結構、秀吉の文禄、慶長の役に渡った武将たちって質がいいですよね。
でも、負けてるじゃないですか。
そんなに明や朝鮮の武将って強かったんですか?
韓国側の話だと、「我々の民族性が日本よりもはるかに優れていたおかげだ」、
というばかりでどんな人物がいたのかよくわかりません。
どなたか、どんな名将がいたのか、どうして日本が明まで行けずに負けたのか。
どうして日本の名将も負けてしまったのか、わかりますか?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 16:39
補給の問題だろ。
3 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 16:55
>でも、負けてるじゃないですか
負けてない。
>どんな人物がいたのか
いない。
>どうして日本の名将も負けてしまったのか
負けてない。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 17:04
常に周辺民族に従属してボコボコにされてる朝鮮が優秀なわけないでしょ。。
たまたま当時の明が万暦帝の時代で少し盛り返していただけ
北方に後金が勃興して明が圧迫されてたから補給さえ上手くやればいい線までいけたよ
5 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 17:06
頭悪いスレだな・・・
6 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 17:08
李如松っていう明の武将がいたけど小早川隆景に負けてるね
副将に董一元っていうのがいたけど島津義弘に負けてるし
他は目立った人物がいなかった模様
李瞬臣はいかがですかな。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/27 17:22
戦は補給が整わないと戦にならぬ
始まりが秀吉の妄想から始まった時点で
かなーり痛い感じ個々の武将の能力以前の問題じゃ
なかろーか?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 10:34
じゃあ、日本軍は李舜臣一人に負けたわけだ・・・
補給を断たれたのが最強の敗因。
どんなに名将がいようと、水軍弱くちゃ話にならない。
>>7.9
島津義弘公に討たれておる。
君らそんなことも知らんのかね。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 11:28
むっ、じゃあ李舜臣は勝利者じゃなかったのか。
結構かわいそうだな。中央政府にさんざんこき使われて挙句の果てに討ち死にかよ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:08
まぁ、負けは負けだよ(藁
13 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:12
結局、朝鮮が国土をメチャクチャに荒らされただけだったね。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:40
15 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:43
16 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:43
じゃあ、明を滅ぼしたのは日本なのか?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:49
朝鮮では武官は文官に比べて格下扱いだったから記録を熱心に残さなかっただけじゃない?
18 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:50
じゃあ、李舜臣以外に当時の朝鮮で名将って存在しないの?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:50
ほとんどの中国の政権交代は、自壊でしょ?
日本がどのくらいの影響を与えたのか分からんけど…
20 :
名無し@放浪芸人:01/11/28 12:56
図書館で「鉄砲と日本人」見てみた。
そこで、朝鮮征伐時の明と朝鮮側の船舶には「大砲」が装備されていたそうな。
陸上ではともかく、海上で火力戦となったら日本の鉄砲クラスでは無理。
尤も、さすがは島津、鉄砲で指揮官狙い撃ちで、何とか撤退戦はしのいでくれた。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 12:59
李舜臣の日記が残ってるよ。
ざっと読んだが、
まともに働かない部下を処罰ばかりしてる印象が強く残ったな。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 13:05
確か朝鮮にはもう一人いなかったっけ。
陸戦で活躍したっていう、権慄っていう将軍。
まぁ、当時の朝鮮じゃかなりまともな方じゃないか?
23 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 14:37
というか、この時点ではバブル後の日本と一緒で明は全盛期過ぎてる。
>1
いわゆる明治から昭和の書物でいわれる程弱くなかった。
というか日本がさして強くなかった。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/28 18:53
島津義弘がイ・スンシンを倒せたのは
鉄砲のマグレ当たりにすぎないのだが・・・
李如松の率いた遼東軍以外はさして精鋭ではない。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 00:25
>>24 マグレ当たりなんて韓国人の負け惜しみだよ。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 00:39
28 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 00:42
>>27 銃撃戦でマグレ当たりとマグレ当たりでないものの差は何ですか?
まったくマグレ当たりという意味がよく分からないよ
29 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 01:02
別にマグレでもそうでなくてもかまわんだろ。
近距離での乱戦だったんだから。
ただ射程の長い銃の流れ弾の可能性も十分考えられる。
一夢庵風流記に何人かでてたな
31 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 07:48
上杉謙信が鉄砲の雨の中、平然と指揮をとっていた話しは有名
運がなかったんだろ。
当時の戦いで武将が絶対に死亡・負傷しないための措置と言えば所詮は後方指揮しかないわけだし、
しかし、それだと軍の士気が鈍るわけだし、難しいですよね。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 08:03
やはり、鉄砲のマグレ当たりとか言えないのは
桶狭間の今川義元討ち取りとか、沖田畷の龍造寺隆信討ち取りとか厳島の陶晴賢討ち取りのように
戦術的に圧倒して敵将を追い詰めて討ち取ったものでしょ。
李瞬臣の死は乱戦とすら言えない、朝鮮水軍側有利の戦況の中で流れ弾に当たって死んだにすぎないわけだしね。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 08:42
たしか、李瞬臣が死んだ後も
彼の死を伏せて李瞬臣の甥が采配をとって戦闘を続行。
日本船百隻補足、二百隻焼破、斬首五百、生け捕り百八十、溺死者多数、生け捕り百八十の戦果をあげたわけだ。
しかし、それでも撤退しなければならなかったのは
日本側の主張のように朝鮮側の被害が大きかったというよりは
やはり、李瞬臣の戦死が大きかったんだろうね。
彼が死んだ事がバレるとやばかったんだろうと思う。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 09:13
>>33 小西軍を脱出させる事には成功したものの、
そんなに損害を出していいものだろうか?
島津義弘は小西に借りがあり、そのために
海戦したそうで、一見、美談に見えるが、
小西脱出のために払った犠牲を思うと
「一将、功成りて万骨が枯る」的な嫌さも残る。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 09:18
>>34 それは違う。
当時の観念では武将同士の信義や友情やケジメと兵士の損耗とかいうのは別問題なんだ。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 12:47
じゃあもしさぁ、その時李舜臣が死んだから、関が原に勝った家康がなんかのはずみで
朝鮮に戦争を仕掛けたら、勝ってたのかな?
37 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 12:58
>>36 逆に信長が指揮していたら、李舜臣がいても
朝鮮や明国を滅ぼす事くらいは容易にやってのけてくれた気もする。
まあ、確たる根拠があるわけではないが、人間の格が違うからな。
秀吉は陸地を攻め取ろうとしたから惨敗。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 13:02
>>37 所詮は信長の敷いたレールの上を惰性で走っただけの男ってことか。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 14:06
無理だって。ただの遊びとして、
「明・日本からそれぞれ精鋭を引き抜いて、同数で勝負する。場所・時期はその都度変わる。」
をやれば、たぶん信長がもっとも上手くこなすだろうが、明を征服なんてまずできない。
ただ朝鮮の統治はずっと上手くやったろうな。
>>39 滅ぼすとは書いたが、征服するとは書いていない。
まあ経済的に翻弄する事ならば可能かも知れないがな。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:07
とりあえず当時の日本は人材の豊富さにおいては幕末以上で、
世界史レベルの人材が国内の抗争にあけくれており、
一方、平和の惰眠をむさぼっていた中国・朝鮮は
たいした人材がいなかったって事でよしとするか。
三国志時代の中国と戦国時代の日本だったらいい勝負だったろうね。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:13
>>41 >三国志時代の中国と戦国時代の日本だったらいい勝負だったろうね。
おいおいおい…。
三国志なみの戦乱なんて中国史上いくらでもあるだろうよ。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:21
>>41 個人の人材が有能かどうかっていうのは
一定のものさしがないのでなんとも言えんが
その頃、日本は有用な金山銀山がたて続けに発見されており
ゴールドラッシュ状態で
通貨の概念が発達して人員の動員が容易になり
戦術構想などが発達したのと
西洋との交流で武装、火器が戦乱のあおりを受け
世界有数の発展を遂げたってのがあるわな
人材以前の問題でしょ
44 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:22
>>41 しかし、朝鮮民衆の抵抗ぶりは凄かったよ。
あちこちで義兵が起こり、郷土死守(今ふうに言うと祖国防衛)のために奮闘した。
女子供までもが輸送や築城に携わり、時には城から投石などをして抵抗したという。
彼らは戦闘経験もなく、装備も満足でなかったが
地理を知りつくし、補給妨害やゲリラ戦を行い、日本軍を翻弄した。
秀吉も彼らを恐れ「朝鮮での強敵は官軍ではなく、一揆ばらである」と警告したという。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:24
46 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:27
>>41 >とりあえず当時の日本は人材の豊富さにおいては幕末以上で
なんか素敵な文章ですね。ゲームの中のお話ですか?
47 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 15:36
朝鮮はともかく、明の正規軍に対しては装備・錬度・経験で
上回る日本も積極的に攻撃を仕掛ける程の力は持ってなかったといえる。
関が原では細川幽斎・真田家など各所で少数の篭城側が大軍に善戦している。
同様に倭城に篭った日本側には、数でさして変わらぬ明は迂闊に攻撃はできない。
清正や義弘の例もあるしな。
日本側も野戦で明軍を積極的に撃破することは不可能だったのだろう。
それが可能なら長年の膠着はありえないし、有利な講和を強要できたはず。
>>44氏
自分はゲリラはあまり評価していない。
正規軍が互いに手を出せない状況が膠着を生んだと思っている。
私はゲリラを高く評価してます。
結局は朝鮮民衆が日本の支配を受け付けなかったわけです。
もし仮に民衆が日本の味方に回ったら(ありえない話だが)
日本の楽勝だったでしょう。
日本人も一向一揆で手馴れているからゲリラ戦は得意のはずだと思うのじゃが。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 16:16
>>48 ゲリラってのは確かに正規軍の衝突のようになかなか、効果が目に見えにくいですしね。
でも、ジワーと効いてきますよ。
朝鮮を占領していながら、日本は軍事的占領しかできなかったんですからね。
>>49 ゲリラなんてのは得意になるものではありませんよ。
しかも、一向一揆は所詮、国内の勢力ですし、
それでも信長ですら撫斬り(皆殺し)戦術も使いましたが
最終的に武力ではなく講話でカタをつけました。
さらに秀吉・家康と一向一揆に関して政略で封じこめていきましたしね。
日本軍も慶長の役では耳そぎ鼻そぎにみられるような
相当な民衆虐殺をしましたけど、一向一揆とは規模が違いすぎましたね。
51 :
郷舎(47):01/11/29 16:32
膠着して城に篭らざるを得なかったから、点と点を結ぶ
補給路を義軍に荒らされたと思うのね。
ちなみに清を建てた満州族はもっと荒っぽいのに成功してる。
城を落とせば簡単に兵は皆殺し。住民も奴隷にするか皆殺し。
しょっちゅう奴隷狩りで中国人・朝鮮人を捕獲しては使役する。
反乱は簡単に鎮圧するし、奴隷で国の人口も急増。(建国時は20万程度)
中国進入後も城を連続で落としては、気が向いたら全滅させるのに
ゲリラに苦しんだとかいう苦労がないんだよね。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 16:33
日本の諸将は相当な耳そぎ鼻そぎをして、
その耳鼻をつめた壷を日本に送りましたが
その中には年端も行かぬ乳幼児の物も大量に含まれてました。
特に島津、立花と数万という膨大な耳鼻を送りました。
日本側の主張は「合戦で討ち取った正規軍の耳鼻を送った」で
朝鮮側の主張は「日本諸将は卑劣にも恩賞のために朝鮮民衆を虐殺し、その耳鼻を送った」
ですが、真相は「殺害した義軍の耳鼻を送ったです」
それは必ずしも悪とは言い切れませんね。
ここでいう「義軍」とは朝鮮・明を様々な労務(補給・建築など)で支援した非戦闘員(女子供もいた)も含まれます。
日本の国内戦とは違うのだから、こういう事もおきます。
現代戦争理論において、戦闘員、非戦闘員の区別は困難で、民衆も巻き込まれる戦略爆撃などの民衆殺傷があるのですが、
当時も国同士の戦いでは
武器を取って戦うものだけを殺すという事は困難なんですね。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 16:45
>>51 まあ、そうです。
異民族支配の多くが
虐殺もしくは奴隷化、非常に巧みな政略によってしか
支配するのは困難ですね。
確か、西欧の未開人の植民地化プログラムで
1 未開人の指導者をまず様々な利益でつり、我々に従わせその指導者を通じて未開人を支配させる
2 指導者が我々の誘いにのらない場合は誘いに乗りやすい、適当な人物を「指導者」に仕立てあげ、あとは1と同じにする。
3 もしも、これらの企みがうまくいかない場合は虐殺を行う、それは徹底的なものでなくてはならない。
といったものでした。
西洋人はそうやって異民族を支配していきましたが、日本の朝鮮支配はそういう工夫はありませんでしたね。
一応、日本になびいた官吏や被差別民などはいたのですが、民衆の圧倒的多数が反日で固まりましたので、
結局、秀吉は日本国内の戦いのような大名の支配権争いのような感覚で朝鮮侵略を始めたわけなので
うまくいくわけがありません。
難しい話しが出てきたので終了かな?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:15
朝鮮民衆の抵抗・民族闘争って本気で信じてる人がいたんだ・・
ソース一つでいいからあげて。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:19
>>55 何言うとるのか訳わからん。
頼むからここに来ないでくれよ。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:21
>>55 う〜ん・・・
朝鮮土民の李王朝への反乱なら「李朝実録・宣祖」とか
たくさんあるらしいけど。王宮(景福宮)焼き討ちとかね。
朝鮮二王子を会寧付近で捕捉したのも現地民だしね。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:28
>1
名将ってなに?名将がいれば戦争に勝てるの?
