操作的定義って何?

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1ブリッジマン
「知能とは、知能テストによって測定されたものである」

学部時代に習ったはずの「操作的定義」、「操作主義」。
分かるようで分からないという人も多いのでは?
その意義、限界など、語りましょう。

ネタ切れしたときは、各教科書や辞典の中から適当に定義を一つ取り上げて下さい。
書名、著者名、出版社名を忘れずに、正確に引用して下さい。
あるいは、我こそはと思う人のオリジナルな定義も歓迎します。

それらは「操作的定義」と言えるのかどうか?
言える言えないに関わらず、ツッコミどころ満載でしょうから。

実験屋さんも臨床屋さんも、学部生さんも素人さんも、みんなで勉強していきましょう。
2名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 02:37
ふむふむ。
某スレの混乱後なのでグッドタイミングと言えますな。

>「操作主義」
「科学的概念は、それが得られた具体的手続きによってのみ定義されるべきである。」
ってやつですな。

>「知能とは、知能テストによって測定されたものである」
これは「悪しき操作的定義」の代表と習いましたが、どうなんでしょうねえ。
3164:01/09/10 04:31
 アフォーダンススレの164ですが、実は私も操作的定義について前から
気になっておりました。私は出身は生物学なわけですが、どう思い起こしても
生物学では「操作主義」とか「操作的定義」などは習いません。しかし、
どうも心理学出身者の諸君はみな学習しているようなのですね。そして、
私は生物学現場では習わなかったけれども、「操作主義」とか「操作的
定義」なるものが心理学の世界で使われることには気がついていました。

 そして、アフォーダンススレの706、707で述べたように、私は「操作主義」
とか「操作的定義」に対して多少懐疑心を抱いています。その私の懐疑心が
解消されるか強まるかは現時点ではまだ分かりませんが、このスレで議論が
闘わされることを期待しております。
4伍長:01/09/10 05:38
うむ。あなたの疑念は正当なものです。
だが、「アフォーダンス」スレ>>706のような問題点は、すでに皆も承知しているのです。
操作主義の意義もその問題点についても、彼らは学生時代にたたき込まれています。

操作主義はもともと、物理学者のブリッジマンが言い出したことで、のちにファイグルが論理実証主義に取り入れ、やがてスティーブンスらが心理学に導入。
(スティーブンスの心理学的操作主義の公準みたいなものがありましたが、誰か紹介してくれると嬉しい)

さて、心理学では「自発性」「理解」「意図」などと呼ばれる現象が研究対象となります。
「アフォーダンス」スレの>>704氏も書いていますが、これらは本来は日常語が曖昧に表現する現象です。
そこで、
(1)それをあえて操作的に「再定義」する(あなたはこれを要求したわけです)。
(2)それらの現象を構成する(と思われる)要素を操作的に抽出して操作的に定義する。
(3)さまざまな操作手続きによって得られた(2)の操作的概念をもとにして、仮説的に再構成する。
例えば、「知能」などが(3)の代表です。これを、操作的に得られた仮説構成概念(仮説構成体)などと言ったりします。
したがって、心理学者が使う「知能」という語は、日常語ではないのです。
ただし、日常用法に極めて近いものにはなっています。
なぜなら、知能心理学者たちが日常用法からなるべく離れないようにと苦労してきたから。
5伍長:01/09/10 05:46
(続き)
「知能検査によって測定されたもの」という操作的定義が、時に「悪しき定義」となるのは、
「知能検査」というテスト法、「測定」という行為についてほとんど何も語っていないからです。
つまり、ここで言う「知能」という構成概念の妥当性に対して、テスト理論、測定法、「知能」に関連する諸概念、それらの概念的妥当性などの問題が絡んでこなくてはいけない。
ちなみに、この「関連する諸概念」とか「概念的妥当性」については、例えば最近では作動記憶と一般知能gとが極めて相関が高いらしいとか、脳内の活動でも両者は同じ部位に関係しているらしいとか(詳しいことは知らない。又聞き)、
そんなこんなの事実が集められて、この「概念的妥当性」がさらに少し高まるわけです(ところで、「妥当性」にもいくつか種類があるのは御存知ですか?)。

「良き操作的定義」とは、このように「操作的な態度」から集められた知の体系を背景に成立しなければならない。しかし、場合によっては(知の体系がまだ貧弱な分野などでは)極めて困難になることもある。

現代の心理学者は(1)の方法をとることはあまりないでしょう。
特に大昔の行動主義者たちは盛んに(1)をやっていたらしく、スキナーがそれを批判しています。

操作主義は行動主義と親和的であるというのはその通りです。
そのおかげで、行動主義は「新行動主義」へと発展した。ハルが「操作主義的」新行動主義の代表です。
スキナーは操作主義を批判しているが、「操作的な態度」は推奨している(解りにくい)。
ただし、操作主義的な方向が現代でも重要なのは上記の「知能」の話をみても明らかでしょう。
科学的心理学が共通に持っているディシプリンの基盤(の少なくとも一つ)であると言ってもよい。
操作的定義に対して懐疑的になるのは(1)の場合が圧倒的に多いと思います。

