけることにしました。
いつもトムにしていたように。
(続く)
(続き)
ジェリーは物陰に隠れて、ねずみを求めて猫がねずみ取りの近くに来るのを待っていました。
そして思惑通り猫が罠に向かって近づいてきます。
ジェリーはしめしめと思いました。いつものように、自分がねずみ取りにひっかかるふりをして、
逆に猫をねずみ取りにかけてやるんだ。 うふふ。
手か尻尾を挟んだ猫の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です。
でも、その猫はトムではありません。
猫はチーズの近くまで来たとき、ジェリーが出てくるより早く美味しそうなねずみの匂いに気づき、
目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました。
ジェリーはいつもトムから逃げていたように逃げましたが、トムよりのろまなはずの猫にすぐに追いつかれてしまい、
体をガブリと噛まれました。ジェリーも噛みつき返しましたが、トムより体が小さいはずの猫は平気です。
血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で、本当は鼠が猫と喧嘩して勝てるわけがないことと、
いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして、わざとジェリーを捕まえないでいたことを、そのとき始めて知ったのです。
トムの大きな優しさと友情に気づいたのです。
そしてトムがいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました。
かけがえのない友を無くした悲しみでした。
ジェリーの魂が体を抜けた時、空の上には優しく微笑みジェリーを待っているトムがいました。
おい、最後まで書けよ
>>384 いや、コピペするなら最後まで書け、と。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 22:08
age
387 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 00:59
蜀が滅びたのは姜維の北伐で最終的に漢中の防衛線に費やしていた兵士も
使ってしまったことと、派閥争いが深刻化して軍事面で致命的なまでの確執が生じてしまったことだろ
北伐しない
↓
蜀の存在意義が壊れる
↓
劉禅が透けはじめる
↓
永遠の交差点へと向かう劉禅、慟哭する黄皓、言葉もない生姜繊維。
↓
黄皓と姜維、蜀の為に合体。雑煮を食いながら見物する張翼、同時刻、廖化、ハットトリック達成。
↓
正月太りの張翼、白い灰となった廖化を率い、姜皓、出陣。
↓
「俺たちの挑戦はまだ始まったばかりなんだ!」
↓
十週打ち切り
↓
三国志 〜完〜
389 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 11:40:30
age
三国志って言ってもホントはヤラセだったんでしょ?
劉備も曹操もホントは仲良かったんでしょ?
391 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 01:35:57
なんつーか、俺らがこうすりゃ、あーすりゃいってるが
当時、魏随一の天才達が集まって決めたんだろ?
ここで言われていることより、正しかったに決まってんだろが。
392 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 01:47:12
女王卑弥呼が灰色の魔女よろしくお互い死なぬよう生きぬよう争わせていた
393 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 18:17:22
394 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 19:53:23
395 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 20:07:56
396 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 20:11:25
さらさら
399 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 00:07:10
蜀は、山国で攻めるのには難しい地形だったから。呉は富強で長江があり、
有能な人材もたくさんいたからなかなか滅ぼせませんでした。
400 :
魏延の中の人:04/09/28 00:08:47
>>399 「呉は富強で有能な人材もたくさん」とは吉川に影響されてるな
401 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 11:29:34
まあそんなところだろな。
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 18:36:33
滅ぼせなかったんでしょ。陸抗ときょういが頑張っていて
>>400 正史の記述でも、何人かの伝に似た発言があったぞ
有能な人材もたくさん、とは言って無いけど‥
404 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 22:22:14
だけどそれなりにはいたとちゃうか。陸抗、丁奉、張布とか
しかし、蜀漢末期は姜維、夏侯覇といった元魏の武将が奮戦
していたなんて、何か複雑だね。夏侯覇なんて魏の王族なのにね。
魏延が存命していても、難しかったかな…<北伐
司馬懿の対呉政策ってあまり聞いたことがないが…どんなやつだった
のだろうね。
夏候覇の奮戦?
