異説本能寺天正十年版その2

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1スイか ◆CbIuEBgmms
2無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 00:16
クソすれ万歳
3無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 00:16
1へ
とりあえずレスつくまでは、自作自演で乗り切れ!!
自作自演はバレるとかなり寒いから、自分の中でちゃんと
キャラ分けをきっちりやっておく事。ね?
一人称を「オレ」「僕」「私」「あたし」と使い分けて
賛成・反対のキャラをそれぞれ割り振って自演するとか。
あと、適度に自作の「荒らし」を入れておくのも手。
ともかく、「このスレには人が多数いる」と
思い込ませる事が大事。
ま、とにかくがんばれ!!2ちゃん見てる奴は万単位だから、
このスレに興味持つ奴も何人かはいると思うぞ。健闘を祈る!!
4あぼーん:あぼーん
あぼーん
5弱策:03/08/17 00:20
('c`)
6あぼーん:あぼーん
あぼーん
7あぼーん:あぼーん
あぼーん
8スイか ◆CbIuEBgmms :03/08/17 00:27
【ルール説明とスレの目的】
・このスレは、多数の参加者が同じ世界を共有し、その中で物語を紡いでいくリレー小説です
・参加スタイルはその人の自由。天下統一を夢見るも善し、宗教の楽園を築くも善し、貿易で海の百万石を目指すも参加する貴方の自由です。
・内政、戦争、外交、権謀術数、貴方の頭脳と知識がそのまま戦略となって共有する世界に響いていきます。

★テンプレの凡例

【天正十年六月二日戌の刻】←ここに時間を書き込みます
【山城国本能寺近辺】←ここに場所を書き込みます

明智光秀(以下光秀) 「…時は今」←発言をしている人間と内容を書き込みます
斉藤利三(以下利三) 「?」
光秀 「雨が下しる」
利三 「なんの歌でござるかな?」
光秀 「皐月かな… 利三よ 敵は本能寺に在り!!」
利三 「!??」

【明智光秀の軍勢が、本能寺に向かうようです】←行動の結果を書き込みます
【明智軍1万8千 亀山→本能寺】
9スイか ◆CbIuEBgmms :03/08/17 00:28
★書状の凡例

【柴田勝家から佐々成政に書状】←差出人と宛人を書き込みます。
到着:六月四日←到着する日時を書き込みます

何やら上方の様子がおかしい様子、今人をやって情報を集めて居るがどうも解せん。
もしや上様の御身辺に何かあったのかも知れん
上杉景勝の動向に充分に注意されたし、富山城をしっかり守って欲しい
←書状の内容を書き込みます

               柴田修理亮権六勝家 花王 
10あぼーん:あぼーん
あぼーん
11あぼーん:あぼーん
あぼーん
12あぼーん:あぼーん
あぼーん
13スイか ◆RHvH5zGaTA :03/08/17 00:36
俺はこれまで散々煽られ騙られて来た。
もういい・・いい加減にしてくれ・・もううんざりだ!
何が1の母だ!そんなもの居ないよ!いらない・・
何が1の故郷の群馬県だ!そう・・俺の故郷は名古屋市・・
お前に惚れた馬鹿がいるってなんだよ。本当に怖くて怖くて毎日挙動不審な生活を送る毎日・・
1の小学生の友人や1の教師など連れて来られて迷惑です・・
14無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 00:38
なにー!なににににに!話には聞いていたが、そんなにあっけないのか!
このスレッドが終了。やっとか。
15明智光秀:03/08/17 00:41
【小来栖】
光秀「・・・・・・はっ!」
溝尾「殿、どうされました?」
光秀「いや、夢を見ていたようだ。さて、急ぎ坂本に戻らねば・・・」

【全部、夢でした】
16あぼーん:あぼーん
あぼーん
17あぼーん:あぼーん
あぼーん
18あぼーん:あぼーん
あぼーん
19あぼーん:あぼーん
あぼーん
20あぼーん:あぼーん
あぼーん
21あぼーん:あぼーん
あぼーん
22あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>16->>22
後鳥羽上皇 ◆TJ9qoWuqvA
新スレ立てて一人でやってろ!
この糞スレ自体いた違いだからいいよ
25あぼーん:あぼーん
あぼーん
26北条義時 ◆2AaU8xAgIg :03/08/17 01:07
全国の御家人は直ちに鎌倉に集結せよ!
27スイか ◆CbIuEBgmms :03/08/17 01:17
【スレッドの設立趣旨】
もしも本能寺の変が起こった後、羽柴秀吉が中国大返しをする事が出来なかったら…。
この仮定を基に、天正十年六月を始まりとして、それぞれトリップをつけて担当の役を演じ、
共有する世界の中で、参加者達は、参加者同士の利害調整役であるGMの判定と、
あらかじめ取り決められたルールを参考にしながら、互いに関連し、
掛け合いながら自分の物語を紡いで行く為のスレッドです。
また、このスレッドは私、スイかが作成させていただきましたデータベースと連動しており、
最終的には、物語の完成を目指すと共に、誰もが楽しめるCGIを使った戦国時代のゲームの完成を目指しており、
日本の戦国時代と言う専門性の高い知識と、共通の趣味を持った同好の士を募りながら、
それぞれの持つ知識やアイデア等を結集して、個別では中々実現し難いゲーム作りと言う目標に向かって、
相互の利便性を図る潤滑油としても、機能出来ればと思っております。
28あぼーん:あぼーん
あぼーん
29スイか ◆CbIuEBgmms :03/08/17 01:27
また、このスレッドの重要な特徴として、
現行法、2chの各ガイドライン、三戦板のローカルルールを重視し、
それらを遵守する形でスレッドを運用させていただきたいと思っております。
スレッドの性質上、役を認識する一つの目安として、歴史上の人物の名前を使用する場合があり、
三戦板分国法第五条における
一、歴史上の人物の名前の使用は、なりきりスレ・リプレイスレ以外ではご遠慮願い候。
に抵触する可能性がありますが、こちらは2chの運営側から明確な違反行為であると言う判例が出ましたら、
使用を禁止とさせていただきます。
私個人の見解で恐縮ですが、なりきりスレッドとしても機能しておる為、現行では問題が無いと思っております。
30滝川一益 ◆kUq8YbR.fM :03/08/17 01:30
【天正十年六月十日】
【上野国厩橋城】

滝川益重 「小父上、見て下され、この上州の軍勢を、関東の平定も時間の問題でござりますなぁ」
滝川一益 「ふふふ、北条も大した事は無い。 上様の御武威に頭を垂れて尾を振っておるわ」
(満座に笑い声が響く、笑い声の中には安中や和田と言った、新しく帰順した大名も混じっている)
和田信業 「ふはは これは重畳。 何か変事がありましたら、この和田、一党を持って馳せ参じまする」
一益 「これは頼もしきお言葉よ これ、小姓よ。 和田殿に太刀を取らせる 持って参れ」
(畏まって出て行く小姓と入れ替わりに、慌しく長谷川秀一の使者が舞い込む)
使者 「恐れながら申し上げます。 一益様、上様より至急のお達しがありまする。 お人払いを」
一益 「これは奇怪な。 和田殿や安中殿は、新参とは言えこの滝川、努めて信頼しておる。 無用の事よ、ここで申せ」
使者 「(表情を消しながら、頑なに拒む) 恐れながらお人払いを」
一益 「…上様の代理とて無礼は許さぬぞ! ここで話せ (刀を抜き白刃を使者の頸元に突きつける)」
使者 「(暗い表情を微塵も動かさず) 恐れながらお人払いを」
一益 「和田殿、安中殿、この通り何やら上様の格別の思し召しがある様子、ちと席を外して下され」
和田・安中 「はっはっはっ 大方、関東管領に相応しき官位でも下賜されるのじゃろうて、さても羨ましきかな」
31滝川一益 ◆kUq8YbR.fM :03/08/17 01:31
使者の口上を聞き、その場にへたり込む一益、しばし放心状態から抜け出せずに居る

