無駄な北伐を繰り返して戦費を費やしていたとどっかのHPにはあるが
本当に無駄だったのか?というか劉禅が降伏した後、姜維はどうやって死んだのかを語ろう
2 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 14:54
無駄
3 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 14:55
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
5 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:09
6 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:10
ちなみに姜維って死後は刀でミンチ肉にされたんだっけ
肝が常人の倍くらいの大きさがあったとか
孔明の北伐も無駄だったと思う
8 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:26
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
10 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
11 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
赤壁の戦いも無駄だったと思う
12 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
13 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
14 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
15 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
16 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
17 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
18 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
19 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
20 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:27
きょういさいこーだいすきけっこんしたいぶしょうなんばーわん
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:28
はやくも厨スレと化したな…。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:31
…さて、落ち着いたところで、何を語ろうか。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:35
姜維の第一次北伐からだろ。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 15:49
そりゃ無駄でしょ。結果的にプラスになったもなんてほとんど無かった。
魏延が設置した漢中の防衛ラインの兵まで使って北伐して、結果漢中あっさり陥落しちゃったし。
誰か無駄じゃなかったって言ってくれよ
26 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:18
きょういかっこいーしょくさいこうのぶしょうまんせー
話のネタになったんだし、それで演義も盛り上がったんだし、
後世の人が姜維の北伐は云々と面白がることが出来るだけでも
無駄じゃないよ。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:22
なあ
>>1よ,DQN工房にもいい人はいるぞ!
数年前,歌舞伎町を歩いていると,重度と思われる知的障害者が目に入った。
そして彼を見つけるなり,今風の若者が知的障害者の真似をして彼に近づいていったのだ。
僕をはじめ,まわりの人間はその酷たらしい光景に気がついていたが,見て見ぬ振りをしていた。
すると,いかにもDQN工房の人が駆け寄り,「テメェ,人間として最低なヤツだな!」と言うと,
胸ぐらをつかみ数発殴ったのであった。
だが,殴られたのは障害者をからかっていた若者ではなく,障害者本人だったのだ。
しかし,DQN工房はそれに気づかず,「いつまで障害者のフリをしてるんだ!
一生そういう風にしなくてはならないようにしてやる!」と完全にキレてしまった。
それを見ていた僕は「こんな都会の砂漠で,DQN工房の親切に出会えるなんて」と,ちょっと感動を覚えた。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:30
官渡の戦いがむしろ評価過剰気味なのが気になる・・・
30 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:32
北伐は無駄じゃないよ。
豪族をこちらにとどめるために、北伐は政治的に必要な条件だった。
ただ、姜維の場合は国力を省みずやったから、結果は蜀滅亡。
諸葛亮のように内を充実させてからってのができなかった。
>>30 豪族ってのはあんまり戦をしたくないんじゃないかな?
さらに敵は強大だってわかってるんだし。
戦争が何で豪族をとどめる手段になるんだ?
32 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:37
>>30 …それは諸葛亮の北伐じゃないのか?
姜維の北伐はどう考えても自分の趣味でやってるだろ。
つうか、リョウ化とか張翼とか董蕨、諸葛センまでもが嫌がってるんだから「豪族のため」は無い。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:42
「無駄」というより「無謀」
34 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:48
「無謀」というより「無念」
うっせーなー俺は魏からの埋伏の毒なんだよ最後は欲出して殺されたけどな
36 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:51
>>32 諸葛亮北伐が無駄!?北伐がなけりゃ三国志演義はそんざいしなかったかもしれんのだぞ!
>>36 お前は知障か?
そんなの蜀にとっては関係ないだろ
武将の名を借りて調子に乗るなカス
39 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:55
三戦板の存在意義に関わる問題だな
きも
42 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 16:56
>>42 馬鹿がもう1匹。この板でそんなの関係無いぞ
44 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:58
>>31 挙国一致での戦時態勢を整えられたなら、少なくとも内部分裂等の内憂を防止する
ことはできる。
かなりの政治手腕と大局的な視野がもとめられるが、諸葛亮には十分にその実力が
あった。
姜維は完全に軍事面での戦果をあげることにのみ埋没したために、国内が腐敗する
結果を招かせた…ってことではないか?
まぁ名を借りるくらいなんだから、
半端じゃない知識と気概を持ってるんだろうな。
姜維の生まれ変わりかもな。
まずは語ってみたらどうかね?
46 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 16:59
姜維は自意識過剰
∂
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| ・ ・ |
| |
⊂ ヽ__ __/ ⊃
ノ  ̄ ̄ ( ばけらった
(_________________________)
わぁーリアル姜維だー凄いなー
親にも姜維って呼ばせてるのかな?
姜維ーごはんできたよー
52 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:02
十分に脅威だな
53 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 17:03
>>47 トリップつける勇気もなくて調子に乗るなカス
じゃあな俺は逃げる
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:04
>>48 煽りに反応しかできない糞コテは帰っていいよ
>>53 トリップつければカコイイと思ってるお前は駄目人間
57 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 17:05
俺マゾの姜維だけどなんか聞きたいことある?
>>56 コテ名乗ればカコイイと思ってるお前も駄目人間
60 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 17:06
>>56 トリップつけなければカコイイと思ってるお前は駄目人間
この速さなら言える!!
「ちょっと、ウンコ飛び出た!!」
63 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:07
64 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:08
微妙に祭りだね
>>57>>60 お前に質問なんかねーよマゾは氏ね
鸚鵡返しってネタが尽きたか中学生
>>59 俺が駄目人間ならお前は人生の敗者かな
66 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 17:09
みんな、落ち着け
姜維の胸囲は驚異的だな(w
釣れた釣れたw
挙国一致と、実際の戦争は、どれほど関係があるのだろうか?
例えば、イラクなどの体制は良く出来ている。あんなのは別に
戦争を仕掛けなくても維持できる挙国一致だろ。
諸葛亮が北伐を繰り返した理由はなんなんだろうか?
実際に動員をかけないと、どこかの王様みたいに信用を失うてことかな?
また、挙国一致が崩れる一因には生活環境の悪化があって、
姜維の北伐はその点では失敗だといわれれば頷けるが。
72 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 17:10
73 :
姜維 ◆AV2Mp0UULk :02/12/15 17:11
69=保科=知障
劉禅のスレでも書いたけど、
姜維が北伐はじめる前にすでに蜀の政治が破綻してて
戦争行為や大赦なんかで無理やり纏めないとどうにもならなかったんと違うか?
>>71 欲しがりません勝つまでは!
このスローガンで高い税金や遅々として進まない公共事業への
不満を和らげることができます。
というか
>>1は
劉禅が降伏した後、姜維はどうやって死んだのかを知りたかっただけ
トリップはずす
>77
反乱起こして失敗してザコに殺されたんじゃないっけ?
80 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:15
>>72>>75 本当に姜維が万能人間なら政治をしっかりさせ、十分な勝算をもって北伐するはず
>81
誰がいつ万能っつったんだよ。
ただの軍人だろ。
真面目なスレになると俺が住めないじゃねーか!!
白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しきって言うだろ?
>>71 国家の存在意義や国是など、検証しなければならない要素は多い。
劉備の遺勅によるため…などという結論は短絡的すぎるが、蜀の恒久的な生存を
図るための領土(人口、生産力)獲得のためでもあったのは、どこぞのスレなどでも
既出だろうさ。
姜維は鍾会も道連れだぜ?迷惑なDQNだな
87 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:21
さーて誰もいなくなったし自作自演でもするかな
ほしがりません勝つまでは、と言っていたドイツも日本も
実際に敗北色が漂い始めると、その責任は上に向かう。
しかし一番上(ヒトラーや天皇)は最後まで支持を失いにくく、
現場責任者や参謀などが槍玉に上がる。
孔明が支持され、姜維が支持されない秘密もここにあるんじゃないかな?
姜維は現場責任者・戦争責任者として周りから見られるから、糾弾されやすい。
孔明は最高責任者として支持を失いにくく、周りの馬謖なんかが斬られる。
この立場の違いが支持不支持にもかかわっているんじゃないかな?
姜維「劉禅うぜーんだよ兵よこせ魏の皇帝殺してやるからよ」
劉禅「ブヒー(はい分りました)」
これが真実
91 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:25
>>90 はいはい 分かったから知障は損権スレでも荒らしてなさい
>>89 いや、この蜀に限って言えば、両者の決定的な資質の差にあると思う。
諸葛亮は公明正大で厳格な法を施行し、国内に不平不満を生じさせなかった。
姜維の場合、政略どころか軍政すら稚拙。
まぁ、他にも要因は多すぎるんだけど…。
>>91 誰かが俺の名前かたって突っ込んだぞ
>>92 蜀兵を殺すことが俺のストレス解消ほう
姜維「また北伐してくっからよお前は黄晧よヤッテろよ」
劉禅「ブヒー(はい分りました)」
そういうことだ
埋め立て
96
97
98
99
100
暇なんだね…かわいそ。
正史マンセー派には蜀が潰れた理由を姜維に全て押し付けるヤシが多い気がする。
今スクリプトで各板あらされてる中、手動で埋め立てだもんな(w
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 17:36
まぁ実際に姜維がもっと政治をうまくして諸葛亮のような最高責任者にになれば
不平不満を隠すことも、挙国一致を強めることも出来ただろうし、
それが出来なくても戦が途方もなくうまかったら、
例え義経のように失敗しても、その評価や人気は上々だろうな。
中途半端が失敗すると、全ての責任をおわさっるってことかな。
しかしあいつの出世も凄いな。裸一貫からなんだろ?しかも敵から逃亡の。
せめて蜀で一からの叩き上げだったら、もっと出世して有利になれたかも?
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 18:33
姜維が死んだのは劉禅降伏後、蜀兵は無傷の状態に近いものがあり鐘会のつれてきた兵10万と合わせるとかなりの数がある
それに蜀は天険の地。魏からの使者もなかなかこれず、姜維が鐘会の野心につけこんで蜀をまた再興させようと計略を練り
魏の鐘会もその計略にはまって魏に対して叛乱を起こすがそれが未然にばれたため反撃にあい、そんとき姜維も死にますた。
一説では、その迎撃にでようとしたとき姜維自身は病から死んだわけで・・・
また、一説では叛乱を起こしたけれども参陣するものがあまりいず敵兵5人を切って年と病のため力尽きたともあるわけで・・・
ただ、両方に言えるのは鐘会は首を切られたけど姜維は病死のため首はつながったままだったとか・・・。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 18:55
姜維は将軍としての能力だけを見ると一流だと思われます
108 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 19:54
>>92 よく孔明は不平不満がなかったとか言われるけどそれマジ?
魏略かなんかで国中すべてその厳罰を憎んだとか言う記述なかったっけ?
まぁ、100%本当じゃないだろうけど不平不満がなかった(少なかった)っつうのは陳寿の嘘だと思うんだけど。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 19:58
事実でしょ。
嘘だと思うならその根拠を聞かせて欲しい。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 20:01
このスレにまで荒らし厨がいるとは・・・・・・
日曜日だとリア厨が増えるね。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 20:11
>>109 だから魏略(かなんか)。
あとどの時代でも厳罰主義の官僚は嫌われがちな傾向にあること。
っつか、自分高島俊男厨です。そういうこと。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 20:17
そんなこと書いてたっけか?
魏の将軍の誰かが「諸葛亮は厳罰主義で人心は国から離れてるんで、蜀討伐したいなー」的なことは言っていたような気もするが。
>>108 完全な真実とは思えないが、外征を繰り返しながらも国内の不平不満が表面化させな
かった事実は、評価して余りある。
後年の姜維の例をみれば、明らかでは?
ちなみに諸葛亮の定めた軍令は司馬昭が高く評価しており、晋に至って採用されている。
ていうか焦ったんじゃないの?あまりにも蜀自体が堕落していて
北伐で勝利を得れば少しでも国が引き締まるとおもったとか。
>>114 諸葛亮の死後、ショウエンやヒイらによって国内は大過なく治まっており、
別に蜀は堕落してない。
姜維自身、有力な門地がないため、戦功をあげて蜀での自身の立場を、より
強化したかったのではないだろうか?
でも途中でヒイは殺されたじゃん
>>116 その一事をもって、蜀の国情を堕落と是認することはできないと思う。
>115
ではなんで大赦が連発されたのか?
国内が宮廷が堕落してたからではないの?
魏を敵対視しないと、蜀の存在意義が無くなります。
ヒイは宴会と博打好きじゃなかったっけ?
この時点で堕落しているような気が。
>>1 よお相変わらず寝ぼけたことほざいてるな
蜀末期の将を過大評価する脳味噌を洗い直してからスレ立てろ
>>116 費褘が殺された時期はご存知?
それに、他にも董允や董厥なんかがいたし、そこまで堕落はしたないと思うぞ
123 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 23:09
けっきょく姜維は何回北伐したの?
>>121 なんだ?蜀末期の武将は糞だって言うのか?
一応トリップつけとく
張翼は糞か?
128 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 23:13
糞糞糞全員糞!!!姜維の暴走を止められない奴らは全員糞
他で抜きん出た能力があっても糞
129 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 23:15
>>120 そうだが、政務には支障をきたしていない。
物事の表面ばかりではなく、本質をみるように心掛けて。
寝る。
>>1 本来ならばお前は「演義厨の
>>1は逝ってよし」とか
「
>>1はゲームと漫画しか知らないリア厨房です」とか
言われてんだが俺がお前の悪名を全てかぶってやったんだ
俺って偉い
>>133 ハァ 誰がそんなこと頼んだんだよ勘違い厨
糞はお前だろ
ちったぁ、検証しろよ。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 02:27
もうだめぽ
137 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 11:06
あの時代は中原(魏)は結構開発されていたけど南方(呉&蜀)は未開発で、
そこに孫策が国を作り呉の時代に孫権が整備したおかげで今の香港や上海
がある。それにくらべて蜀は戦に明け暮れて国内整備おこたっていたよう
に思える。交通の不便とかの問題もあるけど呉も湿地帯でそれなりに苦労
してるの思えば、蜀はもっと戦より国内整備したほうがよかったんじゃない?
姜維個人的には好きだけど。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 11:15
きょういかわいいじゃん ちゅうしたいよ
139 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 11:24
あのな
コテハンって、なりきりじゃねーだろうが。
オリジナルの名前で出て来いよ。
一、歴史上の人物の名前の使用は、なりきりスレ・リプレイスレ以外ではご遠慮願い候。
良スレになる可能性があったのに、それが何故
糞スレになっていくか、ここを見ると良く分かる。
>>137 必ずしも中原が富んでいたわけではない。
それほど後漢末の中原の荒れ様は凄かった。
決定的なのは人口差だったように思う。
呉でいえば、国土の広大さに反して人口が少ないのが挙げられる。
なりきりだといわれたからやめますた。
でも内政を行って国を豊かにしても劉禅が君主じゃ結局滅亡していたと思うのだが。
全然魅力ないし。劉備の息子というだけでただのクズ。
でも考えようによっては劉備の死後数十年間も国を保ったんだから
無能というわけではないのでは?
>>144 内政はショウエン・ヒイらに任せていたから劉禅はなにもしてないだろ
146 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 16:54
厨に釣られ放題釣られるなよ。わざとか?
無視して話したいことだけ話せばいいだろ。オレモナ
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 17:15
なんかの本で読んだんだけど、孔明は内政専門の人だったらしい。
軍事は常に鳳統が担当していた。だけど蜀侵攻の際に鳳統が死んで
孔明が両方担当する羽目に。その結果、五丈原の最前線でも内政を
してたようで。(孔明が他人に任せられないという説も)
この人材不足&孔明ですら不可能のことを姜維には難しかったんじゃない
かなー?
あと、夏候覇が仲間になって「いける!」って思ったんじゃない?
150 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 17:28
>>149 軍事ではホウ統以外に法正もいたぞ(こっちも早死にだが)。
軍事面では信頼されてないから夷陵の戦いのとき劉備を止められなかったんだろ。
「法正が生きていれば止められたのに…」と孔明は言ってるし。
でも孔明、戦術は二流でも「天下三分の計」など戦略は一流だったと思う。
まあ、荊州が奪われた時点で破綻してしまったが。
>>149 本で読んだのを鵜呑みにするんじゃなくて、それが本当かどうか調べてみるといいよ。
孔明は外交もしてるし軍政もしてる。 入蜀時には兵を率いてるし。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 18:16
>150
>151
勉強になります
153 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 18:26
演義って孔明ヨイショし過ぎ・・。周喩すきなのにぃ、妙に嫉妬深く描かれてる。
天下三分の計に似たのなら周喩か魯粛あたり(忘却)が早い時期に考えていたのにねぇ。
(あれ?スレ違い・・)
でも、姜維を待って石になった兵士の話とかのアレンジは好き。
(無理やり)
>>1 次から過去ログ読んでスレ立てようね。
>>1と同じ話題が飽きる程語られてるから(w
>>145 「荘エン・費イに任せる」という事をした。
いや、冗談じゃなく皇帝ってそういう仕事だし。
姜維は
蜀討伐隊の鍾会と
魏に叛乱を企てようとして討伐された
アンダスタン?
姜維はな〜。
孔明の後継者足らんとするなら、少しは成都で政務も執るべきだったのではないか?
軍事面だけで功績を挙げても、結局宮廷に味方が出来なかった訳だし。
もっとも、孔明が漢中に丞相府なんか作ってしまうから、
成都とは隔離された軍閥派が出来てしまった訳なんだが。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 21:40
もし姜維が北伐に成功していて魏を滅ぼし、呉もそのまま滅ぼしたら
韓信(時代は違うが)みたいに殺されてたかな?
>>159 劉禅が手を下すのは考えにくいけど
手柄を妬んだ他の臣達が何かを起こす可能性はあると思う
>>160 しかし蜀には姜維を排除するだけの才能を持った人間はいなかったのでは
>>161 何も行動は反乱だけとは限らないでしょ?
費[示韋]みたいに突然刺殺と言うのも十分にあり得るし考えられる
結果論。そんな不確定要素なんぞこの議論に混ぜるな。
その程度の発言しかできんのなら書き込まないでくれ。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/16 22:33
>>162 姜維って結構腕立つだろ?宛城の曹操のように強襲されるなら
まだしも、突然刺殺は難しいんじゃないの?
>>166 張飛でさえ暗殺されたわけだし不可能なわけじゃないだろ
それにそういうとこに使う頭と戦争の頭ってのは質が違うから
そういう面で姜維以上の奴なんてごろごろいただろうし
俺達に八つ当たりすんのはやめてくれ。
姜維の北伐=関羽の北上
張翼、ケ芝、郤正など北伐には懐疑的な連中も清廉な人柄な姜維を評価していた。
鐘会が攻め寄せたときの素早い行軍などから軍事的才能もあったはず。
惜しむらくは、相対した相手がケ艾だった事。
司馬昭あたり「どうですかな?蜀の国が恋しくはありませんかな?」
阿斗 「いえいえ、ここは食事もうまいしいい所です。別に恋しくはあり
ません」
司馬昭あたり(・・・これでは孔明がいてもどうにもならなかったであろう。まし
て姜維ではな・・・)
演義ではこんなやりとりで説明がついてしまうところが悲しい。
>>165 「府」というのは小さな行政機構のようなもので、日本でいうなら幕府のようなもの。
軍師、長史、司馬、主簿、参軍などの属官を設けることができ、大きな権力を有する
ことができ、府を開く権利を開府儀同三司という。
三国時代の三国間において、細かい部分で官制は異なるが、開府の権利を与えられるのは
丞相、太傳、太保、大司馬、大将軍の五上公と、太尉、司徒、司空の三公。
ついでにいえば、将軍位であっても驃騎、車騎、衛、四征(東西南北)、四鎮(四征同様)
の二品官であれば、やはり開府の権利を有することができる。
ヒイは243年に大将軍録尚書事となるが、開府の権利を与えられたのは253年と、やや遅く、
姜維が247年に衛将軍録尚書事となっていることで、録尚書事が二人存在するという、少々
変わった状況になる。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:04
姜維は腸引きずりまわされて嬲り殺しにされました。
殺される前に元々病にかかってたのと肝が常人の倍くらいあったというのも
何かで読みました。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:07
|=\人 o > / o フ<
|i⌒i| へ ̄ ̄, \ ̄ ̄ , .|
test
175 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:23
孔明同様、北伐をしなかったら魏に攻め込まれて
蜀は早くに滅亡していたと思うけどな〜
>>24 かなり遅レスだけど魏延の作った漢中防衛線ってなに?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:26
m
(・∀・)ニヤニヤ
178 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:28
>>171 この会話の後にカジュウが
「彼(禅)がああでなくては、殿が蜀の地を得る事はできなかったでしょう」
と語るあの逸話が趣深くて好きだ。
禅に全責任を押し付けるのもかわいそうだとは思うが。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:29
姜維って犯され殺されたんでしょ?
180 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:40
六十過ぎのジジイをか?
181 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:41
まあ犯されたのかもしれないね。
兎に角ぼろ雑巾のようにずたずただったらしいから。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:45
北伐ってピラミッド建設みたいな失業対策だったんじゃない?
