【抜刀】足利義輝はどれほど強かったか【将軍】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1無名武将@お腹せっぷく
ttp://pozyu.hp.infoseek.co.jp/yositeru.htm
ここみて義輝将軍陛下の偉大さを知った。
戦死は知ってたがこんな壮絶な死に方を将軍がするとは
ビクーリした。足利義輝の男気に惚れますた。語ろう。
2織田信長 ◆Q1haaa.... :03/01/11 00:20
デ、アルカ
3町費欲特 ◆09nxRlwfag :03/01/11 00:21
大河の信長め〜〜!がよい
4無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 00:21
>>2
デ、アルヨ
とりあえず何度も語るスレが出ては100レスかそれくらいして忘れられるスレ。
たまには剣豪以外の側面から語ってみよ。
6皇叔 ◆CG94DATANg :03/01/11 00:23
>>3
それは弟の方じゃねーの。
7町費欲特 ◆09nxRlwfag :03/01/11 00:25
義輝のスレか・・・
8町費欲特 ◆09nxRlwfag :03/01/11 00:25
義輝のスレか・・・つまんないな
9無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 00:29
信長の野望で室町幕府の復権を目指して足利義輝でプレイしたこと
もあったな。
10無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 00:29
>>3
恥ずかしいな。
11皇叔 ◆CG94DATANg :03/01/11 00:31
>>9
あったあった。
確か室町幕府を再興したと表示されなくて残念だった記憶がある。
12町費欲特 ◆09nxRlwfag :03/01/11 00:32
>>10 別に?
13無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 00:32
立ち上がれ沈黙の患者
不誠実な損保、弁護士、そして医師
その全てに挑戦するHP
ttp://akumahoken.com
14無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 00:35
>>9
俺もやった。というか俺は毎回やる。
15皇叔 ◆CG94DATANg :03/01/11 00:36
>>14
義昭ではやらないのか?
俺はやらないが。
16無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 00:37
>>15
義昭では燃えない。
手紙送りまくりプレイが可能ならやるんだが・・
17皇叔 ◆CG94DATANg :03/01/11 00:40
>>16
手紙送りまくりが可能なら今すぐにでもやりたいな。
18無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 01:09
薩摩の東郷だっけ?あの人誰かと戦ったとかとか資料ある?
探したんだがマイナーなためかなかなか名前が見つからん。
うろ覚えなとこもあるが
19無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 01:25
将軍陛下とはなんぞや
20無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 01:26
19は独眼鉄
剣豪将軍、生きていたらどうなったんでしょうね。
おそらく完全武装の敵兵相手に刀か太刀のみで立ち回るってのは尋常じゃあないですね。
ほんとうに、すさまじい腕だったんでしょう。
なまじ強すぎただけに早死にしてしまったな。
弟みたいに逃げ足が早ければどうなってたのだろう…
23無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 11:58
ま、剣の腕と合戦の強さ(部隊統率)は
全く別物ですからな。

