三国志の武将達の正史における活躍。

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1無名武将@お腹せっぷく
演義にかかれていない出来事
実際の死因
不幸にも悪役にされた人
等いろいろ書いてみてください
色々考えたんだけど…
駄目だったんだよ
3:01/12/15 21:15
>>2
そんな…
すまん、演義も正史も読んだことないんだ、これが・・・。
5無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 00:51
age
既在スレを見ればおのずと分かろう
7無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 01:04
馬食は鳴いて斬られない
8無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 01:14
>>6
誤  正
既在⇒既存
9無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 21:47
さらしあげ
馬超の違いはすばらしい
>10
テロリストだしな。
12無名武将@お腹せっぷく:01/12/18 01:23
>11 わろた。
13無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:49
あげ
14無名武将@お腹せっぷく:01/12/20 15:11
マルチポストだが、世界史板から質問
世説新語の「管寧>華キン>王朗」のエピソードって何?
15無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 23:34
晒し
16無名武将@お腹せっぷく:01/12/24 01:19
チョウセンっていなかったの?
17無名武将@お腹せっぷく:01/12/24 01:20
>>16
モデルはいた。
18無名武将@お腹せっぷく:01/12/26 00:31
類似スレッドがたってるのでage
ちくま学芸文庫の正史日本語訳をいくらか持ってんだけど、
ハイショウシの注釈がやたらと多い。
そして胡散臭そうな文献からの引用エピソードがやたらと多い。
20無名武将@お腹せっぷく:01/12/26 03:17
>>19
だから三国志は面白れーんだよ。
だいたい陳寿だけの文章でヌケるか?ゴルァ!
21無名武将@お腹せっぷく:01/12/26 03:18
朱霊はなんで曹操に嫌われてたの?
22無名武将@お腹せっぷく:01/12/28 17:31
>>14
たぶんアレだ。
まず「管寧>華キン」
二人が席を並べて勉強しているときに、外に馬車が通りかかった。
それに気を取られて華キンが見に行ったところ、管寧怒って
「座を割いて座ろう、君とはもう友達じゃないよ」
23無名武将@お腹せっぷく:01/12/28 17:36
「華キン>王朗」
戦乱で華キンと王朗が船で逃げたとき、
ひとりの人が船に乗せてくれと頼んできた。
船には余裕があると乗せてあげようとする王朗、反対する華キン。
結局、二人はその人を乗せてあげるんだが、
途中で賊に追いつかれそうになってしまう。
王朗、「船が重くて進まない。降りろ」とその人に要求。
華キン「だから反対したんだ。だけど乗せてやった以上
いまさら降りろとはいえないぜ」

たぶんこれだと思うんだけど。
蔡志忠の漫画からしたが、後者は国語の授業で習った気がする。
24無名武将@お腹せっぷく:01/12/30 05:11
>>22-23
thanx!!
>>14たん。
管寧たん、華歆たん、王朗たんの話なら、
世説新語の冒頭、「徳行」のとこに収録されていたよ。

>>22-23たんの書き込んだ話のほかには、
管寧たんと華歆たんが菜園を耕していたときの話とかがあったよ。

世説新語の日本語訳は、たしか明治書院からでてるはず。
おおきな図書館なら、おいてあるかも。
2622-23:01/12/31 18:37
ありがとうございます。
明治書院というと、なんとか漢文大系ってシリーズかな?
それなら近くの図書館にあるので、読んでみます。
27無名武将@お腹せっぷく:02/01/18 12:51
 
28 :02/02/09 06:14
age
29無名武将@お腹せっぷく:02/02/12 15:41
演義でワリ食った人物ベスト3
一位・・・周ユ(あんな小人物に描かれてる)
二位・・・魏延(謀反人扱いされた)
三位・・・華キン(嫌な奴に描かれ過ぎ)
30無名武将@お腹せっぷく:02/02/16 21:40
>>29
キクギと李通は出てこない。
徐晃が一番酷い
一番酷いのはなんつっても曹操でしょ。
演義のせいでお墓すらあぼーん・・・

うーんありゃないよな・・・
>30
麹義と李通は演義に出て来ないんじゃないよ。
二人とも出てはくるけど正史の活躍をする暇もなく、
麹義は趙雲に、李通は馬超に一撃で殺されてしまうだけ。
・・それはそれでもっと悲惨だけど。
35無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 16:31
ソウテンコウロでもそうだったな・・・
正史がもとなんじゃないのかよ
36ツァオツァオ:02/02/17 16:52
わしってそんなに嫌われてたの(泣
横山の漫画じゃアホにしか見えませんな
蜀の征西将軍・陳到は趙雲に次ぐ勇将と言われたが、なぜか蜀史に伝を
立てられず、演義でも無視されてしまった……らしい。
39無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 19:52
諸葛亮マンセー本だともっと阿呆に見えるツァオ様…
>>32
どういうことですか?
41無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 20:05
>>38
趙雲に次いだ時点で正史に伝が立てられるほどの人物じゃなかった
つまり趙雲がボーダーライン(ww
42無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 21:18
>>38,41
単に蜀が魏や呉と違って正式な史官を置いてなかったから、
陳寿が『三国志』を書く時点で多くの蜀の人士の詳細な記録が散逸してしまって
伝を立てられなかった人物が多いだけでしょ。
陳寿自身が季漢輔臣賛にそう注記してる訳だし。
重臣であり外戚でもある呉懿(呉壱)ですら伝が無いんだから
陳到クラスは無くても不思議じゃない。
まあ魏や呉に比べて蜀には伝を立てるほどの人材が少なかったのは確かだろうけど。
北方謙三の呂布はそうとう萌える
>43
同意はする。
しかし、それをこのスレに書く必要あるの?
北方三国志はこっちのスレで語ると良いよ。

北方三国志について語ろう。
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1003229239/
45無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 22:14
梁習、劉複(香へん)、涼茂、陳登、沈友、劉磐、あたりがアツいのでは?
46無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 22:25
俺は、陶謙のドキュソっぷりが好きなんだがな
>>46
公孫[王贊]のヤクザぶりもな。
4845:02/02/17 22:42
>>46,47
同意致す。
二人とも極悪人なところがすごくいい。(←演義とのギャップがね)
49無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 22:44
馬超なんかもそうか?
50無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 22:50
馬超ってなにが凄かったのかさっぱだな。
一騎討ち=中の中?
乗馬=まさか乗れるよな?
用兵=さっぱ
政治センス=ないだろう?
頭=論ずるに及び申さん(笑)





馬超は父ちゃんや兄弟が曹操のところに居るのに兵を挙げたからな。
そりゃ人質なんだから頃されるでしょう。
韋康を頃したのもマイナスだよなあ。やってる事はまさに暴虐の士。
52無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 23:14
>50,51
基本的には同意。
韋康と和議しておきながら殺しちゃったのは擁護し切れないよね。
ただ>50のいう「用兵=さっぱ」はちょっと同意しかねるかな。
戦略はともかく戦術に関してはそれなりのものはあったんじゃない?
馬超伝注の『山陽公載記』を信じるなら、
曹操に「馬の小僧が死ななかったならば、ワシには埋葬される土地もない」
って言わせたほどだし(夏侯淵には負けてるけど)。
あと武将としての名声の高さと羌族など涼州一帯に対する影響力の強さは
かなりのものだったと見ても良いんじゃない?
「何が凄かったのかさっぱ」というほど雑魚では無いと思うんだが。
羌族から支持があったというのは大きいだろうね<馬超
思えば呂布も五原(モンゴル付近)の出身だし、
漢族ではあっても、考え方や価値観が中原と大分違うと思うと
あの無茶苦茶さも頷ける。
馬騰&韓遂も出世組だな、テロリストから一転している・・・
5550:02/02/17 23:31
えっと、馬超の用兵=さっぱ についてですが、そう思うのは、やっぱり夏侯淵が
化け物のように強すぎだからだと思います。
夏侯淵なら
一騎討ち=それなり上の下
用兵=素早いうえに破壊力満点(笑)
政治センス=なさげ
あたま=中くらい
大中小すべての規模の軍を率いて一門武将(?)の名に恥じない武将だた思う。
じいさんに負けたのがそんなに悪いのかな?
黄権と法正に負けたんだから。(←苦しいな)
注、決して魏オタでもアンチ蜀でもないです。

