2 :
名無しさん@社会人:2008/12/09(火) 01:34:45
宮台真司爆殺祈願o(^o^)o
3 :
名無しさん@社会人:2008/12/09(火) 22:54:06
>>984 > 世間では、最近は、権力論と言えば、フーコーなんですよ。
>ヴェーバーではなくて、フーコー。
>だから、ヴェーバーの権力論は影が薄くなっている。
>しかし、正直言って、フーコーって何を言っているかさっぱり
>わからない。解説しているひともわかっていないのじゃあないですかね。
>権力論はやっぱりマックス・ヴェーバーです。
ウェーバーに「権力」論があるのか。
実を言えば、ウェーバーには「支配」論があって、
「権力」論はないのだ。というのも、「支配」概念を導出する過程で、
「権力」が論じられるだけだからだ。
4 :
Z:2008/12/10(水) 20:14:58
祝 Part3 発刊!
5 :
Z:2008/12/10(水) 20:16:37
これからもヨロシク
6 :
Z:2008/12/10(水) 20:27:12
権力とは、支配というハコ(モノ)の中味でしょう。
司法にしても行政にしても立法にしても、一つの権力です。
(施行においては民主主義もその一つの権力)
権力というと、世の人道主義者さんは、クワバラ クワバラ と言いますが…
7 :
Z:2008/12/10(水) 20:50:42
政治的民主主義とは、「議会制民主主義」です。
そこには2つの条件があります。
@情報の公開制 A自由な討論の保障です。
8 :
名無しさん@社会人:2008/12/10(水) 21:13:21
>権力というと、世の人道主義者さんは、クワバラ クワバラ
>と言いますが…
権力はどこにでもある。
家族でも、職場でも、組合でも。
教会、そして国家。
ヴェーバーはそう考えている。
ミクロな権力って言うんですか、フーコーの権力論。
これはヴェーバーの権力論の守備範囲に入っています。
なにもフーコーを持ち出す必要はない。
9 :
名無しさん@社会人:2008/12/10(水) 21:36:12
>>7 >世の人道主義者さんは
人道主義者のウェーバー論というのがあるのではないですか。
そういう人は、ウェーバーのリアルな政治論に不満を持つ。
これは見当はずれだ。
10 :
名無しさん@社会人:2008/12/10(水) 23:52:57
人道屋は、宗教社会学のほうへ行くんじゃあないだろうか。
11 :
名無しさん@社会人:2008/12/11(木) 21:04:23
姜尚中がそうなのかな。
政治学なのにね。
12 :
Z:2008/12/13(土) 22:58:45
姜尚中 氏は、前から「グローバル化が進めばすすむほど、国家が前面にでてくる…」
と言っていた。
13 :
Z:2008/12/13(土) 23:17:35
ヴェーバーのいう民主主義(議会制民主主義)は、Cシュミットのいう“期間を決めた
委任独裁”と両立する。
14 :
名無しさん@社会人:2008/12/14(日) 03:26:16
>姜尚中 氏は、前から「グローバル化が進めばすすむほど、
>国家が前面にでてくる…」 と言っていた。
姜という人は、結構、頭が古い。
「グローバル化」というものを世界史的な過程と見ずに、
一次的な現象と見ている。
世界は本質的に国家と国家とが並立する状態と見ている。
しかし、ジグザグの過程を経つつも、「グローバル化」は進んでいくだろう。
国家は次第に後景に退いているはずだ。
15 :
名無しさん@社会人:2008/12/14(日) 12:46:43
ウェーバーでも、「グローバリゼーションは一時的現象であり、
各国家の威信感情、権力利害の追求は、
やむことがない」と言うかもしれません。
しかし、ヴェーバーは100年前の時代の人です。
とはいえ、姜尚中氏は、「理論家」というよりも、
「人道屋」でしかないので、この人の言うことをまともに聞くべきではないでしょう。
わたしは彼のヴェーバー論の本を手に取ろうとも思いません。
16 :
名無しさん@社会人:2008/12/14(日) 12:58:43
政治はいろいろあっても、結局は、目的合理性の世界だ。
人道派の人は、そこに価値合理性で突っ込んでくる。
価値と心情倫理の視点です。
しかし、そこに利害がからんでいるのが普通です。
17 :
名無しさん@社会人:2008/12/14(日) 23:03:53
旧暦12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日だ。
彼らは武士のモラル、主君への忠義という価値――理念――に
したがって決起をした。自分の内部からの欲求・意欲ではなくて、
忠義という価値、自分にとっては、本来は外的な価値に従ったわけだ。
という点で、討ち入りは「価値合理的な行為」である。
全体としては「価値合理的な行為」なのだが、
当該価値を実現するために必要な個別の諸行為、
つまり資金の調達、
本所吉良邸の状況偵察、
幕府や上杉の動向の調査、
武器の調達、
同士の連絡などは、
「目的合理的行為」である。
18 :
Z:2008/12/15(月) 00:29:41
日本人の多くは『仮名手本 忠臣蔵』を史実と思い込んでいる。これは、討ち入りの
75年たって歌舞伎の演目として上演されたものである。 史実ではない。
赤穂浪士の討ち入りは、今のコトバでいうと「テロ」ではないか?
もっとも、大石蔵之助は、立派な人物だとは思うが…
(バカだったのは浅野内匠頭・気の毒だったのは吉良上野介・立派だったのは
大石内蔵之助)
19 :
Z:2008/12/15(月) 00:38:44
大石は内匠頭の切腹に抗議したのではない。お家撲滅に対し、幕府に抗議
下のである。その意味で吉良上野介は気の毒であった。(吉良家もお取壊しだった)
20 :
Z:2008/12/15(月) 00:43:16
幕府も、人民のマンタリテが怖かったのだろう。
権力者ほど、一般大衆を恐れている。
21 :
Z:2008/12/17(水) 21:02:53
矛盾(ホコとタテ)=むじゅん(『韓非子』より)
自由主義と民主主義はタテ(楯)の両面だが、時には自由と民主は
タテ(楯)とホコ(矛〜鉾)の関係にもなる。
自由と民主を混同しないように。
独裁民主主義もある。理想的な共産主義である。
(それは未だ嘗て歴史上存在しないが…)
純粋な‘計画経済’が存在しないように。
今のロシアは巨大企業(ロシア的民間企業)に、官僚のトップを送り込んで
いる。国家統制の意味だが今は良いとしても、将来かつてのソ連経済に堕ちていくだろう。
ノーメンクラツーラの再発生→「鉄の檻」の中での安楽化→経済効率の低下へと…。
22 :
Z:2008/12/17(水) 21:13:20
ラス(〜この接頭語は省く)プーチンは、大統領としてロシア共和国を盛上げた
点は評価できるが…。
23 :
名無しさん@社会人:2008/12/17(水) 21:36:47
>16
目的合理的行為には、3種類ある。
狭義の目的合理的行為。
この場合、利益があって、そこから目的が出てくる。
これが普通にいう目的合理的行為、
ところが、価値によって目的が設定される目的合理的行為や
感情によって目的が設定される目的合理的行為があるという。
高橋由典『行為論的思考――体験選択と社会学』ミネルヴァ書房、2007年、
第4章「ヴェーバー行為類型論再考」(83-101頁)
本所吉良邸襲撃は、それ自体としてはあきらかに目的合理的な行為である。
ただ討ち入りという目的は価値的なもの(忠義)や利害的なもの(家名)から
出てきているということになる。
24 :
名無しさん@社会人:2008/12/17(水) 23:25:13
ヴェーバーの行為論は難しい。
25 :
名無しさん@社会人:2008/12/18(木) 15:03:44
ウェーバー経済社会学は、「純粋の目的合理的行為」ということで
「利害」が目的ということを言っていた。
これは高橋由典のいう「狭義の目的合理的行為」であろう。
「純粋目的合理的行為」は、感情や、伝統や、価値をしりぞけ、
利害、利害のための手段の合理的計算、その結果の予測等々を
考えての行為だろう。
これもやはり、「理念型」ということだろうか。
高橋はヴェーバーの理念型を全然理解していない
27 :
名無しさん@社会人:2008/12/18(木) 18:44:23
>26
ヴェーバーの社会的行為の4類型
「感情的行為」「伝統的行為」「目的合理的行為」「価値合理的行為」
……これらは「理念型」である。
認識において使用される純粋モデルであって、
現実において、そのものズバリの各行為があるわけではない。
ということですよね。
28 :
名無しさん@社会人:2008/12/19(金) 11:59:41
いちに、宗教社会学、
2に、政治社会学、
3番目か、それ以下が経済社会学。
ヴェーバー経済社会学はもう少し注目されていい。
29 :
名無しさん@社会人:2008/12/21(日) 15:33:40
日本の将来を考えるなら民主主義教育をすべき
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1229148881/ 政治板のスレです
丸山は民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化−物神化−を
不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、
はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体に
ついてなによりあてはまる。
つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義で
ありうる。 国民の自由に関して、国民は「日々自由になろうとすることによって、
はじめて自由でありうる」こと、その自由は「政治秩序に絶えず立ち向かおうと
する精神」と言ってます。
丸山真男は、政治のシロウトが政治の関心をもたなければ真の民主主義は
なりたたないという。
そのために
学校教育において民主主義教育(従来のような詰め込みでは
なく、議論したり論文を書かせたり、テストも丸暗記で対応できない
ような論文形式)を行うような教育をすべきです。
同じように思われた方はどのような方法で何をまず教えるかなど
上のスレにぜひ書き込みをお願いします
30 :
Z:2008/12/21(日) 17:45:24
>>29 このようなスレを書く前に、Cシュミット『政治的なものの概念』(未来社 刊)
を読まれては?
31 :
名無しさん@社会人:2008/12/22(月) 19:06:47
32 :
名無しさん@社会人:2008/12/22(月) 21:10:54
>>30 スレを書く?
このようなレスを書く前に、スレが何の略語か考えては?
33 :
Z:2008/12/23(火) 00:20:16
スレ=thread レス=response
34 :
名無しさん@社会人:2008/12/23(火) 00:37:02
>日本の将来を考えるなら民主主義教育をすべき
マルクスは言いました、「教育者はだれが教育するのか」と。
35 :
三郎:2008/12/23(火) 01:57:05
ここで「民主主義」(ただしくは、民主制か)といわれているものが、
議会制民主主義ないしは代表制民主主義ならば、
ヴェーバーの見解では、それは、
ヘル――行政幹部――被治者の構造を内包する統治形態の一種ということになる。
ヴェーバーは支配の3類型は有名だが、
彼は、第4の類型についても思考していた。
それは「民主的正当性」にもとづく「民主的支配」である。
これは、支配の正当性が、支配者に対する人民(被治者)の同意に依存している
統治形態である。
丸山がいう「革命」なるものは
この大枠の内部での「革命」である。
36 :
Z:2008/12/23(火) 18:23:20
流石(さすが)、三郎氏は『新秩序ドイツの議会と政府』(一部分は『経済と社会』
第4版に『国家社会学』として入っている)を読まれたんですネ。
37 :
名無しさん@社会人:2008/12/24(水) 14:08:31
三郎氏は学者ですからね。
関西のある大学の教授ですよね?
まさか高橋三郎さんではないでしょうw
39 :
Z:2008/12/29(月) 02:03:57
このスレで、高橋三郎 氏の本を読んでいる方があるんですネ。
恐れ入りやの鬼子母神ですか。
40 :
名無しさん@社会人:2008/12/29(月) 07:47:44
思想塾壊滅祈願d=(^o^)=b
41 :
Z:2008/12/30(火) 00:35:39
民主主義も政治的に観れば当然のことですが、一つの「権力」である。
42 :
Z:2008/12/30(火) 00:38:56
↑勿論、それは議会制民主主義であるが。それは期限限定独裁制と
両立する。
43 :
Z:2008/12/30(火) 01:54:13
自由とは、例えば競馬の馬券を買うようなものである。当れば己のもの。
はずれば自己責任でそれまで。だから自由は危険を伴う。責任観念の
無い者には、自由を与えるべきでない。(現実には与えられているが)
民主主義では馬券が当たってオカネが入れば、一部は租税として取られる。
又、馬券ですって生活が困窮すれば幾許か保護される。
民主主義では、誠実な人間もズルイ人間も「平等」である。(犯罪は別)
44 :
Z:2008/12/30(火) 02:08:24
古代ローマ帝国の最大の遺産は‘ローマ法’である。現代の法の根幹。
その法の執行が「政治」である。
45 :
三郎:2008/12/31(水) 21:51:42
ヴェーバーは、Macht(マハト)という言葉を使用しているのですが、
この言葉は、一方で「権力」と訳され、他方ではたんに「力」と訳されたりしています。
ヴェーバーは多くの人間関係(社会的関係)にMachtを見いだしています。
46 :
Z:2009/01/01(木) 00:10:57
あけましておめでとうございます。
本年もヨロシクお願い申し上げます。
47 :
Z:2009/01/01(木) 00:20:14
Machtについて
「権力」といえば政治的な面が強調されています。
「力」はもっと広範囲〜哲学的でしょう。
ハイゲッガーの『Sein und Teit』は以前は『存在と時間』でしたが、
今では『有と時』になっています。(創文社:ハイデッガー全集)
微妙なところです。(‘有と時’は動態的?)
48 :
三郎:2009/01/01(木) 00:58:20
謹賀新年、あけましておめでとうございます。
世良晃志郎訳『支配の社会学』では、
Macht は「力」と訳されています。
(しかし、語感としては「力」と言われてもピンとこないですが)
49 :
三郎:2009/01/01(木) 00:59:21
『支配の社会学』の最初の方で、
ヴェーバーはまず「マハト」について論じ、
次ぎに「ヘルシャフト」(支配)について論じています。
「ヘルシャフト」は「マハト」の特殊な形態だと言っています。
日本で一般に「権力」といっているのは、
ヴェーバーの用語では、「ヘルシャフト」的な「マハト」だと思います。
ヴェーバーの権力概念を考える場合、
「マハト」だけを論じても意味ないです。
肝心なのは、「ヘルシャフト」(マハトの一形態)だからです。
多くの論者が「マハト」だけを論じて、ことたれりとしているんですが、
これはおかしい。
50 :
三郎:2009/01/01(木) 01:07:23
「マハト」とは、他者の意志に逆らってでも、自己の意志を貫徹するチャンス(可能性)
である。殿様と家臣との関係だけでなく、私と妻とのあいだの関係にも「マハト」がある場
合がある。介護者と被介護者との関係にもある。「マハト」はあらゆる人間関係、社会関係
に遍在している。
「ヘルシャフト」とは、命令する側と服従する側とに分化した関係における「マハト」の
関係を意味する。殿様と家臣との関係はこれだが、私と妻の関係はこれではない。介護者と
被介護者との関係もこれではない。
「ヘルシャフト」は「マハト」の一つのあり方なのだから、そこには他者の意志に逆らっ
てでも、自己の意志を貫徹するチャンス(可能性)がある。
51 :
三郎:2009/01/01(木) 01:22:36
「チャンス」というのが分かりにくいですよね。
これは、絶対的なものではないということだと思います。
自己がその意志を他者に押しつけることができる高度な可能性があるということ、
その可能性が100パーセントではないけれども、実現できるような状態、関係だと思いま
す。「チャンス」を蓋然性として理解する人もいます。
支配者が、増税しようとする。
反対や抵抗の可能性がある。
うまくいくかどうか分からないところもある。
実際に増税してみて、うまくいったり、
多少の抵抗があり、妥協せざるを得ないところあったが、
まあうまくいったとか、
思惑が外れ、失敗した、また次の機会をねらうしかないとか、
大反乱があり、支配者の地位さえ脅かされたとか……。
まあ、いろんな可能性がある。
しかし、かなりの程度、自己の(「支配」の場合は支配者の)意志の貫徹が可能であるのが、
権力ということである。
52 :
三郎:2009/01/02(金) 19:09:05
橋爪大三郎「権力の可能条件」(『岩波講座 現代社会学 第十六巻 権力と支配の社会
学』(岩波書店、1996年)所収)は、
ヴェーバー『社会学の根本概念』における権力の定義について触れた後で、次のように言っ
ている。
「この有名な定義は、わかりやすく言えば、いつでも相手に無理やり言うことを聞かすこと
ができるが、権力だとのべている。この定義は、権力をふるう人間の側からのものだが、わ
れわれ近代人の常識と合致している。」(前掲書、2頁)
53 :
三郎:2009/01/02(金) 23:32:11
ヴェーバーは、『社会学的根本諸概念』(1922年)の「第18節 権力と支配」の
冒頭で、次のように「権力」を定義している。
「『権力』とは、或る社会的関係の内部で抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべて
の可能性を意味し、この可能性が何に基づくかは問うところではない。」
(清水幾太郎訳『社会学の根本概念』岩波文庫、86頁。
ヴェーバーは「可能性」(Chance)と言っている。
「可能性」はただちに現実性ではない。
橋爪は、ヴェーバーは「いつでも相手に無理やり言うことを聞かすこと
ができるのが、権力だとのべている」というが、「いつでも」というのは
おおきな誤りである。
「無理やり」というのも間違い
ウェーバーの権力は「強制」を要件としていない
「他者の意志に逆らっても」「抵抗を排しても」は
あくまでも認容文・譲歩節であることを橋爪は理解していない
55 :
名無しさん@社会人:2009/01/05(月) 14:26:35
橋爪大三郎という人は、優秀な学者なのだろうが、
なんせ一杯書いておられる。それで雑なことを書くのだな。
この人の宗教社会学の本を買ったのだが、
イスラム教についてのおよそ低レヴェルのことが書かれており、ビックリした。
ムハマドと力で布教をしたことが暗示さえされていないのだ。
世界史の教科書にも書かれいることが書かれていなかった。
そういえば、この人の北朝鮮について書いた本も買ってしまった。
全くの無価値の本だった。
56 :
名無しさん@社会人:2009/01/05(月) 18:35:06
『はじめての構造主義』でレヴィ=ストロースはエコールノルマル出身と書き赤っ恥かいた程度の人間
その後どこかで「日本の三流学者の書く入門書はデタラメが多いから原著を読め」などと言ってたから、
自分でも三流であることを認めているのだろう
57 :
名無しさん@社会人:2009/01/05(月) 22:08:18
>>55 世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫) 橋爪 大三郎 (文庫 - 2006/5)
新品: ¥ 819 (税込)
こんなに困った北朝鮮―North Korea in Hardships 橋爪 大三郎 (単行本(ソフトカバー) - 2000/7)
ぅ"ェーバー
59 :
名無しさん@社会人:2009/01/06(火) 00:09:22
60 :
Z:2009/01/06(火) 00:11:49
北朝鮮が潰れそうで潰れないのは、我が国が支配していた当時の政策を踏襲していた
からだろう。それは賢いやり方かも知れない。
我が国の朝鮮支配中は、産業(重工業)の中心は‘北部’であった。
戦後、北朝鮮はそれを基盤に発展していた(少なくとも1960年代までは)。
1970年代に韓国と逆転した。(北朝鮮は、日本の遺産を食い潰したのだろう)
これからどうなることか?
61 :
名無しさん@社会人:2009/01/06(火) 13:21:12
金親子は、カリスマである。
しかし、いま正日はカリスマ性を失っているのではないか。
62 :
Z:2009/01/06(火) 18:53:46
カリスマにしろ、デマゴーグにしろ、その背後に「責任観念」がないと
その名に値しない。
かつてバブルが弾けた時、某銀行が破産した。そこの頭取は
「まさか、こんなになるとは思わなかった…」
と言った。結果責任〜責任観念を知らん経営者だ。
Mヴェーバーの最も嫌う人間だ。
でもその「責任観念やらがある」っていう状態は
「そう思われている」という状態であって実際にどうであるかは関係ないよね
64 :
Z:2009/01/06(火) 23:08:26
責任観念があれば、
「まさか、こんなになるとは思わなかった…」
なんて発言はしない〜だろう。
そうですかね。抽象的に考えていることを、実際に言動で表すことは、非常に難しいですよ。
普通に見ると62はどういう人間が相応しいかっていうのを言いたいだけだったか。
63だけど自分が言いたいのはカリスマやらデマゴーグやらが実際に機能するときに
そいつが責任観念を持っているかどうかどうかは関係ないよねっていう話でしたわ。
責任取らなきゃならないような状態になったら、もうカリスマとかデマゴーグとかって呼べない感じするしなぁ。
67 :
名無しさん@社会人:2009/01/08(木) 01:48:03
今日、古本屋で橋爪の『社会学講義』夏目書房を買った。
権力について、不可避的なものとして捉えていた。
68 :
名無しさん@社会人:2009/01/08(木) 01:48:39
380円だった。
69 :
名無しさん@社会人:2009/01/08(木) 01:49:44
オバマは、「デマゴーグ」であり、「カリスマ」をもった政治指導者と
言えるよね。
70 :
G1:2009/01/08(木) 02:02:53
世界で唯一地中海世界(ギリシア)に「デマゴーグ」が生まれた
……とウェーバーは書いている。ウェーバーはこの言葉を否定的な
意味で使用していないことにご注意。
380円・・・
72 :
名無しさん@社会人:2009/01/09(金) 00:42:10
「デマゴーグ」は民衆扇動家の意味。
街頭で人びとに語りかける政治家である。
「デマゴーグ」のデマと「デモスクラティア」のデモスは
ともに「民衆」の意味である。
73 :
Z:2009/01/10(土) 01:09:11
デモクラシーの‘デモ’は、デモスのデモである。明治時代、民主主義を
「‘民本’主義」と言った。
それから、責任観念を持ったデマゴギーであるか否かを見分けられない学者
は、学者に値しない。ヴェーバーは見分けた。
だから、ヴェーバーがもう10年生きていれば(1930年まで)ナチスは
議会政党にはならなかった…といわれている。
C.シュミットは見分けられなかった。(あれだけの頭脳明晰な学者が〜残念!)
74 :
Z:2009/01/10(土) 01:19:19
C.シュミットはヒトラー・ナチスと世界に冠たるプロイセン官僚制度との
区別を見誤ったのだろう。
「アウトバーン」はヒトラーナチスの唯一の功績だというが、あれは
プロイセン官僚が作ったものである。ナチスとは関係ない。
ドイツは敗戦で国が荒廃したが、農業に関する限り餓死者は出さなかった。
国内行政がしっかりしていたからだ。
75 :
Z:2009/01/10(土) 01:34:39
ナチスは、アンチナチスやユダヤ人には苛酷だったが、ノンナチスには案外
見て見んふりだった。マックスの弟アルフレッドはナチス政権下でハイデルデルヒ大学
の総長になっている。マリアンネやゾンバルトも何ら圧力は受けなかった。
ナチスは国内行政については、プロイセン官僚に任せきりだったようだ。
76 :
Z:2009/01/10(土) 01:45:43
だから、ヒトラーには責任観念(政治の根幹)が無かった。
オバマ次期大統領はハーバード出身だから、T.パーソンズ(1902〜1979)の薫陶を
受けているだろうか? M.ヴェーバーぐらいは勉強しているだろうよ。
77 :
Z:2009/01/10(土) 02:07:24
↑訂正
オバマ氏は1961年生まれ、Tパーソンズは1979年逝去
だから彼はハーバードで、パーソンズの授業は受けていない。
しかし、ヴェーバーぐらいは知っているだろう。
78 :
Z:2009/01/16(金) 23:36:26
日本の労働組合=「連合」は、契約従業員が次々と解約されているのに、
何一つその解決策を発表していない。?!
(それは政府の仕事でわれわれには関係ない〜と思っている)
“全世界の労働者、団結せよ!!と言ったマルクスが生きていたら、なんというだろうか?
