知行5万石てのは、能力からいって低過ぎないか?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:39
そんな手柄立ててないだろ、三成より後に出仕したし
3 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:58
>>1 俺が晩年の秀吉なら、増田長盛の25万石と入れ替える。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 19:03
5 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 19:04
関が原の時、吉継が50万石程度領有していたら、
西軍は勝利を治めていたと思われ・・・・
6 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 19:06
7 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 20:08
>>3
入れ替えるのなら秀秋の方が妥当だと思われ。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 21:04
5万石しかなかったっけ?>敦賀
まあ隠居だし、木下頼継のぶんもいれればそれなりに…ならないか(w
9 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 23:02
>>5 「スマン、三成。俺は故太閤殿下から頂いた50万石を失うわけにはいかんのだ。
よってお主の無謀な挙兵に賛同するわけにはいかぬ」
10 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 23:53
よしつぐヨ、手柄を述べよ!
11 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 00:39
>>9 ならば俺も東軍に加わろう。共に毛利輝元を討とうぞ!
尼子攻めに参戦。攻囲中、秀長、浅野長政、蜂須賀正勝、
竹中半兵衛らが列した月見の茶会に、馬周りの吉継も同席を許される。
明智攻めには、虎や市松らと共に本陣詰め。
賤ヶ岳合戦では、7本槍同様の働きを見せる。
(一柳家記に御先手之十四人と数えられる)
島津攻めでは兵站奉行として三成と共に働く。
天皇の聚楽第行幸では、三成、長盛らと先駆けとして付き従う。
家康への使者として往来を重ね、北条攻めの折の、家康との
交渉にも当り、見事了承を取り付けることに成功。
石垣山の築城では工事奉行。館林城、忍城攻めに従軍。
出羽・仙北地区の検地では上杉家の軍監として働く。
一揆制圧など、槍働きも多数あり。
この時、景勝との交流を深める。
朝鮮の陣では軍奉行として働く。
明の10万の大軍の迎撃戦では、宇喜多の本隊12000と共に
兵1600を率いて戦う。なお、この時の三成は兵1300、
長盛は兵1000を率いていた。
この後、病が進行した吉継は、日本に帰り、
公の席にはあまり出なくなる。
朝鮮陣中の逸話として、前線の矢玉が飛び交う中、
周りの者が危険だからと場所の移動をすすめたが、
そのまま其処に立ち続け、「運の矢は一本だけよ」
と、平然としていた。(名将言行録)
慶長2年、秀吉、家康らが見舞いを兼ねて吉継邸を来訪。
この折の豪勢な進物には、6万石の身上としては、
過分であったことが記録されている。(鹿苑日記)
敦賀は、蜂屋時代57000石とされるが、検地により、2割7分
ほど増加したと言われる。また、預りの倉入地等の石高は不明。
敦賀の港としての収入などもあり、そこそこの実力の大名であったと
推定されるが、記録少なく詳細は不明。
宇喜多家分裂の時の調停役でもあり、
その影響力は病身といえ、無視できるものではなかったことが覗える。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 04:00
豊臣政権は、知行石高以外の見入りも多そうだしねぇ。
GNPというか、総税収、とでもいうか。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 13:41
吉継の娘が幸村の嫁って事実?
16 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 14:18
忠勝の娘が信幸の嫁って事実?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 14:26
元春の嫁がめっちゃブサイクって事実?
18 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/20 06:55
19 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/20 08:27
憎っくきは小早川秀秋・・・三年のうちに、必ずや祟りを起こそうぞぉ・・・・
でぃやああああぁぁぁぁ・・・・
20 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/20 09:43
KINGO♪KINGO♪
風になれKINGO!!
KINGO、KINGO雲にのれぇ〜!!!!
21 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/20 17:21
22 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/20 17:59
彼が病身だったという話は確かなの? 一級史料からの典拠求む。
好きな武将なのでageときます。
スマソ、下げちゃった
27 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 16:26
若いころ平馬と名乗ってたらしいが、吉継に改名したのはいつころ
でしょうか?
まろは知らぬぞえ。
>>27 三成殿、幼名で呼ぶなら「紀之介」にしてはくれまいか。
「へーちゃん」は萎える。
拙者も「へーちゃん」と呼ばれるとガクッと来る(泣)
31 :
名無しさん@おなかせっぷく:01/10/07 21:28
ぺっちゃん♪ぺっちゃん♪
つぶれてまえぺっちゃん!!