56無名武将@お腹せっぷく:02/02/17 23:37
↑夏侯淵の一騎打ち?だれと?
黄忠
老人に負けといて上の下かよ(w
5955(50):02/02/17 23:47
黄忠とやるのは演義だよね?
なんでかってやっぱり
万年先鋒だから相当つよいんじゃないのかな?
武勇がないと先鋒にはなれんだろ
楽進、夏侯淵、李通、徐晃、張こうあたりは凄そうだよ。
厨に夏侯淵の良さがわかるわけない
厨に夏侯淵の拙さがわかるわけない
6252:02/02/18 00:04
>55
夏侯淵が正史では凄いことは同意。
ただ「化け物に負けた」ことが「用兵さっぱ」
に直結するのは、ちょっと論理の飛躍し過ぎじゃない?
「夏侯淵の方が馬超より用兵が上手い」という主張の根拠にはなると思うけど
「馬超の用兵が無能」の根拠にはならないんじゃ?

>58
黄忠が老人って記述は正史にはないけどね。

>59
「万年先鋒だから」は「一騎討ちが強い」根拠としてはちょっと弱くない?
先鋒の将帥が、皆が皆軍勢の戦闘に立つと決まってる訳じゃないし。
馬超みたいに閻行に負けた実績があるよりはマシだけど(w。

そもそも正史語る時に一騎討ちはあまり関係ないでしょ。
一騎討ちなんて本当は孫策VS太史慈あたりの数える程しかないんだから。
6359:02/02/18 00:04
>>61
卿の妙才を見せてみよでしょ?
64無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 00:06
>>62
関羽が「老兵と同列にはなりたくない」といったのは正史にもあるだろ
>>64
原文ででは違うらしい、訳す時かなんかに間違えたかなんかだと聞いた。
6662:02/02/18 00:13
>64
おお!そう言われれば確かにそうだ。
費詩伝だっけ?
鬱だ・・・。
67無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 00:14
>>65
原文もどう読んでも「老兵」だろ
ここで読んだんだが↓
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
6862:02/02/18 00:14
>67
エッ?そうなの?
それは知らなかった。
6959:02/02/18 00:15
>>62
確かに一騎討ちの(記録として残ってる)回数自体が少ないのかもしれないですね。
じゃあ、夏侯淵は個人の武力は普通なのかな?
馬超は閻行との戦いが適用されれば…
史奐(かん合ってますか?)とか董襲のが強いのか?
7062:02/02/18 00:16
スマソ
↑の>67は>65の間違いね。
鬱だ。
7159:02/02/18 00:24
っていうか話がそれてますね(すみません)
馬超の用兵が凄くないと思う理由ですよね。
なんとなくですが、劉備は馬超を指揮官として使うよりも、羌の慰撫に当たらせ
取込みを行おうとして馬超の勇名を必要としただけだったのでは?
もし指揮官として優秀であるならば黄忠たちに漢中を攻めさせずに
馬超を中心に軍団を組んだのでは? 漢中太守も馬超になるんじゃないかな?
まあ、降将をいきなり重要なところに置くとは考えにくいけど…
72無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 00:27
油断も隙もない男だからそんな大任は与えられなかったと思われ
裏切りの天才である劉備に信用されなかったのか馬超は・・・
7452=62:02/02/18 00:37
>71-73
>黄忠たちに漢中を攻めさせずに馬超を中心に軍団を組んだのでは?
いや、結構重要な役割任されてるよ。
漢中攻めは魏書武帝紀あたりを読むと劉備の本隊に半年以上先立って
馬超・張飛・呉蘭らの別働隊を下弁に送ってる。
結局この部隊は曹洪に阻まれて呉蘭、雷銅の部隊が全滅して両将戦死の被害を受けて
馬超、張飛は撤退してるけど(新参の馬超と張飛の連携が上手くいかなかったのかもね)。
これを見ると劉備は張飛と同じ位に馬超の軍事指揮能力を買ってるように
漏れには思えるが。
7571(59):02/02/18 00:59
>>74
呉蘭と雷同の一発コンビのやつですか…
それは、張飛があくまで抑えで、馬超は羌の取り込み(別働隊)とは考えられないですかね?
そんで、馬超は涼州への侵攻を考えていたが果たせず、張飛の威名で魏を抑えようとしたが、
歴戦の曹洪にやられた…と。ただ、この下弁への駐屯自体が羌の取り込みであることはありえると思います。
夏侯淵は一騎打ちで負けたんだろうか。
乱戦の中、ズブリってのが真相じゃないの?
7774=52:02/02/18 01:31
>75
この時点で劉備が狙ってたのは漢中だけじゃないかな。
だからこの別働隊は、羌を取り込んで涼州方面を狙ったものではないと思う。
もちろん涼州方面の曹操軍の漢中救援を牽制するために涼州の羌を
扇動するための馬超起用の一面は多分にあったろうけど。
ただそれだけじゃなくやはり純粋に関羽を除けばこの時点で
劉備の指揮を離れる別働隊を任せられる程に実績の有る指揮官が
張飛と馬超しかいなかったというだけの人選だったんじゃないのかな。
これは呉蘭と雷銅が実際にはどれくらいの地位にあった将軍なのかにも拠ると思うけど。

大体、四将の内二将(呉蘭の部下の任キも合わせれば三将)が戦死するような激戦だよ?
下手な指揮官だったら馬超もこの時点で戦死しててもおかしくないと思う。
まあ馬超の指揮能力を客観的に測れる戦闘の記録が無いからこれ以上は水掛け論にしかならないけど(w

>76
張コウ隊の救援に自分の隊の大半を送り出してしまった隙を
突かれたらしいから多勢に無勢で押し包まれて・・ってのが真相じゃない?
7875:02/02/18 01:56
>>77
丁寧な説明有り難うございました。客観的に評価しようとしても、
そのための史料が少ないことで、それがかなわないことは多々ありますが、
こういう場において意見のやりとりができたことは非常に勉強になりました。
馬超は信義の面はともかく、軍事における活躍は確かにあり、正史を基準とするならば、
涼州においての勇名に関しては間違いなくあったといえるでしょう。
ただ、残念ながら実際指揮官として強かったかどうかは不明で、
また、夏侯淵も指揮官としては優秀であるが、武勇については不明ってことで
とりあえずいいですかね。
実は時間がなくなっちゃった。2時閉店(泣)すみませんね。
急ぎでまとめたから日本語変かもしれないですね(笑)
7977=52:02/02/18 02:12
>78
>馬超=涼州における勇名、軍事の活躍あり。但し指揮官としてどれほど優秀かは不明。
>夏侯淵=指揮官として優秀なのは確か。但し個人としての武勇の程は不明。
良いんじゃないかな。
これ以上はやはり議論しても史料不足で答えは出ないと思う。
あとは個々人の想像にお任せ、かな
(但しそれを他人に押し付けないように気を付けたいものだが)。

