ほんまかいな !?  事実検証スレッド 

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.   ∨ { :: ::r==t\` ー''tイ _,.、r'フ }__//ム
以下は、死を生み出す産業の実現に貢献したと思われる歴代の偉人の一例です。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1199581959/16-32 バートランド・ラッセル
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1199581959/33-61  カール・グスタフ・ユング
332犬猫にゃんわん:2008/03/17(月) 17:52:50

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1199581959/33-61  カール・グスタフ・ユング

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0#.E6.A6.82.E8.AA.AC


http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1199581959/16-32 バートランド・ラッセル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB#.E7.94.9F.E6.B6.AF


そして、、、ヒトラーに敵対した、ルドルフ・シュタイナー。ヒトラーは、大量虐殺の大黒柱なのは、議論するまでも無いでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC#.E6.A6.82.E7.95.A5
シュタイナーについては、詳しい内容の展開は機会があれば行うという事で、、、。

そして、ゲーテもシュタイナーと同様にはしょります、、、。

彼等は、以下の人体実験も可能にすることに貢献した面は否定できません、、。 

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

333:2008/03/17(月) 18:12:09





『ザ・スクープ スペシャル 終戦60年特別企画 検証!核兵器の真実 ~それは人体実験だった~』




334:2008/03/17(月) 18:14:42


 残念な事に私が放送について知ったときには、放送途中でした、、、。



ビキニ人体実験疑惑  放射能汚染の疑惑


3月1日、実験6時前の午前0時

以前風向きは好ましくない、汚染の恐れがあるが実験決行の再確認をする。

この時、米軍は万一に備えてビキニ南東に居た自国艦艇を非難させているが、

マーシャル島民には一切警告せず、実験は強行されたのである。
335:2008/03/17(月) 18:17:33


マーシャル側代理人 ビル・グラハム氏


「なぜ、風向きが変わることなく実験が強行されたのか?それは、人体実験だったからです。」



1953年11月10日  科学プログラムの概要 水爆実験の4ヶ月前に作成された24の研究プログラム、

そのプログラム4、生物医学研究の第一項目に死の灰を浴びた人間の研究、即ち、

プロジェクト4・1は、あらかじめ島民の被爆を想定していたことになる。

336:2008/03/18(火) 07:53:49
疑惑のプロジェクト4・1


     1954年3月6日  プロジェクト4・1スタート


   そして、実験からわずか5日後、早くも空軍内に生物医学チームが設立され、


    プロジェクト4・1がスタートする。彼等は、妊婦12人を含む特定の被爆者を選別。


     一人ずつ番号をふって現在に至るまで50年以上観察し続けている。


       アメリカはあくまで、医療ケアのプログラムとしていますが、


       プロジェクト4・1の報告書は得られた調査結果を、


       被爆した、最も完全なデータセットと呼んでいます。




    更に報告書は、人間が死に至る放射線量を225ラドと結論付けている。


   この数字こそ核攻撃の作戦立案に欠かせない米軍がどうしても欲しかったデータだったのだ。


338:2008/03/18(火) 07:59:33



      マーシャル側代理人 ビル・グラハム氏


     「米国は、抗生物質の投与は反対した。 


         正確なデータが得られないからです、


         彼等は、治療より実験を優先したのです。」