以上、不充分で間違いもあるかも知れないので、諸先生方に補足してもらいましょう。
(私のような素人には、アフォーダンスよりもこういう話の方が面白い。おかげでまた朝だ)
6名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 06:38
164氏は自分が操作的定義の仕組みを習っていないことを、
自分が習った生物学が操作的定義、および操作主義に
基づいていないことと混同しないように。
生物学ももちろんのこと、すべての自然科学は
概念を操作的に定義することなしには成立しない。
なぜなら、それをしないと科学的測定も、実験もできないからね。

理系の学問では一定のパラダイムに基づいた実験手続きや
測定手続きを踏んでいれば、学部生や修士くらいのレベルでは
とくに操作的定義については考えなくても良い、という
だけのこと。とくに、理系では卒論や修論では指導教官の研究テーマの
ごく一部を断片的に手伝う程度で研究と呼ぶでしょ?
そういう場合は指導教官が研究に用いる概念の操作的定義を
意識していれば十分だからね。

心理学も含め文系とされる学問の多くでは、卒論くらいから
全く自分独自のテーマで、自分独自の研究を行うことが多い。
そして、特に心理学ではそこで客観的な方法が求められる。
その場合は自分の用いる概念を自力で操作的定義できなければ、
そもそも研究ができない。だから心理学者は学部レベルでも
操作的定義などの、科学の基本手続きを自分で考えるための
技術を叩き込まれるのよ。
7名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 06:50
あと、164は「操作主義への懐疑論」と「操作的定義への懐疑論」を混同しているね。

懐疑論があるのは「操作的定義がすべての概念に対して可能か」とか「操作的定義が
不能な概念は本当に科学の対象ではないのか」といった問題に対してであって、
これは論理実証主義の操作主義に対する懐疑論。

いっぽう、操作的定義自体は19世紀以来の自然科学の基本原理で、伍長氏も
説明してくれているように、論理実証主義は「その時点で現にそうであった
科学の基本的手続きを体系化して示したもの」だ。現在でも、自然科学を含め
実証科学というものの手続きは対象となる概念の操作的定義を抜きにしては
なりたたないし、操作的定義のできない概念を扱う科学、というのは
現存する自然科学、実証科学とは別のものになるだろう。

164が親和的である「実験して、データをとって」という自然科学ワールド自体が
操作的定義を基礎にしたものだし、もし164が操作的定義の意義自体を懐疑するなら、
そういった自然科学ワールドをも懐疑する必要が生じるんだけど、わかっている?
8164:01/09/10 12:46
>>5
>(1)それをあえて操作的に「再定義」する(あなたはこれを要求したわけです)。
>(2)それらの現象を構成する(と思われる)要素を操作的に抽出して操作的に定義する。
>(3)さまざまな操作手続きによって得られた(2)の操作的概念をもとにして、仮説的に再構成する。
 実はこの3つの違いがよく分かりません。ひとつの理由は操作主義の
説明に「操作的に」という言葉が入っているから、でしょうか。
 妥当性に種類?validityとrelevancyの違い?みたいなものでしょうか?
もちろんvalidityとrelevancyの違いもよく分かりませんが。

>>6
 開き直るわけではないが、「現代の」生物学自体が心理学より若い学問だから、
ということもあるかも知れない。生物学が自然科学の体裁をとるようになったのは、
遺伝子DNAの構造が明らかにされた1950年代以降だと。それまで生物学は帰納的推理に
よる研究しかできなかったが、このときに初めて生物学は帰納的推理と演繹的推理の
双方向による研究法を獲得するに至ってやっと自然科学としての体裁を整えたのだ、
というのはよく言われる話。で、たぶん、DNAとその周辺を扱う分子遺伝や生化学に
とっては遺伝子自体が仮説構成体ではなくなったので、もはや操作主義うんぬんにも
悩まなくてもよいようになった。
 しかし、分子遺伝や生化学以外の分野はまだ意外と立ち遅れていると。私が好む、
例を挙げて共通の現象を指摘しようとする方法は古い生物学の研究法である帰納法
だった。脳科学に関しては脳の構成要素の神経細胞自体の機能や仕組みはよく分かって
きたが、神経細胞が生体内でネットワークを形成している場合のネットワークの構造と
機能は神経行動学が明らかにしたごく一部の生物の例を除いてほとんど闇の中だ。そして、私が問題にした「自発性」や「理解」、「意図」はすべて神経ネットワークの機能
なのだ、と。

 操作主義への懐疑論と操作的定義への懐疑論の混同に関しては、
実はおっしゃりたい意味がよく分からない。
操作主義に対する懐疑論が
>懐疑論があるのは「操作的定義がすべての概念に対して可能か」とか「操作的定義が
>不能な概念は本当に科学の対象ではないのか」といった問題に対してであって、
であれば、操作的定義を疑うのも当然ではないか?

