周瑜VS魯粛VS呂蒙VS陸遜

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兵は10000ずつ
周瑜はその性格ゆえ真っ先に攻めると思われる
魯粛は長期的戦略眼から誰かと同盟を結ぶと思われる
呂蒙は相手の情報が分からない間は打って出ないと思われる
陸遜は呂蒙と同じで打って出ないと思われる
2孔明:03/09/20 01:13
孔明ですよ!
3孔亮:03/09/20 01:15
孔亮ですよ!
呂蒙と陸遜って戦略に差ってありそうなの?
戦略では陸遜のほうが上手だが
戦術では呂蒙のほうが上手だと思う
6無名武将@お腹せっぷく:03/09/20 01:29
まず最初は周瑜が誰を攻めるか
魯粛を攻めたら用兵能力に劣る魯粛が負けると思うが
呂蒙、陸遜を攻めたらどちらも被害は少なく
魯粛が何か仕掛けると思う

魯粛は周瑜が攻めてこなかったら
親交のある周瑜か呂蒙と同盟を結ぶと思われる
でも周瑜のほうが利用しやすいので周瑜と同盟を結ぶか

呂蒙は周瑜が攻めてきたら篭城して城を死守すると思う
やはり時が熟するまで待つと思われる

陸遜は周瑜が攻めてきたら籠城しながらも隙があったら攻撃を仕掛けると思う
攻めてくる可能性のある周瑜に偵察部隊を送ると思われる
同盟有とかにしたら四人仲良く同盟で終わっちゃうじゃん
この人達を考察、比較するスレでもいいじゃん。
91:03/09/20 21:57
あれ、ぜんぜん伸びてないね(藁
じゃあ1ヶ月の間で誰も死ななかったらみんな死ぬと
いう設定でどうでしょう(バトロワのパクリ)
決戦場は荊州南部で
魯粛が勝つね。いや勘
11無名武将@お腹せっぷく:03/09/20 22:10
周瑜でしょ…いや、勘。
呂蒙だろ・・・
あれほど勤勉な人が負けるわけないような
いや、勘。
13無名武将@お腹せっぷく:03/09/20 22:35
陸遜だろ。他の三人は>>10-12ででたし。
じゃあ、仲良くみんなが勝ちってことで
>1ヶ月の間で誰も死ななかったらみんな死ぬ

(;ω;)
>>14
それイイ
17無名武将@お腹せっぷく:03/09/20 22:58
とりあえず一ヶ月持たずに周瑜が病死して魯粛がその兵力を手に入れ、呂蒙が病死して陸遜がその兵力を手に入れる。あとは魯粛の粘り強い外交で陸遜を落として終わりと予想。
omoroi
19幼常:03/09/20 23:42
ぼくだったらまずエンジュツをせめますね
これで後顧の憂いはなくなります
この四人しか勢力はないのか?
>>19
エンジュツオタめ・・
22邪道栄:03/09/21 00:26
>>19
さすが頭がきれるなあ
拙者感服いたしましたござる
23無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 00:32
結局、関羽の霊が勝つ
24無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 01:00
曹操が20万で南下して
みんなおしまい
25無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 01:12
袁紹40万が南下しとおしまい
26無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 01:15
曹操が50万で袁紹倒して
20万で南下してみんなおしまい
27無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 01:20
公孫讃軍100万で南下吸収して終わり。
28無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 01:21
袁紹と公孫讃が天下二分しておしまい
29無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 02:16
1v1v1v1だから問題がでるんだよ。
友好とかそんなの要因として出したらおわんねぇ
総当りにすればいいじゃねーか。
総当りにしたら魯粛が勝つ可能性が0に等しい
31無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 02:27
水上戦なら周瑜、野戦なら陸遜、城攻めなら呂蒙かなぁ。

外部参入ありなら、魯粛。
とりあえず魯粛は除外
周瑜→名家なので続々傘下が増える
魯粛→名家で金持ちなので土地の人間はすぐに集まる
呂蒙→無理
陸遜→名家だけど孫権配下にさえ侮られてるので無理
1万程度なら
おそらく4人の中で最も多く戦ったと思われる周瑜
魯粛が勝ってほしいね。漏れは。
三国志9の顔グラから判断すると周瑜か陸遜だな。
魯粛と呂蒙は負け顔。
371/4:03/09/21 07:48
これと似たようなタイプで、前に何かの数学的モデルを見たことがある気がする。
せっかくだから考えてみよう。

