■SEDは製作者の想いが伝わる感動画質に
この写真では伝えきれないが、女性の肌の表現がすばらしい
今回SEDの画質を見て特に強く感じたのは、高画質を超えた映像の圧倒的な訴求力、エネルギーだった。これからは画質を形容する言葉が変わっていくのではないかとも思えた。
階調とか解像度とかいうタームではおさまりきらない、映像の深み、人間性、凋密さ、本物感こそ、論じなければならない時代がやってくる。
特に女性の肌の表現が非常にスムーズで、シャドウから明部に移るときのグラデーションのうつろいとたたずまいの細かさの表現は、
これまでのすべてのディスプレーデバイスと比較して、体験したこともないレベルであった。
それはコンテンツが持っているリアリティを素直に、そして濃密に表出していることといってもいい。
スペインの港町のロングの夜景シーンでは、暗闇の中で地上の街灯がきらめくように光っていた。港の水面も怪しくきらめいていた。同じライトでも照明のライトと車のヘッドライトの色の微妙な違いがわかる。
漆黒な黒の中に、白ピークがきわめて尖鋭に立ち上がっている。
ダイナミックレンジが極端に広い映像なのだ。
この夜景の映像で分かったことだが、SEDは撮影者の意図をそのまま再現している。漆黒とライトの対比こそ、ここでの場合の撮影者の意図であり、
それを本物以上のリアリティで伝え、観る者を圧倒的な臨場感の世界に誘う。
まるでそこにはディスプレーというメディア機器はなく、あたかもコンテンツをダイレクトに眼前に見ているかのようなスーパーリアリティさえある。
これぞメディアの理想の形ではないかと思う。
SEDは薄型TVの「レクサス」――圧倒的高画質は折り紙つき
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITxw000017102006&cp=1