ぺっちゃん、ぺっちゃん吉継のむすめぇー!!!!
32 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 23:41
「へーちゃん」じゃ石坂浩二みたいだな。
33 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 03:43
ファンタジー大谷吉継しか知らないけど
カッコよい武将だとオモウヨ!
34 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/11 00:01
>>33 ファンタジー大谷吉継ってなに?
もしかして決戦??
(やったことないけどカナーリ美形キャラときいた)
35 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/11 20:12
>>34 声の出演:故塩沢兼人氏。
島津義弘(ほとんど西郷さん)に、
「三成とはそういう男です。どうか許してやってください」
個人的にはつっこみたいけど、でもカッコいい。
36 :
無名武将@お腹せっぷく :01/10/11 22:24
>>33,34
ちなみに、美形キャラというより「男装の女剣士」みたいなヴィジュアルで
"気に入った"という人と“引いた”という人に分かれた。
歴史資料を読むと「吉継は病気になる前は美男だった」或いは
「小姓の頃は美童だった」というような記述がけっこう出てくるけど
実際のところはどうだったんだろう?
(小説でも二枚目キャラ的に描写されている例が比較的多いし。)
…まあ、病気になる前の顔がブサイクよりは綺麗なほうが悲劇性が増すから
「美形説」を採りたくなるのが人情なのかもしれないが。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/12 00:00
画像見た。ありがとう
>>34 なんかイメージ崩れた。。。こんな刑部はイヤかも。
みんなキメポーズなんだろうけど、いじけてる金吾たんがラブリーv
イジメたい。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/12 00:11
五助だけど・・・
我が殿のこと軽々しく語るんじゃない!
>>39 ええやんべつに・・・
みんなおたくの殿のことが好きなんやから。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 22:54
関ヶ原で最後に大谷隊がつっこむ場面での吉継の台詞がたまんない。
「皆の最後の勇姿をわしは見ることができぬ。」
「一人ずつ名を名乗ってゆけ!」
そして一人ずつ名乗りを上げつっこんで行く。
この場面何度見ても泣けちゃうよ。
最後に残った湯浅五助もまた吉継の首を見つからないように埋めてから
突入していったのだった・・・・・
42 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/13 22:59
よしつぐの功は?
なんで五万ももらったの?
44 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/15 13:20
吉隆と吉継。
どちらが正しい?
45 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/15 17:03
>44
どちらも正しい。吉継→吉隆。
関ヶ原合戦時に限れば吉隆だけど。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 16:55
>45
いつ改名したの?典拠を教えて。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/18 12:53
>47
ありがとう。でもこれって確認されていることなの?
「改正後三河風土記」とかって後世の書だよね?
名将言行録では吉隆になってる。
慶長3年の手紙には、吉継の署名あり。
姓氏家系大辞典では吉隆とされている。
桂松(慶松)→紀之介→平馬→吉継→吉隆
といった変遷らしい。吉隆の名は、ガイシュツだが、
関ヶ原の折に付けた名という説が有力。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/18 17:13
>49
>ヶ原の折に付けた名という説が有力。
有力って?
たしか実際には「吉隆」と名乗った証拠はなかったと思ったけど。
当時の信頼のおける文書には無かったはず。
勢すでにここに至る。之を如何ともすることなし。貴殿と死わ同じくせんのみと言て、
是より専ら三成の謀主となり、ここに於て名を吉隆と改む
名将言行録の一文である。
死わ→死を
53 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 13:53
>51
「名将言行録」の信性は?