今、簡単のため周瑜、魯粛、呂蒙の三人が互いに戦うという設定で話を進める。

仮に三者の能力を、

周瑜は2/3の確率で相手を倒すことができる
魯粛は1/3の確率で相手を倒すことができる
呂蒙は1/2の確率で相手を倒すことができる

と設定して、三人がランダムに決められた順序で誰か一人をターゲットに決めて順番に攻撃していくとして
誰が最終的に生き残る確率が高いのだろうか。


例えば 呂蒙→周瑜→魯粛→呂蒙・・・ のように順番が決まったのなら、

1.呂蒙はどちらか一人選んで攻撃
2.次に周瑜はもし生き残っているなら一人選んで攻撃
3.次に魯粛はもし生き残っているなら一人選んで攻撃
以下繰り返し

一人になったところで終了

とする。(続く)
382/4:03/09/21 07:49
まあ、全員が何も考えずに適当に潰しあうとするなら、勝ち残る確率は
周瑜 > 呂蒙 > 魯粛
の順で大きくなるのは自明。

では、それぞれが自分の勝ち残る確率が最も高くなるように行動する(最適戦略をとる)
場合を考える。このときのそれぞれの最適戦略は

・周瑜は残り二人が生き残ってる場合、どちらも2/3の確率で倒せるので、生き残られると
 厄介な呂蒙を先に攻撃し、始末しようとする

・魯粛は残り二人が生き残ってる場合、どちらも1/3の確率で相手を倒すことができるなら、
 より危険度が高い周瑜を先に攻撃する

・呂蒙は残り二人が生き残ってる場合、魯粛と同様により危険度が高い周瑜のほうを攻撃する

であると考えられる。

さて、各人がこの戦略に沿って行動した場合の勝利確率を計算すると

周瑜 27.4%
魯粛 41.6%
呂蒙 31.0%

という結果になる。(場合分けして確率計算)

一番有利であるはずの周瑜が勝ち残る確率が最も小さくなり、
一番不利であるはずの魯粛が勝ち残る確率が最も大きくなる、というわけですな。

攻撃力の高い危険な周瑜が他二人の攻撃目標となり、魯粛は他二人から攻撃目標に
されにくいからです。各人が最適な戦略を取ると、他者との協議がない限りは
周瑜の勝ち残る可能性は一番低い。(続く)
393/4:03/09/21 07:51
では二者で同盟を組んだ場合はどうなるだろうか。

同盟を組んだ場合は
・組んだ二人はともに自分の番になったら残る一人を攻撃。
・残り二人になったら互いに攻撃しあう
というように約束する。

これをそれぞれの同盟に対する三人の勝利確率を計算すると、

「周瑜-魯粛」同盟

 周瑜 44.3%
 魯粛 39.5%
 呂蒙 16.1%


「周瑜-呂蒙」同盟

 周瑜 45.0%
 魯粛  4.9%
 呂蒙 50.1%


「魯粛-呂蒙」同盟

 周瑜 27.4%
 魯粛 41.6%
 呂蒙 31.0%   (前と変わらず)

となり、同盟によって結果が大きく変わってくることがわかる。
(計算間違いがあったらスマソ)
404/4:03/09/21 07:56
これに陸遜を加えた四人でも同じように議論できるけど、計算量が
多くなるのでパス。数学が得意な人はどうぞ。

上のモデルに「自分のターンになっても誰も攻撃しない」という選択肢も与えるなら、
さらに戦略性が増します。


相手を攻撃した際の自軍の損害や、複数回に分けての攻撃手段、
ターン制ではなく同時進行系を考えることができれば現実に少しは近づくかも?


