【総合生活】タクシー【移動産業】

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90名無しさん@お腹いっぱい。
★《規制緩和の“遅れ”の犠牲者》…「規制緩和が不徹底である」ことが、市場原理が機能しない理由
■『規制緩和の不徹底(中途半端な規制緩和)』が問題を生じてさせている
 「規制改革によって成長を促進する」という認識を持たないと話は進まない。
 規制改革を進めて民間有効需要を創造していくことが消費者の利益であり、勤労者の利益である。
 そうなっていないということは、中途半端な規制が残っているということ。それがタクシー規制の教訓である。
 規制は正規労働者の統治構造そのものであり、規制こそが既得権益である。
 規制が要らなくなれば、非正規に比べ労働生産性の低い正規は不用となる。だから、正規は自らの生存権をかけて規制改革に抵抗する、そんなことはあってはならない。
■タクシー規制の教訓…「規制緩和の“遅れ”の犠牲者」
 台数は自由化にしたが、業界の反対が強く、運賃や営業方法の規制を自由化せず、歩合制を残した。
 その結果、市場原理が機能せず、供給過剰・過当競争・運転手の収入減となった。
 『業界規制の緩和が不徹底だったことが全て』なのである。
◆タクシー再規制―緩和の本旨に立ち戻れ[朝日新聞 2008/07/04] http://www.asahi.com/business/topics/TKY200807030523.html
≫「運賃やサービスの内容をもっと自由にすべきだ。02年の規制緩和で台数は自由にしたが、運賃や営業方法の自由化には業界の反対が強く、規制を残した。
業界規制の緩和が不徹底だったことが、ゆがんだ増車競争を生むことにもなっている」
▼→つまり、『市場原理が機能することなく、民間有効需要は縮減した。理由は、市場原理が機能しなかったからであり、それは「規制緩和が不徹底だった」からである。』
 朝日の社説がこのことに気づいたことを歓迎したい。朝日新聞は社説で書いた以上、是非、タクシー業界は『規制緩和の“遅れ”の犠牲者』として取り扱い、その正論を貫いて欲しい。
 野党と一部のメディアは、タクシー規制緩和の問題を「市場原理主義の象徴・規制緩和の犠牲者」として今後も取り上げるだろうが。

 本来、規制改革による規制緩和とは、霞が関主導の規制の呪縛を解き放ち、市場原理を機能させ、民間有効需要を創出することのはずである。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:42:00 ID:gRAZli1VO
>>90
◆タクシー再規制―緩和の本旨に立ち戻れ[朝日新聞 2008/07/04] http://www.asahi.com/business/topics/TKY200807030523.html
■「規制緩和の象徴」といわれてきたタクシー業界で、再規制の動きが本格化してきた。
 『台数の過剰にあえぐ「業界の都合を最優先したもの」で、これではゆがんだタクシー業界の構造を正すことにはならない。』
■02年の規制改革により、タクシーの新規参入と増車は原則自由になった。
 しかし多くの地域では、台数が増えても全体の売り上げは減少した。苦しくなった業界は昨年から、全国90の運賃ブロックのうち約50地区で運賃を値上げした。これが逆効果だった。
 たとえば東京では、12月の値上げから5カ月連続で営業収入が前年同月を下回った。乗客から敬遠されたのだ。
 これでは経営が立ち往生するはずだ。
■だが不思議なことに、「タクシー業界は全体として黒字」を保っている。
 『コストの中心を占める運転手の賃金が「歩合制」』だからだ。
 「売り上げが減れば賃金も減るので、会社は黒字を確保」できる。この状態が、「売り上げが落ちたら更に増車して利益を確保する」、という悪循環を生んでいる。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:46:16 ID:gRAZli1VO
>>91
 こんな構造を温存したまま台数を規制すれば、業界は楽になって喜ぶだろうが、お客や運転手には何のメリットもない。
 台数が過剰になれば経営が赤字になり自然と台数が減っていく。肝心なのはこのメカニズムを働かせることだ。
■それにはまず、『営業の悪化が運転手の処遇に一方的に押し付けられないようにする』ことである。
 「歩合給の割合を引き下げ固定給を上げさせる規制」を導入したらどうか。
 あるいは、「無理な長時間運転をさせるような会社は、減車させたり営業許可を取り消したりする仕組み」は考えられないか。
■同時に、『運賃やサービスの内容をもっと自由にすべき』だ。
 02年の規制緩和で台数は自由にしたが、『運賃や営業方法の自由化には業界の反対が強く、規制を残した。』
 『業界規制の緩和が不徹底だったことが、ゆがんだ増車競争を生むことにもなっている。』
 様々な運賃体系やサービスに業者自身が知恵をしぼり、顧客にとって魅力あるものにする。料金が高くなりすぎて客が減ったのなら、料金を自由化して納得が得られる水準をさぐる。
 それができない業者は退場する。そうした自然の流れを活用したらいい。規制改革の本旨に立ち戻るべきだ。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:47:35 ID:gRAZli1VO
>>92
★《地獄への道は、善意で敷き詰められている》
 見せかけの安定に酔いしれ、良かれと思った制度・規制で、大多数の人の不幸を招くことになる。 過激で見栄えのよいもの・絵になる話は、本質を表さない。 失ってはじめてわかるのだろう。
■『過剰な道徳観の運用(とそれにともなう規制)は、小さな正義は守るが、大きな正義を失わせ、文化を経済社会を国家を滅ぼす。』
 「自らの価値観に基づく正義のためなら、何をやっても良い。全て正義だからこれでいいんだ」に帰着してしまうと、危険。
 そういう考え方で経済社会を動かして行こうとすると、色んな所で弊害が起きる。情緒で治世は成り立たない。
 アメリカである団体が中絶に反対だから医師を殺害した事件があったが、これを許すのと同じだ。
 一番やっかいなのは、彼らが「自分の正義感」だけが正しいと信じており、『他人にも遍く広めたいという欲求を持っている、総じて「頑固でお人好し」な一般市民ということ。』
■《道徳ファシズム》の足音が忍び寄っている…
 『道徳や偏見が、市政県政のレベルにまで入り込み、私たちの生活を無理やり変えようとしている。』
 そうした構図は、
「仮想と現実のつかない子供が増えているから、規制を強化しなければならない」などとして、マンガやアニメ、TVゲームといったメディアがバッシングを受けている状況や、
「少年の凶悪犯罪が増えているから、子供から携帯を取り上げたり、もっと教育を強化しなければならない」と、子供の監視管理を強化している状況
と、まったく一緒。
■先日、連続幼女殺人事件の犯人である宮崎勤の死刑が執行された。
 宮崎勤事件に始まったマンガやホラー映画に対する「感情的な排除」は、TVゲームや少年犯罪を経て、いま「コンビニの深夜営業」や「夜型のライフスタイル」にたどり着いた。
 宮崎は死刑になっても、宮崎の残した爪痕は、いまもなお広がり続けている。
 だが、宮崎の残した爪痕を広げているのは、宮崎自身ではない。
 自らの道徳や偏見を政治に結びつけ、まさに官民一体となって、わずかでも好ましからざる物事を、身の回りから徹底的に排除しようとする。
■参考 【眼光紙背】深夜営業の自粛を求める人たちの目的は、CO2削減などではない http://news.livedoor.com/article/detail/3695999/
94名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:48:57 ID:gRAZli1VO
>>93
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1156827352/473
▼《大衆は見せかけの安定に酔いしれ騙される》
 正義は事実と法のみが味方なのに…。情緒論で正義を振りかざし、悪を創り出して倒す。『これは気持ち良く癖になる脳内麻薬。大衆を騙しやすい。』
▼《絵になる話は、本質を表さない》
 テレビは洗脳装置。過激な嘘ほど見栄えがよく、放送しちゃえばそれが真実。
▼《総クレーマー化》した愚民の選択。失ってはじめてわかるのだろう。
▼《情緒は正義ではない》 情治国家は最後に滅ぶ社会主義国家
▼《マスコミ専制国家》は国を滅ぼす 絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ。
◆オシムの言葉
 「新聞記者は戦争を始めることができる/言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある/記事を読んだ人々が扇動されることが怖い」


