【第59代横綱】隆の里俊英総合【幕内最高優勝4回】
1 :
待った名無しさん:
対戦数が多くて千代の富士に勝ち越してる関取って隆の里くらいじゃないの
腕力は強かったらしいけど、強豪のイメージは。。
隠れ最強横綱
5 :
待った名無しさん:2010/02/25(木) 03:39:10 0
保守的な人
関脇までガチンコ
7 :
待った名無しさん:2010/02/27(土) 00:41:10 0
現役時代(特に大関前まで?)けいこ場ではまるで鬼。
猛烈なシゴキで若いもんを鍛えている(あえてそう解釈)シーンがかつて
○HKの相撲ドキュメンタリーで放送されている。
8 :
待った名無しさん:2010/02/28(日) 08:10:15 0
>>2 対戦数にかかわらず、横綱・千代の富士に勝ち越したのは
隆の里(11勝6敗)と貴花田(1勝0敗)しかいない。
幕内通算では、もっといるけどね。
右四つがっぷりから千代の富士をひっこ抜けるなんてこの人ぐらいでは。
千代の富士は小兵だけど非力とは言い難い力士な訳で。
10 :
待った名無しさん:2010/02/28(日) 09:33:26 0
北の湖
北の湖は左四つ。
12 :
待った名無しさん:2010/02/28(日) 14:53:42 0
隆の里は理事になりたかっただろうに…
残念無念です。
隆の里は鬼畜逆メロス間垣の裏切りにより理事になれませんでした。
鬼畜間垣はやめろ!
鬼畜間垣はやめろ!
鬼畜間垣はやめろ!
鬼畜間垣は青森のゴミクズ
13 :
待った名無しさん:2010/03/01(月) 03:19:59 0
突然強くなたのが昭和55年
それまでは糖尿があって平幕の
中位あたりを上下していた。
翌56年〜58年一気にピークを
迎えるが昭和59年ひじを痛めて
初場所優勝を最後に千代に差を
つけられていく。
14 :
待った名無しさん:2010/03/03(水) 21:04:31 0
その突然強くなって以降、なぜか鷲羽山だけには4連敗、そ
れまでの鷲羽山戦はほぼ互角だったのに・・・
立会いも見るからにへっぴり腰で苦手意識がありあり。これ
は実に不可解だった。
15 :
待った名無しさん:2010/03/03(水) 23:37:21 O
鷲羽山はガチだからな
特に57年秋場所だっけか大関で全勝で初優勝してから、
横綱にあがったあとの数場所(59年初場所)までは、素晴らしかったな。
俺が相撲を見始めたのがこれくらいからだったから余計にそう思うのかも
しれないが、あの北の湖がまったく勝てなくなっていたし。
17 :
待った名無しさん:2010/03/04(木) 23:44:50 0
千代の富士が全身ハガネのような体なのに対し
隆の里は無双の腕力を誇った。肩はランドセルを
背負ったかのように大きく隆起して千代の富士を
引っこ抜くような吊り寄りで破った相撲が印象深い。
だが、欠点は体が硬かったこと。
18 :
待った名無しさん:2010/03/05(金) 01:52:30 0
58年だけ異常に強かった印象
横綱としてはあまりパッとしなかったな
19 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 13:37:27 O
蔵前とともに“華”を終えた感じか。
60年以降は唯一皆勤した名古屋でも10勝するのがやっと…
20 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 20:48:08 0
この人の吊りの技術を大乃国に伝授してほしかったな
21 :
待った名無しさん:2010/03/06(土) 20:52:56 O
全盛期の魁皇より腕力ありそうだな。
全盛期の貴ノ浪より背筋力ありそうだな。
史上初の新横綱15戦全勝優勝を成し遂げたのが
唯一の勲章か?
