じいちゃん達の戦争体験を語るスレ

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1名無しさん@お腹いっぱい。
ウチのじいちゃんスゲーんだぜ!って自慢でもオケー
2名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/31(日) 23:41:21 ID:DBhQL8+h
2

3名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 07:14:31 ID:WZMy7BIT
インパール作戦に参加し、マラリアに冒されながらも帰還しました。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 07:22:53 ID:+9LW+Cpo
朝鮮人と中国人を虐殺した。今では反省してる。
と祖父は言っています。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 10:24:05 ID:i3wVYGSN
在日>>4発見

警戒汁
警戒するアル
6名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 12:47:25 ID:4DZOjYPn
じいちゃんが新潟の砂浜に不時着した隼(?)の見張りを命じられ見張っていると、
もう一人の見張りの兵が「最近の飛行機は燃料が足りなくてアルコールを使ってると聞いた。多分飲めるぞ」と言ったので、
一升瓶を取ってきて、戦闘機なんて分からないけど、いじってたら、液体取れた。
一升瓶に移すと、そこに上官が・・・。

慌てて一升瓶を砂に埋めてやり過ごし、兵舎に持って帰り、みんなで夜に飲んだ。
でもじいちゃんだけは、「いくらなんでも酒で飛行機が飛ぶはずあるめー」と思い、
飲まなかった。
下痢だったか、嘔吐だったか忘れたが、大変だったらしい。
じいちゃん以外は。


じいちゃんは皇居で近衛兵してたのに、どうして新潟なのか疑問。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 12:53:24 ID:4DZOjYPn
同級生のじいちゃんの話。
沖縄戦のために、鹿児島まで列車で何日かかけて行った。
夜が明けたら鹿児島から船で沖縄へ。

夜のうちに爆撃にあって、兵員激減し、再編成のため一旦、列車でまた帰る。
うだうだしてる終戦を迎える。
「沖縄戦に行ってたら、帰ってこられなかっただろう」だって。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 12:57:48 ID:BQmhf8qE
俺の爺様はずっと両親とどこかの外国の田舎に暮らしててそもそも日本が戦争してて敗戦した事
すら知らなかったらしい、日本の敗戦を聞いた時はジョークだと思ったらしい、国名が大日本帝国から日本国
に変ったのは何かしょぼいと嘆いてた。ちなみに帝国時代の日本に居たことは一度も無いらしい。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 13:43:27 ID:XMHJhG0z
シベリアに抑留されましたが、何か?
10名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 13:52:45 ID:WZMy7BIT
>>6
似たような逸話を坂井三郎氏の著作で読んだ記憶がある。こちらは海軍だったが、下痢をしたとかいうのは同じ。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 22:03:39 ID:/8QIKfgY
俺の尊敬するじいちゃん、亡くなってからはや7年。
いっつも戦争の話を俺に教えてくれた。でも当時小学生だった俺は丸っきり興味なしで
聞く耳持たなかった。
今生きてたら、朝までいっぱいやりながらじいちゃんの武勇伝を聞きたかった。
全部で4回の召集に出向き最後は満州で終戦を迎えたという。

こないだじいちゃんの遺品を漁ってたら、戦時中のじいちゃんの写真が沢山あった。
常に大勢の兵士のど真ん中に居るじいちゃんを見て、なんなく会社で言えば役付みたいな
感じなのは分った。
でも、一度も俺の「じいちゃんも人を殺したの?」の問いかけには一度もはっきりと解答してくれ
無かった。
あと写真の中には色っぽいおねえちゃんの写真が沢山あった。
あれが今思えば兵隊専用のソープみたいなやつだったのか、従軍慰安婦かは定かでは
ないけど、間違いなくどちらかだな
12名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 22:28:21 ID:qRaIqkGT
ないた
13名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 23:56:19 ID:UdlO2NV4
>>10
機械油で揚げた天ぷら食べたら下痢したんだっけか。普通の動物は「油脂」のうち
トリグリセリド(中性脂肪)しか代謝できないからなぁ。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 11:37:12 ID:JPq9DESo
三島由紀夫が勤労奉仕してた飛行機工場では、台湾から来た人たちが
機械油で炒飯作ってたらしい
15名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 02:32:10 ID:8atIADSq
母方のひいじいさんが日露戦争で戦死した。
だから、あの時代では珍しく、じいさんは一人っ子。
じいさんも先の大戦でビルマに行ってた。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 02:13:30 ID:ghk/c+iY
ピー屋はいつも混んでいて大変だったらしい。
入って5分もすると小屋の外から「早くしろー」と声がしたとか。
慌ただしくズボンを下し、コンドームを付けて挿入したら、一分ほどで出さないといけなかったとか。
これじゃ、浮いた話もないはずだと思った。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 06:44:59 ID:5UHtmZRB
母方のじいちゃんは満州に行ってた。戦争時代の話しはあんまりしてくれなかった。写真はよく見せてくれて軍服で中位だったな。関東軍だった。父方のじいちゃんは小倉で銃や大砲作ってたらしい。小倉上空が雲ってなかったら原爆落とされてたらしい。長崎の人には悪いけど。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 07:18:53 ID:lPi7Gdbz
俺の爺ちゃんは油槽船乗りで真珠湾攻撃前、集結場所であった単冠湾でひたすら給油作業をやってたらしい。壮観な眺めだったって言ってた。部屋には当時の作業帽が誇らしげに飾られてる。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 07:27:56 ID:KlEYbob3
>>18
すげー連合艦隊みてー
20OKIOKI:2008/09/06(土) 07:50:51 ID:umBkPkjk
オレのじいちゃんは共産主義者で、近所の子供にアメを配ってて、そのアメの包んである紙に戦争反対とか書いてあったらしい。
その孫が今こうやって書き込んでる。
オレが思うのはつくづくひねくれ者の家系だという事www
21名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 08:31:45 ID:NMkaVPFn
うちの爺さんは生きてれば今年85歳ぐらいだけど
戦争の時の話をきいてもまだ若かったから徴兵されなかったといってた
本当にそうなのか何も語りたくなかったのか
22名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 09:06:01 ID:qXbM5J4C
>>17
うちの親父は当時八幡在住の国民学校生。
もろに8/8の小倉空襲に遭い、目の前で家が火災で崩れるのを見たそうだ。そして、
家の中には忘れ物を取りに戻った姉が・・・。親父は命からがら、国民学校のプール
に飛び込み助かったとか。親父も、あの空襲が無かったら原爆でやられてたろうと言
ってる。
10年ぐらい前、その場所に連れて行って貰ったが、プールは小高い場所にあり、それ
が助かった理由の一つだと思う。国民学校から小学校に変わってたその校庭には、高
射砲の弾薬庫として利用していた横穴がまだ残ってた。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 09:30:31 ID:4dqYwYbO
小学生の頃、戦車のプラモが大好きだった俺が、タミヤの1/35
九七式中戦車を作って遊んでいると、じいちゃんがやってきて
「ああ、俺の戦車じゃねえかこれ」とか言い出して、戦時中の話をしてくれた。

フィリピンで九七式の運転手をやっていたらしいけど
どうやってもM4シャーマンにかなわないので、最後には砲塔だけ残して車体を埋めて
葉っぱやらなんやらでカモフラージュして、至近距離で1発あてて逃げたらしい
それでもシャーマンは撃破できなかったみたいだけど。

「一式砲がくりゃなあ、あんなもん1発だったのになぁ」とか、ぼやいてた。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 09:50:27 ID:YQwuN6Ss
うちの爺ちゃん、バターンの生き残り。
自慢はマッカーサーを追っ払ったこと。

日本は負けたが、俺は負けてねぇ!

それが口癖。

25名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 10:00:18 ID:gy18DHNM
昭和17年に大阪の下士官学校でて
南方に向かう輸送船の船舶砲兵やってたそうな。

で、台湾の高雄?に到着補給後にフィリピン方面に向かう途中で
爺さんの船が故障で引き返す。

爺さん以外の5隻は向かったそうだけど、
英吉利か亜米利加の航空機で全滅だったんだって。

で、そのまま台湾に終戦までいたそうな。




爺さんから聞いたんじゃなくて
戦友の方から聞きました。

じいさん・・・
26名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 10:24:18 ID:KR1CC3Jp
俺の爺さんは(自称)空母にいたらしいが、
「特攻しようとしたら飛行機がなかった。小銃で戦おうとしたら弾がなかった。
手榴弾で自決しようとしたら手榴弾がなかった。だから仕方なくアメリカの捕虜になったんだ」
とか言ってる。見栄っ張りな人だから嘘臭いが、砲弾の破片が脚に残ってるのは本当だ。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 10:44:48 ID:uHcmzm3R
祖父ではないが母方の祖母の姉の旦那さんにあたるじいちゃんの話、

その人のことはおっちゃんてよんでるんだが、
祖母「おっちゃんて戦中呉で軍属やってたらしいで」俺「マジ?聞いてみるわ!」
俺「なぁおっちゃん、呉おったって本当?」
お「おう、軍艦の試験やっとったわ」
俺「マジ!?大和とかみた?」
お「とゆーか乗ったな、あれはでかかったな〜」

俺「(゜∀゜;)すげ〜」

よく聞くとどうやら公試運転の時の計測員してたらしい。呉で戦中つくられた船は一通り乗ったらしいww
28名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 13:00:21 ID:V4F7OP0f
うちのじいさんは当時15歳で満州行ってたらしい。
衛生兵だったって言ってたが
「朝鮮人は汚ねぇぞ」が口癖。
その後シベリアに居たらしい。
抑留とけて帰ってきて母親生きてて号泣したんだと。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 13:37:31 ID:vyJCb7wP
俺のじいちゃんはさあ行くぞとなった時に終戦したんだそうだ
お墓を見るとフィリピンで戦死した人がいたので親に聞いたら
その人が戦死してから年に200万ずつ貰っていたがじいちゃんが使ってしまったとか
30名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 00:24:23 ID:8sFWntdU
うちのじいちゃんは召集されて中国へ行った。
その前は巡査で、希望していた特高への栄転話が持ち上がって
いたところだったので、召集がきたときはかなりがっかりしたとか。

戦地ではけっこう歳いってたこともあり、後方の二線部隊みたいなところ?で警備とか
してただけらしい。しかも前線に出ると体調崩してしまい、病院にいた期間が長い
くらいだったとか。

結局戦闘は経験せず、終戦後1年くらい経って船で帰国。
朝鮮は通らなかったので、特に危ない目にも遭わなかったそうだ。

31名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 13:07:52 ID:wFOkkunC
>>27
ちょデジカメあげるから艦内写してきて、一艦も無いのが悔しいなー
32名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 14:26:17 ID:8wpnjgAK
31 長門とか残してほしかったよな。氷川丸残してあるけど病院船だもんな!水爆実験に使いやがってよ。長門の船内とか入ってみたかったよ。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 14:58:44 ID:RdP0Z/pP
うちの祖父は東北抗日聯軍で日本軍と戦って平壌にいたけど
権力闘争に負けてソ連経由で日本にやってきた
34名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 15:03:20 ID:ZRoeEvjh
何という良スレ。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 18:23:44 ID:D6ey/kBO
母方のじいさんは、福島で飛行訓練を受けている最中に終戦
そんな田舎で飛行訓練できたの?って聞いたら出来たって言ってた。
さらに福島は田舎じゃないぞと説教された

練習中に訓練機が前線に送られてしまってなぜか隼が代わりの訓練機としてきたことがあったそうだ


親父のじいさんは満州軍の指揮官だったそうな
家族で移民したらしい
んで俺の親父はなぜか上海で生まれた
戦争残留孤児が毎日のようにニュースで取り上げられていたときは
親父の妹がいないかをずっとチェックしていた
・・・結局あの中にはいなかったみたいで、先月他界してしまいました


ちなみに俺は両方のじいさんの代理として(毎年ではないが)双方の戦友のために靖国にお参りしているけど
終戦記念日にこだわる必要はない
ただ忘れないでいることが大切ですと言われてます
36名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 18:43:57 ID:+NPnK+nk
うちの爺様(88歳)は広東に駐留してたらしい。
機種は知らないが爺様曰くロッキードの
機銃掃射を受けたことがあるって。
あと、中国人にはあまり悪い印象はないらしい。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 22:13:07 ID:2vnHZS10
知り合いのじい様は海軍だったが、太平洋上で飴の艦隊と遭遇。連中甲板でBBQ してたらしい。手振られて木箱投げられてオワターおもたらビールだった・・・。飴余裕こき杉wwww
38名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 23:06:06 ID:uSJ+gXLj
>>36
P−38?特徴的な機体だから、改めて確認してみては?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 02:00:57 ID:poCMOw7x
うちのじーさま、死んだけど、生きてるときに聞いた話。
シナ事変で中国へ。職業軍人だったそうで偉かったらしい。
もちろん最前線での戦闘だったみたい。
敵襲の伝令うけトーチカ?かなにかの入口を開けたら目の前に敵兵。
目の前で銃撃され、腹と胸を貫通。
肺に穴があくと苦しいって笑いながら言ってた(笑) それでそのまま入院、終戦まで戻れなかったそうで。天皇陛下からもらった杯を大切にしてたなあ。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 02:05:10 ID:BKbTfWDO
>>37
さらっと書いてるが、そんな近距離まで退避しない艦長って???
と云うか接近って云うより(艦隊に)突っ込んで来て撃たない?
艦隊の位置を通報されたら
戦後?
41名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 02:19:58 ID:bEAY3dBi
うちの爺ちゃんは硫黄島で戦ってたらしいんだけど
慕ってくれてた戦友が米軍機の攻撃で死んでしまったらしい。
爺ちゃんは彼を看取りつつも、攻撃した米軍機を見上げてコックピットを確認したら
裏切った日本兵がなぜか米軍機に乗っててそこから一緒に乗ってた敵兵に
味方の基地の場所や兵力の配置を事細かく指示しているのが見えたらしい

爺ちゃんさすがに怒って持ってた日本刀で立ち向かおうとしたらしいけど
その場で機銃掃射を受けたらしいが何とか生きてたらしい。
昔俺が爺ちゃんの部屋に呼び出されて胸に残る数多くの弾痕を見せられた時は
さすがに生きて帰ったのが奇跡だと思ったよ。

いつも訳のわからないこと言ってるけどうちの爺ちゃんは今日も元気だ。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 03:33:30 ID:EgcMYoL0
>>41
じいちゃんすげー
やくざの修羅場が子供の遊びに見えるw
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 03:59:26 ID:yDKVh+1Y
>>41
うそくさ
44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 04:03:31 ID:V7vv5dmm
まだ小さかったから光市の軍事工場で人間魚雷作ってたって。
磐田出身なんだけどな。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 05:03:32 ID:NYqk6Uj4
18年前に死去したじいちゃんは騎乗兵だったらし 騎乗兵は男前 今でいうとイケメンしかなれなかったんだってさ

46名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 05:04:46 ID:NYqk6Uj4
もう一つ

オレの友達のひいじいちゃんがアメリカ兵に連行されたんだって 帰ってきた時はガリガリになってたらしい
47名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 05:25:44 ID:yeU7rDiE
>>38
今は一緒に住んでないからすぐには聞けないけど
たぶんP38。双胴の米軍機を知ってたから。

婆様(82歳)は浜松出身で艦砲射撃を経験。
その兄はルソン島に向かう途中、潜水艦の
攻撃で輸送船ごと戦死。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 06:14:26 ID:kCEyg+8t
>>41
じいちゃんを見習って、貴様も“男”を磨けよ!押忍!!
49名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 09:58:25 ID:vghhiImv
うちの爺さんは上海で中国人と麻雀打って帰ってきたそうです
50名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 10:00:13 ID:PFUgoP0c
>>41
江田島乙
51名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 15:22:48 ID:FKAQ92Pa
うちの曽祖父は満鉄の運転手だった、ソ連軍に殺されちゃったけど。
終戦直前は軍に徴用されてたのかわからんが、なぜかただの運転手なのに勲章をもらってる。

祖父(上の曽祖父の息子、当時9歳)は逃げ惑ってる最中にソ連兵に撃たれて倒れたところを、別のソ連兵の衛生兵に助けられたって。

あとこれは余談なんだが、
俺の高校は明治からあるところで、敷地内に戦前に使ってた旧校舎があるんだが、
先日荷物運びで入ったとき先生がいないのをいいことに探索したら、資料室みたいなとこに
「北支、〇〇部隊 〇〇〇〇(名前) 〇〇町〇〇-〇(住所)」(※縦書きでした)とかが100人分ほど書いてある黒板を見つけた。
先輩たちも大勢戦いに行っていたようで・・・。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 16:16:22 ID:HXQYpqFc
うちの爺さんは婿養子に入って跡取りになったおかげで兵隊に取られなかったみたい
ガバメントと同い年だから太平洋戦争開戦時30歳
田舎の寺で住職をしてました
53ウルフ・ウッド ◆TEwolfOed. :2008/09/08(月) 17:40:38 ID:hoTYhlAJ
かく戦えり〜近代日本史〜/戦士よ、起ち上がれ!
http://jp.youtube.com/watch?v=Pjn2toKjDAw

回天特別攻撃隊 FLASH
http://jp.youtube.com/watch?v=Q7-fW2WQjG4

日本がアジアに残した功績 FLASH
http://jp.youtube.com/watch?v=fTCAHoGN1I4&feature=related

島唄
http://jp.youtube.com/watch?v=PRv--a6dTvs&feature=related

神風特別攻撃隊
http://jp.youtube.com/watch?v=iKbuy7bPYlo&feature=related
54名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 17:57:28 ID:kOu4o8PS
こういうスレじゃアホどもの工作員が湧きやすいからな・・・
マターリ進むことを祈る
55名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 18:03:20 ID:9xt188ve
インドネシアからホームステイに来た人のじいさんの話を
彼の祖父は大戦後、義勇軍として戦った生き残り。生前は戦争中の話を聞いてたみたい。日本軍から受けた訓練がとにかく厳しかったこと、そしてみんな優しかったこと。独立戦争でほとんどの日本兵が戦死して悲しかったこと。
そんな話を聞いていたから、日本に対して好意があるのは言うまでもないだろう。彼の希望で靖国神社へ参拝しにも行った。他界した祖父が一番行きたがっていた場所だそうだ。
インドネシアのために死んだ日本の方も、靖国に祀られる戦友たちに会えたでしょうか?その言葉が忘れられない。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 18:07:33 ID:tet9h/gR
うちの爺さんは鉄道省(国鉄)の横須賀線運転手。

空襲の時は全速力で次の駅に行け!とされていたのでサイレンを聞き逃さないように
寒い日でも窓を開けてウルサイモーターを聞きながら耳を澄ませていたので、
寒くて鼻水は垂れて辛かったな〜と。

その日は朝8時過ぎに空襲サイレンが聞えたので、次の停車駅、
横浜駅に全速力で急いだが空襲でヤラレる前に電車の激しい振動と横立揺れで
脱線転覆してヤラレそうだったと笑いながら話してくれた。

乗客を助けたい、電車が撃たれたら困ると、曲がり(カーブ)も減速せずに飛ばしたが、
後になって考えるとカーブで脱線しなくて良かったと。
唸るモーターと激しい横揺れ立て揺れでドカン!ガコッ!と言う音が何度もしたと。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 18:17:39 ID:XKgbp8IE
うちのひいおじいちゃんはゼロファイターだったんだぜ
空母に乗ってて、パールハーバーにも参加したんだってさ
58名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 19:56:02 ID:wxWlmgyy
ウチのじいさん(本職は菓子職人)は地元の陸軍少年戦車兵学校の飯炊きだったらしい。
ちなみに国内に現存するチハたんは就遊館と上記跡地にディスプレイされてる2台。

親父は旧制中学生で勤労奉仕の日々。終戦近く、駿河湾方面から来る
グラマンの機銃掃射のバリバリという音が忘れられないと言ってた。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 22:26:44 ID:KcOFmLjA
じいちゃん、原爆投下された広島に数日後入ったらしいから二次被曝してるかも

孫の自分おわたかも\(^o^)/
60名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 22:54:55 ID:c1zXOelR
うちのじいさんは徴兵前から大工の修行をしていた関係で工兵やってたみたい。
散々いろんな所回された挙句にガ島でマラリア貰って帰ってきてその後除隊。
終戦時は故郷で隣組の組長やってたと言ってた。


>59
ばーさんの弟が同じく数日後に中央郵便局に勤めてた人を探しに行く為に広島に入ったけど
一昨年白血病で亡くなりました。
白血病ってわかったのかなり時間がたってからだからきーつけてください。
61小結 ◆/KOMU/uMio :2008/09/08(月) 23:17:10 ID:ychIRHOF
  K_
  ( @ @)
  人 ▽ノ、<じいちゃんの亀頭
(  人 人 ノ)
( )}( )( ){( )
 ∪ ★ (∪
 ヽノヽノ
  ∪ ∪
62名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 23:41:33 ID:HXQYpqFc
>>59
ミュータント化してないか?
63名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 23:45:08 ID:tvQN9Moc
うちには爺ちゃんが海軍にいた頃の履歴(写)があるんだけど、四等水兵から始まり海軍少尉で終わってた。婆ちゃんが言うには一滴の酒も飲めなかった爺ちゃんが兵隊になったとたん酒飲みになってしまったらしい。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 00:01:21 ID:wCv3zSd8
家のじいちゃん神主だけど、戦車兵になってシャーマンとやりあったけど、吹っ飛ばされて指がもげた!
65名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 00:09:38 ID:x0JPLxl3
うちの爺ちゃんは高射砲の部隊だったかな
「あと半年あれば改良が間に合って、B29に届いたのに」と愚痴っていた
66名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 02:32:13 ID:7TcwVETH
うちのじいちゃんはシベリア行った。

前線で戦いロシア軍が発砲したから発砲したと言ってた。

それ以上のこと聞くと激怒したので、
何があったか察した。
その後、ロシア軍に通訳として近付き、
機嫌を取るため飲めない酒を飲んだらしい。
敗戦後、抑留されず帰国した。

しかし帰国して戦争の苦しみから精神を病み、
アル中に。

精神科に何年も入院。

一家はバラバラ、
私の母、叔父、叔母、は祖父から逃げた。

結局、孫の自分が看た。
祖父は死ぬまでアル中でアルコールが原因で死んだ。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 03:20:48 ID:J2dblic6
うちのじいちゃんはニューギニアでめちゃめちゃもてて、
酋長にも気に入られてその娘と結婚寸前まで行ったとか。
もしその時結婚してたら俺はここにはいないんだなあ。別にいいけど。
68名無しさん@お腹いっぱい:2008/09/09(火) 05:33:42 ID:A9stFwan
 うちのばあさんの兄貴は、必死に勉強して海軍航空隊に入って
特攻隊に志願したらしい。
 7月の中旬だったかな1回飛び立って敵が見えなかったので基地に戻って
次の日、再度飛び立って帰ってこなかったらしい
 
 ばあさんの方は戦争後半徳山空襲で防空壕に逃げたのはいいけど至近弾?をくらって
防空壕が崩れて・・・逃げるときに一緒に入ってた仲間が腰をぬかせて助けてと
袖をつかんできたけど助けてたら自分がやばいので振り払って逃げたようです。
 その後、工場が稼動停止になったので周防大島に行ってたら今度は広島原爆の
きのこ雲を見たといってたなぁ。1時間後に憲兵の人がアメリカが新型爆弾を落としたって
いいに来たって言ってた。そのときに降った黒い雨にあたった人は、
みんな死んじゃったって
 開戦前は真珠湾特殊潜航艇の隊員と話したっていってた。そして、ニュースで
一人足りないのですぐに捕虜になったって思ったらしい。
 戦中中盤までは、ピョンヤンにいて色々事務的なことをしてたっていってた・・。
 朝鮮半島の生活談も色々聞いたなぁ・・聞いてたら朝鮮人って裏切る気まんまん
って思った話もあったなぁ。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 10:22:46 ID:NRu7kW92
うちのひい爺ちゃん天皇近衛兵だったよ
70名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 11:14:59 ID:ETD5WUNY
むかし爺ちゃんが鍋だった頃,父ちゃんは杓もじだったと言っていた
其の頃俺はジャガイモ畑の芋だったかも知れねぇーな
解るかなぁー 解からねぇーだろうな? 俺も解らねぇー
71名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 12:56:45 ID:31Yim/aC
俺のじい様は旧海軍だったと言っていた。大学出て少尉候補生になってすぐに実戦
だったらしい。戦争が嫌で本当は植物学者になりたかったと言っていた。終戦
前には大尉で大勢の部下が居たらしいが殆どが戦死。残った部下は数名だったそうだ。
若い部下が目の前で死んで行くところを見ながら指揮を執らなければならなかった事
が凄く辛かったそうだ。国の為に戦えと言われそれが当たり前の時代だったから
生き残ることより名誉の死を選択する若い兵士が大勢いたらしい。それを止めることが
できなかった事をずっと後悔していると話を聞いた。そのじい様もずいぶん前に亡くなった
が葬式で戦時中の部下が3人ほど弔問に来てくれた。不自由な体でわざわざ来てもらったこと
は嬉しく思った。戦時中に部隊で撮った写真を持ってきてその話を少し聞いた。
みんな戦争がなければ漁師や貿易の仕事をしたいと若い連中はよく言っていたらしい。
最後の戦闘では自殺行為の戦闘以外の何者でもなかったらしい。その中でじい様は、部下に
「国の為に戦え、だが家族の為に死ぬな」と言ったらしい。そのことを部下の方は話てくれた。
その当時にそんな事を言う士官は居なかったらしい。生きろと言うこと自体がタブーだったらしい。
それがじいさまが出した最後の命令だったらしい。大尉の部下だったから生き残れたのかも知れない
と部下の方は話をしてくれた。戦争で死んだ者達はみんな大尉を信じて戦ったと言っていた。
あの情況では生き残れたこと自体、奇跡に近いと言っていた。
戦後、何度か戦友達と会い大尉を含め終戦日には必ず船の出港した港に花を供えに行っているらしい。
今後は俺も行きましょうか?と話すと、いや、これは我々が生きている間だけしようと生き残った
者達で決めた事です。生き残った者達から戦死した戦友への義務です。と笑いながら言っていた。
戦争はもう二度と起こってほしくないと言っていた。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 18:55:13 ID:mqOIWgWn
母方の爺様2人、兄が陸軍、弟が予科練。
兄の方が北支で1回出兵帰ってきてから、終戦間際にまた徴集。
下士官で軍刀を持って帰ったらしくw せがんで見せてくれた<母から聞いた
それはもう吸い込まれるような怪しい光だった。
今考えたら手入れしてたのかな?
好々爺で跡継ぎも知らなかった刀だったんだけどね。

弟の方は、千葉の館山で赤とんぼか、空から武蔵を見たそうだ。
「そりゃ大きかったよ、島みたいだった」と、今でも感激してた。
終戦間際はあちこち(福島方面とか)移転していたらしい。
特攻は確かで本土戦の特攻要員だったかもな。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 20:07:59 ID:+SA5T/PW
こういう話を後世に残していきたいよね。。。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 21:50:08 ID:Tgo7ST9S
親父が爺ちゃんから戦争体験をいろいろ聞かされたらしいが
内容を全く覚えてないそうな…
75名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 22:42:19 ID:8jndf4Jq
当時、祖母には恋人がいたらしい、だがその人が出征し、やがて戦死の知らせが・・。祖母は見合いで祖父と結婚。数年後、かつての恋人が生きていたことを知る。戦死は誤報だった。「昔のことだから・・」と微笑む祖母を見て涙が出た。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 02:29:49 ID:f3qdGj76
うちの爺ちゃんは満州で軍医をしてた
敗戦でシベリアに抑留された時、医者だとバレると日本に返して
もらえなくなると察し(当時ソ連はものすごい医者不足)
一兵卒のふりして重労働に耐え、無事日本に帰ってきた
77名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 07:36:37 ID:lLecf/mA
爺さん大学出たばっかで爆弾の開発の下っぱやってた理系だから戦地に駆り出されずにすんだらしい。  婆さんは堺で空襲にあって死体の山を見たって言ってた。あまり話したがらない
78名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 13:33:52 ID:jHqNONto
母方のじいちゃんはばあちゃんと結婚して
その時豊かで給料もよかった満州のチチハルの市役所?で
役人として働いてたらしい
そんでソ連侵攻の45年8月に徴兵されたが敵に会う前に終戦
ソ連が攻めてくるまでは満州は結構平和だったそうで
ハルビンのデパートによく買い物に行ってただってw
日本に逃げるときはソ連兵に強姦される人が多かったので
ばあちゃんは坊主頭に、男の格好してなんとか佐世保に逃げたらしい
79名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 16:23:20 ID:RvygJF/D
>>41
ああ嘘だね。
硫黄島に展開した米軍機、P−51かコルセア、F6Fだけど
こいつらの機銃は12.7mm。
掃射くらったら上半身吹き飛ぶから。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 17:12:10 ID:uy5RyS3P
武勇伝ってのわな
81名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 17:16:39 ID:Gp4TsSGf
米兵のガーランドの弾でも4、5発受けたら
即死だっての。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 18:19:33 ID:z2dduAMd
家のじーさんの兄貴はトラック島玉砕から生還した
でもいきなりいろいろ食ってショック症状で戦病死
毎年じーさんの兄貴の命日にじーさん連れて靖国行ってるぜ
ちなみにじーさんは高射砲兵の眼鏡士B29一機撃墜したらしい
83名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 20:08:39 ID:LD62PUlL
家の祖父は戦時中の事はあまり喋りたくないようで、身内でも陸軍で兵器開発をしていたぐらいしか知らない。
頭のいい人で帝国大学(東大)で理工学部卒だったらしい。レンズだか、レーザーだかその変が得意分野だったようだ。
戦後は一時期、3年ほど行方不明になっていて家族も捜索願いを出していたらしい。その時もどこで何をしていたか謎の
ままだ。戦争体験の話はすごく嫌のようで俺が学校のレポートで書くネタを聞いたが教えてくれなかった。
祖父が死んでから部屋や蔵を整理していると旧陸軍の資料やらよく分からない部品が蔵から出てきて、ゴミで出せるのか
どうか迷っていて役場に連絡したらその数日後に祖父と同じ研究所に居た人の代理人って人が来てすべて譲ってほしいと
話があった。名刺もらったらその人は防衛庁の事務官て肩書きだった。色々、祖父の事を聞かれたが俺を含め家族はさっぱり
情報もなく、また祖母も他界していたから何も分からなかった。その防衛庁の方曰く、「旧陸軍で特殊な任務に就かれていた
ようです。色々と思うところがあってご家族の方には何もお話にならなかったのでしょう。これらの荷物ですがおじい様の
遺品で大事なものとは思いますが物が物だけに危険性もありますのでこちらで引取らせてください」と言われた。で、家族も
処分に困っていたから二つ返事でお願いした。その後に蔵を潰して駐車場にする工事をしていると地面から鉄の箱が出てきて
中を見ると日記らしき物と銀の棒が100キロほどあり400万円ほどになった。日記には旧漢字で書いているから読めるところは
読めるがそれ以外にドイツ語らしきところもありよく分からない物だった。日記は防衛庁へ郵送し銀についてはこちらの
所有権になった。今、思うと祖父は危険な事をしていたように思う。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 21:14:41 ID:x1JYJp/7
おまいらの爺さんすげえな
うちはどっちも田舎の国鉄で事務職と機関紙だったから
何度か米軍機が飛んでるのを見たってだけだ

それを何故か誇らしげに語る爺さん見て
はーこういう人かと思ったよ
85名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 21:15:18 ID:aDRzcCpF
>>79
本当にそうだよな。
もしお前が一号生筆頭だったら
独眼鉄や男爵ディーノは死なずに済んだかも知れん。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 21:28:16 ID:ctOvNOF9
父方の爺さんは徴兵検査不合格者。
母方の爺さんは出征前に終戦。渡辺ミッチーと同じ部隊だった。

ばあさんの義兄は海軍の空挺部隊。
ある作戦で斥候がミスして、隊は敵陣真上に降下。
わずかに生還した三人のうちの一人。
もちろん本人から軍隊経験について聞いたことはない。むしろ語りたがらなかった。
いつ逝ってもいいように、常に折り目正しく生きた人だった。
まさにサムライだった。
合掌。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 21:37:15 ID:1lLXsdOO
うちの爺さんは輸送船乗りだった。
あるとき南方へ物資輸送のため荷積み中、足を踏み外して甲板から船倉内に転落して
一瞬気を失ったらしい。
気が付いたとき、周りでは意識不明のけが人を連れて行くかどうか論議していたので、
このままで目を瞑っていれば行かなくて済むかと思い、そのまま寝ていたという。
その後下船させてもらって、すぐに船は出港した。
次の日、敵魚雷で轟沈され生存者なしと連絡があったらしい。
ズルい手かも知れないが、そのまま乗っていたら今の自分は無かった事になる。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 22:02:48 ID:LD62PUlL
>>86
戦争経験について話をしたがらないのは色々と辛い事をしたり、されたり
したんだと思うよ。戦争は奇麗事じゃないし。家の祖父もそうだと思う。
日記には人体実験したような記述があったから。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 22:15:40 ID:uCRPHqg4
うちの爺さんは、食糧確保に北海道に行ったらしい。
あと、モンゴルの馬は近くで鉄砲打っても
暴れなかったらしい。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 23:10:52 ID:+PYgRkFA
>>69
俺んちもだ
91名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 23:58:40 ID:yChULQaZ
祖父は16歳で志願したそうです。通信兵で、銃なんか数人に対し一丁、敵襲の際はひたすら逃げるのみだったそうです。
あと祖母の話で、空襲の際、敵は逃げ惑う人をわざと照準を外して機銃をうち、最後の最後にとどめを刺すような事をしたそうです。その時は心底敵を憎んだ。と言ってました。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 00:00:19 ID:1CQzp4A6
うちのじいちゃんは近衛第1師団だったようだ。
戦争の事はあまり語らず「戦争中はどんな事やってたの?」と聞くと
「馬洗い」と答えてた。同期会の誘いが来ても行かなかった。
叔母(父の妹)は開業医の家に嫁いだんだけど、その時に
向こうの親から「戦時中はどちらで?」と聞かれて答えたら
すんなり結婚が決まったらしい。

母方のひいじいちゃんは日露戦争の時の近衛師団だったようで
村の助役もやった。
年寄から戦争の話をされる時にひいじいちゃんの話をすると、
それ以上は話が進まなくなる。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 00:20:03 ID:7JNKlDoj
>>77

堺の空襲は凄まじかったらしい。街の四方が利休の時代から
お堀だったために、その中めがけて夜間空襲の標的になった。
空から見ると堀が四角に光ってたんだと。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 02:37:02 ID:ohsXpd3P
>>92
近衛第一師団は玉音放送がらみで色々あったんじゃないっけ?
95名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 05:51:55 ID:8NTpaqCd
近衛兵ッてチョンじゃ無理ぽいけど入隊資格も厳しいんだろなー
一番低い階級とか二等兵か?
96名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 09:36:48 ID:QfYLBlgr
うちのじいちゃんアジアのランボーだお
97名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 09:40:53 ID:wBrurOZC
うちのじいちゃんは満州で馬引きをやってた。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 12:37:06 ID:5xAO2u7B
死んだうちのジーサン、上海事変から大陸転戦したけど
あんまり戦争の話しなかったな。
酒呑んでよっぱらたとき少ししたな。
シナ兵は日本軍の総突撃だと撤退して、散兵ゲリラになるから
悩まされたらしい。
あと「シナ兵何人くらいやっつけたの?」と聞いたら
覚えてるのは3〜4人で、そのうち二人は銃剣で「えいや!」ってやっつけたそうだ。
ジーサンも敵に足を刺されて凄い傷があった。
それと一般市民をやっつけたことは無いって言ってた。そんなことはしないって。
南京事件は噂で、便衣兵捕虜を師団命令で処分したというのを聞いたことはあるけど
自分は見たことはないだとよ。
ジーサンは銃剣術段位もってたから良かったけど、召集された
普通の兵隊は軍隊で教わる直突しかできなかったから、白兵戦になると
結構苦戦したんだと。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 16:43:28 ID:/0pDQMGE
ウチのお爺ちゃんはパラオに行ってたって言ってた。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 18:14:38 ID:ZmG2vo6u
うちのじいちゃんは中島飛行機製作所?で働いてたって、でも45年で19才だから動員とかなのかなぁ
101名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 18:35:03 ID:wE6axjUH
祖父は中国で死んだぐらいしかわからんが、数年前に亡くなった、母の叔父は海軍にいたそうで、金剛と愛宕に乗艦(写真で確認した)してたそうな。大和と武蔵の見分け方とか教えてくれたな
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 19:10:50 ID:8NTpaqCd
重巡のカッコヨサはガチ
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 19:12:57 ID:fDCRfW6w
自分の母がアメリカ人なんですが、母の父がノルマンディー上陸作戦に参加したらしい。
空挺隊だっけ?夜中にパラシュートで降下してドイツ軍と戦った。降下直後はどこに行ってもドイツ兵だらけで怖くて隠れてたらしい・・
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 20:40:57 ID:21pqRJxw
>>103
俺の父方の曽祖父がドイツ人で、第二次大戦従軍したよ。
ライプシュタンダーテSSアドルフヒトラーって部隊にいたって。

105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 20:45:48 ID:94HLbJiG
>>103
そこで戦うのが空挺部隊の仕事じゃないのかwww

まあ生きててよかったな。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 20:47:06 ID:T3IcvZKi
>>103
「雄叫びの鷲」師団ですか?それとも「オール・アメリカンズ」師団ですか?
107名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 21:01:11 ID:ndXfq9mz
近所で10年ほど前に死んだ爺さんは海南島に開戦から終戦まで駐屯してたそうだ
戦闘は無いわ気候は温暖で食い物は美味いわ天国みたいな日々だったと
それに引き換え嫁の爺さんは足が速かったので、中国本土の部隊で連絡員(?)
やらされて弾の中をひたすら走らされてメッチャ怖かったって
108名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 21:25:28 ID:pnXMSsmP
祖父は、軍事機密の仕事をしていたらしい。
徴兵検査は不合格なのに海軍兵学校や大和の造船所に出入りしていたらしい。

死ぬまで何も語らなかった、、
109名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 22:23:10 ID:21Fp86Uc
うちの爺ちゃんは志願兵で呉にいたらしい。戦艦武蔵を見学させてもらったって言ってた。大きさに驚いたそうだ。うろ覚えだけど甲板に機関車?が走っていたとか・・・。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 22:26:13 ID:kGHZvBG8



【 朝鮮人強制連行の記録 】を詳しく読みなさい。 



強制連行が事実である事が理解できる。


http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1221133129/-100





111名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 22:39:02 ID:37nfG363
>>107
ちょww足が早いってレベルじゃねーぞwww


ウチの曾祖父は中国に行ってて、交戦中に両肩に弾貰って死にそうになってた所を、知り合いの軍医殿に助けられたらしい。甘い物が好きな人だったなあ…
112名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/11(木) 23:02:43 ID:oSvMfEcG
我が曽祖父は工兵隊として日露戦争の旅順要塞攻略戦に参加、
激戦を潜り抜け、戦利品として砲弾三発と小銃弾百数十発を持って帰った
けど、ほとんどの戦利品は昭和の初期の金属徴用に寄付して、今残ってるのは
砲弾一発だ。