つーか義輝は合戦に出たことあるのか?
24町費欲得 ◆09nxRlwfag :03/01/11 12:09
義昭でないと燃えない
25無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 12:29
将軍義輝が兵を率いるだけで
士気倍増
大将が豪腕に越した事はない。
当時の兵隊は瓦解しやすいので、
大将は豪腕でなければならない。
プラス役職
此最強也。
26無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 12:44
用兵とか作戦は甘かっただろうけど、
やっぱ義輝個人の豪腕さから兵もちとは
士気が普通の武将より高かっただろうし
統率がとれてて部隊そのものは強かったと思う。
いや、そう思いたい。義輝好きだから(藁
足利義輝公に魅力を感じた者が集うスレ(日本史板)
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1023799623/l50
28:03/01/11 13:16
>>27
誘導すまん。sage。
>>28
板が異なるからそれは構わない。
ただの紹介に過ぎないかと。
3027:03/01/11 13:32
>>28
紹介だよ。こちらこそ済まない。相互に含蓄するものがあると思うので、
交流が出来ればと思い貼らせてもらった。
31:03/01/11 13:42
いや、明らかにこっちの方が盛り上がってないので・・・。
32良照:03/01/13 02:20
>>23
確か足利義輝は義藤と名乗っていた時に前線に出て、三好長慶と戦ったと思いますよ。親父の義晴と一緒に。
もちろん細川晴元にバックアップしてもらったんですが。
刀振るって人を斬ったのは多分死んだ日が初めてだと思うけど・・・
33無名武将@お腹せっぷく:03/01/13 02:23
>>32
文字通りの真剣試合はしなかったんですかねやっぱり?
☆剣豪将軍足利義輝☆
http://salad.2ch.net/warhis/kako/984/984379156.html
★★  室町幕府再興評議会  ★★
http://salad.2ch.net/warhis/kako/987/987259911.html
足利義輝!!
http://salad.2ch.net/warhis/kako/993/993481059.html
足利義輝が集めてた刀
http://salad.2ch.net/warhis/kako/995/995229679.html
足利幕府再建に命かけるスレ
http://salad.2ch.net/warhis/kako/1001/10019/1001996647.html
俺足利義栄だけどなんか文句ある?
http://salad.2ch.net/warhis/kako/1002/10024/1002463037.html
剣豪将軍・足利義輝
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1008/10089/1008961638.html
足利義輝 VS 足利義昭
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1014/10145/1014530409.html
足利義輝かっこいい!
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1016/10160/1016033128.html
剣豪将軍!足利義輝!
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1029/10296/1029608156.html
細川晴元 vs 三好長慶
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1027766741/l50

三戦板の過去スレならびに関連スレをあつめてみました。
とりあえず、こんどのこのスレは落ちないように、
あまり信憑性のない軍記物や講談・偽書などもふくめて
不定期的に駄文でも書き連ねていこうかとおもいます。
とりあえずまとめて>>32-33たん。
江戸時代初期の俳人である松永貞徳が著した『戴恩記』には
「将軍は夜な夜な辻斬りを楽しむような悪御所だったので、
このままにしておくと天下に災いをなすことを恐れた三好家は、
松永久秀らとともに御所を兵で取り囲んで切腹に追いやった」
という記述があります。

貞徳自身は義輝死後の生まれですが、
彼は細川藤孝の直弟子ということもあり、
当時のことを藤孝から伝聞し、いろいろと語り残しています。

しかし、この話自体は
将軍義輝に殉死しなかった藤孝を擁護するためになされたものなので、
その信憑性はなんともいえませんが。
36良照:03/01/13 14:12
>>35
まあ真実はわからんてのが歴史の神秘なのかも・・・・

でもこのスレッド、義輝マンセースレみたいだから、
あんまり彼の悪口は言えませんね。
まあ悪将軍だったら、上杉と武田の講和や尼子、毛利の講和を斡旋したり、
有力諸大名に上洛を命じたりする政治的センスはないでしょうね。
処世術に長けた細川藤孝の自己弁護でしょうね・・・
実際のところはわからないが・・
>がばろんさん
『戴恩記』の筆者松永貞徳は、松永久秀の縁者(一説に久秀の孫)で、
久秀擁護派の最右翼すね。義輝辻斬りの話は、久秀擁護の為に作られた
可能性もあるんじゃないかな。
39無名武将@お腹せっぷく:03/01/15 14:54
すぐに三好に潰されるからクリアはまず不可能。浅井や六角と同盟しても無駄。
40無名武将@お腹せっぷく:03/01/15 17:55
三好の家臣は雑魚ばっかりだから何とかなるよ
>>5の予言通りになりかけてるじゃないか
ここに書き写そうと、
帰り図書館によってきたけど、戴恩記みつからなかった。
もう少し大きな図書館に行ってみよっと。