23 :
待った名無しさん:2010/03/08(月) 20:06:46 0
千代の富士を圧倒できた唯一の力士
っていうのが最大の勲章では
>>23 隆の里の全盛期(昭和58年)と、千代の富士がとんでもなく
優勝し出した(昭和60年以降)のがズレているから、なんとも言えないなー。
隆の里とかがいなくなったから、優勝回数を昭和60年以降だけでも20回以上
上乗せできたのかもしれないけど…。
25 :
待った名無しさん:2010/03/09(火) 22:20:35 0
そこですね
あの千代だから隆の里攻略した上で全盛期造ったかもしれないし
短い隆の里の全盛期がもうしばらく続いてればどうなってんだか
あとは稀勢の里を大横綱に育て上げるだけだな。
27 :
待った名無しさん:2010/03/10(水) 21:35:35 0
>>21 巨砲だったかに両差しになられても全くあわてず、極め出し
に破った相撲を見る限りそうかも知れん。
確か解説の神風氏が「多少相手に両差しになられても力でネ
ジふせる!これぞ横綱です。」と褒めちぎってた気ガス。
28 :
待った名無しさん:2010/03/10(水) 21:44:41 0
もし隆の里がいなかったら、千代の富士は58年でも4回優勝したであろう。やはり天敵が早く衰えたのは千代の富士にとって大きいのでは。
29 :
待った名無しさん:2010/03/10(水) 23:15:55 0
せめてあと3年早く糖尿病を
治していれば優勝10回行けたね。
30 :
待った名無しさん:2010/03/14(日) 00:31:28 0
正確には、隆の里が千代の富士を圧倒していたのは、隆の里が
大関に上がった前後で昭和57年まで。たしか8連勝していたのかな。
昭和58年以降はほぼ五分の成績。不思議なことに千代の富士を圧倒
していたころは琴風にまったく勝てなかった。琴風によく勝てるようになった
のが昭和58年以降。この人の最盛期は昭和58年だけど、そこらの巡り合わせは
ほんと不思議。
31 :
待った名無しさん:2010/03/14(日) 02:10:23 0
引退が間近になった頃は保志(のちの横綱北勝海)と
毎場所のように初日や序盤に当てられて負けを喫する
ことが多かったと記憶している。
若い頃は高見山にも勝てなかったよ
天の山とかにも弱かった。やっぱり押し相撲に弱いんじゃないかな
押し相撲には、すぐはたきに出る悪いクセがあったからね。
初優勝したころから、はたかず、組み止めるまでガマンできる
ようになった。
34 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 05:20:17 0
強かった当時は手をつかずに立ち合いやるのも
とがめられなかった。
隆の里は体が硬かったため晩年手をつくように
協会から全力士に指導があった時にかなり
取りにくそうだった。
35 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 05:43:32 0
四つでも逆鉾みたいな一気の出足がある力士は苦手にしていた。
がっぷり組んでしまえば全盛期はほぼ無敵だったような。
36 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 07:19:01 0
>>32 高見山はそうだったが、天ノ山はそうでもない。
同じデブでも隆の里が一番苦手としたのは、昨今お縄を
頂戴した○津竜ですよ。
毎場所のように初日に保志と当たり、
負けていくのが寂しかったなあ。
引退後は解説に呼ばれたそうだけど、
実際この人の分析はどうでしたか?
wikiによれば、なかなか鋭かったようですが。
>>30 千代の富士は横綱昇進以後1年以上隆の里に勝てなかったんだよね。
これって凄い。千代の富士が完成前とはいえ。
40 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 21:42:58 0
千代の富士は57年に3連覇を達成しているが、そのすべての場所で隆の里に負けている。だから、優勝を重ねていても絶対的な強さは感じられなかった。
41 :
待った名無しさん:2010/03/16(火) 23:08:07 0
千代の富士への連勝は、隆の里の実力+徹底した研究心の賜物なんだろうね。
ビデオを繰り返し見過ぎて擦り切れたのは有名な話だし。
千代の富士も「本当に顔を見るのも嫌だった。やること全てが読まれていた。」と言っていたけど、
ここまでの言葉を千代に言わせた対戦力士は他にいなかったもんな。
42 :
待った名無しさん:2010/03/17(水) 07:34:04 0
>>36 双津竜戦は幕内で●○●●●●●○○●●●○の4勝9敗。
上手出し投げと押し出しが1回ずつであとはすべて寄り切り
の負け。片や勝った決まり手が切り返し・外掛け2回・叩き
込みだから本当に苦手だったんだね。十両時代も2回寄り切
りで負けてるから通算では4勝11敗と大敗。あの巨体をまとも
に受けてただズルズル後退しただけ?誰か双津竜戦の謎を解
いて下され!
43 :
待った名無しさん:2010/03/17(水) 21:40:59 0
若乃花がもう2,3年頑張れば (難しかったが
隆の里の全盛がもっと続いてれば (肘の故障がなければ或は
若嶋津が59年横綱昇進してれば (本人その気なら充分
二子山部屋夢の三横綱時代が現出で千代の富士タジタジ
若乃花2の引退理由は「痔の悪化」だからなあ・・・
2横綱そろい踏みは十分にあったと思う
若島津は横綱は難しかったんじゃないかな
隆の里が休場続きだった時期
若島津もかなり故障気味だったのに
隆の里の代理?みたいな立場で休ませてもらえず
ボロボロ状態で可哀相だった記憶がある。
45 :
待った名無しさん:2010/03/19(金) 01:56:10 0
このころが二子山部屋第1期黄金時代だった。
もちろん第2期は若貴時代な。
違う二子山部屋だけどな
むしろ第一期黄金時代は
横綱:若乃花2
大関:貴ノ花
の頃じゃねえの?