        殆ど治療を行わず、定期的に観察と検査を繰り返すばかりのプロジェクトの医師たち


339:2008/03/18(火) 08:01:15


    ロンゲラップ島 ヒバクシャ 特別調査グループ


     米側医師団長、


   米国議会がわれわれに求めているのはヒバクシャの


    医学的監視なのです。つまり、「記録を取れ」ということです。、


340:2008/03/18(火) 08:05:12


        1957年、ロンゲラップ島民帰島


     さらに、実験からわずか3年後、何故か、地上の放射能検査を全く行わないまま、

        安全を宣言、それを信じた島民たちは、故郷の島に戻った。



      マーシャル側代理人 ビル・グラハム氏


     「アメリカは、敢えて、クリーンナップをおこなわず汚染されたままに住民を帰島させた。


        長期的に被爆させて、遺伝的影響を調べようとしたのです。」


341:2008/03/18(火) 08:11:10
  帰島後、残留放射能が、被爆をまのがれた者達をも蝕み続け


     生まれてくる子供達にも先天的異常が続出した。



     5人の子供のうち 4人が生後一年以内に、死亡

       一人生き延びた娘も2回甲状腺を手術



  1985年  再び離島

   
    28年後、人々は、再び島を脱出し、


     現在も汚染の除去作業が続いている。

342:2008/03/18(火) 08:13:00








          第五福竜丸も研究対象だった。








343:2008/03/18(火) 08:16:26



   そして、プロジェクト4・1の調査対象はロンゲラップ島民だけではなかった。



     アメリカ側は、第五福竜丸の乗組員の被爆状況に、異常なまでの関心をしめし、


   広島で調査を行っていた原爆傷害調査委員会(ABCC)をすぐさま差し向けた。



344:2008/03/18(火) 08:21:13



 何で、いちいち、一つの投稿に時間をかけさせようとするんだ、、クズども、、、。

345:2008/03/18(火) 08:22:33



  コラッ! ごみクズども、解かっとんのけ?#



346:2008/03/18(火) 08:23:43


 344,345>>

もちろん、精神面での比喩のことだ、、、。


347:2008/03/18(火) 08:25:28



  その2ちゃんのMkウルトラの代償は高くつくぜ、、、


348:2008/03/18(火) 08:26:47




  精神病を作り出し災いを助長してきた2ちゃんねる、、、、。


349:2008/03/18(火) 10:18:30
1954年3月17日、アリソン大使の新書

第五福竜丸に関し日本政府は、
ABCCの全面的な協力と援助を受けるべきである

第五福竜丸医師団  新谷和夫医師

「米国側は、いち早く医師団を送り込み研究材料を取りたかったわけです。
入院先に何回も押しかけ直接「サンプルを寄こせ」と、、、、。

入院先を訪れたABCCモートン博士

アメリカ側の要求は、8項目に及ぶ検査。見舞いの言葉も無く、
ただ、観察したのみの態度に、患者や医師たちは激怒した。

4月7日、岡崎外相の公電
アメリカの試験第にされることは、まっぴらなり、

4月13日外務省の覚書
治療の対象としてよりも、実験の対象ではないか、、。

350:2008/03/18(火) 13:31:09
   第五福竜丸医師団  新谷和夫医師

  「久保山さんら乗組員は、皆、モルモットにされたという意識を持っていた。

   皆、そう感じているから米側には素直には情報を出さなかった。」


    ネバダ州核実験公文書館


  第五福竜丸事件における、日米科学者の関係という被爆3ヶ月めの極秘文書

   この中で、ABCCのモートン博士は、検査を拒む日本側の医師の対応を激しく非難している。




      1954年5月27日日米科学者の関係

   ―日本側は、アメリカ人の検査を拒み続けた。

   おかげて自由世界の国防上、大変価値のあるデータを失ってしまった。

351:2008/03/18(火) 13:36:27

    更に、この文書には、不幸な23人に対して、ある種の実験が行われていた。

    乗組員を患者ではなく明らかに実験サンプルと見なしていた事がわかることになる。



    被爆した久保山さんの遺体は、久保山さんの意思により、遺体は、病理解剖に

