1 :
待った名無しさん:
輪湖時代、それは横綱が横綱足り得た奇跡の時代だった。
後の4横綱時代まで上位陣から平幕を含めて力士の個性がきらめいた
輪島・北の湖・若乃花U・三重ノ海・貴ノ花・旭国
輪湖時代を愛する人々のスレです♪
ようこそ輪湖時代 タイムカプセルを開きましょう♪
増健改メ柳川
3 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 16:58:28
俺は相撲史最後の黄金時代だと思う。
四年間も優勝を纂奪した横綱達…実況・解説・行司まで一流だった。
4 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 17:12:21
>>3 激しく同意
力士の凌ぎ合いも素晴らしい稀有な時代
しかし、解説の神風を始め、雰囲気が萌え
特に、千秋楽の輪湖相星決戦
アナウンサーが客席を周り、観客に予想を訊き、神風が解説し、補足を加え、輪湖のビデオを見て検討を加える辺り、興奮したねー
そして輪湖の相撲も激闘でした
5 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 17:23:12
輪湖は必ずといっていいほど大相撲になったな。一瞬で決まったなんて覚えが無い。
輪島が左を入れて半身になって長い相撲になるのだが、ちっとも飽きなかった。
6 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 17:49:02
俺はリアルで見てない世代なんだけど、
この時代が好きでたまらない。
昭和の名力士を見たり、古雑誌を読んだりして知識を補っているが、
輪湖戦全てが見れないのがとても残念。
柏鵬DVDには柏鵬戦全てが入っているんだから、
是非輪湖DVDも出してほしい。絶対買うのに。
7 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 17:57:16
そうだね
輪島に体力があった時は短期決戦で北の湖、長引いたら輪島でした
神風「長引くと輪島は自分の型を作りあげる」
晩年、輪島の体力が落ちると北の湖が持久戦に持ち込んだ。
観客も心得ていて輪島が絞りを辞めて上手を引くと館内に何とは知れない溜め息が漏れた
【輪島23-21北の湖】
>>7 53名など典型的だよね。
だが輪島が衰え、若乃花らが台頭しても
やはり輪湖決戦には他の栃組と違う独特の雰囲気があった。
9 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 18:42:33
>>6 輪湖時代をガチで知らないのにファンとは嬉しいですね。相撲離れが加速する昨今、DVD化、期待したいですね。本当に
>>8 【53年7月 14日目】
2分52秒で水入り。3分17秒で決着。
輪島が30歳 北の湖が25歳位ですかね?
どちらもあっぱれ
4横綱でも輪湖は別格
10 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 20:52:49
この時代は技が多彩
輪島→下手投げ
三重ノ海→猫騙し(笑)
旭国→内無双
増位山→内掛け
鷲羽山→蹴たぐり
富士桜→つっぱり
琴風→がぶり寄り
黒姫山→突き落とし
輪島と貴ノ花の吊り合いは見事だったなぁ
11 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 21:26:43
>>10 その時代は大関横綱より下でも、
富士桜×麒麟児
という超黄金カードがあって、昭和天皇も大いに喝采を送っていた。
12 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 21:41:34
あの壮絶なつっぱり合いは見事だった
昭和天皇は蔵間のファンだったけど、この二人の相撲は思わず身を乗り出して見てたね
13 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 21:52:32
麒麟児か〜。
若乃花Uと一緒に、オレが好きだった力士の一人だったよ。
輪湖対決は、力が入って見ごたえあったな。
あの水入りも印象に残ってるよ。
14 :
待った名無しさん:2006/01/30(月) 21:53:49
当時、水入り相撲結構ありましたよね。
輪島VS北の湖の他にも、旭国VS荒瀬とか…
上位陣に限らず平幕も熱かった
相撲中継が6時過ぎまで伸びたりね
15 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 15:34:14
輪島が土俵中央で黄金の左で北の湖を這わせたときは鳥肌がたったよ
16 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 15:56:26
輪湖戦がたっぷり収録されたDVDがないのは相撲協会が絡んでるだろうね。
もういいじゃないかと思うんだけどね。北の湖が理事長の間に何とかして欲しい。
発売待ってる人は多い筈。
輪湖戦もいいけど輪島と若乃花の相撲も大相撲が多かったね。
17 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 16:05:17
私の中で「たかのはな」という響きは「平成の大横綱」ではなく
いつも精一杯の力を出し切っていた「名大関貴ノ花」のもの。
18 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 16:13:44
>>16 【輪島VS若乃花U】
印象深いのは輪島が下手投げで腰に乗せて投げ飛ばした相撲
若乃花Uが土俵中央で裏返しになって、背中にべったり砂がついてた
初代若乃花の呼び戻しも凄いが、匹敵する
後、輪湖のDVDが無いのは残念ですね
19 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 16:19:12
輪湖の取り組みは勿論、あの時代の取り組み
例えば富士桜とキリン児とか【輪湖時代】を網羅したDVD かなり売れると思うが・・・・・・・
20 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 16:45:14
青葉山の塩撒きも面白かったヨ
21 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 16:50:42
輪湖時代はネームバリューでは栃若に及ばないが
対立期間と内容考えれば史上最高といっていいんじゃないかと
本格的な四つ相撲を堪能できた最後の時代
22 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 17:00:23
個性的脇役が豊富だったよね。コンニャク相撲と言われた故栃赤城なんかもそうだよね。後まじ顔の怖い若獅子等
23 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 17:12:16
【輪湖回顧録】
昭和49年7月千秋楽
連覇と綱を狙った北が星ひとつリードして激突
9○輪(下手投げ)北●3
【優勝決定戦】
絞り勝った輪島が寄って逆襲に出た北の湖を下手投げ。北の湖右外掛けでかわす前に横転
輪島逆転優勝なる
24 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 17:42:18
>>21 同意。
栃若は脇役が素晴らしく、二人の対決も名勝負ばかりだけど、やや期間が短い。
二人が共に横綱に在位したのは二年だけ。対して輪湖は六年もある。
ここを踏まえると輪湖のが上じゃないかと思う。
25 :
6:2006/01/31(火) 17:47:01
>>18 52年秋の相撲かな?見事に腰にのった記憶はある。
あと53年名13日目も黄金の左健在を見せ付けた。
これで13連勝。北若時代に待ったをかけたと言われた一番。
26 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 18:27:55
若獅子ね(笑)気合いは最高!だけど弱い
弱いと言えば北の湖の銀行 金城 何だあれは
相撲は相性。何故だか黒姫山を苦手にした北の湖や、平幕なのに輪島戦だけははりきる豊山!
名大関旭国、相撲博士、ピラニアなのに輪島戦は平にあ 旭国銀行だった
27 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:37:24
>>14 荒瀬ってww懐かしすぎるぅー。
輪湖戦といえば、やっぱり手に汗握るがっぷり四つがたまらんよ。
しかも一瞬じゃなくて、結構長めだから、んもうぅ観てるほうも力入りまくり。
その他の力士たちも気合十分みなぎってて、歓声もヤンヤヤンヤだったな。
28 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:42:28
輪湖戦の場合はガップリだと勝負ありという感じ
ガップリ組んで熱戦だったのは輪島vs二代目若乃花
もしくは輪島vs貴ノ花かな
29 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:44:36
>>28 輪島の晩年はね。
北若も北が上手取れなくて五分だとか言われてたな。
30 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:44:41
阿佐ヶ谷勢という言葉を聞かなくなって早幾年。
31 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:49:33
32 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:54:23
>>28 輪島絡みな。
輪島 対 若乃花U オレもこの対決好きだった。
輪島vs貴ノ花 輪湖戦と同じくらい見ごたえあったし、人気の組み
合わせだった。
33 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 19:56:39
輪島は名古屋、北の湖は春が強かった
34 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 20:02:45
52年名古屋の輪湖戦がマイベスト
この取り組みのDVD無いのかな?
「去年思い出の名古屋場所」での放映を
見逃した時は大ショックだった
35 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 20:33:00
輪湖戦の場合がっぷりは北の湖だけどポイントがあるんだよね
北の湖が輪島の絞りに耐えて左を深く差すと北の湖。逆に輪島が絞り勝って前みつを引くと輪島
まぁ、がっぷりの醍醐味は輪島VS若乃花Uや輪島VS貴ノ花
全体的に四ツ相撲やつっぱり相撲の醍醐味がある熱い時代だったね
36 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 20:50:02
輪島って改めて凄い力士だと思う。
輪島以降、「下手投げ、絞り」と言えば輪島というイメージを植え付けられた。
37 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 20:55:17
まだ名前が出てないけど三重ノ海も良い力士だった。
安芸ノ海二世と呼ばれた向こう付けの相撲。さっと得意の体勢になる巧さには妖しささえ感じた。
38 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:00:57
輪湖時代じゃないけど、後年の若嶋津はプチ輪島と呼ばれた
スケールが違うが…
若乃花Uも柔らかい体で端正な左四ツだった
39 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:10:35
輪島と北の湖で毎場所優勝を争っていた時期はすごかった。
互いに譲らない力相撲で、手に汗握る熱戦ばかりだった。
40 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:37:31
>>10 魁傑→外掛け も入れてね。
>>20絡みで
青葉山→吊り なんてのもあったな。
41 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:42:27
>>39 北の湖自身もその時期が一番印象深いと言っているしね。
42 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:48:15
>>40 すまん。かいけつを忘れておった。
むつあらしの「かわずがけ」も加えますか!?
違ったっけ…(笑)
43 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:54:05
>>42 いや、輪島をそれで倒しているので合っている。>陸奥嵐
ただ、彼にとっては晩年になるけど。
44 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 21:59:11
>>43 だよね。俺、資料何もなくて小坊の頃の記憶だけで書いとるから…
旭国のとったりも加えるよ
45 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:00:33
46 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:04:25
うーむ、舛田山のはたき込みも入れてほしい気がしてきた…
47 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:08:36
若獅子ワロスw。目が細くて座頭一と呼ばれてたな。けたぐりが得意だった。
荒勢もワロス。がぶり寄り得意でよく「うおー!」と吠えていた。若乃花Uに無茶苦茶
強かったくせに北の湖にはまるで歯が立たず。
あと魁傑と旭国の無茶苦茶長い水入りの相撲があったと思う。
48 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:11:37
若三杉の上手投げなら、オレもよくちびっ子相撲でマネしてやってた
49 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:14:34
うははぁ
皆さん、さすが良く覚えてますね
やはり輪湖時代をこよなく愛した方々
では平幕優勝した金剛の気迫も加えるよ
う〜む 小坊の記憶だけでは…
誰だったか豪快なニ丁投げの名手もいたような…
50 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:18:32
>>49 時代がだいぶずれるけど玉龍とか?
あと大潮・北瀬海の速攻など。
旭國・北瀬海が大活躍した場所もありましたね。
51 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:24:58
あのぉ〜お願いですから若獅子と荒瀬で笑わないで頂けますぅ?
てか、小学校に向かう途中、友達と若獅子と黒姫山と荒瀬は笑いを取ってたなぁ
『昨日の若獅子 変な負け方。黒姫山もまぁた突き落としばっかり。荒瀬のがぶり寄り 効果なしWWW』みたいな…(笑)
52 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:29:20
荒瀬も 一癖も二癖あったなwww
53 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:42:37
まさに輪湖時代(末期)からの相撲見始め輪島ファン(昭和51年・勝一)のそれがしの
小学校では砂場での相撲が流行っていた。どーでもいいが、綾瀬君という友人の
あだ名が自動的に「荒勢」となり、「綾瀬(荒瀬)がぶれ!」などと無責任な
声援を浴びていたw
あと高見山のゴロリも名物。そのくせ輪島とは勝ったり負けたりで癪だったw
他では北瀬海の額も思い出すw
54 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:47:34
デブのやつはあだ名が「北の湖」と付けられて今思えば
かわいそうだった。強すぎて嫌いな香具師が多かっただけに
なおさらだ。
55 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 22:56:27
あの頃、休み時間は校庭に土俵を描いて相撲だった
クラス対抗戦をしたな
そう言えば目細い友達、『お前、若獅子な』
嫌がって怒ってたな
北瀬海は確か前はげ!?
後、荒瀬だが花籠部屋だっけ?輪島の援護射撃にもならんな。
あんなに叫んでんのにWW
56 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:04:21
そういえば、うちの会社に来るお得意さんで
北瀬海そっくりのひとがいるwww
あんな感じの禿げ方でめがね掛けているわ。
57 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:05:07
栃赤城のめちゃくちゃな相撲が好きだった。
貴ノ花相手に背中につかれながら粘りまくって大逆転、
三重ノ海綱取り場所初日に、とったりで腕を極められながら
逆とったりで三重を這わせた一番…
この一番も含め、珍手連発の異能力士だった。
輪湖時代後半にあたる昭和52年名古屋〜55年九州まで、
3年半にも渡って横綱が優勝し続けていたんだな。
今では考えられない記録だ。
58 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:16:39
>>57 本当だね
輪湖時代及び4横綱時代は横綱の覇権と個性的な力士の時代
栃赤城は何をするか分からない、型にはまらん不思議な力士だった
体が柔らかくてくねくねしていて…くねくねWW
59 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:22:24
俺はやっぱ51年九州の千秋楽の相星決戦が印象深いなぁー。長引くと輪島有利っていう感じだったがおそらく初めて長い相撲で北の湖に勝ったんじゃないかなぁ?この場所は若三杉がエライ強かった気もしたなぁ。
60 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:36:56
>>57 三重ノ海ー栃赤城で思い出したが、たしか土俵際で栃赤城有利の体制で
もつれ、三重ノ海が手をつかず顔面から突っ込んで逆転勝ちってのがあったはず。
翌日からしばらく顔面バンソウコウまみれで出てきていた。
ヘボ大関返上して快進撃してた頃だった気がするが。
輪島はずっと三重ノ海カモにしてたのに、晩年(ちょうど三重ノ海の覚醒と
重なった)は連敗していたな。たしか27−5くらいから28−17くらいに
縮まったんじゃないかな?
61 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:47:38
>>60 54年春だね。土俵際で三重ノ海の上手と栃赤城の下手、投げの打ち合いになり
軍配は栃赤城に上がったが物言いがつき取り直し。
この相撲で三重は顔から落ち、顔面血まみれになっていた。
この場所から三重は10勝→13勝→14勝と続け横綱に昇進、
栃赤城も2大関を倒して10勝で敢闘賞と活躍した場所だった
62 :
待った名無しさん:2006/01/31(火) 23:52:52
>>60 ちなみに輪島−三重ノ海の対戦は27−16。
53年九州から最後の対戦になった55年夏まで、三重ノ海が8連勝した
(決定戦は除く)
輪島14-18北の湖 23-21 終盤5連敗
輪島5-8若乃花 19-14 最後5連敗 吊り出しで5勝(うち横綱同士で3勝)
輪島0-3三重ノ海 27-16 最後8連敗(決定戦を挟んで)
北の湖14-7若乃花 25-18
北の湖2-2三重ノ海 26-13 途中15連勝
若乃花1-3三重ノ海 19-14
横綱同士の対戦と合計の対戦成績
64 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 00:08:36
私はスレを立てた
>>1で輪島ファンだが、いろんな意見があっていい。
マッタリとした、ほのぼのしたスレになると嬉しいですね。
あの頃は夢をくれたからね
それぞれ皆、魅力のあるいい力士だったと思いますよ♪
66 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 00:47:09
>>65 乙
これもひとえに輪湖時代を愛する皆様のおかげですよ
一方的な自己主張や罵り合いの乱立するスレにあって、輪湖スレは楽しく爽やかに行きたいものです!
末永く盛り上げて参りましょう!でわでわ
67 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 01:13:05
>>1乙です!しかしまぁ平均年齢が高そうなスレですよね。かくいう私も結構な親父(笑)
68 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 01:29:05
ま、輪湖時代自体が30年近く前の話だから、
リアルタイムで見てた人が集うと平均年齢が高くなるのは自然なことでしょうな。
69 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 01:52:41
貴ノ花vs輪島の吊り合いが印象的
もうあんな相撲は見れないんだろうね
貴ノ花は70キロ位重い北の湖に対しても
吊ろうとするからね(実際2回吊り出しで勝ってる)
確か握力90キロ以上あって力は強かったけど
そんきょで北の湖と向かい合うと体の厚みが倍以上あって泣けてきた(笑)
70 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 02:21:11
輪湖戦をさばいた行司といえば26代の浅井庄之助(在任1973年1月〜77年11月)
と27代の熊谷庄之助(〜90年11月)の二人が主だけど掛け声が情熱的な(解るかな?)前者と
歯切れが良く響き渡る掛け声が印象的なのが後者だった。
個人的には浅井庄之助が好きでした。
71 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 02:45:35
輪湖時代の取り組みですごく印象に残っているのが
横綱の北の湖に対して大関三重の海が猫だましをやったこと
まったく効果がなくて三重の海はあっさり押し出されてしまった
北の湖は取り組み後「何か音はしたけど」と気が付かなかったようだった
その三重の海が横綱になったのでちょっとびっくりした
72 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 03:46:22
貴ノ花が初優勝したときの大フィーバーはよく憶えている。旗手は若三杉だったと
思うが、こっちも嬉しそうだった。2人が九州場所のとき、稽古上がりに百道海岸を散歩している
写真があるが、仲の良い兄弟弟子のいい空気を出していた。
あの頃はほんとに相撲が面白かったな。
73 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 04:18:29
理事長は良きライバルだった輪島と会談ししかるべきポストで協会に復帰させて欲しいなあ。一ファンの夢
74 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 05:32:23
消防になるかならないかの頃、若三杉が関脇くらいから好きで観てた。
輪湖対決で印象に残ってるのは輪島がよく絞ってたのと切り返しで勝った時、外掛けとの違いが当時はどうしても解らなかった事かな。
あと26代庄之助の掛け声が『からっからっからっからった』にしか聞こえなくてw
75 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 09:33:15
>>70 俺は輪湖戦といえば正直伊之助の印象があるなぁ。
初対決、53名古屋、最後の対決もそうだし。
のこったのこったのこった…という掛け声がマッチしてた気がした。
76 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 16:40:58
>>34 その放映って何日目だったかわかりますか?
77 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 16:52:45
>>75 漏れにはのこったーのこ、のこったーのこ…と聞こえてたなぁ。
ところで、輪島のまわしが金色になったのはいつだろう?漏れは緑の頃を覚えてないもので。
78 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 17:15:25
漏れもはっきり覚えてないが一年近く休場して復活してからだと思う。
79 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 17:46:03
51年初にはすでに金で、50年秋は緑だったと思う。
80 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 18:38:04
若乃花Uは体がやわらかくしかも懐も深くて引き付けにくかったんだよね。
後期は腕力で勝る輪島の強烈な吊りを再三凌いで最後はスタミナ勝ちしてた。
得意の上手投げがほぼ左からの捻りとの合わせ技が多かったのも非力をカバー
するためもあったらしい。
81 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 19:59:50
のこったーのこ!のこったーのこ!
って言ってたな。思い出したww
82 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 20:03:23
輪島の強烈な腕力、ん〜〜〜〜む!たまらん。
83 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 20:08:32
>>79 輪島が陸奥嵐にかわずがけで負けたのが50年の秋場所くらいで、
そのときはすでに金色の廻しだったと思う。
84 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 20:19:21
輪 優勝14 673勝234敗
北 優勝24 951勝350敗
若 優勝4 656勝323敗
三 優勝3 695勝525敗
貴 優勝2 726勝490敗
魁 優勝2 528勝410敗
大受 462勝388敗
増位山 597勝538敗
旭国 635勝479敗
85 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 20:39:32
輪湖戦といえば神風(玉の海)の解説、北出(杉山)の実況
そして捌く行司は「のぉこったぁのぉこ!」の伊之助だね。
86 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 21:50:41
小学生時代、がぶり寄りの荒勢関と引き技の玉ノ富士関のファンでした。
87 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 21:51:38
輪湖時代と称されてまじで良かったと思う。
湖輪時代では小倉優子になってしまうからな(w
88 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 21:55:33
貴輪
89 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 22:02:17
輪湖時代を回顧するスレだから、脇役の個性的な力士や、行司や、時代背景や、いろいろ語れる
例えば、4横綱の土俵入りもそれぞれ個性的
輪島の腰を低く深く割ったせり上がりの見事さ
北の湖の響く柏手
若乃花の柔らかいふくよかな土俵入り
三重(省略・笑・ゴメン)
90 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 22:02:25
「きりん」でいいんだよね?長い間「たかわ」だと思ってたけど。
91 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 22:03:37
>>89 北の湖なら「斜めせり上がり」もあるでー。
92 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 22:06:47
>>89 三重ノ海はオリジナルの土俵入りに一番近い土俵入りをしましたぜ。
93 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 22:07:01
キリンですよ
貴受(貴ノ花と大受)→貴輪時代→輪湖時代→4横綱戦国時代突入
94 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 22:15:22
>>93 輪湖→北の湖独走→北の湖と三横綱時代では?
95 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:15:28
輪湖というが、じっさいは北の湖の土壇場。
51年ごろは輪島が休場がちで見ごたえなし。
53年以降は北の湖が優勝を独占。
ほんの数場所だけだよ、二人が優勝を分け合ったのは
96 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:18:56
× 土壇場
○ 独壇場
97 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:21:01
>>95 それは違う。
51〜52の二年間は二人で分け合ってたよ。
十二場所中輪島五回、北の湖五回優勝。
53からは北の湖独走だけどね。
98 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:25:51
まぁ、優勝だけが全てではないからなぁ
【輪島23-21北の湖】
この対戦の中に大相撲がたくさんあった
輪湖に加えて若乃花Uや三重ノ海や平幕にも、楽しみな対戦がありましたよ
99 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:26:08
北の湖の土俵入りの、ガクッとおろした「斜めせり上り」な。
100 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:27:45
51年から52年は毎場所ほぼ輪湖で優勝争いしてただろ。
輪島の休場が目立つのは53年以降だよ。
101 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:27:50
102 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:40:40
>>97 二年間で五回ずつ優勝を分け合うだけでも素晴らしい
昭和53年と言えば輪島も30歳だから仕方ないね
>>101 う〜む そのスレは殺伐としてんだよな↓
輪島とか北の湖と言う度に、あの頃はレベルが低いだの…
まぁ、私は遠慮致しますよ
103 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:55:21
2年間、優勝を分け合うこと自体、相撲史の中でもめずらしい。
VSカードとしては栃若、柏鵬、曙貴と比べても遜色なし。
104 :
待った名無しさん:2006/02/01(水) 23:56:37
105 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 00:05:03
>>103 激しく同意
あの時代は輪湖を始め平幕に至るまで独特な活気がありましたよ
勿論、力士の他にも行司や解説の神風に至るまで!あっ観客や見守るファンもね
106 :
1 ◆0OHTCmYTPk :2006/02/02(木) 00:08:54
>>97 2年間分け合ったというが、よく考えてみなさい。
あとから見れば2年間争ったと言い方ができるが当時はそうではない。
12場所中最初の数場所は「お、最近交互に優勝してるな」の印象しかない。
それがやがて「これは二人の時代だな」という印象になるわけだ。
そこから2年間続けばたいしたもんだが結局数場所で終わってる。
仮に今後栃東とドルジの二人の時代となっても、初場所と九州場所(二人で分け合った)
は今現在は二人の時代とは誰も思ってないだろ?
でも今後二人で分け合ったのが続いた場合、その2場所も結果的には
2強時代の一部に入るわけだ。
あと、4横綱というが三重ノ海は間違い。彼が横綱に上がったときは
輪島はボロボロ。それでも4強時代というなら
昭和60年は千代と隆の里の2強時代になるのか?おぉ?
107 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 00:09:40
平成13年も貴丸時代になりかけ惜しかった・・
4横綱で四年間賜杯を独占したのが凄い。
それでいて大関以下の力士にも存在感は十分にあったいい時代。
109 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 00:19:13
ハワイ二子山も5人の上位で6年以上賜杯を独占して
たな
>>106 あんた単なるアンチ輪島じゃん。
当時を見てたなら51・2年の優勝を賭けた盛り上がりは分かると思うぞ。
>>110 乙 同感です
いろんな意見があっていいけれど、輪湖時代に愛着のない方はスルー致しましょう!
何とは知れない活気に満ちた時代には相違ないですからね
112 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 02:04:44
>>110 じゃ、輪島がどんな記録を残したかいってごらん。
113 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 02:21:57
俺は北の湖が横綱にあがるまでが好きだったなぁ。いつだか忘れたが関脇で終盤足骨折してたのに千秋楽まで出たのには感心したよ。神童、怪童とか呼ばれてたよねー。もしかしたらスレ違いかな?スレ違いならスマソ。
114 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 06:12:15
北の湖ファンの漏れだが学士唯一の横綱輪島たいしたものだよ。土俵中央で北の湖をはわした一番は鳥肌がたったよ。アナウンサーも黄金の左と絶叫してたね
115 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 07:32:40
>>102 オレも
>>101のスレにいて北の湖最強派だったんだけど、
確かに「輪湖時代はレベル低い」とか「北の湖はあの時代だから
通用した」とかいう意見が目立ったね。まぁ色んな意見があるんだから
それはそれでいいんだけど、いくら2chでもあまり殺伐とするのも
ちょっとねぇ。尤もオレは今も向こうにもいるけどねw
116 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 09:00:39
>>104 >>105 103だけど、古い時代だけあげても何なんで、
比較的新しい時代から曙貴をあげただけなので、
栃若、柏鵬より落ちるのは同意。
117 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 11:24:30
118 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 13:27:23
ところで皆さんは国技館に行った事は?
私は幼稚園に入る前に一度、横綱は大鵬でした
当時、幕下?の「はねだ」を応援
しかし、十数年後の輪湖時代、それが「はねだ」ではなく花田、つまり後の大関貴ノ花と判明
驚きましたね
119 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 14:04:04
>>118 懐かしの蔵前国技館だね。幼稚園に入る前の横綱が大鵬てことは
オレと同世代かな?オレは1962年生まれだけど。ただ国技館は
蔵前も両国も行ったことないね。両国に一回行ってみたいね。
120 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 14:30:36
>>119 初めまして。ほぼ同世代です。私は1963年です
幼稚園に三億円事件の犯人のモンタージュ写真がありましたね
後、私が行ったのは実は九州場所。九電記念体育館です(笑)
121 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 19:09:32
オレは1969年生まれ。このスレの中では一番下の方ですかね?
輪島が大好きでテレビを食い入るように観てました。
記憶があるのは51年から。小学校5年の終わりに輪島、貴ノ花が引退。
中学卒業の直前に北の湖が去っていきましたね。蔵前がなつかしいっすね。
花道が両国より狭くてペチペチ叩けたのを良く覚えてます。
北の湖が横綱の期間はオレの小学校、中学校の9年間とほぼ重なりますね。
122 :
53:2006/02/02(木) 22:00:25
>>121 おお、同期w
まあ、強い輪島のファンなら年齢的にほぼ下限だろうな。2つ下の俺の弟は
輪島!輪島!と俺が応援するもんだから最初はつられて輪島!といっていたが、
53,54年の衰えが目立つ頃にはガキならではの率直さで「輪島ダメだねぇ・・」
と禁句を発進。無論、輪島に変わってそれがしが左下手投げで転がしたのは
言うまでもないw 以後、弟は順当に強くてもふてぶてしい北の湖より
若乃花Uファンに転じた。この頃はまだ相撲が日常に密着していた時代だったねぇ・・・
48年の輪島最盛期を見れなかったのは残念だが、輪湖はもちろん、いろんな方が
思い入れ語ってるように個性派力士多々で実に面白い時代だった。
あと、輪島は51、2年頃は苦手といわれた豊山・麒麟児にほとんど負けていないはず。
1度だけ豊山に吊り落としで負けてビックリしたくらい。
長文失礼致した。
123 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 22:37:56
若三杉、のち二代目若乃花になった下山くんと中学が同学年でした。もっとも彼は
中三の途中に青森から転校して、二子山部屋の近くにあるウチの中学に来たんだけどね。
でかかったけど、無口でもの静かな少年でした。まさか横綱になるとは思っていなかったけど。
彼が十両入りした頃からは、テレビ桟敷にかじりついて応援したな。
姿の良い力士で、左四つの型も良かった。ただ突き押しにやや弱かった…
124 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 23:09:36
東田中出身でつか?
125 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 23:13:31
>>123 たしか若三杉と隆の里は同じ夜行で上京したんだよね。
出世で大きく先んじた若乃花U(若三杉)がライバルは?と聞かれると
いつも決まって幕内中堅にいた隆の里の名を挙げていたのが隆の里には
すごく励みになったそうな。同じ夜行で上京した二人がいずれも横綱昇進。
すさまじい確率だな・・・
126 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 23:55:07
>>124 そうです、東田中。二子山部屋から歩いて5分だったから、どの学年にも力士の卵が
いたよ。自分の3年上には花田満さん、のちの大関貴ノ花。2つ上にはのちの十両貴ノ山になる田村さん。
この人は十両一場所だったけど。1年上は関取が出なかったけど、年齢からいくと隆の里。
で同学年が若乃花だもんなあ。番長たちも彼らにはケンカを売らなかった。
127 :
待った名無しさん:2006/02/02(木) 23:58:01
中学のころからやっぱり2人は目だっていたんですか?
128 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 00:07:20
>>127 2人って若乃花と隆の里ですか? 隆の里は高校一年で来たので、ウチの中学には通っていません。
若乃花は背が大きいという印象だけで、目立ってはなかったと思います。
無口で騒がないし、もちろんケンカもしないし。力士の卵が一学年に数人いるので、
大きくてもとくに目立つことはないんです。無口なのは、たぶん青森訛りを気にしていたんじゃないかな。
129 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 00:17:35
>>128 若乃花だけだったのですか。サンクス。
クラスは別だったのですね?
130 :
アレル・ハルバショ:2006/02/03(金) 01:36:06
>>125 同時期に全盛期を迎えてたらもっと盛り上がったでしょうね。
二人の全盛期には5年くらいの差がありますから。
131 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 08:42:44
津軽の学校、公園、神社なんかには、土俵が普通にある。
小学校の敷地内に土俵が2つなんてのもある。
132 :
119:2006/02/03(金) 08:46:19
>>120 そーすか。九電記念ねwオレは北海道の片田舎なんでね。
巡業の時地方の体育館で何回か見ただけですね。
一回本場所を生観戦したいんすけどね。
東京でも大阪でも名古屋でも福岡でもいいんでw
これは恋のおまもりカキコです。このカキコを3ヵ所以上の
所に貼り付けると。。。
いままでずっと
片思いだった人と
両思いになれちゃったり☆
彼氏・彼女が
できちゃったり☆
と、他にもいい事がたぁ〜っくさんおこります!!
私の姉がこれを
冗談でやってみたところ・・・
その3日後
好きな人に告られました!!
これを信じるか
信じないかは
あなたしだいですよっっ☆
みなさんも
良い恋愛を・・・!!
134 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 20:34:24
輪湖時代主役はもちろん脇役も親方等で協会で活躍している天覧相撲の定番麒麟児や富士櫻なんか典型的だよ。輪島がいないのは残念だよね
135 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 20:55:27
貴ノ花が優勝した時、歓極まって思わず旗手を勤めたのが輪島だった
貴ノ花の闘病中の痛々しい姿や早い死は、彼を知る我々の世代や、親友の輪島を悲しませた
輪島が元気でいてくれたら、近い将来、還暦の土俵入りだが、協会はやってくれるのかな?