 心理学は、心理学者がおそらく(勝手に)最も完成された自然科学と考えている
「物理学」に憧憬を抱いているんじゃないか?と思ったりする。ところで物理学が
ほぼ完成されたのは19世紀であった。心理学が範としている操作主義は、実は19世紀の
物理学のものであった、と。
 操作主義が行動主義と親和性が高いにもかかわらず、先に操作主義を習ってしまった
心理学者は、その時点で行動主義に至る素地を植え付けられてしまっている。その
せいで、日本における認知心理の進歩は欧米に比べて立ち遅れることになった、と。
9名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 13:27
認知心理学だって操作的定義がなければ測定や実験ができないよー.
生物学だって君のやっている測定や実験は「すべて」操作的定義に基づいているんだよー.

分子遺伝学だって測定と測定対象を結び付けているもの,観察と観察対象を
結び付けているのは操作的定義だよー.遺伝子が「観察」できるのは
それが「観察方法」によって操作的に定義されているからだよー.

たとえば「ものの大きさを測る」というようなごく簡単なことも,
操作的定義によって成立してるんだけど?

とにかく,苦し紛れに操作的定義そのものを低レベルで批判したり,特定の学問が
操作的定義に依存してないみたいなバカなことをいうのはやめろ.
それは絶望的に間違っているし,君への評価はどんどん下がるよ!
10名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 13:28
もしかしたら「観察」とか「測定」ということの
基本的構造から教えないといけないのかな?
11164:01/09/10 13:55
だったらその前に操作的定義を「操作的に」という言葉を用いずに
説明してくれろ。まだ分からないから訊いているんだよ。
べつに私自身への評価なんか気にしてないって。
12164:01/09/10 14:07
自明なので、あえてふだん操作的定義という言葉が用いられない
ために、「操作的定義」という言葉を知らない可能性だってある
でしょう。基礎的なことを知らないからといって、すべてが否定される
わけではないと思う。
13164:01/09/10 14:32
たとえばこんな説明があった。(http://www.human.waseda.ac.jp/~hiroyuki/statistics/ExpDesign.html#Sousa
>操作的定義
>「会ったことの無いAさんに会う前に、Aさんの評価を聞いておくと
>Aさんの印象が変化する。悪い評価は悪い印象を促進し、良い評価は
>良い印象を促進する。」 この事を立証するには、被験者を集め、Aさん
>に対する印象を調べる必要があります。ここで「印象」という言葉を
>多用しました。しかし、「印象」とはどのようにして測定したら良い
>でしょうか? 「不安」「学力」「印象」「記憶力」・・・、人間科学
>(あるいは心理学)で測定したいものはその多くが概念であり、実験者
>側で定義しなくてはなりません。「不安」は様々な「不安測定尺度(質問紙)
>」があります。しかし、それで測れる「不安」とはあくまでも「不安」の
>一面なのです。そこで実験をする際、「不安とは○○である」と定義し
>なくてはなりません。その定義が操作的定義と言われるものです。
 しかし、私にはこれは「操作的定義」の説明になっていないと感じる。

また、http://www.okayama-u.ac.jp/user/le/psycho/member/hase/yh-seminar/2001/Shiraishi_10517.html
>まず現象の一般的な記述を打ち立て、そのような現象が起こるのに必要な
>条件を特定する。そして、再現可能な活動や実験に基づいて理論を書き
>換えるのである。このように、理論的な用語を測定可能な形で定義した
>ものを操作的定義(operational definition)という。言い換えれば、
>定義するものを、それを測定する操作と結びつけるのである。例えば、
>無意味つづりを暗証できるまでにそれを見直した回数を学習率とした場合、
>それは操作的に定義されている。
 この説明も私にはよく分からない。お願いだから、バカな私にも
よく分かるように説明していただけないだろうか。
1410:01/09/10 16:56
>>164
操作的定義の「操作」とは,手続きのことだ.
操作的定義とは,直接目に見えないものについた名前(構成概念)を,
直接目に見える手続きや基準を用いて定義することなんだよ.

たとえば「長いもの」や「短いもの」というものは存在するし,
二本の鉛筆を比べてどっちが長いかははっきり目に見える.
しかし,鉛筆の「長さ」というものは,目に見えない.
「長さ」は構成概念なのだ.そこで「長さ」を測るための
一定の手続きを考案する.たとえば10本の鉛筆の長さなら,長い順に
並べた時の順位を「長さ」と呼ぶという方法がある.
これはすでに鉛筆の「長さ」を「長い順に並べ,順位を数える」という操作で
定義したわけだから,操作的定義と言える.
実際には,長さを測る基準になるもの(ものさし)を定めて,それを当てて
数値を読み取る,という操作で「長さ」を定義している.
15名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 16:56
そこで「長さとはなに?」と聞かれたら,「長い順に並べた時の順位である」とか
「メートル原器に基づいたものさしにあてた時にものさしが示す値」とか答える
ことができる.これが操作的定義だ.これを「客観的(誰から見ても同意できる)基準」に
基づいて定め,同意することで,はじめて二人以上の人間が「長さ」について
同じ土俵で語ることができるわけだ.