   、、それは、放射能症の治療に役立てて欲しいという遺言によるものだった。

               しかし、、、、

352:2008/03/18(火) 13:38:02


   東京のアメリカ大使館からの極秘伝聞によると

    1954年9月24日 公電


  久保山さんの遺体の解剖に米国人医師が立ち会った。

          更に

   1955年6月、病理学研究所メモによって

    密かに、肝臓や骨髄などの組織の一部が米国に運ばれ、

     病理学研究所で、調査されたことが判明した。

353:2008/03/18(火) 13:41:10


    それから半世紀、、第五福竜丸の被爆者が悲劇の海を訪れた。


  3月1日午前6時45分半世紀前、大石さんは、この被爆の海に居た。


  第五福竜丸乗組員 大石又七さん

 「私は、もっと暗いように思っていたんだけど、実際は、かなり明るいんですよねぇ、、。」



354:2008/03/18(火) 13:44:26
    元ロンゲラップ島民 ヒロコロンギンペーリック

   「死の灰を浴びたのは12歳の時でした。私は被爆者です。


  第五福竜丸乗組員 大石又七さん

   「私の子供も、奇形で生まれているんです。」


   ヒロコ「私の最初の子供も生後5ヶ月で死にました。

         心臓に穴が開いていたのです。」


     被爆者ジーン・ゲレップさん

  「マーシャルのほとんどの島が、水爆実験の影響を受けています。

   沢山の人が死んだ。子供は、6人いましたが、皆、死にました。」


355:2008/03/18(火) 13:48:21

   被爆したマーシャル住民、 1865人 うち、840人が死亡


   最後に、大石さんは、86人が被爆したロンゲラップ島を訪れて、、、。

    今も、残留放射能が色濃く残る2度にわたってうち捨てられた島

   しかし、この海で、第五福竜丸が被爆したあの海を直接望む事が出来る。


   大石 「今の、現在の自分があるって言うことを確認できたってことが、

        自分としては、喜びでなきゃいけないからね、、、。

       その半面に、死んだ仲間の悔しさって言うのを、自分が、

      私が、受け継いで再確認しなければいけないとおもいますよねぇ、、。」


356:2008/03/18(火) 13:51:22

  水爆ブラボーは、3つの島を消滅させ、代わりに、巨大なクレータ―と大量の放射能を残した。

     それは、まさしく、20世紀最大の地球環境汚染だった。


        死を目前にした久保山さんの最後の言葉、、、


    、、、それは、、原水爆の被害者は、私を最後にしてほしい、、、だった。


   久保山さんの願いも空しく、第五福竜丸事件は、核開発競争の幕開けとなってしまいました。


  核実験の総数は、1998年までで、2057回 総エネルギ―量は、広島原爆の20万倍




357:2008/03/18(火) 13:55:22



   32年後1986年にアメリカ政府は、ようやくマーシャル島民の健康障害と原水爆の

      核実験の因果関係を認めて、保証金一億五千万ドルを払った。


    日本は、政治決着をはかった事実も隠蔽した。

    これは、日米関係の悪化を恐れたものだった。


   そのために、第五福竜丸事件以外に2万人以上の被爆者が居たにもかかわらず、

     治療や調査も何も行われず、その実態は、未だに何も明らかにされていない。



358:2008/03/18(火) 13:58:43



   クリントンの主門機関が1995年に公表した放射能人体実験に関する報告書に

 マーシャルは、人体の放射能障害を研究する実験室となったと結論付けている。


   ビキニ事件の2年後に行われた水爆実験レッドウィング作戦では、

   水爆のキノコ雲が人体に与える影響を調べる実験行われていた。

  これは、アメリカの空軍機を数十回にわたって、キノコ雲の中を数十回横断させて、

   その被爆状況を測定すると言う実験で、乗員7人の被爆量が、

    年間許容量w2を超えたとして、軍の病院で、特別検査を受けている。



359:2008/03/18(火) 13:59:23



   クリントンの主門機関が1995年に公表した放射能人体実験に関する報告書に

 マーシャルは、人体の放射能障害を研究する実験室となったと結論付けている。


   ビキニ事件の2年後に行われた水爆実験レッドウィング作戦では、

   水爆のキノコ雲が人体に与える影響を調べる実験行われていた。

