1 :
名無しでGO!:
大垣夜行、中央山岳夜行があるので立ててみました。
周遊券世代だと関東からの場合、西は大垣夜行、北は「八甲田」「十和田」「津軽」が定番でしたね。
昔の夜行鈍行もありで寝台車なしですすめましょう。
2 :
名無しでGO!:2006/11/11(土) 10:26:58 ID:yTZhr+p2O
ぬるぽぬるぽぬるぽ〜 ぬるぽ〜と〜叫〜ぶと〜
ガガガ ガガガ ガガガ ガッ!
ガガガ ガガガガ ガオガイガー
ファイナルフュージョン承認だっ!
今だ超人合体だっ!
3 :
名無しでGO!:2006/11/11(土) 20:42:48 ID:HDHzxDz00
北海道行くときは八甲田によく乗りました。
上野駅13番線がなつかしいです。
4 :
名無しでGO!:2006/11/11(土) 20:45:30 ID:6wqOSbwe0
651系で復活してくれ
5 :
名無しでGO!:2006/11/11(土) 20:47:06 ID:NkjQqysAO
やっぱ「ゆうづる」ではないか?
6 :
名無しでGO!:2006/11/11(土) 22:07:28 ID:mISpdjA20
津軽だろ!
7 :
名無しでGO!:2006/11/12(日) 11:59:30 ID:NbuC8q6E0
「おが」の元祖ゴロンとシート
8 :
名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:14:31 ID:+6o+qWEW0
デイリー男鹿!
9 :
名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:20:02 ID:laRMt9iK0
津軽、八甲田を使っての夜行折り返し
10 :
名無しでGO!:2006/11/12(日) 15:45:31 ID:sEuhz8r5O
ムーンライト八甲田をキボンヌしてみる
11 :
名無しでGO!:2006/11/12(日) 16:54:33 ID:0Sk9y7AJ0
上野行き津軽の1号車に乗って「くそ、スハフかよ…」とか思いつつ就寝。
明け方に目が覚めるとデッキの向こうの機関車の顔が赤から青に変わっていた。
ちょっとした思い出。
12 :
名無しでGO!:2006/11/14(火) 00:21:31 ID:H0FmxLvsO
はくつるに乗りたい
13 :
名無しでGO!:2006/11/15(水) 21:00:10 ID:bHvGaHzu0
「上野発の夜行列車」に乗って、歌手の名字のような駅で降りてみたい。
14 :
名無しでGO!:2006/11/15(水) 21:07:50 ID:TGIQi4uz0
津軽は14系、583系乗ったけど、583無断でごろんとがお気に入りだった。
20系おがもよかった。特にA寝台から座席改造車の乗り心地の良さといったら
なかった。24系よりよかった気がする。すごい静かだったし。
15 :
age厨 ◆ocjYsEdUKc :2006/11/16(木) 01:27:43 ID:GQGqEmRy0
年末年始に上野駅から上越・羽越・奥羽線経由で青森へ向かう、583系
ゴロンと号が走るけど、これが東北夜行の面影を残してる事になるかな。
ただ心配なのは冬期の上越線と羽越線の長期不通かな。今シーズンは
何事も無きゃいいけど…。
16 :
名無しでGO!:2006/11/16(木) 11:01:08 ID:Hpf6DkdPO
3セクだのミニ新幹線規格だのになってしまったから、
青森や秋田へ走らせるにも、もう高崎、上越、羽越線経由しか走れないんだよな。
(北上線や陸羽東線でも実績があるから可能だが、そこまでやるとコストがかかるし)
少ないながらも座席夜行の需要はあったろうが、廃止されて新幹線やバスへシフトされたんだか、
それともシフトが先で廃止を余儀なくされたんだか。
まあ後者だろうがな。
17 :
名無しでGO!:2006/11/16(木) 20:01:15 ID:uahEdFHU0
>>14 周遊券で旅した“おじさん世代”だから、東北夜行は数え切れないくらい使った。
20系「おが」は御存知の方も多いと思うが、当初「十和田」に使っていた編成を「津軽」にコンバートした。
ところが、座席需要の多さを無視した転用だったので、3両の自由席は連日超満員、積み残し続出の事態を引き起こし、
早々に一部寝台の座席解放や臨時「おが」(14系)の運転でしのいだものの、僅かの期間で20系「津軽」を臨時運転の
「おが」と車両の持ち替えをした曰くがある。
件のナハ21は他に「だいせん」でも見られたけれど、ゆったりした見付けの割には幅が狭い感じがしたり、定員が少なくて
年中混み合っていた記憶しかなく、私としては意識して避けていた車両だった。静かで雰囲気は良かったんだけどね。
短距離で、上野発最終の「あづま3号」(福島−仙台が普通列車になるので、「まつしま」ではなく「あづま」を名乗った)「ばんだい」
の夜行はよく使ったね。仙台周辺の移動にも丁度よく、「ばんだい」は本数の少ない日中線や会津線などの1番列車に接続していた。
18 :
名無しでGO!:2006/11/18(土) 14:56:03 ID:B6XDAoU/0
定期列車で異色の東北夜行といったら急行「出羽」かな。上野から新庄経由で酒田まで何と東北で
唯一の気動車による夜行急行だった。しかもこのうちグリーン車も連結された基本の4両編成は、
日中に急行「いいで」として上野−郡山−新潟と運用されていた。他の編成も「ざおう」などに
運用され、「出羽」になると併結編成も含て最大12両にもなる長大編成の58系DCで運転されていた。
深夜の板谷峠をエンジン全開で登っていく騒音はさぞ凄かったんだろう! 果たして眠れたのであろ
うか? でも、実際印象がないから多分眠れたのだろう。
また、深夜に室内灯が消灯されると蛍光灯脇の豆電球が光っていたのを思い出す。
19 :
名無しでGO!:2006/11/18(土) 15:01:34 ID:MQGvMf6AO
>>11 デッキ越しに見える部分は青ではなくクリームでは
20 :
名無しでGO!:2006/11/18(土) 19:37:41 ID:JTwnYGkB0
時期は忘れたけど上野に20系津軽を始めて見に行った時
出入り台まわりはまだ乗れぬ乗客が通勤電車のようにあふれていた
なにかトラブルでもあったのかと思い
写真を撮っていた若いマニアに質問したら
>>17のような事を教えてくれて驚いた事があった
21 :
名無しでGO!:2006/11/18(土) 23:19:41 ID:qbJeHi+xO
>>19 時期にもよるけど、58牽引時代があったはずなので、必ずしも間違いとは言えないのでは?
22 :
名無しでGO!:2006/11/18(土) 23:58:07 ID:aNNMgp1x0
>>18 年に4〜5回は「急行 出羽」を使った。
確かにうるさいが それを克服するには昼間トコトン起きて体を疲れさせて
夜 強引に寝るという方法をとっていたが。
でも あの距離と区間でたくさんの夜行列車が 設定されていた当時を
今 羨ましく思ってみたりして。
今あったら土日きっぷや 3連休パスの重要アイテムになっていただろうに。
23 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 00:52:15 ID:6Qi9NkV50
良スレハケーン
中二の春休みに名古屋から東北ワイド使って東北回ったときの宿代わりが東北夜行
0泊目「きそ」直江津行き(まあ東北じゃないが許せ)名古屋-直江津
1泊目「八甲田」福島-野辺地
2泊目「八甲田」野辺地-郡山(本当は青森から「津軽」の予定がアクシデントで「八甲田」に)
3泊目「津軽」郡山-東能代
4泊目「十和田」青森-小牛田
5泊目「十和田」平-盛岡
6泊目 秋田のビジネスホテル(親に「せめて一泊くらい…」と言われて、いわれなかったらもっと続いた鴨)
7泊目「十和田」青森-原ノ町
8泊目「天の川」(これも一応東北夜行?)酒田-上野
9,10泊 田無にいた転校した友人宅に居候
11泊 大垣夜行で帰名
今更ながらよくやったもんだ
結局その時「八甲田」14系,20系「十和田」、津軽(2編成あった内の両方)、天の川は制覇したから
当時として乗り損ねたのは12系「十和田」と「鳥海」、「出羽」、「新星」、電車急行の「いわて」、「ばんだい・あずま」
書いてみたら結構残ってたな、でも当時既に仙台で新幹線の試運転見えたから残りへの乗車はかなわぬ夢となったが
24 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 02:51:49 ID:grpYqNA60
集団就職列車をフカーツ汁!
25 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 09:36:41 ID:LKI8Fv9Z0
>>23 自分は夜行の返しは北海道と九州しかしなかったです。
失敗したら発駅ですから。
寝過ごして上野に戻ってしまったら乗り過ごしで戻れるんですかねえ?
B券とられておしまい?
26 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 09:47:49 ID:bUuJ2Y7bO
消防の頃、オカンの実家のある宮古に行くのに八甲田に乗った記憶がある。
以外と空いていた。
窓の隙間から雪が侵入して積もってたのは今でも覚えている。
眠れなくて、それで親指大位の雪だるま作ってた。
そしたらどこの駅だか覚えてないが、車掌さんがホームに連れ出してくれ
て(運転停車だと思う。もちろん両親の了解済)一緒にホームに積もった
雪で手の平サイズの雪だるまを作った。
些細なことだけど、すごく楽しかったなぁ。
27 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 09:58:19 ID:qPA1ezB+0
>>23 すげぇ・・・。
でも、いつ風呂に入っていたんだ・・・。
28 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 13:32:41 ID:eS2mvdJB0
>>23 20系十和田だと原ノ町着は3時前だったと思いますが、そこからは5時前発の十和田5号(12系)へ折り返し乗車?
もしくは6時発の客レ青森行乗車ですか??
29 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 13:54:19 ID:ksxKEnc10
別に張り合っても仕方がないが、昔の周遊券で旅した年代は「夜行連泊」など当然だった。私だって
周遊券の有効期限一杯全て夜行で繋いだことなど珍しくもないし、最高69連泊なんてこともあった。
ホテルやYHなどまず泊まったことはなかった。
でも、東北は正直夜行で動くのは辛かったね。というのも、上りは大体青森や秋田など自由周遊圏内に
あった駅だったので、利用は容易かったが、下りは殆どが上野発。従って、乗ろうと思うなら郡山、平
(現在のいわき)など途中駅からの乗車になってしまうので、混雑時だと席の確保に苦労した。
その中で「八甲田」は仙台−青森の増結車があったりして重宝したが、程なくオール座席になってしまい
これもなくなった。だから、わざわざ始発駅まで戻ったりしてそれなりの苦労はあった。
でも、上りでも上野に早朝着くので、周遊券のエリアの端の郡山には深夜から未明の到着で、寝過ごさぬ
よう落ち着けなかった記憶がある。ただ、駅の構内には「福家」とか言ったと思うけど、食堂が24時間開
いていて重宝したな(当時は終夜営業の食堂などまずなかった)。
それから、長期間夜行連泊する場合の風呂だが、さすがに毎日とはいかないが、それなりに駅に近い銭湯を
チェックしていたので、そこで2〜3日毎に入っていたね。ただ、幸いにもあまり汗をかく体質ではなかっ
たので、そんなに苦労はしなかった。ま、そういう話をすると止まらなくなるので、とりあえずこんな所で。
30 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:00:19 ID:qPA1ezB+0
>>29 やっぱり銭湯や温泉施設などに詳しくなるのは鉄ヲタならではなのだなとオモタ。
趣味と実益を兼ねて。漏れもそうだが。
31 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:05:01 ID:+Hs+sdUe0
夏休みと年末は、連日上野駅13番線で積丹かもいYHの見送りをやっていた。
桃岩も毎日来ていた。
32 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:10:26 ID:90FePfrH0
夜中に福島で津軽・八甲田の「相互乗り換え」をよくやった。
まだ「東北ワイド周遊券」があった頃の思い出。
33 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 19:52:54 ID:qp7Cbsy5O
漏れが厨のとき初めてワイド周遊券握りしめて乗ったのは季節列車の十和田1号。
当時豪華な14系座席車に乗りたかったのでこれにした。
帰りはスハ43の鳥海で特急型と旧客の両方に乗れた。
34 :
名無しでGO!:2006/11/19(日) 20:25:53 ID:ksxKEnc10
>>30 同感だね。鉄ヲタは銭湯とか温泉、今だったら駅周辺のコンビニ事情、立ち食いや吉野家、マックなどの
ファストフード事情にも異常に詳しい!(笑) 複数の鉄の仲間に1つ尋ねるといくつもの“答え”が返
ってくるね。
かく言う私も深夜で夜行を乗り降りしていたから、深夜の駅前事情には異様に詳しかったと思う。でも、
当時は深夜営業をしているのは本当に少なかったから、冬など寒い待合室でじっと何時間も待たなくては
ならないのもしんどかったな。東北は先の郡山の福家食堂は重宝したけれど、当時深夜に入れたお店は圧
倒的に「ミスタードーナッツ」だった。…というか、これしかなかった。あとは飲み屋だけである。
コーヒーとドーナッツ1個で朝まで過ごしたことも多かったね。
さて、東北夜行で地味な存在だった急行「新星」。上野−仙台という短距離ながら最後まで「寝台急行」
の看板を下ろさず走り続けたが、この「新星」は上り列車の場合発車の2時間近く前の21時30分から使用
ができた。全車寝台だったので乗ったことは2回だけだったが、このサービスは少しでも寝台料金分元を取
ろうと早めに乗車したものである。10系、20系時代1回ずつ乗車したけれど、20系時代にはエンドがいつ
も切妻のナハネフ23だったのが残念だったな。列車名表示器も「急行」「EXPRESS」だけだったし(20系
の当時の急行は、特急と区別する為かあえて列車名を入れなかった)。いつだか、583系に寄る「懐かしの
新星号」というのが運転されたけれど、583系で「新星」が運転されたことはない。
35 :
23:2006/11/19(日) 22:47:05 ID:6Qi9NkV50
>>27 厨房だったからねぇ、夜行で移動の日程中は殆ど入らなかった、今だと1日1回最低限シャワー浴びないと加齢臭が(w
>>28 20系十和田に乗ったのは平からの下り、盛岡に5時くらいに着いて山田線の始発に乗ると岩泉線に乗れた
上りで乗ったのは全て14系十和田
36 :
23:2006/11/19(日) 23:40:02 ID:6Qi9NkV50
>>25 当時の東北夜行は春休みと言うこともあって結構混んでて(想定はしてなかったが)爆睡できる状態じゃなかった。
うつらうつらして、車窓を見て「ここどこ?」を繰り返す内に目的地って感じ。
やはり寝不足だったらしく最初の内は昼間の乗り鉄区間は起きてて今でも結構記憶にあるが、
後半はついつい寝てしまって単なる移動になっちゃった区間が結構出た
37 :
JR死酷:2006/11/20(月) 05:51:50 ID:CE6wBZqa0
ワイド周遊券による夜行連泊はよくやったけど、東北夜行は宿代わりには不向きでしたね。
やっぱり周遊エリアの関係で、真夜中に降りたり、混んだ列車に途中から乗るのがネックでした。
夜行連泊はエリア内で完結する九州や北海道が多かったです。
東北の場合、当時ままで連絡線があり、青森駅の待合室が終夜開放だったので、専らそこを使ってました。
38 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 19:17:49 ID:EfqMMlkS0
39 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 20:19:10 ID:Wm8WD+EK0
まず実現できそうなところは、上野〜仙台に常磐線経由でも東北線経由でもいいから、
夜行快速の定期的な運転かねぇ。
「ムーンライト仙台」みたいなのをもうちょっと運転日を増やしてくれれば。
もしくはJRQ方式に「ドリームひたち」。
40 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 20:21:00 ID:aqiUDqoE0
懐かしいな
10数年前郡山に行くのによく上野駅から乗ったよ
特急型の車両だった記憶がある
すごい時間も長くかかった記憶がある
41 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 20:22:12 ID:aqiUDqoE0
あれって八甲田だったのかなあ
上野を出るのが夜の22時以降だった気がした
42 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 21:06:31 ID:uqP4zP/cO
>>39 ムーンライト仙台、設定は悪くないけど停車駅と車両が現行のままじゃね…
せめて宇都宮客扱い停車、車両も485か651にしてもらわんと身動き取れずに拷問だよ。
(ムーンライト仙台に乗った次の日足が変になった)
43 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 21:59:05 ID:2TAnDH7k0
>>41 上野が22時以降なら「津軽」じゃないですか? 「八甲田」は19時過ぎに上野を発車していました。
「ムーンライト仙台」は走ればそれなりの利用はありそうですけど、多分に車両の問題なんでしょうね。
仙台に定期的に運転する485系などの車両の配置がなく、それだけの為に専用編成を維持するのも不経済
なんでしょう。昔、臨時で同区間を急行「ミッドナイトスター」というのが走ったことがありますが、定
着しませんでした。まぁ、あの程度は新幹線に乗って下さいということなんでしょう。今は夜行バスも充
実していますから、一時的な臨時はあっても日常的に運転するのは難しそうですね。せめて18きっぷの使
える時期には一仕事終えた「赤べぇ」が走ってくれると良かったんですけどね。
44 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 22:01:08 ID:aqiUDqoE0
津軽だったのか
これ青森までいくのかすげーなあって当時思っていたよ。
いつも空いていたなあ。
停車駅はどこだったかもう忘れちゃったなあ。
45 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 22:59:09 ID:wG/aSaYN0
>>43 十数年前だと八甲田の上野発は21時半過ぎだったと思うけど。で、14系だったし。
津軽が22時半過ぎかな?
46 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 23:22:57 ID:+jtgPpiS0
ムーンライト仙台、スーパーひたちの付属編成で実現できないかな?
仙台滞泊編成で上り、尾久滞泊編成で下りを運転すれば・・・と妄想中。
47 :
名無しでGO!:2006/11/20(月) 23:53:53 ID:dZOKxMDE0
会津若松行き「ばんだい」も忘れないで欲しい。
厨房の頃、終焉間近のC11に会いに行くために何回か乗車した。
午前6時頃に会津若松の1番線に着くと、2番線にはC11+61系客車2両の熱塩行き621レが待っていた。
・・・・あの日に帰りたいな。
48 :
43:2006/11/20(月) 23:59:46 ID:2TAnDH7k0
>>45 そうですね。「八甲田」が上野を19時過ぎに出ていたのはもっと“大昔”でしたね。失礼。
>>46 651系は水戸支社の車両ですよね。その車両が支社管内を通らず東北本線を通るのには結構抵抗がありそうです。
今は支社相互でも車両の使用に関しては別計算のようですし、かといって常磐線は夜間の列車が全廃になり、
運転要員の配置が基本的になくなったと聞いたことがあります。ですから、常磐線経由の夜行も考えられないで
しょうから、理屈では出来そうなんだけれど実現は難しいでしょうね。水戸支社自慢の車両を他で汚されたかな
わないということもあるでしょう。
そういえば、651系の他線への出張はほとんどないですね。多客臨で覚えているのは「オーク嬬恋」くらいだった
かな(吾妻線万座・鹿沢口−日立だと思った)。あと伊豆急下田へ団臨で入ったこともあったと思いましたが、
思いつくのはそんな程度。
49 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:06:02 ID:786DB3XI0
ひさしぶりに金八スペシャル新15の母(S62放送)を見たら
終わりの方で急行八甲田が出てきていた。
客車急行亡き今となっては涙が出るほど懐かしかった。
現在仙台ゆき夜行高速バスが郡山や福島で客扱いしているのがせめてもの救いだろな。
長野・松本方面はバスすらなく、早朝に着きたいときマジ困っている。
50 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:15:42 ID:biPTy/R+0
急行津軽
缶ジュースを2本買い、飲み終わった後にシートを持ち上げ、缶をはさむ。
あら不思議。
肘掛までシートが持ち上がり、リクライニングベッドの出来上がり。
51 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:36:14 ID:+ZFAHXJA0
>>50 …で、うっかり油断して寝返り打とうものなら、
大音響とともにベッドがこけて椅子もろとも床に転がり落ちる。
静寂を破った張本人へ周囲の睨むような視線…。
したたか腰を打って痛いのも我慢しながら、ごまかしの照れ笑い。
52 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:50:58 ID:biPTy/R+0
そのとーり w
53 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 00:54:11 ID:+ZFAHXJA0
>>49 今東京−仙台・山形で深夜に郡山・福島などで客扱いしている東北急行バス。これは歴史が長いんだよね。
確か東名高速が完成する前からあったと思ったけど、間違っていたらスマン。
とにかく、東京駅から国道4号線をひたすら北上して仙台や山形へ翌朝に着いた。
途中には岩槻とか須賀川とか妙な所でも客扱いしていたのもその名残り。ただ、最近この停留所の扱いは
廃止になって東北道を北上するようになった。でも、郡山や福島、白石などこまめに停車して行くのは
昔ながらだね。
初めて婆ちゃんの郷里の仙台へこの夜行バスで行った。もう相当の“大昔”。何せ瀬峰の駅でD51の牽く
貨物とナローの登米鉄道だったかな、その2ショットの写真もあるくらい。帰りは夜行の「第4みやぎの」
(だったと思う)だからね。年齢がバレるというもの。
この時初めて目にした「時刻表」がその後の運命を変えた!
54 :
雨男:2006/11/21(火) 01:02:35 ID:xBzuD5XxO
ワイド周遊券世代です。
八甲田の自由席確保するため上野駅13番線に夕方頃から
並んだのを思い出します。あのホームに並んでると旅の始まりって感じで
凄くワクワクしていたのを思い出すなあ。
55 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 01:06:46 ID:biPTy/R+0
>>54 ワンカップを片手に、列車を待つオヤジ達の姿がなつかすい。
56 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 04:20:41 ID:/TMzziRO0
あのバスにもよく乗ったなあ
郡山に深夜2時ごろに着くから駅から歩いて借りていた部屋に帰るのが面倒だった。
57 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 09:08:12 ID:T0c5z0WLO
>>53 夜行山形行きと夜行仙台行き1便のみは、まだ岩槻とかも経由していたと思ったけどね。
他便はすぐ首都高に入ったが、それらの便は岩槻インターから東北道に入ったから。
少なくとも自分が2000年に乗った時には、極力一般道を走る便はあったけどね。
(山形行きは福島から先国道を走っていたし、
仙台行きは白石から先がそうだった。)
まあ夜行列車が新幹線と言う形で進化したなら、
バスは高速道経由との形で進化したと言うべきかな。
58 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 10:57:35 ID:+ZFAHXJA0
>>57 そうだね。念のためにHPで見てみたらまだ残っていた。東京から上野、浅草、北千住、草加、新越谷、
岩槻と停車して次が福島だ。山形線は須賀川、郡山がこれに加わっている。
でも、確か少し前までは岩槻辺りまでの短距離でも乗れたような記憶があるけれど、今は下りは
乗車のみ、須賀川以遠は降車のみの普通の高速バスのスタイルになったみたいだね。
だけど到着地エリアのこまめな停車は多いけど、沿線をこまめに停車して行く夜行高速バスは今時珍しい存在だね。
それだけ歴史が長いということか。
59 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 11:53:41 ID:SKxe+ulM0
>>58 途中エリアの利用者には 嬉しい配慮だね。
ただ反面夜行バスだから深夜乗降停車されると 寝てる人には防犯面で一抹の不安が...
(まあ鉄道に比べると 面が割れてるからその点では安心かな?).......
ここのスレ.....確かに「東北夜行」スレだけど、バスネタいいのか?
60 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 12:14:34 ID:+ZFAHXJA0
まぁ、『東北夜行』としか書いてないから、少しくらいは大目に見て頂くということで…。
でも、ここに書き込む方は「周遊券世代」が多いようですから“それなり”のおっちゃん世代の
ようですな。少しくらいはこんなスレがあって、まったり昔話をするのもいいものです。
でも、若い人から見てどうなんでしょうね?
61 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 21:11:43 ID:1EhqKBW60
年末年始とか、12系12両編成の十和田(定員1000人近く?)でも座れない人がいたりしたな。
人気の高い八甲田や津軽なんかは、これより座席車の編成が短かったのでその混雑たるや。。。
62 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 22:11:06 ID:T0c5z0WLO
自分は十和田アボーンで、八甲田と津軽が14系座席になった以降しか知らないが、
既に東北新幹線が出来た後だったから、周遊券族が集まる時期以外はガラガラの印象があるな。
その後紆余曲折あって臨時化されたが、583系の上り津軽なんか、
座席を引き出して下段寝台にしていても、車掌から注意されないくらいの空気輸送だった。
それすら廃止されて、もう10年くらい経つんだな。
63 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 22:21:26 ID:vg1ajIop0
そういや、98年の津軽って12系だった?忘れた
64 :
名無しでGO!:2006/11/21(火) 23:01:55 ID:+ZFAHXJA0
ここを見ていると、周遊券で旅した世代は「夜行」といえば急行なんだな。実際、寝台特急など高嶺
の花だったのは事実。
でも、北海道の往き帰りには精一杯の見栄を張って特急を使っていた。朝青森に着く特急は全てが寝
台特急。しかし、一時期583系で運転される「ゆうづる」の1往復が寝台を造らず座席のまま運転さ
れていた。寝台料金がかからず速く青森まで着ける唯一の座席夜行特急は、ずいぶん重宝したのを覚
えている。
年齢を重ねるに連れ、金銭的に余裕が出てくると自然と座席夜行には乗らなくなって、高嶺の花だっ
た寝台特急が当たり前になった。そしてそれと時を同じくするように夜行の急行列車が消えて行った。
だから個人的には淋しさはあってもそれ程直接の影響はなくなっていた。そして新幹線、飛行機が移
動のメインになり、気がついたら、急行はとうに姿を消し、寝台特急でさえ「あけぼの」1本だけに
なってしまった。
手許に1980年の時刻表がある。これを見て旅をしていた当時、四半世紀後の東北線が普通列車ばかり
になっているなど夢にも思わなかった。
65 :
23:2006/11/22(水) 00:01:10 ID:34ZZjSGG0
「天の川」って確か定期の20系で最後の走行中の寝台セット、解体をする列車だった(筈?)
(臨時では「あおもり」辺りが最後?)
それが見たくて東北を離れる旅程をわざわざ酒田回りにした。
肝心の寝台セット作業はあまりに手際が良くあっという間に終わってしまいあまり印象に残ってない(w
作業員に遠慮もあって写真を撮らなかったのもあるが(翌年金星に乗った時は583系の解体作業を
しっかりカメラに納めたが)
新潟で機関車交換+郵便車連結があったはずだが気がついたら既に大宮を過ぎていてあっけない終わりだった。
記憶があやふやだがこの旅行で「きたぐに」の奥羽線区間にも乗ったような気がする
まあ、当時の「きたぐに」は東北地区に関しては昼行急行といった方がよいダイヤだったけど
66 :
名無しでGO!:2006/11/22(水) 01:25:17 ID:hdL0szwh0
「天の川」は2回程乗っているけれど、いずれも下り列車。だから寝台の解体をしたはずなんだろうが余り記憶がない。
でも、20系「天の川」と言えば、下り最後尾のナハネフ22が良かったな。車掌室の反対側が広い展望スペースになって
いて、小さな補助椅子もあって過ぎ去る景色を存分に楽しめた。当時はJTなどなかったから、こういうパノラマを見ら
れるのはこの車両くらいだったと思う。九州行きのブルトレでも20系時代はよく佇んでいたものだ。
ところで、寝台の解体そのものは九州ブルトレ等で何回も見ていたので、それ程どうというものはなかったが、583系
の寝台セット・解体は何度見てもあのからくりには感心してしまう。
東北の583系は運転時間が短いので寝台のセットはなかったと思ったが、解体は上野着が9時を回る「はくつる」や
「ゆうづる」で見られた。日付が変わる頃発車して7時を過ぎると解体が始まるため、寝台の使用時間が短く、何か損
をした感じだった。でも、程なく中止され、東北方面での583系の寝台の解体は見られなくなった。
67 :
名無しでGO!:2006/11/22(水) 12:09:49 ID:rImB6arCO
MLえちごを使用、羽越線を北へ
あけぼののゴロンとシート
東&北パスで青森まで行き、はまなすを使用
他には新幹線やら北斗星、バスとかもあるが、
現時点での夜行列車(座席車)利用はこれくらいしか選肢がないからなあ。
68 :
名無しでGO!:2006/11/22(水) 22:33:53 ID:GnGw5TfR0
ここで寝台列車の話をするのもアレかもしれんが、
ブルトレブームの時期に生まれ、東北本線沿線で育った者には
「はくつる」「あけぼの」が新幹線開業後も長く健在だっただけに
馴染み深い存在だった。(「ゆうづる」も忘れてはいけない…)
それだけに、今や東北・常磐・奥羽の各線を北上する「青森行」の列車が
消えてしまった現実が、なんだか遠い世界のように感じることが今もあるな。
69 :
名無しでGO!:2006/11/22(水) 23:05:40 ID:rImB6arCO
北斗星 2往復
カシオペア
トワイライト
以上の列車はある意味別世界なもんだからな。
(北斗星自体は最近目立たなくなってしまったが)
あけぼの
日本海2往復
これも寝台専用(あけぼのにはゴロントはあるが)だから、スレ的にはどうか。
でも今の東北エリアを走る夜行って、これだけなんだな。
あとは年数日だけ、ML仙台が走るかどうか。
70 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 12:33:00 ID:aGsGHv5K0
ある夏の日の夜。東北三大祭りの「竿灯」を見物した帰り、その名もずばり臨時急行「竿灯号」に始発の秋田から乗った。
折から台風が関東に近付いた影響で風が強く、竿灯もあちこちで風に煽られて倒れたりしていた。
しかし、列車は定刻に秋田を出発した。10系寝台と一般客車の座席の編成で奥羽本線経由の上野行き。私は寝台を取って
いた。歩き回って疲れたこともあり、寝台という“贅沢”な空間で程なく眠りに堕ちていた。
ふと周りの静けさに目を覚ますと列車はどこかの駅に停まっている。カーテンをまくると「よこて」の駅名が見て取れた。
時計と見比べるともう2時間以上は遅れているようだ。雨は降っていなかったが風が強いらしく、吊ってあるものが大きく
踊っている。暫くしても全く動く気配がない。でも、乗客は何もそんなこと関知せず熟睡していて声ひとつ聞こえない。そ
こへ最大限音量を絞った車内放送が入った。「台風による運転規制がかかって停車中です。発車の見込みは立っておりませ
ん」 でも、全く車内に動揺は起こらなかった。
その後列車は4時間あまり停車して動き出した。「おはよう放送」が入ったのは米沢の手前。もうすっかり夜が明けていた。
本来であればそろそろ上野に到着しなくてはいけない時間である。放送は米沢駅で臨時の駅弁販売がある事も告げた。米沢
名物の「牛めし」を買ったのはいいが、さすがに朝からきつい。手を付けたのはだいぶ経ってからだった。
福島で新幹線振替えがあるというので、多くの乗客は新幹線に乗り換えた。でも、この列車に乗りたくて乗った自分はその
まま“運命を供にする”。ほとんど人気のなくなった寝台車の車内で、中段ベッドを解体して座席に変え、上野に向けて走
る急行に揺られる。普段夜行ばかりで通る福島や栃木の車窓が妙に新鮮に映る。さらに10系寝台車の中からというイレギュ
ラーなシチュエーションも気分を昂揚させる。
結局終着上野に着いたのは夕方近くになっていた。これが座席だったらしんどかったかもしれないが、寝台車にしていたおか
げでそれ程疲労は感じなかった。「うえの〜、うえの〜」という独特のイントネーションの放送がいつになく耳につくような
感じで響いていた。
ある年の東北夜行の思い出話。
71 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 12:44:19 ID:7zVNJTU90
>>70 10系寝台の「昼行」ですか。ある意味贅沢な旅ですな。
羨ましいです。
72 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 13:46:37 ID:k6ieMyWC0
「あけぼの」はトクトクきっぷ利用者ご愛用列車だから しばらく残るかな?
ただ陳腐化された24系は どうしようもないな。
車両作りには長けているJR束だから231系をベースに寝台or2段式ゴロンと
とか 作ればいいんだが。むしろ交直流寝台電車の方がいいのかな。
73 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 18:51:32 ID:lkwYyA2w0
>>72 束が車両作りに長けているかどうかはともかく。
どこの旅客会社も、新型車投入には二の足を踏んでいるご様子。
東北は東海道山陽スジよりもはるかに条件は良いはずだから、
「あけぼの」あたりに投入してもいいんだがな。
74 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 20:50:47 ID:ZUL0rmzl0
平成5年12月ゆうづる、八甲田、津軽が無くなるということで最終日までの1週間
有給取って東北ワイド周遊券を片手に乗りに行ったな・・・
初日はゆうづるのB寝台の下段で上野から青森へ行った。
それから5日間は東北各地を廻り宿は八甲田と津軽を上りと下りを乗り換えながら過ごした。
運転最終日は上り津軽に乗ったらTV局が来ていて乗客にインタビューをしていて
俺もされるかと思い待ち構えていたがスルーされた。
福島で下り八甲田に乗り換える予定だったが仙台で眠気がしていつの間にか寝てしまって
起きたら宇都宮だった・・・orz
そんな旅の思い出だったな・・・
75 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 21:00:49 ID:aGsGHv5K0
結局、どの鉄道会社も夜行を走らせるのは一様に「不経済」ということで答えが出てしまった感じだ。
現在など自然災害や事故では長期運休、悪天候が予想される時はいとも簡単に運休。夜行列車の信頼性は
著しく低下してしまった。このまま車両の限界が来た時が命運の尽きる時なんだろう。
でも、そんなに夜行列車って魅力がないものなんだろうか。好きで高速バスに乗っている人がどれだけい
るのだろう。列車が走っていないからバスしか使えないので仕方なく利用しているという人も決して少な
くないだろう。
鉄道会社に頼っても期待は薄そうだから、ここらで規制を緩和して外部の一般企業へ運営を解放して全く
新しいタイプの夜行列車を登場させるというのはどうだろう。運転、整備業務をJRに委託し、営業は第三
者の運営会社が受け持つというスタイルだ。
「あけぼの」「はくつる」、そして短距離の仙台、盛岡など全く新しいコンセプトと今の技術で今までに
ない新しいタイプの夜行列車が登場すればと思うのである。
76 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 21:29:22 ID:g217i6a90
親戚の家が宇都宮線の間々田─小山間の沿線にあって、
幼い頃(1980年代)はよく泊まりに行った。
田んぼと山に囲まれた小さな集落で、夜は静かになる。
眠りにつこうと布団に入って電気を消す。
遠くからかすかに「コォーーーコトンコトンコトンコトンコォーーーー」という音が聞こえてくる。
あの列車はどこに向かっているのだろう。
いつかぼくも、夜行列車に乗って遠くに行きたいな。
そんなことを考えながら夢の世界へと向かっていった。
結局、東北夜行には一度も乗ったことがないまま現在まで過ごしている。
小山以北はいまだにあまり縁のないミステリーゾーンである。
77 :
名無しでGO!:2006/11/23(木) 21:41:47 ID:aGsGHv5K0
最終日の「はくつる」に青森から乗った。この日だけ「さよならはくつる」と特別な名称が付けられて運転された。
ほとんどファンで一杯になった車内で思わぬサプライズもあった。この日乗務した車掌さん手作りの「乗車証明書」
を配ってくれた。パソコンで作ってプリンターで印刷しただけのシンプルなものだったが、何より思いの入った証
明書に感じた。
思えばこの車掌さんは、この路線を数え切れないくらい往復して来た訳だ。その思い入れなど、単なる「廃止」と
なる事実でお名残り乗車や俄乗車をするファンとは比較にならない重さがあったはずだ。せめてもの自分の気持ち
として作ったのだろう。
青函連絡船廃止の後、同じ年に「青函博」に協賛する形で何ヶ月か復活運航されたことがある。その最終日、これ
が本当の最終運航の函館発に乗船した。そのまま船内ホテルとして一晩停泊して翌朝下船する時、船内案内所に詰
めていた1人の乗務員に記念のサインをいただいた。それは思いもよらぬ達筆で素晴らしい俳句をしたためてあっ
た。そしてその句には、今まで無事に長年勤め上げたという思いの全てが込められている、そんな強烈な感じを受
けた。
記念で配られたりお願いした証明書やサインは数え切れないくらいあるが、この2つの「証明書」は、今まで手に
した証明書の中でも一際印象の残る証明書になっている。
「さよならはくつる」は定刻に上野駅に到着した。しかし、感慨に耽る間もなく東京駅に急ぎ、上野到着後僅か20
分後に出発する八戸延長の初列車「はやて1号」に私は飛び乗ったのである。八戸駅の物凄い歓迎ぶりに、前夜の
「はくつる」のことなどすっかり“過去の話”になっていた。ファンの気持ちなど所詮この程度なのだ。少なくと
も自分の場合は…。
78 :
JR死酷:2006/11/24(金) 09:12:35 ID:bnqLRW3Y0
70>
福島で新幹線振り替えがあったとの事ですが、すでに東北新幹線が開業していた時代ですか?
東北上越新幹線大宮開業のS57年11月以降、営業用としての10系寝台車は普通列車用のみだったと記憶しています。
ということは、わずか10往復で東北新幹線のみが先行開業していたS57年夏の話ですか?
79 :
名無しでGO!:2006/11/24(金) 20:02:45 ID:SK5xseuQ0
>>75 規制緩和してどういう結果になるかというのは
・・・・・・。異業種を見て、押して知るべし。
TPOみたいなのに夢を託してもいいとは思うが、公共性という点からは
かなり疑問は残るから・・・。
80 :
名無しでGO!:2006/11/24(金) 22:00:48 ID:TxdL8hLQO
>>79 現実問題として、やれるもんなのかと思うがな。
車両は自前で作って、車掌や販売部門なども自前でやるとしても、運転士は束に委託との形になるだろうし、
線路や運行システムや駅施設使用料だってバカにならない。
どれだけの車両設備になるか&輸送人数によるだろうが、
仙台までお一人様5万円なんて価格になったら、よほどの物好きじゃないと乗らないだろう。
まあ鉄ヲタが金を出し合って非営利団体を作り、趣味として動かすならともかく、
営利目的ならまず不可能だろうな。
81 :
名無しでGO!:2006/11/24(金) 22:51:10 ID:f8vvUTW00
盛岡へも秋田へも青森へも設定本数が
昼行<<<夜行
それだけ夜行が普段の乗り物だった訳だ。
82 :
名無しでGO!:2006/11/24(金) 23:05:17 ID:Tq9oj7Nn0
>>81 到達時間を考えると半日どころか丸1日移動日になっちゃってたからね…新幹線開業前
どうしても夜行で有効時間帯を増やさざるを得ない状況ではあったな。
83 :
名無しでGO!:2006/11/25(土) 11:40:58 ID:DMLyogHIO
東京からだと、距離的には
仙台=名古屋
盛岡=大阪
青森=岡山
だからね。(若干違いはあるが)
確か当時の昼行特急なら仙台4時間、盛岡6時間、青森8時間だったから、
仙台までならともかく、盛岡以北は移動だけで1日が終わってしまう感覚だったろう。
84 :
70:2006/11/25(土) 19:43:14 ID:++ebqJdf0
>>78 御指摘を頂き、改めて当時の乗車記録を引っ張り出して確認してみました。
その結果、貴殿の御指摘通り急行「竿灯」号は10系寝台ではなく、20系寝台車のみの編成でありました。
これより前、急行「津軽2号」に乗車した際に似たようなケースで大幅な遅れを体験した事があり、その
記憶とごっちゃになっていました。
確認もせず思い込みだけで書いてしまいお恥ずかしい限りです。大変申し訳ございませんでした。
ちなみに、その時の急行「竿灯」は20系8両+カヤ21の9両編成で運転されました。定刻は秋田発22:30、上野着9:40
で乗車日は平成元年8月6日でした。横手で折から接近していた台風13号により運転規制がかかり、数時間停車して発車、
最大で黒磯発車が4時間18分遅れとメモがあります。「4時間余り停車〜」というのは「津軽2号」の時のことで、メモ
による記録から推理すれば「竿灯」号の横手停車は2時間半程度の停車だったようです。そして上野には結局3時間54分
まで遅れを回復して到着しました。「津軽2号」の時は正確なメモが残っていないのですが、15時位だったと思いました
から、9時間程度遅れていたはずです。
いずれにせよ、「10系寝台で東北線を昼間乗車した」のは事実ですが、「竿灯」号ではありませんでした。
思い込みでいい加減な事を書いてしまい、ご覧になられている方々に不愉快な思いをさせた事、深くお詫び申し上げます。
また、御指摘を頂きありがとうございました。
85 :
名無しでGO!:2006/11/25(土) 22:13:55 ID:gRZtAIMZO
>>83 やはり、上野−青森を所要8時間台で20年以上走り続けたはくつると583系は驚異的だったな…
はくつるは24系になった時点でモウオワタと思ったのは漏れだけ?
86 :
名無しでGO!:2006/11/26(日) 12:54:18 ID:XL568O810
>>85 青森発常磐線経由上野行きの夜行鈍行列車も凄いと思う。
確か日本鉄道開通以来、延々昭和40年頃まで走っていた列車
誰知っている人いないかな?うちの遠い親戚の爺さん(当然故人)
が、たまに行商やら上京時に使ってたけど。延々SLなので
当然、嫌気がさすし、さらに食堂車もないので駅弁やら食って退屈しのぎ。
87 :
名無しでGO!:2006/11/26(日) 17:36:31 ID:PIzkusPm0
ずいぶん昔の「鉄道ジャーナル」に『421列車よ、あれが青森の灯だ』とかいうタイトルで
上野→青森(奥羽本線経由)の『列車追跡シリーズ』にあったような記憶がある。
さすがに私も夜行時代の経験はないが、後年の福島→青森の昼行区間なら乗り通した記憶がある。
88 :
名無しでGO!:2006/11/26(日) 22:42:18 ID:SVTtcNcF0
工房の頃、青森0:02発の上り「八甲田」が仙台に5:30頃着くので、
宿代わりにちょうどよいと、ワイド周遊券を使って夜行4連泊した
ことがある。最後は東京に帰るために十和田6号で上野まで乗った。
「八甲田」は12系だったと思う。
帰りに乗った「十和田6号」は14系座席車で、当時は豪華な特急車両に
乗れたと喜んだものだ。
今はたとえ夜行急行があったとしても、たぶんやらないな。
夜行1泊でもつらい...