41無名武将@お腹せっぷく:03/09/22 00:13
魯粛が誰と同盟を結ぶのかが問題だな。
6で言っているように周瑜か呂蒙のどちらかと同盟を結ぶと思う
魯粛はどちらかというと陸遜寄りになるんじゃないか?
この二人の対魏、対蜀の方針は基本的に「蜀と和して魏に抗する」ハト派だし
周瑜と呂蒙はどちらかというと対蜀強硬タカ派だからな。
>>42
戦略はそうなるかもしれんが魯粛は周瑜、呂蒙と親交がある。
全員と親交がある呂蒙は有利かもな
そもそも前提がよく分からんから親交なんてのを考慮すべきなのかどうか。
史実ベースならこいつらやりあわないし。。
俺、こいつらみんな好きなんだよね。
みんなで仲良くして孔明のクソをボコボコにする。
これでOK。
>>42
呉の戦略は基本的に魯粛が考案した物ですよ
長江流域に割拠する「天下二分」と
魏の敵を増やし対抗する「同盟策」の二つ
周瑜の天下二分や、呂蒙の長江流域支配も魯粛の天下二分を元にした物でしかない
また陸遜も荊州奪還には積極的であった
状況の変化によって、柔軟に戦略を転換したことが呉の優れたところと思う
良スレ期待age
48無名武将@お腹せっぷく:03/09/22 21:16
sageたままだった
スマソ

1万に属する武将の人材分布も考慮に入れると
面白いかも。
まず、どこが拠点なの?呉を4分?天下4分?
周瑜は実際のところ評価しづらいんだよな。
結局は陸遜の功績が最も大きそうだが。
周瑜は演義でも正史でもあまり評価は変わらないと思う。
無敗といっても曹操以外それほど強敵相手にしてないし
陸遜は政治面での功績が大きい。
戦の面では荊州を取った呂蒙が一番大きいと思うのだがどうですかな?
周瑜は、孫策と共に呉の地を取ったのは考慮されないの?
>>51
>周瑜は演義でも正史でもあまり評価は変わらないと思う。
何故??演義の周瑜なんて「みじめな美男子」なだけだろ。
美男子ってとこが唯一の救いだな・・・
>>37-40
おもろい。

具体的な計算はどうやってやればいいの?
>>55
そのまんまだろ
普通に手計算するしかないのか
58無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 21:49
野戦 周瑜>陸遜>呂蒙>魯粛
城攻 呂蒙>周瑜>陸遜>魯粛
籠城 呂蒙>陸遜>周瑜>魯粛
水上 周瑜>陸遜>呂蒙>魯粛

誰かこれを基に考えてくれ
59無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 22:03
なんで野戦で魯粛がビリなんだよ。
60無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 22:05
>>59じゃあ魯粛の野戦の功績を挙げてください
61無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 22:08
周瑜:軍師
魯粛:政治家
呂蒙:武術家
陸遜:将軍
魯粛以外みんな将軍だと思うが
63無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 22:14
周瑜:知力
魯粛:政治力
呂蒙:武力
陸遜:統率力
統率:呂蒙
武力:呂蒙
知力:陸遜
政治:陸遜
魅力:周瑜
水軍大都督は魯粛と陸遜のみ
周瑜と呂蒙は明らかに格下
統率:呂蒙
武力:呂蒙
知力:陸遜
政治:魯粛
魅力:周瑜
領土を持った国同士の戦いなのかって言うと、>>1を見る限りでは
兵士数の記述しかなく、領土とか住民とかの勢力基盤について書いてないことを考えると
国対国ってことより純粋に部隊戦を意識しているのかな。そうすると期間は長くても半年から一年?

あとはフィールドの広さ。
30分もあれば接近できるくらいの近距離にそれぞれ陣を構えている状態なのか。
もしくは離れた場所にそれぞれの城砦があって、そこを起点に他の敵の城砦を占領していくのか。
戦場の地形は。
外的要因(関係ない第三者からの干渉)を考慮するのかしないのか。

まずはこの辺から決めてくれ。
6867:03/09/25 23:37
>>9にあった。期間一ヶ月ですか。
短期決戦ですな。
魯粛が実際に兵を率いて戦ったエピソードとかってないの?

