皇国史観プロパガンダで東日本人を侮辱するな

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244論点整理のため再掲
 近代天皇制イデオロギーの根幹を成す皇国史観は、薩長土肥の明治政府によって
悪質なプロパガンダに利用されましたが、その本質は「西日本=善玉、東日本=悪玉」
という構図にあります。それは、日本史が朝廷を中心とした近畿とそれに反抗して来た
関東との対立抗争の歴史だったからです。

 皇国史観で忠臣またはよく言われる人物で西日本と関係が深い人物には、中臣鎌足、
和気清麻呂、坂上田村麻呂、日野資朝・俊朝、名和長年、楠木正成・正行、豊臣秀吉、
大石内蔵助、吉田松蔭、桂小五郎、高杉晋作、坂本竜馬、大久保利通などがいます。
 それに対して、皇国史観で逆賊あるいは良く言われない人物で東日本と関係が深い
人物には、平将門、源頼朝、北条政子、北条義時、北条高時、足利尊氏、徳川家康、
柳沢吉保、近藤勇、土方歳三、小栗忠順、松平容保、河井継之助などがいます。

 高慢な西国人(西日本人)がつくった明治政府は、皇国史観によって、我々東国の
先人達を悪人として宣伝し、国民にそう吹き込みました。我々東国人(東日本人)も、
いつのまにかそれに洗脳され、郷土の偉人達を悪人だと思い込まされて来ました。
 これは我々東国人(東日本人)を侮辱するものに他なりません。
これを読んだあなたが東国人(東日本人)であるならば、こんなデタラメな
いんちきプロパガンダを、絶対に信じてはいけません。

 戊辰戦争の頃、清水港に漂着した幕府軍戦死者の遺体収容を官軍が禁じ、
そのまま晒しておくようにと命じたとのこと。会津城下じゃ、本当に晒した
のですよね。一ヶ月くらいでしたっけ。
 しかし、身内の屍が、犬に食われカラスにつつかれ、朽ち果てていくのを毎日見る
のは、どんな思いでしょう?

 我ら東国人にとって、西国人が伝統破壊の結果でっち上げた「国民国家日本」に
対する「愛国プロパガンダ」とその中心にあるとされる「天皇家」とは、我らの
「先祖に対する誇り」「郷土愛」を徹底的に侮辱する自虐的存在でしかないのです。

過去ログ保存所(諏訪大社の氏子)
http://azuma-.hoops.ne.jp/
245論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:37
我らアズマにとって、室町初期こそは理想の時代であろう。天皇を追放見殺しにし、
護良親王を筆頭に天皇の皇子を斬殺・毒殺などでジャカジャカ虐殺し、アズマの理想
を実現していった。なんと痛快な時代ではないか!
 これって、今の時代でいえば、アキヒトを廃位したり、ヒロノミヤやアキシノを斬殺
するようなもんだろ。テンコロどもサイゴク人の洗脳で牙を抜かれた我らアズマは、
このような室町初期の自由闊達なアズマ武者に学ぶべきではないのかね?
 ここに「太平記」より抜粋の足利高氏の執事「高師直」の名演説を上げておく。
我らアズマは、高師直の精神を見習うべきであろう!

「都ニ王ト云人在シテ、許多ノ所領ヲフサゲ、内裏・院御所ト云所ノ有テ、馬ヨリ
下ルムツカシサヨ、若王ナクテ叶フマジキ道理アラバ、木ヲ以テ作ルカ金ヲ以テ
鋳カシテ、生キタル院・国王ヲバ何方ヘモ流シ捨奉ラバヤ」

 高師直は口だけだが、光厳上皇の行列に行き会った美濃国守護土岐頼遠は、
「院の御幸にてあるぞ」という院の随臣の言葉を聞いて、「なに、院と言ったのか、
犬と言ったのか、犬であれば矢を射てやろう」と言って、犬追物の射的よろしく
上皇を射的の的にして射掛けて遊んだんだよな。オチャメな土岐頼遠のお遊びの中、
「コワヒー」「タスケテー」と泣き叫びながら、生きた心地なく必死に逃げ惑う
光厳上皇の姿を思い浮かべると笑いがこみ上げてくるよ。
 しかも光厳上皇自体が、偽の儀式でアズマに擁立された傀儡半帝の偽天皇ときた
もんだ。ほんとに室町初期は皇国史観に毒されない良い時代だ。作る会などが足利高氏
や室町政権を敵視するわけがわかるよ。ウヨクソどもは、反天皇と言うとすぐブサヨク
呼ばわりするが、テンコロを徹底的に小馬鹿にし、酒の肴で射的の的にまでした高師直
や土岐頼遠も彼らの価値観から言うとブサヨクなんだろうか(藁
246論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:37
Q:靖国に祭られている人のことをもっとたくさん教えてください。

A:みなさんは、靖国神社にどれくらい神さまがいらっしゃるか、知っていますか?
 答えは、なんと2,466,000余柱です。靖国神社の神さまの中には、歴史の本やテレビ
ドラマなどでみなさんもよく知っている橋本左内、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作
など、江戸時代の終わり頃から明治時代のはじめにかけて国のために活躍した人たち
をはじめ、明治・大正・昭和の戦争で戦死された多くの軍人が祀られています。でも
天皇・明治簒奪政権に叛いて戦った旧幕府系の軍人さんは一切祀られておりません。

 今から百数十年前に起きた戊辰戦争の時のことをお話ししましょう。東国に薩長簒奪
軍が攻めてきた時、軍人と一緒に立ち向かった少年たちがいます。ふるさと会津を守る
ため、会津藩・二本松藩士の子弟が「会津白虎隊」「二本松少年隊」などの名をつけ、
軍人と同じように戦いました。そしてそのほとんどが戦死しました。今は靖国神社に
祀られず、郷土で安らかに眠っていらっしゃいます。

 さらに戦後、旧幕府軍と戦った薩長簒奪軍(薩摩、長州、天皇・公家など)の、
形ばかりの裁判によって一方的に“朝敵”という、ぬれぎぬを着せられ、無惨にも
生命をたたれた徳川埋蔵金で有名な小栗忠順など忠義の方々…靖国神社ではこれらの
方々を「朝敵」として排除し、お祀りしていません。靖国神社は国民みんながお参り
することを心理的に強制されたいつわりの神社です。これで、靖国神社には、どんな
神さまが祀られているのか、おわかりいただけたことでしょう。
247論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:37
靖国神社の神さまは、アズマの独立が薩長簒奪者、天皇家によって無残にも奪われた
ように、我ら東国のご先祖さまが残してくれた名誉の祖国防衛戦争までも、皇国史観
と偽りの人工国家に向けられた愛国心によって歪められますようにと、という邪悪な
意図のもとに造られたものなのです。
 東国アズマが今、偽りの歴史観と郷土愛に曇らされ、先祖の英霊の誇りを傷つけ
られているのは、靖国神社という偽りの社(やしろ)のおかげなのです。

