2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 17:50:44 ID:4iYJhdIz
2get!
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 19:28:30 ID:B51xKLRS
>>1にある軍事板のスレッド流れは、
非常に面白いね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 11:51:33 ID:pw+zl6JM
冬の陣での篭城策は、上策?
上策
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 21:10:42 ID:HTTDbohJ
>>6 上策っつーか、選択肢がそれしかなかったんでは。
wiki見ると、
豊臣方は10月はじめに戦争準備着手、
家康は11日出陣、23日京都二条城到達。11月半ばから戦闘開始。
集まってくる10万の浪人たちを軍として組織化する暇なんかなかったから、
行軍や攻撃に統制が不可欠の野戦が十分にできなかったんだろう。
きっちり組織化された豊臣氏本来の軍なんて、1〜2万程度だろうし。
城の守りなら、単に自分の持ち場を守らせてればすむからな。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 08:16:36 ID:BKwgaB+h
>>7 低脳?
真田信繁らの宇治川防衛策が最善の策だろうが。
朝廷の抱きこみと遅帯戦闘の二面の利点がある。
篭城は宇治川での防衛戦が支え切れなくなったところで、
やればいい。
9 :
LV.1 法術使い ◆7SEI.iq2hE :2009/03/03(火) 09:31:41 ID:gb1jgYCJ
>>8 で、開戦当時、それを出来る情勢だったのかと、前から聞いている。(笑)
まずは信用できる資料もってこい。
話はそれからだろう?
10 :
sage:2009/03/03(火) 18:03:52 ID:QWQcTcrY
平成の真田幸村こと
>>8にちょっと聞きたいのだが。
前進防御案への疑問。
京都前面で防衛線を張るとはいうが、
家康が史実どおりの速度で進出してきたら、
京都まで制圧して有効な防衛線を構築する時間なんぞない。
史実では包囲完成までに本城の増強と周辺に数箇所砦を作ったり、
周辺にちょっかい出したりするので精一杯だったんだぜ。
つまり京都の防衛線が整うまで、
何らかの手段で幕府軍主力を足止めする必要があるが、
(遅滞の準備を整えるために遅滞が必要というわけわからん状況)
そこはどうすんの?
それに西から来る敵に備えて京都―大坂間の連絡線も確保しなきゃいかん。
機動防御?いくら指揮官が優秀でも、数日前まで無職だった人間の集団を野戦機動させて、
現役兵かつ兵力優勢な敵にぶつけるなんて無謀っぽくね?
小部隊を山中や市街にばらまいてゲリラ?そんなことする士気も練度もないだろ。
史実でその幸村案が採用されなかったのは、
よく言われるように指導部がバカだったのではなく(実際バカだったかもしれんが)
単にその案が実行困難だったからでは。
ちなみに上で「史実」って言ってるのは、全部
>>1のwikiがソースね。
他の資料は知らん。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 20:30:37 ID:HxdlRfDO
>>10 >>1のwikiがソースだと可能だろう。
宇治川自体が天然の堀で要害にもあるだろうし、
三室戸寺とか城として使えそうなものもあるのだし。
それに西の諸藩の連中は、「金持ち喧嘩せず」ということから、
徳川・豊臣の戦にそんなに必死になる必要も無いのだから、
必要最低限程度の速度で行軍してくるくらいだろう。
福原か湊川あたりで防衛戦を張れば済むだろうし。
史実から見ても、西方からの敵に関しては、
豊臣方は警戒している様子も無いし、
事実警戒する必要も無かったわけだ。
史実を見れば、京都を除けば、大和(奈良)方面からと、紀州方面からの来襲を
重点的に警戒する必要があるわけだ。
12 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/03(火) 21:12:20 ID:gb1jgYCJ
>>10-11 戦国板の大坂スレでも説教したけど、
それ、信頼できる資料が無いから、ソースとしては使えんのだわ。
仮に歴群が紹介している「大日本資料(これでも江戸期資料)」でも、
参考として「難波戦記に何か書いているけど参考にする?」って扱い程度。
仮に 10月15日に 大坂城内にて 相談、としても、
それまで(10月04日〜16日)に各地へ幕府軍が到着済み。
オマケに西からは池田家などの軍勢がヒタヒタと近付いてくる訳だが…
>>8 それらの不利をひっくり返す資料はあるかえ?