54 :
無名武将@お腹せっぷく :01/10/19 22:38
前に日本史板で書いたんだけど。
仮に「彼が病気に罹らず、しかも太平の世に生まれていた」としたら
“義に生きた悲劇の名将”ではなく、案外“こすっからくて老獪な官吏”として
平穏に天寿を全うしたのではないかなあ。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 18:30
そうだなあ
三成は周りの空気読めなさそうだけど
吉継は大丈夫そうだ
56 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/23 21:00
空気が読めるのに、それより友情を取ちゃうちょっと困ったチャン。
そこがいいんだけどね。
病気でなかったら、20万石は 有ったでしょう
嫁婿とそれがしで100万石有れば、無敵だぞ
┏━━┓
┃ ┃
┃ ┃
┃ 大 ┃
┃ 一 ┃
┃大大┃
┃吉万┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┃ ┃
┣━━┛
┃
┃
┃
┃
┃
┃君との友情は忘れない。サヨナラ。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/11 02:57
dat行き防止age
61 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/11 03:09
>>60 綺麗なまま死なせてやれ
その方が刑部らしいではないか
>>61 了解。次ヤバイ時はそっと見送るよ。
よく考えたらあんまり書くことないし。
まぁハンセン病なのにがんばったってことでsage
紀ノよ!
おまえの律儀さ嬉しくおもうぞ!
治部は、器量が狭いのでわしは、できればその方に
ひでよりのこと頼み参らせ候ーーでんか。
そ
66 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/24 04:15
これ思いっきり同じ人の立てたスレだな。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 00:07
PC98の武将風雲録で、吉継と三成の2人を加えて茶会を開くと、
吉継が、らい病の膿をお茶に落とす→他の武将、気味悪がってお茶飲まない→
三成、構わず膿ごとお茶飲む→吉継感動、三成に忠誠誓う
ってイベントが起きるけど、これって光栄の創作だよね?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/26 00:09
え、実話じゃないの?
太閤殿下が飲まれたという話もある。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/01 09:57
age渡航。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 19:57
関ケ原にある博物館で聴いた話。
吉継のお墓には1年中線香の煙が絶えない。
それは地元の女性たちが毎日交代でやっているからだ。
しかも400年間絶えることなく・・・
関ケ原にいけば地元の方にいいはなしたくさんきけるよ。
個人的には新撰組大嫌いなんだけれど、彼らのお墓に線香上げたり、
献花したりする少女たちは、あれはあれで立派だと思う。
吉継公に同じ事をする女性がいるとは想像しなかったが、これはいい話だ。
>>67 膿が落ちたって話は知らないけれど、
三成だけが口をつけたってのは有名だよね。イイヒト!(・∀・)
74 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 21:34
私見 大谷吉継
智謀81(結構三成に献策している。)
政治80(慎ましやかさにも、主張あり)
戦闘60(なんせ病人)
采配91(お世辞にしても、大軍を率いらせてみたいと秀吉が言ったくらいだから)
野望32(少ない知行でも忠誠を貫いたから)
如何なもんでしょ。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 03:06
76 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 11:38
ラララ、ラーイラーイ、ライッ!!
77 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 11:47
>>67 おいおい、彼のもっとも有名なエピソードだぞ
78 :
加トちゃん風に:01/12/07 23:56
ヘェックショイッ!!
>>77 残念ながら後世の作り話の可能性大。まあ二人が無二の親友というのはたしか。
ハンセン氏病にかからなかったら、関ヶ原は西軍勝ち。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:44
>67
何かの本には鼻水と書いてあったけど。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 20:47
あいうえお
82 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 22:14
お茶に異物を落としちゃったんじゃなく、病人の吉継を気味悪がって
彼の後に飲もうとしなかったって言うパターンも聞いたことがある。
しかし三成は飲食物のエピソードが多いな。
三杯の茶とか、干し柿とか。
83 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 22:32
>80
私も鼻水だと思います。
司馬遼太郎の「関ヶ原」に書いてあったような気がする。
違ってたらスマソ
84 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/10 20:43
>80です。
今思い出したけど鼻水を落としてそれを見た他の大名が膿だとおもった、って書いて
あった気がします(次席の小西行長は怖気で顔を引きつらせていたと書いてあったが
詳細キボンヌ)。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/11 04:13
吉継が病身のために豊臣政権から一身を退くことがなかったら五奉行の
一人になっていたか、五奉行が六奉行になっていた可能性が高い!