>>406 奮戦というか主力では。それを言うと王平も元魏の武将になるが。
夏候覇って戦ったけ?
夏候覇はすぐ死んだ気がする
410 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 08:22:08
すぐには死んでないよ。蜀の滅亡の前年に死んだ。
どうでもいいけど、夏候じゃなくて夏侯な
412 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 17:55:13
魏延なんて、足でまといでしょ。
いきなり脈絡のないレスは池沼と呼ばれる第一歩やめましょう
>>410 260、261年に関羽やら趙雲やらに諡号が追贈されたとき、
その時夏侯覇は既に諡号を送られていたということだから、
夏侯覇が死んだのは250年代のうち、ってことでしょ。
>>414の書き方だと「すぐ死んだ」を肯定してるように読めてしまうか。
夏侯覇が死んだのは250年代中だと推定されるけど
それ以上は特定のしようがなくて、しかし少なくとも
「蜀の滅亡の前年」ではないよね、ということで。
夏侯淵の息子→司馬氏に逆らい蜀に亡命
後主の縁戚でのほほんと暮らして死亡
蜀に下ったので、演義では大活躍
諸葛誕の息子→司馬氏に逆らい呉に亡命
特に特別扱いは受けないまま死亡
ところが息子は東晋の丞相にまで出世
417 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 17:36:55
夏侯覇は良く頑張ったよ。
>414=415
255年に姜維と出征したと明記されてるから、この頃は存命してたんだろうね。
で、259年に張翼、廖化が左右の車騎将軍に昇進してるから、この頃には亡くなっていたんだろう。
夏侯覇の死去年はおおよそ、256年〜259年の間でないかな。
419 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 08:21:07
三国志演義では、262年だったのにね。
420 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 18:20:12
結局は滅ぼせませんでした。
>>1 散々既出だろうけど、
蜀を攻めれば呉が動き、呉を攻めれば蜀が動く上に、どちらも要害に守られているしな。
滅ぼせなかったというか、滅ぼすことは出来てもリスクが大きすぎたんだろ。
蜀が滅んだのも、滅んだ当時は蜀も呉も屋台骨が腐ってきたから
蜀が攻められても迅速な対応が出来なかったからだし。
>>421 誰でも分かってることを今さら長々語る必要はありません
安定状態に入ると、国力も上がり周到に防衛の準備が可能になるから
小国といえども征服するのは中々難しいと思われ。
424 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 17:49:00
そうそう。
425 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 18:16:39
魏が漢中取った時、成都まで攻撃すればまたちょっと違ってたかも
あの時まだ蜀はそれ程まとまってなかったし
426 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 23:03:46
呉が丁度攻撃してきたからね。そのまま攻めていれば攻め落とせただろうね。
呉は領土拡張目指さなくても、守りに徹するだけで充分やっていけたからな。
滅びたのは単に君主のダメさ加減につけこまれただけだろう。
蜀は魏にとって、単に山間部のうざい山賊でしかない。
ほっといてもジリ貧になると見られてたのだろうな。
魏にしても、容易に両国を滅ぼせるほどの国力はないもの。
とにかくこの時代(の戦争)は食料の生産と蓄積と確保が全て。
戦争継続に費やされる食料の必要量たるや、とんでもないものなんだよ。
わかりやすい目安をあげると、たとえば10万の軍勢が動員された場合、
一日に消費される穀物の量は、日本の米俵で換算すれば実に1000石にも
相当する。
現代の単位で換算するなら、なんと150トンだよ。それも”たった一日に”。
そうなると、それを運搬する人手と家畜も膨大な数になり、それらにも食料は
支給しなければならない。
戦争というものが如何に膨大な消費を生むか、ということは凄まじいまでに
国力を傾注させる一大事業。
「済河論」をひくまでもなく、魏ですら食料増産に必死だったわけなんだから。
ときおり兵站への意識が希薄な意見を見かけるけど、もう少し目をむけるべき。
>>428 10万人で1,000石ということは、100人当たり1石の計算。
1人当たりにして、1升消費だが純粋に歩兵の食い扶持だとすると
多いよね。しっかり食わせるといっても1日5合位だろう。
運搬や騎馬として使う牛馬の飼料とかも計算に入ってるとは思うが
単純に米として兵自身に背負わせた場合、1日か精々2日位の行軍
が限界というところかな?