だから,これは心理学に限った話ではなく,長さや大きさ,量,質などについて
客観的に(いわば科学的に)語る上で必ず必要な手続きなんだよ.
でも,あなたがいう通り,一般的に長さや量などの操作的定義は長い歴史と
文化的共有性をもっているからすでに自明のものとなって
あえて確認されることはないし,自然科学的な測定の多くの場合もそうだろう.
しかし,あなたがアフォーダンススレで言い出したような,自発性とか意図とか
意志とかいったメンタルな概念では,操作的定義を明確にしなければそもそも
複数の人が同じ土俵で話すことすら成立しない.みんながそれぞれ勝手に自分の定義で
自発性なら自発性という言葉を使うから,議論にならないわけさ.
16名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 17:03
たとえば「自発性」を操作的に定義するとしたら,具体的には

 ・自発性のある行動と,自発性のない行動はどういう客観的基準で区別されるか?
 ・自発性がある状態と,自発性がない状態はどういう客観的基準で区別されるか?
 ・自発性が多い,あるいは少ないということをどういう客観的基準で測定できるか?

などを明確にし,その手続きでとらえることのできる現象だけを「自発性」と
よぶことにして,それについて客観的なデータや実験などに基づいて議論すれば
混乱は起きない.

で,操作的定義をする時には,定義の中にまたそれ自体操作的定義が必要であるような
概念を含めないことが大切.
17名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 17:21
>>8,>>11
「操作的に」というのは「測定方法と関連づけて」といった程度の意味だと思えばよい。

>>8
妥当性validityと信頼性reliavilityの問題は心理測定の基本。
学部の授業を聴講せよ。
妥当性には、予測的妥当性、内容的妥当性、概念的妥当性とがあるとされる。
他にもいろいろ出てくる。基準関連妥当性とか。
考えてみれば、我々は学部時代にかなりのことを学んでるんだな。
あのころは麻雀ばかりやっていて気が付かなかったが、
何だかんだ言って役に立っている。
少なくとも生物学科の学生よりはずっと程度の高い科学方法論の教育は受けていたようだ。

>であれば、操作的定義を疑うのも当然ではないか?
当然である。
みんな疑いながら苦労しているのだ。

>心理学が範としている操作主義は、実は19世紀の物理学のものであった、と
ブリッジマンの操作主義はアインシュタインの相対論成立に基づいていると習ったので、
20世紀前半のアインシュタイン時代の物理学なのでは?
だからそんなに古いものではなく、必ず通過しなければならない道だったのだ。

>先に操作主義を習ってしまった
古典的行動主義が生まれた(1913)のは操作主義導入以前だぞ。
今調べたら、ブリッジマンの主著は1928年だ。
1817:01/09/10 17:35
10氏とかぶってしまったが、

>>13
むしろ君がなぜ分らないのかが分からない。
やはり「知能とは知能検査によって測定されたもの」という定義が分かりやすい。
学部の授業で必ず例として挙げられるのは、
良きにつけ悪しきにつけ、この定義が操作的定義の特徴をよく表しているからだろう。
伍長氏の解説>>4にもあるように、(3)まで進みたいのならば、
構成概念(「概念構成体construct」などとも言う)の「概念的妥当性」を高めるような知の体系が必要。
あるいは逆に、知の体系を築くことができなければならない。
その体系の基盤には群小の操作的定義が存在する。
だから、われわれが「自発性」「理解」「意図」といった言葉を使う場合は、こうした背景のもとで使っている。
ある人(行動主義者が代表)はなるべく使わないようにし、別の人(認知主義者など)は積極的に使う。
後者であっても、君や素人の用語法とは違うのだ。

われわれはこういうことを学部時代に学んでいるわけだ。
心理学=臨床・カウンセリングと思い込んで入学し、失望する学生が多いのも分かるだろう?
19164:01/09/10 17:39
>>14-16
 なるほど。よく分かった。遺伝子はその存在は強く想定されていた
けれども、その形が明らかでなかった時代は構成概念にすぎなかったが、1954年に
エックス線解析その他の方法で遺伝子DNAの形状が明らかにされたときに、
遺伝子は構成概念ではなくなった。
 論文では単に長い短い、大きい小さいとは表記されない。かならず
何らかの方法で測定した数値に単位を用いて表記されるものだ。通常、
これはわざわざ操作的定義とは呼ばれないが、まさに操作的定義なのだな。
どうもありがとう。

