書斎魔神・アホアホ語録格納庫 その22

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377最低人類0号
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> 915 名前:書斎魔神 ◆AhysOwpt/w 本日の投稿:2008/03/14(金) 22:25:04 ID:37puOY//
>>お互いにさほど強く意識する存在ではなかったのではないか。
>ということ。
>世代的にシマソウが清張作品の読者だったのは当然だが、「作家」として強烈に意識していたとは
>思えない。徹底したトリックへの拘りを見てもわかるとおり、シマソウの「作家」として理想は
>やっぱり鮎川哲也なんである。
>また、清張サイドから見れば、「シマソウというミステリ作家がいる」という程度の認識であろう。

嘘もここまで来ると壮絶なものがあるな。
吉敷シリーズやノンシリーズのいくつ、それに本人のエッセイを読めば、
島田荘司が松本清張を強烈に意識していることはすぐにわかる。
御手洗もののトリックなんか、鮎川よりも高木彬光の方を意識しているだろう。
某作品なんか、高木考案トリックをそのまま使っている。
「徹底したトリック」以外の部分にこだわった力作も、『夏、19歳の肖像』『火刑都市』等、
いくらでも出てくる。
鮎川哲也を意識していないとは言わないが、それだけでないのは本人の著作やコメントを見れば一目瞭然。
『龍臥亭事件』くらい読んでみたらどうだ?
378最低人類0号:2008/03/15(土) 20:26:19 ID:YIN5fn+a0
>作者本人の期待度を満たしたかはともかく、占星術や斜め屋敷が講談社ノベルスとして
>売れ行きが悪くなかったのは事実である。
>これはその後、文庫化もされロングセラーとなったことを見ても自明。
>御手洗シリーズ全体を見ると、「暗闇坂の人喰いの木」あたりまでは新刊時ハードカバー
>平積みになるほどの人気であった。

最初は「刊行当時から売れ行きは悪くなかった」と書いておきながら、その自説の証拠は文庫化の事実だけかい。
島田荘司が広く読まれるようになったのは、吉敷シリーズが売れたから。
本人のエッセイを読まなくても、作品の執筆数を見れば一目瞭然。
御手洗ものが広く読まれるようになったのは、『東西ミステリーベスト100』等で再評価されたから。
御手洗の三作目『御手洗潔の挨拶』は1987年で、『斜め屋敷』から5年後。
長編に限定すると『異邦の騎士』は1988年で、『斜め屋敷』から6年後。
売れ行きが悪くなかったら、三作目がこんなに遅れるわけないだろう。
『異邦の騎士』は『占星術』より前に書き上がっていたんだからな。
おまけに何をどう見ていたのかは知らないが、占星術の講談社ノベルス化は1985年で、占星術自体の発売は1981年だ。
書斎のいう島田荘司の刊行当時というのは、1985年以降のことらしいな。
ついでに書けば、それなりの本屋なら『眩暈』『アトポス』『御手洗潔のメロディ』他も平積みされていたが、
それは刑務所に入って本屋に行けなかったから知らないのか?