183 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 20:51
結論・やっぱり孔明には人を見る目がなかった
184 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 21:18
姜維を評価すると・・・
良い所
蜀に移った時、亮に「馬良以上」と評価された。
夏候覇やごいのように後ろ盾が無いにも関わらず重用された。
亮死後、涼州方面への出撃を主張し、西方異民族を味方にすれば
魏の西半分は攻略できるとの戦略があった。
ヒイには正論で反対されたが、決して軍事面では無能ではなく有能であった。
とうがいの別ルートの侵攻は防げなかったが、しょうかいの猛攻は耐え抜いた。
姜維死後、ゲキセイは無謀な遠征を批判したが、
清廉で質素な生活に甘んじた事を評価した。
悪い所
内政を省みなかった。全くといっていいほど何かした事績がない。
諸葛亮のように周りをまとめる統率・魅力に欠けていた。
相手が、とうがいをはじめ優秀な将が多い半面、
味方には共に大局を語れる人物がいなかった不運もあげられる。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 21:21
姜維って、けっきょく・・・
犯され続けた人生・・・なんだよな・・・
爆笑三国志ではいぢめられっこ扱いだったなぁ。
根っからの武将で、一つのことに集中したら他に頭が行かない、みたいな
感じだったんだろうか。
今でいうと「いい人だけど気が効かないよね」って言われちゃいそうなタイプ
(そんな呑気なもんじゃないだろうが)
188 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 21:31
横光三国志の姜維登場の下りを見ながら、
「孔明は劉備に顔が似てるから姜維を引き抜いたのかな」と思った自分に鉄拳パンチ。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 21:35
爆笑三国志読みたいなあ…
どこかの古本屋にないかなあ…
まだ司馬イにその才を見つけられ、魏で重臣にとりたてられてたほうが良かった
のでは。たぶん諸葛亮健在のままで蜀が滅亡していたんでしょうから。
>190
誰にも見出されないまま地方の1官吏で終ってる可能性の方が高くねー?
192 :
なぞの地公将軍:02/12/17 22:10
最初に諸葛亮と戦ったとき姜維のボロ勝ちだったからその時そのまま諸葛亮
があきらめていればすぐ見だされていたでしょう(そこまで諸葛亮は無智では
なかったでしょうが)
193 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 22:12
>>189 爆三ってもう絶版なのか?
あるかどうか知らんが、光栄の通販とかでもだめぽ?
まぁ古い本なのは間違いないか・・・
>192
姜維は城主におんだされて進退窮まって投降したわけで、
諸葛亮に勝ったわけじゃないですヨ。
あれは演義の創作では?
195 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 22:57
まず姜維よりケ艾の評価が不当だ。
ケ艾は、曹操、司馬懿に匹敵する将だろ。
それを相手にした姜維ももうちょっと評価しる。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/17 23:52
ところで姜維の北伐のとき王平や呉慰、呉班とかはどうしてたの?
気がついたら蜀の将は誰もいなくなってたし。
呉懿の死後、王平が漢中都督になった(237年)。その王平も248年に死んでる。呉班は知らん
199 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/18 00:50
>175
姜維伝に書いてあるよ。劉備が魏延に命じて漢中の防備軍に沢山の兵力を割いていたの。
でも姜維は「そんなんじゃ敵が攻めてきたとき、守りきれても、敵にでかいダメージは与えれないじゃないか。
それならもっと国内に引き込んでから関所などの防備を固めた上で攻撃した方が敵を殲滅しやすいじゃないか」とか言って防備軍を陣地から撤収させたの。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/18 10:26
>>192 姜維が蜀に降ったのは、
>>19にあるとおりで、『演義』の創作。
それまでは雍州刺史・郭淮麾下の州従事という、いわば州刺史の補佐官で文官であり、
ほとんど無名といっていい。
諸葛亮の第一次北伐の際、郭淮らが雍州視察中に蜀軍出現の報に接し、大半が逃亡した
なかで取り残され、退く先々で拒まれ、進退窮まって降伏した。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/18 14:07
>>ALL
大卒必須だなvvvvv
205 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/18 14:52
大卒なんか糞会社しか就職できないよ。
それが嫌だからフリーターになる。
暇が多くなる。
ここに来る。
続きをどうぞ。
ここの住人は就職活動をする事が"就職"だと勘違いしているヤツが多いな
とネタに釣られてみるテスト
>199
姜維が漢中を放棄したのはかなり後になってからじゃないか?
成都に増援請うてももらえなくて仕方なく後退したんでは?
208 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/18 22:32
>207
何の話です?それ。
>>207 全然違う話だ
ってか、姜維伝読んだことないの?
>209
うん。正史モッテナイの。お金ないから。
>209
というわけで今ネットで検索して読んできた。
無知だったね。スマソ。
では漢中防衛線を維持しつづけていれば鍾会は防ぎつづけられたんだろうか。
防げたと思うに一票。
ケ艾は別ルートで進軍するけどな
漢中とフ(陸水路の集積地、蒋エンが駐屯した所)がポイントだと思うよ
この二箇所に兵を多めに置いとけば防げる可能性は上がると思う
道なき道を通ってきてもフでカット
>>214 培(サンズイ)のこと?
かなりの重要地だけど、これがかえって呉を刺激してしまっているのも事実。
また蜀内部の派閥争いにも大きく関わっている地でもあり、ここに大軍勢を駐留
させるのは簡単にはいかないのでは?
北伐の繰り返しで兵も減って、フに駐屯させるような余力はないんじゃないの?
姜維をスルーした後のケ艾を防げるような軍勢もなかったし。
>216
諸葛瞻がいた。
蜀滅亡時には10万近い兵が居たんだから兵力に余力が無かったと言うのは有りえない。
普通に彼らの防衛構想が破綻していただけ。
元々姜維らが漢中を抜かれたのは、成都から出発した張翼らが間に合わなかったから。
トウガイの件にしても姜維&廖化が陰平で阻んで、張翼&董厥が陽安関に間に合ってれば
そもそも剣閣の西からフへ侵入することさえ出来なかった。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/19 13:20
だんだん姜維無能説が現実味を帯びてきた
>>218 ただその件で悪いのは明らかに中央連中。
姜維は軍を一応動かそうとはしてたからな。
>214
フには諸葛瞻が居た。しかし奴はトウガイにびびって緜竹まで退却した。アフォかと。
>219
そうそう。派閥抗争に明け暮れて姜維の言うことを聞かないフリしたのが祟った。
もっとも派閥抗争に半ば負けた感の姜維だったからなぁ。。。
姜維に辛くあたるなら政治の出来ないやつが大将軍になんかなるなと。
大将軍になったんなら諸葛亮くらいシビアに敵対派閥をシメろと。できないなら辞めろと。
>>217 残りの兵は、永安と南中の守備隊だろ?
瞻の率いた軍は実戦経験のない文官連中ばかりなので、
予備役・退役兵の額面にはほど遠い兵と思う。
先発した張翼の兵がどれくらいいたかは知らんが、それ次第か。
>>222 前線で展開する鐘会以下の主力はともかく、ケ艾らの迂回部隊は兵站が機能して
いなかったわけだから、質で劣っていようと中軍や諸葛瞻の健闘次第では撃破できた
気がする。
漢中を東西に挟むかたちで存在する、漢城と楽城にはそれぞれ五千ほどの兵力を充てて
いたというから、漢中を放棄したとはいえ、姜維ら主力の兵力は微弱ではないとは
思う…のだが…わからん。
諸葛瞻はザコすぎ
225 :
怒羅絵門 ◆ReSwt6I3i. :02/12/19 16:13
銅鑼銅鑼♪
226 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/19 16:53
。
ヽ ヘ ノレ,
∧_∧ ヽ(。、::。.::・'゜・' )〆
俺様→(´Д`*.) / ̄ ̄ヽ::。 ).。:: θ) ←キョウイ
i i⌒\__ノ ノ::・'゜。'゜ )ゝ
ヽヽ ヽ / /。、 ::。 )ヽ
)) )-─/ /’ /Υ/ γ\ヾ
// / // / // /\ \
((__ノ // / (_(_,ノ ) )
// ノ / / /
|_|_/ / / /
( ( <
\ \ \
(⌒_(⌒__ヽ
率直に言うと無駄だろ。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/20 23:06
もし黙って国の増強に努めて生涯を終えてたら
それはそれで叩かれてただろうな…
ていうか姜維は内政に対しての才能がなかったんじゃないか?
武官だしな〜。
しかし、自分に才が無ければ、後方を任せられるような人物を作るべきだ。
それを怠ったのは、孔明の後継者としては失格だろ。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 00:34
当時は後継者を育てるという概念はどこにもなかったと思うが。
諸葛亮にしても教育を整えようとしたことなんかないし
233 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 01:06
戦争自体が無駄なことさ
それを言っちゃーお終いよ
235 :
淳于瓊 ◆bHBP8f5Pwo :02/12/21 12:44
ここは内政をしない将軍が集まるインターネットですね
>>232 当時から教育機関も教科書もあったんじゃない?
それに政治家だって師弟関係みたいな教育はあると思うよ。
さすがにお上が庶民を教育すると言う概念は薄かったと思うが、
教育という概念はあったんじゃないかな?
237 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 12:57
諸葛亮の教育者としての能力は疑わざるを得ない。
三国志で教育者として有名な人って、誰かいるかな?
宗教臭い張角や張魯、文化臭い詩人ども、教育者として黄承彦とか、
なんだかそんなのは浮かぶけど、
袁紹・曹操・劉備・孫権などは教育者なのかな?
っと、曹操は書物に煩そうだから、家臣にも読め読めって煩そうだ。
立派な教育者かもしれない。新しい詩を広めたり出来たらしいし。
>>232 姜維に関していえば、才能を磨かせようとしていたふしがある。
こと軍事面の才能を高く評価しており、降伏の後、中虎歩軍の軍兵を訓練させる役目を
与えている。
>>238 孫権が呂蒙らに四書や五経を勧めた話や、劉備が劉禅に読むべき書を諭した話が
最も有名では?
盧植も、教育者ではあったのかな?
劉備→劉禅は知らないけど、
確かに孫権→呂蒙は有名でしたね。成功例だし。
やはり上に立つ人間は配下に対する教育も必要など、
そういう主君の条件みたいなのも一般的だったのかもしれませんね。
儒教でも学問しろそれを活かせなどと散々言われているようだし、
諸葛亮の孟獲7放しの逸話なども、その点で生まれたのかもしれませんね。
直接の師弟関係や教育とかではなく、観念的なものです。
志半ばで倒れた孔明のポストを継ぐ者は、
自然と同じ様な活躍を求められてしまうと思う。
そういう意味で後継者です。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 17:35
仮に姜維が北伐をしなかったとすると
蜀は崩壊しなかったのか。
夏候覇は指揮官として頼りないし、黄皓が閻宇あたりを漢中の太守にして
めちゃくちゃになるぞ。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 17:41
姜維が黄皓をぶった斬っておればもう一代ぐらいはもったのかね
>>244 そんなに変わらん。黄皓が蜀に与えた被害は微々たるもの。
姜維をぶった切って誰かリーダ−シップある奴がトップになりゃ少しは変わるだろうけど
そんな奴いないしな。
いまこそ劉禅の親政が始まるのです
>245
何で言い切れるん?
北伐以前に破綻した財政の一要因かもしれんよ?
浪費なんてやろうと思えばスゲェできるもんだ。
248 :
武田信玄大好き:02/12/21 19:01
というかホウトウが生きていれば教育ができていたかもね。
教育ってなんだよ、そういうのお前の脳内だけで勘弁
ていうか司馬キは教育者とちがうのか?
251 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/22 04:00
結局、蜀は最も危機的な状況に置かれていたのにもかかわらず
最も保守的な政策をとっていたのだから滅びるのは時間の問題。
余計なことせんで守備に徹してればよかったんだよ
呉を見れ 姜維が陸抗のようであれば・・
最終的には滅んでるじゃないか。
呉も同じ。
陸抗が荊州の守備兵の増強求めても兵を送らないとか。
玉砕よりまし
255 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/22 21:51
いや、同じようなもんだろ・・・
守備を固める。
北伐派の姜維は邪魔なので左遷もしくは殺す。
余力の出来た魏がちょっと攻め込んで来る。
誰も抑えられない。
姜維復帰で北伐開始か、そのまま魏の大規模な遠征が開始されあぼーん。
守備を固めて、敵に異変が起こったり、敵が弱ったら打って出るってのは
三国分立@諸葛亮のプランと一緒だけど、その立案者がせっせと北伐を
繰り返したくらいなんだから、現場ではうまくいかないんだろうね。<守備固め
そもそもお前等、蜀という国の存在意義を考えたことがあるだろうか?
蜀ってのは漢室復興&打倒魏のためだけに成り立ってるような国だったわけよ。
漢室復興は劉備が芯だ時点でもはや不可能となった。
残るは打倒魏のみ。
っつーわけで皆北伐したわけよ。ただ国としてやってくのが本望じゃないんだから、彼等のやったことは間違いじゃないよ。
厨は寝ろ
260 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/22 23:43
劉禅でも一応血を引くものだし漢室復興にはならんか?
261 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/22 23:48
献帝やその血縁を持ち出しても復興だろ?
どうでもいいけど、毎年この時期になると北伐スレたつよね。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/23 13:41
漢室の血を引く王朝が立てば良いってもんじゃないでしょ。
その王朝が中国を統一して、漢の隆盛を再び取り戻すってのが大義名分でしょ。
姜維が楚漢時代のショウカと韓信と項羽の良い所を全部もってたら或いは
北伐でググったら63000件もでたよ。
未だに語り尽くされていないのか(w
永遠のテーマだな
>>257 諸葛亮は蜀の防備にも力を注いでいるよ。
230年の曹真を総司令官とした魏軍の侵攻に対しての備えなんか、その実例だと思う。
漢中の東西にある、漢城と樂城を用いた防衛構想は有名なのでは?
きょういマンセー
姜維は糞…。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/24 21:51
ここに限ったことではないが、演義で持ち上げられてる人物を叩けば
三国志通だと思ってる浅薄な輩が最近増えてる気がする。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/24 21:59
273 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/24 22:07
>>271 それは俗に、「癌喪厨」といわれてる人々でつね
>>268 それいったら陳倉城の備えをしていた曹真の方が(ry
姜維は…。無駄だった。
姜維は無能だったということだろ。それを見ぬけなかった孔明も。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 17:58
ていうかおまいら全員バカ
280 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 18:27
結果論で無駄だったと叩くことは簡単。素人でもできること。
それよりどんな意義があったかを考える方がいいのでは。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 21:06
>>280 わけのわからん理屈いわねーでサッサト死ね
282 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 21:16
なんか魏の回し者が多いすれだな
283 :
武漢 ◆npTK09zYrA :03/01/01 21:17
お前が氏ね!魏厨!
284 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 21:37
>>280 そりゃあ勝てる見込みがあったから北伐したんでしょ。
夏候覇を仲間にしたことがそんなに良かったのか。
というより、諸葛亮の北伐はそれほど危険なものなのかな。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 21:41
281は姜維叩きで悦に入ってた似非三国志通
286 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/01 21:43
孔明なんかに目を付けられたのが運の尽き。
蜀討伐の総大将ぐらいに離れただろうに。
結局キョウイも無能で蜀は人材不足。これに尽きる。
まあまあ、結論は無駄だったとしても、蜀漢帝国の存在意義は、魏を倒すことだから、
出兵しなかったら何のために国があるのかわかったもんじゃない。姜維が北伐を敢行しようと
しまいと、結論で言えば蜀は滅ぶ運命にあった。ただ彼は蜀の寿命を縮めただけです。
「彼らはみんな国のために戦ったんだっ!」
290 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/02 05:35
まあでも亮が死んだ後しばらく持ちこたえたのは胸囲、荘園、ヒイ、党員の力でしょ。
国力の差を考えれば蜀が魏に滅ぼされるのなんて別に自然なことだし。
つうか胸囲はなんの後ろ盾もない、魏から来た「外様」だから亮のような
信頼を得られなかったし、「なんであいつが?」みたいな不満もあったと
邪推してんだがな。
法正、黄権、劉巴、李厳、諸葛亮ですね。
劉備存命中、蜀の方向性を画策できたのは
なにげにリタイア順だね。
大まかに荊州閥と益州閥がいた中で涼州から来た姜維が
どれだけ権力集中出来たのかは疑問ですよね。
蜀末期は指揮系統バラバラだし、
姜維に政治的均衡取って北伐成功させろって言う方が厳しいと思う。
武人としてなら優秀かもしれませんが。
もちろん、魏と蜀の国力差は目に覆うものもありますしね。
魏の司馬懿が内部抗争している隙に蜀をまとめて呉と周辺部族と連携して
攻めれば魏の心胆寒くさせることは出来そうですが
・・・まとめて、さあ〜実行と言っても厳しいですね、実際問題。
くわえて蜀末期―というか諸葛亮没後―には、外征派と守勢派の対立があったからね。
ショウエンの外征案も内部の意思統一で立消え、ヒイと姜維の時代には、尚書令が
並立していたうえ、姜維の軍事行動は制限されてたしね…。
ヒイを殺して兵権を握るトコまでは上手く行ったのにな
>>294 ショウエンの外征案は実行される直前までいったろ。
軍船も数作られ永安にそれ相応の用意もされ呉に使者も飛ばしていた。
北方は劉備の作った逓により防備を固めたのに
肝心の消炎が死んだんだ・・・
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 09:30
呉や蜀の重鎮クラスはかなりの確率で過労死じゃないかと思った。
298 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 16:46
姜維は大きいほうがいい
299 :
孔明 ◆F5yeP.FsHA :03/01/03 16:47
300 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 16:50
過労死しても労災でません(涙
そういえば、姜維に息子っていたの?
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 17:22
姜維は美少女
303 :
合体昆虫ギラファニジイロヒョウタンクロツヤ虫:03/01/03 17:45
何もしなくともいずれは攻められるのだからこれ以上国力の上昇が望めない以上相手がこれ以上力をつける前にできるだけ早く攻めたほうが良いよ。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 20:26
305 :
武田信玄大好き:03/01/03 20:28
いくらがんばっても蜀は滅亡か
>301
いたけど反乱の時に一族郎党皆殺しにされたんでは?
>>301 魏から投降してきた際に、妻と子供(と母親)は
魏に残してきてしまっている。迎えに行く暇が無かった。
蜀に来てから再婚したのかな。最期は
>>306の通りだったと思う。
どっちにしろ、子の話が残ってない、
子供は娘だったか、息子だったとしてもアヒャだったかって事か。
でも、後に自称姜維の子孫ってヤシいたよな。
息子はいても官にはついてなかったのかな?
親がそれなりの役職についていて(まして姜維は大将軍だし)
その息子がプーって事は…?
荀イクが最期曹操に反抗したために、その息子が
ロクな部署につけなかったような記憶はあるんだが…
姜維は中央に嫌われまくっているし
そういうのが原因で息子が士官出来なかったとか
余計な邪推をしてしまった。
[广龍]会って奴が関羽の子孫を根絶やしにしたってどうなん?
自称関羽の子孫っておるけど。
お願いですからもっと調べろ>300〜310
>>309 ほほう
司空は大した役職ではないと言うか
>>312 荀ギの事か?荀ギは最初中郎(八品官)だった。
これは功臣の息子として不当に低い位のスタートなんじゃないかな。
荀ギが司空になったのは、荀氏にそういう仕打ちをした
魏が崩壊して、司馬氏が力を持ったからだったような。うろ覚えだが。
ところでスレ本題はどうした 北伐。
314 :
:無名武将@お腹せっぷく :03/01/05 22:30
孔明の北伐も無謀だったが、孔明が優秀だったのでまだなんとかできた。
姜維は孔明の様に政治はできなかったから北伐が失敗したのでは?
そういや水滸伝にも関羽の子孫っていたね。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/05 22:46
317 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/05 22:48
318 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/05 22:55
本題に戻すと、姜維は戦果に拘るあまり、戦争を継続させた結果、ふいに
してしまっていたりするよね。
降将という負い目からか功績をあせった。
で、いざ功績を得ると増長し、手痛い敗北を喫する。
まぁ、上手くいかないものだ。
大将軍になったとこで、黄皓らを斬り、
自分に都合の良い人事にすることはできなかったのか?
んなことしたら一斉に姜維おろしが起こると思われ…。
だいたい黄皓とか斬ったからって何か変わるわけじゃないと思う。
姜維に好意的な人間ってその時まだ生き残ってたわけ?
王平やケ芝などは、姜維を高く評価していたし、なにより姜維の地位は、
没していなければ王平がついたろうといわれてるけど…好意的、となるとね…。
王平等も個人的付き合いで好意を持ってるが、
国内を省みない北伐には反対してたでしょ。
どっちにしろ、姜維が己を改めない限り蜀の滅亡は避けられなかったかと。
というか涼秋出身の狂猪は故郷を蜀の領土にしたかったんだろ
だから岨滑両の北伐とは違って涼秋に攻めてばかりいたんだ
ロ縮も徐州にばかり攻めてたろ?