 ここで「自発性」を論じる必要はないが、一応、私の考えるものを
述べておくと、これはもうほとんどオン・オフのような行動だ。
「一般に刺激のない環境で、少しでも動物個体が随意筋を動かしたら、
それは自発的な運動であり、行動である」
意図や理解についてはアフォーダンススレにて。
20164:01/09/10 17:46
>>17
>妥当性validityと信頼性reliavilityの問題は心理測定の基本。
            ↑スペルが間違っているぞ
reliabilityではない、relevancyだ。よく見てくれ。

>心理学=臨床・カウンセリングと思い込んで入学し、失望する学生が多いのも分かるだろう?
それはよく分かるぜ。心理学者というのは行間を読める人間じゃない。
むしろ、行間をあえて読まないようにしている人種であることもな。
21名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 18:11
>>19
たしかに遺伝子はもはや構成概念ではないといってもよいが,
「遺伝」そのものはいまだに(というか永遠に)構成概念.
なぜなら遺伝という概念には遺伝子だけでなくその表現型も
含むから,遺伝そのものは操作的定義を媒介しないと測定できない.
そこで測定の構成概念妥当性(つまり操作的定義の正しさ)が
問題になるわけね.
22名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 18:47
皆さんは、「操作的定義」や「妥当性と信頼性」を、
学部時代の、「何年生の」、「何の授業で」、初めて習いました?
僕は1年の心理学概論でした(他の授業でも習ったけど)。
担当教授はこのあたりはしつこかったなあ。
操作的定義のときには完全に心理学史、いや哲学史、科学史みたいになってしまい、
テスト対策に苦労しました。
23164:01/09/10 18:48
>>21
うーん。まぁそういうことなのかも知れないが、今でも「遺伝」その
ものが研究テーマになることはないんだよね、科学哲学以外では。
遺伝を直接扱うのではなく、遺伝率とか普及率、発現頻度などを見て
いるのだ。そしてそれらの言葉はそれぞれ、あくまでひとつの事柄だけを
指している。自然科学の学術用語というのは概念と言葉が完全に一対一に
対応しているんだよ。結局これらの言葉は遺伝なら遺伝という構成概念の
一面を説明するための操作的定義ということになるのかな?
2417:01/09/10 19:04
まあそういうことだろう。
伍長氏>>4の(2)かな。

それにしても>>20の憎まれ口は、マル氏のそれとよく似ているな。
2510:01/09/10 19:27
>>23
その遺伝率,普及率(これはよく知らないが),発現頻度などの概念も
実際に「測定」や分類を行うにはそれぞれ操作的定義が必要なのだ.
遺伝率とは?普及率とは?という問いが立つ可能性のない概念(そんなのは
実際には存在しないのだが)でない限り,それを実証科学の文脈で
用いる時にはそれぞれ操作的定義が必要.

「自然科学の学術用語は概念と言葉が完全に一対一」のように見えるのは,
非常に厳密で公共性の高い操作的定義がその学の歴史上ですでに行われていて,
その用語を用いる「科学者」たちが一致して(ほとんど無意識に)その操作的定義に
従っているからであって,操作的定義が行われていないわけではない.

その証拠に,そうした自然科学の学術用語だって,素人は平気でまるで別の使い方
するでしょう? たとえば「アルカリイオン水」とかさ.
26とうしろう:01/09/10 19:57
素人なのでよく分からないのですが、
心理学においては、操作的定義とは、科学的定義と等価
なのでしょうか?
それとも、操作的定義とは言えないが、科学的に定義され
ている概念というのは、あるのでしょうか?
27名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 20:06
>>26
操作的、ということに関してはすでに十分な説明がなされたので、
あなたが言う「科学的」ということがどういうことなのかを説明してく
ださい。それがなぜあなたの中で「操作的」と対峙するような概念
になっているのかが分かればコメントもしやすくなります。
2810:01/09/10 20:22
>>26
心理学に限らず,すべての実証科学では操作的定義は
科学的定義の代表的な枠組みですし,操作主義の立場では
操作的定義だけを科学的定義とみなします.

操作的定義ではない科学的定義,というのがあるとすれば,
そこでは「科学」そのものが操作主義や論理実証主義が仮定する
(自然科学に代表される)「狭義の科学」とは違うものになる可能性が
あると思います.>>27が「科学的とはどういうことなのか」と
あなたに聞いているのは,そういう意味です.