  これは、アメリカの空軍機を数十回にわたって、キノコ雲の中を数十回横断させて、

   その被爆状況を測定すると言う実験で、乗員7人の被爆量が、

    年間許容量w2を超えたとして、軍の病院で、特別検査を受けている。



360、マズッタ↑:2008/03/18(火) 14:04:20


   鳥越  「VTRの中でねぇ、彼等は(マーシャル島民)、ネズミよりも人間に近い、

     我々に近いから実験するとか言っていましたが、それだけ聞くと、

      偏見があったからやったかのように聞こえますが、実は、そうでなくて、

     自国民も人体実験をやっている。それが、アメリカの軍事の実態なんですよねぇ、、。」


  ---------- それも、、、マーシャル諸島でもなく、日本でもなく、

 アメリカ本土でも驚くべき人体実験が行われていたことが明らかになった。-------


361:2008/03/18(火) 14:11:11
    ネバダ砂漠


    デザートロック基地

 マーシャルの核実験と平行して、アメリカ本土のネバダ砂漠でも人体を使った核実験が重ねられていた。

    モルモットにされていたのは、アメリカ軍、つまり、自国の兵士達だった。


    デザートロック作戦

   1951年から57年にかけてのこの実験では、爆心の近くに部隊を配置、

  核爆発の前後の兵士の行動を観察するとともに、爆発直後には、

    爆心に兵士を突入させて行ったのです。 更に、空からは、

  放射能の塊であるキノコ雲の中に、パラシュートを付けた兵士を何人も飛び込ませた。

  一連の核実験の目的についてその演習プランを作成したジェームス・クーニー将軍は、こう語っている。

    放射能の危険性だけを問題にするのは,愚かな事だ。

 兵士が、どの程度までなら、被爆に耐えられるのか、その心理面の訓練は、絶対に必要なのだ。


362:2008/03/18(火) 14:13:26







              プルトニウム人体実験、








363:2008/03/18(火) 14:15:51




    人体へのプルトニウム注射実験が開始されたのは、1945年4月、

 発端は、原爆開発の責任者オッペンハイマー所長(ロスアラモス研究所)に送られた医療(医療部門主任ウォーレン大佐)、

     保険部門(第一保険部ヘンベルマン部長)からの書簡だった。

       人体内のプルトニウムの量を測る方法を見つけるには、

           人間を使った実験が必要である。


364:2008/03/18(火) 14:20:12
   当時、プルトニウム注射実験を指揮したフリーデル氏は、こう証言する。

 「確か、18人ほどの患者がいました。私達は、モルモットやネズミには興味はなく、

          人体の反応に関心があったのです」


  この人体実験は、1945年から70年にかけて、

   18人の末期患者にプルトニウムを注射して行われたという


  フリーデル氏  「倫理的問題は全くありません、というのは、

       末期ガン患者に対する個人の影響力と言うのは、

          注入量をコントロール出来ましたからね。」


   しかし、事実は、全く違っていた。その殆どが癌患者でさえなかった。



365:2008/03/18(火) 14:22:51



    認識コードCAL−3 列車ボーイのエルマーアレンさん

 1947年7月18日、事故で骨折した足の治療中にプルトニウムを注射され知らぬ間に実験台にされてしまう。



  エルマ―さんのお墓には、アメリカの人間核モルモットの一人とはっきりと記述されている。


366:2008/03/18(火) 14:25:33


   エルマーさんの娘、W・エルマリンさん

「こんな研究をする科学者は、父を人間とは見ていません。

  私達は、単なる血液、単なる細胞の塊なんです、、。」


 プルトニウムを注射されたのは、左ふくらはぎだったが、その左足は、

     注射の三日後、骨癌を理由に切断されてしまう。


   エルマ―さんの長男、E・ウィリアムさん

 「余命4年とわざと誤診した上、人体実験のモルモットにして利用したんです。」



367:2008/03/18(火) 14:49:57


  退院後、エルマーさんは生まれ故郷に戻ったが、以後、癲癇に悩まされ続けた。


   W・エルマリン  「本当の目的を隠してだまして利用したんです。」


   エルマ―さんは、1991年6月30日に肺炎で死亡(享年80)