◆「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 by プロシャ(プロイセン)の宰相オットー・フォン・ビスマルク (プロイセンはドイツ語、プロシャは英語による読み方)
 愚か者は自らの失敗体験から学ぶが、賢い者はそれを歴史(読書や教育から得る知識)から学ぶ。
 人は、学んで身につけた知識よりは、自ら体験した事の方が、印象が強く残るし記憶に残りやすく、何かの際に思い出しやすいもの。しかし、人が一生のうちに経験できる事には限りがある。数少ない自分の体験からだけで、何かをやろうとすれば失敗する確率が高い。
 歴史から学ぶ事は、多くの人の経験を学ぼうとすることであり効果的。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 16:52:19 ID:gRAZli1VO
>>94
★「悲惨でも不快でもない選択肢」=「今日や昨日を求む選択肢」などはない。選べるのは「不快な選択肢」=「明日を求む選択肢」だけ。
◆「政治は可能性の芸術ではない。“悲惨なこと”と、“不快なこと”の、どちらを選ぶかという苦肉の選択である」 by 経済学者のガルブレイス
 どうして『悲惨でも不快でもない現実的選択肢』を示せなどと言うのでしょうか。
 ガルブレイス氏の言うように、示せるのは「悲惨な選択肢」か「不快な選択肢」しか有り得ません。
 日本にとって「悲惨な選択肢」とは、現状の医療や介護、年金を緩やかに崩壊させていく事です。「不快な選択肢」とは、今以上の税金か保険料の負担を受け入れる事です。
 日本人は、どちらかを選ばなければなりません。『「悲惨でも不快でもない現実的選択肢」などという空想に浸っている事は、実は「悲惨な選択肢」を選んでいる事になるのです。』
 信じた先に天国があるか、地獄があるか
http://d.hat●ena.ne.jp/ogu●ogu/20080903/1220416380

★《損失の再配分機能》…もはや、バラマキは、理念も規範も無視される、シニシズム(冷笑主義)
■「政治はながらく冨の再配分機能だとされてきたが、財政が極度に悪化し、少子高齢化によって国勢が衰えていく日本において、今後求められるのは“損失の再配分機能”」である。
 損失の再配分とは、国民に冨ではなく痛みを分かち合ってもらうことである。
 そのために、政治にとって最も重要なのは言葉であり、より誠実で、丁寧で、合理性のある説明責任である。それが果たされなければ、国民は受け入れるはずがない。
 政権維持あるいは政権奪取という目的がすべての手段を正当化する、といわんばかりの今のバラマキ主張の民主党が担うには、あまりに重い機能である。
■今、民主党は、政権奪取ただ一点を何事にも優先させる、という空気に染まっている。
大きな問題であろうが小さい問題であろうが、身内に摩擦が起ころうが起こるまいが、まじめに議論すべきは議論せよ、と主張しても、相手にされない。
冷笑されるだけだ。理念も規範も無視される。もはや、シニシズム(冷笑主義)と言ってもいい。
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10043/?page=3