「連合」は大企業・お役人さんの団体だから、中小企業の労働者を見捨てている。
Iron Cage で居眠っている。
ヴェーバーは、「父マックス.ヴェーバーは‘鉄の檻’でいねむっている」と言った。
79 :
名無しさん@社会人:2009/01/16(金) 23:47:34
連合系組合って、単なる御用組合。組合員の役に立たない組合費泥棒。
>>79 経団連のトップと連合のトップ
入れ替わっても違和感ないな
81 :
Z:2009/01/18(日) 01:21:11
大塚久雄とJRヒックス
(資本制経済が支配的になるまで、英国ブリテンはヨーロッパ随一の農業国であったことは、
御存知でしょう)
大塚さんは18〜9世紀、‘Enclosure’(エンクロージャー=囲い込み)によって
一部ヨーマンや小作人が土地から追いだされ、都会で労働者(一部は小ブルジョアとして)
となったと言っている。(近世西洋経済史)
一方、JRヒックスは『経済史の理論』で17世紀までに英国では農業の生産性が高まった。
だから農業の2〜3男坊は農業に従事せず、都会に出て労働者として成立した。
時あたかも英国は産業革命の時期であった。もし労働補給がなければ、需要〜供給で労働賃金が
高騰し、産業革命にセーブが掛かったであろう。 この次期、うまく均衡していた。
ヒックスはそれを「プロレタリア均衡」と言っている。
我が国では、昭和30年代の高度成長期に、地方から大都市に
新卒が集団で労働補給が行われた。(映画=Always 三丁目の夕日)
これも、プロレタリア均衡であったのだろう。
今、世界金融動乱で、プロレタリア均衡が危機に頻している。
特に、中国が問題だ。2008年度で成長率8%以上を挙げないと、
大変な事になるだろう。人口的に見て、日本の十数倍の失業者が出るだろう。
82 :
G1:2009/01/18(日) 19:35:04
連合(民主党系)も、連合よりも少し増しな全労連(共産党系)も
正規雇用の労働者の排他的な私的利害を用語、増進するための組織である。
ヴェーバーは20世紀を「団体」(フェアアイン)の時代だと言っています。
しかし、巨大労働組合は、専従職員が官僚制的に管理する、利益団体でしかありません。
83 :
G1:2009/01/20(火) 13:19:50
>巨大労働組合は
もちろん、「官僚制」ですよね。
そして「ヘル」によって支配されている。
ヘルとは何ですか?
85 :
名無しさん@社会人:2009/01/20(火) 21:43:44
なんだろう?ヘルスの略かな?
86 :
名無しさん@社会人:2009/01/20(火) 23:14:56
>>78 連合が新派遣法に賛同した理由はとても簡単
クビ切られるのは派遣で正規労働者の組合員の雇用は守られるから
経団連も労働組合も利害が一致した
今派遣村で騒いでんのは共産党だけだよ
87 :
名無しさん@社会人:2009/01/21(水) 00:55:38
der Herr 独和辞典を開いてみよ。
88 :
名無しさん@社会人:2009/01/21(水) 01:12:15
der Herr
89 :
名無しさん@社会人:2009/01/21(水) 01:32:00
ファッションヘルスに通ってた頃があったなあ。
今思うととんだ無駄遣いだったよ。
青かったんだなあ。
90 :
名無しさん@社会人:2009/01/21(水) 02:04:24
Fashion Health? Was ist das?
独和辞典持ってないよ
教えてくれよお
推理するとヘルは「利権」とかそんな意味?
たぶんちがう
92 :
名無しさん@社会人:2009/01/21(水) 21:26:13
das Herrとは、主人・君主・支配者・・・ とか言う意味。
93 :
Z:2009/01/21(水) 21:38:37
本日未明のオバマ大統領の就任式をTVで観た。
彼は、国民一人一人の国家への‘責任観念’を述べていた。
責任観念・判断力・情熱(忍耐のある)は、ヴェーバー『職業としての政治』
の根幹である。
その他、Change・アメリカ人としての自身の回復… などなど。
落ち着いた、はっきりしたスピーチだった。
これからが大変だろう。NY株式は8000弗割れ〜
94 :
Z:2009/01/21(水) 21:47:31
このスレとは関係ないが、水村美苗『日本語がほろびるとき』は、最近読んだ
なかで傑出している。文章に論理整合性がある。
岩井克人のsuggestionがあったのでは?
95 :
Z:2009/01/21(水) 21:51:14
96 :
三郎:2009/01/22(木) 00:35:03
世良晃志郎訳の『支配の社会学』『支配の諸類型』(創文社)では、
ヴェーバーが使うHerrという言葉が「ヘル」という言葉で訳されています。
「支配者」の意味ですが、支配の地位に就いているあらゆる人をさします。
世良氏は適当な訳語がないので、「ヘル」という言葉を使用すると
長い註に書いています。
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| 次でボケて!!! |
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( ゚д゚)||
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98 :
三郎:2009/01/23(金) 15:34:26
『職業としての政治』はたいへん難しいですね。
わたしは『支配の社会学』の冒頭の部分を読んで、はじめていろんなことがわかりました。l
冒頭の30ページか、20ページほどを緊張感を持って精読すれば、ヴェーバーの政治社会学の基本がわかります。
世良先生の註もていねいに読んでください。そうすれば『職業としての政治』も
ああそうだったのかという具合にわかります。
「権力」「支配」
「ヘル」(訳者によっては「首長」とも訳する)
「行政幹部」(訳者によっては「行政スタッフ」とも訳される)
「被治者」
「支配団体」「行政手段」「強制手段」
等々が基本概念です。
もちろん、「利害」「慣習」「暴力」「正当性」「行政」もです。
>>98 最初にウェーバーを読むとしたら、
やはり「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
でしょうか?
100 :
名無しさん@社会人:2009/01/23(金) 20:03:54
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| 次でボケて!!! |
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/ づΦ
やだ
102 :
名無しさん@社会人:2009/01/23(金) 22:11:41
なんでやねん
103 :
三郎:2009/01/24(土) 01:20:50
>>99 >最初にウェーバーを読むとしたら、
>やはり「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
>でしょうか?
これは好きずきでしょうね。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と
『支配の社会学』とではずいぶん違いますね。なにか全く
違う世界のような感じさえします。
>最初にウェーバーを読むとしたら、
うぅん、むずかしいですね。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』ですが、
大塚久雄訳は良くないという評判ですね。
値が張るけど、未来社の梶山隆一訳でないとダメだということになっている
ことを承知しておいて下さい。
私は、河出書房の阿部行蔵訳で読みましたが、梶山訳で再読する予定です。
104 :
名無しさん@社会人:2009/01/24(土) 04:01:17
うんこしたい
ヴェーバーが使うHerrという言葉が「うんこしたい」という言葉で訳されています。
支配の諸類型って名著ですね
107 :
Z:2009/01/24(土) 13:48:03
三郎氏の言われるのが正解です。先ず『プロ倫』の難関を制覇する事。
これが第一条件です。
『職業としての政治』や大塚・生松訳『宗教社会学論選』(みすず書房)も。
この『論選』はヴェーバーの結論(特に‘中間考察’)と言われています。
私にとってヴェーバーの見方が180°転換したのは、彼のフライブルグ大学教授就任講演
『国民国家と経済政策』(未来社刊)です。
108 :
Z:2009/01/24(土) 13:57:23
学問とは、一つを完成して次に移るのではなく、判らない処はそのままにして
進んでいくものです。その間に‘ああ、そうだったのか’と判ってきます。
ジグゾーパズルの解のようなものです。 継続は力なり です
三郎氏、Z氏、ありがとうございます。
まずは名著を読破します。
110 :
名無しさん@社会人:2009/01/24(土) 17:21:20
そうです。
ウェーバーがハイデルベルク大学で
教鞭をとっている時、突然「ヘル!!(うんこがしたい)」
と叫び、校舎の窓から排便したという
逸話が残っています。
我慢できなかったのでしょうね。
112 :
名無しさん@社会人:2009/01/24(土) 21:23:00
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 次でボケて!!! |
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( ゚д゚)||
/ づΦ
113 :
名無しさん@社会人:2009/01/24(土) 23:37:17
ウェーバーの言う「官僚制」とは?
日本の官僚は官僚であろうか?
114 :
名無しさん@社会人:2009/01/25(日) 01:08:39
官僚とは?だって?
イーサン・ハントに不可能な任務はない
任務・・・完了・・・
115 :
Z:2009/01/25(日) 01:57:44
日本の官僚は、徳川幕府(及び各大名)の(高級であれ下級であれ)武士〜いわゆる封建制官僚の
伝統を受け継いでいるから、世界的に観てもレベルは高い。
(プロイセン官僚もそうだ〜だからヴェーバーがビスマルクに対決した)
それに較べて、国会議員=代議士のレベルは低い。
(ドイツもそうだった。ワイマール体制を維持できなかった→ナチスの勃興)
だから、我が国の政権・政策は官僚の言いなりにされてしまう。
日本の官僚はダラ官ではない。 代議士がダラなのだ。
116 :
名無しさん@社会人:2009/01/25(日) 02:19:44
unko shitai
最近若い議員の人たちが頑張ってるイメージありますがね〜。
例の渡辺喜美議員とかね。
ただ官僚はやっぱり頭が良いんだろうねぇ。最近は特に悪い意味でそういう風に感じます。
118 :
名無しさん@社会人:2009/01/25(日) 05:05:05
unko deta
小学一年生の頃って学校で
うんこしたくないじゃん?
だから家まで我慢しようと思ったんだけど、
こらえきれずにもらしちゃったんだよ・・
恥ずかしいわ、どうしようかで、あせっちゃってさ
しょうがないからホッカホカのウンコが一本入ったパンツ(白ブリ)
をそのままダイレクトに洗濯機に放り込んだんだ。
その日はそのままノーパンで過ごしたよ。
あの時は、あー、これで安心!と思ってたんだ。
もちろん、次の日洗濯機の中がえらいことのなって母ちゃんに
死ぬほど怒られたよ。
うんこのちょっといい話。
120 :
名無しさん@社会人:2009/01/25(日) 11:10:22
121 :
Z:2009/01/26(月) 00:44:15
封建制度は山之内靖 氏流にいえば、祭祀支配(あるいは平安朝のごとく王朝支配)
ではなく、武家支配である。マルク・ブロック『封建社会』(みすず書房または岩波書店刊)
では、ヨーロッパと日本しか出てこない。M.ヴェーバーの大好きな(彼の根底)
“騎士道精神”は、封建制度から生まれたものである。
(余談になるが、『トリスタンとイゾルテ』や『ロメオとジュリエット』も
封建制度の産物〜ドニ.ド.ルージュモン『愛について』平凡社刊 参照〜
この本は、ヴェーバーの『中間考察』と重なっている 必読!!)
122 :
Z:2009/01/26(月) 00:46:30
『愛について』は以前、岩波書店から刊行されていた。
123 :
Z:2009/01/26(月) 01:14:58
それから、封建制度の文化的側面を知りたいなら、ホイジンガ著『中世の秋』
がある。これも必読。
124 :
名無しさん@社会人:2009/01/26(月) 02:53:37
unko shitai
125 :
名無しさん@社会人:2009/01/26(月) 17:34:01
>>103 評判が良いと聞いてたんですが。。。
悪いんですか。
あと、三郎氏は専門は何ですか?
126 :
Z:2009/01/26(月) 21:34:09
>>103 について
『プロ倫』(未来社刊)梶山隆一 訳 となっていますが、「梶山 力」訳 じゃないでしょうか?
127 :
三郎:2009/01/27(火) 00:40:55
>『プロ倫』(未来社刊)梶山隆一 訳 となっていますが、
>「梶山 力」訳 じゃないでしょうか?
すいません、間違えました。
梶山力訳・安藤英治編です。
128 :
三郎:2009/01/27(火) 00:48:43
>私は、河出書房の阿部行蔵訳で読みましたが、
>梶山訳で再読する予定です。
阿部行蔵訳は、
河出書房「世界の大思想」23,『ウェーバー 政治・社会論集』(1960)
に入っているのですが、この本には、
「職業としての政治」「国民国家と経済政策」
「新秩序ドイツの議会と政府」なども入っています。
世良晃志郎訳の「支配の社会学」の一部も入っています。
まれに古本屋で見かけます。
「新秩序ドイツの議会と政府」は、『職業としての政治』や『支配の社会学』
よりも易しいです。
129 :
名無しさん@社会人:2009/01/27(火) 00:50:23
ふふふ
130 :
三郎:2009/01/27(火) 00:53:15
ヴェーバーは難しいですが、わたしが最近気付いたことがあります。
たとえば、ハバーマス。
ハバーマスの翻訳を読んでもわたしはさっぱりわかりません。
ドイツ語が難しいし、翻訳もよくないのではないでしょうか。
(ドイツ語ができる人に聞くと、ドイツ人が読んでもわからないドイツ語だそうです)
しかし、ヴェーバーの翻訳はそこそこよくできているのではないでしょうか。
難しいのは訳者、訳し方のせいではないようです。
結構、皆さん頑張って訳してくださっているようです。
131 :
三郎:2009/01/27(火) 01:14:55
>106
>支配の諸類型って名著ですね
先に『支配の社会学』が書かれ、その後で『支配の諸類型』が書かれたはずです。
両者の違いまで意識して読むとなればたいへんですよね。
『理解社会学のカテゴリー』に即して『支配の社会学』を読むのがいいらしいですね。
わたしは1年前までこのことを知りませんでした。
>125
>あと、三郎氏は専門は何ですか?
政治学です。
132 :
名無しさん@社会人:2009/01/27(火) 02:19:23
133 :
Z:2009/01/28(水) 00:37:51
確かに『新秩序ドイツの議会と政府』は、量は多いですが判りやすいです。
『職業としての政治』の数倍。
『Wirtschaft und Gesellschft』第4版からの「Staatssoziologie」(国家社会学)は、この
『新秩序…』からの抜粋(ヴィンケルマンとマリアンネ.Wによる)です。
(第一章は、『一般社会経済史要論』から)
林直道氏(『マックス・ウェーバーの思想体系』青木文庫の著者)によれば、
日本に初めてWヴェーバーを紹介したのは藤田敬三氏だそうです。
藤田氏は戦前に黒正巌氏訳『一般社会経済史要論』の下訳をしています。
上記書のはしがきに黒正氏が書いています。
134 :
名無しさん@社会人:2009/01/28(水) 17:36:13
>>133 >『職業としての政治』の数倍。
まじっすか?( ̄□ ̄;)
135 :
125:2009/01/28(水) 19:38:41
>三郎氏
ありがとうございます。
136 :
Z:2009/01/28(水) 22:26:09
137 :
名無しさん@社会人:2009/01/28(水) 23:40:10
138 :
三郎:2009/01/29(木) 00:24:48
>確かに『新秩序ドイツの議会と政府』は、量は多いですが判りやすいです。
>『職業としての政治』の数倍。
『新秩序ドイツの議会と政府』は、
「議会と政府、新秩序ドイツにおける」ということですから、
議会と政府についての文章だと思えばいいわけです。
アメリカの社会学者エリック・オーリン・ライトという人の
『階級・危機・国家』という本があります。
中央大学出版会から訳が出ていたはずです。
この本の最後の章が、レーニンの『国家と革命』と
ヴェーバーの『新秩序ドイツにおける議会と政府』とを比較分析した章です。
2人の議会観、行政・官僚制についてのとらえ方を対比しています。
レーニンとか
集団農場で農民をこき使って
「よーし、よし、働け!」
ってほくそ笑んでるイメージがあるな。
140 :
名無しさん@社会人:2009/01/30(金) 03:02:57
イメージで語ってるよ(≧▽≦;)アチャー
『プロ倫』を大塚訳で読みましたが、皆さんは注まで読んでますか?
注も理解できているものでしょうか?
注だけ読むって人もいたな
岩波文庫の200頁台の注を読んでたら本文までわからなくなりそうでした
144 :
名無しさん@社会人:2009/02/02(月) 22:24:34
最初は注を飛ばして読むといい(゜∇^d) グッ!!
145 :
名無しさん@社会人:2009/02/04(水) 01:00:06
うんこいきたい
146 :
名無しさん@社会人:2009/02/04(水) 19:06:23
わたしも
147 :
Z:2009/02/04(水) 21:54:05
みすず書房刊:Mヴェーバー『政治論集2』の
『新秩序ドイツの議会と政府』中村貞二・山田高生 共訳で、‘文筆家’が出てきます。
多分‘政治評論家’の事でしょうが、源ドイツ語のスペルはなんでしょうか?
原本ではどうなっているのか御存知の方、教えてください。
註:ヴェーバーは、上記で‘文筆家’をあまり良い意味では使っていません。
古典ドイツ語の昔の訳。
文筆家として、同年代に多数か分からないけど、思想家?が存在。
フランスなんかは、サルトルと誰か有名な人がいる。
で、自身は、文筆家ではないということを意図したいのかも。
このころの大学というもののあり方もよく分からない。
日本でも、明治期と今では大学の意味が違うことが、半公式。
論理立ってない文だけど、一考。
地元に、小売店があって、
あれ、誰が店出したんだろう?って思う店がある。
広い店面積があって、あれだけの土地取引は簡単には出来ないと思って。
社長が誰だろうと思ったけど、身元を見つけられない。
高卒の人か?と疑ってる。
学ぶものがなければ大学でない・・・
芸術なんか、テクニカルより、文化・科学的アプローチを教えてるところがある。
高校のときの教師(中国に傾倒している国語教師)が科挙という言葉を挙げてた。
人種的にそうかも。
152 :
Z:2009/02/04(水) 23:14:37
残念ながら誰もスペルを御存知ないようですね。
154 :
名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 01:02:38
確かに
155 :
名無しさん@社会人:2009/02/05(木) 01:08:39
Zさんってドイツ語できる人じゃないの?
原語を添えてカキコしてたよね。
156 :
Z:2009/02/05(木) 01:23:07
157 :
三郎:2009/02/06(金) 00:30:48
「文筆家」の原語は Literaten (リテラーテン)じゃあないですか。
単数形ではLiterat(リテラート)。
これは英語のliterator(リテレイタァ)に対応する言葉でしょう。
「新秩序ドイツの議会と政治」の第1章「ビスマルクの遺産」の冒頭に
出てきます。みすず版『政治論集』だと339、340342ページに出てきます。
河出版世界の大思想『ウェーバー政治・社会論集』では、311,313ページに見えます。
チラッと見ただけですが。
最近ドイツのアマゾンで買ったGesammelte Politische Schriftenのペーパーバック版(Mohr Siebeck,1988)
ですと、311ページに見られます。
Gesammelte Politische Schriftenが、みすず書房の『政治論集』の原書です。
なお以下のサイトでヴェーバーの著作の一部が原文で読めます。
上記『政治論集』もあります。pdfです。
http://141.89.99.185:8080/uni/professuren/e06/a/a/ha/inhalt ここに出てくる『政治論集』で検索しますと、 Literatenは多数出てきます。
「議会と政治」の上記箇所は、ここでは、131,132,133ページに出てきます。
158 :
Z:2009/02/06(金) 00:40:56
>>157 ありがとうございます。
流石(さすが)、三郎氏ですね。
159 :
Z:2009/02/07(土) 01:22:22
またまた Zを名乗る人がありました。
>>158 あらためて、 私=Zから、三郎氏に御礼申し上げます。
160 :
Z:2009/02/07(土) 02:14:02
私=Zの名を騙る人があらわれています。
賢明なる読者諸兄なら惑わされないことでしょう。
改めて三郎氏に御礼申し上げます。
職業としての政治 職業としての学問 (単行本(ソフトカバー))
マックス・ウェーバー (著), 中山 元 (翻訳)
日経BPクラシックシリーズの第4弾。 出版社: 日経BP社 (2009/2/11)
マックス・ウェーバー(1864-1920)は20世紀を代表するドイツの社会学者。
著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、
世俗内禁欲を生活倫理とするプロテスタンティズムが近代資本主義発展の原動力となったと分析。
戦後日本を代表する丸山真男、大塚久雄らの学者に大きな影響を与えた。
本書は、ウェーバーの残した重要な講演ふたつを収録した。第一次世界大戦で敗北したドイツ。
全土が騒然たる革命の雰囲気に覆われていた1919年1月、ミュンヘンで『職業としての政治』の講演が行われた。
政治とは何か、政治家という存在が担うべき役割とは何かを、血気にはやる学生を前に諄々と説いたウェーバー。
「現実のうちで貢献しようとしているものと比較して、
世界がどれほどに愚かで卑俗にみえたとしてもくじけることのない人
、どんな事態に陥っても、『それでもわたしはやる』と断言できる人、
そのような人だけが政治への『召命』[天職]をそなえているのです」世界的な激動期にあたり、
政治の役割が従来以上に増してきた今、本書は万人必読の書といえる。
『職業としての学問』も名高い講演として知られる。ウェーバーはこう説いた。
「わたしたちはみずからの仕事に赴き、人間としても、職業においても、
『日々求められること』にしたがう必要があるのです」
訳者は光文社古典新訳シリーズのカント『永久平和のために』、
ルソー『人間不平等起源論』などの中山元氏。
http://www.amazon.co.jp/dp/4822247228/
162 :
三郎:2009/02/07(土) 12:52:40
『職業としての政治』の冒頭で、ヴェーバーはすぐ「政治とは何か」というテーマに入っていくのですが、
「政治とは何か」と記して、次のように述べられています。
「銀行の為替政策……国立銀行の手形割引政策……ストライキの際の労組の政策
……年や農村の教育政策……ある団体の理事会の指導政策……
利口な細君の亭主操縦政策などといった、そんな言い方もできる。
しかし、今晩われわれが考察の基礎に置いているのは、
このような広い意味での政治概念ではない。」(岩波文庫、8ページ)
これは脇圭平訳なんですが、この訳文では意味がわかりません。
難しいことが言われているわけでもないのですが、なんのことかわかりません。
163 :
三郎:2009/02/07(土) 12:55:23
(承前)
「政治とは何か」の「政治」はPolitik(ポリティーク)ですが、
ここで何度も出てくる「政策」もドイツ語ではPolitikなんです。
政治(日) politics(英) Politik(独)
政策(日) policy(英) Politik(独)
まさか「為替政治……○○政治……○○政治……」という具合に訳すわけに行かないので、
訳者は上のように訳しているのでしょうが、訳者は訳注を入れていません。
これでは読者はヴェーバーが何を言おうとしているのかわかりません。
ドイツ語を知っている読者は別ですが、
脇氏は、読者への十分な配慮を怠っているわけですね。
中山元の新訳に期待したいです。
>161
164 :
名無しさん@社会人:2009/02/07(土) 19:07:45
訳文を読んでWeberを理解してるとは思えないな
165 :
名無しさん@社会人:2009/02/07(土) 21:28:49
この程度ならともかく、
もっとややこしい文章であれば、
どうしょうもないだろうな。
しかし、ヴェーバーの翻訳の全部が不適切だというわけでも、
あるまい。
166 :
Z:2009/02/07(土) 22:56:29
政治と経済について。
@マルクス〜Aヴェーバー〜Bケインズ〜Cヒックス。
@とAでは、二世代の差。AとBでは一世代の差。BとCでは一世代の差がある。
このことについて考えて見よう。
167 :
名無しさん@社会人:2009/02/08(日) 00:41:19
168 :
Z:2009/02/08(日) 01:06:39
経済(近代資本主義)については、ブリテン(英)は七つの海を支配する以前〜
エリザベス一世以前〜はヨーロッパ随一の農業国(その生産性も)であった。
だから、マルクスは英国を念頭に『資本論』を書いた。そこには、A.D.Lindsay
のいうように善人(資本家も労働者も)しかでてこない。
もっとも、マルクスは『共産党宣言』や『賃労働と資本』(労働者向けの講演)では
価値判断をあらわにしているが…『資本論』では、価値判断はこっそりと隠している
(第一部第一章第四節:商品の物神性とその秘密)。
ヴェーバーも経済ではマルクスと同じである。
ヒックスも「プロレタリア均衡」により、産業革命は成功したと見る。
(F.ブリーデルは、産業革命は今でも続いているという。もしそれが停滞すれば、
資本主義は滅ぶという)
ケインズは第一次世界大戦後は経済については、アメリカに移ったと観ている。
(だから彼は、第二次大戦が終わった時、直ちにアメリカに飛んだ。
そして、そこで死んだ〜本当に無念だったろう)
政治については、改めて…
169 :
Z:2009/02/08(日) 01:30:47
ケインズは国際通貨基金(IMF)の基礎を創った。
ヴェーバーは神経症からの回復期に、夫婦でアメリカへ行った。
アメリカの大学を観て、“これはEnterpriseだ!!”と言った。
また、厳冬下に成年が水に浸かって再洗礼を行っているのを見て、
“アメリカは恐ろしい国だ…”と感心した。
170 :
名無しさん@社会人:2009/02/08(日) 01:52:16
わたしもうんこ行きたい
171 :
Z:2009/02/08(日) 02:36:22
ヴェーバーはヴィルヘルム二世の軽率な発言が、いかにドイツ国家の不利益
をもたらしたか、そして帝国議会や連邦参議院がそれを阻止し得なかった
ことに、憤懣やるかたない思いを持っている。しかし、最終的には議会制的君主制に
賛成であった。(『新秩序〜』参照)
ヴェーバーが目指していたのは、英国の君主制と議会制である。
「君臨すれども統治せず」である。もっとも英国君主は議会の決定を拒否する
権限がある。一度それがあった。戦後は無い。現在では、それは有名無実となっている。
ヴェーバーは、必ずしも二大政党制主義ではないが、ディズレイリvsグラッドストンの
19世紀後半からの議会制民主主義による政府(内閣)をドイツのモデルとして
高く評価しているビスマルクはディズレイリを「ユダヤの老いぼれ」と言っているが…。
(彼は英国宰相で唯一のユダヤ系であった。『ディズレイリ伝』灘尾弘吉監訳参照)
しかし、ビスマルクは彼を親しみをもってそう言ったのであろう。
172 :
Z:2009/02/08(日) 02:48:35
要するにヴェーバーは議会のレベルを引き上げ、強力な‘政府’を目的としたのであろう。
最近の我が国の議会〜政府を見れば、『新秩序〜』は理論的有効性がまだまだ多く含んでいる。
173 :
名無しさん@社会人:2009/02/08(日) 03:22:47
どうしたんだろう。
Z氏がやけに張り切って見える。
いやムキになってるように見えるのは気のせいか。
174 :
Z:2009/02/08(日) 14:35:04
>>173さん江
お心遣い御礼申し上げます。
張り切っているつもりでいますが、ムキにはなってはいません。
御心配なく。
追伸:『ディズレイリ伝』は、旧 「大蔵省印刷局」から刊行されたものです。
ディズレイリは、ヴィクトリア女王をインド皇帝に襲名した宰相です。
その時、バッキンガム宮殿にはカレーの香りが漂ったそうです。
彼は女王の信任が篤かったようです。
175 :
Z:2009/02/08(日) 17:13:02
なお、ディズレイリはビスマルクと会見して、
“この男は、言ったことは必ず実行するだろう”
と、言った。
176 :
Z:2009/02/08(日) 17:17:03
なお、ディズレイリはビスマルクと会見して、
“この男は、言ったことは必ず実行するだろう”
と、言った。
177 :
名無しさん@社会人:2009/02/08(日) 23:23:16
大事なことなので2回言いましたよ
178 :
名無しさん@社会人:2009/02/09(月) 00:24:47
やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。
(中略)
私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を植えつけるという大きな
仕事を先駆者としてなしとげた。今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で
築いたのである。しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。
私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。ということは、日本の大半の
文科系の知識人の知能水準は、アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。
副島隆彦「日本の秘密」
179 :
Z:2009/02/09(月) 23:09:49
先月の日経新聞に、前トヨタ自動車社長が
“「資本主義」にAlternativeなし”と書いていた。
日本だけでなく、世界の優秀な経営者は皆そう思っているだろう。
「資本主義の精神」をいったのはM.ヴェーバーが初めてだが、
世界の経営者は、それをどう観ているか調べてみる必要がある。
数年前、日経新聞が資本主義について多くの学者から論考を集めた。
(シリーズ‘やさしい経済学’で)
その中に
‘愚直'資本主義 というのがあった。
昨年末からの金融恐慌で、資本主義の見方が、また、変化しているだろう。
180 :
Z:2009/02/09(月) 23:26:26
ビスマルクについては、『ビスマルク〜白色革命家』ロタール・ガル著
大内宏一訳 A5版 600〜700頁の膨大な本です。 創文社 刊 1988年
約¥15,000-
ビスマルクの伝記としては、これが一番良い。
181 :
名無しさん@社会人:2009/02/11(水) 01:36:59
182 :
Z:2009/02/11(水) 22:34:48
M.ヴェーバーの『新秩序〜』の関連から、ビスマルク・ディズレイリ・
グラッドストーンが出たら、前出の政治家にの親ともいうべき‘タレーラン’
につて述べねばならない。
グラッドストーンが「誠実」の極なら、その反対の極=柔軟性
(良い意味でも・悪い意味でも)は タレーランである。
19世紀初頭ウイーン会議’(会議は踊る、されど会議は進まず)の主役。
『タレラン』上下2冊 藤原書店刊
183 :
名無しさん@社会人:2009/02/12(木) 00:02:32
(* ̄□ ̄*;)さんはいつも午前0〜1時に出現するんですねw
185 :
名無しさん@社会人:2009/02/13(金) 01:00:26
>>184 午前0〜1時って(* ̄□ ̄*;)確かに
といいますか、(* ̄□ ̄*;)さんがこのスレに来てる理由は何ですか?