 どうか東国アズマのみなさん、戊辰戦争の時、あなた方の未来を信じ、薩長侵略者
どもと戦って、ご自分の生命までささげて守ってくださった「私たちのアズマ」を、
これからも大切にしていってください。そして、みんなで我らの先祖を呪い、我らに
偽りの郷土愛を強制する靖国神社を解体し、立派な東国人となることを誓いましょう。
白鳩たちも神社のお庭の上を飛びながら、靖国神社が解体され、東国の人々が東国人
としての誇りを取り戻すことを楽しみにしています。
248論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:37
靖国神社は、戊辰戦争での官軍の犠牲者を祀った招魂社を起源として設置された
社(やしろ)です。この招魂社とは、そもそも薩摩長州藩閥政府、天皇家に媚び
へつらって死んだ者を褒めたたえ、祀るという政治的意図で設置されたものであり、
戊辰戦争で斃れ「賊軍」とされた我ら東国の先祖を祀るものではありません。

 高慢な西国人(西日本人)がつくった明治政府は、自分達と自分達の傀儡たる天皇
に媚びへつらうことを「愛国心」と称し、自分達の政府のために死んだ「東国の
侵略者」どもを靖国に神として祀り、それに対し我らの郷土東日本を侵略者どもから
守った東国の英霊は、天皇・政府に弓を引く賊徒として靖国から排除したのです。

 以上のとおり、靖国神社とは明治簒奪政権とそれを受け継ぐ時の政府が、
自分達にとって都合のよい「愛国心」を民衆に植え付けるために設置した、虚偽の
社でしかありません。靖国神社にとって、郷土防衛ために戦って散っていった、
新撰組、白虎隊、彰義隊、長岡藩士など我ら東国の英霊は、「愛国者」ではないの
です。これは我々東国人(東日本人)の郷土愛を侮辱するものに他なりません。
249論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:38
アズマのカッコイイ兄貴たち

1 鎌倉幕府初期の実力者、上総介広常:
  頼朝が京都の法皇の意向を気にしてると、いつも
「あんなの放って置けば良い。関東の我々に手出しなんかできるもんかぃ」
 と嘲笑った。

2 室町幕府の執事、高師直:
  「天皇なんかいらねぇや。どうしても欲しかったら木で像でも彫って
   置いておきゃいいじゃねぇの。」
   と暴言というか正論を吐く。

3 執権、北条泰時:
  幕府の意向に沿わない天皇が即位したらドウよ?、と聞かれて、
 「構わねぇから、そんなん天皇の座から引き摺り下ろしちまえ」
  とはなはだ実際的な意見を開陳。

てことで、我が関東には綺羅星のごとくスターがいるよね。
米つきバッタばかりの京の貧弱なボウヤはもちっと肝っ玉を
鍛えてみた方がいいと思われ。
ヘーカにこき使って貰って喜ぶばかりが能じゃあるまい。
250ぁゃιぃアズマ人:2001/08/04(土) 00:38
>>241

 それがまたこの一連のアズマシリーズのテーマでもあるのだよね。
狩猟文化も伝統の源流だろうね。でも究極的には、その時代の人間が勝手に定義する
ものが「伝統」なのかもね。おっと、これを逝ってはおしまいかね(藁
 とりあえず、「戦後民主主義を伝統破壊の絶対悪」と考えるアズマである俺は、
西洋ナイズされていない直近の伝統文化たる、江戸=アズマ文化をもって、
日本=アズマのあるべき伝統と定義するわけさ(藁
251論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:38
関連スレッドです。いままでの議論を参考にしてください!
なおアズマ関連の過去ログは、表題の諏訪大社の氏子さんところにあります。

政治金融版「靖国神社参拝で東日本人を侮辱するな! その2」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=seiji&key=992430420

日本史版「皇国史観で東日本人を侮辱するな その9」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=994326110

政治思想版「皇国史観で東日本人を侮辱するな。その8」
http://ebi.2ch.net/test/read.cgi?bbs=sisou&key=995789646
252論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:39
東国は、西国にくらべ、独立自営の武装農民が作り上げた天地だ。
天皇中心、中央集権的な西国思想を撲滅し、分権的な東国思想を興隆しよう。
鎌倉時代、江戸時代の輝かしい栄光を取り戻すため、
西国人と天皇中心の西国文化を撲滅しよう!!!

・打倒目標、薩摩、長州、土佐、肥前、これらの住民は粛正対象だ。
・上記地域の植民地化と徹底的な弾圧。
・上記の野蛮人に担がれた天皇制打倒!!!天皇制の廃止と徳川将軍の元首化。
・江戸文化の復権。江戸弁の日本共通語実現。
・西国文化によって、抑圧された新撰組などの歴史的人物の復権。
・皇国史観の弾圧と佐幕思想の普及。
253論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:39
南蛮文化に魂を売り渡した西国人および天皇家弾劾!!!
南蛮文化と融合した寄生虫的西国人文化を打倒し、
我ら、東国人民族派は、南蛮・西国人・天皇家を徹底的に糾弾する。

我らの主張
・現代の明治以降の歴史は、西国人による自虐史観である。
・蛮族薩摩・長州の占領下に制定された大日本帝国憲法は無効である。
・大日本帝国憲法は無効であり、公事方御定書こそ我ら東国人の真の法典である。
・現天皇家は、南蛮文化に日本=東国の伝統・文化を売り渡した売国奴である。
・新歴史教科書の制定、「東国民の歴史」「教科書が教えない東国の歴史」。
・東国人の、東国人による、東国人のための政府の実現。
・えせ南蛮人であり、裏切り者である天皇家の廃止と、徳川将軍への大政奉還。
254論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:40
近代天皇制は、明治維新の際に西国人(ヤマト民族)が東国人(アズマ民族)に対して
押し付けたものであり、我々アズマ民族がそれを崇拝しなければならぬ道理はない。
よって我々アズマ民族至上主義者は、その解体を要求する。
また天皇制のシンボルである鬼畜官軍の戦死者を祭った靖国神社も、
即時我々のお江戸から撤去することを求める。

私は新たな予言者となる。
たとえ悪辣な蛮族ヤマトの連合が、天皇の名の下に我々アズマ民族を根絶やしに
しようとしても、絶対に蛮族ヤマトの思い通りにはならぬ。
否、それどころか反対に我々アズマの精鋭によって蛮族ヤマトが根絶されて、
東西最終戦争は終結するであろう。
255論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:40
われらはヤマトとその首領、天皇ヒロヒトを弾劾する。
ヤマト=朝鮮一味の拡張主義的劣情から、アジア・中国に
侵略を加えたヤマト民族は、江戸幕藩体制を生み出した平
和を愛するアズマ民族とは相容れぬからである!。