「人間科学」とか「人文科学」とかいわれるものの中には
そうした「科学的定義」があるかも知れませんし,心理学の中にも,
特に臨床心理学的なものを中心に存在するでしょう.
しかしそうした定義は,自然科学におけるそれのような意味では
「科学的定義」とは言えないでしょう.端的に言えば,操作的定義でない
定義では,客観的な観察や測定ができない(つまり科学的に取り扱えない)
からです.
29名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 20:23
>妥当性validityと信頼性reliavilityの問題は心理測定の基本。
            ↑スペルが間違っているぞ
reliabilityではない、relevancyだ。よく見てくれ。
reliabilityで正しいです
30164:01/09/10 20:40
>>29
いや、validityとrelevancyは、妥当性にいくつか種類があると
伍長氏がおっしゃるので、このことかな?と思って挙げたもの。
ちなみに、「知能指数検査の妥当性という問題」は
"the subject of the relevancy of IQ testing"と言うらしい。
もちろん、私にはvalidityとrelevancyの違いが分からない。
31名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 21:08
皆さんが言っている「妥当性」はあくまでvalidityで、relevancyではないっす。
validityとreliabilityのセットっす。
そしてvalidityには大きく分けて3種類あるんだぞーって習うんです。
その引用部分でvalidityが使われていないのは何か意味があるのかもしれないっすけど。
32名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 21:22
んー、なんだ。なんというか。(笑)
164氏の頭脳と食いついて離れぬ根性があれば、
心理測定関係の解説書を読めば一気に解決するのではないかと。
なにかいい本ない?
入門書程度じゃ物足りないだろうし。
33名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 22:19
精神分析に操作的定義ってあるんですか?
エディプス・コンプレックスとか、どうやって操作的に定義するんでしょ。
34名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/10 23:00
>>27
>操作的、ということに関してはすでに十分な説明がなされたので、
いや、まだ充分とは言えない。
>>1は、操作的定義の限界についても述べよと言っている。

(1)例えば「長さ」にしても、すべての「メートル原器に基づいた物差し」は全く同じ品質かというとそうではない。
また、たとえ同じ物差しで測っても、測定誤差は常に生じる。
観察者が変わればなおさらだ。
天文台の助手が無能だとして首になった事件がある。
この話なんか誤差を巡る科学史上有名なトピックで、学部の授業で聞かされた人も多いだろう。
操作的定義の限界とは、まず第一に測定の厳密さの限界。

(2)操作的定義と言ってもそれは常に不完全なものであるし、
定義Aは操作的定義かそうではないのか、という二者択一でもない。
操作的定義は努力目標みたいなもので、
測定方法を含めた知の体系次第で、さまざまな水準の操作的定義がありうる。
例の「明確な誘発刺激が存在しないのに生起する」という定義にしても、
操作的であることに変わりはない(「誘発刺激」も「生起」も操作的に定義されるから)が、
しかし、たとえば「誘発刺激」の操作的定義の水準と、「長さ」のそれは異なるだろう。
前者の定義には理論的にも方法論的にもうるさく言えば問題がいろいろある(例えば「明確な」とは?)。
そういう問題をできるだけ小さくするような知の体系が作られるが、
その体系自体はそういう問題を完全に解消できるわけではなく、別の問題を生み出すかもしれない。
つまり操作的定義の限界は、測定の厳密さだけでなく背景にある知の体系によっても規定される。

(3)限界は、「科学とは何か」という問題でも浮上する。

他にもあるかな?

>>33
ないと思う。
だからといって臨床知として全く無意味であるということにはならないのだろう。
35名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 01:13
倫理的な限界もあるだろ。
36名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 02:25
実用上の限界もあるんでわ?
メンタルな日常語を操作的に定義しても、
日常用法とズレまくってしまうことが多いから、
そんなんはオレのいいたいことじゃねえって。
みんな同意して結局使えない。

あと、操作的定義が理解できなかったり嫌いだったりして、
いい加減な用語をいい加減に使いまくるやつが必ず出てくること。
これも実用上の限界。
37名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 09:51
>>34
測定の厳密さの問題と操作的定義の問題は切り離した方がいいな.
実際,もし完全な操作的定義というものがあったとしても,不完全な測定が
伴えば観測値は不完全だし,完全な測定というものがあっても
操作的定義が不完全なら観測値は不完全だからな.

むしろ(2)のほうが,操作的定義の現実的な限界だろう.
たとえば心理尺度の「構成概念妥当性」と言われるものがあって,
これは簡単に言えばその尺度項目を生み出した「操作的定義の正しさ」の
ことなんだけど,尺度構成法をちゃんと習った人なら誰でも知っているように
構成概念妥当性そのものは,尺度の測定値だけからは判断できないのだ.
いわば尺度の不完全性定理ね.

ただ,限界がある,ということと,操作的定義が無意味,ということとは
直接には繋がらない.ひとつには,観測や測定の客観性(科学性)を保証する
操作的定義よりも広範で,限界の少ない方法というのはいまのところ存在しない,ということ.
もうひとつは,その限界の範囲内で限界を知って用いる限り,操作的定義は
観測や測定の客観性を保証するのに十分に役立つ,ということ.