池田勢が来ても、淀川で進軍は無理だw
まず、16日の段階では、小藩くらいしか現地に到達していない。
というか、瀬田川まで豊臣軍が出張らなかったために、
現地に到達できたとも解釈できるのだが。
そもそも、豊臣軍がそれくらいできないならば、
関が原で伏見城が簡単には落城しない。
15 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/04(水) 08:33:23 ID:hSaXCky4
>>13 池田勢が淀川を押し渡って、直接・大坂城を突く訳がなかろうw(苦笑)
0・京 都 防 衛
1・敵の側背を突く、絶好のチャンス
2・もと主筋の秀頼を直接突くのは気が引ける。
3・大坂方がワザワザ古今無双の要害から外に出てくれている。
4・各個撃破。
>>15 で、池田勢が湊川で食い止められるのはどうするんだ?w
17 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/04(水) 09:13:28 ID:hSaXCky4
>>14 当方も各藩の1次史料に当れる訳では無いので、
歴群を主な根拠として述べるのだが、
※ウイキが駄目と言っているのでは無い。注意。※
※< 10月15日に大坂方が戦評定 >のソースが弱い、と。※
大坂方が堺で軍需物資を確保しだしたのが、
12日。
どんだけ泥縄、またはどんだけ呑気、他人事?な大坂方に対し
幕府軍は、
13日に元・大坂方同士で小競り合い、
14日に井伊勢(夏の陣で木村勢と合戦)が伏見城に、
15日に本多勢(夏の陣で薄田勢と合戦)が大津に、
16日に藤堂勢(夏の陣で盛親勢と合戦)が木津に、それぞれ到着。
この数千〜万の軍勢が、要所要害に篭った場合、
関が原の鳥居や細川(いずれも防衛側)を参考にした場合、
…どうよこれ?
18 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/04(水) 09:16:25 ID:hSaXCky4
>>16 誰が止めるんだえ?
幕府軍の進撃路はそれだけじゃないし、池田勢だけでもない。
質問はウゼエから、テメエも資料を出せやw
その西部方面・北部方面・西南方面・南部方面の守りをよお?え?
裸の川一本で敵を防げるかよ…
周り川だらけかつ砦があった大坂城周辺は
短期間で突破されて完全包囲されてるんだが。
あと、関ヶ原は石田についた各大名の正規軍の戦争だから関係ない。
瀬田進軍…京都地域が空白に近いことを前提にしてるみたいだが、
近々戦争になるのは前からわかっていたので
京都周辺の幕府軍各拠点は防備がそれなりに整ってると見るべき。
電撃的に京都全域を制圧、かつ瀬田まで進軍し、
丹波・大和・兵庫方面からの敵を警戒しつつ
幕府軍の優勢な主力相手に持久できる体勢を構築する。
10日前後で。
どこの戦国自衛隊だよ…
真田幸村は、どれくらいの兵力で、いつどのように進軍して、どんな布陣するの?
20 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/04(水) 10:16:16 ID:hSaXCky4
んだな。。
つか、真田幸村が大坂城に入城したのは10月10日らしいから…
かりに夏の陣の3500?を任されたとしても、、、
15日の戦評定を終えた後、
16日出陣(どこに???)
3日、4日で、
3個連隊(自衛隊普通科連隊の単位で)規模の人間を、
どうやって掌握するんだろう。
>>8 >>16 頼むわ。
帝国陸軍出身者と、自衛隊の現役に 笑われない掌握術、披露してくれ。
21 :
sage:2009/03/04(水) 12:46:58 ID:M73/XTpQ
>>18 その4方面には真田十勇士の適当なのを一人ずつ派遣すればおk
あとは根津甚八が大阪湾防衛を担当、
そして幸村自ら残りを率いて京都を蹂躙、
さらに瀬田川へ行って敵を防ぎ、
才蔵と佐助で家康と秀忠をそれぞれ暗殺すれば完全勝利!
だな、冬の陣でも、大阪方は包囲されるまで頑強に抵抗していたし。
徳川方は包囲をしくのに、かなり梃子摺っている。
打って出て遅帯作戦は妥当な策だな。
23 :
大野治長:2009/03/04(水) 16:17:17 ID:M73/XTpQ
あのさ、単に「瀬田川まで出張って遅滞が最善」って言ってるだけじゃ、
どうすりゃいいのか、なんもわからんわけよ。
あんたの「最善」の構想を、できるかぎり具体的に示してくれんかね。
いつ、だれが、どのくらいの兵力で、何を目的として行動するのが良いのか。
当然、上で指摘されている史実を前提にして。
それがなけりゃ、軍議で案を検討も採用もできないんだけど。
そりゃ却下したくもなるわ。
豊臣方も、郡山城を落としているくらいだからな。
西方からの侵攻は、湊川あたりで食い止めながら、
大坂城を浮き城のように堀を構築(実際ある程度浮き城かは成功している)。
東方からの侵攻は、瀬田川で食い止めながら朝廷から征討の詔を頂く。
あとは、紀州方面からの侵攻を食い止めるために、
紀州一揆を史実よりも連携を密にしながら、支援する。
のが最善の策だな。
戦線拡大しすぎ
大坂はそんなに広い領域を持っていない。
戦線が拡大しているわけでもない。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 12:14:08 ID:JMy/ekce
>>26 だから、その京都進出構想の兵力とスケジュールを、
「具体的に」「数字を挙げて」示してみ、
と何度も言っているんだけど、それは何も考えてないの?