世界史レベルの人材ってなに?
戦場での勝利をいくら積み重ねても、戦争に勝てないでしょ。
ナチだってソ連軍を何度破ったか分からないけど結局負けたでしょ?
名将がいれば戦場で勝てて、戦場で勝てば相手を征服できるのですか?
ゲームやりすぎです。
世界史版にスレ立ててありがたいお話を拝聴してください。
あんまり戦争の話すると銀英ヲタが出てくるのでこの辺でおしゅまい
59 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:29
加藤清正は鴨緑江を越えてると思います
60 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:32
「朝鮮よくやった派」が疲れたため終了ですかね(ww
61 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:33
58は馬鹿でしょ
62 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:36
実はさして勝ってないんだよね。
だからあれだけ長引いた。(それとも義軍に苦しめられたからか?)
・勝った回数が少なく敵に与えた打撃も少なかった。
・大名たちがアホ
のどっちの比重が大きいのかな?
(番外・義軍のせいで)
63 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:39
2次大戦のドイツとソ連の戦いに似ているような・・・
64 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:40
豊臣軍勢に呼応した民衆による蜂起、反乱が相次いだのは事実。
漢城の宮廷で真っ先に焼き討ちされたのは、書庫だったという。
つまり、戸籍等の文書が暴力的専制支配の象徴と認識され、
そこからの解放を求めたのが民衆蜂起の実態。
したがって、秀吉=解放軍として迎えられたわけではない。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:41
実は明、朝鮮の将ともに知名度が低いだけでその実力は清正、三成、
行長、正則に匹敵する。
では何故彼らが日本軍相手に苦戦したのかというと関が原で島津、
長曽我部、毛利、島左近が揃いながら西軍が負けたのと
同等の理由、そして家康、謙信、元就クラスの人材が欠けた故である。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:44
軍事力自体は日本が上、しかし長く延びすぎた戦線に
国力が追いつかず、結局は前線部隊が孤立し、撤退
68 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:46
天降紅衣将軍と呼ばれたカク・チェウとか
義僧兵集団を率いたユ・ジョン
といった義兵を率いた武将もしらないのかな?
69 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:52
>>64 それは一応、事実、
ただし、日本はそれをほとんど活用できなかった。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:52
>>67 秀吉軍撤退って、そんな理由だったっけ?
確か一回目は講和交渉のため、二回目は指導者の死亡・・・
71 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:53
>>66 違うだろ。明も朝鮮も日本も将が飛びぬけて優秀とは思えん。
単に日本の戦闘力が両国を圧倒できるほど高くはなかったということじゃん。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:55
義兵については
義兵 倭乱で検索すると大量にでてきた。
>71
名前からしてネタでしょう!
74 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:57
75 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 19:58
バカです。
ですが、将軍の質は戦争の勝敗に影響を与ないのは事実でしょ?
だいたい名将なんてどこの国にもいるじゃないですか。
名将なんて戦場伝説や民間伝承で作りあげられるものでしょ。
家康、謙信、元就クラスというが、そいつら一人で朝鮮半島を
征服できるのですか?個人の業績で歴史が動いた例が歴史の教科書に
載ってますか?勝ち負けの理由は全部ほかにあるでしょ。笑止。故でありません。
67がいうように結局国力が他国を征服するほどなかったというだけ。
勝ち負けなんて最初から決まってるんだよ。
繰り返すが、ドイツ第三帝国だって
電撃戦の父グデーリアンやドイツ国防軍最大のエリートのマンシュタイン
ら防大の教科書に、スキピオやボナパルトと同列の扱いで記載されている
名将を擁して対ソ戦に臨んだけど負けたでしょ?名将なんて関係ないんだよ。
「わかったかー」(マス大山)
77 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:01
>>76 名将がいても勝てる道理はないが、名将がいなければ勝てるものも勝てん。
もちろん、そうでないケースもあるが、あんたの論はかなり乱暴。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:03
屋島、厳島、桶狭間、関ケ原、日本海海戦、その他数々の合戦の勝因敗因は
名将の有無は関わりなかったとですか? ほう。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:04
>>62 義兵は諜報や明・朝鮮軍の支援や援護、ゲリラ活動や補給の妨害など、間接支援に役立ちました。
目には効果は見えにくいですが、おおいに日本軍を苦しめました。
独ソ戦のパルチザンみたいなものです。
>>58 >>76 史学専攻の方らしいですね。
発言はごもっともですが、ここは学問板ではなく、趣味板です。
つまり、戦国・三国志のロマン板ですので、
そういうことを言っていても仕方ないです。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:05
>>76 戦争は将の能力が大きく結果を左右すると思うよ
81 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:07
>>79 日本軍の敗因はおそらく国内の戦争の延長でやった為、
異民族の一揆がここまでやるとは予想しなかった事にあるのでしょうね。
それとロマン板に関わらず、58さんはちょっと電波に見えるのですが…。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:08
>>77 >>78 確かにこの板の住人は光栄ゲームのやりすぎで
名将=軍の強さと勘違いしてると思う。
実際は大分が国力と政治でしょうね。
しかし、本気で島津が八千で二十万を撃破したとか信じてるのは頭が痛い。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:10
>>80 そうだけどさ、光栄ゲームみたいに武力90の武将が
武力10の武将の率いる五倍の部隊に勝ったりする事は
実際はまれだと思うよ。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:11
浪漫板だとか何とかレッテルを貼りつければ、史学専行の方が洞察力があり、
真実を見極めると思わせようとする投稿はやめなさいな。
あなたにそういう意図がなくとも、そう見られがちな言いまわしをするのは、
人柄の程度が軽く見られる元になりますよ。
偏った知識ばかりに凝り固まって常識を見ない
>>76は
ネタにしてもつまらんし、議論のレベルにすらなっていない。
電波というほどでもないが、一度社会に出て揉まれて来て欲しい。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:15
58の意見が妥当だと思うよ。
ただ、ロマンを求めるこの板では歓迎されなかったけど。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:15
結局、朝鮮の人たちはどっちの味方だったのですか?
ちなみに76の名将は作られる。
については激しく同意。
でもそんなこといっちゃったら、よのなかつまらなくなっちゃうからなー。
ここで遊ぶことも虚しくなっちゃうからなー。
だから、そういうのはちょっと忘れておきたいのさー。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:18
58はちょっと言い過ぎ。数値命のゲーオタはアホだが極端な意見も困るな。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:18
>>86 とんでもない馬鹿のとてつもなく重い問いかけ(藁
90 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:18
事業でも戦争でも、物量と気運がものを言うのは間違いないが、
それを動かすのは人だよ。
どんな大企業でも大国でも、人に恵まれねば没落を招く。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:20
李瞬臣だか何だかがいなければ、朝鮮は滅びていただろうね。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:21
秀吉はどうも「国」の意味がわかってなかったみたいなんだ。
その証拠に日本がいくつかの国でできていると
思ってたみたい。
つまり、日本の地域を表す「国」と外国とか日本を現す「国」の区別がついてなかったみたいなんだな。
それに九州の武将に多目の軍役を命じるなど、朝鮮を九州の延長だと思ってたみたいだ。
つまり、四国仕置き、九州仕置き、関東仕置き、奥州仕置きの
延長が朝鮮侵攻なわけだ。
さらにその後、明国、天竺に攻め入るつもりだったそうな。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:22
>>86 確かにそんな思いに駆られることはあるけど。
でもそれを言い出したら秀吉だって領民のどれだけが支持してたか・・
94 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:24
>>86 基本的には朝鮮の味方だが、
当初、朝鮮王朝に抑圧された人々(特に賎民など)などは
日本の力を利用しようとしたみたいです。
ただし、それも、あくまで力を借りようとしただけです。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:24
>>86 はじめ、秀吉軍(日本軍ではないように思う)が住民に
「此度は悪政を布いた政府を懲らしめる戦だ。
戦の後には平穏な政治を行なう」と宣撫。
朝鮮の一揆衆の多くは秀吉軍と共に蜂起。自国の政府に立ち向かう。
しかし、やがて秀吉軍が軍政(そりゃ戦争中だからな)を布くと
民衆は前より苦しいので秀吉軍を怨み、更には民族の誇りに目覚めて
次は本格的に秀吉軍に立ち向かった。
事実はこれだけ。朝鮮民は誰の味方でもなかった。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:25
>>92 李が居なければ、誰かがかわりをつとめたのでしょう。
で、そいつが後世まで語り継がれる英雄になった。
という可能性の方が高いような気がするな。
まぁ、もちろん、朝鮮が滅びたかもしれないが。
そのあたりは個人の働きをどこまで重視するかという
各人の歴史観によるものだから、
これ以上の議論はスレ違いになると思われ。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:26
>>95 日韓併合から大東亜戦争敗戦までの流れに似ているな(w
98 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:28
>>96 ではこの議論はここまでにしましょう。朝鮮民の話しのほうが面白そうだし。
物量派と名将派の不毛なレッテル貼りは終了。
とりあえず、朝鮮出兵について比較的手に入りやすい、一次史料をキボンヌ
100 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:29
朝鮮は中国を自分達より上と考え、支配されることには慣れてましたが、
日本は自分達より下の野蛮な連中と考えてたので、侵攻に対してかなりの恐怖感と屈辱を感じたようです。
当時の朝鮮の記録(朝鮮の役前)の記述からしても、彼らがどれだけ日本を蔑んでたかわかります。
「倭」とか野蛮とか酷く書かれています。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:30
>>99 学研の歴史群像『文録・慶長の役』。
案外、割とまとまっている。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:30
103 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:32
>>101 >>99は一次資料って言ったんだけど・・・
でも、その本は評判の悪い歴史群像シリーズとは一戦を画す良書です。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:32
>>100 まあ、それが大国に隣接する朝鮮が抱える一番の悲劇だね。
どうしても中国の歴史観・世界観に従属せねば生き残れなかったかな。
頑固に抵抗していたら、彼らも征伐されて漢民族になっていただろう。
同情する。
>>103 判ってる。でもここからはじめた方が手っ取り早いと思ったから(w
106 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:36
>100
中華文明だと中国以外はすべて野蛮人なんだよ。
別に日本だけが特別に蔑まれたわけじゃないよ。
この感覚を近代の対抗意識と一緒にしてはいかん。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:38
>>106 日本人からして見れば、「そんな事知ったことか!」ってところだがな。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:40
109 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:44
話しは変わるが古代中国が偉大なのは大国の思想を持っている事だよな。
近代日本には大国への意思はあるが、思想がない。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:51
>>109 難しそうな話だけど興味ありますね
古代中国の大国の思想とはどんなもので
近代日本が大国の思想がないと言い切る根拠を教えてください
111 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:53
「大東亜戦争」だとか独ソ戦だとか、とんでもない譬えを持ち出すのがいるな。
ベトナム戦争だろ、どう考えても。戦争の動機から経緯までそっくりだよ。
結局、大国が勝手な都合で勝手に始めて、勝手に撤退して行った訳だし。
別の大国が介入して泥沼化していったところも、気持ち悪いくらい似ている。
残された国土は荒廃して、おっぱじめた大国の方は何故かまた発展を遂げてな。
歴史というのはこんなのばかりだ。
朝鮮人民に同情はする。でも「秀吉が負けて撤退した」というのは後世の人間の
ファンタジーだ。いつの世も大国とはそういうことを繰り返してきた。
進出するにも撤退するにも、理由などいい加減なものだ。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:53
113 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:54
>>111 なんでそんなにえらそうなの?