89 :
名無しでGO!:2006/11/26(日) 23:25:15 ID:UFZW/TMi0
>>86 228レですかね?43・10改正の時刻表には載ってますが、47・3改正版には乗ってないのでこの改正かその前で廃止だったんでしょうね。
取り合えず43・10改正で2時間半スピードアップしてますね。43・10恐るべし。。
主要駅の時刻はこんな感じです
39・10 42・10 43・10
212レ 228レ 228レ
青森 8:01 7:58 10:30
尻内 11:08 11:01 12:30
11:16 11:20 12:35
盛岡 14:31 14:44 14:50
14:40 14:53 15:21
仙台 20:04 20:04 20:20
20:19 20:40 20:37
平 0:41 0:34 0:16
0:58 0:51 0:50
水戸 2:42 2:32 2:32
3:10 2:40 2:40
上野 5:39 5:04 4:55
※運賃 1430 2090 2090
90 :
JR死酷:2006/11/27(月) 06:07:43 ID:vXIyOWPS0
>84
とんでもございません。
いずれにせよ、平成元年頃は、新幹線が上野まで開業していたとはいえ、まだまだのどかな時代でしたね。
繁忙期には臨時夜行もそれなりに設定されていましたし、
奥羽スジでは鈍行客レが幅を利かせていた時代ですね。
あと、米沢の牛めし、「つばさ」開業後は、テレビの旅番組等で何度も取り上げられ
すっかり米沢名物になってしまいましたが、その分パッケージ等やたら凝ったものになり値段も高くなりましたね。
この当時はもっと素朴な駅弁だった気がします。
91 :
名無しでGO!:2006/11/27(月) 09:58:57 ID:v01nYUD60
92 :
名無しでGO!:2006/11/27(月) 10:49:10 ID:lBGMpALbO
よく年末年始臨時の八甲田の自由席に乗った。隣に出稼ぎのオヤジさんが座ったりして話かけられたりした。盛岡のホームに長い洗面台みたいのがあって、顔を洗っている人もいた記憶がある。もうなくなっているのだろうな?懐かしい昔の話。
93 :
名無しでGO!:2006/11/27(月) 20:48:31 ID:B4M1clx30
98年の末期でも結構八甲田は乗車率は良かったのに廃止になって残念
94 :
名無しでGO!:2006/11/27(月) 21:20:33 ID:tsu5WLRx0
昔の駅には当たり前のようにあった洗面台。夜行列車で夜が明けると先を争って急いだものだ。
大きな駅ではそれが十分できるくらいの停車時間があった。その頃前や後に連結されていた郵便車や
荷物車では新聞や大きな郵袋がテキパキと降ろされ、やがてその台車はエレベータに載せられ、ホー
ム相互を移動するトラバーサー(?)に吊られて運ばれていたね。駅弁や立ち食いそばに群がる人、
東北だと朝からワンカップ片手に戻って来る人、いろいろだった。
95 :
名無しでGO!:2006/11/27(月) 23:24:03 ID:fwxNEu6r0
>>94 トラバーサー→テルハだね。主要駅には必ずあったもんだが、今全国どこにも無いそうだ。
96 :
名無しでGO!:2006/11/28(火) 00:49:46 ID:hHJJdbRjO
八甲田に乗るため上野の10何番線??に実家への土産を持って並んでた。12時近く?になると車内の照明も暗くなったし、朝起きると雪景色で故郷に帰って来た事を実感!バイトが終わってから乗れた。かなりお世話になったし私が乗る時はいつも混んでた。
97 :
名無しでGO!:2006/11/28(火) 01:43:35 ID:pO1YPoDn0
>>95 現役なのはないけど、遺構としてなら残ってんじゃない?
大垣で見たような…郡山とか。
98 :
名無しでGO!:2006/11/28(火) 07:10:55 ID:rARM+CIB0
おお、良スレじゃないっすか!
>>76と同様、沿線側(?)から書き込みます。
当時、久喜の住民だったオイラ。登校途中の楽しみは東北本線の朝の往来
でした。特にこれからの時期、上り夜行列車の屋根は雪が「てんこ盛り」
状態だったりするんだよね。天気の良い朝はキラキラ飛沫が舞ってすげー
きれい。115系とは明らかに違うモードで大宮方面に走り去って生きます。
「一体この列車はどこから来たのだろう」とトオイメをして学校に向かいました。
「一体どこから」って東北本線なんだから東北からだろ >昔の自分
99 :
名無しでGO!:2006/11/28(火) 12:08:32 ID:fm9GnZ6O0
これからの季節、屋根の上や足周りにいっぱい雪を土産に上野に到着した北国からの列車は風物詩でもあった。
カラカラの東京で、この上野駅の線路の辺りだけ置き土産の雪が線路の両側に並んでいた。
雪だるま状態の列車を見ているだけで、ふと乗って雪景色を見に行きたい衝動に駆られてしまう。我慢できずに
特に目的もなくその夜、東北行きの夜行の人となる。
でも、着いた東北は激しい吹雪で駅から一歩も出られない。列車も遅れ、一向にやって来ない列車にしびれを
切らして外に出ても、ヤワな都会育ちの自分にはものの数分でそれが無謀である事を身に染みる。結局暖かい
ストーブのある待合室でテレビをボーッと眺めて時間だけが過ぎてゆく。
それでもその夜の上野行きの夜行列車はちゃんとやって来た。雪のせいでふだんより静かなジョイントの音と
暖房の温もりで、しらずしらずにウトウトしてしまう。
昨日の雪野原が別世界のような都会の眩しい朝陽。このギャップがたまらなくて冬に北へ旅する。
100 :
名無しでGO!:2006/11/28(火) 13:20:45 ID:UMsc5D+30
./.
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,..-──-、∴ミミ / ズギューン!
./. : : : : : : : : : ゞ″;;;;ソ;;;
/.: : : : : : : : : : : : : : ;;彡・:;;;・
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{: : : i '⌒' '⌒' i: : : : :}
. ./ヾ : | ェェ ェェ |: : : : :}
//;;>: :| ,.、 |:: : : :;!
>>100 氏ね!!!
/./γヾ: : :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ
ソ _ソ>'´.-!、,ゞイヽ 二゙ノ イゞ‐´
τソ −! \ ` ー一'´丿 \
ノ 二!\ \___/ /`丶、
/\ / \ /~ト、__ / l \
101 :
名無しでGO!:2006/11/29(水) 00:21:10 ID:4v+64cl6O
昭和50年代、急行いわて?もりおか?だったと思うが床に新聞敷いて寝ている人やナントシンジラレナイが網棚?荷物棚に寝ている人が!それだけ混んでた。車掌さんは寝ている人を避けながら歩いてた、電車急行だった。
>>101 当時はそういう光景は珍しくなかった。
「三等寝台」と称して網棚を愛用していた中央線の山男たち。上で寝ているのはいいが、
下にいる客は気が気ではなかった。
そして洗面所も一杯だった。トイレに行くのもままならなかった昭和50年代の夜行列車。
>>102 165系救済臨時もそうだった。それこそあの光景が21世紀まで持ったのが凄いわ
104 :
名無しでGO!:2006/11/29(水) 19:56:25 ID:OU+fVYNl0
>>103 今も「ながら」でかろうじて残っているというか、盆正月はもっとすさまじい混雑というか。
帰省時夜行に乗ると朝、駅に着くと家族の人が迎えに来てるのをよく見た。ホームに長靴を履きアノラック着て毛糸の帽子を被ったお爺さんとか、改札の所で家族で待っている人達が、薄暗い早朝なので駅の照明で浮かび上がって見えたりした。家族に合った、嬉しそうな顔があった。
106 :
名無しでGO!:2006/11/30(木) 01:29:57 ID:/abe9oR90
>>105 そういう光景は別に東北でなくても見られたけれど、そう言えば最近は少なくなったな。
手に持ち切れない程のお土産もなく、ちょっとしたバック1つで帰って来たり、再び戻って行く。
迎えに来たり送りに来る家族も、車でサッと来てサッと帰って行く、そんな光景が当たり前になったね。
いつだか、年末の弘前バスターミナルにいた時、次々と到着する東京からの夜行バスを出迎える家族が
溢れていた。雪でバスは遅れ、しかも増車に次ぐ増車で20数台の大編隊なんだそうだ。
必ずしも号車順に来るとは限らないので、待っている家族はバスが到着する度、右往左往して家族の姿を
探していた。そして、やっと本人の姿を見つけると、駆け寄って久しぶりの再会を喜ぶ家族の笑顔。
昔も今もそれは変わらないのだけど、変わっていたのはそれが鉄道の駅ではなくてバスターミナルになっ
ていたこと…。
津軽平野
【作詞】吉 幾三
【作曲】吉 幾三
1.津軽平野に 雪降る頃はよ 親父ひとりで 出稼ぎ支度
春にゃ必ず 親父は帰る みやげいっぱい ぶら下げてよ
淋しくなるけど 馴れたや親父
2.十三みなとは 西風強くて 夢もしばれる 吹雪の夜更け
降るな降るなよ 津軽の雪よ 春が今年も 遅くなるよ
ストーブ列車よ 逢いたや親父
3.山の雪どけ 花咲く頃はよ かあちゃんやけによ そわそわするね
いつもじょんがら 大きな声で 親父うたって 汽車から降りる
お岩木山よ 見えたか親父
>>107 普通に歌えるけど親父=「おどぉ」だな。
109 :
名無しでGO!:2006/11/30(木) 20:25:07 ID:/abe9oR90
「冬の演歌」は東北じゃなければだめなんだな。山陰でも、九州でもなく、かといって北海道でもない。
やっぱり東北なんだ。
でも、JASRACの承認受けとけよ!
>汽車から降りる
汽車=津軽なんだろな。
あけぼのだと今一つ感じが出ない。
津軽海峡冬景色の”上野発の夜行列車”がどの列車か結論が出ない・・・
>>110 キネ旬「蒸気機関車」で
急行「八甲田」と結論が出た記事を読んだ覚えがある
>>111 そうなのか。「八甲田」なのか。言われてみれば、まぁ、自然と言えば自然だな。
これは自分もカラオケじゃ良く歌うけど、カラオケの絵は583系「はつかり」の野辺地駅だったりして
急行客車など出て来ないね(少なくとも自分が見たのは)。青函連絡船は大雪丸とか摩周丸だったと
思ったけど。
関係ない話。カラオケで電車の絵が出て来ると、鉄が混じっているとやたら突っ込みがうるさい!
悲しい性なんだな。で、「津軽海峡〜」の後は「函館の女」が定番。これもオヤジ鉄の悲しい性!
113 :
名無しでGO!:2006/12/01(金) 21:11:33 ID:CeMxveOZ0
>>112 漏れはカラオケで汽車が出て来ると、撮影場所の推定にかかるがなw
114 :
名無しでGO!:2006/12/02(土) 11:46:49 ID:7JmEM1EIO
郵便車の話が有ったが短い停車時間でも積み卸しやってたな、主な駅のホームの柱などに小さいポストが有り、そこや駅前のポストに出すと早く着くと言う話、噂があり田舎の人はよく駅前のポストに行った。多分直接、郵便車にのせるからと思うが、実際早く着いて驚いた事がある。
115 :
JR死酷:2006/12/02(土) 15:38:18 ID:qXVBvUbq0
>111
津軽海峡冬景色が大ヒットしたのは確かS50年代半ば??
まさに国鉄末期、航空機の一般化により長距離輸送が深刻な打撃を受け始めた時期だったと思う。
室蘭電化に伴い、当時の国鉄北海道は、札幌(千歳)中心のダイヤにするべく大改正を行った。
これにより函館は、北海道鉄道の起点から、釧路や網走同様、単なる特急の終着駅的な立場となる。
歌の舞台でもある連絡線は、まだ廃止へのカウントダウンというムードでもなく、瀕死の状態だった。
そして東北は、新幹線開業直前の最後の黄金期だった。
したがってこの歌がヒットした時期、歌の主人公の女性が、マニアで無い限り、青函連絡の上野発夜行といえば
583系「ゆうづる」が一番自然だと思う。絵になるかどうかは別として
116 :
名無しでGO!:2006/12/02(土) 16:32:20 ID:g6pWfNGT0
>>110 多分、奥羽本線を経由する列車のうちのどれかだと思う。
ヒント:
歌手の名字=弘前市内の駅
117 :
名無しでGO!:2006/12/02(土) 19:16:40 ID:S2Gr/3v80
「はくつる」が廃止1〜2ヶ月前に青森からゴロンとで上野まで乗った。
そしたら向かいの人もマニアだったので、八戸あたりまで談笑したな。
明朝、宇都宮過ぎて起きてからも談笑して上野で別れたけど、その後3回も
同じ列車で遭遇して、ある意味奇跡だった。
118 :
名無しでGO!:2006/12/03(日) 01:13:53 ID:cH3DPNwg0
>>115 昭和52年の大ヒット曲ですね
その本の結論が八甲田なったのは特急車両じゃ旅情が無いんでやっぱ旧客じゃないかって事と
他の列車だと連絡線への乗り継ぎの時間が慌しいから歌詞に出てくる「海鳴りだけを聞いてる」余裕が無いって事
当時のダイヤは分からんが確かそういう理由でしたよ
119 :
名無しでGO!:2006/12/03(日) 01:45:24 ID:Zc6IflTK0
>>118 そうだろうね。歌詞の流れで行けば確実に青森で時間があるようだし、すぐ連絡船に接続している
特急だとそんな余裕はない。
ところで、今手許にS54年12月の時刻表があるのだけど、それで見るなら「八甲田」の青森着は6:17。
次の連絡船接続は7:30発の5便だ。でも、これは朝早くてこの歌のような先を焦るような旅ではないようなことを考えると、
次の9:50発の7便か10:15発の17便とも考えられる。ただこれだと青森8:14着の「十和田1号」(季節臨)か
9:07着の「十和田3号」とも言えなくもないね。むしろ時間的にこの方が自然かも知れない。
でも素朴な疑問として、青森駅の桟橋待合室から「海鳴り」はそんなに聞こえたかなぁ?
確かに冬場の時化の時は聞こえなくもないだろうけど、桟橋待合室は当然窓を閉めているだろうし、
外に出て岸壁に立たなければそんな音は聞こえないだろうと思うけどね。
ついでに言うなら、『♪北へ向かう人の群れは誰も無口で…』…ていうのも、それはイメージだね。
結構ガヤガヤしていたし、特急の接続の時は桟橋に向かって皆ホームからなりふり構わず走っていた。
そんな海鳴りだけを聞いている余裕などなっかたよな〜!
…まぁ、変なツッコミ入れても仕方がないですね。良い歌だから余り深く考えず歌いましょう!
長距離夜行列車にて。高校卒業記念に旅に出た3人の若者は、4人がけの席に座った。
男ばかりの気安さで盛り上がっていると、
「あのう。ここ、あいてますか」
見上げれば、かわいい女の子が一人で立っている。喜んで座ってもらったのは言うまでもない。
今度は4人で楽しく盛り上がった。
若さをもてあましている男と女。夜がふけ、周りの席が静かになってくると、
話は少しずつエッチな方へと移っていった。
「ねえ。一人100円ずつくれたら、ふとももの蚊に刺された所、見せてあげる」
女の子が笑いながらこんなことを言うと、3人は即座に100円を取り出した。
女の子はスカートをめくり、ふとももをあらわに。
「うおー、すげぇ」と、うれしげな男3人。
「ねえ。一人1000円ずつくれたら、胸の谷間のほくろ、見せてあげる」
今度も3人はすぐに1000円を払った。女の子はシャツの胸元を大胆に開けてみせた。
「うおー、すげぇ」
「ねえ。一人10000円ずつくれたら、盲腸の手術した所、見せてあげる」
3人は、待ちきれないように10000円を払った。30000円を手にすると女の子は立ち上がり、
窓の外を指差した。
「ほら見て。あの病院よ」
121 :
名無しでGO!:2006/12/03(日) 07:19:00 ID:Tnk1y0AcO
臨時停車して乗客を救急車で搬送した記憶が2回位アリ、いずれも乗客同士の喧嘩での怪我だったと思う。窓ガラスが割られベニヤ板とガムテープで補強してたなー〜。
オヤジの酒が原因?どちらも下りだった。救急車で運ばれ人はとんだ帰省になったはず。
122 :
名無しでGO!:2006/12/03(日) 10:43:12 ID:Zc6IflTK0
昔の東北夜行で1つ思い出されるのが深夜の一ノ関駅で駅弁販売があったこと。
全国的に夜行列車が減少して行き、深夜の駅弁の販売などほとんどなくなって来た時代、
恐らく最後まで残っていたのがこの一ノ関と静岡だったかも知れない。
静岡は言うまでもなく大垣夜行の客のため、そして一ノ関は「八甲田」の客のためだった。
もちろんコンビニなどなかった時代、座席主体の「八甲田」だったから、
周遊券族の若者達などでそれなりに需要があったのだろう。
昔ながらの「べんと〜」という立ち売りスタイルで深夜のホームで売っていた。
そしてそれは「八甲田」が臨時に格下げされて運転されていた時期まで続いていた。
時間は多少ずれたが、夜中の1時前後だったと思うが、列車の到着に合わせて駅弁売りのおじさんがホームに立った。
14系になり、窓も開かない車両でどれだけの売上げがあるのか疑問だったが、
私達を含め、数人の列車を待っていた人に1つ、2つと売れていた。
東北夜行で思い出すのは急行「八甲田」だなぁ。
渡道の時に何度となく使ったことを今でも昨日のことのように思い出す。
漏れが良く乗っていたのは今からちょうど20年前ごろ。
北海道ワイドが学割×冬季割引で確か22800円だったと記憶している。
当時はもう14系客車になっていたが
何と言っても、上野駅13番線の独特の雰囲気と出発前の車内放送が良かった。
「この列車は、急行八甲田号青森行きです。停車駅と時刻のご案内を致します。
大宮21時41分、小山22時27分、宇都宮22時52分、西那須野23時34分、
黒磯23時46分…」
と続き、
「盛岡5時46分、沼宮内6時27分、一戸6時58分、
北福岡〔まだ二戸ではない〕7時4分、三戸7時18分、八戸7時35分、三沢7時58分、
野辺地8時24分、小湊8時40分、浅虫8時49分、終点青森には明朝9時8分の到着です」
(手許にある1986年5月号の時刻表より)
特に、盛岡を超えて、「一戸」「三戸」「八戸」といかにもみちのくっぽい地名が続き、
最後に「野辺地」で止めを刺される感じがした(w
まぁ、目的地はさらに北の北海道だったわけだが・・・
124 :
名無しでGO!:2006/12/04(月) 12:47:04 ID:vwNjW6W40
>>124 「沼宮内(んまくない)」「野辺地(のへづ)」とかあったね。
126 :
名無しでGO!:2006/12/04(月) 17:45:15 ID:I/dQRiRNO
北に行くんだて気持ちになれたなぁ。
>>123 やっぱ北海道へは急行だと「八甲田」が便利だったんだろうな。
座席車のみの編成で青森着が6時と3急行の中で一番早い。
津軽は遠回りだし、十和田は時間帯の良い3号は寝台車主体、座席急行の5号は青森着が昼頃で遅すぎと。。。
夜行じゃないけど もりおか1号 ⇒ しもきた ⇒ 青函航路深夜便 のコースも人気だったとか。
八甲田と思ったが冬のメチャクチャ寒い時ドアが氷で凍ってしまい、おじいさんが降り損ねた事があった気がする??
折り畳んで開くドアで氷がみっしり付いたらしい。地元紙にも小さく載った気がする。おじいさんはドアの前でそのまま突っ立ってたらしい。
129 :
名無しでGO!:2006/12/04(月) 21:01:04 ID:+wtx/Lhz0
東北夜行でよく使った列車の1つに「あづま3号」がある。東北へ向かう夜行列車のしんがりを努めたこの列車、
会津若松へ向かう「ばんだい」と併結されて仙台まで走った。仙台行きなのに福島から普通列車になるため、「ま
つしま」ではなく「あづま」を名乗っていた。
仙台に7時頃着くこの夜行は、翌日仙台周辺の移動には好都合だったし、当時お付き合いをしていた彼女に会いに
行く時の定番だった。朝一番の「ひばり」では仙台着が昼近くになってしまうので、もっぱらこの「あづま3号」
を使っていた。ただ、難点は夜行なので眠れず疲れぬこと、身支度を整える場所が余りなかったことが悩みだった。
駅近くのホテルの洗面所をそれとなくお借りして着替えたりしたのも今は想い出。
でも、帰りの「あづま4号」はほとんど使わなかった。上野到着が早過ぎたのと、放浪旅行でもないのに2晩夜行
はさすがにきつかった。
今、「はやて」が1時間半で走り抜けるのに隔世の感がある。でも、距離的に「ムーンライト」のような夜行がほ
しい区間なんだけどな。
そう言えば、東京−仙台の東北急行バスが今月半ばから3900円の格安便の運行を開始するという。言うまでもなく
ツアーバスに対抗した設定便だけれど、これでは益々夜行列車など出る幕がなくなってしまうようだ。
斉藤清六が青森かどっかの営業から実家(赤羽の近く?)へ帰る際に「八甲田」を利用したらしい(欽どこの頃)
しかし、赤羽到着に気付かず発車寸前にやっと「赤羽だ!」と気付きドアまでダッシュするも
目の前で自動ドアが閉まってしまった。
彼はこのままでは赤羽に戻れないと思ったらしく、
「降ろしてくれ!!」
とドアを叩いたが、かなり力が入っていたらしくドアのガラスを割ってしまった。
ホームに響くガラスの砕ける音・・・おかげで列車は緊急停止、駅員に大目玉を食らったとか。。
ねぶたの時期、三沢のアメリカ人が乗ったり盛岡が23時頃??だったので北上や一関の酔っ払いのサラリーマンも乗ってきた。私の隣の人は寝てしまいコウリヤマ辺りでさわいでいた。結構こういう人いたはず、八甲田の話。
132 :
JR死酷:2006/12/06(水) 15:21:16 ID:XIH0g4+o0
私が「八甲田」を利用するようになったのは、14系以降だから、最晩年の時期ですね。
それでも、本当に旅情のある列車でしたね。
13番ホームに近づくと、スハフの騒音が振動と共に伝わってきて「夜行で北へ旅立つんだな」という気分が盛り上がります。
あと、深夜の黒磯〜郡山では、もぐり(無許可)のアイスクリーム販売をやってました。
133 :
age厨 ◆ocjYsEdUKc :2006/12/08(金) 02:47:41 ID:K773g3Bx0
太宰治に「列車」っていう、東北夜行を題材にした短編があるよ。
あ、もちろん戦前の東北夜行ね。
読んでいたら懐かしいね。
そのまま上野駅の地平ホームを思い出したね。
夜行の存在自体は否定はしないけど583でムーンライト仙台が上野から
出たときほとんど乗っておらず・・・
ヲタに聞いたら「青春18きっぷが使えない」と寂しい声が聞こえた。
日付変更線がヘンナトコなんで損する感じなんだろ。
それ以来、ヲタはエゴの塊と感じたね。
臨時で津軽の最終日(97.12)八甲田の最終日(98.夏)もともにガラガラだった。
並ばなくてもラクに座れる夜行を見て愕然とした。
臨時津軽の最後の時期は寝台も付いていたのに・・・
結局、走っているっていう満足なんだよね。寂しいけど。
秋田まで4時間、青森も似たような所要時間で誰が今、夜行に乗るのだろうか?
週末に仙台行きの臨時新幹線が走っている。なんとこの発車時間は22:16分。
この時間は臨時八甲田の上野の発車時間。
東京駅の新幹線の臨時仙台行を眺めながらそう自分に言い聞かせている
乗客のニーズが減ったから無くなったのか?時代が変わり、安い高速バスがうって変わった。でもなんかバスで帰っても感慨が薄いような?
降りる時、恥ずかしいが座席に捨ていった雑誌を探して拾っていた。雑誌の発売日が田舎町は遅かったため友人にやると喜ばれた。田舎の発売日より早く手に入るためだ。他の人もしてた。
136 :
名無しでGO!:2006/12/08(金) 11:07:22 ID:iXQcuN8b0
夜行列車の衰退はあちこちで言われている通り。何れ郷愁の中、演歌のカラオケの中でしか
見られなくなってしまうのだろう。
かつて夜行が10時間以上をかけて走った距離を新幹線が1/3の時間で運び、航空機も安く
一般大衆化した。キメ細かさに安さとそれなりの快適を売りにした高速バスが発達した現在、
陳腐化した「国鉄」スタイルの夜行列車だけが昔とほとんど変わらない。唯一、豪華さを売
りにした一部の列車だけが人の目を惹くだけで、あとは一般人にはその存在すら知られなく
なった。仕方がないと片付けるしかないのだが、夜行列車が主役だった時代を知る者には淋
しい限りだ。
上野駅の地平ホームも今は通勤電車ばかりで淋しくなった。大きな荷物を持つ旅行者であれ
だけ活気に溢れていた時代を、この今の通勤電車から吐き出される人々の溢れる今の姿から
は想像できない。
でも、上野駅でその当時から今でも変わらないものが1つだけある。長距離列車が上野に到
着した時に流れる「うえの〜、うえの〜」の独特のイントネーションで繰り返される“肉声”
の到着アナウンス。昨今は自動音声も多くなってはいるが、長距離列車が到着すると肉声で
このアナウンスが聞こえて来ることが多い。代々引き継がれている到着アナウンスのようだ
けど、これを聞く時、その当時の情景が一瞬だけ蘇るのだ。
前述に続いて、青森駅のアナウンスも今も独特だな。
「あおもりぃ〜、あおもりぃ〜」って文字じゃあ表現しにくいけど、多分皆さん御存知のはず。
この駅の呼称も昔から引き継がれている。
無機質な自動放送に慣らされた現在では、むしろ新鮮だ。
都会の駅の肉声放送は「お下がりくださ〜い」「電車が来ます」「ドアが閉まりま〜す」「駆け込み
乗車はお止め下さ〜い」などと絶叫するのが“肉声”なのである。
138 :
age厨 ◆ocjYsEdUKc :2006/12/08(金) 11:42:52 ID:HjNT1MoC0
>>134 東北ワイド周遊券も無くなったしね。最早、今買える広域エリア乗り
放題切符が、青春18きっぷしか無くなった様なもんだから。
>>130 斉藤清六の実家(赤羽の近く?)
そのものズバリ赤羽(岩淵町)だな。
東北道は立派でSAも有りそれに比べ線路は周りもサビシいな。夜行列車が無くなるのを象徴しているようだ。ところで夜行列車で冬、暖房が効きすぎるところがあり夜起きた事があったな。座席の下の方だったか?奥中山付近で止まった?事も有ったような??雪のせい。
141 :
名無しでGO!:2006/12/10(日) 01:11:18 ID:myeUs7lN0
冬場の夜行列車、10系寝台客車で電気暖房の(いわゆる客車の2000番台)寝台は「下段」だけは
絶対避けていた。一度「鳥海」で下段寝台に乗り、まるで「カチカチ山」状態!で一晩えらい思いを
した。余りの熱さに毛布を“敷き布団”にして熱を抑えて、毛布代わりにコートをかけて何とか寝た。
これ以来、冬場の寝台の下段は避けるようにした。
逆に夏場の寝台の上段は冷房が効き過ぎて震えたり、とかく温度調節に悩んだ昔の急行寝台の旅だった。
温度調節ネタだけど、過去の悪事をザンゲしまつ。
急行八甲田だったと思うが、冬場は12系(14系だったかな?)でも
暖房効き過ぎで参った経験が多かったので、
暑がりの漏れは、上野で車内に入った時にベンチレーターを1つだけ半開にした。
(天井にアイバーが出ているのですぐに分かるはず)
これで、新鮮な外気も入るし、「頭寒足熱」で一石二鳥マンセーと思っていたら、
宇都宮をすぎるあたりで、前の方から叫び声が。。。
水 漏 れ し て い る ぞ !
外気との温度差で、ベンチレーター付近が結露し、
アイバーから水が滴っていたのでした。
あの時、滴を受けたお兄さん、ごめんなさい。
143 :
名無しでGO!:2006/12/10(日) 13:22:47 ID:FImbqdWn0
>>141 去年だったか、583ゲレデン蔵王に下段に乗った。
暖かくて「こりゃいいや」と、大宮過ぎた辺りでウトウトした。
…いつの間にか砂漠にいる。じりじりと照り付ける太陽に、
「やべぇ、涼しい所に逝かないと死にそう」と思ったりしていると。
ぐはぁっ!と口で大きく息した時に目が覚めた。
全身がとても熱くなっていて、汗びっしょり。口の中もネバついて喉がカラカラ。
その後はヒーターのある隙間をハンカチや替えのシャツで埋め、
身体を車体にくっつけるようにして熱を逃がした。
目が覚めたのは黒磯停止時。その後寝付けられず、寝そべりながら外をみていた。
須賀川あたりからだったか、曇1つない夜空に月が右に左に動きながら見える。
これぞまさしくムーンライトだなあと思いつつ、いつの間にか再び意識が飛んでいった。
>>142 オレもあまりに暑かったのですぐ後ろの席上にあったレバーを動かして"全開”にしたら、真下の席のおじさんに怒られた。
ベンチレーター真下の席だと、寒い位らしい。
たしか59年1月4日発の下り津軽増10号車での話。
Uターンラッシュとは反対の列車なので、さぞかし空いていると思いきや、指定席は満席、自由席も10号車までは半分以上乗っていた。
しかし増10号車だけは半分も乗っていなかった。スハフ恐るべし・・・
福島で駅弁売ってたのはビックリしたっけな。思わず買ってしまったけど。
板谷峠の雪景色を見ながら食べた牛めしは、すっかり冷え切ってた。
146 :
名無しでGO!:2006/12/10(日) 20:10:44 ID:myeUs7lN0
晩年の12系や14系の場合、スハフを嫌う人が多いようだけど、自分は割合好んで使っていた。
何故かといえば、やっぱり皆が敬遠するので比較的空いていたからだ。多少のエンジン音など
気動車に乗っていると思えばそう気にもならず、それよりゆったり足を伸ばして行ける方がず
っと良かった。そして大概端っこに連結されているので、余計空いている確立が高かった。
ベンチレーターの開け閉めはさりげなくやったな。でも、確かに真下は結構隙間風のように入
ってくるんだよな。その辺の加減が難しいんだけどね。それと14系も冬場は暑くてかなわない
車両だった。混んでいるとじっと座っているのが本当にしんどかった。暑いとちょっと窓も開
けられる12系の方がまだよかった気がする。一般客車の隙間風にも困ったものだけど。
147 :
名無しでGO!:2006/12/10(日) 21:16:04 ID:6JSmST2E0
昭和60年のゴールデンウィークのこと。
急行津軽で弘前逝きを敢行したのだが、連休中ということで混むことを予想し
発車3時間前に上野へ行くと既にホームに行列が出来ていた。
入線間際には物凄い雑踏と化したホームには鬼気迫るものがあったが、何とか
座席は確保に成功。
しかし先発した八甲田同様、朝の山手線並の混雑で、デッキから溢れんばかりの
乗客でドアが閉まらない!
5分ほど遅れてやっと発車したものの、通路までビッシリと立ち客で埋まり身動き不能。
福島でトイレに行こうとするも車内のトイレは自分の席からは遠く、通路に立つ人々を
掻き分けホームに脱出して駅のトイレで用を足した。
福島発車後も途中駅で若干降りた人が居たものの、深夜に関わらず同じ位の人が
乗り込み、夜が明けて秋田を過ぎても車内の混雑は余り変わらず。
弘前で自分を含めかなりの人数が降りたが、やはり桜が目当てであったか、と思う。
YHで同じ列車に乗っていた人と話をしたが、彼は上野から遂に一度も座れなかった
とのこと。
あとにも先にも、あんなに混雑した夜行列車に乗ったことは無かった。
>>132 東北新幹線の大宮暫定開業の後でリレー号に乗っていたら、アイスクリームの箱を持ったおじさんが
売り歩いていたなあ。
乗車時間はせいぜい30分程度なのに
アイス売るってのもすごいね。
上りで親父さんにウォークマンの使い方を教えた事がある、顔はシワだらけで体は小柄だが手の指の骨が異常に太かったのを覚えている。カセットは北島三郎だった。もうあんな人達は見ない。
151 :
名無しでGO!:2006/12/12(火) 15:24:14 ID:ce1JgWnQ0
国鉄時代、年末年始、お盆のピークに東北夜行恒例の列車があった。
といっても、ここで出て来る上野からの夜行ではなく、名古屋から出ていた臨時急行「あおもり」
「あきた」が走っていた。もちろん、普段は名古屋と東北を結ぶ定期列車の設定はなく、帰省シー
ズンのピークに大体方夜行で下りのみ運転されていた。
昔は一般客車の寄せ集め、晩年は12系だったが、名古屋を22時頃出発して米原経由で青森には17
時頃の到着と、なかなかのロングラン列車だった。大阪発の「きたぐに」の少し前をずっと走って
いたけれど、大半は新潟、庄内、秋田位までで降りてしまい、青森まで行く人は僅かだった。
この列車、運用の都合で最終日のみ秋田止まりの「あきた」、もしくは新潟行きの「にいがた」と
して運転されていた(目的地の駅名がそのまま列車名になっていた)。
今、583系の臨時で走る「あおもり」は、元はこの名古屋発の臨時急行の名称だった。
東北線の夜行鈍行はいつ頃まであったの?
154 :
名無しでGO!:2006/12/12(火) 19:53:59 ID:m8qxTpjX0
昭和57・・・、59年頃らへんまで?
とにかくそんぐらい。
>>153-154 43・10改正だと奥羽線・常磐線あり。47・3改正では残ってない(同じ列車番号で昼行区間は残ってるが・・)。
47・3改正で死んだのかも。
57年ごろに一ノ関行きの東北本線経由の客レ鈍行があったはず。
ちなみにEF57が運がいいと引いていたね。客レは当然旧型で
ドアから身を乗り出す連中もしてたし、幻想的な景色だし良かった。
ただ、やっぱり普通は夜行に揺られるより特急ひばりか
他の急行に乗る人もいて乗車率は多分年末以外はあまりいなかった。
もし18切符シーズンとかならパニックになっただろうな。消えた時期と
18切符シーズンがうまく利用できず残念
>>156 53・10改正で消滅@一ノ関行
ただ、昔の鈍行は編成が長かったんで、逆に今より空いてるかもしれませんね・・・?
鈍行同士の接続もかなり悪かったし、特急退避の関係でかなり鈍足だったので、
たしか途中ワープを使わないと東京を始発で出ても青函連絡船の深夜便には間に合わなかったでしたね。
>>155 手許のS47.1月号時刻表には、
●421レ秋田行 上野2242 → 福島557 → 山形911 → 秋田1512
(この列車は、秋田で1421レ青森行きに39分待ちで接続)
●227レ仙台行 上野2220 → 水戸109 → 平354 → 仙台811
の2本があります。
ただ、上は奥羽方面、下は常磐方面なので、純粋に東北本線方面の
夜行普通列車はもうないですね。
この時刻表だと、
かなり長距離夜行普通が残っている(新潟1515→米原450とか)のですが、
東北方面は早くになくなっていたみたいですね。
>>157 一ノ関行123レは
上野1117 → 宇都宮1317 → 福島1734 → 仙台1956 → 一ノ関2300
でした。
>>158 421レは同一編成が秋田で列車番号が1421レに変わって青森へ向かったと思います。
123レ一ノ関行きは最後まで残っていた東北本線の普通長距離列車でしたね。電車が幅を利かせ
始めた時代、長い客車を列ねて発車していたのを何度も眺めていた覚えがありますが、とうとう
一度も乗る機会がありませんでした。
>>158 常磐線の227レはC62牽引の「ゆうづる」「十和田」撮影の話によく登場する列車だな。
161 :
名無しでGO!:2006/12/13(水) 23:49:08 ID:5hLZy9+60
土曜の夜に上野駅で227レに乗車して日曜の明け方に平(現:いわき駅)
で下車して明け方を疾走するC62牽引の「ゆうづる」を撮影していた人が
沢山いた。
日光が少ないので撮影するのに苦労したそうだ。
だけど撮影した後の満足感は大きかった。
黒い巨体に赤いヘッドマークを掲げて青い20系客車を牽引する姿に魅了
されたそうだ。
>>161 たしか電化ダイヤ改正日の前からゆうでうは既に新線経由でED75が牽引していたらしいですね。
しかし、その新線が土砂くずれ(?)で、使用不能になり急遽旧線ルートを再使用。
当然ED75は使えないので、C62がも使用再開、数日間だけど奇跡の復活と言われたとか。
>>162 下りゆうづるは9月中頃からED75牽引になったものの広野付近の土砂崩れで蒸気牽引フカーツ。
急行は原ノ町駅電化の関係で本線上で給水不能(感電の恐れあり)になったため
42年7月頃より原ノ町で機関車交換(蒸気同士、後に電→蒸)を実施。
ただ、上りゆうづるは最後までC62が牽引したハズ。一種のファンサービスだった可能性もあるが。
164 :
名無しでGO!:2006/12/14(木) 17:42:30 ID:TU3VsQEp0
昭和42年9月30日に実施された上りゆうづる最後の釜は
C6223だった。
この機関車の煙突は他の釜より若干短かった特徴がある。
平機関区(当時)のC62の中で性能が良好だったので最も
多くのゆうづるを牽引した。
165 :
名無しでGO!:2006/12/14(木) 18:40:45 ID:axJdlB/h0
>>152 実家に昭和53年10月2日改正の青森駅発着時刻表が残ってたよ。
物置の扉の裏を見てみたら、何気に貼ってあったので即回収した。
勿論、臨時列車は載っていないがね。
所で、999牽引機だった(?)C62-48って「ゆうづる」を引いた事あるんですかね?
平機関区のゆうづるC62の運用は、かなりキツかったそうですね。
仙台まで下りゆうづるを牽引してそのままトンボ帰りで上りゆうづるだったようですが、
仙台での折り返しが1時間もなく、その間に給水・給炭等を済まさなきゃいけないので、
下りの遅れは厳禁だったとか。
167 :
名無しでGO!:2006/12/17(日) 01:13:56 ID:b2b+xp4R0
14系の八甲田しか経験ありませんが、
精神的に参っていた時期でもあって夜明けの奥中山付近の光景が忘れられません。
168 :
名無しでGO!:2006/12/17(日) 10:24:21 ID:39I+TRGk0
>>166 そうです。48号機は「ゆうづる」を牽引してました。
ちなみに「ゆうづる」を牽引したC62は下記のとおりです。
10 22 23 24 37 38 39 45 46
47 48 49
このうち「ゆうづる」牽引機会が多かった釜は23、48、37です。
逆に牽引する機会が少なかった釜は10です。状態が悪い釜でした。
ゆうづる運用を見てみると
平 0:43→5レ→仙台3:00
仙台3:50→6レ→平 6:05
とギリギリの折り返し運用ですね。
高カロリー石炭を使っていたけど運転時間がC62の性能を極限まで追求
したスジなので関係者の皆様の苦労は相当でした。
それでも特急牽引なので皆プライドを持って運用に当たっていました。
>>167 オレも仙台での学生時代に結構お世話になりましたね、14系八甲田。
あと仙山線経由いなった津軽。
北海道旅行や、周遊券を使った東京への行きかえりに利用。6時頃到着する盛岡で既に駅弁売ってました。
上り八甲田は週末に乗ることが多かったので、仙台から座れる事は滅多になく、大概デッキの段差に座って上野まで行きました。
大宮で座席に座れたときの幸福感が懐かしい、、、
まあ、どうしても仙台から座りたくて車内で指定券を買った事もあります。たしか1740円かな?
満席の自由席に比べて、指定席はガラガラだったのが、この列車の性格を表してました。
>>168 ED75化後
42年改正 (43・10改正)
平 0:42→5レ→仙台3:00 (平 2:07→2023レ→仙台4:18)
仙台3:50→6レ→平 6:05 (仙台0:33→2024レ→平 2:48)
C62の平坦線での高速性能は凄いんですね。。
170 :
名無しでGO!:2006/12/17(日) 13:55:51 ID:uNTnX3G/0
>>169 42年にED75が「ゆうづる」を牽引するようになったダイヤを
見てみるとC62牽引時代より遅くなっているスジがあります。
75の高速性能がイマイチな部分が出てます。
この機関車は65みたいに貨物で威力を発揮する釜なんでしょうかね?
>>168 ゆうづる運用を見てみると
平 0:43→5レ→仙台3:00
仙台3:50→6レ→平 6:05
今の時代、1時間程度の折り返し準備なんて大したことない所か余裕ありすぎな運用だね。
電気機関車でも10分もあれば十分な折り返し運用が出来るのを考えたらSLって
かなり手間が掛かるとつくづく思うし、現場の職員も神業だと感動するよ
172 :
名無しでGO!:2006/12/17(日) 15:32:31 ID:uNTnX3G/0
そうだね。
短い折り返しの時間内で給水・給炭・釜の整備をやるから現場の人は大変
だったろうね。
機関区で働いていた人の回想録:
軸重が重いし「ゆうづる」はスピードが速いからロッドの回転部や平軸受
の先台車が酷かった。
夜遅くまで残業して次の日の交番「ゆうづる」にギリギリ間に合わせた事
が何度もあった。
しかし手間がかかっただけに可愛かった。
「ゆうづる」のC62は
下りゆうづる→上り第四十和田、下り第二十和田→上りゆうづるで運用されてた。
このため下りと上りでナンバーが違う。(HMは仙台で差し替え)
下りは47・48号、上りは22・23・39号が多用されたそうな。
しつもん。そこまで大変だったのに、
何でジーゼル機関車入れなかったの?
SLの方が高速性能があったからなの?