資料があればよし、なけりゃ妄想(ただし現実的な)でもいい。
そういう検討なしに、最善かどうかなんて誰も判断できないよね。何がしたいの?
ちなみに、地図見ると、和歌山は
大坂南部を維持できる場合は後背地になりうるし、
大坂城から孤立した場合でも包囲軍をうしろから牽制できるから、
なかなか面白い場所のように思う。
(そこから熊野・高野山へ浸透して南朝みたいに山岳ゲリラ化とか・・・これこそ妄想だな)
まあそんな小細工が大勢に影響するような状況じゃないだろうが・・。
ただ、沖縄戦を例を考えると、各地に陣地を構築(もちろん宇治川などの天然の要害も利用)
して、遅帯戦闘を行って敵に出血を強いる策が最上だろう。
大軍の方が長期戦には不利なんだから。
史実でも、冬の陣の徳川方諸大名の陣でも物資不足が目立ってきていたのだから。
夏の陣の場合も徳川本軍でさえ財政が逼迫しそうだから、
短期決戦の方針をとったのだから。
補給拠点になるから京都・奈良・堺・伏見は進出して焼き払っておくべきだった。
できるなら朝廷も拉致して。
淀川も決壊させてしまえば篭城もしやすかったろうに、それにすら失敗した時点で…
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 19:33:59 ID:JMy/ekce
沖縄は何ヶ月も準備期間あるし、
そもそも水際放棄で後退防御してるんだから、
むしろ篭城に近いだろう。そんなのが例として適当なの?w
結局、何も考えてないのな。
よし、俺が考えてやろう。
>>26、ぜひとも感想を聞かせてくれ。
とりあえず、
家康本隊到着までの猶予を10日程度、
在京都の幕府軍数千〜1万?の抵抗は避けられない。
という前提な。
10月上旬、部隊編成が整いしだい、最精鋭数千をふくむ2万程度で京都へ向け進発。
局所的に劣勢な京都周辺の幕府方は、
伏見城とか数ヶ所の拠点にこもって家康到着を待つことになろうが、
それに対しては同程度かちょっと多目の兵力を残して、
最精鋭数千は停止せず瀬田川まで突進する。
3日くらいで着けば、1週間くらいは金と武力で周辺住民を動員しまくって
瀬田川ほか各地に陣地を構築できる。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 19:36:47 ID:JMy/ekce
一方、拘束した拠点は遅れて出撃する秀頼か大野治長直率の大部隊(3万程度?)で
一つひとつ潰していく。浮いた兵力は逐次、陣地と側面警戒にまわす。
家康本隊が来たら、
1.瀬田川、2.大津―京都の隘路、3.伏見城・宇治川・桂川、
あたりで陣地防御して出血を強いる。
また、同時期に西方に対しても、湊川を目標に、まったく同じ手順の作戦を行う。
(ただし規模は数分の1)
あとは稼いだ時間で朝廷を煮るなり焼くなりして美味しくいただき、
詔勅で全国の反乱軍が決起して豊臣大勝利!!