187 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 00:04:43
>>186 来てる理由は何ですかって(* ̄□ ̄*;)
理由を言わないと来ちゃいけないスレがあるんですか
188 :
Z:2009/02/14(土) 01:38:30
最近、一部の経済学者の間で、EUを手本として「東アジア共同体」を
創ろうという動きがある。
“共同体”というコトバに陶酔しているのでは?
数字の上では日・韓・中を合わせればEUを凌駕する。
共同体という概念を知らない、あさはかな経済学者がいる。
以前、‘環太平洋共同体’(日・米・加・豪・NLの5ヶ国)の発想があった。
‘東アジア共同体’より、少しはましだろうが…。
経済学者もええかげんなもんだ。(勿論、彼等はMヴェーバーを知らないだろうが)
189 :
Z:2009/02/14(土) 11:28:38
‘環太平洋共同体’を提唱したのは、一橋大学:経済学部名誉教授 小島 清 氏
であった。
190 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 11:44:20
>>188 あさはかって・・・
ええかげんなもんだって・・・
知らないだろうがって・・・
そんなことここで言われても。
191 :
Z:2009/02/14(土) 12:11:10
大塚久雄 著『共同体の理論』(岩波書店 刊)がある。
いつか小山汪之さんが、上記の著作を批判していた。
私が上記の本を読んだ感じからは、マルクスの『資本制生産に先行する諸形態』と
なんら変わらない。『先行する諸形態』の解説の様に思った。
うんこしたいくん元気か?
君の声が聞きたいよ。
元気なら声を聞かせてくれよ
194 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 19:35:30
(* ̄□ ̄*;)さん、今日は午後7時半すぎにお目見えですか?
なんと珍しい
もしや、うんこしたいくん=(* ̄□ ̄*;)さん?
196 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 20:06:09
>>195 珍しいって(* ̄□ ̄*;)今度は20時って
で、うんこしたいくん=(* ̄□ ̄*;)さんなんでしょ?
198 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 21:07:29
おれはうんこしたいくんを
探してるだけなんだ。
あいつの投げやりな叫びを聞きたいんだけ
201 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 21:22:42
202 :
名無しさん@社会人:2009/02/14(土) 21:41:15
ウェーバー研究がこれほど盛んなのは日本だけという話があるが、
その理由は何なのだろうか
ひとつには、一時期の人文社会科学の研究領域で隆盛を極めた
マルクス主義に対するカウンターパートとして機能していた点が
挙げられると思うけど、それ以外の理由って何かあるのかな?
やっぱり後発近代国家として、資本主義の発展過程に並々ならぬ
関心があったということなのかな?
204 :
Z:2009/02/14(土) 22:29:55
>>203 資本主義の発展過程に並々ならぬ 関心があったということなのかな?
上記はその通りだと思います。
>>やっぱり‘後発近代国家’として〜 は、日本は後発近代国家ではない。、
なぜ多くの方々が、そういうのか理解に苦しみます。
(江戸時代、250年の平和国家は世界史では驚異です)
Occidentおよびアメリカ以外で近代国家になったのは、確かに日本が最初ですが…。
その原因の一つは、日本がOccidentと同じく、封建制度を経験したからでしょう。
参照:山之内靖〜「祭祀又は王朝(平安時代の)支配と武家支配の違い」
封建制度は武家支配である。鎌倉時代から明治維新まで。
後醍醐天皇の建武親政は失敗している。
205 :
Z:2009/02/14(土) 22:46:43
江戸時代については、
速水融 著『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社 刊 参照
206 :
Z:2009/02/14(土) 22:54:21
明治維新以降、日本は「国民国家」となった。もっとも
山田盛太郎 著『日本資本主義分析』(岩波文庫)に書かれているように
半封建的・半軍事的な面もあるが…。
207 :
203:2009/02/14(土) 23:19:27
>>204 後発であることに変わりはないですよね
>>206 まあ、封建制成立論争自体が、講座派の
資本主義規定の圏内にあったいえばそうなんでしょうけど
近代化の前提条件があったか否かという問題はもちろん
あるのでしょうが、なぜ、ウェーバーが研究され続けるのか
という疑問は残ります
世俗内禁欲みたいな話って日本人には理解しにくい
と思ったりもしますが
理解しにくいから研究され続けるのかw
208 :
名無しさん@社会人:2009/02/15(日) 00:37:52
後発的に資本主義化というか工業化したところは、大抵、ファシズム的な歴史段階を経てきているよな。
いや、帝国主義という意味では、後発にかぎらず、多かれ少なかれ西欧も同じで、例外はないのかもしれないが。
209 :
名無しさん@社会人:2009/02/15(日) 02:51:37
210 :
Z:2009/02/15(日) 22:28:18
『イギリスの工場・日本の工場』上下(ちくま学芸文庫)の著者:ロナルド.ドーア
は、制度(後発)と、制度を運営する‘精神’を分けている。
確かに日本は後発かもし得ないが、‘精神’は先進国に似ている。
後発国を全て一羽一からげにするのはどうかと思う。
歴史的には、英〜農業国→工業国と日本→工業国は、他の多くの後発国の工業化
とは違う。其処が問題である。
ドーア氏は、日本の教育水準(江戸時代からの)を高く評価している。
ここが日本と他の後発国との違いである。
211 :
Z:2009/02/15(日) 22:33:48
訂正: 誤=日本→工業国 正=日本〜農業国→工業国
英国と日本は、農→工の過程〜精神が似ている。
そういえば、山本哲士氏が「制度」と区別して「制象」という言葉を使っていたなあ。
制度とその制度を成り立たせている精神の習慣みたいなものを分ける発想だったと思う。
その観点から、歴史学のアナール学派、イバン・イリイチ、ピエール・プルデュー、ミシェル・フーコー
といった人たちの思想や批評や学説を読み解いていくという問題意識をもっておられたようで。
70年代80年代のことだったのでもう記憶が定かではありませんけれども。
213 :
Z:2009/02/15(日) 23:48:56
制度を運営する‘精神’と言うのが、ヴェーバーのいう「資本主義の精神」
ではないか?
R.N.ベラー『徳川時代の宗教』(岩波文庫)もそうだろう。
214 :
Z:2009/02/17(火) 02:27:24
一番判りやすいのは、
制度=自動車そのもの。ロールスロイスやキャデラックから、二流・三流のクルマ
まである。
制度の‘運営’精神=自動車の運転技術および運転マナー。
いかにロールスロイスやキャデラックでも運転技術・マナーが悪ければ無意味
むしろ、却って危険。
例え二流の車であっても、運転技術・マナーがしっかりしていれば、その方が
快適である〜様に。
215 :
Z:2009/02/17(火) 02:33:47
現代経済学のスルールに「新制度学派」がある。青木昌彦氏もこれに属する。
このスクールでは、「ハードとソフト」両立である。
216 :
名無しさん@社会人:2009/02/17(火) 09:58:33
>>210 日本は、先進国の中では後発国だが、後発国の中では他の後発国とは違う
ということですか
217 :
名無しさん@社会人:2009/02/17(火) 12:20:17
三郎氏の論稿が見られないのは残念
218 :
Z:2009/02/17(火) 17:07:08
>>216 さん江
250年間の平和な鎖国時代(但し蘭・清とは交流〜したがってペルリの日本への航行は蘭から
ニュースが幕府に入っていた)徳川幕藩体制は封建制度であり、「国民国家」
ではなかった(西欧=Occidenntは、国民国家であった〜なりつつあった)。
徳川幕藩体制では、米(コメ)が中心。そのコメの“生産性”は小家族・労働集約
で、世界でも一〜二であった。
ヴェーバーは『Vorbenerkung』でなにごとも‘Nur im Occident’
(ただ西欧においてのみ)という。
ここでのOccidentは、英・仏・独・伊・ベネルックス3国である。
(スカンディナはどうろうか?)
ロシアや東欧は入っていない。葡・西も入っていないだろう。
そういう意味で、日本は先進国・後発国の範疇にはいらないのでは?
先進国+後発国であろうか? しかし、これはたいした問題ではない。
つづく
219 :
Z:2009/02/17(火) 17:23:10
江戸時代の初等教育=寺子屋は、どんな辺鄙なところでもあった。
教師は神官・僧侶・浪人武士などなど。明治五年、小学制度が発布されたが、
明治30年末には、小学校就学率は世界一であった。
それから江戸時代の武士階級・武士の精神(マンタリテ)について。
また改めて
220 :
Z:2009/02/17(火) 17:35:31
江戸時代の武士階級は、精神的にも肉体的にも「あぐら」をかかない
人種であった。
水戸黄門漫遊記・刺青判官・大岡裁判などで、上級武士と悪徳商人がつるまって
農民・町民をいじめる…。テレビでよくあるストーリーである。
それが無いとはいわないが、あれはあくまで娯楽サスペンスである。
テレビを見て江戸時代を判断してはいけない。
また、熊さん・八っつあんは無学文盲のように落語にあるが、これも
事実ではない。読み書きソロバンはちゃんと出きる人物である。
221 :
Z:2009/02/17(火) 18:26:07
>>218 訂正 誤=Vorbenerkung 正=Vorbemerkung ×=n 〇=m
222 :
名無しさん@社会人:2009/02/17(火) 23:34:21
>>217 Z氏の論稿ならたくさんご覧いただけますが?
223 :
名無しさん@社会人:2009/02/22(日) 03:12:21
ちょ(* ̄□ ̄*;)静かだな・・・
(* ̄□ ̄*;)さん、今日は少し遅めのお目見えですね。
ヴェーバーが専門なんですか?
225 :
名無しさん@社会人:2009/02/22(日) 09:51:50
(* ̄□ ̄*;)さんに必ずレスする方が見えますが、(* ̄□ ̄*;)さんのファン
ですか?
休日の早朝にお疲れ様です。
>>225 ファンではないんですが、(* ̄□ ̄*;)さんがどうしていつもこのスレに
現れるのか、不思議に思ってるだけですよ。
この顔文字も妙に(* ̄□ ̄*;)も愛嬌がありますしね。
227 :
名無しさん@社会人:2009/02/22(日) 11:10:27
たしかに愛嬌がありますよね
228 :
名無しさん@社会人:2009/02/28(土) 13:51:30
>223〜>227 は別にして、本題に戻りましょう。
何かよいテーマがあれば、レスして下さい。
229 :
Z:2009/03/03(火) 20:13:22
資本主義は一つの経済制度である。その資本主義を運営する‘精神’〜
それが「資本主義の精神」であろう。その根幹はプロテスタンティズム倫理=禁欲精神。
ヴェーバーは、それはもう無くなったという。
では、現代 21世紀の資本主義(多くの企業家は資本主義に代替なし! という)
の運営〜経営精神は何か?
世界金融騒乱の今は? 如何にして経済安定を構築すべきか?
ロシアの急激な経済低下〜プーチンはどんな切り札を出すか?
中国も危ない。 どうするのか? EUは崩壊しないか?
日本は? アメリカは?
230 :
名無しさん@社会人:2009/03/04(水) 11:45:47
プロテスタンティズムの倫理の資本主義版は、現代でも「勤勉の精神」として残っているんじゃない?
ポール・クルーグマン氏も、米国人でさえ大多数は勤勉な人びとであると言っていたよ。
日本人は極端に勤勉過ぎて「働き蜂」なんて言われていて、消費より貯蓄に比重を置きすぎるのが
かえってまた経済的にも問題があるかもしれないんだけどさ。
231 :
Z:2009/03/04(水) 23:36:28
今回の金融恐慌は、システム=資本主義経済〜市場経済の欠陥か、 (自動車でいえば
車の欠陥か、それとも運転ミス・運転マナーのミスのように)資本主義運営および経済倫理の
欠陥か〜 といえば、明らかに後者のミスであろう。
232 :
Z:2009/03/04(水) 23:42:28
「資本主義の精神」とは、その資本主義の運営とマナー=倫理である。
「サブプライム」がそれである。
>>231 それを言ったら計画経済だって・・・
超人が運用したならば、うまくいくシステムだと誰かが言っていた。
234 :
Z:2009/03/06(金) 01:51:37
確かに
>>233さんの言われるとおりでしょう。計画経済だけでなく、「全体主義」
でもそう言える。
第二次大戦後、アジア・アフリカで多くの独立国家が出来た。
皆、民主主義〜議会制や近代化を導入した。それを奨励したのは、善意ではあるが
アメリカだった。
しかし、ほとんどの国が内戦や経済危機を経験している。成功した国はごくわずかである。
これを、どう解釈すればよいのか〜私自身、迷っている。
ヴェーバーはそのような件については何も言っていない。
それらの国では、基礎的な教育機関〜制度が無かった。
235 :
Z:2009/03/06(金) 01:59:51
日本は江戸時代から、西欧(Occident)並みに先進国であた〜 と思う。
文化・農業・教育・地場産業などで…そして行政も。
236 :
名無しさん@社会人:2009/03/06(金) 02:27:12
Z氏のオナニースレですなここは
237 :
Z:2009/03/07(土) 02:16:49
明治維新で日本は国民国家なったが、いくらなんでも、
半世紀足らずで先進国になれるはずがない。
日本は30年足らずで、不平等条約を解消したが、それが先進国への条件では
ないだろう。
江戸時代の素質があったからだろう。
確かに、山田盛太郎の言うように、制度は半封建的・半軍事的だったとしても、
その運営(ソフト)が柔軟だったからだ。
運営=精神〜資本主義の精神。ヴェーバーが‘精神’と言う場合、それは
ソフト〜運営=経営の動学(Dynamics)である。 静学(Statics)ではない。
>>237 ウェーバーの支配の社会学的にいうと、日本における国民国家の素質って平安末期から室町あたりに
見出されるんじゃね?
ウェーバーによれば、封建制って一言で言っちゃえば、伝統的支配とカリスマ的支配の日常化のハイブリッド体制でしょ。
そこから伝統的権威にもカリスマ的権威にもよらない正当性根拠がうまれて、それが法治の概念を生み、合法的支配に帰結するわけじゃん。
ってことは日本においては、封建制が培われた平安末期あたりからヘル権力が確固たる公権となった室町あたりに
国民国家の政治体制的な側面の素質が見出されるって事になるはず。
まあ、貨幣経済や全国統一的市場圏が確立されたのは確かに江戸時代だから、その側面からは江戸時代に国民国家の
素質が見出されるとはいえるとは思うけど。
でも、行政システムとは支配体制の発展については、江戸幕府が意図的に発展を阻害していて、しかもそれによって停滞
していたように思える。経済的要因だって結局は室町時代からの漸進的発展の結果だしね。
239 :
Z:2009/03/10(火) 04:28:08
>>238 私の浅い歴史観をやんわりと批判している。
お礼申し上げます。
241 :
Z:2009/03/11(水) 18:25:20
>>239 またまた 変な人が私=Zを名乗っています。
242 :
Z:2009/03/11(水) 18:50:05
>>238さん江 よく勉強されています。
ヨーロッパ近世には、ヨーゼフ二世のような「啓蒙絶対(専制)君主」
(我が国でいえば名君)が多く出ています。啓蒙+絶対君主
それが国民国家に繋がっていきます。 ロシアのエカテリーナ女帝
(1729〜1796)もその一人です。
プロイセンのフリードリッヒ大王(1712〜1786)も。
243 :
Z:2009/03/11(水) 19:10:36
第二次世界大戦後、アフリカ・アジア・中南米の独立新興国には、
議会制度による民主主義の前段階に、
啓蒙絶対 君主または政治家がいなかった。
民主主義にしろ、なに主義にしろ、システム=制度は一人歩きしない。
人〜人間がそれを運用する。
ロールスロイスにしろキャデラックにしろ、
車が自動しない。人間がそれを運転する。その運転技術・運転マナーが重要。
即ち、政治〜ソフトが大切。テクノロジーや倫理が大切。
244 :
名無しさん@社会人:2009/03/12(木) 02:04:49
245 :
名無しさん@社会人 :2009/03/12(木) 16:09:28
246 :
Z:2009/03/12(木) 19:17:26
今回のサブプライムによる世界金融動乱〜恐慌といってもいい〜について。
この‘運営の精神’について(資本主義の精神といってもいい)、運営マナー
経済倫理について。 資本主義の精神と経済倫理は一体である。
今回の動乱〜恐慌と経済倫理について。 皆さん どう観ておられますか?
なんのためにヴェーバーを論究したのか?〜しているのかのか?
それとも、今や資本主義の精神には倫理が消えてしまったのか?
大学の経済研究科(前期・後期の博士課程)では、経済倫理は教えませんが…
そういう講座科目はありません。
247 :
名無しさん@社会人:2009/03/12(木) 22:24:49
>>245 なぜ199はうんこしたい君とやらに
それほど拘るのか不思議だ。
248 :
Z:2009/03/12(木) 22:45:33
>>246追加
「経済学方法論」や「経済哲学」はある。
249 :
Z:2009/03/13(金) 12:02:11
ルールとマナー
ルールには国内法・国際法などがある。六法全書(ルールブック)に書いてある。
議会・国連の決議のによって決まる。外に社団の‘規約’がある。
一方マナーは、朝に「おはよう」と言ったり、夕方には「こんばんは」と
言ったりするものである。
電車内で、お年寄りに席を譲るのもマナーである。 マナーは倫理であろう。
だからマナーは‘法’ではない。道徳もそうだ。道徳は自然発生的なものである。
経済行為にも、法行為としてのルールと倫理・道徳としてのマナーがある。
法・条約・規約は守らねばならないことは、みな承知している。
マナーは個々人の良心・自由に負かされている。
でも、経済行為にも倫理・道徳はあるはずだ。
サブプライムは、ルールには反しないが、マナーが…?
ヴェーバーの根底には、騎士道精神があった。それは「悪」にではなく
「卑」に対してである。
悪には美学があるが(日本駄右衛門〜“悪はすれども非道はせず…”)、
卑にはない。ヴェーバーが五十ちかくになって、論敵に決闘を申し込んだのは、
論敵が「卑」であったからだろう。
この決闘申し込みには、マリアンネをはじめ、皆あきれかえったそうである。
結果としては、決闘はとりやめになったが…。
(M.Weber Ein Lebens-bildより)
「でも、」は要らないんじゃない?
なんか文章が変・・・
>>247 なにかが119の心にヒットしたのかなあ
119は学生か?
学校ちゃんといってるの
252 :
名無しさん@社会人:2009/03/13(金) 23:01:00
253 :
名無しさん@社会人:2009/03/17(火) 02:25:59
文章が変だと指摘があってから静かだね
254 :
名無しさん@社会人:2009/03/20(金) 02:41:36
>>249 道徳は‘自然発生的’・・・便利な言葉ですな
255 :
Z:2009/03/22(日) 02:26:37
ヴェーバーは、「倫理」はいっても「道徳」というコトバは使わないのでしょうか?
道徳の自然発生について。江戸時代は、「米」が全ての基幹でした。
そこから‘一粒のお米でも大切に…’という習慣が生まれました。
茶懐石では、最後におこげ(今は電気釜だから無い)も、お粥にして客に出します。
そこにはモノを大切にする精神があります。
これらは経験から生まれたものでしょう。
カントの基盤はやはり経験です。大学で永年、人間論や自然地理学を教えていました。
その基盤の上に60才近くなって三批判書を刊行しました。
人の思考は経験から生まれたものと、アプリオリなものと二つあります。
どんな人でも、無意識にこの二つを使っています。
熊さん・八っぁんでさえ、無意識にアプリオリな思考をしています。
形而上学の基本であるアプリオリは哲学だけの専売特許ではありません。
そう考えるとカントって、しちむずかしいものではありません。
「論語」は、すべて経験論です。千数百年後、朱子が‘理・気’などアプリオリ
な思考を儒学に導入しました。朱子は東洋のカントです。
256 :
Z:2009/03/22(日) 13:22:21
日常では経験的思考とアプリオリ思考とは、混合していますが、
学問としての‘哲学’では、この二つは明確に分けて論じなければなりません。
だから、いかにも難しいように感じるわけです。カントはアプリオリの矛盾に
ついても論じています。
257 :
名無しさん@社会人:2009/03/22(日) 16:18:01
アプリオリと言って逃げたようです。
258 :
Z:2009/03/27(金) 20:21:35
我が国で、江戸時代から続いている「職人気質(かたぎ)」とヴェーバーがいう
「資本主義の精神」とはどんな関係があるのか?