かっこいい。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:55
>>104 朝鮮は対馬を自分達の属領と考えてました。
というのも対馬が朝鮮王朝に対して「裁支米当(漢字うろ覚え)」を受けていたからです。
これはどういうものかというと、
対馬が形式的に朝鮮王朝に仕えるかわりに米などの援助を受けるというものでした。
なぜ、こんな事をしたかというと貿易を有利に行うためと、
対馬は昔、新羅に侵攻を受けたことがあり、朝鮮からの侵略を防ぐためです。
朝鮮の役前に秀吉に請われて来日した、朝鮮通信使の副使、金誠一に嫌なエピソードがあります。
対馬の国主、宗義調が駕篭に乗ったまま、金誠一の前を横切りました。
それで、金は「臣下の分際で」と非常に怒りました。
しかたなく、宗義調は駕篭かきが悪いと彼を斬り捨て、事態を収拾したそうです。
それからも金は非常に日本文化や日本人を馬鹿にし続けた態度をとり、
謁見した秀吉に対しても「色、浅黒く奇矯な風貌である」などと馬鹿にし、帰国後、正使の黄充吉の
「秀吉は恐るべき人物である」といった日本侵攻説を否定し
「あのような者に我が国を攻める力はない」と報告
それを信じた朝鮮国王のため開戦準備ができなかったそうです。
少しは参考になりましたか?
117 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 20:59
しかも、「少しは参考になりましたか」って嫌味な口調で言われても
何の嫌味かわからないんですが・・・。
当初は貴方へのレスのつもりでしたが膨らんでしまいました。
皆さん、参考にしてください。
と言い直しておきます。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:00
とりあえず相手を論破しないと気がすまない馬鹿が
このスレにはウヨウヨしているらしい。
すいませんね。
そんなつもりではありませんでした。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:01
>>114 あたしもこのスレッドの雰囲気におされて神経過敏になっていました・・・。
すいません。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:03
>>112 陰口つーか、向こうで見つけてヲチしてただけなんだけどね(w
125 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:03
>>122 テメーみたいな豚にゲロ呼ばわりされる覚えはないわ!
童貞豚はセンズリして寝ろや!
126 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:05
127 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:05
>>109 今大国の思想持って上手く行く国なんてあるか?
アメリカがようやってるってところかなあ
128 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:05
長々とした文章を書くと、疲れておかしなことを書いてしまうものですね。
「少しは参考になりましたか?」
の「少し」とか疑問府は私としては不快を与えないように謙遜の意味を込めたのですが、
たしかに嫌味っぽいですね。疲れてました。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:06
130 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:07
131 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:07
このスレッドに足りないもの
それは
エロだ。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:07
133 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:08
おさまるまで、マジレスは止めた方が良いよ。
しかし、
>>104は”あたし”とか言ってるけど女性なのかな?
134 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:08
>>130 こ、この包茎野郎!
俺は確かに童貞で処女だが、これでも同性からラブレターもらった事はあるんだぞ!
135 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:09
>>109は知ったかぶりです。
自分で書いた文章を説明できません。
>>133 ・・・感情的になるとばれますね。
普段はネカマ呼ばわりがウザイのでネナベやってます。
せっかく議論が面白い方に向かってるので水を差すようですが、
最後に一つ。
>78
戦争と戦闘行為を区別してください。
日本海海戦。確かに大勝利ですね。
東郷元帥や秋山参謀の神業的な作戦指導のたまもので強大なバルチック艦隊を
撃破したのは戦史に燦然と輝く日本人の誇りです。おれも坂の上の雲を読んで
胸を躍らせました。
しかし、戦争は日本海海戦の大捷によって決まったものではないでしょ?
外交で和睦が成ったにすぎません。日露戦争に日本が勝利したと思ってるなら、
戦後に暴動を起こした大衆となんら変わりません。百年後に生まれた意味がありません。
そりゃあ、名将たちの奮戦記と同じように外交官達の類い希なる努力
や武勇伝が外交交渉の影にあったのでしょうが、和睦がなった条件は
ロシア革命前夜の政情不安、当時の欧州の緊張関係、後発国アメリカの膨張
という外部的要因が一番の理由。
これは決め付けではなく、ある程度証明された
事実でしょ。(←歴史が科学かという批判は勘弁)
また電波電波と騒ぐでしょうが、これは覚えて置いてね。
名将を考えることは面白いけど、妄想はだめ。
名将は戦場に若者を向かわせるためのコマーシャルみたいなもの。
(なんかサヨっぽいけど)
ついでに
当時の韓国人によるとおれらは馬扱いされていたようだ。
ウェノムって相当ひどいニュアンスなんだってね。
英語でいうとアナルカントみたいな感じと韓国人の知り合いがいってた。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:11
>>135 あ。今頃気づきましたが、それはぼくが書いた文章です(w
理屈なんかないよーん。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:15
>>138 ここの住人も何も前線にいる人物ばかりを名将とは言っていませんて。
全体的な指揮官とかそういうのを含めて言うているんですよ。
勝手に相手を目下において語るのはよろしくないかと思われ。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:15
島津軍は8000人で明・朝鮮連合軍及び義勇兵総数20万人を
撃退したのは誰がなんと言おうと真実です(エヘン!エヘン!
141 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:16
142 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:20
>>137 韓国人(当時は「朝鮮人」でよいか?)の日本人蔑視などは、
戦時中の「鬼畜米英」や近世の「南蛮人」とさして違わないのでは。
蔑視といっても実態や現実的背景・格差があったわけでもないし。
日本人(倭人?)見たことも聞いたこともない時代の妄想の産物だろ。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:21
>>137 人員の登用と配置の制度も全然な状態だった当時の日本ならば、
それこそ勝敗を分けるのは将の質だと思うが。
物量を活かすも殺すも将次第って時代だろ。
144 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:21
>>137 まあ、計画性の欠片もないような戦争を仕掛けて日本・朝鮮・中国に
大損害を負わせて撤退していったのだから馬鹿扱いされても仕方が無いよな・・
145 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:22
>>142 そうそう、獏とか麒麟みたいなもんだ(w
しつこい人は願いsage
>136
この板には華がないのでネナベはやめてください。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:26
>>144 日本だけは結局得したのがなんか(胸が)痛い。
でも歴史ってそんなもんじゃん。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:26
>141
日本史板にそんな馬鹿はいません。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:28
151 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:29
>>147 彼女がウザイとか虐められて自暴自棄になって本来の道を外れ、
ソープランドの姫と客として同窓生であったかつての初恋に人に
巡り合う不幸になってしまったら、そこでお前は責任が取れるのか?
>>148 日本はち っとも得していない。
大損ばっか。
>>149 お前みたいに言葉の真意を読めぬ馬鹿がいるのは確か。
ああ、向こうはここを電波扱い(140)してるってことか。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:33
>>136 貴女は史学科の人ですか?
それとも単なるファンなのかな?
154 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:34
おいおい、歴史板同士で喧嘩を煽らないでくれYO!
156 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:37
おんなだからどうだこうだとかチヤホヤするとか
逆に叩いたりとか、そういうのはもう卒業しようぜ!
なあ、馬鹿ども!
yesssss!!!!
俺たちゃ歴史をねたに酒を飲む、馬鹿どもさ〜
っつうわけでだな。
スレの流れが、将軍個人の素質はどれだけ戦争に影響を与えるか、
っていう風に流れてしまっているのはちょっと置いといて
(まあその線で議論してもいいんだけどyo)
朝鮮側、明側の武将の名前をぞろぞろあげてくれや。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:41
ウェノム(倭奴)とチョンとどっちが大きな差別用語かな?
ちなみに朝鮮人の日本人への差別用語は他に「チョッパリ」というのがあります。
「ヒヅメ」という意味の言葉で日本人の履き物が親指のところで分かれているのがヒヅメを連想させるところから、
日本人をケモノ扱いする言葉です。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:42
>>159 それは韓国政府に抗議するしなないニダ!
どうも、バカで電波でしつこくて願い下げされて論破しないと気が済まず
社会でもまれてない58です。
最後っていってたけど勘弁。したり顔で言われるとね。
>143
だから戦闘と戦争は違うって申し上げているではありませんか
桶狭間でも賤ヶ岳でも塩尻峠の戦いでも上田城攻防戦でもなんでも
いいけど、みんな「戦闘」でしょ?北部同盟とタリバンの内戦みたいなもの。
朝鮮出兵はそれとは数倍規模の異なる「戦争」。何をもって勝敗とするかの
基準が違うんです。
立花宗茂がいくら勇戦しようが、加藤清正が中国国境まで怒濤の勢いで
攻め込もうが、最後に撤兵したのは事実。その要因は韓国に名将がいたから
でもなければ、いわんや明の提督李如松の手腕が優れていたからでもない。
理由は僕よりまともな人がたくさん書いてます。
だから、当時の軍制の特徴について論じてもしかたがないんです。
織田がヨーロッパより五十年近く前にマスケット銃兵の集団運用
を発明していようが、島津家が野戦で無敵を誇ろうが、
上杉謙信が数騎で包囲を突破しようが、そういうことは
戦争という政治の延長の帰趨とは別の話。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:43
>>156 叩かれた人ってさち子さんの事を言ってるのかな?
あの人も消えたね。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:44
お前達、人間同士そんなに差があってたまるか!
朝鮮、明とも将軍、高級官吏クラスは実は朝倉氏や里見氏、大宝寺氏、
姉小路氏レベルの力はあったはずだ!
最大の不幸は彼らを支える部下達のレベルが(以下略)
165 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:47
>>161 だから最前線では、講談や武勇伝と違って勝ってなかったにょ。
勝った回数が少ない以上長引くのは当然にょ。
>>161 なんでもいいですが、勝手に相手の視野を狭くして語るのは
やめていただけませんか? 悪いがこの板の住人のまともな奴は
戦争と戦闘の違いくらいお前より心得ているだろうし、
それをお前さんは「相手は戦闘さえ勝てば戦争に勝てると思いこんでいる」と
一人で妄想して、自分の中のエロゲキャラ相手にオナニーしているだけ。
俺らも最初はまともに相手してやらにゃならんのかなと思っていたが
そろそろ呆れてきた。早くお花畑に帰れよ。
申し訳ない。仕事入った。
ばいばい。
チャットなみのレス感謝
168 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:50
>>164 人間同士、そんなに差があってたまるかって、
草野球チームとプロ野球チームが戦ったらどうなるのかな?
ヘビー級プロレスラーと一般人が戦ったらどうなるのかな?
169 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:51
>>161 もちろん国力は戦争の勝敗を分ける大きなファクターに違いないが
ひとつひとつの戦闘の積み重ねが戦争の大勢を大きく変えるはずだ。
そんなに不満ならコーエーに信長の野望世界版を作ってもらえばいい!
日本を統一したら世界編に突入!
イギリスの女王やスペインのフェリペとしのぎを削るのさ!
ってその前には目の前の大陸の奴らが邪魔じゃねえか!
秀吉の無念を晴らすべく周辺諸国から叩かれようと作れ、コーエー!
171 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 21:53
>>168 おいおい、
>>164はゲームでは能力値の低い武将を例えに使っているのに
気づかないのか?
>>166 なんでもいいですが、勝手に自分を視野の狭い人間と決めつけられたような気になるのは
やめていただけませんか?悪いがこの板の住人のまともな奴は
戦争と戦闘の違いくらいお前より心得ているだろうし、
それをお前さんは「161は俺を戦争と戦闘の違いさえ分からないと思いこんでいる」と
一人で妄想して、自分の中の幻想の相手を叩いてオナニーしているだけ。
俺も最初は双方の議論の違いが面白かったから相手してやらにゃならんのかなと思っていたが
そろそろ呆れてきた。早くお花畑に帰れよ。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:00
174 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:02
結局、撤兵した以上日本の完敗。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:02
罵倒合戦はやめろよ。
俺も58の人を見下した電波ぶりには呆れたが、
いちいち挑発に乗るなや。本題に戻れ!
・・・って本題って何だったけ?
あーすまん。
俺的には面白い改造コピペと思ってたんだが、さんざんだったな。
ちなみに58≠172です。
迷惑かけてすまぬ>58、166
んじゃおやすみ。
仲良くできない人達はたとえ謙信、信玄クラスの偉人でも氏真以下。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:11
179 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:13
>>177 ゲーム中でも数字だけでしか表現されない雑兵程度と思われ。
みんな仲良く! モナザイト撒くよ!
