光武帝・王莽スレッド

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1無名武将@お腹せっぷく
板違いかもしれませんが、光武帝・王莽について語るスレです。
光武帝、光武二十八将、王莽など、
新〜後漢成立までのことについて色々書き込んでください。
2無名武将@お腹せっぷく:01/10/29 22:51
光武帝の話って十八史略でしか読んだことないよ。
たしか陳舜臣が書いたヤツ。
3無名武将@お腹せっぷく:01/10/29 22:52
ここの人はくわしくないんじゃない?
4無名武将@お腹せっぷく:01/10/29 22:56
王莽のありゃ、無血革命って言ってもいいんじゃねーの?
5:01/10/30 07:26
>>4
皇帝になるまでは見事な政治・謀略能力だったが、その後は・・・

 やっぱり、この板ではみんな興味持ってくれないのかな・・・?
 俺、二十八将では「大樹将軍」馮異や岑彭が好きなんだけど。

 望み薄いが、レスを期待してage
6:01/10/30 08:38
興味がないとゆーか、これを読めば光武帝がわかるっつー本が
一般向けじゃあまり無いからねぇ。
そりゃ中には後漢書読め!って人もいるだろーけど。
7無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 12:11
後漢書の訳が出始めたから、少しは近寄り易くなるんじゃないか?
一番いいのは、この時代を舞台にした質の良い小説が出ること
だろうけどな。
8無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 22:45
光武二十八宿まんせー
9無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 22:49
登β禹が何故筆頭なのか納得行かない…
10無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 23:05
「矍鑠たる」馬援を推す。彼は三国志に出てくる馬一族の先祖だから、取っつきやすいんじゃない?

>>9
光武帝の竹馬の友だからと思われ。
11無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 23:23
>>5
さすがに呉漢が好きだーって人も少ないだろう。

呉漢って誰?って人の方が絶対多いと思うが(w
12無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 23:27
光武帝って実にユニークな皇帝だと思うのだが。
三国志好きの人なら興味もてるようなエピソード満載の
人生を送ってるし。
13無名武将@お腹せっぷく:01/10/30 23:49
官になるなら執金吾
妻をめとらば陰麗華
14:01/10/30 23:59
あっ、いつの間にカキコがこれだけ・・・!?書き込んでくれた人たち、本当にありがとう!
もう、1日で沈むと思ってたスレなのに・・・(涙

>>6-7
 小説家では田中芳樹が、光武帝を高く評価してたよね?あの人が書けば、かなり興味を持つ人出ると思うけど。
 でも、ケ禹を一押しにしてるのは、>>9同様に納得いかない。瀕死の赤眉相手に百万(公称)の軍勢を全滅させ
 るような、無能な司令官だったからね。
15無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 01:08
どっかのページでは人を見る目があったと書いてあったな<登β禹
16:01/10/31 02:31
>>15
 『後漢書』で伝が立てられるほどの人は登用してないけど、劉秀政権を強化できる
だけの人材はたくさん起用したみたいだね。ケ禹は大司徒(宰相)の本来の職務に専
念していれば、もっと高く評価できたんだが・・・。
17無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 09:10
赤眉・緑林・その他の群雄、もえ
18無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 11:46
前漢に比べると弱体政権だったね>後漢。
19無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 16:31
スレ違いだがコーエー三国志とかで袁術が建てる国が
「成」なのって公孫述とゴッチャになってるんじゃないだろうか?
20無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 18:15
袁術の皇帝僭称のきっかけになったのは預言書の『代漢者当塗高』の字句から。
塗は道の意味で、袁術の字の公路や、袁家の始祖の名に塗の字が入ってたり、
その辺り色々から勘違いしたらしい。
この『代漢者当塗高』は光武帝が公孫述に送った手紙にも書かれていて、
(そこでは思いっきり当塗高って名前の人になってるけど)そういう関係がある。
21無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 19:52
>>19-20
 ここに書き込んでいる人も含め、何を今更な話だろうけど、
 「井の中の蛙」とは、馬援が公孫述を評して言った言葉に始まる。

>>17
 赤眉・緑林の首領たちは、いずれも本当に明暗がクッキリとした生き方をしているね。
 それにしても王匡は、「緑林」という後世にも代名詞として残る反乱軍の総元締だったのに、
 その末路は自業自得とは言え悲惨だった・・・。

 それにしても、この時期の故事が、成語として現在に未だに語り継がれているものは意外と
多い。
22無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 21:49
>>18
建国時に思い切った政策をとってないからでしょう。
登β禹、呉漢、賈復、耿合/廾、寇恂、岑彭、馮異、朱祐
このメンバーで人気投票したら誰が一位になるだろう?
24無名武将@お腹せっぷく:01/10/31 22:30
>>23
大樹将軍に一票。
25:01/11/01 00:39
>>23
 岑彭と悩みどころだけど・・・馮異に1票!