漏れも久々に楽しかったよ(w
8032:02/02/18 07:14
>>40
曹操の墓所は現存していないのです。
多分ここだろうとされる有力候補の土地はありますが
現在ではゴミ捨て場になっていて跡形もありません。
現代に至るまで、誰も発掘調査や復元を行う気がないようです。

中国では易姓革命という思想があって
新しい王朝の正当性を示すために古い王朝の痕跡を破壊しますが
曹操の場合にそれが最も徹底的に行われたのです。
>>80
曹操自身が大した墓を作らなかったから場所もわからないんじゃなかったっけ?
82無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 21:59
おお、スレが育っている!
俺も陶謙の悪逆さにはハゲシク萌える。
あと、韓遂も好きだ
83無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 00:03
ひーっ関羽!!
わわわわ
84無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 00:26
いいスレなので上げ
85無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 01:45
>>83
それは、演技の曹操デスカ?
86無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 15:01
曹操は生きた心地がしなかった
87無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 18:48
韓遂のヤクザっぷりにも惚れ惚れ。
88無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 23:05
韓遂こそが英雄。
89無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 01:59
いやいや、許貢こそが英雄。魏の天下統一を手助けしようとするも
蛮勇孫策により討たれるも、その遺志は魏の手助けとなる。

武力 78
知力 102
政治 108
魅力 120
90無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 02:15
演義でもっとも被害を受けたのは、やっぱり敵役の曹一門だよな。
91無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 02:16
あとシュウユとか
92無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 09:54
ショウカン様に決まっておろう 
朱然なんかこのまま生きてても物語に影響なし
と判断されて消されちゃったからな
呉の大司馬なのに・・・
94無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 14:38
魏・呉は酷いことになった・・・と
>93
だって地味じゃん朱然って
やべえ演義厨だ
97無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 15:15
陳武の息子達も出てきてもいいとおもうけどなあ・・・
何気に被害が大きいのは袁術じゃないか?孫堅てあいつの同僚か部下だろ?
いやあでも袁術は・・・
演義がなけりゃあ三国志なんて誰も読まないだろ
よって演義=最大の功労者説
100 ◆d1loveCo :02/02/23 17:18
TEST
101無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 22:18
袁術・袁紹・劉表が被害大とみた!
劉表は得してるだろ
袁術も対してかわらん様な気がする
104無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 22:43
袁紹対袁術だけで小説一本になる予感が・・・・・・
105無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 23:32
やっぱ曹操だって・・・・
ひどすぎ
106無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 01:32
実は劉備や諸葛亮なんかが一番ワリ喰ってんじゃないのか?
確かに演義では聖人君子とか天才軍師に描かれてるけど、
正史とのギャップのおかげで、現在では必要以上に小物扱いされてる気がする。
そりゃ2chだけでしょ
ギャップの性か、諸葛亮は政治家だから軍事はだめっていう人が多いな。
109無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 04:22
>>99
禿同。
俺も演技だった…
正史から入ったって人は少ないのでは?
110名無し:02/02/24 04:29
正史を読むのが面倒な人は三国志Vの武将ファイルをお勧めする。
それぞれの武将の演義と正史での書かれ方の違いが簡潔にまとめられている。
ただしゲームに登場する武将のみだけど。
111無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 04:46
諸葛亮が軍事面についてからっきし駄目とは思わないが、特別凄いとも思わない。
まあ中の上ぐらいじゃない?
呂蒙の死因も酷すぎる。ただの結核?なのに。
しかし、かなーり昔読んだ漫画では曹操の間者ということにされた挙げ句
落雷で死んでたので演義の扱いなどまだマシなのかも知れない。
113無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 13:31
武将ファイルをおすすめしないでくださいまし
114無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 13:49
いや、演義オンリーさんに衝撃を与えるだけの目的なら、
『武将ファイル』あたりが妥当だと思う。
だって正史読むのが面倒ってやつらだぜ? 演義だって読んでいるかどうかすら……
現代小説三国志あたりを読んで、「演義読んだ!」って思っているだけの人も多いと思う。
115無名武将@お腹せっぷく :02/02/24 15:48
キョチョ、テンイってどうなんですか?
どうも親衛隊長のイメージが強すぎるんですが

自分は吉川しか読んでないもので
詳しい方、お願いいたします
116無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 21:01
>>115
昔読んだスレでは許チョと典イに限っては演技とそう変らない活躍だったとか。
なんのスレだったかな…?
117無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 21:16
ああ、↓の38だ。信憑性の有無は…自分で判断してくれ。

http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1001592938/
118無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 22:49

ギエンかにゃあ
119無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 11:14
趙雲の記述がすくない
夏侯惇が情けない
121無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 12:20
>>120 正史から見る夏侯惇の美徳は、
人材の推挙、領土の維持に現場で活躍、領民や部下に好かれる、清廉潔白で
余財を貧しい人に分け与える。
活躍としては、辺譲を討伐したり、ちょっと思い出せなけど結構敵将を討伐
してるよ。二十三軍の総司令官になって、呉を牽制したりもしている。
魏呉蜀通して初の大将軍でもある。
122無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 14:31
>>121
大体同意するけど、一つだけ。
辺譲は高名な文学者であって武人ではないんじゃない?
それに辺譲は讒言されて殺されたんであって
彼を斬ったことは汚名にはなっても武名にはならないと思う。
(辺譲は誣告されて曹操に殺されたって話しか聞いたことないから
本当に121のいう通り夏侯惇が彼を殺したのかどうかは知らないけど)。
勿論、夏侯惇自身は有能だと思うけど。
123無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 16:55
有能でなければ例え労いの為とはいえ大将軍にはしない、か。
曹操も自分の寝室に自由に出入りできるほど夏候惇を信頼していたらしいし
124無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 17:02
諸葛亮は軍師としてよりも後方支援の輸送部隊として有名だったってホント?
125無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 17:14
>123
曹爽を忘れちゃいませんか?
126無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 17:50
>>124
正史での諸葛亮は、演義と違って軍事面においては
帷幄で策を巡らす軍師や、兵を指揮する将としての役割より、
物資の補給などの後方支援する軍政官としての方が有能だったのは確か。
補給のプロだった前漢の功臣、蕭何に諸葛亮を例える人も多い。

ただ、後方支援が得意と言っても、
別に当人が輸送部隊を率いていた訳ではないので悪しからず。
要は諸葛亮は北伐の時、李厳(李平)が任された(そして失敗した)ような
「後方での補給計画立案及びその総指揮」が一番得意だったということ。
127124:02/02/25 18:02
>>126
なるほど、詳しい説明ありがとうです
128無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 19:01
>>125
曹爽のケースは例外(?)だと思うが…
129無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 00:31


趙雲の史実の手柄はなんだ?
130無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 00:33
阿斗を救ったじゃないか!
131劉備:02/02/26 00:52
それ余計な事
132無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 03:48
長坂のあの話は実話?
だとしたら趙雲、2度阿斗を助けてるんだな…報われねぇ
>>132
「敵中単騎駆け」はさすがに演義の誇張だが、
劉備が棄てて逃げた甘夫人と阿斗(劉禅)を助けたのは事実。
また孫夫人が呉に帰るとき阿斗を連れていこうとしたのを
阻止したのも事実。

確かに阿斗を二度救ってる。それが幸か不幸か知らないが(藁
134無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 16:01
呉蘭・雷銅無残・・・
135無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 16:41
どうでもいいが、個人の武勇なんてどうでもいいよね。
用兵の巧みさが戦を決めるから。

