ここさえ間違わなければ、蜀が天下を取っていた?

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952無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 22:49
     ♪
ハッコネの山ぁ〜は、天下っのけん♪

クァンコクカンも、ものならず〜♪

って いうが、

ンナワケ ねーだろがっ!!!!
比べ物にもなんねぇYO
953934:02/05/26 22:51
>>941
孟達はともかくビホウとかはチョウ雲がケイ州に配置される事になれば役割も違ってくるだろう。
チョウ雲により大きな権限・拠点・兵を委ねられているはず。

又、呉の正史が正しいという前提に立てば(上の方にあった)ビホウは抗戦して降伏したんだから、始めに裏切りありきは無理がある。
チョウウンと共に守るという見込みがあるのなら、よき同僚として共に抗戦したんじゃないかな?
954無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 22:55
>>953
 そういう仮定を許すなら、趙雲も麋芳とともに関羽の横暴に嫌気が刺して降伏するという仮定も可能だろうよ。
 趙雲と麋芳が同じところに駐屯した場合、権限は麋芳が上で趙雲が補佐すると言う事になるだろうし。
955無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 22:56
>>947
人口どうこうでなく、長安と言えば都、それを落としたってことが
人民にあたえる戦略的影響を931は「虚名」という言葉で説いているのでは?
例えば、日本で京都を落としたと言えばそれなりにインパクトがあるのと同じ。
それに函谷関を中原への侵入口兼防御拠点として持つことはすごく大きい。
周・戦国時代の秦の歴史を勉強してみなさい。
孟ショウ君や信陵君ですら函谷関は破れなかった。
956938:02/05/26 22:58
>>951
そうだな・・確かに状況を考えると・・
>>953
言いたいことは分かるが、
そこまで空想を広げると、なんでもありになってしまうよな・・
しかし、義兄にあたるビホウが奮戦したかもしれんな・・
957934:02/05/26 23:02
>>951
確かにその通りだ。
しかし、それはチョウ雲を一守将としてしか捉えてないからそうなるんじゃないか?
中々うまく例える事が難しいが、ただどっかの拠点を守らせるって話ではなく対呉戦線全般をチョウ雲に孫請けさせるんだよ。
リュウ備が関羽にケイ州を下請けさせたように関羽もチョウ雲に対呉防衛宣言の下請けをさせるって感じで。
要は一守将ではなくてもうちっと広い全般的な権限を持たせたらどうかという話です。
958郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/26 23:05
>>957
趙雲より麋芳のほうがエライ
959郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/26 23:06
>>955
だ・か・ら・・・
長安を落として名を売っても『それだけ』で終わってしまうのが当時の蜀
960無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:06
>>955
 そこまでの戦略拠点だとしたら、魏が北伐までほぼ放置に近いような状況にしていたのか?
 そういう事をまず考えてくれよ(笑)
 まずその時代の情況を考えてから、他の歴史の例を引いていくべきだろう?
961無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:06
>>953
趙雲は本陣・大奥の護衛隊長。
一軍をまともに指揮したのは晩年の第一次北伐のおとり役だけ。
許チョと同じで、個人的武勇に優れ君主のそばにいたから逸話にめぐまれて
三国志演義で有名になっただけで、武将としての力量は中堅どころの人物。
劉備が呉に攻め込んだときも、せいぜい荊州の孟達軍牽制のための留守番役ぐらいしか
与えられなかったことでも、その評価はわかるでしょう。
962934:02/05/26 23:11
>>956
ところで呉の正史って史実なのかな?過去の発言見ただけなんでわからんのけど?
まず、そこがどうかって事で結構変わるような。
ということで954さんも教えておくんなまし。(私は知らんw)

あ、それから空想してるんじゃなくてこのスレで正史正史って良く言われているようなので正史を種ネタに書いてみました。
呉の方が嘘書いてたんならこの話は引っ込めます。
963無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:12
>>857
 関羽にそういう権限を持たせられる器量があれば、麋芳や傅士仁と仲違いしてなかったんだって。
 それだったら、普通に麋芳なり傅士仁たちと協力して戦線維持できたわけよ。
 馬超や黄忠と将軍位で並べられただけでヘソまげるお方だよ?
 逆に趙雲がやってきたら、それだけで趙雲にツラくあたるだろうね。
 だから劉備もそういう事はせずに、極力、関羽子飼いの部下に任せて、麋芳、傅士仁といった武人肌でない人物を周囲に配置したわけ。
964無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:12
趙雲に関しては、記述が少ないから、意見が割れるよな。
ただ、趙雲別伝を信じるなら、名将ラインの前後
965無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:17
ちょっとスレの題材のわりに蜀に対して厳しく書き過ぎてたので、も少し救いを。
蜀の荊州失陥については、それまでの劉備や諸葛亮がとってきた対呉の荊州問題に関する外交の態度があまりに不誠実だったというのもあるだろう。
むしろ、呉はよく耐えていたというぐらい蜀は荊州に固執して呉をないがしろにし過ぎていた。
このときもう少し呉に誠実に領土割譲で大幅に譲歩して、呉と共同歩調をとれていれば……という事は考えてられないだろうか?
けど……、その場合も関羽や荊州閥の者たちが黙っちゃいないだろうから、難しいかもなぁ……。
まさに内憂外患であるなぁ……。
966934:02/05/26 23:20
>>963
関羽の器量についてはほぼ同意。
だけど、呉の備えについてうざがるような奴なんだから、
「面倒な事はあいつに任せとけ」みたいになるんじゃない?
課程なり動機はともかく結果としてそうなるって事は十分にあったと思うよ。