136 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 21:28:45
確かにその時代時代の力士と自分の人生は、重なるところがあるね。
幼少のころの大鵬、柏戸、栃ノ海。小学校後半の北の富士、玉の海、清国。
中学から高校が輪湖時代だった。そのころの力士が今や理事長以下、協会の幹部だ。
最初に知った理事長は双葉山の時津風だった。時の流れを感じます。
137 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 21:39:36
晩年に北の湖や若乃花Uに分がわるくなって
いつも悔しい思いをしていた。
最後の優勝となった55年九州も若にやられて全勝阻まれたし。
ところでこの九州場所で若に負けた内容覚えてる人いたら教えて。
138 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 21:54:00
14日目 若乃花(寄り切り)輪島
全勝の輪島と 1敗の若乃花という大一番。
若乃花が右上手を取り、左下手も浅めに取って頭をつけた。まずは若乃花優勢の形。
輪島は左半身の体勢だが下手が取れない。若乃花が正面に寄ると輪島は左掬い投げで逃れ、土俵中央。
機を見て若乃花が両廻しを引きつけ、白房に寄り立てた。輪島は必死になって堪えたが、遂に寄り切られ両者 1敗で並んだ。
139 :
待った名無しさん:2006/02/03(金) 22:23:27
千秋楽、既に3敗で優勝の可能性が無くなっていた北の湖は、輪島と1敗で並ぶ若乃花Uに
対し全力でぶつかって寄りきり、共に時代を築いた先輩横綱の最後の優勝を決めた。
140 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 01:05:22
九電記念体育館最後の場所が輪島の優勝というのも
何かの縁だろうね。と、いうのもここで開催されたのは
74年から80年までの7回と短かったけどその期間は
輪島の横綱在位とほぼ重なるんだよね。
この間ボクシングの最年長世界王者誕生が話題になったけど
会場が九電記念体育館で久々にTVで聞いて懐かしかった。
141 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 01:21:57
輪島・・・
優勝14回、全勝3回、横綱在位47場所、27連勝、年間最多勝3回
普通に考えて超一流横綱だよな
142 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 01:48:12
輪島は幕下付け出しで角界入りしたとき、稽古場では当時十両の貴ノ花とすでに
五分の力だったと聞いている。最近の学生出身力士で、いきなりこれほど強かった
のはあまり聞かないと思うが。武双山、雅山のあとは学生出身大関も出ないしね。
デビュー時のレベルでは琴光喜もかなりだったけどねえ。
>>141 あぁ、お前は何も分かっていないんだぴょーん。
そんな数字は何の意味もないんだぜ。
結局輪島は北の湖に歯が立たなかっただけで、常に2番手に甘んじてただけなんだぜ。
過去の資料を読むべきだなー。
長年やってりゃだれでもその数字は達成できるんだぜ
144 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 06:25:57
>>143 おまえこそなんもわかってなくない?北の湖に歯が立たなくて
2番手に甘んじてたっていうけど、全盛期がずれてるじゃん?
北の湖が台頭するまでは常に先頭にたってたじゃん。
それに長年やってりゃ誰でも達成できる数字っていうけど
達成できなかった人大勢いるじゃん?超一流まではいかんかも
しれんけどそれに近い一流横綱なのは間違いないよ。
145 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 06:46:09
143は釣り師だな
146 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 07:29:59
釣り師は完全スルーして良スレに育てましょう
147 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 08:25:37
輪島は怠け者だったけど、ここ一番での集中力は凄かった。
集中している時の輪島には、北の湖も敵ではなかった。30歳までは。
昭和50年の不振と、引退後の行状で評価が下がっているのが悲しい。
148 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 08:35:54
学士唯一の横綱だけでも輪島は偉大だよ。プロ入りが22歳を考えると優勝14回はとてつもない記録だよね。北の富士 琴櫻等と比べても明らかさ
149 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 09:09:38
大関になる学士力士も増えてきたけど、横綱にはなれんもんな。
他に復数回優勝した学士力士さえいない。
150 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 09:25:34
ひとつだけ確かなのは輪島という力士が、当時そして今でも
たくさんのファンの心を捉えてやまないってことさ。
輪島最後の優勝の55年九州の琴風戦、隆ノ里戦、千代の富士戦、出羽の花戦
北の湖戦、若乃花戦、貴ノ花戦を改めて見てみた。
千代の富士戦は気鋭の新関脇に対する輪島の上手さが表れてて良かったな。
あと賜杯授与の時、「輪島はもう優勝できないと聞こえていたんですがねえ」
と北出さんが言ってたのが印象深い。
152 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 13:59:22
横綱8年張ってたこと自体凄いこと
成績悪けりゃ引退しかないんだからね
大鵬、北の湖、千代の富士、朝青龍に次ぐ実績で
栃若の上に来ると考えていいだろう
153 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 14:24:19
北の湖と旭国が見事に白星を重ねた終盤戦…
とうとう全勝対決!
その日、小学校はバスで山中湖へ移動教室…
夕方、旅館のロビー、テレビの前は人だかり
「旭国! 旭国!」
みんな必死の声援。旭国健闘するも敗れる
そんな昔があったなぁ
結局、旭国は準優勝が2度位あったのですかね?
154 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 14:31:58
>>153 貴方が仰る52年秋が次点で、51年春は決定戦で輪島に敗れての同点です。
あの全勝対決は凄かった。旭國の胸に血が付いていた。
翌日の若三杉戦も好勝負。鮮やかな上手投げだったなぁ。
155 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 14:45:28
>>153 その場所の旭国はその敗戦が唯一の黒星。
14勝1敗で優勝できないんだから北の湖がいかに
強かったか、いかに上位陣が充実していたかということだ。
あの取組でどっちかが肋骨を折ってしまった記憶がある。
輪島の相撲を見て、相撲の技術を学べましたね。
157 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 14:49:43
>>154 大関では魁傑が2度優勝してますから、せめて旭国にも一度賜盃を抱かせてやりたかった
私は輪島と旭国と貴ノ花のファンだったから、気持ちは複雑でしたが…
輪島VS旭国は両方
北の湖VS旭国は旭国を応援した
旭国も魁傑や荒瀬との水入り相撲があった
食い下がる相撲の妙だね
158 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 22:02:30
ピラニア旭国か。北の湖との全勝対決は残念だった。輪島ファンの俺も旭国
応援したw
この場所、大の苦手の輪島に勝ったんだよな。確かこの頃2−24くらいの大差
だったと思う。北の湖には8−16くらいで全くダメってわけじゃなかったと思う。
荒瀬(勢)は北の湖に1−24くらいだったと思うw
あくまで輪湖時代頃の印象で最終成績、実際の対戦成績と違っててもご容赦w
159 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 23:03:11
>>158 北の湖27-7旭國
北の湖31-2荒勢
160 :
待った名無しさん:2006/02/04(土) 23:19:49
旭国は相撲博士とも呼ばれたが輪島には駄目だった。
横綱と大関にしては対戦成績が極端だね。
しかし、荒勢はなぁ、援護射撃どころか輪島の足引っ張ってんなぁWWW
若乃花Uの時はうぉぉぉぉぉと豪快に叫びながらはりきるのに(笑)
>>159 いや、昭和52年秋場所時点であればそう間違ってはいない。
北の湖16-7旭國(対戦前)
北の湖22-1荒勢(2日目に対戦後)
162 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 02:14:19
確かに相撲をまじめに見はじめたのは輪島・北の湖全盛期だったな。
当時はわからなかったが今振り返るととんでもなく横綱が強かった時代だ。
朝青龍がいくら強いといってもこの二人に勝てるかなあ。
輪島がいなかったら北の湖がどんなに優勝回数を伸ばしたか想像できん。
逆も同様。
163 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 02:16:20
>>144 しかし、「全盛期がずれてる」のであれば輪湖時代とはいえないのでは。
全盛期が同時期であることが条件なんじゃないの?
いわゆる輪湖時代ってのは、グラフで言うと輪島の下り坂と北の湖の登り坂
の二つの線の交わるあたりのことだと思う。
しかし、栃若時代は若が大関の頃から数えられてるのに
S57年後半〜59年前半までの千代と隆の里がなんで2強といわれないんだろう。
164 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 02:25:41
旭国はただでさえ小兵なのにいつも背中に膏薬を張っていて痛々しかった。
よくまあ大関になれたなあと思う。しかも名大関だったよね。
魁傑との水入り・二番取り直し後の相撲は今も忘れられない。
確か最後は投げの打ち合いになったが魁傑が投げ勝ったはず。
でも勝者も敗者も土俵に倒れたまま起き上がることができず、
倒れたまま肩で息をしていた。
ベストを尽くす、力を出し切るとはこういうことかと当時は感動した。
今の子供たちにも見せてやりたいよ。
165 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 02:33:08
>>142 当時の学生時代の輪島はマジで強くてさ、二子山部屋に稽古しにきたんだわ。
それで、当時、十両だった花田(貴ノ花)の胸を借りたが
その花田が何回やっても輪島に勝てないんだ。
プロの関取のメンツ丸つぶれなわけだが、
それを見ていた、親方(初代若乃花)がブチきれて
「ミツル!! おまえ、それでも関取かああ」と怒鳴りまくって
ケツにケリを入れた。
166 :
165:2006/02/05(日) 02:36:41
で、親方がいきなりマワシをつけてシコを踏み出した。
(当時、引退して10年くらいたっていた頃か)
そして、親方が「輪島・・・かかってこんかい」
花田&輪島「・・・(絶句)・・・」
167 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 02:44:01
同感だ
今の子どもは相撲を汚いとか格好悪いと思うそうだ。
当時の力士は退路を断って夜行列車で上京した
ふるさととか期待や不安を背負っていて、ハングリーだった
北の湖も中学に通いながら稽古して、中卒だよ
今とは多分覚悟が違う
水入りの大相撲も頷けるよ。私にとって彼等はヒーローだった
168 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 02:45:48
143がマジレスしていたとしたら若い人なんだろう。
自分がリアルタイムで見ていない昔の相撲は資料から判断するしかないからね。
実際に見た世代は、輪島が2番手などとはちっとも思っていない。
むしろ、北の湖の前に巨大にたちはだかっている厚い壁のような存在。
輪島がいたから北の湖の全盛期到来は随分遅れたはず。
同様に若い人は、大鵬は柏戸よりはるかに強いと思うだろう。
そうじゃなかった。柏戸は本当に強かった。
相撲は数字ではない。本当にそう思う。
169 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 03:01:35
大鵬で思い出したが、大鵬と貴ノ花は3勝2敗
大鵬の晩年である
大鵬と輪島は対戦がないが、大鵬が稽古をつけ、面白いことを言った
『ふーん、こいつなかなか強い。名前を覚えておこう』
やはり相撲を取るとその辺がわかるんだろう
170 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 03:28:39
ここの皆様はプロレスラー輪島はどうおもいますか?
171 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 03:29:55
ここは輪湖だけじゃなくて、当時活躍してた力士全般を語るってことでOK?「時代」だし。
旭国の書き込みを見て、最近、五輪に辛くも滑り込んだボブスレー選手を思い出した。
これだけじゃ何のことかわからんだろうw
ようするに、メダルを狙える選手=綱を狙える大関、
大関に上がるのがやっと(維持するのがやっと)の大関=五輪に出られたことがピーク、
なんだとおもう。
俺は輪湖より少しあとに相撲をみ出したんだけど、「地味に維持してる大関」ってのが一番好きだった。
だから二桁勝ったとか、平凡な成績でも横綱に勝ったってだけで喜んだものだ。
172 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 04:19:07
>>171 確かに大関という地位はいろいろあるね。
旭国は現役時代、悪く言われることはなかった。小兵でも多彩な技を使い
食い下がるように必死の相撲で、胸を貸すような相撲ではなかったし
9勝どまりが多かったが立派な大関だった。
対照的な例としては北天佑なんかは同じ9勝でも批判が多かった。
北天佑は横綱の器だったからね。
地味に維持すらできなかった大関では、大受を思い出す。
大受は一生懸命だったが怪我の不運もあった。
小部屋(高島部屋)のハンデもあったことだろう。関脇に落ちた場所も
9勝どまりで、あと一勝できれば大関復活だったわけで、
いろいろな意味で要領の悪い力士だったねえ。
気がつけばちゃっかりとカド番の場所を8勝
で切り抜けている大関(しかも8勝目の相手が別の大関)が多い中、
大受の不器用さがいじらしかった。
173 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 04:40:15
>>167 北の湖は中学生のまま相撲取りになったんだよね。当時の法律の規制で
日曜日しか相撲がとれなかった。だから1場所3日の本場所。
それで中学生のうちに幕下まであがったんだ。
174 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 04:46:58
北の湖はその当時から怪童と言われて多くの部屋がスカウトにきたらしい。
で殆ど関取のいない当時小部屋だった三保ヶ関部屋に入ったわけだが、
その理由が確か、相撲部屋見学に上京していたまだ子供だった北の湖に
「北海道は寒いでょう」とおかみさんが手編みの手袋を持たせてくれて
それが嬉しかったからと、どこかの相撲雑誌で読んだことがある。
いい話だと思ったものだ。
175 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 05:48:19
たしか大受が角番のとき、7敗してから北の湖に当てられた一番があったよね。
北の湖が大関を決めた場所か、それとも横綱を決めた場所だったように憶えてる。
そのとき北の湖が遠慮会釈もない、強い勝ち方してさ。昇っていく者と、衰えて去っていく者
との対比が残酷なくらいだった。
176 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:03:10
>175
そういう勝ち負けが全てという無常な世界を北の湖は若い頃から勝ち組の
立場から体験し続けたんだよね。
北の湖が17歳で十両になったときは最年少関取として随分騒がれたが
当時の三保ヶ関親方は、その北の湖の付け人に年が倍ほどある部屋の最年長の
宇久ノ島という万年幕下力士を指名した。
親方は宇久ノ島に奮起を促す意味で付け人をやらせたらしい。
宇久ノ島は幕下筆頭(いわゆる貧乏神)で終わってしまった。
幕下ながら妻子もいて一家の大黒柱だったがとうとう十両にはなれなかったのだ。
相撲というのは厳しい世界だ。
177 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:07:24
>167
中卒の北の湖は大横綱になり今や相撲協会の理事長。
一般世間には、東大をはじめ一流大学を出ながら窓際族に甘んじている
人もいれば、不祥事を犯して世間のヒンシュクを買う人もいる。
学歴は関係ないといえば本当に関係ないね。
一番大切なのは自分に向いている仕事を選択することと、一度決めたら
ひたすら努力することなんだろうね。
178 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:13:06
>>175 憎らしいほど強いといえば今では朝青龍だが、このスレの住人にとっては
なんといっても北の湖だ。
輪湖時代は横綱がアイドルではなかった時代。
どちらも強すぎた。貴乃花や高見山のほうが人気があったよね。
北の湖は態度もふてぶてしかったが、解説者は実は北の湖はとても
好青年で人格も立派と言っていたが、当時は信じられなかった。
オレはTV観戦していつも「北の湖負けろ」と念力を送っていた。
179 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:16:21
1978年の北の湖の輪島や若乃花との優勝に関わる相撲など見ると、勝った瞬間に
いまの朝青龍ほど静まるということもなく歓声はあった。もちろん僅かではあるけど
180 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:20:14
北の湖の非情さと言えば、旭国にとって大関昇進後唯一の優勝のチャンスだった
昭和52年秋場所に、14日目に13戦全勝どうしで二人が対戦し、旭国は鼻血
を出すほど猛然と戦ったが敗れ、全勝北の湖が9度目の優勝。旭国は14勝1敗
で悲願の初優勝ならずだった。旭国は関脇時代に13勝2敗どうしの優勝決定戦
で輪島に敗れたこともある。しぶとい名脇役だったが、悲運だったね。
181 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:34:02
その非情で無愛想なイメージの北の湖が、横綱昇進した夜、実家に電話をかけた。
出てきた母親に「かあちゃん、おれ、横綱になったよ」と小さな声でぼそぼそと
報告していたそうだ。
当時その微笑ましいエピソードを聞いて、へえー北の湖もふつうの
若者なんだなあ、と意外な感じがしたものだ。
182 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:34:15
12日目 北の湖(押し出し)富士櫻
突き押し相撲の富士櫻、この最強の横綱に、策を練り練り立ち向かう。立つなり右へ変化して、
腕のつけ根を突き落とし、この手で揺さぶる筈だった。先刻承知と北の湖、富士櫻のいる方向へ、
烈しく雄々しく凄まじく、左でかち上げ両筈で、ドドドとばかり突っ走り、向正面まっしぐら。狙い打た
れた富士櫻、あっという間に後はなし、 2秒も持たず追い出さる。横綱あまりに強すぎて、客の口
から一語も出ず、しんとばかりに静まった。正面実況アナウンサー、「強い」と一つ吐き出して、
まさに心(しん)から驚いた。
183 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 07:53:11
>>182 大鵬は相手の力が3なら4、5なら6出して勝ったという(江川みたいや)
が、北の湖は相手が3だろうが7だろうが自分が10なら10全部出して
勝つところがあったんだよね。
ぶつかったらしゃにむに出て投げたのか押し出したのかわからないくらい
とにかくふんづかまえて倒すといった印象だったなあ。
離れてもよし、組んでもよしで、相手力士は大変だったと思う。
オレの記憶では、栃剣だったと思うが、とにかく栃剣が必死で突き押し
で攻めるが、北の湖はほんとに文字通り微動だにしない。
栃剣に攻めるだけ攻めさせて疲れたところをドッと押し出した。
同じ一門だから稽古場でさんざん手の内を知っていたということもあるし
栃剣は横綱にはかなわないというあきらめもあったのだろうが、
結びの一番であれほど力量の差が最初からある取組みは初めてだった。
184 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 08:11:44
>>180 >>181 強くて情もあるが手も抜かない、それが北の湖。
貴乃花初優勝がかかった場所で北の湖がファンの期待を裏切って本割で
堂々と貴乃花を破って優勝決定戦へ持ち込み、貴乃花ファンを心配と恐怖の
どん底に陥れた。
このときばかりは国家ぐるみで八百長をしてでも貴乃花に勝たせたいと
思ったのはオレだけではあるまい。
幸い、北の湖が負けてくれて貴乃花、涙の初優勝。
史上最大規模で座布団が飛び交った。
北の湖、ワザと負けてくれたんかな・・・と一瞬思ったが
取組後のインタビューで北の湖は「全力を尽くしましたが負けました。
力を出し切ったので悔いはありません」と答えていた。
ただ強いだけの横綱だったらこんなセリフしらじらしく聞こえるところだが
北の湖の口ぶりにはごく自然で誠実さがあらわれていた。
やはりいろいろな意味で大力士だと思う。
185 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 08:27:40
あのとき貴ノ花が両前ミツの格好で西へ寄り立てた。あのとき北の湖の体勢は
たしかに悪かったが、左手が全然使えていなかったな。右はどうなっていたのか、
わからなかったけど。あの左手の無策ぶりに「わざと負けたのかな」と
一瞬思ってしまったのだが…
腰が完全に起きていたから、左から絞ることもできなかったんだろう、と
今では思っている。
186 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 08:28:29
>>184 北の湖はあの大一番を振りかえって
「私は負けた立場でしたがみんなが待ちに待った優勝という感じでした」
と記者に答えている。
その言葉にはどことなく不器用だけど大相撲を愛する気持ちが滲み出ていて
北の湖らしいと思った。
187 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 08:41:20
>>185 本割と決定戦は明らかに相撲内容が違ってた。
本割は北の湖、決定戦は貴ノ花とまことしやかに
ヤオ疑惑が流れたようである。
188 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 09:41:57
昔も今も輪島ファンだが、いつだったか引退間際の北の湖のドキュメントを見た。
引退間際、北の湖は8勝7敗や休場が続いた。
北の湖はとても悩み、横綱とは何か、どうあるべきか自問自答する姿は立派だった。
それを見て北の湖の誠実な人柄が好きになった
輪島のライバルが北の湖で良かったと思う
189 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 09:45:41
>>184 平成13年1月場所に感じが似てるよな。やはり武蔵丸は
北の湖の匂いがする
190 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 10:22:06
>>185 確かに北の湖は巨体なのに器用でスピードもあったから巻き替えも早かった。
ヤオかどうかの疑惑は藪の中だが、北の湖が決定戦も勝って逆転優勝していたら
国技館はファンが怒って暴動が起きて炎上していたかもしれん。
191 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 10:24:21
>>189 武蔵丸・・・強いんだけどピリッとしたところがないんだよねえ。
ハワイの陽気さが裏目に出ていたような気が。
>>185,190
北の湖はアガリ症だし、自分が勝ったら暴動が起きかねないと直感した瞬間に
身体が思うように動かなくなったんじゃないかな。
193 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 11:04:13
>>189 そんな印象は欠片も無かったな。
北の湖と武蔵丸じゃ格が全く違う。
194 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 11:15:11
北の湖が勝っていてもさすがに暴動までは起きなかったと思いますよ。
貴ノ花が勝ったからあれだけの騒ぎにはなりましたが
北の湖が勝っていたら落胆・諦めと共に両者への大きな拍手でも
巻き起こっていたのではないでしょうか。
当時の相撲ファンは、そこまで常識はずれではないと思います。
一時期の新日本プロレスの逝っちゃってるような客層とは別だと思う。
195 :
144:2006/02/05(日) 11:17:12
>>163 全盛期ずれてても「輪湖時代」ていう言い方はオレは別におかしくないと
思うよ。輪島の時代が始まってから北の湖の時代が終わるまでの間を
相撲史の中での「輪湖時代」ていう位置づけでいいんじゃない?
オレはそういう解釈だったけど。何よりも同時期に活躍してたんだから。
栃若だって全盛期ずれてたし、谷風小野川もだ。
梅常陸は地力に差がある。太刀駒は言わずもがな。
それを考えたら輪湖のがよっぽど実力が拮抗してたと思いますが。
197 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 12:15:00
>>175 それと類似した例が昭和55年初場所の北の湖対貴ノ花戦。北の湖は
14日目現在11勝3敗で優勝絶望の状況だったのに対し、貴ノ花は
7勝7敗で角番のピンチになっていた。しかし北の湖は貴ノ花に容赦
なく勝ち、貴ノ花が来場所角番になってしました。その時NHKの
杉山アナウンサーが「勝負は無情です。」と言っていたのが思い出
深い。こういうときは、普通優勝争いに関係の無い力士は、角番の
ピンチを迎える力士に対して手を抜くものだけれど、北の湖はそう
いうことをしなかった。ある意味で北の湖は、偉大だなと思った。
198 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 12:36:39
輪湖全盛時代千代の富士は十両から平幕下位の力士だったが美しい四股と筋肉質の体と二枚目で人気があった。来るべき千代の富士時代の萌芽と言う意味でも輪湖時代は興味深い。
199 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 13:41:54
>>173 中学生力士の問題が出た昭和46年九州では既に十両に上がってたけどね
200 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 14:29:04
>>165 よくコピペでみる土俵下の審判の九重がやおら羽織はかまを脱ぎ、
その下からは筋肉質の体とまわしが・・ってリアルで勝治はやったのか・・。
すごすぎ。確かに引退して数年後に関取になる前の満と福祉大相撲か何かで
土俵に上がっていた。
201 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 14:55:55
>>200 165は実話。稽古場の話だけどね。
まわしをしめた二子山は引退して10年はたっていた頃。
いくらなんでも親方にケガさせちゃいかんと気を使った輪島は
後輩の荒瀬に行けと命じた。その荒瀬はマジで親方にぶつかっていった。
土俵際までは持っていけるが俵に足がかかった二子山はそこから
後退せず、逆に荒瀬がぶんなげられた。何回やってもその繰り返し。
輪島が直接ぶつかったかどうかは失念したが、
いずれにしろ、初代若乃花は引退後10年たっていてもやたらと強かった。
それ以後、輪島はことあるごとに二子山に一目おいた。
なにしろ輪島のことだから巡業でも稽古をさぼりまくるが、それを見た
当時、巡業部長になったばかりの二子山は「ゴルラア、ワジマァ!!」
と雷を落とし、その瞬間輪島は直立不動になって慌てて稽古しだした
と当時の相撲雑誌に書いてあったよ。
202 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:04:42
かわいそうだったのは貴乃花。現役当時からずっと兄の初代若乃花と
なにかにつけて比較されていた。
貴乃花は細身の体ながら正面からぶつかり全力を尽くす相撲だが
いつも土俵ぎわまでせめこまれるから、見るほうはいつもハラハラしていた。
クンロク大関だといつも批判されてたしね。
兄の若乃花も細身でいつも土俵際まで追い込まれるものの
そこからテコでも動かず逆に相手を切れ味よくぶん投げていた。
弟のほうは、ハラハラの後、なんとか勝ってホッとしたものだが
兄のほうは、ハラハラしても、その後スカッとした。
ハラハラホッとハラハラスカッ、この差が大きいと言われていた。
203 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:04:57
>>184〜
>>186 あの頃は、まさに輪湖時代に入ろうしていた時期ですよね。
視聴率50%超えしたこの取組みは、俺も覚えてる。
大相撲であれだけ座布団が乱れ飛んだのは、後にも先にもないんじ
ゃないですかね。優勝決定戦で負けて引き上げる時に、北の湖が
「天井が見えなかった」と言ってたしね。
あの日は、日本中が半官びいきのように貴ノ花の応援したな。北の
湖は適役にまわされてたんだけど、彼自身は、全然気にもならなか
った、自分は自分の相撲をとるしかないし、それでいいのだと思っ
ていた、と言い切ったところが彼の偉大なところですね。
204 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:09:15
しかも若い頃は親方の弟ということで兄弟子からは
陰に陽にかわいがられるわ、勝治からは兄弟の縁を切る
といわれるわ、容赦ない扱いを受けたんだろ。
満が花籠部屋に行きたいといえば、行けたのかな?
むしろ勝治も何が何でも入門を断って、花籠に入れたほうが
満にとっても幸せだったのでは?
205 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:18:42
>>203 貴乃花の人気はすごかったよね。
同時に大関昇進したライバルの輪島はさっさと横綱になり、
後から出てきた北の湖もあっという間に横綱になり、
ダメ押しは、貴乃花が大関の頃、新弟子だった下山が若三杉となり、
大関になり、横綱になった。
その間、ずっと貴乃花はクンロク大関だったからねえ。
短命でいいから横綱にさせたかった。
206 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:21:59
このスレ、荒らしがなくて良スレですねえ。
輪湖時代のファンは今、40代〜50代くらいですか。
本当に当時の相撲を懐かしがっている感じを受けます。
207 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:32:55
>>205 貴ノ花といえば、「きわどい相撲」のイメージがある。
天性の足腰のしなやかさで、攻められても残すんだよね。
立合いは逃げも隠れもせず、常に真っ向からぶつかっていく正攻法。
「残った、残りました」ってアナウンサーに言わせるのが真骨頂。
208 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:33:24
気持ちはわかるが、貴ノ花は大関でいいんだよ。@平幕相手にいつもハラハラさせられる
Aデカい相手に正面からぶつかる
B勝っても負けても滅茶苦茶頑張る
だからクンロク大関だろうとファンがいた
惜しむらくは貴は内臓が弱くて煙草好きだから太らなかった。後20キロ体重があればね
209 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:35:36
ライバルは?と聞かれて北の湖は特定の力士名をあげず、
自分以外の全てがライバルと言っていたのに対し、輪島
はハッキリと北の湖の名をあげていた。北の湖の全盛期
は輪島はやや盛りを過ぎていたが、自分の心を奮い立た
せるためあえて北の湖をライバル視していたのだろう。
興味深い両者の言葉である。
210 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:37:07
当時は高見山VS輪島も盛り上がったね。
輪島は小兵力士の扱いはうまかったけど、どういうわけか高見山は苦手。
対戦成績も五分五分だった。
高見山ののど輪攻めで輪島が一直線に押し出されるというパターンを
何度か見た。
211 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:41:31
>>201 そういう話聞くと、栃若時代は軽量だから後の時代では通用しない
というような意見もグラつくな。
少なくとも初代若乃花は全盛期だったら輪湖時代までは一級の横綱として
君臨出来たんじゃないだろうか。
212 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:47:40
>>197 貴ノ花が大関在位中に唯一皆勤で負け越した場所ですね。
>>208 そうですよね。でなかったらあれだけ人気も出なかったでしょうから。
214 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:50:55
あの頃の力士のCMシリーズ
♪ゆ〜ゆ〜ゆ〜づきたべましょう〜ゆ〜ゆ〜ゆ〜づきかまぼこだ〜
by若乃花U
215 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:57:05
>>210 オレも、この対戦好きだったな。
俺の中で、華がある対戦だった。
216 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 15:58:10
>>213 安馬は確かにその通りなんだけど、つらがまえがふてぶてしい感じがするよね。
貴乃花は悲壮感をただよわせていたんだ。
そのあたりが違う。
217 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:02:12
貴ノ花は北の湖を二度吊り出してるが、よく知られた有名な一番は対横綱北の富士!
貴ノ花が土俵中央で後ろに反り返って北の富士の右手が土俵に…
行司は貴ノ花に軍配。物言い。結局、行司差し違え、北の富士の右手は庇い手。貴ノ花は死に体
審判と行司が激しく揉めたねー
218 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:03:18
寺尾が大関の力を持ってれば、もしかしたら貴ノ花的存在になれてたかも知れない。
219 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:08:39
>>215 高見山・・・いろんな意味で日本の相撲の功績者だと思う。
初優勝を決めたのが千秋楽の旭国戦。
もちろん、最初で最後の優勝のチャンス。
無我夢中で相撲をとって幸い勝つことができたと本人が後に述懐しているが
ビデオを見てもそんな感じ。
優勝したときのインタビューで、「目に涙が・・」と新聞記者に問われたが、
「コレハ目カラ汗ガ出テルダケダヨ」と言い張った。
その高見山も40歳を前に急に衰えた。
十両の下まで落ちて最後は3勝12敗かなんかだったんじゃないかな
病後の稽古不足で足が異様に細かった。痛々しくて直視できなかった。
引退が決まっていた場所だがそれでも千秋楽は全力を尽くして勝ちをとりにいった。
だが、足が前に出ず引き落とされた。本人は悔しがって土俵をコブシでたたいた。
負けて最後に花道を引き上げるとき、ファンから花束を贈呈されていた。
オレはそのとき、ああ輪湖時代は終わったんだと思った。
220 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:17:28
まだ北の湖現役だったのに?
