南武線すれっど 2

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434名無しでGO!
>>423-426
いや、かなり変わっていただろう。
浅野系の私鉄が全て返却されたとしたら、当初の予定通り「関東鉄道」として
合併していたはず。つまり鶴見・南武・青梅・五日市が同じ鉄道になっていただろう。

ということは、南武線と青梅線が一体化して川崎〜奥多摩直通運転だったかも。

それから戦前の段階で一部準急運転があったそうだ。
戦後これが復活していれば、優等列車の運行があったかもしれない。

あと浅野系列のバス会社の変遷がある。
西東京バスの前身の一つ、奥多摩振興は青梅電鉄の子会社、
立川バスは南武鉄道が経営権を掌握していたからこれらが再編されていただろう。

さらに、川崎市北部の市営バスはもともと南武鉄道のもの。
今の鷲ヶ峰・菅生・井田営業所は全て関東鉄道(もしくはその系列会社)の経営になっていただろうね。