   ところが、墓石を見ると、6月30日に死んだのは、CAL−3の人物、


  エルマーさんが死んだのは、48年7月18日、プルトニウムが注射された日になっていた。




368:2008/03/18(火) 17:27:00
W・エルマリン

「エルマーアレンと言う人は、プルトニウム注射を受けた日に殺され、モルモットに変えられた。

CAL−3と言うモルモットに変えられたんです。」


孫のウィリアムさんの右腕にはCAL−3の刺青がある。

Eウィリアムさん

  「祖父の苦しみを思い、刺青を彫りました。安らかに眠れと、彫りました。」




しかし、人体実験の犠牲者は、エルマーさんだけではなかった。


死の間際まで反核を訴えていた故アンナ・ホプキンサさん(顔がいびつな片目と口だけになっている)も、

アメリカが行った、ある人体実験の犠牲者の一人である。

369:2008/03/18(火) 21:55:00





ハンフォード放射能放出実験








370:2008/03/18(火) 22:00:49

それは、放射能が人体に及ぼす悪影響を知り尽くした人物によって、

行われた放射能の大量放出実験でした。


被害者数は、25万人以上 
  

 、、、、、、、骨癌、、乳癌


ハンフォード風下被爆者 J・ケイシ―さん

「私は長いカーリーヘアーが自慢でした。でも、甲状線障害で髪が抜け落ちた。

ハンフォードで起きたことは、ナチスの虐殺行為と同じです。」
371:2008/03/18(火) 22:03:44
実験名は、グリーン・ラン ワシントン州ハンフォード広島市の2倍もあるこの用地では、

1987年まで兵器用のプルトニウムが大量に製造されていた。


実験名は、グリーン・ラン ワシントン州ハンフォード広島市の2倍もあるこの用地では、

1987年まで兵器用のプルトニウムが大量に製造されていた。


そこは、長崎に落とされた原爆の原料であるプルトニウムを生産した所であり、

アメリカの核戦略を支えてきた場所である。


1944年、原爆開発計画の一環として始まった、原子炉建設は、

63年まで続き、合計9つものプルトニウム用原子炉が作られた。


その中の一つ、このTプラントと呼ばれる施設で、

史上最悪の放射能放出実験、グリーン・ランは実行された。

372:2008/03/18(火) 22:06:28



「「1949年10月11月12月に於けるハンフォード周辺部放射能汚染」」

が極秘実験が明るみになるきっかけになった文書である。問題の報告書は、その報告書の12ページにあった。


グリーン・ラン実験は、1949年12月2日に行われ、放射性ヨードが5247・5キューリーが放出された。

放射性ヨードとは、原子炉でウランからプルトニウムを取り出す際に発生する

極めて危険な放射性物質である.


373:2008/03/18(火) 22:08:58


更に、報告書の28ページには、12月3日、ウラン1dを融解5050キューリーの放射性用度が発生。


つまり、12月2日と3日の2日間の間で、約、1万1000キューリーの放射性ヨードが意図的に煙突から

大気中の放出されていたのだ。この数値は当時の許容量の1万倍にあたる。

では一体誰がこの実験を主導したのか?

374:2008/03/18(火) 22:14:32
20年間、ハンフォード問題を調査している法律家(弁護士)J・トーマス氏


「アメリカ空軍の諜報部が行った秘密実験がグリーン・ランです。」


実は、グリーン・ランの4ヶ月前1949年8月、ソ連が初の原爆実験に成功


グリーン・ラン実験に関わった元ハンフォード放射線管理部長K・ガマーツフェルダー氏は、こう証言している。

「「ソ連では、照射済みウランを約2週間しか冷却せずに、再処理工場に送りプルトニウムを取り出していた。

(これに対しアメリカでは、照射済みウラン冷却期間は、放射性ヨードの放出を抑える為、約3ヶ月間設けていたという。)

ソ連と同じように、2週間しか冷却せずにやるとどんな影響が出るのか?

