1 :
無名武将@お腹せっぷく:
2 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/21 01:30
色部キモイ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/21 02:00
演義でも正史でも光栄でも影の薄い呉
ともすれば腐女子のネタと馬鹿にされる呉
無双で女性が出しゃばる呉
しかし、三国一長命で日本書紀にも登場し、ある意味日本にもっとも馴染みがある
呉音や呉服を皆も知っているだろう
そんな呉を、呉の人物を
正史、呉書の人物を語られよ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/21 02:06
おつかれ
6 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/21 04:02
乙彼
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/21 13:23
おまえらわざわざ専用プラつかってんの?
重度のチャンコろだなw
11 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/21 16:43
だな。。
いまどき【】は流行らない
勝手に決めちゃおう
>>50が次の議題
コーエーは陸抗を舐めるな
前スレの影響か陸抗の評価が高いな
でも陳寿は親父の陸遜に比べて若干劣ると評価してた
>>14 そのスレの存在知っていたけど
演義とか全般を扱ってるみたいだし
何か統一感がない
>>16 官職と一騎打ちを同時に語っている辺り確かに謎だ。
>>17 ワロタ
その通りだな
しかも1のカキコがこの前スレのあてつけっぽいw
漏れは
>>9 に問いたい。
「専用プラ」とは何事か。専用プラモデルか?
専用プラレールなんてあるのか?w
気持ちはわかるが、煽りは止めてくれ、と小一時間(ry
そんな漏れも煽り、にイピョーウ!
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 00:21
語れage
じゃあ、魯粛と周ゆの戦略のどちらが優れていたと思われるか?で。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 01:15
俺、天下一分の計を思いついたんだけど
すごくない?
>>24 てんかいっぷんのけい?
明智の三日天下を越えたな天才だ
独り言晒し上げ。w
>>22 …ヒサンダナ
よし漏れがちょっと語ってみよう
周瑜と魯粛の戦略というと天下二分の計となるが
周瑜がそれを唱えたのは魯粛が唱えた時期より遅れていて
当然魯粛の計を下敷きにしていると思われる。つまりだ、周瑜の方が壮大で、攻撃的だ
その上、当時の中国の状況もよく考えられている
ただし、ちょっと虫のいいところがある。馬超と同盟とあるが頼むに足るとは思えない
荊州問題に関しては周瑜の方が優れていたと思う
劉備は自力で荊南四郡を奪ったが肝心の南郡は周瑜が押さえていた
当時の劉備からすれば南郡無しでは入蜀など無理だったろう。
魯粛の南郡譲渡は劉備に機会を与え呉の領土拡張を大きく阻害することとなった
また魯粛の戦略には荊州を蜀より取り戻す方策が欠けていた。これは魯粛の荊州戦略において致命的と言える
結論。。。呂蒙は偉かった言うことだな
>>27 ほぼ同意見だな
魯粛の提案した呉蜀同盟は結果的に呉の政策から見たら
遠回りになるだけで孫権が言ったように失敗だった感はある
呉側から見れば荊州の劉備が曹操への防波堤の効果がほとんどなく
それどころか同盟中に何度も呉蜀で衝突寸前になっている
魯粛死後、呉蜀どちらも同盟を重視する人間がいなかった
唯一、魯粛同様に同盟の必要性を感じていた諸葛亮は劉備の生存中は
実権がなかったからどうすることもできない
おお、前スレのアンチ二分の反撃はあるのだろうか?
全スレの続きをやるようだね。
まずこの話題を続けるならおれの文章の内容へのレスをお願いしたいのだが。
全スレでは俺は天下二分と三分の優劣を>>849あたりで立論しているのだが
有効な反論の無いまま終わってしまったと思うのだが。
>>27 >当然魯粛の計を下敷きにしていると思われる。つまりだ、周瑜の方が壮大で、攻撃的だ
>その上、当時の中国の状況もよく考えられている
これでは内容がスカスカだな(w
具体的なものにしてほしいがね。
>荊州問題に関しては周瑜の方が優れていたと思う
それはそうだろうね。
しかし荊州一つをダシにしてまで同盟の必要性を感じていたともいえる。
というより同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね。
>魯粛の戦略には荊州を蜀より取り戻す方策が欠けていた。
>これは魯粛の荊州戦略において致命的と言える
この意見は同意だね。ただ代案が天下2分しかなく、その実行が出来うる人材が
死んでしまっていた事を思えば或いは最善であったやも知れないが。
>>28 >遠回りになるだけで孫権が言ったように失敗だった感はある
いや、勿論天下二分との比べてのことなんだろうね。
天下二分をとるか同盟するかの二択から同盟(三分)を選んだのが間違いだというならば
これから議論すればすむことだ。
天下二分という代案なしにこれをいっているならばハァ?だね。
>>30ハァ
ナニイッテンノ
漏れは
>>22に答えて魯粛と周瑜の戦略について少し語ったにすぎん
漏れの
>>27の文章に一回でも天下三分と書いてあったのか
>>29に煽られてんじゃねーよ
それによ
>というより同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね
この部分は強引すぎねーか
蜀が滅んでも呉は十六年も持ったじゃねーか。しかも、その間に魏も滅んでんだぞ
ようは劉備が入蜀した後は
呉が魏に渡り合うためには同盟が必要と言うだけで滅ぶというのは論理の飛躍が甚だしい
よく考えろ。同盟は何も蜀じゃなくても良いんだよ。魏と結べるならそうするんだよ
そして実際、魏と結んで荊州を取ったろーが
史実をよく見ろよ
>>30
>>31=27
つーか浅はかだね。
全スレの続きといってもいい内容なんだがね(w
>蜀が滅んでも呉は十六年も持ったじゃねーか。
アホか。蜀滅亡後本気の侵攻は2回。晋主導は一回。
それも北への膨大な人口流出でほとんど戦わずに敗北。
16年生きながらえたのは単なる結果。
見方を変えれば滅ぶのは確定で時期がいつかという状態になっていただけなのだが。
>同盟は何も蜀じゃなくても良いんだよ。魏と結べるならそうするんだよ
>そして実際、魏と結んで荊州を取ったろーが
素人さんですか?(w
こんな内容しかかけないのならあまりキミとは議論したくないねぇ。
>>32 アフォはお前だ
もし漏れが、お前の言う天下三分と二分の比較を意識していたら、その様に書くだろ
そんなこともわからんのか
>見方を変えれば滅ぶのは確定で時期がいつかという状態になっていただけなのだが
何これ、もう見てらんない
当たり前だろーが、そりゃいつか滅んじまうよ
>16年生きながらえたのは単なる結果
って何だよ。事実は事実だろが。お前の妄想よりずっと信用できるだろが
それによ、それを言ったら蜀との同盟がなければ滅んじまう呉より
先に亡んだ魏についてどう説明つけるんだ
天下三分だの二分だの、万世に有効な戦略でもあるめーし
お前は天下三分なら蜀も呉も滅ばなかったのと言いたいのか
>素人さんですか?(w
こんな内容しかかけないのならあまりキミとは議論したくないねぇ
信じられないな。史実に対してこの様な反論しかできないとは…
それとも、荊州を失ったことを指摘されると
あなたの仰られる天下三分の大前提が崩されてしまうからですか?
魏と結んで呉が荊州を取ったという事実は
あなたの仰られる天下三分が
呉に主導権を握られていることが露呈するからですか?
お前が天下三分が天下二分より優れるとほざくのは勝手だ
だが周瑜と魯粛の戦略の比較に、それを持ち出してくんじゃねーよ
>>22になんて書いてあるか良く読めよ
飯食って風呂に入ってくる
>>33 思ったとおりの無内容さだね。まあそれはそれでいいけど。
> 当たり前だろーが、そりゃいつか滅んじまうよ
>16年生きながらえたのは単なる結果
>って何だよ。事実は事実だろが。
なにも反論になってないねぇ。馬鹿まるだしだな。
16年という年月を評価したら滅びるまでの執行猶予でしかないということだよ。
> それによ、それを言ったら蜀との同盟がなければ滅んじまう呉より
> 先に亡んだ魏についてどう説明つけるんだ
論点がずれるずれる(w、なにもまったく関係が無い物を持ち出して何をしようというのかい?
> 天下三分だの二分だの、万世に有効な戦略でもあるめーし
> お前は天下三分なら蜀も呉も滅ばなかったのと言いたいのか
極端な意見だね。君の意見は白と黒しかないようだ。
戦略とは目的を達成するための方法論だと定義すれば
呉の国を安泰させるという目的のためにとるべき方法として
同盟という手段はもっとも長期的展望に基づいたものであると思うがね。
> それとも、荊州を失ったことを指摘されると〜(以下略)
> 呉に主導権を握られていることが露呈するからですか?
なぜ蜀の視点がここで出てくるのかまるでわからないね。
もともと天下三分は呉が主導なんだがね。
つーかもう少し論点を明確化して書いてくれないかね?
何に反論しているかまったく理解できないのだが。
> お前が天下三分が天下二分より優れるとほざくのは勝手だ
> だが周瑜と魯粛の戦略の比較に、それを持ち出してくんじゃねーよ
周瑜と魯粛の戦略の比較をするのに天下三分と二分を比較するなと君は言いたいのか(w
素晴らしい意見だ(w
あきれてしまうね。
>>34 27ではないが極端な意見はどう見てもあなたの方ですが(w
>>36 だからさ、反論するなら内容のあるものにしてくれないかね?
「君の意見は極端だ」、「君の意見は間違っている」
こんなことは誰にでも言えることなのだよ。
君の意見の〜という部分は極端すぎるし、
それについては〜という反論があるわけで
〜という事も考えられるのではないか?
とかね。なぜこんな初歩的なことすら出来んのかね。
>>37 いいよどうせまた「俺はこう思うんだが」って
史書そっちのけの自己流解答がでてくるだけだし(w
>>36 結局キミは内容のある文章を書くことは出来ないようだね。
中学生レベルの受け答えだな(w
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 20:15
馬鹿ハケーン
魏と同盟を結んで荊州はたしかに取れたが、後の夷陵の戦いや荊州損失による致命的ともいえる蜀の損害は、
呉に取っても悪影響だったと思うが。
まあそれは置いておいて、27がおかしいだろ。どう考えても。
納得できないなら、一度親切な人に説明頼んだら?もっと丁寧な言葉で。
このスレの人で親切に教えてくれる人がいるかもよ。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 20:20
どう見ても34が上手
タオルが投入されますた。
>>36 オイオイ、こいつマジか
前スレではこんな奴相手してたのかよ
>なにも反論になってないねぇ。馬鹿まるだしだな。
16年という年月を評価したら滅びるまでの執行猶予でしかないということだよ
馬鹿だ…シンジランナイ
呉が16年で滅んだ王朝ならお前の言い分ももっともだが
孫策以来、実質86年続いた王朝に対して…この言い分
しかも16年と言う時間を軽く見るこの態度。劉表や袁紹の例はまるで無視
16年って短いんですか。皆さん、どう思います
>論点がずれるずれる(w、なにもまったく関係が無い物を持ち出して何をしようというのかい?
これに至っては下劣きわまる
>>36よ、蜀との同盟の有効性を説きながら、敵対国である魏はまるで無視かよ
魏より長命だったって事が、お前の言う同盟絶対論が破綻している証明なのに
同盟は何のために結んだのかな…
魏に対抗するためだろが、同盟がなくても16年も存続したといっとろーが
>極端な意見だね。君の意見は白と黒しかないようだ。
なに言ってんだ「同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね」
と、極端なこと言ったのはお前じゃねーか。
>戦略とは目的を達成するための方法論だと定義すれば
呉の国を安泰させるという目的のためにとるべき方法として
同盟という手段はもっとも長期的展望に基づいたものであると思うがね
なら最初にそう書けよ
>なぜ蜀の視点がここで出てくるのかまるでわからないね。
ふざけんなよ。お前が呉が魏と結んで荊州を取ったという事実に
「素人さんですか?(w こんな内容しかかけないのならあまりキミとは議論したくないねぇ。」
こんな反論しか寄越さなかったからだろ
>もともと天下三分は呉が主導なんだがね。
でた妄想です。いつ呉が天下三分を主張したのでしょう。
俺の書いた
「魏と結んで呉が荊州を取ったという事実は
あなたの仰られる天下三分が
呉に主導権を握られていることが露呈するからですか?」
は蜀の天下三分は蜀が主導権を持っていないと破綻する事を指摘しただけなのに
呉は同盟の主導権を握っただけで天下三分の計の主導権を握ったとは
さらに
「それとも、荊州を失ったことを指摘されると
あなたの仰られる天下三分の大前提が崩されてしまうからですか?」
この意見も、天下三分の不十分さを指摘したことなのに
>>36はつーかもう少し論点を明確化して書いてくれないかね? 何に反論しているかまったく理解できないのだが
こんな、いちゃもんしかつけられない
>周瑜と魯粛の戦略の比較をするのに天下三分と二分を比較するなと君は言いたいのか(w
お前はスレタイを読んだのかと問いたい
もう一度言う、スレタイ読んだらカエレ!
45 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 20:24
27が巻き返してキタ!
>>36 もう一つ言っておく
ジサクジエーンはやめろよ
48 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 20:31
部外者だが2ちゃんでそんな事言うなよ。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 20:32
だよな、なんかおかしいと思った。34の反論まだ?
>>36 もう一度、あやまっとく
ほんと、ごめんな
>>27 ∧∧
(゚Д゚ )
⊂ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〉 ノノ~ < おちけつー36は34に対して言ってるんだぞ(w
∪∪ \______________
ひと足遅かったかw
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 20:39
34はやり逃げか?
>>43 > 孫策以来、実質86年続いた王朝に対して…この言い分
その内実は同盟期間がほとんどなわけだ。これは俺の同盟したら長続きする
という意見の後押しでしかないわけだが。
つまり蜀が滅んで後の16年が実質議論されるべき期間だろう。
さて、この間たった2度の侵攻で呉は無抵抗な国になってしまったわけだが。
とはいえ同盟亡き後16年続く国力を持ちえたのも、同盟あってのものなのだがね。
> >論点がずれるずれる(w、なにもまったく関係が無い物を持ち出して何をしようというのかい?
> これに至っては下劣きわまる
>
>>36よ、蜀との同盟の有効性を説きながら、敵対国である魏はまるで無視かよ
> 魏より長命だったって事が、お前の言う同盟絶対論が破綻している証明なのに
> 同盟は何のために結んだのかな…
魏が晋になった。これが同盟と関係あることか?馬鹿?
戦略とは何ぞや?理解してるのかね?
> なに言ってんだ「同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね」
> と、極端なこと言ったのはお前じゃねーか。
いや、だからさ、マジで呉一国でまともにやっていけたと思ってんの?
それが可能なのは天下二分がなされたときくらいだろ?
だから大前提として天下二分と三分を論ずる結果になったわけだが。
30は過去スレで交州経由で益州攻略云々って言ってた時点でアホ全開なのだが(w
両方とも口は悪いが
>>27が3度も謝っている点にとりあえず好感をもった
つーかさ、誰が誰やら区別が付かない状況では議論は成り立たないと思われ
トリップ付けろとは言わないが、HNで区別できるようにしてくれ
特に
>>30よ、何とかしろ
>>44 ●戦略とは目的を達成するための方法論だと定義すれば
●呉の国を安泰させるという目的のためにとるべき方法として
●同盟という手段はもっとも長期的展望に基づいたものであると思うがね
> なら最初にそう書けよ
同じ事を何度も全スレで説明したと思うがね。やはり文盲のようだね。
> でた妄想です。いつ呉が天下三分を主張したのでしょう。
魯粛の描いた天下三分はその行動から明らかだろう。これもマジ言ってるのか意味不明。
隆中対といわれる荊州主導の天下三分ではなくあくまで魯粛の戦略構想にしたがって
天下三分は実行されているわけだが?
> 蜀の天下三分は蜀が主導権を持っていないと破綻する事を指摘しただけなのに
つーかどこまでも人の話をわかってないねぇ。蜀の天下三分?
当時の劉備には逆立ちしても浮かんでこない戦略だと思うのだが。
>俺の書いた〜(以降省略)
だからさ、なぜ蜀の話になるわけよ?
> >周瑜と魯粛の戦略の比較をするのに天下三分と二分を比較するなと君は言いたいのか(w
> お前はスレタイを読んだのかと問いたい。 もう一度言う、スレタイ読んだらカエレ!
意味不明だね。というかそもそもからキミには知識が無いように思えるのだが。
あくまで魯粛と周瑜の比較であって、その戦略構想の根本にあった2分、3分を比較することは
このスレの主旨に合致すると思うがね。
いやな予感がするが、天下三分=蜀とでも考えてたのかな(w
これまでの文章を読んでそう感じるならキミはマジ読解力つける練習してほしいが。
>>46以下=27
自作自演でしか自分の論を主張できないようなみみっちい真似はしてないと思うがね。
>>58 言った人間が名無しでは説得力が無いね(w
とはいえコテハンをつけないのは文章を読んでほしいからでもある。
主張を理解すれば自ずと誰の発言かはわかるものだよ。
>つまり蜀が滅んで後の16年が実質議論されるべき期間だろう。
益州取りが天下二分の根底を支えているのに
蜀が滅んだ後の話を持ち出して二分批判をされてもなあ
同盟がどこまで魏に対して有効だったのかを論じるべきじゃないのか
>当時の劉備には逆立ちしても浮かんでこない戦略だと思うのだが。
だから諸葛亮が考えたんですよね
諸葛亮は蜀の人じゃないんですか
魯粛と周瑜との戦略のどちらが優れていたと思われるか?
これが今の議題みたいなモノじゃなかったっけ?
>その内実は同盟期間がほとんどなわけだ。これは俺の同盟したら長続きする
という意見の後押しでしかないわけだが
やれやれ、
>>34は「同盟しなければ滅ぶ」と言ったよな
なぁ、みんな、
>>34はそう書いたよな
呉が滅んだのは孫晧の圧政の所為だよ
羊[示古]が呉、進行を提言したとき、そう言ってたろう。陸抗が死に孫晧の圧政で呉が風前の灯火だと
それと、孫権の二宮の変で、呉の国力は相当弱っていた
>つまり蜀が滅んで後の16年が実質議論されるべき期間だろう
おかしいと思いませんか。皆さん。呉という国は実質86年ですよ
16年だけで滅亡の根拠を全て断定できるでしょうか?
孫権の二宮の変は無視されますた
>魏が晋になった。これが同盟と関係あることか?馬鹿?
戦略とは何ぞや?理解してるのかね?
これに至っては馬鹿丸出し、魏が滅んだのは蜀滅亡の後
晋に対して、一体どの国と同盟するのでしょう。
蜀が滅んで16年もったのですよ。ど・う・め・い・こ・くの蜀滅亡より16年ですよ
>戦略とは何ぞや?理解してるのかね
君は臨機応変という言葉を学ぶと良いよ。
同盟絶対論…ハァ?状況によって戦略を変更するのが基本だろ
>いや、だからさ、マジで呉一国でまともにやっていけたと思ってんの?
それが可能なのは天下二分がなされたときくらいだろ?
だから大前提として天下二分と三分を論ずる結果になったわけだが
わかってんじゃねーか。なら最初にそう書けよ。
だがな、天下三分は蜀の計で、天下統一の計だろ。
天下三分は破綻してんだよ。分かったら。蜀のスレにカエレ!
そして議論したいなら、相手をいきなり罵倒するようなことを言うんじゃねーよ
「これでは内容がスカスカだな(w 具体的なものにしてほしいがね。」
こんな事言ってんじゃねーよ。わかったか!!
>>61 >益州取りが天下二分の根底を支えているのに
>蜀が滅んだ後の話を持ち出して二分批判をされてもなあ
だからさ、これは何に対しての反論なのかということ。
天下三分と2分の優劣に戻りたいのであれば、まず全スレにあげた論点を
ひとつづつ論じるべきだろうね。
そもそもが16年〜という話の出てきた過程は
「同盟が無い場合」の仮定してのものであって
「同盟の変わりに天下二分されていた場合」のものではないのだ。
●当時の劉備には逆立ちしても浮かんでこない戦略だと思うのだが。
>だから諸葛亮が考えたんですよね
では諸葛亮がこれらを実行に移せたとでも考えてるのかい?
今の議論の主題は何?
天下三分と二分の優劣?
魯粛と周瑜との戦略のどちらが優れていたと思われるか?
蜀呉同盟の重要性?
呉の単独での生存は可能なのか?
教えてくれよ
>天下三分と2分の優劣に戻りたいのであれば、まず全スレにあげた論点を
ひとつづつ論じるべきだろうね。
そもそも三分と二分の優劣の話なんかしていないという事に気づいてくれないか?
>>61は反論じゃなくてただのツッコミだよ
頼むからスレタイ嫁
じゃなきゃ自分でスレ立ててくれ
>では諸葛亮がこれらを実行に移せたとでも考えてるのかい?
