カール・R・ポパーについてのスレ

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348名無しさん@社会人:2007/07/19(木) 17:20:32
ドーキンスは「ポパー主義者」という言葉を悪い意味で使っているのが不思議だ。
『神は妄想である』(リチャード・ドーキンス著 垂水雄二訳 早川書房)191ページから引用します。
「一方で、もし不都合な地層からしかるべき化石が一個でも発見されれば、
進化論は打ち倒されてしまうだろう。ある熱烈なポパー主義者から、どうしたら
いったい進化を反証できるのかと詰問されたJ・B・S・ホールデンは、有名な話だが、
こう吠え立てた。『先カンブリア時代のウサギの化石でもあればな』。そのような
時代錯誤の化石は、夾炭層[石炭紀後期]からの人間の人間の頭骨や、恐竜の足跡の
あいだに散らばる人間の足跡といった創造論者のあいだで伝説のように囁かれる、
信頼しがたい『発見』の例はあっても、これまで本物といえるものは見つかっていない。」
(引用終了。傍点省略)

>>347
ドーキンスも「オカルト」扱いしますか?言葉の定義にはこだわるな、というのが
ポパーの教えなんで、そうしたいならご自由にどうぞ。

ドーキンスは『悪魔に仕える牧師』(早川書房)でも、ポパーの学説を
トーマス・クーンのパラダイム論と似たようなものだと理解しているようでした。
『利己的な遺伝子』では「カール・ポパー卿」による言及に謝意を表す部分もあったんですが。
両雄、機縁相熟さなかったのは残念です。
349名無しさん@社会人:2007/07/19(木) 22:54:42
>346 ポパーの著作読んだことないだろ低脳

進化論は「形而上学的研究プログラム」であって反証可能な科学理論ではない。
反証理論もメタ理論であって、科学理論そのものじゃないから反証不能。
歴史主義の貧困に書いてあることだろ低脳が
350名無しさん@社会人:2007/07/19(木) 22:55:14
それにしても、ポパーが進化論は反証不可能だと主張したなどというデマがどこから
生まれたのかと疑問に思っていたら、以下のまとめサイトを発見。
http://transact.seesaa.net/article/20950421.html

なんのことはない。『果てしなき探求―知的自伝』(岩波現代文庫)で、
自然選択は一部テスト可能だが十分ではない、と主張したのを
創造論者が「ポパーは進化論を反証不可能と認めた」と歪曲しただけの話。

「自然選択」と「進化論」、「テスト可能」と「反証可能」との区別もつかない、
まあ、DQNですな。

ちなみにポパーは『果てしなき探求』の初版時点では自然選択を(「進化論を」じゃないぞ!)
「形而上学研究プログラム」と評価していたが、後年見解を変えており、
自然選択をテスト可能だと認めている。
上記サイトから訳文を引用。
「私は考えを取り消す機会があってよかったと思う。
この取り消しが、自然淘汰の状態についての理解について、
少しでも貢献してほしいと思う。」

この辺の潔さは、さすがポパー。
351名無しさん@社会人:2007/07/20(金) 00:04:21
>>349
ポパーの著作を読んだことのない低能から、ポパーの著作を読んだ高能さまへ質問です。
いったいポパーの著作の何ページに、
「進化論は反証可能な科学理論ではない」などど書かれてあるのですか?
具体的にご指摘下さい。
「自然選択のテスト可能性は十分ではない」と主張していたのを後年撤回したのは
>>350のサイトにありますが。

『客観的知識―進化論的アプローチ―』(カール・R・ポパー著 森博訳)305ページより
「第7章 進化と知識の木」を引用します。
「さていよいよ、私の講演の主要部分である第三部――もし批判に耐えうるとすれば、
自然淘汰説を強化しうると思われる推測または仮説の提示――になった。この仮説は、
オーソドックスな新ダーウィン主義(あるいはそういいたければ「新しい綜合」)的
枠組の論理的境界内に厳密にとどまっているものではあるけれども。」
(引用終了)