祖父の方は鳥取の17師団配下の歩兵第53連隊速射砲中退に配属されて、中国戦線に参戦
した後のニューブリテン島に配置転換の為に上海から出向した。
運良く低気圧と共にニューブリテン島まで来たので潜水艦攻撃を受けずにこれた、以後の多くの
輸送艦は沈められている。その後にニューブリテン等最南西端のツルブ方面に
配属された。
昭和18年の11月の米軍が上陸してきた為に戦闘が勃発、上陸してきた敵戦車部隊を
迎え撃つため祖父の速射砲部隊とM4シャーマン戦った、この時の事を祖父は良く話して
くれた、「日本の速射砲弾を幾ら当ててもシャーマンの装甲に弾かれた・・・」
三日で連隊は全滅寸前まで追い詰められて、玉砕命令が下され、連隊旗を焼き終えた
後、最後の突撃を行う寸前、ラバウルの総司令部から命令を携えた伝令兵が走ってきて
、「全軍、全装備を持ってラバウルまで退却せよ」との命令を受け、これによって一命を取り留めた。
しかしこれが地獄の始まりで、祖父の連隊は殿としてツルブ〜ラバウル間を米軍と戦いながら、
補給もなく直線距離にて600Kmを道なき道を踏破せねばならなくり、大量の餓死者を出す、
この時も祖父は、マラリアと栄養失調になりながらもラバウルに到着、その後、偵察任務と陣地構築
を行いながら、終戦を迎え1年半近い捕虜生活を送り、日本に帰還する。
この時、速射砲中隊の直属の司令官が後の第八代陸上自衛隊中部方面総監になる登弘美?氏
だったので、終戦後、感謝状を貰っており、これを未だに額に入れて飾ってある。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 00:20:31 ID:43o/I+iR
うちの祖父は特攻隊で飛行機の練習してたら戦争が終わったらしい
114名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 10:03:11 ID:ivqMuS0a
うちの祖父は某帝国大学の理工系の学生で、戦争には行かなかった。

卒業後の一時の就職先なんか見ても、ああ兵器関連のことやってたのかなと思う。

空襲のとき、落ちていた焼夷弾の不発を拾ってみんなで分解したらしい。

単純な構造だったとか。

子供のときに聞いた話なのでうろ覚えだが。

現在は83歳だが元気だ。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 10:18:10 ID:ppmfADaX
父方の祖父は姫路から戦地に送られる前に待機してる時、どうしても行きたくないから何かをして入院して終戦を迎えた。 俺の地元の人は激戦地に送りこまれたみたいで駅の近くに慰霊碑がある。沖縄に行って死んだ人が多いから爺さんの臆病さのおかげで俺がいるんだなあ
116名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 12:18:24 ID:8EdLzUpR
>>112
ちょ、乃木の基地外突撃にラバウル飢餓地獄、もう税金払わんでいいだろう、、、忠義卓
117名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 13:57:35 ID:zCPo+0aT
すまん、俺の曽祖父は日清・日露戦争当時は長男は家督相続のため徴兵されなかったので
勝手に新しい家を興してそこの長男になって逃れた
その代わり会社を作って、お国の為にまっとうな商売を貫いたとも言ってたな
小声で聞かせてくれたのはやっぱ後ろめたさがあったんだと今になって思う
118名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/12(金) 15:46:17 ID:z4hvupQm
俺の祖父は戦争のことは何一つ喋らない

相当辛かったんだろうな
119剣恒光@Free Tibet ◆yl213OWCWU :2008/09/13(土) 21:47:27 ID:dah3tVJM BE:276413459-2BP(1010)
再告知

この板の名無しを決めるぞ本投票

投票時間は
9月14日 0000〜2350の間
投票を2350で締め切る理由は直前で日をまたいでしまうことを避けるため。
この板の名無しの決戦投票となります。
予備投票された6つの中から選びます。
投票所は
この板の名無しを決めるぞ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1220149395/


候補
1:緑装薬4
2:戦争を知らない名無したち
3:国敗れて名無し在り
4:名無しいけどこれ…戦争なのよね
5:(* ´▽`)<´♯`*>
6:平和ボケ名無しさん

上記6候補より、一つお選びください。集計を容易にするため
投票内容のみをお書きください。
120ななし:2008/09/13(土) 23:25:43 ID:0Rlc+JLQ
3年前に死んだじいさんやけど。中国を転戦して沖縄に向かう途中に魚雷を受け、
3日くらい海に浮いていたそうだ。そこで救助に来た日本軍に助けられ、広島の
第一陸軍病院へ。そこで被爆。爆心地から400メートルくらいの距離だったけど
生き残った。
優しく気の弱いじいさんだった。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 00:50:24 ID:PADcHQSG
>>120
爆心地から400メートルって。。。
良く生きてられたもんだ。。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 00:53:30 ID:wMaUMsOE
そのぐらいの距離で被爆して生き残った人の話は、たまに聞くよ
熱線・放射線の入射角の問題でコンクリの壁が有効に効いたのかも知れない。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 07:56:40 ID:t0spnBHM
>>120
気が弱いならば、3日も海に浮いてるとは、思えない。
精神が、もたないだろ。やさし過ぎたんだろうよ。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 08:35:10 ID:Ta0R9cf6
父方の祖父は俺が生まれる五年前位に死んでるんだけど、親戚とかが話してたのは、
お坊ちゃん育ちでとてもプライドが高かったので、下品、というか自分より育ちの
悪い上官のいじめに我慢出来ずに「下郎、下がれ!」と言ってしまって余計に殴ら
れたらしい。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 08:38:38 ID:Ta0R9cf6
それとこの人も結構前に死んじゃったけど、近所に住んでた親戚のおじさんは戦闘機
のパイロットで中国を爆撃する爆撃機の護衛とかをしてて最後の方は重慶まで行ったとか。
血尿で困ったらしい
126名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 20:17:21 ID:EjeBDVB5
今日のNHKスペシャルは見るべきものだと思う。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 21:46:13 ID:2DQyg34a
見てると眉間にしわ寄りっぱなしになって辛いわコレ‥‥
128名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 21:49:22 ID:5+zIbdbD
おいら「兵士の証言」シリーズをDVDにまとめてる。
NHKはいい番組やるよな。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 22:08:27 ID:EjeBDVB5
終わった。

人間って機械じゃねーよな。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 01:10:01 ID:Zxbhb7mK
みんなのじいちゃんて何歳くらいかな・・・70歳代と基本的に戦場に行って
いないし・・・空襲の経験、腹を空かした経験や身内を失った悲しさは知っている
だろうけど、戦場は知らない。80歳代の人て戦争行ったと言っても少年兵や二等兵
だった人ばっかりで戦争を知っているとは言えない・・しかも、戦争否定の時代が
長すぎて極端に美化しているか、自分の苦労したことしか知らない・・・
あの戦争を30歳代や40歳代で行い、戦後日本を建設した世代なら客観的に戦争を
語ることができるだろうが、この世代の証言はもう書籍でしか分からない・・・
もっと聞いておけば良かった・・・
131名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 03:02:43 ID:UbDXqcLK
俺の会ったことのない叔父さんはガダルカナルで戦死した。
親孝行する時間が欲しかったと最後の手紙に書いてあった。

偵察機の通信兵だった俺の先輩は敵に見つかり迎撃の機銃砲火と空中戦で被弾し
ぐるぐるになりながら膝に括りつけた電鍵でエンゲージ報告し続けたって。
それで当時、通信士になるのはよそうって思った。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 03:34:07 ID:s7qZ0iAj
祖父達は祖国防衛の勇士達だ!最敬礼!
133名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 09:10:53 ID:G9+HsBSA
亡くなった戦友のことやゲリラ戦のこと話てくれた
じいちゃん亡くなって十年経つけど覚えてる
134名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 14:22:39 ID:ZCNlDYXV
93才になる曾婆ちゃんは弟を南方に向かう輸送船が沈められて亡くなったそうだ
今でも、「生きていてくれたらどんなに心強かっただろう」てこの話をする度泣いている
135名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 16:38:01 ID:6g2iwCty
>>130
うちのジーサン、今年96歳で死んだが
戦争のときは海軍二等兵曹だった。
うちの親がジーサン42のときの末っ子で今54。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 16:39:13 ID:6g2iwCty
>>130
おいおい。
一番死線送られたのは二等兵だぞ、、
その連中が80代後半。
137adsl-west-8601.enjoy.ne.jp :2008/09/15(月) 18:33:48 ID:PY21x7AC
うちのじいさんは戦時中、軍医候補生として上海の病院で働いていたが
陸軍の将校が「試し斬り」と称して支那人の首を跳ねたのを
見た事があると言っていた
138名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 18:54:13 ID:9CMPXChV
うちのじいさんは戦場には行かなかったが家にあった刀やら何やら持ってかれた事をかなり根に持ってたな。田舎だからあまり困らなかったとかなんとか
139名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 20:49:41 ID:RdEDJlpS
最近この手のスレに在日が来て

ウチの爺ちゃんが
シナ人を虐殺したあるいはしているのを見た
などとプロパガンダ工作するから注意するように
140名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 21:03:07 ID:N7V7IaY1
そりゃ少しはやってたろ。
ゼロはありえん。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 23:04:27 ID:Yn0P4DHI
>>140
軍医候補生が上海に配属? その当時は医大卒で軍医見習仕官となってから
現地配属までに候補生はなくなる。嘘はダメだよ。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 00:06:15 ID:n/ybxDyk
10年前に死んだうちの爺ちゃんは、土浦航空隊にいて、雷電でB29と戦ってた、という話は覚えてる。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 03:44:01 ID:CnaPthuG
在日のチョンなんて密入国者の子孫だから日本の為に闘ったじいちゃん達や亡くなった英霊達のスレに書きこむな。朝鮮人は半万年前から奴隷で負け犬の民族だ被害者面してんじゃねーよ
144名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 04:40:22 ID:vrO3XU88
お前みたいな日本人の恥がいるから日韓関係がこじれる。奴隷させる方とされる方はどっちが悪い?
いじめる側といじめられる側どっちが悪い?それと同じ
145名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 05:00:24 ID:PMz7iUbY
うちのじいちゃん人間魚雷。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 05:54:24 ID:p5IF7G0b
大雑把に

徴兵された爺ちゃんが、船で渡航することになった。(どこか忘れた
それで、何隻かの船にくじを使ってどれに乗るか決めることになった。
爺ちゃんが引いたくじは一番ボロイ船に当たってしまった。

ボロイ船のため装備もほとんどなし、おまけに捨石として先頭を
走らされる羽目になった。
一方、最新の軍艦にあたった奴等はすげー喜んでたらしい。

んで危険地帯とされる場所を走らされ、何事もなく無事に通過した時
後ろから激しい爆撃音が鳴りまくり、味方の軍艦がなすすべなく
駆逐された。しばらくした後、残った船は爺ちゃんの乗ってた船のみ。

敵は軽装備の船はシカトして、危険と判断した後方の軍艦を
ねらったっぽい。


あと爺ちゃん、手投げ弾目の前に投げこまれたけど
伏せたら生きてたとかスゲって思った。
3回も徴兵されて生きてた爺ちゃんだけど
年には勝てず2年前ポックリ逝きましたが・・・
147名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 06:06:05 ID:p5IF7G0b
>>146追記
戦争中、九州出身でまとめられた兵隊はとても強かったらしいです。

あと、一番印象に残ってるのが朝鮮人の話
「あいつら、あれだけ優しくしてやったのに負けた途端、
手のひら返しやがった」とよく愚痴ってました。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 08:44:15 ID:CnaPthuG
144 日韓友好なんていらねーよ。あいつら恩を仇で返す奴らだぜ。お前は在日かもしれんが日本が嫌なら祖国に帰れよ糞チョンが。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 08:58:47 ID:D0tHMftz
>>143
朝鮮人でも帝国陸軍の大将にまで登りつめた人もいるし、特攻に志願して散華された英霊もいる。これは事実。
何でも十把一絡げにして貶す東亜脳は巣に帰れ。お前もお前の大嫌いな朝鮮人と変わらん。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 09:53:19 ID:D0tHMftz
>>144
支那とロシアの圧力に耐えかねて、日本への併合を自ら望んだ意気地なしの末裔が被害者面しちゃいかんがな。
しかもその当時の考え方では「弱国は存在価値がない」だからな。恨むなら富国強兵が出来なかった祖先を恨みな。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 11:22:30 ID:A2MYBvJ1
おいおい
スレタイから離れてるよ

おいらの爺さんは海軍にいて終戦間際に最前線の南方の島に送られたらしい。今生きてたら「日本を守る為に戦ってくれてありがとう。本当にお疲れ様でした」と言いたい。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 12:00:14 ID:AwGKc4GE
NHKで国に帰った戦犯の朝鮮人やったが、迫害で身分隠してボケ老人
戦友の顔忘れても昔思い出して君が代歌ってた姿は泣けたな、
153名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 17:33:34 ID:CnaPthuG
150 恨みなって朝鮮人は嫌いだが恨んでねーよ。お前日本人じゃねーだろう。早く祖国に帰れよ。日本が憎い日本が悪いんだろう。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 18:09:51 ID:CnaPthuG
150 富国強兵ができなかった祖先を恨みなって俺はじいちゃん達を恨んでねーしリスペクトしてるよ。お前の方こそ弱国で半万年中国の奴隷で日本に合併しか生きる道がなかった無能な祖先を恨めよ。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 18:18:15 ID:rIgrdAjt
徳島と高知の県境「甲ノ浦」港。
ここは漁船に通信機を積んで太平洋に出港する偵察基地。
米軍の機動部隊を見つけ次第連絡(もちろん高速艇にあっというまに撃沈されるが)。
放射状にコの字で探索していた漁協兼民兵組織。
港湾の防波堤端に敵高速艇殲滅用機関砲が設置されていた。
ここを狙って敵雷撃機が単機突入(もちろん上空にはP公が護衛しているんだが)
防波堤を雷撃せんとすも、ブロック消波にて直前で爆発。
地理的に防波堤背面には山々が。上空からの攻撃は無理。
週に数回、雷撃に来たようだが、効果なく、そのたびに浮き上がってくる
魚を兵隊や漁民が飛び込んで獲っていたようです。
朝潮関の出身地なのですが今でも町民館に当時の写真があります。
156144:2008/09/16(火) 19:28:38 ID:vrO3XU88
いちいち噛みつくなよ。俺は根っからの日本人だがちょっと平和的な事主張しただけで在日認定とかどんだけ病んでるんだよ…
確かに多くの中国人や韓国人はいつまでも反日感情がひどくて正直いい気分しないけどそれはアホな指導者の反日教育のむしろ被害者だろ?なに人だからああだこうだ言うお前らは日本人の恥。
日本人は綺麗事を実践する誇り高い優しい民族でいてほしい
157名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 22:47:23 ID:puS4MLbb
>>156
当の中国人や韓国人に
「あなたたちはアホな指導者の反日教育の被害者です」
と言ってみろよw
158名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 06:24:39 ID:zbWR1ku5
>>150
ああ、あれは泣けたぜ。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 10:13:01 ID:ovP8ByGn
>>156
無能な為政者が失政から目をそらせる為に反日を煽っているんだろ。嫉妬深い民族にはそれが最上の手段だからな。
被害者?そんなもん知らんがな。無能な為政者を選んだのもその「被害者」達だろうよ。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 19:59:41 ID:f+r/BS45
徳川幕府の復活を希望します。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 20:17:11 ID:MZJtx5gw
室町幕府の復活を希望します。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 01:48:33 ID:esxGsTI/
鎌倉幕府の復活を希望します
163名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 02:56:20 ID:LYls5xVs
戊辰の恨みを晴らして下さい
164D?W:2008/09/18(木) 03:00:02 ID:f1JkhsXq
船に乗っていたとき隣にいた奴が死んだって事を聞いたのを覚えてる
165名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 03:20:37 ID:oWOe007P
引き分けだなんてない。これが最も短い表現。

我が国に巣食うシナ人、鮮人工作員による掲示板活動で日本国民が洗脳されているのを憂える日々だ。

166名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 16:09:44 ID:qSF0i5w3
>>104
それは凄いですね。
エリートだなあ。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 17:16:30 ID:yZHT3odh
第二次世界大戦ではないが、関ヶ原の戦いで石田三成方の武将をご先祖が捕ったらしく
家の蔵にその当時にもらった褒美の茶器+刀がまだ残っている。で拝領した土地もそのまま。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 20:26:08 ID:LYls5xVs
俺の爺ちゃんなんか、朝鮮人のウンコを汲み取りしてたらしいな
169名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 20:55:02 ID:mD+aEa+e
戦争で米兵の捕虜になったんだが、ジャガイモを盗んで警備のヤツにケツを撃たれた。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 22:28:23 ID:FJ9BRi9/
シナ人に捕まると目玉くり貫かれる!と言ってた。
けっきょくあいつら野蛮人なんだよw
まあシナ軍やら山賊やらバシバシブチ殺して余裕で兵役期間終了w
個人的に神の戦士だと思っている。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 22:58:56 ID:Jqw5ZMCE
母方の祖父はB級戦犯で逮捕され処刑された。
旧陸軍で少佐だったらしい。
毎年、靖国神社へ行っています。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 23:37:08 ID:esxGsTI/
戦争いくない(´・ω・`)暴力だめ(´・ω・`)
173名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 23:40:36 ID:h+hTL5Tw
>>172
君は平和な時代に生まれて良かったね
174 ◆XV00UpuNRE :2008/09/18(木) 23:45:48 ID:NvTcL2MG
戦争がいい政治判断ではないという事は衆人一致した考えであろうと言える。
だが戦争に至らなければならない状況という政治的判断にいたったならば躊躇なく軍を派遣・・

戦争ってなんで起きるんだろうね?
175名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 00:32:31 ID:IgHNFoqz
その場の空気じゃね?
176名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 01:10:33 ID:rZq5JJLp
人類の発展は、戦争と共にある。戦争する事で人類は発展している。
大きな戦争の後に、人類社会は劇的に発展している。
支那やロシアなんか、早く戦いたくてウズウズしてるじゃないか?
もう避けられない。
この世は、地獄の動物園だ。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 01:35:30 ID:NyFsfbOF
なんかさ〜本当の豊かさって一体何なのだろうね。

お偉いさん方が手に入れたい理想の世界って何なのだろうか。

わけあって平和にみんなが笑える世界に憧れたりしないのかな。

そんな事を考える仕事辞めて早2ヶ月のわたしです

178名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 06:45:10 ID:ERYA+i2A
戦争はなくならないよ。
武力ってただの外交手段の一つだし、
外交の延長線で戦争突入するのは当たり前。

貧困が起きてる地域じゃ食糧や資源確保のため他民族を
何万人も殺すっていう民族浄化は今だってしょっちゅう起きてる。

戦争良くない?
パレスチナの10歳くらいのガキが言ってたぜ。
「家族全員殺されたんだ。」イスラエル兵を指差して
「大きくなったらあいつらを殺してやるんだ」って。

誰しも豊かになりたいって思って、
金儲けして稼げるものは稼いでおく。
自然と富の独占が起きるんだよ。
そして、一方じゃ貧困は深化してさ。

豊かさを求めない人間なんていないからね。
悲しいけど貧困も戦争もなくならないよ
179名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 09:23:25 ID:KOuLfqAg
祖母は女学生時代に満州に行ったそうな
その祖母のおばさんが従軍看護婦で、そこに行ったんだと
祖母は満鉄で働いたと言っていたが詳しいことは不明
当時は若かったし日本人女性だからたいそうちやほやされたとか
事変か何かの時に引き上げたと
「あー価値が下がる前にもっと日本にたくさんお金を送ればよかった」とおばさんと後悔しあったと
(日本海側から無事家のある大阪方面に出れたと言っていた)
180名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 17:26:57 ID:ooRj5TFO
じいさんはアメリカ軍の捕虜になった時に缶詰盗み食いしたのがバレてそのあと無理矢理大量の缶詰を食わされたとか…じいさん生きててくれてありがとう
181名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 22:10:06 ID:9KS346w+
いいはなしだな〜(;´д⊂)
182名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:25:42 ID:noeZi8HU
俺のじいちゃんは今も現役だが当時特攻隊だった。
なんで今俺がいるかというと零戦で飛び立った後太平洋で
終戦の知らせが来てそのままUターンしたそうな。

もしかして怖くなって帰って来たのかなとくそ馬鹿な考えもあったが、
去年その神風〇〇隊(?)とかの同窓会みたいなのがあった。
その連絡と書いてある事を見てじいちゃんの言ってる事が本当だって事が実感出来た。


今もじいちゃんを誇りに思ってる。超頑固者だけど
183名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:34:52 ID:ZrvEGFyA
数十分もしくは数分の差であなたがここにいるかいないかだったんだね°・(ノД`)・°・
184名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:44:50 ID:kOONs7LX
>>176 その行く末が人類絶滅にならなきゃいいけどね
185名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:46:36 ID:kOONs7LX
>>180 まあ鉛玉食らわされなかっただけ善しとすべし
186名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:49:12 ID:gwBli5q2
シベリアに抑留されたじいさんが言ってたんだけど、外オシッコですると下からどんどん凍ってきちゃって、ちんちんにくっつくから金づちで叩きながらしたって。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:50:25 ID:kOONs7LX
>>186 何か落語のネタみたいだけどマジ?
188名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 05:32:23 ID:ZrvEGFyA
曾祖父さんが満州で飛んでるすずめが飛んでる最中に凍って落ちてきたらしいから満州よりも寒いロシアなら本当ぽい
189名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 07:54:11 ID:uzkKOi2p
>>186
からかわれたんだよw

マジレスすると、後ろ向きにダッシュしながら立ちションすれば無問題。
ってオレの爺さんが教えてくれた。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 10:45:41 ID:+JgWLV+N
>>187
ウンチが凍っちゃって、スコップで崩さないとお尻に刺さるのは聞いたことあるよ。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 11:55:38 ID:TWoIsacv
うちは5代にわたっての医者一族。
俺が国試受かったとき爺さんに教えられたこと。
「トリアージ」
生きれるものとどうやっても死ぬのと見極め方。
生きれるものに全力尽くして死ぬものには安楽死。

俺の後輩の桜井の親父が聖路加の院長で、地下鉄サリンのときトリアージやった。

中国戦線に行ったそうだが、被弾負傷した兵士が、爺さんに上申して帰国できるよう、
傷病重症化させて(診断書偽造)ずいぶん帰国させたそうだ。
当時は誇らしげだったそうだが、代わりに配属された新兵(学徒動員)を戦地に送る結果となってしまって、
死ぬ間際まで後悔していた。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 16:19:42 ID:MpzthC/7
もう亡くなったけど、仲良しだった近所のじいちゃんの話。

じいちゃんは小さい頃に両親がしんじゃって親戚に育てられて、
なんとなくいづらくなって、15だか16で志願して海軍に入ったんだと。
最初は筑波で訓練受けてたけど、行き先を言われぬまま移動させられて、
列車の道中で故郷の静岡にさしかかったとき、なんかもうこれでオサラバみたいな
ふいんきだったので、手帳に別れの言葉と名前、拾った人に、どうか
家族に届けてくださいと書いて、窓から放り投げたんだと。

着いたところは鹿児島の知覧、特攻隊の出発基地。
覚悟を決めて自分の番を待ってるうちに戦争が終わって行き伸びたけど、
なんだかいつも生き残った自分に「申し訳なさ」を感じているような、
遠慮がちな、腰の低い人だった。投げた手帳は、無事家族に届いてたって。

もっとたくさん話を聞きたかったな。もっと遊んでほしかったな。。。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 18:01:27 ID:A0oRLthh
爺さんが死んだときに、戦争中の写真(数十枚)をもらったというより、捨てられるところを回収したんだけど。

写真を見ると大陸へ行っていたみたいで、上海で撮影したものなど中国らしい建物や中国人
がたくさん写ってる。一例を挙げると

ターバンを巻いたアラブ系の兵士と水兵(日本)の写真
漢口神社と書かれた神社の写真
コンクリートで作られたと思われる塔のような大きい建造物の写真
階級が上っぽい人がトラと一緒に記念撮影した写真

などなど。ほかは人物の写真が多い。

一緒に住んでいなかったから戦争の話は聞いたことがなくて
大陸のどこへ行ったのか、どこの部隊か、どの階級かなにも分からないけどね。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:15:36 ID:nacg+QvY
>>157
いつでも言ってやるよ
195名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:24:07 ID:iZ33XdyJ
>>99
うちの母方祖父(青森)もパラオに行ってた。
母によると小隊長だったらしいが事実は不明。
現地で撮った写真には、いかにも南国風な建物に観葉植物、書斎?に座り
何かを書いている若き日のじいちゃん(佐田啓二似。白黒だし映画スターみたい)が。
無口だが優しく穏やかで、大好きなじいちゃんやった。

戦争中の話、何をしていたか何を思っていたか、訊きたい事はたくさんあった
けど、訊いたら辛い記憶を呼び覚ますようで悪いような気がしたのと、
言葉がかなり通じない(私は大阪で生まれ育った)のとで、86歳で亡くなるまで
何も訊けず終いだった。

父方の祖父は貧弱な体格で丙種だったので戦争に行かずに済んだ。
膿家脳ジジイだったので嫌いだったわw
196ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2008/09/21(日) 00:55:38 ID:Tx5PxC37
本籍は石川だったが、京都に出ていた祖父は昭和18年に陸軍に徴兵され、佐世保港の警備隊に配属されて
昭和20年まで佐世保勤務。一度潜水艦の中を覗いたらしい(まるゆ艇?)
その後東京大空襲の直前に東京の赤坂に移動し、空襲に罹災。生き延びる。
アメリカ大使館が燃えてなかったのを確認してやっぱ米さんはすげえなともらしたとか。
終戦後は部隊ごとどこかの山まで行軍し、装具を全て捨て解散。戦闘体験無し。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 01:41:47 ID:CWvDF1q+
家の亡きじっちゃん、使えない「地方出身者」のせいで、本来3人で運用するべき機関銃を二人で運用するハメになったってずっと自慢してた
198名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 02:08:51 ID:acqGYWUv
ドイツ大使館には、親衛隊の制服を着た人がいて、格好良かった。
と、無きじいさんが言っていたな。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 17:22:00 ID:PLR3qg0R
>>197
「地方出身者」はいないが、戦争末期にシナへ行ったじーちゃん達新人組
物資もないから3人組で銃を一丁賜った。のはいいんだけど
その銃が壊れてた。結局さびたような刀と、足下の石や砂を投げて対応したとのこと
銃が壊れてるのを確認したとき、「ああ、人生これまでか…」と思ったやらなんやら

実戦は結構あったらしいけど、生きててよかったお
200名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 19:53:23 ID:wSsxYBij
こんなスレあったのか。

うちのじじいは和菓子職人になるために住み込みで修行中に徴兵されて、
大和で飯炊きしてたことがある。大和に乗艦命令あったとき階級が二等主計兵曹で
リアルで反町の役だった。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 20:57:49 ID:WVjiECSO
今日は映画の日じゃないか!!
202 ◆XV00UpuNRE :2008/09/21(日) 21:57:47 ID:iGUW44XK
映画の日は12/1だよ。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:59:02 ID:h/vHNow5
一日本国民として一生涯昭和天皇を軽蔑するとともに、大日本帝國軍兵士を一生涯敬う
204 ◆XV00UpuNRE :2008/09/21(日) 22:14:18 ID:iGUW44XK
天皇って機関だからさ。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:21:59 ID:cEA/tgbK
隣のじいちゃんは満州で3000人の部隊にいてソ連に追われてた。敵に鉢合わせて隊長に二人で機関銃持って突撃してこいと言われ突撃。しかし敵の攻撃は頭越えて後ろの3000人の部隊全滅。一週間逃げまわったがフンドシ降って降参して捕虜になったって。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:47:08 ID:FAzuZsa/
a
207名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 00:01:24 ID:6NK7JOdE
>>182
それお前の嘘か、ジーサンのホラ。
8月15日に出撃した特攻は大分の701航空隊と
沖縄に突っ込んだ宇垣中将とその僚機。
両者とも彗星。
海軍航空隊のパイロットで彗星と零戦間違えるヤツはいない。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 00:03:19 ID:6NK7JOdE
このスレ最初から見て
明らかな嘘ネタがたまに散見される。
マニアにはすぐにばれるから
みっともない。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 00:08:45 ID:nRz1M1FO
第二次世界大戦での主な国の犠牲者数

   国  名     兵  員  の     一般市民の
           死  亡   行方不明  死   亡
   アメリカ     407,828      ―      ―
   イギリス     353,652    90,844    60,595
   フランス     166,195      ―    174,620
   ポーランド            (6,000,000)     
   ソ  連            (20,000,000)     
   中  国            (10,000,000)     
   ド イ ツ    2,100,000   2,900,000    500,000
   イタリア     389,000    214,647    179,803

   日  本   約2,300,000           約800,000 (単位 人)

      日本の兵員のうち、朝鮮・台湾の兵員犠牲者、約5万人を含む。
210ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2008/09/22(月) 00:24:58 ID:jffPkyMs
うちのじいさんの戦争体験。

・父方:戦前に結核で死亡。
・母方:博多の中学校で国語(この時代だと国漢?)の教員。
     既に中年の域だったために工場の動員等で銃後での生産活動に挺身。
211 ◆XV00UpuNRE :2008/09/22(月) 00:40:42 ID:DVRQyWzx
ソ連や中国のWWUの犠牲者の半数以上は政治的な奴やら内戦化での・・・・だそうです。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 01:50:35 ID:iRem8DUk
リアルに告白する。
俺のじいちゃんは戦死している。
グアムに降下した落下傘部隊の一員だ。
部隊全員が死んだ。
俺はじいちゃんを誇りに思っているぜ!
213名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 02:23:23 ID:L7Zq6gv/
じいちゃんは徴兵されたけど、戦地に行く前に戦争が終わったと言っていた。
じいちゃんの兄弟は何人か戦死した。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 05:15:38 ID:GUzttGGI
戦争行った人は天皇から感謝状?みたいな物が送られてきてるよな。じいちゃん他界しちゃったけど部屋に飾ってある。右腕に弾が二発入ってると言って傷見せられ戦争の恐ろしさ


を知った。非常食はバナナだったらしく、じいちゃんの嫌いな食べ物はバナナだと言ってた。後、立って寝るのは当たり前と言ってた記憶がある
215名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 05:48:34 ID:71wgJAjQ
秋葉でよ毎日食べてるビイフボール屋さんがあるをだけど営業が江戸時代営業開始だって言われてるけど本気かな?
216名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 10:28:49 ID:hr5DLe+N
父方の曾祖父
工兵部隊の兵長としてニューギニア島に出征。戦死。奇跡的に生還した戦友の方の話によると、機関銃を射撃中に敵の集中攻撃を受け負傷、しかし、迫り来る戦車に爆弾を抱えて突撃し、猛烈なる最期を遂げたらしい。


母方の曾祖父
ビアク島に出征。戦死。部隊は玉砕し、戦いの様子は文献でしか読む事が出来ないが、かなり壮絶な戦場だったみたいだ。

共に、粘り強く勇猛と称えられた東北編成の部隊。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 10:34:30 ID:Qvl2Vg0C
>>207
戦果確認の為に追従した護衛戦闘機が一緒に突っ込む事もあるからなぁ。
宇垣さんは一式陸攻だったよな?
218名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 11:51:53 ID:vEZYGW0r
どこのソロモンだよ
219プー子:2008/09/22(月) 12:21:00 ID:x70p7v9X
ウチのじいちゃんは、中国にいたらしいよ。家にいたら中国人とかロシア人が乗り込んできた事もあるらしいよ。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 13:05:00 ID:+lro0lQy
俺のじいちゃんは陸軍士官学校の教官だった。
シナ事変のときは大陸に行ったが、最後は国内で病死した。
やさしい笑顔のじいちゃんの写真がうちにある。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 14:05:42 ID:6wdG9Xhd
>>217
宇垣特攻に随伴したのも全部彗星。
701空も彗星。
8月15日に特攻出撃した者に零戦は無い。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 14:24:11 ID:jacbbq+3
>>217
彗星です。中津留機に搭乗し出撃してます。
223名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 14:48:15 ID:Qvl2Vg0C
>>221>>222
宇垣さんも彗星で散華されたのか。一式陸攻だとばかり思ってたよ。知ったかぶりですまん。

結局、陸軍の阿南・海軍の宇垣の両閣下しか武人としての責任を取らなかったんだなぁ。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 15:56:31 ID:jacbbq+3
フィリピンで初めて特攻隊を組織した大西瀧治郎も割腹自殺しています。
ただ宇垣中将は部下を連れていった事に賛否両論あるけどね。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:01:28 ID:iRem8DUk
>>223
服毒や割腹、斬り込んだ司令官はたくさんいる。

迂闊な事を書くな
226名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:34:21 ID:jacbbq+3
戦闘艦の艦長なんかは殆どが艦と運命を共にしてるね。
それが当時は美学でもあったんだけど。
ただ、戦艦比叡艦長の西田大佐だけは沈没後に生還(部下の士官達に無理矢理担がれて退艦させられたらしい)してしまい、すぐに予備役に編入。終戦後は辛い晩年を過ごしたらしい。
比叡は連合艦隊が日米戦で失った最初の戦艦だったし、開戦前にはお召し艦の栄誉を授かった艦。
生きてしまった事でいろんな葛藤があったんだろうな。
まぁ、中にはインパールの指揮官みたいな人もいるけど。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:47:49 ID:jacbbq+3
死んだ祖父の弟は航空母艦飛龍の甲板員だったらしい。
チラッと昔本人から聞いた話なので、ミッドウェー以降どこに配属になったかは聞いてない。
まだ存命してます。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:48:42 ID:o9QUUt/j
山口多聞には生きていてほしかった
229名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:59:33 ID:jacbbq+3
>>228
そうですね。
空母機動艦隊の司令として暴れて欲しかったな。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 19:44:16 ID:lLJybdtd
>>223
田中静壹を知らんのか!!
231名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 23:36:59 ID:iRem8DUk
フィリピンでは、終戦後暫くの間、在比米軍に対し、残存日本兵による斬り込み攻撃が頻発した。
これらの事件は、極秘とされ、戦死者の遺体も即座に始末された。
当然、日本政府にも知らされていない。
敗戦後にも、多くの日本兵が、米軍や比軍の手によって殺されていたのだ。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 01:31:38 ID:gwqeC0d5
美化すんなよ。
遊兵化した日本兵は、戦後も
食料奪うために島民襲ってたから当然だろうな。
もう軍隊じゃなくて山賊の類と化してたから。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 02:29:15 ID:PszLe/RP
>>232
お前、在日か?
234名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 02:52:59 ID:rlpfq9Ar
戦後知ってりゃ山賊にゃならんだろw
上官来るまで止めないランボーみたいに奴は別だがw
横井じゃなくて誰だっけ南米行った人
235名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 02:59:52 ID:Y5ti547l
>>234
小野田寛郎氏だね。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 06:08:07 ID:Svu9Xs3M
一昨年に亡くなった祖父は軍隊で馬の世話をしていたそうです。
意地の悪い上官に苛められたといっていました。

厩舎の中を常に清掃しているのに、上官が見に来る直前になると馬が汚してしまい、
道具を出す時間が無い時に手で馬糞をすくって綺麗のした事が有るそうです。

個人の尊厳は全く無視される世界だったんだなと思いました。

結局、戦地に行く前に戦争が終わったので実戦経験は無いそうです。

意地悪な上官は嫌われている自覚があるらしく戦後に開かれた集まりにも、
決して出席しなかったそうです。

ある意味では上官も戦争の被害者なのかもしれません。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 07:45:39 ID:PszLe/RP
>>232
ここは、お前達チョン公の立ち入るスレじゃない。
身の程をわきまえろ。

ハングル板に引っ込んでろ、
分かったな。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 09:32:51 ID:Dmku0LZB
>>237
チョンとかシナとかくだらね〜
どちらの国も嫌いだけど事実を事実として受け止められない
テメーみたいなのが一番の問題だな
239名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 09:38:15 ID:iiip8Y0F
私の祖父はもう他界しましたが、神風特攻隊の基地があった鹿屋で、一式陸攻乗り組みの整備員をしていました。今なら航空機関士とのこと。
上方20mm動力銃座の配置も兼ねていたそうです。

よく私に話してくれたのは、特攻兵器・桜花を運んだ話。
鹿屋からの出撃が初陣で、乗り組んできた桜花特攻隊員も同い年で19歳。
とてもおとなしい印象の人だったと。この特攻隊員に話を聞いておけばと思ったが、 当時は自分も死ぬと思っていたから聞かなかったとか。

桜花発進の時、搭乗員全員で特攻兵へ敬礼をした。彼は「ありがとうございました!!」とニコリと敬礼をして発進したらしい。

その後は、グラマンから逃げるのと銃座の応射に必死だったそうで 、桜花が命中したかどうかは曖昧なままだった。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 09:59:32 ID:ioUwMqoZ
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/00/12/index.html
下記は第2次大戦中の日本軍の残虐行為についての記録である。それはフィリピン人でも日本人でもない歴史家が書いたものである。君の日本軍の残虐行為についての知識は、君が信じやすいような日本の歴史家によるものであろう。

デビッド・ベルガミニは「山下将軍の反対にも関わらず、東京の司令部は元侍従武官・岩淵三次少将率いる1万5千人余りの海兵隊と艦船をマニラに派遣した。

残された軍需品・軍事資材の処理のため山下将軍の残した4千乃至5千人の兵士と共に、岩淵提督は街から街、家から家、溝から溝まで競争で破壊した。

1ヶ月後、最後の日本兵が吹っ飛ばされたとき、マニラの最も美しい部分は廃墟と化した。

その中には古くからの家族が一度は住んだことのあるマラテ・エルミタ地区(マニラの中心部)も含まれる。

太平洋地区の連合国総司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が、かって住まいとしていたマニラホテルでは部屋から部屋まで戦場となった。

岩淵と彼の部下は、最後に当たり、マニラのイントラムロス(スペイン人が最初に城塞を築いた地区)で、何千とは行かなくても、何百人というフィリピン人を無慈悲に殺し、何千人もの婦女子を強姦した。

ベルガミニは死ぬと決めた彼らは、彼らに騙されたフィリピン人に何の慈悲心もなかった。彼らは女を強姦し、男は機関銃で殺した。戦争が終わったとき、千人のアメリカ兵、1万6千人の日本兵、10万人のフィリピン人が死んだ。


歴史家ウィリァム・マンチェスターは「マニラの荒廃は第2次大戦で破壊された都市の中でも最大のものである。連合国の都市ではマニラに匹敵するのはワルシャワのみである。


公共設備の70%、工場の75%、南部の住宅地の80%、ビジネス街の100%が破壊された。

マニラの戦いの話は、奇怪な結末を話さなければ終わらない。

それはマニラを破壊から救おうと望んだ山下将軍はバギオでアメリカ軍の捕虜となり、

マレーの虎は連合軍、特にフィリピンに対する戦争犯罪を問われ、米軍の軍事法廷で裁かれ、絞首刑となったのである。

241名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 10:25:24 ID:rlpfq9Ar
当時のマニラは冷蔵庫が当たり前のように一家に一台あって30年代後半の生活水準だったらしいね、移民で現地知ってる奴らはアメの国力を肌で感じてるからひたすらドル貯めて戦後のヤミ市場で儲けまくり
242名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 10:45:38 ID:Ad3TOJ0n
祖父は中国で戦車に乗ってたと聞いた。
敵の戦車が来ると味方の歩兵が戦車の陰に隠れようとするので、
的にならないよう追い払い、こちらが撃っても破壊できないので
逃げたと言ってた。

だから生きのびたんだろうけど、、、ちょっとビミョウな話だったのを覚えてる。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 12:02:16 ID:ahBDa56U
>>242
敵の戦車ってモノンハン事変に参加したの?
なら奇跡的に生還したんだね。
ほとんどブリキなごとく撃ち抜かれたらしいからねぇ。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 12:45:41 ID:q6AlwHJj
ノモンハンの戦車隊は被害がでかくなるとまずいと、考えて、
早々と撤退残った兵隊と機械化部隊との戦いになったのだよ。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 13:00:10 ID:ahBDa56U
>>244
中期以降は逃げ帰ってるけど前半は果敢に挑んでみたけど
真正面からじゃ歯が立たないから車体を埋め砲塔だけ出して
までして応戦してるね。
それでも被害が甚大な為撤退つうか戦力的にも壊滅に近かったんじゃね?
246名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 17:33:24 ID:r81HO2U4
>>239
こんな若者をなぁ。
なんか許せないとかしか言えない。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 19:59:07 ID:PszLe/RP
>>246
チョンには、この美しい話が理解でき無いだろう?

