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139、ミジンコ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%99%A9%E9%A4%90_(%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89)最後の晩餐 ヨハネかマグダラのマリアか、、、?
その絵の中には、ヨハネは居ない可能性がある、、。マリアとキリスト磔の事実論とカトリックのパウロの架空のキリスト像を重ね合わせた、、。
マグダラのマリアと受け取る者は、カトリックのパウロのデッチアゲの闇の操作のカラクリについて知っている、本当は、磔の後、キリストは息を吹き返し、
70歳は生きてレンヌ=ル・シャトーで人生を終えたhttp://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1178843043/457-464
ことについて知っていて、その後のイエスの子孫の存在について知っている、、。
傍ら、カトリックのパウロのデッチアゲの闇の操作の虚構を信じ込んで犠牲的な聖者に対しての崇拝の眼差しで眺める、、。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5 、ベンジャミン・ラッシュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%ABラッセル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%88ヴント
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BCシュタイナー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%93%8D%E4%BD%9C
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B1%80CIA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E3.82.A6.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.AC.E3.83.B3.E5.A7.94.E5.93.A1.E4.BC.9A魔法の弾丸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6アメリカ同時多発テロ
最後の晩餐と同じ事が、ラッシュ、ラッセル、バッティ、ヴント、サミュエル・カートライト、シュタイナー、情報操作や大方の学会の進行、
魔法の弾丸と言う判断や、9・11テロという出来事に当てはまる訳です、、。
140:2008/12/16(火) 17:24:41
どうにでも受け取れるような対処や情報などを提供し物事の本質からそらせて、食い違いや混乱と衝突を煽る決定付け
を行う種類の営みに没頭する種類の特殊な人間の実在を認めることになる、、。
141、ミジンコ:2008/12/16(火) 19:20:54
要するに何と言ったらよいんでしょうね、、、それらは、如何なる働きの意図のものなんでしょうか、、。
何をしたかったのか、、、何をしていて何を目的としているんでしょうか、、、。

人それぞれの運命は、相対的なものでしょう、、、。人それぞれの独自の運命・宿命がある、、。
つまり、それぞれがそれぞれの仕方でそれぞれに対し隔たっている事を示している、、。
つまり、人間は誰もが例えていえば、ミジンコであると言う事も出来る、、。
ただし、このとき、だれがどうあろうと可能性と差し引きの節度や制約、権利と義務、見極めの分別の問題
が避けられないような創りに世界はなっているのである、、、。>>135で、真実と言う問題を扱う時、
他に、>>136何者であるか、、と言う問題が出てくる、、。何者かと言う時に資質や運命の差異の普遍的
問題として、誰もが独自の宿命を生きていると締めくくる事が出来る、、。

このとき、、、ですね、、、つまり、宿命の問題として、ダヴィンチを例にとったときです、、。
如何なる働きの意図のものなんでしょうか、、。何をしたかったのか、、、何をしていて何を目的としているんでしょうか、、、。
どうにでも受け取れるような対処や情報などを提供し物事の本質からそらせて、食い違いや混乱と衝突を煽る決定付け
を行う種類の営みに没頭する種類の特殊な人間の実在を認めることになる、、、
、、つまり、両立しがたい運命をまとめている、極めて紛らわしい分別の無い奴がいる、、。
、、、恐ろしく入り組んでいる同化のカラクリの割には、非常に取るに足らない意味の不明な結果をもたらすもの、、。
、、、、というか、身の毛のよだつ破綻の結果をもたらす種類の働きかけの進行をすまして取り仕切るものが要る、、。
、、人それぞれの独自の宿命を根本的に破綻させる種類の人間の繋がりの土台を覆す種類の決定付けの営みをなすものがいる。
142白からす黒ひつじ:2008/12/16(火) 19:40:29
つまり、ありえないことをやっている、、。嘘、、、。虚構、、、。、、、ペテン、、、。悪、、。