どっかの火葬戦記でありそう。
浪花英雄伝説 疾風!真田電撃戦!!!とかいって。
いろいろと目をつむりまくっているから、実現性としては
「大坂城ごと上野公園にワープアウトして江戸城攻略作戦」と同じくらいだろうな。
>>33 沖縄戦の場合も同様だよ。
土壇場になって精鋭の第9師団を引き抜かれるなどして、
防衛戦略が白紙に戻って、再度戦略が練られる結果となっている。
だから、準備期間が無いのは大坂の陣と同じようなもの。
また、大坂の陣で沖縄戦に例えるなら、
首里に引き篭もって籠城しているようなものだ。
宇治川での防衛戦策を採るということは、
各地での反斜面陣地による遅帯戦闘を行っているようなものだ。
火力が違いすぎるだろ
大砲が怖いなら城内に塹壕でも掘って篭ってればいいのに。
当時の大砲は機動力が無いからなあ。
大坂城に立て篭もる策は、
縦深防御から考えて愚作。
遅帯戦闘を考えると、ある程度は打って出た方がいい。
瀬田川までは打って出た方が得策。
それは参謀本部の仕事だろ
40 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 00:06:30 ID:iJKNy2Ud
>>39 の馬鹿殿曰く
「 瀬田じゃ! 湊川じゃ! 私はそう兵法書で習った! 」
●参謀本部(翡翠)曰く
「 馬鹿殿に振り回されていたら勝てる戦も勝てんわッ! 」
…
大砲が機動力無いのはホント。
縦深が 欲しい のもホント。
ただ、湊川案も瀬田案も 却下 するしかない。
理由は簡単。
●制海権は、幕府側。 いじょ。
諸君、翡翠 ◆ntzrt5Dq3U兵団長は、軍命に背き瀬田方面の戦線を放棄した。
制海権がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが豊臣軍か。
豊臣軍は制海権がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵力がない、やれ組織がない、制海権がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
牢人がいなかったら七手組があるじゃないか。七手組がいなくなれば、秀頼本人でいくんじゃ。
秀頼もなくなったら淀殿が蹴れ。淀殿もやられたら国松が噛みついて行け。
豊臣家には大坂城があるということを忘れちゃいかん。
豊臣家が主君である。豊国大明神が守って下さる・・・
42 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 00:45:54 ID:iJKNy2Ud
>>19 司令部の目の前の拠点防御でアレだからなあ…どうすべ?
>>21 暗殺案だけには賛成だが…信用できる忍者を何時養育するべな。
>>22 とりあえず全国の諸大名の配置図と兵力図を頼む。ここはガダルカナルじゃねーぞい。
>>23 京都所司代の手持ちの兵力と防備も謎なのがなあ…どーすべ。
>>25 筒井じゃなくても逃げるしかねーぼよ
>>26 浮き城はいいんだが、紀州一揆と同様、泥縄なのが痛い。
>>27 とにかく練兵時間が無いしねえ。一向一揆ならともかく。
>>28 以上の点をクリアするために事前に準備していないとなあ。
>>29 これが出来れば最強なんだけどなあ。関が原に負けたのが痛い。。。
>>31 大坂城城内の防備でさえ てんやわんや なんだが…
>>32 ソ連の焦土作戦に習えば必勝法ではあるけど、豊家も終わり。カモン!戦国パート2!
>>33 しかし城内で裏切りしたい御年頃、の連中をどうするかが、なあ…。
>>35 うっかりすると埋伏していた幕府側の兵が火をつけて回るがのう。
>>36 火力は案外、互角かもしれん。
>>37 大砲も大坂方が篭っているから運搬できたよーなもんだし。〆切り
43 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 00:53:11 ID:iJKNy2Ud
レス見落とし;
>>41 >制海権がないから戦争は出来んと言って
いや、海浜と河川で、後方遮断されるよーなトコで
戦っても理がないし。
>勝手に退りよった。これが豊臣軍か。
イザとなりゃ秀頼を簀巻きにして馬印とともに10万人で城下の突撃ですよw
< 北面・西面・東面の連中は無視してオッケー
>豊臣軍は制海権がなくても戦いをしなければならないのだ。
やるよお。有利な場所・タイミングなら。
>牢人がいなかったら七手組があるじゃないか。
その七手組にも裏切り者が ><
>いなくなれば、秀頼本人でいくんじゃ。
Yes!
淀が反対? 知るか!! 敗北主義者は吊(ry
>豊臣家には大坂城があるということを忘れちゃいかん。
とりあえず篭れば負けは無い。うん。
>豊国大明神が守って下さる・・・
参謀本部が神頼みしてどーすると小一時間(ry
ノシ
ただ、幕府軍が制海権を維持するコストはどうなのかな?w
豊臣軍とは違って、大軍のためにより維持するコストが莫大にw
45 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/07(土) 09:22:27 ID:iJKNy2Ud
それすら判らん(水軍維持費・動員費、モロモロ)訳だが、
冬の陣の間、
大阪湾と淀川が関東の海になっちまった訳だから。
…当方の軍事板と戦争板の論を読んで、
歴群とか教科書とか仮想戦記の記載が変わってしまうかもだが。
(宇治川?京都?正気かオマイ?って感じで)
ま、も、いいや。
結局、寄せ集め浪人主体の軍ゆえにその力をフルに発揮できるのは
大阪篭城がベストだと思うねぇ・・・兵站や士気の問題もあるし
少数兵力を各地に分派しての攪乱攻撃をやってもどれだけ時間稼ぎができるか・・・
篭城となれば、後詰たる各地の外様大名の豊臣方への参戦を待つしかないが、
そうなるとやはり最低でも加藤清正、浅野幸長、前田利長らが存命で
福島正則とともに徳川と対決してもらうくらいでないと先は見えないね
あとは領土回復を餌に島津・上杉・毛利にも参戦を呼びかけたいがここまで来るともはやファンタジーだな
>>46 それ狙ってたとしても、
10年おせーよぼけが!