ヴェーバーがたえず言う『Nur im Occidennt』に日本ははいっていないのに
明治末期には唯一日本のみ(Nur im Japan)が欧米の国民国家に列した理由は…?
山田盛太郎『日本資本主義分析』では、半封建的・半軍事的とあるが…。
もっとも、その制度システムの‘運営の精神’にあるのだが、具体的にどうなのか?
それが問題であろう。 これの明解な理論〜政策を論じたのがあるのだろうか?
第二次大戦後アフリカ・アジア・中南米などで多くの独立国が生まれたが、その‘離陸’
(W.W.Rostow〜米国の経済史学者)に苦しんだ〜苦しんでいる 状況に対しても、
解決の光が示されるだろう。
259 :
名無しさん@社会人:2009/03/29(日) 02:39:56
アプリオリって(* ̄□ ̄*;)
(* ̄□ ̄*;)さん、おひさしぶり〜
261 :
名無しさん@社会人:2009/04/06(月) 18:21:48
淋しいね。
262 :
Z:2009/04/11(土) 12:25:25
263 :
Z:2009/04/11(土) 12:29:21
上記を開けば、M.ヴェーバーが出てきます。
264 :
Z:2009/04/11(土) 12:40:57
上記のなかの「Sociology」(1)をクリックして。
265 :
名無しさん@社会人:2009/04/14(火) 01:36:50
三連投って(* ̄□ ̄*;)
(* ̄□ ̄*;)さんはうんこしたい君なんでしょ?
267 :
名無しさん@社会人:2009/04/17(金) 00:07:54
なぜそこにこだわる?
268 :
名無しさん@社会人:2009/04/24(金) 22:00:07
ウェーバーも酔って全裸になって暴れたんだってねw
269 :
名無しさん@社会人:2009/04/25(土) 02:48:01
まじ?
270 :
名無しさん@社会人:2009/04/25(土) 17:54:35
うんこの次はくさなぎか?
271 :
名無しさん@社会人:2009/04/25(土) 23:03:48
>>269 安藤栄治著「マックス・ウェーバー」
講談社文庫版だとP194
272 :
名無しさん@社会人:2009/04/25(土) 23:07:42
まちがった orz
×安藤栄治
○安藤英治
273 :
Z:2009/05/02(土) 01:45:10
ヴェーバーの解釈学はもうすんだのではないか?
マルクスについても「解釈学」では、日本は群を抜いていた。
ヴェーバーでもそうだ。ヴェーバーを基に、何か新しいセオリーを
引き出してもいいのではないか?(少々の誤謬はあっても‥)
日本の学者は何もしないくせに、外国の学者だいえばスグ飛びつくのに‥。
274 :
Z:2009/05/02(土) 01:49:47
例えば、最近の100年に一度といわれる金融恐慌について、
「資本主義の精神」という観点から観れば どうか?
275 :
Z:2009/05/02(土) 01:52:38
不思議なことに、マル経の学者先生がダンマリなのは、どういうことか?
276 :
Z:2009/05/05(火) 14:27:16
ハゲタカ資本主義(NHKのドラマ〜近日、再上映するらしい)はルールには違反していない。
しかし、マナー(経済倫理)にはどうか?
一般道路では速度制限40kmが普通である。どんな車でも速度制限を守っているのはない。
それでも、先ず事故は起こらない。それは、「運転マナー」がしっかりしているからだ。
たとえ40kmであっても、運転マナーがなければ事故は起こるだろう。
ルールよりもマナーが大切。
277 :
Z:2009/05/05(火) 14:37:21
ルールは法によって決められている。マナーは、法の外部である。
マナーを法で規制できない。
朝は、お互いに「おはよう」という。食事では「いただきます」といい、
食べ終わったら「ごちそうさま」という。 こでは法では決められていない。
もし、かかる事が法で決められるようになったら、〜違反すれば罰金か刑罰。
そんな社会では、人間は生きていられないだろう。
278 :
Z:2009/05/06(水) 23:46:23
出版社:創文社のPR雑誌「創文」の4月号
荒川敏彦 “ヴェーバーの二つの宗教社会学と「カメレオンの眼」”
一読に値する。
279 :
Z:2009/05/09(土) 19:51:05
カメレオンの目は左右それぞれ方向がちがう。視点が違うから、焦点が定かでない。
ヴェーバーの「宗教社会学」(『経済と社会』)と、『世界宗教と経済倫理』の
‘焦点の違い’を、内田義彦氏が皮肉って言ったのに対して、荒川氏がヴェーバーを
弁明している論考である。
280 :
Z:2009/05/12(火) 23:04:04
ヴェーバーが、もう10年生きていれば、ナチスが勃興しなかったであろう…と
云われている。確かにそうであろう。彼は伍長のバカらしさを見抜いたであろう。
1930年初頭の世界大不況で、ドイツが他国と比較して失業率が低かったのは、
プロイセン官僚の功績であって、ナチスの成果ではない。ナチスは国内行政は、
官僚任せだった。
1945年ナチス崩壊にもかかわらず、ドイツには餓死者はいなかった
(終戦後のわが国もそうだった)。
これもドイツ官僚の功績である。
281 :
Z:2009/05/12(火) 23:23:51
ナチスに最も勇敢に対決したのは、ホイジンガ(『中世の秋』・『ホモ・ルーデンス』)であった。
彼はナチス崩壊の直前に亡くなった(1945)。連合軍がフランスを開放して、
オランダに進入する時だった。
282 :
名無しさん@社会人:2009/06/08(月) 00:08:20
283 :
名無しさん@社会人:2009/06/08(月) 00:10:36
紹介
☆書籍工房早山(旧:リブロポート系)刊『想像の共同体』B.アンダーソン著
☆光文社新書301『ベネリクト・アンダーソン グローバリゼイションを語る』梅森直之 編著
B.アンダーソンは、確かにM.ヴェーバーを読んでいる〜と思う。
284 :
名無しさん@社会人:2009/06/16(火) 23:58:15
ハゲタカ見てないのか(* ̄□ ̄*;)
286 :
名無しさん@社会人:2009/06/23(火) 02:03:54
静かだな(* ̄□ ̄*;)
日経BPクラシックスの『職業としての政治 職業としての学問』 (中山元訳)を
アマゾンでレビューしているのはこのスレの三郎さんですか?
288 :
三郎:2009/06/25(木) 22:45:33
>287
そうです。わたしが書きました。
できが悪かったですか。
289 :
三郎:2009/06/26(金) 00:25:22
>287
聞きっぱなしですか。
290 :
287:2009/06/26(金) 17:28:56
>>288 いえいえ、このスレで書かれていたことを読めばよくわかります。
ただ、
>ついでながら、『職業としての政治』におけるヴェーバーの「政治」の定義は理論的定義ではない。
>あくまで日常語としてのPolitikをベースにした初発的、導入的な定義である。
>(講演にあたって、聴衆のために、とりあえず、定義しただけだ)
>この点を勘違いしている学者先生が多い。
というところを見て、「支配」の理論的定義と「政治」の理論的定義の関係という
基本的なことすら考えたことなかったな、と反省しておるところです。
(学者先生ではなく、学生ですが)
他に小説などもレビューされてますが、私は未読であった半村良に興味を抱きました。
291 :
三郎:2009/06/27(土) 01:54:34
>>290 生意気なところがあるかもしれませんが、
どうぞ宜しく。
292 :
三郎:2009/06/28(日) 00:16:03
>291
半村良は昔良く読みました。
フィクションの面白さを満喫できました。
289,291は、もう一人の「三郎」氏のようですね。
293 :
名無しさん@社会人:2009/06/28(日) 12:10:32
もう一人?
294 :
名無しさん@社会人:2009/06/29(月) 23:02:51
ウェーバーの科学性とマルクスの方法論の違いについて教えてくれ
295 :
名無しさん@社会人:2009/06/30(火) 01:32:52
やだよー
296 :
名無しさん@社会人:2009/07/02(木) 17:34:37
そうなんだ
297 :
名無しさん@社会人:2009/07/03(金) 17:21:47
へぇ
298 :
名無しさん@社会人:2009/07/04(土) 01:23:28
ほぅ
299 :
名無しさん@社会人:2009/07/05(日) 08:35:30
『支配の社会学』。
最初の数ページで挫折してしまった。
読む上での、なにかヒントはないですか。
300 :
Z:2009/07/08(水) 01:57:05
ヴェーバーの理論はザラザラしている。純粋のツルツルした理論ではない…。
ざらざらした大地
301 :
Z:2009/07/08(水) 20:35:32
母なる大地
母なる海
302 :
三郎.:2009/07/10(金) 02:06:45
>300>301
わけが分かりません。
303 :
三郎:2009/07/10(金) 22:32:01
302はわたしではありません。
>299
『支配の社会学』の本文の最初のページ(創文社版、3頁)
の最初の行に「共同社会行為」(ゲマインシャフツハンデルン)というのが出てきますね。
これを社会的行為≠ニ読み替えてください。
最初の2,3ページは、
「支配」と「権力」の概念について論じています。
ヴェーバーは、普通の人間生活において、その至るところに
「権力」も「支配」も存在している、というようなことをいっています。
男女の性愛関係や慈善的行為においてさえもです。
しかし、ヴェーバーはここからさらに進んで、
「権力」と「支配」の概念をヨリ精密に、限定的に
定義しようとします。
304 :
三郎:2009/07/11(土) 02:54:11
303はわたしではありません。
305 :
名無しさん@社会人:2009/07/11(土) 21:22:03
プロ倫は梶山と大塚どっちがおすすめ?
306 :
三郎:2009/07/11(土) 22:04:48
>305
ご存知の上で、おっしゃっているのだと思います。
事情通のあいだでは、以下が常識らしいです。
◎梶山
×大塚
安藤英治編集、 梶山 力訳
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』
未来社、1994年。
――4800円の本です。
岩波の大塚訳はズーッと安いですね。
しかし、新たに読むのなら梶山訳です。
307 :
三郎:2009/07/12(日) 00:51:44
>305
ご存知の上で、おっしゃっているのだと思いますが、
岩波文庫の『プロ倫』はズーッと安いですね。
308 :
名無しさん@社会人:2009/07/14(火) 02:36:33
F1初優勝おめでとう
309 :
名無しさん@社会人:2009/07/14(火) 20:40:43
ありがとう
310 :
名無しさん@社会人:2009/07/14(火) 21:01:46
おまえら周りで誰が死んだよ?おまえらそういうこと恥だと思わねえの?後でどうなろうと誰もみねえぞ
311 :
三郎:2009/07/15(水) 23:28:58
??
312 :
Z:2009/07/16(木) 00:08:09
私も訳が分かりません。
313 :
Z:2009/07/16(木) 01:57:45
312は、私=‘Z’ではありません。
しばらく休んでいます。そのうち、またまた登城いたします。
314 :
三郎:2009/07/17(金) 01:43:33
311はもう一人の「三郎」氏ですね。
しばらく休んでいます。その内また登城いたします。
315 :
三郎:2009/07/18(土) 01:24:56
ヴェーバーは、国家の定義で「暴力」を強調していますね。
しかし、同時に「正統性」も強調する。
けれでもヴェーバーは「イテレッセ」、
つまり「利害関心」ないし広義での「利益」も重視している。
この場合の「インテレッセ」には、物質的利益だけでなくて、
精神的利益も含まれます。カネ、生活、幸福、
社会的名誉、威信感情などがこれにかかわります。
「ハマト・イテレッセ」なんて言葉も出てきますね。
「権力利害関心」です。
人間および人間社会は、利益の闘争、イテレッセ(インタレスト)のダイナミクスで
動いている……という意味のことをヴェーバーは言っていたはずです。
316 :
名無しさん@社会人:2009/07/18(土) 13:18:25
マックスウェーバーが現代社会における官僚制化の一因としてあげている
平準化に対する抵抗の可能性について論ぜよ
っていう課題があるんだけど、なんかもうなんのこといってるのか全然わからない・・・
誰かヒントください
317 :
三郎:2009/07/18(土) 16:22:06
>315
「ハマト・インテレッセ」は誤入力で、
「マハト・インテレッセ」でした。
>316
課題の意味ですが、
マックス・ウェーバーは、
「官僚制化」の一因として、「平準化」をあげているか、
これへの抵抗の可能性を論ぜよ、ということでしょうか。
ヴェーバーは、『支配の社会学』で、
「民主化」が「官僚制化」の原因だと言っています。
民衆はさまざまな要求や利害をもっている。
社会における平準化、平等化が進み、
民衆が政治の世界にも入ってくるようになる。
そうすると政治家、政党は、これまでのように、
民衆の要求を無視できなくなる。
社会保障、教育などの分野にも国家の機能が拡大してゆく。
これは同時に、国家財政の規模を拡大し、
公務員の数も多くする。
そして官僚制的に編成された行政組織も肥大化させる、
つまり「官僚制化」が進む。
318 :
名無しさん@社会人:2009/07/18(土) 18:39:37
>>317 ありがとうございます!
>>「民主化」が「官僚制化」の原因
おそらくこのことに対する抵抗の可能性を論ぜよ、ということですが
抵抗の可能性という言葉がいまいちピンとこなく質問させていただきました
319 :
名無しさん@社会人:2009/07/19(日) 01:54:34
マックスウェーバーのいう官僚制って今でいうとどんな問題があるのですか?今の日本の政治に関係してるのですか?
彼のいう政治の暴力ってなんですか?
なんか「学部生」がたくさん沸いてきてるな
321 :
三郎:2009/07/20(月) 00:51:15
>316
『支配の社会学』(創文社版の1)をひもといてみると
わかりました。ズバリ出ている箇所があるのです。
106〜111ページです。
ただ「平準化」というのは、世良訳では「水準化」となっています。
「すなわち、官僚制的組織は、通常、行政機能の担当の点に関して
経済的・社会的差別がもっていた意義が、少なくとも相対的に水準化されたということに
もとづいて、支配権を獲得するに至ったのである。同質的な小単位体の
民主制的自治行政とは異なって、
官僚制は、近代的大衆民主制の不可避的な随伴現象である。」
(106〜107頁)
322 :
三郎:2009/07/20(月) 00:56:07
106〜111頁の内容の一部をわたしなりに読み解いてみます。
(1)
「近代的大衆民主制」とは、20世紀の民主制、すなわち、選挙権・被選挙権を
成人一般にまで拡大した民主制である。
19世紀から20世紀にかけて、民主化の進むにつれて、経済的・社会的な差異
――身分的、階級的、地域的な差異――によって政治・行政が左右されなくなっていった。
つまり行政が人口の大多数の人びとのためにその機能(社会保障、景気・失業対策、
医療、教育など)を遂行するようになった。
これは国家の行政機能の拡大であり、この結果、「官僚制的組織」は、
その組織的な規模と力において強大になっていった。
323 :
三郎:2009/07/20(月) 01:00:52
(2)ここでの重要ポイントは、
この場合の民主化をヴェーバーが、「受動的民主化」として把握しているところにある。
つまり、それは「能動的民主化」ではなかったのだ。
「能動的民主化」とは、「支配への被治者の能動的参与の増大」(108〜109頁)のこ
とである。
(註:ヴェーバーの見解では、支配は「ヘル」(支配者)と「行政幹部」――首相、大臣、
議員、官僚など――によって独占されている。「被治者」は支配から排除され、支配されるだけである)
「受動的民主化」の場合、被治者(民衆)の参加は受動的なものにとどまり、
「ヘル」(最高権力者)と「行政幹部」とによる少数者支配そのものを変化させることはない。
これで「受動的民主化」と「官僚制」の台頭が「随伴現象」であり、
一見矛盾する2つのものが、矛盾なく併存できた理由がわかる。
初歩的な質問で申し訳ないんですが
プロ倫のような、資本主義の倫理に関する研究は
現在でも行われているんでしょうか?
行われているとすれば例えば誰が行っているのでしょうか。
325 :
三郎:2009/07/20(月) 01:47:03
(3)ヴェーバーに則しつつ、私見で補足しつつ論じます。
つまり、いくら「受動的民主化」が行われても、被治者のパワーは権力構造を揺り動かす
ことはできない。むしろ「官僚制的組織」がますます肥大化し、それが力を持つ(具体的に
は、議会からのコントロールが効かなくなる)。
「官僚制的組織」の台頭を抑え、それから力を奪うためには、
「能動的民主化」を推進する必要がある。
ヴェーバーは、「受動的民主化」において大衆が力を持ち得ないのは、
彼らが「無組織の大衆」(108頁)にとどまるからだと考えている。
ヴェーバーは、民衆はだいたいそんなものだという見方がある。
20世紀初めのヨーロッパではそうだったのかも知れない。
このため、ヴェーバーは、カリスマ的な政治指導者の登場に期待せざるを得なかった。
326 :
三郎:2009/07/20(月) 01:52:04
(4)「能動的民主化」のためには、
民衆が自らを組織し、政治的に能動的な主体として自らを形成しなければならない。
そのことを抜きには、これまで少数者の手に委ねられた「支配」に介入し、
「官僚制的組織」からその力を奪うことは不可能である。
わたしは、「能動的民主化」とは、最近よく使われる言葉を使用すれば、
ラディカル・デモクラシー≠フ推進ということになると思う。それは
自由民主制(リベラル・デモクラシー)を超える水準にまで「民主化」を進めることである。
21世紀の今日とはいえ、そうしてことが可能なのかどうか、わたしにはわからない。
327 :
三郎:2009/07/20(月) 01:56:26
(5)→というわけで、問題は、「官僚制化」への「抵抗」でしたね。
私見では、回答は、ラディカルな民主化≠ニいうことになります。
しかし、何がラディカルな民主化か?≠ニいうことでは意見が分かれるでしょう。
まあ、直接民主制的要素の導入がその一つでしょう。レファレンダムとかね。
わたしは民衆の自己組織としての「アソシエーション」の形成もあげたいですね。
ヴェーバーの言葉で言えば、「フェアアイン」(Verein)です。没支配的な人びとの連携組織
です。政党はいけません。これはヴェーバーによると「支配団体」(「ヘル」――「行政幹
部」――「被治者」の構造を含む団体)ですから。
なお、ヴェーバーは「受動的民主化」を引き起こしたテコとして「近代の大衆的軍隊」
(つまり、国民皆兵制度)をあげています。111頁。) 以上
しかし、政治と支配と官僚的「経営」との区別をはっきりしませんね
329 :
名無しさん@社会人:2009/07/20(月) 04:04:18
ク ク || プ //
ス ク ス | | │ //
/ ス | | ッ // ク ク ||. プ //
/ // ス ク ス _ | | │ //
/ ̄ ̄\ / ス ─ | | ッ //
/ _ノ .\ / //
| ( >)(<) ____
. | ⌒(__人__) ./ ⌒ ⌒\
| ` Y⌒l / (>) (<)\
. | . 人__ ヽ / ::::::⌒(__人__)⌒ \
ヽ }| | | ` Y⌒ l__ |
ヽ ノ、| | \ 人_ ヽ /
. /^l / / ,─l ヽ \
330 :
三郎:2009/07/25(土) 01:10:37
先ほど、書いた内容は一面的であったかも知れません。
「すなわち、官僚制的組織は、通常、行政機能の担当の点に関して
経済的・社会的差別がもっていた意義が、少なくとも相対的に水準化されたということに
もとづいて、支配権を獲得するに至ったのである。」
(『支配の社会学T』106〜107頁)
この箇所は次のようにも読めます。
331 :
三郎:2009/07/25(土) 01:12:06
この箇所は次のようにも読めます。
(1)近代官僚制が発展過程にある時代には、
行政の担い手は、貴族や名望家、(彼らと重なることが多いが)地主であった。
彼らは社会的に優越した地位をもつ人びとであった。財産をもっていたり、社会的な名誉を
もっており、かつまた余暇ももっている。そういう人びとが地方政治・地方行政・裁判を担
当した。東プロイセンもそうだし、イギリスの治安判事もそうであった。
332 :
三郎:2009/07/25(土) 01:13:33
(2)しかし、近代官僚制が発展した段階ではそうではない。
「経済的・社会的な差別が水準化され」、
一般民衆レベル、すなわち被治者大衆の中からも、採用試験に合格し、
公務員になるものが出てくる。
(3)すなわち、近代官僚制の発展は、社会的水準化・平準化と並行して進行する過程なの
である。水準化が進むことによって、近代官僚制が支配的な行政形態となったのである。
333 :
名無しさん@社会人:2009/07/25(土) 01:27:42
ク ク || プ //
ス ク ス | | │ //
/ ス | | ッ // ク ク ||. プ //
/ // ス ク ス _ | | │ //
/ ̄ ̄\ / ス ─ | | ッ //
/ _ノ .\ / //
| ( >)(<) ____
. | ⌒(__人__) ./ ⌒ ⌒\
| ` Y⌒l / (>) (<)\
. | . 人__ ヽ / ::::::⌒(__人__)⌒ \
ヽ }| | | ` Y⌒ l__ |
ヽ ノ、| | \ 人_ ヽ /
. /^l / / ,─l ヽ \
異なる二つの事象が同時に起きてるからって
それが必ずしも関連付けられるわけじゃない
335 :
名無しさん@社会人:2009/07/26(日) 22:16:42
いきなりこんなこと失礼だとは思うのですが・・・
自分ではどうにもならないので失礼を承知で質問させていただきます!!
大学の政治学の授業でマックス・ウェーバーについて勉強していて、
マックス・ウェーバーは理念をどういうものだと考え、
理念が具体的に与えた影響をどのように説明したか、
また現在ではそれがどのように批判されているか
を調べる課題が出たのですが、図書館やネットで調べても
全然わかりません・・・
時間がないのですがどなたか教えていただけないでしょうか??
いくらなんでも丸投げしすぎだろ
図書館で調べてわからないって、調べてないだろあんた
337 :
名無しさん@社会人:2009/07/26(日) 22:48:55
調べましたが・・・
理念型の記述はよくあるんですが・・・
338 :
三郎:2009/07/27(月) 00:09:38
>335
>マックス・ウェーバーは理念をどういうものだと考え、
>理念が具体的に与えた影響をどのように説明したか、
>また現在ではそれがどのように批判されているか
この場合の「理念」とは、
「価値」のことだと思います。
人間は、「利害」(インタレスト)や「感情」だけではなくて、
「価値」――価値理念と考えて下さい――でも動きます。
政治の世界でもそうです。
価値ということで、イデオロギーや世界観を考えればいいかも知れません。
339 :
三郎:2009/07/27(月) 00:33:04
>>35 理念型は関係ないです。
理念、価値、思想、世界観がここで問題になっています。
人びとの社会生活において、多くの場合、人びとは利害で動いています。
政治の場合でもそうです。
政治的行為のなかにおいて、物質的な利益、そして精神的な利益(名誉や威信)
が大きく作用しています。
しかし、自由だとか、平和だとか、国家とか、
○○主義だとかいった、価値理念、理念目標の追求も
人びと――政治的行為者――の動機を構成します。
政党の場合でもそうです。
340 :
三郎:2009/07/27(月) 00:40:14
(なお、理念、価値は、政治の分野だけでなく、
いや政治以上に宗教の領域で大きな役割を演じました。)
マックス・ウェーバー 純一スレ に見える
横から失礼します。
価値自由論と理念型論は
どのようにして認識の客観性に寄与するのでしょうか。
343 :
名無しさん@社会人:2009/07/27(月) 17:15:45
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
(ヽ,,,/ 仟iト fi心\ /)
(((i ) .弋cソ 弋cソレ ( i)))
,/∠| (_人_) |ゝ \ ぴぁ〜のゃな?ぴぁ〜のゃな?
(__\ \ / /,__) ぴぁ〜のゃなったらぴぁ〜のゃな?
.l. ! /\ \;; `''';;;'''´;/
.| |,/ヽ、`ヽ、`ー''ー'i´
│:/__:. `ー---─ ''"´ ̄ ̄`` ー- 、
/´ `ヽ、. .: `ヽ、
/ `ヽ、 ゙i
i :; ,!
! ‐-、 :. 。 .:' /
ヽ ヽ ; j:! " __..:-‐'"´ ̄ ̄` __ノ
\ ! .:' 〃 ,..:---─‐'"´ __.. -──── ''"´
`ヽ、 ヽ、 ノー;'"、二:.:'ー--ァ'"´
`ヽ、 >:).......ヽ、_∨:/` ̄i
....:::::::::::にニニイ::::::::::::::::ヾK.._.ノ、
....::::::::::::::::::,! _ i!:::::::::::::::::..ヾ:、__/ ミ、::::::::::::::::.........
..::::::::::::::::::::::::!`´_` .! `===='' :::::::::::::.......