はぁ? 姜維の北伐はショウエンの漢水下りが総反対受けてダメんなった段階で
ヒイらと図って新しく練り直して出たもんだぞ?
諸葛亮のように北伐しようとすれば秦嶺山脈を越えるだけで蜀は疲弊するばかり。
だから魏にも同じように兵站に負荷をかけようと、涼州方面への出兵となった。
それに涼州での作戦はショウエン・ヒイ・姜維らの作戦では第一段階にあたる。
涼州での作戦で戦果を挙げ、魏がその敗戦を繕おうとしてあらたに軍を移動させた時に
すかさず秦嶺山脈を越えて関中での決戦を狙うと言うものだ。
ショウエンの漢水下りが却下されてヒイを軸に立案されたその作戦はヒイ存命中は
成功を見なかった。
唯一可能性があった(第二段階に移行した)のは256年の段谷の戦いだが、これが大敗戦。
勝ってたらどうなったか見たい気もするが、あの敗戦の責の半分は後詰めで来るはずの
胡済が来なかったことにあるんだからどうにもな。
内部をまとめられなかったのがここで致命傷になったわけだ。
だからちゃんと政治にも力を注げとあれほど言ったのに…(張翼・廖化)
325 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/08 16:25
姜維の最後の北伐から蜀滅亡まではちょっと期間が空いてるけど
その間に国力増強はできなかったのだろうか
増強というより、磨り減らした国力を以前の水準に持っていくことだと思うが、
国内整備は一朝一夕では出来ないから無理ぽ。
姜維と後方の確執も決定的になってしまってるし。
やっぱ確執が問題だよな
曹爽が攻めてきたときにゃ兵が全然少なかったにもかかわらず追っ払えたわけだし
328 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/09 02:33
姜維はなぜ政治に目を向けなかったの?
329 :
ジョイと喜び ◆c78ZVoiFaQ :03/01/09 03:01
>328
北伐北伐、孔明の意志孔明の意志で
頭がかたくなっちゃってたんでしょう。
姜維が国を滅ぼす原因を作ったのだろうが、
費緯(漢字あってる?)などの内政面に優れた
文官が乏しくなっていたのも原因だろう。
>>328 成都は守勢派の巣窟だからね。行ったら殺されるんじゃない?
331 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/09 03:51
つうか実際は孔明だって軍事には長けてなかったんだろ?
それに国力の差があるし無能と言うのも・・・・。
成都の文官は端から北伐をする意志がないと思えたから、
姜維は反発したのでは。
これが、何年か国力を充実させた後に北伐しようと、
共に語れる高位の文官がいれば違ったのかも。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/09 06:09
孔明の場合連戦連敗でも納得さていたのに。
降将ってだけで、そんなに負い目となるか?
現に大将軍にもなってるし、どうにかしようと思えばどうにかなりそうな気もする。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/09 08:36
>>333 諸葛亮は連戦連敗どころか、戦術面ではほとんど勝利してるぞ。
特に、撤退時の追撃に対しての対処は、絶妙とさえいえる。
補給が困難なため、戦略的撤退が多いだけ。
カクショウ以外には、それこそ優勢に戦いをすすめてる。
後世、諸葛亮の軍事的才能が疑われてるのも、環境や条件に恵まれずに
成果をみなかったともいえるように思う。
まぁ司馬懿と勝ち負けに出来るんだから戦下手というのは
可哀想かもな。国力の絶対差を覆す事は出来なかった訳だが。
曹操みたいな化け物を除けば、当時の大規模戦闘では
ほとんど攻め手が敗退してる事もあるしな。
結論・攻めるしかない出遅れ組は辛い。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/09 08:58
そもそも三国の戦いは意思のぶつかり合いだったのだから、
リュウビ→コウメイ の意思を尊重して戦ったキョウイの
戦を無駄と言うのは言が過ぎると言うものではないだろうか?
ま、君主であるはずのリュウゼンがあれでは国が滅んで当たり前だろう。
コウメイだって、何度もリュウゼンに足を引っ張られなければいい線
いってたはず。君主が一番国の意思というものをはっきりさせてなければ
ならないのに・・・ というリュウゼン暗君話に落ち着くわけだが・・・
荊州人(≒北伐派)は年々減少する
益州人(≒守勢派)は年々増加する
守勢派が増強するのは自然な流れ
土着益州豪族にとって劉備らは余所者、必死に守るようなものではない
主が劉璋→蜀漢→晋と代わるだけ
一概に守勢派を批難するのもどうかと…
>>336 劉禅が孔明の足を引っ張ったなんてのは先入観ありすぎ
>>336 ぬ??
マロにどんな不備があったと言うのでおじゃるか! 具体的に申し開いてみよ。
一方的な批判は朕と言えども、ちと辛いでおじゃる
>>339 陛下、あちらで董允殿がお待ちですよ。
と言うわけで、董允の後を継げるような侍中がいればなー。
冗談抜きでいじめられっこだったから成都には殆どいなかったらしいよね。
で、姜維死後、一生懸命フォロー文書いたの誰だったっけ?
渡辺精一著(確か の三國志人物辞典に載っててなかなかオモロかった。
342 :
無名武将@お腹切迫:03/01/10 04:03
>>326 遅レスだけど、家臣との溝はそんなにないと思うよ。
おそらく、姜維が北伐を決意した頃は魏との差が決定的なものになっていた
だろうから蜀臣もこのまま睨み合っていたらいつか負けると考えてるはず。
>>334 でも結果的には長安は取れず敗戦続きでしょ。
魏延にも背かれたし。
そういう意味では連年の戦争続きでも軍のまとめはできた
姜維は評価できる。
それに補給路を確保できたし、姜維にもかなりの才能は
あったと思う。引き揚げの仕方の比較はどうか知らないけど。
256年の段谷の戦いでの大敗北は、かなり軍事力ひいては国力を損失したのでは?
なにせ、翌257年から魏の侵攻が始まる263年にいたるまで、軍事行動が停滞して
いるのが目につく。
その間、大赦や人事の更新・変更ばかりが頻繁にあるから、そうとうな痛手だった
んだろう。
漢中の防衛システムから兵を割いたのは敵を奥深く誘い出すため云々という書き込みが
どっかにあったけど、あれって単純に段谷の戦いでの大敗北で兵力が不足したからなんだろーな。
成都に兵をよこせとさすがに言えないし。
>343
大赦自体っていつからはじまったん?
大赦って姜維が軍事行動を始める前から連発されてたってどっかで見たが。
(^^)
>>344 兵をよこせっていって、却下されてたりする
>>345 246年、249年、251年、254年、255年、258年、261年に、一度ずつ。
246年に蒋エンが没しているから、それ以降に頻発していたことになる。
孔明の時は周りも協力的だっただろうが姜維となると周りはウザがってたので難
しかったと思われ
350 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 12:33
>338
先入観じゃねーだろが!事実そーなんだよ!
孔明に一時は謀反の疑いすらかかって大事な局面で撤退すら
余儀なくされたんだぜ!?
お前みたいな無知な輩は逝ってヨシ!
(・∀・)
352 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/11 13:00
別に孔明の時も北伐反対派の臣は多くいただろう
>>348 どっちかというと、246年に董允が死んだ後というのが真相なのでは?
以降は内務を担うのが、孔明派ではなく、劉禅派に移ってる。
ショウエン、ヒイ、姜維は漢中に行ったきりな感じ、基本は武官。
>>352 そこはカリスマの違いもあるだろうし、孔明は内政し、
兵糧を蓄えてから北上。
姜維は戦しか考えてないから、批判も大きい訳で。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/12 02:53
英雄姜維!
年寄りのヨボヨボ趙雲と一騎打ちで引き分けてそのプライドと生きる気力を奪い、
老衰死を早めた男!
魏を裏切った男!
無益な負け戦を続けて蜀の国力を疲弊させた男!
蜀の文政を否定し、その文化興隆を妨げた武断派の筆頭!
馬謖魏延も彼がいなければ殺されなかった!
せっかく劉禅が平和に降伏したのに素直に従わず、
謀反起こして劉禅に冷や汗かかせ、おかげで劉禅は痴呆のようにふるまわねばならなくなった。
暗君、愚昧の名を主君に着せた男!
>>兵糧を蓄えてから北上。
現地調達しているのにそれはないだろう。
ジャーンジャーン
北伐スレは未だ死なず。
地球は小氷河期にあって北半球高緯度地帯にすむ人々は南下を始めていた。
この後に起こる民族大移動は洋の東西を問わず多くの王朝を滅ぼすこととなる。
姜維はそんなことを知る由も無い。
戦え姜維、魏を倒し漢王朝復活のその日まで。
わたしは江南に退避します。
だって寒いんだもん。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/12 13:46
そんな現地調達だけで間に合うわけないっしょ>355
『諸葛亮はたびたび外征したが、蒋エンはいつも兵糧と軍兵を充足し、
遠征軍に供給した』
無視しないで by蒋エン(´・ω・‘)
軍政家は豊富なんだな、蜀。
大軍指揮の執れる将軍は不足してるけど。
>>359 大軍を指揮する機会が与えられなかっただけで、
指揮できる人材がいなかったとは思えないなぁ。
歴史上、小国の名将は存外少なくない。
よって諸葛亮の知力は1。w
>>360 確かに少なくないが、そういうのは大抵一国につき一人程度。
蜀の場合、小国の名将イコール諸葛亮だろ。
一人いりゃ十分(つか精一杯)だと思うんだがな。
蜀には足引っ張る系が多くいたのも問題だったと思うな。
馬ショク、陳式、李厳、孔明死後の魏延、楊儀とか。
>>350 逝ってよしなんて久々に見たよ
無知な私に
>孔明に一時は謀反の疑いすらかかって大事な局面で撤退すら
>余儀なくされたんだぜ!?
って所のいきさつを詳しく教えてくれ
364 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/13 03:44
すまん、やっぱり教えてもらわなくていいや
スレタイからそれそうだし、まともにやっても荒れそうだし
エサも付いてない釣り針に無理にひっかかる事もないな
お前等は揃いも揃って姜維を英雄視するけどネタだろ?
本気だったら寒いぞ馬鹿ども
>363
釣りとかじゃなくて素で350は勘違いしていると思われ。
いや。なんとなくだけどね。
363こそが釣り師だろ
>>362 おいおい、陳式は郭淮を撤退させ武都・陰平をおとした功労者だぞ。
それを無かったことにしたばかりか街亭の敗戦処理で勝手に殺すんだから
演戯も罪なものだ。
陳祗じゃなくて?
陳祗は費イの死後に国政の実権を握った人物。
女書がいれば…。
宝刀が逝かなければ…。
流美が衣料に出ていなければ…。
外低で場色が副将だとしたら…。
呉が合肥で勝利していたら…。
374 :
武田信玄大好き:03/01/16 15:21
劉禅が民を思う人物で、黄皓などを近づけなかったら、大分違うだろう。
外では姜維が力戦し、中では劉禅が善政を施す。良い感じ。
黄皓ひとりが取り沙汰されがちだが、陳祗こそ元凶といえなくもない。
こやつが尚書令であることこそ、手がつけられんのではないかと思う。
暴君はむやみに良臣を誅戮するが、揚武の資質がある可能性もあるから救いもある。
暗君は少数の佞臣を近づけて、国政を誤らせる危険性をもつからね…。
陳寿は諸葛亮が好きだったから息子のセンに贔屓して全ての原因を黄皓に押し付けたって話もあるが。
黄皓と一緒になってるような瞻は屑
戦も駄目、政治も駄目、孔明が哀れ
>>375 >黄皓ひとりが取り沙汰されがちだが、陳祗こそ元凶といえなくもない。
俺は逆に陳祗が早死にしたせいで黄皓を抑えることのできる人物がいなくなり
結果のさばってしまったのだと思う。
陳祗はうまく黄皓を利用して権力を握っていたと思うぞ。
漏れも
>>378に禿同。
陳祗よりも、その後の諸葛瞻らに問題があると思う。
董厥、樊建らも気概はありそうだったが、消極的に過ぎたかな、と。
>>378に激しく同意
381 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/18 10:45
関羽が死ななければ北伐は成功していた。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/18 23:34
姜維の北伐は無駄でしょ。
黄皓との確執以前に
リョウ化や張翼の支持も得てなかったし。
>>381 関羽が生き残る → 蜀が分裂 → 呉が蜀を支配 → 呉が北伐 → 成功
という流れで宜しいか?
勝てもしない北伐を続けるより国を富ませて防衛に努めればよいものを
386 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 09:21
っていうか姜維の北伐って北伐じゃないんだよね。
諸葛亮のは対魏という北伐だったけど
姜維の北伐は涼州攻めであって局地戦も局地戦なのよね。
これを北(魏)伐というのか?
387 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 10:29
一応北だし、構わないんじゃ・・・
ただ、対魏という国家的軍事行動とは思えないのは確かだと思う。
姜維の維持と誇りだけの戦い
周りはそれに巻き込まれてるだけ
(^^;
390 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 05:40
姜維は自身が涼州出身でまた数少ない涼州派の
結束の為に涼州ばかり攻めていたんだろ。
北伐という名を利用したにすぎない
391 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/24 01:35
392 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/24 18:07
北伐を忘れた漢蜀に存在価値は無い
アンチ曹家という目的のために国が出来たんだから
それを防衛とか消極論に傾むいた国家経営をやれば
内から国が崩壊すると思われ
無駄では無いが下手ではあるな、諸葛両時代より被害多いから
393 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/24 18:13
>>392 本当に崩壊するかなあ?
兵を訓練し、治山治水をし、敵の侵攻に備える。
やはりゲームのレベルかなあ?
蜀漢の成立の理由が一番問題になるんでしょうが、
そこを曲げてまでできなかったでしょうかね。
>>393 たとえばな。
日本が今から「もう平和主義止めてバリバリ戦争します」とか言ったとするだろ?
日本の売りは治安のいいとこと平和なとこだったりするから、それだけで人が他の国に流れてっちゃったりするわけだ。
それと同じでこれまで曹魏許すまじ!できた蜀が突然「もう魏討つの止めるから。守るだけ」とか言い出したら、
魏に恨みを持ってるやつはまだ望みの高い呉に行っちゃうし、弱小について出世しようって思ってた奴はやる気の無くなった蜀から魏に行っちゃうしで散々。
そこまで行かなくても少しは緩んでそこにつけ込まれることは間違いないと思う。
とはいっても、諸葛亮ほどの人物が、北伐によって魏を打倒できるなどといった
考えを(第一次の街亭での失敗以後も)もっていたとは思えん。
表向きは国是を掲げて人心を統制・一本化しつつも、内心ではせいぜいが雍、涼州の
併呑で御の字くらいに考えていたのが真実だと思うのだが…。
北伐は段階的なものでしょ。
関中を制圧できれば蜀に余力も出るし、
そのあと事態が好転すれば魏打倒も可能と。
北伐して長安→洛陽と一気に行くわけじゃないんだし、
普通の軍事行動と思うが。
age
398 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 00:22
張苞、関興、馬謖がもう少し長生きしてても無理だったか…
つーか張苞は字すらつけられなかったほどの幼子。
成長してたらどうなってたかは興味あるが。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 01:05
関索が実在していれば…
>内心ではせいぜいが雍、涼州の
せいぜいって、、、版図がむちゃくちゃ変わるんだが
402 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 08:16
版図と言っても面では無く点だからな。
ゲームと同じに考えない方がいいよ。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/26 09:54
諸葛君がもう少し魏延君を評価しきれていれば長安は落とせてました
諸葛君は軍事に関してはダメダメです
諸葛君→内政
萎維かホウトウか法正→軍事なら
諸葛君の寿命もENDせずなのですが、と妄想してみます
いずれにしても「電光石火のごとく長安をつく」魏延君の案を諸葛君が却下していなければと悔やまれます
405 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/27 15:14
/ | / |
/,_ ┴─/ ヽ , 、 ,、
(・_.,》.'(・_,》)ミ ヽ . / L--/ l、
/ ,,__,ニ、、 ノ( | (・;;》 (・;;》 | /L--/l、
| Y~~/~y} `, ~ | |y-,‐vi`ノl | (・.》 (・.》 l /L--/l、
| .,k.,.,!,.,.,r| ,! く |, kl r| i ^< | 'fT~ヲ x | (・〕_(・〕x| /L/l
/ <ニニニ'ノ \ / (二二‐ ' \ / l==_」 < ,l fmヨ ! L 〔゚fヲ゚.〕 、.。., .
>>405 まさかそのAAと俺の心情が一致するとは思わないんだ
>>402 「面では無く点」という観点はいいと思うが、
点と点を結ぶ線の太さも注意してたもれ。
漢中から関中までと、関中から関東まででは、全く次元が違う。
まして、漢中から関東までを考えるのであれば…
自ずと答えは出てくるだろう。
>>404 諸葛亮が負けた戦いと勝った戦い調べてみろ
age
>点と点を結ぶ線の太さも注意してたもれ
現代の日本の状況で語ってないか?
当時、(現代でもそうだが)路なぞ数本しか無い上
軍の通れる路なぞ・・・
線の太さって・・・ププd)4t@hpet
>>410 言ってる意味が分からん。
とりあえず、漏れの言ってる"線の太さ"は"路の太さ"じゃない。
回りくどかったのは申し訳ないが、
個々の街道の重要性に触れて欲しかったんだ。蜀の隘路などは先刻承知。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 05:27
必死だね
415 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 05:55
411は410?
416 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 08:49
姜維が涼州方面に対して頻繁に出兵してたのって、涼州軍閥でも作って
荊州・益州軍閥に対抗できるだけの基盤を作り上げる気だったのかな?
如何せん味方が少ない状態では、中央へ手を回すことも限度があっただろうし。
>>416 単に西方の事情に熟知していたために、兵の展開にも支障が少ないと思っていたのでは
ないかと思うけど?
(^^)
age
420 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/15 03:10
姜維の最期って
自殺したの?
殺されたの?
421 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/15 03:23
姜維ファンの自分としては
「蜀を滅亡に導いた張本人」
「無駄な北伐を繰り返した愚か者」
「身の程知らず」
みたいな単刀直入な酷評より
「まぁ、頑張ったんじゃない?」
「蜀は人材不足だから仕方が無い」
みたいな回りくどいイヤミのような、言い回しのほうが
心が痛むヨ。
姜維ヲタキモぉぉぉぉぉぉ!!ゲロゲロゲェ――――――――――!!!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ぅぉぇっぷ
〃⌒ ヽフ
/ rノ ∧_∧ ぅ゙ぉぇぇぇ ぉぇぇぇ
Ο Ο_);:゚。o;:,. 〃,(||i´┌`) ∧∧ ○
/ ,つ ィ;,゚;:δ゚,,. ビチョビチョ ⊂(´Д`⊂⌒`つ
⊂こ_)_)',;:゚。o;:,..,゚.,。 ⊂;:.,.。o,;⊃
,,;:;;。.:;;゚'。o.,
姜維の味方って劉禅だったんじゃないのかね?
外様で叩き上げの姜維を大将軍に任命するってのは軍事的能力だけでの評価だと思う
そこには明らかに北伐の意志が見られる
劉禅が北伐派だとしたら益州豪族との折り合いは悪そうだし
でもそうなると国が不安定な状況で姜維に北伐を連発させた劉禅に責任があるように思える
後の中国の歴史見ると統一王朝の末期には外征が多いね
朝鮮出兵が特に多い
結局蜀に関しては進退極まって戦争するしかなかった→その外征もできなくなったってのが実情に見える
というわけで劉禅責任説に一票
最後に北伐が行われなかったときには姜維と劉禅の仲は冷えてそうに見えるが妄想と思ってくれ
史書読め
推敲してから書き込め
妄想はほどほどに
>>424 読んだよ、持ってるよ
その上での妄想だよ
でも劉禅個人について全然書かれてないから妄想するしかないじゃないか
426 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/15 21:25
何でりょうかはながいきしてんの?
>>426 それははやねはやおきをしっかりまもったからだよ。
428 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/16 05:24
最後まで戦い続けたキョウイ
何となく蜀が降伏していくよりは物語的に良い
見苦しいぞ貴様!
氏ぬ時は氏ね!
430 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 20:56
ふむう
>>423 >外様で叩き上げの姜維を大将軍に任命するってのは軍事的能力だけでの評価だと思う
はそのとおりだろうけど、
>そこには明らかに北伐の意志が見られる
は、話が飛びすぎ。
劉禅が蜀を守るために軍事的能力に優れた姜維を大将軍に据えたとも考えられるわけなんだから。
あとね、
『妄想』じゃなくて『考証』をするべき。
あまりにも話がぶっ飛んでる。
>>431 でも勝手に北伐ってたら打首モンじゃん?
あー、でも「今回こそはイケる」ってのを毎回本気にしただけという可能性もあるなあ
無駄無駄全て無駄。
つーか三国時代が中国史で無駄。
だがそこがいい。
ダム
438 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/27 07:18
中国では姜維に人気があるそうですが、本当でしょうか。
igaitobennkyouninarusureddoda.nazeka,nihonngonyuuryokugadekinu.