としかいえんな・・・
まあ、宇治川防衛策が客観的に考察して最上の策であるということだな。
↑根拠は?
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 12:15:49 ID:8cOIr5ar
東から来る幕府軍を大坂城で防ぎとめて、
その間にどっかの方面に進出して後背地を確保できないかと
Googlemap等を見たりしつつ考えてるのだが・・・
うまくいって支配地を広げられれば、
家康焦る→強襲→大坂城無双で大損害→家康さらに焦る→ループ
で幕府軍を瓦解させられるかもしれん。
<候補>
1.和泉―紀伊
史実でやろうとして失敗している。
つーか大坂城北面は鉄壁なので徳川主力は大和経由で南から来る。
2.摂津―播磨
準備次第だが兵力としては豊臣優位にはできる、かな。
順調に進めば、姫路攻囲したあたりで
福島家や毛利家あたりもちょっと動揺しちゃったりするのでは・・
京街道は淀川決壊でふさぐ(実際は失敗したけど)として、問題は
幕府軍別働隊が西国街道(現R171)から
京→兵庫方面へ来るのをどこでどうやって防ぐか。
あと、規模は小さいだろうが海からの敵上陸もある。
しかし、史実で淀川すら確保できないていたらくじゃあ・・・
3.淡路―四国
淀(ry
結論:無理ゲー。もっと準備時間か、大名本城クラスの城を一つくれ。
>>51 問題ないだろう。淀川北岸は放置プレイでいいだろうに。
史実から見ても、淀川を渡るのは幕府側にとって至難の業で、
失敗しているし。
幕末時の野砲の能力があれば、
藤堂勢のように渡らずとも南岸を脅かせるかもしれないが。
どちらにせよ、瀬田川の対陣は、淀川北岸の動向を考慮して、
撤退の時期を盛り込んでいるだろうに。
それに大坂の陣では、大和川の付け替え以前は、
淀川南岸以南の地は、湿地帯で大軍を通ることは不向きで、
むしろ湿地帯におびき寄せれば豊臣軍有利だろう。
史実、夏の陣では、そこでは豊臣軍は優位に戦闘させ、
藤堂勢に甚大な被害を与えている。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/09(月) 17:32:04 ID:8cOIr5ar
>>52 意味不明。
俺は、大坂城を攻める幕府軍主力は南(大和路)から来る、と言っているが。
その上で城を盾として背後の西国を侵食できないかな、と。
・決着した話を経緯を無視して蒸し返す
・資料を示さず自論が支持されていると思わせる
・一見関係ありそうで関係ない話を始める
お前、もう50を超えたのに、
>>8>>10から一歩も進んでないぞ。大丈夫か。
うん
56 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/10(火) 10:45:35 ID:ATiVxPbX
>>53 資料も戦術もゼロのヒトだからなあ…無視するしか。
それで悪いのだけれど
>>51を肴にすると、
南北朝時代の足利尊氏みたいに、西国挙兵って手が出来ればいいんだけど、
残念ながら、頭がイッテル南朝=全国の武士団総マヂ切れ とは違い、
曲りなりにも石高大盤振る舞いしてくれた上に、
総石高400万石ってー絶対権力を手に入れた家康相手に、
尊氏パート2 は、ちと、無理…。
そもそも、豊家が期待した浅野・前田・池田ら諸侯が、
かえって徳川軍より奮闘しているのが、救えない…。
結局、淀か、
淀1人、押さえられない大坂首脳部
を削除(閉じ込めでもいい)しないと、勝ち目が本当に、ない…。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 12:23:38 ID:zYCTx65v
もうね、お茶々のウザさは異常!