負担の大きさとしては、土地生産性も労働生産性も江戸期の日本
よりもずっと低かったろうしねぇ。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 17:49:34
あとは、まあ蜀は姜維。呉には陸抗という名将がいたから
か
>>427 東晋があれだけ続いた所を見る限り、
華北=魏にとっても呉・蜀両方を相手にするのは
国力の差程には簡単ではなかったのだろうな。
>>429 漢〜晋代の記録でみる限り、残っている数字からいくと一日の一人当たりの
基本的な支給量は日本の単位でいえば一升ほどにはなる。
>しっかり食わせるといっても1日5合位だろう
それは補給が停滞した場合の量に近いように思われ。
また生産力をもたない貧困層への支給量などと照らしあわせてみても、それが
戦場で戦う兵士の胃袋を賄える量だとはいい難いんじゃないかと。
>>432 東晋とその後の劉宋を比べると
明らかに後者の方が屈強なのに、侵略回数でいえば東晋の方が少なく
北方諸国からも大事にされていたという事実
東晋の「中華の正統王朝」っていうのは意外と大きいのかも知れない(まぁ、色々事情があったんだろうが)
435 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 22:43:09
大事にされてたいうより、北方で抗争をやっていて東晋を攻めるどころ
じゃなかったから。東晋の時代に北方諸国を統一したのは前秦だけだし、
統一したら、すぐに東晋に攻めこんだし、
436 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 22:54:16
蜀は山猿、呉はなんかじめじめしたところに住んでる暗い奴ら。
時々ぎゃんぎゃんうるせーから、手柄を立てるついでに攻めてみる。
魏にとって、蜀・呉などそんな程度の存在。
戸籍人口が10分の1にまで減ってるのに
統一の美名のためにド田舎の呉蜀まで相手する必要はないだろ
まず生産体制の再建と、流民や賎民対策だよ
魏にとっちゃ、蜀はイラネ。
だが呉は欲しいって感じだったんだろうな。
>>438 じゃ、何で先に蜀から制圧したんだ?
いらないなら攻め込む必要ないだろ?
>>439 勝手に転がり込んで来たから、貰っておくべし
くらいじゃ無いのか?
>>438>>440 ネタだと思いたいけど、魏との友好ないし従属的な関係を望めるのは蜀ではなく呉。
なにより大きいのは、巴蜀を得られれば長江上流域を扼せるうえに、軍船の建造も
容易になる。
王濬が大規模な軍船を建造した事はよく知られるところ。
それまで魏は、荊州での支配領域の制約上、長江北岸からの侵攻にほぼ限定され、
それが呉にとっては防衛に利を齎していたのは紛れもない事実。
280年の呉滅亡には、晋軍が長江上流から水軍で侵攻できた事が利点になってる。
つまり蜀を討滅させれば、それでなくとも積極攻勢の姿勢に乏しい呉の脅威は薄れる。
たしかに蜀は魏からみれば地方の一軍閥程度かもしれないけど、地勢の観点でいえば
蜀の重要性を見誤ってるよ。
>>441 何を勝手に盛り上がってるんだ‥俺は438じゃ無いぞ。
言ってる事は大体もっともだが
俺の意見は、まともな状態なら無理して侵攻するのは疑問、ってだけだよ?
>>442 べつに他意はないんだけど、あまり文意から
>まともな状態なら無理して侵攻するのは疑問
とまでは読み取れなかったんで、つい。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 17:41:35
先に蜀から攻めたのは、劉禅が悪政を行っていって、えんせん
気分が広がっていると、司馬昭が思ったからじゃないのか。呉は
大国だし。
>>444 うんうん、そうだね。
横山スレにお帰り。
むしろ無双スレに逝った方がいいかと
厭戦が平仮名の時点で・・
蜀取り→南朝取りが基本なのは後の歴史を見れば分かること
いきなり本命に当たるのはアホのすること
城攻めだって、水を絶やすなり、兵糧責めするなりしてから本丸を攻めるだろ?