その実態を知るために行われたのがグリーン・ラン実験だったのです。」」


グリーン・ランは、たった2週間しか冷却していない未成熟なウランを

使った実験を意味していたのだ。

375:2008/03/20(木) 19:53:09

J・トーマス氏

「とても細かく放射能の量を計測していました。

秘密情報からはずされるまで、このことは、

約37年間も隠されていたのです。」



  
   報告書には、放射性ヨードによって汚染された地域の分布図の他、

動植物に与えた影響などが詳細なデータとして報告書に記録されていた。



376、風下住民、人体実験の犠牲者:2008/03/20(木) 19:57:27
   風下住民、人体実験の犠牲者


大量に放出された放射性ヨードの犠牲になったのは、ハンフォード核施設の風下に住む人たちだった。


       風下被爆者Pフーバーさん(58歳)

  「摘出された甲状腺がんはグレープフルーツ大だった。

       今まで見た中で一番大きいと言われました。」


  フーバーさんは、グリーン・ラン実験が行われたときは2歳、体調の異変を感じ始めたのは、

     1958年の小学校の5年生のころだった。


  フーバーさんが首の傷跡を見せて、

  「癌を取ったときの傷跡で通称ハンフォードの首飾り、

      住民の多くが同じ傷跡を持っています。」


377:2008/03/20(木) 20:01:40
   放射性ヨードが甲状腺に溜まり易く、がんや心臓病の原因になることは、解っていた。

    とりわけ、子供や妊婦に深刻な影響を与えた。


       風下被爆者r・キャンプさん

   「私の親友も子供を死産しました。かわいい赤ちゃんだったが、

          後頭部が全く無かったんです。」


    自らも、甲状腺障害や皮膚炎、心臓病に苦しむキャンプさんは、

   専門家の協力を得ながら風下地域の出産状況調査を行ってきた。


         キャンプさん

 「1940年代から、60年後半までの間、死産、奇形出産の確立が約6倍になった。

  ベンソン博士が集めたソ連の奇形児写真と同じような赤ちゃんが、

      同じ時期、ハンフォードでも、沢山生まれていたのです。」

378:2008/03/20(木) 20:03:45


    風上にハンフォードの各施設を臨む、パスコといわれる共同墓地、

この墓地には、ベイビーランドと言われる区画がいくつかあり、死亡した赤ちゃん達が眠っている。


   風下被爆者の一人トムベイリーさんによると、、、、

「この共同墓地だけで、500以上の赤ちゃんの墓があるそうだ。

更に、流産で死んだ胎児の遺体は丈夫な箱に入れられ地下深くに埋められている。

墓石の無いところにも何百もの遺体が埋められているので、墓石よりはるかに多いい赤ん坊達が眠っています。」


379:2008/03/20(木) 20:07:02



ベイリーさんの脳裏には、グリーン・ラン実験の行われた前後のある光景が焼きついている


「防護服を着た兵士達が、土のサンプルを集め回っていた。観測気球も飛んでいたし、、、」


当時は、その意味も解らなかった、ベイリーさんだが、人体実験の一環だったと知った今は、

   私達をモルモットとして利用し、そのことを長年隠していた。

おかげで、死が生活の一部になってしまい、人が死んでも驚かなくなってしまった。


380:2008/03/20(木) 20:09:23


     ハンフォード死の一万マイル


    ベイリ―さん

「あの家では、手に奇形のある娘が生まれ、、、、

二人の娘が甲状腺異常、父親は、心臓病で死んで、母親は、ガンを発病、

その隣でも、娘は、甲状腺がん、息子もガンを発病して、、、、

            これが、死の一マイルです。」


  ハンフォード各施設の風下直線距離にして約10キロの地域、

           放射能汚染が一番ひどかった所である。

381:2008/03/20(木) 20:11:59


      死者の記録


       風下被爆者ファニータさん

「50代で心臓発作を起こして死んでいく住民が多いので、おかしいと感じ調査を始めた。」


   フアニータさんが、おかしいと思い、病死者の記録を付け始めたのは1950年代半ば

        グリーンラン実験から数年後の事だった。

    当時ファニータさんは、各施設に最も近いリンゴールド地区に住んでいた。

382:2008/03/20(木) 20:25:08
   Q「全員がこの地区の住人だった?」  ファニータさん「そうです。」

   Q「全員が死亡してるんですね?」   ファニータさん「そうです。」