当時の書状の連署を見れば明らか。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 12:08
/⌒\
( 人 )
| |
| | ふぅ〜。お茶だね、ヤパーリ。
( ・∀・)
(つ旦と)
と_)_)
/⌒\
( ゜ 人 )
| |
|。 ゚。|
(。・∀・)
(つ旦と)
と_)_)
/⌒\
(c 人 )
.|゜ ゚。 ゚Ь
d o ゚。|
(c ・∀・)
(つ旦と)
と‥)‥)
87 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 12:08
〆⌒\
(c゜ 人゚З
.|゜ ゚。 ゚Ь
d゚。o 。|
(c ・∀・)
(つ旦ど)
と∴)∴)
 ̄  ̄
〆⌒\
(c゜ 人゚З ナニカイレータネ
.|゜#。゚。゚Ь
d゚。o 。| Λ_Λ
(c ・∀・) (´Д`∴)
(∵つ∴つ (∵つ つ
人∴ Y 人∴Y
じ(∴) ←三成 じ(∴) ←吉継
88 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 17:38
あったら怖いもの
本当に百万の軍勢を指揮してる大谷吉継
89 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 21:21
a
で、この人は結局大友家中だったのそれとも近江出身なの?
豊臣家で最後まで武名を伝えた立花宗茂もそうだけどやはり大友家中出身だった気がする。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 04:59
92 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 01:46
友情・・・かぁ
93 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 01:55
yoine
sukidayo
ootani
94 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 02:09
DAIAKUZI
95 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 02:10
>>90 大友家中に大谷吉継?
少なくとも宗麟の存命中は無名だなー
立花関係は知らんけど。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 04:28
つうか豊後出身説は根強いよ。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/25 10:38
age
てか出羽・仙北一揆んとき、俺大谷殿の指揮下で戦ったんだけど。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 15:46
吉継は近江出身だよ。
豊後出身というのは根拠がない。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 16:06
>>87 warata
話変わるけど、秀吉死後、吉継は
家康に通じてたって話はほんと?
んでもって、三成との友情のために
仕方なく西軍にはいったってたしか「関が原」
はどっかの小説で書いてあったな。
101 :
脇坂 安治:02/01/13 03:31
病人キモイ!!!
俺あいつの指揮下で戦ってたけど、近づいたらうつるんじゃねーかっていつもビビッてたよ。
裏切ったのは正解だったな、うん。
藤堂高刑曰く
刑部少輔が首の在り処、存じておりまするが、このこと、
湯浅五助との今際の約束ゆえ、如何なる処罰を受けようとも申せませぬ。
かっけえな、仁右衛門も。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/17 21:22
大坂城下で人が氏ぬと、
刑部さまが喰い頃した、などと噂されたものよ
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/19 00:49
>>87氏ね。
板内のレスに対してならまだしも
現実問題として取り上げられてるハンセン病をネタにするとは
人道もなにも畜生道にも劣る輩めが。
>>87のレスで笑った奴らもこの世からあぼーんして消えろ。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/19 00:54
まあ2ちゃんだし
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/19 01:00
吉継好き多いんだね。なんか嬉しい。
俺は昔ログインに大谷刑部小輔吉継の名前で投稿してた(ワラ
>>104まあおちつけ。
>>87 のどこにハンセン病というのが書いてある?
こころに余裕のない奴に微妙な問題をかたって
ほしくないね〜
108 :
無名武将@お腹せっぷく ::02/01/19 01:57
結局吉継殿の病気っ手何だっタの?
109 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/19 02:02
>>104あれをハンセン病と思い込んだお前の中にある差別意識が一番問題。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/19 10:42
111 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/19 14:44
>>111そっちは知らないかな。
けど一応ログインでは坂本犬之介(だっけ?)のコーナーで
絵を掲載された事はある。一気に3,4枚くらい。
後は三國志のコーナーで2回くらいと競馬で一気に二枚だったかな・・・。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/21 09:52
>>104おまえあほか。感染したら誰だってやだよ。
感染率が低く治るとはいえ、うつらないにこした事はない。
よって避けたり忌み嫌うのは、人間の生存本能からしても至極当然。
あんたはハンセン病の患者と一緒に暮らす人でもないのに、偽善者ぶるな。
>>113おヌシはギョウブがきらいなのかえ?