魯粛が一人で発案して一人で実行したとでも?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 21:17
27はみんなにイチイチ同意を求めるな。いい事言っててもカコワルイぞ
>>63 > やれやれ、
>>34は「同盟しなければ滅ぶ」と言ったよな
> なぁ、みんな、
>>34はそう書いたよな
ガキだね。全スレから続くおれのレスをみてそれだけのことしか読み取れないとはね。
無論そうではないかと恐れてこちらは何度も手を尽くして説明しているのだがね。
> 呉が滅んだのは孫晧の圧政の〜(略)
> 孫権の二宮の変は無視されますた
では二ノ宮変も無くまた圧政がなければ滅びなかったと(w
確認しておくが君の意見はこれでよいのかね?
>わかってんじゃねーか。なら最初にそう書けよ。
そんなことは最初から書いてあるのだがね。
というかそもそもが大前提なわけだ。
わかってないのはキミのほうだろうね。
>天下三分は蜀の計
いや、素晴らしいよ。予想を上回る答えだった。ありがとう(w
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 21:22
みんな凄い知識だね。大学で中国史みたいなの勉強したの?
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 21:24
>71
趣味だよ。暇なの。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 21:24
もっと紳士的に意見を戦わせてくれ。
>>66 > 今の議論の主題は何?
周瑜と魯粛の戦略の比較。これだろうね
すると付随して
> 天下三分と二分の優劣?
が派生して
> 蜀呉同盟の重要性?
> 呉の単独での生存は可能なのか?
ここに行き着くというものだろう。
まあ反論するほうがバラバラで論点が散逸しているがね。
>>67 >魯粛が一人で発案して一人で実行したとでも?
劉備あっての三分だね。しかし事は魯粛主導だろう。
そもそもが劉備には軍事的に言っても領土的に言っても何の力も無かったわけだからね。
>同じ事を何度も全スレで説明したと思うがね。やはり文盲のようだね
前スレなど知ったことか、俺はこのスレで
>>22に答えて
周瑜と魯粛の戦略を論じたんだよ
>魯粛の描いた天下三分はその行動から明らかだろう。これもマジ言ってるのか意味不明。
隆中対といわれる荊州主導の天下三分ではなくあくまで魯粛の戦略構想にしたがって
天下三分は実行されているわけだが
そう言うことは正史から記事を抜き取って書けよ。お前の主張だけでは妄想だろが
だいたい魯粛は最初、天下二分を主張し
その後、劉備との同盟を主張したが魯粛の生前にも破綻したろうが
呂蒙の代で完全に荊州を失っただけ。魯粛の代で衝突があったのを無視するのか
「隆中対といわれる荊州主導の天下三分ではなく」って、ふざけんな
普通は天下三分と言ったら「隆中対」だろが、勝手に造語してんじゃねーよ
しかも魯粛のも「天下三分」が目的でないだろが、普通に同盟と書け
>つーかどこまでも人の話をわかってないねぇ。蜀の天下三分?
当時の劉備には逆立ちしても浮かんでこない戦略だと思うのだが
お前は真性だな「隆中対」とお前は書いてるじゃねーか。これは誰の計だ
>だからさ、なぜ蜀の話になるわけよ
天下三分と言ったら蜀の計だろが…まあ、お前は勝手に呉蜀の同盟をそう言ってるようだがな
>意味不明だね。というかそもそもからキミには知識が無いように思えるのだが。
あくまで魯粛と周瑜の比較であって、その戦略構想の根本にあった2分、3分を比較することは
このスレの主旨に合致すると思うがね。
先ずスレタイを読め。そして魯粛の三分などと言うな。お前の場合それからだ
>>69 >では二ノ宮変も無くまた圧政がなければ滅びなかったと(w
なぜいちいち挑発的な極論に走るんだ?
同盟が続いていたらニ宮の変・孫皓の圧政があっても滅ばなかったのか?
その根拠は?
つうか、そんなにおれのレス読めと繰り返すんならそれこそコテハンつけろよ…
はっきり言って34は論議じゃなくて論破がしたいようにしか見えないんだが
本当に話をする気はあるのかと、単に俺論主張したいだけちゃうんかと
>>単に俺論主張したいだけちゃうんかと
これだ!
>>.34
>同盟が続いていたらニ宮の変・孫皓の圧政があっても滅ばなかったのか?
ハァ
同盟があろうがなかろうが政変があったら国が傾くし国力が落ちるだろ
だいたい同盟同盟と言うが、同盟相手の蜀も滅んでんだよ
同盟してても滅ぶという明確な証拠だろうが
なんで呉の滅亡が同盟がなくなったからなんだよ
>>80 俺のレスを引用しないでくれよ
言いたい事は同じなんだからさ
つーかおちけつ
>>81 え、77……
……ほんとすまん
疲れてんのかな……
>>34はせめて数字くらい名乗れ
陸一族の話をしていたころがなつかしいのう
>>76 > >同じ事を何度も全スレで説明したと思うがね。やはり文盲のようだね
> 前スレなど知ったことか、俺はこのスレで
>>22に答えて
> 周瑜と魯粛の戦略を論じたんだよ
そもそも俺の意見が周瑜と魯粛の戦略について論じていることがわからなかったのならば
キミは俺の意見がまったく読めていないということになるのだがねぇ(w
天下三分、二分に関しての言葉の問題に押し付けようとする君の姿勢は議論の姿勢ではないね。
> そう言うことは正史から記事を抜き取って書けよ。お前の主張だけでは妄想だろが
> だいたい魯粛は最初、天下二分を主張し
> その後、劉備との同盟を主張したが魯粛の生前にも破綻したろうが
嘘を書くものではないだろう。同盟破綻?境界線を決めたことからも同盟破綻とはいえないだろうね。
小競り合いがありこそすれ前面抗争にいたらなかったのはその思惑があるからだろう。
> 「隆中対といわれる荊州主導の天下三分ではなく」って、ふざけんな
> 普通は天下三分と言ったら「隆中対」だろが、勝手に造語してんじゃねーよ
> お前は真性だな「隆中対」とお前は書いてるじゃねーか。これは誰の計だ
キミは学がないね。隆中対ならびに当時の孔明が三分を考えたかという部分は
非常に反対説も多い部分なのだよ。今の定説では魯粛の構想規定であろうというのが
一般的なのだがね。
そもそも資料を求めたときにそれこそ出師の表しかない三分を孔明が考案したというのは根拠が足りないねぇ。
> 先ずスレタイを読め。そして魯粛の三分などと言うな。お前の場合それからだ
魯粛の三分は魯粛の三分だろう。意味が通じないというのであれば蜀呉強調路線とでも言えばいい。
くだらない言葉の定義でしか反論できないのはみっともないけどねぇ(w
同盟が前提なの?
人次第。
このスレは久しぶりだがここまで壮絶になってると思わなかった。
ちと横槍入れさせて頂くぞ。
>>27 魯粛の同盟策って魏を防ぐためではなく、魏に対抗するための手段だったのではないだろうか。
呉の戦力では魏を打ち破る事は出来ないと考えたからこそ、蜀に荊州を貸し育ててやる事で、呉蜀の戦力を合わせて魏を打ち破ろうとしたのではないかと。
もし周瑜の天下二分の計が成功していたら、呉は魏と対抗しうる戦力を持ちえたかもしれない。
しかし、呉が荊州を統一し、更に益州まで遠征するには、劉備が益州を平定するよりも更に長い期間がかかったと思われる。
まず涼州は曹操によって制圧されていただろう。(馬超との同盟が頼めなくなる)
しばらく他のにも反論し続けるから、このレスへの反論はもう少し待ってくれ。
>>80 >同盟があろうがなかろうが政変があったら国が傾くし国力が落ちるだろ
>だいたい同盟同盟と言うが、同盟相手の蜀も滅んでんだよ
戦略といういのは方法論だと書いたが、まるでわかっていないようだね。
滅びる滅びないという二元論ではなくより「滅びにくい」という状態が大事なのだよ。
戦略を語るのに「どちらも滅びるから一緒」だという意見そのものが暴論 だろうね。
きみのだした反論にのっとって反論したらそうなるのだけということだが、それすらも
わからないようだね。
>>84 >隆中対ならびに当時の孔明が三分を考えたかという部分は
>非常に反対説も多い部分なのだよ。今の定説では魯粛の構想規定であろうというのが
>一般的なのだがね。
そうだったのか確かに諸葛亮の三分の計はほとんど魯粛の政策の後継に近いもんなあ
>>30 >というより同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね。
魏が圧倒的に国力で勝る以上、同盟があっても蜀、呉は魏(晋)に滅ぼされていたように思う。
呉の方に守りを置きながら蜀を攻める、といった方法も後の歴史を見れば可能だったように思うのだが。
>>31 >同盟は何も蜀じゃなくても良いんだよ
>魏と結べるならそうするんだよ
天下に魏と呉が残ったところで、呉が魏を打ち破れるとは思わないのだが・・・。
>>89 >
>>84 > >隆中対ならびに当時の孔明が三分を考えたかという部分は
> >非常に反対説も多い部分なのだよ。今の定説では魯粛の構想規定であろうというのが
> >一般的なのだがね。
> そうだったのか確かに諸葛亮の三分の計はほとんど魯粛の政策の後継に近いもんなあ
逆に言えば両者とも対魏を見据えた場合それしかなかったのだろうね。
夷陵の戦いの後諸葛亮があれほど関係悪化したなか必死で蜀呉同盟を結んだのは
長期的展望を見据えたものといえるだろうね。
劉備も孫権もこの点戦略眼というものはかなりこの2人に助けられたものがあるとみている。
>.>84
34だよな…言葉の押しつけはてめーだろ
魯粛の同盟策が何で「天下三分」なんだよ。一体、だれが同盟を天下三分と言ってたんだ
正直、普通は間違うだろが
>同盟破綻?境界線を決めたことからも同盟破綻とはいえないだろうね。
アフォか、境界線を決める前、戦になってたろうが、
しかも曹操が漢中を攻めたから境界線を決めただけ、これが215年。
そして魯粛死亡が217年、関羽死亡が219年
完全に破綻しとろーが、同盟?ハァ意味ねーじゃん
まさか、その後の呉蜀の同盟も「魯粛」の天下三分と言い出すんじゃねーだろな
>キミは学がないね。隆中対ならびに当時の孔明が三分を考えたかという部分は
非常に反対説も多い部分なのだよ。今の定説では魯粛の構想規定であろうというのが
一般的なのだがね。
アフォか、この期に及んで「反対説も多い」だの「今の定説」だの
>そもそも資料を求めたときにそれこそ出師の表しかない
三分を孔明が考案したというのは根拠が足りないねぇ
天下三分をだれが考案したかなんて、どうでも良いだろ。だいたい俺は諸葛亮考案と一言も言ってない
だがな三國志においてこれを唱えたのは諸葛亮だろが、諸葛亮の計じゃないのかよ
天下三分の最初は韓信の部下、[萠リ]通だろが史記をしらんのか
93 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 22:05
口調が悪いと読む気がおきないな
>>88 >では二ノ宮変も無くまた圧政がなければ滅びなかったと(w
って自分で決め付けておいて
>滅びる滅びないという二元論ではなくより「滅びにくい」という状態が大事なのだよ。
説得力ない
95 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 22:09
いくら呉と蜀が力を合わせたって普通に戦争を仕掛けてるんじゃ永遠に勝てない。
周ユも諸葛亮もその他み〜んな短期的な、無理のある戦略ばかり立ててる。
数は力、の理論でいくとどうしたって魏には勝てるわけ無い。
それよりは自分達の次、その次、といった長い構想を練るしかない。
すなわち、魏の国内に深刻なほころびが出るまで待ち、その時は即座に動けるように
自国の内政、防衛をしっかりと固め、それを堅持し続ける体制を造るということを
考えるしか無いと思う。
>>33 >先に亡んだ魏についてどう説明つけるんだ
九品官人法によって名士権力が強まり、司馬懿のクーデターによって曹氏が権力を失って、司馬氏一族が権力を掌握したため。
論点がずれているように思う。
>お前は天下三分なら蜀も呉も滅ばなかったのと言いたいのか
蜀と呉が同時に攻撃を掛ければ魏を打ち破れなかったとは言い切れない。
もちろん滅びなかったとは言い切れないが、しかし滅びを回避する確率が高い方法ではあった。
大本の方には大体反論した。
そろそろ反論あれば反論してくれ。
>>92 > >.>84
> 34だよな…言葉の押しつけはてめーだろ
> 魯粛の同盟策が何で「天下三分」なんだよ。一体、だれが同盟を天下三分と言ってたんだ
> 正直、普通は間違うだろが
つまりキミは間違えたまま返信していたわけだ。
そもそもが討論する資格が無いと思うのだがね。
押し付け?わからないならば前後の文章から判断すべきだろう?
そもそもがわからない語句はお互いで歩み寄り言葉の定義をしっかりさせることが
討論の基本だと思うのだが、それが出来ないまま意味もわからず闇雲に反論していたわけだ(w
ある意味天才だねキミは。
> >同盟破綻?境界線を決めたことからも同盟破綻とはいえないだろうね。
> アフォか、境界線を決める前、戦になってたろうが、
> しかも曹操が漢中を攻めたから境界線を決めただけ、これが215年。
> そして魯粛死亡が217年、関羽死亡が219年
> 完全に破綻しとろーが、同盟?ハァ意味ねーじゃん
それは結果論だろう。
小競り合いが続いたなか全面戦争にならなかったのは部分はどう評価してるのかね?
さらにいえばこれによりまた論点が拡大してゆくわけだがね。
> まさか、その後の呉蜀の同盟も「魯粛」の天下三分と言い出すんじゃねーだろな
基本構想は一緒だろうね。そしてこの部分を語りたいのであれば真っ向から天下三分
と二分を論じるわけだがそれをしたいのであればまず全スレの論点から入ってくれないか?
ただでさえ論点拡大していく傾向が君にはあるみたいだからねぇ。
> 天下三分をだれが考案したかなんて、どうでも良いだろ。
> だがな三國志においてこれを唱えたのは諸葛亮だろが、諸葛亮の計じゃないのかよ
> 天下三分の最初は韓信の部下、[萠リ]通だろが史記をしらんのか
馬鹿?それを持ち出してくる必然性がまったく無いのだがねぇ。
>>88 >戦略といういのは方法論だと書いたが、まるでわかっていないようだね
それはお前だろうが、方法論というのなら何故、同盟だけにそこまでこだわる
>戦略を語るのに「どちらも滅びるから一緒」だという意見そのものが暴論 だろうね
この意見は、お前にだろ。「同盟がなかったら滅びる」と言ったじゃねーか
二元論はお前だろ。俺はそのお前に反論しただけだろが
>>30のお前の文章と
>>31の俺の文章を良く読め
お前が「同盟がなかったら滅びる」と書いた以上
>「滅びる滅びないという二元論ではなくより「滅びにくい」という状態が大事なのだよ」
と、言うのは明らかな敗北宣言だろう
前言撤回は議論において反則だぜ
>>30 わかったらカエレ!!
>>43 >孫策以来、実質86年続いた王朝に対して…この言い分
その86年の中には蜀と同盟を結んでいた期間も含まれるわけだよな?
>しかも16年と言う時間を軽く見るこの態度。劉表や袁紹の例はまるで無視
呉には長江という防壁があったが、袁紹にはそれがない。
大本に大体反論したように思うのでこの辺でストップ・・・。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 22:22
私ふと思ったんですよ。挑発的で冷静な口調、知識がないわけでもない。だとしたら
34は釣ってるんじゃないか?
って・・・
なんか27はダメになってきてるし、34は増長してるし、話ずれまくってるね。
もう二分より三分の方が偉かったって事でいいじゃん。
それより呉の人物について語ろうよ。張昭とか。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 22:26
大喬なんてどうよ?
横槍失礼さんのレスが思いっきりスルーされているのを見ると、このスレは
>>30と
>>27の口喧嘩スレなの?
>>98 >それは結果論だろう。
小競り合いが続いたなか全面戦争にならなかったのは部分はどう評価してるのかね?
結果論…何言ってんだよ歴史だぜ三國志は
歴史上で同盟は破綻した。事実は変えようがないだろう
しかも小競り合いってなんだよ
呉は長沙、零陵、桂陽の三郡を落としたろうが。これで小競り合いと言い張るのか
お前は、さっきから「定説」だの「結果論」だの言ってるが
もっと史書に依った書き込みをしろ。
>>106 >>30と
>>27の口喧嘩に今から入るのは無理だ・・・。
せいぜい横槍のように最初の方の会話を突くのがせいぜいだろう。
しかし
>>30が横槍に加担すれば決着着く気もするな。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 22:32
周ユには狂信的な信者がいる
>>106 横槍失礼さんのは俺も読んだよ
彼は同盟の意義を述べているだろ
それに対し
>>30は。「同盟がなかったら滅びる」と言ってきやがった
しかも罵倒込みで、正直
>>30が議論しに来たとは思えんのだ
ほんとはよマターリ呉の人物を話したかったのだよ
>>104 伝立てられてないし、「大喬」って呼ばれてたって事と、美人だったって事くらいしか・・・。
しかも孫策の正室だった可能性は低い。
結婚当時孫策はすでに24〜25だから、正室はもういたと考える方が自然。
あと、孫策には一男三女がいたけど、孫策が死んだのは26の時だから、
普通に考えれば大喬は子供を産んでないか、産んでても一人。
双子とか三つ子なら別だけど。
>>100 >
>>88 > >戦略といういのは方法論だと書いたが、まるでわかっていないようだね
> それはお前だろうが、方法論というのなら何故、同盟だけにそこまでこだわる
>>30でha「同盟が無ければ滅びる」たしかにこれは書いたねぇ。
しかしそのすぐ下に
「ただ代案が天下2分しかなく、その実行が出来うる人材が 死んでしまっていた事」
とあるわけだ。
きみは非常に細かい部分をぶつ切りにして頭の仲でつなぎ合わせているのだろうね。
おれの論はこの部分だけでも呉の方針は江南を抑えるOR第三勢力と同盟する
(天下2分OR3分)
と読み取れると思うのだがねぇ。
その上での戦略比較なのだよ。
大前提も小前提もすべてひっくるめて議論できるものではないだろう。
> >戦略を語るのに「どちらも滅びるから一緒」だという意見そのものが暴論 だろうね
> この意見は、お前にだろ。「同盟がなかったら滅びる」と言ったじゃねーか
俺はすぐ下に「戦略とは〜」と書いているわけだ。すぐ下のレスだね。
文章とは一部分のみで判断するものではないのだよ。一部分だけ切り取って反論すれば
それこそが的外れだろうね。
相手の文章を理解しようとせず条件反射のように気に入らない部分にだけ反論をくれていれば
キミは満足なのだろうね(w
> >「滅びる滅びないという二元論ではなくより「滅びにくい」という状態が大事なのだよ」
> と、言うのは明らかな敗北宣言だろう
> 前言撤回は議論において反則だぜ
>>30 つまり何の実にもならないことをキミは討論したかったということになるね。馬鹿だね(w
結論:論戦は
>>30が勝ったが大本はどちらも間違っていた
ってことか。
皆が「横槍失礼さん」と読んでる中、一人「横槍」と呼んでスマソ。
孫堅以来仕えてる人物にもスポットを当てて欲しいな。
凌操と凌統について語ってくれる豪傑はおらぬか。
議論と呼べるものではなかったな。醜い。
>>117サンクス
ただ、ゲームはあんまりしないんだ・・・。
むう、ぷれすて買うため金ためるか。sage
魯粛は孫権が事の成り行きが見える人間と評してた
その反面、劉備に土地を貸したことには失策だと言った
しかし、この策が魯粛の功績を損なうものではないとも語った。
まあ結果論だけど魯粛が言ってたように劉備と孫権は同盟を結び
天下三分になったわけ
やっぱ先の見える男だよ
でも孫権の評価は周瑜>呂蒙>魯粛
>>112 なら、お前は何故
>>31で俺が
「呉が魏に渡り合うためには同盟が必要と言うだけで滅ぶというのは論理の飛躍が甚だしい 」
と、書いたとき賛同しなかったんだ
しかも今になって
「滅びる滅びないという二元論ではなくより「滅びにくい」という状態が大事なのだよ」
こんな事を書く
良く読め、俺は魯粛の同盟は失敗したが、呉蜀の同盟が失敗だったと書いてない
しかも、
>>27deha
>
荊州問題に関しては周瑜の方が優れていたと思う
劉備は自力で荊南四郡を奪ったが肝心の南郡は周瑜が押さえていた
当時の劉備からすれば南郡無しでは入蜀など無理だったろう。
魯粛の南郡譲渡は劉備に機会を与え呉の領土拡張を大きく阻害することとなった
また魯粛の戦略には荊州を蜀より取り戻す方策が欠けていた。これは魯粛の荊州戦略において致命的と言える
と、言っただけだ
戦略的に魯粛の失敗は明らかだろう
領土問題を残したまま同盟を結んだのだから
それをお前は、天下三分だのいきなり罵詈雑言と共に割ってはいったんだろうが
周瑜は早くに死んだため失策らしい失策がなかったし、
孫策死亡時の波乱を乗り越えることが出来たのは周瑜の力が非常に大きかった
孫権的にとっても有り難い人物だったんだろう
呂蒙は性格もよかったし、献身的に呉に尽くした
孫権的にとっても好ましい人物だったんだろう
つまり、孫権的には周瑜とか呂蒙の方にいい思い出があったんだろう
議論の収拾がつかない最も大きな理由は、
>>113の言うとおりどっちも大本が間違ってるからなのだろうか。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 22:56
孫権には抑圧されている分、即物的なものを好む人間ってイメージがあるがどうだろう。
呂範 は?とかいってみるテスト。
>>124 なるほど、そんな感じもするな。
父や兄に似て前に出たがる癖があったようだが、それなりに我慢して長生きしてる。
抑圧されてたのは間違いないな。
呂範か。
俺がやってた時代の光栄ゲームでは知力50・武力40とかだった覚えが…
あぁ疲れた。やっと読み終わったよ。白熱してたんだな。
まぁ、今更どうでも良いんだけど、前スレから思っていたのは、
>>30の文章は、嫌味なんだよな、わざと挑発してんだろうけどさ。
呂範って言ったら孫権かつあげ未遂事件だな
曹ヒだったら殺されてたな
>>131 劉禅タンだったらおとなしくお支払いしてまつね。
>>127 あ、俺も孫権は抑圧されてたと思う。
部下の多くは年上。中には父の代からの宿将もいたし。
その上アクの強いのばかり。
かなり、やりにくかったと思うよ。
え〜、なんか30(34?)と27は熱くなってるのでスルーっと。
ただ、あんまり呉蜀同盟にだけ大きな意味を持たせるのはどうかな?と思うんだが。
横槍失礼さんにレスするが、
>呉には長江という防壁があったが、袁紹にはそれがない。
はあまり意味のある事項ではないだろう。
これに意味をもたせるには、天然の要害があれば、袁紹は滅びなかった、という証明をせ
ねばなるまい。
要害があっても、内政がガタガタなら意味無いと思うんだが。
>>131 ああ、あれはワラタ
孫権、そりゃねぇだろよ! って突っ込みながら読んでたよ。
>>129 俺は、いつの間にか同盟反対論者になってるのか
>>87は魯粛の同盟策の意義を書いているだろう、だから反論は特にない
俺も
>>31で、「呉が魏に渡り合うためには同盟が必要と言うだけで滅ぶというのは論理の飛躍が甚だしい 」
と書いている
俺は
>>27で魯粛の戦略には致命的欠点があり、それがあるため失敗したと書いているだけだからな
しかし
その後
>>30の煽りがある
>>121で書いてるとおり同盟そのものに反論したんじゃない
「同盟が無ければ滅びる」と言った奴の言葉に反論したんだ
まあ、その後の天下三分の事は奴が魯粛のことを言っていると気付かなかったのは事実なんだし
そのことでスレが荒れたのは認めるよ
スマソ
でもよ、普通、天下三分って言ったら諸葛亮を連想するよな
俺、前スレ読んでねーって、どっかに書いたんだが
まあ、後はマターリやってくれよ
>>134 あ〜っと・・・。
全然スレ違いだから気が引けるけど、内政がガタガタってのは
聞き捨てならないな。w
袁紹の治世はそんなに馬鹿にしたものではないよ。
彼が滅びてから随分経っても、その治世を懐かしむ声が随分あった
って記述、正史になかったかしら?