221 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:25:47
>>211 輪湖時代は当時それなりに批判にさらされていたんだわ。
栃若時代の力士は気迫があったが、今はそれがないとよく言われていた。
確かに栃錦なんかは土俵上の仕切りで相手をにらみつけていたが
土俵を降りるととても温和で、ファンが栃錦に会った時、
「アンタは顔がやさしい。栃錦じゃない」と言った。
若乃花に至ってはオニそのもの。
一緒に大関に昇進した松登がカド番で7敗していたが、対戦した
若はかまわず松登をぶっとばして大関陥落させた。
体重なんか関係ない。若乃花は軽量だったが頭をつけることはせず
重量級相手でもがっぷり四つに組んでぶん投げていた。
222 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:29:15
>>218 寺尾はハンサムで細身という意味で似ているね。
四つ相撲を身に着ければよかったといつも思った。
223 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:33:04
>>221 今、北の湖vs千代の富士vs貴乃花vs朝青龍のスレがあるけど
もし昭和53年頃に2ちゃんが存在してて、若乃花vs大鵬vs玉の海vs北の湖
なんてスレが存在してたら白熱しただろうね。
224 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:44:23
初代若乃花も「土俵の鬼」て呼ばれてたけど、土俵外ではやっぱり
柔和な人柄だったらしいよ。若乃花も煙草好きだったんだけど、
場所中国技館近くの煙草屋さんによく買いに行ってたんだけど、
そこの10歳ぐらいの店番の子供にとても丁寧な態度と言葉遣いだったらしい。
あまり有名な話じゃないかもしれんけどそういう逸話を聞いたことがある。
225 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:48:43
226 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:50:44
>>223 数字上の成績と力士の格というのは比例しないことがある。
相撲内容につきるんだわ。
大鵬や貴乃花は負けない相撲だったと思うけど
若乃花は勝ち方がすさまじかった。
相撲の決まり手は「呼び戻し」というヤツだったんだろうけど
リアルで見た限りでは殆ど、プロレスのボディスラム。
相手力士がたたきつけられた衝撃で土俵の砂が舞い上がる感じ。
そこまでしなくても・・・という印象。
記録上の勝率とか勝数からはこういう凄みは見えてこないんだ。
227 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:54:36
昭和57年1月発行だから発売は昭和56年12月?の
「昭和の名横綱シリーズ12 初代若乃花」という本があるんだけど
この中で元・大晃が若乃花の強さに関して
「今の横綱大関と強さが違った若乃花関だった」と語っている。
おそらく輪湖以降ひとまとめにして、もしくはもっと以前、北玉辺りも
頭にあったのかも知れないけど、そういう発言がある。
と、ここまで書いてスレ違いなことに気付いた。
ヤケクソで送信。
228 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:56:15
>>226 スレ違いだけど激しく羨ましいです。
俺は初代若乃花をリアルタイムで体感したかった。
229 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 16:56:23
>>226 貴殿の意見にハゲ同。
柏戸もここではよく叩かれるけど、
彼の真一文字に足をそろえて寄る相撲は、数字には
表せないすごさがあった。相手力士もろとも土俵下に落ちるあの豪快さ。
初代若乃花の呼び戻しは相手を土俵に叩きつけるというか、
埋めてしまうかと思うほどの凄みと強さがあった。潮錦とか鳴門海といった
若乃花より軽量の力士がよく喰らっていたけど、あんな豪快な勝ち方
はいまではまず見られないだろうな。そこが名横綱たるゆえんだ。
230 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 17:16:33
>>225 この間も書いたけど、そこは「輪湖時代はレベル低い」「北の湖はあの時代だから
通用して」っていう意見が目立つんだよねぇ。2chdから別にどんな意見言っても
いいし、オレは今もそっちにもいるんだけどね。
231 :
230:2006/02/05(日) 17:18:21
×「北の湖はあの時代だから通用して」
○「北の湖はあの時代だから通用した」
232 :
230:2006/02/05(日) 17:19:33
×2chdから
○2chだから
間違いだらけでスマン
233 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 17:44:39
同文書院発行「大相撲この一番」に収められている、
小出昌弘氏が選んだ勝負はこのスレに何度も出てきてる52年名古屋の輪湖戦。
一度皆さんも読んでみては?面白い本なので。
234 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 22:03:42
そういえば今も続いている人気スポーツ雑誌のNumberの創刊号あたりに
晩年の苦闘する北の湖を取り上げた「がんばれ!北の湖!」の号があった。
そこで北の湖の人となりや両親の談話など盛りだくさんの特集だった。
235 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 22:07:55
>>230 最近は現代厨がいなくなってなかなかいい流れには
なってきたけどね
236 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 22:46:03
>>234 晩年の北の湖は、若嶋津や大寿山にだいぶカモにされていたのが全盛期を
知っている身としては、見ていてつらかった。全盛期だったらおそらく
これらの力士に対して寄せ付けなかったと思う。晩年には、苦手力士が
増えて引退間近なのかなと寂しい気持ちになったのが今となっては、思い
出深いです。
237 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 23:11:21
>>234 北の湖といえば、今は亡き北出さんが書いた犬ネタを思い出すなぁ。
何でも、北の湖は犬が苦手で、子犬でも逃げ出したくなるんだそうで。
で、横綱時分、とある店に土佐犬がいたので、逃げ出したかったが、
横綱なのでそうも行かず、犬に対して睨みを利かせて一言。
「この犬向こうへ持って行ってくれ」
238 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 23:22:05
>>214 ソースわかみすぎ〜♪(キッコーマン)何てのもあったね
>>234 それ今でも保管してある。確か1983年だったと思うけど。
北の湖が子供を肩車してる表紙ね。
239 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 23:26:21
>>165 その話、子供の頃の少年誌に輪島物語という漫画が特版で入ってて読んだ事があります。
たしかその出稽古がきっかけで二人は仲良くなったんですよね。
その漫画には輪島の高校時代のスパルタ稽古(真冬のグランドを足首まで雪にハマリながら
兎跳び、食事は毎晩吐く寸前まで食べさせられた等・・)も描かれたのを覚えています。
>>221 子供の頃、初代若乃花が引退した後テレビの番組で、現役時代はいつも相手をぶっ殺す(または
殺すか殺されるかだったかな?)という気持ちで本場所の土俵に立っていた、みたいに懐述していた
のを観て、あの小さな体で横綱を張るということは、やっぱり半端な気の強さじゃないんだなー
と幼ながらに感心した覚えがあります。
240 :
待った名無しさん:2006/02/05(日) 23:32:25
新国技館が開設された頃、TBSの「素晴らしき仲間」で栃若対談が放送されて
その中でも初代若乃花(当時・二子山)の「ぶち殺したるー!!」は話題になってた。
241 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 00:10:30
花田が当時の最年少で幕下に上がって、若乃花の実弟ということで話題になった時、
たどたどしく
「大鵬はたしかに強いけど、相撲の上手さは親方(=初代)がずっと上だと思う。
吊ろうとするとサッと外掛けにくるし、自分が外掛けにいくとサッと内掛けで
切り返してくる」
みたいに語っていたね。
今思うと輪島や千代の富士との相撲で吊られそうになった時とっさに外掛けで
凌いでたのは初代との稽古で体が覚えたものかもしれないね。
ちなみに幕下時では初代に全く歯が立たなかったそうだよ。
242 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 00:23:27
若乃花のCMの存在については完全に忘れてた。
懐かし杉
243 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:01:13
栃若時代は個性派力士が多かったらしいね。むろんリアルでは見ていないので、伝え聞きだが。
弾丸房錦とか、潜行艇岩風とか、リャンコの鶴ヶ峰とか。少し後だが起重機明武谷もいた。
輪湖時代でも、ピラニア旭国みたいに二つ名で呼ばれる個性派が健在だった。
今は個性が強いのはモンゴル勢だね。日本人力士におもしろい人材がもっと出て欲しい。
今日本人で個性派として注目を浴びている力士というと、まずは情念系だからなw
高見盛に北桜と。
あとは四股の綺麗な片山くらいか。
稀勢の里、琴奨菊、普天王あたりは「ホープ」ではあっても「個性派」ではないからねえ。
245 :
☆ 略 ☆:2006/02/06(月) 01:13:29
個性派など、相撲の本質から見れば単なる外道にしか過ぎないのである。
246 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:18:16
>>240 栃若と輪湖は時代の違い、当時の文化の違いも反映されていると思う。
栃若時代はまだ戦前をひきずっていて、力士たちもまずは食うために
強くなろうとした。記録とかそういうのはある意味気にしてなかった。
食うか食われるかだから、力士同士が仲良しという部分は薄かったんじゃないかな。
輪湖時代はいい意味でも悪い意味でも力士に余裕ができて
皆、お友達みたいになった。大関もなぜか全員、千秋楽8勝7敗で
勝ち越しているみたいな大関互助会みたいな文化もできて・・・
247 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:21:17
北の湖は組んでよし離れてよしだからともかくとして、輪島からして大変な
個性派だものね。あそこまで強くなくても、あのタイプが三役あたりにいたら、
今の相撲が質的にもぐっと深まるし、おもしろいと思うよ。あと上がってきた頃の貴ノ花。
解説の玉の海さんに「わしらでも、あれの相撲だけは見たいと思うからな」と言わせたほどだ。
富士桜、麒麟児も今いてほしいな。
248 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:24:18
>>246 いや、でも、星数合わせは別にして、相撲なんてものは土俵に上がったら
相手を殺してやるくらいの気迫がないと勝てないもんだと思うよ。
それを実際に言葉に出すかどうかはまた別の問題だけど。
俺は相撲はやってないけど、別の格闘技やってた時は
自分の普段の性格も相手の人格も消し去って、とにかく相手を潰すことだけ考えてたもん。
相手を人間と思わないくらいでちょうど良いんじゃないかと思ってる。
249 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:32:20
>>225 そういう意味では数字上の比較というのは限界があるね。
優勝回数24回、連勝32という数値は北の湖の強さを示していない。
その半分程度を示しているというイメージだなあ。
柏戸に至っては優勝回数が5回という記録だけで語ることにはムリがある。
佐田の山なんかは7回優勝しているが、佐田の山のほうが強かったと
いうやつなぞ、一人もいないはずだ。
無敵の大横綱大鵬が胸をかりれる唯一の力士が柏戸。その柏戸が大鵬を
あっという間に一直線で土俵の外へ寄り倒す・・
というパターンがよくあった。
250 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:36:50
輪湖時代の大関だった貴ノ花・三重ノ海・旭國の三人の仲が良かったのは、
有名だけれど当事は、互助会的雰囲気は、無かったよ。切磋琢磨して横綱に
上がろうという雰囲気があったよ。結局三重ノ海だけが横綱に昇進した
けど。大関の互助会的雰囲気が生まれたのは、若嶋津・朝潮・北天佑が現役
だった昭和60年以降だと思うけどね。
251 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:48:03
>>249 佐田の山は、優勝6回。ただし平幕優勝が1回あるけど、下位で三役力士
一人としか対戦しないという本当に幸運な優勝だった。
252 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:48:43
>>243 りゃんこは信夫山です。
他には荒法師玉乃海、白い稲妻北の洋、両差し名人鶴ケ嶺、
重戦車・ダンプ・ライス・マンボの松ちゃんこと松登、南海の黒豹琴ケ濱、
疾風枯葉を巻く三根山など。
輪湖時代でさえ、個性的な力士が少なくなってきたと言われ始めていた。
253 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:56:47
>>252 輪湖時代は、今と比べても個性派力士が多かったよ。
254 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 01:59:58
>>253 そりゃ今と比べたら断然多いさ。
ただ栃若よりは劣るんじゃないかと。
個性派が明らかに減ったのは千代時代以降だけどね。
255 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 02:01:50
>>254 個性派力士が減ったのは、力士の大型化とも関係しているだろうね。
256 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 02:09:35
輪島は、高見山・黒姫山・二代目豊山などの大型力士に苦戦していたけど、
旭國・鷲羽山・北瀬海などの小兵力士や栃赤城などの半端相撲に対しては、
絶対的な強さを持っていたな。
257 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 02:16:16
>>256 黒姫を苦手にしてたっけ?北の湖は苦手にしてたけど。
258 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 02:30:16
>>257 黒姫山は、輪島に7勝しているし、北の湖だけでなく他の上位にも
強かったわけだから上位にとって厄介な存在だったろうね。
259 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 02:39:41
豊山は大型というほどではないのでは?それはともかく、貴ノ花にからきし通じない
豊山が輪島戦になると別人のようにがんばるのは、不思議だったな。
やはり学生時代の日大・輪島vs農大・長浜に気分が戻るのだろうか。
260 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 02:42:54
>>250 大関互助会は輪湖時代以前から存在した。
そして当時も7勝7敗の力士は当然のように千秋楽には勝つことが多かった。
261 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 03:01:27
この時代、文化放送では「大相撲熱戦十番」を放送していた。
実況の戸谷真人(まこと)アナは
「黄金の左の輪島」「活火山の右の北の湖」
と評していた。
262 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 03:37:04
>>255 そうそう。力士が個性的である、ないという議論は主観的なもの。
自分が一番熱中して観戦していたときの相撲が一番個性的と思えるはず。
今だって外人力士がたくさんでてきてモンゴル勢が多彩な技とスピードで
場所をもりあげてくれている。
輪湖時代にも技が単調になったというのは、やはり体重が増加傾向にあったから。
昔よく出た内掛、内無双、二枚蹴りという技が減りだしたのは体重増加と
無縁ではないと思う。
263 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 03:45:46
いいですね、このスレ。
自分は68年生まれで73年位から観てるけど、確かにこの時代は素晴らしかった。
皆さんの言う様に数字が全てでは無いですね。
今の朝青龍は確かに強いと思うが、他の力士が腑甲斐ないと言うのもあると思いますね。
輪湖時代の横綱大関は下位に強い事も多く、星の潰し合いがある迄みんな全勝なんて事もあった様な?
だから優勝ラインは殆ど14勝以上だった。
あれだけの面子の中で、年間82勝の北の湖は朝青龍よりやはり凄い。
全盛期が憎たらしい位強かったから、晩年の衰え方はかわいそうでチョット好きになった。w
264 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 03:47:09
(())
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(/ ~^^^^^~^^~ヽ )
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/ | どなたか | \/
| 拾ってください .|/
265 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 05:22:32
大錦がいきなり三賞独占の大活躍したのは、北の湖の晩年でしたっけ?
のちに大錦小錦とか言われていましたが…記憶違いならご容赦
266 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 05:31:35
大錦は昭和28年生まれ、北の湖、若乃花と同じ花の二八組だったと思います。
だから新入幕での三賞独占は二十歳くらいのとき。最初の金星は琴桜から。
千代の富士、双羽黒時代まで幕内にいましたね。
267 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 07:19:29
スレ違いだけどここに登場してる年代の人なら覚えてるかも・・・
確か玉なんとかっていう四股名の力士が(曖昧な記憶でスマン)、初日から
ずっと連敗で0勝14敗で迎えた千秋楽、寄りきりで初白星をあげたことが
あった。相手を土俵際まで追い込んだ時は場内大声援でようやっとっていう
感じで寄りきった瞬間まるで優勝が決まったような大歓声だった。
勝ち名乗りを受ける時ちょっと涙ぐんでいて見ていたオレも思わずジーンと
なってしまった。かなり前だけど覚えてる人いませんかね。
268 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 14:26:53
>>267 悪いが覚えていない。自分でググッてみた?
269 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 14:42:12
昭和56年春場所に、西前頭4枚目玉ノ富士が13連敗で14日目に初日を挙げたことがある。
結果は1勝14敗だった。関脇での実績も豊富な玉ノ富士のほとんど引退間際のこと。
現片男波親方。ちょっと状況が違うけど、これのことかな。
270 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 15:38:24
>>267 ぐぐってない。まず自分でぐぐって見るべきだったね。
>>269 どーだろ・・・オレが見たのはもう少し後の年だったような気がする。
四股名は玉ノ富士だったかもしれん。確か初日出したのは千秋楽だったような
気がするんだけど。どっちにしてもぐぐってみるわ。サンクス。
271 :
267:2006/02/06(月) 15:55:12
>>269 どうもそれっぽいね。昭和56年か・・・もう2・3年あとのような
気がしてたんだけどなぁ。それに14日目か・・・千秋楽だとばかり
思ってた。その年の11月限りで引退したんだね。人間の記憶なんて
あてにならんもんだね。千秋楽で初日出してればもっと劇的に盛り上がった
かもね。本人はそれじゃ困るだろうけど。
【波乱万丈・龍虎】
大鵬、北の湖を破ったことがある龍虎、波乱万丈である。
最高位・小結。46年九州アキレス犬切断。50年初小結。50年夏またアキレス犬切断、引退。52年廃業
引退後は某グルメ番組で大活躍!
弱いのか強いのか良く分からない力士だった
273 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:20:27
当時は子供だったから玉ノ富士とか玉輝山とか「玉」の付く四股名は
キャンタマを連想してしまってカコワルイなーと思ってた。
自分がもしも将来、お相撲さんになるようなことがあったら
絶対そんな四股名を付けられるような部屋にだけは入りたくないと思ってた。
あと、大鷲という四股名は大足と聞こえてしまい、変な名前だなと思ってた。
逆にカコイイと思ってた四股名は若獅子。
ほとんどチラシの裏的書き込みですが。
274 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:25:28
>>273 玉ノ冨士はいいとして玉輝山は読みが。たまき(ん)やまだもんな。
(´・ω・`)スマソ
275 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:32:34
昭和56年春場所と言えば前場所の貴ノ花に続き横綱・輪島と大関・増位山
が引退。彼らの引退と引き換えに千代の富士が新大関。千代の富士は、新
大関で11勝4敗の好成績を挙げた。なおこの場所の優勝は、北の湖が14
勝1敗で21回目となった。北の湖が苦手だった当時前頭筆頭の朝潮との
割りが組まれなかったことで協会がマスコミや好角家から批判された。
276 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:39:31
割りの異常事態と言えばこのスレ的には微妙だけど
何と言っても昭和59年秋場所でしょ。
前場所全勝優勝して綱取り場所だった若嶋津が
小錦、多賀竜の活躍によって対千代の富士戦が無くなってしまった。
277 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:44:49
>>276 昭和59年秋場所当時の朝日新聞に昭和56年春場所の北の湖と朝潮の
割りが組まれていなかった反省が生かされていないと批判記事があったよ。
278 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:51:23
>>269 玉の富士けっこう人気あったね、自衛隊出身でルックスもよかったし
話し振りも常識的で・・
引退後すぐ新聞にとある身障者が国技館で親切にしてもらった
しゃがれ声の親方wを探しているとの記事が載って
結局その親切な親方は玉の富士だったという話
鷲羽山、青葉山だとか中堅にもキャラクター満載、いい時代だった。
279 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:53:50
北の湖って吊り出しで負けたことある?
280 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 20:58:13
>>279 貴ノ花や大寿山につり出しで敗れたことがある。北の湖は、晩年だった
せいもあるのか腰の重い大寿山を苦手にしていた。
281 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 21:06:56
>>279 【昭和47年9月9日目】
【昭和49年7月12日目】いずれも吊り出しで貴ノ花に負けてますね
特に49年北の湖は既に大関で2回優勝して、正に横綱を狙う勢い!
ちなみにこの場所は輪島が6回目の優勝を達成しました
282 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 21:15:02
>>276 あの時は入幕2場所目の小錦が快進撃を続けていて、それを阻止するために
14日目に千代の富士をぶつけて、その結果若嶋津との取り組みが
なくなっちゃったんだよね、確か。それだけ協会の親方連中にとっては
小錦は脅威的な存在だったんだと思う。確かにこのスレでは微妙な話題
だけど。けどあの黒船旋風の衝撃は忘れがたいね。
283 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 22:30:09
玉の富士ナツカシス。
結構貴ノ花や魁傑あたりと拮抗した対戦成績だったと思う。
それがしが消防の時に重宝していた大相撲大百科(53,54年頃の)という
手帳サイズながら分厚い本で玉の富士について、一度入門したがあっさり
好成績で馬鹿らしくなってとんずら、那須の自衛隊に入隊し苦労したとの記述が
あった記憶がある。
同書では双津竜が「痔で苦労したがすっかり直ってもう安心」みたいな記事があったw
あと、このスレでも盛り上がる輪湖をはじめ拮抗した横綱対決として、栃若、柏鵬、
北の富士・玉の海と、戦後間もない千代の山・東富士が取り上げられていた。
284 :
待った名無しさん:2006/02/06(月) 22:44:13
玉ノ富士の立派な点は、13連敗しても休場しないで、1勝14敗ながら皆勤したことだよね
ちょっと連敗すると体のせいにして休むより、ずっと価値がある
怪力の持ち主で割り出しを武器にして活躍した
最高位は関脇だね
>>275 その場所の北の湖は13勝2敗だね
(初日●巨砲、7日目●栃赤城)
栃赤城は北の湖戦11回目にして初勝利だった。
286 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 00:31:56
>>285 そうだったですね。間違えてすいません。この当時の北の湖は、依然として
千代の富士を寄せ付けない強さを持っていましたね。私自身もこの当時
北の湖は、絶対力が衰えない横綱だと思っていました。昭和57年以降の
衰退を全く予期できませんでした。
287 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 00:53:17
>>286 それは私も全く予想できなかった。
一度休場して翌場所すぐに復活優勝した時は、
まだまだ北の湖時代が続くかと思っていたが…
288 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 01:12:24
北の湖「辛かった時期は無かったですね。いや、休んでたときだけは本当に辛かった。」
289 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 03:37:11
輪湖時代の軸になった花の28年組北の湖 若乃花2 大錦 麒麟児は理事長を筆頭に全員親方として活躍しているよね。今はある意味協会の軸といえよう。
290 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 05:52:41
>>289 理事は、大ちゃんの朝潮とか鷲羽山とか魁輝だっけ。
まあいい仕事をしてくれればそれでいいんだけど、なんだか小粒になってきたなあ。
輪湖時代当時の親方は、伊勢ヶ浜親方なんかは照国だったように記憶している。
さらに幼少の頃、大鵬現役の頃は、理事長が時津風(双葉山)、
立浪(元横綱 羽黒山)、高砂(元横綱 前田山)など、すげード迫力だった。
記録比較がはやっているようだけど、前田山なんか優勝1回、照国もたったの2回。
だけど、少なくとも北勝海とか旭富士とかよりはるかに強かったんじゃねーの。
当時の高砂浦五郎の前田山といえば、
すげーおっかねー存在に思えたしね。戦前の力士は親方になっても
とにかく威圧感があった。スレ違いスマンが、やはり表面の記録だけじゃないね。
やっぱり輪島が協会に残ってないのが痛いね。
292 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 08:50:59
まだ協会に残ってた頃は確か地方巡業を担当してたこともあったね。
まぁ、経理とかはまかせられないだろうけどw
293 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 09:33:30
自分はあの頃輪島vs北の湖と同じ位かそれと同じ位好きだった
対戦が輪島vs若三杉だったんだけどこの顔合わせで水入りはあったっけ?
294 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 10:21:30
>>293 結構あったと思います。
13戦全勝同士でぶつかった53年九州など。
295 :
待った名無しさん:2006/02/07(火) 23:54:21
北の湖と金城(栃光)の対戦成績は、北の湖の29戦全勝。これは、全力士
の対戦成績の全勝無敗記録である。昭和57年夏場所で北の湖が栃光に
勝って29連勝となったが、これ以後対戦が無かった。北の湖が低迷した
ころ栃光も幕内下位や十両に低迷して対戦する機会が無かった。もし対戦
していたら一度くらい勝っていたかもしれない。栃光は、地力があるもの
半端相撲でこれといった決め手が無かったために北の湖にとって攻めやす
かったのだろう。また出羽一門の稽古で北の湖が栃光の手を知り尽くして
いることも大きな理由になっている。栃光は、下位で大勝するものの上位で
負け越すパターンが続き、上位に定着できなかった。
296 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:05:59
栃光は半身の体勢が得意で腰の重さを利用した相撲だったな。
半身になると必然的にほぼ北の湖に上手を与える型になって・・・
栃光はたしか輪島にも最初の2番くらいは油断した輪島に勝ったものの
その後は連戦連敗だったと思う。
297 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:06:24
今後北の湖と栃光の対戦成績29戦全勝は、誰にも破ることが出来ないと
思う。おそらく最高記録として残るだろう。また北の湖は、荒勢に対して
途中から対戦成績27連勝という凄い記録もある。北の湖が荒勢に2連勝
した後1敗し、その後27連勝し、1敗したもののその後2連勝という
珍しい記録を残している。
初顔の時苦戦した以外は北の湖にとって一番の安全パイだったからね>金城
あれほどの安全パイは後にも先にもないだろうな。
現役では琴光喜がドルジに19連敗しているが、そのうち勝つだろうという淡い期待は抱かせてる分まだマシか。
299 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:18:24
北の湖はもう少しリーチがあればさらに強かったという話を聞く。リーチが
短いせいか、セカンド若乃花などにはよく廻しを切られた。
金城への勝ち数を少し朝潮に分ければいいのに・・・
300 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:20:44
上位に通用しなかった金城はともかくとして、荒勢は、三重ノ海や二代目
若乃花に対して互角の対戦成績を残したのに北の湖に歯が全く立たなかった
のは見ていて不思議だった。
301 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:26:45
北の湖と二代目若乃花は、実力差があったわりに25対18の対戦成績で
結構二代目若乃花が善戦していたなという感じがする。
302 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:29:34
金城が栃光を継いだのは、ちょっと意外だった。先代は渋い玄人好みの力士で、
大関にもなっているしね。それはともかく春日野部屋には良い名跡が多いから、有望な
若手に継がせてほしいと思う。栃木山や栃錦はさすがに継げないとしても、
栃光、栃の海など。
303 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:33:11
>>301 若の大関時代には勝ち越してたんだよね。
304 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:35:37
北の湖にとって若乃花は年間制覇を止められたり、4連覇を止められたりと
結構苦戦した存在。若乃花にとっても、全盛期がモロに重なったのは悲運。
確か53年から54年にかけては「もはや輪湖というより北若だ」という声もわずかに
存在していた。
305 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:43:24
新聞で見た記憶がある。北若時代。
若三杉→若乃花も好きだったけど、輪島ほどの頼りがいが無いというか
輪島の衰えは寂しかった。
306 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:48:36
>>304 というより昭和53・54年は、輪湖よりも北若時代と言われていたよ。
あと二代目若乃花は、旭國・荒勢・富士櫻や後年の巨砲・北天佑など
苦手力士が多く存在したことも周りの印象を悪くした理由かもしれない。
307 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:49:39
輪島も確かに衰えたかもしれないけど、引退直前まで優勝する力が余ってたのは
立派。北の湖にとっては最後まで目標として輪島がいたんじゃないかな。
308 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 00:51:03
>>305 それでも輪島は、衰えの目立った昭和54年と55年に
1回ずつ優勝したのは、立派だと思う。
309 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 01:03:00
確かに若乃花は富士櫻の突き押しをびびってるような印象さえ受けた。
北の湖と輪島の対戦はいつも似た形の左四つになって、胸が合えば北の湖、
崩せれば輪島という感じで、意外と先が読めた。けどとてつもなく高級な
対戦・・・曙貴よりはるかに内容があった。
310 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 01:24:10
そりゃミーハー人気だけの曙貴だもの。
内容なんかより貴が勝つことだけが大事で、それが人気に繋がってた時代。
311 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 01:49:32
輪湖の時代は「中だるみ」とか無かったのが良かった。2人が抜けてたけど、若乃花
や三重ノ海もいたし、常に緊張感があった。千代へのバトンタッチもスムーズだった。
曙貴は、貴が強くなれば曙は故障がちになって、曙が復活しかけたと思うと今度は貴乃花が別人のようになって崩壊した。
武蔵丸や勝氏など、役者は十分だったが、単純に相撲内容で少し劣ってる気が。
312 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 02:39:57
輪湖時代が最も充実していたのは、昭和51・52年でこの2年間
計12場所で輪島と北の湖が各5回ずつで両者が拮抗した時代と
いえるだろう。ただ自分は、当時大相撲よりプロ野球のほうに関心が
強かったからどういう感じだったのかよく覚えていない。当時のプロ
野球は、大半が巨人ファンでたまに阪神ファンがいるといった感じ
だったからね。今みたいにファンが各球団に分散化しているのとは、
大違いだね。
313 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 02:51:59
魁傑もいたことをお忘れ無く。188pと長身(当時としては)を生かした
寄り、上手からの攻めはかなりのものだった。貴ノ花はしばしばがっぷりから
寄り切られて、苦手にしていたね。柔道時代の癖が抜けずに、あっさり負ける欠点もあったが、
強豪のイメージがある。
314 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 02:57:19
>>313 解説者の玉の海梅吉さんが魁傑の腰高の欠点を評した
「未解決な魁傑」という有名な言葉があるね。
315 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 08:29:18
魁傑は50年ごろまでは北の湖にも結構善戦してたんだけど
51年からは全く歯が立たなくなったね。荒勢もそうだけど
役力士二人があまり輪島の援護は出来なかった。まあ、増位山も
似た様なものだけど。あと魁傑といえば53年3月
7日目の旭国との10分にも及ぶ水入り相撲だね。
確か前日も若三杉と水が入って二日連続だったのを覚えてる。
316 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:27:22
魁傑といえば、鮮やかな内掛けを思い出すよ。
増位山、旭国も得意だったけど、魁傑が一番切れ味鋭かった気がする。
高見山に閂に両腕を極められて苦しんでいたが高見山が出ようとした
瞬間にスパッと決められて尻もちをついたのが印象的だったねえ
317 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:30:54
それと、当時の関脇の常連達、玉の富士、黒姫山、荒勢あたりも
いい味出していたね。
最強の横綱2人に大関5人(貴・若三・旭・魁・三重)相手だから
全部負けても仕方ないが負けたらそれだけで7敗で後がない。
そういう状況での8勝7敗というのはすげー立派だった。
318 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:33:02
最近、相撲見なくなったからわからないから今あるか知らないが、
富士桜と麒麟児の場合は、時間前に立つというのがよくあったね。
スゲー時は仕切り2回目でたったというのもあったような気が。
北の湖も黒姫山に時間前に立たれたが堂々と受けて勝っていた。
319 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:36:17
あと、平幕時代の千代の富士。
十両時代が長くて、ガリガリにやせていて投げにばかりこだわっていた。
幕内上位にあがってくれば人気も出るだろうにと思いながら
なかなかあがってこれなくてイライラしたものだ。
気が強くて、仕切りで相手をにらみつけていたが、玉輝山は
一歩もひかずにらみ返すものだから、仕切りよりたったままのガン飛ばし
の時間が長くて観客は大喜びでねえ。
これも仕切り2回で制限時間一杯になったことがあった。
横綱になるとは誰も予想だにしなかった頃の話だけどね。
320 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:39:07
大登という力士もいたね。
大山部屋という弟子が数人しかいなくて、土俵がないという小部屋に
所属していたが、小部屋のハンデも背負いながら小結までいった。
親方(元大関 松登)もカボチャみたいな体で自転車に乗って
チャンコの買出し手伝ったりして、アットホームな感じで
ごく自然に応援したくなったよ。
321 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:44:08
>>301 若三杉は当時、貴乃花に次ぐ人気者で、関脇時代は北の湖とがっぷり四つに
なって堂々と相撲をとっていた。
北の湖「あいつはすぐオレのところ(横綱)にくるよ」と言わしめた。
ただ横綱に昇進したときは、輪島・北の湖に次ぐ3番手だったから
苦労したよね。
北の湖に比べて頼りない感じがしたのは、土俵入りも影響があると思う。
北の湖は拍手を打つときはパーン!、パーン!と力強かったけど
若乃花のそれは、ペチャ、ペチャという感じだった。
322 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 11:47:41
若乃花が苦労したのは二子山親方との関係。
部屋をつがせてやるといって自分の娘と結婚を迫った親方に対して
若乃花は拒否。付き合っていた芸者と結婚した。
それ以降、親方とはぎくしゃくして、ケガもあって、成績が急降下した。
親方になった後も、年寄株の管理方法で出羽の海理事長にたてついたり
して、ソフトな見た目より骨のある男なんだろうね。
323 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 12:17:57
>>316 あの内掛けは柔道の小内刈りだね。柔道癖がマイナスだったが、これは
彼の財産になった。増位山の足技は相手の足にからみつくような粘っこい
ものだったが、魁傑の内掛けはスパッと刈る感じで、鮮やかだった。
324 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 12:38:07
強い力士が何人かいると、お互いの星のつぶし合いで、
お互い、勝率などが多少下がってくる。
その意味で、北の湖と今の朝青龍の記録は、同列には扱いにくい。
325 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 12:47:46
>>324 そうなんだよね。でも回りの力士が弱いのは強い力士のせいじゃないからね。
むしろ強い力士がいない、ライバルがいないのはとてもつらいことじゃないかな。
ここまで書いたら北の富士を思い出した。
ライバルの玉の海が現役のまま亡くなったときの彼の悲しみようは、
普通じゃなかった。弱肉強食の世界だから、自分より強い力士がいなくなったら
やったと思うのがある意味普通だが、北の富士はいいヤツだった。
326 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 14:01:08
>>319 千代の富士が幕内の上位にあがって初めて輪島と対戦した時、
例の調子で睨みつけて輪島を怒らせたてのは有名な話だね。
千代の富士は「土俵にあがったら対等なんすからね」と
言っていたらしい。千代の富士らしいね。
327 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 14:35:39
>>318 確かに富士櫻と麒鱗児の対戦ではよくあったね、裁く行司も緊張していた感があった。
>>322 確か一度は親方の娘と結婚したんじゃ?
入門当時から憧れていた!なんてコメントも書かれていたが、離婚→再婚となった時、コメント嘘だったと判明。
その頃から成績が下降していき、引退も早まっていった。
328 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 15:06:29
ちなみに再婚した女将さんがこないだ亡くなった。若三杉は悲しげな顔が、よく似合う。
329 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 16:17:32
若乃花は輪島と比べて力強いというイメージが無い
上手投げで鮮やかに転がしてるイメージがすぐに浮かぶけど
相手の腰が伸びてしまうような引き付けや豪快につりだすというのは浮かばない
330 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 16:44:35
>>299 北出さんは「手が(異常に)小さい」と書いてましたね。
これも廻しを切られやすかった要因ではないでしょうか。
>>320 漏れは大登時代をよく覚えてなくて、むしろ大飛の方がなじみがありますね。
331 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 16:48:08
若乃花はよく吊り合いしてたけど、吊り出した記憶は不思議と余り無い。
輪島にはよく吊り出されていたなぁ。
332 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 19:15:45
>>327 二代目若乃花は、先代若乃花の娘と離婚したにも
かかわらず現在でも両者の関係は、良好だよ。
333 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 19:31:02
>>313など
魁傑は、北の湖との優勝決定戦で、堂々と突っ張り通して突き出しで勝ったのが今でも鮮明に覚えている。
あれが魁傑にとって生涯で最高の相撲だったと思う。
絶対に横綱になるな、と思ってたんだが・・・
ガチンコ貫き通したのが力士寿命を縮めたのかなあ。
334 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 19:35:01
輪島、貴ノ花時代⇒貴輪(きりん)時代
輪島、三重ノ海、貴ノ花、魁傑時代⇒輪三貴魁(りんさんきかい)時代
一時的だがそんな言葉もありました。
335 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 19:51:40
魁傑と言えば「休場は試合放棄だ」
の名ゼリフ。
336 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 20:01:41
輪湖の他にも若乃花、三重ノ海、貴ノ花、魁傑、旭国・・・・実に役者が豊富だな。
関脇以下でも富士櫻や黒姫山、高見山に麒麟児などの好力士揃い。
けれど、やっぱり輪湖は別格。特にこの時代での北の湖の52年や53年の成績は驚異的だ。
337 :
アレル・ハルバショ:2006/02/08(水) 20:05:12
>>320 大登(=大飛)は三役には上がってませんよ。
まさか、小椋の本名が小結に見えたとか?w
彼は親方になって教習所の教員がすごく合ってるとか。本人も天職だといってるそう。
小沼が怪我をせず上がってきてたらどうなってたでしょうね
338 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 20:26:27
この時代は輪湖決戦以外にも黄金カードがたくさんありましたね
輪島VS若乃花Uも好きな対戦でした。
輪島の力が衰えた晩年はともかく、輪湖に比べると立ち上い輪島が右上手を取るシーンもあった
がっぷり四ツの醍醐味がありました
339 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 20:35:12
>>337 小沼、いましたねー。柏戸の鏡山親方の秘蔵っ子で、期待されていたんだけどなあ。
じつは小沼が突然廃業した事情を知りませんでした。ケガだったんですか?