せめて10代の美少女なら、浪人どもも奮起して、突撃の衝撃力も5割増くらいになって、
幸村の突撃で間違いなく家康を討ち取れたのに。
>>56 まぁ・・・政略的にはどう見たって詰んでるので、
軍事的に、幕府勢を少しでも出血させて有利な講和を狙って動くしかない。
だが、なんか能動的な行動をしないと(瀬田川はともかく)
単に篭城してるだけなら、じっくり攻囲されて終了。(それでも1ヶ月くらいでオワタ)
だから「早く落とさないとヤバイ」と思わせて、大坂城強襲を強要したいんだよなぁ・・・
真田丸の戦いみたいのが数回続けば・・・
(大坂城と中の人が、20万の総攻撃にどれだけ耐えられるかは知らんが。)
大坂の陣で淀君を問題視する意見は多いが、それ以前に淀君が奮起しなきゃならん体制こそ問題。
関ヶ原のではたかだか高級官僚どまりの石田三成が、事実上の首班として事態を動かしたし。
首相級のやつが自己クーデター起こしてるんだが
62 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/12(木) 22:15:30 ID:QsVSv3+M
>>57 軍事板での当方結論 なんですが…
冬の陣勃発時の勝利条件を、
攻囲側の体力切れ → 全国の諸侯の動揺 → 戦国パート2
とした場合、
当方が、
●宇治川 & 湊川& 朝廷案 を 全却下 しつつも、
●軍事板で 出兵案 を 採用 しているのは、
●大坂城周辺から、買い集めれるだけの食糧を 買い占める ため。
※そのためには周辺の砦の建築の手間は総て省いていい※
金には困っていないし、
戦争に備えて逃げ出す相手から余剰食糧(牛馬含む)
を買い占める時間は1日でも稼ぎたい所。
※近畿での豊家の人気は圧倒的で、
※戦後の全国統一を睨むと、強奪は却下。
※略奪暴行をする輩は例外無しに首ハネで軍法明示&強化。
●そののち、大坂城内で、烏合の衆の10万を練兵するのみ。
他にも奇策はあるのですが、
流石に無料で(2chに)は出せませんし、
出した所で、淀がギャンギャン騒いで 完 ! なため… 。
彼女を何とかしないと、ホントに、何をやっても、無駄… 。〆
>>62 その勝利条件なら、
瀬田川での防衛陣は、最上の作戦ですね。
戦国時代の常識から言えば、篭城戦は後詰があって始めて成り立つ。
また、この時代の会戦も河越・川中島・厳島・姉川・長篠など包囲軍と後詰によるものが多い。中には河越・厳島・長篠等のように包囲
側が崩壊・滅亡に至ったほどの決戦も見られている。
で、大坂の陣では和睦せずに篭城を続けたら後詰の可能性があったのか? 全国の大名が例外なく皆幕府方だったのに。
北条氏が頼りにして最後に失敗した小田原篭城も、成功した時には政略的な目に見えない後詰があった。
攻めた上杉も武田も、背後に敵を持っており小田原に専念できる状況ではなかったからだ。
しかし、西国をすべて征服して背後の敵を持たない秀吉の前には篭城策は裏目に出た。
戦術的成功を積み重ねて政略的成功(諸大名をせめて好意的中立に追い込む)を得るためには、打って出るしかない。
小さな勝利を続けることで、幕府一辺倒だった大名たちに疑念を抱かせるだけでも政略的な成功である。
ただし、恒久的に拠点を押さえて戦線を作るには戦力が足りないので五畿内から紀伊・近江・播磨くらいまでの地域でヒットエンドランのゲ
リラ戦をすることになる。
65 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/13(金) 10:30:26 ID:RNjsj+E0
>>62 ソレが出来る状況なら、史実で 京都 を 占領している…。
京都を占領できる状況なら、
京都所司代と、近畿の幕府軍は蹴散らせている訳で、
その場合は、更に良い状況も作り出せている。
史実(データ)なし で、都合のよい作戦を捻り出すのなら、
それでもいいんだが…( つまり火葬以下 )
現実問題、手近の城を 1つも落としていない。
幕府軍が包囲網を狭める時期になっても、まだ城内は防備に専念中、
冬の陣では油断も油断な連中が大将で御座いとふんぞり返っている上に、
夏の陣では各将がてんで勝手に猪突している有様。
おまけに本来、超絶に機動に有利なハズの地元でさえ、
幕府軍より先に要地を占領できない散々な情報力=状況判断と諸隊のレベル。
その上、肝心の大野兄弟がさえ、堺に放火している有様な訳で…
>>63 だから、
>>18 で言っているのね。
誰がやる?