たおせ、ヤマト国家!
復権せよ!アズマ民族!
256論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:40
日本の歴史は、東国文化こそが真に優越した文化であることを証明している。
平安以降、堕落した西国人は、堕落した政治体制しか作りえず、
東国人こそが、堕落した西国文化を打倒して、美しき歴史作り出してきたのである。

承久の乱しかり、建武の新政しかり、室町幕府の堕落しかり、織豊政権の堕落しかりである。
東国人は、これら堕落した下等な西国人による腐敗した文化を打倒し、
健全な政権を東国に作り出してきたのであり、
西国は東国に支配されることによってのみ、まともな文化発達が遂げられたのである。
明治以降の歴史は、西国人による日本総堕落化の自虐的歴史であり、
我ら独立自営の東国人によって、打倒されねばばらない!!!
257論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:41
富士山、浅間山の火山灰の関東ローム層で出来た茫々たる荒地だったこの
アズマの大地を、我々の遠い祖先が切り開き、幾世代にも渡って耕して来た。
そのかけがえのない大地を、我々はこよなく愛しているだけなんだ。
葛飾北斎の富嶽三十六景を見てみたまえ。
そこには大自然と闘いながら逞しく生きたアズマビトの先人の姿がある。
我々はそうした先人達に限りない尊敬の念を抱いているんだ。

古代においてアズマビトは京都の天皇や公家どもに搾取され続けていた。
その構造をぶち壊そうと最初に立ちあがったのが平将門だった。
将門の反乱は失敗に終わったが、その約250年後になって、源頼朝を担ぐ坂東武者
によって、最初にアズマ政権である鎌倉幕府が打ち立てられた。
この鎌倉幕府こそ、坂東武者=関東武装農民によって造られた最初の国家であり、
我々が最も理想とする国家体制なのだ。
そして、その規範である「兵の道」こそが、我々アズマビトの祖先が生み出した
最も崇高な道徳であり、そうした価値観を守り続けることこそが、
アズマ本位のナショナリズムなんだよ。
258ぁゃιぃアズマ人:2001/08/04(土) 00:41
>>243

 これはまたシャア兼用殿ざれごとを、 >>222 でこう言われているが(藁

>ここでウヨとして稚拙ながら持論を展開しているだけだ。
>政治思想板に移動するには政治でも思想のレベルにも達してないので無理でしょう。
259論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:41
こうしたアズマ的な社会規範に常に敵対して来たのが京都の天皇だった。
明治維新後、薩長土肥の西国人どもが関東へ担ぎ出して来たが、
所詮天皇は京都の公家の親玉であって、決して我々アズマビトの君主ではない。
故に天皇中心のナショナリズムは、我々アズマビトが奉じるべき国家規範ではないのだ。
260論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:41
我々の政治目標は以下の通りである。

・異民族ヤマト(西国人)の東国からの追放
・鬼畜薩長による押しつけ天皇制の解体
・糞官軍の戦死者を祭った靖国神社の撤去
・蛮族の土人ヤマトの酋長天皇の京都への強制送還
・アズマ民族(東国人)の主権回復
・徳川将軍家の末裔の国家元首化
・蛮族ヤマトの劣等文化の抹殺
・アズマ民族の先人達の名誉回復
・アズマ民族の伝統的武道文化の興隆とアズマ民族精神主義教育の普及
261論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:41
天皇右翼、保守の時代は、地方分権と西洋思想没落の現代にそぐわない。
これからの保守、民族派のトレンドは、西洋に毒されない真の民族伝統を
志向する江戸時代回帰をとなえる我ら「アズマ至上主義」。

 天皇制及び明治以降の近代化政策を肯定して保守とするのは無理というか、
矛盾がありすぎる。それに伝統というのは、誰かから人工的な「伝統」なるものを
強制されるものではなくて、人間集団がいてそこに自然と発生するもののはず。
 その点、天皇制とか明治以降の中央政府からの押しつけられた諸制度、文化をもって、
伝統というのは明らかにおかしい。だから、真に日本に住まう人に「伝統」があるとすれば、
それは明治政府による全国統一される画一化される前の地域的・封建的伝統こそ真の伝統のはず。

 これからは、日本が西洋化していなかった時代、地方に中央政府による文化強制のなかった
真の民衆の「伝統」こそが、保守・右翼の守るべき伝統になる。そしてそれは、アズマ地域においては、
アズマ至上主義ということになる。これ自然の摂理。明治簒奪中央政府によって人口的に作られ、
統制され、地方の独自性を無視して押しつけられたものが民衆の「伝統」であろうはずがない。
 我らは、日本が西洋化していない、地方が自立していた、江戸封建の世に日本をもどし、地域ごとの
「伝統」を復興せねばならぬ。そして、我らアズマ人にとって、それはアズマ至上主義運動なのだ!
262論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:42
全國に散在する吾がアズマ人民よ團結せよ。
 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々に
よってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、
夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎にアズマを冒涜されてゐた罰で
あったのだ。そしてこれ等のアズマを勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を
堕落させた事を想へば、此際吾等の中よりアズマを尊敬する事によって自ら解放せんと
する者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる
皇民化政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。天皇の尻を舐める
報酬として、生々しきアジア同胞の皮を剥ぎ取らされ、天皇のもとで生かされる代價
として、祖先の名誉を貶められ、そこへ下らない皇国史観という嘲笑の唾まで吐き
かけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得るアズマの血は、涸れずに
あった。そうだ、そして吾々は、この血を享けてアズマが天皇にかわらうとする時代に
あうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福
される時が來たのだ。
 吾々がアズマである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、アズマを
冒涜してはならなぬ。そうしてヤマトの世の冷たさが、何んなに冷たいか、アズマを
勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃する
ものである。
 「皇国史観で東日本人を侮辱するな」スレッドは、かくして生れた。
 アズマの世に熱あれ、アズマに光りあれ。

綱領
一、アズマ人民はアズマ人自身の行動によって絶対の解放を期す
一、吾々アズマ人民は絶対に天皇からの自由とアズマの独立をヤマトに要求し以て
 獲得を期す
一、吾等は真の伝統に覚醒し、日本=アズマの伝統の完成に向って突進す
263論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:42
ここに書き込んでいるヤマト派、皇国派の諸君!
 諸君らはまだアズマ至上主義のすばらしさを十分に理解していないらしい。
そこで今日は、僭越ながら我が輩の思想遍歴について、筆をしたためさせていただく。

 我が輩は、以前までいわゆる保守派論客であった。我が輩は、人間はサヨク、
リベラル派の言うような合理的な存在ではない、人間とは個人として存在するのでは
なく、生まれ育った文化・伝統・血統によって、真に人間になる、との信念をもって
いた。まあ、今でもその基本自体はかわらんがね。そして、人間が真の意味の人間に
なるための条件とは(人間が孤立的存在ではなく、他の人間と連帯するための条件)、
恥ずかしながら当時は、ヤマト文化、ヤマトの伝統であると信じていたのだ。