その点、呂布とかはどうなんです?
強い、強いって言われてるから、用兵の才があったのでしょうか?
136無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 18:34
逆じゃなかった?
馬鹿で用兵の才があるはずないんだけど、何故か勝ってしまう。
じゃあ個人でデタラメに強かった事にしようと。
ちがったっけ?
137無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 18:47
>>137
いや、正史の呂布は優れた用兵家でしょ。
ただ、頭で考えてそうしてるんじゃなくて、
騎馬民族と関係の深い五原出身辺境で育った経験から
本能的にそうしてるのが他の用兵家との違いというだけで。

頭で考えてないという点では「馬鹿だけど強い」というのはあってると思うが、
「何故か勝ってしまう」わけではないと思う。
138無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 18:48
呂布っていうのは西域の血が多めに入ってる。そのかわり脳が少なめ、これ。
139137:02/02/26 18:48
間違った。
↑は>>136ね。
140名無し:02/02/26 19:42
>>138
確かに諸刃の剣で素人にはお勧めできんな(w
142無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 22:00
西域? そりゃ『天地を喰らう』だろ?
143無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 22:01
>>142
西域と西洋は違うと思うが?
呂布はモンゴル人じゃないの?
145121:02/02/26 23:02
>>122 御指摘の通りだと思います。
実際、書いていた私自身も少々疑問に思っていたんですが
曹操を「ああ言えば孔融」と一緒に糾弾していた
んであまりいい印象を受けてなくて少々主観が入っていた事を
お詫びします。
146無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 23:19
>>144
呂布は并州五原の出身。
血統的には漢民族。
北方の異民族と接触することの多い辺境だけど
西域は方向が全く違うし、モンゴルはその時期そこら辺にはいない。
147無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 15:43
呂布は野戦での負けがほとんどない気がする
>>144
まぁ、モンゴロイドである事は確かだろうな(w
149無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 23:04
(・∀・)
150無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 23:13
スレ違いだけど天地を喰らうの呂布はそりゃものすごく中国人じゃなかったな
151無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 01:13
呂布は野戦最強の用兵家かな。
張飛とかも強そうだ。
152無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 01:24
関羽より張飛の方が頭が良いんじゃないかと思う
153  :02/02/28 02:05
体がでかくて腕っ節が強いというのは将軍に必要な資質としてウェートが大きかったらしいじゃないですか。
項羽とかもそんな感じ。
154無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 23:55
>>147
いや、そんなことは無いが。。。
呂布の勝率はそれほどいいとはいえない。
だけど、ちょっと常人では無理なんじゃないかって活躍が目立つ。
(vs張燕、vs曹操)
155無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 23:58
呂布が陳宮の言を入れれば勝ち
退ければ負けるって精子の記述であるみたいな事を聞いたが
マジかな?
156震源:02/03/01 00:00
精子の記述・・・
気になる・・・
韓浩・・・姓が同じというだけで、勝手にDQNの弟にされた挙句、殺された悲劇の男。
158無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 00:56
韓玄・・・ごくごく普通の太守だったのに勝手に暴君にされた挙句殺された悲劇の男。
159無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 00:59
徐晃・呂蒙・・・関羽の死に関わったせいか悲劇の最後を遂げる
160無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 01:25
>>159 あ、それで徐晃まで孟達ごときに…。なんで、そこで孟達風情に
殺されなきゃならんのだと、思っていたら…。なる程…。
じゃあ、張遼は何故故に丁奉に、あ!そうか、演義で割愛できないくらい
派手な活躍だもんね、張飛、趙雲の長坂や、関羽の千里行に
勝るとも劣らない大活躍だもんな。合肥、逍遥津、烏丸討伐は
演義の創作より派手だもんな。
羅貫中に、嫌われちゃったわけだ…。(笑)
>>160
主語や述語を省略し過ぎた挙句に、改行が独特過ぎて
正直言ってあんたが何を言いたいのかさっぱり分からんぞ(w
もっと整理して書けよ。
162無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 17:11
正史では徐晃・張遼らに匹敵する蜀将はいない
強いて言えば張飛・・・か?
163無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 18:47
>>162
まあメインは魏だから正史は。晋ではなくもし蜀が三国統一してたら蜀の武将のほうが
活躍したように描かれているだろう。といって徐晃・張遼は蜀の名将と比べても総合的に
上だと思うが。関羽・張飛はなんといっても致命的な性格的欠点があるからなあ。
164無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 21:20
>>163
張遼も、李典と不仲だったりで、
性格に全く問題が無かった訳じゃないけどな(w
勿論、関・張と違って致命的と言えるほどではないが。
その前に関・張は文字通りの致命的な失敗をしてる
166使者:02/03/01 21:48
私はしゅんがいが強いと思いますね。(もちろん五大将はみんな強そうだが)

後半は文句のつけようが無い彼、とうがい。
チョウコウもまた演義で貶められた一人
どこが?
シバイに追撃を自重するようにいったがどうしてもいけと言われて死んだのが正史
そんなことも知らんのか
それは正史の注、「一説には」程度の話。
そんなことも知らんのか
171無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 00:47
郭図も被害者だな(w
被害妄想の強いヤツらが多いな(w
173 :02/03/02 00:48
>>169
それはシバイがライバル抹殺のために
出陣を強いたんだよ。前回チョウコウはシバイの支持を
無視して出陣して失敗していただけにね.
ひょほほ
>>173
ま、わざとネタで煽ってるんだろうが、そういった説もなくはないな。
176使者:02/03/02 20:40
ここは下げなのか?

>>175
ネタじゃ無いだろうと思うよ、何かの本で書いてた。

ところでふと思ったが、長坂の戦いでうまいこと逃げ切った劉備軍団の文官たちって
武闘派なのか?

糜竺は魯肅みたいなタイプで結構強かったっぽいけど…

177無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 21:19
教えてくれ!正史の郭嘉って一言で言うとエロガッパだって本当か?
178無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 21:22
>>176
わからん、孫乾が武官の席次2位の国だし・・・
>175

シバイは食わせもんだぞ
わざと殺したとしても全然おかしくない
>>179
何故張儁乂!
181無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 23:39
>>177
うん。かなりの色好みだったらしいね。
>180

自分以外の有力者は全て皆殺しってとこでは?
183無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 23:51
>177
たしか陳羣(出ない…)が何度か注意してた…はず。
ソウテンコウロでエロエロだった
>カク嘉
185無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:10
がいしゅつだろーけど、劉備の巻添えを食らって呉に処刑された馬良。
そんな話ははじめて聞いたな
>185

馬良はイリョウの戦いで戦死したと書いてあったぞ?
188無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:22
「馬良伝」読んでちょね。
逃げ遅れて呉に処刑されたっぽい。
ぽい。かよ!