袁紹と孫権の差でしょう
袁紹の配下の祖授、田豊の的確な指示を
ほとんど却下してしまった
孫権はあれでも素直に意見を聞ける人間だった
俺の結論は上司の聞き分けのよさ(w
>>121 > なら、お前は何故
>>31で俺が
> 「呉が魏に渡り合うためには同盟が必要と言うだけで滅ぶというのは論理の飛躍が甚だしい 」
> と、書いたとき賛同しなかったんだ
くだらないレスだね(w
キミは言葉の定義に対して躍起になっているだけなのだよ。
全スレにおいて連綿と記述してきた内容と照らし合わせれば戦略について語っていることは
自ずと明らかだろう。しかし君はそれをせずに独断で俺の文章の「滅ぶ」の示唆するところ
を君の解釈にかぶせていただけということだろうね。
その上で「滅ぶであろう」とするおれの論に対しての君の反論は単に
「どうせ滅ぶ」という意味の無いものだったのだよ。
不毛な議論だねしかし。
)しかも、
>>27deha (以下略)
これも同意する部分は同意しているのだけどねぇ。
そもそもが同意している部分は討論にはならないわけだ。
とすれば君が反論すべき点は魯粛の国策が最善策であったか否かという点、
劉備に力をつけさせることと荊州の重要性の比較考衝量という点
こういったものでなければならないと思うのだがね。
そしてこれは天下三分を正面から論ずることになるのだよ。
それをせずに戦略的失敗というにはこれは難しい問題なのだがね。
そもそそも、魏(晋)、呉の対立と袁、曹の対立は同レベルには語れまい。
袁、曹の場合天然の要害が欲しかったのはむしろ曹操の方だろうからね。
けどねぇ、だがね。
キモチワルイ
>>137 あ、書き方が悪かった。
違う、それは、君の、誤解!
内政ガタガタは、要害があっても、孫皓じゃ意味無いでしょ、って意味だ。
袁紹の治世が悪いとは言わんが、人事が拙い。
>>139よ
>>27が
> 「呉が魏に渡り合うためには同盟が必要と言うだけで滅ぶというのは論理の飛躍が甚だしい 」
> と、書いたとき賛同しなかったんだ
と書いてるが
何故、この意見に賛同しなかったんだ
おまいの言い分と、そんなに差があるとは思えんのだが
それとも煽ったのか?
スレずっと見てきて思ったこと。
オレは三国志の知識ほとんどないんで27と30の主張内容はよくわからんが、
>>30は釣りで、
>>27は見事に釣られまくって破綻した
ってことでFAだと。
>>27は荒らしを無視することを覚えようぜ。
おまえが反応しなけりゃマターリに戻ってた。
>>143 >
>>139よ
>
>>27が
> > 「呉が魏に渡り合うためには同盟が必要と言うだけで滅ぶというのは論理の飛躍が甚だしい 」
> > と、書いたとき賛同しなかったんだ
> と書いてるが
> 何故、この意見に賛同しなかったんだ
> おまいの言い分と、そんなに差があるとは思えんのだが
> それとも煽ったのか?
またぶつ切りレスか。うんざりだな(w
その文章よ馬鹿でもわかるように(w要約すれば
「蜀と同盟を結ばなければ滅びるわけではない」
「(例えば、呉が生きながらえるためには)同盟は魏でもいいのでは?」
というようなものだ。
俺はそもそも大前提として生き残り=天下二分OR天下三分であると述べているわけだ。
接点はないだろうね。
そもそもが戦略の良し悪しを討論しているという大前提があるわけだが、
魏と同盟〜というのは俺の意見と一致しているのかね?
>30 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:03/04/22 18:18
>全スレの続きをやるようだね。
>まずこの話題を続けるならおれの文章の内容へのレスをお願いしたいのだが。
>全スレでは俺は天下二分と三分の優劣を>>849あたりで立論しているのだが
>有効な反論の無いまま終わってしまったと思うのだが。
何時間ぶっ続けでやる気だ(w
>>27も、もう相手にするなよ。
>>144 > スレずっと見てきて思ったこと。
> オレは三国志の知識ほとんどないんで27と30の主張内容はよくわからんが、
知識が無いのであれば口を挟むのがおかしいだろうね。
煽っているのか?と問われれば半分はYESだ。
しかし討論とはそもそもが主張のぶつけ合いなのだよ。
ある程度は喧々諤々とすべきだと思うがね。
>>134 もっともな意見でつ。
(今更反論しても何にもならんが)では別の反論。
羊コが呉侵攻を進言した際に攻めていても結果は同じだったように思う。
早く攻めていれば晋側の被害も増えたかもしれないが、それでも呉が滅亡していた事には変わりないと思われ。
>>144 どちらも相手を煽ってる、という点では同じだと思われ。
ま、ご本人も煽りを認めてらっしゃいますし、放置で良いんではないかと。
>>149 それはおっしゃる通りですね。
>羊コが呉侵攻を進言した際に攻めていても
陸抗が死んだ直後と言うことですね。
陸凱、陸抗を欠いた孫皓政権では対抗のしようが無い。
34は荒らしではないだろ
俺の印象だが前スレに比べて今回は
口は悪いがそれなりに筋が通ってるとは思うんだがねえ
155 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/23 00:26
天下5/8チップの計
>>154 残念だが自分の論を見る限りにおいては前スレでの内容のほうがまともであったと思うがね。
今回の議論の前提はそのほとんどが
魯粛の戦略の成功を受けての比較考量になってしまっているわけだ。
つまり蜀が存在しているという前提それ自体が魯粛の戦略的功績であると全スレでは語っているわけだが、
今回はその土壌にのっかかりその上で例えば荊州問題などに(まあほとんど内容が無いが)
触れている状態なわけなのでね。
というか今気づいたが、>>146でも指摘されているが
>>30の全スレは前スレの間違いだ。
>>153 >蜀が滅んでも呉は十六年も持った
漏れはこの発言に対して反論したんだ。
これを言ったのは
>>31(=27)つまり藻前なんだが・・・。
>呉が滅んだのは孫晧の圧政の所為
>羊[示古]が呉、進行を提言したとき、そう言ってたろう
>陸抗が死に、孫晧の圧政で呉が風前の灯火だと
という
>>63(=27)の論は分かるよ。
でもその論は
>16年生きながらえたのは単なる結果。
>見方を変えれば滅ぶのは確定で時期がいつかという状態になっていただけなのだが。
という
>>32(=30)の論を認めた事にもなってないか?
>>156 難解な表現をするなら接続詞をきちんと使ってくれ。
意味が分かりづらい。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/23 00:51
別にこのサーバーは君が所有している訳じゃないだろ。
世の中にはいろんな意見があるんだし、自分の気に入らない意見で
自分が傷つくんならこんなとこ来ないで同人でマターリするか、自分で
サーバー立ち上げればいいじゃん。
明らかに無意味な荒らしは良くないと思うが、自分の気に入らない意見を
荒らしみたいに呼ぶのはちょっと違うんじゃないか?
もっともらしい厨な意見だな
>>158 俺の前スレは真正面から魯粛の天下三分と周瑜の天下二分を比較したものだったわけだ。
その論旨は、「三分の効果は”蜀を作ること”によってさまざまな事態に対応できるようにするという
戦略であった」と言うものであったわけ。
しかし今回の議論においては、同盟の話が出てくるわけだが、同盟というものそのもの自体が蜀を
前提とするものであって、いわば大前提を認めたうえでの小前提での争いになっているわけだね。
その上、大前提そのものに疑問がはいりこみ論点が交錯してひどいものになっているといいたいのだよ。
つまり魯粛の戦略を認めなければ蜀は成立しないのだが、それをとばして同盟の話になっていたのでは
と危惧しているわけだ。
例:同盟は必須であるか?
→蜀そのものが必要ない
→蜀がある以上必要
→蜀がある以上不要
→必要ない
どの立場であるか?というとき俺の立論は今回においては当初蜀の有無という視点の上での
内容であったが(滅ぶ、滅ばないというものだね)これが徹底できていたかと疑問が残る。
これぐらい噛み砕けばよいかい?(w
27の次は横槍失礼さんが狙いか
>>158 それは「劉備や劉禅による蜀漢王朝」ってことでOK?
見た感じ、
「支配者に因らず、蜀にある強固な王朝、およびそれに準ずるもの」
でも良さそうな、大差ない意見でもありそうなのだが。
ちなみに、漏れは蜀そのものが必要なかったと思う。
少しは呂範で討論しようと思わんのか?
思わなえか
27……なんでこんなに必死?
それに俺としても
呂範の話聞きたいよ
>>163 >
>>158 > それは「劉備や劉禅による蜀漢王朝」ってことでOK?
まあ王朝である必要すらないが、おおむねそのとおりだね。
最低条件は曹操に対抗できる人物。簡単に降伏されたら意味が無いからね。
で「蜀そのものが必要ない」ということは、ほぼ天下二分派とみてよいのかな?
それとも劉備である必要性が無いということかな?
あるいはそれ以外の何か案があるとか。
こういった前提を確かめ合ってはじめて議論は成立するものだからね。
>>161 大方分かった。
ただ漏れは「噛み砕け」とは言ってないぞw
>>166 そう、
>>158は漏れ本人。
純粋に分かりづらかったから聞いただけ。
呂範や朱然、朱桓らの伝と
甘寧や丁奉、除盛らがまとめている伝が違うけど
何で違うんだ?指揮官と武官ってこと?
朱治・呂範・朱然は呉・初期の宿老という意図が強いのだろう。
で、朱然や呂範の後なら、朱桓が続いてもおかしくはない。
三人(上記二人+朱桓)は、子が後期に元老となっているから。
施績・呂拠・朱異は揃いも揃って後期・呉を担う元勲であり、
しかも、呂拠と朱異が残念ながら、共に孫綝の手に掛かって横死した。
ただ、順番に不思議は無いのでは、と言いつつも、
朱治と朱桓を並列したのは甚だ失敗と言うしかない。
似たような人物を集めていたら、最初と最後では全然似てない、という失敗作の典型。
他にもこうした例は少なくない。陳寿は、列伝の立て方では上手とは言えないと思う。
何となく同意。
結論 みんな知識ひけらかしたい引きこもり ということで・・・
凄いことになっていたんだな
それにしても
>>30は凄いな。ディベートでもやってたのかな?
読んでみたけど
>>27は最初、魯粛の天下二分を周瑜の天下二分を比べている
それに対して
>>30は、
>>30で最初に前スレの事を言及し、さらに「天下三分」と言う言葉を出している
こうする事によって
>>27や
>>28に天下三分を印象づけようとしている
そして
>>27が、魯粛の天下二分の計と周瑜の天下二分の計を比べての発言に
「これでは内容がスカスカだな(w 具体的なものにしてほしいがね。」
と煽っている。この煽りは
>>27にクリーンヒットしたようだな
その後、1つ
>>27に同意した後
「しかし荊州一つをダシにしてまで同盟の必要性を感じていたともいえる。
というより同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね」と、持論を展開している
これは本来、
>>27や
>>28を議論に引き込むために用いたのだろうが、
>>27は噛み付いている。この時点で半分勝負あった
そして最後の方に、また天下三分と天下二分を比較している。これも
>>27>>28に天下三分を印象づける役割を果たす
そして、最後の一煽り「これから議論すればすむことだ。 天下二分という代案なしにこれをいっているならばハァ?だね。」
これは議論と言うことを印象づけた上、煽りも入れている。これで
>>27は
>>30の術中に完全に嵌ったと見て良い
その後、
>>27の一度目の反論は、
>>31では「同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね」の一文に対してで
後は、
>>27は「漏れは
>>22に答えて魯粛と周瑜の戦略について少し語ったにすぎん」と言っただけで
「漏れの
>>27の文章に一回でも天下三分と書いてあったのか 」の、
>>27の言葉通り、天下三分には反論していない
ただし、
>>31でのレスで何度も罵詈雑言で買い言葉をはいている。もう煽られている証拠だ。
そして、
>>32で
>>30は
>>27に対し「つーか浅はかだね。 全スレの続きといってもいい内容なんだがね(w」
と、前スレの議論に結びつけつつトドメの煽り。この後はみんなも読んだとおり、徐々に天下三分にも話が移行していく
>>30の手法は、相手を怒らせ自身の有利な議論に持っていくというディベートでなら反則になると思われる技だ
>>27は煽りや誘いに乗らず、天下二分と荊州について語ったと言って議論を切り上げるべきだった
しかし、ディベートの素人には難しいだろうな。乗らなかった
>>28は偉い
長文を書いて申し訳ない
でも、みんなも
こういった技に気をつけような
180 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/23 04:03
なるほどねー、で、横槍氏は戦術外だったので無視してたわけか。
27タンいいこと言ってたのに可愛そう・・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/23 05:49
>>ALLモティツケ
/\⌒ヽペタン
/ /⌒)ノ ペタン
∧_∧ \ (( ∧_∧
(; ´Д`))' ))(・∀・ ;)
/ ⌒ノ ( ⌒ヽ⊂⌒ヽ
.(O ノ ) ̄ ̄ ̄()__ )
)_)_) (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)(_(
183 :
(´д`;)ハァハァ :03/04/23 06:26
前スレの雰囲気に少しでも戻そうとマジレスしたのに.....
まぁ、引きこもりは当たってるけどね。
午前3時に出歩くつもりはないし。w
>>184 自分はまだまだ初心者の域を超えないのでためになります!!
気にせずもっと語ってくださいな。
186 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/23 09:09
>>173 がんばれ!
では、それらの人物をどういう風に列伝すればよかったと思います?
ワーイワーイマツリダマツリダ
昨夜は熱かったんだな…
虞翔と宇禁のエピソードがいい
この前、虞翔を題材にした小説を読んだけどなかなかよかった
>191
その小説激しく見たい。狂直虞翻(・∀・)イイ!!
194 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/23 17:27
>>27 >当然魯粛の計を下敷きにしていると思われる。つまりだ、周瑜の方が壮大で、攻撃的だ
>その上、当時の中国の状況もよく考えられている
これでは内容がスカスカだな(w
具体的なものにしてほしいがね。
>荊州問題に関しては周瑜の方が優れていたと思う
それはそうだろうね。
しかし荊州一つをダシにしてまで同盟の必要性を感じていたともいえる。
というより同盟が無ければ呉も蜀も滅びるのみだと思うのだがね。
>魯粛の戦略には荊州を蜀より取り戻す方策が欠けていた。
>これは魯粛の荊州戦略において致命的と言える
この意見は同意だね。ただ代案が天下2分しかなく、その実行が出来うる人材が
死んでしまっていた事を思えば或いは最善であったやも知れないが。
>>28 >遠回りになるだけで孫権が言ったように失敗だった感はある
いや、勿論天下二分との比べてのことなんだろうね。
天下二分をとるか同盟するかの二択から同盟(三分)を選んだのが間違いだというならば
これから議論すればすむことだ。
天下二分という代案なしにこれをいっているならばハァ?だね。
穿り返し辱めage
>>194 観客だがとりあえず「がね・だがね」調はやめてくれ
ウザイので正しくても味方したくなくなる
名古屋の人か?お前
なるほど 名古屋のお人だったのかw
>>195 別にそこまで制限かけられる権限は無いでしょ。
名古屋人ずら
標準語なんて飾りです。ここは一部にのみ開かれたインターネットです。
呉好きだが呉にはあまり好きな武官いない
張昭や虞翻なんかが好き
>>200 俺は朱桓は好き。なんかイメージがかこいい。
>>185,
>>187 なんか釣りのような気がしてしまいますたが、暇だったので一案を考えてみますた。
原則として、それぞれの意図をはっきりとさせるために附伝を排除してみた。
【1.呉初期に軍権を握った名将たち】
呂範、周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜
【2.呉建国の功労者たち】
朱治、程普、黄蓋、韓当
【3.呉初期の有能な部将たち】
陳武、董襲、甘寧、凌統、潘璋、徐盛
【4.215〜225年頃に都督として活躍した者たち】
蒋欽、周泰、朱然、朱桓、賀斉
【5.230〜240年頃にかけて武官の責任者となった者たち】
諸葛瑾、歩隲、呂岱、全j
【6.呉後期を彩る名将たち】
呂拠、朱異、施績、丁奉、陸抗
入れるか入れないか悩んだのは、宋謙、周魴、鍾離牧ら。
周魴は4かな。鍾離牧は6くらいしか考え難いでつね。
朱然や潘璋なども迷ったんですけど、誰か、もっと良い案があったら教えて。
得になるようなモノは何もあげられないけど。w
自分で言うのもなんだけど、ホント暇人に見えるな。w
>173
GOOD JOB
今日はマターリしてていいな
討論の名を借りた煽り厨が乱入しない事を祈ってるよ
>173
諸葛謹に異議あり!
はい。206さん。何でしょう?
良い案があったら教えてくらさい。
>>194 まともな日本語もかけないのに偉そうに批判寸名よな
>>173 普通に応援して質問したつもりだったのだが、
確かに読み返すとスレの流れ的にも釣りっぽかった。
ごめん。
210 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 01:39
>>206 俺は貴方の誤字に異議有!
まあ、親父はともかく、息子の恪は名前の意味が「つつしむ」なのに
全然つつしんでいない気がするが。
>>209 いやいや、気にしないで。
変に勘繰った漏れが悪かったっす。
ごめんなさい。
最近、特に呉を調べてるんで、
こういったことは結構興味深かったのでつ
>>173 お疲れ様です。以前の雰囲気に戻って(・∀・)イイ!!