175 :
名無しでGO!:2006/12/17(日) 23:34:31 ID:uNTnX3G/0
たしかに。
仙台〜青森にDLを投入したのに平(現:いわき)〜仙台にSLを
入れなかったのは不思議だね。
>>174-175 常磐電化の完成までにはそれほど時間がかからず、DL化には給油設備や乗員研修等無駄が多すぎた。
盛岡以北のように連続勾配がある訳でもなく、何よりDD51の製造・配備が追い付かない。
C62でも特急・急行は充分牽引出来たし。
177 :
名無しでGO!:2006/12/18(月) 00:28:48 ID:d4ftb60F0
なるほどなるほど。
その結果として仕事や用事を済ませてから土曜の夜に上野駅を出発して
日曜の明け方から1日中SL牽引の客車列車や貨物列車を撮影して日曜
の夜に上野駅に帰れたオマケが付いたね。
178 :
名無しでGO!:2006/12/21(木) 21:57:09 ID:ym7TKoAm0
ほしゅ
179 :
名無しでGO!:2006/12/23(土) 13:56:23 ID:pvlksxuWO
直接関係ないが夏休みに盛岡に寄ったら昔あかべこ機関車がいっぱいいた機関区がなくなり跡地は草木がボウボウとなり昔の面影が全くなくなっていた。
在来線のホームも寂しく立ち食い蕎麦屋もキヨスクもなかった。夜行列車は遥か昔のノスタルジーの世界だった。
180 :
名無しでGO!:2006/12/23(土) 14:26:31 ID:MG/DVLPH0
>>158 それらは荷物車(ついでに郵便車も?)併結でなかったっけ?
各幹線の交通公社時刻表の最後の1〜3行は必ず荷物列車の欄。旅客列車とかぶる区間、かぶら
ない区間があったりで興味津々だった。:小荷物とか駅留の鉄道小包とか、もう死語だよな。
>>180 新幹線.寝台特急の荷物便取扱いのルールを結局知らないままだった漏れ。
鉄道荷物を知らない世代にとっては、あまりに非効率だなと思う
182 :
名無しでGO!:2006/12/24(日) 03:22:09 ID:yHncPKDM0
チッキの事でつか?
183 :
名無しでGO!:2006/12/24(日) 10:36:35 ID:AyCRxFAx0
57・11〜60・3の間というのは,東北上越奥羽系統の夜行や急行の廃止に向けた程よい周知期間だったと思う。
もちろん国鉄としてはそのような理由で大宮暫定開業にしたわけではないことは分かるけど,一利用者の実感としてはこのおかげでうまくまとまったかんじ。
もし仮に一夜にして57年11月14日から60年3月14日のダイヤになっていたら相当な混乱を生じていたはず。
184 :
名無しでGO!:2006/12/24(日) 11:22:39 ID:ozYb8PAX0
たしかにそうだね。
少しずつ在来の在来優等を減らしていけば利用者も新幹線みたいな
他の系列に移動していくし。
しかし首都圏から八戸市・青森市へ移動するのに便利な時間帯を走行
した「はくつる」を廃止したのはヤリ過ぎ。
単純に収益だけで算盤勘定するとアアなるんだろうね。
185 :
181:2006/12/24(日) 12:01:46 ID:xSnSvQF5O
>>182 そうですん。
宅配という概念がなかったとはいえ、酷鉄駅まで出向いて指定時間までに
取りに行かないと保管料課金されるのは、すごいキム帝国なシステムだ
186 :
名無しでGO!:2006/12/24(日) 12:59:03 ID:ozYb8PAX0
その弱点を見抜いて宅配システム概念を考案したブラックキャットは頭イイね。
首都圏〜北海道でコンテナ貨物を利用する柔軟性もあるし。
61.10.31に汐留に行ったら、「宅配鉄道便」ロゴの入った荷札シールが
大量に打ち捨てられていました(たぶん実家に今もある♪)
終末期には宅配も行っていたのかな。
188 :
名無しでGO!:2006/12/24(日) 19:30:58 ID:IR7paGKB0
少しでも顧客を掴もうと宅配をやった可能性がある。
人口が少ない地域だと貨物駅が近くに無いのでホームで荷役可能な
荷物列車を利用した企業があるかも。
189 :
名無しでGO!:2006/12/24(日) 19:42:34 ID:bFMKwxUQ0
>>187 東京都区内宛ての鉄道小荷物を宅配してもらったことがあります。
1980年。
1982.5
宅配便に対抗して国鉄は手小荷物輸送に集配サービスを付加した「宅配鉄道便Q』を開始
1985.5
国鉄は「ひかり宅配便」を開始。手小荷物輸送の集配サービスに加えて、酒屋・米屋・自動車整備業者などと契約し、8500の取次ぎ店を設置した
1986.11
ダイヤ改正にともない、国鉄は手荷物輸送を廃止。また1985年から開始した「ひかり宅配便」の営業を全国21の系列鉄道荷物会社に移管
191 :
名無しでGO!:2006/12/25(月) 23:21:34 ID:o5R7My040
>>「ひかり宅配便」の営業
昔に比べると大幅に減少したけど旅客列車を利用した手荷物輸送は
生き残っているのだね。
郵便や新聞も運んでたんですね。東北では新聞を早く見たくて駅の売店に早朝、買いに行く人がいた。郵便車とか荷物車が連結して…今思えば合理的、人も運ぶし物も運ぶ!夜中、郵便車、荷物車で働いていた人は揺れる車内でよく仕事したと思う。
今でも最後に残った千葉の新聞輸送電車みたいのがあちこちにあったね。自分も昔横須賀線沿線で新聞配達を
していた。始発の前、3時過ぎにクモニ83の2両の電車が新聞を満載してやって来て、各駅で束を降ろして行く。
それを受け取って販売店へ運び、区分けをしてバイクや自転車に載せて配りに行っていた。
道路事情がよくなると次第にトラックに変わっていつの間にか消えた。
東北へ向かう夜行列車には「鳥海」とか「津軽」なんかがそういう新聞輸送の列車で、上野駅にはそういう荷物専門の
ホームがあり、次々と新聞を満載した台車を牽引したモーターカーがやってきていた。そして短い停車時間の間に車内に
投げ込んでいた。
色々な行先別のラベルを貼られた固まりがその停車駅毎に降ろされ、地元の配達員の人が受け取って行く姿も、懐かしい
昔の風景だったね。
当然、列車の発車に合わせて締切られる訳だから、ナイターの結果などは地方へ行くとまだ途中までだったり、都内と
紙面構成が全く違っていたりと、結構ローカル色が出ていた。今は支社レベルで印刷発送をしてしまうから、そんなナイ
ターの結果が尻切れ…なんて事はふつうに終わる試合なら最後まで載るようになり、順位や選手の成績も前日までの結果
を見れるようになった。ある面、すごいなと思ってしまう。
194 :
名無しでGO!:2006/12/28(木) 22:34:16 ID:1h3FMBJe0
>>183 >もし仮に一夜にして57年11月14日から60年3月14日のダイヤになってい
それをやったのが昭和50年3月10日の山陽本線岡山以西。前日まで昼行特急・急行がひっきりなしに賑わっていたのが、一夜にして優等列車全滅。当時として衝撃的だった。
確かに東北・上越方面は大宮暫定開業で一段階あり緩和された感がある。
ただ当初の新幹線開業予定は昭和52年だったから、大宮暫定開業でも5年遅れた。
理由としては国鉄の破綻・建設予算がなかなか出なかったことがあった。
>東北へ向かう夜行列車には「鳥海」とか「津軽」なんかがそういう新聞輸送の列車で、上野駅にはそういう荷物専門の
>ホームがあり、次々と新聞を満載した台車を牽引したモーターカーがやってきていた。
13番と14番の間にあったアレですか?
いや、今でもあるから。
MOTOトレインにバイク積むときはあのホーム使ったんだよ
17と18の間にもありましたな。
数は少ないが近、中距離使う人いたと思う。バスとか無いしお世話になった人多いはず。
>>198 確かに。宇都宮や黒磯は、実質昔の方が終電が遅かった。
しかし、東北夜行は末期になっても定期で乗れなかったのが痛すぎた。
200 :
名無しでGO!:2007/01/02(火) 19:03:11 ID:7K7r42/t0
宇都宮に彼女がいる身では、朝早く上野に着く電車があればといつも思う。
昔の「あづま」があったら無意味に朝まで飲み屋に居なくても済むし、ラブホを出てから途方に
暮れることもないし。
今は仕方ないから一番早い羽田行きのリムジンバス(3時20分発)を使いことが多いけど、
高いんだよな。昔の東北夜行みたいな列車があればといつも思う。
え?何で彼女に家に泊まらないのかって?
それは“訳あり”ですから泊まれないんですよ!
クルマ買えばいいだろ、アホかwww
車だったら飲みに行けないだろ? お互い酒好きなもんでな。
それに翌日も仕事なら車の置き場所だって困る。仕事場は都内だからな。
ふつうに週末に逢ってドライブでも行くならそれでも一向に構わないが、
そうはいかないのが“訳あり”の所以なんだし、人はそれぞれ“事情”
というものがあるものだから、「アホか」と言われてもな…。
下り八甲田に乗ると、黒磯駅での機関車付け替えが
見られてうれしかったね。
鉄道ファン以外にも見物人が結構いたね。
機関車が赤い交流に変わると、世界も変わる印象をうけた。
黒磯を過ぎると、機関車の警笛が甲高くなると同時に、
すごく増えて、首都圏を抜けたと思った。
黒磯はいまでも変化が少ない駅だよ。
EH500が増えても、機関車の黒磯付け替えが圧倒的に多くて、
黒磯の光景は変わっていない。EH500の黒磯以南の運用は今後も
増えないみたいだよ。
旅客列車に関しては、もう遺跡のような駅になってしまったがな >黒磯
新幹線駅が無い所が特に淋しく……
駅員さんも減って…、昔は地方の駅でもきれいな花壇が有ったりしたな。
206 :
名無しでGO!:2007/01/03(水) 22:08:40 ID:QqyK8pxt0
新幹線が走っていても、盛岡駅の在来線ホームの寂しさといったら…。
ついこの前まで「はつかり」とか夜行のブルートレインが発着していたホームとは思えない寂れようだ。
長いホームが何本もあるのに、常時使われているのは2本くらいで、その中程だけに2〜4両の電車が
ちょこんと停まるだけ。
売店も立ち食いそばも店を閉めて自動販売機だけがあるだけのホームは、とても昔の盛況を思い浮かべる
術もない。
漏れは、関西に住んでるけど夜行で思い出すのは
東北夜行だな、客レが無くなる直前の93年には郡山折り返しも
よく使ったわ。
結構、郡山や福島から乗るのみ帰りの人も多かった。
八甲田81号は12系で通路に新聞敷いて寝てる人もいて
演歌の夜行のイメージでなんか嬉しかったのを覚えてる。
レスと関係ないけど富山や小松は未だに地平駅で新系列か
変な塗装の特急しか来ないけど新幹線開業前の東北主要駅の
雰囲気がします。
特に小松は氷見線や城端線からの貨物がカマ交換するしテルハ
もありますし、ただ肝心な夜行は朝早いけど。
>>206 同じ事が福島にも言えますな。
それこそ昔は24時間列車の出入りがあって、深夜でも駅弁売ってたし。
東北新幹線が開業しても、夜行は何本か残ったし、特急つばさの乗換駅として在来線ホームはそれなりの活気があった。
つばさが山形新幹線として開業すると、夜行も無くなり、在来線ホームも閑散とするようになった。。
>>203-204 >>206 >>208 黒磯(九尾すしと釜めし・高原肉めし)、福島(牛鍋めし・鮭すし)、盛岡(ジンギスカン弁当)。
どの駅からも名物駅弁が無くなってしまいましたな… 皆美味しかっただけに惜しい。
関東や福島の人なら黒磯に行ってみて、その廃墟に近い風景を見ると愕然とすると思われ。
もっとも、全ての源と言うべき上野駅からしてもうあの頃の面影が無いな…
>>206 盛岡は終着駅効果を享受し過ぎたんだな
20年は長かったか
211 :
名無しでGO!:2007/01/03(水) 23:25:58 ID:Pr+3vFOE0
>>207 小松は今高架だが。高岡なら地上駅だけど。
>>200 初電の宇都宮始発では間に合わない?4時台からあると思うけど。
盛岡もいつの間にかホームの弁当の立ち売りもなくなっていたし(掛け声が懐かしい)花巻や水沢のホームも淋しかった。長いホームが昔、夜行や特急の名残り。去年の夏の感想。
>>212 ホームが長いと余計に寂しさを感じるね。
八戸や青森もあと数年でそうなってしまうんだろうな。
宇都宮以南と八戸以北以外の主要駅は皆一様に寂しいですね。
仙台も、優等列車は一日数本のスーパーひたちと北海道行き寝台車のみ。
仙石線は地下ホーム。
長い長いホームに短い417系や塗り替えられた455系。
八戸以北は賑やかですが、先を考えると早くも寂しくなりますね。
215 :
名無しでGO!:2007/01/04(木) 20:19:23 ID:FlgaDIJ40
新幹線なんかいらねー
216 :
207:2007/01/04(木) 20:51:49 ID:ASnIWdsC0
仙台は455系が9連であるからまだ…だめか
新幹線が通ったあとの在来線の劣化は哀しいものがあるんですね
北陸新幹線できたら北陸もそうなってしまうんだろうな・・・
219 :
名無しでGO!:2007/01/06(土) 13:30:12 ID:FqG3z5PW0
>>218 確かに新幹線が通ると在来線の駅が寂れていくのはある面やむを得ないが、その感を強く感じるのは
何故か東北、上越、長野と北の方なんだな。同じ新幹線でも、東海道・山陽新幹線沿線はそれ程ひどく
ないような気がする。特急などの優等列車は消えたけど、代わって頻発する近郊電車が出入りしてまた
違った雰囲気を作り出しているようだ。これは沿線人口の絶対的な差と気候、風土によるのかなぁ…。
八戸など、新幹線が新青森まで延びて在来線が「青い森鉄道」に転換なった日から、相当な寂れ方に
なるんだろうなぁ。
そういえば、そうなると八戸線はJR線から孤立してしまうね。果たしてJRとして存続するんだろうか?
青い森鉄道とか三陸鉄道などの三セクに転換? …って、ふと思った。
>>218 >>219 東海道・山陽と異なり新幹線ルートから外れた拠点駅(黒磯・白河・小牛田・一戸・横手等)の多さや
常磐線北部みたくメインルートでなくなった区間があるのも衰退原因と思われ。
ついでにローカル列車の貧弱さもあるだろうが。
221 :
名無しでGO!:2007/01/06(土) 14:43:42 ID:4U8/XDVA0
>>219-220 701系電車の2両編成が多いのもわびしくしてる要員があるかもしれない。
新幹線開業後でも50系とはいえ客車列車がハバを効かせた時代は、そこまで寂れた感じはなかったのでは?
東海道・山陽沿いは全般的に東北方面よりローカル電車の編成が長いのと、列車本数が比較的多いのもあると思う。
とはいえその沿線でも以前の長編成の優等列車がなく、短編成のローカルばかりで寂れた雰囲気を感じる場所はある。山口県下の山陽本線なんかは。
東北は所謂ミニ新幹線が整備されて青森以外の県庁所在地全てが新幹線によって一本で繋がってるしね。
15年前を思い返してみると、全盛期には遠く及ばないもののまだまだ県庁所在地クラスの主要駅は賑やかだったよね。
東海道・山陽筋もミニ新幹線が整備されてたら、米原や岡山なんかも寂しくなるんじゃ…。
それでも沿線人口が違うから東北のような寂しさにはならないかもなぁ。
新幹線のできた時期の差も大きいと思うが。
224 :
名無しでGO!:2007/01/07(日) 11:18:55 ID:fnYOwNa10
周遊券片手に乗り回していた頃、夜中に降りる郡山、福島などは極端な話、「明るいうち」に
降りたことの方が少なかったと思う。今のようにコンビニもなく、夜中に降りて始発を待つ間、
じっと待合室にいるしかなかった時、郡山駅構内にあった24時間営業の食堂は頼もしい存在だった。
それと、東北では夜中に駅前で開いている店といえば、「ミスター・ドーナッツ」ばかりだった。
今ではファストフードの24時間営業は珍しくないけど、当時はこの位だったね。
さすがにドーナッツとコーヒーで一晩明かすのは結構しんどかったけど。
>>202 本人は意味深な事情でも、201とか外野には結局意味不明な情事にしか見えんからなあ。
その様子だと結局結婚してないか、不倫だな?
226 :
202:2007/01/08(月) 16:40:01 ID:e87ECP7B0
>>225 そうだが? まぁ、世間一般には「不倫」と呼ぶんだな。昨年までのところは。
でも、相手は離婚届は出したからもう「不倫」ではないね。
この前も夜中まで飲んで朝の始発を待っていた。例え1時間余りでもシャッター開く4時までは
長い。特に今は寒いから余計だ。そんな3時30分頃、いつも新幹線の上り線を警戒灯回して作業
車が通る。多分小山まで帰区するんだろうが、そのまま乗っけてもらって都内まで…っていつも思う。
在来線も、時折短笛鳴らして通過していく貨物を遠目に眺めているのがやり切れないな。
なんなんだよ、この馬鹿。失せろよwww
228 :
225:2007/01/09(火) 01:57:12 ID:5s1DqUeCO
>226
それなら身を固めないとな。結婚式には読んでくれよ。
いいスピーチしちゃる。
>227
まあーもちつけや
続きまして友人を代表いたしまして225が祝辞を述べさせていただきます
それでは225さんよろしくお願いいたします
以下、このスレは
【ラブホを出てから】宇都宮不倫の思い出【途方に暮れる】
スレになります。ご期待ください。
却下である!
ここは「東北夜行」のスレだよな? つまらんことに食い付くんだな…。
想い出話より他人の情事の方が興味あるってか?
ま、自分にとっては「東北夜行」は新幹線がまだない時代、当時仙台のお付きあいしていた彼女に
会いに行くのにさんざんお世話になったからね。もちろん、ワイド周遊券でもさんざんお世話になった。
旅でも恋でも当時は「夜行」は外せない存在だったんだよ。
周遊券世代の話じゃなくて恐縮なんだが、客車化された後のはくつるをたまに利用してた。
盆暮れ正月は下り臨時はくつる81号の下段をいつも狙ってたんだが、20日前ぐらいに窓口に行くと下段どころかいつも満席。
それなのに定期はくつるは一週間前でも余裕で取れる。
ヲタじゃなくても583の臨時贔屓が多かったのかな。
確かに、客レに比べると大分速いけど…。
一ヵ月も前に切符買える程予定が立てられなかった俺は結局583はくつるには乗れず仕舞いではくつる自体が無くなってしまった。
今や東北本線の定期夜行は北海道行きのみとは寂しいなぁ。
粉雪を巻き上げながら走っていて窓の外がほとんど見えなかった記憶が。窓ガラスにも雪が着いていて…、駅の屋根付きホームの地面も雪が。
雪がすごいと思ったのは岩手の奥中山付近と思った。
>>233 青森到着時刻が圧倒的に早かったからな。 >はくつる81号
そのままはつかり41号に乗り継げば北海道にも行けたし。
末期の定期はくつるは日本海1号乗り継ぎで実質北海道連絡がなかった覚えが。漏れは24系よりむしろ583系の方が寝れた希ガス。
236 :
名無しでGO!:2007/01/11(木) 21:47:30 ID:4bxStm9d0
age
237 :
名無しでGO!:2007/01/13(土) 08:58:36 ID:Q0kUrEU8O
一ノ関までみちのくプロレスを見に行った帰り、十和田か八甲田かどっちか乗ったんだよなぁ
238 :
名無しでGO!:2007/01/13(土) 09:51:39 ID:26t68QTDO
東北ワイドを駆使して東北3大祭りを巡ったなぁ。
津軽や八甲田の座席夜行をネグラにして、仙台の待合室も使えたもんなぁ。
上りで郡山で八甲田を降りようとしたら黒磯まで寝過ごしてしまい、改札で誤乗スタンプ受けたら、同様に寝過ごしたらしき人が10人ぐらいいて苦笑。
下りの一番電車は誤乗の人しか乗っていませんでした
私が周遊券を利用して乗ったころにはもう、14系の薄幸だと津軽しか走ってなかった。北海道へ渡る時によく利用していたが、混んでいた記憶しか残っていない。真冬なのに暖房きき過ぎの為、冷房をかける始末(14系の特技か)。
240 :
名無しでGO!:2007/01/15(月) 01:47:52 ID:p6B7LWoA0
>>239 14系の八甲田と十和田と津軽があったころ、遠野と三陸鉄道乗りに行ったのだが
なぜか津軽に乗って横手から北上に出るような事をした。
八甲田と十和田は上野発が早くて夜学が終わってから間に合う津軽を選んだような気がする。
使った盛岡・陸中海岸ミニ周遊券の経路に奥羽本線→北上線や田沢湖線回りもあったからできたのだけど
周遊券ってこういう細かい技が使えて便利だった。
>>193 遅レスで申し訳ないが、
四国の夜行もそうだった。
80年代前半、高松→中村の快速夜行に乗った時、
荷物車が併結されていて、
中村駅で大阪スポーツ(東京なら東京スポーツに該当)を下ろしていたのを見た。
乗ったことのある東北夜行・・・
特急「あけぼの」(ナハネ20、ナロネ22 ←最後の20系特急の時期でした)
特急「ゆうづる」(オハネ24)
急行「十和田」(ナハ21 ←「だいせん」でも乗ったけど印象深い)
急行「八甲田」(オハ12、オハ14)
特急「はくつる」(583系)
「津軽」の10系寝台にも乗ってみたかったのだが・・・
あ、「北斗星」には何度か乗ってますけど、アレはここにはカウントしませんですぅ。
時期は忘れたがはくつるのグリーンに乗った事が有る。ガラガラ空いて583系なので天井が高く感じた。グリーンのわりに座席がショボい印象??が有った。
>>243 初期の特ロみたいに、腰まで敷布があると贅沢度が違うんだけどねぇ。
それにしても、581(583)系登場時には、あの天井高も評価されていたと思うのだが。
さてはオヌシ、末期に乗車したな(w
>>242 「あけぼの」に繋がっていたのはナロネ21ですね。ナロネ22は個室のあるタイプで、「さくら」「あさかぜ」
などに繋がっていましたよ。
583系サロは東北夜行に乗ると寝台料金よりグリ−ン料金の方が高くなってしまうので、使わなかったですね。
「ゆうづる」の水戸→北上なんかの短距離では使ったこともありますが。
ちなみに、東北夜行は昭和50年以降の列車には全て乗っています。
246 :
名無しでGO!:2007/01/17(水) 07:33:40 ID:NAz0Je5I0
>>242 末期の20系あけぼのは、急行も20系が多い時代だったから乗って損した気はなかった?
上野―秋田は経由は違ったものの天の川があって、こちらは急行料金で安かったわけだし。
>>245 間違えました。ごめんなさい。
×ナロネ22 → ○ナロネ21が正解です。
初めて、というか国内でのプルマン開放室はこの1度きりなのですが、
毛布をいわゆる「飾り折(っていうのかな? 連絡船寝台でもあったような折り方)」に
していたのは感動しました。
1978年3月の経験です。
>>246 対秋田だと天の川の設定時間が激しく不便だったかと、、
249 :
名無しでGO!:2007/01/17(水) 22:58:29 ID:ETdFpa3a0
>>248 それはその通りで、天の川は新潟〜庄内地区が有効時間帯だったからな。20系化前は新潟回転車があったくらいだし。秋田へ羽越線経由なら急行鳥海の方が便利だった。
でもあの当時、銀河で始まった20系の急行使用が佳境に入ったのに、あけぼのだけが20系で特急料金払わされるのが癪にさわるような気がして。
でも上越新幹線開業後、14系使用の急行が当たり前になったことを思えば大して差がないか。
子供の頃に、家族で寝台(たしか、ゆうづるだったと思う。)に乗ったときのこと。
最後尾の車両に乗った俺は、貫通扉から外を見ていた。そしたら、車掌さんが「車掌室見る?」って言って、見せてもらった。見たことの無い道具に、当時の俺は、目を輝かせて見ていた。
今となってはいい思い出です。
251 :
名無しでGO!:2007/01/21(日) 16:46:44 ID:LNfoC8/50
あげます
252 :
名無しでGO!:2007/01/25(木) 07:04:43 ID:95/94e5E0
age
253 :
名無しでGO!:2007/01/27(土) 02:45:37 ID:luRl8y440
東北夜行を降りた朝は、伯養軒の立ち食いそばにお世話になった。
14系客車の「八甲田」は夜行列車の原点だったな。
いつも2つ席を使って横になってたっけ。
255 :
名無しでGO!:2007/01/27(土) 09:40:12 ID:FdjvdVZe0
自分は足伸ばさないと寝れないので12系の方が好きだった。
boxの前の人と打ち解けてから足を前のシートに投げ出させてもらう(もちろん相手も)
これが寝やすかった。
ただし14系でも空いてて前のシートをこちら向きのにできるときは(1box独占または2人)
簡易リクライニングを倒して隣との段差に頭もたれて足を前のシートに投げ出す。
これだと目的地まで熟睡できた。
横独占だと寝れないので
大垣夜行では寝れたけど、ながらじゃ寝れないだろうな(未乗車)
話がでてきてないけど、荷物列車の片割れ普通(福島→仙台)があったよね。確か3:20頃発の
津軽か何かを受けて丸森線を乗りに行くためには丁度よい時間だったんだけど
誰も乗っていなかった記憶が。
他にも釜石2時代の新日鉄帰宅列車が両方向になかったっけ?
誰か乗ったことある香具師いませんかね?
>>256 ありましたね、そんな列車。何回か使った記憶がありますが、確かにほとんど人は乗っていませんでした。
だいたい仙台にも5時過ぎの到着で、一体誰が使うのかと思いましたが。
釜石線の深夜の列車も知る人ぞ知る時刻表に載らない“幻の列車”として知られていましたね。
当時は新日鉄も3交替でフル操業でしたから、遠野と宮古方面に深夜の列車が設定されていました。
実際に乗ることはありませんでしたが、その時刻は沿線でしか見ることがなく、はっきりした時間が
分らなかったことも、行かなかった最大の理由だったはずです。
>>256>>257 新日鉄帰宅列車は通常の定期券でも乗れない団体扱いだったいう話を
きいたことがあるけど(通常定期券と新日鉄発行の乗車票か何かが必要?)
一方東北ワイドで乗ったとかっていう話もあるので、本当のとこどうだか
全く不明。神光臨キボンヌ
259 :
257:2007/01/28(日) 04:09:15 ID:HF4roqnX0
そうなんだ。確かに時刻表にも掲載されてなかったから、会社のチャーターした「専用列車」という
ように考えても無理はない。工場地帯の従業員送迎バスなんかも民間や市営バスをチャーターして運転
されている例は多いけど、これも社員証とかがないと乗れないから、それと同じようなものだろうな。
ただ、自分自身では乗れなかったが、釜石線のどこかの駅で時刻を見た記憶があるし、当時の雑誌でも
「幻の列車」として紹介されていたような記憶もある。
現実として、当時の時代なら正当な乗車券を持っているのであれば、一般客でも便宜的に乗せていたことは
十分想像できるよね。
>>259 鉱山や森林鉄道の便乗扱いみたくその辺は現場で黙認してただろうな。
261 :
名無しでGO!:2007/01/30(火) 06:52:04 ID:etBiP1/P0
hosyu
262 :
名無しでGO!:2007/02/01(木) 14:31:07 ID:gEY6kueX0
ほしゅ
岩手?青森?どこかの駅にトットチャン(黒柳徹子)のふるさと?と書いてあった気がする。もちろんその駅は通過だったが…
264 :
名無しでGO!:2007/02/05(月) 00:58:18 ID:4xKmQxrE0
相馬の住人だが渋々夜行バス使ってます。
仙台からの列車運賃が痛いです。
>>256 >>257 福島 3:28発の仙台行1041レですね.
学生時代とその後しばらく(1981.4〜1988.9)仙台で過ごしたので
福島に2:40頃に着く「津軽」や、
その約1時間前の季節列車の「おが」からの乗り継ぎで7回ほど使いました.
列車番号からも察せられるように 本来は荷物列車で座席車は確か4両ほど、
それでも福島発車時点で1両5人以下、白石で2〜3人、
最後に長町でややまとまった乗車がある程度だったと思います.
後に渡道して比較的最近まで車籍のあった白熱燈装備車のスハフ42-2245(盛モカ)にも
この列車で乗りました. (1981.10.26)
1982.11改正で、仙台3時過ぎ着の「十和田」以外に夜行急行が無くなった後も
1984.2改正で廃止されるまで、仙台への隠れた夜行ルートでした.
「津軽」の混雑をきらって、「おが」を使うことが多く(7回中4回)
福島での2時間弱の待ち合わせ時間に、よく「ミスタードーナツ」へも行きましたが、
周遊券最終日の利用のときは、改札の外に出られないので、
2・3番線ホームの上野寄りにある待合室のストーブで暖をとりながら入線を待ちました.
福島や長町にゴロゴロいた赤い電機は全く見当たらなくなってしまい寂しいですね。
旧福島・長町機関区は完全に更地になってしまいましたね
267 :
名無しでGO!:2007/02/08(木) 23:10:43 ID:8lmenw+c0
age
268 :
名無しでGO!:2007/02/10(土) 17:31:22 ID:7C2W0ssT0
ほしゅ
269 :
名無しでGO!:2007/02/12(月) 08:11:58 ID:Da7e8k3v0
>>203 下り十和田もいい時間に水戸駅でロコ付替えが見られた。
俺は先頭車両に乗っていて、水戸到着と同時にダッシュで見に行ったんだが、
作業員が3人くらい待ち構えていて、あっという間に解結終了。
新たな機関車連結後もブレーキホースなどの付属器をあっという間に接続完了。
今で言うとF1のタイヤ交換みたいに実に手際よかった。
270 :
名無しでGO!:2007/02/12(月) 23:05:00 ID:HaQD+fTX0
>>269 懐かしいですね。私が水戸にいた当時、よく十和田5号に乗って
東北地方へ旅に出かけたものです。水戸でEF80からED75
に付け替えられましたが、確かに手際は良かったですね。
十和田の他には、「ゆうづる」も水戸で機関車を付け替えていま
したね
271 :
名無しでGO!:2007/02/13(火) 11:15:18 ID:T3PYcA/P0
>>270 常磐線経由の客車夜行は一部平(現いわき)で機関車付け替えがあったと思う。
まあ圧倒的に水戸付け替えが多かったけど。
>>269>>270>>271 今でも石巻や北海道へ向かう貨物列車も、水戸でカマ替えしてるね。
85〜86年頃に水戸の機留線で一休みしてる「ゆうづる」のカンを付けたED75を撮ったんだけど、
何処かに消えてしまった…orz
>>271 常磐北線電化前のゆうづるが平までEF80,そっからC62でしたね。
完全電化後も1本だっけか、1往復が平でEF80-ED75交換だったような?
274 :
名無しでGO!:2007/02/16(金) 21:11:47 ID:MEaJY8jw0
保守
275 :
名無しでGO!:2007/02/18(日) 12:42:06 ID:M+kYYJeQ0
空気を輸送していた
臨時急行八甲田60号
車掌と鉄ヲタ話で盛り上がったっけ
昭和57年3月頃だったか?
276 :
265:2007/02/18(日) 14:10:48 ID:QJ4zsGDf0
>>275 「八甲田60号」(仙台 23:49発)
定期列車の「いわて4号」(仙台 23:36発)のすぐあとということもあって
大穴的存在でしたね.
自分の場合、仙台からの利用だったので
周遊券の1日分がもったいなかったのですが、
1両に10人も乗っていなくて 熟睡できました.
日付がかわって最初の 1:27発の「十和田4号」は
20系への憧れがあったものの、自由席(ナハ21)がわずか3両だったこともあり、
1回しか使ったことがありませんでした.
仙台 3:53発の 「十和田6号」も比較的空いていて、
(多くの乗客流動とは逆ということもあったと思いますが)
富岡から先の朝の海岸線を走る爽快感がありました.
8時前後 水戸での機関車交換の10分停車も
駅弁をゆっくり選びながらホームを歩いて気分転換ができました.
この頃はまだ定期列車=大混雑、臨時列車=空気輸送
の頃ですね。。
278 :
270です:2007/02/18(日) 17:41:03 ID:LhJGGszL0
臨時列車といえば、やはり急行十和田52号、54号、56号を
駅まで見に行った1980年の正月が思い出されます。盛アオ、
盛モカ、秋アキ、仙フクのそれぞれ旧型客車が使われてい
ました。仙フクの編成にはスハ33が入っていて、乗って
いきたい気分になりました。
>>277 なんで、あの頃の臨時ってあんなに空いてたんだろう?
漏れも良く乗った口だけど、スゲー不思議だった。
281 :
名無しでGO!:2007/02/19(月) 21:24:04 ID:Wm+b07WR0
>>279 運転日が絞られすぎて上手くPRしてなかったのと、当時のマルスに代替列車空席情報機能がなかった。
今では希望列車が満席の場合、臨時も含めて検索するから混雑の偏りが少なくなってる。とは言うものの在来線の臨時列車も少なくなってるけどな。
282 :
名無しでGO!:2007/02/19(月) 22:09:19 ID:qcEYW+eW0
かなり昔
まだ八甲田が走っていた時
車内で財布を落した女の人が居て車掌と相談していたら
車掌が3人ぐらい来てイロイロ探してた
結局、途中駅(名前 失念)の売店で見つかったらしい
今では多分やってくれないだろうな
283 :
名無しでGO!:2007/02/19(月) 22:25:25 ID:aPVAZ+Ne0
>>276 「十和田4号」ってナハ213両の他にモノホンのナロネ21も連結されている素晴らしい編成だったよね。
284 :
名無しでGO!:2007/02/19(月) 22:49:29 ID:ztaE14oq0
>>283 下りの3号は盛岡までそのナハは全車指定だったね。
普通車が3両しかないから、混乱防止の為にも自由席に出来なかったのかな?
しかし3・4号は上野⇔青森県内の走行時間帯が絶妙。
青函連絡船連絡も視野に入れている特急より青森県内の客は便利だったのではないかな。
特に上りの上野着は7時半近くと特急よりかなりゆっくり出来る。
寝台車メインの強気な編成はその辺を考慮してかな。
286 :
名無しでGO!:2007/02/21(水) 07:41:20 ID:CTV9/sdI0
>>285 20系化以前の当該十和田は普通の夜行客車急行だった。食堂車以外の全設備が揃っていた記憶がある。
287 :
名無しでGO!:2007/02/21(水) 07:59:49 ID:oEsVTw3R0
>>286 後年の十和田3・4号に近い列車は、1970年代初頭の時点だと
下り十和田3号(上野20:45→青森9:00)および、
上り十和田4号(青森19:30→上野6:42)だろうけど、
当時は、十和田3・4・5号はロネ・ハネ・ロザ・ハザ(自由席)+シのフル編成。
3・5号はオシ17、4号にはオシ16が付いていた。
もちろん当時は上り下りに同一号名の列車が走っていた。
288 :
名無しでGO!:2007/02/21(水) 20:12:21 ID:fCVUOj8E0
下り急行十和田3号と下り特急あけぼの(何号かわすれた)は
ほぼ同時刻に上野発で、ほぼ同時刻に青森着だった。
たしか、十和田が1分早かったような気がする。
常磐線まわりと奥羽本線まわりだから距離は違うけどねw
どこかの本に「特急よりも速い急行」みたいに書かれてたっけ。
下りの最混雑日は(この年は12月29・30日っぽい)主な夜行急行は有名な品川始発に変更になってるね。
更に長距離急行の多くは指定席を自由席に変更、
>>287で出てくる下り十和田2号(上野20時50分発)に至っては
G車・Aネ・Bネを外して上野から全車自由席での運行。
12月29日・30日発の夜行急行で座席が指定されるのは寝台車とグリーン車だけなんだ。。
急行自由席の着席保障券である乗車整理券もあったようだけど、これどの程度発売したんだろうか?
普通車の座席数分を売り切るとなると、急行券しか持たない客は立席しか残された道がなくなるなぁ、、、
ちなみに当時の指定券発売スケジュール
@ 3週間前発売 (駅の旅行センターと主な旅行会社でのみ発売)→ごく一部の列車を除き中止
A 12月14・15日の2日間 12/29・30発急行自由席用乗車整理券発売(都内主要駅限定)
※ 八甲田・十和田利用の場合、一ノ関以北まで乗車しないと発券不可
B 1週間前発売 全列車分の指定券発売
普通の人ならAをチャレンジしてダメならBに賭けるって感じだったのかな。
燃料になるか判りませんが、ネタ投入。
上の方でガラガラという話が出ていた臨時列車ですが、
国鉄もこの両日に関しては東北本線・常磐線の臨時夜行列車を16本投入する気合の入れよう。
それに加え季節列車が6本、定期列車が18本と合計40本の夜行列車が東北へ向かい上野と品川を発車している。
(この他上越線経由酒田・秋田行が定期2本、臨時2本)
これって上り夜行に乗ると、次々に下り列車と擦れ違うんだろなと思い調べて見たら
上りあづま2号(仙台21:22発-上野4:38着)に乗ると福島到着寸前の23時13分頃に下り八甲田と擦れ違ってから
宇都宮到着寸前の2時50分頃に臨時のおが56号・ばんだい55号(品川0:16発、福島から普通421レになって秋田着15時26分!!)
と擦れ違うまでに28本の下り夜行列車と擦れ違う事が判明。
これは寝る暇なかっただろうなと、当時を夢見てしまいました。
57・11改正後の下り津軽や上り十和田なんかに乗った事ありますが、減ったとは言え数本連続して夜行列車と行き違いがありましたし、
165時代の大垣夜行も結構な数のブルトレとの離合がありました。
でも今の夜行は夜行列車同士の離合シーンは貴重になってきましたね。夜行列車乗車の楽しみの一つだったんですけど。
291 :
名無しでGO!:2007/02/22(木) 23:00:00 ID:rkx/zC000
57・11から60・3までの間は新幹線と夜行列車が共存していたよね。趣味的には一番面白かった時代かもしれない。
292 :
名無しでGO!:2007/02/22(木) 23:24:18 ID:VQxD0r3u0
>>291 夜行も相当激減したので、新幹線開業前よりは面白味が薄い。急行が八甲田・十和田・津軽の各1往復で、電車・気動車夜行が壊滅。
特急もゆうづるが削減されて北星が廃止。あけぼのとはくつるが1往復増えた程度だな。
293 :
45年8月:2007/02/23(金) 01:07:36 ID:pzX2F32J0
>>289-290の真似をして、お盆輸送の発着駅変更の概要をお伝え。
最繁忙日は8月11-13日
常磐線、高崎線の下り夜行は上野発で変わりないが
東北線の特急2本、急行23本、普通1本の内、特急1本、急行13本、普通1本が品川発に変更。
あおりで、上り19時以降上野着の東北線、高崎線急行は赤羽止まり。「いいで」は大宮止まり。
常磐線上り急行も1859着ときわ9号以降日暮里止まり。(本来日暮里通過)
発着番線は行ってみないと判らない状態でした。
やりくりの厳しさを物語っていますね。
さて特筆したいのは、八甲田52号(上野0:15発青森13:30)8月11日に限り名古屋17:08発「あおもり1号」の延長として運転。
この列車なんと東京通過、上野も運転停車扱いで乗降できないから横浜の次の停車駅は大宮。
なお10,11日は名古屋12:00発青森9:10行「あおもり2号」もあるが、こちらは米原から京都発「きたぐに51号」と併結して日本海縦貫線を走り
1号と2号は始発終着が同じで経由が全く違う珍列車であった。
長文スマソ
294 :
名無しでGO!:2007/02/23(金) 13:40:17 ID:HNg9XhjS0
東北夜行といえば、盆の帰省ラッシュに上野駅で発車6時間前に並んで乗った臨時急行「八甲田51号」を思い出すな〜。
案の定、自由席は長蛇の列で、通路や便所の前に新聞紙敷いて酒臭いオッサンに寝られるもんだから、トイレ行くのも至難の業。
あん時はボックス席で固まって一夜を明かしたもんで、最悪だったけど、今となっては懐かしいおもひで。
296 :
名無しでGO!:2007/02/27(火) 09:24:02 ID:wDeeY35F0
>>295 6時間前はなかったが、20年くらい前は3時間以上前からならんだこともあった。
297 :
名無しでGO!:2007/02/27(火) 12:15:27 ID:vTmCj3DRO
>>256-258 25年位前に、午後3時頃釜石―大槌間に客レが運転されていたのは記憶にあります。
今は使用されていない3番線着で、DD51が中線を使って機回ししていたような…
ちなみにこの列車、普通に乗れました。
参考に…ならないかな?
298 :
名無しでGO!:2007/02/27(火) 17:59:49 ID:VrMMUCY10
繁忙期の夜行列車の車内は
スルメのニオイ
日本酒のニオイ
極めつけ
靴を脱いで寝ているオヤジの足の臭い
がミックスして、強烈だったなぁ。
299 :
名無しでGO!:2007/02/27(火) 22:07:36 ID:7Vvf5Ejz0
キツかったな〜。
300 :
名無しでGO!:2007/02/27(火) 23:06:13 ID:MizoF3WZ0
>>298 一方でいわゆる上級とされていた列車は
タバコのニオイ
枕カバーにこびりついたポマードのべとべとの液体
でこっちも大変だったよね。
301 :
名無しでGO!:2007/02/27(火) 23:38:35 ID:M4D70E9Y0
これも東北夜行?
秋田発仙台行き夜行急行
ハネ連結で大曲まで上りおがに併結
302 :
名無しでGO!:2007/02/28(水) 01:09:37 ID:A5pmeydK0
>>300の文章で「赤いスイートピー」の一節を思い出した。
あの曲がヒットした当時、そんな雰囲気をかもし出す列車がたくさんあったのだろうね。
>>298 日本酒の中には
靴を脱いで寝ているオヤジの足の臭い(=蒸した空豆の臭い)
のするものがあります
きもととかやまはいとか
それはそれは有り難がられる酒です
304 :
名無しでGO!:2007/03/02(金) 22:07:40 ID:c7UyWBjq0
このスレ見てたら酒呑みたくなってきた。
夜汽車で飲む酒は旨いよね。
307 :
名無しでGO!:2007/03/03(土) 19:00:39 ID:U9VN4TQN0
夏の暑い日、仙台で上野行き新星に早乗り、
エアコンのなか、早々と横になれたのが有り難かったけど
かつての旧客時代は冬場など暖房用に蒸汽も
一緒に据え付けられてたのだろうか?