ポパーは自然淘汰説を強化するために、新ダーウィン主義的な枠組の
論理的境界内に厳密にとどまる仮説を提案しているのです。

(「読まないで引用します」と書こうと思ったけど、なるべく丁寧な言葉を
使えというポパーの教えに従い、過度の皮肉は控えました)
352名無しさん@社会人:2007/07/20(金) 23:51:08
>>341
>進化論も反証不能です。これもポパーは認める。
>>349
>進化論は「形而上学的研究プログラム」であって反証可能な科学理論ではない。

なんでこんな誤解が生まれ得るのだろうと首をひねりながら>>350のまとめサイトを見ていてひらめいた。
例えば「ダーウィニズムは検証可能な科学理論ではなく、形而上学研究プログラムである」という表現を見て、
高能さまは、「ダーウィニズム」イコール「進化論」であると解釈されたのだろう。
もちろん、これは誤解です。ダーウィン以前にも進化論は存在しましたし。
ダーウィン主義のダーウィン主義たる所以は、進化のメカニズムとして、
突然変異と自然選択の組み合わせという説を提唱した点にあるのです。
もちろん、ダーウィン主義以外の進化メカニズムの説明方法もありました。
有名なのは、ラマルク主義。「要不要説」「獲得形質遺伝説」といいまして、
要するに誕生してから後に発達した能力が子孫に遺伝する、という考えかたで、
これは個人の努力が世代を超えて伝達するという点が人間の心の琴線に触れ、
20世紀に入っても支持者が多くいました。例えば、劇作家バーナード・ショーは
「メトセラへ還れ」でラマルク主義を高唱し、情熱的名文をもってダーウィン主義
(突然変異+自然選択による進化学説)を批判しています。また、ソ連では、
ラマルク主義に基づいてルイセンコが提唱した学説がスターリンのお墨付きを得て、
遺伝学にかんする唯一の国家公認学説となりました。(以下続く)
353名無しさん@社会人:2007/07/20(金) 23:51:44
ある意味、これには無理もない側面があります。確かに、ラマルク主義が想定している、
獲得形質が遺伝する経路はブラックボックスでテスト不可能だったのですが、
ほぼそれと同じくらい、ダーウィン主義が想定する前提もブラックボックスだったのです。
実体として遺伝子が視覚的に捉えられたのは電子顕微鏡の発達してからでありまして、
それ以前は確かに「ある程度テスト可能だが充分ではない」状態でした。
その後の遺伝子に関する学問の発達ぶりは高能さまもご存知の通りでして、
突然変異や自然選択の具体的メカニズムが明らかになってきました。
ポパーも以前の見解を変更するに至ります。
一方、ラマルク主義が想定していた、獲得形質が遺伝する経路は相変わらず
ブラックボックスのままであり続けました。
その結果、現代で進化論と言えばダーウィン主義、ダーウィン主義と言えば進化論、
という状態が現出し、高能さまのように「ダーウィン主義」と「進化論」とを混同される
お方たちも出現されるようになります。
これ自体、ダーウィン主義が科学的理論としての正しさという点で、勝利をおさめたから、
出現可能になった誤解であるという点で、この誤解はダーウィン主義の正しさを間接的に主張しているのです。

最後に一言。進化論自体は完全に反証可能ですよ。
>>348に引用したように「先カンブリア時代のウサギの化石」があれば完璧に反証されます。
354名無しさん@社会人:2007/07/21(土) 23:30:53
すいません、訂正です。>>348の引用文中の
「人間の人間の頭骨」

「人間の頭骨」に訂正します。コピペする人はこの訂正を織り込んでください。
355名無しさん@社会人:2007/07/25(水) 00:24:38
『自我と脳【新装版】』(カール・ポパー&ジョン・C・エクルズ著 新思索社)24ページから
ポパーの記述した「第一部」を引用します。
「自然淘汰は生物内部から働く盲目の偶然(突然変異)と、生物が何の影響も及ぼさない外部の力との間の
相互作用の結果としてしばしばみられている。ここには生物の目標や好みはまったく関与しない。
それらは自然淘汰の産物でしかないのである。ラマルク(Lamarck)、バトラー(Butler)、
ベルグソン(Bergson)らの理論は、動物の好みや目標がその進化に影響を与え得るというものであるが、
獲得形質の遺伝をもち込む点でダーウィン主義と衝突することになる。
 その見解は誤っており、そのことは多くの人々によって別々に見出されているようである。」(引用終了)