440 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/27 22:09
>>438 人気が無かったら自称子孫という奴等や墓が存在するだろうか
積極的防御といいたいがやはり大勢は決まっていたか
姜維って、例えて言うと
先生が休みで「今日は休講で息抜きだな」ってみんなが思ってるところに
「みんな、先生がいなくても頑張ってやろう!」とかなんとか余計なこと言い出す奴に似ているような気がする。
アフォなこと言ってスマソ。
気持ちは分かる。うん、分かるぞ。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 03:23
スレ違いかもしれないが。
田中芳樹自体はそう好きでもないわけだけど、
「長江落日賦」の中の一遍「白日、斜めなり」はかなり好き。
姜維と夏侯覇の微妙な間柄がいい。
初めて、姜維にも夏侯覇にも興味が出た。
そんでも一人突っ走ったやつっつーイメージが強いなー(笑)
446 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/14 00:28
もう語られ尽くしたのだろうか…
そういや黄巾の乱による北中国の疲弊や董卓の焼き討ちによる洛陽の疲弊が回復しきらない
うちに北中国を制圧しようとするために諸葛亮は北伐を繰り返した、ってなものを
見たことがある。
正直、北伐に関して劉禅は殆ど関係ないと思う。
費イが暗殺された頃に反北伐派の陳祗が権力を握っていたにもかかわらず、姜維が高官に就けたのは、諸葛亮⇒ショウエン⇒費イ と続いた漢中の指揮官が権力を持ち続けた流れによるものではないだろうか。
孔明と姜維の違いは日本で言うと信玄と勝頼。
内政然り、内部の固め然り。
450 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/23 15:42
500
get
>>449 勝頼は信玄死後、長篠までは軍事行動を専らにしたが、それ以降は
涙ぐましいほどの努力をしてる。
家中の反対勢力の影響で実行にうつせなかったものもあるが、むしろ
内容は信玄時代よりも革新性が高かった。
両者ともに不幸だったのは、片や庶流、片や他国出身者であった事が
挙げられるのではと。
携帯からで打ち込み面倒なんで、あとは諸兄に。
久し振りに来たらこのスレが残っていてちょっとびびった…。
さすがに沈んだか...
455 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/10 09:54
456 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/10 13:45
禿吉の朝伐と似てるよね
北伐は無駄ではない、以上
458 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/13 14:55
460 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/13 21:25
姜維は中国で人気有るよ。
姜維の子孫村というのもあるらしい。
でも正史によると、最後は妻子も惨殺されたらしいけど。
そういえば諸葛瞻達が姜維の北伐反対していたと書いたのって
孫盛らしいよ。
あいつ人の悪口ばっか言うから、嘘かもよ。
・・・と姜維を庇ってみた。
孫盛ってなんか妙に姜維嫌いだしな
とはいえ、その対抗馬のショウ周の降伏論も非難してるから何が言いたいんだかさっぱりわからん
じいさん(だったか)の孫楚とかその辺の血のせいか?
まぁでも民間でそういう説があったってのはマジでしょ
出鱈目は言うけど嘘は言わない…と思う
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
464 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/24 12:18
ふっきあげ
>>460 でも確か、魏の方にも妻子がいたと思うが。
魏延が生きていれば、姜維なぞにでかい顔はさせなかったであろうに(ノД`)
467 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/02 18:57
蜀軍有数の将であることは間違いないけどな。魏延が生きてても姜維が北伐派として存在することに変わりはない。
魏延死後に姜維が全蜀軍を率いる将軍になる可能性も、普通にある。
ただ諸葛亮死後の後も北伐を続けていれば少しは形勢が
変わったかもしれんが、それは姜維の責任ではございません。
姜維は名将と思う。しかしここまで悲劇的な戦いを続けなければならなかったのははっきりいって街亭で馬謖が負けたからだと思う。あの頃は北伐結構イイ感じだったのに・・・
>>420 心臓発作で死んだって書いてる本も見たことある
470 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/02 19:43
しいて言えば姜維にひとり政治的・外交的な面で意見できる参謀がほしかった。
ヒイは北伐だめだめ言うだけだったし(まあしょうがない面もあるし、それが蜀の寿命を延ばしたという一面もあるけど)
姜維はどちらかといえば生粋の軍人で諸葛亮の様に政治も軍事もすべて見れる希有な人材じゃなかった。そうである以上は誰かが深くサポートする必要があったのだ。
結果的にヒイの死後、中央はフヌケニなってしまいすべてが姜維の肩にかかってしまった。(荷が重過ぎるにもかかわらず)ある意味不幸ではあると思う。
漢中に丞相府を作った孔明の責任。
>>468 別スレより
・長安−漢中間の補給線の維持は非常に困難
逆の立場だが、魏(曹操)ですら漢中の維持を断念している。
・ある程度以上大きな勢力(相対的に)を純粋に軍事的に打倒するのは困難
国力に劣る蜀が滅びたのも、無理な出兵の連続と内政の失敗によるところが大きい。
まして、蜀より国力で勝る魏を打倒するのは内紛や悪政、降伏論の台頭などが無い限り無理。
上記二点の理由により、あの状況下では誰がやっても不可能。
ここまで転載。
街亭で勝っても大局は動かない。
荊州失陥時点でそれまでの大前提が崩れてる。
北伐は政治的には国としてのまとまりの確立、軍事的には攻勢防御。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/02 20:01
とりあえず、成功しなかったから「無駄だった」「暴走」で片付けるのは幼稚な結果論でしかないと思う。
>>473 とりあえず、具体例をあげて指摘しないのは幼稚な印象論に過ぎないと思う。
まあ、無駄とか言われても、もし姜維があきらめて魏に降伏なんかしてたら
ますます評価は下がるだろうし。
もう少し長期的に考えて、内政を整えて魏の隙を窺えればとは思うが、難しかっただろうな。
魏からの降将という負い目、孔明の後継者として悲願達成をしたいという思い、
孔明すら出来なかった事を自分で成し遂げたいという功名心
人間くさくて姜維好き。
>>477 後世の人間ならではの評価だな。
同時代の蜀の民衆にはどう思われていたのか。
諸葛亮は愛されかつ敬われていたらしいが。
同時代の人に取っては迷惑だろうが、英雄なんて皆そんなものだろ。
蜀の有能な武将はなぜか早世するな。
呉の方が遥かにひどい
>後世の人間ならではの評価
といえば曹操、曹丕、曹叡なんかはかなり嫌われてたらしいYO
>>482 演義の影響によるものが大きいんだろうな・・。
>>484 ごめん。やっぱ俺国語力足りないかも・・。
それはさておき、当時の民衆側の評価なら孫・劉も同じくらいじゃないのかな?
そもそも姜維の軍事的能力ってどの程度だったの?
魏の武将で言うと誰レベル?
正直ゲームで知力90以上なのは高すぎだとは思うが。
朱霊とか田豫レベルといえば擁護になるだろうか
毋丘倹や文欽、あと諸葛誕あたりと比べると姜維の方が優秀な気もする
漏れの中では毋丘倹だけ姜維よりも上になっている。
楽進と賈逵を足して2で割ったようなオールマイティー。
相手が悪いと言ったら、それまでなんだけど
491 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 04:51
>>476 魏が司馬氏によって奪われようとしていた時期に軍を動かしたことは、わりと賢明な判断だと思いますが。
しかも当時の平均寿命である50歳を越えている将軍に「長期的に考えろ」と言ってもなぁ・・・。
>>491 敵国の状況だけでなく、自国の状況を考えなければ意味がないだろう。
敵以上に自国の状況が酷ければ好機でも何でもない。
賢明だとは思えないな。やむを得ない側面もあったとは思うが。
自分が死んだ後のことまで考えるのが武将の責務の一つだろう。
一兵卒ならいざ知らず。
50を越えたのにそんな分別もないようではな。
上手くいかなかった時のことは考えなくても良いのか?
>>492 >敵以上に自国の状況が酷ければ好機でも何でもない。
姜維が北伐を開始した時期には、何か、あったっけ?
>>493 慢性的な国力不足。
それに加えての北伐で263年には人口93万に対して兵士13万、官吏4万。
国家として破綻してる。こんな状況を生じさせた時点で論外。
収穫率にもよるが、古代において普通に常時維持できる兵は人口の3%程度とされる。
総人口の、ね。
戸籍に入ってないのを考えれば、破綻寸前ってとこじゃない?
呉も口数の10%が兵士だったようだがな。
まぁ、三国時代は10%くらい普通だったんじゃないの?
蜀は明らかに兵士多いけど。
>>496 10%という割合は屯田とかを行ってなんとかのような気がするな。
気候や収穫量のことがあるから一概には言えないが。
蜀に関しては、外征は論外のレベルでしょ。
白
>>492 三国時代に自分の死後まで考える男はいねーよ
考えていてもその目的は家を守る事であり国を守る事ではない
>>499 何を根拠に断言してるんだ?
お勉強してから来ようね。
プッ
自信満々に無知を晒す>499に乾杯!
GW中に子供向けでいいから読み通したらどうだ?
子供向けのものばかり見ていると502のような忠臣が生まれます。
必死な馬鹿が一匹いるな。
喧嘩か?
506 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 16:26
>>499 諸葛亮は自分の後継者を指名したんだから、国を考えていたとは思うよ。(ただ諸葛亮も長期的に見ていたわけではないかもね)
まぁ姜維に押しつけるのは、気の毒かも。武官だし。
>>500-504 オティツケ。
>>506 周瑜が魯粛を後任に推薦。
羊[示古]が杜預を後任に推薦。
劉備の遺言。
ざっと考えてこの三つを他に思いついた。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 17:02
>>507 劉備は除いても、わりといるよね。呂蒙→陸遜もだっけ。
姜維に話移るけど、北伐派の姜維って誰かを”後継者”を指名できる状況にいなかったような気もする。
立場としては出来るかもしれないけれど、状況的に不戦派が皇帝の周りを占めていた感があるし。
だから>492については姜維一人の問題よりも、北伐派の問題のような。孔明、蒋エン然り。
今思えば、姜維って代表というより魏延のような位置だったのかも。
>>508 もともとの話題は>476の長期的な展望で考えるべきでは、
というところから始まっている。
後継者人事はともかくとして、焦った出兵が蜀を疲弊させたのは事実だろう。
もう少し大局を見れたらとも思うが、北伐で自分の立場を維持するしかなかったとすれば
やむを得ないとも考えられる。
その点については「魏延のような位置だったのかも」という評価には同意。
蜀という国の限界と言ってしまえばそこまでだが、費[示韋]の突然の死によって
きちんとした指導者が失われたのは痛かったと思う。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 17:20
>>509 前から思ってたんだが、姜維は北伐しなけりゃ自分の立場を維持できなかったのかな?
511 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 17:20
/ __ \
/ノ´ -‐''''" ̄ ヽ
. / /_ ',
, -l /´ -‐''' _二´-─一- 、 l
/ .{ _,/⌒ヾT「!i ソ -_=:ッノ:'‐i′
ノ Y i 〈r_ i ;ハ ゝ ‘' 〈.テ
r l. ヽ ニ ''" ヾ
ノィl / : r__ )
(、/ l i :. .........「 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
) i_ノ \. ヾニテ < いいか!このスレから目を離すな!
>>1が!
>>1が舵をとれ!
/´「 . \ `7’ \______________________
l .:: ' :, ; , , ,i′
', ノ〈 ゙゙゙゙゙゙
512 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 17:23
オーオーオオー(お前が舵をとれ!)
オーオーオオー(決して振り返るな!)
オーオーオオー(明日に、明日にむかって!)
オーオーオオー(死ぬ気で行け!)
オーオーオオー(血の汗を流せ!)
513 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 17:28
>>508 呂蒙は朱然だね。
陸遜を推薦したことは確かだけど、陸遜の場合は後継ではなくて代理だった。
>>509 禿同。
ただ、逆にいえば費褘の存命時にも、
指導者に値する人物が費褘しかいなかったわけで、
国家としての限界に触れられてしまうのは仕方ないだろうね。
>>510 彼は軍人だったから、
名誉と存在意義を訴える最も手っ取り早い手段が北伐だったんじゃないかな。
逆に巴羌や南中の鎮撫に心を注げば、国内外の恨みを買うことも無かったかもしれない。
>>510 当人がそう思っていたということはあるかも知れない。
魏の降将、荊州閥、益州閥とも毛色が違う。
同じ降将の夏侯覇は劉禅の縁戚、など、
姜維が諸葛亮の意志を継ぐと自負していたことも合わせると、
戦果を欲していたことは十分に考えられると思う。
真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おります。
皆様も以下の「詭弁の特徴15条」を覚え、そういう輩を排除しましょう。
例:「北伐を開始すべきか」という議論をしている場合
私が「北伐を行う最適の条件を満たしている」と言ったのに対して
否定論者が…
1:事実に対して仮定を持ち出す
「忠武侯も北伐を行ったが、もし我々の才能が忠武侯より下であったらどうであろうか?」
2:ごくまれな反例をとりあげる
「だが、時として内政が破綻する場合もある」
3:自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、魏が異民族に襲われないという保証は誰にも出来ない」
4:主観で決め付ける
「民衆自身が北伐を望むわけがない」
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「中国では、蜀は中原を回復できないという見方が一般的だ」
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、魏の国力は蜀と比べ物にならんのは知っているか?」
7:陰謀であると力説する
「それは、蜀と魏が争うと都合の良い呉が画策した謀略だ」
8:知能障害(文盲)を起こす
「何、羌族ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
「蜀の存在意義が魏討伐にあるなんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
10:ありえない解決策を図る
「結局、100年後に統一できれば良いって事だよね」
11:レッテル貼りをする
「北伐が正義だなんて過去の概念にしがみつく降伏者はイタイね」
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
「ところで、祁山がどうやったら魏に侵攻できる最適の条件をみたすんだ?」
13:勝利宣言をする
「蜀が魏に勝てないという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
「補給線って言っても木牛から流馬までいる。もっと勉強しろよ」
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
「魏がいつか内部崩壊を起こすと認めない限り蜀に勝機はない」
>517-518
力作だがちと苦しいな。おかしなところがいくつかある。
そんなことでは趙括のようにはなれないぞ。
例えば…
>>520 >2:ごくまれな反例をとりあげる
> 「だが、時として内政が破綻する場合もある」
いや、もう破綻してるんだが。
>6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
> 「ところで、魏の国力は蜀と比べ物にならんのは知っているか?」
一見関係ありそうでやはり関係ある話だろう。
>13:勝利宣言をする
>「蜀が魏に勝てないという論はすでに何年も前に論破されてる事なのだが」
北伐否定論者がこれを主張するのはおかしくないか?
勝利宣言になっていないぞ。敗北宣言はやはりまずかろう。
>>521 そう言うツッコミをさせるためのネタだよ
524 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 19:27
525 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/03 21:48
メンタルな部分を刺激される言葉。
たくさん甘えてもいいのよ。
どんなことがあっても、私はあなたの味方よ。
いやなことがあったら、私の胸に飛び込んできて。癒してあげる。
526 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 01:08
527 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 01:12
姜維の北伐は無駄だったと思う。結果論だが・・・
528 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 01:20
無駄でもやらざるをえない事だった。
そのあたりが落としどころかね。
おおよそ無駄、という結論で落ち着いた観もあるし、次は詳細な比較検証なんてどう?
結局、根拠のない推論や憶測、楽観的な観測論やらで述べてるレスが多いよ。
もう少し諸史料や文献、資料をもとに分析してみても面白いと思う。
>>494-497にあるのは周知だろうけど、他に例えば、221年に復活させた五株銭は、
その後の魏の経済にどういった効果を齎したか、とか、同時期に定めた、五都を
基点とした内部の領土へ人民の移住を推進し、向こう五年間の租税を免除したうえ
で、更に期間を延長させているが、穀倉地帯を含んだ地域での長期実施を可能にする
ほど、魏には余裕があったという事だろうか、とか、色々と検証材料は多いんでは?
うろ覚えで書いたんで、ツッコミは覚悟してまつ。
スレ違いだ
そうでつか。その一言で一蹴でつか…。 すまんす。
不服かねw
533 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 18:19
>>529 ごめん、今の三戦板でこういう話題は難しいと思うよ・・・
535 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/04 18:36
安能務は、「北伐とは蜀という国の政情を安定させるために行われた
政治的儀式である」みたいなことを言ってたね。
>>535 その解釈は聞き飽きた。
孔明の時代なら、まだしも姜維の北伐に至っては、儀式にもなってない。
漢中府の暴走。
彼らと言うか、姜維は真剣に魏打倒を目指してたと思うしかない。
姜維派閥、に数えられるのは誰なんだろう
魏からの降伏組と片腕だった向充・来忠辺りか?
廖化、張翼辺りは姜維組に入れるには辛すぎるしなぁ
538 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 06:07
僕は、32歳。彼女は、8歳年上の40歳です。
40歳だけど、ナイスバディでどう見ても20代後半にしか見えません。
いつも甘えさせてくれるし、僕の世話をやいてくれます。
セックスも上手で最高です。毎日、抱き合ったままで朝を迎えます。
「いつも甘えてばかりで悪いね。」と僕が言うと、
「私、あなたが甘えてくれている時が、一番幸せなの。」と言ってくれます。
僕は今、最高に幸せです。
>>536 蜀という国が瓦解した後ですら
鍾会の野心を利用する形で魏への反抗を目論んでる位だからな・・・
理想だけが暴走してしまったと言うか、
そういう危うさを抑えきれずに自滅していくしかなかったのかもな。
孔明は教祖。北伐派はその信者。
意外に道理とかそういうものを飛び越えて、
諸葛亮への狂信という辺りが的を射ているのかもね。
廖化、張翼とか軍部の高官も北伐には懐疑的っぽい。
しかし、それとは別で、個人的にはみんな姜維好きっぽい。
姜維がいなければ、蜀が支えられないと思ってたのだろう。
姜維がいれば、北伐で国が疲弊し、
いなければ、魏に攻め込まれてあぼーん。
荊州人士・北伐派ってのは台湾における大陸人・国民党みたいなもんかな?
真の都は南京(洛陽)、臨時政府の根拠地は台北(成都)
姜維の北伐が中途半端に成功。
長安を制圧した後に、関中〜漢中を勢力圏とし「秦王」を詐称、成都政府とは対立。
妄想でつ。
545 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 08:57
秦王姜維に大将軍夏侯覇ってところか?
四将がどっちにつくかだな。
>>542 みんな滅亡の汚名を着るのがイヤだっただけじゃない?w
姜維に手柄を立てさせる振りして…
547 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 11:21
>>542 張翼と廖化は…なんで姜維の下になったんだろうね?
学のない王平が一時期姜維と北伐派のトップを分けたくらいだから
二人は姜維に比べると、各段に才が劣っていたと思ってるんだが。
姜維がいなければ蜀は滅ぶ、というのは二人も納得していたんだろうか?
>>545 夏侯覇ってただの飾りだろ…
>>546 姜維をトップに立たせとけばなんか失敗があっても
全部姜維が暴走してやったことにできて便利だからだろ
>>547 >姜維がいなければ蜀は滅ぶ、というのは二人も納得していたんだろうか?
姜維の存在に関係なく蜀は滅ぶ、という事を二人とも理解していたんだと思われ
550 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 20:28
郤正やショウ周辺りは滅亡すること予測してたっぽいね
>>550 マヂレスして済まないが、地図を見れば分かると思うんだが。。。
完全に正確ではない当時の地図であっても、それくらいは…
張翼は姜維と共に討ち死にしたが、廖化は洛陽移送中に病死。
反乱計画に賛同しなかったのか、たまたまその場にいなかったのか。
この辺もどうなんだろう。
554 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/05 22:33
>>553 廖化は単なる老衰でしょ。
張翼は姜維がイランと判断したのか、張翼が拒否したのか、むしろ張翼が密告したのか・・・
>>554 張翼も反乱計画に乗って、鐘会、姜維らと一緒に殺されてるんじゃ?
姜維の執念に駄目元で付き合った感じなのかーと好意的解釈
姜維は孔明タンを愛していたので
亡き孔明タンの夢を継いで二人の愛に殉じますた。
>>554 とばっちり食っただけなんじゃないの?
郤正伝読む限り劉禅もかなり危ない橋渡ってたみたいだし
関係有ろうが無かろうが蜀将全て殺しつくせくらいの勢いだったんじゃないかと
558 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/06 09:11
何にせよ、張翼はまだマシっぽいが廖化は完全なる無能だよな・・・
不幸にも姜維には人を見る目がなかったとしか言い様が無い。
>>558 んなこたなかろう。
廖化の姜維評はかなり正鵠を射てる。
基本的に姜維含め蜀末期の武将は過小評価されている気がしてならない。
廖化が先鋒だからって文句言うなyo!