蜀と呉はそれこそ「唇と歯」なのだから
呉はもっと早く蜀を助けるか、奪うかしなければならなかった。
でもトーガイが蜀を落とすのが早すぎたし、羅憲が想像以上に大した人物だったのが呉にとっては誤算
もっとも呉を責めるよりはトーガイと羅憲を誉めるべきだが
しばしば、歴史を個人の能力によって変化したように語る奴がいるがそんなことは断じてない。
トウガイが
蜀取ったらキノコ食い放題だぞ
って言って士気上がりまくり
451 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 08:26:49
劉禅のせいで滅んだ。
>>449 あほ発見‥
楽毅や始皇帝、劉邦、ナポレオンが居なかったら、明らかに歴史は違った筈。
453 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 17:32:33
個人の能力と運と寿命
めんどくさかったから
ってか別に
>>449の説を認めてもいいが、
大方の歴史の流れ、つまりこの場合「蜀が滅びる」という事だが、これは必然だったとしても
トーガイがその「必然」の有能な執行者だったということを失念している
トーガイの無茶な強行軍がなければ魏の司馬昭による第一次蜀討伐は失敗していたのはほぼ間違いない
ただ、失敗しても国力差があるから、続けざまに第二次蜀討伐軍がきて蜀は滅びただろうけど
つまりはそういうこと
456 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 23:44:30
劉禅が皇帝では、どうしようもない
劉禅じゃなくてもどうしようもない
458 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/07 01:34:13
厨国は人口が多すぎて食わせられないから、
三国で示し合わせて戦争やってたんだよ。
つまりはヤオ。
ノアだけはガチ。
最後の行だけ同意
>>452 楽毅や始皇帝、劉邦と中国人で来て、最後だけいきなりナポレオンなのが笑える。
461 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/07 08:23:41
チンギス・ハンぐらいにしとけ
>>461 駄目だな、彼が居なくても他の人物が出てきた可能性がそこそこある。
劉邦だって代わりはいくらでもいただろ。
要は祭り上げて策略を行うもの、張良の方が重要人物かと。
それに項羽という人間の存在も重要だった。
彼という「憎まれ役」がなければ、民衆が一致団結するに至らなかったかと。
これはなかなか替えが効かないよ。
いや、劉邦の代わりなんてそうそういない気がするが
むしろ楽毅が何ではいってるのやら
そういや世界史板に昔あった「世界史上の英雄を三人あげるスレ」では始皇帝、ムハンマド、チンギス=ハンが有力だったな
>>464 なぜ怒る?
彼の場合、彼の周りの人間の方が有能だったと思うが。
集めたのが才能と言えるのかもしれないが、
陳平、韓信等が集まったのは劉邦の力というより、項羽側に問題があった事と張良の手腕の方が大きいだろう。
劉邦が居なかったら歴史は違っていたと言うなら、項羽や張良、蕭何等が居なくても違っていたと言う事になり、
キリがないかと。。
>>466 張良、蕭何は超一級の人物だけど
一級の代わりが居るかもしれない。
社会も経済も生産力も全て無視して
人物の才能だけで歴史を全て解釈しようとする厨房のたまり場はここですか?
なんだ、この低級釣り師は‥
470 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/07 22:57:30
劉邦には、人徳があったんでしょうよ。別に指導者は優秀じゃなくてもいいんだよ。
人物を使いこなす度量がひつようなんだよ。
そうそう
劉邦の偉大さって「俺は張良、簫何、韓信に及ばないが、扱える」「俺が死んだ後は簫何、曹参、王凌に陳平と周勃な」
この二つがそのまま劉邦の凄さを言い表してる気がするよ
でも死んだ後のことに対してあまり手を打ってなかった
?