>>341>>347>>349の高脳さま(以前の「高能さま」という表記を撤回いたします。
なぜなら、>>349であなた様は私のことを「低能」ではなく「低脳」と表記しておられたので、
それに対応するにふさわしい表記として「高脳さま」を採用いたします)、
私の説を一日も早く撤回し、より良いものに置き換えたいので、反論をお待ちしております。
356名無しさん@社会人:2007/08/11(土) 07:59:45
>ポパーも以前の見解を変更するに至ります。

ポパー大先生が生きているうちにたまたま反証可能になったものはいいとして、
もし疑似科学のレッテルが貼られたままだったら、以後の研究の発展をかなり阻害したのではないか?
そうなった場合、疑似科学認定で生じた損失の責任を誰が取るのか?
357名無しさん@社会人:2007/08/12(日) 00:48:54
>>356
ポパーは「大先生」の言うことなら確かだろう、などという、
議論の「正統性」に訴える論法には「正統的にと言いたい程に」反対する、と述べています。

>もし疑似科学のレッテルが貼られたままだったら、
ポパーはダーウィン主義を「似非科学」などとは言っていません。

>損失の責任を誰が取るのか?
誰も取りません。特定の問題の解決は、必ず新たな問題を生みます。
この永遠の繰り返しは、絶望の対象ではなく、希望の源なのです。
将来の人類も、究極的な真実に到達した!と確信することはできない。
ならば、自分達が誤っている可能性に対して常に開かれていなければならない。
ならば、私たちの(私や>>356様の)試行錯誤の記録は決して無駄にはならない。
松明の火はすでに私たちに渡されているのです。
心すべき事で、薄氷を踏む思いがいたします。
358名無しさん@社会人:2007/08/12(日) 04:43:17
>ポパーはダーウィン主義を「似非科学」などとは言っていません。

ポパーは反証主義を適用して
「ダーウィン主義には反証可能性なし。従って擬似科学」
という風に、最初は判断していたんじゃないの?
それが、ポパーが生きているうちにたまたま反証可能になったので変更された。
359名無しさん@社会人:2007/08/12(日) 17:54:57
>ポパーも以前の見解を変更するに至ります。
>ポパーも以前の見解を変更するに至ります。
>ポパーも以前の見解を変更するに至ります。
>ポパーも以前の見解を変更するに至ります。
>ポパーも以前の見解を変更するに至ります。

見解を変更する前にポパーが死んでたら信者の連中はなんといっていたのだろうか
結局こいつらはポパーのいうことを繰言のように繰り返しているだけで、どこが「批判的」
なのだろうか。
360名無しさん@社会人:2007/08/12(日) 23:45:00
>>358
ポパーの言う「形而上学的研究プログラム」という評価は「似非科学」とは
かなりの距離があります。>>350のまとめサイトに『果てしなき探求』の引用がありますが、
ダーウィン主義について「それでもなお、この理論は貴重である。Darwin以来、その理論なしに、
我々の知識がどのように成長しえたか想像できない。ペニシリンに適応するようになったバクテリアについての
実験を説明しようとするとき、自然淘汰の理論が大いに役立つことは明らかだ。これは形而上学的だが、
非常に具体的で実際的な研究に多くの光を投げかける。たとえばペニシリンに満たされた環境のような、
新しい環境への適用について、合理的な方法で研究可能にしてくれる。
それは適応のメカニズムの存在を示唆し、そのメカニズムが働く詳細の研究を可能とする。
そして、その理論は、これらをすべて可能とする唯一の理論である。」(引用終わり)
と評価しています。「似非科学だ」と言うのとはかなり違うと思いますが、言葉の定義として、
「抗生物質に対する耐性菌発生のメカニズムを説明できる唯一の理論」という概念が
貴殿の提唱する「似非科学」「疑似科学」という用語の意味の範囲内にある、と主張されたいのなら、
ご随意にどうぞ。