184 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/29 22:39
ついにこの板にもハ■グル板からの侵略が始まったか…
186 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 07:11
文禄慶長の役で日本が勝った陸戦は枚挙にいとまないが、
正規戦で明、朝鮮が明白に勝った戦は奇襲攻撃となった第3次平壌戦1つくらい
でしょう。
海戦も初期は勝手がわからず李舜臣にやられたが、後には対策を
考え、慶長の役になると終始制海権を掌握していた。
最後の李舜臣の死の海戦で明・朝鮮側が勝ったというような説明を
する人がいるようだが、あれは日本側が勝った戦いでしたよ。
損害数は同等でしょう。
最後に戦場に残ったのが島津側だったし、小西救援という戦略目標を
達成しましたからね。
明朝鮮側が退散した理由を「李舜臣が死んだから」というのは、朝鮮側の
戦後に名って書かれた本にあるだけで、常識的に考えたら勝っておれば
追撃戦ですよ。できなかったのは余力がなかったからに他ならない。
あの戦争について書かれた近年の本は禄にしらべもせず、
朝鮮抵抗史観を強調する余り、誤認が見逃されているものが多い。
>>186 大将が死んでいるのを隠しながら戦っているのだから、
常識的に考えて深入りはできないでしょ。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 08:37
ていうか、ハ○グル板にこのネタ持ってくとコテンパンにやられるぞ(w
腐っても学問板だから甘く見ないほうがいい。ここには一人もいないはず。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 10:58
>188
島津信者は、あっちではどういう扱いを受けますか?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 11:16
>189
国賊扱いでしょう。
靖国の時のごとく、秀吉の朝鮮侵攻問題でも起きようものなら、
向こうで清正の人形や秀吉の肖像画などと一緒に、
島津家ゆかりの品々(複製品)が韓国人の手によって燃やされると思います。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 11:18
とりあえず、落ち着いてまったり行こう。
もともとは。朝鮮と中国に活躍した武将がいたかどうかの板なんだから。
他に明、朝鮮側が勝利した戦いとか無いのかなぁ。
その時の武将とか。
192 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 12:11
>>187 あのイクサでは李舜臣は朝鮮側の大将だったが、明側にも大将がいましたよ。
それに李舜臣が死んですぐに引きかえしたわけではなく、その後も戦って
いたわけでしょう。
ドラマ仕立てなら分かるが、軍事的には説明がつきませんね。
>>161 だから、戦国時代の名将とか言われる奴らは、
武将兼政治家だろうが。
上に立つ奴の資質が腐ってて、どんな戦争に勝てるよ。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 12:34
www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/noryan.htm
島津真理教なサイト(ほとんどデタラメと捏造)
ですら「250隻が50隻に減った」とここだけは控えめに書いてる。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 15:39
>>194 あそこは8000の島津が20万の明を破ったと書いているサイトでしょう。
「島津はたくさんやられたが、それでも任務を果たした」と、
ヘンな意味で島津を誉めています。
8000>20万とは逆の意味で、真理教をあらわにしているのですよ。
250隻が50隻になったなど、どこの史料から出現したのですか?
教えてください。
別の史料では島津の家臣の犠牲者を50人だったか15人だったか、その位としか
記していないとか。
双方が勝ったといっている、あの役を象徴するような海戦。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 16:04
>>192 無理をしなかったんじゃない?
明水軍にも連絡がいっとかさ。
彼が死んだ事が朝鮮・明水軍の将兵にバレたら
まずいしさ。
ここスレタイトルは良いんだよ。
確かに周辺国の人物について結構知らない事多いからな。
しかし
>>1が文禄慶長の役を引き合いに出した時点でアウト。
もう少し煽り文考えれば良スレになったろうに・・・
残念Sage。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 17:18
>>158 郭再祐、紅衣将軍と呼ばれ義兵を率いて日本軍を苦しめた
彼の戦術は敵の弱い所をつく戦術で敵の動きをすばやく掴み、奇襲、夜襲を多用した。
その神出鬼没さは日本軍に恐れられた。
ユ・ジョン、義僧兵軍団を率いた義将、軍功ばかりではなく、城を築かせ、武器
や兵糧の調達、輸送などにも活躍、また宣祖王に上奏したり、外交にも活躍した。
権慄、海の李舜臣、陸の権慄と言われた名将、梨峙大戦、幸州大戦などで、
日本軍を破った。
李如松、明軍提督、平壌城攻略戦で小西軍を破るも碧蹄館で大敗。
のちに満州族との戦いで戦死した。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 17:24
このスレのタイトル自体がなんだか問題ありな気もするが
まぁこの時代、日本て戦争に特化した文化だったから
おしなべて評価を一律にはでけんと思いますが?
200 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 17:32
激しく同意だよ。
日本側が終始圧倒し続けた戦線で「武将の力量」の評価など不可能。
島津信者をかえって増長させることになるだけだ。サンプルとして不適切。
勝ち戦の常として、信賞必罰がどうしても甘くなる。日露戦争がいい例。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 19:11
>>194 >碧蹄館の戦いで明軍30万人に3千人で斬り入り、敵軍をまっぷたつにしたのは有名。
これ書いたのは機知外ですか?
お前、
薩摩隼人は世界一ィィィィィィィィィ
と言いたいだけちゃうんかと。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 20:48
204 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/30 22:20
別にあってもいいんじゃないの?
>173さま
はからずもあなたの行動様式がにじみ出る結果となりましたね
>143さま
もうやめましょう。あなたと私の間には歴史に対する立脚点という次元において
決して埋めることのできない断絶が存在しております。わたしもこの件について
あなた方のロマンを汚すことはいたしませんので、あなたも感情的な筆致で書き
込まれることのなきようお願いいたします。
かしこ
確かにむずかしいッスね。
『名将』っていう定義は。
実を言うと、文禄慶長の役の朝鮮側、明側の武将が知りたかっただけなんッスよ。
ちっとばかり、タイトルがずれていたんッスねぇ。
迷惑ついでに、もう少し向こうの武将を教えてくれませんか?
208 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/01 22:26
>>1 新人物往来社 「戦国人名辞典」
を読んでごらん。
少し舌足らずな説明文が多いけど手軽な割りに参考になるから。
コンパクト版なら4000円ぐらいで買える。
どうでも良いがこの本、長野業正のって無いでやんの。息子は載ってるのに…
209 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/01 22:28
>>206>>1 敗軍の将は語らず。名も体も残さず。
ということで誰もいません。そろそろ終了しましょう。
李如梅
慶長の役で浅野行長軍と対戦。詳細は不明。
司馬遼太郎の小説にでは、後に後金軍と明が交戦するようになったときに
満州・日本の兵制を解説する役で出ている。
曰く「日本兵は体が小さく草に隠れて鉄砲を放つのを得意とする。
確かに強いが、1対1で戦うなら倭兵100人といえども1人の満州兵の敵ではない。」
211 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 17:18
>>210 当時の日本人男性の平均身長は156cm
確かに大陸の兵士より小柄だったようです。
日本兵の武器は集団戦闘と鉄砲です。
「鉄砲以外の武器はいらない」という書状まで残ってます。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 18:13
>>210 都合のいい四方山話だけで話を進めているふうに見受けられますが。
そえは司馬遼太郎の「ダッタン疾風録」あたりに出ていたセリフでしょう。
あれのセリフは小説用ですよ。「清軍の強さ」を誇張して表現しただけ。
別々の史料の文言を合体させ、脚色を加えている架空のセリフ。
>>211 当時の日本人が現在に比べて身長が低かったように、外国も
同じように低かったのです。だから相対的には今と代わらない。
中国人については統計はありませんが、朝鮮人の近代以降の身長と
くれべれば分かります。
鉄砲以外の武器がいらないとの書状は「鉄砲が最も効果的であった」
からですよ。たしか加藤清正ではなかったですか。蔚山の戦訓から
でしょうね。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 18:26
でも、朝鮮の役の時、朝鮮兵の方が大きかったと言われてますし、
中国でも華北の兵士は頑健で大きかったそうですよ。
現代は日本人は豊かで食べ物や生活も欧米式で中国などより
大きいのですよ。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 18:27
>都合のいい四方山話
それは司馬さんに限らず、戦国を美化する小説家が山ほど使ってますな。
司馬さんは何の関係もない小説(共通点は時代が戦国だけかと
思いきや、明治から現代まで)で頻繁に
「島津は1万人で20万の明軍を破った」と書いてるし
他の作家の電波ぶりも似たようなもの。
日本の強さを示す逸話は全部事実で、他国のは誇張という
人がいるが不信を招くだけだよ。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 18:34
>>213 今でも朝鮮人のほうが日本人よりも大きいですよ。
これは近代以降何ら変わってはいません。
ですから、身長の推移を見たとき、相対的に今とは変わらない
と言っているのです。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 18:58
個人個人の体力が劣っていても、実際の戦闘では日本人の方が有利に
戦っているということは日本人は中国人、朝鮮人よりも知力が上という事を証明しているんだね
218 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 19:24
>>211 それは途中から城での防戦が主になったからです。
日本刀も終始、白兵戦があれば有効でした。
というか、日本刀が無ければあれ以上に苦戦したはず。
219 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 19:27
>>216 その差別意識。
選民思想。
大ハンが起こしたような乱世とその後の治世が日本と同時期に
中国、朝鮮に起こっていたなら、日本なぞ苦もなく捻られる。
戦国の研鑽が日本国を強健にしたと心せよ。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 19:28
>217
そう思っていられるうちは幸せだよ・・・
だから単純な物量論者じゃないって、おれは。
どうもそういうアングルに固定されがちだな。
そういうアングルじゃないと闘えないのか?
WWFのレスラーじゃないんだから。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 19:49
明側の記録に日本兵がよく統率が取れているのにすごく驚いたって
いうのがある。日本人はやっぱり集団のほうが力を発揮するんだ。
223 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 20:10
確かに日本刀の威力は明の名将戚継光も評価し、自軍への装備を進めている。
しかし古代ならまだしも兵同士が零距離で
戦闘するような状況じゃない。
接近戦は勝っても負けても損害は大きいし、
できればアウトレンジで叩きたいのは当然の考えだろう。
だから日本では長槍が発達し、さらに鉄砲の急速な普及がある。
戚継光自身も白兵部隊たる歩兵部隊について40%に及ぶ鳥銃の装備をおこなっている。
むしろ日本兵の強さは日本刀や鉄砲の威力以上に
100年に及ぶ戦乱の賜物ではないだろうか。
現在の日本人の身長は中国人より高くなりましたよ。
新聞に載ってました。中国人はショックを受けたそうな。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 20:17
>>224 あっちは土地により顔も背もバラバラ。
香港とか南方は小さい。北方はデカイ。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 20:34
中国の伝統的な軍だと、少数のプロの兵に多数の烏合の衆の
徴兵を組み合わせて軍が構成されてたケースが多い。
まあプロばかり集めた軍団もあるけど。
少数のプロは強い。加藤清正は騎兵がサーカスまがいのパフォーマンス
をするのを見て戦意喪失したし(日本は馬は移動の手段で
戦うときは下馬するのが常)、宇喜田家中で一番大力と巨体で知られる
士は碧蹄館で組討した騎兵に手も足も出ずに、郎党皆でなんとか叩きのめした。
ただ大半は最下層の人間(革命前は兵隊は最も軽蔑された)が
嫌々戦いに参加してたので、組織的行動は無理だったようだ。
兵隊の主な成り手は農民ではなく、都市の貧民・犯罪者が主だった。
ちなみに末期の募集は最悪で(徴兵逃れも激増)、小西行長・加藤清正を攻撃するための
2つの軍は派遣できたものの、島津義弘に対する中路軍は兵が集まらなかった。
そこで山狩りをして隠れている人間を大量に集めてなんとか間に合わせたとのこと。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 21:22
>>1 は、信長で新武将登録するためにスレ立てたに10ギル。
228 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 21:25
朝鮮人はツングース系だから体が大きいのだろうか?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 21:33
>>225 世界史板にスレがあったけど、
いわゆる漢民族なんてのは存在しないにも等しく、
実際はありとあらゆるモンゴロイド(コーカソイドも)の
寄せ集めや混血なんだよね。
まあ、中国語を話すという共通点こそあるが
その中国語も北京語と広東語では英語とフランス語以上に形態がちがってたりする。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 22:16
>>226 >加藤清正は騎兵がサーカスまがいのパフォーマンス
>をするのを見て戦意喪失したし
違うでしょ?