 ここで、後漢初期について詳しくない人のために馮異について説明。

 馮異は劉秀(光武帝)配下の将軍の1人で、最初は新朝(王莽の王朝)の官吏だったが、
劉秀の兄劉演に捕らえられてからは、反新軍に加わった。その後は、劉秀の腹心となり、
反新軍の内紛の果てに劉演が殺された際も、精神的に追い詰められていた劉秀を善く支える。
その後も中国統一を目指す劉秀と苦楽を共にし、名将としての誉れが高かった。

 「大樹将軍」の異名の由来は、次のようなエピソードによる。
 ある時、劉秀配下の将軍たちの論考行賞が行われ、各将軍たちは自分たちの戦功を自慢し
あった。しかし、馮異はそれに関わろうともせず、大樹の下に静かにたたずみ、どんな大功
を立てても全く誇ろうとしなかった。そんな様を見て同僚たちは恥じ入り、また、兵卒たち
も、軍の再編制の際には誰もが「大樹将軍の下へ!」と願い出たという。

 しかし馮異は、劉秀による統一業の完成を見ることなく、戦いの前線で病没している。
26無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 02:49
呉漢もいいところあるんだけどな
27無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 03:04
陳瞬臣氏の本,前に読んだんだけど、忘れちゃった。
28無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 19:24
>>11>>26
 確かに呉漢は名将の部類だと思う。単なる突進バカでは無いし、大軍を指揮する
能力も優秀。
 でも、賞賛はやっぱりできないな・・・。田中芳樹の受け売りみたいになってし
まうけど、戦闘の際の虐殺や略奪が酷過ぎて、味方を敵に回してしまうこともあった。
公孫述を滅ぼした際にも、その一族や降伏してきた者まで皆殺しにしている。
岑彭や来歙の仇討ちという意味合いはあったのだろうけど・・・。
29無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 21:22
>>28
いや、呉漢はひょっとすると光武帝が悪名をかぶらないように
罪を一手にかぶったか、もしくは光武帝の密命で
虐殺行為を行った可能性もありそうだな、と思って。
頭良かったし忠義ものだし。
30無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 23:35
王莽の話はほとんどでてこないな(w
31無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 23:40
>>30
ネタにされやすそうなキャラなんだけどね
32無名武将@お腹せっぷく:01/11/01 23:53
>>30-31
 もし、あのまま新朝が安定政権になっていたら、王莽は中国史上最高の
聖天子(wになっていただろうね。
 今の中国でも、王莽は民衆の支持を受けて皇帝となった、古代民主主義
の体現者だ、などとマジで主張してる歴史学者がいる。さすがに最近の主流は、
腐敗しきった欲望まみれの統治者として見ているが・・・。
33無名武将@お腹せっぷく:01/11/02 01:51
まあ短命政権がおとしめられるのは世の常だから。
王莽にはなんとなく安禄山と同じような雰囲気があるように思う。
34無名武将@お腹せっぷく:01/11/02 02:04
王匡 VS 王匡 って三国志的には萎える
35無名武将@お腹せっぷく:01/11/02 02:47
>>34
情けない話だけど、現実にあったんだよな。
 これも、王莽が二文字名を禁じた効果か?
36名無し武将:01/11/03 02:01
あんまり出てこない人だけど、陰麗華の叔父さん真定王劉揚に一票。
漢室再興の旗印からするなら、襄陽あたりの田舎侯爵の次男坊である
劉秀(光武帝)なんかより、れっきとした諸侯王であるこの人の方が
ずっと漢室の正系に近いんだよね。
劉秀が河北の王郎政権を倒せたのも、この人の助力あってのことだし。