ちゃんと指示したとおり、周勃と陳ペイが上手く治めたじゃん
474 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 08:23:43
奥さんの呂氏一族がのさばったけどね。
だからなんだっつーんだよ
なんだってなんなんだよ。
だから、その呂氏の跋扈を上手く治めたのは陳平と周勃じゃん
そーだそーだ
474の浅知ー
ごめん、472は誤爆…orz
放置してたら微妙に話が続いちゃってるようでスマンカッタ。
480 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 09:48:54
陳平と周勃は、最後には収めたけど。
呂后が生きている間はなにもできなかった。
温存していた、とも言える
言えるっていうか、明らかに温存してたな
武則天と同じ原理で、民衆に悪いことしてないし、むしろマシな政治家っていうか、でも他の一族はアホだから一代だけでょ?待とうよって感じ
その点毛沢東の嫁のパターンとは似て異なるよな
中国三大悪女は一概にも「悪」とは言い難いから……
呂后は民衆に負担をかけなかったし、元勲や諸王の勢力を削ぐのに一役かった
武則天はいわずものがな名君であり、玄宗の最盛期の能吏、政治家は殆ど彼女の作り上げたもの
西太后は政治上は暗愚であったが、今でも中国の一部では「中華の誇りと伝統を守った」とされ尊敬されている
>>481 温存というより、時宜を待ってた、というべきだな。
ゲームなら大陸など15年で支配出来るけどな
488 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 00:14:24
そうだ
西太后フォローするには無理があるけどな
491 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 08:57:17
無理がある
そうか?
なんかにわかに厨スレ化してるなw
劉邦がいなかったらほかの面々はただの人だったんだよ。
蕭何・・・どこにでもいる田舎役人。膨越あたりに襲撃されてアボン
張良・・・ただの偏執狂。のたれ死に。
韓信・・・変人。項羽の悪口言っていずれは項羽にアボソ。
その他・・・略
こんな多士済々、奇人変人大集合が可能だったのも、劉邦というオヤジがいたからこそ。英布や膨越まで
使いこなせたのもなかなかのもの。
だから大人物だというわけではないがw
意味不明黙れ
そうか?
そこそこ的確な意見だと思うが。
あ‥途中で送信しちまった‥
表現内容は無茶苦茶だが‥ を追加ね。
劉邦が名目上旗に立ってるための錯覚だよ。
実際どちらかが欠けても歴史は動かない。
それに項羽がいなければ、劉邦の時代に秦が完全に滅びる事は無かった。
>>493 乱暴な文章だが、的を射てるな
沛出身者の前歴
蕭何…主吏掾
曹参…獄掾
王陵…豪族
周勃…敷物織りの武卒
樊[口會]…屠殺業
夏侯嬰…厩勤め
周苛、周昌…泗水郡の属官
任敖…獄吏
王陵の除いて皆、身分の低い事
1段目は大体同意だけども、劉邦の方が重要じゃないか?
蕭何と張良は型落ちの代わりが居ると思うな。
2段目はどうだろう、東周みたいに為るには恨みが溜まりすぎてるし
諸侯の力も大きい様な気がするが。
>>499 いや、楚と言うか項羽の軍事力が出色の物だったってことだよ。
501 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 17:29:20
別に項羽がいなくても、秦は滅んだよ
だな
それも平和的に滅んだよ
503 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 18:03:49
呉は国土の広さの割りに人いなかったみたいだしな。
孫堅、孫権がしきりに荊州を欲しがったわけは要するに
畑耕す労働力が欲しかった訳で。
江夏の人狩りは有名。
蜀は田舎。人がいるにも耕す所がない。
実際にあんな小さな国土に90万人もいたらしいからなぁ。
劉備が分捕るまでは大きな戦争もなかった事で。
なんだ釣りか?
四川盆地は、かなり広くて肥沃、しかも水利にも恵まれてますが‥
>>502 逆に言うと、荒れたからこそ血筋重視の世界で劉邦が出世できたと考える事は間違ってるかい?