>>359
>結局こいつらはポパーのいうことを繰言のように繰り返しているだけで、
「こいつら」というのが誰を指すのか明確ではありませんが、仮りにポパーの
教え子を指すとしたら、貴方の指摘は当たっておりません。ファイヤーベントなんて、
ポパーの教え子ですけど、ポパーをきつく批判しております。『理性よさらば』なんて
本を書いているくらいでして。

『二十世紀を動かした思想家たち』(ギ・ソルマン著 新潮選書)のポパーの章の末尾は、
彼の教え子の多くが彼を批判する側にまわった点に触れ、
「彼の後継者がいないのはおそるべきことである」(脳内引用)と締めくくっています。

ただ、一部のポパー研究者が「ポパー主義者(ポッペリアン)」を自称するのは私もどうかと思っています。
その呼称は「矛盾」そのものではないかと。
361名無しさん@社会人:2007/08/14(火) 23:00:19
>359 日本の研究者はひどいね
362名無しさん@社会人:2007/08/15(水) 01:00:25
ポパーが主流派の科学者たちに対して異論を述べ続けた分野としては、量子論がある。
量子力学のコペンハーゲン解釈が物理学に向かって観察者の主観主義的解釈を導入しかねないのに反対しているらしい。
以下は『量子論と物理学の分裂  W.W.バートリー三世編『科学的発見の論理へのポストスクリプト』より 』(カール・R・ポパー
 小河原誠 蔭山泰之 篠崎研二 岩波書店)47ページから引用。
「この序章におけるわたくしのテーゼは、観察者、あるいはより適切な言い方では実験者が量子論において演じる役割は、
古典力学の場合とまったく同じだということである。すなわち、実験者の課題とは、理論をテストすることである。
 これとは反対の見解で、普通量子力学のコペンハーゲン解釈と呼ばれるものが、ほとんど一般的に受け容れられている。
かいつまんで言えば、それは『客観的実在は蒸発した』、量子力学は粒子ではなく、むしろ粒子についてのわれわれの知識、
観察、あるいは意識を記述しているのだ、と主張している。
 わたくしのような一介の哲学者が、このような支配的なドグマに反対しても、しっぺ返しをくらうだけでなく、笑いものにされて、
軽蔑さえ受けるに違いない。また才能ある物理学者なら、だれでもコペンハーゲン解釈が正しいことを知っているぞ(「実験によって
証明された」のだから)と断言されて、威しつけられるかもしれない。(もっとも、
ニールス・ボーアがとても親切で、根気よくわたくしをもてなしてくれたのは、楽しい思い出だが)。」(傍点省略。引用終了)

その結果、「ポパー大先生」の言うことだから確かだろう、という理由で、
主流派の量子力学に叛旗を翻した物理学者の名前は寡聞にして聞きません。
科学者ってそんな殊勝な種族ではありませんし、
ポパーも、自分が「大先生」であるという理由で、物理学者たちを籠絡したかった
わけではないでしょう。
363名無しさん@社会人:2007/08/15(水) 08:19:43
>>361
それはポパーの研究者にかぎったことではないでしょ
364名無しさん@社会人:2007/08/15(水) 12:21:14
>>362
逆にポパー先生のほうがトンデモっぽく見えるな。
365名無しさん@社会人:2007/08/16(木) 01:03:03
>>362
>『量子論と物理学の分裂  W.W.バートリー三世編『科学的発見の論理へのポストスクリプト』より 』(カール・R・ポパー
>小河原誠 蔭山泰之 篠崎研二 岩波書店)

「『量子論と物理学の分裂  W.W.バートリー三世編『科学的発見の論理へのポストスクリプト』より 』(カール・R・ポパー著
 小河原誠 蔭山泰之 篠崎研二訳 岩波書店)」
に訂正します。「著」と「訳」が抜けてましたスマソ。