捏造された歴史しか信じない民族には、理解は不可能か?
248名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 20:12:23 ID:mH1ivk1b
>>233
沢山本を読め。
思想の偏りなく本を読め。
小野田氏のように継続作戦行動として散兵となったのは
少数派で、あとは遊兵となったのが事実。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:08:54 ID:q6wXheqO
>>110

歴史捏造は特定アジアの得意業だよな。

自称、『地上の楽園』半島の北へ返れ!
250名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:42:26 ID:bQqeO32T
>>247

その美しい話で上層部の無策愚策を糊塗しようとするのが不愉快だ。糊塗までいかない迄もまやかしだ。
有為な若者の命を浪費して何が聖戦か!負け戦に突っ込んで行った将校連は腹を切れ!死んで二百六十万柱の英霊にお詫びしろってんだ!
貴様、本当に大和男児か?
251名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 00:11:01 ID:4tKyEvAp
>>250 腹切った軍人沢山いるけどな
252名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 01:41:10 ID:aaZUzzEA
結局>>250も自分の思想に合う面だけを見て、別の面から目を背けているに過ぎない。
やってることは美化された面しか言わない右翼と全く同じ。
253名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 02:02:30 ID:CzdDJH12
一昔。。。いや二昔前くらいは、
戦友会のじいちゃんたちもまだ元気で、
電車の中で「高射砲は当たらなかったー!」とか
平気で武勇伝を語ってたよね。

今は戦歌とか歌ったとたんに封じ込められる時代。
じいちゃんたちにとっては戦歌が青春の音楽であり、
俺らトシ食ったらサザンとかB'zとか椎名林檎歌ってたら
白い目で見られたらそりゃ悲しいよな。
254名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 02:27:46 ID:+BrOxG4N
戦歌って何?
255名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 04:27:19 ID:go7tAEpO
チョンは汚らわしい生物だ。
際限無い欲望を満たすために、心優しい日本人に紛れ込み、日本人の顔をして、汚ならしい触手を伸ばしてくるのだ!

こんなヒトモドキは、
近い将来、正義の日本人の手によって皆殺しにされるだろうw
256名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 05:58:16 ID:L4O0vUdH
>>255
レス乞食乙。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 14:31:31 ID:B8Dmttxd
だから極端なんだよ
ブサヨも劣士も
258名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 18:14:26 ID:w8uxLmQG
先入観なく、たくさんの本を読むのは賛成です。
知識を頭に入れる事で初めて冷静な歴史認識が出来ると思うよ。
勿論、戦争に行った人々は自らの体験からの考えだから、それぞれの意見があって当たり前だよ。
戦争を知らない我々こそが今後の為にも、冷静に歴史認識していかなくてはならないと思うけどな。
2591/2:2008/09/24(水) 21:04:25 ID:/1rxqaCK
唐突においらが伯母さんから聞いた話をしよう。

戦中のある日、空襲があった。
父親は軍属で基地に行っていて、家には母親と姉妹のみ。姉(伯母)は小学生だったが妹は就学前だった。
警報を聞いて三人で防空壕へと走る。だが、漸く辿りついた時、妹がはぐれてしまった事に気が付いた。
既に空襲は始まっており、焼夷弾の落ちる音や高射砲の音が響いていた。

母親は姉に、いざとなったら親戚を頼れ、と言うと、眉を吊り上げて壕を飛び出してしまった。
母を止めようとする大人の怒号と、長く長く長く感じた空襲の音と振動を良く覚えているそうだ。
やがて空襲警報が解除され、焼夷弾に焼かれくすぶる街の中、大人たちと共に母を探しに行くと…
2602/2:2008/09/24(水) 21:05:38 ID:/1rxqaCK
やがて、防火用水槽の中に腰までつかり、ずぶ濡れで茫然自失の体で立ち尽くす母親を見つけたそうだ。
後に“大空襲”の名を付けられたその空襲の中、奇跡的に無傷だったという。

ちなみに妹は
見知らぬ若者に手を引かれ、別の防空壕で難を逃れたという。
後に一家でその若者を捜したが、ついに見つけられなかったそうだ。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:31:16 ID:Nw0BcjhG
>>247
失せろゆとり池沼。
美しい話とか抜かすのは100年早い。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:34:44 ID:Nw0BcjhG
あぁ、左も右も読んで置いた方が良い作家が一人居る。

作家 吉村昭

この人読まないで、戦前、戦中、戦後は語れない。
真実のみの記録文学ですから。
右も左も脳味噌がリセット出来ます。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 02:31:13 ID:d9Zaw3ep
吉村昭氏は、完全な愛国者だな。
その文学も神秘なまでに美しい。

特に「零式戦闘機」の末尾の部分、
若い女工達の白く美しい手によって、愛着を込めて工場から押し出される新品のの零戦。
その汚れ無き機体に、月光が淡く反射する・・・
女工の首筋に汗がひかる・・・
吉村氏の作品には、日本の気高さ、美しさが、溢れている。
チョンには理解不可能な領域だ。
264名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 03:38:18 ID:UHd0Vgek
>>262 >>263さん
さすがですね!吉村文学は私も大好きです。
>>263さん
気分を害されたら申し訳ありません。
最後の一行が…少し残念です。
せっかく素晴らしい投稿なのですから、これからも素晴らしい意見を聞きたいです。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 03:44:42 ID:UHd0Vgek
>>259 260
凄い体験ですね。
伯母さんはまだご健在なんですか?
266名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 09:54:19 ID:INQQwVyL
せっかくの良スレだ。

職 業 右 翼 や 嫌 韓 厨 に 惑 わ さ れ る な !!
少々気食を変えて・・・
母方の祖父は満州で警察官をしていたらしい。
中国戦争孤児の通訳もした。
警察官だけあって厳格な方で終戦後娘(母の姉)に
『おじさんなんか満州に帰っちまえ!!』
って言われたんだと。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 10:02:14 ID:2g4hXszL
>>253
戦歌ってなに?
268259:2008/09/25(木) 10:04:41 ID:N8sr5K2t
>>265
はい、姉妹共に健康です。
週に一度のカラオケを楽しんでいるそうです。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 11:09:26 ID:9oUJ1E9O
>>267
パチンコ屋で戦意高揚の為に流してるアレだよ。
大金作って玉砕する戦士を死地に追いやる歌
270名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 12:00:10 ID:2g4hXszL
>>269
うちの近所のパチ屋ではハロプロとかエグザイル流してたけど、ああいうのを戦歌っていうの?
271名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 12:13:20 ID:X8644IzM
職業右翼や嫌韓厨に惑わされるな!!
と同時に
職業左翼や自虐厨に惑わされるな!!
も付け加えておこう
どちらもうざい

>>267
軍歌や戦時歌謡のことだろ
272名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 13:45:14 ID:2g4hXszL
>>271
どうして軍歌や戦時歌謡・軍国歌謡を戦歌っていうの?
戦歌でぐぐってもひっかからなかったよ。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 13:46:14 ID:G4yjK7tc
軍歌はラバウル小唄や戦友みたいに郷愁を誘うもののほうが兵に人気がある
274名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 14:29:49 ID:UHd0Vgek
>>268
よかったよかった!
長生きして欲しいですね。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 15:08:10 ID:9oUJ1E9O
>>272
おまwカラオケの本にも乗ってるだろ
276名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 16:03:27 ID:j6exhiY5
インターネットには森羅万象全てのことが乗ってると
思ってるバカ乙w
277名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 16:47:21 ID:2g4hXszL
>>275
カラオケ本で「戦歌」って項、あったっけ?
「軍歌」ならよく見るけど。

>>276
何に出ているの?
278名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 18:27:32 ID:X8644IzM
戦歌NG登録しました

>>275-276
以下スルーで
279名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 18:37:19 ID:d9Zaw3ep
しかし、何でこのスレにチョンだのチャンコロだの、ヒトモドキが粘着してるんだ?

まじでコイツラ、タコ部屋にブチ込んで、死ぬまで強制労働させればいい。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 19:31:59 ID:9oUJ1E9O
釣れてすいません。
当分ROMります。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 20:17:41 ID:cAkIfOhE
>>263
「陸奥爆沈」の書き出しと
「蚤と爆弾」は読んだか?

「零式戦闘機」だけでは吉村文学の真髄は見えてこないぜ。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 21:25:35 ID:l1MhwZoR
「海の史劇」「深海の使者」もいい。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 23:45:09 ID:d9Zaw3ep
>>281
当たり前だ。
戦記物以外にも、間宮林蔵、漂流、などの時代物も素晴らしい。

吉村氏の死に様も、まさにに武人だ。
癌に冒されても、一切の医学的延命処置を拒絶して、堂々と旅立って行った。

吉村が好きなおまいなら、遠藤周作や新田次郎も好きだろ?

やっぱし、シナやチョンには、日本文学は理解して欲しくないよなww
284名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 00:15:38 ID:PKfoAz0/
俺の爺さんはシベリアで抑留され肺炎にかかったが生きて日本に帰ってきた。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 00:59:36 ID:P4VrtLLm
うちの爺は衛生兵だったらしい。
負傷した仲間を担いで助けたらしい。
戦後、盆になるとその方から毎年果物が届いてた。
それは爺が亡くなるまで義理堅くも続いた。
そんな爺が配属されてた部隊が、新聞に写真つきでのった。
婆の形見から切り抜きが見付かった。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 01:34:20 ID:ApbUwYGB
そー言えば…爺さん大阪人を嫌ってたなぁ〜…同じ部隊ていろいろ有ったらしい…俺が子供の時に死んじゃたからなぁ。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 15:15:47 ID:dfS73+Ys
親戚の爺さん連中の話では、大阪の連中は弾が飛んで来ると「こりゃアカン」とすぐヘタレて駄目だそうだ。
いてまえのイメージが強いからイケイケなイメージだが。


逆に九州の連中は、横で人が死のうが お構いなしで突っ込んで行くそうな。
あいつら頭おかしいと言ってた。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 15:47:15 ID:4/aA4YlM
京都・大阪は弱くて有名だったらしいね。
強かったのが九州・東北。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 21:03:34 ID:wGWWpB8o
>>283
吉村昭は戦争反対派で日本軍部の無能部分をちゃんと指摘し、戦艦武蔵を
出した後、右ががった立場に思われ不快だったそうだ。
決して単純な愛国者というくくりでは語れない。

何かあるとシナ、チョンとか書く所にゆとりB層2ch脳な臭いがするんだよな。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 21:18:12 ID:IKDrnogz
》 吉村氏の死に様も、まさにに武人だ。
》 癌に冒されても、一切の医学的延命処置を拒絶して、堂々と旅立って行った。

これを武人の死ととるかはむしろ人生観の問題だな。
というか、末期ガンの時に痛み止めだけに留めて延命措置を断るのは珍しくもないんだが。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 21:26:04 ID:CWGJuH/9
うちの爺は海軍の衛生兵で敦賀で終戦を迎えたのに
家にかえってきたのはなぜか昭和22年春。
理由は教えてくれない。
食糧難の時代にツヤツヤした顔で戻ってきたそうな。

我が家には爺が船上で使っていた布ハンモックがあった。
すげえ強度だった。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:02:01 ID:wGWWpB8o
>>283
「冷たい夏、熱い夏」読んだら死に方が武人だとかどうだという表現には
ならないだろう。
ま、馬鹿に読解力は無いのだろうが。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 23:04:58 ID:u0NVzBsG
うちの親戚の爺様は、終戦直前に満州にいて歩兵だったらしいんだけど
ある日、砲兵の手伝いで馬車に砲弾積んで運んでたらソ連兵20人ほどが攻めてきて
敵の軽機関銃2丁を奪って戦闘してソ連兵全滅させたって言ってた。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 00:37:28 ID:lZlrfR3h
俺のじいちゃんは、北海道の炭鉱の警備員だったが、
ある朝鮮人が生意気だったので、スコップで叩きのめしてから熱湯をかけ古井戸に沈めたそうだ(笑)

戦後は警察官になって、勲章まで貰ってまつ(爆)
295名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 03:27:02 ID:cioFyGkF
俺の爺ちゃんは陸軍の少将とかで特攻隊の訓練を指導する立場にある人だったらしい。

詳しいことは家族にも話さなかったが、部下に対して結構ひどい事もしたという感じだった。
死ぬ直前まで外出するときは短刀を携帯していたらしい。元部下に怨まれてるのを自覚していたんだろう。

息子(俺の叔父さん)が戦後民主主義で極端な左よりの人だったので、ボロクソ言われてた。
晩年は物凄い孤独を感じていたらしく娘(俺の母)にたびたび電話がかかってきていた。

部屋にはゼロ戦等のプラモデルが飾ってあり、幼少期の俺に遊びながら説明してくれた優しい爺ちゃんだった。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 03:57:51 ID:1I7BOtuJ
うちのじーさまは痔がひどくなって内地に帰還させてもらったらしい
軍医曰く「こりゃ〜ひどい痔だな。まともに歩くこともできんじゃろ。帰ってよし。」
ホントかよ?! 日本軍余裕あるなーw
297名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 10:49:36 ID:yN5tp44n
あーそれは隊内で「アッー!」だったので
ほとほと困った軍医が出した結論だったのでせう。
298名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 10:59:05 ID:Ent7Jvuh
旧軍ってホモの巣窟だったってこと?
299名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 13:17:32 ID:YlmTR9AB
帝国陸軍はホモ厳禁だったぞ。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 13:27:47 ID:Iwx8LcO8
規則としてはキリスト教とかでも厳禁なわけで。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 14:22:20 ID:qzDdK53/
男子の恋愛は純粋高潔である、婦女子の付け入る場などない!!
302名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 15:39:24 ID:aUz9e5+O
>>296
余裕ということではない
無能な味方(足手まとい)は敵より危険ということ
303名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 16:25:40 ID:qzDdK53/
>>302
貴様イタリアを馬鹿にするのはヤメロ!!
304名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 16:36:57 ID:Iwx8LcO8
イタリアは有能だったぞ。ロンメルが叩き上げで自分の得意な戦術しか取れなかったのが悪い。
もっとイタリア軍の特性を活かした戦術を取ればイギリス軍を砂漠で拘束できただろうに。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 16:38:13 ID:9/hhVHy3
>>295
はい、ネタ乙。
陸さんの場合、特攻を言い出したのは富永中将だが
特攻隊の指導について、組織トップは航空総監部教育課長。
これは大佐が任官されてる。


お前さぁ、もう少しばれないネタ作りしろよ。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 16:53:45 ID:9/hhVHy3
>>295
それと、最後に少将を出したのは陸士38期で一人。
しかしこの人は戦死してる。
ということは君の祖父はそれ以前の陸士卒だね?
38期の人たちは1905年頃生誕した人たち。彼らより年上じゃないと
つじつまが合わないから、せめて曽祖父という設定の方が良かったのでは。

307名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 17:15:46 ID:9/hhVHy3
万が一、特攻命じた話が本当なら位はせいぜい中尉までの世代で、
指揮してた中隊から部下に特攻命じたくらいだろう。
これならありえる。
それでも存命されていて、90歳半ばくらいの年代だよ。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 17:38:32 ID:qzDdK53/
ロンメルってイタリア人だっのか、ドイツとばっかり、、、
309名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 17:41:08 ID:vwPrU5AP
>>307
だね。
おじいちゃんが少将なら
孫は団塊の世代でしょ常考

うちのおばーちゃんの話。
昭和20年当時は両国に住んでて
あの悪名だかい東京大空襲に遭遇した。
生まれたばかりの赤ちゃん(うちのお父さん)
おぶって逃げ回ってるとき、近くにいた人の防空頭巾に火が
燃え移って阿鼻叫喚の地獄絵だったらしい。
逃げ惑っているうち、呆然と板塀の傍で座り込んでる女性をみたら、
いつもは気がつよい典型的国防婦人だった近所の奥さん。
ああなると防火訓練なんてなんの役にも立たなかったってさ。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 17:48:46 ID:Iwx8LcO8
>>308
ドイツだよ。だからドイツの機動戦術をイタリア軍に取らせようとして失敗した。
イタリア軍は機械化されてない、歩兵中心の昔ながらの軍隊だったのに、
そんなことをしたら補給が続かなくなるに決まってる。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 21:23:46 ID:Q+nR6ZHJ
>>310
ドイツ陸軍も歩兵部隊中心ですが何か?
イタリアも機械化歩兵持ってましたが何か?
機械化って意味理解して使ってる?
ドイツの電撃戦ってのは運用と編成に基づいた戦術を指しているだけで
他国に比べて装備の上で機動力があったわけじゃないよ。
運用思想の違いだ。
ドイツ陸軍の装備理解してりゃその言葉は出ないわー。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 21:28:50 ID:Q+nR6ZHJ
開戦劈頭ドイツは戦車を歩兵支援火力とは別に
機甲突破するための近代的機甲戦にいち早く着目した。
他国はあくまで運用思想が歩兵による浸透戦の支援火力に
過ぎなかった。
しかし当初のドイツ陸軍の戦車はフランス、ソビエトに装甲火力の面で
劣っていたので「すごい戦車の戦車線で敵を圧倒した」というのは
世間に広まった間違いで、
つまり乙。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 21:29:31 ID:Q+nR6ZHJ
失礼。戦車戦なw
314名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 23:15:15 ID:yztZvrWf
>>311
兵站のトラックの数が全然違うだろうが。問題は工業生産力とドクトリンの違いなんだよ。
戦車も確かに貧弱だったが、ドイツから供与も受けられるし(たとえば北アフリカのアリエテ機甲師団)、
そんなことだけで趨勢が大きく左右されるわけじゃない。
北アフリカ戦線やエチオピア戦線での敗北は、明らかに陸上輸送力の貧弱さが招いたものだろ。
トリポリまでの海上輸送ができても、そこから前線に遅れなかった物資が大量にあったってくらいだからな。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 23:30:08 ID:7GBBT93L
宮崎あおい発言
「過去に起こしたことだったらきちんとぜんぶ教えるべき!」
日本が過去に戦争でやった悪いことでも「ちょっと人を殺しちゃった」みたいにわざと小さく書いたり、載せなかったっていうのを見てそれはキチンと載せなきゃいけないのにな」って思ってたんです。

宮崎夫婦反日記録
http://d.hatena.ne.jp/boutarou/20060725/1153824014
316名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 01:13:49 ID:B84WfAlg
>>315
殆んどの日本人は、チョンの事が嫌い。
まず、その現実を認めろ。
一体、おまうら何企んでるの?
317名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 01:58:56 ID:OqJTe0EP
>305、306
295書いたもんだけど、少将じゃなくて少佐だったみたい。すまん。
母ちゃんが少将だったとか言ってたから間違えた。

もう亡くなってるから書くけど、陸軍の倉澤っていう人のことだよ。
前にNHKで特集してた番組でも出てた。これでは倉澤参謀ってなってるけど。
第156回NHKのETV特集「許されなかった帰還−福岡・振武寮 特攻隊生還者たちの戦争」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
↑の左上の集合写真の真ん中にいるのが爺ちゃんだ。多分。
振武寮・倉澤でググッたら結構ヒットする。
『陸軍特攻・振武寮―生還者の収容施設(林えいだい 著)』この本も爺ちゃんとこの話だ。

ちなみに俺は今年30で母ちゃんが60。間違えてたのは認めるからネタとか言わないでくれ。
死んだ爺ちゃんが浮かばれんよ。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 13:10:34 ID:yX5ZEpCK
>>305
お前なぁ、鼻の穴膨らませて
鬼の首でもとったように得意になるなよw

>>295の話は記憶があいまいなだけで
嘘ついているようには見えんぞ。
っていうかネタっていうような話か?
>>295がわざわざ嘘を書く意味があるのか?
319名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 13:13:24 ID:VpEtVb7s
今日も三国人ばかりのスレだな
320名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 15:19:21 ID:mLCFXKi6
日教組は日本の癌です
321名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 22:02:18 ID:cLNW5f46
317>>( ゜д゜)ポカーン
322名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 22:03:08 ID:cLNW5f46
すげー人の子孫もいるんだな、、、
323名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 22:14:54 ID:L33Rl260
中山のほうが癌だろ
自民の劣化を見てると切り捨てるしかないな
324名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 22:21:14 ID:fvUyEPK1
>>317
君が少佐の孫だといっても、俺らは、信じるも信じないも
出来ないはなしだよ。証拠ないもん。
NHKのサイトやググったりして、ヒットする以上の資料とか
内容の書き込みじゃないし・・・
>>323
なんで、あんな失言すんだろうね、政治家て。
ありえんわ。
みんな頭いいはずなのに、ねぇ・・・
325名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 22:23:11 ID:L33Rl260
自民U世なんて
平均以下のバカ揃いと思うが
いい加減政界からたたき出したほうがいい
326名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 23:42:37 ID:GEPXG3Ki
うちのジーチャンは高校出てすぐに志願して
空軍に入隊した。
昭和20年の東京大空襲でも戦ったんだって。
戦後は英語教える先生になったんだけど
教師やってたバーチャンと恋愛結婚した。
今でも親戚がアメリカにいるよ。
昔の国際結婚は大変だったらしい。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 23:50:15 ID:L33Rl260
じじいがアメ公か
よくわからん文だな
328名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 00:10:13 ID:bQzAE/RN
当時は日本にもアメリカにも空軍はなかったはずだが……。
アメリカ空軍が1947年、日本に至っては1954年で自衛隊が組織されたとき。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 00:16:48 ID:+D06VlKT
ドイツ軍なのか
親戚はドイツ系アメリカ人で
330名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 00:39:43 ID:89Y7xhO7
中国戦線で中国軍に包囲されたが
得意の合気道でバッタバッタと
なぎ倒したって自慢してたなぁ
331名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 01:27:38 ID:smA9tW4+
爺さんはシベリアに拘留されたときに赤化教育を受けて、
日本に戻ったらアメリカの情報を流すようにし向けられたそうだ
爺さんだけではなく、相当の人数がいたらしい・・・が
日本の土を踏んだ瞬間に赤化教育はどこかにすっ飛んで、
港で尻餅ついてわんわん泣きじゃくってたらばあさんに発見されて帰宅したそうだ

そんな人が結構いたらしい
332名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 01:37:35 ID:jmuBbhPE
>>330
それなんて塩田剛三

>>331
中帰連の洗脳は完璧だったのにね
333名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 01:42:58 ID:Kv58iCvM
>>331
シベリア帰りで洗脳されて天皇暗殺を企てたが、
戦後巡幸中の陛下を前にした途端洗脳が解けた、って話もあるね。
334名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 01:45:51 ID:+D06VlKT
あんなに虐待しといて洗脳なんかできないよな
酒池肉林じゃないとな
335名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 08:49:41 ID:R46HjFdc
なんか「捏造乙」とか必死に書いているのがいるけど、
じぃちゃんに聞いた体験談をただ単純に書くスレなんだから
いちいち事実かどうか検証して書き込む必要あんのかね。

オレのじいちゃんが機銃掃射を受けた時の話とか書こうと思っても
いちいち突っ込まれたらヤダなと思って書く気失せたよ。
小学校の時聞いた話で、詳しいこと覚えてねーもん。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 09:10:05 ID:UkmRjk/7
うちのじいちゃんは家宝の村正を持って西南戦争に出征、
抜刀突撃してくる薩摩兵を「薩軍に殺された妹の敵だ」って何十人も討ち取ったらしいよ。

戦後は近所の子供達に剣術を教えたり、親の言うこと聞かない子がいると
「あのおじちゃんのとこに連れてくよ」って言って叱ったらしい。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 09:45:20 ID:kXN+Yj7g
家の爺ちゃんシベリア抑留されていたんだが「苦しかった」としか言わんかったらしい
所が亡くなってから暫くして近所の人が
「ソ連では妻のほうが上官だったてのはよくあって、お前の爺ちゃんは抑留時代ソ連軍の女仕官に
呼ばれて夜の相手をさせられたって言ってたぞ。旦那の方は何も文句言えんかったらしい。
それにロシア語には『不倫』という言葉は無いらしい」
と、話してくれた。
食い物を得るためにカバみたいな女とヤルのは日本男児としては恥辱だと思ったんだろう
何時も落ち着いた優しい爺ちゃんだったなあ
338名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 10:42:29 ID:1N7056q6
>>334
洗脳にも色々あってね。
オウム信者みたら分かるだろうけど閉鎖空間に追い込んで
過酷な世界観を演出(シベリアの場合そんなことしなくても過酷だが)
してとことん追い込んで少しの優しさを演出して相手の精神を混乱させる・・・
まぁ共産主義者の得意とする洗脳教育操作だからなぁ。
酒池肉林は政治家とか重要地位な相手を取り込む為の手段の場合が
ほとんだろね。残念ながら抑留者にはそんな事する必要ないからねぇ。
339名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 10:52:53 ID:Yrp74ngb
俺のジーサン、戦艦大和に乗って戦った
男たちの大和みたらジーンとしたよ。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 11:05:48 ID:I7ZuEE/I
>>336
マジかよ奇遇だな
俺の爺ちゃんも西南戦争で戦ったらしい
剣道5段で政府軍の兵隊を沢山討ち取ったって
お袋の話では凄い厳しい爺ちゃんだったって
俺が生まれる前に死んだけど生きてたら
いろんな話を聞きたかった
341名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 11:11:57 ID:CE9afSHT
>>336, >>340

坊やの御歳は幾つですか?
342名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 11:18:38 ID:tvpwnrcr
俺のおじいちゃんは日露戦争に参加したんだが
勇猛な戦いぶりで、お国から誉められたことが何度もあるんだって。
誇らしいよ。
だけど203高地の戦いでずいぶん沢山の部下を失ったらしい。
死ぬまで仏壇に線香を上げてたよ。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 11:31:26 ID:1N7056q6
俺の爺ちゃんは関が原の合戦に参加して・・・
ネタは尽きませんね(´;ω;`)
344名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 14:56:12 ID:1Smq0PA5
うちの祖父はゼロ戦のパイロットだったんだけど、
ドイツに技術交換で行ったらしい。
ロンドン空襲の護衛でイギリス上空でも
空戦やって何機も撃墜したそうだ。
「イギリスの戦闘機はのろくて、ゼロ戦と空戦になったら
勝負にならなかった」って言ってた
ドイツとの技術交換は極秘で、
終戦時に一切の記録は燃やされたらしい
345名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 15:05:05 ID:TWIE9sRe
質問があります。日中戦争時、炊事軍曹やってました。も一個上の位?総長は?総長って言うんでしょうか
346名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 15:27:30 ID:TWIE9sRe
上のつづきなんだけど、だれか教えてください。
満州に行っていたじーちゃん731部隊の炊事軍曹や?曹長をしていたのだけど、
詳しく知らないが、731部隊と言えば色々やってたらしいのだけど、
じーちゃんはそこでどんな仕事してたか少々気になって…。
腕に白地に十字の入ったの巻いていたから、衛生兵みたいのかと
思ってるのですが、分かる人おらんかね
347名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 15:47:58 ID:1N7056q6
>>344
松本零士の漫画だっけ?
何かそんな内容のやつあったような・・・
348名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 16:24:42 ID:LYL2XCOW
山奥の集落なので空襲は受けなかったらしいが、真っ青な空を飛んでいく米軍機が恐ろしかったと言ってた
爺ちゃんは若かったから徴兵されなかったが、爺ちゃんの兄さんは戦死したらしい
兄さんの事を話すことなく爺ちゃんは亡くなってしまった
349名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 16:27:46 ID:xVmBcgNH
>>340
何才だよw
350名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 16:39:41 ID:7ctzOfe0
うちのジーサンは子供のときアメリカに移住。
だけど戦争中は日本に帰ってきてて、陸軍に徴兵された。
ジーチャンの兄は米軍に入隊してて
米軍の捕虜収容所でバッタリ再会したんだと。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 16:47:58 ID:jmuBbhPE
>>350
それなんて山河燃ゆ
352名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 16:55:20 ID:k/sGlMXa
原作名:二つの祖国
353名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 18:29:15 ID:mQzWWRMY
このスレおもしれぇw
354名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 19:23:38 ID:nuKf7Jh8
うちのじいちゃんなんか、ナチスに傾倒してドイツに渡り、親衛隊のディルレベンガー師団に入隊したそうだ。
ポーランドでパルチザンを殺しまくった、と、懐かしそうに語ってたな。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 19:53:32 ID:CoOw2hsK
だんだん、ヨーロッパ戦線で活躍した爺さんが増えてきたぞ。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 20:10:58 ID:mQzWWRMY
バルジの戦いに参加したじいさんの体験談頼むw
357名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 21:51:37 ID:XJ6wlvCG
俺の爺さんはドイツ陸軍の大佐でロンメル将軍の参謀をしていたそうだ
358名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 21:53:48 ID:RWiBo5oE
>>357
それは奇遇だな
俺の爺さんはロンメル将軍だ
359ツール・ド・名無しさん:2008/09/29(月) 22:22:48 ID:DIs/SH/X
いい加減マジメにやれ!
360名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 23:38:32 ID:1N7056q6
怒られたちゃった(´;ω;`)

じゃ一個聞いたの出します。
ガキの時分に隣に住んでたおじさんの話。
戦争中は10代だったそうで田舎育ちなのもあって
空襲とかそういう実感はなく、疎開してくる人が増えて
閑散としてた田舎の小学校に生徒が増えて都会の奴は
良いおべべ着てるべなって感じだったそうな。
登校や下校時は集団で歩調を合わせて登下校したそうなんだけど
そんなある日始めて敵というものを見たらしい。
いつもの様に隊列組んで川辺を登校してたら、川下から何かゴーーっ
って篭る音が近づいてきたそうな。
みんな何だろ?って感じで足止めてそっち見てるとずんぐりした機体
が二機ほど川の上を沿うように飛んでくるのが目に入った。
え?と思ってる間も無くあっと言う間におっさん達の上を轟音とともに
すり抜けていき、そのうち一機が反転してこっちに向かってきた。
その時初めて敵!!って思ったそうだが足が震えて呆然として突っ立ってた
状態だったらしい。
見る見る迫ってきてほんとパイロットの顔がはっきり見えるぐらいまで分かるぐらい
接近してきて頭上擦れ擦れを爆音とともに跳び越していった。
目で追うと左右にバンク振りながら山向こうに消えていったそうだが、しばらく呆然
としてたそうだ。学校に着くと武者震いなのか興奮と振るえが止まらず大騒ぎにもなって
その日の授業は中止だったとか。
あれ撃たれてたら俺は死んでたなwっておじさん笑いながら話してくれたっけ。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 00:02:44 ID:prBvqNc6
うちのじいちゃんはいん金になって返された
これはマジだお
362名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 02:07:32 ID:kc/vSrDj
アレはうつるからな・・・
363名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 03:26:32 ID:wGooxgZz
軍の入隊検査では、肛門まで調べられるそうだ。
もし開発された痕跡があれば、即時、不合格で、国に帰って笑い者にされたらしい
364名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 03:44:54 ID:7j0Ty/qQ
>>239
音速雷撃隊ってアニメを思い出しました。
沖縄に到達する前に、米軍機によって迎撃され、母機もろとも撃墜されるパターンが多かったんですよね…。よくぞご無事に生還されましたね。


重い桜花を積み、動きが鈍い一式陸攻が、必死に機銃で応戦しながら飛行する様子を、米軍機がガンカメラで撮影した記録映像を、インターネットの動画で見た事があります。
米軍機はまるで撃墜するのを楽しんでるかの様に余裕で飛び回りますが、一式陸攻は黒煙を噴き出しながら必死の抵抗。その様子は、見ていてとてもせつなく、思わず合掌をしてしまいました。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 09:16:50 ID:Gywbna9+
>>364
http://jp.youtube.com/watch?v=x8XYI4FyixY
これですね 音速雷撃隊のアニメ
366名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 12:16:16 ID:ZHUsWMes
うちの婆ちゃん、戦時中仕事で長野と川崎を往復したらしい。
その際、行きで乗り換えに渋谷駅を使ったが、
その直後に空襲にあって焼け野原。

1泊して川崎を出発、長野に帰還すると、列車に乗っていた間に川崎が空襲で消滅

怖すぎる。
367名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 21:55:15 ID:p/3B4XoU
じゃちょっとマジなじぃさんの戦争体験。
うちのじぃさんは南方戦線に連れて行かれたんだが
夢にまで見たバナナを食いすぎて下痢しまくって、
海岸で屈んでたら、グラマン
(うちのじぃさんは米国機を全部グラマンという)
が機銃掃射してきてクソまみれになりながら
命からがら助かった。終戦後は捕虜になったんだけど
初めて見る金髪爆乳米士官の乳を思わず触ったら
周りの米兵からボッコボコにされた。
そして戦後も金髪爆乳が大好き。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 21:57:35 ID:MEADYJ+3
>>367
俺も死を覚悟で触るだろうな。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 22:44:19 ID:kWJFK4+w
>>360
米軍機は子供だと解ったから、挨拶して去っていったんでしょうね。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 00:50:55 ID:eedBVsta
>>367
じいちゃん大戦果www
371名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 06:17:20 ID:bbsEtatx
なになに?
くそまみれで金髪士官にスカトロプレイ申し込んだらドエス行為されたって?
372名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 06:26:34 ID:/rLr9u3g
うちのじーちゃんは衛生兵で終戦後、まだ解散してない軍の命令で広島に行ったそうだ。まだ生きてるけど何度かガンの手術してる
373名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 08:30:32 ID:MzEWmbEo
うちのじーちゃんは日本刀の鞘と柄を釘で打って封印してる
374名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 12:30:29 ID:caIdAxA6
>>367
武人の鑑だな。
この話良いわ。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 13:06:21 ID:vALZX75Y
>371
その金髪爆乳女性士官がナチドイツの武装SSだったら、あなたの知らない世界にトリップしてしまう件。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 01:27:55 ID:O672A5gR
知り合いのじいさんが言ってたが大陸にいた時キチガイな上官達が現地の女の左と右の足首に荒縄くくりつけて
それを双方につき一頭ずつ馬に縛り付けて馬を歩かせる股裂きやってたらしい
377名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 04:30:37 ID:6voVoALv
>>376
お前はチョンだろ?
日本人は虐殺なんかしない。
全ては三国人の模造だ。
378名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 05:41:51 ID:O672A5gR
絶対お前みたいな奴のレスがくると思った。俺は日本人ですが?
てか日本人だろうが欧米人だろうがなんだろうが戦争ってのは人間は極限状態に陥るしどこにだってキチガイはいるんだよ
379名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 06:26:30 ID:JFRlI+f1
うちの爺ちゃんは九州の師団だったけどオランダ領インドネシアを占領したとき
戦利品のチーズを知らず蝋燭の一種と思い込んで嫌がる兵隊が多くて
二等兵だけども腹いっぱい食えたと言っていた
380名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 08:28:08 ID:p9DAsMtJ
>>378
では米軍が行った残虐行為の話を一つ。


サイパン戦で生き残った田中徳裕・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)の証言

・「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、数台のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。
・次には滑走路に集まった老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火が付けられた。
たちまち阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず我が兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続ける。
火から逃れようとする老人や子供を、米軍はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。
2人の米兵は草むらの中で泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持って真っ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。
「ギャッ!」という悲鳴を残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑う鬼畜の米兵ども。
・こんなに優勢な戦闘状況にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。
・マッピ岬にたどり着いた時、岩の間に一本の青竹が渡してあり、それに串刺しにされている婦人を見た。
さらに自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が、五体をバラバラに切り刻まれて倒れているのを眼前に見た。

田中徳裕著『我ら降伏せずサイパン玉砕戦の狂気と真実』より
381名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 08:38:08 ID:piPeBj5D
父親が自衛隊にいた時聞いた話

フランスの部隊と交戦していたとき銃撃の中を泣きながら歩いてくる
子供がいた

仲間がその子供を手招きしてかくまうとフランス兵は子供の
リュックを撃った。リュックには火薬が入っていて仲間もろとも爆死した。

その戦闘に勝った日本兵は頭にきてフランス兵の目玉をえぐったり、
両手足をしばって二階から落としたりしたらしい


日本兵は他国と比べて民間人を殺してないからこそフランス兵は
子供を囮に使えたし、そのことに怒ったんだろうな、って思った
382名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 09:40:04 ID:hFw78HQ8
うちの父方の爺さんは海軍でマリアナ諸島で激戦を生き残って帰ってきたんだけど、
スーパーでたまにドリアンを見ると「腹減っててもドリアンだけは肥だめみたいで食えるとは思えなかった〜パイナップルはうまかったなぁ」とのんびり語ってた。
ただ足と肩には撃たれた傷が残ってた。

母方の爺ちゃんは満州に行ってて、すぐ中国語をマスターして近所の現地民の手助けをしたら凄い感謝されて卵を山ほどもらったらしい。
ついでに「うちの娘を嫁にしないか?」とか言われたんだと。

それから数十年後に爺ちゃんと婆ちゃんで中国に渡ってその人達に会ってきたんだけど、まだ覚えていてくれた人もいたらしく涙の再会をしたらしい。
それにしても爺ちゃん達二人に「人を殺したの?」って聞いたら「殺したかは分からない。ただガムシャラに打つしかなかった」と同じ答えだった。
素人の集まりだから仕方ない、とも言ってた。
383名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 11:24:51 ID:SGd/Nen6
>>378
お前わざとやってるだろ。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 16:22:42 ID:F/QWlN31
>>363 今の自衛隊でやっとるみたいよ。友達の友達が空挺だがそいつから聞いたとか。
385adsl-west-13263.enjoy.ne.jp :2008/10/02(木) 22:26:32 ID:/o+4IkdV
うちのじいさんが田舎の中学のとき、天皇陛下が近くの駅を通るということがあったそうだ。

その中学では天皇陛下が駅を通過する時間に校庭に生徒を全員整列させ直立不動で
通過を待たせたそうだが、じいさんも始めは直立不動でじっとしていたがそのうち飽きてきて、
ついアクビをしてしまったそうだ。
すると軍事教練に軍から派遣されている軍人(なんというかは知らないが)にひきずり出され
気絶するほど何度も殴られたそうだ。

うちのじいさんはそれ以来、天皇陛下が大キライだと言っていたwwww
386名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 22:28:23 ID:GWiiUkUw
俺の嫁のじいちゃんが海軍かなんかで勲四位とかいうの国から頂いたらしいんだが凄いの?
387ツール・ド・名無しさん:2008/10/02(木) 22:55:19 ID:igYAeAIH
>>384
自衛隊だけでなく消防もやるらしいよ。
消防士になった高校時代のツレから聞いた話。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 22:57:35 ID:msL7HXo6
>>381
話に水を差したくはないが、史上初の無差別戦略爆撃「重慶への渡洋爆撃」をやっ
ちゃったのは日本なんだよな。で、それを目の当たりにし、自分もやったのがカーチ
ス・ルメイ。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 23:38:10 ID:YvPRIBBE
>>363
あれはあくまで痔と性病の検査だからな
390名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 00:33:40 ID:eN0DFNKQ
『ジャワの天国、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア。』

ニューギニアの悲惨さとかは戦争は悲惨です系のテレビとかでよく聞くけど、
実は俺達大して苦労してなかったんだよ系の情報ってテレビには出てこないだろ。
爺ちゃんがジャワに派遣されていたって人いない?いたら何でもいいんで教えて欲しい。
391名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 00:43:40 ID:87q69lvB
>>388
だから釣りはやめろって
392名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 00:52:30 ID:SzM447s+
友達のじいさんの話。中国でお互い馴れ合って時たま遠くから撃ち合う…で済ましてたて話ある。

393名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 03:51:58 ID:aDVznIKi
祖父は中国大陸に出征していたが、戦闘よりも、重い装備を背負って、広大なコウリャン畑の中をひたすら行軍した記憶が強いらしい。
たまに遭遇する敵との散発的な戦闘はあったが、いつも数分撃ちあってお互いに終了。
たまに立ち寄る村で水を分けて貰い、お礼に薪割りを手伝ったりと、戦争してるとは思えない程、のどかなもんだったと。
村人達は、日本人に対してもとても親切で、戦争には全く興味がないように感じたらしい。
食糧や弾薬は南方戦線と違って、補給があったみたいなので困らなかったみたいだ。
でも、まさか日本が負けるとは夢にも思わなかったそうだ。
武装解除の時に「なぜ今まで勝っていた相手に、降伏しなくてはいかんのか!!」と、激怒してる将校がいたらしいけど、
兵隊達は、「これでやっと故郷に帰れますなぁ。稲刈りまでに戦が終わって、ほんまに良かったわ」なんて言って喜んだと言ってたなぁ。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 06:59:49 ID:27ZvNX06
軍医だった叔父から聞いた話