一益 「して? 上様は如何致した?」
使者 「無念の事ながら、明智の軍勢の前に…」
一益 「うおおぉ〜 惟任日向守め!! 上様の恨み晴らさでおくべきか〜!」
使者 「御意!」
一益 「して、この事は他に漏れてはおるまいな?」
使者 「恐らく、まだ北条の者共も知りますまいて」
一益 「(大声を張り上げて) これ、益重を呼べ」

〜益重が到着〜
一益 「そなた、北条の動きで気付いた事はないか?」
益重 「これは小父上、面妖な事を申されます。 彼奴らは我らの勢いに怖気づいておりますよ」
一益 「…そうか(まだ北条の者共は、上様が身罷ったと知らぬと見える)」
益重 「何やら、先程の使者が申されましたか?」
一益 「実はな、上様がこの度関東に親征なさる。 遅れを取る訳には行かぬ故、領内の動員を始めてくれ」
益重 「!!? これは祝着至極に存じ奉ります。 武門の誉れ、是非とも集めましょうとも」
(益重は、嬉しそうに動員の支度を始める)
一益 「(許せ益重! 敵を騙すにはまず味方から…… わしは上様の恨みを濯ぐその日まで鬼になる!!)」

この時自らの家中を欺いた一益は、また自らも預かり知らぬ所で、
長谷川を使者に立てた徳川家康の手によって、北条の気を牽きつける餌にされておろうとは、知る由も無かった。

【滝川一益の軍勢一万八千、密かに動員開始】
【表向きは、近々織田信長が上野に親征するという口上で兵を集めます】
32滝川一益 ◆kUq8YbR.fM :03/08/17 01:32
【天正十年六月十二日 上野国厩橋城】

益重 「小父上、敵方より妙な噂が流れて来ております。
    何でも、上様(織田信長)が本能寺にて身罷られたとか…
    諸将の中にも動揺しておる者が出ている様でござりまする」
一益 「(やはり網を敷きても漏れよるか…。最早一刻の猶予もならん。
     全軍を率いて氏直を叩かねば、時を逸してからでは遅すぎる)」
益重 「その様な根拠の無い噂など、何処から湧いてでたのやら」
一益 「益重よ、今集まり居る人数は如何程だ?」
益重 「ざっと一万二千ほどでござりましょうか、何分不吉な噂も在りますれば、陣振れを渋る者も出ております」
一益 「ふんっ!陣触れを渋る者など物の数にも入らぬわ! 益重、今より全軍鉢形城を攻め立てる! 法螺貝を吹け」
益重 「ははっ 畏まりましてござりまする。
只、面妖でござりますなぁ。上様の着陣を待たねば、殿の武功も色褪せましょうて」
一益 「……上様は最早この世にはおわさず」
益重 「げえっ!?」
一益 「分かったら、口の堅き、信用出来る者にだけこの事を打ち明けよ。
    くれぐれも新参衆の耳に入れるなよ」
益重 「……御意」

【滝川一益、午の刻より行軍開始、目標鉢形城、十三日到着予定】
 先鋒:滝川益重…2,000 
 本陣:滝川一益…4,000 
 右備:和田信業…2,000
 左備:安中久繁…2,000
 後詰:小幡信貞…2,000
33スイか ◆CbIuEBgmms :03/08/17 01:40
【スレッドにおける参加者の定義について】
このスレッドにおける参加者については、
このスレッドは広義においては全ての人間に開かれた存在であり、
誰でも参加する事が出来ます。
しかし、スレッドの性質上から、物語の娯楽性をより追求する為、
役を演じる人間を、トリップ機能による個別の認識可能な担当者制とさせていただきます。
勿論、俗に名無しと言われる誰の発言か明確で無いレスであっても、
有用で紳士的であれば、論議の上スレッドに反映させていただきます。
しかし、このスレッドはあくまでも娯楽性を追求するものであり、歴史の検証を行うスレッドでは無い為、
度が過ぎる検証行為は、返答しない場合もありますのでご了承下さい。
悲しいほどに荒らし以外いませんね
スイかさんがわくわくしながらスレ立てたっていうのにね
35無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 05:52
当然だな スレを使い切りもせずに立てやがる廚は、氏ね ガイドラインは事前に書いておけ
36あぼーん:あぼーん
あぼーん
37あぼーん:あぼーん
あぼーん
38無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 10:34
しかし見事なぐらい特定の人間から恨まれたな
どちらにせよ、内部関係者もしくは関ヶ原(向こうでは本能寺)の関係者を
装ってあおるヤツがいるみたいだな。
まあしばしの辛抱だよ、道は分かれても目指した方向は同じ、ガンガレや!

あと自分のサイトのアドレスを公開したのは少しまずかったんじゃないか?
39無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 11:16
うんこぶりぶり
40無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 13:35
秀&豪の悪行

一、東軍先鋒として攻めてきた詮家たちを、何の前振りも相談も無く仲直り、自軍に加える。
二、NPCの細川・加藤を抵抗できぬのを知りながら、一方的銀英伝書き込みでめった討ち。
三、叩きの嵐から救ってくれた恩人茶屋とのガチの際も自ら敗北を認めながら、後で泣き喚く始末。
四、九枚笹・五郎左ら西軍参加者が健闘する中、一人醜態を晒し、狸の餌食となる。
五、ほとぼりが冷めて帰還したと思えば、意味不明の「秀&豪の友情理論」を展開。失笑を買う。
六、禁断の兵力無限回復。ガノタ炸裂。ガトー風。
七、脅迫行為「リアルで話つけたろか?」

悪いのは店系でも狸でもぼっけもんでもない。
全  て  秀  &  豪  が 悪 い
41胸甲騎兵 ◆J2rclXD/6Y :03/08/17 13:35
【細川幽斎より誠仁親王への書状】

恐々謹言
右府横死以後の騒動について、殿下や宮中果ては畏れ多くも宸襟御安からずと拝察、心苦しく存じます。
ただ幸いにも京洛は平穏との事、伝え聞いて安堵致しております。
明智日州の事は長年の友である某がよく存じておりますが、勤皇の志篤く天朝を崇敬すること武者ばらにおいて比肩するものは見当たらぬ程です。
まずは心安く、万事彼を頼られて宜しいかと考えます。
また、畏くも勅使下向と仄聞致しております。三河との和平は天下泰平へのよき道標となりましょう。
しかし情勢いまだ定かならず、柴田らの不穏な動きは続いております。某の在所にも柴田が一手差し向けており、愚息忠興が防ぎ戦っている次第です。
某もいずれ陣頭に立ち、武運拙ければ草生す屍とも成り果てましょうが、これも友の為であれば本望であります。
ただ心残りがあるとすれば、某が日ノ本でただ一人受け継いでいる古今伝授の件であります。
古今の歌道は本朝の精華にて、某が死んで絶えて良いものではありません。
できますれば歌道にも堪能な殿下に古今の秘儀を伝授仕りたかったのですが、某は在所より動けず、時間もありません。
ただそれだけが心残りであります。
伝え聞くところによれば柴田が後背を扼する上杉家は柴田に謀られて和を結んだとの事、しかし上杉はもとより名門、先代不識庵謙信公より勤皇に励んできた家柄であります。いずれ目を醒ましてくれるものでしょう。
また、西の毛利はすでに我らと誼を通じております。毛利も勤皇の家、その援軍が間に合えばあるいは古今伝授の機会もあるやも知れませぬ。
せめてそれを頼みとして、宮津の日々を送っている次第であります。
それでは殿下におかせられては益々壮健なる事をお祈りしつつ。