そもそもスレ違いじゃないの?
190無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:26
あ、ゴメン。無視して。「殺害された」=「被殺死」でした。
でも、戦死と殺害も随分違わない?
191無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:28
>>189
スレ違いっすか?殺害も活躍のうちだと思ったんで・・・。
192無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:34
>191
演義でも同じじゃない?
同じ
>演義にかかれていない出来事
>実際の死因
>不幸にも悪役にされた人
>等いろいろ書いてみてください
>>192
演義では何時死んだかはっきり書かれていないが、
恐らく南蛮征伐頃だと思う。
196191:02/03/03 01:45
演義での馬良死因は書いてないよ。
孔明が「南蛮行くぞー」って張り切っているところに馬謖が来て
「兄ちゃん死んじゃった」って言うだけ。多分病死っぽい描かれ方。
197191:02/03/03 01:47
かぶった。スマソ。
198無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:47
>>190-191
>戦死と殺害も随分違わない?
大して違わないでしょ。
夷陵の敗戦の際の戦死者は程畿や傅トウを見れば分かるように
大半が撤退中に呉の追撃で戦死してる。
馬良も同じように従軍してて同じように敗戦時に殺されただけ。

演義では馬超同様、何時の間にか死んでることになってる。
199無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 01:53
太子慈は病死だったのに、張遼に策を看破されて
矢ダルマにされて戦死扱い。

病死でひっそり死ぬより、呉の宿敵の張遼に討たれたことにした方が
幸せだったかなあ・・・
郭嘉=エロガッパか
じじじじゃあ、ジュンイクはそうだったんだろう。
頭とルックルが良いらしかったけど
201200:02/03/03 02:02
誤字だらけ・・・。
「じじじじゃあ、ジュンイクはどうだったんだろう。
 頭とルックスが良いらしかったけど」
です。スマンソ
202無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 02:07
>>199
太子慈じゃなくて太史慈な。
字の子義と混じってるぞ(w

本題に戻ると羅貫中の頭の中には
「将は戦場で死すべき」という考えが詰まってるみたいだな。
本来は病死なのに死後の戦場に引きずり出されて殺された武将のなんと多いことか
徐晃、楽進、黄忠、甘寧、etc....。

>200-201
名前が残ってるだけでも荀イクには五人の息子がいる。
これで十分だろ?
203無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 02:23
>202
その割には趙雲とか馬超とかは病死のままなんだよな。
惇はいつの間にか消えてるし。

蜀の武将は敗死扱いに創り変えるのを避けたのか?
>>203
黄忠だけは戦死にされたけど、かっちょえー最期をもらえたな。
正史では特に死因には触れてないんだが。(たぶん病死)

それに比べて演義の魏延は。。。
205無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 02:44
>>204
演義の死に方が良いか、正史で楊儀に首を踏まれる死に方が良いか、
意見の分かれるところかも(え?その話じゃない?)
206無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 07:59
郭嘉はもしや性病で氏んだのですか?
207無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 10:16
何晏の話は?
208 :02/03/03 10:18
無頼派で好色けんかっ早い郭嘉、本当は武勇つーか腕っ節って
強かったんじゃないかな?
正史準拠の「天舞」でも武勇は1/16だが。
209無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 16:48
だが、ちょっと昔まで社交の挨拶に「奥様は何人居られますか?」がセオリーとして存在してた国だぞ。
210無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 22:57
あぶれる男がたくさんいたってことか
211無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 00:06
曹仁なんて正史には「張文遠(遼)を凌ぐ」とすら書いてあるのに
どの本でも(ましてゲームでは)雑魚一歩手前な扱いだぜ。

「蒼天航路」では
最初に出てくるから期待してたのにさっぱりだからな。

いつも難戦で戦わされてたのに。カワイソ。
横山よりソウテンの方が酷いなソウジンは
213無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 04:11
いつの時代も、目立つのは惇兄か…
214岩瀬 まに:02/03/04 07:10
加古ログ

あのこわさです

215無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 14:08
潘濬承明、有能じゃねえか・・・
216psn:02/03/04 16:46
蜀はなんで滅んだんよ?
217無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 17:03
弱かったからだよ>>216
218うざい:02/03/04 17:45
演義にかかれていない出来事
実際の死因
不幸にも悪役にされた人
等いろいろ書いてみてください

soutennkourowoyomi
ennginohigaiじょうほうのだいじさ だからおrうぁ
もーにんぐ はく
おれのさけはでんぱ 男と女 摩天楼 ないよ
北広には「「 ウキンと 弥縫
そしておれhさ
ゆきぐにのふろんてい

おれは せんもn 愛野種を 里図化にまき ナックル魚投げる
あえて出来る 里図課の 道産子の
京牛秒 いまがこころの いんふれ
そう おれは そんけn さけににげす
慢性 胃潰瘍 飛燕 王 孫えkん 17にち すーつだ がんばれ
たてこもり 早く 春が来る いくぞーーーーーー おれのらんせ
は 圭十tもに有り
で行こう
219無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 18:19
我々は二人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
魏に比べ、我が蜀の国力は30分の1以下である。
にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か?
諸君!我が蜀の戦争目的が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。
我々は荊州を追われ、山岳移民者にさせられた。
そして、一握りのエリートが世界にまで膨れ上がった漢を支配して50余年、
皇居に住む皇帝が主権を要求して何度曹操に踏みにじられたか。
蜀の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるわけはない。
私の義弟!諸君らが愛してくれた関羽と張飛は死んだ。
何故だ!?

(傲慢だからさ)

新しい時代の覇権を我ら選ばれた人民が得るは、歴史の必然である。
ならば、我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な山岳地帯を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、劉障は人類の革新は山岳の民たる我々から始まると言った。
しかしながら魏のモグラ共は、自分たちが蜀の支配権を有すると増長し我々に抗戦をする。
諸君の父も、子もその魏の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを・・・彼らは!死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、魏に叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。
人民よ!悲しみを怒りに変えて、立てよ!人民よ!
我ら蜀人民こそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種たる我らこそ人類を救い得るのである。

ジーク、蜀!
220無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 21:42
>>219
劉璋&曹操&孫権&陶謙&袁紹&呂布&その他「俺達裏切ったのは何処のどいつだ!」
221無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 22:19
劉備「俺が天下に背こうとも天下の人間が俺に背く事は許さん!」
サム
223使者:02/03/05 11:24
>>201
じゅんいくってカコイイ顔だったみたいね。
で、お香臭くて、長家に住んでたと… トナリノヒトハイイメイワク
壁に耳を当ててストーカー!? イヤー!!!!

すいません、事実をあえて曲解してみました。

あ痛たたたたた







石を投げるなよ!
224無名武将@お腹せっぷく:02/03/05 11:26
糜芳「俺が天下に背こうとも天下の人間が俺に背く事は許さん!」







これってどうかな…
駄スレ化の歯止めが利きません
226無名武将@お腹せっぷく:02/03/05 13:50
曹操伝と孫権伝読み比べてみたんだが
曹操伝は蜀呉との激闘が描かれていたりするんだが
孫権伝は後半ほとんど蛮族がどうたらこうたらで
面白くなかった、呉が天下あきらめてるって分るし・・・
孫権伝は面白くないが、呉書は結構面白い。
よく当たる占い師とか怪しい輩を孫権が軍師にしたりして。
目に見えない神様と会話する女とか出てくる>呉書
229無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 21:22
( ゚д゚)ポカーン

( ゚д゚)・・・・。

( ;゚д゚)・・・・。

(( ;゚Д゚))ブルブル

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガクガクガクガク


230無名武将@お腹せっぷく:02/03/15 12:08
>>205
その代り、楊儀はその毒っぷりを見せないで
誹謗した蒋エンに庇われたのを恥じて自害、と
かなりよく描かれてるな

>>215
そーだなー、利に走る、とか言われてたけど
荊州陥落した時孫権に呼び出されても応じず
その為、寝ていた寝台ごと運び込まれて
叱責されると泣いて頭を床に打ち付けたって逸話もあるのに・・・
結構忠義っぷりを発揮してると思うんだが・・・

231無名武将@お腹せっぷく:02/03/15 13:25
>>230
潘濬が演義で悪く書かれてしまったのは
『季漢輔臣賛』で麋芳や士仁(傅士仁)、カク普と
一括りにされて書かれてしまったからだろう。
232無名武将@お腹せっぷく:02/03/17 14:34
ふしじんやビホウは降っただけなのでは?
それも重罪だろうか?
関羽のミスで降らざるを得なかったように感じたけど。
233230:02/03/18 10:17
>>232
正にその通り、
特にビ方は『呉書』では、孫権に攻められ抗戦したが力及ばず降伏、
となっている(『蜀書』では微妙に違うが)