隆の里は千代の富士や若島津に比べて
もっさりオヤジタイプで人気がいまひとつだったしw
いや、ファンだけどさ
47 :
待った名無しさん:2010/03/19(金) 20:08:52 0
突如大勝ちしはじめた頃の廻しの色=小豆色
大関から横綱へ昇りつめた頃の色=濃緑色
色白ゆえダーク系の廻しがよく映えた
48 :
待った名無しさん:2010/03/19(金) 21:53:10 0
大相撲がもし土俵中央で廻しを引きあった状態でハッケヨイなら
40回くらい優勝してるんじゃないか
49 :
待った名無しさん:2010/03/19(金) 22:22:04 0
4場所連続相星決戦を繰り広げた隆の里は急速に衰え、千代の富士も不調に陥ってしまったため、大横綱北の湖の存在がすっかり霞んだ千隆時代もあまりに短く終わってしまったのが残念
どっかのサイトから引っ張ってきたようなネタばかりだなぁ
>>47 ちょっと違うな。
濃緑の廻しは大関初期のころまで。
大関から横綱に上がるころは紺色に変わってた。
52 :
待った名無しさん:2010/03/20(土) 07:37:34 0
横綱時代に格下に負けた時は
いつも目をきょろきょろさせて
落ち着かない感じの顔を
していた。
負けたら悔しいというより「恥だ」という心理が
無意識に働いていたような。
53 :
待った名無しさん:2010/03/20(土) 21:32:52 0
全盛期の強さも、引き際の悪さで印象を悪くしている。昭和59年九州場所で潔く引退していれば、横綱としての評価ももっと変わったのでは?
引き際は結果論だから難しいと思うけどね。
肘が良くなれば、まだまだいけるって思ってたかもしれないし。
千代の富士だって、昭和59年九州場所で通算10回目の優勝を
したけど、59年の優勝はこの場所だけで、あとは割と不振だった。
年齢もこの時29歳。誰もここから20回以上優勝を上乗せするとは
思ってなかった。
引き際は勝治がゴネて延びたって話を聞いたけど。
56 :
待った名無しさん:2010/03/21(日) 19:50:07 0
北尾に負けた一番では引退を決められたような実況までされてたからなぁ
オレも最後の一番だとおもってビデオにとったぐらいだけど
で、休場
>>41 テープどころか当時まだ高価だったビデオデッキも何台か壊したとか。
千代の富士が自伝で「そこまで研究されているのかと驚いた」って
書いていた。
58 :
待った名無しさん:2010/03/21(日) 22:44:01 0
YOUTUBEで見れる59年春の大乃国戦は
立ち合いから万全の体制なのに逆転負け
最後の優勝直後の場所だがすでに肘の具合が悪かったのか
59 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 00:29:44 0
この人も実は結婚してから成績が落ちた力士だよね(披露宴が59年2月)
60 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 01:18:42 0
なんか、この人だけ、実績の割りにすごくレスがつくねえ。
いや、俺も元ファンなんだけどさ。ちょっと驚き。
あと、59年初場所以降、成績が急降下したんだけど、
実は59年夏場所も可能性低いながらも終盤まで一応優勝争いしてたんだよね。
北の湖最後の優勝場所で、13日目に隆の里が負けて優勝が決まったから、
覚えてたけど。
そんな僧坊筋にほれました
62 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 02:27:06 0
俺なんか朝青龍が出てくるまで隆の里が史上最強だと信じていたよ。
本人も全盛期は雷電や双葉山と勝負したいと豪語していたし。
>>60-62 スマートで婦女子に人気の若三杉(若乃花2)や千代の富士と違い
飯場のオヤジみたいな冴えない風体の実力派だっただけに
もてない相撲ヲタどもの共感を集めていたのではないだろうか
いや、俺のことだと言われても、否定はしないw
>>52 半端に知性派だからだろうなあ
勝負師というのは恥も外聞もないバカのほうが向いている
65 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 07:08:40 0
>>56 昭和60年九州場所4日目ね。漏れもてっきり引退かと
思ってたのにただの窮状・・・
この日は確か千代の富士も花乃湖に負けたんで余計
印象に残ってる。
66 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 07:42:00 0
>>65 覚えてるよ。あの相撲、まわし待ったのあと、横綱が両まわし引いて
土俵際まで追い詰めた。しかし、北尾の下手投げに逆転負け。
そのあとの北尾の殊勲インタビューで「(隆は)まだ取れるんじゃない
ですか?」。去り行く者へのはなむけの言葉と受け取れた。
67 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 20:06:36 0
60年初場所は初日に負けただけで引退表明したのは意外だった。その場所で1敗しただけで引退という例はほかにあっただろうか?