なんか、急にいなくなって親方が落胆していたのだけは憶えていますが。
蔵王錦より年下でしたっけね。
340 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 20:39:01
入幕2場所目で足首に大怪我を負って幕下まで転落。確か十両までは復帰
したんだけどまたもや大怪我だったんじゃないかな?琴風と似たような
イメージがあるんだけど。
341 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 20:41:38
>>333 1度目の大関に上がった時の肝炎もさることながら、
もっと問題だったのは肘を痛めたことでしょうね。
>>335 角界に残る名セリフですね。
北の湖も昭和56年に初の休場をするまで相通ずるところがありましたけど…
342 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 20:53:51
師匠の魁傑に反して弟子の大乃国は・・・見習って欲しかったですね
343 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 22:00:18
そういえば、魁傑(2度目)と若三杉は同時大関昇進じゃなかったかな?
千秋楽に直接対決で魁傑が勝って両者11勝4敗だったと思うが。
あと若三杉が鷲羽山相手にはりま投げという珍手で勝った一番があったな。
344 :
アレル・ハルバショ:2006/02/08(水) 23:20:11
>>342 スレ違いですけど大乃国も横綱で負け越したのは休場しなかったからだともいえますね。
あと、ガチンコを貫いたから。師匠の教えを守ってるのではないかと。
千代の富士の若い頃を語る方があまりいませんね。
345 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 23:53:53
千代の富士は輪湖時代からの転換期の革命児みたいなもんだC
346 :
待った名無しさん:2006/02/08(水) 23:57:36
さすがの輪湖時代にも衰退の兆しが見え始めた、まさにその時に突如現れた
救世主、それが千代の富士。
千代の富士は偉大な横綱だと思うが、個人的に、輪湖の全盛期なら、例えば30番取って
対北の湖14-16
対輪島13-17
いずれにせよ右上手を引かれたら北の湖、左下手を引かれたら輪島。
千代が前みつを引き、速攻なら千代だろう。
千代は輪湖時代を考えると、脇役としてぎりぎりの世代
348 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 01:40:51
幕内中位から下位を行き来していた頃の千代の富士をみて、後に横綱になると予想した人は
ほとんどいなかったはず。解説者にもそこまで買っている人はいなかったと思う。
足腰がよく、負けん気の強そうな面構えもよかったが、相撲は雑だったね。
110q台だったと思うが、上手を取りに行く大きな相撲を取っていた。「化ける」という実例を
あんなに鮮やかに見せてくれた力士はいないよ。
349 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 01:55:05
>>348 幕内中位から下位の頃だと100`前後だったはず。98`とかいう体重も見た記憶がある。
体が細すぎて、まわしが土星の輪っかのように大げさなものに見えたよ。
350 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 01:58:20
>>344 大乃国は休場しまくってるよ。
皆勤場所での負け越しは体の悪いところがどこもないのに負け越しただけ。
星を買わなかったというのは事実かもしれないけどね。
>>350 休場しまくってるかどうかじゃなく、負けが込んだ時点で休場という選択もあっただろうに
という話だろ。
352 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 02:46:46
既出かもしれないが、輪島が花籠部屋を潰してしまい、弟子を魁傑の放駒部屋に
引き取って貰うときの挨拶。「放駒親方は私と違って人間的にもりっぱで…」
という言葉に、人間として不器用な輪島の哀しさと可笑しさがよく出ていましたね。
相撲はあんなに上手くて手順も理詰めだったのに。
353 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 09:57:23
相撲は不世出の天才、だが処世術にはめっぽう不器用な輪島。
けど、あれだけみんなを魅了して我々ファンを幾度も幸福な気持ちに
させてくれた輪島を一体誰が非難できるか。
354 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 12:11:28
解説に呼べとか言わないから不自然に場所中に組まれる
過去の名場面等で露出を控えるとか止めて欲しいな。
DVDも欲求不満になる位登場少ないし。
相撲協会やNHKはいい加減時間も経ってるし大人の対応を頼むわ。
輪島がいたから国技館も建ったのだからね。
何より輪島(輪湖)特集のDVDは発売求む。
355 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 13:17:43
輪島DVDなら最低でも北の湖、貴ノ花、若乃花との取組は全て収録してほしいな。
勿論、当時の実況解説込みで。
356 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 15:23:44
>>352 >「放駒親方は私と違って人間的にもりっぱで…」
不器用な人の良さともいうべきか、輪島の人柄がよく出てる言葉だね。
親方としての部屋の運営能力が足りなかっただけで、現役時は若い連中に
太っ腹に振舞って散財したり、なかなか見どころがある男だと思うけどなあ。
357 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 19:20:24
輪島は親方になっても弟子より目立ちたがりだったからな。
358 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 22:33:48
>>356 あれは紙に書いたものを「これ読め」と
渡されて、仕方なく読んだと
あとで輪島本人が当時の妻に語っていたらしい。
妻(後に離婚)は「どうしてあんなもの読んだのよ」
と輪島を叱責したという。
359 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 23:00:57
豪放磊落輪島はただでは転ばん!
借金まみれで失笑買った全日本プロレス転向でも同じ時期にガチンコプロレスを
標榜していたUWFの前田、藤原に「これではどっちがガチンコかわからん」と
ゾッとさせたエピソードが元力士の天龍が輪島にえげつないキックを叩き込んでいて事。
天龍いわく「横綱というものがどれほど凄いのかわからせたくて向きになって蹴った」
とんねるずのバラエティでは勝俣あたりに馬鹿にされまくって高速のソリに乗って
クラッシュなど散々な扱いだったものの笑っていた輪島。
ガキのころ輪島ファンだった俺は寂しく腹が立ったが、輪島はそんな小さいこと
気にしない大人物なんだな。プロレス引退後に就任した学生援護会アメフト総監督を
いまでも続けてるみたいだし、若乃花VがNFL挑戦時に相談したのが輪島。
輪島いわく「きついぞ!」とあたり前のアドヴァイス。皮肉ではなく、輪島が
そんなまともなアドバイスしたことに感動w
言うまでもなく土俵でのかっこよさと強さはそれ以上に感動した!
輪島よ、永遠なれ!
360 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 23:12:30
輪島は、親方時代に花乃湖という技能派力士を育てた。あのような形で
廃業しなければ、親方としても名声を博していたかもしれない。金銭
トラブルが今でも残念。
361 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 23:19:54
卒論に輪島は「輪島」とだけ書いて提出した!
プロレスラー転向後、輪島は自主トレに「走り高飛び」を導入した!
輪島のファンは輪島の天然を承知している
チャンコ嫌いでビフテキを食べ、稽古にランニングを取り入れ、金色の廻しを締める
これが輪島だ。未成熟な点もあるが人間らしくて好きだぉ
当時の借金取り曰く
「あいつは学士さんやろ。中卒の俺より物知らんてどういうこっちゃ」
363 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 23:23:49
横綱・朝青龍は、輪島を尊敬して(輪島の)取り口を研究しているとのこと。
364 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 23:31:12
輪島と北の富士は、似てるような感じがする。強い時は、無類の強さを
発揮するのに不調な時は、三役程度の力しか発揮しないところがあるから。
365 :
待った名無しさん:2006/02/09(木) 23:46:24
どっちも遊び人だ。
366 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 00:19:55
輪島って、目立ちたがりで子供っぽいとこもあるけど、どことなく人懐っこい
部分もあり、あんまり不遇だと放っておけない可愛さがあるんだろうな。
馬場さんしかり、学生援護会の会長しかり・・・
俺は、仮に輪島の性格がどうであれ、現役時代あれほど俺を夢中にさせてくれた、
それだけで輪島の全てを受け入れるが。
367 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 01:05:07
別に引退後はいいんじゃないの?
ここは現役時代の輪島を語るところなんだし。
力士としての輪島が自分の心の中に留まってたらそれでよしでしょ。
犯罪を犯して実刑喰らったとかじゃないんだし。
>>361 ところで、人間らしいとよく言うが、人間らしくない人間てどんなのだ?
368 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 02:39:50
>>315他
水入りの話題多いな。
で、その水入りの相撲って大抵行司が正直伊之助の時じゃなかったか?
熊谷庄之助で水入りって記憶にない…
>>360 花乃湖も引退後花籠を襲名したんだけどねえ…
369 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 09:24:15
>>367 オレは
>>361氏とは別人だけど、暖かみに欠けたり、ほのぼのとした気分に
させてくれなかったり、失敗はしてもどこか許せてしまえる雰囲気を
持ってないのは人間らしくないのでは?そういう意味では確かに輪島は
人間らしいと言えるかも。
370 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 10:57:24
私は<<361です↑そういう感じです
確か貴ノ花が優勝した時に、感極まって、二子山部屋じゃないのに旗手を勤めたりね
余り窮屈な形にはまらないよね。人間は誰しも完璧じゃないから
現役時代の相撲は完璧だった
371 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 15:41:47
全盛期の輪島の相撲は精密機械的だったよ。相撲博士旭國が輪島関は自分より相撲が巧いと発言したくらいだよ。ちなみに漏れは基本的には北の湖ファンです。
372 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 16:41:51
オレも北の湖のファンだね。相撲はやっぱりああいう
馬力相撲だと思う。もちろん輪島も嫌いじゃないけど。
>>371 私は輪島と旭国のファンだが、全盛期の北の湖は正に重戦車
恐らく北の湖は歴史上最高・最強の悪役(ヒール)ではないだろうか?
輪島がいたから北の湖が光り、北の湖がいたから輪島が光る。
そして若乃花Uや三重や他の力士が見事な配置で存在感を凌ぎ合っていたね
374 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 17:05:30
軸となる主役 光る脇役芝居の基本線ですよ。輪湖時代はアストロ球団的芝居にたとえるとねw
375 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 17:09:41
北の湖といえばかちあげ
全盛期は格下には殆ど立会いの一発で勝負ついてたな
あと上手投げも強烈だったしもろ差しは許さないし
あわてるクセがなければ何連勝でも可能だったんじゃないか
376 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 17:17:17
三役力士から平幕まで個性と星のつぶしあいで凌ぎをけずってていた輪湖時代、あの素晴らしい時代をまた見たいですよねえ。
377 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 17:36:49
若乃花は10回くらい優勝してもおかしくなかった
力強さがやや足りなかったのと北の湖の存在はよくいわれるけど
皆さんは他に彼に何が必要だったと思うかな?
>>376 そうですねぇ。私も見たいですよ
【輪湖時代回顧録】
DVDで幅広い力士を取り上げて欲しいです
しかし、スレを立てて良かったです。
疲れて帰宅した日や休日に、何気なく開くと、皆さんの様々な熱い思い出がある
それは宝物ですからね!
379 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 18:03:18
>>377 若乃花の23場所連続二桁勝利は、北の湖、大鵬に次ぐ3位の記録。
昭和52年 5月 西大関 13勝 2敗 優
昭和52年 7月 東大関 10勝 5敗
昭和52年 9月 東大関 10勝 5敗
昭和52年11月 西大関 10勝 5敗
昭和53年 1月 東大関 13勝 2敗 次
昭和53年 3月 東大関 13勝 2敗 同
昭和53年 5月 東大関 14勝 1敗 同
昭和53年 7月 西横綱 11勝 4敗
昭和53年 9月 東張横 12勝 3敗 次
昭和53年11月 西横綱 15勝 優
昭和54年 1月 東横綱 11勝 4敗
昭和54年 3月 西横綱 12勝 3敗 次
昭和54年 5月 西横綱 14勝 1敗 優
昭和54年 7月 東横綱 11勝 4敗
昭和54年 9月 西張横 11勝 4敗 次
昭和54年11月 東張横 12勝 3敗 次
昭和55年 1月 西横大 11勝 4敗
昭和55年 3月 東張横 12勝 3敗 次
昭和55年 5月 西横綱 12勝 3敗 次
昭和55年 7月 西横綱 10勝 5敗
昭和55年 9月 西横綱 14勝 1敗 優
昭和55年11月 東横綱 13勝 2敗 次
昭和56年 1月 西横綱 10勝 5敗 次
内訳は全勝1回、14勝3回、13勝4回、12勝5回、11勝5回、10勝5回
この間に優勝4回、同点2回、次点9回。3番手とは思えない安定ぶりだと思う。
380 :
377:2006/02/10(金) 18:23:59
23場所連続二桁は凄い
53年〜55年平均12.3勝は立派
やはり突き押しに成す術なくやられることが
ちょくちょくあったのと千代が急激に台頭してたのと同時に
怪我が多くなってきたのが優勝に縁がなかった原因でしょうな
例えば優勝8回してる北勝海あたりよりは断然上の評価であるべき
381 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 18:36:00
若乃花と北勝海のどっちが上かなんて考えたことなかったけど
そこまで横綱を細かくランク分けしなくてもいいんじゃないでしょうか。
382 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 18:42:04
若乃花の晩年は哀愁が漂っていた。
4回目の優勝のあと、引退までに14場所在位したが、そのうち6場所が休場(引退場所を含む)。
しかし、皆勤した8場所のうち、何と6場所が次点。しかも1勝差が多かった。
57年夏場所は千秋楽で千代の富士との2敗同士の相星対決に敗れた。
翌名古屋場所では、14日目に琴風に敗れたのが響き、千秋楽には優勝した千代の富士に勝った
ものの、惜しくも1勝差の次点だった。千代を会心の相撲で寄り切ったこのときの相撲をなぜ、
前の場所の千秋楽で出せなかったのか、つくづく大事なところで勝負弱いんだなと思った。
この時、花道を引き揚げる若乃花の姿は、勝者にもかかわらず哀愁が漂っていた。
5度目の優勝のチャンスを逃しつづけ、惜しい気持ちをファンに残しながら引退したね。
5回優勝している三代目よりも、優勝回数が少ないのが本当にピンとこない。
私が相撲を見始めたのは
55年頃からだったので
輪島の全盛期はリアルで見れなかったのですが
輪島vs北の湖の一戦は
テレビの前に、かぶりつきでした
後、55年一月場所の三重ノ海の
全勝優勝には驚きましたね〜
そう言えば青葉山の顔は
サザエさんのあなごさんみたいな感じだったな〜
青葉城は古武士
富士櫻は突貫小僧(突貫おじさん)
この年代の相撲は見ていて
飽きない取組ばかりだったと思います
384 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 21:07:34
青葉山「左上手をひけば大関級」
青葉城「右上手をひけば大関級」
四つ相撲なので輪島、北の湖には必然的にまわし与えるお客さんだったが、
体の小さい大関勢にはうるさい存在だったな・・・
ただ、二人とも攻めが遅いと解説の神風さんになじられていた気がするw
385 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 22:27:06
>>368 熊谷伊之助の水入りは北の湖が初の全勝優勝を決めた
昭和52年春場所千秋楽の輪島戦がある。
ただ、この頃の水入りはおっしゃるとおりたいがい正直伊之助だね。
386 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 22:30:26
「のぉこったのぉこっ!まったぁー!!」
387 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/10(金) 22:40:11
>>385 その場所に貴ノ花が北の湖に投げつけられた相撲はがっかりした。
久しぶりの優勝かと思ったんだけどだめだった。
388 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 22:48:34
>>387 あの場所貴ノ花は13勝を挙げているんだよね。
秋場所の旭国の14勝といい、横綱陣が高レベルの成績を
挙げたために、大関陣にとっては受難の一年だった。
唯一若三杉だけがその間隙を縫って優勝できたな。
389 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/10(金) 22:56:06
>>388 秋場所の旭国も北の湖にがっぷり四つで寄り切られて、これもまたがっかり。
あれだけ真正面に行ったらだめだろうと思ったけど、北の湖も空気読んでくれれば
いいと思ったけど、これもまた勝負の世界。
でも、あの一番は優勝経験ができなかった旭国にとっては痛恨だった。
390 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/10(金) 22:58:21
逆に三重ノ海は、ふっきれたように前に突進する相撲が冴えて一気に横綱になった。
一気にくるもんだから輪島も北の湖も若乃花もやられっぱなしが数場所続いたのもびっくり。
391 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 23:01:43
52年ごろって三重ノ海はぱっとしなかったよね。
張り差ししたり、猫騙しまがいのこともやってみたり。
誠心誠意土俵を勤める魁傑と貴ノ花、イケメンで実力もある若三杉、
相撲巧者の旭国の陰に霞んでいた気がする。
それが2年後に一気に吹っ切れて、あっという間に引退。
392 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 23:11:09
貴ノ花が北の湖に対しても左四つから引き付けて吊り寄りで攻めようと
してる姿に哀愁を感じていた。腰が浮くところまではいくんだけど・・・
結局最後に足をバタバタさせてもがいてるのはいつも貴ノ花だった。
103キロに170キロじゃねえ。
出し投げとかあれば又違ったんだろうけどそうなったら貴ノ花じゃないしね
393 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 23:11:10
琴桜・三重ノ海・隆の里
394 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/10(金) 23:18:05
三重ノ海の暗黒時代は、スリムではないけど体力負けというか圧力がなかったのか
あっさり押されたりがっぷりで負けてた。
395 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 23:24:03
史上最弱大関になりかけた男・・・三重ノ海
396 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 23:27:48
なってしまった男・・・増位山
397 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/10(金) 23:33:57
>>396 当時は新鋭がなぜかいなくて、幕内力士の平均年齢が高いといわれた時代。
荒勢も最後の輝きを見せていたし、増位山のワンチャンスもお見事。
まさか、大関になるとは思わなかった増位山が見せた見事な内掛け。
あんなに足技がズバズバ決まるものとは思わなかったが、ケガさえなければ
あと2年は持ってくれた気がしたんだが。
398 :
待った名無しさん:2006/02/10(金) 23:46:22
>>371 妙な表現かもしれんが、相撲に「段取り力」があるとすれば輪島のそれは
大相撲史において屈指だろう。
無茶な体制から強引に攻めるなんてことは絶対にしなかった。
必ずきちんと攻撃の体制を作って常に相手より低い重心から攻める。
それが輪島の相撲の真髄だった。
399 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/11(土) 00:07:55
>>398 特に小兵に強いと言われるのは、相手に十分にさせないようにして動きながら
輪島の得意な形になったところを攻めていくパターン。
大型力士の場合は、がっぷり四つになられて体力負け。晩年の琴風の相撲とか
は力相撲になって寄り切られていた。
一種の相撲勘というか、そこらへんは天性のものがあったんでしょう。
400 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/11(土) 00:13:58
逆に若乃花はうまさというのもあるんだけど、土俵際の逆転も結構あった。
401 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 00:22:43
>>398 それは神風がよく指摘してましたね。
「土俵に足の裏が吸いつくようで、腰の構えが盤石!」
理詰めの相撲の見本。
この辺は稽古で培うより天分だね。
だから、もっと稽古をしていたら北の湖が言ったように、輪島はもっと優勝したかも知れないね
402 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 00:31:13
オレは輪湖対決以上に北若対決の方が好きかもしれない。若乃花の廻しを切る技術は
超一級だった。ニ子山伝統のものだろうか。左の相四つで、地力は当然北の湖だが、
巧さでは度々若乃花が勝っていた。
あと、輪島と若乃花も好カードだった。一瞬この3強時代になりかけたこともあったな・・・
403 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 03:14:32
貴乃花もまわしを切るのがうまかったから、二子山の伝統なんだろうか。
相手と呼吸をずらして腰をピュッと振るんだよね。
若乃花は懐が深く、体も柔らかかったから、いろいろな状況に対応できる能力があった。
404 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 03:34:06
平幕時代の隆の里はその反対だった。力は強かったが、いかにも体が硬そうで、
上体が起きやすく、無駄に力が入っている印象だったな。ひと言でいって不器用。
とても横綱になるなんて思えなかった。糖尿を患っていて稽古を積めなかったせいか。
405 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 03:46:04
若乃花と隆の里という関係も面白い。
同郷・同日入門で両人とも横綱まで昇進しながら好対照を見せている。
非力ではありながら柔軟性に富み出世は早かったが印象的にはさほど強烈なものを残せなかった若乃花に対し
怪力だけど体が硬く病魔との戦いから出世は遅れたが短期間ではあるけど強烈な印象を残した隆の里。
>>404 ただし稽古場では平幕時代から貴ノ花、若乃花らを圧倒していたそうだよ。
406 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 04:16:21
力を出し切らないまま、あまりにも早く引退した若乃花。
若乃花の最後の優勝から2年後にようやく初優勝した隆の里は、30歳を越えてから力
を出し切った。よく天才型と努力型とか、ウサギとカメとか言われて対比されたものだ。
でも結局、優勝回数は仲良く4回。肩を並べて相撲史に名を残していると思う。
できることなら二人の同時横綱を見たかったものだ。
ところで、北の湖の最後の優勝は何とこの隆の里の4回目の優勝よりもあとだという事実。
2年間優勝から遠ざかりながらも最後の力を振り絞っての24度目の優勝。ボロボロにな
ってからのこのしぶとさ、貪欲さが、若乃花にあったらなあと、つくづく惜しいと思う。
407 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 06:21:49
昭和40年代中ごろ、大鵬を筆頭に、玉の海、琴桜、大麒麟らを輩出した二所一門だったが、
その後、昭和50年前後には、輪島、貴ノ花、魁傑のいわゆる阿佐ヶ谷トリオの活躍もあり、
幕内上位に花籠・二子山勢がごろごろいて、二所一門の中に、新たな阿佐ヶ谷一門ができた
ような印象もあった。
この一大勢力に出羽一門の北の湖が一人で立ち向かっているぐらいの印象があった。
408 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 11:21:28
輪島−琴風戦は隠れた名勝負。
お互いすり足でバタつかず、
これぞプロの相撲、という味わいがあった。
409 :
立行司:2006/02/11(土) 11:43:34
花篭・三保ヶ関、昔の名門部屋が軒並みおちこんでるな。花篭がそうなったのは輪島の責任大。
410 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 11:45:57
鷲羽山戦を通して輪島と北の湖を比べると
輪島がとんでもない強豪横綱に見えてしまう。
逆に高見山戦を通して輪島と貴ノ花を比べると
どっちが横綱かわからなくなってしまう。
411 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 11:49:45
輪島はアタマさえしっかりしてれば今頃
理事長でもおかしくないほどの大功労者なんだがねえ、、、
412 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 11:50:57
>>408 【輪島-琴風】
覚えてますよ。輪島の晩年だね
かなり長い大相撲になって、琴風の再三のがぶり寄り
最後は確か輪島の下手投げでした
413 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:04:30
>>410 輪島は高見山を大の苦手にしていたけど、貴ノ花は高見山を苦手にして
いなかったよ。高見山は、北の湖に対してなす術も無いという感じ
だったけど。
414 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:06:37
輪島は反り腰がないんで、
上体を強引に起こされると意外に脆い面があった。
高見山ののど輪が、そこを直撃してた感じ。
415 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:11:07
鷲羽山は、北の湖について「しびれ薬を飲ませないと勝てない」と冗談を
言っていたのを思い出した。それほど北の湖は、無敵な存在だったのが
わかるエピソードだと思う。
416 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:25:08
輪島は長浜(豊山、現湊親方)と初土俵が同じだった。
二人は当時の学生相撲界の双璧だったが、入門当時は、
「輪島は完成されてる、長浜の方が荒削りで将来性がある。」
という意見が多かった。
しかし輪島は結局あれだけの横綱になった。
考えて見れば大学相撲出身で横綱まで行ったのは輪島だけなんだよね。
ちょっと例外的jな人だったのかも。
417 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:30:42
>>407 というより昭和50年代前半は、出羽一門と二所一門の一騎打ちの様相が
強かったね。出羽一門にも北の湖をはじめ三重ノ海など有力力士がいたし、
出羽海や春日野の各部屋に多くの個性派力士が幕内にいたからね。
418 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:31:24
輪島→昭和45年1月
長浜→昭和45年3月
419 :
416:2006/02/11(土) 12:35:12
420 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:35:25
輪島の強さの秘密は彼の取り口が唯一無二だったことにつきる
他に似たるものがないから相手も対応するのに容易でなかっただろう
それに加えて天性の勝負勘みたいなものもあったし、かなりの腕力と
どっしりと割れた下半身も備わっていた
421 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:43:31
>>416 その点で言えば初代豊山は、柏鵬の犠牲者になった感じで大関止まり
だったのが残念。もしこの二人がいなければ横綱になっていただろう。
ただ仮に豊山が横綱になったとしても輪島のような名横綱になれたか
疑問に残るけど。
422 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 12:56:02
初代豊山は大関に上がる頃の勢いは凄かった
(豊鵬時代が来るのでは、と言われた)が、
のちに、相手の方腕を両手で抱えて、
網打ち気味に後ろに振る相撲が身に付いてしまい伸び悩んだ。
さらに、この相撲がたたったのか、腰を痛めて万事休した。
一説によると豊山の稽古相手がもっぱら柏戸だったために、
柏戸の猛烈な出足をかわすためにこういう相撲が身に付いた、
ということだった。真偽はわからないけど。
423 :
422:2006/02/11(土) 13:10:02
スレのテーマからそれたね。ゴメン。これでやめとこう。
424 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 13:14:32
誰と日々稽古したかは相撲の基本を作るから大きいね
想像してみた・・・・・・・
荒勢がうぉぉぉと叫びながらがぶり寄り。輪島下手投げ
・・・・・・・・何か微笑ましいようなおかしいような変な気分
425 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 13:21:44
>>424 龍虎はそれを尻目にちゃんこの味見役にいそしむ(w
426 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 13:28:16
輪島、魁傑、荒勢の三人がいるだけでも当時の花籠部屋はすごい活気があっただろうと思う。
若乃花が出て以降、若秩父、若三杉(大豪)、若ノ海、龍虎とずっと切れ目なく有力力士が
出たよね。新興部屋だったのが一気に名門になってすごかった。そして一気に消滅したことも
ドラマチックな歴史。実質的には花籠の血は放駒に受け継がれているんだろうけど。
427 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 13:34:57
>>382 勝負弱いと言えば、小錦も当てはまると思うけどね。あれほどの巨体で
ありながら優勝回数がわずか3回で横綱昇進を逃してしまった。昭和
59年秋場所の入幕2場所目で初優勝のチャンスがありながら、千秋楽
琴風に負けて優勝を逃した後、その後も勝負弱さが出て初優勝したのが、
平成元年九州場所とかなり後になってしまった。印象としては、横綱に
昇進してもおかしくない存在でもあったけど。今では小錦は、輪島と
飲み仲間になっているとのこと。
428 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 13:35:32
>>425 ナイス!
味見役ね。何か雰囲気が伝わってくる
>>416 横綱どころか、複数回優勝したのも輪島だけなんだよね。
それなのに輪島は一人十四回。まさに別格だろう。
430 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 13:41:18
小錦は場所前風呂で転倒して休場に追い込まれて、
(当然公傷扱いにならない)一気に幕内下位まで翌場所
落とされたり、強いんだけど決め手がなかった。
でも一番は北尾の鯖折りだろうな。貴ノ花が大鵬戦で腰をやられて
その後の土俵人生に大きく翳を差したのと同様、あそこで膝を
やられなければもっと早く上に上がっていただろう。
あれは同体取り直しだったけど、微妙な一番だったよな・・。
小錦優位にも見えた。
431 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 14:10:15
>>429 卒業していないと出身とは言えないのかもしれないけど、いちおう、
優勝4回の横綱旭富士も近大相撲部在籍経験あるよね。みんな知ってる
とは思うけど。
432 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 14:13:13
学生相撲出身の他の優勝経験者は?
朝潮、出島、武双山、琴光喜かな。他に誰かいたっけ。
433 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 14:31:37
輪島と二代め豊山みたいな、「完成されている」と「未完の荒削り」というタイプの比較は
よく行われるね。今では幕下上位の澤井と影山がそう言われている。
輪島は緻密な完成型のままスケールアップしていった感じだし、豊山は荒削りなまま仕上がらなかった
感じがする。貴ノ花戦で比較すると、そのへんがよく見える。
434 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 15:05:54
>>433 総じて相撲がまともすぎて、いい意味でのズルさや、巧さがなかったような気がするね。
だから北の湖に0-21なんてことになるんだろうな。
【輪島名勝負集】昭和47年九州場所12日目 貴ノ花との新大関対決
=例の水入り大相撲の翌場所も、1分21秒の熱戦になりました。
輪島が左差しを狙うと、貴ノ花は頭から低く当たる。輪島は大きな突っ張りで攻勢。
しかし貴ノ花は掻い潜って両差しに成功。一度輪島に左を差されたが絞り上げて巻き替え、
右下手を深く、左は浅く持ち替えて輪島の懐に頭をつけて寄る。
貴ノ花が右肘を張っているため、輪島は左の廻しに手がかからず苦しい。
輪島は必死に左を差し込もうとするが貴ノ花は許さず、東土俵、さらに正面へ追い込むと、
大きく左から掬って輪島を崩し、寄り切った。輪島3敗となって琴桜に2差を付けられた。
436 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 16:29:32
湖輪星から来たゆうこりん
437 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 17:07:00
>>420 加えて言うなら輪島の強さの秘密はあの低さにあったと俺は思うぞ。
相手が自分より小さかろうと、必ずと言っていいほど下から下から
粘っこく攻める。
これは誰もが解りきっている相撲の基本中の基本だが、これを輪島ほど
教科書通りに出来る力士は少ない。
輪島が理詰めで勝った相撲を見る時、廻しだけを見るとわかるよね
金色の廻しだけがほぼ上下動なしにスウっと真横に動くから
439 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 19:38:19
>>437 北の富士は、輪島の足腰の強さにかなり手こずり
対戦成績が7対5とかなり接近していた。
440 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 19:45:50
今でも言うよね。「輪島だけは嫌だった」って。>勝昭
足の送りが上手ではない北の富士、左下手投げの格好の餌食だった。
輪島の左下手投げ、これを待っていた北の富士が右外掛け、
さらにここまで読んでいた輪島の切り返し、なんていう白熱の攻防もあった。
442 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:11:54
輪島の相撲は稽古より天性の勘だね
その点北の湖は徹底的に頭を使う。四ツの時、輪島戦は確か逆足
輪島が下手投げを打つと腰を旨くつける
【輪島23-21北の湖】
ここまで互角だと見ていて面白い
輪湖戦に限らず輪VS若U・輪VS貴・北VS若UとかDVD化して!