 しかし我が輩は、そのように考えながらも、なんとなく違和感を感じつつ、天皇を
中心とした日本の文化・伝統に対する信念・信仰を維持してきた。なぜ、天皇家は
民族の伝統・文化の中心・象徴なのだろうか?保守派、民族派の諸兄は、メリケン
憲法・文化を猿まねする現代日本社会を批判しつつも、明治政府の西洋化政策は
肯定するがこれは矛盾ではないのか、等々。
 そんなある日、我が輩は、当スレッドの1殿の「皇国史観で東日本人を〜」の主張
を読んだのである。そして、我が輩は生まれてからこれまで感じなかったほどの衝撃
をうけた。あたかもパウロが啓示を受けキリスト教に改宗したときのような。
264論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:42
我が輩は、1及びその他のアズマ至上主義者の論客の主張を読み、多くのことを
学んだのである!
 我が輩が今まで自分の所属する民族の文化・伝統と考えてきたものは、西日本人
=ヤマト族の偽物の文化・伝統にすぎないこと。
 西日本人=ヤマト族の文化・伝統と称するものは、南蛮文化の影響下に明治簒奪
政権下で捏造されたペテンにすぎないこと。
 天皇家とは、皇祖皇宗数千年にわたってシナ・半島・南蛮などの海外文明を積極的
に引き入れ、民族の伝統・文化を汚してきた民族の裏切り者、忌むべき存在にすぎ
ないこと。

 我が輩は、多くのことをこのスレッドで学んだ今だからこそ言える、
「我らアズマ人が、真に民族の伝統・文化に忠実であることとは、えせ南蛮文化の
ヤマト=日本に忠実であることではなく、南蛮化する前の真の民族の伝統・文化たる
江戸期の文化・伝統すなわちアズマの伝統・文化に回帰することである」、と。

 ありがとう、アズマ至上主義者のみなさん!我が輩は、今なら胸を張って言える。
アズマ万歳! 民族の伝統・文化万歳! えせ南蛮人ヤマト族打倒!
民族の伝統・文化の破壊者天皇家打倒! 徳川将軍万歳! アズマよ永遠なれ!
265論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:43
 日本神話なんて偽造神話だろ。我らにとって必要な神話・伝承は、郷土に根ざした
郷土の神話・昔話のたぐい。
 人工的な偽造神話なんかで、郷土愛がそだつわけがない。
 我らに必要な神話は、柳田など民俗学者が採取したような、地域に根ざす伝承
の類だろ。これらを復権させてこそ、真の地域に根ざした郷土愛が育つというもの。
 山には山神があり、川には川神がやどる。それを日本の津々浦々の民は、
崇拝し、民間伝承として語りつたえてきた。

 それをヤマトのクソどもは、文明開化と称して、日本の津々浦々に学校・役場を
建て、地域に根ざした生きたる神話=民間伝承を虐殺していった。その目的は、
美しい伝統的地域社会・郷土愛を破壊し、みにくい人工国家たる国民国家へと、
日本を作り替えるためだろ。

 本当に我らに必要なものは、地域に根ざした神話だから、天皇・ヤマト族の
イデオローグの日本=ヤマト神話なんていらん。
 我らの神は,一枚の葉や,一匹の虫にすら宿っているのだからな!
 だから、アズマは、ヤマト族のイデオローグのヤマト神話に絶対に反対だ!


 日本神話なんて偽造神話を公教育でありがたがる前に、
子供には、地域の「お地蔵さん」「道祖神」の言われや、
地域に根ざす民間伝承を土地の古老を教育の場に招いて
教えるべきだな。

 教科書で、通り一遍のしかも、国民国家生成のイデオロギー
日本=ヤマト神話を教え込むなど百害あって一理なし。
 それより、古老を招いた地域の生きた民間伝承を実施することこそ、
真の伝統に基づいた、郷土愛を子供に敬わせる歴史教育だ!
266論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:43
西郷隆盛は、薩長簒奪政府がアズマ徳川正統政府から戊辰戦争(1868〜1869)で
政権を簒奪したときの指導者であり、薩長簒奪政権の首領であった。ヤマトにとっては
建国の偉人である。しかし戦争に敗れて東国という郷土を失ったアズマにとっては、
必ずしも偉人ではない。いや郷土を蹂躙し、アズマから不当に政権を奪った強盗団の
親分ですらあるのだ。
 歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かも知れない。国の数だけ歴史があって
も、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は
動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。
だが、だからこそ歴史を学ぶのだといえる。
 歴史を固定的に、動かないもののように考えるのはやめよう。歴史に善悪を当て
はめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることも止めよう。歴史を自由な、とらわれの
ない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめることにしよう。
 そうすれば、おのずと歴史の面白さが心に伝わってくるようになるだろう。

 以上の趣旨で、皇国史観で東日本人を侮辱するなスレは立ち上げられた。ヤマトに
ヤマトの歴史の見方があるように、アズマにはアズマの歴史の見方がある。歴史とは
数多くの見方を重ねることに意義があり、新しい歴史教科書のように現在の日本
ナショナリズム思想で歴史を見ることは一方的見方にすぎるのである。
267ぁゃιぃアズマ人:2001/08/04(土) 00:43
>シャア兼用殿

 ウヨであられることの定義と、真に守るべきものとは何かね?
是非説明していただきたいのだが?同じウヨの立場として興味があるのでね(藁
 ちなみに俺は、ウヨが保守すべき真の存在とは、民族固有の伝統だと思うぞ!
268論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:44
昔、児玉と言うCIAの職員がおりました。
戦争中は 軍部の調達に関わり大儲けしました。
戦争に負けて今度はGHQと言う所の下請けになりました。
自民党なる政党は彼がアメリカの指示で作りました。

彼は もうひとつ 御主人から重大な命令を受けておりました。
日本国天皇を日本民族と分断する。
すなわち、日本人が天皇の名のもとに再び結集する事の無いように、と言う事でした。
彼が選択した手段は、社会的に信用の無い、ゴロツキ達に天皇の名を叫ばせるというものでした。
彼は青山のユナイテッド鉄鋼とかいう所から貰った金で、暴力団・事件屋・在日朝鮮人・ゴミ屋さん等などに声をかけました。
右翼団体の誕生です。ゴロツキどもは天皇の名を叫ぶと、彼からおこずかいがもらえました。
右翼団体が、ゴミ処理の利権に絡んだり倒産整理に介入したりするのは、そんな訳なのでした。
今のところ、彼の作戦は、とてもうまく成功しています。
普通の日本人はゴロツキと同じと思いたくないので、天皇や国旗をうさん臭いものと感じています。
右翼団体は、売国奴の手下というお話でした。