宮津にて 細川兵部大輔源藤孝入道幽斎玄旨

(内容の概略は近衛前久にも書状として伝えてあります)






ほぼ同じものが近衛前久にも発送されています。


42胸甲騎兵 ◆J2rclXD/6Y :03/08/17 13:45
上記の書状に添えた和歌一首

古も今もかはらぬ世の中に心のたねを残す言の葉

【七月中旬 金華山麓】
初夏、岐阜城本丸へと続く長い山道。青々とした森の中、粛々と威儀を正して進む一行あり。
大汗を拭きつつ、輿の上で揺られるのは一人の公家。名は観修寺晴豊。
従三位権中納言の顕官にある身には、やはりこの蒸し暑さは応えるらしい。
人目の無いのを良いことにだらしなく束帯をはだけては、しきりに扇子で胸元に風を送り込んでいる。

(徳川はんも随分舐めた真似してくれますなぁ。)
不快気に寄せられた眉間。暑さの為ばかりではないようだ。
(不破関越えて「これからが正念場や」と思っとったら、もう徳川はん美濃に攻め込んどるし、
 命からがら清州に着いたら着いたで、「御館様は陣中ゆえお会い出来ません」の一点張りや。
 で、今度は「岐阜城にお越しください。対面の準備が出来ております」ときた。全く、勅使を何やと…。)

信長亡き後、瞬く間に濃尾から甲信を席巻し東国の一大勢力と化した徳川に、朝恩を知らしめる。
それが勅使の主目的であり、出立の前に徳川への先触れの使者も出ていた筈だ。
なのに、それを無視して戦塵に身を投じ、一ヶ月近くも放置するとは…。本来ならば直ちに帰洛して徳川の無礼を報告、此度の昇進を取り消すところである。
が、そういう訳にはいかぬ事情が晴豊にはあった。徐に懐中を探り、何かを取り出す。

(しっかし、ほんまえらいもん預かってしもうたなぁ…。)
彼の手にあるのは何の変哲も無い書状。だが、それこそ今回の勅使下向の本当の目的。
即ち光秀の密書。徳川への和平の申し出。詳しい条件等は晴豊にも定かではなかったが、今後の政局を大きく左右させるものであることは確かだった。
大きく息を吐く。武家との交渉に長けた彼でも、これほどの大事を預かったことはない。

(仕方ない、全ては他ならぬ佐はんの為や。ここは何としても徳川はんには頷いてもらわなあかん。
 ここで上手くやれば羽林家は固い、佐はんが天下獲ったら大臣家・清華家に食い込むこととて夢やない。
 観修寺家百年の計がかかっとる。気張らなあかん。)
今後の栄華を思い浮かべ、己を奮い立たせる晴豊。もう直ぐ城が見えてくる。会見まであと僅か…。

【観修寺晴豊、徳川家康との会見に臨みます】
【岐阜城常御殿】
会談に先立って…。
「上意である。」
下段にて平伏する家康。上段にて滔々と勅状を読み上げる晴豊。
「長きに渡る天朝への忠績、主上も大変お喜びである。併せて此度の濃尾両国鎮定の功を閲し、
 三河守源朝臣家康、その方の位階を従四位上に進め右近衛中将に任ず。この後も長く東海の鎮守たれ。」

【徳川家康 正五位上 三河守・左近衛権少将⇒従四位上 右近衛中将】
45あぼーん:あぼーん
あぼーん
46あぼーん:あぼーん
あぼーん
47あぼーん:あぼーん
あぼーん
48無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 20:46
いきなり再休止か?
やるのかやらんのか、はっきりせい
49あぼーん:あぼーん
あぼーん
50 ◆CbIuEBgmms :03/08/17 21:16
>>48
再開を希望する演者衆の方が一人でも居る限り、やります。
51無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 23:25
鍾離昧はイケメン
52無名武将@お腹せっぷく:03/08/19 00:56
死んだな このスレは
まだだ
まだ終わらんよ
何だこりゃ?
GM、早く止めろよ。ほんとにスレが崩壊するぜ?
55無名武将@お腹せっぷく:03/08/19 17:37
ん?なんだこのスレ?
56 ◆CbIuEBgmms :03/08/19 18:50
【九州序章篇】
【天正九年十一月三十日】
【肥後国上益城郡御船城】

熊本平野の南東に位置する上益城郡は、東に高千穂と九州山脈を控え、
南に八代平野を望む交通の要衝で、古い兵法で言う所の『衢地』であった。
肥後と言う国は、俗に五十二人衆とも言われる、大小様々な国人衆が互いに相争い、
それに近隣の列強が、自国を守る楯として、また代理戦争の駒として、影響を及ぼす正に戦乱の中心地であった。
当時の宣教師が、肥後国の状況についてこう書き記している、
「肥後国程貧しい国は無かった」と。
現在穀倉地帯として知られる熊本県の状況から鑑みれば、戦乱の激しさと、そこに住む民の不幸さが推して図られるであろう。

 自然、御船のような要衝の地は、諸侯の争奪の的になり、戦乱によって荒れ果てるのが常なのだが、
御船と言う地はどう言う訳か、緑川の恵みを十二分に受けて、童が遊ぶ平和な地であった。
57 ◆CbIuEBgmms :03/08/19 19:09
御船に平和がもたらされていたのは、天意でも無く、奇跡でもなく、人智の賜物であった。
現御船城山公園として、御船中心地の旧道と新道を挟んで佇む小山の頂に、その人物は居た。
質素な麻の水干を纏ったその袖からは、細く枯れた腕が見え隠れし、
広く突き出た額の頭を青々と剃り上げ、八の字に垂れた長い眉のその人物は、
どう贔屓目に見ても、豪傑と言うには程遠い、小寺の住職の様な見た目でありながら、
間違い無く、肥後最強の武将と言ってもよいであろう、肥後国一の弓取りであった。
その老人の名は甲斐宗運入道親直。
零弱する阿蘇大宮司家を一手に支え、奸智や謀略に長けていながらそれを己の為に使わなかった男。
私心無き悪党であった。
58 ◆CbIuEBgmms :03/08/21 18:36
周囲の大名に、その鬼謀を恐れられるこの男にも、憂慮と言うものはあるらしい。
それは、眉間によった深い皺と、苦悶の表情からありありと伺う事ができた。
憂慮の元とは、他でも無い葦北・八代・球磨三郡の太守、相良義陽の事であった。

 相良家は、古くから球磨地方の地頭を努める有力国人で、
戦国時代には、葦北・八代・球磨の三郡を治める勢力にまで成長し、
相良氏法度で知られる通り、戦国大名としての地位を着々と築き上げ、
時には他国に兵を出す程の存在であった。
 その相良氏の勢力に陰りが見え始めたのは、天正六年に大友宗麟が、
耳川の合戦で島津軍に大敗を喫した頃であった。
 当時、島津家は前線の拡大を懸念し、相良家とは盟約を結んでいた。
しかし、大友家の脅威が、事実上無くなった天正六年以降、相良家との盟約を破棄、
本格的に、肥後への進出をする構えを見せ始めた。
 相良義陽はこれに対して、長年の盟友である甲斐宗運と結託し、島津家の干渉を排すべく、
果敢に島津家と戦う事になる。
59上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/08/22 08:46
【7月中旬 新発田城付近 景勝本陣】

新発田重家からの帰順条件を携えた使者が上杉本陣へ到着。
粛々と重家の言葉を景勝に伝える使者。
聞き終わった景勝の顔からは、烈火の如く怒りの相が浮かび上がる―。

景勝(そのような条件をおいそれと呑めるか!)