でも、最後で劉秀に謀殺されるあたりは、やっぱり殿様だったのかな。
小大名の子として苦労してきた劉秀に比べて、ハングリーさに欠けてたのかも。
37無名武将@お腹せっぷく:01/11/03 10:15
「烏合の衆」もこの時代に出来た言葉だったんだな。
38無名武将@お腹せっぷく:01/11/03 15:06
>>36
郭聖通?
39無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 00:12
>>38
だと思う。
40無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 00:15
>>36
もっとも皇統に近いのは劉子輿(王郎)だよ。
41無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 01:40
でも王郎は、詐欺師としても上手くやったな。
一時は河北を支配してあれだけの勢威を誇ったのだからね。
ただ、何度も劉秀を危地に追い詰めながら、最後に止めを刺せなかったのが
痛かった。
42無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 01:41
>>41
本当だった可能性ってナイ?
43無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 01:52
>>42
 0%じゃない、って程度。
44無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 23:23
劉秀は、劉邦や朱元璋に比べると功臣の虐殺はほとんどやってない。
また、あれだけ激闘を繰り広げた赤眉の武将についても、
後に叛乱した者を除き全て許している。
あんな殺伐とした情勢の中で、寛大な姿勢を取り続けたのは、
やはり評価できることだと思う。

もっともそれ故に、後漢では功臣たちが勢力を保ち、
>>18が言うような弱体政権になってしまったが。
45無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 23:56
劉邦、朱元璋と比べるのは光武帝がかわいそう(w
両極端じゃん。
4644:01/11/05 00:09
両極端じゃないと言うと・・・。
唐の太宗(李世民)かな?でもあれも、功臣はほとんど生かしてるよな?
あとは、清の康熙帝?
47無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:17
>>46
隋の文帝とか南宋の高宗とかは
ほどほどじゃない?
高宗は岳飛を殺したのが痛いね・・・。
数は大して殺してないけど、その点で「中興の祖」の名が傷ついたのは
否めない。
最も、悪名は秦繪が全てかぶったと言えるかな?
49無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:33
東漢光武帝>宋太祖>清康熙帝>唐太宗>元世祖>隋文帝>南宋高宗>秦始皇帝>西漢高祖>明太宗
残酷度イメージ的にはこんなもんかな。
晋武帝はちょっとわからなかった。
5049:01/11/05 22:34
明太宗→明太祖に訂正。
51無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 23:37
確かに光武帝とか宋太祖の場合、冷酷非道な業績を見つける方が難しいな・・・。
それこそ粗探しになってしまいそうだ。
5249:01/11/06 21:35
そういえば、残酷度高い側に周武則天をいれるの忘れてた。
53無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 23:27
赤心を推して人の腹中に置く、という言葉の解説を
どなたかお願いします。
54無名武将@お腹せっぷく:01/11/14 13:34
光武帝がんばれあげ
ををっ!凄い。光武帝スレとは!!書き込みのレベルも高いですし。
さすが2ch、本格的な歴史ファンも多いんですね。

>49
晋武帝は元皇帝たちをそれなりに遇してますし、残酷度高い側では
ない気がします。手を汚したのは先代ですし。

>51
確かにあの二人は寛容な創業君主という点では別格って感じですよ
ね。唐太宗は玄武門がなければ随分イメージ違ったと思うんですが・・・。
好色度イメージでいったら
晋武帝>>>>>>>>>>>>>>漢高祖>隋文帝(覚醒後)>その他>>>>隋文帝(覚醒前)
かと思われ。
57無名武将@お腹せっぷく:01/11/23 19:56
光武帝がんばれあげ
5855:01/11/24 17:56
>44
後漢が弱体化したのは幼帝が続いた為だと思います。実際、三代目までは
うまくいっているわけですし。光武帝の政権構想は皇帝が要になっています
から、トップが駄目だと辛いですね。せめて献帝クラスの人材がもう少し
早く出ていたら・・・。その意味ではまともな皇帝がろくにいなくても長く
持った明の体制は凄い、と(確か世界史板で)読んだ覚えがあります。