そこは無人の空白地なのか? と…。
幕府軍の進撃路はそれだけじゃないし、東正面にだけ専念すれば良い訳でもない…。
66 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/13(金) 10:40:12 ID:RNjsj+E0
>>64 とりあえず、先制の勝利 は欲しい所だわえ。
しかし、
>>65 でも言っているが、
どうも、国境周辺でさえ、肝心の耳目が利いていない。
目隠し状態で戦闘しているようなもんで…
ガダルカナルの 第1次、第2次 みたいなもんだわえ。
正直、
>>64 の 江・播 方面は、
< 象徴的な目標 >で、
< 現実的 には >現在の大阪府の府境周辺での遅滞が限界と思われる。
イロイロと厳しい。
ぶっちゃけ、冬の陣の城内引篭もりは、妥当 だと思われる…〆
他に打つ手が無いと言う意味で……
それを予見できず、堀を埋めさせたのも痛いな。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 13:43:54 ID:iaPBGvRQ
>>68 それは豊臣軍の不手際では?
増援軍が下手に攻勢をかけようとしたことに原因があると思う。
沖縄戦で首里奪回のために総攻撃してしまったように。
いや寸土も奪われてはならぬ
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 21:47:22 ID:S2aFEd6c
>>64 後詰めて他人の受け売りで書き込むな自分で考えろ馬鹿珍
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 23:21:25 ID:CBAOYxzQ
真田丸の強化
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 01:21:53 ID:kHYFMtHX
>>69 意味がわからん。
増援が攻勢に出るのがだめって、どうすりゃいいのよ。
柵を守ってろって?それじゃ意味が全くない。後から来ずに最初からまもってろよってことになる。
遠巻きに眺められて、撤収したころにまた攻めてくる。
あんたのレスの意味がわからん。
>>73 反斜面戦闘を考えるといい。
物資などケチリながら戦闘するんだ。
75 :
翡翠 ◆ntzrt5Dq3U :2009/03/14(土) 12:21:25 ID:9HV3fjAj
沖縄戦と大坂の役をリンクさせるのなら…
まあ、圧倒的に大坂の役がラクショーですがいのう。
現代の軍事常識投入OKなら、
塹壕線を南部に張り巡らすだけで、幕府軍は手も足も出ません。
塹壕線は募集第1日目の素人兵隊にも掘れますし、
道具があれば資材も要りません。
また、膨大な連絡線を張り巡らすだけで、
浮き足立った前線にも速やかに増援でき、
また、塹壕第1線、塹壕第2線、第3線、と、
戦場が野外でも!
新品三尉&新兵が戦力として能力を発揮しやすい環境が構築できます。
※第1線から許可無く脱走する兵は後方ラインから射殺可能。
ただ、それはファンタジーなSF小説の部類に属するので…。
>>75 そうかな?
豊臣の大坂城はトーチカ状の塹壕が張り巡らされていて、
攻城側はかなりそれに梃子摺って、脅威となっていたらしいが。
>>71 「後詰決戦」という考え方は既に「他人の受け売り」というよりは戦国合戦を語る上での常識ですが何か?
違うジャンルであれば「1+1=2である」とか「水は酸素と水素からできている」と同じようなものだ。
するってぇと、君は飛行機はライト兄弟の受け売りだとでも言うタイプの人なのかね?
>>76 拠点防御をやっちゃダメなんだよ。一城郭を根拠とする勢力としては兵力が多いだけで、戦線を張ったり円筒陣地を張って固守するほど
の兵力はないんだから。
むしろ小部隊で後方へ浸透して連絡線を脅かす(実際に脅かす必要もない。後方にちらちらと姿を見せてやるだけでいい)だけでいい。
そうなれば全てを守らなければならないのは徳川方の方で、前線から兵力を抜いてでも後方を援護しなければならなくなる。
で、幕府が右往左往している姿を見てこのまま徳川についていて良いのか?と疑念を持つ大名や変心する大名が現れればよい。
外部情勢が変化しない限り、たとえ兵糧が尽きるまで籠城したところで戦局が好転することはありえないんだから。
まあそうとう単純化して言えば千早・赤坂の戦いのような状況が作れるかどうかにかかっている。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/16(月) 19:31:52 ID:WUXE1T2W
ゲリラができるような将兵かな?