吉川・横山三国だと陸戦の魯粛、海戦の周喩って書かれているけど
いまいちピンとこない
701:03/09/26 15:13
やっぱり期間1ヶ月は厳しいですかね。1年にしましょう
魯粛が子供の頃、街の子供を集めて指揮の訓練してたとか何とか。
荊南三郡は魯粛じゃなくて呂蒙?
>>71
荊南三軍を落としたのは呂蒙です
73無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 19:23
スレ立て人気なら陸遜だろ

陸遜の修羅日記〜それいけ伯言!!〜
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1066155445/l50
【陸遜】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1056445118/l50
74無名武将@お腹せっぷく:03/10/26 03:23
呂蒙ほど文武に優れた将は居ないのだがな
>>74
確かに呂蒙は文武に優れるが
周瑜、魯粛、陸遜も文武に優れた一級の人物だよ
76無名武将@お腹せっぷく:03/11/12 08:14
この4人の名将によって呉国は成立したといってまも過言では無いわけだが、同時期にいたらどうなってた?
>>76
全員、同時期にいたことがありますが、何か?
>>76
孫権治世の初期に四人が揃う。
孫策の代では陸遜が欠ける。あと、呂蒙は義兄に従う兵卒。
魯粛は策が死んだ時、魏に行こうとした。周瑜が引き止めて考え直す。

赤壁〜南郡攻略の時に四人いたんじゃないか?
その頃、陸遜は連年飢饉の県の経営を立て直してたか、蛮族討伐のために兵士
を現地徴発して役人にチクられてたか・・・
同時期にいなかった(活躍する時期がズレていた)ことが、
呉にとっては非常にプラスになったと思うんだが、どうでしょ。
80無名武将@お腹せっぷく:03/11/12 17:37
赤壁の前ぐらいからでしょう。>>78
呂蒙=武力馬鹿とか思ってるアフォが居そうだな
81=無力馬鹿
82=無双馬鹿
83=無双馬鹿
85無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 21:12
 
86無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 21:51
半魚人マンセー
正史なら周ユ。
演義なら陸遜。
既出だが、
そもそも何で対決させるのに元々の仲の良さとか考慮しなきゃいけないのが解らない。
対決なんだから、そういうのは白紙に戻すべきだろ?
そして、兵1万で何がしたいのか解らない。純粋に戦闘能力だけで競うのか?なら戦場は何処よ?
それとも、兵1万を元手にして国でも興して戦うのか?全くもって>1が解らない。

そして結論からいうと、この四人の中じゃ周瑜が大本命。
理由:血統が最もよく、本人自身も優秀。
あの時代、ネームバリューが全て。一族に大尉を二人出した周家は、一応まがりまがりにも“貴族”
陰険な孫権が周瑜をイジメなかったのは、信頼もあるけど、逆立ちしても勝てない家柄だから。
又、歴史的にも周瑜が一番重要。赤壁で呉が勝たなかったら、後の六朝時代が無くなるから。

次に、陸遜が対抗馬か。
理由:呉政権つまり江南において勢力を持つ豪族、四氏の一つの出身。
呉政権は豪族連合政権であることは周知の事実だが、その構成は
陸・張(張昭とか)・朱・孫(孫権の系譜では無い。呉の初代丞相の孫撃ニかか?)の四姓だった筈。
西晋では、中央に出て出世している家だし。(正し、“貴族”と認められたのは周氏(周魴の一族)と沈氏の二氏のみだったが)
政治と軍事のバランスがイイのもプラスか。ただコイツは憂さ晴らしに虐殺やってる人間なんだよなぁ……

そして、陸遜と同じ位の勝率で魯粛。
理由:コイツの出自が悪くないし。
よく言われてる事だが、呉において高所からの戦略眼があったのは周瑜・魯粛のみと言われるが、
知識人で、土着の人間じゃないから当然といえば当然なんだよなぁ。
中央に近いという意味で家柄だけなら陸遜より有利か。戦術、その他じゃ負けるかも知れない。基本イイ人すぎる。