>>559 あれは姜維評というより、寧ろ「若造が・・・」という想いから出された愚痴に近い。
正しいことは言ってるかもしれんが、わりと誰にでも出来る程度の言葉だと思う。(そうでもないのか?)
はたして、愚痴にも似た姜維評によって何の功も立ててない武将を評価出来るだろうか?
廖化はそんなものだろ
なんつーか、朱霊レベルでいいよ
それは買いかぶりすぎ。w
565 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 20:44
あんまり覚えてなかったので、戦場での廖化調べてみた
1.荊州失陥時に捕らえられ降伏、後に呉から脱走。
2.夷陵の戦いで一軍を率いるが詳細なし。
3.初期の姜維北伐で羌族と合流の為成重山に向かったが、郭淮に攻撃され姜維が救援に来て羌族と共に撤退。
4.上とは別の北伐で別働隊である姜維のために魏軍の対岸に布陣するも、ケ艾を騙せず無駄に。
5.魏の蜀侵攻戦で張翼・董厥より早く援軍として赴いたものの、侵攻し続ける諸葛緒軍に何もせず結局約一ヶ月後撤退してきた姜維と合流。
…このままじゃただの何もしていない老人だ。補足キボンヌ。
っていうか勝手に「名将」にしているページも多くて驚いたんだが、長生きして戦争に参加してりゃいいってもんでもないような。
姜維への批判内容だって非戦派の文官なら皆思っていたであろう内容だしなぁ。
566 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 20:51
567 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 20:54
568 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 21:01
>廖化
馬岱に近いものを感じる
>>568 馬岱も実際には将としては2流っぽいですしね。
ここに限らず、安能務の説が出ると必ず食いつく人がいるね。
571 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 21:37
諸葛亮時代に生きていた主な蜀将(姜維は除く)
孟達、李厳、呉懿、趙雲、ケ芝、馬謖、王平、陳式、魏延、張嶷、馬忠、廖立、張翼、廖化
と並べてみて、
どうしても張翼と廖化の部分が 不 釣 合 い だ と思う俺はイッテヨシ?
572 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/07 21:41
>>571 張翼はまだマシだと思うが、他と比べたら見事に小粒だ。
王平馬忠がいた時代がラストチャンスだったんだろうな・・・
話は変わるけど、瞻はクズですか?
クズほどはいかない気がする。
ボンクラでどう?
ボンクラほどはいかない気がする。
凡将でどう?
いや、クズでいいとおもうよ。
ケ艾の降伏勧告を蹴ったことだけは評価するけど
まあクズだな
姜維→戦争狂
廖化→ゴミ
馬岱→二流
諸葛瞻→クズ
羅憲が漢中府にいたらどうであろう?
まぁ、大勢は変わらないだろうが、廖化なんかより将才はありそうだが。
呉が蜀を獲る。
確かに格が違いすぎるな
でもまあ黄皓に逆らってさえなけりゃもうチョイ上の位置に入れたはずなんだよな
最大の権力者に逆らってなお江州の副官になれたんだし
黄皓→癌
閻宇→ダニ
姜維→戦争狂
廖化→ゴミ
馬岱→二流
諸葛瞻→クズ
黄皓→癌
閻宇→ダニ
587 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 17:52
>573
でも、王平と張翼・廖化は一緒に評価されてるぞ。
「前に王平・コウ扶あり、後に張翼・廖化あり」ってな。
ま、この二人も有能だったんだろ。
ってかむしろ、廖化って微妙に文官臭いんだが。
蒋エンに位譲られかけてるし。
張翼はなんか姜維と仲悪さげらしい。
馬忠の後任の閻宇は「職務熱心ではあるが、威厳・能力とも前任の馬忠に及ばず」
ってんだから、まあ、無能じゃなかったんだろう。
諸葛瞻の弁護は……。悪い、思い付かん。黄皓と共に姜維を更迭しようとしてるし。
まあ、董厥も一枚噛んでたらしいが……。
姜維はやっぱ人気無かったんだろうなあ……。少し気の毒だ。
姜維は蜀滅亡の後も騒動起こしたが、あれは全く評価できん。
おかげで、太子・劉セン、張翼、蒋エンの子・蒋斌を初め、多くの軍人・文官・一般人が死んだからな。
(廖化は既に病に伏していたため別の場所にいた、と言う説もある。本当かどうかは怪しいが。)
>>565 寥化って仲達の冠を取ったってことが評価されてなかったっけ?
でも仲達が二手に分かれる道で冠を片方に捨て、
捨てた道とは別の道を逃げたのを寥化は気付かなかった
これは正直幻滅した
589 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:30
>姜維は蜀滅亡の後も騒動起こしたが、あれは全く評価できん。
>おかげで、太子・劉セン、張翼、蒋エンの子・蒋斌を初め、多くの軍人・文官・一般人が死んだからな。
どうせ綺麗事じゃ片付けられない世なんだよな。
一般人を非難するのはまだいいとして、武将文官どもは死んでも文句言える立場じゃねーよ。
>>587 閻宇は姜維の暴走を止めようと汚名をかぶってまで積極策に出た、魏延将軍
に匹敵する人材。と妄想してみる。
591 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:31
おいっ!1!!
無駄だったんだよ!
おれがそう言ってるから間違いない!
>>588 関羽ならばどうしたであろうのう・・・。
姜維が孔明死後30年ずっと頑張ったのは評価できるが
北伐で人材が少ない状態で魏を攻めたのは評価できませんな
そのせいで姜維は負けまくって張ギョクや夏候覇などの
勇将を失った
595 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:35
596 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:35
でも姜維はよく頑張ったと思います
ですから姜維は個人的に好きな武将の一人です
アンチ魏が蜀の意義だったという声がちらほらあるが
司馬氏の簒奪の方が先だったらその時点で蜀は終わり?w
黄皓なんて大したことしてないじゃん
まるで滅亡の原因みたいに語るなよ
600 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:43
思うに、最近やたら劉禅を好評価したり逆に姜維を糾弾する声が高くなっているのは、
アメリカが期せずして世界に撒き散らした反戦ムードの影響ではないだろうか。
劉禅タンが長坂で玄徳に投げられて頭が狂ったのが原因では?(藁
603 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:51
>>587 王平と他の三人は、功が釣り合わなさ過ぎる。
きっと無学で降将だったから評価が不当に低いんだと思うけど。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:52
>>603 字が読めないっていうのはそうとう侮蔑される国だからなあ。
三國志後半で蜀に
降将じゃない武将いたっけ?
>>603
606 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:53
>>600 劉禅株上昇は一年ほど前だよ。姜維糾弾に至っては姜維死後からすぐ発生しております。
607 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:54
張翼は
劉璋からの降将じゃなかったっけ?
魏からの降将ってこと?
609 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:55
馬岱→論外
劉禅は最低の君主みたいにいわれてるから可愛そうに思った人達が
どこにでもいる暗愚な君主に格上げしたんだろ これを好評価とよぶのか
だが未だ劉禅は三國志のなんたらに祭られてないとか
615 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 20:59
劉禅は中国では、たぶん永久に認められないから、
この日本で少しでも評価してやらんと悲し過ぎる
618 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:05
だからって知力30以上にしてやることはないわけで。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:05
劉禅=暗愚というランクは、巫女説と降伏後のアレが相当効いてるからな。
俺は非常に好戦家である姜維の官職が高いという点で酒色のみに走った男ではなかったと見ているんだが。
俺がシブサワコウなら
劉禅タンのステータス
戦闘 10
知力 5
魅力 1
政治 30
特性 暗愚
622 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:12
623 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:12
周りに影響されやすいやつだったんだろ。
孔明や姜維がそばにいるときは北伐賛成。
黄皓がいるときは戦争投げやり。
624 :
呂布→征東将軍に改名するゆえ宜しく:03/05/09 21:15
625 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:17
きっと蜀が三代続いたら劉禅はもう少し評価かが上がっていただろう
627 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:19
まあ、姜維って、
三国志通ぶりたい年頃の人が
劉禅の代わりに叩くのには最高の標的だね。
劉禅て叩く要素が意外に少ない
というか劉禅て語る要素が少ない
629 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:22
前半の主人公の劉備。後半の主人公の孔明。この二人叩いたら、必然的に
終盤の主人公の姜維も叩かれるだろ。
>>593 蜀が30年持ったのは姜維というより、しょうえん・ひい・董允らの功じゃない?
張ぎょくの死は痛いな・・。総合的には蜀・随一かもしれないし。
何で君叩かれてるの?
>>625 「国力の差のある魏、呉を相手に、
父から譲り受けた蜀の地を守り抜いた、堅実jな君主であった」
とかなんとか。
633 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:25
とにかく人材が薄すぎるんだよ、蜀は。
董允なんてそこまですごく優秀でもないのに文官のトップになってる。
634 :
>>630:03/05/09 21:29
姜維一人、劉禅一人の問題じゃなく、北伐を進めたい人たちの勢力(派閥)があったって事だろ。
劉禅にしたって、どちらかと言うとその時に優勢な派閥(北伐派VSヒキコモリ派)に同調したってとこ。
皇帝つっても、第一党の意志を無視しては政治がなりたたん。
荊州出身のショウエンは北伐派、益州に地盤があるヒイなどはヒキコモリ派。
姜維は涼州なので北伐派の頭なのは確かだが、彼の一存で戦争したとは思えない。
ブッシュの戦争推進の裏に軍産複合体があったのと一緒。なんらかの後ろ盾があるから北伐できたと見るべきでは?
636 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 21:33
孔明の遺志を継ぐと姜維が強引に北伐をしたという意見を読んだことがある。
これだと孔明の遺言が後ろ盾か。
無駄ではなかったが意味は無かった
後ろ盾についてだが、636の言う孔明の遺言(+孔明の息のかかった軍や官僚)もその一つになり得るだろう。
また、実際は劉禅がむしろ積極的だったかもしれない。
なにしろ、彼が献帝の敵である魏を滅ぼすことを止めたら、漢の皇帝と名乗る正統性がアヤシクなるから。
また、現に存在していた軍隊の仕事の場を与える、というのもある。
この時の軍隊は兵農一致の徴兵制ではなく、平時でも兵士を養わねばならないし、兵士としては戦争がないと恩賞などが期待できない。
こういった外部的要素が姜維を取りまいており、孔明の後継者かつ涼州出身者の姜維は、望むと望まざるとに関わらず北伐派の首魁に担がれる運命だったと言えるのでは?
639 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 22:38
姜維は孔明の後継者ではない。北伐を「受け継いだ」という点だけで誤解されやすいが。
ま、北伐はどう考えても姜維自身の意思だと思うよ。
元、魏の武将でよく魏の武将を殺せるものだ。
呂布お前三国志の本5000000回読め!!
無能!
>>641 呂布が成功しなかったのは、そういう短絡的なところだと思われ
北伐っつっても孔明の北伐、小宴の北伐はまた違うのではないだろうか
北伐そのものが無意味だとすると孔明の北伐も同じことになる
また反乱を起こしたことから考えると姜維が望んでなかった可能性は薄そう
まぁ、北伐が「無駄か無駄じゃなかったか」のどちらかで答えろ、
と言われたら「無駄だった」って答えるしかないだろうね。
しかし、無駄か無駄じゃないかというのは後世の我々だから言えるので
あって、あくまで結果論でしかないのだから、歴史を結果論で語ろう
というのも少々無粋な気がするがね。
当時は彼らだって自分たちのやろうとすることに信念をもって
一生懸命やっていたんだからさ。
ひょっとしたら、今我々が信念もってやっていることだって、
未来の人から見たら、無駄なことなのかも知れない。
しかし、そういうことを考えても仕方ないだろ?
とにかく今は、一生懸命生きるしかないのだから。
646 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 23:02
>>630 大軍を率いて魏と勝負する将は、やはり姜維以外にいなかったと思う。
10回以上魏と争った挙句それでも滅亡後20万の兵力が残ってたんだから、戦闘や撤退も余程上手だったろうし
将や兵の人望も高かったんだろう。(責任者の立場にいる一部を除いて。)
張嶷は張嶷で素晴らしい武将だったんだが、彼の死はそんなに関係無かったかも。
結局官位が低いと影響なんてそんなにない。蜀滅亡後に有名になった羅憲みたいなもんだよ。
647 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 23:02
649 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/09 23:48
王平も張嶷も性格悪かったらしいからな。俺達は好き勝手言えるけど当時の人間としては…ってトコだろ。
姜維は不自然といっていいほど性格書かれてないよね。清廉な人物、としか分からないけど身勝手さや驕りは無かったんだろうか。
姜維はもしや孔明が道術で作った人形ではないだろうか?
それならあの一途さも性格描写がないことも説明がつく。
新説 姜維は文字どうり孔明の傀儡人形だった 燃料は北伐の怨念
>>646 うん。確かに姜維は戦術においては一流だと思う。でも俺が功は前者3人の方が、
って書いたのは、国内の安定って意味です。それと、しょうえん・ひいだって
姜維とは比較にならなくても一応、軍功はあるし。
張嶷って張翼・寥化より官位低かったんですか?・・確かにそのような。
いずれにしても、あの状況だと姜維より上の官位でもないとそれ程の影響は無いと思います。
>>652 しかし、なんだな…
姜維に限らず、魏より降ってきた奴ら
皆(王平を除く)、官位が高いな
おまい、韓綜が車騎将軍なのはいいのか?w
夏侯覇は縁故もあるから不思議ではないんだがな。
>>656
たしか張飛が夏候淵の娘を嫁にしてたんだっけ?
姜維・王平が降将であるということを考えると、やはり魏と蜀では人材が比べ物にならないんだろうな。
夏侯覇だって縁故採用としてもあまりに官位が高すぎるし、自覚はあったんだろ。
劉備時代〜蜀時代の軍事面責任者って
関羽張飛→ホウ統→法正(黄忠)→諸葛亮→蒋エン(王平)→費イ(馬忠)→姜維
かな?
よく人材不足の中これだけの逸材を見つける事が出来たもんだ。劉備は凄いな。
660 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 12:37
諸葛亮(魏延)
でいいんじゃない。活躍したんだし。
661 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 13:10
>>659 その武将らだけ見れば蜀最強なんだが、結局各個撃破された感じだね。
でもそこが蜀の魅力か。
>>646 蜀の滅亡時に、20万もの戦力が残存されてるわけはないと思うが?
降将だったのに、何故最後は蜀に「殉死」したんだろうね?
安西先生、北伐がしたいです
姜維に廖立がいればなぁ・・・
>>666 廖立が、姜維の下で我慢できるわけない
と、思うよ
丞相・廖立!
そういえば、武官を見る目は結構ある劉備だが、文官はいまいちぽ?
廖立の官位が低いのもその辺が理由だったのかなーと思ったり。
侍中なら評価している方だと思われ
長水校尉は事実上の左遷だと思うけど
いきなり侍中なんだから、完全に認められてたでしょ。
しかし悲しいかな、蜀には関羽張飛然り馬超然り法正然り魏延然り王平然り張嶷然り
才あれども性格悪い奴が多い…
張嶷は悪くなかったと思うが…
確かに多少詐術を用いたりしていたけれども
>>672 そういう記述なかったっけ?勘違いしてたかもスマソ。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 18:26
このスレの結論は「劉備最高!」だな。
675 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 18:50
「劉禅最悪!」でもあるがな。
676 :
正史研究家:03/05/10 22:27
姜維は諸葛亮もその才を認めた優秀な人物である。彼こそは蜀漢最後の
人物である。陳寿はいささか彼を酷評しているが、当時晋に仕えていた
彼の事情を思えばやむを得ないことである。姜維の不幸は蜀末期の朝廷の
腐敗に尽きるであろう。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/10 22:43
>>676 >諸葛亮もその才を認めた優秀な人物
諸葛亮の人物識見は信用し難い。
>姜維の不幸は蜀末期の朝廷の腐敗に尽きる
朝廷が姜維の北伐に全面的に協力していたとしても、北伐の結果はそう変わらなかったように思える。
姜維の才能や北伐の是非をここで批判する気はない。
ただ、朝廷のせいで実力を発揮できなかった、などというわけではないと思われ。
678 :
正史研究家:03/05/10 22:57
劉禅ウンコ姜維マンセー
郤正が「あえて」生活態度を褒めているのも
姜維の能力のほどを示していると思うんだが…
史書の讃は褒められていないのはどこか、が重要らしいし
>>679 戦術に関しては一流じゃないの?
戦術面での敗北は、段谷と侯和での二戦だけに思えるが。
評価できない程に戦下手なら、最後まで蜀の軍事を任せられはしないだろう。
>>680 その理由では、一流と呼ぶには物足りない
それに
>評価できない程に戦下手なら、最後まで蜀の軍事を任せられはしないだろう
この様なことを言うと
「蜀の武将は二流ばかりだから」
と言い返されるよ
>>680 >>681 「ほぼ文武両道の才を備え〜」と陳寿が評しているのだから、戦術面ではそれなりだろう。
ただ、一流と呼べるかは疑問。
>>682 禿同。
三国時代なら一流だと思うけど。
>>681 >>682 一流は言い過ぎかも知れなかったな。
679が生活態度以外は大したことないって言ってる様に感じられたからつい。
これからは不用意な発言は控えるよ。
何が一流で何が二流かを681-682に説明してもらいたいのだが。
いまいち基準がわからん。
戦術は一流じゃないと思うが、兵の統率力に関しては一流だと思うよ。
>>685 基準は無い。
ただ戦術面で姜維クラスは他にもいると思い、そう発言した。
でも蜀内だけなら一流だな。
軍師系除くと、後は張嶷、王平ぐらいだし。
>>688 他にもいるってのは、大勢っているって事?
孔明死後だけで見るなら、姜維クラスがそこまで多いとは思えないけど。
一流と二流の間の線引きが難しいから、なんとも言えないけどね。
姜維は孔明と言うより関羽に近くないか?
>>692 確かに三国志全体で見れば一流と言えるかは疑問になるかも
姜維の北伐も良いが、孔明の北伐の時には何をやってたのかも気になるな。
べた褒めした手紙の後の事は、五丈原での「辛佐冶が節を持って…」と退却の時ぐらいしか知らない。
他にあったっけ?
兵を鍛えてたんでしょ。
その時に兵の人望を得たんだと思うよ。
前、魏延を擁護しようって感じのスレがあったよね
>>697 687ではないが、戦の経験の度合いとか
それこそ曖昧。
直接対決もしていない代表武将同士に甲乙つけるのは無理。
ずっと疑問なんだけどさ、
姜維ってなんで大将軍録尚書事なんかになれたんだ?
政治が下手だとケナされてるし、事実非才だったんだろうけど、
政治力なしに軍の頂点に立ったんだとしたら、
誰かが支持したか、誰も姜維の就任を止められなかったかしてんだろう?
>>701 北伐推進派の漢中の人間が支持したのではなかろうか
成都と漢中府との兼ね合いでしょ
ある程度の時期まで(もしかしたら終生ってこともあるけど)は費イや馬忠なんかと同じ派閥に所属してるし
どちらも禄尚書事に就任してる
平尚書事
孔明が第一次北伐で得たものは姜維ぐらいしかなかったわけだけど。
戦果を強調するため彼が少なくとも馬謖以上の人材であることを宣伝した
という解釈をどこかで読んだことがある。
>>705 うーん、それも穿った見方に思えるなあ。
一人死んでも、それは自分の責任だから、祝辞なんか受けられないと言ってたわけだし。
>>705 街亭での大敗と姜維の加入のどちらかが大きいかを考えれば、マイナス面の方が
大きいと思う。
>>700 いや、個人的主観だから・・。そんなこと言ったら考察できなくなっちゃう。
考察と妄想の区別がついてない人っているよね
2人の統率に繋がるような記述って、
・魏延は士卒をよく養成した
・剣閣で降伏した際、将兵は怒りのあまりに剣を石に叩きつけて嘆いた、
と言うことから、姜維は兵をよく掌握していたであろうくらいか。
戦果は2人とも微妙。
総大将として軍を率い、負け続きながらそれでも北伐していた
姜維の方が一歩上かなと思う。
>総大将として軍を率い、負け続きながらそれでも北伐していた
>姜維の方が一歩上かなと思う。
え? 意味が分かラン…
負け続けられたから凄いってこと?
>>711 仮に統率をとれていたとしても
肝心の用兵の方はどうなんだろう?