【新発田重家への返答】
開戦前ならいざ知らず、事ここに至っては簡単に許すわけにはいかぬ。
そなたは謀反者。その事を良く考えるが良かろう。
最早新発田城は風前の灯火。対する我らの士気は天を衝く程。
それでも尚生死を共にしようとする揚北衆を顧みず、自己の保身のみを考えるような
輩を欲しいとは思わぬ。

しかし先の御館の乱、そなたの働きに十分報いてやれなかったことは未だ悔いておる。
それを踏まえ、以下の条件を呑むなら帰順を許す。

一、新発田城の包囲解除、景勝本隊の蒲原郡撤退。
  →無論、こちらに従うのならば当然の行動をする。
二、蒲原郡の安堵、重家への以前同様の重臣待遇。
  →重家は謀反の首謀者であること疑い無いので安堵は出来ない。
60上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/08/22 08:47
二、蒲原郡の安堵、重家への以前同様の重臣待遇。
  →重家は謀反の首謀者であること疑い無いので安堵は出来ない。
   しかし、御館の乱以後の論功に景勝の落ち度があったのも事実。
   蒲原郡は景勝の一時預かりという形にするが、重家の今後の働きによって、
   蒲原郡に再度封ずる事は十分に考える。
三、重家妻子の春日山入質。
  →問題無し。その際に重家自身からの誓いを景勝他重臣の前で述べ、
   誓紙を提出する事。
四、追加特記
  重家の今後の身の振り方については頸城郡の一部3万石に減封。
【七月中旬 新発田城】
「どうやら大きく出過ぎましたな、景勝公もご立腹の様子。」
側近の声に、鼻で笑う重家。
「養子風情が。誰のおかげで家督を継げたと…。所詮はこの程度の器ということだ。」
蒲原郡の安堵。この絶対条件が呑まれぬと判った瞬間、重家の腹は決まっていた。
景勝の返書を破り捨て、火にくべる。その横顔に最早、迷いは無い。

【新発田側の修正案】
一、新発田城の包囲解除、景勝本隊の蒲原郡撤退。
 →まずは包囲を緩め、軍を数里退いて頂きたい。これでは話もできぬ。
信用して開城したら雪崩れ込まれて撫で斬り。古今に無かった話では無い。

二、蒲原郡の安堵、重家への以前同様の重臣待遇。
 →亡き不識庵の武勲を支えたのは揚北衆・新発田家であるのは周知の事実であり、
  その働きの元は全てこの下越を地盤としたものである。
  景勝公がこの後に我等の馳走に期待するのなら、蒲原郡を取り上げたりはせぬ筈だが…。
  ご再考願いたい。知行半減の件は受け入れよう。

三、重家妻子の春日山入質。
 →本人の登城はこちらも問題無い。が、うかうか登城して謀殺されなどすれば世の笑いものだ。
  身の安全の保証の為、重臣のどなたかを新発田城に質として入れていただきたい。

【新発田籠城軍、密かに出撃準備に入る】
62無名武将@お腹せっぷく:03/08/24 10:00
定期保守・・・しかしなんでこんなにいろんなプロパイダが一挙にアク禁
くらうんだ??
こっちも荒らしておこうなそうでないとこっちの奴ってばればれになる
名前入れ忘れた(w
65初心者 ◆H2AvSTmtjE :03/08/27 02:46
とりあえず、当たり障りのないところで第一段階をスタートさせていただきました。
他の方はアク禁をくらっているんでしょうか?

>>GM殿 スイか殿 他の演者衆殿

織田信孝&丹羽秀長コンビはやらせていただいてよろしいんでしょうか?
(あんまり自信はないんですけどね・・・)
【天正十年七月十五日  常陸国太田城】

 義重は、諸将と今後についての評定を行い、評定を解散した後も独りその場に座した
まま考えをめぐらせていた。
確かに今回の戦で、小田、大掾らを倒し領土を広げたが、結城家の寝返りとそれに
伴う反北条同盟の瓦解という痛手は小さなものではなかった。
義重「(常陸の統一まであと一歩の所まできたが、結城の寝返りは痛かった。里見とは
   領地が離れているので連携が取りにくいし、戦略を根本から見直さねばならん。
   まず宇都宮との結びつきをしっかりしておかねばならんな。)」
義重「よし!義久を下野に向かわせよう。」
 佐竹家の重臣、東義久は、宇都宮家の若き当主である宇都宮国綱の義父にあたる人物
でもある。彼を国綱の補佐にあたらせれば、動揺する宇都宮家の家中を落ち着かせ、兵
の連携も取りやすくなるとの目論見があった。

【北義〔其斤〕を府中城に派遣し、南方三三館への交渉及び警戒にあたらせます】 
【入れ替わりに東義久を宇都宮城に派遣し、宇都宮国綱の補佐にあたらせます。】
67無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 18:49
hosyu
68胸甲騎兵 ◆J2rclXD/6Y :03/08/29 00:33
【七月上旬 近江長浜・国友村】

国友鍛冶惣代である国友藤太郎が明智光秀の訪問を受けたのは、七月上旬のある暑い日の事だった。
藤太郎が恐懼するのも無理はなかった。そのひ国友村を訪れたのは光秀以下明智秀満、津田信澄などの錚々たる顔ぶれだった。
光秀は藤太郎が仕上げたばかりの鉄砲を手に取ると、手慣れた動作で構え、いとも簡単に遠間の的を射抜いて見せた。
「九州薩摩はいざ知らず、畿内以東で火術を学んだのは私が最初なのだ。今は亡き山城入道様から勧められてな」
何かを思い出すように目を細める光秀。改めて手にした銃をじっと眺めると、彼はそれを藤太郎に手渡した。
「良い仕事だ。さすが国友鍛冶と言うべきか」
「恐れ入ります」
「今日出向いたのは他でもない。そなたを国友一帯を統べる代官にしようと思うのだ。知行は千石を考えている」
ちなみに、信長が国友に与えた知行は百石。つまり十倍の加増である。
「それから、今後国友鍛冶からは賦役は取らぬ。替わりに、我らの為に鉄砲作りに励んで貰いたいのだが」
藤太郎は素早く計算した。つまり、光秀は国友と独占契約を結びたいと言っているのだ。
今ひとつの鉄砲の産地である堺は明智の勢力圏外にある。ここで明智と結ぶのは、後々を考えれば悪い話ではない。
条件も破格と言っていいだろう。藤太郎は平伏した。
「有り難いご沙汰、謹んでお受け致します」
「良く言ってくれた。そなたらの悪いようにはしない。よしなに頼むぞ」
光秀は笑うと、秀満に合図をした。秀満が部下に指示を出し、何頭もの荷駄が曳かれてくる。
「まずは当座の鉄だ。火薬もある。代金の銀も先に渡しておこう」
「・・・」
その莫大な量がどこから出てきたか、藤太郎には見当が付いていた。安土から持ってきたに違いない。
「よろしくな」
今一度、光秀は微笑した。