>56
爆笑 >隋文帝(覚醒後)(覚醒前)
59無名武将@お腹せっぷく:01/12/01 08:21
覚醒age
60無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:01
さすがに廃れてきたので、
最近行って大変参考になったページを無断で紹介。
光武帝のことをよく知らない人はここを見れ。
ttp://www2.justnet.ne.jp/~kays/s-china.htm
61無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:05
↑連名の王莽マンセーなサイトも紹介してくれ
62無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:32
し、渋いスレだ・・・。
63無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:41
後漢書の訳、、、、出てるんですか????
史記、漢書、後漢書、三国志これで四暗子
晋書以降も大希望!!!!!!!!!!!!!!!!!
64無名武将@お腹せっぷく:01/12/11 01:13
王莽について書かれた小説…というか伝記っぽいものがあるが・・・
65無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 17:49
age
66無名武将@お腹せっぷく:01/12/24 17:29
サルベージage
王莽(〜)(在位〜)
姓は王。名は莽。
いつわって「善人」のふりをして人々の支持をあつめ、
皇帝に即位。
しかし杜撰で馬鹿げた「理想主義」政治により一代で滅びた。

皇帝の共産主義「井田法」強行

周辺国の王を候に格下げ。
高句麗王→下句麗候など。
与えていた印章も格下げ。
匈奴単于璽→新匈奴単于章など。
などなど好き勝手に改名したり周辺各国の称号を格下げして喜んでいた。
当然、周辺国は離反。
皇帝の「思いつき」のせいで外交はメチャメチャ。

更始帝の軍勢が迫るなか、無名の盗賊に殺される
興味は無いが、保守
69無名武将@お腹せっぷく:02/02/16 01:17
まさか、このスレが生き残ってたなんて・・・。
>68に感謝

>67
そんなDQN皇帝に忠義を尽くした荘尤(厳尤)に萌え〜。
まともな王朝に仕えてたらなぁ・・・。
70イカ納豆:02/02/24 16:40
心の代理人です
71無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 16:42
凄い勢いのないスレだね
72中華@名無史さん :02/02/25 02:13
初めまして、普段は世界史板で活動している者です。
なんか凄く漏れが萌えるスレがこっちに有ったのでビクーリ!!(w
ところで、以前世界史板の中国系スレで話題に成った事で、禅譲された前皇帝を
殺さなかった人は少ない。と言う話題が出たんですが、
考えてみたら”王莽”って中国史上でも稀な、前皇帝を殺していない人物ですよね?
あの名朝誉れ高い唐朝ですら殺して居るのに、”王莽”は殺していない。
彼は確かに政治力としてはハチャメチャなイメージは有りますが、人間としては
余り”悪人”と言うか”悪意”を感じ無い人物なのですがどうでしょう?
三国志の魏は前皇帝殺さなかったけど、
殺すほうが多いの?
古い時代ほど殺さなかったような気がする。。
岑彭ってすごいって聞いたんだけど
どんなひとだったの?
75中華@名無史さん:02/02/26 23:43
>>73
殺さない方が数える程です。
自分が把握している限りでは、魏の”曹不” 北宋の”趙匡允”だけです。
それと、その時のとあるスレの遣り取りでは、五胡十六国時代にも一例有るそうです。

スレ違いですが、折角ですのでage置きます。
76無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 23:54
大樹将軍って、やっぱ日本人的に一番受けるね。
五胡十六国時代の一例って符堅かな。。。
符堅カコイイ…
78中華@名無史さん:02/03/09 03:33
保全age
79無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 03:50
伏波将軍 馬援 LOVE
80無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 04:55
李衛公問対には光武帝のほうが高祖より勝れているとありましたな
81無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 20:36
光武帝に匹敵する皇帝って誰?
82中華@名無史さん:02/03/10 03:48
>>81
漏れの中では最強!
でも敢えて挙げるなら李世民くらいじゃないかなぁ?

天下統一後の粛清が無ければ、漏れは迷わず明の朱璋を推します。
それと、天下統一(赤壁で勝利)してたら、曹操も対抗馬としてエントリーさせられると
思います。(と敢えて三戦板らしく絡める)
83中華@名無史さん:02/03/10 06:24
スマソ!↑打ち間違え(汗

明の朱璋  → ×
明の朱元璋 → ○
王莽は、塚本史が小説にしてますね。この人、題材はすごくツボを突いてくれるんだけど
筆力が……最近の衰えた田中芳樹よりはまだマシだけど。
85無名武将@お腹せっぷく:02/03/18 19:58
三国志の登場人物で、後漢の功臣の子孫は(劉氏は除く)、

馬援→馬騰・馬超
ケ禹→ケ芝

が有名だけど、あと誰かいたかな?