::::::::::::::::::::::::::k'´! i ,``;|
..:::::::::::::::::::::ヾ三三ノ ',',
いちいちAAを貼ってる奴は誰なの?
>>342 先ず,
1 事実とは何か。認識とは何か。評価とは何か。
2 客観性とは何か。
から整理してみてはどうでしょうか?
346 :
名無しさん@社会人:2009/08/01(土) 05:03:52
沈黙!
沈黙せよ、身隠せ、そして秘めよ
おのれの感情も、夢も。
魂の深みに捨て置き
現れ消えるままにまかせよ。
夜空の星のごとく黙々と
それらを見つめ、そして沈黙せよ。
心はいかにおのれを語るのか。
人はいかにおのれをわかるのか。
おまえの生きるさまを理解してくれるのか。
語られた思想は偽りである。
泉を掘り起こし、かき乱せ。
その水を糧とし、そして沈黙せよ。
ひたすらおのれの内にのみ生きよ。
全世界が、神秘と魔力の思念の世界が
おまえの魂の中にある。
だがそれは、外のざわめきに打ち消され
昼の光に追い散らされる。
想いの歌に耳を澄まし、そして沈黙せよ!
――フョードル・チュッチェフ(1830年)/宮澤淳一 訳――
347 :
名無しさん@社会人:2009/08/01(土) 13:09:15
┼─┐─┼─ / ,. `゙''‐、_\ | / /
│ │─┼─ /| _,.イ,,.ィ' ─────‐‐‐‐ゝ;。←
>>346 │ | │ | | | イン ,'´ ̄`ヘ、 // | \
__{_从 ノ}ノ/ / ./ | \
..__/}ノ `ノく゚((/ ./ |
/, -‐===≡==‐-`つ/ ,.イ  ̄ ̄// )) / ;∵|:・.
_,,,...//〃ー,_/(. / /ミノ__ /´('´ / .∴・|∵’
,,イ';;^;;;;;;;:::::""""'''''''' ::"〃,,__∠_/ ,∠∠_/゙〈ミ、、
/;;::◎'''::; );_____ @巛 く{ヾミヲ' ゙Y} ゙
≧_ノ __ノ))三= _..、'、"^^^ \ ! }'
~''''ー< ___、-~\( ,' /
\( ,'.. /
質問です。
このスレの皆さんが
マックス・ウェーバーに興味を持ったきっかけって何ですか?
もしよろしければ教えて下さい。
350 :
名無しさん@社会人:2009/08/11(火) 20:30:34
_
,r─v'::´:::::::ミヽ、
//フ_,、_:::::::::::::::::\
/::::::::/ ` ‐-- 、::'i
{::::::::::ゝ ', }
_l::::::::l __ , 、 |7
!ヽ!::::::! イ,rッ‐i!r'.iゞッ.'"{,!
{、l:::::ヽ. ゙゙ .:::::l ゙゙ .l
`!::::::::ヽ,,_ {,;;ヽ,,, ,'
',:::::::::::::::丶,イ夊ト、,,,/l
_/ ゞ:::::::::::::::::::::: ='ミヾ;/
/;;;;;\\:::::::::∫从卅夂 <私も知りたい
/;;;;;;;;;;;;;;ヽ、ヽ::::::从仆ヒ彡
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ゞ:::::::入r'
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ. ',/ ト、
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`t─i;;;;\
私の場合は
マルクス主義に対抗するため,というが動機の一つです。
ウェーバーを読むと
どのようにマルクス主義に対抗できるの?
教えて偉い人
戦後マルクスが神だった頃な。マルクス学ばざるものは非人であると言われてのう
うんうん,それから?
続けて偉い人
マルクス嫌いな者も学ばざるをえんかった。間違ってるなんて口が裂けてもいえなんだ。
若い頃マルクス読んだってだけでふんぞり返っている人,
いるよねw
ウェーバーの価値自由論をいまだに通俗的な意味での没価値論と区別できない人,
いるかもねw
>>357 >オマエピペドBだろ
意味が分かりません。
価値自由論と価値相対主義は関係あるけど,
次元の違う話だろ。
361 :
名無しさん@社会人:2009/08/28(金) 20:05:09
_
,r─v'::´:::::::ミヽ、
//フ_,、_:::::::::::::::::\
/::::::::/ ` ‐-- 、::'i
{::::::::::ゝ ', }
_l::::::::l __ , 、 |7
!ヽ!::::::! イ,rッ‐i!r'.iゞッ.'"{,!
{、l:::::ヽ. ゙゙ .:::::l ゙゙ .l
`!::::::::ヽ,,_ {,;;ヽ,,, ,'
',:::::::::::::::丶,イ夊ト、,,,/l
_/ ゞ:::::::::::::::::::::: ='ミヾ;/
/;;;;;\\:::::::::∫从卅夂 <最近静かだね
/;;;;;;;;;;;;;;ヽ、ヽ::::::从仆ヒ彡
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ゞ:::::::入r'
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ. ',/ ト、
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`t─i;;;;\
>>361 ほんとだね。
あなたもウェーバーが好きな人ですか?
363 :
名無しさん@社会人:2009/08/29(土) 21:00:23
「ウェーバーが好きな人ですか?」と
ウェーバーさんに質問するとはこれ如何に?
ここ,議論があまり盛り上がらないね。
MAX上羽
366 :
名無しさん@社会人:2009/09/01(火) 01:48:15
(* ̄□ ̄*;)
367 :
三郎:2009/09/05(土) 01:33:30
自民党のマニフェスト。
そしてとりわけ、民主党のマニフェスト。
そこには、実現可能な政策がどれだけあるのだろうか。
大混乱は必定である。
ヴェーバーが言った「責任倫理」ということを思い出すべきである。
なにがなんでも、政権を握りたい(民主党)。
なにがなんでも、政権を去りたくない(自民党)。
おのれの権力のために、
大切であったはずのもの――政治理念や政治責任意識――を犠牲にしているのが、
自民と民主である。
368 :
名無しさん@社会人:2009/09/06(日) 03:01:36
どうしたのこのスレ(* ̄□ ̄*;)
「理念型の自動修正機能」と「弁証法における止揚」との関係について論ぜよ。
370 :
名無しさん@社会人:2009/09/22(火) 06:16:33
ちょ・・・
ほんとどうしたの(* ̄□ ̄*;)
371 :
Z:2009/09/23(水) 16:56:52
永らくご無沙汰いたしました。それは、B.アンダーソンを読んでいたからです。
ところで、Bアンダーソンの『比較の亡霊』p570「いまだ生まれざる者たち」
をどう解釈されますか?
Bアンダーソンは、ヴェーバーをヨク読んでいるようです。
372 :
Z:2009/09/24(木) 23:18:56
B.アンダーソン著『定本:想像の共同体』に、‘出版資本主義’が出てきます。
これには驚いた。即ちこれにて、私の考えが広がる。この基盤には、諸国民の
‘識字率’〜いわゆる「読み・書き・そろばん」である。これを基に、江戸中期
(元禄〜天明期)以降のわが国の国民国家が解ってくる。
結論を先にいえば、わが国は江戸中期以降は「先進国」(欧米的な意味で)
と観てよいだろう。
ヴェーバーは、中国については見識があったが、日本についてはあまり情報を持って
いなかった。
373 :
名無しさん@社会人:2009/09/25(金) 01:06:49
ウェーバーは、小熊英二に抜かれたよね。
前のミレニアムのチャンピオンはウェーバーだったけど、
今のミレニアムナンバー1は小熊英二センセイです。
374 :
名無しさん@社会人:2009/09/26(土) 06:59:15
ちょ・・・久しぶりのZ氏(* ̄□ ̄*;)
乙であります・・・
(* ̄□ ̄*;) さんもお久しぶりw
話が全然かみ合ってないね。
377 :
名無しさん@社会人:2009/10/04(日) 10:44:55
このスレに対話を期待する人がいるんですね
じゃ,ここは独り言を書くスレか?
379 :
Z:2009/10/05(月) 18:57:37
>>371について。(ヴェーバーとアンダーソン)
『国民国家と経済政策』(M.Weber)1895年、彼のフライブルグ大学
(後にフッサールが来る)教授就任講演である。私はこれを読んで
ヴェーバーへの見方が変わった。
ここでヴェーバーが云うのは、ユンカーはもう時代遅れ、中小ブルジョアジー
はあてにならない。大企業はプロイセン官僚にピッタリ付き、プロレタリアート
は未熟。
〜そうすると、ゲルマン民族で正論はヴェーバーただ一人〜とアンダーソンは言う
ヴェーバーの言 “数千年後…未来の人がわれわれの在り方を見て、
これこそ自分たちの先祖のあり方だと認めるようになって欲しい…”
アンダーソンは、これに驚く。そして彼は、これはヴェーバーの
未来の世代に対する‘羞恥心’だと言う。アンダーソンはこの羞恥心を是と
している。
マリアンネ.ヴェーバーは、伝記『Max Weber:ein lebens bild』で、
“夫マックスは、ハムレット型か、ドン.キホーテ型かというと、
明らかにドン.キホーテ型である”と書いている。 その通りであろう。
380 :
名無しさん@社会人:2009/10/06(火) 02:49:59
382 :
名無しさん@社会人:2009/10/10(土) 11:23:11
その金で今を楽しむのではなく、先々の利益のために使おう・取っておこう
という「貯蓄」や「投資」の概念と
人間は汚れており罪深く、現世はかりそめのものであり、やがて訪れる神の国こそ至福である
という考えは「今現在を否定し、(いい意味でも悪い意味でも)未来志向」という点で
似ていると思うのですが、どこかで同じ根を持っているんでしょうか?
383 :
Z:2009/10/10(土) 21:58:26
>>382 宗教は仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、すべて未来志向です。
現在を肯定するのは、儒教・道教だけ。
イスラム教も、現世を‘偽りの世’としている(『バーブル・ナーマ』著者:
バーブル〜イムールより5代目の子孫〜16世紀、インドにムガール帝国を
創設した…参照)。
B.アンダーソンがMヴェーバーに驚くのは、ヴェーバーの未来志向についてである。
といっても、B.アンダーソンはヴェーバーを否定はしていない。
マリアンネWeberが夫をドン・キホーテ型だといったのはヴェーバーの
未来志向であろう。 B.アンダーソンには未来志向はない。
なるほどMヴェーバーはドン・キホーテだ。 騎士道精神も含めて。
384 :
Z:2009/10/10(土) 22:25:48
Mヴェーバーが青年時代「決闘」をしたとき、母ヘレーネにビンタをくった。
それは決闘という野蛮なことをしでかしたからではなく、
カソリックに起源をもつ武士道精神にもとづいた行為をしたからだろう。
ヴェーバーは第一次大戦後はほとんどミュンヘンに暮らしていた
(ミュンヘン大学教授として)。ミュンヘンの風がお気に入りだったのであろう。
ミュンヘンは、ドイツでカソリックの牙城である。
(現在のローマ皇教はミュンヘン出身)
ドイツのバーデン地方(西南地方)はカソリックが多い。
唯一、ハイデルベルヒはプロテスタントである。
因みにいうと、ヴェーバーがベルリンから西南地方に帰ってくると、
プロイセンの窒息から開放されて、生き生きとする…と言っていたそうだ。
ヴェーバー=プロテスタントと、杓子定規にいわないこと。
羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』(PHP新書)での、
母ヘレーネの観方はまちがっている。
385 :
Z:2009/10/11(日) 00:31:36
確かに羽入氏が『マックス・ヴェーバーの犯罪』で言っている事は正しいだろう。
しかし、それでヴェーバーの全論考がほうかいするなんてありえない。
漆喰の壁に少しヒビが入ったとて、建物全てが崩壊することはない。
ケィンズでもマルクスでもそれぐらいの誤謬はいくらでもある。
現在の学者でも、常に改訂しているではないか。
羽入氏はヴェーバーの外の点では批判していない。また、正確に理解している。
惜しい人物である(『学問とは何か』参照)。
ただ、オレが…・オレが…が多すぎる。後者の論考には、それが混じっている。
そんな事、『学問とは何か』に入れなければよかったのに。
PHPから出している伝記は無意味。自分の想像〜妄想である。まァ〜
こういう見方もあるんだ〜と、いう程度のものである。 だれも信用しない
だろう。
何事も‘マナー’が大切。特に学者は
386 :
名無しさん@社会人:2009/10/11(日) 08:46:39
ちょ(* ̄□ ̄*;)・・・
Z氏なんかあったの?
387 :
Z:2009/10/13(火) 14:11:36
383Z 訂正
正=チムール 誤=イムール
訂正いたします。
388 :
(* ̄□ ̄*;):2009/10/17(土) 23:43:42
よく落ちずに持ち堪えてるよねこのスレ
389 :
Z:2009/10/18(日) 02:03:55
以上、ヴェーバーに関して云ってきたことは、『プロ倫』についても云える。
“精神のない専門人、情熱のない遊び人。これら無に等しき輩は、未だ達成
し無かった文明のレべルにまで登りつめたと、妄想しているのである…”
これは言わずもがなであろう。彼はこんなことが言いたいのであろうか。
ドン.キホーテ型であろう。
しかし、これがヴェーバーへの魅力を感じる源泉であろう。
最近、岩波書店から出た『少年期ヴェーバー 古代・中世史論』はまだ読んでいない。
早く読んでみよう。
390 :
名無しさん@社会人:2009/10/20(火) 22:50:27
読んだら感想を聞かせてくださいw
391 :
Z:2009/10/24(土) 02:07:45
『少年期ヴェーバー古代・中世史論』について。
岩波書店も、こんな本を刊行するとは思わなかった。
ヴェーバーは小学生時代、授業中にこっそりと『ゲーテ全集』読みあげたそうだ。
ギムナジウムでも、「煙をふかす?」先輩仲間に勉強を教えた…といわれている。
この論考は、12才から15〜6才のときに書かれたものである。
わが国でいえば、中学・高校生ぐらいだろう。日本の生徒なら、先ず書けないだろう。
高校生の後半か大学教養課程とみてよい。
どこまでが専門書からの引用で、どこがヴェーバーの発想かは、判断が難しい。
2〜3は、これぞ彼の発想だ〜というのがある。
例えば、「われわれはカノッサへは行かない!」(ビスマルク言)が出てくる。
ヴェーバーは‘自由主義的ナショナリスト’といわれている。
自由主義者としてビスマルクと対決し、ナショナリストとしてビスマルク
と同席する。
五つの論考があるが、一つ一つの検討は改めて。
392 :
名無しさん@社会人:2009/10/24(土) 04:36:05
Zさんって普段は何をしてる人なんですか?
393 :
Z:2009/10/24(土) 18:56:10
つづき
先ず@「シュタウフェン家」(ホーエンシュタウフェン)について。
ドイツの中でも有数の名家である。日本では近衛家とか冷泉家にあたる。
ここではその家系の栄枯盛衰が論じられている。
わが国では天皇家の‘万世一系’(曲りなりにでも・おおよそ)だが、ヨーロッパでは
そんなのはない。皇帝の系譜システムが違う。
ヴェーバーには‘万世一系’なんて眼中にない。
A「ドイツ史の経過一般―特に皇帝と教皇の地位に留意して」では、ハインリッヒ四世
の“サロッサの屈辱”が出てくる。
形式的にはドイツは「神聖ローマ帝国」としてあったが、バチカンの教皇の
政略のため、ゲルマン民族の国家は実質的にはなかった。成立したのは、1871年
である。 ここに初めて「ドイツ帝国」が生まれた。
ヴェーバー少年は、この論考の最後で
“われわれはカノッサへは行かない”と
大文字で書いてこの論考を締めくくっている。
このコトバは、ビスマルクの有名な宣言である。
ヴェーバーは、自由主義者としてはビスマルクに対決し、
ナショナリストとしては、ビスマルクの‘子’である。
これだけは、少年時代から死ぬまで、一つも変わっていない。
『ローマ帝政期―民族大移動の時代』 これは未完である。
彼は、案外‘背教者ユリアヌス’を長々と書いている。これが少年ヴェーバーの
想いであろう。
それにしても、15才ぐらいでユリアヌスが判るのだろうか?
あと二つは、つづきにて…
394 :
名無しさん@社会人:2009/10/25(日) 20:44:22
ぜっとのオナニースレ
395 :
名無しさん@社会人:2009/10/26(月) 06:20:53
w
マックス・ウェーバーをわかり易く解説してくれるから
いいんでね?
397 :
名無しさん@社会人:2009/10/26(月) 20:03:19
なにをしてる人なのか気になる
大学教員でないのはたしか
399 :
Z:2009/10/29(木) 00:34:57
つづき
『インド・ゲルマン諸国民における民族の性格・民族の発展・民族の歴史
についての考察―論稿のための素描』
であるが、たとえいろんなところから寄せ集めたにしても、15才の少年が
よくもこれだけの論考を書いたものだ。驚きである。この論集では、これが特出
している。
先ず、コーカソイド(白人種)ではインド・ゲルマン(ヨーロッパ人)とセム人
(イスラエルからアラビアまで〜時にはユダヤ人を指す)にわけている。
この‘セム’から3つの一神教がうまれた。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教
(カソリックは多神教という)。ギムナジウムの生徒なら「新・旧聖書の歴史」は
みな知っているが、日本人では宗教学者ぐらいしか知らないであろう。
セム〜ユダヤ人にはアンビバレンツであり、アンチノミーである。
ここらのところがあいまいのようだ。ユダヤ人は主にロシア、中・東欧に多い。
ドイツでは人口の2%以下であった。学者や芸術家にユダヤ人が多いから目立つのだ。
このセムとインド・ゲルマンとの関係〜対決がテーマである。ここに
アンビバレンツ=アンチノミーが観られる。これを論じれば一冊の大書になるだろう。
ここでも『Vorbemerkung』のように(Nur in Occident…)西欧(Occident)的
思考性が中心になっている。
最後に、国家として「立憲君主制的な憲法」を求めている。
(D『アルキビアデスについての寸描』は省く)
なお、最後に編訳者:今野 元 氏の解説が載っている。
400 :
名無しさん@社会人:2009/10/29(木) 09:37:21
山之内靖のマックス・ウェーバー入門って入門書じゃなくね?
401 :
名無しさん@社会人:2009/11/12(木) 18:41:30
ダメや、あかん、ウェーバーでイってしまいそうや
マックスウェーバーって文章がちょっと晦渋だね。
403 :
名無しさん@社会人:2009/11/13(金) 00:16:11
な、なんやて〜?
それ、ほんまかいな?
ウェーバーって頭が超良すぎて畏敬の念をもって見られていた
と何かの本に書いてあったな。
すげぇ。
このレベルまで来るともう足を引っ張ろうとする奴もいなくなるのな。
405 :
三郎:2009/11/13(金) 14:07:24
ヴェーバーのいう「支配の正当性」というのは、
支配される側の人びとの側における「正当性信念」の問題だ
とされることが多い。
しかし、『支配の社会学』を読むと必ずしもそうとは
単純に言い切れない。
ヴェーバーは「支配の正当性」を、
「支配者」の側からする「支配の正当性」の主張として論じているからである。
「支配の正当性」の主張とは、服従の要求ということである。
従来ここのところがあまり強調されてこなかったのではないだろうか。
406 :
名無しさん@社会人:2009/11/13(金) 16:19:08
─┼─┐─┼─ / ,. `゙''‐、_\ | / /
│ │─┼─ /| _,.イ,,.ィ' ─────‐‐‐ ・ ←
>>405 │ | │ | | | イン ,'´ ̄`※ // | \
__{_从 ノ}ノ/ / ./ | \
__/} `く((/ ./ |
,. ,. -‐===‐-`つ/ ,.イ // )) / ∵|:・.
〃〃〃〃 / /ミノ__ /´('´ / .∴・|∵’
ヽ_I__I__I__I__I_I __∠_/ ,∠∠_/゙〈ミ、、
ー{____,,.二二二二) ノ く{ヽ、/ ゙Y} ゙
/I I I I I I `^^' \ ! }'
,' /
Zのシコシコがないと、このスレはダメだね
408 :
三郎:2009/11/13(金) 20:31:00
「支配の正当性」がまず第一に「支配者(ヘル)」の側からの、
「支配の正当性」の主張としてあるということは、
以前からイギリスのネオ・ヴェーバリアンであるフランク・
パーキンが唱えていました。
日本では、今年出ました小路田泰直ほか『比較歴史社会学へのいざない』
(勁草書房)所収の複数の論文で、唱えられています。
409 :
三郎:2009/11/13(金) 20:35:58
簡単に言うと、次のような感じでしょう。
合法的正当性「わたしは、法に従っている、だからわたしの支配は正当である。
わたしの命令に服従せよ。」
伝統的正当性「わたしは、神聖な伝統に忠実である。したがって正当であり、
わたしに服従せよ。」
カリスマ的正当性「わたしには、普通では考えられない能力がある。だからわたしの支配は
正当であり、皆わたしに服従せよ。」
410 :
三郎:2009/11/13(金) 21:37:24
ここからはわたしの解釈と想像が入ります。
ヴェーバーには、人間には本質的に「威信感情」がある≠ニいう人間観があるように思える。
この「威信感情」から「自己義認」の要求というものが出てくる。
これは、わたしは正しい=Aわたしの正しさを認めよ≠ニいう要求である。
すべての人間にこうした性質が備わっているのだが、
「支配者」(ヘル)の場合、
「支配者」は、「行政幹部」との関係において、
また、「被治者大衆」との関係において、
「自己義認」要求(自己の正しさについての承認要求)が、
「支配の正当性」の承認要求というかたちを取る……。
こういう具合に考えられないだろうか、と思う次第である。以上
411 :
Z:2009/11/14(土) 00:31:38
412 :
Z:2009/11/14(土) 22:13:45
413 :
Z:2009/11/14(土) 22:33:20
な、なんだと〜?
414 :
Z:2009/11/15(日) 17:50:48
また 私=Zを騙る者がありました。
本物は私で〜す。
おまいら全員シコってないから偽者!
416 :
三郎:2009/11/15(日) 23:24:23
バラク・オバマ。
要するに、「デマゴーグ」である。
ヴェーバーによると、アメリカ政治は、完全な「人民投票的民主制」である。
「人民投票的民主制」の典型的な事例がオバマの当選であろう。
417 :
(Z):2009/11/16(月) 04:08:15
マルクスを教条主義的に少しかじっているよりも
マックス・ウェーバーの基本的な考え方を理解しているほうが100倍かっこいい。
419 :
名無しさん@社会人:2009/11/18(水) 20:34:57
ナウいよなw
基本を習得するのが一番難しいんだが‥
プロ倫は、どういう視点で読んでいったらいいのですか?
キリスト教の分派の歴史そのものには関心が無いのですが
422 :
三郎:2009/11/19(木) 14:54:29
ヴェーバーは「独裁者」という言葉をかなり、ルーズに使っている。
不正確に使用している場合も多い。
あらゆる権力を排他的に独占するのが独裁者であるはずだが、
権力を集中させるが、そこまでいかない人物についてもこの言葉を使用している。
都市で市長が人民投票的民主制のもとで選出される。
住民は、政党を念頭に置くのではなく、候補者個人の魅力で投票する。
市長は強いリーダーシップで市政を運営する。かなり強引にやり方で、
自称改革を推進する。この手の市長をヴェーバーは「都市独裁者」と読んでいる。
橋本知事も「都市独裁者」ということになる。
>>421 「社会科学及び社会政策に関わる認識の客観性」で述べられていた
「理念型」の適用例を具体的に示したもの。
じゃあ「客観性」を先に読んだほうがいいんですね
ありがとう
>>424 「客観性」には客観的可能性,適合的因果連関,偶然的因果連関などのキーワードが出てくるけど,
その内容はたしか書いてなかったと思うから,社会学辞典を横において読むといいと思う。
426 :
Z:2009/11/20(金) 21:59:37
今日、岩波新書『現代思想の断層〜「神なき時代」の模索』徳永恂 著
を買ってきました。
徳永恂・上山安敏・内田芳明 は信用が置けます。
427 :
名無しさん@社会人:2009/11/20(金) 22:09:49
知識人と言われている人達がマックス・ウェーバーの名を持ち出すことはよくあるが,
その内容が正確に語られることは見たことがない。
本当に理解しているのだろうか?
そんなたいしたこと言ってないでしょウェーバーって
大丈夫ですか? "6(^_^;)
>>428 ウェーバーの仕事の範囲ってメチャ広くない?