「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」「あばたもえくぼ」
日本にはいろいろな諺があるのお
115 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/21 12:49
友情という言葉の意味が薄れて
人々の心がすさんだ時代に
友情をとった吉継を尊敬するね
>>107>>109ハンセン病だと書いてないからとでも言いたいのか。
このスレは大谷吉継スレだろうが。
茶会における三成との逸話を知らん訳じゃなかろうに。
>>113そんな事言ってない。
AA使って間接的に差別行為すんなって事だ。
確かに俺はハンセン患者が身近にいる立場じゃねぇが
そうであろうとなかろうと
>>87的行為による侮辱は忌むべきモンだろうが。
偽善者?俺がこの世で最も嫌いな生物だな。
俺だって感染はしたくねぇよ、当たり前だろ。
そんな事以前の話をしてるんだよ。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/21 12:53
>>115でも言いかたを変えると情に溺れたことになる。
私としては家康に味方すると豊臣家が蔑ろにされると悟っていたと信じたい。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/23 01:12
近江出身もそれはそれで根拠なさそう。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 22:09
「豊後生まれの近江育ちで、九州弁の混ざった関西弁を話す奴」ってことで。
104のアフォっぷりにワラタ
三成に忠誠を誓ったとかレスしてあるが
大谷刑部は、最初東軍側であったが三成への忠誠
と言うよりは、義理と計算で西軍に就いたと見る。
もちろん三成に近い人物なので、西軍武将の裏切り予定者の名は
家康側から聞いていなかったので、数でも戦術でもある程度勝てると
予想して西軍に着いたと見るのが妥当。
石高5万と言っても、当時の日本海側は貿易の要であり
都が近い敦賀は今の横浜や神戸+成田空港のような港だったと
考えるべきである。だから、石高以上の利益は上がっていたであろう。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 10:10
三成に「忠誠」っていう表現はどう考えても変だな・・・
家来じゃないんだから・・・
>>122 禿げ同。
>>121 ついでに五万石と言うのは吉継と嫡男の大学助の領地の石高であって、
同じ越前の中の次男木下頼継の領地二万五千石と合計すると大谷家の石高は七万五千石あったって事になるし、
秀吉にはそれなりに評価されてたのだろうな、やはり。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 00:10
ageとこう
125 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 13:08
福島・加藤オタは逝って良し。脳味噌筋肉の腐れ武将が。
意地くらいあるんだったら大阪の陣、大阪方に付けや。
くだらん死に方しやがって、治部・刑部がよっぽど勇敢に見える。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/12 03:57
小早川め〜
128 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 14:57
>>121 家康と三成を比べて、はるかに家康のほうが戦では上であることがわかってたはず
なのでその説には納得できない。三成は凄腕の官僚であり嫌われ者であるのは
有名。その辺を考えると家康が勝つであろうことは予測できる。それが出来なかったとしたら
吉継も凡将ということになる。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 16:08
刑部は秀吉にも買われてたんだけどな。
朝鮮出兵でも軍政能力は卓越している。
戦術家としても少なくとも無能じゃない。
大体、関ヶ原で家康につかない=凡将とか言ってる時点で痛いけどな。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 17:32
>>121 確か、吉継は豊臣家直轄領5万石の代官も兼ねてた。
また、三成は10万石の代官兼任。
だから吉継、三成ともにいわれてる石高より多くの兵力を動員できた。
ま、2人ともこの戦に賭けてたから相当の無理(借金)をしてたと思うけどね。
>>46 「吉隆」に改名したのは三好義嗣と音が通じて不吉だからと聞いたことがあるよ。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 11:45
>130
でも三好義継なんて大谷吉継が活躍するよりも大分前に死んでるぜ。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 21:01
目が見えないのによく戦えたと思ふ
近くにいた人から状況を聞いていただろうけど、そこから判断していくのはなかなか大変だろうなぁ
134 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/20 01:12
吉継の「吉」は秀吉の「吉」という説と
大谷氏代々の通字説があるよね。
秀吉は「秀」の方をほとんどあげてるけど
確かな資料で「吉」の方をもらってる人いるのかな?
「吉」をもってるの田中吉正ぐらいしか思いつかん。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/20 11:07
>134
木村吉清
136 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/20 11:10
小出吉親
堀尾吉晴
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 18:25
奉行だったんだよね?
検地とかやってたの?
やった。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/13 13:17
惜しい人物ほど節義か堅いから死に方は下らない事が多い。でも彼は歴史に義将として名を残した・・・それでいいんじゃないすか。
erai
142 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/04 20:48
age
143 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 10:06
らい病と梅毒説が出てるがどっちなんだ?