>>36 良照たん。
細川藤孝による自己弁護というよりは、
貞徳が勝手に藤孝を擁護しているという感じですね。

>>38たん。
おそらく、その可能性もあるかと。

江源武鑑の現代語訳サイトをみつけました。
江源武鑑は江戸時代に作られた偽書という疑いも濃い本ですが、
室町時代末期の近江のできごとを記した書物です。

この江源武鑑のなかから
将軍と同じく三好の兵に殺された将軍の弟周ロの話を。
私自身は、この本は未見ですが。
北山鹿苑院の門主周ロを討ち取るため、
平田和泉守、同大膳助の二人の兄弟が遣わされた。

平田兄弟は恵比須川にて後ろから門主に斬りつける。
これがはずれて肩先を斬り、門主は振り返って、
「僧侶の首ぐらい、未熟な腕でもきちんと斬りたまえ」と言う。

和泉守が再び討とうとする所を
門主の小童の箕屋小四郎という者が走り寄って
平田和泉守を一太刀で斬り殺す。
門主は半ば斬られながらも少し笑って
「汝とは必ず来世にても会おう」と仰せになる。

小四郎は走り寄って門主の首を打ち落とし
そのまま自害しようとするが、和泉守の弟がこれを討とうとする。
小四郎は「自害する者を討とうとは情けない、
汝は吾を介錯しようというのか」と申すが、
ついに大膳助は小四郎を討ったということである。
http://www6.plala.or.jp/gousyuu/bukan/kan11.html

# フロイスの日本史に記された
# 将軍の側室小侍従の最期とちょっと似ているかも。
44無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 01:43
小侍従ってどんな死に方したの?
45無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 02:35
史上最強の剣術将軍でよろしいか?
46無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 04:08
>>43のリンク先の「屋形」って誰のこと?
っていうか、それでたらめじゃないの?

・・・あ、偽書なのか(w
ここみるとすごい。ttp://www6.plala.or.jp/gousyuu/nenpyou.html
完全に小説ですな。
宮本昌孝「剣豪将軍足利義輝」はおもろかったな。
将軍が全国行脚して、東は常陸の塚原卜伝に一の太刀を伝授してもらい、
西は「嘉靖大倭寇」王直に会い、という感じでとにかく話が壮大でよかった。
48無名武将@お腹せっぷく:03/01/20 23:14
小侍従ってどんな死に方したの?
49無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 00:10
将軍様・・・
50無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 07:36
お世辞を言っても嫌味に思われないくらいの強さだろう
51無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 07:54
強いわけが無い。
このなかに剣道やってるやつはいないのか?
新陰流免許皆伝ともなると毎日毎日何時間も練習しなければ無理であろう、しかも竹刀など無い時代木刀でだ。
将軍が耐えられるだろうか?誰が将軍を木刀で打てようか?
>51
それはキミだけの常識かもね
53無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 08:38
>>52
そういうことにしといてやれ
54無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 10:19
>>51
将軍つっても戦国時代だしな。
江戸の平和期のような基準で語られてもな。
義輝が実際強いかどうかは別だがよ。
戦国中期、剣術に強いと言うのは、貴人にとっては誇るどころか
恥じるべき事だったのに、それを極めたのは、どういう性分なのだろう?
>55

案外、広い心を持った良いお殿様だったのかもしれん
57無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:12
>>56
徳川幕府の初代将軍も
奥山流の免許皆伝だったね。
>>51
剣道で語るなよ(ばか)
おまえは人斬ったことないだろ。そんな人はいないよ。
誰にもわからないから、体験で批判はできないんだよ。