>>493 英布や膨越を使いこなしたと言うのは大げさかと。
彼等が味方になったのは、相当に勢力が固まってから。
あの時点では、彼等は政治的力学で流れただけで個人の才覚はそれ程関係ないと思うよ。
それらを御せたのは張良の才覚だと思う。
劉邦個人の力量で引き付ける事が出来たのは、
>>498で挙げられてる様な旗上げ当時からの人物じゃないか。
でも勘違いしないで欲しいのは、劉邦に才能が無いと言ってるわけじゃないんだよ。
他を過小評価する考えは危険だと思いたいだけで。
506 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 18:48:44
坂本龍馬がいないと日本は今日もちょんまげだった!
507 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 19:10:05
龍馬の事は同意ですがすれ違い
>>503 成都の物産能力は高い。取る価値はある。
どうも蜀アンチが多いな。
ただ蜀だけじゃだめなんだ
せめて涼州ぐらいは欲しいんだ
だって、経済(?)的豊かであっても、行軍に不向きで、軍事的には防衛にしか価値がないんだもん
ハァ?
511 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 17:52:33
けいしゅうがほしい!!!
余は関羽が欲しい!!
あの者を劉備のもとに置くのは実に惜しい!!
513 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 21:49:45
けいろくがほしい
>>508 キチガイ無双厨が煽ってるだけ
元々何の知識もないクズだから相手するだけ無駄
なんだ、この低級釣り師は‥
つ・・・釣られぬぞ・・・!
517 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/13 18:01:24
おう
釣られるよ?
曹操の路線はほっときゃつぶれるのでほっといたじゃないの?
いいえ
521 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 11:16:51
いいや
えぇい〜やぁ
司馬懿「孔明怖い孔明怖い・・・
指揮官がこんな調子なので、なかなか滅ぼせませんでした
おいおい、司馬懿に蜀を攻める権限はないだろ。
文化人類学に言わせれば
戦争は人口調整の一手段らしい
527 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 08:27:26
蜀は、がっちり守られたら攻め落とすには、至難の技である。
で?
529 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 08:49:00
山奥にあるからね
こんなもん、「うまみがない」の一言だよな。
蜀には峻険な山、呉には大河が要害になっていて攻めにくい → コスト高
かといって占領しても異文化、産業少ない、使える土地少ない → ベネフィット少
そもそも当時の識者の間では、「蜀は腐らせ、呉は乱せばよろしい」と
気長に攻略する方針で一致していた。極端な臣は辺境の異民族扱いだよ。
「出てきたら叩けばよろしい」とモグラ扱い。
昔から蜀とか呉は武を用いる地にあらずといって、外交的に威圧して
懐柔するのがベストというのが当然だったんだよ。
531 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 09:24:25
京を制圧できない奴は田舎者ってのと同じ理屈か。
ベネフィットって何?は、どうでもいいとして
>異文化、産業少ない、使える土地少ない
↑これは在り得ね〜
釣りをするなら、もう少しイイ餌付ける事をお勧めする。
ありえない理由も書かなきゃ駄目だよ
三国志を読んでから書き込みしないと駄目だよ
無双をやってから書き込みしないと駄目だよ
↑それはどうでもいい
どうも馬鹿にされてるので俺は
>>530じゃないが、
異文化>異文化と言うよりも後進文化
蜀の地の文化ってのは一つ遅れてたっていうから
異文化とは違うが、旨みがないのは事実
産業少ない>
>>532が笑っている理由は「戦乱時の蜀は豊か」ってイメージがあるからか?