同書127ページも面白い。
「量子力学のボーア−ハイゼンベルグ解釈を批判しようものなら、古き良き日々、
つまり古典物理学の時代に憧れる固陋のやからと切り捨てられるのが常である。
古き良き日々とは、理論が「抽象的」ではなくて、機械的なモデルの助けを借りて
容易に目に見えるものにできた時代であり、また決定論の時代でもある。このような
次第であるから、わたくしには新しい思想には、とくに物理学においては、たとえ
成功しなかったものでも熱烈な賛辞を送ると、ここでもういちど言っておいたほうが
よいだろう。」(引用終了)

「今日はまた一段とグチっぽいですね、ポパー先生」
といのは、いしいひさいちの『現代思想の漂流者たち』に出てくるギャグです。
366名無しさん@社会人:2007/08/16(木) 02:12:56
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1187188691/
集団殺人予告キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!
367ポパー、アニメ化!:2007/08/23(木) 00:09:49
youtubeで「karl popper」を検索するとなぜかアニメ「アニマトリックス」が
トップに出てくる。
http://jp.youtube.com/results?search_query=karl+popper&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

なんでやねん?と思っていたら以下のサイトを発見
http://www.spiritus-temporis.com/karl-popper/reference-in-popular-culture.html
以下はこのサイトの一部のyahoo翻訳による訳文です。「偽造」と訳された単語は原文では「falsification」なんですが、
これは「falsifiability」(反証可能性)の誤植・打ち間違いの類ではないかと思量いたします。
「カールPopperへのはっきりしない言及が、『Kid』という名の人物で、映画のマトリックスシリーズにおいてあります。
映画のバックストーリー(Animatrix)に由来する動画の職場では、人物はより詳細な処置をされます。彼の名前は、
マイケルカールポッパーです。説明がシナリオ作家の選んだ方のためにされない間、それは不確実性と偽造
(政治的な抑圧の解放)のPopperの原理への、または、おそらく人間の心(すなわち第三世界)の製品の
客観的な状態への言及でありえました。また、『Kid』の部分をする俳優は著しく顔にカールPopperに似ているようです。
そして、それは意図的だったかもしれません。」
368ポパー、マンガ化!:2007/08/23(木) 00:19:25
>>367の続き
パン・ローリング社から出版された『マンガ ジョージ・ソロス』(ウィザードコミックス)
(黒谷 薫 著)には、1コマだけポパーが出てきます。
ロンドン・スクール・オヴ・エコノミクスにおける授業風景としてですが。
これを見て、「おお!ポパーがマンガになった!」と驚いておりましたが、
どうやら時代は遥かに先を行っていたようです…
369名無しさん@社会人:2007/09/10(月) 00:25:47
http://jp.youtube.com/watch?v=eqgnExSiS0s
これは「Monty Python's Bruce Sketch」です。
イギリスからオーストラリアの大学の哲学部に就職した
小男で黒髪の哲学教師が、オーストラリア流儀になじめず、
おどおどするというコント。
「空飛ぶモンティパイソン」という邦題のビデオを見たことがあります。
これってポパーがモデルなのかなあ?
実際にポパーが就職したのはニュージーランドですけど。
370名無しさん@社会人:2007/12/12(水) 00:39:34
初めて動画でポパーの姿を見ることができました。
http://jp.youtube.com/watch?v=UbQOcytTMJw
ドイツ語でソクラテスがどうの、と言ってますね。
371名無しさん@社会人:2008/02/24(日) 13:39:45
>>239
ヘーゲル批判の一部だけだろ。
372名無しさん@社会人:2008/03/17(月) 23:29:16
http://jp.youtube.com/results?search_query=Philosophie%3A+Sir+Karl+Raimund+Popper+&search_type=
こちらでドイツのテレビ番組(おそらく)「Philosophie: Sir Karl Raimund Popper」
を観ることができます。動いてしゃべるポパー萌え。
373名無しさん@社会人:2008/04/11(金) 18:07:14
渡部昇一はポパーについては語っていない。
渡部はフロイトの系統にあるマーフィーを翻訳していたから、
肝心なことには沈黙している。
374名無しさん@社会人:2008/04/14(月) 07:52:41
初めて書き込みます。よろしくお願いいたします。

