【深夜の】赤木智弘4【ダイエット】

このエントリーをはてなブックマークに追加
743名無しさん@社会人
「当事者性がある」という事実は、ある要求の内容の妥当性とそれを要求する行為の正当性を無条件に保証するものではない。
当事者だからといって、どんな内容の要求をもどのような行為によって行ってもよい、ということにはならない。
「当事者性がある」という事実は、それがない場合に比べて、要求の内容の妥当性とそれを要求する行為の正当性の根拠の提示に
要する言葉、言説による説明、およびそのように説明する責任を、いくばくか軽減するにすぎない。

>>291の最後以外の問いは「当事者性」をめぐる問いだけれども、それによって赤木には「ワーキングプアとしての当事者性がない」ということが
判明したからといって、彼が行っている要求の内容の妥当性、それを要求する行為の正当性が機械的かつ即座に失われるわけではない。
ただ、「俺はワーキングプアという当事者だ」という言説以外の言説生産をもって、他者に説明を果たす責任、accountability が生じるだけ。
これは言説の節約、言説の経済、l'economie du discours の問題。
そして必要な説明を他者から求められても応じない赤木の身振りの問題点としての「他者とのコミュニケーションにおける怠惰さ」と
>>291の最後の問いとはつながっている。

>>702のように>>291を問う人間に対して「動機の悪さ」がどうこうと難癖をつけるのは短絡的。
以上のような「当事者性」が問われるのが「死ぬ死ぬ詐欺」のケース。
あのケースでは、非当事者であることが判明すると、要求の内容の妥当性と要求行為の正当性を示すことはきわめて困難。
赤木の場合は、それに比べればはるかに容易なはず。