同じく中国大陸に上陸したとき
砂浜に点々と黒いかたまりが並んでいたらしい。

よく見ると人間の頭だった
当時住んでいた日本人を砂浜に首まで埋めて
溺れ死にさせていた

上陸する兵隊の戦意をなくそうとしたのか・・
逆効果だと思うけど

叔父はよく戦争の話を聞かせてくれたけど
日本人はそういう意味のない虐殺はしてないし
見たことも無いって言ってた
395名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 17:24:02 ID:SzM447s+
>>394本当ならきちんと音源とるか、ビデオで資料化してくれ。百年後の子孫に残すため。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 20:25:34 ID:s5/lOz8J
>>147九州人は気性が荒いからねぇ
397名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 21:26:35 ID:fYtuyEBC
>>393
小林よしのりだかが取材した人も中国戦線は平和だったって言ってたな
現地の人と豚を丸焼きにして美味しく食べたり帰国時にお土産を貰ったりと
人生で一番楽しかった「旅行」だと語ってた
398名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 22:43:05 ID:l/JSySZK
>>386
俺のじいさんも勲三位もらってたな。満州の戦車師団とシベリア抑留だな。
多分、小渕首相の時かな。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 01:06:48 ID:abjjgveT
三位とか四位て結構高いんでは?じいさん尊敬しとけ。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 01:17:57 ID:0qtJ+U4u
こう言うのもなんだが戦地の英雄=沢山人殺したでは?
時代が時代だから悪くは言えないが
401名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 01:37:47 ID:bD7jXSGH
だから、支那における日本軍の残虐行為は無かったんだよ。
全ては、GHQと中国共産党の捏造。日本の国民性に、人を殺して楽しむ、という嗜好は無い。
支那人は今でも、チベット人や、法輪功信者への虐殺を繰り広げているではないか!。
あの「人体の不思議展」の人体標本は、生きながら、プラスミック樹脂を注入されて虐殺された中国人なのだと言う。
従軍慰安婦なども、嘘だ。
戦後の、日教組の反日教育、三国人と社会党による反日キャンペーンが、大陸での残虐行為を捏造したのだ。
そろそろ騙されていた事に気づくべきだ。
402名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 01:41:25 ID:bD7jXSGH
>>400
お前も半島に帰れ!
何で嫌いな日本に住み着くのよ?
汚らわしい
403名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 01:46:52 ID:abjjgveT
人体の不思議展いったが、胎児が成長に従って大きくなる様が見れるよう、幾つもの成長具合の胎児いた。はっきり言って妊婦が都合よく死ぬのは変だ。


なんか変だなと思ってたが、法輪功の新聞から謎が解けた。テラコワス
404名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 02:08:31 ID:0qtJ+U4u
誤解がないように日本人くさしてる訳じゃないし上で出ていたお爺さんを悪く言ってるわけじゃない。
二言目にはチョン認定したりあたかも日本人は戦争では人殺してはいないみたいな言い方は戦争肯定では?
だからといって時代背景からいって戦争体験者の我々の先祖をくさすつもりも毛頭ない。
日本人万歳日本最高みたいな発言以外の発言がちょっとでるだけで二言目にはチョンチョン言うのはどういうつもりなの?
日本人の恥だからやめてほしい
405名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 02:30:07 ID:abjjgveT
まぁ戦争で人殺すのは当たり前だし、人殺したら英雄てのは当たり前。この板なら当たり前だろう。わざわざいうのは、それがまるで悪いように書いてるのが変。あと厳密に言ったら殺したら勲章てわけでもないと思うが。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 02:48:15 ID:bD7jXSGH
>>404
お前、スレ違いなレスで、戦争で活躍した英雄の事を、人殺し、とくさしたのではないか?
お前が能天気に生きていられるのも、戦争で苦労した方々のお陰だ。
敵を殺すために兵隊は戦地へ送られる。もし、敵を殺さない奴が居たら、それこそ仲間を死に追いやる卑怯者、裏切り者だ。


このスレは、三国人の立ち入るスレでは無い。
多くの日本人は、お前逹三国人が大嫌いだ。
肌で感じないか?
日本人に成り済まして、通名を名乗り、民族の尊厳を捨てて、恥ずかしく無いか?
国へ帰るのが一番だ。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 02:52:32 ID:NeM2MYlT
【大紀元日本8月11日】中国大連市には、ドイツのナチス後裔ギュンター・フォン・ハーゲンス氏などが経営する死体加工場がある。
工場で加工された人体の実物標本は、海外の展覧会などに出展されている。今年初めから、これらの死体の出所を疑問視する声が上がっている。
ハーゲンス氏の死体加工場で、従業員数百人がホルマリン液に浸していた死体を取り出し、整理、切断、解剖、防腐、姿作りなどの処理を行い、
同氏が開発した死体処理技術であるプラスティネーション処理した実物標本を製作している。

ニューヨークタイムズ紙は8日、「中国において、安い給料で働く医学生が大勢いる上、安易に死体と臓器を入手できるし、
政府の監督も甘いため、過去数年間で、少なくとも十箇所の死体加工場が次々と操業を開始した。これらの工場で加工された人体標本は、
日本や韓国、米国などに展示されているもの」と報じ、ハーゲンス氏は過去十数年間、世界各国で人体標本展を開催し、
すでに2億ドルの利益を得たと伝えた。

http://jp.epochtimes.com/jp/2006/08/html/d48244.html
408名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 02:55:00 ID:5C5NhR2M
戦前にもらったんならともかく、今になって国から貰う勲章の理由が
戦時どこそこで戦果を挙げたから、ってことはないでしょ。
シベリア抑留や戦中戦後の苦労にも拘らず
その年まで良く頑張って働いてくれた、っていう意味なんじゃないの。

>>404
日本軍の残虐行為・・・ウヨ釣り
シナチョン氏ね・・・サヨ釣り
だからあんまり気にしないほうがいいよ
409名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 03:11:21 ID:BzgTauKT

■海外アニメファンが語る「軍隊にアニオタっているの?」

・私はハードコアなオタクであり、アメリカ海軍に所属してるよ。
今はクウェートに配置されてる。私がアニメを好きになったのは入隊後だけど、
アメリカにもこっちにもアニメ同好会があって店でアニメを買えるんだよ。
私のコレクションも大半はそこのやつだ。空母のセオドアルーズベルト(CVN-71)に
いた時も船内用品店で売ってたな。もちろん標準の店にはないはずなのに、
なぜか売ってたんだよ!軍隊ではオタクをやってて困ることはない。
同僚に何を見てるか訊かれても喜んでアニメと戦隊について説明してるし、
日本語の曲も歌ってる。私が歌う時は彼らは部屋から逃げ出すけどね。
海軍のオタク(Navy Otaku)に慣れて良かった!

・大きな軍隊がいる街でゲーム店やってるけど、顧客の半分以上は軍人だよ。
しかも、ほとんどは明らかなオタクだ。ゲームだけじゃなくてアニメやSFや
科学技術が好きなステレオタイプの通り。まさに高校のオタクって感じ。
ゲームなら.hackシリーズとか大好きなんだよ。
http://blog.livedoor.jp/fairypot/?p=3
410名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 03:24:02 ID:W/5+REKL
>>404
戦争って殺し合いだからな。
殺さないと殺されるから、戦うしかないのが戦争だよ。
そんな非日常に彼らは時代の流れからかその世界で生きてきたわけだな。
おまえさんももし戦国時代とかここの爺さん達の時代に生きていたら
同じように戦い、相手を殺して生きていったかもな。
戦うって事は生死を賭けるってことだ。今の平和な世では実感出来ない
ある意味無慈悲、残酷な生ナマしい現実だ。
だけどさ その残酷な自らの手を血で染めて、自らの命を懸けて戦ったのは
子孫や愛する家族を守る為であったって面もあるだろ?
過去の古今東西どの歴史を見ても人間は戦って殺しあって、各々の何かの為に
戦ってきたわけだわ。
善悪なぞ超えてある意味生きる為に戦ってきたんだろう。
だから「平和は尊い」のだよ。
祈るだけでは決して達成できないのが「自分たちの平和」だよ。
当たり前にある状態が自らの平和だと錯覚するから人はその尊さを
分からないのかもしれない。
阪神大震災の時、当たり前にあった日常が、一瞬にして破壊され目の前で
友達が家族が恋人が無残にも死んでいった。
自然という強大な力の前には人は無力であったけど、それでも懸命にみんな
戦っただろ。我命顧みず必死に救助活動や手を血まみれにしながら必死に瓦礫を
押しのけ何とか助けようとみんな戦ってた。
だが戦い破れ次々と愛しい人が消えていった・・・あの虚しさ悲しさ無力感は戦った
ものにしか分からないことだろう。
戦争って悲しいんだよ。それでも戦わざる得ないのであれば人は戦う。
生きるためにね。
411名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 04:13:16 ID:8nfWUzfX
父方のじーちゃんは俺が中学生の時に逝っちゃって
直接話を聞いた事はないんだが、親父が言うには中国に行って通信兵をしていたらしい。
家にはその時に持ち帰った一振りの柳葉刀がまだある。
4兄弟で戦争に行って、全員生きて帰ってきたと言ってた。

母方のじーちゃんは今も元気で、最近話を聞けた。
徴兵されて輸送船に乗ろうとしたら、定員になって無理だったらしい。
その輸送船は太平洋の何処かの島に向かう途中で、アメリカ軍に撃沈されて
友人の多くを亡くしたとか。
その後、内地で終戦を迎えたって話してくれたな。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 08:48:29 ID:fsU0vbJK
祖父から聞いた、南方戦線での空中戦の話。

開戦当初、零戦の旋回性能に勝る敵機はまだ無く、すぐに後ろに回り込む事ができた。弾が命中し、火花と煙を噴き出し始めた敵機。
とどめを刺そうと照準を合わせ、射撃を開始しようとした。だが敵機は全く回避運動もせず、まるで撃墜されるのを待っているかのよう。なんだかおかしい。

接近してよく見ると、コックピットにも命中したらしく、敵パイロットは肩を押さえながら、とても痛そうな表情でこちらを見ている。
しかも機体からは燃料が漏れだし、いつ爆発してもおかしくない。

祖父は、敵機の横に並びながら飛び、「早く脱出しろ」と身振り手振りで合図した。
それを見て、パラシュート脱出する用意ができた米兵は、祖父に向かって敬礼している。
自分も、勇敢に戦った米兵に敬意を表して返礼。
下は米軍支配下の土地だったので、あの米兵は無事に生還できるだろうと確信し、基地に帰還したそうだ。

その後、開戦当初無敵を誇った祖父の部隊は、次々と投入される米軍の新型機に圧倒され、戦死者が続出。
黒煙を噴き、火だるまになりながらも飛び続ける日本機に、これでもかと容赦なく弾丸を撃ち込む。
敵は明かにパイロットを殺害するのが目的だったみたいだ。
熾烈な戦闘で祖父はついに負傷。右腕を吹っ飛ばされ、顔に大火傷を負いながらも奇跡的に生還したが、二度と大空を飛べない身体になった。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 09:04:26 ID:uigG/8oW
相変わらず日本人に生まれなかったことをクヨクヨ悔やみ続ける三国人ばかりのスレだなw
414名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 09:17:58 ID:RR5Ykavd
>>240
貴方の説明は大筋で合意する。

山下将軍はマニラの放棄を主張し、岩淵少将はマニラの死守を主張した。山下は陸軍であり、岩淵は海軍である。その為山下は岩淵に妥協せざるを得なかった。

1月9日リンガエン湾に米軍が上陸し、マニラ攻防戦が始まった。ゲリラの活躍は日本の占領期間を通して行われており、上陸と共に活発化した。その頃陸軍の主力はマニラを撤収しており、海軍の司令部もこの時点でマニラを撤収することとなった。

2月3日マニラに対する米軍の攻撃が始まった。それと共にフィリピン人ゲリラとの間に、日本軍の残留資材の争奪戦が始まった。運輸に当たった日本兵、軍属でフィリピン人ゲリラに殺されるものが続出した。同時に日本軍による報復も始まった。

岩淵はひっくり返したトラックや、路面電車でバリケードを築き、家屋を機関銃の銃座にした。米軍は圧倒的な火力で建物を次々爆破し、焼き払った。3月3日マニラは陥落した。

日本軍はレイテ島作戦のため、武器弾薬は殆ど使い果たしていた。その為刀1000本、槍5000本を現地生産して対抗しようとする状態であった。
この激戦のとばっちりでフィリピン人の死亡者は10万人を超えると言われる。

この経過を見ると、フィリピン人の死亡者には日本軍によるものも多数いたことは否定しないが、その大半は、米軍による爆撃、銃撃によるものではなかろうか。又この激戦の最中に女性をレイプする余力がある筈がない。

話は変わるが、私は2月1日から4日までベトナムを観光してきた。戦争博物館で米軍の残虐行為の数々を見せられた。飛行機から突き落とされるベトナム兵、両足を縛られ戦車に引きずられるベトナム兵、死刑に使われたと言われるギロチンカッター等々ぜひ貴方にも見て欲しい。

それと共に地下トンネルを根拠地に、遂に米軍を破ったゲリラの根拠地を見た。私は彼らの執念に驚いた。

ベトナムではソンミの虐殺が問題となっているが、このような抵抗をされると、住民皆殺しせざるを得ないように思う。この前も言ったが、戦争は残酷なものである。

415名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 10:36:19 ID:+DwmBtEn
アメ公以上に兵学校出の士官を敵視してたそうな
兎に角前線じゃ腰抜けが多かったと
特攻隊では隊長(士官)は学徒出陣組の使い捨て士官ばかりが使われていたと
隊員はもちろん下っ端の下士官兵
なのに天皇だ国だって最後の訓示をするのは行きもしない上級士官
416名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 10:43:01 ID:xBTmjWM4
>>414
なぜか、泣けてくる。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 11:52:26 ID:abjjgveT
>>415 チョン捏造やめろよ。日本は他国と比べ将校である少尉の戦死者がめちゃくちゃ多いんだ。なぜなら、陣頭指揮をするから。海軍にもその伝統があり旗艦を先頭にしてたのはいただけないが。中途半端な知識で語るなよ。


あと特攻隊は若い兵に決まっとるわ。熟練兵が死んでしもとるし、残り少ない熟練兵は教育や防空に必要だしな。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 12:11:50 ID:yxcxribw
職業軍人だったが基本的に内地で教官してた時期が長かった。
ただ捷号作戦で実戦に出て乗艦がレイテ沖で敵潜の雷撃を受け大破した。
何とか乗艦は沈没を免れ曳航されて呉に帰ることができた。
その後終戦は内地の部隊で迎えた。階級は少尉。
晩年は亡くなった戦友を思ってか、鎧を着た兵士の埴輪を海の方角に向けて庭に飾っていた。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 13:04:43 ID:5C5NhR2M
フィリピン人犠牲者10万人とはいうが
沖縄戦同様、アメリカ軍の無差別砲撃が原因であることは明白だと思う。
TVではそういう点を全く説明しないもんな。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 15:02:43 ID:0qtJ+U4u
>>406

だから…あなたは過敏すぎるんだよ。発言の言葉尻とりすぎ…
あと他国の人間をくさす発言はいかがなものかと…
いい年してるんだろ?
421名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 17:53:12 ID:SZvaMi0Y
どんだけ活躍しても
英雄にはなれないんだよな
負け戦だし
422名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 18:10:05 ID:6ZfKZE+D
英雄は居ないかもしれないな。
でも、立派な人は居た。
立派でない人も居たが(インパールのあの人とか、父島のその人とか)
423名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 18:25:53 ID:abjjgveT
太田実の電報は泣けてくる。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 18:42:36 ID:uigG/8oW
所詮は三国人
425名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 20:57:02 ID:e3C+OGIk
親父の兄貴の墓に「昭和17年6月7日 東太平洋二於イテ〜云々」と刻んで有るんだけど
ココの事情通の諸兄は搭乗艦とか判りますか?

ミッドウェイ関連なのは判るんですが。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 21:21:58 ID:pI7truH0
>>401
じゃあなんで陣中日記とか高官の手記とかに軍紀の乱れや略奪、暴行についての記述があるんだ?
427名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 22:22:56 ID:PV2BG4uF
>>425
さすがにそれだけでは特定出来ないでしょう。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 23:59:13 ID:bD7jXSGH
>>426
それは、その高官が部下の蛮行を愁いて書き残したんだろ?
小さいレベルでの残虐行為は当然起こっただろうと思う。


三国人お得意の捏造で、それを南京大虐殺に結びつけるなよ(笑)
429名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 00:03:23 ID:RrrVVQO/
つーか居てもなかったし本当かどうかはわからない
430名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 01:28:57 ID:YxiANyLs
>>428
陣中日記における南京の記述を無視するのはなんで?
実際に従軍した人が書き残した記録だってのにさ。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 03:11:50 ID:sfe0Ei0a
>>430
それがなんで30万人になるんだよ。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 03:12:35 ID:wuVXWQzF
>>430
じゃあ、反対に、兵士個人が戦争犯罪を犯さなかった戦争ってあるの?
433名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 03:24:51 ID:sfe0Ei0a
面白いのは従軍した人が書き残した記録が残ってる日本。
しかも良し悪し関係なく公開出来る日本。

で、支那の個人の従軍日記は?
それよりなによりまともに字が書けた者が何%だったのかが疑問。
434sage:2008/10/05(日) 04:19:25 ID:owtABm+/
俺も学生時代に日教組の洗脳を受けた馬鹿社会教師にいつも日本の戦争犯罪、
日本兵が沖縄戦に於いていかに住民を楯に卑劣な事をして来たか叩き込まれたよ。
高校生の時、おふくろに、「俺はくだらない戦争なんか絶対に行きたくない!」って言ったら。
いつも穏やかな人がいきなり怒って「戦争なんて望んでる人なんかいない、だけど一旦おこったら、
男が戦わなければ女、子供はどうなるの!私は自分の大切な人を守れない卑怯な男に育てた覚えは無い!」
って怒られたよ。それから目が覚めた。
そんなおふくろが癌で他界して早20年、40歳の俺が社会に貢献出来る事は何だろう。。。
沖縄県民が皆馬鹿左翼だとは思わないで欲しい。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 04:37:06 ID:aAFmYYS4
戦争に「犯罪」も何もないよ。
騎士道?武士道?ジュネーブ諸条約?
そんなものはお互いが対等か同じ土俵で戦争をする
場合か、当事者国家同士より更に強大な国家が睨んでいる
状態でないと意味ない話。
正直国際法だの何だのと言ってもそれを問題にして騒ぐ実力
国家が出てこない場合は無法状態と同じだわ。
無視し問われると知らん顔してる国なぞ世界にゴロゴロしてる。
戦争犯罪なぞそんなものは存在しない。
勝利したか若しくは弱い相手につけ込む手段としての道具の面が強い。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 04:50:55 ID:MKLpYtSa
>>425 こんな情報で?無理だろ。親戚に訊け。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 04:57:29 ID:aAFmYYS4
>>425
重巡洋艦「三隈」?

昭和17年6月7日
潜水艦攻撃を回避する為の一斉回頭時、重巡「最上」の艦首
が「三隈」の左舷に激突、「最上」は大破したので「三隈」が「最上」を護衛して戦線離脱
中、米潜水艦の集中攻撃を「三隈」に受け沈没したもの。 艦長崎山大佐以下戦死651
名・救助されたもの237名。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 06:31:25 ID:NANU+wBZ
昭和17年6月7日没としても、7日に艦ごと…という場合もあるし
それ以前に負った傷が元で…という可能性もあるし、艦までは特定出来ないよ。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 06:40:28 ID:RrrVVQO/
まあいずれかというレベルならな
範囲は広くないんじゃないかな

陽動組ではないようだな
北太平洋と書くはず

単にほかの海域で死者がな
かったわけでないとも思うが
440名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 08:37:31 ID:YxiANyLs
>>431
中国が南京戦での通常の中国軍側死者を含めたりして水増ししてるからだろ?
まさか、南京の資料館の数字とちょうど一致しない限り問題はないと思ってる?

>>432
個人じゃなくて、陣中日記によると師団長や連隊長の命令として、
正規の捕虜や敗残兵の処刑が行われたり、上官の命令で暴力的徴発を行ったり、
現地の軍ぐるみでの命令としてそういった行為が行われた記録があるから問題なんだろ。
441名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 09:20:19 ID:+p6GYzgc
>>440
支那人が沢山殺されて、世界から感謝されてますよ。
13億人だもの、百万や二百万人死んでも糠に釘。
何しろ、ネズミ並に増殖する民族ですから、定期的な駆除も必要だよねw
442名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 09:30:53 ID:+p6GYzgc
>>440
通州事件の報復は許してくれますか?w
443名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 09:58:00 ID:G2JerUKZ
>425
旧海軍軍人の場合には厚生労働省社会援護局業務課に照会すればわかると思います。(旧陸軍軍人の場合は死亡時の本籍があった都道府県庁。)

厚労省に電話で問い合わせて必要な書類をそろえたら、厚生労働省社会援護局業務課 調査資料室へ送ります。

必要書類は
請求書(書式は自由ですが、「軍歴証明書」で検索して見本様式を参考にすればよいでしょう。)
戦没者の除籍謄本コピー
請求者の戸籍謄本コピー(戦没者と請求者の血縁関係が確認できるもの。)
請求者の住民票
請求者の身元が証明できるもの(健康保険証のコピーなど。)

任官から戦死迄の乗艦記録や俸給等の軍歴が書かれた軍歴証明書が交付されます。
手数料は郵便為替で数百円です。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 10:58:58 ID:sXP2n/SS
大戦果、細菌戦。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 12:20:06 ID:YbFYezCb
ここはじいちゃん達の戦争体験を語るスレだぞ。
「俺のじいちゃんこんなんだったんだぜ。」「へーそうなんだ。」っていう、それだけでいいっつーんだよ。

証拠がどうとか根拠がどうとか、右とか左とか、そういうのは別スレでやってくれ。頼む。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 12:21:10 ID:v3wIipb4
嫌だ。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 12:38:46 ID:MKLpYtSa
じいちゃんじゃないが、うちの大学院の教授の上司の話。

朝鮮に飛行機乗りとして駐屯してた頃終戦。本土に戦闘機で帰るとき、アメの飛行挺発見。


でついでとばかり撃墜したそーだww。


あかんやろ。ちなみに後に裁判官になったそーだ。


アメリカの記録とかに残ってんのかね。
448425:2008/10/05(日) 12:52:37 ID:/9ok1GYN
皆さん色々ありがとうございます。
当時を知る親戚関係は、ほとんど鬼籍の為聞いて見ました。
親父も既に亡くなってまして、しかも赤寄りだったんで
原爆体験くらいしか聞いてない。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 13:30:02 ID:pq3eIWff
うちのじーちゃんは中島飛行機で働いてた。
とーちゃんは日産プリンス。

調べてみたら、日産プリンスって中島飛行機の流れなのね。


中島飛行機東京工場→富士精密工業→プリンス自動車工業→吸収合併・日産自動車

wikiより抜粋。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 15:43:29 ID:1Eq6laqe
プリンスは立川飛行機の方がメインじゃないかな。
航空技術者の多くが自動車産業へ流れて行った。
中島飛行機にいた中川さんはトヨタに行って、セリカとかを
作ってるね。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 20:43:08 ID:1Yjv5BQn

特定郵便局長の世襲を批判して票を得ていたくせに、
自分は引退して馬鹿息子(偏差値40)wに選挙地盤
を譲って世襲すると発表した小泉純一郎って、部下に
特攻を強制しておきながら、自分はさっさと飛行機で
台湾に敵前逃亡して生き延びた富永恭次や、連合艦
隊参謀長のくせに捕虜になって作戦命令書を奪われ
たのに、おめおめとゲリラとの取引で帰ってきて生き
延びた福留繁と、同じぐらい卑怯、卑劣だよな!!!
452名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 20:49:42 ID:RrrVVQO/
確かに小泉実にワロス
いい加減に断絶しろよ
まったく期待してないから
453名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 23:36:40 ID:MKLpYtSa
小泉嫌い…チョンですか。

偉大な世界一長い王朝を頂く日本に嫉妬ですね。日本にも腰抜けはいましだが、喜んで併合され、腰抜けしかいなかったチョンの火病ですな?
454名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 23:49:22 ID:RrrVVQO/
アホはいらんのだよ
三国人

小泉はIQ高くないんだろな
455名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 00:26:05 ID:/GJZSeX8
生粋の松代藩士の末裔ですが小泉嫌いです(笑)
456名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 00:53:08 ID:wVDakVg0
>>453
小泉嫌いならチョンってことは、小泉内閣の支持率が40%〜50%で安定だった日本は、
国民のうち50〜60%はチョンなのか。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 00:55:55 ID:D7G6iwKQ
もう自民党自体いらんのだよ
腐れ外道政党が
458名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 02:43:13 ID:/uqCeNTX
小学生がいるな
459名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 06:34:15 ID:+AqOQC7W
日本は外人に乗っ取られてしまう。
お人好しで親切な国民性を逆手に取って。
目付きのギラギラした外人には、太刀打ちできないのか?

昨日、マルハンで負けて、武富士でキャッシングして、夜は焼き肉を食べました。
460名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 07:40:13 ID:x8k2gypZ
デザートは、ロッテのチョコです
461名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 12:25:33 ID:/uqCeNTX
そしてMKタクシーで帰りました。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 15:13:46 ID:atRiOH6w
本筋に戻します。
俺の曾婆ちゃんは小樽で空襲を経験したそうだ
山から見てたらグラマンが縦横無尽に飛び回っていて、日本軍の高射砲なんか全然当たらんかったそうだ
それを見て「日本も終わりだ」と思ったら涙が流れたってさ
463名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 16:37:18 ID:PyqcUHng
戦前は博徒だった父方の祖父。拳銃で命のやり取りまでしたらしい。(未遂) そんな祖父も出兵。
銃弾飛び交う中、上官の進軍命令に対し、「今この場でお前を殺しても、犯人はわからねんだぜ」
と脅し上げ、上官を盾に進軍していたらしい。上官の脅しなど屁の突っ張りにもならなかったのだろう。
中国では捕虜の首をたくさん切ったそうだ。そのせいか当分の間、原因不明で首が痛かったらしい。
終戦後、多くの人が船で引き上げる中、祖父は飛行機で帰ってきたそうだ。

母方の祖父は、馬の世話をしているとケツに流れ弾をくらったらしい。あと川の水で飯を炊くと
川の中の血で飯が赤くなったそうだ。幸いにも二人とも無事に帰還したよ。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 16:47:56 ID:+AqOQC7W
>>463
あんた日本軍を舐めすぎ。
任侠映画じゃあるまいし、上官に武器を突き付けるなんて、見え見えの作り話だな。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 17:46:10 ID:XrFGnALI
家の爺様は西村支隊の戦艦山城の乗員でレイテに向かう途中のスリガオ海峡で戦死したらしい 
生存者が十人らしくて爺様の最後は不明だそうだ 
戦艦なのに死にすぎだよな
退艦命令は出なかったのかなぁ
466名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 18:04:05 ID:mW1dkx91
このスレ、じいさいのホラ話が多すぎて読む気がしないww
467名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 18:07:49 ID:sMUxCwBp
>>465
戦艦「山城」はスリガオ海峡夜戦においてアメリカ海軍の戦艦と巡洋艦からレーダー射撃を受け、
更に米駆逐艦隊からの雷撃攻撃などの被害から火薬庫に引火して爆発。
その後急速に傾斜し始め篠田艦長は総員退去を命令するが間も無く午前4時19分に右舷へ転覆して
艦尾から沈没した。(生存者10名以下)
468名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 18:53:06 ID:PyqcUHng
>>464
>任侠映画じゃあるまいし

Vシネにもなってますよ。話として出てくるのは少しだけだけど。てか嘘ついてどうすんの。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 19:51:34 ID:+AqOQC7W
>>468
うるさい!
嘘つき!
470名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 20:52:50 ID:x9V/uXCx
2chでホラだとか何とか、馬鹿じゃねーの?

2chに何で、高学歴、高収入、高身長、モテ男が多いか分からないのか?
471名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 21:19:34 ID:/uqCeNTX
2ちゃんのカキコは検証不能。どちらも落ち着け
472名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 21:39:00 ID:839RGJ6J
>>463
このホラ吹き男爵が
473じいちゃんこ:2008/10/06(月) 23:27:40 ID:B6xSrl8r
俺のじいちゃんは俺が小学生の時に病気で他界した。みんなみたいに戦争のことをもっと詳しくきいてればよかったって、今オッサンになった自分がいる。
唯一戦争のはなしをしたのが小学校の社会の宿題で戦争の話をきくってやつ。
うちのじいちゃんは中国大陸で砲兵をしていたんだと。それだけ聞いてとっとと遊びに行ってしまった。
そこでどんな体験をしたのか貴重な話を聞きたかった…
南京のあのことも…
いまとなってはただただ悔いるばかりです…
474名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 00:18:21 ID:r8tVtrtX
>>469
何その朝鮮人みたいな反応w
475名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 00:27:12 ID:Ucsss7vm
>473
ほとんどの人は語らなかった場合が多かったみたいだよ?
敗軍の将、兵を語らず敗軍の将兵、戦を語らずだったのかも。
476名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 01:19:38 ID:6cByst0g
うちの叔父は85。元気だがあんまり戦争の話しないな。内モンゴルに駐屯。激戦はないと思うが…。ただ墓参りにいくと例のオベリスクみたいな墓に参るな。何人か仲間がしんでるんだろう。

終戦時は少尉。家伝の登城用の刀を軍刀にしてしまっとる…。拵えが失われとるやんけ!
477名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 01:23:52 ID:rbsn5lHm
ウソか本当はわからんのだが
うちの爺ちゃん(既に他界)は30台で大佐になったエリートで、関東軍として満州にいき、溥儀の弟と共に仕事を
していたらしい。

30台で大佐ってありえるの? って軍事版で聞いたことあるが、例はあれどほとんどありえないみたいだな……
爺ちゃんはもういねえ、もう真偽は確かめようがねえ……
ただ、真実だと思いたい。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 01:44:30 ID:9lvaRHFp
>477
溥儀の弟と云々はわからんが、何歳で大佐になったか、関東軍に居たかは確認できる。
>443に書いてある。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 01:47:31 ID:pVc6xwAJ
自分の祖父は視力などが弱かったので、本土に残っていましたが、B-29の襲来で防空壕などに何度もいったそうです。

知人の祖父の話ですが、戦中は広島に暮らしていた学生だったそうです。
原爆の被害からは免れたので、原爆被爆後の広島市の救助活動を行ったそうです。
原爆により悲惨な状態となった多くの遺体の埋葬などにも従事したそうで、詳しい話はしてくれなかったそうですよ。
かなり辛い表情ではなしてくれたそうです。

別の知人は帝国海軍の艦長(大佐くらい)だったそうですが、艦名などは気かないうちに亡くなったそうです。

さらに別の知人の祖父は、真珠湾攻撃に参加したそうです。航空機(機種は不明だけど、攻撃機)に搭乗したそうです。
真珠湾からは無事に帰還したそうです。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 01:50:09 ID:unGa6PVO
うちの爺さん(84)は陸軍の四式重爆?ってののパイロット。
赤紙で本郷に召集されて(赤紙は残ってる)静岡のどっかで訓練して熊本とかから出撃してたらしい。
今夜の報道ステに出てた元海軍パイロットも言ってたけどちょー低空飛行してたらしい。
ペラが海面に当たると曲がって飛べなくなるとか低空出来ないと沖縄に出撃してもほとんどが奄美の手前で
レーダーに引っかかって沖縄に着く頃には準備万端で待伏せされてフルボッコだったとか言ってる。
お蔭様でまだ健在だから色んな話は聞けるんだけど生き残った事への後ろめたさがあるらしく
知覧には足がすくんで行けないって。陸軍だし。
481名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 01:51:47 ID:9lvaRHFp
>477悪い
>443には戦死って書いてあるな。軍歴とれないのかも。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 03:17:36 ID:6cByst0g
>>477うちの親父の上司に、二回飛び級して士官学校でた人いた。たしか二十代で小佐。
ちなみにインパール作戦中マラリヤにかかってるとこを捕虜に。だから、十分ありえるんでは?あと満州国の大佐とかもありえるのかね?しかし大佐なら連隊長クラスだな。部下が三千人か。多分エリートなら作戦部とかで軍を率いるわけでないんだろうが。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 03:21:25 ID:srofGLrZ
うちのじいさんは近衛軍人だったみたいだね佐々木って姓で勲章と昭和天皇との握手写真があるよ
484名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 05:02:09 ID:ejt6WtpU
>昭和天皇との握手写真

天皇陛下を舐めんなよ。
ボケ
485名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 05:13:59 ID:QBO+pkES
じいさんの友達で元731部隊にいた人がいるんで戦時中の事尋ねたら 何もコメント貰えなかった。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 06:11:13 ID:ejt6WtpU
>>485
ふ〜ん


で?
487名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 06:12:47 ID:bIWYPxnL
ここを見てるとやっぱり亡くなった人がたくさんいるんだなーって思う。当たり前だけどさ。
俺の爺様は父方も母方も生きて帰ってきたから、亡くなった軍人さんの数を聞いてもピンとこなくて…
488名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 06:40:32 ID:WhwA8ZPX
>>464
陸軍では「後ろから弾丸が飛んでくることもある」ことから、内務班いじめは海軍に
比べるとマシだったようだな。それでも結構ないじめが行われてたが。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 09:34:02 ID:pVc6xwAJ
>488
20年以上前に新聞の投稿記事で読んだけど、上官の似顔絵を書いた新兵が似顔絵を上官に見つかり、
報復として一晩中殴られて死んで、家族には「病死」と報告されたとか書いてあった(新兵の同僚だった方の投稿)。
陸軍か海軍かは覚えてないけど。

また、他の体験談では、南方戦線で食料不足のために、倉庫の番兵(もちろん味方)を殺して食料を奪ったとか、
40歳近い老兵が20歳前後の上官から理由もなくいじめられ(雨の中ずっと直立不動を命じられた)、
体調をこわして(ただでさえ食糧難と、伝染病が流行した状況)死亡したとか、
撃沈された軍艦から脱出したけどまわりの仲間は鮫に襲われて次々に死んだとか、

あとイギリス軍が終戦後に捕虜虐待した話も悲惨。
食料がない島に日本兵を多数置き去りにしたそうで、唯一の食料はカニ。でも、そのカニを
食べるとコレラだか赤痢になる。で、「食べると赤痢になる」と告げた上で島に置き去り。
シビリアでは収容所を辛くて脱走した15歳の少年兵が、ソ連兵につかまって連れ戻されて、
罰として極寒の小さな穴蔵にずっと閉じ込められたとか(その後どうなったかは覚えていません)。

記事などの情報なので(自分で取材したわけではない)、真偽のほどは不明だけど、
「野火」とかを読むと、あってもおかしくない話ですね。とにかく悲惨。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 12:41:20 ID:q6KDAonc
私の曾祖父は、どう考えても無謀な作戦を命令した基地外司令官に、「私の兵達を、むざむざと犬死にさせるわけにはいきません。」と抗議の電文を送ったら、師団長を解任された。
その作戦は違う師団長の元に実行され、多くの戦病死者を出し失敗した。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 15:50:14 ID:ejt6WtpU
>>490
なんか、「NHKスペシャル」っぽいね。
つうか、師団長が命令を拒否なんてあり得ないだろ?
492名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 15:59:34 ID:q6KDAonc
拒否じゃなくて抗議しただけです
493名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 16:18:05 ID:6cByst0g
ひいじいちゃんの名前教えてくれ!興味ある
494名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 16:27:18 ID:ejt6WtpU
師団長と言えば、中将だからな。
名のある方に違いない。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 16:35:04 ID:A2x3EoGj
まーオレがじぃちゃんの立場でも、孫と話する時はかなり階級上乗せして話すと思うw

だって、孫は軍隊の階級なんてわからんしw

お前らだって将来、孫と話す時は

「じぃちゃんは、とある会社の専務でな・・・。(実際は課長止まり)」

とか言うと思うw
496名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 16:40:51 ID:ACT5afVD
うんうん
>>495あなた心の広い人だね
497名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 16:45:09 ID:ACT5afVD
>>490
立派なひいじいちゃんだ!
498名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 16:57:05 ID:sntR8UfO
墜落したB25から、凄く目の青い若い少年みたいなのが引っ張りだされているのを見たそうだ。
それからどうしたの?と聞いたら「殺されたんじゃないの?」って言っていた。
俺は小学生だったが、そうだな戦争だからそんなもんだな、と思った。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 17:39:18 ID:OQ7NWop6
無差別爆撃の飴公は即銃殺刑
500名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 18:38:57 ID:WgZxAQWz
うちのじいは戦車兵でラバウルにいた。山本五十六が乗った一式陸攻をみんなで見送ったらしい。撃墜されたのは、風の噂で聞いたと。
で、ラバウルは何で終戦まで陥落しなかったの?と聞いたら、島を一周ぐるりと戦車と砲で囲んでいたから、「アメリカ軍もおっかながって(怖がって)」上陸してこなかったと。
食料事情を聞いたら、他に比べたら悪くなかったと。野菜を育てていたし、海で魚やえびを取ったと言ってたな。
で、終戦で帰ってきたら、母親(俺のひいばあね)に「たけちゃん(じいの名前)、幽霊みたいだけど足ついてるね?」と言われたらしい。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 19:15:58 ID:OQ7NWop6
無謀な作戦 
部下の師団長が反対 
作戦強行
師団長更迭 
作戦失敗とくれば牟田口廉也中将のインパール作戦だな 
第十五師団は三個師団で三人の師団長が更迭されてる
さあ名前を書き込みなされ
502名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 19:42:45 ID:K4eKT48K
良い話
503名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 19:45:57 ID:P/zwOHK4
>>500
あなたのオジイサンはウソをついていたわけではないが、アメリカ側からみたら
ラバウルは、孤立させとけば良かった。そういう島がいくつもあったらしい。
アメリカ兵を見たこともなく、一発も弾を撃たず、気がついたら終戦から
何年もたっていたという話しを聞いたことがある。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 21:07:00 ID:WgZxAQWz
>>503
平和は肯定してたけど、「負けた事実」は肯定しない人だったからなー。今考えると嘘をついてたのか、強がりだったのかも知れんね。本人は天国からROMってるでしょう。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 22:30:27 ID:8SfVJtIE
ラバウルもスルー、トラックも(孤立させて)スルー、台湾もスルーだったしね
スルーされた小さい島は>>500みたいに平和だったらしい
506名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 23:17:02 ID:6cByst0g
>>501軍と師団間違ってんぜ。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 23:22:21 ID:6cByst0g
ラバウルもトラックと同じく無力化して、飛び石でとばされたとこだな。今村均て偉い人が、食糧を作りながら要塞を構築しようとしてたな。はじめから食糧生産してたから食糧事情はいいだろう。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 23:36:49 ID:8SfVJtIE
山下然り、今村然り、牛島然り、
実績を出した有能な人が疎まれて左遷、末期になると再び前線へ呼ばれて
現場の責任を押し付けられるというパターンが多いような気がするなあ。
メリケンとよく比較されるが、日本軍の人事は万事序列優先で緊張感がない。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 01:20:33 ID:k/RRFnVz
アメはアイゼンハワーを大抜擢したしなぁ。
510名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 11:14:21 ID:L0EuNd2W
広島の原爆投下直後、広島市内のアメリカ人捕虜がボコられて死んだという話があるが、
俺のじい様も、橋の欄干に鎖で繋がれたアメリカ人捕虜を見たと言っていた。
ゴロツキみたいな連中に殴られ、頭が割られ、血が吹き出ていたそうだ。
そのゴロツキは、チョンではないかと言っていた。
じい様は、哀れみの気持ちで、念仏を唱えてその場を去ったという。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 15:13:24 ID:QHLiIDd/
>>477
>>481