中国人でなく、それは女真族の話でしょう。
カンキョウ道方面を担当した清正はオウリョク江を超え満州へ。
そこで女真人と遭遇。騎兵の騎射を見た。
鉄砲で撃退。そこで相手側と交渉している。
戦意喪失? 意味がわかりませんね。
平壌の行長の敗戦によって戦線を縮小、後退したにすぎません。
>いわゆる漢民族なんてのは存在しないにも等しく、
>実際はありとあらゆるモンゴロイド(コーカソイドも)の
>寄せ集めや混血なんだよね。
それは、人種概念と民族概念を混同していないか?
文化的・言語的に一定の同一性が認められて、同民族意識があれば
民族は存在すると言ってよい
だから「漢民族は存在するが、系統的には様々なモンゴロイドの
混成からなっている」って言うのが良い
232 :
参考までに…:01/12/03 22:28
当時の明皇帝:朱翊鈞(1563〜1620)
10歳で即位した為、張居正らが補佐。
特に張が非常な能吏であり多くの改革や土木事業を成功させ安定をもたらす。
しかし1582年、張が死ぬと改革は中止、
そればかりか功臣たる張の一族を流罪にし家財を没収する。
これにより朝廷の権威は大幅に失墜する。
1592年と1596年の日本軍迎撃、1616年の後金(後の清)の侵攻によって財政は崩壊する。
また内政にも失策を重ね、重税による反乱や、派閥紛争によってすでに国家としては
滅亡状態であった。
これに嫌気が差したのか死ぬまでの25年間全く朝廷に出ることなく病死。
これより約40年後に明朝は滅ぶ。よく持ったと言うべきか。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 22:38
>>212 小西行長も細川忠興も
鉄砲だけを送れ!槍なんぞいらん!
という書状を出しています。
朝鮮の役からですねえ、本格的な鉄砲の装備
と粗製濫造が始まったのは…。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 22:56
>>233 文禄慶長の役の多くの戦いは攻城戦でした。
攻めるも守るも、鉄砲の威力は相当のものでした。
当然の要求でしょうね。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/03 23:01
>>226 ヘキテイカンでは、小早川隆景の奮戦で明軍は壊滅。
宇喜田勢は主力として後詰に控えていた。よって、宇喜田勢の参加は
掃討戦ないし、追撃戦になってから。
いささか余裕の中での戦いの中であることを考えてください。
相手を強く見せる(それに勝った自分たちはよく戦った)
という古今東西ある修辞です。
最初に戦意喪失したのは文禄での小西だったかな?
加藤はウルサン戦で、雲悌の上で騎兵が軽々と自在に進退できるのに驚いた・・・と記憶。
碧蹄館は「10万の明軍」との戦いといわれるが、毛利家の話をそのまま受け入れる
なら「2万の遼東騎兵」を小早川を中心に諸藩が倒したことになる。
これは立花家の奮戦を無視し、小早川が立花を救ったという内容だが
明の南方軍が火砲を展開した(実際は泥濘で運用は困難だった)という
事実も無視されており、毛利中心のこの説は自分は好きではない。
で、立花サイドで語ってみる。記憶モードなので多少の間違いは許せ。
李如松は遼東の軽騎兵2万を率いて碧蹄館へ進軍。
普段の戦いぶりは「蒙古兵とは戦わない。満州兵の岐路を追撃。」
騎兵は体躯雄大で鉄甲を装備していたが、弓は貧弱、剣はさらに貧弱で
短い鉄の棒に近いシロモノだった。
日本側は立花の3千が斥候に斬り込んで善戦したが、
毛利サイドでは「苦戦を小早川が救った」という記録が多い。
敵本体の到着と小早川も加わり戦闘になるが、泥濘のため騎兵は動くのもままならない。
そこを鉄砲で一方的に撃ちまくり、日本刀(つーか野太刀だね)
で切りまくり「馬も人も切断される」という大抵の小説どおりの展開となる。
その後南方の砲兵も到着するが237のとおり、さして影響は無かった。
混乱した騎兵に対し、宇喜田はじめ諸将も追撃を掛けて勝利。
240 :
America is No.1!!!:01/12/04 00:50
で、敵に与えた損害だが2万のうち死傷は数千だといわれる。
問題は騎馬が泥濘で移動もままならず、鉄砲も有効に使用し
刀(こちらの方が鉄砲より危険だと評価されてる)による
切り込みも成功しながら、与えた損害が小さいということだ。
しかも日本側の方が数でも勝る。
周知のとおり、日本での戦いは追撃での戦果が鍵を握る。
設楽が原でも武田の戦死の9割は撤退時に起きているそうだ。
この場合、、明兵は包囲され撤退に苦労したという話はあっても、
半数が戦死するという状況にはなってない。
226で宇喜田の大兵の話をしたのは、数と装備の優越があっても
日本兵にとって、遼東の兵は猛獣のように手に余る存在ではなかったか?
と考えるからだよ。
しかも追撃を徹底せずに途中で打ち切ってるしね。
ちょっと休む。
勢いだけで書いてるから、メタメタな文章になってるな。
中国史専攻の人がいたら、いろいろ教えて欲しいんだけどね。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 01:15
船に大砲を装備したのは朝鮮が世界で最初ってAOCの説明書に書いてたよ。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 01:38
>>241 >>242 あの、戦死半数というのは野戦では常識的にはありえないのですよ(w
三分の一が死傷すると「壊滅」というのが定義です。
ヘイキテイカンについては参謀本部編さんの日本側2000、明側6000というのが、長く引用
されてきた。この数字については過大とする意見が近年あるようだが、
別段不合理ではない数字でもあります。
包囲殲滅しなかったのは、挟撃の陣形になってなかったからであり、地形的に
一方的に谷間沿いを後退する明側を追いかけると、深追いになるからであり、
小早川の判断は正しかったといえるでしょう。
例の明兵の話は逃げ遅れた小部隊が包囲され、袋叩きになった情景ではないでしょうかね。
後年書き綴られた文書なわけですから衆目の中で印象付けられ、語り継ぐものがあった、
というふうに、小説的には想像できますけど。
いずれにしても、こうした細かなどうでもよさそうな事柄のホントかウソかの判定を
するとき、大切なのは史実がどう動いたかという最低限の事実を前提に把握して
頭に叩き込んでおくことです。
ヘキテイカンについては、以後、明の司令官は一気に講和に傾き、再出撃の意志を
失ってしまいました。遼東最精鋭の軍団が動かせなくなり明は軍事的にとりうる手段を
喪失してしまったわけです。
このことからして、ヘキテイカンの戦いの内容というものがどういうものであったかは、
おのずと知れて来るというわけです。
246 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 01:48
>>243 おおまかな戦役の流れがつかめきれていないような。
>こうした細かなどうでもよさそうな事柄のホントかウソかの判定を
このスレ、異常なほど強さに固執する人が多そうなんで・・・
三戦板らしくゲームの話すると、GE・TEN2の朝鮮は雑魚だった。
明の収入の半分以上が使い道無しの官費に消えてたり、
アジア史のシミュレートしててはそれなりに面白いよ。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 00:42
しかし明も後に後金軍と戦うと、包囲された部隊が皆殺しにされたり
半数以上が戦死ってケースが頻出するのな。
日本は豪快な勝ちは収めてないと思うんだな。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 02:54
>>249 豪快な勝ちねえ。
島津があるでしょ、島津が。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 13:03
>>250 無茶苦茶スゴイとまでは言えないな。
アホ小説家達の誇張をそのまま受け入れるなら凄いけど
事実との乖離が最も激しすぎる。
252 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 17:24
防衛大学筋の近世戦史研究は当てにならない。
なにしろ
信長の奇襲迂回による今川義元攻撃や
鉄砲三段撃ちによる武田勝頼の撃退
というデンパな説を旧軍が確立させたおかげで
現在、デンパ説を崩すのに苦労しているから。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 17:36
254 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 17:42
「ふたりエッチ」
255 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 20:37
>251
で、あなたは、何がお望みなのかな?
256 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 20:42
島津の泗川は、8000で20万を撃退というのは誇張だが、
(しかし、こんな誇張は中国の史書でも普通だし、
当時のものとしては責められるものではないが)
明らかなのは、この大敗によって順天の小西勢への攻撃を明軍が
躊躇したように戦線に崩壊を来たしていたのは確か。
島津の「3万5000首級」を文字通りに信じないにせよ、
壊滅的打撃であったのは確か。
ヘキテイカン以上のものであったかもしれない。
257 :
明は無価値:01/12/06 02:29
>1
率直にお答えします。
明など朝鮮にとっては足手まといで、むしろ日本撃退の足手まといでした。
明の援軍はなくても朝鮮は独力で日本軍を撃退したはずです。
これは、韓国では定説となっています。反論の余地はありません。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 07:33
259 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 07:35
明軍も自分たちの国の侵略者には
それなりに勇猛に戦った部隊もあるが、
朝鮮などで戦う理由はあまりなく、士気は低かっただろうね。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 07:55
九鬼水軍などの最強海軍は、徳川家康配下。
したがって、秀吉の朝鮮出兵には参加していない。
つまり、当時の最強船である鉄甲船が戦っていない。
なら日本海軍は、軍備の点では二流しか戦ってないのだから、
負けても仕方ないよ。
261 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 08:14
>>260 鉄甲戦は毛利との海戦のあと、
どうなったかわからないんだよ
262 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 09:16
アホか、日本海を渡っていった10万以上の軍隊に
どうやって長期間の補給を続けるんですか?
海上の補給線だって寸断されてるし、
だいたい当時の技術で作られた鉄鋼船が外洋を渡れると思ってんのか?
武将の質云々以前の問題だろ。
263 :
無名武将@お腹せっぷく :01/12/06 09:37
>>九鬼水軍などの最強海軍は、徳川家康配下。
ここからしてすでに可笑しい(W
264 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 12:25
>>262 おっとっとと。
海の補給線は全然寸断されてませんよ。
パンフ的な本でなく、少し詳しく調べてください。
ところで、10万以上の軍隊に秀吉は7年間補給を続けましたが。
(ただし中4年ほどは数万人程度)
鉄鋼船が概要を渡れないというのは正解でしょう。
265 :
僕の先祖は伊達家にやられた:01/12/06 13:27
あのさ、話変わるけど、
李舜臣とか、さ、ヨーロッパの名将とかも、
海戦って結構有名な人も戦死するよね。
一緒に沈んでいくからかな?
あとさ、大学に韓国人いるんだけど、
俺らの話と全く違うんだよね。
歴史の本見ると、勢力範囲だけなら、
日本軍は韓国をほとんど全部制圧してるんだけど、
韓国人はゲリラ的抵抗を続けていたから、
勢力範囲など、存在しないとか言ってるよ。
第2次大戦の時もそう言ってた、
どうやら、韓国では合法的な情報操作が行われているみたい。
266 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 13:36
つまり韓国国内にも北朝鮮シンパがいて活動してるから韓国は実は北朝鮮である、と?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 13:39
>>265 かれらは自分たちの歴史を美しく語りたいのだよ。
その目標が日本。
歴史事象のうち文禄慶長の役が彼らの関心事の最大の一。
日本人はほとんど詳しく知らないが。
しかし彼らの本音と彼らのうち真実を知るものは、
日本が圧倒的な軍事力で領土を席巻し、相手にされていたのは
自分たちでなく明国であったことを十分に承知している。
でもそれではフツーの人は立つ瀬がない。
そこでドキュソな学者が登場し、いろいろなドキュソな
学説を出している。
ところが始末が悪いことに、それらの説が一般受けするので、
一般論となっている。(便乗する馬鹿な日本の学者もいるようだが)
若い大学生たちもそっちに飛びつきやすいのさ。
彼らの身になれば、そのように理解したいのは当然だから、
聞き流してやればいいのではないか。
「勢力範囲」ということであれば彼らの言うとおり、軍事的
拠点しか確保していなかったのは事実だ。それは支那事変
(日中戦争)と同じだ。だから情報操作ではなく事実として
受け取ってもいいのではないか。かれらがそういう形容で
満足しているのなら。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 13:45
>>267 同意。
日本には日本の花があるように韓国には韓国の花がある。
真の国際社会とは相手や自分のナショナリズムを否定する事からではなく
お互いのナショナリズムを認め合う事からはじまる。
スレ違いだがsageにage。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:09
劣等民族に人権なし
奴らのことを考えてやる必要などなし
270 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:14
歴史的に見て漢民族って数と武器で圧倒している場合以外は負けまくってないか?
