ほんまかいな !?  事実検証スレッド 

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先ず始めに医者にかかることについてかんがえる必要があるだろう? ゲーテは最も優れた医療は外科であると言っている、、、。
何故かと言えば、内科は、例え治したとしても他の病気を作り出すと言う、そして、弁護士は味方を助け例え勝利してもその代わり
哀れな敗北者の相手をつくり出し犯罪者にする。
しかし、外科医は損傷を受けた傷を修復するだけで無駄が無いと言うのである。
私は、個人的には、現代医療からすると腕利きの歯医者がそれだと思っていたが、、、、。
ゲーテは、医者によって本当の意味では病気が治せる訳ではないし、どうにか出来るものではないと
言った上で、しかし、医者は患者に、賢明に生きるか、悲惨な生を送るかの指定は出来る意味で
必要とすると言う。この現代精神医療のレベルはこんな次元ではないんで、ゲーテのレベルでは、精神医療の問題を取り組むのは無理があると言わねばならないでしょう。

見てのとおり悲惨な生を医者によって送る事になる者がいかに現実に多いことか。
では、医者にかかると言う事はどう言うことか更に突っ込んで考える必要がある。
医者の存在理由は、病気と怪我などの障害 のみ にあると言える。
しかも、治療できるのは一部の障害に限られる。 そもそも誰もが死ぬ意味では、
障害が人生に付きまとうと言う実在は普遍的で共通している。人間いつかは死ぬ。
それならば、医者は要るのか? 答えは、イエス。
大怪我をしてそのままでは死ぬ事になる状態の境遇に陥った時、医者の治療によって
一命を取り留め志半ばのままで生きたえる事無く生を続行し少しでも人生の運命の営みを
為す事を可能とするからである。中には医者の存在によって恩恵をこうむる事も出来る者も
いるのである。
470:2008/04/23(水) 09:58:19

運命的に治療によって成長する事もあれば運命そのものが変わり果てる事もある。

基本的に医者による治療も人と人との接触の出来事に違いない意味では特殊なキッカケによる出会いの

条件付の関係を意味する訳だ。当然、進歩に繋がり成長する者から変わり果てる者までいるし、

そこにも失敗や成功の幸運不運の問題はある。仕事仲間や結婚相手にしてもその事については同様であると言えるでしょう。

つまり基本的には運命の問題でありこれはどうにかできると言った思い通りに通せるとは

必ずしも限らない問題であることが解ってくる。人と人が関わる時、それは人が人を必要とする事によって

起こりうる出来事なのでありまして、医者に患者が関わる時、基本的には志を半ばにしない、させない、為に必要として関わる訳だ。

勿論、思い残す事が無ければ、病気の痛みに耐えて制限しながら運命を振り返り死ぬまで

心底反省し生きていくのが本来の人生であり、医者とは、出来るだけ関わるべきでないと

言う主張も真実なのですが、しかし、あまりにも落とし穴が人生に多すぎて障害が不可避

である意味で、自然主義の運命観では、命がいくつあっても足りずに何も話が進まなくな

ってしまうと言う事になってしまうと言えるでしょう。
471:2008/04/23(水) 10:37:11
しかし、医者は、病気をつくり出す多くの罠に満ちた文明の恐ろしさをさとす働きかけをする所を出発点とする
位置付けに由来する存在であらねばならない事が解っていなければならない事を踏まえなければならないでしょう。
それ以前に医者が依存して退行するような障害者を意図的につくり出すような事をする存在の仕方では
決してあってはならないのは言うまでもありません。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1156634105/487-489
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1156634105/517

基本的に精神医療の基本は、制限して落ち着きを計ることで志を整理すると言う事が
出発点となってなければならないはずです。

医療に応じた福祉が整っている環境の社会体制も、まぁ悪くは無いよしましょう、、、。

 、、、、、、、
472,:2008/04/23(水) 10:44:58
,
473:2008/04/23(水) 10:55:48
>>471



勿論、現代では瀉血治療ではなく、適切な薬物療法が懸命であると言わねばならない。

>>466

共同の営みと言うものは、危機状態に裏打ちされた強制や制約を伴う協力の事であり、

暗黙の了解の最低限必要な悪の繋がりは避けられない事を先ず念頭に置いた上での

社会全体への働きかけの範囲で運命的医療は許されるに過ぎない事を弁える必要がある。

474,:2008/04/23(水) 16:02:24
,
475、白からす黒ひつじ:2008/04/23(水) 17:04:17
>>473 言っている事が解らない。と言うよりはむしろ>>471言い切っているけど、、。

何で>>473のレスを書き出したのか?  、、、まぁいいや、、、。、、あぁ、そうか、、。

現実的に自由を制限し落ち着きによって
運命の意識を整理して本当の意味での育成により回復を図る現実と分別と配慮の共同の営みだからである。
(つまり、正規の運命から逸れた悪を意味するが、融通によって必要とされる範囲での悪。)
ゆきず待ったときは、人間誰しも立ち止まって先ず落ち着くところからはじめるし、純粋に一から
出発するのがもっとも純粋に進歩の成果を意識しやすいと言える。
このために必要な範囲での医療施設や福祉が整っている環境の社会体制の融通までは許されると言ってよい。

精神医療行為における治療の状況は現実の営みであり運命の営みであってはならない。運命の限界に病気と障害が
由来する以上は、、。
回復後の復帰の時点で本来の運命の営みがはじめて起こりうると言う問題であり、治療と通常の運命の営み混同してはならない。
治療は危機状態あるいは病気、破綻の運命の営みである、又は障害の運命の営み。
復帰は、通常の運命の営みの出発と考えるべきであると判断される。

しかし、人間の全体(=集合)の運命そのものとして精神医療そのものが押し通される事がありえてはらないと言わなければならない。
治療を必要とする個人全体の運命に精神医療が現実に介入することになる事があっても
人間の全体の運命そのものが精神医療の社会全体への介入に左右されるようなことがあってはならない問題であり、
人間の全体の運命が精神医療の制約を求めると言う事態は例外的危機状態の集合的境遇と言う自覚のもとに
初めて成立しうると言う事を弁えなければならない。
476、白からす黒ひつじ:2008/04/23(水) 17:09:06
>>475 訂正が多いな、、、。


精神医療行為における治療の状況は現実の営みであり運命の営みであってはならない。運命の限界に病気と障害が
由来する以上は、、。
回復後の復帰の時点で本来の運命の営みがはじめて起こりうると言う問題であり、治療と通常の運命の営み混同してはならない。
治療は危機状態あるいは病気、破綻の運命の営みである、又は障害の運命の営み。
復帰は、通常の運命の営みの出発と考えるべきであると判断される。
     ↓

精神医療行為における治療の状況は現実の営みであり 通常の 運命の営みであってはならない。運命の限界に病気と障害が
由来する以上は、、。
回復後の復帰の時点で本来の運命の営みがはじめて起こりうると言う問題であり、治療と通常の運命の営み混同してはならない。
治療は危機状態あるいは病気、破綻の 境遇の 運命の営みである、又は障害の運命の営み。
復帰は、通常の運命の営みの出発と考えるべきであると判断される。