戦死していなくても軍歴証明書はとれます。軍属でもとれます。

本人以外ですと、3親等以内の親族なら請求することができるので曾祖父や伯父・叔父の軍歴証明書まで入手可能です。

私は父名義で請求したので、祖父の兄弟までの軍歴証明書を発行してもらいました。一応使用名目は遺族の特別弔慰金関連として。

結構簡単に手に入ります。祖父の入隊から満期除隊、再招集から南方への出港日、戦死した日時と場所から階級、昇級、勲功などが書かれています。
戦後復員した軍人、軍属の場合は除隊するまでが載っています。
512名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 00:15:39 ID:V/TpW/68
オレの爺ちゃんは南のほうで戦っていたらしい。
酷い体験したらしく戦争のことはあまり話してくれなかった。
そんな爺ちゃんがよく「強いという事は戦うことじゃないぞ如何に戦わずに誰かを守る事だぞ」や「憎んだら楽になるが頭が悪くなるからな。」ってみたいな事を言ってたな。
今になると良く意味がわかる。
そんな爺ちゃんは左手の指が欠けていた。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 01:07:53 ID:WoKCDZSF
じいちゃんは戦争の話はしなかったな…
ばーちゃんには戦場の話をポツポツはしてたらしいけど。
ばーちゃんからのまた聞きで、
『わしが頭の毛が薄いのは戦場でヘルメットを被り続けていたからだ。』
『ふとんの片付けはとうふのように綺麗に積み上げなきゃならんかった。』
などライトな話題が多かった…

唯一戦場の悲惨さをばーちゃんに語ったのがこれ。
『わしはビルマで馬に乗っていたから助かった…体力を奪われた部下たちは腕時計を差し出して馬に乗せてくださいといっていた。』
撤退するだけでも命がけだったんだなと。

もっと酷いこともあったハズなのに恨み言も言わずに余生を学校の教師として過ごしたじーちゃんは偉大だな…。
514名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 01:09:29 ID:ISRFbFch
爺ちゃんすごすぎていつも自分が惨めに思える。。。
ノーチラス号(世界初の原子力潜水艦)の初代艦長で
初の北極海横断潜航にも成功した人物。
第2次世界大戦では中佐を務めてて
武器司令官として何隻もの日本艦を魚雷で沈めたらしい。
最終的には中将で退役して、今も元気に生きてます。

こんな人の血を引いてると思うと、、、でも世界で一番尊敬してる人
じいちゃん、長生きしてください
515名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 02:28:07 ID:kVlRBrHB
>>514

不思議の海のナディアの船長の孫ってこと?
516名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 02:36:38 ID:Rh1AjSA6
>>514
Eugene P. Wilkinsonウィルキンソン中将ですか
御年90歳、時代の生き証人ですな
517名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 02:43:52 ID:Rh1AjSA6
アメさんの潜水艦には軍艦だけでなく
一般商船や対馬丸のような民間船もたくさん沈められているので
日本人としては正直複雑です。
まあ戦争だから仕方ないんだけどね。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 03:18:07 ID:AwE8UaAR
>>517
通商破壊は潜水艦の主任務だからねぇ。
日本の潜水艦はあまり乗り気が無かったみたいだけど
それでも連合国側の一般商船を沈めてるね。
昔からある兵糧攻め作戦の現代版だね。
やってやられて・・・戦いは虚しいものだ。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 03:35:40 ID:Rh1AjSA6
>>518
そう、アメさんは忠実に任務を遂行したに過ぎない。
ただ潜水艦にきちんと通商破壊を命じなかったのが日本の敗因の一つだからねえ。
軍艦ばっかり狙ってなければいくらか戦局も変わったろうに。

とは言え、結局向こうさんから同様に恨まれるだけだな。虚しいな。
520名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 03:41:17 ID:VXIoFgva
>>6
うちの父方の祖父が太平洋戦争当時近衛の憲兵だったけど、
その身分のまま終戦半年前に台湾へ行かされたらしい。
祖母によると、もう負けると分かっていた上で行ったそうだ。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 04:07:43 ID:/aYSyBFA
俺が生まれた頃には亡くなってたから全部又聞きだが
体が丈夫な方では無かったが田舎だったからか当時医者の資格無しでも大丈夫とかで医者のような事もをしてたらしい
それで軍人だったって言ってた
軍医か何かだったらしい
あくまでらしいね

亡くなった人だし戦争の時の話は殆ど聞いた事無いけど一つだけ
これは母から聞いた話で武勇伝では無いけれども
戦争が終わって皆で日本まで逃げるって時に日本の行きの船まで行く時の話なんだが
当時敗戦国の日本に対して現地の人(うろ覚えだが中国だったような)はリンチとか追い剥ぎをよくしてたそうな
服は全部取られてパンツ一丁
下手したら命の危険性すらある
道に関しては右も左も分からない
そんな中で
爺さんは時計だけは守ったそうだ
守ったと言っても抵抗して、とかじゃなくてパンツの中に隠して
相手も流石にパンツの中までは調べなかったらしい

幸いにも近くに線路があったので、昼間は線路の近くの隠れれる場所に隠れる
そして終電になれば移動を開始する
失礼な話だがその時には畑の食べ物やら草木やら食える物は何でも食べて移動したらしい

一緒に行動してた人達は何で時間が分かるのか疑問に思ったらしく、爺さんに聞くが爺さんは誰にも言わずにいつもパンツの中に時計を隠してこっそり時間見てたんだとか
常時なら仲間を信頼出来ないのはどうとかって話になるけど
状況が状況でこの時計一つで全員の一生に関わるから仕方無かったんだって母親が弁解してたので印象に残ってる
人間命がかかった時には何をするか分からない
リンチする側の人に差し出すかも分からないし盗まれる可能性だってあるからって

とにかく終電後の誰も居ない時間を見計らって移動して
命からがらなんとか日本に帰る事が出来たんだとか
522名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 04:25:19 ID:A3lYgnDL
>521
薬局の店員のおばあさんと話したけど、10代のころに終戦後に満州から朝鮮半島にわたって、
10人くらいで小舟(漁船)で日本まで命からがら帰還したそうです。
ロシア兵や朝鮮人などに女性がつかまったら、どういう目にあうかは分かっていたので、
若い女性は貞操を守るための自決用に青酸カリをしのばせていたそうですよ。
日本帰国後は、何も生活基盤の状況で暮らしていかねばなかったわけですからね。

しかし、なんで薬を買いに行ってこういう話になったのかは良くおもいだせないけど、
たしか北朝鮮の拉致問題が注目されていた時期だったので、それがきっかけかも。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 05:00:09 ID:/aYSyBFA
>>522
リンチとか言ってたのは控え目な表現だったのか・・・
子供に聞かせる話じゃないしな
ありがとう
524名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 16:56:18 ID:Bno5uAY2
>>521
この話いただきました
525名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 18:35:14 ID:enwyuGR0
●チベット蔵族の虐殺 : 1950年の中華人民共和国のチベット侵攻以降における同地での
 蔵族の虐殺及び追放。1959年の「ラサ決起」の後、中国側は叛徒の徹底的な弾圧に乗り出した。
 この前後に行われた虐殺行為については国際法律家委員会のメンバーが現地人の証言をまとめ、
 「チベットと中華人民共和国」というレポートを出している。
 中国がまず標的にしたのは「富裕階級」「地主」「村などのリーダー」だった。
 それらの人々は公衆の面前で銃殺されたり、焼き殺されたりしたという。
 「財産を公開しない」という理由である者は溺死させられ、ある者は生き埋めにされた。
 密告制度が導入され、人民裁判、つまり、公衆の面前で個人を卑しめたり、
 その罪状を糾弾させる行為が行われた。これにより、子供は親の罪状を、親は子供の罪状を
 あげつらわなければならなくなった。子供に自分の親を射殺させるなどの行為も行われた。
 中国は、3階級の処刑が終わると、今度は僧侶の処刑と寺院の破壊に着手した。
 抵抗した僧侶らのうち、ある者は縄で絞め殺された。
 その際に、縄で首をしめる道具として仏像が使われたという。腹を切り裂く、撲殺する、糞尿を食わせる、
 生きたまま焼き殺したり生体解剖を行ったりと、残虐を極めた行為で次々と僧侶たちを処刑していく。
 経典はマットレスやトイレットペーパーに使われた。中国が殺したのは富裕階級と僧侶だけではない。
 新婚の女性は産婦人科で知らぬうちに不妊手術を受けさせられた。
 「検査」と称し強制的に連行された男性は、生殖器に何らかの手術を施され、
 それ以降、性的欲求をまったく感じなくなったという。子供たちは「中国本土で教育を受けさせる」という
 名目で連れ去られたまま、二度と戻ってくることはなかった。
 チベット亡命政府の発表によると、「解放」の美名のもとに中国によって殺されたチベット人は
 1950年から1984年までの間で120万人以上にも上り、
 中国側は決してこの数字を認めようとしないが、虐殺は現在も続いているそうである。
http://www.minghui.jp/2006/01/04/xgs_060104_01.htm
http://www.faluninfo.jp/2007/08/html/070830_phss.htm
526名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 21:09:32 ID:+EngprrO
>>519
アメリカの潜水艦の運用は、結局、無制限潜水艦作戦で、民間船でも無通告で攻撃
する、当時の国際法違反のもの。まぁ、ドイツのUボートも同じ方法をとったんだが。
アメリカは開戦直後からこの方法をとってたんだから、やる気満々だったんだなぁ。
通商破壊はちゃんとした戦術だが、やり方がちょっとね。
527名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 21:13:53 ID:O2KfpMz8
>>526沖縄県民の被害もそのせいだよな。牛島司令官が民間人逃そうとしてたが、対馬丸であきらめた。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:34:23 ID:UkUTxSt9
>>490
インパール作戦の話でないの?
529名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:34:23 ID:2+UMGiyF
高校の時に聞いた話。
父方の祖父
山砲を扱う部隊にいて、戦場に送られる前に終戦。
ずっと入院してたから、ほとんど話し聞けなかった。

母方の祖父
野戦重砲部隊の上等兵。牡丹江(?)ってとこに終戦までいたらしい。ソ連の戦車を撃ってたって。
迫ってくる戦車が凄く怖かったらしい。
終戦後、ソ連兵から逃げて現地の人に匿ってもらい無事帰国。
部隊の中で何人かは共産軍の教官として中国に残ったらしいけど、断って帰ってきたって。
じいさん曰く、「芋と西瓜はもう見たくもない」
今でも遊びに行ったときに西瓜出されるといつのまにか台所から居なくなってる。
今年帰ったら元気なうちに色々聞いておこう。

ところで、重砲の砲弾って10kmも飛ぶもんなの?ずっと気になってるんだが。
530ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2008/10/09(木) 22:38:21 ID:UJuqo8M0
飛ぶよ。
九六式十五糎榴弾砲なら11km、九二式十糎加農なら18kmが最大。
531名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:45:12 ID:2+UMGiyF
>>530
そんなに飛ぶのか・・・でもまずあたんねーだろな・・・

つかじーさん知らないとこで手記載せてた。教えてくれたって・・・orz

ttp://blog.goo.ne.jp/rt000gal/e/d9773517d888abcde5f491297bf8e770
532名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 02:06:18 ID:YTZv8XTr
>523
新聞や本などの体験記で読んだけど、終戦直後の満州からの日本人民間人の引き上げ時には、
ロシア兵はめざとく若い女性をみつけて、拉致していったそうです。髪をきったり、炭を顔に
塗ったり、男装させたりしても、上手に見抜いたということです。
そして拉致された娘は帰ってこなかったそうです。
体験談には、多くの拉致された若い女性がどういう運命をたどることになるかは明確にはかかれていませんが、
想像できますよね、、、
533名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 02:30:47 ID:xhon1Dnu
>>532
ありがとう

>>521の者ですが、今日少し母から聞いて来ました
爺さんは軍人で満州で馬関係の何かをしてたそうです
その時に怪我して治療を受けたのがきっかけでそこで医者の手伝いみたいな事をしてたらしいです
昨日は仲間と書いてましたがどうやら大半はその仕事仲間の看護婦さんとかだそうです
女性に関しては裸はマズいので何とかして貰ったらしいと言ってました
後は昨日の話と大体同じでした
母自身、爺さんから戦時中の話は殆ど聞いて無かったけど
この話に関しては、逃げる時に吊り橋効果で仲良くなった女性がいて、彼女が爺さんにも子供が出来た事を言わなかったので、爺さんが結婚して母が小学生になってから初めて知って
その事情を説明する段階で聞いたそうです
534名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 02:31:48 ID:xhon1Dnu
>>524
すみません詳しくお願いします
535名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 03:49:51 ID:KmcqVnWz
>>532 ロシア兵が女性を探すとき、従軍慰安婦の人が自ら立ち上がって進み出て、他の女性を守った話あるな。その時は次の日従軍慰安婦の人帰ってきたらしいが。一緒にいた女性はものすごい感謝したとかいってたな。
536名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 04:01:49 ID:SMuuTpPO
うちのじいちゃんは、北海道で農家やっていたんだけど召集されて、
ノモンハン事変、日中戦争に行って無事生きて帰ってきたら、
太平洋戦争が始まって2回目の召集、この時はもう生きて帰って来れないと
思ったらしい、そして南方戦線に送られてジャングル戦の毎日だったみたい、
ジャングル戦は、あまりの視界の悪さに敵が見えず、ただただ撃ちまくっていた
記憶しかないって言っていた。それでも五体満足で終戦。帰国して広島の手前の
駅で汽車の全部の窓に新聞紙が張られ、外が見れないようにされて通過したのが
一番記憶に残ってるらしい。そんなじいちゃんも今は92歳で元気にしています。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 04:18:45 ID:/rZeaidB
>>535
はいはい乙
538名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 04:32:52 ID:YTZv8XTr
>533
壮絶な体験ですが、無事に帰国されたことは良かったですね。

>535
帰ってきた例もあるということですね。

>536
極寒のノモンハンにジャングルの南方戦線、、、
それでも、無事に帰還されたのですね。
539名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 06:04:28 ID:ip/QhiD8
>>535

従軍慰安婦は、90年代に朝日新聞が作った造語です。その当時従軍慰安婦という
言葉はありません。ただの慰安婦でしょ。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 07:35:47 ID:j/YKOMum
横浜生まれの祖母から聞いた話ですが、終戦の年の5月の終わり頃、50機以上のグラマン機の大編隊に、たった1機の友軍機が上空から急降下して果敢に襲い掛かり、グラマンを1機撃墜したのを見たと言っていました。

危険なので、すぐに防空壕へ急いで避難したそうなので、その後の空中戦がどうなったのかは不明ですが、勇気ある立派な友軍機の姿を見て、みんなで誉め讃えたそうです。
541名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 08:32:25 ID:FEsM7iSL
>>4
反省している。って日本人がいうかぁ?コイツ日本語おかしいよ…
542名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 08:39:17 ID:FEsM7iSL
>>535
韓国では風俗の取り締まり強化に対して、全国の売春婦が立ち上がってました。
543名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 10:26:02 ID:SpbpIlpy
うちの爺さん 重巡「摩耶」の対空機関砲の射手だったけど 木っ端微塵にされたらしい。骨もないよ墓に
544名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 10:49:39 ID:KmcqVnWz
>>535 ちなみにこの話はソースは朝日新聞の投稿欄だったはずだから、まぁ売春婦だったかもね。いきなり左翼認定はやめてくれ。
545名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 10:59:18 ID:NgDCfnIm
うちの爺さんは、厚木航空隊のパイロットだった。
新兵だったので乗る機体は無く、紫電改や月光を磨いたりしていた。
多くのベテランパイロットがB29の迎撃に向かい、未帰還となる現実を目の当たりにしたそうだ。
東京大空襲の日には、敵機に体当たりして戦死したパイロットも多くいたらしい。
神風特攻隊を非難する風潮があるが、国を守りたいという思いで、勇敢に死んでいった方々に失礼な風潮だ。

546名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 14:58:18 ID:4WGGS4gp
というか、このスレはあくまでじいちゃん達の戦争体験なわけだし、仮にじいちゃんが朝鮮人で逃げ回ってただけの話でも、検証できない以上貴重な体験のひとつとして受け入れるべきだろ
左だ右だってのは関係なく。

せめてこういう場所くらいは某板みたいに争うのはやめようぜw
・・・・俺のじいちゃん?
当時中学生でたいした空襲もなく、鬼畜米英に負けるなって叫んでたら負けてたってさ。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 17:29:10 ID:yVE0oyRx
>>545
厚木なら302空ですね。
「紫電改」ではなく「雷電」ではないかな?
548名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 18:26:25 ID:NgDCfnIm
>>547
雷電もあったと言っていたのを覚えてます。
ずんぐりむっくりの機体は、物凄いエンジン音だったらしい。
元々、霞ヶ浦航空隊にいて、二式大挺の離陸シーンも見た、と言ってました。

本土決戦要員で、厚木に集められたのではないか?と言ってました。

今度会ったら詳しく聞いてみます。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 18:54:42 ID:Pw7HN2AL
女を切り刻みながらレイプすんだよ。たまらんらしいぜ!
550名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 18:57:18 ID:FkEhcfJk
俺の母方の遠い親戚はシナ大陸で自動車部隊の尉官だったそうだ。
シナ軍に包囲された陣地に伝令に言ったら、そこの上官から戦闘要員として
残れと命令された(上官命令だから従うしかない)。
 少人数で雲霞のごとくせめて来るシナ兵を、ありとあらゆる武器で追い払ったが
弾薬が尽き果て、あわや全滅寸前に、救援に来た友軍部隊に助けられたそうだ。
 帰国後、あまりにできすぎた話なので周囲は「またか」といった風でまじめに聞いていなかったが
戦友会同士の会報でその事実が確かめられた。
 当人も年老いたが息子がいなかったので、俺に当時の軍刀を譲ってくれた。
ただ、軍刀についている階級章(?、付いてる色で階級がわかる布のようなもの)は
本人が外して「これは譲れない。」と譲ってくれなかった。
当たり前だよな。
いろんな思い出がしみこんでるものだろうから。
墓場まで持っていくつもりかも知れない。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 20:48:52 ID:343aHKa1
>>545
戦術としては批判されてしかるべきだがな、個々の兵士の話とは別の話
552名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 20:54:06 ID:lcgG9d6l
若くして大変な生活をしたじいさん、ばあさんはもうすぐ
いなくなってしまう!

みんな話を聞いておいてくれ
恐慌きたら俺たちもどうなるかわからんぞ
553550だが:2008/10/10(金) 21:49:11 ID:uO8D3j1B
それと、「軍刀はさっぱり役に立たなかった。」といってた。
ほかの部隊の者に聞いても同じだったらしい。
「どこか役に立ったところがあるのか?あんなのお飾りだよ。」といささか自嘲気味だったよ。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:14:47 ID:fG77GuQu
軍刀は将校のお飾りだろうね。
その当時の日本人には、まだ侍の魂が残っていたんだろうし、
武人としての象徴だったと思う。
実用する時は兵士として最期の時で、切り込み攻撃などで抜刀するよね。
特攻隊も軍刀を所持して出撃している。
今の日本人には理解し難い話だろうね。

555名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:19:36 ID:H9uTTRoc
刀を持ってるのが指揮官だったので狙撃の的になったってのはよく聞くけどな。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:40:49 ID:toLoAhKZ
>>540
すごいなぁ 今の日本人に出来る人はいるだろうか。
自衛隊には、いるだろうけどね と思いたい。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:52:12 ID:KmcqVnWz
自衛隊に志願した場合、「イザとなると特攻します」なんて言う奴は落とされる。中学の後輩が落ちたが、大人になって自衛隊の奴と知り合って、「そんな奴は危険人物だから落とす」と言われた。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 00:30:41 ID:paPo5v0a
>>557
それは面接での話しかな?
特攻するって意味は、自爆攻撃するって意味か?
遠回しに、特攻隊員が狂ってると言いたいのか?
大体、自衛隊の面接でそんな質問はしないし、荒唐無稽な話だな。
お前が日本人だとは思いたく無いが、そんなに自虐的にならなくても、いずれ日本は汚い支那人に乗っ取られるからw

苦しい反日の捏造は止めれ。

559550だが:2008/10/11(土) 01:15:35 ID:zKTtNJFF
当人の自慢話の裏が取れたのは、救出部隊の生存者と連絡が取れたことによる。
救出部隊も包囲のシナ兵の数が多かったので、救出作戦が成功するか否かは半信半疑だったらしい。
しかし、意外と楽に(もちろん犠牲者は出た)救出できたそうだ。
帰国後この救出作戦の話をすると、できすぎた話なので周囲は「またか。ふーん」という
態度だったらしい。
 しかし、このままコケにされたのでは死んだ仲間に申し訳が立たないので
各地の戦友会の会報に関係者があれば連絡をくれと何年も書いていたという。
 それが当事者の目に触れて、救出する側、救出された側の面会となって話に花が咲いたらしい。
>>554
ま、軍刀の方は、確かに抜刀して切り込む状態に陥らなかった分、運がよかったといえる。
 近い親戚には、ニューギニアで戦死した英霊もいるし、複雑な思いだね。
おかげで夜更かししてもうた。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 02:53:26 ID:V55u1YSJ
否定的な特効話しになるとやたらむきになる奴がいるなw
561名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 05:23:52 ID:OW91EB7u
>>558落ち着け。幼年学校に落ちた奴がいて、そいつの口癖が「特攻する」て話だ。適当にカキコしたから確かに正確ではないが。お前も面接なんて受けたことなかろうに。なぜすぐ狂乱するかね。そいつは二年連続で落ちた。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 06:49:21 ID:v8TYamrQ
特攻礼賛や、政治信条披露は他でやれや。
ただな、大前提として、たとえ合法でも殺人は良くない事だし、戦争に行けて、特攻出来て幸せだったなんて当事者は一人もおらんよ。
20年前の話だけど、夜中だったかな。じいちゃんが「ワーッ!」と言って起きてたのを思い出す。
戦争の悪い夢をたまに見ると言ってたな。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 08:02:38 ID:uDZZ7Q4u
ホントだよな

このスレはね、検証するスレじゃないのよ

聞いた話を書くスレなの。

だからムキにならないの!
564名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 08:52:11 ID:ELB+xqqq
戦闘機に軍刀持ち込むと配線に触れたりして障害を起こす恐れがあるので操縦席には持ち込まず 
拳銃を帯びるのが一般的だろ 
映画のイメージで語るゆとりは氏ね
565名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 10:12:18 ID:paPo5v0a

特攻隊は軍刀を携えて出撃している。
写真資料等で明らかだ。

それから、他人に死ねとは何事か?
566名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 10:25:01 ID:WBjkAJfU
戦艦突入前に脱出して
切り込む
のが当然だろ
567550だが:2008/10/11(土) 10:44:50 ID:v/8xthK/
連投になるが書きこする。
 10年ぐらい前、会社帰りに行きつけの飲み屋によった。
なかで、数人の若者グループが、終戦間際のソ連の満州侵攻後、暴虐の限りを尽くした
ことを話題に、悲憤慷慨してた。
 飲み屋の話題にしてはずいぶん硬い話題だし、俺もソ連憎し派だから興味を持って聞いていた。
ところが、俺の脇に距離を置いて座っていた年配者(戦争経験者と思しき人)が、鼻水をすすり泣きながら、手酌で「ロシアも
ひどかったが、あめチャンもひどかった。」とぼやきながら飲んでいた。
 そのときの俺は、この人を「変なオッちゃんやの〜。ソ連に洗脳されたんか。」ぐらいしか思ってなかった。
ところがその後、いろんな本を読むと、南方戦線でのアメリカ軍のさまざまな残虐行為を知ることになった。
 わが将兵の遺体から首を切り落とし、薬品処理してしゃれこうべにしてガールフレンドに送った話(当時の
LIFE誌に写真入で載ってる)わが傷病兵や捕虜を集めて戦車でひき殺したり、火炎放射器で焼き殺した話(リンドバーグの日記)、
救命ボートで漂流中、アメリカの艦船が近づいてきたので、(警戒しながらも)救助してくれるのかと思いきや、
平気で射撃の的にした等等。
 俺の推測だが、そのオッちゃんはこれに類した体験を身近に経験した人かもしれないと思うようになった。
 その後、同じ飲み屋に何度か行ったが、そのオッちゃんと会うことはなかった。
会ってもつらい経験の話を聞けたかどうかわからんけど、身近にそういう人がいたら今のうちに
話を聞いといたほうがいいよ。
 >>562のじいちゃんのように、話したくないのかも知れんけど。
俺に軍刀を譲ってくれた歴戦の勇者も数ヶ月前連れ合いをなくしてからすっかり
老けた。
 その連れ合いの葬式に行ってお会いしたが、威勢のいい話は聞けなかったよ。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 11:01:04 ID:12IpGVal
また軍医の叔父の話だけど、市街地でシナ人の敵兵とばったり出会った時、
お互い凍てついたみたいに動けなくなったらしい。

その時銃じゃなくなぜか軍刀を抜いて斬ったって言ってた。
すごい印象的に語ってたな。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 11:29:02 ID:Zf2+FmCg
祖母から聞いた話。
かつて私の町にあった鉱山に、戦時中の人手不足を補う為に、朝鮮半島から労働者達が家族ぐるみで出稼ぎに来ていたそうだ。
休日になると、女子供が町内の集落を歩き回って、食べ物をもらいに来た。
その人達は浮浪者みたいに身なりが汚く、可哀相だなと思った祖母は、大根や味噌をいつも分けてあげていたと言っていた。

姑からは、「オラ達の食い物も少ないのに、何やってるだ!!」と怒られるので、いつもこっそりと。

あと朝鮮半島の人達はカゴを頭の上に乗せて歩く風習があったみたいで、その様子が珍しかったみたいだ。
終戦でほとんどの人達が国へ帰ったらしいが、今も国に戻らず、私の町に住みついた朝鮮半島出身の老夫婦と、その子孫が何家族かいる。きっと住み心地が良かったんだろうな。
570名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 11:30:27 ID:zqZAVRUf
殺鼠剤でも飲ませて皆殺しにすればよかったのにな。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 11:47:14 ID:I81GJaqa
>>568
幕末ばりの立ち回りだなwすげえww
572名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 12:04:58 ID:WBjkAJfU
軍刀で人を切って威張ってるのって変な奴だな
573名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 12:38:52 ID:APYN5kb7
>>568
接近戦の場合だと、1発撃ってから次の攻撃までタイムラグがある銃より
刀のほうが有利な場合があるって聞いたことある。

市街地だったんで出会い頭の遭遇だったのかも
574名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 16:49:49 ID:23V9myA8
俺んちの爺ちゃんの話
戦争には若かったんで行かなかったそうだが日野の軍需工場へ行かされたらしい
そこで空襲に会い慌てて畑の中に駆け込みうずくまっていると目の前を機銃弾が通過
そしてコロコロとトマトが転がってきた
思わず、食わず嫌いで一回も食べたことの無いトマトにかぶりついてから食べれるようになったそうだ
爺ちゃん曰く「戦争は腹が減るもんだ。精神力は腹の足しにならん。勇ましいだけじゃ駄目」
と、今隣で言っている
575名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 18:06:15 ID:pBSjLFhk
補足
場所はベトナムに近い南方のほうで、笹がたくさん生えている場所で
仲間を見失った時遭遇してしまったらしい

軍医は小銃を持たず(ピストルは持ってた)将校なので軍刀は
下げていた。斬った敵兵はうずくまったのでそのまま去ったんだって
576名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 19:48:48 ID:2ryfMQgt
祖父は戦艦陸奥に乗っていた。追浜の砲兵学校(53期)
に行ったと言っていた。大東亜戦争には行っていない。
親父は佐世保海兵団に入営し上海(陸戦隊)に行った。
親父は今でも多くの事を語らない。

俺は次の事変で命をかける。
若い命は、守らなければならない。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 19:54:19 ID:I81GJaqa
オッパイマ、スカイガ−ルズの先輩か
578名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 21:33:37 ID:1yar5Hst
うちの爺さんは、満州で中国人に残虐行為をしたのは朝鮮人の兵隊やと言ってた。朝鮮人は中国人を恨んでいたとな
今は日本の悪口ばかりで朝鮮人は昔から少しも変わらないつまらん民族やとも言ってた
579名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:33:47 ID:4UV9lldM
父方の祖父は中国戦線、九江戦時、中隊長として従軍していたが、
戦後、同部隊出身の人が、自費で当時の手記を発表した。
そこで徐州戦の時に中隊長命令で
ある村を全滅させた話があった。
もちろん女子供、老人も皆殺し。
おそらく村全体で敵軍の敗残兵やスパイをかくまったり、
兵站などの重要なポイント上にあったとかなのだろう。
部隊長などに、心ないもの、中国側に恨みなど持っていたり
すると、大作戦時にはどさくさにまぎれて
このような命令もだされたのだろう。
この話を読んで、その中隊長は祖父ではなかったのかと震撼、
あとで親父に聞いたら、祖父が赴任したのは上記、
九江戦前、しかもその戦いで負傷、本国送還ということで
胸をなで降ろした。
祖父から直接きいた話ではないが一応。



580名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 12:21:51 ID:w2Hcemx2
昭和20年祖父は畑に向かう途中で米艦載機の機銃掃射を受け長男(伯父)を庇い
腹部負傷  銃創と栄養失調が原因で2ヶ月後死亡

長男は祖父の体を貫通した弾丸が急所に命中 即死 享年6歳
581名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 13:10:50 ID:AE5avvak
まあ、戦争を起こした指導者が悪いよ
根本的には、おこってしまえば現実はこんなもん

 軍備そろえるぐらいが楽しいものだよな
軍隊って、本心では使わないってぐらいがいいものだ
582名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 13:37:37 ID:UrfdJDdN
>>581
実際に開戦を望んだのは国民だと言うことをお忘れなく。

軍やマスコミの扇動など副次的要素に過ぎない。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 13:41:35 ID:AE5avvak
だから損害はやむを得ないで終わり
584名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 16:28:54 ID:UrfdJDdN
指導者が悪い軍が悪いというだけで思考停止せずに
国民が賢くならなきゃいかんと言う意味。

そうでなきゃなんでも他人のせいにして金はよこせ権利はよこせ
政治家が悪い官僚が悪い、と騒いでる昨今の連中と変わらんぞ
585名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 16:34:39 ID:TvmPClFw
しかし言わなきゃならん事も言わない腑抜け政治家も問題、極端すぎるよ日本w
586名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 16:46:08 ID:UrfdJDdN
>>585
それはそうなんだが、なぜかと言えば
長年はっきりモノを言う政治家は国民から叩かれてきた。降ろされてきた。
だから政治家は何も言わなくなった。

国民が変われば政治家も変わる。
587七誌:2008/10/12(日) 17:02:19 ID:Ox+zSFKk
>579
心配しなくても良いと思う。旧軍は、規律が世界一厳しかった。
私の祖父もシナ事変に参加しているが、残虐行為などほとんど無かったと
言っていた。東京裁判は冤罪だし。うそを言って金儲けする人がいる。
だいたい、本来なら、憲兵に捕まる事例を、今頃、言う。殺人者が時効が過ぎたから
殺人の様子を本にするようなもの。嘘800だと思うよ。
588七誌:2008/10/12(日) 17:36:57 ID:Ox+zSFKk
私の祖父は、一回目の徴兵で、ノモンハン?で警備し、ソ連軍に対峙。そのとき、軍手の自分と
望遠鏡で見える毛皮の帽子と手袋のソ連兵の違いに、うらやましーと思ったそうだ。
二回目の徴兵は、除州攻略戦。師団司令官が最前線まで出てきたので、「閣下、危ないですから後方で指揮をおとりください。」「いや、ここで良いんだ。」
という会話をしたのを話してくれた。それと進軍中、虫のように道端で雨にぬれながら寝た話とか。
三回目の徴兵は、上海・南京攻略戦。上海は激戦だったようで、敵が機関銃を撃ちまくる中、突撃命令がでて、
覚悟して突撃したそうだ。南京は、虐殺など無く、敵兵が、民間人の格好で、いきなり日本兵の隣に来て
頭を打ち抜くので、その掃討をしたかったが、民間人と区別がつかないので、
民間人そのものを、難民地区に閉じ込めて、その治安などすべてをシナ人に任せて、占領を維持したことを
話してくれた。虐殺なんでうそだし、証言している兵隊も、実際に南京攻略戦に参加していない師団の名前で
参加していると嘘を言っているひどいのもいるといっていた。とにかく、虐殺なんて、やっても無いことで戦友
が冒涜されるのが許せないが、戦争に負けたから、誰も信じない。お前らだけでも俺の話をちゃんと聞いて、
ちゃんと理解してほしい。といわれた。4回目の召集が、きたとき、3回の召集で終わりという約束があったのに
4回目が来たので、今度の大東亜戦争は大変なことになっていると実感したそうだ。そして、南の島に配属。
米軍の飛び石作戦で飛ばされた島だったため、生き残ったが、どこかの島を攻める直前の大艦隊が、祖父の島の前を
通りかっかった。その日の朝、司令官から「今日は覚悟するように。・・・」と指令がでて、すぐに、大艦砲射撃が始まり、あなぐらのなかで
耐えたそうだ。その後、駆逐艦2隻が、偵察に島の湾にはいて生きたので、高射砲を使って十字砲火を浴びせ、火災を起こした駆逐艦二隻は
敗退し、そのまま、大艦隊は、通りすぎっていったそうだ。4度目の召集で、これはと言う戦友は、硫黄島などの玉砕した島に配置されたそうで、
特に、硫黄島に配属になった戦友の写真を見ながら、こんな奴と戦った米軍が大きな被害が出たのは当たり前だと言っていたのが忘れられない。
今は亡き、祖父も、歴戦の勇士だったと今は思うが、その何倍も凄い兵隊さんがいたんだよね。。
そういえば、軍艦の写真を見ていて、補給艦なんてたいしたことないといったら、補給艦なしで戦争なんて出来ないんだぞと釘を刺されたなー。
とにかく、「戦前は、植民地ばかりで、それを何とかしようと戦ったんだ。侵略戦争なんかじゃない。今みたいなアジアなんか無かったんだぞ。」と怒られたなー。


589名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 18:20:32 ID:D1V5ZRKL
>>587
あの、支那事変からこっち、中国戦線での日本軍の軍紀は非常に乱れていたんですけど。
再三にわたってそれに関する改善の指示が出続けています。
まあ「出続けた」ってことは改善されなかったってことでもあるんですが。
もちろん、貴方のお祖父さまが立派な方で、他の兵卒のような乱れた行為を行わなかったのは立派ですが、
それを全軍の平均にされると、戦争を専門に扱うこの板では史料となる文章と矛盾して困ります。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 20:30:12 ID:UrfdJDdN
>>589
確かに軍規の乱れを嘆く記録があるのも事実。
ただ、それが「各国の軍と比較してどの程度の乱れだったのか」は検証の余地がある。

たとえば、日本兵が当地の女性とごく普通に良い仲になった結果の関係でも
日本軍の扱いでは「強姦」と記録され、軍規の乱れとされたそうな。
ちょっと厳しすぎだとも思うがね。
591名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 20:37:13 ID:9C1JOCNC
>>590
>日本兵が当地の女性とごく普通に良い仲になった結果の関係でも
>日本軍の扱いでは「強姦」と記録され、軍規の乱れとされたそうな。
それは知らなかったです。
当時の史料でそれについて触れているものを教えてくれますか?
ちょっと調べてみたいので。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 22:56:32 ID:2uwZS1ns
32 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/10/11(土) 17:13:07 ID:EVB4tZWb0

【ダム】黒部ダムに全長15m前後の首長竜らしき生物が出現。協会はクロベッシーと命名
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/river/1223008835/l15
593名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 23:15:33 ID:FbehnPQE
>>548

厚木のことはこの本に詳しくかいてありました。

河原匡喜著「マッカーサーが来た日−8月15日からの20日間−」新人物往来社 1995

山本五十六の息子さんも整備兵として厚木にいたそうです。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 23:52:45 ID:HdYGgo/8
>>588
陸軍の命令として便衣兵1万5千ほどを長江流域で
銃殺した記録は軍の記録として残ってる。
これの中に民間人が混ざっていたのだろう。
それと南京攻略戦で巻き添えになった民間人が4万ほど
南京戦で死んだ市民は5万人程度だろう。
595名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 23:57:38 ID:HdYGgo/8
中共のプロパガンダでは30万人と言っているが
最近、シナ側の研究者が大規模聞き取り調査はじめてる。
大体少なくて3万、多くて6万程度で
日本軍の記録、および南京戦終了直後の市民と思われる
埋葬数は大体一致する。東京大空襲の半分程度にすぎない。
そもそも市民を巻き込んでの市街戦をやり、挙句の果ては便衣兵と
なった国民党軍の責任が第一。
596名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 00:04:02 ID:p4QLBw3o
便衣兵なんか混ぜると
市民が巻き添えになるよな
自業自得じゃん
597名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 12:56:53 ID:UH0/cPU9
つうか、米軍による日本への本土爆撃の方が、残虐行為と呼ぶに相応しい。
原爆や東京大空襲は、ナチのユダヤ人虐殺にも匹敵する大虐殺だな。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 13:27:48 ID:p4QLBw3o
そうだな
優等国民に対して失礼だよな
ロシア人以下はいいけど
599名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 13:42:37 ID:UH0/cPU9
支那人が30万人虐殺されたって、モノの数に入らんな。
あいつら、億単位で増殖する生き物だからw
定期的な駆除は必要、
と思われます。
600七誌:2008/10/13(月) 14:03:04 ID:ZP7gQs7K
>589
そうそう、確かに、南京を落としたとき、日本兵の一部が悪いことをするので、
夜間外出禁止、一般の兵士は許可可無く外出禁止。で、祖父は、市民から接収した
民家に閉じ込められたそうだ。東京裁判で死刑になった軍司令官は、日本兵の一部が軍律を破るのを、完全に
防ごうと努力していた。また、南京攻略戦では、市街地に砲撃を加えたため、南京市民のほとんどが
南京を脱出し、占領時には、チャンコロの死体と乞食しかいなかったと言っていた。
占領1週間ぐらい絶ってから、元の市民が、元々の人数よりも多く、大量に戻ってきたと言っていた。
そして、難民地区を作ったそうだ。このことは、日本軍の占領地域が治安が良かったからだと、私は思って、納得しました。
祖父から聞いたことではないが、戦争の番組で、旧軍人が、日本軍人は、悪いことをしたら罰せられるのではなく、
悪いことをしたと疑われる行為を持って厳しく罰せられたと説明していた。盗んだように見えたから罰せられると説明していたなー。
601七誌:2008/10/13(月) 14:24:22 ID:ZP7gQs7K
>591
強姦したかどうかではなく、強姦したと思われただけで処分された
旨の証言しています。
http://www.geocities.jp/isharejp/tagata.shougem.html
602名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 14:27:45 ID:p4QLBw3o
そりゃ皇軍が悪さするはずはないわな
603七誌:2008/10/13(月) 14:48:23 ID:ZP7gQs7K
ただ、もう当時は、朝鮮の兵隊さんもいて、中では大変だったらしい。
朝鮮人の憲兵が、盗みをやった日本兵を追いかけてきて、戦友と二人で歩いていた祖父の前に来て、
いきなり、戦友と共にすう発殴られた。反撃すると大変なことになるので、こらえて
後ほど、軍司令官に直訴したら、仲良くしなきゃならん。こらえてくれ。
「わかりました。でも、一発だけ殴らせてください。」「いや、それもだめだ」と
言われて、仕方なく耐えたそうだ。朝鮮出身の軍人さんをどう働いてもらうのかは
大きな問題だった様です。
だから、祖父には朝鮮人には気をつけろと言われた。高校のときに、聞いておこうと
思って、色々聞いたんだけど、時系列があやふやなんです。これは許してください。
あと、祖父は、徴兵だから上等兵どまりで、敗戦後、米軍の捕虜になりました。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 14:51:08 ID:XFpFLc0a
日本軍人の評判を悪くしたり民間人を強姦したり虐殺したのは朝鮮人兵士だろう
605名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 15:31:17 ID:KsS8/sNV
俺だよ、俺
606名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 15:33:25 ID:p4QLBw3o
こんなとこまでオレオレか
607名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 15:34:18 ID:n20GYvzv
( ゚Д゚)< >>605 氏ね!
608名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 15:39:28 ID:G6yTnrAX
朝鮮人は中国人を恨んでいて、いろいろ仕返し?をしたらしいことはあちこちで見るね。
改名も満州にいる朝鮮人の希望で行われたわけだし。

朝鮮人日本兵取り扱いマニュアルはさすがにネタだろうと思ってたんだけど、
あながち間違いでもなかったのかも。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 15:44:54 ID:p4QLBw3o
朝鮮人は昔から強姦するのが当たり前なんですね
今もむちゃむちゃはやってまつね
610名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 16:02:45 ID:E6NCLc7z
なんだ、ただの酷使様の妄想スレか。