ところで周魴というのは文官・武官どっちなんでしょうねぇ。
私は周魴って結構好きなんですが、実は詳しいことはあんまり知らないのでつ。
>>212 あまり文武官の区分けに拘る事は必要ないと思われ。
周魴だが、呉に仕えて若年の頃には、地方の行政を担いつつも盗賊や住民の叛乱
などの武力鎮圧を度々にわたって行っているし、歴任した官位も武官位が主である
ようで、石亭の戦いの功績によって裨将軍に任じられているわけで。
まぁ、ゲームでは完全な文官扱いの潘濬や歩隲、張温、陸績、駱統なども、軍事面
での事績がそれなりにあるしね。
太史慈は?
(こんな字だったかな?)
諸葛カクは?
>>217 なるほど、そうでしたか。
変なレスしてすまんす。
>>213 ありがd
文官扱いで実は武功に優れる武将たちは良いですね。
孫呉の政権、まあ江南発展に誰が最も影響を与えたか?
候補はABCそれぞれ似たような分野の人で分けてみた
各分野、誰が一番、呉に貢献できたか
人選、分野別に突っ込みがあればも変えてもいいです(張昭はあえて除いた)
A 張鉱、潘濬、陸凱 内政に高い功績
B 陸遜、顧雍、歩シツ 呉の最盛期に丞相に就任していた3人
C 賀斉、呂岱、鍾離牧 呉の最大の癌、山越討伐で功績をあげ、治安向上に大いに貢献
Bは丞相就任時の功績比較ではなく総合でお願い(陸遜の任期が短すぎるので)
221 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 18:52
>>220 Cはまず落選かな。
Cの将が山越討伐に最も功績を挙げたのは確かだが、他にも討伐を行った将はいたのだから。(陸遜も確かそう)
Aは例がちょっと微妙・・・。
陸凱は孫晧を諌めたけど聞き入れなれなかったのだから、貢献度という点で先の二人に劣る気がする。
よって漏れはBに一票。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 18:56
孫皓
この無能で非道なやつのせいで呉は滅んだ。
呉が好きなヤツはこいつを憎め!ちなみに孫権の孫。
>>176-178 議論の流れをまとめることも大事だが、俺としては今回の議論は主題に入れなかった時点で
失敗だと認識してもらいたいね。27がミスリードしていた時点でそれを修正して主題に持ってゆくことが
ましな議論をするべく俺がとる行動であったわけだ。
俺の意見は前スレを読めば天下三分の計自体については「魯粛の天下三分」について語っているわけで
あくまで前スレに書いたことを今回書き直さなかったことが意志の疎通を不十分なものにさせたともいえる。
今回の討論は内容的に明らかに失敗だったといえるね。
>天下二分と荊州について語ったと言って議論を切り上げるべきだった
周瑜の天下二分という戦略に比較すべきなのは時期的に魯粛の天下三分(蜀軍閥作成)であろうね。
とすれば結局のところ
・荊州問題を発生させてまで蜀軍閥を作るか、(天下三分)
・荊州、益州併呑遠征策(天下二分)
の二者択一であろうね。 つまりこれは避けて通れない問題なのだよ。
>>221 アホだねぇ。
>>220は各分野において誰が一番、呉に貢献できたかを聞いているのではないかね?
もし仮に分野の比較を要求しているのだとしたら筆と墨、紙に字を書く際どちらが貢献したかを聞いているようなものだ。
なのだよ。とかなのかね。って口調もウザいよね。
どうでもいいけど。
もう天下二分、三分議論は終わりでいいよ
次は
>>202と
>>220あたりでいきましょう
それか別の話題で
228 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 21:51
呉の内部がいくら健全であっても蜀を滅ぼした魏(晋)を防ぐのは不可能という説には
非常に疑問を覚える。
北面は水軍で問題なく防げるし、唯一の弱点であるかのように見える西も、夷道という
狭い回廊のような通り道しかなく大軍が一挙に侵入できる地形ではないため、
呉が守りに徹していれば突破されることはないと思う。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 23:02
呉起師匠お時間です。
>>228 喪前は馬鹿だなw
実際に滅ぼされてますよw
突破されてますよw
呉が亡んだのは晋の捏造ですかw
名古屋人224の口調もウザイが長文もウザイ。
改行もヘタだし。
なんて書くと、『〜だがね(w』とか長文でオレを貶めるんだろうねぇ
とりあえず、訊かれたところをお答えしてみますた。
>>214 太史慈は劉ヨウの部曲を引き継いだ経緯があったので、
陳寿の分け方で文句ないところでは。
あえて呉臣という区分けにしたいのであれば、都督身分が妥当かと。
>>215 諸葛恪も陳寿の考えた通りが最も自然だと思う。諸葛二孫滕濮陽。
ただ、万ケを最後に続けて欲しかったのと、滕胤の伝が短過ぎたのが残念。
まぁ、韋昭が書ききれなかったのかもしれないでつね。むむむ...
と、ここで
>>202 の訂正を告白でつ。
朱然はやっぱり歩隲・全j・呂岱らと常に同時に昇格していたので、
4番ではなくて5番が妥当と思い直しますた。
5を「諸葛瑾、歩隲、朱然、全j、呂岱」という形で。
>>230 その前に一度跳ね返しているだろ。
滅ぼされた時は、郭馬の乱が鎮圧できなかった上に、将兵がやる気レスだったからでは
ないの?
南北朝時代の南朝側は、いつも風前の灯で北朝側の事情で延命されてたとでも主張する
気か?
釣りは気にせず、マターリいきませう
呂範について一考するか
マターリ マターリ マターリ
>>228 >呉の内部がいくら健全であっても蜀を滅ぼした魏(晋)を防ぐのは不可能という説には
>非常に疑問を覚える。
まずこの状態にあること自体戦略的敗北といっていいだろうね。
不可能か?という限定的な問いであるならば不可能ではないのかもしれないが
これは問いの限定が生み出す言葉遊びにすぎない。
>北面は水軍で問題なく防げるし、唯一の弱点であるかのように見える西も、夷道という
>狭い回廊のような通り道しかなく大軍が一挙に侵入できる地形ではないため、
>呉が守りに徹していれば突破されることはないと思う。
地形的に守りやすいというのはあくまで戦術レベルのお話なのだよ。
陸抗はたしかにその天才で一度は国を守ったが、戦略レベルでは羊コ(示古)にたいして
人口流出を防げないでいた。これは彼の責任ではないだろう?
つまりパワーバランスがここまで崩れた国同士が境を隣接するということは
それだけですでに国力は吸収されていってしまうものなのだ。
これを北条の小田原攻めにたとえるとわかりやすいであろう。
難攻不落の城に立てこもったところで、戦術以外の要素ですでに
国の行方は決定しているといえるのだね。
>>233 > 南北朝時代の南朝側は、いつも風前の灯で北朝側の事情で延命されてたとでも主張する
> 気か?
南北朝時代の人口推移は華北の荒廃に伴い、中国という国単位ではもっとも劇的に
人口流出した時期といっても過言ではないのだ。
その事実を差し置いて当時の呉と比べるのは無理があるだろうね
>>239 訂正
南北朝時代の人口推移は華北の荒廃に伴い、中国という国単位ではもっとも劇的に
「南に」人口流出した時期といっても過言ではないのだ。
その事実を差し置いて当時の呉と比べるのは無理があるだろうね
一応、漏れが調べたところ、
「中国全体から見た揚州+荊州+交州(+広州)の割合」は
続漢書地理志と晋書地理志とで、ほとんど変わらなかった。
25%と29%。
華北で人口漏れが多いのを考えると、そう大差は無かったようだ。
今度、隋書他を調べてみる。あ、既に知ってる方いたら、教えてくださいな。
あちゃ、比較対照は人口じゃなくって、戸数ですた。スマソ
>>238 >>228氏はあくまで、呉が健全であったら? という仮定をしただけなのにね。
単に地政学的に華北と蜀を押さえられただけのコトで呉が滅びると断定するのはどうか?
と疑問を呈しているだけなのだが。
余計なのが割り込んできたな。
晋も武帝死後程無く八王の乱発生で、国内は乱れる。
工程が孫皓でなく、陸抗が死の直前に上表した戦略をとり、十数年その状態で拮抗してい
ればどうなるかは解らない。
外敵がいる間は司馬氏も結束しているかもしれないが、その状態で長期間経過すれば、
やはり内乱は起こるかもしれない。それはまた別の考察だ。
ま、現実の史実で呉の人口流出が防ぎようが無かったのは事実だが。
論点を摩り替えて持論を展開してくれたまえ。
漏れは以降スルーさせてもらうよ。
>>243 君は大前提の後に小前提が続いていることを理解してないのかね?
そもそもが、俺の発言の中に出てくる呉一国での存亡は
戦略の優劣を論じた上で語られているものなのだよ。
これを一部分だけ抜き出して呉一国においての存亡は?というのは
論点がまったくもってずれているものでしかないわけだ。
つまり戦略的な位置づけをまったく無視して論を進めることに無理があるだろうね。
健全であっても不健全であっても戦略的には失態でしかないわけだ。
いい加減、人物語れよ
呉がメジャーになりきれないのって、孫権のせいだと思う、まあ、全てじゃないけど。
孫権の呉、というより呉の孫権。いまいち孫権自体の人物像、魅力が見えてこない。
父、兄に比べると華がないですね、確かに。
孫権と聞くと「酒乱」がまっさきに浮かびます。
何故かなぁ、曹操・劉備・父・兄は「陽」のイメージ、曹丕・孫権って「陰」のイメージじゃない?
俺だけ?
兄は太陽、弟は月、ってやつもあるな。
呉がマイナーだからこそ好きになった感はある
演義では善玉でも悪玉でもないんだから人気がなくてあたりまえ
孫権に魅力を感じないのは構わんが人間像は調べればわかると思ぞ
ということは、やはり天下三分より天下二分のほうが優れてたってことか。
蜀と呉に分かれてたから有効的な連動作戦が取れなかったんだから。
あらかじめ日時を決めておけば同時に攻めあがることもできたわけだし。
と、爆弾を投下してみる。
その爆弾を蹴り返してみる。
呉って節操ないよな。
魏・・・・・・米
蜀・・・・・・日
呉・・・・・・北朝鮮
とあえて言ってみる。
>>254 むしろ
魏……米国
蜀……露西亜
呉……中共
の方が…
>>251 > ということは、やはり天下三分より天下二分のほうが優れてたってことか。
その戦略が成功するまでの道のりを考えずに効果を考えた場合はそうだろうね。
ただ国の防衛線の維持という側面から見ればそれほどの効果があるかどうかは不明だね
>>256 その国の防衛という面を見ても
蜀と呉は地理的に恵まれていると思うが。
長江に阻まれた呉と慣れない者は行くだけで疲れる蜀だし。
魏に孫コウのような駄目皇帝が誕生すれば逆転統一の可能性はありそうだなw
>>258 マジレスすると司馬一族の時代が訪れてるから無理。
>>259 司馬2代目皇帝誕生が、呉滅亡より先立ったら・・・
要するに、粘ればいいんだろ?
王濬の艦隊は、吾彦の籠もる建平を攻略出来なかったろ。
仮に呉が健全だったというのなら、守りきることは出来たかもしれない。
しかし、滅亡の先延ばしに過ぎないとは思う。
>>262 北方蛮族の侵入と司馬氏による内乱でもあれば分からない。
>>263 まぁ多分騎馬民族(蛮族はヤメレw)に中原制圧されたあと、暫くの間長江挟んで小競り合い、
その後怒涛の攻め込みにあって呉滅亡って感じか。結局時間稼ぎしかないわけだな。
>>263 司馬氏の内乱か。実際に西晋は内乱であっさり潰れたが、
「中国統一」という大義名分で纏まれていたと思うので、呉が存在しているうちは
一族の内紛の起こる可能性は薄い気がする。
魏=自民党(最大派閥)
蜀=共産党(打倒魏がアイデンティティ)
呉=野党連合(連合リーダー孫家と豪族の集まり)
みたいな。
西晋は魏簒奪の時点で内乱の種を抱えてたと聞くけどそれってなんなのよ?
キーワードは?
いくつかあるが、魏簒奪時かというと少し疑問も残る。
先延ばしできたのなら、いくつかの可能性がでてきただけで良しとしないと。
・・・そろそろ人物について語らないか?
一応リクがでてたのは
大喬・孫堅以来仕えてる人物・凌操と凌統・呂範
(いくつか答えでてたのはあるが一応いれとく)
以下ははリクじゃないと思われるが一応
周魴・太史慈・諸葛カク・孫皓
訂正
以下はは→以下は
周瑜と陸遜の比較スレ(前スレ?)では孫皓が少し話題になってましたな
レスついでに自分の好きな呉の人物なんかを出来ればカキコして下しー。
このスレ的に誰が人気あるのか知りたくて。
さらに出来ればでいいんで他の国の好きな人も書いてもらえればと。
ちなみにわたしゃ、呉では諸葛ロバで他国では陳宮
おれが好きなのは朱桓。
人間としては出来ていないが、司令官としては有能なイメージがいい。
あとは陸遜の息子の陸抗だな。
西稜の戦いなんていう三国志史上もっとも過酷な状況を切り抜けた叡智には脱帽する。
もっと活躍の場があればなぁと。
でも1番好きなのは周ユなんだけどね。
カッコよくて人あたり良くて芸事に達者で奥さん美人で臣下として最高に有能、
そんな人として最高ランクに分類される人なのに短命というのが俺の中のドツボ。
>>274 >臣下として最高に有能
なんて書くとまた(ry
でも俺も周瑜。
「極上の美酒」男(・∀・)イイ!!
次点は蒋欽かな。
一番好きなのは陸遜だな
前スレでも色々カキコした
次に甘寧が好き、どのエピソードもいいけど
俺的には関羽を虜にすると豪語した時が(・∀・)イイ!!
嫌いなのは孫皓と岑昏の腐れコンビ
何と言っても、陸遜。別格。
次が陸抗。その次が朱桓w
呂蒙が好きだ。努力家だし、人格がいい。
あと張紘も好きだ。忠臣で。
呉だと周泰、蜀だと黄権
承明殿と子高殿の名があがっておりませんな。
武昌組マンセー!
281 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/28 20:47
魯粛が好き。
何でも任せられそう。
興味があるということであればぶっちぎりで孫皓
カンタクは?
有名だけど呉スレで名前聞いたことない。
グホンも。
どんなことした人なのか知ってる人いたら教えて。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/28 22:40
>>283 関沢=孫権の祐筆
グホン=孫権の御膳奉行
やはり張昭だろう
これなくして50年続いた孫権政権や280年まで続いた呉はあり得ない程に優秀な文官だ
何故武官ばかりでこれ程にも重要な人物を誰も語らないんだ?
286 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/28 23:09
エピソードは?
呉最後の丞相張梯について詳しく教えてくれ。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/28 23:18
>287
晋の征呉時に3万を率いて出撃。 惨敗。 戦死。
それだけ知ってるんだが、それだけだと駄目な人なので、
有能そうなとこを示すエピソードとかないの?
分かった、詳しく説明してやる。
3万を率いて出撃した張梯は建業付近で羊コ率いる晋軍本隊18万と遭遇。
直ちに密集陣形を取る。 案の定、数において圧倒的に勝る晋軍は両翼を広げつつ
ゆっくりと呉軍を包みにかかる。 その時、当然のごとく中央突破を試みると
思われていた呉軍が突然、右方向に移動。 そのまま敵左翼に全力で突撃をかけた。
思わぬ攻撃に一瞬にして崩されていく晋軍左翼。
呉軍の予想外の動きに晋軍中央と右翼は完全に遊兵と化してしまう。
一方、呉軍の猛烈な密集突撃を受けた晋軍左翼は程無く突破され、左翼の左半分は
完全に本陣との連絡を絶たれ指揮系統を失い崩壊四散する。
呉、最後の丞相としての意地とも言うべき見事な采配を見せる張梯により左翼を
潰されながらもいまだ数において圧倒的に勝る晋軍は完全に混乱状態にある左翼を
捨石にしながら中央軍を左に反転。 空振りに終わった右翼と兵列を整える。
が、彼らが混乱し逃げ惑う旧左翼軍の兵士達の隙間から見たのは、思いもよらぬ
呉軍の様相だった。
つづく
291 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/29 00:35
>>283 曹操に黄蓋の偽の降伏届けを信じ込ませる。
蜀軍侵攻時にに一族をかけて陸孫を推薦。
しれっとこの人重要なこと全部成功させているんだよな
>>288 羊コってもう死んでるんじゃなかったっけ?
王濬?王渾?
漏れとしては張悌の戦いよりも「諸葛亮に認められた」ってエピソードの方が気になる
上の方で天下二分の話が出てるけどこれって西晋滅亡後の南朝の安定を考えると悪くないかも
そんなんで結論が出たってのは話が飛び過ぎだろうけど
>>292 死んでるな。
張悌が戦ったのは王濬のはず。
>>294 ちがう。『演義』の話。
だいたいにして、闞沢は学者肌の実直な正確。
弁知には乏しく、臨機応変の弁才があるとはいえないのに、曹操を信じ込ませるだけの
舌を持っているわけではない。
↑
>舌を持っているわけではない。
舌を持っているとは思えない。 の間違いす。
カン沢は学者そのもの
カン沢は正史でどんな活躍したんだ?
なにかあったから演義のあんな重要な場面で出てきたんじゃないのか?
じゃないよ。w
>>298 典型的な文官型。
呉に貢献はしたが活躍と呼べるようなものは無し。
他に、曹操に劉馥を殺させたりと赤壁は正に羅貫中ワールド。
カン沢は代々農民出身で孝廉になり太子太傅まで出世した
三国志一の出世頭
後は呉の学者では格が一番上、暦についての記した乾象暦注を著述した
カン沢が死んだとき孫権は数日間食事をとらなかった、くらいしかない。
せいぜい3ページしかないし。
結論としては羅漢中の想像力は大したものである、と。
演義てどこまでが羅漢中の作なんだろうな
>>304 グリム童話がグリム作って言うのに似てるな
集めただけってコトですな・・・
中国の史書は司馬遷以来そうですが、何か?
演義は史書ですか そうですか
よし。じゃあカン沢の次はグホンで行こう。
王郎とグホンはどちらが優れていたか。
演義だとどうみてもクボンなんだが……(w
と餌をまいてみる
月とすっぽんレベルで王朗の圧勝・完勝・楽勝
虞翻だっけか?華歆を説得したの
と言うか儒学者と宰相(三公)を比べても…
虞翻「あんたとわしの前の君主の王朗はんはどっちのが凄いと思う?」
華歆「王朗さんっす・・・」
虞翻「うんじゃぁ、孫策様の軍は王朗はん攻めた時とあんたとこ攻めた時どっちがすごいん?」
華歆「現在の方っす」
虞翻「王朗よりもへたれなあんさんなのに王朗はん時よりも強なったうちの軍にどないして勝つつもり?
降伏しなはれ」
ってのが一パターン目だったとおもう
313の言うように
魏の宰相と比べるのは無理がある
だいたい魏の宰相クラスのマンセー度は凄まじい
じゃあ華[音欠]と王朗で・・・。
呉に関係あるけどもさ
孫権「あんたの父と叔父、どっちが凄いと思う?」
諸葛恪「父っす…」
孫権「何故?」
諸葛恪「父は仕えるべき人を知っていましたが、叔父は知りませんでした」
ああ、諸葛恪好きだー(´A`)ノ
黄蓋、韓当、朱治、ショウキン、
この中で誰が1番優秀だったかで語らないか?
朱治に一票
んでは、個人的評価を…
黄蓋…勁悍にして忠烈、武功数多
韓当…忠厚にして勇武
朱治…厚徳、忠敬
蒋欽…篤学大成、寡欲、公正な人格者
>>319…「>誰が1番優秀だったか」 …などという厨的な陳腐な議題の提起者
…ってところ。
蒋欽って演義とイメージ違うよな。
蒋欽があと5年生きていたら、朱然の出世がちょっと遅れた気がする
陸遜は順調にいっただろうけど
>>321 ごめんね。
ただ、話題がないみたいだから振ってみただけなんです。
この4人の詳しい事績も知りたかったし。
できればどんなことをしたか知りたい。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 00:22
なんかレス見てると人材的には魏とひけは取らない感じだね。
孫権が耄碌しないで、後継者がまともだったら。。。
>>326 孫権が耄碌しなくても、厳しいんじゃないかな。後継者にも言える事だけど呉には積極的に
出ていこうという気が足りなすぎる気がします。呉の方と魏の方では、主食も違って、また
気候的にも大きな違いがある事が、積極性のなさの一つの原因とも言われていますが。
やはり、相当蜀と足並みがそろわないと難しかったのでは?