朝鮮に至ってはそのまた下に従属していただけだからどう考えても強くはなさそうだし。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:15
>>265 トラファルガーの海戦で流れ弾に当たって死亡したものの
海戦自体はナポレオンのフランス海軍に壊滅的ダメージを与え
彼のイギリス侵攻を不可能にした、イギリス海軍のネルソン提督の事だね。
海戦で名将が死ぬのはほとんどが流れ弾によるものだよ。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:30
>>270 五コ十六国時代に
漢民族国家、東晋が二万の兵で
百万の兵を率いて侵攻してきた
異民族国家、前秦に大勝したのは?
273 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:33
肥水の戦いだよ。
274 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:59
275 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 01:37
ここで長年日本軍と付き合った明の将兵は、
後に満州軍との戦いでことごとく討ち死にするんだな。
よく知った名が一日であっけなく戦死するのを見るとなんか寂しい。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 01:45
>>263 ん? 九鬼水軍って戦ってたっけ。
家康が自分の領地を誰が守るとかいって
参戦させなかったと思ったけど。
って調べたら向井水軍だった。
勘違いでスマソ。
じゃあ、話題違い覚悟で、ひとついいっすか?
ちょっと疑ってることがあるんすけど、
日本側は本当に軍功の対象を鼻そぎで済ましてたんですか?
よく朝鮮侵略の小説や軍記物で、
「日本軍は鼻をそいで首の代わりとした。
鼻の数で功が決まったため、朝鮮では鼻の無い人が急増した。」
と、日本の残虐行為が強調されてるんですけど、
当時の日本は首を戦功の対象にしてましたよね。いや、当時じゃなくて、
昔っから。
首を本国に送るのがめんどくさいからって、そんないきなり鼻そぎに走るもんなんですか?
なんかいきなり日本軍が中国(明)軍化しているような気がしてしょうがないんすよ。
278 :
考えないロダン:01/12/07 14:24
>>277 物凄く鋭い指摘だね。
言われて見れば、鼻削ぎにすれば嘘つき放題って事くらい
耄碌した秀吉や、戦経験の少ない軍目付けにだって予想出来たはず。
279 :
ちょっと考えたロダン:01/12/07 14:35
>>278 日本国内での戦争
・主要な敵は支配者層の正規兵だけで、民衆は生活さえ保護してくれるなら
時の為政者に素直に従っていた。
・相手を殺す事より士気を挫いて屈服させる事が主眼であり、
敵兵を殺すのは主に追撃戦の時くらい。
・敵将の首を持ちかえるのに保存が容易な環境にあったし、
持ちかえってもそれが誰の首なのかすぐに判ったので、
敵将の首は軍功の証に適していた。
隣国での戦争
・当初の主要な敵はやはり為政者の軍勢だったが、やがて民衆の一揆(ゲリラ)
との攻防が激化。将兵のみならず、一般民衆まで敵勢に加わり、
これを支配するのは容易ではなかった。
・国家間の総力戦となれば、それは士気の攻防ではなく人命の攻防と化す。
・既に敵将だけが敵ではなく、民衆も強敵であるため、無理に「将」の
首を取るより、民衆の首を取るほうが意義がある?
280 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 15:50
鼻そぎはむしろ三成あたりが現地の将に勧めたんじゃなかったっけ?
「表面上日本が勝ってるように見せかける」
気の利いたアイデアとして双方に喜ばれたと思うよ。
なんか朝鮮擁護と思われそうだな。
俺は戦線の膠着は明軍の存在が主な理由だと思うよ。
清正って あっちじゃ鬼将軍って悪鬼のようなふるまいをした将軍ってことになってるけど
もともとは 鬼のように強いってだけで 民衆をしいたげるようなことはしてないよな?
現地の焼き物職人や築城の知識(石垣の知識)もった人間を 日本に連れ帰ってるが
彼らは 清正の死後 殉死してるやつ多いよな
283 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 18:16
あのな、余所の国に攻めこんでってそこの兵隊たくさん殺してりゃ充分鬼って呼ばれてもおかしくないと思うぞ?
鬼と恐れられるくらいに戦ったことに変わりない
戦争で 現地指揮官を鬼将軍って言ってもしょうがないと思うけど
まぁ 秀吉を現地の人が悪く言うのはわかるけど 清正って単なる現地指揮官ジャン
強いって意味での 畏怖での鬼将軍なら良いんよ だけど 非道な鬼として奴らは扱ってるからね
286 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 19:43
あっちでは「鬼」に「強い」という意味はない。
「不気味」「キモイ」あたりを表現するのに使う。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 20:43
>>286 日本でいう鬼は日本特有の概念で、
そうそう、中国や朝鮮での「鬼」というのは幽鬼とか死霊、死んだ人などを表す、純然たる罵り言葉なんだよね。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 20:59
>>277 残念ながら、耳そぎ鼻そぎは事実。
京都に耳塚はあるし、
立花や島津は何万という耳や鼻を塩漬けにして壷に詰めて送ってきたが、
その中には明らかに幼児と見られるものもあった。
佐竹義重が朝鮮から送られてきた膨大な耳の入った壷を見て
「こんな事をしていたら大変な事になる」と豊臣政権の行く末を案じたという逸話もある。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 21:30
>>288 既に大変なことになっているのに、佐竹君もかわいいな。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 21:56
>>285 加藤清正の鬼将軍の異名は清正の兜の形が朝鮮では死者にかぶせる
頭巾の形に似ていることから、朝鮮人たちは指揮官が縁起の悪い兜を
かぶって戦っているのを気味悪がって「鬼将軍」って呼んでいたらしい。
たしか鬼には死者という意味もあったと思う。
291 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 22:15
とにかく、日本と大陸では「鬼」の意味が全然違うという事だ。
単語としても形容詞としても。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 22:22
ところで、朝鮮出兵時の加藤清正といえば蔚山での虎退治が
有名だけど、誰か詳しいとこ教えてちょ。
293 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 22:31
>>292 それは史実です。
ただし、伝承のように槍で殺したのではなく、鉄砲で殺しました。
虎退治と言われてるものの、
ほとんど全ては鉄砲によるものです。
294 :
無名武将@お腹せっぷく :01/12/07 22:32
朝鮮には虎がいるのか?
295 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 22:37
>>294 昔はいたよ。
それで、朝鮮のシンボルとされソウル五輪で
マスコットキャラにされた。
現代でも、ロシア極東にシベリア虎やアムール虎がいるから、
そんなに不思議ではないだろう。
296 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 00:22
>295
シベリアトラとアムールトラは一緒だぞこの野郎!日本にも昔はいたんだぞボケ!
1万年前だけどな。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 00:29
虎って寒さに強いんだな・・・
ライオンはいなかったんだよな?
298 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 02:25
朝鮮人たちは彼らの教科書にも書いているように、
「自分たちの総合的な国防力が日本を上回った」
という結論に導きたい執念を持っている。
そのためにトンデモな新説さえ捏造しようとしている。
その一つが当時の人口だ。
通説ではせいぜい600万人程度とされていたのを1200万人
などと推算しようとしている。
これは日本で最も有力とされるわが国の人口なのであるが、
それを「1500万人」と推定しているらしい。
そうするとある程度バランスが取れ、
「総合的国防力で勝る」
有力な根拠となるわけだ。
こういう人たちによって語られている歴史であることに留意しよう。
欲しい結論のために研究、飼料を漁る。
日本でもよく見かける光景ではありますが。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 02:48
>>293 「ほとんどすべて」
ということは、中には講談にもあるとおり、槍で仕留めた
のもあるわけだな。
生け捕りにして秀吉に差し出した話もある。
300 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 05:41
実の所、朝鮮半島には日韓併合前まで
虎が人を食い殺す事件が多発していました。(笑)
日本が半島を近代化させてはじめてその被害は大幅に減ったのです。
思えば半島も自力で近代化出来るシナリオがなかったのが切ないね。
301 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 06:59
>>299 違うよ。
虎退治の話しは全て鉄砲によるものという絶対的証拠もないし、
断言できないだけだ。
でも、現実的に考えて鉄砲があるのにわざわざ、危険を犯してまで刀槍でしとめたとは考えにくい。
しかも1対1ではね・・・・
もしも、そういう事があったとしたら、虎が襲ってきて、
反発的に槍で殺したという事はあったかもしれない(確証はないが)
302 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 12:08
>>290 加藤清正の「鬼将軍」はそこから来ているけれど
島津義弘の「鬼石曼子」は大敗北のトラウマから本当に恐怖を込めてそう呼んでいた
そうだ。
加藤清正って、槍の名人ではなく「鉄砲と政治の名人説」があるね。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 14:08
泗川での島津は確かに朝鮮の史書にも評価が高いのだが、
あの戦いでは敗北後、董一元は兵を再結集して追撃しているね。
これが「単なる再結集」か「他の戦線からの増援も含む」かはわからんが、
「明の兵の損害は少なかったが、軍そのものは敗北で四散した」
と思ってたので驚いた。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 18:46
>>303 そうそう、加藤清正が真に得意にしたのは鉄砲。
そして、政治と築城術。
彼が満州まで進んだのは事実だけど、
小西隊とは違い、たいした戦をせずに到達にすぎない。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 23:07
>280
しかし、三成がそんなこと言うのかな。
三成以外の戦国武将でも、鼻そぎが残酷でとは思わなかったのかね。
278の言う通り、嘘の戦功が続出することぐらい誰でもわかるだろ。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 23:12
>>306 首を取るのは重いので、
鼻や耳を代わりに取る習慣は日本の合戦にもあったよ。
308 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 23:26
そうなのか?
いや、うちの大学教授がさ、
日本はずっと戦功の対象が首だったっていうから。
309 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/08 23:30
>>308 まあね、ただ確か鼻をそぐ場合は上唇も一緒にそぐんだって、
そうすれば男か女かの見分けがつくそうなので。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 00:49
チョンマンセー
311 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 06:16
清正は土木の神様とも言われているよ。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 06:25
熊本城はね、いいよ。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 14:04
>>305 「再結集」「追撃」?
追撃って、どこからどこまで追撃したのですか?
314 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 15:39
当時の足軽さんも大変だったろうなあ。
何を好き好んで人様の耳や鼻を切り取らなくてはいかんのか、
吐きそうになったり、死にたくなったりしただろうな。
まだ首をとる方がいいなって思ったに違いない。
殺されたほうも気の毒だけれど、つらかったろうな・・・。
315 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 15:47
朝鮮の馬鹿妄想も酷いが、何か日本に不利(戦果を矮小化する)
な発言が出るたびに、ムキに反論するのはいらんよ。
悔しがって捏造する韓国も、美化された侍の強さのイメージを
必死で守ろうとするアナクロ倭人も共に逝ってよし。
>>315 ハア?