68 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 20:14:11 0
>>67 ああ61年ね。
初日負け→引退、というのは他に知らないな。
あのとき、2日目の相手が小錦だったからなあ。とても今の状態じゃ勝てない
と思ったんじゃないのかな?
69 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 20:28:17 0
タイミングよく全盛期が超人気朝ドラとかぶったからね。
キャリア十数年で辛抱してつかみ取った横綱の座なので
「おしん横綱」のニックネームがついた。
でもリアルで「おしん横綱」なんて読んでる奴はいなかったよなw
なんかとってつけたようなニックネームだったよ、それ
むしろ「ポパイ」だろ
つか、何かにつけて糖尿病を盾に同情引いてたので、応援したくなかった
「つか、」は不要
73 :
待った名無しさん:2010/03/22(月) 21:59:41 0
糖尿病ってあまり同情ひかねぇだろw 相撲取りの場合は。
この人に限らないけど、これはもう負けとか思えるようになったら、
ダメだよね。59年後半や60年では、格下相手でも不利になったら
これは負けるぞと思えてならなかった。
これが58年ころだったら、平幕クラス相手なら負ける気がしなかったん
だけどな。(出羽の花は除く) いつだったか忘れたけど、全盛期のころ
獅子鵬戦で、立合いもろ差しになられて、まわしが全くとれず、土俵際まで
追い込まれたが、辛抱して逆転勝ちってのがあったんだけど、俵いっぱいまで
寄られている最中でも、最後は勝つだろうなと安心して見ていられた。
>>66 >>去り行く者へのはなむけの言葉と受け取れた。
いや、そんな深い意味はないだろw
NHKアナから「横綱はどうか(引退か?)」と聞かれて
平幕の分際で何も言えるわけないからさ
とっさに「まだやれると思います」って言ったんでしょ
>>75 NHKは「無理、引退すべき」とでも言わせたかったのだろうけれど
確かに北尾の口から言える事では無いわな。
しかも相撲を取った直後の興奮状態で息も上がったままだ。
冷静な話が出来るとは思えない。
77 :
待った名無しさん:2010/03/23(火) 23:38:05 0
引退時33才だもんね
10以上した保志北尾乃国伸び盛りはしんどいな
逆にいえば千代は凄いんだろーが
逆にいえば注射は凄いんだろーが
79 :
待った名無しさん:2010/03/26(金) 03:39:00 0
師匠(隆の里)が遅咲き横綱だったから稀勢も
そうなってしまいそうな悪寒
横綱になれるかどうかは別として…
80 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 20:21:24 0
北の湖とがっぷり対決見たかった
>>80 喧嘩四つだから千代の富士戦のような見応えは乏しかったかも。
82 :
待った名無しさん:2010/03/28(日) 21:51:03 0
いや左四つがっぷりでも見たかった
83 :
待った名無しさん:2010/03/29(月) 23:49:36 0
なるなら、右四つがっぷりだよ。
北の湖は、右四つでも取れる力士だから。
左四つより右四つのほうが、腕の返しがうまい
とすら言われてた。
84 :
待った名無しさん:2010/04/01(木) 22:36:35 0
そっから渾身の引きつけ合い吊りあい見たかった
85 :
待った名無しさん:2010/04/02(金) 17:44:18 0
結局横綱になってからも腕力に頼る相撲を取らざるを得なかったから
とうとう両肘を痛めてしまった。
両肘の手術あとなまなましかった。しかし、あの時点で
もうダメだろうなという感じがしていた。
身体が固いし
筋肉の付きすぎで脇は甘いし
けっこうバランスの悪い力士だよね
そこが魅力でもあったんだけどさ
>>74 出羽の花懐かしいwwあの力士も筋肉質だったな
出羽の花だったら隆の里のが勝つでしょ
88 :
待った名無しさん:2010/04/11(日) 22:53:49 O
≫87
全盛期でも苦手な相手だったと思うよ。
89 :
待った名無しさん:2010/04/12(月) 21:39:44 0
結構出羽の花には黒星をつけられている。
力が衰えてきた頃には魁輝(現・友綱親方)あたりにも
かなり苦戦していた。一概に突き押し力士だけが苦手と
いうわけではなかったな。
90 :
待った名無しさん:2010/04/13(火) 00:12:17 0
がっぷり四つ最強!
2年ほど前、解説の九重千代の富士がライバルとして挙げた力士
出羽の花って当時握力90とか言ってた
若嶋津も出羽を苦手としていた気がする
理事候補者は 楯山、北陣親方が有力