俺のじいさんは少年通信兵として駆逐艦に乗っていた。
まあ、船は沈んで漂流してるところを救助され、アメリカの捕虜になって、
「あんないいもん食えるならさっさと降伏しときゃよかった」
とか言ってるような人だけど。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 16:05:24 ID:p4QLBw3o
打ち殺されなくてよかったな
612名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 19:03:00 ID:8+FYaUQO
終戦前に捕虜になった人は結構好感もってる場合が多いよ
さんざん放浪して殺されると思ったら、助かって捕虜やってる方が食事もいいし
戦後捕虜になった場合より早く帰れる
613名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 19:16:22 ID:p4QLBw3o
結構漂流して打ち殺されてるぞ
証人いないもんな
614名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 19:44:06 ID:E6NCLc7z
証人いないならなんで「結構」なんて規模がわかるんだ?
615名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 19:50:15 ID:sPFgKpxe
捕虜になった奴は待遇が良い。
捕虜にされずに殺された奴が圧倒的に多い。
捕虜にするかどうかはその場の雰囲気。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 20:10:20 ID:p4QLBw3o
よく文献で見るよ
米側の
617七誌:2008/10/13(月) 20:15:45 ID:ZP7gQs7K
あと、戦争とは関係ないが、朝鮮には、学校や戸籍や保健所を
日本のお金で山ほど作って、日本人は大変な思いで税金を納めて、
朝鮮人はそれらを無料で教授しておいたくせに、今は、侵略だ
侵略だと騒いでいて、本当に頭にくるとも言っていたな。。。
私の近代史の理解は、こういった祖父の言葉が大きく影響している。
戦前の日本の苦労を知らない人たちがいなくなって、いつの間にか、
朝鮮統治から朝鮮植民地化に変わってしまったことは、何とかしないといけない
大問題だと思う。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 20:23:26 ID:p4QLBw3o
基地外のチョンなんか相手にするな
韓国つぶれたら高笑いでいいよ
619名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 20:25:32 ID:y1gEsloK
>>610
敵さんは、君のじっちゃんの「少年通信兵」ってとこに目をつけたんだよ。
うまくおだてりゃ情報(特に暗号解析など、あるいは解析した暗号の確認などなど)
を得ることができるなど、利用価値があると値踏みしたのさ。
 ま、状況によるけどね。
620名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 20:25:34 ID:UH0/cPU9
実際に、南京大虐殺を実行すれば良かったんだ。
日本人は理性が利くから、駄目だった。
もし俺が、あの戦争で支那に行ってたなら、支那人を千人位はぶち殺していたなw
621名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 20:31:50 ID:p4QLBw3o
殺して何に何の
おれだったら奴隷にして
いい生活したいな
女は・・・・
622名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 22:17:05 ID:2YD/7arf
>>464
全てが嘘とも思えんぞ。
万年東一みたいな兵隊も存在したしな
映画「兵隊やくざ」のモデルになった人なのだが。
623名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 00:48:43 ID:Z9qbeyol
みんな結構凄い話してて悪いが
軍人じゃないじいちゃんの話だ。


俺のじいちゃんは生まれが昭和3年で、ギリギリ出兵せずに済んだとか

ただ疎開で工事で働いてる時に空襲にあって、
なんとか生き延びたものの、
膝から足の付け根の手前あたりまで長い傷があって、
聞いたら、
その時にとんできた破片か何かでついた傷らしい。
あと爆弾の爆発音で鼓膜がやられたらしい。
きれいに破れたせいか、
聞こえなくなってきたのが大分後だったそうな
今じゃずっと補聴器つけてる。

出兵にこそあわなかったものの、そんなじいちゃんでも
戦争の話になると
「戦争はいかんなぁ」
と言う。

自分達は老いたから死んでも構わないが、
孫の俺らが捲き込まれるのが可哀想だ

ということらしい。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 01:26:27 ID:vDUbSmNi
>>623
>「戦争はいかんなぁ」

それが実感だったと思いますよ。
目の前で知人友人たちがバタバタと死んでいくのを
目の辺りにしたら当然そう思うでしょう。
だから「戦争」はしてはならないという想いになるのも分かります。
でも戦争=敗戦という深い傷からの想いだと察してあげてください。
戦争をするせざる得ない状態で命を懸けて戦った兵士たちも、自らが
生まれ育った故郷を守りたいが想いの為だったことも事実です。
その想いも無残に打ち砕く結果が敗北敗戦なんですよ。
ですから国家に裏切られた、命がけで戦ったのに何だこの仕打ちは?
って遣る瀬無い想いも考慮してあげてください。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 09:05:21 ID:gm7JeteS
このスレ在日多すぎる
626名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 09:17:38 ID:xPmwuocm
<丶`∀´>おいらもむかしは帝国軍人ニダ
627名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 10:24:20 ID:QhJbGEX9
帝国陸海軍も自衛隊も公務員。
職業軍人、自衛官は公務員ですよ、あんた。
変にロマン持ち過ぎなのは若いヤツかな?
628名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 10:45:16 ID:F0BgN/39
明日のサッカーW杯予選の日本×ウズベキスタンもある意味戦争。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 11:55:37 ID:3B17oooE
>>627
ここは、「公務員だった」爺ちゃんたちの戦争体験を語るスレだよ、あんた。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 15:23:56 ID:CGGrAzeG
>>627 意味がわからん。公務員だと何がイカン?
631名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 15:57:33 ID:TU7lsnzb
サッカーの何処が面白い?
ありゃ、バカが熱中するスポーツだな。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 16:49:50 ID:QhJbGEX9
>>630
公務員=イカン
単純直結脳思考はイカンな。
633名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 17:57:42 ID:rNnS2a5J
世界中の人々がバカだと思い込んで自分はよっぽど頭がいいと勘違いしてるんだろうな。

ま、この手のバカは頭がアレだから何を言っても無駄だけどな。スポーツじゃなくても政治関連でも何でも
634名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 18:02:58 ID:TU7lsnzb
サッカーに熱中する奴は、低学歴が多い。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 21:38:31 ID:Z9qbeyol
>>629
>>623の者だが
そうなのか。それはすまなかった。
日本語の至らない俺に、
どこに「公務員だった」と
書いてあるのか教えてくれないか?

あぁでも俺のじいちゃんは戦後から
定年までずっと小学校の教師やってたから
それなら大丈夫だな。
「公務員だった」からな。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 21:49:49 ID:CGGrAzeG
>>632 公務員だったら、ロマンがないという趣旨の書き込みだが、全く意味がわからんて話。

>>635 俺は629でないが、ささいな事で絡むなよ。
637629だが:2008/10/14(火) 21:55:43 ID:P9wKHp00
>>623
>>635
誤解されてるようだ。
俺が「公務員」と書いたのは、>>627がなぜか戦前の職業軍人などを貶めるような書き込みをしたので
その言葉尻を捕らえて、627へ皮肉ったつもりだ。
で、627以外への書き込みには他意はない。
おれは、戦前の職業軍人が「公務員」かそうでないのかは知らないし、このスレへの書き込みには
直接関係ないことだ。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 22:01:57 ID:Z9qbeyol
>>637
そうか、それはすまない。
些細な事で絡んで悪かった。
聞いた体験談を語るスレなのに
それていったから鬱陶しくなって書き込んでしまった。
申し訳ない。

>>636も不快な思いをさせて悪かった。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 23:44:43 ID:LEtjM3pn
640名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 20:41:33 ID:td1TrckH
東亜嘘吐き国家の成り済ましが
日本人のフリしてウソの体験談を書き込み
組織的に自作自演の論議するスレはここですか・・
641名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 21:44:46 ID:E79MjDtt
現在89歳になった祖母の話

祖母は今で言うバツ1。最初の旦那さんはどっかの海に沈んでいるらしいので、お墓に遺骨もない。
その頃祖母は、二人の幼い子供(叔父叔母)と共に満州にいて、最初の旦那さんの弟(私の祖父)が
『俺(最初の旦那さん=祖父兄)に何かあったら、妻子を頼む』
という最後の言葉を受け、祖母と一緒になり、満州の開拓をしばらくしていたそうだ。
終戦前に祖父が病気になり、日本に帰国。
祖父は20年前に病気で亡くなったので、戦争の話は直接聞けなかったが、祖母に聞いてみたところ、あまり話したがらない感じだったけど、
満州に行って、ここに住め、と言われた家は現地の人達を追い出した家で、追い出された現地の人は
わりと近くにいたらしく、可哀相だったけど、怖かった…とぽつりと話してくれた。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 22:13:03 ID:W5270e6Z
関口宏は在日なのか?
反日芸能人だな
643名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 22:34:23 ID:E79MjDtt
時間差で連投&少々スレ違いスマソ

祖母に初めて女の子の曾孫(私の子)が出来たとき、祖母が曾孫にボールをつきながら歌った歌が印象的だった

『イチリキダンパン破裂して 日露戦争で勝ったべな』

東北訛りがあるので間違ってるかもしれないが、こんな歌詞だった。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 22:43:30 ID:7VX2hXch
>>643
そんな数え歌あったらしいね。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa2929523.html
645名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 23:00:39 ID:E79MjDtt
>>644
知らなかったよ。ありがとう。
やっぱり歌詞が微妙に違うな〜歳のせいもあるのかもしれんが…
646名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 00:41:18 ID:4llsxmg2
北海道では沢山の支那やチョンが処分されたらしいね。
笑えるw
647名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 01:38:41 ID:B4zozwIs
> おれは、戦前の職業軍人が「公務員」かそうでないのかは知らないし、このスレへの書き込みには
> 直接関係ないことだ。

他意は無く言うけど、公務員ですよ。公僕。
648紫眼の黒猫 ◆NEKO.c.zOE :2008/10/16(木) 01:54:28 ID:zyLhYw0B
じいちゃんか・・・・・・たしか、樺太に出征してたんだっけ・・・・・・
あたしが、生まれる前に死んじゃったから話聞けてないんだよね。
なんか、うらやましい・・・・・・・

話変わりますが・・・・・・
ちと疑問なんだけど、捕虜として捕まる前後で戦争に対しての考え方が
変わった方っていらっしゃるものなの?
たまに、そういうような話聞くものだから知ってる方いらしたら教えて頂けますか。

あと、ジュネーブ条約による捕虜の対応が受ける事が出来なかったそうなんですけど、
ドイツ兵とどう待遇が違ったのか聞いていらっしゃる方おりますか?

できるなら、生の声聞いてみたいのですよ。
649通行人 うひょ:2008/10/16(木) 05:08:11 ID:Km7IUcOb
>>648
参考の一部までに
日本の場合、捕虜の想定が低かった為、ジュネーブに加盟せず
一般兵への、特に機密への教育が無かった為
初期の捕虜は殆どが人事不省時の捕虜で後期は自発的例が有ります、自発例はアメリカが驚くほど協力した例が多く観られます、具体的には爆撃目標を推薦したり・・・
動機としては、彼らは二度と帰れ無いと考えたからだとの証言が多く見られます、
後、白人のドイツ人より有色人種に対する考え方の方が条約より現実の問題でした
但しドイツ人に対しても勝者の慈悲が無い事が多く、特にソ連からは皆無に近く悲惨でした
共産圏での捕虜は多くが赤化教育を受けないと帰れませんでした、殆どが日本に着いたら忘れたそうです
他に、捕虜になった事を家族に知られたく無い為、偽名が多く、日本も無視した為…
希望と違うと思いますが参考まで
650紫眼の黒猫 ◆NEKO.c.zOE :2008/10/16(木) 15:55:11 ID:zyLhYw0B
>>649
いえいえ、そんなことありませんよ。
十分参考になりましたよ♪”
651名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 20:55:18 ID:Rt5u6u/u
>>645
お祖母さんに歌ってあげたらいいよ。
http://www.tbs.co.jp/inpaku/warabe/sad03.html
652名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:01:14 ID:4llsxmg2
支那に捕まった日本兵はどうなるの?
653名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:17:56 ID:AGWgabfY
>>651
ありがとう。年末に行ったときに歌ってみようと思います。
今からばーちゃんの反応が楽しみだ〜
654名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:24:10 ID:3l3+jdKv
>>652
なぶり殺しされただろな。
もともと彼らはそういう交戦規定とか捕虜の扱いとか
自文化論理に根ざした面があるからね。
西洋は西洋 中国は中国って考えがある。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:33:17 ID:cB33Biv9
>>652
捕虜にならないという日本軍のコンセンサスはもともと
日清戦争時の中国の日本人捕虜に対する残虐行為(文字通りなぶり殺しにされた)から来ている。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:33:37 ID:YWz/rj0U
国民党軍と八路軍では捕虜の扱いに開きがあるよ。
特に八路軍の場合には、プロパガンダの意味合いもあるから捕虜の扱いはいい。
国民党軍も「余裕があれば」普通に捕虜を扱ってる。

ただし、どちらも捕虜を取って移動等での余裕がなくなれば処分したことは十分考えられる。

それと国民というか文化の差があるのは、敵兵の死体の扱い。
戦死した日本兵がその遺体の一部(足とか)を切り取ったり、というのが結構見受けられたらしい。
これは死後に生き返った時に自分達を追いかけてきたりしないように、ということらしい。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:35:55 ID:YWz/rj0U
「切り取ったり」じゃない、「切り取られたり」だ。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:41:03 ID:etCV5XjM
>>656
余裕があっても捕虜の扱いが悪かった日本よりずっとマシだな。
西洋人の捕虜に対しては(数が少ないせいもあるけど)割とよかったみたいだけど。
っつってもアメリカ人捕虜殺して喰ったりしたけど。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 23:19:26 ID:nsqmyz+N
じっさま曰く

終戦直前に、前線から熟練工をなにかれ理由を付けて内地に戻すって、のがあったそうで、
かすり傷だとか、軽い体調不良でも、内地での療養必要って書類貰ったって言ってた、じっさまもそれで
終戦前に日中戦争から戻ったって言うてた




660名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 03:34:04 ID:yQo1FpLi
>>658
意味不明
661名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 04:14:16 ID:TumRgEq8
Gちゃん曰わくシナ人は丸太。人間と思ってはいけない。と教えられました。朝鮮人は犬。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 06:25:14 ID:x8rSFLMl
実際問題日本兵って残虐な事やってたの?
子供の時から学校教師をはじめ大人達から日本兵は残虐な行為を沢山してきたと伝えられてきたけど反米と言うわけじゃないが
戦後の教育は彼らの都合のいい内容だと言う声も聞こえてくるし自分の周りの大人達だって戦後の学校教育で育った人達だし
かと言って何もないとこから煙が出るわけじゃないだろうし最近混乱気味
663名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 08:06:48 ID:gUfXVJjz
>>660
九大生体解剖事件とか小笠原事件とか知らない?

>>662
北支戦線では、共産党のゲリラが農村の支援を受けて日本軍を苦しめたため、
儘滅作戦といって農村ごと攻撃したりするような作戦が一般的に行われました。
中国側が三光作戦と読んでいるのは、この農村に対する儘滅作戦のことです。
この儘滅作戦については、民間人に対する毒ガス攻撃を行った記録や、
日本軍監視下の地域に強制移住させ(徒歩で!)、徒歩の旅に耐えられないような、
子供、女性、老人、病人、負傷者などはその場で処刑されたという記録、
また、疑わしいものは女子供でも敵であるから殺せと書いてある命令書など、
「日本軍側記録」として残っているため、そういった行為があったのは確実でしょう。
さらに、当時の日本軍は輸送を非常に軽視しており、
(「輜重輸卒(=輸送兵)が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち、電信柱に花が咲く」というのは有名ですね)
徴発とは名ばかりの、略奪に近いような手段で食糧などを手に入れていたことがやはり記録からわかります。
南京などでは大学の壁を壊して(!)ピアノを(!!)盗んだ事例さえあります。
こういったものは、どうやら南京にいた外国人に売り渡すつもりであったようです。
時計などの価値ある小物は、記念品として持ち帰ったり、家族に送ることもありました。
なので、当時の日本軍が今の基準で考えて、かなり残虐なことをやったのは残念ながら事実です。
従軍記者の記録や、実際にそういったことを行った兵士の陣中日記などで裏づけられています。
もちろん、こういった行為に走ったのは、もとはといえば上層部の見通しが甘いのが原因で、
ひとりひとりの兵卒がことさらに責められるようなことはあるべきではないと思いますが。
また、中国側の被害者数は明らかに誇張ですので、せめて1/3くらいに割り引いておくべきでしょう。
664通行人 うひょ:2008/10/17(金) 08:06:57 ID:pioR5BM7
>>662
あえて客観的に言えば
@戦争だからお互い様で無実の国は、何処にも無い
A日本は比較的、紳士的でした
一等国として気にし過ぎた面や、侍として考えてた(軍事目標以外狙わないとか)例は腐るほど有ります
B勝てば官軍で日本は悪にされちゃいました
C学校で反日教師が居るのは事実で、色んな理由が云われてます
D中国と韓国の主張は、ほぼ全部嘘です、現地の記念館もほぼ嘘です(戦勝記念館も)
出来れば歴史に興味を持って調べて下さい、
私は、歴史に右も左も関係無い、良いも悪いも無い、歴史に嘘をつくのが許せないと思ってますww
665通行人 うひょ:2008/10/17(金) 08:11:30 ID:pioR5BM7
>>662
663の主張は既に論破されてる古い説です
明らかに全体的知識の無い片寄った思想的歴史ですww
歴史オタでも軍オタでも無く、専門版で相手にされない人ですよww
666名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 08:24:41 ID:gUfXVJjz
>>662
申し訳ないですが、ちょっとこれから仕事なので、
夜にでも参考文献のリストを書き込ませて頂きます。
調べられる際の参考にしてください。
667通行人 うひょ:2008/10/17(金) 08:33:33 ID:pioR5BM7
>>666
良ければ軍版で御待ちしてますww
最近○○○○を主張される方が減って、遊びに来てたものでww
皆大歓迎しますよww
668名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 08:58:02 ID:OcqK+jUv
八路軍(中共軍)は、毛沢東に日本軍との交戦は極力避け、交戦した場合は
適当に撃ち合いをした後、戦力を損ずることなく、引き上げろと厳命されていた。
林彪は逃げてばかりの中共軍に、日本軍にカラカワレたことで一度、本気で交戦し、
日本軍に打ち勝ったことがある。しかし、毛沢東は烈火のごとく林彪に激怒した。
周恩来が中に入り事なきをえた。毛沢東への林彪の謀反心はこの頃のものからだろう。
大陸に上陸した日本軍は補給を大事にしなければならない。三光作戦という物資の無駄使いな
戦術をとるだろうか?それに、日本の戦術に三光作戦という戦術があるのは
初耳だが?
はたし
669名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 09:48:57 ID:8/h2ZYb7
2ちゃんねるは統一教会が運営して個人情報を集めてますよ

「コ◆シミ◆ズ」検索 「独◆立◆党」検索  ◆はずしてを検索

与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb◆bs.l◆ivedo◆or.jp/b◆bs/re◆ad.cgi/news/20◆92/115◆7941306/
2chの運◆営の正体をリチ◆ャード・コ◆シ◆ミズが断言
http://mamono.2ch.net/test/re◆ad.cgi/lobby/1213◆329◆871/
2chには何故か?書き込み不可能な文章
http://jb◆bs.live◆do◆or.jp/b◆bs/re◆ad.cgi/news/20◆92/116◆9481830/
リ◆チャード・コ◆シ◆ミズが初めて公の場に登場した、ワールドフォーラム06年8月例会での講演
http://vi◆deo.go◆ogle.com/vi◆deopl◆ay?docid=36658385◆1926860◆5080&hl=en

262 :中江さんへ :2007/01/29(月) 18:24:12 ID:???
中江さんへ 以下のリンクを参照して、2chがどういうサイトがご判断の上、
透派について、書き込みされるか、ご判断下さい。
頭のよいあなたなら、私の伝えたいことは十分に伝わると思います。
http://jb◆bs.li◆vedo◆or.jp/news/20◆92/
http://vid◆eo.go◆ogle.com/vi◆deoplay?docid=366◆583851926860◆5080&hl=en
http://ww◆w15.ocn.ne.jp/~oya◆kodon/newve◆rsion/sinb◆unter◆ebiiranaiyo.htm
http://an◆ti2ch.bl◆og61.fc2.com/
http://re◆sistan◆ce333.w◆eb.f◆c2.com/top_in◆dex.html
264 :中江さんへ :2007/01/31(水) 05:25:05 ID:3U/nw295
なにがあった?
265 :名無しさん@占い修業中 :2007/02/01(木) 19:09:14 ID:???
自殺しました

◆はずしてを検索
670名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 10:19:08 ID:fz9HDyEh
>>667
軍板でお前みたいなこと書いたら
「また皇軍厨か」「皇軍太郎とかバカなの? 死ぬの?」「秦郁彦くらい読めよ」
ってフルボッコになるだけだろ。

どうせ軍板で論破されて逃げてきたんだろ?
671名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 12:34:43 ID:1vayFymL
731部隊や細菌戦は日本側の記録があるからな。
ある程度はやってたろ。
>>663
の内容も、「ある程度差っ引いて考え」とまで書いてるから冷静なレスだよ。
中国であれだけ暴れたので、シナ人は日本人が恐いのだ。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 12:49:34 ID:tIBQwetf
>>663
これ差っ引いて考えても日本軍が特別残虐行為をやってたとは思えない
673名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 13:35:48 ID:yQo1FpLi
九大事件などNHKの反日プロパガンダ、捏造だな。
万に一つ、そんな事件があったとしても、人類医学の発展に貢献した偉業だな。
支那人など、人肉を削いで殺して食う、の発想しか無いではないか?
674名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 15:44:10 ID:Jx7SMFIP
サイゴンでプリンをウマウマしていると、オカマっぽい従業員に「アンタ日本人?」と聞かれた。
漏れは現地人がどうやって日本人を見分けているのか興味があったので「韓国人だよ」と答えてみた。
すると案の定、「ウソ!絶対日本人よ!だってプリンの食べ方が上品だもの!」と言われた。
漏れは決して上品な奴ではないんだが。んで、「じゃあ韓国人はどんな食べ方するの?」と聞くと、「韓国人はウチみたいに高い店には来ないのよ」と含蓄のありそうな答え。
「プリンもう一つどう?」クネクネしながら漏れの口をナプキンで拭きながら催促される。
気持ち悪かったが、この店のプリンは檄ウマなので「じゃあもう一個くれ」と言うと、「断らないのは日本人の証拠よ」と言いながら厨房にクネクネしながら消えていった。
675名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 18:46:59 ID:y0yRgUmU
父方の爺ちゃんは陸軍。戦争の話は聞いたことない。
今も実家には当時携帯して行った村人の寄せ名のある国旗が飾ってある。
60歳前半の時に戦友数人が集まって再び中国に行きたいと言って旅行に行き、万里の長城を歩いた後
に脳溢血、急逝。
どんな運命だよ…今でも婆ちゃんの家には戦友からの年賀状が届く。

母方は海軍。教官みたいな立場だったらしい。
満州で大砲がどうのこうのという話をしていたが俺は小さかったのでよく聞いてなかった。
満州とかシナの単語はこの人から聞いて覚えた。古臭い感じがして、シナという言い方はあまり好きじゃなかった。
海軍時代に貰った国璽がある賞状に毎朝手を合わせてから仕事に行ってた。

俺は小学生の頃、はだしのゲンを読みまくっていたせいで、帝国軍=悪鬼のイメージに完全に洗脳されてた。
でも、帝国軍=自分の祖父=悪鬼という帰結への違和感がどうしても消せなかった。
全く非論理的ではあるけど、帝国軍≠祖父のように無意識的に切り離して考えたように思う。
そのせいか、あまり積極的に戦争の話を聞こうとは思わなかった。
聞いてしまうと祖父=悪鬼という結論だけが待っているような気がして怖かった。
何も聞けないまま70前半で無くなった。敬老の日だった。

あれから20年。
もっと話を聞いて、その精神を学ぶべきだったと後悔してます。
二人ともまじめで自分に厳しい人達でした。
祖先の墓に誇りを持って、そしてありがとう、と今は言いたい。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 19:11:47 ID:zNdT/kdS
すれ違いだけど教えてください
ここのレス内容で「電撃」っていうのは
どういう攻撃の事をいうのですか?
677名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 19:35:39 ID:gUfXVJjz
>>662
まだ見ておられるでしょうか? 帰ってきましたのでいくつか資料を紹介したいと思います。

【儘滅作戦(あるいは儘滅掃蕩作戦)について】
藤原彰『天皇の軍隊と日中戦争』、ここでは、北支那方面軍第一期の晋中作戦復行実施要領が紹介されています。
『冬季山西粛正作戦戦闘詳報』、これは防衛庁の持っている史料で、現在は公開されています。
村落を攻撃する際に「撒毒」といってイペリット(糜爛性のガス)を使用した記録のある貴重な史料です。
石切山英彰『日本軍毒ガス作戦の村』、これは、日本軍の儘滅作戦から、北坦村の地下道に逃げ込んだ付近住民に対し、
日本軍が催吐ガスを使用したため、換気の悪い地下道で800人前後の村民が死んだ事件を調査したものです。

【輸送の軽視と略奪について】
上砂勝七『憲兵三十一年』、実際に憲兵として兵卒を取り締まる立場にあった人の本で、違法な徴発についての記述があります。
斉藤忠次郎『知られて居ない南京戦史』、当時輜重兵だった人の手記で、補給についても略奪についても言及があります。
川崎春彦『日中戦争 一兵士の証言 生存率3/1000からの生還』、非常に損耗率の高かった鹿児島歩兵第45連隊の方の話をまとめた本です。
ジョン・ラーベ『南京の真実』、ピアノについてはラーベの日記に記述がある。ただ日本語版は誤訳が多いので、ドイツ語か英語がわかるならそちらのほうがいいでしょう。

北支戦線から南京にかけては、聞き取り調査などをした書籍も多いですので、資料に困ることはないかと思います。
日本人の名誉のためにも、現場の兵卒に責任を押し付けるような論調の保守系論客がいなくなるといいですね。
678名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 19:39:18 ID:gUfXVJjz
>>676
「電撃」というと「電撃戦」というレスしかヒットしませんが、これはドイツ語の「ブリッツ・クリーク」を直訳したものです。
機甲部隊の機動性と航空支援を活かして、相手の防御姿勢が整い切る前に攻撃を仕掛ける戦術ですね。

「雷撃」のことであれば、これは軍艦や航空機が魚雷を使って敵の船を攻撃することを指します。
魚「雷」で攻「撃」するから雷撃というわけですね。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 20:38:49 ID:pJVWxPgA
>>677
資料の話ばっかじゃんか。あなたのじいさんはなにやってたの?
680名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 20:54:18 ID:dyeKMVpn
あくまで個人的な意見だが、中国帰りの人の手記は割り引いて考えてる。
中帰連みたいな例もあるし。
中国や韓国での現地の人の聞き取り調査が一番信用できない気がする。

>>663みたいな例もあっただろうと思う。ただし中国側も同様かそれ以上の残虐行為を
働いていたことをきちんと認識することが大事なんじゃないのかな。
待ってましたとばかりに日本の悪行を並べ立てる人に限って他の国のことは言わない。
自省は大事だけど日本軍が良かったか悪かったかだけ考えても戦争は分からないと思う。
681名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 21:14:36 ID:gUfXVJjz
>>679
母方の祖父は海護総隊の駆逐艦に乗ってましたよ。兵卒なので大したことはしてませんけどね。
父方の祖父は学徒出陣のころは北大の理系大学生だったので出征はしていません。

>>680
最初に質問された方の質問内容を理解しておられますか?
「あったかどうか」と尋ねられたので、「こういう史料により『あった』ことがわかります」と答えたわけです。
私は日本軍が悪かったとも、国民党や共産党の軍が良かったとも言っていません。
ただ、残虐行為と呼べるような行為は「あった」。そこまでは事実であるというわけです。
「良い」とか「悪い」とかはそもそも言葉の定義からやらないと理解が得られない、不毛な評価でしょう。
まあ、「悪い」とは思いませんが、背景となる政治を含めて「失敗した」とは思いますね。軍事趣味者としては。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 21:50:38 ID:pJVWxPgA
>>681
なんで家族の話より資料の羅列のほうが詳しいんだよ

例えば「日本兵がフランス兵の目玉をくりぬいて殺した」という事実だけ
伝えれば、日本兵はなんて残虐なんだ!と思われる。
あんたさっきから日本の残虐行為しか書いてないからつまらない。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 22:06:10 ID:gUfXVJjz
>>682
なんで、って、どんなに調べても2人しかいない祖父より、探せばたくさん見つかる資料に詳しいのは当たり前でしょう。
さらに、私の祖父は私が子供のころに亡くなってもういないですから、又聞きの話か書類で確認できる内容しかわかりません。

そして、日本軍は中国で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
通常の戦闘だって、人間が、お互いに、何人、何十人、何百人と殺しあうんですよ。今の感覚で言えば十分残虐でしょう。
残虐ではない戦争が存在するとしたら、今の所それはフィクションの中だけの話です。第81Q戦争のような世界になればいいんですけどね。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 22:46:30 ID:DIHTA4Ek
不惑を過ぎてか・・
685名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 00:24:39 ID:Rd/l12Ak
中国軍は大陸で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
フランス軍は欧州で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
イギリス軍は欧州やインドで戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
オランダ軍はインドネシアで戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
ドイツ軍は欧州で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
ソ連軍は欧州や満州で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
アメリカ軍は欧州や太平洋で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。
日本軍は大陸や太平洋で戦争をしていたのです。戦争をしていたのですから、残虐なことをするのは当たり前です。

まあ、こういうことですね。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 00:36:42 ID:mfHSLq04
>>685
なのに、「日本軍(日本人)は残虐なことなどしない!」とか言う奴がいるんだよな。
別に人間が残虐だから残虐なことするんじゃなくて、戦争(しかも苦しい勝ち戦)だからするのにね。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 02:40:37 ID:klKnyDz9
支那では現在も残虐行為が続いている。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 02:47:38 ID:19NR17YP
オオカミは悪いやつだ! 家畜を襲い残酷に殺す悪いやつだ!
サメは悪いやつだ! 楽しく泳いでる人間を襲い残虐に食い殺す悪だ!

結局一番残酷非道なのは無理解な人間でしたとさ(´;ω;`)





689名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 05:09:35 ID:gcvqJnbm
>>677

事細かにありがとうございます。最近近代日本史に興味を持ち始めていたので今度国会図書館に行ってみます。
しかし左右様々な主張があり結論が出ない上時代が下るにつれ当時を知る人がどんどん亡くなりさらに憶測ばかりが一人歩
きしてしまうため事実が曖昧になってきてしまうのが残念でならない。
結局戦争に綺麗も汚いもないし別に反米と言うわけでもないし上で書いてあった日本軍がやってたと言う残虐行為も子供の
頃から散々聞かされていた日米戦で米国にやられた本土爆撃の悲惨さに比べれば悲しいかななんとも思わない。
結局戦争は当事者のみならず子や孫やその後の全く関係のない世代の末裔同士の関係までも壊してしまいかねない威力があるのが恐ろしい
690名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 05:32:40 ID:d46Not7o
何処だったか忘れたけど、少年が近くにいる兵隊を指差して、「あいつらに家族を殺されたから大人になったらあいつらを殺すんだ」って記者に語ったって話思い出した
戦争だけじゃなく、全ての対立にはおよそいいことがないな。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 05:35:02 ID:ql0MCHjA
石川遼、すごいね。何がすごいか、、スコアだけを言っているのではない!。

現在の日本を代表する片山、谷原、矢野、など有力選手がドライバーを
封印して、刻むゴルフをする、それがゴルフの怖さをしっているから
当然のセオリーかもしれない。年間を通してのトッププロがこれでいいのか。

石川遼には、それらのトッププロのセオリーをくつがえしてほしい。
ゴルフは、1ヤードでも遠くに飛ばすのが良いんです。怖がらずに、、
そして、スケールの大きな選手になってほしい。真のゴルフ王道を、、

青木、尾崎、中島、の時代はゴルフに豪快さがあり、すごかった。
そしていつも全力を尽くす大スターだった。だから人気があったんだ。
今の若手の選手は、確かに飛距離、も技術、も道具、も向上した。
しかし、スターとしてはいまいち華がない。だから女子に押される始末。

石川遼へ。今日からの決勝ラウンド3、4日も思い切って豪快に攻めろ!
それが、王道でありいまのゴルフ界を救う事になる。
そのすごさは、ゴルフを見れば分かる。だから、スポンサーが25億円も
払っているのだ。ゴルフを知っている人には分かっているんだ。

結果は、どうでも良い。思い切って豪快に打て。目標は、一日+4でいい。
トータル+8で良い。そのくらいの気持ちでやれば、結果が付いてくる。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 10:49:52 ID:PNnuKH2h
俺の町の話
俺の町には日清戦争当時、爆弾三勇士になられた方がいた。
当然、国から勲章と多大な報奨金が出たんだがその親は持ちなれない金を戴いたために
「俺の息子は爆弾三勇士だ」と毎日自慢しながら酒に溺れて死んでいったそうだ。
親の心、子知らず の逆バージョンで顰蹙をかっていたそうだが戦争の悲劇の一面ではあるな。
693名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 11:25:06 ID:p2g+pwDO
ばあちゃんの話なんだが・・・・
戦前横須賀市の女学校に通っていてある日、今もある「料亭小松」
の前で馬に乗った山本五十六を見たらしい。で周りの女学校生は
黄色い声を上げていたらしい。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 12:35:12 ID:aPzQYlrv
うちのじいちゃんの姉は戦争中に結婚したんだけど
夫は徴兵されてサイパンに連れていかれ帰って来なかった
そのじいちゃんの姉は養子を貰ったものの、養子は懐かず死ぬまでひとりぼっちだった
しかし夫の遺族年金(?)があったらしくて1$360円の時代によく外国で豪遊してたらしい
弟の孫である自分達兄弟をすごくかわいがってくれた
695名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 13:03:28 ID:umuboSWH
>>674
スレチだけどワロタww
696名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 20:06:32 ID:xY/sit3k
何でそんなコピペに反応?
697名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 20:40:33 ID:RpJV5y+/
戦争に道徳を持ち込むのは不毛。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 20:59:36 ID:QqHVxdFZ
>>693
昔の軍人はアイドルの側面もあったのねw
699七誌:2008/10/18(土) 21:12:52 ID:liAiDtMX
東郷神社、乃木神社。英雄だったから、アイドルとは
全然違うと思うけど。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 21:19:18 ID:xY/sit3k
神社ってアホかと
701名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 21:23:03 ID:klKnyDz9
中国人の握る寿司って、食いたくねえな
702名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 21:35:32 ID:xY/sit3k
握らんだろ

それより
チンチンにぎったあとの
おれの寿司はうまいぞ
703名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 21:59:58 ID:3/lBOr8n
スレチガイだけど中国にも回転寿司があるよ
当然、中国人が握ってる
つうか、型にはめてる。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 22:20:56 ID:b4vXgjxX
>>693
おー、「パイン」ですか。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 22:57:02 ID:i7yNTdK6
>>654
>>655
シナ人の日本兵捕虜に対する扱いはひどすぎる。
記録(ソースは一年以内によんだ書物だ)によれば連中は針金を使う。
捕まえた捕虜の抵抗を防ぐために、手指を一本一本斬るらしい。
そして逃亡を防ぐために、目に針金を差し込む。
そこで死ぬことができればいいが死ねないと悲惨な目に陥る。
シナ大陸の日本軍パイロットたちは敵の対空砲火よりエンジンなど機械類の不調を恐れたらしい。
不時着すれば、なぶり殺しにあうからだ。
 あるとき、2名のパイロットが不時着した。人事不省で捕らえられた。
一人は目に針金を差し込まれたときに(幸いにも)死亡した。
残る一人は、生ける屍となった身で、どこかに移されることになった。
その情報を手に入れた仲間のパイロットたちは、彼にこれ以上の苦しみを味合わせないために
彼もろともその輸送列車を爆撃することにした。
爆撃はきわどいところで成功した。爆撃したパイロットは、これで
地獄の苦しみから仲間を解放することができた、安らかに眠れと涙をこらえたそうだ。
 そのほかにも軍使となっていった仲間がなかなか帰ってこない。
奪還するため敵陣地に攻め入ったところ、針金で後ろでに縛られすでに事切れた
仲間の遺体を発見したことが多くあったそうだ。
 何枚かの写真が当時のアサヒグラフ(?毎日グラフ?)か何かの報道誌に載ってたのを
戦後見た記憶がある。
 
 話は変わるが、先日某TVで「世界一受けたい授業 国語」に金八が講師として
漢字の成り立ちを説明する番組を見た。
 その中で「民」という字の成り立ちは、捕虜となった敵兵の逃亡を防ぐために、
刃物で目を突いて見えなくする象形文字が元だと説明していた。
 これが事実なら、捕虜の目を針金で付くというシナ人の残虐性は、秦の始皇帝
以前からちっとも変わってないということだ。
 生きて虜囚の辱めを受けず、という悪名高い戦陣訓は、このシナの捕虜の扱いの残虐さから
兵士を守るために定められた面が大きいというのもうなずける。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 23:00:46 ID:dGSKLpb7
>>705
「ソースは」って、せめて著者名と書名、できれば出版社名と発行年月日くらい書かないとソースにならないよ……。
707名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 23:15:09 ID:KvQxYUPT
>>706
いちいちソースの著者名と書名、出版社名と発行年月日なんて書かなきゃいけないのか?
忘れてることもあるだろうし立派な情報だろ
人のダメだしする前に君が情報出しなさい
もちろんソースの著者名と書名、出版社名と発行年月日付けてね
708名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 23:20:19 ID:dGSKLpb7
>>707
いや、そういうのは「ソースなし」って言うだろ、普通。
それがソースとして認められたらどんなひどい出鱈目だってソースがあることにできるじゃないか。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 00:22:59 ID:Z7i60fM4
うるさいな
おたふくだよ
710名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 01:54:27 ID:vvxDso3I
日清戦争の捕虜の扱いから日本兵が捕虜になるのを恐れたのは事実だけど、
戦陣訓は「捕虜になるな」という意味じゃないよ。
虜囚=捕虜というのは戦後の捏造。

「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」というのは
「犯罪を犯して囚人になるような行いはするな、死んでからもずっと汚名が残るような罪を犯すな」という
あくまで軍規を正す意味であって、「捕虜になるくらいなら死ね」という意味ではないんだよね。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 02:02:33 ID:vvxDso3I
日本軍で戦陣訓を徹底していたというのも戦後の捏造で、
「戦陣訓という訓令があるとは知っていたが、どんな内容であるかは全く知らなかった。その程度のものだった」
と陸軍にいた山本七平や司馬遼太郎などが否定している。