その点はマルクスと似ているよね
「概念の虚構性」と言っても意味が分からないと言う人が多い。
こういう人達にウェーバーの「理念型」を理解してもらうのは困難でしょう。
434 :
名無しさん@社会人:2009/11/23(月) 16:11:56
はあ・・・そうですか"6(^_^;)ポリポリ
>概念の虚構性
こんな簡単なことを考えてみたこともない人っているの?
少なくとも社会学やっている人なら考えたことあるんじゃね? 6"(^_^;)ポリポリ
実体概念ばかり扱っている○学部の連中はどうだか知らんけど。
じゃあヴェーバー(こういうわないと怒る人がいる"6(^_^;)ポリポリ)が初めて主張したことを書いてみ
醜いね
くだらね
ここでウェーバーの話しようとしても無駄。
www(ノ∀`)
漫然とウェーバーを読んでも
背景的な枝葉の知識が増えるばかりで意味がないよ。
活字を舐めて終わるだけ。
>>443 ここは独り言を書いている人と
茶々入れて遊んでいる人がほとんどだから
何を言ってもまともな返事はかえってこないよ。
回答すると理解してないことがバレるからだろ。www (ノ∀`)
馬克斯韋伯帖子的諸位,イ尓好!
プロ倫以外にオリジナルな仕事ってあるのこの人
448 :
名無しさん@社会人:2009/11/26(木) 00:06:29
>>444 ちょ・・・茶々入れて遊んでる人って私?(* ̄□ ̄*;)
本気で言ってるよ
たぶんキミよりかは読んでると思うし
意味分かってる?
ああ
それならいいですよ。
私がよく目にするウェーバーの評価とちょっと違うなと思ったから
その根拠を知りたかったのです。
私も今後ウェーバーの著書を読む上で参考にさせていただきますよ。
それでは。
?
>>450 もし差し支えなければ,あなたが
「ウェーバーにはプロ倫以外にオリジナルな仕事はない」
と本気で思う理由を教えていただけませんか?
456 :
名無しさん@社会人:2009/11/29(日) 20:19:52
こういうとき三郎氏やZ氏はなぜか書き込まないんだな
ウェーバーはそんなに大したこと言ってない(
>>429)とか
プロ倫以外にオリジナルな仕事はないとか言ってる人(
>>450>>447)誰だよ?
すげぇな,おい。
どこがすごいのかは反論しないんだなw
結局、プロテスタントの倫理なんかなくても資本主義は勃起するんだろ?
460 :
三郎:2009/11/30(月) 22:26:14
>こういうとき三郎氏やZ氏はなぜか書き込まないんだな
何を書けばいいのですか?
そこで折原氏召還ですよ
462 :
名無しさん@社会人:2009/12/01(火) 19:13:22
463 :
三郎:2009/12/01(火) 20:35:48
>462
失礼しました。
話題はヴェーバー評価でしょうか。
各人が自分の関心にしたがって、ヴェーバーを読み、
ヴェーバーを評価する……これしかないでしょう。
わたしはヴェーバーの政治社会学に関心があります。
ヴェーバーは学ぶべき多くを持っていると思います。
しかし、政治学者でヴェーバーを研究しているのに、
カン・サン・ジュンさんなんてのは、ヴェーバーの政治社会学には
関心がないようですね。不可思議です。
カンさんもそうですが、ヴェーバーに近代批判なるものを見出して、
それを高く評価する人が結構います。
「近代」批判者としてのヴェーバー……という議論はあまり面白くないです。
464 :
名無しさん@社会人:2009/12/01(火) 22:30:33
>>463 >「近代」批判者としてのヴェーバー……という議論はあまり面白くないです
そですか・・・失礼しました(´・ω・`)
465 :
三郎:2009/12/01(火) 23:38:47
いわゆる『プロ倫』もどうでしょうか。
根本的に間違っているのではないでしょうか。
昔から批判されていますよね。
西欧における近代資本主義の起源・形成について
『プロ倫』がどれだけの妥当性があるか。
多くの人が『プロ倫』をありがたがるのが、わかりません。
そういう人びとのヴェーバー論は面白くない。
466 :
三郎:2009/12/01(火) 23:56:43
たとえば、「鉄の檻」の批判なんかですね。
ヴェーバリアンが、
「近代の批判者としてのヴェーバー」……こういうヴェーバー像を
顕彰するのはそれはそれで結構かも知れませんが、
それがヴェーバーにおける価値あるものかどうかギモンです。
松井克浩『ヴェーバー社会理論のダイナミクス』(未来社、2007年)は、
冒頭で、「近代批判者としてのヴェーバー」というとらえ方を
きびしく批判しています。わが意を得たり、という気持ちになりました。
467 :
三郎:2009/12/02(水) 00:01:20
自分が気に入ったヴェーバーの著作を
ゆっくり、ゆっきり、ていねいに読んでいく。
考えながら読んでいく。一語、一語を考えながら。
そうすれば、人それぞれで違うでしょうが、
必ず得るものがあると思います。
その種の著作とは、わたしにとっては『プロ倫』ではない。
『新秩序ドイツにおける議会と政府』や『職業としての政治』や
そして『支配の社会学』『支配の諸類型』、また『理解社会学の
カテゴリー』『社会学の根本概念』などです。
468 :
名無しさん@社会人:2009/12/02(水) 05:53:19
社会的行為の類型なんて
別にウェーバーにいわれなきゃ気づかない話じゃないでしょうw
修道院やその精神が資本主義にどのような影響を与えたのか、
これをわかりやすくまとめた日本語の本ありませんか?
471 :
Z:2009/12/02(水) 22:11:39
修道院はカソリックで、プロテスタントには修道院はありません。
(世俗内禁欲ですから)
472 :
三郎:2009/12/02(水) 23:01:42
>社会的行為の類型なんて
>別にウェーバーにいわれなきゃ気づかない話じゃないでしょうw
社会的行為の類型というのは、
「価値合理的行為」
「目的合理的行為」
「感情的行為」
「伝統的行為」
……の4つでしたでしょうか。
473 :
三郎:2009/12/02(水) 23:05:44
12月14日は赤穂浪士による吉良邸討ち入りの日ですね。
この行為はどこからやってきたのか。
浪士たちはどういう動機を持っていたのか。
この動機、目的、意味を理解する作業において有用なのが、
社会的行為の4類型でしょう。
(a)自分や自分の家に対する世間的な評価(名誉とか)を求めるとか、
討ち入り後の他家への仕官を狙うことが動機であれば、「目的合理的行為」。
(b)亡き主君への個人的な思いが強く、
その感情から吉良への恨みをはらしたいというのが動機であれば
(行為の意味であれば)、
討ち入りは全体としては、「感情的行為」ということになる。
(c)自分自身の物質的、精神的利害を顧みず(aではない)、
武士として立派に生きる、
主君に対する忠誠心、
あるべき家臣として敵を討つ、
そうした武家世界における価値観が動機になっておれば、「価値合理的行為」。
(d)ここでは「伝統的行為」は関係あるまい。
474 :
三郎:2009/12/02(水) 23:15:09
わたしは基本的には、浪士たちの討ち入りは、(c)の「価値合理的行為」だと思います。
観念的、理念的な動機から出ていると思います。
(ただし小姓として若いときから主君浅野内匠頭に仕えた家臣[片岡源五衛門か]には、
(b)の「感情的行為」の要素もあったかもしれません。)
こういう大枠があって、この大目的を達成するために、
討ち入りという軍事行動を成功させなければならないのですが、
当たり前のことですが、討ち入りそれ自体は、吉良の首を取るための「目的合理的行為」ということになります。
大目的については(c)「価値合理的行為」、
それを達成するための手段としての小目的に関しては「目的合理的行為」が入るわけです。
討ち入りの研究者の頭の中に、こうした4類型があれば、より効果的な分析ができるように思います。
価値合理的行為と精神的利益のかかわる目的合理的行為とを区別できない赤穂浪士研究者がいるようです。
475 :
三郎:2009/12/02(水) 23:18:25
というわけで、わたしには以下のご意見には賛成できません。
>社会的行為の類型なんて
>別にウェーバーにいわれなきゃ気づかない話じゃないでしょうw
以上
476 :
三郎:2009/12/03(木) 13:43:55
追加
「三郎」とはなっていませんが、1年前に、
「17」と「23」でもヴェーバーの「社会的行為」の概念と赤穂事件に
ついて書きました。
17 :名無しさん@社会人:2008/12/14(日) 23:03:53
23 :名無しさん@社会人:2008/12/17(水) 21:36:47
477 :
名無しさん@社会人:2009/12/03(木) 15:44:49
478 :
三郎:2009/12/03(木) 20:14:47
追加
「三郎」とはなっていませんが、
「398」「407」でZ氏について書きました。
>>398:名無しさん@社会人:2009/10/26(月) 20:52:12
>>407:名無しさん@社会人:2009/11/13(金) 20:26:59
479 :
三郎:2009/12/03(木) 22:08:11
478の三郎氏は、476の三郎とは別人です。
480 :
名無しさん@社会人:2009/12/03(木) 22:16:37
いえいえ
482 :
名無しさん@社会人:2009/12/04(金) 22:42:49
483 :
名無しさん@社会人:2009/12/05(土) 22:52:11
トリップのつけかた知らないのかな?
ヴェーバーのことはシコシコしらべるのに
トリップのつけ方ひとつしらべられない?
484 :
名無しさん@社会人:2009/12/07(月) 12:35:11
う〜む
>>424 ウェーバーの言う「認識の客観性」は訴訟法学でも問題になる。
訴訟法学では
@証拠に基づく裁判(証拠裁判主義),
A利害の対立する者が訴訟当事者となる西欧型の訴訟形態,
B中立な裁判所による心証形成
などが事実認定の客観性を担保すると言われる。
ウェーバーの価値自由論や理念型論にも通じる話だと思う。
客観性やモデルなどという観点は別にウェーバーに言ってもらわなくても誰でも気づくことでしょうw
>>486様へ
「客観性」の定義を実際に言おうとすると意外と難しいですよ。
もしよろしければあなたの定義を書いていただけますか?
理念型とモデル論との関係にもお詳しそうですね。
宜しくお願いします。m(_ _)m
488 :
名無しさん@社会人:2009/12/08(火) 22:56:54
486のどこを読んで詳しそうと思ったのだろう?
489 :
Z:2009/12/11(金) 00:45:10
ヴェーバーの理論は、決して間違ってはいないが、もう
ヴェーバーだけで解明は出来ない。ヴェーバーだけで論考すれば、
結局「解釈学」になってしまう。かつてのマルクス学がそうだった。
先ず
☆ ベネディクト・アンダーソン(ヴェーバーをヨク読んでいる)
☆ エマニエル・トッド(ソ連崩壊を、崩壊の15年前に予言した)歴史人口学者
彼はヴェーバーを読んでいるかどうかは判らないが…。
>>489 >もうヴェーバーだけで解明は出来ない。
何を解明するのですか?
具体的に書いてくれますか。
491 :
名無しさん@社会人:2009/12/12(土) 14:19:26
>>490 Z氏に質問しても答えは返ってこないと心得よ
何が「心得よ」だ
493 :
名無しさん@社会人:2009/12/12(土) 15:10:14
岩手
岩手
岩手出身の女生徒を退学処分した。www
岩手
岩手
壮絶いじめ宝塚歌劇団w
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、岩手出身の金もコネも無い女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、岩手出身の金もコネも無い女生徒を退学処分にした。www
長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、岩手出身の金もコネも無い女生徒を退学処分にした。www
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長野県善光寺の娘(96期)と宝塚歌劇団と副校長と96期が犯罪を捏造して、岩手出身の金もコネも無い女生徒を退学処分にした。www
△▼【万引捏造】96期[Part15] 【冤罪退学】▼△
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/siki/12★60543134/
【Googleは】宝塚音楽学校冤罪退学事件3【ハッカー】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/12★60390479/
宝塚音楽学校を退学処分になった女性、不祥事を捏造されたとして提訴
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news2/125★7679254/
宝塚音楽学校でガチャ切りしたの誰なんだろうね?
事務員とかな電話対応やクレーム対応習わないのかとらびっくりなんだけど。
宝塚歌劇営業部はまともな対応だね。
音楽学校は、アーアー聞こえなーい電話ガチャンって姿勢だからね。
裁判所にもアーアー聞こえなーいだし、クレームなんか聞く気もなさそうだよ。
494 :
名無しさん@社会人:2009/12/15(火) 03:36:57
495 :
名無しさん@社会人:2009/12/18(金) 03:23:15
みんなどうしたの?(* ̄□ ̄*;)
496 :
名無しさん@社会人:2009/12/19(土) 06:50:26
Zさんは減退気味なのかな?
しこる回数が減ってるよね。
君もなかなかふざけてるよな。
498 :
三郎:2009/12/19(土) 13:10:30
ヴェーバーは「純粋に政治志向的な行為」という言葉を使っている。
これは権力利害の計算にもとづく行為という意味らしい。
しかし、この言葉はほとんど注目されない。
キミは一体何を主張したいんだ?
500 :
名無しさん@社会人:2009/12/19(土) 15:26:48
さあ┐(´ー`)┌
501 :
名無しさん@社会人:2009/12/20(日) 21:06:51
三郎氏は一度始まると
回数が凄いなw
ここぞというところで
男を見せるタイプかな?
別スレで三郎氏を見てびっくり
503 :
名無しさん@社会人:2009/12/22(火) 07:18:54
別スレってどこッスか?
読みたいッス。
504 :
名無しさん@社会人:2009/12/26(土) 04:46:21
てすと
505 :
名無しさん@社会人:2009/12/28(月) 05:44:00
Z氏や三郎氏は冬休みなのかな?
オマイさんもコテの冷やかしばかりしてないで
ウェーバーさんの話しろよ。
507 :
名無しさん@社会人:2009/12/30(水) 09:22:48
冷やかしがあるから
多少は盛り上がってるんじゃないかな?
オマイさんはウェーバーの言説を十分理解した上で
冷やかしやってるの?
それとも単に冷やかして遊んでる人なの?
509 :
名無しさん@社会人:2009/12/30(水) 14:25:48
どっちでもいいよ、そんなこと。
だいたいウェーバーを語ってる人らも
十分理解できてるか怪しいもんだ。
痛い所を突かれたみたいだね。
だからウェーバーが初めて発見、提唱した理論は何よ?
513 :
名無しさん@社会人:2009/12/31(木) 00:49:57
>>510 ほんとだw
誰一人、ウェーバーについて語らないな。
見苦しい
515 :
名無しさん@社会人:2009/12/31(木) 13:30:10
おまいもうぜーよ
↑冷やかし専門の粘着age厨
517 :
三郎:2009/12/31(木) 15:33:25
ヴェーバーによる権力の抽象的定義
「権力(Macht)は、社会関係のなかで抵抗に逆らっても自己の意志を貫徹
するおのおののチャンス――このチャンスが何にもとづこうとも――を意味
する。」(『社会学の基礎概念』角川文庫、1953年、90頁。『社会学の根本概念』
岩波文庫、86頁)
ヴェーバーは別のところでは、「権力」を「自己の意思を他人の行動に対して
押しつける可能性」(『支配の社会学』T、創文社、5頁)と規定している。
520 :
三郎:2010/01/01(金) 02:02:56
(1)Machtと「権力」
ヴェーバーが用いているMacht(マハト)というドイツ語は、しばしば「権力」と訳され
ている。しかし、「力」ないしは「勢力」と訳されることもある。
ヴェーバーのMachtの意味の範囲は、日本語の「権力」という言葉によって一般的に意味
されるものヨリもずっと広いのであって、日本語ではけっして「権力」とは言わないよう
な現象についてもMachtという言葉は使用可能である。
日本語で言う「国家権力」の「権力」について、ヴェーバーはMachtを使用するだろう。
「国家権力」はStaatsmachtである。この場合は、これでいい。
しかし、わたしと友人とが、夕食に中華料理を食べるか、和食を食べるのかで、意見が対
立。わたしは不承不承友人にしたがって中華料理を食べることに同意したとする。
ヴェーバーなら、ここにMachtの存在を見出すだろう。
なぜなら、友人は、わたしの抵抗に逆らってまで、自己の意志を貫いたのだから。
しかし、日本語だとこういう場合、絶対に「権力」とは言わないだろう。
521 :
三郎:2010/01/01(金) 02:19:00
(2)権力(Macht)は至るところに存在する(Machtの遍在)
(イ)国家権力が存在する。
政治指導者の権力。国家機関の権力。
議会における政党間の権力の配分がある。
(ロ)国家と国家との関係も権力の現象である。
ヴェーバーは大国について「権力国家」(Machtstaat)という言葉をあてている。
(ハ)わたしと友人との、わたしと妻子との、私的な人間関係においても、Machtは存在す
る。職場のインフォーマルな人間関係おいても、Machtは存在する。これはミクロ
な権力≠ニも言える。
522 :
名無しさん@社会人:2010/01/01(金) 02:38:23
age厨乙
523 :
三郎:2010/01/01(金) 04:04:11
(3)「チャンス」ないしは「可能性」
「チャンス」「可能性」とは、一方の主体にとって好機であるが、しかし必ずしも
その意図通りになるとは限らない、ということだ。
これは、主体間の権力をめぐる相互行為・相互関係には、どうなるかわからない偶然性、
リスク、不安定さが含まれている、ということを意味する。
つまり主体性・能動性を持つのは、主体Aだけではない。
主体Bにも主体性・能動性があるのであって、単なる受動的存在ではない。
主体Bは「抵抗」するかも知れない。
主体Aは、主体Bの「抵抗に逆らっても自己の意思を貫徹する」ことができる場合が
あるが、しかし、できない場合もある。
(イ)「権力」にはしばしば「抵抗」の可能性がある。
(ロ)その「抵抗」は挫折する場合もあるが、成功することもある。
わたしは、ソルジェニーツインが『収容群島』の冒頭で、
自分はソ連の強制収容所の過酷な現実のなかにさえ、
人びとの「抵抗」があったことを書きたかった
と述べていたのを思い出した。
524 :
名無しさん@社会人:2010/01/01(金) 08:49:19
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いま日本の最高支配者は薩長連合(鹿児島県、山口県)の田舎侍です。
・坂本龍馬は日本をいまも破壊しているテロリスト薩長連合の工作員だっただけの者です。
・織田信長の時代から戊辰戦争まで、鉄砲隊のガンパウダーはガンパウダー1樽につき、
日本人の若い娘50人を海外に売ることで調達していました。
・自殺者3万人(実際は8万とも)は薩長連合が原因です。日本はいまだに武家社会です。
・明治維新テロは薩長連合が海外の貴族やユダヤから金を借り(年利18%)て起こした国家転覆テロ。
・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、
高知県、佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。 公務員は薩長連合の使用人です。
公務員は国民を支配する道具。国策捜査は薩長連合やアメリカのための捜査です。
・日本経団連の企業は明治以前からの支配階級の関係者が興したものばかり。
・アメリカを代表する洗脳の専門家アーネスト・ヒルガードは戦後来日して
「戦後日本の教育の非軍事化」のために働き、スタンフォード大学からその功績を讃えられます。
鳩山由紀夫もスタンフォード大学卒業です。洗脳はいまも続いています。
・薩長連合は株式会社ゆうちょ銀行の郵便貯金を海外の貴族やユダヤに差し出そうとしている。
・アメリカ財務省証券購入で日本人は毎年アメリカに30兆円以上差し出している。
・日本人が貯蓄した金が海外にいき、信用創造で1000倍になりそれで日本の土地が買われる。
日本は破産し、IMF管理下でも 薩長連合は安泰で国民はIMFに感謝するように洗脳される。
(洗脳支配 苫米地英人 株式会社ビジネス社)
日本の政治家には朝鮮人がいます。安★部、小★泉、菅★、小★沢。
2ちゃんねるはトウ一きょう会が運営してIP集めや、自作自演して洗脳工作する場です。
http://jb★bs.liv★edoor.jp/bbs/read.cgi/news/20★92/11★94947143/
薩長連合は戦争やシベリア抑留で日本人の抵抗勢力を殺したのか。戦争は自国民を殺すためにも使われる。
薩長連合のために警察がインターネット規制をする。今年東京では匿名でネットカフェから情報を発信できなくなる。
情報遮断、ネット情報遮断、ネット検閲は戦後の洗脳と同じやり口。薩長連合は日本人ではない。w
>>523 明けましておめでとうございます。
つまり,「権力」というのは
社会の構成要素の中でも強力な因果力を持ったものの一つだということになるね。
因果関係の認定においては重要な原因の一つになる。
ウェーバーは文化的要因や宗教的要因も重視した人だと言われているけど。
527 :
名無しさん@社会人:2010/01/01(金) 11:53:00
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ウェーバーの権力概念は服従によって定義される
nice response
530 :
名無しさん@社会人:2010/01/02(土) 05:45:04
thank you!
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531 :
Z:2010/01/03(日) 14:09:24
あけおめ〜
ちょっと荒れててウケルんですけどw
532 :
三郎:2010/01/05(火) 00:52:28
>>528 >ウェーバーの権力概念は服従によって定義される
微妙なところがあります。
もう一度、ヴェーバーによる「権力」定義を引用します。
「権力(Macht)は、社会関係のなかで抵抗に逆らっても自己の意志を
貫徹するおのおののチャンス――このチャンスが何にもとづこうとも――を意味する。」
この場合の「自己の意思」は権力を行使する側の「意思」です。
この定義では、行使される側は、「抵抗に逆らっても」の「抵抗」する存在として暗示され
ているだけです。
支配する側と支配される側、権力を行使する側と権力を行使される側、命令する側と服従
する側……。ヴェーバーがつねに重視しているのは、前者の側だと思います。
533 :
三郎:2010/01/05(火) 01:20:26
同じようなことを
>>405以下にも書きましたので、参照して下さい。
534 :
三郎:2010/01/05(火) 06:11:41
とはいえ、後者の側も重視しなければならないのは当然ですね。
535 :
三郎:2010/01/05(火) 07:50:18
536 :
名無しさん@社会人:2010/01/05(火) 09:13:07
三郎さんが三郎さんにレスってwうける〜w
クッキーOFFにしてなかったんだねw
538 :
名無しさん@社会人:2010/01/05(火) 16:32:04
自画自賛だねw
539 :
名無しさん@社会人:2010/01/05(火) 20:20:31
じゃあ天皇なんてどう考えても権力者じゃねーじゃん。
540 :
名無しさん@社会人:2010/01/05(火) 21:09:35
/ ̄ ̄ ̄ ̄.\
|) ○ ○ ○ (|
/″ \
/________.\
 ̄ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪ ∪  ̄
/ \
/ \
/ 〃∩ \
/ ノ ⌒⊃ \
/〃⊂(><;)ノ´ \
/ ∪ 彡 \
うわ〜
∫ ∬
541 :
三郎:2010/01/06(水) 12:03:54
念のためにもう一度書きます。
ヴェーバーのいう「マハト」が存在するのは、
国家、政治、政府、統治などの領域だけではありません。
あるいは、株式会社や教会の内部だけではありません。
わたしと妻との関係、
わたしと友人との関係、
介護士と施設の老人との関係、
その他、社会生活のあらゆる場面に「マハト」は存在します。
ヴェーバーは、「マハト」の特殊な形態として「支配」を規定しています。
「支配」も「マハト」(権力)のあり方ですが、
すべての「マハト」が「支配」というかたちを取るわけではありません。
日本語で「権力」といっているのは、ヴェーバーの「支配」のほうに近いと思います。
See
>>520
542 :
名無しさん@社会人:2010/01/06(水) 23:07:51
/⌒ヽ⌒ヽ,
/ ⌒\
/ ⌒ヽ,
( ヽ,
/⌒\ ,,- ‐ー ‐ - ,,,,. ゝ
/ ヽ〆`" ミ (
/ / ?,. \ ヽ
/ / ;. ,,,,, ヽ )
{ ./ ?, ,,.???" `ヽ 彡
! i ? , ,,,,, ,r??(・)ヽ 彡
i ミ 〃 ゙゙゙゙?? ′.`"´,/ ヾ.
. ?, ( ,r?(・ )`?ヽ `?????" !