【明智家、国友鍛冶を傘下に収める。国友鍛冶、鉄砲の明智向け生産を開始】



69結城晴朝 ◆1If3wI0MXI :03/08/29 01:22
【七月中旬 結城城】
北条・佐竹両家が兵を退いてまだ数日。緊迫未だ冷めやらぬ結城城。
その日の早朝、一人の若者が城へ向け馬を走らせていた。
彼の名は結城朝勝。天正五年(1577)、男子無き晴朝が隣国宇都宮家より迎え入れた養子である。
義父の呼び出しを受け登城した我が身に、思いも寄らぬ災厄が降りかかることを彼はまだ知らない。

「こ、これは一体…。義父上、何の真似ですか?」
静まり返る城内を不審に思いながらも門を潜った朝勝を迎えたのは、馴染みの家臣たちの白刃と、義父の冷ややかな視線であった。
「養子の身でありながら、このわしを殺めようとはな…。恥を知れ!」

先日、北条と佐竹の軍が鬼怒川を挟んで対峙していた頃、城内にて恐るべき企てが発覚した。
「結城晴朝暗殺計画」である。
援軍として南下した宇都宮軍が結城城を包囲し、それに呼応して城内で晴朝を暗殺、一挙に結城領の併呑を企んだというのだ。
密かに進められた内偵の結果、首謀者は宇都宮家より迎えた養子朝勝だという。
義理の中とは言え、子が父を討たんとする。天をも恐れぬ所業とは、正にこのことであろう。

「な、何かの間違いです。某には何のことやら…。」
身に覚えの無い嫌疑に呆然と立ち尽くす朝勝。その両脇を屈強な武者が拘束する。
「今更、何も聞きとうはない。事は既に露見したのだ。…連れて行け。」
「某は無実で御座る!もう一度、お調べを!義父上!義父上!!」
興奮の余り、義父に飛び掛ろうとする朝勝だが、両腕を家中の剛の者に取り押さえられては、逆上したとて詮無きこと。年甲斐も無く泣き喚きながら、引っ立てられていく。
その姿を義父は冷ややかな視線で見送った。
(許せよ、朝勝。今、北条に口実を与える訳にはいかんのだ。)

【結城朝勝の身柄を拘束、城外の寺に幽閉。】
70結城晴朝 ◆1If3wI0MXI :03/08/29 01:23
【北条家への書状】
此度の謀反を未然に防げたのも、全ては氏直公が佐竹・宇都宮の奴輩を追い払って下されたからこそ。
これより後、結城家は大恩ある氏直公に従い、お呼びの際は必ずや馳せ参じることでありましょう。

【佐竹家への密書】
此度の当家の北条方馳走及び朝勝幽閉は、北条の圧力に効し切れぬ我が身の不徳の為す所。
義重公並びに宇都宮家中にはどうか御理解いただきたい。
御家の軍が鬼怒川を越える時は、結城の旗は常に佐竹とともにあることでしょう。

【天正十年七月十三日  河内国岸和田城】

「今こそ逆賊を討つ!出陣じゃー!」
信長によく似た甲高い声が城内に響いた。声の主は信長の三男、神戸信孝であった。
「殿、お待ち下さい。」
しかしそれを遮る落ち着いた声があがった。 丹羽五郎左衛門尉長秀である。
長秀「確かに逆臣である明智は討たねばなりません、しかし我らにはまだ兵が足りません。
   ここは自重して時期を待つのが得策かと。」
信孝を諭すように話す長秀に対し、
信孝「五郎左よ何を言っているのだ、戦とはやってみなければ判らぬものだ。
   現に父上は桶狭間で十倍もの敵を相手に勝ったではないか。」
信孝は甲高い声で、まくし立てるように反論した。それでも長秀はなおも話し続けた。
長秀「確かに戦の勝ち負けは時の運と言いますが、我らに有利となる手を打っておいてからでも遅くはありません。
   それに越前の柴田殿から、近江で行動を起こすまでは自重して共に行動するようにとの書状が来ております。」
信孝「何っ、親父殿からその様な書状が来ているのか・・・。ならば仕方ない、
   それでは親父殿に一刻も早く明智を攻めるように書状を出しておけ。」
長秀「はっ!かしこまりました。」
兜を脱ぎ自室に戻る信孝を見ながら、長秀はやれやれといった様子で深くため息をついた。
(続き)
「信孝様の性急さには、困ったものだ・・・」
長秀は勝家宛の書状をしたためながら、独りつぶやいていた。
 元はといえば、京での変事を知るやいなや、「父上の弔い合戦だ!」と叫び城を飛び出した
信孝様を止められなかったのがケチのつきはじめだった。その隙をついた津田信澄に石山御坊(大阪城)を奪われてしまい、
それが原因で四国遠征の軍勢が崩壊してしまったのは言うまでもない。
 なぜあの時信孝様をお諫めできなかったのか、今にして思えば、
私にも上様の仇を討ちたいという感情が強かったのかもしれない。
その事が悔やんでも悔やみきれなかった。
 丹羽長秀と言う人物は、戦という点では勝家、秀吉や光秀等と比べ目立った功績はないが、
信長から付けられた「米五郎佐」のあだ名のとおり、城普請や様々な交渉事に力を発揮し、
武将というより能吏として重用されていた。信長にとってまさに米のように欠かせぬ者であった。
 現に、事の推移を静観していた堺の町衆を
「明智の天下となれば、朝廷や比叡山、興福寺といった旧勢力が力を取り戻し、
足利の頃のような関や座によって縛られ自由な商いができないようになる。」
といった脅しで不安を煽り、
「明智を討ち、織田家が安定を取り戻せば、堺に何らかの特権を与える。」
といった懐柔を巧みに使い味方に付け、また動向の定かでなかった蜂屋頼隆を同心させ、
逃亡した兵を信孝の元に集め直させたのも、長秀の手腕の賜物であった。
しかし現状の戦力では、明智に単独で戦を仕掛けるなど無謀の極みであることは、
長秀でなくても判ることだ。そのため信孝の暴走は、何としてでも止めなければならない。
 それに光秀が古今の兵法に通じ漢詩や和歌も嗜む知勇兼備の名将であることは、長秀自信よく判っていた。となれば、上様を討った後のことにも手抜かりは無い、と見なければならない。これを破るのは権六殿でも容易ならざる事だろう。
「信孝様はあのように申されるが、権六殿には慎重に戦を進めるようにしてもらわねば・・・」
長秀は、またつぶやいていた。
(続き)
【柴田勝家宛の書状】
 我らは河内、和泉を抑え大阪城の明智軍と対峙しておりますが、単独で明智と事を構える力は残念ながらありません。
明智は畿内に確固たる勢力を築き同心する武将も少なくありません。決して侮られること無く、万全の態勢で明智との対決に望んでください。
 決戦の際はぜひ一報を願います。我らは明智の背後を突き、柴田殿を手助けする所存です。
【書状は十六日に着予定】