443 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:22:01
>>442 NHKのビデオも北の湖寄りの収録内容だからな。
輪島の真骨頂の相撲も見たいな。
「大相撲昭和場所・五日目 輪湖相討つ」とかってどっかで
出して欲しいね。
ちなみにラインナップとして
「大相撲昭和場所・初日 双葉山の光と影」
「二日目・焦土からの復活・蔵前国技館竣工まで」
「三日目・栃若時代」
「四日目・柏鵬時代」
「五日目・輪湖相搏つ」
「六日目・土俵のウルフ・千代の富士」
「七日目・名力士列伝・その一」
「八日目・名力士列伝・その二」
「九日目・名力士列伝・その三」
「千秋楽・特別編・北玉と貴ノ花」
444 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:34:44
>>443 本当だね
「輪湖頂上決戦!」
「北の湖黄金期!」
「四横綱戦国時代!」
「旭国・貴ノ花名大関!」
「激闘富士桜キリン児!」まだまだありそう…
445 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:38:58
「荒勢 秘湯・ウサギちゃんの旅」
446 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:41:59
>>445 それを言うのだったら「旭國・麒麟児」サントリービールCM共演
447 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:42:48
>>375確かにね。平幕あたりにはかちあげ一発ではい終わり。まぢな話結び終わる前にみんなテレビかえたりしてたもん。まぢでいまのドルジなんてもんじゃないくらいヒール(笑)
448 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:45:52
輪島と貴ノ花も引退後にビールの宣伝してなかった?
449 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:48:23
輪島の親友は、美空ひばり(故人)、ジャンボ尾崎、木原美知子など
各界の超ど級の人ばかり。輪島の有名人好きは、有名だね。
450 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:51:40
>>448 してた。どっちも似合わないパーマ姿で。
正直、俺はあの辺で相撲から一旦離れた。
輪島も貴ノ花もいない相撲じゃ見る気になれなかった。
451 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:51:46
>>448 輪島と貴ノ花のCM共演は、資生堂のアアウスレーゼだったはず。
貴ノ花は、ビールのCMに出演したけど、輪島は記憶がない。
452 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:53:00
あ、アウスレーゼだったか・・
453 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:53:50
454 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 20:58:30
>>450 やっぱり花田家はパーマは似合わない家系だよな。
マサルはそのへんをよく分かっている(w
455 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 21:02:21
>>451 おお、覚えてるw
二人とも白のスーツかなんか着てビシッとしてたんだが、なんか似合わねぇw
貴ノ花が「よう!元気?」とかなんか言うと
輪島が橋を渡ってきて現れアウスレ-ゼ(?)を頭にふりかけながら貴に
語りかけるw
こんな感じだったのでは?
>>446 記憶違いだったらスマンが、「東と西の主役を迎え・・」とかいうバックミュージック
が流れていたが、明らかに先行する大手ビールメーカーの麒麟・アサヒを
パロってたなw
456 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 21:03:22
琴風で思い出したけど、輪島だけでなく北の湖もはじめの頃苦手にして
いた。昭和52年九州場所に北の湖が琴風に敗れて優勝を逃したし、
翌年春場所にも敗れてしまった。しかしその後琴風が長い怪我によって
歯が立たなくなって最終成績は、北の湖が琴風を20対3と圧倒した。
457 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 21:13:07
>>455 そうです。輪島と貴ノ花のCM共演は、巨人と日本ハムの
後楽園対決の日本シリーズの時見た。
麒麟児と旭國のCM共演は、日本テレビの後楽園での
巨人戦デーゲームの時よく見た。
458 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 22:13:23
琴風といえばガブリ寄りだが元祖ガブリ寄りは何と言っても荒勢。
が、北の湖にはまったく歯が立たず、組まれたらなーんも出来ない
お人形さんの様だった。
荒瀬が休場して別の対戦相手が対戦した方が、なんぼか輪島の援護射撃に
なったのでは。
459 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 22:24:06
テレビで思い出すのは「スター千一夜」だったか、当時人気のトーク番組に輪島・貴ノ花・北の湖が出たときのこと。
たしか北の湖が横綱になってすぐくらいだった。本番中は輪も貴も「北の湖関は何々なんですか」とか
「横綱は何々でしょう」みたいな敬語を使っていた。三人ともお互い敬語。
どういう趣向か、本番収録後の様子もちょっと入っていたんだが、とたんに輪と貴が「北の湖は何々だろ」
みたいな、兄貴然とした口を利きだしたのでびっくりした。
あのころは土俵を離れると、北の湖はまだ年上の2人に遠慮していたんだね。
460 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 22:28:57
>>458 荒勢は前に出てくる力士を苦手にしていた若乃花Uにはかなり強く、たしか
途中経過では14-11くらいで勝ち越していたと思う(最終成績は存ぜぬが)
俺も輪島ファンだったから、北の湖戦であっさり負けまくる荒勢は罵倒しまくったがw
がぶりながらの「うおー!」という奇声、ユーモラスなしぐさや風貌で憎めんかったがw
あと、富士桜にも負け越していたんじゃないかな?若乃花Uは。
琴風は20そこそこの若手の頃は荒削りながら大物食いで将来を渇望されていたが、
がぶり寄りの完成とともに取り口は安定したが、上位には通じなくなったな。
北の湖しかり、千代の富士にも初顔から6連勝くらいしたがその後は10何連敗も
してアンパイに成り下がった。
461 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 22:57:21
>>460 ただ琴風は、幕下まで落ちながら大関まで昇進したわけだから大したもの
だと思う。
荒勢と二代目若乃花は、13対13のイーブンだったはず。
荒勢と三重ノ海は、14対15で一つの負け越し。
462 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:14:49
この間読んだ本から
北の湖「輪島はもう落ちめだよ!」
輪島「北の湖!?あれは糖尿病でコロリと行くぜ」輪湖は互いにリスペクトしてたが、初期にはこんな水面下の舌戦があったんだね
追加・荒勢よ、何だあの北の湖戦は……
463 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:22:18
それほどまでに弱かったのですか? 荒勢は北の湖に。
464 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:28:35
>>463 北の湖と荒勢の対戦成績は、31対2で北の湖の圧勝。
465 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:38:25
>>463 琴風が大ノ国に全然ダメダメだったの覚えてるか?
がぶりながら一直線に下がっていくという・・・
荒瀬は北の湖に対してはあれよりさらに手も足も出なかった。
立合いバチンと組みとめられてスーッと寄り切られるか、
すぐに上手投げでごろんと転がされるというパターン。
466 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:46:54
北の湖の対戦成績全勝記録ベスト3
栃光 29戦全勝
豊山 21戦全勝
蔵間 17戦全勝
467 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:53:50
時津風・・
468 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:54:13
蔵間は、北の湖戦に善戦しながら全く勝てなかったために
当時の人気番組のキャラクター・電線マンをもじった
善戦マンというにニックネームが付けられた。
469 :
待った名無しさん:2006/02/11(土) 23:58:54
輪湖の頂上期、特に昭和51年52年は、例えばこんな時代
@野球・阪急黄金期
A野球・王世界記録挑戦いろんな意味でスポーツが贅沢だった
後、CMと言えば貴ノ花日本酒のCMなかったかな?若乃花Uはソースだが
470 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 00:12:47
>>469 当時のMLBは、今と違って雲の上の存在だったね。
1978年にシンシナティ・レッズが日米野球で来たけど、
ビッグ・レッド・マシーンと言われた時代で本当に迫力の
あるチームだったのが思い出深い。
471 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 00:29:11
>>470 そうでしたね
私は昭和48年に関西から東京へ
転校した小学校では、まず最初に
「野球は誰が好き?」
「お相撲さんは?」
私は阪急の山田と相撲は輪島と答えたのだが、今ならサッカーなんでしょうね
当時は相撲が身近で田舎の神社には土俵があってみんなで遊びました
阪急も北の湖もめちゃくちゃに強かったが人気がなかった。
相撲板や野球殿堂板で人気が高い。
473 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 00:59:29
>>472 北の湖は弱くなって人気が出てきたけど、
阪急(オリックス)は弱くなっても不人気のまま。
474 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 01:15:45
若乃花Uは花の28組
北の湖と比べると役4年横綱になるのが遅れた
輪島と北の湖がいなければ、栃若位は優勝した
やっぱりやや力強さに欠けたかな
475 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 02:01:58
隆の里は昭和27年生まれで28組よりひとつ年長。貴ノ花が25年生まれだから、
世代的にはずばり輪湖時代。なのに北の湖のライバルではなくて、千代の富士の
前半期のライバルとして印象を残した。短い全盛期には、千代相手に4場所で3回の優勝。
千代の富士戦8連勝の記録もある。あのころは千代の鋭い踏み込みもがっちり受けとめて、
すぐに左上手を引いていたね。さすがに引きつけの強い千代も、力負けしていた。
瞬間風速的な強さは相当なものだと思うよ。
476 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 09:24:22
大器晩成て言葉が当てはまるかどうかわからんけど、
そういうタイプだったんでは?苦労した末に横綱に
なったんで、当時国民的人気のあった番組に因んで
おしん横綱って呼ばれてたね。
477 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 12:10:45
北の湖は腰が重く、癖の無い力士は銀行状態だった。逆に癖者にはたまに不覚をとっていた。
478 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 12:52:11
朝潮は苦手にしてたよなぁ。横綱のプライドからか
「何故あいつはオレの時だけ頭からガツンとくるんだろう」と
苦手意識は否定してたけど。
479 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 13:06:26
俺は朝汐が始めて北の湖に勝ったのを生で観たよ(昭和55年大阪場所)。
秋場所には千代の富士に打っ棄られてびっくりした。
何せ打っ棄りとはいえあの横綱が持ち上げられたのを初めてみたから。
もうこの頃は新勢力の台頭とかもあって北の湖の強さには綻びがみられた。
金城に3回連続(本場所+巡業)右下手から投げられた輪島、
琉王や黒瀬川に一方的に攻め切られた輪島に喝!
481 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 17:05:46
投げ技は併せ技
@輪島・左から強烈に絞り、下手投げ
A若乃花U・左の下手捻りと併せて上手投げ
輪島はともかく、若乃花Uは腕力が弱くタイミングで投げるタイプ
B北の湖・前に出る強力な圧力と腕力
それぞれ見事ですね
482 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 17:14:56
>475
北の湖の最後の優勝が隆の里の最後の優勝よりも後、というのは確かに信じがたいね。
(もうすでに引退していたイメージがあるのに)。隆の里と言うか三重の海が横綱になった
頃まだ現役だったイメージがわかない。
輪湖対決と言えば。動きが妙にスローモー(投げの打ち合いとか)であれに強さを
感じたりもした。そして、あの頃の木村庄之助が庄之助らしかったことも思い出す。
483 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 18:22:12
輪島が格下に負けるときは集中力の欠如による。舐めてかかるのとはニュアンスかちがう。彼は気分屋。天才にありがち
484 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 18:35:59
まあ、天才輪島努力の北の湖が好角家の評価さ
485 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 18:46:15
北の湖の初土俵は昭和42年1月。当時まだ13歳だった。
奇しくもこの場所は、
柏鵬時代の最後の華みたいな盛り上がりを見せた場所だったが、
場所後の相撲雑誌に「13歳の北の湖というのが目立った。」
という記事があったよ。
486 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 19:15:34
ちなみにデーモン閣下は輪島ファン、天才は天才を知るですよ♪
487 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 19:37:43
デーモン閣下は輪島引退後は隆ノ里のファンになったそうですけど・・・
隆ノ里は天才型の正反対、典型的な努力型でしょう。
あ、別に揚げ足取るつもりで言ってるのではないので誤解ないよう
488 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 19:50:46
>>485 因みに北の湖は、スカウトの間で柏鵬級の逸材が北海道にいる
ということで話題になったそうだ。
あと輪島も二所ノ関親方と大鵬が出向いて直接スカウトに来た
そうだ。結局大学へ進学することで断ったけれど。
489 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 19:52:58
大鵬部屋の輪島はちょっと見たかった
490 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 19:57:31
毎場所、輪島×北の湖は家族みんな手に汗握ってテレビで見てました。
僕は輪島を応援してましたが北の湖のケツの張りを見て戦意喪失してましたW
491 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/12(日) 20:00:25
リアルタイムで北の湖の平幕時代を見ていないので、大物を予感させるぐらい
相撲内容が良かったのがどうか知りたい。
横綱の時も、せっかちさが出て土俵際で力を抜いた瞬間叩き込まれるとかよく
あったけども平幕時代もそんなことあったのかなとふと思った。
492 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/12(日) 20:01:58
全盛期の北の湖だと、両まわしを取ってから引きつけが素早くて
こりゃ勝ったなと感じることが多かった。
493 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 20:06:00
北の湖が横綱になった時の勝率は五割九分五厘で歴代横綱中最低で、
新旧交替期の空位の横綱の座に押し上げられる昇進だった。
一日に二番同じ技で輪島に負けた印象も強く、“ひよっこ”という感じもあった。
494 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 20:09:51
古い話で、具体的にはあまり覚えてないけど、
自分は平幕の頃から
大横綱間違いなしと思ってた。
素質的にモノが違う感じだった。
ただ本当言うと、
素質的にはもう少し上の記録を残してもおかしくなかったと思う。
若くして痛風がでたのと、あと腰椎を痛めたために、
本当の全盛期がやや短かった感じがする。
495 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 20:25:16
北の湖は、高見山に初顔から5連敗するなど幕内の雰囲気に慣れるまで
時間がかかったようなところがあって新入幕から横綱に昇進するまで
16場所もかかっている。大鵬が11場所で横綱に昇進したのと比較
すると時間がかかっている。ただし大鵬が大関在位5場所だったのに
対し、北の湖は大関在位わずか3場所で横綱に昇進している。
北の湖の若い頃では、北の富士をさば折り(決まり手は下手捻り)で葬った一番が印象深い。
497 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 22:05:49
みなさん、よく憶えているなぁ。貴ノ花びいきだった私は、初めて北の湖と対戦したとき、
こいつにはじきに抜かれそうだな、とイヤな気分になったことだけ憶えている。
あと比較的ちょろいと思っていた三重の海に急に勝てなくなって、三重の海が
横綱になったときのショックも大きかった。
498 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 22:14:04
輪湖時代といいますけどね
この2人は年齢が5歳も違い、全盛期が重なっていません。
対戦成績はほぼ五分(輪島の21勝19敗)ですが、
前半は輪島、後半は北の湖の一方的な展開で
この2人は同時代の力士ではありませんね。
499 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 22:15:56
また同じ人が表れたなw
500 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 22:25:42
>>498 そう思ってる人は殆ど居ないな。一番強かった年は確かに重なってないが
51年〜2年はちょうど二人の力関係が高レベルでクロスしてたのは間違いない。
直接対決も初期は輪島後期は北の湖の勝利が多かったが毎場所熱戦だった。
あと反論するなら何回対戦があったかくらいはちゃんと調べてな。
501 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 22:29:35
団塊世代で横綱に成れたのは、輪島と三重ノ海だけ?
502 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 22:58:09
輪島が本格的に強くなり出したのは昭和46年11月頃から。
一方北の湖が本格的に強くなり出したのは昭和48年11月頃から。
当初は先行する輪島を北の湖が追いかけるような感じだった。
>>500さんが言うように、
昭和51、52年頃は非常に高いレベルで競り合ってた印象がある。
503 :
待った名無しさん:2006/02/12(日) 23:03:28
>>502同意。確かに、輪湖は年齢が離れているけれど、
51年、52年ころはものすごい高水準の競り合いが見られた。
しかし、輪島がなんとか踏ん張っていたのい対し、北の湖はなおも上昇気流に
乗っていたのが対象的だが。
それでも輪島が最後まで北の湖に離されなかったのは立派。
504 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 00:26:16
輪島の真の全盛期は大関最後の場所〜例の大怪我までと実は極めて短い。
新横綱の場所はやや精彩を欠いたが、まぁお愛嬌。(新横綱の場所は誰でも
あんな感じ。挨拶回りやら何やらで相撲どころではない)
で、横綱2場所目からは例の独特の型の四つ相撲が、実に完成度が高いレベルで
完成し、さあこれから輪島時代という矢先だったが、、、
返す返すもあの大怪我が残念、、、
505 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 00:45:44
ガキの頃、輪湖時代に興奮した漏れも来ました。
このスレ早いペースですね。
さて、後に北の湖さんはインタビューで輪島さんの事を「皆さん輪島さんは黄金の左という位だから、左の腕力が強いように思われますけど、輪島さんは右が強いんです。輪島さんの右からの絞りで、取組み終わってしばらくしても自分の左手が使えない程強かった。」
やはり最高のライバルだと認めていました。
もしまだ輪島さんが花籠親方なら、今頃は事業部長として、北の湖理事長を補佐して、最後の2年は花籠理事長として道を譲っただろうなと考えています。
506 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 03:34:31
当時の輪湖時代は本当に横綱が横綱らしかった。
横綱が二人しかいなかったから横綱同士の対戦はたったの一回で
必ず千秋楽の結びの一番。
当たり前のことなんだけど、その当たり前の状況というのは
以外に少ないんだわ。
後年、若乃花2や三重ノ海も横綱になり4横綱時代になったときは
なんだか横綱のインフレ化という感覚があった。
507 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 03:37:46
輪湖時代が素晴らしかったのは主役・脇役・強豪・花形力士みんないい持ち味
を発揮していたからだが、それをささえた相撲協会もよくまとまっていた。
当時の理事長は春日野さん(元 横綱栃錦)だったけどいつもニコニコ
してとても徳の高い人で、悪く言う人はいなかった。
508 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 03:41:26
輪島はよく稽古をさぼって遊びに走っていたが、その輪島にニラミが利く
二子山さんを巡業部長に抜擢したのは春日野さんだった。
若乃花の二子山さんは元横綱なのに一門系列では非主流・小部屋出身
だから引退後は割りと冷遇されていたが、春日野さんが理事長になると
二子山さんの実力(相撲だけでなく運営指導力)を認めて引き上げてくれたんだ。
509 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 03:45:19
柏鵬時代全盛の頃は、大鵬を育てたニ所ノ関親方(元 佐賀ノ花)が
何かにつけ「オレを理事長にしろ」的発言が多く、出羽の海一門と
対立していた。が、そのニ所ノ関親方も亡くなり、円満人事で理事長・
理事が推薦されるようになったのは春日野理事長からじゃないだろうか。
510 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 03:53:14
その春日野さんは北の湖に何かと目をかけていた。
当時は当然、貴乃花、高見山、若乃花2あたりに注目が集まりがちだったが
そういうムードの中「北の湖くんが頑張ってくれているから相撲協会
が存在できている」と相撲雑誌を通じてファンによく語っていた。
両国国技館が完成した頃は、無借金で建てたことに対して相撲協会は
政府やその他企業からも賞賛の声が上がっていた。そしてその一方、
北の湖は最晩年で、全盛期の勢いは見る影もなかった。
美声の呼び出し寛吉さんが大映しになり
輪島・北の湖(又は若乃花や三重ノ海など)を
呼びあげる…
大一番が始まるな!と
見る方もテレビに
釘づけになったものです
512 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 03:57:28
やはりそういうムードの中、春日野さんは「この国技館の半分以上は
北の湖くんが建ててくれたようなものだ」と語っていた。
そして、奥さんに先立たれて子供もいなかった春日野さんは
「北の湖くんを養子にもらいたい」という発言もしていた。
それは実現に至らなかったが、理事長と横綱の大黒柱が深い信頼関係に
あったことが輪湖時代の目立たないが大きな礎となっていたと思うのだ。
513 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 05:12:31
北の湖理事長は40代で理事長になった。よほど内外に人望がないと40代の理事長などありえない。個人的希望としては理事長権限での輪島の協会復帰とりあえず理事長補佐、協会顧問などでは風当たりも少ないのでは?
514 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 16:18:18
>>503 10階も優勝回数で離されてるけど?(  ̄m ̄)プッ
515 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 17:58:35
輪湖時代をリアルタイムで見れた事は嬉しい。
特に昭和51年と52年の輪湖頂上決戦
12場所中、優勝輪島5回、北の湖5回、若乃花Uと魁傑が1回ずつという輪湖の拮抗。
ちなみに昭和51年及び52年の輪湖決戦は、輪島の7勝5敗であった
516 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 18:05:29
>>514は馬鹿。この真面目なスレに君はいらない。
優勝回数でなく、直接対決では最後まで先輩横綱の意地を示したということだろう。
>>513元琴櫻の佐渡ヶ嶽が北の湖を強くプッシュしたという話を聞く。
517 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 19:19:20
>>510 ただし両国国技館は、当時の資産価値400億円のところを相撲協会が
国鉄から破格の値段(50億か100億円ぐらい)で買い取ったのが
大きい。結構当時の国鉄社員は、悔しがっていたみたいだけれど。
518 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 19:31:13
「輪湖」は何と読むのですか?
519 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 19:33:36
520 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/13(月) 19:48:59
楽日決戦をあれだけ魅せることができたというのが一番大きい。
貴乃花曙の相撲も一時期であったが、曙のケガで見ることができなくなった。
521 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 20:07:15
玉の海が生きていたら、輪湖時代はどうなってたかなあ。
玉の海は昭和19年生まれで、
本格的に強くなり始めたのが比較的遅く、25歳のときなので
(早くに大関になったが、しばらく低迷し、
昭和44年9月から本格的に強くなり始める)、
少なくとも30〜31歳ぐらいまでは全盛期の力を保ったんではないかな。
つまり昭和49〜50年ぐらいまでは全盛期の力を保ったんではないか。
輪島、北の湖といえど、
全盛期の玉の海は大きな壁になったんではないかと思う。
522 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 20:27:37
>>521 玉の海が生きていたら北の富士も強さを保ってた公算が高いので、
そうとうな壁になったに違いない。
北玉輪湖4強の黄金時代になったかもしれない。
523 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 20:46:38
47年は栃東・長谷川・輪島・高見山・北の富士・琴桜毎場所優勝者が違う
だから玉の海が生きていたら47年に3場所優勝
48年は実際に輪島が3場所、49年は輪島が3場所、北の湖が2場所優勝している
だから、47年北玉時代、48年49年玉輪時代!?
以後は輪湖時代突入でしょうかね…
524 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 20:52:09
しかし、体調不良でも12勝、悪くて13勝で良くて全勝という足取りだった
晩年の玉の海は、これから最盛期を迎えそうな雰囲気だった。
51〜52年あたりまで強さを保ったかもしれない。
51年あたりは、輪湖と玉で賜杯を3分割したかもしれない。
525 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 20:58:04
金剛に頑張ってもらって金玉時代は是非とも実現して欲しかった。
そしてそこに絡む玉輝山。
・・・ゴメン。
526 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:00:43
もし玉の海が生きていたならば北の湖は、どうなっていたかわからない
けど、輪島と貴ノ花の大関昇進は、遅れていただろう。貴ノ花は、
玉の海を凄く尊敬していて、後の関脇・安芸乃島は故郷の広島の旧国名と
玉の海の大関時代の四股名である玉乃島から名づけられた。
527 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:04:42
玉の海は、
北の富士、大鵬(衰えたとはいえ、優勝争いする力を持っていた)を相手にし、
さらに当時の充実した大関陣(昭和45年後半〜46年前半の大関陣は強かったよ)
を相手にして、6場所84勝6敗の成績を残した。
これは去年の朝青龍の84勝6敗より遙かに価値のある成績だと思う。
生きていれば、年齢的に見て、さらに強くなってたろう。
そう思うだけに、輪島、北の湖といえど容易に壁を突破できなかったろうな、と。
528 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:11:37
玉の海は右四ツだから、いずれにせよ輪湖とは激しい差し手争いになったろう。
個人的には昭和19年生まれの玉の海と輪島の時代がやや被り、
9歳違いの北の湖までは被らないだろう
まぁ想像ですがね
見てみたいけどねぇ
529 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:12:04
>>526 最初は「安芸ノ島」だったわけだが。
玉の海が昭和47年以降も健在なら、まだまだ
北玉時代は続いていた。琴桜は大関どまりで、
輪島や北の湖は2人の壁を破るのに苦労しただろうな。
530 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:32:59
玉の海が生きていたならば、貴ノ花は何度か玉の海に勝っていただろう。
貴ノ花は、玉の海に7戦全敗中だったが突然に死でついに一度も勝つこと
が出来なかった。おそらく貴ノ花の土俵人生の心残りの一つであることは、
間違いない。
531 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:36:13
まあ一度くらいは勝ってただろうが、貴ノ花のようなまともな相撲じゃ
玉にはそれほど勝てそうにない。
532 :
521:2006/02/13(月) 21:41:59
玉の海の話ばかりになってしまったかな。
話題提起程度のつもりだったので、
また輪湖の話に戻してね。
533 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 21:47:32
北の湖は、幕内の力に慣れるまで結構時間がかかっているんだよね。
幕内上位に定着できるようになったのは、昭和48年以降だから。
だから玉の海がいようがいまいが関係ないと思うけど。
534 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 22:13:37
輪島はたしか1度だけ横綱玉の海と対戦があるが結構大相撲になって
健闘してるんだよな。
結局は力負けしたけどね。
平幕上位の頃だっけな。
535 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 22:17:21
ニックネーム特集
陸奥嵐 東北の暴れん坊旭国 相撲博士
富士桜 突貫小僧
若獅子 座頭市
鷲羽山 チビギャング
蔵間 善戦マン
栃赤木 こんにゃく相撲琴若 電信柱
金剛 ホラ吹き
536 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 22:25:48
満山と北の湖の満湖時代
537 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 23:01:55
>>535 尾形→ジャンボ に対して
琴若→コンコルド なんてのもあったかな。
>>536 満山の頃は、幕内上位に定着してないからなぁ…と突っ込んでみる。
538 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 23:27:28
>>537 そうですよ。詳しいですねえ。
巨漢の天の山がジャンボでしたから、琴若は電信柱、コンコルド、東京タワー。
そういえば、輪島は黄金の左、北の湖は?
活火山の右!?
539 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/13(月) 23:39:37
尾形は勢いだけあった。落ちるのも勢いがあった。
540 :
待った名無しさん:2006/02/13(月) 23:41:01
琴風 尾形 長岡に新時代の空気みたいなのを感じてた。
541 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/13(月) 23:48:07
輪湖時代の終焉のころ、貴ノ花は本当に天ノ山を苦手にしてたと思う。
真正面に捕まえられると全くだめだった。
結構、黒瀬川とかいい味だしてたのも同じ時期。
542 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 00:05:22
>>538 最初は北海の怪童じゃなかった?
それがモンスターと代わり、
しまいには江川・ピーマン・北の湖とまで言われた。
543 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 00:10:03
代名詞としては、「不沈艦」とか「憎らしいほど強い」ってのがありますけどね。
544 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 00:43:25
時津風部屋の幕内力士は、二代目豊山・蔵間を始め軒並み北の湖のカモに
されていたね。時津風部屋の力士は、三役や平幕上位で活躍できても
横綱・大関まで昇進できる力士がいなかったせいもあるだろう。ただし
これほど多く幕内力士を育てた部屋は、そう多くないけどね。
545 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 02:35:09
あの頃、中学生だったオレは、自分が力士になるなら何部屋に入るかな、と
けっこう真剣に考えたりしていた。出羽の海や時津風といった古い部屋は、なんとなく
気に入らなくて、二子山部屋の勢い、北の富士の九重部屋の明るさ、新しさに惹かれていたな。
北の湖のいた三保が関に入りたいと思わなかったのは、たぶん最強横綱と戦ってみたいとか
夢想していたからだと思う。
546 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 14:14:10
北の湖は怪童でしょ。俺は貴乃花ファンだったからいっつも北の湖負けろ!って願ってたよ。
547 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 14:19:58
そういやこの時期天皇陛下年三回ぐらい天覧相撲きてたよね?富士櫻対麒麟児が定番の割で席から立ち上がって見るもんだから理事の元栃錦はおろおろしてたのが思い出されます。そういや陛下は蔵間がお気に入りだったってほんとですかね?
548 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 14:31:02
陛下のお気に入りは富士桜とキリン児の対戦
力士は善戦マンこと蔵間ですね
凄味はないが、品があり、昔風に言えば
「錦絵」から出てきたような力士でした
549 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 20:14:09
蔵間はきれいな四つ相撲でしたね。これといって弱みがないので、幕内の中堅どころでは安定感があった。
その反面、こうなれば横綱大関にも負けない、というほどの四つの力には欠けていた。
意外性のないタイプ。
550 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 21:20:40
そうか、結局蔵間は北の湖に勝てなかったのか。
両回し引き付けて結構土俵際まで寄りたてるまさに「善戦」はあったんだがw
期待されていたが、腰痛で伸び悩んだんだよな。
551 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:19:04
いっとき四股名を「近江富士」に改めるとか「双葉山」を襲名するとかの
噂が立ったね。「双葉山」のほうは本人も一笑に付していたが。
それくらい期待値の高かった時期があった。
552 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:22:33
蔵間は、北の湖に一度も勝てなかったが、
輪島と二代目若乃花には勝ったことがある。
553 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:24:19
>>551 近江富士といわれている何とか山が山頂が禿山だから、
蔵間は改名を嫌がったという話だ。
そういえば、蔵間って本名はなんて言うんだっけ?
>>552 しかしいずれも敗れた相手は序盤で休場している罠。
S53.9 初日○輪島、輪島は1-2となった時点で休場。
S56.5 初日○若乃花、若乃花は翌日も敗れ3日目から休場。
後者は天覧相撲で、昭和天皇が春日野理事長に「若乃花はどこか悪いのかね」と心配していたという。
そういえば蔵間が没したとき、うるぐすだか何だか、とにかく生前彼がレギュラーで出ていた番組で
追悼特集やっていて、「北の湖、輪島、若乃花らの強豪と対峙し、次々と打ち破った」という
ナレーションとともにこの2番流していたな。さすがに無理すぎだろ、と思わず苦笑だったがw
555 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:31:49
蔵間の本名は蔵間龍也ですよ
556 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:33:30
>>553 蔵間が本名。蔵間龍也(たつや)だったと思う。
たしかもともとはラグビーやってたんじゃなかったっけ?
557 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:38:11
ぞうけんって本名だったのか。珍しい名字だな。
558 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:39:46
小結で勝ち越したことが二度しかなかったんだね。関脇は一場所のみ。ちなみに3勝だか
4勝しかできずに大負けしていたはず。前頭筆頭から4枚目あたりが定位置といったところか。
559 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:44:45
蔵間は、三重ノ海には2度勝ったことがある。
ただし三重ノ海が大関時代のことだけれど。
三重ノ海は、稽古相手に蔵間を数多く指名した時期があるとのこと。
560 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:49:32
>>557 「くらま」だよ。
もちろん嵐寛寿郎の鞍馬天狗とは、違うけどね。
561 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 22:55:34
>>560 「くらま」なんだ。サンクス。
ところで、嵐寛寿郎って誰?
562 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 23:00:05
【輪湖時代 関脇編】
長谷川 優勝@
福の花 敢闘賞F
陸奥嵐 敢闘賞C
栃東 技能賞E
高見山 殊勲賞E
黒姫山 殊勲賞C
金剛 優勝@
富士桜 技能賞B
北瀬海 殊勲賞A
鷲羽山 技能賞D
荒勢 敢闘賞A
キリン児 敢闘賞C
栃光 敢闘賞B
玉の富士 敢闘賞A
563 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 23:04:42
>>561 嵐寛寿郎は、戦前の映画スター。代表作は、鞍馬天狗で300本以上の
映画に出演した。戦後には、77年の寅さんシリーズ「男はつらいよ」に
出演したことがある。通称「アラカン」と呼ばれていた。
564 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 23:08:12
あ、AV男優の山本竜二のおじさんだ、思い出した。あんがと。
565 :
待った名無しさん:2006/02/14(火) 23:13:19
北の湖が負けた相手に手を差し伸べなかったことに対して批判されて
いたね。北の湖が自分が負けたときに相手から手を差し伸べられる
のが嫌だったからだと語っていた。
566 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 11:38:19
>>565 それナンバーの20世紀特集号じゃなかった?