?, 彡 `"´ ノ } ゝ {
?, 〆、ミ ー- ??" ( ,、_ッ^′ i
?{ ⌒ ,,___,. / .} ナルホドネ〜
\ i、 -‐"ニ? i´ / ノ
i Uヽ ,,,,ノ i /
\,,,ノi \ {./
ヽ ‐ - t ,,ノ {
〕 ` ‐---ー " i、
543 :
三郎:2010/01/07(木) 00:37:29
>>541 のつづき
国家、政府、政党等々によって演じられる政治。
それらを〈マクロの政治〉と呼ぶならば、
確かにヴェーバーにとって政治の世界での主要な関心事は
マクロの政治でした。
(『職業としての政治』の冒頭を参照)
しかし、「権力」や「支配」の概念規定を見るならば、
そうしたマクロの政治のみならず、
社会生活の、ふつうは政治とは無縁と考えられている領域、
場面における人と人の関係、団体内部におけるミクロの政治も、
十分視野に入っていることが分かる。
ただヴェーバー自身が〈ミクロ政治〉の分析に力を
注がなかったのも事実である。
544 :
名無しさん@社会人:2010/01/07(木) 08:04:00
/⌒ヽ⌒ヽ,
/ ⌒\
/ ⌒ヽ,
( ヽ,
/⌒\ ,,- ‐ー ‐ - ,,,,. ゝ
/ ヽ〆`" ミ (
/ / ',. \ ヽ
/ / ;. ,,,,, ヽ )
{ ./ ', ,,.'''" `ヽ 彡
! i ' , ,,,,, ,r''(・)ヽ 彡
i ミ 〃 ゙゙゙゙'' ′.`"´,/ ヾ.
. ', ( ,r'(・ )`'ヽ `'''''" !
', 彡 `"´ ノ } ゝ {
', 〆、ミ ー- ''" ( ,、_ッ^′ i
'{ ⌒ ,,___,. / .}
\ i、 -‐"ニ' i´ / ノ フムフム
i Uヽ ,,,,ノ i / ナルホド
\,,,ノi \ {./
ヽ ‐ - t ,,ノ {
〕 ` ‐---ー " i、
545 :
名無しさん@社会人:2010/01/07(木) 23:54:57
/⌒ヽ⌒ヽ,
/ ⌒\
/ ⌒ヽ,
( ヽ,
/⌒\ ,,- ‐ー ‐ - ,,,,. ゝ
/ ヽ〆`" ミ (
/ / ',. \ ヽ
/ / ;. ,,,,, ヽ )
{ ./ ', ,,.'''" `ヽ 彡
! i ' , ,,,,, ,r''(・)ヽ 彡
i ミ 〃 ゙゙゙゙'' ′.`"´,/ ヾ.
. ', ( ,r'(・ )`'ヽ `'''''" !
', 彡 `"´ ノ } ゝ {
', 〆、ミ ー- ''" ( ,、_ッ^′ i
'{ ⌒ ,,___,. / .}
\ i、 -‐"ニ' i´ / ノ
i Uヽ ,,,,ノ i / もう時代はトラストミーですよ
\,,,ノi \ {./ 国民の生活が第一
ヽ ‐ - t ,,ノ {
〕 ` ‐---ー " i、
546 :
三郎:2010/01/08(金) 21:19:10
(4)「権力(Macht)は、社会関係のなかで抵抗に逆らっても自己の意志を貫徹
するおのおののチャンス――このチャンスが何にもとづこうとも――を意味
する。」
ここで「おのおの」はドイツ語では jede であり、「あらゆる」とも訳せる。
英語ではevery と同じである。しかし、ポイントは「このチャンスがなににもとづこうと
も」にある。 つまり、いろんな要素にもとづいて、「チャンス」が出てくるというのだ。
547 :
三郎:2010/01/08(金) 21:20:27
ある時には「このチャンス」が、暴力にもとづくことがあるだろう。
また富にもとづくこともあるはずだし、名誉にもとづくこともあろう。
しかし、この定義の水準ではヴェーバーはこうした具体的なことには一切触れていない。
「自己の意思を貫徹する」チャンスは、あらゆる要素にもとづきうるということだろう。
国家の権力の場合、いろいろな要素にもとづくのだろうが、決定的なのは暴力ということになるだろう。
548 :
名無しさん@社会人:2010/01/08(金) 23:59:37
/⌒ヽ⌒ヽ,
/ ⌒\
/ ⌒ヽ,
( ヽ,
/⌒\ ,,- ‐ー ‐ - ,,,,. ゝ
/ ヽ〆`" ミ (
/ / ',. \ ヽ
/ / ;. ,,,,, ヽ )
{ ./ ', ,,.'''" `ヽ 彡
! i ' , ,,,,, ,r''(・)ヽ 彡
i ミ 〃 ゙゙゙゙'' ′.`"´,/ ヾ.
. ', ( ,r'(・ )`'ヽ `'''''" !
', 彡 `"´ ノ } ゝ {
', 〆、ミ ー- ''" ( ,、_ッ^′ i
'{ ⌒ ,,___,. / .}
\ i、 -‐"ニ' i´ / ノ
i Uヽ ,,,,ノ i /
\,,,ノi \ {./ 分かりやすい解説
ヽ ‐ - t ,,ノ {
〕 ` ‐---ー " i、
549 :
名無しさん@社会人:2010/01/13(水) 20:37:08
test
550 :
Z:2010/01/14(木) 18:45:48
ドン・キホーテ型と ハムレット型 について
このドン・キホーテ型とハムレット型は、ロシアの作家:ツルゲーネフの
言った類型です。その意味はヨクご存知でしょう。ここでは、
どちらの型が優劣かをいっているのではありません。
ドン・キホーテは本来、高貴な騎士で教養の高い人です。
その彼が、あるとき「誇大妄想」を起こすのです。ハムレットも
騎士道精神を持った人物です。どちらも基礎は同じです。
ハムレットについては、C.シュミット著の『ハムレットもしくはヘカベ』
に詳しく書かれています(みすず書房刊)。C.シュミットは公法学者で、
一時ナチスに迎合した学者です。そんなわけで、評判の悪い学者です。
しかし、論考は明快で判りやすく、アレッ〜という展開をみせます。最近は、
シュミット・ルネッサンスとして‘変身’しました。シュミットの著作を
読みもせず、ヤレ〜ナチスの御用学者だの…何のと決め付けている人々が
今でも、大勢いるのは残念なことです。
ドン・キホーテ型の人に案外、大物がいます。K.マルクスやM.ヴェーバーが
そうです。ドストエフスキーもドン・キホーテ型でしょう。それにひきかえハムレット型には、
なにかニヒルな感じがします。太宰治がそうです。
このドン・キホーテ型の人には、決して悪い意味ではないが「誇大妄想」の
傾向があります。
そのよい例がマルクスとヴェーバーです。
551 :
名無しさん@社会人:2010/01/17(日) 17:36:00
なんか良い解説書無いすかねえ?
というかウェーバーは解説書を読まないほうがいい
553 :
名無しさん@社会人:2010/01/17(日) 22:10:37
ウェーバーとハーバーマスの関係を比較して説明出来る方教えてください
というのがレポート課題なんだね
555 :
名無しさん@社会人:2010/01/18(月) 15:23:02
ばれましたねw
締め切り間近ですか?
556 :
名無しさん@社会人:2010/01/18(月) 22:52:36
>>553 佐藤慶幸『ウェーバーからハバーマスへ』世界書院、1986年
佐藤 慶幸『現代社会学講義』 (有斐閣ブックス)、1999年
557 :
名無しさん@社会人:2010/01/18(月) 22:59:08
図書の推薦ではなく説明してほしいんじゃね?
自分で 嫁
559 :
名無しさん@社会人:2010/01/23(土) 03:28:52
そうだね
560 :
三郎:2010/01/25(月) 19:59:33
・〈服従の正当性〉について
〈支配の正当性〉とは
支配者の側からの〈支配の正当性〉の自己主張である。
これは、自己の支配の正当化である。
〈支配の正当性〉の主張は、服従の要求にほかならない。
〈支配の正当性〉は、他面においては、〈服従の正当性〉ということつながる。
重要なことは、
服従する側における〈支配の正当性〉の受容は、
服従する側における〈服従の正当性〉の受容、
したがってまた自己の〈服従の正当化〉をともなうということである。
561 :
三郎:2010/01/27(水) 00:37:27
・多数決について
「多数決で決定して、それにみんなが従うこと」、
これが民主主義だ……ということを子どもの時に聞かされた。
大人になってからもそう信じている人がいる。
多数決での決定事項が実施され、それに服従すること,
これが大切なことだとされる。
だまされてはいけない。
562 :
三郎:2010/01/27(水) 00:38:56
ヴェーバーは、多数決を支配の形態としてとらえる。
つまりそこには、支配する側と支配される側、
命令する側と服従する側とへの分離があるのだ。
この場合は、多数者が支配者だ。少数者の側は被治者ということになる。
支配・服従の権力関係がここにも厳然と存在するのだ。
563 :
三郎:2010/01/27(水) 00:42:01
どこの国でも伝統的社会において、小さな村などで、
日本の寄り合いもそうだったが、「全員一致」での決定がおこなわれる例が
きわめて広範にあった。「多数決」は決して普遍的なものではないし、
民主制と結びついたものでもない。
なおモスカは、『支配する階級』(ダイヤモンド社)のなかで
多数決について面白いことを云っている。
多数派形成において一部少数者が主導権を握ることが多いので、
多数決も、実際には、少数者支配のひとつの形態だと云うのだ。
564 :
三郎:2010/01/28(木) 23:34:52
・第4の正当性類型としての「民主的正当性」
ヴェーバーの正当性の3類型はよく知られている。
ご存知のように、「合法的正当性」「伝統的正当性」「カリスマ的正当性」だ。
だがしかし、ヴェーバーは『支配の社会学』で、第4と思われる正当性類型に言及している。
これが「民主的正当性」だ。ヴェーバーはこの概念を十分展開しないうちに、この世を去った。
『支配の社会学』T(創文社)54-55頁参照。
565 :
三郎:2010/01/29(金) 00:53:31
「民主的正当性」では、権力の座にある人物は、自分が被支配者たちの
「自由な承認」にもとづいて権力を保有していることを理由に、
自己の支配の正当性を主張する。
「民主的正当性」では、「自由な承認」こそがまず第一の重要性を持つ。
そこから支配の正当性が出てくるのだ。
人びと(被治者)が選挙などによって、ある人物を支配者(?)として
自由に承認する。彼は、「被支配者の好意と委任とにもとづく権力保有者」となる。
彼は支配者というよりも「被支配者によって自由に選挙された官吏」なのだ。
(この場合の「官吏」は官職保持者の意味に取るほうがよい)
566 :
三郎:2010/01/29(金) 00:57:24
ヴェーバーはこの「民主的正当性」概念を「カリスマ的正当性」概念の「反権威主義的
解釈変え」によって導出していると云っている。つまり、これは、カリスマ的正当性を構
成している被支配者による支配者の承認の部分を取り込んで、「民主的正当性」概念をつ
くってるということであろう。
「カリスマ的正当性」では、ある人物がカリスマ的な能力を持っていることがまず第一
にある。そこから彼は、自分の支配の正当性を主張し、被支配者たちに服従を要求する(正
当性の主張)。しかし、カリスマ的支配が事実として「妥当」するためには、被支配者が
その人物による支配を承認しなければならない。ただし、この承認は「自由な承認」では
なくて、「義務」として要求された承認なのだ。 (以上)
ノート買う金ないのか?
568 :
三郎:2010/01/29(金) 12:28:58
>567
失礼しました。
やめます。
でも三郎氏はしっかりした文章を書くね。
読んでいて気持ちがいいよ。
570 :
名無しさん@社会人:2010/02/02(火) 20:20:48
ウェーバーは、徹底したリアリズムだ。
571 :
Z:2010/02/03(水) 21:18:38
「精神」というコトバについて。
M.ヴェーバー:『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
の‘精神’であるが、精神というと何だか抽象的な、論理の根本
のように思われるが、どうもそうではないようだ。
ヴェーバーが‘精神’という場合、それは 資本主義を実際に運営
する仕方〜運営方法をいう。“制度”〜資本主義にしろ社会主義・
民主主義にしろ、制度それ自体が自動的に動くのではない。人間が
それを運用するのである。
たとえば、自動車は「自ら動く車」ではなく、あくまで人が運転するのである。
ロールスロイス・キャデラックは超一流の車であるだろうが、人間が
その自動車を運転する。その運転技術が下手であったり、しかも
(これが大切だが)運転「マナー」が悪かったりすれば、超一流の車の価値はない。
超一流車だけに、かえって危ない。たとえ二流〜三流の車(トヨタ・ホンダ)
であっても、運転技術がしっかりしていて、運転マナーもきちんとしてる
ほうが、快適なドライブになるだろう。
@ 制度そのものと、
A 制度を運用する「精神」とは、 はっきり区別することだ!!
572 :
Z:2010/02/03(水) 21:35:33
Mヴェーバーが言っていることは、今でも決して間違ってはいない。
ただ、彼が亡くなって90年経つ。(2020〜10年先は、
ヴェーバー没後100周年になる)
ヴェーバーの解釈学だけでは、解決出来ない問題が数多くある。
それで
☆ フェルナン・ブローデル
☆ ベネディクト・アンダーソン(羹尚中 氏は10年前から
アンダーソンを論じている)
☆ エマニエル・トッド
☆ ダグラス・ノース(1993年度:ノーベル経済学賞受賞)
などなどで、補完しなければならない。
(上記の皆さんは、M.Weberを探求している学者ばかり)
☆
573 :
名無しさん@社会人:2010/02/06(土) 21:02:01
>M.Weberを探求している
彼らはウェーバー研究者ではないのだから、
ウェーバーを探究しているというのはちょっとおかしい
574 :
名無しさん@社会人:2010/02/07(日) 10:49:59
羹尚中氏のテレビでの発言を聞いているとけっしてウェーバーに
学んでいるように思えない。
575 :
名無しさん@社会人:2010/02/07(日) 15:53:37
ウェーバーはナショナリストだろう。
姜 尚中は、ナショナリズム批判をしている。
576 :
名無しさん@社会人:2010/02/07(日) 15:55:04
577 :
名無しさん@社会人:2010/02/07(日) 22:49:08
彼は「心情倫理」でモノを言っているね。
578 :
名無しさん@社会人:2010/02/07(日) 22:51:27
>彼は「心情倫理」でモノを言っているね。
Z氏ではないです。 「朝生」の姜尚中の物言いです。
579 :
名無しさん@社会人:2010/02/08(月) 15:41:26
>彼は「心情倫理」でモノを言っているね。
そうかもしれないが、そうでないかも知れない。
在日韓国人の世界や、日本のリベラル派の世界に
調子を合わせているのでは。
いずれにせよ「責任倫理」と無関係であり、
物質的精神的利害関心で動いてるのではないか。
ウェーバーとは無関係。
580 :
名無しさん@社会人:2010/02/08(月) 22:47:36
ウェーバーの探究だったら今の日本では、折原浩がいる。
しかし、ウェーバー研究者にはおかしな人が多い。
折原はその代表だ。
どうおかしいのかな
582 :
名無しさん@社会人:2010/02/09(火) 13:12:45
たとえば、ウェーバーを絶対化、神格化する。
ウェーバーがプロテスタントだったので、自分のプロテスタンティズムを
信仰するようなひとが何人もいるとか。
583 :
名無しさん@社会人:2010/02/09(火) 13:18:19
折原は、羽入某が『マックス・ヴェーバーの犯罪』で、
ヴェーバーが研究者として不適切なことをしたと指摘したことに激怒。
常軌を逸した感情的批判を繰り返した。
584 :
名無しさん@社会人:2010/02/09(火) 13:47:35
>582
青山秀夫、大塚久雄
585 :
名無しさん@社会人:2010/02/09(火) 13:48:56
586 :
名無しさん@社会人:2010/02/09(火) 22:36:46
山之内靖、『マックス・ウェーバー入門』岩波新書。
ニーチェのヴェーバーへの影響なんて誰もが知ること。
ところが、山之内は、これまで無視されてきたと言ってる。
不思議である。
587 :
三郎:2010/02/09(火) 23:56:24
588 :
名無しさん@社会人:2010/02/10(水) 23:43:58
中山元訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(日経BPクラシックス)が出版されました。¥ 2,520
訳者はウェーバー研究者ではなく、翻訳家です。
未来社の訳本を越える訳業はなかなか難しいと思うのだろうが、どうだろう。
589 :
名無しさん@社会人:2010/02/11(木) 01:41:21
>思うのだろうが、どうだろう。
590 :
名無しさん@社会人:2010/02/12(金) 02:04:46
読んでみないと分からんだろう。
591 :
名無しさん@社会人:2010/02/12(金) 02:50:31
読んでみないと分からないと思うのだろうが、どうだろうw
「読んでみないとわからないと思うが、どうだろうか」だろ。
よろしくとよ
 ̄ ̄ ̄ ̄-----________ \ | / -- ̄
--------------------------------- 。←
>>1 _______----------- ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ / / | \ イ
( ) / ./ | \ /
_ / )/ / | /|
ぅ/ / // / | / .|
ノ ,/ /' / |│ /|
_____ ,./ /∠__| / .─┼─ |
(_____二二二二) ノ (\__,/| / ┼┐─┼─
^^^' ヽ, | | /. ││ .│
594 :
名無しさん@社会人:2010/02/14(日) 23:06:39
独り言スレ
595 :
名無しさん@社会人:2010/02/16(火) 09:58:24
test
596 :
名無しさん@社会人:2010/02/17(水) 04:07:16
独り言はツイッターでどうぞ
三郎さん,Zさんへ
上のレスにもあったけどトリップ付けてみたら?
コテの後に#を入れてその後に合計8バイトまで(8バイト以下でも良い)の文字を入れる。
たとえば
次郎#あケac13
を名前欄に入れるてみると‥
(全角文字は2バイト,半角文字は1バイトらしいから合計8バイト)
半角数字だけとか単調なやつにすると解析されやすいので
記号とか色々混ぜるといいよ。
599 :
名無しさん@社会人:2010/02/20(土) 14:57:48
トリップつけるってのは良いアイデアだと思うな。
600 :
名無しさん@社会人:2010/02/20(土) 15:00:01
宮台一族滅亡祈願o(^o^)o
601 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/02/21(日) 01:26:48
そうまで言われると、
試してみないわけにいかなくなった。
これでどうですか。
602 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/02/21(日) 01:59:46
ドイツの有名なヴェーバー研究者でモムゼン(故人)という人がいる。
(未来社から出ている『マックス・ヴェーバー』はヴェーバーの政治思想について
のたいへんいい本だと思う。)
モムゼンは戦後ドイツの「民主制」の擁護者である。
そして彼は「自然法」なるものから「民主制」支持の論理を引き出す。
603 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/02/21(日) 02:00:56
ヴェーバーも「民主制」を支持、擁護する。
しかし、ヴェーバーは、国家の利益、国際政治、
自国を取り巻く国際環境を考えながら、
「民主制」を擁護するのだ。
つまり、モムゼンのように、
超越的、絶対的、問答無用の論法で
「民主制しかありえない」と言い放つのではない。
604 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/02/21(日) 02:08:17
わたしはヴェーバーが正しいと思う。
統治形態の妥当性、当否はさまざまな条件を考えて議論する必要があるからだ。
ドイツの戦後進歩派のモムゼンは、そこいらへんをすっ飛ばして、
いきなり「民主制」擁護だ。
とくにヴェーバーについて、自分と同じように「自然法」から出発しない
と言って批判するのは可笑しい。
問題なのは、日本のヴェーバー研究者のなかに、
モムゼンのヴェーバー批判が鋭いと評価し、
この批判によってヴェーバーの価値がなにか下がったように思って、
困惑しているような御仁がいることである。
だそうです
606 :
名無しさん@社会人:2010/02/21(日) 16:05:02
へえそうなのか
608 :
名無しさん@社会人:2010/02/23(火) 03:10:48
ほほう
ふむふむ
610 :
名無しさん@社会人:2010/02/23(火) 23:55:07
なるほどねー
611 :
597:2010/02/24(水) 19:56:21
>>601 うん,やっぱりトリップがあったほうが締まりますね。
そうですか
613 :
名無しさん@社会人:2010/02/24(水) 23:45:17
ほほう
614 :
名無しさん@社会人:2010/02/25(木) 01:59:13
う〜む・・・
Je vais bien,merci.
それからそれから?
みんなドイツ語できんの?おれできね
618 :
名無しさん@社会人:2010/02/27(土) 03:16:03
まじで?
第二外語のトレンドはシナ語
馬克斯韋伯「被」公認是現代社会学和公共行政学最重要的創始人之一。
だった。すまんw
622 :
名無しさん@社会人:2010/02/28(日) 23:53:31
ちょ・・・まじ?
すっげー
??好?♥
??好
test
626 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/03(水) 13:17:45
>ポケット図解 マックス・ウェーバーの経済史学がよくわかる本
近所の小さな本屋にもありました。
ほんのひとこと、羽入・折原論争にも触れていますね。
折原を支持しているようでした。
627 :
名無しさん@社会人:2010/03/04(木) 01:26:25
ちょ・・・まじ?w
628 :
名無しさん@社会人:2010/03/05(金) 02:33:10
ようでしたってwww
というか
「ポケット図解 マックス・ウェーバーの経済史学がよくわかる本」
このタイトルに笑える
630 :
名無しさん@社会人:2010/03/05(金) 12:38:01
なぜ?
631 :
名無しさん@社会人:2010/03/06(土) 05:14:38
「3時間で分かるフロイト」
「すぐ分かる源氏物語」
「図解・世界の神話」
「ポケット図解 ニコラス・ルーマンの社会理論」
633 :
名無しさん@社会人:2010/03/07(日) 02:56:27
ネタにマジレスかっこいいな
635 :
名無しさん@社会人:2010/03/07(日) 21:29:45
ふふふ
◆フランクリンの暦だけ覚えてるわ!
637 :
名無しさん@社会人:2010/03/08(月) 03:45:35
覚えてるわ・・・わ・・・わ・・・
・・・わいん・・・ん・・・あちゃー(≧▽≦)
638 :
名無しさん@社会人:2010/03/14(日) 05:21:00
やれやれ・・・
639 :
名無しさん@社会人:2010/03/15(月) 02:48:08
640 :
名無しさん@社会人:2010/03/15(月) 04:29:45
やれやれ…れ…れ…
…れすとらん…ん…あちゃー(≧▽≦)
641 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/15(月) 14:28:48
ヴェーバーの「社会学」では、人間(個人)とその「社会的行為」が、
もっとも基本的な概念になっている。ヴェーバーの社会学は「理解社会学」とも呼ばれ、
個人の社会的行為の意味内容、動機や目的を「理解」するということにポイントがある。
これは一般に、「方法論的個人主義」「理論的人間主義」「理論的個人主義」等々
と呼ばれている。『社会学の根本概念』『理解社会学のカテゴリー』を読むと
こういうことがとりわけ鮮明に打ち出されている。
642 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/15(月) 14:31:48
しかし、これで、社会システム、国家、それに組織(会社や組合など)などを
効果的に分析できるだろうか。それらは、諸個人から成り立っているとは言えるにしても、
しかし、同時に、諸個人を越えた存在の仕方もしているはずだ。
結局、ヴェーバーは理論は、還元論=\―つまり、国家や社会などを、
あるいは株式会社などの組織を、諸個人(あるいは諸個人とその行為)へ還元してとらえ
てしまう理論――にとどまっているのではないだろうか。
643 :
名無しさん@社会人:2010/03/15(月) 18:30:09
ヴェーバーの言う社会の構成要素は
個人にとどまらず,国家,経済,文化,宗教,法etcだろ
645 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/15(月) 23:18:36
ヴェーバーは「国家」そのものは存在しないとあちこちで書いています。
国家はそれ自体で存在する一種の実体ではないというわけです。
多数の諸個人の多数の社会的行為から成り立っており、
そうした社会的行為がなくなれば国家はなくなるといっています。
646 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/15(月) 23:23:36
『理解社会学のカテゴリー』でヴェーバー自身が「還元論」という言葉を
使用している。
「『国家』や『仲間団体』や『封建制』などの概念は、社会学にとっては
一般的に言って、人間の特定の種類の共同行為のカテゴリーを表現している
のであり、だからこそそうしたカテゴリーを『理解可能な』行為へと、
すなわちとりもなおさず参与している個々人の行為へと還元することは
社会学の課題なのである。」未来社、38頁。
647 :
名無しさん@社会人:2010/03/16(火) 02:15:05
ちょ・・・まじ?
648 :
名無しさん@社会人:2010/03/16(火) 05:24:11
さすが三郎氏ですね
実体がない=構成要素ではない
ということになるのか?
一つのカテゴリーとしての独自性を認めないのでしょうか?
そうだとすれば三郎氏の言う通り
社会を個人とその行為に還元する一元論になってしまいますね。
650 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/16(火) 21:21:09
ヴェーバーは「社会学」について、個人とその社会的行為にあらゆる
社会的なもの還元してとらえるわけです。
ヴェーバーにとって、「自然諸科学」と「文化諸科学」とがあるわけです。
「社会学」をヴェーバーは重視するわけですが、
しかしそれでも「社会学」は「文化諸科学」の一つでしかありません。
それはウェーバーが個人の自由意思を
重視していたということでしょうか?