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       /   つ.  保  全 │
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89無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 01:35

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まあ劉秀の学友は使える奴が多くて羨ましい
俺の学友なんて、金は無いわ勉強はしないわで大変だよ
でも案外そういう感じだったのかもな、劉秀
俺もダチの為に駆けつけてみたい
91無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 03:30
黄帝は隕石で死亡したの新説。中国陜西省の黄帝陵近くで巨大隕石発見。史書に「地裂け、黄崩ず」の記載あり話題に。
だって。
http://www.sankei.co.jp/paper/today/sokuhou.html

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93無名武将@お腹せっぷく:02/05/07 16:56
平帝って本当に王莽が殺したの?本紀にはないけど、反乱軍の檄文にはでてくるね。でも、それいったら曹丕も献帝を殺してるってことになるんじゃ…

意外と、孺子嬰殺したのって更始帝近辺だったような
94無名武将@お腹せっぷく:02/05/14 20:02
>>93
史書を読む限りでは、平帝は王莽、孺子嬰は更始帝が殺してるだろ?
後漢の史書の場合、更始帝はともかく王莽については必要以上に悪し様に書いた可能性もあるので、
平帝の死が暗殺じゃないことも考えられる。
とはいえ、平帝の存在が、皇帝の即位を狙う王莽にとって邪魔だったことは明らかだが。

ついでに、献帝は234年まで生きていたので、曹丕が殺した云々の問題にはならないが?
9593す:02/05/16 16:16
》94
いや、要は大義名分としての問題。
蜀は、魏が献帝を簒弑したと言う点を大義名分として北伐してるやん?
同じように、王莽が平帝を殺したゆう問題も、反乱軍により掲げられた大義名分にしか現れない。
つまり、反対勢力からの意見をそのまま採用して、王莽が平帝を殺したとするなら、魏が献帝を殺したという論理もなりたつんじゃないかな。

ちなみに、岡田英弘は班古は王莽礼賛のために漢書を書いたとか書かないとか…わらっちゃうけどね
9694:02/05/16 23:18
>>95
あ、なるほどそういう意味か。
書き込んでから考えてみたが、平帝については王莽が弑逆したという記述が『漢書』には
無かったよな。ただ亡くなった、とだけだったし・・・。
その場合、王莽が皇帝即位に走ったことについては、わずかながら正当性は出てくるな
(中央政権崩壊を防ごうとした、という意味で)。

岡田英弘が、漢書についてそんな記述をしていたなんて知らなかった。
班古が仮に王莽礼賛をしたとしたらその背景を知りたいけど・・・でも、岡田はああいう人だからな(w

>>94での無礼な文面はお詫びします。失礼。
9793安堵95す:02/05/19 12:45
》いやいや、そんなこと言わないでくださいよ。この版はよそと較べておとなしい方ですし。こういう話は楽しかったりしますので。

どうも、班古は儒学者として、「儒教国教化の英雄」である王莽を神格化したらしい。また、実は班氏って王莽と結構関係深いんですよね。
反王莽である後漢王朝であるので制限はあるんですが、その中で王莽の正当性を表現しようとした、とかしないとか。
その理由として、漢の高祖に較べて王氏の系譜はかなり詳細に(でっちあげだとしても、それが正統性の根拠の一つとなるのは周知の通り)記されていること、また、漢書の末に外戚、元后、王莽と王莽出現の下地に力をそいでること。
あとは、五行志を除くと、最大の分量がさかれていることかな。

まだ売ってるかわかりませんが、ちくまの『世界史の誕生』いう本にありましたので、見て下さいまし。
9893安堵95安堵97す:02/05/19 12:48
》97
スンマソ、96さんへのレスです。
99無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 12:10
興味はあれど、よく知らない・・・とりあえず保守。
100 ◆Am7DdtsA :02/05/23 13:54
100ゲット
101無名武将@お腹せっぷく:02/06/01 00:46
更始帝の部下の中では、朱鮪がイイ。
光武帝の兄の劉伯升を謀殺した策士で、多分、更始帝の部下の中では一番の忠臣。
更始帝から疎んじられ、光武帝の大軍に包囲されながらも、洛陽を防衛して善戦した。

