さあ、講義を再開しましょう。
いまだに
>>704のようなキャラクター分析が全く出来ていない妄言を読まされると
がっかりせざるを得ない。
・祝砲の挽歌に関して
コロンボがラムフォードに対して共感を抱いているという説(暴言)は、
劣等生とはいえ、学生を冤罪に陥れて平然としているような人物にコロンボが人間的な
共感を持っているというのか?という指摘に対して、全く反論がなされておらず、
既に論破されていると言える。
自身も軍隊経験があるコロンボは、軍隊がラムフォードのような狂的な人物を生み出す
可能性がある組織であることは実感しており、従って、その存在を理解はしている。
(ああいうのはいるという感じ)が、これは心の奥底から生じるところの人間的な共感という類のものではない。
・構想の死角に関して
画面上では全く犯行の自白が描かれていないという事実を無視した愚論と言い得る。
犯行と同様な内容を記したメモが存在することと、その内容どおり犯罪が実行されたか
否か(当然、厳格な証明を要する)という点は全く別問題なのである。
また、犯人は作家としての矜持よりも名声や奢侈に惹かれる人物であり、
狡猾な面もあるキャラとして描かれており、別れのワインや闘牛士の栄光のケースの
ような、この後に当然犯人は自白するであろうという展開を示唆するものとなっては
いない。
祝砲の挽歌は演出の意図と俳優の演技に齟齬来たしていた可能性がある作品であること、
構想の死角の小説版では画面上には無い補足が為されていること等は、
とうにガイシュツな点であるが、作品の欠陥を容認したうえで自己の偏愛を語るので
あればともかく、欠陥品を傑作と持ち上げ続ける連中の行為は、
まさに笑止と言わざるを得ないものがある。