これでも天下の国道か?

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539カタカナのトナン
>>538
その通り!。
最後に開通したのはピンポ〜ン。
でもこの区間の用地買収は既に完了できていたんだナ。
岩槻までの暫定開通の時には、もう首都高の接続待ちの状態。
記憶に間違いが無ければ、昭和48年には川口(新井宿)〜岩槻
の収容は完了していた。
久喜でのハンパな開通を避けたかったのは地元(絡みの)政治やさん。
環状の国道16号との接続が無ければ、殆ど無意味。(っていうか、
政治屋生命にも関わる。)
とはいえ、当時の国道16号も岩槻市街の大幅なルート変更でBP
を通してしまったので、東北道との接続は何が何でもやる必要が
あったのはウラのハナシ。
でなきゃ、国道16号岩槻BP建設のアテを見込んでいた
居座りゴネ得地権者を黙らせることが出来なくなってしまう。
これは当然周囲の住宅建設にも影響が出てくる。
こうなりゃもう、マルヤさんはウハウハでしょ?。
540カタカナのトナン:2001/06/03(日) 19:06
>>538
上の追加です。
当時ここの国道16号の区間(春日部市小渕〜宮ケ谷塔)は、
当時としては最高規格の一般道。前後の区間とは余りに不釣合い。
地元の岩槻市内の旧道を拡幅すると見込んでいた地権者の
ウロタエぶりは、県道に格下げされた当時の国道を見れば、見て取れる。
最近市内を通ってないんで、変わっているかも。