司馬いクーデター時に戦力が整いつつ積極的になっていればもしくは。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 09:15
孫策と周瑜がいなくなってからの呉は守ってばかりだね
つまらない
でもねぇ、積極的に出て行った方は先に滅びちゃったのよね・・。
どっちにしろ人口が少なすぎだがや。
結局、引き篭もって国の寿命を引き伸ばしてただけだろ
守るだけならそれなりの国力があれば比較的容易だし
蜀はともかく魏の人材と遜色ないなんて片腹痛いわ
>>328 呂蒙による荊州南部の奪取や、孫権による度重なる合肥攻撃などを忘れんでくれ…
>>328-330 何度孫呉が魏領に侵入を試みたのか調べてから言えや。
諸葛亮の方が保守的と言われてもおかしくないだろが。
こ こ は 正 史 ス レ !
>>328-330 それに孫呉の存続と繁栄には、諸豪族の力に依拠してるところが大きいんよ。
好き勝手に外征できるもんでもないの。
赤壁前にはもうどうなっても逆転不可能な状態だったのだ
攻めても守っても一緒
攻めることによって牽制して長生きするのと
守って長生きするのどっちがいいのか程度の問題
孫権がもし赤壁で素直に降伏してたとする、その場合曹操は孫権をそんなに冷遇
しただろうか?
>>335 ってゆうか、呉も蜀も攻めだったよ。
332氏の熱弁?も無駄だったか…
>>326 呉の人材が魏にひけをとらないというのは大いなる妄想。
ちなみに
陸遜=満寵
>>337 …ね、哀しいね…。
調べもしないで「引き篭もり」だ、「守って長生き」だって。。。
せめて呉万歳スレ以外で言ってくれればスルーできるのに…
>>338 そんなモンかもねぇ。でも、国家全体の人材の質を問えば、
そこまで魏と遜色ないと思うけど。少なくとも蜀とは雲泥の差。
質なら、妄想と言われるほどの差はないだろうね
やはり人口の少なさによる国力の差しかない
人口が多ければ比例して人材も増えただろうし
呉の外征って失敗続きだったの?
諸葛亮の北伐とは訳が違うって所おしえてもらさい。
とりあえず、呉と相対した魏将の伝を読んでくらさい。
曹休や夏侯尚、賈逵や満寵、王淩や毋丘倹、諸葛誕などなど…
>>339 対魏戦線はすべて失敗
燕との連動も大失敗だな。
人材の質、量ともに呉は魏の足元にも及ばないと思うが?
呉のまともな人材は軍事においては陸遜くらい。
政治に関しては悲惨だな。
軍事でいえば陸遜レベルは魏にはごろごろいたと思うが。
それを言ってしまうと、
対呉・対蜀戦線を担当した魏の諸将も落ち度があることになってしまうのでは?
魏も幾度となく江陵や濡須に出兵していますが、あまり成果は挙げられなかったのですから。
あと、燕との連繋のとき、孫権が怒って見せたのはパフォーマンスだと思いますよ。
公孫淵を大将軍にしようと仮の太常・張弥を派遣したわけですが、
当時、呉にはちゃんと大将軍も太常も存在しましたからね(諸葛瑾と潘濬)。
本気だったらもっと誠意を持って叙任しようとするはず。
>>343の書き込みは
>>30と同じ様な、煽りの雰囲気を感じる
あえて大袈裟な表現を用いて
呉ファンを釣ろうとしているように思う
「正史」とか題名に書いてるけど、
個人の力量が勝敗や盛衰を決定するなんてのはそれこそ物語の世界ッスよ。
人材がどーのってのはそれこそ光栄的世界観だぁね。
呉は江南を発展させたのが国としての功績。
南朝が六朝とも言われるほど。
一方、魏は異民族を中国内地に移住させて後の五胡の乱の遠因を作ったという負の遺産がある。
そういった観点からなら三国時代の真の勝者は呉とも言えそう。
>>346の書き込みは
>>30と同じ様な、煽りの雰囲気を感じる
あえて高邁な一元論を用いて
三国志ファンを釣ろうとしているように思う
というか、ただの知ったかだろ。w
>>呉は江南を発展させたのが国としての功績。
同意、江南の地盤を固めたのも楚ではなく
孫呉による開拓の成果と言われてるしな
魏に攻め込む場合、呉と蜀ではどっちが攻めやすいの?
また、魏はどちらに対する備えを重視してたんだろう?
正史に詳しい方、教えてくらさい。
>>349 どちらかと言えば呉だと思われ。
長江や漢水も渡河に苦労するものの、蜀の桟道の険阻さはそんなモノの比じゃない。
ただ、逆にいえば魏が攻めやすいのも呉になるわけで。
一進一退の攻防が続くのも仕方なかったのでしょうね。
>>349 どうだろうね
蜀の方が困難かな?
長安攻略だけでは後の魏の反撃に耐えるのが非常に困難だし
しかし南朝から合肥新城を攻略できた例が歴史上ほとんどないしなあ・・・
魏の備えは呉の方が断然上だと思う
魏略には諸葛亮の北伐になんでいきなり攻めてくるんだって
驚いていたぐらいだし
>>351 それは劉備以外に魏に攻めこんでくるような奴が蜀にいることへの驚きかと…
諸葛亮って、北伐以前は対曹魏で大きな軍事行動には携わっていないからな。
そういう意味でもビックリしたんだろう。
>>352-353 まあそういうことだけど
劉備が死んで魏は戦備をめど解体していたんだから
呉に比べ警戒心が低かったと
蜀の北伐もねぇ、姜維になってからはもう、アフォかと、ヴァカかと・・。
>>351 蜀は攻めがたく、守り易かったんじゃないの?
魏は一回蜀征伐を行ったんだけど、長雨で断念した。
蜀の桟道の険しさに加え、天候のような不確定要素が絡むと、うかつに軍を
出すのは危険すぎる。少々の不確定要素など問題にならないほどの
圧倒的な戦力差がないと、なかなか蜀征伐は決断できないと思う。
昔、NHKで蜀軍が実際に行軍したルートを紹介していたが、
岸壁に穴あけて取りつけたような橋や一歩踏み間違えたら終わっちゃう位の道ばかりだった。
ありゃ、危険なんてシロモノじゃないよ。
諸葛亮はすごいやつだな・・・
そう考えるといかに諸葛亮の行軍というか統率優れてたことがわかる
でも、呉スレだし...
そう言えば張包も道を踏み外して転落死したんだよな
それは演義の作り話では?
きっと羅漢中は実際に蜀の道を見たんだろうな
だから孔明をあんなに大袈裟に書いたんだろう
>>359 別に優れていたわけじゃないでしょう。
行軍するだけなら馬岱だってできたわけで。w
馬岱と同じく諸葛亮もロクに勝ってないけどナ
言ってしまえば、行軍するだけという点で言えば
魯粛や諸葛瑾らも同じ匂いがするね
>>363 物事を断片でしか評価できないクソと見ますた
しかし韓信じゃないが、劉璋も北が怖いのなら橋を焼き落としてしまえば良かったのにな
あるいは改造して蜀側からしか下ろせない跳ね橋にしとくとか
天険の地に拠って、防備に重きを置かないのはあまりにも…
焼き落としたところで、北から来た連中が橋を作ってしまうかと…
そもそも、劉璋は張魯と仲悪かっただけで、曹操には服従していた。
話がずれてきたので蜀のことはこれぐらいにしとこう
で、結局のところ呉も対魏戦で大した戦果は挙げれなかったのね。
>>369 たしかに、夷陵直後の三路から侵攻した際も、ほとんど、撃退された、っていうくらい
戦果無いしね。
かえって呉の人物を際立たせるかっこうになってる。
朱然や潘璋、朱桓、呂範あたりは、けっこう活躍してるしね…。
局地戦で見るべき所はあっても、大局的にみると・・・・・って事か。
北伐と大差ないな。
自分
>>370なんだけど、
すまん、魏側の視点だと思って勘違いしてた。
>>369は呉の戦果を言おうとしてたわけね…。
魏呉どちらもお互い様って感じだろ
魏が攻めれば諸葛格、朱然、朱桓、丁奉らが撃退
呉が攻めれば満寵、諸葛誕、毋丘倹らに撃退される
諸葛誕と毋丘倹も同時に反乱起こしてくれりゃいいのにな。
ついでに王淩や令狐愚も。w
まぁ、それぞれ事情が違うからねぇ。
諸葛誕の反乱軍が10万余、最初の討伐軍の王基が?万、次の司馬昭の軍が26万
呉の援軍@は文欽らの3万、援軍Aの孫珍と朱異の軍は?万
これに乗じた姜維が4万、対峙したケ艾、司馬望の軍は?万
魏の兵数大杉ないか?
戸籍から換算すると、凡そ魏軍の動因兵力が45万と推定できるから、
不自然というわけでもないと思われ。
しかも、対諸葛誕の魏軍が公称26万だろうことを考えると、
たぶん、まだまだ余剰兵力はあったと思う
そりゃ勝てんわなぁ。
魏と呉蜀の人材の質以前の問題だな。
>>376 さすがに26万という数字は少しばかり過大に思う。
出征軍、特に叛乱鎮定を目的とした場合は、叛乱軍の戦意喪失を見越して、水増しした
動員兵力を号することもあると思われ。
魏の総動員力が45万であるとしても、この場合の鎮定軍は26万だけど、あまりに過大な
兵力を集中して動員しても兵站が機能しなくなるんではなかろうか。
まぁたしかに諸葛誕は、征東大将軍・都督揚州諸軍事のうえ、儀同三司を追加されるほどの
高位にあるし、
>>376には無いけど、叛乱後、更に数万の軍勢を吸収したというから、
鎮定に大軍を必要としたのかもしれないんだが、前年から姜維が雍州に兵を出してるのに、
東方にここまで大軍を投入して、蜀への防備は等閑にならんのだろうか?…
それとも、既に蜀を舐めてた?
たしかに26万は多いが
10万の寿春城を二重で囲み
外側の朱異の突撃を跳ね除けるぐらいだから
20万近くの動因は間違いないかも
>>379 >それとも、既に蜀を舐めてた?
とっくに眼中に無いだろうw
>>379 兵站保持、反乱で動揺をしている地域の慰撫を含めた総動員兵数(あくまで動かした数)が自称26万とか?
さすがに寿春を攻めるだけで、赤壁の曹操軍に匹敵する大軍で包囲するとは思えない。
>>382 俺も、そう思うよ
でも魏の時から記述の上で、対呉での兵数はかなり多い
赤壁は言うまでもなく、合肥の後の濡須攻めでは、江表伝に40万とあるし
夏侯惇伝に居巣に26軍で駐留したとある(周代の軍制では1軍が12500人)
だから寿春の叛乱については、誇張があると思うが
叛乱鎮圧と呉に対する威圧もかねて、呉を圧倒する兵力は用意していたと思う
本筋には全く関係ないが
>>383 >周代の軍制では1軍が12500人
周代だと確かにそうだが、漢以降は全く之に順じない。
おおよそ一軍は数千〜五千程度と見られているはず。
なるべく、誤解を招くような書き方はせんでくれ
>>384 これは申し訳ない
正直、三国時代の一軍の数が分からなかったんだ
で、26軍は大軍だと理解して貰おうと、周代の軍制を書いておいたんだ
それにしても、三国時代の一軍の数なんて、何に書いてあったの?
>>385 384ではないが・・・
7軍を率いたウ禁が関羽に捕虜になったけど、その時の捕虜兵数が3万くらいだったと思う。
ここでの7軍を第7軍ではなく、7つの軍と解釈すれば、1軍が4000〜5000くらいかな?
まあ、ウ禁軍全部が捕虜になったのか分らないし、他の軍の捕虜も混ざってるかもしれないけどね(曹仁軍の兵も捕虜になってそうだし)。
3万を誇張と考えると、さらに少なくなるわけですね
甘寧は二千人を与えられて軍と為したっぽい。
また、于禁が官渡で袁紹と対峙した際の兵力も二千だし、
続けて、楽進と于禁の二人が歩騎を率いた兵力が五千。
張郃や徐晃らも、凡そ五千程度を(臨時に?)率いていた。
>>385 サンクス
で、本題ではないのでsage
>>386>>387 ありがとう
于禁の七軍から推察したのでしたか。
一軍を平均5000とすれば、数としてもキリが良いですね
となると、夏侯惇の26軍は、凡そ13万か
駐留軍に、この数字、誇張であっても物凄いですな
張郃や徐晃の記述からすると、
五千を率いることができたのは、ごく僅かの将軍だと思われ。
張遼や臧覇レベルでしょうか。
呉で言えば、甘寧でも五千を率いることは無かったみたいだから、
ここからも魏呉の兵力差が窺えるでしょう。
五千人を率いれたのは、いわゆる都督レベルの人物や、
孫瑜・孫皎程度に留まった、と考えてよいかもしれません。
某所で対諸葛誕の兵力が話題になっていましたね。
あの時の兵力も夏侯惇と同等と考えていいと思われ。
『二十六』という一致からしても、『二十六万』は非常に誇張くさい。
>>388 後漢の兵制をみると、一軍の規模は一定していないから、2000くらいの場合もある。
26軍といっても5、6万くらいの方が現実性があるような。
晋代でも、やはりそれくらいの規模でもあったようだし。
周の軍制では兵2500を師といったが、
この程度と考えてもそう大きな外れではないでつね
>>389>>390 さらに詳しい説明、本当にありがとう
確かに、駐留軍に13万は多すぎですしね
一軍が2000位の時もあるか…
それにしても、一軍が2000〜5000と定まらないのなら
五旅で一師、五師で一軍は、当て嵌める事は出来ないな
呉においては、魯粛の兵、一万が呂蒙に編入されたとあるから
都督個人が率いたのは最大で1万から1万5千くらいで
孫瑜、蒋欽ら上位の将軍が最大5千くらいで、甘寧、潘璋らが1千以上
それら全軍と、孫権の兵を併せて、時には7万、時には10万となる
こんな感じかな
徐晃らの別軍が5千くらいとすると、正直、兵力では全く歯が立ちませんな
こうして考えると呉将は、かなり優れていたんじゃないだろうか?
この兵力の差は、地の利だけで埋まるとは思えない
交州都督 陶[王黄]が271年に1個軍兵7000を率いて交州に赴任したというのがある。
>>393 陶璜が七千の軍を、というとどちらに書いてあったのでしょうか。
不学ながら漏れには見つけられませんですた。
8年後の郭馬討伐に、徐陵督の陶濬が七千の軍を率い、
交州牧の陶璜が別軍を率いた、という記述は見つけられたのですが。
なお、この時も陶璜は合浦や鬱林の兵を徴発しているので、
「一個軍」とは言い難いような気がするのですが
呉の場合、有名な「世兵制」があるし、ある程度は正史等にも記述があるから、
ひとりの人物が率いていた軍勢の規模は推測しやすい。
たいていは1000人ほどの私兵を抱えているし、潘璋でいえば「麾下の兵は数千に
過ぎないが…」なんて記述があるし。
他にも地方の叛乱鎮定後、降伏した部族や不服住民から選抜して戦力として編入して
いる事が多いし、陸遜や賀斉など、南方の鎮定に活躍した人物の「伝」にはそういった
記述がみえる。
それから、呉は当地で歿した前任者の軍を後任者がそっくり引き継ぐ傾向もある。
呂蒙と魯粛、潘濬と呂岱などは有名だし、甘寧の死後は潘璋が軍勢を引き継いでいる。
特殊な例では、解煩や敢死などの中央配属と思われる部隊があるけど、韓当や陳武の
子の陳脩が解煩を統率していたのは有名だろうし、具体的な兵力では、夷陵戦役の際に
設けられた時の数が6000となってるし、「韓当が解煩、敢死の一万を率いて…」といった
記述もあるし、どの部隊も5000強くらいなんだろう。
他には、呉末期にたてられた十数人の王には、それぞれに3000の兵が配属されたというし、
これも特殊な例かもしれない。
>>395 逆にダメなのは蜀だよなあ。史官がいなかったせいなんだろうけど。
頼むよ、劉備&劉禅、諸葛亮という感じ。
ところで、
部曲を「軍」と見なすのか、部曲の集まりを「軍」と見なすのか。
世襲できない部曲まで私兵と見なして良いのか。
こうした問題は解決されているのかな。
蜀では劉備軍8万と関羽軍3万で呉と対峙したときありましたね。
そして、張コウと戦ったときの張飛の戦力は1万でしたっけ?
もちろん公称なので、誇張でしょうが。
公称1万の魯粛が関羽との戦いを避けるのも止む無しか…
あと、張コウvs張飛のとき、張飛のが兵力多かったのかも。
個人的解釈ですが
呉は兵力が各将に分散してるため、一将当たりの兵数が少ない。総兵力ではかなりの数。
魏は曹操や夏侯惇が兵力の大部分を擁し、戦争の度に実戦を行なう各将に部隊が割り振られ、
大軍を与えられることは少ない。
蜀は一部にのみ兵力を集中させているため、劉関張の兵力ならば魏呉と渡り合える。他は激少。
こんな感じかと…
>>397 >部曲を「軍」と見なすのか、部曲の集まりを「軍」と見なすのか。
難しいところをつくなぁ…。
正式には後者だろうけど、後漢末の軍閥をみてると前者でもいい気がするし…。
>>397氏の解釈は、どうなの?
>>398 呉は、各地に分散というより、各豪族の私兵が占める割合が大きいうえ、それらが
集合することで呉の軍事力の根幹を為しているようなものでは?
無論、東西に伸びる防衛線が長大なうえ、特に末期をみると、ひとりに対して強大な
軍事力の掌握を許さない様にみうけられる。
陸抗が、あれだけ防衛戦力の増強を上奏しても、とんと許可されないし。
魏の場合、完全に大規模な中央軍が存在する。
中央軍には、厳密には中軍と外軍が存在し、これを統御するのが都督中外諸軍事。
中軍は文字通り中央軍の主軸で、外軍は各方面の戦力の増強に当てられ、各方面の
地方軍を掌握するのが都督諸軍事。(まぁ、このあたりは完全に周知だろうけど…)
蜀の場合、比較的は魏に近いようだけど、諸葛亮の在世期と歿後で異なるはず。
とりわけ歿後の方が魏の形体に近かったと思われ。
>劉関張の兵力ならば魏呉と渡り合える。他は激少。
この意味がわからない。
>>399 ゴメン。
みなさんの構想に定まったものがあるのかな、と考えてしまいますた。
私の解釈としては、部曲単体を「軍」と見なしたい。
例えば、李典が一万三千人という大規模な勢力を有していたり、
甘寧は二千人の私兵を与えられている。これらからすれば、
これらは李典の部曲、甘寧の部曲と換算すべきで、
呂蒙が成当、宋定、徐顧らの部曲を一手に纏めたものは「部曲の集まり」であり、
「呂蒙は数軍を管轄下に置いていた」と、漏れは考えている。
>>398 劉備は将来のことを考えない性質だったようで、
そのせいもあって関張に都督級の兵力を預けていただけだろう。
二人が死ぬと、反動で軍権が劉備に集中しすぎた。
同じように、自分が扱える彭ヨウや廖立らを重用して禍根を残してもいる。
また、魏呉は基本的に各将軍にそれぞれ兵力を割り振っており、
それを有事の際に各要衝に集めたと見られる。
寿春の夏侯惇、関羽討伐の于禁・徐晃、夷陵の役の陸議などが判り易いか。
蜀も将軍(位にはなってないが)それぞれに割り振ってはいただろうが、
割り振った兵力が少なすぎて史書に書けるほどではなかったのだろう。
張翼や張嶷はこうした立場から出世したと見るべきだと思われ
>>400 蜀の場合は少ないから史書に書かなかったんではなくて、
単純に記録が残ってなかったんじゃねーの?
>>401 そこら辺は微妙ですね…
蜀でも万単位の大軍を動員した時の兵力は、ある程度分っているようですし。
>>402 > 万単位の大軍動員
こういうのは他国の記録に残ったのかも。あるいは野史。
そういえば、蜀滅亡時に永安にいた羅憲は兵2000で〜という話だが、
呉との国境線で2000って、幾ら同盟してるとはいえ相当少なくないか?
>>405 魏の蜀侵攻に際して、巴東督の閻宇が成都へ向かっているから、おそらく大半の
主力も引き連れて行ったんだろう。
そもそも羅憲は郡太守に過ぎないし将軍位でもない。
2000は妥当だと思われ。
関連性は薄いかもしれないけど、諸葛亮歿後に、呉蜀双方が国境の戍卒を増強して、
外交問題となってる
これをどう解釈するかにもよる、かも…。
>>401-404 全く歴史を書いていなかったわけじゃないんだよ。
華陽国志という益州の地理志があるんだが、
これには編年体で書かれた劉先主志、劉後主志がある。
そこには陳寿が書いたものだけでは判らない事が少なくない。
或いは、史官を置いてないというのは一時期だけか、と疑うほど。
>>405-406 「呉蜀双方が国境の戍卒を増強して外交問題となった」時以来、
永安には守備兵を多く置かず、(巴テイへの牽制も含めて)江州に重く置いていたのでは?
羅憲については領軍という官もポイントかも
>>407 それは和訳などされていますでしょうか?