おそらく最弱が呂蒙。
理由:所詮叩き上げの人間。
そりゃ、一介の武将から軍部の総司令にまで上り詰めた点は偉いし、魏や蜀に一目置かれていたのは認める。
けど、それは孫呉という元で戦うから。蜀における諸葛亮と魏延の立場と似ているといっていい。
諸葛亮、アイツは瑯耶の名族(+荊州にも人脈があるし)。諸葛姓が三国全てに士官していることからも分かるケド、全国的に有名なんだよな。
瑯耶っていえば王氏をはじめ、中華じゃ最大の名族の産出地だし。政権の中じゃみんな味方する。
魏延も呂蒙も、主家に取り立てられただけしかバックホーンを持たない。独り立ちは無理です。
90無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 00:50
>>88-89
呉の豪族の四姓は張、顧、朱、陸
張:主な人物、張温
顧:主な人物、顧雍
朱:主な人物、朱桓
陸:主な人物、陸績
張昭や孫邵は名士ではあるが豪族ではないのよ、そもそも呉郡出身でないし…

とはいえ、家柄を計算に入れたら、貴方の言うような順位になるだろうな
呂蒙は兵卒上がりだからな〜
呉臣として比較したら四者甲乙つけがたいのだが…
9188:03/12/09 02:59
>90
訂正スマソ
やっぱり孫邵は名士だったか。
陸姓は八王の乱の煽り食らってるからなぁ…。
生き残れなかったか。(まぁ、周氏も反乱起こして潰されたが)

>呉臣として比較したら
この“呉臣”ってのがミソだと思う。
ここでいう“呉”が、“孫権を皇帝とした、呉国”なのか、“孫権というトップのいる豪族の連合”なのか
陸遜・呂蒙は所詮、地元の人間なんだよな。荊州を、自分達の支配地域の延長としてしか見ていなくて、
周瑜・魯粛は荊州を全国支配の足がかりとしての土地として見てるかの違いがあるからな。
>>88
おおよそは同意だが、孫権を陰険ってのは言い過ぎじゃないか?
それと、魯粛は全然いい人では無いだろう。それは、劉しょうとか。
>>92
一行目は同意だが二行目がものすごく疑問。

孫権は兄や周瑜が優秀すぎたんでコンプレックスあるだろうけど
せいぜいその程度だよ。少なくとも歳とってしみったれるまでは。

>魯粛は全然いい人では無いだろう。
いい人だけの男なんてつまんないわー。特に乱世じゃ。
94無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 15:26
>>88どこが陰険じゃー!
醤油もだろうがー!
孫権はいんげん豆
9688:03/12/10 03:28
>92
劉しょうって誰だっけ?……益州の主?

孫権は陰険は、話をおもしろくするための誇張ぐらいに思って。
まぁ、俺が孫権の事あんまかってないから。見劣りするよ、曹丕とかと比べても。
取り敢えず、山越の異民族対策と酒乱を直してから出直してこいって感じだ。
呉将は好きなんだけど、呉っていう国には魅力感じないからなぁ
「呉が最後まで生き残ったのは保守的な豪族連合政権だからだ」みたいな事聞くと“?”って思うんだよな。
呉に歴史的必要性がまったく感じられないんだな。他の六朝にはそれぞれ時代の意味があるけど。
好き嫌いは別として評価する価値があるのは、孫策・周瑜・魯粛・孫休くらいで。

おぉ、思いっきりスレ違いだ。スマソ
スレ違いついでに、ふと思ったんだが、司馬炎と楊広って似てるかも。
なんでそんな知識が偏ってるんだ
魯粛って、どっちかというと「人が悪い」タイプだよなぁ・・・
功績を称えたつもりの孫権に「こんなもんじゃ足りねぇよ、ゴルァ」とか言ってるし。
9992:03/12/10 21:57
>>96
劉璋の事。ごめん。
孫権は晩年は陰険だよ、実際。その観点でいくと、蜀なんかもっと
必要ないんじゃないか?
魯粛は名家にして、任侠精神も持ち合わせてる、呉を体現した様な人かと。
10093:03/12/10 22:12
老害とか老醜という意味なら、確かに、陰険説に賛成。
若い頃はさほどでもないだろ。じゃぁ皆そんなに意見分かれてないな。