308 :
名無しでGO!:2007/03/03(土) 20:19:41 ID:r46LsNxU0
>>307 恐らく機関車を含め全編成を入線させてただろう。旧客時代は下り八甲田の寝台も仙台で早寝サービスをやってたし。
それと逆のことが平成初期の北陸が金沢到着後も寝てられるサービスがあったが、
あえなく廃止されてしまった。だけど上野行き北陸は金沢で昔の仙台のような早寝サービスをしてもいいのではと今も思う。
309 :
名無しでGO!:2007/03/03(土) 23:52:39 ID:U9VN4TQN0
東北はこの手のサービス多いね。
仙台では青森行きと上野行き
福島や、会津若松などでも。
これ以外では名古屋しか知らないな。
310 :
名無しでGO!:2007/03/04(日) 04:01:00 ID:V8nZ/PnL0
>>309 走行距離が300キロ台かそれ以下で、急行のスピードでは5時間台で言ってしまうから
早寝や遅起サービスがあったんだろうね。
上野発の妙高でも長野でやって欲しかったんだが直江津まで行ってしまうんで
5時間足らずしか寝台が使えなかった。
311 :
名無しでGO!:2007/03/05(月) 22:18:46 ID:3vw2GsXu0
現代版東北夜行(団体扱い)
583系ムーンライト舞浜号(だっけ?)
ディズニーランド開門時間に合わせて
到着するために、白河で2時間も停車するんだよね。
312 :
名無しでGO!:2007/03/06(火) 15:33:01 ID:dsay0BsrO
>>309 スレチになるが、名古屋の早寝(遅寝?)って何だったっけ?
記憶の片隅にある気がするんだけど、引き出しが開かない(+_+)
313 :
名無しでGO!:2007/03/06(火) 16:02:44 ID:cC6lhkpWO
>>312 旧型客車時代(ハネ+ハザ)の「きそ」じゃなかったかな?
たしか早めに入線してたような…
314 :
名無しでGO!:2007/03/07(水) 04:22:34 ID:6r5fHCDKO
「きそ」かぁ。
ん〜ちょっと思い出せないけど…
ありがとう。
315 :
名無しでGO!:2007/03/07(水) 04:26:45 ID:aDjZOu0r0
316 :
名無しでGO!:2007/03/07(水) 16:44:46 ID:nEmbMorj0
昭和63年の夏に下り八甲田に乗ったら、モトトレインの寝台車を連結していた。
お盆でもないのに、車内は超満員。
近くに座っていたおじさんが車掌に「寝台は空いてますか?」て聞いてたけど、
「あれはバイクを積み込んだ人専用なんですよ」と済まなさそうにしていた。
寝台需要はそれなりにありそうなんだから、寝台連結をすればいいのに、
と思ったもんだ。
あの頃は多各期には81・83号と臨時が2往復も運転されていたというのに、
それから6年後には定期便が臨時に格下げされてしまうなんて、思いもよらなかった。
317 :
名無しでGO!:2007/03/10(土) 18:58:49 ID:ScGNcBpk0
福島駅は深夜3時始発の鈍行列車あったでしょ。
列車の専門的な事分かりませんが
見ていて懐かしく思います。昔の長距離夜行などは
特急が停まらない町の小さな駅にもこまめに停車した記憶が有ります。
昔はそれだけ需要も有ったのに今は時代がちがう。
320 :
どとうとしや:2007/03/11(日) 20:49:56 ID:5NGhxxeD0
私自身、急行「八甲田」に乗ったことあります。
あのときの、座席の硬さ忘れられないです。
>>319 マイカーの普及と高速夜行バスが原因かね。
322 :
名無しでGO!:2007/03/12(月) 17:59:19 ID:vvTJaNvr0
>私自身、急行「八甲田」に乗ったことあります。
あのときの、座席の硬さ忘れられないです。
リクライニングシートさえあれば高速バスに対抗できたと思う。
324 :
名無しでGO!:2007/03/12(月) 21:23:58 ID:Jw6hGQUU0
326 :
名無しでGO!:2007/03/12(月) 22:23:09 ID:LB3GzFwg0
ワンボックス使えれば、12系の方が楽だったと思う。
183アルプスより169の臨時アルプスが好きだった。
>>319 新幹線しか考えなくなった営業政策の犠牲ともいえる。
昔は栃木・福島辺りでも夜中に帰宅できたのは皮肉なものだ・・・
>>327 しかし悲劇も多かったね。。
仙台で飲酒 → 終電なくなったので小牛田まで八甲田で帰宅 → 気付いたら青森
329 :
名無しでGO!:2007/03/12(月) 23:13:36 ID:Ck3vTZK30
>>316 モトトレインは青森から先は快速海峡に連結されるため構内転線してたね。
330 :
名無しでGO!:2007/03/12(月) 23:15:33 ID:ExGMhaFx0
>>319 そして今はなき数々のローカル私鉄にも夜行急行接続の上り深夜・下り早朝便が運転されていました。
今となっては夢のようですね。
331 :
名無しでGO!:2007/03/12(月) 23:19:12 ID:70wpI3iv0
夜行バスに対抗するために夜行快速・急行を運転しろよ>JR
上野〜青森、東京〜京都、関西〜九州ぐらいはあっても良いだろ
>>327 黒磯に住んでたガキの頃、親父が夜中に帰宅してきたのを思い出した…
333 :
名無しでGO!:2007/03/13(火) 01:12:09 ID:FvsAFWo40
>>331 コスト考えたら、列車だとバス並みにはいかないでしょ?。
結局高い、しんどいで誰も乗らない。
334 :
名無しでGO!:2007/03/13(火) 03:11:09 ID:g5Wm+xry0
昔は夏休みなどで田舎に帰ると、やまびこ・はつかりの券が取れないことがよくあり
八甲田や十和田にお世話になった
(たまに北星も使ったなぁ)
今だと夜行=寝台付ってみんな思うだろうけど、
昔は座席の夜行列車も多かったな・・・。
336 :
名無しでGO!:2007/03/13(火) 09:45:50 ID:SCPiuNNQ0
>>329 海峡に連結するんではなくて、八甲田がそのまんま海峡81号になるんではなかったっけ?
青森到着前に、確かそうアナウンスしていたような気がする。
時期によっては連結し直していたのかな。
自分はちょっと先に出る海峡3号に乗り換えてしまったので、
正確なことが分からないです。すみませぬ。
337 :
名無しでGO!:2007/03/13(火) 10:25:57 ID:xp6dSKA50
>>336 ○
同座席で指定取った器用な香具師が居た
>334
>八甲田や十和田にお世話になった
その寝台や座席も取れずに、十和田51号とか八甲田52号の
寄せ集めのような、客車の座席に乗りましたよ。
平成生まれの俺は東北夜行は(北海道を除くと)
はくつる81号(583)
グリーン座席の夜行乗るの初めてでほとんど眠れなかった(w1回のみ
あけぼの
3回くらいは乗車。青森や函館行くのに使った。
あ、ちなみにルート変更後なんで例外?
もっと乗りたかった・・・
いや、正確にはもう東北夜行は殆ど走ってなかったorz
340 :
名無しでGO!:2007/03/14(水) 08:08:30 ID:fVJKPqqv0
>>339 生まれた時既に北斗星は走っており、物心ついた時には八甲田・津軽も無くなっているから仕方ないな。
341 :
名無しでGO!:2007/03/14(水) 10:16:14 ID:ynhiZ98W0
>>339 乗れただけいいじゃんか。
これより後の世代は、おそらく夜行自体ろくに体験もできんぞ。
あけぼのだって恐らく新幹線新青森延伸までの命だろうし。
>>339 583のはくつるに乗れただけ幸せというべきだな。曲がりなりにも往時を偲べる列車だったし。
もう原色サロ581は無いのだから…
俺って583には何度も乗ったんだが、それは全てはつかり運用の昼行特急のみ
ほんらいの寝台は一度も乗ったことが無かった
先日それを思い出して、どうしても583の寝台に乗りたくなったんで
新潟まできたぐにに乗りに行っちゃったけどね
344 :
名無しでGO!:2007/03/14(水) 18:20:19 ID:RN4J4BlS0
>>343 はつかりは上野―青森運転の頃も乗ってたの?もしそうなら区間にもよるが、サシ581で食事した貴重な体験の持ち主にもなる。
>>328 それと似た話で、戸塚に住む上司が酔っ払って大垣夜行で寝過ごしてしまい、
名古屋から新幹線で出勤してきたことがあった。
346 :
名無しでGO!:2007/03/15(木) 02:32:21 ID:xKYrUUDw0
>>344 俺はひばりのサシ581でカレーライス食べたことがあるな。
行きはやまばとのサシ481でミートソース。上にハンバーグが乗ってた。
20代で東北特急スキーな俺としては羨まし過ぎる話だ
物心ついたころには『サシ』なんて形式消滅済みだった品orz
348 :
BCNR33GT-R:2007/03/17(土) 00:26:12 ID:czffeqdp0
12系の折り戸ガラスに結露が凍った。俺はデッキで辛かった。上野〜青森〜函館〜帯広
349 :
BCNR33GT-R:2007/03/17(土) 00:34:46 ID:czffeqdp0
12系の折り戸ガラスに結露が凍った。俺はデッキで辛かった。上野〜青森〜函館〜帯広
>.348
12系時代の「八甲田」によく乗りました
福島以北あたりから
客室内でもユニット窓の内側の結露が凍っていたことを思い出しました
351 :
名無しでGO!:2007/03/17(土) 09:45:20 ID:41/RfJVuO
「八甲田」は長時間停車が無くて走りっぷりが良かったよね。上野7時過ぎの発車で青森着が6時過ぎ。約11時間で走破していたもんね。12系客車のクロスシートは座りごこちも良かったし、客車の良さも味わえて「八甲田」は好きでした。
世代によって「八甲田」のイメージって旧型客車、12系、14系だと思うけど、俺は12系だね。
352 :
名無しでGO!:2007/03/18(日) 00:17:29 ID:u1TrvD+20
>>329>>336-337 3人とも正しい。
ガソリンの入ったバイク(建て前ではガソリンタンクをからにするんだけど)
を積載した貨車を機関車の近くに連結するのは安全管理上の問題で禁止なので、
進行方向が変わる青森駅で、構内転線して最後尾に連結し直してたんだよ。
353 :
名無しでGO!:2007/03/18(日) 03:02:58 ID:FIlz+d5s0
上野駅から夜行列車に乗る際、中央改札口(壁の上の方に動物や裸婦の絵が描いてある改札口)
を通るのですが、今は電光式の列車案内表示が、昔は吊り看板の案内表示で、係員が発車した
列車の看板を外し、これから出発する列車の看板を吊るす、といった手間の掛かる上野駅独特
の列車案内が妙に旅情をそそったのでした。
354 :
名無しでGO!:2007/03/18(日) 05:21:52 ID:tQm3cE0u0
高校生のころ福島県郡山市に住んでいましたが,イヤなことあると東京ミニ周遊券
買って深夜の急行で上野に向かったのを覚えています。当時は列車さえ運転してい
ればキップ売り場はちゃんと開けていて,周遊券他の企画券やらその駅に関連する
指定券やら売っていました。(もっとも駅によっては周遊券などは旅行センターの
みで発売していたため,営業時間外やら休日だと当日買いは不可能でしたが)
>>353 今より何か暗い雰囲気だったが今は明るすぎ?
勿論自動改札ではなかったし、荷物、郵便とか、もちろん駅員さんとか働いている人がいっぱい居た気がした。
地下鉄側の地下の飲食街?雰囲気有った?
>>353 路線別に色分けされていた案内板
いまでも 16番線の「能登」乗車口にその面影を見ることができます.
357 :
名無しでGO!:2007/03/18(日) 10:19:02 ID:FIlz+d5s0
>>355 地下の飲食街、あの暗さといい、臭いといい、怪しさたっぷり!。
358 :
名無しでGO!:2007/03/18(日) 12:40:17 ID:cO4F0kW60
>>353 東北・上越新幹線が上野まで開通した昭和60年3月まであったね。新幹線リレー号も
その表示だった。
>>357 浅草駅の地下にもそんな雰囲気の飲食街があるね。
360 :
名無しでGO!:2007/03/20(火) 01:48:10 ID:fKJTzQRO0
>>329>>336-337>>352 まとめ
下りの場合
八甲田の最後尾(上野寄り)にモトトレインが連結されていた。
八甲田はそのまま臨時快速海峡81号になる。
青森で進行方向が変わるので、機関車が逆端に付替えられる。
だが、
そのままだと今度はモトトレインが先頭(函館寄り)になってしまい
機関車が近くに連結されることになるので安全管理上問題あり。
だから、
モトトレインの車両も切り離し構内転線し、
機関車と逆の方の最後尾(旧連絡線桟橋寄り)に付替え直しをした。
上り列車についても同様。
361 :
名無しでGO!:2007/03/20(火) 12:19:30 ID:AeiqaccO0
「津軽海峡冬景色」を聞くたび思うのだが、の歌い出しの「上野発の夜行列車」って何だろうね?
寝台特急じゃなくて急行を思い浮かべるのだが。
362 :
名無し募集中。。。:2007/03/20(火) 12:56:28 ID:mUT+mYiOO
>263 諏訪の平ではないかと思います。
しかしながら、1から一気に読みました。全てが懐かしいと思う37歳です。
>>361 すっかり失念したけど、大昔の「鉄道模型趣味」にその歌の列車を追跡調査するというのが
あって、最終的には名前まで判明したはずです。て、自分も知りたいわこれ。
364 :
イケ ◆5C7eeO1OZA :2007/03/20(火) 14:01:58 ID:6N5ntWmM0
てすと
年末の臨時「おいらせ」だな
しかし、長かった。
366 :
361:2007/03/20(火) 15:28:53 ID:fT04J5oU0
>>363の書き込みを見て出先から国会図書館へ行こうと思ったら、利用者証を家に忘れてた_| ̄|○
明後日調べてみるか。
「北へ帰る人の群れは誰も無口で…」って短い描写だけど今聞くと泣ける。
確か?12系は窓を開ける(上げる?)事が出来た
最初はトイレタンク付いていなかった???
定かでない。
又車内で水を飲む事が出来、紙コップは特徴が有り覚えている。
平べったい物を広げて飲んだ。
>>367 上半分が下げ、下半分が上げ可能。
113・5系みたいな窓。
トイレタンクはなかったはずだね・
>>361 どっかで「八甲田」だとの情報を見た覚えが、、、
S52年の歌だから1年前のS50冬の時刻で見ると
(1)5:25発3便に乗り継ぐ、ゆうづる1号(5:03)同2号(5:08)は真っ暗で論外(青森の日の出は大晦日で7:02)。
(2)7:30発5便か7:05発臨時35便に乗り継ぐ八甲田(6:15着)、八甲田52号(6:42)、ゆうづる3号(7:05、座席のみ)、はくつる(7:10)はどうかな?
函館でおおぞら3号、おおとり、宗谷に乗り継げるので釧路・網走・稚内まで日着できる。
(3)9:50発7便、10:15発17便に乗り継ぐ十和田1号(8:12)、八甲田54号(8:37)、ゆうづる4号(8:49)
十和田2号(9:07)ならまあまあ、ゆうづる5号(9:25)同6号(9:50)同(9:55)
函館で北斗2号、ニセコ2号、すずらん2号連絡
(4)12:05発21便乗り継ぎは八甲田55号(11:00)か、十和田3号(11:40急行では一番連絡がいい)。
函館で北斗3号、すずらん55号か同3号に連絡
十和田54号(12:12)は船が23便(14:35)で遅すぎ(くりこま1号に抜かれるし)
あと津軽1号(9:17)、あけぼの1号(10:22)、津軽2号(12:22)も上野発だけど北海道連絡には普通使わないかな。
さあ、どの列車でしょう(…こんなに本数あったのね)
370 :
名無しでGO!:2007/03/21(水) 14:59:05 ID:QakCDimN0
371 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 08:01:04 ID:JHY7PP3t0
>>369 A寝台のあった「ゆうづる4号」か「ゆうづる5号」だと思うよ。
6号,7号じゃ上野発遅すぎるでしょうし,青森着10時前後が妥当じゃないかな。
372 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 10:34:55 ID:hUqbOB7s0
>>371 ゆうづる4号って、その前の583系の3号から発車が10分後だったが、青森到着が2時間以上遅くなっていたね。
まあ電車と客車の性能の違いで西村京太郎の推理小説のトリックにもされたけどね。後に出たはくつるもゆうづる3号とほぼ同じ時間に青森到着。
当時583系寝台は北海道連絡主体、客車は東北沿線の輸送と役目が分かれていた。
373 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 10:41:35 ID:JHY7PP3t0
そーいえば,いまになっての疑問
上野〜青森の寝台特急の大部分が常磐線経由だったのは,東北本線が他地域への
夜行列車でダイヤが過密???だったからなのかなぁ。
374 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 10:47:50 ID:V/LBGiR3O
東北本線は山越えがあったからじゃないか?
375 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 11:28:27 ID:hUqbOB7s0
>>373 新幹線開業前は昼行列車の過密さの影響で保守間合的意味があった。
奥羽線に入る夜行列車はゆうづるの本数と比較して多いわけでなかったし。
>>374 気動車時代までのはつかりが常磐線経由してたから、全線電化完成以前はその要因はあった。
しかし485・583系電車も活躍した最盛期の新幹線開業前は、車両性能が向上してたので東北本線の勾配はほとんど関係ない。
376 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 12:17:50 ID:itPiMpI3O
つ貨物
377 :
JR死酷:2007/03/22(木) 12:18:31 ID:fnM5JnA70
>373
当時は夜行列車もさることながら、貨物輸送もさらに大盛況の時代でした。
貨物列車の多さゆえに、夜の東北本線はダイヤに余裕がなかったので、旅客夜行は常磐周りが主体だったようです。
>>366 利用者証(番号が「E○○○」になる)持ってなかったら、
新館入口から一時利用(番号が「R○○○」になる)で入ればいいお。
>>373-377 日鉄が海岸線をつくったとき、すでにバイパスの役目というのが念頭にありましたからなぁ。<常磐線
>>377 上野大宮間の容量不足も大きい原因だろうね。
夜行列車が多すぎて夜のラッシュ時に中電を設定できないなんて、今なら暴動モノ。
昔の時刻表を見ると良くあの中電の本数で乗客を捌いていたなと感心。
380 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 18:50:27 ID:GTxRqckA0
>>379 まあ中電は沿線人口が多くなって115系15両編成が活躍してたから、1列車あたりの輸送力は大きかった。本数が今より少なかったのは事実だから、発車時刻を気にする必要はあっただろう。まあスト絡みで上尾事件もあったけど。
沿線が本格的に乗客が多くなったのは国鉄民営化前後。土呂・新白岡などの新駅開設もこの頃だし、バブルで都心の不動産が高くなり東北・高崎線沿いにマイホームを求める人が多くなった。
新幹線大宮発着の頃も新幹線リレー号が頻発していたし、減ったとはいえ上野からの夜行列車はまだまだ多かった。
381 :
名無しでGO!:2007/03/22(木) 19:21:51 ID:Mmnon1zP0
>>373 東北本線は、
金谷川と南福島(当時の永井川信号所)
藤田と越河間の25/1000勾配が輸送ネック
となっていた。(非電化時代)
その為、若干距離は長く、県庁所在地は水戸しか通らないが
優等列車は常磐線回りだったと本に書いてあった。
丸森線(現阿武急)も同様の理由で計画されたが、
時代は変わ、東北線が電化されてしまった後は
あまり意味がなくなってしまった。
藤田、越河の強風による運転抑止や徐行が多い現代、
迂回運転ができる環境が残っていれば、有効であったと思います。
(藤田、貝田間は最近防風柵設置工事済み。当時順光で上りの八甲田が
きれいに撮影できた名所も今はNG!!)
382 :
名無しでGO!:2007/03/23(金) 13:04:54 ID:3pqE3W+N0
ミニ周遊券で東北回った。
急行列車も乗れたし(14系の津軽・八甲田と臨時)途中下車も出来た。
何より安かった。学割だと18きっぷ+αくらい。
383 :
名無しでGO!:2007/03/23(金) 15:22:01 ID:SrvsajHb0
東北ワイド周遊券は郡山が南端だから,八甲田と津軽1本は宿泊がわりに使える
のだよねぇ・・・。東京都区内発だと10日有効だが,これを千葉発にすると
14日有効だったのでわざわざ千葉まで行って買った記憶がある。そして夜行を
駆使して2週間あまり列車乗りまくり!!夜行で出会うヲタ同士の情報交換は
まずは駅から最寄の銭湯の場所の位置が欠かせなかったな。(ネットなかったしね)
>>345 そういう話だったら
通勤帰りにしたたか酔っ払って赤羽で普通列車に乗車したら
寝過ごして起きたら岩手だか秋田だか山形だかの雪景色だった
とかいうのをどっかの掲示板で読んだことがある
キーワード適当に入れてググったら出てきた
翌朝の通勤をどうしたかは書かれてなかったが
東北に新幹線なんかなかった時代の話だろうから大変だったに違いない
>>384 そう言う話も今じゃ「能登」で高崎に帰ろうとしたら
気付いたら富山だったぐらいになってしまったな…。
386 :
名無しでGO!:2007/03/23(金) 19:02:34 ID:iKVe/Ks+0
>>385 そんなやつが
スーパーベルズの曲
であったな
387 :
名無しでGO!:2007/03/23(金) 22:55:38 ID:RC4+0kHz0
>>383 平も南限だったから十和田も使えた。実際自分は利用したし
日本海側は鳥海も天の川も秋田行きだったために中途半端な時間になって使えなかった
もっとも天の川は全車寝台かつヒルネ区間が新潟まで届いていなかったからなおさら使えなかったと思ったが
389 :
名無しでGO!:2007/03/24(土) 08:40:44 ID:7rK0dVXG0
>>383>>388 でも東北ワイドで宿代わりはつらくなかった?北海道・九州のように周遊区間だけで列車が完結しなかったから。
特に東北新幹線開業後の津軽は上下とも福島・郡山が深夜時間帯になったし、八甲田も昭和60年3月以降時刻が大幅に変わって津軽と似た状況になった。
にも関わらずJR化後存置されてた時期でも夜行深夜折返しをタビテツなどでガイドしていたが。
それ以前の頃も上りは寝過ごし、下りは郡山・平以南到着前に満員で目も当てられないリスクもあったし。
390 :
383:2007/03/24(土) 12:52:35 ID:6efvAE+p0
>>389 オラが使ったのは東北新幹線なんてなかったころですよ。
たまに寝過ごしたけど・・・・当時の普通列車は車内改札なかったし
戻るのは簡単でした(笑
391 :
名無しでGO!:2007/03/24(土) 13:15:03 ID:e2elu1TK0
浦和駅近くに在住している祖母(戦前生まれ・岩手出身)も東北本線の夜行列車によく乗ったと言っていた
全線非電化時代のSL牽引の旧式客車にも乗車したらしい
今は岩手に行くときは新幹線を利用しているが
>>385 関西だったら
一杯引っかけて新快速終了後に「きたぐに」で長浜まで帰宅しようとして
うっかりしたら金沢で長時間停車中に目が覚めて一面雪景色だったりとか
ヘタすると空も白み始めてるのに豪雪で抑止掛かってて翌日夜も車内だったとか
敦賀までだったら乗り過ごす客は結構いそうだ
前科のある長浜住人は一本前の米原止めに乗って米原で乗り換えるだろうけど
今NHKで石川さゆりが
津軽海峡冬景色を歌った
名曲だ!!
夜行急行に上野から乗るとホッとした。
風呂敷持っている人や服装も地方?という感じの人、訛りや…
新幹線には無い雰囲気があったなあ。
皆お金持ってる感じは無かったけど。
>>393 上野→青森まで歌では5秒で行ってしまうのだが、
実際急行で乗ったことのある人ならあの距離感を思い出すんだよね。
津軽は青森着が遅かったし秋田より先はガラガラだったから寝るのによかった。
♪「上野発の夜行列車降りた時から 青森駅は雪の中…」
と、青森駅に夜行で着いて『津軽海峡冬景色』を唄い、
♪「は〜るばる来たぜ はぁ〜こだてぇ〜 逆巻く波を乗り越えて…」
と、青函連絡船で函館の市街が見えて来ると『函館の女(ひと)』を唄っていた人いない?
398 :
名無しでGO!:2007/03/30(金) 00:54:28 ID:VsO/7qnV0
age
399 :
名無しでGO!:2007/03/31(土) 10:29:44 ID:pd7fx6/Y0
400 :
名無しでGO!:2007/03/31(土) 10:34:32 ID:pd7fx6/Y0
401 :
名無しでGO!:2007/03/31(土) 10:39:34 ID:pd7fx6/Y0
402 :
名無しでGO!:2007/03/31(土) 17:40:35 ID:VaYSiJER0
上野駅から夜行列車に乗るとき、正面玄関口入ったところ(今はアトレ上野)に
「遠距離きっぷうりば」の窓口があって、そこで乗車券を買うのですが、
普段は券売機で買うのが、この時は窓口に並んで買うのがとても特別なことで、
これから遠くへ行くのだな〜、とそこからわくわくしたのでした。
>>399 粉雪舞い散る小樽の駅に♪
お前も俺か?
保全
405 :
旅と極道:2007/04/04(水) 11:14:36 ID:Ogbb/PaM0
東北&常磐線にムーンライト号のような座席夜行列車の新設を望みます。東北方面の夜行バスの繁盛を見ると需要がある筈です。
406 :
名無しでGO!:2007/04/04(水) 12:47:42 ID:hWd0waGWO
座席客車の臨時天の川に乗った人はあまりいないと思う
>>405 需要はあるが、それは安い価格があってこそ。
新規に参入するならその下の価格を出さなくてはいけない。
しかしその価格で参入して、はたして儲かるのだろうか?
>>407 上越線に出来て東北線に出来ないことはなかろう。
定期列車で運行されればリピーターも期待できる。
初期投資をなるべくかけずに始めれば定着するかもよ。
409 :
名無しでGO!:2007/04/05(木) 06:56:34 ID:1B2ILGlD0
>>406 新発田まで乗ったよ
14系だったので八甲田乗ってる気分だった
410 :
名無しでGO!:2007/04/05(木) 22:58:48 ID:vAEFqv2+O
12月31日、大晦日に乗って実家に帰省した事がある。
何か独特な雰囲気?があった。
411 :
名無しでGO!:2007/04/07(土) 04:33:18 ID:+7PgPPBW0
>>408 まぁ「ムーンライト越後」あるんだから「ムーンライト仙台」あってもいい
とおもうけどな。上野(新宿),赤羽,大宮,小山,宇都宮,白石,大河原
船岡,槻木,岩沼,長町,仙台停車ってところかな。
412 :
名無しでGO!:2007/04/07(土) 05:33:24 ID:8WG5yON10
>>411 もちろん、人口の多い仙台の方が夜行需要が多いと思うが、そこの支社の考え方の違いと時代背景が
あると思う。新潟は夜行バスの需要が増えて夜行の鉄道の地位が危うくなってきたのに危機感を覚え
て「対抗処置」として格安夜行急行「ムーンライト」を14系3両編成で運転を始めた経緯がある。
一方の仙台の方は東北急行の夜行バスがかなり以前から走っていて、それなりに定着をしていたし、
新幹線開業と共に夜行列車を廃止して貨物を主に置いたダイヤに変わっていた。そこへ“今さら”と
いうことがあっただろうし、第一それに使用する車両を仙台では持っていなかった事も大きいと思う。
その後一時期臨時急行「ミッドナイトスター」という485系夜行急行を走らせたこともあったが、多
客期の僅かな運転日に試行的に運転されただけだったので、利用客が付かず消えた。
現在は583系が仙台に配属されてから、これを使用した座席夜行が散発的に運転されているに過ぎな
いのはご存じの通りで、車両の関係から定期で運転することもできない。反面、仙台発着の夜行バス
は首都圏各地に及び、格安バスも台頭して来た。最早利益率の悪い「18きっぷ」客、鉄道ファンに
応えるような列車しか設定できないのは、仕方がないと思われる。
413 :
名無しでGO!:2007/04/07(土) 14:57:15 ID:WwMPhx8r0
>>412 >夜行急行「ムーンライト」を14系3両編成で運転を始めた経緯がある。
俺の記憶違いか?
最初の夜行急行「ムーンライト」は165系3両編成じゃなかったっけ?
で、
3両単位で増結して最大9両編成(うち3両は長岡切離しの新井ゆき)
414 :
名無しでGO!:2007/04/07(土) 19:35:00 ID:S6o9dkvN0
>>413 あまり知られていないが
初代「ムーンライト」は14系の不定期列車
廃車発生品のグリーン車のシートを装備した165系を使って定期化されたのが2代目
3代目が現在の485系
>>412 東北の場合は新幹線開業後も津軽・八甲田が健在だったせいで
却って夜行快速が出来なかったと見るべきかも。
全指のムーンライトでは、当時まだ需要があった区間利用者にとっては嫌がらせに近いし。
>>414 しかも最初は団体列車のバラ売り扱い(「ぷらっとこだま」の様な物)だったんだよな。
417 :
名無しでGO!:2007/04/08(日) 16:43:32 ID:zS+AsAOm0
418 :
アンカーまちがえたスマソ:2007/04/08(日) 16:44:16 ID:zS+AsAOm0
ムーンライトのそもそもの元祖は夜行航空便でないかい?
あれ今あったら便利なのに
>>419 就航可能空港は羽田・関空・千歳・那覇・佐賀だけの予感。
421 :
名無しでGO!:2007/04/11(水) 00:40:33 ID:Z96aiUcR0
422 :
名無しでGO!:2007/04/11(水) 10:41:57 ID:wh7WHfmf0
>>419 昔あったよ。羽田を深夜出航して千歳や福岡に未明〜早朝到着。
まぁいまそんなもの設定したら人件費がバカにならんから深夜バスならぬ
深夜飛行料金でも取らないとあわないだろうな。
>>420 YS-11で途中大阪とか仙台で給油とかのために着陸したんじゃなかったかな?
あと「ムーンライト」という名称は西鉄バスの夜行便にも使われている。
国鉄だって「月光」っていう名があったくらい夜行便にはメジャーなネーミングだな。
平成2年に秋田から20系使用の寝台急行竿灯というのに乗ったが、
車内はガラガラを通り越して空気輸送もいいところだった。
6両編成くらいだったと思うが、客は10数人しかいなかった。
なのに事前に取っておいた寝台券は中段。
秋田を出発すると、次の停車駅は黒磯。
だから発車直後に車掌さんに頼んで下段に変えてもらった。
竿灯の運転は平成2年の竿灯祭りの時だけだったと思う。
しかも下りが設定されていなかったような。
なかなか貴重な体験をしたもんだ。
寝台急行「竿」を運転きぼん
426 :
名無しでGO!:2007/04/13(金) 20:48:59 ID:YPxY5ACX0
あけぼのスレ落ちたな
427 :
名無しでGO!:2007/04/14(土) 00:45:38 ID:gREHL6yq0
寝台特急あけぼのの話もここで良い?
>>423 YS11どころかDC3くらいの時代でんがな。
YSの航続距離は、少なくとも見た目以上にはあるのら。
429 :
名無しでGO!:2007/04/16(月) 09:15:02 ID:tQIS5yI80
福島発03:18盛岡行という普通列車があって中学のとき郡山に住んでいたオレ
はひとりで平泉までいこうとこの普通列車に接続する「津軽」だかに福島まで
乗ったな。郡山駅の窓口で平泉までの乗車券と福島までの急行券買ったら
「福島で寝過ごすなよ」って窓口氏にいわてたのを覚えている。
別の機会には郡山4時ごろ発の仙台行「あづま」(福島から普通)に乗って
福島からは普通列車グリーン料金で急行形サロを初体験したな。
430 :
名無しでGO!:2007/04/16(月) 22:03:28 ID:PuUBbnzE0
>>413 ムーンライトえちごの史上最長編成は12両
忘れもしない深名線最終日の前々日新宿発だった
3日前空き席0だったのが、2日前の16時すぎにいきなり200座席出現
1ブロック(3両)が緊急追加されたと思われる
>>420 北九もある。しかも、ここでは現在唯一その手のことをやってる(に近い)
言わずと知れたスタフラの深夜便
あと、某航空ベンチャーがエバー航空などと組んで、羽田着5時前後の深夜便を
考えてる(折り返しはごく普通に団体客のせて飛ばす)。これは、国際チャーター便で
国内完結の客扱いできるようになれば、すぐにでも実現するらしいぞ
>>429 その列車ここでは散々既出
431 :
名無しでGO!:2007/04/16(月) 22:08:46 ID:w7yHXfLb0
>>429 福島〜仙台間はグリーン料金不要だったろ?
いつも利用してたけど、福島から乗る人は皆当たり前のようにグリーン車
に乗ってたよ。
>>431 途中から急行→普通列車になる場合、急行区間と普通区間を通し乗車の場合、
急行区間のグリーン料金だけで普通区間もグリーン車に乗れる決まり。
したがって、「あづま」の場合、上野から仙台までグリーン車に乗るなら、福
島までのグリーン料金でOKだった。普通列車に変身する福島からは、普通列
車グリーン券が必要。したがって
>>431の言うように、「当たり前のようにグリ
ーン車に乗ってた」とすれば、車掌がグリーン車内の車内改札をしていなかっ
たんじゃないのか?
>>432 あづまは普通列車区間は普通車として解放してた。
434 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 03:14:15 ID:h0M8omw/0
>>433 あのねぇ・・・昭和50年ごろの時刻表あればみるがよろし・・・・。
435 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 03:39:48 ID:A/UXQ16+0
>>408 ないよ。ヲタもなし。
ムーンライト仙台みたいのが走っていたが
あっさり「青春18きっぷの日付変更線がダメ!使えない」だって。
ヲタとか今の時代はそんなもの。
需要があるというあなたの自己満足であり勘違いwだよ。
436 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 03:57:57 ID:A/UXQ16+0
>>412 あとあの頃はまだ上越新幹線がローカル状態で終車が早く、始発は遅い
状態だった。(61.11)新潟以外はロクに使えない状態でもあった。
そんな要望もありました。
今、このような状態で東京〜仙台の状態で考えると
始発は東京6:04→仙台8:04 終車は21:32→23:47分
なおかつ金曜日は東京22:20分→仙台23:59、アクセス接続あり。
仙台からの東京最終21:40分なので、東京〜仙台の設定はムリだと思います。
まぁ東京駅で夜の21時半過ぎに仙台や新潟、そして長野の発車案内がまだ
出ているのは隔世の感ですね。
今じゃ20:04分秋田・八戸とか見ると19:50青森行きは寝台だったんだよなぁ〜と
思います。
437 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 07:26:28 ID:Ef00C3vi0
>>433 東北新幹線開業以降、急行運用を失った急行型電車使用の普通列車では、グリ
ーン車を普通車として開放していたから、それと混同しているのでは?
(余談だが、当時18きっぷ利用で青森に向かうとき、上野を朝一のドン行で出
ると、平〜仙台でこの普通車代用グリーン車に乗れるのが嬉しかった)
厨房〜工房のころ、東北ワイド周遊券を使った机上旅行プランを何度も練った
ものだが、「あづま」崩れの福島〜仙台には普通列車自由席グリーンのマーク
が付いているのを見て「この区間はグリーン車に乗る!」と決めていたから、
末端区間もグリーン車として営業していた。
同様の例としては夜行「大雪」崩れの北見〜網走間もあり。
いずれも東北・北海道地区の普通列車グリーン車は珍しいから目を引いた。
その後、実際に「あづま」、「大雪」の同区間に乗車する機会を得たけど、
いざ乗ってみると、工房の身にはわずかなグリーン料金が惜しくて、結局
乗らずじまい・・・orz
438 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 23:38:21 ID:7SIPiIbV0
>>437 東北新幹線大宮暫定開業時は、まつしまなどの急行がまだ数多くあったから急行運用を失ったという表現は不適切。
しかし昭和60年3月の新幹線上野開業時は交直流型急行運用一気に全廃になり、上野口の急行もスカスカになってしまった。
件の平―仙台の急行型運用でグリーン車開放は、当時の旅と鉄道でもルポされてたな。
あと急行運用が残ってた当時、快速に格下げされた仙台〜盛岡のくりこま号もグリーン車はグリーン料金必要で、当時普通車は常時混雑してたがグリーン車だけガラガラだった。
また昭和59年2月から磐越西線内に封じ込められ、快速格下げされたばんだい号もやはりグリーン車は営業してた。
だから>433は池沼の記憶なのは確かではある。
439 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 23:45:37 ID:Y25tXgApO
440 :
名無しでGO!:2007/04/17(火) 23:54:02 ID:Ef00C3vi0
グリーン車といえば、急行「鳥海」のスロ62に乗ったことがある。
秋田から上野まで乗ると、B寝台より料金が高いのはちょっと解せなかった
が、夏休みで混雑する普通車に引きかえ、さほど混雑もせず、ゆったりとし
て冷房の効いた車内でふんぞり返っての旅に、なんとも言えない優越感を覚
えたものです。高校時代、1979年のこと。東北ワイド利用ながら無理してフ
ンパツしたのです。
>>438 駄菓子菓子82年秋の時刻表を見てみると・・・
442 :
265:2007/04/18(水) 02:48:08 ID:ovTD6z230
「あづま3号」の福島以北のグリーン開放は確か1981年5月の連休明け頃からと記憶
200km以下だとクリーン料金が安かったので
大宮23:55発宇都宮行最終のサロ 165で小山まで先回りして
(高シマ車の「なすの」送り込み運用)
小山→福島でグリーンの指定をとって何回か乗りました.
福島での25分停車中にシートカバーを外してましたが、
熟睡してるとそのままにしてくれたりして、座席によってカバーがまちまち
ということもありました.
もっとも 閑散期なら普通車でも十分空いていたので
宇都宮→福島は普通車で過ごし
福島で増結される編成のサロ455に乗り移ったことも....
443 :
名無しでGO!:2007/04/18(水) 07:07:44 ID:Nj6X7X7s0
>>438 東北新幹線が上野まで開業して東北本線の昼行急行が全廃され
かろうじて奥羽本線経由「つばさ」数本と会津若松行「あいづ」
が残ったころは,黒磯以北の一部普通列車にも「まつしま」など
に使われた急行編成がそのまま投入されグ開であった。
このころの黒磯〜福島の普通列車(含快速)は
@旧来の雑形客車
A郡山〜仙台に50系客車運用1往復
B旧「まつしま」等に使用されていた急行形電車(グ開)
C磐越西線,磐越東線にそのまま乗り入れる快速と同じ運用のキハ編成
D仙台からくる夜松川折り返しするものが417系だったか・・・
車両詳しくないので一部不正確かもしれんがこんな感じだった。
444 :
443:2007/04/18(水) 07:09:36 ID:Nj6X7X7s0
↑をちと訂正
東北本線の昼行急行が全廃され×
東北本線の黒磯より北へ向かう昼行急行が全廃され○
に訂正
>>443 それが今じゃ
(1)オールロング3扉の701系
(2)セミクロス3扉のE721系
だけになるのか…7月からだが。
>>445 719は?
7月から磐西と仙山だけでしか見られなくなるの?
447 :
名無しでGO!:2007/04/18(水) 16:19:42 ID:TVudZKBH0
確かに新幹線開業前頃から
急行あづまのなれのはて福島〜仙台間は
グリーン車開放だった。
シートカバーこそ無かったが、乗り心地はまさにサロ
>>438 何時頃の話か確認しないまま、433氏を池沼呼ばわりするのは
感心しませんね。
>>443 60・3改正(東北新幹線上野開業)時には普通客車列車も仙台口から消えた気がするが。
449 :
名無しでGO!:2007/04/18(水) 19:41:47 ID:eAKjwwfo0
>>446 あ、719系も郡山まで来るんだった…攣ってくる
451 :
名無しでGO!:2007/04/19(木) 00:07:53 ID:SpKt86oD0
>>448 その通り全て電車・気動車化で、客車は一ノ関以北となり、一ノ関〜盛岡が50系・
盛岡〜青森が12系と50系の運用で旧客そのものが消えた。
>>443 その改正で交直流急行型のグリーン車運用が無くなったから、グリーン車開放の定義になるものか?それから後一部はクハに改造されたり、リクライニングがロックされたりもしたわけだし。
それからレスに間違いが多く
>>448にも指摘されてるから、あまり書かない方がいいぞ!
452 :
名無しでGO!:2007/04/19(木) 01:49:15 ID:D6yNXT0e0
>406
遅レスですまぬ。
小生、昭和62年のGWに、上りの臨時急行「天の川」に酒田→上野で
乗ってます。
12系の座席車編成。GW最終日だったせいもあり、車内はガラガラ。
明け方、熊谷で後続の「ムーンライトえちご」に抜かれたのには驚いた。
急行が快速に抜かれるのかよ・・・・と。(天の川=客扱停車、えちご=通過)
その夏のお盆に青森から乗った「おいらせ」も見事なほどガラガラだったナ。
>>451 改正後 改造クハが出そろうまで間 仙台のサロ455もごく少数運用されていました
少なくとも1985年4月末に夕方の常磐線原ノ町行でみたことがあります
また仙台に改造配属されたクハ455-608 & 609は
当初サロ165のリクライニングシートのままで
(肘掛横の折りたたみテーブルと灰皿 そして冷水器の撤去のみ)
1988.3改正にあわせて発生品のボックスシートを使ってセミクロス化されるまでは
限りなくグリーン車に近い内装のまま使われていました
454 :
443:2007/04/19(木) 12:42:51 ID:MHjcx+Cr0
確かに間違いたな。郡山07:00発の仙台行は50系⇒寝台特急改造型電車
だったかな。でも黒磯〜福島間にはまだ旧客やまほどあったよ。
あと「まつしま」等の余剰車両のサロは磐越西線の快速ではグリーン車と
して営業していたから「グ開」といってもいいでしょう。順次改造されて
いって気づいたらみなくなったけどね。
455 :
名無しでGO!:2007/04/19(木) 14:51:35 ID:kSS2BUsuO
なんだかスレ違いのレスばかりのような気がするのは、俺だけ?