是非読んでみたいのですが。
>>409 部分訳でなら、明徳出版から発行されています。
残念ながら私は購入していないので、どの部分を訳しているのか判りませんが。
>>410 有難うございます。探してみます。
ところで、もしかして原文が読めるんですか・・・・?
>>407 >>史官を置いてないというのは一時期だけか、と疑うほど
主な資料材料
魏書188条 魏略179条 魏氏春秋53条
呉書105条 江表伝122条 呉録69条
蜀記17条 華陽国志19条 益部サキ旧伝三作19条 (・∀・)アヒャ
>>412 ?? 間違いの指摘ならそれで嬉しいのだけれど。 ?
>>407 先主・後主とあるから、陳寿の三国志より後だよね?
>>414 あとですよ。
南北朝くらいの成立だったかな。
渡邉先生のHPに書いてった気がしますよ
>>413 間違いの指摘じゃなくて蜀の史書の乏しさを例にあげて
他の2国に比べ蜀の史官の不備を強調しているのではないかと・・・
あぁ、成る程。
益部耆旧伝を書き間違える割には高度なことを教えていただけそう…
と期待してたんですが。
嫌な奴ですね
2chに馴れちゃったからね。
誉め言葉として受け取って胸にしまっておくよ
こんな嫌な奴見たこ(以下略
餅つけ。
420や422は半分ネタだろうから、十分落ち着いてるかと。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
スレの活動を止めるほどだったのか、418=421の性格は。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/26 02:22
活動復活のために、
>>220にあった物を再投下してみる。
ちなみに漏れは220氏とは別人。
孫呉の政権、まあ江南発展に誰が最も影響を与えたか?
候補はABCそれぞれ似たような分野の人で分けてみた
各分野、誰が一番、呉に貢献できたか
人選、分野別に突っ込みがあればも変えてもいいです(張昭はあえて除いた)
A 張鉱、潘濬、陸凱 内政に高い功績
B 陸遜、顧雍、歩シツ 呉の最盛期に丞相に就任していた3人
C 賀斉、呂岱、鍾離牧 呉の最大の癌、山越討伐で功績をあげ、治安向上に大いに貢献
Bは丞相就任時の功績比較ではなく総合でお願い(陸遜の任期が短すぎるので)
A 潘濬 なんとなく
B 陸遜 実績は他の2人よりはるかに多いだろう
C 呂岱 一番討伐したんじゃないのかな
あぼーん
430 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/28 21:39
ほsy
432 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/30 15:33
捕手
だれも徐盛について触れないのはなんでよ〜
三国志Vでの能力値が低すぎるから。
435 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/02 18:15
徐盛は評価が難しい…
sage
よく知らんが疑城の計とか一応エピソードあるし。
能力値も文武両道でそこそこ使えると思うんだけど。
徐盛って実は地味な武将?
ちょっと地味だよねぇ。都督級じゃないし…
いや、たとえ地味で都督級じゃなくてもね、ホラ、
その、スレタイも呉の人物ってなってるし。
誰かが語ってくれてもいいんじゃないかと。
地味じゃないだろう、無双オタを除く
呉ファンで徐盛を知らんヤシなんてあまりいないだろうし
本当に地味なのは張温とか宋謙、李衝とか
糜芳も語ってやって。彭城相を蹴ってまで劉備に従ったのにね。
呉では幸せだったのか?
いや、そこまで地味にいかんでも…
宋謙や鍾離昧と同じくらいでいいんじゃないの?
俺も糜芳のこと知りたいな
虞翻に馬鹿にされたことぐらいしか知らんからなあ
鍾離昧
>>443 虞翻のような頭デッカチには分からんのさw
たしか糜芳は呉に降ったあと、すぐにまた蜀に寝返ったんだナ。
呉の武将ではない!とはいえないけど、どっちかといえば
蜀の武将のような…。
>すぐにまた蜀に寝返ったんだナ
いつの話?
あー、スイマセン、寝返ったとはいえないな。
劉備が関羽の仇討ちで攻めてきた→馬忠を殺して
その首を手土産に蜀に投降→許されず、関興に殺される
という流れでなかったか…。
呉の武将として終わったともいえるナー。
>>448 それは演義の話
このスレは正史スレ
スレタイにも書いてあるぞ
まぁ、定番のヲチか。
中間テストも終わって暇ができたのかもな。
あー、たびたびスイマセン。>449
なるほど、正史では虞翻にいじめられながら呉で頑張ると。
443のレスが何のことかよくわからなかったんよ、実は。
一応呉が贔屓なんだけど、そういえば呉の正史は全然しらないナー。
正史に沿ったカキコはむずかしいな。自粛します。
知ってる人がいろいろ書いてくれればいいんだけど…
鍾離牧ね…。
孫皓て本当は寵姫が死んだときにしんでて、
あとは外戚のそっくりさんが入れ替わってたんだろ?
>>453-454 スマソ(w
鍾離牧の後に鍾離昧のこと考えてたら、そのまま打っちまった…
>>455 レスを打つ前に一度確認しろよ 454は違う事をいってるだろうがw
>>445 虞翻は糜芳を罵倒したり于禁を罵倒したりと
よっぽど裏切りとか降伏とかが嫌いだったんだな
それともただ性格が悪かっただけか
正史の虞翻は面白い
まさに呉の禰衡だ
正史の虞翻は面白いというか、現実にいたら腹立たしいだろうなあと思うw
∧||∧
( ⌒/
∪ / / ヽ
/>虞ノ
∪∪
∧ ∧,〜
( (⌒ ̄ `ヽ _
\ \ `ー'"´, -'⌒ヽ
/∠_,ノ _/_
/( ノ ヽ、_/´ \
、( 'ノ( く `ヽ、
/` \____>\___ノ
/ /__〉 `、__>
>>457 于禁はそんな虞翻を魏で称賛したらしい(註だが)。度量では于禁>虞翻か。
孫権はそんな虞翻にマジ切れして切り殺そうとした。 于禁>孫権
于禁は最後さえなければ名将として伝えられただろうに…
名将だろ
于禁は兵や民衆から評判悪かったから 虞翻>于禁
ソースを示せ
厳しかった以外にあったっけな、そんな話は
法に厳格すぎ融通がきかないところがあり
兵や民衆の心を掴むことができなかった
于禁はあまり上司や友達にしたくないタイプとみた
衆って民衆じゃなくて軍じゃねぇかな。
士衆で兵士たちと辞書にはあるし、太守職にあったことないし、文意にも合わない。
また、ちくまの誤訳か?
于禁はつまらないことも、学級会で問題に取りあげるタイプ
こんな奴イラネ
否、寧ろ鬼軍曹かと。そんなイメージ。コテでゴメン
霍去病みたいな人非人じゃないし、そこまで非道くはないはず。だね
>>469 あ、俺もそんなイメージ。
部下に厳しかったのは張飛や甘寧も一緒だが、
こいつらに比べれば、ずっとマトモだな。
>>471 なんで甘寧が比べられなくてはならんのだ
800人の食客をもち、黄祖に引き抜かれた後も気持ちを懐柔して呼び戻したり
勇敢な兵を育成するのに努め、兵士たちも甘寧のために喜んで働いたと
記述しているだろうが、料理番殺しただけで張飛と一緒にするなよ
要は、兵士からすれば一番嫌なのは張飛だと。
料理番の殺し方はかなり陰惨だと思うけど
于禁は厳しくて人望のなさはホームラン級らしいが、
満寵は厳しくても任地を離れた時に兵や民衆が
わざわざついてくるぐらい人望がある。この差はなんなんだ。
要は満寵は厳格ながらも安心できるタイプだけど
于禁は警察のスピード違反の取締りみたいな存在だったんだろう
そろそろ于禁ネタはスレ違い気味なのでこれぐらいで
同じように法に厳格でも諸葛亮との差がなんなのかと思う。
諸葛亮も融通利かなかったしな
>>479 座右の銘が信賞必罰だし、厳格な体制を布いてるし、馬謖や李厳の件もあるし…
かなり固い人間だとは思うけども?
>>477 そりゃそうだ。
諸葛亮は法を決める側だから、多少は自分にとって都合の良いように法を操ってるだろうな。
また、いくらでも法を操れる立場にありながら、それを最小限にとどめた(と思う)から人気あったんだろう。
けど、于禁は上から命じられた法や規則を守る立場でしかない。
自分や周囲にとって都合の良い悪いに関わらず、法や規則を守って、それを兵士にも強要したから人気無かったんだと思われる。
ところで、呉で法に厳しい奴っていたっけ?
>>481 強いて言えば顧雍か? 反対の意味での法に厳しいだけど。
反対の意味、というと?!
法を守る事に厳しいのではなく、
法を決めたりすることに厳しい(or慎重?)、という意味かな?
いや、讒言・陰謀その他で呉の臣を何人も葬り去った呂壱という香具師がいたんだが、
そいつが捕まった時、「極刑にしろ」というまわりの意見を抑えて、「国家には決まった法律
があるのだがら、それに従わなければならない」といって、普通に裁いたんだよ。
潘濬などは、呂壱を百官を集めた席上で刺し殺そうとしていたくらいなんだが。
厳しいと言うか忠実に近いかも
法に私怨や個人の感情を持ち込まない
今の裁判所でも滅多にできるものではない
潘濬も怨恨があって殺そうとした訳じゃないけどね。
一応書いておくっす
>>490 もちろん潘濬も忠臣だし、彼の行動も一理ある。
素直に呂壱が悪事を吐いたからいいようなものの、嘘八百の弁明をして罪を逃れるような
ことがあったら、大変だしね。
もし漏れの文章を読んで、顧雍を称えて潘濬を批判してるように読めたんだとしたら、それ
は誤解でつ。
ノンノン、それこそ深読みですぜ、おやびん!w
顧雍は光栄ゲームでも漸く評価が上がったな。
生年が違うのは相変わらずだが
漏れはゲームを8以降買ってないのだが、最新作でも潘濬の扱いは関羽補正がかかった
ままなのかい?
能力はともかく、呂布や?融なみの性格はどうにも我慢がならん。
>>495 相性は呉蜀の中間だな。
能力値は 統率63、武力16、知力68、政治85
今まで程酷くはないが、ともあれ責任者出せ、と(ry
>>495 漏れの記憶が確かなら、三國志9武将ファイルで
呉の人物ではなく、蜀の人物として紹介されてた
しかも人物紹介では、王甫に目を付けられてた…とか、どうでも良いことだけ
こういう、演義でマイナーな人物は
正史の方を紹介するくらいの柔軟さが、コーエーにはないのだろうか?
そういや、傅士仁も相変わらずだなw
いや。諸君、そういう正史ファン達の為にパワーアップキットがあるのだよ。
ゲームバランスは崩壊するけどね。
>>494 そう、顧雍の生年、コーエーは十年取り違えてるんだよね。
おそらく誤訳文をそのまま採用したんだろうけど、これは原文で確認した。
自分は一時期、『正史』の顧邵(顧雍の子)の年齢に疑問を抱き続けてたから…。
>>496 潘濬は陸遜と並んで呉の重鎮といっていいだろうしな。
五谿蛮を足かけ三年にわたって討伐してるし、軍事面での才能も悪くない。
三年”も”、という香具師もいるかもしれんけど、五谿蛮は光武帝の時代から
のさばってた異民族で、かの馬援も戦った事のある強敵。
それを、潘濬による平定後は、鍾離牧によって討伐されるまでの30年間を黙らせた
わけだから、たいしたものだと思う。
麾下には呂岱をはじめ、施(朱)績、呂拠、鍾離牧などの錚々たる人物を属将として
るわけだし。
潘濬の時代って孫登の歿する少し前なんだけど、自分はこの時代が呉の最盛期だと
思ってる。
あと十年生きてれば、(孫)和と覇の争いも、もう少しマシな結末だっただろうね。
捕手
保守
503 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/18 09:47
∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)/< 先生もろDVDはどこですか?
_ / / / \___________
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.|| || (´Д` ) <
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|| ||
__ //_ //___
/ // // /
/  ̄  ̄ //
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ||
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ||
|| 教卓 || ||
|| ||
保守
陳武とか董襲ってどこに行ってもあまり語られないな
最大の見せ場が死に場所だもの...
董襲は黄祖討伐だろ
陳武なんて弟の方が文章長いし
あと語ることと言ったら二人とも体がでかいぐらいか
陳表のことか? 表は武の子だよ、庶子だけど。
hoshu
512 :
ぬめりとり:03/07/12 11:53
排水溝がこんなにきれいに!
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
514 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 20:13
あげ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
age
ネタ募集・・・
では俺のことを語ってみろ
留平との関係はどんなもんだろうなぁ。
調べたら、息子だったよ。ツマンネ
留賛
若いころ役人として黄巾賊と戦い片足を負傷して足がまっすぐに伸びなくなった。
しかし彼は引退したくなかったので、自ら伸びなくなった足の腱を切った。
血が大量に流れて気絶し意識をなくしたが、傷が癒えるとびっこを引いてでも
なんとか歩けるぐらいに回復した。凌統はこのことを聞くと彼と面談して、官に推挙した。
こいつはすげぇ
hage
523 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/02 22:47
>>521 俺も調べてみた
生きてた年
172〜255
こいつぁ長生きだ。
525 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/15 22:07
あぼーん
527 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/15 22:44
大勢の将達が・・・死んでゆくのであろうなぁ・・・
528 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 04:02
529 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 09:16
渋い所では丁奉もかなりの長生き。
531 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 16:57
リョウ化に勝る長生きなし(w
532 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 01:02
質問です。
甘寧の料理人殺害事件ってなんですか?
自分で調べんと、他人を頼って美味しいトコだけ知ろうとしてるなんて
そんなこと全然ないですよ。
え、何、こいつ?
>>532 料理に失敗して殺されると思い逃げた料理人に対し
「殺さない」と約束しておいてその後木に縛り付けて射殺。
甘寧は相当のDQNだったと思われる
>>534 あんまり甘やかすなよ。
正確にいや、呂蒙のとこに逃げた料理人を、殺さないからと甘寧が「呂蒙に約束」して引き
渡して貰ったのを射殺。
面子を潰された呂蒙が兵士を率いて甘寧を襲撃というDQN事件だわな。
そんなドキュソな事件があったこと自体しらなんだ…
勉強になりました。
呉に関係がある長寿の人間といえば
呂岱(161〜256)
士ショウ(137〜226)
でともに90を超えている。
リョウ化は演義だと百歳以上生きていることになるが(元黄巾賊という設定なので)、
正史だとだいたい70代くらいで蜀滅亡→死去である。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 16:01
ドキュソな事件は結構あるよね 嘘も多いだろうけど
呉じゃないけど曹操も随分ドキュンなことを書かれてるよね
呉は多いな。
朱桓とか徐盛とかもかなりのDQNなので魏や蜀じゃ勤まらないと思われ。
そういや孫権自体酒乱だし・・・
蜀も役人を縛ってムチで打ったり、常日頃から兵卒を虐めていたり、上司や
同僚を小馬鹿にしていて自滅したような香具師がいるんだがな。
蜀はドキュンが立てた国だからな
てか漢自体がもう
房な質問でなんだが、もし孫堅が対劉表戦で死なず荊州に地盤を置くことが
出来たなら、彼はその後どうしただろうか?
もし、中原に覇を唱えようとしたなら、彼に天下を掴む可能性があったのだろうか?
虐殺多発であぼーん
>>545 袁紹の配下の位置にいた曹操と同じパターン歩むとみるけど。
袁術配下の孫堅としては劉表破ったとしても上に袁術がいるわけで
旧劉表領をそのまま孫堅にくれてやるほど袁術が度量広いとは思えないし。
結局、当時の南方最大の領有袁術との抗争に勝たないと天下掴む以前の問題で。
結果からみると袁術は滅んでいるけど
劉表を破ったを前提にIFすると・・・・孫堅以前に袁術の天下が見えてきそうな気が。
というかスレ (´∀`( ´∀`) チガイ ?
誰も居ないのか
大航海時代に千年以上も先駆けて、海の向こうのまだ見ぬ世界に旅立つ二人。
ロマンに満ち溢れてるな。
まさに悲劇
俺にとっては喜劇
555 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/03 13:06
ところで、孫堅は武烈皇帝と追尊されているのに対して、
策は長沙桓王と王号にとどまっているのはなぜなんですか?
やはり、父>兄なのか?それとも、策の子に対する牽制?
建国は策の力が大きい。
やっぱり策系統の子孫に対する牽制じゃないかな?
>>555 いうなれば、孫策の系列にあたる子孫には皇位継承権は無い、という
意味の表れなんではないかと。
>>555 上二つに同意。
孫策の子どもの孫紹が優れた人物かどうかがわからないので
孫紹封じという断定は出来ないが、「孫策の血筋」牽制ではあったと思う。
孫皓も、孫策の孫の孫奉には警戒してたしな
国が乱れる原因になりかねんわけだ。
まあ結局、孫紹や孫奉にまったく関係なく国は乱れたわけだが
それよりも孫静の系列にあたる、孫峻や孫[糸林]の専横の方が問題。
563 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/20 09:09
age
564 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/25 17:38
呉だと黄害 蜀だと厳顔 魏だとチョウコウ
厳顔なんて別に蜀で何もやってないじゃん。
厳顔の活躍は華陽国志準拠らしいですよ
華陽国志って信憑性は
どんなもんなんですか?
>>567 誤字が多いものの、良質史料と見られている。
なにげに文天祥が正気の歌のなかで厳顔のことにふれててビクーリ
張飛の珍しい活躍場所だしね。講談系では特に重要視されたんだろうな。
呉の人物を語れ
どっかで建康実録についての検証やってないかなあ
買えば?
576 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 16:24
タイ━━━━||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||━━━━ホ!!!!!!
>575
持ってるよ
他の人の意見が聞きたいんだ
自分の意見を語った方がいいんでないか?
579 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 13:21
魯粛と周ユが活躍したとこ教えて
>578
ここで語って返事が返ってきて意見交換出来るんなら
書くけどさ
>579
陳寿の孫権伝に各人物のエピソードを突っ込んだ感じの
構成なので特に目新しい事は無かった
周瑜が都亭侯だったりするけど
自分が見落してるだけだと思うので他の人の意見が聞きたい
・・・でも全体的にツッコミ所が多すぎる本だよ・・・
持ってないので何も語れません
>周瑜が都亭侯だったりするけど
マジで?
>582
建安十五年の所に
是歳、偏将軍、南郡太守、都亭侯周瑜卒
って書いてあるんよ
封ぜられた時期は書かれていない
584 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 06:36
呉呉呉呉呉呉
585 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/26 19:37
なぜ孫静の家系が力をつくたのだろうか?
586 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 23:34
孫静の息子って、演義じゃ地味だけど結構名将ぞろいみたいだしね
それよりも孫堅の兄貴がどういう人物だったのかということのほうが気になる
たしか名前くらいしか解って無かったんだっけ
>>586>>587 孫賁字伯陽;父羌字(聖壹),堅同産兄也,賁早失二親,弟輔嬰孩,賁自贍育,
友愛甚篤。
結構かっこいい名前だな
589 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 17:43
孫輔は孫策の後継として孫権を認めてなかった
んだよね
孫輔字國儀,賁弟也,以揚武校尉佐孫策平三郡。策討丹楊七縣,使輔西屯歷陽以
拒袁術,並招誘余民,鳩合遺散。又從策討陵陽,生得祖郎等。策西襲廬江太守劉勳,
輔隨從,身先士卒,有功。策立輔為廬陵太守,撫定屬城,分置長吏。遷平南將軍,假
節領交州刺史。遣使與曹公相聞,事覺,權幽系之。數歳卒。子興、昭、偉、マ,皆歷
列位。
「遣使與曹公相聞,事覺,權幽系之。」あたりのことかな?まあ原文読めんからわからんがw
子供は列位されたようだが.