>>712 負け続けてなお兵が付ついてくるから凄いんじゃないかなーと
>>711 魏延は、劉備に関羽亡き後の漢中を任された。
それくらい信頼されてたんだろう、実力的にも。
主将(姜維)と副将(魏延)じゃ比べるポイントが不明だよな。
まず役割が違うんだもん。
>>715 姜維なんて、ただの降将から一国の大将軍にまで成り上がってる。
どちらが大変か、という質問であればまず姜維なんだけど、どちらが戦上手かは
決定的に情報不足と思われ。
>>718 姜維の敗戦についての原因は用兵の差ではなかったと思いますが。
話がずれるけど、防御戦では王平の用兵がずば抜けてる。
>>720 幾度と魏に攻め入り、その度に戦闘に及んでいるが得る物がほとんどないどころか
いたずらに兵糧と将兵を失っている。撃破されたことも度々あり
正史の記述を見るに正直、用兵に優れていたとは言い難いよ
郭淮らが一流なら、姜維は二流となるのは仕方ないと思うよ
姜維も成都側との確執が無ければ守れたんだろうが、まぁ自業自得だな。
用兵といえば羅憲も凄い。
魏延は、羌中で郭淮を撃破してる
姜維は、郭淮に負けっぱなし
魏延と比べるにはレベルに差がありすぎるわけだな。
軍人とエセ軍人の差とも言えようて。w
姜維は張嶷や王嗣を戦死させてたりするしな
二人とも対異民族のエキスパートだっただけに勿体無い
知らない間に魏延厨がいるな…
姜維と郭淮にそこまで差があるとも思えないんだが。
郭淮や陳泰、ケ艾らの名将が協力して防いでるとこに攻め入ってるんだし。
敵がこいつらの内一人だけなら出し抜けた場面もあったんじゃないかって気もする。
王経を破ってテキ道を包囲した時とか、陳泰がケ艾らの意見に従って姜維の軍の衰えるのを待っていたら
一州を喪失しただろうとか王経も言ってるし。
それに人間は成長するんだから、魏延が破った郭淮と姜維を防いだ郭淮が同じ実力とも思えない。
魏延厨は的外れな発言しかしてないから、無視していいよ。
このスレも700も回ってるし、ずっとROMってたけど面白いんで、正史を含めた諸史料
を少しだけ洗ってみた(マジで少しなんで、ツッコミは覚悟してまつ ウザけりゃスルーで)
諸葛亮と姜維の北伐を比較検証してると、少なからず諸葛亮の偉大さと、姜維の北伐時
における蜀の絶望感がよくみえてくる。
姜維が魏を侵す場合、大抵が隴西、南安、天水といった雍州西部を狙う。
まぁ、これは姜維の自信と思惑がそうさせるのでもあるんだろうが、主に隴西郡以西を
併合して国力の向上と自身の保全を図ろうというものであろうし、やはり戦略面での
企画・立案力の拙さに加えて、大局的な視野という面で狭隘であるのがよくわかる。
この雍州西部へ侵攻する際、姜維は、諸葛亮が行ったような効果的で精巧な陽動を行う
事は少なく、多局的・複合的な配慮を欠き、侵攻路と攻撃目標を容易に看破されている。
王経を撃破して後、優位性を保持できずに一時的な戦術的勝利に帰結させてしまった
のも、その為のようにも思えた。
というのも、姜維が執拗に兵を進める隴西方面は、諸葛亮が(主として)兵を展開させた
祁山以東以上に漢中からは遠く、より兵站線が延びる原因を生んでおり、それも軍事
行動の短期化を生む一因でもあろうし、上邦への進路を看破されて段谷で大敗する
結果を招く要因でもあったのではなかろうか(無論、蜀側の胡済の未着も問題だが…)。
やはり祁山を基点として西方の諸部族を糾合するよりもむしろ東部の諸郡を攻略しつつ、
魏延の挙げていた奇襲や、西部での異民族の蜂起などを交えた方策を択んだ方が、
少しは可能性を見出せる気がする(諸葛亮も鮮卑を動かしていたはず)
陳寿は諸葛亮の将才に臨機応変さを欠くと疑問を提げたが、姜維にこそ、その傾向は
顕著に思われてならないし、姜維を将帥に戴く北伐では、やはり意義を見出せない。
姜維が将として劣種であるというよりは、魏が諸葛亮の北伐を経た事で、蜀軍の企図や
動向といったものを洞察、警戒する事が幾分かは容易になっただろうという事だろうか。
魏の将領が郭淮、陳泰、ケ艾といった優秀な軍司令官であった事で、負けるべくして負けた
といえるのかもしれないが…。
全然うまくまとまっとらんすね…ほんとに長々とスマソ
ようするに、
姜維→戦争狂
廖化→ゴミ
馬岱→二流
諸葛瞻→クズ
黄皓→癌
閻宇→ダニ
>>731 姜維自身、自分が諸葛亮に及ばない事を分かってたからこそ、隴西方面へ出撃したんだと思う。
自分にあって諸葛亮にないもの、つまり西方に熟知しているという点に賭けたんじゃないか?
実際、魏の司令官があんなにも優秀じゃなければ、姜維の言うように隴西は切断できたと思う。
陳群がずっと劉備陣営にいれば、と思った。
無理言うな
>>731 わかった。
要するに諸葛亮と姜維の差は、
戦前の計画・戦略をどれだけ練り込んでいたかいないかだ。
陳泰の「姜維の人をあざむく策略でも早急に用意できるものではない」って言葉から、
魏の陣営も姜維を評価し、多少なりとも脅威に感じてはいたんだと思う。
やはり、焦りからかじっくり策を練り込まなかったのが負け続けた原因なのか。
共に策を練れる参謀役がいれば良かったんだが。
737 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 00:14
最近は、熟女ブームらしいのです。
なぜ、今、熟女なのか?
僕はもう35歳ですが、今では20代の若者にまで熟女人気は広がっているらしいです。事実、僕の知り合いの熟女(45歳)にも23歳のボーイフレンドがいると言ってました。
熟女なんて…と思ってる君…
良く考えてみてくれ。
若い今どきの女性たちといえば、高価なブランドモノのプレゼントを請求したり、車を持っていない男を軽蔑する、なんてことを平気でする。
しかし、熟女は違う。
たいていは、体型や年齢に劣等感を持っているので、抱いてもらえるだけで嬉しいみたいだし、ベッドテクニックはコギャルの5倍は上手。
高価なプレゼントを請求したり、車をもっていない男を軽蔑することもない。
「若くない」というマイナス要因を受け入れれば、ほとんどにおいて若い女性に勝ると思いませんか。
やや垂れ気味の熟れた乳房、若鮎のような脂肪の乗った肢体、男を知り尽くしている豊満なお尻...
どうです、少し考え直しましたか?
まあしかし李厳はきつかったな
739 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 01:46
740 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 01:54
ようするにだ
姜維→戦争狂のDQN
廖化→老害
馬岱→姜維の北伐で牛金に大敗しているらしw (ツッコンでね)
諸葛瞻→うぬぼれた二世
黄皓→テイムポないから私利私欲にはしるのは当然かな
閻宇→宦官どもの肉便器
>>740 姜維の北伐とは全く関連が無い。
以上、ツッコんでみますた!(・∀・)
>>741 で、あるかw
香具師らのへたっれぷりで北伐失敗したともとれないか?
馬岱の魏領侵攻は235年でつ。
当時の軍権は蒋琬にあったことを考えると、
記述の無い姜維と繋げるのは難しいのでは?と思いまつる
744 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 06:40
姜維は手柄立てたがり屋さん
陳宮なんかと同じ匂い
745 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 16:38
744さん、病院行きましょう。
>>744は当たらずとも遠からず、って感じだけどな
陳宮は場を混ぜっ返すのが好きな人
姜維は俺様最高と思ってるね
748 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/15 22:43
諸葛瞻はうぬぼれか?
まあ才能は画くらいと何かの本で読んだな。親が立派すぎるのか・・・。
749 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/18 15:54
ある先輩曰く
男が女修行するには、若い女より熟女の方がよい。
彼女らは、甘えさせてくれる上、女性心理も含め、いろいろ手ほどきして
くれるからな・・・。
750 :
100人に1人(変化を極端に嫌うのが特徴):03/05/18 16:04
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www.ypdc.net/asuperugar.htm http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒のヒンシュクをかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
北伐するより、暗殺にしたほうが経費安くない?
そんなに簡単に暗殺出来るわけ無し・・・っていうか
魏の人材、一人二人死んでも大して影響無いだろうに。
>>753 暗殺する相手が司馬昭とかなら影響もあると思う。
そうじゃなくても、対蜀の司令官、郭淮や陳泰なんかを殺せれば多少は変わるんじゃないか?
まぁ、暗殺なんぞ無理だと思うが。
かなり影響があるだろ。754で挙げた人物が暗殺されたら
実際に劉備て何度も暗殺されそうになってるし
曹操も狙われている
人材の層の厚さに関らず、重要人物が暗殺されたら震撼するだろうしな。
その動揺している所を突けば、ただ攻めるより戦果は大きいだろう。
暗殺が多大な影響を与えるにしても、実行できたのかね?当時の蜀に。
費イなんかの例見りゃ、暗殺もかなり効果高いって言ってもいいと思うが…
何分、魏と蜀じゃ内部事情が全く異なるからなぁ
>>757 いくら魏とはいえ、実権を握ってる人物がいきなり暗殺されたら
すぐには動揺も収まらないだろう。
それにしても暗殺は盲点だったな。
やらなかったって事は出来なかったのか?
アホか?
結果だけ考えるなら
魏の重要人物を暗殺することが「出来れば」
効果は高いだろう。
んな一か八か話がここで持ち上がること自体、
その当時の状況で蜀は勝ち目が無かったってことだよ。
三戦板だからしょーがないが
なんと言うかなんでゲームチックな発想しか出来んのかね。
安易に暗殺で解決するわけないだろうが。
ネタにマジレス、カコワルイ
>>760 暗殺が、そんな頭から否定する程ゲームチックな事とも思えないけど。
三国志の時代以前にも刺客は大勢いて、史記なんかにも載ってるんだし。
暗殺で魏蜀の情勢が覆るような事は絶対無いとは思うが、そこまで反応すべき事でもない。
正直人材の厚さがケタ違いだからなぁ
>>762 俺が一番言いたいのは
「んな一か八か話がここで持ち上がること自体、
その当時の状況で蜀は勝ち目が無かったってこと」
暗殺など下も下策。
手段として確保しとくべきだが
安易に
「あ、手軽じゃん」
「いけるかも〜」
などと言って欲しくはないものだね。
いけてないから蜀は滅びたのだろう?
誰もが思いつくよ、切羽詰れば。取れる策が少なくなれば。
例え史記に始皇帝を暗殺しようとした者の話が載っていようが
最終的に勝敗を決めるのは大軍を維持出来るための国力。
史記に載っていた始皇帝暗殺未遂の結末は知ってるだろ?
例え暗殺成功したにしろ、混乱が起こるにしろ、
格好の攻める口実作るだけだよ。
>格好の攻める口実作るだけだよ。
珍しく良いこと言った!(・∀・)
>>764 つまり、暗殺自体がゲームチックなんじゃなくて、
暗殺を策として行おうとする事がゲームチックだと言いたいんだな。
それは同意できる。
だが「暗殺」ではなく、「暗殺を絡めた策」ならそこまで無駄でもないんじゃないの?
レスを見ても、暗殺が単独で策として成り立つとは誰も思ってないし、
ましてや蜀が勝てるなんて誰も言っていない。
それに、攻める口実なんて暗殺があろうが無かろうがいくらでも作れるだろうしね。
あと勘違いしないで欲しいが、俺はあくまで暗殺を肯定してるだけで
積極的に用いるべきだとは思ってないから。暗殺は所詮暗殺だからね。
1.暗殺者が呉から来たように思わせる
2.暗殺者が魏の重臣の手によるものと思わせる
何進が殺された時の動乱は凄まじい。権力者がガラリと変わったわけだから
暗殺は安易な策かもしれんが、成功すれば影響は凄い。
ただ、いたずらに混乱を起こすだけのような気もするが
曹氏と司馬氏の抗争をもっと上手く煽れたら良かったのにね。
『史記』にみえる古代の暗殺をひきあいにしてる輩がいるが、どうかと思う。
暗殺の実例が後世に伝わっていけば、それだけ暗殺に対しての警戒や警備の程度が
否が応でも増す。
始皇帝の時代ですら、自分の存在位置を隠したくらいだし、時代が下れば行政機構の
整備とともに、警備や守衛も粗漏がありえないほど水準が高上する。
費褘の暗殺の場合、暗殺者への警戒が希薄であって、国が行う様な計画的なものでは
ないんだし、何進は軽率すぎ。
もう、完全にゲーム厨な発想はまいるね。
>>770 ち、ちょっと待て!
俺は暗殺なんぞ「下の下策」と言ってる次第なのだが。
史記を例に出したのは
暗殺なんぞ「もし」「限りなく成功率低いが」成功したとしても
結局、秦にしろ、三国時代の魏にしろ
報復戦が始まって
蜀の命脈なんぞ吹っ飛ぶぞってこと言いたいゆえに
史記の中から引例したんだよ。
ただ。。。そちらの話で過去で同じ様な事例が起きたとしても
それを教訓にした者が今日に至るまで何人いるのだろうが^^;
ホント、統計取れないから絶対なんて言えないけど
絶望的に教訓を生かしていないような気が^^;
歴史は繰り返す。。。って言いますし。
また、私は史記を例に挙げてしまったんだけど
どの例もその都度その都度、暗殺前の周りの状況と後の周り状況が
違うわけだし、私を含めどの例も参考にすらならない罠。
結局、姜維北伐時の蜀と魏と呉の状況でどうなるか?
しか説得力が無いわけでありまして。。。
それで話し合ったとしても。。。そんな限りなく低い確率の策を
>>764で話した通り、
「効果があるかも」とか言わんで欲しい次第だよ。
成功の見込が薄い策を話が出る時点で
>>764と被るが
蜀は滅亡してしかるべきなんだよ。
ネタすらならんよ。ましてや姜維の北伐なんか限りなく無理。
国力少ないのに頼みの蜀の体制が一枚岩じゃないだからもう。。。だめだろって。
>>770 あ、多少見ている視点は違うが、
言いたいことは同じなのかな。。。
そうだったらカブリマシタ。スンマセン。
>>751-773 まぁまぁ、もう暗殺談議はやめにして何か別なことを話しましょう。
だめだ、ごめん。ネタが思いつかない。
このスレももうお開きなのかなぁ。何とか1000まで行かしたいけど。
ところで、皆さん姜維好きなの?
業績とか関係無しで。
到底好きにはなれない
好きだなぁ、やっぱり。
愛すべき男だ。
ネタ無いし、暗殺の話について戻していい?
770の煽るとうり誰でも思いつく暗殺はゲームチックともいえる
でも、決して成功しないと言う点で姜維の北伐に通ずると思わないか?
皆さんは陳泰と郭淮とケ艾の三人の内、姜維の侵攻を防いだって点においては
誰が一番の功労者だと思います?
自分の中で陳泰とケ艾が競ってるんで、意見を聞きたいと思いまして。
郭淮が防いだのは、費褘によって兵を一万程度に抑えられてた時期が主であったし、
陳泰やケ艾の助言に助けられてる様な感じがするので、除いたんですけど。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
やはり、王経は雑魚なのか
他の刺史や都督が頑張ってるなかで、1人だけボロ負けだものな
王経はかなりとっさの判断は弱かったからな。
戦闘は下手だったと思われ
王経の評価すべきところは、軍才じゃあないだろうさ。
政争も苦手
司馬氏に反抗した事が評価できるんじゃないか?
いつ?
死ぬ間際
あれは高貴郷公からクーデターを打ち明けられた3人の中で
唯一司馬昭に報告できなかったからでしょ。ただのヤケクソ。
と、白帝社の『司馬炎』からの受け売りだけど、漏れも之に同意。
王経は曹氏に殉じて死んだことにしようぜ
じゃないとみじめ
姜維に大敗してる時点で惨めだから、安心しる
794 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 15:44
曹氏はヘタレ
実に。。曹丕の政策。。。残念だ
力与えたら与えたで西晋と同じかな、やっぱ。
蜀とかどうなんだろう。
力ある皇族が姜維の援護したり足引っ張ってたりしたのかな?
795 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 16:14
姜維は伍子胥状態だったのかも??
孫武とか韓信がいればって想っておったのだよ
だから無駄ではないと・・・
796 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 11:10
つーか、姜維が蜀の滅亡を早めたのは
事実だけど、結局蜀が中原へ進出するのは
かなり厳しいものがあったと思うし、
彼の暴走を止められなかった諸葛仙とかにも
責任があると思う
何気にマジレスw
諸葛仙ってなんかイカスな
言ってみれば、姜維以外の高官は完全に無能なんだよ。諸葛瞻に責任押し付けるのは気の毒。
もう人材不足としか言い様がない状態だったというコトだろうなぁ。
瞻は屑なのでしょうがないです。
黄皓と一緒になってるようでは、親が泣く。
>>798 >姜維以外の高官は完全に無能なんだよ。
諸葛瞻含めて、な。
有能な者もいたけどな。
全盛期から比べてレベルが下がっていたのは確かだろう。
全盛期もたいしたことないけどな。w
>>796 姜維を止められたのは二人だけいた。
陳シと黄皓。
張ぎょくは高官ではないしな。
黄皓は宦官としては有能ですね
魏忠賢とは比べ物にならないが
黄皓はたくみに死罪を免れていますし、
宦官といえども有終の美を飾らなければ
黄皓は姜維を止めたっつーか劉禅を止めたよな
姜維は下手に刺激するとクーデターを起しかねないイメージ
少なくとも成都と一戦交えそう
>>809 それはない。
する気があるなら、成都降伏後にやってる。
鍾会誘ってやってるじゃん
姜維って野心家の割に、家庭生活は質素だと書かれてるよね
本当にただの戦争狂か
>>811 >809のような性格であれば、劉禅が降伏した瞬間にやってるって。
蜀末期の武将
姜維
張翼
りょーか
勾安
王平
諸葛瞻
張概
北 伐 無 理
蜀・蒋エン王平馬忠姜維張嶷
魏・曹爽
がラストチャンスだったかな
曹爽のときは費褘だぞ
>>813 単純に成都が降伏していたからどうしようもなかっただけじゃない?
成都の内からなら謀叛しそうな予感
>>817 魏に攻められている状態で謀反を起こしても成功しなさそう。
降伏後、ほとぼり冷めてから謀反した方が成功しそう、ってこと?
もしくは
降伏した時点で謀反起こしてもメリットが少ない、
だから蜀が平穏な状態だったら謀反起こしそうなイメージだね
ってことかな?
わけわからん。
つーか誰にも分からんよ。如何に正史でどうのこうの書いていようが。
どんな人物なのかなんて、、推測の域に過ぎない。
結論から言えば歴史が物語るように北伐無理ねってことだよね。
結果論だな
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>>820 それを言ってしまったら歴史の考察の意味がなくなるでしょーが。
推測や妄想をするからこそ、歴史は面白いんでしょ。
820は歴史の何に対して面白みを感じているんだ?
>>824 その意見に対しての意見は820ではない俺にはないが、>820上段に関しては
「姜維が成都で謀反を起こす」というイメージ自体に無理があったとしか言い様がない。
妄想でも、説明できる範囲で分かりやすく妄想すべき。
>>824 極力、妄想は控えるようにしていますが。
その当時の諸条件を好き嫌い、先入観で見ることを意識的に排除しつつ
分かる範囲、判明している範囲で考察して可能性はあったのか、ってことを
第一に考えて歴史を見ますけど。
資料が少なくて結局、推測の域にしか達し得ない場合ばかりですが(苦笑)
そしてそのときに可能性を拾い上げられたとしたら、
そこに面白みを感じますね。
なんといいますか「人物単独のみの評価で国の強弱を測ること」や
「特定の人物に肩入れし過ぎて、おいおいそんな展開の可能性なんて
絶対とは言わないけどキビシいだろ」とか出ているとき
などは一番侮蔑したいところでありますね。
>>820で言いたいことは
>>825の人と大体同じ。
【妄想】
根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。
【推測】
ある事柄に基づいて、おしはかって考えること。
だからどうしたと言われても困るが
妄想ではなく正史の記述から推測することが重要かと
あと
>>820の書き込みは歴史を考察すること自体が無意味と読める
だから
>>824がそういうレスを返したのだと思うが
第三者的に、 正解!
「揚げ足取り」ということは間違いがあったと認めたわけか。別にいいけど。
それにしても結局、投げ遣りの上に責任転嫁か。いいご身分だな
?
ご身分?
途中で書き捨て荒らし、放置しないだけ良しと思いますが。
長々と書き連ねても語尾の良し悪ししか判断しない方ばかり&
例え家に置いてある正史引っ張り出して紹介しても結論出まい?
ゆえに私的切り上げます。
私は無駄・・・というか勝算の無い事だと結論づいてますけど。
妄想の入り込む余地無。
結論付ける理由としてはいろいろあるけど
蜀末の国内の意思統一の分裂で十分理由つく。
そうそう、姜維北伐のどこに可能性見出すのかな?
>>830 そこを中傷の後でかまわないから聞きたいね。
叩き台を残して一介の名無しに戻るのが責任転嫁?