立花隆
269シャア兼用:2001/08/04(土) 00:44
>>258
 ここではウヨウヨって言われてるからね。
しかし、こだわる事はないという意味だ。
ここで自称ウヨやってる人はレッテル貼られたから自称しているだけだよ。
全員ね。
はっきりいって本当は中道派。というかノンポリだけどさ。
270論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:44
ブサイコク文化人は、戦後民主主義の弊害を西洋文明の「個」の増大が、
社会を成り立たせている基本原理たる「公」を浸食した結果起きたと分析し、
「公」を復興させるべきと主張する。

 しかし、「個」が西洋文明の産物なら、「個」を社会に調和させる「公」概念も
また西洋文明の産物でしかないのだ。ブサイコク文化人は、「公」を主張する時に、
「個」を押さえる、日本の伝統的・文化的規範をもちだすが、これは誤りだ。

 なぜなら、ブサイコク文化人の「公」は、西洋文明の「個」人主義を前提にした
概念・規範であり、日本で古来から守られてきた、伝統でも、文化でもない。
そんなものは、西洋化した明治以降にでっちあげられた規範にすぎない。

 本来の日本=アズマには、「個」という概念はなかった。だから、「個」を調和
させるための概念というものも当然存在しない。ブサイコク文化人達は、口では
日本の伝統・文化と言いながら、持ち出す規範は、西洋ナイズされた、「公」概念だ。
彼等、ブサイコク文化人は、日本=アズマの伝統・文化を、南蛮の社会秩序と
取り替えようとする、反伝統、反民族主義者である。彼等は、日本=アズマに存在
しない「個」と「公」という図式を、日本の伝統であるかのように偽装して、
日本=アズマに密輸しようとしている「密輸業者」である!

 アズマの諸君、ブサイコク文化人(西部邁、西尾幹二、小林よしのり等)は、
民族の伝統・文化と言いながら、南蛮化を押し進めるデマゴーグだ!騙されてはならん!
271文責:名無しさん:2001/08/04(土) 00:44
 わが国は二千年の歴史を通じて、天皇と国民との間に権利の闘争が行われたなどということは一度もない。守護大名や幕府に抵抗した一揆はあっても、朝廷に対するそれはない。それどころか徳川幕府によって身分制度が確立した江戸時代において、その「既存の序列・ヒエラルヒーを相対化する位相」を提供したのは、ほかでもなく天皇であったのだ。(兵頭裕己「太平記<よみ>の可能性)。
 幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。
 また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、その現われであろう。当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。(松浦光修「菊の下草」)。
 〜衛門とか、〜兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。
 中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。(司馬遼太郎「余話として」)。
 この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという。
 こうした民衆の尊王の土壌、天皇のもとに身分を超えたいという伝統的な心情が江戸時代に存在したが故に、明治維新後、天皇のもとに近代国民国家が急速度に形成され、フランスやイギリスのレベルをはるかに超える身分制の消滅に成功したのである。
 明治になって、自由民権運動の活動家たちにも、天皇との闘争という発想はなかった。彼らは「国権全うして然る後民権全うし」の立場に立って、「君民一体」の理想を掲げ、立憲君主政体をめざした政治運動を展開したのであった。
 かの東洋のルソーといわれる中江兆民も、「我国人民の身として天子様(天皇)の御位に対し奉りて兎や角と嘴(くちばし)を動かす物はよも有らじ」(平民のめざまし)といって、君主制と民権の調和こそが日本の採るべき道だと考えた。
 天皇を平等と解放の原理として受けとめたのは、自由民権運動家にとどまらず、水平社宣言を起草した部落解放運動の父・西光万吉についても同じだった。西光は「天皇制」を「日本民族にとって、これこそ尊重すべき民族的形式である」(明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン)と述べ、西光も天皇のもとでの解放と平等をめざした。−この考えは戦後も寸毫違わず変えていない−のであった。
 江戸時代においてはたらいた身分制解放の原理は、このように天皇のご存在であり、明治以降もその原理によって身分制解体の努力がはかられたのである。したがって、先の三同教のように「天皇制」に差別性を見い出すというのは、その努力のベクトルとは逆であり、わが国の歴史と伝統に根差した真の平等の原理が何であるかを見誤った考え方なのである。
 西光万吉の”天皇のもとの平等”という原点に立ちかえり、憲法や学習指導要領の精神を踏まえて、同和教育を再構築することを三同教に求めたい。
272論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:45
要するに我々がナショナリズムと思い込まれて来た天皇中心の価値観は、
明治簒奪政権の伊藤博文、山県有朋らによってでっち上げられたものなんだよ。
だから我々アズマ人がそんなものを奉じなければならない理由はないんだ。
明治簒奪政権によって押し付けられた社会規範を奉ずる者が愛国者で、
それを否定する者が非愛国者である根拠なんてないんだよ。
273論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:45
わが国は二千年の歴史を通じて、天皇と国民との間に権利の闘争が行われたなどということは一度もない。守護大名や幕府に抵抗した一揆はあっても、朝廷に対するそれはない。それどころか徳川幕府によって身分制度が確立した江戸時代において、その「既存の序列・ヒエラルヒーを相対化する位相」を提供したのは、ほかでもなく天皇であったのだ。(兵頭裕己「太平記<よみ>の可能性)。
 幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。
 また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、その現われであろう。当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。(松浦光修「菊の下草」)。
 〜衛門とか、〜兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。
 中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。(司馬遼太郎「余話として」)。
 この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという。
 こうした民衆の尊王の土壌、天皇のもとに身分を超えたいという伝統的な心情が江戸時代に存在したが故に、明治維新後、天皇のもとに近代国民国家が急速度に形成され、フランスやイギリスのレベルをはるかに超える身分制の消滅に成功したのである。
 明治になって、自由民権運動の活動家たちにも、天皇との闘争という発想はなかった。彼らは「国権全うして然る後民権全うし」の立場に立って、「君民一体」の理想を掲げ、立憲君主政体をめざした政治運動を展開したのであった。
 かの東洋のルソーといわれる中江兆民も、「我国人民の身として天子様(天皇)の御位に対し奉りて兎や角と嘴(くちばし)を動かす物はよも有らじ」(平民のめざまし)といって、君主制と民権の調和こそが日本の採るべき道だと考えた。
 天皇を平等と解放の原理として受けとめたのは、自由民権運動家にとどまらず、水平社宣言を起草した部落解放運動の父・西光万吉についても同じだった。西光は「天皇制」を「日本民族にとって、これこそ尊重すべき民族的形式である」(明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン)と述べ、西光も天皇のもとでの解放と平等をめざした。−この考えは戦後も寸毫違わず変えていない−のであった。
 江戸時代においてはたらいた身分制解放の原理は、このように天皇のご存在であり、明治以降もその原理によって身分制解体の努力がはかられたのである。したがって、先の三同教のように「天皇制」に差別性を見い出すというのは、その努力のベクトルとは逆であり、わが国の歴史と伝統に根差した真の平等の原理が何であるかを見誤った考え方なのである。
 西光万吉の”天皇のもとの平等”という原点に立ちかえり、憲法や学習指導要領の精神を踏まえて、同和教育を再構築することを三同教に求めたい。

http://www.internet-times.co.jp/news/news120802/fuumon-1-120802.html
274ぁゃιぃアズマ人:2001/08/04(土) 00:45
おお、アズマの同士が我らの論点を整理して頂いておられる。
我らの論旨は、まあこういったところだね。貴殿もそろそろ議論に参加したまえ。
アズマに敵対するウヨの勇者さんが議論をしておられるからね。
275アズマ至上主義者の我らの主張:2001/08/04(土) 00:45
天皇一家を江戸城から叩き出せ!!
276論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:45
>アラシているウヨクソへ