その後、かつて朱鮪が助命した岑彭から説得を受け、洛陽を開城。
光武帝は兄の仇である朱鮪を赦し、
それどころか後に少府の位に任じるなどの厚遇を与えた。
102無名武将@お腹せっぷく:02/06/02 13:00
粛清をしないよう努めた光武帝は名君に値するのでは?
高祖・劉邦の場合は、呂后に問題があったという事情もあったけど。
それでも光武帝の皇后は、郭・陰の双方とも出しゃばらなかった点で
選んだ身内の良さも光った気がする。
103無名武将@お腹せっぷく:02/06/02 13:34
レス数少ないが、隠れた名スレ。
>>86-89 >>92 ワラタ。
洩れも、王莽と劉秀は、陳舜臣の「小説十八史略」と田中芳樹の「中国武将列伝」
ぐらいでしか知りません。
王莽が「二字の禁」を実行してなかったら、三国時代の武将の名前は、二文字武将がたくさんいたはず(現代の中国みたいに)
曹操も孫権も劉備も諸葛亮も関羽も張飛も、みんな二文字の名前になってたかもしれない。
そう考えると、王莽って三国志に大きく影響してる気がする。
104無名武将@お腹せっぷく:02/06/03 00:56
>>102
陰麗華もそうだけど、
その一族もとても謙虚で、外戚としての専横はほとんど無かったというからね。

>>104
もっとも、そのおかげで馬忠やら王双やら、
同姓同名がゴロゴロすることになってしまったが(w

ちなみに既出だけど、新朝の時代にも、
王匡(更始帝配下)対王匡(王莽一族)が洛陽で戦ったことがあった。
105無名武将@お腹せっぷく:02/06/03 18:26
明帝も章帝も幼くして皇帝になったわけではなかったので
即位後すぐに親政を行うことが出来たことが外戚の対等を
防いだ気もするのだがどうかな。
郭氏に関しては外戚として権力を握るもなにも皇后と皇太子を
廃されてしまっているので、はなから無力では。

また、光武帝がそれほどの粛正をする必要性に迫られなかったのも
前漢時代からの積み重ねられた経験から諸侯王・列侯の封邑を
押さえつけることが出来たからじゃないかな。
106無名武将@お腹せっぷく:02/06/03 19:46
昔と言えないほど過去に外戚専権から興った新王朝と言う例もあったし、
皇帝も外戚もそこに神経を使ったのでは?
権力を与えすぎず、また出しゃばらず。
ただ、百年経過するかどうかのあたりで外戚の問題が再燃したけど。
(章帝晩年、竇皇后の一族)

四代目の和帝(章帝の子)からだと、17歳の劉弁(廃帝・弘農王)が
即位時の最高齢となるほど幼帝が続いて、昔を忘れて目先に走る外戚が
続出したのが…
そっか、逆だ。
昔を忘れて権勢を振るいたい外戚が、幼児を帝位に据えた、と。
生後三ヶ月の赤子(殤帝・劉隆)も皇帝になったぐらいだし。

光武帝あたりから時代がズレすぎ。
スレの趣旨に反したので失礼。
「王莽さまはOh!モーレツ」というどこかで見たネタを思い出した
108無名武将@お腹せっぷく:02/06/07 15:34
>>106
弘農王(劉弁)を持ってきたので、少なくとも板違いではないですね。
勉強になったので、もっと話題振って下さい。

>>107
「爆笑史記列伝」あたりにありそうなネタですね(w
109無名武将@お腹せっぷく:02/06/08 01:09
3万の軍隊で出撃し、関中を制圧して100万の軍隊を擁するまでに。
しかし、赤眉にボロ負けして、終わってみれば周囲には24騎しかいなかった・・・。

そんなケ禹はどう評価したら良いのだろう・・・?
110 :02/06/08 03:44
前漢末期〜新〜後漢初期
に興味があるのですが
どの本をよめばいいのでしょうか?
私は漫画の横山光輝の三国志・項羽と劉豹・史記しかみてないので・・・
>>109
それ以外の面で才能を発揮したので良い人材…と結論付けるのもなぁ。
それで劉秀が滅んでいたらA級戦犯。
結局は長期政権に協力したので功績をクローズアップ、二十八将の一員に。
不当に貶めるわけではありませんが、歴史なんてそんなものかと。

>>110
入門編として陳舜臣の「小説十八史略」。
歴史書でなく読み物ではありますが、分かりやすくまとめてあります。
三巻が、前漢・武帝時代〜後漢・曹操と呂布の抗争あたりで条件に合います。
中級・上級編は他の方に任せます(w
112109:02/06/09 03:25
>>111
赤眉との戦闘中、
名将馮異の進言に全く耳を貸さないアフォぶりを発揮してましたしね>ケ禹
こんな男が軍師で、劉秀はよくもまあ天下統一できたものだ、と逆に感心(w

