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1TRー774
〃 デトロイト総合スレッド 〃
http://mentai.2ch.net/dj/kako/971/971791080.html

〃 デトロイト総合スレッド part 2 〃
http://mentai.2ch.net/dj/kako/989/989502083.html

〃 デトロイト総合スレッド part 3 〃
http://music.2ch.net/test/read.cgi/dj/1001143838/

〃 デトロイト総合スレッド part 4 〃
http://music.2ch.net/test/read.cgi/techno/1011285941/

野田本(古) >>2
野田本(新) >>3
デトロイト系リンク >>4-18
2TR-774:02/04/03 12:48 ID:C5eYbJNM
●デトロイト・テクノ

 87年から88年にかけて、当時のイギリスのアンダーグラウンド・クラブ・シーンで盛り上がりつつあったシカゴ・ハウスに次いで発見されたのがデトロイト・テクノだった。
 デトロイト・テクノは80年代の半ば、クラフトワークに代表される”テクノ”とPファンクに代表される”ファンク”に影響されたホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケヴィンサンダーソンら3人の黒人青年によってスタートしている。
それは同時期のシカゴ・ハウス同様に、アメリカ本国よりもイギリスで高い評価を得て、DJのあいだで広まっていく。
80年代末におけるデトロイト・テクノのイギリスのディストリビューションはバーミンガムのクール・カット〜ネットワークだった。
 一方、この時期デトロイト内でも、上記の3人に続くかたちで、エディ・フラッシン・フォウクス、ブレイク・バクスター、マーク・キンシン、そして後にレーベル、レトロアクティヴ〜プラネットEを立ち上げるカール・クレイグらが登場する。
 さらに90年代からは、デトロイト第2世代の代表格であるアンダーグラウンド・レジスタンスやプラス8で活動していたケニー・ラーキンが台頭。
91年からはベルリンの”テクノ”レーベル、トレーザーからもUR、エディ・フォウクス、ブレイク・バクスターらがリリースされるようになる。
また、92年のデトロイト再評価のなかからは、ヨーロッパのバズやピース・フロッグ、あるいは自らのレーベル、メタモリフィックで活動するダン・カーティン、
そしてトランスマットを拠点にサイレント・フェイズで活動するステイシィー・パレンといった新しい才能を輩出している。
とくに93年には、デトロイト・テクノはベルギーのバズ、R&S、アポロといったレーベルでの活躍が目立つようになった。
 80年代半ば以降に発見されたこれらの音楽は、当初、”ピュア・ハウス”とも呼ばれたが、彼ら本人たちは自らの音楽を”テクノ”と呼び、これによって”テクノ”という言葉が広まった。
3TR-774
「ブラック・マシン・ミュージック―ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ」
河出書房新社 ISBN4309264948
\2,800(税別)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/glance/-/books/4309264948/qid=1001348238/ref=sr_sp_re_1_1/249-3814314-5543528
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