明治になってから幕末剣豪を論じ合っても
たいしたことはわからなかったらしいし。
戦国中期じゃ、推測するしかないでしょ。
あと貴人の作法をうんぬんする以前に
将軍として幕府弱くて申し訳ないと逆切れしたんだと推測します。
そうだとしたら、それはそれでいい人だよ。
59無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:19
>おまえは人斬ったことないだろ。
どうでもいいがワロタ
今で言うと総理大臣がK−1やるようなもんか?
61無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:22
>>60
さすがにそれはちょっと違う。
このスレには人斬りがいるな。
つーか総理大臣(幕府権力者)はべつにいるから
鳩山ゆきを
とか
加藤宏一とか
へたれ政治家のくせに、格闘技をはじめるようなもんだな
>>62
よくよめよ(>>58)
>>人斬ったことないだろ、そんな人はいないよ
って書いてあるやんか。
剣道って騒ぐ奴は(そもそも剣道を教える側の人は喧嘩へつかっちゃ
だめって教えるらしいから)、人を叩くことすらしないでしょ、試合
でしか。
次元違うんだから、剣道厨は剣豪を語るなよなって意味だよ
65無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:26
的外れな例えほど議論を混乱させるものはない
66無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:28
武門の頂点である征夷大将軍を
今の政治家に当てはめることには無理がありますよ
ハジキか。
68無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:32
スレが混乱しています〜〜
とにかく義輝は高く評価されてもいい将軍だった。
全方面でね
69無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:35
沈みゆく組織の中で孤軍奮闘したってイメージが戦国オタの心をくすぐるなw
勝頼なんかも同じ系統だが。
70無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:38
全方面かな?
先見の無さは評価できませんな。
>>69
正確には沈み行く組織じゃなくて、
沈みきって消えてしまった組織を作り直そうとしてたんちゃうか。
京都近辺の小城のとりあいしかできなかったのは無念だったろう
(たたきちゃうねん)
72無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:42
謙信が来たときにさ、松永ども殺してって頼めばよかったんだよ
73無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 17:45
というか京都に固執せずに上杉に庇護してもらえばよかったんだよ
74無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 18:25
>>66
シーッ、いっちゃだめ。
あとどれだけバカなたとえだすか聞きたかったのに−
75無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 18:25
>>72
殺した後はもっとひどい混乱だったらどーんすんのよ。
水戸黄門じゃねーんだから
何で義輝スレが長続きしないか分かった気がする。
義輝は剣豪将軍としての側面ばかりで語られるけれど、
実は義昭のやったお手紙戦略の先輩で、
しかもあれよかずっと着実に幕府機構の再建を目論んでいたように思う。
最近の信長の野望でやたら幕府の役職を諸大名に与えられるようになったのは
正直、義輝プレイを楽しめといっているように感じ取れてしまう。
78無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 19:02
光栄も戦国オタでノブヤボ作ってるみたいなもんだから、義輝の能力はやや高め。
天翔記なんかねえ・・・インフレです。
79無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 19:03
義昭の兄として有名。あと謙信に期待してたらしい。
義輝から名前を拝領した武将って、
長尾輝虎、武田義信、伊達輝宗、毛利輝元、朝倉義景

他にもいる?
81無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 20:15
尼子義久大内輝弘太田垣輝信
82山崎渉:03/01/22 14:20
(^^;
83無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 16:03
重複スレ多いなあ・・・
84無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 21:46
age
85無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 23:48
長慶が健在の内は義輝も安心出来なかったから
護身術程度として身に着けたんじゃねぇの?剣術は。
師匠が塚原や上泉ともすればいい喧伝にもなったろうし。
86無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 23:55
本当は何人も刺客殺しているかも知れないね。
でなかったら、松永久秀もあんなに堂々と軍勢連れて襲わず、
病死させていたはず。
87無名武将@お腹せっぷく:03/01/31 00:59
義輝将軍様万歳!!!!!!
日の本の首領様に万歳!!!

「将軍にしては」強かったということだと思う
8912:03/02/01 21:24
足利義輝は強かったかどうか?と言われれば、正直分からないね。
ただ、大まじめに剣術を習ったのは事実だろう。
歴代足利将軍は、随分ヒットマンに狙われているから。
例えば、6代将軍は家臣赤松の家で能を見ている所を、赤松の刺客に
後ろから斬られて絶命、
「将軍かくの如き犬死、古今例をみざることなり」と嘲笑されたそうだ。
9代将軍は伊賀を攻めている時に忍者に殺されたという説がある。
足利義輝の父も、刺客を撃退した(負傷はしたらしいけど)
・・という武勇伝?を持つんだよね。こういう状況では、必然的に
剣術に打ち込んだろうとは思うよ。