確かに巴蜀は殖産能力は高い地だが、それを充分に上回る中原十州を手にしてる魏には関係ないこった
戦乱時に中原の生産力が落ちて相対的に蜀の価値が上がるんだけど、
安定したときにどうしても蜀じゃなきゃ出来ない産業などない
使える土地が少ない>まぁ、どうなんだろうね?でも朝廷から見た場合はそうかも
>>530はまともというか、普通の事書いてるだけだと思うがなぁ
勝手に釣り認定しても、スレが進まないんじゃ意味ないと思うが
>安定したときにどうしても蜀じゃなきゃ出来ない産業
「貨幣の中国古代史」という本の受け売りだが
魏の領内には銅産地がほとんどないらしい。
一方、蜀は銅などの鉱物資源が豊富で劉備が鋳造させた銅貨「直百五銖」が発掘されたり
魏や呉の地域の遺跡から蜀銭が発掘されたりするんだとさ。
>>537 根本的な論点がずれてるんだよ
中国統一ってのは単に富国のための手段じゃなくて、イデオロギーなの
皇帝は中華全土を支配する存在だから
中華の地を不法占拠する賊徒は滅ぼさなきゃならんの
東晋も北魏も南宋も中華民国も、実質的には地方政権でもそのタテマエは一度も崩してません
ただ、タテマエとホンネは違うから
攻略する実利のない呉蜀はひとまず後回しにする、ってんならまだ話は分かる
けど
>>530が言ってるのは利益<労力だから
「みーんな呉蜀は攻め取らなくていいと思ってましたー。常識でしたー。昔からそうでしたー。」
ってことでしょ?単なる脳内妄想じゃん
馬鹿にされて当たり前
昔からそうだったなら、公孫述は攻め滅ぼされなかったっての
昔からとか言ってる割には、公孫述は速攻で滅ぼされてるがな。
蜀は中国からインドに抜ける幹線道路の入り口だよ
張騫の時代にはすでに蜀産インド経由の竹杖、蜀布が西域で流通していたらしいね
秦の時代から統治されてたのに、異文化もクソも無いと思うけどな。
食料の供給に苦労する状況で、産業少ないもクソも無いと思うけどな。
天府と言われるほど肥沃で広い盆地を、使える土地が少ない
と、考える様なことは無いと思うけどな。
でも蜀の地って五胡十六国で初めての異民族国家“成”を立てた土地
でも中原にもその後ボコボコ異民族国家が建国されたぞ。
蜀は東晋の勢力圏にはいったけど。
成漢の李氏はもともと甘粛のあたりに住んでたテイ族が食い詰めて流入しただけなので
>蜀は異文化
という問題とは無関係
李氏が後に「漢」に国名を改めたのは蜀と関係あり?
蜀ではなく漢中の「漢」だろう
李寿が漢王に封ぜられたとあるね
保存
四川盆地って日本より広いんだよな。
頑張れば人口4000万ぐらいまで養えそうだ。
ごめん、無理
当時は人口のほとんどがパンダですから、残念!
∩___∩ |
| ノ\ パンダ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
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554 :
無名武将@お腹せっぷく:04/12/15 21:19:21
島国的意見が多いな。
別の国となった蜀や呉を滅ぼす必要がどこにあるのか。
もちろん侵略戦争としてはアリだが、
なぜフランスは日本を滅ぼさなかったのか、という疑問と答えは一緒
最終的に滅ぼしたじゃない
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| ノ\ パンダ ヽ |
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557 :
554:04/12/15 21:30:31
滅ぼしはしたが、滅ぼさなければならなかったわけではない
559 :
554:04/12/15 21:44:20
呉や蜀を含めた「中国」って概念が皆無とまではいかないが強くなかった。
機会があれば滅ぼせばいい、という程度。
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| ノ\ パンダ ヽ |
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>>559 蜀が魏帝を認めなかったように魏は呉と蜀を国として認めてないと思うんだが。
機会があれば滅ぼしたい、という方が適切だと思う。
562 :
554:04/12/15 22:12:43
蜀も呉も君主が皇帝を名乗っている以上
いつかは滅ぼさなければならない相手だろう
間違っても共存できる相手ではない
フランスは日本〜
じゃあなく、インドやイラクは何故パキスタンやクウェートに進攻しなかったか、だろ?