456 :
名無しでGO!:2007/04/19(木) 19:18:42 ID:GcqB58hV0
サロ付きの急行型455系は快速仙山にも使われていた。
同じ仙山線を走るDC急行べにばな よりも快適だった。
457 :
名無しでGO!:2007/04/19(木) 21:24:23 ID:x/WeSDb10
>>452 オレも平成元年の十和田の臨時急行に乗りましたが上野発車は座席定員程度の
発車でした。当時は「やっぱ臨時はすいているなぁ」と思ったけど・・・
今、思えば新幹線時代は少しづつ定着していったんだね。
最後の津軽(平成9年)は入線しても自由席が座れる状態。
悲しかったね。
東北夜行というよりか懐かしの東北の列車達スレになってるな。
だが懐かしいので良い。
459 :
名無しでGO!:2007/04/19(木) 23:03:04 ID:+5PAQ1uR0
>>454 >でも黒磯〜福島間にはまだ旧客やまほどあったよ。
まだ言ってるのか!昭和60年3月改正後、旧客が運行されてたのは山陰線・福知山線の一部と函館本線だけ。
見た旧客が廃車用で留置してたなら話は分かるが。
460 :
名無しでGO!:2007/04/20(金) 12:02:27 ID:4OkvTziW0
>>459 仙台地区はDD13を旧客の前後に付けてさよなら運転やったっけねぇ。
461 :
名無しでGO!:2007/04/21(土) 11:21:38 ID:DTcFBeFb0
>>460 それ日中線の廃止間近のイベント時の希ガス。
それ以前の日中線は、終点の熱塩駅で側線を使った機回しをしていた。
客車とDLの解結・側線のポイント交換・再連結という面倒くさい作業を
無人駅なもんだから、なんと車掌がたった1人でそれをやってた!
で、
「和田岬線(当時)のように両端にDL連結して
プッシュプル方式で運転すれば楽なのだが、どうよ?」
と、俺が進言したら、本当に実現したw
おまえの進言は関係ないだろw
末期に機回し辞めたの、危ないからだろ。
熱塩は線路に降りてやりたい放題だったからな。
463 :
名無しでGO!:2007/04/21(土) 14:08:17 ID:DTcFBeFb0
>>462 単に危ないからという理由だけならば、
DL+PC+DLのプッシュプルなんかよりも気動車のほうが安全でしょ。
昨日松田優作の映画を深夜にやってて
八甲田だかに乗るシーン(車内はセット)があったけど
普通席ボックス客室の電灯は深夜帯に減灯してたの?
長時間停車しなかった区間てどのあたり?
てか、外観は横須賀線みたいな車両だったな(車内は急行型だったけど)
>>464 12系時代と14系と両方乗ったけど、減光はしていたよ。
長時間停まらないっていうと、どこだろ。
八甲田か・・・・。
昭和の末期に乗ったとき、ふと目が覚めると白石の中ホーム側に運転停車していた。
「なんでこんなところに停まってんだろ」と思ったら、
はくつるが駆け抜けていった、なんてことがあったな。
懐かしい。
466 :
名無しでGO!:2007/04/22(日) 07:27:48 ID:vwiIfyFx0
「八甲田」、1980年代前半、12系にはよく乗った。それも下り列車。
青森に行く時は、上野発と青森到着の時刻がとても便利だった。
(上りは、上野着が11時を回ってしまうのが難点)
下り列車では、福島まで日本食堂の車内販売が乗車していた。
食堂車どころか車内販売すらないブルトレがはびこっている昨今のことを考える
と、なんとも良い時代だった。
そういえば、たま〜に無許可営業のアイスクリーム車販も出没していたな。
467 :
名無しでGO!:2007/04/22(日) 11:36:03 ID:IebbW0O90
>>466 当時の八甲田は上野―仙台で有効時間帯に入るから、まつしまと同じ役割があったのだろうな。
でもゆうづる・はくつるはその当時も車内販売はなかったけど。
1985年3月14系化後の八甲田は、十和田の経由変更と同じだから、八戸〜青森で車内販売があった記憶が。
>>467 12系時代の定期「八甲田」
当時仙台に住んでいて 上りは朝一番下りは最終という感じで乗っていました.
福島以南は 上下とも「あづま」が補完するように雁行していたので
繁忙期でも安心感がありました.
そして上野口最後のEF58牽引の定期列車だったでしょうか.
(末期は上り「八甲田」と下り「津軽」だけだったと記憶していますが)
> たま〜に無許可営業のアイスクリーム車販も出没
薄汚れた白衣を着たおっちゃんが段ボール片手に歩き回っていたような....
469 :
名無しでGO!:2007/04/23(月) 08:47:40 ID:QTuBtXVM0
東北の夜行急行で、初めて14系化されたのは、3往復あった「十和田」のうち、季
節運転の1往復だったでしょうか?
私は、1980年の4月、北海道からの帰りに「十和田6号(青森21:35→上野9:55)
を利用しました。この列車、当時旧型客車急行だった「ニセコ2号」を受けていて、
札幌から上野まで、新旧客車急行の旅を満喫しました。
青森発、上野着の時刻ともまずまずなのに、車内は閑散。翌朝、水戸でそこそこ乗
車したのですが、水戸発車直後「この列車は、急行ですが快適な特急車両で運転し
ています」、「常磐線沿線から東京方面への朝のお出かけに大変便利です」、「こ
れからの運転日は・・・」と、しきりに「十和田6号」を売り込む車内放送が流れ
ました。後にも先にも、このような特定の列車の利用を勧める車内放送を聞いたこ
とがないので、いまだ印象に残っています(それも、国鉄時代でしたし…)。
470 :
名無しでGO!:2007/04/24(火) 12:46:55 ID:COAx6HZ10
>>469 その通りで、当時の14系急行は他に阿蘇・くにさき、雲仙・西海だけだった。これら山陽夜行急行も半年後の10月改正であえなく廃止されたけど。
まだ急行普通車はボックスシートが当たり前の時代だし、臨時特急も14系座席車が使われていたから、乗り得だったのは確か。
しかしそのような車内放送がされたのは珍しいな!特急並の設備に関わらずガラガラな日が多かったので涙ぐましい努力だったか?
471 :
名無しでGO!:2007/04/24(火) 12:56:49 ID:O5O5KUbw0
簡リクがバタンバタン戻るのが玉にキズだったな(笑
>>471 簡易リクライニングシートは評判悪かった。
一世代前のロマンスシートの方がまだマシ。
前の座席の背に付いているテーブルは
使えそうで使えないが、それは昭和30年代のご愛敬。
スレ違いになるが、かつての在来線「とき」でも
自分は、183系じゃなくて181系を選んでた。食堂車もあったし。
473 :
名無しでGO!:2007/04/24(火) 17:24:10 ID:mNxntZpJ0
>>472 181系に食堂車があった時代は、よく181系の方が乗車率がいい話は聞かれたな。
昭和53年7月以降に食堂車が外されてからは知らんが、181系運用の本数が減ったから183系と乗車率は大差はなくなったのかな?
ときぐらいは同じ上野発着だったからスレ違いでもご愛嬌。
>>472-473 ときの食堂車は聚楽の営業で味・サービス共に良かったしな。
逆に東北筋の食堂車は当たり外れが大きかった。。。夜行の食堂車に乗る機会は遂に来なかったがw
475 :
名無しでGO!:2007/04/24(火) 21:36:13 ID:PVubm+nD0
>>471 バタン椅子、なつかしいね。
背もたれ倒して寝て、寝返りしただけで「バタン!」って背もたれが起きて…。
これでみんな夜中に起こされたんじゃないかな?。
>>472 スレ違いの上塗りになるが。。
上野口での特急全盛時代、特急用車両だがどうも183・189系は安っぽく見えた。
485・489系とそんなに変わらないんだが。2ドアがいけないのか、運転室上のヘッドライトが効いているのか、正面の塗りわけだろうか??
そんな中に割って入ってくる上越の主181系。凸凹編成は頂けなかったが、幕式ではないサボも良い味をだしていて、さすがの貫禄だった。
白山・はくたかの絵入マークボンネットも良かったな。
15時台かな?8番線に181系のときと9番線に489系のはくたかが並ぶ時があった。
はくたかのボンネット編成はその時の運だが、絵入ボンネットが並ぶ光景は至福の時間だった。
その時10番線にも9連のひたちが入っているんだが、停止位置が大幅に違うのでボンネット3並びはさすがに見れなかった。
477 :
名無しでGO!:2007/04/24(火) 21:43:08 ID:pP/0FbJ40
東北夜行の食堂車といえば、漏れが消防だった1973年に「あけぼの」に乗ったときは、食堂車
が連結されていた。弟と2人、子供だけの旅だったので、たぶんバーちゃんが持たせてくれた
弁当を食べたんだろう、食堂車の中はチラッと覗いただけだった。何か食事すれば良かった…
と思うのは今だからこそで、当時、小学生だけで飲食店に入るなんて思いもよらなかった。今、
ファストフードなんかで小学生だけで食事している光景はまったく普通だが…。
そういえば、当時、時刻表を見ると、急行「十和田」にビュフェのマークが付いていた。ビュ
フェといえば、新幹線に連結されているそれしか知らなかったので、「客車のビュフェって、
どんな車両だろう」と、気になっていた。それが「オシ16」という車両だと知ったのは、「十
和田」のビュフェが消えて4〜5年を経た、1977年かそこらでありました。
478 :
名無しでGO!:2007/04/25(水) 00:23:24 ID:zG8WqmWV0
>>474 ときの食堂車は日食の営業もあったけどな。181・183系混在の13往復時代は181系が6往復なので、聚楽営業を狙うなら相当列車が限られた。
>>476 元々房総特急でデビューしたせいか、2ドアと食堂車なしが特急として安っぽく見えたのだろう。特急の価値を低くした車両と当時でも囁かれたし。
ところでボンネットの絵入りが良かったと思うのは、昭和40年代半ば生まれの現在30代半ば〜後半の世代か?
それより上の昭和30年代生まれは、151系こだまが文字とローマ字のマークのイメージが強かったので、絵入りのボンネットはどうも受け入れられなかった。
>>478 それより上の昭和30年代生まれは、151系こだまが文字とローマ字のマークのイメージが強かったので、絵入りのボンネットはどうも受け入れられなかった。
そうだね、私は40代半ばのオッサンですが、ボンネットの絵入りヘッドマークが登場したときは唖然とした。
181系「とき」の旧ヘッドマークの「とき 朱鷺 TOKI」は秀逸だったのに・・・。
引き続きスレ違いなのでsage
480 :
名無しでGO!:2007/04/25(水) 10:57:02 ID:C2uuJuUY0
夜行急行の食堂車やらビュフェが廃止方向になったのは
「きたぐに」事件が原因とかきいたことあるが
それって本当なの?
481 :
名無しでGO!:2007/04/25(水) 12:19:03 ID:/evyLYzJ0
>>480 それ以前から削減方向になっていた。583系ゆうづる・はくつるは営業時間が短く、きたぐに火災事件以前から営業を取り止めていた。
きたぐに火災時点でも夜行急行に限定すれば食堂車営業はほんの僅か。まあこれがきっかけで夜行急行の食堂車・ビュッフェは全廃されたが。
482 :
名無しでGO!:2007/04/26(木) 18:02:45 ID:yXVL5kSZ0
松本清張原作丹波哲郎主演の「砂の器」で丹波扮する刑事が羽後本荘へ出張し
帰りの夜行急行の中であたりまえのように「食堂車でビールでも飲もうや」と
同行の若い刑事を誘うシーンがあるけど今となったらありえない光景なんだな。
>>482 今じゃ駅前コンビニでビール買ってだな。
484 :
名無しでGO!:2007/04/26(木) 22:14:50 ID:OwUDfHp20
>>482 いや、勤務中に飲酒という段においてry
>>480 47.11時点で、既に急行の食堂車営業はきたぐにと十和田だけ。
どちらかというと「トドメを刺しやがった」てな感じですね。
486 :
名無しでGO!:2007/04/27(金) 00:10:36 ID:QUFjKjQX0
>>482 列車内での飲食行為自体が非常識とされる時代だからな。
487 :
名無しでGO!:2007/04/27(金) 08:41:50 ID:8od6Vozq0
静岡県在住の者ですが、一時期青森県にいたことがあります。
なので、東北夜行にはよく乗りましたが、年末の帰省の際に乗る上り列車が印象に
残っています。
年も押し迫り、雪が降りしきる青森駅から「十和田」に乗り込み、座席で眠って目
が覚めると、青空から明るい太陽が降り注ぐ関東平野を快走している…一夜の間の
「陰」から「陽」への転換に、「帰ってきたなぁ」との感慨が高まるのでした。
時々、「津軽」にも乗ることがあって、その時はカマ替えのために停車時間に余裕
がある黒磯駅で、「九尾釜めし」を買うのが楽しみでした。
横川駅の「峠の釜めし」も食べたことがありますが、私は「九尾釜めし」のほうが
美味しいと思いました。黒磯駅も長距離列車とは無縁となってしまいましたが、あ
の「九尾釜めし」はいまでも売っているのでしょうか…?
488 :
名無しでGO!:2007/04/27(金) 09:00:53 ID:0I6oJlLU0
>>487 漏れも九尾釜めし他黒磯駅の駅弁好きだったな。
昼行特急でも上野発09:04の臨時つばさは14系客車編成なので黒磯駅で
機関車交換で9分だか停車したのだよな。時間にして11時頃。弁当屋に
群がる人だかり・・・。釜飯のほかにも高原栗めしとかいろいろあって
繁盛していたが・・・
いまじゃ九尾ブランドの「フタバ食品」が駅弁から撤退している。
一応同社の事業では病院やら官庁内での弁当の販売もあるそうだが,
電話で問い合わせてみたら,昔の黒磯駅で売っていた商品と「似たよう
なもの」ですらないそうだ・・・。
>>487-488 2005年秋にアボーソしたよ。。。>フタバ食品の黒磯駅弁
肉めしや与一鍋、なめこ汁売りで有名だった高木食品の駅弁も2001年に廃業。
前にもレスがあったが黒磯の駅も街も廃墟だな…
491 :
名無しでGO!:2007/04/27(金) 20:11:24 ID:ZRZOx6/h0
やはり黒磯はE231系と701系の組み合わせでは駅弁買って列車に乗る気になれないな。
>>491 ローカル線のロングシート化の目的の一つは車内での飲食阻止だからな。
>>492 あと、工房の喫煙問題もあったでしょ、男鹿線のDD51と50系客車なんか
工房がタバコを吸ったりして問題だったよ。
しかし地方都市の鉄道離れ、特に通勤利用の減少に寄与した気はする。 >ロングシート化と夜行廃止
盛岡―一ノ関なんか典型。
495 :
名無しでGO!:2007/04/28(土) 21:21:23 ID:ko+xtyjW0
>>494見て思い出したんだが、かつて東北地方の通勤客が、名古屋発の東北ワイド
周遊券を取り寄せ、往路用のA券は放棄して、B券を定期券代りに特急や急行で通
勤するという例が結構あったらしい。盛岡〜一ノ関とか、青森〜八戸なんかは、そ
ういった利用をされる代表的な区間だったと思う。
>>495 1981年春頃に新聞で読んだ記憶があります(当時仙台在住)
当時の時刻表(復刻版ですが)によると
「東北ワイド周遊券」名古屋からだと20日間有効で17100円
一ノ関→盛岡 乗車券片道1080円 急行料金500円(1981.4当時)→10.82回分
通勤定期の 27170円/月 とくらべても お値打ちだったようです.
ちなみに当時のダイヤ
一ノ関 → 盛 岡
531・・・737
655・・・815 急 いわて3号
703・・・825 急 十和田5号
706・・・853
盛 岡 → 一ノ関
1750・・1958
1823・・1949 急 たざわ4号
1900・・2007 急 くりこま6号
1955・・2112 急 十和田2号
2008・・2212 (普通列車最終)
2110・・2219 急 いわて4号
2250・・ 003 急 十和田4号
>>495 山陰地方の行商のオバチャン達も周遊券を定期代わりに使っていたらしいね。
498 :
名無しでGO!:2007/04/29(日) 09:26:21 ID:OUo+gws20
>>495-497 それらの影響や、北海道ワイドの周遊券交換が横行してたせいで、ワイド周遊券の最高有効日数が20日から14日に短縮されたのだな。
ただ東北ワイドについては新幹線開業で
>>496の使い方はできなくなったが。
499 :
名無しでGO!:2007/04/30(月) 00:15:22 ID:qAdXrcP80
東北ワイドといえば、私は某県からはるばる東北地方の某国立大学を受験したのですが、
たしか二次試験から合格発表まで10日くらいあったので、東北ワイド周遊券片手に受験
に出かけました。「センター試験」ではなく、まだ「共通一次」だった頃です。
さすがに受験の前の日は、昼行の電車特急に乗り、ちゃんとした宿で寝ましたが、試験
が終わると今日は「十和田」、明日は「八甲田」、その次の日は「津軽」・・・と、東北夜行
をフル活用して、合格発表の日まで連日東北各県乗り鉄三昧でした。
まぁ、何ともお気楽な受験生でしたが、大学には無事受かっていたので良かったです。
500 :
名無しでGO!:2007/04/30(月) 00:20:46 ID:rIeK4LnuO
ぬるぽーっ(^O^)
501 :
名無しでGO!:2007/04/30(月) 00:53:33 ID:2oKGyUCO0
ガッ!
502 :
名無しでGO!:2007/04/30(月) 01:16:58 ID:9c7fkmfq0
>>498 でもそれやったの分割民営後の話だからね。
「だから何?」って感じが少し、さみかったなぁ。
>>502 やった頃は、既に周遊券を使って旅行する時代じゃなくなっていたもんな〜。
今やワイド・ミニ周遊券自体無くなってしまったものな。。。
505 :
名無しでGO!:2007/05/02(水) 17:51:42 ID:fHC75VEP0
スレ違いだが
ワイド周遊券で夜行列車使って宿泊費浮かすのができたのは
北海道・東北・南近畿・山陰・四国・九州・九州北・・ってところだったな。
北近畿も自由周遊区間に京都延長があったとき「山陰」使って京都〜鳥取が
できたなあ。
506 :
名無しでGO!:2007/05/02(水) 17:53:27 ID:fHC75VEP0
↑に北陸を追加(連投スマソ)
東北新幹線上野開業で
東北の夜行急行が14系座席車の「津軽」と「八甲田」だけになってからも
しばらくの間は 上下ともに福島で相互に乗り継げて、
東北ワイド周遊券利用にはありがたい存在だった
TR50のジョイント音が好きで、八甲田に乗る時はナハ11を選んでいたが
冬場に目が覚めたら(盛岡近辺?)窓の桟に雪が積もっていた。
あとは磐越東線直通の臨時急行「みはる」、スハ32やスハ33がズラリ。
金返せと言いたくなったが、意外にTR40・47を履いたスハ33は
乗り心地は悪くなかった印象がある。
当時年末年始やお盆の臨時列車は品川発もありましたね。
509 :
名無しでGO!:2007/05/03(木) 05:54:14 ID:cUC866Hk0
>>508 >当時年末年始やお盆の臨時列車は品川発もありましたね。
上野駅の混雑緩和の措置でしたね。品川駅に行くと、臨時ホームの存在に往時を思い出しています。
当時私は小学生だったので、時刻表を見て「すごい!東京駅を通過するのか!」とびっくりしたのですが、
あれは山手貨物線経由で、東京駅は通らなかったのでしょうか?年末には、東北方面からの静岡県・神奈川
のミカン農家への出稼者の帰省用に、静岡発青森行きの臨時急行<あおもり>が運転されていましたが、あ
の列車は正真正銘の「東京通過列車」でしたね。
また、お盆や年末年始は、下りの品川発に対し、上り長距離列車は赤羽止まりというのもあったかと記憶し
ています。
510 :
名無しでGO!:2007/05/03(木) 06:11:41 ID:KZimziyeO
東北夜行の需要はなくなったわけではなく高速バスがその需要を満たしている
511 :
名無しでGO!:2007/05/03(木) 09:26:57 ID:+GTAmiHl0
>>505 信州ワイドで夜行トンボ返りをやった猛者もいた。
上野口に唯一残る座席夜行急行「能登」
平日は閑散としていて、
短距離のライナー代わりの乗客を含めても5割には遠く及ばず
知名度の低さに加え、周遊券のメリットが無くなり
東京金沢両地区で発売されている往復きっぷで
「北陸」のB寝台(ソロ可)に乗れるのも一因?
東北夜行でなくてスマソ
513 :
名無しでGO!:2007/05/03(木) 12:53:55 ID:ZZMithdE0
>>509 品川発の時は山手貨物線経由。
>>506 北陸ワイドで宿代わりはきたぐに程度か?途中駅間の乗降と時間帯的にちょっときつかったと思うが。
>>511 ミニ周遊券利用でもそんな猛者は結構いただろう。このスレタイ絡みなら福島・会津、仙台・松島、山形・蔵王などでも。
514 :
名無しでGO!:2007/05/03(木) 15:33:29 ID:cUC866Hk0
好摩〜盛岡の往復乗車券と急行券を別払いしても良い、というのなら、東北新幹線
上野開業(1985年3月)以前は、青森〜盛岡間は「青森・十和田ミニ周遊券」利用
で<八甲田>を宿代わりに利用できた。
青森0:02→2:49盛岡3:18→青森6:15、別払い額…乗車券680円+急行券1,000円=1,680円
(交通公社の時刻表 1984年5月号による)
515 :
本物急行さんべ:2007/05/03(木) 15:39:10 ID:J4PMw+0R0
「よつばちゃんねる」にアクセスしろ。東北夜行の裏の裏を教えてやるぞ。あけぼのからみちのくまで列車の遍歴教えてやるアクセスは「よつばちゃんねる」の「鉄道」カテだ。待ってる。名無しでゴー。
516 :
名無しでGO!:2007/05/03(木) 18:53:33 ID:ReLVk33O0
>>514 それが成立した当時でもやりたい気は起こらなかったな。別料金必要なのに熟睡できず、寝過ごすリスクもあり。
普通に安宿泊まるか、夜行を宿代わりにしたいなら少々奮発して東北ワイドにしただろうな。
>>511 スレ違いで恐縮だが、昔よく急行「きそ」で木曽福島返しをやったモノだ。
乗り過ごして中津川まで行ったことも何回かある。。。(´・ω・`)
スレチだが、オレも大雪の上川返しをよくやったよ。
寝過ごしそうになっても必ず「ハッ!」と目が覚めるか、
隣に座って雑談していた見ず知らずの人が起こしてくれた。
あの時起こしてくれたおじいちゃんや野球少年はお元気だろうか・・・
東北ワイド周遊券で乗り歩きついでに
18きっぷ1枚使って 青函連絡船のお別れ乗船をしたことがあった
新潟からつかまえた「白鳥」(クハ481-21)は人大杉で結局青森まで座れず
おかげで函館までの八甲田丸では桟敷席で爆睡
かえりの摩周丸は椅子席の窓側でのんびり
なくなる1週間前の思い出(1988.3.5〜6)
521 :
名無しでGO!:2007/05/05(土) 14:59:51 ID:HIZgpfbR0
>>513 ある時期上り「きたぐに」が糸魚川00:40頃発で敦賀05:26頃着だった。
この「きたぐに」に乗るため上り「能登」を金沢あたりから使うと糸魚川
00:10頃でちょうどよかった。漏れは東京発の北陸ワイドで有効期間中ず
っとこの手法で北陸に篭った。糸魚川の待合室での30分はたいていだれ
かしら「同業者」がいたりして旅程論議などで華を咲かせたものだ。
まだ電車急行「佐渡」が健在で「きたぐに」が14系客車だった頃の話です。
522 :
名無しでGO!:2007/05/05(土) 20:26:56 ID:m6eBubko0
>>521 そのダイヤはきたぐにが青森へ運転してた頃とほぼ同じだが、当時でも糸魚川から座るのに苦労しなかった?少なくとも今の時期みたいにピークシーズンはやりづらそうだった。
それに寝不足が伴い、日中の列車はほぼ睡眠列車と化しそうで、バリエーションがほぼワンパターンでつらそうだ。
ただ北陸ワイドは東京・名古屋から手頃な価格で行きやすかったのはあるな。
保全
524 :
521:2007/05/07(月) 23:14:54 ID:vU9MSsF60
>>522 青森までいってはいなかったような気がする。14系客車のころだ。
ピークシーズンじゃなかったが糸魚川から座れたよ。敦賀で寝過ごして
米原までいってしまい戻ったりね(笑
525 :
522:2007/05/08(火) 02:06:29 ID:Rg6yNIRd0
>>524=521
14系時代は新潟発着になってたから、その意味でない。ダイヤが青森まで行ってた時代とほぼ同じという意味。
やはりその程度の乗車時間なら寝過ごすことあるだろうな。
仮に今の583系のダイヤでそれをやるともっと時間が短いし。
526 :
名無しでGO!:2007/05/08(火) 14:05:15 ID:SNUojgiY0
「きたぐに」といえば、青森まで逝っていた時代、もう「夜行列車」とはいえない
時間帯に、青森県内の田んぼの中(津軽平野)を、12系客車にスロフ62を1両くっ
つけて、けだるそうに走っていた姿が印象に残っています。
当時、青森のローカル新聞の一面に、奥羽本線の青森〜川部間の複線化を要望する
沿線自治体の動きを伝える記事が掲載された時、そこ使われていた写真が、なぜか
「きたぐに」を後追いで撮影したもので、最後部のスロフ62がデカデカと写ってい
るのに萌えたこともありました。
527 :
521:2007/05/08(火) 14:27:56 ID:6OHvvy130
まぁ北陸ワイドに限らず,東北でも四国でも九州でも夜行連泊はやったし,
ワイド周遊券に嵌らない部分は夜行普通列車を巧みにつかって未乗線区を
つぶせるような長距離(&変な経路)普通乗車券で乗り鉄したけど,
毎日14時〜20時頃が「睡眠時間」でしたな。昼過ぎのガラガラの普通列車
でワンボックス占領して爆睡して夕方頃高校生たちで満員になったころ起き
たりして(笑・・・。今なら「鉄ちゃんがいる」ということで「納得」しただ
ろうけど,当時はオラみたいな「乗客」は奇異だったみたいで,なかには
「大丈夫ですか?」とか声かけてくれる優しい人いたりしたな。
528 :
名無しでGO!:2007/05/08(火) 23:31:51 ID:7XatJ+im0
山陰ワイドの場合、東は0時頃の福知山からだいせんや山陰が
利用できたが、西はさんべでの2時頃の須佐折り返しや
同じく真夜中の備後落合でのちどり折り返しがきつかった。
529 :
名無しでGO!:2007/05/09(水) 00:53:20 ID:Sjn0tSlD0
530 :
名無しでGO!:2007/05/09(水) 07:12:41 ID:5GyJ2aYM0
大垣夜行、中央山岳夜行に触発された本スレだが
すでに両方とも鬼籍のスレとなりますた
このスレのオサーンパワーは凄いなw
>>530 北海道を目指す際にはみんなお世話になっていたからな。
乗車経験人員の多寡だろうよ。
大垣も相当な数に上るだろうが、単立ではダメだったか。
532 :
521:2007/05/09(水) 19:08:36 ID:HfP9cVhW0
先日いい歳コイて青春18遊びしたが,夜行なくても,ちょいと大きな町なら
ネカフェの1軒あるからそれで事足りるんだよな。
青春18を2セット一気に使って・・・9泊10日の乗り鉄旅行・・・
うち夜行列車4泊,ネカフェ3泊,あと2泊はわりとマトモなBH
>>530 東北の場合座席夜行はおろか寝台まで全滅したからね。
最末期にしか乗れなかった俺は悔しくて仕方が無い。
534 :
名無しでGO!:2007/05/09(水) 23:00:06 ID:4kB6OWvo0
>>534 もはや名前だけが残ったようなモノだからな。 >あけぼの
しかも運休率の高さは尋常ではないし。
>>534 板谷を越えない「あけぼの」はもはや真の姿ではない。
それにしても、1979年3月にナロネ21に乗ったのは良い想い出だ。
あれは鳥海のままの方が良かったな。
538 :
名無しでGO!:2007/05/11(金) 23:04:48 ID:LY718sQ00
>>537 「鳥海」という名前は、旧型客車を連ねて走った夜行急行にこそ似つかわしい
名称だった。急行「鳥海」は、12系・14系化されず、旧型客車列車のまま消え
ていった。
その後、「鳥海」は羽越回りの上野〜青森寝台特急の名称になったのだが、あ
れは、2往復あった秋田「あけぼの」を青森に延長したとき、運転経路を羽越
回りに改めたので名称変更したんだっけ?
そういえば、上野〜青森の昼行電車特急「いなほ」が季節格下げになったとき
にも「鳥海」を名乗っていたね。
539 :
538:2007/05/11(金) 23:07:45 ID:LY718sQ00
>>538 すみません、ちょっと訂正。
(誤)2往復あった秋田「あけぼの」を青森に延長したとき、
↓
(正)2往復あった秋田「あけぼの」のうち、1往復を青森に延長したとき、
>>538 90年、奥羽線改軌の本格化に伴い「あけぼの」2往復中1往復を陸東経由に変更、残る1往復を羽越経由とし「鳥海」に改称。
運転区間は共に上野―青森。話に出た秋田行の寝台特急は「出羽」か?(上野―秋田、急行「鳥海」の格上げ列車)。
>上野〜青森の昼行電車特急「いなほ」が季節格下げになったとき
>にも「鳥海」を名乗っていたね。
57・11改正で急行鳥海が廃止され、それまでの特急いなほ3・4号の踏襲ダイヤで定期特急として鳥海新設。
その後60年3月改正(?)で臨時列車へ格下げになり運転区間も上野秋田間になった。。
542 :
名無しでGO!:2007/05/11(金) 23:42:48 ID:u1AjvQAB0
「新星」「はくつる」「八甲田」
乗った事のある東北夜行。いずれもボロでいい思い出がない。
「鳥海」はさまざまな系統の列車に使われたので、ひとそれぞれに思い出があるのでは?
子供の頃はじめて出会った「鳥海」は 上越白新羽越線経由のキハ58系急行(〜1972.10.1)
その頃の夜行は「羽黒」これが「43.10」で「鳥海」に統合(〜1982.11.14)
もうひとまわり上の世代だと、朝上野を出る東北奥羽線経由の客車急行
(「鳥海」→「たざわ」→「43.10」で気動車化されて「おが」)
逆にひとまわり若い世代だと
>>541さんでしょうか?
544 :
名無しでGO!:2007/05/12(土) 01:01:13 ID:pFJS47RA0
種村氏のルポにあったなぁ
深夜の石打駅の運転停車で急行「鳥海」と急行「能登」向けに駅弁売りが出る話。
2列車共手動ドアなのでホームに降りることができたとか。のどかな時代だな。
545 :
名無しでGO!:2007/05/12(土) 06:17:52 ID:ph6jMHYW0
>>541 そのルポ覚えてます。懐かしいですね。「鳥海」を牽くEF58を追うという内容でした。
新津まで「鳥海」を牽いたEF58が、夜が空けると村上行きの普通列車の先頭に立っていた。
EF58は急行列車と荷物列車のイメージなので、「ドン行列車をEF58が牽くのか!」と、新鮮
な驚きを覚えたものです。
大学サークルの新人歓迎会が菅平のペンションで現地集合だった。
みんな上野から特急で上田まで出かけたようだが、道中の酒を買い込んだりして
上野に着いたらもう特急がなくて、客車の急行でリクライニングしないボックス席だった
某企業によるアゴ足付きだったので領収書提出だったのだが、えらく損した気分に
しかも特急より1時間も余計に所用時間がかかるので、酒もたくさん呑み過ぎて
上田からペンションまでの山道うねうねタクシーで車酔いまでするハメに
一番遅く到着した人は明け方にやってきた某企業のスポンサーさんだったけど
残業後に一番遅い夜行に乗ってやってきたらしい
いかにもバブルのころの時代の話だよな
時刻表の広告ページでお馴染だった上田の格安カプセルだったが
新幹線が出来て在来線に夜行がなくなってほどなく潰れたらしい
お客様感謝キャンペーンで酒が当たったりとか流行ってそうだったが、ああ無情
東北夜行ではないが、なんとなく話の流れで書いちゃった
548 :
名無しでGO!:2007/05/12(土) 20:06:03 ID:pFJS47RA0
>>533いやあるぞ!
東北本線「経由」の定期夜行急行!!
急行「能登」・・・・ごめんorz
549 :
名無しでGO!:2007/05/12(土) 23:01:20 ID:D5TKrPVU0
八甲田、十和田、いわて、北斗、おいらせ、津軽、男鹿、出羽、北星、新星、青葉、ばんだい、ひばら、しのぶ。
上信越系統を別にすれば、大体これで網羅したかな?
細かいことだけど「あづま」な
552 :
名無しでGO!:2007/05/12(土) 23:30:20 ID:kp+ubb3f0
>>548 それを言うと上野発着全列車が東北本線経由だが。
>>548 455系の座席夜行ですが....
「まつしま」「ざおう」 にも夜行便ありました(「ざおう」は下りのみ)
両者とも季節列車でしたが、運転期間は長かったので....
「いわて」の夜行便 43.10以前は「きたかみ」を名乗っていた時期もあった.
あと「男鹿」→「おが」
「鳥海」は水上石打間はEF16の補機がついたね。
新清水トンネル内で汽笛合図でOFFにしていた。
一番前のデッキで録音したけど、よかったね。
80年頃の話。
555 :
549:2007/05/13(日) 00:06:17 ID:JfAdcbxt0
あづま、まつしま、ざおうにも夜行がありましたか。すみません。
「おが」はその昔は「男鹿」ではなかったか?違うかな???
556 :
549:2007/05/13(日) 00:08:26 ID:JfAdcbxt0
すいませんがついでにもう一個質問。
「ひめかみ」が夜行で運転されていたことはありませんでしたか?
557 :
名無しでGO!:2007/05/13(日) 07:07:43 ID:Qec5ln+d0
>>550 >>549さんの時代だと夜行「あづま」は「ひばら」だか「しのぶ」を名乗っていたな。
昭和50年3月ダイヤ改正時で
東北本線東大宮経由の夜行急行は
八甲田・レ(上野〜青森),いわて・電(上野〜盛岡),まつしま・電(上野〜仙台)
新星・レ(上野〜仙台,寝台列車),あづま・電(上野〜仙台,福島から普通)
ばんだい・電(上野〜会津若松)津軽2本・レ(上野〜青森,奥羽本線経由)
おが・レ(上野〜秋田),出羽・気(上野〜酒田,陸羽西線経由)ざおう・電(上野〜山形)
常磐線経由の夜行急行は
十和田3本・レ(上野〜青森)
高崎上信越線経由の夜行急行は
鳥海・レ(上野〜秋田),天の川・レ(上野〜秋田,寝台列車)佐渡・電(上野〜新潟)
能登・レ(上野〜金沢,長岡経由),越前・レ(上野〜福井,長野経由)
妙高・レ(上野〜直江津,長野から普通),信州・電(上野〜長野)
妙高と信州がちと曖昧スマソ・・・・
>>556 常磐でC62が最後の活躍を見せた頃(昭和40年代初)の臨時急行には、
「おいらせ」や「第三みちのく」に混じり「宮古・ひめかみ」があったが。
559 :
名無しでGO!:2007/05/13(日) 11:22:09 ID:xuut3oTv0
1975年頃まで、臨時(季節?)急行「みやこ」って列車があったよね。
確か、上野から花巻まで他の列車と併結で走り、単独列車となる釜石線〜山田線は
快速列車で宮古まで行っていたと思う。B寝台車を連結していましたよね?
ググったが、詳しいことがわからなかったので、詳細知っている人がいたら教えて
ください。
>>559 S49年12月時刻表はBネ(指定席1両連結。下り花巻から自由席))連結してるけど、S50年7月だとただの全車指定列車になってますね。
上野花巻間で季節運転の下り十和田1号、上り2号と連結してます。
全区間で急行運転です。
ちなみに49年12月のダイヤは
下り9611レ(花巻まで6201レ)
上野20:10 土浦・水戸・日立・平・原ノ町・仙台・一ノ関・北上・花巻・土沢・宮守・遠野・陸中大橋・釜石・大槌・陸中山田 宮古8:28
上り9614レ(花巻から6204レ)
宮古17:48 停車駅は下りと比べて水沢を追加、仙台が通過 上野6:41
53年3月号や47年3月号には乗ってないので基本的に盆暮正月のみの運転だったんでしょうかね。
561 :
559:2007/05/13(日) 11:52:14 ID:xuut3oTv0
>>560 早速のレス、ありがとうございました。
てっきり花巻〜宮古は快速かと勘違いしていました。
「みやこ」の他に、東北夜行で支線区まで乗り入れていた寝台車連結列車は、1972
年頃まで客車で運転されていた夜行「ばんだい」(のちに電車化)と、季節「おが」
だけでしょうか?
>>559 急行「みやこ」
6203〜8613レ 上野 1950 →釜石 639→宮古 816
(上野→花巻 「十和田3号」に併結 7/24〜8/14 宮古行・8/15〜23 釜石行)
8616〜6106レ 宮古 1843 →釜石2015→上野 625
(花巻→上野「十和田4号」に併結 7/25〜8/15 宮古発 ・8/16〜24 釜石発)
編成はB寝台と座席指定の普通車(十和田は全車B寝台)
上野花巻間は客車「ゆうづる」とは30分以内の差
花巻釜石間も気動車急行と同等の2時間前後
進行方向が変わる釜石駅は上下とも5分停車
など結構俊足だったようです.
このほかにも 竿灯七夕期間中の仙台秋田間の夜行「千秋」や
8/9のみ運転の「あおもり1号」
名古屋1709→上野015→青森1330
編成はB寝台と座席指定の普通車・「上野駅では乗車できません」の注釈付き
「北星」か「新星」の間合運用の上野白河間「なすの61号」(「しらかわ」の年もあった)
この夏の「おいらせ」は郡山青森間(仙台以北臨時「十和田」に併結)
「尾瀬フラワー」(仙台金曜夜発会津田島行)も夏の定番列車でした.
563 :
名無しでGO!:2007/05/13(日) 13:06:11 ID:HplH336R0
急行あおもりは奧が深い。
名古屋>青森・米原経由と福島経由と平経由
福井>青森・金沢経由
清水>青森・平経由
静岡>青森・福島経由
ちなみに1970.12/27の名古屋>青森は平経由のハネ8G2
かつて青森発を見たことがない。
>>561 >支線区まで乗り入れていた寝台車連結列車
「東北夜行」ではありませんが、「上野発の夜行列車」なら
「能登」の一部編成が輪島まで乗り入れていたのが最後でしょうか
と書きかけて、「盛岡安比スキー」を思い出しました.
あと「目的地」ではなく「経由線区」まで許容すれば
改軌によって板谷越えが不可能になった後の「あけぼの」「津軽」
(厳密には仙山線は地方交通線ではありませんが)
なかには北上線経由の「あきた」といった臨時列車の新顔もありました
14系座席車と24系25型3両ずつ位の編成だったと記憶しています
細々とはいえ、JRがまだ夜行列車を見捨てていなかった最後の時期....
565 :
名無しでGO!:2007/05/13(日) 20:22:31 ID:HplH336R0
そういえば昔秋田発上野行きの急行おが54号の編成の一部寝台車が
横手で分割して朝に仙台に到着してた。
>>564 能登くずれは快速朝市でしたっけ?
寝台3に座席1で乗り入れていたような。
プッシュプルだったような記憶もありますが、どうにも定かじゃない。
>JRがまだ夜行列車を見捨てていなかった最後の時期....
そうですね。同時期は北陸のチェックアウトサービスとかもありましたし。
何とかして夜行列車をもり立てたいという思いが、
まだあの頃のJRには残ってました。
567 :
名無しでGO!:2007/05/13(日) 21:54:38 ID:Nmb5Xl7y0
>>556 ひめかみは昼行の臨時客車急行。夜行設定はなし。
568 :
名無しでGO!:2007/05/13(日) 22:59:58 ID:xuut3oTv0
>>563 静岡県在住の者です。
急行あおもりは、湘南〜静岡地区のミカン農家に出稼ぎに来た、青森県など北東北
の人たちが、年末に帰省するために運転される列車で、毎年ローカル紙に「あおも
り号運転される」の記事が掲載されるなど、静岡県の師走の風物詩的存在でした。
>かつて青森発を見たことがない
のは、北東北の人たちが自分の家の田圃なり畑なりの仕事を終えた段階で、それぞ
れ出稼ぎに向かうため、出発時期がバラバラとなり、皆が一斉に帰省する年末とは
違い、1本の列車を仕立てるだけの需要が発生しなかったのでしょう。
>>568 青森への帰郷列車としての使命を忠実に果たしたと言える。
出稼ぎの人にとって帰りの直行列車があるということがどれだけメンタル的な支えになっていたかという
観点も踏まえて考えてみると面白いかもしれない。
今はみんな高速バスに取って代わられたのかな
571 :
名無しでGO!:2007/05/14(月) 06:23:50 ID:2BqyCM0S0
>>570 夜行高速バス「ノクターン」、「ラ・フォーレ」に何度か乗ったことがある
けど、お客さんはやはり青森の人が多いようですね。言葉や手に持った荷物、
その他「いかにも」といった雰囲気で、それとわかります。
しかしながら、夜行高速バスは極めてドライな乗り物で、出発して早々に消
灯し、皆さんおとなしく寝てしまいます。往年の「津軽」や「八甲田」では、
酒のニオイが漂う車内で、夜遅くまで津軽訛りの会話が聞こえていたもので
す。正直「うるさいなぁ」と思ったものですが、今となっては懐かしい思い
出ですね。
572 :
名無しでGO!:2007/05/15(火) 00:49:18 ID:BC/x47R60
>>564 「ホワイトスノー安比」、「ホワイトスノー安比・盛岡」な。
573 :
名無しでGO!:2007/05/15(火) 03:07:43 ID:T+Nif5zu0
>>570 もともと夜行長距離バスってのは
東京〜名古屋,京都,大阪,神戸(国鉄バス)
東京〜仙台,山形(東北急行バス)
関西地区〜鳥取,米子等(日本交通他)
の3路線しかなかった。JRになって間もないころ
品川〜弘前(京浜急行他)をはじめたら「大当たり」!