【池田恒興宛の書状】
 羽柴筑前殿は現在姫路城において毛利、宇喜多の軍勢に備えている状態で畿内に兵を向ける余力はありません。
上様の仇をである明智を討つためにも、信孝様と柴田殿に力を貸していただきたい。
74上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/08/30 08:40
【上杉軍布陣】
正門前 本庄繁長 兵1500
城北  甘粕景継 兵900
城南  色部長実 兵900
城東  竹俣慶綱 兵900

本軍  上杉景勝 兵1800
遊軍  直江兼続 兵900
輜重隊 村上国清 兵700

【新発田の出撃時期については埋伏から連絡が来るかもしれません。裁定次第】
【新発田城内の揚北衆へ向け、勧告を開始します】
75上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/08/30 08:41
【7月中旬 新発田城付近 景勝本陣】

景勝「これまでか」
兼続「…」

新発田からの返答は尚も蒲原郡を巡って強硬な姿勢を見せるものだった。
蒲原郡の譲渡、景勝にとっても絶対の条件である。
敗戦を続けた上杉軍を考えれば、新発田側の条件を受け入れるべきかもしれない。
城の食糧はあと僅か。調略ならねば必ず出撃してくるだろう。
負ける気はしないが、甚大な被害を被るのは目に見えている。
いつもの思案顔になる景勝に村上が声を掛ける。

村上「殿、決戦あるのみですぞ」
景勝「…新発田は豪の者。被害を思えば簡単に決断は下せぬ」
村上「殿がそんな臆病になられますと士気に関わります」
景勝「そなたの言うことも分かる。分かるゆえに悩むのだ」
村上「殿…」
景勝「我らの軍も疲れておる。寝こみを襲われればひとたまりもない…」
76上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/08/30 08:41
【7月中旬 新発田城付近 景勝本陣】

景勝「これまでか」
兼続「…」

新発田からの返答は尚も蒲原郡を巡って強硬な姿勢を見せるものだった。
蒲原郡の譲渡、景勝にとっても絶対の条件である。
敗戦を続けた上杉軍を考えれば、新発田側の条件を受け入れるべきかもしれない。
城の食糧はあと僅か。調略ならねば必ず出撃してくるだろう。
負ける気はしないが、甚大な被害を被るのは目に見えている。
いつもの思案顔になる景勝に村上が声を掛ける。

村上「殿、決戦あるのみですぞ」
景勝「…新発田は豪の者。被害を思えば簡単に決断は下せぬ」
村上「殿がそんな臆病になられますと士気に関わります」
景勝「そなたの言うことも分かる。分かるゆえに悩むのだ」
村上「殿…」
景勝「我らの軍も疲れておる。寝こみを襲われればひとたまりもない…」
77上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/08/30 08:43
被った(汗
>>75 続き

兼続「殿、よろしゅうございますか?」
景勝「何だ、与六」
兼続「そのための埋伏を送り込んでいるではありませんか」
景勝「ああ、先の落城の際にてなづけた者達か」
兼続「新発田は揚北の英雄なれど、本庄殿も揚北の英雄。
   その本庄殿が厳選した者達ですし、きっとこちらの力になってくれるはずです」
村上「ともかく、囲みを強化する一方で我らの兵糧を奪われない算段をすべきかと」
景勝「…そうだな。辛い戦も民のため。耐えようと誓ったばかりであった。
   国清、礼を言う」
村上「おそれおおく…」
景勝「では兵糧の守りはそなたに任せる。
   守る時は堅く、攻めに転じる時は疾く。難しい役回りだが出来るか?」
村上「お任せを」
景勝「良し。任せた」
村上「殿、幸村を連れていってもようございますか?」
景勝「…真田の御子息を危険な目には合わせたくないが…」
村上「拙者が必ず守りますゆえ、なにとぞ」
景勝「…うむ。くれぐれも儂の言葉を心掛けよ」
村上「ははっ」

【上杉軍、柵などを使い新発田城への囲みを強化します】
78明智光秀 ◆J2rclXD/6Y :03/08/30 09:37
【七月十日 京】

光秀は国友での交渉を終えると、その足で琵琶湖を渡り京に入った。
兵1000を従えていたが、彼はその兵を京には入れなかった。 京人が兵を好まない事はよく分かっている。

「それにしても故右府殿の慧眼は恐るべきものだな」
今更ながら、光秀は舌を巻いている。
「はて、それはどのような」
と妻木範熈。京の警護を共に担っている三宅頼綱も、指揮所の坂本から出てきている。
「叡山を焼いたあれさ。お陰で私は得をした。今では山法師どもには何ほどの力も無い。伽藍再建に良い顔をしても実害はほとんど無いし恨まれるのは右府殿だ」
実際に采配を執ってみると、ああいった連中がいかに邪魔だったかが良く分かるというものだ。
「そうそう、先の布告の件ですが」
と三宅頼綱。彼は光秀の指示に従い、流通往来に関しては信長時代と同様で良い、との布告を出していた。
「思ったほど反発はありませんな」
「そうだろうよ。座だの関だので生きてきたような手合いはあらかた滅んだ後だし、人は慣れるものだ」
要は信長の地ならしした上を歩けばよい。そういうことだ。
「堺衆は信孝殿に与する動きを見せておるようですな」
「ふん、あの三男坊にそんな器量があるものか。おおかた丹羽殿の差し金だろう」
「はあ」
「しかし静観しているだけと言うのもつまらんな」
呟くようにそう言うと、光秀は素早く書状を書き始めた。



79明智光秀 ◆J2rclXD/6Y :03/08/30 09:42
【明智光秀より堺寄合衆への書状】

一、明智家としては堺に対して故右府時代と同様の取り扱いを考えている。
一、商売往来については、故右府の政策を踏襲する。
一、堺衆には最低でも中立を要望する。もし敵対行動に出る場合、堺より畿内以東への往来を封鎖する予定である。


80明智光秀 ◆J2rclXD/6Y :03/08/30 16:47
【七月十一日 京】

翌日、光秀は腹心にして京洛警護隊指揮官である妻木範熈をして近衛亭に使いせしめた。

恐々謹言
近江表の情勢未だ不穏でありますが、舎弟秀満らをして支えせしめておりいくらか安定しております。
この間に伺候の参内を賜りたく上洛仕った次第であります。
また、先般三河殿への勅使下向の一件、ご尽力賜り感謝の言葉もありません。
私が見たところ、日ノ本においては安芸の毛利、越後の上杉といった諸侯も勤皇の志篤く、宸襟を安んじ奉るに頼りとするに足るかと存じます。
こと越後の上杉殿は先代不職庵謙信公以来隠れ無き武門名誉の家にして天朝を崇敬すること著しく、故右府の数々の無礼にも赫怒していた由聞き及んでおります。
当家と徳川、上杉、毛利が会盟して四海を討ち平らげる事こそ天朝のもと四海を鎮護し宸襟を安んじる捷径と愚考する次第であります。
然らば関白様にも一層の御後援と御叱正を賜る事を切望する次第であります。

光秀


81柴田勝家 ◆tCi4E4FiLo :03/08/30 19:42
【七月十三日 神戸信孝宛への書状】
三七様には七兵衛謀反を遭われた由、さぞ御苦難多かったことと推察いたします。
しかし、この短時日で兵を興し河内・和泉を抑えられるとは。流石は前右府様の血筋に御座いますな。
烏帽子親たる爺も鼻が高い。御見事で御座います。それに比べ七兵衛の醜きこと、これも血の為せる業ですな。

