【磯野員昌より福田寺覚世への書状】
御懐かしゅう存じます。
この度、明智殿が仏敵信長を討ち果たしたるはまこと降魔の行ないにて、江北十大寺の善男善女にとってもまたとない吉報かと存じます。
ついては近々それがしが江北鎮護の任を受け故地へ赴く折には、旧来同様御厚情を賜りますようお願い致します。
明智殿は温和な方にて、きっと法運興隆は間違いないと存じます。顕如上人も石山へ戻られるとのこと、併せてお伝え致します。
【明智光秀より武田元明よの書状】
手勢を率いて若狭に入り、旧臣を糾合して本領を奪回されたし。
元々若狭は武田殿の故地、丹羽は四国出兵の支度で摂津に出て動きが取れぬ有様にて切り取りは思いのままでありましょう。
丹後の細川殿にも支援を要請しておきますので存分に働かれたし。
【明智光秀より細川藤孝への書状】
武田殿をして旧領若狭の回復を図らせますれば、支援方よしなに願います。
当方既に京を発し、摂津へ向けて進軍しつつあり。摂津を鎮撫次第播磨へ向かいます。
轡を並べる日を楽しみにしております。
【明智光秀より宇喜多秀家、及び家老衆への書状】
先日の羽柴退治の折はご助力感謝致します。また、御家再興まことにめでたく心よりお祝い申し上げます。
ついては近日中に羽柴筑前にとどめを差すべく播州表に兵を入れる所存にて、御合力賜りたく存じます。
羽柴打倒の暁には播磨半国御礼として進呈したく存じております。良い御返答をお待ちしております。
【明智光秀より長宗我部元親への書状】
先日の便りは届きましたでしょうか。
現在上方にて立ち働いておりますが、近々摂津一国の鎮撫も終わるかと思います。
また紀州も我らに合力するとのこと、もはや長宗我部殿の四国制覇を止める者はおりますまい。
御武運を期待致します。
【六月九日 尾張清洲城内の一室】
信雄「…。」
田丸「殿?」
信雄「…。」
田丸「??」
信雄「帰る。」
田丸「はぁ?」
信雄「伊勢に帰る。」
田丸「なっ…殿、お待ちくだされ!殿ぉ〜」
【6月10日 清洲城下】
石川数正の元で尾張諸将の懐柔に従事していた長谷川秀一。
その活動の一環として、清洲の信包を引き込むべく、清洲を訪れる。しかし・・・。
近習「藤五郎様!既に信包公は、過日単身で訪れた信雄公と共に伊勢へ落ちられたとのこと!
どうやら徳川家のここ数日の調略に警戒心を抱かれていた御様子・・・。」
秀一「何たることだ…。我等の懐柔策が裏目に出るとは・・・。此方まで手を伸ばしたのは薮蛇だったか?
くそっ、このまま誤解されたまま伊勢に戻られては、織田と徳川の仲は終いぞ!
俺を信頼してくれた三河様にも申し訳が立たぬ・・・。
おい、何をぼさっと突っ立っている!追うのだ!中将様を説得せねば!」
【長谷川一行、清洲を急ぎ出立。信雄一行を追跡します】
【六月十五日 越前国府中城付近】
近江に向け兵を進める、前田利家らの軍勢に勝家からの使者が追いかけてきた。
使者 「どうやら近江はすでに明智方に押さえられているとのこと、
よって佐久間殿には、若狭を押さえよとの殿の指示です。」
盛政 「なんと!明智など叩きつぶせばよいではないか。」
利家 「おやじ殿は、すぐ明智と戦うのは得策ではないと考えているようだ、
それに若狭は、丹羽殿が上方で動きがとれぬ今押さえておくべきだ。」
盛政 「それはそうだが、何か合点がいかんのう。」
利家 「(おやじ殿は明智以外にも倒さねばならんと敵がいると考がいるのかも。)
明智の動きに遅れてはならん、急ぐとしましょう。」
【佐久間盛政親子は不破光治と共に兵5000を率い若狭国へ向かいます18日に到着予定】
【前田利家は兵5000を率い金ヶ崎城へ向かい近江への警戒に当たります17日到着予定】
【六月十五日付 蒲生氏郷宛書状】
明智勢は、我らの計略によりしばらくは近江での活動は鈍るだろう、
ただし、警戒を怠る事の無いように。
すぐには南進できないが、必ず上様の仇は討つのでそのときは力を貸してくれ。
あと、伊勢の信雄さまは心細いであろうから、助けてやってほしい。