     ファニータ「死因は、心臓発作と、がんが半々位でした。」


        リンゴールド死の地図 

がんで死んだ人の赤丸が32個、発作で死んだ人の青丸が、35個、

その全てが50代で亡くなっているのだと言う。ファニータさん自身も、

流産を3度経験、子宮も失った。2人の娘も共に肝臓を悪くして、既に、他界している。


 「信じられません、失望感でいっぱいです。政府はどんな被害が出るか最初から知っていたと思います。

      知った上で、私達を実験台に使ったのです。」


383:2008/03/20(木) 20:30:22


   人体実験の実験台、その証拠を持っていた人が居た

風下被爆者、ダーシー・スカイさんが見せてくれたのは、鉄製の認識票だった。


      「私の名前の他にニコルズという父の名前、それに、

          当時住んでいた住所が書かれています。」


     この認識票が渡されたのは、1961年小学校2年生のとき、

   突然学校にやってきた検査官に、正体不明の白い液体を飲まされた後だった。

      検査官から渡された、食生活を記録した書類がのこっている。


384:2008/03/20(木) 20:32:19



   「机の上に小さな瓶が並んでいて、中身を飲み干してから椅子で待つようにと言われました。

  味は覚えていませんが、ザラザラした液体で味は覚えていませんが牛乳に似ていました。」


    その後、体内の放射性物質を調べる全身カウンターに通された。


     「その液体を飲んだ後、同じ日だったかわかりませんが、とにかく、

体調が急に悪くなりました。鼻血が出て吐き続け、左後頭部の紙がごっそり抜け落ちました。」
 

     この日を境にスカイさんの人生は暗転する。流産を一度経験した後、

  29歳のとき子宮内服症で摘出手術、現在も甲状腺異常で苦しんでいる。

385:2008/03/20(木) 20:34:21


     スカイさんが渡された認識表の左下には、R P  と書いてある。


  Radiation 放射能  Program プログラム  と読めなくは無い。



  「あの白い液体の中には何が入っていたのか,教えて貰いたい。

        人体実験に間違いありません。」

386:2008/03/20(木) 20:39:20
     ハンフォードの環境調査を行っているカーペンタ―さんは政府が情報を隠すので、

       放射能被害が拡大していると心配している。


     政府に説明責任を求めるプロジェクトT・カーペンタ―さん

 「川沿いの地域には、多量の汚染物質が蓄積されている。風下地区も、

 許容値の7000千倍の放射能で汚染されています。あそこに鹿が居ますね。

      鹿の糞からも放射性汚染物質が検出されています。


    カーペンターさんは、人体実験の犠牲になった意味では、

     日本の被爆者も風下被爆者も同じだと明言する。


 人体実験の背景には、軍事目的のための医学的データを増やすと言う政府の目的がありました。

   その意味では、日本の被爆者も、ハンフォードの風下住民も同じ犠牲者です。


387:2008/03/22(土) 08:21:32
日本への原爆投下直後、アメリカの核開発計画のトップクローブスが、

8月12日クローブス将軍の命令書で科学者グループを編成し、日本へ派遣せよ、と記述した。


その時広島入りした、メンバ―の中に、

当時アメリカ国内で人体実験の指揮を執っていたあのフリーデル氏が居たのです。


ハイマーフリーデル氏

「原爆投下から3週間後、広島に入りました。私は、50人くらいの患者リストをもらいました。

その中には、患者の生物学的反応も書いてありました。」


この調査は、翌年、エレルギー省の直轄となり、原爆障害調査委員会(ABCC)と改組された。


388:2008/03/22(土) 08:26:37
第五福竜丸をモルモット扱いしたと非難されたあのABCCである。


ABCCは、被爆者を病院の屋上に一人ずつ呼び出し、当時貴重だったカラーフィルムでその症状を刻銘に記録していった。


被爆者山岡ミチコさん

「ABCCがしている仕事と言うものを不満を持った被爆者が沢山居たわけです。

治療はしていただけない、ただ見るだけでデータももらえない。」


アメリカがほしかったのは、被爆者の研究データだけだった。


米国エネルギ―省製作「人体への影響」、、、


、、、、二人の兵士は爆心から、1・8Kmの所に居た。

  、、、、、、スリッパを履いていたのでつま先は火傷を間逃れた。