あと961さんには964さんが答えているみたいです。
967郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/26 23:22
>>966
趙雲は麋芳や傅士仁より階級が低いんだがそんな奴に任せるくらいなら
二人に任せると思うぞ。
大体親衛隊長に何ができるのかと・・・
結局どうあがいても呉を敵に回してケイ洲を守りきるのは無理っしょ。
魯粛が生き(略
969無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:27
>>964
趙雲別伝も個人的武勇や質実剛健な人柄を伝えているだけで、名将に値するものは
なにも書いてませんよ
大体、劉備が漢中王となったとき、新参でまだ功もそんなにあげていなかった
魏延より格下だったことでも、蜀における趙雲の評価がよくわかる。
いい人、頼れるやつ、強い、でも一軍の将としては普通、って感じでしょう。
970無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:31
武将として活躍しはじめたのが、荊州失陥と夷陵で大方の勇将たちが死んでからだからなぁ……。
971934:02/05/26 23:31
>>967
チョウ雲が第一次北伐で部隊が任された時のように、身分の低い人物ってのはどこかで抜擢されたから日の目を見ていくわけでしょ?
その時点の身分を理由に全くないとまではいえないんじゃないかな?

慎重一途なチョウ雲が呉への危険性を憂慮したら、じゃあ行けや!ってならないのかな?
馬良じゃあるまいし、彼は武将のはしくれなんだし。

あ、あと関羽ってチョウ雲と仲良くなかったの?
何かそういう感じでここは書かれてるけど.....。
勝手に立てちまったけど、これで良い?
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1022423590/
973郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/26 23:34
>>971
趙雲が指揮できる兵力などたかが知れてるからどうにもならない、
第一その時期に抜擢される理由が無い、
関羽が趙雲と仲悪いと言うより関羽が黄忠と同列に扱われるだけで
切れるような奴だから趙雲派遣されてきたら怒るだろうってことでは?
974無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:35
>>969
新参ではあるが、益州遠征や、漢中争奪戦で
かなり功をあげてたのでは?

と、いうか 劉備が漢中王となったとき、
武将に将軍の位をつけるときに、
(なんだったか忘れた←無知でスマソ
誰もが張飛に与えられると思われてた称号が、
魏延に与えられたところから、
魏延自体がかなりの器だったのではないのかな・・
975無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:38
>>971
 つーか、どうして趙雲にそこまでこだわる?
 武人的な活躍はさておき、軍事的な活躍は第一次北伐の撤退戦だけだぞ? それにしたってケ芝とのコンビプレーだ。
 だったら、むしろ法正とか諸葛亮とか張飛とか魏延とか実績ある武将を派遣したほうがよくないか?
976934:02/05/26 23:40
>>968
そうそう。チョウ雲なら守りきれたとか言うとそれでしゅう〜りょ〜and房決定なんで、
取り敢えずケイ州戦を大ごとにする!(気がついたら落ちてたにならんように)って事なんですよ。

結局負けるにしても、「髭どの!拠点が落とされたよ〜。げげっ〜麦城へGo〜」、じゃなくて「現在抗戦中!助けて〜」て事ならああはあっさりいかないしね。
977無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:44
>>960
あんさん、函谷関には軍勢がちゃんといましたぜ
曹真がオトリの趙雲軍につられて出撃させた軍がそれですがな
978無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:47
979934:02/05/26 23:51
>>973
気持ちよく北だけ向けるんだから、喜ぶかと思ってたんですが...。
怒る?やっぱ。
コウソンサンの時からの付き合いだし、結構打ち解けてる→任せた!任せろ!の関係 って式を書いてるんですよ。。
>>975
元ネタはよく出てくるチョウ雲にケイ州を守らせれば...って例のあれです。
別に他の人でもいいですよ〜。法正は無理っぽいが、ギエン張飛はおもしろいかも。孔明は政務で忙しいかな?
980郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/26 23:53
>>979
関羽が北に行ったら趙雲は麋芳・傅士仁の指揮下に入るのでは?
981無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 23:57
>>979
 あそこまでボロボロ崩れたのは、荊州の豪族たちが関羽を身はなしたからだろ。
 だから名将とかそういうのではなく、必要なのはそういった慰撫・融和政策のとれる人材。
 でも、やっぱり派遣されてきたら関羽が……(以下略
 物凄い縄張り意識の強いタイプだもんなぁ……。
>>979
諸葛亮はその時点では大軍を指揮した経験がゼロなので、
関羽どころか軍部は誰も納得しないだろう。
(強いて言えば入蜀の際の別働隊指揮経験はあるが)。