しかしこの時、後に蜀末期の重鎮となる廖化も呉に降ってるんだよな・・・
まあ、劉備の元に帰りたい一心で自分が死んだ、と言う偽情報を流し、
人々が信じた隙に、老母を連れて逃走し、呉討伐に出向いた劉備に途中出会って
丞相参軍に任じられた、とあるから羅漢中は廖化を良く書いたんだろうな・・・

でも廖化って夷リョウに従軍したのによく無事だったな・・・
まあ、それ言ったら劉備や呉班もだが
234無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 10:34
>>233
そこで廖化MARKUと入れ替わったんだ(w
235無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 11:22
>>233
他に向寵や陳式・輔匡も夷陵から無事に帰還しているので
取り立ててすごくも珍しくも無い。
確かに夷陵での戦死者、降伏者は多いが全滅した訳ではないのだから。
236無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 11:33
諸葛亮がイリョウを指揮したら勝ったと思うか?
237233:02/03/18 11:35
>>235
それもそうだな、失敬失敬

238無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 11:40
>>236
いくらなんでも無理だろう。
諸葛亮が軍事的に全く無能だとは思わないが、軍事が本職でないことも確か
(それに夷陵の時点では大軍の指揮経験はゼロだし)。
陸遜を上回ることが出来るとは思えん。
239無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 11:48
蜀の兵って戦力になるの?
高順も報われてない。
「陥陣営」なんて渾名つけられるくらい戦上手で清廉なナイスガイなのに。
241無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 12:08
>>239
取り立てて強いという話も聞かないが戦力にならない程弱いということも無いのでは?
勿論、北伐などの蜀の外に出ての戦争で戦意が高かったとは思えないが。

というかここはいつから質問スレになったのだ?
242231:02/03/18 12:29
>>232
蜀の立場から見れば裏切り者ということで重罪なのだろう。
たとえどんな理由で降伏したとしても。
『季漢輔臣賛』で非難を免れた降伏者は黄権だけだし。

>>233
細かい話で申し訳ないが、
廖化が劉備に合流した時に任命されたのは宜都太守だと思う。
この時点では諸葛亮は開府を許されていないはずなので、丞相参軍にはなり得ないし。
呉の兵って(以下同文)
244無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 19:01
関羽がアホなのが一番悪い。
246無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 19:57
>245

精子だともっとアホですがなにか?
247無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 20:01
関羽以上のアホが釣れました(ワラ
248鈴の劉備:02/03/18 20:07
関羽よりばしょくのほうがあほじゃいブォケ
249無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 21:01
いや一番アホなのは247だろw
演義厨もいいとこw
多分信玄厨だな。
いや一番アホなのは249だろw
精子厨もいいとこw
多分蒼天厨だな。

な244=246=249(藁
これが春厨ってやつかw
オマエモナーw
253無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 23:04
樊城で于禁軍団が壊滅したのって単なる天災?
てかそれ以前に当時の関羽軍の目的って何?
254董卓:02/03/18 23:51
えんしょう、えんじゅつについての意見はないな
255233:02/03/19 09:41
>>241
山岳戦が強かったんじゃ?

>>242
申し訳無い、その通り
書いてから気付いた
256無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 11:00
曹軍100万とかってよくいうけど実際どのくらいいたのかな。
誰か詳しいひと教えてくれ。
どう考えても嘘だろこれは。
だいたい中国は過大表現が大きいからな。
南京大虐殺とかみたいに・・・。
257241:02/03/19 14:44
>>256
大げさな表現なのは確かだろうな。
よく「多くて80万、少なくともその半数の40万」などと言うのを小説などで見かけるが
これも特に確証のある数字ではないのかも知れない。
まあ赤壁の戦い自体が記述が少ない(戦いが無かったとする説まである)
から実際にこの時曹操がどれくらいの兵を率いて来たのかなんてのは分からないと思われ。

ちなみにそういう質問はスレ違いだと思うので今後はこのスレで聞いた方が良いだろう。

スレッドたてるまでもない三国志での質問
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/983652841/l50
258256:02/03/19 15:55
>257
わかりました。
259無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 16:46
魯粛はどうなのよ?
260無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 17:24
関羽は馬鹿でスケベ
自慢は腕っ節だけ
262無名武将@お腹せっぷく:02/03/20 00:49
関羽をバカだアホだと罵ってるヤツは中国人にケンカ売ってるのか?
関帝様だぞ?神だぞ?世界中に関帝廟あんだぞ?それでもいうか?
263無名武将@お腹せっぷく:02/03/20 00:57
>>262 ちょっと主旨は違うかも知らんが
なんで、関羽が商売の神様なんだ?
関羽が塩の密売やってたからか?
実際の関羽はそらあ賢かったかも知らんが
中国人の崇め方はかなり阿呆っぽいぞ。
むしろ関羽に失礼な位。(関帝廟はまあ分かるけど)
金日成を崇める北チョンや
麻原崇める阿呆のオウムと
雰囲気だけならなんら変わらん様な…。
264楊雄 ◆zA1iYang :02/03/20 01:04
>>263趣旨が違いますが答えてしまいます。

「忠誠を誓う」人物で、赤心赤顔、なんて言われていました。
顔が赤いのは有名ですが、赤い心というのは、主君に対する忠義を
貫き通す、という意味合いです。
ここから、「約束を守る」ということを大事にした人物とされ、
商人にあがめられ、商売の神様になるわけです。


(塩の密売の件は、申し訳ないが存じません。)
265犯罪集団(詐欺紛いも含む)以外の中国人なら大歓迎:02/03/20 01:14
>>264
>「忠誠を誓う」人物で、赤心赤顔、なんて言われていました。
>顔が赤いのは有名ですが、赤い心というのは、主君に対する忠義を
>貫き通す、という意味合いです。
それはよく存じてます。京劇などで…。

>ここから、「約束を守る」ということを大事にした人物とされ、
>商人にあがめられ、商売の神様になるわけです。
成る程、大変良く分かりました。

と言うわけで犯罪集団(詐欺紛いも含む)以外の中国人なら
大歓迎です。(^^)
266>>264:02/03/20 20:04
趣旨が違うが応えてしまう……

『講談』で、平民時代の関羽の職業が「塩商人」だったことから、後世、
「オヒオヒ、当時の塩って専売制だぜ? じゃあ、関羽って密売人なんじゃねーか(ゲラ」
と、講談師に人々からツッコミが入った件。
また、関羽を商売の神様として最初に祀り始めたのが塩商人たちであったことも、
一枚カンでいるのかもしれない。
267無名武将@お腹せっぷく:02/03/21 00:41
>>266
単に関羽の出身地解県が中国有数の塩の産地で、
正史に出奔した理由が書かれてないからそういう説ができたんじゃなかったっけ?