「悪名高い戦陣訓」のイメージが定着した原因は、
横井さんが見つかったときに、ほとんど知られていなかった戦陣訓をマスコミが引っ張り出して曲解し、
「恥ずかしながら生きて帰りました」と言った横井さんと戦陣訓を強引に結びつけて報道した結果、有名になった。
以後、日本軍の玉砕精神の根幹として事あるごとに取り上げられ、
「戦友が死んだのに自分だけ生きて帰ってしまった」とか「死を賭して戦う」というような
当時の軍人としてはごく普通の感情までも全て「東条の戦陣訓に洗脳された人」と解釈されるようになった。
712コピべ:2008/10/19(日) 02:17:56 ID:QY5Pmq6e
兵士1人が日本刀1本で100人以上斬り殺せるほどの戦闘能力と有り余る予備の日本刀を持ち、
銃剣と単発銃のみで80万人以上殺すなど、原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り
各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて
中国で320万人もの現地労働者を動員し、そのうち100万人が死に、機密保持の為に1万人を
生き埋めにするほどの労働条件でも反乱を起こさせないほどの統率能力を使って、
国境地帯に計19ヶ所、4700kmにおよぶ要塞および1700kmもの地下要塞を作り、
さらにこの超巨大要塞を60年間に渡って秘匿しつづける程、情報管理が徹底していて
沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて
何百万人を殺しておきながら、戦後半世紀以上も、殺害時期、殺害方法、日本兵の心理状況などこと細かな内容迄隠し通す機密保持の高さを誇り
当時オランダ領だったインドネシアにも開戦前から日本軍用の慰安婦を送り込むほど先見性があり
揚子江の川幅を2m以下にしたりするほどの高い土木技術を持ち
人口20万人の南京市で30万人を虐殺し、かつその死体を1台のトラックで2週間で片付けられるほどの行動力があり
日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料が有り余っていて
AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み
韓国で文化施設はもちろん一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分してまわるほど暇で
保護するために植民地ではなく「併合」したにも関わらず、韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭やら真鍮杭を埋め込むほど風水に明るく
人間の脂肪から、航空燃料を作れるほど錬金術に長け
写真の影さえ消せる位の隠密行動に長け、銃殺しても血が流れない銃を開発し
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、新たに日本のダメな建築物に建て替えるほど資材と資財と人材が有り余っていて
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と船舶が豊富で
960万平方kmもの大地をもつ中国の3分の2を支配し
家々に火を放ちまくり6年間で1万7000以上の村を焼き払うほどの行動力があり
250種類もの殺人方法を思いつくほどに残虐で
無駄に虐殺した5000万人もの民間人の死体を一カ所に集めてたっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり
中国の近代化を50年も遅らせるほどの徹底的な破壊を行い
わずか70万人の関東軍で戦闘の合間に20万人もの中国人慰安婦を満足させるほど絶倫で
広く険しい中国大陸を大軍勢で移動していたにも関わらず、各地区の兵士や民間人が逃げる暇も無い程のスピードで動き回るなど金メダル級の運動能力を誇り
山東省で広島+長崎の核2発分の犠牲者数を超える42万人を殺戮するほどの細菌兵器を保有し
田舎から都市部まで全ての街道を余す所無く隅々まで破壊し尽くし、さらに人気の無い山の奥深くでさえ草一本残さず毟り取る程の根気と几帳面さを兼ね揃え
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、14歳で731部隊に採用されるほど医学を習得し
15歳の少年に細菌戦部隊での軍務が務まるほどの教育水準を持っていて
さらに細菌兵器開発のため20万人を生体実験出来るほど医療設備が充実しており
1941年の大東亜戦争開戦時にダム一つ作るために延べ360万人を動員し9年間に83名もの犠牲者を出し
圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく
中国での最初の慰安所「大一サロン」にはハイテクエアコンを完備させ
中国呼倫貝爾市の地下に60年も見つからない、広さが東京ドーム2.5個分の毒ガス実験室を作れるほどの優れた土木技術と豊富な資源、人材を保有し
それが建設後60年間誰一人として発見できないような隠蔽を行えるほどの科学技術を誇り
半世紀以上放置されても使用出来る毒ガスを作れるほどの科学力を誇り
金の掛かる化学兵器砲弾を200万発も生産して中国全土に埋め
終戦間際の補給線が断たれた時期にマニラで一日3000人を殺害する継戦能力を保持し続け
朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にし、その上でもともと無い記憶を奪えるという摩訶不思議な技術を持ち
終戦後になぜか意味の無い強制連行を行いまくるほどの軍備と余裕があり
敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロールするほど政治力と外交能力に長ける

そんな大日本帝国が敗戦したことは、人類史上最大のミステリー。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 03:47:49 ID:7Z982ehw
小沢一郎って日本人?
中川秀直って日本人?
714コピべ:2008/10/19(日) 04:54:43 ID:QY5Pmq6e
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
 その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
   あんたらにわかるか?
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に、守衛さんが、彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
715コピべ:2008/10/19(日) 05:13:40 ID:QY5Pmq6e
ビスマルク海戦 ( 空襲 )の結果、陸軍の兵士を乗せた輸送船 八隻と駆逐艦 四隻が
敵機の攻撃により沈められましたが、沈没した日本の艦船から ボートや筏で逃れ、
浮遊物につかまり 漂流中の千名の兵士達に対して 、アメリカと オーストラリア軍の飛行機
が低空から機銃掃射をおこない、機関銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、
映画撮影の カメラマンまで乗せて何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。

「 決して男らしいやり方ではなかった 」 と第 五爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中で報告
していました。「 隊員の中には気分が悪くなる者もいた 」。

救命ボートやその周辺を文字どおり 血の海に変えた その殺戮の様子を、機上から撮影した
実写フィルムが十年ほど前にオーストラリアの テレビ局から放映されて、国民に大きな
ショックを与えました。「我々は フェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。
( 容赦なき戦い、ジョン・ダワー著 )
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/genbaku-1a.htm

渡部昇一が『日本史から見た日本人』昭和編で、リンドバーグが米兵による日本人捕虜
虐待・殺戮の実態を告発しているのを引用して、元連合軍兵士が「日本軍に虐待された」
と訴えてくるのは、自分達の道徳的負い目を相殺したいからだろう、と指摘している。
南京大虐殺なんてのも、広島・長崎を相殺するためだしね。
716通行人 うひょ:2008/10/19(日) 07:19:35 ID:QY5Pmq6e
戦史は後、幾らでもコピベ出来るけど(ソース付きで)
スレ違いだし、戦争とはこんな物、
片寄った都合の良い事例だけ取り上げて思想で語るのはヤメテ
717通行人 うひょ:2008/10/19(日) 07:30:00 ID:QY5Pmq6e
>>663
個別に否定したいけど
スレ違いだから、誘導してちょんまげ
718名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 09:15:32 ID:MrndiiU0
皇軍賛美コピペも下らないレイシズムもスレ違いです。
私が彼を刺激してしまったのかも知れませんので、スレの住人の方々には、
心よりお詫び申し上げます。

これについては
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1221998944/
こちらで話し合いましょう。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 12:34:29 ID:kf0k8FA3
祖父ちゃんは湖北省鳳凰山で戦死した。
祖母ちゃんから聞いたのは、戦陣で子供の誕生を聞いた祖父ちゃんに、部隊長とかがお祝いの会を開いてくれたって事くらい。
私より若いときに亡くなった祖父ちゃん。
いつか鳳凰山に行きたいと願ってる。

もう一人の祖父ちゃんは反戦論者で特高に捕まってた。
でも死ぬまで祝日には日の丸を揚げ続けた。
どっちの祖父ちゃんも大好き。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 16:33:33 ID:7Z982ehw
>>718
チョンと犬、立ち入り禁止w
721名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 21:04:47 ID:RdOaFNqY

【パラオ】どの慰霊碑も日本の方を向いている…パラオの慰霊碑守りたいと来日 [10/17]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1224230920/1

パラオの慰霊碑守りたいと来日

「戦友の戦没者慰霊碑を守りたい」−。那須町で育ったパラオ在住の倉田洋二さん(82)が、
太平洋戦争で宇都宮の部隊が玉砕した西太平洋のパラオ共和国アンガウル島の慰霊碑保存に
立ち上がった。国や県、遺族らが建立した二十六の慰霊碑が、ホテル建設で移設を余儀なく
されたという。移設費用の支援要請でパラオから来日した倉田さんは十六日、福田富一知事を
訪ね、「生き残り兵の役目と思って何とか移設させたい」と切々と訴えた。
十七歳で南洋諸島を所管する南洋庁=当時=に入庁、海洋研究者としてパラオに移り住んだ
倉田さんは、一九四四年に現地で徴集され、アンガウル島戦に参戦。捕虜となり米国本土に
連行された。現在は特定非営利活動法人(NPO法人)「OWS」の副会長として、自然
保護活動に努めている。
アンガウル島は倉田さんが住むコロール島から船で片道約四時間。外周三キロで
人口二百人程度という。
「永代供養」の名目で慰霊碑を建立したはずの土地にホテル建設計画が浮上。心配した現地の
州政府が新たな土地を用意したが、移設費用が工面できず、倉田さんが来日し戦友会などに
協力を呼び掛けている。
<中略>
十八日にパラオに戻る予定の倉田さんは「アンガウル島は戦前戦後にわたって日本とも歴史的な
つながりが大変深い。温かいご支援をお願いします」と話している。

寄付金振込口座は、三井住友銀行渋谷支店、普通預金6445395、「アンガウルの未来を
考える会」。浄財の使途と移設工事の経過は「OWS」のホームページに掲載する。
下野新聞 (10月17日 05:00)
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20081016/65018
722名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 00:25:49 ID:xhp6b20l
>>710
日本軍は兵士に「捕虜になった場合の対応法」の教育をあまりやらなかったが、それは
「兵士は捕虜にならない」という考えがあったからだよな。
ガダルカナルやキスカの撤退作戦も、「捕虜になることが許されないからには、兵士の生
命を守るためには撤退させるしかない」ため実施されたものだし。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 00:53:46 ID:9s8EXFMl
日本が「俘虜の待遇に関するジュネーブ条約」を批准しなかったのは、確か、
「日本には捕虜になる兵士が存在しないため、日本に不平等な片務条約になるから」
って理由だったはずだが……。
724名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 00:54:59 ID:Hm85mwLY
>>722
そう、勇戦した上での投降を認めていれば、無理な撤退救出戦をやる必要もなかった。
(投降後の扱いはどうなったかわからんが・・・)
反面、特攻や玉砕などの「日本軍は絶対に投降せず、最後の一兵まで戦い抜く」
というイメージが米英を震え上がらせたのも事実。
そのイメージは今現在も残っており、まさに護国の鬼と言えるかもしれない。
725名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 06:50:42 ID:Q6pnIwqt
中国製のインゲンから農薬が検出され、食した主婦が入院するといふニュースが報道されてゐる。
毒入り餃子事件の舌の根も乾かぬ内にとは、正にこのことである。安易に利益のみを追求したツケが、
何の罪もない平凡な一国民に降りかかつた結果である。前福田政権が厳しく中共政府に追及してゐれば、
このやうな悲劇が防げたことは、想像に難くない。

根本的には食料自給率を上げることに真剣に取り組まなければならないが、
当面、毒を平然と放置するやうな国から、危険な食品が安易に輸入されることのない対策が喫緊の課題である。

維新政党・新風は、厳格な検査体制確立まで、中共からの食品輸入全面禁止を要求する。


平成20年10月17日


維新政党・新風
726名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 07:24:06 ID:ZHc5qqQ4
「お国の為に戦った」と語る人

「戦場に連れてかれた」と語る人



日本が戦争に勝ってたら、
後者の数は激減するんだろうなぁ。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 09:45:14 ID:5dwPgevq
俺の婆さん「戦争のときは飛行機が空を飛んでいっとった」
俺の解釈「戦争のときはB29がうちの田舎を飛び越えて阪神地区を爆撃しにいった」
728名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 11:01:01 ID:uMpxUi6F
>>690
数年前のパレスチナだよ。イスラエル兵を指して言ってたんだ。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 11:48:51 ID:JuYCj5oq
ウチの母方の爺さんは中国で戦ってたらしい。
そん時に使ってた軍刀があったらしいけど今は行方不明。
そんな爺さんも俺が小さい時に肺がんで死んだ。
今となってはそん時の話が聞けないのが惜しすぎる。幸い婆さんは生きてるので機会があれば、
何かしらの資料とかはあると思うので見てみたいと思ってたり。

父方は残念ながら親が離婚したから話を聞けないんだよねぇ。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 12:20:55 ID:U4v97dMP
私の曾祖母は、夫をフィリピン・ルソン島で亡くしました。
女手一つで四人の子供達を育てあげましたが、誰も愚痴や泣き言を聞いた事が無いそうです。
出征の前の晩、曾祖父は当時、国民学校の一年生だった祖父と妹達を布団の上で抱っこしながら、
「喧嘩しないで、仲良くすんだぞ。みんなで母ちゃんを助けてやれよ。」
と言い聞かせながら、朝まで男泣きしていた話をよくしてくれます。
「きっとあの人は、二度と帰って来れないのを、分かってたんだべなぁ。でも、あの人が見守ってくれてると思って頑張ったんだ」
そう言って、仏壇に飾られている、軍服姿の曾祖父の写真をしみじみ眺めます。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 12:56:55 ID:ZCi7SfAo
俺のお爺様は中国で、飢えに苦しんだあげく、あの、ほら人間が食べちゃいけない肉を食べたと言ってたよ、この世の物とは思えない程美味しかったらしい。そういえば俺がまるまる太った小さい子供の時、昼寝から醒める度にお爺さんが枕元で物欲しげに俺を見つめてたっけ……
732名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 13:02:32 ID:q7iVv9/G
>>731
ホラーだなw
ブログで創作してみ?
おまえ才能あるかも?w
733名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 17:51:47 ID:RzEOVrDr
三菱マイコン機器ソフトウェアの林 純一郎、嫁の林雅美は林真須美そっくりのデブス女wwwWWW
734名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 23:48:51 ID:sRtwuRkH
祖母ちゃんの話
豊後水道上を敵機が編隊を組んで北上するのを見て「日本は駄目かもわからん」と思ったって。
広島で新型の爆弾が落ちたという噂も聞いたらしい。
山奥の隠れ里みたいな田舎だけど、みんなで竹槍訓練はしたそうな。
農家だから食料には困らなかったとも。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 01:19:36 ID:DOwVdCyW
俺の祖母はあまり戦争経験話たがらないが、艦載機の
機銃掃射を命からがら逃げたことがあるってのは聞い
た。田んぼだか水路だかに入って必死に縮こまってた
そうな。
736名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 01:23:04 ID:DOwVdCyW
一方その頃祖父は横須賀で水兵だったんだけど、
大して戦闘も無く終戦を迎えたって言ってた。
時の海軍大将古賀峯一に会った(ただ見てただけ
だと思うが)のが一番印象に残ってるらしい
737名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 02:41:25 ID:X1EQ7y72
話を読んでいると…
セルシオやブランド品欲しがる若者が、馬鹿に見えるな!
738名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 03:49:26 ID:yRVhQ4wz
そりゃそうだ
739名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 09:27:15 ID:TgOXLyCi
東京で学生生活を満喫したあと
田舎で半農生活を送って
戦争が激化したので財閥の御曹司に嫁ぐはずの嫁がきて
体格検査丙なので戦争にもいかず
俺のじいさん…
740名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 22:23:37 ID:4riMyNIJ
>739
勝ち組じいさんだな。
741名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 23:05:15 ID:gIIObfmD
うちのじいちゃん戦争中に北朝鮮とか韓国・中国に行っていたようだ。
国際船の機関長だったからな。

いつも魚雷を気にしていたそうだ。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 23:15:31 ID:hWILIwIO
何か馬鹿がいるけどどうすりゃいいの?
743名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/21(火) 23:57:48 ID:8VBthsmh
父方の祖父は中支で罹患、昭和19年大阪陸軍病院で戦病死、中尉だった。
母方の祖父は召集時、体格が悪く、乙種合格、
看護兵になった。
軍医、看護兵というのは部隊では比較的大切にされたらしい。
仲が悪かったりするといざというとき、
手当てとか後回しにされたりとかあるからね。
それに戦死とかされると負傷者を
手当てする者がいなくなる。
母方の祖父は無事帰国、晩年、病気がちになったりすると、
注射とか自分で打っていたりしたらしい。
今でいうところの看護士の資格があったんだろうね。

744名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 00:43:53 ID:48GZGitc
>>743
輜重隊が軽く見られたって聞いたけど職種でちがうんだな、知らなんだ
745名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 08:08:00 ID:2L0IHe0o
俺のじいちゃんは俺が生まれる前に癌で死んだ。戦争に行っていたことは父から聞いていた。
俺が小学生の時まで、爺ちゃん宛てに戦友から年賀状が何故か届いていた。
当時はもういないのになーって思ったけど。

今はその戦友の方に感謝してる。いつまでもよき戦友でいてもらいたい。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 08:10:35 ID:X/aR/fmG
>>744
輜重は輸送だぞ。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 08:13:24 ID:7WOG6S6g
>>737
話を読んでいると…
国に好き勝手に利用され、骨までしゃぶられて、それでも天皇陛下万歳
なんて言っていたお人好しの爺様達が、馬鹿に見えるな!
748名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 10:36:51 ID:2QGspZR1
>>747国民がむしろ戦争を望んだことをしらんみたいだな。
戦後神話を信じているようだが、戦争が儲かる時代の話だぜ。
749名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 14:28:55 ID:B4ZL+4Qn
>>746
輜重隊が軽く見られたって聞いたけど
職種によって(看護兵のように大切にされるところもあって)
違うんだな、知らなんだ

ってことじゃないのか?
750名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 14:54:43 ID:nfQubNtV
うちの祖父が言うには敗戦後、故郷に帰る列車の中自分に厳しくしてきた上官に報復としてリンチにより殺したという話しは、そこら中であったらしい。

その被害者は戦死扱いになるのであろうか?
751名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 15:18:26 ID:ot/ARD4x
どこの列車かによるな
国内だったら周囲を兵隊で囲んでない限りは刑事事件扱いだろう
752名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 15:24:22 ID:QhdiDzMG
朝鮮人による日本人への暴行暴虐事件は其処ら中であったらしい。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 16:27:31 ID:+NpHqAcG
関東大震災の朝鮮人虐殺は実際あったの?捏造?
754名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 16:54:45 ID:eefYxggY
自警団が暴走したり某新聞社が煽ったり…
確かどこかの警察署は保護して一悶着あった
755名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 19:03:49 ID:QhdiDzMG
>>753
虐殺は捏造だが、チョンによるテロ行為、略奪や強盗、井戸への毒物混入などは事実。
756名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 19:15:22 ID:2QGspZR1
井戸への毒物はデマ。
略奪はあるが組織的ではないみたい。
757名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 19:33:19 ID:X/aR/fmG
>>753
あったよ。というか警察の資料とかで明らかだと思うんだが、これ以上何が必要なんだ?
758名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 21:00:24 ID:QhdiDzMG
虐殺されるような原因があった。
自業自得、よっぽどの怒りがあったんだろうな。
平塚らいてうの著作に、そんな記述がある。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 22:15:25 ID:0uwJNYJ3
でも、女子供まで機銃掃射してたんだから明らかに犯罪だな
明らかに狙ってるし
 日本の南京虐殺なんかとがめられないな
 便意兵がいるわけでもないし
言い訳もできない
760名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 23:43:19 ID:Uf0F+mlv
>>753
朝鮮人による暴動が起きたのは事実。
地震数日後でも騒ぎが収まらず、
在長野の陸軍部隊に対してまでも
横浜、川崎(どちらだったか忘れた)に
出動命令が出ている。
で、それが文書で残っている。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 00:30:37 ID:CMmGQGPk
支那人や博徒なんかも混ざってたらしいね
762名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 00:51:29 ID:IWh+SzrN
結局脱亜入欧によって朝鮮人が低く見られ差別されそれに比例して朝鮮人もなにくそ!って
意地になって色々あって何代も何代も未だに日韓の関係はこじれてるんだな
763名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 01:48:40 ID:CMmGQGPk
じゃあ国に帰れっつーの。
通名を名乗って、何でそこまでして日本にいるの?

あほちゃう?
764名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 05:24:52 ID:IWh+SzrN
俺に言われてもw
しかし今時他の人種もまるで空気のように感じるくらう自然に受け入れる柔軟性がなきゃ国際社会では通用しない。
765名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 08:15:09 ID:IcaO5Xvy
こ く さ い し ゃ か い ?
766名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 10:57:56 ID:GxSiXS/I
うちのじいちゃんは海軍だったけど戦地には行ったことなくて呉にいたらしい。そんなじいさんの自慢は艦対抗相撲大会みたいなのがあって、じいさんは大将格で、勝った時は英雄で艦長からタバコをもらい、一緒に艦長室でタバコを吸ったとうれしそうに話してたな。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 12:04:35 ID:yG4csF5V
ウチのジーさんは単なる歩兵だったらしく、戦争体験を聞いても「単に重い
荷物かついで歩いただけ」としか教えてくれなかった。
中国戦線でろくな戦闘もなかったらしく、実戦らしきモノはほんの数回で、
しかも敵味方戦死者なしって程度らしい。
んで、銃やらあまりに重いし、銃は捨てられないし他は生存の為に必要なん
でシンドクなったら弾を真っ先に捨てたって言ってたな。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 16:03:46 ID:CMmGQGPk
何が戦勝国だバカ野郎!
都合の良い尻馬に乗っかりやがって、ロッテの創業者なんか日本人を騙して闇市の砂糖を横領してあそこまで成り上がった。

上野や新宿なんか、土地を不法に乗っ取った在日の街。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 16:26:10 ID:oLDsnwBG
>41
結局その支持してたヤツは、日本の負けを予見していた上に人生の勝ち組。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 16:29:09 ID:oLDsnwBG
>737
セルジオかと思った。
771名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 20:19:37 ID:UWI4ndBt
俺の家庭教師は戦争中、
明石の川崎工場に中学生の勤労奉仕できていた
B29の精密爆撃で屠竜夜間戦闘機工場を爆撃されているのを見て
何であんな高いところから爆撃が可能なのか?アメリカの精密爆撃の最初の成功例。
悔しくて測量を志して、本四架橋の測量の責任者になった。
弟子たちが完成させた。そのころ計算尺で本四架橋の基礎計算
コンピュ−タ−なしで計算か?俺の先生すげぇだろ。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 20:43:02 ID:SdYq9eHM
>>769
いや、胸に数多くの弾を受けても死ななかった爺ちゃんが勝組み
773名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 00:56:31 ID:/CShRGAc
戦闘機の機銃を喰らったら、普通の人間ならバラバラになるのにねw

それでも生きてたサイボーグ爺スゲーw
774名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 03:35:19 ID:2QnX7jZI
胸の銃創ってまさか北斗七星の配置じゃ…
775名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 04:22:02 ID:JaEXS+xW
ドラマとかで機銃掃射されて死ぬシーンよくあるけどウソ
12.7mmでも一瞬で人間バラバラだからな
776名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 04:27:14 ID:7EQKpGie
在日に道徳は無し
777名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 06:01:05 ID:+Z9QdF+q
『プライベートライアン』では、対空機関銃に撃たれた人間が粉々になるシーンがあった。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 09:46:53 ID:3elcrEaD
そりゃ、あれは20mmだからな
779名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 19:02:01 ID:+Z9QdF+q
20ミリだと、薬莢いれて長さどのくらいだろう?
780名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 01:08:32 ID:rB4vmlyp
朝鮮人のチンポ位
781名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 02:07:02 ID:3nLEyuUY
おばあちゃんが、アメリカ人がやってきて
日本人は全員殺されると思った
あの頃は生きた心地がしなかったって言ってたな
当時14歳だもん怖いよな
782名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 05:15:29 ID:bkvlVwjG
うちのじーさんは戦闘機の整備兵だったらしい。トラック諸島?まで行ったと言っていた。
戦闘が激化する前に 上官に促されて日本に帰ってきて終戦間際は関東方面で整備してたらしい。
零戦の五十二型とかわけ分からんこと言ってたが、本当なんだろうかw
本当だったら空母にでも乗ってたのかなぁ 
783名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 05:41:20 ID:o3S6pNpV
うちの北海道のひい爺さんは第二次大戦の時満州に行ってた爺さんが生きてる時に言ってたがなんでも爺さんが住んでる町「自衛隊がある市の近く」
には地下に色々埋めてあって万が一ロシアが攻めてきたら地中からウィ〜ンと大砲やらミサイルやらなんやらが出てきて「サンダーバードみたいなもんかな?」
ロシアを迎え撃つ事ができるんだぞ!と言ってたがからかわれたのだろうか?
784名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 05:50:33 ID:bkvlVwjG
そういえば、米軍の基地の敷地内に零戦とか埋まってるらしいねw
785名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 07:52:54 ID:0d7/hDuE
うちのじーちゃんは体調悪くて戦争行かなくて済んで
空襲で逃げてる際には1メートル先に爆弾が落ちてきたらしい。
それで助かってるから不発弾だったらしい。

ひいじいちゃんは満州行って、20人の部下を守るために
死んだと聞かされた。とても勇気ある行動で生き残った
部下たちが泣きながらひいじいちゃんの最期を語ってたらしい。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 10:12:15 ID:PlQeRtw7
俺のひい爺ちゃん、500人の部下達を全滅させたのに自分だけ生き残ったw
787名無しさん@実況は実況板で:2008/10/25(土) 10:26:55 ID:sSaZU64q
ウチのひいじいちゃんねえ、200万人くらい死なせたのに自分だけ生き残ったんだって
788名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 11:22:08 ID:ccKfnPOh
>>786
>>787
よく書き込む気になったな、尾舞ら
789名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 11:25:51 ID:rKNUDSSu
うちのじいちゃん
チャンころが主食だったんだって
790名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 11:27:09 ID:Fx21jGY2
>>788

真に受けちゃいけませんよ。
ウスラ左翼の嘘八百なのですから。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 11:57:17 ID:izTbgUho
>>783

「うちの北海道のひい爺さん」と「第二次大戦の時満州に行ってた爺さん」の
関係は?
792名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 16:43:31 ID:rB4vmlyp
海軍美幌基地には零戦が多数埋められてる、と言うウワサなら知ってる。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 20:12:12 ID:o3S6pNpV
>>791

日本語でおKになっちまった…
正しくは戦争の時満州に出征していた北海道の曾爺さんです
794名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 22:49:08 ID:Cp1SpqrO
未曾有の国難が訪れたときに発掘ゼロ戦で戦うんですね
795名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 23:53:56 ID:rB4vmlyp
朝鮮人って何の為に生きてるの?
日本に好きで住んでるクセに日本の悪口言って、

あほちゃう?
796名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 00:00:06 ID:/+UPft+n
GHQに取り上げられるってんで
庭に埋められて朽ちていった業物がたくさんあったそうな
797名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 00:25:08 ID:YgULCa01
俺の死んだじいさんの兄は切り込み特別攻撃隊として熊本の飛行場から爆撃機に乗り込み米軍から沖縄の飛行場を奪還するため中飛行場に強行着陸、部隊は全滅したが明け方まで飛行場を使用不能にした、義烈空挺隊
798名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 02:39:02 ID:HHS5LtsX
俺のじいさんは、731部隊の軍医だった。
人体実験のデータをミドリ十字に売り、大儲けしたとさw
799名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 10:14:48 ID:YgULCa01
陸軍中野学校か
800名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 10:34:26 ID:qVZXzROj
嘘くせえ話ばっかり
801名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 11:00:49 ID:Oc4pnHtH
じっちゃんとは違うが俺の親父の話
近くに元陸軍の試射場があって戦後暫くは砲弾や薬莢が一杯出てきたそうだ
子供の頃それを拾ってきて小遣いにしてたんだと
今でも着弾確認のトーチカが残ってる
子供心に機銃の弾でも砲弾かと思うくらいにブットクって怖かったそうだ
802名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 11:32:24 ID:GRQCxwhv
>>440
そういう日記しか取り上げられていないのが問題。
しかも何十万の兵の日記の中のごくわずかだ。
いかに少なかったかがわかる、という面も忘れずに。

知人にもシベリア抑留帰還のじいさんのいる人がいて
終生日本憎しで講演やらずっとやってたようだ。
日記だってどこまで真実かなんてわからないし。
その人の個人の預金の収支、監査したわけでもないしな。
803名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 11:37:44 ID:FnMx2Eap
沖縄でも弾丸で儲けてたようだね
昔はけっこう売っていたが今は少ない
売りつくしたのか、規制されたのからか
 生きるためには適さんの球を売るのも仕方ないだろうけど
奇異な感じしたな
  1980年代
804名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:10:25 ID:GRQCxwhv
>>675
当時の人はマメだから案外日記とか残っているよ。
新聞見てあーだこーだ書き残してる事多い。
ただし達筆で殆ど読めないのが残念なんだけど…
遺品探してみるといいよ。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:12:52 ID:+x2cuMln
>>802
そもそも残っててかつ公開されてる日記が少ないんだよ。
それに、そういうことをしていないのが真実だとしたら、
なぜ名誉回復のためにそういう日記を公開しようという人が一人もいないんだ?
冷静に考えておかしいだろ。
806名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:15:06 ID:GRQCxwhv
>>686
>>683のように日本の残虐行為に関してだけ興味のある、
そして異常な熱意をもって事にあたる人間がいるのがね…
807名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:17:23 ID:FnMx2Eap
じゃあ日記を収集して分析すればいいよね

無料供出でね
808名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:19:00 ID:+x2cuMln
>>806
いや「した」ってことまでは正しいし、683だって「そういう事実がある」としか言ってないじゃん。
事実は事実だよ。そこに反論するから話がこんがらがるんだろ?
「ここまでは事実」っていう正しい知識がないと、相手の出鱈目に反論する説得力が持たせられないぞ。
全否定より「Yes, but」論法のほうが聞き手を納得させられるってのは有名な話なんだから。
それにスレ違いだからそういう演説したいなら別のスレでやれよ。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:25:45 ID:GRQCxwhv
>>805
そりゃ探してるサヨクにとって価値あるものでなけりゃ
だれも一老人の日記なんて振り向かないだろうが。
そんだけの事だ。
個人出版なんて戦後どれだけ金かかったと思う。
今と違うぞ。どっかから金が出るか、なんかで儲けて金持ってるか
誰かが支援したか。。。。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 12:27:28 ID:FnMx2Eap
青年会議所のアホがやれば言ってレベルか
811名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 16:11:55 ID:/+UPft+n
>>808
>いや「した」ってことまでは正しいし、683だって「そういう事実がある」としか言ってない

いや、>>683は「そういう記述の出版物や資料がある」と言っているだけで
それが事実だという証拠にはならない。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 16:13:31 ID:+x2cuMln
>>811
「防衛省の持ってる戦時中の戦闘詳報は間違ってる! 捏造だ!」ってこと?
それは683じゃなくて防衛省に対して抗議するべきじゃないの?
公開してるんだから、防衛省は調査の上正しいと結論付けてるわけでしょ?
813名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 16:30:58 ID:/+UPft+n
>>812
なぜ防衛省に固執?まあそれ以外の書籍もね。
それに防衛省はその資料でイペリット使用を認めたわけじゃないでしょ。ミスリードだよ。

沖縄左翼と同じ匂いがするな。ちょっと冷静になんなさいよ。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 16:35:47 ID:FnMx2Eap
つまらんこと考えてる暇あったら勉強か
研究しなさい
815名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 16:55:02 ID:+x2cuMln
>>813
言ってる意味がわからないんだが、『冬季山西粛正作戦戦闘詳報』には、
きい剤使用について明記されてるよ?
816名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 17:47:44 ID:/+UPft+n
>>815
>きい剤使用について明記
されてないよ。記録には「撒毒」としか書かれてない。
「撒毒=黄剤の使用」という決め付けはマスコミと吉見義明のミスリード。

ちなみに黄剤というのは致死性の低いマスタードガスのこと。
1次大戦の欧州で盛んに使われた。
817名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 17:49:01 ID:FnMx2Eap
戦争だからいろいろあるだろ
818名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 17:59:17 ID:+x2cuMln
>>816
きい剤はイペリットだけじゃない。割合としてはイペリット・ルイサイト混合の方が多い。
糜爛性ガスは目に入れば失明だし、吸えば呼吸困難を引き起こすこともある。
819名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 18:03:32 ID:HHS5LtsX
毒ガスに詳しい奴って、
どういう経緯で知識を得たのだろう?
820名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 18:17:39 ID:FnMx2Eap
サイトにあるし
オウムってこともなかろう
821名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 19:27:10 ID:HHS5LtsX
何故、毒ガスマニアになってしまったのか?
現代教育の歪みであろう
822名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 19:30:16 ID:+x2cuMln
軍オタだから兵器の知識の一環として持ってるだけだよ。
化学兵器として実際使われた履歴がある毒ガスについてなんて記述のある本は腐るほどある。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 19:31:51 ID:FnMx2Eap
一次大戦の新兵器だしね
イラクも使ったし
824名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 20:44:17 ID:EsLADQBJ
カフェインとかアセチルサリチル酸とか生理活性物質を勉強してたら、麻薬や毒薬
もついでに勉強することになっちゃうよな。
癌の化学療法勉強すれば、ナイトロジェン・マスタードは必ず出てくるだろうし。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 20:49:52 ID:FnMx2Eap
医業とカやってたら
勉強しないといざというとき困るだろうな
826名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 21:13:27 ID:HHS5LtsX
急に『毒ガスマニア』が集まりだしたなw
827名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 21:18:42 ID:bYrSyZVJ
マスタードガスだのホスゲンガスだのジホスゲンガスだの
ジフェニールガスだのという単語にピンコ立ちになるやつは
十中八九、第一次世界大戦オタ
828名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 22:06:28 ID:YgULCa01
童貞野郎しね
829名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 01:03:23 ID:b/xmNGLC
俺のじいちゃんは5年前に亡くなった。
じいちゃんは戦争に行ったという教えてくれたけど、
あまり戦争の事は話してくれなかった。

じいちゃんが生前、俺にくれたものがあった。
戦闘の時にもらった物らしいんだけど、これがなんなのか
わかる人いますか?いたらぜひ教えてほしい。

http://upload.jpn.ph/upload/img/u28768.jpg
http://upload.jpn.ph/upload/img/u28769.jpg
830名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 01:37:06 ID:oVP5m4Pl
豊臣家のマークだな
831名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 02:48:27 ID:bueXNDUJ
俺んちの家紋だ
832名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 03:32:45 ID:g5rxtWLj
>>829
旧「勲八等白色桐葉章」 The Order of the Rising Sun, White Paulownia Medal

ttp://military-web.hp.infoseek.co.jp/decoration/dec-kyoku8-meiji.htm
833名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 08:54:29 ID:bgUKhvUj
じいちゃんが生きてた20年ぐらい前に菊の紋が入ったタバコを大事そうに吸ってたんだけど、どこでもらってきたと思いますか?
834名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 09:41:19 ID:FX9uaI4b
菊門…
835名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 11:42:40 ID:cqeLzqbo
最近ジシイがボケてきて以前は決して、言わなかった事を口にする。  ご飯の時はみんなで楽しく、食べてるのに、急に食卓を睨みながらおお声で『こんなマズイ肉は食えない、早く柔らかくて美味しい、子供?の肉を用意しろ!』なんて言い出しています。よく分からないです
836名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 12:03:58 ID:ndcSXn0E
>>833
恩賜の煙草は結構あちこちで配ってるんで不明。
例えば皇室関連の行事とかで警備した警官とかももらえるし、
皇室関連の民間ボランティア(勤労奉仕団とか)とかでももらえる。
2007年からはもう煙草は配ってないけど20年前じゃ関係ないと思うし。

恩賜の煙草は結構あちこちで配ってるから、それだけじゃわかんないよ。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 14:13:42 ID:sdEeqgFu
恩賜の煙草、吸ってみたいなあ。
838名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 14:22:31 ID:Y4Z59NTE
>>833
私のところにも、じいちゃんの遺品に中に、「勲七等瑞寶章」
というモノがあります。
しかし、これはどういう時に使用するモノなのだろうか?
ただ、持っているだけで終わってしまうモノなのか?


839838:2008/10/27(月) 14:27:28 ID:Y4Z59NTE
ごめんなさい。833さん、間違えました。
>>829 訂正します。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 14:42:55 ID:VbaeyFpY
>>710
海軍航空隊で一空事件というものが大戦初期にあったようで、墜落して捕虜になった
人達がその責を問われ自爆させられたという事だったと記憶しております。
此れは捕虜になったなら死ねという事の表れだと思うのですが、どうなんでしょうか?

因みに米軍の捕虜となったわけでは無く、比人の留置所のような所に捕らわれ、後、
助け出されただか脱走しただかという話だったと思います。

やはり「生きて虜囚の〜」というのはあったのではないのでしょうか?
841840:2008/10/27(月) 15:16:44 ID:VbaeyFpY
>>710
一空事件のあらましも載せておきますね。
以下のリンクに書いてあるので読んでみてください。

ttp://www8.ocn.ne.jp/~k-kuri/oonisi.html
ttp://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08f02.html
842名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 15:31:09 ID:ndcSXn0E
捕虜になっても構わないなら、酒巻和男氏が存在すら隠蔽されたのはなんでだと思ってるんだろう。
作戦自体を秘匿にするつもりなら他の9人を大々的に発表するのはおかしいし。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 16:00:29 ID:bueXNDUJ
>>835
寂しいな・・・
844名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 17:17:20 ID:g5rxtWLj
>>840
「捕虜になるなら死ね」という考えならあったに決まってんだろ。
航空隊はパラシュート積まずに出る連中も多かった。
ただしそれは戦陣訓とは別のところ、伝統的な武士道的思想から来ている。
戦陣訓のワンフレーズを祀り上げたのは戦後のマスコミであって、本質ではないよ。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 20:33:25 ID:atFWFu3D
>>844
「伝統的な武士道的思想」?

まさか新渡戸稲造の「武士道」読んでそんなこと言ってるわけじゃないよな?
846840:2008/10/27(月) 20:34:17 ID:VbaeyFpY
返事ありがとうございます。

しかし帰ってきた人間にまで死ねと言うのはなかなか凄いですね。
現代に生きる私としましては、大変勿体無い事をしてたように思
われます。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 20:46:46 ID:bueXNDUJ
捕虜になってアレコレ情報を漏らされるのが怖かったんだろ?
武士道を持ち出すのは、軍の詭弁だな。

江戸時代の武士は、戦に破れて敵に寝返ったりしてる人も多い。
戊辰戦争の捕虜でも、新政府に仕官した人が沢山いる。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 21:00:23 ID:g5rxtWLj
>>845
昔の武士道と、思想強化された明治武士道の違いは知ってるよ。語弊があったな。
最近は武士道叩きの本も多いしね。
そもそも別に日本軍擁護をしたいわけじゃない。
849名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 21:18:43 ID:VbaeyFpY
でも大空のサムライ等というタイトルの本もある事だし、
当時の方々は己は武士であるという気持ちが強かったのではないでしょうか?
故に武士道に基づいた行動原理は当然あり得ますよね。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 22:22:38 ID:cd7rdyRy
廃止前の恩賜の煙草の中身はセブンスターと聞いた。
もちろん菊の御紋は入っているが。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 22:56:10 ID:FX9uaI4b
爆撃機を迎撃するときも爆撃機そっちのけで戦闘機と1騎撃ちしたがったという
マレー進撃のときは沈んだ英戦艦に攻撃機から花束
852名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 00:16:42 ID:F2r1v6d8
当然サムライという気持ちは皆あっただろうね。
自制心や忠誠心、精神の強さや美しさなどが道徳とされてきたわけだし
同時代では佐久間勉艇長みたいな人が尊敬を集めた。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 01:18:16 ID:pbGbCmtj
東條英樹が公式の場で平然と、
『飛行機と言うのは、あれは精神が飛んでいるのだよ』
と発言していた位だから、当時の軍は、カルト教団みたいなもの。
純粋で美しい時代でもあった。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 01:22:05 ID:xzh8NCnP
こんなスレあったのね。
記録として残そう。

うちの母方のじいちゃんとばあちゃんは、共に山形の出身。
まぁ、じいちゃんはもう死んでしまったが。。
じいちゃんの家系は商売人の家系もあり、山形ではなく昭和14年に
上野で商売をするためにやってきた。

まぁ、昭和14年って、あれなんだが。。
で、じいちゃんは足が悪く、兵役検査に「乙種」合格?だったか、
兵隊に行けなかった。乙種ってダメって事だったらしい。
当時の男にとって、それは屈辱だったらしい。
悔しくて悔しくて、いつもこぼしてたってさ。

そんなじいちゃんとばあちゃんは、上野に昭和20年の2月まで居たそうな。
で、男がほとんど戦地に行って、足の悪いじいちゃんが町内会とかでも
仕切り役などをやってたそうだ。
空襲の時などは、各家の明かりなどを、黒い布で隠すなど合図をしてたらしい。
あとは、町内の見回りなど。

戦争末期にもなると、食料が配給になったりして、結構きつかったって。

で、ある時じいちゃんが、ばあちゃんに夜の見回りから帰ると大喜びで
バケツ持って来い!と言ったそうな。
何がなんだが、わからないがとりあえずバケツをじいちゃんに渡したそうな。

帰ってくると、バケツに黒いものがぎっしり。
それはザラメが溶けて固まったもの。

どこかの倉庫が空襲され、倉庫内に有った砂糖が溶け出したものを
夜の見回りの際、持って帰ってきたんだとさ。

甘いものなんて、久しぶりに食べたから、焦げてようがなんだろうが
「あの時のザラメはおいしかったぁ」と、よくばあちゃんが言ってる。

またちなみに長屋に住んでたらしいが、隣になんとか?という
落語家か漫才師が住んでたらしい。

ばあちゃんは山形の農家出身で、実家からたまに食糧が届いたけど、
隣りは生粋の江戸っ子だから、田舎からの食糧なんて届かなくて、
いつも食糧が届くと、羨ましそうに見てたって。

いっつも山形の実家から食糧が来るころになると、隣の子供が
羨ましそうに見てるから、渋々分けてあげたらしい。
子供が居なかったのもあって、弱かったって。

親が裏で指図してたのわかってたけどさ、って。

チラ裏スマソ
855名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 02:25:51 ID:xifzQe+D
流通業者が発達していなかったのと、交通が未発達だったので都市部に食料を充分に持って来れなかった。
産地では潤沢に物資があっても運べなかったんだな。
戦争は国家規模の大事業、国民のモチベーションを下げないように多角的な視点で遂行しなければ勝ちに持っていくことが出来ない。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 03:24:41 ID:iOdc8jQ9
うちの爺様が、九九式小銃は折り畳めたとか、帝國陸軍にも、数は少ないが自動小銃があって、自分はそれを装備していたとか言ってたけどマジすか?

