>>382 >ソース
homepage3.nifty.com/aries/brain.pdf
あらゆる感覚情報は扁桃体に集められ、意味(価値)付けされる。
〜扁桃体と視床下部の連絡により、経験や記憶に感情が付加されるものと思われる。
感情は今目の前で起こっている出来事に対して抱いているのではなく、
認知した「出来事の断片」を入力情報として出力された過去の記憶に付随するもの。
感情は過去からやって来る。
>>375 >「定義」や「前提」が分からないと「意」が理解できないというのは自分への言い訳
>意思より先に手が動く場合もあり、それを見て自分の意思のように感じる。
http://homepage1.nifty.com/eggs/houhou/bouei/tisei.html 防衛機制の「知性化」は、自分の生の感情を「卑しいもの」と捉えていて、
そこから目を逸らしたいという心理らしいね。
人には恐らく自分という存在をむき出しの感情の連続ではなく、
筋道だった一本の「物語」として定義したいという欲求があると思う。
合目的な理由は全て後付けの設定なのだと。意志ってそういうものだと思う。
でも私達の場合は、目を逸らすもなにも、自分の感情自体把握できてない場合が多いと思う。
自分の「意」を物差しに他者のそれを測るという事が難しい。