最後の晩餐やバッティやラッセルを見る限りは、ありえないことが起きていますよね、、。

食い違いや混乱と衝突を煽る決定付けを行う種類の営みに没頭し、

可能性と差し引きの節度や制約、権利と義務、見極めの分別が抜け落ちていますよね、、。

嘘と言う事です、、。ノーベル平和賞を受け取ったラッセルを見てみると、うその現実、虚構のもの、、。

トリックのものと言い切ることになる、、。結婚詐欺師を永遠の伴侶として委ねるようなものです、、。

、、、その結果は、どうなるかわかりますよね、、、。

、、、、、それが、世界観や歴史観の次元で起きる限りは、虚構は、際限なく果てしなく

何でも起きて、埒があかない訳です、、、。何でも起きると言う事です、、。虚構ですから、、。

、、、何でも思うように進行していきます、、。実態のものではないんですね、、。私は、虚構のものを化け狐とか

化けの四足と言う事にしている、、、。それに対し、実体のものをトラとかの四足と言う事にしている、、。

化けの四足の仕切る範囲では、何でも起きると言う事です、、。破綻と引き換えに、、。
143白からす黒ひつじ:2008/12/16(火) 21:58:15
出来もしない事をやったらどうなるか、、、破綻の結果を招くだけなんです、、。
出来ない事が出来ると言うことは、虚構と言う事です、、。
出来ない事が出来るということは、結果的に破綻のものでないなら進歩を意味するが、
進歩に繋がらないものは、虚構、と言う事ですよね、、、。出来ない事が出来て進歩に繋がらない
と言う事は、破綻のものでしょう、、。つまり、虚構、、、、と言う意味で、、。
最後の晩餐やラッセルやバッティなどを見てのとおり、集合的な破綻を招く種類の虚構が存在すると言う事。

如何なる働きの意図のものなんでしょうか、、。何をしたかったのか、、、何をしていて何を目的としているんでしょうか  >>

更に突っ込む必要がある、、、。
基本的には、それぞれの宿命の元に独自の運命の展開がなされるもののはずであるが、
実体も虚構も含めて何やら運命には次元があることが解ってくる、、。
しかし、その運命の次元を押し通すと言う事は、人間の繋がりの全体性への意思表示の意図が込められているものである。
何者であるかの運命の意思決定の営みの意味で、、。化けの四足の場合は、集合的破綻の情況を肯定し
狂気の本性を押し通す意図としてみてよいでしょう、、。
何をしたかったのか、、つまり、どうしてそのような事をしているのかですよね、、。
動機ですよね、、、。つまり、由来、、、本性の問題です、、。化けの四足の営みの場合に関しては、
始めから破綻の追及の営みを目的とした種類の性質のものがあると言うことを意味する、、闇の優生学が
地で成り立つ種類のラッセルタイプ、、。
何をしていて何を目的としているのかは、如何なる働きをしていて、如何なる時点の情況のものかと言う問題、、。
化けの四足の場合は、破綻の働きかけの営みの如何なる時点の情況を意味するかを示す、、。
バッティの場合、収容施設を権威にでっち上げたものの、それが更に潜む大規模な目的の収容以前の凶悪な情熱の追求
から、それ以後の世界規模の闇の支配の営みの中のどこの位置付けを占めるか、、と言う事ですね、、。
144白からす黒ひつじ:2008/12/18(木) 10:43:55
どういうことになるかと言う展開のと結果の問題と言う事になります、、、。
要するに善人悪人、幸せ者不幸者等の展開の問題ですね、、、。展開の問題といえば
SF的展開のものやミステリー的展開のものやホラー的展開のものなど様々ありますが、、、。

人間と言うものは、あらかじめその出所の由来による意思決定の方向付けによって展開や結末は
決まっているようになっているようである、、、。化けの四足の大方は、取るに足らないくだらない
結末や、悲劇的結末が大方で少し恐ろしく破壊的な影響を残すものも含まれ、大儀のあるものは皆無に等しい、、、。

バッティや最後の晩餐やラッシュやラッセルやシュタイナーを見てもお分かりのとおり、善人や悪人のような両立し得ない互いに生きる次元の異なる
複数の人間とのありえない仕方の運命的つながりのまたがり方をする事をするものの実在が指摘される、、。

これは、何を意味するのかと言えば、より多く繋がろうとするだけの利己的な共同行為の営みに過ぎないことが明らかとなる、、。
芸術は、多面体であると言われていますよね、、、多方面に通じる訳です、、。芸術の次元、、。

医療はアートであるとよく言われる、、、。虚構ではありますが、実体も含む意味で虚構と実体の中間的
媒体とも考える事が出来るが、、、芸術の盲点は、人体実験を芸術に出来るものならしてみろと言われたら
、、それぞれの芸術家がそれぞれ如何なる対処を取るかと言う弱点がある、、。その作品が何に通じているか
当の芸術家すら解りえず、その芸術の創作行為の由来も解ってくるのにかなりの期間を要するのが

普通であると思われる、、。威厳に満ちた王の肖像画であると普通には受け取られるような絵も、良く見てみると、
残酷で貪欲で色情狂である事を見抜くことになるようなグロの描写のものであると言う種類の作品は見られると言う話を一例に挙げられる。