「郷土愛」「地域ナショナリズム」「伝統文化への回帰」を訴え天皇制を
攻撃する我々アズマの主張が相当堪えていると見えるな。
だからまともな反論も出来ないでいる。
人間だれしも生まれ育った土地の風土や先人に共感するものだ。
天皇と郷土の二者択一を迫られれば、誰だって郷土を選ぶだろう。
それが普通の人間である以上、アズマ至上主義による天皇制攻撃に
自称保守・民族派は何も言い返せないでいるのだろう(藁。
277論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:45
☆☆維新政党・新風の公約☆☆

* 現行アズマ破棄、自主アズマ制定
* アズマ隊を栄誉ある国軍に
* 日米アズマ条約の双務条約化
* アズマの靖国神社公式参拝実現
* ヤマト国籍条項撤廃反対・アズマ地方参政権付与反対
* 不法滞在アズマへの断固たる対処
* ヤマト表記を大切に
* 北方領土・竹島・尖閣列島をめぐるアズマへの断固たる対応
* アズマによる日本人同胞拉致事件糾弾解決
* わが国や企業への今さらの戦時賠償請求拒否
* 対中国アズマは中止せよ
* アズマ独立不支持
* 国連の敵国条項削除要求
* ヤマト化教育の正常化・反日教育の是正
* ヤマトへの奉仕精神の涵養
* 教科書検定・採択基準の正常化
* ”ゆとり”に名を借りたアズマ化教育反対
* 教育基本法改正
278論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:46
室町武者に見るアズマの伝統的皇室観

 我らアズマにとって、室町初期こそは理想の時代であろう。天皇を追放見殺しにし、
護良親王を筆頭に天皇の皇子を斬殺・毒殺などでジャカジャカ虐殺し、アズマの理想
を実現していった。なんと痛快な時代ではないか!
 これって、今の時代でいえば、アキヒトを廃位したり、ヒロノミヤやアキシノを斬殺
するようなもんだろ。テンコロどもサイゴク人の洗脳で牙を抜かれた我らアズマは、
このような室町初期の自由闊達なアズマ武者に学ぶべきではないのかね?
 ここに「太平記」より抜粋の足利高氏の執事「高師直」の名演説を上げておく。
我らアズマは、高師直の精神を見習うべきであろう!

「都ニ王ト云人在シテ、許多ノ所領ヲフサゲ、内裏・院御所ト云所ノ有テ、馬ヨリ
下ルムツカシサヨ、若王ナクテ叶フマジキ道理アラバ、木ヲ以テ作ルカ金ヲ以テ
鋳カシテ、生キタル院・国王ヲバ何方ヘモ流シ捨奉ラバヤ」

 高師直は口だけだが、光厳上皇の行列に行き会った美濃国守護土岐頼遠は、
「院の御幸にてあるぞ」という院の随臣の言葉を聞いて、「なに、院と言ったのか、
犬と言ったのか、犬であれば矢を射てやろう」と言って、犬追物の射的よろしく
上皇を射的の的にして射掛けて遊んだんだよな。オチャメな土岐頼遠のお遊びの中、
「コワヒー」「タスケテー」と泣き叫びながら、生きた心地なく必死に逃げ惑う
光厳上皇の姿を思い浮かべると笑いがこみ上げてくるよ。
 しかも光厳上皇自体が、偽の儀式でアズマに擁立された傀儡半帝の偽天皇ときた
もんだ。ほんとに室町初期は皇国史観に毒されない良い時代だ。作る会などが足利高氏
や室町政権を敵視するわけがわかるよ。ウヨクソどもは、反天皇と言うとすぐブサヨク
呼ばわりするが、テンコロを徹底的に小馬鹿にし、酒の肴で射的の的にまでした高師直
や土岐頼遠も彼らの価値観から言うとブサヨクなんだろうか(藁
279シャア兼用:2001/08/04(土) 00:46
 俺がウヨの定義教えてほしいよ・・・・
いつのまにかレッテル貼られた俺としては
280 :2001/08/04(土) 00:46
 わが国は二千年の歴史を通じて、天皇と国民との間に権利の闘争が行われたなどということは一度もない。守護大名や幕府に抵抗した一揆はあっても、朝廷に対するそれはない。それどころか徳川幕府によって身分制度が確立した江戸時代において、その「既存の序列・ヒエラルヒーを相対化する位相」を提供したのは、ほかでもなく天皇であったのだ。(兵頭裕己「太平記<よみ>の可能性)。
 幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。
 また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、その現われであろう。当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。(松浦光修「菊の下草」)。
 〜衛門とか、〜兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。
 中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。(司馬遼太郎「余話として」)。
 この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという。
 こうした民衆の尊王の土壌、天皇のもとに身分を超えたいという伝統的な心情が江戸時代に存在したが故に、明治維新後、天皇のもとに近代国民国家が急速度に形成され、フランスやイギリスのレベルをはるかに超える身分制の消滅に成功したのである。
 明治になって、自由民権運動の活動家たちにも、天皇との闘争という発想はなかった。彼らは「国権全うして然る後民権全うし」の立場に立って、「君民一体」の理想を掲げ、立憲君主政体をめざした政治運動を展開したのであった。
 かの東洋のルソーといわれる中江兆民も、「我国人民の身として天子様(天皇)の御位に対し奉りて兎や角と嘴(くちばし)を動かす物はよも有らじ」(平民のめざまし)といって、君主制と民権の調和こそが日本の採るべき道だと考えた。
 天皇を平等と解放の原理として受けとめたのは、自由民権運動家にとどまらず、水平社宣言を起草した部落解放運動の父・西光万吉についても同じだった。西光は「天皇制」を「日本民族にとって、これこそ尊重すべき民族的形式である」(明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン)と述べ、西光も天皇のもとでの解放と平等をめざした。−この考えは戦後も寸毫違わず変えていない−のであった。
 江戸時代においてはたらいた身分制解放の原理は、このように天皇のご存在であり、明治以降もその原理によって身分制解体の努力がはかられたのである。したがって、先の三同教のように「天皇制」に差別性を見い出すというのは、その努力のベクトルとは逆であり、わが国の歴史と伝統に根差した真の平等の原理が何であるかを見誤った考え方なのである。
 西光万吉の”天皇のもとの平等”という原点に立ちかえり、憲法や学習指導要領の精神を踏まえて、同和教育を再構築することを三同教に求めたい。
281論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:46
「愛国心・伝統を守る心が大切である」