元々孫権には英雄とまで言う程のでかい器はなかったんだよね。
それを自覚していたからこそ勉強して家臣をよく用いた。努力の人だよ。

じじーばばーと暮らしてるとよく判るけど、年寄りは本当に頑固だ。
ましな人でも時代について行けないし、悪けりゃ陰険にもなるわ。
当時の中国って日本の上皇制度みたいなのなかったのかな。
老醜さらすほど長く皇帝務めてても誰も逆らえないからタチが悪い。
101無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 04:20
え?
能力名 周魯陸呂

統率力 9:7:8:6
名声値 9:8:6:1
人徳度 8:9:7:6
野戦力 6:7:7:9
水軍戦 9:7:8:7
功城戦 7:6:6:8
防衛力 7:7:9:8
機動力 8:6:7:9
戦略眼 7:9:7:3
政略力 8:8:5:2
統治力 7:8:9:3
策謀力 8:8:7:4
交渉力 6:9:7:1

なぁなぁ、朱然と陸抗も混ぜてみないか?
>>102
俺的には、
能力名 周魯陸呂

統率力 9:7:8:7
名声値 8:6:8:1 (家柄?)
人徳度 8:8:7:7
野戦力 8:7:8:8
水軍戦 9:7:7:7
功城戦 7:5:6:8
防衛力 8:6:8:8
機動力 8:7:8:8
戦略眼 8:8:7:6
政略力 8:8:6:7
統治力 8:7:8:7
策謀力 9:6:8:7
交渉力 7:8:7:6
朱然とはまた渋いな
10688:03/12/15 03:25
>103
朱然よか諸葛の驢馬さんの方が、呉に貢献してると思う。

>99
蜀の必要性はあるかと。
劉淵は、漢を立てた時に劉禅を祭った訳だし。
漢の正統を継ぐ、というイデオロギーは結構重要だと思うな。
そして、明確な“中国の正統王朝である魏”に終始敵対した点とか。
異民族対策も、呉よりは成功している。
五胡一六国の時代、最も早く成立した国に入る成漢が興ってるのも興味深い。
一応、清流士大夫の許靖もいた。呉にはいない。
これは、当時としては一流と二流の認識の差になるかと。

孫権評に関しては

孫権→陰険→転じて暴君の類かと。

ちなみに

劉禅→暗愚→転じて暗君の類
ま、優秀な臣に一切を任せるってのは法家の思想にもあることだし、失点といえば陳祗を重用したごと位で
+−で言うと、+になるかも知れない。孫権は、+と−の幅が大きく、総計がどうなるかわらないかも。

曹丕→徹底的な法家。文人→賢君の類
「え?」って言う人はいるだろうが……

魯粛は……俺が悪かったから、もうイジメないで
107無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 22:20
>>102
>取り敢えず、山越の異民族対策と酒乱を直してから出直してこいって感じだ。

酒乱はともかく、異民族対策は蜀よか呉の方がよほど成功しとる。
人権とか言い出すなよ。国家としてどっちの方が異民族を利用しきったか?
という点で。蜀は悪いが、南方はしっかりと統治できてない。呉はその点、
異民族(山越)は、利用しきった。とにかく、叩ききった。だから以後、史書
に山越の文字が出てくる事は三国時代以降は、極端に少なくなる。

異民族だらけの江東を開発して、南北対立の基礎を作ったという点で、呉の
意義ってのは結構でかいと思うぞ?
また凄い糞スレだな・・
>「呉が最後まで生き残ったのは保守的な豪族連合政権だからだ」みたいな事聞くと“?”って思うんだよな。

豪族連合だったってのも、初期の話だな。前に誰かが言ってたが、
孫権を盟主とした豪族連合としての呉

孫権を皇帝とした国家としての呉
は別モンだよ。

で、どっちの方が強かったかというと、不思議な事に上の方なんだな。これが。
>漢の正統を継ぐ、というイデオロギーは結構重要だと思うな。

逆に言えば、そのイデオロギー以外の部分ではあまり意味がないんだよ。蜀と
いう国は。

漢を引き継いだってのは分かる。正統だってのも理解しよう。で?
国として何をやったの?って部分が、92の言う
>その観点でいくと、蜀なんかもっと必要ないんじゃないか?
って部分なんだよな。
>一応、清流士大夫の許靖もいた。呉にはいない。
これは、当時としては一流と二流の認識の差になるかと。