ある理論を験証する場合において、なんらかの理論を受け入れなければ始める事は出来ません。
しかし、その理論の受け入れがアドホックでないという確証はもちろん持てないのです。
私たちはその受け入れが、アドホックな受け入れであるか、それとも理論負荷として
妥当するものなのかをどのように判断できるのでしょうか?
そもそも理論負荷として正確に肯定できるものなどあるのでしょうか?
その理論負荷自体がアドホックなものではないのかと疑問に思うことが多々あるのです。

ポパーは遡れば無意識の生得的期待を見出すだろうと述べていますが、
この期待の状態ではあまりにも豊か過ぎて茫漠としていますし、
これ以外の負荷における問題は正当性にはなく利便性にあるということ
になってしまいませんか?

駄文・長文申し訳ない。
流れを切ってしまっているので不適切であればスルーしてください。



375名無しさん@社会人:2008/04/18(金) 20:41:01
>>373-374
ポパーの「合理性と合理性の原理の規約」(水野博志訳、『福岡大学商学論集』Vol.30 No.1,1985-6)220ページ
にはこうあります。ポパーがフロイトや無意識についてふれています。
「人々はしばしばフロイドは人間の非合理性を発見したという。しかしそれは誤っているし表面的な解釈である。
神経病患者の通常の起源に関するフロイドの理論は、われわれの図式、すなわち合理性の原理が付加された状況モデルの
助けによって組立てられた説明図式の中に完全に組込まれるものである。実際、フロイドは神経病患者を
早熟の幼年期に採った態度として説明している。なぜなら、幼年期は子供が理解することが不可能であり
対応することができない状況から逃れるためにその人が自由に採る最も良い解決方法を形成するからである。
したがって神経病患者になるのは、たとえば車にはねとばされる危険があるとわかったときに後に身を引いて
自転車にぶつけられた人の行動同様に合理的である。それは子供が明らかにすぐに必要であると
思われるものあるいは2つの可能な選択のうちでより悪くない方あるいはより耐えやすい方を
たぶん選択するという意味において合理的な行動である。」(引用終了)

それからアメーバの進化圧に対する対応に合理性の起源を求めるのは変でしょう、
という日本人研究者の論文もあったような。暇をみて書き込みます。
376名無しさん@社会人:2008/04/18(金) 20:59:33
『と学会年鑑 AQUA』(楽工社)の311ページに「反証可能」という用語への注として
「哲学者カール・ポパーが提唱した「反証可能性」のこと。科学的な仮説は観測や実験によって
反証される可能性がなければならず、反証不可能な仮説は科学的ではない、という考え方(中略)
反証可能性は、科学と擬似科学を見分ける基準のひとつとされる」とあります。

と学会の本にポパーの名が載ったのはこれが初めてではないかな?
意外や意外という感じですが。

そしてこの注は『ギリギリ科学少女ふぉるしぃ』という歌の歌詞
「ふぉるしふぃえぶるパラノマふぇのみな」というのが
falsifiable paranormal phenomena 
つまり、反証可能な超常現象という意味であると説明している文に付いているのです。
これは、と学会らしいというか、なんというか。
歌の内容は擬似科学をからかっているのですが
「何千年もの積み重ねも 事実と事実の結びつきも
1度や2度の実験でくつがえせるわ」
という部分はむしろポパーをからかっているようにも感じます。奥が深い(藁

youtubeで聴くことができます。オススメ!
http://jp.youtube.com/watch?v=aALTmiXHrqA

こちらは歌詞表示つきですが、原曲に手が加わっています。
http://jp.youtube.com/watch?v=u-ipsnQcTm0
377名無しさん@社会人:2008/07/24(木) 22:54:38
age
378名無しさん@社会人:2008/07/25(金) 14:05:16
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1112242102/118