以来関東やら関西地区の大手バス会社の営業さんが地方バス会社を
「口説き」行脚が「流行」(?)したらしい。
折からの夜行列車削減により夜行列車からあぶれた潜在需要がバスに
流れたとオレは思っている。
夜行に限らず長距離バスは,従来の「急行」利用者層を取り込んでいる
感がする。国鉄〜JRと急行はなくなり,長距離は特急(含新幹線)誘導
になってきたから,時間はさほどはやくなくても値段的に安いバスへ・・・
ということなのだろう。
574 :
名無しでGO!:2007/05/15(火) 09:24:46 ID:5VovR8yd0
>>573 要因は全国的な高速道路の延伸だろう。
当初は東名・名神だけなのが、無駄な高速道路もたくさん作りあげ、その副産物で高速バスが全国各地で走るようになった。
大当たりは昭和50年代後半から大阪〜福岡で走らせた「ムーンライト」から。
当時の国鉄も関西〜九州の夜行列車は寝台特急のみで、リーズナブルな運賃と座席の豪華さでたちまち定着していった。
575 :
名無しでGO!:2007/05/15(火) 14:38:43 ID:cjuXcC840
東北地方の夜行高速バスの発着地を見ると、かつては夜行急行列車に乗って向かって
いた土地がずらりと並んでいる。秋田県内を例にとると、鷹巣、羽後本荘、仁賀保、
金浦、象潟・・・などと、かなりマイナーな土地(地元の方、ゴメンナサイ!)まで
カバーされている。
しかしながら、夜行高速バスは安くて速いのは高く評価できるのですが、3列リクラ
イニングシートとはいえ、やはりラクな姿勢はとりづらく、一晩中続く路面からの衝
撃も眠りを妨げます。安さと速さにつられ、つい乗ってしまうことはあるのですが、
四十路半ばという歳のせいもあって、乗車の翌日はいつもグッタリとしてしまいます。
ボックスシートで足を投げ出して、ゆっくり眠っていくことができた「八甲田」や「い
わて」「津軽」などの旅が懐かしく思い出されます。
576 :
名無しでGO!:2007/05/15(火) 21:32:56 ID:kxLexYMW0
東北はよその地域よりも夜行の実績はあったのに、
あっさりと新幹線シフトを進めてきたからな。
夜行旅で一番くつろげるのはフェリーだとは思うが、
いかんせん東北には少ないし。
577 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 06:58:36 ID:DlFApUJ20
夜行バスに限らず高速バスが人気あるのは2〜3昔前の「急行」需要を埋めている
のだと思う。東京〜水戸,東京〜宇都宮,東京〜高崎,前橋ってのは手頃な値段
で手頃な所要時間だからね。なにも高い値段だしてン十分でいかなくてもいい
という層があるわけだね。(関東相互間の話でスレ違いスマソ)
>>576 新幹線シフトというより夜行に限らずを使えない、使わせない存在に陥れたの鴨。
単なる偶然かもしれないが東北では夜行廃止と地方の衰退・荒廃がリンクしているような気も。
579 :
訂正:2007/05/16(水) 08:56:07 ID:KDBW0FkrO
>夜行に限らず(在来線を)使えない〜ですた。
580 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 12:56:18 ID:wnYvdSz8O
東北本線仙台駅を通過中に武装集団に列車を止められ、東北独立闘争に巻き込まれる。
581 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 13:09:13 ID:OKMd7den0
>>578 夜行の廃止が地方の衰退・荒廃になるなら、東北に限らず首都圏以外の全てがそうなってしまう。
関西〜九州の山陽筋なんて既に国鉄時代から夜行は割高な寝台特急に限られて、高速バスが走る前は事実上新幹線と二者択一だった。
地方の車社会が昔に比べて相当進んでる影響はあるのでないの?ローカル列車に限らず在来線特急も国鉄時代や民営化当初より減少してる感じがあるが。
582 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 17:21:52 ID:e9gxSvpw0
でんき
583 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 18:43:19 ID:qtpi3wIhO
583はくつる
>関西〜九州の山陽筋なんて既に国鉄時代から夜行は割高な寝台特急に限られて、
>高速バスが走る前は事実上新幹線と二者択一だった。
明治時代から山陽筋はフェリーがライバルでしたが何か?
>>581 >>494のレスにもあるが在来線の使えなさも地方の車社会化により貢献したのでは。
>>577 100km前後までの移動なら無理に新幹線を使う必要がない距離だからな。
587 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 21:31:21 ID:Uxpljk1o0
>>584 フェリーがライバルは日豊本線側だろう!関西と博多・熊本・長崎でもフェリーを使うのかよ?
>>580 仙台駅「通過」って見たこと無いけどできるんだっけ
589 :
名無しでGO!:2007/05/16(水) 22:22:20 ID:K/tiFQbd0
>>588 東北新幹線の工事をしていた頃、夜行列車に仙台駅「通過」ではなく、「経由しない」と
いうのがあったのを思い出した。長町から東仙台まで貨物線を経由。
深夜は仙台駅に停車できない代わりに、長町駅に停車していたよね?
夜行に今頃乗ると列車の窓から見える水を張った田んぼや
田植えの終わったばかりの田んぼを思い出す。
線路の両側が田んぼが印象的?新幹線と違いスピードも丁度良かった。
高速バスではあの感じは味わえない。
591 :
名無しでGO!:2007/05/17(木) 05:05:07 ID:UBmZXPv60
>>589 そうそう,長町停車で仙台は通らなかったのがある。
寝台特急ゆうづるも1本くらいは長町に停車した。
そして当時の生真面目な国鉄は深夜の長町〜仙台間に連絡バスを走らせた。
>>591 つかJR後も今度は長町の工事で貨物船経由になったことあったけど
その時もちゃんと連絡バス出してなかったっけ?
もっともその時点で深夜帯に停車する夜行なんて壊滅していましたが…。
今じゃ対北海道夜行も下りは23時までに通るし、上りも4時台だしな。
>>591 ゆうづるは仙台客扱い列車はそのまま仙台停車で、長町代替停車はなかったと思ったが。
594 :
名無しでGO!:2007/05/18(金) 00:26:10 ID:SwwXXEhR0
>>593 東北新幹線開業前にはあった。もう30年近く前だから、君が若ければそう思うのも無理ないが。
595 :
名無しでGO!:2007/05/18(金) 14:56:28 ID:ENsGR/GQO
八甲田が仙石線地下化工事の為に貨物線経由で
長町停車した時に乗りましたよん。
上り列車で十数年前の話しだけど。
596 :
名無しでGO!:2007/05/18(金) 19:17:29 ID:wUiGpuZX0
俺は十和田の20系ハネで長町貨物線通過したな。
597 :
名無しでGO!:2007/05/19(土) 22:43:42 ID:H/5t+BSH0
上の方で話題になってた常磐線経由青森行き鈍行が
最初の東北夜行体験。親に連れられ2度乗って、1度は二等車だった。
1960年頃の話。
さて、今夜というか明日の未明からJR発足20周年乗り放題パスで
直江津まで夜行に乗ってこよう。東北じゃないのがちょっと残念。
今、高崎線が遅れているそうだが、出掛けてみよう。
598 :
名無しでGO!:2007/05/21(月) 06:09:00 ID:cIHVLpubO
保全
599 :
名無しでGO!:2007/05/21(月) 08:38:25 ID:hn5iEqU60
>>597 いいよな!古きよき時代の列車を体験できて、尚且つ今は大人の休日倶楽部に入会して安く旅行できるとは。
>>599 君があと何十年齢を重ねれば、今のことが懐かしくなる。
無い物ねだりをしても仕方ないし、今の時に楽しめるものは楽しんでおいたらいい。
同じ何十年経った時、君が“羨ましい”と思ったおっさん年代は、
その多くが君が体験できる「未来の鉄道」を知ることは恐らくできないのだから。
601 :
名無しでGO!:2007/05/21(月) 18:46:16 ID:UZfaZ2pY0
600は何を訳の分からないことを言ってるんだ?
>>599 その気持ちは分からなくも無いな…
少なくとも国鉄を知らない世代が20才を迎えようとしている。
それより前に生まれた者は東北夜行に限らず多少なりとも
>>599の言う良き時代の列車に触れることが出来た。
だが後に生まれた世代はそういった列車に乗ることも触れることも出来なかったのだから。。。
かくいう私にとっても、東北の地は新幹線開業でむしろ遠くに去ってしまったように思える。
夜行があった頃のほうがもっと身近であり、列車を通して彼の地と繋がっているような気がしたよ。
>>602 いいこと言うねぇ。夜行で行っていた頃は列車内から東北が始まっている感じだったな。
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく
606 :
名無しでGO!:2007/05/22(火) 00:46:38 ID:DrndlAHl0
>>606 所詮は“顔の見えない”2ちゃんで意気がっている程度のレベルの兄さんだな。
確かに夜行列車が風前の灯状態の今、昔の上野駅の活気が懐かしく思い出されるね。
ワイド周遊券片手に数えきれないくらい使った夜行列車は、でも、
“旧き良き時代”と言っても趣味的にとか旅情的なイメージの話で、
現実は必ずしもそうではなかったね。
混雑時の自由席に座るために長時間並んだり、硬いシートに詰め込まれ、冬は隙間風、夏は蒸し暑さで
熟睡など高嶺の花だった寝台列車に乗らない限りまずできなかった。
夜行列車は結構辛いものがあったんだ。
今の時代、夜行列車は衰退してしまったけど、僅かに残った寝台列車に乗る時、その快適さに酔ってしまう。
“旧き良き時代”という「思い出」は共感できるけど、現実には豪華な寝台列車やリーズナブルに乗れる快速夜行、
そしてキメ細かく、また設備のバラエティも増えてきた夜行バス、
更には新幹線や航空機で素早く移動できるなど、その時の状況で選べる今の時代がやっぱり便利で快適だ。
そんな「選択肢」なかった昔の“現実”は、ただやむを得ず我慢して使っていたのだ。
ところで
>>601や
>>603みたいな池沼は何の為に出てくるんだ?
思い出話をするスレなんだから、往年の東北夜行に乗ったことも無いようなクソガキに用は無ぇっての。
おまえもな
610 :
名無しでGO!:2007/05/22(火) 22:22:33 ID:ZhGsVCY80
まぁまぁ・・・
漏れもクソガキのころ,特急「つばめ」〜関釜航路〜特急「あじあ」号にのった
元軍人のジィサンの話きいたときは「ウラヤマシイ」とか思わずいって
「大馬鹿者!!戦前〜戦中がどれだけ大変だかわかっているのカ!今なら扇風機
のあるカラフルな電車に乗れるだけ幸せだと思え!!」としかられた。(笑
>>610 >特急「つばめ」〜関釜航路〜特急「あじあ」号にのった 元軍人のジィサン
神戸〜下関と釜山〜大連(ないしは奉天)を
どのような交通機関で移動したのか非常に興味がある。www
>>611 関釜航路ではなく神戸〜大連航路を利用したのなら話は合うがな。
ダイヤ上は燕〜大連航路〜あじあの接続があったし。
てか、スレ違いw
613 :
610:2007/05/24(木) 00:25:00 ID:ir9oKwJC0
>>611 ごめん。ウロ覚えだったから・・・
つばめ〜あじあ・・・ってのは確かに聞いた。スマソ
そのころ行列して夜行列車に乗っていた人たちは「やがては東北にも新幹線
が走る夢のような時代」を期待していたのだ。
615 :
名無しでGO!:2007/05/24(木) 08:59:22 ID:Bd7DdJQb0
>>614 東北新幹線の建設が決定したのは昭和46年頃だったからな。当時はまだひばりなどの本数も少なく、上野駅では行列して夜行列車に乗るのが日常の光景だった。
東北新幹線開業前は上野駅の雰囲気からして、本当に新幹線が開通するの?という雰囲気だった。
当初は昭和52年に開業する予定が5年後の昭和57年に大宮暫定開業と大幅に遅れたが、その時も津軽の利用状況目算違いのため別の意味で上野駅で行列ができていたな。
616 :
名無しでGO!:2007/05/24(木) 09:43:37 ID:Y4E8TaHY0
617 :
名無しでGO!:2007/05/24(木) 11:30:45 ID:8mqnYHoH0
上野駅で夜行を待っていると、推進運転で入ってくる客車の貫通路に「ラッパ屋」
が乗っていたのが残っている。簡易のブレーキ弁と汽笛を操作する係員。上野駅か
ら最後に夜行の客車列車に乗ったのはもう20年近く前だが、あの「ラッパ屋」は、
「北斗星」や「あけぼの」などでまだ健在なのでしょうか?
618 :
617:2007/05/24(木) 11:32:28 ID:8mqnYHoH0
>>617 (誤)乗っていたのが残っている
↓
(正)乗っていたのが記憶に残っている
スマソ
619 :
名無しでGO!:2007/05/24(木) 11:47:11 ID:2gN8whgH0
>>617 今でも推進運転では乗務員が貫通扉を開けて入線してくる。北斗星は現在電源車側なので貫通扉はないけど、カシオペアは展望スイートでそれをしてるかは失念。
その乗務員を「ラッパ屋」と言うのかは知らない。
>>617 「北陸」は、スハネフ14の貫通扉開けて推進運転で13番線に入線のはず(22:43頃)
入れ替わりに発車する「あかぎ15号」には月2〜3回乗るんで
こんどしっかり見ておきまつ....
621 :
名無しでGO!:2007/05/25(金) 07:45:29 ID:7o9WQZTc0
622 :
名無しでGO!:2007/05/25(金) 09:05:36 ID:/APczatx0
>>615 昭和末〜平成元年ころまでは、夏休みの期間となると夜行列車は行列して乗ったもんだった。
お盆じゃなくて7月末の段階でも2時間近くは並んだ覚えがあるので、
ねぶたとかお盆期間となると、どんだけ並ぶんだのやら。
>>617 簡易の前照灯もあるんだよな。
推回の時だけ尾灯近くにぶらさげて、ホームに据え付けると撤去。
客レがまだ残存している以上、ラッパ屋自体は健在ですよ。
カシオペアのスイートでも、展望室に操作盤のようなものがあるらしく、
推回の際には係員が展望室にいた。
20系の十和田は客車ゆうづるよりも風格があったように思えたな。
たしかゆうづるはモノクラスなのに十和田にはナロネ21が連結されていた、という時があったように記憶している。
624 :
名無しでGO!:2007/05/26(土) 22:18:29 ID:SjTMy2C90
教えて君ですまぬが、以前ねぶた祭りの時期に、佐貫(常磐線)〜青森間に臨時特急
(名前忘れた)が運転されていたことがあるけど、あれの上り列車は夜行だった気が
する。誰か記憶してないですか?
佐貫〜青森という妙な運転区間は、水戸支社(国鉄時代の列車だったかな?それなら
水戸局)で設定した臨時列車だから、という理由をどこかで目にした覚えがあります。
>>623 24系24形ゆうづるのモノクラス化は、あけぼのにオロネ24を廻す為の苦肉の策だった気がする。
あけぼのは20系時代からロネ利用率が高く、24形化してもロネを2両連結する必要があり
仕方がなくゆうづるから召し上げた、という印象。
補足
ゆうづる24形編成がモノクラス化されたときでも、14系ゆうづるはロネが1両繋がってました。
(25形編成は、北斗星用ツインDXの先行使用までモノクラスでしたが)
627 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 00:22:24 ID:PVYueKEz0
>>625 昔からの疑問なんだけど、なんで「あけぼの」とか「天の川」とか
秋田筋の寝台はロネ利用率が高いんだろ?
628 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 05:53:46 ID:/bdnTDDyO
>>624 「青森ねぶた」という列車だったと思います。勝田区の485系やE653系で設定されていました。
夏には水戸支社設定の祭り関連の臨時特急として定番だったけど、新幹線八戸開業以来消えましたね。
往路昼行、復路夜行のパターンでした。佐貫発着は水戸支社エリアの関係でしょう。
今年の夏にも「仙台七夕」「相馬野間追」などの臨時は健在ですね。
629 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 05:58:16 ID:WLS3ht/i0
>>628 「青森ねぶた」の末期はE653系での運転だったね。
あと仙台〜青森間に急行「ねぶたドリーム」もあったよな。
往復とも24系客車で、仙台発は昼行で寝台を座席車扱いとして開放(一種のヒルネ?)、
青森発は夜行で寝台車だった。
630 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 08:13:16 ID:tgaLnnvw0
以前はねぶた祭りの時期になると、いろいろな臨時夜行列車が運転されていたけど、最近は
見かけませんね。
今年の夏は、せいぜい青森〜秋田間に「半夜行」みたいな臨時特急が走る程度でしょうか?
631 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 08:43:12 ID:1wm3ELwh0
>>627 上京して成功して帰郷するときにロネから下車するのが1つのステータス
だったからってのがあるのじゃないか?
632 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 08:48:24 ID:1wm3ELwh0
まぁ昔は今から考えると笑えるような妙チクリンな夜行あったよな。
仙台⇒郡山⇒会津若松⇒会津田島の「尾瀬フラワー号」なんてなつかしい
福島発の最終郡山方面に乗り遅れて1度世話になったwww(連投スマソ
>>632 グラシア使ったやつか
仙台駅で見たことがある
>>632 東武の「尾瀬夜行23:55」は健在
運転期間も結構長いですし
女性専用車や空気枕プレゼントなどもあるようです
>>626 14系ゆうづるって季節運転の列車でしたよね。
懐かしい。
>>627 単に並行する昼行特急も少なく時間もかかったのと、(特に新幹線開業前)
その他交通機関の整備も遅れてたのが原因じゃないか。
637 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 12:10:11 ID:tgaLnnvw0
>>627 どちらもかなり遅くまで20系の寝台列車(「あけぼの」は、特急では最も最後まで
20系で運転されていた)だったため、52p幅、3段ベッドの窮屈なハネがずらり。
その救済策としてロネを2両連結していたと読んだ記憶があります。
秋田止まりの1往復がロネ2両になったのはS48(青森行1往復はロネ1両のまま)、
S50から2往復共にロネが2両化された。
秋田空港が81年現在地に移転するまで大型機の便もなかったし、鉄道への
依存が高かった地域だったのだろうね
639 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 12:34:41 ID:icqJNqua0
今の東北線、というかかつての幹線筋は地味になっちゃったね。
かつては新幹線が無く、他の交通機関の整備の遅れもあり昼夜兼行で
限られた線路容量で、限られた車両を総動員して最大限の輸送を行っていた。
多様な列車種別、使用車種、動力近代化と本当に在来線が輝いていた。
それに対して今後は・・・・・
新幹線化・パターンダイヤ・規格車両・需要に対する特化
あの時代に生まれて良かった。
640 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 12:48:27 ID:tXpwyEk/0
>>639 その当時は道のりが長くてもはるばる東北にやってきた感激があったね。
今は新幹線で速く行けるものの、主要駅駅ビルの無機質さも相まってはるばる東北にやってきた感激がない。
641 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 13:07:03 ID:hBpOZpeG0
>>640 駅前に出ても閉店したデパートやシャッター商店街の廃墟ばかりが目に付いて、
殺伐としているところが多いしね。
643 :
名無しでGO!:2007/05/27(日) 13:30:40 ID:sGsEDwWjO
仙台駅の前なんて大宮いるのと錯覚しちまうよ
>>643 仙台駅前はS52・3年頃にはあの状態になってしまったかと、、、
>>641 北上とかそんな感じだもんな。
目の前にヨーカドー跡のなんか地元の店になってるし。
まぁ駅からちょっと歩いた先にさくら野百貨店あるけど。
646 :
名無しでGO!:2007/05/28(月) 06:31:09 ID:oVY9r6Bl0
東北新幹線開業前のちょうど東北自動車道が泉あたりまで延伸したころかな
新幹線と高速道路でこれからの東北はかわります!!みたいな論調があったが。
便利になったのは新幹線停車駅の駅前周辺と新幹線で首都圏を行き来できる
だけの財力のある人だけ・・・・
かつて上野行の長距離急行が停車した駅などはホーム有効長こそ威風堂々としている
もののくる電車は短編成。へたすりゃ無人化されていて,二度とカーテンが開くこと
のない出札窓口跡の上には長距離乗車券の運賃表がホコリだらけになりながらも
いまとなればそれだけが唯一のホコリ・・・駄文スマソ
647 :
名無しでGO!:2007/05/29(火) 08:07:46 ID:YJ/t9tkBO
>>647 駅前はまるで災害に遭ったかの如く荒れてるのも珍しく無いからな、、、
649 :
名無しでGO!:2007/05/30(水) 16:32:46 ID:fui15hxOO
保守age
650 :
名無しでGO!:2007/05/30(水) 21:24:39 ID:TcNK3FgJ0
青森車掌区とか秋田車掌区担当の東北夜行に乗ると、よく
「皆様、おばんでございます・・・」
と、車内放送で挨拶していた。東北訛りのゆったりした口調とあいまって、
なんだかホッとしたもんだ。
東北夜行というとやはり黒磯か水戸が何か、節目と言うか青から赤に変わりみちのくの入り口って感じで特別な印象ありますね。
常磐筋だと水戸までは近か杉で、平で交換してくれた方が感じ的には良かったような気はしますが。。
常磐線なら水戸・平・原ノ町、本線だと黒磯・郡山・福島と汽車駅って感じの駅があり旅情が高まった物ですが、
今はなんか淋しい感じがしますね、それらの駅は。
駅自体の感じは変ってないはずなんですが、側線に留置されていた客車・機関車と利用客の変化でしょうかね。
>>650 そんななか「十和田」はには微妙に異なった趣を感じるときが....
新幹線開業直前の定期2往復&季節1往復体制の時代
ほぼ同時間帯で走る「いわて3号」(上野23:32発)よりも若干空いていて、
さらに12系客車で座席間隔が広いこともあって、
仙台まで帰る際に何回か利用した上野23:20発の「十和田5号」
コップ酒片手にお国訛りが飛び交う「津軽」とは違って
どことなくL特急的な雰囲気....
その理由は深夜1時半過ぎ着く日立で大挙して降りるビジネスマンにあった
653 :
名無しでGO!:2007/05/30(水) 22:44:16 ID:LixN+lt90
>>651 今は701系電車の短編成が主流だからだろうね。
>>652 上野23時台でも日立までの需要があったわけか!東北新幹線開業でそのスジ消えた
ね。現行の23時発最終特急も勝田止まりになってるし。
>>653 その後の末期ゆうづるも下りは日立停車になった位ですからね。
655 :
名無しでGO!:2007/05/31(木) 17:04:59 ID:LDu2U0Aj0
ムーンライトを東北にも通年で走らせることはできないのかな?
656 :
名無しでGO!:2007/05/31(木) 17:07:50 ID:mHzNndby0
RJ社の「ドキュメント列車追跡 リバイバル作品集@」に、昭和44年に西鹿児島から
網走まで特急を乗り継いだ、「特急日本縦断3,000`」という作品が収録されているが、
その中に当時の「はくつる」が登場し、上野で通勤列車を乗り逃がし、「津軽」もある
けど、「待つのがめんどう」と、上野から宇都宮まで「はくつる」のグリーン車に乗った
青年が登場する。
運賃・特急・グリーン料金あわせて1,870円とのことだが、今なら東北新幹線の自由席利用
で、同区間は4,090円、グリーン車利用でも6,090円。2.19倍、もしくは3.26倍の運賃・料金
がかかるようになった計算だが、38年間の物価の上昇を考えれば、当時としては結構なお値
段。それでもその人は「タクシーより速くて格安で速い」とこともなげだが、東京から宇都
宮までタクシーって…。
今は、東北新幹線があるし、宇都宮線の電車も遅い時間までそれなりの本数があるから、夜
の帰宅事情はずいぶん改善されたが、当時のサラリーマンは大変だったんだなぁ、と感心さ
せられた。
しかし、その人は「この通り豪華な夜食にもありつけて・・・」と、食堂車でステーキを食
べてご満悦。当時の「はくつる」では、上野発22時でも、23時まで食堂車を営業していた。
なんと贅沢なことか・・・と、驚かずにはいられません。な
657 :
名無しでGO!:2007/05/31(木) 21:56:27 ID:CK+juGXq0
>>656 まだ583系が登場したての頃の当時、寝台特急は食堂車営業してたが、客数や売上げが伸び悩んで昭和47年頃から営業休止の寝台特急が出てきた。
今でこそ新幹線もあるから宇都宮と東京の通勤は珍しくないが、当時宇都宮まで通勤は珍しい部類でなかったか?当時は古河や久喜でも都内通勤者は少なかっただろう。
通勤電車も今より本数少なかったけど遅くまであった。宇都宮への最終は大宮乗換えだったが。
夜行急行も頻繁にあったから、上野を0時近くでも宇都宮に辿り着けた。ただ当時は定期券で急行に乗れなかったのが痛いが。
658 :
名無しでGO!:2007/05/31(木) 22:06:42 ID:mhTvj0+S0
うん。宇都宮などからの通勤は、新幹線通勤が広がったバブル期以降増えたよな。
昔の方が黒磯や白河の最終が遅かったとは何たる皮肉か。。。
660 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 12:52:02 ID:Jq8IOAmJ0
>>659 さらにその昔は青森行客レ夜行普通列車があったり・・・・。
661 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 12:57:52 ID:ACWo5rZ+0
中学2年の時、Nゲージ売り払い津軽で青森行ったなぁ。
帰りは20系あけぼの
赤い50系がものめずらしかった。
662 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 17:16:33 ID:qwiwWHuG0
>>660 当時は福島などで、飲み会の帰りのリーマソが、
夜行急行「八甲田」などの区間利用があった、と
当時の列車追跡にあったよな。
上手な使い方してる人もおるもんです。
663 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 20:01:18 ID:wvCvzJs90
東北新幹線開業前、上野で駅撮りしてると13番線がものものしい。
夜行客車急行の荷物車周辺に反対側の荷物ホームまで公安官や駅員
だけでなく警官までが警戒。
ホームにはクリーム色のトランクが沢山載せられた台車が何台もあった。
あれは現金輸送だったのかな。
664 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 20:25:35 ID:ljKGDPT20
>>663 俺も昔見たな
やたら公安職員が多いんで、しばらく見てたら
手錠と腰紐で男が何人か繋がれて列車に乗り込んでた。
665 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 20:34:33 ID:x+zXzvC30
>>664 その昔小菅から宮城に移送するのにみちのくに乗せられるのは死刑囚。
1977-8年頃 TVドラマの「太陽にほえろ」で
仙台まで夜行列車で護送途中、共犯者に襲われ拉致、という話があった
23:55発「あづま2号」(実際は455系)という設定だったが、
車内のシーンはなんと スハフ32!
当時はまだ健在だった客車昼行鈍行、
おそらくは11:19発123レ一ノ関行あたりに運用される盛モカの客車編成の
尾久での夜間滞泊時に撮影したものだったのか....
途中黒磯駅のシーンは10系寝台やスロ62がつながった列車が使われていたので「津軽(2号)」
「東北夜行」のちょっとした映像資料のような気もします
667 :
名無しでGO!:2007/06/03(日) 21:45:35 ID:BGiSwULBO
厨〜工の時分、月一で日曜日の朝から上野詣でをし、昼過ぎの常磐線客レで家路についてた。
ご同輩の多くが絵入りマークの電車特急(181系のは正視できなかった)にカメラを向ける中、漏れの関心は「津軽4号」と「八甲田」で、58の次位にいたスニ41・マニ37に萌えてた。
次いで「はくつる」だったが、はくつる到着の数分前、14番線から盛大なエキゾーストノイズと排煙を噴き上げて発車していく「いいで」+「ざおう1号」(時々修学旅行車入り)に興奮してた…
668 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 00:24:19 ID:1ffMh26m0
>>664 現在はもっぱら新幹線を使って護送。
先日、大宮駅で同じ光景を見たけど、どう見ても前後の刑事の方が犯人に見えてならなかった。
このスレの平均年齢は50越えの悪寒
670 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 08:43:18 ID:eeZPokvQO
>669
それがどうした?
夜行だと、白河近くの「酒は大七」を右に見ると旅の終わりを感じさせられたな。
だから何だ?
2ちゃんを見ているのは精神年齢おこちゃまの人ばかりとは限らない。
スレタイを見れば年齢が高くなるのは容易に想像できるだろ?
そんな事も理解できない貴方に悪感を感じる。
“大人の話”に場違いな割り込みをしている間抜けな自分に恥ずかしくないかい?
ただ、年齢若くたって昔を知りたいという謙虚な姿勢の人なら、
知っている事は語ってあげようという姿勢でいるけどね。
>>669が歳だけ食った精神年齢が5歳並の馬鹿な大人の召還に成功しましたwww
673 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 13:49:24 ID:tlZeIgQH0
>>666 小野寺昭扮する島刑事の主役モノでしたな。
題名は「殿下と少年」だったかな。
674 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 20:01:13 ID:rM0+yASV0
青森で、20系改造十和田待ち、向こうのホームから寝台特急14系の台車が、カキンカキンと、金属音たてて発車していくのか゛、
かっこ良かった.
675 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 22:17:25 ID:QDKq4UUP0
>>670 酒は大七
白松が最中
南東北の車窓から
676 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 22:41:54 ID:yk2/uKja0
私は485系583系455系の優等列車や旧客夜行急行、サシ・クロ・サハシ
キハ58の13連、キハ26−400、キハ52急行を懐かしんでおります。
今の若い人は年取った時、701系各停や719系各停、変な色のモノクラス
455系3連各停を懐かしむのでしょうか?
失ってしまう今は、良くても悪くても後に良い思いでに変わるんです。
678 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 23:55:12 ID:wtOJ8bOn0
>>665 「赤いシリーズ」のドラマ「赤い激流」で水谷豊扮する田代敏夫が
護送されたのは当時常磐線に2往復あった客レ上野発仙台行だったな。
(昼過ぎに上野を出るやつ)
679 :
名無しでGO!:2007/06/04(月) 23:58:03 ID:reHZukOr0
田代敏夫
↑ 役名までよく覚えていたな〜(感嘆)。
680 :
名無しでGO!:2007/06/05(火) 00:35:44 ID:xE8k14VG0
681 :
名無しでGO!:2007/06/05(火) 09:05:46 ID:GQ3JMR4F0
>>680 福島のお酒なら郡山の「金寶酒」もお忘れなく!!
682 :
名無しでGO!:2007/06/05(火) 11:24:34 ID:B9GU9GBD0
>>656 それ持ってるよ!
それから数年後の列車追跡だと「上野を発車した直後に食堂車に入ったが、電気が消えて云々・・・」
という記述だったような気がする。
はくつるの食堂営業は数年で終了しちゃったのね。
昭和44年の列車追跡の「特急日本列島縦断」だけど、秋田の辺りで、
「食堂車に行き、1級酒を頼んだら無かったので特級酒にした。特急だからいいか」
なんていう記述が。
酒の等級が廃止になったのって、昭和60年くらいだったかなぁ。
683 :
名無しでGO!:2007/06/05(火) 14:45:03 ID:jjhgS/phO
>670・675
あれを左に見ないと東北入りの気分が出ない。新幹線じゃ物足りんのよね。
>>682 無くなったのは1992年の4月だそうです>酒の等級
>>684 ガマン汁って、あんた・・・。
わざと書いたでしょ?
謝罪しる
白松がモナカの中から我慢汁…ぉぇっ
「東北夜行」ではないが....
今宵はライナー代わりに「能登」で大宮まで
発車2分前なのに9号車クハ489-1の乗客はわずか4人!
690 :
名無しでGO!:2007/06/06(水) 07:21:18 ID:VUMHEvi50
母親の実家が弘前にあるんで、子供の頃は夏休みになると母親の帰省についていくのが
恒例行事だったが、漏れが消防だった1970年代前半は、帰省シーズンの東北夜行の指定
をとるのは至難の技だった。
1974年の夏、小学生の漏れは指定券買い出し係だった。3〜4日間、「みどりの窓口」
に朝早くから並んだが、どの列車もことごとく売り切れで、結局買えたのは、行きが
「鳥海51号」(秋田行だが、酒田〜秋田は普通列車に格下げ)+「日本海」のヒルネ
(実際は奥羽本線のダイヤ混乱で、「あけぼの」のヒルネに乗った)、帰りは「津軽
51号」の普通車指定席だった。
行きの「鳥海51号」はナハフ11だったが、帰りに乗った「津軽51号」は茶色のオハ35!
車内の壁もヒビ割れの目立つ古色蒼然としたニス塗りで、「こんなボロ客車を急行に使
うのか!しかも指定席で!」と、非常に驚いた。
その車中で、大館駅の「鶏めし」、黒磯駅の「九尾釜めし」を買ってもらい、それが非
常に美味だったのも思い出に残っている。行きの車中でも、どこかの駅で駅弁を買って
もらったはずなのに、まったく記憶にないということは、大してウマくなかったからだ
ろう。
691 :
名無しでGO!:2007/06/07(木) 02:31:12 ID:6Znc8WHV0
>>690 1974年といえば,まだ奥羽線,磐越西線方面の夜行列車の品川特発やら,
始発駅での乗車整理券発売があって,ピークシーズンの自由席旅客対応
に大わらわだった時期だよね。おつかれさま!
オレもそのころみどり買出し係を買って出た。立川在住だったが立川駅
のみどりの窓口なんて徹夜組までいて大変だったので,アナ場の拝島駅
によく通ったもんだよ。(当時はまだ小学校低学年だったが)
>>682 >昭和44年の列車追跡の「特急日本列島縦断」だけど、秋田の辺りで、
>「食堂車に行き、1級酒を頼んだら無かったので特級酒にした。特急だからいいか」
>なんていう記述が。
682さん、今、本棚から引っ張り出して確認したら、それは博多〜門司間の「あかつき1号」
車中の様子ですね。残念ながら東北夜行がらみの記述ではありません。
参考までに、以下のように書いてあります。竹島紀元編集長の文です。
「すみません、ウナギは売り切れました。1級酒はなくなって、特級なら…」
無念な返事がかえってきた。
「特級でいいよ、どうせ“特急”なんだから」
もうステバチである。 (以下略)
国鉄末期(昭和61年ごろ)に東北ワイドで上り八甲田を宿代わりに使った。
乗車区間は青森→郡山だったが郡山着が未明の3時半ぐらいだったな。
11月の東北地方だったのでマジ冷えたのを覚えているよ。
694 :
名無しでGO!:2007/06/09(土) 10:19:49 ID:6VxAUKFu0
>>693 「八甲田」最後のオツトメですな。
ちょっと前まで青森0時過ぎ発郡山7時半でちょうどよかったのだがね。
郡山から東京方面へのアンチ新幹線族ご用達でもありました。(笑
雪の季節などは,屋根の上に雪を山積みして昼過ぎに郡山にきた八甲田
やら津軽があったりして,郡山から東京方面にいくとき改札口の遅れ
情報を参考にしてあえて遅れている列車を選んだこともありました。
遅延列車だと「遅れ承知」発売以外下車駅で料金券払い戻しという
ウマ味ありましたので〜(笑
>>693 ちょうど「国鉄最後」のダイヤ改正で
9→7両に減車された頃ですね.
上り仙台発が1時半前後で周遊券初日によく乗りました.
696 :
名無しでGO!:2007/06/09(土) 13:44:30 ID:7621hT5S0
>>694 新幹線時代になって
「遅れ承知」発売
見かけなくなったような
698 :
名無しでGO!:2007/06/09(土) 18:18:09 ID:6VxAUKFu0
昔は
越後湯沢あたりでは硬券の常備券あったしなwwww>遅れ承知
583系寝台特急はまさに「威風辺りを払う」という風格だった。
>>699 昼間の583はつかりとみちのくもなんか特別なふいんき(←何故かry ありましたね。
赤い特急が続々来るな中、突如として現れる孤高の存在っていうか、、
ボックスシート、485より更に静かな室内と、高い天井が独特の空間を作ってますね。
701 :
名無しでGO!:2007/06/10(日) 14:09:07 ID:vr8E7lX00
>>700 ひばり4号10号(旧号数)をお忘れなく!!(はくつるの間合い使用で583でした)
702 :
名無しでGO!:2007/06/10(日) 20:38:22 ID:NRhD+rma0
>>699-701 53・10以前の583系は昼夜問わず文字通り東北特急の代表。
1M・2Mはつかりと5M・6Mはくつる、共に最速記録を持っていたな。
>>703 47・3改正の
2Mの8時間14分(1Mは8時間15分)、5Mが8時間41分(6Mが9時間10分)運転ですね。
盛岡以北がポイント直線側100km縛りの頃でこの速度ですから、まさにカッ飛ばし走行。
さすがに5Mは食堂車非営業ですが、6Mは営業しているのも看板夜行特急の事だけはある。
仙台で食材やら乗務員を乗せたのかな?
上野発00分が「ひばり」枠となったあとも
1Mだけは例外的に16:00発、「ひばり」が16:04発でした.
53.10 のスピードダウンで上野発が15:30に繰り上がるとともに
583→485系に置き換えられてしまいました.
貧乏学生でふだんは周遊券の急行利用がもっぱらでしたが、
上り最終「はつかり12号」だけは例外、
仙台からだと、急行の上り最終が17:19発の「ときわ16号」だったので
18:58発のこの583系特急には何度かお世話になりました.
上野着が23:13と遅いので、
繁忙期を除いては 仙台から新たに乗り込む乗客はそれほど多くなく、
いつも13号車クハネ583のいちばん後、
片側が業務用室になっているボックスを1人占めにすることができました.
1時間20分近く無停車となる 郡山→宇都宮間で
7号車のサシ581まで歩いていくのも楽しみのひとつ
宇都宮3〜4分早着となることも少なくありませんでした.
706 :
名無しでGO!:2007/06/10(日) 22:34:29 ID:vr8E7lX00
1M2Mの「はつかり」の停車駅はすごかったよな。
上野,宇都宮,福島,仙台,盛岡,青森のみ
53・10ダイヤ改正以降でも
上野,大宮,宇都宮,郡山,福島,仙台,一ノ関,盛岡,八戸,青森
>>706 昼行の定期旅客列車で唯一、郡山を通過するのがすごいな。
708 :
名無しでGO!:2007/06/11(月) 07:13:28 ID:Z0kUzRyj0
>>707 あのころの東北線スジの特急の通過っぷりはすごかったな。
宇都宮あたりバンバン通過していたし。
交直の分岐駅の黒磯だって情け容赦しない。
まったくスレ違いだが高崎を出ると赤羽までとまらない急行「あかぎ」もあった。
下り特急にはなかったが上り特急は郡山停車して次は終点上野ってのが
2本あった(はつかりとやまびこだったような・・・)。
それでいて全列車でみる特急停車駅は・・・
上野,大宮,宇都宮,黒磯,白河,須賀川,郡山,本宮,二本松,福島,
白石,仙台,塩釜(「あおば」のみ停車),小牛田,一ノ関,水沢,
北上,花巻,盛岡,一戸,北福岡(後の二戸),金田一(後の金田一温泉),
三戸,八戸,三沢,野辺地,浅虫,青森
709 :
682:2007/06/11(月) 15:09:31 ID:aJrj6PN/0
>>685 ああ〜。平成の御代に入っても、等級が残ってましたか〜。
もう記憶あやふや!
>>692 こりゃまた失礼をば!
実家に置きっぱなしで、記憶を頼りに書いたもんで・・・
>>707 ひばりも一時期上野―郡山ノンストップ列車があった鴨。末期は西那須野や岩沼停車も出てしまったが。
仙台以北でもはつかりはやまびこ・みちのくより停車駅が少なかった。
そんな中で何故か黒磯につばさ・やまばとが1往復づつ停車してたのは気動車時代の名残だったのか。
710だが
>>707-708に訂正しとく。
あと僅かな間、上野を出たら次は須賀川というひばりも存在した覚えが…
>>707,
>>710 1985年新幹線上野開業時に登場した通称「スーパーやまびこ」
上野・大宮or宇都宮・郡山or福島・仙台・盛岡 の停車パターン
「はつかり」から受け継いだ「1県1停車駅」の伝統を感じた....
「東北夜行」と関係なくてすみません
713 :
名無しでGO!:2007/06/11(月) 22:52:53 ID:BSPYAh/a0
RJ誌の昭和51年2月号に、檀上完爾氏が上野〜網走の特急乗継ルポを書いていて、
その中に「はくつる」が登場。
それによると、13両編成の列車に、車掌長、専務車掌のほかに、「車掌補(いわゆる
列車ボーイ、寝台係)」が6名も乗車している。べつに走行中に寝台のセット、解体
をするわけでもないから、ほんとうにお客さんの案内のためだけに車掌補さんたちが
乗務していた(車掌補は、車補の発行など現金を取り扱う業務はできない)ことにな
る。客室クルーの総勢8名とは、なんと贅沢な時代だったことか!
ちなみに、私がはじめて583系電車に乗ったのは、50年8月の「ゆうづる7号」青森発
上野行きなのですが、この列車は、「乗務する車掌補が確保できない」という理由で、
夜行なのに寝台をセットしていませんでした。本来なら、車掌さんが2〜3人乗ってい
れば十分「寝台列車」として運行可能なはずなのですが、当時は、寝台車にはボーイが
乗務する、という昔からの決まりが、厳格に守られていたんですね。
714 :
名無しでGO!:2007/06/12(火) 00:28:37 ID:rwjZZx5d0
>>713 車掌補は直後の昭和51年10月に廃止。はやぶさ・富士の二段寝台化、ゆうづるの24系化と同時だった。それ以降寝台のセット解体は外部委託になり、夜行列車の乗務員も減らされた。
当時はくつるの車掌補は、客車ゆうづるかあけぼの乗務の折返しの関係かもしれない。
それから当時の583系のゆうづるは、1往復寝台をセットしないまま全区間座席車で
走っていた。昭和50年3月に急行十和田の格上げでゆうづるが増えすぎて、座席車が不足する理由で。
但しこの全車座席車のゆうづるも上記の昭和51年10月に全車寝台化された。
715 :
名無しでGO!:2007/06/12(火) 15:37:00 ID:snPM8iSI0
ここになかなか出て来ない、忘れ去られたような“地味〜”な寝台特急「北星」。
これも「東北夜行」の立派な一員なんだが…。
急行から特急(20系)に格上げされ、さらに14系に車種が変わって走っていた。
東北筋の寝台特急では唯一の14系使用車で、
新聞輸送のためのワキ8000だかが連結されていたのが特徴的だった。
岩手県南部のエリアが主な利用範囲だったが、「ゆうづる」などにくらべると、
指定券の取り易さで私は数回「北星」のお世話になっている。
そういえば、テールマークの図柄も地味だったな。
716 :
名無しでGO!:2007/06/12(火) 20:22:17 ID:ixCdUJvo0
717 :
名無しでGO!:2007/06/12(火) 20:57:25 ID:2k5G7Z760
>>715>>716 昭和50年のRJ誌に、下り「ゆうづる3号」+上り「北星」のルポが掲載されている。
前者は寝台をセットせずに走る583系夜行、後者は新聞輸送用の貨車を連結して走るブルートレイン
ということで、共にゴーマルサンで東北に登場した異色の夜行列車として紹介されていた。
件のワサフは、20系客車に合わせるため、本当はアルミ地肌で銀色の車体をブルーに塗装していたそうだ。
719 :
名無しでGO!:2007/06/12(火) 21:31:53 ID:rwjZZx5d0
>>715 上野からの東北夜行は定期ゆうづるも14系使用した列車があるぞ。
北星は北陸と同時に14系に置き換えられ、それと同時にゆうづる1往復も24系→14系化されたはず。
721 :
名無しでGO!:2007/06/13(水) 21:34:41 ID:hzsggIT80
東北夜行の凋落ぶりに落涙...