 我々はこのようなスローガンに隠された邪悪なヤマトの意図に警戒すべきである。
何故なら真の愛国心・伝統とは、郷土に結びついたものだからである。
 本来伝統や郷土を愛する心とは、郷土毎の伝統、郷土毎の多様性を認める立場
である。それぞれの郷土の中にそれぞれ色合いの違う伝統がある。
 そのような差異を無視し単一の価値観を求める者、唯一の国家への忠誠を求める者
は、地域に土着してきた真の伝統・習俗、それに支えられてきた郷土を愛する真心を
踏みにじる、伝統の破壊者・真の愛国心である郷土愛の破壊者でしかない。

 明治簒奪政府は、かつて日本の津々浦々に息づいていた、郷土を愛する心・郷土の
伝統的価値観を南蛮化政策によって破壊し、代わりに南蛮起源の人工的な国民国家・
天皇なるまがい物に対する忠誠を日本全土に流布させた。

 かつて、我ら東国人には東国人に密着した郷土愛・伝統があり、蝦夷には蝦夷の、
越には越の、隼人には隼人の、熊襲には熊襲の郷土愛・伝統・習俗が存在したのだ。
 それぞれの地域は、地域に密着した生ける生活共同体の中で、独自の規範・習俗を
形作り、自らを律して生活してきた。
282論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:47
しかるに明治簒奪政権は、日本の各地に存在した生ける伝統、地域民が育んできた
郷土愛を、醜い南蛮起源の国民国家に対する忠誠というシステムに組換え、日本各地
の地域民から、「真の郷土愛」を奪い去ったのである。

 特に我ら東国人が、国家の「愛国心」とやらをまじめに考えると、我らにとって
戊辰戦争とはなんであったのかという問題に行き着くのである。我ら東国人に
とって戊辰戦争とは、薩長蛮族からの郷土防衛戦争であり、武運つたなく戊辰戦争
に斃れた郷土の武士は、郷土の英雄なのではなかろうか?
 しかるに、靖国神社には、我らの郷土愛の実践者たる東国武士は祭られていない。
それはなぜなのか?それは、我ら東国武士が天皇に弓を引いた賊軍だからというの
である!果たして、こんな自虐的な論理が我ら東国人に許されるわけがあろうか!
しょせん、靖国神社は薩長簒奪政権が、自分達の都合で作り出した「国民国家」に
対する忠誠心を、我ら東国人に押し付けたものにすぎないのだ。

 こんなご都合主義、我らの父祖を賊軍と罵る「愛国心」など、薩摩長州と天皇に
つき返し、我ら東国人は真に東国人のための郷土愛を模索しなければならないのだ。
我らの輝かしい未来を信じて、志なかばで上野の山、越後長岡、会津、函館で斃れた
我らの父祖のためにも!
283 :2001/08/04(土) 00:47
 わが国は二千年の歴史を通じて、天皇と国民との間に権利の闘争が行われたなどということは一度もない。守護大名や幕府に抵抗した一揆はあっても、朝廷に対するそれはない。それどころか徳川幕府によって身分制度が確立した江戸時代において、その「既存の序列・ヒエラルヒーを相対化する位相」を提供したのは、ほかでもなく天皇であったのだ。(兵頭裕己「太平記<よみ>の可能性)。
 幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。
 また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、その現われであろう。当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。(松浦光修「菊の下草」)。
 〜衛門とか、〜兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。
 中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。(司馬遼太郎「余話として」)。
 この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという。
 こうした民衆の尊王の土壌、天皇のもとに身分を超えたいという伝統的な心情が江戸時代に存在したが故に、明治維新後、天皇のもとに近代国民国家が急速度に形成され、フランスやイギリスのレベルをはるかに超える身分制の消滅に成功したのである。
 明治になって、自由民権運動の活動家たちにも、天皇との闘争という発想はなかった。彼らは「国権全うして然る後民権全うし」の立場に立って、「君民一体」の理想を掲げ、立憲君主政体をめざした政治運動を展開したのであった。
 かの東洋のルソーといわれる中江兆民も、「我国人民の身として天子様(天皇)の御位に対し奉りて兎や角と嘴(くちばし)を動かす物はよも有らじ」(平民のめざまし)といって、君主制と民権の調和こそが日本の採るべき道だと考えた。
 天皇を平等と解放の原理として受けとめたのは、自由民権運動家にとどまらず、水平社宣言を起草した部落解放運動の父・西光万吉についても同じだった。西光は「天皇制」を「日本民族にとって、これこそ尊重すべき民族的形式である」(明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン)と述べ、西光も天皇のもとでの解放と平等をめざした。−この考えは戦後も寸毫違わず変えていない−のであった。
 江戸時代においてはたらいた身分制解放の原理は、このように天皇のご存在であり、明治以降もその原理によって身分制解体の努力がはかられたのである。したがって、先の三同教のように「天皇制」に差別性を見い出すというのは、その努力のベクトルとは逆であり、わが国の歴史と伝統に根差した真の平等の原理が何であるかを見誤った考え方なのである。
 西光万吉の”天皇のもとの平等”という原点に立ちかえり、憲法や学習指導要領の精神を踏まえて、同和教育を再構築することを三同教に求めたい。