652 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/17(水) 01:50:23
>651
直接的には、社会の〈認識〉にあたって、
個人およびその行為を基本に置くということです。
それでこうしたヴェーバーの原理的姿勢を「方法論的個人主義」と
呼ぶ人が多数います。
653 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/17(水) 01:54:35
しかし、認識の対象、認識されるべき対象である社会の
本質、社会というものの根源的な性質として、
諸個人及び社会的諸行為を考えているようです。
これは社会についての認識の基本になっているわけで、
基本的な社会観であり、さらにどぎつく云えば、一種の「(社会)存在論」
とも云えます。
654 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/17(水) 01:59:08
>それはウェーバーが個人の自由意思を
>重視していたということでしょうか?
お説のように、ヴェーバーは個人を尊重し、
個人の自由、自由意思を尊重していると思います。
個人主義、自由主義ですね。
これは「価値観」です。人生観、世界観です。
これが、認識対象の本質についてのとらえ方(存在論)、
認識の基本的の構え・やりかた(方法論)と
深く関わっているわけです。
655 :
名無しさん@社会人:2010/03/17(水) 02:07:44
深夜にお疲れさまです。
こんなところでシコシコがんばってるのを見ると
頭が下がります。
656 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/17(水) 14:08:39
「認識」とか「存在」とかいうのは、要するに哲学≠フ分野に属します。
ヴェーバーの社会科学は、その土台として哲学≠かかえています。
(ただし、あらゆる社会科学がそうだという主張も成り立たないことはない
ともいえます)
その哲学≠ニは、具体的には「新カント主義」ということになります。
「新カント主義」では、学問を「自然科学」と「文化科学」とに分けます。
ヴェーバーもこれに従い、ヴェーバーにとっての社会科学は「文化科学」
ということになっています。
私はこういうことは苦手ですし、あまり関心がありません。
世のヴェーバー研究者はどうなんでしょう。
まあ中途半端にやっているのではないでしょうか。
657 :
651:2010/03/18(木) 00:48:05
>三郎さん
レスありがとう。
私は自分の専門が事実認定に関わる分野なので
ウェーバーの認識論に関する部分が面白くて
ついついそこばっかり読んでしまいます。
他の部分ももう少し理解を深められるよう努力したいと思います。
ありがとうございました。
658 :
名無しさん@社会人:2010/03/19(金) 04:03:54
14:28:48
14:31:48
23:18:36
23:23:36
21:21:09
01:50:23
01:54:35
01:59:08
14:08:39
・・・・・
なにをしてる人だろう?
Bonjour!
三郎は講師だろ?
広く体系的な知識を持っている人だね。
普通の引きこもりでしょ
663 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/24(水) 01:15:09
>657
>レスありがとう。
どういたしまして。
>660,661,662
恐れ入ります。
このスレだとあれで講師レベルになっちゃうんだw
↑(ノ∀`)
専修大社会学部2年のレベル
大丈夫ですか
668 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/27(土) 16:49:16
ヴェーバーは国家概念には2種類あると言っている(『客観性』論文)。
(1)理論的な国家概念。
これは認識の生産に使用される「理念型」である。
ヴェーバーが『職業としての政治』などで打ち出している国家の定義はこれである。
国家=正統的暴力の独占的行使を成功裡に主張する、領域をもった人間共同体
(もちろん、これとは別の国家についての理念型的把握、概念化も可能である。)
(2)利害や価値によって構成された国家概念。
これは社会的、政治的に流通している国家観念である。
イデオロギー的、思想的国家観念だ。
さまざまな知識人や政治的党派が唱える国家観念はこれだ。
たとえば、天皇を中心とする神の国≠ニいう皇国国家観はそうだ。
669 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/27(土) 16:52:52
ヴェーバーは、この2つを区別する。
しかし、この2つが必ずしも明確に区別できない場合もあるだろう。
中間があり、両者の間には流動的な推移があるのだ。
マルクス主義の階級国家論も、国家有機体説も中間的である。
ヴェーバー自身、(1)(2)の2つの次元で国家をとらえている。
ヴェーバーの政治論文でうかがい知ることができる国家観念は、
この(2)の方である。
670 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/27(土) 16:53:37
ヴェーバーはドイツ国家を愛し、ドイツの「権力利害」に敏感なナショナリストである。
ドイツは大国であり、「権力国家」であり、それにふさわしい「国家形態」――カリスマ的
な強い指導者を戴く「指導者民主制」が必要だという。
つまり、ヴェーバーには一種の「権力国家」思想があるのだが、これは(2)のほうの国家観念だ。
言うまでもなく、社会科学者としてのヴェーバーの国家論はあくまで(1)の次元に成立
するものである。
671 :
三郎 ◆fztbVj7ceM :2010/03/27(土) 17:01:46
(1)の社会科学的な国家概念で面白いのはヴェーバーの国家論に、ノミナリズム(名目論)の観点がることだ。
本当に存在するのは諸個人、その社会的諸行為、それらが構成する社会的諸関係だけである、という原理的な立場――理論的人間主義=i方法論的個人主義)――を貫いて、
ヴェーバーは、
国家そのものはなんら存在しない、
ある種の人びとが社会的行為をやめれば、国家はなくなる……
……といっている。
この国家についての基本的な視点は、国家有機体説と根本的に対立するし、
一般の権力国家思想とは親和関係を持ちにくいものだ。
ノート買うカネまだないんか・・・
673 :
名無しさん@社会人:2010/03/29(月) 01:53:31
チラシの裏を有効利用しよう
674 :
名無しさん@社会人:2010/03/30(火) 04:28:04
ひょっとして新聞を定期購読するお金が・・・?
675 :
名無しさん@社会人:2010/03/30(火) 15:27:00
>>三郎氏へ
> ヴェーバーは国家概念には2種類あると言っている(『客観性』論文)。
>(1)理論的な国家概念。
>
>(2)利害や価値によって構成された国家概念。
たしかどこかでウェーバーは国家について「追憶の共同体」といっていましたね。
これはウェーバー自身の(2)のレヴェルでの国家観ということですかね。
676 :
名無しさん@社会人:2010/03/31(水) 14:42:01
>>588 中山元訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (日経BPクラシックス)
ですが、岩波文庫の大塚久雄訳にくらべてたいへん読みやすい。
677 :
名無しさん@社会人:2010/03/31(水) 14:45:55
>>588 >未来社の訳本を越える訳業はなかなか難しいと思うのだろうが、
>どうだろう。
梶山力・安藤英治訳(未来社)が最高らしいが、
一般の読者は中山元訳で十分。
岩波の大塚訳は欠陥商品。
678 :
名無しさん@社会人:2010/04/04(日) 01:30:38
国家の廃止でないので、アナキズムではないが、国家を個人の行為にまで
ばらかしてとらえる。
679 :
名無しさん@社会人:2010/04/04(日) 17:50:38
折原浩の新著
マックス・ヴェーバーとアジア―比較歴史社会学序説 (単行本)
単行本: 230ページ
出版社: 平凡社 (2010/03)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9% E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%A
8%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E2%80%95%E6%AF%94%E8%BC%83%E6%AD
%B4%E5%8F%B2%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E5%BA%8F%E8%AA%AC-%E6
%8A%98%E5%8E%9F-%E6%B5%A9/dp/4582452345/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=
books&qid=1270370844&sr=1-2
680 :
名無しさん@社会人:2010/04/04(日) 18:14:45
日本のヴェーバー愛好家には折原フアンが多い。
わたしもヴェーバーそのものというよりも、
折原に読まれたヴェーバーに魅せらる。
681 :
名無しさん@社会人:2010/04/04(日) 19:03:00
「社会関係は、『国家』、『教会』、『組合』、『婚姻』等々のような、
いわゆる『社会形象』が問題であるときでも、その意味内容にしたがって
所与の仕方で相互に定位づけられた行為が生じた、生ずるまたは生ずるであ
ろうというチャンスのうちに、もっぱら、かつそのうちにだけある。この
ことは、これらの概念の『実体的』把握を避けるために、つねに固執すべき
である。たとえば、『国家』というものは、或る種の、有意味的に方向づけ
られた社会的行為が経過するというチャンスが消滅するやいなや、社会学的
には『存在する』のを止める。」
マックス・ウェーバー(阿閉・内藤訳)
『社会学の基礎概念』角川文庫、1969年、44頁。
682 :
名無しさん@社会人:2010/04/05(月) 00:38:27
ほほう
>ヴェーバー愛好家
こういう物言いを見ただけでも
日本の社会学が訓詁学の域を出ていないことがわかる
プロ倫てイメージで資本主義礼賛の本かと思ってたけど
実際読んでみるとそうでもないな
685 :
名無しさん@社会人:2010/04/05(月) 19:55:30
>こういう物言いを見ただけでも
>日本の社会学が訓詁学の域を出ていないことがわかる
意味わかりません。
686 :
名無しさん@社会人:2010/04/05(月) 23:21:12
『プロ倫』はプロテスタンティズム礼賛の本かと思ってたけど
実際読んでみる批判的だった。でもこの本はあまり面白くなかった。
687 :
名無しさん@社会人:2010/04/06(火) 00:29:46
今どき予断や前知識なしで望んだ君の純粋さに乾杯
『資本論』は資本家になる方法の本かと思ってたけど
実際読んでみる批判的だった。でもこの本はあまり面白くなかった。
689 :
名無しさん@社会人:2010/04/07(水) 01:10:06
羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』も
ヴェーバーはプロテスタティズムに批判的だったと書いている。
690 :
名無しさん@社会人:2010/04/07(水) 01:19:59
プロ倫について語っても、宗教社会学は語れないのが、
日本のヴェーバー好きのアマチュアである。
691 :
名無しさん@社会人:2010/04/07(水) 16:02:38
政治社会学も、法社会学も、音楽社会学も、理解社会学すらも、
何にも分からないよ。
692 :
名無しさん@社会人:2010/04/08(木) 05:44:34
ウェーバー統一スレってウェーバーになるためのスレかと思ってたけど
実際読んでみる批判的だった。でもこのスレはあまり面白くなかった。
>>689 羽入の本なんてよく読むね
折原の批判に答えられずに人格攻撃に逃げた香具師だろ
694 :
名無しさん@社会人:2010/04/09(金) 22:14:47
羽入のヴェーバー批判は妥当だ。
ヴェーバー批判を自分自身への批判と倒錯した折原が哀れ。
羽入を読みもせず、折原の尻馬に乗っている愛好家が情けない。
695 :
名無しさん@社会人:2010/04/09(金) 23:10:04
『プロ倫』のウェーバーの神経症が生んだ本。
まともなヴェーバーはこの本以外にある。
>>693 巻頭と巻末しか読まなきゃそう読めるよね。
まあ、あの本が出て社会思想史というジャンルが没落したことで、
結果的に姜尚中や三浦展、中山元みたいないかがわしい
ウェーバー読解が横行しはじめたのは大いなる皮肉というか。
>>695 それは羽入の発見というより、ウェーバーの同時代の神経症気質の
「精神性」の問題としてずっと言われていたこと。
あの時代はフロイトの精神分析にかかっていた知識人・文化人は多いし、
狂人そのものであるニーチェの著作の本格的な解釈が始まった時期。
道徳の系譜>>モーセと一神教>>>>>>>>>>>プロ倫
698 :
名無しさん@社会人:2010/04/11(日) 05:36:15
さあ盛り上がってまいりましたw
今の若い読者に折原ファンなんていねーよ。
山之内靖ファンはいるけどなw
700 :
名無しさん@社会人:2010/04/11(日) 21:33:34
>山之内靖ファンはいるけどなw
これまでニーチェの影響が無視されてきたなんとこの人書いていたけど、
そんなこと常識だったと思う。
岩波新書の山之内本もまちがいがあるし。
中島義道にパワハラした谷嶋喬四郎といい、日本の社会思想史の権威はカスばっかし。
>岩波新書の山之内本もまちがいがあるし。
具体的に詳しく。
今では予定説なんてキリスト教徒でも信じてないんでしょ?
>>702 職業的禁欲は不合理なもので、そうした不合理さから近代の
合理性が作られているって箇所じゃなかったっけ。
確かによくわからない理屈だよね。
>>703 カトリックのコミュニティでは健在。
間違えたカトリックのは恩寵予定説的な部分ね。
「鉄の檻を逃れて」っていつ出るの?
「祈ってる暇があったら働け」ってことだよな。
そう言って貧民をこき使いたい人間がプロテスタンティズムを選んだ。
もしくは、カルヴァンにそう言わせた。
以下、『宗教改革とその時代』から
「貧しいこと」自体が、かつてのように神に祝福された状態とはみなされなくなってきた。
中世のキリスト教的伝統のなかでは、「貧しいこと」は本来神に祝福されていることを意味していた。
キリスト自身「貧しいことは幸いである」と述べていたし、
アシジの聖フランチェスコをはじめとする多くの聖人が、無所有の生活をキリスト教徒として理想の生活と考えていた。
ところがいまや「貧しいこと」は、よくても単なる怠惰の結果にほかならず、
悪ければ神に見捨てられたしるしとみなされるようになったのである。
709 :
名無しさん@社会人:2010/05/16(日) 19:22:38
よく田舎の名門旅館とかに行くと
従業員全員で出迎えたりするけど、
ああいうのが、「資本主義の精神」の対極なのだろう。
「神のみに仕える、人間には仕えない」という形で
はじめて自然体の接客が出来る。
飲食店などでも「客に仕えている」タイプのとこが
結構ある。微妙に不快感を覚えてやがて行かなくなる。
相場の料金でごく自然に客に接する感じのいい店ってのが
あるが、彼らはプロテスタントではなくても「資本主義の精神」
ってのは持ってるのだろう。
>>709 番頭さんのそろばんと、リサーチかなあ
経営が入らないと破綻と思うよ
銀座三越とか、初志があって、
儲かり過ぎ停止かもしれないけど
711 :
名無しさん@社会人:2010/05/31(月) 23:31:16
すべては闘争だというのがウェーバーの社会観だ。
712 :
名無しさん@社会人:2010/06/20(日) 18:44:23
>ノート買うカネまだないんか・・・
713 :
名無しさん@社会人:2010/06/25(金) 22:47:30
ドイツは「権力国家」である。
714 :
名無しさん@社会人:2010/06/26(土) 16:12:39
どの国家も「国民的権力利害」を追求する。
「間力国家」はそのちの大国だけだ。
ドイツは大国だというわけだ。
715 :
名無しさん@社会人:2010/06/26(土) 20:22:27
←714
「権力国家」は、世界の中の、数ある国家の中でも大国だけであり、
ドイツは、ヴェーバーにとって「権力国家」でなければならない、
ということですよね。
716 :
名無しさん@社会人:2010/06/28(月) 00:55:48
ドイツのナツィオンのために「権力国家」でなければならない
といっているわけで、大国になればいいと言っているわけではないぞ。
717 :
名無しさん@社会人:2010/06/28(月) 23:47:47
みんな、『プロ倫』しか、知らないのだぜ。
718 :
名無しさん@社会人:2010/06/29(火) 23:00:08
『プロ倫』も『社会学の根本概念』の行為類型論の視点で
読むとけっこう面白い。
719 :
名無しさん@社会人:2010/07/02(金) 21:41:41
『社会学の根本概念』には「闘争」の章があって、
人間世界はすべて闘争だと書いてある。
これは「鉄の檻」という考え方の全否定である。
720 :
名無しさん@社会人:2010/07/02(金) 22:05:33
清水幾太郎訳だな。
721 :
名無しさん@社会人:2010/07/08(木) 00:06:23
「もっとも厳格な規定をもつ平和主義的秩序(Eine pazifistische Ordnung)でさえ、
つねに闘争手段、闘争目標および闘争傾向を、そのうちの一定のものを除去すると
いう意味において、規制しうるだけである。」
阿閉吉男・内藤完爾訳『社会学の基礎概念』角川文庫、昭和四十四年、65頁。
722 :
名無しさん@社会人:2010/07/08(木) 00:08:39
角川訳は正確、しかし直訳的で読みにくい。
岩波訳は読みやすい。しかし、ちょっと原文から
離れるところがある。
Max Weber, Soziologische Grundbegriffe,
Mohr Siebeck, 1984, S.66.
723 :
名無しさん@社会人:2010/07/08(木) 23:59:51
Chance が、角川では「チャンス」。
岩波では「可能性」。ううん。
ナーウ・ゲッツァ・チャーーンス!
725 :
名無しさん@社会人:2010/07/15(木) 16:11:38
「チャンス」ではなくて、「シャンス」だ。
蓋然性を意味する。岩波訳では可能性になっている。
存在は蓋然的に生起するとヴェーバーは考えている。
同じことだよw
727 :
名無しさん@社会人:2010/07/15(木) 20:56:41
蓋然性の方が確率的に高いのでは。
そんな用法初めて知りましたw
729 :
名無しさん@社会人:2010/07/16(金) 18:09:53
プロテスタントだが「プロ倫」は読んだことがないな
730 :
名無しさん@社会人:2010/07/16(金) 22:14:49
今すぐにでも起きる可能性が蓋然性でしょうか。
731 :
名無しさん@社会人:2010/07/16(金) 22:16:55
>プロテスタントだが「プロ倫」は読んだことがないな
「プロ倫」 にはプロテスタンティズム批判の内容が
あるように思います。羽入さんはそう見ています。
律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、
また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。
彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。
宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。
だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、
地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。
あなたがたの教師はキリスト一人だけである。あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。
733 :
名無しさん@社会人:2010/07/26(月) 00:42:24
>阿閉吉男・内藤完爾訳『社会学の基礎概念』角川文庫、昭和四十四年
これは絶版で、入手困難。
オレは古本屋で300円で手に入れた。
確かに、岩波文庫とはだいぶ違う。
734 :
名無しさん@社会人:2010/07/26(月) 01:38:41
『社会学の根本概念』と『理解社会学のカテゴリー』。
この2冊がヴェーバーの基本理論。
735 :
名無しさん@社会人:2010/07/27(火) 12:52:33
まあ、社会学原論だね。
736 :
名無しさん@社会人:2010/07/31(土) 00:37:43
『理解社会学のカテゴリー』
岩波文庫の林訳は本人自身がよく理解していない。
未来社の訳書は、後から出た本で、値段が高いが(5倍)、ちゃんと訳している。
どっちにしろ
たいしたこと書いてないけどね
738 :
名無しさん@社会人:2010/08/05(木) 17:27:46
>たいしたこと書いてないけどね
人間と人間社会の本質が書かれている。
俺が小学生のころ気づいた程度のことしか書いてないよ
>>739 それはお前がウェーバー以上の学識があるって意味?
それともウェーバーがバカだっていう意味?どっち?
さわってやるなよ
742 :
名無しさん@社会人:2010/08/06(金) 22:04:21
「自然」と「文化」とを区別し、
社会学は「文化」にかかわるものと見なし、
社会学から「自然」をヴェーバーは排除している。
逆に言うと、社会学の守備範囲の外部に「自然」はあるわけだ。
743 :
名無しさん@社会人:2010/08/07(土) 01:00:13
心理学と社会学とを区別している。
社会学は「社会的行為」を扱うが、
身体や心理の次元を括弧の中に入れてしまう。
744 :
名無しさん@社会人:2010/08/07(土) 14:33:27
ウェーバーは、意味、動機、目的の観点から諸個人の「行為」を理解する。
「行為」も行動の一種だが、有意味的な行動がとくに「行為」として
概念化されている。また行為は、他者を意識してなされる限りにおいて「社会的行為」とされる。
745 :
名無しさん@社会人:2010/08/07(土) 15:00:37
「行動」 Verhalten
「行為」 Handeln
746 :
名無しさん@社会人:2010/08/07(土) 16:37:10
宗教社会学も政治社会学もこの観点から組み立てられている
というわけね。
747 :
名無しさん@社会人:2010/08/08(日) 00:07:19
人間と人間の行為から分析する。
だからシステムや構造にについては、分析しにくいのが問題。
748 :
名無しさん@社会人:2010/08/08(日) 13:31:10
なぜ、一生懸命、勤労に励むか、
その「動機」を探究すると、プロテスタンティズムの信仰に行き当たった、
というわけですね。
749 :
名無しさん@社会人:2010/08/08(日) 23:36:52
マルクスは経済的土台、下部構造。
これに対してヴェーバーは、宗教を含む上部構造を重視。
750 :
名無しさん@社会人:2010/08/08(日) 23:50:12
>748
ちがう、ちがう。
ウェーバーは、「構造」ではなくて、個人、
個人の「行為」に注目。
751 :
名無しさん@社会人:2010/08/08(日) 23:51:06
訂正
>749
ちがう、ちがう。
ウェーバーは、「構造」ではなくて、個人、
個人の「行為」に注目。
何回言う
753 :
名無しさん@社会人:2010/08/09(月) 10:52:51
マルクスの経済への注目は、
社会構造の因果的メカニズムについての経験的、理論的考察よりも、
共産主義イデオロギーから来ている。
754 :
名無しさん@社会人:2010/08/10(火) 18:34:40
意味や動機を問題にするなら、
それらを左右する要因が重要になる。
755 :
名無しさん@社会人:2010/08/12(木) 01:38:46
>それらを左右する要因が重要になる。
観念、世界観、価値というものが出てくる。
ここでマルクスと大きく違ってくる。
756 :
名無しさん@社会人:2010/08/12(木) 17:15:01
>観念、世界観、価値というものが
これらは個人の行為の意味、動機を左右する働きとの関連で、
行為論的とらえられているので、社会構造論の一種である
マルクスの経済的土台(下部構造)―社会的意識諸形態・政治
・法という上部構造についての理論と
大きく違っている。
マルクスは個人の行為の動機として経済の規定性をあげているわけではない。
757 :
名無しさん@社会人:2010/08/13(金) 19:53:43
個人の動機について、
マルクスは経済的要因のみを見ていたが、
ヴェーバーは複眼的であり、経済だけでなく、文化的要因も
重視していた……というのは、間違いか。
758 :
名無しさん@社会人:2010/08/14(土) 01:28:45
ちょっと違うのでないか。
マルクスは、『経済学批判』序言では、
土台・上部構造論を展開していた。これは構造論だ。
『資本論』では資本家を資本の機能の「担い手」として
把握していた。これは機能論だ。
マルクスには「社会的行為」という視点はない。
しかし、ウェーバーには構造論ないしは機能論の視点はない。
ノート、持ってへんのか。
760 :
名無しさん@社会人:2010/08/14(土) 16:31:42
>ウェーバーには構造論ないしは機能論の視点はない。
これは、方法論的個人主義と呼ばれているが、
方法論の前に、存在論があるのではないだろうか。
761 :
名無しさん@社会人:2010/08/15(日) 00:06:05
ウェーバーは新カント主義だ。
762 :
名無しさん@社会人:2010/08/16(月) 00:13:05
763 :
名無しさん@社会人:2010/08/16(月) 00:22:06
>>756 >これらは個人の行為の意味、動機を左右する働きとの関連で、
>行為論的とらえられているので、社会構造論の一種である
混乱がある。ここでは行為論と構造論とが区別されていない。
本当は、行為論と構造論とは対立する。
諸個人の意図とそれにもつずく諸行為が多数あるとしても、
構造はそれらから相対的自立したかたちで、客観的に存在するものとして把握できる。
諸行為の総和が構造というわけではない。
諸個人の行為から出発したのでは、構造やシステムはとらえにくい。
これがヴェーバー社会学の問題点である。
764 :
名無しさん@社会人:2010/08/16(月) 21:42:47
規範的個人主義(個人の尊重をいう世間的な意味での個人主義)との
区別の意味で「方法論的個人主義」という言葉が使われているのだろうが、
ヴェーバーの立場は、行為主義的人間主義とでもいったほうがスッキリするのでは。
765 :
名無しさん@社会人:2010/08/30(月) 01:09:42
>ノート、持ってへんのか。
??
766 :
名無しさん@社会人:2010/09/03(金) 19:40:53
ナショナリストであり、個人主義者(規範的個人主義者)ではない。
しかし、社会学的な認識においては、個人を基本単位とする、
認識の方法として個人概念を機能させる……。
このことを「方法論的個人主義」という言い方をする人がいる。
帳面ないんか?
おっちゃんこーたろうか?
768 :
名無しさん@社会人:
>>732 宗教社会学をやるには、
聖書を読まんといかんな。