591 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 19:27
施(朱)蹟について語ろうぜ
592 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 12:05
陸遜の山越討伐について誰か教えて
陸遜字伯言,呉郡呉人也。本名儀,世江東大族。遜少孤,隨從祖廬江太守康在官。
袁術與康有隙,將攻康,康遣遜及親戚還呉。遜年長於康子績數歳,為之綱紀門戸。
孫權為將軍,遜年二十一。始仕幕府,歴東西曹令史,出為海昌屯田都尉,並領縣
事。縣連年亢旱,遜開倉谷以振貧民,勸督農桑,百姓蒙ョ。時呉、會稽、丹楊多有伏
匿,遜陳便宜,乞與幕焉。會稽山賊大帥潘臨,舊為所在毒害,歴年不禽。遜以手下召
兵,討治深險,所向皆服,部曲已有二千餘人。鄱陽賊帥尤突作亂,復往討之,拜定威
校尉,軍屯利浦。
權以兄策女配遜,數訪世務。遜建議曰:「方今英雄棋跱,豺狼規望,克敵寧亂。
非眾不濟,而山寇舊惡,依阻深地。夫腹心未平,難以圖遠,可大部伍,取其精銳。」
權納其策,以為帳下右部督。會丹楊賊帥費棧受曹公印綬,扇動山越,為作內應,權遣
遜討棧。棧支黨多而往兵少,遜乃益施牙幢,分佈鼓角,夜潛山谷間,鼓噪而前,應時
破散。遂部伍東三郡,強者為兵,羸者補戸,得精卒數萬人,宿惡蕩除,所過肅清,還
屯蕪湖。
http://www.chinakyl.com/rbbook/big5/25/shanguozhi/sgz58.html
age
>>591 子績嗣。績字公緒,以父任為
郎,後拜建忠都尉。叔父才卒,績領其兵,隨太常潘浚討五溪,以膽力稱。遷偏將軍營
下督,領盜賊事,持法不傾。魯王霸注意交績,嘗至其廨,就之坐,欲與結好,績下地
住立,辭而不當。然卒。績襲業,拜平魏將軍,樂郷督。
明年,魏徴南將軍王昶率眾攻江陵城,不克而退。績與奮威將軍諸葛融書曰:「昶
遠來疲睏,馬無所食,力屈而走,此天助也。今追之力少,可引兵相繼,吾欲破之於前,
足下乘之於後,豈一人之功哉,宜同斷金之義。」融答許績。績便引兵及昶於紀南,紀
南去城三十里,績先戰勝而融不進,績後失利。權深嘉績,盛責怒融,融兄大將軍恪貴
重,故融得不廢。初績與恪、融不平,及此事變,為隙益甚。建興元年,遷鎮東將軍。
二年春,恪向新城,要績並力,而留置半州,使融兼其任。冬,恪、融被害,績復
還樂郷,假節。太平二年,拜驃騎將軍。孫綝秉政,大臣疑貳,績恐呉必擾亂,而中國
乘釁,乃密書結蜀,使為並兼之慮。蜀遣右將軍閻宇將兵五千,摧鋳骼轣C以須績之後
命。永安初,遷上大將軍、都護督,自巴丘上迄西陵,元興元年,就拜左大司馬。初,
然為治行喪竟,乞復本姓,權不許,績以五鳳中表還為施氏,建衡二年卒。
呉はよく配下が粛清される国
魏はよく配下が謀叛をおこす国
>>599 「配下」ってなんだか……
叛乱なら、呉の方が多いのではないか?
魏は大物が目立ってるせいかそうみえなくもないけど、実際には
呉の叛乱の方が頻度が高い。
601 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/01 10:47
ageましておめで呉
まったくスレ違いくさいけど俺が大学受験した年の立命館大学の世界史の問題で
三国志について聞いたすげえ問題がでた。
答えに「孫策」・「諸葛謹」・「合肥」・「陸抗」・「孫皓」がでたときはワロタ。まあ消去法で解ける問題
ではあったんだけど…。
どんな問題?
>>603 うるおぼえだけど、
なんか江南の歴史みたいな流れだった。そのくせ普通焦点あたりそうな唐とか宋とか明じゃなくて
後漢⇒呉⇒南北朝 あたりに視点のあたった問題で、20問くらい4択があって、とかせる問題
だった。
うろ覚え
606 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/11 10:49
>>602 普通にローマ帝国を勉強した奴には災難。
ほんとは諸葛瑾だよん
実は諸葛誕
そういや、"うる覚え"って流行りなん? ガイドライン板にもあったけどさ。
ただの方言か書き間違いだと思うが。
昔からの2ch語だよ
さらっと見返したけど、300から500くらいまでの頃は面白かったん
だよなぁ……懐かしい自分のレスもあったし……
とりあえず、呉の対徐洲政策について語ろうぜ
徐洲ってどこですか?
どこだろう?
孫策は陳登には勝てませんでした
>>613 面白かった+自分のレスがあるスレって、何かdat落ちさせるのが忍びない・・・。
呉の存在が後世に与えた影響とかについて、語れる方とかいないの?
呉の存在が後世に与えた影響ってのは堅苦しくてイヤ
演義孔明は周瑜をおちょくり尽くすが、劉備死後の孔明は周瑜の味わった辛酸をなめつくすって話はどうよ
羅貫中は、この苦しみを孔明に味わわせることを想定していたと俺は思います
前線司令官の辛さってことじゃないの?
孫権は溺愛してた長男が死んで、どっかおかしくなっちゃったのかもなあ。
孫登と潘濬はあの時期に死ぬのはマズかったよなぁ・・・
孫慮も死ぬし、ふんだり蹴ったりだ。
なんだかんだで曹丕って優秀だよな。
自分の中では、孫登と潘濬が存命していた時までが呉の最盛期。
孫登を失った痛手ってのは、曹操が曹昂や曹沖を失った時の比じゃない。
曹沖が本当に優れた人物に成長したかどうかは微妙だしな。
孫登はまぎれもなく名君になれる人物だった。惜しい!
正史の孫登伝で泣いたのって俺以外にいるか…?
俺も俺も
最後の上表見て泣いた・・・
孫登のために泣く男が日本に五人はいるようです。
おれはコーエーの孫登に対する評価の低さに対して毎回涙を流していたけどなw
\の孫登はかなり能力高いぞ。
孫権の能力値を考えれば、知名度と比較して最高の評価と言えるかもしれん。
>>629-631 何か嬉しいぞヽ(´ー`)ノ
ねらーだけで最低これだけいるなら、中国含めりゃ五十人はいるかもと言ってみる。
呉の馬忠が正史ではどんな人物なのか、知ってる人がいたら教えてくだされ。
>>636 関羽と関平を捕まえたってだけだよ
演義で殺されたのはフィクション
っていうか演義のせいで無駄に殺された呉将多すぎ
蜀漢は呉に対してイイトコなしだから許してやれ
>>636 ただの兵士、部隊長クラス
関羽を捕らえたから歴史に名を残すことができた一般兵
一般兵だって…… なんだか
黄祖の首をとったから名をのこせた奴、みたいなものか
部隊長なのに一般兵って一体・・・
いや、言いたいニュアンスは判るんだけれども。
>>638 そうなんだよなー
八陣図の逸話とかもやられっ放しじゃマズイと思って
無理矢理挿入したって感じのエピソードだし。
朱然の扱いはあんまりだべ
>>644 趙雲に一突きだっけ?正史ではその後も活躍してたはずなんだけどね…。
他に演義で犠牲になってる呉の将っている?
>>645 朱然は代表だよ。
いちいち数え切れん。
逆に正史で夷稜戦で戦死した将官級の呉将っていた? 漏れはゼロだと記憶してるけど。
>>646 うん、確か誰も逝ってないと思う
蜀の方は結構死んだと思うんだけど……
演義で変えられてるね・゚・(ノД`)・゚・
なにしろ、夷陵の役を最後にして、呉蜀間の戦闘が当分無くなったから。
関羽の亡霊などを慰めるには、夷陵の役しか残っていないわけでして。
羅憲が陸抗を討ち取っちゃうとか・・・そりゃ困るな。
夷陵の後だと蜀滅亡の時だから… という if −演義の話じゃないの?
>>650 演義では呉が蜀に援軍だしたけど間に合わなかった、のようなことしか書かれてないけど、
ほんとは、蜀が滅亡したのをいいことに領域を呉が掠め取ろうとしたんだよ。
それを阻止したのが永安を守護していた羅憲。
見事に陸抗や歩協といった呉将を撃退しましたとさ。
・・とうろ覚えの知識で書いてみたのだが、あってるかな?
>>652 って事はそいつは陸抗より上って事か…。
>>653 補足としては、陸抗が撤退したのは武陵郡における反乱と晋の援軍による所も大きい。
また羅憲は、上司だった閻宇の讒言によって益州東部の永安に飛ばされた。
>>655 …そうなの!?詳しいね〜。教えてくれて、どうも♪
「襄陽記」にて羅憲は蜀滅亡時に援軍の振りをして襲撃してきた呉の歩協を大いに破った
それに怒った孫休が、陸抗に歩協の援軍として向かわせ羅憲への包囲を強化させた
羅憲は半年間持ちこたえるが軍の大半が病気になる、部下に逃亡を進められるが潔しとせず
踏みとどまり玉砕を決意する、そこへ魏(晋)の荊州刺史の胡烈が救援に来たため陸抗は撤退した
魏後期には胡姓の武将が多いな
異民族関係なのだろうか、それとも単なる偶然か
ちなみに歩協は歩隲の子
そして歩協の弟が晋に降った歩闡
兄弟そろって駄目なくせに西陵都督
結局、そこから呉の挽回は無理か。・・・゚・(ノД`)・゚・
でもね、東晋は蜀政権を滅ぼしたり中原王朝の側に攻めていったりしてるから、
江南に地力はあったと思うんだよね、蜀と違って。
って事は、蜀よりも可能性はあったわけか。
って言うか中原が江南を制したらほぼ統一みたいなもんでしょ?
>>662 もっとも、永嘉の乱とかで中原ボロボロになってからの事だけどね、中原攻めるのって。
周瑜も本気で考えてたらしいし、呉から蜀を征服するのは不可能でもなさそう。
>>663 そうなんだ。全然詳しくないからそういう事分からないなぁ〜…。
今度、正史でも買ってみるかな。買う価値ありますかね?
ちょっと出かけてたんだけど、代わりに完璧に質問に答えてくれた人がいたのね。ありがd
>>667 呉ヲタなら6,7,8巻だけでも買っとけ。損はしない。
むしろ呉に関しては演義よりもドラマティックにイキイキと書かれてるんじゃないかと・・・
>>661 東晋が北征を始めたのって、流民が大量に江南へ辿り付いてからじゃなかった?
よく覚えてないんですけど。
>>670 演義や小説から入ったとしても、あんたはマジで好感もてる。
最近じゃ、
>>652みたいなレスでもすぐ正史厨扱いされるもんな……
>>655 讒言したのは閻宇じゃなくて黄皓じゃなかった?
なんか話題ないか?
よく三国志のサイトや2ちゃん内で孫策が陳登に負けたってあるじゃん
あれをどう思う?孫策が派遣した兵が敗れたってあるから
孫策自身が兵を率いて負けたか他の将軍が率いて負けたかどうか?
呉書では孫策自身が兵を率いて陳登と衝突した記述がない
呉軍と陳登が戦ったのは確かみたいだけど孫策自身が戦ったかどうかはわからない
魏書の赤壁の戦いみたいに不名誉な記述は避けたとか?
それとも陳寿の勘違い?陳登対孫策についてどう思う?
陳登>孫策
>>674 特に記述がないので判断不可能。
兵を出したのも威力偵察的な出兵だったのか
本格的な侵攻作戦だったのか分からないし。
まあ、後者だったら呉書に記述がないのは
不自然だとは思うけど、断言はできない。
>>676 許都襲撃作戦での先発隊が陳登に撃破されたのだと思う。
まず陳登が呉軍を撃ち破った時期だが
呂布を滅ぼし伏破将軍になった時。すなわち199年以降。
一方孫策はといえば皇帝を僭称した袁術と手を切り
197年から199年にかけて曹操に近づき(婚姻政策など)将軍位をもらっている。
当然ながらこの間に曹操から正式に任命されている陳登を攻撃するはずはない。
そして199年には袁術が死亡している。
袁術の残存兵力を獲得するため廬江太守の劉勲を攻撃。
さらに返す刀で黄祖を撃破。(このとき199年12月11日)
すなわち199年は徐州に侵攻しているひまがない。
(さらに言えば袁術死後から200年2月にかけて劉備が徐州で
謀反をおこしている。孫策が劉備を攻撃する理由がない)
となると徐州へ侵攻する機会といったら
許都襲撃計画をたてたときしかなく
先に派遣した軍が陳登にやぶれ
それじゃ孫策自ら征くか、というところで刺客に殺されたのだと思う。
孫策の行動、袁術の残党、呂範、厳白虎、孫権、陳矯
ここら辺の関連性を調べたら、孫策自身が兵を率いて陳登に挑み大敗北を喫したとう
主張は通らないと思うよ
そうだろうね。
682 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 13:45
hage
サーファーか…
なんで陸遜を殺したんだ…。厨房の馬鹿野郎〜〜!(TmT)ウゥゥ……
陸遜の死因の憤死ってのは、自殺したってことなの?
>>684 陸遜は孫権に頃されたとよくいわれるけど
陸抗の尽力っぷりを考えると本当にそうだろうか、と思う。
親父は孫権にぬッ頃され、その上で孫晧に尽くすなんて普通じゃ考えられん。
そういや陸康は孫策にやられたしな・・・
陸遜も陸抗も立派だな……。
陸康と陸機は… 機運を読めなかった、ってところか。
まぁ、これは陸遜と陸抗にも言える点ではあるけれども。
羅貫中に雑魚並みの扱いを受けた陸景よりかずっとマシw
そろそろ朱桓の事でも話そうぜぃ
>>686 陸抗は後に孫権から謝罪されてるじゃん。
孫晧は皇帝しかのせられない本紀に、父である孫和をのせろとせまってることから
孫和がからんでいるあたりの呉書の記述は結構怪しい。
陸遜が丞相の任をとかれぬまま流刑されそれから問責されるという異常な現象が起こってる品。
普通、問責→解任→流刑だろって。
いつ陸遜って流刑になったの?
陸遜伝には、陸遜の甥の顧譚らが流刑になった、とは書いてあるけど、
陸遜本人が流刑になったようには読めないな。
陸遜は処分をされる前の、問責の段階で死んでいるんじゃないの?
>>697 ここは正史を読んでないとダメなのかよ……
スレタイは一応、正史呉書だし
スレタイ見れ!
張悌が諸葛靚(諸葛誕の子。魏に叛乱して父が敗死後、呉に来ていた)に
死地に赴く前に語った「あなたの家の丞相に世話になった〜」というのは孔明の事ですか?
諸葛家で丞相になったのは孔明だけ? 諸葛瑾や諸葛誕は丞相になってないし・・
原文は知らん。あるいは原文の誤訳ですか?(張悌自身がこの時丞相の位に就いているので)
解説キボン!
諸葛亮が存命の頃、張悌を高く評価していた話があったはず。
その事を言ってるのかも。
たぶん、そうだと思う。
あげるよ
陸遜は流刑になってない可能性が高いそうだよ
>>701 気にすんな。
そこまで卑屈にならんでいいと思うよ。
逆ギレして「正史厨」しか言えない連中が多いし。
PHP文庫から「陸遜」って本が出たね
「PHP文庫」はどれも軒並み三文じゃないかと。
PHP文庫の三国志関連の本を数冊はうっかり購入してしまうのが
正しい三国志オタの在り方だろう。
>>710 ・・・誤三国志で悟ったよ。
買 う 前 に 読 む と
199年に孫策が劉勲を攻撃して皖城を占領して支配下に置いたはずなのに、
今度は214年に孫権が曹操支配下の皖城を攻撃してまた占領しているんだけど、
間に一度曹操に皖城を奪われているんだっけ?記憶違いか?
周瑜が早死にしなかったら、天下二分の計って成功したのかな……?
715 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 21:04
>>714 どっかの呉関連のスレで大激論になってた記憶があるけど
呉が益州をとるのを魏がノコノコ見学してるわけは無いと思うので無理だったと思う
やはり魯粛の三分の計が最上だと思う。
まぁ、蜀も呉も(特に関羽)が阿呆だったから失敗したけどね
呉と蜀が戦う為の天下三分の計じゃ意味無し
716 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 21:21
周瑜と孫喩で急戦しかけて作戦が成り立つのか破綻するのか?
って事だよな。
泥舟国家の劉章治める蜀を切り取る事はそんなに難しくはないかも
しれないけど、その後、孫喩が治めきれただろうか?
当然、魏もこの好機(蜀遠征)を見逃さないだろうから十分な警戒は
敷かなくてはならない。 課題は主に次の3つではないだろうか。
1、周瑜が急戦で蜀を奪還できるかどうか?
2、孫喩一人で蜀を暫くの期間治める事ができるか?
3、蜀を奪うまでの間 魏の侵攻を防ぐ絶対的な策はあるか?
何で「孫喩一人」なんてことになるんだ???
魏への防備は長江がある。あの時期は馬超もいるしな。
最大の問題は、蜀を落とせるかどうか、じゃない?
それは問題ないだろう。
周瑜の作戦では孫喩を蜀の太守にそえるという構想だったはず。
まぁ、厳密にいえば一人じゃなくて孫喩をそのポストにのせてって
ことだな。
721 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 22:56
>>718-719 蜀って実際ガチガチに守られたら結構厳しいんじゃないかな
劉備の時は鬼畜にも劣る裏切りであっさり奪ったけど
攻めますよ攻めますよーって攻めたら曹操とつながる可能性もあるし
荊州経営が上手くいくかどうか?
逃げ出した時にみんな劉備についてったというだけあって、
劉備だからこそ荊州は治まったんだと思うんだが。
これを孫権たちで抑えられるのか。
>>722 関羽から荊州奪取した時みたいに呂蒙に任せればいいんでは
>>721 居候状態だった劉備ですら陥れたんだぞ?
江陵を有していた当時の呉なら、問題なく制圧できただろう。
周瑜なら、どんな風に陥落させようとしたと思う?
726 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/25 18:27
>724
ホウトウは死んだけどね
孫ぽこ氏のサイトは下手な本よりもよく考察されていて面白いよね。
ホウトウって呉に仕えてたらしき時期があるよね
だからなに?
新版三国志新聞の211ページで呉の昭明宮が、司馬昭のいみ名を避けて顕名宮と呼ばれたという話がのってるけど、既に当時から呉は晋に臣従していたのかな?
単に一緒だと嫌だから変えたんじゃ
うむ
龐統って本当に凄いのかね……。
>>731 呉からきた貢物を魏の元帝がそっくり司馬昭にわたした、って話ものってたな
周瑜も孫策もこれからって時に死んでるよね。
周瑜が死んだのは暗殺で、黒幕は劉備や孫権だった、なんていう話はたまに聞くね
どっかのサイトにのってたな
夷陵で法正が生きていれば………
孫ぽこは負けなのか…
負け惜しみ
つーかどうして呉末期はあんなに統率がとれなくなったのか…。
君主の交代が頻繁化すると、それだけで交替後の権柄争いで政権は
不安定になるもの。
孫権が孫登死後の世嗣の決定に不明瞭さをみせたことが、それに拍車を
かけたようなものだろうさ。
孫権の歿後、その権柄を握った連中が悧巧なやつならいいんだが、孫峻やら
孫[糸林]といった、皇族の端くれに連なる小董卓みたいなやからの台頭を
許してしまったのが更に呉そのものの弱体化をまねいたのかもしれないね。
……自分の浅見では、一口に言えるのはこんなところ。
面白そうなので、久々にageてみる。
ageってなかった……。
つーか孫権の晩年は酷すぎるな…。陸遜の諫言も聞かなくなった上、諸葛格・孫チンの専横、
しまいにゃ皇帝孫皓の遷都とか。滅びるべくして滅びたわけだな。
孫権がきらめいてたのは皇帝になるまでだからなあ。
いっそ、そのころポックリ逝ってたらどうなってたろうか、といってみるテスツ
そういえば、去年か一昨年だっけ、朱然の墓だかが見つかったのって。
演義では勝手に殺された呉将の一人だが。
演義の朱然は単なる雑魚だからなw
訂正。見つかったのは1984年か。
三国で一番いい状態の墓が朱然じゃちとさみしいな。
1800年前だから見つかっただけでもすごいんだけど。
陸遜の墓まだー
孫権が有能な豪族殺しまくって
自分の皇帝の地位を強固した面も少しある
国力は下がるけど・・・
>>750 朱然は陸遜死後の、呉の軍事の責任者なのだが・・・
なんで呉は地味な名将が多いんだろう………
呂蒙たんの墓まだー?
このスレに書き込んでいる人ってさぁ……呉が好きなの?
>>757 やみくもにマンセーしなきゃならんとでも?
age
761 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 21:03
>>734 龐統は魯粛に評価されてるから、なかなかの人物だったと思うよ
劉備じゃなくて呉に仕えてたら良かったのに・・・・・
呉ファンだけど彼の早死を惜しむ
762 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 21:25
>>764 呉に使えなかったのは孫権の人物に問題ありか?
馬良なんかも劉備に使えたしね。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 21:37
それもあるけど
龐統は劉備に使えたかったんじゃない
馬良はともかく、野心家は劉備に仕えたいのかも
実際、ホウ統」は劉備陣営だったおかげでやたらと名が上がったんだし
まあ人材募集中の劉備の方が手っ取り早く才能を生かせると
踏んだんだろう、それか周瑜の食客、客将みたいなもので
周瑜が死んだから荊州に帰って劉備に仕官したとか
呉が送り込んだみたいなもんじゃん?