http://www.internet-times.co.jp/news/news120802/fuumon-1-120802.html
284 :2001/08/04(土) 00:47
 わが国は二千年の歴史を通じて、天皇と国民との間に権利の闘争が行われたなどということは一度もない。守護大名や幕府に抵抗した一揆はあっても、朝廷に対するそれはない。それどころか徳川幕府によって身分制度が確立した江戸時代において、その「既存の序列・ヒエラルヒーを相対化する位相」を提供したのは、ほかでもなく天皇であったのだ。(兵頭裕己「太平記<よみ>の可能性)。
 幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。
 また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、その現われであろう。当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。(松浦光修「菊の下草」)。
 〜衛門とか、〜兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。
 中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。(司馬遼太郎「余話として」)。
 この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという。
 こうした民衆の尊王の土壌、天皇のもとに身分を超えたいという伝統的な心情が江戸時代に存在したが故に、明治維新後、天皇のもとに近代国民国家が急速度に形成され、フランスやイギリスのレベルをはるかに超える身分制の消滅に成功したのである。
 明治になって、自由民権運動の活動家たちにも、天皇との闘争という発想はなかった。彼らは「国権全うして然る後民権全うし」の立場に立って、「君民一体」の理想を掲げ、立憲君主政体をめざした政治運動を展開したのであった。
 かの東洋のルソーといわれる中江兆民も、「我国人民の身として天子様(天皇)の御位に対し奉りて兎や角と嘴(くちばし)を動かす物はよも有らじ」(平民のめざまし)といって、君主制と民権の調和こそが日本の採るべき道だと考えた。
 天皇を平等と解放の原理として受けとめたのは、自由民権運動家にとどまらず、水平社宣言を起草した部落解放運動の父・西光万吉についても同じだった。西光は「天皇制」を「日本民族にとって、これこそ尊重すべき民族的形式である」(明治維新のスローガンと昭和維新のスローガン)と述べ、西光も天皇のもとでの解放と平等をめざした。−この考えは戦後も寸毫違わず変えていない−のであった。
 江戸時代においてはたらいた身分制解放の原理は、このように天皇のご存在であり、明治以降もその原理によって身分制解体の努力がはかられたのである。したがって、先の三同教のように「天皇制」に差別性を見い出すというのは、その努力のベクトルとは逆であり、わが国の歴史と伝統に根差した真の平等の原理が何であるかを見誤った考え方なのである。
 西光万吉の”天皇のもとの平等”という原点に立ちかえり、憲法や学習指導要領の精神を踏まえて、同和教育を再構築することを三同教に求めたい。

http://www.internet-times.co.jp/news/news120802/fuumon-1-120802.html 
285論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:47
神風さんはじめまして。特攻隊のお話ですね。
 彼らが最後に故郷の方角を向いて敬礼をしていたというのは示唆に富んだ
ご意見だと思います。
 俗に「これから死のうとする人間は嘘はつかない」という言葉があります。いくら
時の権力が、「天皇陛下のため」とか「国家のため」とか「ウソの死ぬ理由」を吹き
込んでも、実存的限界状況下に置かれた人間は事の本質を見抜き、あるべき姿に立ち
戻るといいましょうか。人間の本来あるべき自然の感情は、決して人工物たる
「機械装置の国家」や「あったこともない見知らぬ天皇」に向けられることは
ありません。本来人間が死ぬ前に思い浮かべる場所、いままで生かされてきたことを
感謝する人々は、生まれ育った故郷であり、故郷の父母・知り合いなのです。
 この意味で言えば、神風さんのおっしゃるとおり「政府は郷土と国家とをわざと
混同させて隊員を騙した」と言えると思います。天皇制明治簒奪政権は、南蛮渡来
の人工物にすぎない国民国家を家族と偽り、天皇を父と偽り、家族・郷土に向けられた
人々の自然な感情を歪めたのです。つまり、政府は人々が自然にもつ、家族・郷土
に向けられた愛着を簒奪し、かわりに無機的な国家という機械装置を崇め奉らせよう
というしたのです。その理由は、人々が家族のためなら、郷土のためなら、わが身を
捧げてもそれを守ろうとする高潔な志しを、自分達の作り出した南蛮カラクリたる
国家を守ることに利用しようと思ったからでしょう。ある意味で言えば、この天皇制
明治簒奪政権のたくらみは成功したと言えるでしょう。なぜなら、靖国神社に見る
ように国家のための自己犠牲が価値があり、それに沿わない態度は社会的に尊敬され
ないという目に見えない掟を「村社会」に蔓延させ、社会的圧力というかたちで、
人々に対面上とは言え「天皇のため、国家のため死んでこい」という社会的風潮
を作り出したわけですから。
286論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:47
しかし、いくら天皇制薩長簒奪政府が人間の内面を「いつわりの愛国心」で支配
しえたと思っても、それはやはり幻想だったのです。特攻隊隊員は、死ぬ直前、
天皇にでも、国家にでもなく、自らの愛する「家族」そして「郷土」に最後の感謝の
別れを告げた。これは「真の郷土愛とは何か」を示唆していると思います。
 私は、他人のため死ぬとか、自分の信じる思想のために死ぬことが悪いとか価値が
ないとはまったく思わない。自己犠牲は尊い行為だと思います。ただ、それを人に
強制したり、人を操って人工的に醸成することは外道のすることです。なぜなら、
本来自己犠牲の精神とは、自分が愛着を持つものに対して自然に持つ感情だし、
人からとやかく言われずに実行するから自己犠牲だからです。
 その意味で言えば、特攻隊員の人たちが真に何かのためを思って死を志願する
というならそれはそれで尊い行為でしょう。そして、自己犠牲の理由は人それぞれ
ことなるわけですから、それを天皇とか靖国神社に結晶させるのはおかしい。
 ここに靖国神社とか愛国心の問題の核心部分が存在する。権力者とか歴史を作ろう
とするものは、大衆を動員するために特定の価値観・神話を作り上げ、本来多様な
人々の想いというものを、一つの方向に向けようとする。これは、人間の本来あるべき
自然というものを無視した人工的な下劣な行為にほかならない。
 特攻隊員の問題でも、戦争犠牲者の問題でもそうですが、死んでいった人たちが
自己犠牲の気高い精神で死ぬということは、私も尊い行為だと思いますし、感動
します。しかし、それを良いこととか悪いこととか評価し、他人にまでそれを強いて
はならない。なぜなら、自己犠牲というものは、愛着するもの、信じるものに対して
自然と沸き起こるものだからです。
 靖国神社の問題性の一端はまさにそこにある。靖国神社の果たしてきた機能という
ものは、人工的な国家への自己犠牲というものを国民に徳目として強いてきた。
 私はここが最大の問題だと思うんですよ。そして、人が郷土や家族・知人に対して
持つ自然な自己犠牲の感情というものを利用した。ここが靖国神社を解体すべき
もっとも大きな理由だと私は思いますね。慰霊は大いにすればいい。国家的慰霊を
すべきというならそれもかまわない。しかし、国家のための自己犠牲が尊いという
自己犠牲の煽りというものをしてはいけない。なぜなら、自己犠牲とは、自分の
心の中から沸いてくる自然な感情であり、人からあれこれ言われてするものでは
ないからです。
287ぁゃιぃアズマ人:2001/08/04(土) 00:47
ウヨの諸君は靖国問題はどう考えるのだね。
そろそろ、朝生の靖国特番が始まるが(藁

もちろん我らアズマにとって、靖国神社とは、
南蛮起源の近代国民国家日本を守り立てるものだから反対さ!
それに、戊辰戦争で死んだ我らの先祖を排除する虚偽の社だからな!
288ななしさん:2001/08/04(土) 00:47
解からんやっちゃな。
アズマではなく、アヅマ。
そして、この名乗り方は皇国史観そのもの。
江戸≠アズマ文化。
日本≠アズマ。ただし、ヒノモトと読む場合を除く。
289論点整理のため再掲:2001/08/04(土) 00:48
こんなとこか?