アフォーダンススレで論じられたような問題で,操作的定義の限界を超えているような
ものはない.操作的定義を行うことで十分な客観性を達成できる問題で,あえて
操作的定義を行わないことはナンセンスだ.操作的定義が十分可能で,それで科学的な
議論が十分成り立つ時に,操作的定義には限界があるからやりたくない,というのは,
科学には限界があるから科学的な説明を行うことはすべて無意味だ,というのと似ている.
それに近いことをいう人は心理学者にもよくいるけどね(藁.
38名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 09:53
あと,>>34の(3)についていえば,操作的定義の限界,というのは
ほとんどそのまま「科学の限界」につながる.自然科学に代表される
この200年の「科学」の基本的姿勢である「客観性が科学の基礎」という
考えと,操作的定義や操作主義は表裏一体だからね.操作的定義の限界は
科学の客観性の限界なんだよ.
39とうしろう:01/09/11 11:06
>>26>>27
 返事がおそくなってしまいました。
 私の中で「科学的」とは、実証に裏打ちされた客観性を有するもの
というように考えてます。で、実証するためには客観的な実験・観測による
データと、明晰かつ判明な概念と理論が対になっていなければならない、
と思っています。
 心理学を一般教養で学んだのは随分前のことですので、だいぶ忘れて
しまってはいるのですが、例えば、「個体発生は系統発生を繰り返す」
という反復の法則は、生物学にも、心理学にも共通のベースとなっている
説だと私達は学びました。
 しかし、今考えると、これってほんとうに科学的なの?と思うのです。
 個体発生は見ることが出来ても、系統発生を目で見た人は居ません。
 化石などの考古学的資料から間接的にうかがい知るしか出来ず、
実験は当然のこと、観測も充分出来るとはいえない。また変態をする
昆虫などの例外もあって、明晰かつ判明な理論とは言いがたいのでは
ないか、と思っていました。
 ここで、心理学における操作的定義の話題が出ておりましたので、
このような学説は科学的ではあるけれど、操作的定義としては馴染まない
のではないのか、と思ったわけです。
40名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 11:49
まず基本的なことを.

操作的定義でいうような意味で「科学的である」というのは,論理的に
観察可能であり,操作的定義に基づいた観察や測定で「テスト可能である」という
意味です.

たとえば「月の裏側にウサギがいる」という仮説は「科学的」です.月,裏側,
ウサギ,いる,という概念はそれぞれ操作的に定義可能であり,仮説はテスト可能だからです.
で,実際に人工衛星などを飛ばして調べた結果,それは正しくないことが分かりました.
したがって,この仮説は「科学的であるが正しくない仮説」ということになります.

「個体発生は系統発生を繰り返す」(これが心理学のベースであるかは別として)も
個体発生,系統発生,繰り返す,という概念を操作的に定義できればテスト可能です.
で,操作的定義は可能,したがってこの仮説は科学的です.ただし,>>39がいうように
系統発生の大きな流れを目撃した人はまだいません.したがって,この仮説は「科学的
であるがまだ確認されていない仮説」ということになります.

もちろん,さまざまな状況証拠,考古学的資料,それから系統発生の「一部」の観察例の
積み重ねなどで系統発生の仕組みはおよそ分かっています.そして,その流れと「観察可能」な
個体発生が類似しているので,個体発生は系統発生を繰り返す,という説がいちおう
受け入れられているのでしょう.(ただ,最近の進化心理学ではあまりそういうことは
言わないようにも思いますが.)
41名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 12:01
つまり,科学的であるということと「正しい」とか「適切である」とかとは
別のことなのです.その点から見ると仮説や理論には

 1 科学的であり 正しい  仮説
 2 科学的であり 間違った 仮説
 3 科学的でなく 正しい  仮説
 4 科学的でなく 間違った 仮説

の4つがあり,科学が相手にするのは1と2だけ,3,4については
科学は正しいとも間違っているとも言うことができません.
で,「科学的であり」ということと,その仮説や理論が用いる概念が
操作的定義可能で現に操作的定義されている,ということは
ほとんど同義です.

たとえば「星座と性格に関係がある」という仮説も,星座,性格,関係という
三つの概念が操作的に定義されているなら,テスト可能な「科学的仮説」と言えます.
ただし,それが科学的であることと,正しいということは別の問題になります.
42とうしろう:01/09/11 13:26
>>40>>41
 詳しい解説ありがとうございました。
 ちょっと私勘違いしていたかも。
 操作的定義とは学説(あるいは仮説)を構成する”個々の”概念についての
言及なんですね。
 それら概念によって構成されるものが学説であるから、個々の概念が操作的定義
によって厳密にされていないと、テストによって検証しようにも、意思疎通が出来ない、
ということなんですね。
43名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 13:49
>>42
まったくそのとおりです.ただし,これは論理実証主義の考え方.
最近の科学論では「そんなに簡単には科学と科学でないものをわけることは
できないだろう」と考える人も多くなりました.しかし,一般的に「科学とは」と
いうことを考える限りでは,現在でもこの考え方で特別に問題はないと思います.
44164:01/09/11 16:26
>>39
>「個体発生は系統発生を繰り返す」
>という反復の法則は、生物学にも、心理学にも共通のベースとなっている
>説だと私達は学びました。
 この法則のことは後で述べることにして、心理学が研究対象と
する「心」は生物、それも事実上動物の属性であるので、当然
おっしゃることは正しいし、だからこそ私は前から心理学は生物学の
一分野だと考えているのです。ただし臨床心理学は除外(藁