魯粛自ら「要職につけて」と劉備に言ってる。
「呉書見聞」の説にも信憑性があるかもしれん。
孫呉は劉備を皇帝に祭り上げようとしていた、ってヤツ。
ホウ統もその布石っつーか、周瑜の息がかかったスパイ。
周瑜が死んで天下二分の計画がぽしゃっちゃったから、
それなら劉備のもとにそのまま組み込まれた方がいいと考えたのかも。
まあ妄想だけど。
>>766 魯粛は荊州の人々を劉備に手なずけさせることを
進言するぐらいだから、劉備陣営に送り出した
可能性もないわけではないか
769 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 01:03
オレは是儀と太史慈が好き。
孔融→劉ヨウ→呉のルートが好きなんだろうかオレ。
770 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 02:16
陸抗、張悌が好きだな
スレタイと関係ないけど、呉以外で好きな武将いる?
俺は張任が好きだ
そりゃあいるけど
このスレでやる意味はないでしょ
>>770 スレタイに【正史】【呉書】と銘打ってるんだから、せめて「武将」ってのは
やめてもらいたいな。
それぐらい見逃してやれよ
気になるのが三国最後の君主孫皓
周りの目をきにしながら必死に優等生を演じ
君主になると無軌道三昧の生活
どういう心理だったんかなあ〜ウフフ
「影武者徳川家康」の秀忠のような奴だな。
777 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 23:14
孫晧はちょっと可哀想だなって思う
生い立ちはちょっと可愛そうかもしれんが
皇帝になって好き勝手やって、国が滅んでも禄もらってるから同情はできんな
>>767 あるいは、「周瑜はいずれ孫権の下から独立するつもりだった」説とも
繋がってくるね。ホウ統は周瑜に仕えていたのであって、孫権に仕えていた
わけではないと史料からは当然読み取れるから、そこから周瑜と孫権の
微妙な関係性が見え隠れすると言えなくもない。周家自体は名家なわけだし。
>>779 孫家から精神的に独立するつもりまではなかったんじゃないかなぁ。
その機会は孫策の死後など、何度もあったわけだし。
ただ、軍人として完全に独立したかったってのはあると思う。
蒼天航路で、郭嘉が曹操から独立して王になれとか勧められる妙な場面があったけど、
あれは周瑜ならば可能だし、また目標としていた立場なんじゃなかろうか。
呂蒙、朱然、陸遜、陸抗の流れにもそれっぽいところがある(ような気がする)
首都を孫権に任せて、対魏侵攻のための軍事政権を周瑜が別に開く。
って、それは諸葛亮の丞相府じゃん。
「魏の人物を語れ」でも立てようかな…
なんか呉のスレが多くて魏のスレが少ない気がするから
立ててもいいんじゃねーの
ただし魏無忌とか魏豹とか拓跋圭とか侯景とか言い出す天邪鬼がいるから気をつけろ。
それって天邪鬼なのか?
吾彦について教えれ
陸抗に従い西陵の攻撃に参加。
末期に王濬が蜀で船を建造していたころ、上流から流れてきた
木屑を見て、晋が攻略を目論んでいるから建平の兵員を増やす
ように進言したが受け入れられなかった。
降伏後は晋に仕えて交州刺史や大長秋を歴任した。
蜀の羅憲みたいな奴だな
789 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/21 00:14
呉が蜀を取り,馬超が天下二分の計に応じて呉と手を結び,張魯も加わってたら
呉は魏を倒せてたと思う?
790 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/21 00:19
蜀が取れないから無理
陸戦で勝てないから無理
仮定をも覆す、大胆な解答だな
劉備に取れたぐらいだから取れてもおかしくない。
でもその前に本国が落とされてる可能性もある。
>>792 劉備の本拠地の荊州も落とされてない
長江という防衛がある呉はより落とされる危険性は低い
後、陸戦とかいってる奴は逝っていいよ
劉備か曹操のどっちかが必ず茶々入れてくるだろうから、大遠征なんて非現実的。実際取れなかったし。
>陸戦
どうにも横山厨の臭いがする。
ここは正史に拠ったスレのはずなんだけどね。
>>794 別に非現実的じゃないだろ、劉備も周瑜も南郡を拠点にしてる時点で
遠征の規模は同等だし、劉備の妨害が同盟を無視した行動まで発展するなんて
ありえないし、せいぜいやれることは共同作戦に持ち込んで成都を先に
劉備軍が奪うぐらい
夷陵の戦いも陸戦ですよw
実際できなかったわけだし
もし周瑜が病死せず天下二分の計を実行していたらという
仮定での話をしているのもわからんのか?
劉備の場合は、益州内部からの進行だったけど、長江を遡るのはどうなの?
できないこともないよ
やったやつ居るし
呉関係で面白いサイト無い?
ぐぐってもなかなか見つからないんだよね
でも蜀滅亡時の攻撃は失敗してるな。
魏の援軍がきたからね
援軍が来るまでに落とせなかったから失敗なんだろ
魏に併合され長江の上流を抑えらた蜀と
劉璋が治める蜀とでは状況がまるで違うのに
同列のように語られてもなあ
周瑜が遠征してる間に魏が二方向から南下してきたらどうするんだよ
>>807 その懸念はもっともだが、国力で劣る以上いつかは賭に出ねばならないのも事実
うーん、難しい問題ですな
周瑜伝に書いてあるじゃん
曹操は大敗したばかりで自分の身辺から変事が起きないか心配しているから
すぐに攻め込む余裕はないって、荊州も大半を失ったばかりだし
赤壁以降のこの時期は呉は魏に対して攻勢をかけてた時期でもあるし
劉備だって蜀にも呉にも侵攻したけど必ず曹操に攻められたわけでもないだろ
810 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/25 02:22
周瑜は早く死に過ぎなんだよな・・・・・
まあそれを言ったら孫堅とか孫策とか
虐殺神降臨
孫堅と孫策は単騎行動などやや無謀な面があるけど
周瑜にはそういったマイナス面がないな
>>812 虐殺神って何?
曹操か?
周瑜が蜀を攻めるとしたら軍容はどうなるんだろ。
やっぱ関羽・張飛も連れていくのかな
よく読むと、周瑜が曹仁を攻撃してる時、劉備から貸し出された
関羽・張飛を周瑜が部将として使っていて、その間に劉備が
南荊州四郡を制圧してた、っていう話らしいから、
仮に劉備を国内に引き止めて置く事ができるとしたら
関・張を率いて蜀攻め、っていうのも十分考えられるかと。
ホウ統・関羽・張飛の三人が周瑜の傘下か
演義的に見たらすごい豪華だね
蜀は孫瑜に治めさせ、馬超と結び守りを固める。
周瑜自身は荊州に戻りそこから北上するという段取り。
その頃には劉備は呉軍に組み込まれてるだろうね。
益州からではなく荊州から北上するという所がよいね
呉軍が白囲まで来た所で、そこに軍を留めて狩猟をすると公表し
密かに将軍の周峻、張梁らを遣って、江夏の新市・安陸・石陽に襲撃を掛けさせた
周峻らが突然現われると、人々は皆城中に逃げ込もうとした
城門は人の群れでつまって閉ざす事が出来ず、敵方は配下の民衆を斬り殺し、門を閉ざした
呉軍が斬首したり、生け捕りにしたりした者の数は数千人にのぼった
生け捕りにした者達に対しては保護を加え、兵士達に命じて乱暴な真似をする事を禁止した
家族を連れてやって来た者には、捕虜の所に行って世話をするのを許し
もし妻子を失った者がおれば、その場で衣服・食料を給し、手厚く労わりを掛けたうえで自由に帰らせた
そうした事から感激して呉を好ましく思い、一族を率いて帰順してくる者達もいた
近隣の地域の者達も呉に心を寄せ、江夏の攻曹の趙濯や
弋陽を守備していた裴生、異民族の首領であった梅頤達が自分の配下を引き連れ陸遜のもとに身を寄せてきた
陸遜は財貨を傾けて、そうした者達を手厚くもてなした
これは裴松之の、『無辜の民衆を理由もなく酷い目に合わせただけの事』
何で陸遜が(後半部分は除き)こんな事したのかサッパリ分からないな・・・・・・
飴と鞭、だろうな。
823 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/29 14:43
824 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/29 14:55
>>821 この話、234年に諸葛亮が五丈原に侵攻したのに呼応して
呉が合肥・襄陽を攻めて失敗し、退却した時の話だろう。
敗戦の呉軍の士気を回復させるのも目的の1つだったんだろうな。
>>824 なるほど。士気の回復のためにね
にしても陸遜、その為だけに少し酷すぎる・・・・・・
リアリスト伯言
振り幅か
裴松之は嫌いなやつの善行は認めない
好きな奴の欠点は必ずフォローするような人物だから
嫌いな陸遜の注はどれも否定的
カクほど人格は否定されてはいないが
裴松之嫌い
>>828 手紙で更迭、の一件でもケチつけてたよな。
陸遜の注はだいたい「何故、このようなことを立派なことだとして本伝に記載するのか、
陳寿の姿勢に納得しかねる」って態度だ。
陳寿の陸遜好きはどこから来てるんだろ
>>831 忠義を尽くした生き方じゃないの
でも特別に好きってわけではないだろ
833 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/30 15:03
>>831 清廉な生き方をしていた為、死んだ時に家に余財が無かった処。
・・・でもこれって、何も諸葛亮や陸遜に限った事では無いのだが。
>>833 たしかに。
「魏書」なんかにはゴロゴロでてくるし。
孔明と
>>832 いや特別好きの部類に入っていると思う。
面識も無いと思われるのに諸葛亮に準じる評価(いや評価上かも)を下してる。
なんでだろうな?
実際に凄い人間だったからかもね
単純に
陸遜は凄い
これほどまで政治、軍事で国家に多大な影響を与えた人物って
君主以外では諸葛亮と陸遜、そして司馬懿くらいだ。
それくらいの評価は妥当だと思うが。
独立した伝があるくらいだから〜
BEST10決めて何かなるんかね。別にそんな事しなくても良いと思うのだが
魏スレと蜀スレと戦争でもするのか
>>843 すみません。それは勘弁なんで逝ってきます
3戦板…いや、2ch全てを否定するつもりか
とりあえず、おまいらスレタイを読め。
【正史】呉の人物を語れ【呉書】
な〜んも話題ないね。マターリな感じは嫌いじゃないけど…
住人はほぼ全員出張中と思われ・・・
荊州は本当に占領して良かったのか…?
851 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/08 20:31
良かったと思うけど、せめて襄陽まで占領していれば・・・
蜀と同盟なんてせずに、いや同盟してもいいけど
どさくさにまぎれて滅ぼしちゃえばよかったのに。
しょせん結果論
ほとんどの人は蜀将スレにいるんだろうな…
>>854 それを言ったら何もはじまらないっしょ。
>>851 曹仁伝に呉将陳ショウが襄陽にたてこもったって
あるから一時的に呉は襄陽を占拠してたみたいだぞ
諸葛瑾が蜀にいて、諸葛亮が呉にいたら現世の評価というか知名度は逆転してたかも?
実は結構この二人似ているよね。(兄弟だからある意味当然だが)
問題は「諸葛孔明」にくらべて「諸葛子瑜」では地味すぎることだが・・・・・・
漏れは諸葛瑾の方が好きだぞ
諸葛瑾は疑り深い孫権が全く疑おうとしなかった稀有の人物
諸葛布
驢馬
朱拠って評判高いけどあんまり実績ないよな
864 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/22 21:59
>>856 一時的じゃなくて、南宋時代みたいに襄陽を要塞化して
北からの侵略を防げれば、また事情が違っただろうな。
865 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/04 18:00
ロクに無い
陸遜が襄陽攻めた時、計略が成功していれば…
陸遜が改名した(された?)のは陸遜が死んだ後らしいね
そうだっけ?
872 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 19:16
孫弘って孫権の親戚なのか?
孫弘って誰?
>>872 中書令孫弘のことなら、会稽の人だそうだから孫権の血縁ではないね。
会稽なら孫静系とかそういうことはないかな
いや、言ってみただけで根拠はないよ
太子少傅
gogogogogo
>>856 >曹仁伝に呉将陳ショウが襄陽にたてこもったって
>あるから一時的に呉は襄陽を占拠してたみたいだぞ
おそらく文帝即位間もない頃の事だと思う。
関羽北上の影響で襄陽・樊城は消耗が大きく、魏では呉軍の動向に対して過敏に
なるあまり、二城を破却させ、曹仁を宛まで後退させてしまってる。
結局、この時の呉軍とは戦端が開かれなかったみたいだけど、この時に占拠され
たんじゃないかと思う。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 18:26
という事は、孫権が呉王に封じられた時に襄陽を返還したのかな?
後々の事を考えると、かなり勿体無い事したものだ。
881 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 18:33
襄陽を維持するのが難しいってこともあるんじゃないか?
>>880-881 原文では「焚棄」とあるから、火をかけて徹底的に破却したものと思う。
二城は川を挟んで存在するし、維持も復興も困難で一時的にしろ戦術的価値は
薄れただろうね。
ただ、戦略的な価値まで薄れてるわけじゃないので、ここを放棄した曹丕が後悔した
というのはわかる気がする。
>>882 魏は襄陽・樊城を一度、廃墟にして
その廃墟を呉軍が占拠したの?
それをまた魏軍が奪い返しに来たという流れ?
そういうことだろうね
何で謹は弟に次男を差し出したん?
友好の為?
次男は聡明らしいのに。漢中でアボーンなんてもったいない。
孔明に最初子供が出来なかったからだったはず。
養子貰ったら子供できたんじゃなかったっけ。
お兄ちゃんも聡明だからこそ弟に託したとか…。
実家じゃ次男でも貰われ先では長男だからな
袁紹のようになってくれれば良かったのにネ
一般世間の蜀マンセーが嫌いで、
圧倒的な国力を誇る魏にまったく魅力を感じないで、
所謂"天邪鬼"で呉が好きになってしまった俺は、
呉キチ失格さんですか?
はい
と言われたら、どうするつもりですか?
まあきっかけはなんであれ
呉もいろいろと調べてみると面白いよね
演義のせいで影が薄くなってしまったきらいがあるけどさ
思ったより色んな人がいて、
思ったより孫権に殺されてるよね。
呉が嫌いなんだね。晩年はアレだけど孫権好きなんだけどなぁ
孫権おもしろいよね。
良くも悪くも人間味があふれてる。
孫権はよく分からん所があるよね
厨さ全開な所もあれば思わぬ内政手腕も見せる
晩年は孫権の暴走を止められる人がいなくなったってのもあるけど
ある種のアルツハイマーだったのかなぁ?
だと思いたい。
陸遜ほどの功績のある人に対してすらあの仕打ちはなぁ。
名族を掣肘したかったんだろう
でも朱然には優しい。
何故なんだろう?
900
孫権はもともと猜疑心が強くて偏愛の激しいタイプだったはず。
晩年になって判断力が鈍ったためにそれが前面に出て暴走したんだろ。
偏愛……あーそんなかんじだな。
そのへんはちょっと魏の曹丕あたりにも通じるとこがあるかもしれんが。
>899
朱然つーか朱治って名族なんだっけか? 朱桓あたりとは別の家だったような…ウロ
若い時は判断力があったから、自分の嫌いなタイプでも
合理的に考えて上手く使いこなしてはいたんだよな。
晩年になってその判断力がなくなったから…
孫権は優秀な孫登が死んで残りの息子に不安を感じたんだろう
陸遜がその気になれば皇帝に取って代わることも不可能ではないし
後継者問題をダシにして士族たちを争わさせた
士族でも抜け出てた陸家・顧家の当主を中央から引き下げ
もう一方の全家・歩家らの推す孫覇に自殺を命じさせる
これで士族たちの権力を弱らせ、孫一族の権力を強めることができた
功臣が被害を受け国力衰退にもつながったが孫家の実権を強めることには成功した
若い頃から張昭、四大名族に頭の上がらなかった孫権が最期にとった
江南の権力構造の大改革という見方もできないだろうか
何かの本とかにすごく影響を受けてそうな意見だけど、
そういう好意的な解釈があってもいいかもしれないな。
孫権は晩年で大減点されてるし。
混乱が原因で国がすぐに滅びたわけではないから
袁紹や劉表、劉禅らのマイナス点に比べたら
まだマシだな
>904
しかしそう言った権力強化は国や制度が完成してから行うべきもので、
もしその観念が孫権にあったのだとすれば
中国全土の、ではなく分割した一地域の皇帝として満足してたということになる。
なんともスケールの小さい皇帝だ。
>>907 >しかしそう言った権力強化は国や制度が完成してから行うべきもので
逆だよ。
創業期に版図拡大に寄与した諸豪族の勢力や影響力もまた、主家の拡大に
伴って大きくなっていくから、時間が経てば経つだけ勢力を削減するのは難しくなる。
はなっから豪族の連合に支えられた孫呉政権ではなおさら。
>>904 下手をすれば、呉という国が二国に分裂してしまう危険性があるので、
そんなことを考えても実行に移そうとはしないと思う。
910 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/29 19:02
>>904 >これで士族たちの権力を弱らせ、孫一族の権力を強めることができた
でもその後権力握った孫一族が、孫峻だの孫チンだの孫皓だのDQNばかりだからな。
もっとマシな孫一族は居なかったのか?
匡、朗、亮、秀
>>907 所詮、呉の地方政権だから皇帝になっても
絶対的な権威を欲せず、不安材料を残してでも
豪族と調和して自国より強大な国と戦う姿勢が
皇帝としてスケールがでかいと言えるのか?
良く見たとしても並列する皇帝を
"皇帝"と呼べるのかという気はする
おまえら三国志そのものを否定してませんか?
>>899 朱然はガキの時分からの学友だからな。名家の出でもないし。
>>902 朱桓とは別の家→正解
堅パパとつるんでいたくらいだから名族ではないでしょ。呉の4姓とは別
朱治とか呂範ってすげぇ便利だよな
なんかもう何でもできる感じだ
誰かの伝に、
兵の賄いを頼んで、いとも簡単に用意してくれてびっくらこいた っていたな。
周ユだったけか?用意したのが陸家だっけ・・・?
魯粛じゃなかったっけ?
二つある蔵の内一つをあっさり周ユに渡したってやつ。
違ってたらごめん。
俺は、単に
>>917が色々な事物をごちゃ混ぜにしてるだけ、と思う
魯粛はいいヤツだよね。演義のは酷すぎる…
いいやつっていうか
なかなかの切れ者
んで結構ゴマすりがうまい
孫権が「馬引いてやろうか?」の件なんか
意外と大胆だよね
演義だとそんなイメージあまりないけど
あまりないというより、全くない
演義では単なる諸葛亮の道化師だな
羅貫中も罪な香具師だ
羅貫中氏ね。呉をあんなんにしやがって
>>924 羅漢中はこれまであった説話などをまとめただけで自ら創作したわけではなかろうに……
三国志平話
>>925 様々な文学作品をきちんと読んでみろ。
お前の言うような「創作」はまず存在しない。
無から有が作り出せるとでも思ってるのか?
ごめん、流れよく読んでなかった。
演義成立における羅漢中の功績を知ったかで軽んじてるのかと勘違いしますた。
演義で無能な分正史で光る
正史志向になったら演義の道化も
あまり気にならなくなった
a
呉範、張達伝がおもしろい
あのハイ松之も好きみたいだし
裴松之大嫌いです
936 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 14:06
俺は羅貫中の方が嫌いだ
(´-`).。oO(カンチューハイなら好きなんだが)
呉ファンなら誰だって正史の方がいいよね
>>937 俺も俺も
演義は扱いがヒドいってか贔屓すぎ。
いいじゃん?
史実曲げてまで、聖人君主に奉られるよりはさ
諸葛亮も演義では大天才扱いだから
正史の堅実な性格に落胆する奴もいそうだな
俺そんな諸葛亮好きだよ
諌言と人格面では兄貴の方が上じゃないかと思うんだが
自分はかなり驢馬贔屓だ
944 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 08:32
驢馬も息子がもう少し性格良ければな・・・
驢馬最悪だよ。
金貸してもすぐ返さないし。
相手にウケがいいように思われるけど周りはけっこうボロクソ言ってるよw
まあいずれ奴にもわかるときが来るだろうけどw
946 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 10:03
何はともあれ陳武は最強なんだよ。あいつ妖怪だったをだよ
947 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/04 15:15
そしたら士燮はどうなんの?
948 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/08 22:14
コーエーはいい加減に孫邵を出せよ!
ついでに蜀にも陳祗くらい出してやれ!
むしろギランを
950 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 04:45
>>938 演義のメインストーリーはあくまで魏対蜀だから…呉は秀吉と家康の間に立つ織田信雄程度の扱い。
951 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 19:06
孫邵の能力値はどれくらいだ
952 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 19:30
夫差は使えん
953 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 02:20:30
孫武は使えるよ
伍子胥モナー
955 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 21:54:09
>>951 呉の住人押しのけて呉の初代丞相になるだけの力はあっただろう。
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>>955 蜀での劉[王炎]みたいな感じだったのかも。
958 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/17 08:33:08
age
959 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 12:15:49
保守
孫邵と劉琰か。似てるようだけどちょっと違うね。
大きな違いがあるだろ。
962 :
無名武将@お腹せっぷく:
保守