近く我ら北陸衆も前右府様の仇を討つべく、江北を発して京を目指し進軍いたします。
この爺が必ずや惟任めの首を掻っ切ってやりますゆえ、三七様にもご出陣の上、お見届け下されや。
伊勢の中将様にも出陣をお願いしておりますが、やはり三七様こそが頼りに御座います。

あと、既に耳にされたと思いますが、あの三河めが清州にて三位中将様の嫡男三法師君を織田家当主に冊立したとのこと。
余所者の、しかもあの腰抜けの三河めが織田の家政に口を挟むとは笑止千万ですが、今の奴は濃尾を抑えた大身。惟任を討つには奴の力を使わねばなりません。
三七様は確かに神戸の家へ養子に出られた方ですが、前右府様のお子の中でも最も器量良き方と存じ上げております。
一方、三河の擁する三法師は前右府様の嫡孫ではありますが未だ幼少。どちらが織田の社稷を守れるかは火を見るより明らか。
惟任を討ちし後は、必ずやこの爺めが三七様を当主の座にお就けしましょう程に、今はご辛抱下され。

【七月十六日 堺に到着予定】
82柴田勝家 ◆tCi4E4FiLo :03/08/30 19:44
【七月十三日 羽柴秀吉への書状】
確かにその方とは遺恨多き間柄であったが、今はそのようなことに拘ってはおれぬ。
あの上様が討たれたのだ。このままでは織田の御家が惟任めに奪われ、我らは根絶やしとされるは必定。
これまでの事は全て水に流し、伴に逆賊に当たろうではないか。

わしも近く又左ら北陸の衆を率いて山を下り、その方の本願の地たる長浜を奪回にかかる。
また、伊勢の中将様や岐阜の三河殿もわしに応じて兵を繰り出すとのこと。これで我らの総勢六万は固い。悪逆惟任もこれまでということだ。
その方も確かに毛利や宇喜多への備えもあろうが、今は三七様や五郎左、勝三郎と手携えて惟任の背後を突いて欲しい。武運を。

ちなみにその方の母者や奥方のことだが先日又左が小谷の山中にて発見し、今は北ノ庄に落ち着いておる。
何も案じずに、織田家への忠義を全うするが良かろう。

【七月十六日 姫路に到着予定】
訂正>>72の日付を12日にしておいてください。
【天正十年七月十四日  河内国岸和田城】

「もう待てん!一体いつになったら出陣できるのだ!」
 信孝は甲高い声で叫ぶなり、側にあった脇息を蹴飛ばしていた。
 蹴飛ばされた脇息は、下座にいた丹羽秀長の目の前ではね彼の左腕に当たり床に落ちた。
だが、長秀は少しも動じることなく脇息を拾い、元の場所に置き直して戻り、何事もなか
ったかのように話し始めた。
長秀「柴田殿と明智の軍勢が江北で対峙しております故。今しばらくのご辛抱が必要かと。」
しかし、信孝はいらついた様子で声を荒立て、長秀の言葉をさえぎった
信孝「五郎左!お主には一刻も早く父上や兄の無念を晴らしたいという、わしの気持ちが
  わからんのか。それともお主は戦を恐れる腰抜けか!」
長秀「何を言われる!某とて上様の無念を晴らしたい気持ち、殿と変わりませぬぞ!」
突如、長秀は立ち上がり声を荒立てた。信孝は、いつも落ち着いて話す長秀が急に大声を
出したのに驚き、一時声を失った。
 長秀はその場に座り直し、落ち着いた口調に戻し話し始めた。
長秀「殿、よくお聞き下さい。もし柴田殿と我らが敗れるようなことがあれば、毛利や長
  曽我部が明智に従い明智の天下は揺るぎない物となります。こうなれば三河殿とて逆
  らうことはできないでしょう。逆臣に天下を取らせないためにも、我らは万が一にも
  負けるわけにはいかないのです。殿の胸中お察し申し上げますが、何とぞ、今しばら
  くのご辛抱を。」
信孝「・・・五郎左の言いたいこと判った。明智を必ず討てるよう手はずを整えてくれ、
  わしはそれに従おう。五郎左よ、よろしく頼む。」
信孝は、声の調子を落とし自分を納得させるように口を開いた。
長秀「は!では早速兵を動かしたいと思います。」
信孝「・・・おい!五郎左・・・」
 今日も信孝の声が城内に響いていた・・・。
【天正十年七月十四日  河内国岸和田城】

 岸和田城出立の準備中の慌ただしさの中、丹羽長秀は岡本太郎右衛門良勝の元を訪れた。
長秀「岡本殿、貴殿の此度の任はこの戦での要となる物でございます故、よろしく頼みま
  したぞ。」
岡本「は!お任せ下され。しかし丹羽殿この城で筏の準備を進めるということは、目指す
  は京・・・。」
岡本の発した言葉を、長秀は手で遮るようにし、
長秀「京の守りは厳重と考えねばならんでしょう。しかし明智がその様に考えてくれれば
  いいのですが。某は池田殿と共に明智に向かいたいと考えているのですが・・・。」岡本「では向かうは摂津・・・」
岡本の言葉を、長秀はまたしても手で遮り、
長秀「よろしく頼みましたぞ。」
と、念を押すように話していた。2人の間には一種の緊張感が走っていた。しかしその雰
囲気を壊す甲高い声が城内に響いた。
信孝「五郎左よ何処で油を売っているのだ!一刻も早く出陣するぞ!」
長秀「と、殿!お待ち下され。何もその様に慌てずとも・・・」
岡本「・・・・・。」
 馬にまたがる信孝を慌てて追いかける長秀を見ながら、岡本良勝は独りで兵を進められ
る事に、内心ほっとしていた。

【蜂屋頼隆 兵2000岸和田城に駐屯。紀伊に対する警戒及び堺の支援】
【丹羽家臣長束正家、戸田勝成と共に 兵1000で堺に駐屯。堺の守備及び町衆との折衝、十五日着】
【神戸家臣岡本良勝 兵1000で和泉国交野城に駐屯。渡河用の筏の建造準備を進める 十六日着】
【神戸信孝、丹羽長秀兵6000で和泉国丹南城に駐屯 十五日着】
訂正
×【神戸家臣岡本良勝 兵1000で和泉国交野城に駐屯。渡河用の筏の建造準備を進める 十六日着】
○【神戸家臣岡本良勝 兵1000で和泉国津田城に駐屯。渡河用の筏の建造準備を進める 十六日着】
86無名武将@お腹せっぷく:03/09/02 05:44
・・・あんたら凄えわ 名スレage
87無名武将@お腹せっぷく:03/09/02 06:03
88スイか ◆CbIuEBgmms :03/09/02 22:03
>>58 の続き

しかし、既に義陽から勝機は過ぎ去っていたと言わざるを得ない。
戦力を肥後に集中し始めた島津家は、相良家の支城に徹底的な猛攻を加えていく。
相良家も、新納忠元との歌合戦で名高い犬童頼安などの奮闘もあり、
局地的には健闘したと言っても過言では無かったが、遂に天正九年八月、水俣城がある葦北郡を割譲する条件で、
無条件降伏に極めて近い形で、義陽は島津義久の軍門に下る事となるのあった。