ただケ禹列伝をよく読んでみると、
関中制圧後のケ禹は、劉秀からの離反や独立を企んでたかも、と思ってしまいます。
劉秀の指揮に全く服してない場面がいくつも出てますし。
113無名武将@お腹せっぷく:02/06/09 03:46
世界史板にも同じようなスレができたぞ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1023555806/l50
114無名武将@お腹せっぷく:02/06/09 04:18
>>75
春秋戦国時代はともかくとして、南北朝時代まではたいがい殺してないよ。
やったのは項羽ぐらいかな。
司馬炎の下で、三国最後の皇帝達も天寿を全うしてるし。
南北朝時代になってから前王朝の血族の皆殺しが始まったんだよ。
だから、後周の皇族を保護した宋太祖の名前が残ってるわけで。
115中華@名無史さん:02/06/09 04:44
おっと、偶然来て見たらだいぶ前の漏れの発言にレスが!
>114
その発言は、このスレタイトルにも有る”王莽”が前漢の皇帝を殺して居ると言う
記録が有る。と言うのが一番の反応したくなった動機だったりします(w
確かに南北朝までは例の数が少ないですけどね?
でも流石にスレタイトルの人物がその例なので反応しました。
116無名武将@お腹せっぷく:02/06/09 15:34
>>115
でも、>>93-96のやりとりにもあるけど、王莽って平帝を殺したのか?
孺子嬰は殺さずに保護してるけど・・・。
117久々の93す:02/06/10 11:55
>>116
取りあえず、参考までに漢書の中にある平帝の死に関する記事をば。

平帝紀「(元始五年)冬十二月丙午、帝崩于未央宮」
(師古曰「漢注云帝春秋益壮、以母衛大后故怨不悦。
 莽自知益疏、簒殺之謀由是生、因到臘日上椒酒、置薬酒中。
 故テキ義移書云『莽鴆弑孝平皇帝』)

テキ方進伝「移檄郡國、言莽鴆弑孝平皇帝、矯摂尊号、今天子已立、共行天罰」

王莽伝「平帝疾、莽作策、請命於泰畤、載璧秉圭、願以身代。
    蔵策金縢、置于前殿、敕諸公勿敢言。十二月平帝崩」

私の知る限りではこれくらいですが、どうでしょうか?
平帝が暗殺されたことを示す史料は、顔師古の注と、反乱軍の檄文に。
一方、本紀と、王莽の伝記にはその事にはふれていない。
本紀では、さすがに殺されたなんてスキャンダラスなことは書けないかもしれないけど、
「悪人」王莽の伝記で「疾」と書いて、「莽弑帝」なんて書いてないところは意味深す。
ちなみに、後漢の悪人梁冀の伝記では、
「冀聞、深悪之、遂令左右進鴆加煮餅、帝即日崩」
とあります。ちなみに、ここでは本紀にも明らかに殺されたと…

久々に漢文繰って、疲れました
118無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 22:18
今更ですが。
後漢明帝・劉荘の名(諱でしたっけ?)を避けて、荘尤→厳尤になっているんですね。
この時代で他にそのような例ってあります?
119無名武将@お腹せっぷく:02/06/22 11:24
そう言えば、田中芳樹がケ禹マンセーだったな。
24歳で大司徒(宰相)になった云々と言って。