どっちでしょうねぇ。とにかく見れない顔になったのを布で隠してたってのは共通してますが・・・
145 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/12 14:46
影武者徳川家康(まんが)ではキモかったが・・・
146 :
よっちゃんいか:02/04/12 17:30
やってられん。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 00:43
大谷吉継て、もしかしてハンセン病!!
148 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 02:35
大谷吉継は2000人の兵だったっけ?
それで一度は小早川秀秋の1万5000の兵を一度は押し返したそうだから
そうとう強い軍団だったんだな。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 06:46
150 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 07:42
俺は大好きです!
>>147 裏切られる事を考えて、陣立てしてたからね。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 11:02
大谷吉継は東軍に背か腹を見せて松尾山の小早川の方を向いて布陣していたらしいね(w
もう最初から小早川は西軍じゃないって扱いだもんな
153 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 11:02
葵・徳川三代〜佐和山城に引き返して。
「主もアホじゃが、ワシもアホじゃ」
154 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 11:07
TBSの「関が原」
主も盲なら、ワシも盲、おなじ目の見えぬ者同士死のうではないか
155 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 11:11
現在ではこういう共に命を賭けて戦ってくれる友を持っている奴なんていないだろうな
最近、夜うなされるて眠れないんですが。
どうしたら良いでしょうか?
157 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:14
>>156 岡山城で発狂して死ぬのがよろしいかと・・・。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:19
このスレ見て大谷吉継に興味を持ちました。
なにかお勧めの小説などありませんか?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:20
>>158 坂の上の雲がいいよ。
すげーお勧めの小説だよ(^o^)。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:21
生き様が最高!
金吾は最悪!
161 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:21
>>152 小早川は、関が原の合戦の数日前からあそこに陣立てしていたのです。
しっかし良いところを押さえてたな。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:24
裏切るにも、裏切りを裏切るにも、最高の場所なんだよね。
まぁ、実は隠れた戦術の天才なんだけどね。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:31
>>162 信じられないな、肖像画を見る限りとても気弱そうな19歳の青年。
小早川家臣が良かったんじゃないの?
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:38
>>163 ところが、今なお残る岡山城の周りの河川工事は
彼自身が手がけれるんじゃなかったっけ?
黒鵜城に行った時に城の中で読んだ気がするけど。。
詳しいひときぼーん。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:39
167 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/15 10:16
168 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/15 10:38
白内症萌えるぜ!!!
169 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 00:19
葵・徳川三代で細川俊之が演じた吉継、良かったと思う。
他にいいものありますか?
170 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 17:55
>>169 細川俊之の大谷も良かったが、やはりTBSの関ヶ原の高橋幸治が秀逸。もう
20年も前の作品ですが、まだ見ていないなら是非見ることを勧めます。
レンタルビデオ屋を探すと3巻セットであったりする。昨年になってDVDが
出たしね。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 18:06
なんの小説だったか忘れたが、福島正則は石田三成が嫌いだが大谷とは戦いたく
ないため、是非石田と縁を切って徳川方について欲しいという手紙を
大谷に送った、大谷はその手紙に感謝しつつも福島の申し出を断った
という話があったと記憶している。福島や加藤は、石田や長束や増田は
嫌いだが、大谷のことは好感を持っていた感じだろうね。
平塚も戸田も決して石田を好きではなかったが大谷が西軍に付くなら
という感じみたいだから。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 18:28
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 19:01
美談ではあるんだけど、
でも、その判断で死ななくていい多くの家臣を
個人のエゴで殺してるんだよね。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 19:05
小早川秀秋って実は優秀?
朝鮮でも結構戦果上げてたみたいだし、65の話もあるし。
吉継の呪いってよりも、優秀過ぎて家康あたりに消されたんでは・・・
死因はハッキリしてるの?
175 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 19:07
大谷吉継の出身地はどこ?
ゲームによっては京都だったり、九州だったりする
176 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/16 19:08
>>175 資料によって
九州だったり京都だったりしてるからだよ
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/17 14:27
近江出身が現在有力。
>>172 そのスレ見てビデオ借りて見たけど、凄過ぎ!
179 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/20 13:26
豊臣は糞。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/02 22:51
age
「真田太平記」で村井国夫がやったのが
初見だったので、あのイメージが未だに強いです。
武将にしてはジェントルだなあ、というのが子供心に印象的。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/07 22:16
片岡仁佐衛門に演ってほしいんだけど…線が細すぎるかなあ?