ただ習っていた塚原ト伝の剣術が有効かどうかわからんな。
塚原ト伝の弟子で名のある人物は斬り殺されているんだよね(w
少なくとも、宮本武蔵のように生涯60回の果たし合いを勝ち抜くほど
強くはなかったろうな。
どうもすいません、他のスレで書き込んでいたときのハンドルが
紛れ込んでしまったようです。12さんどうもすいませんです・・

>>44たん。
フロイスの日本史第1部65章。
中公文庫「将軍義輝の最期および自由都市堺」第二三章から抜粋。

「公方様の夫人は、実は正妻ではなかった。だが彼女は懐胎していたし、
すでに公方様は彼女から二人の娘をもうけていた。」

「彼女は身篭っており、男児を出産すれば、
いつしかその子供は成長して自分たちの大敵になり得るので、
是が非でも彼女を殺さねばならぬ」

「彼女の首を刎ねるつもりで与えた強い一撃は彼女の顔を斜めに切りつけた。
小侍従と称されたこの奥方は、「御身はこの務めを果すために参られたるに、
いかにも無様でござろうず」と言った。」
>>46たん。
この文中における屋形とは六角義秀公のことみたい。
http://www6.plala.or.jp/gousyuu/bukan/kan1.html

個人的に壷にはいったのは、
将軍家に、つぎつぎと六本足や八本足の馬が届けられるシーン。(スレイプニル?)

あと江源武鑑といえば、
江戸時代から伝わるある一説に、

「国友での鉄砲製造は、
弘治年間中に種子島を経て日本に来航した明人によって始められた。
この鉄砲製造に将軍義輝も関わっていた。」
というものがありますが、

これのソースも澤田源内の著書によるもので疑わしいとあるのを、
昔、なにかで見た記憶があります。
(たぶん「滋賀県史」とか、そのあたりだったとおもうけど自信がないや。)

http://www6.plala.or.jp/gousyuu/bukan/kan6.html
93無名武将@お腹せっぷく:03/02/07 23:50
>>91
どっから拾ってきたんですか??
中公文庫「将軍義輝の最期および自由都市堺」第二三章
>>93
情報は図書館とかだろ。
93はgoogeだけが情報源。
97無名武将@お腹せっぷく:03/02/08 15:54
>>96
君はそれもできずに駄レスを繰り返すだけのカワイコちゃん。
98無名武将@お腹せっぷく:03/02/08 16:07
>>97
カワイコタン(;´Д`)ハァハァ
>>96
google
100毛乳頭孔明 ◆rpiMulRTOc :03/02/08 17:48
畳に負けた将軍
101無名武将@お腹せっぷく:03/02/08 17:53



【ココア】

チョコレートと同じカカオ豆を発酵させ、粉砕し焙煎したもの。甘みを
足す前のココアは苦く、最近の研究で、殺菌力のあるポリフェノール、
カテキンを多く含み、インフルエンザをはじめ各種のウイルスを殺菌す
ることが判明してきた。古くはヨーロッパで王侯貴族にしか飲めない
「不老長寿のクスリ」として重宝され、日本では大正時代に入り、全国
へ広まった。


102無名武将@お腹せっぷく:03/02/08 19:02
義輝としては、
1)本人の技量
2)窮鼠猫を噛む、的な必死の力が配下から期待できる
3)地の利。不案内な家屋内は敵にとっては迷路みたいなもの
4)天井が低い家屋で長物を振るうより日本刀の方が有利だった可能性

など、有利な要素もある気がするので、それなりに奮闘したのだとしても
不思議でもないのでわ
103無名武将@お腹せっぷく:03/02/08 21:09
暗殺者が事前に調べてないとは思えんが。
それに暗殺側は三好&松永なんだし。
>>103
それで出した結論が「大軍で包囲して殺す」だもんな。
あの弾正ですら、相当義輝を手ごわい男と見たと言う事だろう。