相当な士気と判断力が必要だと思うが。通信手段もないし。
あと、村ごとに所属が違うようなカオスの中世ならともかく、
各大名領が領域国家に近いような近世でゲリラ戦ができるのか。
>疑念を持つ大名や変心する大名が現れればよい。
逆に、これが出てきてはじめて、ゲリラ戦が可能なんではなかろうかね。
それに、豊臣方の首脳&浪人衆に、
ゲリラできるほど徹底した覚悟と戦略的思考はなさげなんだよな。
どうも「集まることが力(アピール)になる」と信じてるっぽい。
扇動しつつも、敵に対する甘えがある。
安保闘争で、「労働者ウン十万人が国会前に結集!」みたいな。
そんな精神じゃないかと、最近思いはじめた。まぁ別に根拠はないけど。
地の利もない寄せ集めの浪人衆にゲリラ戦など不可能だよ。
大坂方が撃ってでなかったのも、寄せ集め連中の統率に自信が持てなかったからだし。
地の利のある浪人衆にゲリラ戦など可能だよ。
大坂方が撃ってでなかったのは、大坂城の縄張りに過剰な自信からだし。
戦略レベルでの縦深性を考えていなかったのが、大きな敗因だ。
浪人は畿内出身とは限らないんだが
ゲリラの「地の利」ってのは、支持してくれる拠点のことだと思うが、
どこにあるの?
畿内出身ではない≠「地の利」がない。
>>83 そこが領地でもなく物資の集積や築城など事前の準備は不可能(むしろそれをやってるのは
大坂を包囲している徳川方)、もちろん支持してくれる民衆もいない
豊臣家の領地以外にはまるっきり「地の利」なんかありませんが。
徳川方にそれが可能なのは、
豊臣方が大坂城に引き篭もってくれたからだが。
じゃあ、徳川方がひきこもってくれないと、豊臣方にも不可能だよね。
違うな。篭城しなければいいだけ。
>>87 それだけ?
そんなんだと上で書いてあるような問題点(練度・拠点の確保・etc)を
どうクリアしてるのかわからんので、そのへんがわかるようにあんたの構想を示してくれ。
たとえばゲリラがいいと言うなら、どの辺で、何を拠点にしてゲリラするの?
前進防御にしても同じ。
ちなみに史実では、根拠地付近の防御陣地をめぐる戦闘ですら普通に勝てないようだが。
90
宇治川防衛線案が妥当って、ことだな。
age
94 :
@:2009/04/30(木) 23:57:19 ID:O0UG7ZAb
t
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/01(金) 00:47:11 ID:ILs07cNj
272 名前:名無しさん 本日のレス 投稿日:2008/03/30(日) 17:11:52.77 /qGntVed
大学での話。 ある授業で同じクラスになった中国人留学生の女の子。
以前から、ちょっと可愛いなって思っていたんだ。
そんなある時、その子の携帯の画面がチラっと見えてしまったんだけど、
受信メールには「老公」という文字がビッシリ。
おじいちゃん大好きな子なんだろうなあ。って思ってさらに好きになりました。
388 名前:名無しさん 本日のレス 投稿日:2008/03/30(日) 17:20:08.83 hIj+1NUy
>>272 「ダーリン」 くらいの意味だってさ。
393 名前:名無しさん 本日のレス 投稿日:2008/03/30(日) 17:20:58.34 /qGntVed
>>388 ・・・死にたい。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/17(日) 10:59:38 ID:yZvzVdOn
歴史板か軍事板でやれ
?
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 19:33:20 ID:ppefVmbR
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 22:19:57 ID:vlEl93a1
100get!
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 00:12:34 ID:shY41aEz
あ
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/05(水) 21:29:28 ID:9nxZQV5N
宇治川防衛策が最良
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/25(火) 15:49:00 ID:jAP8F61n
age
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 08:40:01 ID:zvBCX6sh
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/11(金) 20:04:39 ID:uUGojTdV
大坂の陣
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 21:04:18 ID:d4GkV2Zf
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 08:17:33 ID:r8Y/8z+B
冬の陣
108 :
?:2009/11/10(火) 00:01:58 ID:lGrAQ8kV
実際には野戦はむしろ豊臣の崩壊を早めただろう。
野戦は火力と兵力の差を減殺するが、兵站力の差を増大させる。
同盟者のいない豊臣側に兵站能力が不足していたのは明らかで,ろう城は下策とはいえ,選択可能な戦術の中では最良だったろう。
そもそもよく言われているような「野戦派が正しかった」という論調は江戸の講談やエセ軍学が生み出した物。
問題は講和した大野の政治力にあり、戦闘を継続してれば戦況が変わった可能性はあったはず。
年があけて1月6日の歴史秘話ヒストリア(NHK)は大坂の陣を扱うみたいだね
幸村vs政宗をクローズアップするのが、いかにもあの番組らしい
age
瀬田川防衛策
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 15:43:54 ID:JPlsSW5Q
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/09(木) 18:38:43 ID:6y4IUXW0
あっ、、あげる
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
北側の中州を掘削して川にしとけば、とりあえず夏の陣は凌げたんじゃないの。