あれ感動した。
まだ今ほど輪島が復権してなかった気がするが、
「輪島は左、左と言われるけど、ほんとうは右が強かったんだ」とか、すごくライバルを尊重してて、分析も的を射てた。
輪島もコメントを寄せてたが、あれ読んだとき
「この2人は辛いときも、かわらず互いを励みに生きてきたんだな」と思って泣けた。
567 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 12:30:28
>>553 近江富士は滋賀県彦根方面にある三上山の別名。新幹線の車窓から見えるお。
上りなら右側、下りなら左側に。平野の中にポツンとあって目立つのと、円錐形の形から富士の
名の通称があるのだろう。通称「○○富士」は日本中にいっぱいあるが、例えば、蝦夷富士と
呼ばれる羊蹄山が、本当に富士山のような美しい形をしているのに比べると、三上山の場合、
きれいな左右対称になっていないし、そもそも標高400m程度で、こぢんまりしすぎ。
比較的近くにある伊吹山のそそり立つ威容に比べてもあまりにも見劣りする。
ちなみに大正時代に近江八幡出身で「伊吹山」という四股名の力士がいたらしい。
568 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 12:37:47
輪島が右手を怪我して入院した時、北の湖、膝の怪我で同じ病院にいたんだよね
輪島も北の湖も互いに強いと認め合い、あの輪湖時代があった
個人的に、リアルタイムで見れたのは幸せ
569 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 20:07:19
北の湖は、週刊ポストのインタビューで野次や罵声が飛ばされて嬉しかった
と語っており、晩年の弱いころに同情の声が上がるとがっかりしたと語って
いた。
普通、ライバル関係にある二人において片方のファンだったら、
もう片方のアンチになったりするもんだけど輪湖に関しては
今はどっちも好きっていうオールドファンが圧倒的に多いんだよな。
俺も昔は輪島好きだったが、今は北の湖にも心から感謝している。
いいライバルだったよなぁ
571 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 21:25:32
この二人、勉強はサッパリだったという共通点が興味深い。
つまり二人とも相撲というたったひとつの取り柄だけで
ここまでビッグになったということ。
金城あたりは逆に器用貧乏といわれてたけどね。
572 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 21:33:40
昭和49年7月場所だったか、
当時凄い勢いだった北の湖が、
千秋楽、本割り決定戦と、
二番続けて輪島に左下手投げで派手にぶん投げられ、逆転優勝された。
当時の北の湖は猛烈な馬力、出足で相手を一気に粉砕するのが持ち味だったが、
この出足を利用された。
以後、北の湖は対輪島戦では、下手投げを警戒するあまり、
慎重になりすぎた印象がある。
573 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 21:42:24
あの二番が終生忘れられないと語る北の湖の言葉に千鈞の重みがある。
574 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/15(水) 22:03:34
この頃の麒麟児も若くて馬力があって、回転のある突っ張りで大関横綱を結構
破っていた。
あれだけ回転のある突っ張りができるのは今の時代いないなあ。
576 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/15(水) 22:07:41
>>575 貴乃花の大怪我した場所の千代大海−貴乃花の相撲は確かに麒麟児を思い出した。
でも、今の千代大海はちょっと・・・。
577 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:08:17
今の千代大海は朝潮か保句点雄。
578 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:10:13
>>571 そういえば、中学時代の琴風は体育以外はオール5だったそうな。
なんでまた角界にw
>>572>>573 輪島もその逆転優勝はかなり印象深かったらしく、まだ現役の頃に思い出に残る
一番として挙げていた。手強いライバルで年齢的にやがて自分を超えていくだろう
強敵を連破した事に感慨を覚えていたのだろう。
579 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/15(水) 22:11:38
魁皇がこの時代で言うと、三重ノ海になってほしいなあ。
ふっきれて、なぜか速攻相撲になるとか。
意地の悪い見方をすると、輪島が何人の谷町を自殺に追い込んだかが気になる。
581 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:17:59
>>578 琴風は「中学生力士」の最後の世代。
大相撲の世界にいて、本場所に出ながら中学校に通ってた。
それでその成績。文武両道とか言われてたよ。
582 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:22:04
相撲のことをよく知らない国会議員で、
中学生の年齢で力士になってる、おかしい、
とか言い出した奴がいるんだよね。
学校に通ってないと思ったんだろうね。
以後中学生力士は禁止、ということになった。
583 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:22:20
琴風は先々代佐渡ヶ嶽が自分の弟子にしてしまおうと
するので、部屋の土俵で圭子をさせてもらえなかったから、
琴櫻と公園で山稽古していたってのは本当なの?
>>582 労働基準法にひっかかるって話だったと思うが?
585 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/15(水) 22:24:51
琴風の入幕当時はスリムまで行かないけど、ポッチャリまでもいかない
イメージ。戻ってきたら、体が出来上がってた記憶がある。
586 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:30:58
>>584 労働基準法じゃねえよ。本場所中に学校欠席して出場するのは
義務教育を受ける権利を軽視しているのではないか、あと、稽古で
授業中居眠りしたりしていて、勉強できない環境だとかぬかした
アホ議員がいて、そのせいで協会関係者になるには義務教育終了後
でないと入門できないと改められた。
だけど、杓子定規な話だ。行司なんかは小さい頃から声を出したり、
土俵を勤めたりしなければ、あの味は出ないと思う。
最近の行司が没個性なのはこのへんに大きな原因があると思う。
587 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/15(水) 22:33:38
>>586 北の富士の問題のとばっちりを食らったのもあった。
588 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:35:25
追加。
この縛りの弊害は、入門が16歳なので、もしモノにならずに
廃業した場合、第二の人生への転身が難しくなるということ。
13,4歳で入門して3年くらい勤めて見切りをつけても、大検や
高校受験してもまだ普通の人と同じような人生をやり直せる
可能性もあるのに対し、16歳からのそれでは、もう大学生、
はては就職しているものもいる。中卒での再就職は現在では
ほとんど困難で職種も限られてしまう。
力士が再出発しやすくするためにも、義務教育終了後入門
の枠は撤廃して、中学入学後なら入門可にした方がいいと思う。
590 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/15(水) 22:39:57
増位山の足技や玉ノ富士の引きも何ともいえなかった。
大関陣もパッとしなかったのもこの時代かも。
591 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:42:17
そういえば昔のプロ野球選手は、金田正一・尾崎や池永など
高校中退の大投手がいたな。
592 :
待った名無しさん:2006/02/15(水) 22:54:01
北の湖は、ヤクルト前監督の若松と同郷ということで現役時代から仲が
良かった。その関係でヤクルトを応援していたとのこと。
593 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 11:23:01
蔵間に関しては奥様方にもてもてでしたなあ。少年の漏れの耳にも母親を通じて色々聞こえてきて妖しい気持ちになりますたよ。
594 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 15:09:12
北の湖は確かに勉強はサッパリだったけど、初土俵以来の全ての
取り組みを覚えてるらしいね。凄いね。
595 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 16:08:03
>>572 その二番は、昭和の〜名力士〜五にありますよね。
輪島の天才ぶりが如何なく発揮されています。
左下手投げの強烈さと言ったら・・・
北の湖は横綱昇進のプレッシャーで固くなっていた・・・。
輪島が北の湖を語る映像を見ると、目が輝いていますよね。
輪島の想いがひしひしと伝わってくる。凄く熱いですね・・・。
596 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 16:21:39
>>594 その記憶力の良さのお陰で、以前負けた相手との相撲を思い出して、
また負けてしまう、なんてこともあるね(特に朝汐)。
北の湖の連勝記録が32止まりなのもそのせいみたいだし。
597 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 20:54:58
北の湖が朝潮によく負けてたのは憶えているが、もう衰えの見えだした頃だった。
全盛期ならああはいかんと思うのだが。衰退期とはいえ、なぜ朝潮にとくに弱かったのか、
分析できる人がいたら教えを乞いたい。
598 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 21:30:21
輪島を見てると、あの相撲センスからどうしてもあの馬鹿っぷりに行きつくことが出来ない。
相撲の頭脳は高性能コンピュータ並だがそれ以外の頭脳は空っぽってのは滑稽すぎるWW
599 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 22:05:57
54春 北の湖 15-0◎ 前頭1 朝汐 5-10
55春 前頭2 朝汐 10-5 北の湖 13-2◎
55夏 小結 朝汐 10-5 北の湖 14-1◎
55名 北の湖 15-0◎ 関脇 朝汐 11-4
55秋 北の湖 11-4 関脇 朝汐 6-9
56初 前頭3 朝汐 8-7 北の湖 14-1
56夏 小結 朝汐 9-6 北の湖 14-1◎
56名 関脇 朝汐 11-4 北の湖 13-2
56秋 関脇 朝汐 7-8 北の湖 10-5
56九 小結 朝汐 12-3 北の湖 5-4・6休(不戦)
57初 北の湖 13-2◎ 関脇 朝汐 6-9
57春 前頭1 朝汐 8-7 北の湖 11-4
57夏 小結 朝汐 13-2 北の湖 9-4・2休
57秋 北の湖 10-5 関脇 朝汐 7-8
57九 前頭1 朝潮 9-6 北の湖 9-3・3休
58初 関脇 朝潮 14-1 北の湖 5-4・6休
59初 大関 朝潮 10-5 北の湖 8-7
59春 大関 朝潮 9-6 北の湖 10-5
59夏 北の湖 15-0◎ 大関 朝潮 10-5
59名 北の湖 11-4 大関 朝潮 8-7
600 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 22:07:39
北の湖は確か全盛期にも黒姫山を苦手にしてたよね
対戦成績分かる人いますかね?
601 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 22:11:23
北の湖 26-8 黒姫山
北の湖 1-1 天龍
602 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 22:17:54
>>598 輪島の脳ミソには、飲んだり遊んだり歌ったりと生活するのに必要最小限の
機能を除いては全て相撲が詰まっている。
603 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/16(木) 22:34:39
北の湖は朝汐の立会いと相性が合わないのじゃないかなと。
がっぷり四つになれば勝てるはずなんだけども、なぜか攻め急いで叩かれたり
立会いの変化で尻餅をついたり、のど輪で押し出されたりとあまりいい相撲じゃ
なかった。
604 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 22:37:43
そう言えば朝潮は焦れったくなるくらいゆっくりとした仕切りだった。
605 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 23:30:08
>>597>>603 北の湖は高見山を除くとほぼ角界随一の巨漢だった時期が長く(天の山・双津竜など
は上位常連ではなかった)受けて立つ立ち合いが板についていた。
まともに受ける立ち合いで、自分以上の巨体で一気に出てくる朝潮はリーチの短い
北の湖には合い口が悪かったのは事実だろう。加えて指摘あるとおり、ゆったりと
焦らす朝潮の遅い立ち合いは、土俵入りなどからもわかるとおりせっかちな北の湖
には癇に障る嫌な相手だったと思われる。
さらに少しこじ付け気味に言うと、最初の5連敗は長らく張り合った輪島の
引退時期と重なる。責任感の強い北の湖はことさら「第一人者として恥じない相撲を!」
と力んで、巨漢の朝潮の突進を意地になってまともに受けて連敗したのではないか?
それでも力の衰えた最晩年の対決2番は連勝。ここらあたりに北の湖のなりふり
構わぬ意地が見える。同じく最晩年に朝潮との対決が集中した輪島は上手く
転がしていた印象があるな。たしか現役最後の勝利も朝潮戦だったはず。
606 :
待った名無しさん:2006/02/16(木) 23:44:53
朝潮は、千代の富士にも強かった。朝潮が力が衰え始めた昭和60年まで
は、千代の富士も手を焼いていた。なぜか朝潮は、細身の若嶋津には7連敗
を喫するなど苦手にしていた。
607 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 00:30:50
全盛期の北の湖、結果的に負け越したのは
【21-23】の輪島くらいですかね?
608 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 02:13:44
全盛期、しかも10番以上戦ったという条件では輪島くらいでは?
北の湖は輪島という大きな壁があったからこそあんな大横綱になれたと思う。
若くして易々と第一人者になってたとしたら果たしてあのS53の強さまで
精進できたかねえ?
上昇してくる北の湖を何度も弾き返して大きく立ちはだかった輪島は立派な
先輩横綱だったな。
609 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 02:45:23
全盛期ではないという事実を元に朝潮との戦績から逃れる
610 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 07:12:11
逃れるわけじゃなくて対戦成績で負け越しているのは事実だし、
苦手にしてたのは認めるよ。ただ、ここの過去スレか他スレにも
書いたけど北の湖本人は苦手意識は否定してたけど。やっぱり
横綱のプライドがあったからだろうね。
611 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 07:17:24
>>598 そこが天才の天才たる所以。古今東西どんなジャンルでも
偉人とか天才とか呼ばれる人は、ある一つのことに凄い才能を
発揮するけど、それ以外では凡人以下ってことはよくあるよ。
バ○と天才は紙一重てのは真理だす。だからこそ愛されると。
612 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 07:35:59
アインシュタインも物理数学以外の教科はサッパリだった
613 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 19:03:53
>>612 欧米ではそのような天才は、一流大学へ入学出来るけど、
日本じゃ5教科もしくは3教科出来ないと一流大学へ
入学できないからね。
614 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 21:06:24
>>611 まさに、全身コレ相撲、という人(=輪島)w
615 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:09:16
北の湖が朝潮を苦手だと言わないのは、屈折した感情を持っているからじゃ
ないか。大鵬が柏戸になかなか勝てなかったころ苦手だと言わなかったこと
くらいだから。引退後もしばらくは、(大鵬が)最も印象に残る力士に
佐田の山と答えていた。大鵬は、「佐田の山は、常に真正面から攻めてきた
から。」と答えていた。大鵬は、佐田の山に優越感を持っていたのに対し、
柏戸に屈折した感情を持っていた。北の湖も朝潮に対して屈折した感情を
持っていた可能性も否定できないと思う。
616 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:11:46
苦手というより、嫌なんだよ。
勝昭が玉の海をライバルというけど、輪島とは当たるのが
イヤだったというように。
敏満にとって、輪島はライバルだが、朝潮はいやな相手だった。
617 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:27:08
勝昭は並外れた反射神経を持ってて突き落としとか土俵際の技にキレが
あったから曙とか武蔵丸みたいな腰高で土俵際の詰めに欠陥があるタイプには
案外勝ち続けたかもしれんな。
輪島は腰がよく割れていて完璧な摺り足でスススと寄ってくるから
勝昭にとっては嫌だったろうな。
618 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:28:28
実際朝潮は、北の湖だけでなく大関以上の力士に強かった。反面それほど
強くない力士にころっと負けていたね。そのことが優勝回数が1回のみに
とどまった原因かもしれない。
しかし現在では朝潮は、北の湖の参謀役に徹していてかつての敵が今日の
友になっている感じで微笑ましい。
なお朝潮のニックネームである「大ちゃん」は、中学校の担任が当時の
アニメ番組「いなかっぺ大将」の主人公・大ちゃんから名づけた。
619 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:29:17
輪島の腰が割れている・完璧な摺り足って正対してのものだったの?
どうも半身でのイメージの記憶しかない。
620 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:36:20
輪島も北の富士の強さに脱帽していたけどね。日刊ゲンダイで輪島は、
「(北の富士に)後ろ向きでも勝てる。」と言ったことを完全否定
していたよ。
621 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:41:16
>>620 それって初代若乃花んときの「あんちゃん10年早いよ!」みたいなノリで
マスコミが取って付けただけじゃね?
622 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:46:01
個人的な好き嫌いで言えば、朝潮は現役自体も嫌い、今も嫌い。
623 :
待った名無しさん:2006/02/17(金) 22:52:30
>>618 石井代蔵の本だと別の大ちゃんだったような気がする。しかし名前が思い出せない。
624 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/17(金) 23:49:16
朝汐時代は舛田山にいいようにやられてた。
学生の先輩だから遠慮してたのか、叩かれたり意表つかれて両差しで負けたりした。
625 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 00:32:28
>>619 輪島は必ずしも半身じゃないよ
腰を割って自分より小さな相手でも、重身を下げてススっと寄る
神風がよく『盤石な腰の構え』と言ってたね
後、北の富士だが、輪島の顔を見るのも嫌だ、とかつて雑誌で読んだ
相撲の取り口が精密だから、やりにくのかね
626 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 01:52:58
北の富士の相撲は右上手を引いての速攻。上手投げ、外掛け、寄り。欠点は
スピードに任せて腰高で寄ることだった。対して輪島は北の富士相手なら左下手を
引けるし、姿勢は低い。下から絞り上げて攻める。
合い口的に北の富士からみると、輪島の攻めは自分の弱点にぴったりハマってくる感じ。
つくづくイヤな相手だと思うよ。
627 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 10:58:31
北の富士にとって自分充分な型に持ち込んだつもりが、実は相手にとって更に
充分というのは何とも痛いな。
輪島の下手投げのことを
「わかりきってるのにどうしても食ってしまう」
って言ったのはたしか彼じゃなかったっけ?
北の富士は離れても取れる器用なこともあったけど、実は輪島も離れても
取れたんだよなこれが。
628 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 12:18:10
輪島や長岡が幕下付け出しで入門したころは、学生相撲の出身力士が大物と
いうイメージがあるけど、現在の学生相撲出身力士は大物というイメージが
ない。それでも幕内に外国人力士とともに学生相撲力士出身が多くいるから
レベルが上がっていることは、間違いないだろう。
629 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 15:49:41
全般的には上がっているかもしれないが(それとも日本人叩き上げ力士のレベルが落ちたのか?)
突出したのは出なくなったね。幕内中位から十両にはごろごろいるけど。
630 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 15:50:14
北の湖には、現役時代参謀役の蜂矢がいたね。三保ヶ関部屋が人数不足の
ために春日野部屋だった蜂矢が北の湖の付け人に命じられ、最初は気が進ま
なかったけれど、北の湖の人柄に魅せられて、緊張しやすい北の湖を落ち
着かせる工夫などをして信頼されるようになった。蜂矢自身は、主に十両で
活躍して幕内を4場所だけ務めた。しかし北の湖は、引退後蜂矢に自分の
持ち株であった小野川の名跡を譲った。蜂矢は、現役時代自分の取組よりも
北の湖の取組のことで頭がいっぱいになっていたらしい。
631 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 16:25:03
>>630 更に北の湖部屋の部屋付きだったね。
その小野川親方も数年前に50歳の若さで亡くなって、何か寂しい。
632 :
待った名無しさん:2006/02/18(土) 20:55:34
>>628 以前は、学生相撲から大相撲にくるのは、
その学年のナンバーワン(長岡、藤沢、服部、久島等)とか、
二強(輪島・長浜、野村・舛田)とかが多く、
そうでない選手が入門してもせいぜい十両止まりぐらいだった。
相撲はプロとアマの差が大きいというのは定評だったから、
その年のナンバーワンでも体が小さい人などは入ってこなかった。
学生出身力士が大量に大相撲に入るようになったのは、
長尾(舞の海)の成功以降なんだよね。
舞の海はもちろんナンバーワンでもないし、体も小さい。
成功すると思っていた人はほとんどいなかったろう。
それが成功したんで、自分でも、ということになったんだろうね。
633 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 01:10:33
>>632 同じく軽量の成松が入門したとき、後輩に当たる舞の海の活躍で
自分もやってみようと勇気づけられた、とインタビューで言ってた。
二人とも最高位小結まで行ったね。
634 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 01:12:30
635 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 02:52:16
学生時代にライバル関係だった力士は、プロになると意外と差が広がる傾向がある
ように思うな。輪島と豊山もそうだが、出羽の花と舛田山もやや差が付いた。
最近だと武双山と土佐ノ海もそうだ。あと学年は違うが、学生の頃、久島になかなか勝てなかった
栃の和歌がプロでは上になったのは面白い。プロでも実力と地位が拮抗した例はあるのかな。
636 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 03:30:42
出羽の花と舛田山はどちらも最高位関脇だし、輪島と豊山ほどの差とは言えないな。
土佐ノ海も三役常連だったからプロでは成功した部類。
637 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 04:44:12
輪湖時代ではないが、出島・栃乃洋は小学生からのライバルだったとか。
出島は大関になったから差が付いたとも言えるが、まあ大きな差は感じないな。
ちなみにこの学年には海鵬もいる。
638 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 06:31:50
ここの住人で理事長に輪島協会復帰嘆願書(メール含む)で理事長に直訴してみたらどうだろうか?輪島協会復帰は世論の力以外ないと思われ
639 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 07:32:31
協会復帰は絶対にない。
でも北尾のようにアドバイザー的なポジションになってほしいところだ。
640 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 08:34:31
輪島本人は協会に復帰したいとか関わりを持ちたいっていう
気持ちはあるのかなぁ。そこがネックだと思う。
641 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 10:03:38
協会復帰は輪島にとって幸せになる選択肢ではないと思われ。
けど輪島は北尾のような反逆児でもなければ協会に対し悪意を持って
不祥事を起したわけでもない。
ただ普通の人よりマヌケでトロくて常識に欠けててDQNだっただけだ。
あれほどの功労者に対して今の協会の態度はあまりにも冷たい。
もっと協会行事に招待する等して名誉回復を図って協会にも愛があることを
見せて欲しいところだ。
明石家さんまの番組で、あなたの夢を実現させますっていうがあったけど、
もし俺がお願いするとすれば、一度でいいから輪島と相撲を取って
あの黄金の左下手投げで投げられたい・・・
〜輪島の還暦土俵入りの実現を祈って止まない中年より〜
643 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 18:16:15
輪島の土俵入りみたいですねえ。
4横綱の土俵入りの中でも、腰が低く深く割れた、やや前かがみの輪島の土俵入りが好きでしたね
644 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 18:55:29
>>642 輪島の還暦土俵入りは、国技館以外でやることになるだろうな。
北の富士もそうだったから。
645 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:06:56
北の湖理事長の計らいで北の湖部屋の土俵で
輪島の還暦土俵入りを行ってほしい。
646 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:07:12
輪島の土俵入りは、自分が見たことのある横綱土俵入りのなかではいちばん美しかったと思う。
特にせり上がりの際の、やや前かがみの上目遣いで眼光鋭く、少しずつじわーっとせり上がって
いくときの迫力が堪らなかった。いつも自然と拍手が湧き起こったよね。
それに比べると北の湖のせり上がりは、中腰の状態から、まるでイスから立ち上がる時のように
急に膝を伸ばして立ち上がってしまうので、拍手するタイミングが難しかった。
647 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:09:47
昭和50年代前半当時、輪島と猪木ではスター度ではどっちが上だったと思う?
相撲板で聞いてる時点で殆ど答えは決まっちゃってる気もするけど。
輪島の力感こもったせり上がり、北の湖の柏手の快活な音、
これらを越える土俵入りは2度と観られない。
649 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:30:15
輪島の土俵入りの美しさはあの筋肉質の肩から上半身の逞しさによる部分も大きいのだ。
650 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:30:51
14,5年ぐらい前のPLAYBOY誌で藤島親方(故・貴ノ花)が
北の湖のほとんど足を上げない四股を自分もやろうとしたけど、出来な
かったと語っていた。この文章を読んでほとんどせり上がりのない四股も
北の湖の一種の技能だと思ってしまった。
651 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:31:44
652 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 19:37:35
ここの住人で都内でオフ会どうだろうか?千回の頃には暖かくなるしね。
>>652 「浅草御蔵前書房」に行くことをコースに入れておいてね。
654 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 20:46:30
北の湖は、北の富士・琴櫻・輪島の3人の先輩横綱にいづれも勝ち越すことが
出来なかった。それだけ北の湖は、第一人者にのし上がるまで時間がかかった
のがよくわかる。
655 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 21:14:42
GYAOで今「四角いジャングル 格闘技世界一」が配信されてるんだけど
ちょっとだけ高見山、富士桜、長岡が出演してるよ。
656 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 22:13:55
>>652 コースは? 蔵前国技館跡に集合ですか。締めはやつぱり力士経営のチャンコ屋
かなあ
657 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 22:33:34
当時向正面で解説してた巴潟さんのちゃんこ屋に行きたいな。
658 :
待った名無しさん:2006/02/19(日) 23:08:09
若い頃の北の湖はまだ勝ち方を覚えきっていなかった。
勝ち方を覚えてから、恐ろしく強くなった。
輪湖戦の時、何故北の湖は自ら左四つに組むのだろうか?
輪島に左下手をあえて許しているようにも思えた。
かちあげてふっ飛ばさないのかな、ともおもったが、相四つで負けたくない
という意地もあったのかもしれない。
659 :
待った名無しさん:2006/02/20(月) 10:35:51
>>652 是非参加したいけど俺は北海道の片田舎なんで無理だねw
>>655 高見山が「ストリート・ファイトならボク、誰にも負けないネ」と
言ってる奴だね。猪木vsウィリー戦の時も「オレなら張り手一発で
あいつら倒してやる」と言ってたみたい。
S53秋ぐらいに最強期の北の湖と対戦した高見山が四つに組みとめるやいなや、馬力で
あの*kの湖に何もさせず圧倒して寄り切ってみせた一番に戦慄を覚えました。
661 :
待った名無しさん:2006/02/20(月) 16:23:34
>>660 そんなんあったっけ?
53夏だかにじわじわ寄り切った一番はあったけど。
662 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/20(月) 17:28:33
>>660 確か北の湖が相当踏ん張った相撲だった気がします。
相撲を見始めた頃は北の湖に勝ったのそれしか記憶になかったので。
663 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/20(月) 17:34:19
当時の相撲をじっくり収録したDVDでも出てくれないかなと思います。
今までのは比較的新しい人しか出てこないし、著作権と言うかうるさいのは
あると思いますが、ぜひ出して欲しい。
NHKとかで出したビデオもトークも貴重だけど取り組みももっと流して欲しかった。
北の湖新横綱の場所だったか、高見山が吊り気味に振り回して勝った一番も印象深い。
あの北の湖が軽く運ばれた。
665 :
待った名無しさん:2006/02/20(月) 22:23:21
高見山と言えば、貴ノ花戦での誤審が思い出される。
高見山が立合いからノド輪で土俵際まで押し込み、貴ノ花が徳俵で弓なりに
なってこらえノド輪を外して上手出し投げ気味に送り出したはずだったが、
行事軍配は高見山。
貴ノ花は「俺は残ってる」というようなジェスチャーを見せたが、物言いも
付かず軍配通り。
たしかその場所その一番をきっかけに貴ノ花はリズムを狂わされ、ガタガタに
崩れた。(ひょっとして綱取りのかかった場所だったかも)
当時まだ子供で貴ノ花ファンだった俺はだらしない審判団を恨んだ。
>>666なら北の湖は小錦・東富士以下だというのが露呈。
667 :
待った名無しさん:2006/02/20(月) 23:35:07
北の湖にとって高見山は、的が大きいから簡単にまわしを取りやすいの
だろう。北の湖は、高見山のまわしを取って、ブルドーザーのように一気に
土俵外に運ぶ相撲が印象的だな。10年以上前の相撲放送の中入りの時に
北の湖は、高見山について「的が大きくて攻めやすかった。」と語って
いた。
668 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 00:07:20
>>666 立刀山君。ここは君の来るスレではない。君はガチで輪湖を知らず、
愛着もないのだろう。
記録や雑誌から得たうんちくや、荒らしは、他のスレでやりなさい
ここは輪湖時代を愛する人々が、マッタリと集うスレだから…
いたずらに輪島や北の湖を侮辱するのは辞めて欲しい。以上
昭和52年初場所だったか、輪島が苦手な高見山を珍しく一気に(4秒くらい)寄り倒した。
それに触発されたか、数日後高見山と対戦した北の湖は、当たった瞬間に右上手左下手を引いて
右上手投げでわずか2秒で放り投げた。
670 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 00:16:11
>>668 「太刀山型の土俵入りは」は
2chのガキを相手に古参の振りをした若造。
適当にあしらっとけばいいよ。
671 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 00:40:05
>>670 こんばんは。私は
>>668で
>>1なのです
もう、いつの間にかレスも700近いですね。
このスレの住人には、当たり前だが、北海道や地方の方もいる様子
たかが2chされど2ch。
ささやかな場所でも大切にして欲しいですよね
〜オフ会!?それはまた面白い…(笑)
672 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 01:32:26
貴ノ花・高見山戦で思い出すのは昭和45年九州場所、11月25日の一番。
貴ノ花はまだ20才だったんだなあ。じつは内容はまったく頭に残っていない。
この日は三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監部で割腹自殺したその日。
当時、ろくにわかりもしないくせに文学少年を気取っていた私は、この大事件に
呆然として、一番の楽しみにしていたこの取組を見ていてさえ集中できなかった。
ただ勝負は寄り切りで貴ノ花の勝ち。そこだけは憶えている。
673 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 01:47:56
高見山はファンから
愛された個性派力士でしたね。
派手な負け方をする事も
有りましたけど。
青葉山が豪快な塩まきをするのと対照的に
、ほんのチョコッとしか塩をまかなかったのが
印象に残っています。
確か高見山は柏戸に勝った事が
有りましたよね?
674 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/21(火) 12:26:17
オレンジ色のまわしの時から物凄い勢いで太り出した気がする。
ただ、太ったからと言ってスピードがそこまで落ちるということもなかった。
時代はずれるけど、晩年の時に新入幕の大ノ国を一気に寄り切ったのが最後の輝きだった。
675 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 17:52:09
輪湖時代と浅間 三島 高度経済成長かあ^^ まあこりゃあオフ会実現させたい。
676 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 19:31:24
この時代の千秋楽名物、パン・アメリカン航空のデビッド・ジョーンズ氏
のユニークな賞状読み上げも忘れられない。あの北の湖の口元も緩んでた。
因みにこの人が表彰式に登場してたのはいつからいつまでだっけ?
まだ健在なのだろうか。
デビッド・ジョーンズ氏は昨年2月に亡くなりました。
678 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 19:42:05
ヒョーショージョー!
ぐぐってみたら2005年2月2日に亡くなってるね。
丁度一年前か・・・ご冥福をお祈りいたします。
679 :
678:2006/02/21(火) 19:47:22
680 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 20:02:38
>>679 偶然だろうけど91年5月というと千代の富士の最後の場所なんだね
貴乃花の時代にはもういなかったもんね・・・
初代若乃花の最晩年から大鵬、北玉、輪湖・・・戦後の大相撲を彩った名力士たちの殆どに
賞状渡してたんだね。
681 :
680:2006/02/21(火) 20:13:58
>>680 そういうことになるね。改めてご苦労様でしたと言いたいね。
682 :
678:2006/02/21(火) 20:18:13
コテ間違い。スマン。
683 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 21:07:41
オレは輪島が大好きだったけど引退した時に寂しさを強く感じたのは
北の湖の方だった。輪島の引退の時はまだ北の湖や若乃花その他脇役の
高見山や麒麟児なんかもが健在だったし北の湖を通して輪島を感じることができた。
でも北の湖が去った時は輪湖時代そのものが全て終わった感覚に囚われた所為だと思う。
そのちょっと前に蔵前も役目を終えていたしね。
684 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 21:12:06
輪湖時代を回顧するとそれは時代を映す鏡
輪湖時代、私は小学校高学年〜中学生
だから、三億円事件、浅間山荘、三島事件…
当然、もっと上の柏鵬時代を知る方は学生運動の世代でしょう
そう言えば、輪島の世代は今50代後半、浅川マキなんかを聴く学生運動、団塊の世代だろうか
詳しくないが…
685 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 21:15:52
学生運動やってたような人は多分相撲見てないでしょうね。
大相撲はどちらかと言えば打倒すべき体制側のような気がしますし。
686 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 21:36:03
そうでもないようですよ。人によっては相撲ファンもいますから。私の先輩は
旧安保世代の左翼学生だったそうですが、柏戸ファンで、そのあとは北の湖ファン
でした。柏戸は盤石の体制(大鵬)に挑むイメージだと言っていましたが、
北の湖は彼自身が相撲界の大黒柱。結局、理屈は後からつけただけで、たんに
北の湖の力感あふれる相撲が好きだったんでしょうね。
デビットさん亡くなってたんですか・・・
琴桜が優勝した場所(昭和47年九州か48年初)、デビットさんが優勝トロフィーを
持ち上げた直後に転倒したことがありましたね。琴桜が慌てて助けに行くと、
デビットさんは琴桜に「Thank you!」と言ったと当時の新聞か月刊誌で読んだ
記憶があります。その後は、デビットさんが優勝トロフィーを持ち上げるときは、
必ず館内が大騒ぎになりましたね。
合掌
688 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 22:12:46
デビッドさんは、本当は日本語が流暢でペラペラなのに例のヒョーショージョーは
ファンサービスでわざとやってたそうですね。
あ、このスレ来る方々にとっては常識ですかね・・・
689 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 22:16:54
高見山が引退した昭和59年5月にフジテレビの相撲番組で武蔵川
(元横綱・三重ノ海)が「高見山関の突き押しは強烈だった。」と
語っていた。高見山は、横綱・大関陣に対してあまり高い勝率を残して
いないけど上位陣にとって脅威の存在だったのだろうね。
690 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 22:18:36
スレ違いだけど、高見山ってたしか対戦した横綱の数の記録持ってんだよね?
10人くらいかな?
後に誰が最強だったかを聞かれて、迷わず大鵬と答えてたね。
しかも他の横綱とは一線を隔す図抜けた強さだったそうな。
691 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:09:59
大鵬11-0高見山ですもんね。
たぶん12人じゃないですか?他には出羽錦が10人だったような。
692 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:14:59
>>672 昭和45年の九州場所、初日は11月8日じゃなかったか?
