『易経』を真剣に語ろう

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181名無しさん@占い修業中
>>175

十翼を孔子が編纂したという伝説を信じている人は、今ではいないでしょう。

さて、

『易』は、先秦の占いの書物であったということ、間違いはないと思います。

ただし、戦国中期より以降、儒家の経典とされて哲学的な解釈が加えられ、
十翼が次々と作成されていったのみならず、本文(経文)や爻の配列、時には
爻の名称や内容などにも改変が加えられていったというのも事実ではないですか。
(最近の中国で続々と出土している、漢代や戦国時代の『易』なんかを参照すれば
 一目瞭然でしょう。)

だとすれば、儒家が様々に改変し漢代までに完成した『易』(周易でも易経でも
いいですが。ふつう同名異書と扱うし)は、「本物の哲学」として扱うべきでは
ないのですか。占いの書物としての原初形態や爻そのものもズタズタにされて
しまって、哲学的な内容に改変された書物だから。

「易学は占って当たらなければ本当ではない」と言われますが、占書としての
『易』原初の形態は、二千年以上前に失われております。本来の『易』を
復元するのは文献学者の仕事でしょうし、漢代の『易』を哲学的に解釈するのは
儒教学者(中国哲学史研究者?)の仕事でしょう。

原初の『易』を復元しようともせず、儒家が哲学的に改変した『易』を金科玉条として
これのみによって「占い」をしようとする連中は、五千年前の星座をそのまま使って
現代を占おうとするのと同様、ナンセンスだと思います。