>>721 凋落というより事実上全滅といったほうが合っている気が。。。
723 :
名無しでGO!:2007/06/15(金) 09:18:38 ID:nOGZRAjN0
北星の話題が出てきたので、ついでに。
たまには寝台急行新星のことも思い出してあげて下さい。
入線時刻が早くて、チェックインサービスのようなことをしていた記憶があります。
724 :
名無しでGO!:2007/06/15(金) 10:05:59 ID:Kdn0gu8tO
「新星」の上りは仙台駅で発車の約2時間前から乗車できるサービスがありましたね。
時刻表にも「この列車の寝台は21時30分(?)から使用できます」という注記がありました。
下り「八甲田」も、仙台増結車があった時代(確か寝台、座席各1両だったと思う)も同様に、アーリーチェックインが出来ましたね。
725 :
名無しでGO!:2007/06/15(金) 23:43:58 ID:WotlhOiY0
>>723
仙台で発車1時間前に下段に転がり込んで爆睡
目が覚めたら上野についていた。
タイムマシーンだな
726 :
名無しでGO!:2007/06/16(土) 23:44:48 ID:oUsOaDWyO
保守
727 :
名無しでGO!:2007/06/17(日) 01:56:31 ID:4vBsoVV60
583
kei
729 :
名無しでGO!:2007/06/17(日) 02:00:42 ID:4vBsoVV60
583系ゆうづる、はくつるの花巻空港あたりの直線区間での全力走行がなんとも
言えず好きだった。
夏場なら外も明るく、下段の寝台にすわって、頭を中段の窓際の隙間にいれ
よく外を眺めていたっけ!
MT54の113系とは違う軽快なトーンが心地良かった。
窓際の隙間、乙です!
体を起こして外を眺められるのが魅力でしたね。
上野を「はくつる」で出発して缶ビールを開けて外を眺めていると
しばらくして大宮のホームに停車するのはまぁ当然なんだけど、
ここから115系に乗ってもどうせ座れない退勤客が列を成していて、
心なしか冷ややかな視線がチラと来たりしたもんだ。
731 :
目先を変えて:2007/06/18(月) 22:09:08 ID:mZhPZ+ik0
若干スレ違いな気もしますが・・・
今北海道ワイド周遊券があり、休暇を使い北海道へ旅行へ行くとします(乗り鉄・観光なんでもおk)
更に列車ダイヤは53・10改正時と変わってないとしたら、往路はどういう行程で行きますか??
私はハッキリ言って決めれません。それこそ月1回北海道に通わないと、って感じです。
一番贅沢なのは新星+くりこま1号なんでしょうね。両方とも急行ですが、それぞれ急行券を買う必要があるので。
↓ちょっと見にくいかもしれませんが、参考までに。
勿論これ以外にも何百パターンも作れるでしょう。往路復路途中下車可能なのでそれこそ∞の可能性がありますね。。
ttp://vista.undo.jp/index.php?num=8217159699
732 :
名無しでGO!:2007/06/18(月) 22:25:48 ID:MiBkgZr30
>>731 漏れなら天の川+こまくさ、または鳥海+津軽にする。
同じ20系寝台なら天の川は長く寝られるからいい。
鳥海もこの改正で数少ない雑客で、A・B寝台、グリーン車とバリエーション豊富。
上野「よねやま」(長岡乗換え)「しらゆき」青森
↑長岡で接続が良かったんだよね。
734 :
名無しでGO!:2007/06/19(火) 00:20:15 ID:JGLSRKIx0
ここで東北周遊券が出てきますが、盛岡近郊に勤める方に流行った「裏ワザ」
がありました。それは(主に一関周辺の住人)、「盛岡が範囲のミニ周遊券」
を買って(知人に東京近郊で買ってもらう)、定期券代わりに使うというもの
でした。半月は使えるし、急行も乗れて、場合によってはビュッフェで帰りに
一杯も出来ました。
>>734 …それ、このスレの過去レスにあったぞ。
そんだけやってた人が多かったんじゃね
737 :
名無しでGO!:2007/06/19(火) 16:45:31 ID:JGLSRKIx0
朝日新聞ローカル版に写真入りで載ったのを見ました。
738 :
名無しでGO!:2007/06/19(火) 17:04:19 ID:JGLSRKIx0
福島に住んでいましたが、東京にはもっぱら夜行利用でした。大学受験の時は
奥羽本線回りの上野行き普通に乗りました。駅のホームで待っていたら、ED71
が1両待機していて、窓から顔出した機関士が「どれに乗るんだい?」と聞かれ、
「まだ時間があるんだな」と云うことで、機関車にあがって話をしたことがあ
りました。ちょうど、機関車1人乗務問題が出てきた頃の話です。福島ー金谷川
間の後押しは、試行的に1人乗務になっていました。
>>731 >更に列車ダイヤは53・10改正時と変わってないとしたら
この当時はワイドで特急がつかえないので、行きだったら八甲田+連絡船だな。
740 :
名無しでGO!:2007/06/20(水) 17:27:42 ID:/pczyQgp0
>>739 ワイド周遊券というのは,特急乗車可能になったといっても自由周遊区間内限定だったから,
北海道ワイド周遊券の往復経路ではいつの時代でも特急に乗車すれば特急券必要でしたぞ。
ついでにいえば自由周遊区間であっても新幹線は特急料金必要でした。
当時だと青森行の昼行特急は全て食堂車営業というお楽しみ付なので、特急券の投資も惜しくはないな。
いなほ3号だと食堂車で日本海の夕日を眺めながらの晩酌も出来るし。
夏なら佐渡で新潟まで向かい、新潟から白鳥に乗るのも手だな。丁度笹川流れのあたりで日没だと思う。
・・・・・ああなんて幸せ
しかし53・10以後だと
>>699-712辺りに出てくる東北特急の全力疾走がやや薄れてしまっているな。
往時の跳ね飛ぶような485と横に揺れまくった583が壮絶な有様だったとはいえ懐かしい。
ビールを注ぐにも難渋したってアレですな。
53・10改正以前の下りはくつる上野→青森所要時間≒53・10改正以降のはつかり上野⇔青森所要時間
でしたね。53・10改正前のはつくる上段に寝た日にはさぞやすごかったんでしょう。
バリエーションが豊かでいいねぇ。
旧客寝台でのんびり青森を目指すもよし、昼行特急に乗って食堂車で一杯やりながらもよし。
本街道を583で爆走もよし。
オレなら鳥海のA寝台+津軽かな。十和田も捨て難し。
745 :
名無しでGO!:2007/06/21(木) 11:04:07 ID:lOdZmMCs0
>>744 上野22:41(だったか)⇒「津軽2号」⇒02:40(頃)福島
福島03:18⇒(客レ普通列車)⇒5:00(頃)仙台
小休止して,仙台07:00⇒「くりこま1号」⇒12:00前青森
なんてやったことあるwwwww
>>745 うわ、猛者がいたよ!ww
あの当時は荷物車付きの客レが多かったから、
深夜早朝でも普通列車が当たり前のように運行されていたんだよな〜。
くりこまの爆走ぶりも存分に味わいましたかね。
>>744 47年頃までの十和田なら尚良しですね。
オシ入り旧客編成というのが最高。
しっかし週末や連休になるとかなり混んでたんだろうな。
>>742 壮絶な走りといったらキハ181系時代の特急つばさも凄まじかったな。
福島以南の停車駅を絞っていたとはいえ先行するひばりとの時間差は僅か2分。
沿線で聞いた走行音は文字通りジェットエンジンのような爆音だった。
749 :
名無しでGO!:2007/06/21(木) 22:02:27 ID:lOdZmMCs0
「つばさ」は面白かったな。
福島までは他の同僚の足手まといにならないようにと必死必死
福島を出ると補機の助けをかりながらも板谷越えに必死必死
山形すぎて新庄すぎて終着秋田に近くなると
もうつかれたからのんびーり・・・・みたいな(笑
>>749 その走りっぷりって今の新幹線「つばさ」にも繋がるところがありそう。
751 :
名無しでGO!:2007/06/22(金) 01:54:01 ID:qLKRFUcE0 BE:59886454-2BP(4960)
>>748 当時、鶯谷-日暮里間の線路近くに住んでいた漏れが来ますたよ。
キハ181時代の「つばさ」は、上野駅地平ホームからあの5複線区間に
駆け上がってくるだけで、遠くからでもすぐ分かったものだ。
あのあたりだとまだ変速ギアだから、本当に爆音を轟かす、と言う感じでカッコ良かった。
列車が目の前を通り過ぎると、例の「キィーン」という高音が1両ごとに
微妙な違いを見せつつ響き渡る。こちろんキサシ付きでこちらも萌えた。
通り過ぎたあとは、ディーゼル排気のにおいが辺り一面に立ちこめたものだ。
夜行でなくてスマソ<ALL
753 :
名無しでGO!:2007/06/22(金) 12:18:01 ID:VSbOQWw/0
>>752 ドンマイ!あとキハ58の急行は東北新幹線開業前や、ときわなら60年3月改正前まで走っていたが、それらも同様な爆走ぶりだったかな?
>>753 752です。ありがとう。
キハ58系急行もよく見かけましたが、音は大したことなかったですね。
ただ、「におい」はやっぱり漂ったけど。
「ときわ」というと、当時は線路そばに柵がなかったので、
ラムネを常磐線の線路において踏ませて遊んだりしてました(よい子は真似しちゃダメよ)。
その時、よく踏んでくれた(w のが「ときわ」の457系です。
それにしても、冬場は毎朝のように、屋根に雪がてんこ盛りになった
10系寝台車を見られたものです。
でも、ついぞ、旧客寝台車に乗ることはできず、上越新幹線開業直後に
まだ旧客で残っていた急行「鳥海」に乗ったことが想い出でしょうか。
>>752 夜行の臨時つばさもあったから無問題w
豊原―白坂間で見たときは遠くから甲高い唸りが周囲の山々に反響しまるでカーレースような音。
通過速度は100km超位だったと思うが電車特急と比べても音のせいかより速そうに見えた。
>>753 むしろ気動車急行はどんなに踏ん張っても中々加速しない姿に悲壮感さえあった。
冷房化も進まず電車急行には大差をつけられ客車急行にも負ける所要時間だった気が。
756 :
名無しでGO!:2007/06/22(金) 18:52:14 ID:R2FUjT1S0
>>755 夜行の臨時「つばさ」は、その後「あけぼの」に改称して、いつの間にか消えたね。
14系座席車の夜行急行がふえてきたから、臨時といえども14系の夜行で特急料金を取る
わけにはいかなくなったんだろう。
そういえば、14系座席車の臨時特急「はつかり」が、青森に着くと臨時急行「八甲田」
になって折り返すという運用があったなぁ・・・。
臨時夜行と言えば「やまびこ」「やまばと」「はくたか」あたりもあったね。
しかもまんま485系使用で。全車指定だったかな?
>>757 臨時「やまびこ」には583も使われたらしい。以前583スレに画像がうPされてた。
変則例としては83年辺りのF誌に485の臨時「あけぼの」が投稿欄にあったな。
759 :
名無しでGO!:2007/06/23(土) 00:37:47 ID:YXj/nl3K0
>>754 鳥海の旧客はその前の東北新幹線開業後の間違えだろう。同年秋、上越新幹線開業のダイヤ改正で、鳥海は上野―青森のいなほから改称、旧客の夜行鳥海は寝台特急出羽に格上げ。
>>756 夜行おがが14系化されたのが早かったからか?まあその昔は12系の臨時特急もあったんだが。
保守
761 :
名無しでGO!:2007/06/24(日) 15:14:57 ID:8s3sJyIQ0
盛岡行きの快速
ムーンライトなんぶ
とかあればいいなあ。
762 :
名無しでGO!:2007/06/24(日) 17:13:13 ID:MzShdzbu0
>>761 「北へ行くのに南部とはこれいかに!?」
てなツッコミがある、に100tbs
763 :
名無しでGO!:2007/06/24(日) 17:38:25 ID:AOGAfEEY0
まぁ安ければ夜行快速は需要伸びるよ。
ただしウィラーのような激安ツアーバス以下ってのが条件だが・・・ムリカナ
764 :
名無しでGO!:2007/06/24(日) 18:03:31 ID:i5h6BA4Q0
766 :
名無しでGO!:2007/06/25(月) 22:03:22 ID:kkBQOKly0
>>765 201系
行先を長野に設定すれば折り返す必要もない…
って東北だろw
ああ415系が残っていれば…
あ、501系の10両使えばいいのか。トイレもついたし。
ただ夜中に停車して「ドレミファソラシド〜♪」はうるさい?
767 :
名無しでGO!:2007/06/26(火) 13:17:07 ID:a+UMMnot0
使用車両?
そーだなぁ・・・北斗星を1往復削ってだな・・・・(チガウカ
つ「エルム」
「ムーンライトえみし」
末端区間はアテルイと併結
770 :
名無しでGO!:2007/06/28(木) 08:45:34 ID:6F+bw0gjO
編成内容のバラエティという意味合いで東北夜行を思い起こさせてくれるのは「なはつき」だな。
>>770 せめて、郵便車+荷物車+10系寝台+旧客ロ+シ+旧客ハの編成ならな。
>>774 大宮工場秘蔵のEF80を復活させなくては
775 :
774:2007/06/30(土) 10:37:09 ID:HLW99VSv0
776 :
名無しでGO!:2007/07/01(日) 21:23:31 ID:8Df7CbQoO
>>774 あれもこの先どうなるかね >保存EF80
777 :
名無しでGO!:2007/07/02(月) 13:53:42 ID:/gm6iiRy0
最近に近い話になりますが北海道に旅行するときはいつも八甲田だったものです
定期時代はそこそこ乗車率よかったのですが臨時になってからガクンと落ちましたね
状態のいい485系を集めてきてリニューアルして定期運転できないものでしょうか
778 :
名無しでGO!:2007/07/02(月) 14:47:26 ID:JFNrGSjnO
昭和35年頃の夜行列車は電子音と電鈴音の踏切の音も風情があった
>>777 快速として運行なら18キップ期間はかなりの混雑になるでしょうな。
しかし、通常期間は東京青森間片道5000円といった格安バスもあるので、居住性の差を考慮しても片道6000円程度の割引切符を設定出来ないとガラガラになるでしょう。
どうせならバスには真似出来ない函館行きで運行して欲しいですけど(高速バス+フェリー乗り継ぎの格安プランもあるようですけどね)
下り
新宿22:10 大宮22:40 宇都宮23:40 盛岡5:00 八戸6:20 青森7:30 函館9:25(青森函館間は白鳥41号とコードシェア)
上り
函館18:42 青森20:50 八戸21:55 盛岡23:15 宇都宮4:35 大宮5:30 新宿6:00(函館八戸間は白鳥42号とコードシェア)
3セク区間もあるので18きっぷ・北東パス客向けの指定券は1000円にしてもいいかもしれません。
妄想時刻表は思い出話には不要だよ。
781 :
名無しでGO!:2007/07/04(水) 23:38:19 ID:KRoGw/jP0
769 名前:名無しでGO![sage] 投稿日:2007/06/27(水) 00:27:58 ID:aExcBxM30
「ムーンライトえみし」
末端区間はアテルイと併結
↑ 右翼団体からクレーム
高崎の旧客で想い出の十和田か八甲田を是非お願いします。
あとは想い出のはくつるを当時並のダイヤで・・・・しかし6連は完全に上野駅に対して負けちゃうね。
783 :
名無しでGO!:2007/07/05(木) 18:23:45 ID:1oVwrNQX0
東京で夜学に通って昼間バイト(月曜休み)してました。
一週間前に月曜が休講とわかると学割取ってミニ周遊券買って、
日曜のバイトが終わると上野動物園裏の銭湯で汗を流して
夜行で東北へ…また夜行で帰って火曜朝バイトって事をよくやってた。
>>782 そこで仙台の6連と秋田の6連の併結ですよ。
>>782 「想い出」はそのまま取っておいた方がいい
はつかりの時のDQNヲタ続出は酷かった…orz
>>785 旧客でリバイバル夜行なんていったら祭所の話じゃないな。。。
あ、でも撮り鉄のトラブルは少ないかな(上野と大宮がかなり不安だが)
車内から煌々とサーチライト照らしたらどうなるかなw
788 :
名無しでGO!:2007/07/08(日) 11:49:26 ID:Az/eP+PgO
下がり杉
789 :
名無しでGO!:2007/07/09(月) 17:39:06 ID:YJ2DDBHdO
旧客の夜行だけど、昭和62年だか63年にどっかの団体がやっていたような気がする。
上野発の東北方面へ。
いまじゃあJRも許可しないだろうな。
山岳夜行スレが
またオチたみたいだな
792 :
名無しでGO!:2007/07/11(水) 19:49:05 ID:jOXisxEI0
>>790 それってどんな列車?昭和61年11月の国鉄最後の改正で旧客の定期列車は全廃されてるけど、高崎の旧客でも使ったわけ?
>>792 だから団臨よ。使用したのは高崎車。
広告が鉄道ファン誌に載っていたけど、列車名や主催した団体名等は失念。
「特急みちのく号廃止5周年記念」とか銘打っていたような気がする。
>昭和61年11月の国鉄最後の改正で旧客の定期列車は全廃されてるけど
和田岬を忘れてはイカンじゃないか。
って揚げ足取りごめんよ。
>>793 確か区間は上野―仙台―山形―上野で、昼間に板谷峠を越えていたような気が。。。
795 :
名無しでGO!:2007/07/17(火) 10:11:23 ID:EwHp4fsi0
796 :
名無しでGO!:2007/07/19(木) 19:40:27 ID:zU9wcqfoO
保守
そう言えば東北内完結夜行ってなかったですね。
八甲田に関しては関東⇔青森兼南東北⇔青森って感じのダイヤでしたが。。
昼行列車の所要時間を考えると仙台⇔青森(秋田経由)や仙台⇔宮古といった夜行があっても当時の国鉄ならばおかしくなかったと思うのですが、
どうしてなかったんでしょうね。
798 :
名無しでGO!:2007/07/19(木) 22:34:04 ID:EWi3GxFP0
>>797 東北内の経済活動だけで乏しかったから、東京を結ぶ必要があった。
東北からの出稼ぎも首都圏指向だったし。
799 :
名無しでGO!:2007/07/19(木) 22:45:19 ID:zhaLula+0
>>797
秋田発上り夜行臨時おがの編成の一部が
北上線経由で仙台行きだった。
確かハネもついていた。
後年臨時千秋でも同ルートで臨時夜行が
設定されていた。
>>797 旧型客車時代の八甲田は仙台―青森間のみハネを連結してた。
>>797 急行いなわしろ
只見・会津田島と仙台を結ぶ夜行が一本あったはず
>>798 うーん、それだけですかね。
今も昔も東北各所から仙台への流動はかなり大きいですよ。
上野直通時代の”はつかり”も今”はやて”と同じく仙台でかなりの客が入れ替わってましたし、
当時のダイヤは昼行・夜行特急、夜行急行=対東京でしたが、昼行急行は対仙台を想定してのダイヤでした。
対仙台特急の設定がない所が、経済的云々かもしれませんが、北海道連絡ダイヤを引きずっていた頃なので・・どうなんでしょう?
広島・博多から対山陰で夜行ちどり・さんべもあった位でしたから。
客が入れ替わるなら、昔は仙台、福島なんかの主要駅は24時間客扱いしてたんだから、
八甲田や他の青森夜行でいいんじゃね?
結局、その程度の需要しかなかったんだろ。
804 :
名無しでGO!:2007/07/20(金) 06:09:47 ID:y5uyToNn0
というかさもともとは
たとえば東北本線の列車は基本が上野〜青森とすると
全区間に急行も普通列車も通すから区間利用客は適当にご利用くださーい
みたいなノリでしょ。
実際昭和50年ごろは基本線としては上野始発として
東北の肋骨ローカル線に直通する特急・急行と時間帯によって上野からの
直通だけでは薄くなるところに仙台始発の「くりこま」白河始発(郡山
まで普通)の「あぶくま」などの急行が挿入されていたという感がする。
かりに仙台始発の夜行列車で青森・秋田などを目指すものを設定するなら
どうせなら上野始発・・・になったと思うよ。
805 :
名無しでGO!:2007/07/21(土) 12:24:36 ID:giBzTuPy0
>801
そりゃ「いなわしろ」じゃなくて「尾瀬フラワー」じゃなかったかい?
会津若松で2時間だか3時間停車して、当時の最長停車時間列車だったかと。
本線筋なら、昭和60年代前半に、夏の4大祭りがらみで青森〜仙台とか
秋田〜仙台辺りに運転された臨時があったと思ったが?
「東北夏祭り」号だったかなぁ?イマイチうろ覚えでスマヌ。
806 :
名無しでGO!:2007/07/21(土) 13:01:50 ID:tCL9e4jy0
>>801>>805 年代までは覚えていないが、臨時列車であれば東北地方発着の夜行列車はいくつかあった。
上記の仙台−会津田島を「グラシア」を使って運転した「尾瀬フラワー号」や、
仙台−秋田(青森経由)を583系で運転した「北東北夏祭り号」、郡山・仙台−青森の「ねぶたドリーム」、
佐貫−青森の「青森ねぶた」などは比較的恒例的に特定期間に運転されていた夜行列車だった。
ただ、その多くの場合は片道が昼行、一方が夜行というパターンが多かった。
ちなみに、グラシアの「尾瀬フラワー号」は、大宮経由で仙台−沼田に運転されたこともある。
これも沼田行きは夜行、帰りは昼行だったが、大宮で折返すという列車は余り例のない貴重なケースだろう。
なお、青森から折返して東北線、または奥羽線に入る夜行列車は、上記の他に、「夢空間北東北」などで例がある。
また、厳密には東北発着ではないが、スキーシーズンに水戸−猪苗代(平<現いわき>経由)で「猪苗代スキー」という
夜行列車も毎シーズン走っていた。地元の水戸鉄道管理局管内でしか指定券を販売しないため、
時刻表に全車指定のマークが地元でのみ発売を示す“囲みマーク”だったのを覚えている方もいると思う。
ふだんあまり見かけないマークだったが、この列車のためにあったようなマークだった。
807 :
名無しでGO!:2007/07/21(土) 21:43:40 ID:vNrEeEzP0
ほとんど最多客時の臨時だなや。
結局、東京>青森の旅客需要は北に向かって細って行ってるのだろう。
481もはじめは東北用で検討されたが
旅客需要に対応させるには編成分割が必要であったため
初登場は北陸路となったわけだ。
808 :
名無しでGO!:2007/07/22(日) 02:20:51 ID:zxzGe2G+0
ただひとつ思うのは仙台〜秋田はかりに上野始発にするとしても
1本でいける定期夜行列車あってもよかったかもね。
まだ「津軽」や「八甲田」などが健在だったころでも
JR夜行バスの仙台〜秋田が結構繁盛していたような感じする。
JR化当初のころの話ね。
809 :
名無しでGO!:2007/07/22(日) 09:54:29 ID:h4fTjaXU0
東北内優等列車、夜行列車は夢のまた夢でしょう。
昔なら東京から北上するに従って旅客需要が細って行くにしても
対北海道の太い需要があったけど、飛行機に旅客を奪われ
その太い需要が無くなった。
また夜行どころか新幹線による昼行化でも、新幹線接続列車を
仕立てるのではなく山形、秋田新幹線のように新在乗り入れしてまで
東京直通指向だから。
実際に東北地域内で動くのなら、新幹線か高速バスだよな。
昔のように隅々まで列車が直通していた部分を今は高速バスがきめ細かくカバーしているし、
高速道路の充実で安くて速く移動できる。
新幹線でサッと来て高速バスでスッと目的地へ…っていうのが“自然の”選択だよな。
age
812 :
名無しでGO!:2007/07/26(木) 12:15:36 ID:GfZgxqGsO
田沢湖線の電化も、当時は「電車急行を走らせるため」といわれていたような。
「まつしま」の任を解かれた455がまわってくるという噂でしたね。
でも結局走った電車は485のみ。普通列車は改軌されるまでひたすら気動車だった・・・。
田沢湖線にはED75も電化完成時の入線試験以外では入らなかったな。
ED77は本来磐西だけではなく北上・釜石辺りにも入れるつもりだったらしいがね。。。
815 :
名無しでGO!:2007/07/26(木) 20:01:58 ID:GfZgxqGsO
ついでにいうと東北本線の盛岡以北でも電車急行がメインになると思われていた。特急は深夜便接続など一部だけの存在になるものと。こちらは「くりこま」が短縮の上で増発されるようなイメージかな。
田沢湖線に583入らなかったっけ
大曲花火臨で
817 :
名無しでGO!:2007/07/28(土) 21:47:07 ID:sw5VtIaxO
入ってるよ。
それから、仙山線が不通になったときに「津軽」がこちらを通ったりもした。
818 :
名無しでGO!:2007/07/31(火) 16:37:02 ID:qOWU4KM9O
保守
819 :
名無しでGO!:2007/07/31(火) 22:47:21 ID:Wt8fDPcf0
820 :
名無しでGO!:2007/08/02(木) 08:06:40 ID:/YQKUNqGO
821 :
名無しでGO!:2007/08/03(金) 18:49:54 ID:z20y/CFnO
保守
勢い無いな…
>>823 い〜ねぇ、懐かしいねぇ〜! 何かちょっとこもったハイケンスのメロディー。
思わず「これだよ!」って感じだなぁ。
それにしても、昔のアナウンスはずいぶん語りがゆったりしていたと改めて思う。
この何とも言えないスローなテンポと独特の“間”が夜行列車にはハマっていたんだよな。
ちょっと病み付きになりそうだ。
夜行列車で夜が明けた時のおはよう放送。
「おはようございます。時刻は6時30分、列車は定刻で運転しております。」
…このアナウンスにホッとして目を覚ましたものだ。
825 :
名無しでGO!:2007/08/05(日) 23:40:35 ID:30eJ7I020
>>824 >「おはようございます。時刻は6時30分、列車は定刻で運転しております。」
「おはようございます。」と「時刻は」の間に、
必ず「本日は○月△日□曜日」 の案内があったよ。
この日付と曜日の確認こそが夜行列車の夜明けの証だった。
826 :
名無しでGO!:2007/08/06(月) 18:53:54 ID:5ItclSDA0
>>825 それ、今でも車掌氏によってはやってるよね。
827 :
名無しでGO!:2007/08/06(月) 21:03:13 ID:/e40RHnl0
いいなぁ
俺がよく聞くアナウンスは、発射間際の。。。とか、携帯電話は。。。とか、中程までお詰め。。。
だよ
>>826 座席夜行じゃわからんが(ながらはやらない方が多いような)、
寝台じゃ必ずやってないか?
東北じゃないけど廃止直前のさくら号ではやってた。下松の手前で。
830 :
名無しでGO!:2007/08/07(火) 00:53:52 ID:IXLJ5TOD0
>>825 あの放送聴くと、まもなく終わる夜汽車の旅への寂しさとこの先の旅程へのwktk感が入り混じった
なんとも言えない気持ちになるよね。
夜行列車が全滅する前にもう一度乗っておこうかな。帰りはとんぼ返りで新幹線or飛行機になりそうだが。
831 :
名無しでGO!:2007/08/07(火) 08:30:24 ID:Ydcx0jHJ0
>>830 逆に東京行やら上野行でかえってくてあの放送聞いて外みると見慣れた103系国電・・・。
あーあまた普段の生活かーーとさみしくなった。
少しでも旅気分の余韻にひたっていようと早朝出来立ての駅弁を上野駅でかって
神田乗換えで通勤とは逆の中央線下りの国電で食べたこともあるよ。
あとは神田乗り換えの際に昔から駅ナカ飲食店だった「エリゼ」でモーニング!
いま「エリゼ」あるのかな?コーヒーがおいしかった思い出。
>>831 逆パターンだと上野を発車した直後の国電との併走は、
これから始まる旅のわくわくした気分と、
日常生活を見下ろすかのような優越感がたまらんかったなw
北斗星が走るようになるとまだ明るい時間の個室A寝台から見る、
大宮駅の混雑具合が、これまた何とも言えなかったww
833 :
名無しでGO!:2007/08/07(火) 22:15:11 ID:/RYKKnlOO
東北ワイドで9車中泊10日の旅行をしてた時に散々お世話になりました。
上りは始発の青森から乗れるんで、確実に着席できましたが、郡山や福島から乗る事になる下りは座れない事も…。
ボックスを二人くらいで占領しているヤツもいるんだけど、寝てるところ起こすのも忍びなかったんで、そー言う時はデッキの段差部分に座って過ごしました。
ただ、急行列車とゆー事で深夜の停車もあり、突然ドア(折戸)が開いてびっくりと言う事もありましたね。
今ではやりたくても出来ない思い出です。
834 :
名無しでGO!:2007/08/08(水) 08:56:56 ID:kC2JshgK0
>>833 末期のころの「津軽」「八甲田」ですな
オレが高校生で乗り鉄はじめたころ旧客のデッキで座ったりしていたから
走行中でもドアが開いたり・・・トンネル内あたりだと風圧で開くのですな
835 :
名無しでGO!:2007/08/09(木) 22:19:04 ID:ZI0/RLqnO
>>834 そうですね。新幹線開業の少し前くらいだと思います。自分もそれなりの歳ですが、さすがに旧客夜行は知りません。
自分の頃の車両は12系か14系の座席車で、14系は簡リクだったので、力を抜くとバタンと音を立てて元に戻ってしまう、寝てても気を抜けない座席でしたね。
夜行の方が帰省するにも帰って来たという感慨があったな…
837 :
名無しでGO!:2007/08/11(土) 20:55:30 ID:zRSLHdBA0
夜行列車で旅行開始する時が好き。
いよいよ旅の始まり、もう後にはひけないゾという感慨深い思い。
ジェットコースターが発車する瞬間と似た緊張感がある。
838 :
名無しでGO!:2007/08/12(日) 19:24:16 ID:oRk91LYA0
>>835 12系や14系が導入された当時って、旧型客車との違いを際立たせようとしたのかどうかやたらめったらギンギンに冷房かけていましたよね。
中央線の201系なんかでも同じことを感じましたけど。
839 :
名無しでGO!:2007/08/13(月) 04:18:56 ID:znvP2sGV0
その後一ノ関〜盛岡間の普通列車が12系&50系オンリーになったころ
12系がくるとなんかワクワクした気分だった
840 :
名無しでGO!:2007/08/13(月) 09:21:11 ID:nm130Dyh0
>>838 平成に入ってからでも八甲田はギンギンでしたよ。
旅慣れたオバチャングループなんか、毛布持参でしたっけ。
寒くて寝られないっての。
14系だと向かい合わせにさせた座席の裏側のスペースに、
上手く寝られる場合がありましたねぇ。
>>839 後にその12系を先に廃車しておいて、701が導入されたとき、
「冷房付きの新型電車にしました」なんて宣伝していた盛岡支社。
841 :
名無しでGO!:2007/08/13(月) 13:59:35 ID:rqb4Fjw80
夜行と話が逸れるけど、盛岡支社12系の普通列車はホントに乗り心地が良かった。
シートもふかふか、空気バネも急行仕様、冷暖房バッチリ。しかもハイケンスチャイム付き。
EF75が3両足らずの客車を牽引するから加速がいいんだよね。
842 :
名無しでGO!:2007/08/13(月) 14:11:23 ID:znvP2sGV0
これも夜行列車の話とえらいズレるけど,
国鉄時代=ストと値上げ
近頃のJR時代=超金儲け主義
という感触なんだけど・・・・
JR化直後の「PR期間」がオレとしてはヲタ業がいちばん充実した感じがする。
EEキップ片手に毎週末「津軽」「八甲田」「ムーンライト」などを駆使して
東北各地を乗り歩いた思い出がある。1日で東北・上越新幹線全線完乗とかした。(笑
オレ的には窓口出札が早朝深夜カットされて,長野行新幹線が開業して横軽を切った
あたりから面白みのないJRになってきたような感じするな。
843 :
名無しでGO!:2007/08/13(月) 22:08:09 ID:/Ag/gACRO
>>838 >>840 確かに寒かったですね。自分も夏に乗り周った時、異常に寒くて眠れなかった経験アリです。季節がら、半袖一枚のかっこうですから…。
こう言った体験は、今でも[ムーンライトえちご]辺りで味わえる時があります。
夏の旅行には薄い長袖ジャケットは必需品だと思っている。本当に昔の夜行はギンギンに冷したから、
半袖で乗っていると寒くて寝られないことが多かった。多少荷物になってもこれだけは欠かせなかった。
自由席だと冷房の吹出口の下はできるだけ避けていたね。
逆に冬は「暑い」んだな、これが! 尻が熱さでムズムズしてこれまた眠れない。そんな時、
12、14系だとベンチレーターの突起をクイッと引張って“風通し”を良くしたものだ。
10系寝台の電暖(2000代)車両の下段は最悪だったな。まるで“カチカチ山”状態でエライ目に
あった。それから寝台は極力上段に乗ることにした。でも、これも夏だと冷風がまともに当たって
体調崩したり咽がやられたり、まあいろいろあったものだ。
>>844 “カチカチ山”といえば583系の下段も結構暑くなったね。
夏は寒く、冬は暑い(特に上段)
品川発臨時を経験したかった
847 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 01:30:13 ID:JezTA/7S0
10系寝台の寝台側窓に網戸がついてなかったっけ?
848 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 10:29:33 ID:BsjSc5Bc0
>>846 奥羽・磐西方面の通常上野発の列車が品川特発に変更されるのだが(東京・上野では乗車不可)
ホーム中に新聞紙敷いて自由席を求めるお客がごった返した。
オレは親に連れられて2度ほど経験あるが盛夏中だったので買って貰った
冷凍ミカンがおいしかったのを覚えている。
849 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 10:42:49 ID:0tm9KtkR0
山に登りに行く場合でも無ければ、夏場に防寒着はまず持ってませんからねぇ。
何度乗ってもギンギンに冷やされてから「あ。しまった!」といつも思ってました。
>>841 盛岡局管内の12系普通列車は検査の都合なのか、時折白帯付の12系も入っていたりして、
それに当たると得した気分でした。
向かいの座席に足を伸ばしてボケーっと外を見る。そんな旅も出来なくなりましたねぇ。
>>842 EEキップ!
あの頃のJR東日本は神会社でしたねぇ・・・。
まだまだ国鉄の残映が色濃く残っており、夜行急行や普通客レも充実。
鉄道の本業で食っていこうという意気込みを強く感じたものですが、
今はエキナカやスイカが本業か、ってなもんで何ともかんとも。
850 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 20:57:01 ID:+Z2aXfcs0
今のJR東日本は鉄道事業を分社化しかねない雰囲気だもんな。
851 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 21:16:15 ID:ED/3Dem1O
昔の津軽って583系でしょ?
あのボックスで見ず知らずの人と夜を過ごしたなんて凄いっすよね
俺はあいづライナーの1時間で限界です
>>851 雑客→12系→20系→14系→485系→583系
昔は夜行列車座席車=ボックスシートが当たり前だった訳で、、
853 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 21:34:28 ID:KbN1NI8YO
確かに…。夜行の座席は1ボックスで他人と一夜を共にするのは当たり前だったね。ちょっと前までは、大垣夜行だって165系で同じ状態だったし…。
そんな状態だし、指定なんぞ押さえると、強制的に4人詰め込まれるから、自由は融通が利いて良かった。
854 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 22:18:03 ID:BsjSc5Bc0
>>851 夜行列車に限らず長距離昼行急行でも向かい合わせ4人だよ。
上野駅出るときは「見ず知らず」でも黒磯で「知り合い」
仙台で「友達」・・・・別れるときは「大親友」
なんてこともあったもんだ。
最初の第一声は「すみませんちょっとお手洗いいってきます」(・・・
と場所確保依頼)あたりだったかなーーー。
855 :
Rio:2007/08/14(火) 22:55:12 ID:HE4NB3WK0
津軽の他、「八甲田」「十和田」もBOXだった。
最初の第一声は、「兄さんはどこまで?」と良く聞かれた。
仙台を過ぎた辺りからは、空いている隣や向かいの席に座るとき
「ここ、空いてるでがんすかぁ?」 なんてオバハンに聞かれたわ。
856 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 23:00:16 ID:xrS0BuUz0
>>1 奥羽線のスイッチバックで一人パニクってとても恥ずかしかったなー・・・
乗り間違えたとおもてあせったw
857 :
名無しでGO!:2007/08/14(火) 23:39:49 ID:ED/3Dem1O
>>854 そうだったか〜昔というか20年位前の幼少期の記憶だと
確かに、上野からの特急つばさは向かい合わせだったような気が
母親の実家に帰省で帰るのに利用した。父親の実家へは、あいづ利用だった。
858 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 00:03:07 ID:BsjSc5Bc0
>>857 いやいや,20年程度前の「つばさ」「あいづ」は
2人がけシートで,お客の好みで転換させて向かい合わせ4人にできたというだけ。
それよりずっと前の旧客,12系客車,急行型電車気動車,583系特急型は
向かい合わせ4人「固定」だったのですよ。
859 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 00:03:55 ID:8Ne+/LRm0
>>857 特急はデフォルトでは向かい合わせではないけど、意図的にシートを回転すれば向かい合わせに出来るからね。
きっとご両親が向かい合わせにしたんだろうね。
860 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 00:04:52 ID:8Ne+/LRm0
いかん、カブッた
861 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 00:10:01 ID:DATddMIh0
>>857さんは若い人のようだからわかりやすいように説明すると
そうだなー
ちょいと前までのセミクロス型車両の東海道線やら横須賀線の
4人がけボックス席(よりはちょいと座席間のスペースは広いが)
で長距離移動するのが急行の場合「あたりまえ」だったわけです。
862 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 00:11:49 ID:FgUlGANE0
今じゃ迂闊に相客(特に女性・年少者)に話し掛けようものなら、
不審者扱いされて刑務所行きだもんな。
863 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 00:24:03 ID:Ghjf/X6e0
>>862 ヘタにだんまりでも不審者疑惑だし、むずかしいね・・・
(いまは)女に興味はありません宣言しても、あとあとやっかいだしなw
その場は嫌われとけばええねんて
相手見極めて笑わせとけばええねんて
864 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 01:34:56 ID:AhQSSmeE0
>>842.849
EEきっぷは、今の土日きっぷやウイークエンドフリーきっぷのように週末ほぼ
使えるものでなかったのが難だったな。
値段は当初2日間10,000円、しばらくして3日間15,000円で今思えば神だったが。
夏休みなどは発売せず、最後に発売したのが1990年秋だった。それから山形
新幹線開業後のハートランドフリーきっぷまで東日本の乗り放題きっぷは空白
だった。
865 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 01:49:36 ID:gsHP5BPP0
たまたま二人がけになった
女の子と
仲良くなって話し込んだこともあったっけよ
べつにそのあとどうということはなかったが
いまだったら
さしずめ
メアド交換なんてしてるんだろな
あのころは
そういう発想がなかったよ
>>842,
>>849 1985.3の新幹線上野開業で
「まつしま」・「佐渡」・「信州」といった伝統の急行が上野口から姿を消したときが、
周遊券での乗り鉄にとっては、大打撃
折しも、「民間活力」やら「市場原理」といった「国鉄分割民営化」のお題目が
新聞紙上を賑わせていた頃でした.
(いま思い返せば、辛うじて残された「津軽」「八甲田」が
福島で相互乗継が考慮されたダイヤになっていたりしましたが)
ようやく「18きっぷ」に馴染んできた頃の
JR発足時 GW明けに突如現れた「EEきっぷ」
個人的には ちょうど、学校出たてで、周遊券で連泊の旅が出来なくなっていたので
週末2日間乗り放題は本当に救世主的存在、痛快でした.
1992.7の山形新幹線開業時のコピー「その先の日本へ・JR東日本が皆様をお連れします」
まさに「>鉄道の本業で食っていこうという意気込み」が感じられました..
それからわずか1年後「津軽」「八甲田」が臨時格下げ やがてフェードアウト、
いつしか周遊券も変質してしまいました.
867 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 08:27:05 ID:q+WCHhyaO
>>862 昔=旅の恥はかき捨て
今=相手によっては不審者?
イヤな時代になったものよ。
868 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 09:04:48 ID:iERGsRG+0
急行はちょっと広めのボックスシートで、向きを転換できるのは特急の特権。
そういうのも理解出来ない年代が出てきたか・・・
>>854-855 上野の13番ホーム辺りで並んでいる時から、声をかけ始めるんですよねw
「やはり北海道ですか?」とかって。八甲田で顔を合わせた人と急行利尻でも顔を合わせ、
礼文島に向かうフェリーでも顔を合わせ、なんていうのはザラでした。
八甲田のボックスで一晩一緒だった人と、未だに年賀状のやりとりをしているなあ。
もう何年になるのやら。
夜が明けて昼行利用の人たちが乗ってくると、車内の雰囲気も途端に変わり、
「ああ〜。東北に来たんだな〜」と思いましたっけ。
ボックスシートで見知らぬ人と長時間過ごすのが苦痛…。
不用意に話し掛ければウザイ奴、あるいは変態、DQN…。
時代の変化だな。今はそれぞれが自分の今いる世界を他人にいじられたくないというのが
当たり前になってしまった。
>>854や
>>868の方の言うように、旅先でたまたま席を同じにした人同士、「旅は道連れ」
というもんだった。
思うに、こういう風潮になって来たのは、ボックスシートの急行が減らされ2人がけが当たり前の
特急がふつうの移動手段になって来た頃と、どこか符合するような感じがする。
2人がけだったら隣の顔を覗く訳にもいかないから話すタイミングが難しい。
話なんて人の顔の表情を見て話すものだから、自然と他人との会話をしなくなる傾向に
なってきたのは、その2人がけシートのせいではないだろうか?
