京都の鉄道総合スレッド

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613名無しでGO!
 山陰本線は、京都鉄道が京都〜新舞鶴(現東舞鶴)間の免許を取得し、明治30年2月に
二条〜嵯峨間を開業させたことが始まりで、そのときは所要時間15分で走った。その年
のうちに二条〜大宮(現在はない)間、大宮〜京都間を開通させた。嵯峨野線ホームが京
都駅の端っこにあるのは、私鉄の京都鉄道が京都まで開通させたことの名残である。その
後、保津川沿いに工事が進み、明治32年には園部まで開通した。明治に入り、国は当時有
力な軍港である舞鶴港と大阪、京都を結ぶ鉄道を短期間で建設する必要性が出、阪鶴鉄道
に現在で言う福知山線を作らせ、京都鉄道には京都〜舞鶴間の建設を促すため免許を交付
していたのだが、京都鉄道は園部以北を、資金の都合でなかなか建設を進めなかった。そ
のうちに、ロシアとの緊張が高まり、日露戦争がはじまるかという状況になり、国は京都
鉄道の建設を待たずに、官設鉄道として、舞鶴(現在の西舞鶴)〜福知山間を建設し、明
治37年に開通し福知山まできている阪鶴鉄道に貸与した。明治39年交付の鉄道国有法によ
り翌年の明治40年阪鶴・京都両鉄道は国に買収された。そして、43年に国により園部〜綾
部間が開通し、山陰本線京都〜福知山間が完成した。山陰本線(裏日本縦貫線)としての
全通は昭和8年まで待たなければいけない。後に、福知山〜舞鶴間へのルートの重複区間
である綾部〜福知山間は複線となった。再び山陰本線に変化が起こったのは、平成元年の
嵯峨〜馬堀間の線路変更・電化複線化からである。この電化と同時に、京都駅嵯峨野線ホ
ームの2線分増設、太秦駅の新設、亀岡駅の1線増設等、さまざまな工事が行われ、平成
2年に京都〜園部間の電化が完成した。嵯峨〜馬堀間の旧線は風光明媚な保津峡沿いを走
る路線であって、平成3年にJR西日本の子会社として嵯峨野観光鉄道が開業した。平成6
年には、二条〜花園間の単線高架化が完成し、9月末から2ヶ月限定で「全国緑化都市き
ょうとフェア」の主会場となる梅小路(京都〜丹波口のあいだにある梅小路貨物駅跡)に
「緑化フェア梅小路」駅が臨時で設置された。そして、平成7年に園部〜綾部間が電化開
業し、京都〜福知山間が完成し現在の姿となっている。
614名無しでGO!:2001/03/20(火) 00:39
>>613
嵯峨野線に大宮駅と梅小路駅の復活きぼ〜ん
615名無しでGO!:2001/03/20(火) 00:44
山陰本線に大宮駅が昔はあったってのはやっぱり本当じゃん
誰かが妄想だと言ってたけど昔のことを知らない厨房だよな