【蒲生殿受けて下され】
【六月十三日付 筒井順慶より山岡景隆への書状】
今回、明智が与党として 南近江制圧を任された故ご承知ありたし。
ついては、無用の流血を避ける為講和を図りたく使者をつかわした次第。
我らに同心される場合は本領は安堵する。働き如何によっては国持大名も夢ではない。
蒲生殿ともよくよく相談の上、返答をお待ちする。
【六月十三日付 筒井順慶より蒲生賢秀宛書状】
本日柴田殿との盟約が成り、近江一国は明智党の取り分と話が付きました。
柴田殿は北国計略に勤しむとの事、明智殿には羽柴退治を委託された由。
かくなる上は蒲生殿も我らに合力ありたし。蒲生家は元より名門、過ぎる義理立ては身を滅ぼすと愚考します。
【6月15日 尾張岩倉】
早朝守山を発し、一路清洲を目指す徳川軍。岩倉の地に差し掛かる。
家康「岩倉か・・・。」
ふと何かを思い出した家康。片頬を吊り上げ微かに笑うと、全軍に小休止を命じ、近習を連れて陣を離れる。
向かうは、このような片田舎には珍しい瀟洒な屋敷。住まうは天下の麗人。
五徳「義父上様…。」
家康「おぉ、五徳殿。久しいな。息災であったか?」
五徳「はい、お蔭様をもちまして…。この地で我が君を弔う日々で御座います…。」
家康「うむ・・・。信康は死んだが、そなたはいつまでも徳川の嫁でいてくれ。お福やお国も喜ぶ・・・。」
残してきた二人の愛娘の名を出され、はらはらと落涙する五徳。
その様子ににんまりとする家康。早速、本題を切り出す。
家康「お父上の事は御愁傷様であった。天下平定を目前にして、さぞかし御無念であったろうに…。」
五徳「いいえ!当然の報いで御座いますわ!例え織田家に弓引こうとも、我が夫であり、
あの子たちの父親であることには変わりませぬ。それを、父は・・・。」
家康「滅多な事を言うものではないぞ!わしも口惜しいが、お父上には天下布武という大義が御座ったのだ。
その尊い御遺志を誰かが受け継がねば、礎となった信康も浮かばれまい・・・。」
予想もしなかった話の流れに驚く五徳に、詰め寄る家康。
家康「この家康、お父上の盟友として大義を受け継ぎ、天下を平らげ民草に安寧をもたらす所存!
五徳殿、織田家の長女として、わしと共に戦ってはくれぬか?」
圧倒された五徳、只頷くばかり…。
【徳川軍、信康未亡人五徳を保護】
【五徳より、織田家臣へ書状「父の無二の盟友たる徳川公の明智征伐に、御助力賜りたい」】
【六月十五日 越前国北ノ庄城】
美濃入りの準備を進める勝家に良い知らせが届いた。
近仕 「殿!神戸様、丹羽様、共に河内国岸和田城でご無事とのことです。」
勝家 「おお、無事であったか、それは何よりの吉報だ。すぐ書状を出そう。」
【丹羽長秀、神戸信孝宛に書状を出します。20日に到着予定内容は以下の通り】
お二人とも無事で何より。丹羽殿の領地である若狭は、当家で守る故心配無用である。
しばらくは、岸和田城にて河内、和泉を守り、不用意に動かれるこの無いよう自重してほしい。
明智討伐の兵を挙げる際は連絡するので、共に戦ってほしい。
真田より各大名に使者を出す。
【上杉家宛】
なにとぞ、小領主にお力添えいただきますよう、伏して願いたてまつる。
信濃を切り取られるおつもりと思いますが、どうか、海津より南を、
この小領主にお譲りいただけぬものでしょうか。
【徳川家の南信濃在地の将経由徳川殿宛】
佐久、小県まではお手を付けぬようにお願いいたします。
真田家の本拠にございますので、なにとぞ、お見逃しを願います。
【柴田家宛】
この度のこと、驚きました。一度織田家に臣従いたしたからには、真田は織田家の家臣。
織田家の領地として、信濃をお守りいたす所存。
なにとぞ、徳川殿に当家を攻めぬよう、御口添えをお願いいたします。
滝川殿が去られた上野の沼田、吾妻。当家の者が入りました。
なにとぞ、織田家筆頭家老・柴田様のお墨付きにて、当家に安堵をお願いいたします。
領地の豪族には、すでに当家より所領安堵状を下げ渡しております。
【北条家宛】