空挺隊?か何かの隊員だったみたいで、米軍が占領していた沖縄の基地に玉砕覚悟で強行着陸するはずだったらしいが、乗っていた輸送機が発動機の不調か何かで途中で引き返したと言っていた。

詳しい話を聞く前に天国逝っちまったのが残念。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 04:11:43 ID:F2r1v6d8
そういえばヒストリーチャンネルの「撃つためのデザイン・日本の銃」でいろいろ紹介してたな。
開発はしてたが如何せん数が足らず前線まで行き渡らなかったらしい
858名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 07:03:00 ID:PINUkRSN
>>855
それに加えて、人材、インフラ、燃料が戦争に回され、末期になると米軍の攻撃で輸送も
ままならなかった。四国から本州へ米を輸送するのも大変で、輸送している船がしばしば
攻撃を受けている。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 15:31:40 ID:iZYuzP45
>>856
「義烈空挺隊」ではないかな?
860名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 18:04:50 ID:4kS0u57A
>>856 空挺部隊に短機関銃が支給されたってのは知ってるが百式だった気がする
勿論折り畳める
861名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 19:37:50 ID:F3dMisrD
九九式小銃を折り畳み(というより分割)できるのが二式小銃
862名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 20:37:37 ID:vl8lDGyS
私のじいさんは、中ソ国境のレマン湖と呼ぶ所にあった部隊に居たのだが。そこでドイツの戦車を見たと言っていた。しかし、今思うと「ハッピータイガー」の漫画みたいに潜水艦にのせてきたのかな?ちょっと信じられないけど。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 20:48:25 ID:vl8lDGyS
あとドイツの戦車は、カッコ良かった。ソ連の戦車は、カッコ悪くてゴキブリみたい(おそらくT 34)だって言ってたな。そんな祖父はシベリア抑留から帰還したが抑留中に左足を拷問で無くしたり、牢屋の仲間が死んで腐っても露スケは、笑って見てるだけで何もしてくれなかったらしい。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 22:00:29 ID:t+VeIEkt
俺の爺さんもシベリア抑留されてたよ
帰ってから自民党で町会議員やってた
865名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 22:52:17 ID:xxnIxG8G
俺のじいさんはエクゼターを撃沈
866名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 23:03:52 ID:vCHUAlIw
16、7歳の時、特攻訓練やってたよ。
もうろくしてそのへんウンコだらけにしている人間が、複葉機で宙返り、キリモミなんてやってた
なんて、凄い時代だったんだ。
上官に毎日鞭で打たれてたせいで、被害妄想がひどい。
867名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 23:58:06 ID:P34iK/Y+
>772
いかに度をこえた彩りの人生とはいえ、欧米サイドを利用した者よりも
先に葬式を出してしまった爺ちゃんは、もう人生のオフサイド(欧風彩度)といえる。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 02:01:40 ID:to8tj/rq
>>865
雷か電の乗組?
英水兵の救助活動の本が出てたね
ちょうど昼間立ち読みして、買おうかどうか迷ってた所だ
869名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 11:33:47 ID:BvZWKNzS
うちの爺さん(25年前に他界)
鹿児島の貧乏農民の子供として生まれ
青年期に呉の海軍基地に所属も軍曹で除隊。
その後、中国上海に移りイギリス租界のイギリス警察官となる。
父の話によれば、中国人に慕われ、警察官位は幹部クラスだったのとのこと。
終戦時、警察情報を生かして(?)かすばやく本土に帰国。
その後、農民にもどる。



870名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 20:06:14 ID:8Mmm9jsY
>>869
> その後、農民にもどる。
ここが良いね。

人生の大きな1コマだったんだね。
ラストが映画みたいだ。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 20:47:22 ID:9mt8O40g
>>869
正確には英米仏の共同租界でイギリス租界は当時なくなっていたはず
それも1943年に汪兆銘政権の中華民国に接収されました
おじいさんはコネで漢人の警察に顧問か何かの地位で残ったのかもしれませんね
872名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 18:52:29 ID:TIvxD3DY
せんずり
873名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 20:43:19 ID:J+3kUvec
とある雑誌で目にしたのですが大正か昭和初期の話で陸軍のトラックだかなんだかが信号無視したところ交通整理の警官が強く咎めると軍人が
「貴様帝国軍人に意見するのか!」と言い返し警官が「そっちこそ帝国の秩序を守る警察に意見するのか!」と
言い合いから取っ組み合いの喧嘩になり陸軍省と警視庁が対立するまでなった事件があったと聞いたんですがなんて名前の事件か分かりますか?
874名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 20:54:10 ID:7gRtrpe1
トラックじゃなくて徒歩で実家から帰る途中の軍人が信号無視をして、
交番まで連れて行かれたことを寺内寿一が問題視し、警察と軍の対立に発展した事件。
陸軍省と対比させるなら内務省。当時は警察は内務省の管轄だったから。
事件の名前はゴー・ストップ事件。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 21:03:34 ID:J+3kUvec
どうもありがとうございます
876名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 22:44:17 ID:5nB20CCu
うちはガナルカナル空げきしたよ
877名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 23:11:26 ID:TIvxD3DY
お前ら朝鮮や
878名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 00:13:58 ID:TLFpFTdU
>>856
それ、「義烈空挺隊」だわ。
136名の搭乗員が12機の97式重爆撃機に分乗して沖縄の米軍航空拠点に強行着陸し、駐機中の米軍機や燃料タンク、滑走路を自爆破壊する作戦だな。
資料によれば、1945年5月24日19時頃、12機のうち11機(残る1機はエンジントラブルで出発遅延)が熊本県の健軍飛行場を離陸したが、さらに1機がエンジントラブルで引き返し、10機のみで先行した。
エンジントラブルで出発が遅れた1機も間もなく離陸するが先行部隊に追いつけず、米軍機との交戦で片側エンジンに被弾し、やむなく基地に引き返してしまった。          一方、先行した10機のうち、さらに3機が基地に引き返した。
うち2機は目標の突入地点を確認できず、もう1機はエンジントラブルが理由だった。結局、先行部隊は7機となった。
米地上軍の資料によれば、22時25分、読谷飛行場に接近中の1機を対空砲火で撃墜。
同30分頃、さらに後続の3機を撃墜。地上に墜落した1機から日本兵が飛び出してきたが、間もなく射殺された。
時刻不明ながら、5機目が胴体着陸に成功。機外に飛び出た日本兵約12名が米軍機7機と燃料ドラム缶集積所を爆破炎上せしめ、他26機に損傷を与えた。
その後、日本軍機の夜襲でパニックに陥った読谷飛行場の米兵と日本兵との間で銃撃戦が始まり、日本兵の最後の一人が射殺されたのは翌25日午後1時前のことだった。
後に回収された日本兵の遺体は全部で69体だったそうだ。
879名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 03:12:15 ID:RdKJfMHp
エンジントラブル多過ぎだろw
880名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 03:59:03 ID:6xIAmcb/
これは日本板特殊部隊の先駆けか?
881名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 12:13:42 ID:siT10rSR
>>897
当時の日本には精度の高い工作機械がないため、精密部品は職人の技に頼っていたが、
職人もどんどん徴兵されて、そういった部品を作るのは徴兵されない女性や子供だった。
当然部品の狂いは大きく、大量の部品の中からうまく組み合わせられるものを選んで、
それで機械を組み立てるという有様で、さらにそれに加えて、燃料の質も悪かった。
トラブルが起こるのは当たり前。
882名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 14:07:10 ID:EZshKDAE
南の島に行った時、ウチのヒージーチャン手榴弾投げて魚を取ってたって。
ウミガメが美味しかったって。
883名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 15:02:11 ID:kbcZaaC7
うちの爺さんはシベリア抑留されてたが、日本に帰ってきてからは賭け事をしなくなったらしい。
なんでも、シベリアで少ない食料を賭けの対象にしていたそうで、その経験からだとか。

勝ったのか負けたのかは聞いてないがね:p
884名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 16:33:56 ID:MxtC/rSe
わての父ちゃんは泰緬鉄道経由で、インパール作戦に従軍した。
戦友と川から水を汲んでの帰りがけ、対岸から狙撃されたが
弾がそれ、二人で持っていたバケツに当たって、命びろいしたとか。
1年間収容所暮らし後、復員したそうな … おかげで、わても生まれた。
885名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 19:22:47 ID:+7Mp7sTJ
うちの爺さんの兄は桜花搭乗員、沖縄まで爆撃機につるされた桜花は敵艦隊を発見すると爆撃機から切り離されロケットエンジンを搭載した桜花は敵艦に突っ込み駆逐艦に命中、駆逐艦は吹き飛び兄は2階級特進で大尉になった
886名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 19:51:08 ID:TRazE5tb
土肥三郎氏は中尉では
887名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 21:36:26 ID:yYFs1bGy
大地主の家系だったうちの曾祖母さんは都会を爆撃しに行く爆撃機が飛んでくのを縁側で眺めながらハイカラだった姑が焼いたパンを食べながら「かっこいいのう」
とつぶやきつつ紅茶すすってたらしいw戦後土地取られても召使いのいる生活は変わらず子供だった祖母さん含め食べ物にも金にも困らない生活だったらしい。
よく都会から闇米目当てに来る人達が結構いたらしい。戦中戦後もよく地方巡業の力士達が止まりにきていて飯や小遣いあげてたんだと。
そんな曾祖母さんは今は老人ホームに入れられ面会にいくたびに「家に帰りたい…」と手を合わされる
888名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 01:59:16 ID:U6790nHE
>>885
桜花に撃沈されたのは
http://www.dlsearsbooks.com/www/www_ships/ships_dd/mannert_l_abele_dd733/mannert_l_abele_dd733_images/mannert_l_abele_dd733_01.jpg
駆逐艦「マナード・L・アベール(DD‐733)」の1隻のみ。
1945年4月12日に鹿屋基地を離陸した第3神雷攻撃隊8機のうち1機。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 17:38:06 ID:hkQAVOTs
俺のじいちゃんは人間機雷の要員だ。
見事自爆して敵艦を沈め、二階級特進で上等兵になった!
890名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 18:34:32 ID:ID83kmqf
俺の大叔父は河南で憲兵だったんだが、やっていた仕事は
交通整理、万引き犯の逮捕、食い逃げした日本兵の逮捕と被害者への損失補てん、夜間パトロール、
あまつさえ夫婦喧嘩の仲裁までやらされたそうです。
華々しいスパイの摘発なんかは一切なしでした。
891名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 19:06:45 ID:QiuqC2kT
>>889 通称「カッパ作戦」こと、伏竜の事かな? たしか実戦配備前に終戦だと認識しているが。実際に作戦を実行された方が居られたのですね。詳しいお話を伺いたいですね。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 19:06:47 ID:nZXM4XsK
人間嫌いとは新種だな
893名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:18:09 ID:rCfLMhko
>>890
中国は今も警察とか役人がどんどん民事に介入するからね
そうしないともたないらしい
894名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:25:37 ID:L3FpDe4q
>>890憲兵は確かエリートだろ。
靖国にいた元憲兵のじいさんの話だと
「巡査千人に憲兵1人匹敵」とか自慢してたな。
ちなみに三階級上の人間まで取り調べ出来るらしいな。
895名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:27:56 ID:ZWVD2PkM
>>889
人間機雷って中に入ってずっと漂ってるのか?
896 ◆XV00UpuNRE :2008/11/01(土) 22:36:53 ID:2VKSZDvo
人間地雷とかはあったみたいだから、そのたぐいじゃないの。
897名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:54:18 ID:QiuqC2kT
カッパ作戦は、本土決戦になった時、日本の港に横付けした敵の船に潜水した兵が船底に爆弾を突き刺して撃沈する作戦だよ
898名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 23:25:58 ID:U0mpDwbt
>>894
復員後は京都府警の警部で定年退職しました。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 23:56:24 ID:ZWVD2PkM
>>897
イタリアかイギリスにもそういうのあったな
魚雷に乗ってくやつ
900名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 00:01:23 ID:1Rv/hr5u
オレの大叔父は国士舘出て近衛師団から憲兵下士官になって戦争中ジャワ島
(極楽)勤務だったそうだが、終戦直後、降伏拒否した部隊を説得に行って
味方から撃たれて死んだそうな。一応戦死扱いになったらしい。
土壇場で復員出来ずに本人も遺族もカワイソス。
901名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 00:09:22 ID:ELqxML/7
うちの祖父は銃撃の際に溝に隠れて後ろにいた友人が死んでいたそうです。
死ぬまでの間、家族には酔っ払ってそれ以外は一切語りませんでした。
徴兵とはいえ、命を掛けたプロの生き様はどうあるべきか考えさせらた。
902名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 00:15:40 ID:5AXvg3Uh
>>900
まぁそれも戦争の悲喜劇のひとつでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。(´;ω;`)
903名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 07:35:47 ID:6JnonV60
伏竜は訓練時に事故多発で、実用化は見送られたんじゃなかったっけ。

人間地雷は、日本軍歩兵の主な対戦車戦法だよな。他には火炎瓶くらいしか対抗
策ないし。対戦車手榴弾なんかもあったようだが、米軍の戦車はそれで撃破できな
かったろうしな。
ドイツのパンツァー・ファウストが国産化されて大量支給されてれば状況は変わって
たろうが、国産化自体が無理だったんだっけ?ドイツでは国民突撃隊でさえも大量
支給されてたのに。
904名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 08:33:28 ID:NsDDrzbI
人間機雷は爆薬を持って
泳いでいくんだろうな
忍者みたいだな
905名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 08:41:54 ID:mEPJe4+w
>>903
たしか日本軍にも携帯型対戦車ロケット砲があったはず。
硫黄島玉砕戦や沖縄戦で利用されたみたいだけど
906名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 09:07:46 ID:NsDDrzbI
数が足りなかっただけだろ
907名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 10:06:21 ID:f4cGljW1
>>899
イタリアの人間機雷(というか潜水特殊部隊)は、自分から敵の港に忍び込んで爆破するんだけどな。
これは結構成功してて戦艦クラスを沈めたこともあったはず。
908名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 10:26:35 ID:NsDDrzbI
エリザベスだろ
 木製足こぎ潜水艦
なら沖縄戦でなら重宝
するかもね
909名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 19:22:00 ID:674ZQEKv
大和や武蔵作る金と鉄があれば、戦車や飛行機、自動小銃や対戦車砲を沢山作れば良かったんだよ。
910名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 20:43:48 ID:+Q8xrvIS
うちのひい爺さんやその兄弟連中は典型的な薩摩隼人気質が高く太平洋戦争で玉砕しまくったらしい
次々に戦死するもんだから三男だか四男だかで坊さんやってた人がいたらしいが兄弟が死ぬ度に大変だったらしい
911名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 21:00:48 ID:mEPJe4+w
九州と東北の部隊はとにかく勇猛だったらしいね。
912名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 00:21:21 ID:xSiEkvuo
ガダルカナル攻防戦 井上「お前らは2人であの蛸壺を死守しろ、敵さん3日3晩砲撃でワシらみんな死じょる思っとるさかいに、
今夜あたり歩兵が山上がってくるさかい動くもん構わす撃てやな!隊長も朝まで頑張れば援軍が来るゆうとったさかい!ほなな!」
2等兵の遠藤 坂下は二人で岸辺から近い山肌の塹壕(蛸壺)で最前線の迎撃命令を与えられた
遠藤「お前、国はどこだったけ、俺は島出雲だで、まぁ生きて帰れるなんて思ってねーけどよ」
坂下「俺らぁ国は四国の愛媛ゆうとこじゃ そりゃええとこじゃよ もし今夜生き残れたらワシは船に意地でも乗って国さ帰るんじゃ、
非国民言われてもかまわせん、こがな死体だらけの汚い島で蜂の巣にされよりゃマシぞ」
じいさんの回想、 夜明け近くまで何もなかったのだが夜もうっすら明けがかり太平洋の水平線が見えた時 2人の日本兵の目に映った光景は
海を埋め尽くすアメリカの大艦隊でありました
井上「うわぁこれはいけんわ、どげしても勝てる相手やないわ、蛸壺守るゆう話やないがな」
坂下「あかんわ こらぁ 霧島よりデカイ船がぎょうさんおる」
その後じいさん達は命令通り蛸壺にいたのだが、敵は島の反対側に上空し他の日本兵はほぼ玉砕したそうです
じいさん達はそれでも命令通り蛸壺にとどまりました
それから一週間近く飲まず食わずで蛸壺で餓死寸前の所を米兵に捕らわれ捕虜になったそうです
913名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 00:39:29 ID:xSiEkvuo
太平洋で唯一、玉砕すら許されなかったアッツ島の日本兵達
アメリカ兵の回想

「我々はまるで小瓶の中に入れられた2匹の蠍だった、一番恐かったのは夜の見張り番だった、
日本兵は夜中に食糧を奪いにジャングルの中から音も立てず現れ、見張り兵が喉を一瞬で切る手口だったから。」
914名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 00:47:11 ID:3/CtKmfo
アッツ島にジャングルなんかあったっけ?
915名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 00:51:40 ID:xSiEkvuo
小笠原兵団は御国の楯となり散りました
神風 八丈島経由で飛来したのは神風御楯隊 硫黄島から本土に来る 敵艦隊を迎撃
916名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 01:50:24 ID:xSiEkvuo
首都防衛 B29迎撃陸軍第10飛行師団 雷電の体当たり 特攻隊
竹槍隊
サイパンが奪われるとB29に対する首都防衛が陸軍にとって切実かつ重要になった 高射砲 (高角砲)では成層圏より上1万メート上空を飛来するB29撃墜は至難の技だった
また低酸素の成層圏をまともに飛行するにはスパーチャージャーの開発が必須だったが 日本陸軍には既に予算も技術もなかった、
そこで首都防衛に組織されたのが日本陸軍第10飛行師団である

成層圏ギリギリまで雷電で急上昇し低酸素でまともに飛べない機体で失神寸前の意識でB29に体当たりするという至難の作戦であった。
しかし他の特攻隊との大きな違いは生還が可能な所にあった 首都防衛に可能な機体数よりパイロットの数が少なかったのである その為
成層圏の酸欠状態の過酷な状態でまともに飛行しない機体で B29に接近し 体当たり寸前で離脱し再び生還するという策であった 生還したパイロットは再び次の体当たりを遂行するのであった
917名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 02:02:22 ID:xSiEkvuo
大戦中で一番悲惨な兵隊なら ソビエト兵だな 日本の特攻なんてもんじゃない
前進あるのみだからな 進まないと見方に撃たれるからな 生き残りたいなら前進しかないわけだ
918ツール・ド・名無しさん:2008/11/03(月) 02:12:59 ID:QoLw3arj
スマンが>>916にツッこむ。
「雷電」は陸軍ではなく、海軍の戦闘機のハズだが?
919名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 03:25:17 ID:nDhUicLu
>>917
それ懲罰部隊の兵士か他民族招集兵に対してやった仕打ちじゃね?
地雷源突撃させて、その後ろからソビエト軍戦車や正規軍が突撃する
って戦法。
もちろん地雷で吹き飛ばされたり、敵に撃たれたり足縺れて倒れたり
したら味方戦車にセンベイにされる運命という残酷な結末な哀れな生贄(´;ω;`)
920名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 04:07:26 ID:fn7mzZ2O
>>916
成増の四十七戦隊の鍾馗を厚木の三○二空の雷電と勘違いしてねえか?
921名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 04:43:23 ID:qOoJBWtj
Bー29に対する空中特攻では、陸軍なら 屠竜 飛燕疾風 鐘揮 海軍なら 雷電 月光 紫電 などもある。過吸気はたしか実用化していたと、思ったけど。あと、点火式推進ロケットとか。
922名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 05:02:07 ID:inhtu+Xk
そういえばドイツにもエルベ特別攻撃隊ってのがあったな……
923名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 07:07:11 ID:as0BxIiS
皆さんの親族の方は凄い武勇伝があっていいですね
うちの爺さんなんか、山で野○ソの最中に飛行場が爆撃され始めて
「こんな田舎までご苦労さんw」って余裕こいてたら機銃の流れ弾がとんできて
ビックリして尻餅ついてウ○コが…

あの時ほど米軍を憎んだ事はないって話してました。もっとカッコイイ話しは無いのかよ…
924名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 07:25:43 ID:IYHnW0No
うちの父方の爺さん

船の上で敵兵に捕まりそのまま敵兵の船の中にある檻に入れられるも仲間が助けにきて捕らえられた仲間と共に脱出!
とか言っていたなぁ。それを信じた当時5才の俺。

ちなみに母方の爺さんは沖縄戦線の生き残りらしい。
925名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 09:38:39 ID:xSiEkvuo
>>921 過吸気機いわゆるスーパーチャージャが開発されていたなら首都は焼け野原になってないだろ
低酸素の成層圏より上を飛行できたならB29迎撃は用意だろ

>>918首都防衛 B29迎撃 高射砲 高角砲 でググッてみろ
926名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 09:44:17 ID:xSiEkvuo
御楯隊
927名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 10:06:43 ID:d2VFvFw7
>>917
奴隷制度があったり奴隷にされた経験のある民族なら結構そんな戦法を取るみたいだな
越南戦争ではべトコンが捕虜を機銃に手錠をかけて置き去りにして後退したり
スターリングラードでは口減らしの為に市民を先頭に立たせて前進したりと
神風特攻隊は悲劇ではあるが卑劣な戦法で無かったことは誇っていいと思う
928名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 10:09:57 ID:3ofqU7y3
震電のwikiにフルカン継手過給機とある
開発はされていたけど、実戦配備は間に合わなかったということか
929名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 12:04:45 ID:G/YEr2M7
>>923ネタなら君は才能があるw
930名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 13:24:16 ID:qOoJBWtj
たしか、テストケースで 鐘馗に装備されていたらしい。数は少ないけど。海軍は、零戦64型にエタノール燃料のエンジンを積んだが扱いが難しく実戦では、使われなかったらしい。
931名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 15:23:43 ID:HL1G7QxO
>>925
スーパーチャージャーは普通に装備してましたよ。
それでも一段二速までで、二段二速は実用化出来てません。
もっと苦労したのはターボチャージャー。
まともな製品は生産できなかった。
「雷電」に装備してみても、実用性なし。
重くなってかえって性能低下・・・
932名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 15:45:41 ID:1PZJ8YXX
>>927
督戦隊だね。
映画「スターリングラード」の冒頭部分に、ドイツ軍の戦車に対抗するため
兵隊が前進するその後方に機関銃を備えるシーンがあった。
 俺は何のためか判らなかったが、前線の兵士が戦車にかなわず、後方に
逃げようと浮き足立ったとき、いきなりその機関銃が火を噴いて、逃げ出した
味方の兵士を撃ち殺し始めたのには驚いた。
 シナ軍にも同様の督戦隊が有ったようで、映画のシーンに時々出てくる。
大陸に行った日本軍の兵士は、督戦隊の存在にびっくりしたらしい。
933名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 16:57:11 ID:3/CtKmfo
東京に、ドイツの88ミリ砲が数門あって、東京大空襲の時、でドイツ人技師により使用された、
と聞いたことあるが、真偽の程は?
934名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 17:20:19 ID:QghRHtUn
九九式八糎高射砲のことじゃろ
935名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 17:39:50 ID:3/CtKmfo
>>934
それは、準国産品でせうか?
936名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 18:11:02 ID:3ofqU7y3
日本兵には督戦隊不要だよな
937名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 18:34:54 ID:Pzc3ubTy
今はいるだろ
938名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 18:38:23 ID:MXBgFOso
生きて帰ったら非国民扱いとか撤退すると自決命令とか、
そういうのが実質的に督戦隊の代わりをしてたんじゃないの?
939名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 19:08:33 ID:Pzc3ubTy
今は職場放棄するよ
940名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 20:20:38 ID:G/YEr2M7
戦前の日本でも軍法会議で逃走した奴とか処刑されてたやん
941名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 21:25:51 ID:4P8N8Gxb
>>934
いわゆる「アハトアハト」でなく、ドイツでWW1のころ開発された別タイプの砲らしいな。
942名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 23:00:18 ID:xSiEkvuo
>>916 成層圏より上で特攻寸前で失神寸前で空中離脱とかマジ凄いよな。
今で言う米軍特殊部隊デルタフォースとかでも困難な技だろう。 日本陸軍パイロット凄すぎる
943名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 06:08:38 ID:4A927cj6
曾祖父は某駆逐艦の艦長だった。
最期は沈みゆく艦と運命を共に…
944名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 07:45:17 ID:UZwmojay
父よ。わたしたちはみなひとつになり、しなければならないことは何もありませんように。新しい福音が一夜にして悟りを開かせますように。アーメン
945名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 10:53:02 ID:0t3wjP2G
うちのじぃちゃんロシアの捕虜にされてたんだ。凄い?
946名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 12:06:51 ID:LWMO9qoA
>>945
それで生還できたの?
それなら凄いね
下手なドラマより波乱万丈な生き様でしょうから(´・ω・`)
947名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 16:47:40 ID:rBjvDQaH
ロスケは残酷だよ。
機関車の前に、全裸にした日本の若い女を縛り付けて走ったらしいね。
人間の所業じゃ無い。
948名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 22:31:16 ID:mK8aOozG
スレがみれん
949名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 22:45:05 ID:n6lDoNya
>>943 もし、よろしければ、 曾祖父殿の乗艦されていた艦名、沈没の様子などを、教えて貰えないだろうかな? 差し支えない程度に。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 22:50:51 ID:KOjzUKk3
>>949
父に聞いたら雪風だそうです
951名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:09:51 ID:n6lDoNya
>>950 おー。雪風。   名艦ですね。たしか大和と共に捷一号作戦で沖縄に海上特攻に参加したんですよね。
952名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:16:29 ID:LWMO9qoA
>>950
いあ 駆逐艦「雪風」は終戦まで生き残ってる幸運艦として有名だよ?
最終的に中国へ引き渡され中華民国艦隊旗艦として迎えられたそうな。
雪風型かな?それならほとんど戦時中に撃沈され喪失してるね。
953952:2008/11/04(火) 23:18:30 ID:LWMO9qoA
間違えた・・・ 陽炎型だっけ・・・
954名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:25:24 ID:n6lDoNya
雪風は、たしか戦没して無いかと。駆逐艦には、似たような艦名が多いですから。艦と運命を共にされた、曾祖父殿に感謝と哀悼の意をお伝えします。    お教え頂きまして ありがとうございます。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 23:26:45 ID:/rDXXflh
>>945
俺の爺さんも抑留されてたよ
帰ってきたら町会議員だか村議会だかに自民党から立候補したよ
956名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 01:45:31 ID:Oxs6a4gx
神風特別攻撃隊って今も横浜の街でうるさいバイクで走ってるよ
957名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 01:57:03 ID:FkP/B/9G
それは朝鮮人の不良
958名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 09:23:54 ID:rF6i2VPM
>>949
曾祖父が艦長を勤めていたのは艦名は明かせませんが、「吹雪型駆逐艦」です。
>>950はニセ者。
嘘は良くないですよ
959名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 10:04:25 ID:O1sS7x3E
もう死んだひいじいちゃんは
中国の川を船で上がって行って、南京まで言ったそうです
しかし川には爆弾があり、到底安全と言えない状態
そこて爆弾を駆除するように言われたそうで、
命からがら爆弾を駆除して勲章を貰ったそうです
960名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 10:43:33 ID:l6KimEvB
>>959
人生を戦争に例える目的バカの見本
961名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 12:35:51 ID:O1sS7x3E
いや馬鹿と言われましても
実際にあった体験ですし
962名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 13:07:48 ID:xrT4lhat
>>961
気にしなさんな。
963名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 19:54:56 ID:FkP/B/9G
これが最後の通信です
皆様さようなら(/_;)/~~
964名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 20:36:26 ID:kUnt+ISt
>>960白痴?
965名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 20:37:27 ID:BrB25a/g
>>959 ひいおじいさまは、工兵かな? 地味で危険な任務だと聞いているが。勲章を貰うとは当時では、スゴい事だよね。よほど危険な任務だったんだね。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 23:04:05 ID:2bmFE4Qh
うちのじいちゃんもよく戦争の話ししてたな、小さかったからあまり覚えてないけど 

たしか中国のほうで機関銃射ってたらしい、
慕ってた人がいたそうでその方からふかした芋をよく食べさせてもらってたって 
酔うと口ぐせが出て「侍は逃げたらあかん」で(一応貧乏侍の家系) 
足の傷跡を誇りにしてた、逃げずに正面から戦った証だと、 
芋くれた人が戦死した時の話しをした事があったんだけど、ばあちゃんも母ちゃんも泣いてたな 

残念ながら話しの内容覚えてないけどね 

967名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 00:52:59 ID:aLdLfVM2
うちのじいさんの弟だが、北海道一の進学校『一中』を卒業、そのまま海軍兵学校に進学した。
卒業して程なく、沖縄で陸戦隊隊長として戦死している。

中学時代は真冬でも下駄で登校していたらしく、もの凄い成績優秀だったらしい。
そんな人が何故軍隊に行って死んだのか?

勿体無い話しだ。
968名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 01:38:04 ID:CCGMP6kN
うちの爺さんの乙と丙ばかりの成績表とともに
オール甲のまったく別人の成績表が保管されてる
何があったんだぜ
969名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 10:34:07 ID:Xqpacmas
うちのおじさん身長180あるんだが
体がでかいて理由で中国戦線で機関銃担がされてたらしい。
970名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 18:22:35 ID:HhVxwqoI
じじい!長生きしろよ!
971名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 21:19:22 ID:vx4nIOs6
じじい!いつまでも元気でいてくれよ!
972名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 21:45:03 ID:aLdLfVM2
嫌ならトラックでも乗れば?
でも、トラックも、
家に帰らず、必死に走っても、年収三百万だけどねw
973名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 22:40:58 ID:lJoJOtV3
鹿児島の曾曾爺さんは物凄くでかい大地主の家で小学校の時から刀を差して学校に通ってたらしい
大正時代あたりだけどそれってなんなの?
974名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 22:50:53 ID:Bm1Ndmc/
>>972 はあ? 馬鹿ですか?
975名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 23:05:22 ID:EGXUWOkZ
昔はゼロ戦に乗ってグラマンを撃墜しまくってたらしい
今はガブで畑道ぶっとばしてます。しかも直管になってます
そんなじいちゃんはカッキェ
976sage:2008/11/07(金) 04:16:04 ID:zm99uLrt
携帯からスマソ
家の母方のじいちゃんは子供だったからずっと内地にいたらしんだけど終戦間際の空襲で「戦闘機の機銃掃射をジグザグに走ってよけた!」ってよく話してた
その話を家族で聞くたびに「じぃさん嘘つくなw」って笑ってたけどじぃさん「本当じゃ・・・」って悲しそうな顔してたなぁ
ばぁちゃんは新潟の農家だったから平和だったんだけど
ある晩轟音がしたから起きてみると新潟市の方の空が赤く染まってたらしい
977名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 06:59:47 ID:3y/1KsVo
>>976
戦闘機が地上の小さな目標を機銃掃射するのは難しいでつ。機銃掃射から逃げ
ずにいた人に銃弾が当たらなかったっていうエピソードはしばしば聞きます。当時
の人の話としても、「逃げるより逃げない方が銃弾が当たりづらい」というものがあ
ります(現実にはどちらが当たらないのか解りませんが)。
978名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 11:25:43 ID:GO8kvObR
>>977
「運」でしょうね。
逃げても当たる人には当たるし
逃げなくても当たらない人には当たらない。
直線的にこっちに向かってくる時は逆に向かっていくか
左右に逃げると当たる可能性が低くはなるそうですけど・・・
両翼から火花が見えたらもう弾丸が着弾しているでしょうから
一瞬の判断でそこまで出来るかどうか・・・
979名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 13:01:02 ID:IZlGJR50
もうすぐ終了だがこのスレ知らない人にも伝承していく方法は無いものか
980名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 13:54:11 ID:Gnn97PNX
婆ちゃんから聞いた話だが、戦争が終わって爺ちゃんがフイリッピン?から復員して来た。
でも優しかった爺ちゃは、まるで別人みたいに殺気立っていて、右片腕が無かった。

街に駐留してた米兵達が、右片腕が無い爺ちゃんを見るとビックリして逃げたとか言っていた。

でも時間が経つにつれて優しさを取り戻し、片腕が無くても印刷業の仕事に就いて、六人の子供達を立派に育て上げました。
981名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 15:13:35 ID:Irny9JuU
>>980 終戦間際のフィリピンは、地獄の様な光景だったと、聞きました。おじいさまも、辛い事が、沢山あったんでしょうね。
982名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 18:20:39 ID:k5Zo1fNE
うちの爺さん、中国戦線で立ション中に横から銃撃受けて
不幸にもチンコだけもぎとられてしまった
金玉が残ってるから性欲は旺盛なんだがヤろうにもヤれない





っていう妄想をした
983名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 18:31:01 ID:FJlkLDwU
マニラ享楽と言われたフィリピンも
末期だけは日本軍にとって地獄だわな
984名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 20:56:48 ID:P/VjtPif
太平洋で悲惨だった戦場といえばガダルカナル島 アッツ島 硫黄島 サイパン島 ペリルュー島 ビルマ レイテ島 沖縄だろ
985名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 21:43:30 ID:Irny9JuU
>>984 知らないんだね。 少し調べてみたら?
986名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 00:03:28 ID:dfLWQiPH
なに何が?
987コピペですまん:2008/11/08(土) 09:37:48 ID:bNBM8geW
太平洋戦争中の不思議な・怖い話

957 :本当にあった怖い名無し:2007/09/10(月) 16:00:25 ID:qFLzqmC30 AA
うちのじじいは戦争やって良かったっていってた。
そりゃ良し悪しは馬鹿でも分かるが俺の青春の全てだったんだと。

満州でいろんな事があった。顔ほどもある大きな餃子をたらふく食ったり
何日間も歩き続けて餓死寸前の時に現地のばあさんにネギを貰って泣きながらかぶりついたり
上官殿?に意識が無くなるほどなるほどぶっとばされたり、友を自分の腕の中で亡くしたり

いろんな事を聞きすぎて忘れてしまったが、比べて俺って薄っぺらな青春を送ってきたなとw

もう聞く事も出来なくなってしまったが、一番覚えているのは
満州の桜はこの世の物とは思えないぐらい綺麗だった・・・って遠い目をして言ってた事かな。

不思議でも怖くも無くてスマン
988名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 12:58:20 ID:dfLWQiPH
日本のジジイ達、再び戦場へ!
藤枝権助さん84才「ひゃぁ久しぶりに戦闘機にのるわい、これが最新鋭のF22かいな! 邪魔なモンが沢山ついとるだけでF0(零戦)とたいしてかわらんわい」
ジジイ達は再びミッドウェイを目指した!
「ビィービィー」
権助さん「ん、しもうたなんやミサイル撃たれたみたいやな、いわゆるロックオンされたわけやな」
「いかん、もう駄目や、ワシかて元海軍の死にぞこないパイロットや只では死なんわい特攻隊や」

「ひゃ ひゃ ひゃ 60年経てやっと 仲間の所へ行けるわい! 万歳ぁい」
そしてジジイは太平洋に見事に散りました
989名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 15:08:53 ID:tub/VrEf
ツマンネ
990名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 15:11:33 ID:Qws4pbua
>>988 あのー もう来ないでくれますか。
991名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 16:49:23 ID:GhDW4xQl
>>988
つまらない、読みにくい、馬鹿みたい
992名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 16:53:05 ID:rzCKj+Pm
>>987
> 満州の桜はこの世の物とは思えないぐらい綺麗だった

たぶん桃か杏だと思う
993名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 19:20:57 ID:eis9gpVz
>>978
うちのじーちゃんは、機銃掃射は弾より薬莢のほうが怖いっていってた。
弾は、射線がわかるから避けれるが、薬莢は遮蔽物に逃げないとだめだと言ってた。

対空機関銃座に一緒にいた戦友はP-51の機銃掃射を受けたんで飛び去り際に、
一撃食らわせてやろうと頭を出したら薬莢に当たって死んだって言ってた。
その人が、終戦まで自分の隊で唯一の戦死者だったとか。

そのときに来た、10機程度の爆撃機と戦闘機は、戦闘機の1機以外全機撃墜したって言ってた。
海に落ちたのは、沖にいた軍艦が撃墜確認をして、陸に落ちたのは、隊の皆で確認に行って、
戦死者の回収もしたっていってた。

P-51の一機は機銃掃射中に対空機関銃の直撃をコックピットに受けたらしく、基地の上を大きく
宙返りをして山に落ちたって言ってた。
994名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 05:04:40 ID:y1zg5amm
特攻隊を自爆テロリスト呼ばわりした筑紫先生は
あの世でうちの爺さんと爺さんの戦友にフルボッコにされて下さい
995名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 13:57:15 ID:G9qoUjn5
我がじいさんはP基地とかいうとこで勤務してたらしい。瀬戸内海のあたりかな?
あんま詳しくは聞かんかったが(ファイルに綴じられた手記はある)、三人くらい乗れる小さい潜水艇の整備士の見習いか下っぱかやっとりまして、レンチ握らせて貰うまでにも苦労して、相当苦い思いしたらしい。
しかも部隊(第401なんとか戦隊だったはず)は一応ディーゼル積んでたが恐ろしく鈍足で、四国沖に機動部隊出現!→戦隊出撃→機動部隊引き上げ→戦隊到着orzと、間に合わんのが多かった。
その代わり損害は多くて、紀伊水道か豊後水道に現れたカタリナに撃沈されたり、訓練事故で水没したり。整備士はその度やり玉に上げられて、やれトリムがなんだとか、ボンベがなんだとか言われてこてんぱんにされたとか。
それで終戦。
その日の内に、じいさん達は離れ小島であるP基地の岩礁、その香川側に立って、先日エンジントラブルかなんかで墜落したカタリナの丸い窓のとこに小便かけた。
生きてていちばん気持ちよくて、しかも初めて泣いた小便だったと。

じいさんは俺に付き添って公園とかデパートの便所に行くとき、何時も「ほれ、ほれ、こうやったんや」って、便器の穴の回りに向かってくるくる指回してた。
中学まで続いたが、寒い日にゲートボールで踏ん張って、血管切れて死んだ。
じいさん小便連れてけやー
996名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 16:56:41 ID:v5aiVCLB
ウチのじいさんは盆踊りでばあさんを殴り合いの末getした話しかしてくれんかったので
充実したスレでした
997名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 17:00:43 ID:LGC47fma
じじい共を見習い戦争しよう!
998名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 23:04:02 ID:sIwerGIJ
見習うと言うではなくて、先人達の精神は、受け継いでいかないとね。我々や、次の世代に。国を想い死んでいった勇者達の為にも。
999名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 23:33:36 ID:XKK4SYJz
10万の英霊のために満州から撤退するという選択肢をなくしたわけだが
1000名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 23:39:17 ID:v/FIfKhj
1000なら
在日は全員強制送還
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