870 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 11:32:08 ID:G8KOMs3W0
EEきっぷ
ハートランド・フリーきっぷ
EEEきっぷ
GoGoフリー切符
ウィークエンド・フリーきっぷ
親子スーパーパス週末学級
三連休パス
土・日きっぷ
はやて1周年記念3Dayパス
この中でハートランド・フリーきっぷだけが券面に名前を記入した。
871 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 13:05:36 ID:EUMz5X7u0
いまの時期だとさ
これよかった一緒に召し上がりません?なんていって
冷凍ミカンのおすそ分けとかやったもんだな
>>870 EEきっぷに何度も署名しましたが・・・
>>866 >その先の日本へ
そんなコピーもありましたねぇ。
風向きが明らかに変わったのは津軽・八甲田の臨時格下げからですかねぇ。
その数年後には18きっぷは使いにくくされ、周遊券は変質。
汽車旅という言葉もいつしか聞かなくなりました。
>「民間活力」やら「市場原理」といった「国鉄分割民営化」のお題目が
>新聞紙上を賑わせていた頃でした.
う〜ん。構造改革とやらの行く末とダブって仕方がない・・・。
873 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 13:40:51 ID:EUMz5X7u0
まぁ1人で長距離列車で長時間移動となると人恋しくなるわけよね。
そういう1人が2人になるとついつい話がはずむわけだよ。
今だと携帯メールあるから目の前のナマの人間相手にしなくても
いいってことじゃないか?
もちろん,毎回毎回他人と仲良くなったわけじゃない
当然あまり近寄りたくないような(・・・と本人には見える)人とも
否応なしに一緒に時間をすごさなくてはならないときもあった
ただ・・・そういう経験を通じて
「世の中には自分と合わない人もいる」ということを自然と学んだんじゃないかな?
今だとすぐウザい変態DQNの一言で片付けてしまう・・・・
874 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 20:38:18 ID:AdTq3Lmc0
旧型客車が全盛の頃、乗換駅などで列車がまだ停まり切らないうちから勝手にドアを開けて
ホームに飛び降りていく乗客がけっこういた。
「列車がよく停まるまでお待ち下さい」っていう決まり文句の放送等あまり意味がないくらいに。
青森駅では青函連絡船の列に少しでも早く並ぼうと、先頭車両のドアからは次々と人が飛び降りていた。
自分も何回か経験あるけど、大したスピードでなくてもうまく降りないと転びそうになる。
実際コケて恥をかいたこともあったけど、そのうち“コツ”を掴んで、難無くできるようになった。
安全面で言ったら今の時代では到底受け入れられない状況だけど、乗客はみな慣れた様子で飛び降りたり、
また、動き始めた列車に飛び乗ったりしていた。
最後尾の客車の鎖で繋がれただけの連結面から、走り去って行くレールや景色を飽きずに眺めていたこともあった。
875 :
名無しでGO!:2007/08/15(水) 21:37:00 ID:Lytp9VLp0
東北ワイドでの車内連泊中
14系夜行で席がない?
そこで室内車端のトランク置き場ですよ。
デッキは暑かったからね。
876 :
名無しでGO!:2007/08/16(木) 00:20:41 ID:DsHsH1OD0
連絡船ご乗船の方は到着した列車の前の方向へお進みください。
お乗換の方は到着した列車の後ろの方向へお進みください。
877 :
名無しでGO!:2007/08/16(木) 01:09:56 ID:9ZOLQx+Z0
うえのーーーーーーぉーーーうえのーーーーーーぉーーーーうえのーーーーぉーーーー
ご乗車お疲れさまでしたぁーー
東京方面お越しのお客様ーーー階段か地下道を通りましてぇーーーー3番線か4番線の
電車にお乗換えくださぃーーーーー
>もちろん,毎回毎回他人と仲良くなったわけじゃない
>当然あまり近寄りたくないような(・・・と本人には見える)人とも
>否応なしに一緒に時間をすごさなくてはならないときもあった
わはは、私も夜行で酔っ払いオヤジに良く説教されましたね〜
でも東北夜行ではサラリーマンの愚痴は殆ど記憶に無い。
網元さんだったり、農家さんだったり、高校の地学の先生だったりして
当時、何も知らん若造の私が根掘り葉掘り聞くものだから盛りあがっ
てた記憶の方が多かったり…
「兄ちゃん、まず呑め」でどんだけ奢ってもらって呑んだだろう(笑)
879 :
名無しでGO!:2007/08/16(木) 01:43:15 ID:9ZOLQx+Z0
>>877書いていてふと思い出した。
3&4番線の肉声ホーム放送では
「4番線に京浜東北線桜木町行がまいりまーす」というようなアナウンスのあと
きまって「秋葉原は2つ目,東京は4つ目の駅でお降りくださーい」ってのが
加えられていたような記憶。
はじめて上京した人への配慮だね。
880 :
名無しでGO!:2007/08/16(木) 09:10:03 ID:Gm2EVOri0
あおもりぃ… あおもりぃ…
上野と同様に、青森駅の到着アナウンスも味があったな。
アナウンスと言えば、上野を出た急行「津軽」。
延々と停車駅と到着時刻案内が続き、終わる頃にはもう大宮に到着する時間になっていた。
次々と流れて来る停車駅を聞きながら、頭の中に描いた時刻表の路線図をゆっくり辿っていくのも
旅に出た実感を感じさせてくれた。
そして必ず秋田で一区切りつけ、ひと呼吸置いてから更に北へと放送が続いて行く…。
急行「津軽」で辿る青森の遠さをひしひしと実感する時だった。
車内アナウンスと言えば、
「この列車は夜行列車でございます。 お客様の中にはお休みになられている
方も多うございます。」
「あまりお酒を、お飲みすぎてご迷惑になられませんよう・・・」
とか、
「翌朝6時まで、車内放送は致しません。途中下車駅での
乗り越しには十分ご注意ください」
なんてあったわな。
882 :
名無しでGO!:2007/08/16(木) 22:26:59 ID:hgj/CSf90
>>869 そのボックスシートの急行全盛当時は、特急の2人がけシートでも話しかけて
きた人は多かったな。更には食堂車でも相席の人との会話があって。
確かに今は隣席の人に声をかけにくくなっている。
ただ4人ボックスシート全盛の頃、小さい子供を連れた家族連れが同じ区画に
いるのは嫌だった。床に足がつかない子供の靴を脱がさない親が多く、足を
バタバタさせる子供の靴裏からズボンに当り、気分が悪い思いがorz。
883 :
名無しでGO!:2007/08/16(木) 22:47:47 ID:hAs69dc30
在来線全盛の東北地方がうらやましかったなー
884 :
名無しでGO!:2007/08/17(金) 17:11:50 ID:pV1JEfFv0
>>874 ♪動き始めた汽車に ひとり飛び乗った〜(ちあきなおみ「喝采」)
885 :
名無しでGO!:2007/08/18(土) 11:54:18 ID:AmW23WfY0
食事する暇がないんじゃよ
エレベーターがないんじゃよ
トイレに行く暇が無いんじゃよ
小荷物運搬車が危ないんじゃよ
通勤客達が変な目で見るんじゃよ
ピント合わせに手がかかるんじゃよ
フラシュの取り替えが面倒なんじゃよ
フィルムが何枚有ってもたりないんじゃよ
ケツと頭を写すには編成が長すぎるんじゃよ
昭和50年代の上野駅
昭和40年代の大阪駅
昭和30年代の東京駅
886 :
名無しでGO!:2007/08/19(日) 11:00:09 ID:9UaF97E1O
保守
>>880 青森駅の放送は津軽訛で「あうぉもーり、あうぉもーり」だったぞ
888 :
名無しでGO!:2007/08/19(日) 17:50:24 ID:UptbesOSO
>>887 文字ではうまく表現できないけど、どちらも多分聞こえたイメージは同じだろう。
聞けばみなわかる独自のイントネーションは今でも聞く事ができるのはいいね。
自動放送が当たり前になっていても、肉声のアナウンスはいいものだ。
889 :
名無しでGO!:2007/08/20(月) 20:28:22 ID:KjiwrSHS0
東北筋の客車急行の全冷房化は55.10改正でしたっけ?
上信越には57.11まで旧客急行がのこってたのは路線の格の違いなんですね。
スレ違いですがEF641000がEG付で登場した時は子供ながらになんちゅう無駄遣い
しよるねんと思いました。
>>889 定期列車については 1979春「八甲田」の12系化を最後に全冷房化
季節列車を含めると 1980.10「おが3/4号」の14系化を以て全冷房化
上越・羽越線経由の秋田行「鳥海」を「東北夜行」とするなら
1982.11.14まで旧客のままでしたが....(1980.10改正でEF58→EF64-1000)
ちなみに、「鳥海」と同じ経路を辿る現在の青森行「あけぼの」
上越・羽越線経由となって10年余経過するも
大宮駅では、下りは東北線用の9番線からの発車を頑なに守っていて
ホームの時刻表でも「東北夜行」扱いです.
(配線上 上野からの下り列車は
大宮駅7〜9番線いずれからでも東北・高崎両線へ進めます)
891 :
889:2007/08/20(月) 22:52:45 ID:inpgtTuD0
>>890 ご返答有難うございます。
思ってた以上に全冷房化が早かったのですね。
庄内地方の人たちは57.11までは「出羽」にせよ「鳥海」にせよほとんど非冷房なんで
涼しい思いをしたけりゃG車か寝台にのれっちゅうことなんですね…
892 :
名無しでGO!:2007/08/20(月) 22:56:27 ID:4sHto3ai0
>>891 というか都心部の国電もそのころは6割ぐらいしか冷房でなかった。
冷房自体がまだ貴重だった。
夜の気温(特に東京)が今より格段に涼しかったせいもあるような。
894 :
名無しでGO!:2007/08/20(月) 23:18:21 ID:qubY6AKr0
>>890 あけぼのが未だ大宮9番発車なのはどうしてだろう?
誤乗防止の意味合いがあるのかな。
895 :
名無しでGO!:2007/08/20(月) 23:29:56 ID:Bh9O3p8mO
どっこい生きてた急行鳥海
896 :
名無しでGO!:2007/08/20(月) 23:33:00 ID:kO9WuGRk0
そりゃー東京の暑さの原因のひとつに,冷房の普及という皮肉な話もあるからな。
897 :
名無しでGO!:2007/08/21(火) 01:02:53 ID:1BVQJd6C0
>>890 定期列車は八甲田12系化後に十和田5・2号が旧客で残っていた。半年後に12系化されたが。
898 :
名無しでGO!:2007/08/21(火) 01:12:22 ID:1BVQJd6C0
>>892 山手・京浜東北の103系は同一編成で冷房車と非冷房車に分かれてたな。
当時は真夏の朝などは冷房車の冷房が効きすぎて、非冷房車の方が快適なこともあった。
ただ昭和50年代はルームクーラー・カーエアコンの普及で冷房が当たり前の時代に突入してはいた。そんな中で当時非冷房で新製された115系1000番台・417系電車、
50系客車、キハ40・47・48は今さら時代遅れの感があった。
899 :
名無しでGO!:2007/08/21(火) 10:32:58 ID:BDmwT8J90
営団だってつい最近まではry
900 :
名無しでGO!:2007/08/21(火) 11:21:45 ID:6ZD1SZaSO
900系?
901 :
名無しでGO!:2007/08/21(火) 11:22:32 ID:6ZD1SZaSO
901系
キハ58運用の急行奥久慈なんかも最後まで非冷房だったな
903 :
札サウ ◆2DNEbF3uNY :2007/08/23(木) 21:27:11 ID:T46kmQou0
夜行じゃないんだが、常磐の長距離鈍行223レが好きだった
EF80の推進で尾久から入線した旧客は堂々としていたな
何回か乗ったが、いつも上野→仙台の通し客は俺だけw
親父の実家が青森だったので、浅虫温泉の看板が旅の終わりを告げていたのを思いだすよ。
583系といえば、2重窓とその間を動く、手回しハンドル式のブラインドとか、そうそう当時は日本食堂からの車内放送もあったね。
905 :
名無しでGO!:2007/08/24(金) 00:00:45 ID:WrdDceXV0
>>903 ウラヤマシス。仙台行きはたしか1日2本だったっけ。平行きとか浪江行きもあったな。
自分の住んでいた柏には止まらなかったので、通過するのを見かけるたび萌え死しそうだった。
いつも時刻表を眺めてはいつか乗りたいと思っていたが、結局一度も機会がないまま廃止されてしまったな。
906 :
名無しでGO!:2007/08/24(金) 00:20:24 ID:On12g+1a0
とにかく車内がタバコ煙たかったことを思い出す
907 :
札サウ ◆2DNEbF3uNY :2007/08/24(金) 07:09:05 ID:OqQZIGbWO
>>905 一日2本だったっけ?
昼発の223レしか仙台行は思いだせんのだが、早朝にも1本あったかな?
223レは柏は止まりらず松戸に止まっていたな
レチとウテシの間の連絡はトランシーバーで、発車時に客車先頭部に居たレチが「223列車発車!」とウテシに連絡するのがカッコよかったなぁ
>>907 上野5:50頃発、仙台13時30頃着の常磐回り客レが少なくとも1983年頃まではあった。
オレも何回も通しで乗った。
>>903ではないが、通し客はやっぱりオレだけw
909 :
名無しでGO!:2007/08/24(金) 10:08:39 ID:uV1Vu7/p0
>>908 無くなったのは上越新幹線開業時の1982年11月改正。
同時に高崎線で1往復だけ残っていた客車鈍行も廃止。上野―高崎の運転だったけど、客車は長野経由で新潟まで行っていた。また廃止直前12系化されてた。
上野555発だな、221レ。10番じゃなかったっけ?
2321レが上野8番614発。
上野早朝着の急行が旧客だったから、特に珍しくもなんともないんだよな。
>>909 当時の鉄道郵便輸送の絡みだよね。
東京〜水戸〜仙台線
東京〜高崎〜長野〜新潟線
いずれもオユが連結されていたので遅くまで客車列車が残った。
57.11改正で客レが廃止されるのとほぼ同時期にクモユ143が登場。
東京〜高崎〜長岡〜新潟線、高崎〜長野線で運行を始めたけど、
59.2、61.3の鉄道郵便廃止でお役ご免に。
912 :
名無しでGO!:2007/08/24(金) 11:33:49 ID:7b6n5iqL0
>>909 2321レの他に午前中にもう1本2325レがあったような(高崎線)
913 :
名無しでGO!:2007/08/24(金) 14:09:06 ID:mDNoPj8lO
上野発東北循環上野戻りっていつ頃まで運行してたの?
確か東大宮、野木通過で当時珍しい快速扱いだった気が…
支線だが水戸線旧客も乗った事がある
914 :
名無しでGO!:2007/08/24(金) 23:04:54 ID:Uz2OQBku0
チャレンジ2万キロの時代には、みんな車内で作戦会議に明け暮れていたよね。
あの頃の雰囲気が一番好きだった。
915 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 00:01:54 ID:PspHSX0e0
>>912 高崎線の客扱い客レは1往復だけ。その2325レは荷物専用列車でなかったか?
916 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 00:08:04 ID:8D+d3rr60
>>915 いや乗ったよ。行田だけ通過する上野発高崎行
917 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 00:13:59 ID:VdfCeL+b0
1972年10月の時刻表から
高崎線 321レ 上野617→高崎837→長野1239 長野から323レ 1616→新潟2239
2325レ 上野1152→高崎1428 高崎から325レ 1528→直江津2128
918 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 00:15:32 ID:ZZnY8eNI0
>>908 そのダイヤが最近まで残っていた。
なくなったのは常磐グリーン車連結の時。
始発がいわき行きでなくなったとき、俺に時代の終わりを告げた。
919 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 01:19:07 ID:hlPzk/z50
>>916 >>917の時期なら分る。恐らく新幹線博多開業までは存在してただろう。
しかし少なくとも昭和53年以降、高崎線の客車鈍行は1往復しかない。
東北線124レが無くなったときだっけな、2325レがなくなったの。だから53.10か?
上りは2326レが残った。
>>917 そうそう2321レに列番変わっても新潟まで継走するんだよな。長野まで乗ったことがある。
夏の横軽を旧客で抜けるの最高なんだよな。
62が目の前でブロアー轟かせて、トンネル抜けるたびに、風が冷たくなっていってさ。
ユとニがあって63の顔が拝めないのが残念だったが。
>>919,
>>920ほか
上野発 信越本線経由隠れ新潟行
53.10で消えた東北線の客車鈍行と異なり
晩年はブルーの43系主体のおとなしい編成でしたが、
なかには ノーシル・ノーヘッダーのブルーのオハ35や
1両だけ茶色のスハフ42がいた記憶が....
922 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 11:59:26 ID:lfd+0+AR0
>>914 当時は鉄道トークができるのが夜行列車やユースホステルの中ぐらいしかなかったんだよね。
今では仲間募ってオフ会ひらけばどこでも心ゆくまで鉄道トークができるから、あえてそう言う場所にこだわる必要がなくなったと。
923 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 15:00:39 ID:2vXslk1J0
924 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 19:40:00 ID:lfd+0+AR0
>>923 そうね。
あの頃は運転扱いなどで24時間営業なのが当たり前だったし、ヲタ同士で安心して会話にふけれたよね。
925 :
名無しでGO!:2007/08/25(土) 22:18:58 ID:lVq3PVMA0
碓氷峠の上り(坂を下る)客車列車は、63の発電ブレーキの廃熱でトンネル内ムシムシだった。
926 :
名無しでGO!:2007/08/26(日) 10:51:59 ID:AfHsYj8K0
周遊券が一番の“トクトクきっぷ”だった時代、私も日本中乗り回した経験があるが、
夜行列車の走る主要駅は24時間開放しているのが当たり前だった。
深夜、早朝の駅に降りて始発を待つ間、今のように終夜営業のファミレス、ファストフード、
居酒屋チェーンなどなかったから、駅の待合室で時の経つのを待つしかなかった。
その待合室には、夏休みになると同じようなことをする若い人が必ず何人かいた。
それとはなしに話し掛けてみると、その大半は鉄チャン! 思うに、鉄チャンはこんなこと“当然”の
こととしてやるのだけど、一般の人はこんな深夜の駅の待合室で“計画的に”夜明かしする人はまずいなかった。
夜行列車で連泊するのも鉄チャンのお家芸みたいなもの。もちろん、北海道など、旅の若者達は
宿代の浮く夜行列車を好んで使ってはいたけど、何連泊など狂気じみたことを平気でするのは鉄チャンくらいなもので、
ふつうは安いYHなどを転々としたり長期逗留していたものだ。
そういう自分も当時は「夜行連泊」は当然のことだったから(最高71連泊の経験あり)、やっぱり「鉄チャン」
だったには違いない。
ところで、当時から東北の深夜の街で終夜営業している店で目に付いたのが「ミスタードーナッツ」。
“ミスド”はまだマックなどのファストフード店が終夜営業などしていなかったはるか昔から終夜営業していた。
特に東北では郡山、秋田の駅前のミスドには何回も夜行の待ち合わせや夜明かしに使った。
郡山駅構内には「福?家食堂」とかいうのが随分後の時代まで終夜営業していた。構内食堂で終夜営業していたのは
ここくらいだったんじゃないかな。
>>926 福島のミスタードーナツは何回か使いました.
「津軽(3号)」(2:40頃着)か「おが3号」(1:35頃着)からの乗継で
福島3:28発の仙台行客車鈍行を待つ間、
郡山とは対照的に真っ暗な駅前通を辿っていって時間つぶしをしたものです.
929 :
名無しでGO!:2007/08/26(日) 16:34:32 ID:zFTovs2J0
郡山の福豆屋は駅弁もあったしなー。
というか郡山って駅弁業者3軒あったね。
福豆屋と東北軒とあともう1つあったな。
地方駅にしては旅客給食には力入れていたよな。
もっとも時間によってホーム立ち売り販売を
分担していたらしく,時刻表に掲載されている
駅弁でもホームでは買えない場合はあったね。
930 :
名無しでGO!:2007/08/26(日) 17:20:13 ID:ymk0fvs30
もう15年くらい前の3月末に、八甲田に乗って盛岡まで行ったなぁ・・・。
最初、客車がボロくてため息をついたけど、車掌さんの「皆様の旅を、少しでもよい旅にするために・・・」
と付け加えられたアナウンスとか、機関士さんが大ベテランらしくて、機関車の付け替えも「カチッ☆」、
発車のショックもほとんどなく乗り心地は最高だったり・・・・
何より、朝起きたら一面の銀世界だったことに大感動した。
あれほど良い旅は、それ以降経験しないなぁ・・・。
931 :
名無しでGO!:2007/08/27(月) 10:45:21 ID:Bt25gfQb0
>>930 15年程前の八甲田の客車がボロいと言うなら、30年程前の旧客乗った者は orz?
932 :
名無しでGO!:2007/08/27(月) 19:53:49 ID:23i8KtEH0
もうボックスシートは復活しないだろうね。
相席頼むと殺される世の中になっちゃ…
933 :
名無しでGO!:2007/08/28(火) 13:53:26 ID:jKYNMkdX0
ヨーロッパあたりの鉄道だと
ボックスはおろかコンパートメントで知らない人と相席なんて
よくあるのにねーーー。
以前ドイツの安レストラン行ったとき,テーブルは1卓4人が基本で
空テーブルがあるのにもかかわらず,1人客はまとめていて
それが普通みたいだったけど,こういうところは習慣の違いなんだね。
934 :
名無しでGO!:2007/08/28(火) 20:10:28 ID:5E3e5D4+0
冷凍ミカンを売らなくなったからだろ
935 :
930:2007/08/28(火) 20:14:50 ID:NGapL7mu0
>>931 いや・・・あはは・・・(笑ってごまかす)
工房の頃(15年前)は何でも新しいもの好きだったので、まず「古い」のが印象に残ったんだとオモ
古いのに味わいを覚え始めたのは、二十歳をとうに超してからだったからスマソorz
>>932 あの事件は相席頼んだ爺さんがいろいろちくちくイランこと言って切れた結果らしいよ
あんたも相席の人にイラン説教とかしないようにねえ
938 :
BCNR33GT-R:2007/08/30(木) 11:13:02 ID:q+9gDD/t0
好きなスハフ12で青森まで乗っていた。
>>938 スハフ12って、あの床下発電機の車輌か?
940 :
BCNR33GT-R:2007/08/31(金) 12:53:56 ID:edMt40lV0
そうです。煩い方が好きなんです。うちの車も煩い!
941 :
名無しでGO!:2007/08/31(金) 19:57:49 ID:03FkHr+U0
うるさいのは我慢できるとしても、床下から上がってくる熱気は夏は堪え難かったな。
八甲田に乗ったとき、青森に着いたらすっかり汗だくで、連絡船に乗り換えてから速攻でシャワー浴びたよ。
942 :
名無しでGO!:2007/08/31(金) 20:08:14 ID:dhhDnyNm0
急行 おが 最強伝説
943 :
名無しでGO!:2007/09/02(日) 19:53:26 ID:siXcaf2G0
急行「天の川」。「新星」と同じように、最後まで20系の「寝台急行」で走っていた。
しかし、「新星」が最後尾が普段は切妻のナハネフ23だったのに対して「天の川」はナハネフ22
が普段は最後尾につながっていた。
「天の川」は秋田まで運転されていたものの、新潟を考慮したダイヤになっていたので、
首都圏を出るのは夜遅く、到着は早朝になっていた。そのため、下り列車の場合方向転換をした
新潟から先がこのナハネフ22になり、明るくなった庄内路を最後尾の“展望席”から眺めるのは
格別のサービスだったように思う。
「天の川」は寝台専用急行だったので、自由席を乗り回していた周遊券族の自分には縁遠かった
列車だったけど、唯一乗車した時に最後尾から眺めたこの景色が今でも印象に残っている。
折角のロマンチックなネーミングの20系寝台急行だったのに、最後まで「急行」というだけの
素っ気ないテールサインが残念だったな。
944 :
名無しでGO!:2007/09/03(月) 13:41:13 ID:7kYYGpqX0
>>943 20系急行で愛称用のテールマークが作られたのは、銀河と晩年のかいもん・日南だけだったから仕方がない。
14系八甲田も最後までテールサインは「急行」だけだった。
津軽は583系化直前でEF65にヘッドマークが付けられていたのはあった。でもテールサインや583系になってからも「急行」だけ。
夜行の急行「おが」といえば、季節列車として「津軽」の補完をするような列車だった。季節列車とはいえ
A・B寝台も連結した編成だったが(といってもそれぞれ1両ずつ)、晩年は14系のオール座席車となり、
更には20系化で大混雑を引き起こして顰蹙を買った「津軽」と編成を持ち替えた20系を最後に姿を消したと思う。
その名の通り男鹿線男鹿駅まで運転されていて、長大編成が初期型のDD51に牽引されてローカル線を行くのは、
どこか大社線の「だいせん」と似たような風情があった。男鹿線はラッシュ時の客車列車も比較的長編成で運転
されていたので、そのせいか意外に交換駅の有効長が長く、長い編成の「おが」も秋田で切り離すことなく
そのまま直通していた。
でも、男鹿線まで直通しても乗り通す乗客はそれ程多くなく、終着駅の男鹿に着けば、降りて来るのは地元の
利用客が大半だった。上りの上野行きも男鹿から乗車する人は僅かだったけれど、それでも必ず見送りの風景が
そこにはあって、東京との唯一の「直通列車」としての使命を感じるシーンでもあった。
その男鹿線にふだんは直通していた「おが」も、お盆や年始の帰省のUターン時だけは男鹿に入らず、
大館始発で運転されるのも恒例になっていた。ふるさとから帰る時にだけ、なんで男鹿に入らないのかって、
相席のおっちゃんが不満を言っていたのを思い出す。男鹿始発なら自由席でも十分座れるのに、大館始発
だと秋田ではなかなか座れないので指定券を取らざるを得ないと、延々とおっちゃんの話は続いた。
網棚一杯に荷物を載せて夜行列車が走っていた頃の、これも思い出の1コマ…。
青森まで座れなかった、なんてのも昔は普通だったのかな?
947 :
名無しでGO!:2007/09/03(月) 21:28:36 ID:zwOBehU00
>>946 盆正月は乗れるかどうかが問題だったとも言うよ。
948 :
名無しでGO!:2007/09/03(月) 21:33:08 ID:sJQB4KrNO
最後までナロネ2両連結を貫いた天の川ってスゴイよね。
949 :
名無しでGO!:2007/09/05(水) 20:53:18 ID:o4Plpo7BO
往時のあけぼのもそうだがロネ2両連結は格好良かった。
うろ覚えなんだが・・・
青森から臨時八甲田(?)に乗ったとき、途中駅の接続を案内する車内放送で
「八戸○時○分、八戸線の接続は、明朝○時○分発、駅待合室でお待ちください」
というのがあって、長い接続だなあ、と思った。
何十年前のことだか、下りの「津軽」だか「男鹿」の寝台車にに乗車中、
新庄で立往生した事があった。どうも横手辺りで踏切り事故が発生した
らしく、復旧の見込みが立たないとの事。
一時間以上止まったであろうか、陸羽西線〜羽越線に迂回するとのアナ
ウスが入り、DD51へ付け替え後、寝台車でローカル線を通る貴重な体験
をした。
長編成の急行とローカルが交換出来るのか心配であったが、それなりに
有効長はあり、無事羽越線へ抜けられた。
果たして、迂回区間で客扱いするのかも興味あったが、酒田ではドアが
開かなかった筈。しかし、羽後本荘では客扱いを行った物の、想定外の
列車と言うことも有り、乗降客は0であったと記憶している。
秋田に何時間遅れで到着したか憶えていないが、周遊券のため急行料金
払戻しは無く、その日の予定が大幅に狂った事は言うまでもない。
952 :
名無しでGO!:2007/09/05(水) 23:36:13 ID:zQHEZKYD0
あと、夜行がなくなって困るのは登山だなあ。
臨時はくつるとか、いい接続で八甲田山に行けたりしたもんだが。
とりあえず、あけぼの、で行き先を検討するか・・・
953 :
名無しでGO!:2007/09/06(木) 02:27:32 ID:k6KKDot60
>>926 もしかして京都大学の夜行連泊タイトルの方ですか?
(種村の本に載っていた)
954 :
名無しでGO!:2007/09/06(木) 05:08:19 ID:RZU+2ecb0
>>951 周遊券利用の場合でも寝台車を使うなら「急行券・寝台券」が必要で
急行料金の払い戻しの対象になるけどネwwwww
>>954 >周遊券利用の場合でも寝台車を使うなら「急行券・寝台券」が必要で
学生時代さんざん乗り鉄したのに寝台車は乗らずじまい
10系寝台はおろか、20系も上り十和田のナハ21(上りのみ自由席)しか経験なし
400km以下だったら B寝台より安かったこともあり
グリーン車は何回か使いましたが・・・・
社会人になってはじめて583系の「ゆうづる」で上野-青森乗り通したときは新鮮だった
956 :
926:2007/09/06(木) 22:12:29 ID:r0MTkEh00
全然違いますよ。でも、当時はこんなバカなことしていた鉄ちゃんは結構いましたよ。
ただ、そこで問題なのは風呂! 確かに不潔な輩もいましたけど、
自分は毎日とはいかなくても、2〜3日毎には銭湯見つけて入ってました。
もともと汗をかく方ではなったので、そんなに周りに迷惑をかけてはいなかったと思いますが…。
東北夜行に限りませんが、昔、手動扉の客車ってあった、というか全てがそうだったんですよね?
コレって運転停車等通過扱いの駅でも下車できることになりますが、実際問題視されることってあったんでしょうか?
>>957 だからかどうか知らないが、昭和39年頃の時刻表だと今だと信じられないような小駅に夜行急行が深夜に停車している。
これは運転停車のついでに客扱いとしか思えない。。
>>957 昔の客車でドアが手動の場合、「運転停車」中に乗り降り出来たかと言えば、
物理的に“やろうと思えばできた”のは事実ですよ。
でも、さすがにそんなことをしたら車掌や駅員に咎められたでしょうね。
建前は乗り降りしてはいけない駅なんですから。
>>958 昔はその通りに小さな駅にも夜行は停まっていました。でも、必ずしも「運転停車」をするからついでに…
という訳でもなく、当時はまだ多くの駅に駅員が夜中でも常駐していましたし、若干の利用客があったから
停車していたと思います。
合理化によって夜間の駅員がいなくなると無用なトラブル防止のためにも、利用客の見込めない駅が通過扱いになり、
交換待ちなどのやむを得ない停車では「運転停車」として客扱いをしなくなったのでしょう。
「運転停車」で思い出しました。
はるか昔、北陸方面のDC急行乗車中、時刻表では分からない予定外の運転
停車で、理由は忘れたが逆方向へ戻りたくなり、乗務員室から下車した事が
ありました。ワイド周遊券を見せて車掌へお願いした所、本来規則上出来な
いと言いつつ、黙認してもらったのだと思う。
また中国地方の山間の小駅で、やはりDC急行に乗車中に運転停車となり、
中間の乗務員室よりこっそりと途中下車、入場券を購入して再乗車した
事があります。駅員へ周遊券を見せた所、特にお咎め無しであったと思う。
961 :
名無しでGO!:2007/09/11(火) 20:52:50 ID:e8gg7jac0
保守
962 :
名無しでGO!:2007/09/11(火) 23:35:27 ID:scfKKvFS0
昔の夜行の小駅停車は単線での交換、カマ交換、荷物車・郵便車の取扱い等々。
昼行急行は無停車の小駅、田村でのきたぐに停車はカマ交換。
ちなみに漏れは急行だいせんのナハ21で、大山口運転停車中ドアあけて
横に止まってた米子始発の上り一番鈍行にドアtoドアで乗り換えた。
963 :
名無しでGO!:2007/09/12(水) 14:42:02 ID:6Kv+L8am0
83年の夏休みに北海道周遊券を片手に十和田の自由席に乗ったなあ。
土浦あたりまでは通勤客も乗ってたっけ。
あのころの北海道は周遊券の有後期間(20日)で全線乗りつぶすには
結構シビアな旅程組まなきゃならなかったな。
964 :
名無しでGO!:2007/09/12(水) 18:21:17 ID:QYYbWYUc0
>>963 その頃は白糠線廃止直前だから、本数の少ない盲腸線は綿密なスケジュールを立てる必要があったね。
列車の遅れがあれば目も当てられないし、夜行の大雪で未明の遠軽、利尻で音威子府、まりもで帯広の下車も結構あったのでは?
20日目の夜に上り利尻か大雪で継続乗車し、その2日後の朝に上野到着の経験もあったとか?
>>963 アンタ、俺と同年代だな
おまけに同じような事してるしw
俺の場合、一回の旅程で廻りきれず、
82年の春と82年の夏でようやく道内全線完乗
966 :
名無しでGO!:2007/09/12(水) 22:50:46 ID:Nn5T69vB0
>>965 82年と83年、そのたった1年で東北夜行の使い勝手が相当違う。
82年は十和田3往復、津軽2往復で他の夜行急行もたくさんあったが、東北・上越新幹線開業後の83年の座席車のある夜行急行は十和田・八甲田・津軽の1往復づつだけ。当然北海道へアプローチの選択肢も限られてしまってる。
967 :
名無しでGO!:2007/09/12(水) 23:23:20 ID:Z3h5itsE0
>>957 >>958 手動扉全盛時代に「運転停車」という概念はなかった。
物理的に停車すれば時刻表上も「停車」というのが普通だった。
>>967 あったのは自動ドアだった特急ぐらいだもんな。
>>966 なるほど
でもアブローチは道内の旅程ありきだったから、
行程の都合上八甲田と十和田1号しか使った事無いんだよな
970 :
名無しでGO!:2007/09/13(木) 19:50:01 ID:lrs79Q+lO
ある意味82年の夏が一番面白かったよね。
東北新幹線の先行開業直後で色んな物が混在していて。
>>970 たしかにある意味ではね。
個人的には「はつかり」が須賀川やら二本松やら本宮に停車という驚愕の事実に、東北特急終焉なんだなと痛感した。
972 :
名無しでGO!:2007/09/13(木) 21:55:52 ID:WJuCpbNO0
この一瞬だけ、「新幹線リレー」〜「やまびこ」〜「みちのく」という接続が成り立ったんだよね。
82年頃だと「はつかり」より「みちのく」の方が必死に走っていたような記憶がある。
974 :
963:2007/09/13(木) 23:11:13 ID:Bnvw0rX60
>>964 盲腸線は万字線や興浜南/北線、渚滑線などが厳しかったのを覚えてる。
連続ではないけど夜行18連泊。
まりもで新得、大雪で上川、利尻で士別、山線夜行で長万部で
それぞれの対向列車に乗り換えてトンボ帰りしたりw
83年の道内夜行は14系に置き換わったばかりで札幌鉄道管理局による
アンケートの葉書が各座席に置いてありましたね。
継続乗車の特例も活用して上野に帰ったのが22日目の朝だったかな
>>965 同年代ですねえw
あのころの周遊族は今40前後なんですねえ。
下車印だらけの周遊券、長時間停車で駅の記念スタンプ押しに行くヤツ
盲腸線の終点では駅名票撮影の順番待ち等。。いい思い出です。
>>966 受験の関係で叶わなかったけど本当は82年に行きたかった(T_T)
東北夜行も北海道内夜行も10系客車最後の年だったしね。
あと、臨時で八甲田と津軽が併結してるのもあったなあ。
>>970 上野23:55発「あづま3号・ばんだい11号」送り込み回送の455系が
「新幹線リレー」に使われたのも この時期限定でした.
あと、ちょうど今頃、
台風で栃木県内の河川増水で在来線が不通になったときも
新幹線増便で対応していました.
4半世紀を経て....
地震による不通から信越本線が復旧
今夜から「北陸」「能登」が復活ですね.
976 :
名無しでGO!:2007/09/14(金) 18:37:21 ID:WO8EhdZEO
この時だけ、みちのくとはつかり2号の順序が入れ代わっていたんですよね。
977 :
名無しでGO!:2007/09/15(土) 05:43:52 ID:J1fIcpBjO
「ウィングはくつる」「さよならはくつる」
東北夜行の代表的な列車の「はくつる」でも、こんな名称があったのを覚えていますか?
前者は青森から成田空港まで583系が直通したんですよね。
でも、乗ってみたら、そのまま海外に旅立った人は僅かで、マニアさんの方が多かったです。
後者は東北新幹線八戸開業前夜に運転された最終の「はくつる」に特別に付けられた列車名。
上り最終「さよならはくつる」に乗って上野に着き、東京駅に直行して東北新幹線八戸開業1番列車の
「はやて1号」に際どい乗り継ぎで飛び乗った思い出があります。
「さよならはくつる」で、車掌さん自らパソコンで作った自家製乗車証明書も思いが詰まっていて何かよかったですね。
978 :
名無しでGO!:2007/09/15(土) 11:02:47 ID:7EJ6QmDo0
>>970 おらが町・花巻に「みちのく」が停車して
狂喜していたよ。
そんで上野まで乗ったなア。
帰りは新幹線。
あんな夏はいちどだけ。
979 :
名無しでGO!:2007/09/15(土) 13:20:11 ID:uOmO+eEo0
>>975 この455系「新幹線リレー」の記録写真ってあんまり残っていないんだよね。
この当時はみんな東北特急や夜行に必死で、こんな列車にまでカメラが向かなかったんだろうな。
980 :
名無しでGO!:2007/09/15(土) 14:46:16 ID:oCvF3ndn0
>>978 在来線やまびこが無くなった代償だろう。当初花巻に新幹線駅なかったし。
82年6月23日からそのためにはつかりも停車駅増えてたのでは?
981 :
名無しでGO!:2007/09/15(土) 21:58:34 ID:nyRQIURn0
初めて乗った夜行が「ゆうづる1号」(3号かも?)
発車間近の上野駅電車寝台の上段の小窓から、隣のホームの
「津軽」の旧客A寝台が見えたのをよく憶えている。
一回旧客の寝台って乗ってみたかったなあ〜
しかし24系になってからのはくつるはあまり印象に残らなかったな。
臨時はくつるでは583系が健在だったし、
はくつる=電車というイメージがあまりに強かったせいでもあるのだろう。
さよならはくつるもはつかりと同じく583系でやって欲しかったな。
>>983 夜行は「はくつる」
昼行は「みちのく」
ですな
>>983-984 どちらも「はつかり」「ゆうづる」の影みたいな列車だったけどその存在は大きかった。
いかにも東北の列車と言う感じがした「みちのく」の名は良かったな。。。
会津若松駅のライブカメラ越しに見る583系「あいづライナー」
ヘッドマークの地色が往年の「みちのく」を彷彿とさせます.
あと10分でまもなく到着
987 :
名無しでGO!:2007/09/16(日) 20:43:10 ID:rmVwT/kI0
ゆうづる派とはくつる派は意外に分かれるものなのですかなぁ?
上りに関しては朝が苦手な私も遠回りして余分に寝られるゆうづる派。
現に当時ははくつるの下段は取れにくくてもゆうづるの下段は楽々取れた。
上野着は3分位しか違わないんだけどはくつると海峡との接続がよかった
からかも知れない。思い出は常磐線が大雨の影響で通れなくなり、岩沼から
先を上野まで東北本線を上っていったことかなぁ、逆に近道なのに40分余計
に寝られたし。
>>987 場合によってじゃない。漏れは宇都宮に住んでるからはくつる利用が殆どだったけど…
でも24系のはくつるは各線との接続悪い&583系に慣れ杉だったせいか一度しか乗らなかったなw
583「はくつる」は、24系置き換え直前……というか八甲田季節化直後に座席扱いが
あったよね。八甲田代わりに利用せざるをえなかったことがある。
周遊券の旅だと、特急料金が実に痛かった。
(以下束に対する呪詛30行……略)
でも、583座席モード時の落ち着いた雰囲気は悪く無かったなぁ。
715とか419、あるいは「きたぐに」で何度も座ってた座席だけど、
何か別の落ち着いた雰囲気はあった。
>>989 あの色使いとやや暗めの照明がそういう感覚をかもし出してたかと。>583の座席
「はつかり」「はくつる」が消えて5年、今や6連になってしまった583系の姿には虚しささえ漂う…
>>977 「ウィングはくつる」
親戚のオジサンが乗ったことあるよ。確か、普通のはくつるが上野着なのが
大宮から貨物経由で成田空港へ向かうやつだよね。
オジサンは数少ない海外へ行く人間だったけど、明らかにヲタだらけと聞いたよ
992 :
名無しでGO!:2007/09/17(月) 03:30:07 ID:IOJ0cZJ20
583系の重厚感、重量は感実にいいですね。はくつるはやっぱり583系に限ります。
マターリでのんびりしたお国言葉の青森のウテシが雨だろうが雪だろうが夜中の東北本線
を信号の灯火を頼りに120km/hで飛ばす…。控えめながら一晩中鳴り続ける信号確認
のタイフォンの音は一段と安心感を与えてくれる。先頭クハネの上段を宿にした事が
あったがトンネルの出入りの度に雪塊が屋根を転がって暴れる。夜中の氷点下の雪中
を120km/hで走るっていうのはこう言う事なんだ、すごいんだなぁって思った。
もう世界に何両もない世界初の寝台電車ですものねぇ…、動態保存だと思えば存在自体
ありがたいものですダ。
上野ではくつる、ゆうづる583並びはよかったよな。
994 :
名無しでGO!:2007/09/17(月) 06:10:57 ID:PTnLWhL70
ゆうづるか・・・
昔松戸〜金町間で見たEF81牽引の奴が懐かしい
995 :
名無しでGO!:2007/09/17(月) 07:49:43 ID:RedwxHtKO
「はくつる」「ゆうづる」は北海道往復の定番で何十回も乗梨麻した。
北海道連絡を主にした速達列車は583系、対して青森・岩手を主にした列車は、
スピードよりも利便性重視のブルトレと、はっきり使命が分かれていましたね。
でも、どちらも青函連絡船と連絡しているので、2本ずつ雁行するダイヤが組まれていましたね。
上野や青森ではその2本が並んでいたのが懐かしいですね。
このまま1000まで行ったらおしまい?
おぼろげな記憶をみなさんが呼び起こしてくれる・・・
好きなスレです
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんこ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。