操作的定義って何?

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>>164
操作的定義の「操作」とは,手続きのことだ.
操作的定義とは,直接目に見えないものについた名前(構成概念)を,
直接目に見える手続きや基準を用いて定義することなんだよ.

たとえば「長いもの」や「短いもの」というものは存在するし,
二本の鉛筆を比べてどっちが長いかははっきり目に見える.
しかし,鉛筆の「長さ」というものは,目に見えない.
「長さ」は構成概念なのだ.そこで「長さ」を測るための
一定の手続きを考案する.たとえば10本の鉛筆の長さなら,長い順に
並べた時の順位を「長さ」と呼ぶという方法がある.
これはすでに鉛筆の「長さ」を「長い順に並べ,順位を数える」という操作で
定義したわけだから,操作的定義と言える.
実際には,長さを測る基準になるもの(ものさし)を定めて,それを当てて
数値を読み取る,という操作で「長さ」を定義している.
15名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 16:56
そこで「長さとはなに?」と聞かれたら,「長い順に並べた時の順位である」とか
「メートル原器に基づいたものさしにあてた時にものさしが示す値」とか答える
ことができる.これが操作的定義だ.これを「客観的(誰から見ても同意できる)基準」に
基づいて定め,同意することで,はじめて二人以上の人間が「長さ」について
同じ土俵で語ることができるわけだ.

だから,これは心理学に限った話ではなく,長さや大きさ,量,質などについて
客観的に(いわば科学的に)語る上で必ず必要な手続きなんだよ.
でも,あなたがいう通り,一般的に長さや量などの操作的定義は長い歴史と
文化的共有性をもっているからすでに自明のものとなって
あえて確認されることはないし,自然科学的な測定の多くの場合もそうだろう.
しかし,あなたがアフォーダンススレで言い出したような,自発性とか意図とか
意志とかいったメンタルな概念では,操作的定義を明確にしなければそもそも
複数の人が同じ土俵で話すことすら成立しない.みんながそれぞれ勝手に自分の定義で
自発性なら自発性という言葉を使うから,議論にならないわけさ.
16名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 17:03
たとえば「自発性」を操作的に定義するとしたら,具体的には

 ・自発性のある行動と,自発性のない行動はどういう客観的基準で区別されるか?
 ・自発性がある状態と,自発性がない状態はどういう客観的基準で区別されるか?
 ・自発性が多い,あるいは少ないということをどういう客観的基準で測定できるか?

などを明確にし,その手続きでとらえることのできる現象だけを「自発性」と
よぶことにして,それについて客観的なデータや実験などに基づいて議論すれば
混乱は起きない.

で,操作的定義をする時には,定義の中にまたそれ自体操作的定義が必要であるような
概念を含めないことが大切.