183 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/07 22:39
>>173 そういう人物だからこそ家臣も命を捧げようと思ったんじゃないの?
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/18 20:16
age
,,,,.,.,,,,
ピュー ミ ・д・ミ <ほっしゅほっしゅ!
==〔~"""" 〕
=◎――◎
187 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/29 20:08
age
188 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/09 19:33
age
189 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 12:35
>173
今さらだけれど、日本国に「個人のエゴ」って思想が
「組織」の枠外に出来たのはここ数十年の事かと。
それに大谷吉継は家来を生かすのが仕事ではなく、
家来を使って武士として主家に尽くすのが仕事ですし、
飼われている家来たちもそのために扶持をもらっている。
家来たちがそれを望んでいたかどうかは別として
吉継はわがままで部下を死なせたのではないと思うよ。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 15:00
大谷吉継と直江兼継ってイメージかぶらない?俺だけ?
191 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 15:07
直江みたいな調子のいい野郎は吉継公とはかぶる要素なんかない
192 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 15:09
字体からの連想だと思われ
193 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 17:23
全然かぶらん
194 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 17:50
>>153 あれは演出上手すぎ。
音楽、カメラワーク、セット、演技、全てが絶妙だった。
っていうか泣いた!
次の年からの大河ドラマでは違う意味で泣かされたけどね。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/23 21:29
あげちゃう!
>>190 博打に自分の首を賭けるか、主君の首を賭けちゃうかくらいの違いはある。
自分はそういう意味で兼続好き。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 04:23
>>195 直江 義続の話、詳しく聞かせてください!!
どんなエピソードがあるんですか?ワクワク
199 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 04:48
>>170 高橋って、何気に信長役でも評判を喫していたらしいね。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 06:56
まぁ吉継はしがらみもないし病気だから先がない
だから美学に殉じれた面もあるんじゃないかな
201 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 10:58
あまり知られてない話を一つ。
太閤の前で、様々な武将が集まった時の事。
弓矢の披露いが始まったんだけど、その中で家康だけが、的をはずして
しまったそうだ。それを見て笑ったのが大谷吉継。
家康は、「私の弓矢の腕は小牧長久手で太閤殿下に披露したものである。
お主如きに云々されるようなものでない」と怒鳴った。
なんかこの話を聞くと吉継に対する評価が少し変わりますね。
人の失敗を笑ってはいけませんぜ。
>>201 確かに。
人の失敗を笑うのは悪いよな。
これを強引に好意的に深読みすると、
「太閤が笑いそうになったのを察した吉継は、
自らが先に笑うことで、太閤と家康との関係が直接
悪化してしまうのを避けた。
悪役を買って出たのだ。」
と、いうことで。
ま、家康謀略説です。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/15 06:16
謀略か・・・
204 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 01:59
age
205 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:31
刑部はほんとに包帯グルグル巻きだったの?
206 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:35
207 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:39
>>201 大谷吉継は人付き合いはあまり芳しい方じゃなかったそうだよ。
吉継以外に、そういう武将や人物っているかな?
世界的に見ても稀かも。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:41
>>207 直りようが無い病気にかかってる奴に共通する傾向。
>>207 2つ妄想できる。
良:相手のことを察して、でしゃばらない。(「この容姿は見苦しかろう・・・」)
悪:ヒッキー。(「ウツダ・・・」)
普通はそれぞれ適度にもってる気持ちかな。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:45
>>209 いや、そういう事じゃなくて元々偏屈な性格をしていたらしい。
>>211 それって有名?
初めて知ったよ。
そもそも発病前のエピソード自体、激レアだと思う。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:50
>>212 当時、吉継のことを「とげがある人物」と評した武将がいるらしい。
誰かは忘れたが。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 16:54
>>208 ハンセン氏病にかかった有名人ってこと?