講談のことはよく知らないが『平話』では悪代官を斬って出奔したことになってるし
講談の流行った宋代から三国演義の成立した明代まで塩は例外なく政府専売商品だったから
いくら講談師でも塩商人=密売人なんてことは百も承知だったろう。
268無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 06:11
あのさ、校尉とか中郎将とか別部司馬なんかの軍の
編成単位とか詳しく分かる人いる?
269無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 16:57
校尉は八百人率いるらしい。
他は知らん
270無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 15:12
>>259
魯粛は若年の頃から剣術・兵法・弓馬等を学んでおり
特に弓の腕は盾を貫く程だった
しかし、土地の古老は「名家の魯家にきちがい息子が生まれた」
と嘆いたらしい
周ユはまだ魯粛と面識が無かった頃、戦で兵糧が少なくなり
困ったので魯粛の噂を聞き米の借用を申し出た
その時魯粛は二つある倉のうち一つ(三千石ほどだったかな?)
を気前良く差し出し、感激した周ユは孫権に推挙し
親友となった

まあ最初はこんなもんだったかな
271無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 22:50
>>268
一軍の編成は、部、曲、隊、什、伍と思われる。
隊が50人単位とするのはいいが、そこから上は特に決まった記述が見られない。
校尉や司馬が率いるのは部にあたると思うが、100〜1000人規模なんじゃないのかな。
272臧覇:02/04/10 23:11
俺なんか行方不明扱いだぞ・・・
273無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 23:38
>>272
あんたは執金吾になっとるやないかい
曹丕ににらまれたらしいけどな
274無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 00:03
張バクなんてどーよ?
曹操が配下の将に、自分が死んでしまったら彼に仕えよって言ったくらいの人物だぜ。
275無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 00:13
>>274
名声は確かなものであったが、最後が宜しくない。
仕方なく曹操に反旗を翻したという感じで。
弟を斬り捨てる様な気概が欲しかった。
>>274 呂布と陳宮にそそのかされ、敗走して
兵士に殺されたのが汚点。
277無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 00:22
>>274
いや、それは曹操が徐州征伐に逝く時に、家族に向かって
「もし私が帰らなかったら、(張バク)孟卓を頼れ」っていったエピソードの事でしょ?
配下の将に彼に仕えよとは言ってないと思う。
>>277 確かにそうだ…。
279無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 00:30
ところで、相ってどんな感じの役職?
>>279
【相】
郡国の「国」に、名目上の王を補佐する行政長官としておかれた。
郡における「太守」また、丞相・相国の略として使われる。
徳間書店『三国志全人名事典』より抜粋。
281無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 00:45
>>280
更にすまんが、軍権はあったの?
ホウシンが反董卓連合に傘下してるが、その兵力は何処から来たのかなと思って。
282無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 01:33
>>281 刺史が太守と違うのは軍権が無いことだから、
軍権のある太守の「国」バージョンである「相」も
軍の保有権は有ると思う。推測に過ぎないが。
(そこまではさすがに書いていなかった…。すまぬ)
283無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 01:51
徐栄も渋いよな。
284無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 03:10
張ギョクかわいそう。アイツに功績もってかれた
アイツって諸葛亮?
286無名武将@お腹せっぷく:02/04/12 16:07

以外に誰がいると?
>>284
お前みたいな厨房まで知ってんなら、ちっともかわいそうじゃねーな。
厨房から功績泥棒あつかいされる諸葛亮がかわいそう
赤壁時の都督護軍、趙儼を語れ。
とりあえず上げる
正史だと馬超がいい味だしてる。
292無名武将@お腹せっぷく:02/04/13 00:35
正史だと曹真は激強。
曹真>司馬懿>諸葛亮
曹真
知力85
政治80
武力80
魅力81
統率95
こんな感じ。
曹家贔屓が入っても有能さが損なわれない曹一族萌え
威信回復にすら1スレ消費する劉一族萎え
息子の出来が悪くなけりゃあね>曹真
一番重要なときに役に立たない曹一族萌え
296無名武将@お腹せっぷく:02/04/13 01:08
曹真は運がいいよな。
蜀遠征しようとしたら長雨で、経歴を傷つけることなく病死した。
蜀マンセーが釣れた
関羽は運がいいよな。
ホウ徳と于禁の七軍が攻めてきても
数年に一度の大雨で洪水の為、大勝したんだからな。
魏マンセーモナー
孫権は運がいいよな。
兄貴が暗殺されたおかげで皇帝になれた。
司馬懿は運がいいよな。
いろいろな意味で
>301
それは禿同
蜀の桟道を越えて漢中に進撃した曹真が孔明に勝てると思うか?
漢城、楽城を築いて万全の大勢で待ちかまえてるんだぞ。
しかも、曹操も悩んだ兵粘問題を曹真に解決できるとは思えない。
攻勢に出るときは、相手より数段優れてないと勝利はおぼつかないと思うが。
if話は水掛論になるけどな。
息子の教育が甘かったことだけは確かだ。
結局のところ303は演義の曹真しかしらないってことだな。
>>303
孔明は曹真に勝てなかったが、その逆は可能性が0とは言えない。
戦に関しては、あきらかに曹真の方が一枚も二枚も上だと判断する。
曹真が優秀なのは分かってるが、守勢での孔明は非常に手強い。
チングンも無謀だと諫めてたじゃん。漢中に孤立する可能性大だと思う。
三国時代末期は局地戦の勝敗より、
その戦役が戦略上でどの様な意味をもたらすかが重要だから、
孔明の評価はどうしても低くならざる得ないよ
そういえば、曹操の漢中進行の時は兵糧輸送どうしてたの?
チングンなんてそれほど戦がわかるとも思えないが
漢中の行き来はどうしても兵粘線が細くなるので、専守防衛で正解なんでは。
ちなみに陳羣は鎮軍大将軍だが、軍事の実績は知らん。
前線には曹真、曹休、司馬懿がいるので後方の補給担当だろうが、
それが出来ないと言ってるのだから無理する事もあるまい。
311無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 00:09
董卓配下のハン稠は正史だとイカした活躍している。
ゲームとかの曹純の評価が低すぎると思う。
虎豹騎は有名になったのに、その指揮官は知られてないのね
314無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 02:58
>>311
どういう活躍か教えれ
315無名武将@お腹せっぷく:02/04/15 00:25
>>314
長安に攻め上ってきた馬騰&韓遂連合軍を撃破。
そういえば、虎豹騎と青洲兵って同じなんですか?
317無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 09:42
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
318無名武将@お腹せっぷく:02/04/30 06:11
すごい・・・
319無名武将@お腹せっぷく:02/04/30 11:06
「虎豹騎」ってのは、魏の精鋭部隊。
日本の戦国時代、織田信長の「赤母衣」みたいなもんかな?
呉にも蜀にも似たような部隊はあったらしいです。
曹純は、烏丸征伐では蹋頓単于を捕らえたり、
長坂では劉備を奇襲しました。
曹純の死後、代わりの指揮官がいないとかで、曹操自らが
虎豹騎を指揮したとか。後には曹真や曹休が率いました。
320無名武将@お腹せっぷく:02/04/30 14:04
>308
諸葛亮の北伐は「内政」です
しかも結果は悪くはない
ばしょくの投獄も「内政」
魏には勝てなかったがこれが成功

俺は最初横山読んで諸葛亮ものすごく嫌いだったけど最近になってようやく好きになってきたよ
321無名武将@お腹せっぷく:02/04/30 14:25
>>320
どのへんが内政なの?
322無名武将@お腹せっぷく:02/04/30 14:25
脳内です
323無名武将@お腹せっぷく:02/05/01 01:37
>321
分裂対策
324無名武将@お腹せっぷく:02/05/01 12:50
>>323 蜀の最大の問題である州閥同士争いを別の事で抑えたってこと?
馬禝は極刑でしたよ。
>>324
馬謖は死刑か獄死かハッキリしてないよ。