滝川殿に快勝、慶賀の至り。関東の北条家、揺ぎ無きものと感服いたしました。
滝川殿が関東を去り、奪われていた父祖伝来の地、沼田を取り戻すことできました。
北条様には、お礼のしようもありません。
佐久の名馬、三頭をせめてもの礼物として献上いたします。
佐久・海野の諸豪族に使者を出し、真田家に味方するように説得。
望月、伴野、岩尾、大井、禰津、大道寺、室賀が当家に従うことを約束。
芦田、望月、前山などの城が対徳川防衛前線となる。
佐久・海野に北条家の手が入る前に領土化に成功。
(史実では、佐久の多くの将が北条に味方している。)
上田と沼田、名胡桃の防備強化。
取り急ぎ、以上ですが、おかしな点は、ぼっけもん様の指示に従い訂正いたす所存。
【6月10日夜 伊勢長島】
奔る早馬、月をも追い越す。秀一、決死の思いで伊勢路を駆ける。
僅かな手掛かりを手繰り寄せ、辿り着いたは伊勢長島城。
関東管領滝川一益の本城にして、今は嫡男一時が守る堅城。
この地にて、信雄は一夜の宿を借りているという…。
(斬られるかも知れんな…、俺は。)
明智・徳川の奇襲を恐れての物だろうか、城門の物々しい雰囲気に息を呑む秀一。
だが、やらねばならぬ。今、徳川と手を携えねば織田の天下は無い…。
秀一「某、前右府様の馬廻り衆を務める長谷川秀一と申す。
至急の用ゆえ、中将様にお目通り願いたい!開門!開門!」
【長谷川一行、滝川一時の長島城で休息する信雄一行に追いつき、面会を求める】
※伊勢様、続きを。
【六月十四日 近江長浜城】
津田信澄と磯野員昌が長浜城に入ると、阿閉貞征が珍客を連れて待っていた。
見たところまだ元服前の少年である。ただ既に身の丈は並みの大人ほどもあり、色白の容貌は秀麗でどことなく気品を感じさせる。
かといって軟弱な印象は少しも無い。眉濃く口元は引き締まり、いずれは天晴れな大将にもなろうかという面構えだった。
その少年を一瞥した信澄は怪訝な顔をしただけだったが、員昌の方は明かに顔色が変わった。
「・・・まさか・・・」
「いかがされました」
「いや、しかし。そんな馬鹿な」
「・・・それがそのまさかなのですよ」
と貞征。彼は少年に挨拶を促した。
「・・・浅井長政が子、喜八郎と申します」
「・・・なんと、浅井の!」
さすがに仰天した信澄が傍らの員昌を見やる。員昌ははらはらと涙を流していた。
「若君・・・そうだ、若君に間違い無い。長政様に生き写しではないか・・・」
老将は跪くと、少年の手を取った。
「さぞ苦労されましたでしょう。さぞ寂しい日々を過ごされましたでしょう。この員昌、ただただ申し訳無く・・・」
「京極殿が匿われていたそうでしてな。昨日、磯野殿がここに来ると知って連れてこられました」
「京極殿が・・・あの御仁、なかなか大胆な」
叔父の怒りと憎悪をよく知っているだけに、信澄は信じられないような気がした。あの公家もどき、なかなかどうして肝が据わっているのかもしれない。
「して、これからどうしましょう。浅井の忘れ形見となると話が大きくなりますな」
信澄が首をひねると、員昌は即座にこう言った。
「わしが命に替えても御家再興を成し遂げるぞ。若君、このじいがきっと父上の無念、晴らして見せましょうず」
「・・・まあ、それもいいのかも知れませんな」
信澄も素直に頷いた。北近江の安定化にはまたとない旗頭になろう、との計算はこの場合存在していない。
ただ、この少年に同情し、何とかしてやりたいと思っただけだった。信澄は良かれ悪しかれそういう青年だった。
「では舅殿には私から知らせておきましょう。きっと悪いようにはしないと思います」
「おお、有難し」
数日後の話になるが、光秀より返書があった。
浅井家のことは惨いことだったと今でも遺憾に思っているので、御家再興は是非なしとげられたい、と記されてあった。
良ければ自分が烏帽子親となっても良い。これも何かの縁、これからは信澄を兄とも思って研鑚されよ、と。
そして員昌には、よろしく補佐してやってほしい、とあった。
少し早くはあったが、喜八郎少年は以後浅井光政と名乗ることになる。