118 : 削除彩虹 ★ : 2005/06/25(土) 21:09:51 ID:???0

本来、dat落ちするはずのスレを無意味な一行レス、空白行、AAなどで
存続させる意味はありません。
何のために即死判定や倉庫落ち判定の制限があるのか考えて下さい。

また、既に話題が尽きて有用な投稿がなく、保守のみで長期間延命されているスレは
需要がない、続ける意味がない、無用であると、2ちゃんねるの管理人は考えています。

議論するのは自由ですが、管理人の意に反するルールが適用されることはない
ということだけは言っておきたいと思います。
379名無しさん@社会人:2008/08/03(日) 22:49:07
380名無しさん@社会人:2008/10/05(日) 11:28:32
age
381名無しさん@社会人:2008/10/06(月) 08:44:54
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1112242102/118

118 : 削除彩虹 ★ : 2005/06/25(土) 21:09:51 ID:???0

本来、dat落ちするはずのスレを無意味な一行レス、空白行、AAなどで
存続させる意味はありません。
何のために即死判定や倉庫落ち判定の制限があるのか考えて下さい。

また、既に話題が尽きて有用な投稿がなく、保守のみで長期間延命されているスレは
需要がない、続ける意味がない、無用であると、2ちゃんねるの管理人は考えています。

議論するのは自由ですが、管理人の意に反するルールが適用されることはない
ということだけは言っておきたいと思います。
382名無しさん@社会人:2008/10/22(水) 01:37:51
パンローリングから出版されている『マンガ ジョージ ソロス』(黒谷薫)に
ポパーが出てきます。
http://books.google.co.jp/books?id=VllNfmiWEO4C&pg=PT91&dq=%E3%83%9D%E3%83%91%E3%83%BC&as_brr=3#PPT90,M1
「おやっ 君はアメリカ人ではないのかね」
383名無しさん@社会人:2009/02/03(火) 01:35:28
池田信夫さんへ。
このスレに何度も書き込んでいますね?
先生は怒らないから
正直に手をあげなさい。
384名無しさん@社会人:2009/02/03(火) 01:56:54
ハイエクとポパーの見解の違いを教えてください
あたかも対立しているかのように語る友人がいるんですが、どうもこの2人は同じことを言ってるように見えます。
385名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 01:10:53
>>384
マルクス主義への対応の違いですかねえ?
ポパーの『開かれた社会とその敵 第二部』(未来社)194ページを引用しますね。
「それゆえ、この場合で言えば、社会学主義はわれわれのヘーゲル理解を促進しうるのだが、
マルクス自身の例がそれを不当な一般化として暴露しているわけである。同じような事例は、
マルクスが彼自身の道徳的理念を過小評価したことである。なぜなら、彼の宗教的影響力の
秘密が主としてその道徳的訴求力にあったこと、彼の資本主義批判が主として道徳的
批判として有効であったこと、これらを疑うことはできないからである。
マルクスが示したのは、社会体制がそれ自体で不正でありうること、すなわち、体制が悪であるならば、
体制から利潤を得ている諸個人のあらゆる正義は、見せかけだけの恥ずべき正義、紛れもない偽善である
ということであった。なぜなら、われわれの責任は体制、すなわち、われわれが存続するのを容認している
諸制度にも及ぶからである。
 マルクスのこの道徳的ラディカリズムこそが彼の影響力を説明するのであり、そしてそのことは、
それ自身として希望を奮い立たせる事実である。この道徳的ラディカリズムは今でも生きている。
それを生かしつづけ、彼の政治的ラディカリズムが辿らざるをえなくなるであろうような道を
そらが辿らないようにすることが、われわれの課題なのである。
「科学的」マルクス主義は死んだ。その社会的責任と自由への愛が生き延びなければならない。」
(引用終了)

どうすか?これ?