389:2008/03/22(土) 08:30:56

    更に、ABCCの調査対象は、直接被爆した人間ばかりではなかった。


    ABCCアメリカ側代表医師ジェームス・ニール博士

   「私は、人間遺伝学の調査を行うようにワシントンから依頼されました。

       被爆者から生まれた子供達の研究です。」


   1953年、ニール博士は調査結果をこう報告している。

  被爆症状のある女性の流産、死産、奇形出産の割合は、約60%


390:2008/03/22(土) 08:32:51




          被爆者、坪井直さん


       「一連の人体実験にまつわることは、許さない。」



         被爆者山岡ミチコさん


        「人体実験、モルモットだった。」



391:2008/03/22(土) 08:41:29

  長野 「1994年当時のクリントン政権なんですが、核の人体実験について、

    調査を開始して、その情報を全て公開すると言う宣言をしました。

  しかし、10年たった今でも、その情報の核心部分は封印されたままで、

    例えば、誰の指示ででどの組織がグリーンラン実験を行ったか、
    
         と言うことは、判明していない。



 鳥越  「あのぅ、、ちょっと、見ててねぇ、疑問に思ったんですけど、

     アメリカのメディアってこういうことは、素っ破抜くじゃないですか、

     アメリカのメディアは伝えてないんですか?グリーン・ラン実験のこと。」

392:2008/03/22(土) 08:48:51
    長野 「実際、スッパ抜いたのはローカル誌だったんですけど、

     その後は、全く報道されません、大きなメディアでは、、、。

 今、マリリカのメディアでは、イラクの烈火ウランガンのことも報道しないんですよねぇ、、、。」


  鳥越    「クリントンさんが、認めたのがちょっと違ってて、

     ブッシュさんのが、普通なのかも知れませんねぇ、、、、、。

      結局、、、、一貫してるのは、、、、、、調査はする、

    データは取る、、、、しかし、、、治療はしない、、

       これは、一貫しているんですよねぇ、、、、。

  要するに、、、、戦争に役立つようなデータ―は一生懸命取るけれども、、、、

  傷ついた人たちに対しては、ちょっとした見舞金程度しか出さない、、,

          一貫してるねぇ、、、、、、。」

393:2008/03/22(土) 08:55:15

『ザ・スクープ スペシャル 終戦60年特別企画 検証!核兵器の真実 ~それは人体実験だった~』

 の一通りの解説は、以下の 最悪の邪道外道の軍事を徹底的に追求するスレッド  で
 
 扱いました、、、、。

    http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1180833234/150



http://human6.2ch.net/test/read.cgi/handicap/1167408327/l50
3度目の奇形児スレ(詳しくは4度目)人間改革スレッド、又は、
正攻法の正規の元祖人権スレッド  半年だが、長い道のりだった
394:2008/03/22(土) 08:57:56



  まだ、精神医療 死を生み出す産業については、今のところ、取り組んでいないんですよね、、、。


395:2008/03/22(土) 08:59:47


 規模として、本当にすごいのは、放射能より精神医療の方だとおもいます、、、。

396、ミジンコ:2008/03/22(土) 09:52:20


  、、、いやいや、、、NHKも、テレビ朝日も、、、ヤフーも、、、。、、、やれやれ、、、。


 ヤフーでは、放射能、人体実験に関しては、検索しても出ない。グーグルでは、出てくるんですけどね、、、。

なぜかと言うと、ヤフーは、大方、本当の突っ込みの入ったサイトは、乗せない主義なんです。

あそこは、ヤミ系の情報操作の会社ですから。、、、。ええっ、本当ですよ、、、。

私のようなサイトは、掲載しないけど、http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1162859097/279
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1162859097/264 http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1162859097/262

のような違法闇サイトは、掲載してあるんです、、、。