>214
そう。
または、似たような境遇の人。
普通、社会ってのは、残念ながら、こういう人たちが
活躍できない(名を残せない)システムになってるよね。
歴史の影にはいっぱいいるとおもうけど、
吉継のように有名なのは稀なのかな、と思って。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 17:40
三成タンと吉継タン
偏屈者同士きっと気が合うところがあったんだろうね
だからこそ吉継タンは少禄でも三成タンのために最期まで奮戦しつづけたんだろうね・・
217 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 17:43
いじめられっ子同士が仲良くなる、良くあるパターンだな
>>216
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 17:48
>>216 美談に水を差すようで申し訳ないが、三成と吉継は衆道を契りを交わしていた、つまりホモ達だったとする説が有力です
つまりはじめて愛してもらって感動してナチュラルストーカーとなったと
>>218 つまり、君は、
「ホモ達だったとする説」
が美談に水を差すような説だといいたいのですね?
それ以前に、>216は、美談ではない。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:20
>>221 当時の人々はそう感じたらしいよ
三成と吉継の衆道説は貝原益軒が発表した説(真偽は不明、そう読めなくもない書簡が残ってるだけ)で
それまで”少ない禄でも友情に殉じ、病を押して徳川と戦った仁将”として庶民の人気者だった吉継だけに
これを憂えた当時の人々が、三成との友情物語として茶会での逸話を創ったとされる
223 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:23
たしか大谷って茶会で鼻汁飲んで誉められた人だよね?
224 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:27
225 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:28
誉めた人だっけ?
226 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:36
>>225 ちがうちがう、大谷刑部吉継が飲んだ後、彼の鼻水が滴り落ちたのを
他の将は嫌がって飲む振りをしただけだったのに対して
三成は気にもとめず飲んだ。
それを見ていた吉継が、三成に深い恩義と友情を感じたというエピソード。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:37
228 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:41
>>225 続き、当時はハンセン氏病は伝染病だと思われていた為
他の将たちが嫌って飲まないのも良く分かるが(とはいえ健常者のでも
鼻水はいやだが…)公の茶会で面目を潰されるのは、当時の価値観から
いって死よりもつらい…しかし三成りは違った!という事。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:45
>>228 でも実際は癩病(ハンセン氏病)ではなく梅毒だったんだってね
230 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 19:48
231 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 02:54
あげさせて
232 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 03:20
>>230 ハンセン氏病だと、身体が崩れたりはしないんじゃないか?
だから梅毒説が有力かな、と思ってるんだが。本当はどうなんだろうねえ。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 03:21
>>232 崩れるだろ、ハンセン氏病は。
だから差別されたりしたんだと思うが。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 03:35
大谷が五奉行に選ばれなかったのはやっぱり病気が理由かな?
235 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/24 03:41
腐臭がする・肌が粘性化する・下半身に異常を来す・いずれも重度の梅毒症状
癩の場合は逆に肌が硬化し奇形も目立つようになる
吉継は明らかに前者
なんだか気色の悪いスレになってきました
よってsage
237 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 01:08
いまだ福井県敦賀市では、大谷形部は英雄なり。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 01:10
>>237 毎年泳ぎに言ってるが、そんな感じ受けないぞ。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 01:12
>>237 大概の武将は地元では好かれていると思われ
240 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 01:17
吉良や義仲も地元では英雄
241 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 01:24
気色ワルついでに、梅毒って鼻がもげるんじゃなかったッヶ?
242 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/28 02:04
243 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/28 02:16
敦賀や武生の知り合いは大谷吉継なんて知らんぞ
つーか敦賀に泳ぎに行く奴の気がしれん
横で事故多発で奇形の魚がよく見つかる原発付きなのにな
244 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/28 02:27
別に敦賀の海で水軍やるわけじゃねーからな。
若狭が畿内からいちばん御手軽な日本海なのよ。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/28 02:39
大阪から敦賀にいくより
和歌山方面へ逝った方が海がきれい
>>242 時代行列や催し物のかけらもないし、敦賀人が話題にしてる
のを聞いた事がない。
>>243 放射線を浴びた物質が海水浴場にまで及んどったらとっくに
海水浴場なんか閉鎖されてる罠。大体、廃水口付近で放射線を浴びてる
らしいぞ。
>>245 それはそう。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/28 03:17
>>大体、廃水口付近で放射線を浴びてるらしいぞ
浴びてるの?ダメじゃんw
248 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/28 03:21
>>208 たしか、加藤清正も軽度のハンセン病だったって
何かにか書いてあったような・・・
249 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 13:44
加藤清正こそ梅毒。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 17:49
??????
斉藤義龍も、らい病だたーの?