訳分かりませんね。
それと個人中傷もしていないのにいささか心外な方だ。
>>830 んじゃ。
(このレスで一番言いたいのは
>>830が考える姜維北伐の意義、
そして成功への可能性です。よろしく)
文学的表現でいけば、
”蜀”の北伐ではなく、”姜維”の北伐なのだから、
彼個人にとっては大いに意義有るところだろう。
まぁ、北伐自体は無駄な、そう言うわけで820はさよなら。
残りはこれからも妄想したりで、スレを消費していきましょう。
漏れとしては、
>>820に「何故このスレに出てきたのか」を小一時間(ry
クラスである話題で盛り上がってるグループがあると、
そこに入ってきて「それはつまらないよ」と言い放ち、
場を白けさせるタイプなんだよ
つーか、820は三戦板に来る事が間違ってる。
まともにレスしてりゃただの煽り合いになるだろうからスルーすべきだろうね。
だな。
>>820 あなたにたいして言葉の揚げ足取りとかそういう意味で妄想と推測の
意味を書いたわけではなかったのだが、そう取られてしまったらまことに申し訳ない
個人的にはある一つの「嘘」つまり妄想が現実であり得たら、
姜維の北伐は成功したのだろうかと言うことを議論して楽しみたいと思っている
俺らがここでいくら考察しようと姜維が北伐成功させるわけないし、歴史が変わるわけでもない
はっきり言って無意味なんだろうが
歴史を知っているからこそ出来る遊びを楽しんでも良いと思う
砂の城作って遊んでるところに、わざわざ「無駄」と言いに来ないでくれよ
無駄だと思うなら参加しなければいいんだから
838 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/30 07:06
このスレを全部読む気にはならないが、スレタイに関しての結論は初めの方で既に出たことだろう。
現に、姜維の北伐の是非についての議論なんて最近はやってないようだし。
例えば、
>>794辺りからは姜維北伐の頃の蜀政権について語られてるように思える。
そこに出てきて「北伐無理ねってことだよね」という発言は話題違いであるように思える。
あと
>>820は「人物の性質について考察しようが、推測の域に過ぎない」と言っているのであって、けして歴史を考察すること自体を批判しているわけではない。
ただ、「人物の性質について考察しようが、推測の域に過ぎない」の結論が「北伐無理」というのは意味が分からない。
言葉の揚げ足取りである事に違いは無いが、文章の脈絡がおかしいと意味不明と断ぜざるをえない。
確かに三戦板はネタに走ることが多いからね。
この板、言葉遊びしてるだから・・・
世界史板辺りにどうぞ。
それと
>>820の話題は三戦板で扱うものでも無いのかもしれないけど
(それもそれで扱えない事が空しい)
無駄と言ってる者にそれなりに相対する説得力のある意見が出ないのが
なんとも。
それとネタしか扱わないのが狭いよね。見てると。
まあこの板はジサクジエンもやりたい放題だからネタに走ろうぜ。
こんな人が少ない板で午前3時台にそんなにレスがつくなんて(ry
勝手に自演扱いするなよ・・・他は知らんが俺は違うぞ。
839が820の自演でした 〜終〜
がんばれ姜維
843 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/04 04:09
俺の姜維タソの悪口言うな!!
人間、高い志を持つことが肝心!!
そうでないやつが天下を取ると徳川政権のような政権が出来るのだ!!
理想や志の無い国を作って民が本当に幸せになることはない!!
だから姜維はイイコ(・∀・)!!なのだ!!
>>844がいいこと言った
しかし騙されているような気もするw
>>844 徳川政権下では民は比較的幸せだったと思うが(w
結構満足だったと思うなぁ
というわけで徳川政権下みたいな政権では民は幸せでした。
よって姜維はワルイコ(・∀・)!!でしたとさ。ちゃんちゃん♪
>>848 三国時代全体を否定する発言は他のスレで行った方がよろしいと思われます。
姜維を否定すると三国志を否定する事になるのか
これはクマった クマった
勝手にクマれ
姜維=三国志
蜀=姜維だとしても3分の1に過ぎないわけだが。
国力に換算したらそれ以下。
>>850 民の幸せを重視すれば、姜維に限らず戦乱の三国時代ほぼ全てを否定することになりますが何か。
民の幸せなんぞを語っている時点で三戦板に来るべきではないと思われます。純情恋愛板にでも行って下さい。
予想どうりの反応が返ってきてえがった えがった
>>854の理論でいえば、三国時代の政権主導者は民の幸せを願ってないことになるな(藁
>>857 バカはお前。民の幸せを重視することが三国時代を全否定することになるなら、
三国時代の君主は全て民の幸せを重視していなかったってことになるの。
とりあえずお前は正史読んで、どれだけ民への影響を考慮、
もしくは憂慮する君主や臣下の発言や行動があるかしっかり勉強してくるように。
これだから正史読みたての正史厨はこまる
正史にも読み方ってあるよね。
書かれる方も後世に伝わる自分の姿を意識してるとこがあるし。
民の幸せを願うったって、一人一人がその人の民の幸福についての考えがあるだろうし。
あの困難な時代に自分のビジョンを持って邁進する人に後世の一般人は心打たれるんだよねぇ。
そゆことしないで、儒教的観念をたてにとって保守的に生きた人は面白くないし英雄でもないと思うな。
>>858 まだ演義の劉備を信じてるんだな・・・幸せそうだね。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/05 17:11
>>858 ・民の幸せを重視する
・民への影響を考慮、もしくは憂慮する
この二つは全然違うぞ。分かってると思うけど、一応。
>三国時代の君主は全て民の幸せを重視していなかったってことになるの。
少なくとも君主はその通りだと思います。
戦争は綺麗事ではありません。
ケ艾 陸抗 司馬昭・・・・・・
彼らが三国末期に脚光を浴び
誰もが賞賛を惜しまないのは
言うまでもなく
ただ彼らが勝ったからなのだ・・・・!
勘違いするな よく闘ったからじゃない
彼らは勝った ゆえに今その全て 人格まで肯定されている
もし彼らが負けていたらどうか・・・・?
負け続けの人生だったらどうか・・・・?
これも言うまでもない おそらく
ケ艾はウスノロ 陸抗は根暗 司馬昭はいけすかないマイペース野郎
誰も相手にさえしない わかりきったことだ
翻って言おう
姜維は負け続けてきたから
今誰からも愛されることなく
貧窮し・・・・・・ウジウジと・・・・・・四川盆地の底辺を・・・・・・
這って這って這っているのだ・・・・・・!
なぜか・・・・・・?
それは姜維が・・・・・・・・
ただ負け続けてきたからだ
他に理由は一切ない
姜維はもう大将軍になって
何年もたつのだから
もう気が付かなきゃいけない
もう心に刻まなきゃいけない・・・・・・!
勝つことが全てだと・・・・・・・・
勝たなきゃゴミ・・・・・・・・
勝たなければ・・・・
勝たなければ・・・・・・
勝たなければ・・・・・・・・!
>姜維は負け続けてきたから
>今誰からも愛されることなく
そうでもないよ
つーか、蜀将の大半は負け続ける事で愛されてるような気がするが(w
優勢な方には感情が入らないからでしょ。
判官びいきだよねモロ。
離島民の悪い癖だ
870 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/11 02:55
姜維が一番好きなわけだが
∧_∧
ピュ.ー ( `´ ) <これからもワシを応援しろ(`´)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 董卓
姜維はいい歳だったが、子供はおらんかったんか?
いたらしいよ。諸葛亮に降る前にも、死んだ時にも。蜀で再婚したんだろうね。
『妻子』ってなってるから、子は幼かったんでしょうね。
大将軍になって後にできた子なのかも。
>>874 もしくは子供が女しかいなかった、とかさ。これは妄想ですね。
師である諸葛亮も子供が出来たのは遅かったし、
劉備はロクなガキを残さず。
五虎将にいたっても、良い子供に恵まれたとはいえない。
…なんか、蜀って繁殖が不可能な土地なのね
劉備の子がバカスカ生まれたのは、入蜀後のことだが?
蜀が繁殖不可能なんじゃないだろ。
そういえば魏延が斬られたあと、その妻子はどうなったんだろ?
yes
880 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/20 03:11
姜維って、トウシとか鐘会とか、有能だけど性格に難ありみたいな奴にやたらと高い評価されてるよね。
燃え尽きるか、滅亡を延ばすか
いずれにせよ蜀に逃げ場は無かった
チミ等ならどうしたよ?俺なら・・・漏れが逝くまで滅亡は待ってママン!!だな
もしくは劉禅暗殺して皆に心の中でGJだされながら粛清される
>>876 875は蜀の人間が、親に匹敵する子を残しているケースがないことを言っていると
思うが。董和→董允くらいか?
傅彤-傅僉とか、霍峻-霍弋、黄権-黄崇…等など、ほかにもいるね。
匹敵はしてないだろ
関興は結構惜しかったんじゃないかと言ってみる
こと文に関しちゃ親父を上回ってたんじゃないかな
呂祥なんかもスケールは落ちるけどいいとこいってるかも
夏侯覇と姜維は仲良かったの?
彼の存在も北伐の要因だったと思うんだが
夏侯覇の存在=馬岱以下
凄かったかもしれない。
郭奕も、
凄かったかもしれない。
張紹は駄目な方か?
関興は二十代で死んでるからな確か
891 :
ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/06/26 02:45
夏侯覇については、張飛の存在が大きかったといってみるてすつ。
馬岱も馬超のおまけだしね
関興については惜しかったよな。
正史見る限り、かなり周りから高い評価受けてたからな。
20歳で軍を率いる身分だから。俺なんか20歳ではとてもそんな事できません。
894 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 12:21
ついでにage。
895 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 15:55
四川料理があかんのちゃうか?
夏侯覇は最終的な官職も張飛と同じ車騎将軍だったかな…
とくに関係ないけど。
897 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 17:35
関興はそれなりに優秀ではあっただろうけど、
そもそも関羽の子ならよほど愚鈍か惰弱でもない限り
「将来有望」みたいなことは社交辞令的によく言われたと思う。
それで早死にしてしまったから評判が一人歩きしたのではなかろうか。
逃がした魚は大きいというのもあるし…。
寥化の活躍を忘れていませんか?
手柄立てずに死なりょうか
901 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/13 06:29
戦費の使いすぎです太
902 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 02:54
>>902 900すぎてそろそろ終焉を迎えるスレで、いきなりそこにつっこむんかいっ
なんか、蜀の晩年を見てるみたいだ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
結局姜維は「いいひとだけど」で振られるタイプ
保守
ganbare
>>896 車騎将軍って外戚が任用されるっぽい。
董承、張飛、夏侯覇・・。
張飛は関係ないな
夏侯覇も関係ないな
>>911 張飛は時期が違うんだよ。確認してくれよ、そのくらい。
913 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/29 21:54
トウ芝も孔明の死後、車騎将軍になってるな。
>>913 そのケ芝の死後に車騎将軍に叙せられるのが夏侯覇で、その死後は
張翼と廖化が左右に分けるかたちだったはず。
>>911 >張飛の嫁が夏侯覇の従妹
そんなの真に受けるなよ。。。
916 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/30 22:22
〜1001ストッパーが壊れた!?〜
科学板のとあるスレで、1001ストッパーが壊れ
1001以降もまだ書き込みできている模様。
1001 名前: 1001 投稿日: Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
1006 名前: オーバーテクナナシー 投稿日: 03/07/30 06:25 ID:Z0CeMHS7
何これ
1014 名前:オーバーテクナナシー 投稿日: 03/07/30 09:51 ID:AxlwdY4A
お〜い、まだ書けるぞ?
−書き込みは1300レスを過ぎた今も続けられている。−
1365 名前:オーバーテクナナシー 投稿日: 03/07/30 22:07 ID:???
てか1300くらいじゃ驚かないな
過去には実際に15000越えたことあったからな
●最もレス数の多いスレ
ギガウイング2
1位 15535レス(1001ストッパー導入後→5904レス)
↓のスレに直行し、2ちゃんねるの歴史に名を残そう!
http://science.2ch.net/test/read.cgi/future/1059322332/
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
外戚関係は重要だ。
>>919 まず、ログインに連載していたから何?と言いたいところだな。
>なにぶんこのコーナー自体が1992〜1995年にかけての古いものであり、
>筆者もまだ19〜22歳であったので内容に古さや未熟さが感じられるのは否めないが、
>そこはご容赦願いたい。正直、書いた本人にとっては赤面するような部分だって少なくない。
こう書いてあること、それから諸葛亮の行を読むと、結果論に基づく評価と書いてあるので、
別に姜維に恨みがあるわけでもなかろう。
鍾会の行と合わせて読めば、何故その評価を与えたか理解できると思うぞ。
その評価の妥当性はまた別だが。
ま、反論があるなら根拠を挙げて行ってくれた方が読んでいる方は理解しやすいな。
根拠も示さず、「ありえないだろう」と言われても分からんよ。
漏れ個人は「どっちが上か」なんてのは簡単に言い切れるものではないと思うが。
>>920 俺もログイン云々は大した事じゃないと思ってる。他にも色々書いてるようだし。
それを鼻にかけたのか知らないが、「日本一の三国志ライターと豪語して」
などと書いているわりに、結果論だけで評価するってのはちょっとと思ったんだよ。
鍾会と姜維について、確かに司馬昭の謀臣として多大な功績を鍾会は残し、姜維は
北伐でさしたる戦果をあげてない。しかしまともに相対したことが蜀の征討戦において
しかなく、そこで鍾会は結局自力で剣閣を抜くことはできなかった。
剣閣はかなり堅固な要害だし、蜀の征討戦で姜維の方が鍾会より上だなんて判断できないが、
姜維が鍾会に到底及ばないなどと判断も出来ないと思う。
俺はあの評を書いた人より三国志を読み込んではいないと思う。
正史を読み始めたのも三年前ぐらいからだし、年だってまだ19歳の若僧だから。
ただあのあまりにも寂しい評価には、一言言わずにはいられなかったんだよ、姜維ファンとしては。
>>921 気持ちは分かるなあ。
自分は諸葛亮贔屓なので、あの評価には首をかしげるから。
ただ、歴史上の人物の評価なんか色々だからな。
件の評価は、参謀としての能力と指揮官としての能力もあまり区別していないようだし。
あくまでも当時のゲーム的な視点の延長線上にあるんじゃないかな?
戦術レベルの前線指揮官としては姜維は有能だと思うよ。
北伐でさしたる戦果をあげてないのは、両国の状況を見ればやむを得ない結果だと思うしね。
あそこで出兵というのは、後世からみれば疑問だが、彼の置かれた状況からすればやむを得ないような気がする。
姜維には指揮官として責められる理由があり、
鍾会には指揮官として示した実績が少ない。
比較にならんのは確かだな。
>>922 自分もやむを得ないと思ってる。
姜維は降将だし、魏にいたときに何か功績をあげたわけでもない。
いくら諸葛亮が褒めているとはいえ、成都の連中が彼を諸葛亮やショウエンら
漢中の人間ほど認めていたとは思えない。
諸葛亮存命中は北伐に従軍し、中央とのパイプ作りなどもなかった様だし。
やはり蜀内部で完全に認めてもらうには、北伐しかなかったと思う。
>>924 認めるも何も
姜維は大将軍録尚書事にまでなっている
その気になれば国政を壟断することも可能な地位にいたのだから
無謀な北伐を繰り返したことは、弁護のしようもない失敗と思われます
>>925 確かに大将軍録尚書事という、軍事においても政治においても強大な権力を有する地位にいました。
ですがそれだけで国政を思うが侭にできるでしょうか?
自分は、中央の人間は彼の能力に懐疑的だったと思ってますから、
下手に国政を壟断しようものなら周囲の反発を買い、姜維は失脚してしまうと思います。
最初から北伐など考えずに、ただ王朝を存続させることを目的とするならば、
中央との軋轢もなく、そつなく政治をこなせたかもしれませんが。
彼は北伐を行いたかった。諸葛亮の様に政治も行いながら。
ですがそのためには、自分でも諸葛亮の代わりに北伐を行えるということを、
成都の人間の目に見える形で示さなければならなかった。
そう考えて出兵したものの、さして戦果は得られず、成都は益々彼への不信感を募らせていった。
だからただ大勝のみを求めるようになり、張翼の諫めも退けたり、漢中の防衛計画を変更したりもした。
好意的すぎる見方かもしれませんが、自分はこう考えているので、
無謀な北伐を繰り返した事は失敗でも、多少の情けをかけてやりたいと思ってしまうのです。
長々とすみません。
>>926 長文乙
自分も姜維好きだからそういう意見聞くと嬉しいよ。
たしかに無謀な北伐ばっかだったけどそれは彼的に蜀の
ためにやったと思ってるし。
928 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/27 23:52
このまま落とすのも忍びないな。
前に何かの記述で姜維は北伐を敢行しつつ、内政も行っていたと言うのがあった。
伝令・伝達という形で内政中央部に送っていたが、
1、元魏の外からきた奴に指図されるのはムカツク
2、自分らが甘い蜜吸えない
ってな理由で、その殆どを無視していた、と記述してあった。
実際戦いばっかやっていたら、暗殺される可能性もあるのに、
それが無かったのは、前線にいる将らは姜維の働きを見ていたからだ、そうだ。
良ければ、どこの書き込みか教えてくれまいか?
>>919 その本持ってる。
結構面白かったけど、首かしげる部分も多々あり。
夏候惇の評価がやけに高いし。
あと、費イの成年が三国志3かなんかのデータ(168年生まれ)そのままだったり。
ねぇちゃんと蜀書読んでる?って突っ込みながら読んでたなあ。
あと、姜維の評価も妥当とは思えなかった。
いくらなんでも軍事的才能が鐘会より激しく劣るなんて思えない。
932 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 07:42
姜維な、一国の総司令官務まる器じゃなかったんだよ。
一軍の将としてなら充分有能だと思うけどね。
大将軍になっちゃったのが、その不幸だな。結果論だけどな。
ただここのスレタイの意味を考えると姜維の北伐は無謀・無意味。
守勢に徹するべきだったろうな。
別に対外的な戦果を揚げて無くても、国内の反乱鎮圧等で充分功績揚げてるんだし。
姜維自身、自分の限界を理解出来なかったとも思えない。理解したくなかったんだろう。
理解してたら、北伐しなかっただろうしね。
特に、926=921の>大勝のみを求めるようになり、張翼の諫めも退けたり、漢中の防衛計画を変更したりもした。
って点はまずいだろう。あの防衛計画を解体したのが蜀漢滅亡の直接的原因になったのだから。
大将軍・録尚書事、ってのは戦争だけやってりゃ良い職務じゃぁない。
国政・軍事の分離を招かないようにするのも(そもそも一体でなきゃいけないが)その職責。
黄皓・閻宇云々、って反論があるだろうけど、黄皓が権力持った(と言ってもどれほどかはよく分からない)と言っても、姜維の連年の出兵で国力が低下した後の事で、
そもそも、姜維が留守にし勝ちだったのが原因だし、閻宇はかなり有能だったのが事実。
客観的に見ると、蜀漢の滅亡の原因は姜維の北伐であり、イコール北伐は無謀だった、って事になる。
俺自身、姜維は有能だと思うし、好きだけどね。
>>932 >>黄皓が権力持った(と言ってもどれほどかはよく分からない)と言っても、
>>姜維の連年の出兵で国力が低下した後の事で
黄皓が朝政に関わるようになったのは、245年に蒋琬・董允が死んで陳祇が侍中になってからですよね?
その当時は、費イも存命中ですし、国を傾けるほどの遠征はなかったように思えるのですが。
そもそも自分にも黄皓の権力がいつごろ大きくなったのか分かりません。
ですが、費イも248年から漢中にいる様になってますし、
実際、黄皓は陳祇と結び費イの死亡時にはかなりの権力を有していたんじゃないでしょうか?
あと、>>防衛計画を解体したのが蜀漢滅亡の直接的原因になった
について、直接的原因ってのがよく分からないんですよ。
滅亡の一番大きな原因ってことですか?
>>934 ご指摘ありがとうございます。
自分も書き込む前に辞書で調べたんですが、直接的原因というのは載ってないんですよ。
家には広辞苑もないし。
直接的っていうのは、
(形動)
何ものも仲立ちにしないさま。直接であるさま。じか。
原因は
(名)スル
(1)ある物事や状態を引き起こしたもとになった事・出来事。
となってます。
つまり「他に何もいらず、それ単体で原因となる事象」
とでもなるんですかね?
とすると漢中防衛計画云々は、直接的原因とは言えないと思いますが。
変更しただけで滅ぶとも思えませんし。
滅亡の一番の原因は政治と軍事が分裂しちゃったことだろ。
軍隊の暴走を止められない政権と政治から遊離して無謀な戦争を続ける軍部。
>>935 >漢中防衛計画云々は、直接的原因とは言えないと思いますが。
>変更しただけで滅ぶとも思えませんし。
なるほど。国家的政策の失敗無しに国家が滅ぶはずがない、というわけだね。
933の言いたかった事は、こういうことじゃないかな。
「漢中の防衛体制を変更したことが、益州盆地への侵入を許す原因だったらどうだろう?」
王平伝と姜維伝を見比べてみてほしい。
仮にこの仮説が正しいならば、
元々国力で劣り、唯一つの防波堤を自らどけてしまった蜀に、一体残された手立てはあったのか?
つまり、防衛体制の変更が蜀滅亡の直接的な原因であったのだろう、と俺も思う。どうだろう?