これはちっと知識が偏っているぞ?
許靖がいるから一流ってのはちょっとな。

清流派の士大夫がいるかいないかってんなら、呉にも張昭・張紘
なんてのもいる。
そもそも、許靖の兄の許劭は劉ヨウに仕えた訳だが、これは江東だぞ?
で、その劉ヨウの子の劉基は呉に仕えている。

そんな所が一流か二流かの差ではないよ。清流派が多い少ないで言うなら
魏が圧倒的。
11288:03/12/19 04:03
>異民族(山越)は、利用しきった。とにかく、叩ききった。
「叩ききった」じゃ利用しきれてないじゃん……
「叩ききった」事になったのは、上手く扱いきれてなかった証明じゃん。
まぁ、叩く事が一番の利用法だったって事だろうけど。

>異民族だらけの江東を開発して、南北対立の基礎を作ったという
それは、王導辺りに利用された顧栄や、周拠、[王己]の頑張りもあるし。
呉があろうが無かろうが、江東の豪族達が、美味しいどころを持ってかれた運命だったんじゃないか。

討伐した山越を、豪族達に分配して、土地を開発したせいで自立農民が減った事は、
開発が遅れることにもなる。

>逆に言えば、そのイデオロギー以外の部分ではあまり意味がないんだよ。
まぁ、そこら辺は、そのイデオロギーを重く見るか、そうでないかって所だし。
劉淵が、漢人懐柔の為に、祖先の事持ち出して“漢”って名乗った効果ってどうなんだろ?
李寿が、成を漢に改めた理由ってなんだっけ?

>清流派が多い少ないで言うなら 魏が圧倒的。
そりゃ、そうでしょ。魏は、中国の正統王朝だもん。
劉基、張昭・張紘 は、清議系の本流からは外れている。(ってかコイツら清議系?)
陳寔を中心にした潁川系と、鄭原を中心とする北海系が、後の貴族文化を形成したから、コイツらじゃ弱い。
蜀は、荊州の教養人が政府の中心。
呉は、何処までいっても、武家社会。

確かに、言い過ぎたけどな、士大夫士大夫って。
突然反論して悪かったが、ちと納得いかない点があるので。

>「叩ききった」事になったのは、上手く扱いきれてなかった証明じゃん。

その下に書いてあるように「叩く事が一番の利用法」だった訳でわ?
後漢期の江東は異民族だらけの蛮地で人口密度も低い。漢書地理志を見ても
荊・揚・益の中で最も開発が遅れているのが分かる。
そんな所に拠点を置いて中原に対抗するなんて、その以前は考えられなかった訳でしょ?
実際、呉志を見ても、お膝元の丹楊郡ですら山越が横行してその度に叩いていた
訳だし。
で、その「租税も取れない戸籍にも数えられない山越」を徹底的に討伐して、
兵戸にしたり小作農にしたりして、人口不足を補って戦った訳だよな、呉
って国は。もし呉が成立してなかったら、以前として江東は山越の横行する蛮地
だった訳。

東晋が建業に拠点をおいて北に対抗する事ができたのは、孫呉が山越をやっきに
なって叩いたからでしょ?
これは、重要な国家の意義ではないかな?
>それは、王導辺りに利用された顧栄や、周拠、[王己]の頑張りもあるし。
呉があろうが無かろうが、江東の豪族達が、美味しいどころを持ってかれた運命だったんじゃないか。

司馬叡に協力した江東豪族は、呉で発展した豪族じゃん?呉がなかったら顧・賀・虞家らが、それほど力を持った豪族になれたかどうかも怪しい。

>討伐した山越を、豪族達に分配して、土地を開発したせいで自立農民が減った事は、
開発が遅れることにもなる。

それは確かにそうなんだが、では自作農を作るために山越討伐をしないかったら?どうなってた?南朝は成立しなかったかもしれないじゃない?

>劉淵が、漢人懐柔の為に、祖先の事持ち出して“漢”って名乗った効果ってどうなんだろ?
李寿が、成を漢に改めた理由ってなんだっけ?