>>40
 「個体発生は系統発生を繰り返す」という概念はたしかにそういう
位置づけになるのかも知れませんが、生物学を学んだものとしては
あまり科学的な学説とは思われません。根拠などどこにもなく、単に
アナロジー(類似ないし類推)を述べたものにすぎないと感じるのです。

>>43
まさにその論理実証主義に対する疑問が操作主義や操作的定義の限界に
繋がるのではないでしょうか? その辺を論じていただければ幸いです。
4543:01/09/11 17:12
>>44
別に「限界」についても論じてもいいけど,君がアフォーダンススレで
引っ掛かっているような問題はすべて「限界のこちら側」の問題だし,
操作主義の限界が分かったところで,君があそこで主張して批判されたことについて
君の方が有利になったりしないよ.そういう意味で期待外れになること必至.

操作主義の限界は,操作的定義が可能であるものについてはことごとく操作的定義を
行い,それに基づいた科学の営みを極限まで進めた上で,その先にある問題として見えてくるもの.
とくに物理学はその「極限」に達しようとしているから現実的な問題になっている.
それでも,その限界のこちら側にある問題では,これからも操作的定義,操作主義が
実質的に「正しい」のだ.たとえばニュートン力学レベルの問題を論じるのに操作主義の
限界など考える必要はまったくない.

同様に,君がアフォースレで論じたようなこと,感じた疑問は限界というよりも操作主義以前の問題で,
これからやっと操作主義の段階に入ろうというもの.心理学の多くの分野もまだその段階だし,
君がどこかで「若い学問」と評した生物学についても,似たようなものだ.そこではむしろまず操作的定義,
操作主義をどうやったら徹底できるか(どうやって概念を正確に用いるか)の方が現実的な問題だろう.

>>「個体発生は系統発生を繰り返す」という概念
これは概念ではなくて命題(仮説).ここでの「概念」は「個体発生」「系統発生」「繰り返す」.
言葉を正確に使わないとまた混乱するよ.>>42はちゃんとわかってくれたのになあ.
46名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/11 18:03
>心理学が研究対象と する「心」は生物、それも事実上動物の属性であるので、
>当然 おっしゃることは正しいし、だからこそ私は前から心理学は生物学の 一分
>野だと考えているのです。
 この考え方って「全ての物質は素粒子から構成されているので全ては数学で記
述することが可能である」とか言った数学者(名前は失念してしまった)と同じでな
い?結局無茶だったみたいだけど。
47名無しさん@お腹いっぱい。:01/09/27 03:19
あげ
481:01/09/27 03:36
その画像ならココ
http://www.f2.dion.ne.jp/~impact14/
49名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/23 02:16
164あげ
50名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/28 18:32
学部生ですがこのスレ、非常に勉強になりました。
で、厨房な質問ですみませんが…

心理学は現在までの段階で、操作的に定義され、
なおかつ広く信頼性と妥当性が認められた構成概念を
何か生み出せたのでしょうか?私の勉強不足のせいでしょうが、
現在の認知心理学は百花繚乱、群雄割拠という状態で、
収束された(あるいはしつつある)概念は聞いたことがありません。
(聞いたことがあってもそれがそうだということに
 気が付いていないだけかもしれませんが。)
もしないのであれば、行動主義者が言うように、
演繹的なモデルの構築と検証は結局徒労に終わるのでしょうか。
51探検隊:01/10/29 00:04
>>50
ワーキングメモリなんかはどうかな。
52名無しさん@お腹いっぱい。:01/10/29 00:17
レトリックに終始するレベルか心理学は・・・。
応用物理学者が心理学に進出していい測定機器を作らないといつまでたっても
金錬術の域を越えられないようだね。
それまでに星を結んで星座の名前でも考えておいてくださいな。
「金練術」って何だ?
>>53
金玉の鍛錬術。(藁)
55名乗るほどのものでわ:01/10/30 22:48
あー、スレが一気にお下品になっちゃうから、
思いついたけど黙ってたのにー(w
56名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/03 20:15
保全age
心理の中身の話より、まずはしっかりとした
思考の枠組みを身につけろ
57名無しさん@お腹いっぱい。:01/12/24 23:39
冬休みのお勉強あげ。
58名無しさん@お腹いっぱい。
もひとつ保全あげ。