1787年、ラッシュは3年前に死んだベネゼットの幽霊を夢に見た後で熱心な奴隷制度廃止論者になった。
夢の中のベネゼットは海岸を歩いてきて一群のアフリカ人に会い、奴隷制度の恐ろしさについてラッシュに語っていた。
ラッシュは夢から覚めてベネゼットの死によって残された隙間を埋めようと決心した。ラッシュはこの時奴隷所有者であったが、
1788年に奴隷のウィリアム・グラバーに自由を約束した。ラッシュはアメリカでは最初の奴隷制度廃止協会であるペンシルバニア
奴隷制度廃止協会の共同設立者となり、秘書官として努めた後に会長を歴任した (1803-13)。黒人であれ白人であれ、全ての者に対する
自由より劣るものは1776年の共和制の理想に嘘を付いていることであった。1766年にラッシュがエディンバラで勉強するために出立したとき、
リバプールの港で100隻もの奴隷船を見て怒りを覚えた。ラッシュはフィラデルフィアの黒人社会を援助する中でアフリカ人の協会設立に深く関わった。
1793年の黄熱病流行の折にはリチャード・アレンやアブサロム・ジョーンズなどの黒人を採用して、臨床に伴って手伝いをさせた。
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ラッシュは霊感の人ですね、、、。このエピソードがラッシュの理解の混乱に拍車をかけることになった。
黒人差別憎悪は、この霊感から来ています、、。484のレスを見ても解りますが、ラッシュもラッセル同様の格はことなるものの
化け狐である事が解るのですが、唯物論のラッセルと異なるのは、ラッシュが霊感の道徳に通じた者であるということなのです。
このタイプの人が、あの時代のあのアメリカであの位置を占めたんですよ、、、何かあると普通、思う、、。
486 ,,,,ラッシュはほとんどあらゆる病気に対して瀉血治療を提唱し、 >>
この件に関しては、多くの意味が含まれる。
ラッシュの理想主義と暴君の二面性に気付く者は、ラッシュが瀉血治療を提唱する意図は、
どのようなものであるかは、察しがつくものと思われます。
ラッシュの理想主義と暴君の二面性は、ラッシュが目的の為の必要に迫られた性格と人格・キャラクターであり、
この何重ものバリアーされた自己の処世術によって、初めて、大規模で目的の為の思惑通りの展開の進行を
可能とする事が出来たのである。しかし、理想主義と暴君、、、、これは、両立しないじゃないですか、、。
初めから、不可能な事をしている事が解る訳ですが、、、、あばたもえくぼの意味でこの短所をラッシュの美徳と
受け取るカリスマの影響が今日でも働いているようですが、この集合的危機の真相に付いてわかっているものは、
少ないようだ、、、。
ラッシュが瀉血治療を提唱する意図については、先ずは、瀉血治療が医療行為の伝統的基本であるからであると思われる。
先ず、治療するにあたって、隔離による長い時間と治療を要する事が境遇柄不可能な為に、
血を抜いて強制的に短時間で落ち着かせて、行動を制約することで、回復を図る行動制限が医療行為の治療の基本だからである。
(勿論、この方法が、全てに通用する性質のものであるとは、到底考えられるものではないが、、。)
ところが、ラッシュの荒っぽい性格の一面から解るのは、根本的にラッシュのカタに嵌らない者は、抹殺していく意味で
消耗させ、死に至らしめる究極の呪い代行行為の意味での血抜きの意味の暗黙の了解もその中には含まれていた。