向きになってるのはお前さんでは。
ウザイから逝って良。
317 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 19:56
>>315 何も根拠のない珍論を吐きたいだけ吐く。
文句ある奴はいらないってことか。
自分の妄想の世界だけに満足するなら、ここにはいらないよ。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:03
316=317
319 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:08
>>314 人間の首ってスイカみたいに重いんだよ。
鼻や耳で良いって言われて
かえって喜んだかもね。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:15
珍論=明治以降の日本人が広めたものが大半
321 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:28
今もって珍論を流している=日本人
322 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:33
珍論はそもそも各家の公式な記録作成の時点で発生してると思うが。
323 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:48
>>322 だよね。
一次資料=正しい
という理論はあてはまらない。
日本の資料にも朝鮮の資料にもそれはあるが
問題は片方の資料は盲信するくせに
片方の資料を当てにならないとバッサリと捨てる輩だ
324 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 21:02
>>323 どちらにも書いてないことを
さも真実のように語る。
それこそ珍論と思うが。
325 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 21:05
>>323 文禄慶長の役に関して言えば、
「一次資料」
と呼ばれるものはほとんど存在しない。
同時代のものも伝聞、記録。
つまり、
「二次資料」。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 21:12
だから水増し報告やりたい放題だったわけね。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 23:50
へきていかんのたたかい
立花「30万を真っ二つに裂いた」
小早川「立花が緒戦から苦戦したので、わが隊の横槍で流れを変えた」
328 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 04:29
軍事的な「一次資料」というならば文献よりも、
最たるものは朝鮮に残っている日本の城だろう。
当時の武具については残ってはいるが、実際に戦役で使われたものかどうかは
判別しにくい。
驚くべきはこれらの城の構えそのものよりも、短期日のうちにこれらを
完成させた当時の日本の土木築城術だ。
島津の泗川の場合、わずか二ヶ月でこれを完成させている。
実際に先頭が起きたのは完成して9ヵ月後だからその後防備の強化はなされた
のだろうが、それにしても1年に満たない。
蔚山の清正の場合、ほぼ同時期に着工し、その1ヵ月後に明軍の急襲を
受けている。島津泗川のケースで考えると半分しか出来ていなかった
ことになる。それでもこの城は最後の本丸部分は陥落しなかった。
着工一ヶ月であれだけの防備が可能であったということは、
泗川の場合、2ヶ月で完成したという話は偽りではないだろう。
蔚山の場合も2回目の攻撃の時(1回目の攻撃から9ヵ月後)は、
明側の見るべき戦果はなく、完璧であったことが納得できる。
また、2ヶ月で普請を完成させた島津の場合、配下の兵力だけで
可能だったとは思えず、多くの朝鮮人人夫を使用していたのではないか。
ということは、巷間言われているような「耳そぎ鼻そぎ」だけが
民衆との接点ではなかったという想像も出来る。
あてにならない乏しい文献から詮索するよりも、こうした事物から
類推するするほうが面白い。
www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read007.htm
藤木久志氏『雑兵たちの戦場』
この本に島津(に限らず全大名)の人さらいの逸話が多い。
島津家は朝鮮奥地に船を出しては人さらいをしてたとのこと。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 12:19
こうなると、
耳とってても鼻とっててもあそことっててもおかしくないような気になるな。
いや、ちむぽの方が良かったかも知れん。
大業物を見た大将が、
「おお、これは大戦果じゃ」
とか言って。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 14:47
>>329 南蛮や東南アジアに奴隷として売却したんだよね。
女性の中には女郎にされた者もいると思われる。
>>330 一説には耳そぎ鼻そぎ=虐殺でなかったという意見もある。
変な情けをかけられ、生きたまま耳や鼻をそがれ、解放された者たちもいるそうな。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 14:59
耳そぎ鼻そぎにや日本の戦果報告の問題点は
あまりにも、その数が多すぎるという事だ。
島津や立花は5万人分もの耳や鼻を送ってきて大戦果だと報告したが
それに対する主張はそれぞれこうだ
日本側・・・明・朝鮮の兵士を討ち取った戦果によるもの。
朝鮮側・・・日本軍は戦果を水増しするために無抵抗な民衆を襲撃し虐殺を行って耳をそいだ。
さて、正解はと言うと虐殺も多少はあったかもしれないが、実際は朝鮮・明軍に協力した民衆を討ったものと思われる。
そもそも、朝鮮の役とはプロの軍人同士の戦いなどではなかったのだ。
鼻や耳でいいんなら、死んだ同胞のものでも持ってかえるぞ。
墓を暴いてもいい。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 15:11
335 :
無名武将@お腹せっぷく :01/12/10 15:14
>>332 激しく同意。つうか、それが真相。
日本軍は第二次世界大戦でも同じ目にあっている。
おかげで戦後、皇軍は賊軍の汚名を浴びる事になった。
旧軍は歴史から何を学んだのやら。
>>335 日本史板やハングル板みたいな電波が嫌いだからこの板にいるんだYO!
>>333 国内戦でも味方に、自分の取った首を自分の首と共に取られる事がざら。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 15:30
>>338 国内戦だとバレるでしょうが。
あっ、この男はあいつだ!!
っさて具合に
340 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 17:40
味方討ちは日常茶飯事だったよ。
あと国内でも農民や一般人が狩りの対象だった。
329を読んだことがあるが、
すごいのは農民も大名軍を逆に襲ってたのが日常らしい。
「落ち武者狩り」は単なる狩りの一局面であり
「落ちてない武者」に白昼堂々と襲い掛かるのがあたりまえだったと。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 20:32
>>335 この役については韓国人のほうが細部については日本人よりも
一般的に詳しい。
細部にうとい日本人は、大局(「朝鮮侵略」)を抑えて満足して
その細部については無頓着に韓国人の説になびく傾向がある。
専門化レベルでもその傾向あり。
しかしその細部にはトンデモ説(妄想)がちりばめられている。
そこを批判する必要はあるのではないか。
日本人は島津8000、敵20万撃退、をもってすべてを語ろうとしているが、
あちらはもっとヒドイ。
342 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/11 06:14
>>341 明軍は邪魔しに来ただけ。偉大なのは朝鮮軍だとか、
攻城戦で失敗と判断して撤退した日本軍を、勇猛なる
朝鮮軍が全滅させたとか妄想してる韓国人の、どこが
細部に詳しいんですか?
343 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/11 23:30
朝鮮のひどさがよくわかって勉強になるなあ。
司馬は生前、彼らと討論すべきであった。
もちろん泗川の戦いについて。
344 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 00:28
所詮、半島の外に一歩も拡大出来なかった列島民族の戯言です
というか、お願いですからハン板に帰ってください…
346 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/12 10:49
俺は在日だが、
確かに韓国側の言い分は頭痛くなってくるのは事実・・・・。
感情的すぎる・・・・・・・。
全てを光栄的戦力数値でしか見れない(藁)、ウチら三国・戦国板
住民の前じゃ、ハン板仕込みのプロパガンダなんて効かないよ。
「韓国がこんなふうに捏造・強弁しているぞ!」
「ふ〜ん・・・。ところで李舜臣って武力・統率どれくらい? 93くらい?」
こんな感じ。(藁
そりゃあ確かに、日本の国益を失うような主張には断固抗議・反対
してかなきゃならんけど、もはや「反日」は、韓国の「社会病」あるいは
「民族病」みたいなもんだから(例えば日本人の屈折した対米感情の
ように)、まともに取り合って、あまつさえ本気になって、それと同レベル
あるいはそれ以下の反論(というかもはや罵倒)してたんじゃ、そりゃ
阿呆ってもんだよ。国益に関わらない程度に韓国の「反日」を受け流し
てやって、そしておもむろに日本文化の甘〜いトコロ(オタク文化とか、
ジャニーズ・TVドラマみたいな芸能文化とか)をサッと差し出せば、
韓国だってやっぱり所詮アジア。コロっといっちゃうから。(藁
なんてたって「Y2K」(日本人2人・韓国人1人のアイドルバンド)
なんていう、ちゃっちいもんが大ウケしてたぐらいだからね。
それを、目を血走らせて「韓国の反日が〜」とか「チョソ氏ね〜」
とか言ってたんじゃ、こりゃどうしようもないよ。日本と日本人は、
もっとオトナな(そして狡猾な)対応・応対ができる国なんじゃない
かと思う。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/14 14:37
・・・ここは歴史認識の違いを語る場所ではないと思うが・・・
349 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/14 17:29
韓はヒデーな。
これまでは大名の大法螺だけを馬鹿にして嘲ってたが、
真相究明がますます難しくなったな。
350 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 14:00
韓国人が明軍に少しも感謝せず、嘲笑して邪魔者あつかいするのは、
どう考えても恩知らずとしか言いようがないぞ。
とりあえず、うざいチョンは着えろ。
この役が歴史上明確にしたことは、日本は中国に攻め入る国、
だが、征服は出来ない。
中国は日本を脅威の対象とするがこれまた復習戦をもって征服は出来ない。
両者は対峙関係にある。
そして朝鮮はその緩衝地帯ってことである。
これは近代になっても同じ繰り返し。
そのことを明確にした事績であった。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 15:51
たしか中国の人口は清の全盛期(陰りも入った頃)に一億人
に到達したはず。
この当時はもっと少なかったが6千万ぐらいか?
354 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 19:29
そういえば明の将兵の略奪は、かなり凄かったと聞いた事あり。
日本軍撤退後も居座り、略奪を働いたそうな。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 19:55
356 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 20:52
日本の水軍は何で弱かったんだろ。
村上とか九鬼を外したからか?
数で何とかならなかったのかね?
357 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/20 12:21
>356
鉄甲船がなかったからです
358 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/20 17:01
>356
大砲。
日本軍も朝鮮・明連合軍もカコイイ!好き!!
360 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/20 22:31
>>356 秀吉が大砲嫌いだったんだよね。
朝鮮水軍の船には大砲が装備されてた。
361 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 00:36
>>360 そうだったのか・・・
初めて聞いた。
鉄鋼船なら本願寺攻めの時に大阪湾に対村上水軍用としてあったもんね。
ウルバンだっけ?その大砲の名前。
日本の大筒・長筒よりも威力があったって事か・・・
しかし、あれだけ恐れられた村上水軍がどこに消えたんだ?
362 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 00:44
>>361 ウルバンの巨砲って、オスマン・トルコがコンスタンティノープル
攻略に使った奴だと思うが・・
鉄甲船だが、自走能力が無かったという説もある。少なくとも、
外洋航海には使えなかった。
朝鮮水軍が亀甲船を使えたのも、自分のホームグラウンドだから
だろうね。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 00:48
>>362 そうだったのかぁ。
自走能力が無ければダメだね。
なんか、負けるべくして負けたって感じだね。
でも、その割には明も朝鮮も鉄砲の技術は未熟だったんだよね。
364 :
うら覚えですが:01/12/21 01:19
相手の船に乗り込んでって乗っている敵兵と白兵戦。指揮官を討ち取るのが
当時の日本流の海戦だったようですが、それに対して朝鮮軍の戦術は、大砲によって
接近される前に船ごと沈めてしまえという戦法だったようです。これじゃあ勝負にならない。
....国内戦と同じ感覚で、外征やろうとしても無理っしょ。
365 :
富良兎ーん:01/12/21 01:31
初期は板屋船(標準の軍船)の漕ぎ手や甲板に露出してる人員が
鳥銃の射撃で大量の死者を出したらしい。
朝鮮側が一隻の沈没もない戦いでさえ、鳥銃での被害は多かったと。
ちなみに日本も鹵獲した玄字砲・地字砲を陸からぶっ放して
朝鮮軍船に大打撃を与えるケースが戦争後期には多かったらしい。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 02:01
>>361-362 ウルバンはコンスタンチノープルの壁を打ち破る巨砲をつくった
ハンガリー人の大砲職人の名前だよ。
砲の種名ではないと思う。
横文字の名前なら、「フランキ」じゃないですか?
ありがとう。
それにしてもみんな詳しすぎる・・・
368 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 12:33
勝利のカギは、実は鉄甲船を朝鮮に渡らせることだったのか・・・
369 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 12:38
http://www.time.com/time/poy2001/ ※VOTEをクリックすれば2〜3秒で確実に反映されます。
連打せず、地道に数秒待ってから次の投票をしましょう。
※VOTEをクリックすれば2〜3秒で確実に反映されます。
連打せず、地道に数秒待ってから次の投票をしましょう。
※VOTEをクリックすれば2〜3秒で確実に反映されます。
連打せず、地道に数秒待ってから次の投票をしましょう。
370 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 13:00
いや実際にウルバンはオスマントルコの巨砲の名前だよ
蒼き狼シリーズにもあるし
朝鮮、明の砲はフランキ(仏朗器)かな
371 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 16:52
で、なんで村上水軍は参加しなかったの?