もし義輝がただの馬鹿だったら、何人かの三好一族みたいに
「何でこんな時に」というタイミングで病死していたであろうに。
105無名武将@お腹せっぷく:03/02/09 11:31
>>104
いや、万一逃して他の有力大名のトコに逃げられたら
うるさいことになるからだろう>軍勢で包囲
106無名武将@お腹せっぷく:03/02/09 13:05
斬鉄剣対決
将星録足利義輝vsルパン石川五右衛門vsFFオーディーン
107無名武将@お腹せっぷく:03/02/09 13:08
>>106
五右衛門が「流星」で全員一刀両断。
スカウタ−壊れるぐらい義輝は強い
109無名武将@お腹せっぷく:03/02/09 16:38
>107
義輝が一番だろ。
湾岸戦争の時は、蝗の如く飛来するスカッドミサイルを斬っては捨て斬っては
捨て・・。白兵戦が始まっては重代の銘刀を背負って共和国防衛隊の大軍に
駆け入り、白刃一閃、T−72の前面装甲を一刀両断す・・

当時のブッシュ(親父)も感嘆し、「刀技の冴え三千世界に冠する」と言わしめた
らしい。
110無名武将@お腹せっぷく:03/02/10 02:37
??
何のネタ?
111無名武将@お腹せっぷく:03/02/10 02:42
将軍vs蒟蒻切れないvs会社が赤字

将軍様の勝ち
112無名武将@お腹せっぷく:03/02/10 08:12
残るは、某国将軍様との頂上対決だな。
113無名武将@お腹せっぷく :03/02/11 01:08
NHK「その時 歴史が動いた」第124回

乱世を制するリーダーの条件
〜湊川の戦い 足利尊氏、決断の時〜

放映日
平成15年2月12日(水)
21:15〜21:58  総合
114無名武将@お腹せっぷく:03/02/11 01:35
義輝ってアレだろ?
京都追われて近江に逃げてる間、
元号変わったのを知らずに手紙の日付に旧元号使ってたんだろ(プ
115無名武将@お腹せっぷく:03/02/11 07:33
>>114
現在とは違うのだよ

と、釣られてみる
116無名武将@お腹せっぷく:03/02/12 02:39
判官贔屓もいいとこだ
117無名武将@お腹せっぷく:03/02/12 03:15
日経連載中の池宮彰一郎の「平家」は凄まじいぞ。
判官贔屓(藁
>>93たん。
フロイスの「日本史」は中公文庫で全訳が手に入るので手軽で便利。
ほかに(たぶんドイツ語訳版からの重訳である)平凡社の東洋文庫版もあります。

でも小侍従の死については、
この事件の何十年もあとに編纂された「日本史」よりも、
事件直後に書かれた書簡を収録してある「イエズス会士日本通信」のほうが
いろいろ詳しくておすすめ。(手元にないから書き写せなかったけど)

あとは妊娠していたという記述はないものの
小侍従が知恩院で殺されたということは、
ほかの史料では「後鑑」などにも記載されていたとおもいます。

# たしか「後鑑」の拠っている史料は「東寺過去帳」や「足利季世記」だったとおもう。
# あやふやな記憶にたよっていて、確認してないから違うかもしれないが…。
>>114たん。
そういえば足利義輝・明智光秀、同一人物説のサイトでは、
将軍は改元の事実は知っていたが、
あえて旧元号を使い続けていたという説を唱えていたと記憶しています。

# これが、どこまで信憑性のある説なのかは知らないけど、
# だとしたら関東公方、持氏・成氏の正長・享徳元号や、
# 堺公方、義維の大永元号のような感じ?

まあ将軍に通達なしで勝手に改元されてしまうところからして、
幕府の権威、ここに尽きたりという気はしないでもないが…。


でも、むりやり判官びいて、
そんな幕府の権威がまったく、つきていた状態から、
幕府を復活させた義輝たんは、すごいなあとおもいました。
という結論に、むりやり持っていってみるテスト。
そういえば「戴恩記」には、
細川藤孝は塚原卜伝に剣術を習っていた、
という記述があるのも、おもしろいところ。

もちろん「戴恩記」は>>35に書いたように、
義輝を悪御所呼ばわりしているような本なので、
義輝と卜伝の関係については、いっさいふれていませんけれど。