934よ、君は君自身が思っている以上に趙雲にこだわり過ぎてる。
冷静に議論するためには一度趙雲のことは忘れた方がいい。
983郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/27 00:04
てか所詮・・・
数百の兵士を指揮する権限しかない奴を派遣するか否かで騒いでる934。。。
984無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:05
              ∩
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      ( ´Д`)//  < 先生!趙雲厨は無視しますか?
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985無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:06
986無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:09
986
987郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/27 00:10
埋めるか
988無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:11
ここは良スレだった。
いい終わり方をしたいな。
989いい終わり方:02/05/27 00:14
ウンコ〜
990無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:14
詩スレの「星落秋風五丈原」でも貼るか?(藁
991郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/27 00:15
埋めましょう
992郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/27 00:15
どんどん
993郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/27 00:15
続きは次スレにて
994郭図公則 ◆2getuhmE :02/05/27 00:15
行いましょう
995無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:15
994
996endテーマ:02/05/27 00:15
星落秋風五丈原          土井晩翠



祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原、
零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しづか。

丞相病あつかりき。

清渭の流れ水やせて  むせぶ非情の秋の聲、
夜は關山の風泣いて  暗に迷うかかりがねは
令風霜の威もすごく  守るゥ営の垣の外。

丞相病あつかりき。

帳中眠かすかにて  短檠光薄ければ
ここにも見ゆる秋の色、 銀甲堅くよろへども
見よや侍衞の面かげに  無限の愁溢るるを。
 
丞相病あつかりき。

風塵遠し三尺の  劍は光曇らねど
秋に傷めば松柏の  色もおのづとうつらふを、
漢騎十萬今さらに  見るや故郷の夢いかに。

丞相病あつかりき。

夢寐に忘れぬ君王の  いまわの御こと畏みて
心を焦し身をつくす  暴露のつとめ幾とせか、
今落葉の雨の音  大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに。

丞相病あつかりき。

四海の波瀾収まらで  民は苦み天は泣き<
いつかは見なん太平の  心のどけき春の夢、
群雄立ちてことごとく  中原鹿を争ふも
たれか王者の師を學ぶ

丞相病あつかりき。

末は黄河の水濁る  三代の源遠くして
伊周の跡は今いづこ、 道は衰へ文弊れ
管仲去りて九百年  樂毅滅びて四百年
誰か王者の治を思う。

丞相病あつかりき。
997988:02/05/27 00:16
>>990
そうするか
998無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:16
999
999無名武将@お腹せっぷく:02/05/27 00:16
p
1000endテーマ:02/05/27 00:16
   二

嗚呼南陽の舊草廬  二十余年のいにしへの
夢はたいかに安かりし、 光を包み香をかくし
隴畝に民と交れば  王佐の才に富める身も
たゞ一曲の梁歩吟。

閑雲野鶴空濶く  風に嘯く身はひとり、
月を湖上に碎きては  ゆくへ波間の舟ひと葉
ゆふべ暮鐘に誘はれて  訪ふは山寺の松の影。

江山さむるあけぼのゝ  雪に驢を驅る道の上
寒梅痩せて春早み、 幽林風を穿つとき
伴は野鳥の暮の歌、 紫雲たなびく洞の中
誰そや棊局の友の身は。

其隆中の別天地  空のあなたを眺めれば
大盗競ほひはびこりて  あらびて榮華さながらに
風の枯葉を掃ふごと  治亂興亡おもほへば
世は一局の棊なりけり

其世を治め世を救ふ  經綸胸に溢るれど
榮利を俗に求めねば  岡も臥龍の名を負ひつ、
亂れし世にも花は咲き  花また散りて春秋の
遷りはここに二十七。

高眠遂に永からず  信義四海に溢れたる
君が三たびの音づれを  背きはてめや知己の恩
羽扇綸巾風輕き  姿は替へで立ちいづる
草廬あしたのぬしやたれ。

古琴の友よさらばいざ、 曉さむる西窓の
殘月の影よさらばいざ  白鶴歸れ嶺の松
蒼猿眠れ谷の橋  岡も替へよや臥龍の名
草廬あしたはぬしもなし。

成算胸に蔵りて  乾坤ここに一局棊
ただ掌上に指すがごと、 三分のはや成れば
見よ九天の雲は垂れ  四海の水は皆立て
蛟龍飛びぬ淵の外。



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