それは、イデオロギー論としての蜀の意義そのものでしょ?だから、それ以外の意味あいが蜀には薄いと言った訳。
ただし、これらは漢民族懐柔策だよね?李寿の件はよく知らないんだが。
そうだとすれば、蜀が漢を名乗ったのとはちょっと違う気もしないでもない。

>蜀は、荊州の教養人が政府の中心。呉は、何処までいっても、武家社会。

呉が武家社会ってのは、認める。孫家自体がそうだし。
しかし蜀は「荊州の教養人が政府の中心」。これはどうなんだ?

オレは劉備を中心とした一派は孫家と似たり寄ったりだと思うぞ?基本は任侠的
精神に基づいた軍閥でしょう?
荊州の教養人って言ってもな。諸葛亮を言うなら呉にはお兄ちゃんがいるし。
後は蒋[王宛]費[ネ’韋]あたりを指していると思うが、そのレベルの知識人
なら、諸葛瑾・顧雍・張昭・張紘・虞翻らとどの程度レベルが違うのかワカラン。

武人が無教養なのは呉と蜀は同じだしな。武人にも教養人が多いのは魏だけだ。

なんか、呉と蜀どっちが歴史的意義があるか?なんて魏に大部分の意義を持って
いかれた後の残りカスを取り合っているようで、惨めになるんだが、結論として
は「大差ないだろ?」とオレは言いたいな。
>>115
感覚だけで語るな馬鹿。
無知はだぁとれ、ボォケ!
>>115
>結論としては「大差ないだろ?」とオレは言いたいな

はっきり言って、呉の方が歴史的意義はある
「六朝の始め」というのは言うまでもなく
江南の開発、異民族討伐は貴方のおっしゃられるとおり
さらに仏教の普及
また文化面でも陸機、陸雲を輩出出来るほどまでに江南は成長している
こうした基盤があればこそ、晉が逃亡してきた後、南朝文化が花開くことが可能だったのだと思う
11988:03/12/19 22:13
>東晋が建業に拠点をおいて北に対抗する事ができた
他にも、色々要因があると思うけどね。

>呉がなかったら顧・賀・虞家らが、それほど力を持った豪族になれたかどうかも怪しい。
なれたかもしれないし、そうじゃなかったも知れない。
それは何とも言い難いよ。

>しかし蜀は「荊州の教養人が政府の中心」。これはどうなんだ?
そうだと思うよ。江南と荊州なら荊州の方がひらけていたもの。
江南は>113の説明にあったように、最も開発が遅れてるもの。
劉備は中原で勢力あるいは名声を高めていった訳だよ。孫呉はずっと地元にいる。
そこに彼らの政権を形成する人達に、認識の違いがある。

>武人にも教養人が多いのは魏だけだ。
というか、元々政治家が、軍隊動かしてるだけなんだけどな。

>江南の開発、異民族討伐は貴方のおっしゃられるとおり
その分、中原を目指す機会というか、意志が減ったと感じたのです。
中華に国を立てるなら、中原を意識しなくてはならないのでは?と軽い気持ちから
“歴史的必要性がまったく感じられないんだな”発言をしたんです。
正直、そろそろ自分でも辛いんです。三戦板だって舐めておりました。ゴメンナサイ

>さらに仏教の普及
これは関係無いかと。
蜀、成漢は五斗米道つまり道教勢力が強かったのですが、北と南に仏教の伝播度の違いはそんなにない筈です。
石勒、石虎は、仏教に深く帰依していたし、保護していました。符堅にしてもそうですし、むしろ北の方が熱心だった。
南朝で仏教が大きく普及したのは梁からで、それまでは南北関係なく、中国に仏教が浸透していった時代だと思います。

>陸機、陸雲を輩出出来るほどまでに
彼らの才覚もありますが、晋の江南豪族の分化政策や、
司馬炎が、最後まで呉蜀に尽くした忠臣の子孫を取り立てていったということもあるでしょう。
江南のあたりは激情家が多いので、詩人や革命家を出しやすい土地柄ですしね。
120無名武将@お腹せっぷく:03/12/24 04:29
陸遜が早や死にしてたら徐盛だな
徐盛は一発屋なので却下
122あぼーん:あぼーん
あぼーん