どんなに凄いヤツかと思って『後漢書』(中華書局)を読んでみたら・・・
>>109のような内容だったので、(゚Д゚)ハァ?
板違い
>>120
この板の住人の中には、落ちかけていたのをわざわざ保守して下さった方もいますよ?
それに今頃になって、そんなことを言うなんて酷すぎます。
>>121
取り敢えずほっときましょう。
123無名武将@お腹せっぷく:02/07/03 03:29
>>118
遅レスだけど、『後漢書』では他に有力な人物では無かったと思うよ。
『三国志』だと、呉懿→呉壱に変えられてるのは有名な話だけど。
124無名武将@お腹せっぷく:02/07/03 12:06
>>118 123
ちょっと例は違うけど、王莽の腹心だった劉キン(音欠)そうかと思われるよ。
彼は、後に劉秀に改名してるんだよね。予言云々で。
ちなみに、おやじの劉向は劉更正を改名した後。
おやじは改名後の名でとおってるのに、息子は改名前…てやはり光武帝と重なるからだよね。
125無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 22:16
age
うんこライター
うんこ電撃姫ライター
128無名武将@お腹せっぷく:02/07/15 11:50
>>126 127
仲謀嵐は逝ってよし 
>>124
小説十八史略で「国師公・劉秀」と言う人物がいたけれど、
劉[音欠]と同一人物なのでしょうか?
王莽側の人物だったらしいし。
130無名武将@お腹せっぷく:02/07/20 21:34
忠臣荘尤(厳尤)が最後に王莽の下を出奔したのって、
やっぱりDQN君主を最後に見限った、ということなのか・・・。
131無名武将@お腹せっぷく:02/07/20 21:36
王莽の高句麗を下句麗とか言ってたのは笑える
132無名武将@お腹せっぷく:02/07/20 21:37
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133無名武将@お腹せっぷく:02/07/20 21:40
公孫述は案外蜀漢の先駆かも
134無名武将@お腹せっぷく:02/07/20 21:42
>>132
このクズAAはなんなんだ?
>>134
気にしても仕方ないのでスルー

>>133
項羽と劉邦の時代から、蜀は袋小路のように閉ざされた世界と言う認識でしたっけ。
古来より割拠するには格好の地なのかも。
136無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 00:59
>>131
王莽って、2ちゃんねらーの素質あったんだな(w
137無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 01:14
王莽って偽善者の極地だろ
138無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 15:33
>>132
ホントにクズだ!!
139無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 01:10
公孫述攻略には、さすがの光武帝軍も苦労してたからな。
岑彭や来歙が前線で暗殺されてしまうほどだったし。
前漢=魏
後漢=呉
 新=晋
        ∧∧  ミ _ ドスッ
        (   ,,)┌─┴┴─┐
       /   つ.  保  守 │
     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3
               ゛゛'゛'゛
142無名武将@お腹せっぷく:02/08/03 23:29
公孫述閣下は蜀漢の先駆者だろうか?
143無名武将@お腹せっぷく:02/08/05 10:05
>>129

遅レスやけど、そうだよ
144無名武将@お腹せっぷく:02/08/06 22:15
       ∧∧  ミ _ ドスッ
        (   ,,)┌─┴┴─┐
       /   つ.  保  守 │
     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3
               ゛゛'゛'゛
145無名武将@お腹せっぷく:02/08/12 00:07
光武帝は、強力なライバルさえいれば、後世でも有名になったんだろうけどな。
王郎、更始帝、劉盆子、樊崇、劉永、張歩、李憲、延岑、隗囂、公孫述と群雄はいるけど、
どれも何か今1つな敵役ばかりだし・・・。
146無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 17:48
保守
147無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 21:22
王莽様はOh〜モーレツ〜♪
148無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 21:23
新帝国マンセ一
149無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 00:38
最近興味持ったんで陳舜臣の「小説十八史略」買って読んだら
光武帝関連、速攻で終わった・・・。
>>149
「目立つヤツは馬援だけ」、って感じの記述だったよな。
陳先生・・・(涙
151無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 12:47
緑林赤眉の乱
>>147
たしかコンプティークの黒田の連載でみたんじゃなかったかなぁ?
>>152
ご名答!
あの1コマ漫画、好きだったんです。

孔明の台詞とかね。
「ゲーム上は無視してよい存在です。もっとも現実においてもですが」
とかね〜
154無名武将@お腹せっぷく:02/08/25 07:19
イタチガイ
>>154
気の利いたことをいってるつもり?
156 :02/08/29 22:22
この時代について詳しく知りたいのですが、良い資料や本を紹介してください。
157無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 20:16
王莽さんは電波ってやつですか?
馬援(伏ハ将軍)でしたっけ、南蛮攻めで
孔明が泣いて縋ったという祠に祀られてたの
159149:02/09/05 22:22
>>150
資料が少ないのかなあ、やっぱり・・・。
160無名武将@お腹せっぷく:02/09/10 12:30
age
161無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 15:44
保守
162法主
下のスレッドを新しくたてなおしたので、よかったら登録にご協力ください。
光武帝はでてきたけど、王莽すらまだなんですよー

■中国の歴史人物をゲームに登場させよう!その弐■

http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1029761628/