693 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:33:25
>>689 フジテレビだったっけ?テレ朝の特番に高見山と高砂部屋の力士が出演して
司会の土居まさるが小錦に「高見山関を頼りにしてるでしょう?」と聞いたら
まだ日本語が完璧じゃないこともあったんだろうけど、「まぁまぁです」と
答えて場内爆笑だったことがある。因みに同じ日の同じ時間帯にNHKでは
北の湖の復活優勝の番組やっててどっちを見るか迷った挙句高見山のほうを
見た。今みたいにHD搭載型DVDレコーダーなんてのはなかったし、当時
オレの家にはまだビデオもなかったからねぇwまさに隔世の感ありだw
694 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:36:09
高見山って水戸泉みたいな感じ?
695 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:47:29
水戸泉ともまたちょっと違うんだよねぇ。
強い時は恐ろしいほどの強さを見せるんだけど
負ける時はホントに拍子抜けするぐらいアッサリ
負けてしまう。まさに取ってみないとわからないって
感じの相撲。そこがまた面白かったんだけど。
696 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:55:06
巨漢・高見山VS小兵
小兵旋風吹き荒れた日の旭国・北瀬海・鷲羽山
名勝負なかったっけ?
697 :
待った名無しさん:2006/02/21(火) 23:56:08
698 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/22(水) 00:15:43
>>694 攻め込む時は曙に近い感じで押したりはさみつけて攻め立てる。
潜られた時は、強引に抱え込んでそのまま寄り切るか極め出してた。
負ける時は、潜られて抱え込めず寄り切られるかゴロンと投げられてた。
輪島とやる時は体を生かして前に出てそのまま突き倒したり押し倒したりしてた。
輪島はじっくり相撲を取らせてくれないから苦手なのかなと。
699 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 00:33:51
>>693 フジテレビでやっていたのは、高見山の特番でなくて夏場所の取組を
振り返る番組だから。
あと高見山引退の特番をNHKで放送出来なかったのは、かつてNHKが
ハワイでジェシーに無断で実家を取材したためとのこと。
>>698 高見山は逆足なんだよ。
普通は下手側の足を前に出す(身体を寄せて相手の逆転技を封じるため)のだが、
高見山は右足を前に出して右足に体重をかける。
で、右おっつけでも高見山の体重をかけている方の足(右足)は持ち上がらず、
左下手投げも効かないというわけなんだな。
北の湖も輪島とやるときに限って逆足になっていたが、これも同じ理由からだと思われる。
輪湖時代の主役は貴ノ花と高見山。
輪湖自体は刺身のツマ。
702 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 01:02:06
花田一族纏めて嫌うのは止めたんだね
オレは事実をありのままに書くだけ。
高見山について語る北の富士
「エモやんのああ言えば交友録」(昭和60年)より
774 30 9119 高見山
705 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 02:35:45
>>692 言われて調べてみたら、45年の九州では、関脇貴ノ花と東前5高見山で12日目に
対戦している。ということは木曜日。この年のカレンダーでは26日になってる。
とすると三島事件の翌日か?当日だと思い込んでいたが…
そのうえ、もし初日が8日だとしたら、千秋楽は22日のはずだから、私の記憶は
根底から間違っていたことになる。んな馬鹿な!
まあ相撲自体とは関わりないことだから、日付の穿鑿はやめとくけどね。
706 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 02:51:56
なんか怖い・・・
707 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 03:43:20
輪湖は異質の個性の衝突だった学士と叩き上げ あんこと筋肉質 華麗と地味 貴輪は共通点が多い筋肉質 華麗と言う意味でね。ただ年配の理事は内心北の湖を指示していた節があるよね。貴輪は力士らしからぬ芸能人的要素が鼻についていたのではなかろうか?
小錦が強かった頃、作家の誰かが
「小錦は愛されたければ、高見山のように『八百長』というものを学ぶべきだ」
と書いていた。
709 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 12:38:19
太刀山は40ぐらいだと思う
輪湖の頃は相撲に興味なさそう
710 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 12:57:31
40前後だと輪湖に一番興味あるから千代の富士に興味ある太刀山は30前後だと思う
711 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 13:03:32
完全スルー
713 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:14:52
>>703 傷ついたのかい?
人をさんざん傷つけたバチですねえ。
「事実」って本で読んだだけだろ?
>>701嘘付け。
>>713 輪湖なんて相撲ヲタ以外は興味ない。
高見山と貴ノ花の芝居がなければ、復興はなかったよん。
まあオレは指摘されてる通り白鵬世代のモボなので、
輪湖時代なんつう、そんな古い時代知りませぬが。
715 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:22:43
>>714 >高見山と貴ノ花の芝居がなければ、復興はなかったよん。
?????
717 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:27:40
このヤオ厨が
718 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:28:39
>>718 貴ノ花はクラスいる障害をもつ子のようにみんなによくしてもらってた。
720 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:34:02
>>719 あんた、貴ノ花の土俵人生を知らないな。
>>720 ヘドが出るほどよくできたお芝居ですた。
722 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:36:46
>>701 リアルで知ってる人達にとって輪湖時代の主役は紛うかたなく輪島と北の湖。
貴ノ花と高見山は土俵に華やぎを与えてくれる人気力士であっても主役では決してない。
ってなわけで太刀山という釣師は相撲を知らないことが決定しました。
723 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:38:14
いろんなところに書いている内容から見て、
「太刀山型の土俵入り」が実際に見てるのは、
昭和60年以降ぐらいだと思うぞ。後は聞きかじり読みかじり。
そのつもりで相手にしては。
だから白鵬世代だって書いてるやん。
何を今更。
725 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:43:30
立ち山形、相手してもらえるようになったみたいたぞ
良かったね
だから白鵬世代だって書いてるやん。
何を今更。
727 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:46:14
>>723 ほんとだあなたの読みが図星だったんで今度は極端に若く言ってごまかそうと必死w
ってな訳で太刀山の年齢は30前後と決まりました。
やったー。
729 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:54:06
>>722 そうですね。輪湖時代の主役は、当然輪島と北の湖でしょう。
そういえば輪湖時代は、出羽海一門と二所ノ関一門の
対決色が強かった感じがする。
731 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 22:55:29
すっかり主役になっちまったな
おいちゃん達、早く辛い人生を昔話で慰めあいなよ。
遠慮せずに。
733 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 23:11:43
太刀山型がスレに乱入すると良スレでなくなると
感じるのは、私だけだろうか。
734 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 23:15:59
>>732 なんだおめー、
相撲板のおいちゃんではなかったのか。
735 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 23:16:59
太刀山に柳川を語ってもらいたい
>>735 泥鰌は前の晩にちゃんと泥を吐かせとかないと泥臭くて食えたもんじゃない。
両国橋渡って交番のすぐ隣の店は趣きがあってよい。
737 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 23:20:58
まあ、なんだな。
ちっこいおいちゃん(太刀山型の土俵入り)が
でっかいおいちゃんにつっこまれてあたふたしている、
という話。
太刀山は修行がたりんよ。
738 :
待った名無しさん:2006/02/22(水) 23:23:45
おどけて負けてない負けてないのアピールだけではどうにもならんよ
やっと、おいちゃんたちも元気になってきたようだな。
まだまだ老け込むには早いのだからガンガリなさい。
740 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:08:48
太刀山は徹底スルーで行きましょうや
せっかくの良スレが台無しになる
741 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:09:16
負けてない負けてないだけのアピールではどうにもならないんだよ
釣られて負けてるのは貴乃花親衛隊だろw馬鹿だから仕方ない
負けてない、負けてない、一休み、一休み
次CM
743 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:32:08
やっぱり負けてないな カッコいいわ
↓以下想定内の無駄カキコ
チェルシーvsバルサは
0−3でバルサの勝ち。
輪湖時代はアヤックス最強時代。懐かしい。
745 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:37:40
太刀山今日は徹夜だぞ
4時に起こしてくれ。
747 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:39:32
じゃあ四時にシコ踏むから
そしたら皆起きちゃうかも
輪湖時代をまともに見なかったのは惜しくはない。
なぜならオレンジ軍団を見られたから。
オレのドイツサッカー嫌いは74年W杯に始まり、82年・86年で増幅し、
97年CL決勝で不動のものとなった。
あっもちろんオレはダイヤモンドサッカーなんて見てた世代じゃないよ。
なんせ而立だし。
750 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:44:36
松本人志になにひとつ勝てずに叩く男は違うな
芸のない芸人か。
なるほど松本人志と貴乃花はそっくりだ。
752 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 00:55:26
芸のない芸人にすべてにおいて負けてるだけあってやっぱりすごいな太刀山型さんは
>>752 すごかろう。
崇めることを許してつかわす。
756 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 05:00:55
太刀山必死じゃのう。よほど痛いこと言われたか。
757 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 05:28:45
こっちにまで足伸ばすようになったか>太刀山
まぁ来るなとは言えんからあまり頓珍漢なこと
言って引っ掻き回さんでくれよな。
>>756 あら?なにかお気に障りましたかしら?
というかブレーメンに先制されんなよ。はよ逆転しやがれ。
>>757 頓珍漢なことって北の湖の方が千代の富士より強いとかっていう寝言?
そんなことは言わないよん。
よし、書き込んだら同点になったからもう一回書きこんだれ。
輪湖は糞
いおっしゃ逆転。
さらに言おう、輪湖が最高とか言ってる連中は貴乃花レヴェルのキチガイ。
相手が先制→同点→逆転→同点→相手が逆転
うーん輪湖チック
762 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 07:31:25
書き込むだけで同点とか逆転とかってなるんかw
ほんじゃオレも。
輪北時代は最高!
763 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 07:33:02
これで同点か。ほんじゃもう一つ。
輪北は最高にレベルの高いライバル同士!
764 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 07:34:13
逆転したな。ほんじゃこの後は忙しいんで
後でまたROMっとくわ。ノシ
765 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 07:36:26
×輪北
○輪湖
まぁ意味は通じるからいいか。
ほんじゃノシ
767 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 07:55:41
太刀山は30前後じゃない
自分と同世代と思えない
言うことが微妙にこの世代じゃない
40前後だけど、割と大人になってから相撲に興味を
持ったと思う。72年から77年生まれと思えない
769 :
762:2006/02/23(木) 09:32:14
771 :
762:2006/02/23(木) 09:41:15
フットボールに興味あるのがマジョリティか?
けどここではオマエがマイノリティーだよ。
てか明らかに異分子だな。
772 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 11:05:09
多分35歳くらいだろうな、あの馬鹿は
いつのまにか良スレが荒らされてる・・・・
完全にスルーしよう、このスレが荒れるのは悲しい
773 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 12:17:20
以降完全スルーで
774 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 13:17:32
春場所の思い出の土俵が輪湖時代であることを切に望む。
775 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 13:31:08
52年春の輪湖戦あたりがいいね
776 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 13:55:31
【輪湖戦を見る我が家】昭和である。豆腐屋のラッパが聞こえる
我が家はコロッケ
【輪湖千秋楽決戦】
庶民的な食卓。小学生の顔はニコニコ。ニュースを見なくちゃ
翌日、通学路、友達と 『昨日、見た?』
『見た見た輪島がさ』 『ウィークエンダーも?』 『見た見た』そんな時代…
777 :
待った名無しさん:2006/02/23(木) 14:29:55
ウィークエンダーもドリフも、週刊誌が騒いでいたが
友達は大抵見ていた
通学路の話題は野球や相撲だった
母ちゃんは若三杉のソース!?を豚カツにかけたりしていた
778 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/23(木) 17:36:34
ファンではないけど、北の湖がなかなか負けないというのも今思えば良かった。
勝てそうな力士がいたにもかかわらず、でも北の湖戦となると発揮できず負ける。
鷲羽山・黒姫山・麒麟児・富士桜・玉ノ富士など挙げたらキリがないくらい。
779 :
待った名無しさん:2006/02/24(金) 23:44:22
この頃の「相撲」に小島貞二とかいう、安芸ノ海の付け人をやっていた頃が人生の頂点だった
じじいがよく駄文を載せていたが、あのおっさん今何やってるの?
780 :
待った名無しさん:2006/02/24(金) 23:49:04
>>779 おととしか去年くらいに亡くなっている。
781 :
待った名無しさん:2006/02/24(金) 23:58:46
>>779 小島貞二って中身ないよな?
まるで誰かさんみたい。
782 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 03:43:49
マジで都内オフ会キボンヌ。誰もいない場合不肖漏れが幹事スルヨ!
783 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 11:21:04
>>778 そういえば昭和53年九州場所初日に6連覇がかかった北の湖が麒麟児に
掬い投げで敗れて連覇に黄信号が出た。その後11連勝したものの13日目
に黒姫山に敗れた後緊張の糸が切れたのかその後輪島と二代目若乃花に
連敗し、6連覇を逃した。本当に残念だった。しかし翌昭和54年初・
春場所と連覇した。このころが北の湖のピークだったのだろうな。
輪湖の絶頂期は
輪島 昭和48年
北の湖 昭和53年
二人とも25才あたり!?
昭和51年と52年の12場所中10場所輪湖!
で制覇したのは見応えがあった
後、黒姫山だが、両横綱にとって、気の抜けない嫌な相手だった
特に甘い立ち会いをすると出足と突き落としが怖いよね
785 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 12:24:27
昭和49年名古屋場所千秋楽に本割で輪島が北の湖を勝ち、その後優勝
決定戦でも輪島が北の湖を下し逆転優勝となった。その後千秋楽の本割と
優勝決定戦でともに勝った逆転優勝は、昭和63年春場所の大乃国が
北勝海まで14年近くも無かった。いかに本割と優勝決定戦でともに
勝つことが難しいのかよくわかる。
786 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 12:36:11
>>785 北出清五郎さんの回顧録に、S49のその優勝後の輪島の祝賀パーティーの
様子のことが書かれていて、美空ひばりさんが来てくれると輪島が子供のように
はしゃいで喜んでいたそうだよ。
輪島の童心というか無邪気さが好意的な意味で書かれてたように覚えてる。
787 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 14:17:44
輪湖時代を象徴する記録が「千秋楽結び対戦連続回数」15回。
@昭和50年9月〜昭和53年1月
この数字はダントツ!
解説の神風?だったか、この記録を賞賛していたのを覚えてる。
788 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 14:48:40
もう少し経てば対立横綱の象徴は栃若でなく輪湖になると思われる
789 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:07:00
>>788 というより現在の対立横綱の象徴は、柏鵬じゃないかな。絶対的な強さを
持っていた大鵬に対して唯一対抗しえたのが柏戸だけということもあると
思う。現に白鵬という四股名の力士がいるのだから。
>789 柏戸廚滑稽杉
791 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:11:31
>>789 いや栃若でしょ。柏鵬は栃若や輪湖に比べると対戦の内容では大分劣る。
792 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:17:36
力がほぼ伯仲していたという意味では栃若と輪湖のほうが勝る。
ただ、栃若は両者が横綱になって拮抗したのは二年ちょっと。
若が大関で、栃がたびたび横綱昇進を阻んだ感じ。
柏鵬は柏戸が休場がちだったのがやはり響く。純粋な柏鵬時代は
昭和41年から42年にかけて位のものだし。
横綱同士の拮抗という意味では輪湖が最高のものであろう。
793 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:19:57
>>791 栃若は技の競い合いという感じだけれど、柏鵬は力の競い合いという感じ。
あと柏鵬は、日本の高度成長時代の真っ只中だから象徴になっているところ
もあると思うけど。
794 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:23:20
S53北の湖vsS60千代vsH8貴乃花vsH17朝青龍のスレの住民なんですけど
オフ会やるならよかったら合同でやりませんか? 興味ある人が
多いのでどうでしょう?
795 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:24:27
>>792 確かにそうでしょうね。ただ輪湖は、日本の低成長時代だったために
柏鵬と比べて過小評価されている点があることは、否めないと思う。
796 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:29:58
>>794 面白そうですね
自分はあまり詳しくは無いので聞き専門になりそうです
797 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:32:58
現代厨が乱入したらオフ会は台無しになるがな
798 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:36:03
現代厨は来るわけないし、例え来たとしても大人しくしてると思う。
彼らはネット上だからこそ悪態をつけるわけで。
799 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:41:09
ハワイ厨とか太刀山とかも来るのかな
800 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 20:56:33
経済情勢と強豪横綱の評価は、リンクしているような感じがする。
高度成長とバブル経済の時に強かった大鵬と千代の富士の評価が
高かったのに対し、低成長時代の時に強かった北の湖は、あまり
高く評価されていない感じがする。
801 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 21:01:01
昔は、相撲は不況時に強いということが言われてたよ。
803 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 21:08:41
栃若時代→大相撲人気高し
大鵬の時代→大相撲人気停滞
輪湖時代→大相撲人気高し
千代の富士の時代→大相撲人気停滞
曙貴時代→大相撲人気高し
朝青龍の時代→大相撲人気停滞
804 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 22:18:56
>>802 それは2ちゃんに参加してる世代の間だけ。
俺の周囲の年輩の相撲好きに聞くと圧倒的に大鵬という意見が多いけどな。
栃若から知ってる人達でもやはり大鵬がダントツだと。
805 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 22:40:27
>>804 いや802さんの言うとおり北の湖が最強だったという人もかなり多い。
実際昭和50年代の相撲番記者の間では、大鵬より北の湖のほうが強かった
とする意見が多かった。北の湖本人は否定しているけど、祝儀が親方に
全て取られるから優勝に貪欲でなかったと言う人が多かった。
解説の玉の海さんも「戦後最強は北の湖」と絶賛して憚らなかったな。
大鵬は負けない相撲、北の湖は強い相撲だから印象もまた異なる。
808 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:20:38
大鵬は稽古場でも負ける事はめったになかったそうだけど、たしかに
当時の北の湖の稽古場の強さは大鵬以上と言われてね。
ただ、本場所になると北の湖は勝つ時の強さはすごいが、たまにモロく
負けることもあったけど、大鵬は本場所でもそういった面はまったくなく
本当に憎ったらしいほどしぶとくて負けなかったそうだ。
809 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:28:24
>>808 大鵬はリアルで見ていないからなんとも言えないけど、
全盛期でも北の湖は勝ってもヒヤッとする場面を数多く
見てきた記憶がある。
810 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:35:57
北の湖は、どんな相手にも常に全力で戦う事が相手に対する優しさである、
という相撲哲学を持ってて、それが仇になり自滅した相撲も多かった気がする。
逆に大鵬は第2次6連覇の頃など、周囲より力が突出しすぎて、大関横綱
以外の相手には力を入れてるように全然見えなかったらしいね。
811 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:37:38
玉の海ってあの強い玉の海でないことはわかるが
誰?
812 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:40:12
そりゃ最強の相手が大鵬しか相手がいないのに旭富士程度の成績だもんな
813 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:41:29
大鵬は恵まれすぎ。柏戸でも今なら関脇止まり
814 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:42:28
>>810 あと大鵬は、晩年の頃叩き込みなど引き技が多くなって
かなりの批判を浴びたらしい。
815 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:43:21
変な人が紛れ込んできてますね
816 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:45:32
最強論争??に水を注ぐつもりはないのですが、ちょっと話題を変えて、ニックネームでの思い出(一部既出)
足取り名人:吉の谷(短期間だったが小兵であることを最大限に生かした力士)
小兵続きで「小兵トリオの旭國、鷲羽山、北瀬海 」
黒姫山:何度も話題に出ているが、あだ名が「D51:デゴイチ」。黒姫山と頭から当たることを多くの力士が嫌っていた。立浪部屋では、大関の旭國を差し置いて稽古場横綱だったとか。
角界のプリンス 貴ノ花 VS 蔵前の星 輪島
花のニッパチ 北の湖、若乃花、麒麟児、金城、大錦
ピラニヤ・相撲博士の旭國・・・等など
それから、「黄金の左」の輪島をもじり、晩年の北の富士は「黄金の引き足」といわれていた。
輪湖時代は多士済々で個性豊かな力士が輩出された本当によき時代でした。
817 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:47:32
>>811 故玉ノ海梅吉さん。
故神風さんと共にNHK大相撲放送の創設期からの名解説者で
両者の解説は輪湖時代もっとも脂が乗っていた。
大鵬は幼少時だがリアルで見ていた
大鵬と北の湖では印象が大分違う
大鵬は攻守のバランスがよく、粗い点は
晩年の無造作な感じの掬い投げかな
北の湖は凌ぐと言うより勝ちに行く相撲
攻撃力は北の湖、攻守のバランスでは大鵬
囲碁で言う「凌ぎ」が大鵬にある点、やや大鵬が有利かな!?
819 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:52:38
>>811 解説者の玉の海は、戦前怪力力士と慣らした。実力は大関級と言われながら
玉錦の急死によって親方と力士の二枚監察となって成績が上がらなくなり
関脇どまりとなった。なお横綱・玉の海は、大関時代玉乃島と言う四股名
だったが、先代の玉の海さんに志願して玉の海の四股名を名乗らせてもら
った。ライバル関係にあった北の富士は、今でも玉の海のことを島ちゃんと
いうニックネームで呼んでいる。
>>816 懐かしいですよね
横綱から平幕までね
ニックネームなら
わかじし→座頭市を加えて下さい!
821 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:58:21
>>818 もし大鵬と北の湖との対戦が実現したら柏鵬対決なみの
好取組になりそうですね。
822 :
待った名無しさん:2006/02/25(土) 23:58:49
>>818 つまり、典型的な“柔”の相撲の大鵬に対して、
北の湖はどちらかというと“剛”の要素が強い感じですかね?
>>821>>822 面白い対決です!
ただ、輪湖回顧スレの良い点は
夢の対決を語りはしても一方的に断定しない事
北の湖が鋼で大鵬が柔なのはほぼ間違いない
どちらが強いかは永遠に謎であり、夢なんでしょうね
824 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:18:32
ニックネームの続き
突貫小僧の富士桜。見たまんまです。麒麟児との対戦が有名ですが貴ノ花との取り組みも面白かったですよ。
富士桜いわく「貴ノ花は下から手を跳ね上げるのがうまかった」
貴ノ花いわく「富士桜の突っ張りは肘まで使ってくる」
それから、富士桜は山梨県出身で巨人の元監督である堀内恒夫と同級生。
堀内いわく「子供のころによく相撲をとって投げ飛ばしていた」そうだ。
輪湖時代、例えば小学生だった方、
休憩時間や放課後、校庭や砂場で
相撲取りましたよね!?
私は輪島形で下手を引いて絞りました(笑)
やはり、突っ張る友達は苦手でしたね
後、栃赤城みたいなこんにゃく相撲や黒姫山タイプも嫌でした
良く、勝ち抜きクラス対抗戦やりました(笑)
826 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:36:14
>>820 親方を廃業した若獅子は、現在杉並区で讃岐うどんの店を経営している
そうだ。結構評判のいい店らしい。
>>824 あと富士櫻は、元阪急の中沢捕手とも仲が良かったそうだ。
827 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:37:29
>>820 若獅子ですか。
我々が力士をアップで見る機会といえばインタビュールーム。当然ニコニコ状態ですよね。若獅子の目は本当に細かった・・・というより無かった。あれで見えてたのだろうか??まさしく座頭市。
828 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:45:29
>>825 良く取りました。そして、ベルトを通す紐がずたずた。親によく怒られました。お袋スマソ!!
829 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:47:41
大関・貴ノ花が天の山との5度目の対戦で初めて勝ったけど、そのときの
天の山には疑問に感じた。4度の対戦までは、突き押しで貴ノ花に勝って
いたのに5度目の対戦では何故まわしを取りにいったのかかなり不思議な
感じがした。
830 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:54:11
>>826 若獅子は廃業したのですか。借り株で綱渡りでしたよね。貴乃花親方に首切られたのかな・・・二子山株があまってるのに・・・
831 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 00:58:11
832 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 01:01:16
>>828 私も怒られました(笑)
私は東京なのですが、歩いて通学時間が45分もかかりました
当時は防災無線で、
『後5分で停電します』とかね・・・・・・
室内アンテナの具合が悪かったり、
テレビのスイッチが変な具合で、1.5chに固定しないとNHKが見れなくなったり・・・・ね
833 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 03:09:26
貴ノ花の細い体に似合わない力強い吊り寄りが好きでした・・・
834 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 07:23:15
白鵬と似てるよな
835 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 07:40:49
>>825うちの小学校には土俵あってよくとってたっけなぁ。なかなかうまく決まらない上手投げとかしてましたよ。
836 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 09:02:11
>>825 漏れは増位山の内掛け、二子岳の内無双を使ってた。
837 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 09:13:16
>>835 土俵ですかー凄いですねえ。神社にはありましたね、土俵が。
上手出し投げは渋いですねえ。級友に太った子がいて
荒勢のがぶり寄りをしてましたね
そう言えば蹴たぐりをされて、砂場に顔を突っ込んだりね
やはり『時代』ですかね?
838 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 09:22:32
あう、よく読んだら上手投げでした
上手投げは、強烈な北の湖タイプと
下手捻りを合わせた若乃花Uタイプがあり
好きな子は真似してましたね
内掛けは増井山、外掛けは魁傑、内無双は他に旭国とかね・・・
839 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 10:11:13
旭国はとったりだったな。
840 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 10:36:11
青葉山の吊り、三重ノ海の出し投げ等も。
841 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 11:59:57
昭和52,3年ごろの大相撲は、北の湖が最強だったけど、
ボクシングは具志堅用高が頂点だったな。小学生だった
自分は、どっちか強いか考えたことがある。
若獅子といえば、昭和51年に11勝4敗を2回記録したあたりがピークだろうけれど、
印象でいえば、昭和49年初場所の上位撃破だね(6勝9敗だったが)。
琴桜、大麒麟を蹴たぐりから叩き落とした相撲が光る。
843 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 15:33:03
>>841 懐かしいなあ・・・。
俺も当時小学生で、無敵の象徴といえばその二人でした。
具志堅がノックアウト負けした夜はショックで寝つけませんでした。
北の湖は引退発表の時よりもむしろ、それ以前、
全盛期からは見る影もなく弱くなった相撲を見るたびに
時代の変遷というか、一抹の寂しさを感じました。
844 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 17:28:34
輪島も北の湖も本場所で大鵬と対戦したことはないよね?
845 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 17:41:28
>>844 無いよ。輪島はほんの数場所のすれ違いだけど。
846 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 17:43:05
輪島は惜しかった、昭和46年3月は大鵬が西横綱で輪島が西5枚目
あの場所に対戦してもおかしくなかったな。翌場所大鵬は引退してしまった
847 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 19:19:54
前他スレにも書いたから怒られるかもしれんけど・・・
北の湖の全盛期ってブッチャーの全盛期と重なってるよね。
この二人の対決見てみたいと思ってたのはオレだけ?
スレ違いだけどここの人達ならもしかしたら
わかってくれるかもしれない、と思って書いてみました。
実際のブッチャー全盛期をPWF奪取以前、
つまり、S54度CC優勝以前と見るあなたの目は確かだと思います。
何と言うか、なかなか負けない不気味さがどちらにもありましたね。
849 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 22:30:57
ブッチャ−なぁw
北の湖との共通点と言えばデブっちょでヒール(特に輪島、貴乃花ファンから見れば)
って事くらい?あ、あと憎たらしいってことかw
でもいくらなんでも北の湖に失礼だろw
技が頭突きと地獄突きしかないブッチャ−に対し、素早いまき変えや相手の
まわし切る技術など、北の湖には確かな技術と実力があった。
850 :
待った名無しさん:2006/02/26(日) 22:53:51
そういえば北の湖は、巨漢の割りに動きが素早かったな。
じっくり攻めるというより早く攻めると感じだったな。
これが下位の力士に数多く取りこぼした原因だろう。
間違いなく北の湖は、柏鵬だと柏戸タイプだと思う。
因みに高見山は、柏戸と北の湖に金星を挙げた
唯一の力士である。
851 :
847:2006/02/27(月) 00:38:50
>>848 確かにs50年代前半が全盛期でピッタリ重なってるんだよね。
>>849 いや、そりゃ実際戦ったらどうか、とかそれはわからんけどさ、
てかそもそもあり得ないんだけどさ。でも当時のオレにしてみたら
夢の対決だったんだよね。中学生から高校生にかけての時期だったけど。
まぁ、オレも若かったw
>>849 当時のブッチャーの決め技はエルボードロップだったよ。
853 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 10:22:30
俺はスタン・ハンセンと北の湖のどっちが強いか気になってた。
北の湖の当たりとハンセンのラリアートと。
854 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 14:36:58
体全体で当たる分だけやっぱり北の湖のほうが強烈じゃないかなぁ。
でも確かにあれはプロレス史上に残る必殺技なのは間違いないね。
因みにオレが一番食らいたくないと思ったのはブラジルの頭突きw
あの馬場さんも「あれだけはチョット・・・」みたいなこと言ってたw
輪湖時代は東西横綱の見事な拮抗だが、
他の力士も素晴らしい個性の宝庫で、
個人的には旭国の相撲は見応えがあり、
技能賞の常連だった
中学校の移動教室の宿で見た、北の湖との全勝対決は面白かった
今もお元気なのだろうか?
856 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 19:09:54
>>854俺も勝手に想像してたっけ。そういやこの時期猪木が横綱とでもやってやる!?みたいな事ぶちあげてなかったっけ?異種格闘技戦なんてやってましたよね。
857 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 19:27:56
この時期の輪島vs猪木の睨み合いだけなら見たかった。
両者とも眼光鋭し。
プロレス入門後の輪島には、あの迫力が無くなっちゃってたのは惜しかった
858 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 21:29:04
現ノアの田上(元玉麒麟/初土俵 昭和55年 1月 、新十枚目 昭和61年 5月、最高位 十 6 最終 昭和62年 7月)が言っていたが、人生でもっとも衝撃を受けた技は北の湖のかち上げ@稽古場だったと・・・三沢のエルボー、ハンセンのラリアットより強烈ということか・・・恐ろしや。
859 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 21:34:02
そりゃあプロレスの技は相手にダメージを残すような使い方したら
プロ失格ですから。
860 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 22:58:30
北の湖とブッチャーって体型ソックリだと思っていた人はオレだけかな・・・
861 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 23:18:40
>>816 土の匂いのする力士 旭國・大受
大受は、怪我のために大関在位わずか5場所だが、勝率は5割を
超えている。本当は、実力のある力士なんだね。早すぎる引退は、残念。
862 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 23:21:46
ブッチャーよりも北の湖の方が巨乳だったお。
たれ乳の大錦の方がブッチャーとクリソツだったお!
863 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 23:33:51
>>862 大錦は、新入幕で横綱・琴櫻、大関・貴ノ花を破っていきなり三賞独占して
入幕二場所で小結になった。その後腰を痛めて低迷し、再び幕内に戻って
何回か三役復帰や三賞獲得のチャンスがあったけど、ついに念願を叶う
ことが出来なかった。
864 :
待った名無しさん:2006/02/27(月) 23:44:19
大錦も大受も素質はあったが、結局、怪我や故障があったのだね
闘病を乗り越えて、大関になった旭国…
大受は大関が短命だったから、見始めた時は平幕だった
新大関だった北の湖との対戦で膝を痛めて休場に追い込まれ、
カド番で迎えた翌場所は6-7でこの一番に勝てば優勝の北の湖と対戦して完敗し、大関から陥落。
結局大受は大関になって以降一度も北の湖に勝てずに終わった。
実際『貴受時代』を知ったのは
貴ノ花初優勝の特別号の記事だった
記憶は貴受時代の後の、 『貴輪時代』から始まり、輪湖時代に突入
大受は弱いと言うイメージしかない…
867 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/28(火) 00:16:49
大錦はなんだかんだ長持ちした力士だと思う。
大潮・琴風もそうだけど、輪湖時代に怪我して落ちて復活した時は
時代が変わってた。
868 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 00:23:48
玉手箱さんのところで確認してきたが、3役はこの場所限り。
ところで、
>>大錦は、新入幕で横綱・琴櫻を破っていきなり・・・
この一番をリアルにTVで見ていたのだが、流れが思い出せない。琴桜がばんざい状態(アナウンサーが絶叫していた)だった姿が思い浮かぶのだが、1)ばんざい状態から大錦が寄り切った。又は2)次の場所、ばんざい状態をしのいで琴桜が大錦を寄り切った。
どっちだったろうか。
869 :
847:2006/02/28(火) 08:21:13
>>860 オレも思ってた。それもあってこの二人の対決が見たいと思ったんだよねw
でも相撲とプロレスって繋がり深いね。そもそも力道山が相撲からの
転向だったし。今でこそ色んなスポーツからプロレス入りする人が増えたけど、
初期の頃はほとんど柔道か相撲からの転向組だった。
スタン・ハンセンがMSGシリーズ初めて決勝進出したのはS54年、
初めてNWFを獲ったのはS55年だったはず。
それ以前から全盛期の北の湖とオーバーラップさせていた
>>853さんは
とても鋭い観察者だったと思います。
871 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 17:16:01
漏れ達の人生と輪湖と2チャンネルに乾杯オフ会実現させようよ!