昨今の経済事情を考えるを味わい深い文章ですな。先生!
386名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 01:46:06
>>384
>あたかも対立しているかのように語る友人がいるんですが、どうもこの2人は同じことを言ってるように見えます。

一人二役を勝手に演じるのは、もちろんご自由ですが。
今後、経済学説の論考が入り組んできた場合、貴方に
責任を投げ与えます。

サル知恵の持ち主の対しては、
それ相応の
サル知恵しか、
お送りできません!
387名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 02:19:55
ポパーって極端な思想の持ち主なん?
388名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 02:24:46
>>385
ハイエクもフルボッコしてない?マルクス主義について。

>>386
俺は池田は嫌いだ。
389名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 19:03:39
確かに両方とも社会主義否定してるね。
390名無しさん@社会人:2009/02/10(火) 00:17:38
>>385
>そらが辿らないようにすることが、われわれの課題なのである。

>それが辿らないようにすることが、われわれの課題なのである。
に訂正します。

ポパーのマルクス主義、というかマルクスの思想についての評価は
>>385の引用文中に典型的にあらわれているように、
「責任倫理」的には断罪し、
「心情倫理」的には擁護する、
という二面性があります。
「責任倫理」と「心情倫理」との区別について解説する必要は
先生にはないでしょうが、今後このスレを閲覧する諸氏のために
『職業としての政治』(マックス・ウェーバー著 岩波文庫)を挙げます。
391名無しさん@社会人:2009/02/12(木) 22:33:07
先生はハイエクについてはお詳しいわけで、
たぶん、ポパーについて
「ハイエクの盟友だからこういう思想の持ち主だろう」と
たかをくくってこのスレに書き込んで、
予想外の書き込みに、戸惑っていらっしゃるのでは?
ハイエクとは微妙に異なるポパーの思想に対して
先生の研究領域が広がれば、当スレの住人として
こんなに嬉しいことはありません。

今の経済的情勢に対しても、必要とされている研究領域であると
愚考いたしますが、いかが?
392名無しさん@社会人:2009/06/28(日) 00:26:09
『ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質』(ナシーム・ニコラス・タレブ著, 望月衛 訳 ダイヤモンド社) が、
随所でポパーを賞賛しています。
これを機会に「ホワイトスワン」を「黒いカラス」、「ブラックスワン」を「白いカラス」と
訳し変える伝統が断ち切られれば良いのにな、と思っております。
アルビノの(白い)カラスというのは、一定量の群に必ず存在します。
しかし、黒いスワンはオーストラリアに西洋人が到達するまでは、
存在しないのが当たり前だと思われていたのです。この差は大きい。
「調査不足によって知らないでいたこと」と、
「新地域を調査した結果、新たに知ったこと」との差です。

ポパーは後者、つまり、今後も新たな領域を調査した結果、これまで
自明だと思われていた事柄も反証されるかもしれません、という
可能性に対して開かれた知的謙虚さを、研究者に対して求めているのであって、
前者のような、調査不足の言い訳に使われることを望んではいないでしょう。
393名無しさん@社会人:2010/05/19(水) 06:57:15
池田age
394名無しさん@社会人:2010/08/09(月) 02:33:40
ageます。
395名無しさん@社会人:2010/08/21(土) 17:24:26
タレブですがホパーを称賛するのはいいけれど、
反証可能性と、ランダム性カオス性の判定の難しさによって
全ての学問は信用ならない的な論を行うのはいかがなものかと思う
396名無しさん@社会人:2010/08/22(日) 09:33:15
「よりよき世界を求めて」はどうですか?
397名無しさん@社会人
>>396
良いのではないでしょうか?未来社『よりよき世界を求めて』の158ページに
「わたくしが(非革命的な)自由主義者であること」とあります。
ポパーの政治的立場を一言で表現しているように思います。

同書365ページには「偉大なる物理学者であり、宇宙論者でもある
ジョン・アーチボールド・ウィーラー」の言葉、
「できるかぎり速やかに誤りをおかすことがわれわれの課題である」が
引用されていますが、これも良い言葉ですね。

「サクラ大戦」に出てくる「ひらめきの歌」を連想します。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND32748/index.html
↑歌詞です
http://www.youtube.com/watch?v=4t2-FQjEPmo
↑舞台の動画
http://www.tudou.com/programs/view/OGekJ9z23SQ/
↑高音質

これってマジでポパー思想を元ネタにしてないか?