ちょっと理論が飛びすぎたかも。
姜維の一存で防衛体制を変更できる国家体制に問題はなかったのか?
と屁理屈をこねてみるテスト
そりゃ、ある意味やる気の問題だなw
蜀という国にモチベーションを起こせる人間がいなくなってしまった、と。
も、どーでもいいや、と。
へたにやる気だして魏の恨みでもかおうものなら滅亡時に
一族皆殺しとかされそうだしね。関羽みたいに
>>931 姜維はケ艾、陳泰などに作戦を見破られて敗北するケースが多い。
国力差を跳ね返せずに敗北、つーか謀略戦の時点で負けてる。
そういう意味では毋丘倹や諸葛誕の反乱のときに見事な策を練り
勝利に貢献した鐘会のほうが評価できる。
戦術ではともかく戦略面では鐘会のほうが姜維よりも優れていると思うが如何?
国力差がデカイ分、戦術の選択肢が狭められた。とも言える
>毋丘倹や諸葛誕の反乱のときに見事な策を練り
馬謖でもそれぐらいはできた。
>>937 >>「漢中の防衛体制を変更したことが、益州盆地への侵入を許す原因だったらどうだろう?」
益州盆地に侵入したのはケ艾だけで、主力はその目前の剣閣の前で頓挫していた様に思えます。
自分が考えるに、あの計画の失敗は、漢・楽の2城、更に陽安関を固守できる将がいなかった事だと思います。
263年の戦いでは、要衝である漢城、陽安関はあっさりと陥落し、姜維の計画通りに運んではいませんでした。
ここに来てスレが微妙に盛り上がってきてる。
次スレとして姜維スレを誰か立てないかねー?
>>942 逆に言えば、ケ艾や陳泰ぐらいしか見破れなかったとも言えます。
パターンとして、多くの論者は姜維の動きを読めなかったが、ケ艾や陳泰が見破る
というのが結構あったと思いますから。
戦略は分かりませんが、謀略という面でみるならば、姜維は鍾会に及ばないと自分も思いますが、
やはりそれだけで優劣は測れません。
>>942 誤解を招く表現でちた。すんません。
で、謀略面では鐘会のが格上ってのは同意。仰る通りです。
だけど、戦術は明らかに格下とはいえないと思う。
実際に剣閣抜けなかったわけだし。
姜維に関しては、演義の反動で不当な評価を受けてるなと以前から感じてたんで、このスレはいいですね。勉強になります。
姜維厨の頼みの綱 「剣閣」
>>944 レスする前にスマソ。益州盆地なんて無いね。ぐぐっても出てこないw
悪いけど、"盆地"を抜かして「益州」ってことで。四川盆地に漢中が入るか知らんし。
ところで、剣閣の位置はご存知ですか?
漢中はとうに過ぎてるんですよ。そこまで侵入されたら蜀の滅亡は必定。
何故なら、魏軍は長安まで引き上げずに占領地の漢中に駐屯するでしょうし、
漢中を奪われたら成都まで遮るものは何一つありませんでしたから。
劉璋のように時間稼ぎならできたかもしれませんけどね。
二城や陽安関などが蜀の滅亡を左右できたとはとても思えません。
鍾会が対外戦線に大将として赴くのは蜀征討が初めてだったからなあ。
大軍を率いる経験の少ない鍾会に対し、老将姜維が蜀の天然の要害をうまく使いこなせた
というところだろうか。ここでの姜維は輝いてる(w
ただ姜維は軍司令官として一番重要な作戦能力に問題があり、どうも評価し難いんだよな。
史書に残ってるだけでケ艾、陳泰、郭淮・・・これだけの人物に何度も看破されてる。
小説ならいざ知らず、歴史書にここまで書かれてるというのは・・・やはり、ね。
常に兵糧の問題も付きまとっていたし(これは諸葛亮も同じなのだが)、
一軍の将が彼の限界だったと思う。
>>932に同意。
鍾会と姜維、はっきり言って両者の能力が発揮できる分野が違っているので総合的な軍事能力の
比較なんかできないよ。
ただ、大澤さんが言いたかったことは、「姜維は演義で書かれているような不世出の名将とは言えず、
後世の彼の評価を高くしたのは諸葛亮自身による脚色もあったのではないか」ということ。
姜維の軍事能力が鍾会に及ばない、という言葉は失言だったとしても、全体を通してもあまり
重要な部分じゃないし、そこだけを取り上げて文句を言うのはどうだろう?
>933
遅レスで申し訳ないが、黄皓が権力を持ったのは陳祗の死去後の258年頃から。
正史・後主伝にも記述があるよ。まぁ、258年までは、まがりなりにも陳祗が重しのようになってたわけだ。
それ以後だって、具体的に何か悪事をしたってわけじゃぁない。後漢末からの正統派の官僚からすると、宦官がちょこっと権力持つだけでも激しく反感を持つのが常。
漢中防衛システム解体が蜀漢滅亡の原因になった、ってのはちょっと言葉足らずだった。
姜維の度重なる北伐により、姜維指揮下の野戦軍の減少を補うため、防衛システムを解体し、その結果、漢中の防衛が不可能になり、蜀漢が滅亡につながった、ってのが俺の考え。
漢中を保持せずして、蜀漢は成り立たない、ってのは理解できるでしょ?
剣閣が落ちなきゃ蜀は大丈夫!なんて言う人はいないと思うけど、念のため。
曹操が漢中を落とした後、漢中から南行して巴西方面に進出してる。つまり、漢中から巴西方面を経て成都及び江州方面に抜ける事は可能だった。
もし、鍾会が剣閣から漢中に撤退し、ケ艾が奇襲を行わなかったとしても、巴中方面からの圧力から、そう遠くない時期に蜀漢は崩壊していたと思う。
陳祇こそが蜀の軍事・政治分裂の原因じゃないかと、むかし思ったことがある
>>950,952
自分も魏軍が長安に戻るとは考えませんけど、漢、楽、関が落ちなかったとして彼らは漢中を維持できたでしょうか?
諸葛亮も姜維も、北伐において輸送に苦心しました。
姜維の計画は、あの辺り一体の武器や兵糧を、漢、楽に集め、関城とあわせた三ヶ所を守り
敵が撤退する時に一斉に繰り出し殲滅するというものですよね。
つまり、漢中にも兵糧や装備は無く、敵は漢中まで困難な輸送をしなくてはなりません。
そうなると、敵の漢中の維持は非常に困難なものになると思います。
さすがにこちらが剣閣まで退いてしまうと分かりませんが。
いくら姜維でも漢中の重要さは分かっていたはずですし、奪還できなくなる様な計画にはしないと思います。
黄皓に関しては後主伝に記述がありますね。見落としてました、すみません。
>>950 大澤さんは、諸葛亮が姜維の能力を脚色して宣伝した事の根拠として、
北伐の作戦に用いなかった事を挙げられていますが、これは根拠にならないと思います。
第一次北伐で馬謖を起用し失敗しているのに、実線経験のない人間に重要な作戦が任せられるとは思えません。
たとえ諸葛亮自身が姜維の起用を望んでも、諸将は反対するはずです。
一度馬謖で痛い目に遭ってるわけですから。
無理に起用すれば軍中の不和を招き、それこそ北伐などままならない状態になると思います。
更に姜維が馬謖の様に大敗したりでもすれば、諸葛亮自身の地位さえ危ぶまれるのではないでしょうか?
たとえ諸葛亮が言うように、姜維が「涼州における最高の人物」でも起用は不可能だと思います。
>>955 当時は無理に姜維使う必要ないもんね。魏延とか王平とかいたわけだし。
ただ、側に置いてた節はある。諸葛亮伝の注・漢普春秋にそれを窺わせる記載があった。
やっぱし馬謖の面影を見てたのかな・・・
大澤さんについては、プロなんだから何言われても仕方ないでしょ。
本人も他の作家に噛みついてんだしさ。
おれも好きだけどね。あのひと。
ところで、楽城って落ちてたっけ?
姜維伝には、「鐘会は楽城を攻撃したが、落とすことができないまま、関口が既に落ちたと聞き長駆して進撃した」
とあったんで、落ちたのは漢城だけだと思ったんだが。
954=955
魏軍は漢中を保持出来たと思うよ。
漢・楽、陽安関口に武器・兵糧・兵力を集中した、って言っても、漢中地方の策源地である、南鄭を確保しておけば、そんなに問題はないはず。
曹操が漢中を放棄した時も、陽平関は最後の最後まで保持してたけど、結局、南鄭を奪い返せなかった為、最終的に陽平関を放棄して撤退してる。
つまり、南鄭を確保出来、かつ関中との補給路が維持できれば、諸砦・関はおのずとこちらのモノになる、って事。
蜀漢側は、漢・楽二城他に篭ってる訳だから補給路は確保出来るよね。
漢中地方を確保するには、平野部に敵を入れない、ってのは基本中の基本でしょ。
>いくら姜維でも漢中の重要さは分かっていたはずですし、奪還できなくなる様な計画にはしないと思います。
重要さがわかってたとしたら、奪還せにゃならんような状況に陥る可能性がある計画ってのはマズくないか?
特に敵の方が強大な場合はさ。
蜀漢みたいな弱小国は、一時的にせよ根拠地を荒廃させちゃならん訳だよ。
上手い事、魏軍を追い返せたとしても、漢中地方が荒廃したら、その地方の豪族連中の人心が離れちゃうでしょ?
守ってもらえないとなったら、戦争にならんでも、魏側に付いちゃうんじゃなかな。
まぁ、そこまで行かなくても、次の攻撃があった時は守りきれないだろうけど。
姜維、第一次北伐後に丞相府倉曹掾・奉義将軍になってるな。
倉曹掾てのは、丞相直属の補給担当だから、ずいぶん信頼されてると言うか期待されてんな。
で、しばらくして、中監軍・征西(南)将軍。こりゃ、かなりの高官だな。
諸葛亮の贔屓だけじゃ、任官できないと思うよ。
出来る人物だったのは確かだね。
大澤語録
「三国志を編年体にした通史の存在を、私のような三国志マニアは常に待ちわびていたのだが、
世の三国志の専門家を称する先生方は余程怠惰なのか愚かなのか、一向にそのような本を出す気配を見せぬ」
〜真実の『三国志』〜あとがきにて
>怠惰なのか愚かなのか
言いすぎだねこりゃ・・・
>>958 遊撃隊を繰り出すと言っていますし、補給路も荒すつもりだったのでは?
>重要さがわかってたとしたら、奪還せにゃならんような状況に陥る可能性がある計画ってのはマズくないか?
これは自分も同意します。ですが姜維とて本心を言えば計画変更はしたくなかったと思います。
守るのに適していると自分でも言っているわけですし。
北伐を敢行できるだけの兵力を確保しつつ、攻められた場合に敵を撃退できる計画として変更したんじゃないでしょうか?
兵力を確保しつつ、これまでの計画で防衛したのでは、漢中は守りきれないと思います。北伐をしなければいいと言えばそれまででしょうけど。
結局、以後の北伐にも勝利出来ず、三ヶ所の要衝の固守も出来ず、全てが上手く機能しないまま終わってしまいましたが。
>>倉曹掾てのは、丞相直属の補給担当だから、ずいぶん信頼されてると言うか期待されてんな。
そうですね。諸葛亮も苦心した補給を任されてるわけですからね。
>>957 御察しの通り、楽城は落ちてはいません。ですが陽安関が落ちれば、無視して進軍する事は出来るでしょう。
楽城には五千の兵しかいませんでしたし。
>933=961
現実は諸砦は守備側の2倍程度の軍勢で包囲されてた訳だから、守るのに手一杯で遊撃隊など繰り出す余裕はないでしょ。
しかも、関頭城(陽安関)にいるはずの主力は姜維と共に遥か遠くにいる訳だ。
もし姜維が>北伐を敢行できるだけの兵力を確保しつつ、攻められた場合に敵を撃退できる計画として変更したんじゃないでしょうか
って思ってたとしたら、相当な愚将って事になるぞ。
国を守るには敵を撃退する必要は無く、補給難でも何でも撤退してくれれば良いのだから。
何度も言うようだけど、山川の要害が充分に守備に益してるんだから、わざわざ平野部に敵を招き入れるような計画にすることはないんじゃないか。
俺には、連年の戦争で、激減した遠征兵力の補充の為に漢中防衛部隊を解体したとしか思えない。遠征軍を増やす為、「敵を誘い込んで大勝出来る計画です。」って言い訳してるようにしか感じないんだよね。
実際、上述したけど、集中配備するはずの主力は姜維と共に遥か遠くってわけだし。
>>962 自分の言いたい事が上手く伝わらなかった様ですね。
>>連年の戦争で、激減した遠征兵力の補充の為に漢中防衛部隊を解体したとしか思えない。
自分の言いたい事もこれと同じです。兵力を補充し、諸陣営の守備兵が激減してしまっては、
どっちにしろ漢中の防衛は機能しないと思うわけです。
そのままで守りきれないのなら、誘い込んででも敵を撃破するって事です。
つまり姜維の計画変更は、国家の存続よりも北伐を優先してしまった事に起因するんだと思います。
>>しかも、関頭城(陽安関)にいるはずの主力は姜維と共に遥か遠くにいる訳だ。
遠征軍が漢中にいれば陽安を主力で固められ、漢・楽の兵も増やせたでしょうが、前年の出撃で沓中にいた上、ケ艾の相手をする事になってしまいましたから。
それに、劉禅は黄皓の言を信じ、陽安に兵を向かわせるのに手間取ってしまいましたし。
自分だってあの計画変更は評価していませんよ。兵を増やす口実かも知れません。
ですが、(実際は不可能でしょうが)全てが上手く機能すれば、彼の言う大勝を博せるものでもあったのではないかと。
>963=933
全てが上手く行って、やっと魏軍主力と戦う事が出来る、ってトコかな。
大勝はどうだろ。零ではないけど、ほとんど無いような・・・。
全て上手く行く状況。
・主力が関頭城に駐留してる。
・魏軍は斜谷、駱谷、陳倉道方面からしか侵攻して来ない。
・蜀漢の本国軍がフ辺りに駐屯してる。
・魏軍の補給が万全でない。
・蜀軍の補給は万全。
・・・かなり虫のいい話かもしれないなぁ。やっぱキビシイかもね。
防衛計画解体の時期がはっきりしないが、259年〜261年ってとこか。
あの時期だと、すでに相当国力低下してっから、防衛計画変更しようがしましが、滅亡は免れんかもな。
書き忘れ。
↑な経緯から、やっぱ姜維の北伐は無理があった、って事かね。
段谷で勝ってれば、とか言われるかもしれんけど、あんま「たら、れば」の話もよろしくないので。
>>964 だから不可能と言っているわけです。
結局、計画変更をしなければいけなくなった時点で終わりって事ですね。
いや、もともと勝機なんて無かったんでしょうが。
姜維が有能とはいえ、彼我の戦力、国力差を覆せる程のものではないでしょうし。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/29 18:37
劉禅のバカ
>966=933
ま、蜀漢が魏に勝つ可能性は諸葛亮時代だって10%もないだろうからね。
人材が払底している後期じゃ、もう零に近いってか零以下だろうな。
延命って事だけ考えれば、結構可能だったかもね。
そんでも姜維の北伐が255年くらいまでで止めてればの話になっちゃうけど。
蜀漢滅亡の翌年に司馬昭が死去してるから、そこまで滅亡を免れてれば代替りと禅譲やらで、蜀討伐どころじゃないだろうから。
呉を滅ぼしたのが晋建国から15年後。
晋の重臣連中は、いやに戦争嫌いだったから蜀も無茶な戦争仕掛けなければ、それくらいまで延命出来たかもな。
ま、繰り返すようだけど、姜維が無茶な戦争しなければの話になるけどね。
あー、もう読む気がしねぇ長さと内容だなーー、ヲイ!w
>>968 255年の王経を包囲した時が、分かれ目でしょうかね。
陳泰がケ艾らの言を容れ、救援に赴かず様子を見ていれば狄道城も落ちていただろうし。
王経も「来てくれなかったら一州を喪失していた」と語っていますから。
結局、陳泰は急いで救援し包囲を解きましたし、
その後、引き返してくるのをケ艾に読まれ、更に段谷で撃破され大敗を喫してしまいましたが。
そういえば、蒋琬存命中は姜維はどれぐらいの兵を動かせたんでしょうか?
費イの時代は1万程度でしたが。
>代替り
はともかく蜀を滅ぼさなければ禅譲はない気がする。
>969、申し訳ない。
>970=933
狄道城の時の王経の慨嘆は大げさだと思うよ。一州はともかく、隴西諸郡は一時的に獲得できたかもしれないけどね。
まぁ、そこまで被害が拡大するまで陳泰やケ艾がほっておくとも思えないけど。
>そういえば、蒋琬存命中は姜維はどれぐらいの兵を動かせたんでしょうか?
ん〜、明確な記録が無いからねぇ。
諸葛亮の死去直後に馬岱が陳倉に出てきた時は3000人程だった様だけど。
まぁ、多くても1万人ってトコじゃないかな。
>971
代替りが禅譲のチャンスな訳よ。人心一新って事で。蜀を滅ぼせりゃ、良い口実の一つにはなるけどね。
後漢から魏の時も、別にどっか滅ぼした訳じゃないでしょ。呉が名目上、服従はしてるけども。
蜀呉が存続中に八王&永嘉の乱に突入すりゃあ面白かったのに。
いや、そんなの有り得ないし と釣られてみる
>>972 あれが大げさだってのは分かりますよ。
ただ、ケ艾でも姜維相手に判断を間違った事はあるって事を示したかったんですよ。
それでも結局防がれてしまう所に、魏の人材の厚さが窺えます。
やはり、看破されない作戦なんてのは、敵の司令官が愚かでない限り無理でしょう。
当時の対蜀の軍にいた将全てを欺くなど出来るとは思えませんから。
兵は、やはり1万程度なんですかね?蒋琬存命中も。
>>960 どうしてここまで攻撃的になるのか・・・
そういや、著書の中でも「先生方」に対してチクチクやってたなぁ。
なにか怨みでもあるのかな?
ぶっちゃけ、蜀軍率いるのが姜維でなくてケ艾だったら北伐は成功してたかね?
俺的にはケ艾でもたぶん無理だと思うんだけど。
>>976 >
>>960 >
> どうしてここまで攻撃的になるのか・・・
> そういや、著書の中でも「先生方」に対してチクチクやってたなぁ。
> なにか怨みでもあるのかな?
嫉妬だろ。売れない作家にありがちな
>975=933
姜維伝くらいにしか、蒋琬存命中の姜維の対外軍事行動ってあまり記述が無いんだよ。
と言う事は、そんなに大規模な軍事行動では無かったと言う事じゃないかな。
ただ、費イの時が1万。蒋琬は費イより外征に積極的だったから、もう少し多かったかもね。
でも、後に姜維が軍権を専らにした時でも5万だったから、2万には遥かに届かない兵力だったと思うよ。
まぁ、1万〜1.5万未満ってとこじゃない?
蜀漢にとって、1万人出兵だって、全兵力の1割だからね、ただ事じゃないよ。
蒋エンって魏書に名前さえ出てこねーが
981 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/30 12:48
罪人に大赦を出してそれを兵力に組み入れたのは姜維の発想だろうな。
滅亡時の蜀の人口構成は
人口90万で兵士10万、だっけ?
日本に当てはめると
人口1億3千万で、兵士1500万か。凄いなw
んで、1万で北伐、3千の損害とると
150万で半島に出兵、50万人死亡ってか。
こりゃあ滅ぶ罠。
まぁ無理で無駄な戦いと言えばそれまでだな。
頑張って戦争したおかげで姜維君は演義でいい役貰えた訳だが・・・
>>979 確かに1万人でも全兵力の1割ですからね。
やはり姜維では、と言うより誰がやっても無理な状況だったんでしょうね。既に。
977氏が言うようにケ艾でも、曹操にだって無理でしょう。
そんな無謀でしかない北伐を行い続けた彼の不屈の精神には、敬服せざるを得ません。
自分が、西洋的な合理主義を嫌う様な人間だからかもしれませんが。
ケ艾でも無理だっただろうが、姜維よりはマシな戦い方が出来ただろう。
いや姜維は簡単に負けすぎ。
どっちにしろ無理ってことだよね。国力差23:2だっけ?1/11.5かぁ・・・
トウ艾VS陳泰ならどっちが勝つと思うね?
ケ艾と陳泰、微妙ですね。
ですが、陳泰はケ艾と違って直接戦っての勝利は無い様に思えますし、
敵の行動を予測し的確な判断を下すという点で見ても、陳泰>ケ艾とも出来ません。
逆にケ艾>陳泰とも出来ませんが。
やはりケ艾有利でしょうかね?両軍の条件が同じならば。
トウ艾って荊州出身だし蜀に仕えて可能性も無いわけではないよなぁ。
おい、次スレ候補がdat落ちしちまったぞ!
誰か次スレ立ててくれ〜
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。