そして、葦北・八代郡の割譲の他にもう一つ、大勢力に恭順した小大名の悲哀を感じさせる条件が入っていた。
阿蘇家の先鋒であり、宿老の立場で肥後を統率する、かつての盟友、甲斐宗運の討伐であった。
89 ◆CbIuEBgmms :03/09/02 22:18
よく一般に、戦国時代は風見鶏な処世術が当然と言われているが、相良家と言うのは中世より続く誇り高き地頭の末裔であり、
交わした盟約に違う行為は、義陽にとって耐え難い苦痛だったに違いない。
また盟に違え、その変節を非難された大名の多くが、一時の安定や繁栄を誇っても、結局は歴史の波の中で消えており、
鎌倉以来の繁栄と衰亡を肌で感じていた義陽の胸に、何が去来していたのか。
そして、かろうじて人吉一郡の安堵を保証されたとは言え、酸鼻を極めた島津軍の略奪行為を目の当たりにして、
相良の家の終焉と末路を、感じていたと想像するに難くない。
90 ◆CbIuEBgmms :03/09/05 16:37
【天正九年十二月一日】

この日は、冬の冷たい小雨が地面を濡らし、鉛の様な重い雨雲が何層にも覆いかぶさる、
薄暗く、そして重たい空気が流れる日であった。
御船城の武者溜りに集まった甲斐家重臣の面々もまた、この日の天気の様に、
一様に表情が重く、何度も小者に麦焦がしを所望する者、間断無く周囲の表情を窺う者、
緊張の色が隠せない様子であった。

『相良家が盟約を破り、御船の城に向かって進軍を開始している』
そう赤峯尾城(現益城郡中央町)の伝令が、息も絶え絶えに駆け伝えたのがこの日の午後、
宗運は、この第一報を受けた時、敵方の謀略とみなし、一笑にふした。
伝令の必死な形相を見て、何かを感じ、慎重な意見を具申する家臣も居たが、宗運は日頃の好々爺然とした表情からは想像もつかない、
厳しい眼光でその家臣を制した。

「相良家とは、義陽殿の先代から誼を通じ続けた盟友である。二家は共に信じあい、支えあわねば共倒れになるより他は無い、
そのような軽々しい推測を言うで無い!」

この時宗運は結果論としては愚かしい行為にも取れるが、相良家の律儀を信じ切って居た。
大方先の戦で破れた輩が流言蜚語で、相良家と甲斐家の仲を裂こうとしているに違い無い、
人は往々にして、自分の都合の良い様に現実を錯誤する…。
だが、現実は人の思いを嘲笑うかの様に、容赦無く人を叩きつける。

『申し上げます!相良家家臣、東左京進の率いる軍勢が、御味方の赤峯尾城を落としてございまする!』
91 ◆CbIuEBgmms :03/09/05 16:38
伝令がもたらした報が間違っていないのは、額の鉢金が血に染まり、直垂に矢が刺さり、そして何より、
生命が額と腿の付け根から抜けていく中で、己の命よりも大事な何かを、守りたい何かを、
宗運に伝えようとしているその表情から、窺う事が出来た。

辛辣な伝令を受けて色めき立つ重臣を他所に、宗運は静に瞳を閉じて、やや上向き加減に、顎を上げる。
この時の宗運の心情を、後の言葉で表すならば、絶望と言う言葉が一番妥当であったろう。
しかし、修羅の道を歩んできた戦国武将にとって、絶望に浸る事等、到底許されるものでは無い。
齢六十を越えて、新たな修羅の道を歩む事を余儀なくされた老人は、憎もうにも憎めぬ、
血の通った敵を叩くべく、彼我の兵力や、地理を頭の中で回し始めた…。
92無名武将@お腹せっぷく:03/09/05 17:08
すごいなーどこの小説で?
93上杉景勝 ◆GqY.fMiuzQ :03/09/05 18:51
【7月下旬 揚北戦役】
やや厭戦気味が目立ってきた上杉軍。
新発田方への勧告も特に効果は出ず、いたづらに日を過ごしていた。

しかし、北門に備えている甘粕景継よりの報で事態は変ずる。
埋伏として送り込んだ揚北の兵士からの一本の矢文。
新発田重家を始めとした諸将は出撃に向け準備を始めたとのことだ。
闇に紛れての出陣ゆえ警戒するように、時期が判明したらまた連絡する、
と凡そ内容はこのようなものである。

すぐさま景勝は全軍に伝達し、一層の警戒を強めさせる。
上杉の命運はこの戦にあると景勝は理解していた。
ここで躓くようでは、今後の戦乱の渦の中で家名を残すなど叶わないだろう。
景勝の意気込みは相当なものであった。

【上杉軍、新発田重家の出撃に備えます】

GMさま、続きをお願いします。
94無名武将@お腹せっぷく:03/09/09 17:32
teikihosyu
【天正十年七月十七日  下野国宇都宮城】

 結城家、北条へ寝返るの報は、宇都宮家を震撼させた。
 このまま佐竹と行動すべきか、それとも距離を置くべきか、宇都宮城の評定は家臣達が
おのおの口を開き、この日もまとまる様子は無かった。それもそのはず、評定の上座には
本来座しているはずの当主、宇都宮国綱の姿が無いからだ。
 国綱は評定が始まる前から「気分がすぐれぬ。」と言い、自室に籠もり、床の中で頭を抱え悩んでいた。
 宇都宮家の当主国綱は、十四歳という若き君主である。彼にこの難局を乗り切る器量を
求めるのは酷という物であった、しかし頼るべき先代広綱は既にこの世の人ではなく、頼みとする重臣もいなかった。
国綱「(私にはもうどうすればいいのか判らぬ。だ、誰か助けてくれ。)」
悩みぬいていたところ、小姓が、来客を告げた。
国綱「私は病だと言っているだろう、今は会いたくない。明日にしてもらえ。」
小姓「ですが、おやかた様の病を治す薬を持参したとおっしゃっておりまして。」
国綱「それは、いったい誰だ・・・」
義久「お体は大丈夫ですかな、国綱様。」
国綱「ち、義父上!」
国綱は床から飛び上がり、義久の元に駆け寄り、
国綱「結城家の寝返りで家中は揺れております、どのようにすれば家臣達をまとめられる
  か・・・」
義久「当主たる者がその様に取り乱してはなりませぬ、結城殿もやむなく北条に下ったま
  でのこと。次の戦で勝てばまた我らに付くことでしょう。佐竹と宇都宮がしっかりと
  手を結べば、北条といえど・・・」
 国綱は義久の話を聞くうちに、次第に表情が明るくなっていた。
 この後、評定に現れ国綱は家臣達に、佐竹と共に戦っていくことを告げた。家臣達も、
佐竹家が、重臣東義久を派遣したことに「佐竹は当家を見捨てたりはしない。」という意思を
感じ取り、反対する者はなかった。
96 ◆CbIuEBgmms :03/09/21 23:16
定期保守にございます。
終わりにしとけや、そろそろ
じゃなければ根性入れて再開しやがれ
アホウをこっちで引き受けんから流れて来ちまって煩い

アホって誰だよ?寝た子を起こすなよw
そろそろ再開するか。
100get!
---糸冬
102無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 13:57
age
103ぽっけもん:03/10/12 16:06
保守
104 ◆CbIuEBgmms :03/10/18 18:16
保守にございます。
105無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 05:34
ageにございませす
終わり
107無名武将@お腹せっぷく:03/11/11 12:50
犯人はこの中にいる!
いねーよ