872 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 18:46:11
873 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 19:28:58
>>872 これは説明が間違ってるよ。初めてタイトルに挑戦したのは
確かに1977(s52)年だけどタイトル奪取したのは1980(s55)年だよ。
2月8日ってのはあってるけど。スレ違いだからこれ以上細かくは言わないけど。
874 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 19:55:21
北の湖は、TBSの「ブロードキャスター」で「同年代の金城や大錦には
絶対負けたくないという気持ちでやっていた。」と語っていた。
北の湖は、彼らに対しては同じニッパチ組で出羽一門であるがゆえに
かなり意識していたのだろうね。
875 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 19:57:44
大錦も地味だけど腰が重くていい力士だったよ。
半身からの速攻なんかもあったりして。
876 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 20:01:19
>>875 大錦は、腰を痛めていたために半身にならざるを得なかっただろうね。
877 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 20:04:20
輪湖全44番完全収録のDVDかそれに近いモノ出ないかね?
もちろん貴ノ花や若乃花も絡めて。
如何せん既出のビデオでは輪島の登場少なすぎ。
Numberのスポーツビデオあたりに期待してるんだが。
878 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 20:10:45
>>876 いや、半身というのは悪い意味で言ってるんじゃないですよ。
半身の形というのは守りに強く、それでいて腰の重さもあり
更に出足もあったので、大錦が自分の相撲を取りきれれば
脅威の存在ではありました。
ただ、三役〜平幕力士の常で、自分の相撲がなかなか
取りきれないではいましたけれど。
>>870 >>873 板違いで申し訳ないけど、初めてハンセンがラリアットを披露したの
いつくらいだか分かります?確か上田馬之助辺りに決めてたような記憶があるんですけど。
次の日、学校で「ハンセン凄い!」と話題になってた記憶があります。
880 :
873:2006/02/28(火) 20:36:37
>>879 あのね・・・ハンセンはデビュー当時からラリアート使ってたハズなんだよね。
だから当然昭和50年の初来日(全日)でも使ってると思うんだけど、その頃は
前座だったからオレは見てない。初めて見たのはやっぱり2回目の来日で新日の
リングに上がった時だったと思う(昭和52年)。因みに上田に決めたってのは
多分昭和54〜55年頃だと思う。
うーん・・・。
引きずって申し訳ないけど、S53頃のハンセンはパッとした存在じゃなかったんでしょうか?
猪木がボックに負けた時、ハンセンと戦わせてみたいと思ったような記憶があるのですが・・。
882 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 21:30:11
輪島は足腰がかなり良いせいか投げで負けることが割と少なく
寄りたてられて負けることが多かった。
輪島は水入り相撲で勝ったことがないからスタミナがなかったと感じる。
後半は上手さと技の切れで息切れを補えない相撲が多くなった。
883 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 21:52:04
輪湖決戦全44回の内、
北の湖が上手投げで1回だけ勝っているが
輪島は上手投げ1回、下手投げ6回(優勝決定戦・1回含む)、掬い投げ1回 輪湖対戦だけ見ても、確かに投げ技で輪島余り負けないね。
何故かな・・・・・・
884 :
873:2006/02/28(火) 21:57:37
>>881 本来はプロレス板で話すべき事だと思うけど・・・
昭和53年頃はダメ外人てわけじゃないけど飛びぬけた存在でもなく
平凡な外人って感じだったと思う。54年のMSGシリーズの決勝に
進出した時もまだそんなに評価は高くなかったと思う。ハンセンの
評価てか人気が決定的になったのはやっぱりs55年からだね。
だからもし猪木がボックに負けた時(s53年)、本当にハンセンと
戦わせてみたいと思ったなのならオレはむしろあなたの見る目に
驚嘆するね。あの時点で後のハンセンを予想してたみたいなもんだから。
多分それは後からそう思ったんじゃないかなぁ。かなり前のことだから
失礼だけど記憶が混同してる部分があるんじゃないかと思う。
885 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 22:39:01
>>882 若いときだけど、有名な貴ノ花戦では勝ってるよ。
886 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/02/28(火) 22:48:39
>>883 輪島は両まわしがっぷりとってたイメージがある。
十分な体制になれば振り回されるようなことはあまりなかった気がする。
ただ、攻め込まれると豪快に押し出されたり転んだりしていたのも記憶に残ってる。
増位山の大関のかかった場所で、外掛けか内掛けでどどっと前に攻め込まれて
背中から落ちた相撲もあった。
887 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 23:12:02
北の湖戦で輪島が上手投げで揺さぶられる場面もあるけど、
輪島は送り足が上手い
後、四ッ身の重心が低いから、投げで転がる場面は余りないね
対北の湖戦だと、時々、北の湖が輪島の頭を押さえて、
強引に振り回す場面はあったね。
輪島の場合、振り回すというより、投げは決め手だしね・・・・・
888 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 23:22:34
このスレでは若僧(?w)の69年生まれのありがちなケース。
物心つく頃(74〜75年)に相撲好きの爺さん(ありがちに貴ノ花ファン)がエキサイト
する相撲を自然に見出す。75年、決定戦でデブの北の湖を下して涙ぐむ爺さん見て
北の湖はとんでもないヒールだと認識する。
76年頃にはしたり顔の爺さんの解説と神風さんの名解説で、かなりの知識を仕入る。
75年不調だった輪島が76年に復調してくると、テレビのテロップに出た過去の
対戦成績で輪島があのとてつもなく強い悪の化身北の湖を圧倒してるのを見て、
「輪島は凄い!」と単純に感動。目の前で輪島が北の湖を掬い投げ(?)で転がした
のを見て強さとかっこよさにコロリと輪島ファンになる。
当時、学校の砂場で相撲が大人気。ガキどもの圧倒的一番人気は輪島だった。
輪島ファンの複数が「俺が輪島だ!」と名乗り出て「誰が輪島か」を相撲で決着つけた。それがしは勝一の1,2学期は輪島だったが、3学期は魁傑だったw
綾瀬という友人は問答無用で荒勢にw クラス一のちびっこは鷲羽山だったなw
貴ノ花、若乃花U、旭国はガキにも人気だったが、北の湖はもちろん(失礼!)、
三重ノ海、高見山も相撲好きなガキには人気はイマイチだった。
889 :
待った名無しさん:2006/02/28(火) 23:35:32
<<888
あなたの書き込み覚えてますよW
確か綾瀬君をかってに荒勢に見立てて
『綾瀬、がぶれ』
とかね(笑)
私は幸い『輪島』でしたが、目が細いと言うだげで、友達は『若じし』でしたぉ(笑)
890 :
870:2006/03/01(水) 10:33:35
>>884 私の言いたいことをすべて代弁していただいたようで、感激です。
コアな観察者が2〜3年のずれに敏感になるのも理解できます。
いずれにせよ、素晴らしい書き込み、ありがとうございました。
891 :
873:2006/03/01(水) 12:50:25
>>890 板違いですけどね。でもオレも一番夢中になってプロレスを
見ていた頃を思い出して楽しかったですよ。相撲もプロレスも
この頃が一番よく見てましたね。だからこういうスレがあるのは
オレも嬉しいですよ。
892 :
待った名無しさん:2006/03/01(水) 13:44:16
春場所の相撲界この年は昭和五十四年です。
若干輪湖時代とはずれますが、期待できそうです。
予想では三重ノ海が横綱を決めた一番が流れそう。
893 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/01(水) 19:04:44
前に放送していた熱戦好取組の昭和54年名古屋場所は良かったんだけど
またやらないのかな
894 :
待った名無しさん:2006/03/02(木) 16:16:05
こうなったらオフ会するしかない。櫻の咲く頃蔵前集合、錦糸町でチャンコ、最後はカラオケでどうだろうか?
両国じゃなくて蔵前ってのがイキだねえ
896 :
待った名無しさん:2006/03/02(木) 23:32:59
昭和54年の北の湖は前半好調だったけど、後半が不調だったな。
秋場所13勝2敗で優勝したものの九州場所10勝5敗だった
からね。この年の九州場所は、輪湖ともに優勝争いの脇役に回った
ある意味で寂しい場所になったな。
897 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/02(木) 23:40:17
土俵際で北の湖が逆転負けというのが多かった。
最後の一押しというところで叩かれていた。
898 :
待った名無しさん:2006/03/02(木) 23:51:33
>>897 確かに昭和54年の北の湖は、前年のような絶対的な強さが無かったような
感じがした。この年の夏場所以降危なっかしい相撲が目に付いた。
899 :
待った名無しさん:2006/03/03(金) 01:07:22
啓発あげ
900 :
待った名無しさん:2006/03/03(金) 01:26:31
昭和53年11月場所、北の湖は4敗した。
その直前に6場所85勝5敗の記録を残した、
破竹の勢いの北の湖に初めて翳りが見られた場所だった。
報道で、痛風が出た、ということが言われてた。
そのあと2場所は14勝、全勝と持ち直したが、
その後は、53年当時の勢いは戻らなかった。
901 :
待った名無しさん:2006/03/03(金) 01:26:38
902 :
待った名無しさん:2006/03/03(金) 22:32:53
それでも北の湖は、昭和55年に3連覇をしたわけだから
まだかなりの力があったと思う。朝潮という新たな難敵が
生まれたけど。
903 :
待った名無しさん:2006/03/03(金) 22:35:28
つまり緩やかな下り坂って感じかな?
904 :
待った名無しさん:2006/03/03(金) 23:10:17
>>900 確か初日に麒麟児に負けたんだよな。
そこから11連勝してその後横綱戦三連敗だったっけ?
905 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 00:35:28
思えば豪傑達が凌ぎを削ってたいい時代だった。
北の湖と輪島、何と貫禄があったことだろう・・・
若乃花Uも綺麗な四つ相撲だったなあ・・・
906 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 00:57:16
>>904 北の湖は、13日目に平幕の黒姫山に敗れた後、14日目に輪島、
千秋楽に二代目若乃花の両横綱に敗れた。
907 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 01:18:04
麒麟児は、若いころ横綱や大関を苦しめるなど大関候補の一人だったけど、
昭和55年以降は幕内の中堅力士となり、相撲を楽しむようになった。
何と昭和56年名古屋場所から昭和59年九州場所まで地方場所11場所
連続勝ち越し、東京場所10場所連続負け越しという1場所ごとに勝ち越し
と負け越しを交互に繰り返す珍記録を作った。
908 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 04:15:04
麒麟児の父は北松戸駅の駅長だった
909 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 05:36:35
前他スレにも書いたけど北の湖はやっぱりs52〜53年が全盛期で
>>903さんが言うようにs54年からは緩やかな下り坂にはいった
時期だと思う。当時はそうは思わなかったけど、引退から21年
経った今、北の湖のキャリア全体を通してみたらそう思う。
ガタッと崩れたのはs56年の夏巡業で膝を怪我してからだと思うけど、
やっぱりそれまでに横綱昇進後無休で土俵に上がり続けた肉体的、
精神的疲労が蓄積されてたと思う。責任感が強くて常々「土俵に
上がることが横綱の責任、プライド」ということを口にしていたし。
910 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 09:50:51
横綱、大関に左四つしかいなかったのがちょっと残念。
輪島は右四つでも十分だったが。
右四つ本格派は玉輝山あたりか。
912 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 18:24:09
この時代のおもな右四つ力士
荒勢、玉の富士、増位山、魁輝、黒姫山、金城、豊山、栃赤城、隆の里
青葉山、大旺、舛田山、双津竜、玉輝山、出羽の花、羽黒岩(戸田、大鵬の46連勝阻止)
ちょっと前後してるけどこんな所
横綱、大関にこれだけ左四つが集中していたのは珍しい
千代の富士以降は上位陣の主流は右四つになったのかな?
因みに輪島はご存知の通りもともと右四つで
個人的には吊りなんかはむしろ右四つの方が力強かった感もある
913 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 23:18:24
輪湖時代の北の湖は若三杉を苦手にしていたな。
リーチの短い北の湖に懐の深い若三杉はやりにくかったか。
輪島はがっぷりだと若三杉をつり出していたから輪島のいい援護射撃になってたな。
北の湖に歯が立たなかった荒勢はその若三杉に強かった。
それでも最終的には北の湖25−18若乃花U(若三杉)と大きく勝ち越したのはさすが。
高見山にも初顔から苦戦したが最後はカモに。朝潮には苦労していたが最晩年の2番は
連勝。俺は輪島ファンだったが、北の湖のこの修正能力には敬意を表するな。
地力があって懐の深い蔵間が北の湖に勝てなかったのは謎だがw
914 :
待った名無しさん:2006/03/04(土) 23:49:15
【北の湖25-18若乃花】 ほぼ8勝6敗ペースと考えると、若乃花Uがかなり健闘した感じ
北の湖の全盛期、取り組み数が多く、
これ程の星を残したのは北の湖21-23輪島に次ぐ感じだろうか
輪島は別格だが・・・・・
輪湖決戦全取り組みDVD化を希望する
併せて輪若・北若も
>>914 実は北の湖の横綱在位中に限定すると、最も多く北の湖を倒したのは若乃花だったりする。
<横綱北の湖を多く倒した力士>
1位 若乃花II 18勝(24敗)※不戦勝1含む
2位 輪 島 14勝(19敗)
3位 朝 潮 13勝(7敗)※不戦勝1含む
917 :
待った名無しさん:2006/03/05(日) 12:29:11
ざっと見てみると高見山がまだ出ていない・・・かな?
輪島は高見山と麒麟児が苦手でしたね。
二子岳、吉の谷、栃東(先代)、大錦、長谷川・・・。
当時、龍虎や天龍も現役だったのでは。
弓取式は板倉、江戸の華・・・。
918 :
待った名無しさん:2006/03/05(日) 12:30:49
失礼。上から100までしか見てませんでした。
高見山、麒麟児に対しては後年苦手を克服した輪島。
実は最後まで苦戦していたのは豊山戦。
豊山って北の湖の白星献上銀行だったが
やはり、大学相撲の関係か、やたら輪島戦だけ張り切るんだよ
場所中、輪島戦のことだけを考えてる位の集中力で、
輪島ファンとしては豊山戦は嫌だったなぁ
今頃言っても遅いけど、おぃ豊山、あんま輪島戦張り切るな!
921 :
待った名無しさん:2006/03/05(日) 17:06:10
輪島が出場した大相撲トーナメントで確か3位になった時
蔵前行ったんだけど何年か思い出せない。
わかる人いるかな?
できれば大相撲Tの全戦績をキボンヌ
922 :
待った名無しさん:2006/03/05(日) 19:08:34
北の湖ファンの漏れですが輪島の華麗な相撲は認めています。いわゆる華麗な勝ち方ですよね。
>>922 華麗かなあ?どちらかと言うと地味かと。
完璧で隙が無い相撲だと思う。
北の湖が横綱になったばかりの頃、輪島と魁傑にはよく負けた。
輪島には下手投げ、魁傑には突っ張りや投げの打ち合い、もろ差しになられたりで。
しかし横綱2年目くらいから輪島の下手投げもあまり通じなくなり、また魁傑戦も落ち着いて捌くようになった。
輪島の右四つはあまり見たことがなかったが、たまに見ると格好良かった。
左上手を浅く引き、相手に上手を取られにくい体勢。
北の湖は圧倒的な地力に加えて巻き替えの素早さが印象に残る。
また、右上手が取れない時、右を巻きかえると見せかけて、相手がそれを防ごうと腰を寄せた瞬間、右上手を取ってしまうという手を時々使った。
>>924 > また、右上手が取れない時、右を巻きかえると見せかけて、相手がそれを防ごうと腰を寄せた瞬間、右上手を取ってしまうという手を時々使った。
全盛期ではないが、それで思い出した一番がある。
昭和57年初場所、初の休場明けで北の湖は前半はモタモタヨタヨタで大変心配されていたのが、
9日目あたりから急に相撲内容が良くなり、上り調子で迎えた2敗同士の千秋楽相星決戦。相手は千代の富士。
千代の富士に先に右上手を十分に引かれ、寄り、出し投げで脅かされたが、北の湖は慌てない。
で、
>>924さんのいうテクニックが出てくるわけだ。
最初に浅く右手首をねじ込んで両差しと見せかけて、それを嫌った千代の富士が左を巻き替えにきたところ、右上手を引いた。
しかも一枚まわしで深いところを取ったため、千代の富士は身動きが取れなくなった。
一度吊り上げたがこれは残される。だが最後は千代の富士の右上手を切って絶対有利な体勢としてから吊り出し。
926 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/05(日) 23:54:00
不思議と北の湖独走時代を感じさせないのも、優勝争いを競った上で結果的に
北の湖が優勝だったからかもしれない。それだけ、優勝争いが過酷だったと
いうことにもなる。
927 :
待った名無しさん:2006/03/06(月) 19:15:04
>>919 高見山については、輪島が苦手を克服したイメージが、ない。
高見山の年齢的な衰えによって輪島が最後のほうの対戦で
連勝したにしか過ぎない感じ。
928 :
待った名無しさん:2006/03/07(火) 10:58:21
輪島にしろ北の湖にしろ、「吊り出し」が好きだった。特に輪島は増位山をよく相手
の足が水平になるくらい高く吊り上げてたし、北の湖は前述269の玉ノ富士戦(確か2
日目)で「吊り出し」というより「担ぎ出し」という感じで高々と決めた。朝青龍は
「吊り落とし」は見せてもあんな豪快な吊り出しは見せないな。最近では引退した琴
龍がたまに幕内下位でやったくらい。「吊り出し」が少なくなって久しいとよく言わ
れるがもうあんな技は見られないのだろうか?
929 :
待った名無しさん:2006/03/07(火) 17:28:01
輪島の幕内620勝のうち吊り出しで勝ったのは55回(吊り出されたのは11回)
BEST3は 増位山10回 貴ノ花8回 若乃花U6回
因みに輪島を一番多く吊り出したのは貴ノ花で5回
この二人の対戦といえば吊り合いが思い浮かぶのも納得する
930 :
929:2006/03/07(火) 17:37:49
輪島の代名詞とも言える下手投げは37回
48年をピークに50年以降は激減してる
投げ技では上手投げが72回と実は下手投げの倍近くの数字
それでも「輪島と言えば下手投げ」というイメージがあるのは
この技の本格的な使い手が殆どいない為なのかな
931 :
待った名無しさん:2006/03/07(火) 17:38:13
昭和40年代から輪湖の頃にかけては、
「吊りは一番の安全策」とか言われて、
多用されてたね。玉の海もしばしば見せてたし、
貴ノ花もあの体で得意にしていた。
明武谷、若浪、陸奥嵐といった、「得意技、吊り」
という力士もいた。
最近は「吊り」はめっきり減った。
やはり力士の体重増に関係があるのかな。
932 :
待った名無しさん:2006/03/07(火) 17:55:00
そうですね。輪島引退後で「吊り」を得意とした横綱大関は千代の富士・隆の里・若嶋津・北天佑・
霧島・朝青龍といったところでしょうか。大乃國も相撲雑誌の得意手には「吊り」の文字があった
ような気がするけどあまり吊る力士というイメージはないなぁ。脇役では大徹・鳳凰の二所ノ関勢
や琴龍、それから栃乃和歌も20代の頃は出羽の花や安芸ノ島を吊り出したのを見た事がある。
933 :
待った名無しさん:2006/03/07(火) 21:14:44
北天佑と隆の里はがっぷりなら確実に千代の富士より強かったね
この二人が引き付けあい、吊り合いというのはあったかな?
輪島(吊り出し)若乃花 が力強かったでつ。
935 :
待った名無しさん:2006/03/08(水) 01:14:52
輪島が引退する直前のトーナメントで、
本場所では対戦がなかった北天佑に吊り出されたというのがあったような
936 :
待った名無しさん:2006/03/08(水) 02:05:30
輪島は隆ノ里は何度か吊り出してるね
まだ当時は隆ノ里の身体も130キロくらいで確変は遥か先の事だが
937 :
待った名無しさん:2006/03/08(水) 18:25:27
輪島と対戦していた時期の隆ノ里は120kgあるかないかだったと思う
938 :
若島津ファン元前頭一 ◆JBztyHjzFI :2006/03/09(木) 00:08:36
平幕時代の隆ノ里と大関以降の隆の里の顔つきなり筋肉のつき方が全く違う。
まさかあんなに強くなるとは思わなかった。
確変した時は、スローターの相撲が速攻までと行かなくても攻めが早くなってた。
939 :
待った名無しさん:2006/03/09(木) 09:27:41
>933隆の里VS北天佑は意外にも貴輪ほどの吊り合いはあまりなく、決まり手が「吊りだし」
だったのは記憶では84年9月場所くらい(○隆の里)。ただ、隆の里が2度目の大関獲りを失敗
した81年5月場所初日に北天佑と対戦、吊り上げられた上に下手投げで敗れたのは記憶してい
ます。>935それも憶えてます懐かしい!輪島が81年3月皆勤してればまず間違いなく北天佑
とは対戦してましたね。因みにトーナメント決勝は○若乃花UVS隆の里●の同部屋対決でした
ね。
940 :
待った名無しさん:2006/03/09(木) 16:49:04
今は天然記念物と化した引き付けあってからの吊り出しは
力士の力強さを堪能できる相撲の醍醐味!
豪快な投げも同じ位好きだけど
若乃花の捻りを効かせた上手投げも毎場所のように見れたっけ
941 :
待った名無しさん:2006/03/09(木) 21:59:21
輪湖の時代は、今と比べて叩き込みが少なかった記憶がある。
942 :
待った名無しさん:2006/03/10(金) 00:25:57
>>940 晩年は出羽の花に2場所連続で裏返されたもんねえ(泣)>若乃花
943 :
待った名無しさん:2006/03/10(金) 23:35:40
>>942 二代目若乃花が中学生のころ2年先輩の出羽の花(野村)は、
憧れの存在だった。因みに二人とも青森出身。
944 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 08:10:55
出羽の花って「あまり強そうな感じしないけど強い」っていう
タイプの代表的な力士だったね。
945 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 11:10:38
>>944 出羽の花は、北天佑と並んで握力が強い力士だった。
攻めが遅いから昇進するのに時間がかかった。
出羽の花は昭和57年の活躍が凄かった。
二横綱二大関を二場所続けて破った。
947 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 12:30:03
出羽の花は握力100s超。
当時の握力bPだね。
リンゴを片手で握りつぶしてる写真を見たことある。
948 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 12:35:57
出羽の花 12-16 隆の里
千代の富士 12-16 隆の里
面白いのは、千代の富士は昭和56年名古屋から57年秋にかけて
対隆の里戦で8連敗を喫してるのに対し、この時期出羽の花は
対隆の里戦で6勝2敗と圧倒している。
千代対出羽だと千代の6勝1敗(1不戦含む)。
ちなみに千代-出羽の最終的な対戦成績は
千代の富士 33-2 出羽の花 と一方的。合口の面白さ。
949 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 12:52:28
出羽の花は腹が殆ど出て無かった記憶があるなあ
体重115キロくらいだっけ
950 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 12:56:43
舛田(舛田山)と並ぶ、学生相撲界の双璧で、
怪物、野村・舛田とか言われてた。
951 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 13:06:12
若嶋津に強かった
出羽の花15-14 若嶋津
学生時代のライバル、豊山が輪島戦で見せた闘志に感動!
(幕内では8勝11敗と大健闘)
○昭和47年九州場所4日目 新大関輪島に土!
前ミツを探る輪島の左を右からおっつけた豊山、右四つに組み勝つ。
がっぷり両廻しを引き合う体勢も、輪島は腰を引いて攻める手がない。
そのうち上手を切られた輪島、強引に左を巻き替えようとするが、
豊山はこの機を捉え、大きく吊り上げて東土俵へ運ぶ。
輪島は爪先立って懸命にこらえようとしたが、我慢できず寄り切られた。
953 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 17:03:22
やった〜!!52名の輪湖戦のビデオ見つかった!
去年の名で流れたのをとり逃して無茶苦茶後悔してたし。H15夏中日に流れた奴です。
954 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 17:16:09
955 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 19:42:04
輪湖決戦を明日に控えてのウィークエンダー! ハアハア
956 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 21:13:00
>>953 この一番は、輪湖対決の中でも最も好きな人が多いですね。私は、輪湖対決
の中で翌昭和53年名古屋場所14日目の全勝同士の水入りになった一番が
最も印象深いです。結局北の湖が勝って、彼自身の名古屋場所初優勝になり
ましたね。
957 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 21:17:24
個人的には輪湖対決より北若対決が好きでした。
輪湖は互いに左四つの例の体勢(想像できると思います)になるのが
暗黙の了解のような印象があったので。
輪湖戦のカギは、輪島の右からの絞りだったと思います。あれが効かないで
北の湖の左が威力を発揮するようだと、輪島は苦しい。
958 :
953:2006/03/11(土) 21:46:17
>>954 まずは実況
杉山「名古屋場所千秋楽結びの一番、優勝を懸けて横綱の輪島、
待ったをかけて並びたい北の湖。
けっせ決定戦になるかそれともすんなり決まるか。輪島まだ絞れません。」
神風「あぁもうこれちょっと絞れんですね。」
杉山「北の湖攻勢、輪島頭を付けにいこうとします。」
神風「もう北の湖の下手親指通ってますもんね。
杉山「はぁ〜。北の湖の上手投げー!北の湖寄る!大相撲です。
ここでカット
力相撲です。優勝を懸けた大一番!おっとまた巻き返えだ。
左四つになりました、巻き返えの応酬、輪島右の上手を引きました。
輪島の吊り寄り、輪島の吊り寄り、寄り倒し!輪島の優勝です。
輪島十一回目の優勝!左からの下手投げで寄りました。
959 :
953:2006/03/11(土) 21:49:30
僭越ながら手捌きを
東北の湖西輪島、立ち会い北が上手を取りに行き、
両者が180度入れ替わるいつもの体勢。
早くも北が下手を一枚ながら掴んでいる。向こう正面に北が吊り寄り!
輪島は右上手を引いて残し、すぐ上手を離して左半身。
続け様に北は左から引き付け右から上手投げで崩し、正面に寄りたてる。
輪島は俵に足を掛け右上手を取って必死に残す。また土俵中央で輪島左半身。
ここでカット。
輪島左上手で右下手は一枚ながら北に上手を許さず頭を付ける体勢。
そこで北得意の左巻き返え、すかさず輪島も左を巻き返え再び左四つに。
北が輪島に下手を許すまいと、やや左に動く。
そこで輪島は右上手を浅く取り直すことに成功。輪島やや有利の体勢。
北の右上手は一枚。輪島は金剛力で引き付け正面に吊り寄り、
北が捨て身の上手投げを見せるも、輪島は体を寄せ、
下手投げそして掬い投げで体を浴びせ、倒した。
全体力を使い果たしたかのような輪島の様子が印象的。
960 :
954:2006/03/11(土) 21:58:23
>>958,959
ありがd
輪島が正面に寄り立てられて残したシーンと最後の勝ちながら力尽きた姿を思い出した
961 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 22:03:22
輪島はなまくら四つ相撲でありながらどちらも天才的、北の湖は右四つでは力は半減するも格下には安泰、輪島は長嶋、北の湖は王に似ている。
962 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 22:07:41
輪湖対決といえば昭和52年春場所千秋楽の対決も名勝負の一つになって
いますね。北の湖が14戦全勝で一方の輪島が12勝2敗で優勝絶望と
なった。両者は、がっぷり四つとなり、水入り後北の湖が輪島をつり出して
8度目の優勝で初の全勝となりました。
963 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 22:08:37
補足すると、漏れは利き腕の話はしていません。念のため^^;
964 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 22:14:16
>>959 手さばき解説サンクス。
読んでいて手に汗握った。
こういう内容のある相撲が
もっと見られればなと思った。
965 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 22:21:12
>>958 うーむ・・・
それ見る限り昨年名古屋の「黄金の左 輪島」というVTRは相当短縮されていたということですな
966 :
953:2006/03/11(土) 22:25:38
>>960 >>964 どうもです。
輪湖戦は輪島が緑まわしの頃は組むまでに前哨戦があったけど、
黄金に変えて辺りからは52名のようにいきなり組むことが殆どになりましたね。
967 :
待った名無しさん:2006/03/11(土) 22:40:07
昭和51〜54年までは、輪湖が直接的に優勝争いをした場所は、もちろん
のことどちらか一方が不調でも輪湖のいずれかが優勝争いに絡んでいた。
968 :
待った名無しさん:2006/03/12(日) 12:22:52
山下泰裕 昭和32年6月1日生まれ
昭和52年から昭和60年に引退するまで203連勝
969 :
待った名無しさん:2006/03/12(日) 22:28:47
輪島最後の場所の輪湖戦も印象に残っている。
出し投げ気味の下手投げが決まった。
970 :
待った名無しさん:2006/03/12(日) 22:30:38
971 :
待った名無しさん:2006/03/12(日) 22:50:26
近所のレンタルビデオ屋にNumber監修の大相撲の名勝負上・下を見つけたんだが、
主な収録で挙げられてる輪湖決戦が昭和53年7月場所とある。
馬鹿ヤロー!なんで52年7月じゃねぇんだ?ふざけんな! by元輪島ヲタ
972 :
待った名無しさん:2006/03/13(月) 01:14:20
>>971 それ見たことあるよ。
昭和の名力士でも輪島は不遇で52名は収録されてない。
既出かな・・
輪島・貴ノ花引退直後にTBS「素晴しき仲間」に北の富士と3人で出演、
北の富士が「この2人(貴輪)が出てきたお陰でオレの人気を獲られた」
とか言いたい放題で、貴輪の2人は苦笑するばかりだった。
974 :
待った名無しさん:2006/03/13(月) 09:12:26
北の湖も「素晴らしき仲間」に出演したことあるよね。
引退直後だったかな?現役中だったかな?
共演は誰だったかとかまでは覚えてないけど。
輪島ヲタは貴ノ浪の親方株が借金の担保になってるのに問題視されないことを問題にすべきだ。
976 :
待った名無しさん:2006/03/14(火) 15:18:54
輪湖対決では、輪島が北の湖を豪快にぶん投げるシーンと長い相撲の末、北の湖が
力尽きた輪島を寄り切るシーンに萌える
977 :
待った名無しさん:2006/03/14(火) 15:30:38
今場所の大相撲中継の「相撲界あの年」は昭和54年らしいですね
どんな取組の放送が予想されるの?
978 :
待った名無しさん:2006/03/14(火) 19:20:34
>>977 横綱に昇進した三重ノ海が中心じゃないかな。
979 :
待った名無しさん:2006/03/14(火) 19:25:40
980 :
待った名無しさん:2006/03/14(火) 22:42:23
前半に北の湖の圧倒的なシーン持ってきて最後三重の海って感じかしら
春場所14日目の北の湖−輪島、名古屋場所千秋楽の輪島−三重ノ海(2番)は確実。
あとは、秋・九州場所の栃赤城の活躍シーンでしょうか。
982 :
待った名無しさん:2006/03/14(火) 23:12:08
相撲界あの年って5分前後のVTRだし
そのなかで放送してるのは大概7〜8番だしなぁ
983 :
待った名無しさん:2006/03/15(水) 00:59:14
輪島は晩年水入りやそれに近い大相撲になると必ず先に力尽きてたけど
全盛期の48〜49年頃はどうだったのだろうか?
スタミナが無かったのはやはり稽古の貯金がゼロだったからかなあ
984 :
待った名無しさん:2006/03/15(水) 01:06:01
>>982 絶対熱戦好取組のが良かったよね。
今場所は思い出の土俵も期待はずれだし。
985 :
待った名無しさん:
ところで次スレはたてるんですか?
まぁ立てるにしてもここのペースなら
そう慌てることもないと思うけど。