>>371 政治的に、九鬼海賊に押されてたらしいね。
村上水軍=毛利方、旧石山本願寺支援派
九鬼水軍=織田方、鉄鋼船団で毛利水軍を撃破
その影響で、日本の大陸遠征軍は鉄鋼船団が主力になったが、水域やら
戦場の性質の差で役に立たなかったんだって。
制海権を奪われ、補給の途絶えた日本軍は朝鮮半島で自給自足の略奪行為を
繰り返し、朝鮮の民衆の怨嗟を買い、占領政策に失敗したとの事。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 17:39
でも参加しても大勢に影響はなかったような・・・
374 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 17:50
民衆の支持を得られないと勝てないな
後北条は民衆の支持率が高かったので
秀吉との交戦が可能だと踏んだんだろうな
なんでもいいが、明、朝鮮軍の将軍は登場しませんな・・・
5人いたっけ?李如松っていう明の武将、副将に董一元。朝鮮水軍の李舜臣。
ほか若干名。
詳しいサイトとか貼って欲しいです。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 21:55
>>375
当て字を使うけど、どんどん軽く紹介
李瞬臣・・・説明不要
郭再祐・・・義軍を率いた文官将軍、神出鬼没なゲリラ戦術は日本軍に恐れられた。
推政(イ・ジョン)・・・民の嘆きに応えて蜂起した僧侶将軍、外交にも優れ戦後、家康と講和の会見の使者となった。
権慄・・・海の李瞬臣、陸の権慄と並び称される将軍
高敬命・・・義軍を指揮した文官、息子の従厚、仁厚と共に壮絶な戦死
元均・・・将の器に欠けた水将、開戦当初は敵前逃亡をして、問題となった。
李瞬臣をライバル視し、彼をざん言で失脚させた、
その後、王朝水軍の指揮をとるが連戦連敗のすえ戦死
李億旗・・・李瞬臣の良き戦友、瞬臣失脚後、元均の指揮のふがいなさに憤り戦死
李完(イ・ワン)・・・李瞬臣の甥、ノリヤン海戦で戦死した李瞬臣の死を伏せて指揮をとった。
申粒・・・騎馬を得意とし、女真族を撃破し猛将と言われ、朝鮮国王に期待されたが、小西勢の鉄砲に撃破され戦死
377 :
富良兎ーん:01/12/21 22:00
劉廷
西路軍提督で小西軍と対峙するが交戦はあまりせず。
小西から賄賂を受けていたとされるが真相は不明。
関係書物では頻繁に登場し、日本軍と付き合った期間が
非常に長い部類の将のはずだがこのスレではまだ出てないな。
怪力で巨大な大刀を水車の如く使いこなし、劉大刀の渾名で知られた。
後に後金と明にとっての関が原ともいえるサルフの戦いでは
10万の軍勢を4つに分けた中の1隊を率いる(数は不明だが2万ぐらいか)。
満州軍の圧倒的な戦闘力の前に瞬時に撃破され、軍勢の大半と共にその場で戦死。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 22:06
朝鮮水軍亀甲船は後世の創作という話しを聞いたけど、
何処までこの亀甲船の実態は分かっているのでしょうか?
379 :
富良兎ーん:01/12/21 22:14
ちなみにこの軍に付随して朝鮮の援軍が1万人いたとされる。
内5千は鳥銃装備だったとされる。
その後のいきさつにはいろいろあるが
●明の軍監を殺して即座に後金に降伏
●鳥銃隊は1発のみ射撃をするが、2発目を撃つ暇がなく
満州騎兵の突撃で全滅。残り5千は降伏。
●司馬遼太郎作品では、鳥銃の描写はないが
「一瞬で半数を倒され降伏」とあったような。
自分は戦わずにそのまま降伏だと思うけどね。
>>370 蒼き狼シリーズに出てくるのは私も知ってますが、
歴史的に大砲の名前として使われたことはないと思うんだけど。
どーでもいいことでつっかかってごめん。
ところで劉廷ってサルフでけちょんけちょんにやられたイメージが強いんだけど、
実際のところ武将としてはどんなもんだったんだろう?
381 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 01:46
>制海権を奪われ、補給の途絶えた日本軍は朝鮮半島で自給自足の略奪行為を
>繰り返し、朝鮮の民衆の怨嗟を買い、占領政策に失敗したとの事。
前スレ読め。
実際はそうじゃなかったってこと。
亀甲船については実在したとしても、こぎてにとって窮屈な構造になっていたりして
舟足がのろく、概要は勿論、戦域を支配できる機動は持ちえていなかった
と考えられている。
また日本が海戦で不利になったのは大砲装備がなかったからではあるが、
当時の大砲では船舶の撃沈は無理。明・朝鮮の装備していた大砲は
ヨーロッパから見ると時代遅れ。当時の明が備えていたフランキ砲は
一世代前のもの。
火矢で火災を起させるのが効果的。
あと、鉄鋼船団が主力になったという意見があるが噴飯物で、そんなものは
存在しなかった。
したがって、朝鮮水軍が日本を破ったのは李舜臣の卓抜した指揮力のたまものと
いえよう。
その李舜臣も日本側が海上で積極的に挑んでいるうちは撃滅も出来たが、
秀吉の通達で海域で決戦しなくなり、港周辺に陸上砲台を備えるようになると
李舜臣の制圧力もなくなった。
結局、制海権というものを日本が失ったことはなく、朝鮮半島
東側の海域の勢力は前後役を通じて日本側にあった。
これは両軍の海戦図の場所を見れば瞭然。
修飾の多い凡百の「学説」などよりも、確実な事実を見極めれば
あの戦役の実相はよくわかる。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 04:01
どれが真実かわからんようになってきた・・・
でもそこが面白い。
どなたかこの海戦について良い書籍があれば教えてくれませんか。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 12:17
>381
海上決戦の主戦場だけでもないよ。
現存する「倭城」の分布とその縄張りを見ても、
それらがすべて港湾を取り込む構造になっている
ことから、海上の補給線が遮断された事実はない
ことが容易に見て取れる。
しかも、そのほとんどが不利な戦だったと評される
慶長期の築造になるものなので尚更だ。
現在、確認されている倭城の遺構は、慶尚南道を中心に
約30ほど。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 17:04
清正の進軍ルートの図を見たこと有るんだけど満州まで進軍してるよね。
女真族とは遭遇しなかったのかな?
ヌルハチはこのころどうしてたんだろう。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 18:54
各倭城下には帰順した朝鮮人が百単位の戸数で
城下町を形成していたそうですが・・・
倭城周辺は治安も良くて、
徴税人が少数で行動しても大丈夫だったとか・・・
386 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 21:25
ところで日本軍は何故朝鮮水軍の根拠地を攻略しなかったのだろう?
あるいは攻めたけど撃退されたのかな?
その辺について知ってるひといる?
>>386 慶長の役の劈頭、朝鮮水軍の巨済島の根拠地を急襲し全滅させています。
これによって慶長の役は最後まで日本が制海権を掌握しました。
余勢をかって半島西側をまわって北上しようとしましたが、半島南岸の
最西端で李舜臣に反撃され、以降、半島西半分では李舜臣のゲリラ的急襲
に辛酸を舐めます。しかし、東半分は日本の制海。
陸上の戦略として半島南部の征圧がありましたから、前役のように
船団の北上は至上目的でなくなり、半島南岸に長期的拠点を設けて
水軍はその拠点防備に専念したわけで、リスクの大きい敵根拠地
への反撃はしなかったのです。
>>384 清正はいくつかの拠点を陥落させ女真と戦っていますが、
当時はヌルハチは満州を統一しておらず、満州の戦国時代
であったわけです。満州は人口の少ない地域でしたから
清正の数千人の部隊でも容易に席巻できたたようです。
(ただし途中に守備兵を点在させつつだったから実質は
前線に進軍したのはせいぜい1000人程度だったのではないか)
おそらく朝鮮人を間に立て、女真人と交渉した結果、
「40万の兵を率いて反撃する」
とかれらは脅したらしいです。
これを聞いてすごすごと清正が引き上げたと唱える人は清正嫌い、
と判定されるわけです(w
実際は、かの地は寒冷で土地も収穫がなく、魅力に乏しい
ゆえ経営には向いてないと察知し、拡大した戦線を収束する
意味もあり、長く逗留せずに引き上げています。
今見ても分かりますが、清正が進んだカンキョウドウは山ヶ多く、
気候的にも日本人には住みにくく、朝鮮でも最も魅力に乏しい
地域です。
この辺は清正の軍事政略家として敏感なところだと判定します。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 05:08
387>>さんに質問
李瞬臣が戦死した戦いで島津軍はぼろ負けしているけどあれはどこで戦闘がおきたのですか?
390 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 06:39
>>388 どうでも良いけど、清正は満州まで進撃した時、
小西とちがって大きな戦いはしてないよ。
清正オタは過剰評価するよな。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 06:44
清正さんは戦争屋としては過剰評価な気がするが内政家としては過小評価されてますなぁ。
コニタンよりうえじゃないですかね?
392 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 06:54
>>391 確かにそう思う。
しかし、外政は・・・
朝鮮役で大唐に十ヶ国拝領すると張り切ったり。
朝鮮国内でもいろいろ外交の問題を起こしたからね。
秀吉の強硬主義の代弁者だったんだろうけど、清正自身もその気だったろうと思われる。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 07:02
もう一つ言うと清正は豊臣家の家康対策について「持従論」だったんだ。
どういうものかと言うと、
家康が生きている間は豊臣家の政権回復は不可能だから、家康の死後に太閣恩顧の大名に働きかけて政権回復を狙う。
というもので、こういう考えを淀君たちに説いてたのが
彼らの認識不足をさそい豊臣滅亡に繋がったんだと思う。
>>390 大きな戦いという意味では、小西の前には明の反撃主力軍が直面。
清正の進出したオランカイはハッキリいって人口閑散の場所。
「大きな戦い」など起きるわけないでしょう。当然ですよ。
しかしいくつかの戦いは展開。
そんなことより豊田ナントカというおっさんの気の触れたような
反清正本が出ていますね。ああいう人が歴史観を混乱させます。
>>389 ボロ負けですか。w
前スレ読んでください。いろいろと書いてあります。
397 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 17:09
>>393 その清正の持従論ってのは
あくまで、清正が家康が死に、自分が生きてれば
豊臣家の政権回復は可能だと目論んでたわけで、
淀君の状況も何もわかってない強硬な考えとは違うんだよ。
実際、清正が生きてて家康が死んでたら、面白かったと思うよ。
加藤清正は政治家?
399 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 17:25
>>398 むしろ、槍働きより政治家としての面が大きいだろう。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 17:30
400
401 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 17:36
>>399 うーん、前田利家も若い頃は自ら槍を取って首をあげたほどの武士だったが、
次に武将、晩年は家康と張り合った政治家になった。
それと清正は似てる。
>>401 現代の会社員でも、20代と50代では職場の役割が違って当然だよ。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 18:06
>>402 まあ、そうだけど、ブルーカラーの人が年齢を経ても
必ずしもホワイトカラーになるとは限らないけどね。
404 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/24 07:30
なるほど
405 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/25 13:08
政治家というより、国際関係で比べれば、清正より小西の方が上じゃないか?
あっちは武将だが、行長は商人出身だし。
馬鹿正直に講和を続けたのもわからないでもない。
結局、明軍に裏切られてピョンヤンとられてるけど。
李瞬臣は元々陸将だったというのは本当ですか?
407 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/26 19:56
日本側の「実際に倒した人数の戦果」で大きいのは、なにがあります?
408 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/27 07:21
409 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/27 12:19
408>>
元々、陸軍の将です。
北の国境で活躍していました。
410 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/27 13:49
そうそう。
で、女真族の首領を射殺したんだけど、上司にうとまれて、
一兵卒に格下げ。カワイそうな李舜臣♪
411 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/28 00:45
朝鮮の世界に誇る国技は”弓”なんだよね。
実際、現代でもオリンピックで韓国は男女ともにアーチェリー競技で
金銀銅独占なんて事をしょっちゅうしてる(3位にアメリカか北朝鮮が入る程度)
鉄砲が朝鮮に伝来した時も、
「鉄砲は音は大きく、天候が悪いと使えず、50mくらい接近しないと当たらない上、連射できない、
しかし、我が国の弓の練達者なら200m離れたところから、敵を倒し、一分の間に5.6発発射可能である。」
というわけで、鉄砲は武器保管庫にお蔵入りになったそうだ。
412 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/28 06:19
東郷提督は李舜臣に心酔して彼の戦術を研究した結果、日本海海戦に勝利したらしい。
平八郎曰く、自分はネルソン提督には比肩するが李提督の足元にも及ばないそうな。
司馬さんが書いていたけど本当だとしたら皮肉な話だね。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/28 14:53
>412
「李舜臣に完敗して補給を絶たれたのと、全朝鮮人を敵にまわしたのが敗因。」
ということにしておけば、西国大名に都合がよかったからではないだろうか?
上の >381で述べられてるが、海上補給は途絶えてなかったのが本当らしいしな。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/28 20:48
李成桂はその頃どうしてたのですか?
415 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/01 01:58
414>>
あの世で織田信長と仲良く観戦。
416 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/01 02:03
>>412 日本海海戦の頃の朝鮮人達が余りにもやる気無かったから元気づけるために
「李舜臣将軍の足元に及ばぬ」
って言ったんだよ。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/01 02:15
>>416
ソースは?
418 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/01 02:22
419 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:42
結局、当時の日本の統治法と、朝鮮の統治法、どっちがすぐれていたんだ?
ずいぶん朝鮮は腐敗していたようだが………
420 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 19:42
421 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/04 02:56
>>420
仕方ないんじゃないか?
422 :
◆NVB29RlM :02/01/04 02:57
あ
423 :
◆n/1XGV06 :
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