諸葛亮は馬謖に敗戦責任をかぶせて保身をはかったという
説を唱える人もいるので、>>320はそれが言いたいのかな?
326324:02/05/01 13:21
>>325 あれ、そうなのか…。馬良伝では処刑と書いてあったし
「泣いて…」の故事もあるくらいだから…。てっきり。
>>325 はっきりいって>>320は皮肉ってるわけね。
327無名武将@お腹せっぷく:02/05/01 14:47
孔明一人が前面に出てくるってことは蜀自体に人がいなかったってことだろうなあ
328無名武将@お腹せっぷく:02/05/03 00:36
>>327
それは間違いない
蜀書の薄さが良くあらわしてる
329無名武将@お腹せっぷく:02/05/03 01:02
馬謖はアソコが馬なみだったので、孔明たんメロメロ?
330無名武将@お腹せっぷく:02/05/03 01:39
>>282
ちげーよ。
それは昔の話で、漢末期には刺史も太守も相も単なる名称の違いだけで中身は同じ。
一部地域を支配する軍権をもったやつが適当に名乗っているor上位の実力者に
任命されただけ。
後漢では太守のお目付け役だった刺史も、戦国になって内実が太守と同じ単なる
地方軍閥になってしまったので、漢末期に「本当の意味での州の支配者」ということで
"牧"が設けられた。
331無名武将@お腹せっぷく:02/05/03 04:28
お前等、したり顔でいっちょまえに薀蓄たれてんじゃねーよ。
演義マンセーの蜀厨と正史マンセーの魏厨の罵りあい・・・・
みっともないったらないな。

演義マンセーも痛いが、正史正史言ってるヤツもかなり香ばしいな。
スレ見る限り、「正史こそが正統」と信じて疑わないヤツが多すぎ。
正史が書かれた時代背景を考慮すれば魏に対して有利に脚色している
ことは当然解かると思うのだが・・・・(魏を盲信してれば別だが)
演義にも言えることでもあるがな。

だから演義でこうだ・・とか正史でこうだ・・とか言って
自己の人物評価を垂れ流し、あまつさえ卑下するなんて
全くナンセンスってことだろよ。
332無名武将@お腹せっぷく:02/05/03 04:33
趙雲って黄忠より年上って記憶があったのだが・・・・
どうだった?
333無名武将@お腹せっぷく:02/05/03 10:42
>331
演義の諸葛亮はカコワルイが正史の諸葛亮はカコイイ
俺は演義でソーソーと魏延が好きになったクチだ

正史で蜀が好きになった奴は多いと思うんだが
俺は最初蜀を「出来杉君軍団」だと思ってたので嫌いだったが正史で好きになったぞ
そういう奴他にいるか?
>>330
「牧伯制」のことをあまり理解できてないのがバレバレ
かなりイタイぞ
>>333
漏れもその口かな。蜀では劉エンがいい味出してて好きです。
>>331
> 正史が書かれた時代背景を考慮すれば魏に対して有利に脚色している
> ことは当然解かると思うのだが・・・・(魏を盲信してれば別だが)

まずは正史読め。そして裴松之の注について小一時間勉強してください。
正史は絶対では無いと思うけど、
魏に贔屓してるとか言ってる奴は演義厨に見えてしまう。
337無名武将@お腹せっぷく:02/05/05 01:32
>>336
そうだな、曹氏と司馬氏に対して贔屓はしてあるが
魏に対しての贔屓はあまりないよな

が、
>まずは正史読め。そして裴松之の注について小一時間勉強してください。

小一時間じゃ無理だってw
338無名武将@お腹せっぷく:02/05/05 01:35
光輝三国志はホント臭い
操典航路は嘘くさい
339無名武将@お腹せっぷく:02/05/05 01:41
>>334
いや、330のほうが正しい。
330が言っているように、その制度は漢末期〜三国のころには有名無実化していて、
単に名目だけのものになっていた。
有力者が勝手に任命したり自称していたので、同じ土地の刺史や太守が何人もいたり
一度も任地に行かない刺史や太守もいた。
340282:02/05/05 01:53
一応。
【太守】
郡の長官。地方官の任命権を持つ。
魏においてはみな将軍号を持つ。

刺史=州牧
341336:02/05/05 06:41
>>337
> 小一時間じゃ無理だってw

いや、裴松之注がいつの時代にどんな視点で書かれたかを
考慮した上で読めと言いたかっただけだよ。

本伝にはある程度の贔屓や隠蔽があるのは仕方無いけど、
裴注も含めて読めばそんなに極端な人物伝は無いと思うのだが。
曹操にも狭量さを示すエピソードが添えられたりとか。
342334:02/05/07 10:05
>>339
漏れの書き方が悪いな。正直、スマンかった。

>>330 のレス全てが誤りだと言う気は全く無い。
刺史と牧の部分が、明らかにおかしいと言いたかったんだ。

もともとの「刺史」が実権のない監察役であったのは間違いないが、
その監察権に基づいた権力拡大は、後漢が安定した時期から既に行われていた。
何も戦乱の世になって急に変わった訳ではない。

州牧の導入も、後漢が群雄割拠の内乱状態に陥る前の事。
導入に関しては劉焉等の思惑や本音と建て前もあるが、
この当時、全国規模で発生していた黄巾系の大規模な反乱に、
管轄域の狭い太守では対処しきれなかった事が決定打となった。

「牧伯制」の導入が、結果として後漢の分裂傾向を加速させた事と、
割拠する群雄達が「牧」の称号を求めた事は事実だが、
「本当の意味での州の支配者」を認める為に設置されたとするのは、
どう考えても無理が有るだろう。

長文、失礼。
343334:02/05/07 10:08
342の一部訂正
「安定した」→「安定していた」
勉強あげ
345無名武将@お腹せっぷく:02/05/10 03:59
>342
339がいう様に、群雄らが「牧」の称号を「本当の意味での州の支配者」と解釈しただけ。
そこまで書くと揚げ足取りにしかならない。330がマヂで知らないのなら話は別だが。
当時、「牧」の称号がもてはやされたって、
「王」とか「公」とか名乗っちゃうと、
漢王朝への造反って思われちゃうからかな?
>>346
勝手な妄想だけど、よほどの権勢を誇らないかぎり
そんな事考えもしないんじゃないかな。
今で言うと大臣が皇族名乗るような感覚とか。
例えが悪すぎか…
348無名武将@お腹せっぷく:02/05/18 18:11
郭准も悲惨だと思うな。
先に曹真が正史では優秀だったとあったが
諸葛亮の北伐を実質的に阻止したのは曹真・司馬懿というよりも郭准だった筈。
姜維の北伐を阻止したところでようやく正史と等評価になったかと思えば
追撃時に射殺される始末・・・その死に方が姜維の曲芸的射返しというのも凄いが
つーか、孔明の北伐は、魏の武将を鍛えてしまってるな。
郭准も最初は並の将だったとは思うが、
毎年戦をして生き残ってれば厭でも才能を開花させる。
同じ戦をしてる蜀の武将も鍛えられるわけで、
郭准だけが育ってるわけじゃないって。
>>289
亀レスだけど、曹操陣営諸将のまとめ役だったっけ?
最終的には、司徒だか司空だか。
そろそろ保全sage
353無名武将@お腹せっぷく:02/06/07 05:03
あげ
354無名武将@お腹せっぷく:02/06/14 01:01
夏侯惇元讓ってどんな感じで描かれているのですか?
>>354
土木工事の親方。
>>354
どこかの太守時代に、干魃&イナゴ被害という災害ダブルパンチがありました。
彼は部下の兵士を動員して灌漑や田植えをし、農民のやる気を取り戻させた、と。
自ら灌漑工事に加わったというのが>>355で簡潔に語られているようですが(w
357無名武将@お腹せっぷく
おおおお!!!! 親方だったのか! すごいや。
勉強になりました m(__)m
ほかにも 土木の親方はいないのかな?(笑